2018年5月23日 (水)

曽田本その1の5居合兵法極意秘訣原文2當流申伝之大事10気滅法他

曽田本その1
5.居合兵法極意秘訣原文
2、當流申伝之大事
9気滅方 他
 1.気滅方 1.胴ノ火 1.火縄 1.雨松明伝
 
 居合仮リ名
 1.向拂 1.柄留 1.四方 1.向詰 1.二階下 1.人中
 1.介錯 1.打拂 1.弛抜 1.抜打 1.五方打
 
 1.肩敵之拳二當ル
 1.右ノ手短 1.左ノヒジ長
 1.右ノ足二而太刀ヲ下シ左ノ足二而勝ヲ取
 1.左之肩ヲ向ル事一手字
 1.足一本ノ事 1.峯谷二星
 1.右二ヲコリ左二ヲコリ無刀ノ事
 右之ヶ条常二我ガ心中二能ク可覚事也
 

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2018年5月22日 (火)

曽田本その1の5居合兵法極意秘訣読み解く2當流申伝之大事9亦一伝

曽田本その1
5.居合兵法極意秘訣読み解く
2、當流申伝之大事
9亦一伝
 亦一伝芋カラヲ煎シ其汁二奉書ノ紙ヲヒタシテ干シ上テ後ヒダヲ付其ヒダ二真コモノ黒焼ヲ入置也刀之血ヲ拭二スキト除ク也久シクシテ血コガリ付タル二ハホケヲ吹キカケテヌクフ也
読み
 亦一伝 芋がらを煎じて其の汁に奉書の紙を浸して干し上げて後ひだを付け 其のヒダに真菰の黒焼を入れ置く也 刀の血を拭にすきと除く也久しくして血コガリ付たるにはホケヲ吹きかけて拭う也
読み解く
 亦一伝 里芋の茎を煎じてその汁に奉書紙を浸して干し上げる、そのあと折り目のひだを付けてそのひだに、真菰の黒焼きを入れて置く、刀の血を拭うと綺麗に拭ける。しばらく経っていて血がコガリ付いた(こびりついた)場合は息を吹きかけて拭うのである。
 芋茎(いもがら)は八頭、里芋、赤芽芋などの葉柄で食用にもなります。干してアクを抜き煮付けて食べるとおいしい。
 煎じるとアクが出るからそれに奉書紙を浸すのです。アクはシユウ酸カルシュウムの様ですから血のりとはどの様に反応するのでしょう。
 真菰の黒焼きは水辺に生えるイネ科の植物で黒焼きにして煮付ですから、炭状にするのでしょう。若芽のマコモタケは食用にもなっています。
 この奉書紙・芋茎の煎じた汁・真菰の炭の組み合わせと血のりとの関係が良いのでしょうか。当時の土佐の昔からの言い伝えでしょうか。
 現代では試す術も無いのも」当然の事ですが、戦国期を150年近く過ぎた時代の言い伝えですから首をひねってしまいます。
 

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2018年5月21日 (月)

曽田本その1の5居合兵法極意秘訣原文2當流申伝之大事9亦一伝

曽田本その1
5.居合兵法極意秘訣原文
2、當流申伝之大事
9亦一伝
 亦一伝芋カラヲ煎シ其汁二奉書ノ紙ヲヒタシテ干シ上テ後ヒダヲ付其ヒダ二真コモノ黒焼ヲ入置也刀之血ヲ拭二スキト除ク也久シクシテ血コガリ付タル二ハホケヲ吹カケテヌクフ也
読み
 亦一伝 芋茎を煎じてその汁に奉書の紙を浸して干し上げて後襞を付け その襞にマコモの黒焼きを入れ置く也 刀の血を拭くにすきと除く也 久しくして血こがり付きたるには ほけを吹き懸けて拭う也
 

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2018年5月20日 (日)

曽田本その1の5居合兵法極意秘訣読み解く2當流申伝之大事8早拭之大事

曽田本その1
5.居合兵法極意秘訣読み解く
2、當流申伝之大事
8早拭之大事
 早拭之大事ヒエタル馬糞ヱ太刀ヲ指込候得バイカ様ノノリニテモ其侭ノキ申也詮議之時ナンヲノガル可秘也
読み
 早や拭いの大事冷えたる馬糞へ太刀を差し込み候えば如何様の糊にても其の侭除き申す也 詮議の時難を逃る秘すべし秘すべし
読み解く
 早や拭いの大事 冷えたる馬糞へ太刀を差し込めば 如何様の血糊でも直に除ける 詮議の時など人を斬ってないと言って難を逃れる事も出来る。秘すべきものである。
 馬糞の大部分は繊維カスでしょうから汚れを取るには良さそうです。

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2018年5月19日 (土)

曽田本その1の5居合兵法極意秘訣原文2當流申伝之大事8早拭之大事

曽田本その1
5.居合兵法極意秘訣原文
2、當流申伝之大事
8早拭之大事
 早拭之大事ヒエタル馬糞ヱ太刀ヲ指込候得ハイカ様ノノリニテモ其侭ノキ申也詮議之時ナンヲノガル可秘々
読み
 早や拭いの大事 冷えたる馬糞へ太刀を差し込み候らえば 如何様の(血)糊にても其のまま除き申す也 詮議の時難を逃る 秘すべし秘すべし
 

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2018年5月18日 (金)

曽田本その1の5居合兵法極意秘訣読み解く2當流申伝之大事7座中

曽田本その1
5.居合兵法極意秘訣読み解く
2、當流申伝之大事
7座中
 座中ニ而口論喧嘩何二而モ気遣ノ時ハ小刀ヲ抜テタヽミヱ指込我前二置事出来タル時右之小刀ニテタタミヲハ子上テ我かタテ二スベシ直二敵ヱ打懸テヨシ其マヽフミタオス也深キ大事可秘也
読み
 座中にて口論喧嘩何れにても気遣わしき時は 小刀を抜きて畳へ指し込み 我が前に置く 事出で来る時右の小刀にて畳を跳ね上げて我が楯にすべし 直ぐに敵へ打ち懸けて良い 其の侭踏み倒す也 深き大事秘すべき也
 

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2018年5月17日 (木)

曽田本その1の5居合兵法極意秘訣原文2當流申伝之大事7座中

曽田本その1
5.居合兵法極意秘訣原文
2、當流申伝之大事
7座中
 座中二而口論喧嘩何に而モ気遣ノ時ハ小刀ヲ抜テタゝミヱ指込我前二置事出来タル時右之小刀ニテタゝミヲハ子上テ我カタテ二スベシ直二敵ヱ打懸テヨシ其マゝフミタヲス也深キ大事可秘々
読み
 座中にて口論喧嘩何にても気遣いの時は 小刀を抜て畳へ指し込み我が前に置く 事出で来たる時右の小刀にて畳を跳ね上げて我が楯にすべし 直ぐに敵へ打ち懸けてよし 其の侭踏み倒す也 深き大事秘すべき也
読み解く
 座中で口論や喧嘩などあって、不穏な空気が流れる時がある、そんな時は小刀を抜いて畳へ指し込み我が前に置く 刃傷沙汰が起こるならば小刀で畳をはね上げて、畳を盾にしてすぐ打ち懸けて行けばよい。其の侭踏み倒して気を奪うなど深いものがある大事に秘すべきである。
 面白い、策です充分稽古しておかないと上手く出来るか判りません。逆上した相手は何をしてくるか判りませんから先ず防禦の心掛けがあるべきでしょう。
 実戦で使われたものか疑問ですが、現代でも通じる考え方です。ただ、マニュアルに随っていたり、上司の言いなりな人には無関係な事かも知れません。
 

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2018年5月16日 (水)

曽田本その1の5居合兵法極意秘訣読み解く2當流申伝之大事6亦暗夜

曽田本その1
5.居合兵法極意秘訣読み解く
2、當流申伝之大事
6亦暗夜
 亦暗夜コロビタル者ヲソツジ二切事ナカレ二グル者ヲヲワス夜ハ頭巾二而モ笠二而モ鉢巻ニテモ必二スベシ向ヨク見ル也気遣敷所成ラス鼻紙ヲ一條水二ヒタシ鉢巻之下二冠ル可シクサリ頭巾ヨリツヨキ物也中々太刀ニ而不切秘事也夜中旅行之時ハ高ク唱不調道之真中ヲ行可シ月夜ニワ影ヲ可行敵ヲ月ノ方二可見る大酒ヲ呑ンテワ足不立心得可有其外何事モユダンアルベカラズ
読み
亦暗夜 転びタル者を卒爾に斬る事勿れ 逃げる者を追わず 夜は頭巾にても笠にても鉢巻きにても必にすべし 向う良く見える也 気遣わしき所ならず鼻紙を一條水に浸し鉢巻の下に冠るべし 鎖頭巾より強きもの也 なかなか太刀にても切れず秘事也 夜中旅行の時は高く唱い 調べざる道の真中を行くべし 月夜には影を行くべし 敵を月の方に見るべし 大酒を呑んでは足立たず心得あるべし 其の外何事も油断あるべからず
読み解く
 前回に引き続き暗い夜における心得です。
 亦、暗夜、転んだものを軽率に切ってはならない、逃げる者は追ってはならない。これは何故でしょう、わざと転んで斬りかかってゆくと不意に攻撃される事もあるでしょう。逃げていく者も追ってはならないのは逃げた先に仕掛けがあるかも知れません。見えない事は危険が多くあることを思うべきなのでしょう。
 夜は、頭巾でも笠でも鉢巻きでも必ず着ける事、向うが良く見える、と言っています。どうでしょうか。疑問です。
 気遣わしい所ばかりでなく夜は、鼻紙を一條(一帖の当て字でしょう。海苔一帖は10枚です、鼻紙ならば百枚の束ですが、この一條は良く判りません、和紙ですから繊維も強く厚みもあります10枚あればかなりのものでしょう)水に浸して鉢巻の下に入れて冠る、鎖頭巾より強いものである、太刀ではなかなか切れないもので秘事である。
 夜中旅行の時は高声で歌う事、事前に調べていない道は真中を行くべし。
 月夜には影を後にして行く、敵を月の方に見るべきである。
 大酒を飲んでは足が立たなくなるので其の心得を持て。
 其の外にも何事も油断しない事。
 
 
 

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2018年5月15日 (火)

曽田本その1の5居合兵法極意秘訣原文2當流申伝之大事6亦暗夜

曽田本その1
5.居合兵法極意秘訣原文
2、當流申伝之大事
6亦暗夜
 亦暗夜コロヒタル者ヲソツシ二切事ナカレ二クル者ヲヲワス夜ハ頭巾二而モ笠二而モ鉢巻ニテモ必二スベシ向ヨク見ル也気遣敷所成ラハ鼻紙ヲ一條水二ヒタシ鉢巻之下二冠ル可シクサリ頭巾ヨリツヨキ物也中々太刀二而不切レ秘事也夜中旅行之時ハ高ク□(唱)不□(調)道之真中ヲ行可シ月夜二ワ影ヲ可行敵ヲ月ノ方二可見大酒ヲ呑ンデワ足不立心得可有其外何事モユダンアルベカラズ

読み
 亦暗夜 転びたるものを卒爾に切る事なかれ 逃ぐる者を追わず 夜は頭巾にても笠にても鉢巻きにても必にすべし 向こう良く見える也 気遣わしき所ならば鼻紙一條水に浸し鉢巻きの下に冠るべし 鎖頭巾より強きもの也 中々太刀にて切れざる秘事也 夜中旅行の時は高く唱い調べず 道の真中を行くべし 月夜には影を行くべし 敵を月の方に見るべし 大酒を呑んでは足立たず心得あるべし 其の外何事も油断あるべからず

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2018年5月14日 (月)

曽田本その1の5居合兵法極意秘訣読み解く2當流申伝之大事5暗夜

曽田本その1
5.居合兵法極意秘訣読み解く
2、當流申伝之大事
5暗夜
 暗夜気遣敷所ヲ通時手頃之石ヲ三ッツ四ッツ袖二可入何二テモ向二見ル物ヲ當ル間敷ヲ考テ打可付先之勝也驚所二而此方ヨリ切立追散スベシ亦三四尺程之鉄之クサリノ先二五十目程之玉ヲ付ケテ可持杖二テモ脇指ノサヤニテモ右之クサリヲ付テ四方一面二フリ廻スヘシ皆二敵ヲ打拂二ヨシ第一ハ旅行二ハ半弓ヲ可持辻切強盗二出合時ヨシ
読み
 暗夜気ずかわしき所を通る時 手頃の石を三つ四つ袖に入れるべし 何にても向うに見えるものを当てるまじくを考えて打ち付くべし 先の勝也 驚くところにて此方より切りたて追い散らすべし 亦三四尺程の鉄の鎖の先に五十匁程の玉を付けて持つべし 杖にても脇指の鞘にても石の鎖を付けて四方一面に振り廻すべし 皆に敵を打ち払うによし 第一は旅行には半弓を持つべし 辻斬り強盗に出合う時よし
読み解く
 暗くて何か潜んでいそうなどの気のする夜道を行く時、手頃な石を三つ四つ袖に入れるべきで、何でも向うに見える物に打ち当てることを考えるべきである、先の勝である。驚くところに此方より切りたて追い散らすべし。
 亦、三四尺程の鉄の鎖の先に五十匁程の玉を付けて持つべし。杖でも脇差の鞘でもこの鎖を付けて四方一面に振り回すならば皆敵を打ち払うに良い。
 第一は旅行には半弓を持つべきで辻斬り強盗に打合っても良い。
 此の居合兵法極意秘訣の書かれた明和元年1764年の事です。
 第十代徳川家治の時代です。徳川政権の中期であり、戦国期から一世紀以上経っています。
 それでも治安は不十分で、飢饉や政策の不十分さなどにより各地で農民一揆、打ちこわしも多発し、戦争は無くとも人々の暮らしは楽では無く不満は多かったでしょう。
 農民と武士との谷間のあぶれ者などが、徒党を組んで村に押し寄せた事もあったでしょうし、旅も命がけだったようです。
 無双神傳英神流の成立時期にはそれらの谷間の人々に武術を指導したともいえます。

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2018年5月13日 (日)

曽田本その1の5居合兵法極意秘訣原文2當流申伝之大事5暗夜

曽田本その1
5.居合兵法極意秘訣原文
2、當流申伝之大事
5暗夜
 暗夜気遣敷所ヲ通時手頃之石ヲ三ッ四ッ袖二可入何二テモ向二見ル物當ル間敷ヲ考テ打可付先之勝也驚所二而此方ヨリ切立追散スベシ亦三四尺程之鉄之クサリノ先二五十目程之玉ヲ付ケテ可持杖ニテモ脇指ノサヤニテモ右之クサリヲ付ケテ四方一面二フリ廻スヘシ皆々敵ヲ打拂二ヨシ第一ハ旅行二ハ半弓ヲ可持辻切強盗二出合時ヨシ
読み
 暗夜気遣わしき所を通る時手頃の石を三つ四つ袖に入れるべし 何にても向うに見えるものに当てるまじくを考えて打つべし先の勝也 驚く処にて此方より切りたて追い散らすべし 亦三四尺ほどの鉄の鎖の先に五十匁ほどの玉を付けて持つべし 杖にても脇指の鞘にても右の鎖を付けて四方一面に振り回すべし 皆々敵を打ち払うによし 第一は旅行には半弓を持つべし辻斬り強盗に出会う時よし
 

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2018年5月12日 (土)

曽田本その1の5居合兵法極意秘訣読み解く2當流申伝之大事4山中

曽田本その1
5.居合兵法極意秘訣読み解く
2、當流申伝之大事
4山中
 山中抔二而俄二湯ヲ呑時ワカシ様ノ事金物ナクテモ湯ヲワカス事茶碗二而モヒ杓に而モ水ヲ一杯入其上ヲ布モメン手拭ニテモ紙ナラバ五枚ホドフタ二而ツヨキ焚火之上二而アフレハタチマチ湯ト成ル口伝水ヲヒ杓二汲テイソキ走ル時モ紙二而モ布二而モ包ミ行ケバ道二而コホレズ
*
読み
 山中などにて俄かに湯を飲む時の沸かし様の事 金物無くても湯を沸かす事 茶碗にても柄杓にても水を一杯入れ 其の上を木綿手拭にても紙ならば五枚程蓋にして 強き焚火の上にて炙れば忽ち湯と成る 口伝 水を柄杓に汲みて急ぎ走る時も紙にても布にても包み行けば道にてこぼれず
読み解く
 山中などで、俄かに湯を飲みたくなった時の沸かし方です。湯沸かしの金物など無くても茶碗や柄杓などに水を口切一杯入れて木綿の手拭でも紙ならば五枚程蓋にして強い焚火の上で炙ればすぐに湯と成る。
 口伝に水を柄杓に汲んで急いで走る時も紙でも布でも包んで行けば道中でこぼれる事は無い。
 必要なものでその場に無ければ何でも工夫する事の教えでしょう。
 
 

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2018年5月11日 (金)

曽田本その1の5居合兵法極意秘訣原文2當流申伝之大事4山中

曽田本その1
5.居合兵法極意秘訣
2、當流申伝之事
4山中
 山中抔二而俄二湯ヲ呑時ワカシ様ノ事金物ナクテモ湯ヲワカス事茶碗二而モヒ杓二而モ水ヲ一杯入其上ヲ布モメン手拭二テモ紙ナラバ五枚ホドフタ二而ツヨキ焚火之上二而アフレハタチマチ湯ト成ル口伝水ヲヒ杓二汲テイソキ走ル時モ紙二而モ布二而モ包ミ行ケバ道二而コホレズ
読み
山中抔にて俄かに湯を呑む時の沸かし様の事 金物なくても湯を沸かす事 茶碗にても樋杓にても水を一杯入れ 其の上を布木綿手拭にても紙ならば五枚ほど蓋にして 強き焚火の上にて炙れば忽ち湯と成る 口伝 水を樋杓に汲みて急ぎ走る時も紙にても布にても包み行けば道にてこぼれず
 

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2018年5月10日 (木)

曽田本その1の5居合兵法極意秘訣読み解く2當流申伝之大事3捕者之大事

曽田本その1
5.居合兵法極意秘訣読み解く
2、當流申伝之大事
3捕者之大事
 捕者之大事二階住居ナラバ先傘ヲ持上ル可シハシゴ一足二踏上リ口ニテ右之傘ヲサットヒロゲ見ル可シイナヤ其時之考見ハカライニテ打タヲスベシ何二而モ見合二器ヲ持ッテ上ルヨシ敵之色ヲ見事也口伝有
読み
 捕物の大事 二階に住み居るならば 先ず傘を持って上るべし 梯子を一足踏み 上り口にて右の傘をサット広げ見るべし 否や其の時の考え見計らいにて打ち倒すべし 何にても見合いに器を持って上るのがよい 敵の色を見る事也 口伝有り
読み解く
 捕り物の大事 二階に住み着いているならば先ず、傘を持って梯子を一足登り上り口にその傘をサット開けば其の時、相手の様子が思い描けどうすべきかの考えや計らいが出来るので、それを元に打ち倒すべきである。
 何でも場の状況次第で、その辺にある器物を持って上がり敵の様子を先ず探る事である。
 口伝有り、ですが失伝しています。

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2018年5月 9日 (水)

曽田本その1の5居合兵法極意秘訣原文2當流申伝之大事3捕者之大事

曽田本その1
5.居合兵法極意秘訣原文
2、當流申伝之大事
3捕者之大事

 捕者之大事 二階住居ナラバ先傘ヲ持上ル可シハシゴ一足二踏上リ口二テ右之傘ヲサットヒロゲ見ル可シイナヤ其時之考見ハカライニテ打タオスベシ何ニ而モ見合二器ヲ持ッテ上ルヨシ敵之色ヲ見事也口伝有
読み
 捕者の大事 二階に住み居るならば 先ず傘を持ち上げるべし 梯子ひと足に踏み 上がり口にて右の傘を広げ見るべし いなや其の時の考見計らいにて打ち倒スベシ 何にても見合いに器を持って上るよし 敵の色を見る事也 口伝有り

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2018年5月 8日 (火)

曽田本その1の5居合兵法極意秘訣読み解く2當流申伝之大事2閨之事

曽田本その1
5.居合兵法極意秘訣読み解く
2、當流申伝之大事
2閨之事
 閨之事不案内成所二而ハ刀ヲ抜鞘口三寸ホドノコシ居ナガラシヅカ二四方ヲ振サクル可シ九尺四方其ママ何事モシレ申候
読み
 閨之事 不案内なる所にては刀を鞘口三寸ほど残し 居ながら静かに四方を振り探るべし九尺四方そのまま何事も知れ申し候
読み解く
 閨(ねや)の事、閨の事と云えば男女の房事を云いますが、此処では寝所とでも読めばいいのでしょう。
 初めての処で暗くて様子がわからない所では、刀を鞘口三寸程残して抜切出し下緒を持って その場で静かに四方を振り廻し探って見れば 九尺四方そのまま何事か有るか無いか知れるものである。

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2018年5月 7日 (月)

曽田本その1の5居合兵法極意秘訣原文2當流申伝之大事2閨之事

曽田本その1
5.居合兵法極意秘訣原文
2、當流申伝之大事
2閨之事
閨之事不案内成所二而ハ刀ヲ抜鞘口三寸ホドノコシ居ナガラシヅカ二四方ヲ振サクル可シ九尺四方其マゝ何事モシレ申候

読み
 閨之事 不案内なる所にては刀を抜き 鞘口三寸ほど残し居ながら静かに四方を振り探るべし 九尺四方そのまま何事も知れ申し候

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曽田本その1の5居合兵法極意秘訣読み解く2當流申伝之大事1門戸出入之事

曽田本その1
5.居合兵法極意秘訣読み解く
2、當流申伝之大事
1門戸出入之事

 門戸出入之事夜中ウタガワ敷所二而ハ先足ヨリ先ヱ可出ス刀鞘供二ヌキカケテ我首之上二カフリテ出入ス可シ三方ノ(業ワイ)ワザワイ止ルナリ其上ワ時二自分自分ノハタラキ有ルベシ
*
 読み
 門戸出入之事夜中疑わしき所にては先ず我が足より先へ出すべし 刀鞘供に抜きかけて我が首の上に被りて出入すべし 三方の禍止まるなり 其上は時に自分自分の働き有るべし


 読み解く
 門戸を出入する事で、夜中疑わしき所にては先ず、我が足から先へ門戸の中に出すべし 刀を鞘と共に抜きかけて我が首の上に被りて出入するものである。
 前右左の三方の禍は止まる。その上は時に自分自分の働きを持つべきである。

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曽田本その1の5居合兵法極意秘訣原文2當流申伝之大事1門戸出入之事

曽田本その1
6.英信流居合目録秘訣原文
2、當流申伝之大事
1門戸出入之事
 門戸出入之事夜中ウタガワ敷所二而ハ先我足ヨリ先ヱ可出刀鞘供二ヌキカケテ我首之上二カフリテ出入ス可シ三方ノワザワイ止ルナリ其上ワ時二自分自分ノハタラキ有ルべし
読み
 門戸出入の事 夜中疑わしき所にては 先ず我が足より先へ出すべし 刀鞘ともに抜きかけて我が首の上にかぶりて出入すベし 三方の禍止める也 其の上は時に自分自分の働き有るべし

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2018年5月 6日 (日)

曽田本その1の5居合兵法極意秘訣読み解く1老父物語5雷電その3

曽田本その1
5.居合兵法極意秘訣読み解く
1、老父物語
5雷電その3
 惣躰足を踏み付けずに躰のいつかぬ様に浮きうきと立って右の事を行うべし敵と気分のくいあわぬ様に我はてきと別々と成る心也
 敵は〆合わせうとするを此方わ夫々移らすふわりと出合ふよしふわりとせねは右云う夫々の変出事無し
 考えるべし右のはたらきを敵がすれば此方の負けとなる事の上にて是より外の仕筋無深く工夫あるべし
 修行のこうはくと勇気とおく病と此二つのちがいばかり也
 此所は我と得道すべし外人より教がたし我が心に合点して無理に事をせず気分一ぱいにはたらき見るべし
 此上にいかぬはふたんれんか心まとひえ合点せぬか吾おく病か真剱の時は天命天運外になし
 當流印可居合柄口六寸の勝軍用の剱是口伝免べきこと此外無し
  この部分の老父物語は、足の踏み方を解いています。前回の仕筋を満足する為には足踏みは踏み付ける様ではダメだと云います。体も居付くことを嫌って浮きうきと立てと言っています。
 居付けば即座に変に応じられないものです。竹刀剣道を習われた方はどうした理合なのか、歩み足の時は爪先を床に押し付ける様にして足先から進み体は遅れて踏み出した足に乗って行きます。爪先で滑り出て、爪先を蹴って前進する、何とも不思議な歩行です。
 防具を付けた試合では、右足前で左足踵を浮かし、右足から飛び込み左足が追い足となって居付かない様に飛び込んで竹刀を振っています。
 速さと強さに頼らない前回の業の動作では、足先を浮かし踵を床から離さない浮き浮きとした摺足で居付かない事で成り立ちます。
 
 敵は自分の業に掛かる様に我を誘導して来るので、何をするか分からない「フワリとした出合い」を心懸けろ。
 是等を考えないで、敵が行えば此方の負けと云います。古流剣術は「かたち」バカリ出来ても術が決まらなければ斬られてしまうのです。
 全身が其の業をなすために活躍して呉れなければならないのです。
 修行の厚い薄い、勇気と臆病の二つの違いを理解しろと云いています。修行を重ね本物を身に付け勇気をもって応じろというのでしょう。
 
 この心得は自分で得道することであって他人では教えられない、自分の心で合点せよと云います。
 できもしないのに無理しても役に立たない、今の力を出し切るだけだ、その上でダメなのは、鍛錬足らずか、心が迷い、合点して居ないか、臆病かであろう。
 真剣での勝負では天命天運以外に無いよと突き放されます。
 当流の印可は居合に依る柄口六寸の軍用の剱である、是は口伝だから、このほかには無い。この教えの通り修行せよと云います。
 この無双神傳英信流居合兵法の失念した極意「柄口六寸は敵の柄口也」別のところで読み解きます。

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曽田本その1の5居合兵法極意秘訣読み解く1老父物語4雷電その2

曽田本その1
5.居合兵法極意秘訣読み解く
1、老父物語
4雷電その2
 雷電 両方八相にて打合敵我が右をうくれば亦左え打所を此方より打落し跡え引き敵打をはずし亦引上げ下げ曲尺合心に能々修行無くては成り難し
 太刀おっ取てするするとゆく故切ればきるべし切らずば切るまじ
 亦するすると行かずして身を沈み車にかまえ敵切ってかゝる其拍子をうけず其間合を勝事我心に浮み我より出づべしと知るべし
 亦太刀をあだ切をして二の太刀にて勝位も有是も我より気にのりてゆくべし
 亦相懸にて敵来る時先に敵の太刀をころして勝位有古人和卜刀とも云えり
 亦敵先に切って懸る時左右えひらき勝位有り、みな我気のはたらき也
 亦太刀を敵え差懸切らせて引きすかして跡を切位有
 亦時によりて青眼にかまえて身を能くかこい敵より切一度にすり込鍔きわにて勝位有
 亦敵打時我が太刀をかぶり請又はうけ流して勝位有
 亦敵打時身をしずみちんたいにて敵の手首を打払いて勝位有
 亦中墨を打ち払ひて勝位も有
* 
 ここは、雷電についての様々な展開を書いているようです。然しよく読んでみると前回までの二刀によるものとは違う様です。
 両方八相に構え打ち合う、敵我が右を打って来るので請ければ、亦左へ打込んで来る処を、此方から打ち落してしまい、後に退て敵の打ちを外し、亦上、下と打ち合う間合いの心持ちは能々修行しなければ会得し難いものである。
 太刀を取ってスルスルと間に接するので、切れば切る、切らずば切らずの心持ちである。
 亦、スルスルと行かずに、身を沈めて車に構える、敵切って懸かるその拍子を敵刀を受けずにその敵の切って来る間合いを期して勝事、是は我が心に浮かび上がりむしろ我から斬りかかって勝つものと知るべきである。敵の斬り間は我が斬り間です。車に構えれば左肩を敵にさらす様な構えですから敵が左肩に斬り込んで来る拍子に敵の小手に斬り込み勝。
 是は真陰流(新陰流)の三学円の太刀一刀両断を思わせます。
 
 次の亦、「太刀をあだ切をして二の太刀にて勝」は、八相から大きく斬り込む風にして、敵が受けずして外すや、空を斬った太刀を残して誘いう、あるいは斬り流して誘い、ここぞと斬り込んで来る処を筋を替って斬り込み勝。
 これも真陰流(新陰流)の九箇の必勝か逆風であろうと思います。
 
 次の亦は「古人和卜とも云えり」と業名を先に出しています。これも真陰流(新陰流)の九箇の太刀の四本目和卜であれば敵は上段から我が青眼に構える左拳に打ち込んで来るのを、太刀を上げずに打ち落し敵の喉に切先を付けて勝。打ち込んで来る敵の太刀に十文字に乗って打ち落すとでも言ったらいいのでしょう。太刀を上げて叩き落すのでは、落すと同時勝にはなれません。
 
 次の亦、「敵先に切って懸る時左右え開き勝」は高く八相に構える左肘を斬って来るので左肘を引き付けて外して右に踏込み左と踏込み、打ち外された敵の左拳を上から切り下ろす。元に戻って、左肘を再び深く切って来るので左足を左前に踏込み体を左に披き上から敵の右腕に斬り下ろす。
 これは真陰流(新陰流)の天狗抄の花車とも言えます。「みな我気のはたらき也」と添えられています。敵の太刀に触れる事無く、外すや斬るの一拍子です。
 次の亦、「太刀を敵え差懸切らせて引きすかして跡を切る」この「太刀を敵え差懸け」がどのようなものかで悩みます。竹刀剣道などでは、敵に突き込む様にして払わせて其の拍子に乗って打つ、などの事も有るでしょう。
 ここは、真陰流(新陰流)の業の様ですから、太刀を払わせるのではお粗末です。そこで敵に太刀を持った拳ごと差し懸け、ここぞと拳に切り込んで来るのを外すや斬り込む、九箇の太刀の十太刀かくねり打ちが該当しそうです。
 次の亦は、「時によって青眼に構えて身を能く囲い敵より切一度に摺り込み鍔際にて勝」は青眼ですから真陰流(新陰流)であれば、切先は敵の左眼に付け、左拳は左脇前、右拳は正中線上でしょう。
 是で身を能く囲い、になりました。敵より左拳を切って来るので其の拍子に先ほどの和卜の要領で敵刀を落とし鍔際から摺り込み喉を突く。これは天狗抄の明身の様です。
 次の亦は、「敵打時我が太刀をかぶり請亦はうけ流して勝位有」といいます。敵が打ち込んで来るのを請けて廻し打ちして、あるいは請けるや請け流して打込むのでしょう。いずれも敵の打ち込む刀を受ける拍子を捉えて打ち込む、のですがこれは真陰流(新陰流)の基本でしょう。
 廻し打ち、はね打ち、によるものの様です。
 次の亦は、「敵打時我身を沈み沈躰にて敵の手首を打ち払ひて勝」是は先ほどの九箇の十太刀のくねり打ち、あるいは三学円の太刀の半開半向で青眼に構えた左拳を切って来るので左手を右上腕に引き付け敵の斬り込みを外すや腰を落とし膝をぐっと下げる様にして敵の手首を斬り払う。
 次の亦は、「中墨を打拂ひて勝」。この中墨の言葉は中心軸(正中線)と云えばいいのでしょう。真陰流(新陰流)の使いでしょう。これは抜けがありすぎて思いつくことが出来ません。
 新陰流の独特の「合し打」が語られていません。双方上段から真向に斬り下ろします。敵が我が真向に打ち込んで来るのをわずかに遅れて同様に斬り込み敵太刀を打ち落して敵の真向を斬り下ろす極意業です。「中墨を打拂う」の払うが気になります。
 此処までの読み解くは、この古伝を研究するに当たり、尾張柳生新陰流の名古屋春風館道場の関東支部長赤羽根龍夫、大介父子に入門し学んでいます。
 江戸初期から中期の他流にも同様の業は存在するかもしれませんが、土佐に持ち込まれた無双神傳英信流居合兵法は第九代林六太夫守政が江戸で身に付けたもので、剣術の師匠は真陰流の大森六郎左衛門と明記されています。
 真陰流・新陰流の違いは不勉強ですが上泉伊勢守信綱の流であれば柳生新陰流が脈打っていても間違いないでしょう。
 
 
 
 
 
 
 
 

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曽田本その1の5居合兵法極意秘訣読み解く1老父物語3惣捲

曽田本その1
5.居合兵法極意秘訣読み解く
1、老父物語
3惣捲
 総捲 片手に持打込左の手に而とらゆるつりあい大事
*
 この短い文章は雷電の続きかも知れません。
 日本刀はこの時代太刀を両手で持つものとして作られています。平安時代には片手打ちの太刀も使われていたかと思いますが、敢えて「片手に持ち打込」・「左の手に而とらゆる(捕ゆる)」・「つりあい(釣合)大事」と右手に太刀、左手に小太刀を示唆してその扱いは左右(太刀と小太刀)の釣合いが大事と云うのです。
 前回の雷電の二刀の構えは無形から、小太刀で左眼を差し、太刀で右眼を差す、小太刀の切先に太刀を乗せる様にして肩の高さ位で詰めていく、円明流の円曲の構えをして見ます。
 相手は我が円曲の構えで攻めて来るので、太刀と小太刀の交点を上段から叩き落としに来る。
 我は、円曲を解いて交点を開き相手の太刀に空を斬らせる、相手再び上段に振り冠らんとする所を小太刀で押さえ、同時に太刀で相手の左面なり首を打つ。
 この左右の釣合が大切だというのでしょう。
 小太刀で相手の打込みを受けるとか、小太刀で相手の振り上げんとする太刀を押えるなど小手先の事ではすぐに崩されてしまいます。
 左の手の内はもちろんの事、切先から腕、肩、背骨、腰、膝、足までが十分働かなければ請け太刀にはなりません。
 請けるや否や、右手の太刀で思う所に斬り込んで制するわけですからその釣合いは自得する以外に有りません。
 稽古では易しく打込んでくれますが、それでは術を得る事は出来ず、形ばかりの真似事になってしまいます。
 形を申し合わせの演武位に考える人には「かたちをまねられてもくずされる」事が理解できないでしょう。
 形は本来剣術の術理を充分稽古し身に付けて、即座に応じられる術を学ぶものです。
 形に依る術理を疎かにした者が勝てるのは、「強くて速い動き」ばかりです。これでは、年と共にたちまち元気旺盛な若者に打ち負かされてしまうか、体を壊して役立たずになってしまうでしょう。そんなものは武術ではありません。
 武術は死ぬまで進化しなければ、意味の無い棒振りです。

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曽田本その1の5居合兵法極意秘訣読み解く1老父物語2雷電その1

曽田本その1
5.居合兵法極意秘訣読み解く
1、老父物語
2雷電その1
 雷電 片手に持ひっさげ敵の両目へ突込むや否や跡へ引き 亦 敵打ちかくる処を請込 敵の右の足を打ちはずし打也 是極一刀石甲万字軍用の太刀 口伝大事
 この雷電は片手で刀を持ち、右手に太刀、左手に小太刀を持ち無形の構えを想像させますです。そうでなければ「敵の両目へ突き込む」に続きません。
 僅かに右足前、右手に太刀を切先を右足の線上、左手に小太刀を切先を左足の線上に引っ提げて立つ。
 スルスルと間を詰め乍ら小太刀の刃を外向けにして相手の右眼に付け、太刀も同様にして相手の左眼に付けて間境に至りぐっと右足を踏み込み突き込むや否や右足を退いて間を外す。
 相手打たんとする所を間を外されて右足を踏み込み、我が頭上に打ち込んで来る処を左足を踏み出し同時に小太刀で相手の太刀を左半身で請け、右足を踏み替え右半身で相手の右足膝に打込み勝。
 「敵の右の足を打ちはずし打也」の処は、相手の右足を「打ち払う様に打つ」と解釈すれば、体を右、左と躱しながら応じる。
 是、極め(是極)の一刀である、石甲は折甲で体当たりする。
 万字は卍、四方八方とも受け取れます。
 軍用の太刀は、想いが及びません。
 口伝があるからよく聞いて置けとでもいうのでしょう。
 
 二刀であれば、宮本武蔵を描きます。此の当時の真陰流が柳生新陰流であれば、尾張柳生に伝わる宮本武蔵の円明流が近そうです。
 

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曽田本その1の5居合兵法極意秘訣読み解く1老父物語1

曽田本その1
5.居合兵法極意秘訣読み解く
1、老父物語
読み解く
 「老父物語を書付置久しき事故失念之事多しあらまし此の如覚候儘記申也」
 この書き出しで始まる「居合兵法極意秘訣」は難解です。何を言っているのかさっぱり解らず、曽田先生の文字とにらめっこするばかりです。
 読めても意味が解らないのは、「かたちは出来ても剣術にならない」のと同じです。何処を斬っているのか不思議な居合みたいです。言われた通りやっているのにぼこぼこにされこれでは、かたなど無い方がましです。
 この居合兵法極意秘訣を書き残したのは林政詡記「明和元申歳猛冬吉辰賜之」と末尾の奥書があります。
 土佐の居合の第十代林安大夫政詡が之を書いて明和元年申歳1764年甲申(つちのえさる歳)猛冬吉辰(もうとうは10月の辰の日)に、第十一代大黒元右衛門清勝が之を第十代林大夫政詡から賜ったのでしょう。
 老父とは第十代林安大夫政詡の父第九代林六大夫守政の事でしょう。九代が語ってくれたことを十代が思い出しながら書いて十一代に贈ったものなのでしょう。
 老父の第九代林六大夫守政は寛文2年1662年生まれ享保17年1732年に70歳で亡くなっています。
 第十代林林安大夫政詡が「居合兵法極意秘訣」を書き記したのが明和元年1764年ですから、第九代林六大夫守政の死後32年後の事になります。
 「久しき事故失念之事多し」も素直な書き出しです。
 「あらまし此の如く覚え候儘記し申す」大凡このようだったと覚えているまま書いておくよと言います。
 神傳流秘書は業の手附で技の手順などを書きあらわしたものですが、これは日常の武士の心得や業の術理を述べています。
 現代居合では、指導出来る人も無く学べない、戦国時代の名残を持つ江戸中期の心得や今では迷信扱いされることなども含まれています。
 始祖林崎甚助重信公も長谷川英信や荒井勢哲なども、城主でもなく主を持たない武士と農民の堺を生きた武術家だったと思われますのでその身分は低いもので高度な戦術や政治論には至っていません。林六大夫守政も料理番です。
 読み進みますと、剣術の術理に於いては学ぶべき内容が豊富に書き込まれています。第九代林六大夫守政の剣術の師匠は大森流の創始者大森六郎左衛門です真陰流(新陰流?)がチラつきます。
 宮本武蔵の二刀の心得も何処で誰に習ったのかチラつきます。
 神傳流秘書の大森流居合之事の書き出しに「此の居合と申すは大森六郎の流也、英信に格段意味相違無き故に話して守政翁是を入れ候、六郎左衛門は守政先生剣術の師也、真陰流也、上泉伊勢守信綱之流五本の仕形有と言う、或は武蔵守卍石甲二刀至極の伝来守政先生限りにて絶(曽田メモ 此の五本の仕形の絶えたるは残念也守政先生の伝書見当たらず)」
*
上泉信綱之流五本は恐らく三学円の太刀による五本(一刀両断・斬釘截鉄・半開半向・右旋左転・長短一味)でしょう。柳生新陰流ならば時代的には古流の三学でもその江戸遣でも尾張遣でも可能ですが真陰流ならば戦国期の名残の濃いものかも知れません。
 「思いつくままに」読み進んでゆきます。
 
 

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2018年5月 5日 (土)

曽田本その1の5居合兵法極意秘訣原文1老父物語2読み下し

曽田本その1
5.居合兵法極意秘訣原文
1、老父物語原文
2読み下し
 老父物語を書き付け置く、久しき事故失念の事多し、あらまし此の如く覚え候まま記し申す也
 雷電、片手に持ち引っ提げ敵の両眼へ突き込むや否や跡へ退き亦敵打かくる処を請込、敵の右の足を打弛し打つ也
 是極一刀石甲万字軍用太刀口伝大事
 惣捲り片手に持ち打込み左の手にて捕らゆる、釣合い大事
 雷電、両方八相にて打ち合う、敵我が右を打ち、受ければ亦左へ打所を此方より打ち落し跡へ退く、敵打つを外し亦打つ、引き上げ下げ、曲尺合心に能々修行なくては成り難し、太刀おっとってスルスルと行く、敵切れば切るべし切らずば切るまじ。
 亦スルスルと行かずして身を沈み、車に構え敵切って懸かる其拍子を受けず其間合いを勝事我心に浮かび我より出べくと知るべし
 亦太刀をあだ切をして二の太刀にて勝つ位も有り、是も我より気に乗りて行くベシ。
 亦相懸かりにて敵来る時、先に敵の太刀を殺して勝位有り、古人和卜刀とも云えり
 亦敵先に切って懸かる時左右へ開き勝位有り皆我が気の働き也
 亦太刀を敵へ差し懸け切らせて引き空かして跡を切る位有り
 亦時に依りて青眼に構えて身を能く囲い敵より切一度に摺り込み鍔きわにて勝位有り
 亦敵打つ時我が太刀を冠り請け、亦は請け流して勝位有り
 亦敵打つ時我が身を沈み沈体にて敵の手首を打拂いて勝位有り
 亦中墨を打ち払いて勝位も有り惣躰足を踏み付けずに躰の居着かぬ様に浮き浮きと立って右の事を行うべし、敵と気分の喰い合わぬ様に我は敵と別々となる心也、敵は〆合わせようとするを此方は夫々に移らす、ふわりと出合うよし、ふわりとせねば右云う夫々の事出る事無し考えるべし。
 右の働きを敵がすれば此方の負と成る事の上にて是より外の仕筋無し、深く工夫有るべし。
 修行の厚薄と勇気と臆病と此の二つの違いばかり也。此の所は我と得道すべし、外人より教え難し、我が心に合点して無理に事をせず、気分一杯に働き見るべし、此の上に行かぬは不鍛錬か心惑い得合点せぬか吾臆病か真剱の時は天命天運外に無し、當流の印可居合柄口六寸の勝、軍用の剱是口伝、免るべき事この他に無し。

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曽田本その1の5居合兵法極意秘訣原文1老父物語1

曾田本その1
5.居合兵法極意秘訣原文
1、老父物語
1老父物語
 老父物語ヲ書付置久敷事故失念之事多シ荒増如此覚候侭記申也
 雷電、片手二持ヒッサケ敵ノ両眼ヱ突込否跡ヱ引亦敵打カクル処ヲ請込敵之右ノ足ヲ打ハズシ打也是極一刀石甲万字軍用太刀口伝大事
 惣捲片手二持打込左ノ手二而トラユルツリ合大事
 
