曾田本その2を読み解く20スクラップ無雙直傳英信流居合術20の3居合之諸作法

曾田本その2を読み解く
20、スクラップ無雙直傳英信流居合術
20の3居合之諸作法

1、神殿又は(玉)座上座に向ひて刀を抜かざる事出来得れば玉座を左にして行ふ事

 どこぞの10段は鶴岡八幡の奉納居合で舞殿で神殿を右側にして演武をしていました。この流の教えでは無く昔からの作法として通っているものです。老子の偃武第31「夫れ佳兵は不詳の器なり、物つねに之をにくむ、故に有道者はおらざるなり、君子居りては則ち左を貴ぶ、兵を用ちうるときは則ち右を貴ぶ・・」辺りから来ているのかも知れません。
 大江先生の「剣道手ほどき」大正7年1918年発行でも「神殿又は玉座に向て刀を抜いてはならぬ。刀を抜くときは神殿玉座に向って右の方に体を向く即ち体の左鞘の處を向けて正座す」と明記されています。

2、場に入る時は、鍔元を左手に持ちて拇指にて鍔を抑へ刃を上にして刀を下げ、下座より玉座に向ひ直立体の儘刀を右手に持替へ此時刃を後方に向け右側に軽く接し立礼をなす。

 此の礼法では玉座に向かっての刀の扱いの様ですが、河野先生の大日本居合道図譜では、「刀を右手に持ち替え、刃を下に向け小指が栗形に触る部を握り食指は伸して刀の棟に添へ、刀は45度に保っー上座に対し奉り最敬礼を行ふ」としています。

 全剣連居合の場合も神座への礼は、「右手で「栗形」の下部を下げ緒とともに握って刃が下、「柄頭」が後ろになるように刀を右手に持ちかえる。左手は鞘からはなし手自然に下ろし、右手は「鐺」が前下がりになるように刀を体側にそって自然に提げる。上体を前に約30度傾けてうやうやしく礼を行う」
 全居連も同様ですが、「頭を45度位に下げる」とされています。 

3、刀を左手に復して適当の位置に至りて正座す。

 大江先生の「剣道手ほどき」では「適当の位置に至りて座す」は「直立体の儘道場の中央に出で神殿を左に見て体を右に向け体を前に屈め右手を股に入れ袴を左右に払ひ左手の刀を股に載せて正座す」と克明です。

4、正座したる時は、刀は恰も左腰に差したる状態にあるを以て、右食指を鍔の下拇指を上にかけて刀を腰より抜き取る気持にて右前方に抜き取り、膝の前方中央約一尺位の處に鐺を右柄を左に刃を後方に向けて置き、双手を八文字につきて礼を行ふ。すべて正座の巾は自己の肩巾と同様なる事、足は拇指を重ね両踵の間に臀部を下す。

 大江先生は、「膝の前方中央約一尺位の處に・・」は「体前に出したる刀は左へ返し膝頭より五寸も離し・・」です。五寸では窮屈すぎますから約一尺が程よい位置でしょう。但し体格に応じて其の位置を決めませんと150cmの背丈の人も180cmの背丈の人も同じであるのはおかしい。
 第22代池田先生は「抜き取りたる刀の鐺を、右膝より右45度位斜め前方に、右上肢を一杯伸ばしたる処に置き、刀を左に両膝前一尺余り前に倒して置く」と遠慮がちに直されています。

5、次に右食指を鍔にかけて鍔口を握り、刀を起し膝の前方中央に鞘を軽く突き鞘の下方約三分の一の處に左手を添へて鐺に至りて刀を持ち上げ、刃を上方にして腰に差す。刀を腰に差したる場合は、すべて鍔は両膝の中央線上にあてる注意すべき事。

 大江先生は「鞘の下方約三分の一の處に左手を添へ」のところは「体前に刀を竪て左手先にて鞘の中央より下へ下し鐺を指に掛けて・・」としています。大日本居合道図譜では「・・左手を鞘の下方より運びて鐺を軽く握りて持ち上げ乍ら腰部に運ぶ」とあいまいな動作に変えています。
 次に河野先生「刀を腰に差したる場合は、すべて鍔は両膝の中央線上にあてる」ですが、大日本居合道図譜では「柄頭がほゞ体の中央にある様に帯刀す」と変わっています。

6、終りたる時の作法は大体右に逆行す。
7、座したる時の体勢は、胸をハラズ総て自然体なるを要とし、腰に十分気力を注ぐ事。腰を折らず下腹を前に出す。
8、着眼は目の高さに於ける前方にして、遠山を望む気持ちたるべし。

 着眼については「眼の高さに於ける前方」とされますが、大日本居合道図譜では「正座の着眼は一定の箇所に固着する事無く所謂る八方正面の気を以て、眼の高さに於ける前方に遠山を望む心なる事」と変わって居ません。大江先生の剣道手ほどきでは「眼の視線は正座前方七尺の處を凝視」遠山の目付けを古来から武術では言いますが、大江先生は「凝視しろ」と云います。稍下方に目線があるほうが遠山の目付けになれるものですが、眼の高さで凝視したり、前方七尺の處を凝視では疑問です。
 
 

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2019年5月26日 (日)

曾田本その2を読み解く20スクラップ無雙直傳英信流居合術20の2傳統

曾田本その2を読み解く
20、スクラップ無雙直傳英信流居合術
20の2傳統

 流祖 出羽国林崎大明神
 初代 林崎甚助重信
 二代 田宮平兵衛業正
 三代 長野無楽入道槿露斎
 四代 百々軍兵衛光重
 五代 蟻川正左衛門宗績
 六代 万野團右衛門尉信定
 七代 長谷川主税助英信
 八代 荒井勢哲清信
 九代 林六太夫守政
 十代 林安太夫政詡
十一代 大黒元衛門清勝
十二代 林益之丞政誠
十三代 依田万蔵敬勝
十四代 林彌太夫政敬
十五代 谷村亀之丞自雄
十六代 五藤正亮
十七代 大江正路
十八代 穂岐山波雄

長谷川英信以前は大森流と云ひ居りしが、此人大いに研究して英信流を興し土佐の国に傳ゆ。

曽田先生コメント、十一代より二派に岐れたれば何れも英信流の系統に属し居るも大江正路先生になり独創を加へ正流に崩れを生じたり。

 曽田先生は伝書を書き写された方ですから、大江先生の居合に満足できるわけはありません。
無双直伝英信流は第11代大黒元衛門清勝によって根元之巻が依田万蔵以外に流れています。此処から二派あるのに、河野先生は一方通行でしょう、と言っているわけです。
 大江先生に就いては「正流に崩れを生じたり」其の通りでしょうが、泣いても喚いても崩れて居ることも知らない中学生に指導し其の中学生が長じて土佐の居合を広めた事は事実です。指導された人は大江先生の独創と知ってか知らずかありがたがる人が多いわけで、崩れていない所など今時見る事も出来ません。門外不出で他人が見る事が許されない伝書の有り様に問題があったのですが、武術が実戦に於て役立った時代は流派の掟は、むやみに伝書を人に見せない、それで当然です。現代は居合で戦うなどありえない事です。武術文化を正しく伝承するために本物を公開し学ぶ事が急がれる時代になって居るわけでしょう。
 居合ばかりでは無く日本史もそうでしょう。明治維新後それまでの武士の歴史が捻子曲げられた歴史もありそうです。明治以降の歴史も正しくは伝わらないまま現在に在る様で、お隣の国の我が国批判も同じレベルの事でしょう。

分派
 第11代大黒元衛門清勝ー12松吉貞助久盛ー13山川久蔵幸雅ー14下村茂市ー15なし(指導を受けた者細川義昌・行宗貞義・大江正路)

*
 「長谷川英信以前は大森流と云ひ居りしが、此人大いに研究して英信流を興し土佐の国に伝ゆ」と有ります。昭和8年1933年発行の河野先生著による「無雙直傳英信流居合術全」も全く同じ文言で、書かれています。土佐の居合は元大森流と云われていたと堂々と書いたわけで其の謂れは知っていたのでしょうか。
「無雙直傳英信流居合術全」の発行についてその内容の良し悪しは、此の複製本を配布した岩田憲一先生の前書きが付されています。
「第18代穂岐山波雄先生が大阪八重垣会を指導されていた時、現20代宗家河野百錬先生に記録させたものでその製本された時18代宗家が山本宅治先生を訪問し本書を提示されたので丁度居合はせた中西岩樹先生と三人で致道館に行き正座業一本目より読み上げつつ演武して先ずは大江正路先生(第17代)教示のものして足りるものと三名の意見が一致したものだそうであります(山本宅治先生)。
 河野百錬先生も非常に若い折りでもあり穂岐山先生教示のまま記されたものと考えられこれを穂岐山先生が監修されているので現在第17代大江正路先生の技法を追及したり亦正流の技法の根本に触れんとすれば簡明に記録された本書が一番適当なものと考え同好の各位に領布する次第です。書中所々に記入等印されているのは山本宅治先生の記入でありこれもご参考になれば幸甚に存じます。昭和44年4月25日複製(岩田憲一記)昭和44年5月7日受け。」
 この冊子は関東の川久保瀧次先生(山内派の宇野又二先生直門坂上亀雄先生、及び河野百錬先生から学び昭和41年発行無雙直傳英信流居合道の手引著者)が昭和44年5月7日に受け取ったものというものです。
 従って、河野先生の冊子の元は18代穂岐山先生の当流の認識によるものと云えるでしょう。18代宗家ですら土佐の居合の歴史を知らなかったとしか言いようはありません。

 河野先生は昭和13年1938年に「無雙直傳英信流居合道」を発行されて居ます。居合術全発行の5年後に当たります。この頃から曽田先生との交流もあった様で、居合術全の誤りを正されて土佐の居合を認識された様です。
「長谷川主税英信は、其の技古今に冠絶し、精妙神技を以て始祖以来の達人として聞え、古傳の業に独創の技を加へ、茲に流名を無雙直傳英信流と改め・・而して英信は享保の頃、江戸に於て斯道を研究大成し、晩年土佐に帰国して大いに之を弘め・・当流に述ぶる所の正座の業は大森流と呼び、当流9代林六太夫守政の剣道の師大森六郎左衛門が真陰流古流五本の仕形より案出したるものにて、之を無雙直傳英信流に附属せしめたもの也と伝へられる。・・」継ぎはぎだらけの土佐の居合の歴史をたどり、居合の沿革を無理やり仕立てた感は否めない。証拠もないものは不明或は確証はない、または何々に記述されている、自分はこう考える、などの文言を使うべきだったでしょう。河野先生の書物はバイブル的存在感がありましたから、一般には信じられ安易に使われてしまったのは権威に頼り過ぎの武道愛好者の欠点です。その割には、河野先生の「無雙直傳英信流居合兵法叢書」曽田本の写しを蔑ろにされた昭和の居合人は何処か抜けていると思えて仕方がありません。

 土佐の居合の正式呼称は「無雙神傳英信流居合兵法」であって、「本来「無雙神傳重信流」と言うべき筈なれども長谷川氏は後の達人なる故之を称して英信流とあげられたる由也」とされています。ミツヒラによる古伝研究会は、古伝神傳流秘書による「無雙神傳英信流居合兵法」の研究会です。
 長谷川英信の「古伝の業に独創の技を加え」は何をどの様にしたのか全く不明です。
 当時の武士の作法が正座を主とするようになってきていますから、大森流の取り込みは当を得ています。立膝の所作は戦国時代以前からの踏襲に過ぎません。英信が土佐の人であったなど全く出自は不明です。当時の一般人は殆ど出自が判らなくて当然の事でしょう。

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2019年5月25日 (土)

曽田本その2を読み解く20スクラップ無雙直傳英信流居合術20の1河野稔

曽田本その2を読み解く
20、スクラップ無雙直傳英信流居合術
20の1大阪居合術八重垣會剣道錬士河野稔

 居合は剣道の一分派なり。古来より居合の勝負は鞘の内にありと称せられし如く、彼の剣道が刀を抜きて後、敵を制するに対し、居合は寧ろ抜刀の以前に於て、気を以て敵を制し、然る後刀を下すものなり。
 居合は攻撃精神の充実せる而も秘めて静かなる気分を養ひ、更に技術的には真剣の用法を以て本則とす。心は本来静かなるものなり。始め事無き時は寂然不動天地万物一体にして、事あるや其迅き事電撃も只ならず。是至静極まるが故なり。静中動あり、動中静ありと云ひ、更に心の体を以て是を動静一貫と云ふ。
 孫子曰く、静かなる事林の如く、迅き事風の如しと。故に居合の術は心静に体胖(ゆたか)にして天理自然に従ひ業を行ふを以て正理となすものなり。
 居合は勝負の理に拘りて勝負を離れ、己に克ちて己を正し業に依りて心気を治むるの心法なり。故に形を正し武夫の武き心を心とし、毫も怠慢する事なく誠を以て学習する時は神明に至らん事必然なり。
 大江正路先生の句
心気力一定一刀瞬息石火無妙術也 (心気力一つに定め一刀瞬息石火無妙の術也)
居合術之要諦於先看破敵気色   (居合術の要諦は先ず敵の気色意向を看破し)
意向即座瞬間振自刀粉砕敵    (即座瞬間にして自刀を振るい敵を粉砕す)


 このスクラップは曽田本その2に出典は何か、定かにされていません。曽田先生がどこかから見つけ出したものを切り抜いて、メモ帳に張り付けたものです。

 無雙直傳英信流居合術の表題で筆者は大阪居合術八重垣会剣道錬士河野稔と有ります。第20代河野百錬先生の記述になるもので、昭和8年1933年発行された「無雙直傳英信流居合術全」の発行以前に八重垣会で稽古の際、会員に配布されたもののスクラップだろうと推測します。第18代穂岐山波雄先生から口伝口授で河野先生が習った業をまとめた参考資料でしょう。
 今回の處は業手附の書き出しの部分です。「無雙直傳英信流居合術全」の書き出しと同じ様ですが幾分言い回しなどに違いがあります。 河野先生は明治31年1898年の生まれですからこの時35才となりす。武ばった様な漢文調の言い回しで意味不明と云った方が良い文章です。居合の有効性を箇条書きした表題にすぎず、解説してもらわなければその言いたいことは伝わりそうもありません。判った振りをしたい人は勝ってです。

 書き出しの「居合は剣道の一分派なり」について曽田先生は「分派にあらず」と否定しています。既にこの曽田本その2で読み解いています。(2019年5月9日曽田本その2を読み解く15居合術)
 「余は居合は一兵法即ち居合兵法と称せられ剣道に附随せるものにあらず一派独立せる武術なりと信ず」と居合は分派では無く独立した武術なんだと解釈されています。

*
 この、スクラップと昭和8年に発行された「無雙直傳英信流居合術全」との書き出しの違いをチェックしておきます。あわせて昭和13年発行の「無雙直傳英信流居合道」及び昭和18年発行の「大日本居合道図譜」、更に昭和37年発行の「居合道真諦」ともチェックしておきます。
1、居合は剣道の一分派なり
◉スクラップ「居合は剣道の一分派なり。古来より居合の勝負は鞘の内にありと称せられし如く、彼の剣道が刀を抜きて後敵をせいするのに対し、居合は寧ろ抜刀の以前に於て、気を以て敵を制し、然る後刀を下すものなり。」

◉居合術全「居合は剣道の一分派なり、古来より居合の勝負は鞘の内にありと称せられし如く、彼の剣道が刀を抜きて後敵を制するに対し、居合は寧ろ抜刀の以前に於て、気を以て敵を制し然る後刀を下すものなり。

◉無雙直伝英信流居合道「居合は、我が日本精神の象徴たる、肇国の大精神を宿す霊器日本刀の威徳をに依りて、心を修むる道にして、剣道の立合ひに対する所謂る居合の意なり。而して古来より居合の勝負は鞘の中にありと称せられし如く、抜刀の前既に心意気を以て敵を圧し閃光一瞬にして、勝つの術にして、元来敵の不意なる襲撃に際し、能く直ちに之に応じ、先又は後の先の鞘放れの一刀を以て電光石火の勝を制せんがため、剣道の一分派として武士の間に創案されたる刀法にして、坐居の時、又は歩行する時、其他あらゆる時と場所に於ける、正しき刀法と身体の運用を修得し、精神を錬磨する大道なり。」

◉居合道図譜「居合とは剣道の立合ひに対する所謂る居合の居にして、元来敵の不意の襲撃に際し直ちに之に応じ、先又は後の先の鞘放れの一刀を以て電光石火の勝を制する必要より、剣道の一分派として武士の間に創案されたる刀法にして、坐位の時又は歩行する時其他あらゆる場所に於ける正しき刀法と身体の運用を錬磨し己が心を治むる道である。」

◉居合道真諦「居合とは剣道の抜刀後の立合いに対するいわゆる居合(即ち抜刀前の心構へと、抜刀の瞬間に敵を制する刀法)の意にして、元来敵の不意の襲撃に際し直ちに良くこれに応じ、先または後の先の鞘放れの一刀を以て、電光石火の勝を制する必要より、武士の間に創案されたる独自の剣法にして、坐位の時、または歩行する時、その他あらゆる時ところにおける正しき刀法と身体の運用を錬磨し、己が心を治さむる道である。」

2、精神論
◉スクラップ「居合は攻撃精神の充実せる而も極めて静かなる気分を養ひ、更に技術的には真剣の用法を教ふるものなり。居合は静を以て本則とす。心は本来静かなるものなり、始め事無き時は寂然不動天地万物一体にして、事あるや其迅き事電撃も只ならず、是至静極まるが故なり。静中動あり、動中静ありと云ひ、更に心の体を以て是を動静一貫と云ふ。孫子曰く、「静かなること林の如く迅き事風の如し」と。故に居合の術は心静に体胖にして、天理自然に従ひ業を行ふを以て正理となすものなり。居合は勝負の理に拘りて勝負を離れ、己に克ちて己を正し業に依りて心気を治るの心法なり。故に形を正し武夫の武き心を心とし、豪も怠慢する事なく誠を以て学習する時は神明に至らん事必然なり。

◉居合術全 同文

◉無雙直傳英信流居合道「居合の至極は、常に鞘の中に勝を含み、刀を抜かずして天地万物と和する所にあり、所謂る武徳修養の一転に帰す。即ち礼儀慈愛に富む質実剛健の精神を養い、義勇奉公の、誠の心を鍛錬する、処世の大道に外ならざるものなり。而て形より心に入り、業に依りて心を養ふとの教への如く、我が日本刀に依り、正しき刀法と身体の運用を極はめ、以て心剱一如の妙所を悟り、枝の末節に拘るゝ事無く、常に武道を一貫する精神を本とし、終生不退の錬磨により、人格の錬成に努め、夫々与へられたる自己の天職に尽くすは、之即ち武徳を発揮する所以にして、実に斯道の目的とし又た武道の精髄とする所なり。

◉居合道図譜「居合は元攻防の術を得る事に始まったが、今日之が(修養)の目的は定められたる武技を通じて、剛健なる身体を鍛錬し、己が精神の錬磨をなすにあり。(極限)すれば其の根元とする所は所謂る武徳修養の一点に帰す。即ち礼儀慈愛に富む質実剛健の精神を養ひ(一死奉公の誠の心を鍛錬し)以て個々の明徳を明らかにする(処世)の要道に外ならぬものである。

◉居合道真諦「居合は元と攻防の術を得ることに始まったが、今日これが(修行)の目的は、定められたところの武技を通じて、剛健なる身体を鍛錬し、己が精神の錬磨をなすにあり。(換言)すればその根本とするところはいわゆる武徳修養の一点に帰す。即ち礼儀慈愛に富む質実剛健の精神を養い(誠心を錬り)、以って個々の明徳を明らかにする(所世)の要道に外ならぬものである」( )は居合道図譜とやや異なる部分。


 いつの時代の河野先生の文章でも居合に就いて、回りくどい言い回しと精神論を混ぜ込んで意味不明にしている事は変わらない様です。最後の居合道真諦では「居合は剣道の一分派」という意味不明な文言が消えています。
 要約すれば、「居合とは坐位の時或は歩行中その他に於いても敵の不意の襲撃に対し直ちに之に応じ、鞘放れの一刀を以て勝を制する武術である。其の為には正しい刀及び身体の運用法を身につけ、何時如何なる状況にも応じられる心と、体を磨かざるを得ないものである。」と云いたかったのではないでしょうか。精神論を前面に押し出せば意味不明になってしまいます。業形ばかりでは不意の襲撃に応じられるわけはないでしょう。


 古伝の求める居合は総合武術の一環の中に組み込まれているもので、居合の根元は柄口六寸にあるものです。居合だけ取り出して見て、その優位性を述べて見ても、返し業は幾らでもあるもので、究極の處は無刀の世界に至り、神妙剣に行きつく事を示唆しています。
神妙剣は既に曽田本その1の巻末に解説していますが、改めて掲載します。

◉神妙剣「深き習いに至りては実は事(業 曽田メモ)で無し常住座臥に有の事にして二六時中忘れて叶わざる亊なり。彼れ怒りの色見ゆるときは直に是を知って怒りを抑へしむるの叡智(頓智)あり唯々気を見て治むる事肝要中の肝要也、是戦にいたらしめずして勝を得る也。去りながら我臆して誤りて居る事と心得る時は大いに相違する也、兎角して彼に負けさるの道也、止む事を得ざる時は彼を殺さぬ内は我も不死の道也、亦我が誤りをも曲げて勝には非ず、誤るべき筋なれば直に誤るも勝也。彼が気を先に知ってすぐに応ずるの道を神妙剣と名付けたる也、委しくは書面にあらわし尽くし難し、心覚えの為に其の端を記し置く也。」

 270年前の文章の方が判りやすく、「そうであったか」と頷けるものです。河野先生のものは一段も二段も高い所から見下ろして、こうあるべき論を述べたもので戦前の軍国主義の担い手である事を感じてしまいます。
 神妙剣は人が人と共に生きていく為のコミュニケーションを語っています。武術の有るべき道を示していると思うのです。縦社会の論理で押しとうせば居合を学ぶ意味も価値もないものでしょう。

 

 

 

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2019年5月24日 (金)

第20回古伝研究の集い

土佐の居合 古伝神傳流秘書による古伝研究の集い
第20回古伝研究の集い
 無双直伝英信流、夢想神傳流の古伝神傳流秘書を曽田虎彦先生の直筆本から読み解いて江戸時代中期の居合を研究しています。
 今年は、主として大小詰・大小立詰を研究いたします。
 師伝が如何様であろうとも、古伝をご存知の方は少ないものです。ご参加いただいた方が、夫々「我が師」である事をご認識頂き、ご自由な意見を出され共に学ぶ研究会です。俺の指導に従えと云う武道にありがちな事とは異なります。

      記
1、期日
・令和元年6月13日(木)
 15:00~17:00 鎌倉体育館
・令和元年6月27日(木)
 15:00~17:00 見田記念体育館
・令和元年7月11日(木)
 15:00~17:00 見田記念体育館
・令和元年7月25日(木)
 15:00~17:00 見田記念体育館
2、住所
見田記念体育館
248-0014鎌倉市由比ガ浜2-13-21
Tel0467-24-1415 
鎌倉体育館
248-0014鎌倉市由比ガ浜2-9-9
Tel0467-24-3553
3、アクセス
 JR横須賀線鎌倉駅東口下車徒歩10分
 (駐車場 鎌倉体育館に有り)
4、費用:会場費等の割勘つど 500円
5、参加申込み 直接会場へお越しください
  Email :sekiunn@nifty.com
6、研究会名:無雙神傳英信流居合兵法
  湘南居合道研修会 鎌倉道場
7、御案内責任者:ミツヒラこと松原昭夫
  令和元年5月24日 松原記す

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曽田本その2を読み解く19無雙直傳英信流居合術の傳統19の12行宗藤原貞義先生

曽田本その2を読み解く
19、無雙直傳英信流居合術の傳統
19の12行宗藤原貞義先生

 明治10年西南戦争時代陸軍歩兵大尉の官職にありたるも後定見の衝突より退官一時看守長なれど奉職し居たり、其後零落し明治34年頃第二中学校門衛となりたり居合術は尤も達人にして下村茂市先生の高弟なり。
 五藤正亮、谷村樵夫等没後時の大日本武徳会総裁の宮伏見宮貞愛親王殿下の御前にて居合を仕り(明治40年頃ならんか)天下一流の達人なりと御褒▢を賜りしと云う。後東都武徳会本部の居合術教師たり(明治の末期より大正の初期の頃)故に門弟には東大生、三高学生多数ありたり。惜しむべし大正二年十月没せらる。当大正二年には細川義昌先生、昭和二年には大江正路先生相次で没せられたり。
 余虎彦恩師行宗先生に師事する事久し、即ち幼少14才にして入門(第二中学校入学)爾来在学五ヶ年親しく御指導を賜り今日に至るも・・。

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 吉宗貞義先生の年表
 嘉永3年1850年  生まれる
 万延元年1860年  向髪角入11才
 明治維新1868年  18才
 明治2年1869年  藩籍奉還19才
 明治9年1876年  廃刀令26才
 明治10年1877年 西南戦争大尉転戦27才
            師下村茂市没す 
 明治23年1890年 曽田虎彦生まれる 
 明治36年1903年 曽田虎彦高知二中入学13才
            吉宗貞義53才
 明治41年1908年 曽田虎彦高知武徳殿助教授18才
 大正3年1914年  没す64才
            曽田虎彦24才
 昭和25年1950年 曽田虎彦没す60才    

            

 

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2019年5月23日 (木)

曽田本その2を読み解く19無雙直傳英信流居合術の傳統19の11大江正路子敬(蘆洲と號す)

曽田本その2を読み解く
19、無雙直傳英信流居合術の傳統
19の11大江正路子敬(蘆洲と號す)

 大江正路子敬(蘆洲)の読みですが、おおえまさじしけい(ろしゅう)と読みます。いつの間にか「おおえまさみち」と読まれています。私が「おおえまさじ」と云いますと、直にダメ出しをされるのです。
 ロイ・キヨオカ著増谷松樹訳の「カナダに渡った侍の娘 ある日系一世の回想」草思社発行を読まれた方は気が付くでしょうが、之は大江正路先生の娘さんの回想録で其処に「大江正路(おおえまさじ)」と読ませています。
 正しい呼び名はともかく、大江正路先生のカナダに渡った娘さんの回想録から、大江先生の人柄や生活が垣間見られ感慨深いものです。著者のロイ・キヨオカは大江先生の孫にあたる人となります。
 大江先生の居合が古伝の伝承を踏みにじった様に私の古伝研究は語っていますが、消え去ろうとしたものを繋いできた思いは簡単に真似できるものでは無く、まさに現代居合の中興の祖と云えるでしょう。
 明治維新によって職を失った武士の生活は決して楽では無かったと察しられます。したがって正しく伝承する事すら困難であったと思えるのです。
 この本が、明治の人となりをしみじみと味わわせてくれます。
 お陰様で土佐の居合を学ぶことが出来た上に、古伝を紐解くきっ掛けもそれによって得られたと思っています。ただし現代居合や竹刀剣道だけでは決して古伝の心持ちを味わう事は出来そうにありません。
 横道かも知れませんが、私の近くの農家のおばあさんは93才です。毎日畑へ出て耕したり、雑草を刈ったり、種まきや、イモ類の植え付けをしています。其の動作は何処にも力が入っていない静かな動きで、遠い昔の武術を忍ばせます。大江先生の時代はすでに古伝の心を失伝してしまった時代でしょう。西洋風の真似事やその指導法を取り込んで多くの人が、歳と共に使い物にならない体になって居ます。
 若者の速さや強さに負けるのでは武術とは言えそうにありません。

 旧姓濱田と云ふ高知江ノ口の人剣を馬詰栄間に居合は五藤正亮に就て学び大日本武徳会剣道教士、居合術範士にして元第二中学校剣道教師として奉職し一方居合術も担当せり。後第一中学剣道教師、武徳会高知支部剣道教士たり、谷村樵夫没後は居合術をも担当せり。昭和2年没せらる。

 大江先生の年表
 嘉永5年1852年  生まれる
 明治維新1868年  戊辰戦争出陣16才
 明治3年1870年  藩立文武館剣道専業拝命18才
 明治5年1872年  常職を解かれる20才
 明治9年1886年  廃刀令24才
 明治10年1877年 西南戦争
            第14代下村派下村茂市没す
 明治15年1882年 高知県武術会剣道教授30才
 明治17年1884年 剣術教授辞退
            長崎高島三井炭鉱取締役監督32才
 明治24年1891年 長崎高島三井炭鉱辞退39才
 明治25年1892年 高知共立学校撃剣教士40才
 明治26年1893年 高知共立学校辞退41才
 明治27年1894年 日清戦争
            東京芝区有待館撃剣教授42才
 明治28年1895年 大日本武徳会結成
            有待館辞退
            高知県武術会長推挙
            高知県師範学校撃剣教授委嘱43才
 明治29年1896年 同上辞退44才
 明治30年1897年 高知県尋常中学校撃剣教授45才
            同上病気辞退
            石川県警剣術教師
            石川県立第二中学校剣術教士
 明治31年1898年 五藤正亮没す64才
   明治32年1899年 大日本武徳会石川地方委員47才
   明治33年1900年 石川県を去る48才
                                  高知二中剣道教授
   明治35年1902年 武徳会高知支部剣道教授50才
 明治38年1905年 穂岐山波雄・森茂樹高知二中で大江に師事
            谷村樵夫没す
 明治41年1908年 政岡壱實高知一中入学
 明治42年1909年 高知一中赴任57才
            政岡壱實、堀田捨次郎大江に師事

 明治45年1912年 高知県第一中学校助教諭心得60才
 大正6年1917年  山本晴介大江に師事
 大正7年1918年  大江・堀田共著「剣道手ほどき」66才
 大正13年1924年 居合道範士73才
 昭和2年1927年  大江正路没す76才

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2019年5月22日 (水)

曽田本その2を読み解く19無雙直傳英信流居合術の傳統19の10第16代五藤孫兵衛正亮

曽田本その2を読み解く
19、無雙直伝英信流居合術の傳統
19の10第16代五藤孫兵衛正亮

 高知城下入新町の人馬廻り格、亀之丞に就て居合を学び其の蘊奥を極む。明治26年板垣伯帰懸せられし際、伯は武道の嗜み深く其の精髄を会得されて居らるゝこととて、同志の者当時材木町にあった武学館に招待し一場の講話を希望▢せしに、伯は英信流居合術又松嶋流棒術の功績を賛美し、其の廃絶を惜しまれ誰か其の術を継承し、居合術の如き抜く人もなき時とて漸く正亮の居合修養深きを知り、伯より子弟指導のことを話し素封家竹村家に謀りて道場を建設せしめ此の處にて居合を教ふることとなり、其の後時の第一中学校長渋谷寬氏の居合術が身心鍛錬に特効あるを認め正亮を聘して生徒指導の任に当たらしめたり。
 明治31年没す年64歳
記 五藤氏没後谷村樵夫後を継ぎ生徒を指導し居たるも明治38年没す、享年61歳
  此の門弟に土居亀江(旧姓小藤)抜群の技ありたり、土居虎彦(現曽田姓)-実兄
* 
 此の曽田先生の文章のもとになるのは、中西岩樹先生による「英信流居合と板垣伯」であろう。曽田先生のスクラップの中にあるものなのですが、その出典の有りようは不明です。
 「・・・明治25、6年頃と言へば大日本武徳会創設前で地方の一般武道は未だ萎微沈滞の域に立った時分である。殊に帯刀禁止令発布後十数年を経過している事ではあり、真剣を打振ふ居合の如きが分明改化を追ふに急なる国民に顧られれさうな筈は無く、五藤正亮 谷村樵夫 細川義昌等の達人が傳統を受継いで現存して居り乍ら、殆んど之を執心修行せんとする者は無く、又之等の先生も唯単なる余技として死蔵せるに止り或は神職として或は政界の人として時勢に従っていたのである。
 其の内に段々居合を知る人も物故し、之等の先生と雖何時迄も在るものではなく、今にして後継者を造らざれば高知藩門外不出の此の武技も遂には世に之を傳へる者が無くなるであらふと非常に痛惜慨嘆されて極力其の復活振興の労を執られたのが板垣伯である。
 即ち明治26年板垣伯のご尽力に依って高知市新堀竹村與右衛門氏邸内に道場武学館が建てられ、五藤正亮先生が居合の師として聘せられ一般教授の任に当られたのである。
 それが因となり五藤先生は当時の第一中学校(現在の城東中学校)の校長にして居合を好む渋谷寬といふ人に委嘱されて後同校の居合教師となり、尚他中学校にも招聘せらるゝこととなった。
 明治31年其の没せらるゝや谷村樵夫先生が之に代り同36年谷村先生の歿後大江正路先生が之に代ることゝなったのである。斯くして高知県に於ては五藤、谷村、大江の三先生に依り居合の命脈を継いで来られ殆ど伝授者も中学卒業者に限られていた如く換言すれば中学生によって居合が保持されて来たかの観がある。
 又一方県外方面では第一人者たる中山先生も此の五藤先生の御門下たる森本兎身先生に手解を受けられ、更に細川先生に就いて修得されて居られるが細川先生は高知県内では殆ど教授せられた事は無い模様で、当時衆議院議員として滞京中板垣伯の御斡旋で中山先生に伝授せらるゝに至ったと承知している。
 爾来中央に在っては中山先生高知県に在っては大江先生の非常なるご努力に依って此の居合が漸次全国的に普及進展し、今日の隆昌を見るに至ったが危機を救ふて此の基礎を固めて呉れた恩人は板垣伯である。
 実に板垣退助伯は舌端火を吐いて自由民権を提唱され高知県をして自由発祥の地たらしめたが、更に不言黙々裡に此の居合を広く世に紹介し、高知県をして又此の居合発祥の地たらしめられた。私は自由の神としての板垣伯を知る人に尚此の土佐居合の恩人である板垣伯を知って貰ひ度いのである。」

 この文章を読みながら、第19代福井春政先生から、大阪の八重垣会を運営された河野百錬先生に第20代が招統印可され、後に岐阜の福井聖山先生に第21代が招統允可された際、土佐人の幾人かが画策して土佐へ戻さんとして、新たに土佐英信流なるものを創設したりして纏まっていたものを分離させたりした事が思い浮かびました。その後も個人的な感情から分離独立する者もあって、相互の融和も無く、板垣伯の思いも知らないことになってしまったことを残念に思います。
 失われようとするものを残さんとした大江先生の居合も、それぞれがあらぬ方に向かいつつあるようです。古伝が示された今、もう一度古伝復元を計り本物を見つめ直す時期でもあるでしょう。

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2019年5月21日 (火)

曽田本その2を読み解く19無雙直傳英信流居合術の傳統19の9第15代谷村亀之丞自雄

曽田本その2を読み解く
19、無雙直傳英信流居合術の傳統
19の9第15代谷村亀之丞自雄

 高知城下潮江の人馬廻り格山内容堂公に就せられ御前に召され御佩刀を以て居合を抜きし事度々あり入神の技人を驚かす。

 谷村亀之丞自雄は谷村久之丞の次男、第14代林弥太夫の弟子で居合の名手として天保15年1844年に家芸として一家を立てている。土佐藩主14代山内豊惇公及び15代容堂公の居合の師でもあった。文久元年1862年10月3日病死、居合は五藤孫兵衛正亮が引き継ぐ。(土佐武道史話より)
 山内容堂公は15代谷村亀之丞自雄を師として弘化元年1844年に居合根元之巻と目録を受けている。このブログでも容堂公の先代山内豊惇公へ送られた根元之巻及び免許皆伝目録について解説しています。
 曽田本免許皆伝目録その27山内豊惇公皆伝2015年12月6日から。
 この豊惇公への根元之巻は河野百錬先生の無雙直伝英信流居合兵法叢書に曽田先生より送られたものと記述されています。根元之巻で気になる処は「奥州林崎神助重信」と始祖を「神助」としてあり「甚助」ではありません。
 また、目録は居合は現代居合で云う立膝の部、奥居合は四方切と外之物之大事、上意之大事、極意之大事に依りますもので、古伝神傳流秘書の抜刀心持之事になります。組太刀は太刀打之位、詰合之位、大小詰、大小立詰。
 太刀打之位と詰合之位という云い方が古伝神傳流秘書では、太刀打之事或は詰合ですから第15代の当時は・・之位と云う言い回しが出来ていたのか、河野先生によって書き加えられたのか解りません。
 坂橋流之棒及び夏原流和は目録には無く、すでに失伝していたか他流を習っていたので除外したか判りません。
 居合心持肝要之大事に「捕手和居合心持之事」と一行あるばかりです。しかしこれを見る限り15代までは古伝神傳流秘書の手附に従って稽古され目録が伝授されていたと考えられ、次の代16代五藤孫兵衛正亮に引き継がれたものと思われます。現代居合の業名称及び組太刀は第17代大江正路先生に伝わらなかったか、大江先生自ら改変されたと判断できます。

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2019年5月20日 (月)

曽田本その2を読み解く19無雙直傳英信流居合術の傳統19の8第11代大黒元右衛門清勝

曽田本その2を読み解く
19、無雙直傳英信流居合術の傳統
19の8第11代大黒元衛門清勝

 高知市帯屋町の人
 大森流は此の人の拵しものと云う人あるも誤りならん、実は大森六郎左衛門に始まりたる林守政の剣道師なり。
 此の清勝より二派に分れたり、故に代記を省略して諸先生の略歴に止む。

 第11代大黒元右衛門勝清から12代、13代、14代は二派に分れたので曽田先生に省略されてしまいました。
 大黒元右衛門清勝は伯母が第9代林六太夫守政の妻になっていたので縁戚と云う事になる。馬廻り、知行二百五十石の家柄であった。(土佐武道史話より)
 大黒元右衛門清勝の後は曽田先生の無雙直伝英信流居合術系譜では、下村派と谷村派に分派したとされています。

 下村派
 11大黒元右衛門清勝ー12松吉(好)貞助久盛ー13山川久蔵幸雅ー14下村茂市ー15(行宗貞義、細川義昌、片岡健吉)
   
 谷村派
  11大黒元右衛門清勝ー12林益之丞政誠ー13依田萬蔵敬勝ー14林弥太夫政敬ー15谷村亀之状自雄

 林六太夫守政の養子林安太夫政と林益之丞は居合上手であったらしい、林弥太夫は林益之丞の子。
 依田萬蔵敬勝は林益之丞の門下で抜群の誉があり、留守居組で三人扶持切符八石の小身であった。
  大黒元衛門によって松吉(好)貞助も伝書を受けている様で、林弥太夫の門人だった山川久蔵は師家を離れ別に伝書を受けて門人を取っていた。遡ると、山川久蔵ー松吉(好)貞助ー島村右馬丞ー坪内清助長順ー大黒元右衛門だそうです(土佐武道史話より)。
 土佐武道史話では大黒元右衛門から伝書が林益之丞と坪内長順にも与えられたとしています。
 谷村派、下村派の謂れは谷村亀之丞、と下村茂市の姓を取ったものと思われます。この二人の活躍した時期は明治維新を挟む1868年前後、大黒元右衛門が11代を受け継いだのが林安太夫の死後(安永5年1776年)です。既に92年の歳月が過ぎ、師家は5代に渡ります。従って双方の交流が無かったとすれば多くの違いがあっても良さそうですが、顕著なものは見当たりません。
 谷村派の抜き付けは正対し、下村派は半身とかどうでも良さそうな違いを得々と述べている人を見ますがさてどうでしょう。状況次第でどちらでも出来て当たり前でしょう。仮想敵相手の居合は、師匠の思い込みと癖が顕著に出るものです。形に拘り過ぎればただの武的踊りになります。拘らなければ理合不明の一人よがりに陥るものです。

 

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2019年5月19日 (日)

曽田本その2を読み解く19無雙直傳英信流居合術の傳統19の7第10代林安大夫政詡

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19、無雙直伝英信流居合術の傳統
19の7第10代林安大夫政詡

六大夫の養子なり。

曾田メモはこれだけです。
 前回の林六大夫のところで、平尾道雄先生の土佐武道史話(昭和36年1961年発行)より引用させていただきましたが、最後の所を再録させていただきます。
 「・・妻は大黒茂左衛門(勝盛)の娘で、助五郎政彬、縫之丞正晴の二男をもうけたが、二人とも幼年だったから、安田道元という医師の次男をもらって家督と居合伝を授けた。これが安大夫正詡である。安永5年(1776年)8月10日、安大夫が病死するとその家督は助五郎の長男六之丞政長が相続した。
 林六大夫守政ー安大夫政詡-六之丞政長ー益之丞政誠ー弥大夫政敬ー政之丞政護ー亀吉茂平
 林氏の系譜は右の通りだが、このうち六大夫の養子安大夫と益之丞とは特に居合上手として有名で、門人たちも多かった。」

 土佐の居合が定着したであろう頃の年表を作って見ましたが、歯抜けで想像の域を出る事はありません。
 寛文02年1662年 林六大夫生まれる
 享保17年1732年 林六太夫没70歳
 明和元年 1764年 林安大夫 居合兵法極意秘訣を誌す
 安永05年1776年 林安大夫没年齢不詳
 文政02年1819年 山川久蔵 神傳流秘書を写す

 山川久蔵が書き写した神傳流秘書は、恐らく林安大夫が50歳(正徳2年1712年)から70歳(享保17年1732年)ごろに記述しただろうと思います。
 林安太夫の「老父物語を書き付け置く、久しき事故失念之事多し、あらまし此の如く覚え候まま記し申す也」で始まる居合兵法極意秘訣は安太夫の死ぬ12年前には書き上げられていた様です。六太夫の死後32年経っています。聞き覚えの記憶であそこまで克明に書けるとは思えませんから、六大夫のメモ書きや、安太夫が指導された時のメモ書きなどをまとめたのでしょう。 

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2019年5月18日 (土)

曽田本その2を読み解く19無雙直傳英信流居合術の傳統19の6第6代林六大夫守政

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19、無雙直傳英信流居合術の傳統
19の6第6代林六大夫守政
高松城下南軒町に住す馬廻り格なり父を政良と云う寛文3年生、礼節、居合、和術、剣術、書技、謡曲、俗楽▢等人の師たるに足る技十六ありしと云う、享保17年7月17日歿行年70才。

第9代林六大夫守政については平尾道雄先生の土佐武道史話の長谷川流居合に詳しいので新たな事が分らない限り林六大夫守政の項目をお借りします。
 林六大夫の先祖は池田豊後といって中村一条家の家来であった。その子孫は一条家没落後長曾我部家に仕え、その後長曾我部浪人として大津に住み、林とあらためて山内家に仕えたもので、六大夫のときは御料理人頭という役目であった。
 四代の太守豊昌のお供で江戸参勤の途すがら、淀船でさる西国大名とであったことがある。船中にむかえて御馳走がはじまったが、料理をつとめる六大夫が、まな箸で皿鉢をはさみ、船べりから川の水をすくって洗う手ぎわがとてもあざやかで、船中の主客が感動したという逸話が残っているほどで、このコック長ぶりの見事さがなにかほかにも通ずるところがあったらしい。
 本職の包丁はいうまでもなく弓、馬、剣、槍などの武芸もみんな印可を受けていたし、謡曲や鼓までその技をきわめ、其の中でも有職故実は伊勢兵庫に学び、書道は佐々木文山に習って当時抜群のほまれがあった。
 はじめは知行八十石で新小姓の格だったのが、後には百六十石の馬廻に昇格し、料理人頭から故実礼節方専門の指南役まで出世した。太平の時節にこのような昇進を見ることは異数の例で、それだけにかれの才能がいかにすぐれていたかが想像されるだろう。
 かれの名を後世にのこす長谷川流居合は、実は六大夫にとって余技にすぎなかったのである。
六大夫は城下八軒町に住んでいたが、享保17年(1732年)7月7日に70才で亡くなった。妙に7に縁があるというので世間のうわさになったそうだが、豊昌、豊房、豊隆、豊常、豊數の五代に仕えて、その信頼がすこしも衰えなかったのを見ても彼の円熟した人がらがわかるし、長谷川流系譜のうちでも其の位置は重視されている。
 前記のごとく江戸浪人荒井勢哲からその皆伝をうけたが、居合を表芸とはしなかったにで師匠格などには任命されなかった。
 妻は大黒茂左衛門(勝盛)の娘で、助五郎政彬、縫之丞正晴の二男をもうけたが、二人とも幼年だったから、安田道玄という医師の次男をもらって家督と居合伝を授けた、これが安大夫正詡である。(平尾道雄著 昭和36年発行土佐武道史話より)

