曽田本その2(神道無念流居合3)

P95(P149)

神道無念流居合(立居合12本)  *6本目より(2012年5月26日1本から5本目)

6本目(意義) 
前方左方の敵に対するも左方の敵、最初我に近寄り過ぎた為めに進出して切ること能わず、従て其場に於いて切り、次で敵後ろに倒るゝを以て其儘進んで残心を示す。

(動作)
第1 1本目第1動に同じ。

「1本目第1動 右足より前進し二歩目左足にて柄を握り三歩目右足を出すと同時に抜刀(此の時左手で鞘を前方に出す気持を加え後方に握り上げ上体を左斜にして十字形をなし左足は右足につれ前方に送り左足先を右踵に接する如くする)敵の右前肘を下より切り上ぐ)」

*聊か判り難いですが、全居連の刀法3本目切上げの原型のはずです。

第2 右足を軸とし左向となり左正面を切る。

第3 次に右足を左足に揃え上段となり右足にて切る。

第4 次に中段の儘左足より二歩進む。

第5 上段の残心を示し

第6 青眼に直り納刀。

7本目(意義) 
前方右方の敵に対する動作(6本目に同じ)

(動作)
6本目と替ることなし、左方と右方との異なるのみ。

8本目(意義) 
勉めて敵に接して抜打するも敵後退するにより追詰めて切倒す也。

第1 其場にて抜刀、右足一歩出し正面を切る。

第2 左足より二歩進んで切る。

第3 2本目第4動の如く切り返し

「2本目第4動 両手で刀刃を上にし刀刃を以て敵の刀を払流し(此の時刀尖は其位置にて左拳を刀尖よりやや上ぐ)同時に左手を中心に右肩より冠りつゝ左足を左前に踏み右足を左足の後に引き敵の右肩より八相に切下ぐ」

第4 納刀

以下次号

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曽田本その2(神道無念流居合2)

P92(P146)

神道無念流(立居合12本)

本目(意義)
 数歩前方にある敵が将に刀を抜んとする機に先(*立)ち、敵の右前肘を下方より切るも、続いて敵前進し来るを以て後退して切り、更に敵の後退するを進んで切るのであって、此の時敵は倒れたるものとす。

(動作) 
第1 右足より前進し二歩目左足にて柄を握り三歩目右足を出すと同時に抜刀(此の時左手で鞘を前方に出す気持を加え後方に振り上げ上体を左斜めにして十字形をなし左足は右足につれ前方に送り左足先を右踵に接する如くする)敵の右前肘を下より切り上ぐ。(*十字形をなし ?) 

第2 次に右手を左肩より振り冠り左手を添え右足を一歩引き敵の正面を切る。

P93(P147)

第3 更に右足一歩進め真向より切る。

第4 納刀

2本目(意義) 
敵我正面を切り来るを以て払い流し体を左前方に替し敵の右肩より切り下ぐ。

(動作)
第1 1本目の第2動に同じ

第2 上段より右、左と2歩退き敵の正面を切る。

第3 左足より二歩前進し敵の正面を切る。

第4 両手で刀刃を上にし刀刃を以て敵の刀を払流し(此の時刀尖は其の位置にて左拳を刀尖よりやゝ上ぐ)同時に左手を中心に右肩より冠りつゝ左足を左前に踏み右足を左足の後に引き敵の右肩より八相に切り下ぐ。

第5 次に納刀。

3本目 (意義) 
前進中後方より敵我を呼ぶにつき二四(*?)追詰め切るなり。

(動作)
前進中左へ振り返り右足を踏み出し敵の右肘を抜打に切り、次に左足を踏み込みて切り右足にて更に切り込むなり、続いて2本目第4の如く体を転し切り返しをなす。
次に納刀

P94(P148)

4本目(意義) 
前進中敵後より来り鐺を取られ続いて前方よりも敵切り掛り来るのに対する動作なり。

(動作)
第1 右足より前進中左足にて上体を前に懸け右手にて刀柄を下より握り(此の握り方は拇指は上方に其他の指は下方にす)腰を左方に廻し刀を抜く。

第2  上体を其の儘とし左上膊の左側に刀刃を左斜上方にして後方の敵を刺す。

第3 柄に左手を添え刀刃上方に刀尖を前方に向け踏出して前方の敵を刺す左足を送る也。

第4 右足を後方に引くと同時に刀を右脇に刀身を水平にして後方の敵を刺す。 

第5 柄を持ち替え右足を一歩出して正面を切る。

第6 左足を軸とし左に廻り右足より一歩進み後方の敵の正面を切り納刀。

5本目 (意義)
前右左の敵に対する動作なり。

(動作)
第1 1本目1動に同じ。

第2 左足を軸とし右の敵の正面を切る。

第3 左足を軸とし廻し左をなして右足を一歩出して左の敵の正面を切る納刀。

*抜けが多いのでマニュアル慣れした現代人には動作が途切れて途方に暮れそうです。
中山善道先生の立居合の初伝上伝から同様の業を探すのですが、第1動は同じでも第2動以降が異なっていたりして同定できません。
恐らく全業を自流の動作の在り方を以てトレースして、曽田メモ流の神道無念流立居合を自流によって完成させる事は可能でしょう、次に同様の方法で中山善道先生の動作を完成させれば何かが見えてくるでしょう。
それはさておき、神道無念流立居合を引き継いでおられる方が居られてご指導いただければありがたいことです。

土佐の居合を真摯に業じておられた、下村派の道統第十七代としてどのような意図でメモされ取り組まれていたか、曽田先生の神道無念流立居合です。

現在の全居連の全日本居合道刀法(昭和31年10月7日制定)の3本目切上げは立業で神道無念流より構成された業となります。この制定時の委員には神伝流 中山博道先生が加わっておられました。(神道無念流 中山博道とは記載されていません居合道真諦より)
切上げ 剣理
敵が真向上段に抜き上げて仕懸けんとするを、我れ其の右腋つぼ(腋窩)に下から斬り上げ、直に双手上段から敵の左袈裟に斬り下して勝つ意也。

以下次号

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曽田本その2(神道無念流居合1)

P91(P145)

* 曽田先生の書き込まれた神道無念流居合の業手付です。書き写されたものか稽古による覚書かわかりません。

何か意図する事があったのでしょうか。一つ事をやっていますともっと違うものがあるように思えて次々に調べてしまう事があります。そんな気風が曽田先生のメモから感じられるのです。
曽田先生の細字による素読の苦行が再開です。

神道無念流居合

敬礼

1、開始の場合と帯刀

第1、右手に刀を提げ正面に対し立礼し、提刀は刀刃を上方にし栗形の下方を持ち(此の際指は鍔に掛けざるものとす)体に並行して約45度の位置にする。

第2、左足より三歩前進し、両踵を揃え蹲踞し(此の際刀を左腰にし鍔を体の中心前とす)左手を地につく如くして敬礼す。

第3、右手を以て刀を体の中央前膝の線に刀背を前方にし垂直に立つ。

第4、左手を以て下緒を「すごく」如くして鐺の付近を持ち両手を以て帯刀する(此の時左手の拇指を鍔の右内側より前方に押し鯉口を切り食指を以て刀の抜けざる様、右外側より後方にひき鍔は概ね体の中央前にある)

第5、起立して右足より三歩後退す(起立せる時右手は自然に垂れる)

2、終止の場合及び脱刀

第1、右手を以て刀を脱し右腰に持ち来りつゝ蹲踞して敬礼す(開始の場合と同じ)

第2、起立して右足より三歩後退して立礼す。

刀の納め方

1、前の足を後足に引き付ると同時に刀を左肩に擔(*かつぐ)如く持ち来り左手は鯉口を持ち鞘を正しくす。

2、左手の拇指と食指とにて「はばき」の近くを挟み右手の拇指は縁頭の近くを其の他の指は下より鍔及び柄を持つ。

3、左足を後方に一歩引くと同時に右手を以て刀身を前下方に引き刀尖を鯉口の処に持ち来る。

4、右足を左足に引きつゝ刀身を鞘に納る。

*少々わかりにくいのですが、敬礼と帯刀、脱刀、納刀が述べられています。

そこで中山善道先生の立居合(中山博道剣道口述集に収録)から納刀部分を抜粋します

「終ってから最後の本数まで納刀の仕方は同じであるから、それを一括して述べて置く。術が完了した際、左足又は右足(後方に在った場合)を必ず前足につけると共に、諸手で刀を自分の前に垂直に刀尖を下にしてから左肩に刀峯を付けてかつぐ様にしてから、右手を逆手に持ち変えて左手を鯉口にして刀を前から納めるのである」

大方曽田メモと同様と思います。曽田先生の記述された原本或いは伝授された方がわかれば神道無念流流居合の分派も判るのでしょうがその辺は不明です。それよりも善道先生は神道無念流から居合が消えて行く事を強く懸念されています。其の抜粋です。

「当流を学ぶ者、否居合を学ぶ者全体がこの10本位は学んでもらいたい。寸分隙ない良い立術だ、と私は思うのだが、どうしてやってくれないのか不思議に思っている。考えてみれば指導者がいない。という事実から私自身責任を痛感している。何とかして広めたいと念願してやまない。特に広めていただく事を望む次第である。父博道も必ず泉下でそう考えて、焦って居られる事であろう。当流免許者に対して上伝を伝え鍛錬さすべく立派に残されて居るにもかかわらず、これを鍛錬する者がほとんどいない。父は私や橋本統陽や岩佐徹道には教えていた。居合を修業する今日の範士連は、当時まだ初段、二段位であったゆえ無理もないが、しかしながらそれを真似すらしようとしないで、ただ長谷川英信流や大森流だけをやっていた。私は土生拙夫や村井千松や金谷為吉など今日の範士連に随分言ったものだが、駄目だった。ただあきらめる以外になかった。」

現在の夢想神伝流に中山博道先生亡き後に雪崩のように梶を切っていった模様が見られます。その本来の理由は何処にあったのか、又興味が湧いてきます。

中山善道先生が神道無念流の正統であれば、立居合は初伝10本、上伝20本となっています。曽田メモの立居合は12本ですから、この初伝、上伝に含まれているか否か興味があります。

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曽田本その2(直心影流兵法目録次第2)

P88(P142)

直心影流兵法目録次第

右の條々極意は口伝に有り、理を以て実と為し実を以て理と為す也。
愈々夫鍛錬二六時中急慢無く御勉為すべく肝要のもの也。
先師杉本氏(武術叢書には「松本」とあり 曽田メモ)目録の□(*肯 がえんじる?か)趣、奥義為ると雖も、今足下数年真実有り、深く仰て二六時中□□精(* ?)こうむるにより、一塵残さず□之弥(*いよいよ)丹精抽し誠に此の道に切磋琢磨工夫あり、鍛錬被るべくして、□心妙不測の所免状之時顕べき之者なり。

P89(P143)

鹿嶋神傳元祖

杉本備前守藤原政元 (武芸叢書には「松本政元」とあり写違いなりや 曽田メモ)

上泉伊勢守藤原秀綱

奥山休賀斎平公重

山笠京源信富源長□(*治)(玄信富とあり)

神谷伝心斎平真光

京極直翁斎源重治

山田一風斎藤原光徳

長沼四郎左衛門尉藤原□□

P90(P144)

長沼活然斎藤原紹郷

藤川弥司郎右衛門尉藤原近義

藤川次郎四郎藤原近徳

藤川弥八郎藤原近彦

藤川弥司郎右衛門藤原貞

酒井良佑源成大

橋(*橘?)慎吾右衛門橋(*橘?)

天保十三壬寅年十月吉日(*1842年)

渋谷小四郎殿 参

* 当て字なのか癖の有る崩しなのか、不勉強で判読できない箇所が虫食いに成りました。何とか意味は読みうるかもしれません。

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曽田本その2(直心影流兵法目録次第1)

P82(P136)

直心影流兵法目録次第

* 曽田先生は何故、直心影流兵法目録次第をメモされたのでしょう。何処かで見せてもらったのか、それとも何か意図するものがあったのでしょうか。不思議と此の項については、曽田メモの癖のある草書から楷書に変わっています。

直心影流は齋藤明信によって明治34年には法定の部などの目録が発行されています。

八相  發破 (*はっそう はっぱ)
一刀両断  施時
右転左転
長短一味
龍尾 左右
面影 左右
銕破 進退 (*てっぱ しんたい)

P83(P137)

松風 左右
早船 左右
曲尺
圓連 刀連 体連 

右口伝

1、陰之搆之事
1、陽之好搆之事
1、相構之事
1、相心之事

P84(P138)

1、目付之事
1、仕懸之事
1、手之内之事
1、横一文字之事
1、竪一文字之事
1、留三段之事
1、体当之事
1、太刀当之事
1、切落之事

P85(P139)

1、吟味之事
1、相尺之事
  右口伝

* よく判読できない印の写しおよび梵字

極意

功妙剣 口伝
心妙剣 口伝
気當  口伝
権体勇 不動不帰不正 口伝

P86

西江水 口伝
惣体之〆 口伝
口と□(*極)意之事 口伝
不立之勝 口伝

十悪 非時 口伝
カマンカシントンヨクイカリオソレアヤブミウタガイアナドリマンシ
我慢・過信・貪欲・怒り・懼れ・危み・疑い・侮り・慢心 ならんか曽田メモ

○勝と云は先に先に後の勝あれまた先に□先後々と(*?)

○右左後も前も一致して天地万物同根一宇

○書渡しに口伝なる之の□(*葉?)の常の心より持む□れ(*急連?)舞(*?)

右三首口伝

以上

*このページの文字は曽田先生の文字と聊かことなるような気もします。それでか□の虫食いで文章になりません。いづれ他の直心影流兵法目録次第で引き比べてみます。 

次回へ続きます

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曽田本その2(大阪八重垣会幹事3)

P80(P133)、P81(P134)

2、居合は本来の目的よりして剣道の所謂、先々の先にあらずして先又は后の先の一刀と信じますが・・・・上意抜打は別とし(之とて上意と呼びてなすと□る)一切敵を「だまし」打にする事は之無と信じますが、立膝の岩浪に於て左に向き右足にてトンと踏みたる時、敵ハット右に振りたる其の胸(又はのど)をさすと説くは丁度之にては「ダマシ」打の教あり。
本業の正しき解義を是□御教示の程御願申上げます。

解説「正面より我刀柄を取り押えんとするにより、我先に廻り柄を右によじて刀を抜き、敵を突くの技にて決して「ダマシ打」にあらず。当突く時足を「トン」と踏むは突く刀勢を添うるものなるにより(又一説には敵我刀を押えんとする其柄を踏む心持ちありと)音にせずして突くもある事心懸くべし」

*土佐の居合は「だましうち」は一切無いものと河野先生は信じつつも疑問をもたれ、曽田先生に質問状を送られたようです。

現在でも私は「だまし討ち」は無いように、身を土壇に置く心持で演武の想定をしています。

曽田本その2はここまでで、無双直伝英信流についてのメモは終っています。他流派の伝書類の写し書きになります。続けていきます。

尚、曽田本の続きは「無双直伝長谷川英信流居合術極秘」を残された、曽田虎彦先生のお弟子さんで山本俊夫幽泉先生と云う方の残されメモを引き続き読んでみます。

曽田虎彦先生には竹村静夫先生、山本俊夫先生、楠瀬庸方先生等、その居合を習われた方々が居られたようです。曽田先生の下村派を味わう事が出来るかもしれません。

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曽田本その2(大阪八重垣会幹事2)

P79(P132)

○1、 林崎先生は北條泰時(A)第二子説。高時(B)□(*記?)間説。足利末期説の三説之あるようにして、私は□(*?)見的研究の結果、A、B、両説は単なる俗説の様に考えらる。小冊子には、足利末期説をとり、足利十三代義輝の頃(永禄、元亀)と致して居りますが当研究□□(*致度・いたしたく)存ます。

○ 先生(虎彦を指す)の御説の秀吉御学□(*被?)成云々より致しましても足利末頴説を真とするに足る様考えられます。

○ 北條五代時頼より秀吉迄は此の間340年。

○ 三代泰時-秀吉迄 360年

○ 足利五代義量-秀吉迄 160年

○ 足利末期十三代義輝より秀吉迄は 37年にて何れよりするも足利末期説確かの様ですが如何でしょうか。

1、(大森流始祖は大森六郎左衛門との御説に依り確心を得まして心より感謝いたします)

P80(P133)

A、□(*?)ましにい其時代(九代林六太夫先生)迄は正座大森流はなく、B長谷川流の立膝は英信の初めたものとすれば英信以前には立膝及正座は無き訳ですが無双神伝流として林崎より伝来せんものは(現今の業を以て称へば)今の奥居合の居業立業のみであったのですか。

結局

1、奥居合の居業、立業は林崎先生以来伝□(*来)今日に至る。

2、立膝は英信に始る。

3、正座は(始祖大森六郎左衛門)にて九代林先生の頃より始まる。

と見て差支無いでしょうか。

◎ 尤(*?)して現今大森流を(九代以来)附属せしめて之を無双直伝英信流称すとして差支え之無然(*?)や。

*河野先生もわからない事は曽田先生にお尋ねし確証を得る努力の跡が見られます。

此の研究された所は昭和13年発行の河野百錬先生の「無双直伝英信流居合道」の第三節居合の沿革にまとめられています。

それにしても□の虫食いだらけですが概ね意味は伝わるでしょう。

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曽田本その2(大阪八重垣会幹事1)

P76(P129)

◎ 大阪八重垣会幹事?

◎剣道錬士 河野稔氏との文通質疑より質問を受けたる事項次の如し。

○ 1、英信流に於ける礼式の件

立礼は神前玉座に対する礼
座礼は刀に対する礼なりと信じ居れるが一説に(相当の人にて)立、座共に玉座神前の礼にして座礼は近世に到りてはじまったものだと唱うるあり、如何。

○ 1、無双直伝英信流と名発表の年代
「英信は技古今に冠絶し精妙神技を以て始祖以来の達人として聞へ、古伝業に独創の技を加へ茲に流名を無双直伝英信流と改め爾来当流を界(*改)称し長谷川英信流又は長谷川流、或は英信流と呼ぶに至れり。
而して英信は享保の頃、江戸に於て斯道を研究大成し、晩年土佐に□□して大に之を広め同地に其の逸材を輩出せしが」以下□右の如く。
享保時代として、英信として、相違なきや。

P77(P130)

(是は同氏が当流に関する小冊子を発刊するに当たり尋ね越したる質疑なり以下何れも同断)

○ 1、大森流と名に就て。
其時代、始祖、どーも確信ある材料が無し。

イ、林六太夫(九代の)の剣の師匠大森六郎左衛門が真陰流の古流五本の形から案出英信流に附属せしめた・・・・・・との説を根拠として(大森流は始祖大森六郎左衛門也)とする一説。

ロ、大森流は之れより以前にあったもので(然し年代始祖不明)大森六左衛門が始祖ではないとの一説。

P78(P131)

同氏は原稿に(福井先生の説を骨子とし)次の様に書いてある也。

「当流の正座及奥の立業は大森流と呼び正流第七代英信の以前より当流の正伝として代々伝来せられたる業にして、立膝及奥の居業は長谷川流と称し英信の創案に成り之れに形を加へ総称して無双直伝英信流と唱う」

当 太刀打之位、詰合之位、大小詰、大小立詰の四業に付て其の始祖及び年代御教示を乞う。

*何か現代の無双直伝英信流とイメージが違います。河野先生の貪欲な知識欲が感じられて昭和の6,7年の大阪での無双直伝英信流のヨチヨチ歩きが見られます。
河野先生が大阪で穂岐山先生の手ほどきを受けられたのが昭和2年ですから、業技法をこなせる様になって、其の元を知りたくなり知る事によってますますのめり込んで上達する、そんな時期だったのでしょう。
此の時期、曽田先生は土佐の居合の博識として知られていたのかも知れません。

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ピロリ菌退治

1月末に胃の内視鏡による癌の切除手術を受けた際、執刀医の女剣士からピロリ菌がうじゃうじゃ居るといわれました。最近の医学の見解ではピロリ菌を退治することは有効との判定が下されて居ます。

ピロリ菌はどのようにして侵入したかは良く判らないようですが、経口によるものといわれます。食べ物、経口、犬猫によるともいずれにしても胃の中に住み着く凄い奴です。子供の時に感染するともいわれます。

内視鏡によって人為的に胃壁に疵をつけていますからそれが癒えてからと云うことで、その間2ヶ月潰瘍の治療薬ザンタックを朝夕飲んで、其の薬が無くなってからピロリ菌除菌薬を一週間飲みました。

パリエット錠・サワシリンカプセル・クラシッド錠・そして整腸剤ラックピー微粒、これらを朝晩食後に指示された量を飲むのです。

体調不良の場合は連絡をといわれましたが事も無く、5月18日に退治出来ているか検査となりました。

執刀医から検査当日は朝食抜きと聞かされていたかもしれませんが、すっかり頭に無く、他の要件でお会いした内科医に「食べちゃダメ」と言われてヤレヤレです。

呼気を採集してピロリ菌の存在を検査するわけで、先ず病院に着いた状態で息をすっかり吐き出し、次に充分鼻から吸って風船に吹き込みます。ユービット錠一粒を一口ほどの水で飲み干し、5分間ベットに左を下にして寝転び、5分経ったら起きてベットに座り15分待ちます。疲れてるんでしょうね思わずうとうとしてベットからずり落ちそうになりました。そして前同様に風船に呼気を吐き出し検査終了です。

1時間ほどして担当医に陰性です、と告げられました。

成人では一度退治しておくと又住み着く事は無いような話ですが、住み着いた状況があまり知られていないのでどうなのでしょう。ずっと前から住み着いていたので再び住み出しても、どうと云うことも無いでしょう。日本人の半分はピロリ菌を持っているとか。

以外に早く、病院を出ましたので上野の科学博物館にインカ帝国展を見に行きました。何か食器類や衣類などに日本の縄文時代か弥生時代のようなDNAに取り込まれた昔から知っていたような錯覚に襲われます。アジアからたどり着いたインカ帝国の民族の遠い祖先が我々と同一のものだからかもしれません。大した武器も持たず其の発達もゆるやかだったようで攻撃的なスペインの前にインカ帝国は崩壊していきます。どんなに侵略されても皆殺しでもなければ民族は営々と息づいていくものです。

少し時間に余裕がありますので、今度の日曜日に行こうと思っていた、乃木坂のサントリー美術館へ「毛利家の至宝」を欲張って見に行きました。

此方は戦国時代後期から江戸期の大名文化の集約です。日本の中世の文化そのものでしょう。インカ帝国の文化遺産の後に日本文化を見ますと戦国期から江戸期に日本文化は大きく花開いた事が良くわかります。
現代のように世界中の文化が混在して何が何だかよく判らない混乱文化と少々感じが違います。
お馴染みの毛利元就公の画像、興元、隆元、輝元の画像、鎧兜、軍旗も何処かで見知ったものでした。ついつい書状に惹かれてしまいますが、戦国武将の文字は息づいていて良いものです。
何といっても圧巻は雪舟等楊の四季山水図でしょう。夫々見ていて工芸技術の隙の無いものばかりでした。

突然振り出した雨に濡れながら、久しぶりの乃木坂、六本木の散歩でした。

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曽田本その2(霊夢)

P74(p128)

◎ 霊夢

昭和十三年三月十四日午前二時頃、虎彦霊夢により故行宗先生日頃の稽古着にて夢枕に立たれ、御生前の如く親しく問答を交わしたり。

而して余は刀の納め方につき御示教を乞いたる処、詳にご伝授ありたり。

即ち

居合技に於て最も秘蔵にして重きをなすものは抜刀。納刀の妙諦を得るにあり。
納刀技は鯉口に刀棟を上より降すことなく、開きたる刀を其の儘左斜めに持ち来り、棟にて恰も爪の皮を剥ぐ如く摺り上げ、鯉口の処にて巧みに刃を上に返して鯉口を後に繰り、右手は体の前方に伸ばし指三本にて支え、右手の伸びたる時は鞘と刀身とは一直線になる様に懸くべしと。

P75(P129)

此時先生は見事なる居合刀を持たれて居たが、「土居君(余を指す)此の刀で抜いてみたまえ」と云はれたが、何は兎もあれ先生に「一本拝見さして頂き度し」と請えば、先生早速「然らば伯耆流居合を抜いて見せん」と立ち上がられたが此の時はかなくも夢醒めてそぞろの感に打たれたが之れが所謂神秘夢伝とも云うべきであろう。

*この霊夢は既に平成元年発行の岩田憲一著「土佐の英信流 旦慕芥考」p139に掲載されています。

文中の下線は曽田先生の朱書きの線です。

曽田先生の師行宗貞義先生は大正3年10月に60歳でお亡くなりになっています。曽田先生24,5歳の時でしょう。それから25年後曽田先生50歳の頃にご覧になった霊夢でしょう。師は厳しければ厳しいほど心に残り、厳しさのうちに垣間見た少しの優しい慈愛に包まれて懐かしく思い出されるものです。優しい心が無ければ決して厳しい指導は出来ないものです。

この納刀法は「鯉口に刀棟を上より降すことなく」がポイントの始まりです。

河野先生の昭和八年の「無双直伝英信流居合道」の穂岐山先生との質疑において「血振の位置より其の儘鯉口に運ぶ・・・」と同一な様に思われます。

現在の無双直伝英信流の幾つかのところで、「鯉口に刀棟を上より降す」を師伝とされているやに見られます。

下村派の道統とはいえ此の時期どれが下村派、どれが谷村派、ひいては誰が下村派、誰が谷村派といった区別がつかないような混線状況にあり夫々の古伝を踏まえた正しい指導者も失せていったように思えます。

古伝を下村派、谷村派と混線しながら色濃く残した人と、大江正路先生による改変を主流にした中学生による土佐居合が更に古伝土佐居合を失念させていったと思われてなりまん。

しかしそれがあながち居合そのものに問題であるとはいえないでしょう。業技法は人を得て進化するはずのものです。土佐居合といって古伝のままであれば単なる伝統芸能になってしまうこともあり得ます。他流を容易に拝見できる時代です、他流のテキストも手に入ります、良い所を取り入れる事もあってもいいかもしれません。或いは学問の発達によって運動力学的に最も有効な運剣動作も解析されていくはずです。それが古伝の動作を求めて引き比べると一致していたというならば凄い事です。

無双直伝英信流の納刀の方法を師伝ごとに集めてみたくなりました。是は居合を業ずる者から遊離した何でも知りたい集めたい趣味の一環とでも云う処でしょう。

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曽田本その2(居合術根元之巻3)

P71(P125)

型並びに発声 

イーエーイ

1、出会 2、拳取 3、絶妙剣 4、独妙剣 5、鍔留 6、請流 7、真向

右の条深く秘す之極意也。真実の人に非ざれば努めて相伝あるべからざる者也。貴殿多年斯道を熱心に練磨の結果、其の蘊奥に達せらるゝを認め爰(*ここに)に我英信流居合術を相伝せしむ候、宜しく将来本流の品位を堕す事なく之が拡張を計り漫に他流に媚びず以て伝授の責めを全うせられん事を期せられるべし。

天真正

林明神

林崎神助重信

田宮平兵衛業正

長野無楽入道槿露斎

百々軍兵衛光重

蟻川正左衛門宗続

万野團右衛門尉信定

長谷川主税助英信

P73(P127)

荒井勢哲清信

林 六太夫守政

林 安太夫政詡

大黒元右衛門清勝

林益之丞政誠

依田萬蔵敬勝

林弥太夫政敬

谷村亀之丞自雄

五藤正亮

無双直伝英信流居合術十七代目

大江正路蘆洲     花押

大正十年七月吉日

鈴江吉重殿

* この鈴江吉重については2012年4月8日曽田本の「豪遊曽田虎彦」の新聞記事の一節に行宗貞義先生の弟子の五傑の一人と言います。どのような師弟関係が結ばれていたのか不思議な気がします。

4月8日の一節

この居合術の神たる行宗氏には沢山の門弟があったが夫等数多き俊傑の中で行宗門下の五傑と称せられたのが曽田虎彦、鈴江吉重、弘田弘作、そして海軍大佐の伴次郎、中村虎猪などの人々であった。

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曽田本その2(居合術根元之巻2)

P70(P124)

大森之部 (*流 抜けです)

1、前身 2、右身 3、左身 4、後身 5、八重垣 6、請流 7、介錯 8、附込 

9、月影 10、追風 11、真向

長谷川之部 (*流 抜けです)

1、横雲 2、虎一足 3、稲妻 4、浮雲 5、山下し 6、岩浪 7、鱗返 8、浪返 9、瀧落

10、真向

奥居合之部

1、霞 2、脛囲 3、四方切 4、戸詰 5、戸脇 6、棚下 7、両詰 8、虎走
 9、行連+
連達 11、惣捲 12、惣留 13、信夫 14、行違 15、袖摺返 
16、門入 17、壁添
18、請流 19、暇乞 20、暇乞 21、暇乞

*奥居合の四方切がここでは古伝のように3番目にセットされています。何故でしょう。この伝書は大正10年10月7日に1921年の伝授です。

大江宗家から政岡壱實先生が大正10年5月吉日で伝授されたものも四方切は3番目です。

大江宗家から大正14年8月吉日伝授の山内豊健先生へのものも、四方切は3番目にセットされています。

河野百錬先生の昭和8年発行の「無双直伝英信流居合術全」では奥居合の四方切は既に5番目のセットになっています。

大江先生は昭和2年1927年にお亡くなりです。この8年間の何処でどのような理由で四方切の順番が入れ替わったのでしょう。既にそれをお聞きする事は不可能なようです。

小さな歴史ですが、些細な事の後ろに大きな時代の波が押し寄せているのも世の常です。

面白い発見がありました、大江宗家から根元之巻を伝授された山本宅治先生が昭和38年にある方に伝授されています。それには四方切は5番目となっています。その伝書は始祖を林崎神助と古い土佐風に書かれたままで、林崎甚助と云う奥州で使われた本名であろう名を上げてはいません。何かちぐはぐなものを感じています。

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サクランボとひよどり

数年前に山形県東根を旅して、佐藤錦の苗を買いました。相性のよいといわれるナポレオンも用意して、サクランボを思う存分食べてみようと思っていました。

毎年3月始めに佐藤錦が小ぶりの花を付け少し遅れてナポレオンが追随して咲き出します。

植えて3年ほどは、僅かな花が咲きそれでも実がなって、いざ食べようとしますと既に早起きの小鳥に一粒も残さず食いつくされています。

ようやく数粒を食べたのは5年ほどした去年からでした。今年は開花が送れて3月の終りにようやく開花しました。それでもソメイヨシノよりも10日ほど早く桜を楽しめました。その佐藤錦に今年はすずなりに実が付き日に日に色づいてきていました。

佐藤錦より4、5日早くナポレオンが真っ赤に色つき食べごろです。
カメムシがいち早く集まって来てどんどん甘い果汁を吸ってしまいます。

カメムシの食べ残しをご相伴にあずかっている様なものです。佐藤錦の方は熟してなのか割れが入って「チョット」と言った雰囲気です。それでもビニ‐ル袋を被せてあった枝のサクランボは真っ赤に色づき甘い酸味が将にサクランボです。

ザル一杯に収穫して残りは後日と思っていました。午後の日差しに誘われて散歩がてらに佐藤錦を眺めるとつがいのひよどりがせっせとサクランボをついばんでいます。

夕方覗いて見ると一粒も残っていません。ひよどりも収穫の時を弁えているのでしょう。

私の佐藤錦の直径は小さくて10mmほどです。東根などでは27mmほどの佐藤錦もあるとか。羨ましいけれどこんなものでも自宅で楽しめるのもいいでしょう。

でも5、6年も時間が掛かるのです。其の上小鳥と競争です。

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曽田本その2(居合術根元之巻1)

P68(P122)

◎ 居合術根元之巻

(大江正路先生より鈴江吉重先生に伝授したる之れ伝書の写し 曽田メモ)

(*漢字、漢文調ですから現代でも読めるように素読しておきます)

抑(*そもそも、曽田本その2では柳の文字になっています、正しく読んでいるかただしたか疑問です)此の居合と申すは、日本奥州林之従、大明神夢相に〆奉伝の夫(*それ)兵術は上古中古数多有りと雖も之の違い、佗(*他)流大人小人無力剛力嫌わず合う、兵の用云々末代相応に為るの太刀に(* 尓)云う。

