2018年4月22日 (日)

曽田本その1の4居合根元之巻読み解く6小藤亀江伝来の目録24夜之太刀

曽田本その1
4.居合根元之巻読み解く

6、小藤亀江伝来の目録

24夜之太刀


24無雙直伝英信流居合目録
居合心持肝要之大事
1、捕手和合居合心持之大事
2、立合心之大事
3、太刀目附事
4、野中之幕之大事
5、夜之太刀之大事
6、閨之大事
7、潜り之大事戸脇之事
8、獅子之洞出之事
9、獅子之洞入之事

読み解く

5、夜之太刀之大事
 
 小藤亀江伝来の目録には「居合心持肝要之大事「」は目録の表題9項目が記載されています、古伝「居合心持肝要之大事」でも表題は9項目なのですが表題が以下の通りです。
1番目及び2番目は小藤亀江伝来の目録とは表題が違います。3番目以降は同じと見ていいでしょう。
居合心持肝要之大事 付 大小指違之事
1、居合心持立合之大事 大小指違
2、太刀組附位
3、太刀目附之大事
4、野中之幕
5、夜之太刀
6、閨之大事

7、泳之大事(潜り之大事)

8、獅子洞入



9、獅子洞出





5、夜之太刀
夜中の仕合にわ我れは白き物を着べしてきの太刀筋能見ゆるなり場合も能知るゝものなり放れ口もなり安し白き肌着抔を着たらば上着の肩を脱ぐべしかまえは夜中には下段宜し敵の足を薙ぐ心得肝要なり或は不意に下段になして敵に倒れたると見せて足を薙ぐ心得も有るべし 

*
夜中の仕合には、我は白い物を着るのである。敵の太刀筋が良く見えるものである。場の状況も良く知れて、切先の放れ口も時を得て容易になるのである。

 白い肌着などを着ているならば上着の肩を脱ぎ、構えは夜中は下段が宜しい、敵の足を薙ぐ心得が肝要である。
 或は不意に下段にすれば敵は我が倒れたと見えて、踏み込んで来る処を足を薙ぐ心得も肝要である。
 夜の太刀は古伝神傳流秘書の抜刀心持之事「夜の太刀」では「歩み行抜て体を下り刀を右脇へ出し地をパタと打って打込む闇夜の仕合也」と有ります。

 是は敵の存在が闇夜で見えず当然我の存在も見えない、そこで敵の位置を音で知ってその方に向き地面を刀でパタと打って敵に我が位置を知らせ打ち込んで来る処を仕留めるものなのです。

今回の夜之太刀では白い物を着て見える様にしてしまう処は面白い発想の処でしょう。

 當流申伝之大事では暗夜の心得が述べられており、其処では、袂に石を3つ4つ入れて行き、見えるものに当てる。
 或は鉄の鎖の先に五十目程の玉を付けて杖や脇指の鞘などに付けて四方に振り廻して打ち払う。
 半弓を持って行く。逃げる者を追わない。夜は頭巾とか笠とか鉢巻などでも必ず冠る。
鼻紙を水に浸し鉢巻の下にすると鎖頭巾より強いとか高声に歌わず大酒を呑まず・・などの心得も有ります。

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2018年4月21日 (土)

無双直伝英信流之型 福井聖山先生の看取り稽古の6受流の2

無双直伝英信流の型
福井聖山先生の看取り稽古の6受流の2
参考資料
文献前回と同じ
河野百錬昭和44年1969年太刀打之位ビデオ
福井虎雄聖山昭和57年1982年太刀打之位ビデオ
その他
 双方納刀のまま静かに前進し、間に至るや打太刀は抜刀し上段より仕太刀の真向を斬下す。
註、打太刀は左手を鯉口に把りながら右足より前進し、左足を進めつつ柄に右手をかけるや右足を進めて刀を抜きかけ、次に左足にて抜とりて上段となり右足を踏込みて斬下す。
 まず、河野百錬先生のビデオによって稽古します。
 受流の初動は相進みですが、打が起こすものです。残念ながらこのビデオの撮影者は仕の河野先生の歩む姿ばかりアップして打の姿は刀を抜き出した処からしか撮っていません。 
 このビデオ撮影は演武会の切り取りでは無く、参考の為に撮影されたものの様です。これでは参考になりません。河野先生の崇拝者でしょう。崇拝は崇拝、術は術なのに困ったものです。
 仕方がありません打の様子は教本から類推します。
 双方の刀を鞘に納めての立姿は結び立ちですから、現代の無双直伝英信流の立姿でしょう。
 双方戦いを意図した立姿であれば、右足稍々前に左足爪先を45度位左に向け其の爪先は右足の中程にあり、右足の踵の線上に左足の踵がある様に立つものでしょう。今後の考慮の処でしょう。
 双方納刀のまま、打は鯉口に左手を把り右足を出し、左足を進めつつ右手を柄にかけるや、右足を出しながら刀を抜き、左足を出して刀を抜き取り上段に振り冠って、右足を踏出して斬下します。上段への振り冠は無双直伝英信流の切先下がりです。
 同じ場面での福井先生のビデオでの稽古です。
 打は右足を出し鯉口を把り、何故か左足・右足と駈足となり、左足を踏み込んで刀を抜き取り、右足を踏込みながら大きく後ろに反って切先下がりの上段から、右足を踏んで斬下します。
 仕太刀は右足、左足、右足と出で柄に手をかけるや左足を右足の右側に大きく踏出しながら刀を抜き、右足を左足の右後方に踏込み上体を左に抜きながら打太刀の刀を受流す。
註、上体を剣先と共に左に廻しながら後に反らせ前額上に刀表を上にして斜に構え敵刀を摺落す。
 河野先生のビデオで稽古して見ます。
 河野先生の仕太刀は、右足を出すや左手で鯉口を把り、左足、右足と進み、四歩目左足出る時、上体を稍々左に披きながら右手を柄に掛け抜出しながら左足をチョンと踏んでから稍々右に踏み出し、体を左に披きながら刀を前額上に抜き上げ、打の斬込みを受けています。
 打の刀が仕の刀と触れ合うや流されています。体を開く動作は出来ていても足が伴っていないのは、打が勝手に摺落される動作を演じてしまい、仕は左足前、右足後ろで上体を左に披いて捻じれた時その足のまま、摺落しているのです。
 福井先生のビデオで稽古して見ます。
 出足の右足を出す前に鯉口を把っているます。
 右足を出し、左足で柄に手をかけ、右足が出る時稍々抜きかけ、ここから小足で駆け出し左足爪先を稍々進行方向左に向けて踏み出し刀を抜き出し、右足を右前に踏み込んで斬り込んで来る打の刀を摺り落しています。
 体を右に変わってしまっていますから、前額上にたとえ見事に構えられても、是は逃げ流しであって受け流しとは言い難い。
 左足を右足の右側に踏込み打の刀を受けるや、右足を右に(左足の右後ろに)踏込み体を左に披きながら、右足を左足に揃えるならば受け流しになるでしょう。正座の受け流しや奥居合の受流ではで出来ても対敵が居ては出来なくなるのではおかしいでしょう。
 現代居合の受け流しは、ガチッと受けてからよいしょと流すとか、逃げ流しであったり疑問です。
 仕太刀は敵刀を受け流すや諸手となり、右足を左足の位置に踏揃え(上体を左斜に向ける)中腰にて打太刀の首に斬下す。
 次に元に復しつつ中段となり五歩後退す。(納刀せず)
* 
 河野先生の仕太刀はこの右足を左足に踏揃えは、左足を右足に踏揃えてしまっています。
 前の受け流しの動作で左足を踏み込むや前額上で相手刀を受けています。その際受け流す動作の一環として右足を左足の右後方に踏み込んでいません。
 左足前、右足後です。体だけ捻じったものですから打との間を調整出来ていませんから、近くなりすぎ左足を右足に引き付け、打が無理やり伏した首に斬り込んでいるのでしょう。
 残念ですが、教本に随わず、受け流しの真似に終わっています。
 福井先生の仕太刀は、右足を右斜め前に踏み込んだのですが、間が悪く、右足を左足に揃えられず、左足を右足に引き揃えて打の首に斬り込んでいます。
 さすが咄嗟の状況判断は素晴らしい、と云うのもいいのですが、真似しか出来ない剣士もいるのです。急がず正しい動作、特に足捌きには見せてほしいものです。
 受け流しは受けて流すであって、摺落すのとは意味が違います。打も斬り込まんとする時仕の中心軸が右に移動していくのを見定めて正しく真向に打ち下ろす、それを仕は受け流すことを学ぶものでしょう。
 真剣などで稽古しますと、刀を傷つけまい、失敗した時も心配だでは、武術は術にならず武的踊りになってしまいます。
 中学生向きに開発された形では、打が「どうぞここに斬り込んでください」と首を指し出しますが、普段の居合の稽古は、体軸をしっかり立てて、膝上まで斬り込んでも崩れない稽古をしています。組太刀だから別などと言う事は有り得ません。
 次回ももう少しビデオで稽古して見ます。
 

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曽田本その1の4居合根元之巻読み解く6小藤亀江伝来の目録23の中野之幕之大事

曽田本その1
4.居合根元之巻読み解く
6、小藤亀江伝来の目録
23無雙直伝英信流居合目録
 
居合心持肝要之大事
 
1、捕手和合居合心持之大事
2、立合心之大事
3、太刀目附事
4、野中之幕之大事
5、夜之太刀之大事
6、閨之大事
7、潜り之大事戸脇之事
8、獅子之洞出之事
9、獅子之洞入之事
読み解く
、野中之幕之大事
 小藤亀江伝来の目録には居合心持肝要之大事は目録の表題9項目が記載されています、古伝「居合心持肝要之大事」でも表題は9項目なのですが表題が以下の通りです。
番目及び2番目は小藤亀江伝来の目録とは表題が違います。3番目以降は同じと見ていいでしょう。
居合心持肝要之大事 付 大小指違之事
1、居合心持立合之大事 大小指違
2、太刀組附位
3、太刀目附之大事
4、野中之幕
5、夜之太刀
6、閨之大事
7、泳之大事(潜り之大事)
8、獅子洞入
9、獅子洞出
、野中之幕
 取籠者抔の有の時杖の先き或は竹の先に又横手をくゝり付け其横手を羽織の袖に通し其竹の本を左の手に持て向えさし出し右の手に刀を持ち生捕なれば木刀の類を持ち我身は羽織の陰に隠れ羽織をば相手の方へつき付べし向より切ると云へ共我身にはとゞく事なし其所を持ちたる刀にて相手の足を薙ぐべし亦矢玉を防ぐに至て宜し

*
 小屋内に入って居る取籠者などを成敗する時は、竹の先に横手を十文字に括り付けその横手に羽織の袖を通し、竹の本を左手で持って向こうへ差出し、右手に刀を持って、生捕る場合は木刀で、我が身は羽織の陰に隠れ、相手の方へ突き付けていく、向こうより切って来ても羽織に切りつけるのでとどくことはない。其処を持っている刀で相手の足を薙ぎ払うのである。亦矢玉なども羽織で防ぐのにも至って宜しい。

 何故か、ほのぼのとした古き良き時代の風景が浮かんできます。効果のほどは、相手が見境なく上気して、我は沈着冷静、ほの暗い納屋などを想像してしまいます。

 身を守る事は、行政や警察など自らの自己責任では無く社会環境が為す事位の現代日本人の脳天気では、野中之幕は漫画です。

 しかし、武術は人の心を推し量る能力も養う事でなせるものだろうと思います。

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2018年4月20日 (金)

無双直伝英信流の型 福井聖山先生の看取り稽古の6受流の1

無双直伝英信流の型
福井聖山先生の看取り稽古の6受流の1
参考資料
福井虎雄聖山著平成3年1993年無双直伝英信流之形
福井虎雄聖山先生昭和57年1982年ビデオ
河野百錬著昭和17年1942年大日本居合道図譜
大江正路・堀田捨次郎共著大正7年1918年剣道手ほどき
その他
 双方納刀のまま静かに前進し、間に至るや打太刀は抜刀し上段より仕太刀の真向を斬下す。
註、打太刀は左手を鯉口に把りながら右足より前進し、左足を進めつつ柄に右手をかけるや右足を進めて刀を抜かけ、次に左足にて抜きとりて上段となり右足を踏込みて斬下す。
 仕太刀は右足、左足、右足と出で柄に手をかけるや左足を右足の右側に大きく踏出しながら刀を抜き、右足を左足の右後方に踏込み上体を左に披きながら打太刀の刀を受流す。
註、上体を剣先と共に左に廻しながら後に反らせ前額上に刀表を上にして斜に構え敵刀を摺落す。
 仕太刀は敵刀を受流すや諸手となり、右足を左足の位置に踏揃え(体を左斜に向ける)中腰にて打太刀の首に斬下す。次に元に復しつつ中段となり五歩後退す。(納刀せず)
 受流は、大江正路先生が無双直伝英信流の型七本を制定される時に正座の部、あるいは奥居合立業の部の受流から独創されたと思われます。業名は「請流」です。
「刀を腰に差したるまゝ、静に出で打太刀は刀を抜きつゝ左、右足と踏み出し上段より正面を斬り、體を前に流す、仕太刀は左足を右足の側面に出し、刀を右頭上に上げ受け流し左足を踏み変へ右足を左足に揃へて體を左へ向け打太刀の首を斬る、仕太刀は左足より左斜へ踏み、打太刀は左足より後へ踏み、退きて青眼となり次の本目に移る」
 参考に、大江先生の大正7年の剣道手ほどきの奥居合18番目「受け流し」
 「(進行中左足を右足の前に踏出し身を變して請流す)左足を出すとき、其左足を右斜に踏み出し、中腰となり、刀の柄元を左膝頭の下として、刀を抜き直に其手を頭上に上げ、刀を斜めとし、體を左斜前より後へ捻る心持にて受け流し、左足を踏みしめ、右足に揃へ、右拳を右肩上に頭上へ廻し下し、上體を稍や前に屈めると同時に真直ぐに左斜を斬る、揃へたる足踏みより左足を後へ引き、血拭ひ刀を納む。」
 左足の踏み方が「左足を右足の前」に踏み出す、は無双直伝英信流の型の受流と違います「左足を右足の側面」でしたこの違いは何故でしょう。
 刀を抜く以前の「柄元を左膝頭の下」にして刀を抜き出す、何とも理由の解からない抜方も変です。奥居合の受流を型に取り込んだならば同じ足運び、刀の抜き方などさせるべきでしょう。
 無双直伝英信流の中興の祖として、業を伝承する礎は築かれた神様扱いは、それはそれで理解しますが、おかしなところはおかしいのです。
 大江先生の奥居合の受流も古伝同様相手の刀を頭上で受けるや左足に右足を退き付けて斬り込んでいます。「右足を左足に揃へ」て体を左へ向けています。
 参考に、古伝神傳流秘書太刀打之事の三本目に請流があるのですが其れは、「遣方も高山相手も高山或は肩へ構えるかの中也、待つ処へ遣方歩み行き右の足にて出合う打込を打太刀請、扨打太刀の方より少し引て裏を八相に打を左足にて出合うて留め、相手又打たんと冠るを直にそのまま面へ突込み、相手八相に払うを従って上へ取り右の足にて真甲へ勝」
 古伝の抜刀心持は英信流奥居合に相当するのですが大江先生の奥居合立業の部の受流は有りません。大江先生の独創でしょう。
 大森流居合之事の中に座した時の請流として流刀という呼称で現在の「受流」があります。「左の肩より切って懸るを、踏み出し抜付け左足を踏込み抜請けに請流し、右足を左の方へ踏込み打込む也、扨刀を脛へ取り逆手に取り直し納める、膝をつく」これを立居合に工夫したのでしょう。この受け流しは、まともに相手の刀を請けとめ、即座に右足を左足に踏み揃え体を左に変わりつつ受け流すのでしょう。
 右足を右後ろ或は、右に一旦踏み込んで相手刀を外す様な動作は有りません。
 現代の正座の受流も、奥居合の受流も、組太刀の受流も打の刀を受ける際右足を左足の右も右方に踏込み「逃げ流して」から右足を左足に踏み揃えています。受けるのではなく、相手の刀を避けてしまい、物打ち手前で摺落しているようなものです。
 次回は、福井先生のビデオと教本を手許に拝見しながら稽古をして見ます。
 
 
 
 

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曽田本その1の4居合根元之巻読み解く6小藤亀江伝来の目録22太刀目附事

曽田本その1
4.居合根元之巻読み解く
6、小藤亀江伝来の目録
22無雙直伝英信流居合目録
 
居合心持肝要之大事
 
1、捕手和合居合心持之大事
2、立合心之大事
3、太刀目附事
4、野中之幕之大事
5、夜之太刀之大事
6、閨之大事
7、潜り之大事戸脇之事
8、獅子之洞出之事
9、獅子之洞入之事
読み解く
、太刀目附事
 小藤亀江伝来の目録には居合心持肝要之大事は目録の表題9項目が記載されています、古伝「居合心持肝要之大事」でも表題は9項目なのですが表題が以下の通りです。
番目及び2番目は小藤亀江伝来の目録とは表題が違います。3番目以降は同じと見ていいでしょう。
居合心持肝要之大事 付 大小指違之事
1、居合心持立合之大事 大小指違
2、太刀組附位
3、太刀目附之大事
4、野中之幕
5、夜之太刀
6、閨之大事
7、泳之大事(潜り之大事)
8、獅子洞入
9、獅子洞出
3、太刀目附之大事
 敵の足に目を付けべし是にて場合能く知るゝのみにてならず臆せざる也是を上見ぬわしの位とも云うなり心は下に有って事さ上に速に応ずる油断無の心なり

*立合いの目付は敵の足に目を付ける事、是によって場合の状況を良く知る事が出来るものである。それだけでは無く臆する事も無い。
上を見ぬ鷲之位とも云うのである。心は下にあって事が上にあり速やかに応ずる油断の無い心である。

 「事さ上に速に応ずる」の「事さ」は解読不明ですが、敵の足に目付けをしていれば、敵との間合いも、動作の起こりも把握可能なので心を下に澄ませて置き、上での起こる事に速やかに応ずる油断なき心の目付というのでしょう。

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2018年4月19日 (木)

無双直伝英信流の型 福井聖山先生の看取り稽古の5鍔留の3

無双直伝英信流の型
福井聖山先生の看取り稽古の5鍔留の3
参考資料
福井虎雄聖山著平成3年1993年無雙直伝英信流之形
その他ビデオ
 大江正路先生の無双直伝英信流の型は、ある地区では太刀打之位と古伝の呼称を使っています。
 是は河野百錬先生が大日本居合道図譜で無双直伝英信流居合道形(太刀打の位)とされたためその道統の道場では太刀打之位が通用してしまっています。
 大江先生は古伝太刀打之事を知りながら普及版7本の組太刀を工夫し中学生に指導したと思われます。
 7本中、出合(出合)・拳取(附入)・絶妙剣(請入、請込)・鍔留(月影)が古伝の借用です。括弧内の呼称が古伝です。
 独妙剣・受流・真方は古伝を参考にした独創でしょう。
 大江先生が独創された無双直伝英信流の型を河野先生が少しいじってしまいましたが概ね其の侭です。その詳しい部分は業解説の際話してきました。
 今回は河野先生の大日本居合道図譜にある無双直伝英信流居合道形を元にされた福井聖山先生の教本及びビデオを元にある地区の鍔留を稽古して見ます。
 居合が主となる先生は業技法の意味する術の重さが良くわからないと見え、福井先生のビデオで形を真似る事に終始してしまった様で疑問だらけでした。
 ただ、素晴らしいのは業に入るまでの礼法、立合い前の態度、技が決まった後の残心などは見習うものを示されています。
 打太刀中段、仕太刀下段より前進す。双方間に接するや上段となり、大きく相手の真向に斬下し相打となる。
 註、このとき刃の接する部分は頭より少し上部になる。
 ある地区の平成21年の演武をビデオで見ながら稽古して見ます。
 双方、右足、左足と前進し右足出る時上段に十分振り冠って、切先45度切先下がりに居合の斬り下ろしなら見事です。
 右足が着地と同時に真向斬込み、双方の中間で鎬を合わせると云いたいのですが、仕は略真向に斬り込めていますが、打は稍々刀が右に倒れ十文字受けになってしまっています。
 仕の振り冠りから斬り下ろしが打よりやや早く、打が遅れたため刃筋が狂ったものの様です。 
 真向打は打が先に打ち込み仕が応ずるのが基本ですが、此処ではただ申し合わせの形を打っているのでしょう。教本の刃の接する部分は頭より少し上部にはならず、接した部分は鍔元2寸程の所で頭の高さより少し下です。
 これは間が近すぎ、切先が相手に当たらない配慮の為せるものの様です。相打の状況が鍔合わせになった様なものです。先に打ち込んだ仕の拳が打の下になっています。これも先に打ち込み拳を下げて待ったためでしょう。
 互に右足を進めて腰を落し、鎬を削る如く摺込みて鍔元にて押合う。註、腰を退かず、互に丹田にて押合うべし。
 双方十分鍔を押し弾きて互に右足を退き、体を右に披き左半身となり脇構えとなる。
 既に相打ちの段階で押合う形は出来てしまった、其処で腰を落とし、右足は申し訳程度に摺り込み一回押合い、弾く様に双方同時に右足を後方に退いて脇構になっています。
 脇構の形は撮影が打の後方稍々右からですから良く判りません。見える範囲で言えば双方何故か腰を落とした半身で切先は稍々後ろ右尻の方にあり、刀が相手に見えない様に気を遣ったと言えるのでしょうか。
 切先の高さは尻の下ぐらいですから下段より高い、刃は何故か右向きです。仕は見えません。
 打太刀直ちに上段に変じて右足を踏込むや仕太刀の左股(膝口)に左斜下に斬下すを、仕太刀直ちに左足を十分大きく後方に退きて空を打たせ、上段となるや直ちに打太刀の真向に斬下す。註、間合遠きときは右足を少し踏込みて斬下すこと。
 打は直ちに上段に変じていますが、今度の上段の刀は床に水平です。どうも上段の振り冠の定義がばらつく様です。唯急いだから掟は無視なのでしょう。
 仕は打が振り冠る時は既に、右肩まで刀を振り上げています。打が膝を切って来るので左足を右足に引き付け同時に上段に振り冠っています。左足の退きは右足の後方迄退いています。打の刀は右足迄流れています、それでも右足を左足に追足しないのですから、左足の退きは右足に引き付けるか、揃えるで十分でしょう。教本の十分大きく後方に退くの見本でしょうか。間が近すぎるため意識的に左足の退きが大きくなるのでしょう、不思議なのはそれだけ退いていながら、打の斬り込みを外した仕は右足を踏み込まずにそのまま上段から打の真向に斬り下ろしています。
 恐らく、打は仕の左膝を斬る際、手許を退いている可能性があります。
 平成24年のある地区のビデオで稽古して見ます。
 打中段、仕下段、双方右足から、左足、右足で振り冠り真向に打ち込み、双方の間合いの中間で鎬を合わせ刀を止めています。合刀の位置は双方の鍔元7、8寸でしょう。頭上より一拳位の位置で合わせています。
 右足を踏み込み腰を落とし一回押合い、右足を後方に退いて脇構えになります。脇構えは剣道形より稍々ゆったりした構えに見えるのは右柄手が右腰の位置、左柄手が中央やや左にあるためでしょうか。切先は膝下、刀刃は外向きです。
 打は上段に振り冠って体を屈めながら仕の左膝に上段から斜めに右足を踏み込んで斬り下ろします。この時の上段は英信流の切先下がりでは無く切先上がりから八相に斬り込んでいます。
 仕は左足を右足の後方に退き、打の斬り込みを外すや、右足を追足に左足に引き付け上段となり、右足を踏み込んで打の真向に斬り下ろします。この打の左膝への斬り込みの際福井先生も河野先生も左足を右足の後方迄大きく退いていますが、右足に引き揃えるだけで間に合いそうです。
 英信流の切先下がりの上段に振りかぶりながら間をはずしていますが、打の刀が右足の前を流れてしまっているのに右足を左足に追足させるのは踏込みの弾みをつけるためでしょうか、左足を大きく右足の後方迄退いたので連れ足させたのでしょうか。
 福井先生のビデオでは、仕は左足を大きく右足の後方に退き上段となるやその足のまま斬り込んでいます。
 演武では打の斬り下ろした切先は仕の右に流して体を屈めて「さあ斬れ」とやっていますが、こんな事は実戦では有り得ない事です。演武会での些細な変化でも後進の者は真似てしまいます。
 教本通りの演武を心がけるべきものでしょう。
次回は受流になります。
 
 
 
 

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曽田本その1の4居合根元之巻読み解く6小藤亀江伝来の目録21立合心之大事

曽田本その1
4.居合根元之巻読み解く
6、小藤亀江伝来の目録
21無雙直伝英信流居合目録
 
居合心持肝要之大事
 
1、捕手和合居合心持之大事
2、立合心之大事
3、太刀目附事
4、野中之幕之大事
5、夜之太刀之大事
6、閨之大事
7、潜り之大事戸脇之事
8、獅子之洞出之事
9、獅子之洞入之事
読み解く
2、立合心之大事
 小藤亀江伝来の目録には居合心持肝要之大事は目録の表題9項目が記載されています、古伝「居合心持肝要之大事」でも表題は9項目なのですが表題が以下の通りです。
番目及び2番目は小藤亀江伝来の目録とは表題が違います。
居合心持肝要之大事 付 大小指違之事
1、居合心持立合之大事 大小指違
2、太刀組附位
3、太刀目附之大事
4、野中之幕
5、夜之太刀
6、閨之大事
7、泳之大事(潜り之大事)
8、獅子洞入
9、獅子洞出
 前回同様、小藤亀江伝来の目録には解説がない表題だけですから此処では古伝英信流居合目録秘訣の「居合心持肝要之大事 付 大小指違之事」を参考に其の「2、太刀組附位」を解説しておきます。
2、太刀組附位
 互に太刀を打下し組付けたる所に勝あり敵の太刀より遅きと見えても上太刀と成位あり唯肝要は拳也
組付たる処にて其気先にてすぐに突べし

*互いに太刀を真向に打ち下ろし、太刀が触れ合う処に勝ちがある、敵の太刀より遅く打ち下したと見えても敵の太刀に上太刀になる位がある。唯肝要なのは拳に打ち込めたか否かである。
組み合って上太刀になるや太刀の切先にてすぐに突くべし。

 これは、どうやら新陰流の合し打ちによる十文字勝ちのようです。相手の太刀に遅れて打ち下ろし相手の太刀の上に乗り即座に相手の拳に摺り込んで突く事を言っているようです。
ここにも第九代林六太夫が大森六郎左衛門より学んだ真陰流の業が秘められているようです。

 参考に、土佐には、衣斐丹石の丹石流が山内一豊、二代山内忠義に仕え野中兼山の失脚とともに衰えています。
 上泉伊勢守の門人小笠原玄信斎が真心陰流を起こし、その弟子小林市郎左衛門の孫小林喜太夫が近江の長浜で山内一豊に抱えられ土佐に随従しています。
 柳生新陰流は柳生但馬の高弟出淵道先の次男三郎兵衛が元禄10年1697年知行三百石で仕えたが、馬術指南役国沢五郎左衛門との馬上での仕合を行い馬術に悩まされ得意の剣法が繰り出せず敗退して、それを恥じて知行を返上しています。
 また、都治月丹による無外流が宝永4年1707年頃から5代藩主山内豊房に召されて出入りがあったようです。6代藩主山内豊隆の正徳5年1715年には出入り料20人扶持が給付されています。
 その後享和5年1720年には月丹の4代目辰五郎が15人扶持格式は御小姓格江戸詰めで正式に抱えられています。無外流は土佐に根を下し明治以後土佐の無外流剣客川崎善三郎を生んでいます。

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2018年4月18日 (水)

無双直伝英信流の型 福井聖山先生の看取り稽古の5鍔留の2

無双直伝英信流の型
福井聖山先生の看取り稽古の5鍔留の2
参考資料
前回の通り
福井先生の教本に随い福井先生のビデオで稽古して見ます。
 打中段、仕下段より前進す。双方間に接するや上段となり、大きく相手の真向に斬下し相打となる。
 打中段、仕下段ですから右足から左足を踏出すや双方同時に上段となり真向に打ち合う。
この時の上段は、双方とも英信流の振り冠(背中に切先45度位深く冠る)がきちんとなされて、三歩目右足が出るや真向に斬り込みます。
 気になるのは仕打共に歩みながら深く冠ったせいか上体が反っくり返っています。仕打共に右足を踏込み真向打ち合う際右足に左足が追い足となって間を合わせています。
 真向打は鍔が口元より目の高さですが、鍔元2、3寸で合刀、従って「刃の接する部分は頭より少し上部となる」の高さでしょう。
 互に右足を進めて腰を落し、鎬を削る如く摺込みて鍔元にて押しあう。*註、腰を退かず、互に丹田にて押合うべし。双方十分鍔元を押し弾きて(引きて)互に右足を退き、体を右に披き左半身となり脇構えとなる。
 相打の位置が鍔元になっていますので、真向打の刀が触れあった時鎬を削っていた様です、と云いたいのですが、斬り下した時に鍔元で相打です。
 従って「鎬を削る如く摺り込みて」は無く、右足を進め腰を落とし押しあっています。その際の押しあいについての、方法が述べられていません。
 双方の拳で押しあっている様です。拳の位置は打が半拳高いので、拳同士の押し合いがずれてしまいました。この状況では打が押し勝てるのですが、腰高になって上体は後方に反ってしまって仕に下から押し上げられてしまっています。
 双方右脚を後方に飛ぶ様に大きく退いて脇構になっています。脇構の呼称は剣道形の言い方です。この流の古伝は「車」と言っていました。
 車の形は半身というより入見でしょう。顔は相手に向けていますが、体は明らかに進行方向に平行となっています。
 鍔が右腰を離れて見えます、従って左柄手は臍前右一拳ずれている様です、切先は30度ほど下向きです。刀刃は斜下向きの様です。
 脇構の方法は福井先生の教本には無く、河野先生の大日本居合道図譜から稽古して見ます。「刀を右脇にとり剣先を後方にして刃を斜下に向け左足を出して構ゆ、脇構は陽の構へとも云ひ八相と同様監視の構へにして敵の挙動に依りて之に応ず。すべて撃込む時は大きく振冠りて撃込む事」この解説は高野佐三郎の剣道の解説そのままです。かたちを重んずる割にはいい加減な気がします。
 剣道形では「右足を後ろにし、左半身となり、刀を右脇に剣先を後ろにし、刃先は右斜め下に向ける。剣先は下段の構えより少し下げた位置にとる。構えるときは、右足を引きながら、刀を中段から大きく右脇にとる。特に刀身が相手から見えない構えでなければならない。」(全解日本剣道形昭和57年発行重岡昇監修より)
 福井先生の脇構は剣道形を採用したものですが、英信流としてはどうすべきか研究課題でしょう。
 なぜかと言えば、脇構は「車「」であり八相は「肩又は八相」で、英信流の古伝は全て上段に振り冠るものではないからです。
 ここまでの所を河野先生のビデオをで稽古して見ます。
 仕は下段、打は中段です。相進みの様な教本の書き出しですが、河野先生しか映っていませんから打の動作が見られません。下段の河野先生の仕太刀は走り込む様にちょこちょこと進み三歩目で、床に稍々切先下がりに水平な上段に振り冠り、右足を踏出し真向打ち下しというより、刀を立てて拳合わせに拳による相打ちです。教本は拳を合わせ切先を立てて見事に押しあっていますが、ビデオはひどすぎます。
 仕は腰高で打は手ばかり突き出して、一押しして、突き放す様に切先から後方に向け右足を退いて脇構です。構えなどお構いなく、仕の刀は水平、刃は外向き、半身で鍔は中央やや右に位置しています。
 *
 脇構からの動作を稽古します。
 打も似たような構で、構えるや直に、右に崩れた上段から仕に斜めに斬り込んでいます。仕は打が斬り込むや左足を右足の後ろまで大きく退いて打の斬り込みを外し、外すや床に水平の上段からその足のまま、打の頭上に斬り込んでいます。
 教本用に写されたものなのか、演武の様子なのか判りませんが、「ゆっくり大きく正確に」と指導されたのは何処へやら、急ぐあまりに基本の形をいい加減にしてしまっています。初めて見る人にはかっこよく見えるかもしれませんが、これでは悲しくなってしまいます。教本通り演武されるのが宗家の業でしょう。
 状況変化に対応するのも宗家の業であると仰るのでしょうか。
 福井先生のビデオに戻ります。
 双方、相打ちとするや、右足を更に踏み込み、拳を合わせ一押しして、右足を退いて脇構になります。後方に退くために構えが反っくり返ってしまい気ばかりの様です。
 打は、切先下がりの上段に冠り仕の左膝辺りに右足を大きく踏込んで斜めに体を屈しながら斬り込んでいます。
 仕は左足を右足の後方に退いて切先下がりの上段となり前に屈している打の頭上に右足を稍々踏込み左足を追足に斬り込んでいます。 
 次回はある地区の鍔留を稽古して見ます。
 
 
 
 
 

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曽田本その1の4居合根元之巻読み解く6小藤亀江伝来の目録20捕手和合居合之大事

曽田本その1
4.居合根元之巻読み解く
6、小藤亀江伝来の目録
20無雙直伝英信流居合目録
 
居合心持肝要之大事
 
1、捕手和合居合心持之大事
2、立合心之大事
3、太刀目附事
4、野中之幕之大事
5、夜之太刀之大事
6、閨之大事
7、潜り之大事戸脇之事
8、獅子之洞出之事
9、獅子之洞入之事
読み解く
1、捕手和合居合心持之大事
 小藤亀江伝来の目録には居合心持肝要之大事は目録の表題9項目が記載されています、古伝「居合心持肝要之大事」でも表題は9項目なのですが表題が以下の通りです。
番目及び2番目は小藤亀江伝来の目録とは表題が違います。
居合心持肝要之大事 付 大小指違之事
1、居合心持立合之大事 大小指違
2、太刀組附位
3、太刀目附之大事
4、野中之幕
5、夜之太刀
6、閨之大事
7、泳之大事(潜り之大事)
8、獅子洞入
9、獅子洞出
1項目と2項目がアンマッチです。小藤亀江伝来の項目には解説は無いので同じものであろうと断定はできません。
 何時の時代にか、あるいは伝承者によって変わったかもしれません。此処では居合心持肝要之大事の順番で解説しておきます。
 従って1項目は「1、居合心持立合之大事 大小指違」を当てておきます。
1、居合心持立合之大事 大小指違
 敵と立合兎やせん角やせんとたくむ事甚嫌ふ況や敵を見こなし彼が角打出すべし其所を此の如くして勝ん抔とたのむ事甚悪しゝ先づ我身を敵の土壇ときわめ何心なく出べし敵打出す所にてちらりと気移りして勝事なり常の稽古にも思あんじたくむ事を嫌ふ能々此念を去り修行する事肝要中の肝要也

 大小指違と云は世人脇指を帯二重に指刀を三重にさすなり居合の方にては二重に刀を指し三重に脇指を差す也敵に出合たる時大小を子(ね)じ違へて脇差をば下し指しにして刀を抜戦べし然るときは脇指の柄まぎる事無亦刀のさやの鐺は子(ね)る故に足を打つことなく働の自由宜し常に此の如く指すべし


 敵と立合うのに、兎やせん角やせんと企む事は甚だ嫌う事である、況や敵を見透かして彼がこの様に打ち出して来たら其の所をこの様にして勝とうなどと思い頼む事は甚だ悪い。
 先ず我が身を土壇と極めて何心も無く場に出て行くのである。
 敵が打ち出す所にちらりと気移りする処に勝事である。常の稽古でも思案に暮れて企む事を嫌う。能々この念を去り修行する事肝要中の肝要である。

 大小指し違いと云うのは、世人は脇差を帯二重の下に差し、刀を帯三重の下に差すのである。
 居合では帯二重の下に刀を指し、帯三重の下に脇指を差すのである。
 敵に出合った時は、大小をねじ違えて、脇差を落し差しにして刀を抜き戦うべきものである。その様にすれば脇指の柄が邪魔になる事は無い。又刀の鞘の鐺がはねて足を打つ事も無く、働きが自由になって宜しい、常にこの様に大小を指し違いに指すものである。

 「大小をねじ違へて」とは太刀が上にあって小太刀が下にあるのを、小太刀を落とし差しにして太刀の柄の上に小太刀の柄がある様にする事でしょう。
この様にすれば、脇差の柄が邪魔になる事も無いと云うのです。

 「亦刀のさやの鐺は子(ね)る故に足を打つことなく働の自由宜し常に此の如く指すべし」
 指し違いにして指していれば、鐺がはねても足を打たない、の状況が認識できないのですが、ご存知の方は状況をご教授ください。

 

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2018年4月17日 (火)

無双直伝英信流の型 福井聖山先生の看取り稽古の5鍔留の1

無双直伝英信流の型
福井聖山先生の看取り稽古の5鍔留の1
参考資料
福井虎雄聖山著平成3年1993年無双直伝英信流之形
平成2年1992年第9回無双直伝英信流居合道全国大会講習資料太刀打之位要旨
河野百錬昭和17年1942年大日本居合道図譜
大江正路堀田捨次郎共著大正7年1918年剣道手ほどき
河野百錬昭和44年1969年太刀打之位ビデオ
福井虎雄聖山昭和57年1982年太刀打之位ビデオ
古伝神傳流秘書太刀打之事
その他
福井先生の鍔留
 打太刀中段、仕太刀下段より前進す。双方間に接するや上段となり、大きく相手の真向に斬下し相打となる。
註、このとき刃の接する部分は頭より少し上部になる。
 互に右足を進め腰を落し、鎬を削る如く摺込みて鍔元にて押し合う。
註、腰を退かず、互に丹田にて押合うべし。
 双方十分鍔元を押し弾きて互に右足を退き、体を右に披き左半身となり脇構えとなる。
 打太刀は直ちに上段に変じて右足を踏込むや仕太刀の左股(膝口)に左斜下に斬下すを、仕太刀直ちに左足を十分大きく後方に退きて空を打たせ、上段となるや直ちに打太刀の真向に斬下す。
註、間合遠きときは右足を少し踏込みて斬下すこと。
 次に打太刀は二歩退き互に中段となり、五歩後退し血振い納刀す。
 福井先生の教本は河野先生と同じ内容です。ポイントは仕が下段から上段に振り冠って双方真向に斬下し相打となる。この不思議な運剣の意味。次に脇構の形。脇構から上段に振り冠って斬り合う動作の是非。などでしょう。何の疑問も無く、稽古される人もおられるでしょがどうでしょう。
 大江正路先生はこの無双直伝英信流の型を、古伝を参考に創作されたのですから、大江先生の鍔留も読んでおきましょう。
 「互に青眼のまゝ小さく、五歩左足より引き、打太刀は中段となり、仕太刀は其のまゝ下段となる、、互に右足より三歩出で、打太刀は右足を左足に引き上段に冠り真直ぐに打下し、仕太刀は右足を左足へ引き上段となり、右足を出して打下して互に刀合す仕打鍔元を押し合ひ双方右足を後へ引き半身となり、刀は脇構として刀尖を低くす、打太刀は直に上段より右足を踏み込み仕太刀の左向脛を切る、仕太刀は左足を充分引き上段となり空を打たせ上段より頭を斬る、打は二歩出で、仕は二歩退り青眼となり互に小さく五歩退り、血拭ひ刀を納む、(打太刀は仕太刀の左膝を打つときは、中腰となり上体を前に流す、」
 大江先生の打太刀は中段、仕太刀は下段。福井先生は河野先生に随い打は中段に構えさせています。
 双方右足・左足・右足と前進し、右足を一旦左足に引き付け上段となり真向に斬り下し刀を合す。この動作が福井先生の三歩目で睨み合う動作になったのかどうかはわかりません。教本にはこの動作は記述がありません。あとは福井先生と同じでしょう。
 第18代穂岐山先生の弟子野村條吉先生の「無双直伝英信流居合道能参考」を読みますと仕は下段、打は青眼です。大江先生の晩年の弟子山本宅治先生も仕は下段、打は中段です。
 河野先生が変えてしまったのでしょう。河野先生も昭和8年の「無双直伝英信流居合術全」では打は中段、仕は下段です。
 古伝は打は高山ですから上段、仕は右下段です。
 江戸時代末期の頃は曽田先生の業附口伝で読むことが出来ますそこでは打は八相、仕は下段です。
 河野先生は曽田先生と交流があったので、古伝を知らされ、大江先生の間違いを直したのかも知れません。然し中途半端なものでそれも疑問です。
 この鍔留は古伝神傳流秘書太刀打之事月影が元の業です。
 「打太刀冠り待所へ遣方右の脇に切先を下げて構へ行て打太刀八相に打を切先を上て真甲へ上て突付て留め互に押合て別れ両方共車に取り相手打つをはづす上へ冠り打込み勝」
 抜けだらけですが其れなりの武的力量があれば読みこなせると思います。
 打太刀上段に冠り待つところへ、仕太刀右下段に構え(切先を打の左膝に付ける)進み行く。打太刀上段から右足を踏み込み八相に左面を打って来るので、仕太刀は右足を踏み込み右下段から切先を上げて打の真向に突き込み、打の打込みを十文字に請け止める。合刀するや互に一歩右足を進め拳を合わせて押し合い、右足を後方に退いて互に車(脇構え)になる。打が仕の出足(左足)又は左肩を打って来るので左足を退いて外すや右肩から上段に振り冠って右足(或は左足)を踏込み真向に斬り下して勝」
 この元の動作を残し大江先生は中学生向きに危険のない動作にかえて創作されたのが鍔留でしょう。元の業は真陰流の技法が濃く見られます。
 より深く無双直伝英信流の組太刀を学びたい方は古伝太刀打之事11本を稽古される事をお勧めします。或は、大江先生の7本創作された組太刀から疑問点をしっかり見出し何故と考え、業技法の奥にあるものを求めるべきなのでしょう。演武会の演武は武的演舞として現代の教本のまま、習った通りにやればいいだけです。
 形には、先師が白羽の下を掻い潜って身に付けたものが潜んでいる筈です。形だけでは役に立たないものです。
次回はビデオを見ながら教本の動作を稽古して見ます。
 
 
 
 

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曽田本その1の4居合根元之巻読み解く6小藤亀江伝来の目録19智羅離風車

曽田本その1
4.居合根元之巻読み解く
6、小藤亀江伝来の目録
19無雙直伝英信流居合目録
 
極意之大事 
 
1.暇乞・2、獅子洞入・3、地獄捜・4、野中幕・5、逢意時雨
6、火村風・7、鉄石・8、遠方近所・9、外之剱・10、釣瓶返
11、智羅離風車
読み解く
11、智羅離風車
 手拭にても煙草入にても向の面に投付けてビクとする所を切るべし又刀を抜きて其手に扇抔を持添て打込躰にて其扇を投げ付ビクとする所を打込勝なり

 智羅離風車(ちらりふうしゃ)の読みで良いのでしょう。漢字は当て字でしょう。一瞬のまどわしによる勝口の教えです。

 手拭でも煙草入れでも相手の顔に投げつけ相手がビクとする処を切るのである。又、刀を抜いて柄と一緒に扇などを持って打ち込む様にしてその扇を投げ付けビクとする処を打ち込んで勝のである。

 相手をビクとさせて一瞬気を奪っておいて、その処を切るのは「上意之大事」の教えで三角、四角の業の教えにありました。極意の大事では、火村風、逢意時雨、外之劔、鉄石などもこの教えと同じです。

 奇襲は当たり前の事であったのでしょうが、平和が続き江戸末期には卑怯な行為とも取ったのかも知れません。

智:知恵、さとい、賢い

羅:あみ、つらなる、つらねる、目のすいた薄い絹物(うすもの)

離:はなす、はなれる、とりつく、

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2018年4月16日 (月)

無双直伝英信流の型 福井聖山先生の看取り稽古の4独妙剣の6

無双直伝英信流の型
福井聖山先生の看取り稽古の4独妙剣の6
参考資料
前回に同じ
 福井虎雄聖山先生の平成3年の無双直伝英信流之形独妙剣の、まず双方八相から相進み左面に斬込んで相打、打が退くところ右面に斬込んで相打・再び打の退くところ左面に斬込んで相打。互に右足前で切り結んでいます。
 「互に左足を退きて十分なる同等の気位にて中段となる、打太刀は機を見て左足、右足と追足にて刀を左に傾け、摺込みて仕太刀の胸部を刺突す。打太刀は突きたるとき上体を流す。(前に屈むる。)」
 此処までが前回までの稽古でした。
今回は打が胸部へ突き込んで来るので「仕太刀は左足を左に踏出し(右足の斜前)体を右に披きつつ手元を上げて敵刀を捲き返す。(敵刀を、己が右斜下に裏鎬にて摺落す。)仕太刀は打太刀の刀を右斜下に摺落しながら右足を左足の方向に退きつつ上段となるや右足を踏込みて打太刀の首より肩にかけて斬下す。」
此処までのところで、教本の動作でおかしいのは、三本打ち合って右足前でありながら、双方中段になる足捌きが、右足は其の儘で後ろ足の左足を退くだけで中段になっています。
中段から打の突きの足裁きが、中段であれば右足前ですから後ろ足の左から、「左足、右足と追足にて・・刺突す」も疑問です。
 前回で稽古していますから今回は、打の突きに仕の応じる処がっ稽古のポイントです。実はある地区の形の稽古でまず、不思議な事は、鞘無し鍔付き木刀を使用すること。切り結びに真向切り結びが何の意味も知らされず行われること。
 其れとこの刺突の捌き方です。教本は「体を右に披きつつ手元を上げて敵刀を捲き返す。(敵刀を、己が右斜下に裏鎬にて摺落す。)」というのですが、其処では仕は左に体を躱して敵の突きを外し斬り込むばかりです。せっかくの教本がありながら、見ただけの真似ではこの様な術は取得できない見本でしょう。
福井先生の刺突を摺り落すビデオをけいこしてみましょう。
 打の突きを福井先生は敵刀の突きを手元を上に上げて、打の刀を摺り上げる様にし、右足より半足後ろの左足を瞬時に左横稍々前に踏込み敵刀を摺り落している様です。
 己が刀の鎬で敵の突きを右脇に外し乍ら左足をやや左前に踏み込む様に見えます。
 「巻き返す」のは己が柄を握る両小手であって、柄がしらを上に切先を下に下げ、我が右斜め下に摺落しています。
 敵刀が摺り落ちるまでこの体制を保持しながら左足を左前に踏み開き体を敵刀の突きの軌道から外す様です、摺り落ちるや、右足を左足の後方に踏み替え乍ら、右肩から振り冠り、右足を左足に踏み揃えて斬り下ろしています。
 「体を右に披きつつ・・」は、筋を替っていても打方に正対したままに見えます。前に踏み込む足が小さく左に披く足が大きいためでしょう。
 両足を踏みしめた時は打之法に向いています。受流の斬り込みの様です。
 河野先生のビデオで稽古して見ます。
 打の突きを、手許を上げて敵刀を摺り落すが、左足を稍々左に踏み替え右足は其れに追い足(左横に)踏み敷く様に左に踏んで、体は打に正対したまま 右振り冠って斬り込んでいます。左に披く等見られません。
 教本はこうすべきだと言う動作を書いても、演武は状況次第と仰るかもしれませんが、いたずらにスピードアップして、考えた様に打てない例かもしれません。
「結果がでればよかろう」でしょう。
ある地区の打の突きを外すのは、手許を上げるが摺落さず、左足を左斜前に踏込み筋を替って打の突きを避けてしまいます。
平成21年のビデオです。
 手元を上げて擦り落す体勢を作ると同時に左足を稍々左後ろに退き逃げています。右足を左足に引き付ける様にしてから踏み込んで打斜め前から斬り込んでいます。
 左足の横への踏み込みは大きなものです。擦り落さずに逃げ流して斬り込む様に見えてしま合います。
 平成24年のある地区のビデオです。
 手元を上げ摺り落体制を作ると同時に大きく左足を左に踏み開き上段に冠り、右足を左足の引き付けるや直に踏込み打に斬り込む。
 ある地区の突きは刃を下にして、敵の胸部を突いているのでしょう。「避けて斬る」と聞いています。
 この業は、打の突きを手許を上げて摺り落してしまえば、慌てて左前に左足を大きく踏み開かなくとも、応じられる筈です。相手の突き来る刀から己が刀が吸い込まれるような摺り落しを学ぶものです。よけ外しではありません。
次回は鍔留です。

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曽田本その1の4居合根元之巻読み解く6小藤亀江伝来の目録18釣瓶返

曽田本その1
4.居合根元之巻読み解く
6、小藤亀江伝来の目録
18無雙直伝英信流居合目録
 
極意之大事 
 
1.暇乞・2、獅子洞入・3、地獄捜・4、野中幕・5、逢意時雨
6、火村風・7、鉄石・8、遠方近所・9、外之剱・10、釣瓶返
11、智羅離風車
読み解く
10、釣瓶返
 英信流居合目録秘訣の極意之大事では「鉤瓶返」です。
 座上にては刀をば抜いて置く事當然也然時に向ふより切かくるときぬき合する間なければ鞘と柄とを取って鞘共に請て其儘引ぬいて片手打に切るべし

 鉤瓶返は(かぎべかえし)ですから是は「釣瓶返」の誤字でしょう。

座して居る時は、刀を腰から抜いて置くのは当然である。その様な時に向うから斬りかかって来る時は抜く間が無ければ鞘と柄を取って鞘ごと請けて其の儘刀を抜いて片手打ちに切るものである。

此の場合、刀を右膝の脇か左膝の脇か有る筈ですから夫々稽古しておくべきものでしょう。

水鴎流に左右の応じ方が有ります。
左側に刀を置く場合「立浪」「左手で刀を取り、敵の顔面に柄当てして右手で柄を取るや抜き受けに打ち込んでくる敵の小手を斬る」
右側に刀を置く場合「立浪裏」「右手で刀を取り、敵の顔面に柄当てし、左手を柄に掛けるや刀を抜いて敵を突く」

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2018年4月15日 (日)