*
 平尾道夫先生の土佐武道史話は昭和36年発行ですから、曽田本その2の林安大夫守政の略歴はそれ以前に伝わっていたものから曽田先生は引用されたのでしょう。
 第9代林六大夫守政は逆算して寛文2年1662年生まれ、享保17年1732年に没しています。
 曽田本その1の居合兵法極意秘訣(英信流居合口受(授)秘訣)は養子の第10代林安大夫正詡になるもので明和元年1764年のものでした。養父の物語を忘れないうちに書き付けたとしています。それで養父六大夫亡き後32年も経って居ます。
 それでは、土佐の居合の原本と云える曽田本その1の無雙神傳英信流居合兵を書きあらわした古伝神傳流秘書は何時頃書かれたものなのでしょう。料理番頭となって江戸勤番の際に荒井勢哲に師事したとして根元之巻を授与されるとすれば、土佐への往ったり来たりが無くとも10年、あれば20年はかかるでしょう。20歳から始めていれば40歳でしょう。他の江戸での習いごとを考慮すれば50歳ころ1711年1正徳元年頃でしょう。残りの人生は20年、書き終わったのは60歳として1720年頃享保5、6年でしょうか。
 荒井勢哲の指導法は判りませんが、当時の口伝口授による教え、あるいは業の順番だけ教えて後は自得する指導法でしたら林安太夫の武的能力及びポイントを捕えた文章表現力には圧倒されます。メモの見本の様に思えます。
 指導を受けるたびに克明に覚を書き留めていったのでしょう。現代では居合しか稽古せずに40年も経ってようやく真似っこの目録允可ではお粗末です。神傳流秘書の業数は174本になるものです。

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2019年5月17日 (金)

曾田本その2を読み解く19無雙直傳英信流居合術の傳統19の5第7代・第8代

曽田本その2を読み解く
19、無雙直傳英信流居合術の伝統
19の5

第7代長谷川主税助英信
土佐の人江戸に出て信定に▢(就)て居合術の研鑽をなす英信流の一流を起す故に又長谷川流とも云う。

第8代荒井勢哲清信

 長谷川主税助英信について平尾道夫先生の土佐武道史話では「長谷川主税助を土佐の人だと説く人もあるが、そんな確証もないし、また主税助の生涯についても世間には知られていない。当流第5代の百々軍兵衛と同名の人は土佐にいたが、この人の実名は直実といって伝書の軍兵衛光重と同一人だと軽々に決める事はできない」
 お国自慢は何処にでも居て当たり前でしょうが、土佐では明治維新を成し遂げた誇り高きお国なんでしょう。確証が無くとも云い切って来る処が土佐っぽらしい。
 
 北信濃の無雙直傳流の研究をされている南山大学の榎本鐘司先生の「北信濃における無雙直傳流の伝承について―江戸時代村落の武術と『境界性』-」を、原文のままお借りして第7代長谷川英信と第8代荒井勢哲を、考えて見たいと思います。
「無双直伝英信流の祖として有名な長谷川英信の経歴については不明な点が多いが、滝沢家文書では「越中の人」としている。この英信流は土佐に伝承し、これによって現在も居合道の主流として盛んに行われているが、この系統では長谷川英信の次に荒井勢哲清信、そして土佐藩士の林六大夫に継承されたとしている。ここでいう荒井勢哲清信が、滝沢家の系統の小菅哲斎正継であることはまちがいない。『大矢氏物語書留』(滝沢家文書)には小菅精哲斎正継を「荒井兵作」の改名であるとしており、また『朝陽館漫筆』に「荒井清鐵」について次のようにある。「荒井精鐵、又曰、熊谷兵作と云者、やわらを鍛錬して教へける少分なる者のうへ、不仕合有て所を立ち退、江戸へ出、師家を立、渡世とする間に、彌功積て、今は荒井清鐵など名乗り、やわらを脇へなして居合剣術など指南して奇妙不思議を得たりなどと言はやさる。最早80歳計成べければ、奇妙を化るも尤なり。」この記述は、松代藩の神道流師範であった落合保考の宝永年間(1704年~1711年)の著述にもとずいており、兵作(荒井兵作、荒井清鉄、荒井勢哲清信、小菅精哲斎正継)はこの頃に80歳ほどであったと記されるのであるから、元和・寛永(1615~1644)の頃の生まれとなる。すると長谷川英信もこれと同時期、あるいはこれ以前の人とみなければならない。兵作は「越後国高田の牢人」(大矢氏物語書留)とされるが、『朝陽館漫筆』には「少分鳴る者のうへ、不仕合有て所を立退、江戸へ出、師家を立」とある。その後、武州を遍歴して江戸で名をあげ、最後には信州倉科村に住した。もともと「やわら」を得意としたが、常陸国田宮彌兵衛正信という人物から林崎居合の相伝をうけ、江戸では居合剣術を家業としていたとされる。土佐の英信流居合の系統では長谷川英信が協調されるが、滝沢家や松代側の史料では長谷川英信は和(やわら)の相伝者であり、新しい林崎流系統の居合は小菅(荒井)正継によって加えられたことになる。」以上が榎本先生の論文になります。

 長谷川英信も荒井勢哲も榎本先生の論文から「秘密性・非公開を原則とした武士を基盤とする近世流派武術とは次元を異にした、農民の生活様式としての伝承的な武術の存在」によって育まれた武術家であったと推察します。
 この辺の研究はとても面白そうですが、いずれ又の機会に譲るか、どなたか興味のある方にお任せします。無双直伝英信流の道統の出自は長野無楽斎以降は、歴史の記述に書き込む事を望まれない身分の人達によって整えられてきたものと考えられます。
 土佐への伝承は、江戸に於て荒井勢哲から料理番であった林六太夫が学び伝えた武術として認識できそうです。

 

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2019年5月16日 (木)

曽田本その2を読み解く14無雙直傳英信流居合術の傳統14の4第4代から6代

曾田本その2を読み解く
14、無雙直傳英信流居合術の傳統
14の4第4代から6代

第4代百々軍兵衛尉光重

第5代蟻川正左衛門宗績

第6代萬野団右衛門信定


第4代から第6代については、その出自も足跡も判りません。第9代林六大夫守政が土佐にもたらした時に、そのように話されたのかと思うのみです。
第7代長谷川主税英信、第8代荒井勢哲清信が江戸若しくは北信濃における林崎甚助重信の伝承者であればその方面の武士と農民の間を生きた市井の武術者であったのでしょう。

南山大学の榎本鐘司せんせいによる「北信濃における無雙直傳流の伝承について」という論文に幾つか面白い事が書かれています。土佐に居合をもたらしたのは第9代林六大夫守政である事は現代居合の無雙直傳英信流を学ぶ人はご存知の通りと思います。では林六大夫は何処で誰から居合を学んだのでしょう。
榎本先生の論文に第8代荒井勢哲及び第7代長谷川英信について記述があります。其の辺は次回に廻すとして、第4代、第5代、第6代に至る流れを榎本先生の資料から垣間見て見ます。

無雙直伝流の伝統(滝沢家文書より)抜粋
天真正-7飯篠山城守直傳(家直)-8日名智哲斎清正-9日名太郎作清成-10井上勘蔵信光-11伴長門守高實-12番助九郎實行-13成田-14須田勘達入道朝久-15分邊三左衛門尉国房-16百々軍兵衛尉光重-万野團右衛門尉信貞-大加原意信斎幸次-19長谷川蔵之助英信-20小菅清哲斎正継(荒井勢哲)

北信濃の無雙直傳流は天真正ですから天真正鹿取神当流飯篠家直の系統を継ぐものと云えそうです。林崎甚助重信の伝書には「天真正」の三文字が例えば「天真正林明神林崎甚助重信-田宮平兵衛照常・・」のように書かれています。林崎甚助重信は林明神により居合を開眼した始祖であると同時に鹿取神当流を学んでもいた證共なります。
北信濃の伝系には林崎甚助重信の名は見当たりませんが百々軍兵衛尉光重辺りから林崎甚助重信の居合を伝承した様に林六太夫に伝わり土佐に持ち込まれたのかも知れません。土佐の居合の系統にある第5代蟻川正左衛門宗績の名が北信濃の伝統には見られませんが、江戸時代の武士と農民の間にある武術の伝統ではこんなものと云えるかもしれません。

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2019年5月15日 (水)

曾田本その2を読み解く19無雙直傳英信流居合術の傳統19の3第3代目長野無楽入道槿露斎

曾田本その2を読み解く
19、無雙直傳英信流居合術の傳統
19の3第3代目長野無楽入道槿露斎

第3代
◯長野無楽入道槿露斎
無楽入道と称す業正の弟子
近江井伊家に仕え禄二百石を領す90余歳まで長寿

本朝武芸小伝巻六
◯長野無楽斎槿露
長野無楽斎槿露は刀術を田宮重正に学びて精妙を得、後井伊侍従に仕え、九十有余にて死す。
◯一宮左大夫照信
一宮左大夫照信は、妄執武田家土屋惣蔵麾下士にて武功居多也、天正八庚辰年九月武田勝頼上州膳城を攻める時、一宮脇又市と相共し城戸に入り槍を合わせ武勇を震う、且つ刀術を長野無楽斎に学び其の妙を得る、今に至り一宮流を称し末流諸州に在り。又上泉孫次郎義胤という者あり、一宮と共に無楽斎に従い神妙を得る。

山田次郎吉先生の日本剣道史による無楽流(長野槿露)
長野無楽斎槿露に起こる抜刀術で、武芸小伝には長野を田宮一門としてあるが、今伝系に由ると、林崎甚助の門である。槿露は上州箕輪の城主長野信濃守の一族で、武田に討亡されたる後、出羽に漂ひ来たって林崎に居合術を学び、更に工夫を加へて一家を為した。これを無楽流といって、羽州殊に会津に昌んに行はれた。槿露は常に牛に乗って女子に口縄を執らせて歩行き。上下の差別なく交り、寒来れども爐せず、一生不犯であったといふことだ。最上の人沼澤長政に其傳を授け、之よりして世々羽州に流儀が残った。上泉伊勢守の孫義胤も無楽に就て学んだといふ。此の人90歳までいたといふから、元和以後まで存命であったらう。

長野無楽斎の門に上泉孫次郎義胤といふ者があることは、武芸小伝に記している。長野は上州の信濃守業政の一族で、孫次郎は上泉伊勢守の族縁の者である。武芸名家伝に由れば、無楽斎が流を伝へて上泉権右衛門英信と云者、尾州の柳生兵庫が許へ来って居合を以て勝負を望んだところ互角の成蹟であったので、兵庫大に賞賛して尾張公へ吹挙して仕官さした。これが無楽流上泉派と称して流行した。其の門に若林四郎兵衛あり四郎兵衛後又別れて二派となり続々相継で尾州に其箕裘をとどめたのである。

 

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2019年5月14日 (火)

曾田本その2を読み解く19無雙直傳英信流居合術の伝統19の2第2代田宮平兵衛尉業正

曾田本その2を読み解く
19、無雙直傳英信流居合術の伝統
19の2第2代田宮平兵衛尉業正

第2代田宮平兵衛尉業正(武術叢書には重正とあり)
重信の弟子抜刀の妙を得後對馬と改む其の子長勝箕裘の術を継き池田輝政に仕ふ後紀州に赴頼宜に仕へ八百石を領す。

武術叢書とは早川純三郎によって大正4年1915年に発行された武術叢書の事でしょう。其の中の「本朝武芸小伝巻六」の田宮平兵衛重正についての文章の引用でしょう。本朝武芸小伝は日夏繁高によるものでその序文を書いた葛慮林信如が序文に干城小伝序と題しています。本来は本朝武芸小伝でしょう。正徳4年1714年第7代徳川家綱の時代、徳川吉宗の一代前になります。

武術叢書から田宮平兵衛重正について読んでみます。漢文で書かれていますから読み下し文としておきます。
 「関東の人也、刀術を好み東下野守元治に学び神明無想東流奥旨を究む、後又、林崎重信に就いて抜刀の妙を得る、実に変をを盡し神に入る、後對馬と改む。其の子對馬守長勝其の術を継ぎ常圓と號す、紀伊頼宜卿に仕え奉り、子孫箕裘の芸を伝え、芳名千歳に揚ぐ。末流諸州にあり、重正より其の術を学ぶもの若干、特に長野無楽斎槿露、三輪源兵衛傑出たり。」

山田次郎吉の剣道集義による千城小伝では、上記文章に続きがあります。全文掲載させていただきます。
 「田宮平兵衛重正は関東の人也、林崎重信に従って抜刀の妙を得る、実に変を盡し神に入る。後對馬と改む。其の子對馬守長勝箕裘の術を継ぐ。池田三左衛門尉輝政に仕う、後仕え至りて常圓と改む、紀州に赴き大納言頼信卿に奉仕す、采邑八百石を領す。其の子掃部長家後平兵衛と改む。大猷大君田宮の芸を見んと欲し、頼宜卿に命じて江戸に召さる、登営して其の術を台覧に備え奉る、その名を日域に顕わす。其の子三之助朝成後常快と號す。其の子次郎右衛門也常箕裘の芸を継ぐ、中納言吉宗卿に奉仕す。其の末流諸州に在りて千歳に芳名を伝うと云うべきか。
 斎木三左衛門清勝という者あり、紀州人也、幼弱より田宮長家に従って練習年有りて後朝成に従い終に其の宗を得る、延宝年中江都に来たり其芸を以って鳴る。
 北条早雲記曰、勝吉長柄刀をさしはじめ、田宮平兵衛成政といふ者是を伝ふる。成政長柄刀をさし諸国兵法修行し、柄に八寸の徳、みこしにさんぢゅうの利、其の外神妙秘術を伝へしより以後、長柄刀を皆人さし給へり、然に成政が兵法第一の神妙奥義と云うは、手に叶ひなばいかほども長きを用ゆべし、勝事一寸ましと得たり。


 林崎甚助重信の居合は第二代は田宮平兵衛業正(重正、成政)として土佐には伝えられたのでしょう。
東北地方ではどうであったか、江戸時代の伝書から眺めてみます。
 林崎甚助重信公資料研究委員会による林崎明神と林崎甚助重信に依ります。
津軽藩 林崎新夢想流 林崎甚助重信ー田宮平兵衛照常ー長野無楽斎槿露
三春藩 林崎流    林崎甚助重信ー田宮平兵衛重正ー長野無邑斎槿露
新庄藩 林崎新夢想流 林崎甚助重信ー田宮平兵衛尉照常ー長野無楽斎槿露
秋田藩 林崎流居合  林崎甚助重信ー長野無楽斎槿露ー市宮左大夫忠重

 

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2019年5月13日 (月)

曾田本その2を読み解く19無雙直傳英信流居合術の伝統19の1流祖

曾田本その2を読み解く
19、無雙直傳英信流居合術の伝統19の1
△第一代(流祖)
 ◎林崎甚助重信
正親町天皇の永禄年間の人(約380年前(昭和11年1936年))(約460年前平成31年2019年)
 羽前国北村山郡に生る幼より剣術を好み郷里林崎明神に祈願を込め百日の満願の▢居合術を授り其の技神に入ると云う。
 重信が林崎明神への奉納額に「千早振る神のいさをし我うけて万代までも伝へ残さむ 永禄四辛酉四月願邑當処浅野改林崎重信謹百拝」

林崎甚助重信に就いての江戸時代の日夏繁高による本朝武芸小伝巻六
 林崎甚助重信は奥州人也、祈林崎明神に祈り刀術の精妙を悟、此の人中興抜刀の始祖也
 北条五代記曰、長柄刀のはじまる子細は、明神老翁に現じ長づかの益あるを林崎勘助勝吉といふ人に伝え給ふ、愚に曰、勘助は謄写のあやまりならんか、五代記には勝吉と有り、伝書に重信と有、明神老翁現じて伝へ給ふといふは、鹿島の神をいへるか、伝書には奥州楯岡の近辺に林崎明神と云神社あり、甚助此神を祈て妙旨を悟るとあり。


志賀義言仲敬の日本中興武術系譜略の重信
 林崎甚助、奥州人、重信于奥州楯岡林崎明神、刀術の精妙を悟と云う、此の人中興抜刀の始祖也


武術流祖録
 抜刀中興祖 林崎甚助重信
 奥州の人也、林崎明神に祈り刀術の精妙を悟る、此の人中興抜刀の始祖、其の技術神妙也、門に田宮平兵衛重正其の宗を得る。


武術太白伝
 林崎甚助名は氏賢相模の産である。文禄4年(1595年)5月10日48歳(54歳)より慶長3年(1598年)9月15日に至る7年間武州一宮の社地に居住し、陰陽開合の理に基いて工夫を凝し、生善正勝という辞を押立て純白伝と号して飄然諸州を歴遊の途に上った。時に54歳(57歳)の秋紅葉正に色つく時であった。
 星霜移って元和2年(1616年)2月28日、武州川越の甥高松勘兵衛の許を訪つれ、明年7月まで滞在して、20日再び鳥藤を鳴らして奥州の旅程に立越えたのは73歳(76歳)残躯を天に任せて復た帰って来なかったのである。故に一宮流奥幸四郎施主となって享保元年7月20日川越の孤峯山蓮馨寺に墓碑を建立し、良仙院一誉昌道寂心大信士の法号を鎬し、一部生国相州鎌倉の天照山光明寺の過去帳にその名を留めて、永く菩提を弔う料とした。
(武術太白伝は見当たらず、山田次郎吉の日本剣道史より抜粋、後の林崎甚助源重信公資料研究委員会による林崎明神と林崎甚助重信参照すミツヒラ)


北條五代記巻第四
 見しは昔。関東北條氏直時代まで。長柄刀とて人毎に。刀の柄をながくこしらへ。うでぬきをうて。つかにて人をきるべく體たらくをなせり。・・人聞て其むかしの長柄刀。當世さす人あらば。目はなのさきにさしつかへ見ぐるしくも。おかしくも。あらめとわらひ給ふ所に。昔関東にてわかき輩。みな長柄刀をさしたりし。・・さて又長柄刀のはじまる子細は。明神老翁に現じ。長柄の益有を林崎かん介勝吉と云人に伝へ給ふゆへに。かつよし長柄刀をさしはじめ田宮平兵衛成政といふ者に。是を伝ふる。成政長柄刀をさし諸国兵法修行し。柄に八寸の徳。みこしにさんぢうの利。其外神妙秘術を伝へしより以後。長柄刀を皆人さし給へり。然に成政兵法第一の神秘奥義といつは。手に叶ひなば。いか程も長きを用ひべし。勝事一寸にして伝たり。其上文選に。末大なればかならず折。尾大なればうごかしがたしと云々。若又かたき長きを用るときんば。大敵をばあざむき。小敵をば。をそれよと云をきし。光武のいさめを。用ゆべしと云りむかしの武士も。長きに益有るにや。太刀をはき給へり。長刀(なぎなた)は古今用ひ来れり。扨太刀長刀を略して。一腰につゝめ。常にさしたるに徳有べしそれ関東の長柄刀。めはなのさきのさし合は。すこしき失なり。敵をほろぼし我命を助けんは。大益なるべし。



 いずれにしても、林崎甚助重信については、その生まれなど確証が取れそうもありません。実在の人物とされていますが其の足跡は不明と云った方が良さそうです。
 林崎神社の霊験記などによれば
天文11年1542年 林崎甚助重信 幼名民治丸生誕(霊験記)
弘治2年1556年  浅野民治丸、林崎明神に百日参籠し、抜刀の神伝を授かる(伝書)
永禄2年1559年  元服して、神夢想林崎流と称し村名を姓とし、林崎甚助重信と改め仇討の旅に出る(霊験記等)
永禄4年1561年  京で仇を打ち帰郷、林崎明神に「信国」の刀を奉納


 


 


 


  

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2019年5月12日 (日)

曾田本その2を読み解く18居合術と剣道との関係

曾田本その2を読み解く
18、居合術と剣道との関係
 剣道、柔道は今や中学校の正科となり且つ武徳会に於ても之れが奨励をなすを以て大に其普及発達をなし益々隆盛に向ひつゝあるは実に喜ぶべきことで而して我が居合術は剣道の一派にて実に剣道とは密接の関係あり。(?対立せるものならん 曽田メモ)
 居合術は剣理用法整然たるものがある所謂普通剣道の基として深味があるから徳川幕府時代には盛に之を習修し一層謄力の養成に資する所がある。
 然るに當今立派なる武道家殊に剣道家に在て単に竹刀の業のみを以て能事卑しくとなし真剣用法は勿論日本刀の名称すら知らざる者多々あるは実に痛嘆に堪へざる所である。
 茲に於て之れを慨し居合術の効果を力説し之が普及に力むることの必然たるを疑はず。
 居合術と剣道とは共に其の目的を一にし且つ其用法は多岐に渡り臨機変通の要諦を尽くしたるものにて剣道とは唇歯捕車(?)の如し。
 然るに世人稍もすれば居合術を単に保存的武術視し敢て重きを置かざるものあるも是れ誤れるの甚しきものにて居合術の真義を解せざるものといふべし。
 この文章も、曽田先生が何処からか見聞きしたものをメモしたものと思えるものです。真剣刀法の重要性を力説している様ですが、手前味噌のレベルを越えるものとも思えません。
 往々にして、居合とか古流剣術の愛好家が陥るレベルで、竹刀剣道は当てっこスポーツとして発展して行けばいいもので、フェンシングと竹刀スポーツは似たような位置づけでしょう。
 竹刀スポーツはスポーツとしてとことんやればいいだけでしょう。古流剣術を習いに来て、竹刀ではなどと云っていても形は真似られても技など決まらないものです。
 居合は見世物演舞と武術と分けてどちらも出来て当たり前、古流剣術も当てっこスポーツと別物として、おおらかにやればいいだけです。まぜこぜにしたい人はまぜこぜに。
 其処に精神論を持ち込んで居合は優れているなど言って見ても、優れた竹刀スポーツ家はそれはそれで優れています。真剣を持っていてもダメなものはダメ。
 居合だとて、指導者の真似っこの形を追って上手いの下手だの、段位がどうしたのと言っているうちはダメなもので同じ事だろうと思います。
 日本刀の名称など知っていてもそれがどうした、日本刀を神聖ししてどうするのでしょう。知らなければ同じ土俵で稽古するのが厄介なだけです。居合術の効果を力説と云っていますが効果など人それぞれの状態によって違うものでしょう。
 足腰不自由な爺さんが、相変わらず長い刀を以って手元も足元も決まらず演舞している姿は決して素晴らしいものでも、優れた武術でもない、ただ頑張っている姿に敬意を表するばかりです。
 武術と云いたいのならば、足腰が幾つになってもしっかりしている事、強く早い運剣も軽く往なすことが出来る事。よく竹刀剣道を長くやってきた人が、このごろ若者に勝てなくてと言ってます、若者に負ける様な稽古しかしてこなければ負けるに決まっているものでしょう。
 武術家を自称するならば武器が無くとも応じられるものを持っているかでしょう。
 居合術の有効性を大声で論じて見ても、認められない自己顕示欲の発揮できないストレスに過ぎません。
 
 
 

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2019年5月11日 (土)

曾田本その2を読み解く17居合の伝書開巻第一に

曾田本その2を読み解く
17、居合の伝書開巻第一に
 「居合とは人に斬られず人斬らず只請け止めて平らかにせよ」
とあるも、正義人格平和を第一義諦としたことが分明する。
 日本刀が真に日本刀として武士道を発揮するも凶器として武士道を汚すも此の根本相違からである。
 居合の特徴は実に我が武士道の表徴とも謂うべき日本刀を以て錬磨するところにあって、日本刀は単に之れを見るだけにても精神修養となる、まして之を帯して或は座し又は立て進退撃刺の状をなすにおいておや。
 居合は運動の方面より見るも、自身の筋肉を働かし厳寒の時と雖も15分乃至20分の練習を行ふ時は流汗淋漓の有様で、近時人情浮華に流れ質実剛健の風を払ひ利を見て義を顧ず、或は軽佻詭激(けいちょうきげき)の言旨、道の基礎を危からんしめんとする時、日本刀を揮て心身の鍛錬をすることは確に時世に鑑み一種の清涼剤たらざるを得ないのである。
 「抜かば斬れ抜かずは斬るな此の刀只斬ることに大事こそあれ」
 居合の伝書を開くとまず一番先に「居合とは人に斬られず人斬らず只請け止めて平らかにせよ」とある。と云っていますがこの伝書とは何を指すのか解りません。
 曽田本その1の古伝神傳流秘書の開巻第一は抜刀心持引歌から始まります。その一首目は「帆を懸て急ぐ小舟に乗らずとも行水鳥の心知るべし」でした。
 巻末の居合兵法の和歌では一首目は「居合とはへちまのかわの段袋すっかりとしてみはどっちやら」から始まり、三首目に「居合とは人に切られず人切らず唯請とめて平にかつ」と出てきます。
 この曽田本その2は、何時書き込まれたものか明確には判りませんが、昭和の初めころから21年頃に書かれたものだろうと思います。曽田先生派昭和20年に高知空襲で家も家財も焼かれこの書き込んだ覚えを大切に抱えて土佐を出ている様です。昭和25年に逝去されています。
 この項を読んでいますと、何時の時代にも真摯に居合に取り組んだ者が他人に抱く違和感を曽田先生は感じておられた様に思います。然しそれは、真摯に取り組んだ人に課せられた己自身へのものであろうと思います。

 

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2019年5月10日 (金)

曾田本その2を読み解く16居合術の意義並修業の目的

曾田本その2を読み解く
16、居合術の意義並修業の目的
 剣を学ぶは道を学ぶであって凶器を弄ぶでないとは古哲の言である。居合術は真剣を以て行ふ正真正銘の剣道であるから、其の目的とする所は実にここにある、然らば吾人は居合に因て如何なる道を学ぶか。
 身心の鍛錬をするのである、(人として 中不明 曽田メモ)忠孝、礼儀、廉恥、質実、剛健、諸徳を養成するのである。身心の鍛錬は之を調身・調心・調息の三つに分類することが出来る。
 調身とは姿勢を調へることである。
 居合には始終礼儀、座る、立つ、抜き付、打ち下、皆夫々の作法姿勢があり而して全身の元気を気海丹田に収ることになって居る、之れが調身である。
 健康上より云ふも錬謄上より云ふも気海丹田に力を入ることの肝要なることは敢て喋々する迄もなく禅学等皆然り。
 調息とは呼吸を調へることである。
 呼吸には風、喘、息、気の四種あり。息が調相余り乱相であるけれども正気は武道の重んずる處である。
 調心とは精神を調へることである。
 大敵を見て懼れず小敵を見て侮らず、無念無想万物一如の域に達するのを究極するので、此處に達するには慎独克己から始まるのである、古来より我が日本武士道に於ては正義を貴ぶ。
 居合術の意義並びに修行の目的を述べています。どこかで聞き及んだことの様ですが、心身の鍛錬の域を出ていません。
 曽田本その1の巻末に「神妙剣」として以下の事を古伝は伝えています。
 「正義を貴ぶ」と云いつつ正しいと信ずることも無く、ただ安住の地を求めるだけの者には無用かもしれません。
神妙剣
 深き習に至ては実は事(業 曽田メモ)で無し常に住座臥に有之事にして二六時中忘れて不叶事なり、彼れ怒の色見ゆるときは直に是を知って怒りを抑へしむるの叡智あり、唯々気を見て治むる事肝要中の肝要也、是戦に至らしめずして勝を得る也、去りながら我臆して誤(謝の誤字か)り居る事と心得は大に相違する也、兎角して彼れに負けさるの道也、止む事を得ざる時は彼を殺さぬ内は我も不死の道也、亦我が誤をも曲げて勝には非ず、誤るべき筋なれば直ぐに誤(謝か)るも勝也。
 彼が気を先に知てすぐに応ずるの道を神妙剣と名付けたる也、委しきは書面にあらわし尽し難し、心をぼえの為に其の端を記置く也。

 

 

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2019年5月 9日 (木)

曾田本その2を読み解く15居合術

曾田本その2を読み解く
15居合術
15の1居合術
居合術
余は居合は一兵法即ち居合兵法と称せられ剣道に附随せるものにあらず一派独立せる武術なりと信ず
居合術は剣術今の剣道の一部門なり
 剣術は立合、太刀打、撃剣等とも称し刀剣の使用法にして、即ち抜出したる刀を如何に有用に使用すべきを教へたるものに付、抜刀なくして立合あるべからず、其の用法は刀を腰より抜出しての上のことなり。
 居合術は立合の術、剣術に対する語にして詰合、座合、抜刀、鞘の内、等とも称し此の立合の根元にして刀を抜く法なり、即ち如何なる場所にて如何なる刀を如何に有効に抜くべきかを教へたるものに付き、刀の鞘の内にある時より太刀打に至りて了る、故に互に抜刀して相対峙せば既に居合の範囲を脱して後は太刀合なり。
 居合は刀の長短、場所の広狭、地勢の高低、姿勢の座起、敵の仕懸変化等に応じ臨機変通、其の色を悟らせず、刀尖鞘口を脱する刹那確実有効の利を収むべきを教ふ。
 其の最重要なる点は刀尖の鞘口を脱する瞬間の働なり。
 居合は独特の兵法であって、剣道に附随するものでは無いと云い切っています。剣術は腰から刀を抜いてからの用法であって、居合は刀が鞘の内にある時から始まり太刀を打ち込む事で終わる。
 居合の最重要な事は刀尖が鞘口を脱する瞬間の事なのだと云うのです。

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2019年5月 8日 (水)

曾田本その2を読み解く14無双直伝無双直傳英信流目録14無双直伝14の2目録

曾田本その2を読み解く
14、無双直傳英信流居合目録
14の2目録
目録
      
1.向身  横雲
      虎一足
      稲妻
1.右身  浮雲
      山下し
1.左身  岩浪
      鱗返
1.後身  浪返
      瀧落
 四方切  向  右
      左  後
 太刀打之位(九本)
   出合、附込、請流、請込(請入)、月影、絶妙剱、水月刀、独妙剱、神妙剱
 詰合之位(十本)
   八相、拳取、岩波、八重垣、鱗形、位弛、燕返、眼関落、水月刀、霞剱
 大小詰(八本)  
   抱詰、骨防(モギ 曽田メモ)、柄留、小手留、胸捕、右伏、左伏、山影詰
 大小立詰(六本)
   〆捕、袖摺返、鍔打返、骨防返、蜻蜓返、乱曲
 外之物之大事
   1.行連(両詰) 立業にて右へ抜き付け左足を踏み替え左を切る
   1.連達(両詰)  々  左を突きて右を切る
   1.遂懸切 々 (大森流十番に同じ)之は刀を抜き霞て追懸け右足にて突きを見せ冠りて切る
   1.惣捲(五方切)々 横面、肩、胴、腰を切る(切り返し)
   1.雷電  々  之れは大剣取の内にあり、此の太刀打は和之伝に有
   1.霞  座業にて一本目の如く横一文字に抜き付け同時に返し更に切る
 上意之大事
   1.虎走 座業にて小走に進みて抜付けて切り納刀退きつつ抜付け切る(抜口の(鞘口)外に見へざる様大事なり)
   1.両詰(向詰)立業柄を臍にとり前を突き切る座業にもあり
   1.三角 立業長谷川流八本目「浪返」に似て抜きて刀を身に添へ右廻りに正面へ払ひ打後真向へ打込むなり
   1.四角 立業の左後を突き右後を切り請けながら左斜前を切り右斜前を切る
   1.門入   立業にて右足にて前を突き振り返りて後を切る尚前をも切るべし
   1.戸詰(両詰)座業右へ抜き付け左を切る
   1.戸脇(両詰)座業左を突き右を切る
   1.壁添(人中の事)立業抜く時刀を身に添へ抜くなり四囲狭き場所にて切る業也人中(ひとなか)の事
   1.棚下 座業 抜く時は大森流八本目順刀の如く斬り込む時膝をつく也頭上低き所にて前方を切る
   1.鐺返 立業 之は行違ひに相手の手をとり直に後ろに廻り鐺を取りて前へ押し倒す也
   1.行違 立業 柄頭にて前を突き振り返りて後を切る 〇後を突きて前を切る
   1.手之内
   1.輪之内
   1.十文字
 極意之大事
   1.暇乞 後使者斬り二つあり
   1.獅子洞入
   1.地獄捜
   1.野中之幕
   1.逢意時雨
   1.火村風
   1.鉄石
   1.遠方近所
   1.外之剱
   1.釣瓶返
   1.智羅離風車
 此の目録は業名だけが記されていた筈で、曽田先生が解説を付けたものと思われます。
 これを解説しますと一冊の本が書けてしまいますので、端折ります。

 

 

 

 

 

 

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2019年5月 7日 (火)

曾田本その2を読み解く14無双直伝英信流居合目録14の1目録

曾田本その2を読み解く
14、無双直伝英信流居合目録
14の1目録
此の伝書は実兄土居亀江が恩師谷村樵夫先生より伝授せられたるものを写したるもの也。
(昭和20年7月4日午前2時高知市空襲家財諸共焼失したり。)
◎本伝書伝二巻は別に蔵す
 本書と共に得難きものなれば大切に保存し後世に伝ふべきものとす 虎彦筆山記
 目録の前書きに、実兄土居亀江が谷村派第16代楠目繁次成栄の弟子谷村樵夫自庸から授与されたものを書き写したものだと云っています。
谷村派第16代は五藤孫兵衛正亮とされた目録は、第17代が大江正路として一般に流布されています。第16代楠目繁次ー第17代土居亀江で切れてしまっています。
 曽田先生は、下村派第14代下村茂市定ー第15代行宗貞義ー第16代曽田虎彦ー竹村静夫と位置付けています。目録允可されているかどうかは不明です。
 無双直伝英信流の道統を目録授与により伝承している様に見えますが、証明できるものは現物以外に無いので「そう言っている」程度で良いのでしょう。
 大江先生が授与されたものも誰も見ていない様ですから疑問ですが、大江先生から8人ほどが授与されたと聞いています。業目録の前に根元之巻が授与されて一般的にはその流派の師範格になったのでしょう。第11代大黒元右衛門清勝以降は根元之巻を授与されたものが複数記載されそれぞれ、道統の宗家を名乗ったかどうかでしょう。
 その縦社会に属するものは、其処を拠り所としている様ですが、意味があるかどうか疑問です。かと言って全居連や全剣連の段位制度には流派をないがしろにしてしまうわけでこれも疑問です。

 

 

 

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2019年5月 6日 (月)

曾田本その2を読み解く13陸軍戸山学校天覧武道場

曾田本その2を読み解く
13、陸軍戸山学校天覧武道場
長谷川英信流居合
太刀打之位
請込1業
打太刀竹村静夫、仕太刀曽田虎彦
昭和10年10月25日
日本古武道振興会主催明治神宮奉納武道に出席したるを機に戸山学校に招かれて演武したるものなり。
陸軍戸山学校天覧武道場にて(昭和10年10月26日写)
打太刀竹村静夫・仕太刀曽田虎彦
Img_0484
昭和10年11月海南新聞にて
万丈の気を吐く豪勇曽田虎彦氏
傑物、行宗貞義の一の弟子
土佐居合術の為に
土佐の居合術は英信流とて全国的に有名であり京都武徳殿においても特に英信流を日本武術の精華として尊重し中学校でも武道の教科目に編入してをる程だが現代この土佐居合術の代表的人物は何といふても曽田虎彦氏であらふ。
曽田氏の師匠は有名な行宗貞義である、行宗氏は西南戦争の時大尉として各地に転戦した剛の者だが後ち感ずるところあって断然軍服を脱ぎ捨て、一時看守長を勤めたこともあり、其の後ち更に零落して第二中学校の門監にまでなり下っていた。
当時、二中の武術教師は桑山直澄氏であったが或時に行宗、桑山の居合が取り組まれ中島町に居合の古武士で名高かった真田翁がその試合を見物し、行宗氏の妙技を嘆賞して、二中に行宗がをる以上、桑山は教師たる資格がない早速罷めろと言って、行宗氏が門監から昇格して二中の居合の先生となった、大江正路氏の如き剣客も行宗の足許へ寄りつけぬと云ふ評判で其の実力は大したものだった。
この居合術の神たる行宗氏には沢山の門弟があったがそれら数多き俊傑の中で行宗門下の五傑と称せられたのが曽田虎彦、鈴江重吉、弘田弘作、そして海軍大佐の伴次郎、中村虎猪などの人々であった。
此等五傑の筆頭たる曽田氏は元と二中の生徒で、行宗氏が一年から五年まで我が子の如く教へたといふ一事を持って、如何に師の行宗氏が年少曽田氏の将来に望みを臆していたかが判り同時にその曽田氏が如何に居合術の神によって鍛錬せられたかを想像することが出来る、果然その曽田氏は嚢中の錐として鋭脱し二中を卒業するや、高知武徳殿の助教師に抜擢せられここに師の衣鉢を継ひだのである、
すなわち世間から見れば曽田氏は第二の行宗となったわけで堂々たる英信流の指南役に推しあげられた形となった、そこで今一度行宗氏の実力を振り返へて見直す必要が出来た、何でも明治40年頃であったが範士の中山博道氏が態々来県して行宗氏の弟子となり又三重県人で堀田捨次郎といふ柔道の範士も亦来県して行宗氏の門に入った敢えて多くを語らずとも此の二つの事実は行宗氏とその人の畏敬をすべきその妙技と実力とを極めて雄弁に物語ってをるではなかろふか。
本年10月25日、日本古武道振興会の主催で明治神宮奉納会があり、土佐居合術の代表者として曽田氏と竹村静夫氏が出席し帝都の檜舞台において英信流のため万丈の気を吐ひた、そして曽田氏と範士中山博道氏と会見の節、中山範士は曽田氏を尊敬して先輩に対する礼を執り、刀の新しい下緒を贈呈したのであった、斯くして長谷川英信流7代の師範たる曽田虎彦氏は日本の武道界において天下的人物たる折紙を附けられたことを我等土佐の誇りとして読者諸君と共に欣快の拍手を送る写真は曽田氏。
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 海南新聞の記事ですが、土佐のお国自慢は可愛らしいものです。
 今では、読めばすぐにとんでもないと苦情の来るような大尉から「門監」に成り下がるなどの職業の貴賤を平気で述べています。時代の為せるものと云えます。
 行宗貞義をよいしょするのに大江正路は足元にも及ばないと云っています。中山博道にも指導したとかどこまで事実を押さえて書いたのか疑問だらけ、博道を指導したからすごい人と云いたかったのでしょう。と云う事は博道はものすごい人と思えますからそれ以下に土佐人はされてしまったのでしょう。
 昭和10年の新聞ですから、この頃生まれた方がこんな風に育てられたか、とふと思ったりして・・・。

 

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2019年5月 5日 (日)

曾田本その2を読み解く12無雙直伝英信流居合術系譜12の2参考

曾田本其の2を読み解く
12、無雙直伝英信流居合術系譜
参考
岩田憲一著
旦慕芥考(平成元年989年発行)
無雙直伝英信流居合術系譜
岩田憲一先生の旦慕芥考第三編は名士の記録が纏められています。
その124Pに前回曽田先生の無雙直伝英信流居合術系譜と同様の構成により系譜が纏められています。
 曽田先生の残された土佐の居合、曽田本その2を読み解くに当たりここに掲載させていただきます。
Img_0511

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2019年5月 4日 (土)

曾田本その2を読み解く12無雙直伝英信流居合術系譜12の1原本写し

曾田本その2を読み解く
12、無雙直伝英信流居合術系譜
無雙直伝英信流居合術系譜
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Img_0494
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 曽田先生の手書きによる系譜になります。文字も小さくて読みずらいのですが眺めてみてください。
 初代林崎甚助重信から11代までは大凡土佐の根元之巻、目録允可などでおなじみだったでしょう。
 12代以降は明治・大正・昭和を生きて来られた曽田先生が纏められたもので貴重な研究結果でしょう。

 

 

 

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2019年5月 3日 (金)

曾田本その2を読み解く11英信流大小立詰11の7移り

曾田本その2を読み解く
11、英信流大小立詰
11の7移り
参考
曾田本その1
古伝神傳流秘書
大小立詰
7本目
電光石火:如前後より来り組付を体を下り相手の右の手を取り前に倒す。
曾田本その2
業附口伝
英信流大小立詰
7本目
移り:(口伝 山川先生の伝書には「電光石火」とあり)敵後より組付きたるを我体を落して敵を前に投ぐる也(真揚流の投業の如 曽田メモ)
五藤先生教示:後より組付体を下り前へ投る。
 業附口伝の業名は「移り」、古伝は「電光石火」です。何処でどうなったのでしょう。
 江戸末期から明治の土佐の居合は消えそうになっていたのでしょう。伝書も伝わらず正しい指導も受けられずいたのでしょう。
 もう一つは、下村派には古伝が伝わっていたが、谷村派には伝わらず口伝口授が唯一の伝承法だったかもしれません。
 谷村派からの伝書は見た事も聞いたこともありません。従って何処かおかしいものになったのではと思う次第です。確証はありません。出来るだけ早いうちに事実を手に入れたいものです。
 業附口伝は曽田先生の書き記したもので、実兄土居亀江からの口伝、田口先生(不明)の指導によるものです。
 古伝の電光石火は「体を下り相手の右の手を取り前に倒す」ですから、柔道の一本背負を彷彿とさせます。
 業附口伝は「我体を落して敵を前に投ぐる」で、相手の右手を取れとは言っていません。体を落とす事によって投げる、やり方は自分で工夫しろというのでしょうか。
 大小立詰を以て曽田先生の業附口伝は終わっています。古伝神傳流秘書の大剣取は曽田先生に実兄からの口伝は無かったのでしょう。
 以上を以て古伝神傳流秘書以前に河野百錬先生が無雙直伝英信流居合道(昭和13年発行)によって居合人に公にされてしまった、曽田先生が実兄土居亀江からの口伝を記録した業附口伝を終ります。
 業附口伝が戦前に先行して出てしまったので、その業名や動作もそれを研究して古伝の組太刀を学んでしまったと云うのが事実の様です。
 曽田先生は古伝を出版したかったと弟子の山本俊夫に戦時中に語っています。出版できずに亡くなられ、その意志は河野百錬先生によって無双直伝英信流居合兵法叢書によって昭和30年に初版が出版され、昭和38年に再版されています。
 手に入れられた方も有った様ですが、書棚の隅に仕舞われたままそれを学ぶ人も無く眠ってしまった様です。
 同じような事は、夢想神傳流の木村栄寿先生による、細川家から借用して読み下しを出版された林崎抜刀術兵法夢想神傳重信流も古伝神傳流秘書が搭載されているにもかかわらず、夢想神傳流の方々の研究は聞く事も無いのが実態でしょう。
 大江正路・中山博道両先師の居合を見直す資料がありながら、「英信流はこうだった」などの見て来たような嘘をついても意味のない事です。
 少なくとも、奥居合や組太刀は古伝に戻さない限り武的踊りに終わってしまうと思います。

 

 

 

 

 

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2019年5月 2日 (木)

曾田本その2を読み解く11英信流大小立詰11の6乱曲

曾田本その2を読み解く
11、英信流大小立詰
11の6乱曲
参考
曾田本その1
古伝神傳流秘書
大小立詰
6本目
乱曲:如前後より来り鐺を取り頻りにねぢ廻し刀を抜かせじとする時後へ見返り左の手か右の手にて取りたるかを見定め相手左の手ならば我も左にて鯉口を押へ相手右ならば我も右にて取る後へ引付んとするを幸しさり中に入り倒す。
曾田本その2
業附口伝
大小立詰
6本目
乱曲:(左右あり)我と敵とは前後に立ちて行く也、敵後より右手にて鐺をくるくる廻す也、我此の時直に後向きて左右何れの手なるやを見定め右手なる時は我左足にて敵右足を掬ひ中に入る也、若し左手なる時は我は右足にて敵の左足を掬ひ中に入る也。
五藤先生の教示:後ろより鐺を取りくるくる廻し引時左右を見合せ中に入る。
 古伝の場合振り向いて見て、相手が左手で我が鐺を取っていれば、我も左手で鯉口を押さえ、右手ならば右にて(鯉口を)取る。此処までは業附口伝にも引き継がれています。
 そして古伝は相手が後ろ(背中)に引き付けようとする。それを幸いとして「しさり中に入る」のですが業付口伝は鐺を取った相手の手が左右どちらかなのか見定め直に「右手なる時は我左足にて敵右足を掬ひ、左手なる時は右足にて敵の左足を掬ひ」中に入る、のです。
 外見上の動作は同じ様に見えるでしょうが、状況をしっかりとらえて相手の動作に即座に反応する稽古も大切な処で、一方的に形動作を進めてしまうと、上手に見えても役立たない事は多いものです。
 この乱曲は、英信流の瀧落の時の鐺を取られた時の想定と考えられます。
 瀧落では「刀の鞘と共に左の足を一拍子に出して抜て後を突きすぐ右の足を踏込み打込み開き納る。此事は後よりこじりをおっ取りたる処也故に抜時こじりを以て当心持有り。」でした。相手に握られた鐺を振りもいで振り返って刺突し打込むのでした。
 乱曲では振りもぐとは言っていませんが、鐺を取った相手の左右の手を見定めるや、刀を握る手は相手と同じ様に右ならば右、左ならば左で取り、相手が背中に押付て来るや其の拍子に左手の時は左足から下るや左回りに振り向き、右手の場合は右足から後ろに下がって右廻りに振り向き相手に附け入り、相手の出足を掬って倒す。
 古伝は、「しさり中に入り倒す」だけですが、「しさる」だけで中に入れますが、倒すには向かい合わせになった方が倒しやすく、振り向く拍子に握られた鐺も外せると考えます。
 業附口伝は古伝の言い足りない部分を補ったとも見られるのですが、先ず文章の順番通りに動作を付けて見ましょう。
 乱曲と瀧落の動作に関連性が感じられます。
 政岡先生は地之巻で瀧落(滝落)で「・・振り返って左右何れの手で鐺を取っ居るかみきわめて・・」とされて右手で鐺を取られた時の動作は「左足を出し腰を押し出しつつ右手を柄にかけ、右胸に引き、鐺を左腿に添え、強く左前に出してふりもぐ。若し左手で握っておれば左右とつぎ足で出て腰を右前に出す気持ちで、柄は左前に引きよせて敵の手をふりもぐべきである。」として乱曲で行われている事を示唆されています。