 雷電両方八相二而打合敵我ガ右を打ウクレバ(受クレバ)亦左ヱ打所ヲ此方ヨリ打落シ跡ヱ引敵打ヲハヅシ亦打引上ゲ下ゲ曲尺合心二能ク修行ナクテハ難成
 太刀於ッ取テスルスルトユク敵切レバキルベシ切ラズバ切ルマジ亦スルスルト不行而身ヲ沈ミ車二カマエ敵切ッテカヽル其拍子ヲウケズ其間合ヲ勝事我心二浮ミ可出ッ與我知ベシ
 亦太刀ヲアダ切ヲシテ二ノ太刀二而勝位モ有是モ與我気二ノリテ行ク可シ
 亦相懸二而敵来ル時先二敵ノ太刀をコロシテ勝位有古人和卜刀トモ云ヱリ
 亦敵先二切ッテ懸ル時左右ヱヒラキ勝位有リ皆我気ノハタラキ也
 亦太刀ヲ敵ヱ差懸切ラセテ引キスカシテ(空ヲ切ラセテ)跡ヲ切位有
 亦與時而青眼二カマエテ身ヲ能クカコイ敵與切一度二スリ込鍔キワニテ勝位有
 亦敵打時我ガ太刀ヲカフリ(冠)請亦ハ受ケ流シテ勝位有
 亦敵打時我身ヲシズミチンタイニテ敵之手首ヲ打拂ヒテ勝位有
 亦中墨ヲ打拂ヒテ勝位モ有
 惣体足ヲ踏不附躰ノイツカヌ様二浮キウキト立ッテ立右之事ヲ行フベシ敵ト気分ノクヒアワヌ様二我ハテキト別々ト成心也敵ワ〆合ワセウトスルヲ此方ワ夫々移ラスフワリト出合フヨシフワリトセ子ハ右云夫々ノ変出事無シ可考右之ハタラキヲ敵ガスレバ此方ノ負ト成ル事ノ上ニテ是ヨリ外ノ仕筋無深ク工夫有ㇽ可シ
 修行ノコウハク(厚薄)ト勇気トオク病ト此二つノチガイバカリ也
 此所ハ我ト得道スベシ外人ヨリ教ガタシ我ガ心二合点而無理二事ヲセズ気分一パヒ二ハタラキ見ル可シ此上二イカヌワフタンレン(不鍛錬)カ心マドヒヱ合点セヌカ吾ヲク病カ真剣之時ハ天命外二ナシ當流ノ印可居合柄口六寸ノ勝軍用ノ剱是口伝可免事此外無シ
読み次回
 

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曽田本その1の5居合兵法極意秘訣原文書き出し

曽田本その1
5.居合兵法極意秘訣原文・読み解く
書き出し
目録口授覚
    山川幸雅
印可口授覚
 
居合兵法極意秘訣
(英信流居合口授秘訣)
(戦火の為原本焼失せるならん 写本であるが恐らく之が原本だろう)
読み解く
 昭和20年7月高知への米軍による無差別爆撃によって原本は失われ、是が原本だろうと曽田虎彦先生は書き込まれています。
 曽田先生は戦後昭和25年1950年に亡くなられています。
 その後昭和57年1982年に夢想神傳流の木村栄寿先生によって細川家から借りられた伝書を元に発行された「林崎抜刀術兵法夢想神傳重信流傳書集及び業手付解説」で、此の伝書も新たに陽の眼を見ています。
P65~P92に相当し「老父物語を書置・・」に始まるものです。
 お陰様で、曽田本との対比も出来、木村栄寿本は解説がありませんので、ここで拙いながら解説を施し、土佐の居合の根元に触れる事が可能となり後世に引き継げる武術の有り様を目の当たりに出来ます。
 既に神傳流秘書の居合の解説などに先取りさせて解説をしておりますが改めて書き下ろして見たいと思います。
 
 

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2018年5月 4日 (金)

曽田本その1の4居合根元之巻読み解く6小藤亀江伝来の目録後書

曽田本その1
4.居合根元之巻読み解く
6、小藤亀江伝来の目録
後書
右九ヶ條者深秘之極意也非真實之人者努々不可有相伝者也
無雙直伝英信流居合就多年御熱心太刀次悉令相伝□ 向後御嗜専要候御所望之仁於有之者兼而其之人之取四罰文御指南尤可仍許免之状如件
 明治三十四年六月十五日  
 谷村樵夫 自庸
 小藤亀江殿
読み解く
 右九ヶ條は深秘の極意也 真実の人に非ざれば努々相伝有るべからずのものなり。
 無双直伝英信流居合を多年御熱心に就き太刀次悉く相伝せしむ 向後 お嗜み専ら要し候 御所望の仁之有るに於いては かねてその人の四罰文を取り御指南し 尤もにつき免許の状よって件の如し
 明治三十四年(1901年)六月十五日
 谷村樵夫 自庸
 小藤亀江殿

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2018年5月 3日 (木)

曽田本その1の4居合根元之巻読み解く6小藤亀江伝来の目録27獅子之洞出之大事28獅子之洞入之大事

曽田本その1
4.居合根元之巻読み解く
6、小藤亀江伝来の目録
23無雙直伝英信流居合目録
居合心持肝要之大事
1、捕手和合居合心持之大事
2、立合心之大事
3、太刀目附事
4、野中之幕之大事
5、夜之太刀之大事
6、閨之大事
7、潜り之大事戸脇之事
8、獅子之洞出之事
9、獅子之洞入之事
読み解く
 獅子洞入、獅子洞出として古伝に有ります。
 獅子洞入
 是以戸口抔を入るの習い也其の外とても心得あるべし
 或は取り籠り者抔戸口の内に刀を振り上げて居るときは容易に入る事不能
 其の時刀を抜いて背に負うたる如くに右の手にて振り上げ左の手にて脇差を下げ俯きて戸口を入るべし
 上より打込めば刀にて防ぎ下をなぐれば脇差にて留る、向うの足をなぐべし
 獅子洞出是以て胴出入の心得を知らす也
戸口などを出入する場合の心得として、入り口の奥で刀を振り上げて待つ敵が居る途察したらば、刀を右手に持って背に負う様に持ち、脇差は下げて俯いて戸口を入る。
 上から切り下ろされたならば刀で防ぎ、下をなぐってきたら脇指で留める。相手の足を薙ぐべし。
 出入共に使える心得である。
 
 

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2018年5月 2日 (水)

曽田本その1の4居合根元之巻読み解く6小藤亀江伝来の目録26潜り之大事戸脇之事

曽田本その1
4.居合根元之巻読み解く
6、小藤亀江伝来の目録
23無雙直伝英信流居合目録
居合心持肝要之大事
1、捕手和合居合心持之大事
2、立合心之大事
3、太刀目附事
4、野中之幕之大事
5、夜之太刀之大事
6、閨之大事
7、潜り之大事戸脇之事
8、獅子之洞出之事
9、獅子之洞入之事
・読み解く
古伝では「泳之大事 附 戸脇」があります。
 旅にても常にても夜寝るに気がかり感ずる其の家に戸框抔あらば、其の戸框の内に手水鉢か亦桶の類にても置くべし、不意に入り来る者は是につまずき騒動するなり其所を仕留る也
 惣じて首より先へ入るをきろう足より先へ入るべし
 
 附けたり、戸脇と云うは夜中に戸口を入るに必ず内裏我を切らんと心懸けて戸脇に振り上て居ると思うときは、直に戸口を入る事無く、杖抔を持合たらば其れをちらりと内へ差し出し見べし、もし内に待ち設けて居るときは夜中の事なれば必ず其れに切り付くべし杖を出して見てかっちりと何ぞ當らば其のまま内に飛入るべし
 猶予否やする時は害有りかっちりと當るや否や飛び入るときは二の太刀をかえすに暇無き故害せらるる事なし
 潜りの大事なのか泳ぎの大事なのか、何れでもない夜中に戸口を中に入る心得です。戸の框の辺りに手水鉢や桶があれば置いて、不意に踏み込んで来てもつまずいて騒ぐので其処を斬る。大方首から入らずに足から入って来るものである。
 附けたりとして、戸脇では中に入ろうとする時、刀を振り上げて待ち受けていると思う時、直ぐに入らずに杖などを持って居たならば、それをちらりと差し出して見る。もし待ち受けているならばそれに切りつけて来るので、かちりとあたってくれば、其のまま飛び込んでしまう。
 敵は二の太刀を振るう暇がないので害せられることはない。
 

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曽田本その1の4居合根元之巻読み解く6小藤亀江伝来の目録25閨之大事

曽田本その1
4.居合根元之巻読み解く
6、小藤亀江伝来の目録
25無雙直伝英信流居合目録
居合心持肝要之大事
1、捕手和合居合心持之大事
2、立合心之大事
3、太刀目附事
4、野中之幕之大事
5、夜之太刀之大事
6、閨之大事
7潜り之大事戸脇之事
8、獅子之洞出之事
9、獅子之洞入之大事
読み解く
6、閨之大事
 古伝「居合心持肝要之大事」の5番目に「閨之大事」があります。
 旅抔に泊る時夜中気遣敷時か又常にも用心有る時は、先ず笄隠しを用べし、笄隠しと云うは行燈の土器に楊枝を横に渡し笄を火の上にそっと置く也、火消たる如し、入用なれば笄を除くれば火明か也。
 扨其間に戸口あらば畳を一枚はぎて其の戸にもたせ楊枝を柄にして置くべし、外より戸を明くれば楊枝に畳もたせて有る故に畳速やかに倒るゝ也、寝て居ると云え共其の音に驚かずと云う事なし。
 また急なる時は我は座の隅に座し、寝床は座の真中に我が伏し居る如くに見せて置くべし。
 亦ゆるやかなる時は、四方より糸を十文字に引渡し其の糸を入口の戸に付け置て、茶碗に茶を入れ其の茶碗を糸の十文字の違目にからめ付、我が顔をその茶碗の下へやりて寝るべし、外より戸を明る(開ける)時は、糸動く故其水こぼれて我が面に落る故驚くなり、是を夢間の寝覚と云う也。
 又常にいため紙の水呑を拵て四方に穴を明て懐中すべし、右の茶碗の代わりに用いる也、尤枕本に大小を置くことなく、刀の下緒に脇差を通し刀の下緒の端しを手に持て寝べし火急のとき大小を否や取って指すに宜し。
 旅などで気遣わしい時の用心の方法を述べています。行燈の土器に楊枝を渡してその上に笄をのせて火が消えた様にして置き、事あれば笄を取り外せば明るくなって応じやすくなる。
 畳を一枚、楊枝を支えにして入り口の戸に立てかけて置けば、外から戸を開けても畳が倒れてその音に驚いて目が覚める。
 急に危険を察知したら部屋の隅に座し、寝床は部屋の真中に寝て居る様に見せかけて置け。
 直ぐに襲われると云う事でもないならば、糸を戸に付け十文字に部屋に引き渡して置いて十文字の交点に茶碗に茶を入れて吊るし、その下に寝れば、外から戸を開ければ茶がこぼれて驚いて気が付く。是を夢間の寝覚めと云う。
 いため紙で水呑を拵ておいて四方に穴を開け茶碗の代用とする。
 枕許に大小を置かずに刀の下緒に脇差を通して置いて、下緒を手に持って寝れば急な時にも応じられる。
 方法はともかく、なんとなく危険を感じる時の用心はして置くべきでしょう。地震や水害、不意の侵入者など現代にも通じる心得ですが、疎かにしているようです。
 せめて枕元に懐中電灯、携帯ラジオ、携帯電話、2日分ぐらいの食糧、雨具や防寒具。あれもこれもと思う間に疎かになっています。

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曽田本その1の4居合根元之巻読み解く6小藤亀江伝来の目録24夜之太刀之大事

曽田本その1
4.居合根元之巻読み解く
6、小藤亀江伝来の目録
24無雙直伝英信流居合目録
居合心持肝要之大事
1、捕手和合心持之大事
2、立合心之大事
3、太刀目附事
4、野中之幕之大事
5、夜之太刀之大事
6、閨之大事
7、潜り之大事戸脇之事
8、獅子之洞出之事
9、獅子之洞入之事
読み解く
5、夜之太刀之大事
 古伝「居合心持肝要之大事」の5番目も「夜之太刀」ですから同じものと判断してもいいでしょう。
夜之太刀
 夜中の仕合には我れは白き物きを着るべし敵の太刀筋能見ゆるなり場合も能知るゝものなり放(ハズレ)口もなり安し白き肌着抔を着をたらば上着の肩を脱ぐべし構えは夜中には下段宜し敵の足のを薙ぐ心得肝要なり或は不意に下段になして敵に倒れたると見せて足を薙ぐ心得も有る可し
 夜中に仕合うには、我は白い物を着るのが良い、敵の太刀筋良く見えるし、場の状況も良く知れるものである。放し口(外し口)も容易である。
 白い肌着などを着ているならば上着の肩を脱いでおくのが良い。
 構えは夜中には下段が良い、敵の足を薙ぐ心得を肝要とする。不意に下段にすれば敵は倒れたと思う隙に足を薙ぐ心得も持つものである。
 白い着物は敵からも見付けやすい筈ですが、かえって敵の状況や周囲の状況が判断しやすいと云います。真っ暗闇ではどうかと思いますが、多少の光があれば白い着物に反射して見やすいというのでしょう。
 夜中の構えは下段が良いと言っています。見ようとすれば上ばかり気にする、其処を足を薙げというのでしょう。
 不意に下段にすれば敵は我が倒れたと思うので隙をついて足を薙ぐのだとも言っています。状況次第ではあり得ることかも知れません。この辺は素直に受け取って孫子の「兵は詭道なり」を考える処でしょう。
 河野先生の居合の哲学は、一方的先制攻撃を嫌っていますが、少々考えさせられます。
 敵が害意をもって攻撃して来たので機先を制して先制攻撃する、そのために腕を磨くのは大切な事です。
 しかし、それではただの早い、強いばかりの稽古に過ぎずより早い強い者には勝てない事になってしまいます。
 居合の鞘の内の理念「相手を圧する心意気を以て鞘放れの瞬時に相手を制すること、これ即ち居合の生命にして鞘の内と言う」、」抜刀する以前に為す勝つべき施策が術となるはずです。
 
 「兵は詭道也」は、戦闘行為は敵を欺く行為でもあります。不能であるように見せたり、不用のものと思わせたり、近いにもかかわらず遠くに見せたり、遠いものを近く見せたり、敵に利がある様に思わせ誘い込んだり、攪乱したり、充実していない様に見せたり、強いのに弱く見せたり、敵を驕らせたり、・・、隙を見せて敵の弱点を突く、や、不意の攻撃などによって戦術は成り立つものです。
 
 
 
 
 
 

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2018年4月26日 (木)

無双直伝英信流の型 終りに

無双直伝英信流の型
終りに
 この大江先生・河野先生・福井先生の教本に依る「無双直伝英信流の型」のブログをアップしました処、先師を名指しで揶揄している、道を学ぶものとして不遜では無いかと仰る方もおられた様です。
 このブログは、「思いつくままに」を表題としています。然し決して頭で勝手に考えた事を書き連ねているわけではありません。
 資料を掲げそれに基づいた私見を述べるのは当然の事です。資料も読まず、稽古も疎かな人にとやかく言われるものではないでしょう。
 
 何故そうする、理解できない、教本は有っても読まないでビデオだけですまし、其れも疎かにしてへぼな指導者に教えを受けてさらにへぼになる。
 何故を問えば「こう習った」としか答えられない。
 ひどいのは「ビデオでそうだった」と言われて愕然としたものです。
 
 大江先生は明治維新で消えそうになった土佐の居合「無双直伝英信流居合」を新たに興された中興の師であり、その教えは今にしても生きています。
 河野先生は、戦後の混乱の中で門外不出などと思っている時代錯誤の土佐人に変わって全国に居合を精神も含めて広められたのです。
 福井先生は、土佐に宗家をと意地悪な人達の中で、全国に広まったものを土佐に埋もれさせずに一人奮闘された方でもあったでしょう。しかも、河野先生の居合心と形を忠実にその教本「大日本居合道図譜」に随って指導されたのです。
 
 此のブログを書かざるを得なかったのは、ある地区の組太刀を拝見して、「何故そうする」の疑問がふつふつと沸き上がり、大江先生や河野先生、福井先生の教本がありながらそれを無視している事。
 ビデオを見て勝手に解釈した半端な指導者の教えを良しとして地区指導にあたり、いつの間にか組太刀を演舞にしてしまったのが悲しくて仕方がなかったのです。
 土佐英信流の組太刀を書かれた大田次吉先生が「弟子たる者師匠の出来ない事でもやれ」と仰った言葉を思う時「教本に書かれた事が全てである、師匠の動作では不十分な処もあろう、教本をよく読み、よく考えて修行せよ」との意味もあると思うのです。
 武術を口にしながら武術を学ばない「事」への反発心の為せるものです。
 
 今日の日本の状況を眺めて、最も日本人らしいが、反面世界に対応できない愚者を生み出す「間違っていても上司の方針に従う事」によって「安住の地としての居場所を求める」情けない封建時代の名残や先の大戦時の心根に由来すると思えて仕方がありません。
 そして、我慢できなくなった者によって「内部告発」され、恥をさらし信頼を失う事が日本企業に頻繁です。
 それが、この居合と云う日本の伝統ある古典武術の世界にも、あやまちを押し通す輩によって脈々と宿っています。陰でグダグダ云う高段者や古参にうんざりしています。
 「嘘や、誤りで何が出来る、本物を求め、議論も出来ない、批判もさせない者に武術を学ぶ資格はない」位の根性がほしいと思ったものです。
 そして、「何故」と問えば、「福井先生の教えに従った」と返されて、其れならば徹底的に資料を集め本物は何かを求めた次第です。
 
 この「無双直伝英信流の型」のブログに幾つもその地区の「勝手な解釈」として掲載してあります。
 勝手に解釈して福井先生と異なる運剣動作を自分の道場内で行うのは勝手ですが、何も解らない初心の者に其れも他道場の者にも推奨するのはどうかと思います。
 我々のやり方が正しいというならば、その手附を教本として世に問い、福井先生の教本と異なる理由も明確にされ指導すべきでしょう。
 
 形は、申し合わせの踊りではありません。まして演武会用の出し物ではありません。形を稽古して他流にも勝てるだけの力量を求められている事を忘れてしまえば、時代劇を演ずる役者に劣るとしか言いようは有りません。
 居合という一人演武で何をしているのか、何処を切っているのか武的演舞を得々と演ずる踊り手が、形を正しく学ぶ事によって、魅力ある武術を修業する姿を見たいものです。
 
「思いつくままに」
 2018年4月26日にアップした投稿に2018年5月8日一部加筆訂正して投稿いたしました。
 
 
 
 

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2018年4月25日 (水)

無双直伝英信流の型  福井聖山先生の看取り稽古の7真方の3

無双直伝英信流の型
福井聖山先生の看取り稽古の7真方の3
参考資料
福井虎雄聖山平成3年1982年太刀打之位ビデオ
その他
打太刀八相、仕太刀中段にて前進す。
 平成21年、24年のある地区の演武会のビデオで稽古して見ます。
 先ず21年のビデオから、仕は右足前の中段、打は左足前の八相。八相は剣道型の八相です。
 重岡昇先生監修の全解日本剣道形より。
 「諸手上段の構えから、そのまま右拳を肩のあたりまで下ろした形で、刀をとる位置は、鍔を口の高さにし、口からほぼ拳一つ離す。構えるときは、左足を踏み出し、刀を中段から大きく諸手左上段に振り被ぶる気持ちで構える。刃先は相手に向ける」
 ビデオでは、6本目の受流より双方中段で五歩下がっています。仕は下った位置で中段、打は左足を踏み出し八相に取りつつ右足を退く。
 剣道形の八相ですから一刀流の八相でしょう。解説では「左足を踏み出し・・」で足の踏み替えは文章上見られません。
 間合いを保つには、右足前で中段で元の位置に戻ったら、右足の位置に左足を踏み揃え、左足の位置に右足を退き、相手との間を保つべきです。
 間に接するや打太刀上段となり真向に斬込まんとするを、仕太刀機先を制して右足を踏込み上段より敵刀諸共その真向に斬下して勝つ。
 打太刀は左足より一歩退き第一本目の要領で受ける。
 
24年のある地区のビデオです。
 打は左足前で剣道形の八相、仕は右足前で中段。双方同時に出足から歩み寄ります。仕の足裁きが、爪先で滑り出る是も竹刀剣道の歩み足でしかも中段の構えで上体を稍々前懸りにして大股に進むようです。中段から打の喉元を突く気なのでしょう、そこで上体が前に伏せる様になるのでしょう。
 打は左・右・左と出て右足を左足に揃えると同時に上段に振り冠っています。この上段は切先上がり45度の大上段です。
 右足を踏み込み斬り込まんとしたが仕に圧せられて踏み込めず上段になったというところを演じたのでしょう。
 打が上段に振り冠る時、仕は中段で切先は仕の喉元を狙って間境に達しています。
 上段に振り冠る際、打の切先は切先上がり45度。仕の上段は切先下がりの背中に45度です。
 
 
 是では打が仕の小手を楽々斬り落せます。細部に亘った研究が全く出来ていないとしか言いようは有りません。
 居合の先生は、礼式と残心ばかりで剣術の道理が疎かです。
 
 見せる演武として演じるならば、仕は中段で間境に達する前に、左足を踏むや上段に振り冠る。
 打が右足を踏出さんとする時、仕は右足を踏込み突きに行けば払い落されてしまうか、真向に斬り下ろされます。
 
 双方切先上がりの上段で仕が機先を制して打に先んじて右足を踏込み真向に斬り下ろすかでしょう。
 
 しかし、素早いだけのものでは、真向打ちに達した者に「合し打ち」で斬り落されて頭を割らてしまいます。
 
 何の疑問も無く、居合の形だけで、それも河野先生の教えのままの形を稽古しても形だけでは斬られてしまいます。
 
 形は申し合わせの踊りでは無かったのです。
 
 無双直伝英信流の型 福井聖山先生の看取り稽古を終ります。
 後書きはまた明日・・・

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2018年4月24日 (火)

無双直伝英信流の型  福井聖山先生の看取り稽古の7真方の2

無双直伝英信流の型
福井聖山先生の看取り稽古の7真方の2
参考資料
 前回同様
 打太刀八相、仕太刀中段にて前進す。

 仕、右足・左足・右足と歩み足で出て三歩目右足が出た時、歩みを止めています。打は八相ですから左・右・左と歩みより止まります。
 何度も言いますが、仕切り直しをするような、この一時ストップの意味は何でしょう。教本には一言も触れられていません。仕の福井先生が留まるので打も止まっていると見るのでしょうか、それとも打が止まるので仕も合わせる、剣術のセオリーの一つでしょうか。
 抜き身の刀を構えながら、無駄な動作を見せるそれも仕打共に同じであるのは何でしょう。
 その様に組太刀を指導されておられる先生からお聞きしたい処です。
 間に接するや打太刀上段となり真向に斬込まんとするを、仕太刀機先を制して右足を踏込み上段より敵刀諸共その真向に斬下ろして勝つ。
 打太刀は左足より一歩退き第一本目の要領にて受ける。
 仕打双方とも、申し合わせの様に三歩目で打は八相に構えたまま左足前、仕は中段に構えたまま右足前で立ち止まります。
 其処から、打が八相から右足を踏み込み乍ら上段に振り冠る、「仕機先を制して」と有るのですが、打と同時に中段から左足を踏込み上段へ振り冠ります。
 打は八相ですから上段への振り冠は仕と初動が一緒であれば先に上段に冠れるものです。仕は中段ですから遅れるはずです。ビデオを止めてみますと其の通りでは無く、頭上に水平になるのは同時です。打は其処から真向に振り下ろす気勢です。
 仕は其処から背中に45度切先下がりで止まった位置から左足を踏込み上段、打は右足踏み込み床に水平の上段。その足のまま斬り下ろせるのにそこで受太刀に転じています。仕の刀は上段床に水平
 やれやれ、申し合わせの真方ですから、打太刀が待ってあげているのでしょう。正しい運剣を理解させるために教本があるのです、映像は教本を守らず状況変化の対応したものになってしまいがちです。それで仕打のありようが崩れておかしなものになってしまいます。其の為余計に、足の数や気勢や残心やにばかり気を入れた映像になってしまうのでしょう。
 教程の一環として残す映像は教本に正しくあってほしいものです。河野先生の「機先を制して」の文言は、動作に顕れず気持ちばかりであまり参考になりません。
 河野先生のビデオを見ながら教本と検証して稽古して見ます。
 河野先生の仕太刀中段に構え「前進す」ですから間違ってはいないでしょうが、ちょこちょこと走り込んで、立ち止まる事も無く右・左・右・左・右足で斬り込んでいます。
 打の状況はビデオに写されていないので不明です。
 仕の打込みを右足を左に向け、左足も左を向いた可笑しな足踏みで大きく開き、上体を前に掛けた受太刀となって受けています。此のビデオでは打の攻撃など感じられず仕の一方的な攻撃と思われます。
 河野先生の居合にも見られる河野流の運剣なのでしょう。大日本居合道図譜の文章および写真の姿は何処にも見られません。河野先生は昭和49年77歳でお亡くなりになっておられます。このビデオは昭和44年のものですから72歳の頃のものです。大日本居合道図譜の写真は昭和16,7年のものでしょう。32年ほど前45歳ころの写真です。写真は動きませんがフィニッシュの形は見事です。そこから運剣を逆に回して見る事も本物を求める人は心すべきでしょう。
 次回はある地区のビデオで稽古して見ます。
 
 
 
 

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2018年4月23日 (月)

無双直伝英信流の型 福井聖山先生の看取り稽古の7真方の1

無双直伝英信流の型
福井聖山先生の看取り稽古の7真方の1
参考資料
福井聖山著平成3年1993年無双直伝英信流之形
平成2年1992年第9回無雙直伝英信流雙雙居合道全国大会講習資料太刀打之位要旨
福井虎雄聖山昭和57年1982年太刀打之位ビデオ
河野百錬著昭和17年1942年大日本居合道図譜
河野百錬昭和44年1969年太刀打之位ビデオ
大江正路堀田捨次郎共著大正7年1018年剣道手ほどき
その他
 打太刀八相、仕太刀中段にて前進す。間に接するや打太刀上段となり真向に斬込まんとするを、仕太刀機先を制して右足を踏込み上段より敵刀諸共その真向に斬下して勝つ。打太刀は左足より一歩退き第一本目の要領にて受ける。次に打太刀は左足より追足にて二歩退き双方中段となり刀を合わせ、打太刀は三歩出で仕太刀は三歩退きて元の位置に戻り、互に五歩後退して血振い納刀す。
 古伝神傳流秘書の太刀打之事の11本目に「打込」という業があります。抜けだらけですが「相懸又は打太刀待処へ遣方より詰て打込み勝也」
 古伝はたった是だけです。構えも自分で考えろという大らかなもので、仕が一方的に詰めて打ち込み勝、というもので場の想定もおおらかなものです。
 明治の後半に第15代5谷村亀之丞-楠目繁次-谷村樵夫-土居亀江(曽田虎彦実兄)と伝わった古伝太刀打之位10本めは業附口伝として「打込一本」が残されています。
「(伝書になし口伝有り留の打込なり)仕打中段 双方真向に物打にて刀を合し青眼に直り退く」と有ります。
 双方正眼に構え、相懸かりに間に至り上段に振り冠むって、真向に打ち下ろします。これは新陰流の合し打ちです。
 切先を上に上段となり、打が右足を踏み込んで仕の真向に斬り込みます。仕も打の斬り込みを受けるのではなく、右足を踏み込み打の真向に真直ぐ斬り込んで、打の刀を打ち外して打の真向に斬り込みます。新陰流之極意のわざでしょう。細部にわたって手附を書いて見ても、映像を残しても出来ない者にはこの術は出来ません。
 そこで、大江先生の真方は、打が斬り込まんと右足を踏出さんとするを、仕は其の機先を制して打の真向に斬り下ろし、打は圧せられ左足、右足と追足に退いて、柄を左に切先を右上にして前額頭上で之を受ける、ものに変えてしまったのでしょう。 
 第19代福井春政先生の古伝太刀打之位の十本目留之剱では「なし(打込一本、但し伝書になし)仕打中段 互に進み間合にて真向より物打あたりにて軽く打合ひ(音を立てゝ強く撃ち合ふ意にあらず)更に青眼に直りて残心を示し正しき位に復す」
 合し打ちの術のありようは知っていたが、伝書として伝え切れてはいません。これ以上は無双直伝英信流では学べそうもありません。自ら自得するか、本物を求めて武者修行するだけです。かたちやじゅんばんは教えてもらえても、全てを忘れて学ばない限り術にならないのが古流剣術です。
 大江先生が古伝を改変して創作した真方
 請流で双方退いて青眼となっています。
「打太刀は其儘にて左足を出して八相となり、仕太刀は青眼のまゝ左足より小さく五歩退き上段となり、右足より交叉的に五歩充分踏み込みて、打太刀の真面を物打にて斬り込む、打太刀は右足より五歩出で仕太刀を斬り込むと同時に左足より右足と追足にて退り、青眼のまゝ残心を示し互に五歩引き元の位置に戻り血拭い刀を納む。
 大江先生の構えは、打は八相、仕は上段でした。
 第18代穂岐山先生の直弟子野村條吉先生の場合、無双直伝英信流居合道能参考では仕上段、打は受流の終った位置で青眼です。
 大江先生の直弟子山本宅治先生は打は中央に其のまゝ左足を出して八相、仕は青眼より五歩下がり右上段。
 大江先生の直弟子政岡壱實先生は打は青眼、仕は上段です。
 福井先生の教本では打は八相、仕は中段と変わっています。
 福井先生の教本は河野先生の写しですから打は八相、仕は中段です。
 何処かで河野先生は変えてしまったのでしょう。大正7年から昭和17年ですから24年間のうちの事です。
 但し河野先生は昭和8年の無双直伝英信流居合術全では打は請流の終りの位置で八相、仕は五歩退いて青眼より上段です。
 従って昭和8年から17年の9年間で何かがあったのでしょう。実は河野先生は曽田先生に古伝の指導を受けていますからその業附口伝に依れば打込一本が古伝の太刀打之位に有ります、其処には仕打中段と書かれています。
 事実は判りませんが、変える理由の示されないまま変えてしまって公に出してしまいますとそれがその道統に通用化してしまうものです。
 これが土佐の居合の面白い処でもあり、何でもありのいい加減な処でもあるのです。それは正統宗家を持たずに繋いできた事に由来するかもしれません。上手は出ても名人は出ないかもしれません。
 次回は福井先生の教本を読んで、ビデオで確認して稽古して見ます。

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第12・13回古伝研究の集い

土佐の居合 古伝神傳流秘書

による古伝研究の集い

 第12回・13回古伝研究の集い

 古伝神傳流秘書を曽田虎彦先生の書き写された

 直筆本から読み解いて同じ思いの仲間を募って、

 その古伝研究をやってまいりました。

 今回は第12回目・13回目の御案内をいたします。

内容:古伝神傳流秘書による大剣取、 

  古伝英信流目録による小太刀之位

 講義とか実演では無く、参加していただき木刀及び小木刀を持って古伝の解釈及び形の稽古をご一緒にさせていただきます。
 
異なる伝承の方々と一つの教本から古伝研究を実施する中で、「私はこの『古伝』はこう解釈する」と自由な考え方から幾つもの疑問を解きほぐして見たいと思います。
 
ご参加いただいた方が、師匠であるとご認識いただければ幸いです。

、期日

 12:平成30年5月24日(木)  
      
13時00分~17時00分
   
見田記念体育館 多目的室

 13回:平成30年6月14日(木)
   
15時00分~17時00分
   
鎌倉体育館 格技室

 

   :平成30年6月28日(木)

   15時00分~17:00分

   見田記念体育館 多目的室

、住所:鎌倉体育館 
 
 248-0014
     
神奈川県鎌倉市由比ガ浜2-9-9
  
   TEL0467-24-3553

 :見田記念体育館 多目的室
    
248-0014
    
神奈川県鎌倉市由比ガ浜2-13-21
    
TEL0467-24-1415

 、アクセス:JR横須賀線・総武線快速

 鎌倉駅東口下車海岸方向へ 徒歩10分
    
(駐車場鎌倉体育館にあり)

、費用:会場費等の割勘のみ(500円)

、参加の御連絡はこのブログへコメント
  
 していただくか直接ご来場ください。 

、会名:湘南居合道研修会 鎌倉道場

御案内責任者: ミツヒラ

                平成30年4月23日

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2018年4月22日 (日)

無双直伝英信流の形 福井聖山先生の看取り稽古の6受流の3

無双直伝英信流の型
福井聖山先生の看取り稽古の6受流の3
参考資料
前回と同じ
 双方納刀のまま静かに前進し、間に至るや打太刀は抜刀し上段より真向を斬下す。
註、打太刀は左手を鯉口に把りながら右足より前進し、左足を進めつつ柄に右手をかけるや右足を進めて刀を抜きかけ、次に左足にて抜きとりて上段となり右足を踏込みて斬下す。
 平成21年のある地区のビデオを稽古して見ます。このビデオの参考は福井先生の無双直伝英信流太刀打之位と聞いています。
 先ず立姿です、仕太刀はこの地区の会長でしょう。帯刀して両足をハの字にしていますが、踵が離れて如何にも「戦うぞ」と云った風情でいただけません。
 打太刀は自然体で右足は仕太刀の方に向き、左足は左に披いた足捌きで之は古流を知っているかの構えです。
 打は、「左手を鯉口に把り静かに右足より前進する」のが教本です。
 両手を下げたまま右足を踏み出し、左足を踏み、右足を出す時に鯉口を把っています。これは教本を無視して習ったものでしょう。仕の動作を真似たのでしょう。
 すたすた歩み行き、敵との間などお構いなしの様です。演武の為稽古を重ねた様ですが、申し合わせの稽古のタイミング合わせが丸見えです。
 左足を踏み込む時上段に振り冠って斬り下ろします。振り冠りは、柄を上に抜き上げ左肩から冠り、切先上を向いた上段で、振り冠ると斬り下ろすが一拍子です。
 振り冠りの形はこの方が自然で良いのですが、この上段では腰が十分入った体全体が鞭のように使われませんと斬撃力が切先に伝わりません。
 英信流居合の背中に45度切先下がりの振り冠は、間が悪く、急げば手打ちになりやすく棒振りになってしまいます。
 斬り下ろして受け流されるや体を低く俯くのですが、仕の刀に触れただけで受け流されていない様です。
 仕太刀は右足、左足、右足と出で柄に手をかけるや左足を右足の右側に大きく踏出しながら刀を抜き、右足を左足の右後方に踏込み上体を左に披きながら打太刀の刀を受流す。
註、上体を剣先と共に左に廻しながら後に反らせ前額上に刀表を上にして斜に構え敵刀を摺落す。
*
平成21年のある地区のビデオの仕太刀の打の斬り込みに対する動作です。右足、左足、右足と歩み左手を鯉口に、右手を柄に同時に掛け、左足を右足前に斜め右に踏み出し刀を上に抜き上げ、右足を右斜め前に踏込み、体を左に披き、打の刀を左肩を覆う様に受け流すと云うより摺落しています。
 左足を右足の右側に大きく踏み出しますと、仕の体軸は右に一尺はずれます、打が斬り下ろさんとした仕の真向は一尺は、打の左に外される、更に仕は打の刀を受ける前に右足を右斜め前に踏み込んでいますから、打の刀を顔前頭上で受ける必要は無く、刀の中程やや鍔よりで摺り落す事になります。この仕の足捌きは打に接近する捌き方ですから、次の斬り下ろしに影響します。
 仕太刀は敵刀を受流すや諸手となり、右足を左足の位置に踏揃え(体を左側に向ける)中腰にて打太刀の首に斬下す。次に元に復しつつ中段となり五歩後退す。(納刀せず)
 仕は左足を右足の前に爪先を右に向けて踏出して、刀を抜き上げ、右足を右斜め前に踏み込んでしまったので、打の打ち下ろす刀は、仕の右肩より一尺程右に摺り落ちています。仕は受け流すために右足を左足に踏み揃える必要も無く、体は左に披いてしまっていますからその必要すらないのです。打が申し合わせ通り体を前に伏せていますから、右足に左足に引き付け、更に右足左足後方に退いて間を作ってから斬り下ろしています。
 教本の教えは何処に行ったのでしょう。演武会では観衆は刀の動き位のところしか目が行かないのですが、足の踏み方一つ間違えれば正しい運剣は失われます。実戦で打は摺り落されて体を前に屈めてしまう様な、斬り込みをするでしょうか。
 常の稽古ではしっかり体幹を立てて崩れない斬り下ろしを学んでいるのです。組太刀ではそうしないなどと言う稽古に問題が有りそうです。
 平成25年のビデオで稽古して見ます。
 仕打双方右足、左足、右足と三歩出た処で同時に刀に手をかけています。これは21年と同じです。打は四歩目左足を踏込みながら刀を上に抜き上げ床に水平の上段から右足を踏み込み仕の真向に斬り下ろします。
 仕は四歩目の左足の踏み込みは右足の前に爪先を前にして踏込み刀を抜き乍ら上体を右に傾け、五歩目の右足を右斜め前に21年と同様に踏み出して刀を顔前頭上に構えているのですが既に体は左に披き、打の斬り下ろす所から外されています。打の刀は仕の物打下で摺落されています。
 仕は右足踏み込んで受けていますから、左足は右足前に踏み込んだままの位置です。打の刀を摺り下すや諸手上段となり、左足を右足に引き付け斬り下ろす間隔を作って打の首に斬り下しています。
 21年と同様ですが、教本とは異なります。奥居合立業の受流や正座の部の受流で散々違うと言って足裁きを注意されているのに、組太刀の受流では応用問題の解き方だと云った考え方をもししているとしたら、受け流しの術は身につかずに終わってしまうでしょう。居合ばかりの専門家の陥る欠点を追求しませんと形はただの踊りです。
 次回は無双直伝英信流の型の七本目真方になります。
 
 
 
 
 
 
 

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2018年4月21日 (土)

無双直伝英信流之型 福井聖山先生の看取り稽古の6受流の2

無双直伝英信流の型
福井聖山先生の看取り稽古の6受流の2
参考資料
文献前回と同じ
河野百錬昭和44年1969年太刀打之位ビデオ
福井虎雄聖山昭和57年1982年太刀打之位ビデオ
その他
 双方納刀のまま静かに前進し、間に至るや打太刀は抜刀し上段より仕太刀の真向を斬下す。
註、打太刀は左手を鯉口に把りながら右足より前進し、左足を進めつつ柄に右手をかけるや右足を進めて刀を抜きかけ、次に左足にて抜とりて上段となり右足を踏込みて斬下す。
 まず、河野百錬先生のビデオによって稽古します。
 受流の初動は相進みですが、打が起こすものです。残念ながらこのビデオの撮影者は仕の河野先生の歩む姿ばかりアップして打の姿は刀を抜き出した処からしか撮っていません。 
 このビデオ撮影は演武会の切り取りでは無く、参考の為に撮影されたものの様です。これでは参考になりません。河野先生の崇拝者でしょう。崇拝は崇拝、術は術なのに困ったものです。
 仕方がありません打の様子は教本から類推します。
 双方の刀を鞘に納めての立姿は結び立ちですから、現代の無双直伝英信流の立姿でしょう。
 双方戦いを意図した立姿であれば、右足稍々前に左足爪先を45度位左に向け其の爪先は右足の中程にあり、右足の踵の線上に左足の踵がある様に立つものでしょう。今後の考慮の処でしょう。
 双方納刀のまま、打は鯉口に左手を把り右足を出し、左足を進めつつ右手を柄にかけるや、右足を出しながら刀を抜き、左足を出して刀を抜き取り上段に振り冠って、右足を踏出して斬下します。上段への振り冠は無双直伝英信流の切先下がりです。
 同じ場面での福井先生のビデオでの稽古です。
 打は右足を出し鯉口を把り、何故か左足・右足と駈足となり、左足を踏み込んで刀を抜き取り、右足を踏込みながら大きく後ろに反って切先下がりの上段から、右足を踏んで斬下します。
 仕太刀は右足、左足、右足と出で柄に手をかけるや左足を右足の右側に大きく踏出しながら刀を抜き、右足を左足の右後方に踏込み上体を左に抜きながら打太刀の刀を受流す。
註、上体を剣先と共に左に廻しながら後に反らせ前額上に刀表を上にして斜に構え敵刀を摺落す。
 河野先生のビデオで稽古して見ます。
 河野先生の仕太刀は、右足を出すや左手で鯉口を把り、左足、右足と進み、四歩目左足出る時、上体を稍々左に披きながら右手を柄に掛け抜出しながら左足をチョンと踏んでから稍々右に踏み出し、体を左に披きながら刀を前額上に抜き上げ、打の斬込みを受けています。
 打の刀が仕の刀と触れ合うや流されています。体を開く動作は出来ていても足が伴っていないのは、打が勝手に摺落される動作を演じてしまい、仕は左足前、右足後ろで上体を左に披いて捻じれた時その足のまま、摺落しているのです。
 福井先生のビデオで稽古して見ます。
 出足の右足を出す前に鯉口を把っているます。
 右足を出し、左足で柄に手をかけ、右足が出る時稍々抜きかけ、ここから小足で駆け出し左足爪先を稍々進行方向左に向けて踏み出し刀を抜き出し、右足を右前に踏み込んで斬り込んで来る打の刀を摺り落しています。
 体を右に変わってしまっていますから、前額上にたとえ見事に構えられても、是は逃げ流しであって受け流しとは言い難い。
 左足を右足の右側に踏込み打の刀を受けるや、右足を右に(左足の右後ろに)踏込み体を左に披きながら、右足を左足に揃えるならば受け流しになるでしょう。正座の受け流しや奥居合の受流ではで出来ても対敵が居ては出来なくなるのではおかしいでしょう。
 現代居合の受け流しは、ガチッと受けてからよいしょと流すとか、逃げ流しであったり疑問です。
 仕太刀は敵刀を受け流すや諸手となり、右足を左足の位置に踏揃え(上体を左斜に向ける)中腰にて打太刀の首に斬下す。
 次に元に復しつつ中段となり五歩後退す。(納刀せず)
* 
 河野先生の仕太刀はこの右足を左足に踏揃えは、左足を右足に踏揃えてしまっています。
 前の受け流しの動作で左足を踏み込むや前額上で相手刀を受けています。その際受け流す動作の一環として右足を左足の右後方に踏み込んでいません。
 左足前、右足後です。体だけ捻じったものですから打との間を調整出来ていませんから、近くなりすぎ左足を右足に引き付け、打が無理やり伏した首に斬り込んでいるのでしょう。
 残念ですが、教本に随わず、受け流しの真似に終わっています。
 福井先生の仕太刀は、右足を右斜め前に踏み込んだのですが、間が悪く、右足を左足に揃えられず、左足を右足に引き揃えて打の首に斬り込んでいます。
 さすが咄嗟の状況判断は素晴らしい、と云うのもいいのですが、真似しか出来ない剣士もいるのです。急がず正しい動作、特に足捌きには見せてほしいものです。
 受け流しは受けて流すであって、摺落すのとは意味が違います。打も斬り込まんとする時仕の中心軸が右に移動していくのを見定めて正しく真向に打ち下ろす、それを仕は受け流すことを学ぶものでしょう。
 真剣などで稽古しますと、刀を傷つけまい、失敗した時も心配だでは、武術は術にならず武的踊りになってしまいます。
 中学生向きに開発された形では、打が「どうぞここに斬り込んでください」と首を指し出しますが、普段の居合の稽古は、体軸をしっかり立てて、膝上まで斬り込んでも崩れない稽古をしています。組太刀だから別などと言う事は有り得ません。
 次回ももう少しビデオで稽古して見ます。
 

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曽田本その1の4居合根元之巻読み解く6小藤亀江伝来の目録23の中野之幕之大事