無双直伝英信流の形 福井聖山先生の看取り稽古の4独妙剣の5

無双直伝英信流の型
福井聖山先生の看取り稽古の4独妙剣の5
参考資料
福井虎雄聖山平成3年1998年無雙直伝英信流居合之形
福井虎雄聖山昭和57年1982年太刀打之位ビデオ
河野百錬昭和44年1969年太刀打之位ビデオ
 独妙剣の福井先生の教本を先ず読みます。
 一刀目は、打は右足を踏込んで上段から左面に斬込む。仕は機先を制して打の左面に斬込み相打となり、物打の刃部にて刀を合わす。
 二刀目は打は仕に圧せられて、右足を退かんとするを、仕は之に乗じて左足を踏込み打の右面に斬込む、打は右足を退き、上段より仕の太刀を受ける。(斬込むような要領で)
 三刀目は、打が左足を退くところを仕はその左面に斬込む。
 ここで、福井先生のビデオを見て稽古して見ます。
 一刀目も二刀目も三刀目も間合いが少々遠く仕の斬込みは打に届いていない様です。
 二刀目三刀目とも、打も退きながら略同時に斬込んでいますから結果として、双方相打ちとなっています。
 この独妙剣でも、教本に無い左足・右足・左足と一刀目八相から双方前に出てそこで一呼吸おいて上段に振り冠っています。
 河野先生のビデオも稽古しておきます。
 河野先生も間が遠すぎですが、打にお構いなく斬込んでいますが打も斬込んで相打らしく見えます。 
 一刀目の三歩目の左足前での福井先生の様な一呼吸の睨み合いは有りません。左面(右足)・右面(左足)・左面(右足)と双方斬込んでいます。
 打は三刀目を、二刀目と同様に之を受け、互に左足を退きて中段となる打は機を見て左足、右足と追足にて刀を左に傾け摺込にて仕の胸部を刺突す、打は突きたるとき上体を流す。(前に屈むる)
 中段の構えですが、仕打共に拳3つぐらい臍前から柄頭が前、切先の延長線上は喉元、双方物打合わせですが、是は竹刀剣道に見習ったものでしょうか。
 ピタリと決めず「この辺が切先合わせ」といった塩梅で打は、機を見たのか順番だからか、直に仕を突きに右足を踏出し突き込んでいます。
 其の際の刀の刃が下向きか斜め左か、定かではありません。左手の拳の状況から見ればやや刃を外向けにしようとしている気もしますが、刀の映像は刃が下に見えます。
 中段に双方取る際、三刀目の出足は右足前です、先ず合刀したところから、刀を双方離さず下げながら、左足を退けば、間が良ければそのまま切先合わせになるのですが、遠間なので、左足を後方に退いて、右足を左足の爪先迠退いています。
 三刀目を打ち合って双方中段になる足捌きですが、「出るは出足、退くは引き足」と云う言葉を聞いたことはあるでしょう。
 大江先生の剣道手ほどきのこの部分「三度目に左足より右足と追足にて一歩づつ退き、刀を青眼とす」と明快です。
 教本の「互に左足を退き中段となる」では、先師の教えを無視しています。
 刺突の際、打は僅かに後ろ足の左足を踏んで右足を踏み出し突き込んでいます。これでは「左足右足と追足にて」とは言えないでしょう。敢えて屈まずとも目標に突きを入れればこの足捌きでは上体は低く前に屈みます。
 此処も大江先生は「打太刀は右足より追足にて仕太刀の刀を摺り込みて突きを施し」で、突きの出足は右足から出ています。
 河野先生のビデオです。
 教本内容は福井先生と同じですからそれを元に稽古して見ます。
 三刀目は左面相打ですから右足前です。仕打共に右足を半歩程退いて中段に構えます。「左足を退きて中段となる」の教本は何処に行ったのでしょう。此処は右足の誤植か勘違いのまま原稿を渡したかでしょう。   
 間が良いと見たのでしょうが切先合わせは物打下部です。少しも間など良くないでしょう。
 同等の気位どころか順番を追って急ぎ過ぎです。中段から打は「機を見て」、右足を大きく踏込み仕を突きます。
 左足は元の位置ですから「左足右足と追足にて」は有りません。
 突きの刀の刃は、両手の拳から見て右に向いているようです。右向きですと仕の刀によって反りで左に切先は外れて仕を突く事は困難です。
 下向きでない事はわかりましたが、この突き手は河野流の右手甲を上に向ける瀧落や門入りなどの突き手です。
 「武術は状況次第だから是で良し」でしょうが、へぼがビデオで習うのも現代の習いです。
 此処も大江先生は「仕太刀の刀を摺り込みて突を施し」ですから摺り込んで行くために有効な刀刃は如何様にあるべきか考えて、下向き・左向き・右向き・上向きとやって見て確証を得るべきものです。
 相手の刀も突きを入れられる状況にあるのですから突けばいい、では真剣を持っての武術では無い。申し合わせの踊りです。
 平成21年のある地区の獨妙剣の演武を見てみます。
 一刀目が左面か、ある地区は真向斬り下ろしで双方の中間で刀を合わせる相打だと言う。どう見ても、仕は真向の様ですが打はやや右半身ですから十文字に受けた相打ちの様です。
 二刀目は仕の手が下がってしまい刀が立ってしまっています。打に攻め込まれて仕が受けたと言った塩梅です。間が近くなり過ぎなので調整したのでしょう。居合人の陥る欠点の一つは、大きな踏み込みが邪魔します。打の退き足が不十分で仕はこの時、両足が揃った結び立ちです。
 三刀目は何とか仕は左面に右足前で斬り込めました、打の刀が打の頭に隠れて見えません。想像するに、左足を退いて上段に振り冠った時仕の斬込みが迫ったため左に刀を下に受太刀としてしまったのでしょう。退きながら斬るが不十分なのです。
 双方右足前で合刀しています、仕は打よりも早く刀を下げ右足を退いて中段に構えています。其の時の足は右足と左足が結び立ちです。打は稍々遅れて右足を退き、左足はバランスを取る程度にチョット退いて中段です。
 打の突きは右足を踏み込み左足は元の位置に置き去りです。福井先生の教本など無視されています。突いた時の打の刀の向きは打に隠れて見えません。
 或る地区のもう一つのビデオで稽古して見ます。
 一刀目は、八相で左・右・左と出てそこで人睨みの休止です。上段に振り冠って真向斬り結びでしょう。その際目線が切先について上目遣いが気になります。
 剣道型の八相と体を残した剣道形の摺足が不自然に目に付きます。自然体でスルスルと出足に体が乗っていく歩みが出来ないわけでは無いのに、敢えて剣道型を良しとするのは居合の歩みにも多くの人が行っていますが、それでは足と体が一体ではないので、遅れを取ります。
 二刀目、三刀目共に仕は右面、左面に斬り込んでいます。打は出足を退き上段から刀を立てて右面への斬り込み、左面への斬り込みを受太刀で十文字受です。(斬り込むような要領で)の解釈をこの様な受太刀としたのでしょう。
 古伝は打は出足を退きながら仕に斬り込み、仕は歩み足で斬り込み受けています。仕打逆の攻防でした。今後の課題でしょう。というより古伝を見直す時期に来ていると思っています。
 三刀目で刀を合わせ中段になるのですが、仕は左足を稍々前に踏みその分右足を前に踏み中段。打は下らざるを得ず右足・左足と下がり、右足を左足に引き付け結び立となるや中段となって切先を合わせるや右足を踏み込み刃を下にして仕に突き込んでいます。その際左足を追足して更に上体を前に屈めています。
 演武には予期せぬ状況があるものですから、中段になるには双方退くとされているのに仕が踏み込んできたため間を取らざるをえず、打は三歩退かざるをえなかったのでしょう。
 打が先んじて行動を起こし仕は其れに合わせて十分な体勢をとる事の意味を忘れた動作でしょう。
 相手の動きに応じる、とか相手に透きを作って誘うとか武術は術なのです。形ばかりの演舞では術は身につきません。
 総じて、組太刀は同じ人とばかりやっていますと、順番や癖が当たり前になり、いい加減な対応になりやすいものです。つねに相手を変え、打が誘導するのに対し機先を制するのでなければ稽古にはなりません。
 応用が利く様になれば、どんどん武者修行しなければただの踊りです。
 次回は独妙剣の打の突きを摺り落すところを稽古します。
 
 
 
 
 
 
 

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曽田本その1の4居合根元之巻読み解く6小藤亀江伝来の目録17

曽田本その1
4.居合根元之巻読み解く
6、小藤亀江伝来の目録
17無雙直伝英信流居合目録
 
極意之大事 
 
1.暇乞・2、獅子洞入・3、地獄捜・4、野中幕・5、逢意時雨
6、火村風・7、鉄石・8、遠方近所・9、外之剱・10、釣瓶返
11、智羅離風車
読み解く
17、外之剱
 自宅他家共に其の座に有る物に心を付べし箱の類にても又はけさんの類盤の類にても之有時は我が量に叶うべきを計其近所に座して透間を見て是を打つけべし亦常とても此心得有るべし其座に有るもの近所にざすべし亦我が居間に是々有と常に心を用い置時は至って利を得る也
 仕合抔望まれたる時向原の詞聞きたる上は油断すべからず立合迄もなしすぐに何にても取って打倒すべし又しなえ抔くみてあらば立合ふ迄もなし居ながら取かえして打ころすべし


 これも前同然のことですが、その場にある得物になるものを即座に認知しておくこと、と言っています。
 自宅や他人の家でもその座敷に有るものに心を付けておく事、箱の類、またはけさんの類盤の類(そろばん か?)、でも有るならば我が武器になりそうなものが有ればその附近に座して、相手の隙を見て是を打ち付けるのである。
 亦、常にこの事を心得て置くものであり、その座に有るものの近所に座すべきである。
 亦、我が居間に於いても、これこれの物が有ると常に心覚えしておく時はその場に至って利を得るものである。
 仕合など望まれた時は相手の言葉を聞いたとたんに油断なくして、立ち合うまでもなくすぐに何でも取って相手を打ち倒すのである。また、竹刀など組あげてあれば立ち合うまでもなく居ながら竹刀を取って打ち殺せ。

 是が、戦国時代から江戸中期にかけての武士の心掛けだったのでしょう。むざむざ切られたのでは、武士道精神に欠けお家断絶の憂き目に会う時代です。

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2018年4月14日 (土)

無双直伝英信流の型 福井聖山先生の看取り稽古の4独妙剣の4

無双直伝英信流の型
福井聖山先生の看取り稽古の4独妙剣の4
参考資料
福井先生の教本及びビデオ
以下同じ。
 双方八相の構えから左足より前進し、間に至るや打太刀は上段となり、右足を踏込みて仕太刀の面に斬込むを、仕太刀機先を制して上段から右足を踏込みて打太刀の左面に斬込み相打となり、物打の刃部にて刀を合わす。
 打が先行して歩み出すのではなく、ビデオでは仕打同時に進行し、左・右・左で互に見合って一時ストップをかけています。
 同時に右足を踏込み乍ら右足が左足と交差する処で上段に冠り、右足が着地と同時に斬り込んで双方の中間稍々仕が深く合刀しています。
 何のために一時ストップするのか教本には書かれていません、打の斬込みに仕が機先を制するには、歩を止めてしまっては意味の無い動作になるでしょう。
 上段の振り冠が双方床に水平の中途半端なものになっています。英信流の切先下がりでもなく、古流の切先45度上向きでもない。
 此処は、八相から其のまま右足を踏込み、左面に斬り付ければ済むものを、剣道型の八相から上段に振り冠り、尚且つ、英信流之形と云わんばかりに背中の方に切先を下げんとしながら、急いだとしか見えません。
 八相から上段への構えは三歩目で左足を踏み出し床に着くや振り冠れば充分深く冠れます。
 また、右足を踏出しながら振り冠るならば、45度上を向いた上段となるものでしょう。
 英信流の組太刀の上段の定義は是と言って決まりは無い、居合の場合は「とどめ」の上段で充分斬撃の強度を増す、あるいは〆の斬込みであれば、背中に背負う上段も有り得るでしょう。
 仕が背中に振り冠るならば打は天を突く上段から仕の小手に斬込めばこの業はおしまいです。
 ある地区の平成21年の演武を見ています。
 礼式や残心はさすがに、居合で鍛えた演武慣れした素晴らしいものです。八相から左・右・左の踏込み足が、構えた時の雰囲気と合わず、ちょこちょこと小足で走り込む様です。
 三歩目左足を踏込み半呼吸おいて双方上段に振り冠っています。恐らく八相から上段に、更に背中への切先下がりの二拍子の振り冠のタイミングが足を止めてしまうのでしょう。
 仕打共に背中に45度の上段です。同時に斬込んでいますので、機先を制される打の遅れは見いだせない。
 ある地区の独妙剣の一刀目は真向斬下しの相打と聞かされています。福井先生は左面相打です。この演武は明らかにバッテン十文字受ですから真向切下ろしではないでしょう。
 平成25年のある地区の演武を見ます。同様に三歩踏み出しここで一呼吸おいて上段から右足を踏込み真向斬込みです。真向打で双方物打の鎬で刀を止めるには、斬り下ろす円の頂点より稍々下がった所で手の内を締める、その際決して相手の刀を受け様としないことです。結果として鍔元で擦れ合った場合は相手の頭上に入っています。
 このビデオではせっかく見事に受けていながら、手を下げてしまい、剣先をやや立てて真向打ち鍔元フィニッシュです。
 八相から上段への振り冠を、英信流居合に随い背中に45度の切先下がりをすれば、真向打ちの軌道が長くなり、その分手の締めを充分行わないと相手に斬り込んでしまいます。
 更にこのビデオでは双方の間合が近い様で、真向打で合刀した時刀が立った手打ちになっています。
 双方真向斬り下ろす事を指導されるには、互に袋竹刀などで物打で相手の頭に触れる間の稽古が充分なされ、互に信じあって打込まなければなりません。
 初めのうちは、相手が真っ直ぐ打込んで来るので、本能的なのか刀を斜めにして受太刀にしてしまう人がほとんどです。
 福井先生の教本はあくまでも、一刀目は双方左面、二刀目は双方右面、三刀目も双方右面です。教本を解釈する程度は読む者の力量次第とも言えます。
 真向打を福井先生の獨妙剣の一刀目とされる検証を示されて地区指導をされるべきでしょう。或は地区の独創であれば、その根拠と、理合を十分理解させるべきかと思います。
 独妙剣の二刀目以降は次回とします。
 
 
 
 

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曽田本その1の4居合根元之巻読み解く6小藤亀江伝来の目録16

曽田本その1
4.居合根元之巻読み解く
6、小藤亀江伝来の目録
16無雙直伝英信流居合目録
 
極意之大事 
 
1.暇乞・2、獅子洞入・3、地獄捜・4、野中幕・5、逢意時雨
6、火村風・7、鉄石・8、遠方近所・9、外之剱・10、釣瓶返
11、智羅離風車
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8、遠方近所
 小藤亀江の相伝した目録は項目のみですから是だけではどのように極意を身に付けたのか解りません。
 一回ぐらいは谷村樵自庸から講義を受けたか、伝書の写し書きをしたか、授与されたかあったかもしれません。
 現代居合では十段になっても目録のみでそれも第17代大江正路の残した居合の形の順番が書かれてある程度でしょう。
 「遠方近所」の極意は英信流居合目録秘訣の九項目目に残されています。
遠方近所
 我に敵する者と見るときは其の者の側に寄りて居る事肝要也或は庭前の花にことよせ或は掛物を見る躰抔して側に近よりて居べし刀に手をかけば其儘手を取って引倒すべし間を隔てゝ居る故に不覚を取るなり或は意趣有って仕掛られ丸腰にて出合て不覚を取たる者も間々之有也是等も此習を得たればたとい丸腰なり共不覚をば取まじ其故はいや貴殿の短慮なり能く合点せよ抔と云て側に詰寄て居る時は刀をぬけば引倒す故丸腰とても不覚は取まじきなり
亦大事の仕物九寸五分の合口抔を指近く居て思わぬ処で取って引寄さしころす時はたしかに仕留る也是等皆師子王かんよう也


 我に敵する者だと見た時は、其の者の側に寄って居る事が肝要である。或は庭の花に事寄せ、或は掛物を見る振りをして側に近寄って居るのである。
刀に手を掛けたなら其の儘その手を取って引き倒せばよい、間を隔てて居るので不覚を取るのである。
 或は意趣あって仕掛けられ丸腰で出合って不覚を取った者も間々ある。これ等も此の習いを得ていれば丸腰であっても不覚を取る事は無い。
 それ故「いや貴殿の思い違いでしょう、よくお考え下さい」抔と云って側に詰め寄って居れば刀を抜けば引き倒せばよいので丸腰であっても不覚を取ることは無いであろう。
 亦、上意の大事な捕り物であれば九寸五分の合口などを指し、近くに居て相手が思わぬ所で抜き取って刺し殺すならば確実に仕留めることになろう。

 これ等の事は皆師子王の心(大丈夫の心)が肝要である。

 この極意は「我に敵する者だと見た時は、其の者の側に寄って居る事が肝要である」に極まるでしょう。

 
 

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2018年4月13日 (金)

無双直伝英信流の型 福井聖山先生の看取り稽古の4独妙剣の3

無双直伝英信流の型
福井聖山先生の看取り稽古の4独妙剣の3
参考資料
福井虎雄聖山著平成3年1993年無雙直伝英信流之形
福井虎雄聖山昭和57年1982年太刀打之位ビデオ
その他
 独妙剣は仕太刀が攻めて踏み込みながら左面・右面・左面と斬り込む、打太刀は退きながら応じて相打ちとなる。
 此の三度の斬り合いが相打ちならば、以降の動作も迫力があるのですが、仕に押されて受太刀の打であれば、唯の申し合わせの演舞になってしまいそうです。
 相打ちを条件に、福井先生の教本も「上段より仕太刀の太刀を受ける。(斬込むような要領で)」の文言がの括弧書きされている筈です。然し、打は退きながら斬込むのが下手で、受太刀になりやすい、それで良しとする先生も多そうです。
 互に左足を退きて十分なる同等の気位にて中段となる。打太刀は機を見て左足、右足と追足にて刀を左に傾け、摺込みて仕太刀の胸部を刺突す。
註、打太刀は突きたるとき上体を流す(前にかがむ)
 仕太刀は左足を左に踏出し(右足の左斜前)体を右に披きつつ手元を上げて敵刀を捲き返す。(敵刀を、己が右斜下に裏鎬にて摺落す。)
 仕太刀は打太刀の刀を右斜下に摺落しながら右足を左足の方向に退きつつ上段となるや右足を踏込みて打太刀の首より肩にかけて斬下す。
註、退く右足は床に留まらぬうちに進めて斬込む。
 次に、打太刀は三歩出で、仕太刀は三歩退きながら中段となりつつ元の位置に復し、双方五歩後退す。(納刀せず)
 今回はこの摺落としについてです。
 福井先生の教本では、相中段から打が刀を左に傾け仕の刀に摺り込みながら仕の胸部へ突き込んできます。
 仕は左足を左斜め前に踏み出し、筋を替って体を右に披いています。これで打の突きは外せました。
 しかし、そのままでは打は、退くなり、刃を返して攻めるなりするでしょう。そこで仕は同時に「手元を上げ」、打の摺り揉んで突いて来る刀を、己が刀から離さずに左手を返しながら上げて切っ先を下方に向かわせ、鎬を使って摺り落す(巻き落す)。)のです。刀の反りによって打の刀を我が右斜め下に落とせと言うのです。
 敢えて、打は(前にかがむ)動作をせずとも、直ぐには立て直しは出来ないものです。その間に、右足を左足の後方に摺り込むや右足を踏込み、刀を右肩から上段に振り冠って、打の首より肩に斬り込む。
 ある地区の指導で、打は刃を下にして仕を突く、仕は左斜め前に左足を踏込み右足を左足の後に摺りこんで右足を踏込み斬り下ろす、として、捲き落としを重要視していないようです。
 居合専門になってしまい、剣術の妙技を知らなければ理解できないところでしょう。教本通りにやって見ればすぐに気が付くはずです。
次回は、福井先生のビデオを見ながら教本を読んで稽古して見ます。
 
 

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曽田本その1の4居合根元之巻読み解く6小藤亀江伝来の目録15

曽田本その1
4.居合根元之巻読み解く
6、小藤亀江伝来の目録
15無雙直伝英信流居合目録
 
極意之大事 
 
1.暇乞・2、獅子洞入・3、地獄捜・4、野中幕・5、逢意時雨
6、火村風・7、鉄石・8、遠方近所・9、外之剱・10、釣瓶返
11、智羅離風車
読み解く
7、鉄石(てっせき)
 是も英信流居合目録秘訣の極意ノ大事八項目目にあります。
鉄石
 旅抔にて気遣しき所を通るには石を袂に入れて行くべし 尤是に限らず用心を為〆(なして)行先は必ず石を袂に入行くべし時に取って是を打つくる也 座上にても鉄石の心得有  あの者を切らんと思ふ時は 其者の膝本のたたみ抔をハタと敲くときは夫に気をうつす也 其所を切ればきり安き者也
*
 心得の極意の「鉄石」とは何でしょう。鉄と石非常に堅固なものの・・譬え、と有ります。
 何となく気遣う様な所を通るには、用心のために石を袂に入れて行き、何かあった時には、石を取って打ち付ける、是に限らず用心を怠ってはならない。上司でも鉄石の心得有るものだ。
 次の「あの者を切らん・・」の文章も鉄石なのでしょうか、袂の石の心得とは違いますが、あの者を切ろうと思う時は、その者の膝辺りの畳をハタと敲いて、気を散らしておいて切れば切りやすいものである。
*
曽田本その1神傳流秘書を読み解くに大剣取の四本目に鉄石の業があります。
鉄石
 是も前の如く坐し是は廻り寄りて切らんと心得て抜かざる時行なり二小太刀尓て地をハタと叩いて気をうばうて入りてさ春
従是相寸
読み
鉄石(てっせき・てついし?)
 是も前の如く坐し 是は 廻り寄りて 切らんと心得て抜かざる時 行くなりに小太刀にて地をハタと叩いて 気を奪いて 入りて刺す
是れより相寸
読み解く
 是も相手は「前の如く坐し」ですから居合膝に坐す処、我が「廻り寄りて」は、めぐりよりて、めぐってきて、相手はそばに寄ってくれば切ろうとしているが抜こうとしない時、我は小太刀を下げてスカスカと間境に歩み行き、体を低め、小太刀で地をハタと叩き相手の気を奪い、相手が抜こうと抜くまいと体を低めたまま中に入り、相手の柄手を制して刺す。

 いささか、文章が解りずらいのですが、抜こうとしているが、抜く気があっても抜こうとしない相手の気を奪って付け込んで刺す、という業です。
 仕組の稽古でこの気を出せるかは難しいでしょうが、業に成りきって稽古する事も大切な事だろうと思います。

 政岡先生は、相手が抜かないので抜刀して地面をはたと打つと抜きはじめる、そこを飛び込んで右手をおしあげてさす。としています。

*
 この極意之大事は、孫子の「兵は奇道也」です。目的を達するには、細心の注意と誰も思っても見ない、状況を作り出し目的を果たすものでしょう。

 綺麗ごとにばかりに、夢を見ている武道修行者には違和感のある部分かも知れません。然し多かれ少なかれ、日常のビジネス活動にも要求される心得でしょう。

 刀を持って戦う事は勿論、生か死を見つめる事の乏しいこの時代、武士道を美化して、正面から名乗り合って仕合うことと見るのも仕方のない事かも知れません。

 

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2018年4月12日 (木)

無双直伝英信流の型 福井聖山先生の看取り稽古の4独妙剣の2

無双直伝英信流の型
福井聖山先生の看取り稽古の4独妙剣の2
参考資料
前の通りとしておきます。
第21代福井虎雄聖山の獨妙剣の教本から、「・・三度目に仕太刀は打太刀の退くところをその左面に斬込む。打太刀は二刀目と同様に之を受け、互に左足を退きて十分なる同等の気位にて中段となる。」
 三刀目の文章は、省略されていますから「三度目に仕は打が左足を退きて上段とならんとするを付け込みて右足を踏込み上段から打の左面に斬り込む、打は斬り込むような要領で仕の太刀を受ける」となるでしょう。よく見かける、打は詰められて受太刀になるばかりの上段から左下に刀を下げて受けるのでは、同等の気位にはなり得ないでしょう。
「打太刀は機を見て左足、右足と追足にて刀を左に傾け、摺込みて仕太刀の胸部を刺突する」
 双方中段の構えは切先を相手の喉元に附け、双方切先(横手辺り)を合わせる。よく見かける剣道形は物打を合わせる様ですが、深くならないように合わせるべきでしょう。
 「機を見て」は中段となるところで、順番だからと無造作にせず、打から退いていくのに仕は合せて左足を退き、合刀をそれに合わせて中段となるものでしょう。剣先が合うや一呼吸以上置いてから刺突するのでは、此の業の連続性を欠く事になりそうです。本来なら仕の気の弛みを逃さず、打は後足の左足を右足に引き付け右足を踏込み「刀を左に傾け、摺込みて仕の胸部を刺突する」。この踏込む足裁きが気になります。機を見て刺突するならば「右足で踏込み左足を追い足とする」方が容易です。
 此処で大江先生の刺突の足裁きを「剣道手ほどき」から「打太刀は右足より追足にて仕太刀の刀を摺り込み突を施し・・」で、これが一般的な右足で間を越し左足を引き付ける追足裁きです。河野先生も福井先生と同じ「左足、右足と追足にて」と書かれています。
 刺突の際「刀を左に傾け、摺込みて・・」については、大江先生は「仕太刀の刀を摺り込みて突を施し」です。仕の刀を摺り込むには刀の刃を左に返して摺り込めば、刀の反りで仕の刀は打の中心線を左に外れ、打の切先は仕の中心線を攻めて行きます。
 第19代穂岐山先生に指導を受けられた「無双直伝英信流居合道能参考」の著者野村條吉先生は「青眼に構えるや敵刃を我刀にて圧しつゝ敵の喉を突く仕太刀は我刀を引込みつゝ体をかわして・・」です。喉を突くならば刃は下向きとも取れます。但し打の刀を圧しつゝですから決して仕の刀から離れない様にすべきでしょう。
 この場合仕から。刃を返されて突きを入れられる事も有り得ます。
 胸部を突くには、福井先生の教本に随い「刀を左に傾け、摺込みて仕の胸部を刺突」が妥当でしょう。
 ある地区の刺突は、中段に双方構えた処で、打は仕の胸部を、中段に構えた状況から右足を踏込み左足を追足に上体を屈め乍ら刺突し、仕に往なされた処で更に低く体を屈め仕の斬込みを待っています。これはやり過ぎでしょう。
 次回は、仕の胸部を、あるいは喉を、打に刺突されるのを筋を替って外し打の首から肩にかけての斬下しを稽古します。
 合わせて、福井先生のビデオ、ある地区のビデオで看取り稽古をします。
 

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曽田本その1の4居合根元之巻読み解く6小藤亀江伝来の目録13・14

曽田本その1
4.居合根元之巻読み解く
6、小藤亀江伝来の目録
13・14無雙直伝英信流居合目録
 
極意之大事 
 
1.暇乞・2、獅子洞入・3、地獄捜・4、野中幕・5、逢意時雨
6、火村風・7、鉄石・8、遠方近所・9、外之剱・10、釣瓶返
11、智羅離風車
読み解く
極意之大事5、逢意時雨
 英信流居合目録秘訣 極意ノ大事の5項目目に「逢意時雨」は有ります。逢意時雨は「ほういしぐれ・あういしぐれ」とでも読むのでしょう。
5、逢意時雨
 火村の風に異る事無し是は茶抔所望して其茶椀をとってすぐに打付べし又自宅へ敵来たらば我は茶を汲で持出て其茶を取らんとする手を取て引倒して勝也
 「火村風」という事が出てきました、これも極意ノ大事の4項目目にあります。読みは「かそんのかぜ」と読みます(曽田メモ)続けて読んでみます。
6、火村風
 仕物抔に行たる時其者と物語抔をして都而(却ってならずや虎彦註)色にあらわさず扨煙草盆を持出したらば其火入れを取って打付けて然しておくれたる所を勝べし 亦捕物抔に行に灰を袋につつみ其灰の中に石を入おんぶくの様にして持相手の面に打つくるとパッと
開いて眼くらむ也 其所を捕る也 譬え開かず共石を入れて打付る故転どう(倒?)する也 或は此事を聞くさし(ききさし)捕手の役に行く密談に事よせ捕る仕組也 一人密談しいたるに脇より紙に灰を包み打つけるに紙しかと包て有りたる故都而(却ってにあらずや虎彦註)不開おんぶくの如くなるものにて面を打たる故いよゝに相人(あいひと、相手)気ばりて取急たると是伝をしらざる故用に不立(たたず)
*

 前回の「逢意時雨」同様に相手の油断に不意打ちを食らわせ臆するところを捕り押さえる心得です。
これも場面が目に見える様です。「火村風」の業名も不思議な名です。

 「都而」は「却而」いずれも現代に使われていないのですが、「・・としてすべて色にあらわさず」の様に使ったのでしょう。学識のある方のご指導をいただければ幸いです。

 世間話などして少しも仕物に来たことを色に出さず、煙草盆を出してもてなす風を装い、突然其の火を相手に投げつけ臆するところを捕えるのです。

 亦,捕り者に行く時は、灰を紙につつんでその中に石を入れて、「おんぶく」は土佐の方言の一つかも知れません。紙に包んだ米を正月に備える風習もある様です。
相手の顔にぶつけて包みが解けて目潰しとなって目がくらんでいる処を捕る。
譬え紙が開かなくとも石が入っているので当たれば衝撃を受けて動転する。

 この方法を聞いて捕り者に行き、密談があると気を引いて捕る仕組み、密談して居て灰を入れた紙を相手に打ち付けたが紙をしっかり包んでいたので開いてくれず、相手は却って気張ってしまう、慌ててしまってこの伝を知らずに用が立たない事も有。
此処は其の儘読んでも、意味不明なので勝手に思いつくまま解釈して見ました。

 この辺は目録の中でも、面白い処です。
役目を果たすと云う事への執念を教えると理解すべき処でしょう。

 
 
 

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2018年4月11日 (水)

無双直伝英信流の型 福井聖山先生の看取り稽古の4独妙剣の1

無双直伝英信流の型
福井聖山先生の看取り稽古の4独妙剣の1
参考資料
福井虎雄聖山著平成3年1993年無雙直伝英信流之形
福井虎雄聖山昭和57年1982年ビデオ
平成2年1992年第9回無雙直伝英信流居合道全国大会講習資料太刀打之位要旨
大江正路・堀田捨次郎共著大正7年1918年剣道手ほどき
その他
 打太刀、仕太刀相八相より前進し、間に至るや絶妙剣と同理合にて二度斬結び、三度目に仕太刀は打太刀の退くところをその左面に斬込む。
 打太刀は二刀目と同様に之を受け、互に左足を退きて十分なる同等の気位にて中段となる。
 打太刀は機を見て左足、右足と追足にて刀を左に傾け摺込みて仕太刀の胸部を刺突す。
註、打太刀は突きたるとき上体を流す。(前に屈むる)
 仕太刀は左足を左に踏出し(右足の左斜前)体を右に開きつつ手元を上げて敵刀を捲き返す。(敵刀を、己が右斜下に裏鎬にて摺落す。)
 仕太刀は打太刀の刀を右斜下に摺落しながら右足を左足の方向に退きつつ上段となるや右足を踏込みて打太刀の首より肩にかけて斬下す。
註、退く右足は床に留まらぬうちに前に進めて斬込む。
 次に打太刀は三歩出で、仕太刀は三歩退きながら中段となりつつ元の位置に復し、双方五歩後退す。(納刀せず)
 独妙剣の教本の一度目・二度目の斬結びが省略されています。教本は出来るだけ省略せずに書いておきたいものです。
 補足しておきます。
 「双方相八相、左足より前進し、間に至るや打太刀は上段となり、右足を踏込みて仕太刀の左面に斬込むを、仕太刀機先を制して上段から右足を踏込みて打太刀の左面に斬込み相打となり、物打の刃部にて刀を合わす。
 打太刀は、仕太刀の気に圧せられて右足を退かんとするを仕太刀之に乗じて左足を踏込み打太刀の右面に斬込む。打太刀は右足を退き、上段より仕太刀の太刀を受ける。(斬込むような要領で)」
 ここでのポイントは、一刀目は打が八相から上段に振り冠って仕の左面に斬り込むのを、仕も同様に斬り込み相打とする。
 「仕機先を制して」をどの様にするでしょう。打に遅れて斬り込むが結果相打という業を出せるかにあります。しかも双方の左面に斬り付けられる距離の中央で物打の刃部という注文までついているのです。
 殆どの演武を見ていても、仕打同時の運剣です。或は打が先んじて中央で待っている。機先を制しての言葉に煽られて先んずるばかりでは双方物打での合刀は難しい。
 二刀目は、古伝は打が退きながら仕の右面に斬り込んで来るのですが、この教書では仕に圧せられて打が退かんとするのを仕は左足を踏み込んで打の右面に斬り込む。打は(斬り込むような要領で)受太刀になる様に指定しています。
 ここもほとんどの演武で打は上段から刀を右下に振り下し、受太刀にして稍々刀が斜め前向き程度のものです。その様に指導してしまう先生ばかりと言ったら過言でしょうか。
 この福井先生の教書は河野先生の教書をそのまま引用していますので時々、古伝の心持が挿入され、人真似の形を追う人には意味の無い挿入部分となってしまいます。
 形の手附は心持ちでは無く動作として、示すべきでしょう。
 多くは、打より先に仕が仕掛けている様です。それでは仕打逆でしょう。早ければ勝つわけでは無いのですから。
 打も受太刀になったままでは無く受ける事が攻める拍子となる業を持たなければ打の資格はないでしょう。
 三刀目も同様と云えるでしょう。
 ある地区の一刀目は絶妙剣同様、真向打で双方の中心で鎬を合わせて留めています。何をさせたいのか疑問です。真向打ちは術の優れた者と対すれば必ず負けて我が刀は落とされ相手の刀が面を斬ってきます。受ける事など出来ません。せいぜい手の内の締めを学ぶかそれを利用して真直ぐ打込む稽古に過ぎません。怖がって十文字受してしまえば真向相打ちなど何処にも無い。
 福井先生の教本の示す左面への斬込みも出来ていない事になります。
 もう一つ、英信流の居合では上段は背中に切先下がりですが、八相から上段に振り冠って切先下がりでは、八相から切先上がりの上段を良くする者には対応できません。更に左面ならば八相からそのまま左面に斬り付ける事が相手におこりを見せず有効でしょう。
 大江先生は、八相から「仕は八相のまま右足より五歩交互に進み出て、同體にて右足を踏み出して。左面を斬る」と言って八相から上段へは取っていませんでした。
 もういい加減に、大日本武徳会の統一理論に随っている必要は無いでしょう。八相の構えも剣道形になって窮屈です、研究課題でしょう。
 他流の竹刀剣道に蹂躙されていない八相を学び従来(河野先生以降のかたち)の変形を正す時期でしょう。
 或は大江先生の英信流居合の型を元にして、不合理な部分をあらゆる資料や研究を元に新たに作り替えて、この流を学ぶ者に示す時期でもあるでしょう。居合と組太刀とは居合の業技法を修錬する土台というより、居合で不充分な場合剣術となった時の業技法を示しています。居合に拘ると不合理になってしまいます。
 三刀以降は次回に譲ります。
 
 
 

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曽田本その1の4居合根元之巻読み解く6小藤亀江伝来の目録12

曽田本その1
4.居合根元之巻読み解く
、小藤亀江伝来の目録
12無雙直伝英信流居合目録
  
極意之大事 
 
1.暇乞・2、獅子洞入・3、地獄捜・4、野中幕・5、逢意時雨
6、
火村風・7、鉄石・8、遠方近所・9、外之剱・10、釣瓶返
11、智羅離風車
読み解く
極意之大事3、野中幕
曽田本その1に英信流居合目録秘訣が納められています。外之物ノ大事・上意之大事・極意ノ大事、更に居合心持肝要之大事に「野中之幕」があります。
 
野中之幕
 取籠者抔の有之時 杖の先き或は竹の先に又横手を括り付け其横手を羽織の袖に通し其竹の本を左の手に持ち向へさし出し右の手に刀を持ち 生捕なれば木刀の類を持ち 我身は羽織の陰に隠れ羽織をば相手の方へ突き付べし 向より切ると云えども我身には届く事なし其所を持たる刀にて相手の足を薙ぐべし亦矢玉を防ぐに至て宜し
 是が極意の事の一つですが、暗がりとか余程相手の気が立って居なければ役立ちそうもありません。
 居合とは無関係の様な教えです、目録授与の際に口頭で説明すればよい様な内容です。
 
 
 

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2018年4月10日 (火)

無双直伝英信流之形 福井聖山先生の看取り稽古の3絶妙剣の5

無双直伝英信流の型
福井聖山先生の看取り稽古の3絶妙剣の5
参考資料
前項と同じ。
 絶妙剣の三刀目について、前回は何故を少し追い掛けてみました。大江先生の創作されたものを変えない、というより河野百錬先生の教本に随うのが福井聖山先生でした。
 河野先生は時代の背景なのか、絶妙剣の術理を考えられて大江先生の動作を変えたのかどうか、もう知るすべは残されていていない。
 直に指導を受けられた方以外は解らなくなっているでしょう。
 戦後のどさくさで、資料も無く、河野宗家に直に疑問をお伺いする様な、本物を求める真面目な剣士は居なかったかも知れません。
 三刀目の疑問は、「打は左足を退きて仕の真向を斬下さんとして上段となるを、・・」の上段の形が教本には示されていません。
 もう一つは上段に構えた打の左腕上腕部を下から掬い斬りする際の、仕の踏込み足です。
「仕すかさず右足を右前方(打太刀の左斜側方)に踏込み、左足を大きくその後方へ送るや上段より打太刀の左腕上膊部に下より掬い上げるように斬込みて勝」その時「仕は、右肩にて敵に附入るように十分手を伸ばして上体を右前に乗り出す」部分です。
 そして「左腕より頭部諸共、斬放つ意なり」です。動作より心持が優先しています。
 ここを福井先生のビデオで稽古して見ます。
 この業は古伝の太刀打之事附込(附入)の名称を大江先生が絶妙剣と替えてしまったものです。従って打との斬り合いで仕は斬り間を外さない事を学ぶものなのです。
 福井先生の一刀目も二刀目も間が遠くて合刀していますが仕の刀は打に届いていません。       
 仕は間合いを計って斬り込んだが打が大きく下った事にしておきましょう。
 古伝は打は退りながら斬り込むのですから双方の間はもっと近くなる。
 其処から、打は左足を退いて上段に振り冠る。上段の振り冠は、振り冠った瞬間は床に水平より10cm位稍々切先下がりで、はずみで戻し水平より10cm位切先が上がった中途半端な上段です。
 英信流の上段振り冠りならば切先45度下がった振り冠りで、斬撃の意を示すには不向きですから切先を上げたのでしょう。
上げるならば切先45度上向きで、左足が床に着くや上段から即座に斬り下ろす体制となる、方が良いでしょう。
 仕は打が左足を退くのに間を外さない様に附込むのですが、踏み込みは十分ですが上段の振り冠が打に遅れています。右足を右斜に(打の左斜側)に踏込みながら打が振り冠るに合わせて振り冠る、そうでなければ打に切り込まれてしまいます。
 打の退き足に随って上段に振り冠りながら踏み込んでいる、打は仕よりも少しでも早く斬撃体勢に入るべきものです。
 申し合わせに随い、打が上段で待っていてくれる、それにいつまでも甘えるものではないでしょう。仕の踏み込みは早すぎても、遅すぎても斬られる。打も斬る為には打の上段は、少なくとも切先45度の上段であるべきです。
 教本通り仕は「仕すかさず右足を右前方(打太刀の左斜側)に踏込み、左足を大きくその後方へ送るや上段より打太刀の左上膊部に下より掬い上げるように右肩にて打に附け入るように十分手を伸ばして上体を右前に乗り出して斬込む」と云った形に成っています。
 但し体は延び切ってまだ足りず左足は宙に浮きそうです。一本目はともかく、二刀目で附け込むのが不十分、三刀目も不充分ですから上膊部を斬れても頭部諸共は此の態勢ではどうでしょう。
 此処を河野先生のビデオで稽古して見ます。教本に書かれている一刀目からすべて上段に正しく振り冠れず、崩れた八相、崩れ裏八相、崩れ八相で特に、三本目は掬い斬りなど教本の文言に過ぎず、体も伸びず手も伸びず横から叩いています。
 打の上段は切先45度上の上段です。上段振り冠も福井先生も不十分で河野先生と同様です。剣連に言わせれば「ダメ」でしょう。
 さて、福井先生のビデオから学んだというある地区のビデオで稽古して見ます。平成21年のビデオから、一刀目は右面に斬り込む、八相から上段に振り冠って右足を踏込み右面に斬り込み双方十文字請で相打。
 二刀目は打が右足を退きつつ上段に振り冠った処、仕の斬り込みが真向の為(右面に斬り付けるはず)、打も真向斬り込みとなってしまい双方の刀が一本に見えます。撮影角度をずらしても多分そんなにずれていないでしょう。
 意味の無い真向相打ち双方の中間で止めた相打です。三刀目打が左足を退いて上段に振り冠らんとするや、仕は上段に振り冠って、右足を右に大きく踏込んで上段から右に刀を廻し低い八相の斬込をしています。下から掬い斬りでは無く斜め上から上段に構えた打の左腕上膊部に斬り込んでいます。仕の踏み込みが大きすぎて打のほぼ左横に近いものです。此処まで筋を替る意味は無いでしょう。
 右足を足幅程右斜めに踏込み、左足をその後方に摺り込めば充分筋は変われて半身の体勢で掬い斬りは可能です。
 平成24年のある地区のビデオで稽古します。
 一刀目は真向打ちでしょう。福井先生の教本は左面相打ちです。真向打ちで双方の中間で鎬を合わす意味は何なのでしょう。
 二刀目は、打が右足を退いて上段に振り冠り右面に斬り下ろさんとする、仕は左足を踏込み右面に斬り込にむ、打は充分間があるのに仕の斬込みを上段から刀を立てる様にして右側で十文字受する。
 三刀目は、打が左足を退いて上段に振り冠る初動と同時に仕は上段になりつつ右足を右斜め前に踏込み左足をその後方に摺り込みつつ上段から掬い斬りに打の左腕上膊部に斬り付ける。仕は斬り付けられるのを待っている雰囲気です。同時進行した時上段の振り冠が打より早くないと打の方が上段になるタイミングは必ず早くなる。
 打が斬り下ろさんとした瞬間、仕が打の視界から消えている、「あれ」と思った時には腕を斬られている。そんな絶妙剣を見たいものです。
 上段の振り冠など左右にぶれずきれいな振り冠りです。背中側に切先下がりの上段を取る意味はあるのでしょうか。八相から上段、上段から八相何れも疑問です。左右何れにても切先上がりの上段は応じられますが、背中側の切先下がりでは、手打ちの斬撃力に威力は有っても変化に応じられないでしょう。
 長くなりますが、大江先生の三刀目の附け込む右足は、「仕は右足を出して體を右半身とし、中腰となりて、左手甲を斬る」コンパクトな本物だったと思われます。
 第19代福井春政先生は「仕素早く右足を大きく一歩斜右前に踏込み體を右に開き打の左上膊部を下より掬い切りに打つなり」でした。
 次回は独妙剣を稽古します。
 

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曽田本その1の4居合根元之巻読み解く6小藤亀江伝来の目録11

曽田本その1
4.居合根元之巻読み解く
、小藤亀江伝来の目録
11無雙直伝英信流居合目録
  
極意之大事 
 
1.暇乞・2、獅子洞入・3、地獄捜・4、野中幕・5、逢意時雨
・6、
火村風・7、鉄石・8、遠方近所・9、外之剱・10、釣瓶返・11、智羅離風車
読み解く
 極意之大事の3番目「地獄捜」
 小藤亀江は無双直伝英信流居合目録を相伝しても、目録の項目の内容は知らなかったと思うのです。
 根元之巻は師匠に見せられても、目録の項目の全ては師匠も知らなかったのだろうと思います。
 現代居合では刀を抜く形ばかりで、何も相伝していないのが実情です。
*
 古伝神傳流秘書にも無かった「地獄捜」英信流居合目録秘訣極意之大事三項目目にあります。
地獄捜
 闇りに取籠り者抔有るときの心得也夫れにては已成らず惣じて闇にて人をさがすの術也
 刀の身と鞘と半分抜掛て鐺を以て一面にませ捜すべし鐺に物のさわるを證に抜て突べし
 亦鞘口三寸計に切先を残し居ながら静かに四方へ回してさぐるべし九尺四方何事も知れ申す
*
 山川幸雅による目録口授覚、印可口授覚に居合兵法極意秘訣(英信流兵法極意秘訣)というのがあります。
 「老父物語を書付置久しき事ゆえ失念之事多し・・」で始まる林 政詡が明和元年16764年に「賜之」とある覚書です。
 その當流申伝之大事の閨之事に地獄捜と同様の事が書かれています。
閨之事
 不案内なる所にては刀を抜鞘口三寸ほどのこし居ながらしづかに四方を振さぐるべし九尺四方其まま何事もしれ申し候
此処はこの暗闇での用心の方法とみてよさそうです。真っ暗闇など都会ではめったに有り得ない事ですが、知らない所で真っ暗ならば困惑してしまいます。
 
 
 

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2018年4月 9日 (月)

無双直伝英信流の型 福井聖山先生の看取り稽古の3絶妙剣の4

無双直伝英信流の型
福井聖山先生の看取り稽古の3絶妙剣の4
参考資料
絶妙剣の資料による
 絶妙剣の三刀目は、福井先生の教書で研究してみます。双方八相から左足・右足・左足で間境に至り上段に振り冠って、双方右足を踏込んで相手の左面に斬込相打。
 二刀目は打が仕に圧せられて右足を退かんとする機に乗じて仕は上段より左足を踏込み、打の右面に斬込む、打は右足を退いて上段より仕の太刀を受ける。でした。古伝は打も右足を退いて仕に斬込二刀目も相打ちです。
 三刀目は
 「打太刀は、左足を退きて仕太刀の真向を斬下さんとして上段となるを、仕太刀すかさず右足を右前方(打太刀の左斜方)に踏込み、左足を大きくその後方へ送るや上段より打太刀の左腕上膊部に下より掬い上げるように斬込みて勝つ。
註1、左腕より頭部諸共、斬放つ意なり。
註2、仕太刀は、右肩にて敵に附入るように十分手を伸ばして上体を右前に乗り出す。」
 打が受太刀から左足を退いて上段に冠って反撃を示すわけです。仕はすかさず筋を右に変わって、附け込んで上段から低い八相の体勢を以って下から打の左上腕に掬い斬りする。
 大江先生の絶妙剣の三刀目は「打は左足を引きて上段構えとなりて斬撃の意を示す、之と同時に仕は右足を出して體を右半身とし、中腰となりて、左甲手斬る・・」でした。
 福井先生の掬い斬りで打の左上膊部を斬るのは河野先生の教本の丸写しですから、河野先生が昭和17年の大日本居合道図譜で公に変更してしまったものでしょう。
 そこで参考に、この三刀目は仕は打の何処に斬込むのか、参考資料からチェックしてみます。
1、古伝神傳流秘書の太刀打之事「請入」、「・・体を右に開きひじを切先にて留勝」
2、五藤正亮、谷村自庸口伝の曽田虎彦の業附口伝太刀打之位請込(請入)、「・・敵其時かむりて表より討たんとする所を其侭左の肘へ太刀をすける也」
3、大正7年1918年大江正路・堀田捨次郎共著剣道手ほどき英信流居合の型絶妙剣、「・・打上段構えとなりて斬撃の意を示す、之と同時に仕太刀は右足を出して體を右半身とし、中腰となりて、左甲手を斬る」
3、昭和8年1933年河野百錬無双直伝英信流居合術全英信流居合形絶妙剣、「上段構えとなりて斬撃の意を示す、是と同時に仕は右足を出して體を右半身として中腰となりて左手甲手を斬る」
4、昭和17年1942年河野百錬大日本居合道図譜、「仕の真向を斬下さんとして上段となるを、仕すかさず右足を右前(打の左斜側面)に踏込み左足を大きく其の後方に進めて踏みかゆるや、上段より打太刀の左腕上膊部に下より掬い上げる様に斬込」
5、昭和32年1957年一の坊(政岡壱實)無双直伝英信流居合道天之巻形絶妙剣、「打退いて上段、仕体を右に開いて下から
6、昭和44年1965年野村條吉無双直伝英信流居合道能参考英信流居合形絶妙剣、「打の・・反撃の気配を察知し右足を右横に踏み、左足は之に随い体を右に転し中腰右身となり敵の左前臂を斬る」
7、期日不明山本宅治英信流居合之形絶妙剣、「打・・斬撃の意を示す。同時に仕は右足を大きく右横に跳び込み腰を極めて右半身となり、少し腰を低くして太刀を右より廻して下から助け斬りに打の甲手(又は臂)を斬る」
 この資料から、河野先生から福井先生へ伝わった三刀目の斬込む部位は、肘が本来で、大江先生が甲手(小手)にかえてしまい、河野先生は初めは甲手であったものを、大日本武徳会の誰かに「左腕上腕部」に変更してしまったのでしょう。
 誰なのか、資料を漁っていました。
8、昭和17年1942年島専吉無双直伝英信流居合術形乾太刀打之位請込「打・・上段に振り冠るところを仕太刀素早く右足を大きく一歩斜右前に踏込み體を右に開き打太刀の左上膊部を下より掬い切りに打つなり」
 この嶋専吉先生に手附けを示されたのは第19代福井春政先生です。田岡傳先生と共にその仕方を指導された様です。
 従って、当時の河野先生もそれに習ったものでしょう。すっきりしましたが、福井春政先生の変更された意図は古伝太刀打之事「請入」のものです。
 大江先生のものとは異なるのですが同様の業ですから考えかたは同じでしょう。
 河野先生の「左腕より頭部諸共斬り放つの意なり」は不明です。
*
此の嶋専吉先生の写された福井春政先生の手附に面白いものを見つけました。
 絶妙剣の一刀目の古伝「請込」
 「相八相より相掛りにてスカスカと進み仕太刀表より打太刀の面を撃つ、打太刀は之を表十文字に請く・・」です。これは一刀目を仕が打を真向打ちして打はそれを表十文字とは、左に柄、右斜めに刀の刃を上に向け、仕の真向へ斬り込むのを受けています。真向相打ちとは違います。
 河野先生は、絶妙剣の三刀目の仕の斬込む部位を打の左腕上膊部と訂正されて大日本居合道図譜には書かれましたが、一刀目の仕の斬り込む部位は打の左面です。真向ではありません。このアンマッチはどう解釈すればいいでしょう。
 曽田先生の業附口伝の古伝「請込」は「八相にカタキスカスカト行て真向へ討込む也敵十文字に請て・・」です。
 古伝神傳流秘書の「請入(請込)」は「前の如く打ち合相手八相に打を前の如くに留」です前の如くは「遣方も高山相手も高山或は肩へかまへるかの中也持処へ遣方歩み行右の足にて出合う打込むを打太刀請・・」が一刀目です。
 高山は上段、肩は八相です。ですから上段ノ時は真向斬込む、八相の時は左面に斬込む事になります。古流剣術の常道でしょう。
 英信流に新陰流が混入して居ればなおさらです。八相から上段に直して斬込む事はないと云えます。 
 明治以降の剣術のありようを大日本武徳会によって統一理論が持ち込まれ古流剣術が失伝していった、その様子が見える様です。
 そろそろ、竹刀剣道から古流剣術は別物として、日本人の体に合った武術を取り戻す時期に来ているのでしょう。
 誤った動作とそれを補完する為の強化策は年を取れば使い物にならないアスリートを作るばかりです。武術は生きている限り有効でなければ、修行する意味は薄いでしょう。
次回は三刀目のビデオを稽古して見ます。
 