 

 

 

 

 

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2019年5月 1日 (水)

曾田本その2を読み解く11英信流大小立詰11の5蜻蜓返

曾田本その2を読み解く
11、英信流大小立詰
11の5蜻蜓(蜻蛉)返
参考
曾田本その1
古伝神傳流秘書
大小立詰
5本目
蜻蛉返:相手後より来り我が右の手を取り刀の鐺を取り背中に押付られたる時其儘後へしさり中に入て倒す。
曾田本その2
大小立詰
5本目
蜻蜓返:打は仕の後より仕の手首を後に引き鐺を前に押す直ちに右足を以て掬ひ中に入る也。
五藤先生の教示:後ろから右の手首をおさへ跡へ引き左手鐺をおさへ前へおす時中に入る。
曽田メモ:中に入るとは上から逆に横抱きすることならん。鐺を後に引き右手首を前に押したる時は此の反対となる。
*
曾田本その2
業附口伝 
蜻蜓返
Img_0474
 古伝は、相手が「我が右の手を取り刀の鐺を取り背中に押付られたる時」です。
 業附口伝では、「仕の右手首を後に引き鐺を前に押す」
 想定が違います、いずれであっても、我は右足を後ろへ引き右廻りに中に入り右足で相手の左足を掬い倒す。古伝の方法で充分と思われます「後ろへしさり中に入り倒す」の中に入りをどの様に読み解くかによるのでしょう。

 曽田メモと線画の方法も否定する必要はないでしょう、しかし簡単な動作が一番です。

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2019年4月30日 (火)

曾田本その2を読み解く11英信流大小立詰11の4骨防返

曾田本その2を読み解く
11、英信流大小立詰
11の4骨防返
参考
曾田本その1
古伝神傳流秘書
大小立詰
2本目
骨防返:相懸りに懸りて相手我が刀の柄を留めたる時我右の手にて柄頭を取り振りもぐ也。
曾田本その2
業附口伝
英信流大小立詰
4本目
骨防返:互に対立する也、打は仕の柄を両手にてとりに来る也、我は右手にて敵の両手を越して柄頭をとって両手にて上にもぎとる也。
五藤先生の教示:敵両手にて柄を取る時引廻しもぐ
 古伝と業附口伝には違いはない様です。古伝の「振りもぐ」、業附口伝の「上にもぎとる」、五藤先生の「引廻しもぐ」が気になります。
 尤も簡単で有効なのは業附口伝の「上にもぎとる」でしょう。いたずらに振り回せば相手が力を籠めてしまって、力比べになってしまいます。柄を取られるや「ひょい」と云った感じが良さそうです。
 この業は業付口伝の大小詰2本目骨防の立業です。
業附口伝の大小詰二本目骨防をもう一度稽古して見ます。
 「互に対座、打は両手にて仕の柄を握る仕は右拳を顔にあて其のひるむときに乗じ右足を柄越にまたぎ右足内側より右手を柄に添へ右足にて敵の両手を押拂ふと同時に柄を防取る也、此の時敵は我右脇へ匍ひ倒る也。
五藤先生の教示:向ふて居る両手にて柄を押し付る時直に右手にて面へ当て其虚に乗り右足をふみ込み柄へ手をかけもぐ。
参考
古伝大小詰2本目骨防扱
 立合の骨防返に同じ故に常になし
 古伝の大小詰の骨防は大小立詰と同じと有りますから冒頭の参考に依ります。之を座して行うばかりのことです。
 ややこしい、動作を好むのは大道芸のようなもので、見せ場を作り関心させたり、小難しい動作で弟子を翻弄するなど、意味の無いことに拘るのは技ではありません。その状況に最も適した方法は簡単な方法なのです。
 「かたち」ばかり真似て、段位だけ時期が来て上がった様な似非師匠が多いこの時代、そんな師匠の業は決まらない、いろいろいじくりまわし、こねまわし無駄な動作を本物に見せかけてしまうのでしょう。
 古伝は単純に、柄を取られたら柄頭を持って胸に引き付ければ良いだけです。

 

 

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2019年4月29日 (月)

曾田本その2を読み解く11英信流大小立詰11の3鍔打返

曾田本その2を読み解く
11、英信流大小立詰
11の3鍔打返
参考
曾田本その1
古伝神傳流秘書
大小立詰
3本目
鍔打返:相懸りに懸り我刀を抜かむとする其の手を留られたる時柄を放し手を打もぐ也。
曾田本その2
業附口伝
大小立詰
3本目
鍔打返:互に対立する也、打は仕の抜かんとする右手首をとる也、仕は右手を離すと同時に左手に持てる鍔にて打の手首を打つ也。
五藤先生の手記による教示:抜んとする時其手首を押へる左手にて手首を打。
 この業は古伝も業附口伝も大小立詰の3本目にの位置して、内容は同じものと云えそうです。
 古伝は「抜かむとする其の手を留られたる時」相手が我が「手」であって、業附口伝の「打は仕の抜かんとする右手首をとる」と右手の手首と限定しています。
 古伝の、「柄を放し手を打ちもぐ」で抜こうとする我が柄手、すなわち右手とわかります、右手の何処を制せられようと抜く事を留められれば古伝は「いいよ」とおおらかです。
 柄手を放せば左手の鞘手は自由ですから後は、相手の右手を鍔で打ち据えればいいだけです。
 相手が、我が右手首と、柄頭を押さえて来れば左手を鞘から離せばいい。相手が我が柄手と鞘手を押さえに来たら・・・。色々在りそうですが、まず手附通りの動作を自然に出来る様にする事でしょう。
 鍔打返ですが古伝は「柄を放し手を打ちもぐ也」であって鍔で打てとも、柄でうてとも云っていません。業名に捉われたい人は鍔で打てばいいだけです。
 五藤先生は「と左手にて手首を打つ」とされています。鍔打ちでは怪我をさせる事を考慮したのでしょうか、有効なのは鍔でしょう。
 何でもできる積りで、この業の変化業ばかりいじくりまわしてもあまり意味があるとも思えません。
 仮想敵相手の空間刀法ばかりやってきた人には、目の前に相手が居てその動きに如何に対応できるか、あるいは相手を如何に自分の思う所に居付かせるかを学ぶものでしょう。

 

 

 

 

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2019年4月28日 (日)

曾田本その2を読み解く11英信流大小立詰11の2袖摺返

曾田本その2を読み解く
11、英信流大小立詰
11の2袖摺返
参考
曾田本その1
古伝神傳流秘書
大小立詰
1本目
袖摺返:我が立て居る處へ相手右脇より来り我が刀の柄と鐺を取り抜かせじどする時其儘踏みしさり柄を相手の左の足のかがみに懸け中に入り。又我右より来たり組付をひぢを張り体を下り中に入る。
曾田本その2
業附口伝
英信流大小詰
2本目
袖摺返:(左右あり)打は横より組付仕肱を張りて一当すると同時にすぐに打の刀を足にすけて後に投げる。
五藤先生手記による教示:横合より組付肱を張り一当して中に入り刀を足にすけ跡へ投げる左右共同前。
 大小立詰の業の順番は古伝と業附口伝とは異なっています。
古伝:   1袖摺返・2骨防返・3鍔打返・4〆捕・5蜻蛉返・6乱曲・7電光石火
業附口伝:1〆捕・2袖摺返・3鍔打返・4骨防返・5蜻蛉返・6乱曲・7移り
 ここでは、曽田本その2をメインに読み解いていますから業附口伝の順番に従います。何故業の順番が変わったのか、7本目は業名まで変わってしまっています。
 土佐の居合には、神傳流秘書という素晴らしい業手附が第9代林六大夫守政によってもたらされています。それにもかかわらず口伝口授による指導法が指導者による、曖昧な覚えや、勝手な解釈がもたらすのでしょう。
 順番はともかく、袖摺返は古伝も業附口伝も業名は一緒です。
 古伝は相手が右脇から来て我が柄と鐺を取って抜かせない様にする。その取られた状態のまま、後ろに下がって体を下り相手の左足膝の後に柄を懸けて、掬い倒す。又は、相手が右から来て組付くので、その時肘を張って弛んだ隙に体を下げて、相手の左足膝の後に柄を懸けて掬い投げるなりするのでしょう。
 古伝は投げるとは言っていませんので、相手の膝のかがみに柄を懸ける、そうするとやる事が見えるよ、と教えているのでしょう。
 業附口伝は、「左右あり」と云うので、この業は相手が右から或は左からどちらでも同じと云うのでしょう。
 柄と鐺を取られる古伝の業は、失伝して、横から組付いて来るので肘を張って相手の腹に一当して「うっ」とする所を体を下り相手の刀を相手の足に懸けて後ろに投げる。五藤先生の教示も同じようなものです。古伝の「又我右より・・」の業だけが残されたのでしょう。
 「打の刀を足にすけて跡に投げる」・・ここは「仕の刀の柄を「打の足にすけて跡に投げる」の、ミスかも知れませんが、云われた様にやって見て答えをだすべきものでしょう。
 河野先生の昭和13年発行無雙直傳英信流居合道の大小立詰2本目袖摺返
 打は横より組み付く、仕肱を張りて一当すると同時にすぐ打の刀を足にすけて後に投げる也。
 政岡先生は古伝神傳流秘書に依っています。

 

 

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2019年4月27日 (土)

曾田本その2を読み解く12英信流大小立詰12の1〆捕

曾田本その2を読み解く
12、英信流大小立詰
12の1
一本目
〆捕
参考
曾田本その1
古伝神傳流秘書
大小立詰
一本目
袖摺返:我が立て居る處へ相手右脇より来り我が刀の柄と鐺を取り抜かせじとする時其侭踏みしさり柄を相手の左の足のかがみに懸け中に入り又我が右より来り組付をひぢを張り体を下り中に入る。
 古伝の大小立詰の一本目は〆捕ではなく袖摺返でした。次いでですが大江先生は奥居合立業の袖摺返の業名はここから拝借したのかも知れません。
 戻ります、〆捕の業名は古伝では4本目〆捕としてあります。
参考
古伝神傳流秘書
4本目
〆捕:相懸りに両方より懸る時相手両手にて我刀の柄を留我左の手にて相手の脇坪へ入れて両手を〆引上如何様にも投る也。
曾田本その2
業附口伝
大小立詰
1本目
〆捕:互に対立する也、打は両手にて仕の柄を握る也、仕は左手を以て打の左手首を握る也、更に此の時すぐに仕は右手にて打の両腕を締め込み我が体を台にして之れを極めるなり。
五藤先生の手記による教示:敵柄を両手にて取る、左手にて敵の左の手首を押へ右手にて敵の両肘を押へ体を込み〆付る。
 業附口伝の1本目〆捕は、古伝の大小詰では4本目に在った〆捕の様です。相変わらず土佐の居合はさ迷っている様です。
曾田本その2
大小立詰1本目〆捕
Img_0471
 古伝の〆捕は相懸りに懸かり、相手が両手で我が刀の柄を握る、我はすぐに左手で相手の脇坪に突きを入れ、右手で下から相手の腕を締め上げ、如何様にも投げる。
 業附口伝は、お互いに向き合って立って居る時、相手が両手で仕の柄を握って来る、仕は打の左手首を握るや右手で相手の両腕を締め込み仕の身体を土台にして決める。
五藤先生も同様の様です。敢えて古伝の様に投げ倒さない、決め業の稽古で終わっています。
 何れにしても締め込む時は体をグット接近させて締め込み相手の身体を浮かせてしまうのでしょう。

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2019年4月26日 (金)

曾田本その2を読み解く11英信流大小詰11の8山影詰

曾田本その2を読み解く
11、英信流大小詰
11の8山影詰
参考曽田本その1
古伝神傳流秘書
大小詰
8本目
山影詰:是は後より相手組を刀を抜き懸其手を切ると一拍子に我も共に後へ倒るゝ也。。
曾田本その2
業附口伝
英信流大小詰
8本目
山影詰:打は仕の後に座して後より組み付其の時仕は頭を敵の顔面に当て敵ひるむ隙きに我が刀を抜きて打の組みたる手を切る也
五藤先生の手記による教示:後ろより組付頭にて一当てして仰向にそりかえる。
 古伝は、後ろより二の腕を両手で抱詰して来るので、我は右手で柄を下から握り抜き上げて、相手の手を摺り切り同時に後ろへ倒れる。後ろより組付く時の状況次第では、刀を抜けないかもしれません。相手も無造作に組付くのでは不覚を取ります。
 業附口伝はそんな事もあったのか、後から組付かれたら先ず後頭部で相手の顔面を強打して組み手が緩めば、その隙に、柄を下から握って抜き上げざまに相手の手を摺り切る。
 演武では相手は後ろから二の腕辺りに組附き、仕が刀を抜き易くしておけばいいかも知れません。手附に在りませんが組み付かれるや両腕を「ふっ」と張って少し弛ませ柄を下から握って刃を自分の方に向けたまま抜き上げ相手の小手を擦切る。
 この手附を読んで想定を思い浮かべるといろいろ駆け巡ります。

 

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2019年4月25日 (木)

曾田本その2を読み解く11英信流大小詰11の7左伏

曾田本その2を読み解く
11、英信流大小詰
11の7左伏
参考
曾田本その1
古伝神傳流秘書
大小詰
7本目
左伏:是は左の手を取る也事右伏に同左右の違ばかり也、尤も抜かんとする手を留められたる時は柄を放し身を開きて脇坪へ當り又留られたる手を此方より取引倒す事も有也
曾田本その2
業附口伝
英信流大小詰
7本目
左伏:右伏せの反対業也
五藤先生手記による教示:左脇に座す右手にて胸を取り其手を押へ前へ伏せる。
 古伝は、右伏と同じだが相手は我の左側に座す。と相手が左手で我が柄を取る、直ぐに我は、左手を相手の首の後ろから廻して胸を取り、押し伏せようとする、相手いやと反り返るを機に右手を相手の右足膝に添えて後ろに投げ倒す。
 右伏は柄を相手の右足にかけて投げ倒しましたが、左伏の場合は、わざわざ右手を柄に懸けずに相手の右足に懸けて投げて見ました。
 右伏に同じ、ですから右手を柄に懸けて柄を以て相手の右足下に入れて投げるべきものでしょう。
 「尤も抜かんとする手を留められたる時は、柄を放し身を開きて脇坪へ當り」は相手が我が左手を取るか右手を取るかでしょう。指定はありません。相手の右手の一番近い処は、我が左手です。然し左手を取っても右手で刀を抜く事は可能です。
 形に拘らずに考えられる事をやって見るばかりです。演武会の出し物にするならば、左手を右手で押さえられ、体を左に開いて右拳で脇坪を打つ。
 「又・・」は曽田先生の右伏、左伏の相手が胸を取るなり、柄を取るなり、腕を取るなりされてもその相手の腕を取って引き倒す。
 古伝も業付口伝も主語が省略されている事があります。例えば古伝7本目左伏「是は左の手を取る也」誰が誰の左の手を取るのでしょう。相手が我が左手を取る。その場合相手は右手で取りに来るのがこの並び座す場合普通でしょう。
 その場合は我は右手で相手の首の後ろから手を廻して相手の胸を取ることになります。

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2019年4月24日 (水)

曾田本その2を読み解く11英信流大小詰11の6右伏

曾田本その2を読み解く
11、英信流大小詰
11の6右伏
参考
曾田本その1
古伝神傳流秘書
大小詰
6本目
右伏:我右の方に相手並び座し柄を取られたる時直に我右の手を向の首筋へ後より廻し胸を取り押伏せんとするに相手いやとすくばるを幸に柄を足に懸て後へ投げ倒す、又抜かんとする手を留められたるも右の通りに取倒す。
曾田本その2
業付口伝
英信流大小詰
6本目
右伏:打は仕の右側に並びて座す、打左手より仕の胸を捕る仕はすぐに其の腕を巻き込みて逆手をとり前に伏せる也
五藤先生教示:右脇に座す左手にて胸を取り来る其の手を押へ前に伏せる
 古伝の6本目右伏は曽田先生の業付口伝ではすでに3本目柄留に変えられてしまっています。
業付口伝
3本目
柄止:打は仕の右側に並びて座す、仕の抜かんとする柄を留む、仕は右手を頚に巻き打を前に倒さんとす、打倒されまいと後に反る、其時すぐに仕は打の体の反りて前足の浮きたる下より(膝)柄をかけて後へ倒す力を添ふる也。
五藤先生の手記による教示:右脇に座す抜かんとする柄をとる我れ右手にて首をまき前へ押す敵後とへそるに付後へ倒す其時柄を足へかけ倒す也。
古伝神傳流秘書
大小詰
3本目
柄留:抱詰の通り両の手にて柄を取り下へ押付られたる時向のわきの辺りへ拳にて当扨我が右の足にて相手の手を踏み柄をもぐ、常の稽古には右の足を押膝にてこぜもぐ。
 柄留の處で何故取り違があったのか疑問でしたが、五藤先生の頃に既に業の順番や動作が怪しくなっていたのでしょう。
 実兄の土居亀江や曽田先生に指導された「田口さん」もうろ覚えだったのでしょう。現代では、流派の業技法を門外不出としてその地域に留めて外に出さなかったり、その流の宗家筋が秘す事を条件に引き継いでいたとしても、既に人と争う道具ではありえません。宗家筋の職業として、ありがたそうに秘して口伝口授を主体としていれば、いずれ同様の混乱が起こり其の価値を失う事となると思います。
 今のうちに、伝書の公開と、業手附の文章化はして置くべきでしょう。そして公に問う時代と心得るものと思います。
 曽田本その2ではこの大小詰6本目右伏を曽田先生は記述しておきながら、「打は仕の右側・・・倒す力を添ふる也」までを斜線を以て消されています。五藤先生の教示は残されています。
 五藤先生の業は、古伝には見当たらないものですが、簡単な業ですからついでに稽古して置くのも良いでしょう。
 右脇に座す相手が左手で我が胸を取りに来るので、その手を右手で押さえて相手を前に引き伏せる。
 古伝の右伏のポイントは右脇に座す相手が、腰を上げ左に振り向き我が柄を体を乗り出して取る、我はすぐに、右手を相手の首の後ろから巻き相手の胸を掴んで、押し伏せる。あいていやとして逃れようと反る、反る時相手の足が浮くのでその右膝後ろ(膝下でも可)に柄を懸けて投げ倒す。

 

 

 

 

 

 

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2019年4月23日 (火)

曾田本その2を読み解く11英信流大小詰11の5胸捕

曾田本その2を読み解く
11、英信流大小詰
11の5胸捕
参考
曾田本その1
古伝神傳流秘書
大小詰
5本目
胸捕:詰合たる時相手我胸を取り突倒さんとする時我右の手にて其手を取り左の足を後へ引柄頭にて相手の脇へ当る引く時は随って抜突く也
曾田本その2
業付口伝
英信流大小詰
5本目
胸捕:互に対座、打は仕の胸を捕へて突く、仕すぐに右手にて支へ左手に持たる柄頭を敵の脇坪に当てる也、又胸を捕りて引く時はすぐに刀を抜きて突く也
五藤先生教示:向ふて居る右手にて胸をとり突く時は其手を押へ左手にて脇坪へ当る引く時は抜きはなち刺す。
 古伝の大小詰5本目胸捕は、相手が我が胸を取って突き倒そうとするので、我は腰を上げ右手で相手が胸をつかんだ手を取って、左足を退くと同時に左手で以って相手の脇へ柄当てする。相手が下がろうとするに従って、抜刀して突く。
 ポイントは、倒されそうになるので相手の手を掴み、更に左足を引いて押し倒さんとする相手の脇に柄当てするのです。
 業附口伝の大小詰5本目胸捕では、相手が我が胸を捕って突き倒して来るので、居合膝に座したまま右手を後ろ床に付けて支へ、左手に持った刀の柄頭で相手の脇坪へ柄当てする。是では相手にのしかかられて潰されそうです。
 「又」で別の業として相手が、我が胸を捕って引く時はすぐに抜刀して突けと云っています。
 胸を掴まれて引かれる時に抜刀できる状況は難しそうです。相手が胸を掴んだが放して退く状況とは違います。業になりそうもありません。
 五藤先生の教示は、相手が胸を捕って突いて来る時は、腰を上げその手を右手で押さえて、左手で脇坪に突き込む。
 相手が引く時は抜き放ち刺す。是は相手が態勢を変えようとするのに付け入る状況と取れるのですが、「又」の意味を「それからさらに」と取るか、もう一つは「突かずに引く場合は」と取るか否かによると思います。
 大小詰の演武を見ていますと大方は、柄当てされ、ひるんで退く様に演じています。
 この「胸捕」は古伝も業付口伝も想定は同じとみていいかも知れません。文章による表現の仕方は、古伝は抜けだらけなのに何故か、動作が浮かんでくるのです。
 業付口伝では、動作が止まって、さてどうしようと云った感じにさせられてしまいます。

 

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2019年4月22日 (月)

曽田本その2を読み解く11英信流大小詰11の4小手留

曽田本その2を読み解く
11、大小詰
11の4小手留
参考
曽田本その1
古伝神傳流秘書
大小詰
4本目
小手留:立合の鍔打返に同じ故に此處にては不記
参考
曾田本その1
古伝神傳流秘書
大小立詰
4本目
鍔打返:相懸りに懸り我刀を抜かむとする其の手を留られたる時柄を放し手を打もぐ也
 古伝は、大小詰4本目小手留は大小立詰の3本目鍔打返と同じと云います。同じでも大小詰は居合膝に座すので、居合膝に相対し我から刀を抜かんと柄に右手を懸けると、相手は其の右手を取らえて抜かさない様にする、我は右手を柄から離し、此処は鍔打返ですから、左手で持つ鍔で相手の手を打ちもぐ。
曽田本その2
業附口伝
大小詰
4本目
小手留:打は仕の左側に並びて座す打の抜かんとする右手を仕向き直って右手にて捕へ引き寄せると同時に左手にて柄頭を敵の脇坪に当てる也
五藤先生教示:左脇に座す抜かんとする右手を把る其手をおさへ左手にて脇坪へ柄頭を以て当てる。
 業附口伝と古伝は順番と業名は同じですが、前回同様に動作が違います。刀を抜こうとするのは打で、それを仕が右手で押さえて、左手で打の脇坪に柄当てしています。

 

 

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2019年4月21日 (日)

曽田本その2を読み解く11英信流大小詰11の3柄留

曽田本その2を読み解く
11、大小詰
11の3柄留
参考
曽田本その1
古伝神傳流秘書
大小詰
3本目
柄留:抱詰の通り両の手にて柄を取り下へ押付られたる時向のわきの辺りへ拳にて当て扨我右の足にて相手の手を踏み柄をもぐ常の稽古には右の足を押膝にてこぜもぐ
曽田本その2
業附口伝
大小詰
3本目
柄留:打は仕の右側に並びて座す、仕の抜かんとする柄を留む、仕は右手を頚に巻き打を前に倒さんとす、打倒されまじと後に反る、其時すぐに仕は打の体の反りて前足の浮きたる下より(膝)柄をかけて後へ倒す力を添ふる也。
五藤先生の教示:右脇に座す抜かんとする柄をとる我れ右手にて首をまき前へ押す敵後とへそるに付後とへ倒す其時柄を足へかけ倒す也。
 大小詰3本目柄留の手附は古伝と業附口伝では内容が違います。
 業附口伝の柄留は古伝の6本目右伏の業です。
 業付口伝は第16代五藤正亮先生や谷村樵夫自庸先生の口伝を実兄土居亀江の口伝を元に組み立てられています。手附を書き付けたものを持たずに口だけで動作を指導し、形を打っていたのでしょう。
 既にこの頃から、居合抜ばかりが稽古だったのでしょう、大小詰まで定期的に稽古する事をおろそかにしていれば、内容は愚か順番もどこかへ行ってしまうものです。
業付口伝大小詰3本目柄留は
古伝神傳流秘書では大小詰6本目右伏
:我右の方に相手並び座し柄を取られたる時直に我右の手を向の首筋へ後より廻し胸を取り押伏せんとするに相手いやとすくばるを幸に柄を足より懸て後へ投げ倒す、又抜かんとする手を留められたる時も右の通りに取倒す。
 古伝神傳流秘書の大小詰の3本目柄留は、業附口伝からは消えてしまった様です。あえていえば前回の2本目骨防(ほねもぎ)に変えられたと云えます。
業付口伝
大小詰
2本目
骨防(ほねもぎ):互に対座、打は両手にて仕の柄を握る仕は右拳を顔にあて其のひるむときに乗じ右足を柄越しにまたぎ右足内側より右手を柄に添へ右足にて敵の両手を押払ふと同時に柄を防(もぎ)取る也、此の時敵は我右脇へ匍ひ倒る。
五藤先生教示:向ふて居る両手にて柄を押し付る時直に右手にて面へ当て其虚に乗り右足を踏み込み柄へ手をかけもぐ。
 政岡先生は無雙直傳英信流居合兵法地之巻では、古伝の大小詰2本目骨防扱、3本目も古伝の柄留を当てています。

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2019年4月20日 (土)

曽田本その2を読み解く11英信流大小詰11の2骨防

曽田本その2を読み解く
11、大小詰
11の2骨防(ほねもぎ 曽田メモ)
参考
曽田本その1
古伝神傳流秘書
大小詰
2本目
骨防扱:(ほねもぎ 曽田メモ)立合の骨防返に同じ故になし
 立合の骨防返とは大小立詰の2本目のことでしょう。
参考
曽田本その1
古伝神傳流秘書
大小立詰
2本目
骨防返:相懸りに懸りて相手我刀の柄を留めたる時我右の手にて柄頭を取り振りもぐ也
曽田本その2
業附口伝
大小詰
2本目
骨防返:互に対座、打は両手にて仕の柄を握る仕は右拳を顔にあて其のひるむときに乗じ右足を柄越にまたぎ右足内側より右手を柄に添へ右足にて敵の両手を押払ふと同時に柄を防取る(もぎとる)也、此の時敵は我が右脇へ匍ひ倒る也。
五藤先生教示:向ふて居る両手にて柄を押し付る時直に右手にて面へ当て其虚に乗り右足をふみ込み柄へ手をかけもぐ
 古伝は、相手が我が柄を両手でも片手でも掴んで抜くのを留めたならば、右手で柄頭を持って「振りもぐ」だけです。もぎ方の最も簡単なのは柄頭を握って、胸に引き付ければ簡単に外せてしまいます。その上で柄当てしようと殴ろうと自由です。
 業付口伝の曽田先生記述のものは古伝とも五藤先生の教示とも違って、柄越に踏み込んだ右足で、相手の両手を押し払って置いて右手で防ぎ取る、その時相手は我が右脇へ匍い倒れる。柄越に踏み込んだ右足で、右方に押し払わなければ我が右脇に匍い倒れそうにありません。
 五藤教示の様に右足をグット踏み込んで相手に附入り、柄頭を右手に握って引き付ければこれも容易です。
 古伝には、柄を握られた時に相手の顔面に右拳を打ち当てる動作は特にありません、其虚に乗じるのは状況次第ですが一連の動作に滞り無い様に稽古して置くことは善いかも知れません。 
 武術は、力と速さで勝つのは術とは言えないでしょう。無駄な動作は不要です。古伝に軍配です。

 

 

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2019年4月19日 (金)

曽田本その2を読み解く11英信流大小詰11の1抱詰

曽田本その2を読み解く
11、英信流大小詰
11の1抱詰
参考
曽田本その1
古伝神傳流秘書
大小詰
(是は業にあらざる故に前後も無く変化極りなし始終詰合▢居合膝に坐す気のり如何様ともすべし先大むね此順にする)重信流
1本目
抱詰:楽々居合膝に詰合たる時相手両の手にて我刀の柄を留る時我両の手を相手の両のひぢに懸けて体を浮上り引て其侭左の後の方へ投捨る
英信流大小詰
業附口伝
朱書きは故五藤せんせいの手記ゟ写(五藤先生手記、曽田虎彦蔵す)
1本目
抱詰:互に対座、打は仕の柄を両手にて取らんとす、すぐに仕は両手にて打の二の腕を下より差し上ぐる様に掴み我左脇に引き倒す也
五藤先生手記:向て居る敵我刀の柄を両手にて押付る時、敵の両肘へ手をかけ「うすみ」上げ左へ振り倒す。
 古伝の大小詰について重信流から伝来と云う意味でしょう。
 この土佐の居合は指導者が変わるたびに動作が変化する習性を持っている様ですから、大小詰でなくともどんどん変わっています。
 時代の要請により変化するのは納得ですが、指導者の思い付きで変わるのは困ったものです。
 業を替えるよりもひどいのは大江先生の様に捨ててしまうのはひどすぎます。この大小詰も大江先生に捨てられた業です。というより大江先生、第14代下村茂市より習っていなかったから知らなかったと思えます.
 その上中学生に指導するには、居合だけで充分だったかも知れませんから丁度良かった。そんな事を思ってしまいます。
 古伝は、業では無いから変化極りなしと云っています。「業にあらざる故」居合では無いがその延長上にあるもので居合抜きではない事は云えますが、心得が無いと厄介です。
 大小詰ですから、仕は太刀を帯て居合膝に坐す、打は小太刀若しくは短刀を帯びると何処にも書かれていませんが、その様にやっています。業のやり取りから判断できそうです。
 仕は太刀を帯び、打は短刀を差し双方居合膝に坐す。
 居合膝は古来からの座し方として、護衛などの武士が事有れば即座に応じられる右膝を立て左膝を床について左足先を爪先立った「体構え」だろうと思います。河野先生は甲冑を着ては正座できないのでこのように座すと云っていた様です。
 わざわざ甲冑を着て立膝をやって見たらしっくりきた、などと云っていた人も居ました。
 東北地方に残された林崎甚助重信の居合など見ていますと、大太刀を帯した仕は立膝、短刀を帯びた打は正座などと云う変わった組み合わせの様でした。
 相対して居合膝に坐し、双方の間合いは右足先と右足先の間隔は2尺以内でしょう。それでも双方の体軸の間隔は4尺位になります。
 古伝は、打が腰を上げ少しせり出して、両手で我が柄を上から掴んで抜かさない様に留めて来る。
 業附口伝は「両手にて取らんとす」ですから、まだ柄に触っていない進行形です。その場合の対処法は相手の手を打つとか、払うとか、手首を取って引き倒すとか別の事を思い描いてしまいます。
 ここは、柄を握らせ居付かせて、我は打の左右の二の腕(両肘上辺り)を掌で我が右手で相手の左手、左手で相手の右手を下から差し上げる様に締め込み同時に腰を浮かしながら右足を軸にして、と古伝は「左の後の方へ投げ捨てる」、業附口伝は「左脇に引き倒す」、五藤先生の手記は「左へ振り倒す」、とそれぞれです。
*
 手附けはここまでですが、古伝は「左の後の方へ投げ捨てる」。
 業附口伝は「左脇に引き倒す」、五藤先生の手記は「左へ振り倒す」とやや異なります。仕が相手の二の腕を締めあげて立ち上がって左へ投げるのではなく、腰を浮かした状況で左へ投げるわけで、相手次第で打つなり、突なり出来る状況であるべきでしょう。相手をはるか向こうに投げ飛ばすのは理に合わないでしょう。
 五藤先生の手記の「うすみ上げ」土佐の方言に「うずむ」と云うのがあります、意味は「無造作に抱きかかえる」と云う事です。業に置き換えれば、柄を留めている相手の両肘を両手で抱きかかえ腰を浮かして左へ振り捨てるでしょう。この抱きかかえは、政岡先生の無双直傳英信流居合兵法地之巻の大小詰一本目抱詰に見られます。
 投げるに当たって、手で投げようとするのを見ますが。此処は、体軸をしっかりさせて腰で投げる。その後の処理は手附には無いので、投げた相手を起し元の位置に双方座すで良いのでしょう。実戦では投げた状況により様々な方法があるでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2019年4月18日 (木)

曽田本その2を読み解く10英信流太刀打之位10の10打込一本

曽田本その2を読み解く
10、英信流太刀打之位
10の10打込一本
参考
曽田本その1
古伝神傳流秘書
太刀打之事
10本目
打込:相懸又は待処へ遣方より請て打込み勝なり
曽田本その2
業附口伝
英信流太刀打之位
10本目
打込一本:(伝書になし口伝あり)(留の打込なり)(仕打中段)双方真向に物打にて刀を合はし青眼に直り退く
 古伝は「仕より請て打込み勝」です。文章通り捕えれば、打が打ち込んで来るのを仕は請けて、打込み勝のでしょう。
 9本目で抜き請けして打込んでいますから、抜刀して請けて打込む方が容易とも言えます、古伝には打込は無かったと業付口伝は云っていますから無かったでいいかも知れません。
それでは何故手附が書かれているのか、それは曽田先生が書き加えたのだろうとしか言えません。
*
 業付口伝は、相中段で間に至りて双方上段に振り冠、真向に打込んで物打で刀を合わせる。
 この業は何でしょう、新陰流の合し打ちをイメージしているのでしょうか。それとも武的踊りを上手に踊れと云っているのでしょうか。
 見ていますと、双方の切先が届かない間合いで双方の真中辺りで刀を打ち止めしています。
 真直ぐ打込む稽古と思えばまあいいかでしょう。上段から振り下して45度で双方手の内を締めて刀を合わせる稽古でしょう。
 恐らく、第九代林六大夫守政は真陰流(新陰流)を大森六郎左衛門から手ほどきを受けていたならば、新陰流の合し打ちを知っていたでしょう。
 打が上段から真直ぐに仕の頭上に打ち込むのを、仕も上段から真直ぐに打の頭上に打ち込み、打の刀を打ち落して斬り込む極意です。
 形骸だけが残ったのでしょう。打が手の内を緩めて応じてやれば容易に合し打ち風の形が見られるかも知れません。形は出来ても術は決まっていません。
 演武会の形演舞の稽古をしても意味の無いものです。
参考
第19代福井春政直伝
嶋専吉先生無雙直傳英信流居合術形乾
太刀打之位
10本目
留之剱:(打込一本、但し伝書になし)
姿勢及構へ、仕太刀、打太刀共に中段
業、互に進み間合にて真向より物打あたりにて軽く打合ひ(音を立てゝ強く撃ち合ふ意にあらず)更に青眼に直りて残心を示し正しき位に復す。
 右「留之剱」終らばそのまゝ一旦後方に退き血振ひして刀を鞘に納め更に前進し正坐にて刀の終礼を行ひ再度後退して対立のまゝ相互に黙礼をなし、次で神前の敬礼を行ふ。
 英信流太刀打之位を終ります。
 次回は英信流大小詰となります。

 

 

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2019年4月17日 (水)

曽田本その2を読み解く10英信流太刀打之位10の9心明剱

曽田本その2を読み解く
10、英信流太刀打之位
10の9心明剱
参考
曽田本その1
古伝神傳流秘書
太刀打之事
9本目
心妙剱:相懸也打太刀打込を指なりに請て打込み勝也(打込む時相手の刀をおしのける業あるべし 曽田メモ)
曽田本その2
業付口伝
英信流太刀打之位
9本目
心明剱:(仕納刀、打上段)心妙剱ともあり山川先生秘書( 曽田メモ)是も相掛りにても相手待ちかけても不苦、敵は真向へかむり我鞘に納てスカスカと行也其時片手にて十文字に請るなり、其侭に敵引也すぐに我打込み勝也気合大事云々
 最後に打込む時は敵の刀を押し除ける様にして左足を踏み込み敵の首根に打込む也
 この業名は古伝は心妙剱です、業付口伝は心明剱となっています。
 古伝は7本目独妙剱・8本目絶妙剱・9本目心妙剱として「妙」の文字をもってきています。
 業附口伝7本目絶妙剱・8本目独妙剱・9本目心明剱で、9本目だけ「明」となっています。
 業附口伝は,曽田先生が実兄の師匠16代五藤正亮、谷村樵夫自庸の口伝を土居亀江によって聞き伝えられたものを書き留めたものです。
 古伝神傳流秘書が五藤先生に伝わって居れば古伝の侭であったでしょうが、聞き伝えで学んだものでしょうから思い違いがあるかもしれません。この7本の業名称は如何にも武術らしい名付けですが、業名と業技法は関連が無さそうです。こじつければ幾らでも思い浮かぶかもしれませんが、私には連想できるものがありません。
 古伝神妙剣の短い文章からこの業を思う時、抜けがあり過ぎてどうしたらいいのか、呆然としてしまうならば、曽田先生のメモに目をやって誤魔化してしまいそうになります。
 太刀打之事に至るまでに、大森流・英信流を稽古して来ています。其の中で相手が打ち込んで来るのをどの様にして応じて来たでしょう。大森流だけでも陽進陰退(八重垣)・流刀(受流)・順刀(介錯)・逆刀(附込)・勢中刀(月影)・抜打(抜打)の業は相手に打ち込まれ応じてきた業です。
 英英信流でも虎一足・稲妻・抜打(真向)是等もそうでしょう。中でも逆刀や勢中刀、抜打・稲妻・抜打(真向)は心妙剣の良いお手本です。是等は居業ですから此処では立業で相懸りです。
 相手も刀を腰に差して抜き打って来るでも、上段に構待でも充分応じられる筈です。心妙剣の「打太刀打込を指すなりに請て打込み」の「指すなりに請」ればいいのでしょう。「請て」は力任せにガチンと十文字受する事を頭に描く必要な無いでしょう。
 相手の打込みを、請けた業は、流刀・抜打でしょう。請けずに外して打込んだのは逆刀・順刀、断って置きますが順刀を介錯としたのは大江先生でしょう、古伝は首きりの業と特定して居ません。
 相手の打込みの先を取ったのは月影と稲妻です。従って相手が上段から打ち下ろさんとする其の機に相手の小手を取る程の業を身に着けているわけです。
 ここでは、私は抜打の立業を使いたいと思います。相手の打込みが早く、外す余裕が無い柄に手を掛けるや右手を正中線上に添って刀の刃を外に向け上に抜き上げ、相手真向に打込むや抜き放ち相手刀を摺落し手を返して相手の真向に打込み勝。是が出来なければ抜打と真向振り出しに戻るべきです。太刀打之事は初心者向けの組太刀では無いでしょう。
 従って、曽田先生のメモ書きの「相手の刀を押しのけるの」など 無用のことです。
*
 と云う事で業附口伝を稽古して見れば、相手が真向に打ち込んできたのを、片手で抜き請けに十文字受けしています。
 相手が再度打たんと右足を退いて振り冠る隙に、左足を踏み込んで打ち込み勝と云う、相手任せの業手附になりました。
 十文字受は相手の刀と我が刀をどの角度で請けるかがポイントで、十文字だから我が刀を刃を上に向け頭上で水平に受ける、などすれば忽ち刀と共に打ち砕かれそうです。
 私など、非力ですから、そんな十文字は思い描きません。稲妻の様に抜き請けします。抜き請け出来るならば柄口六寸の極意は出来てしまいますが、手附に添って請けるや右肩から刀を廻し受け流し、廻し打ちに足を踏み変えて相手の右面に打ち込みます。
 左手を添えて押し退けるなど、武術とは思っていません。此の心妙剣はいい業です。古伝は書いて無い処は自分で工夫して稽古するものです。だからと云って書いてあるところを替えてはならないと思います。
 業附口伝は大江先生の英信流居合の型よりましですが疑問です。
第19代福井春政直伝
嶋専吉先生無雙直傳英信流居合術形乾
太刀打之位
9本目
心明剱:姿勢及び構へ、仕太刀納刀の儘、打太刀上段、共に立姿
業、打太刀は真向に冠り、仕太刀は帯刀のまゝ相掛りに前進し間合に至り打太刀上段より仕太刀の面に打下すを、仕太刀間髪を容れず抜刀、隻手(ひとつて、せきて、片手)にて頭上十文字に請け止め、打太刀の引き際に(打太刀は足を替へずに体を僅に退く)右片手にて打太刀に刀を押し除くるが如く右下に払ひ、左足を左方に踏込み打太刀の首根を断つ。
 この業特に「気合大事なり」とあり充分こころすべし。
尚この形に於て仕太刀隻手刀を払ふ業、及び左足の踏込みと共に相手の頭べを撃つ動作には特に工夫あるべし。
 次に刀を合せ五歩後退。
 仕は抜き請けに右片手で相手の打ち込みを「十文字に請け止め、打の引き際に右片手にて打の刀を押し除くるが如く右下に払ひ」ですが、打の引き際は(打は足を替へずに体を僅かに退く)のだそうです。元々形は申し合わせを免れないとしてもこんな事をしていてもいつまで経っても上手に成れそうも有りません。 

 

 

 

 

 

 

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2019年4月16日 (火)

曽田本その2を読み解く10英信流太刀打之位10の8独妙剣

曽田本その2を読み解く
10、英信流太刀打之位
10の8独妙剣
参考
曽田本その1
古伝神傳流秘書
太刀打之事
8本目
絶妙剣:高山にかまへ行て打込み打太刀より亦打込を請て相手の面へ摺り込み相手肩へ取る
(請くる時は切先に手をそへ頭の上にて十文字に請け留むるあり)
曽田本その2
英信流太刀打之位
8本目
独妙剣:(仕打八相)是も同じく抜也、敵待かけても相がかりにても不苦、八相にかたぎてスカスカと行場合にて打込也、其時敵十文字に請て又我が真向へ打込也、其時我又本の侭にて請け面へ摺り込み勝也
(山川先生には絶妙剣とあり)
(我請たる時は左手を刀峯に当て次に摺り込み勝也)
五歩退き納刀次に移る
 前回に解説していますが、古伝神傳流秘書の8本目は絶妙剣、業付口伝は8本目が独妙剣です。
 業は細部はともかく、仕が打に討ち込み打は其れを請ける、次に打が打ち込んで来るのでそれを十文字に請け打の面へ摺り込み勝。そんな業で同じ業が業名を取り違えられて伝承したと云うわけです。
 第16代五藤正亮先生に正しく古伝神傳流秘書が引き継がれて居れば恐らくこの様な取り違えは無かったでしょう。口伝口授に依る間違いとも言えます。それを曽田先生の実兄土居亀江先生は曽田先生に口授したわけです。
 業名に特に拘る絶妙と独妙の様ですから、業付口伝は8本目が独妙剣と覚えておけば江戸後期から明治の組太刀と知れるでしょう。
 古伝は上段に構え、業付口伝は八相です。
 相掛りに仕が上段から右足を踏み込み真向に打込、打も右足を踏み込み八相に請けるや右肩から廻して上段に冠リ、仕の真向に足を踏み替え打込む、仕は切先に手を添え足を踏み替え十文字に請け、左足を摺り込んで打の刀を摺り込み打の面へ付ける、打は一歩退き刀を左肩に取る。
 業附口伝は双方八相に構え相掛に歩行き、仕が八相から振り冠って打の真向に打込む、打は八相に請け、右肩から刀を廻し振り冠って、足を踏み替え仕の真向に打込む、仕は其の位置で右足前の侭、切先に手を添え十文字に請け左足を踏み込んで打の刀を摺り落し面へ付ける。
 仕の足裁きを替えてあります。
第19代福井春政直伝
嶋専吉先生無雙直伝英信流居合術形乾
太刀打之位
8本目
独妙剣:姿勢及び構へ、仕太刀、打太刀共に八相立姿
業、互にスカスカと進み間合ひにて仕太刀は打太刀の面に打下すを打太刀十文字に請止む。
 次で打太刀体を前に進め(足を替ふることなく)仕太刀の真向に打込み来るを仕太刀は左手を刀の棟に添へ(刃を上に、棟を拇指(内側)と他(外側)との間に請けて)体を後ろに退きて(足を替へず)頭上十文字に請止め。
 更に左足を一歩踏み出し摺り込みて打太刀の喉に刺突を行ふ姿勢となる(此場合打太刀は依然足を替へずに唯々上体を少しく後方に退く、従て打太刀の右膝と仕太刀の左膝と相向ふことゝなるなり)刀を合はせ互に五歩退き血振ひ納刀。
 打の打込みで、打が踏み込んで打ち込めば左足前、気勢が強ければ仕は退きつつ請ける。
 打が足を踏み替え其体の位置で打ち込めば、仕も足を踏み替え請ける。
 打が足踏みを替えずに打ち込めば、仕もその足踏みで請ける。
 どれが良いかは、状況次第でしょう。
 それよりは、打の打込みに仕は左手を刀に添えて十文字受けする、其の左手の添え方が気になります。
 拇指を内側他指は外側、拇指と人差し指の股に棟を乗せるように指導する、または絵や写真が横行しています。
 この添え手は、拇指は内側ですが他の指は稍々外向けで人差し指の付け根から小指下の膨らみに棟を乗せる下から支える様な手の内にすべきでしょう。
 更に十文字受けは、請けてどっこいしょと摺り落さずに、請けた瞬間に打の刀は摺り落ち、仕の切先は打の面に付けられる運剣を学ぶものでしょう。