手近に勝ち一命有無の極み、此の居合恐らくは粟散(*ぞくさん)辺土の堺、不審の儀之あるべからず。唯灵(*霊)夢に依る処也。

此の始を尋ぬ、奥州林崎神助重信と云う者、兵術の望み之有るに因って、林の明神に一百有日参籠せしめ、其の満暁の夢中に老翁重信に告げて曰く、汝此の太刀を以て常に胸中憶持するは怨敵に勝ちを得ん云々。

則ち霊夢に有る如く大利を得ん、腰刀三尺三寸を以て九寸五分に勝つ事柄口六寸の勝ちの妙不思議の極意、一国一人の相伝也。

腰刀三尺三寸三毎(*三毒の誤写であろう)則ち三部に但(*ただ)脇差九寸五分、九曜五銘の内証也。

敵味方に成る事、是亦(*所 亦)前生の業感也、生死一体戦場浄土也、此の如く観、則ち現世蒙大聖摩利支尊天の加護、末世成仏縁成る事、豈疑い有らん哉。

此の居合千金を積むと雖も真実の人にあらざれば堅く是を授くべからず。天罰を恐れ唯一人に授くべし。之云う云々。

古語曰

其の疾く進む者 その退くこと速し云々
此の意、貴賎尊卑を以て隔て無く、前後の輩と謂ず其の所を達せし者に目録印可等相違無く許す。

又古語曰

それ百錬の構、則ち茅(*苐)茨荘鄙に在り、其の兵の利を心懸ける者は、□(*他に夜とあり夜の草書か)自ら之を思い、神明仏陀の祈りは忽ち利方を得る。是心に依って身に満つる事燦然。

* 根元之巻は曽田本免許皆伝目録 その1 根元之巻1 2012年3月17日に小藤亀江から曽田虎彦先生へ伝授されたものを書きこんであります。

この跡に業目録等が付随します、次回。

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曽田本その2(大詰)

P67(P121)

◎ 大詰

1、 大詰は大きになじると云うこと也。
相手清眼に構る時、上段の太刀拳を楯にして敵の顔へ突かけ懸る時、拳へ打込むを、身形を直ぐに跡へ外して上より二星を勝なり、とたんの拍子をぬいて直ぐに打つ也。
此の拍子ちがえば相打になる也。
是を栴檀の打と云うて嫌うなり、栴檀と云うは二葉と訓して互に太刀のならぶこと也。

習いに大調子の小調子の大調子と云うてあり。大調子とは無拍子の事なり。小調子とは太刀に拍子をもたせて打つことなり。
敵小調子にきらば大調子に勝ち、大調子にきらば小調子にて勝つべし。
皆以て相気を欠くこと也。
敵の小調子を大調子を以て勝つことを大詰と云う也。

* この項目も出典が不明です。土佐の居合の伝書を元にしたものかどうか、曽田本を読み直して探すのもよさそうです。手っ取り早くご存知の方はコメントで教えてください。

前回の小詰のところで、獅子洞出、獅子洞入の文言があったので土佐の居合に関係する事も有ろうかと期待しています。太刀打之位、詰合之位から類推してみますがいかがなものでしょう。

「なじる」の文言ですが、一般的には「責め問う、問い詰めて責める、詰問する」という意味になります。詰ると詰問の詰の漢字は同じ文字になります。意味はしたがって「つめる、つまる、つむ。なじる、とう、。つめ。つまり。」などでしょう。

大調子は大詰、小調子は小詰とも解釈出来そうです。

小詰は「するどくつめる」と云うこと、大詰は「大きくつめる」となります。言葉遊びから武術を考えてみるのも面白そうです。

「二星に勝」はもう剣術を志す方にはおなじみの言葉です。この曽田本その2でもP4「故行宗貞義先生記録写」の長谷川流横雲のところで「二星に勝つ故に拳なり」と解説しています2012年4月13日。

以下は小詰と同じですが載せて置きます。

小詰・大詰の文言は柳生新陰流の「九箇の太刀」にその名が見られます。兵法家伝書の下段解説に依れば上泉伊勢守が、新当流(神道流)など諸流の奥義を究め、そのうちからとくに択び出して、新陰流の太刀に改編採用した九つの習を云う、とあります。

小詰(柳生の芸能 赤羽龍夫先生・赤羽大介先生校訂より)

打太刀 下段膝車。大股にして至って低く構え、柄を膝に付けるほどにする。
使太刀 少し青岸の様にして太刀先を打太刀の拳に付け出る。中段の少し低き構えなり。その構えを徐々に上げつゝ進みよる。
打太刀 左肘を打つ。
使太刀 左肩に引き上げ外し、右足を踏み出して打ち、ゆるめず左足を踏み込み左身になり、膝を出して突く。

ついでに次回の大詰も柳生新陰流九箇の太刀の大詰から見て見ましょう。

大詰(柳生の芸能より)」

打太刀 中段。使太刀、上段。相懸かりに進み行く。
打太刀 柄中にかけて斜に打ち来る。
使太刀 右肩の上に外し、左足を少し後の角へ開く。次は右足を踏み出し双手勝ちに横に勝つ。

土佐でも柳生新陰流は行われていたし、既に兵法家伝書は剣術家には五輪書同様目にしていたはずです。

そして栴檀に至っては将に柳生新陰流に由来すると思われます。「栴檀打込みの事、二葉と申心持、にて候。打こみの太刀筋、ならぶと申事を嫌申候・・第一栴檀は相打をさせまじき為にて候。朏聞集」

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曽田本その2(小詰(獅子洞出・獅子洞入の事)

P66(P120)

◎ 小詰(獅子洞出・獅子洞入の事)

1、 小詰は尖(するど)になじると云うことなり
相手の右手の膝に太刀を押し当るが如くに鋒先をさゝえて構うるなり。
此の形を獅子の洞出と云い、洞穴より猛獣のたけって出るに喩ゆ。
此太刀さき三寸へつけてより手の肘を捧げ相手の太刀さきを押さえる、相手拳を払う時、太刀を摺りこんで両腕を押へ詰めて勝なり。
此の有様を獅子洞入りと云い、鋒をもって敵の胸板をつらぬくことを小詰と云う。

* すでに曽田本のその1に書き込んだ、獅子洞入、獅子洞出について改めて、曽田本その2(2012年3月30日居合兵法極意秘訣その7英信流居合目録秘訣居合心持肝要の大事P117)に掲げられたのでしょう。
前出のものとは異なる動作です。この項については、どのような出典からなのか、行宗先生の口伝なのか全くわかりません。

次が大詰ですが是も出典が不明です。是だけはっきりと書き込んでおられるので何処かに小詰・大詰の技を述べたものがあったのでしょう。英信流にあることばかりを想像しがちですが曽田メモを拝見していますと目に付いた技はメモって居られるように思えます。

文章表現に私が浅学故に想定が聊か判りにくゝ、言い回しや抜けがあって此の技を演ずるのは厄介でした。折れた木刀で格闘してしまいました。

参考に獅子洞入・獅子洞出

是以って戸口などに入るの習也。其外とても心得有るべし。或は取籠者など戸口の内に刀を振上て居るときは、容易に入る事あたわず。其時刀を抜て背に負たる如くに右の手にて振り上げ左の手にて脇差を堤げうつむきて戸口を入るべし。
上より打込めば刀にてふせぎ、下をなぐれば脇差にてし留める、向うの足をなぐべし。獅子洞出是以って洞出入の心得を知らする也。

*小詰・大詰の文言は柳生新陰流の「九箇の太刀」にその名が見られます。兵法家伝書の下段解説に依れば上泉伊勢守が、新当流(神道流)など諸流の奥義を究め、そのうちからとくに択び出して、新陰流の太刀に改編採用した九つの習を云う、とあります。

小詰(柳生の芸能 赤羽龍夫先生・赤羽大介先生校訂より)

打太刀 下段膝車。大股にして至って低く構え、柄を膝に付けるほどにする。
使太刀 少し青岸の様にして太刀先を打太刀の拳に付け出る。中段の少し低き構えなり。その構えを徐々に上げつゝ進みよる。
打太刀 左肘を打つ。
使太刀 左肩に引き上げ外し、右足を踏み出して打ち、ゆるめず左足を踏み込み左身になり、膝を出して突く。

ついでに次回の大詰も柳生新陰流九箇の太刀の大詰から見て見ましょう。

大詰(柳生の芸能より)」

打太刀 中段。使太刀、上段。相懸かりに進み行く。
打太刀 柄中にかけて斜に打ち来る。
使太刀 右肩の上に外し、左足を少し後の角へ開く。次は右足を踏み出し双手勝ちに横に勝つ。

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梅花にルリタテハ

久しぶりに蝶の話しとなります。

紫がかった青黒地に瑠璃色の縦縞の入ったルリタテハです。日本全国に分布しています。敏感で敏捷なので、一般的では無いかもしれません。

インド・ヒマラヤ・シッキム・アッサム・セイロン・ビルマ・中国大陸西南部・インドシナ・マレー半島・スマトラ・ジャワ・ボルネオ・フィリピン北部・台湾・朝鮮半島などの広く分布し日本産は分布の北・東限になるそうです。

今年2012年は春が遅く地方によっては一月は遅れた様に思えます。

山籠もりした信州佐久地方も4月の半ば過ぎから月末に掛けて百花咲き乱れるといったあんばいでした。

少したまってしまったので、4月5月のSDカードを整理している中に、このルリタテハが梅の花に飛来し吸蜜しているスナップがありました。

4月28日長野県佐久市立科の山林です。こんな4月の末の時期に咲く梅の花に見とれていますと、素早い動きで飛来した小型の蝶があります。タテハ蝶の仲間か、シジミ蝶の仲間か、何かわからず、側へ寄れば飛び立ってしまい、じっと待っていますと再び飛来して来たのを写したものです。

口吻を伸ばして吸蜜の姿勢です。羽を半開してそれがルリタテハである事が確認できました。この時期ですから越冬から覚めての吸蜜行動でしょう。大きさは夏型の半分ぐらいですから見た目で直ぐにはわかりませんでした。

このルリタテハの吸蜜行動は樹液や腐敗物、普通花には飛来しないとされ、あせび、モミジイチゴ、オオイヌノフグリ、シモツケ、リョウブ、キブシ、ダイコンなどが報告されていると白水隆先生の日本産蝶類標準図鑑は述べています。どの図鑑も同じような書き振りですから近年の調査であるはずも無く、何処まで信頼出来るか疑問です。

それはともかく、梅花にルリタテは梅の開花が極端に遅かった佐久地方の偶然の事なのか何か得をしたような気分でした。

越冬から覚めたルリタテハが最初に嗅いだ匂いが、遅咲きの梅の花の芳しい匂いであったのでしょう。

白い花に瑠璃色の蝶は良く似合っていました。

我が家の庭の台湾ホトトギスを坊主にして、幾つもの蛹が笹薮の下枝にぶら下がって春を待っていました。妻が枯れたホトトギスを切り払って笹薮を晒し者にしてしまいましたら、忽ち害虫に襲われ全滅した事がありました。ルリタテハは成虫での越冬が主のように図鑑では書かれていますが、蛹での越冬もあって逞しく生きています。

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曽田本その2(武術叢書 三つの声と云事)

P65(P119)

◎ 三つの声と云事

三つの声と云うは、初、中、後の声と云うて三つにかけわくる声也。所により声を掛くると云う事□也。
声は勢なるによって、火事などにも掛け、風波にも掛け、声は勢力を見せるものなり。

大分の兵法にても、戦より初に掛る声は、いかほどもかさを懸けて声をかけ、又戦う間の声は調子をひきひき底より出づる声にてかゝり勝て後あとに大きに強く懸る声、是三つの声也。

又一分の兵法にても、敵をうごかさんため打つとみせてかしらより「エイ」と声をかけ、声の後より太刀を打出す物也(前の声 曽田メモ)。(◎ 行宗先生の「敵の真向にて抜かんとかまえる力声にて、かくれがたくさま廻て抜き付」とは此の意ならん 曽田メモ)

又敵を打ちて後に声を懸る事、勝を知らする声也(後の声 曽田メモ)。是を前後の声と云う。
太刀と一度に大きに声を懸くる事なし。若し戦の内に懸くるは拍子にのる声、ひきく懸くる也。よくよく吟味有るべし。(武術叢書)

*窪田清音の剣法幼学伝授にも「声を掛くる事」がのべられています。

声は勢を増し或は気をも取るものなれば必ずかくべきものなり、声と共に業をかくれば太刀にも力加わり、外見にも其の勢の勇ましく思はるゝものなり。
又彼れ構えたるとき毫も動かすして声えをかくれば、彼れ其の声に依りて動くものなり。
又我れ気の後るゝにも非れども、彼れの構え正しくして進み難きとき声をかけて出づれば進む事を得べし。
然れども甚だ烈しく声を発するときは、息にかゝり労るゝこと早し、故に其の得失を考え必要のときのみに発すべし。
又声は自然のものにして、時ありては知らずして発することあり。
又声音に依り姿勢の劣りて見ゆると、声はかけても其の跡虚となることあれば、心を用いて妄りなることあるべからず。
或は声なきを可として、終始声をかけざる流派あり。或は間断なく声を発する流派あれども、是自ら故あるべし、我が神伝の剣法は即ち上に述ぶるが如し。

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曽田本その2(武j術叢書1・神道無念流)

P64(P118)

武術叢書

◎ 神道無念流  △福井兵左衛門嘉平

野州の産にして天明年中の人也、始川上善太夫と号し、田中権内に一円流刀術を学びて其の妙を得、後諸州を修業し信州に至り、飯縄権現に祈り遂に奥旨を悟り、自ら神道無念流と号す。

*何故ここに神道無念流をメモしたかは前後の関係も無くわかりません。この福井兵左衛門嘉平についての解説は江戸時代の「武術流祖録」からの引用です。

◎ 電光影裏斬春風

○鎌倉の無学祖元禅師の大康の乱に捕へられて斬らるゝ時、無学辞世に右の頌を作られたれば太刀を捨て拝したと也。無学の心は太刀をひらりと振り上げたるは電(いなびかり)の如くに電光のピカリとする間、何の心も何の念もないぞ、打つ太刀にも心はなし、我身にも我はなし、斬らるゝ我にも心はなし、斬る人も空、打たるゝ我も空なれば、打つ人も人にあらず、打太刀にもあらず、打たるゝ我も我にあらず、唯いなびかりのピカリとする内に、春の空吹く風を斬ったらば、太刀に覚えもあるまい、斯様に心を忘れきりて萬(*よろず)の事をするが上手の位なり。(武術叢書)

*この無学祖元の電光影裏斬春風の句は次のとおりです。

乾坤無地卓狐節 乾坤狐節を卓するの地無く

喜得人空法亦空 喜得す人空法亦空

珍重大元三尺剣 珍重す大元三尺の剣

電光影裏斬春風 電光影裏春風を斬る

この句をもじって、日蓮上人の伝説にもあったような気がします。

山岡鉄舟も句を作っています。

学剣労心数十年 剣を学んで心を労し数十年

臨機応変守愈堅 臨機応変守愈堅し

一朝塁壁皆摧破 一朝の塁壁皆摧破

露影湛如還覚全 露影湛の如く覚全として還る

論心総是惑心中 論心総て是心中の惑い

凝帯輪贏還失工 輪贏還失工を帯して凝る

要識剣家精妙処 剣家の精妙の処識を要す

電光影裏斬春風 電光影裏春風を斬る

剣道数十年、絶対不敗の境地まではきた

そしていま、最後の難関を砕き去ったぞ

一点に集まる露のように満ち足りたこの平静

あれこれ考えるー迷っているからだ

勝負にこだわれば腕がすくむだけ

なに?剣の秘訣が知りたいのか

春風を一気に断ち切る、これだよ

山岡鉄舟「剣禅話」より

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曽田本その2(14.恩師行宗藤原貞義先生)

P63(P117)

14. 恩師 ◎ 行宗藤原貞義先生

明治十年西南戦争時代陸軍歩兵大尉の官職にありたるも、後定見(*?)の衝突より退官一時看守長など奉職し居たり。其後零落し明治三十四年頃第二中学校門衛となりたり。

居合術は尤も達人にして下村茂市先生の高弟なり。後藤正亮、谷村樵夫等没後の大日本武徳会総裁の宮(伏見の宮貞□(*愛)親王)殿下の御前にて居合を仕り(明治四十年頃ならん)天下一流の達人なりと御褒□を賜りしと云う。惜むべし大正三年十月没せらる。

後京都武徳会本部の居合術教師たり(明治の末期より大正の初期の頃)故に門弟には京大生、三高学生多数ありたり。

当大正二年には細川義昌先生、昭和二年には大江正路先生相次いで没せられたり。

◎ 余虎彦恩師行宗先生に師事する事久し、即ち幼少十四才にして入門(第二中学校入学)爾来在学五ヶ年親しくご指導を賜はり今日に至れるものなり。
◎ 昭和十一年五月武徳会総裁宮殿下 以下消去により不明

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曽田本その2(13・3無双直伝英信流居合術伝統)

P61(P115)

× △ 第十六代 ○ 五藤孫兵衛正亮

高知城下入斬町の人、馬廻り格、亀之丞に就て居合を学び其の蘊奥を極む。

明治二十六年板垣伯爵帰縣せられし際、伯は武道の嗜み深く其の精髄を会得されて居らるゝこととて、同士の者当時材木町にあった武学館に招待し一場の講話を希願せしに、伯は英信流又松島流棒術の功績を讃美し其の廃絶を惜しまれ、誰か其の術を継承し居合術の如き抜く人もなき時とて、漸く正亮の居合の修養深きを知り伯より子弟指導のことを話し素封家竹村家に謀りて道場を建設せしめ此処にて居合を教ふることゝなり、其の後、時の第一中学校長渋谷實氏の居合術が身心鍛錬に特効あるを認め正亮を聘して生徒指導の任に当らしめたり。明治三十一年没す年六十四歳。

記 五藤氏没後谷村樵夫後を継ぎ生徒を指導し居たるも明治三十八年年没す
享年六十一才。

此の門弟に土居亀江(旧姓小藤 曽田メモ)抜群の技ありたり。
◎ 土居虎彦(既曽田姓)の実兄なり。

× △ 第十七代 ○ 大江正路子敬(蘆洲と号す)

旧姓、濱田と云う、高知江の口の人、剣を馬詰栄馬に居合は五藤正亮に就て学び大日本武徳会剣道教士、居合術範士にして、元第二中学校剣道教師として奉職し一方居合術も担当せり。
後第一中学剣道教士武徳会高知支部剣道教師たり。
谷村樵夫没後は居合術をも担任せり。
昭和二年没せらる。

*大江正路の剣道の師はここでは馬詰栄馬となっています、大石新陰流とか鏡新明智流のようです。一般的には言われているのは日根野弁治師事とか、小栗流になります。

大江正路は嘉永5年1852年生まれ昭和2年1927年没。日根野弁治は文化11年1814年生まれ慶応3年1867年没だそうです。大江先生の剣道の師が日根野弁治であれば15歳の時に剣道の師は亡くなっています。

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奉納演武と服装

4月の27日から5月6日まで信州に山篭りしたり、京都を散策したり、奉納演武をしたり、随分精力的に動き回った事でした。

今更ながらに幾つもの発見があって楽しい時間でした。お陰さまで財布の中は空っぽになってしまいました。其のうち何処からか回ってくる事を楽しみにします。

ブログは連載の曽田本その2の溜め書き、つぶやきは偶の余暇に書き込みました。居合は、早朝の山林で、或いは宿の狭いベッド脇で抜きました。

締め日の近づく書作品は頭の中の構想ばかりで9日間全く筆を持っていません。7日から書き込み始めましたら2・8の条幅があっという間に底をついてしまいます。保存してあった紙にやたら書付けて狂っています。明日には紙の買出しとなりそうです。

奉納演武は全国から参集された名人達人の一年間の思いの籠もった演武を拝見し、己の未熟を反省し、再び力を得る事に意義のあるものです。自分の演武を終了したらさっさと退場し、似非京都通に引き回されて乙に入っていては情けない。最後までしっかり見取り稽古する気構えが無ければ無駄使いの謗りを免れないとつくづく思っています。そんな事を範士九段になられた方と昨日の稽古の時に苦笑いしながら話していました。

昭和42年の居合道新聞に水鴎流の勝瀬光安宗家の「居合大会所見」の抜粋をしました。勝瀬先生も、京都大会は神前に奉納する事が目的で、昇段審査は主目的ではないと、当時も心得の無い者が居る事を揶揄されています。気付きの時があれば良いのでしょうが心に期する物がなければ流されてしまうだけでしょう。

この全居連の演武会に水鴎流は居られませんが、当時は気を吐いておられたことでしょう。

勝瀬宗家の礼服についてのお考えを其処から抜粋します。

「礼服

神前に於いて、神の道たる居合を奉納する事は神聖なる行事である。従って、その服装は礼服を用うる事が本当である。
居合が神の道であると言う事は、若い人達には理解し難い所であろうが、諸流の流祖が業の極限と生死の悟りを、絶対への帰依に求め、神夢神助等によって大自在無敵の境地に達し、神人一体、この道、即ち神の道なりと大悟して以来、居合が神の道である事は、諸流の根底を流れる基本的思想である。

神前に於いて神事を行ずる場合、礼服着用は当然の事で、柔道衣や剣道衣を用うべきではない。稽古衣は練習衣で礼服ではない。柔道や竹刀剣道の場合は、其の試合方法及び道具の関係上、稽古衣の使用は已むお得ないが、それでも剣道の形は紋服を用うるのが常識になっている。

居合に於いては、武人平常の心掛けとして、和服の場合の応変の業が基本であり、袖、裾、袴の捌きや、帯の締め方等に至るまで修業の対象になるのだから、稽古衣の居合は、本来ではない。

特に、神前の演武には紋服を以てすべきである。
礼服が何であるかはその立場によって議論もあろうが、居合の関係にあっては紋服と解すべきである。」

いかがですか、勝瀬宗家の説得力のあるお話でした。水鴎流の「獅子乱刀」が全居連の刀法の「四方切り」の元になっているやに認識しています。

正面に座し、前後左右に敵を受け、右敵に横一線に抜きつけ、左敵に振り向き上段から真向に切りつける、正面に振り向き車に正面の敵の胴を切る、更に後に振り向き真向に後敵を切り下す。といった業だったように記憶しています。

座技から立ち技への変化のある四方切りで時々抜かせていただいています。

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曽田本その2(13・2無双直伝英信流居合術の伝統)

P59(P113)

△ 第七代 ○ 長谷川主税助英信

土佐の人、江戸に出て信定(* 第六代萬野團右衛門信定)に就て居合術の研鑽をなす。英信流の一派を起す、故に又長谷川流とも云う。

△ 第八代 ○ 荒井勢哲清信

△ 第九代 ○ 林六太夫守政

高知城下南八斬町に住す、馬廻り格なり。父を政良と云う、寛文三年生。礼節、居合、和術、剣術、書技、謡曲、俗楽□(* 鞁?)等人の師たるに足る技十六ありしと云う。享保十七年(*1732年)七月十七日歿行年七十歳。

P60(P114)

△ 第十代 ○ 林 安太夫政詡 

六太夫の養子なり。

△ 第十一代 ○ 大黒元右衛門清勝

高知市帯屋町の人。

大森流は此の人の拵しものと云う人あるも誤りならん、実は大森六左衛門に始まりたり、林守政の剣道師なり。
此の清勝より二派に別れたり、、故に代記を省略して諸先生の略歴に止む。

* 省略された12代、13代、14代を上げて置きます。

下村派 第十二代 松吉貞助久盛

     第十三代 山川久蔵幸雅

     第十四代 下村茂市

谷村派 第十二代 林益之丞政誠

     第十三代 依田萬蔵敬勝

     第十四代 林弥太夫政敬

    

× △ 第十五代 ○ 谷村亀之丞自雄

高知城下□(*潮)江の人、馬廻り格、山内容堂公に□(* ?)せられ御前に召され御佩刀を以て居合を抜きし事度々あり、入神の技人を驚かす。

× △ 第十六代 ○ 五藤孫兵衛正亮

高知城下入斬町の人、馬廻り格、亀之丞に□て居合を学び其の蘊奥を極む。

P61(P115)

以下次回

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曽田本その2(13・1無双直伝英信流居合術の伝統)

P57(P111)

◎ 無双直伝英信流居合い術の伝統(夢想神傳(抜刀)流(術)。神傳流。重信流。林崎流。等と云う)

△ 第一代(流祖) ○ 林崎甚助重信(伝書には神助とあり)

正親町天皇の永禄年間の人(約三百八十年前(昭和十一年)

* このメモ曽田先生は昭和十一年に書いたのでしょうか。

羽前国北村山郡に生る幼より剣術を好み郷里の林崎明神に祈願を込め百日の満願の□(* 折)居合術を授り其の技神に入ると云う。

P58(P112)


重信が林崎明神への奉納額に

「千早振る神のいさおし我うけて よろず代までも伝えのこさむ」

(* 千早振る神の勲功我受けて 万代までも伝え残さむ)

(昭和13年迄 三百七十八年前)永禄四年辛酉□□(不明なるも四月ならんか 曽田メモ)願□当処 浅野改 林崎重信謹百拝

△ 第二代 ○ 田宮平兵衛尉業正(武術叢書には重正とあり、伝書に業正とあり)

重信の弟子抜刀の妙を得、後、對馬と改む、其の子長勝箕裘(* ききゅう)の術を継ぎ池田輝政に仕う、後紀州に赴頼宣に仕へ八百石を領す

(* 千城小伝からの引用と思われます)

△ 第三代 長野(無楽入道)槿露斎 

無楽入道と称す業正の弟子、近江井伊家に仕へ録二百石を領す、九十余才迄長寿。

P59(P113)

△ 第四代 百々軍兵衛尉光重

△ 第五代 蟻川正左衛門宗続

△ 第六代 萬野團右衛門信定

以下次回に譲ります。

 

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京都で思いつくまま

五月の3、4、5は全日本居合道連盟の全国大会です。例年「京都会館」で行なわれているのですが、会館の改装のため向かいの「京都市勧業館みやこめっせ」で行なわれました。

呼称は「全日本居合道連盟平成24年度 第59回 全日本居合道全国大会」

行事は、1日目開会式及び八段以上の奉納演武、2日目五段から教士の奉納演武、3日目は称号段位審査会そして閉会式となります。

演武資格は五段以上、演武種目は日本伝来の各流の居合並びに其他の古武道。但しスポーツ的演技並に試斬は厳禁する。と云うものです。

もう消去してしまいましたが、以前このブログで「大会に思う 範士 中川申一」という今は廃刊になっている居合道新聞昭和40年第12回全国大会の所感を転記させていただきました。中川先生は無外流宗家で「無外流居合兵道解説」の著者です。今回も無外流の方も大勢参加されておりました。

ちょっと抜粋してみます。

「大体京都大会の意義は平安神宮の御祭神と居合の祖神に対する奉納演武であって神霊を慰め奉ることにある。故に平素の練技を敬虔な態度で行じてこそ大会の意義がある。昇段審査は第二義的であるのに拘らず昇段審査を第一義的にして審査を受けられない年には出てこない人もある。主客を顛倒した考え方である。大会の意義をもっと深く認識して貰いたいものである。」

胸にズキンと刺さった方も、そんな事は聴かされたことも無い、六段以上の審査は京都としか聞いていないとか、知っていてもほっかむりとか。

今年も同僚の何人かが六段だ錬士だ・・と受審に来ました。六段受審者に此の事を問うと「えっそうだったのですか、演武無しで昇段審査だけ受けて一日で終れると思ってました、会の世話役が強引に参加費を取って、宿も勝手に2日分手配されてしまったと思ってました」

昇段審査ばかりが優先して、説明なんかあっても聞いていない身勝手な解釈でした。

久しぶりの京都とかで、自分の演武が終れば、人の演武を拝見する心構えも何処へやら、いそいそと退場してしまいます。

中には京都通と自負する者が、初見参の者を早々と連れ出してしまい閉会式にもぎりぎりの帰参で師匠に心配を掛けていたりしています。そんな者は出来の悪い似非ガイドでしょう。

はるばる、全国から大会に参加されるために集まった方達の奉納演武は、此の機会を除いて拝見させていただく事は難しいものです。まして他流の高段位の演武は勉強すべきものです。

演武を終えた者が京都通を自負する者に京都見物を催促しても、「其の日の全演武終了までは見取り稽古せよ」とぐらい言い渡せる者が京都通でしょう。

重複する所もありますが、水鴎流の先代宗家勝瀬光安先生の昭和42年の「居合大会所見」を抜粋しておきます。

「京都に於ける居合道大会に際し、段位称号の昇格のみを目的として参加し、合格すれば次の試験期限まで姿を見せないし、落第すれば腹をたてて次の年から出席しない者が若干あるのは武道の本義から見て誠に残念な現象である。全居連の居合道大会は、居合の始祖林崎明神の神位を奉じ、其の広前に一年間精進の結果を至心に奉納する神聖な行事である。一年に一回本当に純粋な心持になって、神前に神乍の剣の道を奉納するのが、この目的である。神前に於いて謙虚な心に帰って自らの居合を奉納し、浄化された心を以て諸大家の居合に接する時、その人の居合は長足の進歩をするであろう。大会に参加する事に、真の意義の存する事を銘記すべきである」

引き続き勝瀬先生の「居合の見方」を抜粋して置きます。

「高段者になるに従って下手になる、下手にならなけれ高段者になれない、と言う言葉を耳にする。或はそれに該当する者があるかも知れない。偉くなると小言を言う人が無くなるので自分の悪い癖だけが誇張され、自己陶酔に陥ると共に、体力の衰えから見る影もなくなる恐れがある。そうしたケースが無いとは言えないが、居合の本質は外見だけではない。その底にひそむ精神的な内容をよく玩味しなくてはならに。高齢者の居合に於ける気品とか、内臓された迫力とか多年の修練の結果到達した古淡な味ひとかを、よくよく、玩味しなくてはならない。居合を見る者は大悟の境界を表現する名人、達人の居合を理解するだけの眼力と、心境を養はなくてはならない。然し、非難されると言う事は、何等かの欠点を持つ証拠であるから、高段者と雖も常に厳格な自己反省を試み、不断の修養につとめ大衆の批判を受けぬよう精進しなくてはならない。無心の大衆の目は割合に正確なものであるから、徒に自己陶酔に走り居合の本旨から外れてはならない」

心に響く一文です。ともすると自己陶酔は高段者でなくとも起こりうるもので、見るも哀れな慢心となるものです。

反面、錬士にもなりながら、「まだまだ」と言って何時までも手取り足取りの指導を要求し、教えられた事は出来ないのでは無くあえてやらず、出来ないと嘆くふりをする。また習い・稽古・工夫の無い者が習う事ばかりで謙虚だと嘯くのも恥ずかしく情けない事です。

京都大会に参加できるまでには、早い人で7年の歳月が経っています。それまでに様々な理由で耐えられず1人欠け、2人欠けしてしまいます。遅く始めたものは古希を過ぎ、若く始めた者も、思うようにならない人としての環境の変化が顕著です。

ここまで来れた事を感謝し、様々な思いに駆られています。心に残る剣士の一振りも思い出されます。

帰りに道連れとなった範士の先生と、御高齢で不自由な体をおして演じた方の見事な居合に胸を打たれた話など交わし、帰路の数時間があっという間に過ぎていました。

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曽田本その2(12・4居合術と剣道との関係)

P56(P110)

12・4 ◎ 居合術と剣道との関係

剣道、柔道は今や中等学校の正科となり且つ武徳会に於ても之が奨励をなすを以て大にその普及発達をなし、各隆盛に向いつゝあるは実に喜ぶべきことで而して我居合術は剣道の一派にして実に剣道とは密接の実像あり。

居合術は剣理用法整然たるものがある、所謂普通剣道の基として深味があるから徳川幕府時代には盛に之を習修し一層胆力の養成に資する所がある

◎然るに当今立派なる武道家、殊に剣道家に在て単に竹刀の業のみを以て能事畢(* おわる)れりとなし真剣用法は勿論日本刀の名称すら知らざる者多々あるは実に痛嘆の堪えざる所である。茲に於て之を慨し居合術の効果を力説し之が普及に力むること必然たるを疑わず。

居合術と剣道とは共に其の目的を一にし且つ其の用法は多岐に渡り臨機変□(*遍?)の要諦を尽くしたるものにて剣道とは□歯□□の如し。然るに世人ややもすれば居合術を単に保存的武術視し敢て重きを置かざるものあるも是は誤れるの甚しきものにて居合術の真義を解せざるものと云うべし。