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曽田本その1の4居合根元之巻読み解く6小藤亀江伝来の目録10

曽田本その1
4.居合根元之巻読み解く
、小藤亀江伝来の目録
10無雙直伝英信流居合目録
  
極意之大事 
 
1.暇乞・2、獅子洞入・3、地獄捜・4、野中幕・5、逢意時雨
・6、
火村風・7、鉄石・8、遠方近所・9、外之剱・10、釣瓶返・11、智羅離風車
読み解く
 暇乞の次は「獅子洞入」ですが是は英信流居合目録秘訣の極意ノ大事では「獅子王剱」の表題で載っています、然し小藤亀江の目録では「獅子洞入」で同じものと云う感じがしません。
「獅子王剱
 是は事に非ず我が心に大丈夫を備ふる事也此の習何よりも肝要なり此備無き時はせきて色に出る故暇乞の類の術をもなすことならず常に能心に備えるべし
 英信流居合目録秘訣の居合心持肝要之大事に「獅子洞入 獅子洞出」という項目があります。表題が同じでも、「居合心持肝要之大事」の項目であって小藤亀江伝来の極意之大事ではありません。従ってこれかなとも思えるのですが心持を述べている項目との誤認では無い様です。
「獅子洞入 獅子洞出」
 是以戸口抔を入るの習也其外とても心得有るべし或は取籠者抔戸口の内に刀を振上て居るときは容易に入る事不能其時刀を抜て背に負たる如くに右の手にて振り上げ左の手にて脇指を提げうつむきて戸口を入るべし上より打込めば刀にてふせぎ下をなぐれば脇差にて留る向ふの足をなぐべし獅子洞出是以同出入の心得を知らする也
土佐の居合には柳生新陰流の風が幾つも出てきます、この獅子洞入もその一つです。柳生新陰流の九箇「小詰」を柳生流新秘抄から読んでみます。
「九箇 小詰」
小詰は尖になじると云う事なり。相手の右手の膝に太刀を押し当てるがごとく鋒先をささえて構うるなり、此の形を獅子の洞出と云い、洞穴より猛獣の猛って出るに喩ゆ、この太刀さき三寸へつけて弓手の肘を捧げ、相手の太刀先を押ゆる、相手拳を払うとき、太刀を擦り込んで両腕を押へ、詰めて勝なり、此の有りさまを獅子の洞入りと云い、鋒をもって敵の胸板をつらぬくことを小詰と云うなり。
*
この小藤亀江伝来の目録はどの様に谷村樵夫自庸は小藤亀江に相伝したのでしょう。恐らく、居合の形である大森流(正座)、英信流(立膝)位は指導されたのでしょうが、奥居合である古伝神傳流秘書の抜刀心持之事は、外之物之大事、上意之大事を参考にして業技法を習い得たかは疑問です。
 
 現代居合も同様に、刀を以て抜刀する事だけが無双直伝英信流や夢想神傳流であると手解きされているばかりです。
 棒術や和は傳書すら知り得ない状況です。ようやく仕組みである組太刀を見直す一部の人達が出ていますが、申し合わせの形に留まり、中には演武会用の見世物踊りに終始したりしています。術理を学ばず、申し合わせによる、強く早いばかりの大人のチャンバラも横行しています。

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2018年4月 8日 (日)

無双直伝英信流の型 福井聖山先生の看取り稽古の3絶妙剣の3

無双直伝英信流の型
福井聖山先生の看取り稽古の3絶妙剣の3
参考資料
前回と同じ
 絶妙剣の一刀目は双方八相に構え左足より前進し、間に至るや打太刀は上段となり、右足を踏込み仕太刀の左面に斬込む、仕は機先を制して上段から右足を踏込み打の左面に斬込み 相打となり物打の刃部で刀を合わす。
 教本の通りに福井先生のビデオは出来ているかについては、概ね教本に随っていると見ていいのでしょう。
 ある地区の平成21年の演武者は一刀目は左面への斬り付け、平成24年の演武者は真向斬り付け、その後も指導は真向斬り付けですが福井先生の指導に従ったと仰います。
 教本に無い動作は、福井先生もある地区のビデオとも双方前進し間に至った処で一旦休止して改めて上段に振り冠って真向に斬り付けています。止まる位なら双方其処から始めたらと云いたくなります。
 八相から上段に振り冠って左面ではおかしいと考えて真向にした、では大江先生はもともとは八相から上段に振り冠らず直接左面に斬り付けています。
 さて、二刀目です。
「打太刀は、仕太刀の気に圧せられて右足を退かんとするを仕太刀之に乗じて左足を踏込み打太刀の右面に斬込む。打太刀は右足を退き、上段より仕太刀の太刀を受ける。(斬込むような要領で)」
 参考に
 大江先生の絶妙剣は一刀目は「仕太刀は八相のまゝ右足より五歩交互に進み出て、同體にて右足を踏み出して、左面を斬る、打太刀は八相より左足を引きて仕太刀の太刀と打ち合わす、仕太刀は左足を出して打太刀は右足を引きて、前の如く打合せ・・」
 八相は左足前で構えますが、大江先生の場合打太刀は拳取を終って双方正眼に構え、仕のみ五歩退いて八相、打はその場で足を踏み替え左足前で八相です。
 一刀目では仕は右・左・右・左・右・右の足運びです。打は八相の構えのまゝ左足前で、仕に斬り込まれて左足を引いて仕の左面に斬り込み相打ちです。
 二刀目は、仕はその足のまゝ上段に振り冠り、打もその足のまゝ上段に振り冠り、仕は左足を踏み込んで打の右面を斬る、打は右足を退き仕の右面に斬り込み相打ちとなります。
「太刀を受ける。(斬込む要領で)」にその事は述べられています。
 さてビデオによる二刀目福井先生は教本通りでしょうか、ある地区の平成21年、平成24年の演武はどうでしょう。
 まず、福井先生のビデオ、双方一刀目の足のまゝ上段に振り冠りつつ仕は右足を踏み出し打の右面に斬り付けます。打は左足を引きつゝ上段に振り冠り、仕の右面への斬り込みを上段から斬り下ろす様に刀を立てゝ受けています。この受太刀が(斬込むような要領で)になるでしょうか。
 古伝は「請入」ですが、「前の如く打合相手八相に打を前の如くに留・・」で打が待つ処へ仕が歩み寄り一刀目は打が受け、二刀目は打が八相に斬り込むのを仕が受け留めています。
 ある地区の平成21年のビデオを稽古して見ましょう。仕・打共に一刀目を相打した右足前で上段に振り冠り、仕は左足を踏込み右面に斬り込み、打は右足を退いて上段から斬り下ろす様にして仕の斬込みを受けています。このビデオは打の斜め右後ろからの撮影の為一刀目の切り結びが真向か左面相打か微妙に判断不能です。特に仕の斬込みが真向に見える様です。二刀目は打が退かんとする気振りも見られません。此処も真向相打に見えてしまいます。
 無双直伝英信流の上段からの斬込みは大方真向ですから、右面も真向になってしまう可能性は長年やっていますとあり得るものでしょう。
 ある地区の平成24年のビデオで稽古して見ます。
 一刀目は明らかに真向相打、物打付近で合刀しますが打ち止めは鍔から5,6寸でしょう。
 二刀目は、仕は上段となり左足を踏込み右面へ斬込む、打は上段となり右足を退いて上段から右側面に刀を立てる様に振り下し仕の斬込みを受けています。ここも(斬込む要領で)が
下へ引き斬る要領で受太刀になっています。
 打が退りながら斬り込み相打は古伝にあっても失念してしまった刀法なのでしょうか。
 敢えて河野先生が付け加えた(斬込むような要領で)の思いは打の受太刀の際、仕の斬り込みを引き落す様な操作の事だったのでしょうか。
 打は退きながら仕の右面に斬込み相打ちではいけなかったのでしょうか、退いて受太刀したのでは仕に攻められるばかりです。負けても勝ち口を感じさせる打でありたいものです。
 次回は絶妙剣の三刀目に入ります。
 
 

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曽田本その1の4居合根元之巻読み解く6小藤亀江伝来の目録9

曽田本その1
4.居合根元之巻読み解く
、小藤亀江伝来の目録
無雙直伝英信流居合目録
  
極意之大事 
 
1.暇乞・2、獅子洞入・3、地獄捜・4、野中幕・5、逢意時雨
・6、
火村風・7、鉄石・8、遠方近所・9、外之剱・10、釣瓶返・11、智羅離風車
読み解く
 極意の大事に相当する教えは恐らく戦後の師匠から弟子へ伝えられた形跡は知る限りでは見られません。
 無双直伝英信流及び夢想神傳流でも、刀を抜き付ける居合の業技法に偏ってしまっていると思われます。
 指導を受ける者も、聞いては見ても現代には有り得ないことぐらいで右から左へ聞き流してしまうかも知れません。
 項目ごとに、英信流居合目録秘訣の極意を味わってみます
1、暇乞
英信流目録秘訣
 仕物抔を云付られたる時抔其者之所へ行て四方山の咄抔をして其内に切べし隙之無ときは我が刀を取て又近日と立さまに鐺を以て突き倒し其侭引ぬいて突く也又は亭主我を送って出る時其透間を見て鐺にて突たおして其侭引ぬいて突くべし
 現代居合はいつの間にか、相手の害意を察して、機先を制して後の先もしくは先々に制するものと理解しています。しかし古伝は相手の害意を察するとも、後の先とも状況を指定していません。どの様な状況でも教えられた業技法を以て勝也です。
 古伝神傳流秘書の抜刀心持之事にも英信流居合之事にも大森流居合之事にも暇乞と称する業名は見当たりません。
古伝神傳流秘書大森流居合之事 抜打
 坐して居る所を向うより切て懸るを其のまゝ踏ん伸んで請流し打込み開いて納る 尤も請流に非ず此所筆に及ばず
 この抜打は相手に打ち込まれたのを請け流して勝、後の先を表しています。
古伝神傳流秘書英信流居合之事 抜打
 大森流の抜打に同じ事也
古伝神傳流秘書抜刀心持之事 抜打
 抜打上中下
 「(暇乞三本)格の低き者に対する黙礼の時、等輩に対する礼の時、目上の者に対する礼の時 曽田メモ」
 曽田本その1の1神傳流秘書抜刀心持之事の17本目に「抜打上中下」と有りますがその手附けは有りません。
 そこには曽田先生のコメントとして「(暇乞三本)格の低き者に対する黙礼の時、等輩に対する礼の時、目上の者に対する礼の時」とあって、抜打について、地位の格差による礼法の違いを以て抜き打ちの仕方が違う様にメモられています。
 何時の時代かに抜打と暇乞の時の頭の下げ具合による抜刀法とを合体させた業が付加されたのかも知れません。
 木村永寿先生の林崎抜刀術兵法夢想神傳重信流伝書集及び業手付解説「神傳流業手付」の抜刀兵法傳来の抜刀心持之事には抜打上中下 「(暇乞三本)格の低き者に対する黙礼の時、等輩に対する礼の時、目上の者に対する礼の時 曽田メモ」に相当する記述は有りません。私は曽田虎彦先生が、当時土佐の居合で一般化した大江正路の居合の暇乞三本を書き加えた様に思います。
 その暇乞三本と英信流目録秘訣の仕物を言い付けられた時何が何でも首を取って帰らなければならない使命を帯びて、相手の隙を伺い奇襲する先制攻撃がコラボしている様に思います。
 現代では、奥居合の暇乞は卑怯な奇襲戦法として演武会では演じてはならないとまで飛躍している場合があります。
 お辞儀の角度がいか様でも、敵が攻撃を仕掛けて来る事も有る筈で、それに応じる後の先の技は暇乞三本でもあり得ることです。拡大解釈すべきものでは無さそうです。
白石元一長谷川流奥居合
 暇乞という業名は見当たりません。業手付から類推します。
 長谷川流奥居合の二十本目抜打
 (互に挨拶をして未だ終らざるに抜き打ちに斬る意)正面に対して正座し抜刀の用意をなしたる後、両手をつきて坐礼を行い頭を上げつゝ刀を抜き上体が起き終るまで已に敵を抜き打ちに斬りつく。
 この手附は互に挨拶をし、相手が起き上がる前に抜き打てと言っている様です。これは将に先制攻撃です。
尾形郷一神傳流居合兵法
 英信流奥居合之部ニ十本目抜打
(対坐して居る者を斬る)正面に向い対座し、刀を鞘なり前腹へ抱へ込む様に横たへ両手を前につかへ 頭を下げ礼をして俯きたるまま両手引込め鯉口と柄を執り 急に腰を伸しつつ刀を右前へ引抜き刀尖を左後へ突込み 諸手上段に引冠りて斬込む 
 「刀を鞘なり前腹へ抱へ込む様に横たへ両手を前につかへ」を忠実にやれば「両手を前につかへ」の解釈、手をつかえ(支・閊・痞)によって前屈みになって両手を床に着くと解釈できます。白石元一居合と同様でしょう。
大江正路剣道手ほどき 
 奥居合十九本目暇乞(黙礼)
 両手を膝上に置き黙礼し、右手柄に掛るや刀を斜に抜き付け上段にて斬る
 奥居合二十本目暇乞(頭を下げ礼をする)
 両手を板の間に付け、頭を板の間近く下し礼をなし、両手を鞘と柄に同一に掛け直ちに上に抜き上段となり前面を斬る
 奥居合二十一本目暇乞(中に頭を下、右同様に斬る)
 両手を膝上に置き黙礼より稍や低く頭を下げて礼をなし、右手を柄に掛け刀を斜に抜き上段にて斬る。
 大江正路の暇乞は後の先とも先とも不明ですがこの文章では、お辞儀をしつつ不意打ちの先制攻撃の色が濃そうです。
 大江正路の剣道手ほどき大森流居合の十一本目抜打を見てみましょう。
 「対坐にて前の敵を斬る心組にて其正座の儘刀を前より頭上に抜き、上段に冠り、身体を前に少しく出し、前面の頭上を斬る」
 是では正座の部の抜打ちも不意打ちの雰囲気です。古伝の「坐して居る所を向うより切て懸るを其のまゝ踏ん伸んで請流し打込み開いて納る 尤も請流に非ず此所筆に及ばず」は何処に行ってしまったのでしょう。
 この一方的な抜打は白石居合にも尾形居合にも同様と云う事は、細川義昌に伝えた下村派第十四代下村茂市定の教えであったと思われます。
 当然の事で下村茂市定を師匠とした吉宗貞義を師とする曽田虎彦にも通ずるものかも知れません。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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2018年4月 7日 (土)

無双直伝英信流の型 福井聖山先生の看取り稽古の3絶妙剣の2

無双直伝英信流の型
福井聖山先生の看取り稽古の3絶妙剣の2
参考資料
福井虎雄聖山著平成3年1993年無雙直伝英信流之形
福井虎雄聖山昭和57年1982年太刀打之位ビデオ
ある地区の演武会のビデオ平成21年2009年・平成26年2014年
その他
 教本
「拳取を終了し、打太刀、仕太刀共元の位置に復しつつ双方中段となり互に五歩後退す。
 打太刀・仕太刀共、足を踏みかえて左足を前に出し八相に構ゆ。」
 福井先生の仕も打も五歩左足から右・左・右・左と歩み足で戻り、左足を右足と踏み替え八相に構えています。踏み替えは左足が右足よりやや前になって踏み変えています。
打は右足が退かれ過ぎて見えます。此処は元の正眼の構えの位置に体軸がある様に心がけるべきで、間合いを少しも変えない心持ちを持ちたいものです。
 八相の構えは、竹刀剣道の八相ですから、河野先生の大日本居合道図譜に依る構えでしょう。「刀を立てて右肩に引付け右拳は肩の高さに鍔が口の右に一拳隔して、右足を退きて構ゆ」
 この八相は一刀流の八相の構えであり竹刀剣道の日本剣道形太刀の形四本目にある八相の構えでしょう。
「諸手左上段の構えから、そのまま右拳を右肩のあたりまで下ろした形で、刀をとる位置は、鍔を口の高さにし、口からほぼ拳一つ離す。構えるときは、左足を踏み出し、刀を中段から大きく諸手左上段に振りかぶる気持ちで構える。刃先は相手に向ける。」(全解日本剣道形より)
 一刀流極意(笹森順造)によれば八相は「陰の構から右拳を右肩の高さにあげ、切先を後ろに高く太刀を45度に上げて構える。」
陰の構えとは「正眼から左足を前に出し、体は右斜向きとなり、太刀を両手にて右斜前に垂直に立て、刃方を右斜前に向け、右手にて柄の鞘下を持ち、傘さしたように左手柄頭に添え、左前腕を水平に構える。」
 第17代大江先生は「打太刀は其まゝにて左足を出して體を斜向きに八相となり、仕太刀は青眼より左足を出して八相となる」と言って八相の形の解説は有りません。然し「仕太刀は八相のまゝ右足より五歩交互に進み出て、同體にて右足を踏出して、右面(左面の誤植)を斬る」と有りますから八相のまゝ右面に斬り込んでいる事になります。
 剣道形の八相は少し窮屈な感じですから打込む時は上段に振り冠ってから打ち込む様に指導されていますが、八相のまゝ切り込むには右手の高さを右こめかみ辺りまで上げ左拳が口元の高さで柄頭が相手の中心線を攻め、刃は前、切先45度上にある方が斬込みやすいものです。 
 但し八相の構えからの斬込みは、現代の無双直伝英信流の様な切先を背中に下げる様にして手打ちで打ち込む事をやって来た者には、大上段と同様に斬撃力が物打ちに伝えられません。体の使い方からも直さなければならないのです。
 「双方左足より前進し、間に至るや打太刀は上段となり、右足を踏込みて仕太刀の左面に斬り込むを、仕太刀機先を制して上段から右足を踏込みて打太刀の左面に斬り込み相打となり、物打ちの刃部にて刀を合わす。」
 教本は、八相の構えの侭、左足から出て間に至るや上段となり、右足を踏み込んで左面の斬り合いです。
 福井先生のビデオも教本の様に左足から双方左面の打ち合いで互いの距離の中央で合刀しています。
 福井先生の突っ込みが早いと見えて、物打刃部より仕は刃中、打は三分の一で刃を合わせています。
 切先の止まった位置から軌道を描くと、切先は双方相手に届いていません。打は受太刀となっていますが届いてこない仕の刀など請けても仕方がないのですが、申し合わせなのでしょう。
 拳取終了時、双方中段に取り、後足の左足から五歩下がったわけで、四歩目に右足を踏み込んでも相手に当たるかどうかでしょう。
 其の上、左・右・左と双方歩み寄って此の三歩目で一旦止まり睨み合いをして、右足を踏出しつつ上段に振り冠って打ち下すや右足が地に着くのです。
 にらみ合いの為の出足がやや短くなりやすい分と、五歩で戻った距離を前進だから四歩で間に合うとは言えないでしょう。元々、切先を合わせ中段に構えた時の右足の位置が間境なのです。双方踏み込むとしても半歩分距離不足です。一歩目を大きく出るか、途中で盗み足が必要です。
 刀同士が届けばいい、位のことで良いならそれだけです。教本に無い三歩目でのにらみ合いはビデオに残されたものですが必要事項ならば教本に追記の必要性があるでしょう。
 ビデオが昭和57年、教本が平成3年ですからその間に修正されたとしておきましょう。ビデオによって真似をするなという教訓の一つです。
 或る地区の平成21年の演武会でのビデオを看取り稽古します。
 拳取の相青眼からの退き足は左足から交互に五歩ですが、歩幅は平常の後向きでの足幅ですから狭い足幅使いです。進む足は稍々広くなったのでしょう、それは歩むと言うより速足ですから歩幅が大きくなるのでしょう。三歩目は左足を踏み出し一瞬止まって上段に振り冠って右足を踏込み、左面相打です。
 この演武された方の指導で一刀目を真向打としたというのならば、バッテンによるこの時のビデオの合刀は何でしょう。真向打ちが出来ないのでしょうか。
 恐らくこの頃は福井先生の教本か指導通り左面への斬り込みだったのでしょう。その後3年位で変えて行ったと思われます。
 もう一つ、教本の要求事項である「物打の刃部で刀を合わす」が出来ていません刀身の半ばで受けています。半ばも物打と云った人もいますが扨?。
 物打刃部で刀を合わすと間が遠くなり切先は相手に届かない、又は不必要に高く振り上げる必要が有りそうです。
 もう一つ平成24年の同地区の演武会でのビデオで看取り稽古して見ます。
 同じ教本の要求事項です。双方左足・右足・左足と相進み三歩目で一旦睨み合い、右足を踏み込みつつ上段に振り冠って真向打ちしています。双方の間合いの真中で刀身の三分の一ほど鍔寄りで鎬を合わせている様に見えます。
 この方達によって真向打ちとしたのかも知れません。
 第17代大江先生・21代河野先生・21代福井先生が教本で絶妙剣の一刀目は「左面」と明示されているわけですから変えた理由を明確にされるべきでしょう。
 古伝太刀打之事「請入」がこの絶妙剣の元の業です。
 「前の如く打合う相手八相に打を前の如くに留又相手より真甲を打を躰を右へ開きひじを切先にて留勝」です。
 一刀目は双方高山か八相のいずれでも良く、ですから真向もあり得るとも言えます。但し八相に構えた場合は八相による左面が妥当です。
 ある地区の絶妙剣の一刀目を真向へ斬り込むことを将来も残すならば、なぜそうしたのかを明確にして置くべきでしょう。
 絶妙剣の続きは次回に譲ります。
 
 
 
 
 

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曽田本その1の4居合根元之巻読み解く6小藤亀江伝来の目録8

曽田本その1
4.居合根元之巻読み解く
、小藤亀江伝来の目録
無雙直伝英信流居合目録
  
極意之大事   
暇乞・獅子洞入・地獄捜・野中幕
逢意時雨・火村風・鉄石・遠方近所
外之剱・釣瓶返・智羅離風車

居合心持肝要之大事
1.捕手和合居合心持之大事
1.立合心之大事
1.太刀目附事
1.野中之幕之大事
1.夜之太刀之大事
1.閨之大事
1.潜り之大事 戸脇之事
1.獅子之洞出之事
1.獅子之洞入之事
右九ヶ条者深秘之極意也非真実之人者努々不可有相伝者也

無双直伝英信流居合就多年御熱心太刀次悉令相伝□向後嗜専要候若御所望之仁於有之者兼而其之人之取罰文御指南尤可仍許免之状如件

明治三十四年六月十五日  
           谷村樵夫自庸
小藤亀江殿
 
読み解く
 曽田虎彦先生の実兄小藤亀江が谷村樵夫自庸より伝授された居合根元之巻に付随する無双直伝英信流居合目録を読み解いてきました。
 免許状の形式は大凡このようにその流の始祖による流を起こした謂れ、その奥義と云える教え、それを行うに当たっての心構えなどの様です。
 伝えた業目録は目録のみで業名が記載されているばかりです。土佐の居合も其の形式に依っています。
 従って、目録を見てもどの様に伝授されたのかはわかりません。中には目録一部で流の最も基本とする奥義の業のみ伝授され他は独習せよとばかりのものもあろうかと思います。
 目録允可は根元之巻とは異なり、「業を教えたよ」というものに過ぎません。中には初伝・中伝・奥伝と分けて居る場合もありますが、それは其処までの伝授の証しでもあり、中には金目当ての巻物に過ぎないものもあったでしょう。根元之巻は「奥義の心を伝えたよ」というものです。これは免許皆伝ですから流の業技法も心得も伝えたものですから師範として道場を開く事を許されたと言えるでしょう。
 流の宗家として立つには紹統印可を現宗家から印可されるもので、根元之巻を師匠から伝授されたとて自称宗家を名乗るべきでは無くその乱立は疑うべきもので、自らが見直すべきでしょう。
 いくつかに分けて小藤亀江伝来の無双直伝英信流居合目録を解説して見たいと思います。
 参考とするものは、英信流目録秘訣しか見当たりません。
 既に発行されているものでは昭和30年1955年発行の第20代宗家河野百錬の無双直伝英信流居合兵法叢書第二編居合兵法極意秘訣第四章英信流居合目録秘訣P61。
 もう一つは昭和57年1982年発行夢想神傳流の木村永寿範士による林崎抜刀術兵法夢想神傳重信流伝書集及び業手付解説の英信流居合目録秘訣P69。
 木村永寿本は夢想神傳流を正当化する事に気を遣いすぎ、林崎甚助重信から伝わり、長谷川主税助英信が時代に合わせて改変し、荒井勢哲清信から伝授され土佐の林六太夫守政が土佐にもたらした無双神傳英信流居合兵法であることをぼやけさせています。
 其の表題によってせっかくの細川家伝来の資料集が無双直伝流を学ぶ者にも伝わらず絶版になっているのは残念です。
 河野本は内容は曽田虎彦からの手書きの伝書集から版を起されていますが、何せ版数も少なく高価で、発行時期も早すぎたためでありましょう、限られた人にしか渡っておらず、其の侭書庫に埃を冠って居るか遺族が破棄したか古本としても市場に出てきません。
 図書館でコピーするか再版を待つばかりです。先師から譲られてお読みの先生は少なかろうと思います。
 日本の国語教育の貧困さからページを開いても読みこなせない若者ばかりで宝の山はいずれ消えてしまうでしょう。
 居合を学ぶ者は国語も学ばなければならない、同時に戦国期から江戸期の日本人の思想や体の使い方も学び、新陰流と兵法家伝書・武蔵の五輪書・一刀流極意なども勉強せざるを得ないでしょう。
 武術はその師の域に達しなければ、指導された意味も術も理解できないものです。形は真似られても術にはならないのが古流だろうと頭も尻も叩かれています。当然伝書を書かれた先人の域に達せられなければ其の内容は理解不能でしょう。
 よく、伝書は、流の極意技を知られない様に書かれているなどの聞き覚えをさせられます。 私はそんな事では無く其の域に達していなければ唯の巻物で口にくわえて呪文でも唱える以外にないものと思っています。
 余談が長すぎました。次回は極意の大事に入ります。
 
 

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2018年4月 6日 (金)

無双直伝英信流の型 福井聖山先生の看取り稽古の3絶妙剣の1

無双直伝英信流の型
福井聖山先生の看取り稽古の3絶妙剣の1
参考資料
福井聖山著平成3年1993年無雙直伝英信流之形
福井虎雄聖山太刀打之位ビデオ他
大江正路・堀田捨次郎共著大正7年1918年剣道手ほどき
 打太刀・仕太刀共、足を踏みかえて左足を前に出し八相に構ゆ。
 双方左足より前進し、間に至るや打太刀は上段となり、右足を踏込みて仕太刀の左面に斬込むを、仕太刀機先を制して上段から右足を踏込みて打太刀の左面に斬込み相打となり、物打の刃部にて刃を合わす。
 打太刀は、仕太刀の気に圧せられて右足を退かんとするを仕太刀之に乗じて左足を踏込み打太刀の右面に斬込む。
 打太刀は右足を退き、上段より仕太刀の太刀を受ける。(斬込む様な要領で
 打太刀は、左足を退きて仕太刀の真向を斬下さんとして上段となるを、仕太刀すかさず右足を右前方(打太刀の左斜側方)に踏込み、左足を大きくその後方に送るや上段より打太刀の左腕上膊部に下より掬い上げるように斬込みて勝つ。
註1、左腕より頭部諸共、斬放つ意なり。
註2、仕太刀は、右肩にて敵に附入るように十分手を伸して上体を右前に乗だす
 次に、互に中段となりつつ仕太刀は左足より元の位置にかえり、打太刀は三歩出で仕太刀は三歩退きて中央にかえり、双方五歩後退す。(納刀せず)
 福井先生の教本は概ね河野先生の教本(大日本居合道図譜)と同じです。大江先生の教本との違いは、「仕太刀機先を制して・・相打」という何とも不明瞭な表現を河野先生が用いていますのでその引用です。どの様に打は仕を導けるでしょうか。心持ちでは意味なしです。
 大江先生は「仕太刀は八相のまま右足より五歩交互に進み出て、同體にて右足を踏み出して右面を斬る打太刀は八相より左足を引きて仕太刀の太刀と打合す、仕太刀は左足を出し打太刀は右足を引きて、前の如く打合せ、打太刀は左足を引きて上段構となりて斬撃の意を示す、之と同時に仕太刀は右足を出して體を右半身とし、中腰となりて、左手甲を斬る・・」
 仕は八相の構えのまま進み、八相から打の右面(左面の誤植)に斬り付け、打は八相のまま左足を引いて打ち合わせています。
 福井先生は打が右足を踏込み、左面に斬り込んで来るので、仕も右足を踏み込んで八相から上段に冠って左面に斬り込み相打としています。
 ある地区の絶妙剣の一刀目の斬り付けは真向です。どこの誰が指定したのでしょう。双方真向斬り下ろしの意味が充分認識され出来る、でなければ意味なしです。
 演武を見ていてもほとんど真直ぐになど振り込めず十文字請けです。
 二刀目は、福井先生は仕が左足を踏み込んで上段から斬り込んで来るので、打は右足を退いて上段から斬り込む要領で之を受けています。この足踏みの動作は大江先生も同じですが一刀目の相打ちから、二刀目の振り冠が上段か逆八相かは指示されていません。右面に打ち込むので逆八相も良い稽古でしょう。
 三刀目は、大江先生は、打は右足を退いて上段、この上段は切先下がりか、切先上がりかですが斬撃の意を示すので切先上がりが妥当でしょう。
 仕は右足を出して半身になり、中腰で左手甲を大江先生は斬らせます。福井先生は右に筋を替って充分手を伸ばして掬い切りに左腕上膊部を斬ります。
 八相から上段に振り冠り八相に斬り下ろすのは、河野先生によるもので、昭和17年と云えば太平洋戦争です、時の大日本武徳会の竹刀剣道の指導方針に従ったのでしょう。八相の構えも竹刀剣道の定番です。
 大日本居合道図譜では「刀を立てて右肩に引き付け右拳は肩の高さ、鍔が口元の右に一拳隔して、右足を退きて構ゆ」
 この窮屈な八相の構えでは上段に振り冠ってから打ち込みたくなります。もっとおおらかに構えたいものです。
 八相からの無駄のない斬り込みを稽古したいものです。右手は右耳の高さで刀の重量をささえバランスし、左手は柄頭を握り、柄頭は相手の中心を捉える。刀の刃は相手の方に向き切先は45度位上を向く。
 大江先生の「左手甲を斬る」が福井先生の「左腕上膊部を下より掬い上げる様に斬り込む」と変わっていますが、河野先生の独創かも知れません。
 河野先生は古伝神傳流秘書を曽田先生から写しをもらっていますので参考にされたかもしれません。
 古伝の請入「前の如く打合相手八相に打を前の如くに留又相手より真甲を打を体を右へ開肘を切先にて留め勝」
 抜けだらけですがこれが大江先生の絶妙剣の原形です。
 次回は福井先生のビデオから看取り稽古をします。

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曽田本その1の4居合根元之巻読み解く6小藤亀江伝来の目録7

曽田本その1
4.居合根元之巻読み解く
6、小藤亀江伝来の目録
7.無雙直伝英信流居合目録
上意之大事3 
 10、鐺返・11、行違
 12、手之内・13、輪之内・14、十文字
読み解く
上意之物之大事の業名から次の伝書に相当する業名を拾い出してみます 
10、鐺返
古伝神傳流秘書抜刀心持之事 
 該当せず 
白石元一長谷川流奥居合 
 該当せず 
尾形郷一無双神傳抜刀術兵法 
 該当せず 
大江正路剣道手ほどき 
 該当せず
英信流居合目録秘訣(参考) 鐺返
 座して居る時後ろより小尻を取て押しあぐるときは刀を抜く事ならず此時相手のひざ頭を踏み其のきおいに向うへたおれてぬき突くべし
11、行違
古伝神傳流秘書抜刀心持之事 行違:  
 行違に左の脇に添えて払い捨冠って打込也
白石元一長谷川流奥居合 摺違:
 (歩行中摺れ違う際敵を斬る意)歩行中敵と摺れ違う一歩手前に於いて(左足にて鯉口を構へ右足をふみ出して)刀を抜き、左足を出すと同時に刀を左側に取る。此時右手は左肘の外に位置し、左手は鯉口を持ちたるまま右脇腹に取り左右の腕は交叉す。続いて右足を踏み出し摺れ違いざまに敵の胴を横に払い、直ちに振り返り右足を踏み出しと同時に、再び上段より斬り下ろす。
尾形郷一無双神傳抜刀術兵法 行違:
 (摺れ違いに左側の者を斬る)正面へ歩み往きつつ(右側を通り)鯉口を切り左足踏出しながら右手を柄に掛け、右足を踏出すなり刀を向うへ引抜き、左足踏出しつつ(刃部を外へ向け)左腕外へ突込み、更に右足踏出すと共に摺違いに刀を向うへ摺抜き(相手の左側を軽く斬り)直ぐ左斜に振返へりつつ諸手上段に振冠り右足踏込んで斬込み刀を開き納め終る。
大江正路剣道手ほどき 行違
 (進行中正面を柄頭にて打ち、後を斬り又前を斬る)右足の出出たる時、(敵顔面を柄頭にて)左手は鞘と鍔を拇指にて押へ、右手は柄を握りたるまゝ前方に伸し、柄當りをなし、其足踏みのまゝ体を左へ廻して、後方に向いつつ、抜き付右手にて斬り、直に前方の右へ振り向き上段に斬る。
英信流居合目録秘訣(参考) 行違
 我左脇を通す宜し切る事悪しと知るべし行違さまに抜て突事宜し又敵先に抜んとせば先んじて早く柄にて胸を突くべし行違の詞の掛様の事大事有、夜中に往来をするにうさんなる者の有時は自分の姓名を急に呼かくべし我に敵するものなればはいと答るもの也、其所を切るなり、旅抔にては白昼にも此心得有るべし又何んぞ言うを云かけて見るに我に敵する気ある者は必ず返答にあぐむもの也
12、手之内
・古伝神傳流秘書抜刀心持之事 
 該当せず 
白石元一長谷川流奥居合 
 該当せず 
尾形郷一無双神傳抜刀術兵法 
 該当せず 
大江正路剣道手ほどき 
 該当せず
英信流居合目録秘訣(参考)手之内
 敵と刀を打合はするに合刀せずと云事なし其合刀したる所にて敵の拳を押へて突くべし
13、輪之内
・古伝神傳流秘書抜刀心持之事 
 該当せず 
白石元一長谷川流奥居合 
 該当せず 
尾形郷一無双神傳抜刀術兵法 
 該当せず 
大江正路剣道手ほどき 
 該当せず
英信流居合目録秘訣(参考)輪之内
 敵と打合はするに輪にならずと云事なし上にて打合せ亦下にて合えばすぐに輪と成る竪横皆同じ其輪をはつして勝べし
14、十文字
・古伝神傳流秘書抜刀心持之事 
 該当せず 
白石元一長谷川流奥居合 
 該当せず 
尾形郷一無双神傳抜刀術兵法 
 該当せず 
大江正路剣道手ほどき 
 該当せず
英信流居合目録秘訣(参考)十文字
 敵と打合すれば輪と成り十の形となる互に打合せたる所は是十の形ち也其十の形になりたる所にて手を取れば勝也手の内輪の内十文字は別の事ならず皆一つに唱る事なり外の事にはあらず拳を取れと言事の教也
*
 大江正路の業名の引きあたった数が他よりも多く、業名だけならば英信流居合目録秘訣に近い様です。
 問題は手附の内容です。古伝神傳流秘書とも、細川義昌-植田平太郎-尾形郷一の手附ともずれています。これは何を意味するでしょう。
 当然英信流居合目録の内容とも合わないのです。大森流(正座の部)、英信流(立膝の部)は特に違和感は感じませんが、奥居合については疑問です。
 組太刀の改変と奥居合の改変には、江戸末期から明治の大きな変動が原因と思うのですが、私は明治維新前後に青春を迎え充分修練をすべき時期に、武士の職を解かれ生きるために誰もが居合処ではなかった、貴重な師からの指導が途絶え、目録ばかりが目に付いて中身の手附も口伝口授も看取り稽古も出来なかったのではないかと思います。
 
 そんな中で、大江正路は一人土佐の居合を独創したと云われながら必死で体系立てて守ったのかも知れません。現在の無双直伝英信流の隆盛を思えば中興の祖としてたたえるべき逸材とも思えます。
 しかし、唯神格化して崇めるばかりでは、林崎甚助重信の居合をしのぶばかりで実の無いものとなって、長谷川英信の改革を待たねばならなかった様に此の居合は消えてしまうでしょう。
 この時代居合を学ぶ者の行きつくところは、棒振りの運用上手になったとしても、業数をこなし得たとしても、大した意味はありそうにもない。
 武術を勝ち負けのスポーツとするも、健康体操とするも、華麗な踊りとするも、護身術とするもその課題を得られれば良いのでしょう。
 然し武術は互いのコミュニケーションの最後の手段でもあり、其処に至らせない心を、武術を修錬する中から学び直す時代であると思います。
 
 
 
 
 
 
 
 

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2018年4月 5日 (木)

無双直伝英信流の型 福井聖山先生の看取り稽古の2拳取の2

無双直伝英信流の型
福井聖山先生の看取り稽古の2拳取の2
参考資料は前回の通りですから省略します。
 
「・・・打太刀圧せられて退かんとするを仕太刀すかさず左足を打太刀の右足の斜右方に踏込み、右足を大きく後に体を右に披くや打太刀の右手首を左手にて上より逆に握り(中指は手首関節部に拇指は手の甲に)左下方に引きて打太刀の体勢を右に崩し、右手の自由を奪い、己の右手を腰部に把り、刃を外に向けて剣先を打太刀の胸部につくる(胸部を刺突する)・・」
 打太刀は仕太刀に圧せられて退かんとする、その機をとらえて仕はすかさず左足を打の右足の斜右方に踏み込むのです。
 福井先生のビデオでは双方相打ちにしか見えませんし、ある地区のビデオも相打ちにしか見えません、それは双方同時に抜き合わせ、互いの中間で刀を合わせてしまっているので、どちらが攻めか、守りかが見られないのです。
 教本は明解に「打太刀圧せられて退かんとする」と言っています。合刀を仕がグイと押して行けば打に伝わるので、押し返さずに出足を退こうとすれば、打の圧が消えますので仕はすかさず踏み込んだ、と言うのでしょう。
 そこで、最初の切り結びのありようが大切な処になる筈です。ここは相打ちでは無く、斬り込まれれば受け太刀となって後の先を取る覚悟でしょう。そこですかさず圧して行く。
 打の気勢を押さえ先制して、仕が斬り込んでいれば打が受け太刀となるので、打が間を外さんとすればその機をとらえる。
 いずれも仕が退かない姿勢が見えるべきものでしょう。抜き付けた際、上体を反らせたり、前に倒れたり、大股開きの抜打ちでは居着いて次が出にくくなるものです。しっかり姿勢を正し前に掛かる気が大切でしょう。
 膠着状況を破るのは、仕の仕掛けに依るべきものでしょうが、ここは打が仕を導く役割であるならば打が退かんとする機を起こすべきものです。剣先に其の機が伝わるものでしょう。
 この業の元は古伝神傳流秘書の太刀打之事二本目附入(附込)です。
「前の如く抜合せ相手後へ引かんとするを附入左の手にて拳を取る右の足なれども拳を取る時は左の足也」です。
 業名の「附入」事を教えるものでしょう。合刀した時、相手が間を外して体勢を整えるか次の業を繰り出すかの退く機をとらえて相手に附け込んで制する教えです。
 大江先生は之を拳取と改名されたので附け入る事がぼやけていますが、相手に密着すれば太刀は使えなくなります。
 福井先生の遠間での相打では、附け入るのは教本の様な「仕はすかさず打の右足の斜め右方に踏み込み・・」では不十分です。大江先生は「仕は、左足を打の右足の側面に踏込み、左手にて打の右手首を逆に持ち下へ下げる・・」で踏み込み足は相手の前足の側面です。仕の体は打に密着する程のものです。
 此処も福井先生のビデオですと、仕の踏込んだ左足は打の右足の右前一尺ほど離れています。附け入るとは言えません。寧ろ踏み込んで左手を伸ばして打の右手首を逆手に取るものです。手を伸ばすのではなく体を密着させて同時に打の手首を取るべきです。申し合わせですから打は手首を取りに来るのを待ってくれていますが、実戦では有り得ないものでしょう。
 手首を制する処で、教本の「・・仕すかさず左足を打の右足の斜右方に踏込み、右足を大きく後に体を右に披くや打の右手首を左手にて上より逆に握り左下方に引きて打の体勢を右に崩し・・」ですが、「仕は左足を踏み込み打の右手首を上より逆に握り、右足を大きく後に体を右に披くや、打の右手を左下方に引きて打之体勢を右に崩し・・」でしょう。ビデオも教本と違います。
 福井先生のビデオも、ある地区のビデオも仕の附け込む左足が不十分なため、打の右手首を逆手に取って、右足を後ろに踏み替え体を開く拍子に打の体勢を崩しています。打も申し合わせであるからでしょうか、なすが儘に、崩されています。
 仕は打の手首を取るや崩しませんと、打の右手はまだ自由に動きますから危険です。
 打の体勢を崩すにあたり、教本は「打の右手首を左手にて上より逆に握り左下方に引きて打の体勢を右に崩し・・」ですが、ビデオでは下方では無く、右横に崩している様に見えてしまいます。
 それは逆手に取って小手返しをする事に留意しているためで、それも力任せでやっている様にしか見えません。
 腕力の強い、手首の太い者との対戦では効果の薄いものになってしまうでしょう。無理やり打の小手を返えさず、仕は打の手首を握り手の甲に拇指を当て、下方に体重をのせて引けば相手は崩れてしまいます。其れには十分に附け入る事が条件です。
次回は絶妙剣です。
 
 

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曽田本その1の4居合根元之巻読み解く6小藤亀江伝来の目録6

曽田本その1
4.居合根元之巻読み解く
6、小藤亀江伝来の目録
6.無雙直伝英信流居合目録
上意之物之大事2  
 6、戸詰・7、戸脇・8、壁添・9、棚下
読み解く
上意之物之大事の業名から次の伝書に相当する業名を拾い出してみます
6、戸詰
・古伝神傳流秘書抜刀心持之事 
 該当せず
白石元一長谷川流奥居合  
 該当せず
尾形郷一無双神傳抜刀術兵法 
該当せず
大江江正路剣道手ほどき 戸詰:
 (右を斬り左を斬る)抜き付け、右の敵を右手にて切ると同時に右足を右斜に出す、其の右足を左斜横に踏み変へて上段にて左斜を真直に斬る。
英信流居合目録秘訣(参考)戸詰
 障子或は戸を明けかけて内へ入れと云て入る所を戸にて立詰んとするときは是を察して扇を敷居のみぞに入れ其扇のはしを膝にて敷然て内へ入るときはたて詰らるゝ事なし
7、戸脇
古伝神傳流秘書抜刀心持之事 
 該当せず
白石元一長谷川流奥居合 
 該当せず
尾形郷一無双神傳抜刀術兵法 
 該当せず
大江正路剣道手ほどき 戸脇:
 (左を突き右を切る)右足を右斜へ踏み出し、刀を抜き、左横を顧みながら突き、足踏みは其まゝにて上体を右横に振り向け、上段にて切り下す。
英信流居合目録秘訣(参考)戸脇
 戸の手前にて立って居てあれへ通れと云て入る所を切らんと心懸るならばつかつかと戸口を入躰に歩み行て柄にて胸を押しつけて而して引抜てつくべし 亦火急にて既に切かけられたる時は或は柄を以てはらいのち早わざをきかすべし 亦戸の内に人ありと思わば戸口を直ぐに入る事なく内に人の有る方に向て筋違て入るべし
8、壁添
・古伝神傳流秘書抜刀心持之事
 該当せず 
白石元一長谷川流奥居合 
 該当せず 
尾形郷一無双神傳抜刀術兵法 
 該当せず 
大江正路剣道手ほどき 壁添へ
 (進行中立留り両足を踏み揃へ上に抜き直下に斬下し竪立に刀を納む)中央に出で体を直立とし両足を揃え刀を上に抜き上段となりて趾先を立てて真直に刀尖を下として斬り下し、其体のまゝ刀尖を下としたるまま血拭い刀を竪立として納む。
(参考)古伝神傳流秘書抜刀心持之事 人中:
 足を揃えたって居る身にそえて上へ抜き手をのべて打込む納るも躰の中にて納る 
英信流居合目録秘訣(参考)壁添
 壁に限らず惣じて壁に添たる如くの不自由の所にて抜くには猶以腰を開きひねりて躰の内にて抜突くべし切らんとする故毎度壁に切あてかもいに切あてゝ仕損ずる也突くに越たる事なし就中身の振廻し不自由の所にては突く事肝要
9、棚下
・古伝神傳流秘書抜刀心持之事 棚下:
 大森流逆刀の如く立て上へ抜打込む時体をうつむき打込是は二階下様の上へ打込ぬ心得也
白石元一長谷川流奥居合 棚下:
 (低き棚の下又は天井床等の下にて前方に居る敵に対して行う意)左足を十分後方に伸ばしたるまま退きて上体を前方へ傾け(此時右足太股に上体を接す)刀を左側にて抜き、直ちに振り冠り上体を起こすことなく前方の敵を斬る。血振りを行いたる後左膝を床につけ、刀を納めるにつれて上体を起し同時に右足を引きつける。
尾形郷一無双神傳抜刀術兵法 棚下:
 (上の閊える所にて前の者を斬る)正面に向い居合膝に座し、例により鯉口を切り右手を柄に掛け体を前へ俯け腰を少し浮かせ左足を後へ退き伸ばし其膝頭をつかへ刀を背負う様に左膝頭上へ引抜き諸手を掛け前者へ斬込み、其のまま刀を右へ開き納めつつ体を引起し右脛を引付けるなり左踵上へ臀部を下し納め終る。
大江正路剣道手ほどき 棚下
 (頭を下げて斬る)座したる処より頭を前方へ下げ稍や腰を屈め右足を少し出しつつ刀を抜き、上体を上に起すと同時に上段となり右足を踏み込みて真直に切り下す。
英信流居合目録秘訣(参考) 棚下
 二階下天井の下抔に於いて仕合うには上へ切あてて毎度不覚を取物也故に打込む拍子に脺を突いて打込むべし此習を心得るときはすねをつかずとも上に当てざる心持ちあり

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2018年4月 4日 (水)

無双直伝英信流の型 福井聖山先生の看取り稽古の2拳取の1

無双直伝英信流の型
福井聖山先生の看取り稽古の2拳取の1
参考資料
福井虎雄聖山著平成3年1993年無雙直伝英信流之形
福井虎雄聖山先生の昭和57年1982年のビデオ
以下出合と同様にて略す。
 出合の要領にて虎走で前進し、同じく膝の所にて斬結ぶ。打太刀圧せられて退かんとするを仕太刀すかさず左足を打太刀の右足の斜め右方に踏込み、右足を大きく後に体を右に披くや打太刀の右手首を左手にて上より逆に握り(中指は手首関節部に拇指は手の甲に)左下方に引きて打太刀の体勢を右に崩し、右手の自由を奪い、己の右手を腰部に把り、刃を外に向けて剣先を打太刀のつくる。(胸部を刺突する)仕太刀、右足より右に元の位置に復しつつ双方中段となり互に五歩後退す。(納刀せず)
 この拳取は古伝神傳流秘書の太刀打之事附入(附込)の業名で存在します。
 「前の通り抜合せ相手後へ引かんとするを附入左の手にて拳を取る右の足なれども拳を取る時は左の足也」
 この業のポイントは拳を取る事よりも、敵と対戦して相打ちとなった場合、敵との間を開けずに敵に付け込んで制する事を学ばせようとしている事が「附入(附込)」の業名に顕わされている筈です。
 敵に附込んで体を接近させ、敵の刀を持つ拳を制して体を崩してしまえば勝負あったです。
 拳の取りようなど格別説いていません。
 左足を敵の右足の側面に踏込み左手で敵の刀を持つ右手を後ろ、又は下へ引き落してしまえば相手は体が崩れてしまいます。附込ではその程度でよいのです。
 居合膝に座して相対する詰合の二本目拳取と称する業があります。走り寄らず、坐シテ抜打ち拳を制してしまう業です。
 続いて三本目に岩浪という業があって、「拳取りの通り相手より拳を取りたる時我よりも前の如く取り我が太刀を放し右の手にて敵の肘の屈みを取り左脇へ引き倒す」というもので、太刀打之事では出合・附入と習い、詰合で発早・拳取・岩浪で一通りの抜き合いの相打を脱する術を学び、其処から更に勝ち口を見出す稽古法が江戸時代中期初めには組立てられていました。
 さて、この業を福井先生のビデオから教本の示す物を稽古して見ます。
 「双方膝の所にて斬結ぶ」は前回と全く同じ様な動作ですから、福井先生の動作は福井流の癖になっているのでしょう。双方刀は相手に届かない斬り付けによる合刀です。
 ある地区の十段の動作も2009年平成21年の演武会の特別演武のビデオですと同様に右足を踏出し刀を抜き始め、右足を更に踏み込み抜き突けて相打ちです。
 本来は左足前で間境を踏み、刀を抜き始め相手との間合いを計って右足を踏み込んで抜き付けるもので、指導者の演武としては批判されても仕方のないものです。
 ある地区の2013年平成25年の演武会のビデオを見ています。前の演武者の足運びのおかしい処も直され、左足で間境に達し刀を抜初め右足を踏み込み抜き付けて双方相打ち、間も近くなって双方の切先は相手の脛に届き、切り結んだ位置は膝の高さです。
 敢えて言えば、双方同時に刀に手を掛け走り寄り、同時に抜き始め、同時に斬り付けてしまい、其処には出合の要領である「間合に接するや打太刀は仕太刀の脛に斬込むを仕太刀機先を制して同様に斬付け膝の所にて刃を合わす」の打の仕掛けに仕が応ずる雰囲気が全く見られない。
 これは教本の曖昧な文章によるものと思われます。古伝の様に「相懸りにかゝり相手より下へ抜付るを抜合わせ留て・・」の様に打が斬り込んで来るので、仕は虎一足の様に留める心持が必要でしょう。
 この形の創作者である第17代大江正路先生もここは「・・右足を出したるとき、膝の処にて打は請、仕は抜打にて刃を合す・・」と古伝とは逆ですが明解です。
 無双直伝英信流の居合の業には、脛に斬り付けられた時の業が、正座の部八重垣・立膝の部虎一足・奥居合居業の脛囲と三本もあるのですから双方の中間で相打ちでは気勢も伝わって来ません。
 教本の次は「打太刀圧せられて退かんとするを仕太刀すかさず左足を打太刀の右足の斜め右方に踏込み、右足を大きく後ろに体を右に披くや打太刀の右手首を上より握り・・」になります。次回にここを稽古して見ます。
 