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2019年4月15日 (月)

曽田本その2を読み解く10英信流太刀打之位10の7絶妙剣

曽田本その2を読み解く
10、英信流太刀打之位
10の7絶妙剣
参考
曽田本その1
古伝神傳流秘書
太刀打之事
7本目
独妙剣:相懸也打太刀高山遣方切先を下げ前に構へ行場合にて上へ冠り互に打合う尤打太刀をつく心持有り柄を面へかへし突込み勝
参考
曽田本その1
古伝神傳流秘書
太刀打之事
8本目
絶妙剣:高山にかまへ行て打込み打太刀より亦打込を請て相手の面へ摺り込み相手肩へ取る
(請くるときは切先に手をそへ頭の上にて十文字に請け留むるあり 曽田メモ)
曽田本その2
英信流太刀打之位
業附口伝
7本目
絶妙剣:(仕下段、打八相)是は我前へ切尖を下げスカスカト行き場合にて互に拝み打に討也、敵と我とは拳と拳と行合其時すぐに面へ柄頭を突込勝也
(相掛りにても敵待ちかけても不苦、仕は鍔ぜりとなるや右足を「どん」と踏み直に左足を踏み込て敵の拳の下より人中に当る也、打構へ不明なるも八相ならん 曽田メモ)(詰合の眼関落とし)(山川先生のには独妙剣とあり)
曽田本その2
英信流太刀打之位
業附口伝
8本目
独妙剣:(仕打相八相)是も同じく抜也、敵待ちかけても相がかりにても不苦、八相にかたぎてスカスカと行場合にて打込也、其時敵十文字に請て又我が真向へ打込也、其時我又本の侭にて請け面へ摺り込み勝也
(我請たる時は左手を刀峯に当て次に摺り込み勝也 曽田メモ)
五歩退き納刀次に移る
(山川先生のには絶妙剣とあり 曽田メモ)
 業名は古伝は7本目独妙剣・8本目絶妙剣ですが業附口伝は7本目絶妙剣・8本目独妙剣と入れ替わっています。
 業附口伝は、第16代五藤正亮・谷村樵夫自庸の口伝を実兄土居亀江の口伝によって曽田先生が記述したものです。
 江戸末期から明治には業名までも混乱するような時だったのでしょう。五藤先生は谷村派ですから古伝神傳流秘書を読む機会は無かったかもしれません。口伝口授で引き継がれてきた。下村派には機会はあっても一部の限られた人だけしか拝めなかったかも知れません。いずれにしても、明治維新後は伝承は途絶えたでしょう。
 ここでは業附口伝太刀打之位7本目絶妙剣と古伝神傳流秘書太刀打之事7本目独妙剣の対比となります。
 業付口伝は打八相、仕下段、古伝は打高山、仕下段。双方上段に振り冠って拝み打ちに打ち込み、拳を合わせ押し合って仕は柄を返して打の面へ突き込み勝。
 拝み打ちで何をすれば鍔競り合いになるでしょう。私なら打之太刀を切り落としてこの業は不成立です。
 或いは刀が交差する直前に刃を稍々斜めにして受け太刀になるや打之太刀を押し上げて踏み込みます。
 双方打ち合う時、古伝は仕は下段から打を突き上げるように摺り上げて刀を合わせ押し合う、業付口伝の拝み打ちとは異なります。
 柄を返して面へ突き込む際業附口伝は「ドン」と床を踏み鳴らして下から打の小手を押し上げ突き込む。押し合う拍子に突き上げて突く、打が本気で押し込んで来るのを往なすことが出来なければ業になりません。
参考
第19代福井春政先生直伝
嶋専吉先生無雙直伝英信流居合術形乾
7本目
絶妙剣:姿勢及び構へ、仕太刀下段、打太刀八相共に立姿
業、互に進み間合にて双方拝み打に撃下し次で鍔競りにて互に押し合ひ力を弛めし瞬間仕太刀は右足にて大地を踏み付け同時に左足を一歩相手の右側に踏込み相手の両拳下より人中に柄当てを行ふ、互に刀を合せ五歩退き血振ひ、納刀す。

 

 





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2019年4月14日 (日)

曽田本その2を読み解く10英信流太刀打之位10の6水月刀

曽田本その2を読み解く
10、英信流太刀打之位
10の6水月刀
参考
曽田本その1
古伝神傳流秘書
太刀打之事
6本目
水月刀:相手高山或は肩遣方切先を相手の面へ突付て行を打太刀八相へ払ふ処を外して勝或は其侭随て面へ打込み勝も有り
曽田本その2
英信流太刀打之位
業附口伝
6本目
水月刀:(仕中段、打八相)(詰合の水月刀に□同じ)是も相懸りにても敵待かけても不苦、敵の眉間へ我太刀の切尖を指付てスカスカと行也、敵我太刀を八相にかけてなぐる也其の時我すぐにかむりて後を勝也
参考
業附口伝
詰合之位
9本目
水月刀:(相上段)是も同じく立合て真向へかむり相掛りにても敵待かけても不苦。我真向へかむりてスカスカと行場合にて太刀の切先を敵の眉間へ突き込む様に突く也、其時敵すぐに八相に払ふ其時すぐにかむり敵の面へ切込み勝也、互に五歩退り血振納刀以下同上
 古伝も業附口伝も双方の構えに違いがあっても、仕が打の面へ切先を突き付けるを、打が八相に払って来る。
 古伝は、打が払って来るのを「外して勝」のですが、業附口伝は打が「八相にかけてなぐる」のですから、仕は太刀を払われて、払われるに随って右肩から振り冠って真向に打込み勝のでしょう。此の事は古伝の「或は其侭随て面へ打込み勝も有り」の状況でしょう。
 業附口伝詰合之位の6本目水月刀は「敵すぐに八相に払ふその時すぐにかむり敵の面へ切込み勝」是は払われたのか、外したのか不明瞭です。
 古伝の「打太刀八相に払ふ処を外して勝」を稽古して見ましょう。此の場合は面に突きつけた我が太刀を敵が払う、あるいは我が左小手を払う、何れも、、仕は、突き付けた状態で打が打ち込んで来るぎりぎりまで待ってひょいと柄手を上に上げ、打の払い損ねた柄手に打込む。柄口六寸の極意業が出来れば最高でしょう。
第19代福井春政先生直伝
嶋専吉先生無雙直伝英信流居合術形乾
太刀打之位
6本目
水月刀:姿勢及び構へ、仕太刀中段、打太刀八相、共に立姿勢
業、立合ひ相掛りにて進み仕太刀は(打太刀の眉間に剣尖を擬しつゝスカスカと前進)間合いにて一歩踏出して打太刀の眉間を突く、打太刀は八相より、その刺突し来る仕太刀の刀を打払ふ、このとき仕太刀は左足を左方に踏み開き更に右足を進め打太刀の面に打下す。(打太刀に払わるゝや「仕太刀直に冠りて後を後を勝つなり」とせるもあり、此場合仕太刀は刀を払はるゝや左足を左方に踏み開き右足を一歩踏出して振冠り残心を示す姿勢となる)。
 刀を合せ五歩後退し血振、納刀。
 「仕太刀直に冠りて後を勝つなり」は業附口伝の文言です。
 八相に太刀を払われるのですから、払われるに随って、左に踏み開き右肩から振り冠って右足を踏み込み残心。
 この業を演じるのを見ていますと、だいたいこんな処です。古伝の「八相に払ふ処を外して」はお目にかかれません。
 仕の突き込む様に誘う小手は、打にとって充分狙える位置にあるのにわざわざ刀を払ってしまうわけです。刀を払うのは小手を斬るより遠間ですから、十分外せます。小手に切り込んできた場合も八相に切って来るので充分引き付けて柄手を上に上げて外せます。外すと同時に相手の小手を斬れるはずです。失伝した「柄口六寸」の極意業でしょう。

 

 

 

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2019年4月13日 (土)

曽田本その2を読み解く10英信流太刀打之位10の5月影

曽田本その2を読み解く
10、英信流太刀打之位
10の5月影
参考
曽田本その1
古伝神傳流秘書
太刀打之事
5本目
月影:打太刀冠り待所へ遣方右の脇に切先を下げて構へ行て打太刀八相に打を切先を上て真甲へ上て突付て留め互に押相て別れ両方共車に取り相手打をはづす上へ冠り打込み勝
曽田本その2
業附口伝
5本目
月影:(仕下段、打八相)是も同じく抜て居るなり、相掛りにても敵待ちかけても不苦、敵八相にかたきて待ちかくる也、我は太刀先を下げてスカスカと行也場合にて敵八相に打処を出合て互に押合又互に開敵打込む処を我左足を引き立ち直りて打込み勝也
(我左足を引きたる為め敵空を打ちたるを我すぐにかむりて敵の真向に打込也、体互に開きたる時は脇構の様になる也)
 古伝は打「冠り待」ですから上段だろうと思えますが、仕「右の脇に切先を下げて構へ行」時、打は「打太刀八相に打」ので、上段から八相に取るか、八相に初めから構えるかでしょう。時代背景から上段よりも八相の方が良さそうです。
 仕の構えは右下段でしょう、切先を右足前に向け下段に構える。
 仕の左面から左肩が開いているので打は右足を踏み込み左面に切り込んで来る、仕は切先を上げて打の真向に突き上げるようにして、打の刀を摺り留め互いに拳を合わせて押合い、双方右足を後方に退いて左身になって車に構える。
 仕は左膝に誘う様にし、打は透かさず、車の構えから右足を大きく踏込み仕の膝に斬り付ける。
 仕は左足を右足に引き付け打に空を打たせ、上段に振り冠り右足を踏み込んで打ち込み勝。
 打は仕の膝に体を低くして斬り付ける際車の構えから上段に振り冠らずに切り込むのが古流剣術でしょう。仕は左足を退くと同時に刀を右から引被る様に上段に取り、体を立て直そうとする打の真向に打込むのが良さそうです。
 業附口伝は、打は八相の構えから仕の左面を打って来る、仕は下段から切先を上げて突き上げ摺り込み刀を合わせ、押し合い、互に車に構え後は古伝と同じでしょう。
 此の業を演じるに当たり、打は八相から上段に構え直し、仕も下段から上段に構え直し双方拝み打ち、中間で物打を合わせるなど、おかしな事を何故するのでしょう。
 八相から上段に振り冠る間に、下段から刃を返して左小手を斬る事も出来そうです。八相の構えから仕の左面か左肩に斬り付けるべきでしょう。
 仕も下段から上段に構え直す間に打に切られそうです。
参考
大江先生の英信流居合の型
五本目
鍔留に状況は同じです。
鍔留:・・打太刀は中段となり、仕太刀は下段となる、互に右足より三歩出で、打太刀は右足を左足に引き上段に冠り真直ぐに打下し、仕太刀は右足を左足へ引き上段となり、右足を出して打下して互に刀を合す、仕打鍔元を押し合ひ双方右足を後へ引き左半身となり、刀刃脇構として刀尖を低くす、打太刀は直ぐに上段より右足を踏み込み仕太刀の左向脛を切る、仕太刀は左足を充分引き上段となり空を打たせ上段より頭を斬る、・・・。
 この手附は、何故そうするのか不思議です。打中段、仕下段で三歩相進み、其処で右足を左足に引き付けて上段に双方ともなっています。
 打はそのまま真向に打ち下す、仕は右足を出して打下します。此の無駄な動作と打の足捌きは文章の抜けでしょうか。
 中学生に真向相打ちの意味を教えていたのか疑問です。古伝も業附口伝も打が八相に切って来るので真向打ちでも刀を合わせられますが、これはどうでしょう。
 打は切先を低くした脇構えから上段に冠って、中腰となり上体を前に流して仕の左足を斬りに行く・・。仕も脇が前から上段に冠って打の頭を斬る。
 ギッタンバッコンですね。大江先生の英信流居合の型は、古伝を勉強して見直す時期に来ているでしょう。
第19代福井春政先生直伝
嶋専吉先生の無雙直伝英信流居合術形乾
5本目
月影:姿勢及構へ仕下段、打八相、共に立姿勢
業、八相に構へて互に前進、間合を取り(此場合稍々間合を近くとる)、打太刀はっそうより仕太刀の頭上に打込み来るを仕太刀之に応じて同じく打合はせ拳が行き合ふ瞬間鍔元にて押し合ひ更に双方右足を大きく退きて稍々左半身に体を開き剣尖を低くして脇構へとなり続いて打太刀は右足を一歩踏込み上段より仕太刀の左股に斬り込むを仕太刀充分に左足を退きて空を打たせ、立直りて右足を一歩踏出し上段より打太刀の頭上に打下す。 
 刀を合せ互に五歩退き血振ひ納刀。
業附口伝の打ち合いと同じでしょう。脇構えの切先を低くする竹刀剣道の脇構の形は昭和17年ですから大日本武徳会指導による大日本帝国剣道形に従わざるを得なかったでしょう。第19代の打の脇構えから仕に切り込む部位が「左股」です、是は上段から右足を踏み込み切り込むのです。
 この流の業技法は一人の指導者によって左右されてきました、技術委員会など立ち上げて正しい業技法を検討しなければ古伝との乖離は我慢できても対敵意識の乏しい演舞では何処をさ迷うのか疑問です。
 とは言え帝国剣道形も委員が集まって検討したとはいえ、結局大家によって力押しされたと思います。

 

 

 

 

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2019年4月12日 (金)

曽田本その2を読み解く10英信流太刀打之位10の4請込

曽田本その2を読み解く
10、英信流太刀打之位
10の4請込
参考
曽田本その1
古伝神傳流秘書
太刀打之事
4本目
請入:(請込共云う)前の如く打合相手八相に打を前の如くに留又相手より真甲を打を体を右へ開きひぢを切先にて留勝
「前の如く打合」
3本目
請流し:遣方も高山相手も高山或は肩へかまへるかの中也待処へ遣方歩行右の足にて出合ふ打込を打太刀請扨打太刀の方より少し引て裏を八相に打つを左足にて出合ふて留相手又打たんと冠るを・・
此処から4本目請入:・・(相手より真甲を打つを)体を右に開きひぢを切先にて留勝
曽田本その2
英信流太刀打之位
4本目
請込:(請入)(仕打相八相)是も同じく相掛りにても敵待かけても不苦、請流の如く八相にかたきスカスカと行て真向へ打込也、敵十文字に請て請流の如く裏より八相に打其処を我も左の足を出し請流の如く止むる也、敵其時かむりて表より討たんとする所を其侭左の肘へ太刀をスケル也
(体を右に開き下より二の腕を掬ひ上げる也)
 業附口伝は、足裁きが語られていませんが、仕は一刀目右足を踏み込み真向に打ち、打も右足を出してこれを十文字に請ける、二刀目は打が右足を引いて裏八相に仕に切り込む、仕は之を左足を踏み込み裏八相に請ける。
 打は上段に振りかぶらんと左足を引いて下る處、仕は右足を右斜め前に踏込み体を右に開き、左足を右足の後方に摺り込み低い八相から下から掬い上げる様に打の左肘に斬り付ける。
 この動作は古伝と同じです。この業は大江先生の英信流居合の型三本目絶妙剣に稍々近いものです。
参考
大江先生
英信流居合の型
3本目
絶妙剣:・・・仕ハ、八相のまゝ右足より五歩交互に進み出て、同体にて右足を踏み出して、右面を斬る、打は八相より左足を引きて仕の太刀と打合す、仕は左足を出し打は右足を引きて、前の如く打合せ、打は左足を引きて上段構へとなりて斬撃の意を示す、之と同時に仕は右足を出して体を右半身とし、中腰となりて、左甲手を斬る・・・。
 文章表現の違いで、古伝と同じだろうと云われる方もおられるかもしれません。此の場合打は退きながら先を取ろうとしている、それを仕に止められている事が表現から読み取れないでしょう。
 古伝は先に攻めて、次に後に請けて、終いは後の先なのです。
参考
第19代福井春政先生直伝
嶋専吉先生無雙直伝英信流居合形乾
太刀打之事
4本目
請込:(請入)姿勢及び構へ、仕打共に立姿勢、八相
業、相ひ八相より相掛りにてスカスカと進み仕太刀表より打太刀の面を撃つ、打太刀は之を表十文字に請く。
 仕太刀更に左足を一歩進め八相より裏に打込むを打太刀右足を退き裏にて請け更に左足を退きて上段に振り冠るところを仕太刀素早く右足を大きく一歩斜右前に踏込み体を右に開打太刀の左上膊部を下より掬ひ切に打つなり。
 静かに刀を合せ正位に復し互に五歩退きて血振ひ納刀をなす。
 第19代は、大江先生より二刀目の攻防がおかしい、一方的に攻められてしまい受け太刀になってしまいました。
 大江先生は、まだ相打ちでした。古伝はここは打が退きながら仕に切り込むのです、それを仕に受け留められたので、再び先を取らんと振り冠ると同時に「請込まれ」左肘に切り込まれるのです。
 攻防の妙に筋が通らないめちゃくちゃなのはこの流の指導者の力量に問題ありかも知れません。
 細かいところですが、仕は請込む時の切りつける部位もそれぞれです。
 古伝   :肘
 業附口伝:左肘
 大江先生:左甲手
 第19代 :左上膊部
 下からの掬い切りは、斬撃力を増す為の隠れた動作が膝・腰に無ければなりません、恐らく指導出来る先生は少ないでしょう。其の為に左甲手や左上膊部に当てる振りでお茶をにごしているようです。
 演武会などで見ていますと、下から掬い切りにするのを、上から打ち込んでいたり、右に筋を替らずに下から掬いきりしたり、どの様な考えで指導されたのか疑問です。あらゆる変化をやって見るのは良しとしても、演武会では流の形をしっかりすべきでしょう。
 一刀目の仕の斬り込みは大江先生は左面ですから、その請けは表八相で請ければよいのです。
 業附口伝の様に真向に打込まれた場合、打も真向に打込み双方の真中で物打で刀を合わせるなどおかしいでしょう。此処は十文字受とするもので、打の切先は右上で刃で請けるべきしょう。
 私が前に所属していたところでは、真向打ちに真向打ちで双方の中間で物打を合わせていました。何故の問いに「一刀流の切り落し」と同じと嘘ばっかりです。切り落とされてしまえば一刀目で勝負がついてこの請込は成立しません。一刀流の切り落としを学ぶ方便として真向打ち合いを入れたのならば、切り落としを別に指導すべきです。其の上で真向打ち合いを演舞上では双方の中間で合わせるならば理解しますが、正中線を真直ぐに打ち込む事も出来ず、手の内も不十分で寸止めも出来ない者が何をしているやら。

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2019年4月11日 (木)

曽田本その2を読み解く10英信流太刀打之位10の3請流

曽田本その2を読み解く
10、英信流太刀打之位
10の3請流
参考
曽田本その1
古伝神傳流秘書
太刀打之事
3本目請流:遣方も高山相手も高山或は肩へかまへるかの中也待処へ遣方歩行右の足にて出合ふ打込を打太刀請扨打太刀の方より少し引て裏を八相に打を左足にて出合ふて留相手又打たんと冠るを直に其侭面へ突込み相手八相に払ふをしたがって上へ取り右の足にて真甲へ勝
曽田先生
業附口伝
3本目
請流:(仕打相八相)是は敵も八相の構にて行真向へ討込也(敵待ち居ても相掛理に手も不苦)敵十文字に請て又八相にかけて打込也、我其時左の足を一足踏み込て裏を止ると敵又引きてかむる処を我其侭面へ突込也敵其時横に払ふ也其処を我体を開きかむり後を勝也
(又最後に首根に討込み勝もあり)
 この業は、一刀目は仕は右足を踏み込み打込、打も右足を踏み込んで請ける。
二刀目は打が右足を退いて仕に裏八相に打込む、仕は左足を踏み込んでこれを請ける。
三刀目は打が打ち込もうと左足を引いて冠る、仕は右足を踏み込み打の面へ突き込む。打は右足を引いて仕の刀を払う。仕は払われるに従って左足を左斜めに踏み込んで打の払う刀を請流し右足を踏み込んで打の真向に斬り付ける。
 古伝も業附口伝も足捌きは仕は歩み足で前進、打は一刀目のみ踏み込み足、二刀目以下は歩み足で退きながら斬り付けています。
 業附口伝は仕の斬り込みが八相から真向への打込みです。曽田先生が記述された業附口伝ですから、仕の動きは直線的な動きでしょう。従って八相から上段に冠って真向打ち、ハ相から上段に冠って裏八相に受ける、そんな運剣を想像します。
 この業の教えは、相手が突きを払うに従って請け流す事を学ぶ様ですが、私は其れより筋を変わり乍ら打つ、請けるの足捌き体裁きを重要視したい処です。
 従って稽古では素早くチョンチョン打ち合わず、双方ユックリ打ち合う事と思います。
参考
第19代福井春政直伝
嶋専吉先生の無双直伝英信流居合術形乾
太刀打之位
3本目
請流:前の業終りて後、当業に移るに当たり、打太刀は後退することなくそのまゝの位置に留り仕太刀の前進を待ちかくるも苦しからず、但し以下何れも、打太刀も一旦後退して相掛りとなる場合を解説のことゝせり、当業以下「心明剣」に至る七本何れも同様なり。
姿勢及び構へ:仕太刀、打太刀共に八相の構へ(立姿勢)
:双方八相の構にて前進、仕太刀真向に打込む、打太刀之れを十字に請く。
 仕太刀更に左足を一歩進め裏を打つ、この時打太刀一歩右足を退き八相より裏に請止め、打太刀更に左足を退き上段に振冠るところを仕太刀青眼より右足を踏出して打太刀の面へ突込む、打太刀は之を左下方に払ふ。
 仕太刀其機に体を左に開き右足を前に進め上段に冠り後を勝つ。互に刀を合はせ原位に復し五歩後退血振ひ、納刀。
 どこで変わってしまったのか、第19代の請流は一刀目仕が真向へ打込み打が受ける。
 二刀目も仕が裏八相から打に打込み、打は裏八相に引きながら受け留めています。打が引きながら上段に振り冠る処を、仕は青眼になって突き込むので打は左下に払っています。
 打は前進しつつ攻撃をしています、古伝とも業付口伝とも違うのは、打は退きながら請け太刀になってしまっています。古伝も業付口伝も打は退きながら斬り込むのでした。
 土佐の居合は一本筋が通らない不思議が、権威者によってまかり通る処に在る様です。それだけに古伝の教えをしっかり受け止めて、筋を通し、その上で変化業は変化業として扱うべきでしょう。
 19代の請流では、仕の剣士としての成長は覚束ないでしょう。

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2019年4月10日 (水)

曽田本その2を読み解く10英信流太刀打之位10の2附込

曽田本その2を読み解く
10、英信流太刀打之位
10の2附込
参考
古伝神傳流秘書
太刀打之事
2本目
附入:(附込共云う)前の通り抜合せ相手後へ引かむとするを附入左の手にて拳を取る也右の足なれども拳を取る時は左の足也
曽田本その2
業附口伝
英信流太刀打之位
2本目
附込:(附入)(仕打相納刀)是も出合の如く相掛りにて右の足を先にして場合にてさかさまに抜合せ敵の引かんとする処を我左の足を一足付込左の手にて敵の右の手首を取る、此の時は左下に引きて敵の体勢を崩す心持にてなすならん、互に刀を合せ五歩退き八相に構へ次に移る。
 刀を鞘に納めて相掛に進み、相手より膝に切り込んで来るのを仕は虎一足の様に受け止める、相手引こうとする処を、相手に附け入って左足を相手の左足側面に踏込み相手の右手首を取って仕の左下に引いて打の体勢を崩す。
 古伝と業附口伝とはここまでで終わっています。此の業は大江先生の居合道型の2本目拳取りです。
参考
大江先生
英信流居合の型
2本目
拳取:一本目と同じく、虎走りにて出で、膝にて抜き合せ、仕太刀は、左足を打太刀の右足の側面に踏み込み、左手にて打太刀の右手頸を逆に持ち下へ下げる、打太刀は其まゝにて上体を稍や前に出し、仕太刀は其れと同時に右手の拳を腰部に當て、刀尖を胸に着け、残心を示す、仕太刀は一歩退り、打太刀は一歩出でて、青眼構となる、(仕太刀は五歩青眼にて退り打太刀は其まゝにて位置を占む)
 なんで虎走りにしたのか解りませんが、恐らく「突撃「の号令に遮に無に敵陣へ走る兵隊を思い描いたのではないでしょうか。抜き合わせも相打の雰囲気しか伝わりません。付け入って「打の右手首を逆に持ち下へ下げる」と「「刀尖を胸に着け、残心」が追加されています。
第19代福井春政先生の直伝
嶋専吉先生の無雙直伝英信流居合術形乾
太刀打之位
2本目
附込:姿勢及び構へ、仕太刀、打太刀共に帯刀のまゝ対立
業:互に右手を柄に懸け相掛りにて進み間合いにて右足を踏み出すと共に相手の右足に抜合すこと「出合」の場合と同様なり。
 次で打太刀の退かんとするところを仕太刀跳込むが如く左足を相手の右側に深く一歩踏込み右足をその後方に踏み添へて体を開き、相手の右手首を左手にて逆に捉へ之れを己が左方下に引きて打太刀の態勢を崩し、刀を右手にて腰部に支へつゝ剣尖を打太刀の水月に擬し之をれを刺突の姿勢となる。
 互に中段に刀を合せ正しき位置に復したる後双方五歩退し血振ひの上、刀を納む。
 福井先生しっかり大江先生の形を取り入れています。抜合すのであって、打の或いは仕の先制攻撃を請けるのではなく、相打ちにしています。
 「打が退かんとするところを仕は跳込むが如き」に踏み込みます。表現が大袈裟で飛び込んでしまいそうです。
 打の右手を制し、大江先生は胸に、福井先生は水月に刺突の姿勢を取っています。古伝及び業附口伝は附け入って相手の態勢を崩す処からは指定して居ません。福井先生は大江先生の形も業付口伝も知っていた筈で良く整理された形になっています。

 

 

 

 

 

 

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2019年4月 9日 (火)

曽田本その2を読み解く10英信流太刀打之位10の1出合

曽田本その2を読み解く
10、英信流太刀打之位
10の1出合
参考
古伝神傳流秘書
太刀打之事
1本目
出合:相懸りにかゝり相手より下へ抜付るを抜合せ留て打込相手請る右足也
曽田先生
業附口伝
太刀打之位
1本目
出合:(仕打相納刀)(詰合の発早の立業)是は互に刀を鞘に納めて相掛りにてスカスカと行、場合にて右の足を出しさかさまに抜き合せ敵引く処を付込みて左足にてかむり右足より討込也、此の時敵一歩退き頭上にて十文字に請け止むるなり、互に中段となり我二歩退き敵二歩進み更めて五歩つつ退く也納刀
 曽田本その2は前回までが詰合之位でした、古伝は太刀打之事、坂橋流之棒が13本あって詰合です。古伝の順番は、詰合は「重信流也、従是奥之事、極意たるに依って格日(確実)に稽古する也」と前書きしています。
 曽田先生は、詰合之位は座しての組太刀打から太刀打之位が後であるべきだろうとされたのかも知れません。
 是は、大江先生の英信流居合の型1本目出合の元の業でしょう。
参考
大江先生
英信流居合の型
1本目
出合:打太刀は柄に手を掛ける、仕太刀は打太刀の如く、柄に手を掛け、双方体を前方少しく屈め、虎走りにて五尺の距離に出て、右足を出したるとき、膝の處にて打は請、仕は抜打にて刀を合す、仕太刀は直ちに、右足左足と一歩摺り込みて上段より真面に打ち込む、打太刀は左足より右足と追い足にて退き、刀を左斜にして受ける、仕太刀は二歩退り、打太刀は二歩出て、中段の構へとなり、残心を示す、これより互に後へ五歩づつ下り元の位置に帰り血拭ひ刀を納む。
*
 古伝は、やるべき事をサラッと書いてあるだけで、後は口伝口授だったのか、口伝口授されたものをポイントの覚書にしておいたのか、いずれにしても後は自分で考えて行動しろと云うのでしょう。
 曽田先生の出合は古伝の抜けを補って動作を詳細に指定しています。
 納刀したまま双方歩み寄り、間境で刀を下に抜き出し右足を踏み込んで抜き付け相打、打が退くところを左足を進めて付け込んで振り冠り、右足を踏み込んで打の真向に斬り込む、打は左足を退いて右足を追い足に仕の打込みを頭上で十文字受けする。
 古伝は打が先に下へ抜き付けて来るので、それを受け留めています。この動作は指定されていませんから、間境で打の抜打ちを察して打込まれた瞬間右足を踏み込み斬り付けるように受け止めるのも、左足を退いて受け止めるのも状況次第です。この「おおらかさ」が稽古業です。
 大江先生は、双方虎一足の様に走り寄るのです。この動作は何をイメージしたのでしょう。其の上仕が先に切り込み打が受けるとしています。この抜き付けは見た事がありません。忘れられたのでしょう。走り寄る処はしっかりと残っています。「突撃」の合図で突進していく日本兵を思い描いて嫌な気分にさせられます。
 何れにしても先に切り込ませて請ける、請けるや間を置かず左足を前に進めて打を圧する、打が態勢を立て直さんと引く処に着け込むのか、請けるや打を圧して崩し真向から切り下すのか、打の刀を摺り上げて崩すのか、幾通りも出来るものです。
 業附口伝に捉われると、動作は限られ、相手の動作の順番待ちをしたりして、それでは形を追うばかりです。
 江戸時代末期に防具を着用し、竹刀で仕合稽古に慣れた者に、この様な形ばかりの剣術流派は打ち負かされてしまい、形稽古をそこそこに仕合稽古転じて行ったのも頷けます。
 十文字受けの方法がなにも指定されていません。刀で刀を請けるには、原則としては、相手の切り込む刀の刃を我も刃で請ける。バッテンの状況で請ける事を十文字受けと云います。
 打は仕に摺り上げられても、自分で上段に冠るとしても、右片手で相手の膝に斬り付けていれば左側から冠るでしょう。
 請け太刀の形は、左手を物打付近に添るか、左から冠りながら相手の打ち込む刀をはねてしまうか、切先を右斜め上に向けて請けるか、でしょう。此処は左手を物打附近に添えて十文字受けするのが良さそうです。
 請けられる余裕があるならば、反撃の機会を持てる受け太刀は有効です。その以前で打の振り冠るのが早く斬り込まれそうならば、仕はどうする・・・。
第19代福井春政先生の直伝
嶋専吉先生の無雙直伝英信流居合術形乾
太刀打之位
1本目
出合:姿勢及び構へ、仕太刀、打太刀共に刀を鞘に納めて帯刀のまゝ互に約九歩を距てゝ立姿にて相対す
業、帯刀のまゝ柄を把りつゝ相掛りにてスカスカと前進(「互に三歩前進」とせるもあり)、間合いにて右の足を踏出すと共に互に相手の右足に斬付くる心にて剱尖を下方に抜き合す。
 続いて打太刀退くところを仕太刀附け込み左足を右足に進めて振り冠り更に右足を一歩踏込みて上段より打太刀の面を打つ、このとき打太刀は一歩体を退き(右足を軽く退き更に左足を退き)仕太刀の刀を頭上にて剱尖を右方に十文字に請け止むるなり。
 次で互に中段となり静かに刀を合はせつゝ打太刀小幅に二歩前進、仕太刀二歩後退して中央の位置に就き更めて各五歩(退歩は歩幅狭きため五歩となる)退き血振ひの上、刀を鞘に納む。
 曽田先生の業附口伝による動作を更に詳細にしています。指導者が第19代であれば太刀打之位は形が固定化されてしまい演武の催し物の武的演舞は必然的に固まるはずです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2019年4月 8日 (月)

曽田本その2を読み解く9英信流詰合之位9の11討込

曽田本その2を読み解く
9、英信流詰合之位
9の11討込
参考
古伝神傳流秘書
詰合
11本目
討込:伝書に無し
業附口伝
英信流詰合之位
11本目
討込:(仕打中段)(伝書にはなし、留の打なり、右真之詰合11本気合極大事有口伝 曽田メモ)
双方真向に打込み物打を合わすなり。
参考
第19代福井春政先生直伝嶋専吉先生覚書
無雙直伝英信流居合術形乾より
詰合之位
11本目
打込(傳書になし、留の打なり)
姿勢及構へ、仕太刀打太刀共に中段
業、互に進み間合にて真向に打込み物打を合せて双方青眼となる。
 業終って其場にて左膝を跪き血振ひ納刀をなし一旦立ちて更めて正坐し帯刀を解き左腰に堤刀にて後退し相互に立礼、更に神前の敬礼を行ひて退場す。
 古伝神傳流秘書詰合は11本目霞剣で終わっています。
 江戸末期から明治にかけて17代五藤正亮先生、谷村樵夫自庸先生から伝授された実兄土居亀江先生口伝による曽田先生記述の業附口伝には詰合之位として11本目打込が記述されています。
 「伝書にはなし」ですから、後に加えられたものか、曽田先生の独創か判りません。この打込は双方中段に構え間境で上段に振り冠右足を踏出し相手の真向に斬り下すもので、業附口伝ではこの業が新陰流の「合し打」、一刀流の「切り落とし」を意味する事を知らずに双方の中間で手の内を締めて物打ち辺りで打ち止める事で「留の打」としたのでしょう。
 この様な打込みは、古伝でも、業附口伝でも8本目霞剣で実施済みの業になります。特に業付口伝の双方拝み打ちして双方の中間で物打を合わせて、意味不明な稽古を要求しています。
 土佐へ居合を持ち込んだ第9代林六太夫守政は真陰流(新陰流?)を学び、大森六郎左衛門の居合を大森流之事として組入れています。当然の事として「合し打」は知っていたでしょう。然しそれを意識しても表面には出してはいません。
 業附口伝は意味も解らず「合し打」のかたちを持ち込んでしまったとしか思えません。誰が見ても「変な打ち合い」では無く本物を学ぶか、前回の読み解くで示した、双方拝み撃ちに際し打の気勢が上回るならば仕は僅かに刃を傾けて受け太刀となり、青眼に戻しつつ機を伺い新たな手で勝つべきでしょう。
 何としても「合し打」で締めたいならば、他流を学ぶ心掛けが必要でしょう。居合人であれば、拝み打ちで相手の頭上で寸止めが出来なければ今まで何をしてきたのでしょう。
 少なくとも、双方の中間で打ち止めるならば、その先の軌跡は当然相手の頭上に至るべきです。
 現在、土佐の居合の古伝と称する太刀打之位、詰合之位共に、曽田先生が実兄から口伝されたものを書き留めた「業附口伝」がまかり通っている事は、このブログでご納得いただけたと思います。
 「業附口伝で何が悪い」と云われても、何も悪い事はありません、「土佐の居合の古伝ではありませんよ、神傳流秘書がその前に在ったのですよ」としか言いようはありません。しかし形を「かたち」ばかりの武的踊りである事は否めません。
 大江先生の「英信流之形」も大江先生が組み立てられたもので江戸末期に行われていた業附口伝の「太刀打之位」ではありません。古伝とは云い難いものです。
 古伝は業技法とそれを打つ心構や秘められた奥義がある事を忘れて打ってもそれは只の棒振り踊りです。「形だからそれでいい」と仰る人もおられます。「形だから秘儀を学ぶことが出来るのに心得違いでしょう、順番通り「かたち」は出来ても剣術の「術」が決まらなければ、演武会の「演舞」です。
 次回から曽田本その2の英信流太刀打之位となります。曽田先生の記述通りの順番ですから是は本来古伝では英信流居合之事(現在の立膝の部)の後に稽古する様に組み込まれているものです。
 曽田先生は、この太刀打之位の各業の後に「詰合の発早の立業」と補足しています。
 底本は業附口伝となります。古伝と対比しながら稽古して行きます。

 

 

 

 

 

 

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2019年4月 7日 (日)

曽田本その2を読み解く9英信流詰合之位9の10霞剱

曽田本その2を読み解く
9、英信流詰合之位
9の10霞剱
参考
曽田本その1
古伝神傳流秘書
詰合
10本目
霞剱:眼関落しの如く打合せたる時相手引かんとするを裏よりはり込み真甲へ打込み勝亦打込まずして冠りて跡を勝もあり
 眼関落の如く:古伝神傳流秘書詰合には眼関落の業名は無く8本目の「柄砕」が眼関落であろうと曽田先生は補足されています。
 柄砕:両方高山後は弛し木刀に同じ。と云うわけで、眼関落を捜しても太刀打之事には見当たりません。
 実は、曽田先生は「太刀打之位独妙剱がそれであろう」と更に補足しています
太刀打之事独妙剱:相懸なり打太刀高山遣方切先を下げ前に構へ行場合にて上へ冠り互に打合尤も打太刀をつく心持有柄を面へかへし突込み勝。
 10本目の霞剱の「眼関落しの如く打合せ」は、打太刀上段、仕太刀下段で相掛りにかかり、間境で打は拝み打ちに打ち込んで来る、仕は下段から打の喉を突き上げるようにして刀を合わす。打が刀を合わせ中段になり乍ら退こうとするところを裏より張り込むや上段に振り冠り打の真向に斬り込み勝。
業附口伝
英信流詰合之位
10本目
霞剱:(相中段)是も互に立合也、敵待かけても不苦、互に青眼の侭スカスカと行場合にて互に拝み打に討也、互に太刀の物打ちのあたり合たる所を中段に直る、我其侭左の足を踏み込み裏より払ひかむり勝也、五歩退り相中段に次に移る。
 古伝の解説を先にしていますので業附口伝の霞剱:双方中段(青眼)に構え行き、双方間境で上段に振り冠って拝み打ちに討つのですから新陰流の合し打ちでしょう。
 相手の真向に打込みます、其の侭正しく打ち込めれば理に叶ったものが相手の刀を打ち外して真向に斬り込んでこの10本目は勝負完了です。
 ところが、打ち込む途中で双方物打の辺りで打ち込みを止めて刀を合わせているのです、是では拝み打ちとは言えないでしょう。
 真直ぐに打ち下したが物打が交差する辺りで、仕か打が刃を返して受け太刀になったことになります。
 だったら「はっきり書いて置け」と云いたい処です。古伝は仕が打の拝み打ちを同時に下段から突き上げ刺突する所、摺り落ちて来る打の刀を鍔で受けたのでしょう。
 古伝も似た様なものですが、「尤打太刀を突く心持ち有」と断っています。この辺は新陰流の奥義を思わせる所で明らかにしていないのかも知れません。
 形を演舞にしてしまった原因も、伝書の不充分(秘儀を隠す)な部分は伏せられたために可笑しな運剣ばかりが形に残ったものかも知れません。
 ひいき目に言えば、相手が上回る力量ならば、合し打ちを受け太刀に変えて次の勝ち道を作れと云う事かも知れません。
 その勝ち道が双方中段になり放れ際に裏より払い冠り勝でしょう。
曽田本その2英信流詰合之位10本目霞剱
Img_0455
参考
第19代福井春政先生直伝による嶋専吉先生の詰合之位10本目霞剱
無雙直傳英信流居合術形乾より
霞剱:姿勢及構へ仕太刀打太刀共に立姿勢、相中段
業:互に青眼のまゝ(但し剣尖を幾分高目に且つ腕を稍々前方に伸ばす心地にて)スカスカと進み間合にて双方拝み撃に物打のあたりにて刀を合せ中段に直るところを仕太刀素早く左足を一歩進め瞬間裏より打太刀の刀を払ひ直に上段に冠り勝つなり。
 刀を合せ五歩退り(但し次の「留めの打」を演ずる場合は納刀はせず)相中段にて次に移る。
 現在見る詰合之位は嶋専吉先生の覚書の動作がほとんどで、双方拝み撃ちで「相打となる」と云う意味不明な形を得々と演舞されています。
 お聞きすると「形だから」だそうです「???」流派の業を伝承する事の難しさ、というより「秘儀」として隠したために、伝承不能になり「形だから神社や演武会の奉納演舞に」となってしまうのでしょう。
 柳生新陰流の始終不捨書の冒頭に円相が描かれ等分に三点が打たれています。三摩の位と云い、習い・稽古・工夫であると云います。
 この円相を思い返しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2019年4月 6日 (土)

曽田本その2を読み解く9英信流詰合之位9の9水月刀

曽田本その2を読み解く
9、英信流詰合之位
9の9水月刀
参考
古伝神傳流秘書
詰合
9本目
水月:相手高山に構へ待所へ我も高山にかまへ行て相手の面に突付る相手払ふを体を替し打込み勝
曽田本その2
業附口伝
英信流詰合之位
9本目
水月刀:是も同じく立合て真向へかむり相掛りにても敵待かけても不苦。我真向へかむりてスカスカと行場合にて太刀の切先を敵の眉間へ突き込む様に突く也、其時敵すぐに八相に払ふ其時すぐにかむり敵の面へ切込み勝也。互に五歩退り血振納刀以下同じ。
参考
曽田本その1
英信流太刀打之位
業附口伝
9本目
水月刀:(仕中段打ハ相)是も相掛りにても敵待かけても不苦、敵の眉間へ我太刀の切尖を指付けスカスカと行也敵我太刀を八相にかけてなぐる也、其時我すぐにかむりて後を勝也。
 古伝は9本目水月、業附口伝の詰合之位では水月刀となります。業名変更が行われた様です。
 古伝は打が上段に構え待つ処へ、仕が歩み行き間境で切先を下げて打の面に突き付ける、打が「払ふを体を替し打込み勝」の文章を如何に読み解くかがポイントでしょう。
 業附口伝は相掛りでも打が上段に構え待っても良いと云っています。
 スカスカと歩み行き間境で切先を下げ打の眉間に突き込むと、打は「すぐに八相に払ふ其時すぐにかむり敵の面へ切込」と同じ様に見えるのですが、ここは、参考に上げた業附口伝の太刀打之位9本目水月刀では「敵我太刀を八相にかけてなぐるなり」と刀を払って来るのが業附口伝の仕方かも知れません。
 此の業を第21代福井聖山先生は無雙直伝英信流之形詰合之位水月刀では「突出したる刀を八相に払われたる瞬間直ちに刀を冠り」とされています。
 仕は、突き込んだ刀を八相に払われるに従って振り冠るか、払われる瞬間に刀を振り上げて冠るかでしょう。「請け・冠り・打つ」、「外し・冠り・打つ」でしょう。
 古伝も、抜けだらけの文章から同様に演じても間違いとは言えないでしょう。然し、同様に古伝太刀打之事6本目水月刀では「・・面へ突付て行を打太刀八相に払ふ処を外して上へ勝つ」と云って、刀で受けてはいません。「外し・冠り・打つ」となります。
 そこで何故古伝は「水月」であって「水月刀」では無いのでしょう。業名から推察するのはいささか理に反するのですが、刀を中心に考えない極意がある筈です、それは「柄口六寸の勝」を思い出します。
 古伝は打が、仕を充分引き付け突き込まんとする仕の左小手に八相に切り込む、仕は「体を替し打込み勝」、「仕は外した時に打の小手を切った時」の一拍子を想い描きます。
第19代福井春政先生直伝の嶋専吉先生の無雙直傳英信流居合術形乾より
詰合之位
9本目
水月刀:姿勢及構へ 仕太刀、打太刀立姿勢、相上段(この場合も打太刀は後退せず原位に留るも可なり)
業、立合て右上段に冠り相掛りにて進み中途仕太刀は幾分刀を下げ間合いに至りて打太刀の眉間に突込む様に刺突す、打太刀之を八相に払ふ。仕太刀隙かさず左の足を稍々左方に踏み体を軽く左に転はして振冠り、右足を一歩踏み込み打太刀の面を打つ。(此場合体を左に開き上段に振冠りたるまゝ残心を示す様式もり)刀を合せ双方五歩退り血振納刀。
左側が水月刀
Img_0454_2