曽田本その1
4.居合根元之巻読み解く
6、小藤亀江伝来の目録
23無雙直伝英信流居合目録
 
居合心持肝要之大事
 
1、捕手和合居合心持之大事
2、立合心之大事
3、太刀目附事
4、野中之幕之大事
5、夜之太刀之大事
6、閨之大事
7、潜り之大事戸脇之事
8、獅子之洞出之事
9、獅子之洞入之事
読み解く
、野中之幕之大事
 小藤亀江伝来の目録には居合心持肝要之大事は目録の表題9項目が記載されています、古伝「居合心持肝要之大事」でも表題は9項目なのですが表題が以下の通りです。
番目及び2番目は小藤亀江伝来の目録とは表題が違います。3番目以降は同じと見ていいでしょう。
居合心持肝要之大事 付 大小指違之事
1、居合心持立合之大事 大小指違
2、太刀組附位
3、太刀目附之大事
4、野中之幕
5、夜之太刀
6、閨之大事
7、泳之大事(潜り之大事)
8、獅子洞入
9、獅子洞出
、野中之幕
 取籠者抔の有の時杖の先き或は竹の先に又横手をくゝり付け其横手を羽織の袖に通し其竹の本を左の手に持て向えさし出し右の手に刀を持ち生捕なれば木刀の類を持ち我身は羽織の陰に隠れ羽織をば相手の方へつき付べし向より切ると云へ共我身にはとゞく事なし其所を持ちたる刀にて相手の足を薙ぐべし亦矢玉を防ぐに至て宜し

*
 小屋内に入って居る取籠者などを成敗する時は、竹の先に横手を十文字に括り付けその横手に羽織の袖を通し、竹の本を左手で持って向こうへ差出し、右手に刀を持って、生捕る場合は木刀で、我が身は羽織の陰に隠れ、相手の方へ突き付けていく、向こうより切って来ても羽織に切りつけるのでとどくことはない。其処を持っている刀で相手の足を薙ぎ払うのである。亦矢玉なども羽織で防ぐのにも至って宜しい。

 何故か、ほのぼのとした古き良き時代の風景が浮かんできます。効果のほどは、相手が見境なく上気して、我は沈着冷静、ほの暗い納屋などを想像してしまいます。

 身を守る事は、行政や警察など自らの自己責任では無く社会環境が為す事位の現代日本人の脳天気では、野中之幕は漫画です。

 しかし、武術は人の心を推し量る能力も養う事でなせるものだろうと思います。

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2018年4月20日 (金)

無双直伝英信流の型 福井聖山先生の看取り稽古の6受流の1

無双直伝英信流の型
福井聖山先生の看取り稽古の6受流の1
参考資料
福井虎雄聖山著平成3年1993年無双直伝英信流之形
福井虎雄聖山先生昭和57年1982年ビデオ
河野百錬著昭和17年1942年大日本居合道図譜
大江正路・堀田捨次郎共著大正7年1918年剣道手ほどき
その他
 双方納刀のまま静かに前進し、間に至るや打太刀は抜刀し上段より仕太刀の真向を斬下す。
註、打太刀は左手を鯉口に把りながら右足より前進し、左足を進めつつ柄に右手をかけるや右足を進めて刀を抜かけ、次に左足にて抜きとりて上段となり右足を踏込みて斬下す。
 仕太刀は右足、左足、右足と出で柄に手をかけるや左足を右足の右側に大きく踏出しながら刀を抜き、右足を左足の右後方に踏込み上体を左に披きながら打太刀の刀を受流す。
註、上体を剣先と共に左に廻しながら後に反らせ前額上に刀表を上にして斜に構え敵刀を摺落す。
 仕太刀は敵刀を受流すや諸手となり、右足を左足の位置に踏揃え(体を左斜に向ける)中腰にて打太刀の首に斬下す。次に元に復しつつ中段となり五歩後退す。(納刀せず)
 受流は、大江正路先生が無双直伝英信流の型七本を制定される時に正座の部、あるいは奥居合立業の部の受流から独創されたと思われます。業名は「請流」です。
「刀を腰に差したるまゝ、静に出で打太刀は刀を抜きつゝ左、右足と踏み出し上段より正面を斬り、體を前に流す、仕太刀は左足を右足の側面に出し、刀を右頭上に上げ受け流し左足を踏み変へ右足を左足に揃へて體を左へ向け打太刀の首を斬る、仕太刀は左足より左斜へ踏み、打太刀は左足より後へ踏み、退きて青眼となり次の本目に移る」
 参考に、大江先生の大正7年の剣道手ほどきの奥居合18番目「受け流し」
 「(進行中左足を右足の前に踏出し身を變して請流す)左足を出すとき、其左足を右斜に踏み出し、中腰となり、刀の柄元を左膝頭の下として、刀を抜き直に其手を頭上に上げ、刀を斜めとし、體を左斜前より後へ捻る心持にて受け流し、左足を踏みしめ、右足に揃へ、右拳を右肩上に頭上へ廻し下し、上體を稍や前に屈めると同時に真直ぐに左斜を斬る、揃へたる足踏みより左足を後へ引き、血拭ひ刀を納む。」
 左足の踏み方が「左足を右足の前」に踏み出す、は無双直伝英信流の型の受流と違います「左足を右足の側面」でしたこの違いは何故でしょう。
 刀を抜く以前の「柄元を左膝頭の下」にして刀を抜き出す、何とも理由の解からない抜方も変です。奥居合の受流を型に取り込んだならば同じ足運び、刀の抜き方などさせるべきでしょう。
 無双直伝英信流の中興の祖として、業を伝承する礎は築かれた神様扱いは、それはそれで理解しますが、おかしなところはおかしいのです。
 大江先生の奥居合の受流も古伝同様相手の刀を頭上で受けるや左足に右足を退き付けて斬り込んでいます。「右足を左足に揃へ」て体を左へ向けています。
 参考に、古伝神傳流秘書太刀打之事の三本目に請流があるのですが其れは、「遣方も高山相手も高山或は肩へ構えるかの中也、待つ処へ遣方歩み行き右の足にて出合う打込を打太刀請、扨打太刀の方より少し引て裏を八相に打を左足にて出合うて留め、相手又打たんと冠るを直にそのまま面へ突込み、相手八相に払うを従って上へ取り右の足にて真甲へ勝」
 古伝の抜刀心持は英信流奥居合に相当するのですが大江先生の奥居合立業の部の受流は有りません。大江先生の独創でしょう。
 大森流居合之事の中に座した時の請流として流刀という呼称で現在の「受流」があります。「左の肩より切って懸るを、踏み出し抜付け左足を踏込み抜請けに請流し、右足を左の方へ踏込み打込む也、扨刀を脛へ取り逆手に取り直し納める、膝をつく」これを立居合に工夫したのでしょう。この受け流しは、まともに相手の刀を請けとめ、即座に右足を左足に踏み揃え体を左に変わりつつ受け流すのでしょう。
 右足を右後ろ或は、右に一旦踏み込んで相手刀を外す様な動作は有りません。
 現代の正座の受流も、奥居合の受流も、組太刀の受流も打の刀を受ける際右足を左足の右方に踏込み「逃げ流して」から右足を左足に踏み揃えています。受けるのではなく、相手の刀を避けてしまい、物打ち手前で摺落しているようなものです。
 次回は、福井先生のビデオと教本を手許に拝見しながら稽古をして見ます。
 
 
 
 

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曽田本その1の4居合根元之巻読み解く6小藤亀江伝来の目録22太刀目附事

曽田本その1
4.居合根元之巻読み解く
6、小藤亀江伝来の目録
22無雙直伝英信流居合目録
 
居合心持肝要之大事
 
1、捕手和合居合心持之大事
2、立合心之大事
3、太刀目附事
4、野中之幕之大事
5、夜之太刀之大事
6、閨之大事
7、潜り之大事戸脇之事
8、獅子之洞出之事
9、獅子之洞入之事
読み解く
、太刀目附事
 小藤亀江伝来の目録には居合心持肝要之大事は目録の表題9項目が記載されています、古伝「居合心持肝要之大事」でも表題は9項目なのですが表題が以下の通りです。
番目及び2番目は小藤亀江伝来の目録とは表題が違います。3番目以降は同じと見ていいでしょう。
居合心持肝要之大事 付 大小指違之事
1、居合心持立合之大事 大小指違
2、太刀組附位
3、太刀目附之大事
4、野中之幕
5、夜之太刀
6、閨之大事
7、泳之大事(潜り之大事)
8、獅子洞入
9、獅子洞出
3、太刀目附之大事
 敵の足に目を付けべし是にて場合能く知るゝのみにてならず臆せざる也是を上見ぬわしの位とも云うなり心は下に有って事さ上に速に応ずる油断無の心なり

*立合いの目付は敵の足に目を付ける事、是によって場合の状況を良く知る事が出来るものである。それだけでは無く臆する事も無い。
上を見ぬ鷲之位とも云うのである。心は下にあって事が上にあり速やかに応ずる油断の無い心である。

 「事さ上に速に応ずる」の「事さ」は解読不明ですが、敵の足に目付けをしていれば、敵との間合いも、動作の起こりも把握可能なので心を下に澄ませて置き、上での起こる事に速やかに応ずる油断なき心の目付というのでしょう。

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2018年4月19日 (木)

無双直伝英信流の型 福井聖山先生の看取り稽古の5鍔留の3

無双直伝英信流の型
福井聖山先生の看取り稽古の5鍔留の3
参考資料
福井虎雄聖山著平成3年1993年無雙直伝英信流之形
その他ビデオ
 大江正路先生の無双直伝英信流の型は、ある地区では太刀打之位と古伝の呼称を使っています。
 是は河野百錬先生が大日本居合道図譜で無双直伝英信流居合道形(太刀打の位)とされたためその道統の道場では太刀打之位が通用してしまっています。
 大江先生は古伝太刀打之事を知りながら普及版7本の組太刀を工夫し中学生に指導したと思われます。
 7本中、出合(出合)・拳取(附入)・絶妙剣(請入、請込)・鍔留(月影)が古伝の借用です。括弧内の呼称が古伝です。
 独妙剣・受流・真方は古伝を参考にした独創でしょう。
 大江先生が独創された無双直伝英信流の型を河野先生が少しいじってしまいましたが概ね其の侭です。その詳しい部分は業解説の際話してきました。
 今回は河野先生の大日本居合道図譜にある無双直伝英信流居合道形を元にされた福井聖山先生の教本及びビデオを元にある地区の鍔留を稽古して見ます。
 居合が主となる先生は業技法の意味する術の重さが良くわからないと見え、福井先生のビデオで形を真似る事に終始してしまった様で疑問だらけでした。
 ただ、素晴らしいのは業に入るまでの礼法、立合い前の態度、技が決まった後の残心などは見習うものを示されています。
 打太刀中段、仕太刀下段より前進す。双方間に接するや上段となり、大きく相手の真向に斬下し相打となる。
 註、このとき刃の接する部分は頭より少し上部になる。
 ある地区の平成21年の演武をビデオで見ながら稽古して見ます。
 双方、右足、左足と前進し右足出る時上段に十分振り冠って、切先45度切先下がりに居合の斬り下ろしなら見事です。
 右足が着地と同時に真向斬込み、双方の中間で鎬を合わせると云いたいのですが、仕は略真向に斬り込めていますが、打は稍々刀が右に倒れ十文字受けになってしまっています。
 仕の振り冠りから斬り下ろしが打よりやや早く、打が遅れたため刃筋が狂ったものの様です。 
 真向打は打が先に打ち込み仕が応ずるのが基本ですが、此処ではただ申し合わせの形を打っているのでしょう。教本の刃の接する部分は頭より少し上部にはならず、接した部分は鍔元2寸程の所で頭の高さより少し下です。
 これは間が近すぎ、切先が相手に当たらない配慮の為せるものの様です。相打の状況が鍔合わせになった様なものです。先に打ち込んだ仕の拳が打の下になっています。これも先に打ち込み拳を下げて待ったためでしょう。
 互に右足を進めて腰を落し、鎬を削る如く摺込みて鍔元にて押合う。註、腰を退かず、互に丹田にて押合うべし。
 双方十分鍔を押し弾きて互に右足を退き、体を右に披き左半身となり脇構えとなる。
 既に相打ちの段階で押合う形は出来てしまった、其処で腰を落とし、右足は申し訳程度に摺り込み一回押合い、弾く様に双方同時に右足を後方に退いて脇構になっています。
 脇構の形は撮影が打の後方稍々右からですから良く判りません。見える範囲で言えば双方何故か腰を落とした半身で切先は稍々後ろ右尻の方にあり、刀が相手に見えない様に気を遣ったと言えるのでしょうか。
 切先の高さは尻の下ぐらいですから下段より高い、刃は何故か右向きです。仕は見えません。
 打太刀直ちに上段に変じて右足を踏込むや仕太刀の左股(膝口)に左斜下に斬下すを、仕太刀直ちに左足を十分大きく後方に退きて空を打たせ、上段となるや直ちに打太刀の真向に斬下す。註、間合遠きときは右足を少し踏込みて斬下すこと。
 打は直ちに上段に変じていますが、今度の上段の刀は床に水平です。どうも上段の振り冠の定義がばらつく様です。唯急いだから掟は無視なのでしょう。
 仕は打が振り冠る時は既に、右肩まで刀を振り上げています。打が膝を切って来るので左足を右足に引き付け同時に上段に振り冠っています。左足の退きは右足の後方迄退いています。打の刀は右足迄流れています、それでも右足を左足に追足しないのですから、左足の退きは右足に引き付けるか、揃えるで十分でしょう。教本の十分大きく後方に退くの見本でしょうか。間が近すぎるため意識的に左足の退きが大きくなるのでしょう、不思議なのはそれだけ退いていながら、打の斬り込みを外した仕は右足を踏み込まずにそのまま上段から打の真向に斬り下ろしています。
 恐らく、打は仕の左膝を斬る際、手許を退いている可能性があります。
 平成24年のある地区のビデオで稽古して見ます。
 打中段、仕下段、双方右足から、左足、右足で振り冠り真向に打ち込み、双方の間合いの中間で鎬を合わせ刀を止めています。合刀の位置は双方の鍔元7、8寸でしょう。頭上より一拳位の位置で合わせています。
 右足を踏み込み腰を落とし一回押合い、右足を後方に退いて脇構えになります。脇構えは剣道形より稍々ゆったりした構えに見えるのは右柄手が右腰の位置、左柄手が中央やや左にあるためでしょうか。切先は膝下、刀刃は外向きです。
 打は上段に振り冠って体を屈めながら仕の左膝に上段から斜めに右足を踏み込んで斬り下ろします。この時の上段は英信流の切先下がりでは無く切先上がりから八相に斬り込んでいます。
 仕は左足を右足の後方に退き、打の斬り込みを外すや、右足を追足に左足に引き付け上段となり、右足を踏み込んで打の真向に斬り下ろします。この打の左膝への斬り込みの際福井先生も河野先生も左足を右足の後方迄大きく退いていますが、右足に引き揃えるだけで間に合いそうです。
 英信流の切先下がりの上段に振りかぶりながら間をはずしていますが、打の刀が右足の前を流れてしまっているのに右足を左足に追足させるのは踏込みの弾みをつけるためでしょうか、左足を大きく右足の後方迄退いたので連れ足させたのでしょうか。
 福井先生のビデオでは、仕は左足を大きく右足の後方に退き上段となるやその足のまま斬り込んでいます。
 演武では打の斬り下ろした切先は仕の右に流して体を屈めて「さあ斬れ」とやっていますが、こんな事は実戦では有り得ない事です。演武会での些細な変化でも後進の者は真似てしまいます。
 教本通りの演武を心がけるべきものでしょう。
次回は受流になります。
 
 
 
 

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曽田本その1の4居合根元之巻読み解く6小藤亀江伝来の目録21立合心之大事

曽田本その1
4.居合根元之巻読み解く
6、小藤亀江伝来の目録
21無雙直伝英信流居合目録
 
居合心持肝要之大事
 
1、捕手和合居合心持之大事
2、立合心之大事
3、太刀目附事
4、野中之幕之大事
5、夜之太刀之大事
6、閨之大事
7、潜り之大事戸脇之事
8、獅子之洞出之事
9、獅子之洞入之事
読み解く
2、立合心之大事
 小藤亀江伝来の目録には居合心持肝要之大事は目録の表題9項目が記載されています、古伝「居合心持肝要之大事」でも表題は9項目なのですが表題が以下の通りです。
番目及び2番目は小藤亀江伝来の目録とは表題が違います。
居合心持肝要之大事 付 大小指違之事
1、居合心持立合之大事 大小指違
2、太刀組附位
3、太刀目附之大事
4、野中之幕
5、夜之太刀
6、閨之大事
7、泳之大事(潜り之大事)
8、獅子洞入
9、獅子洞出
 前回同様、小藤亀江伝来の目録には解説がない表題だけですから此処では古伝英信流居合目録秘訣の「居合心持肝要之大事 付 大小指違之事」を参考に其の「2、太刀組附位」を解説しておきます。
2、太刀組附位
 互に太刀を打下し組付けたる所に勝あり敵の太刀より遅きと見えても上太刀と成位あり唯肝要は拳也
組付たる処にて其気先にてすぐに突べし

*互いに太刀を真向に打ち下ろし、太刀が触れ合う処に勝ちがある、敵の太刀より遅く打ち下したと見えても敵の太刀に上太刀になる位がある。唯肝要なのは拳に打ち込めたか否かである。
組み合って上太刀になるや太刀の切先にてすぐに突くべし。

 これは、どうやら新陰流の合し打ちによる十文字勝ちのようです。相手の太刀に遅れて打ち下ろし相手の太刀の上に乗り即座に相手の拳に摺り込んで突く事を言っているようです。
ここにも第九代林六太夫が大森六郎左衛門より学んだ真陰流の業が秘められているようです。

 参考に、土佐には、衣斐丹石の丹石流が山内一豊、二代山内忠義に仕え野中兼山の失脚とともに衰えています。
 上泉伊勢守の門人小笠原玄信斎が真心陰流を起こし、その弟子小林市郎左衛門の孫小林喜太夫が近江の長浜で山内一豊に抱えられ土佐に随従しています。
 柳生新陰流は柳生但馬の高弟出淵道先の次男三郎兵衛が元禄10年1697年知行三百石で仕えたが、馬術指南役国沢五郎左衛門との馬上での仕合を行い馬術に悩まされ得意の剣法が繰り出せず敗退して、それを恥じて知行を返上しています。
 また、都治月丹による無外流が宝永4年1707年頃から5代藩主山内豊房に召されて出入りがあったようです。6代藩主山内豊隆の正徳5年1715年には出入り料20人扶持が給付されています。
 その後享和5年1720年には月丹の4代目辰五郎が15人扶持格式は御小姓格江戸詰めで正式に抱えられています。無外流は土佐に根を下し明治以後土佐の無外流剣客川崎善三郎を生んでいます。

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2018年4月18日 (水)

無双直伝英信流の型 福井聖山先生の看取り稽古の5鍔留の2

無双直伝英信流の型
福井聖山先生の看取り稽古の5鍔留の2
参考資料
前回の通り
福井先生の教本に随い福井先生のビデオで稽古して見ます。
 打中段、仕下段より前進す。双方間に接するや上段となり、大きく相手の真向に斬下し相打となる。
 打中段、仕下段ですから右足から左足を踏出すや双方同時に上段となり真向に打ち合う。
この時の上段は、双方とも英信流の振り冠(背中に切先45度位深く冠る)がきちんとなされて、三歩目右足が出るや真向に斬り込みます。
 気になるのは仕打共に歩みながら深く冠ったせいか上体が反っくり返っています。仕打共に右足を踏込み真向打ち合う際右足に左足が追い足となって間を合わせています。
 真向打は鍔が口元より目の高さですが、鍔元2、3寸で合刀、従って「刃の接する部分は頭より少し上部となる」の高さでしょう。
 互に右足を進めて腰を落し、鎬を削る如く摺込みて鍔元にて押しあう。*註、腰を退かず、互に丹田にて押合うべし。双方十分鍔元を押し弾きて(引きて)互に右足を退き、体を右に披き左半身となり脇構えとなる。
 相打の位置が鍔元になっていますので、真向打の刀が触れあった時鎬を削っていた様です、と云いたいのですが、斬り下した時に鍔元で相打です。
 従って「鎬を削る如く摺り込みて」は無く、右足を進め腰を落とし押しあっています。その際の押しあいについての、方法が述べられていません。
 双方の拳で押しあっている様です。拳の位置は打が半拳高いので、拳同士の押し合いがずれてしまいました。この状況では打が押し勝てるのですが、腰高になって上体は後方に反ってしまって仕に下から押し上げられてしまっています。
 双方右脚を後方に飛ぶ様に大きく退いて脇構になっています。脇構の呼称は剣道形の言い方です。この流の古伝は「車」と言っていました。
 車の形は半身というより入見でしょう。顔は相手に向けていますが、体は明らかに進行方向に平行となっています。
 鍔が右腰を離れて見えます、従って左柄手は臍前右一拳ずれている様です、切先は30度ほど下向きです。刀刃は斜下向きの様です。
 脇構の方法は福井先生の教本には無く、河野先生の大日本居合道図譜から稽古して見ます。「刀を右脇にとり剣先を後方にして刃を斜下に向け左足を出して構ゆ、脇構は陽の構へとも云ひ八相と同様監視の構へにして敵の挙動に依りて之に応ず。すべて撃込む時は大きく振冠りて撃込む事」この解説は高野佐三郎の剣道の解説そのままです。かたちを重んずる割にはいい加減な気がします。
 剣道形では「右足を後ろにし、左半身となり、刀を右脇に剣先を後ろにし、刃先は右斜め下に向ける。剣先は下段の構えより少し下げた位置にとる。構えるときは、右足を引きながら、刀を中段から大きく右脇にとる。特に刀身が相手から見えない構えでなければならない。」(全解日本剣道形昭和57年発行重岡昇監修より)
 福井先生の脇構は剣道形を採用したものですが、英信流としてはどうすべきか研究課題でしょう。
 なぜかと言えば、脇構は「車「」であり八相は「肩又は八相」で、英信流の古伝は全て上段に振り冠るものではないからです。
 ここまでの所を河野先生のビデオをで稽古して見ます。
 仕は下段、打は中段です。相進みの様な教本の書き出しですが、河野先生しか映っていませんから打の動作が見られません。下段の河野先生の仕太刀は走り込む様にちょこちょこと進み三歩目で、床に稍々切先下がりに水平な上段に振り冠り、右足を踏出し真向打ち下しというより、刀を立てて拳合わせに拳による相打ちです。教本は拳を合わせ切先を立てて見事に押しあっていますが、ビデオはひどすぎます。
 仕は腰高で打は手ばかり突き出して、一押しして、突き放す様に切先から後方に向け右足を退いて脇構です。構えなどお構いなく、仕の刀は水平、刃は外向き、半身で鍔は中央やや右に位置しています。
 *
 脇構からの動作を稽古します。
 打も似たような構で、構えるや直に、右に崩れた上段から仕に斜めに斬り込んでいます。仕は打が斬り込むや左足を右足の後ろまで大きく退いて打の斬り込みを外し、外すや床に水平の上段からその足のまま、打の頭上に斬り込んでいます。
 教本用に写されたものなのか、演武の様子なのか判りませんが、「ゆっくり大きく正確に」と指導されたのは何処へやら、急ぐあまりに基本の形をいい加減にしてしまっています。初めて見る人にはかっこよく見えるかもしれませんが、これでは悲しくなってしまいます。教本通り演武されるのが宗家の業でしょう。
 状況変化に対応するのも宗家の業であると仰るのでしょうか。
 福井先生のビデオに戻ります。
 双方、相打ちとするや、右足を更に踏み込み、拳を合わせ一押しして、右足を退いて脇構になります。後方に退くために構えが反っくり返ってしまい気ばかりの様です。
 打は、切先下がりの上段に冠り仕の左膝辺りに右足を大きく踏込んで斜めに体を屈しながら斬り込んでいます。
 仕は左足を右足の後方に退いて切先下がりの上段となり前に屈している打の頭上に右足を稍々踏込み左足を追足に斬り込んでいます。 
 次回はある地区の鍔留を稽古して見ます。
 
 
 
 
 

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曽田本その1の4居合根元之巻読み解く6小藤亀江伝来の目録20捕手和合居合之大事

曽田本その1
4.居合根元之巻読み解く
6、小藤亀江伝来の目録
20無雙直伝英信流居合目録
 
居合心持肝要之大事
 
1、捕手和合居合心持之大事
2、立合心之大事
3、太刀目附事
4、野中之幕之大事
5、夜之太刀之大事
6、閨之大事
7、潜り之大事戸脇之事
8、獅子之洞出之事
9、獅子之洞入之事
読み解く
1、捕手和合居合心持之大事
 小藤亀江伝来の目録には居合心持肝要之大事は目録の表題9項目が記載されています、古伝「居合心持肝要之大事」でも表題は9項目なのですが表題が以下の通りです。
番目及び2番目は小藤亀江伝来の目録とは表題が違います。
居合心持肝要之大事 付 大小指違之事
1、居合心持立合之大事 大小指違
2、太刀組附位
3、太刀目附之大事
4、野中之幕
5、夜之太刀
6、閨之大事
7、泳之大事(潜り之大事)
8、獅子洞入
9、獅子洞出
1項目と2項目がアンマッチです。小藤亀江伝来の項目には解説は無いので同じものであろうと断定はできません。
 何時の時代にか、あるいは伝承者によって変わったかもしれません。此処では居合心持肝要之大事の順番で解説しておきます。
 従って1項目は「1、居合心持立合之大事 大小指違」を当てておきます。
1、居合心持立合之大事 大小指違
 敵と立合兎やせん角やせんとたくむ事甚嫌ふ況や敵を見こなし彼が角打出すべし其所を此の如くして勝ん抔とたのむ事甚悪しゝ先づ我身を敵の土壇ときわめ何心なく出べし敵打出す所にてちらりと気移りして勝事なり常の稽古にも思あんじたくむ事を嫌ふ能々此念を去り修行する事肝要中の肝要也

 大小指違と云は世人脇指を帯二重に指刀を三重にさすなり居合の方にては二重に刀を指し三重に脇指を差す也敵に出合たる時大小を子(ね)じ違へて脇差をば下し指しにして刀を抜戦べし然るときは脇指の柄まぎる事無亦刀のさやの鐺は子(ね)る故に足を打つことなく働の自由宜し常に此の如く指すべし


 敵と立合うのに、兎やせん角やせんと企む事は甚だ嫌う事である、況や敵を見透かして彼がこの様に打ち出して来たら其の所をこの様にして勝とうなどと思い頼む事は甚だ悪い。
 先ず我が身を土壇と極めて何心も無く場に出て行くのである。
 敵が打ち出す所にちらりと気移りする処に勝事である。常の稽古でも思案に暮れて企む事を嫌う。能々この念を去り修行する事肝要中の肝要である。

 大小指し違いと云うのは、世人は脇差を帯二重の下に差し、刀を帯三重の下に差すのである。
 居合では帯二重の下に刀を指し、帯三重の下に脇指を差すのである。
 敵に出合った時は、大小をねじ違えて、脇差を落し差しにして刀を抜き戦うべきものである。その様にすれば脇指の柄が邪魔になる事は無い。又刀の鞘の鐺がはねて足を打つ事も無く、働きが自由になって宜しい、常にこの様に大小を指し違いに指すものである。

 「大小をねじ違へて」とは太刀が上にあって小太刀が下にあるのを、小太刀を落とし差しにして太刀の柄の上に小太刀の柄がある様にする事でしょう。
この様にすれば、脇差の柄が邪魔になる事も無いと云うのです。

 「亦刀のさやの鐺は子(ね)る故に足を打つことなく働の自由宜し常に此の如く指すべし」
 指し違いにして指していれば、鐺がはねても足を打たない、の状況が認識できないのですが、ご存知の方は状況をご教授ください。

 

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2018年4月17日 (火)

無双直伝英信流の型 福井聖山先生の看取り稽古の5鍔留の1

無双直伝英信流の型
福井聖山先生の看取り稽古の5鍔留の1
参考資料
福井虎雄聖山著平成3年1993年無双直伝英信流之形
平成2年1992年第9回無双直伝英信流居合道全国大会講習資料太刀打之位要旨
河野百錬昭和17年1942年大日本居合道図譜
大江正路堀田捨次郎共著大正7年1918年剣道手ほどき
河野百錬昭和44年1969年太刀打之位ビデオ
福井虎雄聖山昭和57年1982年太刀打之位ビデオ
古伝神傳流秘書太刀打之事
その他
福井先生の鍔留
 打太刀中段、仕太刀下段より前進す。双方間に接するや上段となり、大きく相手の真向に斬下し相打となる。
註、このとき刃の接する部分は頭より少し上部になる。
 互に右足を進め腰を落し、鎬を削る如く摺込みて鍔元にて押し合う。
註、腰を退かず、互に丹田にて押合うべし。
 双方十分鍔元を押し弾きて互に右足を退き、体を右に披き左半身となり脇構えとなる。
 打太刀は直ちに上段に変じて右足を踏込むや仕太刀の左股(膝口)に左斜下に斬下すを、仕太刀直ちに左足を十分大きく後方に退きて空を打たせ、上段となるや直ちに打太刀の真向に斬下す。
註、間合遠きときは右足を少し踏込みて斬下すこと。
 次に打太刀は二歩退き互に中段となり、五歩後退し血振い納刀す。
 福井先生の教本は河野先生と同じ内容です。ポイントは仕が下段から上段に振り冠って双方真向に斬下し相打となる。この不思議な運剣の意味。次に脇構の形。脇構から上段に振り冠って斬り合う動作の是非。などでしょう。何の疑問も無く、稽古される人もおられるでしょがどうでしょう。
 大江正路先生はこの無双直伝英信流の型を、古伝を参考に創作されたのですから、大江先生の鍔留も読んでおきましょう。
 「互に青眼のまゝ小さく、五歩左足より引き、打太刀は中段となり、仕太刀は其のまゝ下段となる、、互に右足より三歩出で、打太刀は右足を左足に引き上段に冠り真直ぐに打下し、仕太刀は右足を左足へ引き上段となり、右足を出して打下して互に刀合す仕打鍔元を押し合ひ双方右足を後へ引き半身となり、刀は脇構として刀尖を低くす、打太刀は直に上段より右足を踏み込み仕太刀の左向脛を切る、仕太刀は左足を充分引き上段となり空を打たせ上段より頭を斬る、打は二歩出で、仕は二歩退り青眼となり互に小さく五歩退り、血拭ひ刀を納む、(打太刀は仕太刀の左膝を打つときは、中腰となり上体を前に流す、」
 大江先生の打太刀は中段、仕太刀は下段。福井先生は河野先生に随い打は中段に構えさせています。
 双方右足・左足・右足と前進し、右足を一旦左足に引き付け上段となり真向に斬り下し刀を合す。この動作が福井先生の三歩目で睨み合う動作になったのかどうかはわかりません。教本にはこの動作は記述がありません。あとは福井先生と同じでしょう。
 第18代穂岐山先生の弟子野村條吉先生の「無双直伝英信流居合道能参考」を読みますと仕は下段、打は青眼です。大江先生の晩年の弟子山本宅治先生も仕は下段、打は中段です。
 河野先生が変えてしまったのでしょう。河野先生も昭和8年の「無双直伝英信流居合術全」では打は中段、仕は下段です。
 古伝は打は高山ですから上段、仕は右下段です。
 江戸時代末期の頃は曽田先生の業附口伝で読むことが出来ますそこでは打は八相、仕は下段です。
 河野先生は曽田先生と交流があったので、古伝を知らされ、大江先生の間違いを直したのかも知れません。然し中途半端なものでそれも疑問です。
 この鍔留は古伝神傳流秘書太刀打之事月影が元の業です。
 「打太刀冠り待所へ遣方右の脇に切先を下げて構へ行て打太刀八相に打を切先を上て真甲へ上て突付て留め互に押合て別れ両方共車に取り相手打つをはづす上へ冠り打込み勝」
 抜けだらけですが其れなりの武的力量があれば読みこなせると思います。
 打太刀上段に冠り待つところへ、仕太刀右下段に構え(切先を打の左膝に付ける)進み行く。打太刀上段から右足を踏み込み八相に左面を打って来るので、仕太刀は右足を踏み込み右下段から切先を上げて打の真向に突き込み、打の打込みを十文字に請け止める。合刀するや互に一歩右足を進め拳を合わせて押し合い、右足を後方に退いて互に車(脇構え)になる。打が仕の出足(左足)又は左肩を打って来るので左足を退いて外すや右肩から上段に振り冠って右足(或は左足)を踏込み真向に斬り下して勝」
 この元の動作を残し大江先生は中学生向きに危険のない動作にかえて創作されたのが鍔留でしょう。元の業は真陰流の技法が濃く見られます。
 より深く無双直伝英信流の組太刀を学びたい方は古伝太刀打之事11本を稽古される事をお勧めします。或は、大江先生の7本創作された組太刀から疑問点をしっかり見出し何故と考え、業技法の奥にあるものを求めるべきなのでしょう。演武会の演武は武的演舞として現代の教本のまま、習った通りにやればいいだけです。
 形には、先師が白羽の下を掻い潜って身に付けたものが潜んでいる筈です。形だけでは役に立たないものです。
次回はビデオを見ながら教本の動作を稽古して見ます。
 
 
 
 

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曽田本その1の4居合根元之巻読み解く6小藤亀江伝来の目録19智羅離風車

曽田本その1
4.居合根元之巻読み解く
6、小藤亀江伝来の目録
19無雙直伝英信流居合目録
 
極意之大事 
 
1.暇乞・2、獅子洞入・3、地獄捜・4、野中幕・5、逢意時雨
6、火村風・7、鉄石・8、遠方近所・9、外之剱・10、釣瓶返
11、智羅離風車
読み解く
11、智羅離風車
 手拭にても煙草入にても向の面に投付けてビクとする所を切るべし又刀を抜きて其手に扇抔を持添て打込躰にて其扇を投げ付ビクとする所を打込勝なり

 智羅離風車(ちらりふうしゃ)の読みで良いのでしょう。漢字は当て字でしょう。一瞬のまどわしによる勝口の教えです。

 手拭でも煙草入れでも相手の顔に投げつけ相手がビクとする処を切るのである。又、刀を抜いて柄と一緒に扇などを持って打ち込む様にしてその扇を投げ付けビクとする処を打ち込んで勝のである。

 相手をビクとさせて一瞬気を奪っておいて、その処を切るのは「上意之大事」の教えで三角、四角の業の教えにありました。極意の大事では、火村風、逢意時雨、外之劔、鉄石などもこの教えと同じです。

 奇襲は当たり前の事であったのでしょうが、平和が続き江戸末期には卑怯な行為とも取ったのかも知れません。

智:知恵、さとい、賢い

羅:あみ、つらなる、つらねる、目のすいた薄い絹物(うすもの)

離:はなす、はなれる、とりつく、

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2018年4月16日 (月)

無双直伝英信流の型 福井聖山先生の看取り稽古の4独妙剣の6

無双直伝英信流の型
福井聖山先生の看取り稽古の4独妙剣の6
参考資料
前回に同じ
 福井虎雄聖山先生の平成3年の無双直伝英信流之形独妙剣の、まず双方八相から相進み左面に斬込んで相打、打が退くところ右面に斬込んで相打・再び打の退くところ左面に斬込んで相打。互に右足前で切り結んでいます。
 「互に左足を退きて十分なる同等の気位にて中段となる、打太刀は機を見て左足、右足と追足にて刀を左に傾け、摺込みて仕太刀の胸部を刺突す。打太刀は突きたるとき上体を流す。(前に屈むる。)」
 此処までが前回までの稽古でした。
今回は打が胸部へ突き込んで来るので「仕太刀は左足を左に踏出し(右足の斜前)体を右に披きつつ手元を上げて敵刀を捲き返す。(敵刀を、己が右斜下に裏鎬にて摺落す。)仕太刀は打太刀の刀を右斜下に摺落しながら右足を左足の方向に退きつつ上段となるや右足を踏込みて打太刀の首より肩にかけて斬下す。」
此処までのところで、教本の動作でおかしいのは、三本打ち合って右足前でありながら、双方中段になる足捌きが、右足は其の儘で後ろ足の左足を退くだけで中段になっています。
中段から打の突きの足裁きが、中段であれば右足前ですから後ろ足の左から、「左足、右足と追足にて・・刺突す」も疑問です。
 前回で稽古していますから今回は、打の突きに仕の応じる処が稽古のポイントです。実はある地区の形の稽古でまず、不思議な事は、鞘無し鍔付き木刀を使用すること。切り結びに真向切り結びが何の意味も知らされず行われること。
 其れとこの刺突の捌き方です。教本は「体を右に披きつつ手元を上げて敵刀を捲き返す。(敵刀を、己が右斜下に裏鎬にて摺落す。)」というのですが、其処では仕は左に体を躱して敵の突きを外し斬り込むばかりです。せっかくの教本がありながら、見ただけの真似ではこの様な術は取得できない見本でしょう。
福井先生の刺突を摺り落すビデオをけいこしてみましょう。
 打の突きを福井先生は敵刀の突きを手元を上に上げて、打の刀を摺り上げる様にし、右足より半足後ろの左足を瞬時に左横稍々前に踏込み敵刀を摺り落している様です。
 己が刀の鎬で敵の突きを右脇に外し乍ら左足をやや左前に踏み込む様に見えます。
 「巻き返す」のは己が柄を握る両小手であって、柄頭を上に切先を下に下げ、我が右斜め下に摺落しています。
 敵刀が摺り落ちるまでこの体制を保持しながら左足を左前に踏み開き体を敵刀の突きの軌道から外す様です、摺り落ちるや、右足を左足の後方に踏み替え乍ら、右肩から振り冠り、右足を左足に踏み揃えて斬り下ろしています。
 「体を右に披きつつ・・」は、筋を替っていても打方に正対したままに見えます。前に踏み込む足が小さく左に披く足が大きいためでしょう。
 両足を踏みしめた時は打の方に向いています。受流の斬り込みの様です。
 河野先生のビデオで稽古して見ます。
 打の突きを、手許を上げて敵刀を摺り落すが、左足を稍々左に踏み替え右足は其れに追い足(左横に)踏み敷く様に左に踏んで、体は打に正対したまま 右より振り冠って斬り込んでいます。左に披く等見られません。
 教本はこうすべきだと言う動作を書いても、演武は状況次第と仰るかもしれませんが、いたずらにスピードアップして、考えた様に打てない例かもしれません。
「結果が出ればよかろう」でしょう。
 ある地区の打の突きを外すのは、手許を上げるが摺落さず、左足を左斜前に踏込み筋を替って打の突きを避けてしまいます。
平成21年のビデオです。
 手元を上げて摺り落す体勢を作ると同時に左足を稍々左後ろに退き逃げています。右足を左足に引き付ける様にしてから踏み込んで打斜め前から斬り込んでいます。
 左足の横への踏み込みは大きなものです。摺り落さずに逃げ流して斬り込む様に見えてしまいます。
 平成24年のある地区のビデオです。
 手元を上げ摺り落体制を作ると同時に大きく左足を左に踏み開き上段に冠り、右足を左足の引き付けるや直に踏込み打に斬り込む。
 ある地区の突きは刃を下にして、敵の胸部を突いているのでしょう。突かれた仕は「避けて斬る」と聞いています。
 それもそうですが、突きの刃を下にして突く、は突きにはなりますが、打の刀を己が正中線から外しながら突き込む術がまるで生かされていないのですから勉強すべきでしょう。
 この業は、打の突きを手許を上げて摺り落してしまえば、慌てて左前に左足を大きく踏み開かなくとも、応じられる筈です。相手の突き来る刀から己が刀が吸い込まれるような摺り落しを学ぶものです。よけ(逃げ)外しではありません。
 是では鍔留の順番を追って申し合わせの動作をしているだけですから武術としての術理などお構いなしの踊りでしょう。
次回は鍔留です。

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曽田本その1の4居合根元之巻読み解く6小藤亀江伝来の目録18釣瓶返

曽田本その1
4.居合根元之巻読み解く
6、小藤亀江伝来の目録
18無雙直伝英信流居合目録
 
極意之大事 
 
1.暇乞・2、獅子洞入・3、地獄捜・4、野中幕・5、逢意時雨
6、火村風・7、鉄石・8、遠方近所・9、外之剱・10、釣瓶返
11、智羅離風車
読み解く
10、釣瓶返
 英信流居合目録秘訣の極意之大事では「鉤瓶返」です。
 座上にては刀をば抜いて置く事當然也然時に向ふより切かくるときぬき合する間なければ鞘と柄とを取って鞘共に請て其儘引ぬいて片手打に切るべし

 鉤瓶返は(かぎべかえし)ですから是は「釣瓶返」の誤字でしょう。

座して居る時は、刀を腰から抜いて置くのは当然である。その様な時に向うから斬りかかって来る時は抜く間が無ければ鞘と柄を取って鞘ごと請けて其の儘刀を抜いて片手打ちに切るものである。

此の場合、刀を右膝の脇か左膝の脇か有る筈ですから夫々稽古しておくべきものでしょう。

水鴎流に左右の応じ方が有ります。
左側に刀を置く場合「立浪」「左手で刀を取り、敵の顔面に柄当てして右手で柄を取るや抜き受けに打ち込んでくる敵の小手を斬る」
右側に刀を置く場合「立浪裏」「右手で刀を取り、敵の顔面に柄当てし、左手を柄に掛けるや刀を抜いて敵を突く」

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2018年4月15日 (日)