 
 

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曽田本その1の4居合根元之巻読み解く6小藤亀江伝来の目録5

曽田本その1
4.居合根元之巻読み解く
6、小藤亀江伝来の目録
.無雙直伝英信流居合目録
上意之物之大事1  
 1、虎走・2、両詰・3、三角・4、四角・5、門入
読み解く
上意之物之大事の業名から次の伝書に相当する業名を拾い出してみます
1、虎走
・古伝神傳流秘書抜刀心持之事 虎走:
 居合膝に坐して居立って向へ腰をかがめつかつかと行 抜口の外へ見へぬ様に抜付打込納 又右の通り腰をかがめ後へ引抜付打込也
・白石元一長谷川流奥居合 虎走:
 (暗夜前方の敵に対して行う)姿勢を低くして(前方をすかし見る心)数歩小足にて走り行き左膝をつき 右足を踏み出すと同時に「横雲」と同様斬りつけ、血振り、納刀し(此の時臀は踵に付けない)終るや、再び敵前方より来るに依り起ちて一足となり中腰の儘後方に小走りにて数歩退き、右膝をたて左足を退きて膝をつくと同時に横一文字に斬り付く。
・尾形郷一無双神傳抜刀術兵法 虎走: 
 (次の間に居る者を斬り退る処へ追掛け来る者を斬る)左手を鯉口に、右手を柄に執り抱へ込む様にして立上り、上体を俯け前方へ 小走に馳せ行き腰を伸すなり右足踏込んで(対手の右側面へ)抜付け、左膝を右足横へ跪きつつ、諸手上段に引冠り、更に右足踏込んで斬込み、刀を開き納めたるまま立上り、又刀を抱へ込む様に前へ俯き小走に退り腰伸すと同時に、左足を一歩後へ退き、追掛け来るへ(右側面へ)大きく抜付け、又左膝を右足横へ跪きつつ諸手上段に引冠り右足踏込んで斬込む。
・大江正路剣道手ほどき 虎走り:
 (中腰となり、走り抜斬又後ざりして抜斬る)座したる処より柄に手を掛け、稍や腰を屈め、小走りにて数歩進み出で、右足の踏み出したる時抜き付け、同体にて坐して斬る(血拭ひ刀を納むるや)刀を納めて二三寸残りし時屈めたる姿勢にて、数歩退り左足を退きたる時中腰にて抜付け上段となり座して斬る。
・英信流居合目録秘訣(参考) 虎走:
 仕物抔云付られたる時は殊に此心得入用也其外とても此心得肝要也敵二間も三間も隔てて座して居る時は直に切事能わず其上同座し人々居並ぶ時は色に見せては仕損る也
 さわらぬ躰に向へつかつかと腰をかがめ歩行内に抜口の外へ見えぬ様に体の内にて刀を逆さまに抜きつくべし虎の一足の事の如しと知るべし大事とする所は歩みにありはこび滞り無く取合する事不能の位と知るべし
2、両詰
・古伝神傳流秘書抜刀心持之事 両詰:
 右腋へ抜打に切り付け左を斬る 抜て片手にて左脇を突き直に振向いて右腋を切る
・白石元一長谷川流奥居合 両詰:
 (左右の敵に対して行う)右足を稍右横に踏み出して右方に抜刀し、前後詰と同様刀背を胸部に接し左方の敵を刺したる後、右方に向きをかへ右足を出して上段より斬り下ろす。
・尾形郷一無双神傳抜刀術兵法 両詰:
 (左右に坐して居る者を斬る)右手を柄に掛けるなり、腰を伸し(右へ掛かると見せて)右足を少し右へ踏出し其方向へ刀を引抜き咄嗟に左へ振向き(右片手にて)左側の者の胸部を突き直ぐ右へ振返りつつ諸手上段に引冠り右側の者へ斬込む。
・大江正路剣道手ほどき 両詰:
 (抜放け諸手にて真向を突き斬る)座したる処より右足を少し出して、刀を抜き、柄元を臍下に当て、右足を踏み出して、前方を諸手にて突き、其姿勢のまゝ、上段にて前面を真向に斬る。
・英信流居合目録秘訣(参考) 両詰:
 是又仕物抔言付けられ又は乱世の時分などにわ使者などに行左右より詰かけられたる事間々之有る也ケ様の時の心得也尤外とても入用也、左右に詰かけられたる時一人宛て切らんとするときはおくれを取るなり故に抜や否や左わきの者を切先にて突すぐに右を切るべし其のざ惟手早きに有り、亦右腋の者に抜手を留らるべきと思う時は右を片手打に切り直に左を切るべし。
3、三角
・古伝神傳流秘書抜刀心持之事 三角:
 抜て身を添え右廻りに後へ振り廻りて打込也
・白石元一長谷川流奥居合 三角:
 (前右後の三方の敵に対して行う)右足を出すと同時に刀を抜き、右足を引きつけると同時に後方の敵を刺す。(この時左手は鞘口を握りたるまゝ右横腹の所に取り、右手は左側肘の上より後方の敵を刺す、両腕は交叉する如くし)更に右足先を軸として左足も従って後方に退き乍ら百八十度右方より廻り、前右後方の三人を一時に薙ぎ斬りたる後、(此時正面に向き左手は鐺が背に接する如く左方に十分開く)刀を振り冠り左膝を右足踝の所に引きつけてつき、右足を踏み出すと同時に上段より斬り下ろす。
・尾形郷一無双神傳抜刀術兵法 三角:
 (前右後の三人を斬る)正面より(左廻りに)後向き居合膝に座し、例により鯉口を切り右手を柄に掛け、前に掛かると見せて右足を摺り出し腰を伸ばし刀を引抜くなり、右足を左足に引きよせるなり刃部を外へ向け左腕外へ深く突込み、立上りつつ右へくるりと廻りながら前、右、後の三人を軽く斬り、正面へ向く、同時に左膝を跪きつつ諸手上段に引冠り右足踏込んで斬り込む。
・大江正路剣道手ほどき 三角
 該当せず
・英信流居合目録秘訣(参考)三角
 三人並び居る所を切る心得也ヶ様のときはふかぶかと勝んとする故におくれを取る也、居合の大事は浅く勝事肝要也、三人並居る所を抜打に紋所のあたりを切先はづれにはろうときはビクとするなり其所を仕留る也三人を一人ずつ切らんと思う心得なれば必仕損ずる也一度に払うて其おくれに付込で勝べし。
、四角
・古伝神傳流秘書抜刀心持之事 四角:
 抜左の後の角を突き右の後の角を切右の向を請流し左の向を切又右の向を切る也
・白石元一長谷川流奥居合 四角:
 (四隅四人の敵に対して行う)右前角の敵に斬りつくる如く気勢を見せ乍ら右足を出して刀を抜き終るや左後方の敵を刺し返す刀を以て(左方より冠り)右後方の敵を斬り(左膝にてまわる)尚刀を返さんとするや(右方より冠る)、右角の敵我に対し斬りかかるを受け流し、左前角の敵をきり続いて左方より冠り右前角の敵を斬る。
・尾形郷一無双神傳抜刀術兵法 四角:
 (四隅に居る者を斬る)正面に向い居合膝に座し、例により鯉口を切り右手を柄に掛け腰を伸し右膝をたてつつ(右前へ掛かると見せ)刀を其方向へ引抜き、咄嗟に左膝頭で(左廻りに)後斜へ廻り向き左後隅の者を(右片手にて)突き、直ぐ右へくるりと廻りつつ諸手上段に引冠り右後隅の者へ斬込み、直ぐ左へ廻りつつ刀を頭上へ振冠り(右前隅の者より斬込み来る太刀を受け流しながら)左前隅の者へ斬込み、直に再び右へ振向きつつ諸手上段に引冠り右前隅の者へ斬込む。
・大江正路剣道手ほどき 四方切:
 右足を右斜へ出し、刀を右斜に抜き、刀峯を胸の処に当て、刀を平として斜に左後を突き右側面の横に右足を踏み変え、上段にて切り、右足を左斜横に踏み変えて(請け返して打つ)上段となりて切り、右足を正面に踏み変えて、上段より切る。
英信流居合目録秘訣(参考)四角
 三角にかわる事無し是は前後左右に詰合う之心得也故に後ろへ迄まわって抜付る也
5、門入
・古伝神傳流秘書抜刀心持之事 門入
 該当せず
白石元一長谷川流奥居合 門入り
 該当せず
尾形郷一無双神傳抜刀術兵法 門入り
 該当せず
大江正路剣道手ほどき 門入:
 (進行中片手にて前を突き後を斬り前を斬る)右足を出したる時、刀を抜き、左足を出して、刀柄の握りを、腰に当て刀峯を胸に当て、右足を出して、右手を上に返し、刀刃を左外方に向け、敵の胸部を突き、其足踏みのまゝ体を左へ振り向け、後へ向き、上段にて斬り、直に右へ廻り前面に向き上段にて斬る。
英信流居合目録秘訣(参考) 門入:
 戸口に出入りするの心得也戸口に内に刀をふり上て待つを計知ときは刀の下緒のはしを左の手に取り刀を背てうつむきとどこおり無く走り込むべし我が胴中に切かくるや否や脇指を以抜つけに足をなぐべし
つづく
 

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2018年4月 3日 (火)

無双直伝英信流の型 福井聖山先生の看取稽古の1出合の2

無双直伝英信流居合の型
福井聖山先生の看取り稽古の1出合の2
参考資料
福井虎雄聖山著平成3年1993年無双直伝英信流之形
福井虎雄聖山無双直伝英信流の太刀打之位
福井虎雄聖山昭和57年1982年ビデオ
福井聖山先生の出合の攻防です。
 双方相手脛に抜き付けて、刀の刃で膝の高さ程の処で合刀になってしまいました。
教本から読み込んで見ましょう。
 「・・打太刀は、仕太刀に圧せられて後に退かんとするを、仕太刀すかさず之に乗じて踏込み、其の真向より敵刀諸共斬下して勝つ。
1、打太刀は左足より追足にて一歩退き剣先を右に刃を上に柄を左に出して刀を水平にし前額部を掩う。
2、仕太刀は左足を継足して諸手上段となり、右足を一歩踏込みて打太刀の真向に斬下す。・・」
 大江先生のこの部分です。
 「・・仕太刀は直ちに、右足左足と一歩摺り込みて上段より真面に打ち込む、打太刀は左足より右足と追足にて退き、刀を左斜めにして受ける・・」
 大江先生は、相打から仕が抜き打ちの時の踏込み足の右足から踏込み、左足を踏み込んで打の真面に打ち込んでいます。打は打ち込まれるので後足の左足を引き右足を追足裁きで退き、刀を斜めにして受けています。
 福井先生は、仕に圧せられて打が退こうとして、相打ちになった打の刀の圧が抜けるや、仕は抜き付けた時の体勢で右足に左足を引き付けぐっと打に圧を懸けていく、打は左足を引き、右足を追い足捌きで一歩退く、仕は此の気を外さず上段に振り冠って打の真向に斬り下す。
 さて、福井先生の演武はどうでしょう。ビデオを見てみます。
 相打ちとなるや、仕は左足を右足に引き付け上段に振り冠り、打の真向に斬り下ろす。打は、仕が上段に振り冠るまで切っ先を下げていて、打ち込んで来る際に左足を引き右足を追い足にしています。仕が一方的に振り冠るので、打の刀は元の相打ちの位置の儘でした。これでは申し合わせが無ければ打は仕に突き込む事も出来そうです。
ある地区のビデオを見てみましょう。
 2009年のものから、このビデオでは十段の先生が仕太刀です。まず相打ちですがこの先生は、足裁きが出来ていないので、虎走りで左足前で数歩駆け込んだのですが、刀を抜き込む際右足が前になってしまっています。抜き打ちに打の脛に斬り込むには踏み出した右足を更に踏み込んでいます。
 打は問題なく刀を合わせ相打ちです。当然間合いは近いものです。仕は一方的と思える状況で右足に左足を引き付け上段に振り冠っています。
 打は、何故か左足を右足に引き付けてから左足を退いて仕の打込みを左に柄、刀刃は上、水平に請けています。
 その際右足の追い足で退る足捌きは有りや無しやで無いでしょう。
 この、相打ちから打が左足を右足に引き付けた時、打の刀は切先を左にして振り被る様に引き上げられています、仕の切先も左(打の右)ですから、双方右足に左足を引き付け打ち込まんとするが、打は仕に圧せられて左足を引き受け太刀となったと云う事でしょう。
 この運剣は、ある地区に引き継がれていますが、福井先生の教本や教えとは異なるものでこの十段の先生の独創でしょう。福井先生の教えに従っている筈はありませんし、先代の河野先生とも、まして創作者の大江先生とも異なります。土佐の古伝とも異なる独特の動作です。
次に2014年のある地区のビデオを見てみます。
 双方抜き打ちの相打ちは、左足前で抜き込み、右足を踏み込んで抜き付けています。間が近いようですが刀は略膝の高さで刃を合わせています。
 次の動作は2009年の様に双方左足を踏み込み、切先を左に向けて、右手で顔前頭上に引き上げ左手を柄に掛けるや上段に振り冠り、仕太刀は一方的に打込みの体勢で右足を踏込み、打は是も柄を左に受け太刀の体勢になって左足を退き、仕が真向に打ち込んで来るや右足を追い足に退いて、顔前頭上に刃を上に、刀を水平に、柄を左に受けています。ある地区の出合はある地区独自のものであって、大江先生のものや福井先生のものとは言えません。
 状況次第で幾重にも変化してもおかしくないとはいえ、根本がずれては初心者に指導すべき「かたち」とは言えません。
 恐らく、大江先生の指導を受けられた先生方の出合も何処かおかしいものになっているかもしれません。
 古伝神傳流秘書の太刀打之事出合を読み直してみます。
「相懸りにかゝり相手より下へ抜付るを抜合せ留て打込相手請る右足也」ここから始まるのです。
 出合は、相懸りで虎一足の如く左足前で右足を追い足捌きで前進し、左足が間境に接するや、間を計りながら刀を抜き始め、打が先に斬り込むならば、仕は之に機先を制して相手刀が右足に当たる寸前で虎一足の様に受け留める。
 或は打が抜き始めるや、仕が機先を制して仕が斬り付けるのを打は仕の刀が右足に当たる寸前で受け留める。
 刀と刀を刃で打ち合わせることを目的とするような斬り合いは見ていておかしい。打ち込む時はこの一刀で仕留める事が大切で、遅れを取っても応じられる技の修得も此処では可能でしょう。
 打は何れにしても、仕に圧せられ一旦間を外して立て直さんと左足を退き、上段に振りかぶらんと右肩から上段に振りかぶり右足を追い足で退かんとする処、仕は右足に左足を引き付け、間を外させない様に左肩から上段に振りかぶり、右足を踏み込み打の真向に斬り下ろす。
 仕は受け太刀となっても攻め込んでいく気構えを養う場でもあり、斬り込んで受けられてしまった時にも、即座に右足に左足を引き付け圧していく修養でもある筈です。
 打は、体勢不十分で剣先を右にして顔面頭上でこれを受け留める。敢えて上体を後方に反らせる必要などない筈です。
 居合にしても組太刀にしても、その業から何を学び、何が出来る様になるかを指導しない限り、組太刀もただの武的演舞に過ぎないでしょう。 
次回は拳取です。
 
 
 
 
 
 
 

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第11・12回古伝研究の集い

土佐の居合 古伝神傳流秘書

 による古伝研究の集い

 第11回・12回古伝研究の集い

 古伝神傳流秘書を曽田虎彦先生の書き写された直筆本から読み解いて同じ思いの仲間を募って、その古伝研究をやってまいりました。

 今回は第11回目・12回目の御案内をいたします。

内容:古伝神傳流秘書による大剣取 古伝英信流目録による小太刀之位

講義とか実演では無く、参加していただき木刀及び小木刀を持って古伝の解釈及び形の稽古をご一緒にさせていただきます。 異なる伝承の方々と一つの教本から古伝研究を実施する中で、「私はこの『古伝』はこう解釈する」と自由な考え方から幾つもの疑問を解きほぐして見たいと思います。ご参加いただいた方が、師匠であるとご認識いただければ幸いです。

、期日

11回:平成30年4月12日(木)  
         
15時00分~19時00分
         
鎌倉体育館 格技室

12回:平成30年5月24日(木)

    13時00分~17時00分

    見田記念体育館 多目的

 

、住所:鎌倉体育館 
          
248-0014
         
神奈川県鎌倉市由比ガ浜2-9-9

          TEL0467-24-3553

 

    見田記念体育館 多目的室

       248-0014

      神奈川県鎌倉市由比ガ浜2-13-21

   TEL0467-24-1415


、アクセス:JR横須賀線・総武線快速
    
鎌倉駅東口下車海岸方向へ 徒歩10分
    
(駐車場鎌倉体育館にあり)

、費用:会場費等の割勘のみ(500円)

、参加の御連絡はこのブログへコメント
  
 していただくか直接ご来場ください。

、会名:湘南居合道研修会 鎌倉道場

御案内責任者: ミツヒラ

            平成30年4月3日

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曽田本その1の4居合根元之巻読み解く6小藤亀江伝来の目録4

曽田本その1
4.居合根元之巻読み解く
6、小藤亀江伝来の目録
4.無雙直伝英信流居合目録
外之物之大事  
 1、行連・2、連達・3、逐懸切・4、惣捲・5、雷電・霞
読み解く
外之物之大事の業名から次の伝書に相当する業名を拾い出してみます
1、行連
古伝神傳流秘書抜刀心持之事 行連
 立って歩み行内に抜て左を突き右を切る両詰と同事也
白石元一長谷川流奥居合 行連
 右側の敵を抜き打ちに右片手にて斬りつけ、直ちに刀を返し右方より振り冠り(左手 を添えて)右足を踏み出し左方の敵を斬る。
尾形郷一無双神傳抜刀術兵法 行連:
 左右の者を斬る、右へ振り向くなり、抜打ちに(右の者へ)斬付け直左へ振返りつつ諸手上段に振冠り右足踏込んで(左の者へ)斬込む。
大江正路剣道手ほどき 行連:
 進行中右に斬付け又左を斬る、左足を左横に踏み、上体を稍や左横に寄せ右足を右横に踏み出す時、中腰にて抜き付け、上段にて右を斬る、其足踏みのまま、左に体を返して、上段にて中腰にて斬る。
英信流居合目録秘訣(参考) 行連:
 右を片手打に左を諸手にて切る事も有り是は皆気のりにてする心持ち也、歩み行くうちに刀を抜我が左の方を突き其侭冠て右の方を切是は敵を左右につれたち行く時の事也或我を左右より取こめんとする時抔の事也
2、連達
・連達古伝神傳流秘書抜刀心持之事 連達:
 歩み行内前を右の拳にて突其侭に左廻りに振返り後を切り又前へ振向て打込也
白石元一長谷川流奥居合 連立:
 前後重なりて歩行中、右足を踏み出すと同時に前方の敵を抜き打ちに右片手にて斬りつけ、返す刀にて後方の敵を斬る。
尾形郷一無双神傳抜刀術兵法 連達:
 前後の者を斬る、右手を柄に掛けるなり抜打に(前の者へ)斬付け直ぐ(後の者へ)斬込む。
大江正路剣道手ほどき 連達:
 進行中左を突き右を斬る、右横へ右足を踏み、体を右に避け、刀を斜に抜き、左横を顧みながら刀を水平として左を突き、右へ体を変じて上段にて斬る。
逐懸切英信流居合目録秘訣(参考) 行連:
 右を片手打に左を諸手にて切る事も有り是は皆気のりにてする心持ち也、歩み行くうちに刀を抜我が左の方を突き其侭冠て右の方を切是は敵を左右につれたち行く時の事也或我を左右より取こめんとする時抔の事也
3、遂懸切
・古伝神傳流秘書抜刀心持之事 追懸切
 抜て向へ突付走り行其侭打込也
白石元一長谷川流奥居合 追掛:
 前方を行く敵を追い掛けて斬る、右足にて刀を抜き刀先を返し中段に構え小走りに追い掛け、左足を踏み出したる時振り冠り、右足を出すと同時に大きく真向より斬り下ろす。
尾形郷一無双神傳抜刀術兵法 追掛斬:
 刀尖を前に、柄頭を腹部に引き付け諸手となり小走に前方へ走り往きつつ上段に振冠り右足踏込んで斬込む。
・大江正路剣道手ほどき 
 該当せず
英信流居合目録秘訣(参考) 逐懸切:
 刀を抜我が左の眼に付け走り行て打込但敵の右の方に付くは悪しし急にふり廻り又ぬきはろをが故也
4、惣捲
・古伝神傳流秘書抜刀心持之事 
  業名該当せず 五方切が元であろう
 歩み行内抜て右の肩へ取り切又左より切又右より切又左より切段々に切下げ其侭上へ冠り打込む也
・白石元一長谷川流居合 
 業名該当せず 五方斬りであろう
 (前方の敵を五回に斬る意)右足を出すと同時に左側にて刀を大きく抜くや直ちに上段に取り、先づ右袈裟がけに斬り振り冠り続いて左袈裟掛けに切り、返す刀にて右より胴を払い腰を落として左より足を払い、再び立姿となり右方より上段に取り真向に斬り下ろす。
尾形郷一無双神傳抜刀術兵法
 業名該当せず 五方斬であろう
 (前方に立って居る者を斬る)鯉口を切り左足踏み出し右手を柄に掛け右足を踏み出す同時に刀を引抜刀尖を左後へ突き込み頭上より右肩へ執り対手の左袈裟に斬込み 其刀を右上より振返へし頭上より左肩に執り対手の右大袈裟に斬込み 又其刀を左上より振返し右腕外へ執り腰を低めて対手の左腰より横一文字に斬込み 甲手を返へして左腕外へ執り 更に腰を下げ対手の向脛を横に払い腰を伸しつつ諸手上段に振り冠り(真向幹竹割に)斬り下す。
大江正路剣道手ほどき 惣捲り:
 進行中面、肩、胴、腰を斬る、右足を少し出して、刀を抜き、其足を左足に引き寄せ、右手を頭上へ廻し、右肩上に取り、左手を掛け稍や中腰にて(右足より左足と追足にて)敵の左面を斬り、直に左肩上に刀を取り、追足にて敵の右片を斬り、再び右肩上段となりて、敵の左胴を斬り、再び左肩上段となり右足を踏み開き敵の右腰を目懸け刀を大きく廻し体を中腰となして敵の右腰を斬り、中腰のままにて上段より正面を斬る。(‥一連として早きを良しとす)
英信流居合目録秘訣(参考) 惣捲形十:
 竪横無尽に打振て敵をまくり切る也故に形十と有也常の稽古の格には抜打に切り夫より首肩腰脛と段々切り下げ又冠り打込也
霞:
 俗に撫斬りという、抜き付け、手を上に返して、左面水平に刀を打ち返す、直に上段となりて前面を斬る。
5、雷電・霞八相
・古伝神傳流秘書抜刀心持之事 見当たらず
白石元一長谷川流居合 見当たらず
・尾形郷一無双神傳抜刀術兵法 見当たらず
・大江正路剣道手ほどき 雷電見当たらず
 霞の業名あり、古伝の向払の業を霞と改めたのか、その必要も無いと思われるが理解できません。霞八相については知っていたのか疑問です。
霞:(俗に撫斬という)正面に座して抜き付け、手を上に返して、左側面水平に刀を打ち返す、直に上段となりて前面を斬る。
・英信流居合目録秘訣(参考) 雷電・霞八相:
 雷電霞の二ヶ条当流極秘中の秘にして大事この外に無 請流に心明らかにして敵の働きを見と云教有れ共当流には雷電の時の心亦霞ごしに見るが如くの心の所に大事の勝ある事を教る也 夢うつつの如くの所よりひらりと勝事有其勝事無疵に勝と思うべからず 我が身を先ず土壇となして後自然に勝有 其勝所は敵の拳也 委しき事は印可に有 八相は四方八方竪横自由自在の事也 故に常に事形の修練熟せされば時に臨て其習い出会う事無し 本文には教を広く云亦曰八相に打下ろす所にて大事の勝有則二星也
 小藤亀江の居合目録の手附がどのようなものだったかは判りません。然し英信流居合目録秘訣の外之物大事と業名もその順番もすっかり同じですから目録は英信流居合目録を参考に作成されたと思われます。
 曽田本とは別に、細川家に伝わる伝書にも英信流目録秘訣はあったはずです(木村永寿著 林崎抜刀術兵法夢想神傳重信流傳書集及び業手付解説P69)。
 細川義昌の道統とされる白石元一、尾形郷一両先生の行連・連立(連達)・追掛(追掛斬)はほぼ同じ手附ですが、古伝神傳流秘書とも英信流目録秘訣とも異なるものもあり、何処かで改変があったのでしょう。
 それにしても、大江正路の業名も業手附も、独創と言っていいのか疑問です。次回は上意之大事で同様の事をやってみます。古伝は何処かでねじ曲がって、バラバラになってそれぞれの道統を歩いている様です。
 雷電・霞などは現代居合では忘れられた剣術の心得でしょう。新陰流がチラつきます。
 
 

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2018年4月 2日 (月)

無双直伝英信流の型 福井聖山先生看取り稽古の1出合の1

無双直伝英信流の型
福井聖山先生看取り稽古の1出合の1
参考資料
福井虎雄聖山著平成3年1993年無雙直伝英信流之形
河野百錬著昭和17年1942年大日本居合道図譜
大江正路・堀田捨次郎共著大正7年1918年剣道手ほどき
古伝神傳流秘書太刀打之事
福井虎雄聖山による昭和57年11982年太刀打之位ビデオ
地区大会演武による平成21年2009年太刀打之位ビデオ
地区大会演武による平成25年2013年太刀打之位ビデオ
福井虎雄先生昭和58年1983年無雙直伝英信流居合道第2巻
 福井聖山先生のビデオによる出合を教本を見ながら稽古して、合わせて地区大会の演武を見てみます。
 福井先生の教本「上体を沈め、虎走の要領にて互に前進し、間合に接するや打太刀は仕太刀の脛に斬込むを仕太刀機先を制して同様に斬付け膝の所にて刃を合わす。」是は河野先生と同じです。
 大江先生は「双方體を前方少しく屈め、虎走りにて五尺の距離に出て、右足を出したるとき、膝の処にて打は請け、仕は抜打にて刃を合す。」創作された17代大江先生と21代福井先生の教本は双方虎走の要領で膝の処で刃を合わせていますが、大江先生は打が請太刀になっています。
 福井先生も、打が仕掛けたのですが仕がその機先を制して同様に打の「脛に斬り付け刃を合わす」と、仕が受太刀とも思えるのですが、機先を制して斬り込んでいますから打が受太刀となっているのでしょう。
 福井先生のビデオでは双方同時に仕掛けている様に見えます。従って膝の高さで刃を合わせた相打です。その上双方とも相手の脛に届かない遠間になってしまっています。
 平成9年の地区大会のビデオでは双方同時に柄懸りして虎走りして、同時に抜付けて相打ちです。刃の合う高さは膝上3寸ほどでしょう。
 平成21年の地区大会のビデオでも双方同時に柄懸りして虎走り、同時に抜付けていますが打が受太刀の体勢をとってから相打ちにしています。
 その刃の合う高さは膝上ほどの高さですから間が近すぎるのでしょう。間が近いのに切先は双方とも相手の脛に届いていないのです。受太刀の姿勢ばかりが気になっているとしか思えません。
 福井先生と大江先生では教本によれば受太刀となるのが、大江先生は打が受けると明確です。4代離れるとこんなものかも知れません。
 古伝神傳流秘書の太刀打之事「出合」では「相懸りにかゝり相手より下へ抜付るを抜合せ留て打込相手請る・・」ですから打が斬り込み仕が抜き合わせに受け留めて反撃するのです。仕は虎一足の要領で受け留めるのでしょう。
 教本の曖昧な表現が演舞にも表れる良い例でしょう。
参考に「虎走」の要領を福井先生の教本から稽古してみます。
 「・・中腰にて体を低くして立ち上がり前方に小走りにて追進み、間合に接するや右足を踏込み腰を伸ばして横一文字に斬り付け・・
1、・・追い進むときは、右足を少し前に出し後(左)足より進む。
2、追い進むときには恰も虎の獲物に向いて進む心持ちにて、足心を以って歩く心得のこと。」
 虎走よりもここは正座の部の「追風」を参考にした方が良さそうです。
 其れも22代池田聖昂先生の教本の、追風の詳細な足捌きと抜き付けが参考になります。
 追風と組太刀は別物と思うのは勝手ですが、池田聖昂先生の教本に随った方が、曖昧な部分が払しょくされて明解です。
(平成17年2005年無雙直伝英信流居合道解説第一巻より)
 追い進む初動は福井先生と同じですが
 「左手鍔、右手柄に掛けると共に、やや腰を沈め上体やや前傾し、右足を半歩程前に出すや否や、左足より進み出る。左足一歩踏出すや右足を連れ足捌きにて左足の土踏まずの処位まで引き寄せる。次いで再び左足より出で右足を同じく連れ足捌きにて左足に退き寄せる。この際、決して右足を左足より先に出さざる事。間合いに接する迄、此の足捌きにて小走りに実施する事肝要也。
 左足にて間合を計り取るや否や、瞬時 間をおき対敵を見定めながら刀を抜懸け、右足踏み込みて対敵の胸に左から右へ(我が方より観て)真一文字に斬り付ける。」
  此処で、ある地区の抜き付けた間合いの不十分さは、足裁きと、刀を抜き懸けるタイミングがいい加減な事によると思われます。
 左足で間境に達し、刀を抜き掛け、右足で間に踏み込んで抜き付けるのです。
 この際のポイントは間境の考え方に依ります。自分が相手に届く距離は相手も届く、然し双方同時であれば間が近くなりすぎるのでここでの間積りが重要なのです。
 機先を制して相手に斬り付ければ当然相手は同時に斬り込めば深く入ってしまう事になります。
 正座の部の八重垣の請け太刀の要領を使うべきものです。双方相打ちばかりに注意しているものでは無いでしょう。打の抜き付けんとするに機先を制して相手の右足脛に斬り付ければ、相手は右足を踏み込んでも受太刀になるべきものです。
 双方同時と思い込んで演ずるならば、動く相手の右足に目測をもって双方とも相手の右脛に抜き付けたが相手に届く前に双方の膝の高さの処で刃を合わせてしまった様に抜き付けるべきです。
 申し合わせで刀を合わせに行くような事ですと、間合いが近いにもかかわらず、刀は相手に届いていない位置で待受け合わせになってしまうのです。
 相手に抜かせて、後の先を取る稽古を重ねるか、間積りを正しく心得て双方同時に抜き打つかでしょう。教本を読みこなす能力も必要です。
 相手の出足の脛に斬りつけるならば、どの様な抜打ちをすべきかですが、まず柄頭は何処につけて間に接するのか、下への抜き付けなのに、柄頭が相手の胸であれば一旦上に抜いて手首を返して下へ抜き付ける、その抜き方がほとんどです。
 何処か変でしょう。横一線の抜き付けの角度が水平か上向きか下向きかの違いばかりの事です。
 もう一つは、走りだす際の腰を落としやや前屈みの形が出来ていない。腰を沈めるのは垂直に落すであって、腰を前にかがめる事ではない。前屈みは尻を突き上げるのでもない。
 現代剣術は足裁きと体重移動の方法が全く出来ていません。研究課題でしょう。
 次回は出合の2仕打の勝負どころです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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曽田本その1の4居合根元之巻読み解く6小藤亀江伝来の目録3

曽田本その1
4.居合根元之巻読み解く
6、小藤亀江伝来の目録
3.無雙直伝英信流居合目録
外之物之大事  
 行連・連達・逐懸切・惣捲・雷電・霞
 
上意之大事   
 虎走・両詰・三角・四角・門入・戸詰
 戸脇・壁添・棚下・鐺返・行違・手之内
 輪之内・十文字
読み解く
外之物之大事の業名から次の伝書に相当する業名を拾い出してみます
1、古伝神傳流秘書抜刀心持之事  
 行連・連達・逐懸切
2、白石元一長谷川流奥居合     
 行連・連立・追掛
3、尾形郷一無双神傳抜刀術兵法  
 行連・連達・追掛斬
4、大江正路剣道手ほどき
 行連・連達・惣捲り・霞
5、英信流居合目録秘訣(参考)
 行連・連達・逐懸切・惣捲形十・雷電・霞八相
上意之大事の業名から次の伝書に相当する業名を拾い出してみます。
1、古伝神傳流秘書抜刀心持之事  
 両詰・三角・四角・棚下・行違
2、白石元一長谷川流奥居合     
 両詰・三角・四角・棚下・虎走
3、尾形郷一無双神傳抜刀術兵法  
 両詰・三角・四角・棚下・虎走・行違
4、大江正路剣道手ほどき
 虎走り・両詰・四方切・門入・戸詰
 戸脇・壁添へ・棚下・行違
5、英信流居合目録秘訣(参考)
 虎走・両詰・三角・四角・門入・戸詰
 戸脇・壁添・棚下・鐺返・行違・手之内
 輪之内・十文字
 業名の対比では英信流居合目録秘訣に記載されている業名と、小藤亀江の目録の業名がぴったり一致します。
 次回は、それぞれの業名の一致したものを、英信流居合目録秘訣の業手附とそれぞれの業手附と並べてみます。
 
 

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2018年4月 1日 (日)

無双直伝英信流の型 大江正路先生の終禮

無双直伝英信流の型
大江正路先生の終禮
参考資料
大江正路堀田捨次郎共著大正7年1918年剣道手ほどき
 刀を納めたれば互に右足より出で、四尺の距離を取りて左足を右足に揃へ直立し、同體にて正座し、右手にて腰の刀を抜き、前に置き、板の間に両手をつきて禮を行ひ、更に刀を右手に持ち竪立とし左手に持ち換へ、左腰部に當て右手は右膝の上に乗せ、其まゝ右足より立ち左足を右足に揃へ、互に三歩退り直立となり神殿に向ひ禮を行ひ對向し三歩づゝ退り黙禮を行ひて左右に別る。(終り)
 大江先生の終礼ですが、七本目真方を終わり中央で青眼となって刀を合わせ、左足より双方五歩退いて元の位置に戻り、右足前、左足後ろのまま血振り納刀します。
 納刀後左足を右足に揃えるかどうかの記述は有りません。通常刀を納めて左足を右足に引き付け直立します。
 双方右足から歩み足で五歩進み、右足・左足・右足・左足・右足でしょう。四尺の距離を隔てて左足を右足に引き付け直立し、そのまま正座する。
 双方の距離が近いですから、体軸から前に2尺は開けて置きませんと、刀礼のさい双方の頭がぶつかります。
 四尺の間隔はギリギリですから目視の調節は必要です。刀礼を終って刀を右手で持ち両膝の前に立て左手に持ちかえ、左腰に当て右手は右膝の上に乗せ、右足を出して立ち上がり左足を右足に揃へ直立して向き合い、左足から三歩下がり直立して神殿に向い礼をする。再び向き合い黙礼して左右に別れる。
 何となく窮屈な終礼の気がします。続いて河野先生の終礼を稽古して見ます。
 中央で刀を合わせ互に五歩退き血振り納刀は同じです。
 終礼はすべて最初の作法に準じて、之より互に五尺の距離に進みて端坐、刀礼をなし静かに立ち上りて小足三歩退りて互に黙礼をなし次に神殿に向ひ最敬礼を行ひ末座に退りお互の礼をなして終る。
 大江先生は四尺の距離を取って正座します、河野先生は五尺の距離と言って一尺追加しています。これ位の間隔が窮屈にならずに良さそうです。
 福井先生の終礼は河野先生と同じです。
 大江正路先生の考案された無双直伝英信流の型七本を稽古してきました。たった百年足らずの間に大江先生の動作を小さな部分であっても改変してしまうのは何故なのでしょう。
 この流の節度の無さによるものかも知れません。それは第17代大江正路に由来するのかも知れませんが、正しく伝書が伝わらない土佐の島国根性に依るのかも知れません。
 或いは、道統が一子相伝では無かった為、責任感の薄いただの棒振り上手の者が根元之巻さえ伝授されれば俺が宗家という考え方にも由来するかもしれません。
 現代は、伝書は容易に読む事が出来る状態であり、宗家筋の演武も拝見出来る時代です。
 それでも、俺の業が一番とばかりに基本を崩す習性は続いているようです。
 基本の「かたち」による業技法は示された教本に随うのは当然です。個々の修行者が、己の業として幾重にも変化をさせた業技法を持つともそれは自由ですし当然研究すべきものでしょう。
 然し基本の手附にまでおのれの手を加えてしまうのはこの流の将来は無いものと同前でしょう。しかも何故先師の教えを変えたのかも明示しないなどひどすぎます。
 武術的にはなどと言う知ったかぶりの高段者や古参にも呆れてしまいます。
 次回はある地区の指導者が福井聖山先生の組太刀であると称するものを稽古して見ます。
 どの様に見ても福井先生の組太刀には見えないのです。ある地区に誰が何を手本に伝えてきたのかさえ良く判りません。
 すでに、福井先生の教本もビデオもこれから始める人達には手に入りません、口伝口授による看取り稽古だけが頼りなのです。
 福井先生の教本とビデオを元に、ある地区の口伝口授のみの教えを頼りに、そこの演武会でのビデオを合わせて勉強してみます。
 福井先生の教えを変えたとしても、何故変えたのか、何を目的としたのか、何処が違うのか文章を以て整理しておくべきでしょう。
 たとえば、一本目の出合で仕が攻める足裁として左足を右足踵に引き付けるのはよしとしても、打までも左足を右足に引き付けたのでは、双方攻めの体勢になってしまいます。仕に圧せられて打が退かんとする、心持ちは何処に置いて来たのでしょう。
 三本目、四本目の一刀目えお真向に斬り付けて双方の中央で鎬を合わせて留でいます。これも、左面相打ちなのに何処の誰が決めたのでしょう、その理由は何でしょう。まだまだ幾つも出てきそうです。
 
 如何様な業技法にも、勝つ為の運剣が武術には明確にあるはずです。「かたち」が出来ても「術」がきまらないのも武術です。
 同様に「かたち」が出来なければ「術」は決まりません。
 それは申し合わせの武的演舞では偽物にすぎないでしょう。
 何故そうする、と思案して、試案に詰まれば木刀を手にして立つばかりです。
 
 

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曽田本その1の4居合根元之巻読み解く6小藤亀江伝来の目録2

曽田本その1
4.居合根元之巻読み解く
6、小藤亀江伝来の目録
2.無雙直伝英信流居合目録
外之物之大事  行連・連達・逐懸切・惣捲・雷電・霞
 
上意之大事   虎走・両詰・三角・四角・門入・戸詰
            ・戸脇・壁添・棚下・鐺返・行違・手之内
            ・輪之内・十文字
 
極意之大事   暇乞・獅子洞入・地獄捜・野中幕
            ・逢意時雨・火村風・鉄石・遠方近所
            ・外之剱・釣瓶返・智羅離風車

居合心持肝要之大事
1.捕手和合居合心持之大事
1.立合心之大事
1.太刀目附事
1.野中之幕之大事
1.夜之太刀之大事
1.閨之大事
1.潜り之大事 戸脇之事
1.獅子之洞出之事
1.獅子之洞入之事
右九ヶ条者深秘之極意也非真実之人者努々不可有相伝者也

無双直伝英信流居合就多年御熱心太刀次悉令相伝□向後嗜専要候若御所望之仁於有之者兼而其之人之取罰文御指南尤可仍許免之状如件

明治三十四年六月十五日  
           谷村樵夫自庸
小藤亀江殿
読み解く
 この目録は明治34年1901年の発行ですから江戸時代の内容を保持しているのか疑問です。然し小藤亀江は谷村派の第十五代谷村亀之丞自雄-楠目繁次成栄-谷村樵夫自庸-小藤亀江の道統から相伝しているものです。
 第一五代谷村亀之丞自雄は第一六代五藤孫兵衛正亮へ相伝し、五藤孫兵衛正亮は第一七代大江正路へ相伝したと云われています。
 大江正路が授与された允可状は、何処からも出てきませんから謎になります。但し大江正路先生の発行したものは公にされています。これは大江正路によって改変されたもので土佐の古伝とは言い難いものです。
 大江正路は下村派の第一四代下村茂市定に師事し、兄弟子には行宗貞義、細川義昌が居るわけで、行宗貞義は曽田虎彦の師匠です。
 大江正路が下村茂市に師事したのは嘉永5年1852年7歳の時で、明治維新1868年の時には16歳で戊辰戦争に出陣しています。
 明治5年1872年20歳の時には土佐藩の常職を解かれ失業、明治10年1877年には師匠の下村茂市が没しています。大江正路25歳の時です。その後職を求め土佐を跡にしている事も長く明治30年1897年45歳の時に高知県尋常中学校の剣術教士となっています。
 其の年第一六代五藤孫兵衛正亮が没しています。
 その後も土佐を離れ47歳ごろに土佐に落ち着いた様です。激動の時代でしょうから飯を食う事が大変だったでしょう。居合の相伝はどの様であったか、残されたものは無く、土佐の古伝が改変されてしまうのもやむおえないのかも知れません。 
 細川義昌の居合は香川の植田平太郎に伝えられ、植田平太郎から徳島の尾形郷一、尾形郷一から広島の梅本三男、梅本三男から広島の貫汪館森本邦生館長に無雙神傳英信流抜刀兵法(梅本三男の授与された允可状には無双神傳抜刀兵法と有ります)として引き継がれている筈です。
 森本邦生貫汪館館長は、一時昭和47年1972年頃白石元一の居合を門人の森務より習い、後昭和50年1975年梅本三男に入門されている様です。
 細川義昌の居合は夢想神傳流の祖と云われる中山博道の師とされていますが中山博道は谷村派第一六代五藤孫兵衛正亮の弟子森本兎久身の居合を習い、細川義昌からの指導はごく限られた時間であったと思われます。
したがって、小藤亀江が相伝した居合目録は是等を意図しながら読み解いて見たいと思います。
 先ず、古伝神傳流秘書の業名と小藤亀江の目録の業名を同定し、白石居合、尾形居合と対比し、現代居合の大江居合を当てがって見ます。
 本来、曽田本その1にある英信流居合目録秘訣を以て解説すべきでしょうが、現代居合との乖離を先に認識したいと思います。
 
 
 

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2018年3月31日 (土)

無双直伝英信流之形 福井聖山先生の七本目真方の2

無双直伝英信流の型
福井政談先生の七本目真方の2
参考資料
福井聖山著平成3年1993年無双直伝英信流之形
福井聖山昭和57年1982年太刀打之位ビデオ
 福井先生の場合はどちらかと云えば、双方の初動の立ち位置が遠すぎるようです。真方の前の六本目受流で中央で双方切先を合わせ、左足から五歩後退して次の七本目真方に入るのが教本の指定です。
 中段で刀を中央で合わせれば、双方右足前になります。後方に退く引き足は左からです。左・右・左・右・左で五歩になります。
 実はここで五歩目は左足が後ろで右足前であれば教本の指定なのですが、五歩目を左足で踏むや右足を追い足で一足ほど双方引いてしまっています。足幅を敢えて狭くしています。戻り足のままで良いのに余分な足捌きがあります。何を意味しているのか不明です。
 是は福井先生の癖でしょうか、これは間を遠くする原因の一つです。
 仕太刀は右足前の中段、打太刀は前足の右足を左足に踏み替え左足前の八相に構え直します。
 仕太刀は其のまま中段、打太刀は中段から左足を右足の前に出し、右足を引いて八相に構えます。
 ここでの打太刀の八相の足捌きは、戻って来た位置より左足を右足より半歩前に出してしまいました。
 遠間ですからこの程度では先制攻撃と云えないでしょうが、近間であれば半歩前進しつつ構えを替えればその隙は打ち込まれても仕方のないものです。
 遠間から飛び込む当てっこの竹刀剣道や、仮想敵相手の空間刀法の居合が陥る、無造作な所です。
 双方出足から前進します。仕は右足から、打は左足からになります。
 仕は中段の儘右・左・右と出てここで一息つく様に留まります。打も左・右・左と八相に構えたまま出て、双方タイミングよく一息つく様に止まります。
 四足目で双方上段に振り冠ります。仕は無双直伝英信流の切先下がりの振り冠り、打は刀は床に平行の上段です。
 このアンバランスはどの様に上段に取るべきかの特定が無双直伝英信流居合にはあっても、組太刀に於いても同様にすべしの教えが無い為でしょう。
 古流剣術であれば、双方45度天を向いた上段でしょう、しかしこのような上段からの真向打ち下しには、体の使い方を知らない手打ちの多い居合人では切先に力が乗ってゆきません。
 五歩目です。双方右足を大きく踏込み真向打ち合う瞬前に、打は低い上段から切先を右に変じて八相に取って左に柄を送り受け太刀の体勢に変じています。動画を止めてみますと仕は機先を制するより遅れを取ってまだ右足は床を離れたばかりです。切先は後方にあります。
 是は仕の上段の振り冠が無双直伝英信流の後方に切先下がりに依るものでしょう。打は余裕をもって受け太刀となったのでしょう。
 教本の足捌きの打えの要求は、「左足より一歩退き第一本目の要領にて受ける」です。大きく右足を踏込み上段から斬り込み充分仕を斬り伏せる事が出来るのに受け太刀になる、など参考になりません。
 敢えて言えば、仕打共に斬り込まんとし、打は、上段から右足を踏み込まんとし、右足を浮かせた瞬間、打の剣先が打ち下ろされるが、遠間の為引き足を取れば仕の刀は空を斬るかも知れない、其の侭踏み込んで受け太刀となった。と取り繕った行為と思えてしまいます。
 何度も稽古され、教本も十分理解出来ていても、少しの狂いが要求を満たせない事を示されている様です。
 一つは不必要な元の位置で見せた足捌き。
 二つ目は三歩目での意味不明な睨み合い。
 三つ目は振り冠りの深さの違い。
 四つ目は打太刀が仕太刀の運剣を促す懸かりが見られない事。
でしょう。
 組太刀を分析すれば、打つたびに教本とのギャップに気が付くものです。そして形を演ずるだけならそれでもとりあえず演武の目的は達せられ、残心に心を配れば見る人を魅了できるでしょう。
 たとえ状況が難しくとも教本に随ってまずしっかり基礎を固めるべきものでしょう。安易にビデオの真似から形を誤って考えない事が大切です。
 形は一つの教示からいくつもの変化を起こせるものです。誤った真似事からは武的演舞しか生み出せず、いかに威儀を正して見ても時代劇の役者の殺陣に劣るものに陥ってしまいます。
 次回は終禮です。
 

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曽田本その1の4居合根元之巻読み解く6小藤亀江伝来の目録1

曽田本その1
4.居合根元之巻読み解く
、小藤亀江伝来の目録
1。無雙直伝英信流居合目録
 1.向身           横雲・虎一足・稲妻
 1.右身           浮雲・山下し
 1.左身           岩浪・鱗返
 1.後身           浪返・瀧落
 
四方切             向・右・左・後
 
太刀打之位      出合・附込・請流・請込・月影・絶妙剱

                            ・水月刀・独妙剱・心明剱

詰合之位        八相・拳取・岩浪・八重垣・鱗形・位弛
               ・燕返・眼関落・水月刀・霞剱
 
大小詰           抱詰・骨防・柄留・小手留・胸捕・右伏
               ・左伏・山影詰  
 
大小立詰        〆捕・袖摺返・鍔打返・骨防返・蜻蜒返
              ・乱曲
読み解く
 居合目録は業名ばかりですが、幾つかに分けて読み解いてみます。業の一つ一つの解説は一気に出来るものでは無いので業名の違いを古伝神傳流秘書、業附口伝、その他幾つかの根元之巻と対比してみます。
「無雙直伝英信流居合目録」は、英信流ですから大森流は含まれていません。大森流の目録允可は別にあったのか、無かったのかこの小藤亀江が谷村樵夫自庸からの相伝では不明です。
 古伝神傳流秘書では「大森流居合之事」として「此居合と申は大森六郎左衛門之居合也英信と格段意味無相違故二話而守政翁是を入候 六郎左衛門盤守政先生剣術之師也真陰流也 上泉伊勢守信綱之古流五本之仕形有と言或は武蔵守卍石甲二刀至極の伝来守政先生限にて絶(記 此の五本の仕形絶へたるハ残念也守政先生の傳是見當らず 曽田メモ)」
 大森流は第九代林六太夫守政の剣術の師匠大森六郎左衛門の居合で、英信流と格段の違いは無いので守政翁が誰かに話して無雙神傳英信流居合兵法に入れたと云って居ます。
 誰かとは第八代荒井兵作信定(荒井勢哲清定)かも知れませんが、不明です。大森六郎左衛門は上泉伊勢守の真陰流だと言います。
 真陰流の形五本と宮本武蔵の二刀流は守政先生で絶えてしまったと言います。
 土佐の居合では、大森流は第一五代谷村亀之丞自雄の英信流目録に残っていますので引き継がれて来ています。現在の大森流(無双直伝英信流正座の部)です。
無雙直伝英信流居合目録
 1.向身           横雲・虎一足・稲妻
 1.右身           浮雲・山下し
 1.左身           岩浪・鱗返
 1.後身           浪返・瀧落
 この目録の記述方法は東北地方の秋田藩の天明8年1788年林崎流居合伝書に「居合目録次第として向之次第・右身之次第・左身之次第・立合之次第」として業名は異なりますが残されています。
 