 

 

 

 

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2019年4月 5日 (金)

曽田本その2を読み解く9英信流詰合之位9の8眼関落

曽田本その2を読み解く
9、英信流詰合之位
9の8眼関落
参考
古伝神傳流秘書
詰合
8本目
柄砕:(眼関落のことならん 曽田メモ)両方高山後は弛し木刀に同じ
弛し木刀:(太刀打之位独妙剱の事ならむ 曽田メモ)
太刀打之事
7本目
独妙剱:相懸也打太刀高山遣方切先を下げ前に構え行場合にて上へ冠り互に打合、尤打太刀をつく心持有る柄を面へかへし突込み勝
太刀打之位
独妙剱:(仕打八相)(山川先生の秘書には絶妙剱とあり 曽田メモ)是も同じく抜也、敵待ちかけても相掛りにても不苦、八相にかたきてスカスカと行場合にて打込也其時敵十文字に請て又我が真向へ打込也、其時我又本の侭にて請け面へ摺り込み勝也(我詰たる時は左手を刀峯に当て次に摺り込み勝也)摺り込みたる時敵刀を左肩にとるなり
山川先生の傳書ではこの手附は絶妙剱の手附だと云うので
絶妙剱:(仕下段、打八相)(山川先生の秘書には独妙剱と有り 曾田メモ)是は我前へ切尖を下げスカスカと行き場合にて互に拝み打に討也敵と我とは拳と拳と行合其時すぐに面へ柄頭を突込み勝也(相掛りにても敵待ちかけても不苦、我は鍔ぜりとなるや右足をどんと踏み直に左足を踏み込みて敵の拳の下より人中に当て打構へ不明なるも八相ならん
英信流詰合之位
業附口伝
8本目
眼関落:(相上段)是も互に立ち敵も我も真向へかむり相掛りにてスカスカと行き場合にて互に拝み打に討也、其の時敵の拳と我が拳と行合也、其時我すぐに柄頭を敵の手元下より顔へはね込み勝也(右足をドンと踏み急に左足を踏み込む也)互に五歩退り納刀以下同じ
 古伝神傳流秘書の詰合8本目は「柄砕」で手附は「弛し木刀に同じ」と有るばかりです。曽田先生は「弛し木刀」とは「太刀打之位独妙剱」のことならん、と云っています。この判断は業付口伝の8本目が独妙剱なのでその業を追って行けば太刀打之事「独妙剱」に行き当たると云えばいいのでしょうが「太刀打之位独妙剱」と云っています。
 業附口伝の太刀打之位は独妙剱と絶妙剱が入違っていますので、業附口伝の絶妙剱が対応するのでしょう。業附口伝は江戸末期の五藤先生の口伝の様ですから曽田先生の実兄から伝授されたとしても、古伝から100年近く開いて居ますから、この8本目柄砕は如何なるものであったか証明できません。
 順番を抜かさない前提で業附口伝の絶妙剱から類推して古伝は太刀打之事独妙剱を「柄砕」として借用するとします。
 古伝柄砕きは、打は上段、仕は下段、打は拝み打ちに真向ヲ打って来る、仕は下段から打を突き上げる様にして打の拝み打ちを鍔で請けるや、仕は柄を返して打の面に突き込み勝。
 業附口伝の眼関落としは、相上段で相掛りに進み互に拝み打ち、拝み打ちで拳と拳を合わせるのは、拳を合わせる目的で真向に打込み合うのですから是は変ですが、拳と拳を合わせ仕は右足をドンと床に踏込み、相手の気を奪うと同時に左足を踏み込み相手の手元下から柄をはね上げ顔面に突き込む。
眼関落の線画
右側が眼関落
Img_0454
参考
第19代福井春政先生の直伝
嶋専吉先生覚書無雙直傳英信流居合術形乾
詰合之位
8本目
眼関落:姿勢及構へ、仕太刀打太刀立姿勢、相上段
業、互に立合ひて真向に振冠り相掛りにてスカスカと進み間合い(この場合は幾分間を近くす)にて互に拝み撃に打つ(物打あたりにて)、続いて双方の拳が行き合ふ瞬間、一時鍔元にて競り合ひ仕太刀は直に右足にて強く一度大地を踏み付け急に左足を打太刀の右側に一歩稍々深目に踏込みざま、打太刀の手元下より顔へ撥ね込み人中に柄当てを加ふ。刀を合せ互に五歩退き血振、納刀をなす。
業附口伝そのものです、古伝の詰合は第19代にも伝わっておらず、曽田先生の業附口伝によって稽古指導されていたのでしょう。

 

 

 

 

 

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2019年4月 4日 (木)

曽田本その2を読み解く9英信流詰合之位9の7燕返

曽田本その2を読み解く
9、英信流詰合之位
9の7燕返
参考
古伝神傳流秘書
詰合
7本目
燕返:相手高山我は抜かずして立合たる時、相手より打込むを我抜受に請る、相手引くを付込み打込,相手右より払ふを随って上へ又打込払ふを上へ取り打込、扨切先を下げて前へかまへ場合を取り切居處へ相手打込を受流し体を替し打込勝、又打込まず冠りて跡を勝もあり。
英信流詰合之位
業附口伝
7本目
燕返:(仕坐打左上段)是は敵も我も立つ也、敵は刀を抜てかむる我は鞘に納めて相掛りにて行く也、場合にて敵我面へ打込む也、我其時右片手にて抜き頭上にて請けすぐに左手を柄に添へ打ち込む也、敵又表よりはっそうに払ふ也、我又すぐにかむりて打込む也、敵又すぐに裏より八相に払ふ也、我又すぐにかむりて敵の面へ打込也(左足を一足踏み込)其時敵後へ引我空を打つ也、其時我切尖を下げ待也、敵踏み込みて我真向へ打込也、我其時左足より一足退り空を打たせ同時にかむりて一足踏込み敵の面へ勝也、互に五歩退り納刀後再び刀を抜き相上段にて次に移る。
 古伝は、相手より右足を踏み込み上段から真向に打ち込んで来るのを、仕は右足を踏出し抜き請けに請ける。
 請けられて打が上段に振り冠って右足を退くところを、仕は左足を踏み込み付け込んで、左手を柄に添え真向に打込む、打は上段から逆八相に払って来る。
 仕は払われるに従って上段に振り冠り、又上段から右足を踏み込んで真向に打込む、打は左足を退いて八相に払って来る。
 仕は打の払うに従って上段に振り冠り左足を踏み込んで打の真向に打込む、打は右足を大きく退いて仕の打込みを外す。
 仕は外されて、切先を下げたまま待つ、打は仕の頭上に右足を踏み込み上段から打ち込む、仕は右足を斜め前に踏込み受け流しに体を躱して打の面に打ち込み勝つ。又、打ち込まずに上段に構えて位を示す。
 古伝は、相手の切り込みを請けるや相手が下がるのに間を置かずに付け込んで斬り込み、相手に外されるや、反撃せずに、相手の打込みを待って受け流しに躱して勝つものです。
 相手高山ですから上段からの真向打ち込みですから、ここでは仕も上段から真向としました。
 業附口伝ですと、打の真向打ち込みを、仕は右足を踏み込んで抜き請けに請け即座に左手を添えて左足を右足に引き付け右足を退いて真向に打込みます。打も左足を右足に引き付け右足を退いて之を八相に払う。
 払われて仕は右足を左足に引き付け左足を退いて打の真向に打込む、打も右足を左足に引き付け左足を退き裏八相に払う。此処までは双方その場を維持し、足の踏み変えによって仕は打込み、打は受け払っています。
 仕は「我又すぐに冠りて敵の面へ打込也(左足を一足踏み込)」ですから此処で左足を踏み込んで打の面に打ち込む、打は「後へ引我空を打つ也」ですから右足を大きく後ろに引いて仕の打ちを外します。此処で仕は前進、打は後退しているのです。仕の踏み込みより打の退きが大きく仕は空を斬る。
 仕は切先を下げて打の打込みを誘うわけで、打が右足を踏み込んで仕の真向に打込んで来るのを、仕は左足を一足退き、打に空を打たせ同時に振り冠って打の面に打ち込み勝。
 古伝と業附口伝との足捌き、体裁きは両方共稽古するのが良さそうです。
 最初に打が打込むのを、仕は抜き請けに受け、打が古伝は下りながら上段それに付け込んで上段です。
 業附口伝は請けるや上段に振り冠っていますから、ここは、右足で抜き請けに受けていますから、即座に左手を柄に添え、左足を右足に引き付け、打を圧する気勢が先行しなければ逆に圧せられてしまいそうです。
 最後の所は、受け流すか、外すか間と間合いの面白い処です。
 古伝を稽古しているうちに、足捌きの違いや、打ち込みの違いなど、熟達していけば幾つもあり得るものでしょう。
 この燕返しは、返し業の研究が楽しい処です。
 抜き請けに受けて、相手に切り込むに当たり、相手の刀を押し退ける様にして、左手を柄に添え力任せに右下に押しやり上段に振り冠るヤクザのチャンバラの様な演舞をしばしば拝見する事があります。
 或いは、抜き請けに受けるや仕は稍々右足を退いて上段に冠り左手を添え、左足を踏み込んで真向に打込む、とされる教本もあります。
曽田本その2のツバメ返し
Img_0453
第19代福井春政先生直伝の詰合之位燕返
嶋専吉先生 無雙直伝英信流居合術形
詰合之位
7本目
燕返:姿勢及構へ、仕太刀立姿帯刀、打太刀立姿帯刀より左上段
業:打太刀は上段、仕太刀は刀を鞘に納めたるまゝ相掛りにて前進、間合にて打太刀は仕太刀の正面に打込む、仕太刀は素早く抜刀剣尖を左方に右隻手(みぎせきて、みぎかたて)にて頭上に十文字に請け直に雙手上段となり左足を一歩進め相手の裏ら面に打ち込むを打太刀は右足を一歩退き裏より之を八相に払ふ。
 仕太刀更に右足を一歩進め表て面に打込むを打太刀亦左足を一歩退き表より八相に払ふ。
 仕太刀は直に振冠りて左足を一歩進め打太刀の正面に打込む、この時打太刀は左足より大きく退きて仕太刀に空を打たせ。次で打太刀は右足を一歩踏込み仕太刀の真向に打下す、仕太刀は之に応じて左足を大きく引き体を後方に退きて打太刀に空を撃たせ(此際拳は充分に手許にとるを要す)振冠りざま右より踏込み打太刀の正面を打つ。
 刀を合せ原位に復し互に五歩退きて血振ひ納刀をなす。

 

 

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2019年4月 3日 (水)

曽田本その2を読み解く9英信流詰合之位9の6位弛

曽田本その2を読み解く
9、英信流詰合之位
9の6位弛
参考
古伝神傳流秘書
詰合
6本目
位弛:我居合膝に坐したる所へ敵歩み来りて打込むを立さまに外し抜打に切る或は前の如く抜合たる時相手より打を我も太刀を上へはづし真向へ打込み勝
英信流詰合之位
業附口伝
6本目
位弛:(仕坐納打左上段)是は敵は立ち我は坐する也、敵は太刀を抜てかむる、我は鞘に納めて右片ひざ立て坐する也、敵スカスカと来て拝み打に討つ也、我其時あたる位にてすっかりと立ち其侭左足を一足引きて抜敵に空を打たせ同時に右足を一足踏み込み面へ切り込み勝也
 仕太刀は此の時刀を合はせ五歩退きて血振ひ納刀
 打太刀は其位置にても五歩退りても不苦
 古伝の詰合は、二種類の位弛を組み立ててあります。
 一つは、我が居合膝に坐す処へ歩み来り上段から打ち込んで来るのを、立ち上り様に刀を上に抜き上げ右足を退くや相手の打ち込んで来る刀を外し、同時に相手の真向に右足を踏み込んで抜き打つ。
 二つ目は、相がかりに掛かり、抜き合って刀を合わせ相手より真向に打つを、我も上に刀を抜き上げ乍ら、右足を退いて相手太刀を外すや、真向に打込み勝。この形は見た事が無いのですが、業附口伝が広まったためでしょう。此の打の打込みを刀で請けずに体を捌いて外す事を学ぶには、後に引いて外す、右か左に体を開いて外す。
 業附口伝は古伝の相手立ち、我は居合膝に坐す。敵は左上段と指定されています。左足を前に出し上段に振り冠り柄頭は左足先を差す構えになります。スカスカと歩み来り、拝み打ちに打ち込んで来る、我は間合いを推し測り相手の刀が打ち下ろされる瞬間立ち上がりながら刀を抜き上げ、左足を一足後ろへ退いて間をは外して敵の刀に空を切らせ、同時に上段に振り冠って相手の面に打ち込む。
曽田本その2の位弛みの線画
右は5本目鱗形
左が位弛
Img_0452_2
第19代福井春政先生の直伝の嶋専吉先生の覚書
無雙直伝英信流居合形
詰合之位
6本目
位弛:姿勢及構へ 仕太刀は納刀其の位置に在て立膝、打太刀は五歩退きて立姿のまゝ一旦納刀の後、更めて抜刀左上段の構へ。但し帯刀より前進中抜刀するも苦しからず、此の場合発足即ち右歩にて抜刀、次の左足にて上段に冠り、続いて前進の事。
業:打太刀上段にてスカスカと前進し拝み撃に仕太刀の真向に打下す、仕太刀は打太刀の刃が将に己が頭に触るゝ位にて其刹那、敏速に左足より一歩体を退きつゝ刀を抜きて、スッカリと立ち打太刀に空を打たせ直に右足を一歩踏み込み上段より打太刀の面を撃つ。
 刀を合はせ各五歩退き血振ひ納刀。
 但し次の業例えば「燕返」に移る如き場合打太刀は後方に退らず、其の位置に止るも苦しからず。

 

 

 

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2019年4月 2日 (火)

曽田本その2を読み解く9英信流詰合之位9の5鱗形

曽田本その2を読み解く
9、英信流詰合之位
9の5鱗形
参考
古伝神傳流秘書
詰合
5本目
鱗形:如前抜合せ相手打込むを八重垣の如く切先に手を添へ請留直に敵の太刀を摺落し胸をさす也。
英信流詰合之位
業附口伝
5本目
鱗形:座り方同前、左足を一足引きて抜合す也、其時敵すぐに我面へ上より打つ也、我もすぐに太刀の切先へ左の手を添へて十文字に請て左の足を踏み込み摺込み勝也、刀を合せ血振ひ納刀。
曽田本その2
英信流詰合之位鱗型
Img_0452
 古伝の詰合の鱗形も、曽田先生の詰合之位の鱗形も特に違う所は無さそうです。
 双方立ち上がって刀を抜き、左足を一足後方に退くや相手の膝に抜き付ける。
 此処は打太刀が先んじて仕の膝に抜き付けるのが古伝の心持ちです。
 業附口伝では、同時に抜き付け、双方の中間で刀を合わせ、双方の切先は相手の膝横で請け留められる。
 受け留められるや打は、左膝を右足に引き付け、上段となるや右足を踏み込んで仕の真向に打込む。
 仕は打ち込まれて、即座に左手を物打ち付近の刀の棟に添え、左足を着くや十文字に受け留め、即座に左足を踏み込み左手を上げ右手を下げる様に打のこめかみを切先でひっかく様に摺り込み摺落とし詰める。是が業付口伝の運剣でしょう。
 仕がもたついていれば、打が再び仕の右脇に切り込んで来るのが八重垣です。十文字受けするや摺り落して詰めるのです。
 古伝は、打が立ち上がりつつ刀を抜き出し、仕の膝に抜き付けて来るのを虎一足の如く受け留め、打は即座に左膝を右足に引き付け上段に振り冠、右足を踏み込んで真向に斬り込んできます。仕は切先に手を添え左足を右足に引き付け右足を退き十文字に打の斬り込みを請けるや否や体を左に披き、打の刀を右に摺り落し同時に打の顔面に突き込む。打は右足前、仕は左足前となります。
 タイミング的には業附口伝は打の刀を受けてから受けた交点を維持しながら左手の切先で攻めながら打の刀を押し落すのでしょう。
 古伝の場合は、打之太刀を受けた瞬間に正対していた体を左入り身に変じ摺り落し同時に切先で打を詰めるものでしょう。古伝の大らかな手附は技を拡げてくれます。
第19代福井春政先生の鱗形を嶋専吉先生の覚書から稽古して見ます。
無雙直伝英信流居合術形乾
5本目
鱗型:姿勢及構へ 仕太刀、打太刀共に納刀のまゝ
業:前同様に抜合せ打太刀は右より進み仕太刀の面上に打下すを仕太刀左足より体を退き左手を棟に添へて頭上十文字に請け止め続いて左足を一歩踏込み(この時右跪となり)左手を刀に添へたるまゝ対手の刀を己が右方に摺り落しながら咽を刺突の姿勢となる。
 此の時打太刀は左足より体を退き刀を左方に撥ね除けられたるまゝ上体を稍々後方に退く。
 次いで刀を合せ血振ひ(若し続て次の「位弛」を演ずる場合は打太刀は五歩後方に退きて血振ひ))納刀す。
 この、嶋先生の覚書では、打太刀は十文字請けされて、仕に左足を踏み込まれ、左足を退いて摺り落しやすい態勢を作ってくれています。従って己が刀は左方に撥ね除けられています。

 

 

 

 

 

 

 

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2019年4月 1日 (月)

曽田本その2を読み解く9英信流詰合之位9の4八重垣

曽田本その2を読み解く
9、英信流詰合之位
9の4八重垣
参考
古伝神傳流秘書
詰合
4本目
八重垣:如前抜合たる時相手打込を我切先に手を懸けて請又敵より八相に打を切先を上にして留又上より打を請け相手打たむと冠(我切先に手を懸けて請け敵右より八相に打を切先を下げて留又敵左より八相に打を上にして留又上より打を頭上にて十文字に請け次に冠るを従て突込むもある 曽田メモ)を直に切先を敵の面へ突詰める
業附口伝
英信流詰合之位
4本目
八重垣:是も同じく詰合て坐し前の如く左足一足引てさかさまに抜合也、敵其侭我面を打つを我又太刀の切先へ左手を添へて面を請くる也、夫れより立て敵すぐに我右脇を打つを我其侭刀を右脇にさかさまに取りて此の時右足を一足引き請け留る也、敵又立ちて左の脇を打ち来るを我又左足を一足引きて左脇を刀を直にして請け止むる也、敵又上段より面へ打ち来るを我又右足を引きて上を請て敵かむる所を我右足より附込み勝也、刀を合せ原位置に帰り血振納刀。
八重垣
Img_0451_2
 古伝神傳流秘書の八重垣は、双方抜き合わせ、打が左膝を着き仕の真向に打ち込んで来るのを、仕も左足を着き、左手を切先に添えて頭上に十文字に請ける、打が左足を踏み込み八相から左脇に切り込んで来る、仕も右足を退いて切先を上にして左脇で之を請け、打が又上段から右足を踏み込み真向を打って来るのでこれも、切先に左手を添え左足を引いて十文字に請ける、打は再び打たんと右足を引いて上段に振り冠る処、仕は追い足で切先を打の面に着けて詰める。
 打込むたびに立ち上がって足を踏み込もうと、其の場で踏み変えようと、立ち上らずに切り込もうと特に指定されない処が、古伝のおおらかな処です。最後の打が上段に振り冠る処を仕が付入って刺突するのは、この業は打の隙をつく事を教える良い業です。
 演舞では、ぴょこたんぴょこたん双方でやって居ればいいでしょうが、一刀目下で抜き合わせ、二刀目真向を請ける時から、打の動作が相手を圧するものでなければ付け入る事は出来るものです。
 従って、業附口伝の一刀目抜き合わせ、二刀目頭上、三刀目右脇、四刀目左脇、五刀目頭上、六刀目相手冠るを付け入っているのは、切れるか稽古としては楽しい体操になりそうです。
 この、詰合の業名は「八重垣」です。最も居合らしい組太刀であって、相手を意識した良い業です。にもかかわらず大江先生は、この業名を盗用して、大森流の4本目陰陽進退の古伝名を変えて八重垣にしています。
 どの様な謂れがあって、その様な暴挙を行ったのか、土佐の居合をどの様に理解されていたのか疑問だらけです。
 前回も紹介した第19代福井春政先生直伝の嶋専吉先生の無雙直傳英信流居合術乾
から八重垣を紹介します。
八重垣
姿勢及構へ:仕太刀、打太刀双方帯刀の儘詰合ひて右立膝対坐
業:是も同じく詰合ひ対坐より左足を一歩退きて倒か様に抜合はせたる後、打太刀は右より進み左跪にて仕太刀の正面に打込み来るを仕太刀左より体を少しく退き左跪にて剣尖を左方に左手を棟に添へて頭上十文字に請止む。
 続て打太刀、左足を一歩進め(打太刀は一応立ち上り左足を一歩進め右膝を跪きて)仕太刀の右脇に打込むを仕太刀右足を一歩退き刀を倒か様にとりて(左手を棟に添へたるまゝ刀を体に近く剣尖を下方に略々垂直にして)右跪にて請止む。
 打太刀更に立ちて一歩右足を進め左跪にて仕太刀の左脇に打込み来るを仕太刀左足を一歩退き刀を直にとりて(左手を棟に添へ剣尖を上に刀を垂直にし)脇近くに之を請留む(左跪)。
 打太刀更に右足より進みて上段より正面へ打ち込むを仕太刀は右足を一歩退け左手を棟に添へて再び頭上十文字に請け止め次で打太刀右足を退き振冠るところを仕太刀右足を一歩進め附込み打太刀の喉を突く。(この際打太刀の左膝と仕太刀の右膝とは相接する如く向ひ相ふ)で刀を合せ原位に復し血振ひ納刀す。
 第19代福井春政先生の詰合之位八重垣は曽田先生の業附口伝に他なりません。第19代も古伝を知らなかったのでしょう。
 剣術流派の秘伝も門外不出として秘して居ても、同じ様に様変わりして本来の形も心持ちも失われ、日本武道文化の正しい伝承は失われ形骸だけが権威として権力を奮って見ても意味の無いものになりそうです。

 

 

 

 

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2019年3月31日 (日)

曽田本その2を読み解く9英信流詰合之位9の3岩浪

曽田本その2を読み解く
9、英信流詰合之位
9の3岩浪
参考
古伝神傳流秘書
詰合
3本目
岩浪:拳取の通り相手より拳を取りたる時我よりも前の如く取り我が太刀を放し右の手にて敵のひぢのかがみを取り左脇へ引たおす
業附口伝
詰合之位
3本目
岩浪:詰合て坐する也前の如く左の足一足引てさかさまに抜合せ敵よりすぐに我右の手首を左の手にてとる也、我其侭敵の右の手首を左の手にて取り右手を添へて我左脇へ引倒す也、刀を合せ血振ひ納刀(遣方右手を添える時刀を放し直に相手のひぢをとるなり 曽田メモ)
3本目岩浪の線画はありません。
第19代福井春政先生の教えを記述した嶋専吉先生の業附口伝詰合之位
3本目
岩浪:姿勢及構へ 仕太刀、打太刀共に帯刀の儘前同様の姿勢にて詰め合ひ対座
業、前と同様に抜合せたる後、打太刀左膝を跪き左手にて仕太刀の右手首を把る、仕太刀も亦之に応じて打太刀の右手首を捉へ右手に在る刀を放ち右拳を(稍々内側に捻じる心地にて)対手の掌中より奪ひ之を内側より相手の右上膊部に添へて己が左脇へ投倒すなり。  
 次で刀を合はせ左跪坐にて血振ひの後納刀すること前と同様なり。
 古伝の「我が太刀を放し右の手にて敵の肘の屈みをとり左脇へ引き倒す」、業附口伝は「・・右手を添へて我が左脇へ引き倒す也」と最もポイントとなる所を曖昧にしています。
 嶋先生のメモでは「・・右拳を対手の掌中より奪ひ之を内側より相手の上膊部に添へ己が左へ投げ倒す」とやや具体的です。
 「抜合せたる後、打太刀左膝を跪き左手にて仕太刀の右手首を把る」で体を低く双方対していますから、立位での取り合いとは違います。相手の肘の屈み、又は上膊部に右手を添えて引き倒すには良さそうです。
 この引き倒しの仕方について、第21代福井聖山先生は、打太刀は「仕太刀より同時に右手拳を取られ腕を下より助け握られ仕太刀の左脇へ引き倒さる」、仕太刀は「・・右手を打太刀の右腕の下より助け握り、左足を引くと同時に打太刀の腕を捩じ廻す様にして我が左脇へ引き倒し、水月に当身する」と複雑です。
 相手の右手を左手で制しておいて、相手の右手肘の屈みに右手を添え体を開けば容易ですが、福井先生の方法では中々業が決まりません。
 武術はより簡単で効果的な方法を見出すために「習い・稽古、工夫」するものでしょう。

 









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2019年3月30日 (土)

曽田本その2を読み解く9英信流詰合之位9の2拳取

曽田本その2を読み解く
9、英信流詰合之位
9の2拳取
参考
古傳神傳流秘書
詰合
2本目
拳取:如前楽々足を引抜合我左の手にて相手の右の拳を取り刺す也
曽田本その2
業附口伝
詰合之位
2本目
拳取:(仕打納)是も同じく詰合て坐しさかさまに抜合すこと前同様也、我其侭左の足を踏み込み敵の右手首(拳ならん 曽田メモ)を左手にて押へる也、後同断
 古伝も、業附口伝も似たようなもので、双方同時に下へ抜き付け相打ち、仕は左足を踏み込み、打に付け込み打の右手拳を制する。この制する事はどの様にするのか不明です。
 仕は、打の胸に刀尖を付けて、残心納刀は現代居合の詰合によく見かける方法でしょう。
 「後同断」ですが1本目に八相で相手に上段から打ち込み、相手は其れを十文字受けして、刀を合わせて終わっています。さて、ここは相手の体を崩しただけです。「後同断」はあり得ません。
 戦時下にもかかわらず、昭和17年5月嶋専吉先生は高知に赴き第19代福井春政先生に太刀打之位と詰合之位の指導を請けられています。
 その内容が「無雙直伝英信流居合術形乾」に纏められています。
「業附口伝第2詰合之位2拳取 姿勢及構へ 仕太刀、打太刀共に帯刀の儘前と同様の姿勢にて詰合ひて対座す 業 発早の場合と同様に双方抜合せ続いて仕太刀は迅速に左足をその斜左前即ち対手の右側に踏み込み(右足直に之を追ふ、右膝は地に跪き、稍や体を開き)その瞬間左手にて打太刀の右手首を逆に捉へ之れを己が左下方に引き寄せ相手の態勢を崩しつつ、右拳の刀を打太刀の水月に擬し(柄を把れる右拳を己が右腰に支へつゝ刃を右にし)、互に刀を合はせ原位置に復し血振ひ納刀をなす。」
 高知ではこの様に詰合を演じていたのでしょう、メモ書きですから業附口伝其の儘ではないので却ってよくわかります。
 曽田本その2の拳取りの情景です。
Photo
* 
 第21代福井聖山先生は詰合之位のビデオを残されています。一方で手附も書かれ以下の様です。
 「極意之形 詰合之位 作法は大江先生の作法に大差はありません。発声について記述が あり「打つ・斬る時「エイ」の発生をする。
打太刀
1、立膝より左足を引き抜き合す
2、仕太刀より右拳を握られ体を前に引き付けらる
仕太刀
1、立膝より左足を引き抜き合わす2
2、直ちに立ちて左足を打太刀の右足外側に踏む込み、打太刀の右拳を取るや右膝を跪き引きよせ残心を示す(手首を握って肘で押える)
 発声については業附口伝にも古伝にもありません。武術は静かに演じる事も学ぶものでしょう。
 気合を入れる様な発声は、大江先生の英信流居合の型でも「イーエイ」の発生を要求されていましたが、兵士を速成して戦場に送り込み、掛け声を上げて奮い立たせ、死に向かわせる日本軍の養成方法がチラつき、嫌な気分にさせられます。
 打の拳を制する方法は、特に指定はありませんので、夫々工夫されて、其の儘相手の左下に引き落とす、相手拳を返して右下に引き込むとかされている様です。
 残心の方法はビデオでは嶋先生と同じ様です。
 この業は、相手に附け込んで制する事を覚えさせるもので、まず相手にグット接近する事がポイントでしょう。

 

 

 

 

 

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2019年3月29日 (金)

曽田本その2を読み解く9英信流詰合之位9の1発早

曽田本その2を読み解く
9、英信流詰合之位
9の1発早
参考
曽田本その1
古伝神傳流秘書
詰合(重信流也 従是奥之事 極意たるによりて格日(確実)に稽古する也
1本目
発早:楽々居合膝に坐したる時相手左の足を引下へ抜付るを我も右の足を引て虎の一足の如く抜て留め打太刀請る上へ取り打込み勝也
参考
曽田本その1
業附口伝
詰合之位
1本目
八相:(仕打納刀 口伝に発早とあり 曽田メモ)
是は互に鞘に納めて詰合て相向ひに右膝立て坐する也、互に左足を一足引きて倒様に抜合する也(互に右膝へ抜付ける)、其侭ひざをつき仕太刀はかむりて面へ打込也、此の時打太刀は十文字に頭上にて請け止むる也、互に合せ血振ひ足を引き納刀
 古伝神傳流秘書と曽田先生による第16代五藤正亮先生と曽田先生実兄土居亀江の師谷村樵夫自庸先生による口伝をまとめた「業附口伝」との違いは先ず、古伝は業の総称「詰合」です。
 これに対し業附口伝は「詰合之位」と総称に「・・之位」を付け足されています。「・・之位」は、古伝に在りません。東北地方の元禄時代の伝書にも「・・之位」は見当たりません。
 天明8年1788年の秋田藩の林崎流居合の伝書では「居合目録次第」として「向之次第」、「右身之次第」で「・・之次第」が使われています。
 明治44年1911年の新庄藩の林崎新夢想流も「表次第」の様に「・・次第」であって、「・・之位」はありません。
 信州に伝わった無雙直伝流にも「・・之位」が見当たりません。恐らく江戸末期に土佐藩内に幾つかの剣術流派がありましたから、それらのどれかに使用されていた「・・之位」を適用したのでしょう。
 「詰合」というより「詰合之位」、「太刀打之事」というより「太刀打之位」と云った方が、格が高く思え、響きも良かったのかも知れません。
 古伝を知れば、月並みな付け足しに思えるのも不思議です。土佐の居合は、武士の心得であっても決して上級武士のものでは無いでしょう。格上に見せるのは明治以降の様に思います。
 次に、古伝は「・・相手左の足を引下へ抜き付けるを、我も右の足を引て虎一足の如く抜きて留め」であって、相打ちとは思えません。
 業附口伝は「互に左足を一足引きて倒様に抜合する也」と、同時に抜き合うわけです。是では、チャンバラごっこでしょう。同時進行ですから、双方の刀は双方の中間で打ち合ってしまいます。同時に足を引いている為、少しでも坐する位置が遠ければ、双方の切先は双方の膝に届かない可笑しな演武がまかり通っています。
 居合の虎一足では、相手の切り込みを請け太刀となって請け留めていますから相手の剣先は、我が右足に届く位置で請け留めているのです。
 次の所で古伝も業付口伝も、詳細は無いので、古伝などは打が受け太刀の形を作った上に打込むように錯覚します。此処は、先に切り込んだが受け留められてしまった打は即座に上段に振り冠り再度打込まんとするに仕が機先を制するか、仕が打の刀を摺り上げつつ上段に振り冠って打ち込むのを打は請け留めるかでしょう。
 Img_0449
曽田本その2の原本です。
業附口伝と同じものになります。
 古伝神傳流秘書は、曽田先生から写しを直接もらわなければ、門外不出で伝授された個人のもので一般には知りえないものでした。
 河野百錬先生は昭和30年1955年の「無双直伝英信流居合兵法叢書により活字本として発行されたのです。そこで初めて古伝「神傳流秘書」の詰合が判りました。
 それ以前のもので詰合を知るものは、同じく河野百錬先生の「無雙直傳英信流居合道」昭和13年1938年発行の活字本に依ります。
 この「無雙直伝英信流居合道」に掲載された「詰合」は」「詰合之位」であって、この時期河野先生が曽田先生に文通したりの交友があって、それから知り得たものをすぐに当用された様です。
 「詰合之位」(以下記す所は當流古傳の略述にして文責筆者に在り)と断られています。
1、八相(口伝に発早とあり)
打太刀、仕太刀共も納刀より始む。互に鞘に納めて詰合ふて相向ひ右膝を立てゝ坐するなり、互に左足を一歩退きて逆まに抜き合す(互に右膝に抜き付ける)、其の儘膝をつき仕太刀は冠りて面に打込む、此時打太刀は十文字に頭上にて請け留むるなり。互に合わせ血振ひし足を退きて納刀す。
 古伝神傳流秘書の詰合の発早(八相)と文言も気勢の有り様も異なると思います、曽田先生が昭和の初めに書き込まれた業付口伝です。
 詰合の運剣動作は知り得ても、古伝の発早(八相)の心は伝わりません。従って切先の届かない双方の中間で刀を合わせて約束事をこなすばかりになってしまいます。
 私は、一本目の手附にある「「相手左の足を引下へ抜付るを我も左の足を引て虎一足の如く抜て留め」の心が詰合の1本目から5本目まで貫かれているからこそ、八相・拳取・岩浪・八重垣・鱗形まで同じ様に打ち込まれて受けて、返す業が続くと思うのです。
 組太刀以外でも相手の攻撃を跳ねのけていく業が幾つも見られます。行きつくところは「受けた時には斬って居る時」を極意とする事が理解出来ればと思っています。
参考に第19代福井春政先生直伝の嶋専吉先生の覚書を稽古して見ます。
無雙直傳英信流居合術形乾
詰合之位
1本目
発早(口伝に発早とあり、八相とも録す)
姿勢及構へ:仕太刀、打太刀互に刀を鞘に納めたるまゝ詰め合ひて相向ひに右膝を立てゝ坐す。
業:双方左足を一歩後方に退きて立ち上ると同時に互に対手の右脛に斬付くる心にて(剣尖を下方に)抜き合はす。
 次てその儘左膝を地につくと共に仕太刀は振冠りて上段より打太刀の正面に打込む、此の時打太刀は剣尖を右に頭上にて十文字に之れを請け止むるなり。
 次て互に刀を合はせ適当の位置に復し双方左膝を跪き血振ひ右足を退きて納刀す。
 嶋専吉先生の覚書も曽田先生の業附口伝の域を出ていません。第19代も曽田先生の業附口伝で学ばれた様です。
 或いは古伝を知っていたが古伝は抜けが多く対応が難しかった為、安易な業附口伝に従ったのかも知れません。

 

 

 

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曽田本その2を読み解く8英信流居合の形8の8終礼

曽田本その2を読み解く
8、英信流居合の形
8の8終礼
大江先生
英信流居合の型
終礼:刀を納めたれば互に右足より出で、四尺の距離を取りて左足を右足に揃へ直立し、同体にて正座し、右手にて腰の刀を抜き前に置き、板の間に両手をつきて礼を行ひ、更に刀を右手に持ち竪立とし左手に持ち換へ、左腰部に当て右手は右膝の上に乗せ、其まゝ右足より立ち左足を右足に揃へ、互に三歩退り直立となり神殿に向ひ礼を行ひ対向し三歩づゝ退り黙礼を行ひて左右に別る。(終り)
 古伝は、特に終礼についての事は記述されて居ません。大江先生の英信流居合の型は、演武会や奉納演武の際の出し物として作り上げたのでは、と思ってしまいます。
 武道は礼に始まり礼で終わるをしかと受け止めているのでしょう。それはそれで、そのように思われる時はきちんとすればよいのですが、稽古業としての考え方が出来ていない様です。形に捉われてそれだけになってしまうと、武的踊りに過ぎません。
 力任せで早ければ武術だと勘違いした様な、YouTubeにアップされている動画を見ていると手慣れた動作とは思いますが、何の感動も覚えないのは、其処には磨き上げられたものが見られないからなのでしょう。
 手打ちであったり、恐る恐る打ち合っていたり、上手いだろうと見せるばかりのものでは意味はありません。
 無双直伝英信流の高段者で、古伝の太刀打之事も解らずに十段を允可されたとか、なんたる事なのでしょう。
 詰合はおろか、大小詰、大小立詰など見た事も無い、手附を渡されてもどうして良いかわからない、など何をやって来たのでしょう。
 古伝には太刀を持っての仕組みは、大剣取によって奥居合の裏をとる極意形もあり、無刀を知る機会も有るものです。小太刀之位などは是非稽古したいものです。
 棒術や和(やわら)もこの流には、読むことが出来る伝書があるのです。居合抜しか出来ない、他流の事も知らない高段者が、私にこのブログで云いたい放題云っていて迷惑だからやめさせろと云っています。
 所属を離れてやめた所で、云いたい放題を辞めれるわけにいかないでしょう。曽田虎彦先生が、戦前戦後を通じ必死で求めて来た土佐の居合のルーツを手許にして、眠らせて置く事は出来ません。却ってはっきりものを云うばかりです。
 河野百錬先生も、曽田先生の古伝の写しを元に「無双直伝英信流居合兵法叢書を世に出し、後世の者が古伝をもっと集めて、研究する様にされています。
 全剣連の居合ですが英信流の岩田憲一先生も、対敵意識の古伝に注目して現代居合を見直すべきと述べておられます。
 曽田本その1をお読みになった方は、土佐の居合の求める事を理解されたと思います。無雙直伝英信流の各派や夢想神傳流の各派も土佐の居合を見直し本物の研究をする時期だろうと思います。
 大江正路先生のお陰でこの土佐の居合はここまで引き継がれてきた事は間違いないでしょう。大江先生ですら手にすることが出来なかった古伝を、大江先生の方法を元にしながら学びたいものです。
 次回から「曽田本その2を読み解く」は英信流詰合之位となります。

 

 

 

 

 

 

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2019年3月28日 (木)

曽田本その2を読み解く8英信流居合の形8の7真方

曽田本その2を読み解く
8、英信流居合の形
8の7真方
大江先生
英信流居合の型
7本目
真方:(打八相、仕上段)(伝書による打込なり、之れは打込のことを記せり 曽田メモ)
打太刀は其儘にて左足を出して八相となり、仕太刀は青眼のまゝ左足より小さく五歩退き上段となり、右足より交叉的に五歩充分踏込みて、打太刀の真面を物打にて斬り込む、打太刀は右足より五歩出で仕太刀を斬り込むと同時に左足より右足と追足にて退り、其刀を請留めるる、互に青眼となり打太刀は一歩出で仕太刀は一歩退り、青眼のまゝ残心を示し互に五歩引き元の位置に戻り血拭ひ刀を納む。
 曽田先生の補足メモですが、(打八相、仕上段)は打八相で良いのですが仕は「仕太刀は青眼のまゝ」となっています。
 (伝書による打込なり)との曽田メモを検証します。
参考
古伝神傳流秘書
太刀打之事
10本目
打込:相懸又は打太刀待処へ遣方より詰(請)て打込み勝なり
参考
業附口伝
11本目
打込一本:(伝書になし口伝あり、留の打込なり):双方真向に物打にて刀を合はし青眼に直り退く
 古伝は、上段か下段か八相かも指定しません。相懸かり、又は打が待つ処へ、仕より詰めて打込む。それでは相懸かりなのに、仕の動作が読み切れません。
 そこで、相懸かり、又は打が待つ処へ、仕はつかつかと歩み寄る、打は真向から打ち込んで来るのに応じて打込み勝。とすればこれは、新陰流の「合し打」か、一刀流の「斬り落とし」となります。
 双方の中間で物打ちを合わせ、ご苦労様では、ただの武的踊りの締めに過ぎません。業附口伝は江戸末期の第16代五藤正亮先生の口伝を元に曽田先生が書き込んだ業附口伝ですから、古伝とは言えません。
 曽田先生は大江先生の真方を伝書に在る「打込」と云っていますが、全く違う動作ですからこの解釈は間違いでしょう。動作の違いはあっても、心持ちはどうかと問われれば、所詮、受け太刀でしょう、と返すばかりです。
 明治以降に剣術各流派の業技法が失伝しています。無双直伝英信流も、多かれ少なかれ似たようなものです。失伝しっぱなしならば伝書が残って居れば、誰かが提唱したでしょうが、大江先生が、業名も業も、動作まで独創してしまったので、その弟子によって独創したものが優先権を得た様に現代まで引き継がれてしまいました。
 おかしなものは、訂正する勇気が現行の高段者には無く、昔はこうだったとか、先師の教えはこうだったとか嘘をつかない様に勉強すべきでしょう。

 

 

 

 

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2019年3月27日 (水)

曽田本その2を読み解く8英信流居合の形8の6請流

曽田本その2を読み解く
8、英信流居合の形
8の6請流
大江先生
英信流居合の型
6本目
請流:(納刀、立姿)(大江先生独創のものなり、之れは秘書にはなし尚伝書口伝にもなし)
刀を腰に差したるまゝ、静に出で打太刀は刀を抜きつゝ左、右と踏み出し上段より正面を斬り、体を前に流す、仕太刀は左足を右足の側面に出し、刀を右頭上に上げ受け流し左足を踏み変え右足を左足に揃へて体を左へ向け打太刀の首を斬る、仕太刀は左足より左斜へ踏み、打太刀は左足より後へ踏み、退きて青眼となり次の本目に移る。
参考
大江先生
大森流居合
6番目
請け流し(足踏は三角形とす):(右斜向にてもよし)右向きとなりて正座し敵が頭上に切り込み来るのであるから右斜め横に左足を踏み出し中腰となりて刀尖を少し残して左膝に右黒星を付け抜き、右足を体の後に出すと同時に残りが刀尖を離れて右手を頭上の上に上げ、刀を顔面にて斜とし刀尖を下げて請け流し、右足を右横へ摺り踏みて左足に揃えへ、左斜向に上体を変へ前に屈し、刀は右手にて左斜の方向に敵の首を斬り下し、下す時左手を掛ける。血拭ひは、斬り下したる体勢の足踏みより左足を後方へ引き、右足は稍前方に屈し膝頭を前に出す、其膝上に刀峯を乗せ右手は逆手に刀柄を握り構へ、其儘静に刀を納む、刀を納むるとき刀を鞘に納めつゝ体を漸次下へ下し、刀の全く鞘に納まるや之と同時に左足の膝を板の間に着けるなり。
参考
大江先生
奥居合立業の部
18番目(立業の10番目)
受け流し:(進行中左足を右足の前に踏出し身を変して請流す)
左足を出す時、其左足を右斜に踏み出し、中腰となり、刀の柄元を左膝頭の下として、刀を抜き直に其手を頭上に上げ、刀を斜とし、体を左斜前より後へ捻る心持にて受け流し、左足を踏みしめ、右足を左足に揃へ、右拳を右肩上に頭上へ廻し下し、上体を稍や前に屈めると同時に真直に左斜を斬る、揃へたる足踏みより後へ引き、血拭ひ刀を納む。
参考
古伝神傳流秘書
抜刀心持之事
21本目
弛抜:前の如く歩行敵より先に打を体を少し開き弛して抜打に切る。
 大江先生は奥居合も独創されていますから恐らく、大森流の「請け流し」を基にして、奥居合立業の「受け流し」を組み立てたのではないでしょうか、其処から英信流居合の型の「請流」へと展開された様な気がします。
 古伝抜刀心持之事には「弛抜」の業が存在し、之は相手の打込みを体を躱して(開いて)抜打ちにする訳で刀を抜いて受け流すことはしないものです。
 是は、相懸かりに、相手が先に抜刀するや、真向上段から斬り込んで来る、我は左足を右足の前に斜め右に踏込み、刀を上に左肩を覆う様に抜き上げ、右足を左足のやや斜め前に踏込み体を右に開き、左足を右足後ろに摺り込むや、敵刀を弛し右片手で相手の首から肩へ抜打つ。
 或いは、左足を稍々左前に踏込み、刀を抜き上げ、相手が打ち込んで来るや、右足を左足の後方左に摺り込み、体を左に開くや相手の刀を外し抜き打つ。
 体を躱す方法はこの外に、幾つも有るでしょう、例えば右足前の時刀を上に抜き上げ、相手の打ち込みに左足を後ろに引き、右入身となって我が側面に相手刀を外し抜き打つ。
 左足前ならば、刀を抜き上げ乍ら右足を左足に引き着け、相手の切り込みを左足を後方に退いて右入身となって外すや、抜き打つ。
 古伝の弛抜を稽古する場合、相手の刀を外してから抜き打つよりも、これらの体裁きで相手の切り込んで来る柄口六寸に打込むべきでしょう。
参考
第21代福井聖山先生
無雙直伝英信流之形(平成3年発行の冊子)
第6本目
受流:双方納刀のまま静かに前進し、間に至るや打太刀は抜刀し上段より仕太刀の真向を斬下す。
註 打太刀は左手を鯉口に把りながら右足より前進し、左足を進めつつ柄に右手をかけるや右足を進めて刀を抜きかけ、次に左足にて抜きとりて上段となり右足を踏み込みて斬り下す。
仕太刀は右足、左足、右足と出で柄に手をかけるや左足を右足の右側に大きく踏出しながら刀を抜き、右足を左足の右後方に踏込み上体を左に披きながら打太刀の刀を受流す。
註 上体を剣先と共に左に廻しながら後に反らせ前額上に刀表を上にして斜に構え敵刀を摺落す。
 仕太刀は敵刀を受流すや諸手となり、右足を左足の位置に踏揃え(体を左斜に向ける)中腰にて打太刀の首に斬下す。次に元に復しつつ中段となり五歩後退す。(納刀せず)
 大江先生の「受け流し」を、忠実に復元されています。大先生の打太刀は受け流されて「体を前に流す」の文言が福井先生の受流に見られません。
 居合の真向打下しの稽古で「体を前に流す」は上体を俯けるもので忽ち、ダメ出しが出てしまいます。受流されると意識して打込むわけでは無いでしょうから、居合の真向打下しを受流されて体を前に流すでしょうか。やらせの稽古では役に立ちません。