無双直伝英信流の形 福井聖山先生の看取り稽古の4独妙剣の5

無双直伝英信流の型
福井聖山先生の看取り稽古の4独妙剣の5
参考資料
福井虎雄聖山平成3年1998年無雙直伝英信流居合之形
福井虎雄聖山昭和57年1982年太刀打之位ビデオ
河野百錬昭和44年1969年太刀打之位ビデオ
 独妙剣の福井先生の教本を先ず読みます。
 一刀目は、打は右足を踏込んで上段から左面に斬込む。仕は機先を制して打の左面に斬込み相打となり、物打の刃部にて刀を合わす。
 二刀目は打は仕に圧せられて、右足を退かんとするを、仕は之に乗じて左足を踏込み打の右面に斬込む、打は右足を退き、上段より仕の太刀を受ける。(斬込むような要領で)
 三刀目は、打が左足を退くところを仕はその左面に斬込む。
 ここで、福井先生のビデオを見て稽古して見ます。
 一刀目も二刀目も三刀目も間合いが少々遠く仕の斬込みは打に届いていない様です。
 二刀目三刀目とも、打も退きながら略同時に斬込んでいますから結果として、双方相打ちとなっています。
 この独妙剣でも、教本に無い左足・右足・左足と一刀目八相から双方前に出てそこで一呼吸おいて上段に振り冠っています。
 河野先生のビデオも稽古しておきます。
 河野先生も間が遠すぎですが、打にお構いなく斬込んでいますが打も斬込んで相打らしく見えます。 
 一刀目の三歩目の左足前での福井先生の様な一呼吸の睨み合いは有りません。左面(右足)・右面(左足)・左面(右足)と双方斬込んでいます。
 打は三刀目を、二刀目と同様に之を受け、互に左足を退きて中段となる打は機を見て左足、右足と追足にて刀を左に傾け摺込にて仕の胸部を刺突す、打は突きたるとき上体を流す。(前に屈むる)
 中段の構えですが、仕打共に拳3つぐらい臍前から柄頭が前、切先の延長線上は喉元、双方物打合わせですが、是は竹刀剣道に見習ったものでしょうか。
 ピタリと決めず「この辺が切先合わせ」といった塩梅で打は、機を見たのか順番だからか、直に仕を突きに右足を踏出し突き込んでいます。
 其の際の刀の刃が下向きか斜め左か、定かではありません。左手の拳の状況から見ればやや刃を外向けにしようとしている気もしますが、刀の映像は刃が下に見えます。
 中段に双方取る際、三刀目の出足は右足前です、先ず合刀したところから、刀を双方離さず下げながら、左足を退けば、間が良ければそのまま切先合わせになるのですが、遠間なので、左足を後方に退いて、右足を左足の爪先迠退いています。
 三刀目を打ち合って双方中段になる足捌きですが、「出るは出足、退くは引き足」と云う言葉を聞いたことはあるでしょう。
 大江先生の剣道手ほどきのこの部分「三度目に左足より右足と追足にて一歩づつ退き、刀を青眼とす」と明快です。
 教本の「互に左足を退き中段となる」では、先師の教えを無視しています。
 刺突の際、打は僅かに後ろ足の左足を踏んで右足を踏み出し突き込んでいます。これでは「左足右足と追足にて」とは言えないでしょう。敢えて屈まずとも目標に突きを入れればこの足捌きでは上体は低く前に屈みます。
 此処も大江先生は「打太刀は右足より追足にて仕太刀の刀を摺り込みて突きを施し」で、突きの出足は右足から出ています。
 河野先生のビデオです。
 教本内容は福井先生と同じですからそれを元に稽古して見ます。
 三刀目は左面相打ですから右足前です。仕打共に右足を半歩程退いて中段に構えます。「左足を退きて中段となる」の教本は何処に行ったのでしょう。此処は右足の誤植か勘違いのまま原稿を渡したかでしょう。   
 間が良いと見たのでしょうが切先合わせは物打下部です。少しも間など良くないでしょう。
 同等の気位どころか順番を追って急ぎ過ぎです。中段から打は「機を見て」、右足を大きく踏込み仕を突きます。
 左足は元の位置ですから「左足右足と追足にて」は有りません。
 突きの刀の刃は、両手の拳から見て右に向いているようです。右向きですと仕の刀によって反りで左に切先は外れて仕を突く事は困難です。
 下向きでない事はわかりましたが、この突き手は河野流の右手甲を上に向ける瀧落や門入りなどの突き手です。
 「武術は状況次第だから是で良し」でしょうが、へぼがビデオで習うのも現代の習いです。
 此処も大江先生は「仕太刀の刀を摺り込みて突を施し」ですから摺り込んで行くために有効な刀刃は如何様にあるべきか考えて、下向き・左向き・右向き・上向きとやって見て確証を得るべきものです。
 相手の刀も突きを入れられる状況にあるのですから突けばいい、では真剣を持っての武術では無い。申し合わせの踊りです。
 平成21年のある地区の獨妙剣の演武を見てみます。
 一刀目が左面か、ある地区は真向斬り下ろしで双方の中間で刀を合わせる相打だと言う。どう見ても、仕は真向の様ですが打はやや右半身ですから十文字に受けた相打ちの様です。
 二刀目は仕の手が下がってしまい刀が立ってしまっています。打に攻め込まれて仕が受けたと言った塩梅です。間が近くなり過ぎなので調整したのでしょう。居合人の陥る欠点の一つは、大きな踏み込みが邪魔します。打の退き足が不十分で仕はこの時、両足が揃った結び立ちです。
 三刀目は何とか仕は左面に右足前で斬り込めました、打の刀が打の頭に隠れて見えません。想像するに、左足を退いて上段に振り冠った時仕の斬込みが迫ったため左に刀を下に受太刀としてしまったのでしょう。退きながら斬るが不十分なのです。
 双方右足前で合刀しています、仕は打よりも早く刀を下げ右足を退いて中段に構えています。其の時の足は右足と左足が結び立ちです。打は稍々遅れて右足を退き、左足はバランスを取る程度にチョット退いて中段です。
 打の突きは右足を踏み込み左足は元の位置に置き去りです。福井先生の教本など無視されています。突いた時の打の刀の向きは打に隠れて見えません。
 或る地区のもう一つのビデオで稽古して見ます。
 一刀目は、八相で左・右・左と出てそこで人睨みの休止です。上段に振り冠って真向斬り結びでしょう。その際目線が切先について上目遣いが気になります。
 剣道型の八相と体を残した剣道形の摺足が不自然に目に付きます。自然体でスルスルと出足に体が乗っていく歩みが出来ないわけでは無いのに、敢えて剣道型を良しとするのは居合の歩みにも多くの人が行っていますが、それでは足と体が一体ではないので、遅れを取ります。
 二刀目、三刀目共に仕は右面、左面に斬り込んでいます。打は出足を退き上段から刀を立てて右面への斬り込み、左面への斬り込みを受太刀で十文字受です。(斬り込むような要領で)の解釈をこの様な受太刀としたのでしょう。
 古伝は打は出足を退きながら仕に斬り込み、仕は歩み足で斬り込み受けています。仕打逆の攻防でした。今後の課題でしょう。というより古伝を見直す時期に来ていると思っています。
 三刀目で刀を合わせ中段になるのですが、仕は左足を稍々前に踏みその分右足を前に踏み中段。打は下らざるを得ず右足・左足と下がり、右足を左足に引き付け結び立となるや中段となって切先を合わせるや右足を踏み込み刃を下にして仕に突き込んでいます。その際左足を追足して更に上体を前に屈めています。
 演武には予期せぬ状況があるものですから、中段になるには双方退くとされているのに仕が踏み込んできたため間を取らざるをえず、打は三歩退かざるをえなかったのでしょう。
 打が先んじて行動を起こし仕は其れに合わせて十分な体勢をとる事の意味を忘れた動作でしょう。
 相手の動きに応じる、とか相手に透きを作って誘うとか武術は術なのです。形ばかりの演舞では術は身につきません。
 総じて、組太刀は同じ人とばかりやっていますと、順番や癖が当たり前になり、いい加減な対応になりやすいものです。つねに相手を変え、打が誘導するのに対し機先を制するのでなければ稽古にはなりません。
 応用が利く様になれば、どんどん武者修行しなければただの踊りです。
 次回は独妙剣の打の突きを摺り落すところを稽古します。
 
 
 
 
 
 
 

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曽田本その1の4居合根元之巻読み解く6小藤亀江伝来の目録17

曽田本その1
4.居合根元之巻読み解く
6、小藤亀江伝来の目録
17無雙直伝英信流居合目録
 
極意之大事 
 
1.暇乞・2、獅子洞入・3、地獄捜・4、野中幕・5、逢意時雨
6、火村風・7、鉄石・8、遠方近所・9、外之剱・10、釣瓶返
11、智羅離風車
読み解く
17、外之剱
 自宅他家共に其の座に有る物に心を付べし箱の類にても又はけさんの類盤の類にても之有時は我が量に叶うべきを計其近所に座して透間を見て是を打つけべし亦常とても此心得有るべし其座に有るもの近所にざすべし亦我が居間に是々有と常に心を用い置時は至って利を得る也
 仕合抔望まれたる時向原の詞聞きたる上は油断すべからず立合迄もなしすぐに何にても取って打倒すべし又しなえ抔くみてあらば立合ふ迄もなし居ながら取かえして打ころすべし


 これも前同然のことですが、その場にある得物になるものを即座に認知しておくこと、と言っています。
 自宅や他人の家でもその座敷に有るものに心を付けておく事、箱の類、またはけさんの類盤の類(そろばん か?)、でも有るならば我が武器になりそうなものが有ればその附近に座して、相手の隙を見て是を打ち付けるのである。
 亦、常にこの事を心得て置くものであり、その座に有るものの近所に座すべきである。
 亦、我が居間に於いても、これこれの物が有ると常に心覚えしておく時はその場に至って利を得るものである。
 仕合など望まれた時は相手の言葉を聞いたとたんに油断なくして、立ち合うまでもなくすぐに何でも取って相手を打ち倒すのである。また、竹刀など組あげてあれば立ち合うまでもなく居ながら竹刀を取って打ち殺せ。

 是が、戦国時代から江戸中期にかけての武士の心掛けだったのでしょう。むざむざ切られたのでは、武士道精神に欠けお家断絶の憂き目に会う時代です。

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2018年4月14日 (土)

無双直伝英信流の型 福井聖山先生の看取り稽古の4独妙剣の4

無双直伝英信流の型
福井聖山先生の看取り稽古の4独妙剣の4
参考資料
福井先生の教本及びビデオ
以下同じ。
 双方八相の構えから左足より前進し、間に至るや打太刀は上段となり、右足を踏込みて仕太刀の面に斬込むを、仕太刀機先を制して上段から右足を踏込みて打太刀の左面に斬込み相打となり、物打の刃部にて刀を合わす。
 打が先行して歩み出すのではなく、ビデオでは仕打同時に進行し、左・右・左で互に見合って一時ストップをかけています。
 同時に右足を踏込み乍ら右足が左足と交差する処で上段に冠り、右足が着地と同時に斬り込んで双方の中間稍々仕が深く合刀しています。
 何のために一時ストップするのか教本には書かれていません、打の斬込みに仕が機先を制するには、歩を止めてしまっては意味の無い動作になるでしょう。
 上段の振り冠が双方床に水平の中途半端なものになっています。英信流の切先下がりでもなく、古流の切先45度上向きでもない。
 此処は、八相から其のまま右足を踏込み、左面に斬り付ければ済むものを、剣道型の八相から上段に振り冠り、尚且つ、英信流之形と云わんばかりに背中の方に切先を下げんとしながら、急いだとしか見えません。
 八相から上段への構えは三歩目で左足を踏み出し床に着くや振り冠れば充分深く冠れます。
 また、右足を踏出しながら振り冠るならば、45度上を向いた上段となるものでしょう。
 英信流の組太刀の上段の定義は是と言って決まりは無い、居合の場合は「とどめ」の上段で充分斬撃の強度を増す、あるいは〆の斬込みであれば、背中に背負う上段も有り得るでしょう。
 仕が背中に振り冠るならば打は天を突く上段から仕の小手に斬込めばこの業はおしまいです。
 ある地区の平成21年の演武を見ています。
 礼式や残心はさすがに、居合で鍛えた演武慣れした素晴らしいものです。八相から左・右・左の踏込み足が、構えた時の雰囲気と合わず、ちょこちょこと小足で走り込む様です。
 三歩目左足を踏込み半呼吸おいて双方上段に振り冠っています。恐らく八相から上段に、更に背中への切先下がりの二拍子の振り冠のタイミングが足を止めてしまうのでしょう。
 仕打共に背中に45度の上段です。同時に斬込んでいますので、機先を制される打の遅れは見いだせない。
 ある地区の独妙剣の一刀目は真向斬下しの相打と聞かされています。福井先生は左面相打です。この演武は明らかにバッテン十文字受ですから真向切下ろしではないでしょう。
 平成25年のある地区の演武を見ます。同様に三歩踏み出しここで一呼吸おいて上段から右足を踏込み真向斬込みです。真向打で双方物打の鎬で刀を止めるには、斬り下ろす円の頂点より稍々下がった所で手の内を締める、その際決して相手の刀を受け様としないことです。結果として鍔元で擦れ合った場合は相手の頭上に入っています。
 このビデオではせっかく見事に受けていながら、手を下げてしまい、剣先をやや立てて真向打ち鍔元フィニッシュです。
 八相から上段への振り冠を、英信流居合に随い背中に45度の切先下がりをすれば、真向打ちの軌道が長くなり、その分手の締めを充分行わないと相手に斬り込んでしまいます。
 更にこのビデオでは双方の間合が近い様で、真向打で合刀した時刀が立った手打ちになっています。
 双方真向斬り下ろす事を指導されるには、互に袋竹刀などで物打で相手の頭に触れる間の稽古が充分なされ、互に信じあって打込まなければなりません。
 初めのうちは、相手が真っ直ぐ打込んで来るので、本能的なのか刀を斜めにして受太刀にしてしまう人がほとんどです。
 福井先生の教本はあくまでも、一刀目は双方左面、二刀目は双方右面、三刀目も双方右面です。教本を解釈する程度は読む者の力量次第とも言えます。
 真向打を福井先生の獨妙剣の一刀目とされる検証を示されて地区指導をされるべきでしょう。或は地区の独創であれば、その根拠と、理合を十分理解させるべきかと思います。
 独妙剣の二刀目以降は次回とします。
 
 
 
 

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曽田本その1の4居合根元之巻読み解く6小藤亀江伝来の目録16

曽田本その1
4.居合根元之巻読み解く
6、小藤亀江伝来の目録
16無雙直伝英信流居合目録
 
極意之大事 
 
1.暇乞・2、獅子洞入・3、地獄捜・4、野中幕・5、逢意時雨
6、火村風・7、鉄石・8、遠方近所・9、外之剱・10、釣瓶返
11、智羅離風車
読み解く
8、遠方近所
 小藤亀江の相伝した目録は項目のみですから是だけではどのように極意を身に付けたのか解りません。
 一回ぐらいは谷村樵自庸から講義を受けたか、伝書の写し書きをしたか、授与されたかあったかもしれません。
 現代居合では十段になっても目録のみでそれも第17代大江正路の残した居合の形の順番が書かれてある程度でしょう。
 「遠方近所」の極意は英信流居合目録秘訣の九項目目に残されています。
遠方近所
 我に敵する者と見るときは其の者の側に寄りて居る事肝要也或は庭前の花にことよせ或は掛物を見る躰抔して側に近よりて居べし刀に手をかけば其儘手を取って引倒すべし間を隔てゝ居る故に不覚を取るなり或は意趣有って仕掛られ丸腰にて出合て不覚を取たる者も間々之有也是等も此習を得たればたとい丸腰なり共不覚をば取まじ其故はいや貴殿の短慮なり能く合点せよ抔と云て側に詰寄て居る時は刀をぬけば引倒す故丸腰とても不覚は取まじきなり
亦大事の仕物九寸五分の合口抔を指近く居て思わぬ処で取って引寄さしころす時はたしかに仕留る也是等皆師子王かんよう也


 我に敵する者だと見た時は、其の者の側に寄って居る事が肝要である。或は庭の花に事寄せ、或は掛物を見る振りをして側に近寄って居るのである。
刀に手を掛けたなら其の儘その手を取って引き倒せばよい、間を隔てて居るので不覚を取るのである。
 或は意趣あって仕掛けられ丸腰で出合って不覚を取った者も間々ある。これ等も此の習いを得ていれば丸腰であっても不覚を取る事は無い。
 それ故「いや貴殿の思い違いでしょう、よくお考え下さい」抔と云って側に詰め寄って居れば刀を抜けば引き倒せばよいので丸腰であっても不覚を取ることは無いであろう。
 亦、上意の大事な捕り物であれば九寸五分の合口などを指し、近くに居て相手が思わぬ所で抜き取って刺し殺すならば確実に仕留めることになろう。

 これ等の事は皆師子王の心(大丈夫の心)が肝要である。

 この極意は「我に敵する者だと見た時は、其の者の側に寄って居る事が肝要である」に極まるでしょう。

 
 

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2018年4月13日 (金)

無双直伝英信流の型 福井聖山先生の看取り稽古の4独妙剣の3

無双直伝英信流の型
福井聖山先生の看取り稽古の4独妙剣の3
参考資料
福井虎雄聖山著平成3年1993年無雙直伝英信流之形
福井虎雄聖山昭和57年1982年太刀打之位ビデオ
その他
 独妙剣は仕太刀が攻めて踏み込みながら左面・右面・左面と斬り込む、打太刀は退きながら応じて相打ちとなる。
 此の三度の斬り合いが相打ちならば、以降の動作も迫力があるのですが、仕に押されて受太刀の打であれば、唯の申し合わせの演舞になってしまいそうです。
 相打ちを条件に、福井先生の教本も「上段より仕太刀の太刀を受ける。(斬込むような要領で)」の文言がの括弧書きされている筈です。然し、打は退きながら斬込むのが下手で、受太刀になりやすい、それで良しとする先生も多そうです。
 互に左足を退きて十分なる同等の気位にて中段となる。打太刀は機を見て左足、右足と追足にて刀を左に傾け、摺込みて仕太刀の胸部を刺突す。
註、打太刀は突きたるとき上体を流す(前にかがむ)
 仕太刀は左足を左に踏出し(右足の左斜前)体を右に披きつつ手元を上げて敵刀を捲き返す。(敵刀を、己が右斜下に裏鎬にて摺落す。)
 仕太刀は打太刀の刀を右斜下に摺落しながら右足を左足の方向に退きつつ上段となるや右足を踏込みて打太刀の首より肩にかけて斬下す。
註、退く右足は床に留まらぬうちに進めて斬込む。
 次に、打太刀は三歩出で、仕太刀は三歩退きながら中段となりつつ元の位置に復し、双方五歩後退す。(納刀せず)
 今回はこの摺落としについてです。
 福井先生の教本では、相中段から打が刀を左に傾け仕の刀に摺り込みながら仕の胸部へ突き込んできます。
 仕は左足を左斜め前に踏み出し、筋を替って体を右に披いています。これで打の突きは外せました。
 しかし、そのままでは打は、退くなり、刃を返して攻めるなりするでしょう。そこで仕は同時に「手元を上げ」、打の摺り揉んで突いて来る刀を、己が刀から離さずに左手を返しながら上げて切っ先を下方に向かわせ、鎬を使って摺り落す(巻き落す)。)のです。刀の反りによって打の刀を我が右斜め下に落とせと言うのです。
 敢えて、打は(前にかがむ)動作をせずとも、直ぐには立て直しは出来ないものです。その間に、右足を左足の後方に摺り込むや右足を踏込み、刀を右肩から上段に振り冠って、打の首より肩に斬り込む。
 ある地区の指導で、打は刃を下にして仕を突く、仕は左斜め前に左足を踏込み右足を左足の後に摺りこんで右足を踏込み斬り下ろす、として、捲き落としを重要視していないようです。
 居合専門になってしまい、剣術の妙技を知らなければ理解できないところでしょう。教本通りにやって見ればすぐに気が付くはずです。
次回は、福井先生のビデオを見ながら教本を読んで稽古して見ます。
 
 

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曽田本その1の4居合根元之巻読み解く6小藤亀江伝来の目録15

曽田本その1
4.居合根元之巻読み解く
6、小藤亀江伝来の目録
15無雙直伝英信流居合目録
 
極意之大事 
 
1.暇乞・2、獅子洞入・3、地獄捜・4、野中幕・5、逢意時雨
6、火村風・7、鉄石・8、遠方近所・9、外之剱・10、釣瓶返
11、智羅離風車
読み解く
7、鉄石(てっせき)
 是も英信流居合目録秘訣の極意ノ大事八項目目にあります。
鉄石
 旅抔にて気遣しき所を通るには石を袂に入れて行くべし 尤是に限らず用心を為〆(なして)行先は必ず石を袂に入行くべし時に取って是を打つくる也 座上にても鉄石の心得有  あの者を切らんと思ふ時は 其者の膝本のたたみ抔をハタと敲くときは夫に気をうつす也 其所を切ればきり安き者也
*
 心得の極意の「鉄石」とは何でしょう。鉄と石非常に堅固なものの・・譬え、と有ります。
 何となく気遣う様な所を通るには、用心のために石を袂に入れて行き、何かあった時には、石を取って打ち付ける、是に限らず用心を怠ってはならない。上司でも鉄石の心得有るものだ。
 次の「あの者を切らん・・」の文章も鉄石なのでしょうか、袂の石の心得とは違いますが、あの者を切ろうと思う時は、その者の膝辺りの畳をハタと敲いて、気を散らしておいて切れば切りやすいものである。
*
曽田本その1神傳流秘書を読み解くに大剣取の四本目に鉄石の業があります。
鉄石
 是も前の如く坐し是は廻り寄りて切らんと心得て抜かざる時行なり二小太刀尓て地をハタと叩いて気をうばうて入りてさ春
従是相寸
読み
鉄石(てっせき・てついし?)
 是も前の如く坐し 是は 廻り寄りて 切らんと心得て抜かざる時 行くなりに小太刀にて地をハタと叩いて 気を奪いて 入りて刺す
是れより相寸
読み解く
 是も相手は「前の如く坐し」ですから居合膝に坐す処、我が「廻り寄りて」は、めぐりよりて、めぐってきて、相手はそばに寄ってくれば切ろうとしているが抜こうとしない時、我は小太刀を下げてスカスカと間境に歩み行き、体を低め、小太刀で地をハタと叩き相手の気を奪い、相手が抜こうと抜くまいと体を低めたまま中に入り、相手の柄手を制して刺す。

 いささか、文章が解りずらいのですが、抜こうとしているが、抜く気があっても抜こうとしない相手の気を奪って付け込んで刺す、という業です。
 仕組の稽古でこの気を出せるかは難しいでしょうが、業に成りきって稽古する事も大切な事だろうと思います。

 政岡先生は、相手が抜かないので抜刀して地面をはたと打つと抜きはじめる、そこを飛び込んで右手をおしあげてさす。としています。

*
 この極意之大事は、孫子の「兵は奇道也」です。目的を達するには、細心の注意と誰も思っても見ない、状況を作り出し目的を果たすものでしょう。

 綺麗ごとにばかりに、夢を見ている武道修行者には違和感のある部分かも知れません。然し多かれ少なかれ、日常のビジネス活動にも要求される心得でしょう。

 刀を持って戦う事は勿論、生か死を見つめる事の乏しいこの時代、武士道を美化して、正面から名乗り合って仕合うことと見るのも仕方のない事かも知れません。

 

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2018年4月12日 (木)

無双直伝英信流の型 福井聖山先生の看取り稽古の4独妙剣の2

無双直伝英信流の型
福井聖山先生の看取り稽古の4独妙剣の2
参考資料
前の通りとしておきます。
第21代福井虎雄聖山の獨妙剣の教本から、「・・三度目に仕太刀は打太刀の退くところをその左面に斬込む。打太刀は二刀目と同様に之を受け、互に左足を退きて十分なる同等の気位にて中段となる。」
 三刀目の文章は、省略されていますから「三度目に仕は打が左足を退きて上段とならんとするを付け込みて右足を踏込み上段から打の左面に斬り込む、打は斬り込むような要領で仕の太刀を受ける」となるでしょう。よく見かける、打は詰められて受太刀になるばかりの上段から左下に刀を下げて受けるのでは、同等の気位にはなり得ないでしょう。
「打太刀は機を見て左足、右足と追足にて刀を左に傾け、摺込みて仕太刀の胸部を刺突する」
 双方中段の構えは切先を相手の喉元に附け、双方切先(横手辺り)を合わせる。よく見かける剣道形は物打を合わせる様ですが、深くならないように合わせるべきでしょう。
 「機を見て」は中段となるところで、順番だからと無造作にせず、打から退いていくのに仕は合せて左足を退き、合刀をそれに合わせて中段となるものでしょう。剣先が合うや一呼吸以上置いてから刺突するのでは、此の業の連続性を欠く事になりそうです。本来なら仕の気の弛みを逃さず、打は後足の左足を右足に引き付け右足を踏込み「刀を左に傾け、摺込みて仕の胸部を刺突する」。この踏込む足裁きが気になります。機を見て刺突するならば「右足で踏込み左足を追い足とする」方が容易です。
 此処で大江先生の刺突の足裁きを「剣道手ほどき」から「打太刀は右足より追足にて仕太刀の刀を摺り込み突を施し・・」で、これが一般的な右足で間を越し左足を引き付ける追足裁きです。河野先生も福井先生と同じ「左足、右足と追足にて」と書かれています。
 刺突の際「刀を左に傾け、摺込みて・・」については、大江先生は「仕太刀の刀を摺り込みて突を施し」です。仕の刀を摺り込むには刀の刃を左に返して摺り込めば、刀の反りで仕の刀は打の中心線を左に外れ、打の切先は仕の中心線を攻めて行きます。
 第19代穂岐山先生に指導を受けられた「無双直伝英信流居合道能参考」の著者野村條吉先生は「青眼に構えるや敵刃を我刀にて圧しつゝ敵の喉を突く仕太刀は我刀を引込みつゝ体をかわして・・」です。喉を突くならば刃は下向きとも取れます。但し打の刀を圧しつゝですから決して仕の刀から離れない様にすべきでしょう。
 この場合仕から。刃を返されて突きを入れられる事も有り得ます。
 胸部を突くには、福井先生の教本に随い「刀を左に傾け、摺込みて仕の胸部を刺突」が妥当でしょう。
 ある地区の刺突は、中段に双方構えた処で、打は仕の胸部を、中段に構えた状況から右足を踏込み左足を追足に上体を屈め乍ら刺突し、仕に往なされた処で更に低く体を屈め仕の斬込みを待っています。これはやり過ぎでしょう。
 次回は、仕の胸部を、あるいは喉を、打に刺突されるのを筋を替って外し打の首から肩にかけての斬下しを稽古します。
 合わせて、福井先生のビデオ、ある地区のビデオで看取り稽古をします。
 

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曽田本その1の4居合根元之巻読み解く6小藤亀江伝来の目録13・14

曽田本その1
4.居合根元之巻読み解く
6、小藤亀江伝来の目録
13・14無雙直伝英信流居合目録
 
極意之大事 
 
1.暇乞・2、獅子洞入・3、地獄捜・4、野中幕・5、逢意時雨
6、火村風・7、鉄石・8、遠方近所・9、外之剱・10、釣瓶返
11、智羅離風車
読み解く
極意之大事5、逢意時雨
 英信流居合目録秘訣 極意ノ大事の5項目目に「逢意時雨」は有ります。逢意時雨は「ほういしぐれ・あういしぐれ」とでも読むのでしょう。
5、逢意時雨
 火村の風に異る事無し是は茶抔所望して其茶椀をとってすぐに打付べし又自宅へ敵来たらば我は茶を汲で持出て其茶を取らんとする手を取て引倒して勝也
 「火村風」という事が出てきました、これも極意ノ大事の4項目目にあります。読みは「かそんのかぜ」と読みます(曽田メモ)続けて読んでみます。
6、火村風
 仕物抔に行たる時其者と物語抔をして都而(却ってならずや虎彦註)色にあらわさず扨煙草盆を持出したらば其火入れを取って打付けて然しておくれたる所を勝べし 亦捕物抔に行に灰を袋につつみ其灰の中に石を入おんぶくの様にして持相手の面に打つくるとパッと
開いて眼くらむ也 其所を捕る也 譬え開かず共石を入れて打付る故転どう(倒?)する也 或は此事を聞くさし(ききさし)捕手の役に行く密談に事よせ捕る仕組也 一人密談しいたるに脇より紙に灰を包み打つけるに紙しかと包て有りたる故都而(却ってにあらずや虎彦註)不開おんぶくの如くなるものにて面を打たる故いよゝに相人(あいひと、相手)気ばりて取急たると是伝をしらざる故用に不立(たたず)
*

 前回の「逢意時雨」同様に相手の油断に不意打ちを食らわせ臆するところを捕り押さえる心得です。
これも場面が目に見える様です。「火村風」の業名も不思議な名です。

 「都而」は「却而」いずれも現代に使われていないのですが、「・・としてすべて色にあらわさず」の様に使ったのでしょう。学識のある方のご指導をいただければ幸いです。

 世間話などして少しも仕物に来たことを色に出さず、煙草盆を出してもてなす風を装い、突然其の火を相手に投げつけ臆するところを捕えるのです。

 亦,捕り者に行く時は、灰を紙につつんでその中に石を入れて、「おんぶく」は土佐の方言の一つかも知れません。紙に包んだ米を正月に備える風習もある様です。
相手の顔にぶつけて包みが解けて目潰しとなって目がくらんでいる処を捕る。
譬え紙が開かなくとも石が入っているので当たれば衝撃を受けて動転する。

 この方法を聞いて捕り者に行き、密談があると気を引いて捕る仕組み、密談して居て灰を入れた紙を相手に打ち付けたが紙をしっかり包んでいたので開いてくれず、相手は却って気張ってしまう、慌ててしまってこの伝を知らずに用が立たない事も有。
此処は其の儘読んでも、意味不明なので勝手に思いつくまま解釈して見ました。

 この辺は目録の中でも、面白い処です。
役目を果たすと云う事への執念を教えると理解すべき処でしょう。

 
 
 

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2018年4月11日 (水)

無双直伝英信流の型 福井聖山先生の看取り稽古の4独妙剣の1

無双直伝英信流の型
福井聖山先生の看取り稽古の4独妙剣の1
参考資料
福井虎雄聖山著平成3年1993年無雙直伝英信流之形
福井虎雄聖山昭和57年1982年ビデオ
平成2年1992年第9回無雙直伝英信流居合道全国大会講習資料太刀打之位要旨
大江正路・堀田捨次郎共著大正7年1918年剣道手ほどき
その他
 打太刀、仕太刀相八相より前進し、間に至るや絶妙剣と同理合にて二度斬結び、三度目に仕太刀は打太刀の退くところをその左面に斬込む。
 打太刀は二刀目と同様に之を受け、互に左足を退きて十分なる同等の気位にて中段となる。
 打太刀は機を見て左足、右足と追足にて刀を左に傾け摺込みて仕太刀の胸部を刺突す。
註、打太刀は突きたるとき上体を流す。(前に屈むる)
 仕太刀は左足を左に踏出し(右足の左斜前)体を右に開きつつ手元を上げて敵刀を捲き返す。(敵刀を、己が右斜下に裏鎬にて摺落す。)
 仕太刀は打太刀の刀を右斜下に摺落しながら右足を左足の方向に退きつつ上段となるや右足を踏込みて打太刀の首より肩にかけて斬下す。
註、退く右足は床に留まらぬうちに前に進めて斬込む。
 次に打太刀は三歩出で、仕太刀は三歩退きながら中段となりつつ元の位置に復し、双方五歩後退す。(納刀せず)
 独妙剣の教本の一度目・二度目の斬結びが省略されています。教本は出来るだけ省略せずに書いておきたいものです。
 補足しておきます。
 「双方相八相、左足より前進し、間に至るや打太刀は上段となり、右足を踏込みて仕太刀の左面に斬込むを、仕太刀機先を制して上段から右足を踏込みて打太刀の左面に斬込み相打となり、物打の刃部にて刀を合わす。
 打太刀は、仕太刀の気に圧せられて右足を退かんとするを仕太刀之に乗じて左足を踏込み打太刀の右面に斬込む。打太刀は右足を退き、上段より仕太刀の太刀を受ける。(斬込むような要領で)」
 ここでのポイントは、一刀目は打が八相から上段に振り冠って仕の左面に斬り込むのを、仕も同様に斬り込み相打とする。
 「仕機先を制して」をどの様にするでしょう。打に遅れて斬り込むが結果相打という業を出せるかにあります。しかも双方の左面に斬り付けられる距離の中央で物打の刃部という注文までついているのです。
 殆どの演武を見ていても、仕打同時の運剣です。或は打が先んじて中央で待っている。機先を制しての言葉に煽られて先んずるばかりでは双方物打での合刀は難しい。
 二刀目は、古伝は打が退きながら仕の右面に斬り込んで来るのですが、この教書では仕に圧せられて打が退かんとするのを仕は左足を踏み込んで打の右面に斬り込む。打は(斬り込むような要領で)受太刀になる様に指定しています。
 ここもほとんどの演武で打は上段から刀を右下に振り下し、受太刀にして稍々刀が斜め前向き程度のものです。その様に指導してしまう先生ばかりと言ったら過言でしょうか。
 この福井先生の教書は河野先生の教書をそのまま引用していますので時々、古伝の心持が挿入され、人真似の形を追う人には意味の無い挿入部分となってしまいます。
 形の手附は心持ちでは無く動作として、示すべきでしょう。
 多くは、打より先に仕が仕掛けている様です。それでは仕打逆でしょう。早ければ勝つわけでは無いのですから。
 打も受太刀になったままでは無く受ける事が攻める拍子となる業を持たなければ打の資格はないでしょう。
 三刀目も同様と云えるでしょう。
 ある地区の一刀目は絶妙剣同様、真向打で双方の中心で鎬を合わせて留めています。何をさせたいのか疑問です。真向打ちは術の優れた者と対すれば必ず負けて我が刀は落とされ相手の刀が面を斬ってきます。受ける事など出来ません。せいぜい手の内の締めを学ぶかそれを利用して真直ぐ打込む稽古に過ぎません。怖がって十文字受してしまえば真向相打ちなど何処にも無い。
 福井先生の教本の示す左面への斬込みも出来ていない事になります。
 もう一つ、英信流の居合では上段は背中に切先下がりですが、八相から上段に振り冠って切先下がりでは、八相から切先上がりの上段を良くする者には対応できません。更に左面ならば八相からそのまま左面に斬り付ける事が相手におこりを見せず有効でしょう。
 大江先生は、八相から「仕は八相のまま右足より五歩交互に進み出て、同體にて右足を踏み出して。左面を斬る」と言って八相から上段へは取っていませんでした。
 もういい加減に、大日本武徳会の統一理論に随っている必要は無いでしょう。八相の構えも剣道形になって窮屈です、研究課題でしょう。
 他流の竹刀剣道に蹂躙されていない八相を学び従来(河野先生以降のかたち)の変形を正す時期でしょう。
 或は大江先生の英信流居合の型を元にして、不合理な部分をあらゆる資料や研究を元に新たに作り替えて、この流を学ぶ者に示す時期でもあるでしょう。居合と組太刀とは居合の業技法を修錬する土台というより、居合で不充分な場合剣術となった時の業技法を示しています。居合に拘ると不合理になってしまいます。
 三刀以降は次回に譲ります。
 
 
 

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曽田本その1の4居合根元之巻読み解く6小藤亀江伝来の目録12

曽田本その1
4.居合根元之巻読み解く
、小藤亀江伝来の目録
12無雙直伝英信流居合目録
  
極意之大事 
 
1.暇乞・2、獅子洞入・3、地獄捜・4、野中幕・5、逢意時雨
6、
火村風・7、鉄石・8、遠方近所・9、外之剱・10、釣瓶返
11、智羅離風車
読み解く
極意之大事3、野中幕
曽田本その1に英信流居合目録秘訣が納められています。外之物ノ大事・上意之大事・極意ノ大事、更に居合心持肝要之大事に「野中之幕」があります。
 
野中之幕
 取籠者抔の有之時 杖の先き或は竹の先に又横手を括り付け其横手を羽織の袖に通し其竹の本を左の手に持ち向へさし出し右の手に刀を持ち 生捕なれば木刀の類を持ち 我身は羽織の陰に隠れ羽織をば相手の方へ突き付べし 向より切ると云えども我身には届く事なし其所を持たる刀にて相手の足を薙ぐべし亦矢玉を防ぐに至て宜し
 是が極意の事の一つですが、暗がりとか余程相手の気が立って居なければ役立ちそうもありません。
 居合とは無関係の様な教えです、目録授与の際に口頭で説明すればよい様な内容です。
 
 
 

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2018年4月10日 (火)

無双直伝英信流之形 福井聖山先生の看取り稽古の3絶妙剣の5

無双直伝英信流の型
福井聖山先生の看取り稽古の3絶妙剣の5
参考資料
前項と同じ。
 絶妙剣の三刀目について、前回は何故を少し追い掛けてみました。大江先生の創作されたものを変えない、というより河野百錬先生の教本に随うのが福井聖山先生でした。
 河野先生は時代の背景なのか、絶妙剣の術理を考えられて大江先生の動作を変えたのかどうか、もう知るすべは残されていていない。
 直に指導を受けられた方以外は解らなくなっているでしょう。
 戦後のどさくさで、資料も無く、河野宗家に直に疑問をお伺いする様な、本物を求める真面目な剣士は居なかったかも知れません。
 三刀目の疑問は、「打は左足を退きて仕の真向を斬下さんとして上段となるを、・・」の上段の形が教本には示されていません。
 もう一つは上段に構えた打の左腕上腕部を下から掬い斬りする際の、仕の踏込み足です。
「仕すかさず右足を右前方(打太刀の左斜側方)に踏込み、左足を大きくその後方へ送るや上段より打太刀の左腕上膊部に下より掬い上げるように斬込みて勝」その時「仕は、右肩にて敵に附入るように十分手を伸ばして上体を右前に乗り出す」部分です。
 そして「左腕より頭部諸共、斬放つ意なり」です。動作より心持が優先しています。
 ここを福井先生のビデオで稽古して見ます。
 この業は古伝の太刀打之事附込(附入)の名称を大江先生が絶妙剣と替えてしまったものです。従って打との斬り合いで仕は斬り間を外さない事を学ぶものなのです。
 福井先生の一刀目も二刀目も間が遠くて合刀していますが仕の刀は打に届いていません。       
 仕は間合いを計って斬り込んだが打が大きく下った事にしておきましょう。
 古伝は打は退りながら斬り込むのですから双方の間はもっと近くなる。
 其処から、打は左足を退いて上段に振り冠る。上段の振り冠は、振り冠った瞬間は床に水平より10cm位稍々切先下がりで、はずみで戻し水平より10cm位切先が上がった中途半端な上段です。
 英信流の上段振り冠りならば切先45度下がった振り冠りで、斬撃の意を示すには不向きですから切先を上げたのでしょう。
上げるならば切先45度上向きで、左足が床に着くや上段から即座に斬り下ろす体制となる、方が良いでしょう。
 仕は打が左足を退くのに間を外さない様に附込むのですが、踏み込みは十分ですが上段の振り冠が打に遅れています。右足を右斜に(打の左斜側)に踏込みながら打が振り冠るに合わせて振り冠る、そうでなければ打に切り込まれてしまいます。
 打の退き足に随って上段に振り冠りながら踏み込んでいる、打は仕よりも少しでも早く斬撃体勢に入るべきものです。
 申し合わせに随い、打が上段で待っていてくれる、それにいつまでも甘えるものではないでしょう。仕の踏み込みは早すぎても、遅すぎても斬られる。打も斬る為には打の上段は、少なくとも切先45度の上段であるべきです。
 教本通り仕は「仕すかさず右足を右前方(打太刀の左斜側)に踏込み、左足を大きくその後方へ送るや上段より打太刀の左上膊部に下より掬い上げるように右肩にて打に附け入るように十分手を伸ばして上体を右前に乗り出して斬込む」と云った形に成っています。
 但し体は延び切ってまだ足りず左足は宙に浮きそうです。一本目はともかく、二刀目で附け込むのが不十分、三刀目も不充分ですから上膊部を斬れても頭部諸共は此の態勢ではどうでしょう。
 此処を河野先生のビデオで稽古して見ます。教本に書かれている一刀目からすべて上段に正しく振り冠れず、崩れた八相、崩れ裏八相、崩れ八相で特に、三本目は掬い斬りなど教本の文言に過ぎず、体も伸びず手も伸びず横から叩いています。
 打の上段は切先45度上の上段です。上段振り冠も福井先生も不十分で河野先生と同様です。剣連に言わせれば「ダメ」でしょう。
 さて、福井先生のビデオから学んだというある地区のビデオで稽古して見ます。平成21年のビデオから、一刀目は右面に斬り込む、八相から上段に振り冠って右足を踏込み右面に斬り込み双方十文字請で相打。
 二刀目は打が右足を退きつつ上段に振り冠った処、仕の斬り込みが真向の為(右面に斬り付けるはず)、打も真向斬り込みとなってしまい双方の刀が一本に見えます。撮影角度をずらしても多分そんなにずれていないでしょう。
 意味の無い真向相打ち双方の中間で止めた相打です。三刀目打が左足を退いて上段に振り冠らんとするや、仕は上段に振り冠って、右足を右に大きく踏込んで上段から右に刀を廻し低い八相の斬込をしています。下から掬い斬りでは無く斜め上から上段に構えた打の左腕上膊部に斬り込んでいます。仕の踏み込みが大きすぎて打のほぼ左横に近いものです。此処まで筋を替る意味は無いでしょう。
 右足を足幅程右斜めに踏込み、左足をその後方に摺り込めば充分筋は変われて半身の体勢で掬い斬りは可能です。
 平成24年のある地区のビデオで稽古します。
 一刀目は真向打ちでしょう。福井先生の教本は左面相打ちです。真向打ちで双方の中間で鎬を合わす意味は何なのでしょう。
 二刀目は、打が右足を退いて上段に振り冠り右面に斬り下ろさんとする、仕は左足を踏込み右面に斬り込にむ、打は充分間があるのに仕の斬込みを上段から刀を立てる様にして右側で十文字受する。
 三刀目は、打が左足を退いて上段に振り冠る初動と同時に仕は上段になりつつ右足を右斜め前に踏込み左足をその後方に摺り込みつつ上段から掬い斬りに打の左腕上膊部に斬り付ける。仕は斬り付けられるのを待っている雰囲気です。同時進行した時上段の振り冠が打より早くないと打の方が上段になるタイミングは必ず早くなる。
 打が斬り下ろさんとした瞬間、仕が打の視界から消えている、「あれ」と思った時には腕を斬られている。そんな絶妙剣を見たいものです。
 上段の振り冠など左右にぶれずきれいな振り冠りです。背中側に切先下がりの上段を取る意味はあるのでしょうか。八相から上段、上段から八相何れも疑問です。左右何れにても切先上がりの上段は応じられますが、背中側の切先下がりでは、手打ちの斬撃力に威力は有っても変化に応じられないでしょう。
 長くなりますが、大江先生の三刀目の附け込む右足は、「仕は右足を出して體を右半身とし、中腰となりて、左手甲を斬る」コンパクトな本物だったと思われます。
 第19代福井春政先生は「仕素早く右足を大きく一歩斜右前に踏込み體を右に開き打の左上膊部を下より掬い切りに打つなり」でした。
 次回は独妙剣を稽古します。
 

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曽田本その1の4居合根元之巻読み解く6小藤亀江伝来の目録11

曽田本その1
4.居合根元之巻読み解く
、小藤亀江伝来の目録
11無雙直伝英信流居合目録
  
極意之大事 
 
1.暇乞・2、獅子洞入・3、地獄捜・4、野中幕・5、逢意時雨
・6、
火村風・7、鉄石・8、遠方近所・9、外之剱・10、釣瓶返・11、智羅離風車
読み解く
 極意之大事の3番目「地獄捜」
 小藤亀江は無双直伝英信流居合目録を相伝しても、目録の項目の内容は知らなかったと思うのです。
 根元之巻は師匠に見せられても、目録の項目の全ては師匠も知らなかったのだろうと思います。
 現代居合では刀を抜く形ばかりで、何も相伝していないのが実情です。
*
 古伝神傳流秘書にも無かった「地獄捜」英信流居合目録秘訣極意之大事三項目目にあります。
地獄捜
 闇りに取籠り者抔有るときの心得也夫れにては已成らず惣じて闇にて人をさがすの術也
 刀の身と鞘と半分抜掛て鐺を以て一面にませ捜すべし鐺に物のさわるを證に抜て突べし
 亦鞘口三寸計に切先を残し居ながら静かに四方へ回してさぐるべし九尺四方何事も知れ申す
*
 山川幸雅による目録口授覚、印可口授覚に居合兵法極意秘訣(英信流兵法極意秘訣)というのがあります。
 「老父物語を書付置久しき事ゆえ失念之事多し・・」で始まる林 政詡が明和元年16764年に「賜之」とある覚書です。
 その當流申伝之大事の閨之事に地獄捜と同様の事が書かれています。
閨之事
 不案内なる所にては刀を抜鞘口三寸ほどのこし居ながらしづかに四方を振さぐるべし九尺四方其まま何事もしれ申し候
此処はこの暗闇での用心の方法とみてよさそうです。真っ暗闇など都会ではめったに有り得ない事ですが、知らない所で真っ暗ならば困惑してしまいます。
 
 
 

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2018年4月 9日 (月)