 土佐の居合と道統を同じくしたであろう信州地方の伝書天明3年1783年大矢蕃昌編述・滝沢登愛所持「無双流和棒縄居合目録」に居合(南山大学榎本鐘司先生論文より)に全くと言ってよい業名とその位置付けが残されています。
 1.向身     横雲・稲妻・水引□□
 1.右身     浮雲・山風
 1.左身     岩浪・鱗返
 1.後身     波返・瀧落
 四方切             向・右・左・後
 敵を前後左右に受けた場合の運剣用法を表しているのでしょう。第17代大江正路先生の場合は、向・左後・右前・左前の変則な敵の配置です。
 現代居合では第一七代大江正路先生によって改変されて敵の配置よりも、演武の際の正面に対し己の坐す方向が優先すると言う可笑しなことから無双直伝英信流は変わっています。
組太刀は古伝神傳流秘書にある大剣取、英信流目録の小太刀之位が抜けています。
小藤亀江の目録に括弧内は神傳流秘書の業名を対比しておきます。
 
太刀打之位      出合(出合)・附込(附込)・請流(請流)・請込(請入・請込)
            ・月影(月影)・絶妙剱(水月刀) ・水月刀(独妙剱)
            ・独妙剱(絶妙剱)・心明剱(心妙剱)・(打込)
 

詰合之位        八相(発早)・拳取(拳取)・岩浪(岩浪)・八重垣(八重垣)
           ・鱗形(鱗形)・位弛(位弛)・燕返(燕返)・眼関落(柄砕)
           ・水月刀(水月)・霞剱(霞剱)
 
 
 
大小詰           抱詰(抱詰)・骨防(骨防扱)・柄留(柄留)・小手留(小手留)
           ・胸捕(胸留)・右伏(右伏)・左伏(左伏)・山影詰(山影詰)  
 
 
 
大小立詰        〆捕(使者捕)・袖摺返(骨防返)・鍔打返(鍔打返)
           ・骨防返(〆捕)・蜻蜒返(蜻蛉返)・乱曲(乱曲)・(電光石火)
 業名は同じものですが、順番が異なります。この原因は目録伝授が無いまま。また聞きで引き継がれたか、稽古に依って入れ替えるべきであると判断されたかのいずれかでしょう。
 現代居合では太刀打之位が第一七代大江正路先生によって中学生向きに改変され十本を七本に減らされ、業名および業も変えられてしまっています。大江先生の七本の組太刀を演ずるのであれば無双直伝英信流居合道形と言うべきでしょう。
 小藤亀江の相伝した目録の業名は古傳の趣を残しています。
 
 
 
 
 
 

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2018年3月30日 (金)

無双直伝英信流の型 福井聖山先生の七本目真方の1

無双直伝英信流の型
福井聖山先生の七本目真方の1
参考資料
福井聖山著平成3年1993年無双直伝英信流之形
平成2年第9回無双直伝英信流居合道全国大会講習資料太刀打之位要旨
福井聖山昭和57年1982年太刀打之位ビデオ
河野百錬先生著昭和17年1942年大日本居合道図譜
打太刀八相、仕太刀中段にて前進す。間に接するや「打太刀上段となり真向に斬込まんとするを、」仕太刀機先を制して右足を踏込み上段より敵刀諸共その真向に斬下して勝つ。
 打太刀は左足より一歩退き第一本目の要領にて受ける。次に打太刀は左足より追足にて二歩退き双方中段となり刀を合わせ、打太刀は三歩出で仕太刀は三歩退きて元の位置に戻り、互に五歩後退して血振い納刀す。
 福井聖山先生はこの六本目の業名を河野先生の「討込」から、大江先生に習い「真方」に改めています。河野先生は大江先生の現代居合を曽田先生との交流によって古伝神伝流秘書に戻したかった、そこまででもなくとも居合心を正したかったと思われます。
 それは昭和に入り益々かさに掛っていく日本軍の先制攻撃思想に違和感を持っておられた様に感じます。
 河野先生の教本と同じ内容ですが少し違います。
河野先生の討込を復習します。
 打太刀、仕太刀、互に前進し間に接するや、「打太刀は仕太刀に斬込まんとするを、」仕太刀は機先を制して右足を踏込み上段より打太刀の真向に敵刀諸共其真向より斬下し勝つ。打太刀は左足を一歩退き第一本目の要領にて受ける。次に打太刀は左足より追足にて二歩退き中段となり刀を合はせ、打は三歩出て仕は三歩退りて元の位置に戻り、互に五歩後進して血振ひ納刀す。
 福井先生は、打太刀が仕太刀に斬り込まんとして八相から上段になる処が加わっています。
 是で仕は機先を制する切っ掛けを掴むことが出来たはずです。
 河野先生と同様に、仕の先制攻撃に打がどのように応じるかが大切な処なのに「打太刀は左足を一歩退き第一本目の要領にて受ける」と省略してしまいました。
 打は仕が間に接するや八相から上段に冠り直し、右足を踏み込み討ち込まんとする、その機先を仕は中段から上段に振り冠って右足を踏込み打の真向に打ち込む。
 打は打ち込む仕に、踏み込まんとした右足を押さえ直し左足を引いて、剣先を右に刃を上に柄を左に出して刀を水平にし前額部を掩う。のです。
 河野先生のビデオでは、打は打ち込まんとして上段になる事も無く八相から右足を踏み込み請け太刀になっています。教本の教える左足の引き足すら出来ていません。
 次回は福井先生のビデオを拝見し、教本通りであることを祈るばかりです。
 
 
 

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曽田本その1の4居合根元之巻原文6小藤亀江伝来の目録

曽田本その1
4.居合根元之巻
、小藤亀江伝来の目録
無雙直伝英信流居合目録
 1.向身           横雲・虎一足・稲妻
 1.右身           浮雲・山下し
 1.左身           岩浪・鱗返
 1.後身           浪返・瀧落
 
四方切             向・右・左・後
 
太刀打之位      出合・附込・請流・請込・月影・絶妙剱

                            ・水月刀・独妙剱・心明剱

詰合之位        八相・拳取・岩浪・八重垣・鱗形・位弛
               ・燕返・眼関落・水月刀・霞剱
 
大小詰           抱詰・骨防・柄留・小手留・胸捕・右伏
               ・左伏・山影詰  
 
大小立詰        〆捕・袖摺返・鍔打返・骨防返・蜻蜒返
              ・乱曲
 
外之物之大事  行連・連達・逐懸切・惣捲・雷電
・霞
 
上意之大事   虎走・両詰・三角・四角・門入・戸詰
            ・戸脇・壁添・棚下・鐺返・行違・手之内
            ・輪之内・十文字
 
極意之大事   暇乞・獅子洞入・地獄捜・野中幕
            ・逢意時雨・火村風・鉄石・遠方近所
            ・外之剱・釣瓶返・智羅離風車

居合心持肝要之大事
1.捕手和合居合心持之大事
1.立合心之大事
1.太刀目附事
1.野中之幕之大事
1.夜之太刀之大事
1.閨之大事
1.潜り之大事 戸脇之事
1.獅子之洞出之事
1.獅子之洞入之事
右九ヶ条者深秘之極意也非真実之人者努々不可有相伝者也

無双直伝英信流居合就多年御熱心太刀次悉令相伝□向後嗜専要候若御所望之仁於有之者兼而其之人之取罰文御指南尤可仍許免之状如件

明治三十四年六月十五日  
           谷村樵夫自庸
小藤亀江殿
 
*原文のまゝ記載いたしました。
 
 

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2018年3月29日 (木)

無双直伝英信流の型 河野百錬先生の七本目真方の2

無双直伝英信流の型
河野百錬先生の七本目真方の2
参考資料
河野百錬著昭和17年1942年大日本居合道図譜
河野百錬昭和44年1969年太刀打之位ビデオ
 このブログを書き始めましたら、ミツヒラが河野百錬先生、福井聖山先生の批判をしているが、どこの馬の骨とも解からぬ者が許されるわけは無かろう。と云った声がきこえてきます。 
 大江正路先生、河野百錬先生、福井聖山先生夫々土佐の居合が混沌とする時期に、すっくと立ってこの道に光を掲げていただいたことでは、その心労はいかばかりであったろうと、先生方が残された事の一字一句を噛みしめ励んでいるものです。
 碌にその残されたものを読みもしなければ、読んで稽古した事も無い者にとやかく言われる筋は有りません。
 この先生方を、何も理解して居ないのに、唯、第17代だからとかだけで崇拝し神様の様に崇めていたのでは先生方もさぞかし悲しいことでしょう。
 あれだけの功績を残されるには、厳しい視線も並の事では無かったろうとお察しします。その一言一句、その動作の一つ一つを辿る事で少しでも近づく努力を惜しむ事はありません。
 気が付いたことは、ストレートに語って共感を得られればありがたいことですが、寧ろ思い違いを諭される事の方がどんなにありがたい事でしょう。
 何か気がついても、公に触れることを避けて自己保身のため、陰に廻って揶揄するのが多いこの時代、そんな人達ばかりの集団になってしまっては、日本の誇る武術文化が見捨てられるのは遠くないと思います。
 そして、私の様な本物を求めてこの道を歩もうとする者の足を引っ張り、転げ落ちるのを楽しみにしてしまうのでしょう。どんな安住の地でも前に進むと決めた以上は進むのです。
 自分が自分らしく立って居なければ、何処にも安住の地など有り得ないものです。たとえ転げ落ちても前に進むだけです。
 武術の修行は、覚悟の無い者には出来るわけはありません。
 と、言う事で河野百錬先生のビデオをよく見、教本をよく読み、考えながら稽古して見ようと思います。
 六本目受流を終えて双方中央で切先を合わせ、河野先生は左足を引いて右足を追い足に退き、更に左足を引いて、右足は僅かに動かしたかどうか看取れません。
右足前の中段に構えます。
 打太刀は元の位置から左足・右足・左足と引いて、右足を引いて左足を出して八相に構えます。
 河野先生は小さく追い足で四歩下がりますが歩幅は狭くせいぜい二歩下がった程度でしょう。
 打太刀は歩み足で三歩下がり八相になるため、つごう二歩下がっただけです。
 従って「打太刀八相、仕太刀中段より互に前進す。」は河野先生が右足・左足・右足・左足・右足と小さく特に三歩目・四歩目は上段に振り冠る為か不自然に狭いチョコチョコした足踏みです。五歩目に斬り込むため右足を大きく踏み込んでいます。
 打太刀の退きが不十分と河野先生の退きも不十分なため、途中で間合い調節をしたのでしょう。
 河野先生真向に打ち込んで、打太刀は八相から右足を踏み込んでこれを受けています
 「打太刀は仕太刀に斬り込まんとする」など何処にもその興りが感じられないのです。
 もし打太刀が仕太刀に斬り込まんとするならば、八相から上段に被りながら右足を踏み込む動きがあって然るべきですが、河野先生に先制攻撃されてしまい、八相から右足を踏込み柄を左に切先を右上がりにして眼前頭上で斬り込みを受けているばかりです。
 其れもやや前屈みに受けていますから、ここも「敵刀諸共真向より斬下して」などに程遠い当てっこそのものです。
 このビデオは真方の参考にはなりません。充分な双方の間合いを取ることをして居ない為に、不自然な近間による運剣がもたらしたものとも言えます。
 ここも打太刀の認識が甘い為としか言いようはないものです。一方河野先生も「打太刀は仕太刀に斬込まんとする」処を明瞭に動作を文章にすべきで、心持ちばかりでは「仕太刀は機先を制し」のご自分でも先制攻撃ばかりが出てしまう典型でしょう。
 このビデオは演武会のスナップではなく、明らかに映像を残そうとして打たれたものです。たまたまでは無いものです。
 思ったことが実技では発揮できないために、鍛錬する・・・稽古不足でしょう。
 河野先生71歳の映像です、この6年後お亡くなりになっています。
次回は福井聖山先生の真方です。
 
 
 
 
 

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曽田本その1の4居合根元之巻読み解く5小藤亀江伝来の道統

曽田本その1
4居合根元之巻読み解く
5、小藤亀江伝来の道統
天真正
*いつわり飾らないの意味となるのでしょう。この天真正を冠した剣術の流派は飯笹長威斎家直による天真正香取神道流を思わせます。重信は之を習ったこともありうるとすればその天真正を冠する事も有りえます。
 
林の明神
 出羽の国最上郡大倉郷の、林崎にあった素盞鳴尊を祀った熊野神社で後居合神社として合祀された神社。
 林崎とはその一帯が藻湖といわれる湖水であった事に由来するようです。
 林崎神社が記録に現れたのは正安2年1300年神鏡一面が奉納された頃であり、林前寺の門前町として林崎村が生まれた永承年中1046年~1057年ころから正安2年1300年の間に熊野神社(林崎明神)が遷座されたのであろうと、昭和8年の「居合神社記」の著者三澤茂氏が推定して居ると「林崎明神と林崎甚助重信」平成3年林崎甚助重信公資料研究会委員会編には書かれています。
 奥州の辺鄙な処の神社のことですから真相は不明でしょう。
 林崎甚助重信はこの林崎明神に祈願して抜刀術を開眼したのでしょう。江戸時代には重信公を境内に祀ったのでしょう。
 明治5年の調書には「村社熊野神社・格外社居合神社」明治11年の調書では「村社熊野・居合両神社」とあります。「林崎明神と林崎甚助重信」平成3年林崎甚助重信公資料研究会委員会編より。

林崎神助重信
*林崎の姓については、永禄2年1559年浅野民治丸抜刀の妙を悟り、元服して新夢想林崎流と称して村名を姓とし、父浅野数馬の仇を討って故郷の林崎に帰還した。と浅野姓を改姓したとされますが、この辺りには林崎姓は幾つもあって元々林崎であろうとするのも頷けます。
 名の神助は「甚」と「神」との誤認による誤記かも知れません。
 土佐の居合古伝神傳流秘書の「居合兵法伝来」でも「林崎神助重信」と有ります。
 南山大学の榎本鐘司先生の研究に依る、北信濃に残された無雙直伝流の天明6年1786年に大矢彌五兵衛尉から滝澤武太夫に与えられた「居合根元之序」には林崎甚助重信であって「神助」の名は有りません。
 正しく根元之巻が土佐に伝わったか疑問を持っても不思議ではありません。第17代大江正路宗家から出された根元之巻も「神助」でした。
 昭和38年に出された山本宅治守誠先生から大田次吉先生に授与された根元之巻には「林崎神助重信」です。
 どの様に誤認と確証があったとしても土佐の居合は「神助」でいいのでしょう。
 戦後の根元之巻の幾つかでは「甚助」となっていますがこの変更もその変更理由が公では無く疑問です。
田宮平兵衛尉業正
長野無楽入道槿露斎
百々軍兵衛尉光重
蟻川正左衛門宗績
萬野團右衛門信定
長谷川主税助英信
荒井勢哲清信
林 六大夫守政
林 安太夫政詡
大黒元右衛門清勝
林 益之丞政誠
依田萬蔵敬勝
林 弥太夫政敬
谷村亀之丞自雄
楠目繁次成栄
谷村樵夫自庸
小藤亀江 明治三四年六月十五日
(曽田虎彦 明治三八年六月吉日 従実兄亀江伝来 曽田メモ)
この伝系は根元之巻の伝承であって決して宗家継承とは言えないのでしょう。
 土佐の居合は、第九代林六太夫守政によってもたらされたもので、第八代荒井勢哲清信や第七代長谷川主税助英信は古来の業を素肌剣法に改革し直した人で土佐の人であるとは何処にも立証できるものは見当たりません。
 第四代百々軍兵衛光重、第五代蟻川正左衛門宗績、第六代萬野團右衛門信定は、出自は元より何も解るものがありません。
 第九代林六太夫守政以下で第十五代谷村亀之丞自雄は谷村派です、従ってここでの第十六代楠目繁次成栄ー第十七代谷村樵夫自庸ー第十八代小藤亀江は谷村派の根元之巻を受けた事になります。曽田先生は下村派の行宗貞義に師事しているのですが、明治38年に従兄小藤亀江から根元之巻を伝承したと言っていますが、小藤亀江から預かった、程度の事でしょう。
 曽田本その2に無双直伝英信流居合術系譜として下村派の曽田虎彦の位置づけをしています。
 第11代大黒元右衛門清勝
 第12代松吉貞助久盛
 第13代山川久蔵幸雅
 第14代下村茂市定
 第15代行宗貞義
 第16代曽田虎彦
 
 谷村亀之丞自雄は現在では谷村派第15代宗家と認識されて居ます。楠目繁次成栄以下は居合の極意業を伝承したと云う事になるのでしょう。
 正統宗家は16代五藤孫兵衛正亮・17代は大江正路とされています。
 戦後傍系宗家が立たれて我こそは宗家とされています。第19代福井春政先生が第20代河野百錬先生を宗家に紹統印可しています。
 宗家への紹統允可は多分この時、福井春政から河野百錬へのものだけだったと思われます。
 第十七第大江正路先生も第十六代五藤正亮先生から根元之巻、宗家紹統印可も請けたであろう証拠は何処からも出てきません。
 大江正路先生は根元之巻直弟子に与えたものと思われるものが残されている様ですが、それが宗家を名乗る証拠にはなりません。
 むしろ土佐の居合は宗家は無く、根元之巻請けた者が林崎甚助重信の居合を身に付けた者と認識したのであろうと思います。
 業技法を修得したので与えられる目録は、此処まで教え導いたよ、と言うもので奥義に達したものには根元之巻が与えられたのでしょう。
 土佐藩主への師範は宗家とは別物と思われます。
 現代の土佐の居合無双直伝英信流居合兵法は
 第19代福井春政先生
 第20代河野百錬先生(第20代より第21代の紹統をせずに没す)
 第21代福井聖山先生
 第22代池田聖昂先生
 第23代福井将人先生
として道統はつなげています。
 
 第17代大江正路先生が再生した無双直伝英信流の道統は根元之巻の複数発行により混乱しているのが実態でしょう。
 私は、大江正路先生の居合を業ずる宗家を名乗る人達が一同に会し正統宗家を認め再生する日を夢見ています。
 師伝による業技法の違いなど想定違いに過ぎず、決められた形しか出来ない居合演舞者は残念ながら武術としての無双直伝英信流の宗家とは言えそうにありません。
 
 
 
 
 

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2018年3月28日 (水)

無双直伝英信流の型 河野百錬先生の七本目真方の1

無双直伝英信流の型
河野百錬先生の七本目討込の1
参考資料
河野百錬著昭和17年1942年大日本居合道図譜
大江正路堀田捨次郎共著大正7年1918年剣道手ほどき
 打太刀八相仕太刀中段より互に前進す。打太刀、仕太刀、互に前進し間に接するや、打太刀は仕太刀に斬込まんとするを、仕太刀は機先を制して右足を踏込み上段より打太刀の真向に敵刀諸共其真向より斬下して勝つ。打太刀は左足を一歩退き第一本目の要領にて受ける。
1、次に打太刀は左足より追足にて二歩退き中段となり刀を合はせ、打は三歩出て仕は三歩退りて元の位置に戻り、互に五歩後進して血振ひ納刀す。
 「第一本目の要領にて」の部分ですが「打太刀は仕太刀に圧せられて後ろに退かんとするを、仕太刀はすかさず之に乗じて、踏込みて其真向より敵刀諸共斬下して勝つ。打太刀は左足より追足にて一歩退き剣先を右に刃を上に柄を左に出し刀を水平に前額上に把る。」
 大江先生の真方の業名を河野先生は討込と改称しています。昭和17年と云えば河野先生は大日本武徳会居合術達士でした。正統第20代宗家は昭和25年の事です。業名変更について何のお咎めもなかったのでしょう。
 双方元の位置に戻っての相懸かりです。
 この双方相進みに於いて、河野節は「打太刀は仕太刀に斬込まんとするを、仕太刀は機先を制して右足を踏込み上段より打太刀の真向に」と言って、機先を制して斬込む様にされています。
 ここは大江先生は仕の先制攻撃です。河野先生は余程先制攻撃が嫌な様です。然し双方抜き身の刀を構えて相懸かりならば、土佐の居合の奥義である身を土壇にして敵の打込に応じて勝を取る術もある筈です。
 単に機先を制してと云う事ですと、仕が打込まんとするのを手早く打込むと解釈してしまうだけです。
 或いは、仕が先に正眼の構えで間境を越しそのまま突き進まんとするのを、打が八相から斬り込まんと上段に振り冠る機を捉えて、仕は素早く上段から斬下す。これも打が上段になろうとするならば其の侭突きに行けばよいだけです。
 或いは、仕が正眼の構えで突き込んで来るのを、打が八相から払ってくるならば上に外して其の侭真向に打ち下ろせば終わりです。
 此処は大江先生の様に、仕が一方的に斬込み、打は圧せられて請け太刀となるが良さそうです。
 この真方を討込として完成するならば、相進み間堺に至れば、打は上段に振り冠り右足を踏み込んで斬り下ろして来る。仕は正眼から上段に振り冠り打が真向に斬り下ろすのを同様に真向に斬り下ろし、打の刀を打ち落し打の真向に斬込み勝つが、最も求めたい術でしょう。
 よく見かける、「敵刀諸共真向より斬下して勝つ」を演ずるため打が仰向けになって腰砕けになって受け太刀になり、仕が嵩にかかって押し込む姿など何の参考になるのでしょう。普段の居合の斬り下ろしでそんな動作をしていますか。
 こんな殺陣は映画で見せられても速さと剛力を自慢するバカにしか見えません。武術はもっと美しい筈です。
 河野先生の頭の中にはもっと違う美学があったかもしれませんが、「機先を制して」の文言と同様「敵刀諸共真向より斬り下ろす」の心は、学ぶ者が河野先生と同じ武的力量に達していなければ、あらぬ方に行ってしまうだけです。河野先生のビデオがそれを見せてくれるでしょうか。
 形は一見出来ていても、術には達していない武的演舞を何度も見せられ、その上稽古すれば頭ごなしに、「かたちが違う」と何度もどやされました。
 しかし術が決まったときは、早くもなく力任せでも、術に至らない形でもありません。
次回は河野百錬先生のビデオから学んでみます。
 
 

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曽田本その1の4居合根元之巻原文5小藤亀江伝来の道統

曽田本その1
4居合根元之巻原文
5、小藤亀江伝来の道統

天真正
林明神
         
林崎神助重信
         
田宮平兵衛尉業正
         
長野無楽入道槿露斎
         
百々軍兵衛尉光重
   
 蟻川正左衛門宗績
       
万野團右衛門信定

    長谷川主税助英信
    荒井勢哲清信
    林六太夫守政
    林安太夫政詡
    大黒元右衛門清勝
    林益之丞政誠
    依田萬蔵敬勝
    林弥太夫政敬
    谷村亀之丞自雄
    楠目繁次成栄
    谷村樵夫自庸
明治三十四年六月十五日
    小藤亀江
明治三十八年六月吉日従実兄亀江伝来
    曽田虎彦

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2018年3月27日 (火)

無双直伝英信流の型 大江正路先生の七本目真方

無双直伝英信流の型
大江正路先生の七本目真方
資料
大江正路堀田捨次郎共著大正7年1918年剣道手ほどき
野村條吉著昭和40年1965年無双直伝英信流居合能参考
山本宅治守誠英信流居合之形
辻川新十郎記昭和44年1969年宇野又二先生伝無双直伝英信江流居合
 打太刀は其儘にて左足を出して八相となり、仕太刀は青眼のまゝ左足より小さく五歩退き上段となり、右足より交叉的に五歩充分踏込みて、打太刀の真面を物打にて斬り込む、打太刀は右足より五歩出で仕太刀を斬り込むと同時に左足より右足と追足にて退り、其刀を請留める、互に五歩引き元の位置に戻り血拭ひ刀を納む。
 真方の業名とは何でしょう。真向というのは立膝の部(古伝英信流居合之事の十本目に有りましたが、これは相手の打込みを抜くなりに摺りおとして真向に斬り付ける居業でした。
 十本目の業名は河野百錬先生だけが勝手な呼称にしています。古伝神傳流秘書太刀打之事の十本目は打込でした。
 河野先生は、古伝と大江先生の明治以降の組太刀を同じ様に考えて古伝に少しでも近つけようとされたのかも知れません。
 古伝は古伝です。業名とついでに双方の構えを述べて置きます。
 大江正路先生は真方 仕青眼 打八相
 河野百錬先生は討込 仕中段 打八相
 福井聖山先生は真方 仕中段 打八相
 山本宅治先生は真方 仕青眼 打八相
 太田次吉先生は真方 仕上段 打八相
 野村條吉先生は真方 仕上段 打青眼
 宇野又二先生は真方 仕正眼 打正眼
古伝神伝流秘書太刀打之事の十本目打込
 「相懸又は打太刀待処へ遣方より詰て打込み勝也」
曽田虎彦先生による業附口伝の十本目打込一本
 「伝書になし口伝あり)(留の打込なり)双方真向に物打にて刀を合し青眼に直り退く」
 どちらも、不明瞭で何を目的にしているのか解かり兼ねます。これでは大江先生は新たに判りやすい手附が必要だったでしょう。
 大江先生は、仕の攻撃に打が仕を斬り込まんと振り下ろさんとするが、仕に圧せられて左足右足と追い足で退り、眼前頭上で仕の打ち込む刀を十文字に受け留めるのです。
 この場合打は刃を上にして受けるもので、切先は左でも右でも稽古次第です。
 請け太刀となるだけならば右へ切先を向けて請ければいいのでしょう。後の先を取らんとせば切先左も有り得ます。
 大江先生の手附けは不十分ですから、幾人かその時代の方の教本を読んでみます。
 第18代穂岐山波雄先生の弟子野村條吉先生の真方
 仕太刀:右足を出して上段に構え、右足より左足交互に大足にて前進、打太刀の真向を斬る。「ヤッエイ」間合を取り青眼後退、血拭い納刀す。
 打太刀:六番の終りたる位置にて青眼、仕太刀の前進し来りて真向を斬りつくる時、左足を引き柄を左に受け止む。間合を取り後出発点まで退き、血拭い納刀す。
 山本宅治先生の真方
 打太刀は中央に其のまゝ左足を出して八相となり、仕太刀は青眼より右上段になり右足より進み出て間合に至り打太刀の真面に斬り込む。打太刀は八相より仕太刀の刀を受けるや左足を引き追足にて二歩位退く。(仕太刀も打込むと同時に追足に二歩位攻めること)それより互に青眼となりて中央に戻り残心してから五歩退き元の位置に戻りて血振り納刀す。
 どの様に打は仕の斬り込みを受けるのか不明です、弟子であった太田次吉先生昭和55年1980年の土佐英信流から真方
 打太刀中央で左足を出し八相となる。仕太刀は中段より、右上段にとる。仕太刀は間合に至り、打太刀の正面に斬り込む。打太刀は八相より仕太刀の刀を受けると同時に左足を引き、追い足にて二歩位退る。仕太刀はそれにつれて同時に二歩位攻め込む。
 是では山本宅治先生と同じですが、幸い写真があります。打は仕に斬り込まれ八相から柄を左に切先を右にして刃を上に眼前頭上で受け止め、体を引き乍ら体を反らせて受けています。仕はかさに懸かって押しこむ様に斬り込んでいます。
 この斬り込まれてからの打の動作はある地区にも見られ、どの様な意味があるのか首をかしげてしまいます。斬り込んで受けられたから押しこむ等は簡単に外されてしまいます。理に合いません。
宇野又二先生の真方
 打正眼、仕正眼、前進して相手の真向に上段より切る。打、右足左足と後退一本目の如く相手の刀を自分の刀の鎬にて受け留める。
次回は河野百錬先生の討込です。
 
 
 
 
 
 
 

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曽田本その1の4居合根元之巻原文4小藤亀江伝来意訳

曽田本その1
4.居合根元之巻
  曽田本免許皆伝目録原文意訳
3、谷村樵夫自庸相伝
  小藤亀江伝来居合根元之巻
小藤亀江の根元之巻 意訳

 抑々居合というものは、日本の奥州林の大明神の夢想に従い、之を伝えて来たものである。
 その兵術は、上古、中古、数多他流に依る違いは有るとはいえ、大きな人にも小さな人にも、力の弱い人も、剛力な人にも、合わないと云う事の無い兵術として用いられる云々。
 いつか、相応の太刀と為る、汝に、身近に起こる勝負で一命の有無の極まる処を云う。
 此の居合を、恐れ、粟散辺土の地の堺に至る共、之に不信を抱いてはならない。
 ただ、夢に現れた霊に依る処である。
 此の始まりを尋ねるならば、奥州に林崎神助(甚助)重信という者、兵術を之れ林の神明に有ればとて、百有日参籠してその満願の日の暁時に、夢の中に老翁が現れ、重信に告げて曰く、「汝、此の太刀を以て、常に胸中に思い抱く怨敵に勝つ事が出来る云々」
 則、霊夢に有るように、腰刀三尺三寸を以って大きな利を得て、九寸五分の添え差しに勝つ事、すなわち柄口六寸を以て勝つ事で、其の妙不思議な極意である。一国一人への相伝である。
 腰刀三尺三寸は貪・瞋・痴の三毒である欲望・怒り・無知に対し三部の金剛界・胎蔵界・蘇悉地によって煩悩を打ち破り智徳を以って一切を包み込む菩提の心に依って、但、脇差九寸五分に勝のである、己の運命を切り開き五鈷をもって成就する事を悟る証しである。
 敵味方になる事は、是、前生の因縁の報いであり、生死一体の戦場も浄土の様に思うものである。
 これに観られるように、則、現世は悟りを得られた仏に見守られ、摩利支尊天によって加護され、来世は成仏し得る事を疑わないであろう。
 此の居合は千金を積まれても真実で無い人に、決して授けてはならない、天罰を恐れるべきものである。唯一人に之を伝える云々。
古語に曰く
 其の疾く進んだとしても、それは速く退いていく云々。
 此の意は、貴賤・尊卑・前後の輩に隔てる事無く、其の所達しなす者と謂わず、目録印可
等を相違なく許せ。
又、古語に曰く
 それ、百錬を積んで構えをこらそうとも、すなわち茅や茨の素晴らしい荘や鄙であろうとも、兵の利を心懸け、夜自ずから之を思い、明神佛陀を祈り、忽ちその利方を得る。是に依って心は済み、身は燦然と輝くものである。
・・

 この訳文で根元之巻が言わんとする所はつかめます。
 然し其処に或る「腰刀三尺三寸勝九寸五分事柄口六寸勝之妙不思議之極意」は文字を訳しても一向に伝わって来ません。
 腰刀三尺三寸を大太刀の寸法として見るのか、九寸五分を、敵と我との間合いと考え、その大太刀の運剣法の極意とも取れます。
 いや添え差しの操法だとも勝手に解釈してしまいます。
 柄口六寸についても、敵の柄を持つ小手であろう、いや上泉伊勢守の新陰流の云う「是は吾が太刀先三寸を以て敵の拳三寸を打つ事也」かもしれません。
 現在では、土佐の居合無双直伝英信流を習う限りは、明瞭に柄口六寸は口に出して稽古すらしたことがないものでしょう。
 根元之巻はこの武術の奥義であって、さらに奥に或るものは文字に表されたものでもないのかも知れません。
 現代居合では理解しがたい太刀の操法をも秘めて居たのでしょう、奥羽地方に何処かで伝承されて居るかもしれません。
 密教などの仏語が頻繁に添えられて居ますが、其処に捉われても根元之巻は多くを語ってくれないでしょう。
 呪術が秘められていたと妄想するのは自由ですが、それでは剣術を学ぶのではなくなってしまいます。
 命を懸けて闘わざるを得なかった戦国時代の事ですから、人事を尽くして天命を待つ事も有りえたでしょう。その位の解釈で良いと思うのですが、いかがでしょう。
 現代の無双直伝英信流及び夢想神傳流を学ぶ者が、業技法の末節に拘って武的演武(演舞?)の美を追求しつつ、あの人の教え、此の人の教えと迷いながら、それでも日々稽古を重ねる中から此の一振りの意義を悟り、読み解くものかも知れません。
 次回は、この根元之巻の道統です。さらりと流します。

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2018年3月26日 (月)

無双直伝英信流の型 福井聖山先生の六本目受流の2

無双直伝英信流の型
福井聖山先生の六本目受流の2
資料
福井聖山著平成3年1993年無双直伝英信流之形
平成2年1992年第9回無双直伝英信流居合道全国大会講習資料太刀打之位要旨
河野百錬著昭和17年1942年大日本居合道図譜
河野百錬昭和44年1969年太刀打之位ビデオ
福井聖山昭和57年1982年太刀打之位ビデオ
 五本目鍔留で場の中央で刀を青眼に構え切先を合わせてから双方左足から五歩退いて、立ち位置の右足前左足後ろを血振りの際後ろ足の左足を更に一歩後に退いて、納刀し、左足を右足に揃え、次の六本目受流の業に入る位置に着いたことになります。
 この鍔留から元の位置に戻って横血振りの際、左足を血振りと同時に後ろに退く動作は福井聖山先生の教本には無い動作で、昭和57年1982年の太刀打之位のビデオで表現されています。
 戻り足の足幅が狭く、大股開きの一人演武の居合の血振りの姿から見て、不自然と思われたのか、その動作は逆に不自然です。
 ある地区も其の儘真似していますが、真似れば良いというものでは無いでしょう。一足長程度の足幅では立姿としては不安定に思うならば最後の戻り足を稍々大きくすれば良いのであって、血振りで引き足は意味不明です。
 それに、演武の見栄えの為にいたずらに大股での斬り込みをするのも、居着く事になり武術的には嫌います。
 無双直伝英信流の斬り込みは、肩から先ばかりを使う手打ちが見られます。ですから、刀に体が振られない様に、下肢を安定させた大股になりやすいものです。
 古流では仙骨を中心に体全体で斬り込んでいますので、その方法を知らない人ではこの様な組太刀では不都合が幾つもでてしまうのでしょう。
 それは、申し合わせの武的演舞を好む人はそれでもいいでしょう、然し武術を口にすべきものでもないでしょう。
 双方納刀のまま右足から踏み出し間に至るのですが、打太刀は柄に手を掛け右足・左足・右足・左足・右足と五歩を踏出して五歩目に大きく踏込んで仕太刀に斬り下ろしています。
 ところが、仕太刀は同時に右手を鯉口に取り、右足を踏み出し次の左足で柄に右手をかけ、何故か次の右足・左足は小走りになって、其の四歩目の左足も教本にある「左足を右足の右側に大きく踏み出しながら刀を抜き」が出来ず、正面に踏み出してしまっています。恐らく二歩目に柄掛りして打太刀の攻めが強く、敢えて小走りで間を詰めたため不自然な動きとなったのでしょう。
 此処は、足幅は自然の歩行位にゆっくり、相手を見ながら、相手が上段に振りかぶった瞬間に左足が右足の右側面に踏み込まれ、打ち込まれる瞬間に右足を、左足の右後方に退き受流せばよい筈です。
 打太刀に先んじて合わせに行くのではなく、打太刀の動作を誘う心持がないと、この業は形ばかりになってしまうところでしょう。
 四歩目に左足を正面に踏んでしまったので、打との間合いが詰まってしまい、河野先生同様、教本通りに右足を左足に踏み揃えられず、左足を右足に引き付け間を作って打ち下ろしています。
 左足の裁きが出来なかった為、「上体を剣先と共に左に廻しながら後に反らせ前額上に刀表を上にして斜に構え刀を摺り落す」の教本は、正面で請けて、左足を右足に引き付けて擦り落す事になります。
 受流しの妙は教本ばかりにある様です。間合いの調節と考えればいいのでしょうが、これは逃げ流しで調節した事になります。見事ですが、参考にすべきではないでしょう。
 福井先生の教本は「敵刀を受流すや諸手となり」の独創です。
 河野先生もビデオでは受流すや諸手となっていますが、教本は「中腰にて(諸手となりつゝ)打太刀の首に斬下す」でした。
次回は真方です。
 
 

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曽田本その1の4居合根元之巻原文3小藤亀江伝来読み

曽田本その1
4.居合根元之巻
  曽田本免許皆伝目録原文読み
3、谷村樵夫自庸相伝
  小藤亀江伝来居合根元之巻
読み

居合根元之巻
抑(抑々そもそも)此の居合と申すは、日本奥刕(奥州)林の大明神の夢想に之を伝え奉つる、夫れ兵術は上古中古数多他流の違い有と雖も、大人・小人、無力・剛力、嫌わずに兵の用に合う云々。
末代相応の太刀に為ると云う、手近の勝負一命の有無此の居合に極まる。
恐らくは、粟散辺土の堺に於いて不審の儀之れ有るべからず。
唯㚑夢(霊夢)に依る処也。

此の始めを尋ぬれば奥州林崎神助重信(*神助は甚助の誤かその様に土佐には伝わったか?)と云う者に因り、兵術有るを望み林の明神に、一百有日参籠令(せしめ)其の満暁に夢の中で老翁重信に告げて曰く、汝此の太刀を以て常に胸中に憶持たる怨敵に勝を得る云々。
則、霊夢に有る如く腰刀三尺三寸を以って大利を得、九寸五分に勝つ事、柄口六寸に勝の妙不思議の極意、一国一人の相伝也。
腰刀三尺三寸は三毒則三部に但し脇指九寸五分、九曜五古(五鈷)の内訟也。
敵味方と成る事、是亦前生(前世)の業感也。
生死一體は戦場浄土也。
是に観る如く、則、現世は大聖摩利支尊天の加護を蒙り、来世の成仏成るは縁の事、豈疑い有らん哉。
此の居合は千金を積むと雖も不真実の人には堅く之を授けるべからず、天罰を恐るべし。唯一人に之を伝、云々。
古語曰く
其の疾く進むは、其れ速く退く云々。
此の意、貴賤、尊卑を以て、前後の輩に謂れずして隔て無く、其の所作に達する者を以って目録印可等相違無く許す。

又古語曰く
夫れ百錬の構え在りて、則、茅茨荘鄙と兵の利を心懸けるは、夜自白之を思い、神明佛陀を祈り、忽ち利方を得、是に依って心済み身に燦然(*光り輝く)たる事なり
*以下に、見慣れない、聞きなれない言葉を解説しておきます。
*奥刕は奥州、刀は刂(りっとう)を三つ並べれば州です。
*粟散辺土は我が日本国、粟粒の様に小さな辺境の国
*霊夢、㚑は霊の異体字
*三毒は貪瞋痴、むさぼり求める心・怒りの心・真理に対する無知、三部は密教の仏部・蓮  華部・金剛部、また金剛界・胎蔵界・蘇悉地。
 金剛界は密教で、大日如来の、すべての煩悩 (ぼんのう) を打ち破る強固な力を持つ智徳の面を表した部門。
 胎蔵界は金剛界に対して、大日如来の理性の面をいう。仏の菩提 心が一切を包み育成することを、母胎にたとえたもの。
*蘇悉地(そしつじ)はそれらの成就。
*九曜五古は九曜五鈷の間違いでしょう。
 土曜(聖観音)、水曜(弥勒)、木曜(薬師)、火曜(虚空蔵)、金曜(阿弥陀)、月曜(勢至)、日曜(千手観音)、計都(釈迦)、羅睺(不動明王)の9つの星を「九曜曼荼羅」として信仰した。
 平安時代には「九曜曼陀羅」は真言のご本尊として崇拝され、中でも、この九曜文様が「道途の安全の守護」今で言う「交通安全」の霊験あらたかな「おまじない」だ、ということで、公家衆の輿車・牛車・網代輿・雨眉車・文車等の多くに描かれたと伝えられ厄よけの重要な文様です。
*五鈷は五鈷杵の略で金剛杵、密教で煩悩を破砕し菩提心を表す金属製の法具。
*内訟は内証、仏語、自己の心の内で真理を悟ること。内面的な悟り。
*業感は仏語、善悪の行為が因となって、苦楽の報いを感受すること。
*浄土は五濁、悪道のない仏・菩薩の住する国。
*大聖は仏道の悟りを開いた人の尊称。釈迦、菩薩。 
*摩利支尊天は、陽炎(カゲロウ)を神格化した女神で、陽炎のように目に見えなくとも常に身近に進路の障害になるものや厄を除き、ご利益を施してくれる。武士の間でも戦勝の神として信仰されお守りとされた。
 軍神とされる一方、五穀の結実を豊かにする農業の神ともされる。三面六臂で、走駆する猪に乗っているとされるものが多い。
*豈有疑哉、豈疑い有らんや、どうして疑があろうか、疑いは無い。
*第茨は茅茨 ぼうじ、かやといばらの誤字か。
・・次回はこの根元之巻を現代風に訳してみましょう。

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2018年3月25日 (日)

無双直伝英信流の型 福井聖山先生の六本目受流の1

無双直伝英信流の型
福井聖山先生の六本目受流の1
資料
福井聖山著平成3年1993年無双直伝英信流之形
平成2年1992年第9回無双直伝英信流居合道全国大会講習資料太刀打之位要旨
福井聖山昭和57年1982年太刀打之位ビデオ
河野百錬著昭和17年1942年大日本居合道図譜
 双方納刀のまま静かに前進し、間に至るや打太刀は抜刀し上段より仕太刀の真向を斬り下す。
註、打太刀は左手を鯉口に把りながら右足より前進し、左足を進めつつ柄に右手をかけるや右足を進めて刀を抜きかけ、次に左足にて抜きとりて上段となり右足を踏込みて斬り下す。
 仕太刀は右足、左足、右足と出で柄に手を掛けるや左足を右足の右側に大きく踏出しながら刀を抜き、右足を左足の右後方に踏込み上体を左に披きながら打太刀の刀を受流す。
註、上体を剣先と共に左に廻しながら後に反らせ前額上に刀表を上にして斜に構え敵刀を摺落す。
 仕太刀は敵刀を受流すや諸手となり、右足を左足の位置に踏揃え(体を左斜に向ける)中腰にて打太刀の首に斬下す。
 次に元に復しつつ中段となり五歩後退す。(納刀せず)
 福井聖山先生の教本は、河野百錬先生の教本の通りのものですが、少し表現方法を替えています。
 河野先生の教本を再び読んでみます。
 「打太刀、仕太刀納刀より静かに前進し間に至るや打太刀は抜刀するや上段より仕太刀の真向を斬下さんとす。
1、打は左手を鯉口に把り乍ら右足より進み左足を進め柄に右手をかけるや右足を進めて刀を抜きかける。(次に左足にて抜きとりて上段となり右足を踏込みて斬下す)
1、仕は右足左足右足と出で柄に手をかけるや左足を右足の側面に大きく踏出し乍ら刀を抜かんとす。
1、打太刀は左足にて上段となり右足を踏込みてまさに斬下さんとす。
1、仕太刀は左足を踏出して刀を前額上に刀表を上にして斜に構へ敵刀をまさに受流さんとす。
 打太刀右足を踏込みて仕の真向に斬り下すを、仕太刀は右足を左足の右後方に踏み込みつゝ上体を左に披き乍ら(上体を剣先と共に左に廻し乍ら後ろに反らせ敵刀を摺り落す)打太刀の刀を受流す。
 仕太刀は敵刀を受流すや、右足を左足の位置に踏み揃へ(体を左斜に向ける)中腰にて(諸手となりつゝ)打太刀の首に斬下す。
 次に互に元に復しつつ中段となり五歩後進す。(納刀せず)
 福井先生の「・・する」が河野先生は「・・せんとす」という処は河野先生は添付されている写真の状況を示している表現です。福井先生はそこを動作として表現しています。
 河野先生の仕の抜刀の処で「仕が柄に手をかけるや左足を右足の側面に大きく踏出し乍ら刀を抜く」所の左足の踏み出しは、福井先生は「左足を右足の右側に大きく踏み出しながら刀を刀を抜き」と言って右足の右側と特定されています。
 「左足を右足の右側に」とは右足を左足が越して右足の小指側の側面に左足を踏み爪先を打に向けて踏むのでしょう。ここはビデオを見てみましょう。
 敵刀を河野先生は「受流す」と「摺り落す」の両表現です、福井先生も「受流す」と「摺落す」と両表現です。
 受け流しと摺り落としは同じ事と言っている事になります。
 河野先生は、打が真向に斬り下すや、仕は刀を前額上に刀表を上にして斜に構へ敵刀を受け流すのですが、右足を左足の右後方に踏み込みつゝ、剣先と共に上体を左に披き乍ら後ろに反らせ敵刀を摺り落しています。
 福井先生も同様です。ここも河野先生のビデオでは上体を後ろに反らせる動作が不明瞭に思えました。
 河野先生は、仕は受流すや、左足の右後方に踏み込んだ右足を左足の位置に踏み揃えると教本には示されていますが、逆に右足の位置に左足を退いています。
 更にその際諸手となりつつどころか、即座に諸手となって斬り下ろしていました。
 福井先生も足捌きは右足を左足の位置に踏み揃える教えです。受流すや諸手となって斬り下ろす、と断定されています。
 河野先生と同様の足運びで、鍔留から仕切りの位置に五歩で戻っています。
 受流の前進は同様に五歩です、打は右足・左足・右足・左足・右足です。
 仕も右足・左足・右足・左足(右足側面)・右足(左足の右後ろ)で受流しています・斬り下しは、左足先は左へ向き、右足は踏み揃えとなる様に指定されています。
 仕打の間合いは近くなりそうですがビデオを見て見ましょう。
次回は福井聖山先生のビデオにより教本の教えを学びます。
 
 

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曽田本その1の4居合根元之巻原文2小藤亀江伝来居合根元之巻

曽田本その1
4.居合根元之巻
  曽田本免許皆伝目録原文

2、谷村樵夫自庸相伝
  小藤亀江伝来居合根元之巻
原文
  
抑此居合ト申者日本奥刕林之従大明神無想奉傳之夫兵術者上古中古雖有数多之違他流大人小人無力剛力不嫌合兵用云々
末代為相応之太刀爾云手近勝負一命有無極此居合恐者粟散辺土於堺不審之儀不可有之唯依多(㚑の誤)夢処也
此始尋奥刕林崎神助重信云者因兵術望有之林之明神一百有日令参篭其満暁夢中老翁重信告曰汝以此太刀常胸中憶持者得勝怨敵云々
則如㚑夢有得大利以腰刀三尺三寸勝九寸五分事柄口六寸勝之妙不思議之極意一国一人之相伝也
腰刀三尺三寸三毒則三部尓但脇指九寸五分九曜五古之内訟也
敵味方成事是亦前生之業感也
生死一體戦場浄土也
如是観則現世蒙大聖摩利支尊天加護来世成佛成縁事豈有疑哉
此居合雖積千金不真実之人者堅不可授之可恐天罰唯授一人傳之云々

古語曰
其進疾者   其退速云々
此意以貴賤尊卑無隔前後輩不謂達其所作者
許目録印可等無相違

又古語曰
夫百錬之構在則第茨荘鄙與兵利心懸者夜自思之神明佛陀祈忽得利方是依心済身事燦然

天真正

林明神
    林崎神助重信
    田宮平兵衛尉業正
    長野無楽入道槿露斎
    百々軍兵衛尉光重
    蟻川正左衛門宗績
    万野團右衛門信定
    長谷川主税助英信
    荒井勢哲清信
    林六太夫守政
    林安太夫政詡
    大黒元右衛門清勝
    林益之丞政誠
    依田萬蔵敬勝
    林弥太夫政敬
    谷村亀之丞自雄
    楠目繁次成栄
    谷村樵夫自庸
明治三十四年六月十五日
    小藤亀江
明治三十八年六月吉日従実兄亀江伝来
    曽田虎彦

無双直伝英信流居合目録
 1.向身           横雲・虎一足・稲妻
 1.右身           浮雲・山下し
 1.左身           岩浪・鱗返
 1.後身           浪返・瀧落
 
四方切             向・右・左・後
 
太刀打之位      出合・附込・請流・請込・月影・絶妙剱

                            ・水月刀・独妙剱・心明剱

詰合之位        八相・拳取・岩浪・八重垣・鱗形・位弛
               ・燕返・眼関落・水月刀・霞剱
 
大小詰           抱詰・骨防・柄留・小手留・胸捕・右伏
               ・左伏・山影詰  
 
大小立詰        〆捕・袖摺返・鍔打返・骨防返・蜻蜒返
              ・乱曲
 
外之物之大事  行連・連達・逐懸切・惣捲・雷電
・霞
 
上意之大事   虎走・両詰・三角・四角・門入・戸詰
            ・戸脇・壁添・棚下・鐺返・行違・手之内
            ・輪之内・十文字
 
極意之大事   暇乞・獅子洞入・地獄捜・野中幕
            ・逢意時雨・火村風・鉄石・遠方近所
            ・外之剱・釣瓶返・智羅離風車

居合心持肝要之大事
1.捕手和合居合心持之大事
1.立合心之大事
1.太刀目附事
1.野中之幕之大事
1.夜之太刀之大事
1.閨之大事
1.潜り之大事 戸脇之事
1.獅子之洞出之事
1.獅子之洞入之事
右九ヶ条者深秘之極意也非真実之人者努々不可有相伝者也

無双直伝英信流居合就多年御熱心太刀次悉令相伝□向後嗜専要候若御所望之仁於有之者兼而其之人之取罰文御指南尤可仍許免之状如件

明治三十四年六月十五日  
           谷村樵夫自庸
小藤亀江殿
 
*原文のまゝ記載いたしました。次回は読み下し文としてみます。
 

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2018年3月24日 (土)