 

 

 

 

 

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2019年3月26日 (火)

曽田本その2を読み解く8英信流居合の形8の5鍔留

曽田本その2を読み解く
8、英信流居合の形
8の5鍔留
大江先生
剣道手ほどき
英信流居合の型
5本目
鍔留:(伝書による月影なり、之れは月影のことを記せり 曽田メモ)
(打は中段仕は下段の構)互に青眼のまゝ小さく、五歩を左足より引き、打太刀は中段となり、仕太刀は其まゝ下段となる、互に右足より三歩出で、打太刀は右足を左足に引き上段に冠り真直に打下し、仕太刀は右足を左足へ引き上段となり、右足を出して打下して互に刀合す、仕打鍔元を押し合ひ双方右足を後へ引き左半身となり、刀は脇構として刀尖を低くす、打太刀は直に上段より右足を踏み込み仕太刀の左向脛を切る、仕太刀は左足を充分引き上段となり空を打たせ上段より頭を斬る、打は二歩出で、仕は二歩退り青眼となり互に小さく五歩退り、血拭ひ刀を納む、(打太刀は仕太刀の左膝を打つときは、中腰となり上体を前に流す)
曽田先生はこの業は伝書の太刀打之事の5本目月影だと云っています。
参考
古伝神傳流秘書
太刀打之事
5本目
月影:打太刀冠り待つ所へ遣方右の脇に切先を下げて構へ行て、打太刀八相に打を切先を上て真甲へ上て突付て留め、互に押相て別れ、両方共車に取り相手打をはつす上へ冠り打込み勝
参考
業附口伝
太刀打之位
5本目
月影:(仕下段・打八相)是も同じく抜て居る也、相懸りにても敵待かけても不苦、敵八相にかたきて待ちかくる也、敵八相に打つ処を出合て互に押合、又互に開き敵打込む処を我左足を引き立ち直りて打込み勝也
 大江先生の鍔止めのもとの業は古伝の月影の様です。業附口伝は手附が不十分ですが、古伝の方が不十分でも解かりやすい様です。
 大江先生は、双方一旦上段に冠ってから真向に打ち下し、双方の中間で物打の鎬付近で相打ち、です。新陰流の「合し打ち」を思わせませますが、何を意図したのか理解できません。合し打ちを指導出来る人は、居合に何人いるでしょう。仕は切り落とされない様に受太刀になるべきでしょう。頭上に当たらない間合いで打ち合ったり、手を下げてしまったり、中間で打ち止めするなど、その醜さは大江先生の組太刀の欠点です。
 鍔押し合いをして、双方車に別れて出直しするわけですから、ここで合し打ちをする意味はないでしょう。
 古伝は、打が上段から真向に打込んで来る処、、仕は右下段から打の喉元を突き上げる様にして打の打ち下す刀を摺り上げて鍔元で請け、拳を合わせ押合い、双方車に別れ、打が打ち込んで来るのを左足を退いて外し、打の真向に打込む。
 業附口伝も古伝と同じような一刀目の攻防ですが、「出合て互に押合い」の文言がどのように出合うのか、不明です。双方上段に振り冠って打ち合うでは、大江先生の様なおかしなものになります。仕の下段からの応じ方が問題提起となります。業附口伝には、古伝と対比してみると幾つか疑問点が見られます。この月影もその一つです。
 車に別れてからの、打の斬り込み部位は、大江先生は左向脛ですが、括弧書きでは「膝」です。すぐ傍ですから大目にみましょう。
 古伝も業附口伝も、打の攻撃部位は「相手打」・「敵打込」で最も打ちやすい部位と云うのでしょう。やはり「膝附近」かなと云う所ですが、左肩、左腰、左膝あたりでしょう。
 この月影のバリエーションはとことん研究して見る所です。
 大江先生は鍔留の業名ですが、中山博道先生は鍔留、鍔押はしないで出来る事であって真剣勝負では疑問と云っています(日本剣道と西洋剣技より)。其の通りでしょう。
 斬られる事も無い竹刀競技では矢鱈鍔押しがめだちます。

 

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2019年3月25日 (月)

曽田本その2を読み解く8英信流居合の形8の4独妙剣の2

曽田本その2を読み解く
8、英信流居合の形
8の4独妙剣の2
 前回に大江先生の英信流居合の型4本目独妙剣を稽古し、現代居合では第21代福井聖山先生の「無雙直伝英信流之形」4本目独妙剣を稽古して見ました。
 大江先生の独創された業と思えますが、曽田先生はこの独妙剣は伝書の「請流」のことであると言っています。
 扨、どうでしょう。
古伝神傳流秘書
太刀打之事
3本目
請流:遣方も高山相手も高山或は肩へかまえるかの中也、待処へ遣方歩行右の足にて出合ふ、打込を打太刀請、扨打太刀の方より少し引て裏を八相に打を左足に出合ふて留、相手又打たんと冠るを、直に其侭面へ突込み相手八相に払ふをしたがって上へ取り右の足にて真甲へ勝。
曽田本その1
業附口伝
3本目
請流:是は敵も我も八相の構にて行真向へ討込也(敵は待て居ても相懸りにても不苦)、敵十文字に請て、又八相にかけて打込也、我其時左の足を一足踏み込て裏を止ると、敵又引きてかむる処を、我其侭面へ突込也、敵其時横に払ふ也、其処を我体を開きかむり後を勝也(又最後に首根に討込み勝もあり)
古伝も業附口伝も、表現の仕方は違っても同じ様な動作だろうと判断できます。双方八相に構えて、仕は打の待つ所へ、左・右・左と歩み行き、古伝は右足を踏み込み打の左面に斬り付ける、打は左足を退いて仕の斬り込みを請ける。
 業附口伝は八相から上段に振り冠って、右足を踏み込み打の真向に斬り付ける、打は左足を退いて之を十文字に請ける。
 次に、打は右足を退いて逆八相から右面に斬り付けて来る、仕は左足を踏み込んで裏に止める(逆八相に止める)。
 打は又打ち込まんと上段にかむる処、直ぐに右足を踏み込んで打の面に突き込む、打は左足を退き仕の突きを右横に払って来る。
 仕は払われるに従って左足を左斜め前に踏込み体を左に開き請流し右足を踏み込み打の真向へ打込む。
大江先生は英信流居合の型4本目独妙剣の業を独創するに当たり、古伝の請流を基に創作した様に、曽田先生は思われた様です。
 八相に構えて二度打ち合うのはともかく、打が上段に振り冠る所を仕は面に突き込む。この突き込む事が独妙剣の基礎にある、突きを払い落としたが、落すに従って受け流され打込まれる。此処も突きを払われても、この様に応じられるよと警告して、独妙剣では打の突きを打ち払わずに、振り冠ながら摺落して勝つのだ、と云うのでしょうか。
 曽田先生の言われる、4本目独妙剣は、古伝の3本目請流の事とは言えないでしょう。大江先生の英信流の型4本目独妙剣は善い業ですが、打が突き込むのに、体を前に屈めて、「さあ、お斬りなさい」という様な突きは見苦しいばかりです。
 

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2019年3月24日 (日)

曽田本その2を読み解く8英信流居合の形8の4独妙剣

曽田本その2を読み解く
8、英信流の形
8の4独妙剣
大江先生
英信流居合の型
4本目
独妙剣:打太刀は、其ままにて八相となり、仕太刀は青眼にて五歩下りて八相となる、仕太刀は左足より三歩出で、右足を踏み出し、打太刀は左足を引きて三本目の如く打合せ、左右と二度打合せ、三度目に左足より、右足と追足にて一歩づつ退き、刀を青眼とす、打太刀は右足より追足にて仕太刀の刀を摺り込みて突を施し、上体を前に屈む、仕太刀は突き来ると同時に左足を左斜へ変じ上段に取り、右足を踏み変へて打太刀の首を斬る、互に青眼となり、打太刀は三歩出で、仕太刀は三歩退り、互に構へるなり。
*
 「三本目の如く」と云うのは、三本目絶妙剣でしょう。業手附ですから省略せずに全部書かなければ、前の業に戻って書き直さなければなりません。
 「仕太刀は八相のまま左・右・左と三歩出で、右足を踏出し打の右面を斬る、打太刀は左足を引きて仕の太刀と打合す。
 仕は左足を踏み出して打の左面を斬る、打は右足を退いて仕の太刀と打合す。
 三度目に仕は右足を踏出し打の右面を斬る、打は左足を退いて仕の太刀と打合す。仕打共に右足前となっています。
 次に、双方右足左足と追足に一歩ずつ退いて、青眼に刀を合す。仕打共に右足前で一歩づつ退いたことになります。
 打は、右足を踏込み左足も追い足に、上体を前に屈んで仕の刀を摺り込んで突きを入れる、仕は摺り込まれるや左足を左斜め後ろに踏み変え、右柄手を右肩を覆う様に摺り落して上段となり、右足を踏み込んで、打の首を斬る・・・。この突き込まれてからの仕の足捌きは「左足を左斜へ変じ上段に取り」で斜め後ろか、斜め前か指定して居ません。間合いによって調整しろと云うのでしょう。それによる右足の捌きも微妙です。
 独妙剣の大江先生の不備な手附を河野先生が大日本居合道図譜で改め、後21代福井聖山先生が無雙直伝英信流之形として教本を冊子にしています(平成3年)
福井先生
独妙剣:打太刀、仕太刀相八相より前進し、間に至るや絶妙剣と同理合いにて二度切り結び、ー(絶妙剣:間に至るや打は上段となり、右足を踏込みて仕の左面に斬込むを、仕機先を制して上段から右足を踏み込みて打の左面に斬込み相打となり物打の刃部にて刀を合わす。打は、仕の気に圧せられて右足を退かんとするを仕之に乗じて左足を踏込み打の右面に斬込む。打は右足を退き、上段より仕の太刀を受ける。)ー三度目に仕太刀は打太刀の退くところをその左面に斬込む。
 打太刀は二刀目と同様に之を受け、互に左足を退きて十分なる同等の気位にて中段となる、  打太刀は機を見て左足、右足と追足にて刀を左に傾け、摺込みて仕太刀の胸部を刺突す。
 註 打太刀は突きたるとき上体を流す。(前に屈むる)
 仕太刀は左足を左に踏出し(右足の左斜前))体を右に披きつつ手元を上げて敵刀を捲き返す。(敵刀を、己が右斜下に裏鎬にて摺落す。)
 仕太刀は打太刀の刀を右斜下に摺落しながら右足を左足の方向に退きつつ上段となるや右足を踏み込みて打太刀の首より肩にかけて斬下す。
註 退く右足はゆかに留まらぬうちに前に進めて斬込む。
 次に打太刀は三歩出で、仕太刀は三歩退きながら中段となりつつ元の位置に復し、双方五歩後退す。(納刀せず)
 福井先生は河野先生の業手附其の儘ですが、八相から上段に取り直して双方左面に斬り込む、次も右面に、その次もに左面に上段に構え直して斬り込んでいます。大江先生は八相から一刀目は右面を斬り込みますから上段から逆八相になるでしょう。次も左面、次も右面、ですから上段に取っているでしょうか。帝国剣道型が制定された頃ですから、真似ざるを得なかったかも知れません。
 打が突きを入れるに当たり、福井先生は「刀を左に傾け」ですから刃を左に向けて胸部を刺突するのでしょう。大江先生の手附は「仕の刀を摺り込みて突きを施し」です。第18代穂岐山先生の弟子で大江先生の居合も眼の前で見ていたであろう、野村條吉先生は、「互に青眼に構えるや敵刃を我刀にて圧しつゝ敵の喉を突く」ですから、刀刃は下を向けたまま咽を突いたと思われます。
 いずれにしても、仕は突きを摺り落す事を学ぶのであって、体を左へ逃がすばかりでは摺り落せません。
 曽田先生は大江先生の独妙剣を「伝書の請流なり、之れは請流しのことを記せり」と云っていますが、どうでしょう。
 次回に、伝書の太刀打之事の3本目請流をもう一度稽古して見ましょう。
 
 
 
 

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2019年3月23日 (土)

曽田本その2を読み解く8英信流居合の形8の3絶妙剣

曽田本その2を読み解く
8、英信流居合の形
8の3絶妙剣
大江先生
剣道手ほどきより
英信流居合の型
三本目
絶妙剣:(相八相)(伝書による請込也 是は請込のことを記せり 曽田メモ)
打太刀は其のままにて左足を出して體を斜向きに八相となり、仕太刀は青眼より左足を出して八相となる、仕太刀は八相のまま右足より五歩交互に進み出て、同体にて右足を踏み出して、右面を斬る、打太刀は八相より左足を引きて仕太刀の太刀と打合す、仕太刀は左足を出し打太刀は右足を引きて、前の如く打合せ、打太刀は左足を引きて上段構えとなりて斬撃の意を示す、之と同時に仕太刀は右足を出して體を右半身とし、中腰となりて、左甲手を斬る、静かに青眼になりつつ打太刀は、三歩出で、仕太刀は三歩退る。
 是は古伝の4本目請込(請入)だろうと云っています。チョット違いますが参考にして作られた業だろうと推測できます。
 この大江先生の絶妙剣は、折角八相に双方構えて、仕は右・左・右・左と進み出て、八相から上段に振り冠って右足を踏み込み、打の右面に斬り込んでいます。
 この八相から上段への振り冠は打の右面に斬り込むため行う動作ですが、打も八相ですから其の侭打の左面に斬り込めます。恐らく竹刀剣道の形を意識した打込みでしょう。
 一刀目、打は打ち込まれるので左足を退いて、仕の真向打込みを八相に受けています。
 二刀目、仕は打に受け止められ、上段に振り冠って左足を踏み出し打の左面に斬り込みます、ここは仕は上段ですから真向打ちでもいいでしょう。打は八相に受けた体制で右足を引いて逆八相に仕の斬り込みを請け留る。
 三刀目、打は請け留めるや左足を退いて上段に構える、同時に仕は右足を踏込み右半身になって中腰から打の左甲手を斬る。
 大江先生の手附も抜けがあって、抜けた部分を補修しながら演じなければなりません。
 大江先生は仕の打込みは上段から打ち込ませていますが、八相の儘古流剣術は運剣していると思います。仕が八相から上段に振り冠る際、私なら、仕の上段になろうとする隙に八相から打ち込みこの業を不成立にしてしまいます。
 もう一つ、仕の一方的な斬り込みに打は退きながら受けに回っています、中学生向きの組太刀ですからそれも有りかとも思いますが、打は退きながら仕の隙に打込む事は容易です。
 古伝を知らず、古流剣術も知らない現代居合人では明治の中学生と同等なのでしょう。
参考
古伝神傳流秘書
太刀打之事
4本目
請入(請込):前の如く打合相手は八相に打を前の如くに留又相手より真甲を打を体を右へ開きひじを切先にて留勝。
前の如くとは、3本目請流になります。やって見ましょう。
参考
請流:遣方も高山相手も高山或は肩へかまへるかの中也、待処へ遣方歩行、右の足にて出合ふ、打込を打太刀請、扨、打太刀の方より少し引て裏を八相に打を左足にて出合ふて留め、(相手又打たんと冠るを直ぐに其侭面へ突込み相手八相に払うをしたがって上へ取り右の足にて真向へ勝・・( )は請流の部分)」
*
 高山は上段ノ構えです、肩へかまえるは八相の構えですからどちらでもよいと云っています。但し打込みは上段から八相に打ち込むか、八相から其の侭打込みます。
 古伝のポイントは、仕は前へ出ていますが、打は退きながら仕に攻め込んでいます。大江先生と違う所でしょう。
参考
業附口伝
4本目
請込(請入):(仕打八相)之も同じく相懸りにても敵待かけても不苦、請流の如く八相にかたきスカスカト行て真向へ討込也、敵十文字に請て請流の如く裏より八相に打、其処を我も左の足を出し、請流の如く止むる也、敵其時かむりて表より討たんとする所を其侭左の肘へ太刀をすけるなり。
参考
請流:是は敵も我も八相の構にて行真向へ討込也、(敵は待ちて居ても相懸りにても不苦)敵十文字に請て又八相にかけて打込也、我其の時左の足を一足踏み込て裏を止ると(敵又引きてかむる処を我其侭面へ突込也、敵其時横に腹払ふ也、其処を我体を開きかむり後を勝也(又最後に首根に討込勝もあり 曽田メモ))・・( )内は請流の部分。
*
 仕打八相の構えで相懸りか、打が待つ所へ仕はスカスカト行き八相の構えから上段に振り冠って真向へ打込みます、打は其れを右足を踏み込んで十文字に請け留める。
  打は右足を退きながら逆八相から仕の左面に打ち込んできます、仕は左足を踏み込んで逆八相に受け留める。
 打は左足を退いて上段に構えるところ、仕は右足を稍々右に踏み込み、左足を右足後ろに摺り込み半身になって体を低くして打の左肘へ下から掬う様に斬り込む。
 大江先生と異なる処は、古伝と同様仕は、前に出て、打は退きながら攻めてきます。
 古伝と略同じ動作と読めるだろうと思います。大江先生は何故仕の攻撃を打は請けるばかりにしたのでしょう。中学生向きとして手心を加えたのでしょうか。打の下がり乍ら斬り込むのは多少難しく、仕の攻める姿勢で防禦するのは難しいとされたのでしょうか。
 業名の絶妙剣も古伝は請入で、相手の攻撃に退かずに攻める姿勢である「請入・請込」の当を得た業名を変えています。古伝太刀打之事には8本目に絶妙剣の業名を持つ組太刀があります。
 太刀打之事絶妙剣
「高山に構へ行て打込み、打太刀より亦打込を請て、相手の面へ摺り込み、相手肩へ取る(請くる時は切先に手をそへ頭の上にて十文字に請け留るあり)」
 大江先生は古伝を知らなかったか抹殺してしまう意図があったのでしょうか、心あれば元の組太刀の業名を盗用しなかったでしょう。

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2019年3月22日 (金)

曽田本その2を読み解く8英信流居合の形8の2拳取

曽田本その2を読み解く
8、英信流居合の形
8の2拳取
大江先生
英信流居合之形
2本目
拳取):(立姿)(納刀)・傳書に因る附込なり・之れは附込みのことを記せり(曽田メモ)
1本目と同様虎走りにて出て、膝にて抜き合せ、仕は左足を打の右足の側面に踏み込み、左手にて打の右手頸を逆に持ち下へ下げる、打は其侭にて上体を稍前に出し、仕は夫れと同時に右拳を腰に當て刀尖を胸に着け残心を示す、仕は一歩退く、打は一歩出て青眼の構となる。(仕は五歩青眼にて退り打は其侭にて位置を占む)
参考
古伝神傳流秘書
太刀打之事
2本目
附入:(附込とも云う 曽田メモ)前の通り抜合せ相手後へ引かむとするを附入左の手にて拳を取る右の足なれ共拳を取る時は左の足也
参考
曽田本その1
業附口伝
2本目
附込:(仕打納、附入共云う 曽田メモ)、是も出合の如く相懸りにて右の足を先にして場合にてさかさまに抜合せ敵の引かんとする処を我左足を一足付込左の手にて敵の右の手首を取る此の時は左下に引きて敵の体勢を崩す心持にてなすべし、互に刀を合せ五歩退き八相に構へ次に移る也
 出合と刀を抜合わせる処まで、それぞれに同じです。
1、
大江先生:「仕は左足を打の左足側面に踏込む」相手の動きは関係なく附け込んでいます。
古伝:「相手後へ引かんとするを附入る」
業附口伝:「敵の引かんとする処を我左足を一足付込」
相手が退かんとするのに付込んで左足を踏み込むのが、附け込みの鉄則でしょう。双方の刀は右足を踏み込んで抜き合されています。相手の刀をどちらかが受け留めていれば、双方の右足は触れ合わんばかり近いこともあり得ます。
形だからと遠間で、双方の刀が相手に届かない位置で抜合わせるなどありえません。我が出足を越して相手の右足側面にスット踏込む。
2、
大江先生:「左手にて打右手首を逆に持ち下へ下げる」おまけは「打は其侭にて上体を稍前に出し」てくれる。
 「打の右手首を逆に持ち」は文章からは読み取れません。
 相手の右手首を外側に捻じってみたり、内側に捻じって見たり、思いつくまま好きにやればいいのでしょうが、附け込みが浅ければ、大江先生の「右手頸を下に下げ」我が左身の内に引き落とせば相手の体勢は崩れます。深ければ相手の手頸を押さえて其の侭下に引き落とせば崩れるものです。
 いたずらに逆手に取って相手の手頸を制しておいてから崩す必要はないでしょう。大男のでかい手首など簡単に逆手に取れません。左足を踏み込み附入ると同時に相手を崩すことがポイントです。
古伝:左の手にて拳を取る・・拳を取る時は左足也。右足前で抜き合せているけれど拳を取る時には左足を踏み込んで、附入って拳を取れと云っています。
業附口伝:左足を一足付け込み左の手で敵の右手首を取り左下へ引き体勢を崩す。
3、
大江先生:右拳を腰に当て刀尖を相手の胸に着けて残心。
古伝:特に記載はありません。
業附口伝:敵の体勢を崩すで終わっています。
 此処は、大江先生の残心の心持ちは参考にすべきところでしょう。相手を崩し引き倒すとか後ろに押し倒すとかしない場合は、右手の刀を有効に活用するのは当然でしょう。切先は相手の胸か水月にいつでも刺突できる様に向いているものです。
 時代を経て昔の教えの抜けて居る所を補うのはよしと云えるかもしれませんが、其の為にやるべき事がたった一つになって、武的踊りになる事は要注意です。
 大江先生の英信流居合の型を現代風にまとめられているのは、河野百錬先生の大日本居合道図譜でしょう。一部訂正して借用しているのは21代福井聖山先生の平成3年の「無雙直伝英信流之形」でしょう。
参考
拳取:出会の要領にて虎走りで前進し、同じく膝の処にて斬結ぶ。打太刀圧せられて退かんとするを仕太刀すかさず」左足を打太刀の右足の斜め右方に踏込み、右足を大きく後に体を右に披くや打太刀の右手を左手にて上より逆に握り(中指は手首関節部に拇指は手の甲に)左下方に引きて打太刀の体勢を右に崩し、右手の自由を奪い、己の右手を腰部に把り、刃を外に向けて剣先を打太刀の胸部につくる。(胸部を刺突する)
 {我左に転じて、敵の体勢を崩し其胸部を刺突す。(古伝には敵刀の下より刺突する)} この{ }の部分河野先生の拳取より削除されている。
 仕太刀、右足より右に元の位置に復しつつ双方中段となり互に五歩後退す。(納刀せず)
河野先生の仰る古伝とは何か不明です。
*
3月19日からブログのリニューアルとかで、閲覧不能が続いています。
せっかくアクセスいただきながらご覧になれない様で申し訳ありません。
リニューアルされたシステムにも不慣れで悪戦しています。
原稿は先の方まで書き終わっていますので今しばらくご容赦下さい。
2019年3月22日 ミツヒラこと松原昭夫
 

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2019年3月21日 (木)

曽田本その2を読み解く8英信流居合の形8の1出合

曽田本その2を読み解く
8、英信流居合の形(大江先生独創)
8の1出合
参考
古伝神傳流秘書
太刀打之事(鞘木刀也 立合之事也)
1本目出合:相懸りにかゝり相手より下へ抜付るを抜合せ留めて打込相手請る右足也
大江先生(曽田本その2曽田先生剣道手ほどきより写す)
英信流居合の型
1本目
出合:(立姿)(納刀)打太刀は柄に手をかける、仕太刀も打太刀の如く柄に手を掛け、双方体を少し前方に屈し虎走りにて五尺の距離に出て、右足を出したる時、膝の処にて打は請け、仕は抜打にて刀を合す、仕は直に右足左足と一歩摺り込み、上段より真直に打ち込む、打は左足より右足と追足に退き刀を左斜にして受け、仕は二歩退り打は二歩出て、中段の構となり残心を示す、之れより互に五歩退き元の位置に帰り血拭ひ刀を納む
 古伝太刀打之事の一本目は「出合」です。大江先生の英信流居合の型の一本目も「出合」。
 同じ業名である事は、大江先生の守備範囲から想定すれば古伝の太刀打之事を以前に見知っていて、土佐の居合の形を取り入れつつ改変したものと推定できます。
 古伝は抜けだらけですが、武術の素養さえあれば動作は出来るものです。大江先生は稍々丁寧な手附ですから古伝とポイントを探ってみます。
1、
双方:刀を鞘に納めて立ち合う。
2、
大江先生:相懸かりに虎走りの要領で、柄に手を掛け、稍や腰を屈め、小走りにて数歩進み出る。 
古伝:相懸りに、立って向へ(双方相向かい合って)つかつかと行く(抜刀心持之事虎走りでは腰を屈めつかつかと行く)
3、
大江先生:右足を出したる時、膝の処にて打は請け、仕は抜打にて刀を合わす。この文章は意味が読み取れません、無理に考えれば、打は膝の処で請けていますから仕が抜打ちに打の膝に抜き付けたので打に受け止められた、と読む事も出来ます。
もう少し突っ込んで想定し「仕は抜打にて刀を合す」を強調すれば打が先に抜いて膝に切り込もうとしてきたが、仕は機先を制して打の膝に抜き打ったが打に請け止められた。となりそうです。
 どちらにしても、打に受け止められて刀をあわせることになって、是は相打ちでは無いと云う事です。
古伝:「相手より下へ抜付るを抜合せ留めて」ですから、明らかに打が先制攻撃し抜き付けて来たので仕は受け止めた、大江先生と逆の動作となっています。打ち込まれた部位は「下」です。
4、
大江先生:「仕は直ぐ右足左足と一歩摺り込み、・・打は左足より右足と退き」ですが、仕は右足を踏み込んで打に抜き付け刀を合わせているならば、右足から摺り込むのは、打が先に退いてくれないと難しい、一般的には、左足を右足に引き付け相手を圧して右足を踏み込むのが良さそうです。
古伝:「留めて打込む」仕は打の切り付けを受けていますから、即座に反撃に移る必要があります。相手の刀を摺り上げながら摺り込み、追い込んで打ち込むとも読めます。
5、
大江先生:打は後足の左足から半歩下がり、右足を追い足に引いて、仕の打込みを「刀を左斜にして受け」ています。
 この文章から「刀を左斜」とは、切先が左であるべきでしょう。見ていますと大方柄を左に切先は右斜め上です。何処で変わったのでしょう。
古伝:打は仕の打込みに「相手請る右足也」ですから左足右足と追い足で下がり右足前で「請る」でしょう。請け様は指定せずです。相手の打込みが充分読めていれば、切先左に刃を上左手を物打ち下に添えて顔前頭上で請ければ、其処から反撃も可能でしょう。
参考
曽田本その2の曽田先生記述
業附口伝
太刀打之位
1本目出合:是は互に刀を鞘に納めて相懸りにてスカスカと行、場合にて右の足を出しさかさまに抜き合せ、敵引く処を付込みて左足にてかむり右足にて討也、此の時敵一歩退き頭上にて十文字に請け止むる也、互に中段となり我二歩退き、敵二歩進み改めて五歩づつ退く也納刀。
 業附口伝は河野百錬先生の昭和13年発行の「無雙直伝英信流居合道」の第五節居合之形之部にあるものと同じ文面になります。曽田先生の書写された業付口伝を記載したもので「以下記し所は當流古伝傳の略述にして文責筆者に在り}とされています。曽田先生に敬意を払っていると思われます。
 昭和30年発行の「無双直伝英信流居合兵法叢書」には古伝神傳流秘書が全巻記載されこの業付口伝は先に発行した「無雙直伝英信流居合道」以外に在りません。
この業附口伝の出合
1、
互に刀を鞘に納め
2、
相懸りにてスカスカと行であって、虎走りの走り込みはしていない。
3、
さかさまに抜き合わせる、この文章は意味不明ですが、古伝から類推すれば双方刃を下に向け膝に抜き付けるのでしょう。
4、
敵引く処を打込む、仕は左足を踏み込み上段に冠リ、打が退く処を、右足を踏み込んで打ち込んでいます。
5、
相手頭上にて十文字に請け止むる。刀で刀を受ける場合十文字請けと云われますが、刀の運用は様々です。
 ここは、敵は、相打となった抜き付けから、直ぐに間を切って退いています。仕の打込みを予測すれば、刃を上に、切先を左に左手を物打ち下に添え、顔前頭上で十文字に請けるべきでしょう。
 この十文字受けは、次の打の反撃が予測されるものとなります。
 次いでですが、左手を添えた十文字受けの左手の添え方は、左掌を斜め左前で上向けにし、拇指は内側にして、相手側で人差し指の付け根に刀の峯を当て、小指下の膨らみにも峯が当たる様に掌で刀の峯を支える心持で添えるべきでしょう。
 拇指と人差し指の股で支えるべきものではありません。多くの教本が拇指と人差し指の股に刀の峯をのせて添わせていますが、上段からの斬撃は強く真剣でやるべき事とは言えません。
 尚、詰合などの組太刀では十文字受けした刀を摺り落して詰める展開が見られ、この出合でしっかり稽古しておくべきものです。
 従って大江先生の、意味不明ですが「刀を左斜」にして受けるだけの応じ方は進められるものではありません。
 打はあくまでも仕を導く上位者であるべきでしょう。かつて師匠に習ったからなどと云っている人が居ますが、現代居合の師匠ですか・・組太刀の精通者に出合ったことがありませんのでそこに拘るのはどうでしょう。
 もう一つ、仕の打込みに打が後ろへそっくり返って受けているのを見る事があります。いくつかの教本に見られますが、ありえない、あってはならない動作でしょう。
 そうならない体裁きが打に在るべきもので、組太刀の一本目に意味不明な踊りを踊っていてもおかしいだけです。
 打に受け止められて力押しで押しつぶす様にするのですか、いい加減に可笑しなチャンバラはやめたいものです。

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2019年3月20日 (水)

曽田本その2を読み解く8英信流居合の形8発声

曽田本その2を読み解く
8、英信流居合の形
8発声
大江先生
英信流居合の型
発声:発生は相互の打合せ、或は受け又は打ち込みたるとき、其業毎にイーエーと長く引きて声を掛け合ふなり。
 発声について、大江先生、堀田先生の「剣道手ほどき」では「イーエー」と掛ける様に書かれています。
 大江先生の独創による「英信流居合の型」ですからこの型を打つ場合は、この「イーエー」と掛けるのは当然です。
 英信流の仕組(組太刀)はすべてこの「イーエー」の掛け声を掛けるものと思われている方もおられる様です。
 古伝神傳流秘書には太刀による型(形)は太刀打之事・詰合・大小詰・大小立詰・大剣取の5種の形があります。
 古伝の形で掛け声を出せと云っているのは一つもありません。大江先生の7本の英信流居合の型で「イーエー」と言ってその方達は学んで来たのでしょう。太刀打之事や詰合でもイーエーとやっています。
 中学生に指導したり、徴兵にとられて兵士として統一的に訓練される場合は、掛け声も有りかと思いますが、古伝は無言です。
 武術は相手に起こりを見せない、まして相対するものを威嚇する様な発声は不要です。打ち込む際、呼気と同時に声が出てしまうのすら心すべきものでしょう。
 発生を奨励するならば居合抜其のものでは何故発声しないのですか。その上、鞘鳴りも嫌い、足音も立てない、対敵相手の勝負は、静かな中に始まり終わるものです。気は修行により発せられるもので、それも相手にも、まして周囲の者に感じさせないものです。
 江戸末期に古伝が変形されてきた一つに、五藤先生、谷村先生による「業附口伝書」なるものを、曽田先生の実兄土居亀江及び田口先生(不明)から曽田虎彦先生と竹村静夫先生が指導を受けられたと曽田メモが残されています。
 古伝の簡潔な文章では不明な部分があって余程武術を修錬した者でないと読みこなせませんが、この「業附口伝」は古伝の書かれていない部分を想定した手附ですから、学び易いものになります。
 この「業附口伝」は原書は、不明です。恐らく高知の空襲などによって焼失したか、実兄土居亀江が五藤先生、谷村先生から口伝で受けものを、曽田先生に口伝され、曽田先生が書き留めたものであろうと思われます。
 この「業附口伝」が最初に世に出たのは曽田先生から、写しを譲られた河野百錬先生が昭和13年1938年に発行した「無雙直傳英信流居合道」の第五節居合形之部第二太刀打之位から第三詰合之位、第四大小詰、第五大小立詰にそっくり載せられ、「以下記す所は當流古傳の略述にして文責筆者に在り」とされています。河野先生40歳大日本武徳会居合道錬士の頃のことです。
 この「無雙直伝英信流居合道」の業附口伝が広まって古伝の形が稽古されたと思われ、古伝の形は神傳流秘書の形を忘れっぱなしにしてしまったと思われます。
 土佐の居合の形である古伝神傳流秘書太刀打之事及び曽田先生記述の業附口伝太刀打之位何れも、発声については記載されていません。
 次回から、英信流居合之型を一本ずつ読み解いていきます。
 参考とする資料
曽田本その2より英信流の形
大江先生の剣道手ほどきより英信流居合の型
曽田本その1より古伝神傳流秘書の太刀打之事
曽田本その1より業附口伝太刀打之位
嶋 専吉先生無雙直伝英信流居合術形乾より太刀打之位
河野先生の大日本居合道図譜無雙直伝英信流居合道形
福井聖山先生の無雙直伝英信流之形太刀打之位
山本宅治先生の英信流居合之形
政岡壱實先生の無雙直傳英信流居合兵法地之巻より太刀打之位
野村條吉先生の無双直伝英信流居合道の参考より英信流居合形
その他

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2019年3月19日 (火)

曽田本その2を読み解く8英信流居合の形8作法

曽田本その2を読み解く
8、英信流居合の形
8作法
大江先生
英信流居合の形
(元来居合術は敵を斬る形なり故に居合には形と云うものあるべからず伝書に示さるゝ詰合之位、太刀打之位と云うべきなり  曽田メモ)
 古伝は、太刀打之事、詰合、大小詰、大小立詰、大剣取という様な呼称の呼び方をしており、曽田先生の言われる様な、太刀打之位、詰合之位という云い方は、曽田先生が谷村派第16代五藤正亮先生、谷村亀之丞自雄先生の「業附口伝書」を演じるに当たり自ら詳述した業附口傳に・・・位と付けられています。
 この五藤正亮先生の業付口傳書は実在せず、曽田本では曽田先生の業附口伝となります。
 江戸時代後期の組太刀(土佐では仕組)は、古伝を基に手を加えられ、古伝の趣は失われ始め、形となってしまい、武的感覚に乏しい様です。
 たとえば、太刀打之事と太刀打之位の手附を読んでみます。
古伝1本目出合:相懸りにかゝり相手より下へ抜付るを抜合せ留て打込相手請る右足也
業附口伝1本目出合:是は互に刀を鞘に納めて相懸りにてスカスカと行、場合にて右の足を出しさかさまに抜き合わせ敵引く処を付込みて左足にてかむり右足にて討也此の時敵一歩退き頭上にて十文字に請け止むる也、互に中段となり我二歩退き、敵二歩進み改めて5歩づつ退く也納刀。
 古伝と江戸末期の文章の違いは大きく、動作の順番は確かに業附口伝が判りやすい。然し何を目的にこの業を稽古するかは古伝の「相手より下へ抜付けるを抜合せ留て打込」であって、業附口伝は「相懸りにすかすかと行、場合にて右の足を出しさかさまに抜き合わせ敵引く・・」是では、双方の中間で刀を合わせている、相打ちです。
 古伝は相手が先に打ち込んで来るのを受け止めています。そこから勝負に出ます。
 抜き合せただけの相打ちで無い処が読めたかどうかでしょう。
 ・・之位という呼び名は何処かの流派の借り物だろうと思います。古伝は「形」と云う送りすら用いていない事にこの流の素晴らしさが秘められていると思います。作法に戻ります。
作法:刀は左手にて鞘を持ち親指にて鍔を支へ其の握りを腰部につけ45度の傾斜に下げ、右手は横腹につけ不動の姿勢となり、互に十尺ほどの距離を取り対向し一礼を行ひ、更に五尺の距離に進み神殿に向ひ黙礼をなす。
 更に向ひ合ひ静に正座す、刀を右手に持ち代へ前に五寸程離して置き互に両手をつき礼を行う(之は刀に対する礼ならん 曽田メモ)、一応両手を膝の上に置き右手に刀を持ち腰に差し、再び両手を膝の上に置き、更に左手にて鞘を握り拇指を鍔に添へ、右手は其侭右足を前に出し其の足を左足に引き揃へ直立す。
 次に左足より互に五歩退り、止まる時は右足を前に左足は約五寸程引踏む、此の構にて互に進み出でて第一本目を行う。
第20代河野百錬先生
無雙直伝英信流居合道形(太刀打の位)
作法:
1)相互の礼、道場の末座にて約5尺を隔てゝ対座す。註、正座の姿勢と同様に端坐して刀は右脇に刃を内に向け鍔を膝の線に置く。
2)次にお互いに礼をなす。
3)神殿に礼、居合と同要領にて刀を左手に提げて立ち、静かに道場の中央に進み互に10尺を隔てゝ神前に向ひ右手に刀を取替へて神座に最敬礼を行ふ。
4)坐礼、立礼のところにて向ひ合ひて黙礼し静かに進み約5尺を隔てゝ対座す。刀を前に置き居合の要領にて坐礼をなす。
5)帯刀、帯刀す。次に左手の拇指を鍔にかけて鞘を握り右足を踏込みて立上り其足を左足に退きつけて直立し、互に左足より5歩後進して対向す。之より業に移る。
 良く整理された作法です。是もどこかの借り物でしょう。古伝にはこの様な作法は何処にも記述されていません。
 古伝を学ぶとは対敵相手の武術を学ぶのであって、演武会のかっこいい演舞をするためでは無かったはずです。

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2019年3月18日 (月)

曽田本その2を読み解く8英信流居合の形8初めに

曽田本その2を読み解く
8、英信流居合の形
8初めに
 この英信流居合の形は、大江先生、堀田先生による共著「剣道手ほどき」にある組太刀で土佐では仕組などと云うものです。
 古伝の稽古の順番は、大森流居合之事、英信流居合之事、と居合抜の稽古を進め、仮想敵相手の一人稽古から相手を設けて打ち合う太刀打之事(鞘木刀也 立合之事也)と進んで行きます。
 居合では得られない、相手との間と間合いを知ることが出来るものとして剣術の基本を学ぶものであったと思われます。
 防具を付けた竹刀剣道が江戸時代後半から盛んになって、形は本来の姿を隠してしまい形骸化した打ち合いの形に終わっています。
 第20代河野百錬先生は、大日本居合道図譜に於いて「形は之に依りて姿勢を正確にし、眼を明かにし、技癖を去り、太刀筋を正しくし、動作を機敏軽捷にし、剣撃を正確にし、間合をしり、気位を高め、気合を錬るなど甚だ重要なるものなり。
 形を演ずるに当たりては十分に真剣対敵の気を罩(こ)め、寸毫の油断なく、一呼吸と雖も苟(いやしく)もせず、居合の法則に従ひ確実に演錬すべし。
 形に最も重んずべきは単に其の動作のみならず実に其の精神にして、気合充実せず、精神慎重を欠かば、如何に軽妙に之を演ずるとも一の舞踊と択ぶ所なし。学者の心すべきところなり」と大上段に振り冠って斬り込んできます。
 大江先生の「英信流居合の形」では術と云えるほどのものはありませんが、本来江戸時代前期までに完成していた各流派の形は、形ばかり真似ができても、その流の「術」が全うできなければ唯の、チャンバラごっこに過ぎないものです。
 打太刀が打たせてくれたので其処を打ったでは術にならないのです。まして力強く素早く打ってみたところで、軽く往なされてしまうのが落ちでもあり、意味不明の打ち合いに終始して無駄な時間を過ごす事にもなります。
 居合から始めた者も、竹刀剣道から始めた者も、古流剣術の妙は奥深いものです。
 大江先生の、英信流居合の形を、河野先生が「太刀打の位」との括弧書きしてしまいましたので、古伝「太刀打之位」と同程度に思われる、無双直伝英信流の連盟や道場も有る様です。
 曽田本その2を読み解きながら、大江先生の中学生向きに改変された「英信流居合之形」を稽古して見ます。
 曽田先生は「自分昔中学時代に三四指導を大江先生より受けたる際に単に長谷川流の形と云て居たり 明治37年頃)」と添え書きされています。なお「無雙直伝英信流伝書の業付とは全部これ合わず 大江先生の独創ならん」と書かれています。
 近年ミツヒラブログによって誰でも、古伝に触れて読むことが出来るようになってきました。
 現代居合や大江先生の組太刀が何とか打てれば古伝の簡単な解説によっても出来そうなことに触発され、ミツヒラブログの実証を木村栄寿先生の林崎抜刀術兵法夢想神傳重信流や、河野先生の無双直伝英信流叢書によって確認されて、土佐の居合の組太刀や棒、和(やわら)などの古伝が顧みられる様になってきました。
 居合も表と裏を修業した上で武術の領域に入って行かれるものです。曽田本その1が本命ですが、曽田本その2も多くの気付きを与えてくれました。 読み進んで行きます。
 
 

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2019年3月17日 (日)

曽田本その2を読み解く7長谷川流奥居合その他7の2業名対比

曽田本その2を読み解く
7、長谷川流奥居合その他
7の2業名対比
土佐の居合の奥居合の業名を古伝・行宗先生・大江先生・細川先生の順に並べて対比しておきます。
 
 1、向払(古伝、細川)、霞(行宗、大江)
 2、柄留(古伝、細川)、脛囲(行宗、大江)
 3、向詰(古伝、細川)、両詰(行宗、大江)
 4、両詰(古伝)、両詰(細川)、戸詰・戸脇(行宗、大江)
 5、三角(古伝、細川)
 6、四角(古伝、細川)、変形四方切(行宗、大江)
 7、棚下(古伝、細川、行宗、大江)
 8、人中(古伝、細川)、壁添(行宗、大江)
 9、行連(古伝)、行連(細川、行宗、大江)、
10、連達(古伝)、変形連達(細川)、行違(行宗、大江)
11、行違(古伝、細川)、変形袖摺返(行宗、大江)
12、夜ノ太刀(古伝、細川、行宗、大江)
13、追懸切(古伝、細川)、変形虎走(行宗、大江)
14、五方切(古伝)、五方斬(細川)、惣捲(行宗、大江)
15、放打(古伝、細川)、惣留(行宗、大江)
16、虎走(古伝、細川、行宗、大江)
17、抜打(古伝、細川)、暇乞(行宗、大江)
18、抜打  同上
19、抜打  同上
20、抜打(古伝、細川)
21、弛抜(古伝)、馳抜(細川)
22、賢之事(古伝手附なし)
23、クゝ捨(古伝手附なし)
24、軍場之大事(古伝具足心得)
 古伝の業を古伝の業名を以って、概ね行っているのは、細川先生系統の梅本三男先生居合兵法無雙神傳英信流抜刀術に残されているようです。現代居合では広島の貫汪館森本邦生先生の様です。此処でも、古伝の変形及び替え業が存在します。時の流れとは、進化なのか失念なのか現実です。
 現代居合は、対敵意識の乏しい形の追及に拘って「昔はこうだった」という嘘はつかない方が良さそうです。対敵意識を失えば武術がスポーツ化して、演武が演舞になってしまいます。
 形のみ追及していきますと、歳を取って体力も腕だけの強さや、柔軟性や速さも衰えるものですから、若い時に培った形も見劣りして無残なものです。
 武術は歳を取っても有効でなければ意味はありません。若い時の思い出では意味の無いものになります。対敵相手の業技法の研鑽が求められ、業が進化していかなければならないのです。
 その、進化は、いつから学び如何にすべきかは対敵意識をもった武的思考が、現代居合に疑問を持った其の時かも知れません。
 人それぞれであり、その領域に踏み込まない限り訪れる事も無く、役にも立たないへぼな踊りで終わるのでしょう。
 武術は居着く事を嫌います。それは業技法にも、心にも求められるものと思います。去年と違う者でありたいものです。
 昨日よりは今日、今日よりは明日を目指して・・・・。