無双直伝英信流の型 福井聖山先生の看取り稽古の3絶妙剣の4

無双直伝英信流の型
福井聖山先生の看取り稽古の3絶妙剣の4
参考資料
絶妙剣の資料による
 絶妙剣の三刀目は、福井先生の教書で研究してみます。双方八相から左足・右足・左足で間境に至り上段に振り冠って、双方右足を踏込んで相手の左面に斬込相打。
 二刀目は打が仕に圧せられて右足を退かんとする機に乗じて仕は上段より左足を踏込み、打の右面に斬込む、打は右足を退いて上段より仕の太刀を受ける。でした。古伝は打も右足を退いて仕に斬込二刀目も相打ちです。
 三刀目は
 「打太刀は、左足を退きて仕太刀の真向を斬下さんとして上段となるを、仕太刀すかさず右足を右前方(打太刀の左斜方)に踏込み、左足を大きくその後方へ送るや上段より打太刀の左腕上膊部に下より掬い上げるように斬込みて勝つ。
註1、左腕より頭部諸共、斬放つ意なり。
註2、仕太刀は、右肩にて敵に附入るように十分手を伸ばして上体を右前に乗り出す。」
 打が受太刀から左足を退いて上段に冠って反撃を示すわけです。仕はすかさず筋を右に変わって、附け込んで上段から低い八相の体勢を以って下から打の左上腕に掬い斬りする。
 大江先生の絶妙剣の三刀目は「打は左足を引きて上段構えとなりて斬撃の意を示す、之と同時に仕は右足を出して體を右半身とし、中腰となりて、左甲手斬る・・」でした。
 福井先生の掬い斬りで打の左上膊部を斬るのは河野先生の教本の丸写しですから、河野先生が昭和17年の大日本居合道図譜で公に変更してしまったものでしょう。
 そこで参考に、この三刀目は仕は打の何処に斬込むのか、参考資料からチェックしてみます。
1、古伝神傳流秘書の太刀打之事「請入」、「・・体を右に開きひじを切先にて留勝」
2、五藤正亮、谷村自庸口伝の曽田虎彦の業附口伝太刀打之位請込(請入)、「・・敵其時かむりて表より討たんとする所を其侭左の肘へ太刀をすける也」
3、大正7年1918年大江正路・堀田捨次郎共著剣道手ほどき英信流居合の型絶妙剣、「・・打上段構えとなりて斬撃の意を示す、之と同時に仕太刀は右足を出して體を右半身とし、中腰となりて、左甲手を斬る」
3、昭和8年1933年河野百錬無双直伝英信流居合術全英信流居合形絶妙剣、「上段構えとなりて斬撃の意を示す、是と同時に仕は右足を出して體を右半身として中腰となりて左手甲手を斬る」
4、昭和17年1942年河野百錬大日本居合道図譜、「仕の真向を斬下さんとして上段となるを、仕すかさず右足を右前(打の左斜側面)に踏込み左足を大きく其の後方に進めて踏みかゆるや、上段より打太刀の左腕上膊部に下より掬い上げる様に斬込」
5、昭和32年1957年一の坊(政岡壱實)無双直伝英信流居合道天之巻形絶妙剣、「打退いて上段、仕体を右に開いて下から
6、昭和44年1965年野村條吉無双直伝英信流居合道能参考英信流居合形絶妙剣、「打の・・反撃の気配を察知し右足を右横に踏み、左足は之に随い体を右に転し中腰右身となり敵の左前臂を斬る」
7、期日不明山本宅治英信流居合之形絶妙剣、「打・・斬撃の意を示す。同時に仕は右足を大きく右横に跳び込み腰を極めて右半身となり、少し腰を低くして太刀を右より廻して下から助け斬りに打の甲手(又は臂)を斬る」
 この資料から、河野先生から福井先生へ伝わった三刀目の斬込む部位は、肘が本来で、大江先生が甲手(小手)にかえてしまい、河野先生は初めは甲手であったものを、大日本武徳会の誰かに「左腕上腕部」に変更してしまったのでしょう。
 誰なのか、資料を漁っていました。
8、昭和17年1942年島専吉無双直伝英信流居合術形乾太刀打之位請込「打・・上段に振り冠るところを仕太刀素早く右足を大きく一歩斜右前に踏込み體を右に開き打太刀の左上膊部を下より掬い切りに打つなり」
 この嶋専吉先生に手附けを示されたのは第19代福井春政先生です。田岡傳先生と共にその仕方を指導された様です。
 従って、当時の河野先生もそれに習ったものでしょう。すっきりしましたが、福井春政先生の変更された意図は古伝太刀打之事「請入」のものです。
 大江先生のものとは異なるのですが同様の業ですから考えかたは同じでしょう。
 河野先生の「左腕より頭部諸共斬り放つの意なり」は不明です。
*
此の嶋専吉先生の写された福井春政先生の手附に面白いものを見つけました。
 絶妙剣の一刀目の古伝「請込」
 「相八相より相掛りにてスカスカと進み仕太刀表より打太刀の面を撃つ、打太刀は之を表十文字に請く・・」です。これは一刀目を仕が打を真向打ちして打はそれを表十文字とは、左に柄、右斜めに刀の刃を上に向け、仕の真向へ斬り込むのを受けています。真向相打ちとは違います。
 河野先生は、絶妙剣の三刀目の仕の斬込む部位を打の左腕上膊部と訂正されて大日本居合道図譜には書かれましたが、一刀目の仕の斬り込む部位は打の左面です。真向ではありません。このアンマッチはどう解釈すればいいでしょう。
 曽田先生の業附口伝の古伝「請込」は「八相にカタキスカスカト行て真向へ討込む也敵十文字に請て・・」です。
 古伝神傳流秘書の「請入(請込)」は「前の如く打ち合相手八相に打を前の如くに留」です前の如くは「遣方も高山相手も高山或は肩へかまへるかの中也持処へ遣方歩み行右の足にて出合う打込むを打太刀請・・」が一刀目です。
 高山は上段、肩は八相です。ですから上段ノ時は真向斬込む、八相の時は左面に斬込む事になります。古流剣術の常道でしょう。
 英信流に新陰流が混入して居ればなおさらです。八相から上段に直して斬込む事はないと云えます。 
 明治以降の剣術のありようを大日本武徳会によって統一理論が持ち込まれ古流剣術が失伝していった、その様子が見える様です。
 そろそろ、竹刀剣道から古流剣術は別物として、日本人の体に合った武術を取り戻す時期に来ているのでしょう。
 誤った動作とそれを補完する為の強化策は年を取れば使い物にならないアスリートを作るばかりです。武術は生きている限り有効でなければ、修行する意味は薄いでしょう。
次回は三刀目のビデオを稽古して見ます。
 

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曽田本その1の4居合根元之巻読み解く6小藤亀江伝来の目録10

曽田本その1
4.居合根元之巻読み解く
、小藤亀江伝来の目録
10無雙直伝英信流居合目録
  
極意之大事 
 
1.暇乞・2、獅子洞入・3、地獄捜・4、野中幕・5、逢意時雨
・6、
火村風・7、鉄石・8、遠方近所・9、外之剱・10、釣瓶返・11、智羅離風車
読み解く
 暇乞の次は「獅子洞入」ですが是は英信流居合目録秘訣の極意ノ大事では「獅子王剱」の表題で載っています、然し小藤亀江の目録では「獅子洞入」で同じものと云う感じがしません。
「獅子王剱
 是は事に非ず我が心に大丈夫を備ふる事也此の習何よりも肝要なり此備無き時はせきて色に出る故暇乞の類の術をもなすことならず常に能心に備えるべし
 英信流居合目録秘訣の居合心持肝要之大事に「獅子洞入 獅子洞出」という項目があります。表題が同じでも、「居合心持肝要之大事」の項目であって小藤亀江伝来の極意之大事ではありません。従ってこれかなとも思えるのですが心持を述べている項目との誤認では無い様です。
「獅子洞入 獅子洞出」
 是以戸口抔を入るの習也其外とても心得有るべし或は取籠者抔戸口の内に刀を振上て居るときは容易に入る事不能其時刀を抜て背に負たる如くに右の手にて振り上げ左の手にて脇指を提げうつむきて戸口を入るべし上より打込めば刀にてふせぎ下をなぐれば脇差にて留る向ふの足をなぐべし獅子洞出是以同出入の心得を知らする也
土佐の居合には柳生新陰流の風が幾つも出てきます、この獅子洞入もその一つです。柳生新陰流の九箇「小詰」を柳生流新秘抄から読んでみます。
「九箇 小詰」
小詰は尖になじると云う事なり。相手の右手の膝に太刀を押し当てるがごとく鋒先をささえて構うるなり、此の形を獅子の洞出と云い、洞穴より猛獣の猛って出るに喩ゆ、この太刀さき三寸へつけて弓手の肘を捧げ、相手の太刀先を押ゆる、相手拳を払うとき、太刀を擦り込んで両腕を押へ、詰めて勝なり、此の有りさまを獅子の洞入りと云い、鋒をもって敵の胸板をつらぬくことを小詰と云うなり。
*
この小藤亀江伝来の目録はどの様に谷村樵夫自庸は小藤亀江に相伝したのでしょう。恐らく、居合の形である大森流(正座)、英信流(立膝)位は指導されたのでしょうが、奥居合である古伝神傳流秘書の抜刀心持之事は、外之物之大事、上意之大事を参考にして業技法を習い得たかは疑問です。
 
 現代居合も同様に、刀を以て抜刀する事だけが無双直伝英信流や夢想神傳流であると手解きされているばかりです。
 棒術や和は傳書すら知り得ない状況です。ようやく仕組みである組太刀を見直す一部の人達が出ていますが、申し合わせの形に留まり、中には演武会用の見世物踊りに終始したりしています。術理を学ばず、申し合わせによる、強く早いばかりの大人のチャンバラも横行しています。

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2018年4月 8日 (日)

無双直伝英信流の型 福井聖山先生の看取り稽古の3絶妙剣の3

無双直伝英信流の型
福井聖山先生の看取り稽古の3絶妙剣の3
参考資料
前回と同じ
 絶妙剣の一刀目は双方八相に構え左足より前進し、間に至るや打太刀は上段となり、右足を踏込み仕太刀の左面に斬込む、仕は機先を制して上段から右足を踏込み打の左面に斬込み 相打となり物打の刃部で刀を合わす。
 教本の通りに福井先生のビデオは出来ているかについては、概ね教本に随っていると見ていいのでしょう。
 ある地区の平成21年の演武者は一刀目は左面への斬り付け、平成24年の演武者は真向斬り付け、その後も指導は真向斬り付けですが福井先生の指導に従ったと仰います。
 教本に無い動作は、福井先生もある地区のビデオとも双方前進し間に至った処で一旦休止して改めて上段に振り冠って真向に斬り付けています。止まる位なら双方其処から始めたらと云いたくなります。
 八相から上段に振り冠って左面ではおかしいと考えて真向にした、では大江先生はもともとは八相から上段に振り冠らず直接左面に斬り付けています。
 さて、二刀目です。
「打太刀は、仕太刀の気に圧せられて右足を退かんとするを仕太刀之に乗じて左足を踏込み打太刀の右面に斬込む。打太刀は右足を退き、上段より仕太刀の太刀を受ける。(斬込むような要領で)」
 参考に
 大江先生の絶妙剣は一刀目は「仕太刀は八相のまゝ右足より五歩交互に進み出て、同體にて右足を踏み出して、左面を斬る、打太刀は八相より左足を引きて仕太刀の太刀と打ち合わす、仕太刀は左足を出して打太刀は右足を引きて、前の如く打合せ・・」
 八相は左足前で構えますが、大江先生の場合打太刀は拳取を終って双方正眼に構え、仕のみ五歩退いて八相、打はその場で足を踏み替え左足前で八相です。
 一刀目では仕は右・左・右・左・右・右の足運びです。打は八相の構えのまゝ左足前で、仕に斬り込まれて左足を引いて仕の左面に斬り込み相打ちです。
 二刀目は、仕はその足のまゝ上段に振り冠り、打もその足のまゝ上段に振り冠り、仕は左足を踏み込んで打の右面を斬る、打は右足を退き仕の右面に斬り込み相打ちとなります。
「太刀を受ける。(斬込む要領で)」にその事は述べられています。
 さてビデオによる二刀目福井先生は教本通りでしょうか、ある地区の平成21年、平成24年の演武はどうでしょう。
 まず、福井先生のビデオ、双方一刀目の足のまゝ上段に振り冠りつつ仕は右足を踏み出し打の右面に斬り付けます。打は左足を引きつゝ上段に振り冠り、仕の右面への斬り込みを上段から斬り下ろす様に刀を立てゝ受けています。この受太刀が(斬込むような要領で)になるでしょうか。
 古伝は「請入」ですが、「前の如く打合相手八相に打を前の如くに留・・」で打が待つ処へ仕が歩み寄り一刀目は打が受け、二刀目は打が八相に斬り込むのを仕が受け留めています。
 ある地区の平成21年のビデオを稽古して見ましょう。仕・打共に一刀目を相打した右足前で上段に振り冠り、仕は左足を踏込み右面に斬り込み、打は右足を退いて上段から斬り下ろす様にして仕の斬込みを受けています。このビデオは打の斜め右後ろからの撮影の為一刀目の切り結びが真向か左面相打か微妙に判断不能です。特に仕の斬込みが真向に見える様です。二刀目は打が退かんとする気振りも見られません。此処も真向相打に見えてしまいます。
 無双直伝英信流の上段からの斬込みは大方真向ですから、右面も真向になってしまう可能性は長年やっていますとあり得るものでしょう。
 ある地区の平成24年のビデオで稽古して見ます。
 一刀目は明らかに真向相打、物打付近で合刀しますが打ち止めは鍔から5,6寸でしょう。
 二刀目は、仕は上段となり左足を踏込み右面へ斬込む、打は上段となり右足を退いて上段から右側面に刀を立てる様に振り下し仕の斬込みを受けています。ここも(斬込む要領で)が
下へ引き斬る要領で受太刀になっています。
 打が退りながら斬り込み相打は古伝にあっても失念してしまった刀法なのでしょうか。
 敢えて河野先生が付け加えた(斬込むような要領で)の思いは打の受太刀の際、仕の斬り込みを引き落す様な操作の事だったのでしょうか。
 打は退きながら仕の右面に斬込み相打ちではいけなかったのでしょうか、退いて受太刀したのでは仕に攻められるばかりです。負けても勝ち口を感じさせる打でありたいものです。
 次回は絶妙剣の三刀目に入ります。
 
 

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曽田本その1の4居合根元之巻読み解く6小藤亀江伝来の目録9

曽田本その1
4.居合根元之巻読み解く
、小藤亀江伝来の目録
無雙直伝英信流居合目録
  
極意之大事 
 
1.暇乞・2、獅子洞入・3、地獄捜・4、野中幕・5、逢意時雨
・6、
火村風・7、鉄石・8、遠方近所・9、外之剱・10、釣瓶返・11、智羅離風車
読み解く
 極意の大事に相当する教えは恐らく戦後の師匠から弟子へ伝えられた形跡は知る限りでは見られません。
 無双直伝英信流及び夢想神傳流でも、刀を抜き付ける居合の業技法に偏ってしまっていると思われます。
 指導を受ける者も、聞いては見ても現代には有り得ないことぐらいで右から左へ聞き流してしまうかも知れません。
 項目ごとに、英信流居合目録秘訣の極意を味わってみます
1、暇乞
英信流目録秘訣
 仕物抔を云付られたる時抔其者之所へ行て四方山の咄抔をして其内に切べし隙之無ときは我が刀を取て又近日と立さまに鐺を以て突き倒し其侭引ぬいて突く也又は亭主我を送って出る時其透間を見て鐺にて突たおして其侭引ぬいて突くべし
 現代居合はいつの間にか、相手の害意を察して、機先を制して後の先もしくは先々に制するものと理解しています。しかし古伝は相手の害意を察するとも、後の先とも状況を指定していません。どの様な状況でも教えられた業技法を以て勝也です。
 古伝神傳流秘書の抜刀心持之事にも英信流居合之事にも大森流居合之事にも暇乞と称する業名は見当たりません。
古伝神傳流秘書大森流居合之事 抜打
 坐して居る所を向うより切て懸るを其のまゝ踏ん伸んで請流し打込み開いて納る 尤も請流に非ず此所筆に及ばず
 この抜打は相手に打ち込まれたのを請け流して勝、後の先を表しています。
古伝神傳流秘書英信流居合之事 抜打
 大森流の抜打に同じ事也
古伝神傳流秘書抜刀心持之事 抜打
 抜打上中下
 「(暇乞三本)格の低き者に対する黙礼の時、等輩に対する礼の時、目上の者に対する礼の時 曽田メモ」
 曽田本その1の1神傳流秘書抜刀心持之事の17本目に「抜打上中下」と有りますがその手附けは有りません。
 そこには曽田先生のコメントとして「(暇乞三本)格の低き者に対する黙礼の時、等輩に対する礼の時、目上の者に対する礼の時」とあって、抜打について、地位の格差による礼法の違いを以て抜き打ちの仕方が違う様にメモられています。
 何時の時代かに抜打と暇乞の時の頭の下げ具合による抜刀法とを合体させた業が付加されたのかも知れません。
 木村永寿先生の林崎抜刀術兵法夢想神傳重信流伝書集及び業手付解説「神傳流業手付」の抜刀兵法傳来の抜刀心持之事には抜打上中下 「(暇乞三本)格の低き者に対する黙礼の時、等輩に対する礼の時、目上の者に対する礼の時 曽田メモ」に相当する記述は有りません。私は曽田虎彦先生が、当時土佐の居合で一般化した大江正路の居合の暇乞三本を書き加えた様に思います。
 その暇乞三本と英信流目録秘訣の仕物を言い付けられた時何が何でも首を取って帰らなければならない使命を帯びて、相手の隙を伺い奇襲する先制攻撃がコラボしている様に思います。
 現代では、奥居合の暇乞は卑怯な奇襲戦法として演武会では演じてはならないとまで飛躍している場合があります。
 お辞儀の角度がいか様でも、敵が攻撃を仕掛けて来る事も有る筈で、それに応じる後の先の技は暇乞三本でもあり得ることです。拡大解釈すべきものでは無さそうです。
白石元一長谷川流奥居合
 暇乞という業名は見当たりません。業手付から類推します。
 長谷川流奥居合の二十本目抜打
 (互に挨拶をして未だ終らざるに抜き打ちに斬る意)正面に対して正座し抜刀の用意をなしたる後、両手をつきて坐礼を行い頭を上げつゝ刀を抜き上体が起き終るまで已に敵を抜き打ちに斬りつく。
 この手附は互に挨拶をし、相手が起き上がる前に抜き打てと言っている様です。これは将に先制攻撃です。
尾形郷一神傳流居合兵法
 英信流奥居合之部ニ十本目抜打
(対坐して居る者を斬る)正面に向い対座し、刀を鞘なり前腹へ抱へ込む様に横たへ両手を前につかへ 頭を下げ礼をして俯きたるまま両手引込め鯉口と柄を執り 急に腰を伸しつつ刀を右前へ引抜き刀尖を左後へ突込み 諸手上段に引冠りて斬込む 
 「刀を鞘なり前腹へ抱へ込む様に横たへ両手を前につかへ」を忠実にやれば「両手を前につかへ」の解釈、手をつかえ(支・閊・痞)によって前屈みになって両手を床に着くと解釈できます。白石元一居合と同様でしょう。
大江正路剣道手ほどき 
 奥居合十九本目暇乞(黙礼)
 両手を膝上に置き黙礼し、右手柄に掛るや刀を斜に抜き付け上段にて斬る
 奥居合二十本目暇乞(頭を下げ礼をする)
 両手を板の間に付け、頭を板の間近く下し礼をなし、両手を鞘と柄に同一に掛け直ちに上に抜き上段となり前面を斬る
 奥居合二十一本目暇乞(中に頭を下、右同様に斬る)
 両手を膝上に置き黙礼より稍や低く頭を下げて礼をなし、右手を柄に掛け刀を斜に抜き上段にて斬る。
 大江正路の暇乞は後の先とも先とも不明ですがこの文章では、お辞儀をしつつ不意打ちの先制攻撃の色が濃そうです。
 大江正路の剣道手ほどき大森流居合の十一本目抜打を見てみましょう。
 「対坐にて前の敵を斬る心組にて其正座の儘刀を前より頭上に抜き、上段に冠り、身体を前に少しく出し、前面の頭上を斬る」
 是では正座の部の抜打ちも不意打ちの雰囲気です。古伝の「坐して居る所を向うより切て懸るを其のまゝ踏ん伸んで請流し打込み開いて納る 尤も請流に非ず此所筆に及ばず」は何処に行ってしまったのでしょう。
 この一方的な抜打は白石居合にも尾形居合にも同様と云う事は、細川義昌に伝えた下村派第十四代下村茂市定の教えであったと思われます。
 当然の事で下村茂市定を師匠とした吉宗貞義を師とする曽田虎彦にも通ずるものかも知れません。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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2018年4月 7日 (土)

無双直伝英信流の型 福井聖山先生の看取り稽古の3絶妙剣の2

無双直伝英信流の型
福井聖山先生の看取り稽古の3絶妙剣の2
参考資料
福井虎雄聖山著平成3年1993年無雙直伝英信流之形
福井虎雄聖山昭和57年1982年太刀打之位ビデオ
ある地区の演武会のビデオ平成21年2009年・平成26年2014年
その他
 教本
「拳取を終了し、打太刀、仕太刀共元の位置に復しつつ双方中段となり互に五歩後退す。
 打太刀・仕太刀共、足を踏みかえて左足を前に出し八相に構ゆ。」
 福井先生の仕も打も五歩左足から右・左・右・左と歩み足で戻り、左足を右足と踏み替え八相に構えています。踏み替えは左足が右足よりやや前になって踏み変えています。
打は右足が退かれ過ぎて見えます。此処は元の正眼の構えの位置に体軸がある様に心がけるべきで、間合いを少しも変えない心持ちを持ちたいものです。
 八相の構えは、竹刀剣道の八相ですから、河野先生の大日本居合道図譜に依る構えでしょう。「刀を立てて右肩に引付け右拳は肩の高さに鍔が口の右に一拳隔して、右足を退きて構ゆ」
 この八相は一刀流の八相の構えであり竹刀剣道の日本剣道形太刀の形四本目にある八相の構えでしょう。
「諸手左上段の構えから、そのまま右拳を右肩のあたりまで下ろした形で、刀をとる位置は、鍔を口の高さにし、口からほぼ拳一つ離す。構えるときは、左足を踏み出し、刀を中段から大きく諸手左上段に振りかぶる気持ちで構える。刃先は相手に向ける。」(全解日本剣道形より)
 一刀流極意(笹森順造)によれば八相は「陰の構から右拳を右肩の高さにあげ、切先を後ろに高く太刀を45度に上げて構える。」
陰の構えとは「正眼から左足を前に出し、体は右斜向きとなり、太刀を両手にて右斜前に垂直に立て、刃方を右斜前に向け、右手にて柄の鞘下を持ち、傘さしたように左手柄頭に添え、左前腕を水平に構える。」
 第17代大江先生は「打太刀は其まゝにて左足を出して體を斜向きに八相となり、仕太刀は青眼より左足を出して八相となる」と言って八相の形の解説は有りません。然し「仕太刀は八相のまゝ右足より五歩交互に進み出て、同體にて右足を踏出して、右面(左面の誤植)を斬る」と有りますから八相のまゝ右面に斬り込んでいる事になります。
 剣道形の八相は少し窮屈な感じですから打込む時は上段に振り冠ってから打ち込む様に指導されていますが、八相のまゝ切り込むには右手の高さを右こめかみ辺りまで上げ左拳が口元の高さで柄頭が相手の中心線を攻め、刃は前、切先45度上にある方が斬込みやすいものです。 
 但し八相の構えからの斬込みは、現代の無双直伝英信流の様な切先を背中に下げる様にして手打ちで打ち込む事をやって来た者には、大上段と同様に斬撃力が物打ちに伝えられません。体の使い方からも直さなければならないのです。
 「双方左足より前進し、間に至るや打太刀は上段となり、右足を踏込みて仕太刀の左面に斬り込むを、仕太刀機先を制して上段から右足を踏込みて打太刀の左面に斬り込み相打となり、物打ちの刃部にて刀を合わす。」
 教本は、八相の構えの侭、左足から出て間に至るや上段となり、右足を踏み込んで左面の斬り合いです。
 福井先生のビデオも教本の様に左足から双方左面の打ち合いで互いの距離の中央で合刀しています。
 福井先生の突っ込みが早いと見えて、物打刃部より仕は刃中、打は三分の一で刃を合わせています。
 切先の止まった位置から軌道を描くと、切先は双方相手に届いていません。打は受太刀となっていますが届いてこない仕の刀など請けても仕方がないのですが、申し合わせなのでしょう。
 拳取終了時、双方中段に取り、後足の左足から五歩下がったわけで、四歩目に右足を踏み込んでも相手に当たるかどうかでしょう。
 其の上、左・右・左と双方歩み寄って此の三歩目で一旦止まり睨み合いをして、右足を踏出しつつ上段に振り冠って打ち下すや右足が地に着くのです。
 にらみ合いの為の出足がやや短くなりやすい分と、五歩で戻った距離を前進だから四歩で間に合うとは言えないでしょう。元々、切先を合わせ中段に構えた時の右足の位置が間境なのです。双方踏み込むとしても半歩分距離不足です。一歩目を大きく出るか、途中で盗み足が必要です。
 刀同士が届けばいい、位のことで良いならそれだけです。教本に無い三歩目でのにらみ合いはビデオに残されたものですが必要事項ならば教本に追記の必要性があるでしょう。
 ビデオが昭和57年、教本が平成3年ですからその間に修正されたとしておきましょう。ビデオによって真似をするなという教訓の一つです。
 或る地区の平成21年の演武会でのビデオを看取り稽古します。
 拳取の相青眼からの退き足は左足から交互に五歩ですが、歩幅は平常の後向きでの足幅ですから狭い足幅使いです。進む足は稍々広くなったのでしょう、それは歩むと言うより速足ですから歩幅が大きくなるのでしょう。三歩目は左足を踏み出し一瞬止まって上段に振り冠って右足を踏込み、左面相打です。
 この演武された方の指導で一刀目を真向打としたというのならば、バッテンによるこの時のビデオの合刀は何でしょう。真向打ちが出来ないのでしょうか。
 恐らくこの頃は福井先生の教本か指導通り左面への斬り込みだったのでしょう。その後3年位で変えて行ったと思われます。
 もう一つ、教本の要求事項である「物打の刃部で刀を合わす」が出来ていません刀身の半ばで受けています。半ばも物打と云った人もいますが扨?。
 物打刃部で刀を合わすと間が遠くなり切先は相手に届かない、又は不必要に高く振り上げる必要が有りそうです。
 もう一つ平成24年の同地区の演武会でのビデオで看取り稽古して見ます。
 同じ教本の要求事項です。双方左足・右足・左足と相進み三歩目で一旦睨み合い、右足を踏み込みつつ上段に振り冠って真向打ちしています。双方の間合いの真中で刀身の三分の一ほど鍔寄りで鎬を合わせている様に見えます。
 この方達によって真向打ちとしたのかも知れません。
 第17代大江先生・21代河野先生・21代福井先生が教本で絶妙剣の一刀目は「左面」と明示されているわけですから変えた理由を明確にされるべきでしょう。
 古伝太刀打之事「請入」がこの絶妙剣の元の業です。
 「前の如く打合う相手八相に打を前の如くに留又相手より真甲を打を躰を右へ開きひじを切先にて留勝」です。
 一刀目は双方高山か八相のいずれでも良く、ですから真向もあり得るとも言えます。但し八相に構えた場合は八相による左面が妥当です。
 ある地区の絶妙剣の一刀目を真向へ斬り込むことを将来も残すならば、なぜそうしたのかを明確にして置くべきでしょう。
 絶妙剣の続きは次回に譲ります。
 
 
 
 
 

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曽田本その1の4居合根元之巻読み解く6小藤亀江伝来の目録8

曽田本その1
4.居合根元之巻読み解く
、小藤亀江伝来の目録
無雙直伝英信流居合目録
  
極意之大事   
暇乞・獅子洞入・地獄捜・野中幕
逢意時雨・火村風・鉄石・遠方近所
外之剱・釣瓶返・智羅離風車

居合心持肝要之大事
1.捕手和合居合心持之大事
1.立合心之大事
1.太刀目附事
1.野中之幕之大事
1.夜之太刀之大事
1.閨之大事
1.潜り之大事 戸脇之事
1.獅子之洞出之事
1.獅子之洞入之事
右九ヶ条者深秘之極意也非真実之人者努々不可有相伝者也

無双直伝英信流居合就多年御熱心太刀次悉令相伝□向後嗜専要候若御所望之仁於有之者兼而其之人之取罰文御指南尤可仍許免之状如件

明治三十四年六月十五日  
           谷村樵夫自庸
小藤亀江殿
 
読み解く
 曽田虎彦先生の実兄小藤亀江が谷村樵夫自庸より伝授された居合根元之巻に付随する無双直伝英信流居合目録を読み解いてきました。
 免許状の形式は大凡このようにその流の始祖による流を起こした謂れ、その奥義と云える教え、それを行うに当たっての心構えなどの様です。
 伝えた業目録は目録のみで業名が記載されているばかりです。土佐の居合も其の形式に依っています。
 従って、目録を見てもどの様に伝授されたのかはわかりません。中には目録一部で流の最も基本とする奥義の業のみ伝授され他は独習せよとばかりのものもあろうかと思います。
 目録允可は根元之巻とは異なり、「業を教えたよ」というものに過ぎません。中には初伝・中伝・奥伝と分けて居る場合もありますが、それは其処までの伝授の証しでもあり、中には金目当ての巻物に過ぎないものもあったでしょう。根元之巻は「奥義の心を伝えたよ」というものです。これは免許皆伝ですから流の業技法も心得も伝えたものですから師範として道場を開く事を許されたと言えるでしょう。
 流の宗家として立つには紹統印可を現宗家から印可されるもので、根元之巻を師匠から伝授されたとて自称宗家を名乗るべきでは無くその乱立は疑うべきもので、自らが見直すべきでしょう。
 いくつかに分けて小藤亀江伝来の無双直伝英信流居合目録を解説して見たいと思います。
 参考とするものは、英信流目録秘訣しか見当たりません。
 既に発行されているものでは昭和30年1955年発行の第20代宗家河野百錬の無双直伝英信流居合兵法叢書第二編居合兵法極意秘訣第四章英信流居合目録秘訣P61。
 もう一つは昭和57年1982年発行夢想神傳流の木村永寿範士による林崎抜刀術兵法夢想神傳重信流伝書集及び業手付解説の英信流居合目録秘訣P69。
 木村永寿本は夢想神傳流を正当化する事に気を遣いすぎ、林崎甚助重信から伝わり、長谷川主税助英信が時代に合わせて改変し、荒井勢哲清信から伝授され土佐の林六太夫守政が土佐にもたらした無双神傳英信流居合兵法であることをぼやけさせています。
 其の表題によってせっかくの細川家伝来の資料集が無双直伝流を学ぶ者にも伝わらず絶版になっているのは残念です。
 河野本は内容は曽田虎彦からの手書きの伝書集から版を起されていますが、何せ版数も少なく高価で、発行時期も早すぎたためでありましょう、限られた人にしか渡っておらず、其の侭書庫に埃を冠って居るか遺族が破棄したか古本としても市場に出てきません。
 図書館でコピーするか再版を待つばかりです。先師から譲られてお読みの先生は少なかろうと思います。
 日本の国語教育の貧困さからページを開いても読みこなせない若者ばかりで宝の山はいずれ消えてしまうでしょう。
 居合を学ぶ者は国語も学ばなければならない、同時に戦国期から江戸期の日本人の思想や体の使い方も学び、新陰流と兵法家伝書・武蔵の五輪書・一刀流極意なども勉強せざるを得ないでしょう。
 武術はその師の域に達しなければ、指導された意味も術も理解できないものです。形は真似られても術にはならないのが古流だろうと頭も尻も叩かれています。当然伝書を書かれた先人の域に達せられなければ其の内容は理解不能でしょう。
 よく、伝書は、流の極意技を知られない様に書かれているなどの聞き覚えをさせられます。 私はそんな事では無く其の域に達していなければ唯の巻物で口にくわえて呪文でも唱える以外にないものと思っています。
 余談が長すぎました。次回は極意の大事に入ります。
 
 

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2018年4月 6日 (金)

無双直伝英信流の型 福井聖山先生の看取り稽古の3絶妙剣の1

無双直伝英信流の型
福井聖山先生の看取り稽古の3絶妙剣の1
参考資料
福井聖山著平成3年1993年無雙直伝英信流之形
福井虎雄聖山太刀打之位ビデオ他
大江正路・堀田捨次郎共著大正7年1918年剣道手ほどき
 打太刀・仕太刀共、足を踏みかえて左足を前に出し八相に構ゆ。
 双方左足より前進し、間に至るや打太刀は上段となり、右足を踏込みて仕太刀の左面に斬込むを、仕太刀機先を制して上段から右足を踏込みて打太刀の左面に斬込み相打となり、物打の刃部にて刃を合わす。
 打太刀は、仕太刀の気に圧せられて右足を退かんとするを仕太刀之に乗じて左足を踏込み打太刀の右面に斬込む。
 打太刀は右足を退き、上段より仕太刀の太刀を受ける。(斬込む様な要領で
 打太刀は、左足を退きて仕太刀の真向を斬下さんとして上段となるを、仕太刀すかさず右足を右前方(打太刀の左斜側方)に踏込み、左足を大きくその後方に送るや上段より打太刀の左腕上膊部に下より掬い上げるように斬込みて勝つ。
註1、左腕より頭部諸共、斬放つ意なり。
註2、仕太刀は、右肩にて敵に附入るように十分手を伸して上体を右前に乗だす
 次に、互に中段となりつつ仕太刀は左足より元の位置にかえり、打太刀は三歩出で仕太刀は三歩退きて中央にかえり、双方五歩後退す。(納刀せず)
 福井先生の教本は概ね河野先生の教本(大日本居合道図譜)と同じです。大江先生の教本との違いは、「仕太刀機先を制して・・相打」という何とも不明瞭な表現を河野先生が用いていますのでその引用です。どの様に打は仕を導けるでしょうか。心持ちでは意味なしです。
 大江先生は「仕太刀は八相のまま右足より五歩交互に進み出て、同體にて右足を踏み出して右面を斬る打太刀は八相より左足を引きて仕太刀の太刀と打合す、仕太刀は左足を出し打太刀は右足を引きて、前の如く打合せ、打太刀は左足を引きて上段構となりて斬撃の意を示す、之と同時に仕太刀は右足を出して體を右半身とし、中腰となりて、左手甲を斬る・・」
 仕は八相の構えのまま進み、八相から打の右面(左面の誤植)に斬り付け、打は八相のまま左足を引いて打ち合わせています。
 福井先生は打が右足を踏込み、左面に斬り込んで来るので、仕も右足を踏み込んで八相から上段に冠って左面に斬り込み相打としています。
 ある地区の絶妙剣の一刀目の斬り付けは真向です。どこの誰が指定したのでしょう。双方真向斬り下ろしの意味が充分認識され出来る、でなければ意味なしです。
 演武を見ていてもほとんど真直ぐになど振り込めず十文字請けです。
 二刀目は、福井先生は仕が左足を踏み込んで上段から斬り込んで来るので、打は右足を退いて上段から斬り込む要領で之を受けています。この足踏みの動作は大江先生も同じですが一刀目の相打ちから、二刀目の振り冠が上段か逆八相かは指示されていません。右面に打ち込むので逆八相も良い稽古でしょう。
 三刀目は、大江先生は、打は右足を退いて上段、この上段は切先下がりか、切先上がりかですが斬撃の意を示すので切先上がりが妥当でしょう。
 仕は右足を出して半身になり、中腰で左手甲を大江先生は斬らせます。福井先生は右に筋を替って充分手を伸ばして掬い切りに左腕上膊部を斬ります。
 八相から上段に振り冠り八相に斬り下ろすのは、河野先生によるもので、昭和17年と云えば太平洋戦争です、時の大日本武徳会の竹刀剣道の指導方針に従ったのでしょう。八相の構えも竹刀剣道の定番です。
 大日本居合道図譜では「刀を立てて右肩に引き付け右拳は肩の高さ、鍔が口元の右に一拳隔して、右足を退きて構ゆ」
 この窮屈な八相の構えでは上段に振り冠ってから打ち込みたくなります。もっとおおらかに構えたいものです。
 八相からの無駄のない斬り込みを稽古したいものです。右手は右耳の高さで刀の重量をささえバランスし、左手は柄頭を握り、柄頭は相手の中心を捉える。刀の刃は相手の方に向き切先は45度位上を向く。
 大江先生の「左手甲を斬る」が福井先生の「左腕上膊部を下より掬い上げる様に斬り込む」と変わっていますが、河野先生の独創かも知れません。
 河野先生は古伝神傳流秘書を曽田先生から写しをもらっていますので参考にされたかもしれません。
 古伝の請入「前の如く打合相手八相に打を前の如くに留又相手より真甲を打を体を右へ開肘を切先にて留め勝」
 抜けだらけですがこれが大江先生の絶妙剣の原形です。
 次回は福井先生のビデオから看取り稽古をします。

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曽田本その1の4居合根元之巻読み解く6小藤亀江伝来の目録7

曽田本その1
4.居合根元之巻読み解く
6、小藤亀江伝来の目録
7.無雙直伝英信流居合目録
上意之大事3 
 10、鐺返・11、行違
 12、手之内・13、輪之内・14、十文字
読み解く
上意之物之大事の業名から次の伝書に相当する業名を拾い出してみます 
10、鐺返
古伝神傳流秘書抜刀心持之事 
 該当せず 
白石元一長谷川流奥居合 
 該当せず 
尾形郷一無双神傳抜刀術兵法 
 該当せず 
大江正路剣道手ほどき 
 該当せず
英信流居合目録秘訣(参考) 鐺返
 座して居る時後ろより小尻を取て押しあぐるときは刀を抜く事ならず此時相手のひざ頭を踏み其のきおいに向うへたおれてぬき突くべし
11、行違
古伝神傳流秘書抜刀心持之事 行違:  
 行違に左の脇に添えて払い捨冠って打込也
白石元一長谷川流奥居合 摺違:
 (歩行中摺れ違う際敵を斬る意)歩行中敵と摺れ違う一歩手前に於いて(左足にて鯉口を構へ右足をふみ出して)刀を抜き、左足を出すと同時に刀を左側に取る。此時右手は左肘の外に位置し、左手は鯉口を持ちたるまま右脇腹に取り左右の腕は交叉す。続いて右足を踏み出し摺れ違いざまに敵の胴を横に払い、直ちに振り返り右足を踏み出しと同時に、再び上段より斬り下ろす。
尾形郷一無双神傳抜刀術兵法 行違:
 (摺れ違いに左側の者を斬る)正面へ歩み往きつつ(右側を通り)鯉口を切り左足踏出しながら右手を柄に掛け、右足を踏出すなり刀を向うへ引抜き、左足踏出しつつ(刃部を外へ向け)左腕外へ突込み、更に右足踏出すと共に摺違いに刀を向うへ摺抜き(相手の左側を軽く斬り)直ぐ左斜に振返へりつつ諸手上段に振冠り右足踏込んで斬込み刀を開き納め終る。
大江正路剣道手ほどき 行違
 (進行中正面を柄頭にて打ち、後を斬り又前を斬る)右足の出出たる時、(敵顔面を柄頭にて)左手は鞘と鍔を拇指にて押へ、右手は柄を握りたるまゝ前方に伸し、柄當りをなし、其足踏みのまゝ体を左へ廻して、後方に向いつつ、抜き付右手にて斬り、直に前方の右へ振り向き上段に斬る。
英信流居合目録秘訣(参考) 行違
 我左脇を通す宜し切る事悪しと知るべし行違さまに抜て突事宜し又敵先に抜んとせば先んじて早く柄にて胸を突くべし行違の詞の掛様の事大事有、夜中に往来をするにうさんなる者の有時は自分の姓名を急に呼かくべし我に敵するものなればはいと答るもの也、其所を切るなり、旅抔にては白昼にも此心得有るべし又何んぞ言うを云かけて見るに我に敵する気ある者は必ず返答にあぐむもの也
12、手之内
・古伝神傳流秘書抜刀心持之事 
 該当せず 
白石元一長谷川流奥居合 
 該当せず 
尾形郷一無双神傳抜刀術兵法 
 該当せず 
大江正路剣道手ほどき 
 該当せず
英信流居合目録秘訣(参考)手之内
 敵と刀を打合はするに合刀せずと云事なし其合刀したる所にて敵の拳を押へて突くべし
13、輪之内
・古伝神傳流秘書抜刀心持之事 
 該当せず 
白石元一長谷川流奥居合 
 該当せず 
尾形郷一無双神傳抜刀術兵法 
 該当せず 
大江正路剣道手ほどき 
 該当せず
英信流居合目録秘訣(参考)輪之内
 敵と打合はするに輪にならずと云事なし上にて打合せ亦下にて合えばすぐに輪と成る竪横皆同じ其輪をはつして勝べし
14、十文字
・古伝神傳流秘書抜刀心持之事 
 該当せず 
白石元一長谷川流奥居合 
 該当せず 
尾形郷一無双神傳抜刀術兵法 
 該当せず 
大江正路剣道手ほどき 
 該当せず
英信流居合目録秘訣(参考)十文字
 敵と打合すれば輪と成り十の形となる互に打合せたる所は是十の形ち也其十の形になりたる所にて手を取れば勝也手の内輪の内十文字は別の事ならず皆一つに唱る事なり外の事にはあらず拳を取れと言事の教也
*
 大江正路の業名の引きあたった数が他よりも多く、業名だけならば英信流居合目録秘訣に近い様です。
 問題は手附の内容です。古伝神傳流秘書とも、細川義昌-植田平太郎-尾形郷一の手附ともずれています。これは何を意味するでしょう。
 当然英信流居合目録の内容とも合わないのです。大森流(正座の部)、英信流(立膝の部)は特に違和感は感じませんが、奥居合については疑問です。
 組太刀の改変と奥居合の改変には、江戸末期から明治の大きな変動が原因と思うのですが、私は明治維新前後に青春を迎え充分修練をすべき時期に、武士の職を解かれ生きるために誰もが居合処ではなかった、貴重な師からの指導が途絶え、目録ばかりが目に付いて中身の手附も口伝口授も看取り稽古も出来なかったのではないかと思います。
 
 そんな中で、大江正路は一人土佐の居合を独創したと云われながら必死で体系立てて守ったのかも知れません。現在の無双直伝英信流の隆盛を思えば中興の祖としてたたえるべき逸材とも思えます。
 しかし、唯神格化して崇めるばかりでは、林崎甚助重信の居合をしのぶばかりで実の無いものとなって、長谷川英信の改革を待たねばならなかった様に此の居合は消えてしまうでしょう。
 この時代居合を学ぶ者の行きつくところは、棒振りの運用上手になったとしても、業数をこなし得たとしても、大した意味はありそうにもない。
 武術を勝ち負けのスポーツとするも、健康体操とするも、華麗な踊りとするも、護身術とするもその課題を得られれば良いのでしょう。
 然し武術は互いのコミュニケーションの最後の手段でもあり、其処に至らせない心を、武術を修錬する中から学び直す時代であると思います。
 
 
 
 
 
 
 
 

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2018年4月 5日 (木)