無双直伝英信流の型 河野百錬先生の六本目受流の2

無双直伝英信流の型
河野百錬先生の六本目受流の2
参考資料
河野百錬著昭和17年1942年大日本居合道図譜
河野百錬昭和44年1969年太刀打之位ビデオ
 河野先生の受流は見事に受け流しているのですが、何故か違和感を覚えます。
 教本では、打太刀は右足から一歩踏み出し二歩目左足を踏みながら柄に手を掛け、三歩目右足を踏み込み刀を抜懸け、四歩目左足を踏込み刀を抜いて上段になり、五歩目右足を踏み込んで仕太刀の真向に斬り下ろします。
 ビデオでは、何故か河野先生ばかりアップしていて、打太刀はとらえられていません。五歩目の斬り下ろししか写っていません。然しこの教本に随えば、五歩真直ぐに進んでいる筈です。
 一方の河野先生の演じる仕太刀は、右足・左足・右足と出て柄に手を掛け、四歩目は左足を右足の側面に大きく踏み出し乍ら刀を抜かんとする。
 この左足の踏み出しは、右足の側面とは何処かポイントが教本では掴めません。右足の右前に爪先を右方に向けて踏出すと解するのは、この受流を正座の部や、奥居合之部立業を稽古して来たのでその様に勝手に理解する事になります。
 相対する敵との進行線上を双方歩んで来て、打が打ち込まんとする時、進行線上の右側に仕は踏み込んで体を替る。
 打の打ち込まんと踏み込む右足の線上の打から見て左側に踏み込む事になります。仕の上体は元の線上に残せば、上体は打に正対し、腰から下はねじれて左半身になっています。
 打は右足を、進行線上に其のまま踏込み仕の真向に打ち込むや、仕は右足を左足の右後方に踏込みつゝ上体を左に披き乍ら(上体を剣先と共に左に廻し乍ら後ろに反らせ敵刀を摺り落す)打の刀を受流す。
 これは、まさに逃げ流しの足踏みに相当します。相手の刀を鍔元6、7寸で請ける事は出来ません。
 完全に一身幅右へ進行線上からずらせています。打の刀は進行線上を真直ぐ下りてきますから刀身70cmの刀ならば、前額上で鍔元20cmですから残り50cmの内左肩までが20cm程ですから30cmは左肩外に出ています。敵刀は仕の刀身切先から30cm辺りに打ち込まれてくるはずです。刀を左下がりに受け流しの形を取っていれば切先から20cm位の処に打ち込んでこられる筈です。
 受け流しと言うより逃げ流し、あるいは摺落としの状況でしょう。上体を剣先と共に左に廻して反らせれば完璧に敵刀は仕の左側面を摺り落ちて行きます。
 河野先生のビデオも其の通りでしょう。
* 
 摺り落すや、「仕は右足を左足の位置に踏み揃へ(上体を左斜に向ける)」と教本は述べているのですが、ビデオでは、仕は右足はその位置にとどまり、左足を右足に引き付けて上段に振り冠って諸手となって斬り下しています。
 この左足の右足への踏み替えは、打との間が近すぎて右足を踏み込めない為によるものです。
 それは、あえて物打ちで切らんとする意識が邪魔しています。
 間が近くなるのは、五本目の鍔留を終了して元の位置に双方五歩で戻っています。
 そこから五歩双方踏出しています。斬り込むための前進歩行と、元の位置に戻る後進歩行との歩幅の違いが出てしまいます。
 もう一つは、教本は「中腰となって諸手となりつゝ斬り下ろす」、と特定していますが、受け流すや、左手で柄を取りに行っていますので、ここは諸手で斬り下ろす、と云う事になってしまっています。
 更に、「上体を剣先と共に左に廻し乍ら後ろに反らせ敵刀を摺り落す。」の教本の部分は左足を右足に引き付けてしまいましたので、左回転が不十分な上、此の動作をせずとも、逃げ流しによって打の刀は摺り落ちていますから意識から消えてしまったと思えてしまいます。
 仮想敵相手に一人演武の受流では出来ている動作が、少しの違いで教本通り出来なくなる良い見本でしょう。
 状況から見事に目的を果たしたと言えるのですが、ビデオや先輩の動作だけを頼りにする組太刀はあらぬ方に行ってしまう事にもなりそうです。
 相手刀を真向に受けて流すと解釈する受け流しと、斬り込む相手の刀を抜きつつ摺落とすことと、逃げ乍ら摺落す事を、同じ事と解釈する事は出来ません。明らかに動作が違うものです。
 中途半端な事をせずに、筋を替って相手の刀を受けずに抜き打つ事も出来て当たり前です。受けて流すことの意義を考えて見るところでしょう。
 次回は福井聖山先生の受流です。
 
 

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曽田本その1の4居合根元之巻読み解く1小藤亀江伝来序文

曽田本その1
4居合根元之巻原文
1、小藤亀江伝来序文
 本目録ハ昭和二十年七月四日午前二時
高知市爆撃ノ際家財道具一切
ト共二焼失ス           印
 谷村樵夫自庸先生相伝
 免許皆伝目録
 従 実兄小藤亀江 伝来  後復帰而 土居 姓
    旧姓 土居事曽田虎彦 新蔵
読み
 本目録は昭和20年7月4日午前2時 高知市爆撃の際 家財道具一切と共に焼失す 印
 
 谷村樵夫自庸先生相伝 免許皆伝目録
 実兄小藤亀江 従り伝来 後復帰して 土居姓
 旧姓 土居こと 曽田虎彦 新たに蔵す
読み解く
*
 居合根元之巻
 曽田本には土佐の居合の免許皆伝目録いわゆる根元之巻が記載されて居ます。
 明治34年(1901年)6月15日に谷村樵夫自庸から小藤亀江に伝授された根元之巻です。
 谷村樵夫自庸は谷村派第15代谷村亀之丞自雄-楠目繁次成栄-谷村樵夫自庸と連なる系統になります。
 谷村派第15代谷村亀之丞自雄の系統は、第16代五藤孫兵衛正亮-第17代大江正路蘆洲と道統を繋いでいるとされます。
 第17代大江正路先生も何人かに根元之巻を授与されていますのでその系統は土佐の居合を引き継ぎ伝統を次代に引き継いでいく使命を預けられたとし、中には土佐の居合の宗家であると自認している方もおられるようです。
 宗家紹統印可と業技法の奥義を窮めその伝授を允可する根元之巻との区別が不透明な事によると思われます。
 第20代河野百錬宗家の昭和30年発行の無双直伝英信流居合兵法叢書では河野百錬先生に第19代福井春政先生より昭和25年1月3日付けで居合根元之巻が伝授され、同年5月に「無双直伝英信流居合兵法正統第20代宗家紹統印可」が授与されて居ます。
 後に河野宗家は、正統では無い傍系宗家を名乗る者が現れ苦慮されています。現在も多々見受けられます。
 土佐の居合の流名について、無双直伝英信流と名乗る事について、何時からどの様な経過で名乗ったのか良くわかりません。

 河野先生の「無双直伝英信流居合兵法叢書」では、大江正路先生相伝長谷川流居合術伝書と題し、居合術根元之巻が弘化2年1845年乙巳12月18日に谷村亀之丞自雄から伝授者山内豊惇(とよあつ・第14代土佐藩主)への伝書が掲載され、其処には既に業目録に「無双直伝英信流居合目録」奥付けに「敬白去天保11(1840年)康子年3月26日臣自雄所学之無双直伝英信流居合術 可奉授」と流名が付記されて居ます。

 天保11年1840年には谷村派第15代谷村亀之丞自雄は無双直伝英信流を学び終えていて山内豊惇に可奉授と云う事になります。
 谷村亀之丞自雄の師は谷村派第14代林弥太夫政敬であろうと思います。
 今回の曽田本免許皆伝目録に依る居合根元之巻は明治34年(1901年)6月15日に曽田先生の実兄小藤亀江のち土居亀江に伝授された伝書で、其処には業目録では「無双直伝英信流居合目録」とあり、奥付けには「無双直伝英信流居合」と明記されて居ます。
 無双直伝英信流の流名を大江先生が名乗った様に聞こえて居ますが、大江先生は嘉永5年1852年生まれですから有りえない事になります。
 平尾道雄著土佐武道史話(昭和36年1960年発行)に下記の様な文章があります。
 
 「文化の頃・・土佐ではこの頃長谷川流と大森流が行われていたらしい。
 後年この流は統一されて、大正の末期には無双直伝英信流、略して英信流とよぶことになったので、これは大江正路の主張によるものであった、英信流は目録を授けて免許とし、根元の巻を授けて皆伝とする。
 目録は位を7にわけて76業あり、ほかに9ヶ条の口伝をそえて純然たる居合道をたてたものである・・」
 この文章に大江先生が命名された様に、大江びいきの方に依って惑わされたようにも思います。
 ついでながら、大江正路宗家が授与されたであろう根元之巻や宗家紹統印可などは、存在したかかどうかわかりません。
 大江先生の発行されたものは見られます。

 尚、この曽田本の居合根元之巻は谷村派の系統でありながら、曽田先生は小藤亀江の後に自らを、明治38年6月吉日 従実兄亀江伝来 曽田虎彦と書かれて居ます。
 この小藤亀江の根元之巻は、「本目録は昭和20年7月4日午前2時高知市爆撃の際家財道具一切と共に焼失す」と曽田先生は書かれて居ます。
総務省による高知市における戦災状況から空襲の概況
「高知市が初めて空襲を受けたのは昭和20(1945)年1月19日の夜、B29が神田地区の吉野に爆弾を投下し、3月4日には土佐湾に侵入投爆したと伝えられ、同7日午前1時に桟橋通りに爆弾6個を投下して若干の被害を生じた。3月19日にはグラマン数十機が侵入、仁井田から長岡郡日章村(現南国市)の海軍航空隊を攻撃している。5月24、25両日にわたって首都東京に徹底的空襲を加えた。

 アメリカ空軍は、次第に地方都市爆撃を強化、高知市も6月になって1日、7日、15日、19日、22日、26日と6回にわたって来襲を受け、そのたびに被害を生じたが、22日には市の上空でB29編隊のうち1機を地上砲火で撃墜することができた。6月26日来襲したB29 1機は、報復的に市内東部に大型爆弾を投下し、2回目には市上空を旋回して投下した爆弾は浦戸湾に落ちたので被害はなかった。7月4日早暁の空襲は最も大規模なもので、単機または2機、3機による波状攻撃で総数50機ないし80機と数えられ、焼夷弾は雨の如く、市街地の大部分は焦土と化した。市の上空で接触したB29両機が空中分解して落下したほどで、それによっても空襲の激しさが推察されるだろう。同24日午前B29 1機が来襲11トン爆弾3個を投下したが、これが高知市が受けた最後の空襲であった。
(高知市戦災復興史より抜粋)」

「昭和20(1945)年7月4日:午前2時、B29編隊50~80機潮江地区、小高坂方面、市街中心部に油脂焼夷弾大量投下。罹災面積4,186,446平方m、罹災戸数11,912戸、罹災人口40,737名、被害人員712名(内訳死亡401名、重傷95名、軽傷194名、不明22名)、被害建築11,912戸(内訳全焼壊11,804戸、半焼壊108戸)

  • 昭和20(1945)年7月24日:午前11時35分、B29山内家本邸目指し来襲、鷹匠町及び唐人町に1トン爆弾3個投下。死亡5名、重傷5名、軽傷10名、全壊26戸、半壊106戸、罹災者700名」
  •  何となくこの根元之巻の序文のその文字に無差別爆撃の戦火に失ったものへの激しい怒りとあきらめを感じてしまいます。
     

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    2018年3月23日 (金)

    無双直伝英信流の型 河野百錬先生の六本目受流の1

    無双直伝英信流の型
    河野百錬先生の六本目受流の1
    ・資料
    河野百錬著昭和17年1942年大日本居合道図譜
    大江正路・堀田捨次郎共著大正7年1918年剣道手ほどき
    野村條吉著昭和40年1965年無双直伝英信流居合道能参考
    山本宅治守誠述英信流居合之形
    辻川新十郎記昭和44年1969年宇野又二伝無双直伝英信流居合
    山越正樹編平成14年京都山内派無双直伝英信流居合術
    河野百錬昭和44年1969年太刀打之位ビデオ
     打太刀、仕太刀納刀より静かに前進し間に至るや打太刀は抜刀するや上段より仕太刀の真向を斬下さんとす。
    1、打は左手を鯉口に把り乍ら右足より進み左足を進め柄に右手をかけるや右足を進めて刀を抜きかける。(次に左足にて抜きとりて上段となり右足を踏込みて斬下す)
    1、仕は右足左足右足と出で柄に手をかけるや左足を右足の側面に大きく踏出し乍ら刀を抜かんとす。
    1、打太刀は左足にて上段となり右足を踏込みてまさに斬下さんとす。
    1、仕太刀は左足を踏出して刀を前額上に刀表を上にして斜に構へ敵刀をまさに受流さんとす。
     打太刀右足を踏込みて仕の真向に斬り下すを、仕太刀は右足を左足の右後方に踏み込みつゝ上体を左に披き乍ら(上体を剣先と共に左に廻し乍ら後ろに反らせ敵刀を摺り落す)打太刀の刀を受流す。
     仕太刀は敵刀を受流すや、右足を左足の位置に踏み揃へ(体を左斜に向ける)中腰にて(諸手となりつゝ)打太刀の首に斬下す。
     次に互に元に復しつつ中段となり五歩後進す。(納刀せず)
     
     大江先生の請流と、左足の踏み込みが「右足の側面に踏み出す」処など其の儘でしょう、さして違いは無さそうです。
     しかし、打の斬り下ろしを左足を更に踏出して受流す様に読めますが、右足側面に踏み出した左足の位置を変えず、右足を左足の右後ろに踏込み受け流すのでしょう。
     受流の動作が受けて流すのか逃げ流しの様に摺り落すのか気になる所です。後でビデオでチェックしてみましょう。
     河野先生の受流も正座の部の受流を立業にした様な雰囲気です。
     意義:敵左方より斬込み来たるを受流して其の首(敵体の流れたる角度に依りては首とも一定せず)に斬り下して勝つの意なり。
     正面より右向に(約45度位い)端坐し左足を少し右前に踏み出し乍ら刀を外方に傾けて抜き出して立ち上がる。抜き放ちて敵刀を受けんとす。
    註、刀刃は後方に向け、剣先を下げ、己が前額部と左肩の上に構ゆ。
     右足を右前に進め乍ら敵刀を受け流す。
    註1、受流す時、左肩は剣先の廻るに連れて左後方に披く様にし、上体も少し後にかかり左に向ける。
    註2、着眼はどこ迄も敵の眼にし刀を見ぬ事。
     受流しながら剣先を、左に廻して体を敵の方に披き直りつゝ上段となる。
     上段となるや刀を振下しつゝ直ちに諸手となり(振下す途中胸の高さの辺りにて左手をかける)左足を踵の位置で踏替へて爪先を正しく適の方向に向け右足を左足の位置に踏み込みて中腰にて斬下す。
    註1、両膝の間隔は約三寸程とす。
    註2、左右の足は密着せず膝部にて一握りあけて踏む事密着すると体弱し。
     静かに十分の残心を以て左足を後方に退きつゝ刀を徐々に引き刃を前に向け剣先を膝に軽くのせる・・以下略。
     第18代穂岐山波雄先生の弟子野村條吉先生の英信流居合之形「受流」
     大江先生御存命中にしばしばご教授いただいたであろうと思います。大江先生の請流と聊か違和感を覚えます。
     仕太刀:左手にて鞘の鍔際を握りて前進、中央より稍手前にて打太刀が刀を抜き初めたる時左足を右に、刀を抜き、正座の受流より多く刀を左に出して受け流し、右足を右後に踏み、打太刀の泳ぎたる方向に両足を揃え打太刀の首を斬る・・以下略。
     野村先生の受流の左足捌きは右足の前に爪先を右前に向ける様に読めます。
     次の「正座の受流より多く刀を左に出して受け流す」の本意が何処にあるのか解りません。
     正座の受流の場合、「左足を右斜前に踏み出すと同時に刀を其方向に抜き次に右足を右後に軽く引き敵刃を左頭上に受け体を沈めてこれを受流し左足を其まゝの位置にて斜左に向きを踏み換え・・」
     文言に抜けがあるのか、表現が曖昧なのか、読み手が未熟なのか、野村先生の系統の方からご教授賜りたく思います。
     もう一人、大江先生直伝でしょう、山本宅治先生の請流
     「打太刀は発足するや直に刀を抜いて上段より間合を見て仕太刀の正面を斬り体を前に屈す。仕太刀は打太刀が上段にとるや其れに応ずべく刀を半分ぬきつゝ進み、打太刀が打ち下す瞬間左足を右足前に踏み込みて受け流しつゝ右足を大きく右後に踏み、上体を打太刀の方向になしつゝ振り冠り上段より打太刀の首を斬る。・・以下略」
     山内派の受流は奥居合立業の受流から読み取ります。
     「歩みつつ左足の足先を右に出すと同時に下方に抜刀。頭上にて差し表の鎬にて相手の刀を受流し、右足を足先斜め左に向け片手にて斬下ろすと同時に左足を大きく斜左に踏み出し次に右足も左足に揃う如く踏出す。斬下ろすと左手柄頭を握る・・」
     口伝に依らなければ意味不明の部分もある様ですが、相手刀を受けると同時に左へ回転しながら受け流すと読めばいいのでしょう。
    次回は河野先生のビデオと教本の対比です。
     
     
     
     
     
     
     
     

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    曽田本その1の4居合根元之巻原文1小藤亀江伝来序文

    曽田本その1
    4居合根元之巻原文
    1、小藤亀江伝来序文
     本目録ハ昭和二十年七月四日午前二時
    高知市爆撃ノ際家財道具一切
    ト共二焼失ス           印
     谷村樵夫自庸先生相伝
     免許皆伝目録
     従 実兄小藤亀江 伝来  後復帰而 土居 姓
        旧姓 土居事曽田虎彦 新蔵
    読み
     本目録は昭和20年7月4日午前2時 高知市爆撃の際 家財道具一切と共に焼失す 印
     
     谷村樵夫自庸先生相伝 免許皆伝目録
     実兄小藤亀江 従り伝来 後復帰して 土居姓
     旧姓 土居こと 曽田虎彦 新たに蔵す

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    2018年3月22日 (木)

    無双直伝英信流の型 大江正路先生の六本目請流

    無双直伝英信流の型
    大江正路先生の六本目請流
    資料
    大江正路・堀田捨次郎共著大正7年1918年剣道手ほどき
    古伝神傳流秘書
     刀を腰に差したるまゝ、静に出で打太刀は刀を抜きつゝ左、右足と踏み出し上段より正面を斬り、體を前に流す、仕太刀は左足を右足の側面に出し、刀を右頭上に上げ受け流し左足を踏み変え右足を左足に揃へて體を左へ向け打太刀の首を斬る、仕太刀は左足より左斜へ踏み、打太刀は左足より後へ踏み、退きて青眼となり次の本目に移る
     この業手附は、古伝の太刀打之事の請流ではありません。
     古伝神傳流秘書の大森流之事六本目流刀の正座の業を大江先生は独創され、立業の組太刀とした様です。
     「流刀:左の肩より切て懸るを踏出し抜付け左足を踏込抜請に請流し右足を左の方へ踏込み打込む也扨刀をすねへ取り逆手に取り直し納る膝をつく」
     古伝神傳流秘書の太刀打之事三本目請流
     「遣方も高山相手も高山或は肩へかまへるかの中也待処へ遣方歩行右の足にて出合ふ打込を打太刀請扨打太刀の方より少し引て裏を八相に打を左足にて出合ふて留相手又打たんと冠るを直に其侭面へ突込み相手八相に払ふをしたがって上へ取り右の足にて真甲へ勝」
     曽田先生はこれは大江先生の獨妙剣の元になった業だろうと云って居ます。仕が打の面に突き込み打がそれを拂い、仕は払われるに従って振り冠って打ち込む部分が相当すると言うのでしょう。似ていなくもないのですが扨どうでしょう。
     この、大江先生の請流は大森流之事の流刀を立業に変えたもので業名を古伝の太刀打之事三本目の請流から盗用したのでしょう。
     ベースが良く出来ていますから、概ねこのような方法で引き継がれていると思われます。
     打太刀に斬り込まれ、、仕太刀は「左足を右足の側面に出し、刀を右頭上に上げ受け流し」
    の部分ですが、斬り込まれるや、「左足を右足側面に踏み込み、刀を右頭上に上げ受け流し」でしょう。
     正面で正対して、敵が真向に打ち込む刀を受けて流すのでしょう。受流すや左足を敵の方に振り向け右足を踏み揃えて、我が左に受け流された敵に向き直り打の首を斬る。
     演武では敵が打ち込んで受け流されると上体を屈めて首を斬れと誘うのですが、英信流の真向打ち下しは、しっかり上体を立てて斬り込む様稽古しています。たとえ受流されても態勢は崩さないのが道理です。
    *
    大江先生の正座之部請け流し(足踏みは三角形とす)
     「(右斜向にてもよし)右向となりて正座し敵が頭上に切り込み来るのであるから右斜横に左足を踏み出し中腰となりて刀尖を少し残し手左膝に右黒星を付け抜き、右足を體の後に出すと同時に残りが刀尖を離れて右手を頭の上に上げ、刀を顔面にて斜として刀尖を下げて請け流し、右足を右横へ摺リ踏みて左足に揃へ、左斜向に上體を変へ稍や前に屈し、刀は右手にて左斜の方向に敵の首を斬り下し、下す時左手を掛ける。以下略す」
     正面から斬って来られても良い様に、我が体を右斜め前向きにして座しています。組太刀の請け流しも敵は正面から来るのですが、左足の踏み込む位置で正座の請け流しの様に上体は正面向き下半身は左半身の状況を作っているのです。
    * 
    次回は河野先生の請け流しです。
     
     
     
     

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    曽田本その1の3業付口伝読み解く4大小立詰7移り

    曽田本その1
    3業付口伝読み解く
    4、大小立詰
    七本目移り
     (伝書二ナシ口伝)敵後ヨリ組付キタルヲ我体を落シテ前二投ル也
     (後ロゟ組付體ヲ下リ前ヘ投ケル 五藤正亮先生ノ教示)
    読み
    七本目移り(うつり)
     (伝書になし口伝)敵後より組付きたるを我体を落として前に投げる也
     (後ろより組付く体を下り前へ投げる 五藤正亮先生の教示)
    古伝神傳流秘書大小立詰七本目電光石火
     如前後より来り組付を躰を下り相手の右の手をとり前二倒春
     以上七本
    読み
    古伝神傳流秘書大小立詰七本目電光石火(でんこうせっか)
     前の如く後より来たり組付くを体を下り 相手の右の手を取り前に倒す
     以上七本
    読み解く
    *
    曽田先生は第14代谷村亀之丞自雄の業附口伝書には無いけれど口伝があるので書き込んだと言うのでしょう。後ろから羽交い絞めにされたので体を低くして前に投倒すという技です。

    伝書に無いと言うのは、谷村派15代には伝書で伝わっていないと言うことでしょう。古伝神傳流秘書には「電光石火」という業名であります。
     「前の如く後より来り組付を体を下り相手の右の手を取り前に倒す」


     すごい業名です電光石火です。後ろから組付かれた時は即座に相手の右手を取って体を沈めて前に投げる。一本背負いを彷彿とさせます。
     後ろから羽交い絞めにされたので、相手の右手をそのままでは取れそうもない場合は、体を沈めて相手の手が緩んだ処を一本背負いでしょう。

     業名は業附口伝の大小立詰めでは「移り」になっていますが手附は神傳流秘書の大小立詰の電光石火とほぼ同様です。
     これらの業は業では無いので変化極まりなし、よりよい方法、状況に応じた瞬時の判断を研究すべきでしょう。

     以上七本で大小立詰は終わります。
     此処も相手は小太刀、我は太刀を帯して行います。
     この大小立詰は見る機会が殆ど有りません。之だと言う伝系も有るのか無いのか失伝してしまった業でしょう。

    嶋 専吉先生の第19代福井春政先生の大小立詰移り
    「伝書になし、口伝 打太刀仕太刀の後方。 打太刀後より組付き来るを仕太刀体を落して前に投るなり。」

    *曽田先生の業附口伝と同じです。嶋 専吉先生の「無双直伝英信流居合術形乾」を終了します。これは第19代福井春政先生の業技法を垣間見れる現在唯一手元にある貴重な資料です。

    以上で業附口伝を終わります。

     業附口伝は土佐の居合の下村派15代行宗貞義先生の弟子曽田虎彦先生が谷村派の16代五藤正亮先生、谷村派14代谷村自雄先生の業附口伝書をもとに田口先生(?)と実兄の谷村派土居亀江先生の口伝に依って、谷村派・下村派竹村静夫先生と実演したもので参考にまとめたものと序文に書かれています。

     ここには組太刀が4種類記載されていました。太刀打之位・詰合之位・大小詰・大小立詰です。
     神傳流秘書にあった大剣取がありません。
     英信流目録にあった小太刀之位もありません。
     業の細部は古傳神傳流秘書の太刀打之事・詰合・大小詰・大小立詰と異なる業名、その順番や動作がありますが、おおかた同じものと云えます。

     江戸末期から明治にかけて細々と稽古されていたもので現在の夢想神傳流にも無双直伝英信流にも失伝してこれらを全て打てる道場は少なかろうと思います。
    現在打たれている無双直伝英信流居合道形は谷村派第17代大江正路先生に依る太刀打之位を元にした独創形であって、古傳太刀打之事或は太刀打之位とは別物です。

     この業附口伝のそれぞれの形は、一対一の攻防ですから、居合ならば正座の部、立膝の部が何とか理解出来、竹刀剣道、柔道、合気道などを少々齧って居れば手附だけで形を打つ事は出来るはずです。
     但し、武術として学ぶには奥深いものがあるので申し合わせの形の認識であったり、誰々師匠の直伝位の認識では形を順番に従って打てただけに終わりそうです。
     これ等を稽古するには文章をよく読み、それに従って書かれている通り演じてみることが大切です。
     どうしても抜けがあってどうしたら良いかわからない事がある時は幾つも想定して次の動作と違和感のないものを選択するのがよいでしょう。

     ここにも習い・稽古・工夫のスパイラルが求められます。習いと言っても、現代の居合の師匠では、一人演武の居合以外は古伝は全く知らない高段者が殆どです。

     現在師伝としてあるものは、大凡曽田虎彦先生の書かれた「業付口伝」を参考にされている様です。
     土佐の居合の第九代林六太夫守政が第八代荒井兵作(勢哲)(信定)清信、第七代長谷川主税之助英信より伝授されたもので「古伝神傳流秘書」によるものとは異なる部分もあって、古伝を紐解き研究すべきでしょう。

    現代の無双直伝英信流居合は第17代大江正路先生の居合であって、江戸時代に土佐にもたらされた総合武術による居合では無いのです。

     古伝の文章が土佐に伝わる組太刀の師匠であり、現存する武術流派の業技法や自分の武的力量の達成度も師匠でしょう。
     そして、何より大切なのは、志を一にする仲間と、、古伝の手附を読み合いお互いを師と仰ぎ座学と実技を理解し合い、自分の道場へ帰って磨き上げる事かも知れません。


     第9代林六太夫守政が土佐にもたらした神伝流秘書の数々とは聊か異なる部分もありますが、業附口伝に書かれたものは大方古伝に近いものと云えるでしょう。

    業附口伝の印刷された資料

    河野百錬著昭和13年1938年発行無双直伝英信流居合道 第五節居合形之部第二~第五に文責筆者として曽田先生の業附口伝が書かれています。

    島専吉著昭和17年1942年発行無双直伝英信流居合術乾
     戦時中に嶋専吉先生は土佐に赴き、第19代福井春政先生や田岡傳先生に直接指導を受け、その際福井先生の資料を書き写されたものです。内容は曽田先生の業附口伝と同じですが一部改変されています。
     太刀打之位、詰合之位、大小詰、大小立詰、外之物之大事、上意之大事、極意之大事などが記載されている貴重な資料です。

     

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    2018年3月21日 (水)

    無双直伝英信流の型 福井聖山先生の五本目鍔留

    無双直伝英信流の型
    福井聖山先生の五本目鍔留
    資料
    福井聖山著平成3年1993年無双直伝英信流之形太刀打之位
    平成2年1992年第9回無双直伝英信流居合道全国大会講習資料太刀打之位要旨
    福井聖山昭和57年1982年太刀打之位ビデオ
    河野百錬著昭和17年1942年大日本居合道図譜
    大江正路・堀田捨次郎著大正7年1918年剣道手ほどき
     打太刀中段、仕太刀下段より前進す。双方間に接するや上段となり、大きく相手の真向に斬下し相打となる。
    註、このとき刃の接する部分は頭より少し上部になる。
     互に右足を進めて腰を落し、鎬を削る如く摺込みて鍔元にて押合う。
    註、腰を退かず、互に丹田にて押合うべし。
     双方十分鍔元を押し弾きて互に右足を退き、体を右に披き左半身となり脇構えとなる。
     打太刀は直ちに上段に変じて右足を踏込むや仕太刀の左股(膝口)に左斜下に斬下すを、仕太刀直ちに左足を十分大きく後方に退きて空を打たせ、上段となるや直ちに打太刀の真向に斬り下す。
    註、間遠きときは右足を少し踏込みて斬下すこと。
     次に打太刀は二歩退き互に中段となり、五歩後退し血振い納刀す。
     福井聖山先生の教本の文言は河野先生の教本と略同じです。
     「註、このとき刃の接する部分は頭より少し上部になる。」の注意書きが新たに挿入されています。
     意味不明な運剣の特定です。河野先生の教本ではこの部分の写真が挿入されていますが、其処には刃の接する部分が双方の頭より一拳ほど高い位置で刃中で接している様です。然しその刀は双方とも剣先が略垂直な打ち合わせです。
     この状況での真向打ちでは、双方鍔でストップされ双方の頭上に届かない、鍔でのストップが無ければ双方の刀は物打ち下で頭上に斬り込んできます。 
     此処は無理やり右手を上に上げて鍔留になる様にする準備動作の様です。
     遠間での真向打ち合いで、双方の中央で無理やりストップさせているよりは良いかとも言えますが、不自然です。
     後は河野先生と少しも変わらない文言になります。
     早速、福井先生のビデオで、教本の動作を学んでみます。
     打右足前の中段、仕右足前の下段、右足から足先を滑らせる剣道型の歩行法で、右足から踏み出し、左足出すとき稍々後ろに反る様に双方上段に剣先下がりの英信流の振り冠りで振り冠り、右足を踏出し真向に打ち込みます。
     絶妙剣、独妙剣で見せた意味不明な双方睨み合う立ち止まりはここではありません。
     仕打の間が遠い為に打ち下ろした切先の軌道は相手に届かない、双方左足を右足に追い込んで無理やり間を接近させています。
     相打の状況は「刃の接する部分は頭より少し上部になる」の教えは出来ず、剣先は斜めに相手に向い、打が上太刀になって仕打共鍔元近くで頭部と同じ高さ、右拳は仕は鼻、打は額の前になっています。
     右足を進めて鍔競り合いに入ります。
     鍔押しの仕方は双方の両拳が撞き合う方法で、刀が前後左右に動かせないもので参考になります。
     鍔押しから双方剣先を高くして右足を退き脇構えになります。体を右に披いた入身になり、剣先を下げています。刃は外向きに見えます。双方後ろ足(右足)に重心が乗っているようで特に打は不自然です。
     仕の柄手の位置がやや後ろ過ぎに見えます。重心の位置によるものでしょう。打の攻撃を予期した待ちの体勢としておきます。、
     脇構から一呼吸あって打は、右から上段に振り冠るのですが、運剣のさい、右手を上に上げて引っ冠れば良いのですが、剣先を前に移動させてから右手を上げる不器用な冠り方です。
     さすがに、仕は左足を右足の後方迄引いていますが、右脇から剣先が無駄なく背中に移動して見事です。
     左足は右足に引き付けるだけで充分打の斬り込みは外せそうです。打は頭を低く垂れて前のめりになってくれるので、稍々踏み込む程度で打ち込めています。
     打は斬られる時、体を俯ける事を要求されますが、通常の居合では体軸をしっかり立てて斬り込んでいます。形稽古だと言っても過度の前傾は疑問です。
     役者の演ずる殺陣より、わざとらしい演舞で良いのでしょうか。
    次回は請け流しです。
     
     
     
     

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    曽田本その1の3業付口伝原文4大小立詰7移り

    曽田本その1
    3業付口伝原文
    4、大小立詰
    七本目移り
     (伝書二ナシ口伝)敵後ヨリ組付キタルヲ我体を落シテ前二投ル也
     (後ロゟ組付體ヲ下リ前ヘ投ケル 五藤正亮先生ノ教示)
    読み
    七本目移り(うつり)
     (伝書になし口伝)敵後より組付きたるを我体を落として前に投げる也
     (後ろより組付く体を下り前へ投げる 五藤正亮先生の教示)
    古伝神傳流秘書大小立詰七本目電光石火
     如前後より来り組付を躰を下り相手の右の手をとり前二倒春
    読み
    古伝神傳流秘書大小立詰七本目電光石火(でんこうせっか)
     前の如く後より来たり組付くを体を下り 相手の右の手を取り前に倒す
     

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    2018年3月20日 (火)

    無双直伝英信流の型 河野百錬先生の五本目鍔留の2

    無双直伝英信流の型
    河野百錬先生の五本目鍔留の2
    参考資料
    大江正路・堀田捨次郎共著大正7年1918年剣道手ほどき
    嶋 専吉著昭和17年1942年無双直伝英信流居合術乾
    河野百錬著昭和17年1942年大日本居合道図譜
    昭和44年1969年河野百錬太刀打之位ビデオ
     大江先生も河野先生も打太刀中段、仕太刀下段、この次の動作から何を意味するのか理解に苦しむ双方の構えです。
     何故、古伝の太刀打之事や、曽田先生が復元された様に打太刀八相、仕太刀下段を反故にしたのでしょう。
     大江先生は、無双直伝英信流の組太刀よりも、江戸末期から土佐に流行っていた小栗流を持ち込んできたのだろうと思えますし、一刀流によって大日本武徳会が席巻されつつある時期ですからそれも考慮したかも知れません。想像するだけでよく解らない所です。
     それにしても、間境で上段に振り冠って合し打ちして、相打。合し打ちの相打って何でしょう。
     ある地区のこの一刀目の相打ちは、真っ直ぐ打ち込んでいる積りがバッテンの十文字請けばかりです。
     もう一度古伝を読み直します。この業の元は古伝神傳流秘書抜刀心持之事五本目月影「打太刀冠り待所へ遣方右の脇に切先を下げて構え行て、打太刀八相に打を切先を上て真甲へ上て突付て留め、互に押相て別れ両方共車に取り相手打をはづす、上へ冠り打込み勝」
     古伝の運剣ならば、太刀打の場面が目に浮かびます。
     曽田虎彦先生の実兄による口伝から谷村派15代・16代の太刀打之位五本目月影
    「仕下・打八 是も同じく抜て居る也、相懸かりにても待ちかけても不苦、敵八相にかたきて待ちかくる也、敵八相に打処を出合て互に押合、又互に開き、敵打込む処を我左足を引き立ち直りて打込み勝也」
     江戸時代末期から明治にかけての太刀打之位月影の手附ですが、肝心な、打はどの様に八相から打ち込み、仕は下段から応じるのかのところがすっぽ抜けです。まともに稽古して居なかったとしか言い様は有りません。
     曽田先生の手附を元に復元された第19代福井春政先生の太刀打之位月影
     是は、土佐に戦時中武者修行に行かれて第17代福井春政先生、田岡 傳先生に直に指導を受けられた嶋 専吉先生が福井先生の手附により記述されたものです。
    「八相に構へて互に前進、間合を取り(此場合稍々間合を近くとる)、打太刀八相より仕太刀の頭上に打込み来るを仕太刀之に応じて同じく打合は拳が行き合ふ瞬間鍔元にて押し合ひ更に双方右足を大きく退きて稍々半身に體を開き剣尖を低くして脇構へとなり続いて打太刀は右足を一歩踏込み上段より仕太刀の左股に斬り込むを仕太刀十分に左足を退きて空を打たせ、立直りて右足を一歩踏出し上段より打太刀の頭上に打下す。刀を合せ互に五歩退き血振ひ納刀。」

     何処か河野先生の大日本居合道図譜の太刀打之位五本目鍔留に似ており、おかしな混線もある様です。
     古伝の月影
     神傳流秘書の古伝は敵八相、我下段
     曽田先生は敵八相、我下段。
     福井春政先生は古伝なのに相方八相から始まります。
     
     大江先生の鍔留
     大江先生は敵中段、我下段。
     河野先生は敵中段、我下段です。
     福井春政先生は古伝月影でも八相から双方上段に振り冠ってから真向打ちです。これでは大江先生の独創の鍔留の真向打ち合わせを古伝に持ちこんでしまった様です。
    * 
     打は仕の左脛を脇構えからわざわざ上段に振り冠り直して仕の左足脛に斬込むのも福井先生は古伝の動作に盗用し、河野先生も同様です。
     古伝は「両方車にとり相手打つをはづす」で脛を斬るのに八相から上段に振り冠るとは云って居ません。低い八相で斬り込んだ方が有効でしょう。
    河野先生のビデオの動作を拝見します。
     河野先生の下段から上段への振り冠りは刀刃はやや下向き10度位の水平振り冠りで斬り込んでいます。打太刀も同様の振り冠りで無双直伝英信流ならば上段の振り冠りは体軸に45度切先下がりが基本でしょう。
     古流剣術ならば上段は切先上がり45度が普通です。どちらともつかない中途半端な振り冠りです。
     真向打合いは、河野先生が早すぎて打太刀の遅れで双方中間では合刀になりません。打太刀が受けになってしまい、河野先生が打ち込みを留て無理やり中央合わせですが、河野先生の刀が上太刀ですからこれではまともな打ち合いでしたら、河野先生が打太刀の真向を割って勝負あったで打ち止めです。
     河野先生は先行し過ぎて上体を後ろに煽って刀を止めています。
     従って打太刀は腕を伸ばして河野先生の太刀を押しやり、強引な別れから脇構えに入ります。
     此処までで、河野先生は打の攻撃に乗るのではなく先制攻撃で一方的なものです。脇構えも双方半身となりですが、「刀を右脇に取り、剣先を後方に刃を斜め下に向け」と云って居ますが河野先生切先上がりの刃は外向きです。
     打は上体が前倒しです。
     脇構えは河野先生の教本の方法ならば竹刀剣道の構えで半身でなく、入身です。此処は文言が間違いで入身と表現すべきでしょう。
     竹刀剣道では切先が相手に見えないようにする脇構えですが、ここは切先は相手に見える構えとなっています。
     ここから上段に振り冠る無駄を要求するならば、切先は後方下向き、刃も下向きとして切先は我が体に隠れる、剣道形に徹するべきでしょう。
     打は上段に振り冠って、河野先生の出足左足脛に上段から体を低くして八相に斬り付けます。
     河野先生は「直ちに左足を十分大きく後方に退きて空を打たせて上段となるや直ちに打太刀の真向を斬り下ろす。(此時間合遠き時は右足を少し踏込みて斬下す)ですが、斬り付けられて左足を右足の後方迄大きく退いてしまっています。
     せいぜい右足に揃える程で充分でしょう。深く斬り込まれた時は左足を右足の後方に引き、追足裁きで右足も引くべきです。
     左足を右足の後方まで引くほど間が近くもないのですが打が前に体を屈してくれているので右足を踏み込まずに打の真向に打ち下ろしています。
     此の業も、ビデオでは打太刀の誘導が不十分というより仕が打太刀の動作を無視した一方的な攻撃によるものと云えます。
     河野先生の鍔留の認識度合いと打の認識との差が顕著に出てしまう処です。河野先生を圧する程の剣勢で打が対するのには位負けしているのでしょう。本来仕打入れ替わって演武すべきだったかもしれません。
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     

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    曽田本その1の3業付口伝読み解く4大小立詰6乱曲

    曽田本その1
    3業付口伝読み解く
    4、大小立詰
    六本目乱曲
     前後二立チテ行ク也敵後ヨリ鐺ヲ取リクルクル廻シ引ク也我其ノ時スグニ後向キテ左右何レナルヤヲ見合セ右手ナル時ハ我左足ニテ敵ノ右足ヲ又左手ナル時ハ我右足ニテ敵ノ左足ヲ掬ヒ中二入ル也
     (後ロゟ鐺ヲ取リクルクル廻シ引其時左右ヲ見合セ中二入ル 五藤正亮先生ノ教示)
    読み
    六本目乱曲(らんきょく)
     前後に立ちて行く也 敵後より鐺を取りクルクル廻し引く也 我其の時直ぐに後ろを向きて左右何れなるやを見合わせ 右手なる時は我が左足にて敵の右足を 又 左手なる時は右足にて敵の左足を掬い中に入る也
     (後ろより鐺を取りクルクル廻し引く 其の時左右を視合わせ中に入る 五藤正亮先生の教示)
    古伝神傳流秘書大小立詰六本目乱曲
     如前後より来り鐺を取り頻り二ねぢ廻し刀を抜かさじと春る時後へ見返り左の手か右の手尓て取たるかを見定め相手左の手ならバ我も左尓て鯉口を押へ相手右ならは我も右尓て取る後へ引付んと春るを幸しさり中に入り倒春
    読み
    古伝神傳流秘書大小立詰六本目乱曲
     前の如く後より来たり鐺を取り頻りにねじ廻し刀を抜かさじとする時 後へ見返り左の手か右の手にて取りたるかを見定め 相手左のてならば我も左にて鯉口を押へ 相手右ならば我も右にて取る 後へ引き付けんとするを幸いしさり中に入り倒す
    読み解く

     敵は我が後ろに並んで歩いて行く時、敵後ろから我が鐺をつかんでクルクル廻しながら引く。
     我は其の時すぐに振り返って、敵が鐺を握っている手が右手か左手かを見極め、右手で握っているならば左足を踏み込んで敵の右足を掬い、左手ならば右足を踏み込んで敵の左足を掬い付け入って中に入る。

     我が鐺を敵が右手で取るならば敵の出足は右が普通でしょう。左ならば左足でしょう。その敵の出足を我は左ならば右足で、右ならば左足で掬うのです。

    神傳流秘書 大小立詰 六本目 乱曲

     前の蜻蛉返の様に相手後ろより歩み来たり我が鐺を取る。トンボ返しの場合は相手は「我が右の手を取り刀の鐺を取り背中に押付られたる時」でした。
     乱曲は、我が鐺を左手か右手で取ってねじ廻し抜かせない様にするのです。其の時我は後ろを振り返って相手が左手で取っていれば我も左手で鯉口を押える。
     相手が右手を出して鐺を取れば右半身になっているでしょうから、我も右半身になるとでも思えばいいのでしょう。
     「相手右ならば我も右にて取る」ですが、我は右手で何処を取ればいいのでしょう。左手は鯉口を握るのは常識でしたら右手は柄でしょう。
     文章からは鯉口を右手で取ると読めます。

     相手後ろへ引かんとするを幸いに、後ろへ下がり相手の懐に入るようにして足払いで倒す。

     この乱曲と前の蜻蛉返の様に、英信流の瀧落も鐺を取られています。瀧落では鐺を取られ後ろを振り向き右手か左手か確かめていますがその違いは何も示されていません。

     左右の手と足の関係は、古伝も業付口伝の乱曲もしっくりきません。この際、研究しなおして見るのもいいかもしれません。

     この事については政岡先生の無双直伝英信流居合兵法地之巻に瀧落の解説で述べられています。
     「参考 これは(瀧落は)右手で鐺をとられた時の動作であるが、もし左手で握っておれば「左足を出し腰をおし出しつつ右手を柄にかけ、右胸に引き、鐺を左腿に添え、強く左前に出して、敵の手を振りもぐ」の動作は、左右とつぎ足で出て腰を右前に出す気持ちで、柄は左前に引きよせて敵の手をふりもぐべきである。
     この練習は行われていないが、後出の形(大小立詰の形乱曲参考)に於いては、右手で取られた時と左手で取られた時と両様の動作が行われている」

    古伝大小立詰を知らない現代の先生方では「なぜ瀧落で後ろを振り向き左右の手を見極めるのか」の質問に応じられないで「そう教えられた」で片付けられてしまうでしょう。

    嶋 専吉先生の第19代福井春政先生の大小立詰乱曲
    「前後に立ちて行く。 打太刀後より鐺を取りクルクル廻し引く、仕太刀その時直に後向きて左右何れなるやを見合せ右手なるときは仕太刀左足にて打太刀の右足を、又左手なるときは右足にて打太刀の左足を掬ひ中に入るなり。」

    曽田本業附口伝と同じです。

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    2018年3月19日 (月)

    無双直伝英信流の型 河野百錬先生の五本目鍔留の1

    無双直伝英信流の型
    河野百錬先生の五本目鍔留の1
    参考資料
    大江正路・堀田捨次郎共著大正7年1918年剣道手ほどき
    河野百錬著昭和17年1942年大日本居合道図譜
    昭和44年河野百錬太刀打之位ビデオ
     打太刀中段、仕太刀下段より前進す。相方間に接するや、上段となるや大きく相手の真向に斬下し相方相打となる。互に右足を進めて、腰を落して鎬を削る如く摺込みて、鍔元にて押合ふ。
    註、腰を退かず互に丹田にて押合ふべし。
     双方十分鍔元を押し弾きて互に右足を退きて体を右に披き左半身となり脇構へとなる。
     打太刀は直ちに上段に変じて右足を踏込むや仕太刀の左股(膝口)に左斜下に斬下すを、仕太刀は直ちに左足を十分大きく後方に退きて空を打たせて上段となるや直ちに打太刀の真向に斬下す。(此時間合遠き時は右足を少し踏込みて斬下す事)
     次に打太刀は二歩退き互に中段となり五歩後進して血振ひ納刀す。
     打中段、仕下段の構えはこの業を演ずるに当たってどんな意味があるのでしょう。ここは大江先生もそうだったと言うのもいいのですが、古伝神傳流秘書の太刀打之事五本目月影が相当しますので読んでみます。
    月影:打太刀冠り待所へ遣方右の脇に切先を下げて構え行て打太刀八相に打を切先を上げて真甲へ上げて突付て留め互いに押合いて別れ両方共車に取り相手打をはづす上へ冠り打込み勝。
     古伝は、打は八相に構えて待つ処に、仕は下段に構えて歩み行くのでした。打は仕が間に至るや八相に打つとは仕の左面に斬り込んで来るのでしょう。
     それを仕は、下段から切先を相手の面に突き込む様に摺り上げて留めます。この留は双方の刃が擦れ合って鍔の辺りで止まります。
     拳を合わせて押合い分かれて車に取る、古伝は脇構、横構を新陰流の車と呼称しています。
     双方車の構えから打は打込んで来る、打つ部位の特定は無いので車の構えの最も近い部位は左足膝から脛、左肩、面でしょう。
     河野先生は、大江先生の手附に随い、打は中段から上段、仕は下段から上段に構え直して、双方真向打ちして相打ちです。ここは単に鍔ぜり合いに持ち込むセレモニーにされてしまいました。
     敢えて言えば、真向打ち合う心構え、打ち込む体の運用、双方の刀の鎬が擦れ合うや留める手の内などを中学生に初歩的手習いをさせたのでしょう。
     合し打ち、切り落しの妙を演じれば此処で勝負はついてしまいます。古伝では危険すぎると思われたかもしれません。
     それにしても、古伝を捨てて、明治以降の組太刀では、打は車から上段に振り冠って仕の膝口に斬り下ろすなど、何の疑問も無く稽古させたものです。
     其れも英信流の上段は背中に切先下がりの振り冠では幾つ命があっても持ちっこない。
     古伝を正しく伝承する事を志す人達による見直しの時期が来ていると思います。
    次回は河野先生のビデオ演武を勉強してみます。
     
     
     
     
     

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    曽田本その1の3業付口伝原文4大小立詰6乱曲

    曽田本その1
    3業付口伝原文
    4、大小立詰
    六本目乱曲
     前後二立チテ行ク也敵後ヨリ鐺ヲ取リクルクル廻シ引ク也我其ノ時スグニ後向キテ左右何レナルヤヲ見合セ右手ナル時ハ我左足ニテ敵ノ右足ヲ又左手ナル時ハ我右足ニテ敵ノ左足ヲ掬ヒ中二入ル也
     (後ロゟ鐺ヲ取リクルクル廻シ引其時左右ヲ見合セ中二入ル 五藤正亮先生ノ教示)
    読み
    六本目乱曲(らんきょく)
     前後に立ちて行く也 敵後より鐺を取りクルクル廻し引く也 我其の時直ぐに後ろを向きて左右何れなるやを見合わせ 右手なる時は我が左足にて敵の右足を 又 左手なる時は右足にて敵の左足を掬い中に入る也
     (後ろより鐺を取りクルクル廻し引く 其の時左右を視合わせ中に入る 五藤正亮先生の教示)
    古伝神傳流秘書大小立詰六本目乱曲
     如前後より来り鐺を取り頻り二ねぢ廻し刀を抜かさじと春る時後へ見返り左の手か右の手尓て取たるかを見定め相手左の手ならバ我も左尓て鯉口を押へ相手右ならは我も右尓て取る後へ引付んと春るを幸しさり中に入り倒春
    読み
    古伝神傳流秘書大小立詰六本目乱曲
     前の如く後より来たり鐺を取り頻りにねじ廻し刀を抜かさじとする時 後へ見返り左の手か右の手にて取りたるかを見定め 相手左のてならば我も左にて鯉口を押へ 相手右ならば我も右にて取る 後へ引き付けんとするを幸いしさり中に入り倒す
     

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    2018年3月18日 (日)

    無双直伝英信流の型 大江正路先生の五本目鍔留の2

    無双直伝英信流の型
    大江正路先生の五本目鍔留
    参考資料
    野村條吉著昭和40年1965年無双直伝英信流居合道能参考
    山本宅治守誠述英信流居合之形
    野村條吉先生の英信流居合形五番目鍔留
    仕太刀
     下段に構え、前進中上段となり中央にて相打ち「ヤッエイ」鍔元を合わせ呼吸を入れ換え互に押し合い、其反動にて右足を引き左半身となり脇構え刀先を低くす。打太刀の我左脛に斬り込み来るを左足を引きて空を斬らせ上段となり打太刀の頭上を斬る「ヤッエイ」後中央に互に青眼間合を取り刀の交叉、共に元の位置に後退、血拭い納刀す。
    打太刀
     出発点は青眼に構え、前進中上段となり中央にて相打ち鍔ぜり合い一回押合いて右足を引き分かれ仕太刀同様脇構え、右足を出して仕太刀の左脛へ斬りつく「ヤッエイ」、仕太刀の左脛を引くや空を斬り稍前に体を泳がせる。仕太刀は我が頭上を斬る。剣先の交叉して間合を取り、次に互に後進、血拭い納刀す。
     大江先生の鍔留に見られた、「打は中段となり、仕は其まゝ下段となる、互に右足より三歩出で、打は右足を左足に引き上段に冠り真直に打下し、仕は右足を左足へ引き上段となり、右足を出して打下して互に刀合す、仕打鍔元を押し合い・・」の足裁きが見られません。
     この大江先生の居合の型は明治30年代に組み立てられています。直接目にし指導も受けられているであろう野村先生も足裁きを替えているのが面白い処でしょう。
     曽田虎彦先生は明治37年頃大江先生に中学校で2、3度指導を受けた事があると仰っています[曽田本その2)。あとは教本では同じでしょう。
    山本宅治先生の英信流居合之形五本目鍔留
     打太刀は中段、仕太刀は下段に構える。互に右足より一歩出、二歩目に振り冠り、三度目に出乍ら上段より相打ちとなる。其の時互に右膝を屈し、腰をつき出して刀の鍔と鍔を突き合はせ押開くや右足を大きく後に踏み開き、打太刀は右足を踏出して仕太刀の真面を斬る。此の業には刀刃を横にして脚を斬る替業あり)仕太刀は左足を大きく引きつゝ刀を振り冠り其のまゝ打太刀の頭上より下す。
     次いで中央にて青眼となり、互に五歩退き血振納刀す。
    (打太刀が仕太刀の股又は真面に打下ろした時は、上体を少し前に屈すること)
     山本先生は、大江先生に直に指導を受けられたのか良く判りません。独妙剣を終って中央に戻るや、互に五歩退いて元に位置に戻り、打は中段、仕は下段に構えるわけですから、双方右足前で構えている事になります。
     出足の右足より一歩出、二歩目左足を踏み出しっつ上段に振り冠り、三歩目に上段より互に真向に打ち込んでいます。大江先生の場合は三歩踏み出し、二歩目に出してあった右足を左足に引き付け四歩目に踏み込んで互に相打ちです。少なくともサン歩目より大きく踏み出しているでしょう。
     山本先生は、三歩目に右足を踏み込んで、双方打込んでいます。四歩目も左足を軸に踏出すとは言え、之では間合いが遠すぎでしょう。
     野村先生は、足踏みの特定をせずに中央にて(双方間境で)右足を踏込み打ち合っています。
     人には背の高い人低い人、足の長い人短い人があるわけで、足の数まで特定すべきか疑問ですが、もともと自然体での歩み足であれば、五歩下がっているのですから、三歩目ばかり大股開きでの打込みでは困ったものです。
     鍔競り合いからの、横構えの体勢が記述不十分で、押し合って押し開き双方右足を大きく後に踏み開くや、そのまま打太刀は右足を踏み戻して仕太刀の真面を斬る。仕太刀は左足を引いて外し、振り冠って打の頭上に斬り下ろしています。
     此処で、山本先生は打は仕の真面を斬りに行っていますが、大江先生のテキストは仕の左脛に打は斬り付けています。
     何時どこで変えたのでしょう。大江先生の創作した脛への斬り付けが替え業だそうです。打が何処を斬って来ようが構いませんがおかしいですね。この山本先生の手附けはそっくり太田次吉先生の「土佐英信流」に記述されています。
     創作者の誤りならばその理由を明確にして正すべきでしょう。
     次回は河野百錬先生の教本を勉強してみます。
     