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土ごぼう天うどん

ゴールデンウイークの後半は京都です。前半分を信州で遅い桜、白樺伐採に石仏めぐり後半が京都では贅沢な事です。

京都は居合の演武会です。其の余暇を縫っての新緑のモミジ狩りです。

同門の方達は事務局長の手配の宿で仲間同士の交流をしています。へそ曲がりの私は単独行動です。演武会場に近い食事の美味そうなホテルを二月初めに予約しました。一日目は書道教室の状況が不確定だったので朝食のみの素泊まりです。幸い教室の日程調整も上手くいって新幹線の指定を程よい時間に押さえようとミドリの窓口に指定日の一日遅れで行ったのですが、希望時間は満席です。いっそのこと早く京都に着いてゆっくり散歩と決めました。

南禅寺から銀閣寺までのコースを歩きます。新緑のモミジの爽やかなミドリは又一段と良いものです。水路閣を下から見ているだけではと、蹴上インクラインまでテクテク誰もいない静かな散歩です。

若王子神社から西田幾太郎先生の散歩道を銀閣寺までのんびり猫などかまって歩きます。

暇に任せて銀閣寺から今出川通りを吉田山に、「紅もゆる丘の花を」口ずさんで一越えして吉田神社で京大のフットボールでしょうか、境内の石段でトレーニングするのを眺めていました。

方向感覚の乏しいまま、平安神宮に廻りめぐって来る頃は18時過ぎになっています。平安神宮の側にある、手打ちうどんの山元麺蔵の前に立っていました。

先だってテレビで見たばかりの行列の出来る京都のうどん屋さん。急に腹がすいて、ホテルに戻っても食べ物が無い事に気がついて並んでみる事にしました。凡そ10mの行列です。大したことはなさそうと思ったのですが、どうして店には入れたのは1時間後でした。客の順番を取り違えられて更に待つ事30分、食べ終わったのは20時でした。

先日の職人館といい、京都の麺蔵といい麺類にはついてない一週間です。そういえば今日のコースの途中何処かで引いたおみくじは凶でした。坊主が番号を聞いて「あんまりよくない運勢じゃ」とか聞こえたように思えました。そんなもんです。

ちょっと脇道にそれそうになった者に厳しく当ったのでその筋の所から、そんなに言わず優しくしてやれと言われているようです。

メニューは土ごぼう天うどん。ごぼうの天ぷらだけ。ごぼうの風味とカリカリと云う歯ごたえになるほど行列ができると感心しています。店の方は順番取り違えを恐縮して代わる代わるわびに来ます。食べ終わると杏仁豆腐を店長のお詫びと言って付けてくれます。「そんなに気にしないで」とお姉さんにそっと笑顔で返しておきました。

夕飯はこれだけ。質素なものです。雲水より劣るかもしれません。ホテルはツインにたった一人。久しぶりに独り寝の一夜でした・・・笑い。

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双体道祖神とそば

一週間ほど前の事となります。
屋根に架かる白樺の伐採をプロに任す事にしましたら急にお腹がへって来ました。

望月の里の職人館にそばを食べに行くことになりました。
少し開店時間に早いといって、馬の鼻などなぜて遊んでいました。

古民家を改造した職人館の小さな入り口を入ると既に満席です。
「90分かかりますがいかがしますか」
昼食は1時過ぎに成る事になりました。携帯のNoを教えて其の間、石仏めぐりとなりました。

道祖神を二つほど見つけました。古びて二体とは判別しましたが、お顔は削り取られたようにわからなくなっています。この望月一体の石仏は鎌倉時代から建てられて3000体は越えるとあります。あんまり上手な彫物ではないと思いますが、風雨に晒され周囲に溶け込んであるがままのお姿は、親しげです。

石仏を幾つか写真に撮っていると携帯がなって、職人館の席が開いた事を告げてきます。

豆腐とサラダ、十割そばを注文しました。爽やかな春のそばを楽しみたいと思ったのです。

突き出しの大豆の煮つけを一粒ずつつまみ食いして終るころ豆腐が運ばれてきます。水気の少ない硬い豆腐で、豆腐の匂いが爽やかです。豆腐も食べ終えて手持ち無沙汰の所へようやくサラダがやって来てホットします。その辺の畑や山から取ってきた草をサラダにしたようです。「ドレッシングの油がつよすぎるな~」と思いつつ完食です。待ちくたびれて痺れを切らす頃ようやくそばの出番でした。

ここまで凡そ90分。1時間半のお預けではお腹も空気でくちくなってしまっています。僅かな盛でもお腹一杯になりました。

今回の職人館は褒められたもてなしになっていませんでした。待ち時間と味に不満です。それでも、いつも変わらぬ雰囲気を期待して又出かけてしまうから不思議です。

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曽田本その2(12・3居合の伝書開巻第一に)

P55(P109)

12・3 ◎ 居合の伝書開巻第一に

「居合とは人に斬られず人斬らず只請け止めて平にせよ(? 曽田メモ)」とあるも正義人格平和を第一義諦としたことが分明する。
日本刀が真に日本刀として武士道を発揮するも凶器として武士道を汚すも此の根本の相違からである。

居合の特徴は実に我が武士道の表徴とも謂うべき日本刀を以て錬磨するところにあって、日本刀は単に之れを見るだけでも精神の修養となる、まして之を帯して或は座し又は立て進退撃刺の状をなすに於いておや。

居合は運動の方面より見るも全身の筋肉を働かし、□寒の時と雖も十五分乃至二十分の練習を行う時は、流汗淋漓の有様で近時人情浮善に流れ質実剛健の風を払い利を見て義を顧ず、或は軽佻詭激の言、皇道(* ?)の基礎を危うからしめんとする時、日本刀を揮て心身の鍛錬をすることは確に時勢に鑑み一種の清涼剤たらざるを得ないのである。

「抜かば斬れ抜かずば斬るな此の刀 只斬ることに大事こそあれ」

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曽田本その2(12・2居合術の意義並修業の目的)

P53(P107)

12・2 ◎ 居合術の意義並修業の目的

「剣を学ぶは道を学ぶであって凶器を弄ぶでない」とは古哲の言である。

P54(108)

居合術は真剣を以て行う正真正銘の剣道であるから其の目的とする所は実にこゝにある、然らば吾人は居合に因て如何なる道を学ぶか。
身心の鍛錬をするのである。人として(中不明)忠孝、礼儀、廉恥、質実、剛健の諸徳を養成するのである。
身心の鍛錬は之を調身。調心。調息の三っに分類する事が出来る。

◎ 彫身とは姿勢を調えることである。
居合には始終□儀、坐る、立つ、抜き付、打ち下、皆夫々の作法姿勢があり而して全身の元気を気海丹田の収ることになって居る、之が調身である。
健康上より云うも錬膽上より云うも気海丹田に力を入ることの肝要なることは敢て喋々するまでもなく禅学等皆然り。

◎ 調息とは呼吸を調えることである。
呼吸すは風喘、息、気の四種あり。
息が調相余り乱相であるけれども正気は武道の重んずる処である。

◎ 調心とは精神を調えることである。
大敵を見て懼れず小敵を見て侮らず無念無想万物一如の域に達するのを究極するので(究にあらずや 曽田メモ)此の処に達するには慎独克己から始まるのである、古来より我が日本武道に於ては正義を貴ぶ。

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曽田本その2(12・1居合術2)

P53(P107)

12・1 ◎ 居合術2

居合術は剣術今の剣道の一部門なり

(余は居合は一兵法即ち居合兵法と称せられ剣道に附随せるものにあらず一派独立せる武術なりと信ず 曽田メモ)

剣術は立合、太刀打、撃剣等とも称し刀剣の使用法にして即ち抜出したる刀を如何に有用に使用すべきかを教えたるものに付抜刀なくして立合あるべからず。其の用法は刀を腰より抜出しての上のことなり。

居合術は立合の術、剣術に対する語にして、詰合、坐合、抜刀、鞘の内等とも称し此の立合の根元にして刀を抜く法なり。即ち如何なる場所にて如何なる刀を如何に有効に抜くべきかを教えたるものに付、刀の鞘の内にある時より太刀打に至りて了る故に互に抜刀して相対峙せば既に居合の範囲を脱して後は太刀合なり。

居合は刀の長短、場所、広狭、地勢の高低、姿勢の坐起、敵の仕懸変化等に応じ□機(*臨機)変□(*変過)其の□(*他)を悟らせず刀尖鞘口を脱する刹那確実有効の利を収むべきを教う。

其の最重要なる点は刀尖の鞘口を脱する瞬間の働きなり。

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屋根に架かる白樺

翌日、息子達が昼過ぎに到着しました。

立ち木の伐採のフィナーレは屋根に架からんとする白樺の大木です。白樺のある住まいは都会に暮す者にとって夢みたいなものです。
それがすくすくと育って、大きくなって、徐々に傾いて来て今や屋根に覆い被さるほどの大木です。このままでは、強風にさらされますと軒を痛めそうです。

根元の太さは直径30cmはありそうです。啄木鳥が穴を開けています。この傾き加減では芯を腐らせていそうです。

スレート瓦の屋根も此の白樺の落ち葉や、枯れ枝でいつの間にかコケまで広がっています。

強硬派の私は、白樺にザイルを張って屋根に架からないように引っ張りながら切り倒す案を出します。

息子は唸っているばかり、妻と嫁は恐がるばかり。誰も私を助けてくれません。昨日の白樺の様に出来ないのは、失敗して軒や屋根に当れば屋根の損傷は免れません。

其のうち、妻が「業者に任せましょう。ついでに屋根も葺き替えましょう」恐ろしい事を云うものです。

其の案に皆が賛成して、白樺に寄りかかって拗ねているのは私ばかりでした。

早速、業者を求めに出かけます。

今年は雪が多くて、特に3月の重たい雪で樹木が倒れ家屋を幾つも破損させた、と写真を見せられます。
倒れた落葉松が屋根を貫いています。
多くの落葉松が雪の重みで倒れています。
業者では、樹木から転落して大怪我をした話や、切断中、思った方向に木が倒れてくれずに切断していた人に跳ねて死亡事故まであった、と脅されます。

「命あっての事ですよ」おかみさんにじっと見つめられれば、返す言葉はありません。

やれやれ、自分の住まいすら自分で始末出来なくなった事を嘆きつつ納得です。現地視察後見積もるそうです。

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曽田本その2(12・1居合術1)

P53(P107)

* P54からP106までは、曽田先生による新聞、雑誌等の切り抜きが貼り付けられています。出典が明らかではない切り抜き(○○新聞何年何月何日が不明)なので苦慮しています。この「大森流長谷川流居合術解」では切り抜き部分を飛ばしておきます。

12・1 ◎ 居合術1

居合術は剣術今の剣道の一部門なり

余は居合は一兵法即ち居合兵法と称せられ剣道に附随せるものにあらず一派独立せる武術なりと信ず。

* この一文は曽田先生が大阪八重垣会の河野百錬先生「無双直伝英信流居合術」の冒頭に述べられた事に対する反論から始まります。

河野先生「居合は剣道の一分派なり。古来より居合の勝負は鞘の内にありと称せられし如く、彼の剣道が刀を抜きて後、敵を制するに対し、居合は寧ろ抜刀の以前に於いて、気を以って敵を制し、然る後刀を下すものなり。・・」

此の一文は昭和8年5月21日発行された河野百錬先生当時錬士の時の「無双直伝英信流居合術全」の冒頭の一節と同じものです。

その後の、河野先生の居合道の意義(昭和18年大日本居合道図譜)も「居合とは剣道の立合いに対する所謂居合の意にして、元来敵の襲撃に際し直ちに之に応じ、先又は後の先の鞘放れの一刀を以って電光石火の勝ちを制する必要より、剣道の一分派として武士の間に創案されたる刀法にして、座位の時又は歩行する時其の他あらゆる場所に於ける正しき刀法と身体の運用を錬磨し己が心を治むる道である」

その後、河野先生の昭和37年発行の「居合道真諦」に於いて「居合道の回顧」に「真剣武道(私は竹刀剣道に対して居合を真剣道と云う)」とされています。

更に「無双直伝英信流居合道初心集」では「居合道の意義」のなかで「居合とは剣道の抜刀後の立合いに対するいわゆる居合(即ち抜刀前の心構えと、抜刀の瞬間に敵を制する刀法)の意にして、元来敵の不意の襲撃に際し直ちに良くこれに応じ、先又は後の先の鞘放れの一刀を以って、電光石火の勝ちを制する必要より、武士の間に創案されたる独自の剣法にして、座位の時、または歩行する時、その他あらゆる時とところにおける正しき刀法と身体の運用を錬磨し、己が心を治さむる道である」

剣道の一分派の文言による説は消えています。曽田先生の思いが通じたのでしょうか。

以下本文は次回

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栗の木

4月28日

斜面に自生していつの間にか根元の太さが直径27cm、高さは15mほどの白樺が一昨年のこと倒れて隣の樺の木に寄りかかってしまいました。いつ崩れ落ちて家屋を破壊するか気がかりでした。

これ位の木は、私のような者には大変な相手で切り倒し作戦を綿密に立てて実行せざるを得ません。とは言え大した智慧も力もありません。頼みの妻は痛くされるのを嫌って伐採の側には寄り付きません。急遽頼んでおいた息子達の到着は明日になるとのこと。明日まで待ってからが最善の策かもしれませんが・・・。

凡そ45度に傾いて隣の木に寄り添う白樺の大木です。夜中に帰宅してもその白い木肌が一番最初に迎えてくれるのです。何か切りたくもなし、やらずに居られないこの葛藤は何でしょう。

何事もそうなのです、やりたい事があって、其の手段を思いつかない様な時は、じっと見つめている事にしています。其のうちにむらむらと闘志が湧いてきていつの間にか道具が揃っています。

小型のチェーンソー、30mのドラムコード、40mのザイル、ハンマーに楔。

鋭い回転音が響き白樺の根元にチェーンソーが食い込みます。刃を白樺の重みで押さえられないように3本の切込みを入れ、楔状に背と腹に切り込んでいきます。見事に計算通り一刀目が決まって白樺がずり落ちてきました。

二刀目は1、5mほどの長さに切込みを入れます。上が軽く下が重いので必ずずり落ちてくるはずです。これも決まって枝を折りながらずり落ちました。

三刀目も1、5mほどの長さですが隣の樺の木に食い込み始めていますのであやまって深く切り込むと、木の重みでづれてチェーンソーが圧迫されると跳ねられる危険があります。ザイルで跳ね防止策をこうじてこれも成功。ズズンとずり落ちて来ます。

後は1、5mに切り揃えて終了です。

居間に寝転んで外を見ています。20mは越えるであろう落葉松の林が揺れています。数本は動かずに一本だけが揺れています。一緒に寝転んで見ていた妻が「あそこだけ風が吹き抜けるのかしら」。私は、「あの木に妖精がいるのかも知れない」。のんきなものです。

窓越しの栗の木は二俣になった枝の一方が枯れてかびも生えているように見えます。森の木々は太陽の光を求めて天空に聳えていきます。落葉松も天空を目指して伸び上がり下枝は太陽が不足で枯れてしまいます。伸びられなかった固体は枯れ死を余儀なくされるものなのです。栗の木も生存競争の落ちコボレでした。数年前までは実をつけていたのですが、落ち武者には生気がありません。

チェーンソーが唸って数分でこの栗の木は切り倒されました。もう片方の枝には寒い冬を耐えて新芽が伸び始めています。

「弱った所だけにして、もう少し待ってあげればよかったのに」妻の目に涙が光っています。何年も窓の外に揺れていた栗の木でした。最近は実は愚か花さえろくに咲きませんでした。栗の木を育てるには、廻りの木々を大きくならないよう剪定するか、切り倒すべきだったのでしょう。人が手を掛けて自分に役立つものだけを残す・・・・

翌日も午前中に、生存競争に敗れて枯れたり、危ない木を数本切り倒しました。自然のままにした結果、切り株ばかりが残って痛々しい感じがします。自然は強いものだけが生き残っているように思えてしまいます。共存させるには人の手がいるのでしょう。

ルールを侵した者がいます。得られた地位と人のありようとは伴わない者だったのでしょう。其のギャップを何かに触発され焦ってしまったのでしょう。亭々と聳え立った落葉松を見ているようです。頂上は元気よく群を抜いて聳え立ち太陽を一杯浴びたのですが、下枝を枯らしています。何れそれでは落葉松自身耐えられずに朽ちていくはずです。

人も自然のままに己の欲望のまますくすくと伸びたいものです。しかしそれでは社会秩序は破壊されます。

私の小さな森は今日も生存競争の真っ最中です。森が荒れていると云うことなのでしょう。そしてこの森のような生き方の者が幾人か居れば社会は荒れている事になるのでしょう。

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曽田本その2(11、無双直伝英信流居合目録2)

P50

11、無双直伝英信流居合目録2

外之物之大事

○ 1、行連 立業にて右へ抜き付け左足を踏み替え左を切る。

○ 1、連達 立業にて左を突きて右を切る

* 行連・連達とも両詰と称します。これらは左右であって右斜前、左斜前では無いようです。

○ 1、遂懸切 立業にて(大森流十番と同じ)之は刀を抜き霞みて追懸け右足にて突きを見せ冠りて切る。

* 大森流十番は大江派では追風、大森流では追懸

○ 1、惣捲(五方切) 立業にて横面、肩、胴、腰、真向を切る(切り返し)。

○ 1、雷電 立業にて之は大剣取の内にあり、此の太刀打は和之伝に有。(切先を地につけ敵をおびき出して切る(暗打))

○ 1、霞(向払) 座業にて一本目の如く横一文字に抜き付け同時に返し更に切る。

P51

上意之大事

○ 1、虎走 座業にて小走に進みて(抜口の、鞘口の外に見えざる様大事也)抜付けて切り納刀、退きつゝ抜付け切る。

○ 1、両詰(向詰) 立業柄を臍にとり前を突き切る。座業にもあり。

* 両詰の立業を述べています。大江派では専ら座業ばかりです。

○ 1、三角 立業にて長谷川流八本目「浪返」に似て抜きて刀を身に添え右廻りに正面へ払い打、後直向へ打込む也。

○ 1、四角 立業、座業にて左後を突き右後を切り請ながら左斜前を切り、右斜前を切る。

○ 1、門入 立業にて右足にて前を突き振り返りて後を切る、尚前にも切るべし。

○ 1、戸詰(両詰) 座業にて右へ抜き付け左を切る。

○ 1、戸脇(両詰) 座業にて左を突き右を切る。

* 両詰の業二種類を戸詰、戸脇と大江流にしています、両詰についても古伝と大江流が混線します。

○ 1、壁添(人中の事) 立業 四囲狭き場所にて切る業也、人中の事、抜く時刀を身に添え上へ抜くなり。

* 之も大江流の混線でしょうか。

○ 1、棚下 座業 頭上低き所にて前方を切る(抜く時は大森流八本目順刀の如く)、斬り込む時膝を突くなり。

* 大森流順刀は大江流の介錯です。

○ 1、鐺返 座業 之は行違いに相手の左手をとり直に後ろに廻り鐺を取りて前へ押し倒す也。

* 座業としていますが、立業の様な解説です。(長谷川流八本目(浪返)に同じ)の解説を抹消しています。

○ 1、行違 立業 柄頭にて前を突き振り返りて後を切る。・後を突きて前を切る。

○ 1、手之内 立業 切り捨てにて前進む(惣留ならん)

○ 1、輪之内 立業?左を突き右に廻りながら前方の足元を払い冠り切る。

○ 1、十文字 座業 □□を引きて頭上にて十文字に請け冠り切る、此の□□業もありと云う、不明

極意之大事

1、暇乞 御使者斬り二つあり

1、獅子洞入

1、地獄捜

1、野中幕

1、逢意時雨

1、火村風

1、鉄石

1、遠方近所

1、外之剣

1、釣瓶返

1、智羅離風車

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曽田本その2(11、無双直伝英信流居合目録1)

P49

11、無双直伝英信流居合目録

此の伝書は実兄土居亀江が恩師谷村樵夫先生より伝授せられたるものを写したるもの也。(昭和二十年七月四日午前二時高知市空襲家財諸共焼失したり)

◎本伝書二巻は別に蔵す、本書と共に難得(*えがたき)ものなれば大切に保存し後世に伝うべきものとす。虎彦記 筆山

* 曽田本その1で既に2012年3月16日P75から3月19日P79までに根元之巻と無双直伝英信流居合目録を素読しています。それが本伝書二巻でしょう。

「空襲で焼失した」のと「別に蔵す」との関係が読めません。別に蔵すが曽田本その1、その2であるかも知れませんが不明です。

1、向身 横雲 虎一足 稲妻

1、右身 浮雲 山下し

1、左身 岩浪 鱗返

1、後身 浪返 瀧落

四方切  向 右 左 後

太刀打之位(九本) 
1、出合 1、附込 1、請流 1、請込(請入) 1、月影 1、水月刀 1、絶妙剣 1、独妙剣 1、心妙剣

詰合之位(十本) 
1、八相 1、拳取 1、岩浪 1、八重垣 1、鱗形 1、位弛 1、燕返 1、眼関落 1、水月刀 1、霞剣

P50

大小詰(八本)
1、骨防(もぎ 曽田メモ) 1、柄留 1、小手留 1、胸捕 1、右伏 1、左伏 1、山影詰

大小立詰(六本)
1、〆捕 1、袖摺返 1、鍔打返 1、骨防返 1、蜻蜓返 1、乱曲

* 外之物之大事、上意之大事、極意之大事については次回とします。

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桜をもとめて

昨年は、東北地方の大震災、大津波、原発のメルトダウンとひどい春でした。そんな中に福島県三春の滝桜を見学に行ったのです。あっちもこっちも自粛と称してちじんでいては、経済は回らなくなってしまうと出かけたものです。斜面に堂々とした古株の桜が満開でした。この三春地区にも放射能は降り注いでいたらしいのですが皆さん嬉しそうに見上げていました。東北ナンバーばかりでしたが東北の方は元気でした。寧ろ被害の無かった地域の方がちじんでいたようです。

4月の27日金曜日。
何も連休に出かける事も無いのですが、此の時機が最もサービスが行き届いて、往き返りの渋滞を避けられれば最も善い季節ともいえるのです。

「ここ駐車してもいいですか」「あ~いいよ、おれんちだ」
山梨県北杜市にある実相寺の山門近くの土産物屋の親父さんです。
「これ、山葡萄だ、所さんの目が点に出た、山葡萄だ眼がすっきりするよ。神代桜は終ったよ。幹にもご利益があるから見物しておいで、帰りによってって。」
日蓮宗の大津山実相寺は葉桜になって見物客は私達ばかりです。
樹齢2000年根元の周囲13、5m。目通り幹10、6m大正10年には天然記念物になっています。枝がなければまるで大きな岩の様なものです。名づけて「神代桜」静かな寺の葉桜見物もいいものです。

「あの~駐車場は何処でしょう」土産物屋のお母さんが「あ~あそこにどうぞ、城まで300mほどよ、家の脇を登れば直ぐよ」
「ありがとうございます、帰りに寄らせてもらいます」
午後5時過ぎの高遠城跡公園はもう閉園です。21時までは無料で解放されていました。
昨日辺りから散り始めたと云う桜の花びらで地面はピンクの絨毯を敷き詰めたようです。
風も無いのに花びらが舞う、風に吹かれて花嵐が舞い上がり髪の毛に纏いつきます。
何処か物影で鳴く蛙の池にも花びらが敷き詰められて水面は定かではありません。
自由解放された桜の園は静かにピンクに染まり夕陽の影は花の絨毯の上に長く伸びています。
樹上の桜、足元の桜花、花吹雪。何時来てもここの桜は物思いに耽りたくなります。

高遠頼継の居城でしたが、武田信玄の信濃攻略の拠点として内応し、後に武田と対立して攻め取られています。
勝頼の時代に織田と対立し織田は高遠城を甲斐攻略の拠点にしようと5万の軍勢を差し向け、高遠城は仁科氏以下3千の寡兵で玉砕したと伝えられています。

玉砕を余儀なくするほどの武田とのかかわりや、武田が織田、徳川連合に何故最後まで対抗したのかなど思いを廻らせていました。
傾く夕陽に急かされて土産物屋で駐車料相当のお土産を買って後にしました。

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曽田本その2(10、太刀打之位)

P48

10、 無双直伝英信流居合太刀打之位 請込の業)

*このページは仕太刀曽田虎彦先生と打太刀竹村静夫先生よる陸軍戸山学校天覧武道場にて昭和10年10月25日無双直伝英信流居合太刀打之位を演じ、その4本目請込の決まり技、竹村先生の左の肘へ曽田先生が「太刀をすける(体を右に開き下より二の腕を掬い上げる)」所の写真が総てです。

この天覧道場における演武は曽田先生をたたえ新聞に記事となっています。昭和10年11月の海南新聞記事の抜粋。

「本年10月25日、日本古武道振興会の主催で明治神宮奉納会があり、土佐居合術の代表として曽田氏と竹村静夫氏が出席し帝都の檜舞台において英信流のために万丈の気を吐いた。そして曽田氏と範士中山博道氏と会見の節、中山範士は曽田氏を尊敬して先輩に対する礼を執り、刀の新しい下緒を贈呈したのであった。かくて長谷川英信流七代の師範たる曽田虎彦氏は日本の武道界において天下的人物たる折り紙を附けられたことを我等は土佐の誇りとして読者諸君と共に欣快の拍手を送る。」

昭和10年10月25日日本古武道振興主催明治神宮奉納武道に出席したるを機に戸山学校に招かれて演武したるものなり

写真 省略

昭和10年1935年曽田先生は明治23年1890年生まれですから45歳のころでしょう。

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曽田本その2(9、無双直伝英信流居合術系譜)

P47

*曽田先生の作成された無双直伝英信流の系譜は、既に岩田憲一先生の「土佐の英信流 旦慕芥考」によって平成元年に掲載されています。
江戸時代末期から昭和にかけての土佐の居合の系譜がよくわかるもので、片寄った系譜ではないので、この道統を理解するよい資料のまとめであると思われます。

9.◎ 無双直伝英信流居合術系譜

1、林崎神助重信
(*林崎甚助重信とはせず神助と土佐の居合の根元之巻と同様です)

2、田宮平兵衛業正

3、長野無楽入道槿露斎

4、百々軍兵衛尉光重

5、蟻川正左衛門宗続

6、萬野団右衛門信定

7、長谷川主税助英信(土佐の人と云う江戸屋敷にて居合術を修業したる由にて此の時より土佐に伝わる 曽田メモ)

8、荒井勢哲清信

9、林 六太夫守政(以下土佐人也 曽田メモ)

10、林安太夫政詡

11、大黒元右衛門清勝(* ここから以降が下村派と谷村派に分かれていきます。下村派が12代として松吉貞助久盛、谷村派が12代として林益之丞政誠まず下村派の系譜)

12、松吉貞助久盛(下村派)

13、山川久蔵雅(下村派)

14、下村茂市定(下村派)(* 

15、行宗貞義(藤原)(下村派)

16、(土居姓)曽田虎彦(下村派)

(17)、竹村静夫(下村派)

* 14代下村茂市定には15代行宗貞義、片山健吉(益光)、細川義昌 などと師弟関係になります。
15代行宗貞義には16代曽田虎彦、中山博道、鈴江吉重、堀田捨次郎などが師弟関係として連なります。
細川義昌には中山博道、植田平太郎などが連なります。
16代曽田虎彦には竹村静夫・(山本俊夫)-楠瀬庸方などが見えています。

続いて谷村派の系譜

11、大黒元右衛門清勝

12、林益之丞政誠(谷村派)

13、依田萬蔵敬勝(谷村派)

14、林弥太夫政敬(谷村派)

15、谷村亀之丞自雄(谷村派)

16、五藤孫兵衛正亮(谷村派)

17、大江正路子敬(谷村派)

18、穂岐山波雄(谷村派)

19、福井春政(谷村派)

* 15代谷村亀之丞自雄には16代五藤孫兵衛正亮の外に16、楠目繁次成栄‐17、谷村樵夫自庸‐18、土居亀江(小藤)(曽田虎彦の実兄)と連なります。
又、16代五藤孫兵衛正亮には17代大江正路子敬の他に森本兎久身、土居亀江が連なります。中山博道も森本兎久身についていたともいわれます。土居亀江には曽田虎彦も実弟として習ったと思われます。

17代大江正路子敬には、下村派の行宗貞義の弟子鈴江吉重、同じく下村派の曽田虎彦についてもいた竹村静夫が門弟でもありました。

17代大江正路子敬との師弟関係を次に記します。但し曽田先生のこの系譜に名の無い方については( )とします。

・ 鈴江吉重
・ 中西岩樹
・ 竹村静夫
・ 18、穂岐山波雄
・ 19、福井春政
・ 松田栄馬
・ 西川信水
・ 山本宅治
・ (山崎安吉)
・ (森繁樹)
・ (山内豊健)
・ (田岡伝)
・ (政岡壹實)
・ (山本晴介)
・ (坂本土佐海)

* この後に不明な文字が3つばかりありますが判読不可です。

*土居家の家系図

家系図

土居楠吉正尚-三男 亀江

         長男 久寿次郎

         四男 虎彦(後曽田姓)

       

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曽田本その2(8、英信流大小立詰)

P44

* 大小立詰も曽田本(業附口伝その4大小立詰)2012年3月15日P72~P73のものと同様です。

◎ 8、 英信流大小立詰 (朱書は故五藤先生の手記)曽田虎彦蔵す

1、 〆捕  互に対立する也、打は両手にて仕の柄を握るを、仕は左手を以って打の左手首握る也、更に此の時すぐに仕は右手にて打の両腕を締め込み、我体を台にして之を極める也。(恰もす角力の泉川にて極めるが如し)。
● 敵柄を両手にて取る、左手にて敵の左の手首を押へ右手にて敵の両肘所を押へ体を込み〆付る。(五藤先生手記)

* 〆捕 には線画がありますが省略します。

2、 袖摺返(左右あり) 打は横より組み付、仕肘を張りて一当すると同時にすぐに打の刀を足にすけて後に投る也。
● 横合より組付肘を張り一当して中に入り、刀を足にすけ跡へ投げる、左右共同前。(五藤先生手記)

P45

3、 鍔打返 互に対立する也、打は仕の抜かんとする右手首をとる也、仕は右手を離すと同時に左手に持ゆる鍔にて打の手首を打つ也。
● 抜かんとする時、其手首を押へる左手にて敵の手首を打。(五藤先生手記)

4、 骨防返 互に対立する也、打は仕の柄を両手にて捕りに来るなり、我は右手にて敵の両手を越して柄頭をとって両手にて上にもぎとる也。
● 敵両手にて柄を取る時、引廻しもぐ。(五藤先生手記)

5、蜻蜓返 打は仕の後より仕の手首を後に引き、鐺を前に押す、直ちに右足を以って掬い中に入る也。(中に入るとは上から逆に横抱きにすることならん 曽田メモ)。
● 後ろより右の手首をおさへ跡へ引、左手鐺をおさへ前へおす時中に入る。

* 線画があります省略します。
(鐺を後に引き右手首を前に押したる時は此の反対となる也)

P46

6、 乱曲(左右あり) 我と敵とは前後に立ちて行く也、敵後より右手にて鐺をくるくる廻す也、我此の時すぐに後に向きて、左右何れの手なるやを見定め、右手なる時は我左足にて敵右足を掬い中に入る也、若し左手なる時は我は右足にて敵の左足を掬い中に入る也。
● 後ろより鐺を取りくるくる廻し引、其時左右を見合せ中に入る。(五藤先生手記)

7、 移り(口伝 山川先生の伝書「石火」とあり) 敵後より組付きたるを我体を落して敵を前に投ぐる也。
● 後より組付体を下り前へ投る(五藤先生手記)

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曽田本その2(7、英信流大小詰)

P40

* 英信流大小詰は曽田本の業附口伝その3P71~P72、2012年3月14日と同じです。

◎7.英信流大小詰 ◎朱書は故五藤先生の手記より写(曽田虎彦蔵す)

1、 抱詰 互に対座、打は仕の柄を両手にて取らんとす、すぐに仕は両手にて二の腕を下より差し上ぐる様に掴み我左脇に引き倒す也。
● 向て居る敵我刀の柄を両手にて押し付る時、敵の両肘へ手をかけ「うずみ」上げ左へ振り倒す。(五藤先生手記)