無双直伝英信流の型 福井聖山先生の看取り稽古の2拳取の2

無双直伝英信流の型
福井聖山先生の看取り稽古の2拳取の2
参考資料は前回の通りですから省略します。
 
「・・・打太刀圧せられて退かんとするを仕太刀すかさず左足を打太刀の右足の斜右方に踏込み、右足を大きく後に体を右に披くや打太刀の右手首を左手にて上より逆に握り(中指は手首関節部に拇指は手の甲に)左下方に引きて打太刀の体勢を右に崩し、右手の自由を奪い、己の右手を腰部に把り、刃を外に向けて剣先を打太刀の胸部につくる(胸部を刺突する)・・」
 打太刀は仕太刀に圧せられて退かんとする、その機をとらえて仕はすかさず左足を打の右足の斜右方に踏み込むのです。
 福井先生のビデオでは双方相打ちにしか見えませんし、ある地区のビデオも相打ちにしか見えません、それは双方同時に抜き合わせ、互いの中間で刀を合わせてしまっているので、どちらが攻めか、守りかが見られないのです。
 教本は明解に「打太刀圧せられて退かんとする」と言っています。合刀を仕がグイと押して行けば打に伝わるので、押し返さずに出足を退こうとすれば、打の圧が消えますので仕はすかさず踏み込んだ、と言うのでしょう。
 そこで、最初の切り結びのありようが大切な処になる筈です。ここは相打ちでは無く、斬り込まれれば受け太刀となって後の先を取る覚悟でしょう。そこですかさず圧して行く。
 打の気勢を押さえ先制して、仕が斬り込んでいれば打が受け太刀となるので、打が間を外さんとすればその機をとらえる。
 いずれも仕が退かない姿勢が見えるべきものでしょう。抜き付けた際、上体を反らせたり、前に倒れたり、大股開きの抜打ちでは居着いて次が出にくくなるものです。しっかり姿勢を正し前に掛かる気が大切でしょう。
 膠着状況を破るのは、仕の仕掛けに依るべきものでしょうが、ここは打が仕を導く役割であるならば打が退かんとする機を起こすべきものです。剣先に其の機が伝わるものでしょう。
 この業の元は古伝神傳流秘書の太刀打之事二本目附入(附込)です。
「前の如く抜合せ相手後へ引かんとするを附入左の手にて拳を取る右の足なれども拳を取る時は左の足也」です。
 業名の「附入」事を教えるものでしょう。合刀した時、相手が間を外して体勢を整えるか次の業を繰り出すかの退く機をとらえて相手に附け込んで制する教えです。
 大江先生は之を拳取と改名されたので附け入る事がぼやけていますが、相手に密着すれば太刀は使えなくなります。
 福井先生の遠間での相打では、附け入るのは教本の様な「仕はすかさず打の右足の斜め右方に踏み込み・・」では不十分です。大江先生は「仕は、左足を打の右足の側面に踏込み、左手にて打の右手首を逆に持ち下へ下げる・・」で踏み込み足は相手の前足の側面です。仕の体は打に密着する程のものです。
 此処も福井先生のビデオですと、仕の踏込んだ左足は打の右足の右前一尺ほど離れています。附け入るとは言えません。寧ろ踏み込んで左手を伸ばして打の右手首を逆手に取るものです。手を伸ばすのではなく体を密着させて同時に打の手首を取るべきです。申し合わせですから打は手首を取りに来るのを待ってくれていますが、実戦では有り得ないものでしょう。
 手首を制する処で、教本の「・・仕すかさず左足を打の右足の斜右方に踏込み、右足を大きく後に体を右に披くや打の右手首を左手にて上より逆に握り左下方に引きて打の体勢を右に崩し・・」ですが、「仕は左足を踏み込み打の右手首を上より逆に握り、右足を大きく後に体を右に披くや、打の右手を左下方に引きて打之体勢を右に崩し・・」でしょう。ビデオも教本と違います。
 福井先生のビデオも、ある地区のビデオも仕の附け込む左足が不十分なため、打の右手首を逆手に取って、右足を後ろに踏み替え体を開く拍子に打の体勢を崩しています。打も申し合わせであるからでしょうか、なすが儘に、崩されています。
 仕は打の手首を取るや崩しませんと、打の右手はまだ自由に動きますから危険です。
 打の体勢を崩すにあたり、教本は「打の右手首を左手にて上より逆に握り左下方に引きて打の体勢を右に崩し・・」ですが、ビデオでは下方では無く、右横に崩している様に見えてしまいます。
 それは逆手に取って小手返しをする事に留意しているためで、それも力任せでやっている様にしか見えません。
 腕力の強い、手首の太い者との対戦では効果の薄いものになってしまうでしょう。無理やり打の小手を返えさず、仕は打の手首を握り手の甲に拇指を当て、下方に体重をのせて引けば相手は崩れてしまいます。其れには十分に附け入る事が条件です。
次回は絶妙剣です。
 
 

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曽田本その1の4居合根元之巻読み解く6小藤亀江伝来の目録6

曽田本その1
4.居合根元之巻読み解く
6、小藤亀江伝来の目録
6.無雙直伝英信流居合目録
上意之物之大事2  
 6、戸詰・7、戸脇・8、壁添・9、棚下
読み解く
上意之物之大事の業名から次の伝書に相当する業名を拾い出してみます
6、戸詰
・古伝神傳流秘書抜刀心持之事 
 該当せず
白石元一長谷川流奥居合  
 該当せず
尾形郷一無双神傳抜刀術兵法 
該当せず
大江江正路剣道手ほどき 戸詰:
 (右を斬り左を斬る)抜き付け、右の敵を右手にて切ると同時に右足を右斜に出す、其の右足を左斜横に踏み変へて上段にて左斜を真直に斬る。
英信流居合目録秘訣(参考)戸詰
 障子或は戸を明けかけて内へ入れと云て入る所を戸にて立詰んとするときは是を察して扇を敷居のみぞに入れ其扇のはしを膝にて敷然て内へ入るときはたて詰らるゝ事なし
7、戸脇
古伝神傳流秘書抜刀心持之事 
 該当せず
白石元一長谷川流奥居合 
 該当せず
尾形郷一無双神傳抜刀術兵法 
 該当せず
大江正路剣道手ほどき 戸脇:
 (左を突き右を切る)右足を右斜へ踏み出し、刀を抜き、左横を顧みながら突き、足踏みは其まゝにて上体を右横に振り向け、上段にて切り下す。
英信流居合目録秘訣(参考)戸脇
 戸の手前にて立って居てあれへ通れと云て入る所を切らんと心懸るならばつかつかと戸口を入躰に歩み行て柄にて胸を押しつけて而して引抜てつくべし 亦火急にて既に切かけられたる時は或は柄を以てはらいのち早わざをきかすべし 亦戸の内に人ありと思わば戸口を直ぐに入る事なく内に人の有る方に向て筋違て入るべし
8、壁添
・古伝神傳流秘書抜刀心持之事
 該当せず 
白石元一長谷川流奥居合 
 該当せず 
尾形郷一無双神傳抜刀術兵法 
 該当せず 
大江正路剣道手ほどき 壁添へ
 (進行中立留り両足を踏み揃へ上に抜き直下に斬下し竪立に刀を納む)中央に出で体を直立とし両足を揃え刀を上に抜き上段となりて趾先を立てて真直に刀尖を下として斬り下し、其体のまゝ刀尖を下としたるまま血拭い刀を竪立として納む。
(参考)古伝神傳流秘書抜刀心持之事 人中:
 足を揃えたって居る身にそえて上へ抜き手をのべて打込む納るも躰の中にて納る 
英信流居合目録秘訣(参考)壁添
 壁に限らず惣じて壁に添たる如くの不自由の所にて抜くには猶以腰を開きひねりて躰の内にて抜突くべし切らんとする故毎度壁に切あてかもいに切あてゝ仕損ずる也突くに越たる事なし就中身の振廻し不自由の所にては突く事肝要
9、棚下
・古伝神傳流秘書抜刀心持之事 棚下:
 大森流逆刀の如く立て上へ抜打込む時体をうつむき打込是は二階下様の上へ打込ぬ心得也
白石元一長谷川流奥居合 棚下:
 (低き棚の下又は天井床等の下にて前方に居る敵に対して行う意)左足を十分後方に伸ばしたるまま退きて上体を前方へ傾け(此時右足太股に上体を接す)刀を左側にて抜き、直ちに振り冠り上体を起こすことなく前方の敵を斬る。血振りを行いたる後左膝を床につけ、刀を納めるにつれて上体を起し同時に右足を引きつける。
尾形郷一無双神傳抜刀術兵法 棚下:
 (上の閊える所にて前の者を斬る)正面に向い居合膝に座し、例により鯉口を切り右手を柄に掛け体を前へ俯け腰を少し浮かせ左足を後へ退き伸ばし其膝頭をつかへ刀を背負う様に左膝頭上へ引抜き諸手を掛け前者へ斬込み、其のまま刀を右へ開き納めつつ体を引起し右脛を引付けるなり左踵上へ臀部を下し納め終る。
大江正路剣道手ほどき 棚下
 (頭を下げて斬る)座したる処より頭を前方へ下げ稍や腰を屈め右足を少し出しつつ刀を抜き、上体を上に起すと同時に上段となり右足を踏み込みて真直に切り下す。
英信流居合目録秘訣(参考) 棚下
 二階下天井の下抔に於いて仕合うには上へ切あてて毎度不覚を取物也故に打込む拍子に脺を突いて打込むべし此習を心得るときはすねをつかずとも上に当てざる心持ちあり

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2018年4月 4日 (水)

無双直伝英信流の型 福井聖山先生の看取り稽古の2拳取の1

無双直伝英信流の型
福井聖山先生の看取り稽古の2拳取の1
参考資料
福井虎雄聖山著平成3年1993年無雙直伝英信流之形
福井虎雄聖山先生の昭和57年1982年のビデオ
以下出合と同様にて略す。
 出合の要領にて虎走で前進し、同じく膝の所にて斬結ぶ。打太刀圧せられて退かんとするを仕太刀すかさず左足を打太刀の右足の斜め右方に踏込み、右足を大きく後に体を右に披くや打太刀の右手首を左手にて上より逆に握り(中指は手首関節部に拇指は手の甲に)左下方に引きて打太刀の体勢を右に崩し、右手の自由を奪い、己の右手を腰部に把り、刃を外に向けて剣先を打太刀のつくる。(胸部を刺突する)仕太刀、右足より右に元の位置に復しつつ双方中段となり互に五歩後退す。(納刀せず)
 この拳取は古伝神傳流秘書の太刀打之事附入(附込)の業名で存在します。
 「前の通り抜合せ相手後へ引かんとするを附入左の手にて拳を取る右の足なれども拳を取る時は左の足也」
 この業のポイントは拳を取る事よりも、敵と対戦して相打ちとなった場合、敵との間を開けずに敵に付け込んで制する事を学ばせようとしている事が「附入(附込)」の業名に顕わされている筈です。
 敵に附込んで体を接近させ、敵の刀を持つ拳を制して体を崩してしまえば勝負あったです。
 拳の取りようなど格別説いていません。
 左足を敵の右足の側面に踏込み左手で敵の刀を持つ右手を後ろ、又は下へ引き落してしまえば相手は体が崩れてしまいます。附込ではその程度でよいのです。
 居合膝に座して相対する詰合の二本目拳取と称する業があります。走り寄らず、坐シテ抜打ち拳を制してしまう業です。
 続いて三本目に岩浪という業があって、「拳取りの通り相手より拳を取りたる時我よりも前の如く取り我が太刀を放し右の手にて敵の肘の屈みを取り左脇へ引き倒す」というもので、太刀打之事では出合・附入と習い、詰合で発早・拳取・岩浪で一通りの抜き合いの相打を脱する術を学び、其処から更に勝ち口を見出す稽古法が江戸時代中期初めには組立てられていました。
 さて、この業を福井先生のビデオから教本の示す物を稽古して見ます。
 「双方膝の所にて斬結ぶ」は前回と全く同じ様な動作ですから、福井先生の動作は福井流の癖になっているのでしょう。双方刀は相手に届かない斬り付けによる合刀です。
 ある地区の十段の動作も2009年平成21年の演武会の特別演武のビデオですと同様に右足を踏出し刀を抜き始め、右足を更に踏み込み抜き突けて相打ちです。
 本来は左足前で間境を踏み、刀を抜き始め相手との間合いを計って右足を踏み込んで抜き付けるもので、指導者の演武としては批判されても仕方のないものです。
 ある地区の2013年平成25年の演武会のビデオを見ています。前の演武者の足運びのおかしい処も直され、左足で間境に達し刀を抜初め右足を踏み込み抜き付けて双方相打ち、間も近くなって双方の切先は相手の脛に届き、切り結んだ位置は膝の高さです。
 敢えて言えば、双方同時に刀に手を掛け走り寄り、同時に抜き始め、同時に斬り付けてしまい、其処には出合の要領である「間合に接するや打太刀は仕太刀の脛に斬込むを仕太刀機先を制して同様に斬付け膝の所にて刃を合わす」の打の仕掛けに仕が応ずる雰囲気が全く見られない。
 これは教本の曖昧な文章によるものと思われます。古伝の様に「相懸りにかゝり相手より下へ抜付るを抜合わせ留て・・」の様に打が斬り込んで来るので、仕は虎一足の様に留める心持が必要でしょう。
 この形の創作者である第17代大江正路先生もここは「・・右足を出したるとき、膝の処にて打は請、仕は抜打にて刃を合す・・」と古伝とは逆ですが明解です。
 無双直伝英信流の居合の業には、脛に斬り付けられた時の業が、正座の部八重垣・立膝の部虎一足・奥居合居業の脛囲と三本もあるのですから双方の中間で相打ちでは気勢も伝わって来ません。
 教本の次は「打太刀圧せられて退かんとするを仕太刀すかさず左足を打太刀の右足の斜め右方に踏込み、右足を大きく後ろに体を右に披くや打太刀の右手首を上より握り・・」になります。次回にここを稽古して見ます。
 
 
 

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曽田本その1の4居合根元之巻読み解く6小藤亀江伝来の目録5

曽田本その1
4.居合根元之巻読み解く
6、小藤亀江伝来の目録
.無雙直伝英信流居合目録
上意之物之大事1  
 1、虎走・2、両詰・3、三角・4、四角・5、門入
読み解く
上意之物之大事の業名から次の伝書に相当する業名を拾い出してみます
1、虎走
・古伝神傳流秘書抜刀心持之事 虎走:
 居合膝に坐して居立って向へ腰をかがめつかつかと行 抜口の外へ見へぬ様に抜付打込納 又右の通り腰をかがめ後へ引抜付打込也
・白石元一長谷川流奥居合 虎走:
 (暗夜前方の敵に対して行う)姿勢を低くして(前方をすかし見る心)数歩小足にて走り行き左膝をつき 右足を踏み出すと同時に「横雲」と同様斬りつけ、血振り、納刀し(此の時臀は踵に付けない)終るや、再び敵前方より来るに依り起ちて一足となり中腰の儘後方に小走りにて数歩退き、右膝をたて左足を退きて膝をつくと同時に横一文字に斬り付く。
・尾形郷一無双神傳抜刀術兵法 虎走: 
 (次の間に居る者を斬り退る処へ追掛け来る者を斬る)左手を鯉口に、右手を柄に執り抱へ込む様にして立上り、上体を俯け前方へ 小走に馳せ行き腰を伸すなり右足踏込んで(対手の右側面へ)抜付け、左膝を右足横へ跪きつつ、諸手上段に引冠り、更に右足踏込んで斬込み、刀を開き納めたるまま立上り、又刀を抱へ込む様に前へ俯き小走に退り腰伸すと同時に、左足を一歩後へ退き、追掛け来るへ(右側面へ)大きく抜付け、又左膝を右足横へ跪きつつ諸手上段に引冠り右足踏込んで斬込む。
・大江正路剣道手ほどき 虎走り:
 (中腰となり、走り抜斬又後ざりして抜斬る)座したる処より柄に手を掛け、稍や腰を屈め、小走りにて数歩進み出で、右足の踏み出したる時抜き付け、同体にて坐して斬る(血拭ひ刀を納むるや)刀を納めて二三寸残りし時屈めたる姿勢にて、数歩退り左足を退きたる時中腰にて抜付け上段となり座して斬る。
・英信流居合目録秘訣(参考) 虎走:
 仕物抔云付られたる時は殊に此心得入用也其外とても此心得肝要也敵二間も三間も隔てて座して居る時は直に切事能わず其上同座し人々居並ぶ時は色に見せては仕損る也
 さわらぬ躰に向へつかつかと腰をかがめ歩行内に抜口の外へ見えぬ様に体の内にて刀を逆さまに抜きつくべし虎の一足の事の如しと知るべし大事とする所は歩みにありはこび滞り無く取合する事不能の位と知るべし
2、両詰
・古伝神傳流秘書抜刀心持之事 両詰:
 右腋へ抜打に切り付け左を斬る 抜て片手にて左脇を突き直に振向いて右腋を切る
・白石元一長谷川流奥居合 両詰:
 (左右の敵に対して行う)右足を稍右横に踏み出して右方に抜刀し、前後詰と同様刀背を胸部に接し左方の敵を刺したる後、右方に向きをかへ右足を出して上段より斬り下ろす。
・尾形郷一無双神傳抜刀術兵法 両詰:
 (左右に坐して居る者を斬る)右手を柄に掛けるなり、腰を伸し(右へ掛かると見せて)右足を少し右へ踏出し其方向へ刀を引抜き咄嗟に左へ振向き(右片手にて)左側の者の胸部を突き直ぐ右へ振返りつつ諸手上段に引冠り右側の者へ斬込む。
・大江正路剣道手ほどき 両詰:
 (抜放け諸手にて真向を突き斬る)座したる処より右足を少し出して、刀を抜き、柄元を臍下に当て、右足を踏み出して、前方を諸手にて突き、其姿勢のまゝ、上段にて前面を真向に斬る。
・英信流居合目録秘訣(参考) 両詰:
 是又仕物抔言付けられ又は乱世の時分などにわ使者などに行左右より詰かけられたる事間々之有る也ケ様の時の心得也尤外とても入用也、左右に詰かけられたる時一人宛て切らんとするときはおくれを取るなり故に抜や否や左わきの者を切先にて突すぐに右を切るべし其のざ惟手早きに有り、亦右腋の者に抜手を留らるべきと思う時は右を片手打に切り直に左を切るべし。
3、三角
・古伝神傳流秘書抜刀心持之事 三角:
 抜て身を添え右廻りに後へ振り廻りて打込也
・白石元一長谷川流奥居合 三角:
 (前右後の三方の敵に対して行う)右足を出すと同時に刀を抜き、右足を引きつけると同時に後方の敵を刺す。(この時左手は鞘口を握りたるまゝ右横腹の所に取り、右手は左側肘の上より後方の敵を刺す、両腕は交叉する如くし)更に右足先を軸として左足も従って後方に退き乍ら百八十度右方より廻り、前右後方の三人を一時に薙ぎ斬りたる後、(此時正面に向き左手は鐺が背に接する如く左方に十分開く)刀を振り冠り左膝を右足踝の所に引きつけてつき、右足を踏み出すと同時に上段より斬り下ろす。
・尾形郷一無双神傳抜刀術兵法 三角:
 (前右後の三人を斬る)正面より(左廻りに)後向き居合膝に座し、例により鯉口を切り右手を柄に掛け、前に掛かると見せて右足を摺り出し腰を伸ばし刀を引抜くなり、右足を左足に引きよせるなり刃部を外へ向け左腕外へ深く突込み、立上りつつ右へくるりと廻りながら前、右、後の三人を軽く斬り、正面へ向く、同時に左膝を跪きつつ諸手上段に引冠り右足踏込んで斬り込む。
・大江正路剣道手ほどき 三角
 該当せず
・英信流居合目録秘訣(参考)三角
 三人並び居る所を切る心得也ヶ様のときはふかぶかと勝んとする故におくれを取る也、居合の大事は浅く勝事肝要也、三人並居る所を抜打に紋所のあたりを切先はづれにはろうときはビクとするなり其所を仕留る也三人を一人ずつ切らんと思う心得なれば必仕損ずる也一度に払うて其おくれに付込で勝べし。
、四角
・古伝神傳流秘書抜刀心持之事 四角:
 抜左の後の角を突き右の後の角を切右の向を請流し左の向を切又右の向を切る也
・白石元一長谷川流奥居合 四角:
 (四隅四人の敵に対して行う)右前角の敵に斬りつくる如く気勢を見せ乍ら右足を出して刀を抜き終るや左後方の敵を刺し返す刀を以て(左方より冠り)右後方の敵を斬り(左膝にてまわる)尚刀を返さんとするや(右方より冠る)、右角の敵我に対し斬りかかるを受け流し、左前角の敵をきり続いて左方より冠り右前角の敵を斬る。
・尾形郷一無双神傳抜刀術兵法 四角:
 (四隅に居る者を斬る)正面に向い居合膝に座し、例により鯉口を切り右手を柄に掛け腰を伸し右膝をたてつつ(右前へ掛かると見せ)刀を其方向へ引抜き、咄嗟に左膝頭で(左廻りに)後斜へ廻り向き左後隅の者を(右片手にて)突き、直ぐ右へくるりと廻りつつ諸手上段に引冠り右後隅の者へ斬込み、直ぐ左へ廻りつつ刀を頭上へ振冠り(右前隅の者より斬込み来る太刀を受け流しながら)左前隅の者へ斬込み、直に再び右へ振向きつつ諸手上段に引冠り右前隅の者へ斬込む。
・大江正路剣道手ほどき 四方切:
 右足を右斜へ出し、刀を右斜に抜き、刀峯を胸の処に当て、刀を平として斜に左後を突き右側面の横に右足を踏み変え、上段にて切り、右足を左斜横に踏み変えて(請け返して打つ)上段となりて切り、右足を正面に踏み変えて、上段より切る。
英信流居合目録秘訣(参考)四角
 三角にかわる事無し是は前後左右に詰合う之心得也故に後ろへ迄まわって抜付る也
5、門入
・古伝神傳流秘書抜刀心持之事 門入
 該当せず
白石元一長谷川流奥居合 門入り
 該当せず
尾形郷一無双神傳抜刀術兵法 門入り
 該当せず
大江正路剣道手ほどき 門入:
 (進行中片手にて前を突き後を斬り前を斬る)右足を出したる時、刀を抜き、左足を出して、刀柄の握りを、腰に当て刀峯を胸に当て、右足を出して、右手を上に返し、刀刃を左外方に向け、敵の胸部を突き、其足踏みのまゝ体を左へ振り向け、後へ向き、上段にて斬り、直に右へ廻り前面に向き上段にて斬る。
英信流居合目録秘訣(参考) 門入:
 戸口に出入りするの心得也戸口に内に刀をふり上て待つを計知ときは刀の下緒のはしを左の手に取り刀を背てうつむきとどこおり無く走り込むべし我が胴中に切かくるや否や脇指を以抜つけに足をなぐべし
つづく
 

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2018年4月 3日 (火)

無双直伝英信流の型 福井聖山先生の看取稽古の1出合の2

無双直伝英信流居合の型
福井聖山先生の看取り稽古の1出合の2
参考資料
福井虎雄聖山著平成3年1993年無双直伝英信流之形
福井虎雄聖山無双直伝英信流の太刀打之位
福井虎雄聖山昭和57年1982年ビデオ
福井聖山先生の出合の攻防です。
 双方相手脛に抜き付けて、刀の刃で膝の高さ程の処で合刀になってしまいました。
教本から読み込んで見ましょう。
 「・・打太刀は、仕太刀に圧せられて後に退かんとするを、仕太刀すかさず之に乗じて踏込み、其の真向より敵刀諸共斬下して勝つ。
1、打太刀は左足より追足にて一歩退き剣先を右に刃を上に柄を左に出して刀を水平にし前額部を掩う。
2、仕太刀は左足を継足して諸手上段となり、右足を一歩踏込みて打太刀の真向に斬下す。・・」
 大江先生のこの部分です。
 「・・仕太刀は直ちに、右足左足と一歩摺り込みて上段より真面に打ち込む、打太刀は左足より右足と追足にて退き、刀を左斜めにして受ける・・」
 大江先生は、相打から仕が抜き打ちの時の踏込み足の右足から踏込み、左足を踏み込んで打の真面に打ち込んでいます。打は打ち込まれるので後足の左足を引き右足を追足裁きで退き、刀を斜めにして受けています。
 福井先生は、仕に圧せられて打が退こうとして、相打ちになった打の刀の圧が抜けるや、仕は抜き付けた時の体勢で右足に左足を引き付けぐっと打に圧を懸けていく、打は左足を引き、右足を追い足捌きで一歩退く、仕は此の気を外さず上段に振り冠って打の真向に斬り下す。
 さて、福井先生の演武はどうでしょう。ビデオを見てみます。
 相打ちとなるや、仕は左足を右足に引き付け上段に振り冠り、打の真向に斬り下ろす。打は、仕が上段に振り冠るまで切っ先を下げていて、打ち込んで来る際に左足を引き右足を追い足にしています。仕が一方的に振り冠るので、打の刀は元の相打ちの位置の儘でした。これでは申し合わせが無ければ打は仕に突き込む事も出来そうです。
ある地区のビデオを見てみましょう。
 2009年のものから、このビデオでは十段の先生が仕太刀です。まず相打ちですがこの先生は、足裁きが出来ていないので、虎走りで左足前で数歩駆け込んだのですが、刀を抜き込む際右足が前になってしまっています。抜き打ちに打の脛に斬り込むには踏み出した右足を更に踏み込んでいます。
 打は問題なく刀を合わせ相打ちです。当然間合いは近いものです。仕は一方的と思える状況で右足に左足を引き付け上段に振り冠っています。
 打は、何故か左足を右足に引き付けてから左足を退いて仕の打込みを左に柄、刀刃は上、水平に請けています。
 その際右足の追い足で退る足捌きは有りや無しやで無いでしょう。
 この、相打ちから打が左足を右足に引き付けた時、打の刀は切先を左にして振り被る様に引き上げられています、仕の切先も左(打の右)ですから、双方右足に左足を引き付け打ち込まんとするが、打は仕に圧せられて左足を引き受け太刀となったと云う事でしょう。
 この運剣は、ある地区に引き継がれていますが、福井先生の教本や教えとは異なるものでこの十段の先生の独創でしょう。福井先生の教えに従っている筈はありませんし、先代の河野先生とも、まして創作者の大江先生とも異なります。土佐の古伝とも異なる独特の動作です。
次に2014年のある地区のビデオを見てみます。
 双方抜き打ちの相打ちは、左足前で抜き込み、右足を踏み込んで抜き付けています。間が近いようですが刀は略膝の高さで刃を合わせています。
 次の動作は2009年の様に双方左足を踏み込み、切先を左に向けて、右手で顔前頭上に引き上げ左手を柄に掛けるや上段に振り冠り、仕太刀は一方的に打込みの体勢で右足を踏込み、打は是も柄を左に受け太刀の体勢になって左足を退き、仕が真向に打ち込んで来るや右足を追い足に退いて、顔前頭上に刃を上に、刀を水平に、柄を左に受けています。ある地区の出合はある地区独自のものであって、大江先生のものや福井先生のものとは言えません。
 状況次第で幾重にも変化してもおかしくないとはいえ、根本がずれては初心者に指導すべき「かたち」とは言えません。
 恐らく、大江先生の指導を受けられた先生方の出合も何処かおかしいものになっているかもしれません。
 古伝神傳流秘書の太刀打之事出合を読み直してみます。
「相懸りにかゝり相手より下へ抜付るを抜合せ留て打込相手請る右足也」ここから始まるのです。
 出合は、相懸りで虎一足の如く左足前で右足を追い足捌きで前進し、左足が間境に接するや、間を計りながら刀を抜き始め、打が先に斬り込むならば、仕は之に機先を制して相手刀が右足に当たる寸前で虎一足の様に受け留める。
 或は打が抜き始めるや、仕が機先を制して仕が斬り付けるのを打は仕の刀が右足に当たる寸前で受け留める。
 刀と刀を刃で打ち合わせることを目的とするような斬り合いは見ていておかしい。打ち込む時はこの一刀で仕留める事が大切で、遅れを取っても応じられる技の修得も此処では可能でしょう。
 打は何れにしても、仕に圧せられ一旦間を外して立て直さんと左足を退き、上段に振りかぶらんと右肩から上段に振りかぶり右足を追い足で退かんとする処、仕は右足に左足を引き付け、間を外させない様に左肩から上段に振りかぶり、右足を踏み込み打の真向に斬り下ろす。
 仕は受け太刀となっても攻め込んでいく気構えを養う場でもあり、斬り込んで受けられてしまった時にも、即座に右足に左足を引き付け圧していく修養でもある筈です。
 打は、体勢不十分で剣先を右にして顔面頭上でこれを受け留める。敢えて上体を後方に反らせる必要などない筈です。
 居合にしても組太刀にしても、その業から何を学び、何が出来る様になるかを指導しない限り、組太刀もただの武的演舞に過ぎないでしょう。 
次回は拳取です。
 
 
 
 
 
 
 

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第11・12回古伝研究の集い

土佐の居合 古伝神傳流秘書

 による古伝研究の集い

 第11回・12回古伝研究の集い

 古伝神傳流秘書を曽田虎彦先生の書き写された直筆本から読み解いて同じ思いの仲間を募って、その古伝研究をやってまいりました。

 今回は第11回目・12回目の御案内をいたします。

内容:古伝神傳流秘書による大剣取 古伝英信流目録による小太刀之位

講義とか実演では無く、参加していただき木刀及び小木刀を持って古伝の解釈及び形の稽古をご一緒にさせていただきます。 異なる伝承の方々と一つの教本から古伝研究を実施する中で、「私はこの『古伝』はこう解釈する」と自由な考え方から幾つもの疑問を解きほぐして見たいと思います。ご参加いただいた方が、師匠であるとご認識いただければ幸いです。

、期日

11回:平成30年4月12日(木)  
         
15時00分~19時00分
         
鎌倉体育館 格技室

12回:平成30年5月24日(木)

    13時00分~17時00分

    見田記念体育館 多目的

 

、住所:鎌倉体育館 
          
248-0014
         
神奈川県鎌倉市由比ガ浜2-9-9

          TEL0467-24-3553

 

    見田記念体育館 多目的室

       248-0014

      神奈川県鎌倉市由比ガ浜2-13-21

   TEL0467-24-1415


、アクセス:JR横須賀線・総武線快速
    
鎌倉駅東口下車海岸方向へ 徒歩10分
    
(駐車場鎌倉体育館にあり)

、費用:会場費等の割勘のみ(500円)

、参加の御連絡はこのブログへコメント
  
 していただくか直接ご来場ください。

、会名:湘南居合道研修会 鎌倉道場

御案内責任者: ミツヒラ

            平成30年4月3日

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曽田本その1の4居合根元之巻読み解く6小藤亀江伝来の目録4

曽田本その1
4.居合根元之巻読み解く
6、小藤亀江伝来の目録
4.無雙直伝英信流居合目録
外之物之大事  
 1、行連・2、連達・3、逐懸切・4、惣捲・5、雷電・霞
読み解く
外之物之大事の業名から次の伝書に相当する業名を拾い出してみます
1、行連
古伝神傳流秘書抜刀心持之事 行連
 立って歩み行内に抜て左を突き右を切る両詰と同事也
白石元一長谷川流奥居合 行連
 右側の敵を抜き打ちに右片手にて斬りつけ、直ちに刀を返し右方より振り冠り(左手 を添えて)右足を踏み出し左方の敵を斬る。
尾形郷一無双神傳抜刀術兵法 行連:
 左右の者を斬る、右へ振り向くなり、抜打ちに(右の者へ)斬付け直左へ振返りつつ諸手上段に振冠り右足踏込んで(左の者へ)斬込む。
大江正路剣道手ほどき 行連:
 進行中右に斬付け又左を斬る、左足を左横に踏み、上体を稍や左横に寄せ右足を右横に踏み出す時、中腰にて抜き付け、上段にて右を斬る、其足踏みのまま、左に体を返して、上段にて中腰にて斬る。
英信流居合目録秘訣(参考) 行連:
 右を片手打に左を諸手にて切る事も有り是は皆気のりにてする心持ち也、歩み行くうちに刀を抜我が左の方を突き其侭冠て右の方を切是は敵を左右につれたち行く時の事也或我を左右より取こめんとする時抔の事也
2、連達
・連達古伝神傳流秘書抜刀心持之事 連達:
 歩み行内前を右の拳にて突其侭に左廻りに振返り後を切り又前へ振向て打込也
白石元一長谷川流奥居合 連立:
 前後重なりて歩行中、右足を踏み出すと同時に前方の敵を抜き打ちに右片手にて斬りつけ、返す刀にて後方の敵を斬る。
尾形郷一無双神傳抜刀術兵法 連達:
 前後の者を斬る、右手を柄に掛けるなり抜打に(前の者へ)斬付け直ぐ(後の者へ)斬込む。
大江正路剣道手ほどき 連達:
 進行中左を突き右を斬る、右横へ右足を踏み、体を右に避け、刀を斜に抜き、左横を顧みながら刀を水平として左を突き、右へ体を変じて上段にて斬る。
逐懸切英信流居合目録秘訣(参考) 行連:
 右を片手打に左を諸手にて切る事も有り是は皆気のりにてする心持ち也、歩み行くうちに刀を抜我が左の方を突き其侭冠て右の方を切是は敵を左右につれたち行く時の事也或我を左右より取こめんとする時抔の事也
3、遂懸切
・古伝神傳流秘書抜刀心持之事 追懸切
 抜て向へ突付走り行其侭打込也
白石元一長谷川流奥居合 追掛:
 前方を行く敵を追い掛けて斬る、右足にて刀を抜き刀先を返し中段に構え小走りに追い掛け、左足を踏み出したる時振り冠り、右足を出すと同時に大きく真向より斬り下ろす。
尾形郷一無双神傳抜刀術兵法 追掛斬:
 刀尖を前に、柄頭を腹部に引き付け諸手となり小走に前方へ走り往きつつ上段に振冠り右足踏込んで斬込む。
・大江正路剣道手ほどき 
 該当せず
英信流居合目録秘訣(参考) 逐懸切:
 刀を抜我が左の眼に付け走り行て打込但敵の右の方に付くは悪しし急にふり廻り又ぬきはろをが故也
4、惣捲
・古伝神傳流秘書抜刀心持之事 
  業名該当せず 五方切が元であろう
 歩み行内抜て右の肩へ取り切又左より切又右より切又左より切段々に切下げ其侭上へ冠り打込む也
・白石元一長谷川流居合 
 業名該当せず 五方斬りであろう
 (前方の敵を五回に斬る意)右足を出すと同時に左側にて刀を大きく抜くや直ちに上段に取り、先づ右袈裟がけに斬り振り冠り続いて左袈裟掛けに切り、返す刀にて右より胴を払い腰を落として左より足を払い、再び立姿となり右方より上段に取り真向に斬り下ろす。
尾形郷一無双神傳抜刀術兵法
 業名該当せず 五方斬であろう
 (前方に立って居る者を斬る)鯉口を切り左足踏み出し右手を柄に掛け右足を踏み出す同時に刀を引抜刀尖を左後へ突き込み頭上より右肩へ執り対手の左袈裟に斬込み 其刀を右上より振返へし頭上より左肩に執り対手の右大袈裟に斬込み 又其刀を左上より振返し右腕外へ執り腰を低めて対手の左腰より横一文字に斬込み 甲手を返へして左腕外へ執り 更に腰を下げ対手の向脛を横に払い腰を伸しつつ諸手上段に振り冠り(真向幹竹割に)斬り下す。
大江正路剣道手ほどき 惣捲り:
 進行中面、肩、胴、腰を斬る、右足を少し出して、刀を抜き、其足を左足に引き寄せ、右手を頭上へ廻し、右肩上に取り、左手を掛け稍や中腰にて(右足より左足と追足にて)敵の左面を斬り、直に左肩上に刀を取り、追足にて敵の右片を斬り、再び右肩上段となりて、敵の左胴を斬り、再び左肩上段となり右足を踏み開き敵の右腰を目懸け刀を大きく廻し体を中腰となして敵の右腰を斬り、中腰のままにて上段より正面を斬る。(‥一連として早きを良しとす)
英信流居合目録秘訣(参考) 惣捲形十:
 竪横無尽に打振て敵をまくり切る也故に形十と有也常の稽古の格には抜打に切り夫より首肩腰脛と段々切り下げ又冠り打込也
霞:
 俗に撫斬りという、抜き付け、手を上に返して、左面水平に刀を打ち返す、直に上段となりて前面を斬る。
5、雷電・霞八相
・古伝神傳流秘書抜刀心持之事 見当たらず
白石元一長谷川流居合 見当たらず
・尾形郷一無双神傳抜刀術兵法 見当たらず
・大江正路剣道手ほどき 雷電見当たらず
 霞の業名あり、古伝の向払の業を霞と改めたのか、その必要も無いと思われるが理解できません。霞八相については知っていたのか疑問です。
霞:(俗に撫斬という)正面に座して抜き付け、手を上に返して、左側面水平に刀を打ち返す、直に上段となりて前面を斬る。
・英信流居合目録秘訣(参考) 雷電・霞八相:
 雷電霞の二ヶ条当流極秘中の秘にして大事この外に無 請流に心明らかにして敵の働きを見と云教有れ共当流には雷電の時の心亦霞ごしに見るが如くの心の所に大事の勝ある事を教る也 夢うつつの如くの所よりひらりと勝事有其勝事無疵に勝と思うべからず 我が身を先ず土壇となして後自然に勝有 其勝所は敵の拳也 委しき事は印可に有 八相は四方八方竪横自由自在の事也 故に常に事形の修練熟せされば時に臨て其習い出会う事無し 本文には教を広く云亦曰八相に打下ろす所にて大事の勝有則二星也
 小藤亀江の居合目録の手附がどのようなものだったかは判りません。然し英信流居合目録秘訣の外之物大事と業名もその順番もすっかり同じですから目録は英信流居合目録を参考に作成されたと思われます。
 曽田本とは別に、細川家に伝わる伝書にも英信流目録秘訣はあったはずです(木村永寿著 林崎抜刀術兵法夢想神傳重信流傳書集及び業手付解説P69)。
 細川義昌の道統とされる白石元一、尾形郷一両先生の行連・連立(連達)・追掛(追掛斬)はほぼ同じ手附ですが、古伝神傳流秘書とも英信流目録秘訣とも異なるものもあり、何処かで改変があったのでしょう。
 それにしても、大江正路の業名も業手附も、独創と言っていいのか疑問です。次回は上意之大事で同様の事をやってみます。古伝は何処かでねじ曲がって、バラバラになってそれぞれの道統を歩いている様です。
 雷電・霞などは現代居合では忘れられた剣術の心得でしょう。新陰流がチラつきます。
 
 

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2018年4月 2日 (月)

無双直伝英信流の型 福井聖山先生看取り稽古の1出合の1

無双直伝英信流の型
福井聖山先生看取り稽古の1出合の1
参考資料
福井虎雄聖山著平成3年1993年無雙直伝英信流之形
河野百錬著昭和17年1942年大日本居合道図譜
大江正路・堀田捨次郎共著大正7年1918年剣道手ほどき
古伝神傳流秘書太刀打之事
福井虎雄聖山による昭和57年11982年太刀打之位ビデオ
地区大会演武による平成21年2009年太刀打之位ビデオ
地区大会演武による平成25年2013年太刀打之位ビデオ
福井虎雄先生昭和58年1983年無雙直伝英信流居合道第2巻
 福井聖山先生のビデオによる出合を教本を見ながら稽古して、合わせて地区大会の演武を見てみます。
 福井先生の教本「上体を沈め、虎走の要領にて互に前進し、間合に接するや打太刀は仕太刀の脛に斬込むを仕太刀機先を制して同様に斬付け膝の所にて刃を合わす。」是は河野先生と同じです。
 大江先生は「双方體を前方少しく屈め、虎走りにて五尺の距離に出て、右足を出したるとき、膝の処にて打は請け、仕は抜打にて刃を合す。」創作された17代大江先生と21代福井先生の教本は双方虎走の要領で膝の処で刃を合わせていますが、大江先生は打が請太刀になっています。
 福井先生も、打が仕掛けたのですが仕がその機先を制して同様に打の「脛に斬り付け刃を合わす」と、仕が受太刀とも思えるのですが、機先を制して斬り込んでいますから打が受太刀となっているのでしょう。
 福井先生のビデオでは双方同時に仕掛けている様に見えます。従って膝の高さで刃を合わせた相打です。その上双方とも相手の脛に届かない遠間になってしまっています。
 平成9年の地区大会のビデオでは双方同時に柄懸りして虎走りして、同時に抜付けて相打ちです。刃の合う高さは膝上3寸ほどでしょう。
 平成21年の地区大会のビデオでも双方同時に柄懸りして虎走り、同時に抜付けていますが打が受太刀の体勢をとってから相打ちにしています。
 その刃の合う高さは膝上ほどの高さですから間が近すぎるのでしょう。間が近いのに切先は双方とも相手の脛に届いていないのです。受太刀の姿勢ばかりが気になっているとしか思えません。
 福井先生と大江先生では教本によれば受太刀となるのが、大江先生は打が受けると明確です。4代離れるとこんなものかも知れません。
 古伝神傳流秘書の太刀打之事「出合」では「相懸りにかゝり相手より下へ抜付るを抜合せ留て打込相手請る・・」ですから打が斬り込み仕が抜き合わせに受け留めて反撃するのです。仕は虎一足の要領で受け留めるのでしょう。
 教本の曖昧な表現が演舞にも表れる良い例でしょう。
参考に「虎走」の要領を福井先生の教本から稽古してみます。
 「・・中腰にて体を低くして立ち上がり前方に小走りにて追進み、間合に接するや右足を踏込み腰を伸ばして横一文字に斬り付け・・
1、・・追い進むときは、右足を少し前に出し後(左)足より進む。
2、追い進むときには恰も虎の獲物に向いて進む心持ちにて、足心を以って歩く心得のこと。」
 虎走よりもここは正座の部の「追風」を参考にした方が良さそうです。
 其れも22代池田聖昂先生の教本の、追風の詳細な足捌きと抜き付けが参考になります。
 追風と組太刀は別物と思うのは勝手ですが、池田聖昂先生の教本に随った方が、曖昧な部分が払しょくされて明解です。
(平成17年2005年無雙直伝英信流居合道解説第一巻より)
 追い進む初動は福井先生と同じですが
 「左手鍔、右手柄に掛けると共に、やや腰を沈め上体やや前傾し、右足を半歩程前に出すや否や、左足より進み出る。左足一歩踏出すや右足を連れ足捌きにて左足の土踏まずの処位まで引き寄せる。次いで再び左足より出で右足を同じく連れ足捌きにて左足に退き寄せる。この際、決して右足を左足より先に出さざる事。間合いに接する迄、此の足捌きにて小走りに実施する事肝要也。
 左足にて間合を計り取るや否や、瞬時 間をおき対敵を見定めながら刀を抜懸け、右足踏み込みて対敵の胸に左から右へ(我が方より観て)真一文字に斬り付ける。」
  此処で、ある地区の抜き付けた間合いの不十分さは、足裁きと、刀を抜き懸けるタイミングがいい加減な事によると思われます。
 左足で間境に達し、刀を抜き掛け、右足で間に踏み込んで抜き付けるのです。
 この際のポイントは間境の考え方に依ります。自分が相手に届く距離は相手も届く、然し双方同時であれば間が近くなりすぎるのでここでの間積りが重要なのです。
 機先を制して相手に斬り付ければ当然相手は同時に斬り込めば深く入ってしまう事になります。
 正座の部の八重垣の請け太刀の要領を使うべきものです。双方相打ちばかりに注意しているものでは無いでしょう。打の抜き付けんとするに機先を制して相手の右足脛に斬り付ければ、相手は右足を踏み込んでも受太刀になるべきものです。
 双方同時と思い込んで演ずるならば、動く相手の右足に目測をもって双方とも相手の右脛に抜き付けたが相手に届く前に双方の膝の高さの処で刃を合わせてしまった様に抜き付けるべきです。
 申し合わせで刀を合わせに行くような事ですと、間合いが近いにもかかわらず、刀は相手に届いていない位置で待受け合わせになってしまうのです。
 相手に抜かせて、後の先を取る稽古を重ねるか、間積りを正しく心得て双方同時に抜き打つかでしょう。教本を読みこなす能力も必要です。
 相手の出足の脛に斬りつけるならば、どの様な抜打ちをすべきかですが、まず柄頭は何処につけて間に接するのか、下への抜き付けなのに、柄頭が相手の胸であれば一旦上に抜いて手首を返して下へ抜き付ける、その抜き方がほとんどです。
 何処か変でしょう。横一線の抜き付けの角度が水平か上向きか下向きかの違いばかりの事です。
 もう一つは、走りだす際の腰を落としやや前屈みの形が出来ていない。腰を沈めるのは垂直に落すであって、腰を前にかがめる事ではない。前屈みは尻を突き上げるのでもない。
 現代剣術は足裁きと体重移動の方法が全く出来ていません。研究課題でしょう。
 次回は出合の2仕打の勝負どころです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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曽田本その1の4居合根元之巻読み解く6小藤亀江伝来の目録3