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2019年3月16日 (土)

曽田本その2を読み解く7長谷川流奥居合その他7の1虎走

曽田本その2を読み解く
7、長谷川流奥居合その他
7の1虎走
参考
古伝神傳流秘書
抜刀心持之事
13本目(立業6本目)
追懸切:抜て向へ突付走り行其侭打込也
16本目(立業9本目)
虎走:居合膝に坐して居立って向へ腰をかがめつかつかと行抜口の外へ見へぬ様に抜付打込納又右の通り腰を屈め後へ引抜付打込也
* 
 古伝の追懸切は大森流の虎乱刀(是は立事也幾足も走り行く内に右足にて打込み血震し納る也但し膝を突けず)の様ですが、追懸切は既に抜刀して追い掛ける所が違います。相手に切先を突き付け追いすがるや上段から打ち込むわけです。どちらも上意討ちなどの心得に相当するものでしょう。
 追懸切は走り行きますが、虎走は抜き口が見えない様に腰を屈めつかつかと行のです。
行宗先生
長谷川流奥居合座業抜方
8本目
虎走り:虎走り (手附はありません ミツヒラ)
行宗先生
長谷川流奥居合立業抜方
9本目
追懸切:大森流10番に同じ(是も霞みてかかり右足にて突き真向を打つ也 曽田メモ)
行宗先生は虎走りを第14代下村茂市から伝授されていたのか曽田本その2からは、習っていなかった様に思えてしまいます。
お二人の出合いと別れの年表を確認して見ます。
嘉永3年1850年  行宗貞義生まれる
明治23年1890年 曽田虎彦生まれる
この年行宗先生40歳
明治36年1903年 曽田虎彦高知二中入学13歳
この年行宗先生に師事す、行宗先生53歳
明治41年1908年 曽田虎彦高知武徳殿助教師18歳
この年行宗先生58歳
大正3年1914年 行宗貞義没す64歳
この年曽田虎彦24歳
大江先生
長谷川流奥座業抜方
8番目
虎走り:(中腰となり走り抜斬又後しさりして抜斬る)座したる処より柄に手をかけ稍腰を屈め小走りにて数歩進み出て右足の踏出したる時抜き付け同体にて座して斬る(血拭い納刀するや)刀を納めて2、3寸残りしり時屈めたる姿勢にて数歩退り左足を退きたる時中腰にて抜付け上段となり座して斬る
参考
細川義昌先生系統の梅本三男先生
居合兵法無雙神傳英信流抜刀術より
英信流奥居合之部
9本目
虎走:(次の間に居る者を斬り 退る処へ追掛け来る者を斬る)正面へ向ひ居合膝に座し、左手を鯉口に右手を柄に執り抱へ込む様にして立ち上がり、上体を俯け前方へ小走に馳せ往き腰を伸すなり右足踏込んで(対手の右側面へ)抜付け、左膝を右足横へ跪きつつ諸手上段に引冠り、更に右足踏込んで斬り込み、刀を開き納めたるまま立上り、又刀を抱へ込む様に前へ俯き小走に退り腰伸すと同時に左足を一歩後へ退き、追掛け来る者へ(右側面へ)大きく抜付け、又左膝を右足横へ跪きつつ諸手上段に引冠り右足踏込んで斬込み、刀を開き納め終る。
 大江先生と細川先生の虎走りは同じ様な業でしょう。下村派第14代下村茂市から伝わっているのでしょう。古伝神傳流秘書の抜刀心持之事虎走は現代居合にも伝わる事は出来ました。
 但し、足捌きなどの細部に時代が経ると尾ひれがついて、意味不明な動作が入り込むのはやむおえないでしょう。
 見直して、「かたち」では無い居合心を見直すべきでしょう。
 三豊蘆洲会の故岩田憲一先生は曽田先生の曽田本を読まれ次のような文章を残されています。
参考
 第九代林六太夫守政 口授
 第十代林安太夫政詡 誌
 居合兵法極意訣
古書の技法を推察して
 古書の教示は、その時代に於ける種々な居合兵法的技法を考えたものであろうが現在我々の演武するものは、第17代大江正路先生が研鑽され纏められたもので、二百年の年代的間隔によって技法そのものにも非常に近代化されたものと思はれる。
 即ち二百年前の技法は主として兵法を考えて、それぞれの場合に即応した或は即応し得る様に誘導した対敵技法であり、現代のものは全くその実用性の無い時代故、大江先生が古技法を守りつつ体育的現代感覚を多分に加味して創案し、存続せんとされたものであろう所に両者の全く異なる点がある。
 亦、古書の技法は身命を賭して必勝を期した体験的戦力としての技法であるが、現在のものは技法の末葉を形に重きをおいて、それぞれ異なるものを作為した形の領域を多分に保有する技法である。
現代技法に対する状況の明確化
 ・・現代技法に対する状況が余り明確でないものが間々有る故に、これ等の技法に対しても古書に基き明確化する事が必要であろう。
 岩田先生は、太田次吉先生の御弟子さん(土佐英信流の打太刀を勤められた中田敏之先生)から曽田本の写しを譲られ、古伝のご研究をされています。
 曽田本を手にされたのが遅すぎたと云える先生です。「土佐英信流旦慕芥考」などでは語ろうとして語り切れないままであったろうと思われます。

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2019年3月15日 (金)

曽田本その2を読み解く6長谷川流奥居合立業抜方6の11暇乞

曽田本その2を読み解く
6、長谷川流奥居合立業抜方
6の11暇乞
古伝神傳流秘書
抜刀心持之事
17本目抜打
18本目抜打
19本目抜打
(暇乞三本 曽田メモ):格の低き者に対する黙礼の時。等輩に対する礼の時。目上の者に対する礼の時。(曽田メモ)
 抜刀心持之事には(暇乞三本)は存在しません。曽田先生が「抜打」として付け加えたのではないかと思います。或は下村派の第14代下村茂市からの伝授かもしれません。証明のしようはありません。
 「抜打」の名称をあてています。「抜打」:歩み行中に抜打に切先に打心也。
 歩み行くので、現代居合の「暇乞」とは思えません。
行宗先生
長谷川流奥居合立業抜方
暇乞:存在せず
大江先生
長谷川流奥居合立業抜方
奥居合 立業の部
19番(11番 立業):(黙礼)(頭を下げ礼をする)正座し両手を膝の上に置き黙礼し右手柄に掛けるや刀を斜に抜き付け上段にて斬る。
暇乞
20番(12番 立業):(頭を下げ礼をする)両手を板の間に付け、頭を板の間近く下して礼をなし、両手を鞘と柄に同一に掛け直ちに上に抜き上段となり、前面を斬る。
暇乞
21番
暇乞(13番 立業):(中に頭を下げ右同様に斬る)(極意の大事 曽田メモ)両手を膝上に置き黙礼より稍や低く頭を下げて礼をなし、右手を柄に掛け刀を斜に抜き上段にて斬る。(止め)(立合終り)
 (之れは座業にて抜くべきものならん? 曽田メモ)。座業でしょうが、「止め」「立合終り」と云う事で長谷川流奥居合座業、立業の最後に大江先生は持ってきたのでしょう。
 暇乞の業は、古伝に無いのに一見有る様に曽田先生は抜刀心持之事の後ろの方に書き込んでいます。
 木村栄寿先生の「林崎抜刀術兵法夢想神傳重信流伝書集業手付解説」では「坪内清助長順 花押 右之通諸事手付不残令相伝者也 干時天保十二辛丑之年仲春 島村右馬亟(丞)殿」
 抜刀心持之事に暇乞に相当する抜打は存在しません。大江先生の独創に為るものだろうと思います。
 暇乞21番の曽田先生の添え書きに「極意の大事」と有ります。英信流居合目録秘訣の極意之大事一項目に「暇乞」の極意が述べられています。
 「暇乞:仕物抔を云付られたる時抔其者之所え行て四方山の咄抔をして其内に切べし隙之無のときは我が刀を取て又近日と立さまに鐺を以て突き倒し其侭引ぬいて突也 又は亭主我を送て出る時其透間を見て鐺にて突たおして其侭引ぬいて突くべし」
 大江先生の暇乞とは繋がる雰囲気は、動作からは感知しがたいものです。大江先生の19番目の暇乞を、考察する場合、状況の捉え方はいくつかあるでしょう。
一つは、黙礼するや相手の害意など無くとも、黙礼しながら体を起しつつ一方的に抜打ちする。
一つは、我が黙礼に合わせ乍ら、相手が一方的に斬り込んで来るので、刀を斜めに抜き上げ摺り落して打込む。
 この二つの動作は、20番、21番も同様でしょう。礼の仕方の浅いか深いかの違いに過ぎません。
 現代居合は頭の下げ様から、第22代池田先生の無雙直伝英信流居合道解説から
前提は、主命を帯びての上意討ちの際機先を制するものです。
暇乞その1:僅かに頭を下げて黙礼するや両手を刀に掛ける
暇乞その2:先ず頭をさげ、左手を着き上体を前に屈めつつ右手を着かんとして指先床に触れるや、その瞬間両手を刀に掛ける。
暇乞その3:両手を着き、最敬礼の要領にて頭が床に着かんとする処まで下げるや、直ちに上体を起こしつつ抜刀
 大江先生の暇乞は前提となる想定が不十分です。その上21番の順序は是で良いのか疑問です。
 暇乞は一方的な我からの攻撃で騙し討ちとされ、演武会での演武を現代居合の正統会ではご法度としていますが、上意討ちの際、相手の害意を察して機先を制するとしながら、騙し討ち、不意打ちは無いでしょう。
 礼の仕方の上中下に応じた抜打ちであり、「刀刃を左外に向け倒しながら右柄手を顔前を通して刀を己が上体の左外前方に抜き懸ける」、とされていますから、相手の斬り込みが早くとも摺り落せる技法を述べられています。
演武会での演武まかりならぬなど、あり得ぬものでしょう。
大江先生は特別に暇乞として「剣道手ほどき」の長谷川流奥居合の最後に置かれていますが、大森流の抜打、英信流居合立膝の部の真向によって抜打は稽古されています。
暇乞の状況下での礼の際の運剣法としてそれらの替え業に過ぎません。
細川義昌先生の系統の梅本三男先生、居合兵法無雙神傳抜刀術より
英信流 奥居合之部
20本目
抜打(対座して居る者を斬る):正面に向ひ対座し、刀を鞘なり前腹へ抱へ込む様に横たへ両手を前につかへ、頭を下げ礼をして俯きたるまま、両手引込め鯉口と柄へ執り、急に腰を伸しつつ、刀を右前へ引抜き刀尖を左後へ突込み、諸手上段に引冠りて斬込み、刀を開き納めつつ、両足の踵上へ臀部を下すと共に、納め終り、爪先立てたる足先きを伸し正座して終る。
 是は明らかに暇乞の運剣です。細川先生は、第14代下村茂市からこの抜打を伝授されていたのでしょう。大江先生も独創では無く伝授されていたものを伝えていたのかも知れません。
 しかし、それは江戸時代後期の替え業に依るもので、第9代林六太夫守政が土佐に持ち込んだ神傳流秘書の抜刀心持之事とは異なるものです。
「格を放れて早く抜く也 重信流」の「格を放れて」の教えに依るのかも知れません。

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2019年3月14日 (木)

第19回古伝研究の集い

土佐の居合 古伝神傳流秘書による古伝研究の集い

第19回古伝研究の集い

 無双直伝英信流、夢想神傳流の古伝神傳流秘書を曽田虎彦先生の直筆本から読み解いて古の居合を研究しています。今年は、主として大小詰・大小立詰を研究いたします。師伝が如何様であろうとも、ご参加いただいた方が、夫々「我が師」であることをご認識いただければ幸いです。

                                                     記

1、期日

   ・平成31年4月11日日(木)

  15:00~17:00 見田記念体育館

 ・平成31年4月25日(木) 註

  13:00~17:00 鎌倉体育館

 ・平成31年5月9日(木)

  15:00~17:00 見田記念体育館

 ・平成31年5月23日(木)

  15:00~17:00 鎌倉体育館

2、住所

  見田記念体育館

  248-0014

  神奈川県鎌倉市由比ガ浜2-13-21
    Tel 0467-24-1415

  鎌倉体育館

  248-0014

  神奈川県鎌倉市由比ガ浜2--9  

    Tel 0467-24-3553

3、アクセス

  JR横須賀線鎌倉駅東口下車徒歩10分

  (駐車場 鎌倉体育館に有)

4、費用:会場費等の割勘つど 500円

5、参加申込み 直接会場へお越しください

  または、ブログへコメント下さい

6、研究会名:無雙神傳英信流居合兵法

湘南居合道研修会 鎌倉道場

7、御案内責任者:ミツヒラこと松原昭夫

    E-Mail sekiun@nifty.com

 

 平成31年3月14日 記

 

※ 第18回最終

  平成31年3月28日

  15:00~17:00

  見田記念体育館

 

 

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曽田本その2を読み解く6長谷川流奥居合立業抜方6の10受流

曽田本その2を読み解く
6、長谷川流奥居合立業抜方
6の10受流
古伝神傳流秘書
抜刀心持之事
21本目(13本)
弛抜:如前歩み行敵より先に打を体を少し開き弛して抜打に切也
行宗先生
長谷川流奥居合立業抜方
受流の業に当たるものなし
大江先生
長谷川流奥居合立業抜方
18番(10番 立業)
受け流し:(進行中左足を右足の前に踏み出し身を変して請流す)
(此の「受流し」は大江先生の独創のものにて伝書にはなし 曽田メモ)
左足を出す時其足を右斜に踏み出し中腰となり、刀の柄元を左膝頭の下として刀を抜き、直に其手を頭上に上げ刀を斜とし、体を左斜前より後へ捻る心持にて受け流し、左足を踏みしめ、右足を左足に揃へ、右拳を右肩上に頭上へ廻し下し、上体を稍や前に屈めると同時に真直に左斜を斬る、揃へたる足踏みより左足を後へ引き、血拭ひ刀を納む。
 曽田先生は、大江先生が奥居合立業の「受け流し」は独創したもので、古伝にも無い、行宗先生から習ってもいないと云うのでしょう。
 古伝は、「弛抜」で相手の斬り込みを体を開き躱して抜き打つもので、刀で受けて受け流すのとは違います。
 大江先生の奥居合の「受け流し」は大森流の「請け流し」を立業に変えものです。古伝の「体を少し開き弛して打込」のは土佐の居合の中で最も難しい業となります。仮想敵相手に勝手に演じれば、形はそれらしくとも技が決まるかどうかです。
 前進中前方より真甲に斬り込んで来るので、左足を踏み込むや柄を正中線を通して左肩を覆う様に抜き上げ、抜刀すると同時に右足を稍々右に踏み込み、右半身となり右肩上から八相に打ち込む。
 もっと際どいのは、左足を踏み込み刀を上に抜き上げ、右足を踏み込み同時に体を右に開き敵刀を外しながら抜き打つ。
古伝の「弛抜」も大江先生の「受け流し」も細川義昌先生系統の居合兵法無雙神傳英信流抜刀術には存在しません。

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2019年3月13日 (水)

曽田本その2を読み解く6長谷川流奥居合立業抜方6の9壁添

曽田本その2を読み解く
6、長谷川流奥居合立業抜方
6の9壁添
古伝神傳流秘書
抜刀心持之事
8本目
人中:足を揃へ立って居る身にそへて上へ抜き手をのべて打込む納るも躰の中にて納る
行宗先生
長谷川流奥居合立業抜方
17本目(9本目立業)
壁添へ(人中のこと):四囲狭き所にて切る
大江先生
長谷川流奥居合立業抜打
17番目(9本目立業)壁添(人中の事):(進行中立止り両足を揃へ上に抜き直下に斬下し竪立に刀を納む)中央に出て体を直立とし両足を揃へ刀を上に抜き上段となりて趾先を立てゝ直立に刀尖を下とし斬り下し其の体の侭刀尖を下としたる侭血拭ひ刀を竪立として納む。
 行宗先生、大江先生は同じとしておきましょう。
 但し行宗先生は「四囲狭き所にて切る」と云うので、左右は当然の事、前後も狭い所ではこの運剣も、上段から振り下す際切先が背後の障害物に当たり、切り下ろす時は手元斬りしなければ是又切先が前の障害物に当たってしまいます。
 それより敵は目の前に居る事になり、爪先だって不安定な立ち方による斬り下しでは手元切りでも難しそうです。
 この業は古伝の「人中」の業を両側壁で狭い所での攻防を意図して、前方の敵を真向に斬る業に仕立てています。
 古伝は、前方に敵を見て、四囲に人が居るような場所で敵以外に疵を追わせない様に、刀を上に抜き上げ、左肩から体に添わせながら上段に冠って前方の敵に打ち込み、納めるのも、切先を上に上げ、体の巾を出ないようにして、鯉口に執り納刀するのです。
 爪先立つ事は古伝は強調して居ませんが、切り下ろす際斬撃力が増すならば在り得るものでしょうが、現代居合では爪先立ったまま抜いてその姿勢で上段に冠其の爪立ったまま斬り下して居ますから意味の無い動作でしょう。
 爪先立ちは、切り下ろす際踵を下ろすか、切り下ろす際に踵を上げるかでしょう。それよりも腰、膝をえます方が遥かに有効です。
細川昌義先生の系統の梅本三男先生の居合兵法無雙神傳英信流抜刀術
英信流 奥居合之部
十本目人中:(群衆中にて前の者を斬る)正面に向ひ直立の儘(刀は落差に)鯉口を切り、右手を柄に掛けるなり、刀を真上へ引抜き(左より背部へ廻し)素早く諸手となり、前者へ斬込み(両足の間へ斬下す)、其儘刀を開き、柄を上へ引上げ(刀尖を真下に釣下げる様にして)納め終る(体は直立の儘動かさぬ事)
 細川先生の人中は古伝の教えの通りでしょう。何故大江先生にはこれも伝わらず、おかしな業にしてしまったのでしょう。
 前々回の15本目袖摺返という是も群衆をかき分ける業にしてしまいましたから、この人中は壁添とせざるをえなかったのでしょうか。
 土佐の居合は大森流の順刀を介錯としたり、行違を袖摺返としたり、人中を壁添としたり大江先生以降はおかしすぎます。
 そろそろ本物の武術の伝承を考える時期でしょう。
 曽田本その1の英信流居合目録秘訣の上意之大事8項目に壁添があります。
壁添:壁に限らず総じて壁に添たる如の不自由の所にては、抜くには猶以って腰を開きひねりて体の内にて抜き突くべし、切らんとする故に毎度壁に切りあてかもいに切あてゝ仕損じるなり、突くに越したる事なし、就中体の振り廻し不自由の所にては突事肝要。
 狭い所では突く事と云っています。そのくせ古伝の人中は真向斬り下しですから、矛盾しています。
 人中の攻防では上段から切る方に分があるのでしょうか。そんな事はあり得ません、研究課題です。
 

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2019年3月12日 (火)

曽田本その2を読み解く6長谷川流奥居合立業抜方6の8門入

曽田本その2を読み解く
6、長谷川流奥居合立業抜方
6の8門入
参考
古伝神傳流秘書
抜刀心持之事
門入に相当する業見当たらず。
曽田本その1
英信流居合目録秘訣
上意之大事
5項目
門入:戸口を出入するの心得也戸口の内に刀をふり上て待つを計知ときは刀の下緒のはしを左の手にて取り刀を背負いてうつむきとどこおり無く(滞り無く)走り込むべし我が胴ちゅうに切かくるや否や脇指を以抜つけに足をなぐべし。
居合心持肝要之大事
9項目
獅子洞入・獅子洞出:是以戸口抔を入るの習也、其外とても心得あるべし、或は取籠者抔戸口の内に刀を振上て居るときは容易に入る事不能、其時刀を抜て背に負たる如くに右の手にて振り上げ左の手にて脇差を提げうつむきて戸口を入るべし、上より打込めば刀にてふせぎ、下をなぐれば脇差にて留る、向ふ足をなぐべし、獅子洞出是を以って同出入の心得を知らする也。
行宗先生
長谷川英信流奥居合立業抜方
門入に相当する業見当たらず。
大江先生
長谷川英信流奥居合立業抜方
奥居合立業の部
16番(立業8番目)
門入:(進行中片手にて前を突き後を斬り前を斬る)右足を出したる時、刀を抜き、左足をだして、刀柄の握りを、腰に当て刀峯を胸に当て、右足を出して、右手を上に返し、刀刃を左外方に向け、敵の胸部を突き、其足踏みのまゝ体を左へ振り向け、後へ向き、上段にて斬り、直ぐに右へ廻り前面に向き上段にて斬る。
参考
細川義昌先生系統の梅本三男先生の居合兵法無雙神傳英信流抜刀術
英信流 奥居合之部
門入に相当する業見当たらず。
 大江先生の門入は古伝にも細川先生にも見当たりません。大江先生の独創と判断していいかも知れません。獅子洞入・獅子洞出からの創作居合が替え業として演じられた可能性もあります。
 現代居合では、伝承された業の如く、指導され演じています。
 大江先生の門入りの特徴的部分は、抜刀して「刀柄の握りを腰に当て刀峯を胸に当て」の刺突の構えにあります。柄が腰、峯が胸ですから切先上がりで、体は左入身になります。
 刺突の手の内が「右手を上に返し、刀刃を左外方に向け、敵の胸部を突き」です。
 この刺突の際、現代居合では、第22代池田聖昂先生の無雙直伝英信流居合道解説では、抜刀時「切先鞘離れの瞬間、切先鯉口の先に出でざる事」であり、刺突時「右柄手は我が乳の高さ位にあり刀刃を右真横に向け、切先やや下がり気味に実施する」
 大江先生は刀刃は左外方で、池田先生は刀刃は右真横(右外方)になります。大江先生の刺突の際、右柄手が上向きになります。
 この刺突の手の内の可否は相手に上から叩かれれば刀を取り落とす可能性も高く、柄を前腕下にして突く方が安定します。
 この刺突の手の内は、英信流立膝の部9本目瀧落も同様で刀刃は右外方を池田先生は指導されています。
 大江居合は明治以降の大江先生独自の方法と云うより、大江居合は堀田捨次郎先生の「剣道手ほどき」以外に書き付けられたものはありませんから、その堀田先生の看取り違いも有ろうかと思います。
 
Img_0445

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2019年3月11日 (月)

曽田本その2を読み解く6長谷川流奥居合立業抜方6の7袖摺返し

曽田本その2を読み解く
6、長谷川流奥居合立業抜方
6の7袖摺返し
参考
古伝神傳流秘書
抜刀心持之事
10本目
行違:行違に左の脇に添へて払ひ捨冠って打込也
行宗先生
長谷川流奥居合立業抜方
8本目
袖摺返し(伝書にはなし):人をおしわけて切る(左足にてかむり右足にて切る)
大江先生
長谷川流奥居合立業抜方
7本目(15番目)
袖摺返し(伝書にはなし):(進行中抜き放ち刀を左の身に添へ群衆を押開き進みつゝ斬る)
右足の出たる時刀を静に抜き直ちに右手は上へ左手は下へ胸の処にて組み合せ足は左右と交叉的に数歩出しつゝ両手肘に力を入れて多数の人を押し分ける如くして左右に開き直に上段に取りて中腰にて右足の出たる時前面を斬る(両手を開く時は両手を伸ばす肘の処を開くこと)。
 現代居合では「肘の処を開く」ではなく拳を開いている様です。
参考
細川義昌先生系統の梅本三男先生の居合兵法無雙神傳英信流抜刀術より
英信流 奥居合之部
13本目
行違:(摺違ひに左側の者を斬る)正面へ歩み往きつつ(右側を通り)鯉口を切り左足を踏出しながら右手を柄に掛け、右足踏出すなり刀を向ふへ引抜き、左足踏出しつつ(刃部を外へ向け)左腕外へ突込み、更に右足踏出すと共に摺違ひに刀を向ふへ摺抜き(対手の左側を軽く斬り)直ぐ左斜に振返へりつつ、諸手上段に振冠り、右足踏込んで斬込み、刀を、開き納め終る。
*
 吉宗先生、大江先生の袖摺返しは群衆の中に居る正面の敵を「人を押し分けて切る」と云う。
 古伝は、すれ違う際に刀を抜いて、相手の左側面を払い切り、振り返って斬り下ろします。
 刀の抜き方、左右の手の交叉はどちらも同じ様ですが、人を押し分けるか、行き違い様に払い切るかの違いから業が大きく変わります。
 「袖摺返し」「の呼称は古伝に有りませんから、下村派14代下村茂市から行宗先生、大江先生は奥居合は学ばなかったと思えます。
 若し後に谷村派16代五藤正亮に習ったとすれば谷村派に有った「行違」「の替え技を取り込んだのでしょう。
 行宗先生、大江先生の「袖摺返し」は、仮想群衆をかき分けるのが見事で無ければ、演武会の出し物としても見られたものではありません。
 大江先生の奥居合には古伝をもじって作られた替え業が正統正流の如く存在します。居合文化の伝承にこれでいいのか考えさせられる業の一つです。
 群衆の中で抜刀する業は奥居合立業に「人中」と云う業があり、現代居合では之を「壁添」と云う業に変えられ演じています。
 古伝の「行違」は、仮想敵相手に一人稽古で運剣を磨き、相手を設けて抜刀のタイミングを充分稽古する必要があります。
 古伝無雙神傳英信流を復元される場合は特に奥居合の各業に、運剣の妙技、や心得の認識が大切です。
 古伝「行違」を伝承されておられる方は、現代では広島の貫汪館森本邦生館長でしょう。
 
 

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2019年3月10日 (日)

曽田本その2を読み解く6長谷川流奥居合立業抜方6の6行違

曽田本その2を読み解く
6、長谷川流奥居合立業抜方
6の6行違
参考
古伝神傳流秘書
抜刀心持之事
10本目
行違:行違に左の脇に添へて拂ひ捨て冠って打込也
9本目
連達:歩行内前を右の拳にて突其侭に左廻りに振返り後を切り又前へ振向て打込也
行宗先生
長谷川流奥居合立業抜方
13本目
行違:柄頭にて前をつき振り返りて切る
大江先生
長谷川流奥居合立業抜方
14番目
行違:(進行中正面を柄頭にて打ち后を斬り又前を斬る)右足の出たる時(敵の面を柄頭にて)左手の鞘と鍔を拇指にて押へ右手は柄を握りたるまゝ前方に伸はし柄當てをなしその足踏みの侭体を左へ廻して後方に向ひつゝ抜付右手にて斬り(片手斬り可?)直に前方の右へ振り向き上段にて切る。

大江先生、行宗先生の行違は、古伝の9本目連達の業の様です。この業も大江先生は業名を改変してしまった様です。
 古伝は、連達ですから前後に敵に挟まれ、同じ方向に歩み行く時、我は機を見て、前の敵を右拳で打突き、左回りに振り返って後ろの敵を抜き打ちし、右廻りに元に戻って前の敵を斬る。
 敵と我は我を挟んで同一方向に歩み行のです。前の敵を拳で打ち付けていますが、ここは柄で打ち付けても良い所でしょう。
 大江先生は「右足出たる時(敵の面を柄頭にて)」柄当てしています。是では敵は我が進行方向から二人が歩いて来て、前の一人が我と行き違う時、我から二人目の者に柄当てする事になります。
 我を避けて通る為、右側を通過するならば、我は右足を右に踏込み柄当てする。左側を通過するならば左に踏み出し柄当てするのでなければ理に合わない。
 稽古では、筋を替らず其の侭相手の顔面に柄当てしています。柄当てと、左回りに振り向きざま抜き打つ、右廻りで斬り込む体裁き足捌きによる運剣の稽古であれば、おおらかに稽古し、上手に成ったら変化に応じる想定を独創すればいい事でしょう。
 業名をいじると動作に影響が出てしまうのはやむおえないでしょう。大江居合の可笑しなところです。行宗先生は自叙としての業手附けを曽田先生に示さなかったのでしょうか、それとも大江先生に右へ習いでしょうか。
 細川義昌先生系統の梅本三男先生の居合兵法無雙神傳英信流抜刀術
英信流 奥居合之部
12本目
連達(前後の者を斬る):正面へ歩み往きつつ、鯉口を切り右手を柄に掛けるなり抜打に(前の者へ)斬付け、直ぐ(左廻りに)後へ振帰りつつ諸手上段に振冠り、右足を踏込んで(後ろの者へ)斬込み刀を開き納め終る。
 是では、敵の立ち位置が前後に代っただけの古伝の両詰の変化業を立って行っただけです。
 この前の業は12本目行違(左右の者を斬る)で右の者へ抜打、左へ振返へり諸手上段に振冠り右足踏み込んで(左の者へ)斬込み・・。
13本目
行違(摺違ひに左側の者を斬る):正面へ歩み往きつつ(右側を通り)鯉口を切り左足踏出しながら右手を柄に掛け、右足踏出すなり刀を向ふへ引抜き、左足踏出しつつ(刃部を外へ向け)左腕外へ突込み、更に右足踏出すと共に摺違ひに刀を向ふへ摺抜き(対手の左側を軽く斬り)直ぐ左斜に振返へりつつ、諸手上段に振冠り、右足踏込んで斬込み、刀を開き納め終る。
 是は、古伝の「行違」でしょう。細川先生は古伝を14代下村茂市から伝授されていた様で、江戸末期の変化はあっても、行宗先生、大江先生ほどの違いは認められません。この違いは、何なのでしょう。
 想像ですが、行宗先生、大江先生の武士としての身分の違いによる稽古の内容の違いがあった、そんな事は無く平等であったとすれば、入門時期が遅かった為下村茂市先生の直伝では無く兄弟子から習った為正規のものにならなかった。
 江戸末期から明治初期には下村茂市先生も指導出来る環境ではなくなってしまった。など憶測しますがどうでしょう。興味の有る方に真実の追及をお任せします。

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2019年3月 9日 (土)

曽田本その2を読み解く6長谷川流奥居合立業抜方6の5信夫

曽田本その2を読み解く
6、長谷川流奥居合立業抜方
6の5信夫
参考
古伝神傳流秘書
抜刀心持之事
11本目
夜ノ太刀:歩み行抜て体を下り刀を右脇へ出し地をパタと打って打込む闇夜の仕合也
行宗先生
長谷川流奥居合立業抜方
14本目
信夫(闇打 夜太刀):切先を床につけ敵をおびきて切る
大江先生
長谷川流奥居合立業抜方
13番目
信夫(闇打ち 夜ノ太刀):左足より右足と左斜方向に廻りつゝ、静に刀を抜き、右足の出たる時、右足を右斜に踏み、両足を斜に開き体を稍右横へ屈め、中腰となり、其刀尖を板の間につけ、左足を左斜に踏み込みて上段より真直に斬る、其まゝ中腰の体勢にて、血拭ひ刀を納む。
 行宗先生の手附は相変わらず無に等しい。是は大江居合と同じと云うつもりなのか意味不明です。
 大江先生の手附は判りにくい動作の仕方です、正面に向って歩みつつ、左足を正面斜め左に踏み出し爪先を正面に向け、其の左足の前に右足を正面に向けて踏み出しながら、静かに刀を抜き出し、右足を右斜めに踏み出して、「両足を斜に開」とは右足先は斜め前向き、左足先は正面向きの足踏み状態を云うのでしょう。体は斜め右半身です。その状態から中腰になってやや右に体を開き、刀の先を板の間に付け、左足を左斜め前に踏み込んで上段となり、真っ直ぐに斬り下ろす。「左足を左斜に踏み込みて」は何処かおかしい、相手の位置が想定されていませんので、足踏みの方向がおかしくなって何処を切ったのか、不思議な手附です。
 現代居合から、右斜めから斬り込んで来る敵を斬ったのだろうと推察するのですが、困ったものです。是では大江居合のバブルにはなり得ない。
 無双直伝英信流の夫々の指導者が勝手な想定をしていじくりまわすのもやむおえません。
 古伝の地をパタと打つ動作は、現代居合では闇夜で敵を認識できない、敵の存在を感知して、先ず左足を進行方向から外して、敵の攻撃を避け、我が存在場所を地をパタと打った位置と思わせ、斬り込んで来る敵に上段から斬り込む。何ともあやふやな業となっています。
 英信流居合目録秘訣の夜之太刀に「夜中の仕合にわ我は白き物を着るべし、敵の太刀筋能見ゆるなり、場合も能知るゝものなり、放れ口もなり安し・・。と云い却って目立ち相手の状況も見やすいと云っています。是も彼我ともの白い着衣ならいざ知らず、おかしいな教えです。現代では、かなり人里離れて灯りも無く、月や星も無い、ありえない真っ暗闇などなかなかないようです。
 しばらく、闇に目を慣らせば大方見当がつく状況でしょう。
細川義昌先生の系統の梅本三男先生の夜之太刀を居合兵法無雙神傳抜刀術から勉強して見ます。
英信流 奥居合之部
14本目
夜太刀(暗夜に斬込み来る者を斬る):正面に歩み往き止まりて、左足を左へ大きく披き、体を右へ倒し低く沈め、正面より来掛かる者を透し見つつ刀を引抜き向ふへ突出し、刀尖で地面を叩き、その音に斬込み来るを、急に右足諸共体を引起しつつ諸手上段に冠り、(空を斬って居る者へ)右足踏込んで斬込み刀を開き納め終る」
 大江先生と似たようなものですが、相手の状況や方向性が読み取れ、動作はこのほうが演じられます。
 恐らく江戸時代末期の夜太刀はこの様な業であったであろうと思います。然し古伝神傳流秘書の「・・刀を右脇へ出し地をパタと打って打ち込む」のは、相手も我が存在を感知して状況がつかめているが、抜き打つきっかけがつかめない時、「パタ」と地を打つ音に触発され打込む体制を整え其の機を発せさせることがこの夜ノ太刀の教えであろうと思います。
 古伝神傳流秘書に大剣取と云う組太刀があります。現在は之を打たれる方は極稀で知らない高段者も多々あります。
 其処にある、4本目鉄石:是も前の如く坐し是は廻り寄りて切らんと心得て抜かざる時、行なりに小太刀にて地をハタと叩いて気をうばうて入りてさす」
と云う、形では無い武術の奥義を示した業が存在します。
 我が相手の切り間に入っても、直ぐに斬って来ない、それ以上近寄れば斬られる可能性が高い、其処でハタと地を打ち、その瞬間に踏込み抜き手を制して、刺突する。ハタと叩いてももたもたして居れば脛に打ち込まれてしまいます。

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2019年3月 8日 (金)

曽田本その2を読み解く6長谷川流奥居合立業抜方6の4惣留

曽田本その2を読み解く
6、長谷川流奥居合立業抜方
6の4惣留
参考
古伝神傳流秘書
抜刀心持之事
15本目放打:行内片手打に切納ては又切数きはまりなし
行宗先生
長谷川流奥居合立業抜方
19本目(奥居合の最終 ミツヒラ)惣留(惣どめ 曽田メモ):放し討ちのこと
大江先生
長谷川流奥居合立業抜方
12本目惣留め(放し討 曽田メモ):(進行中三四遍斬ては納む)右足を出して刀を右斜に抜き付け、左足を出して抜き付けたる刀を納む、以上の如く四五回進みつゝ行ひ、最後の時は其まゝにて刀を納む。
 行宗先生の惣留(放し討ち)の手附が記述されていません。古伝の「放し討ち」知ってるよ、と云うのでしょうか。
 この業は、現代居合は大江先生の惣留として稽古されています。
 第22代池田聖昂先生の無雙直伝英信流居合掟技剣理集より
 惣留:狭き板橋或いは堤等の両側に自由に躱せぬ細道の場合、前面より仕掛け来らんとする敵を、その胸部に斬り付け一人ずつ仆して勝つ意也。
 第18代穂岐山波雄先生に指導を請け大江先生とも交流があった野村條吉先生は無双直伝英信流居合道の参考では「12番惣留:暗夜細道にて敵に遭いたる心地にて右足を出し、中腰のまゝ体を左へ捻り刀は前に抜き打ち、左足を千鳥に前に出して(交叉)体は低く刀を納む、以上の動作を三、四回繰り返し、最後に体を正面に直し血拭い納刀」
 大江先生直伝の政岡壱實先生は無雙直伝英信流居合兵法地之巻では奥居合立業「3本目惣留:「・・この動作は、右手をかたのたかさから大きく斜に切っていたものが、早くするため、次第に低く切り下ろす事に変化し、その結果色々な想定がなされている。
 曰く
1、伏兵を次々に切る。
2、階段を降りつつ、登って来る者を次々に切る。
3、立て並べた試物を次々に切る。
4、暗夜に細道で出合った者を次々に切る。
5、狭い板橋又は土手などで出合った者を次々に切る。
6、せまい道を一列縦隊で進んで来る者を次々に切る。
 政岡先生は、この業の解説に、「惣留の想定は出合頭に袈裟切りに抜刀してパチンと納めて行きすぎるものである。この動作に格をつけるために、抜打ちを数回繰り返し、最後は他の業と同様に右に披いて納刀して終る」と愚考する。
 一人切る毎に納刀する意味がわからない、最初の者を抜打すれば納めるまでもない。両手で次々と切る事が当然である。
 と書かれています。其の通りでしょう。惣留はもと「放打」で片手抜打ちの稽古業でしょう。
 片手打ちに切って開き納刀する、それだけの業を、しっかり身につけなさいと組み込まれた業と思います。場の状況などは夫々が勝手に想定すればいい、形にして固定すべき業とは思えません。如何に無駄なく一刀で抜打ちできるか工夫研鑽する稽古業でしょう。
 細川義昌先生の系統梅本三男先生の居合兵法無雙神傳英信流抜刀術より放打
英信流 奥居合之部
17本目
放打(右側へ来掛る者を一々斬る):正面へ歩み往きつつ、鯉口を切り左足踏出したる時、右手を柄に掛け右足踏出し、右前へ抜付け、左足を右前足に踏揃へる、同時に刀を納め、又右足踏出して抜付け、左足を右前足に踏揃へるなり刀を納めする事数度繰返し(三回位して)刀を納め直立の姿勢となり終わる。
 
 

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2019年3月 7日 (木)

曽田本その2を読み解く6長谷川流奥居合立業抜方6の3の2惣捲り

曽田本その2を読み解く
6、長谷川流奥居合立業抜方
6の3の2惣捲り
参考
細川義昌系統の梅本三男先生の居合兵法無雙神傳英信流抜刀術
英信流 奥居合之部
五方斬:(前方に立って居る者を斬る)
正面へ歩み往きつつ、鯉口を切り左足踏出し、右手を柄に掛け右足踏出す、同時に刀を引抜き刀尖を左後へ突込み、頭上より右肩へ執り対手の左大袈裟に斬込み、其刀を右上より振返へし頭上より左肩に執り対手の右大袈裟に斬込み、又、其刀を左上より振返へして右腕外へ執り、腰を低めて対手の左腰より横一文字に斬込み、甲手を返へして左腕外へ執り、更に腰を下げ対手の向脛を横に払ひ腰を伸しつつ、諸手上段に振冠り(真向幹(乾)竹割に)斬下し、刀を開き納め終る。
参考
古伝神傳流秘書
抜刀心持之事
14本目
五方切:歩み行内抜て右の肩へ取り切り又左より切又右より切又左より切段々切下げ其侭上へ冠り打込也
 古伝は刀を抜いて右肩へ取り切る、ですから一刀目は左面か左袈裟切りで斬り始める。左面から始めれば、段々切り下げて右袈裟、左胴、右腰、左大腿、右脛、右から振り冠って真向。
 細川先生の五方斬は、刀を抜き、右肩へ執り左大袈裟、左肩へ執り右袈裟、刀を返して左上より上段になり切先を右横に倒し右腕外、所謂右腰車に執って、体を低め相手の左腰から横一文字に斬り込む、更に甲手を返して更に低く腰を下げて左腰車から相手の向脛を右から左に切り払う、我が右から上段に腰を伸ばしながら上段に冠り真向に斬り下ろす。
 古伝は運剣法を詳しく述べていませんから、最も無駄の無いスムーズな運剣を自得すべきでしょう。
 たとえば、右肩へ取りは、八相の構えですから、八相から相手の左肩に斬り込むのが左袈裟切り、八相に切ると云う事になります。
 現代居合も竹刀剣道の運剣法を余儀なくされた為、一旦上段に構えて袈裟掛けに切る際に上段から八相に運剣しつつ袈裟に切る、おかしな運剣が何の疑問も無く行われています。頭上を通り道にして八相ならばまだ理解できますが、敢えて上段に構えてから八相に直して袈裟切りは無いでしょう。
 体を正面に向け、直線的に、手打ちで左袈裟、右袈裟と斬るなど、重たい真剣ではすべきではない。
 八相からの袈裟切りは、体を変わりながら斬る事を忘れれば、手打ちとなり斬撃力は低く、刀は腰の入った円運動により斬り込むべきでしょう。
 亦、相手に致命傷を与えられなければ真向から打ち込まれる事も想定し、半身となって筋は変わるべきでしょう。
 明治の末期から大正にかけて、竹刀剣道の学生への指導要領から、流派の運剣法は消えてしまい統一理論から竹刀剣道としての運剣法を真剣刀法に無理やり強要して来たきらいがあります。
 竹刀スポーツと真剣刀法は同一のものでは無い、かと言って形に拘るものでもない。
 五方切を学ぶに当たり、現代居合の大江先生の形を本来の真剣刀法を以って稽古しなければ古伝を学ぶ事にはならないでしょう。

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2019年3月 6日 (水)

曽田本その2を読み解く6長谷川流奥居合立業6の3惣捲り

曽田本その2を読み解く
6、長谷川流奥居合立業抜方
6の3惣捲り
参考
古伝神傳流秘書
抜刀心持之事
13本目
五方切:歩み行内抜て右の肩へ取り切又左より切又右より切又左より切段々に切下げ其侭上へ冠り打込也
 現代居合の惣捲りは古伝の五方切が相当します。
 曽田本その2で紹介した、英信流居合目録秘訣の外之物ノ大事に「惣捲形十」と云う教えがあります。
 「惣捲形十:竪横無尽に打振て敵をまくり切る也故に形十と有也、常に稽古の格には抜打に切り夫より首肩腰脛と段々切り下げ又冠り打込也」
行宗先生
長谷川流奥居合立業抜方
15本目
惣捲り(五方切):惣まくり、五方切りとも云う
大江先生
長谷川流奥居合立業抜方
11本目
惣捲り:(進行中面、肩、胴、腰を斬る 五方切共云う)右足を少し出して刀を抜き、其の足を左足に退き寄せ、右手を頭上へ廻し右肩上に取り左手をかけ稍中腰にて(右足より左足と追足にて)敵の左面を斬り、直に左肩上に刀を取り追足にて敵の右肩を斬り、再び右肩上段となり敵の左胴を斬り、再び左肩上段より右足を踏み開き敵の右腰を目懸け刀を大きく廻し体を中腰となして敵の右腰を斬り、中腰の侭上段より正面を斬る。
 行宗先生の惣捲りは業名称だけで内容がありません。大江先生の惣捲りと同じと云う事でしょうか、不明です。
 大江先生の惣捲りは、左面・右肩・左胴・右腰と切り下げます。
この際刀の振冠りと斬る部位は次の様です。
右肩上(右八相)から左面
左肩上(逆八相)から右肩
右肩上段(?)から左胴
左肩上段(?)から右腰
上段から正面
右肩上段の意味が解りません。
現代居合ではどうなっているでしょう。
池田聖昂先生の無雙直伝英信流居合道解説より
剣理:対敵、正面より斬り込み来るを、我れ抜刀しつつ一歩退きて敵刀を摺り落しつつ双手上段となり、対敵の退く処を左面、右袈裟、左胴、腰車、と追撃して勝つ意なり。
術理の注に、敵の切り込みに応じる池田先生の業の心持ちが伝わります。読ませてもらいます。
「本業を、単に前進し来たれる敵が我に斬り付け来るに対応して行う如くに解される向きも多きも、私は、対敵と互に前進し間合いを計りて互に斬り合わんとするに、一瞬敵の作動早き為、我刀を物打ち手前迄しか抜けず、抜き放つに放てず、故に我一歩退りながら敵の斬り込み来る刀を摺り落とす事により、敵の先の先を取らんとする気構えが必要な業にして、初めから後の先を取らんとする業に非ずと考える」
 この、想いはご自分で考えた事を書かれているもので、業の動作の奥にあるものを意識する、考える居合を教えていると思います。
 この教本は居合だけでなく剣術を学ぶ者が充分読み込んでみるべきものと思います、これ以上に克明に業の有り方を示された教本には他流も含めお目にかかった事はありません。
 さて、大江先生の不十分な教本の内、池田先生はどのような構えから何処を斬っているか見て見ましょう。
双手上段から左面
双手上段から右袈裟に斬り付け(敵の右肩から左胴へ)
双手上段から左胴
双手上段から腰車から腰を斬り払う
双手上段から真向
 全て双手上段からの作動となります。この刀の操作法は帝国剣道型の運剣法に依ったものと思われます。
 左面を斬るのに上段から八相に左面に斬り込むわけで、大江先生のように、右肩上に八相に構えて其の侭切り込めばいいと思います。
 二本目の右袈裟なども同様でしょう。
 三本目などは、双手上段から左胴を斬るですが、体を正面に向けたまま上段から左胴を切っても手切りになりかねません。
 古流剣術の体を替え乍ら斬る動作は、竹刀剣道も現代居合も忘れてしまった斬撃動作です。古伝を学ぶ者はもう一度初歩から学ぶ必要が有る所でしょう。
 とは言え、昇段審査や演武競技では現代の直線歩行の上段からの斜め斬りを演じざるを得ません。
次回は、細川先生の五方斬を勉強して見ます。
 