2、 骨防(ほねもぎ 曽田メモ) 互に対座、打は両手にて仕の柄を握る、仕は右拳を顔にあて、其のひるむときに乗じ右足を柄越しにまたぎ、右足内側より右手を柄に添え、右足にて敵の両手を押払うと同時に柄を防(もぎ)取る也。此の時敵は我右脇へ匍い倒る。
● 向うて居る両手にて柄を押し付る時、直ぐに右手にて面へ当て其虚に乗り右足を踏み込み柄へ手をかけもぐ(五藤先生手記)

P41

3、 柄留 打は仕の右側に並びて座す、仕の抜かんとする柄を留む、仕の右手を頚に巻き打を前に倒さんとす、倒されまんと後に反る、其の時すぐに仕は打の体の反りて前足の浮きたる下より(膝)柄をかけて後へ倒す力を添うる也。
● 右脇に座す、抜かんとする柄をとる、我れ右手にて首をまき前へ押す、敵後とへそるに付、後とへ倒す、其時柄を足へかけ倒す也(五藤先生手記)

4、 小手留 打は仕の左側に並びて座す、打の抜かんとする右手を仕向き直りて右手にて捕へ引き寄せると同時に左手にて柄頭を敵の脇坪に当てる也。
● 左脇に座す、抜かんとする右手を把る其手をおさへ左手にて脇坪へ柄頭を以って当てる。(五藤先生手記)

P42

5、 胸捕 互に対座、打は仕の胸を捕へて突く、仕すぐに右手にて支え左手に持たる柄頭を敵の脇坪に当てる也。又胸を捕りて引く時は、すぐに刀を抜きて突く也。
● 向うて居る右手にて胸をとり突く時は、其手を押へ左てにて脇坪へ当る。引く時は抜きはなち刺す。(五藤先生手記)

6、 右伏 打は仕の右側へ並びて座す、打左手にて仕の胸をとる、仕はすぐに其の腕を巻き込みて、逆手をとり前に伏せる也。
● 右脇に座す、左手にて胸を取り来る、其の手を押へ前へ伏せる。(五藤先生手記)

7、 左伏 右伏せの反対業也。
● 左脇に座す、右手胸を取り其の手を押へ前へ伏せる。(五藤先生手記)

P43

8、 山影詰 打は仕の後に座して、後より組み付、其の時は仕は頭を敵の顔面に当て、敵ひるむ隙きに我刀を抜きて打の組みたる手を切る也。
● 後より組付頭にて一当てして仰向にそりかえる。(五藤先生手記)

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曽田本その2(6、英信流太刀打之位)

P35

* 次の英信流太刀打之位も曽田本その1業附口伝その1太刀打之位其の儘です。ただしここには線画は記載されていません。曽田先生と竹村静夫先生が実演した詳細曽田本(業附口伝その1太刀打之位)2012年3月12日P66~P67。

現在、無双直伝英信流では居合形として第十七代大江正路宗家がこの太刀打之位を改変した七本をもって居合道形を演じています。

第二十二代池田宗家の無双直伝英信流居合道解説第一巻の無双直伝英信流業種目では「居合形」として呼び、業も七本となっています。

大江宗家も「無双直伝英信流居合道形」と名付けこの「太刀打之位」と分けておられますが、近年、「太刀打之位」と「居合形」を混線させている方達も居られます。「太刀打之位」を打つと言いながら「居合形」を演じるお粗末ですが、それも時代のなせる事でしょうか。ここで再び古伝の業技法を味わって見ます。

◎ 英信流太刀打之位

1、 出会(仕打 相納刀) 是は互に刀を鞘に納めて相掛りにてすかすかと行、場合にて右の足を出しさかさまに抜き合せ、敵引く処を付込みて左足にてかむり右足にて討込む也。此の時敵一歩退き頭上にて十文字に請け止むるなり。互に中段となり我二歩退き、敵二歩進み更めて五歩づつ退く也。納刀。詰合の発早の立業。

2、 附込(付入)(仕打 相納刀)  是も出会の如く相掛にて右の足を先にして場合にてさかさまに抜合せ、敵の引かんとする処を我左の足を一足付込、左の手にて敵の右の手首を取る、此の時は左下に引きて敵の体勢を崩す心持にてなすべし。互に刀を合せ五歩退き八相に構え次に移る。詰合拳取の立業。 

P36

3、 請流(仕打 相八相) 是は敵も我も八相の構にて行、真向へ討込也。(敵は待ち居ても相掛にても苦からず)敵十文字に請て又八相にかけて打込也。我其時左の足を一足踏み込て裏を止ると、敵又引きてかむる処を我其儘面へ突込也。敵其時横に払う也。其処を我体を開きかむり後を勝也。

4、 請込(請入)(仕打 相八相) 是も同じく相掛にても敵待かけても苦からず。請流の如く八相にかたきすかすかと行て真向へ討込也。敵十文字に請て請流の如く裏より八相に打、其処を我も左の足を出し請流の如く止むる也。敵其時かむりて表より討たんとする所を其儘左の肘へ太刀をすける也。(体を右に開き下より二の腕を掬い上げる也)

P37

5、 月影(仕下段 打八相) 是も同じく抜て居る也。相掛りにても敵待ちかけてもにがからず。敵八相にかたきて待ちかくる也。我は太刀先を下げてすかすかと行也。場合にて敵八相に打処を出合て互に押し合、又互に開き、敵打込む処を我左足を引き立ち直りて打込み勝也。(我左足を引きたる為、敵空を打ちたるを、我すぐにかむりて敵の真向に打込也。体互に開きたる時は脇構の様になる也)

6、 水月刀(仕中段 打八相) 是も相掛にても敵待かけても苦からず、敵の肩間へ我太刀の切先を指付てすかすかと行也。敵我太刀を八相にかけてなぐる也。其の時我すぐにかむりて後を勝也。詰合の水月刀に□(*やや?)同じ。

7、  絶妙剣(仕下段 打八相)(山川先生のには独妙剣とあり 曽田メモ) 是は我前へ切先を下げすかすかと行き、場合にて互に拝み打に討也。敵と我とは拳と拳と行合、其時すぐに面へ柄頭を突込勝也。相掛にても敵待ちかけても苦からず。仕は鍔ぜりとなるや右足をドンと踏み直に左足を踏み込て敵の拳の下より人中に当る也。打の構え不明なるも八相ならん。 詰合の眼関落。

8、 独妙剣(仕打 相八相)(山川先生のには絶妙剣とあり) 是も同じく抜也。敵待かけても相がかりにても苦からず。八相にかたぎてすかすかと行、場合にて打込也。其時敵十文字に請て、又我真向へ打込也。其時我又本の儘にて請け面へ摺り込み勝也。◎我請たる時は左手を刀峯に当て次に摺り込み勝也。五歩退き納刀次に移る。

P39

9、  心妙剣(心妙剣ともあり(山川先生伝書))(仕納刀 打上段) 是も相掛にても相手待ちかけても苦からず。敵は真向へかむり我鞘に納てスカスカと行也。其時我片手にて十文字に請る也。其儘に敵引也。すぐに我打込み勝也。気合大事也云々。最後に打込む時は敵の刀を押し除ける様にして左足を踏み込み敵の首根に打ち込む也。

△ 打込一本(伝書になし口伝あり)(留の打込なり)(仕打 中段) 双方真向に物打にて刀を合わし青眼に直り退く。 

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曽田本その2(5、英信流詰合之位重信流居合口伝書真詰合位)

P28

* この英信流詰合之位の文章は曽田本(その1)で既に「業附口伝 2詰合之位」で曽田先生が竹村静夫先生と実演したものと同じものです。2012年3月13日P68~P70

此の業解説には、曽田先生による線画が付随して動作を示唆しています。ここでは線画を省略します。

線画については、昭和38年1月の全日本居合道新聞に河野百錬第二十代宗家のレポートがあります。土佐山内家に伝わる居合図解(線画)の存在、それが20年ほども前に曽田先生の弟子竹村静夫先生から拝受したものと同一である事、等々の事が書かれています。これもその一部であるかはわかりません。

◎ 英信流詰合之位(重信流居合口伝書真詰合位)

1、  発早(仕打 納刀)(八相 伝書 曽田メモ)  是は互に鞘に納めて詰合て相向いに右膝を立て座する也。互いに左足を一足引きて倒様に抜合いする也(互に右膝へ抜付ける)。其の儘膝をつき仕太刀はかむりて面へ打込む也。此の時打太刀は十文字に頭上にて請け止むる也。互に合せ血振い足を引き納刀。

P29

2、 拳取(仕打 納刀)(伝書に舉取とあり誤ならん 曽田メモ) 是も同じく詰合て坐しさかさまに抜合すこと前同様也。我其儘左の足を踏み込み、敵の右手首を左手にて押へる也。後同断(血振納刀)

3、 岩浪(仕打 納刀) 是も同じく詰合て坐する也。前の如く左の足一足引てさかさまに抜合せ、敵よりすぐに我右の手首を左の手にてとる也。我其儘敵の右の手首を左の手にて取り、此の時右手に持てる刀をはなして相手の右肘の辺りに、右手を添えて我左脇へ引倒す也。刀を合せ血振い納刀。

P30

4、 八重垣(仕打 納刀) 是も同じく詰合て坐し、前の如く左足一足引てさかさまに抜合也。敵其儘我面を打つ、我又太刀の切先へ左手を添えて面を請くる也。それより立て敵すぐに我右脇打つを我其儘刀を右脇にさかさまに取りて此の時右足を一足引き請け留る也。敵又立ちて左の脇を打ち来るを我又左足を一足引きて左脇を刀を直にして請け止むる也。敵又上段より面へ打ち来るを我又右足を引きて上を請て、敵かむる所を我右足より附込み勝也。刀を合せ原位置に帰り血振納刀。

P31

5、 鱗形(仕打 納刀) 坐り方同前、左足を一足引きて抜合す也。其時敵すぐに我面へ上より打つ也。我もすぐに太刀の切先へ左の手を添えて十文字に請て、左の足を踏み込み摺込み勝也。刀を合せ血振い納刀。

6、 位弛(仕座納刀 打左上段) 是は敵は立ち我は坐する也。敵は太刀を抜てかむる、我は鞘に納めて右片ひざ立て坐する也。敵すかすかと来て拝み打に打也。我其時あたる位にてすっかりと立ち其儘左足を一足引きて抜、敵に空を打たせ同時に右足を一足踏み込み面へ切り込み勝也。 
○仕太刀はこの時刀を合わせ五歩退きて血振い納刀。
○打太刀は其の位置にても五歩退きても苦からず。
    

P32

7、  燕返(仕納刀 打左上段) 是は敵も我も立也。敵は刀を抜てかむる、我は鞘に納めて相掛にて行く也。場合にて敵我面へ打込む也。我其時右片手にて抜き頭上にて請け、すぐに左手を柄に添え打込む(右側 曽田メモ)也。敵又表より八相に払う也。我又すぐにかむりて打込(左側 曽田メモ)也。敵すぐに裏より八相に払う也。我又すぐにかむりて敵の面へ打込む(左足を一足踏み込 曽田メモ)也。其時敵後へ引我空を打つ也。其時我切先を下へ下げ待也。敵踏み込みて我真向へ打込むなり、我其時左足より一足退り空を打たせ同時にかむりて一足踏込み敵の面へ勝也。互に五歩退り納刀後、再び刀を抜き相上段にて次に移る。

P33

8、 眼関落(仕打 上段) 是も互に立ち敵も我も真向へかむり相掛にてすかすかと行き場合にて互に拝み打に討也。其時敵の拳と我拳と行合也。其時我すぐに柄頭を敵の手元下より顔へはね込み勝也。(右足をどんとふみ急に左足を踏み込む也。互に五歩退き納刀以下同上)

9、 水月刀(仕打 相上段) 是も同じく立合て真向へかむり相掛にても敵待かけても苦からず。我真向へかむりてすかすかと行、場合にて太刀の切先を敵の眉間へ突き込む様に突く也。其時敵すぐに八相に払う、其時我すぐにかむり敵の面へ切込み勝也。互に五歩退り血振納刀以下同上。

10、 霞剱(仕打 中段) 是も互に立合也。敵待ちかけても苦からず。互に青眼の儘スカスカと行き、場合にて互に拝み打に討也。互に太刀の物打ちのあたり合たる所を(中段に直る)、我其儘左足を踏み込み裏より払い面へ勝也。

11、 討込(仕打 中段(伝書にはなし)(留の打なり) 右真之詰合十一本気合極大事口伝有り。仕打中段 双方真向に打ち込み物打を合わすなり。

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曽田本その2(4、英信流居合ノ形大江正路、堀田捨次郎著)

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◎ 4、英信流居合ノ形(大江正路、堀田捨次郎著)

(自分昔中学校時代二、三、四指導を大江先生より受けたる際は単に長谷川流ノ形と云て居たり  明治37年頃 曽田メモ)

* 明治37年頃曽田先生は明治23年1月生まれですから14,5歳でしょう。

◎ 無双直伝英信流伝書の業付とは全部不合也(大江先生の独創ならん)曽田メモ

○ 「元来居合術は敵を斬る形なり、故に居合には形と云うものあるべからず、伝書に示さるゝ詰合之位、太刀打之位と云うべき也」曽田メモ

△ 1、作法

刀は左手にて鞘を持ち、親指にて鍔を支え、其の握りを腰部につけ四十五度の傾斜に下げ、右手は横腹につけ不動の姿勢となり、互に十尺程の距離を取り対面し一礼を行い、更に五尺程の距離に進み神殿に向い黙礼をなす。更に向い合い静に正座す、刀を右手に持ち代え前に五寸程離して置き、互に両手をつき礼を行う。(註 之れは刀に対する礼ならん 曽田メモ)。

一応、両手を膝の上に置き、右手に刀を持ち腰に差し、再び両手を膝の上に置き、更に左手にて鞘を握り拇指を鍔に添え、右手は其儘右足を前に出し其の足を左足に引き揃え直立す。次に左足より互に五歩退く、止まる時は右足を前に左足は約五寸程引踏む。此の構にて互に進み出でゝ第一本目を行う。

p24

1、 出会(立姿、納刀 曽田メモ) 打太刀は柄に手をかける、仕太刀も打太刀の如く柄に手をかけ、双方体を少し前方に屈め、虎走にて五尺の距離に出て右足を出したる時、膝の処にて打は請け、仕は抜打にて刀を合す、仕は直に右足左足と一歩摺り込み上段より真直に打ち込む、打は左足より右足と追足に退き刀を左ななめにして受け、仕は二歩退く、打は二歩出て中段の構えとなり残心を示す。之より互に五歩退き元の位置に帰り血拭い刀を納む。

2、 拳取(立姿、納刀 伝書による附込なり 曽田メモ) 一本目同様虎走りにて出て膝にて抜き合せ、仕は左足を打の右足の側面に踏み込み左手にて打の右手頚を逆に持ち下へ下げる、打は其儘にて上体をやや前に出し、仕はそれと同時に右拳を腰に当て刀尖を胸に着け、残心を示す、仕は一歩退く打は一歩出て青眼の構となる(仕は五歩青眼にて退り打は其の儘にて位置を占む)

3、 絶妙剣(相八相 伝書による請込なり 〇之は請込のことを記せり 曽田メモ) 打は其儘にて左足を出し体を斜向に八相となり、

P25

仕は青眼より左足を出して八相となり、仕は其の儘右足より五歩進み右面を斬る、打は八相より左足を引きて仕の太刀と合す、仕は左足を出し打は右足を引きて前の如く打ち合せ、打は左足を引きて上段構となり斬撃の意を示す、之れと同時に仕は右足を出して右半身とし中腰となりて左甲て(? 曽田メモ)を斬る、静に青眼になりつゝ打は三歩出て仕は三歩退く。

4、 独妙剣(相八相 伝書による請流なり ○之は請流しのことを記せり 曽田メモ) 打は其の儘にて八相となり、仕は青眼にて五歩下りて八相となる、仕は左足より三歩出て右足を踏み出し、打は左足を引きて3本目の如く打合せ左右と二度打合せ、三度目に左足より右足と追足にて一歩ずつ退き、かたなを青眼とす、打は右足より追足にて仕の刀を摺り込みて突を施し、上体を前に屈む、仕は突き来ると同時に左足を左斜へ代し上段に取り、右足を踏み変えて打の首を斬る、互に青眼となりて、打は三歩出て仕は三歩退り互に構えるなり。

5、 鍔留(打は中段仕は下段の構 伝書による月影なり ○之は月影のことを記せり 曽田メモ) 互に青眼の儘小さく五歩を左足より引き、打は中段となり、仕は其儘下段となる、互に右足より三歩出て

P26

打は右足を左足に引き上段に冠り真直に打下し、仕は右足を左足へ引き上段となり右足を出して打下し、互に刀合す、仕、打鍔元を押し合い双方右足を後へ引き右半身となり刀は脇構となりて刀尖を低くす、打は直に上段より右足を踏み込み仕の左向脛を切る、仕は左足を充分引き上段となり空を打たせ上段より頭を斬る、打は二歩出て仕は二歩退り青眼となり互いに小さく5歩退り血拭納刀、(打は仕の左脛を打つ時は中腰となり上体を前に流すなり)

6、 請流(納刀 立姿 大江先生独創のものなり ○之は秘書にはなし尚伝書口伝にもなし 曾田メモ) 刀を腰に差したる儘静に出て打は刀を抜きつゝ左右足と踏み出し上段より正面を斬り体を前に流す、仕は左足を右足の側面に出し、刀を右頭上に上げ受け流し、左足を踏み変え右足を左足に揃えて体を左へ向け、打の首を斬る、仕は左足より左斜へ踏み、打は左足より後へ踏み退きて青眼となり次に移る也。

7、 真方(打八相、仕上段 伝書による打込なり ○之は打込のことを記せり 曽田メモ) 打は五歩下り左足を出して八相となす、仕は青眼の儘左足より小さく五歩退き上段となり右足より交叉的に五歩充分踏み込み、

P27

打の真面に物打にて斬り込む、打は右足より五歩出て仕を斬り込むと同時に左足より右足と追足にて退り、其の刀を請け留める、互に青眼となり、打は一歩退り青眼の儘残心を示し、互に五歩引き元の位置に戻り血拭納刀。

8、  終礼 刀を納めたれば互に右足より出て四尺の距離を取りて左足を右足に揃え直立し、同体にて正座し右手にて腰の刀を抜き、前に置き互に礼をなし、更に刀を右手に持ち竪立とし、左手に持ち変え左腰部に当て右手は右膝の上に乗せ、其儘右足より立ち左足を右足に揃え互に三歩退り直立となり神殿に礼を行い、対向し三歩ずつ退り黙礼を行い左右に別る。  

*曽田先生は居合に剣道のような「形」はありえない「位」と云うべきだと主張されています。

この写しは、河野百錬先生の「無双直伝英信流居合道」昭和八年発行の第五節居合形之部、第一、無双直伝英信流居合之形、当流代十七代宗家範士大江正路先生述と多少文言の違いはあってもそのままです。

河野先生はこの大江・堀田先生共著の大正七年発行の「剣道手ほどき付録の無双直伝英信流居合術の由来、第八節 英信流居合の型」を掲載されたのでしょう。他に大江先生のそれらしき記述書は聞き及んでいません。

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曽田本その2(3、長谷川流奥居合立業抜方大江正路先生、堀田捨次郎先生著)

P19

◎ 長谷川流奥居合抜方(大江正路先生、堀田捨次郎先生著)

△ 立業

9、 行連(進行中右に斬付け又左を斬る) 直立体にて正面を向き、右足より数歩出て道場の中央にて左足を左横に踏出し、上体をやや 左横に寄せ、右足を右横に踏み出す時中腰にて抜き付け上段にて右を斬る、(このへん考えるべし合点行かず 曽田メモ)其足踏みの儘(? 曽田メモ)左横に体を返して上段にて中腰にて斬る。

10、 連達(進行中左を突き右を斬る) 右横へ右足を踏み体を右に避け、刀を斜に抜き左横を顧みながら刀を水平として左を突き、右へ体を変じて上段にて斬る。

11、惣捲り(進行中面、肩、胴、腰を斬る) 右足を少し出して刀を抜き、其の足を左足に引き寄せ右手を頭上へ廻し右肩上に取り左手をかけ、やや中腰にて(右足より左足と追足にて)敵の左面を斬り。

直に左肩上に刀を取り追足にて敵の右肩を斬り、再び右肩上段となり敵の左胴を斬り、再び左肩上段より右足を踏み開き敵の右腰を目懸け刀を大きく廻し体を中腰となして敵の右腰を斬り中腰の儘上段より正面を斬る。

P20

12、 総留め(進行中三四遍斬て納む)(放し討 曽田メモ) 右足を出して刀を右斜に抜き付け左足を出して抜き付けたる刀を納む、以上の如く四、五回進みつゝ行く也。最後の時は其の儘にて刀を納む。

13、 信夫(暗打ち)(異名なり 夜の太刀なり 曽田メモ) 左足より右足と左斜方向に廻りつゝ静に刀を抜き、右足の出たる時右足を左斜に踏み両足を斜に開き、体をやや右横へ屈め中腰となり其刀尖を板の間につけ左足を左斜に踏み込みて上段より真直ぐに斬る。

14、 行違(進行中正面を柄頭にて打ち后を斬り又前を斬る)  右足の出たる時(敵の顔面を柄頭にて)左手は鞘と鍔を拇指にて押へ、右手は柄を握りたるまゝ前方に伸ばし柄当てをなし、其足踏みの儘体を左へ廻して後方に向いつゝ抜き付、右手(? 曽田メモ)にて斬り、直に前方の右へ振り向き上段にて切る。

15、 袖摺返し(伝書にはなし 曽田メモ)(進行中抜き放ち刀を身(*左の身)に添え群集を押開き進みつゝ斬る) 右足の出たる時刀を静に抜き、直ちに右手は上へ左手は下へ胸の処にて組み合せ、足は左右と交叉的に数歩出しつゝ両手肘に力を入れて多数の人を押し分ける如くして左右に開き、直に上段に取りて中腰にて右足の出たる時前面を斬る。(右手を開く時は両手を伸ばす、肘の処を開くこと)

P21

16、 門入(進行中片手にて前を突き、後を斬り前を斬る) 右足の出たる時、刀を抜き、左足を出して刀の柄を握りて腰にあて、刀峯を胸に当て右足を出して右手を上に返し刀刃を左外方に向て(? 曽田メモ)敵の胸部を突き、其足踏みの儘体を左へ振り向け後へ向き上段にて斬り、直に右へ廻り前面に向き上段にて斬る。

17、 壁添(人中の事 曽田メモ)(進行中立止り両足を揃え上に抜き、直下に斬下し竪立に刀を納む) 中央に出て体を直立とし、両足を揃え刀を上に抜き、上段となりて趾先を立てゝ真直に刀尖を下とし斬り下し、其体の儘刀尖を下としたる儘血拭い刀を竪立として納む。

18、 受流し(進行中左足を右足の前に踏み出し身を変して請流す)(此の受流しは大江先生の独創のものにて伝書にはなし 曽田メモ) 

左足を出す時、其左足を右斜に踏み出し中腰となり刀の柄元を左膝頭の下として刀を抜き、直に其手を頭上に上げ刀を斜とし、体を左斜前より後へ捻る心持にて受け流し、左足を踏みしめ右足を左足に揃え、右拳を右肩上に頭上へ廻し下し、上体をやや屈めると同時に真直に左斜を斬る、揃えたる足踏みより左足を引き血拭納刀。

P22

(之は座業にて抜くべきものならん? 曽田メモ)

19、 暇乞(黙礼)(行宗先生の分にはなし 曽田メモ) 正座し両手を膝の上に置き黙礼し、右手柄に掛るや刀を斜に抜き付け上段にて斬る。

20、 暇乞(頭を下げ礼をする) 両手を板の間につき頭を板の間に近く下して礼をなし、両手を鞘と柄とに同時にかけ、直ちに抜き上段となり前面を斬る。

21、 暇乞(中に頭を下げ右同様に斬る)(極意の大事 曽田メモ) (両手を床につき軽く会釈するならん 曽田メモ)両手を膝の上に置き黙礼よりやや低く頭を下げて礼をして右手を柄に抜き上段にて斬る。

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曽田本その2(3、長谷川流奥居合座業抜方大江正路先生。堀田捨次郎先生著)

P17

◎ 長谷川流奥居合抜方(大江正路先生、堀田捨次郎先生著)

△ 座業

1、 霞(俗に撫斬りと云う) 正面に座し、抜き付け手を上に返し、左側面水平に刀を打ち返す。直に上段となりて前面を斬る。

2、 脛囲 長谷川流二番目に同じ

* 長谷川流居合抜方の大江先生、堀田先生共著の方法が抜けています。何か謂れがあったのかわかりません。

長谷川流居合(抜方と順序) 

2、 虎一足 正面に座す、静かに立ちながら左足を引きて刀を抜付くと同時に膝を囲う、此の囲いは体を左向き中腰となり、横構にて受止める事。此の体形にて刀を上段に冠り正面に向き座しながら斬り下すなり。血拭い、刀を納めは一番と同じ(膝を受け頭上を斬る)

* 刀の納めは「一番と同じ」、ですが。一番 「血拭い刀を納む。」

3、 四方切り   右足を右斜に出し刀を右斜に抜き刀峯を胸の処にあて刀を平とし斜に左後を突き、右側面の横に右足を踏み変へ上段にて切り、右足を左斜横に踏み変えて(受け返して打つ)上段となりて切り、右足を正面に踏み変えて上段より切る。

4、 戸詰(右を斬り左を斬る) 抜き付、右の敵を右手にて切ると同時に、右足を右斜に出す、其の右足を左斜横に踏み変えて上段にて左斜を真直に斬る。

5、戸脇(左を突き右を斬る) 右足を右斜へ出し刀を抜き、左横を顧みながら突き、足踏みは其の儘にて上体を右横に振り向け上段にて切り下ろす。

P18

6、棚下(頭を下げて斬る) 座したる処より前方へ頭を下げ、やや腰を屈し右足を少し出しつゝ刀を抜き、上体を上に起すと同時に上段となり、右足を踏み出して真直ぐ斬り下す。

7、 両詰(抜き放し諸手にて真向を突き斬る)(向詰の誤りならん 曽田メモ) 座したる処より右足を少し出して刀を抜き、柄元を臍下にあて右足を踏み出して前方を諸手にて突き、其の姿勢の儘上段にて前面を真向に斬る。

8、 虎走り(中腰となり走り抜斬又後づさりして抜斬る) 座したる処より柄に手をかけ、やや腰を屈め小走りにて数歩進み出て右足の踏出したる時抜き付け、同体にて座して斬る。(血拭納刀するや)刀を納めて二、三寸残りし時、屈めたる姿勢にて数歩退り左足を退きたる時、中腰にて抜付け上段となり座して斬る。

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曽田本その2(3、長谷川流奥居合抜方行宗先生口伝立業)

P16

◎ 長谷川流奥居合抜方(行宗先生口伝)

△ 立業(奥居合には順序なしと伝えらる)

1、 行連 右へぬきつけ左を切る。

1、 連達 左をつきて右を切る。

1、 向詰 柄頭を□(*腹)にとりて突きかむりて切る。

1、 四方切 四方切り。

1、 行違 柄頭にて前をつきふり返りて切る。

1、 信夫(暗打)夜太刀 切先を床につけ敵をおびきて切る。

1、 総捲り 五方切 総まくり、五方切りとも云う。

1、 袖摺返し(伝書にはなし 曽田メモ) 人をおしわけて切る(左足にてかむり、右足にて切る)。

1、 壁添へ(人中のこと) 四囲狭き所にて切る。

1、 追懸切 大森流十番と同じ、然れども霞みてかゝり右足にて突き真向を打つ也。

1、 総留 放し討のこと 総どめ。

* 是も口伝らしく動作の詳しい解説はありません。業名と短刀直入な添え書きで判断しますと、行連・連達・信夫・袖摺返しは大江宗家の業名と一致します。他の業も似ていますがやや異なるようです。次回以降に大江正路先生、堀田捨次郎先生著による奥居合の写しが始まります。

谷村派、下村派の業技法の違いは、伝書類から推し量る事は出来ないわけで、行宗先生の弟子の曽田先生にも違いを明瞭に浮かびだす事は出来なかったような気がします。

大江正路宗家の業技法を谷村派と一般には言われます。私は大江流無双直伝英信流と理解しました。

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曽田本その2(3、長谷川流奥居合抜方行宗先生口伝座業)

P15

◎ 長谷川流奥居合抜方(行宗先生口伝)

△ 座業(奥居合には順序なしと云えらる)

1、 霞 抜きつけかへしてかむり切る。

1、 脛囲 長谷川流二番に同じ。

1、 戸詰 右へぬきつけ左をきる。

1、 戸脇 左をつきて右を切る。

1、 四角・四方切り 四方切り。

1、 三角 後向に座し廻りて後を切る。右足を踏出して抜き左□(*鯉)口を握りたる儘胸にとり、右手刀尖を後に刃を上向けて両□(*腕)を組む。
長谷川流8本目(浪返し)と同じ様なるも身に添え右へふり廻り払い、後冠り切る也。

1、 暇乞 御使者切り二つ。

1、 虎走り 虎走り。

* 曽田先生は、この長谷川流奥居合座業の順番は無いと仰います。霞・脛囲・戸詰・戸脇は大江宗家のものと理合は一緒のようです。四角・三角ともに解説がわかりづらい。暇乞二つはどの様にするのか是だけでは解説が不十分でわかりにくいようです。かといって他所の伝書で対応するという事も有りますが、行宗派とは云えなくなってしまうでしょう。

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曽田本その2(3、長谷川流居合抜方 自叙、行宗先生派)

P13

3・ ◎ 長谷川流居合抜方(自叙)(行宗先生派)

* 無双直伝英信流立膝之部になります。

行宗派の長谷川英信流を自叙したと云うことですから、曽田先生の抜き方になります。

向身

1、 横雲 正面に座し抜き付け冠りて切る、血拭(振り)は刀を横に開きて納刀。踏み出したる足を引きて蹲踞の姿勢となるべし、但し浮きたる膝は其の儘也。

2、 虎一足 左足を引き右脛を囲いて切る。

3、 稲妻 左足を引き中身に(□上に)抜き付冠りて切る。

*中身に□上に抜き付?