     

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    曽田本その1の3業附口伝読み解く4大小立詰5蜻蛉返

    曽田本その1
    3業附口伝読み解く
    4、大小立詰
    五本目蜻蜓返
     打ハ仕ノ後ヨリ仕ノ右手首ヲ後二引キ鐺ヲ前二押ス直チニ右足ヲ以テ掬ヒ中二入ル也鐺ヲ後二引キ右手首ヲ前二押ス時ハ左足ヲ以テ中二入ル也
     (後ロゟ右ノ手首ヲオサへ跡へ引左手鐺ヲオサヘ前へヲス時中二入ル 五藤正亮先生ノ教示)
    読み
    五本目蜻蜓返(とんぼかえし・せいていがえし)
     打は 仕の後より仕の右手首を後に引き鐺を前に押す 直ちに右足を以って掬い中に入る也 鐺を後に引き右手首を前に押す時は 左足を以って中に入る也
     (後ろより右の手首を押さへ跡へ引 左手鐺を押さえ前へ押す時中に入る 五藤正亮先生の教示)
    古伝神傳流秘書大小立詰五本目蜻蛉返
     相手後より来り我が右の手を取り刀の鐺を取り背中に押付られたる時其侭後へ之さり中に入利倒春
    読み
    古伝神傳流秘書大小立詰五本目蜻蛉返
     相手後ろより来たり 我が右の手を取り刀の鐺を取り背中に押し付けられたる時 其の侭後へしさり中に入り倒す
    読み解く

     蜻蜓返(せいていかえし・とんぼかえし)は蜻蛉返(せいれいかえし・とんぼかえし)です。
     打は仕の後ろより仕の右手首を右手で掴んで後ろに引き左手で鐺を前に押す。仕は直ちに右足を打の足の間に踏み込んで密着する。
     鐺を後ろに引き右手首を前に押す時は左足を打の足の間に踏み込み密着する。右手を後ろに引かれ、鐺を前に押されれば強く逆らわずになされる儘に右に体が回りこみますからそのまま右足を踏み込み相手の足を掬い刈ればいいのでしょう。
     古伝神傳流秘書では蜻蜓返は蜻蛉返はです。蜻蛉返ですから反転と思う処です。
     相手後から来て我が右手を右手で取り刀の鐺を左手で取って背中に押付けて来る、其の時その体勢の儘後へしさり相手に密着するや体を低めて投げ倒す。
     さて前に倒すか後ろに倒すか、状況次第ではどちらでも出来そうです。倒すにあたっては、相手に密着して足技を併用するなり工夫次第でしょう。

    嶋 専吉先生の第19代福井春政先生の大小立詰蜻蛉返
    「打太刀は仕太刀の後ろに立つ。 打太刀、仕太刀の後より仕太刀の右手首を後ろに引き鐺を前に押す。仕太刀直ちに右足を以て掬ひ中に入るなり。
    鐺を後に引き右手首を前に押すときは左足を以て中に入る。」

    *曽田本業業附口伝と同じですが、業手附が「打は仕の後ろより仕の右手・・」を嶋先生は「打太刀は仕太刀の後ろに立つ。・・」と、変えて居ます。些細な違いですが「後ろより」と「後ろに立つ」では状況に違いが出ます。
     古伝を読む時は其の違いをどの様に判断するかが業が活きて来るか否かの差になります。

     此処には無いのですが、大剣取の無剣で「相手居合膝に坐し居処へ小太刀をさげかくる相手抜打つを・・」の文章で「小太刀をさげかくる」を、訳して「小太刀を引っ提げて進む」としたのでは、間違いではないのですが、「小太刀を無形の構えにとり、間境でふと止まり掛って行く」。

      もっと深く読めば「小太刀を無形の構えに取り間境を越すや小太刀の切先を少し上げて懸って行く起こりを見せるや相手抜き打つ・・」位迄読み取りませんと、無形の構えの有り様も、敵の抜打ちも只の申し合わせの踊りになってしまいます。

    蜻蜒(せいてい)・蜻蛉(せいれい)となりますがどちらも「とんぼ」です。

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    2018年3月17日 (土)

    無双直伝英信流の型 大江正路先生の五本目鍔留の1

    無双直伝英信流の型
    大江正路先生の五本目鍔留
    参考資料
    大江正路・堀田捨次郎共著大正7年1918年剣道手ほどき
    古伝神傳流秘書太刀打之事月影
    曽田虎彦述業附口伝太刀打之位月影
     互に青眼のまゝ小さく、五歩を左足より引き、打太刀は中段となり、仕太刀は其まゝ下段となる、互に右足より三歩出で、打太刀は右足を左足に引き上段に冠り真直に打下し、仕太刀は右足を左足へ引き上段となり、右足を出して打下して互に刀合す、仕打鍔元を押合ひ双方右足を後へ引き左半身となり、刀は脇構として刀尖を低くす、打太刀は直に上段より右足を踏み込み仕太刀の左向脛を切る、仕太刀は左足を充分引き上段となり空を打たせ上段より頭を斬る、打は二歩出で、仕は二歩退り青眼となり互に小さく五歩退り、血拭ひ刀を納む、(打太刀は、仕太刀の左膝を打つときは、中腰となり上體を前に流す、)
     この鍔留の呼称は大江先生の独創でしょう。古伝神傳流秘書のの太刀打之事五本目月影が相当します。
     古伝月影:打太刀冠り待所へ遣方右の脇に切先を下げて構へ行て打太刀八相に打を切先を上て真甲へ上て突き付けて留め互に押相て別れ両方車に取り相手打をはづす上へ冠り打込み勝
    考察
     大江先生の鍔留は双方元の一に戻り、打は中段、仕は下段となって、互に出足の右足から三歩右・左・右と進み間に至り、其処でわざわざ双方右足を左足に引き付けて上段に冠って、右足を踏出し真向相打の刀を合わせる。
     この、三歩目での右足の退き足はこの鍔留で要求しています。スルスルと歩み寄って三歩出た時右足を左足に引き付けて上段に振り冠って、もう一度右足を踏み込んで真向打ちする。
     この間合いは半歩以上絶妙剣や独妙剣より短い筈です。今までの踏み込みより短いので、真向打ち合っても双方の切先は頭上に届かないでしょう。
     何故三歩めにその様な足裁きをさせたのでしょう。刀は双方の真中高く物打ちを合わせ手の内を締めて合刀でしょう。
     古伝は、打が八相から打ち込んで来るのを、仕は下段から切先を上げ真向に突き付けて、打の打込みを鍔で留め其の侭押し合っています。
     右足を退いて脇構えになるかたちが読めませんが、左足前の左半身で切先下がりですから、帝国剣道形の脇構えとは様子が違います。
     打は脇構から上段に振り冠ってわざわざ仕の出足を斬りに行く、なんとも不自然な運剣です。
     打が、何処を打ちに来るのか初動では判断できない様にとの考慮でしょうか。
     これは、大江先生、帝国剣道形を意識されて、それとあまり異ならない様にされたのかも知れません。
     古伝は打が上段に振冠る事は指定していませんが、仕は打の何処に来るかはわからない打込みを外し上段に冠って打ち込ませています。おおらかでいいですね。
     次回は、大江先生の直弟子第18代穂岐山波雄先生の弟子の野村條吉先生と直弟子で土佐の山本宅治先生の鍔留を、読んでみます。
     
     
     
     
     
     

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    曽田本その1の3業附口伝原文4大小立詰5蜻蛉返

    曽田本その1
    3業附口伝原文
    4、大小立詰
    五本目蜻蛉返
     打ハ仕ノ後ヨリ仕ノ右手首ヲ後二引キ鐺ヲ前二押ス直チニ右足ヲ以テ掬ヒ中二入ル也鐺ヲ後二引キ右手首ヲ前二押ス時ハ左足ヲ以テ中二入ル也
     (後ロゟ右ノ手首ヲオサへ跡へ引左手鐺ヲオサヘ前へヲス時中二入ル 五藤正亮先生ノ教示)
    読み
    五本目蜻蛉返(とんぼかえし・せいれいがえし)
     打は 仕の後より仕の右手首を後に引き鐺を前に押す 直ちに右足を以って掬い中に入る也 鐺を後に引き右手首を前に押す時は 左足を以って中に入る也
     (後ろより右の手首を押さへ跡へ引 左手鐺を押さえ前へ押す時中に入る 五藤正亮先生の教示)
    古伝神傳流秘書大小立詰五本目蜻蛉返
     相手後より来り我が右の手を取り刀の鐺を取り背中に押付られたる時其侭後へ之さり中に入利倒春
    読み
    古伝神傳流秘書大小立詰五本目蜻蛉返
     相手後ろより来たり 我が右の手を取り刀の鐺を取り背中に押し付けられたる時 其の侭後へしさり中に入り倒す

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    2018年3月16日 (金)

    無双直伝英信流の型 福井聖山先生の四本目独妙剣の2

    無双直伝英信流の型
    福井聖山先生の四本目独妙剣の2
    参考資料
    福井聖山著平成3年1993年無双直伝英信流之形
    平成2年1992年第9回無双直伝英信流居合道全国大会講習会資料太刀打之位要旨
    昭和57年福井聖山先生太刀打之位ビデオ
    ・考察
     福井先生の教本を読みながらビデオを拝見してみましょう。
     打太刀、仕太刀相八相より前進し、間に至るや絶妙剣と同理合にて二度斬結び、三度目に仕太刀は打太刀の退くところをその左面に斬込む
     打太刀は二刀目と同様に之を受け、互に左足を退きて十分なる同等の気位にて中段となる。
     絶妙剣と同理合とは一刀目で「双方左足より前進し、間に至るや打太刀は上段となり、右足を踏込みて仕太刀の左面に斬込むを、仕太刀機先を制して上段から右足を踏込みて打太刀の左面に斬込み相打となり、物打の刃部にて刀を合わす。」の機先を制する処でしょう。
     更に二刀目は「打太刀は、仕太刀の気に圧せられて右足を退かんとするを仕太刀之に乗じて左足を踏込み打太刀の右面に斬込む」打が仕の気に圧せられて退かんとするに仕が乗じる処でしょう。
     三刀目も同様に、「仕太刀は打太刀の退くところをその左面に斬込む」」のですが此の理合いは、明記されていませんが、絶妙剣の「打太刀は左足を退きて仕太刀の真向を斬下ろさんとして上段になるを、仕太刀すかさず右足を右前に踏込み」の処と同等の事と云うのでしょう。都合三回打の攻撃に機先を制する理合です。
     ビデオでは一刀目は同時に相進み、同時に上段に振り冠って同時に打ち込み、相打では無く打太刀が請け太刀になってしまっています。
     それも、互いの刀が相手に届かない遠間での事です。これは真剣を持っての演武に依るのかも知れません。
     一刀目は、互に左面への斬込みです、ある地区の指導の様な真向相打ではありません。
     ビデオからの構成とすれば、上段から左面への打込みは手打ちの居合慣れした者では、手首を右に返して打ち込むので、半身の打込みが出来ず、真向打ちに見えてしまいます。
     左面とは、頭頂より左こめかみの間です。限りなく真向に近いとも言えますが、真向は頭頂部を真直ぐ斬り下ろす事です。
     此の一刀目は、双方とも左足踵が上がって正対した打ち込みですから、一見真向打ちに見えますが、明らかに手首を返して左面打ちを意識した相打ちです。というより、双方請け太刀の状況で合刀したと云った方が良さそうです。
     気になるのは、双方左足から三歩出て一呼吸おいて上段に構え直し右足を踏み込んで打ち込んでいます。機先を制するよりもこれでは、合わせに行くように見えてしまいます。
    * 
     二刀目は、打の打込みが速いのですが、途中から請け太刀になってしまい、仕の打込みを退きながら待つ様です。
     仕も右面打ちが要件ですがこれも相手に届く剣先ではありません。
     三刀目も同様で、打の機先を制する状況が認識できません。これは大江先生が、構成した組太刀が、仕の先制攻撃をのみを意図したもので、打の反撃を仕が応じる古伝を無視した結果で、河野先生が心持ちのみ書き加えた結果かもしれません。
     「互に左足を退きて「十分なる同等の気位にて中段になる」
     動作は、良いのでしょうが、十分なる気位を持ったとしても、中段になるや打は、仕の胸部を刺突しています。
     ここは「打太刀は機を見て左足、右足と追足にて刀を左に傾け、摺込みて仕太刀の胸部を刺突す。」につながるところです。申し合わせの中段になり、突いて来るものとして待つ仕では機など見る必要はないでしょう。組太刀の一番難しい処です。
     この刺突ですが、ある地区では刃部を下にして胸部を突くのでしょうか、水月でしょうか。
     水月ならば刃を下でいいのでしょう。
     教本の指定は「刀を左に傾け、摺込みて仕太刀の胸部を刺突」です。ビデオでの打の刀刃は、明らかに下を向いている様に見えます。右手の甲は下向きに見えない事も無いのですが下向きでしょう。よく云えば斜め下向きでしょう。
     ある地区の指導では、教本を持たずに口答指導です。下向きで悪い事はありませんが、喉でも水月でもないし、胸部を突いているし、教本に添っていないし、疑問です。
     刺突されて仕は「左足を左に踏出し(右足の左前)体を右に披きつつ手元を上げて敵刀を捲き返す。(敵刀を、己が右斜下に裏鎬にて摺落す。)」
     教本通りです。河野先生はここは左足を左後ろに退いて体を開いて捲き落としています。
     ある地区は、捲き落とさずに、左足を左に踏んで相手の突きを外して振り冠って打ち込んでいます。
     此処は、手許を上げて敵刀を捲き返しつつ左足を左前に踏込み、体を開き右足を踏込み・・」位の事を一拍子で応じたいものです。
     次回は大江先生の独創になる鍔止です。
     
     
     
     
     
     

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    曽田本その1の3業附口伝読み解く4大小立詰4骨防返

    曽田本その1
    3業附口伝原文
    4、大小立詰
    四本目骨防返
     互二對立スル也打ハ仕ノ柄ヲ両手ニテトリ二来ル也我ハ右手ニテ敵ノ両手ヲ越シテ柄頭ヲトッテ両手ニテ上二モギトル也
     (敵両手ニテ柄ヲ取る時引廻シモグ 五藤正亮先生の教示)
    読み
     互に対立する也 打は仕の柄を両手にて取りに来る也 我は右手にて敵の両手を越し柄頭を取って両手にて上に捥ぎ取る也
     (敵両手にて柄を取る時 引き廻し捥ぐ)
    古伝神傳流秘書大小立詰二本目骨防返
     相懸り二懸りて相手我刀の柄を留めたる時我右の手尓て柄頭を取り振りもぐ也
    読み
    古伝神傳流秘書大小立詰二本目骨防返(ほねもぎかえし)
    読み解く

     此の業は神傳流秘書では大小詰の二本目骨防扱に有ります。「立合骨防返に同じ故に常になし」と大小詰ではいつもは稽古しないと言っています。

     大小立詰めは、打太刀は小太刀を差し、遣方は太刀を差しての立業です。双方スカスカと歩み寄り、相手が我が刀の柄を両手で取って抜かさない様に押し付けて来る。
     我は透かさず右手を柄頭に取って柄を上に引上げ相手の手を振りもぐ。相手の我が柄を取るのが、右手だけ、両手、左手など在りそうですが工夫次第でしょう。
     振り捥いだら、後は抜き打ちでも柄當でもありでしょう。古伝は語らずです。

    *五藤先生の大小立詰の骨防返「引廻しもぐ」も稽古しておくと良いかも知れません。形ばかりに拘って稽古熱心であっても、喧嘩慣れしたやくざにはコロッと負ける話も聞いたような・・。

     江戸末期に竹刀による試合稽古に慣れた者に古流の「かたち」だけの稽古しかしていなかった者が打ち負かされる話も聞きます。
     申し合わせの形稽古で打太刀が打ち易い様に仕太刀に打ち込む隙を作って打たせる、身長も似たような者同士で稽古する。足踏みも所定の踏み数で稽古するetc・・。
     何故ですかと問えば「昔からの形稽古のやりかただから、上達したら変化もする」と云うのですが「何時も同じ人と、同じ形ですね」とやると「演武会の出し物なのでこうする」やれやれです。
     其の上「大会の合同演武だからばらばらにならない様に組同士が動作を合せて」動作は愚か、足数も歩幅まで合わせ、打ち合った位置から、戻る位置まで合わせています。武的演舞の究極です。
     大方は軍属上がりの師匠の指導に依るのでしょう。乾いた号令が響いています。

    嶋 専吉先生の第19代福井春政先生の大小立詰骨防返
    「互に対立す。 打太刀、仕太刀の柄を両手にて捉りに来るを仕太刀右手にて打太刀の両手を越して柄頭をとって両手にて上に捥ぎ取るなり。」

    *曽田本業附口伝の儘です。

     

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    2018年3月15日 (木)

    無双直伝英信流の型 福井聖山先生の四本目独妙剣の1

    無双直伝英信流の型
    福井聖山先生の四本目独妙剣の1
    参考資料
    福井聖山先生著平成3年1993年無双直伝英信流之形
    平成2年1992年第9回無双直伝英信流居合道全国大会講習資料太刀打之位要旨
    河野百錬著昭和17年1942年大日本居合道図譜
    大江正路・堀田捨次郎共著剣道手ほどき
     打太刀、仕太刀相八相より前進し、間に至るや絶妙剣と同理合にて二度斬結び、三度目に仕太刀は打太刀の退くところをその左面に斬込む。打太刀は二刀目と同様に之を受け、互に左足を退きて十分なる等(同等)の気位にて中段となる。打太刀は機を見て左足右足と追足にて刀を左に傾け、摺込みて仕太刀の胸部を刺突す。
    註、打太刀は突きたるとき上体を流す。(前に屈むる)。
     仕太刀は左足を左に踏出し(右足の左斜前)体を右に披きつつ手元を上げて敵刀を捲き返えす。(敵刀を、己が右斜下に裏鎬にて摺落す)
     仕太刀は打太刀の刀を右斜下に摺落しながら右足を左足の方向に退きつつ上段となるや右足を踏込みて打太刀の首より肩にかけて斬下す。
    註、退く右足は床に留まらぬうちに前に進めて斬込む。
     次に打太刀は三歩出で、仕太刀は三歩退きながら中段となりつつ元の位置に復し、双方五歩後退す。(納刀せず)
    考察
     福井先生の教本は河野先生の教本と内容は同じです。
    「註」以降の文章も同じですが構成に手を加えています。
     一刀目は双方八相より前進し、三歩出るや、双方上段に振り冠り右足を踏み込んで左面に斬り付け相打。
     二刀目は打が上段となり右足を退いて右面に斬り込んで来るのを、仕は左足を踏み込み打の右面に斬り付け相打。
     三刀目は打が左足を退いて上段から左面に斬り付けて来るのを、仕は上段に振り冠り右足を踏出し打の左面に斬り付け相打となります。
     三度打ち合い、右足前で刀は物打の刃部で合刀する事になります。
     互に、後ろの左足を退いて、同等の気位とは何か解かり兼ねますが、中段となる。右足の退きは意図していない様です。ここも河野先生と同じです。物打の刃部での相打ならば左足を退くだけで中段となり、切先合わせで相中段となれるはずです。間が近ければ、右足も追い足で調整を要します。
     打太刀は相中段になるや「機を見て左足右足と追足にて刀を左に傾け、摺込みて仕太刀の胸部を刺突す」この足捌きは、左足で間を計り右足に引き付け、右足は其れに連れて踏み込む足捌きでしょう。そんな足捌きが出来ているか疑問ですが、河野先生もその様の書かれています。「左足右足と追足」が「右足左足と追足」ならば誰でも容易でしょう。河野先生の刺突のビデオでは、前足の右足から踏込み左足が追足となっています。
     此処は河野先生の教本の誤植または誤認を福井先生も正さずにおいたかもしれません。
     刺突の際「刀を左に傾け」仕の胸部を刺突する、のが河野先生の方法です。福井先生も是に随っていますが、刀刃は右向きか左向きかなどの要点は無く、胸部への刺突であれば刀刃が下向きでも無いでしょう。
     「敵刀を、己が右斜下に裏鎬にて摺落す」と刺突に応じた運剣法を明示されています。河野先生も同様の文言でしたが、左足を左後方に退いて刺突を外してしまい、摺落すなどしていません。福井先生は「左足を左に踏み出し(右足の左斜前)」に踏めているでしょうか。河野先生も同じ文言なのですが、右足の左後方に逃げています。
    この四本目独妙剣はある地区では、一刀目真向打、双方の中央で刀を合わせています。中段からの打の刺突は刀刃を下向きにして仕の胸部を突いて、更に伏せる様に切先まで下げています。
     打の刺突を裏鎬で巻き返すなどせずに、仕は刺突されて、左に体を逃げ外してしまい、刀を摺り落す等の術を嫌っています。
     この運剣は山内派の宇野又二先生伝に「小手を返して左横に一歩避け、右足を出して流れる相手の上体を上から切る」にほぼ相当します。
     福井先生の昭和57年のビデオ以外にその様にするビデオがあるならば拝見して、教本と異なる運剣をもう一つ加えて見たいと思います。同時に教本の改定版もあれば幸いです。
    * 
    次回は福井先生のビデオを拝見しながら教本と対比させていただきます。

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    曽田本その1の3業附口伝原文4大小立詰4骨防返

    曽田本その1
    3業附口伝原文
    4、大小立詰
    四本目骨防返
     互二對立スル也打ハ仕ノ柄ヲ両手ニテトリ二来ル也我ハ右手ニテ敵ノ両手ヲ越シテ柄頭ヲトッテ両手ニテ上二モギトル也
     (敵両手ニテ柄ヲ取る時引廻シモグ 五藤正亮先生の教示)
    読み
     互に対立する也 打は仕の柄を両手にて取りに来る也 我は右手にて敵の両手を越し柄頭を取って両手にて上に捥ぎ取る也
     (敵両手にて柄を取る時 引き廻し捥ぐ)
    古伝神傳流秘書大小立詰二本目骨防返
     相懸り二懸りて相手我刀の柄を留めたる時我右の手尓て柄頭を取り振りもぐ也
    読み
    古伝神傳流秘書大小立詰二本目骨防返(ほねもぎかえし)
     

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    2018年3月14日 (水)

    無双直伝英信流の型 河野百錬先生の四本目独妙剣の2

    無双直伝英信流の型
    河野百錬先生の四本目独妙剣の2
    河野百錬著昭和17年1942年大日本居合道図譜
    昭和44年1969年河野百錬先生太刀打之位ビデオ
     仕打共に八相に構え左足から三歩踏み出し、一刀目、上段に振り冠って、双方右足を踏み込んで左面相打ち。
     二刀目、仕は上段に振り冠って左足を踏み込んで打の右面に斬り込む。打は右足を退いて之を請ける。
     三刀目、仕は上段に振り冠って右足を踏み込んで打の左面に斬り込む。打は左足を退いて之を請ける。
     教本通りと見ていいのでしょう。
     一刀目の振り冠りは河野先生は切先下がりの振り冠りですが、二刀目以降は上段の振り冠りは仕打共に中途半端な床に水平の振り冠りのようです。打が一方的に振り冠るので河野先生も中途半端にならざるを得ないのでしょう。
     河野先生指導の英信流ならば「諸手は深く冠らぬ事、正面より見て鍔が頭に隠れる位ひを度とす。後頭部よりあまりはなさず。剣先部は腰より一尺五寸位ひはなして冠る事。両肘は窮屈にならざる程度に十分開く事。上段に冠る時は決して上体を後に仰むかぬ事。が標準です。
     此処は八相からの上段振り冠りであれば、切先下がりの上段は有り得ない、切先は45度天に向かい振り冠るべきでしょう。
     この辺はこの組太刀の盲点でもある様です。せっかく天を向いていた切先を、大きく切先下がりの振り冠りにすれば、無駄な拍子が続き、小手を取られてもおかしくないし、振り冠りから斬り下ろしが遅くなってしまいます。その分あわてて手打ちで振り回す事になってしまいます。
     教本にある、互に右足を退きて十分なる同等の気位にて中段となる。処ですが、河野先生は、切り結んだ位置から切先を中段に下す際ちょこっと右足が動いた様ですが略そのままの構えで、打太刀が大きく右足を退いて中段になっています。
     同等の気位でしょうか。文字では表現できても、これでは疑問です。
     打は中段に刀を合わせるや「機を見て右足左足と追足にて、剣を左に傾け摺り込みて仕の胸部を刺突す。」
     中段からの仕の胸部への刺突です。打は右足を大きく踏み込み左足は右足の踏み込みに追足というより、引っ張られる様に付いて行ったとしか見えません。
     仕の胸部への刺突は、胸部を狙って刺突したとは見えません、大きく踏込み上体を伏せる様にするのが早すぎ切先は低くなりすぎでしょう。河野先生に依って摺落された様には見えません。
     剣も「左に傾けて擦り込み」はビデオの劣化でよく解りませんが、剣の棟を左に傾けたのか、刃を左に傾けたのか良く判りません。文章も抜けがあって特定不能です。擦り落されて体を伏した時の映像で刃右手の甲が上で左手の甲が下向きに見えます。これでは刃を右向けている刺突でしょう。
     大日本居合道図譜の刺突は明らかに刃を下にして胸部の中央を突き込んでいます。ビデオや写真による参考はほどほどにしませんと違う技になってしまいます。
     河野先生の摺り落としは、「仕太刀は左足を左に踏み出し(右足の左斜前)体を右に披きつゝ手元を上げて敵刀を捲き返す。(敵剣を己が右斜め下に裏鎬にて摺り落す)」のですが、刺突を避けて左足は左後ろに退かれていますから体を左へ外している間に、打が勝手に剣先を下げてしまった様にしか見えません。河野先生の動作は文言に随ったと思われますが、裏鎬で摺落したかは疑問です。大日本居合道図譜の写真は明瞭に摺落している様に見えます。動画で見せるには余程の繰返しによってしか見せられないところでしょう。申し合わせの組太刀を未熟な打太刀が導けば疑問だらけになってしまいます。
     前に伏した打を斬る動作も教本通りと思えるのですが、仕は刺突され左足を左に送って剣先を外し、摺落としの体勢から右から振り冠って、右足を稍々右に摺り込んで右半身の侭斬り下ろしているようにしか見えません。ここも大日本居合道図譜のフィニッシュを参考にすべきでしょう。
     河野先生のビデオ映像では、間と間合い、仕打の拍子がバラバラで申し合わせの形を打っているばかりにしか見えません。
     「お前などに何が解かる」といわれても、之では参考になるものにはなり得ません。然し教本は、やるべき事を示し、其の形も静止画で見せています。
     まず形が確実に出来て術は決まるものです。応用の範囲で、曖昧に見せつけられた動画の形では術は決まりません。術の決まらない形はただの武的踊りです。
     河野先生の業技法を揶揄するのではなく、打太刀の心構えが曖昧で、ビデオ撮影も何が教本と異なったか、取り直すべきポイントを押えられていない事に見る者に疑問が出るのです。
     あの時代にも、第20代河野先生に撮り直しを要求できるほどの、勇気を持つ撮影者はいなかったのだと思っています。
     やはり、よく聞き、よく見て、よく読み、よく考えて業を打て、判らなければ、聞く事、答える勇気もなければ、流派の業はあらぬ方にいってしまうばかりでしょう。
    次回は福井先生の独妙剣です。
     
     
     

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    曽田本その1の3業附口伝読み解く4大小立詰3鍔打返

    曽田本その1
    3業附口伝読み解く
    4、大小立詰
    三本目鍔打返
    三本目鍔打返(つばうちかえし)
     互二對立スル也打ハ仕ノ抜カントスル右手首ヲトル也仕ハ右手ヲ放スト同時二左手に持テル鍔ニテ打ノ手首ヲ打ツ也
     (抜カントスル時其手首を押へル左手ニテ敵ノ手首ヲ打 五藤正亮先生ノ教自示)
    読み
    三本目鍔打返(つばうちかえし)
     互二對立スル也打ハ仕ノ抜カントスル右手首ヲトル也仕ハ右手ヲ放スト同時二左手に持テル鍔ニテ打ノ手首ヲ打ツ也
     (抜カントスル時其手首を押へル左手ニテ敵ノ手首ヲ打  五藤正亮先生ノ教示) 
    古伝神傳流秘書三本目鍔打返
     相懸り二懸り我刀を抜かむと春る其の手を留られたる時柄を放し手を打もぐ也
    読み
     相懸かりに懸かり 我が刀を抜かんとする 其の手を留められたる時 柄を放し手を打ちもぐ也
    読み解く
    三本目鍔打返

     これはお互いに相掛に進み仕が両手を刀に掛け抜かんとするところ、打は仕の右柄手を右手で押さえて抜かせじとする。仕は柄から右手を放すと同時に打の右手首を左手で鍔を以って打ち付ける。

     五藤先生は、柄手を押さえられたので左手で打の右手首を打つ、としています。この場合は仕は右手を柄から放さず、左手を鞘から離して打つのでしょう。ダメージは曽田先生の方が大きいでしょうが、咄嗟に柄手を放すには普段から稽古で充分慣らしておきませんと難しそうです。

     この業は大小立詰の三本目です、神傳流秘書でも三本目に位置します。

     この業はすでに、大小詰の四本目小手留で解説しています。四本目小手留「立合の鍔打返に同じ故に此処にては不記」

     立業ですから相懸りに懸り合って、我は柄に手を懸け抜こうとする処、相手が右手を取って押さえられる。我は柄手を離し相手の手を鍔で打ち付けもぐ。

     右手で柄を握った処を相手に右手で押さえられる、或は両手で押さえられる、そこで柄から手を離し、左手に持つ鍔で相手の手を打ち据えもぐ、と読んでみました。

     古伝は「手を打ちもぐ」とばかりですから想像を働かせるところでしょう。

     時代が進むと、どんどん技が固定化されていくのはいつの時代も同じです。より克明にと云うことか、特定しないと満足できないようです。

    嶋 専吉先生の第19代福井春政先生の大小立詰三本目鍔打返
    「互に対立す。 打太刀は仕太刀の抜かんとする右手首をとる、仕太刀は右手を放すと同時に左手に持てる鍔にて打太刀の手首を打つなり。」

    *曽田先生の業附口伝のままです。

     

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    2018年3月13日 (火)

    無双直伝英信流の型 河野百錬先生の四本目独妙剣の1

    無双直伝英信流の型
    河野百錬先生の四本目独妙剣の1
    参考資料
    河野百錬著昭和17年1942年大日本居合道図譜
    山本宅治守誠述英信流居合之形コピー
    昭和44年1969年河野百錬太刀打之位ビデオ
     打太刀、仕太刀相八相より前進し間に至るや、絶妙剣と同理合ひにて、二度斬結び三度目に仕太刀は打太刀の退く所を其の左面に斬込む 、打太刀は二刀目と同様之を受け、互に左足を退きて十分なる同等の気位にて中段となる。打太刀は機を見て右足左足と追足にて剣を左に傾け摺り込みて仕太刀の胸部を刺突す。
     仕太刀は左足を左に踏出し(右足の左斜前)体を右に披きつゝ手元を上げて敵刀を捲き返す。(敵剣を己が右斜下に裏鎬にて摺り落す)
    註1、敵刀を捲返しつゝ右足は左足の方向に退き乍ら上段となる。此の時退く右足床に留まらぬうちに前に進めて斬り込む。
    註2、打太刀は突きたる時上体を流す(屈む)
     仕太刀は、打太刀の刀を右斜下に摺落しながら右足を左足の方向に退きつゝ上段となるや右足を踏込みて打太刀の首より肩にかけて斬下す。
     次に打三歩出で、仕三歩退き、元の位置に復し乍ら中段となり、互に五歩後進す。(納刀せず)
    考察
     大江先生の不明瞭な三度目の斬り込みは「三度目に仕は打の引く所を其の左面に斬り込む」と野村先生と同じにされています。
     絶妙剣と同じ理合いであれば、一刀目は仕は右足を踏み込み、打は左足を退いて左面相打ち。
     二刀目は仕は左足を踏み込んで、打は右足を退いて右面相打ち。
     三刀目は、絶妙剣と同理合ではないので、仕は右足を踏み込み打は右足を退いて合刀するとなるはずです。
     大江先生は打は絶妙剣の終ったその場で八相になり、仕は五歩下がって八相になる。古伝神傳流秘書の太刀打之事では同じ業は有りませんが、打は仕が懸って来るのを待つのが基本です。
     例えば請入(大江先生の同業は三本目絶妙剣)
     「遣方も高山相手も高山或は肩へかまえるかの中也待処へ遣方歩行右の足にて出合う」
     河野先生は曽田虎彦先生の「業附口伝」を元に古伝をイメージされているようで、請入は「是も同じく相懸りにても敵待ちかけても不苦」によって、相懸りを採用された様です。この根底にあるのは仕の一方的な攻撃を嫌い、打の挑発に仕が応じると云う武術の思想を抱かれていると思います。
     大江先生は、仕から仕掛ける指導をされた様で、山本宅治先生の独妙剣「打太刀は中央にて左足を出して八相となり・・」から始まります。
     打太刀が刀に手を掛け、鯉口を切り刀を抜き構えるならば相懸りであろうと無かろうと十分攻撃態勢が整っているので、仕の一方的仕掛けとは言えないでしょう。
     むしろ、中央で打が待つのは、仕の仕懸けて来るのを待ち、仕の攻撃による不充分な処を認識させる良い態勢いとも言えます。それは三度も打ち込んでも請けられてしまう処にありそうです。
     三度打ち合って、「互に左足を退きて十分なる同等の気位にて中段となる。打太刀は機を見て右足左足と追足にて、剣を左に傾け摺り込みて仕太刀の胸部を刺突す。」
     大江先生の不明瞭な刺突の部位と方法を河野先生は特定しています。
     この業は古伝にはありませんから大江先生が指導された直近の先生の残された方法が頼りです。
     第18代穂岐山先生のお弟子さん野村條吉先生の打太刀の刺突「・・青眼に構えるや敵刃を我が刀にて圧しつゝ、敵の喉を突く」喉を突くのですから是は刀の刃は下向きでしょう。
     山本宅治先生の刺突「打太刀は右足より追い足にて仕太刀の刀を摺り込みて仕太刀の胸部に突きを施し上体を前に屈す」是は刀刃は左右は不明ですが打の右向きでしょうか。刀刃が左向きならば河野先生と同じです。刀の反りに依って微妙な突きになります。
     この業のポイントは、打が刺突して来る切先を、仕は外して斬り込む処に或るのでしょう。
     河野先生は「仕は左足を左に踏み出し(右足の左斜前)体を右に披きつゝ手元を上げて敵刀を捲き返す。(敵剣を己が右斜下に裏鎬にて摺り落す)
     野村先生は喉へ突いて来られるので「喉を突きて来るに応じ敵の剣を引込みつゝ左足より左前に体転すると同時に上段となり・・」
     山本先生は胸部を突いてきます。「仕は其の突きに対して左足を左斜後に踏みかえ、刀を右に捻ぢ廻し右足を左前に踏みかえて打太刀の首を斬る。」聊か意味不明な所もありますが、打の突きを仕は、まず左足を左後方に踏んで外して、同時に刀を返して摺落とし、右足を左前に踏み込んでから体を右に返して打の首を斬る。でしょうか。やれやれ。
     大江先生は、突きの部位も方法も解りませんが、「仕の刀を擦り込みて突き(喉を突いて来るならば)を施し、上体を前に屈む、仕は突き来ると同時に左足を左斜(斜め前か後)に変じて(はずし)上段に取り、右足を(左前)に踏み変えて(体を返し)打の首を斬る。」でしょうか。
     次回は河野先生のビデオを拝見して教本との整合性を考えて見たいと思います。
     
     
     
     
     
     

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    曽田本その1の3業附口伝原文4大小立詰3鍔打返

    曽田本その1
    3業附口伝原文
     
    4、大小立詰
     
    三本目鍔打返
    三本目鍔打返(つばうちかえし)
     互二對立スル也打ハ仕ノ抜カントスル右手首ヲトル也仕ハ右手ヲ放スト同時二左手に持テル鍔ニテ打ノ手首ヲ打ツ也
     (抜カントスル時其手首を押へル左手ニテ敵ノ手首ヲ打 五藤正亮先生ノ教自 
    読み
    三本目鍔打返(つばうちかえし)
     互二對立スル也打ハ仕ノ抜カントスル右手首ヲトル也仕ハ右手ヲ放スト同時二左手に持テル鍔ニテ打ノ手首ヲ打ツ也
     (抜カントスル時其手首を押へル左手ニテ敵ノ手首ヲ打  五藤正亮先生ノ教示) 
    古伝神傳流秘書三本目鍔打返
     相懸り二懸り我刀を抜かむと春る其の手を留られたる時柄を放し手を打もぐ也
    読み
     相懸かりに懸かり 我が刀を抜かんとする 其の手を留められたる時 柄を放し手を打ちもぐ也

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    2018年3月12日 (月)

    無双直伝英信流の型 大江正路先生の四本目獨妙剣

    無双直伝英信流の型
    大江正路先生の四本目獨妙剣
    参考資料
    大江正路・堀田捨次郎共著大正7年1918年剣道手ほどき
    野村條吉著昭和40年1965年無双直伝英信流居合道能参考
    京都英信会昭和44年1969年宇野又二先生伝無双直伝英信流居合
    京都山内派平成14年2002年京都山内派無双直伝英信流居合術
    山本宅治述英信流居合之形コピー
     打太刀は、其まゝにて八相となり、仕太刀は青眼にて五歩下りて八相となる、仕太刀は左足より三歩出で、右足を踏出し、打太刀は左足を引きて三本目の如く打合せ、左右と二度打合せ、三度目に左足より右足と追足にて一歩ずつ退き、刀を青眼とす、打太刀は右足より追足にて仕太刀の刀を擦り込みて突を施し、上體を前に屈む、仕太刀は突き来ると同時に左足を左斜へ変じ上段に取り、右足を踏み変えて打太刀の首を斬る、互に青眼となり、打太刀は三歩出で、仕太刀は三歩退り、互に構へるなり。
     大江先生の無双直伝英信流の型四本目獨妙剣は、英信流の古伝の組太刀には無い業です。
     独妙剣という業の呼称は、古伝神傳流秘書の太刀打之事7本目に有ります。
    参考 古伝神傳流秘書 太刀打之事 7本目独妙剣
     「相懸也、打太刀高山遣方切先を下げ前に構へ行く、場合にて上へ冠り互に打合う、尤、打太刀をつく心持有、柄を面へかえし突き込み勝」
     是は、古伝の詰合に出て来る柄砕(眼関落)の業と方法を一にします。
     大江先生は古伝を中学生に指導されなかったのでしょう、独創された無双直伝英信流の型の業名に盗用したのでしょう。
     業名の盗用は、大江先生の得意とする分野で、特に奥居合などでは顕著です。
     この大江先生の獨妙剣の成り立ちを曽田先生は、古伝神傳流秘書の太刀打之事の三本目請流の改変と読んでいます。
     古伝請流:遣方も高山相手も高山或は肩へかまへるかの中也、待つ処へ遣方歩行き右の足にて出合う打込むを打太刀請、さて打太刀の方より少し引きて裏を八相に打を左足にて出合うて留め、相手又打たんと冠るを直に其のまま面へ突き込み相手八相に払うをしたがって上へ取り右の足にて真甲へ勝。
     動作は同じではありませんが、仕打入れ替わっての応用問題の様です。
     考察
     相懸かりしないで、打は三本目絶妙剣の終了した位置で八相に構え、仕は青眼にて五歩下がって八相となります。
     出るは出足、退くは引き足ですから、仕は左足から三歩踏み出し、右足を踏み込んで打の左面に斬り付け、打は左足を引いて下って是を斬り込む様に請け、仕は再び振り冠って左足を踏込み打の右面へ斬り込む、打は右足を引いて之を請ける。
     大江先生の、「左右と二度打合せ」の後の文章は「三度目に左足より右足と追足にて一歩ずつ退き、刀を青眼とす」と三度目にどの様にするのかが不明瞭です。
     左面、右面と打ち合ってきました。双方の足は左足前になって右面を打って相打ちしています。
     第18代穂岐山波雄先生の弟子野村條吉先生の独妙剣を英信流居合形から参考にして見ます。
     「仕太刀・・右足を出して左面、左足を出して右面、更に右足を出して左面を斬り、一度後退して間合を取り青眼となる」
     大江先生の三度目は仕が打の左面にもう一度、右足を踏み込み斬り付けて、打は左足を引いて請け止め、双方右足前で後足の左足から追い足で一歩退いて正眼に直るのでしょう。
     打太刀はどの様に次の突きをするのでしょう。大江先生の突きは「打は右足より追足にて仕の刀を擦り込みて突きを施し」で突く部位も刀刃の向きも示していません。
     ここも野村條吉先生の独妙剣から見てみましょう。
     「互に青眼に構えるやいなや敵刃を我刀にて圧しつゝ、敵の喉を突く仕太刀は我刀を引込みつゝ体をかわして前に泳ぐ我首を斬る」喉を突くのだから、刃を下に向けたまま仕の刀に乗っていくのでしょう。
     山内豊健先生の宇野又二伝では、「打、相手の刀を押さえきみにて上体を前に屈めて相手を突く、仕、小手を返して左横に一歩避け、右足を出して流れる相手の上体を上から切る(剣道形四本目に似る但し右足前也)」
     剣道形四本目は「打は仕の右肺を突き、仕は巻き返し、打の正面を打つ」
     「相手の刀を押さえきみに」・・鎬を使って相手の刀を自分の中心から外させつつ、自分の刀は相手の中心に残したまま進み、突く・・京都山内派の無双直伝英信流居合術の独妙剣で解説されています。
     大江先生の晩年の直弟子でしょう、山本宅治守誠先生の英信流居合之形独妙剣では「打太刀は右足より追足にて仕太刀の刀を摺り込みて仕太刀の胸部に突きを施し上体を前に屈す。
     仕太刀は其の突きに対して左足を左斜め後に踏みかえ、刀を右に捻ぢ廻し右足を左足前に踏みかえて打太刀の首を斬る」
     打の突きの状況も、仕の状況も文章では不十分な表現です。打は仕の胸部を突くのですから刀刃は右向きか左向きでしょう。
     第20代河野百錬先生は「打太刀は機を見て右足左足と追足にて、剣を左に傾け摺り込みて仕太刀の胸部を刺突す。仕太刀は左足を左に踏出し(右足の左斜前)体を右に披きつゝ手元を上げて敵刀を巻き返す。(敵剣を己が右斜下に裏鎬にて摺り落す)
     大江正路先生の獨妙剣の表現の曖昧さから先師は色々考えられたようです。次回は河野百錬先生の独妙剣を打ってみます。
     
     
     
     
     
     
     

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    曽田本その1の3業附口伝読み解く4大小立詰2袖摺返

    曽田本その1
    3業附口伝読み解く
    4、大小立詰
    二本目袖摺返
     打ハ横ヨリ組ミ付仕肘ヲ張リテ一當スルト同時二スグ二打ノ刀ヲ足二スケテ後二投ル也
     (五藤先生ハ一當シテ中二入リ刀ヲ足二スケ後へ投ルト記セリ)
     (横合ヨリ組付ヒジヲ張リ一當シテ中二入リ刀ヲ足二スケ跡へ投ケル左右共同前 五藤正亮先生ノ教示)
    読み
    二本目袖摺返(そですりかえし)
     打は横より組付く 仕肘を張りて一當すると同時に 直に打の刀を足にスケて後ろに投げる也
     (五藤先生は一当てして 中に入り刀を足にスケ後へ投げると記せり)
     (横合いより組付く 肘を張り一当てして 中に入り刀を足にスケ後へ投げる 左右共同前 五藤正亮先生の教示)
    古伝神傳流秘書大小立詰一本目袖摺返
     我が立て居る處へ相手右腋より来り我が刀の柄と鐺を取り抜かせしと春る時其侭踏ミ之さり柄を相手の左の足のかゞみ二懸け中に入り又我右より来たり組付をひぢを張り躰を下り中に入る。
    読み
     我が立て居る所へ 相手右腋より来たり 我が刀の柄と鐺を取り抜かせじとする時 其の侭踏みしさり 柄を相手の左の足のかゞみに懸け中に入り 又 我が右より来たり組付くを肘を張り体を下り中に入る 
    読み解く

    古伝神傳流秘書の大小立詰の一本目袖摺返の業名は、大江先生が独創した無双直伝英信流奥居合立業の七本目袖摺返に業名を使用されていました。
     大江先生は土佐の居合をコンパクトに纏めて居合そのものを習いやすくして総合武術としては捨てるものは捨てたのでしょう。中学生向きに習いやすくするため、あるいは明治という時代が総合武術を会計的に分解してしまい格技にしてしまった時代背景に寄るのでしょう。

     打が横より両手で組付いてくる、仕は両肘を張って打の腹部に肘当てを食わし、体を低くして密着し柄を打の足に掛けて打を後ろに投げ倒す。
     「打の柄を打の足に掛けて・・」大小詰めですから打は小太刀です、「打の小太刀を打の足に掛け・・」は疑問です。
     「仕の太刀の柄を打の足に掛け・・」ならば出来そうです。
     「組付かれ肘を張りて一当てする」肘鉄が思いつきましたのでやってみました。
     「打の刀を足にすけ・・」ですがこの場合打の刀を足に掛ける方法が思い浮かびません。仕の柄でいいのでしょう。五藤先生のメモ書きでは誰の刀か不明です。

     この業は古伝新傳流秘書では大小立詰の一本目に置かれています。
     立って居る処へ、相手我が右脇から近寄って来て、我が柄を右手で鐺を左手で取り抜かさない様に鐺を背なかに押し付けて来る、我は其の儘後ろにさがり、柄を相手の左足のかゝみに懸けて体を低めて中に入り退き倒す。
     又相手が我が右より近づいてきて組付くのでひじを張って相手の組み付を緩め腰を低くして中に入り退き倒す。又我右より来たり組付をひぢを張り躰を下り中に入る。

     相手の攻撃は、古伝は柄と鐺を取って抜かさない様にする、業附口伝は横から組み付いて来る、何時の時か「又我右より来たり組付をひぢを張り躰を下り中に入る」だけに変わってしまったのでしょう。

     神傳流秘書の大小立詰一本目は袖摺返ですが五藤先生の業附口伝は二本目が袖摺返です。
     一本目は「〆捕」で業の内容が異なります。〆捕は神傳流秘書では四本目に位置します。順序は好きなようにしてもいい、気乗り次第だと云って居ましたが敢えて順番を変えた理由が解りません。

     長谷川英信の時代は甲冑を着た剣術から、素肌剣術に変わった時代でしたからその業技法への転換は頷けます。
     明治以降は伝統文化の伝承と白兵戦に怖気つかない兵士予備軍の育成にあったとも思われます。変える理由があるのでしょうか。
     寧ろ、大江先生に伝書は伝わらず、業名ばかりが伝わり内容が解らなかったと思う方が自然です。
     このような事を云いますと、大江宗家を冒涜する様な事を言うなと仰る方もおられます。無双直伝英信流を当時学ぶ者さえ無かった時代に、中学生に指導し継承された功績は大きいものですが、わけも無く神格化すべきものでも無いでしょう。

    嶋 専吉先生の第19代福井春政先生の大小立詰二本目袖摺返
    「打太刀は仕太刀の横に立つ。打太刀横より仕太刀に組みつく、仕太刀肱を張りて一と當てすると同時に直に打太刀の刀を足にすけて後に投るなり(五藤先生は「一と當して中に入り刀を足にすけ後ろへ投げる」と記せり)左右共同前。

    *曽田先生の業附口伝其の儘です。

     

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    2018年3月11日 (日)