曽田本その1
4.居合根元之巻読み解く
6、小藤亀江伝来の目録
3.無雙直伝英信流居合目録
外之物之大事  
 行連・連達・逐懸切・惣捲・雷電・霞
 
上意之大事   
 虎走・両詰・三角・四角・門入・戸詰
 戸脇・壁添・棚下・鐺返・行違・手之内
 輪之内・十文字
読み解く
外之物之大事の業名から次の伝書に相当する業名を拾い出してみます
1、古伝神傳流秘書抜刀心持之事  
 行連・連達・逐懸切
2、白石元一長谷川流奥居合     
 行連・連立・追掛
3、尾形郷一無双神傳抜刀術兵法  
 行連・連達・追掛斬
4、大江正路剣道手ほどき
 行連・連達・惣捲り・霞
5、英信流居合目録秘訣(参考)
 行連・連達・逐懸切・惣捲形十・雷電・霞八相
上意之大事の業名から次の伝書に相当する業名を拾い出してみます。
1、古伝神傳流秘書抜刀心持之事  
 両詰・三角・四角・棚下・行違
2、白石元一長谷川流奥居合     
 両詰・三角・四角・棚下・虎走
3、尾形郷一無双神傳抜刀術兵法  
 両詰・三角・四角・棚下・虎走・行違
4、大江正路剣道手ほどき
 虎走り・両詰・四方切・門入・戸詰
 戸脇・壁添へ・棚下・行違
5、英信流居合目録秘訣(参考)
 虎走・両詰・三角・四角・門入・戸詰
 戸脇・壁添・棚下・鐺返・行違・手之内
 輪之内・十文字
 業名の対比では英信流居合目録秘訣に記載されている業名と、小藤亀江の目録の業名がぴったり一致します。
 次回は、それぞれの業名の一致したものを、英信流居合目録秘訣の業手附とそれぞれの業手附と並べてみます。
 
 

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2018年4月 1日 (日)

無双直伝英信流の型 大江正路先生の終禮

無双直伝英信流の型
大江正路先生の終禮
参考資料
大江正路堀田捨次郎共著大正7年1918年剣道手ほどき
 刀を納めたれば互に右足より出で、四尺の距離を取りて左足を右足に揃へ直立し、同體にて正座し、右手にて腰の刀を抜き、前に置き、板の間に両手をつきて禮を行ひ、更に刀を右手に持ち竪立とし左手に持ち換へ、左腰部に當て右手は右膝の上に乗せ、其まゝ右足より立ち左足を右足に揃へ、互に三歩退り直立となり神殿に向ひ禮を行ひ對向し三歩づゝ退り黙禮を行ひて左右に別る。(終り)
 大江先生の終礼ですが、七本目真方を終わり中央で青眼となって刀を合わせ、左足より双方五歩退いて元の位置に戻り、右足前、左足後ろのまま血振り納刀します。
 納刀後左足を右足に揃えるかどうかの記述は有りません。通常刀を納めて左足を右足に引き付け直立します。
 双方右足から歩み足で五歩進み、右足・左足・右足・左足・右足でしょう。四尺の距離を隔てて左足を右足に引き付け直立し、そのまま正座する。
 双方の距離が近いですから、体軸から前に2尺は開けて置きませんと、刀礼のさい双方の頭がぶつかります。
 四尺の間隔はギリギリですから目視の調節は必要です。刀礼を終って刀を右手で持ち両膝の前に立て左手に持ちかえ、左腰に当て右手は右膝の上に乗せ、右足を出して立ち上がり左足を右足に揃へ直立して向き合い、左足から三歩下がり直立して神殿に向い礼をする。再び向き合い黙礼して左右に別れる。
 何となく窮屈な終礼の気がします。続いて河野先生の終礼を稽古して見ます。
 中央で刀を合わせ互に五歩退き血振り納刀は同じです。
 終礼はすべて最初の作法に準じて、之より互に五尺の距離に進みて端坐、刀礼をなし静かに立ち上りて小足三歩退りて互に黙礼をなし次に神殿に向ひ最敬礼を行ひ末座に退りお互の礼をなして終る。
 大江先生は四尺の距離を取って正座します、河野先生は五尺の距離と言って一尺追加しています。これ位の間隔が窮屈にならずに良さそうです。
 福井先生の終礼は河野先生と同じです。
 大江正路先生の考案された無双直伝英信流の型七本を稽古してきました。たった百年足らずの間に大江先生の動作を小さな部分であっても改変してしまうのは何故なのでしょう。
 この流の節度の無さによるものかも知れません。それは第17代大江正路に由来するのかも知れませんが、正しく伝書が伝わらない土佐の島国根性に依るのかも知れません。
 或いは、道統が一子相伝では無かった為、責任感の薄いただの棒振り上手の者が根元之巻さえ伝授されれば俺が宗家という考え方にも由来するかもしれません。
 現代は、伝書は容易に読む事が出来る状態であり、宗家筋の演武も拝見出来る時代です。
 それでも、俺の業が一番とばかりに基本を崩す習性は続いているようです。
 基本の「かたち」による業技法は示された教本に随うのは当然です。個々の修行者が、己の業として幾重にも変化をさせた業技法を持つともそれは自由ですし当然研究すべきものでしょう。
 然し基本の手附にまでおのれの手を加えてしまうのはこの流の将来は無いものと同前でしょう。しかも何故先師の教えを変えたのかも明示しないなどひどすぎます。
 武術的にはなどと言う知ったかぶりの高段者や古参にも呆れてしまいます。
 次回はある地区の指導者が福井聖山先生の組太刀であると称するものを稽古して見ます。
 どの様に見ても福井先生の組太刀には見えないのです。ある地区に誰が何を手本に伝えてきたのかさえ良く判りません。
 すでに、福井先生の教本もビデオもこれから始める人達には手に入りません、口伝口授による看取り稽古だけが頼りなのです。
 福井先生の教本とビデオを元に、ある地区の口伝口授のみの教えを頼りに、そこの演武会でのビデオを合わせて勉強してみます。
 福井先生の教えを変えたとしても、何故変えたのか、何を目的としたのか、何処が違うのか文章を以て整理しておくべきでしょう。
 たとえば、一本目の出合で仕が攻める足裁として左足を右足踵に引き付けるのはよしとしても、打までも左足を右足に引き付けたのでは、双方攻めの体勢になってしまいます。仕に圧せられて打が退かんとする、心持ちは何処に置いて来たのでしょう。
 三本目、四本目の一刀目えお真向に斬り付けて双方の中央で鎬を合わせて留でいます。これも、左面相打ちなのに何処の誰が決めたのでしょう、その理由は何でしょう。まだまだ幾つも出てきそうです。
 
 如何様な業技法にも、勝つ為の運剣が武術には明確にあるはずです。「かたち」が出来ても「術」がきまらないのも武術です。
 同様に「かたち」が出来なければ「術」は決まりません。
 それは申し合わせの武的演舞では偽物にすぎないでしょう。
 何故そうする、と思案して、試案に詰まれば木刀を手にして立つばかりです。
 
 

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曽田本その1の4居合根元之巻読み解く6小藤亀江伝来の目録2

曽田本その1
4.居合根元之巻読み解く
6、小藤亀江伝来の目録
2.無雙直伝英信流居合目録
外之物之大事  行連・連達・逐懸切・惣捲・雷電・霞
 
上意之大事   虎走・両詰・三角・四角・門入・戸詰
            ・戸脇・壁添・棚下・鐺返・行違・手之内
            ・輪之内・十文字
 
極意之大事   暇乞・獅子洞入・地獄捜・野中幕
            ・逢意時雨・火村風・鉄石・遠方近所
            ・外之剱・釣瓶返・智羅離風車

居合心持肝要之大事
1.捕手和合居合心持之大事
1.立合心之大事
1.太刀目附事
1.野中之幕之大事
1.夜之太刀之大事
1.閨之大事
1.潜り之大事 戸脇之事
1.獅子之洞出之事
1.獅子之洞入之事
右九ヶ条者深秘之極意也非真実之人者努々不可有相伝者也

無双直伝英信流居合就多年御熱心太刀次悉令相伝□向後嗜専要候若御所望之仁於有之者兼而其之人之取罰文御指南尤可仍許免之状如件

明治三十四年六月十五日  
           谷村樵夫自庸
小藤亀江殿
読み解く
 この目録は明治34年1901年の発行ですから江戸時代の内容を保持しているのか疑問です。然し小藤亀江は谷村派の第十五代谷村亀之丞自雄-楠目繁次成栄-谷村樵夫自庸-小藤亀江の道統から相伝しているものです。
 第一五代谷村亀之丞自雄は第一六代五藤孫兵衛正亮へ相伝し、五藤孫兵衛正亮は第一七代大江正路へ相伝したと云われています。
 大江正路が授与された允可状は、何処からも出てきませんから謎になります。但し大江正路先生の発行したものは公にされています。これは大江正路によって改変されたもので土佐の古伝とは言い難いものです。
 大江正路は下村派の第一四代下村茂市定に師事し、兄弟子には行宗貞義、細川義昌が居るわけで、行宗貞義は曽田虎彦の師匠です。
 大江正路が下村茂市に師事したのは嘉永5年1852年7歳の時で、明治維新1868年の時には16歳で戊辰戦争に出陣しています。
 明治5年1872年20歳の時には土佐藩の常職を解かれ失業、明治10年1877年には師匠の下村茂市が没しています。大江正路25歳の時です。その後職を求め土佐を跡にしている事も長く明治30年1897年45歳の時に高知県尋常中学校の剣術教士となっています。
 其の年第一六代五藤孫兵衛正亮が没しています。
 その後も土佐を離れ47歳ごろに土佐に落ち着いた様です。激動の時代でしょうから飯を食う事が大変だったでしょう。居合の相伝はどの様であったか、残されたものは無く、土佐の古伝が改変されてしまうのもやむおえないのかも知れません。 
 細川義昌の居合は香川の植田平太郎に伝えられ、植田平太郎から徳島の尾形郷一、尾形郷一から広島の梅本三男、梅本三男から広島の貫汪館森本邦生館長に無雙神傳英信流抜刀兵法(梅本三男の授与された允可状には無双神傳抜刀兵法と有ります)として引き継がれている筈です。
 森本邦生貫汪館館長は、一時昭和47年1972年頃白石元一の居合を門人の森務より習い、後昭和50年1975年梅本三男に入門されている様です。
 細川義昌の居合は夢想神傳流の祖と云われる中山博道の師とされていますが中山博道は谷村派第一六代五藤孫兵衛正亮の弟子森本兎久身の居合を習い、細川義昌からの指導はごく限られた時間であったと思われます。
したがって、小藤亀江が相伝した居合目録は是等を意図しながら読み解いて見たいと思います。
 先ず、古伝神傳流秘書の業名と小藤亀江の目録の業名を同定し、白石居合、尾形居合と対比し、現代居合の大江居合を当てがって見ます。
 本来、曽田本その1にある英信流居合目録秘訣を以て解説すべきでしょうが、現代居合との乖離を先に認識したいと思います。
 
 
 

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2018年3月31日 (土)

無双直伝英信流之形 福井聖山先生の七本目真方の2

無双直伝英信流の型
福井政談先生の七本目真方の2
参考資料
福井聖山著平成3年1993年無双直伝英信流之形
福井聖山昭和57年1982年太刀打之位ビデオ
 福井先生の場合はどちらかと云えば、双方の初動の立ち位置が遠すぎるようです。真方の前の六本目受流で中央で双方切先を合わせ、左足から五歩後退して次の七本目真方に入るのが教本の指定です。
 中段で刀を中央で合わせれば、双方右足前になります。後方に退く引き足は左からです。左・右・左・右・左で五歩になります。
 実はここで五歩目は左足が後ろで右足前であれば教本の指定なのですが、五歩目を左足で踏むや右足を追い足で一足ほど双方引いてしまっています。足幅を敢えて狭くしています。戻り足のままで良いのに余分な足捌きがあります。何を意味しているのか不明です。
 是は福井先生の癖でしょうか、これは間を遠くする原因の一つです。
 仕太刀は右足前の中段、打太刀は前足の右足を左足に踏み替え左足前の八相に構え直します。
 仕太刀は其のまま中段、打太刀は中段から左足を右足の前に出し、右足を引いて八相に構えます。
 ここでの打太刀の八相の足捌きは、戻って来た位置より左足を右足より半歩前に出してしまいました。
 遠間ですからこの程度では先制攻撃と云えないでしょうが、近間であれば半歩前進しつつ構えを替えればその隙は打ち込まれても仕方のないものです。
 遠間から飛び込む当てっこの竹刀剣道や、仮想敵相手の空間刀法の居合が陥る、無造作な所です。
 双方出足から前進します。仕は右足から、打は左足からになります。
 仕は中段の儘右・左・右と出てここで一息つく様に留まります。打も左・右・左と八相に構えたまま出て、双方タイミングよく一息つく様に止まります。
 四足目で双方上段に振り冠ります。仕は無双直伝英信流の切先下がりの振り冠り、打は刀は床に平行の上段です。
 このアンバランスはどの様に上段に取るべきかの特定が無双直伝英信流居合にはあっても、組太刀に於いても同様にすべしの教えが無い為でしょう。
 古流剣術であれば、双方45度天を向いた上段でしょう、しかしこのような上段からの真向打ち下しには、体の使い方を知らない手打ちの多い居合人では切先に力が乗ってゆきません。
 五歩目です。双方右足を大きく踏込み真向打ち合う瞬前に、打は低い上段から切先を右に変じて八相に取って左に柄を送り受け太刀の体勢に変じています。動画を止めてみますと仕は機先を制するより遅れを取ってまだ右足は床を離れたばかりです。切先は後方にあります。
 是は仕の上段の振り冠が無双直伝英信流の後方に切先下がりに依るものでしょう。打は余裕をもって受け太刀となったのでしょう。
 教本の足捌きの打えの要求は、「左足より一歩退き第一本目の要領にて受ける」です。大きく右足を踏込み上段から斬り込み充分仕を斬り伏せる事が出来るのに受け太刀になる、など参考になりません。
 敢えて言えば、仕打共に斬り込まんとし、打は、上段から右足を踏み込まんとし、右足を浮かせた瞬間、打の剣先が打ち下ろされるが、遠間の為引き足を取れば仕の刀は空を斬るかも知れない、其の侭踏み込んで受け太刀となった。と取り繕った行為と思えてしまいます。
 何度も稽古され、教本も十分理解出来ていても、少しの狂いが要求を満たせない事を示されている様です。
 一つは不必要な元の位置で見せた足捌き。
 二つ目は三歩目での意味不明な睨み合い。
 三つ目は振り冠りの深さの違い。
 四つ目は打太刀が仕太刀の運剣を促す懸かりが見られない事。
でしょう。
 組太刀を分析すれば、打つたびに教本とのギャップに気が付くものです。そして形を演ずるだけならそれでもとりあえず演武の目的は達せられ、残心に心を配れば見る人を魅了できるでしょう。
 たとえ状況が難しくとも教本に随ってまずしっかり基礎を固めるべきものでしょう。安易にビデオの真似から形を誤って考えない事が大切です。
 形は一つの教示からいくつもの変化を起こせるものです。誤った真似事からは武的演舞しか生み出せず、いかに威儀を正して見ても時代劇の役者の殺陣に劣るものに陥ってしまいます。
 次回は終禮です。
 

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曽田本その1の4居合根元之巻読み解く6小藤亀江伝来の目録1

曽田本その1
4.居合根元之巻読み解く
、小藤亀江伝来の目録
1。無雙直伝英信流居合目録
 1.向身           横雲・虎一足・稲妻
 1.右身           浮雲・山下し
 1.左身           岩浪・鱗返
 1.後身           浪返・瀧落
 
四方切             向・右・左・後
 
太刀打之位      出合・附込・請流・請込・月影・絶妙剱

                            ・水月刀・独妙剱・心明剱

詰合之位        八相・拳取・岩浪・八重垣・鱗形・位弛
               ・燕返・眼関落・水月刀・霞剱
 
大小詰           抱詰・骨防・柄留・小手留・胸捕・右伏
               ・左伏・山影詰  
 
大小立詰        〆捕・袖摺返・鍔打返・骨防返・蜻蜒返
              ・乱曲
読み解く
 居合目録は業名ばかりですが、幾つかに分けて読み解いてみます。業の一つ一つの解説は一気に出来るものでは無いので業名の違いを古伝神傳流秘書、業附口伝、その他幾つかの根元之巻と対比してみます。
「無雙直伝英信流居合目録」は、英信流ですから大森流は含まれていません。大森流の目録允可は別にあったのか、無かったのかこの小藤亀江が谷村樵夫自庸からの相伝では不明です。
 古伝神傳流秘書では「大森流居合之事」として「此居合と申は大森六郎左衛門之居合也英信と格段意味無相違故二話而守政翁是を入候 六郎左衛門盤守政先生剣術之師也真陰流也 上泉伊勢守信綱之古流五本之仕形有と言或は武蔵守卍石甲二刀至極の伝来守政先生限にて絶(記 此の五本の仕形絶へたるハ残念也守政先生の傳是見當らず 曽田メモ)」
 大森流は第九代林六太夫守政の剣術の師匠大森六郎左衛門の居合で、英信流と格段の違いは無いので守政翁が誰かに話して無雙神傳英信流居合兵法に入れたと云って居ます。
 誰かとは第八代荒井兵作信定(荒井勢哲清定)かも知れませんが、不明です。大森六郎左衛門は上泉伊勢守の真陰流だと言います。
 真陰流の形五本と宮本武蔵の二刀流は守政先生で絶えてしまったと言います。
 土佐の居合では、大森流は第一五代谷村亀之丞自雄の英信流目録に残っていますので引き継がれて来ています。現在の大森流(無双直伝英信流正座の部)です。
無雙直伝英信流居合目録
 1.向身           横雲・虎一足・稲妻
 1.右身           浮雲・山下し
 1.左身           岩浪・鱗返
 1.後身           浪返・瀧落
 この目録の記述方法は東北地方の秋田藩の天明8年1788年林崎流居合伝書に「居合目録次第として向之次第・右身之次第・左身之次第・立合之次第」として業名は異なりますが残されています。
 
 土佐の居合と道統を同じくしたであろう信州地方の伝書天明3年1783年大矢蕃昌編述・滝沢登愛所持「無双流和棒縄居合目録」に居合(南山大学榎本鐘司先生論文より)に全くと言ってよい業名とその位置付けが残されています。
 1.向身     横雲・稲妻・水引□□
 1.右身     浮雲・山風
 1.左身     岩浪・鱗返
 1.後身     波返・瀧落
 四方切             向・右・左・後
 敵を前後左右に受けた場合の運剣用法を表しているのでしょう。第17代大江正路先生の場合は、向・左後・右前・左前の変則な敵の配置です。
 現代居合では第一七代大江正路先生によって改変されて敵の配置よりも、演武の際の正面に対し己の坐す方向が優先すると言う可笑しなことから無双直伝英信流は変わっています。
組太刀は古伝神傳流秘書にある大剣取、英信流目録の小太刀之位が抜けています。
小藤亀江の目録に括弧内は神傳流秘書の業名を対比しておきます。
 
太刀打之位      出合(出合)・附込(附込)・請流(請流)・請込(請入・請込)
            ・月影(月影)・絶妙剱(水月刀) ・水月刀(独妙剱)
            ・独妙剱(絶妙剱)・心明剱(心妙剱)・(打込)
 

詰合之位        八相(発早)・拳取(拳取)・岩浪(岩浪)・八重垣(八重垣)
           ・鱗形(鱗形)・位弛(位弛)・燕返(燕返)・眼関落(柄砕)
           ・水月刀(水月)・霞剱(霞剱)
 
 
 
大小詰           抱詰(抱詰)・骨防(骨防扱)・柄留(柄留)・小手留(小手留)
           ・胸捕(胸留)・右伏(右伏)・左伏(左伏)・山影詰(山影詰)  
 
 
 
大小立詰        〆捕(使者捕)・袖摺返(骨防返)・鍔打返(鍔打返)
           ・骨防返(〆捕)・蜻蜒返(蜻蛉返)・乱曲(乱曲)・(電光石火)
 業名は同じものですが、順番が異なります。この原因は目録伝授が無いまま。また聞きで引き継がれたか、稽古に依って入れ替えるべきであると判断されたかのいずれかでしょう。
 現代居合では太刀打之位が第一七代大江正路先生によって中学生向きに改変され十本を七本に減らされ、業名および業も変えられてしまっています。大江先生の七本の組太刀を演ずるのであれば無双直伝英信流居合道形と言うべきでしょう。
 小藤亀江の相伝した目録の業名は古傳の趣を残しています。
 
 
 
 
 
 

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2018年3月30日 (金)

無双直伝英信流の型 福井聖山先生の七本目真方の1

無双直伝英信流の型
福井聖山先生の七本目真方の1
参考資料
福井聖山著平成3年1993年無双直伝英信流之形
平成2年第9回無双直伝英信流居合道全国大会講習資料太刀打之位要旨
福井聖山昭和57年1982年太刀打之位ビデオ
河野百錬先生著昭和17年1942年大日本居合道図譜
打太刀八相、仕太刀中段にて前進す。間に接するや「打太刀上段となり真向に斬込まんとするを、」仕太刀機先を制して右足を踏込み上段より敵刀諸共その真向に斬下して勝つ。
 打太刀は左足より一歩退き第一本目の要領にて受ける。次に打太刀は左足より追足にて二歩退き双方中段となり刀を合わせ、打太刀は三歩出で仕太刀は三歩退きて元の位置に戻り、互に五歩後退して血振い納刀す。
 福井聖山先生はこの六本目の業名を河野先生の「討込」から、大江先生に習い「真方」に改めています。河野先生は大江先生の現代居合を曽田先生との交流によって古伝神伝流秘書に戻したかった、そこまででもなくとも居合心を正したかったと思われます。
 それは昭和に入り益々かさに掛っていく日本軍の先制攻撃思想に違和感を持っておられた様に感じます。
 河野先生の教本と同じ内容ですが少し違います。
河野先生の討込を復習します。
 打太刀、仕太刀、互に前進し間に接するや、「打太刀は仕太刀に斬込まんとするを、」仕太刀は機先を制して右足を踏込み上段より打太刀の真向に敵刀諸共其真向より斬下し勝つ。打太刀は左足を一歩退き第一本目の要領にて受ける。次に打太刀は左足より追足にて二歩退き中段となり刀を合はせ、打は三歩出て仕は三歩退りて元の位置に戻り、互に五歩後進して血振ひ納刀す。
 福井先生は、打太刀が仕太刀に斬り込まんとして八相から上段になる処が加わっています。
 是で仕は機先を制する切っ掛けを掴むことが出来たはずです。
 河野先生と同様に、仕の先制攻撃に打がどのように応じるかが大切な処なのに「打太刀は左足を一歩退き第一本目の要領にて受ける」と省略してしまいました。
 打は仕が間に接するや八相から上段に冠り直し、右足を踏み込み討ち込まんとする、その機先を仕は中段から上段に振り冠って右足を踏込み打の真向に打ち込む。
 打は打ち込む仕に、踏み込まんとした右足を押さえ直し左足を引いて、剣先を右に刃を上に柄を左に出して刀を水平にし前額部を掩う。のです。
 河野先生のビデオでは、打は打ち込まんとして上段になる事も無く八相から右足を踏み込み請け太刀になっています。教本の教える左足の引き足すら出来ていません。
 次回は福井先生のビデオを拝見し、教本通りであることを祈るばかりです。
 
 
 

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曽田本その1の4居合根元之巻原文6小藤亀江伝来の目録

曽田本その1
4.居合根元之巻
、小藤亀江伝来の目録
無雙直伝英信流居合目録
 1.向身           横雲・虎一足・稲妻
 1.右身           浮雲・山下し
 1.左身           岩浪・鱗返
 1.後身           浪返・瀧落
 
四方切             向・右・左・後
 
太刀打之位      出合・附込・請流・請込・月影・絶妙剱

                            ・水月刀・独妙剱・心明剱

詰合之位        八相・拳取・岩浪・八重垣・鱗形・位弛
               ・燕返・眼関落・水月刀・霞剱
 
大小詰           抱詰・骨防・柄留・小手留・胸捕・右伏
               ・左伏・山影詰  
 
大小立詰        〆捕・袖摺返・鍔打返・骨防返・蜻蜒返
              ・乱曲
 
外之物之大事  行連・連達・逐懸切・惣捲・雷電
・霞
 
上意之大事   虎走・両詰・三角・四角・門入・戸詰
            ・戸脇・壁添・棚下・鐺返・行違・手之内
            ・輪之内・十文字
 
極意之大事   暇乞・獅子洞入・地獄捜・野中幕
            ・逢意時雨・火村風・鉄石・遠方近所
            ・外之剱・釣瓶返・智羅離風車

居合心持肝要之大事
1.捕手和合居合心持之大事
1.立合心之大事
1.太刀目附事
1.野中之幕之大事
1.夜之太刀之大事
1.閨之大事
1.潜り之大事 戸脇之事
1.獅子之洞出之事
1.獅子之洞入之事
右九ヶ条者深秘之極意也非真実之人者努々不可有相伝者也

無双直伝英信流居合就多年御熱心太刀次悉令相伝□向後嗜専要候若御所望之仁於有之者兼而其之人之取罰文御指南尤可仍許免之状如件

明治三十四年六月十五日  
           谷村樵夫自庸
小藤亀江殿
 
*原文のまゝ記載いたしました。
 
 

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2018年3月29日 (木)

無双直伝英信流の型 河野百錬先生の七本目真方の2

無双直伝英信流の型
河野百錬先生の七本目真方の2
参考資料
河野百錬著昭和17年1942年大日本居合道図譜
河野百錬昭和44年1969年太刀打之位ビデオ
 このブログを書き始めましたら、ミツヒラが河野百錬先生、福井聖山先生の批判をしているが、どこの馬の骨とも解からぬ者が許されるわけは無かろう。と云った声がきこえてきます。 
 大江正路先生、河野百錬先生、福井聖山先生夫々土佐の居合が混沌とする時期に、すっくと立ってこの道に光を掲げていただいたことでは、その心労はいかばかりであったろうと、先生方が残された事の一字一句を噛みしめ励んでいるものです。
 碌にその残されたものを読みもしなければ、読んで稽古した事も無い者にとやかく言われる筋は有りません。
 この先生方を、何も理解して居ないのに、唯、第17代だからとかだけで崇拝し神様の様に崇めていたのでは先生方もさぞかし悲しいことでしょう。
 あれだけの功績を残されるには、厳しい視線も並の事では無かったろうとお察しします。その一言一句、その動作の一つ一つを辿る事で少しでも近づく努力を惜しむ事はありません。
 気が付いたことは、ストレートに語って共感を得られればありがたいことですが、寧ろ思い違いを諭される事の方がどんなにありがたい事でしょう。
 何か気がついても、公に触れることを避けて自己保身のため、陰に廻って揶揄するのが多いこの時代、そんな人達ばかりの集団になってしまっては、日本の誇る武術文化が見捨てられるのは遠くないと思います。
 そして、私の様な本物を求めてこの道を歩もうとする者の足を引っ張り、転げ落ちるのを楽しみにしてしまうのでしょう。どんな安住の地でも前に進むと決めた以上は進むのです。
 自分が自分らしく立って居なければ、何処にも安住の地など有り得ないものです。たとえ転げ落ちても前に進むだけです。
 武術の修行は、覚悟の無い者には出来るわけはありません。
 と、言う事で河野百錬先生のビデオをよく見、教本をよく読み、考えながら稽古して見ようと思います。
 六本目受流を終えて双方中央で切先を合わせ、河野先生は左足を引いて右足を追い足に退き、更に左足を引いて、右足は僅かに動かしたかどうか看取れません。
右足前の中段に構えます。
 打太刀は元の位置から左足・右足・左足と引いて、右足を引いて左足を出して八相に構えます。
 河野先生は小さく追い足で四歩下がりますが歩幅は狭くせいぜい二歩下がった程度でしょう。
 打太刀は歩み足で三歩下がり八相になるため、つごう二歩下がっただけです。
 従って「打太刀八相、仕太刀中段より互に前進す。」は河野先生が右足・左足・右足・左足・右足と小さく特に三歩目・四歩目は上段に振り冠る為か不自然に狭いチョコチョコした足踏みです。五歩目に斬り込むため右足を大きく踏み込んでいます。
 打太刀の退きが不十分と河野先生の退きも不十分なため、途中で間合い調節をしたのでしょう。
 河野先生真向に打ち込んで、打太刀は八相から右足を踏み込んでこれを受けています
 「打太刀は仕太刀に斬り込まんとする」など何処にもその興りが感じられないのです。
 もし打太刀が仕太刀に斬り込まんとするならば、八相から上段に被りながら右足を踏み込む動きがあって然るべきですが、河野先生に先制攻撃されてしまい、八相から右足を踏込み柄を左に切先を右上がりにして眼前頭上で斬り込みを受けているばかりです。
 其れもやや前屈みに受けていますから、ここも「敵刀諸共真向より斬下して」などに程遠い当てっこそのものです。
 このビデオは真方の参考にはなりません。充分な双方の間合いを取ることをして居ない為に、不自然な近間による運剣がもたらしたものとも言えます。
 ここも打太刀の認識が甘い為としか言いようはないものです。一方河野先生も「打太刀は仕太刀に斬込まんとする」処を明瞭に動作を文章にすべきで、心持ちばかりでは「仕太刀は機先を制し」のご自分でも先制攻撃ばかりが出てしまう典型でしょう。
 このビデオは演武会のスナップではなく、明らかに映像を残そうとして打たれたものです。たまたまでは無いものです。
 思ったことが実技では発揮できないために、鍛錬する・・・稽古不足でしょう。
 河野先生71歳の映像です、この6年後お亡くなりになっています。
次回は福井聖山先生の真方です。
 
 
 
 
 

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曽田本その1の4居合根元之巻読み解く5小藤亀江伝来の道統

曽田本その1
4居合根元之巻読み解く
5、小藤亀江伝来の道統
天真正
*いつわり飾らないの意味となるのでしょう。この天真正を冠した剣術の流派は飯笹長威斎家直による天真正香取神道流を思わせます。重信は之を習ったこともありうるとすればその天真正を冠する事も有りえます。
 
林の明神
 出羽の国最上郡大倉郷の、林崎にあった素盞鳴尊を祀った熊野神社で後居合神社として合祀された神社。
 林崎とはその一帯が藻湖といわれる湖水であった事に由来するようです。
 林崎神社が記録に現れたのは正安2年1300年神鏡一面が奉納された頃であり、林前寺の門前町として林崎村が生まれた永承年中1046年~1057年ころから正安2年1300年の間に熊野神社(林崎明神)が遷座されたのであろうと、昭和8年の「居合神社記」の著者三澤茂氏が推定して居ると「林崎明神と林崎甚助重信」平成3年林崎甚助重信公資料研究会委員会編には書かれています。
 奥州の辺鄙な処の神社のことですから真相は不明でしょう。
 林崎甚助重信はこの林崎明神に祈願して抜刀術を開眼したのでしょう。江戸時代には重信公を境内に祀ったのでしょう。
 明治5年の調書には「村社熊野神社・格外社居合神社」明治11年の調書では「村社熊野・居合両神社」とあります。「林崎明神と林崎甚助重信」平成3年林崎甚助重信公資料研究会委員会編より。

林崎神助重信
*林崎の姓については、永禄2年1559年浅野民治丸抜刀の妙を悟り、元服して新夢想林崎流と称して村名を姓とし、父浅野数馬の仇を討って故郷の林崎に帰還した。と浅野姓を改姓したとされますが、この辺りには林崎姓は幾つもあって元々林崎であろうとするのも頷けます。
 名の神助は「甚」と「神」との誤認による誤記かも知れません。
 土佐の居合古伝神傳流秘書の「居合兵法伝来」でも「林崎神助重信」と有ります。
 南山大学の榎本鐘司先生の研究に依る、北信濃に残された無雙直伝流の天明6年1786年に大矢彌五兵衛尉から滝澤武太夫に与えられた「居合根元之序」には林崎甚助重信であって「神助」の名は有りません。
 正しく根元之巻が土佐に伝わったか疑問を持っても不思議ではありません。第17代大江正路宗家から出された根元之巻も「神助」でした。
 昭和38年に出された山本宅治守誠先生から大田次吉先生に授与された根元之巻には「林崎神助重信」です。
 どの様に誤認と確証があったとしても土佐の居合は「神助」でいいのでしょう。
 戦後の根元之巻の幾つかでは「甚助」となっていますがこの変更もその変更理由が公では無く疑問です。
田宮平兵衛尉業正
長野無楽入道槿露斎
百々軍兵衛尉光重
蟻川正左衛門宗績
萬野團右衛門信定
長谷川主税助英信
荒井勢哲清信
林 六大夫守政
林 安太夫政詡
大黒元右衛門清勝
林 益之丞政誠
依田萬蔵敬勝
林 弥太夫政敬
谷村亀之丞自雄
楠目繁次成栄
谷村樵夫自庸
小藤亀江 明治三四年六月十五日
(曽田虎彦 明治三八年六月吉日 従実兄亀江伝来 曽田メモ)
この伝系は根元之巻の伝承であって決して宗家継承とは言えないのでしょう。
 土佐の居合は、第九代林六太夫守政によってもたらされたもので、第八代荒井勢哲清信や第七代長谷川主税助英信は古来の業を素肌剣法に改革し直した人で土佐の人であるとは何処にも立証できるものは見当たりません。
 第四代百々軍兵衛光重、第五代蟻川正左衛門宗績、第六代萬野團右衛門信定は、出自は元より何も解るものがありません。
 第九代林六太夫守政以下で第十五代谷村亀之丞自雄は谷村派です、従ってここでの第十六代楠目繁次成栄ー第十七代谷村樵夫自庸ー第十八代小藤亀江は谷村派の根元之巻を受けた事になります。曽田先生は下村派の行宗貞義に師事しているのですが、明治38年に従兄小藤亀江から根元之巻を伝承したと言っていますが、小藤亀江から預かった、程度の事でしょう。
 曽田本その2に無双直伝英信流居合術系譜として下村派の曽田虎彦の位置づけをしています。
 第11代大黒元右衛門清勝
 第12代松吉貞助久盛
 第13代山川久蔵幸雅
 第14代下村茂市定
 第15代行宗貞義
 第16代曽田虎彦
 
 谷村亀之丞自雄は現在では谷村派第15代宗家と認識されて居ます。楠目繁次成栄以下は居合の極意業を伝承したと云う事になるのでしょう。
 正統宗家は16代五藤孫兵衛正亮・17代は大江正路とされています。
 戦後傍系宗家が立たれて我こそは宗家とされています。第19代福井春政先生が第20代河野百錬先生を宗家に紹統印可しています。
 宗家への紹統允可は多分この時、福井春政から河野百錬へのものだけだったと思われます。
 第十七第大江正路先生も第十六代五藤正亮先生から根元之巻、宗家紹統印可も請けたであろう証拠は何処からも出てきません。
 大江正路先生は根元之巻直弟子に与えたものと思われるものが残されている様ですが、それが宗家を名乗る証拠にはなりません。
 むしろ土佐の居合は宗家は無く、根元之巻請けた者が林崎甚助重信の居合を身に付けた者と認識したのであろうと思います。
 業技法を修得したので与えられる目録は、此処まで教え導いたよ、と言うもので奥義に達したものには根元之巻が与えられたのでしょう。
 土佐藩主への師範は宗家とは別物と思われます。
 現代の土佐の居合無双直伝英信流居合兵法は
 第19代福井春政先生
 第20代河野百錬先生(第20代より第21代の紹統をせずに没す)
 第21代福井聖山先生
 第22代池田聖昂先生
 第23代福井将人先生
として道統はつなげています。
 
 第17代大江正路先生が再生した無双直伝英信流の道統は根元之巻の複数発行により混乱しているのが実態でしょう。
 私は、大江正路先生の居合を業ずる宗家を名乗る人達が一同に会し正統宗家を認め再生する日を夢見ています。
 師伝による業技法の違いなど想定違いに過ぎず、決められた形しか出来ない居合演舞者は残念ながら武術としての無双直伝英信流の宗家とは言えそうにありません。
 
 
 
 
 

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2018年3月28日 (水)

無双直伝英信流の型 河野百錬先生の七本目真方の1

無双直伝英信流の型
河野百錬先生の七本目討込の1
参考資料
河野百錬著昭和17年1942年大日本居合道図譜
大江正路堀田捨次郎共著大正7年1918年剣道手ほどき
 打太刀八相仕太刀中段より互に前進す。打太刀、仕太刀、互に前進し間に接するや、打太刀は仕太刀に斬込まんとするを、仕太刀は機先を制して右足を踏込み上段より打太刀の真向に敵刀諸共其真向より斬下して勝つ。打太刀は左足を一歩退き第一本目の要領にて受ける。
1、次に打太刀は左足より追足にて二歩退き中段となり刀を合はせ、打は三歩出て仕は三歩退りて元の位置に戻り、互に五歩後進して血振ひ納刀す。
 「第一本目の要領にて」の部分ですが「打太刀は仕太刀に圧せられて後ろに退かんとするを、仕太刀はすかさず之に乗じて、踏込みて其真向より敵刀諸共斬下して勝つ。打太刀は左足より追足にて一歩退き剣先を右に刃を上に柄を左に出し刀を水平に前額上に把る。」
 大江先生の真方の業名を河野先生は討込と改称しています。昭和17年と云えば河野先生は大日本武徳会居合術達士でした。正統第20代宗家は昭和25年の事です。業名変更について何のお咎めもなかったのでしょう。
 双方元の位置に戻っての相懸かりです。
 この双方相進みに於いて、河野節は「打太刀は仕太刀に斬込まんとするを、仕太刀は機先を制して右足を踏込み上段より打太刀の真向に」と言って、機先を制して斬込む様にされています。
 ここは大江先生は仕の先制攻撃です。河野先生は余程先制攻撃が嫌な様です。然し双方抜き身の刀を構えて相懸かりならば、土佐の居合の奥義である身を土壇にして敵の打込に応じて勝を取る術もある筈です。
 単に機先を制してと云う事ですと、仕が打込まんとするのを手早く打込むと解釈してしまうだけです。
 或いは、仕が先に正眼の構えで間境を越しそのまま突き進まんとするのを、打が八相から斬り込まんと上段に振り冠る機を捉えて、仕は素早く上段から斬下す。これも打が上段になろうとするならば其の侭突きに行けばよいだけです。
 或いは、仕が正眼の構えで突き込んで来るのを、打が八相から払ってくるならば上に外して其の侭真向に打ち下ろせば終わりです。
 此処は大江先生の様に、仕が一方的に斬込み、打は圧せられて請け太刀となるが良さそうです。
 この真方を討込として完成するならば、相進み間堺に至れば、打は上段に振り冠り右足を踏み込んで斬り下ろして来る。仕は正眼から上段に振り冠り打が真向に斬り下ろすのを同様に真向に斬り下ろし、打の刀を打ち落し打の真向に斬込み勝つが、最も求めたい術でしょう。
 よく見かける、「敵刀諸共真向より斬下して勝つ」を演ずるため打が仰向けになって腰砕けになって受け太刀になり、仕が嵩にかかって押し込む姿など何の参考になるのでしょう。普段の居合の斬り下ろしでそんな動作をしていますか。
 こんな殺陣は映画で見せられても速さと剛力を自慢するバカにしか見えません。武術はもっと美しい筈です。
 河野先生の頭の中にはもっと違う美学があったかもしれませんが、「機先を制して」の文言と同様「敵刀諸共真向より斬り下ろす」の心は、学ぶ者が河野先生と同じ武的力量に達していなければ、あらぬ方に行ってしまうだけです。河野先生のビデオがそれを見せてくれるでしょうか。
 形は一見出来ていても、術には達していない武的演舞を何度も見せられ、その上稽古すれば頭ごなしに、「かたちが違う」と何度もどやされました。
 しかし術が決まったときは、早くもなく力任せでも、術に至らない形でもありません。
次回は河野百錬先生のビデオから学んでみます。
 
 

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曽田本その1の4居合根元之巻原文5小藤亀江伝来の道統

曽田本その1
4居合根元之巻原文
5、小藤亀江伝来の道統

天真正
林明神
         
林崎神助重信
         
田宮平兵衛尉業正
         
長野無楽入道槿露斎
         
百々軍兵衛尉光重
   
 蟻川正左衛門宗績
       
万野團右衛門信定

    長谷川主税助英信
    荒井勢哲清信
    林六太夫守政
    林安太夫政詡
    大黒元右衛門清勝
    林益之丞政誠
    依田萬蔵敬勝
    林弥太夫政敬
    谷村亀之丞自雄
    楠目繁次成栄
    谷村樵夫自庸
明治三十四年六月十五日
    小藤亀江
明治三十八年六月吉日従実兄亀江伝来
    曽田虎彦

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2018年3月27日 (火)