右身

4、 浮雲 左向に座し、左足を少し引き立ち、同時に柄を左手にて下横に取り更に正面に向き直ると同時に柄をとりて左足を右足に搦(*からめ)みて抜き付(左に体をひねりて抜く)、中腰となる。此の時左手を刀峯に添え(正面に向き直る)、敵を引き倒して左腰外に正面の敵を切る也。

5、 颪(山下)、山下風 左向より正面に柄頭を以って当て(柄頭にて水月、右拳にて人中に当てる)、体を左に捻りて敵の胸へ抜付け引き倒して正面の敵を切る也。

* 此の颪の動作は現在の無双直伝英信流正統会の立膝之部颪とさして違わないようです。

左身

6、 岩波 右向より左足を右後ろの方に引きて、正面に向くや刀を抜きて左拳を腰にとり、右足踏出してやや切先上りに敵の胸乳の上を突き、引き倒して冠り正面を切る也。

7、 鱗返し 右向より正面へ中身の構えにて抜付け冠り切る也

P14

後身

8、 浪返し 後向より右足を軸として正面に廻り左足を引きて抜き付、後同断。

9、 瀧落し 後向にて敵鐺をとり上ぐる処を、右足を踏出して立ち、左足を進めて柄を胸にとり(柄に右手をかけ、胸にとりて、当てるなり)、右足を斜横に開き刀を胸にとり振り返りて敵を突き(同時に刀を抜き、此の処□を早く間髪を入れざる様)、其儘冠ると同時に右足を踏み込みて正面を斬り脛をつき納刀、足を引く(*立膝の納刀の蹲踞の右足の引き)。

10、 (抜打)(真向)(止めともいう) 大森流に同じ

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曽田本その2(2、大森流居合抜方3大江先生、堀田先生共著)

P11

◎ 大森流居合抜方3(大江先生、堀田先生共著)

8、 附込(俗に追切と云う) 正面に正座し、右足を少し踏出しつゝ刀を抜き、刀尖の鞘を離るゝ時、頭上に冠り右足を左足に引き揃へ直立体となり、右足より左足と追足にて前方へ一度は軽く、二度目は深く追い足にて頭上を斬る。

此の体勢より右足を後方へ引き、中腰となり更に上段構を取り、敵の生死を確めつゝ残心を示す(抜付より之れ迄は早きをよしとす)、此の残心を示したる体勢より自然、前方へ刀を下し、青眼構となる、此時右膝をつき左膝を立て全体を落す。

更に、同体にて右手を逆手に刀柄を握り、左手は左膝の上に刀峯を乗せ、血拭をなし、刀を逆手の儘同体にて納む。

9、 月影(左斜に向右真向に抜附ける) 前左斜に向正座、同体の儘右足を出し中腰にて刀を高く抜き付け、右敵の甲手を斬る。

同体にて左足を出しつゝ上段に冠り右足を出し、やや直立体にて敵の頭上を真向に斬り、刀尖を胸部に止む、血振納刀(右足を引き直立の儘)。

* 「刀尖を胸部に止む」あえて胸部にとあります。

10、 追風 直立体にて正面に向い上体をやや前に屈し刀の柄を右手に持ち、敵を追い懸ける心持ちにて随意前方に走り出て右足の出たる時、刀を首に抜き付、

直に左足を摺り込み出して、上段に冠り右足を摺り込み左足は追足にて、前面を頭上直立体にて斬り、刀尖を敵の頭上にて止め、血振左足を引中腰の儘納刀。

* 左足を摺り込み出す、右足を摺り込み左足を追い足。左右の足を踏み出すと云う文言を使っていません。

追風の真向斬りは敵の頭上(?頭の上では寸止めで斬っていません)で刀尖を止める。

この大江先生、堀田先生共著の「無双直伝英信流居合術の由来」は堀田先生の執筆です。大江先生が監修されていると云われますが、そうとも思えません。

P12

11、 抜き打ち 正面に座す、対座にて前の敵を斬る心組にて其正座の儘、刀を前より頭上に抜き上段に冠り体を少し前に出し、前面の頭上を斬る、血振(横に開く 曽田メモ)は中腰の同体にて納刀。

*この大森流居合抜方は、大江先生、堀田先生共著の「無双直伝英信流居合術の由来」を曽田先生による写しです。多少文言の違いはありますがそのままです。

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曽田本その2(2、大森流居合抜方2、大江先生、堀田先生共著)

P9

◎ 大森流居合抜方2(大江先生、堀田先生共著)

5、 八重垣 正面に正座す、右足を出し、左膝を浮めて中腰にて首に抜付け、左足を前方に踏み出し両膝を浮めて中腰の儘大間に上段に取り、前方真直に頭上を斬り下し此の時右膝をつき左膝を立て、同体にて長谷川流の血拭をなし、刀を納む。

P10

此の時敵未だ死せずして足部に切り付け来るにより右足を重心に立ち、直に左足を後へ引き体を左斜横構とし刀を右膝の前へ抜きて囲て敵刀を受け、更に体を正面に向け上段となり座しながら頭上を充分斬る。

6、 請け流し(足踏みは三角形とす) 右向となりて正座し、敵が頭上へ切り込み来るを右斜横に左足を踏出し中腰となりて刀尖を少し残し、

左膝に右黒星を(? 曽田メモ)付け抜き、右足を体の後に出すと同時に残りが刀尖を離れて右手を頭上に上げ刀を、刀を顔面にて斜とし刀尖を下げて請け流し、

右足を右横へ摺り踏みて左足に揃へ、左斜向に上体を変へやや前に屈し、刀の右手にて左斜の方向に敵の首を斬り下し、下す時左手をかける、

血拭は同体より左足を後方へ引き、右足はやや前方へ屈し膝頭を前に出す、其膝上に刀峯を乗せ、右手は逆手に柄を握り、其儘静に納刀。此の時暫時体を下し、左足の膝をつけるなり。

* 「左膝に右黒星をつけ抜き」 意味不明な文言です。

7、 介錯 正面に正座し、右足を少しく前へ出しつゝ刀を静に上に抜き、刀尖が鞘と離るゝや否や右足を後へ充分引き、

中腰となり刀を右手の一手に支え右肩上にて刀尖を下し斜の形状とす、右足を再び前方に踏み出し上体をやや前に屈し、刀を肩上より斜方向に真直に打下し前の首を斬る。納刀同前。

P11 次回 附込

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曽田本その2(2、大森流居合抜方1、大江先生堀田先生共著)

◎ 大森流居合抜方1(大江先生、堀田先生共著)

* 大正七年に発行された「剣道手ほどき」の付録で大江先生、堀田先生による「無双直伝英信流居合術の由来」を指していると思われます。

名称古伝と違うなり(*大江宗家により古伝の業名が幾つも替えられている事を指しています

記 総じて座業にて抜付けは二星を勝つ故に首に非ず拳なり 虎彦

1、 前 我体を正面に向け正座す、右足を出しつつ刀を抜付、前敵首を切り(? 曽田メモ)、更に上段にとり前面の頭上を真直に切り血振い納刀。

* 大江、堀田共著 1番 前 我体を正面に向け正座す、右足を出しつつ刀を抜付け前の敵首を切り更に上段になり同体にて前面の頭上を真直に切り、血拭い刀を納む。

2、 (右を二本線で消し 左身 に改めています 曽田メモ) 我体を右向に正座す、左足を出しつゝ左へ廻り敵首を切り、(? 曽田メモ)更に上段にとり真直に前面敵の頭を切る。

* 大江、堀田著 2番 右 我体を右に向け正座す左足を出しつつ右敵首を切る心組みにて抜付け、同体にて上段となりて前面真直に敵の頭を切る。
此左足を出したる時は右足の膝にて左へ廻る意を以って右足に体の重心を乗せ、左足を軽く出す事に注意すべし、血拭いは一番と同じ要領にて行い、左足を後部へ引き刀を納むる事。

曽田先生、大江宗家の首への抜き付けが気に入らないようです。

・ 夢想神傳流の大森流初発刀を壇崎先生は以下のように書かれています。

吾が前面に対座せる敵の害意を認識するや、機先を制し、其のこぶし又は顔面に抜付け、倒るるを真向上段より斬付けて勝つの意である。

・ 行宗貞義先生記録写しのP4 長谷川流 横雲 敵の拳へ抜付 二星を勝つ故に拳なり。拳に拘っておられます。P4 4月13日故行宗貞義先生記録写4

・ 居合根元之巻に示されるように「則ち霊夢の有る如く大利を得る。腰刀三尺三寸を以って九寸五分に勝事柄口六寸に勝つの妙不思議これ極意、一国一人の相伝也。」P76 3月17日免許皆伝目録その1根元之巻1

・ 柄口六寸事 敵の柄口なり。P132 4月4日居合兵法極意秘訣その9居合兵法極意巻秘訣5

・ 「忘るまじき事一つあり則柄口六寸也、柄口六寸実は抜き口の事に非ず極意にて伝る所は敵の柄口六寸也。かまえは如何にも有れ敵と我と互に打下すかしらにて只我は一図に敵の柄に打込也。うまうまと振ふて右の事を行う事秘事也是神妙剣也」P131 4月4日居合兵法極意秘訣その8居合兵法極意巻秘訣4

・ 詰合は二星につづまる、敵の拳也、二星一文字と云時は敵のこぶしを抜払う事也。惣じて拳を勝事極意也。P100 3月27日居合兵法極意秘訣その7英信流居合目録1外之物の大事

柄口六寸と二星 古伝が伝える極意は柄口六寸と二星(拳)への一撃のようです。大江宗家は此の事にも手を加えられたようです。其の割には発行された根元之巻は古伝のようです。特別の思いがあったのでしょうか。

3、 (右身 曽田メモ) 左へ向きて正座し右へ廻り右足を出して首に(? 曽田メモ)抜付け上段にとりて直に頭上に斬り下す。(* 血拭いは右足を後方に引き刀を納む)

4、 後 後へ向き正座す刀を静に抜きつゝ両脚先にて左へ廻り(? 右膝頭を軸とし左爪先きを床につけ左へ廻る 曽田メモ)正面へ左足を出して首に(? 曽田メモ)抜き付け同体にて上段より前体頭上を斬る。

* ここは大江、堀田共著の動作は2番目の右の廻り方と異なり疑問です。両爪先で左へ廻ってみましょう。

以下は次回にします。

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曽田本その2(2、大森流居合抜方 自叙 行宗先生派)

P7

◎2.大森流居合抜方(自叙)(行宗先生派)

* 行宗先生派のところでは、行宗先生流と初めに書き、次に行宗先生型として最後に行宗先生派とされています。

1、 前身(初刀又初発刀) 正面に坐し抜き付け冠りて切る也。血振いを為し右足(踏みだしたる足のこと 曽田メモ)を引き納刀、膝をつく。

2、 左身(左刀) 右向きより正面に抜き付け冠りて切る也。同断。

3、 右身(右刀) 左向より正面に抜き付け冠り切る也。同断。

4、 後身(當刀 後刀) 後向きより正面に抜き付け冠りて切る也。同断。

5、 進退(八重垣 大江派)(陰陽進退)ー(陽進陰退のことなり) 正面に抜き付けたる時、左膝を浮べ左足を踏み込むと同時に冠りて切り、刀を横に開き納刀、暫時左足を引き付くる也、此の時敵又切り込み来るを左足を引き右脛を囲い冠りて切る也。(脛囲の時抜き放ちても苦からず)、同断。

6、 請流(流刀、受刀) 右向にて敵正面より打ち込み来るを左足を踏出し、左肩先に請け流し右足を右斜に踏み出し体を変はして、右足を揃え(左足に)、右肩より切り下す、左足を引き逆手納刀。

7、 介錯(順刀) 正面に坐し右足を踏み出し抜き離れざる内に、右足を左足に引き付け刀を右肩にとり(右肩より)右足を踏み出して斜に切る。逆手納刀。

付箋 七本目、八本目の名称に就いて。山川久蔵先生の伝書には七本目を順刀、八本目を逆刀とある。参考のため記す。

P8

8、 順刀、逆刀(附込又は追切り 大江派)(追加逆刀、追斬) 正面に座し右足を踏み出して抜き(七本目と同じ)、右足を引き揃えて冠り、右足より継足に初めは浅く、次ぎは深く切り下し、右足を引き冠りて残心を示し、徐々に刀を下し逆手に血拭い納刀。

9、 勢中刀(月影 大江派) 左向より正面へ中腰にて掬い上げに敵の二の腕に抜き付け(敵の冠りたる甲手とも云う(上膊部)肘のことならん?)、左足より送り足にて切り、血振い中腰の儘納刀。

10、 追懸(追風 大江派)(乱刀 山川久蔵先生の伝書には虎乱刀とある) 走りながら抜き付け、左足を踏み込み冠り右足を踏み込み切る、血振い立ちたるまま納刀。

11、 抜打(又は「止め」とも云う) 正面向き両膝にて中腰にて抜き冠りて膝を進めながら切り付け(切り下す時膝頭を肩幅に開けば自ら進むものなり)、刀を開きて納刀。

血振仕方

切り込みたる後左手を腰にとると同時に右手肘を四十五度に開きながら曲げ手首を巻き込む心持にて、拳を右耳上に止め、横、下共四十五度位に刀を振り下ぐる也(拳を耳にとりて立ち振りたる時足を揃う)

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曽田本その2(三つの声と云う事)

P5

◎ 註 三っの声と云う事(武芸叢書)

戦より初めにかくる声はいかほどもかさを懸けて声をかけ、又戦う間の声は調子をひきひき底より出ずる声にてかゝり、勝て後あとに大きに「ふ」よりかくる声是三っの声也。

* 岩田先生の旦慕芥考では「ふ」を「腑」と( )書きされています。

・ 1 抜打 此の形を以って三角の曲尺とするは大いに不可なり

* 図省略 旦慕芥考P141参照

横一線の抜付のフィニッシュにおいて、切先が己の中心線にあり、右腕と刀の角度がほぼ90度、したがって敵の顔面に刀をぶつけた程度の抜付け

・ 此の形を以って三角の曲尺とするは独(*自分が思うに?)可也

* 是も図を省略 同上

横一線の抜付けのフィニッシュにおいて刀の切先は正面正中線にほぼ平行幾分外を向く。
岩田先生の図は正面正中線に平行とされて描かれています。したがって右腕と刀の角度は135度ほどになります。是ならば充分抜き切っています。

・ 凡そ居合術は曲尺を以って身体の所置手足の離合等を論ずるものなれば其宜しきに違戻すべ(* し

P6

か(* な)らず又常に行う時も行なはざる時も恒に身心を正しうすべし

居合術を学ぶ者は注意すべき点にして掲くれば左の如し

1、人と対談する時

1、多衆人の中に通路する時

1、暗夜通路の時

1、路の曲りを通行する時

古歌一首

剱とる道は数多に岐るれど 敵の心を我が物とせよ

* この項は曽田先生の覚書のように感じます。表紙にあるように「大森流 長谷川流居合術解」を発行される意図があったと思われます。

曽田先生のお弟子さんのメモ書きが残されている情報を頂きました。それには昭和19年頃「土佐居合兵法叢書」と題する出版の予定とのメモ書きが残されています。

参考に岩田憲一先生の「土佐の英信流 旦慕芥考」に掲載されている曽田メモ

ここまでの6ページ分、

「霊夢」と題した行宗先生が夢枕に立たれた逸話

無双直伝英信流居合術系譜。

及び河野百錬先生が記述された曽田虎彦先生指導要綱覚書。

河野稔著無双直伝居合術に対する曽田虎彦先生の所見

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曽田本その2(1.故行宗貞義先生記録写4)

P4

◎ 故行宗貞義先生記録写

△ 長谷川流

1、横雲 敵の拳へ抜付 (二星を勝つ故に拳なり)

1、虎一足 敵先に抜付

1、稲妻 敵打込拳へ抜付

1、浮雲 右脇より我柄を取来る時

1、颪 敵抜かけ来る処にて我右足にて敵の柄を踏み落す心にて胸抜付

1、岩波 敵真向にて左の方より我柄を取らんと両手を出す時我柄を左足の方へよげて敵の胸乳の上へ切先上りに突込む

1、鱗返し 敵は真向にて抜かんとかまえる力け声(け 此の字あるならん、ちからこえ 力声  曽田メモ)にてかくれがたくさま廻って抜付

  鱗返し(* 補足付箋) 敵の真向にて抜斬り懸らんとする力声にて逃ぐる遑なき(*いとまなき)を以てすぐさま廻りて抜き付くるならん

1、波返し 右同断

1、瀧落し 敵我鐺を取り上へ押し上げる処を前へ立抜く拍子に鐺にて当て突く

1、抜打

*此の長谷川流の解説で、岩波の部分は、岩田憲一先生の「土佐の英信流 旦慕芥考」では(貼紙にて不明)とされています。原本では貼紙は除けられますので上記の解説が読み取れます。したがって、岩田先生の曽田本は原本コピーであろうと思われます。

一本目の横雲の抜き付けは拳。

岩波の「我柄を左足の方へよげて」の部分は、これだけではよく判りません。曽田先生も(註在足の方ならんか?)というメモを付けておられますが、棒線でそれを消しています。動作は口伝によるのでしょう。

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曽田本その2(1.故行宗貞義先生記録写3)

P3

◎ 故行宗貞義先生記録写2

△ 大森流

1、前後左右 一本目より四本目

 1.初発刀 2.左刀 3.右刀 4.當刀 

  (山川久蔵先生傳書による *以下同じ

1、進退 五本目 ---5.陽進陰退

1、請流 六本目  ---6.流刀

1、介錯 七本目   ---7.順刀

1、順刀 八本目   ---8.逆刀

1、勢中刀 九本目  ---9.勢中刀

1、追懸 十本目   ---10.虎乱刀

1、抜打 十一本目 ---11.抜打

口伝

大森流は只業而巳(*のみにて)格別の書無し、業の起りも口伝にて何の業附の書無しと云う

* 行宗先生の口伝では、大森流は業名だけで、格別書き付けたものは無かったと云う事でしょう。

行宗貞義先生の師匠は下村派第14代下村茂市定です。13代が山川久蔵幸雅ですから既に曽田本の初めに書き込んだ「神傳流秘書」の「3、大森流居合之事P9、2012年2月17日」が存在しています。(文政2年1819年に山川幸雅が記述したものです)

行宗先生が之を見たか見ても無視して、事を優先して指導されたかはわかりません。

神傳流秘書 

大森流 一本目 初発刀 

右足を踏出し向へ抜付け打込み、扨血震し、立つ時足を前に右足へ踏み揃へ右足を引て納る也

伝書はこれだけですから、あっても無くてもよかったのでしょう。口伝によって土佐の居合の掟を指導されたのでしょう。

伝書によって業を研究するには、自流他流であろうとも、相当の修練を積んだ上で居合が判り始めた者が、それを読みこなしてようやく動作に反映させる事ができるものです。まるで素養の無い者が伝書を手にしても何も聞こえて来ないのは当然でしょう。電気器具のマニュアルのような訳にはいきません。

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曽田本その2(1.故行宗貞義先生記録写1・2)

◎ 故行宗貞義先生記録写

夫れ居合術は独技独行なるが故に其之を演ずるに当っては、まず己が胸中に敵を作り、敵の己に加えんとする機に先んじて以って勝を制することを学ぶべし。

△ 誓約

第一 師の指導すに従順なるべし。

第二 礼儀を重んじ長序の別を正し諸事の軽浮の行為なきを要す。

第三 猥りに他人の技芸を批評すべからず、常に己のが技芸の不足を反省すべし。

P2

◎ 故 行宗貞義先生

 前名 寿之助 彦太郎

     左源太 精次郎

     進之助 可納

     藤原貞義と云う

嘉永3年(1850年)戌年七月二日

高知県土佐郡江の口村に生る

◎墓所 高知市秦泉寺東□

万延元年(1860年)十月十四日に向髪角入の願い聞き届け被り、則祝儀相整たり。(年 11歳)

当時文武館に在りて森下氏の門に入て剣術を学び、亦、下村茂市氏の門に入て居合術を学びたり。

大正参年拾月四日没せらる

享年六十五才

◎行宗先生門弟中に(明治四十年頃入門)中山博道先生、堀田捨次郎先生見ゆ

* 此の「故行宗貞義先生記録写」については、岩田憲一先生の平成元年発行の「土佐の英進流 旦暮芥考」の末尾に掲載されています。この曽田メモが写されて、岩田先生の手元に渡っていたのだろうと思われます。

曽田虎彦先生は明治23年1890年1月9日生まれ、昭和25年1950年1月9日享年60歳没と、お孫様からご連絡を頂きました。

岩田憲一先生は大正2年1913年9月16日生まれですから37歳の頃に曽田先生は亡くなられています。岩田先生は昭和32年1957年44歳の頃、無双直伝英進流山本宅治先生に入門されています。曽田先生との交流は無いと云う事になりそうです。

この曽田メモを岩田先生が手にされた経過も昭和から平成への時の為せる業と興味を抱かせます。岩田先生亡き今お聞きする事もできません。いずれ書き込める事も出来るでしょう。

私の手元にある、曽田メモ(曽田本)は、曽田虎彦先生のご長男の土居龍彦様から「自分は居合はやらないので君が持っていてくれ」と手渡された職場の同僚の方を経て、その同門の方から原本を元に此の素読を託されています。山本宅治先生の流れを汲む方ですから縁と云うものは不思議です。

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曽田本その2(大森流長谷川流居合解説表紙)

曽田虎彦先生の書き残されたメモは、膨大な量と内容を持っていました。

恐らく、曽田先生は眼にした伝書は総て写し取って置かれたのでしょう。先生が眼にしていなかった書付類はまだ土佐に眠っているかも知れません。先の大戦で高知は爆撃にあって焼失してしまった多くの伝書類があっただろうとは思います。高知を外れた所に何か残っていないのだろうか、などふと思う次第です。

前回まで、2月9日からの4月9日までの2月分の書き込みは、曽田先生が手にされた古伝の写しでした。

これから書き込んでいく曽田本その2は、昭和46年頃曽田先生のご長男土井龍彦氏から「自分は居合をやらないから君が持っていてくれ」とある方がお譲りいただいたものです。其のメモのコピーが岩田憲一先生に渡って「土佐の英信流 旦慕芥考」の巻末に既に公開されているものでもあります。

しかし、ここで書き込むのは、曽田先生が自筆で書き込まれた総ての公開であって、岩田先生が引用された一部分ではありません。

曽田先生の師行宗貞義先生に手ほどきされた事など、居合を見詰めてこられた思いの幾つもが散りばめられています。

まさに「曽田メモ」と称する方が適切でしょう。

曽田先生は、此のメモに表紙をつけられています。

表紙

大森流長谷川流居合術解

故 行宗貞義先生

      門人 舊姓 土井事

無双直伝英信流下村派第十六代 

筆山 曽田虎彦 記

* 目次

1、故行宗貞義先生記録写 P1

2、大森流居合抜方(自叙)(行宗先生派) P7

3、長谷川流居合抜方(自叙)(行宗先生派) P13

4、英信流居合ノ形 P23

5、英信流詰合之位 P28

6、英信流太刀打之位 P35

7、英信流大小詰 P40

8、英信流大小立詰 P44

9、無双直伝英信流居合術系譜 P47

10、太刀打之位 P48

11、無双直伝英信流居合目録 P49

12、居合術 P107

・ 居合術の意義並びに修業の目的 P107

・ 居合の伝書開巻第一に P109

・ 居合術と剣道との関係 P110

13、無双直伝英信流居合術の伝統 P111

14、恩師行宗藤原貞義先生 P117

・ 武術叢書 P118

・ 武術叢書 三っつの声と云事 P119

・ 小詰(獅子洞出、獅子洞入の事) P120

・ 大詰 P121

15、居合術根元之巻 P122

16、霊夢 P128

17、大阪八重垣会幹事? P129

18、直心影流兵法目録次第 P136

19、神道無念流居合 P145

20、行宗先生より中村虎猪氏に授写したる中傳書写 P152

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曽田本(新聞書き込み)

曽田虎彦先生の新聞等の切り抜きのスクラップブックがあります。その記事にある文言に曽田先生は気に入らない所にメモ書きがされています。

少し拾ってみます。

・ 無双直伝英信流居合術 大阪居合術八重垣会 剣道錬士 河野稔 

* 此の切抜きは、雑誌から取ったものでしょう、無双直伝英信流の正座の部、立膝の部、奥居合居業、立業が納められています。内容から見て、河野先生の「無双直伝英信流居合術全」によったものと思われます。

「居合は剣道の一分派なり(分派にあらず 曽田メモ)古来より居合の勝負は鞘の内にありと称せられし如く、彼の剣道が刀を抜きて後敵を制するに対し、居合は寧ろ抜刀の以前に於いて、気を以って敵を制し、然る後刀を下すものなり」。居合は剣道の一分派にあらずといっています。

同記事中の傳統に於ける林崎甚助重信以下の系譜の最後が第十八代穂岐山波雄先生ですが其の後ろに??と18代について疑問としています。

更に、「大江正路先生に至り独創を加え正流に第十一代より(11代大黒元衛門清勝)二派に岐れたれば何れも英信流に属し居るも崩れを生じたり」と書き込みしています。

・ 立膝ノ部については「長谷川流ノ事」と大きく訂正されています。そのわざの一つ「瀧落」については、動作のありように異論を唱えています。

瀧落 正面より後向きに立膝に座し、左手にて鯉口を握りたるまゝ立ち上がると同時に左足を左斜後に退て(間遠なり 右足を少し踏みだす也 曽田メモ)

鐺を引き付け顔は左に向きて、(後の敵が刀の鐺を取るを鞘を、こねて、其の手を振りほどく)

左足を右足の前に踏み出し(間遠なり 右足を右斜に出すなり 曽田メモ)

刀を抜くと同時に左に振返り刀先の棟を胸部に当て(抜きたる時肘は両肩の線にて約直角に曲げ刀身を平に胸にそえて(刃が上にむくなり)振りかえりざま柄も通れと片手突きする。此の時上体は前にかゝり右足は右斜め後に爪先立てゝ踏込むなり 曽田メモ)

後に振向くや右手を延して突込み、直に右足を踏み越しつゝ刀を双手上段に振り冠り左膝をつくと同時に斬下し刀を開き納め終る。

・ 奥居合立業之部では 門入、受流

門入 正面に進みつつ、例に依りて鯉口をきり右手を柄に掛け右足を踏出して右拳を後方に引き(刀身は水平にして刀尖は鯉口の近くに)右足を踏出し、同時に右拳を前方に突込み左足を中心として左に廻りつつ諸手上段に冠りて

右足を大きく後方に踏込みて切り下ろし、更に左廻り(左足を中心として)には正面に右足を踏込みて切り下し 

(足踏みは右足を突きたる儘、左廻りに後方を斬り、又、右廻りに前方を斬るや。足踏みは替えざる事  曽田メモ)。納刀する・・。

* 大江宗家の方法も足踏みは其の儘だったようですが、河野先生の方法が無双直伝英信流では一般的になっているようですがさて・・・。

受流 大江先生独創

・ 英信流居合形 (大江先生独創なり 古伝の業にあらず 曽田メモ)

* 大江宗家が業を変えたことについては、疑問を持っているような感じです。

河野先生の業については「違う」といって飛んでくるような雰囲気です。

どれも、遠い昔の事で結論など出ている分けでもなし。なんとも言いようがありません。

どちらも、やってみて、自分なりに納得すればよい事です。現在の無双直伝英信流正統会は正統正流として時代の要請に合わせて変化したと受け止め、古伝は古伝として受け止めればいい事です。

冒頭の「居合は剣道の一分派」論の結論も何処にも見当たりません。

4月10日から曽田本の二巻目其の2に入ります。

表紙は「大森流 長谷川流居合術解」 

故行宗貞義先生 門人舊姓土井事 

無双直伝英信流下村派第16代 筆山 曽田虎彦 記

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曽田本(豪雄曽田虎彦)

曽田虎彦先生はマメな方だったと思われます。それは、土佐の居合に関する新聞等の記事を切り抜いて残されています。

此処に昭和10年11月海□新聞(*海南新聞?)の記事があります。

土佐居合術の為に 万丈の気を吐く豪雄 曽田虎彦氏 傑物 行宗貞義の一の弟子」と題する記事です。

写真に曽田虎彦先生が載せられています。昭和10年(1936年)ですと明治23年(1890年)生まれですから46歳の頃かと思われます。刈り上げ気味の頭で額は広く少々進行しているようです。丸いメガネの奥の切れ長の眼はしっかりものを捉えているようです。

行宗貞義先生、曽田虎彦先生のプロフィールがよくわかりますのでこの記事を転載させていただきます。

土佐の居合術は英信流とて全国的に有名であり京都武徳殿においても特に英信流を日本武術の精華として尊重し中学校でも武道の教科目に編入しておる程だが現代この土佐居合術の代表的人物は何というても曽田虎彦であろう。

曽田氏の師匠は有名な行宗貞義である。行宗氏は西南戦争の時大尉として各地に転戦した剛の者だが後感ずるところあって断然軍服を脱ぎ棄て、一時看守長を勤めたこともあり、其の後ち零落して第二中学校の門監にまで成り下がっていた。

*行宗貞義先生は、嘉永3年(1850年)生まれ高知県土佐郡江の口村生まれ、大正3年(1914年)没せられ享年65歳

当時、二中の武術教師は桑山直澄氏であったが或時に行宗、桑山の居合取りが組まれ中島町に居合の古武士で名高かかった真田翁がその居合を見物し、行宗氏の妙義を嘆賞して、二中に行宗がおる以上、桑山は教師たる資格がない早速やめろと言って、行宗氏が門監から昇格して二中の居合の先生となった、大江政治氏(* ?)の如きも行宗の足許へ寄りつけぬという評判で其の実力は大したものだった。

この居合術の神たる行宗氏には沢山の門弟があったが夫等数多き俊傑の中で行宗門下の五傑と称せられたのが曽田虎彦、鈴江吉重、弘田弘作、そして海軍大佐の伴次郎、中村虎猪などの人々であった。

これ等五傑の筆頭たる曽田氏は元二中の生徒で、行宗氏が一年から五年まで我子の如く教えたという一事をもって、如何に師の行宗が年少曽田氏の将来に望みを属していたかが判り同時に其の曽田氏が如何に居合術の神によって鍛錬せられたか想像することが出来る。

*曽田メモの中に、行宗先生門弟中に中山博道、堀田捨次郎先生も見ゆ(明治40年入門)と有ります、明治40年(1907年)ですから行宗先生57歳、曽田虎彦先生17歳となります。

果然その曽田氏は嚢中の錐として鉛脱し二中を卒業するや、高知武徳殿の助教師に抜擢せられ茲に師の衣鉢を継いだのである。

すなわち世間から見れば曽田氏は第二の行宗となったわけで堂々たる英信流の指南役に推しあげられた形となった。

そこで今一度行宗氏の実力を振り返って見る必要が出来た。何んでも明治40年頃であったが範士の中山博道氏が態々来県して行宗氏の弟子となり又三重県人で堀田捨次郎という柔道の範士も亦来県して行宗氏の門に入った。敢えて多くを語らずとも此の二つの事実は行宗氏その人の畏敬すべき其の妙技と実力とを極めて雄弁に物語っておるのではなかろうか。

*ここの中山博道が行宗先生の弟子となったところは一般には行宗先生は「県外の人じゃきに」と言って断り、板垣退助の紹介で細川義昌に起請文を入れて弟子入りしたとも聞こえています。曽田メモでは「行宗門弟中に中山博道、堀田捨次郎も見ゆ」です。

本年十月二十五日、日本古武道振興会の主催で明治神宮奉納会があり、土佐居合術の代表として曽田氏と竹村静夫氏が出席し帝都の檜舞台において英信流のために万丈の気を吐いた。

そして曽田氏と範士中山博道氏会見の節、中山範士は曽田氏を尊敬して先輩に対する礼を執り、刀の下緒を贈呈したのであった。かくて長谷川英信流七代の師範たる曽田虎彦氏は日本武道界において天下的人物たる折り紙を付けられたことを我等は土佐の誇りとして読者諸君と共に欣快の拍手を送る。

*長谷川英信流七代は聞きなれないものですが、第七代長谷川主悦英信から数えても満足な答えにはなりません。十七代としても数が合いません。下村派の系譜を曽田先生が書かれた物をですと、行宗十五代、曽田十六代となっています。

11大黒元右衛門-12松吉八左衛門-13山川久蔵-14下村茂市-15行宗貞義-16曽田虎彦

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曽田本(抜刀術)

曽田本の一巻目の最終章は、曽田虎彦先生の創案になる抜刀術五本です。

抜刀術(曽田虎彦私創研究中)

・ 1 真向斬撃 歩行うち、右足にて抜きつけ、次に左右何れにても受流して体を斜前にひらき、直に真向へ斬り下し、次に刀を開き血振納刀。足踏みは其儘也。     受流しは、左肩なる時は左足を右足の前に踏み出して受流し、次に左足を引きて冠り真向へ斬り下す也。又、右肩なる時は右足を少し左に寄せて受流し右足を引きて真向へ討込む也。

・ 2 追加斬撃 是も歩行うち、冠りたる敵の拳へ抜き付、左足を継ぎ足にて一度目浅く、二度目は深く斬下し、次に右足を引と同時に左手を切先に、刀を腰にとりて残心、左足を引きて刀を開き納る也。

・ 3 追加八相 是も歩行うち、抜つけに払捨て、左足を込みて左八相より敵右首根に。又、右足を込みて右八相より敵左胴に切り、次に左足より継足にて真向へ切り納刀前同じ。

・ 4 四方 是も歩行うち、右足にて抜き左足にて刀を半身に胸に添え、直に右足にて前方を突。次に左前を受ける心持にて左後を切り、右後を切り左前を切り納刀前同じ。

・ 5 弛し刀(*はずし刀) 是も歩行うち、切り懸り来るを、すっかりとはずして抜き、次に右足を一歩踏み込みて斬り下し、右足を引きて高山に構え、左足を引きつゝそろりと下し納刀前同じ。

* 以上の五本が研究されています。少し業手付けで動作を想像出来る方ならば演じる事もできるでしょう。

此の当時、このような創作の業がちょくちょく見られたのでしょうか。第十七代大江宗家の業の改変や番外に刺激されていたかも知れません。

曽田先生の教えを受けた、竹村静夫先生の逸話に「竹村さんという人は、一日一本ずつ替え業を作ってくるような人で、よく次から次えと考えつくものだ、とみんなで冷やかしたものだ。しかし、いくら替え業を考案しても、刀で戦った時代に替え業は出尽くしているのだから、ほんとうに新しい業にはならないと、いわれても当人はすごく真面目だった」