    無双直伝英信流之形 福井聖山先生の三本目絶妙剣の2

    無双直伝英信流の型
    福井聖山先生の三本目絶妙剣の2
    参考資料
    福井聖山著平成3年1993年無双直伝英信流之形
    福井聖山先生ビデオ昭和57年1982年
     福井聖山先生のビデオは昭和57年に撮影されたものです。組太刀を学ぶ者の為にわざわざ撮影されたものでしょう。
     教本はその11年後のものですから、ビデオで演じたものと違いがあって当然です。
     然し、福井先生の平成3年の教本は、昭和17年の河野百錬先生の教本と略同じ内容ですから、本来河野先生の教本に随っていなければ、福井先生は一旦独創の組太刀を構成し後に河野先生の教本に随って改変した事になり辻褄が合いません。
     何処かに、昭和57年のビデオの元になる教本があれば納得ですし、今度は平成3年の教本のビデオもどこかになければなりません。
     何が言いたいのかは、昭和57年のビデオの運剣動作が平成3年の教本と違う様に見える箇所がままある事に依ります。
     ある地区の組太刀が福井先生の組太刀を元にしているということであれば、何を元にしたのか、手許資料は昭和57年のビデオと平成3年の教本ばかりです。無双直伝英信流第21代宗家福井聖山先生の太刀打之位は第20代河野百錬先生の太刀打の位である筈と信じています。
     出鱈目を指導して福井聖山先生の組太刀だとしかとされては納得できないのです。
     資料不備であれば、ご教示賜りたくお願いいたします。
     ビデオを拝見します。
     まず、教本の絶妙剣を読みつつビデオを見ます。
     双方八相に構え、「左足より前進し、間に至るや打太刀は上段となり、右足を踏込みて仕太刀の左面に斬込むを、仕太刀機先を制して上段から右足を踏込みて打太刀の左面に斬込み相手(相打)となり、物打の刃部にて刀を合わす。」
     ビデオは、双方左足から八相の構えの侭歩み足で左・右・左と前進し、三歩目左足前の時、双方とも左足前で立ち止まり睨み合い一呼吸おいてから、双方同時に上段に振り冠って右足を踏み出し斬り下ろし間合いの中央で刀の半ばで合刀しています。
     三歩目で睨み合うのは、左足が間に接して、扨打込むぞと合図しているようで、教本からは読み取れません。
     更に右足を踏出し斬り込むのは、打も仕も同時に上段に振り冠って同時に打ち下し、仕太刀の刀がやや伸びて打太刀の刀がややいじけた様に見えなくはないが、ほぼ相打ちです。
     剣先の軌道はどう見ても、相手の請けが無かったとしても、双方の左面に届かない遠間での打ち合いになっています。
     左面への斬り付けは、上段からの打ち下しですから、稍々半身になるのですが真向打ち下しに見えてしまいます。
     特に打の打込みはどう見ても真向にしか見えません。仕は請け太刀になる様に右手甲がやや下向きになっているので、左面を打ちに行ったか、請け太刀になっているか微妙な処です。
     仕は福井先生ですから左面を斬りに行ったが高く斬り込んだとしましょう。
     この一刀目で何故が二つ、一つは何故三歩目で留まって睨み合うのかそんな教えは古伝にも大江先生にも、河野先生にも、福井先生の教本にも書かれていない動作です。
     古流剣術には間境でここを打てと誘いの動作を以て打の打込みを誘って技を決める事があるのですが、意味も無く習慣として間境で立ち止まるのはおかしい。
     打が誘いをかけて来ているなら、仕は三歩目で立ち止まらず、打に遅れて上段に振り冠れば打は真向に打ち込んで来るので、そのまま右足を稍々右に踏み込み打の左面を打てば容易に打を制してしまうでしょう。
     二つ目は教本は双方左面に打ち込み相打ちを指定しています。其れなのに打が真向打ちして来るので、仕は高い左面で応じたとすればいいのでしょうか。打太刀の認識度が疑問です。
     このビデオは看取り稽古用のものと思います。教本に限りなく近い動作を求めるのは当然です。
     演じる方の癖や誤りを学ぶものではないでしょう。
     さて、二刀目に移ります。
     教本では、「打太刀は、仕太刀の気に圧せられて右足を退かんとするを仕太刀之に乗じて左足を踏込み打太刀の右面に斬込む。打太刀は右足を退き、上段より仕太刀の太刀を受ける。(斬込むような要領で)」
     ビデオの動作は教本通りと見ていいのでしょう。「仕の気に圧せられて右足を退かんとするを仕之に乗じて」はビデオでは看取れません。退かんとするでは無く、右足を引くので付け入った、と見えます。
     打は何の為に間を切ろうとしたのか、此処は仕を導くための動作として組み立てられたものです。
     古伝は、二刀目の斬り合いは、「打太刀の方から少し引いて裏を八相に打つ」場面です。一刀目は仕から斬込み、二刀目は打が退きながら斬込んで来るのです。(斬込む様な要領で)の括弧の文言に河野先生は古伝の思いを入れたのかも知れません。現代では、仕の斬込みを、がっしと請けるのではなく、斬込む様に請ける、摺り請けの様に思われている様です。
     補足ですが、仕の打ち込む刀は打の右面には届きそうにありません。請け太刀の必要は無さそうです。間合いが遠いのでしょう。
     三刀目は、「打は出足の左足を退きて仕太刀の真向を斬下さんと上段となるを、仕太刀すかさず右足を右前方(打太刀の左斜め側方)に踏込み、左足を大きくその後方へ送るや上段より打太刀の左腕上膊部に下より掬い上げるように斬込みて勝つ」
     此処は教本通りと見えます。遠間での斬込が続いた為、仕は延び切って打の上膊部に斬り付けています。
     二刀目の間合いは十分でなければ三刀目の間合いも遠くなって不自然な動作になってしまいます。
     さすが、見事に目的を果たして勝っている、というのも観方でしょう。
    次回は四本目独妙剣
     
     

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    曽田本その1の3業附口伝原文4大小立詰2袖摺返

    曽田本その1
    3業附口伝原文
    4、大小立詰
    二本目袖摺返
     打ハ横ヨリ組ミ付仕肘ヲ張リテ一當スルト同時二スグ二打ノ刀ヲ足二スケテ後二投ル也
     (五藤先生ハ一當シテ中二入リ刀ヲ足二スケ後へ投ルト記セリ)
     (横合ヨリ組付ヒジヲ張リ一當シテ中二入リ刀ヲ足二スケ跡へ投ケル左右共同前 五藤正亮先生ノ教示)
    読み
    二本目袖摺返(そですりかえし)
     打は横より組付く 仕肘を張りて一當すると同時に 直に打の刀を足にスケて後ろに投げる也
     (五藤先生は一当てして 中に入り刀を足にスケ後へ投げると記せり)
     (横合いより組付く 肘を張り一当てして 中に入り刀を足にスケ後へ投げる 左右共同前 五藤正亮先生の教示)
    古伝神傳流秘書大小立詰一本目袖摺返
     我が立て居る處へ相手右腋より来り我が刀の柄と鐺を取り抜かせしと春る時其侭踏ミ之さり柄を相手の左の足のかゞみ二懸け中に入り又我右より来たり組付をひぢを張り躰を下り中に入る。
    読み
     我が立て居る所へ 相手右腋より来たり 我が刀の柄と鐺を取り抜かせじとする時 其の侭踏みしさり 柄を相手の左の足のかゞみに懸け中に入り 又 我が右より来たり組付くを肘を張り体を下り中に入る 
     

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    2018年3月10日 (土)

    無双直伝英信流の型 福井聖山先生の三本目絶妙剣の1

    無双直伝英信流の型
    福井聖山先生の三本目絶妙剣の1
    参考資料
    河野百錬先生著昭和17年1942年大日本居合道図譜
    福井聖山先生著平成3年1993年無双直伝英信流之形
    平成2年1992年無双直伝英信流居合道全国大会講習資料太刀打之位要旨
    福井先生の教本を読んでみます。
    絶妙剣
     打太刀・仕太刀共、足を踏みかえて左足を前に出し八相に構ゆ。
     双方左足より前進し、間に至るや打太刀は上段となり、右足を踏込みて仕太刀の左面に斬込むを、仕太刀機先を制して上段から右足を踏込みて打太刀の左面に斬込み相手(相打ちの誤植か)となり、物打の刃部にて刀を合わす。
     打太刀は、仕太刀の気に圧せられて右足を退かんとするを仕太刀之に乗じて左足を踏込み打太刀の右面に斬込む。打太刀は右足を退き、上段より仕太刀の太刀を受ける。(斬込むような要領で)
     打太刀は、左足を退きて仕太刀の真向を斬下さんとして上段になるを、仕太刀右足を右前方(打太刀の左斜側面)に踏込み、左足を大きくその後方へ送るや上段より打太刀の左腕上膊部に下より掬い上げる様に斬込みて勝つ。
    註1、左腕より頭部諸共、斬放つ意なり。
    註2、仕太刀は、右肩にて敵に附入るように十分手を伸して上体を右前に乗出す。
     次に、互に中段となりつつ仕太刀は左足より元の位置にかえり、打太刀は三歩出で仕太刀は三歩退きて中央にかえり、双方五歩後退す。(納刀せず)
     平成3年の無双直伝英信流之形より
     福井先生の教本は略河野先生の教本通りになっています。
     双方八相の構えから、打が上段に振り冠って、右足を踏み込み仕の左面に斬り込む、機先を制して仕も八相から上段に振り冠って、右足を踏み込んで打の左面に斬り込みます。
     ある地区の絶妙剣はこの一刀目の斬り込みを「双方真向打ちし互いの間合いの中央で、刀を合わせ」ています。この教本は何処にも見当たりません。この地区の指導者による独創か福井先生の特別指導による変化かも知れません。
     双方真向打ちして中央の遠間で刀を合わせ相打ちを示して意味があるとは思えません。
     敢えて言えば、八相から上段に振り冠るのだから真向打ちで当たり前とも言えます。
     然し福井先生の要求は相手の左面ですから、手打ちでなければ右に体を開いた左面打ちになる筈です。
     ある地区のこの演武を見ていますと、真向打ちなど殆ど出来ておらず、仕打いずれかが刀が触れあう前に刃を返したりして請け太刀となって十文字受けになっています。
     福井先生の双方右足を踏み込み左面に斬り込み「物打の刃部にて刀を合わす」のも実際やって見れば、相手の左面に狙って打込めば物打ち刃部では有り得ません。刀の中央刃部で十文字受けとなる筈です。相手の左面に届く刀は、相手も我が左面に届くのも当たり前です。
     或いは出遅れた方が請け太刀となる筈です。
     古伝神傳流秘書では請入(請込)です。双方上段か八相に構え行き、一刀目は仕が仕掛けて打込んで打が之を請け、打は一歩退いて今度は打が八相に打込むのを仕は踏み込んで請けています。打が上段に冠って真甲に仕を打つを仕は右に体を開いて、打の肘を斬っています。
     請入の業名の由来は、敵が間を切って攻撃に転じようとするのを間を外さずに請入る事を教えています。
     大江先生は、中学生向きに仕が一方的に仕掛けていく様な雰囲気ですが、河野先生は仕は打の機先を制する事で一方的な攻撃に異を唱えている様です。
     戦前の武道教育の先制攻撃にせめてもの一石を投じている様に思うのは私だけかも知れません。
    次回は福井先生のビデオを拝見して見ます。
     
     

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    曽田本その1の3業附口伝読み解く4大小立詰1〆捕

    曽田本その1
    3業附口伝読み解く
    4、大小立詰
    一本目〆捕
     互二對立スル也打ハ両手ニテ仕ノ柄ヲ握ルヲ仕ハ左手ヲ以テ打ノ左手首ヲ握ル也更二□ノ時スグニ仕ハ右手ニテ打ノ両腕ヲ締メ込ミ我体ヲ台二シテ之レヲ極メル也
     (敵両手ニテ柄ヲ握ル左手ニテ敵ノ左ノ手首ヲ押へ躰ヲ込ミ〆付ル)
    読み
     互に対立する也 打は両手にて仕の柄を握るを 仕は左手を以て打の左手首を握る也 更に□(其)時直に仕は右手にて打の両腕を締め込み 我が体を台にして之を極める也
     (敵両手にて柄を握る 左手にて敵の左の手首を押へ体を込み締め付ける)

    古伝神傳流秘書大小立詰 四本目〆捕
     相懸りに両方より懸る時相手両手にて我刀の柄を留我左の手にて相手の脇つぼへ入れて両手を〆引上如何様にも投る也
    読み
    古伝神傳流秘書大小立詰四本目〆捕
     相懸かりに両方より懸かる時 相手両手にて我が刀の柄を留 我左の手にて相手の脇坪へ入れて両手を締め引上げ 如何様にも投げる也
    読み解く

     仕は太刀を差し、打は小太刀を差し互いに相対して立つ。立ち位置は手を伸ばせば相手に十分触れる事ができる距離を想定します。
     お互いの体格を合わせる様な、安易な稽古はせずにどんな人とでも勝てる事を学ぶべきでしょう。

     互いに向かい合って立ちます。打は両手で仕の柄を握って抜かせないようする。仕は左手で打の左手首を握り、即座に打の両腕の肘に右手を掛け、体をぐっと付け込んで極める。
     五藤先生は「左手首を押へ、・・・両肘折を押へ・・」と押へると記述されています。

    *
     古伝神傳流秘書では〆捕は四本目でした。曽田先生による五藤先生の業附口伝大小立詰では〆捕は一本目になっています。この入れ替りの順番も何故か疑問です。全業を終ってから考えてみます。
     大小立詰は我は太刀を差し、相手は小太刀を差しての立合いです。刀を抜く以前の攻防を習うもので、居合は刀を抜くものとばかり思っていたのでは、柄に手を懸けるや制せられてしまいます。

     双方相懸りに歩み寄る時、相手我が柄を両手で押さえて抜かさない様に制して来る。我は左手で相手の脇坪に左手を差し入れて、相手の両手を抱きかかえ締め上げ左足を退くや体を沈め左脇に投げ倒す。

     此の場合は、我は柄に手を懸けている、或はいない、特に指定されていません。三本目の鍔留が柄に手を掛けた処其の手を留められていますから、ここは柄に手を懸ける前に相手に柄を制せられるとするのでしょう。

    「両手を〆上げ」は相手の両腕の肘のかがみを裏から抱く様に締め上げるのでしょう。


     第九代の林六太夫守政の時代から150年程後の業手附が五藤先生のものでしょう。
    古伝は、相手の脇坪に左手を差し入れています、業附口伝では相手の左手を押えて、相手の両肱を右手で押さえこんでいます。
     其れでなければならないと言う事ではないと思いますが、先ず指示された通りと云うのが古伝を稽古する筋でしょう。

    嶋 専吉先生の第19代福井春政先生の大小立詰一本目〆捕
    「打太刀、仕太刀互に対立す。打太刀は両手にて仕太刀の柄を握るを仕太刀は左手を以て打太刀の左手首を握る、更にこのとき直に仕太刀は右手にて打太刀の両腕を締め込み己が体を台にして之を極めるなり」

    *曽田先生の業附口伝其の儘です。

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    2018年3月 9日 (金)

    無双直伝英信流の型 河野百錬先生の三本目絶妙剣の2

    無双直伝英信流の型
    河野百錬先生の三本目絶妙剣の2
    昭和44年ビデオ
     相八相で「左足から前進し間に至るや打は上段となりて右足を踏込みて仕の左面を斬込むを機先を制して仕上段となるや右足を踏込みて打の左面を斬下し互に相打となり物打の刃部にて刀を合はす」この処ですが、相変わらず仕が機先を制してが一方的にしか見えません。
     仕の打込みに対し打は刀身の半ばで稍々刀を立て気味に請け太刀になってしまっています。
     打の八相から上段への振り冠りは、上段に冠るや後方に切先下がりになっていますから、無双直伝英信流の上段の形をイメージしているのでしょう。
     間合いが不十分ですから先制攻撃にも拘わらず仕の切先は打に届く事はありません。当然打は請け太刀ですから斬り込む意思はないものの様です。
     二刀目も同様ですが、急ぐあまりか、上段の振り冠りは不十分で切先後方下がりで右側面に冠った可笑しな八相になってしまっています。
     間が近くなって双方の切先は相手に届くと思われますが、仕の斬り込みに打が請け太刀になって「打太刀は右足を退き上段より仕の太刀を受ける」ですから教本の通りでやられると届かないでしょう。
     打が「左足を退きて仕の真向を斬下さんとして上段となるを、仕太刀はすかさず右足を右前方(打の左斜め側面)に踏込み左足を大きく其の後方に進めて踏みかゆるや、上段より打太刀の左腕上膊部に下より掬ひ上げる様に斬込みて勝」
     この場面では、仕は右足を前方に踏込み、打の左斜め側面とは取れません。上段とも変則八相ともとれない曖昧な振り冠りから体を低くめ打の左上膊部に斬りつけています。その際左足は元の位置にあるままで踏み変えられていません。
     この体勢は大江先生の「仕太刀は右足を出して體を右半身とし、中腰となりて、・・」に相当します。
     河野先生の教本通りにご本人も打てゝいないのは、打の導きに河野先生がついて行く姿勢が無く先制攻撃をしてしまうからでしょう。
     河野先生を立てれば、打が仕に先んずる動作を生み出せないため、遅れた太刀打ちによると思われます。
     気になる河野先生の動作で左上膊部へ斬つける、その足捌きが全く教本と一致しないのは困ったものです。
     河野先生のビデオは演武会でのショットでは無く、撮影の為に行われた演武と思われます。
     カメラマンも組太刀を十分理解した人であったか疑問です。教本に添った演武を残すならば、河野先生が自ら打たずに高弟の方に打ってもらい、監督であるべきだったでしょう。
     或は演武の注意点を高弟の方に十分指導して監督に廻ってもらい演ずるべきだったでしょう。
    次回は福井先生の三本目絶妙剣です。
     
     
     
     
     
     

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    曽田本その1の3業附口伝原文4大小立詰1〆捕

    曽田本その1
    3業附口伝原文
    4、大小立詰
    一本目〆捕
     互二對立スル也打ハ両手ニテ仕ノ柄ヲ握ルヲ仕ハ左手ヲ以テ打ノ左手首ヲ握ル也更二□ノ時スグニ仕ハ右手ニテ打ノ両腕ヲ締メ込ミ我体ヲ台二シテ之レヲ極メル也
     (敵両手ニテ柄ヲ握ル左手ニテ敵ノ左ノ手首ヲ押へ躰ヲ込ミ〆付ル)
    読み
     互に対立する也 打は両手にて仕の柄を握るを 仕は左手を以て打の左手首を握る也 更に□(其)時直に仕は右手にて打の両腕を締め込み 我が体を台にして之を極める也
     (敵両手にて柄を握る 左手にて敵の左の手首を押へ体を込み締め付ける)

    古伝神傳流秘書大小立詰 四本目〆捕
     相懸りに両方より懸る時相手両手にて我刀の柄を留我左の手にて相手の脇つぼへ入れて両手を〆引上如何様にも投る也
    読み
    古伝神傳流秘書大小立詰四本目〆捕
     相懸かりに両方より懸かる時 相手両手にて我が刀の柄を留 我左の手にて相手の脇坪へ入れて両手を締め引上げ 如何様にも投げる也

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    2018年3月 8日 (木)

    無双直伝英信流の型 河野百錬先生の三本目絶妙剣の1

    無双直伝英信流の型
    河野百錬先生の三本目絶妙剣の1
    参考資料
    河野百錬著昭和17年大日本居合道図譜
    山本宅治守誠述英信流居合之形
    野村條吉著昭和40年無双直伝英信流居合道の参考
     打太刀仕太刀共互に足を踏みかへて左足を前に出して八相に構ゆ。
     打太刀仕太刀互に左足より前進し間に至るや打太刀は上段となりて右足を踏込みて仕の左面を斬込むを機先を制して仕太刀上段となるや右足を踏込みて打の左面に斬下し互に相打となり物打の刃部にて刀を合はす。
     打太刀は仕太刀の気に圧せられて右足を退かんとするを、仕太刀は之に乗じて、左足を踏込みて敵の右面に斬込むを、打太刀は右足を退き上段より仕の太刀を受ける。(斬込む様な要領で)
     打太刀は左足を退きて仕の真向を斬下さんとして上段となるを、仕太刀はすかさず右足を右前方(打の左斜側面)に踏込み左足を大きく其の後方に進めて踏みかゆるや、上段より打太刀の左腕上膊部に下より掬ひ上げる様に斬込みて勝つ。
    註1、左腕より頭部諸共斬放つの意なり。
    註2、仕太刀は右肩にて敵につけ入る様に十分右手を延して上体を右前に乗りだす。
    次に仕太刀は左足より互に中段となりつゝ元の位置にかへり仕太刀は三歩退き打太刀は三歩出で中央にかへり、互に五歩後進す。(中段のまゝにて納刀せず)
    解説
     大江正路先生との違いをチェックしてみます。
     大江先生は双方八相で「五歩前進」しますが、河野先生は八相で「左足より前進し間に至る」。
     そこで大江先生は、打太刀に先んじて「八相の構えから仕太刀は右足を踏出して打太刀の右面(左面の誤り)を斬る」のですが河野先生は、「打太刀が右足を踏込みて仕の左面を斬込むを機先を制して、仕太刀上段となるや右足を踏込みて打の左面に斬下し」打ち合わせています。
     先ず河野先生は、打の攻撃の機先を制するので、一方的な仕の攻撃に非ずの思想を貫きます。古伝も大江先生も仕が攻撃を仕掛けるのです。
     更に河野先生は、八相の構えから上段に振り冠り直してから八相に打の左面を斬りに行きます。
     是は、大日本武徳会の運剣に従った運剣です。大江先生も八相から上段に振り冠って打の左面に斬り込んでいます。
     
     次に、河野先生は、打は仕に圧せられて引かんとする処を仕は右面に打ち込み打は下りつつ之を請けています。
     大江先生は、此処は曖昧です。
     古伝は、打は下りながら仕の右面に打ち込み、仕は詰めながら之を請けています。攻撃が一本目とは異なるのです。
     更に打は退きながら上段に構え打ち下ろさんとする「斬撃の意を示す」のが大江先生。ここは河野先生とほぼ同じでしょう。
     
     此の打ち込みに対する仕は「同時に仕は右足を出して體を右半身とし、中腰となりて、(打の)左手甲を斬る」のが大江先生、動作が機敏なもので敢えて大きく筋は変わらないものです。
     河野先生は「仕はすかさず右足を右前方(打の左ななめ側面)に踏込み左足を大きく其の後方に進めて踏みかゆるや」ですから、大きく筋を変わっています。
     更に再び上段に振り冠ってから、下より掬い上げる様に打の上膊部を斬り込んでいます。
     大江先生は、「体を右半身とし、中腰となりて、左甲手を斬る」とコンパクトな動作です。
    *
     ここで、大阪の河野先生と土佐の山本宅治先生の絶妙剣を見てみます。
     山本宅治先生の、八相からの一刀目の動作ですが「仕太刀は左足より三歩出た時、上段となり四歩右足の出た時打太刀の左半面を斬る」ですから、八相から上段に構え直して八相に斬る、河野先生と同じ運剣です。
     八相から上段に振り冠り直すなどの事は、どの様な意味があるのでしょう。改めるべきものでしょう。
     先日ある地区の組太刀を見ていて此の動作を見た瞬間、私の剣先は相手の小手を斬っていました。
     相手が上段に振り冠り斬撃の意を示した瞬間、山本先生は「同時に仕太刀は右足を大きく右前横に跳び込み腰を極めて右半身となり、少し腰を低くして太刀を右より廻して下から助け斬りに打太刀の甲手(又は臂)を斬る。と河野先生と同様の体裁きですが左足の摺り込みが要求されていない様です。
     第18代穂岐山先生の弟子であった野村條吉先生の昭和40年「無双直伝英信流居合道の参考」の絶妙剣では、「八相に構え、右足より左右と交互に前進し間合に入るや右足を出して敵の左面を斬り」ですから八相からの斬り込みです。
     相手が「上段の構えとなり反撃の気配を察知」した時は右足を右横に踏み、左足は之に随い体を右に転し中腰右身となり敵の左前臂を斬る」と是は踏込み位置が違いますが左足を擦り込んで右身となっています。
     明治から敗戦までの期間、武徳会の強引な方針は貫かれたのでしょう。
     もう一つ、大江先生も河野先生もある地区の様に、八相から上段に振り冠り「真向打ち」して双方の中間で物打を合わすなどの教えはこの無双直伝英信流の型には見当たりません。
     絶妙剣に真向打は間違いで、その上双方の中間で合刀では意味なしでしょう。
     演武を見ていますと、真向打など出来ておらず、十文字受けになっているのもおかしなものです。
     上段から双方真直ぐ打ち下す「合し打ち」を学ばなければできないでしょう。出来れば絶妙剣ではなくなってしまいます。
     次回は河野先生のビデをから教本と対比してみましょう。
     
     

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    曽田本その1の3業附口伝読み解く3大小詰8山影詰

    曽田本その1
    3業附口伝原文
    3、大小詰
    八本目山影詰
     打ハ仕ノ後ロ二坐ス後ヨリ組付也其時仕ハ頭ヲ敵ノ顔面二當テ敵ヒルム隙キ二我刀ヲ抜キテ打ノ組タル手ヲ切ル也
     (五藤先生ハ一當シテ仰向二ソリカエルト記セリ)
     後ロヨリ組附頭ニテ一當テシテ仰向二ソリカエル
     
    読み
    八本目山影詰(やまかげづめ・やまかげつめ)
     打は仕の後ろに座す 後より組付也 仕は頭を敵の顔面に当て 敵怯む隙に我が刀を抜きて打の組みたる手を切る也
     (五藤先生は一当てして仰向けに反り返ると記せり)
     後より組附き頭にて一当てして仰向けに反り返る
     
    古伝神傳流秘書大小詰八本目山影詰
     是は後より相手組を刀を抜き懸其手を切ると一緒に我も共に後へ倒るゝ也
     以上八本
    読み
     是は 後より相手組むを 刀を抜き懸かり其の手を切ると一緒に 我も共に後ろへ倒るゝ也
     以上八本
    読み解く

     曽田先生の手附で業は充分理解できます。細かいところですが、打・仕と言っておきながら敵・我と出てくるので「おや!」と思ってしまいますが、校正しているものではなく曽田メモですから意味が通じればいいでしょう。

     打は仕の後ろに双方立膝に坐しいる、打は腰を上げ仕の後ろから両手を廻し仕の左右の上腕を羽交い絞めにする。
     仕は即座に後頭部で打の顔面を打つ、打がひるむ隙に太刀を抜いて打の組み付いている手を切る。
     (後藤先生は、顔面に後頭部で一当てして仰向けに反り返って打の組み付を外す。)

    神傳流秘書大小詰八本目山影詰
     後ろから相手が抱き着いて我が両腕を絞めして来る時、刀を抜き上げて組み付いている相手の手を切りその拍子に後ろに相手と一緒に押し倒れる。

     後ろから両肘の辺りをがっちり羽交い絞めされたら、刀は抜き出せません。やはり顔面当ては稽古から外せそうもありません。
     不意の羽交い絞めか、我が刀に手を掛けたのを制せられたのか、この場合は神傳流秘書は何も言って居ません。状況はいろいろでしょう。

     これらの形は、「かたち」を学んで実戦に役立つものにしませんと、喧嘩慣れした暴漢には勝てない。
     申し合わせの「かたち」では演舞(武)会の余興です。

     一つの業から何通りもの変化を場に応じてこなせる様に修錬するものでしょう。師匠に習った方法だけがすべてで、他所で見聞きしたものを「違う」と言って否定するのは心得違いです。
     古伝を学ぶ時は、まず書かれている文章の通り動作を付けて見るべきで、抜けた部分は想像するのですが、尤も自然な続きの動作を模索すべきで決めつけてしまうと古伝では無くなってしまいます。

    嶋 専吉先生の第19代福井春政先生の大小詰八本目山影詰
    「打太刀は仕太刀の後ろに坐す。打太刀、仕太刀の後より組みつく、その時仕太刀は頭を打太刀の顔面に當て打太刀の怯む隙に己が刀を抜きて打太刀の組みたる手を切るなり。
    (五藤先生は「一と當てして仰向に反り返へる」と記せり)。」

     この、嶋先生の文章の括弧の部分は曽田先生のメモ書きそのものです。
    やはり、18代穂岐山先生・19代福井先生・20代河野先生いずれも、谷村派の組太刀は伝書に依る伝承はされず、下村派の曽田虎彦先生の写された伝書に基づいて稽古されたと云う事が実態だったと判断できます。

    以上で大小詰八本の業は終了です。

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    2018年3月 7日 (水)

    無双直伝英信流の型 大江正路先生の三本目絶妙剣

    無双直伝英信流の型
    大江正路先生の三本目絶妙剣
     打太刀は其まゝにて左足を出して體を斜向きに八相となり、仕太刀は青眼より左足を出して八相となる、仕太刀は八相のまゝ右足より五歩交互に進み出て、同體にて右足を踏み出して、右面を斬る、打太刀は八相より左足を引きて仕太刀の太刀と打合す、仕太刀は左足を出し打太刀は右足を引きて、前の如く合せ、打太刀は左足を大きく引きて上段構となりて斬撃の意を示す、之と同時に仕太刀は右足を出して體を右半身とし、中腰となりて、左甲手斬る、静かに青眼になりゝ打太刀は、三歩出で、仕太刀は三歩退る。
     この業は古伝神傳流秘書の太刀打之事四本目「請入」の様です。
     前の如く打合相手八相に打を前の如くに留又相手より真甲を打を躰を右へ開きひじを切先尓て留勝
     古伝は省略がありますから。補足が必要です。「前の如く打合」は、古伝神傳流秘書の太刀打之事三本目請流です。大江先生はこの業は取り込まなかった業です。参考にして打込み方を学びます。
     請流:遣方も高山相手も高山或は肩へかまへるかの中也待処へ遣方歩行右の足尓て出合ふ打込を打太刀請扨打太刀の方より少し引て裏を八相に打つを左足尓て出合ふて留相手又打たんと冠るを直二其侭面へ突込み相手八相二拂ふをしたかって上へ取り右の足尓て真甲へ勝
     古伝「請入」を読み解いてみます。
     遣方(仕太刀)も高山相手も高山或は肩へかまへる(八相に構える)、打待つ処へ仕歩み行き右足を踏み込んで打の真向又は左面に打ち込む、打左足を引いて仕の打込みを切先を斜め右上に柄を左にして請け、さて打は右足を少し引いて裏八相(左側から八相)に仕の右面に打ち込んで来るのを、仕は左足を踏み込んで留める、相手真向に打ち込まんとするのを仕体を右へ開き打の肘を切先にて斬り勝 
    解説
     この大江先生の絶妙剣は誤植があります。「仕太刀は・・・同體にて右足を踏み出して右面を斬る」の処ですが「仕太刀は・・・同體にて右足を踏み出して左面を斬る」でしょう。八相から右足を踏出して右面は斬らないのが一般的です。従って次の「仕太刀は左足を出して、右面を斬る」で歩み足で左面、右面と攻めて、打太刀は左足を引いて仕太刀と右足前で合わせ、右足を引いて合わせ、前足の左足を大きく退いて上段となる、仕は右足を踏み込んで、中腰の右半身になって、打の上段に構えた左手甲を斬る。
     古伝は、仕打高山ですから上段に構え、或は肩へ構え行き、仕が八相から左面に打ち込み打が合わせ、打は右足を少し引いて裏より仕の右面に打ち込むを合わせ、打が真向に振り被って打ち込んで来るのを、仕は右足を稍々右に踏みこみ体を右に披いて打の肘を切先で留め斬りして制しています。
     打が上段に振り冠って「さあ此処を切ってこい」と云うのではなく、「真甲を打を」と云って居ます。
     大江先生は三本目ですが、古伝は四本目ですから、打はのんびり仕の打込みを「待ってはやらんと」云う分けです。
     曽田虎彦先生の業附口伝の太刀打之位四本目請込(請入)が相当します。
     是モ同シク相懸リ二テモ敵待カケテモ不苦請流ノ如ク八相二カタキスカスカト行テ真向へ討込也敵十文字二請テ請流ノ如ク裏ヨリ八相二打其処ヲ我モ左ノ足ヲ出シ請流シノ如ク止ムル也敵其時カムリテ表ヨリ討タントスル所を其侭左ノ肘へ太刀ヲスケル也
     仕が攻め込んでいきます、一本目は八相から上段に振り冠って仕は打の真向に右足を踏み込み打ち込む、打は柄を左に切先を右に十文字に是を受けて、右に仕の刀を請け流して廻し打ちに左から裏八相に右足を引いて仕の右面に打ち込む、仕は之を左足を出して請け留る。
     打は即座に八相に取って振り冠り討たんとするところを、仕は其の儘右足を踏み込み打の左肘へ掬い上げる様に切り上げる。
     手附の文言が判りにくいのですが、之も仕が攻めて、打が引きながら攻めるものです。
     
     
     
     

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    曽田本その1の3業付口伝原文3大小詰8山影詰

    曽田本その1
    3業附口伝原文
    3、大小詰
    八本目山影詰
     打ハ仕ノ後ロ二坐ス後ヨリ組付也其時仕ハ頭ヲ敵ノ顔面二當テ敵ヒルム隙キ二我刀ヲ抜キテ打ノ組タル手ヲ切ル也
     (五藤先生ハ一當シテ仰向二ソリカエルト記セリ)
     後ロヨリ組附頭ニテ一當テシテ仰向二ソリカエル
    読み
    八本目山影詰(やまかげづめ・やまかげつめ)
     打は仕の後ろに座す 後より組付也 仕は頭を敵の顔面に当て 敵怯む隙に我が刀を抜きて打の組みたる手を切る也
     (五藤先生は一当てして仰向けに反り返ると記せり)
     後より組附き頭にて一当てして仰向けに反り返る
    古伝神傳流秘書大小詰八本目山影詰
     是は後より相手組を刀を抜き懸其手を切ると一緒に我も共に後へ倒るゝ也
    読み
     是は 後より相手組むを 刀を抜き懸かり其の手を切ると一緒に 我も共に後ろへ倒るゝ也
     

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    2018年3月 6日 (火)

    無双直伝英信流の型 福井聖山先生の二本目拳取

    無双直伝英信流の型
    福井聖山先生の二本目拳取
    参考資料
    福井聖山著平成3年1993年無双直伝英信流之形
    河野百錬著昭和17年1942年大日本居合道図譜
    平成2年1992年第9回無双直伝英信流居合道全国大会
    講習資料太刀打之位要旨
    福井聖山先生昭和58年無双直伝英信流居合道太刀打之位ビデオ
     出合の要領で虎走で前進し、同じく膝の所にて斬結ぶ。打太刀圧せられて退かんとするを仕太刀すかさず左足を打太刀の右足の斜右方に踏込み、右足を大きく後に体を右に披くや打太刀の右手首を左手にて上より逆に握り(中指は手首の関節部に拇指は手の甲に)左下方に引きて打太刀の体勢を右に崩し、右手の自由を奪い、己の右手を腰部に把り、刃を外に向けて剣先を打太刀の胸部につくる。(胸部を刺突する)仕太刀、右足より右に元の位置に復しつつ双方中段となり互に五歩後退す。(納刀せず)
     河野先生と一見文章は同じと思えるのですが、技術が異なります。大日本居合道図譜より
     出合の要領にて虎走りにて前進し同敷く膝の所にて斬結ぶ。打太刀は圧せられて後に退かんとするを仕太刀はすかさず左足を打太刀の右足の斜右前に踏込み右足を大きく後ろに、体を右に披くや打太刀の右手首を左手にて上より逆に握り(中指は手首関節部に、拇指は掌中に)左下方に引きて敵の体勢を右に崩し右手の自由を奪ひ右手の刀を刃を外に向けて腰部に把り剣先を打太刀の胸部につくる。(胸部を刺突す)
     我れ左に転じ、敵の体勢を崩し其胸部を刺突す。(古伝には敵刀の下より刺突する)この部分福井先生の解説になし)。仕太刀右足より右に元の位置に復しつゝ仕、打、中段となり、互に五歩宛行進す。(納刀せず)
    考察
     出合同様に切り結ぶや、打は圧せられて(後に)退かんとする、仕はすかさず左足を打の右足斜右方で斜右前より範囲が広がりました。河野先生より深く付け入るのかと思いました。
     大江先生は、仕の左足の踏み込みは打の右足側面です。これくらいの深さで入らなければ相手を手先だけで崩す事になり申し合わせの「かたち」ばかりになってしまいます。
     逆手の取り方が河野先生は、中指は手首関節部に、拇指は掌中でした。福井先生は中指は手首の関節部に拇指は手の甲です。河野先生の逆手は表現があいまいで拇指を掌中に入れるのは厄介です。
     古伝云々は省かれました。その証明は出来ませんから当然でしょう。
    福井先生の教本とビデオの動作を見てみます。
     出合と同じですが、仕の柄掛りは出合より早く仕打同時です。当然仕が仕掛けている一方的な相打ちです。打太刀の機先を制したとしましょう。相変わらず間が遠すぎです。仕の気勢に打が劣るとしましょう。
     「打は仕に圧せられて退かんとするを」ですが、打が相打ちのまま、動いても居ないのに仕の左手は鯉口を離れ前方に向っています、左足も爪先で床を蹴る様に踵が上がっています。ここも打が退かんとして、打の刀の圧が弛んだとしましょう。そうであれば深く付け入る事が出来るのに、初めに膝に抜き付ける際踏み込んだ右足の位置から左足を踏み込んでいますから当然遠間になってしまいます。
     繰返しビデオを見て気が付いたのは、打が膝に抜き突けて来るのを仕が機先を制するならば、踏み込みはもっと大きくなるのですが、打は仕の膝に抜き付ける間合いなど無関係に刀を下に抜き付けているのですから、最初から仕の膝などに届きっこない間積もりなどの素養など無いとしか言いようがありません。
     それにまた仕は相手の膝など無視して相手の刀しか見ていないで合刀してしまうのでは間合いは何処へやらです。
     この原因は真剣による演武の結果と思わざるを得ません。真剣であれ木刀であれ公に演ずるときは、相手を信じ切られる、打たれる覚悟で演ずる以外に意味なしです。
     大江先生の独創された無双直伝英信流の型は特別な術を要しない初歩的組太刀です、手附に従ってきちんと演じないと意味なしになりそうです。
     たとえば、拳取の業名ですが、古伝は附入です。先ず附入る事とはどうすべきかが理解出来なければ拳取の術はかからないのです。
     山本宅治先生の仕の踏み込みは「打太刀の右足の外面」です、此処を誤れば業はかかりません。
     先日、私に組太刀のビデオを見たいと言って来られた方がおられます。
     剣術をやられておられるか、体術をやられておられる方ならば、解説書とビデオと言われればお貸ししたかも知れませんが、とてもビデオだけをお貸しする勇気はありませんでした。
     
     
     

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    曽田本その1の3業附口伝読み解く3大小詰7左伏

    曽田本その1
    3業附口伝読み解く
    3、大小詰
    七本目左伏
     右伏ノ反対業也
     (左脇二坐ス右手胸ヲ取リ其手ヲ押へ前へ伏ル 五藤正亮先生の教示)
    読み
     右伏の反対業也
     (左脇に坐す 右手胸を取り其の手を押へ前に伏せる 五藤正亮先生の教示)
    六本目右伏
     打ハ仕ノ右側二並ヒテ坐ス打左手ニテ仕ノ胸ヲトル仕ハスグニ其ノ腕ヲ巻キ込ミ逆手ヲトリ前二伏セル也
     (右腋二坐ス左手ニテ胸ヲトリ来ル其手ヲ押へ伏セル 五藤正亮先生ノ教示)
    読み
    六本目右伏(みぎふせ・みぎぶせ)
     打は仕の右側に並びて坐す 打左手にて仕の胸を取る 仕は直ぐに其の腕を巻き込み 逆手を取り前に伏せる也
     (右腋に坐す 左手にて胸を取り来る 其の手を押え伏せる)
    七本目左伏
     組み立てます。
     打ハ仕ノ左側二並ヒテ坐ス打右手ニテ仕ノ胸ヲトル仕ハスグニ其ノ腕ヲ巻キ込ミ逆手ヲトリ前二伏セル也
     (左腋二坐ス右手胸ヲトリ来ル其手ヲ押へ伏セル 五藤正亮先生ノ教示)
    読み
    六本目右伏(みぎふせ・みぎぶせ)
     打は仕の左側に並びて坐す 打右手にて仕の胸を取る 仕は直ぐに其の腕を巻き込み 逆手を取り前に伏せる也
     (左腋に坐す 右手にて胸を取り来る 其の手を押へせる)
    古伝神傳流秘書大小詰七本目
     是は左の手を取る也事右伏二同左右の違計也尤も抜かんと春る手を留められたる時は柄を放し身を開きて脇つ保へ當り又留られたる手を此方より取引倒春事も有也
    読み
    古伝神傳流秘書大小詰七本目
     是は 左の手を取る也 事 右伏に同 左右の違計也 尤も抜かんとする手を留められたる時は 柄を放し身を開きて脇つ保へ當り 又 留られたる手を此方より取引倒す事も有也
    読み解く

    打は腰を上げて右に振り向き右足を右前に踏み込んで仕の胸を右手で取る。仕はすぐに腰を上げつつ打の右手肘を左手で巻き込んで右手で打の手首を取り逆手を取って打を前に俯けに倒す。

     古伝神傳流秘書大小詰七本目左伏
    是は左の手を取る也事右伏に同左右の違計也尤も抜かんとする手を留められたる時は柄を放し身を開きて脇つぼへ當り又留られたる手を此方より取引倒す事も有也

     前回の右伏の逆でしょう。我が左側に相手は並び座すとします。
    相手腰を上げ我が左手を取る。我右手を相手の斜めに首筋から廻し胸を取り身を開いて左に押し伏せる。

     我れが抜かんとして柄に右手を懸けているならば其の右手首を相手に取られて抜かさない様に押し付けて来る。
     我は此の時柄手を放し、左足を引いて左に開き、鍔を持つ左手で相手の脇坪に柄頭で打ち当てる。又、柄手を留められた場合、柄手を放し相手の手を取り左手を相手の肘に懸け体を開き引き伏せる事も有。

    右伏・左伏も状況に応じて臨機黄変に対処する事を教えている様です。

    古伝は、流の奥義を悟られない様に抜けだらけの文言が通例と聞いていますが、寧ろ微細な業技法に拘らず千変万化の動作を要求している様に思えます。

    現代居合は、昇段審査や競技大会の審査に容易な様に限られた技法を突き詰めてしまい
    古伝の大らかな奥深さを忘れています。

    武術は形ではない、と古流剣術の先生から強く指摘されます。現代居合が形にこだわり振り冠りの角度は・・、など些細な処に目を付けるほどの事ばかりをしています、武的美を求める競技の様になってしまいます。

    嶋 専吉先生の第19代福井春政先生の大小詰七本目左伏
    「(右伏の反対の業なり)」

     



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    2018年3月 5日 (月)

    無双直伝英信流の型 河野百錬先生の二本目拳取

    無双直伝英信流の型
    河野百錬先生の二本目拳取
    参考資料
     河野百錬著昭和17年大日本居合道図譜
     昭和44年の太刀打之位ビデオ
     京都山内派無双直伝英信流居合術
     出合の要領にて虎走にて同敷く膝の所にて斬結ぶ。打太刀は圧せられて後に退かんとするを仕太刀はすかさず左足を打太刀の右足の斜右前に踏込み右足を大きく後ろに、体を右に披くや打太刀の右手首を左手にて上より逆に握り(中指は手首関節部に、拇指は掌中に)左下方に引きて敵の体勢を右に崩し右手の自由を奪ひ右手の刀を刃を外に向けて腰部に把り剣先を打太刀の胸部につくる。(胸部を刺突す)
     我れ左に転じ、敵の体勢を崩し其胸部を刺突す。(古伝には敵刀の下より刺突する)
     仕太刀右足より右に元の位置に復しつゝ仕、打、中段となり、互に五歩宛て行進す。(納刀せず)
    解説
     大江先生の手附と違う処は、大江先生は仕が相打ちから一方的に踏み込み打の右手首を逆に持ち下げています。
     古伝神傳流秘書のは「前の通り抜合せ相手後へ引かむとするを附入左の手にて拳を取る右の足なれ共拳を取る時は左の足なり」で河野先生はこの古伝に随っています。
     しかし、打の胸部を刺突する動作は大江先生の動作を取り入れています。
     (古伝には敵刀の下より刺突する)と河野先生は仰いますが古伝は、敵の体勢を崩す処までで刺突はしないのです。
     参考ついでに、京都山内派無双直伝英信流居合術では拳取
     「双方小走りにて前進中央に於いて相手の脛に切り付ける、仕体を右正面向けに飛んで体を開くなり打の右手首を上より握り打の右後下方に強く引き体勢を崩し同時に右腹に突きの構えをなす。」と有ります。大江先生の手附をこのように解釈したのでしょう。
     河野百錬先生のビデオを参考に動作を見ています。相打ちに成るや河野先生は一方的に打の拳を逆手に取っています。踏み込みが浅い為、拳を取っても、相手は崩せません。
     打が圧せられて退かんとするのは打の刀から気勢が消えた時であるから外目には見えないという人もいますが、左足に出るとか、上体が退けるとか剣先が中に入るとか起こりは有る筈です。
     「後に退かんとするを・・」ですから大きく踏込まなければ拳にも届かない事になります。
     刺突の切先が打から遠いのは附け入る事が不十分だからでしょう。我が体を相手にぶつけていくほどの附け入り方を居合の人は出来ていません。これでは相手は崩れてくれません。拳だけ捻じっているばかりです。
     踏み込む左足は、打の右足の斜右前の教えはともすると付け入り不足になる筈です。大江先生の踏み込みの様に相手の左足側面に踏み込み相手の右拳を取るや右足を左後ろに摺り込むと同時に相手の体を崩し刺突す。であれば容易でしょう。拳を取って「エイ」とばかりに無理やり捻っても、相手は申し合わせですから何とでも要求に応じてくれるのでしょう。
     ビデオでは、稽古不足が丸見えになります。参考になりません。
     
     
     

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    曽田本その1の3業附口伝原文3大小詰7左伏

    曽田本その1
    3業附口伝原文
    3、大小詰
    七本目左伏
     右伏ノ反対業也
     (左脇二坐ス右手胸ヲ取リ其手ヲ押へ前へ伏ル 五藤正亮先生の教示)
    読み
     右伏の反対業也
     (左脇に坐す 右手胸を取り其の手を押へ前に伏せる 五藤正亮先生の教示)
    六本目右伏
     打ハ仕ノ右側二並ヒテ坐ス打左手ニテ仕ノ胸ヲトル仕ハスグニ其ノ腕ヲ巻キ込ミ逆手ヲトリ前二伏セル也
     (右腋二坐ス左手ニテ胸ヲトリ来ル其手ヲ押へ伏セル 五藤正亮先生ノ教示)
    読み
    六本目右伏(みぎふせ・みぎぶせ)
     打は仕の右側に並びて坐す 打左手にて仕の胸を取る 仕は直ぐに其の腕を巻き込み 逆手を取り前に伏せる也
     (右腋に坐す 左手にて胸を取り来る 其の手を押え伏せる)
    七本目左伏
     組み立てます。
     打ハ仕ノ左側二並ヒテ坐ス打右手ニテ仕ノ胸ヲトル仕ハスグニ其ノ腕ヲ巻キ込ミ逆手ヲトリ前二伏セル也
     (左腋二坐ス右手胸ヲトリ来ル其手ヲ押へ伏セル 五藤正亮先生ノ教示)
    読み
    六本目右伏(みぎふせ・みぎぶせ)変換左伏
     打は仕の左側に並びて坐す 打右手にて仕の胸を取る 仕は直ぐに其の腕を巻き込み 逆手を取り前に伏せる也
     (左腋に坐す 右手にて胸を取り来る 其の手を押へせる)
    古伝神傳流秘書大小詰七本目左伏
     是は左の手を取る也事右伏二同左右の違計也尤も抜かんと春る手を留められたる時は柄を放し身を開きて脇つ保へ當り又留られたる手を此方より取引倒春事も有也
    読み
    古伝神傳流秘書大小詰七本目左伏
     是は 左の手を取る也 事 右伏に同 左右の違計也 尤も抜かんとする手を留められたる時は 柄を放し身を開きて脇つ保へ當り 又 留られたる手を此方より取引倒す事も有也

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    2018年3月 4日 (日)

    無双直伝英信流居合の型 大江正路先生の二本目拳取

    無双直伝英信流居合の型
    大江正路先生の二本目拳取
    大江正路・堀田捨次郎共著大正7年1918年剣道手ほどき より
     一本目と同じく、虎走りにて出で、膝にて抜き合せ、仕太刀は、左足を打太刀の右足の側面に踏み込み、左手にて打太刀の右手頚を逆に持ち下へ下げる、打太刀は其まゝにて上體を稍や前に出し、仕太刀は其れと同時に右手の拳を腰部に當て、刀尖を胸に着け、残心を示す、仕太刀は一歩退り、打太刀は一歩出でて、青眼構となる、(仕太刀は五歩青眼にて退り打太刀は其まゝにて位置を占む。
    解説
     一本目の出合と同じ様に、双方柄に手を掛け、上体を少し屈め、虎走りの要領で五尺(1.5m)の距離に走り込み、右足を出して仕は抜打ち、打は膝の處で請け相打ちとなる。
     仕は左足を打の右足の側面に踏み込み、左手で打の刀を持つ右手頚を逆に持ち下へ下げる。
     打は右手を制せられて右下に下げられ上体を前に屈める、仕は同時に右拳を腰につけ、刀尖を打の胸に着け、残心を示す。・・。
    参考
     古伝神傳流秘書 太刀打之事二本目附込
     前の通り抜合せ相手後へ引かむとするを附入り左の手にて拳を取る右の足なれ共拳を取る時は左の足也
     大江先生は、双方右足を踏み込み抜き合せた所で、仕は即座に左足を踏込み附け入って打の右拳を逆に取って下に引き下げ、刀尖を打の胸に着けています。
     古伝は、抜き合せた所で、その均衡を破る様に打が退かんとする機に乗じて,、仕は左足を踏み込み打の拳を取って制しています。
     仕が、打の拳を逆手にするとか、刀尖を持って打の胸を突く動作は特に指定していません。
    打の動きを察して付込むことを教えています。
    参考
     曽田先生の業附口伝 附込
     是も出合ノ如ク相懸リニテ右ノ足を先二シテ場合ニテサカサマ二抜合セ敵ノ引カントスル処ヲ我左ノ足ヲ一足付込左ノ手ニテ敵ノ右ノ手首ヲ取ル此ノ時ハ左下二引キテ敵ノ体勢ヲ崩ス心持ニテナスベシ 互二刀ヲ合セ五歩退キ八相二構へ次二移ル也
     この第15代谷村自雄、第16代五藤正亮傳による業附口伝も、古伝の教えを残しています。
     附け入って拳を取る際、「敵ノ退カントスル処ヲ我モ左ノ足ヲ一足付込・・」の教えを、何故大江先生は中学生には教えなかったのか、演武を看取って書いた堀田捨次郎の誤認かもしれません。
     業附口伝も古伝の様に、仕は附け入って拳を取って打の態勢を崩すばかりです。体制を崩してしまえばどのようにも出来るもので、大江先生の様に切先を打の胸に着け制するのも容易な事です。
     敢えて指定しない所が古伝の「おおらかな」所で学ぶ者の知恵と努力に任せる武術の妙でしょう。
     業を決めつければ役に立たないものになっていくのは現代も同じ事です。古伝を残された先師は、その事も心得ていたのでしょう。
     一本の業からいくつもの変化を身に付けなければ、唯の武的演舞です。仕の踏込む足の位置を特定したり、打の右に体を崩されかたとか、刀の角度や刺突の位置など、果ては仕の右足の位置まで指定し、上体のありようまでに波及すればまさに踊りです。その上団体演舞で足並みを合わせ、拍子を合わせれば、素敵な武的演舞です。其れも時代の要求かと・・。
     
     
     
     
     

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