無双直伝英信流の型 大江正路先生の七本目真方

無双直伝英信流の型
大江正路先生の七本目真方
資料
大江正路堀田捨次郎共著大正7年1918年剣道手ほどき
野村條吉著昭和40年1965年無双直伝英信流居合能参考
山本宅治守誠英信流居合之形
辻川新十郎記昭和44年1969年宇野又二先生伝無双直伝英信江流居合
 打太刀は其儘にて左足を出して八相となり、仕太刀は青眼のまゝ左足より小さく五歩退き上段となり、右足より交叉的に五歩充分踏込みて、打太刀の真面を物打にて斬り込む、打太刀は右足より五歩出で仕太刀を斬り込むと同時に左足より右足と追足にて退り、其刀を請留める、互に五歩引き元の位置に戻り血拭ひ刀を納む。
 真方の業名とは何でしょう。真向というのは立膝の部(古伝英信流居合之事の十本目に有りましたが、これは相手の打込みを抜くなりに摺りおとして真向に斬り付ける居業でした。
 十本目の業名は河野百錬先生だけが勝手な呼称にしています。古伝神傳流秘書太刀打之事の十本目は打込でした。
 河野先生は、古伝と大江先生の明治以降の組太刀を同じ様に考えて古伝に少しでも近つけようとされたのかも知れません。
 古伝は古伝です。業名とついでに双方の構えを述べて置きます。
 大江正路先生は真方 仕青眼 打八相
 河野百錬先生は討込 仕中段 打八相
 福井聖山先生は真方 仕中段 打八相
 山本宅治先生は真方 仕青眼 打八相
 太田次吉先生は真方 仕上段 打八相
 野村條吉先生は真方 仕上段 打青眼
 宇野又二先生は真方 仕正眼 打正眼
古伝神伝流秘書太刀打之事の十本目打込
 「相懸又は打太刀待処へ遣方より詰て打込み勝也」
曽田虎彦先生による業附口伝の十本目打込一本
 「伝書になし口伝あり)(留の打込なり)双方真向に物打にて刀を合し青眼に直り退く」
 どちらも、不明瞭で何を目的にしているのか解かり兼ねます。これでは大江先生は新たに判りやすい手附が必要だったでしょう。
 大江先生は、仕の攻撃に打が仕を斬り込まんと振り下ろさんとするが、仕に圧せられて左足右足と追い足で退り、眼前頭上で仕の打ち込む刀を十文字に受け留めるのです。
 この場合打は刃を上にして受けるもので、切先は左でも右でも稽古次第です。
 請け太刀となるだけならば右へ切先を向けて請ければいいのでしょう。後の先を取らんとせば切先左も有り得ます。
 大江先生の手附けは不十分ですから、幾人かその時代の方の教本を読んでみます。
 第18代穂岐山波雄先生の弟子野村條吉先生の真方
 仕太刀:右足を出して上段に構え、右足より左足交互に大足にて前進、打太刀の真向を斬る。「ヤッエイ」間合を取り青眼後退、血拭い納刀す。
 打太刀:六番の終りたる位置にて青眼、仕太刀の前進し来りて真向を斬りつくる時、左足を引き柄を左に受け止む。間合を取り後出発点まで退き、血拭い納刀す。
 山本宅治先生の真方
 打太刀は中央に其のまゝ左足を出して八相となり、仕太刀は青眼より右上段になり右足より進み出て間合に至り打太刀の真面に斬り込む。打太刀は八相より仕太刀の刀を受けるや左足を引き追足にて二歩位退く。(仕太刀も打込むと同時に追足に二歩位攻めること)それより互に青眼となりて中央に戻り残心してから五歩退き元の位置に戻りて血振り納刀す。
 どの様に打は仕の斬り込みを受けるのか不明です、弟子であった太田次吉先生昭和55年1980年の土佐英信流から真方
 打太刀中央で左足を出し八相となる。仕太刀は中段より、右上段にとる。仕太刀は間合に至り、打太刀の正面に斬り込む。打太刀は八相より仕太刀の刀を受けると同時に左足を引き、追い足にて二歩位退る。仕太刀はそれにつれて同時に二歩位攻め込む。
 是では山本宅治先生と同じですが、幸い写真があります。打は仕に斬り込まれ八相から柄を左に切先を右にして刃を上に眼前頭上で受け止め、体を引き乍ら体を反らせて受けています。仕はかさに懸かって押しこむ様に斬り込んでいます。
 この斬り込まれてからの打の動作はある地区にも見られ、どの様な意味があるのか首をかしげてしまいます。斬り込んで受けられたから押しこむ等は簡単に外されてしまいます。理に合いません。
宇野又二先生の真方
 打正眼、仕正眼、前進して相手の真向に上段より切る。打、右足左足と後退一本目の如く相手の刀を自分の刀の鎬にて受け留める。
次回は河野百錬先生の討込です。
 
 
 
 
 
 
 

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曽田本その1の4居合根元之巻原文4小藤亀江伝来意訳

曽田本その1
4.居合根元之巻
  曽田本免許皆伝目録原文意訳
3、谷村樵夫自庸相伝
  小藤亀江伝来居合根元之巻
小藤亀江の根元之巻 意訳

 抑々居合というものは、日本の奥州林の大明神の夢想に従い、之を伝えて来たものである。
 その兵術は、上古、中古、数多他流に依る違いは有るとはいえ、大きな人にも小さな人にも、力の弱い人も、剛力な人にも、合わないと云う事の無い兵術として用いられる云々。
 いつか、相応の太刀と為る、汝に、身近に起こる勝負で一命の有無の極まる処を云う。
 此の居合を、恐れ、粟散辺土の地の堺に至る共、之に不信を抱いてはならない。
 ただ、夢に現れた霊に依る処である。
 此の始まりを尋ねるならば、奥州に林崎神助(甚助)重信という者、兵術を之れ林の神明に有ればとて、百有日参籠してその満願の日の暁時に、夢の中に老翁が現れ、重信に告げて曰く、「汝、此の太刀を以て、常に胸中に思い抱く怨敵に勝つ事が出来る云々」
 則、霊夢に有るように、腰刀三尺三寸を以って大きな利を得て、九寸五分の添え差しに勝つ事、すなわち柄口六寸を以て勝つ事で、其の妙不思議な極意である。一国一人への相伝である。
 腰刀三尺三寸は貪・瞋・痴の三毒である欲望・怒り・無知に対し三部の金剛界・胎蔵界・蘇悉地によって煩悩を打ち破り智徳を以って一切を包み込む菩提の心に依って、但、脇差九寸五分に勝のである、己の運命を切り開き五鈷をもって成就する事を悟る証しである。
 敵味方になる事は、是、前生の因縁の報いであり、生死一体の戦場も浄土の様に思うものである。
 これに観られるように、則、現世は悟りを得られた仏に見守られ、摩利支尊天によって加護され、来世は成仏し得る事を疑わないであろう。
 此の居合は千金を積まれても真実で無い人に、決して授けてはならない、天罰を恐れるべきものである。唯一人に之を伝える云々。
古語に曰く
 其の疾く進んだとしても、それは速く退いていく云々。
 此の意は、貴賤・尊卑・前後の輩に隔てる事無く、其の所達しなす者と謂わず、目録印可
等を相違なく許せ。
又、古語に曰く
 それ、百錬を積んで構えをこらそうとも、すなわち茅や茨の素晴らしい荘や鄙であろうとも、兵の利を心懸け、夜自ずから之を思い、明神佛陀を祈り、忽ちその利方を得る。是に依って心は済み、身は燦然と輝くものである。
・・

 この訳文で根元之巻が言わんとする所はつかめます。
 然し其処に或る「腰刀三尺三寸勝九寸五分事柄口六寸勝之妙不思議之極意」は文字を訳しても一向に伝わって来ません。
 腰刀三尺三寸を大太刀の寸法として見るのか、九寸五分を、敵と我との間合いと考え、その大太刀の運剣法の極意とも取れます。
 いや添え差しの操法だとも勝手に解釈してしまいます。
 柄口六寸についても、敵の柄を持つ小手であろう、いや上泉伊勢守の新陰流の云う「是は吾が太刀先三寸を以て敵の拳三寸を打つ事也」かもしれません。
 現在では、土佐の居合無双直伝英信流を習う限りは、明瞭に柄口六寸は口に出して稽古すらしたことがないものでしょう。
 根元之巻はこの武術の奥義であって、さらに奥に或るものは文字に表されたものでもないのかも知れません。
 現代居合では理解しがたい太刀の操法をも秘めて居たのでしょう、奥羽地方に何処かで伝承されて居るかもしれません。
 密教などの仏語が頻繁に添えられて居ますが、其処に捉われても根元之巻は多くを語ってくれないでしょう。
 呪術が秘められていたと妄想するのは自由ですが、それでは剣術を学ぶのではなくなってしまいます。
 命を懸けて闘わざるを得なかった戦国時代の事ですから、人事を尽くして天命を待つ事も有りえたでしょう。その位の解釈で良いと思うのですが、いかがでしょう。
 現代の無双直伝英信流及び夢想神傳流を学ぶ者が、業技法の末節に拘って武的演武(演舞?)の美を追求しつつ、あの人の教え、此の人の教えと迷いながら、それでも日々稽古を重ねる中から此の一振りの意義を悟り、読み解くものかも知れません。
 次回は、この根元之巻の道統です。さらりと流します。

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2018年3月26日 (月)

無双直伝英信流の型 福井聖山先生の六本目受流の2

無双直伝英信流の型
福井聖山先生の六本目受流の2
資料
福井聖山著平成3年1993年無双直伝英信流之形
平成2年1992年第9回無双直伝英信流居合道全国大会講習資料太刀打之位要旨
河野百錬著昭和17年1942年大日本居合道図譜
河野百錬昭和44年1969年太刀打之位ビデオ
福井聖山昭和57年1982年太刀打之位ビデオ
 五本目鍔留で場の中央で刀を青眼に構え切先を合わせてから双方左足から五歩退いて、立ち位置の右足前左足後ろを血振りの際後ろ足の左足を更に一歩後に退いて、納刀し、左足を右足に揃え、次の六本目受流の業に入る位置に着いたことになります。
 この鍔留から元の位置に戻って横血振りの際、左足を血振りと同時に後ろに退く動作は福井聖山先生の教本には無い動作で、昭和57年1982年の太刀打之位のビデオで表現されています。
 戻り足の足幅が狭く、大股開きの一人演武の居合の血振りの姿から見て、不自然と思われたのか、その動作は逆に不自然です。
 ある地区も其の儘真似していますが、真似れば良いというものでは無いでしょう。一足長程度の足幅では立姿としては不安定に思うならば最後の戻り足を稍々大きくすれば良いのであって、血振りで引き足は意味不明です。
 それに、演武の見栄えの為にいたずらに大股での斬り込みをするのも、居着く事になり武術的には嫌います。
 無双直伝英信流の斬り込みは、肩から先ばかりを使う手打ちが見られます。ですから、刀に体が振られない様に、下肢を安定させた大股になりやすいものです。
 古流では仙骨を中心に体全体で斬り込んでいますので、その方法を知らない人ではこの様な組太刀では不都合が幾つもでてしまうのでしょう。
 それは、申し合わせの武的演舞を好む人はそれでもいいでしょう、然し武術を口にすべきものでもないでしょう。
 双方納刀のまま右足から踏み出し間に至るのですが、打太刀は柄に手を掛け右足・左足・右足・左足・右足と五歩を踏出して五歩目に大きく踏込んで仕太刀に斬り下ろしています。
 ところが、仕太刀は同時に右手を鯉口に取り、右足を踏み出し次の左足で柄に右手をかけ、何故か次の右足・左足は小走りになって、其の四歩目の左足も教本にある「左足を右足の右側に大きく踏み出しながら刀を抜き」が出来ず、正面に踏み出してしまっています。恐らく二歩目に柄掛りして打太刀の攻めが強く、敢えて小走りで間を詰めたため不自然な動きとなったのでしょう。
 此処は、足幅は自然の歩行位にゆっくり、相手を見ながら、相手が上段に振りかぶった瞬間に左足が右足の右側面に踏み込まれ、打ち込まれる瞬間に右足を、左足の右後方に退き受流せばよい筈です。
 打太刀に先んじて合わせに行くのではなく、打太刀の動作を誘う心持がないと、この業は形ばかりになってしまうところでしょう。
 四歩目に左足を正面に踏んでしまったので、打との間合いが詰まってしまい、河野先生同様、教本通りに右足を左足に踏み揃えられず、左足を右足に引き付け間を作って打ち下ろしています。
 左足の裁きが出来なかった為、「上体を剣先と共に左に廻しながら後に反らせ前額上に刀表を上にして斜に構え刀を摺り落す」の教本は、正面で請けて、左足を右足に引き付けて擦り落す事になります。
 受流しの妙は教本ばかりにある様です。間合いの調節と考えればいいのでしょうが、これは逃げ流しで調節した事になります。見事ですが、参考にすべきではないでしょう。
 福井先生の教本は「敵刀を受流すや諸手となり」の独創です。
 河野先生もビデオでは受流すや諸手となっていますが、教本は「中腰にて(諸手となりつゝ)打太刀の首に斬下す」でした。
次回は真方です。
 
 

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曽田本その1の4居合根元之巻原文3小藤亀江伝来読み

曽田本その1
4.居合根元之巻
  曽田本免許皆伝目録原文読み
3、谷村樵夫自庸相伝
  小藤亀江伝来居合根元之巻
読み

居合根元之巻
抑(抑々そもそも)此の居合と申すは、日本奥刕(奥州)林の大明神の夢想に之を伝え奉つる、夫れ兵術は上古中古数多他流の違い有と雖も、大人・小人、無力・剛力、嫌わずに兵の用に合う云々。
末代相応の太刀に為ると云う、手近の勝負一命の有無此の居合に極まる。
恐らくは、粟散辺土の堺に於いて不審の儀之れ有るべからず。
唯㚑夢(霊夢)に依る処也。

此の始めを尋ぬれば奥州林崎神助重信(*神助は甚助の誤かその様に土佐には伝わったか?)と云う者に因り、兵術有るを望み林の明神に、一百有日参籠令(せしめ)其の満暁に夢の中で老翁重信に告げて曰く、汝此の太刀を以て常に胸中に憶持たる怨敵に勝を得る云々。
則、霊夢に有る如く腰刀三尺三寸を以って大利を得、九寸五分に勝つ事、柄口六寸に勝の妙不思議の極意、一国一人の相伝也。
腰刀三尺三寸は三毒則三部に但し脇指九寸五分、九曜五古(五鈷)の内訟也。
敵味方と成る事、是亦前生(前世)の業感也。
生死一體は戦場浄土也。
是に観る如く、則、現世は大聖摩利支尊天の加護を蒙り、来世の成仏成るは縁の事、豈疑い有らん哉。
此の居合は千金を積むと雖も不真実の人には堅く之を授けるべからず、天罰を恐るべし。唯一人に之を伝、云々。
古語曰く
其の疾く進むは、其れ速く退く云々。
此の意、貴賤、尊卑を以て、前後の輩に謂れずして隔て無く、其の所作に達する者を以って目録印可等相違無く許す。

又古語曰く
夫れ百錬の構え在りて、則、茅茨荘鄙と兵の利を心懸けるは、夜自白之を思い、神明佛陀を祈り、忽ち利方を得、是に依って心済み身に燦然(*光り輝く)たる事なり
*以下に、見慣れない、聞きなれない言葉を解説しておきます。
*奥刕は奥州、刀は刂(りっとう)を三つ並べれば州です。
*粟散辺土は我が日本国、粟粒の様に小さな辺境の国
*霊夢、㚑は霊の異体字
*三毒は貪瞋痴、むさぼり求める心・怒りの心・真理に対する無知、三部は密教の仏部・蓮  華部・金剛部、また金剛界・胎蔵界・蘇悉地。
 金剛界は密教で、大日如来の、すべての煩悩 (ぼんのう) を打ち破る強固な力を持つ智徳の面を表した部門。
 胎蔵界は金剛界に対して、大日如来の理性の面をいう。仏の菩提 心が一切を包み育成することを、母胎にたとえたもの。
*蘇悉地(そしつじ)はそれらの成就。
*九曜五古は九曜五鈷の間違いでしょう。
 土曜(聖観音)、水曜(弥勒)、木曜(薬師)、火曜(虚空蔵)、金曜(阿弥陀)、月曜(勢至)、日曜(千手観音)、計都(釈迦)、羅睺(不動明王)の9つの星を「九曜曼荼羅」として信仰した。
 平安時代には「九曜曼陀羅」は真言のご本尊として崇拝され、中でも、この九曜文様が「道途の安全の守護」今で言う「交通安全」の霊験あらたかな「おまじない」だ、ということで、公家衆の輿車・牛車・網代輿・雨眉車・文車等の多くに描かれたと伝えられ厄よけの重要な文様です。
*五鈷は五鈷杵の略で金剛杵、密教で煩悩を破砕し菩提心を表す金属製の法具。
*内訟は内証、仏語、自己の心の内で真理を悟ること。内面的な悟り。
*業感は仏語、善悪の行為が因となって、苦楽の報いを感受すること。
*浄土は五濁、悪道のない仏・菩薩の住する国。
*大聖は仏道の悟りを開いた人の尊称。釈迦、菩薩。 
*摩利支尊天は、陽炎(カゲロウ)を神格化した女神で、陽炎のように目に見えなくとも常に身近に進路の障害になるものや厄を除き、ご利益を施してくれる。武士の間でも戦勝の神として信仰されお守りとされた。
 軍神とされる一方、五穀の結実を豊かにする農業の神ともされる。三面六臂で、走駆する猪に乗っているとされるものが多い。
*豈有疑哉、豈疑い有らんや、どうして疑があろうか、疑いは無い。
*第茨は茅茨 ぼうじ、かやといばらの誤字か。
・・次回はこの根元之巻を現代風に訳してみましょう。

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2018年3月25日 (日)

無双直伝英信流の型 福井聖山先生の六本目受流の1

無双直伝英信流の型
福井聖山先生の六本目受流の1
資料
福井聖山著平成3年1993年無双直伝英信流之形
平成2年1992年第9回無双直伝英信流居合道全国大会講習資料太刀打之位要旨
福井聖山昭和57年1982年太刀打之位ビデオ
河野百錬著昭和17年1942年大日本居合道図譜
 双方納刀のまま静かに前進し、間に至るや打太刀は抜刀し上段より仕太刀の真向を斬り下す。
註、打太刀は左手を鯉口に把りながら右足より前進し、左足を進めつつ柄に右手をかけるや右足を進めて刀を抜きかけ、次に左足にて抜きとりて上段となり右足を踏込みて斬り下す。
 仕太刀は右足、左足、右足と出で柄に手を掛けるや左足を右足の右側に大きく踏出しながら刀を抜き、右足を左足の右後方に踏込み上体を左に披きながら打太刀の刀を受流す。
註、上体を剣先と共に左に廻しながら後に反らせ前額上に刀表を上にして斜に構え敵刀を摺落す。
 仕太刀は敵刀を受流すや諸手となり、右足を左足の位置に踏揃え(体を左斜に向ける)中腰にて打太刀の首に斬下す。
 次に元に復しつつ中段となり五歩後退す。(納刀せず)
 福井聖山先生の教本は、河野百錬先生の教本の通りのものですが、少し表現方法を替えています。
 河野先生の教本を再び読んでみます。
 「打太刀、仕太刀納刀より静かに前進し間に至るや打太刀は抜刀するや上段より仕太刀の真向を斬下さんとす。
1、打は左手を鯉口に把り乍ら右足より進み左足を進め柄に右手をかけるや右足を進めて刀を抜きかける。(次に左足にて抜きとりて上段となり右足を踏込みて斬下す)
1、仕は右足左足右足と出で柄に手をかけるや左足を右足の側面に大きく踏出し乍ら刀を抜かんとす。
1、打太刀は左足にて上段となり右足を踏込みてまさに斬下さんとす。
1、仕太刀は左足を踏出して刀を前額上に刀表を上にして斜に構へ敵刀をまさに受流さんとす。
 打太刀右足を踏込みて仕の真向に斬り下すを、仕太刀は右足を左足の右後方に踏み込みつゝ上体を左に披き乍ら(上体を剣先と共に左に廻し乍ら後ろに反らせ敵刀を摺り落す)打太刀の刀を受流す。
 仕太刀は敵刀を受流すや、右足を左足の位置に踏み揃へ(体を左斜に向ける)中腰にて(諸手となりつゝ)打太刀の首に斬下す。
 次に互に元に復しつつ中段となり五歩後進す。(納刀せず)
 福井先生の「・・する」が河野先生は「・・せんとす」という処は河野先生は添付されている写真の状況を示している表現です。福井先生はそこを動作として表現しています。
 河野先生の仕の抜刀の処で「仕が柄に手をかけるや左足を右足の側面に大きく踏出し乍ら刀を抜く」所の左足の踏み出しは、福井先生は「左足を右足の右側に大きく踏み出しながら刀を刀を抜き」と言って右足の右側と特定されています。
 「左足を右足の右側に」とは右足を左足が越して右足の小指側の側面に左足を踏み爪先を打に向けて踏むのでしょう。ここはビデオを見てみましょう。
 敵刀を河野先生は「受流す」と「摺り落す」の両表現です、福井先生も「受流す」と「摺落す」と両表現です。
 受け流しと摺り落としは同じ事と言っている事になります。
 河野先生は、打が真向に斬り下すや、仕は刀を前額上に刀表を上にして斜に構へ敵刀を受け流すのですが、右足を左足の右後方に踏み込みつゝ、剣先と共に上体を左に披き乍ら後ろに反らせ敵刀を摺り落しています。
 福井先生も同様です。ここも河野先生のビデオでは上体を後ろに反らせる動作が不明瞭に思えました。
 河野先生は、仕は受流すや、左足の右後方に踏み込んだ右足を左足の位置に踏み揃えると教本には示されていますが、逆に右足の位置に左足を退いています。
 更にその際諸手となりつつどころか、即座に諸手となって斬り下ろしていました。
 福井先生も足捌きは右足を左足の位置に踏み揃える教えです。受流すや諸手となって斬り下ろす、と断定されています。
 河野先生と同様の足運びで、鍔留から仕切りの位置に五歩で戻っています。
 受流の前進は同様に五歩です、打は右足・左足・右足・左足・右足です。
 仕も右足・左足・右足・左足(右足側面)・右足(左足の右後ろ)で受流しています・斬り下しは、左足先は左へ向き、右足は踏み揃えとなる様に指定されています。
 仕打の間合いは近くなりそうですがビデオを見て見ましょう。
次回は福井聖山先生のビデオにより教本の教えを学びます。
 
 

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曽田本その1の4居合根元之巻原文2小藤亀江伝来居合根元之巻

曽田本その1
4.居合根元之巻
  曽田本免許皆伝目録原文

2、谷村樵夫自庸相伝
  小藤亀江伝来居合根元之巻
原文
  
抑此居合ト申者日本奥刕林之従大明神無想奉傳之夫兵術者上古中古雖有数多之違他流大人小人無力剛力不嫌合兵用云々
末代為相応之太刀爾云手近勝負一命有無極此居合恐者粟散辺土於堺不審之儀不可有之唯依多(㚑の誤)夢処也
此始尋奥刕林崎神助重信云者因兵術望有之林之明神一百有日令参篭其満暁夢中老翁重信告曰汝以此太刀常胸中憶持者得勝怨敵云々
則如㚑夢有得大利以腰刀三尺三寸勝九寸五分事柄口六寸勝之妙不思議之極意一国一人之相伝也
腰刀三尺三寸三毒則三部尓但脇指九寸五分九曜五古之内訟也
敵味方成事是亦前生之業感也
生死一體戦場浄土也
如是観則現世蒙大聖摩利支尊天加護来世成佛成縁事豈有疑哉
此居合雖積千金不真実之人者堅不可授之可恐天罰唯授一人傳之云々

古語曰
其進疾者   其退速云々
此意以貴賤尊卑無隔前後輩不謂達其所作者
許目録印可等無相違

又古語曰
夫百錬之構在則第茨荘鄙與兵利心懸者夜自思之神明佛陀祈忽得利方是依心済身事燦然

天真正

林明神
    林崎神助重信
    田宮平兵衛尉業正
    長野無楽入道槿露斎
    百々軍兵衛尉光重
    蟻川正左衛門宗績
    万野團右衛門信定
    長谷川主税助英信
    荒井勢哲清信
    林六太夫守政
    林安太夫政詡
    大黒元右衛門清勝
    林益之丞政誠
    依田萬蔵敬勝
    林弥太夫政敬
    谷村亀之丞自雄
    楠目繁次成栄
    谷村樵夫自庸
明治三十四年六月十五日
    小藤亀江
明治三十八年六月吉日従実兄亀江伝来
    曽田虎彦

無双直伝英信流居合目録
 1.向身           横雲・虎一足・稲妻
 1.右身           浮雲・山下し
 1.左身           岩浪・鱗返
 1.後身           浪返・瀧落
 
四方切             向・右・左・後
 
太刀打之位      出合・附込・請流・請込・月影・絶妙剱

                            ・水月刀・独妙剱・心明剱

詰合之位        八相・拳取・岩浪・八重垣・鱗形・位弛
               ・燕返・眼関落・水月刀・霞剱
 
大小詰           抱詰・骨防・柄留・小手留・胸捕・右伏
               ・左伏・山影詰  
 
大小立詰        〆捕・袖摺返・鍔打返・骨防返・蜻蜒返
              ・乱曲
 
外之物之大事  行連・連達・逐懸切・惣捲・雷電
・霞
 
上意之大事   虎走・両詰・三角・四角・門入・戸詰
            ・戸脇・壁添・棚下・鐺返・行違・手之内
            ・輪之内・十文字
 
極意之大事   暇乞・獅子洞入・地獄捜・野中幕
            ・逢意時雨・火村風・鉄石・遠方近所
            ・外之剱・釣瓶返・智羅離風車

居合心持肝要之大事
1.捕手和合居合心持之大事
1.立合心之大事
1.太刀目附事
1.野中之幕之大事
1.夜之太刀之大事
1.閨之大事
1.潜り之大事 戸脇之事
1.獅子之洞出之事
1.獅子之洞入之事
右九ヶ条者深秘之極意也非真実之人者努々不可有相伝者也

無双直伝英信流居合就多年御熱心太刀次悉令相伝□向後嗜専要候若御所望之仁於有之者兼而其之人之取罰文御指南尤可仍許免之状如件

明治三十四年六月十五日  
           谷村樵夫自庸
小藤亀江殿
 
*原文のまゝ記載いたしました。次回は読み下し文としてみます。
 

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2018年3月24日 (土)

無双直伝英信流の型 河野百錬先生の六本目受流の2

無双直伝英信流の型
河野百錬先生の六本目受流の2
参考資料
河野百錬著昭和17年1942年大日本居合道図譜
河野百錬昭和44年1969年太刀打之位ビデオ
 河野先生の受流は見事に受け流しているのですが、何故か違和感を覚えます。
 教本では、打太刀は右足から一歩踏み出し二歩目左足を踏みながら柄に手を掛け、三歩目右足を踏み込み刀を抜懸け、四歩目左足を踏込み刀を抜いて上段になり、五歩目右足を踏み込んで仕太刀の真向に斬り下ろします。
 ビデオでは、何故か河野先生ばかりアップしていて、打太刀はとらえられていません。五歩目の斬り下ろししか写っていません。然しこの教本に随えば、五歩真直ぐに進んでいる筈です。
 一方の河野先生の演じる仕太刀は、右足・左足・右足と出て柄に手を掛け、四歩目は左足を右足の側面に大きく踏み出し乍ら刀を抜かんとする。
 この左足の踏み出しは、右足の側面とは何処かポイントが教本では掴めません。右足の右前に爪先を右方に向けて踏出すと解するのは、この受流を正座の部や、奥居合之部立業を稽古して来たのでその様に勝手に理解する事になります。
 相対する敵との進行線上を双方歩んで来て、打が打ち込まんとする時、進行線上の右側に仕は踏み込んで体を替る。
 打の打ち込まんと踏み込む右足の線上の打から見て左側に踏み込む事になります。仕の上体は元の線上に残せば、上体は打に正対し、腰から下はねじれて左半身になっています。
 打は右足を、進行線上に其のまま踏込み仕の真向に打ち込むや、仕は右足を左足の右後方に踏込みつゝ上体を左に披き乍ら(上体を剣先と共に左に廻し乍ら後ろに反らせ敵刀を摺り落す)打の刀を受流す。
 これは、まさに逃げ流しの足踏みに相当します。相手の刀を鍔元6、7寸で請ける事は出来ません。
 完全に一身幅右へ進行線上からずらせています。打の刀は進行線上を真直ぐ下りてきますから刀身70cmの刀ならば、前額上で鍔元20cmですから残り50cmの内左肩までが20cm程ですから30cmは左肩外に出ています。敵刀は仕の刀身切先から30cm辺りに打ち込まれてくるはずです。刀を左下がりに受け流しの形を取っていれば切先から20cm位の処に打ち込んでこられる筈です。
 受け流しと言うより逃げ流し、あるいは摺落としの状況でしょう。上体を剣先と共に左に廻して反らせれば完璧に敵刀は仕の左側面を摺り落ちて行きます。
 河野先生のビデオも其の通りでしょう。
* 
 摺り落すや、「仕は右足を左足の位置に踏み揃へ(上体を左斜に向ける)」と教本は述べているのですが、ビデオでは、仕は右足はその位置にとどまり、左足を右足に引き付けて上段に振り冠って諸手となって斬り下しています。
 この左足の右足への踏み替えは、打との間が近すぎて右足を踏み込めない為によるものです。
 それは、あえて物打ちで切らんとする意識が邪魔しています。
 間が近くなるのは、五本目の鍔留を終了して元の位置に双方五歩で戻っています。
 そこから五歩双方踏出しています。斬り込むための前進歩行と、元の位置に戻る後進歩行との歩幅の違いが出てしまいます。
 もう一つは、教本は「中腰となって諸手となりつゝ斬り下ろす」、と特定していますが、受け流すや、左手で柄を取りに行っていますので、ここは諸手で斬り下ろす、と云う事になってしまっています。
 更に、「上体を剣先と共に左に廻し乍ら後ろに反らせ敵刀を摺り落す。」の教本の部分は左足を右足に引き付けてしまいましたので、左回転が不十分な上、此の動作をせずとも、逃げ流しによって打の刀は摺り落ちていますから意識から消えてしまったと思えてしまいます。
 仮想敵相手に一人演武の受流では出来ている動作が、少しの違いで教本通り出来なくなる良い見本でしょう。
 状況から見事に目的を果たしたと言えるのですが、ビデオや先輩の動作だけを頼りにする組太刀はあらぬ方に行ってしまう事にもなりそうです。
 相手刀を真向に受けて流すと解釈する受け流しと、斬り込む相手の刀を抜きつつ摺落とすことと、逃げ乍ら摺落す事を、同じ事と解釈する事は出来ません。明らかに動作が違うものです。
 中途半端な事をせずに、筋を替って相手の刀を受けずに抜き打つ事も出来て当たり前です。受けて流すことの意義を考えて見るところでしょう。
 次回は福井聖山先生の受流です。
 
 

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曽田本その1の4居合根元之巻読み解く1小藤亀江伝来序文

曽田本その1
4居合根元之巻原文
1、小藤亀江伝来序文
 本目録ハ昭和二十年七月四日午前二時
高知市爆撃ノ際家財道具一切
ト共二焼失ス           印
 谷村樵夫自庸先生相伝
 免許皆伝目録
 従 実兄小藤亀江 伝来  後復帰而 土居 姓
    旧姓 土居事曽田虎彦 新蔵
読み
 本目録は昭和20年7月4日午前2時 高知市爆撃の際 家財道具一切と共に焼失す 印
 
 谷村樵夫自庸先生相伝 免許皆伝目録
 実兄小藤亀江 従り伝来 後復帰して 土居姓
 旧姓 土居こと 曽田虎彦 新たに蔵す
読み解く
*
 居合根元之巻
 曽田本には土佐の居合の免許皆伝目録いわゆる根元之巻が記載されて居ます。
 明治34年(1901年)6月15日に谷村樵夫自庸から小藤亀江に伝授された根元之巻です。
 谷村樵夫自庸は谷村派第15代谷村亀之丞自雄-楠目繁次成栄-谷村樵夫自庸と連なる系統になります。
 谷村派第15代谷村亀之丞自雄の系統は、第16代五藤孫兵衛正亮-第17代大江正路蘆洲と道統を繋いでいるとされます。
 第17代大江正路先生も何人かに根元之巻を授与されていますのでその系統は土佐の居合を引き継ぎ伝統を次代に引き継いでいく使命を預けられたとし、中には土佐の居合の宗家であると自認している方もおられるようです。
 宗家紹統印可と業技法の奥義を窮めその伝授を允可する根元之巻との区別が不透明な事によると思われます。
 第20代河野百錬宗家の昭和30年発行の無双直伝英信流居合兵法叢書では河野百錬先生に第19代福井春政先生より昭和25年1月3日付けで居合根元之巻が伝授され、同年5月に「無双直伝英信流居合兵法正統第20代宗家紹統印可」が授与されて居ます。
 後に河野宗家は、正統では無い傍系宗家を名乗る者が現れ苦慮されています。現在も多々見受けられます。
 土佐の居合の流名について、無双直伝英信流と名乗る事について、何時からどの様な経過で名乗ったのか良くわかりません。

 河野先生の「無双直伝英信流居合兵法叢書」では、大江正路先生相伝長谷川流居合術伝書と題し、居合術根元之巻が弘化2年1845年乙巳12月18日に谷村亀之丞自雄から伝授者山内豊惇(とよあつ・第14代土佐藩主)への伝書が掲載され、其処には既に業目録に「無双直伝英信流居合目録」奥付けに「敬白去天保11(1840年)康子年3月26日臣自雄所学之無双直伝英信流居合術 可奉授」と流名が付記されて居ます。

 天保11年1840年には谷村派第15代谷村亀之丞自雄は無双直伝英信流を学び終えていて山内豊惇に可奉授と云う事になります。
 谷村亀之丞自雄の師は谷村派第14代林弥太夫政敬であろうと思います。
 今回の曽田本免許皆伝目録に依る居合根元之巻は明治34年(1901年)6月15日に曽田先生の実兄小藤亀江のち土居亀江に伝授された伝書で、其処には業目録では「無双直伝英信流居合目録」とあり、奥付けには「無双直伝英信流居合」と明記されて居ます。
 無双直伝英信流の流名を大江先生が名乗った様に聞こえて居ますが、大江先生は嘉永5年1852年生まれですから有りえない事になります。
 平尾道雄著土佐武道史話(昭和36年1960年発行)に下記の様な文章があります。
 
 「文化の頃・・土佐ではこの頃長谷川流と大森流が行われていたらしい。
 後年この流は統一されて、大正の末期には無双直伝英信流、略して英信流とよぶことになったので、これは大江正路の主張によるものであった、英信流は目録を授けて免許とし、根元の巻を授けて皆伝とする。
 目録は位を7にわけて76業あり、ほかに9ヶ条の口伝をそえて純然たる居合道をたてたものである・・」
 この文章に大江先生が命名された様に、大江びいきの方に依って惑わされたようにも思います。
 ついでながら、大江正路宗家が授与されたであろう根元之巻や宗家紹統印可などは、存在したかかどうかわかりません。
 大江先生の発行されたものは見られます。

 尚、この曽田本の居合根元之巻は谷村派の系統でありながら、曽田先生は小藤亀江の後に自らを、明治38年6月吉日 従実兄亀江伝来 曽田虎彦と書かれて居ます。
 この小藤亀江の根元之巻は、「本目録は昭和20年7月4日午前2時高知市爆撃の際家財道具一切と共に焼失す」と曽田先生は書かれて居ます。
総務省による高知市における戦災状況から空襲の概況
「高知市が初めて空襲を受けたのは昭和20(1945)年1月19日の夜、B29が神田地区の吉野に爆弾を投下し、3月4日には土佐湾に侵入投爆したと伝えられ、同7日午前1時に桟橋通りに爆弾6個を投下して若干の被害を生じた。3月19日にはグラマン数十機が侵入、仁井田から長岡郡日章村(現南国市)の海軍航空隊を攻撃している。5月24、25両日にわたって首都東京に徹底的空襲を加えた。

 アメリカ空軍は、次第に地方都市爆撃を強化、高知市も6月になって1日、7日、15日、19日、22日、26日と6回にわたって来襲を受け、そのたびに被害を生じたが、22日には市の上空でB29編隊のうち1機を地上砲火で撃墜することができた。6月26日来襲したB29 1機は、報復的に市内東部に大型爆弾を投下し、2回目には市上空を旋回して投下した爆弾は浦戸湾に落ちたので被害はなかった。7月4日早暁の空襲は最も大規模なもので、単機または2機、3機による波状攻撃で総数50機ないし80機と数えられ、焼夷弾は雨の如く、市街地の大部分は焦土と化した。市の上空で接触したB29両機が空中分解して落下したほどで、それによっても空襲の激しさが推察されるだろう。同24日午前B29 1機が来襲11トン爆弾3個を投下したが、これが高知市が受けた最後の空襲であった。
(高知市戦災復興史より抜粋)」

「昭和20(1945)年7月4日:午前2時、B29編隊50~80機潮江地区、小高坂方面、市街中心部に油脂焼夷弾大量投下。罹災面積4,186,446平方m、罹災戸数11,912戸、罹災人口40,737名、被害人員712名(内訳死亡401名、重傷95名、軽傷194名、不明22名)、被害建築11,912戸(内訳全焼壊11,804戸、半焼壊108戸)

  • 昭和20(1945)年7月24日:午前11時35分、B29山内家本邸目指し来襲、鷹匠町及び唐人町に1トン爆弾3個投下。死亡5名、重傷5名、軽傷10名、全壊26戸、半壊106戸、罹災者700名」
  •  何となくこの根元之巻の序文のその文字に無差別爆撃の戦火に失ったものへの激しい怒りとあきらめを感じてしまいます。
     

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    2018年3月23日 (金)

    無双直伝英信流の型 河野百錬先生の六本目受流の1

    無双直伝英信流の型
    河野百錬先生の六本目受流の1
    ・資料
    河野百錬著昭和17年1942年大日本居合道図譜
    大江正路・堀田捨次郎共著大正7年1918年剣道手ほどき
    野村條吉著昭和40年1965年無双直伝英信流居合道能参考
    山本宅治守誠述英信流居合之形
    辻川新十郎記昭和44年1969年宇野又二伝無双直伝英信流居合
    山越正樹編平成14年京都山内派無双直伝英信流居合術
    河野百錬昭和44年1969年太刀打之位ビデオ
     打太刀、仕太刀納刀より静かに前進し間に至るや打太刀は抜刀するや上段より仕太刀の真向を斬下さんとす。
    1、打は左手を鯉口に把り乍ら右足より進み左足を進め柄に右手をかけるや右足を進めて刀を抜きかける。(次に左足にて抜きとりて上段となり右足を踏込みて斬下す)
    1、仕は右足左足右足と出で柄に手をかけるや左足を右足の側面に大きく踏出し乍ら刀を抜かんとす。
    1、打太刀は左足にて上段となり右足を踏込みてまさに斬下さんとす。
    1、仕太刀は左足を踏出して刀を前額上に刀表を上にして斜に構へ敵刀をまさに受流さんとす。
     打太刀右足を踏込みて仕の真向に斬り下すを、仕太刀は右足を左足の右後方に踏み込みつゝ上体を左に披き乍ら(上体を剣先と共に左に廻し乍ら後ろに反らせ敵刀を摺り落す)打太刀の刀を受流す。
     仕太刀は敵刀を受流すや、右足を左足の位置に踏み揃へ(体を左斜に向ける)中腰にて(諸手となりつゝ)打太刀の首に斬下す。
     次に互に元に復しつつ中段となり五歩後進す。(納刀せず)
     
     大江先生の請流と、左足の踏み込みが「右足の側面に踏み出す」処など其の儘でしょう、さして違いは無さそうです。
     しかし、打の斬り下ろしを左足を更に踏出して受流す様に読めますが、右足側面に踏み出した左足の位置を変えず、右足を左足の右後ろに踏込み受け流すのでしょう。
     受流の動作が受けて流すのか逃げ流しの様に摺り落すのか気になる所です。後でビデオでチェックしてみましょう。
     河野先生の受流も正座の部の受流を立業にした様な雰囲気です。
     意義:敵左方より斬込み来たるを受流して其の首(敵体の流れたる角度に依りては首とも一定せず)に斬り下して勝つの意なり。
     正面より右向に(約45度位い)端坐し左足を少し右前に踏み出し乍ら刀を外方に傾けて抜き出して立ち上がる。抜き放ちて敵刀を受けんとす。
    註、刀刃は後方に向け、剣先を下げ、己が前額部と左肩の上に構ゆ。
     右足を右前に進め乍ら敵刀を受け流す。
    註1、受流す時、左肩は剣先の廻るに連れて左後方に披く様にし、上体も少し後にかかり左に向ける。
    註2、着眼はどこ迄も敵の眼にし刀を見ぬ事。
     受流しながら剣先を、左に廻して体を敵の方に披き直りつゝ上段となる。
     上段となるや刀を振下しつゝ直ちに諸手となり(振下す途中胸の高さの辺りにて左手をかける)左足を踵の位置で踏替へて爪先を正しく適の方向に向け右足を左足の位置に踏み込みて中腰にて斬下す。
    註1、両膝の間隔は約三寸程とす。
    註2、左右の足は密着せず膝部にて一握りあけて踏む事密着すると体弱し。
     静かに十分の残心を以て左足を後方に退きつゝ刀を徐々に引き刃を前に向け剣先を膝に軽くのせる・・以下略。
     第18代穂岐山波雄先生の弟子野村條吉先生の英信流居合之形「受流」
     大江先生御存命中にしばしばご教授いただいたであろうと思います。大江先生の請流と聊か違和感を覚えます。
     仕太刀:左手にて鞘の鍔際を握りて前進、中央より稍手前にて打太刀が刀を抜き初めたる時左足を右に、刀を抜き、正座の受流より多く刀を左に出して受け流し、右足を右後に踏み、打太刀の泳ぎたる方向に両足を揃え打太刀の首を斬る・・以下略。
     野村先生の受流の左足捌きは右足の前に爪先を右前に向ける様に読めます。
     次の「正座の受流より多く刀を左に出して受け流す」の本意が何処にあるのか解りません。
     正座の受流の場合、「左足を右斜前に踏み出すと同時に刀を其方向に抜き次に右足を右後に軽く引き敵刃を左頭上に受け体を沈めてこれを受流し左足を其まゝの位置にて斜左に向きを踏み換え・・」
     文言に抜けがあるのか、表現が曖昧なのか、読み手が未熟なのか、野村先生の系統の方からご教授賜りたく思います。
     もう一人、大江先生直伝でしょう、山本宅治先生の請流
     「打太刀は発足するや直に刀を抜いて上段より間合を見て仕太刀の正面を斬り体を前に屈す。仕太刀は打太刀が上段にとるや其れに応ずべく刀を半分ぬきつゝ進み、打太刀が打ち下す瞬間左足を右足前に踏み込みて受け流しつゝ右足を大きく右後に踏み、上体を打太刀の方向になしつゝ振り冠り上段より打太刀の首を斬る。・・以下略」
     山内派の受流は奥居合立業の受流から読み取ります。
     「歩みつつ左足の足先を右に出すと同時に下方に抜刀。頭上にて差し表の鎬にて相手の刀を受流し、右足を足先斜め左に向け片手にて斬下ろすと同時に左足を大きく斜左に踏み出し次に右足も左足に揃う如く踏出す。斬下ろすと左手柄頭を握る・・」
     口伝に依らなければ意味不明の部分もある様ですが、相手刀を受けると同時に左へ回転しながら受け流すと読めばいいのでしょう。
    次回は河野先生のビデオと教本の対比です。
     
     
     
     
     
     
     
     

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    曽田本その1の4居合根元之巻原文1小藤亀江伝来序文

    曽田本その1
    4居合根元之巻原文
    1、小藤亀江伝来序文
     本目録ハ昭和二十年七月四日午前二時
    高知市爆撃ノ際家財道具一切
    ト共二焼失ス           印
     谷村樵夫自庸先生相伝
     免許皆伝目録
     従 実兄小藤亀江 伝来  後復帰而 土居 姓
        旧姓 土居事曽田虎彦 新蔵
    読み
     本目録は昭和20年7月4日午前2時 高知市爆撃の際 家財道具一切と共に焼失す 印
     
     谷村樵夫自庸先生相伝 免許皆伝目録
     実兄小藤亀江 従り伝来 後復帰して 土居姓
     旧姓 土居こと 曽田虎彦 新たに蔵す

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