さて、此処までで、曽田本の一巻目を終了いたします。

是まで、曽田虎彦先生のご生涯が不明でした。

3月6日にブログにコメントがいただけました。

SODA のニックネームで投稿されております。

「Web検索していてたどり着きました。なんと、曽田虎彦は自分の祖父です(笑)
なぜ、検索していたかというと、「行宗貞義」なる方の写真(明治38年撮影 ガラス板のモノ)が出てきたからです。どうやら祖父の師匠だったようですね。

そしてそんな秘書があったとは・・おどろきました。」

突然の事に、しばし呆然としてしまいました。ブログの持つ恐ろしい程に広範囲に展開される情報が廻り合わせを新たにさせている典型的な事例の一つでしょう。

SODA様は出てきた行宗貞義先生の由来を検索中に、此のブログにお目が止まったと仰います。

お送りいただいた行宗貞義先生のお写真も、私の手元の写真と同一のもので恐らく原版でしょう。貴重なものを見せていただきました。

その後何度かメールの交信がありまして、曽田虎彦先生は明治23年(1890年)1月9日生まれ、昭和25年(1950年)1月9日にお亡くなりに成られたと云うことです。享年60歳と云う事が解りました。

このブログの曽田本英信流目録の冒頭に曽田先生のメモ書きに、「此の目録は昭和23年6月? 大阪 河野 稔氏へ伝授したり」とありました。無双直伝英信流第二十代宗家河野百錬先生に伝授された事をメモされているのです。お亡くなりになる一年半前のことのようです。

SODAさまのご尊父もご健在のようでお二人とも関東にお住まいのこと何よりでした。居合とは曽田様ご一家は皆様ご縁が無いようです。300年以上続いた曽田家の古文書など皆戦災で焼失されたとの事、曽田先生のメモ書きの通りでした。

SODAさま、改めてありがとうございました。

曽田本その1を終了いたします。

曽田本その2は、曽田先生が師行宗貞義先生から示された手ほどきの覚書、大江正路先生の業とそのポイントなどいずれ出版を意図した物とも取れるメモと思われます。

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曽田本(居合兵法極意秘訣その11居合兵法の和歌)

P143

◎ 居合兵法の和歌

* ( )内数字は「秘歌之大事」に掲載した日

・ 居合とはへちまのかわのだんぶくろ すっかりとしてみはどっちやら

・ 居合とは心を静め抜刀 抜ければやがて勝を取なり  (H2311・11)

・ 居合とは人に切られず人切らず 唯請とめて平らかにかつ (H2311・16)

・ 居合とは心に勝が居合也 人に逆うは非刀としれ (H2311・7、18)

・ 居合とは刀一つに定らず 敵の仕掛を留る用あり

・ 居合とは知った振りして突るゝな 居合の道を深く問うべし

・ 身の曲尺の位を深く習うべし 留ねど留る事ぞ不思議や (H2312・3)

・ いかに人腹を立つゝ怒るとも 拳を見込心ゆるすな (H2311・19) 

・ 寒夜にて霜を聞べき心こそ 敵にあうても勝を取なり (H2311・8,12・4)

・ 下手こそは上手の上の限りなれ 返すがえすもそしりはしすな (H2311・15)

・ 強身にて行当るおば下手としれ 鞠に柳を上手とぞいう (H2311・10)

・ 鍔は只拳の楯と聞ものを 大くもふとく無きはひがごと (H2311・9)

・ 無用なる手詰の論をすべからず 無理の人には勝って利はなし (H2311・9)

・ もとの我勝が居合の習なり なき事云はば身のあだとなる (H2311・7)

・ 餘多にて勝たれさりしと聞しかど 心明剱の太刀を楽しめ

・ 与(? 曽田メモ)風でる太刀を思い□(* 別本 はかる)べし

  無想の刀鍔はかまわじ 

・ 抜けば切る抜ずば切るな此の刀 只切る事に大事こそあれ (H2311・16)

・ 世は広し我より外の事なしと 思うは池の蛙なりけり (H2311・7,11・28)

・ 我道の居合一筋雑談に 知らぬ兵法事を語るな 

・ 待もする待っても留る事ぞ有 懸待表裏二世の根元

・ 世の中に贔屓へんばの有時は 上手も下手も人の云うなし (H2311・24)

・ 早くなく重くあらじな軽くなく 遅き事をや悪しきとぞ云 (H2311・5)

・ 狭みにて勝を取べき長刀 短き刀利は薄きなり (H2311・13)

・ 寝て居ても起て抜みよ放れ口に 突れぬ事は師匠なりけり

・ 金胎の両部と正に見へにけり 兵法あれば居合はじまる (H2311・26)

・ 道を立深く執心する人に 大事残さず大節にせよ (H2311・29)

・ 大事おば皆請取れとおもうとも 磨かざるには得道はなし (H2312・2)

・ 師に問はす如何に大事をおしゆべし 心をすまし懇ろに問へ (H2312・2)

・ 物をよく習い納と思うとも 心掛ずは皆すたるべし (H2312・1)

・ 後より伐るをはづるゝ事はなし 声の響を是と云う也 (H2311・12)

・ 目の前のまつげの秘事をしらずして とやかくせんと一期気遣う (H2312・7)

・ 目の前のまつげの秘事をしりぬれば 唯速やかの一筋のみち (H2312・7)

以上三十二首

右 田宮平兵衛業政之歌

干時文政四年辛巳歳秋七月吉日書之

坪内長順 印 印

山川幸雅自先生傳る

山川久蔵 印

右の通り相政□上口傳覚残らず相伝申しよって奥書件の如し

坪内清助殿

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曽田本(居合兵法極意秘訣その10居合兵法極意巻秘訣6)

P138

・ 1 介錯口傳 古代には介錯をこのまず、其故は介錯を武士の役と心得べからず。死人を切るに異らず。故に介錯申付らるゝ時に請に秘事有り。介錯に於ては無調法に御座候但し放討ならば望む所に御座候と申すべし。何分介錯仕れと有らば此上は介錯すべし作法に掛るべからず。譬え切損じたりとも初めにことわり置たる故それに非ず。秘事也。能覚悟すべし。

・ 1 他流にて紐皮を掛ると云う事。 仰向に倒るゝを嫌てひも皮を残すと云う説を設けたる見えたり。當流にては前に立所の傳有故に譬如何様に倒るゝとも、失に非ず。其上紐皮をのこすの手心何として覚らるべきや。當流にては若し剱皮かゝりたらば其の儘はね切るべし。さっぱりと両断になし少しも疑の心残らざる様にする事、是古伝也。

○ 介錯の時、麻上下の上に羽織を着る、血飛故也。それ故常に上下の上に羽織はきろう也。

P139

・ 1 太刀堅 甲冑帯したるとき人々色々と刀をからめ堅むる也。甚抜き難しここに太刀堅めとてよき堅一つ有、□(*別本では忍)の緒の如く中に布を入れ上を絹にて縫包み長け六尺計にて具足櫃に入れ置くべし。

刀の図 くわのこ(* ?)

○ さて、かの紐を腰に当て、右脇にて留め上帯をして其上帯一重にて彼の堅めの見えぬ様に覆い置く也。脇差は上帯皆へ常の如くに指すべし。さて、刀をぬくに自由に〆抜易し、或は切岸、亦は塀などを乗る時、刀を背おゝにも宜し。其儘刀を後に引廻し下緒を肩に掛て乗時はつかゆる事なし。此の堅め至て〆佳なり。

P140

○ 神妙剣 深き習に至りては実は事(業 曽田メモ)□(*サ)無し。常に住座臥に之有事にして二六字中忘れて叶わざる事なり。彼れ怒の色見ゆるときは直に是を知って怒を抑へしむるの□知(*頓知 別本)あり。。唯々気を見て治むる事肝要中の肝要那也。是戦に至らしめずして勝を得る也。去りながら、我臆して誤て居る事と心得る時は、大に相違する也。兎角して彼に負けざるの道也。止事を得ざる時は彼を殺さぬ内は我れも不死の道也。亦、我が誤らも曲げて(* 誤りも曲げて 別本 誤おも曲げて)勝には非ず。誤るべき筋なれば直に誤るも勝也。彼が気を先に知てすぐに応ずるの道を神妙剱と名付けたる也。委しくは書面にあらわし尽し難し。心おぼえの為に其の端しを記置く也。

・ 1 雷電刀三之構 図あり

・ 1 同 雷電刀極所 図あり

* 此の居合兵法極意秘訣、居合兵法極意巻秘訣は次回の居合兵法の和歌と続いて締められています。

和歌についての解釈は大方既は昨年行ないました。ここでは32首が書写されています。

10首は今までになかったものです。今回は詠んでみるだけに留めます。何れ此の曽田本の初めに写されていた「抜刀心持引歌」とあわせ極意の秘歌の続きとして、掘り下げてみたいと思っています。

此の曽田本の一巻目は最後に(曽田虎彦私創研究中)とカッコ書きされた「抜刀術」の業が五本最後を飾ります。此の頃土佐の居合を研究された方は、替え業を道場に持ち込んで打っていたようです。

曽田先生の創意工夫の「抜刀術」と云うわけです。是も、素読しながら残欠木刀を持って、狭い居間で形を打っていると、家内に呆れられています。

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曽田本(居合兵法極意秘訣その9居合兵法極意巻秘訣5)

P132

・ 神心八相事 

○ 柄口六寸事 敵の柄口也

○ 軍場太刀

○ 手裏剱 他流にて敵に刀を投付たるを手裏剱と云う。當流にて云所は別也。敵の透間を見てかた手をはなして敵の面に突込むなり。亦、互にゆき合い片手をはなしのりにてすぐに突込む也。体は自然にひとえ身に成る也。敵太刀を下すと云へども我太刀にてからりと避る心持あり。鎗に突手なし、剣術に切てなし云是也。大い(*大イ事故 ?)事故に諸流共に突手は仕組(*仕□)にあらわさざるなり手裏剱と軍場の剱似たれ共心に甚違う。

○ 虎乱剱事 山野幽谷を通るとき虎狼など或は手負獅子など我を目懸てかゝり来るとき、場を見合せ前一方明て三方ふさがりたる穴の如く所に寄って膝を組、刀を抜き切先を向うにし、右脇へ引付て構べし。猛獣飛でかゝれば巳れと貫かるゝ也。柄を腹へ当てゝ真向うに構る事なかれ、猛獣のいきおいにて腹へ強く当り不覚と成る也。

○ 軍中首取様の事 敵の首を取るに咽の方へ刀をやりかき切るときは切れぬ物也。切れても手間を取るなり。先錣(*しころ)を上へ押上げ、うなじより刀を突立首の大骨を突切って後、刀を踏てふみ切って一方の肉をかき切るべし。故に上手の搔きたる首は二刀に切目手際に切れて有るとぞ。

P134

・ 1 柄口六寸 図

・ 1 手裏剱 亦我太刀を捨て取るも有り 図

・ 1 手裏剱 図

・ 1 軍場剱 図

P136

・ 1 虎乱剱 図

・ 1 軍中首取様 

以上

居合印可口受之覚え終

p137

・ 1 地獄捜(極意の大事の部に註釈あり) 

*曽田先生の写された図がありますが省略します。

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曽田本(居合兵法極意秘訣その8居合兵法極意巻秘訣4)

P128

・ 1 中夭之大事 

○ 眼脉之事(*がんみゃくのこと) 人意趣有って我を招く時か、或はぶっそう(物騒 曽田メモ)なる道を通らんとする時か、其外何ぞ気がかりに思へども行かずして叶わざる時、眼頭(まかしら 曽田メモ)を一寸押して見べし。常はくるくると火の散如くの物見ゆる也。押て火見えざる時は必つつしむべし。難に逢うしるし也。

P129

○ 小用之事 朝起て小用をととのうるに常は小用に泡立つ也。若し泡立たざる時は其日毒飼に逢うか何ぞ難に逢うと知るべし。

○ 口中の事 湯茶を呑む時、我影移らざる(映らざる 曽田メモ)は必毒飼か其外難に逢うと知るべし。

○ 亦曰、放し打(討 曽田メモ)など蒙ると云か、亦は先に盗賊など有に其道を行時か何ぞか様の事有時は、先ず我が手の内のいじいじとある形を見べし。其かた見へざる時はよくよく心を落しつけて(落ち付く 曽田メモ)後行べし。是我が心転動し闇まりたる印なり。

○ 亦曰、心の落かせ様(*落ち着かせ様)に習有。先口をふさぎ噛を呑み込みて心を静むべし。亦は小用を達すべし。能く心おちつく(落ち付く 曽田メモ)もの也。

○ 亦曰、難に逢事を知る事は前に云う也。知ても行かずして叶わざる事有。其時は道をかえ気を転じて行くべし。気転ずる時は自然に難も避る事有べし。道をかゆると(代る 曽田メモ)云うは本道を行所を行かずして脇の小道を行くに類なり。

P130

( 観音 弁財天 勢至 是三 尊具 足也 ) ー { 智 仁 勇 }

・ ( 雷電剱 神妙剱 軍場剱 )-{ 眼 心 足 }

○ 雷電刀は惣名也、すなわち柄口六寸也。変じて神妙剱となり、軍場の剱となり、智仁勇、備らざれば其事を(業 曽田メモ)行う事あたわず。智仁勇の三徳有と云えども、眼心足、能く利(きか 曽田メモ)ざれば勝を取る事ならず。故に図の如く配當せる也。

P131

○ 雷電剱諸流の剱術の教、皆以って我心を明かにして勝を取事肝要とす。当流の極意は表裏の違也。敵に向えば如何なる人も心はくら闇(暗 曽田メモ)と成るなり。其まほうくらやみ(真方暗闇 曽田メモ)の所にて一つ行うべき事有。すなわち柄口六寸の勝也。是当流の極意也。雷電刀は惣名にして変じては神妙剱となり軍馬の太刀と成るなり。

○ 柄口六寸の勝行う心持常の修行に習覚には手近云えば仕組の打太刀の心になるべし。打太刀より遣方に非を入れ、よく見ゆる者也。故にかさにかかるを嫌う也。がっさりと明て敵は只一うちと打込まするようにふるまう事大事也。かさに掛るの気はつかい形のとなるなり。工夫肝要なり心明鏡の事。

○ 神妙剱他流にて心を明にして、敵の働を見よと云うとは大いに違へり。生死のさかいなれば平気とは異り、然ども忘るまじき事一つ有り。すなわち柄口六寸也。柄口六寸実は抜口の事に非ず。極意にて伝る所は敵の柄口六寸也。かまえは如何にも有れ、敵と我と互に打下ろすかしらにて只我は一図に敵の柄に打込也。先我身を敵にうまうまと振るまうて右の事を行う事。秘事也是神妙剱也。

(猶深き口伝有奥に記 曽田メモ)

P132

○ 軍場の剱、鹿相成革具足(そそう成る 曽田メモ)は格別、惣じて甲冑は切っては中々切れ難し。況や心懸の武士は甲冑の札(さね 曽田メモ)堅きを撰て着する故に切っては却ってまけを取るべし。我も能き鍛の甲冑にて身をふさぎたれば、少しも恐無く、少々切られて成るとも、我は敵の面に突込べし。相下しに下す所にて、切先は面に残しすぐに突込むべし。返すがえす我は切られて敵をば突合点(つきがてん 曽田メモ)肝要也。

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上野のさくら

日差しは春の盛りですが、肌寒くて何を着て出かければよいのか迷うこのごろです。用事を後回しにして上野に出かけました。

開花宣言の出たはじめての日曜日なので、動物園口は何処から湧き出したのかと思う程に人で一杯です。

急ぐわけでも無いのに、習い性でしょう.前に人がのんびり歩いているとついつい追い越して自分のペースで歩きたくなります。

桜並木とは反対に、東京国立博物館へ「まぼろしの国宝ニッポンに帰る ボストン美術館 日本美術の至宝」というなが~い題の美術展へ出かけました。

見たいのは長谷川等伯の龍虎図屏風、それと曽我蕭白の雲竜図、どうしたわけかいつの間にか龍を見たくなりました。今年の干支が壬辰、龍だからかも知れません。

何時見ても中世絵画の虎は猫の化け物です。

蕭白の龍とにらめっこをしていますと以外に可愛い目をしています。いたずらっ子が叱られるのをわかっていながら悪戯をする、バレて困ったような眼です。

海を渡った絵巻に「吉備大臣入唐絵巻」と云うのがあります。吉備真備が入唐し幽閉され、無理難題を押し付けられた際、阿部仲麻呂が幽霊になって助けてくれた物語を絵巻にしたものです。平安時代後期のものといわれていますが、色彩も綺麗で絵本を見ているようで楽しいものです。是が一番請けている様で中々進まない所です。

進まないと、連れとおしゃべりが始まるものです。関西から来たのか、絵巻物の解説をして二人でおしゃべり。
「え!遣唐使も捕まって幽閉されたの」
「鬼に喰わせるんだって」
「鬼は阿部仲麻呂の幽霊だって」
科挙の試験では、阿部仲麻呂に連れられて、吉備真備は試験問題のカンニング。
「絶対カンニングよ、いい事です」

うるさいと云うより関西特有のイントネーションに釣られ面白かったほうです。前の人も関西の二人連れ、後も関西の二人連れ。

刀剣が数振り。来国俊の短刀を誰も見に来ないので独り占めです。

刃切れと断定されて鑑定を拒否された無名の短刀とあんまり変わらないなー。独り言です。

新装なった東京都美術館は、入館して迷子になって行きたい所に行くのが解らずうろうろするばかり。展示会場はガラガラですが食堂は人で一杯で順番待ちです。

上野の桜は、一分咲き。それでも花の下にはシートが敷かれお弁当を楽しんでいます。

最近は若い女性が多いようです。

「開花宣言の直後の上野の桜を見たって、自慢できる~」だそうです。

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曽田本(居合兵法極意秘訣その7居合兵法極意巻秘訣3)

P126

・ 1 二人一人之事  敵二人、我は一人にて仕合時は、二人の敵を向にうけて右方の敵に掛るべし気色を見せて左の敵を立廻すべし。右の方の敵後へ廻る時脇へ開きて左の敵を打つべし、心得なりはたらきはその時に有るべし。

・ 1 一人大勢之事 敵一人味方大勢の時は前後左右より取りまわし打つべし。

・ 1 多勢一人之事 敵大勢、我一人の時は、地利を第一と心得べし。地利あしくば敵を前一面にうくべし。はたらき心得は我左の方の敵を目当にたゝかうべし。敵後へ廻らばわれも左の敵に付後へ廻るべし。真中に取籠らば走りにぐべし。敵一度に来ぬもの也。其間に先立来る敵を打つべし。幾度もにげては打□(*々、た、こ?)すべし。

P127

・ 1 翔通之事 翔通る(*かけとおる)者は向様には打たれぬ也。我が前をやり過し敵の右方後より打つべし。

・ 1 倒臥之事 倒臥す者はあおのけに臥たらば首の方より打べし。首の方依らずば左の方より打つべし。左の方も寄らずば右の方より打べし。うつぶしにふしたらば足の方より打つべし。手負いて臥すか計にて(はかりごと 曽田メモ)臥かと知れがたき時は石を投付て見るべし。太刀刀を出すを見ると其儘打つべし。

・ 1 兵術嗜之事 武士は常に人に無礼すまじき事、無礼は敵の本也。つつしむべし。人と口論する共、詞をたしなむべし。いんぎんに慮外無き我に勝を置くべき事也。さて、夜中亦は旅道中、気遣の所行時は左右の袖に小石を入べし。持先々の勝有、秘すべし秘すべし。

P128

丸の中に一文字を描いた大小二つの図 

* 図省略

是は唯た一に帰せよと云う事なり。千変万化もついには一に帰す。修行鍛錬してよく其一を守るの外無し。其一とさす物は雷電刀柄口六寸の勝也。当流に主とする所は此外に無しと知るべし。

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曽田本(居合兵法極意秘訣その7居合兵法極意巻秘訣2)

P122

・ 1 細道之事 両脇難所、道無く行道一筋にて狭きを云う、け様の所にては敵は多勢、我は一人の時は利をみとむべし。其利は敵大勢有りとも、我を前後左右取廻す事あたわず。若敵前後より来る時は脇へ開きて敵を向うに受、我が左の方の敵に合うべし。若脇に浅き川池などあらば飛込んで打べし。我飛込と敵つづきて飛入物也。其間を勝事大事也。

・ 1 絶道之事 絶道の仕合は左右後の三方には道無、前には敵多有を云う。

P123

左様の地にては少しものがれんと思うべからず、死を本とすべし。伝云う両脇川池深田などの類にて、後は山なるときは去らず、退らずにして利を計るべし。両脇の内に山有て後池など有時は先の上へ登りて利をはかるべし。

・ 1 大道之事 敵小勢味方多勢のときは前後左右より取廻し打つべし。敵大勢、我一人の時は敵を向うへ一面にうくる吉し。然ども大勢は向う両脇より掛る、我其時右の敵に合よしに見せて左の敵に合。左の敵に掛る吉にて右の敵を打つべし。はたらく内に我が左の敵に付きて廻るべし。去れども敵大勢なる故、前後左右に取り廻さんとす。我其時、走るべし、敵追うてくる事大勢故一同に来たらず、先達ち来る敵を或は開て打、或は臥て打。又、にぐる吉、間を考べし。

・ 1 脇道之事 山川、岸堤、踏石、戸壁、障子の類はいづれも我が右の脇にうくべし。後にすべからず。

P124

・ 1 後用捨之事 山川、池沼、深田、石原、草原、後下りたる地、皆々後にすべからず。懸引不自由也。思わぬ負有。難所を後にうけば左へ身を開くべし。

・ 1 楷石壇之事 我平地へ近くば平地へ飛下り、敵を高みに置くべし。平地遠くば敵を下へおろし、我上に戻るべし。上る所を抜べし。

・ 1 城乗之事 ついじを右にうくべし、人の中に有ては働き自由にならず。はなれて居るべし。第一進み安。第二兵器の術自由也。第三に敵の矢をふせぐ徳有。第四に功名まぎれなく能き人に見るもの也。心得第一也。

・ 1 野町撃之事 野にては先敵の足を切る心吉し。町にては敵の首を切心よし。野にて足を切れば働きならず。

P125

声を出すといえども人家遠く助勢無きもの也。町にても野にても足を切れば追来る事ならず、色々心得有べし。

・ 1 隔門戸事(* 門戸隔つ事) 敵多勢我一人の時は利有、敵多勢有ども我をかこみて打事ならず。油断すれば敵他所より廻り来る事有、故に身を開て居るべし。

・ 1 戸壁障子之事 戸壁障子の有方に敵居時、我左の方に居れば敵の太刀刀は上段に構て切と知るべし。若し中段ならば突心得と計って我は前に引提構て出べき也。亦、敵我が右の方に居るは太刀刀中段にてなぐと心得べし。若し上段ならば打心得と知って身をしづめ前に引さげ出う(*であう)よし。大方しかけ知るゝ物也。能心得べし。

・ 1森林之事 惣身繁みの中にて太刀刀にて打はあしゝ、見合突べし。木枝にて眼突かぬ心得有るべし。木の根に爪づく事あり、心得べし。にげるふりをして敵を引出すべし。

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曽田本(居合兵法極意秘訣その7居合兵法極意巻秘訣1)

P119

7.居合兵法極意巻秘訣 印可部

従是兵術嗜之个條迠先生御註訳 (是より兵術の嗜み个條(かいじょう)迄先生御註訳)

・ 1 日中之事 日を背に受くべし、気盛になるの利有、亦敵日に向えば眼まばゆくして此方の色めを見る事成らず也。

・ 1 月夜之事 月夜には我は陰の方に居て、敵を月に向はすべし。我はかくれて敵をあらわす徳有り。

・ 1 闇夜之事 やみの夜は我が身をしずめて(沈め 曽田メモ)敵の形を能見透かすべし。兵器の色をはかるべし。若し難所有らば我が前に当て戦うべし。敵のすそを(裾 曽田メモ)なぐる心持ちよし。

・1 風吹之事 風は四季によりてかわる春風は地より空へ吹上る、夏は中を吹也、秋は上より下へ吹、冬は下を吹。

P120

右の心を以って風を背に受て働くべし。敵を風に向はせるように計るべし。眼くらみて先を見得ぬ也。家内にては自家なり他家にては壁を後か右にうくべし。戸障子を後ろにうくべからず。外より人来て悪し、ひびき驚くものなり心得べし。

・ 1 雨中之事 間の積り間を隔て頭をたれ敵の兵器 の色を見るべし。さて我が太刀は上段に構て敵のあおのく(仰向く 曽田メモ)様にはかろうべし(謀 曽田メモ)。

・ 1 雪中之事 地に雪の積りなば間を隔て敵の来るを待つべし。我行べからず、敵雪に辷 りころぶ物也。地に積らずは雨中の心得と同前上段よし。

・ 1 寒天之事 寒夜は手足冷え兵器持に不覚取落す事あり、故に口に生姜をふくみ手足に酒をぬりてよし。第一胡椒を一粒を二つに割り火にていり能く紙に包てほぞに(臍のところならん 曽田メモ)当て置くべし。手足こごえず。

P121 

丁子の油をわたにして印籠に入れ持つべし。手足にぬりてこごえざるなり。□(不明の字あり記入の事 曽田メモ)野往来の時ぬれば毒虫など近ずく事そうじて之無也。

・ 1 雷電之事 雷鳴時稲光を我が後へ受雷に敵のおくるゝ所打べし。

・ 1 相間之事 我と敵間た有時は、敵の来るを待って行べからず待に利有り。一には身をくるしめざる利あり、二には心どうせず、三には工夫する間あって吉、四に悪所に行掛らず、天利自然の利あり。されども我が待所あしくば前後左右に心を付利能し。

* この相間之事は其の儘でも感じはつかめますが、現代風に置き直して読むとより解り易いでしょう。

我と敵間、多くある時は、敵の来るのを待っていて、此方から行くべからず。待つに利がある。1には身を疲れさせない利あり。2には心が動かない。3には工夫する間があってよい。4に悪所に行き掛かることは無い。天の利、自然の利がある。そうではあるけれども我が待つ所が悪い所であれば前後左右に心を付けていれば利はある。こんな感じでしょうが、原文の方が心に響いてきます。

・ 1 山坂之事 高き方に居るよし。一に敵を見下し徳有、二に進むに行よし、三に我身上に有れば危き事なし。去れども、高き所足場悪しくば其所を去れ。

P122

去るに三つの心得有。第一後高方へ去は心を静め足を高く上ぐべからず。第二の左右へ開く時は心を動いて足を軽くはこぶべし。第三、前ひきゝ(*前低き)方へ行には風の発する如く早くとぶべし。敵したがって追はば左右へ開打つべし。亦敵高き方に居、我ひきゝ方に居るとも右の心得然るべし。

* 此の辺りは、孫子の兵法をよく学んでいた事が読み取れます。孫子は人間の究極に於ける集団行動の心理をよく把握していた兵法書です、個人戦にも応用の範囲は広いものです。

孫子については、此のブログでも平成10年12月から孫子のカテゴリーで取り上げておきました。現代では一般には孫子の語源になる熟語は知っていても全篇を通して読まれた方は少ないようです。緊張する世界状勢の中で、軍事ばかりでなく、経済、金融、食料、エネルギー、其の他の状勢を踏まえた時、読み直してみる価値はあるものと思っています。

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曽田本(居合兵法極意秘訣その7英信流居合目録秘訣4居合心持肝要の大事)

P111

4.居合心持肝要之大事 付大小指違之事

・ 1 居合心立合之大事 敵と立合兎やせん角やせんとたのむ事、甚嫌う。況や敵を見こなし彼が角(*このように)打出すべし、其所を此の如くして勝んとたのむ事甚悪しゝ。

先ず我身を土壇ときわめ何心なく出づべし。敵打出す所にてちらりと気移りて勝事なり。

常の稽古にも思あんじたくむ事を嫌う、能々此の念を去り修業する事肝要中の肝要也。

○ 大小指違と云は世人脇指を帯二重に指、刀を三重にさすなり。

P112

居合の方にては二重に刀を指し、三重に脇を差す也。敵に出合たる時、大小をすじ違えて脇差をば下し指しにして、刀を抜戦うべし。然るときは脇差の柄まぎる事無。亦、刀のさやの鐺はしる(* は子る)故に足を打つことなく働く自由宜し、常に此の如く指すべし。

・ 1 太刀組附位 互に太刀を打下し組付けたる所に勝あり、敵の太刀より遅きと見えても上太刀と成位あり唯肝要は拳也。組付たる処にて其気先(* 気、先にて。切先にて)にてすぐに突べし。

・ 1 太刀目附之事 敵の足に目を付けべし。是にて場合能く知るのみならず臆せざる也。是を「上見ぬわしの位」とも云なり、心は下に有って事さ上に速に応ずる、由断(油断ならん 曽田メモ)無の心なり。

・ 1 野中之幕 

P113

取籠物などの有の時、杖の先或は竹の先に又横手をくくり付け其横手を羽織の袖に通し、其竹の本を左の手に持て向へさし出し、右の手に刀を持ち生捕ならば木刀の類を持ち、我身は羽織の陰に隠し、羽織おば相手の方へつき付くべし。向より切ると云えども我身にはとどく事なし。其所を持たる刀にて相手の足を薙ぐべし。亦、矢玉を防ぐに至て宜し。(野中の幕図 省略)

・ 1 夜之太刀 夜中の仕合には我は白き物を着べし。敵の太刀筋能見えるなり。場合も能知るゝものなり。放れ口もなり安し。白き肌着などを着たらば上着の肩を脱ぐべし。かまえは夜中には下段宜し、敵の足を薙ぐ心得肝要なり。或は不意に下段になして敵に倒れたると見せて足を薙ぐ心得も有るべし。

P114

・ 1 閨之大事 旅などに泊る時夜中気遣かわしき時か、又、常にも用心有ときは、先ず笄隠しを用べし。笄隠しと云うは行灯の土器に楊枝を横に渡し笄を火の上にそっと置く也、火消たる如し、入用なれば笄を除くれば火明か也。

さて、其間に戸口あらばたたみを一枚はぎて其戸にもたせ楊枝をつかにして置くべし、外より戸を明くれば楊枝にたたみもたせて有故にたたみ速かに倒るゝ也。寝て居ると云えども其音に驚かずと云う事なし。

まだ急なるときは我は座の隅に座し寝床は座の真中に我が伏〆居如くに見せて置くべし。亦ゆるやかなる時は四方より糸を十文字に引渡し、

P115

其の糸を入口の戸に付け置て茶碗に茶を入れ其茶腕を糸の十文字の違目にからめ付我が顔を其茶碗の下へやりて寝べし。外より戸を明る時は糸うごく故、其水こぼれて我面に落る故驚くなり。是を寝間の寝覚めと云う也。

又、常にいため紙の水呑を拵て四方に穴を明て懐中すべし、右の茶碗の代に用る也。尤も、枕本に大小を置くことなく、刀の下緒に脇差の下緒を通し、刀の下緒の端しを手に持って寝べし。火急のとき大小を否や取って指すに宜し。

いため紙水呑、茶をかくる風袋の小き形にすべし、四隅に乳を付置くべし、水無き所にて、はるかに深き井戸、亦、谷水くむによし、長き糸を付けて瓶の如くに汲也。尤も、水呑の中に石を入れおもりにして汲む也。

(笄隠之図 省略)

P116

・ 1 泳之大事(潜りの大事 曽田メモ) 附戸脇 旅にても常にても夜寝るに気がゝり成る時は其家に戸樞(框ならん 虎彦註 曽田メモ)(* とぼそ、戸などの回転軸、扉・戸)などあらば其戸樞の内に手水鉢か亦桶の類にても置くべし、不意に入来る者は是につまずき騒動するなり。其所を仕留る也。惣じて首より先へ入をきらう足より先へ入るべし。

附たり 戸脇と云は夜中に戸口を入るに必内裏我を切らんと心懸て戸脇に振り上て居ると思うときは、直に戸口を入事無く杖などを持合たらば其れをちらりと内へ差し出し見べし。

P117

もし内に待ち設けているときは、夜中の事なれば必、其れに切付くべし。杖を出して見てかっちりと何んぞ当らば其儘内に飛入るべし。猶予否やする時は害有りかっちりと当るや否や飛入るときは二の太刀をかえすに暇無故害せらる事なし。

・ 1 獅子洞入 ・ 1 獅子洞出 是以って戸口などに入るの習也。其外とても心得有るべし。或は取籠者など戸口の内に刀を振上て居るときは、容易に入る事あたわず。其時刀を抜て背に負たる如くに右の手にて振り上げ左の手にて脇指を提げうつむきて戸口を入るべし。上より打込めば刀にてふせぎ、下をなぐれば脇差しにてし留る、向うの足をなぐべし。獅子洞出是以って同出入の心得を知らする也。

以上

居合目録口訣覚終(*英信流居合目録秘訣P97よりここまで

P118

・ 1 門入之図 省略   

・ 1 獅子洞入同 洞出之図 省略

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曽田本(居合兵法極意秘訣その7英信流居合目録秘訣3極意の大事)

P106

3.極意の大事

・ 1 暇乞 仕物などを云付られたる時など、其者の所へ行て四方山の咄などをして其内に切べし隙之無き時は、我が刀を取て「又近日」と立ちさまに鐺を以て突き倒し、其儘引ぬいて突也。又は亭主我を送て出るとき、其透間を見て鐺にて突たおして其儘引ぬいて突くべし。

・ 1 獅子王剱 是は事に非ず、我心に大丈夫を備うる事也。此の習何よりも肝要なり。此備無き時はせきて色々出る故、暇乞の類の術をもなすことならず、つねに能心に備うべし。形恭しくして心大獅子王の如くに有る事。

P107

・ 1 地獄捜 闇りに(*くらがりに)取籠り者など有るときの心得也。それにては惣て成らざるのみ(*夫而巳成らず惣而、別本 夫而已ならす惣而)、闇にて人をさがすの術也。

刀を身と鞘と半分抜掛て鐺を以一面にませ捜すべし(*ませ、まわすように?)、鐺に物のさわるを證にぬきて突べし。

亦、鞘口三寸計に切先を残し居ながら静かに四方へ廻してさぐるべし、九尺四方何事も知れ申。

・ 1 火村風(かそん 曽田メモ) 仕物などに行たる時、其物(者 曽田メモ)と物語などして都而(却而ならずや虎彦註 曽田メモ)色にあらわさず、扨、煙草盆を持出したらば其火入を取って打付けて然しておくれたる所を勝べし。亦、捕者などゆくに灰を紙につつみ其灰の中に石を入れ、「おんぶくの様」に(*?)持て相手の面に打つくるとパット開いて眼くらむ也。其所を捕る也。

P108

譬え開かず共、石を入れて打付る故、転んどうする(転倒 曽田メモ)也。或は此事を聞くさし(*ききくさし)捕手の役に行く密談に事よせ捕る仕組也。一人密談したるに脇より紙に灰を包み打つけるに紙しかと包て有りたる故、都而(却而にあらずや虎彦註 曽田メモ)不開をしぶくの如くなるものにて、面を打たる故、いよゝ(*いよいよ)相人きばりて(*気張りて)取急たると、是伝をしらざる故用に立たず。

・ 1 逢意時雨 火村の風に異る事無し、是は茶などを所望して其茶碗を取ってすぐに打付べし。又、自宅へ敵きたらば我れ茶を汲で持出て其茶を取らんとする手を取て引倒して勝也。

・ 1 外之剱 自宅、他家共に其座に有る物に心を付べし。箱の類にても、又はけさんの類(* ?)、盤の類にても之有る時は、我が量に叶うべきを計、其近所に座して透間を見て是を打つけべし。

P109

亦、常とても此心有るべし、其座に有るものゝ近所にざすべし、亦我が居間に是に有と常に心を用い置時は、時に至って利を得る也。

仕合など望まれたる時、向原の詞聞きたる上は由断(油断ならん 曽田メモ)すべからず。立合迄もなしすぐに何にても取って打倒すべし。又、「しなえ」などくみてあらば立合うまでもなし。居ながら取かえして打ころすべし。

・ 1 鉤瓶返(*釣瓶か) 座上にては刀をば抜いて置くこと当然也、然時に向うより切りかくるとき、ぬき合する間なければ鞘と柄とを取って鞘共に請て其儘引ぬいて片手打に切るべし。

・ 1 鉄石 旅などにて気遣しき所を通るには、石を袂に入れて行くべし。尤是に限らず用心を為さしめて行先は必石を袂に入行くべし。時に取って是を打つくる也。

P110

座上にても鉄石の心得有、あの(彼の 曽田メモ)者を切らんと思う時は其者の膝本(元 曽田メモ)のたたみなどをはたと敲くときは夫々に気をうつす也。其所を切ればきり安き者也。

・ 1 遠方近所 我に敵する者と見るときは、其の者の側に寄りて居る事肝要也。或は庭前の花にことよせ、或は掛物を見る体などして側に近よりて居べし。

刀に手をかけば其儘手を取って引倒すべし、間を隔てゝ居る故に不覚を取るなり。或は意趣有りて仕掛られ丸腰にて出合て不覚を取たる者も間々之有也。

是等も此習を得たれば、たとい丸腰なり共不覚をば取まじ、其故は「いや貴殿の短慮なり、能く合点せよ」などと云いて側に詰寄て居る時は、刀をぬけば引倒す故丸腰とても不覚は取まじきなり。

亦、大事の仕物九寸五分の合口などを指、近く居て思わぬ処で取って引寄、さしころす時はたしかに仕留る也。是□皆獅之王かんよう也。

・ 1 智羅離風車 手拭にても煙草入にても、向の面に投付けて「びく」とする所を切べし。又、刀を抜きて其手に扇などを持添て打込体にて其扇を投げ付「びく」とする所を打込勝也。

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雑音

静かな道場の空気を乱して、若いのが五人畳の道場に現れました。

柔道や空手、合気道とも違って柔道着でレスリングまがいの格闘をしています。試合がどうのとか聞こえてくるので近々あるのでしょう。

足音をどたどた無造作です。稽古中も無駄口を叩いて笑っています。

竹刀剣道や木刀による形稽古の気合や、床を踏み鳴らす音は何故か爽やかです。それに引き換えこの連中にはそんな「気」が微塵も感じられないのです。

堪り兼ねて、太極拳を一人稽古していたご夫人が、静かにして欲しいと頼んでいます。一瞬あっけに取られたように静まり返っていましたが、暫くすると同じです。

何時もの様に、業を繰り返し稽古し終えて帰り支度を始めます。

太極拳の御婦人が側へきて「あの騒々しさは気になりませんか」

「ああ 雑音ですね」

「精神の集中をされていて聞こえないのかと思いました」

「いいえ、稽古中はどんな音も聞こえています。只それによって集中力が散漫になる事は最近全くなくなりました。」

別に悟りを開いたわけでもないのですが、仮想敵を意識していますと其の事に集中して、其の事に無関係な状況は振り捨てられていると思うのです。居付いてしまうのとは紙一重でしょう。恐らく、彼らが私の近く3m以内に近ずくならば、即座に刀を退いているでしょう。

何年か前にダンスをされる方が初めて来られて、私の其の距離に入った時「此の刀は真剣です、3m以内に入らないでください」とお願いした事がありました。

最近は、そのような事をお願いする事は全くありません。きっとあの頃はへなへなと棒を振っているだけにしか思えなかったのでしょう。危険を感じる事なども無かったのでしょう

2,3ヶ月前のことです。創作ダンスを研究していると仰る30前後のご婦人と一緒になりました。

見詰めていたわけではないのですが、目線に飛び込んでくる見事に鍛えられきりりと引き締まった容姿、そして其のダンスがとても美しく気持ちが爽やかだったのです。

創作ダンスの話などお聞きしていますと、「私も時々見ていました。本当に切っているようで近くに寄れませんでした」と仰います。

褒められたのか、危険を感じさせていたのか、進歩したのでしょうか。

雑音は聞こえても気にならない、進歩したのでは無く歳をとってどうでも良いことに執着しなくなったのかも知れません。

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曽田本(居合兵法極意秘訣その7英信流居合目録秘訣2上意の大事)

P100

2.上意の大事

・ 1 虎走 仕物など云付けられたる時は、朱に此心得入用也。其外とても此心得肝要也。

敵二間も三間も隔てゝ座して居る時は直に切事あたわず。其上同座し人々居並ぶ時は、色に見せては仕損じる也。さわらぬ体に向うえつかつかと腰をかがめ歩行内に抜口の外へ見えぬ様に体の内にて刀を逆さまに抜きつくべし。

虎の一足の事の如しと知るべし。大事とする所は歩みにあり、はこび滞り無く取合する事あたわずの位と知るべし。

P101

・ 1 両詰 是又仕物など言付られ又は乱世の時分などには使者などに行左右より詰かけられたる事間々これ有也。ヶ様の時の心得也。尤其外とても入用也。

左右より詰かけられたる時、一人宛切らんとするときはおくれを取るなり、故に抜や否や左わきの者を切先にて突、すぐに右を切るべし。其わざ唯手早きに有。

又、右脇の者に抜手を留らるべきと思う時は右を片手打に切りすぐに左を切るべし。

*是は大江宗家の居業の部「戸脇」「戸詰」。立業の部「連達」「行連」と思われます。

・ 1 三角 三人並居る所を切る心得也。ヶ様のときふかぶかと勝んとする故におくれを取る也。居合の大事は浅く勝事肝要也。

三人並居る所を抜打に紋所のあたりを切先はずれにはろうときは、びくとするなり、其所を仕留る也。三人を一人づつ切らんと思う心得なれば仕損ずる也。一度に払うて其おくれに付込で勝べし。

P102

・ 1 四角 三角にかわる事無し。是は前後左右に詰合うの心得也。故に後ろへ迄まわって抜付る也。

*良い業です、奉納演武などで演じています。敵をびくとさせておいて一人ずつ切っていく

・ 1 門入 戸口を出入するの心得也。戸口の内に刀をふり上て待つを計り知ときは、刀の下緒のはしを左の手に取り、刀を背て(せおうて 曽田メモ)うつむきとどこおり無く走り込むべし。我が胴中に切かくるや否や脇指を以って抜つけに足をなぐべし。

・ 1 戸詰 障子或は戸を明けかけて内へ入ると云て入る所を、戸にて立詰んとするときは是を察して扇を敷居のみぞに入れ其扇のはしを脺(*膝)にて敷。然して内へ入るときはたて詰らるゝ事なし。

P103

・ 1 戸脇 戸の手前に立って居てあれえ通れと云て入る所を切らんと心懸るならば、つかつかと戸口を入体に歩み行て、柄にて胸を押しつけて然して引抜てつくべし。

亦、火急にて既に切かけられたる時は或は柄を以ってはらいのち早わざをきかすべし。亦、戸の内に人ありと思わば、戸口を直ぐに入る事なく、内に人の有る方に向て筋違て入るべし。

・ 1 壁添 壁に限らず惣て壁に添たる如くの不自由の所にて抜くには、猶以って腰を開ひしりて(* ?)体の内にて抜突くべし。切らんとする故毎度壁に切あてかもいに切あてゝ仕損ずる也。突くに越る事なし。就中身の振廻し不自由の所にては突事肝要。

P104

・ 1 棚下 二階下、天井の下などに於て仕合には上へ切あてゝ毎度不覚を取物也。故に打込む拍子に脺(*膝)を突いて打込むべし。此習を心得るときはすねをつかずとも上に當ざる心持有。

・ 1 鐺返 座して居る時、後ろより小尻を取りて押しあぐるときは刀を抜く事ならず、此時相手のひざ頭を踏み其のきおいに(*気負い・機追い、勢い)向うへたおれてぬき突くべし。

・ 1 行違 我左脇を通す宜し、切る事悪しと知るべし、行違さまに抜て突く事宜し、又、敵先に抜んとせば先んじて早く柄にて胸を突くべし。行違の詞の掛様の事大事有。

夜中に往来をするに、うさんなる者の有時は自分の姓名を急に呼かくべし、我に敵するものなれば「はい」と答るもの也。其の所を切るなり。旅などにては白昼にも此心得有るべし、又、何ぞ言を云かけて見るに、我に敵する気有者は必ず返答にあぐむものなり。

P105

・ 1 手之内 敵と刀を打合はするに合刀せずと云事なし。其合刀したる所にて敵の拳を押へて突くべし。

・ 1 輪之内 敵と打合はするに輪にならずと云事なし。上にて打合せ、亦、下にて合えばすぐに輪と成る。竪横皆同じ、其輪をはずして勝べし。

・ 1 十文字 敵と打合すれば輪と成り十の形となる、互に打合せたる所は是十の形ち也、其十の形に成たる所にて手を取れば勝也。

P106

手の内、輪の内、十文字は別の事ならず、皆一つに唱る事なり、外の事にはあらず、拳を取れと言う事の教也。

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曽田本(居合兵法極意秘訣その7英信流居合目録秘訣1外之物の大事)

P97

6. 英信流居合目録秘訣  先生口受の儘を記

外の物とは常の表の仕組より外の大事と云う事也。

* わかりづらい表現です。外のものとは、一般的な、常識的な表面上の仕組みではなくその外にある事に心を付けろとでも云うのでしょうか。読み進んで其の秘訣を会得してみましょう。

-外の物の大事-

・ 1 行連 左右 右を片手打に打ち左を諸手にて切事も有、是おば皆気のりにてする心持也。

歩み行く中ちに(*うちに)刀を抜我が左の方を突、其儘冠て右の方を切。是は敵を左右につれたち行く時の事也。或は我を左右より取りこめんとする時などの事也。

* 無双直伝英信流 奥居合立業之部 行連・連達に相当します。

P98

・ 1 連達 先跡 是亦歩行く内に向を刀の柄にて突き、左廻りに後ろえふり廻る拍子に抜打に後ろを切、又、初(*はじめ)柄にて突たる方を切。是は我前後に敵を連達たる時の事也。旅行などのとき盗賊など跡先つれ達時此の心行(え 曽田メモ)肝要也。

* 無双直伝英信流 奥居合立業之部 行違

・ 1 遂懸切 刀を抜我左の眼に付け走り行て打込。但 敵の右の方に付くは悪しし、急にふり廻りぬきはろお(抜払う 曽田メモ)が故也。左の方に付て追かくる心得宜し。

* 此の業は、現在は失念しています。大江宗家が置き捨てた業でしょう。文面から思うに居合とも言い難い感じもします。

・ 1 惣捲形十 竪横無尽に打振て敵をまくり切る也。故に形十と有也。常に稽古の格には抜打に切り、夫より首肩腰脛と段々切り下げ又冠り打込也。

* 是は 無双直伝英信流 奥居合立業之部 惣捲

P99

・ 1 雷電

・ 1 霞八相 

雷電、霞の二ヶ条當流極秘中の秘にして大事此外に無。

請流に心明らかにして、敵の働を見と云教有れ共、當流には雷電の時の心、亦霞ごしに見るが如くの心の所に大事の勝ある事を教る也。

夢うつゝの如くの所よりひらりと勝事有。

其勝事、疵無に勝と思うべからず、我身を土壇となして後自然に勝有。其勝所は敵の拳也、委しき(*くわしき)事は印可に有。

八相は四方八方堅、横自由自在の事也。故に常に事形の修練熟せざれば時に臨で其習い出る事無し。

(てきより先に抜くにあらず、雷電、手離剣、一刀八相分るゝ也  曽田メモ)

本文には教を広く云、亦曰八相に打下ろす所にて大事の勝有。則ち二星也。

P100

・ 1 大小詰の極意は霞蹴込につづまる、それとは敵の眼を我手を以って払う、敵おくるゝ所にて勝。敵手うごかし難きときは我頭を敵の顔に突付くべし。又は足にて敵の陰嚢を蹴る也。

・ 1 詰合は二星につづまる、敵の拳也。二星一文字と云時は敵のこぶしを抜払う事也。惣じて拳を勝事極意也。

* 手離剣 柳生新陰流の兵法家伝書にある手字種利剣などと同意でしょうか。解説は無いのでここではわかりません。土佐も柳生新陰流を抜きにする事は出来なかったはずです。

兵法家伝書では「手字種利剣の有無を見る」相手の動きを細かに見て、かくしもっている手の内を見極めると云うほどの意とあります。手字は「種(手)字は、敵の太刀打つ処を十字になるをいう(月之抄)。手裏(裡)見は手の内。

後に出てきますがP132「手裏剣他流にて敵に刀を投付たるを手裏剣と云う。當流にて云所は別也。敵の透き間を見てかた手をはなし敵の面に突込むなり。亦互いにゆき合に我は片手をはなしのりにてすぐに突込む也。体は自然にひとえ身に成る也。敵太刀を下すと云え共、我太刀にてからりと避る心持ちあり。槍に突手なし剣術に切手なし云是也。大イ(?)事故に諸流共に突手は仕組にあらわさざるなり手裏剣と軍馬の剣似たる共心に甚だ違う。」

軍馬の剣については後日とします。

 二星 一般的には天の川の牽牛星と織女星。是も柳生新陰流では刀の柄を握った両手の拳、其の動き。此の伝書の二星は敵の左右の拳。

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みぞれ

古いケヤキの方で、ハンマーで木を叩くような音がします。早いリズムで10秒間隔で辺りに鳴り響くのです。

近寄って見上げますと、コゲラが一羽ケヤキの幹を叩いています。デジカメでズームをしている間に裏側に回ってしまいシャッターチャンスはお流れです。裏に回るとコゲラが察するかのように表に回ります。見上げているうちに突然飛び立って里山の方に飛び去ってしまいました。

ケヤキはまだまだ冬籠もりの最中です。古くなった幹に幾つもの穴が開いているのが見られました。

昼頃までは晴れて温もりのある日差しに散歩していますとウグイスが鳴き出しました。「ホ-ホケキョ」もうしっかりと聞き取れました。それにしても随分季節遅れになってから鳴き出したものです。

空が一面の雲に覆われて雨が来ると思う間もなく、ポツポツと来て其のうちみぞれまでお付き合いしてきます。傘を持たずに出かけてきてしまったのでずぶ濡れになってしまいました。

何処かで雨宿りしていればいいのですが、散歩で温まった体は雨が心地よいと云う天邪鬼でした。

雨に濡れながら、先日女剣士に言い忘れた日本刀の持つ素晴らしい特性を思い出し、告げようか、余計なお節介をする事もない、など煩悶しつつ歩いて帰宅しました。

遅い昼食をとって暫くすると雨は嘘のように上がって、晴れ間がのぞいて来ました。もう春です。

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曽田本(居合兵法極意秘訣その6兵粮丸)

P95

5.兵粮丸

・ 1 蕎麦之粉 能く酒に浸て日に干しかため(堅め 曽田メモ)亦、酒に浸し干し堅め、三度酒にひたし(浸し 曽田メモ)干し申也。

P96

・ 1 白米粉にして

・ 1 人参和人参吉 たとえばそばこ(例えば蕎麦粉 曽田メモ)三匁に白米一匁、人参も一匁まぜ」(交ぜ 曽田メモ)合●(*直径1cm程の丸にする)是程丸米一粒を衣にかけて能く干し堅め持つべし。一粒服すれば二、三日飢ず是を食する時は気力常よりつよく(強 曽田メモ)勇力大いに増也。そばこを仙粒と云。米を寿延と云う。 但 粫米大いに吉(*粫米 もち米)。

◎ 平常の用心には人参入れずしても吉、旅行等に用意すべし。

・ 1 水に溺れ死たるを助るの法 臍の中に灸をすべし、亦、□(やまがら 曽田メモ)の黒焼きを水にて口へ流入るべし一時(二時間以内 曽田メモ)より内なれば必ず蘇る。

・ 1 手負い生死に医者無き時、早持つべし、1白馬の糞、1蓮肉二色香いろにあぶり(こげいろに臭うまでいることならん 曽田メモ)右に二味茶一服ほと湯にて早く用うべし、此の薬をうくる人は本服す、うけざる人は吐逆す死する也。

P97

・ 1 (? 曽田メモ)山中往来の時足の裏え「うづ」をきざみ水にひたしぬりて行く時は、足痛からず、はだし(洗足 曽田メモ)にてもいたまず(痛 曽田メモ)千里達者と申す也。

* 「うづ」 やまとりかぶとの根か?。リューマチ、神経痛などの鎮痛剤(広辞苑)

・ 1 陣中にて湯茶水酒などに我が影のうつらざる(映 曽田メモ)時は呑まじ皆毒也心得なり記。

右 長谷川内蔵助より段々申伝の由。

明和元申年霜月吉辰賜之 林 政詡 誌

*この項は、面白そうですが、試す程のものでしょうか。解りません。近代医学では一蹴されそうです。

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曽田本(居合兵法極意秘訣その5組討心持)

P95

5.組討心持

・1 師伝に云う軍中にて敵と組討の時、下に成りても早指副を抜、草摺をたゝみあげ差通よし。一刀指と必ずよわる(弱る 曽田メモ)もの也。さて首を早く捕傳(捕る傳 る 曽田メモ)は敵の首の骨に刀を突き立、我が足にて刀の宗(棟 曽田メモ)をつよく蹴て踏切るべし此の如くすれば早し。咽(のど 曽田メモ)の下より刀にて首をかき落すと思う人は頬當(ほうあて 曽田メモ)のすがに刀かゝり埒明き申さず候深秘すべし秘すべし。

* 曽田先生の添え書きが相変らずあります。江戸時代の当て字は面白いほどですがここにも幾つか。指副(差添)・差通(刺通)・指(刺)・宗(棟)

・ 1 軍中にて砥石無き時、古き瓦を求め能く焼きてさまし(冷し 曽田メモ)磨べし甚だ吉、秘すべし秘すべし。

此の項はここまで。

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曽田本(居合兵法極意秘訣その4林崎甚助重信)

P92

* ここからは、土佐の居合の流祖からその伝系の事が述べられています。江戸時代に日夏弥助繁高の著述になる千城小伝からの抜書きと思しき部分もあります。

流祖 林崎甚助重信・田宮平兵衛重正・長野無楽斎槿露・蟻川正左衛門・万野團右衛門・長谷川主税助・百々軍兵衛・荒井兵作 までの八名が語られています。百々軍兵衛が長谷川主税助の後になっていますが、是までの伝系とは異なリます。曖昧だったか意図的なのかどうか・・?。

・ 1 林崎甚助重信は奥州の人也、林崎明神愚を祈て刀術の精妙を悟ると云えリ、中興抜刀の始祖也。北条高時に仕る、長柄の刀に益有事を明神老翁に現し伝えしよし、始は神助勝吉ともいえるよし(云る 曽田メモ)。林崎明神とは奥州楯岡郡の林崎明神と云う有、鹿島大明神也。伝に曰く長柄の刀とて只長くする事にあらず、世人刀の鞘に空鞘する人有、是益無也。不用人也。同じ空せば一寸にても柄を長くせよ、敵に當り徳有べしと云う事也。それとも刀の柄は二尺三寸の刀にても柄を八寸にせよと也。

* 参考に千城小伝の林崎甚助重信

林崎甚助重信は奥州の人也、林崎明神に祈り刀術の精妙を悟る。此の人中興抜刀(イヤヒ)の始祖也。北條五代記曰く、長柄刀のはじまる仔細は、明神老翁に現じ、長柄の益あるを林崎勘助勝吉という人に伝え給う。愚(*ぐ、おろか)曰く、勘助は謄写のあやまりならん、五代記には勝吉と有り伝書には重信と有り、明神老翁に現じて伝え給うというは、鹿島の神をいえるか、伝書には奥州楯岡の近辺に林崎明神と云う神社あり、甚助此の神を祈りて妙脂を悟るとあり。

千城小伝は日夏彌助繁高による江戸時代の伝記 本朝武芸小伝という。

千城小伝は正徳甲午秋八月 葛盧 林信如 とありますから正徳4年1714年に書かれ享保元年1716年に版が起こされています。

林安太夫政詡が賜ったのは明和元年1764年です。千城小伝発行から50年経っていますのでこれを参考に写したのでしょう殆ど同じ内容になっています。

武芸太白伝による林崎甚助

甚助、名は氏賢、生国は相模、文禄4年5月10日より慶長3年9月15日にいたる7年間武州一ノ宮(今のさいたま市)の社地に住し、陰陽会合の理にもとづいて工夫をこらし、純白伝と号し諸国遍歴に上った。元和2年2月28日、武州川越の甥高松勘兵衛が施主となって享保元年7月20日、川越の蓮馨寺に墓碑を建て、良仙院一誉昌道寂心大信士の法号を彫り、生国鎌倉天照山光明寺の過去帖にも其の名を留めた。云々。

其の他講談にもあだ討ちの話など有ります。既に江戸期においても良く解らない人と言えるのでしょう。正式に大名などに仕えた人では無さそうですから、やむなしです。

居合振武会の「林崎明神と林崎甚助重信」の説も捨てがたいのですが割愛します。

P93

・ 1 田宮平兵衛重正は関東の人也、林崎重信に従い抜刀の妙を得たり。実に変を尽くし神に入り後に対馬と改む、其の子対馬守長勝父の伝を受けて同じく妙を得、池田三左衛門輝政公へ仕う。老年常圓と改め紀州大納言頼宣公え仕え八百石を領す。其の子掃部長家後又平兵衛と改む、此の人の弟子多くて諸国にて田宮流と云て末流多し。此の平兵衛は△大猷院様え召出さる。其の術を台覧備え奉り其の名を天下に顕す。其の子三之助朝成後常快と号す。其の子次郎右衛門成常、中納言吉宗公に仕え奉る。末流諸国に多し。

P94

・ 1 長野無楽斎槿露は田宮重正の弟子也、井伊侍従に仕え、五百石下さる。者の頭勤めるなり、九十一歳にて死すと云々。無楽斎弟子三ノ宮左太夫照信と云う有り、武田勝頼に仕え刀術の妙得たる人と申す。

・ 1 蟻川正左衛門は秀吉公に仕えし人也。

・ 1 万野團右衛門、是同じ秀吉公に仕う。

・ 1 長谷川主税助は後に蔵助と云う、尾州公え仕え千石領す、第一弓馬の上手也。諸国弓の伝、馬の伝、得たる人多し。

・ 1 百々軍兵衛は相知らずとぞ一説に金五中納言に仕人と申すよし。

・ 1 荒井兵作は関東の人浪人也。後清哲(勢哲 曽田メモ)と号す。

明和元申歳孟冬吉辰賜之

* 居合兵法極意秘訣は夫々同じ時に林政詡が賜ったと記されています。

再 明和元申歳孟冬吉辰賜之

*明和元年は1764年甲申の歳(きのえさるのとし)孟冬ですから10月吉日辰の刻ですから午前7時から9時頃に之を賜った、とされています。

この伝書は、この伝系から見ますと。林 政詡は第十代宗家林安太夫政詡の事でしょう。

最後に書かれている、荒井平作は第八代宗家荒井勢哲清信でしょうか。

従って第九代宗家林六太夫守政が第十代宗家林安太夫政詡に居合兵法極意秘訣として口授したものが第十代によって記され、後の下村派の山川幸雅が書写したのでしょう。

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曽田本(居合兵法極意秘訣その3居合仮名)

P89

3.居合仮り名

 1、向払 1、柄留 1、四方 1、向詰 1、二階下 1、人中 1、介錯 1、打払   1、弛抜 1、抜打 1、五方打

 1、肩敵之拳に當る

 1、右の手短  1、左のひじ長

 1、右の足にて太刀を下し左の足にて勝を取

 1、左の肩を向る事一手字

P90

 1、足一本の事

 1、峯谷二星 (*兵法家伝書に云う 二星、嶺谷と同じでしょう

 1、右におこり(起り 曽田メモ)左におこり(起り 曽田メモ)無刀の事

右のヶ條常に我が心中に能く覚るべき事也。

* 何かなぞなぞのような公案です、解説は無しです。

先師の咄(はなし 曽田メモ)の由、良知は耳に五音無きは耳の本体故に五音を聞て違(うこと 曽田メモ)無し、若し常に耳に一音も有れば五音違う故に五音無きを耳の至善とす。

口(くち)も五味無きは口の本体也、口に五味無き故に能く五味を別ち違う事無し、若し一味にても有れば違う、五味無くは口の至善とす。

人に善悪無きは心の本体也、善悪無き故に善悪を弁えて各あやまる(過る 曽田メモ)事無し、若し之有る時は善悪供に違う、故に善悪無を心の至善とす。かるか故に至善は心の本体也。

語に云う、好為す無く 悪為す無く 三之路に順じ 其善有者 其善を亡、適無、莫無、 義之と従う 亦云う 可も無く 不可も無し。

右居合兵法事形(業形 わざかたち 技型 曽田メモ)大よう(要 曽田メモ)覚候事、此の如く道理をも少し合点せざれば高位大名の師となる事あたわず。よくよく工夫有るべし。

P91

易に曰く無思、無為、寂然不動を感じて天下の故(*もと)を遂通す。

古詩に云う眼裏に塵り有り、三界□(○ス?ホク 曽田メモ、*?)心頭無き事一生□(*寛 別本読み)。

孔子曰く匹夫志奪うべからず。

以-心 伝-心 教外別伝

天-上 天-下 唯-我独尊

一‐月 萬ー水 二運有天

生死在命

麓なる一木の色をしりかほに おくもまだみぬ三よし野の花

(知り顔に 奥も未多見ぬ 三吉野の花 曽田メモ)

心妙中勇ノ位 不住之妙

荒礒海の波間かきわけかつぐ海士の いきもつきあへずものをこそおもへ

(磯 曽田メモ)

p92

慈円歌に (* 平安末期の僧、歌人 天台座主 俊成、西行と同時代 愚管抄を書く

柴の戸ににほわん花はさもあらばあれ ながめてけりなうらめしの身や

・ 1 夫刀術は専ら人に勝事のみを好むにあらず、大変に臨で生死を明にするの術也、常に此の心を養い其術を修せずはあるべからずと古人云えリ、我が道を尽し、家法を以て命をする所、是刀術の極意とぞ。

林 政詡 誌(*第十代林安太夫政詡 誌(しるす))

明和元申歳孟冬吉辰賜之

*明和元年は1764年甲申の歳(きのえさるのとし)孟冬は10月吉日辰の刻です。午前7時から9時頃に之を賜った、とされています。

第九代林六太夫守政から老父物語として聞き書きしたのか、伝書を貰ったのかわかりませんが、之を解析するのは大変です。何度も声に出して読み上げていますと感じて来るはずです。

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つみ菜

暖かくなってきました。

暮れに蒔いておいたホウレン草が食べごろです。小松菜も生え揃ってきました。

此の暖かさが続くと忽ち花芽が出てきそうです。

何年も前に植えて置いたセリが随分大きくなってきました。冬の間、地面に這うようにしていた葉は、いかにも冬を耐えたように褐色かかった緑色ですが、この2,3日に伸びてきた葉は春の緑です。大きくなった葉だけ摘まんでかごに入れます。

ホウレン草と小松菜は、昼食のうどんに山ほど入れて若菜うどんとなりました。セリは夕食の胡麻和え、ゴマの風味とセリの匂いが歯ざわりよく幾らでも箸が進みます。

毎年の事ながら冬の寒さが厳しさを増すように感じます。今年は長い事寒気が居座ってしまい春一番も吹けなかったとか。

玉縄桜も3分咲きになりました。遅咲きのぶんご梅も一気に満開になってヒヨドリやら目白やら賑やかな訪問を受けています。

スイレン鉢のメダカもようやく水面に顔を出し始めて、野良猫が縁によじ登っては、爪にもかからないような小さなメダカに猫パンチをするらしくあたり一面水浸しです。

週末は雨で又寒くなるようですが、土の中が温まってきたので春の訪れは確実です。

暖かくなったらと、あちこちからの呼びかけに飛び出していく予定がどんどん組まれて来ます。

夕方から道場に出かけました。今年大学を卒業し社会人となる青年が来ていました。「もう直赴任です。何処へ配属されるかわかりません」

人生の内で何度か訪れる、時間待ちするだけの「ゆとり」の時間でしょう。一番よい時間です。そんな時もあったと振り返っていました。

又幾年かして、道場に戻ってこれる日もあろうかと門出を祝う詞も弾みます。何の持ち合わせも無いので、道場使用の回数券を一枚お餞別にしました。

素直で心優しい彼の旅立ちを喜んでいます。

春は、別れの季節でもあったのでした。

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曽田本(居合兵法極意秘訣その2當流申伝之大事)

P86

2.當流申伝之大事

・ 1 門戸出入の事、夜中うたがわしき(疑 曽田メモ)所にては(而 て 曽田メモ)先我足より先へ出すべし、刀鞘共にぬきかけて(抜き懸て 曽田メモ)我首の上にかぶりて(冠 曽田メモ)出入すべし、三方のわざわい(事わい わさ災い  曽田メモ)止るなり、其上は(は 曽田メモ)時々自分にのはたらき(自分 働 曽田メモ)有るべし。

・ 1 閨之事不案内なる所にて(而 て 曽田メモ)刀を抜鞘口三寸ほどのこし(程 残 曽田メモ)居ながらしずかに(静 曽田メモ)四方を振さぐるべし(探 曽田メモ)、九尺四方其のまゝ(儘 曽田メモ)何事もしれ(知 曽メモ)申し候。

* 曽田メモが頻発します、原文は漢字カタカナ交じりの一部漢文ですから、そのカタカナの読みに漢字を宛てているのです。朱書きです。

・ 捕者之大事二階住居ならば先仐(*さん かさ 傘)を持ち上るべし、はしご(梯子 曽田メモ)一足に踏上り、口にて右の仐をさっとひろげ(展 曽田メモ)見るべし、いなや(否や 曽田メモ)其時の考見(*考え見る)はからい(計らい 曽田メモ)にて打たおすべし(倒 曽田メモ)何にて(而 て 曽田メモ)も見合に器を持って上心よし、敵の色を見事也口伝有。(*見る事なり

P87

・ 1 山中などにて俄に湯を呑時わかし(沸 曽田メモ)様の事、金物なくても湯をわかす(沸 曽田メモ)事、茶碗にてもひ杓(桧杓 曽田メモ)にても水を一杯入、其上を布もめん(木綿 曽田メモ)手拭にても、紙ならば五枚ほど(程 曽田メモ)ふたにして(蓋にして 曽田メモ)つよき(強き 曽田メモ)焚火の上にてあぶれば(炙れば 曽田メモ)たちまち(忽ち 曽田メモ)湯と成る。口伝。水をひ杓(桧杓 曽田メモ)に汲ていっき(急な 曽田メモ)走る時も紙にても布にても包み行けば道にてこぼれず(□れず 曽田メモ)。

・ 1 暗夜気遣しき所を通時手頃の石を三つ四つ袖に入べし、何にても向に見る物を當る間敷を考て打付べし。先の勝也。驚所にて此方より切立、追散すべし。

亦三四尺程の鉄のくさり(鎖 曽田メモ)の先に五十目(匁 曽田メモ)程の玉を付けて持つべし。杖にても脇指のさや(鞘  曽田メモ)にても右のくさり(鎖 曽田メモ)を付て四方一面にふり(振り 曽田メモ)廻すべし、皆々敵を打払によし、第一は旅行には半弓を持べし。辻切強盗に出合時よし。

P88

・ 1 亦暗夜ころびたる(転び 曽田メモ)者をそつじに(卒時爾 曽田メモ)切事なかれ(勿 曽田メモ)、にぐる(逃る 曽田メモ)者をおわず(追はす 曽田メモ)。

夜は頭巾にても笠にても鉢巻にても必々すべし。向よく見ゆる也(ゆ 曽田メモ)。気遣敷所(*きずかわしきところ)ならば鼻紙を一條水にひたし(浸し 曽田メモ)鉢巻の下に冠るべし。くさり(鎖 曽田メモ)頭巾よりつよき(強き 曽田メモ)物也。中々太刀にて切ざる秘事也。

夜中旅行の時は高く唱(*となえ)不諷(*うたわず)。道の真中を行べし。月夜には影を行べし。敵を月の方に見べし。大酒を呑んでは足立たず、心得有べし。其外何事もゆだん(油断 曽田メモ)あるべからず。

・ 1 座中にて口論喧嘩何にても気遣の時は、小刀を抜てたゝみ(畳 曽田メモ)え指込み我前に置、事出来る時、右の小刀にてたゝみ(畳 曽田メモ)をはね上て我がたてに(楯 曽田メモ)すべし、直に敵へ打懸てよし、其まゝふみたおす也(踏み倒す 曽田メモ)。深き大事秘べし、秘べし。

・ 1 早拭の大事、ひえたる(冷え 曽田メモ)馬糞え太刀を指込候得ばいか様(如何 曽田メモ)ののり(血糊 曽田メモ)にても其儘のき(除き 曽田メモ)申也。詮議の時なんをのがる(難 逃 曽田メモ)、秘べし、秘べし。

P89

・ 1 亦、一伝、芋からを(殻 曽田メモ)を煎じ其汁に奉書の紙をひたして(浸 曽田メモ)干し上て後、ひだを付、其ひだに真こも(菰 曽田メモ)黒焼を入置也。刀の血を拭にすきと(直に 曽田メモ)除く(綺麗に)也。久しくして血こがり付たるには、ほけを(息気 曽田メモ)吹賭けてぬぐう(拭 曽田メモ)也。

・ 1 気減法 1 胴の火 1 火縄 1 雨松明 伝

* 気減法 胴の火 火縄 雨松明伝 については何も書かれていません。既に失念していたのでしょうか。

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曽田本(居合兵法極意秘訣その1老父物語)

居合兵法極意秘訣(英信流居合口受秘訣)

P84

1.老父物語(*仮題)

・ 老父物語を書付置、久しき事故失念の事多し、あらまし此の如く覚え候儘記し申す也。

・ 雷電 片手に持ひっさげ敵の両目え突込いなや跡へ引き、亦敵打かくる処を請込、敵の右の足を打はずし(弛み 曽田メモ)打也。是極め一刀石甲万字軍用太刀口伝大事。

・ 惣捲 片手に持打込、左の手にてとらゆる(捕ゆる 曽田メモ)つり合(釣合 曽田メモ)大事。

・ 雷電 両方八相にて打合、敵我が右を打、うくれば(受 曽田メモ)亦左え打所を此方より打落し跡へ引、敵打をはずし(弛 曽田メモ)亦引、上げ下、曲尺合心に能々修業なくては成り難し。

太刀おっ取っ(*原書 於っ取って)てスルスルとゆく(行 曽田メモ)、敵切ればきるべし(斬る 曽田メモ)切らずば切る(斬 曽田メモ)まじ。亦スルスルと行ずして身を沈み、車にかまえ(構 曽田メモ)、敵切ってかゝる(懸 曽田メモ)其の拍子をうけず(受 曽田メモ)其間合を勝事、我心に浮み出ずべし。我與(我より 曽田メモ)知るべし、亦太刀をあだ切をして、二の太刀にて勝位も有、是も我與(我より 曽田メモ)気に乗りてゆくべし。

P85

亦相懸にて敵来る時、先に敵の太刀をころして(殺して 曽田メモ)勝位有。古人和卜(ぼく 曽田メモ)刀とも云えり。亦敵先に切って懸る時左右へひらき(展 曽田メモ)勝位有。皆我気のはたらき(働 曽田メモ)也。

亦太刀を敵へ差懸切らせて引きすかして(引き空を切らせる事 曽田メモ)跡を切位有。亦時によりて(與時而 ときによりて 曽田メモ)青眼にかまえて身を能くかこい(囲 曽田メモ)敵より切(敵與切 てきよりきり 曽田メモ)一度にすり込(摺 曽田メモ)鍔きわにて(際 曽田メモ)勝位有。

亦敵打時、我が太刀をかぶり(冠 曽田メモ)請亦はうけ流(請 曽田メモ)して勝位有。亦敵打時、我身をしずみ(沈 曽田メモ)ちんたいにて(沈体 曽田メモ)敵の手首を打払いて勝位有。亦中墨を打払いて勝位も有。

*中墨 指物などの中心線

惣体足を踏み付けずに、体の居着かぬ様に、浮き浮きと立って右の事を行うべし。敵と気分のくいあわぬ(喰合はぬ 曽田メモ)様に我はてき(敵 曽田メモ)と別々と成心也。

敵は締め合わしょうとするを此方は夫々に移らかす、ふわりと出会うよし。ふわりとせしは右云夫々の変出る事無し、考えるべし、右のはたらき(働き 曽田メモ)を敵がすれば此方の負と成る事の上にて是より外の仕筋無し。深く工夫有るべし。

修業のこうはくと(厚薄 曽田メモ)勇気とおく病(臆 曽田メモ)と此二つのちがい(*別本では 三っつの違いとあり)ばかり也(違い計り 曽田メモ)。

P86

此所は我と得道すべし、外人より教がたし(難 曽田メモ)我心に合点して無理に事をせず気分一っぱいに(杯 曽田メモ)はたらき(働 曽田メモ)見るべし、。

此上にいかぬはふたんれん(不鍛錬 曽田メモ)か心まどいえ(惑い得 曽田メモ)合点せぬか、吾がおく病(臆病 曽田メモ)か、真剣の時は天命天運外になし。

當流の印可居合柄口六寸の勝、軍用之剱、是口伝免ずべき事此の外に無し。

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曽田本(居合兵法極意秘訣初めに)

P83

目録口授覚             曽田印

山川幸雅               角印

印可口授覚

居合兵法極意秘訣

(英信流居合口受秘訣)

(戦災の為原本焼失せるならん)

写本であるが恐らく之れが原本だろう   曽田メモ

* 目次

1・老父物語 P84

2.當流申伝之大事 P86

3.居合仮り名 P89

4.林崎甚助重信 P92

5.組討心持 P95

6.兵粮丸 P95

7.英信流目録秘訣 P97

 ・ 外之物ノ大事 P97 

 ・ 上意之大事 P100

 ・ 極意ノ大事 P106

 ・ 居合心持肝要之大事 P111

8.居合兵法極意巻秘訣 印可部 P119

9.神心八相事  P132

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曽田本(免許皆伝目録その2無双直伝英信流居合目録)

P79

2.無双直伝英信流居合目録

・ 1 向身 横雲 虎一足 稲妻

・ 1 左身 浮雲 山下し

・ 1 左身 岩浪 鱗返し

・ 1 後身 浪返 瀧落

・ 四方切 向 右 左 後

P80

・ 太刀打之位 1、出会 1、附込 1、請流 1、請込 1、月影 1、絶妙劔 1、水月刀 1、独妙劔 1、心明劔

・ 詰合之位 1、八相 1、拳取 1、岩浪 1、八重垣 1、鱗形 1、位弛 1、燕返 1、眼関落 1、水月刀 1、霞剣

・ 大小詰 1、抱詰 1、骨防 1、柄留 1、小手留 1、胸捕 1、右伏 1、左伏 1、山影詰

・ 大小立詰 1、〆捕 1、袖摺返 1、鍔打返 1、骨防返 1、蜻蜓返 1、乱曲

・ 外之物之大事 1、行連 1、連達 1、遂懸切 1、惣捲 1、雷電 1、霞

P81

・ 上意之大事 1、虎走 1、両詰 1、三角 1、四角 1、門入 1、戸詰 1、戸脇 1、壁添 1、棚下 1、鐺返 1、行違 1、手之内 1、輪之内 1、十文字

・ 極意之大事 1、暇乞 1、獅子洞入 1、地獄捜 1、野中幕 1、逢意時雨 1、火村風

1、鉄石 1、遠方近所 1、外之剱 1、釣瓶返 1、智羅離風車

・ 居合心持肝要之大事 1、捕手和合居合心持之大事 1、立合之大事 1、太刀目附事 1、野中之幕之大事 1、夜之太刀之大事 1、閨之大事 1、潜り之大事 戸眼之事 1、獅子之洞出之事 1、獅子之洞入之事

P82

右九カ条は深秘の極意也。真実の人に非ずは努々相伝は有るべからざる者也。

無双直伝英信流居合多年に就き御執心、太刀次悉く相伝せしむ□、向後御嗜み専要に候。若し御所望の仁之あるに置いては、兼ねて其の人の四討ち文を取りご指南尤もなり、よって許免之状件(*くだん)の如し。

明治三十四年六月十五日

谷村樵夫自庸

小藤亀江殿

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曽田本(免許皆伝目録その1参考手次巻津軽藩)

前回の免許皆伝目録の居合根元之巻は概ね土佐に伝わる根元之巻幾つかとも、さして違いのないものと思われます。

土佐の根元之巻は林崎甚助重信公のところ、林崎神助重信公と甚の文字が神と成っているのが面白いところです。近年はここのところを甚に改めて発行されているようにも見受けられます。

平成3年に林崎甚助源重信公資料研究委員会がまとめ居合振武会が発行した「林崎明神と林崎甚助重信」の中に林崎新夢想流 新庄藩 寛政3年1791年の伝書が載っています。

常井大膳から押切傳之進へ寛政3年亥正月7日に伝授されたものです。此方は「手次巻」と題されています。

大変なご苦労の上収集された傳書類が載っております。紙面の都合もあったとは思いますが。全貌が見えないもの、発行された年号が見えないものもあって、この伝書を使わせていただきます。

この伝書は、河野百錬先生の昭和37年発行「居合道真諦」にある林崎新夢想流居合巻1(1号~6号)、万事巻・手次巻・秘歌之大事・外物次第として掲載されているものと同じものです。

津軽藩 林崎新夢想流

万事巻

そもそも此の兵術は自己黙然、而して進む無く退く無く左右も亦此の如く唯是源に逢い剣刃の上に到る。氷流(*凌と添え書きあり)上に走り、生死の岸頭において大自在を得る。すなわち六道四生本空なることを、古人云う世間空々無し、仏性空々真なり。是を按ずるに右の兵術是なり。千金を許すも伝える莫れ、秘すべし秘すべし。唯一人に授ける。 万事抜 千金位

手次巻

そもそも此の居合は奥州林明神夢想にして之を伝える、それ兵法ならんものは上古中古数多有ると雖も、此の居合は末世相応の太刀手近の勝負而して一命の有無此の居合に極まらんや。

恐らく、粟散辺土の境不審の儀之有るべからず。唯霊夢に依る所也。それ此の始を尋ぬれば、或る時奥州英士林崎甚助という者兵法の望みに依って百箇日参籠において林明神満夜の暁、夢中に伝えて云う。汝此の太刀を以って常に胸中に憶持すれば怨敵に勝つ云々。

すなわち霊夢の如く成し大利を得ん。腰刀三尺三寸を以って九寸五分表六寸に勝。而して勝の妙不思議の極位(*極意)、一国一人の相伝也。腰刀三尺三寸は過現未の三心三身、すなわち三寶也、王法是を三剣と為す也。

禅門に六種剣、十二種剣、十八種剣有り、亦是済家室中重代衲僧裁断の修業也。殺人刀、活人刀都(*すべて)掌握中に有り。脇差九寸五分は九品蓮葉剣に憂苦海中に出離し、生死魔軍を追倒す、釈道九曜五鈷の内證也。是すなわち曹洞五位の秘訣と為す。敵と成り身方と作る事亦これ前世の業感也。而して生死一体にして、以って百戦場中大寂光土也。

此の如く現世を観る事、摩利支尊天の護身符也。此の居合千金を賜うを以って貴からず、但実頭と信ずる人にこれを伝付すべし。兵の利を心懸ける者は昼夜思い、之を神明の不息に祈り、利を得、正見心に依り身を済(*すまし)すのみ。

畢竟如何黙然やや久しく云う。 珊瑚枝々撑(*掌)月に着く。

*以下略す。いかがでしょう。土佐の根元之巻と似ていますが、雰囲気が違うのは中ほどからです。土佐のものはこの辺を理解できずに替えたのか、略したのか微妙です。

四国の山々にも弘法大師以前から新庄藩と同じような事が行なわれていたはずです。

なかなか面白い内容ですが。省略します。

「万事巻」と云う事が出てきましたので、何処かで聞いた言葉と、思い出してみますと、田宮流に有りました。極意の秘歌の八首目

田宮流歌伝口訣より

「極意とは表の内にあるものを 心尽しに奥な尋ねそ」

居合の究極は何所に有るかと尋ね見れば矢張り表の内の一本に有ることぞ。

あれをなぜに極意と云うぞなれば、あの手数は唯三角に抜て納める迄なれども気体にヒズミなく三角の力子に抜放したる中に発して敵を両断となすの鋭機を含みて寂然不動たる所は生まれの儘の本体である。

是天然の体を教ゆる所にて気体に豪髪も虚隙なき所より贏理(えいり・かちみ)は備わる。此所を始終修業の基として成就の場も是に外ならず他の手数もあれより発する。

極意の萬事抜く所はどこで抜くも一理なるわけにて皆この一本より発するの意にて萬事抜と名付くともいう。

* 「表の内の一本」とは田宮流の表之巻一本を指しています。稲妻に極意はあると云うのでしょう。他の手数も是より発する、従って萬事抜と云うわけです。

林崎甚助に従って東北地方を修業して歩いた田宮流の始祖の為せる事です。伝わっている文言の何処かに繋がるものがあるのでしょう。

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曽田本(免許皆伝目録その1居合根元之巻1)

P76

* よく見かけるこの流の根元之巻です。この根元の巻は林崎神助重信を初代とし第四代百々軍兵衛尉光重から土佐に伝わり谷村派の第十五代谷村亀之丞自雄-楠目繁次成栄-谷村樵夫自庸-小藤亀江‐曽田虎彦 と伝系を記されたものです。

当流の免許皆伝は根元之巻として相伝されていますが、それがこの流の正統な道統宗家と云うことでは無いようです。それは根元之巻を伝授された者が、弟子の目ぼしい者には複数手渡してきた事でも其の意味が読み取れます。一子相伝の流派のようなわけには行かず、分派が多岐にわたり、夫々が自流を伝えています。是も其の一つと言えるのでしょう。しかし夫々が根元之巻を授与されるだけの実力と見識を持っていたと言えるでしょう。総ての道統を束ねる宗家継承とは意味合いを異にしています。

この根元之巻は漢字片仮名交じりの漢文調です。読み下し文に直しますが、書かれている内容には触れません。

尚、東北地方の根元之巻とは多少の違いはあるものです。

1.居合根元之巻

そもそも此の居合と申すは日本奥州林崎の大明神の夢想に従って之を伝え奉る。

それ兵術は上古中古、他流の違い之れ数多(あまた)有ると雖も、大人小人、無力剛力嫌わず兵の用に合す云々。末代相応の太刀為るに云う、手近の勝負一命の有無此の居合に極まる。

恐れは粟散辺土(ぞくさんへんど)の堺、この儀不審これ有るべからず。唯多夢の処に依る也。此の始めを尋ぬ、奥州林崎神助重信公は、兵術之望み有るに因って林之明神に一百有日参籠せしめ、其の満暁の夢中に老翁重信に告げて曰く、汝此の太刀以って常に胸中に憶持するは怨敵に勝を得ん云々。

則ち 灵( れい 霊の異体字)夢の有る如く大利を得る。腰刀三尺三寸を以って九寸五分に勝事柄口六寸に勝つの妙不思議これ極意、一国一人の相伝也。

腰刀三尺三寸、三毒すなわち三部に但脇差九寸五分、九曜五古の内証也。敵味方に成る事是亦前世の業感也。生死一体戦場浄土也。是の如く観、則ち現世蒙大聖摩利支尊天の加護、末世成仏縁成る事、豈疑い有るや。此の居合千金を積むと雖も、真実の人にあらざれば堅く之を授くべからず。天罰恐るべし。唯一人に授、之を伝う云々。

P77

古語曰

其の疾く進む者 其の退くこと速し

此の意 貴賎尊卑を以って隔てなく、前後の輩といわず 其の所作達せし者へ目録印可等相違なく許す。

又古語曰

それ百錬の搆、則ち苐茨(ていじ)荘鄙に在り、兵の利を心懸ける者は夜自ずから之を思い、神明仏陀の祈り忽ち利方を得、是れ心によって身を濟す事粲然

* 身を済ます事粲然(みをすますことさんぜん)

天真正

林明神

林崎神助重信

田宮平兵衛尉業正

長野無楽入道槿露斉

百々軍兵衛尉光重

P78

蟻川正左衛門宗續

万野團右衛門信定

長谷川主税助英信

荒井勢哲清信

林六太夫守政

林安太夫政詡

大黒元右衛門清勝

林益之丞政誠

依田萬蔵敬勝

林弥太夫政敬

谷村亀之丞自雄

楠目繁次成栄

谷村樵夫自庸

小藤亀江

明治三十四年六月十五日

明治三十八年六月吉日 従実兄亀江伝来 曽田虎彦

*此の伝系を見ますと谷村亀之丞自雄は無双直伝英信流正統宗家の谷村派第十五代宗家とされています。十五代の下に十六代五藤孫兵衛正亮の所、ここでは楠目繁次成栄になって曽田虎彦先生へ続いています。

曽田先生は谷村派も根元之巻を伝授されていたと云う事でしょう。下村派との道統もあって、双方充分に其の所作を達していたと云う事でしょう。

下村派の道統 大黒元右衛門清勝-松吉貞助久盛‐山川久蔵幸雅‐下村茂市定‐行宗貞義‐曽田虎彦

こうして見ますと、谷村派、下村派の根幹となる業技法に違いがあると云う事の証明は伝書を頼る限り見られないと云う事でしょう。

動作の違いは単なる想定の違いであって、剣理に基ずく事であれば何ら違うものではなさそうです。

古語に曰く、の所は「速やかに業を習得する者は、速やかに退いていく。その意味は身分の別け隔て無く、入門の早い遅いに拘わらず、其の所作を達成した者には目録印可を相違なく許せ」と言っています。現在の段位の有り方とは根底から異なります。

もう一つの古語に曰くは、草葺の鄙で此の兵術の利を目指す者は、神明仏陀に祈れば忽ち其の利を得られよう。心を正しくすれば身に燦然と現れるものだ。と言った意味でしょう。

参考の為に次回は、東北地方の津軽藩に残された林崎新夢想流の伝書を読み下し文によって見ます。

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春待ち

太陽の日差しは随分厳しくなってきました。畑に立つとさえぎる物の無い風が浸み込んできます。

3月16日、ようやく玉縄桜が3つ開花しました。玉縄桜は40年ほど前に大船植物園でソメイヨシノの実生から育成された桜で、平成2年に品種登録された新種の早咲きの桜です。

もともとソメイヨシノは大島桜と江戸彼岸桜の雑種ですから、先祖帰りの途中のよい塩梅に定着できたのかもしれません。

したがって、ソメイヨシノより早咲きで、ピンクの色もソメイヨシノより濃い目です。

この何年かの開花時期は資料によりますと、凡そ2月10日前後。見ごろは2月末ごろのようです。この状況では一気に満開になりそうで楽しみです。

今年の寒さが異常で、一月以上も遅れて開花したわけです。苗木が植えられてから4年ほどですが既に3mは越え、幹は5cm程、びっしり蕾が付きました。

数年で大木になって早い春を楽しませてくれるでしょう。

桜の向こうから、白い蝶が飛んできます。モンシロチョウです。此方は一週間ほど早く羽化してしまいました。

暖かい日の差す枯れ草の中でちょっとあわててしまったのでしょう。蝶の飛ぶ周囲を見渡しました。白梅、紅梅が満開です。暮れに摘み取られなかった小松菜の一株に菜の花が満開です。

まだ、冬の気配を色濃く残す畑は、蝶の為の準備は不十分です。少し早く生まれた蝶の我慢が偲ばれます。

それでも、私には確実に春は戻ってきました。

「しばしの休み」ですっかり落ちた体力もどうやら戻ってきました。心に体が追いつかない、体に内臓が追いつかない。そんな幾日かが、今思えばアンバランスな日々だったかもしれません。

「しばしの休み」から一月程に、居合の大会に出場していました。

ある先生から「頬がこけましたね・・」

何処か無理をしていたのでしょう。

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曽田本(免許皆伝目録初めに)

P75

本目録は昭和20年7月4日午前2時、高知市爆撃の際、家財道具一切と共に焼失す。

谷村樵夫自庸先生相伝

免許皆伝目録

従 実兄 小藤亀江 伝来

後復帰して 土井姓 

旧姓 土井こと 曽田虎彦  新蔵

* 此の免許皆伝目録は、谷村派の第十五代谷村亀之丞自雄-楠目繁次成栄-谷村樵夫自庸-土井亀江-増田虎彦 という伝系でしょう。この伝系では土井亀江は十八代としています。

土井家の家系は、父 土井楠吉正尚、長男 久寿次郎、三男 亀江、四男 虎彦

尚 土井亀江は、谷村亀之丞自雄-五藤孫兵衛正亮‐土井亀江 とも伝系を示され、森本兔久身、大江正路子敬とも同時期に示されています。

(以上は 曽田先生の無双直伝英信流居合術系譜による)

昭和20年7月4日午前2時の爆撃で高知は火の海になったと記されています。高知の空襲は昭和20年1月19日、3月4日、3月7日、3月19日、その後6月には6回にわたって空爆され、この7月4日未明の空襲で死者401名、家屋12000戸が被害を受けています。

この年、3月10日に東京大空襲27万戸、8万人が死傷、100万余人が罹災しています。その後4月5月と続けて空爆を受けています。7月13日に名古屋、14日大阪、17日神戸。4月には沖縄に米軍が上陸、以後全国各地に空襲、戦艦からの砲撃が繰り返され、8月6日広島に原爆投下、続く9日長崎に原爆投下、そして15日に終戦。いや無条件降伏しています。

当時、横浜に通っていた父も昭和20年5月29日の空爆で火傷を負って鎌倉まで徒歩で戻った話を聞かされています。鎌倉にも焼夷弾が投下され母も駆り出され、幸い不発弾だったような話もありました。米国の文化人による歴史的都市の空爆を控えたなどはありえない話でした。

戦争は人によって意図的に引き起こされます、心の中に住む悪魔の仕業が無差別爆撃を善しとしたなどと思いたく有りません。人種差別の意識の方が遥かに高かったと思います。

しかし・・・・・・兵器も経済活動の大きな要因である人達にとって、兵器を消費させる事が目的であって、聖戦の名の下に今も戦争の原因を意図的に作り出しているかもしれません。

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曽田本(業附口伝その4大小立詰)

P72

4.大小立詰 

・ 1 〆捕 互に対立する也、打は両手にて仕の柄を握る仕は左手を以って打の左手首を握る也、更に此の時すぐに仕は右手にて打の両腕を締め込み我体を台にして之を極める也。(敵両手にて柄を取る左手にて敵の左の手首を押へ右手にて敵の両肘折を押へ体を込み〆付る 五藤メモ)

*ここでも大小といっていますから仕が太刀、打が小太刀で詰合のでよいのでしょう

・ 1 袖摺返 打は横より組付、仕肘を張りて一當すると同時にすぐに打の刀を足にすけて後に投る也。(五藤先生は一當して中に入り刀を足にすけ後へ投ると記せり 曽田メモ)左右共同前(横合より組付ひじを張り一當して中に入り刀を足にすけ跡へ投げる、左右共に同前 五藤メモ)

* 大小立詰の袖摺返にも、太刀打之位の請込に有った「すける」と同様に「すけて」「すけ」の文言が出てきています。

神傳流秘書 10.大小立詰 袖摺返 には「すけ」の文言はありません。

P21

・ 袖摺返  我が立て居る処へ、相手右脇より来り、我が刀の柄と鐺を取り抜かせじとする時、其の儘踏みしさり柄を相手の左の足のかがみに懸け中に入り、又我右より来り組付をひじを張り体を下り中に入る。

どうやら、此処でのこの「すけ」は「助」のようです。

文言の解釈も面白いのですが、実演して「すける」すけて」の「すけ」を体で知る事が大事だろうと思います。

・ 1 鍔打返 互に対立する也、打は仕の抜かんとする右手首をとる也、仕は右手を放すと同時に左手に持てる鍔にて打の手首を打つ也。(抜かんとする時其の手首を押へる左手にて敵の手首を打 五藤メモ)

P73

・ 1 骨防返 互に対立する也、打は仕の柄を両手にてとりに来る也、我は右手にて敵の両手を越して柄頭をとって両手にて上にもぎとる也。(敵両手にて柄を取る時引廻しもぐ 五藤メモ)

・ 1 蜻蜓返 打は仕の後より仕の右手首を後に引き鐺を前に押す、直ちに右足を以って掬い中に入る也。鐺を後に引き右手首を前に押す時は左足を以って中に入る也。(後より右の手首をおさえ跡へ引左手鐺をおさえ前へおす時中に入る 五藤メモ)

・ 1 乱曲 前後に立ちて行く也、敵後より鐺を取りクルクル廻し引く也、我其の時すぐに後向きて左右何れなるや見合せ右手なる時は我左足にて敵の右足を又左手なる時は我右足にて敵の左足を掬ひ中に入る也。(後より鐺を取りクルクル廻し引其の時左右を見合せ中に入る 五藤メモ)

・ 1 移り(伝書になし口伝 曽田メモ) 敵後より組付きたるを我体を落して前に投る也。(後より組付体を下り前へ投げる 五藤メモ)

* 以上を以って業附口伝書は終ります。組太刀とも云われる業を口伝により詳述していました。之までの神傳流秘書、英信流目録・業附口伝を並べてこれらの業を研究するとより解りやすくなります。

次回からは谷村亀之丞自雄先生相伝になる免許皆伝目録に入ります。

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曽田本(業附口伝その3大小詰)

P71

3.大小詰 朱書きは五藤正亮先生の教示(*五藤メモとします)

・ 1 抱詰 互に対坐、打は仕の柄を両手にて取らんとす、すぐに仕は両手にて打の二の腕を下より差し上ぐる様に掴み我左脇に引き倒す也。(向うて居る敵我刀の柄を両手にて押付る時、敵の両肘へ手をかけうすみ上げ左え振り倒す 五藤メモ)

・ 1 骨防(*ほねもぎ・こっぼう?) 互に対坐、打は両手にて仕の柄を握る、仕は右拳を顔にあて、其のひるむときに乗じ右足を柄越にまたぎ、右足内側より右手を柄に添え右足にて敵の両手を押払うと同時に柄を防取る也。此の時敵は我右脇へ匍い倒るなり。(向うて居る両手にて柄を押し付る時、すぐに右手にて面へ當(*あて)其虚に乗り右足をふみ込み柄へ手をかけもぐ 五藤メモ)

・ 1 柄留 打は仕の右側に並びて坐す、仕の抜かんとする柄を留む、仕は右手を頚に巻き敵を前に倒さんとす、打倒されまじと後に反る、其の時すぐに仕は打の体の反りて前足の浮きたる下より(膝)柄をかけて後へ倒す力を添うる也。(右向きに坐す抜かんとする柄をとる、我右手にて首をまき手前へ押す、敵後とへそるに付後へ倒す、其時柄を足へかけ倒す也 五藤メモ)

・ 1 小手留 打は仕の左側に並びて坐す、打の抜かんとする右手を仕向き直りて右手にて捕え引き寄せる、と同時に左手にて柄頭を敵の脇坪に當てる也。(左脇に坐す抜かんとする右手を把る、其手をおさえ左手にて脇坪へ柄頭を以って當てる 五藤メモ)

・ 1 胸捕 互に対坐、打は仕の胸を捕へて突く、仕すぐに右手にて支え左手に持たる柄頭を敵の脇坪に當てる也。又胸を捕りて引く時はすぐに刀を抜きて突く也。(向うて居る右手にて胸をとり突く時は其手をおさえ左手にて脇坪へ當る、引く時は抜きはなち刺す 五藤メモ)

P72

・ 1 右伏 打は仕の右側に並びて坐す、打左手にて仕の胸をとる、仕はすぐに其の腕を巻き込みて逆手をとり前に伏せる也。(右脇に坐す、左手にて胸を取り其の手を押へ前へ伏せる 五藤メモ)

・ 1 左伏 右伏の反対業也。(左脇に坐す、右手胸をとり其の手を押へ前へ伏る 五藤メモ)

・ 1 山影詰 打は仕の後ろに坐す、後より組付也、其時仕は頭を敵の顔面に當て、敵ひるむ隙きに我刀を抜きて打の組みたる手を切る也。(五藤先生は一當して仰向にそりかえると記せり 曽田メモ)(後ろより組付、頭を一當して仰向にそりかえる 五藤メモ)

* 記載は無いのですが、大小詰は仕太刀は太刀を差し、打太刀は小太刀を差し相方とも立膝に坐して行なうものです。次の大小立詰は同様にして立って行なう業です。柔術や合気道をご存知の方は容易に此の意義に見合う動作を作り得るものと思います。居合の抜き付けで何の疑問も持たず、手前勝手に柄懸かりして、無造作に抜きつけるのでは何ら武道としての居合を稽古している事にはならない事がよくわかってきます。「居合の業も儘ならないのに大小詰など出来るか」とか「勉強するのは10年早い」などと仰るの方が居ます。心得違いも甚だしいものです。

そんな方に共通の事は、業の末節にばかり拘った、踊りを居合の本分と心得て居るように思えます。ある道場では師匠の姿形に合わせ同じリズムで皆さん演じているそうです。

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