 

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2019年3月 5日 (火)

曽田本その2を読み解く6長谷川流奥居合立業抜方6の2連達

曽田本その2を読み解く
6、長谷川流奥居合立業抜方
6の2連達
古伝神傳流秘書
抜刀心持之事
10本目
連達:歩み行内前を右の拳にて突其侭に左廻りに振返り後を切り又前へ振向て打込也
行宗先生
長谷川流奥居合立業抜方
10本目
連達:左をつきて右を切る(立業両詰 曽田メモ)
大江先生
長谷川流奥居合立業抜方
連達:(進行中左を突き右を斬る)右横へ右足を踏み体を右に避け刀を斜に抜き左横を顧みながら刀を水平として左を突き右へ体を変して上段にて斬る
 古伝神傳流秘書の抜刀心持之事9本目行連が、行宗先生、大江先生の連達でした。従って、行宗先生、大江先生の教えは改変された現代居合の業名となります。
 古伝の連達は現代居合では行違に見られる動作になります。これは又別の項目で読み解きます。行宗・大江先生の連達の手附に相当する古伝の業は存在しません。
 座業で稽古した両詰の変化業、立業では行連の変化業です。通常はこの様に「詰め掛けられたる時は一人宛て切らんとする時は遅れを取る也、故に抜くや否や左脇の者を切先にて突き直ぐに右を切るべし」と土佐の居合のルーツ無雙神傳英信流居合兵法は心得を述べています。但し「右脇の者に抜手を留らるべきと思う時は右を片手に切り直に左を切るべし」と云って状況変化にも即座に対応する様に教えています。
 細川義昌系統の梅本三男先生の居合兵法無雙神傳英信流抜刀術では細川先生はどの様に指導されたのでしょう。
英信流奥居合之部
11本目
行連:(左右の者を斬る)正面に向ひ、歩み往きつつ、鯉口を切り右手を柄に掛け、右へ振向くなり、抜打ちに(右の者へ)斬付け、直ぐ左へ振返へりつつ諸手上段に振冠り、右足踏込んで(左の者へ)斬込み、刀を開き納め終る。
12本目
連達:(前後の者を斬る)正面へ歩み往きつつ、鯉口を切り右手を柄に掛けるなり抜打に(前の者へ)斬付け、直ぐ(左廻りに)後へ振返へりつつ諸手上段に振冠り、右足踏込んで(後ろの者へ)斬込み、刀を開き納め終る。
 細川先生の行連は行宗先生、大江先生と同じ想定でしょう。連達は行連の敵の位置が前後と云う変化業の様です。この想定は、細川先生独特のもので古伝にも見当たりません。
 しかし、古伝の抜刀心持之事9本目行連の「立って歩み行内に抜て左を突き右を切る両詰に同じ」が立業に見当たりません。
 座業の処に「両詰」の業があって、すでに読み解くに乗せていますがもう一度読み直してみましょう。
「両詰:(左右に座して居る者を斬る)正面に向ひ居合膝に座し、例により鯉口を切り右手を柄に掛けるなり、腰を伸し(右へ掛かると見せて)右足を少し右へ踏出し、其方向へ刀を引抜き、咄嗟に左へ振り向き(右片手にて)左側の者の胸部を突き、直ぐ右へ振返へりつつ、諸手上段に引冠り右側の者へ斬込み、刀を開き納め終る」
 この、両詰を立居合で演じれば、現代居合之連達に成るでしょう。
 現代居合の中興の始祖と云えるかもしれない、大江正路先生の残された手附は動作だけを抽出したものですから、居合心迄は示せなかった。書いたのは堀田捨次郎先生なので剣道の教本は書かれていても、居合心迄は至れなかったと思うしかありません。
 恐らく大江先生に直に指導を受けた生徒らは、口伝口授で技の動作の奥にある居合心迄指導を受けられたであろう、と思いたい。
 政岡壱實先生の無雙直伝英信流居合兵法地之巻を拝見しながら、大江先生を慕う心持が政岡先生の手附文章ににじみ出て来る時があります。
 居合の動作一つでも、自分の思いを伝えるには、譬え居合抜動作の順序の手附であってもご自分で書かれて居れば、もっと違った現代居合になっていたであろうなど、へそ曲がりは思うのです。
 河野先生の大日本居合道図譜も池田先生の無雙直伝英信流居合道解説などもご自分の言葉で、先師の教えを辿りながら書かれた教本には、それが古伝とはアンマッチであっても現代を生きる者の指標には十分すぎるものです。
 何度も読み返すうちに私の書架の中で、是等は最も手ずれが激しいものです。

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2019年3月 4日 (月)

曽田本その2を読み解く6長谷川流奥居合立業抜方6の1行連

曽田本その2を読み解く
6、長谷川流奥居合立業抜方
6の1行連
参考
古伝神傳流秘書
抜刀心持之事
従是立事也
9本目(立業)
行連:立って歩み行内に抜て左を突き右を切る両詰に同事也
4本目(座業)
両詰:抜て片手にて左脇を突き直に振向いて右脇を切る
行宗先生
長谷川流奥居合立業抜方
9本目
行連:右へぬきつけ左を切る
大江先生
長谷川流奥居合立業抜方
9本目
行連:(進行中右に斬付け又左を斬る)直立体にて正面を向き右足より数歩出て道場の中央にて左足を左横に踏み上体を稍左横に寄せ右足を右横に踏み出す時中腰にて抜き付け上段にて右を斬る(此處考るべし合点行かず 曽田メモ)、其足踏みの侭左横に体を返して上段にて中腰て斬る。
 古伝の9本目行連は「立って歩み行内に抜て左を突き右を切る」ですが、同じ業名なのに行宗先生、大江先生とも、右へ抜き付け左を斬る。古伝の左を突き右を斬る、とは異なります。
 行宗先生、大江先生の「右へ抜き付け、左を斬る」動作は、古伝太刀打之位には正規には存在しません。
 しかし、座業の両詰の替え業にあります。両詰「右脇へ抜打に切り付け左を斬る」是の立業として遣えば良いのでしょう。
 曽田本その1の英信流居合目録秘訣に行連を解説しています。
外之物ノ大事
行連:(左右 右を片手打に左を諸手にて切るも有是□は皆気のりにてする心持也 曽田メモ)歩み行く中ちに(うちに)刀を抜我が左の方を突其侭冠て右の方を切、是は敵を左右につれたち行く時の事也、或我を左右より取こめんとする時抔の事也。
 上意之大事に両詰を解説しています。既に両詰で解説済みですが、参考に。
両詰:是又仕物抔言付られ又は乱世の時分抔にわ使者抔に行左右より詰かけられたる事間々之有る也、ケ様の時の心得也、尤其外とても入用也、左右に詰かけられたる時一人宛切らんとするときはおくれを取るなり、故に抜や否左わきの者を切先にて突すぐに右を切るべし、其わざ唯手早きに有。
 亦、右脇の者に抜手を留らるべきと思ふ時は右を片手打に切りすぐに左を切るべし。
 と云うわけで、曽田本その2は明治以降の改変された奥居合立業によって始まります。この行宗先生、大江先生の行連は古伝の行連の変化業であったわけです。
 ついでに、それでは行宗先生、大江先生の古伝「左を突き右を切る」が居合心を示す技ならば、現代居合にも残っていなければならない筈です。
 幸いにも、行宗先生、大江先生と共に長谷川流奥居合立業抜方10本目連達に伝承されています。
 次回は、連達を読み解いていきます。
 

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2019年3月 3日 (日)

曽田本その2を読み解く5長谷川流奥居合座業抜方5の10両詰

曽田本その2を読み解く
5、長谷川流奥居合座業抜方
5の10両詰
参考
古伝神傳流秘書
抜刀心持之事
4本目
両詰:抜て片手にて左脇を突き直に振向いて右脇を切る(右脇を抜打に切り付け左を斬る)
5本目
向詰:抜て諸手を懸け向を突打込也
行宗先生
長谷川流奥居合座業抜方
両詰:存在せず
大江先生
長谷川流奥居合座業抜方
7番目
両詰(向詰の誤りならむ 曽田メモ):抜放し諸手にて真向を突き斬る)座したる処より右足を少し出して刀を抜き、柄元を臍下にあて、右足を踏み出して前方を諸手にて突き、其姿勢の儘上段にて前面を真向に斬る。
 行宗先生の手附には両詰も向詰も記載されていません。にもかかわらず、大江先生の両詰は、向詰でしょうと曽田先生はコメントをしています。
 確かに、古伝神傳流秘書の抜刀心持では、大江先生の業手付では向詰になります。
 向こうは正面ですから、正面から詰め寄られた場合、抜いて諸手突きして真向に斬り下ろすのだと云う業に相当します。
 古伝の両詰は、左右から詰寄られた時の攻防です。
 大江先生の奥居合座業では、戸脇(左を突き右を切る)・戸詰(右を斬り左を斬る)業に変えられてしまっているのです。
 ここでは、曽田先生は、「大江先生、業名が違いますよ」と云っている様です。
参考
細川義昌先生系統の梅本三男先生(居合兵法無雙神傳英信流抜刀術より)
5本目
両詰:(左右に座して居る者を斬る)省略します。
3本目
向詰:(対座して居る者を斬る)右手を柄に掛け、両膝を立つなり右足を少し右前へ踏み出し、其方向へ刀を引抜き、右足を引き戻すと共に、刀尖を向ふへ、柄頭を腹部へ引付け諸手となり(刀を水平に構へ)体を少し前へ進め、対手の胸部を突き、更に左足を進ませつつ諸手上段に引冠り、右足を踏込んで斬込み、刀を開き納め終る。
 細川先生も古伝の向詰でした、大江先生は何故、両詰の業名を此の業に付けたのでしょう。
 何もその辺のことを記述したものがありません。
 大江先生の監修があったかどうかですが、共著者の堀田捨次郎の誤記か誤植かも知れませんが、大江先生の改変という相場に随います。
 向詰が両詰になったため現代居合では、その由来も知ってか知らずか「我が両側に障害ありて、刀を普通の如く自由に抜き得ざる場合に、刀を前方に抜き取りて前の敵を刺突して勝つ意也」(第21代池田聖昂先生無雙直伝英信流居合道解説より)となって狭い場所での業を演じています。此の理合いは、文章共に既に昭和18年の第20代河野百錬先生から引き継がれたものです。

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2019年3月 2日 (土)

曽田本その2を読み解く5長谷川流奥居合座業抜方5の9棚下

曽田本その2を読み解く
5、長谷川流奥居合座業抜方
5の9棚下
古伝神傳流秘書
抜刀心持之事
7本目
棚下:大森流逆刀の如く立って上へ抜打込む時体をうつむき打込是は二階下様の上へ打込ぬ心持也
行宗先生
長谷川流奥居合居業抜方
棚下:なし
大江先生
長谷川流奥居合座業抜方
6番
棚下:(頭を下げて斬る)坐したる処より前方へ頭を下げ稍腰を屈め右足を少し出しつゝ刀を抜き上体を上に起すと同時に上段となり右足を踏出して真直に斬り下す
 棚下の業が行宗先生の手附に在りません。なぜ、行宗居合に棚下が無いのか解りません。
 古伝は「大森流逆刀の様に立って上へ抜」ですから、相手が正面から切って来るので、刀を上に抜き上げ相手刀を摺り落す様にするのでしょう。そして前に体を屈めて相手を斬る。切先が二階や棚に当たらない様に打込む心持ちだと云います。
 曽田本その1の英信流居合目録秘訣の上意之大事9番目に棚下が解説されています。
 棚下:「二階下、天上の下抔に於て仕合ふには上へ切あてゝ毎度不覚を取物也、故に打込む拍子に膝を突いて打込むべし、此習を心得るときはすねをつかずとも上へに当てざる心持有」
 居合の業と云うより天井などが低い所での攻防における心得であり、刀を抜き上げるや膝或いは脛を床について打込むわけです。奥居合居業では更に上体を屈めて打込むと云うのです。
 大江先生の棚下は、逆に棚下で上体を前に屈め右足を滑り出しながら刀を抜き、棚下を抜け出すや上体を起こすと同時に上段になって更に右足を踏み込んで真直ぐに斬り下ろす。
 相手は同じ棚下に居るのではなく、棚下の外に居る想定です。古伝の動作と二階下、棚下を抜け出す、相手も棚下にいないというものなのです。この様な状況もあるかもしれませんが、稽古としては、棚下での抜刀の仕方と打ち下す運剣法を身に着け、相手に勝てよと云う古伝の教えが消えてしまったものになりました。現代居合も大江先生の可笑しな棚下の想定で稽古しています。
参考
細川義昌先生系統の梅本三男先生(居合兵法無雙神伝英神龍抜刀術より)
英信流 奥居合之部
8本目
棚下:(上の閊へる所にて前の者を斬る)右手を柄に掛け体を前へ俯け腰を少し浮かせ左足を後へ退き伸し其膝頭をつかへ、刀を背負ふ様に左頭上へ引抜き、諸手を懸け前者へ斬込み、其まま刀を右へ開き納めつつ体を引起し右脛を引付けるなり、左踵上へ臀部を下し納め終る。
 「左足を後へ退き伸し其膝頭をつかへ」の所で右足を前にせり出すのではなく、左足を後ろに引いて其膝頭がそれ以上行かない処で、刀を抜いて諸手を懸けて斬り込むのだと云うのでしょう。この動作は古伝の教えの上に刀が閊える場所での抜刀法と斬撃の方法を示しています。
 細川先生は奥居合を下村派14代下村茂市より習ったが、行宗先生、大江先生は習っていないように思える部分の一つなのかもしれません。
 
 
 

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2019年3月 1日 (金)

曽田本その2を読み解く5長谷川流奥居合座業抜方5の8虎走り

曽田本その2を読み解く
5、長谷川流奥居合座業抜方
5の8虎走り
古伝神傳流秘書
抜刀心持之事
従是立事也
立業
9本目
虎走:居合膝に坐して居立って向へ腰をかがめつかつかと行抜口の外へ見へぬ様に抜付打込納 又右の通り腰をかがめ後へ引抜付打込也
古伝神傳流秘書はこの業は立業だと云っています。
行宗先生
長谷川流奥居合座業抜方
8本目
虎走り:虎走り
大江先生
奥居合
8番目
虎走り:(中腰となり、走り抜斬又後ざりして抜斬る)座したる處より柄に手を掛け、稍や腰を屈め、小走りにて数歩進み出で、右足の踏み出したる時抜き付け、同体にて座して斬る(血拭ひ刀を納むるや)刀を納めて二三寸残りし時屈めたる姿勢にて、数歩退り左足を退きたる時中腰にて抜付け上段となり座して斬る。(座抜き終り)
 古伝は、虎走は立業だと云っています。座して居ても、立って斬るので立業でしょうか。
 古伝は「つかつかと行く」、大江先生は「小走りに数歩進み出」です。行宗先生は「虎走り」だそうです、何も解説されていません。行宗居合は大江居合を超えても居なければ過去に戻っても居ない。
 想像ですが、行宗居合は大江居合に同調して古伝を捨てた。或は奥居合は習っていなかった。
 古伝は「抜口が外へ見えぬ様に抜付」ですが大江先生は、小走りに敵に接近する様ですから、抜口は丸見えかも知れません。現代居合は周囲に気を留めていません丸見えですから
そうでしょう。
 追掛けて斬り、退き下って斬る、古伝と大江先生の虎走りは似ていますが、何をすべきか、何をしてはいけないのか大江先生は理解出来ていなかったのかも知れません。
 抜口が外へ見えない様に抜き付けるのは、追われた敵も、其の場に居合わせた者にも見せずに斬る事を意味しています。
 是は上意討ちを示唆しているのです。命じられた事には絶対に仕損じることが出来ない
武士道精神がなせるものなのです。
 大江先生というより筆者の堀田捨次郎先生によるものかも知れません。大江先生の「剣道手ほどき」は大正7年1918年発行です大江先生は嘉永5年1852年生まれで66歳の頃の発行です。昭和2年1927年亡くなられています75歳でした。
参考
曽田本その1
英信流居合目録秘訣
上意之大事
虎走:仕物抔云付られたる時は殊に此心得入用也其外とても此心得肝要也、敵二間も三間も隔てゝ居る時は直に切事不能、其上同坐し人々居並ぶ時は、色に見せては仕損る也、さわらぬ躰に向ふへつかつかと腰をかがめ歩行内に抜口の外へ見へぬ様に体の内にて刀を逆さまに抜きつくべし虎の一足の事の如しと知るべし、大事とする所は歩みにありはこび滞り無く取合する事不能の位と知るべし。
参考
細川義昌先生系統の梅本三男先生(居合兵法無雙神伝抜刀術より)
英信流奥居合之部
9本目
虎走(次の間の者を斬り、退る処へ追掛け来る者を斬る)正面へ向ひ居合膝に坐し、左手を鯉口に、右手を柄に執り抱へ込む様にして立上り、上体を俯け前方へ小走に馳せ往き腰を伸すなり右足踏み込んで(対手の右側面へ)抜付け、左膝を右足横へ跪きつつ諸手上段に引冠り、更に右足踏込んで斬込み、刀を開き納めたるまま立上り、又刀を抱へ込む様に前へ俯き小走に退リ腰伸すと同時に、左足を一歩後へ退き、追掛け来る者へ(右側面へ)大きく抜付け、又左膝を右足横へ跪きつつ、諸手上段に引冠り、右足踏込んで斬込み刀を開き納め終る。
 細川先生も大江先生と同様の様です。古伝の心持ちは失われています。「居合も形だから心持など不要」でしょうか。
 「つかつかと腰をかがめ歩み行く」
 「抜き口が外に見えない様に」
 「刀を逆さまに抜き突くべし」
 その理由は、色に見せては仕損じるからでしょう。
 江戸末期に既に武術は武士の習いごとに過ぎず、兵法などと云えないものだったのでしょうか。
 心得とすべきことが、秘されて伝わらないのでは、おかしな動作が横行しても誰も「何故」と問わずに現代居合は今日も稽古されているのです。
 道場の端から端まで、虎走りの稽古と称して駈足したり、ドタバタ音を立てたり、意味不明な足捌きを要求したり。
 

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2019年2月28日 (木)

曽田本その2を読み解く5長谷川流奥居合座業抜方5の7暇乞

曽田本その2を読み解く
5、長谷川流奥居合座業抜方
5の7暇乞
参考
古伝神伝流秘書
抜刀心持之事
従是立事也
立業の10本目
抜打 上中下(暇乞三本)格の低き者に対する黙礼ノ時、等輩に対する礼の時、目上の者に対する礼の時
行宗先生
長谷川流奥居合座業抜方
7本目
暇乞:御使者切り二つ
 行宗先生の暇乞は「御使者切り二つ」とされ古伝の暇乞とは違う様です。古伝で抜刀心持之事の立居合の10本目、抜刀心持之事では全体では17本目に「暇乞」としてあります。此処まで都合19本、残り5本の24本業名が存在します。
 行宗先生の暇乞は、「御使者切り」ですから、放れ打ちの使者に訪れた時の心得が二つあると云うのか、「御使者」ですから使者として赴いた者を斬るのかここでは判断不能です。
 唯、大江先生の「暇乞」を意識しているとすれば、古伝の抜打の暇乞かも知れません。
大江先生の暇乞(剣道手ほどきより)
奥居合
19番
暇乞(黙礼):正座し両手を膝の上に置き黙礼し、右手柄に掛かるや刀を斜に抜き付け上段にて斬る。
(行宗先生の分にはなし 曽田メモ)
20番
暇乞(頭を下げ礼をする)両手を板の間に付け、頭を板の間近く下して礼をなし、両手を鞘と柄に同一に掛け直ちに上に抜き上段となり、前面を斬る。
21番
暇乞(中に頭を下、右同様に斬る):両手を膝上に置き黙礼より稍低く頭を下げて礼をなし、右手を柄に掛け刀を斜に抜き上段にて斬る。(止め)(立合終り)
(両手を床につき軽く会釈するならん 曽田メモ)
(之れは座業にて抜くべきものならん? 曽田メモ)
 この大江先生の暇乞に曽田先生が補足メモをされています。まず大江先生の暇乞は座業だから座業の所に記述して其の順番で稽古すべきだろうと云っています。この事は抜刀心持之事も坐業立業の17本目に記述され、立合の業の締めくくりに稽古するのだと暗黙に示している様で、大江先生もそれに習って指導されたのでしょう。
 行宗先生の暇乞は2本しかありません。曽田先生が行宗先生から指導されたのは20番目と21番目だけだったと云うわけです。
 こうして観ると、行宗先生も大江先生同様に下村派第14代下村茂市から抜刀心持之事、所謂奥居合は充分指導されてこなかったのかも知れない、当然曽田先生にも伝承できなかったと思えてしまいます。
 下村茂市の師匠は古伝神伝流秘書を第9代林六大夫守政から一説には盗み出して書き写したとされる人物です。
細川義昌系統の梅本三男先生の居合兵法無雙神伝抜刀術を読んでみましょう。
英信流 奥居合之部
20本目
抜打:(対座している者を斬る)正面に向ひ対座し、刀を鞘なりに前腹へ抱へ込む様に横たへ両手を前につかへ頭を下げ礼をして俯きたるまま、両手引込め鯉口と柄へ執り、急に腰を伸しつつ、刀を右前へ引抜き刀尖を左後へ突込み諸手上段に引き冠りて斬込み、刀を開き納めつつ両足の踵へ臀部を下すと共に納め終り爪先立てたる足先を伸し正座して終る。
素抜き抜刀術 41本 完
 これ一本だけが細川先生から伝承された暇乞の様です。
 細川先生が下村派第14代下村茂市に師事されたのが安政3年1856年7歳の時でした。明治維新1868年には19歳になっています。
行宗先生は18歳、大江先生は16歳です。
 年齢及び入門時期、身分の違いなど複雑に絡まっていたかもしれません。
 細川先生は1860年万延元年11歳の時、島村義郷の名で下村茂市から童蒙初心之心得を受けています。
 根元之巻に至ったかは下村茂市が明治10年1877年に亡くなっていますからどうだったのでしょう。根元之巻は授与されても業の伝承は出来なかったかも知れません。それは行宗先生も、大江先生も同様だったでしょう。
 幸い細川家には先代からの伝書類が保存されていたでしょうから、そのつもりになればそれなりと思うのです。
 明治維新と云う時代によって今日の日本があったとしても、若き青年達は荒波にもまれ、生活の糧すらままならなかった時代です。波が静まる頃には先師はこの世に亡く暗中模索だったと察しられます。
 

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2019年2月27日 (水)

曽田本その2を読み解く5長谷川流奥居合座業抜方5の6三角

曽田本その2を読み解く
5、長谷川流奥座業抜方
5の6三角
行宗先生
長谷川流奥座業抜方
6本目
三角:後向きに座し廻りて後を切る、右足を踏み出して抜き左鯉口を握りたる儘胸にとり右手刀尖を後ろに刃を上向けて両腕を組むなり右廻り払ひ後冠り切る也
 三角・四角は前回古伝・細川先生の解説をしてあります。
 行宗先生は、四方切(四角)の十分な手附は無く「四方切り」とあるばかりでした。四角とは順序逆に三角の手附をやや詳細に書かれて是が行宗先生直伝の三角と云うのでしょう。
 敵の配置はどうなっているのでしょう。全文を読んで推測せざるを得ません。
 右足を正面に踏み出し刀を抜く、ですから前の敵を牽制しています。次に刀の鞘の鯉口を持ったまま刀の刃を上にして胸に横たえる、切先を後ろに向けて右腕を上左腕を下にして腕組みの状態に構えるのでしょう。
 左を突とは言っていませんから左に敵は居ないのでしょう。
 その体勢から、右廻りに、前・右の敵を払う様に牽制して(刃を上に向けていますから)後に廻り冠って後敵を斬る。
 前・右・後の敵と想定したのですが、最後に「後ろ向きに座し」と云っていますから、前・右・後の敵は前(元の後)・左(元の右)・後(元の前)になります。
 座した場合の左・前・後をビクとさせ牽制し後ろの敵、所謂元の前の敵を上段から斬り下ろして血振り納刀でしょう。
 後ろ向きに座す意味の解説はありませんが、想定すれば、前の敵が本命なのでしょう。
 右と後ろの敵はビクとさせれば臆して戦闘意欲を失う、その隙に付け込んで前の敵を斬る。
 其の為に座す方向を本命に背を向けて座す、と考えたと云う事かも知れません。
 古伝の雰囲気は伝わります。この手附は刃を上向きにしているのを、外向けにし、立ち上って右廻りすれば、前回の細川先生の三角に相当します。

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2019年2月26日 (火)

曽田本その2を読み解く5長谷川流奥居合座業抜方5の5四方切

曽田本その2を読み解く
5、長谷川流奥居合座業抜方
5の5四方切
参考
古伝神伝流秘書
抜刀心持之事
三角:抜て身を添へ右廻りに後へ振り廻りて打込也
四角:抜左の後の角を突右の後の角を切右の向を請流し左の向を切又右の向を切る也
 三角、四角については曽田本その1で英信流居合目録秘訣上意之大事で解説されています。
三角:三人並居る所を切る心得也、ケ様のときふかぶかと勝んとする故におくれを取る也、居合の大事は浅く勝事肝要也三人並居る所を抜打に紋所のあたりを切先はづれにはろうときはびくとするなり其所を仕留る也三人を一人づつ切らんと思ふ心得なれば仕損ずる也一度に払ふて其おくれに付込んで勝べし
四角:三角にかわる事なし是は前後左右に詰合ふ之心得也故に後へ迄まわって抜付る也
行宗先生
長谷川流奥居合座業抜方
5本目
四方切り(四角):四方切り
大江先生
3番
四方切:右足を右斜に出し刀を右斜に抜き刀峯を胸の処にあて刀を平とし斜に左後を突き右側面の横に右足を踏み変え上段にてきり右足を左斜横に踏み変へて(受け返して打つ)上段となりて切り右足を正面に踏変へて上段より切る。
 行宗先生は四方切りは長谷川流奥居合座業の5本目(1霞・2脛囲・3戸詰・4戸脇・5四方切り(四角))ですが、大江先生は3番目になります(1霞・2脛囲・3四方切・4戸詰・戸脇)。
 「奥居合には順序なしと伝へたる」と添え書きがありますから、曽田先生はその様に行宗先生から指導されたのでしょう。
 稽古順序から言えば、安易な業から複雑な業に習うのが良さそうですが、すでに大森流・長谷川英信流を稽古済みならば順番は何処からでも良さそうです。
 何となく習いごとの習性で順序を意識させるのは戸詰・戸脇・四方切位でしょう。
 行宗先生の四方切り(四角)の手附は「四方切り」とあるばかりです。四方を好きに工夫して斬ればいいのでしょうか、なにを意味するのか不思議です。
 古伝は抜刀心持之事(格を放れて早く抜く也 重信流)で、その位置づけは大森流・英信流・太刀打之事・坂橋流之棒(棒合・太刀合之棒)・詰合・大小詰・大小立詰・大剣取・抜刀心持之事・夏原流和之事と大枠の稽古順序がそれと無く示されています。 
 現在言われる奥居合(古伝の抜刀心持之事)は充分対敵を意識した身のこなしが可能になって、居合の裏を返せるようになってから稽古する様な位置づけにあります。
 現在の無双直伝英信流が居合以外に大江先生が独創したと思われる組太刀7本(英信流)居合道型のみ、其れも演武会の出し物の踊りですから奥居合の妙は形ばかりにならざるを得ません。
 古伝の三角、四角が行宗先生、大江先生の四方切の心得を明確に伝えています。その心得は技よりも、対敵が何をしようとするのか、我は其れにどの様に応じるのか、刀を振り回す以前の、敵に対する「心得」を重要視して語られていると思って良いのでしょう。
 大江先生の対敵の配置は、敵は左後・右前・左前・正面です。場の状況や何かの仕来たりから、右後の敵が居ない場合はあろうかと思いますが、稽古としては聊か腑に落ちません。
 前後左右、あるいは左後・右後・左前・右前が詰めかけられる標準でしょう。どのような理由から、右後を欠いたのか知りたくもありますが、奥居合は「格を放れて早く抜く也」でしょう。
細川義昌先生の系統の梅本三男先生(居合兵法無雙神伝抜刀術より)
英信流奥居合之部
6本目
三角:(前右後の三人を斬る)正面より(左廻りに)後向き右手を柄に掛け前に掛かると見せて、右足を摺り出し腰を伸し、刀を引き抜くなり、右足を左足に引きよせるなり刃部を外へ向け、左腕外へ深く突込み、立ち上りつつ右へくるりと廻りながら前右後の三人を軽く斬り正面へ向く、同時に左膝を跪きつつ諸手上段に引冠り、右足踏み込んで斬込み刀を開き納め終る。
 「左腕外へ深く突込み」ですから、ここは抜刀して刀の刃を外向きにして平に左の方へ突き出し構える、あるいは元の右の敵(我が後ろ向きの為左座す)や、立ち上って右廻りに左(元の右)・前(元の後)・後(元の前)の敵を撫で切りにして、正面に戻って跪いて正面の敵(元の前)を上段から斬り下ろす、のでしょう。
 元の右の敵は刺突され、あるいは刺突すると云っていませんから撫で切りし・後の敵は撫で切りの際重傷を負うか臆して逃げるか、さて・・しっかり元の前の敵は上段から斬られています。
 この業も何故、我は敢えて後向きになるのでしょう。演武用に場取りをしているやに思うのですが、前の敵が本命で最後に切ると云う心得なのでしょう。
7本目
四角:(四隅に居る者を斬る)右手を柄に掛け腰を伸し右脛をたてつつ(右前へ掛かると見せ)、刀を其方向へ引抜き、咄嗟に左膝で(左廻りに)後斜へ廻り向き、左後隅の者を(右片手にて)突き直ぐ右へくるりと廻りつつ、諸手上段に引冠り右後隅の者へ斬込み、直ぐ左へ廻りつつ、刀を頭上へ振冠り(右前隅の者より斬込み来る太刀を受け流しながら)、左前隅の者へ斬込み、直ぐ再び右へ振向きつつ、諸手上段に引冠り右前隅の者へ斬込み、刀を開き納め終る。」
 細川先生の教えは、三角と異なり、左後・右後・左前・右前の順で一人づつ斬り込んでいます。
 多敵を相手の心得は伝わらなかったか、替え業が先行したのでしょう。
 左後の敵を刺突して、一気に右後ろの敵への270度の廻転が大江先生はできなかったか、時の中学生には難しかったかもしれません。
 三角では立ち上がって右回転ですが、ここでは左膝を軸にした右回転ですから難しいかも知れません。
 右足を浮かせ、体軸を意識し左足先と腰を以って右回転し、刀を左から引き被る様にして、左前の敵右前の敵を受け流す様に上段になれば、容易に行えます。
 
 

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2019年2月25日 (月)

曽田本その2を読み解く5長谷川流奥居合坐業抜方5の戸脇

曽田本その2を読み解く
5、長谷川流奥居合坐業抜方
5の4戸脇
参考
古伝神傳流秘書
抜刀心持之事(格を放れて早く抜く也 重信流)
4本目
両詰:抜て片手にて左脇を突き直に振り向いて右脇を切る(行宗先生 戸詰)
:右脇へ抜き打に切りつけ左を斬る(行宗先生 戸脇)
 古伝神傳流秘書の抜刀心持之事が現代居合の奥居合の居業(座業)及び立業を述べている手附になります。
 古伝では戸詰、戸脇の業は両詰として括られます。前回の5の3で其の内容は解説しています。
行宗先生
長谷川流奥居合坐業抜方
4本目
戸脇:左をつきて右をきる(両詰)
参考
大江先生(剣道手ほどきより)
長谷川流奥居合座業抜方
五番
戸脇:(左を突き右を斬る)右足を右斜へ出し刀を抜き左横を顧みながら突き、足踏みは其の侭にて上体を右横に振り向け、上段にて切り下す。
 大江先生の戸脇と行宗先生の戸脇、古伝の両詰の「抜て片手にて左脇を突き直に振り向いて右脇を切る」は同じ要領の業手附です。
 古伝の両詰を大江先生、行宗先生とも戸詰・戸脇とされたのでしょう。
 大江居合は独特の独創により土佐の居合の業名をいじってしまっています。
 「剣道手ほどき」や大江先生に直接手ほどきを受けられた方々から、現代居合として引き継がれているので、古伝を知る以前には違和感もなく稽古していました。
 しかし、この曽田本その2では行宗先生も大江先生の業名で同じ動作を書かれています、行宗居合も大江居合も同じものだったのか、そうであれば細川居合も同じであれば下村派の15代下村茂市の時代には古伝がいじられていたと想定できるのです。
 細川居合は大江・行宗居合業名と手附が異なります。江戸末期から明治にかけての不思議の一つでしょう。
 推測ですが、大江先生が土佐の居合の指導者として明治28年高地県師範学校教授委嘱以降、明治33年高地二中剣道教授になった頃、明治36年に行宗先生も高地二中で曽田先生を指導しています。
 其の頃の申し合わせで、業名合わせなど行われたかもしれません。細川先生は議員として別格だったかもしれません。
 土佐の有志の、事実関係と何故古伝をいじったかのご研究を期待します。
参考
細川義昌系統の梅本三男先生(居合兵法無雙神伝抜刀術)
5本目
両詰:(左右に座して居る者を斬る)右手を柄に掛けるなり、腰を伸し(右に掛かると見せて)右足を少し右へ踏出し其方向へ刀を引抜き、咄嗟に左へ振向き(右片手にて)左側の者の胸部を突き、直ぐ右へ振返へりつつ、諸手上段に引冠り右側の者へ斬込み、刀を開き納め終る。
 明治の先生方は、左右の敵に囲まれた時の攻防を業として示されています。業名は戸脇であっても、古伝の教えは引き継がれていたと思えるのです。
 それなのに、現代居合は、左右の敵の座す位置を戸脇と云う業名からおかしなものに変えて来ています。
 この事は、第20代河野百錬先生も大日本居合道図譜では「右向ふと左後に敵あり、左後敵を刺突し右敵に斬下して勝の意なり」と戸脇の意義を述べられ、戸障子の有無は触れていません。
 但し敵の座す位置を「右前・左後」に変えてしまっています。この頃河野先生は大日本武徳会達士ですから河野先生が無双直伝英信流の手附を変えてしまう権限はないだろうと思います。
 河野先生に手ほどきされた第18代穂岐山先生か第19代福井先生によると思います。
 敵が右前、左後ならば「戸脇」に座す我と敵二人の配置は如何に、と思いめぐらせてしまいます。
 現代居合が「我が直前に左右の戸(襖)があり、敷居の向こう右側と我が左後方に敵を受けるに、先ず左後方の敵を刺突し、更に右前方の敵を斬り下ろして勝を制する意也(第22代池田聖昂先生無雙直伝英信流居合道解説より」と、場の状況に対応しながら敵を斬る複雑な業技法となってしまいました。
 この「左右に戸あり云々」の文言は21代福井聖山先生の「無雙直伝英信流居合道第二巻」に明記されていますから、21代から始まったと云えるかもしれません。
 武術は最も単純な方法で持てる力を発揮する事が出来なければ、ものの役に立ちません。 奥居合だから複雑などと云う事はあり得ない事です。まず、左右から詰め寄る敵の気を察して機先を制する本来の武術に戻れないものでしょうか。
 この原因を作った張本人は「戸脇」と意味あり気な業名を付してしまった大江先生にあります。
 後世の者は、業名に業の奥義が籠められていると錯覚してしまう、あるいはそれを利用して新規の考えを正当化してしまう、陥りやすいものです。

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2019年2月24日 (日)

曽田本その2を読み解く5長谷川流居奥居合坐業抜方5の3戸詰

曽田本その2を読み解く
5、長谷川流奥居合坐業抜方
5の3戸詰
古伝神傳流秘書
抜刀心持之事(格を放れて早く抜く也 重信流)
四本目両詰:抜て片手にて左脇を突き直に振向いて右脇を切る
 行宗先生の奥居合居業の三本目戸詰の「右へぬきつけ左をきる」業は古伝では四本目両詰の替え業として「右脇へ抜打切り付け左を斬る」として裏にあります。
 曽田本その1の「英信流居合目録秘訣の上意之大事」に詳細が解説されています。
 両詰:是又仕物抔言い付けられ、又は乱世の時分抔にわ使者抔に行、左右より詰かけられたる事、間々之有也。
 ケ様の時の心得也、尤其外とても入用也。
 左右に詰かけられたる時一人宛切らんとするときは遅れを取るなり、故に抜や否や左脇の者を切先にて突、直ぐに右を切るべし。その業唯手早きに有。
 亦右脇の者に抜手を留らるべきと思ふ時は右を片手に切りすぐに左を切るべし。
行宗先生
長谷川流奥居合抜方
坐業(奥居合には順序なしと伝へらる)
三本目戸詰:右へぬきつけ左をきる(両詰)
参考
大江先生(剣道手ほどきより)
奥居合
四本目戸詰:(右を斬り左を斬る)抜き付け、右の敵を右手にて切ると同時に右足を右斜に出す、其の右足を左斜横に踏み変へて上段にて左斜を真直に斬る
 古伝は、左の敵を刺突し、続いて右の敵を斬る、のが当然であるように書かれています。左の敵を刺突しようと右に刀を抜き出す時、其の柄手を留めそうな素振りがあるならば右片手抜打ちに右の敵を斬って左に振り向き、左敵を斬るとしています。
 変化業を行宗先生は三本目に、大江先生は四本目に戸詰と新たな業名を冠して置いています。
 この業は我を挟んで左右に敵に囲まれた時の業ですから、本来の業名は「両詰」なのです。
 「戸詰」は古伝神傳流秘書抜刀心持之事、所謂奥居合には業名として存在しません。場の状況を優先する考えは古伝は持たずに敵の存在に対する攻防を示す物なのです。
 大江先生は行宗先生の業名「戸詰」を引用したか、元々あったのか疑問です。
 古伝神傳流秘書の英信流居合目録秘訣上意之大事には「戸詰」「戸脇」と云う教えがあるのですが居合としての業名とは違います。
 既に曽田本その1で解説済みですが紹介しておきます。大江先生の奥居合の業名は古伝を無視したおかしなものになっていて何故なのか不明です。
 戸詰:障子或は戸を明けかけて内ヱ入れと云て入る所を戸にて立詰んとするときは是を察して扇を敷居の溝に入れ其扇の端を膝にて敷、然りして内ヱ入る時は立詰らるゝ事なし。
 戸脇:戸の手前に立って居てあれえ通れ戸云て入る所を切らんと心懸るならば、つかつかと戸口を入身に歩み行て柄にて胸を押しつけてしかして引抜て突べし、亦火急にて既に切懸けられたる時は、或は柄を以てはらいのけ早わざをきかすべし、亦戸の内に人ありと思わば戸口を入る事なく内に人の有る方に向て筋違て入るべし。
参考
山蔦先生の戸詰(夢想神傳流居合道より)
 戸詰(三角 みすみ)として奥居合居業の四本目に在ります。:自分の前の左・右に戸(または襖)があり、その陰に敵が潜んでいる。敷居ごしにまず、右足を一歩右斜め前に踏み出し、抜打ちに右の敵へ抜付け、ただちに右側より受け流しに刀を振りかむりながら右膝をつき、左膝を立て(右、左踏替え)、左側の敵を斬る。
 大江先生の戸詰の動作に戸襖の存在を加えてしまいました。現代居合の無双直伝英信流の考え方そのものです。夢想神傳流には奥居合伝承が無かった為大江居合を引用されたと思われます。
参考
 細川義昌先生の系統梅本三男先生の居合兵法無雙神伝抜刀術
 英信流奥居合之部は
一本目向払
二本目柄留
三本目向詰
四本目前後詰
五本目両詰
六本目三角
七本目四角
八本目棚下
九本目虎走
 となります。ここで云う行宗先生の戸詰「右へ抜付け左を切る」に相当する業は存在しません。
 古伝神傳流秘書の抜刀心持之事「両詰」と同じ動作であるのは「五本目両詰」になります。
 :(左右に座して居る者を斬る)右手を柄に掛けるなり、腰を伸ばし(右へ掛ると見せて)右足を少し右へ踏み出し其方向へ刀を引抜き、咄嗟に左へ振向き(右片手にて)左側の者の胸部を突き、直ぐ右へ振返りつつ、諸手上段に引冠り右側の者へ斬込み、刀を開き、納め終る。
 行宗居合も大江居合も、夢想神傳流も奥居合については古伝とは順番も業も、その心持ちも何処かおかしいものです。
 明治以降の土佐の居合は大江正路居合によって方向が見失われたとしか言いようはありません。
 しかし、それは現代居合として多くの愛好者を持つわけで其の内容で進んでいく以外に無いでしょう。
 江戸時代中期初めに土佐に持ち込まれた総合武術無双神傳英信流居合兵法は古伝神傳流秘書に秘められたのでしょう。
 一部変化して居ても「居合兵法無雙神傳抜刀術」として細川昌義系統の梅本三男先生伝として居合が引き継がれている様です。
 古伝研究には、古伝神傳流秘書を元に行うべきもので、復元を焦って、神伝流秘書以外の書物によって古伝の心を失うべきではないでしょう。
 神傳流秘所以外の内容になる資料を上げておきます。
曽田本その1にある資料
 1、谷村亀之丞自雄の英信流目録
   居合棒太刀合巻
   小太刀之位(神傳流秘書になし、出典伝承不明)
 2、曽田虎彦による業附口伝
(神傳流秘書に近いが曽田先生による第16代五藤孫兵衛正亮先生の時代のもので其の侭受け入れるわけにはいかない、「業附口伝では」とことわるべきもの)
   太刀打之位
   詰合之位
   大小詰
   大小立詰
曽田本以外の古伝参考資料 
 1、河野百錬の無双直伝英信流居合道
   曽田先生の業附口伝の転用に付同上注意を要す。
 2、河野百錬の無雙直伝英信流居合叢書
   曽田先生から送られた曽田本を読み下したもので信頼できる
 3、政岡壱實の無雙直伝英信流居合兵法地之巻
   曽田本あるいは細川家伝書を引用され信頼できる
その他ビデオ等の資料
  現存する物は、曽田本の曽田先生の業附口伝からの振り付けで信頼できない。
  例、第21代福井聖山の詰合之位
 
 
 
 

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2019年2月23日 (土)

曽田本その2を読み解く5長谷川流奥居合坐業抜方5の2脛囲

曽田本その2を読み解く
5、長谷川流奥居合坐業抜方
5の2脛囲
古伝神伝流秘書
抜刀心持之事 格を放れて早く抜く也 重信流
柄留:虎一足の如く下を留て打込
参考
虎一足:左足を引き刀を逆に抜いて留め扨打込み後前に同じ
行宗先生
長谷川流奥居合抜方
坐業
脛囲:長谷川流二番に同じ
参考
長谷川流二番虎一足:左足を引き脛を囲いて切る
大江先生
長谷川流奥居合抜方
座業
脛囲:長谷川流二番目に同じ(曽田本その2に欠落している)
剣道手ほどき
虎一足:正面に座す、静かに立ちながら左足を引きて刀を抜付くと同時に膝を圍ふ、此圍は体を左向き中腰となり、横構にて受止める事、此体形にて刀を上段に冠り正面に向き坐しながら斬り下ろすなり。血拭ひ刀を納めは一番と同じ(膝を受け頭上を斬る)
剣道手ほどき脛囲:膝と刀を竪立斜として、刃を上に平に向けて、膝を囲ひ(体は中腰半身とす)体を正面に向けて、上段より斬り下す。
 古伝も行宗先生も抜けだらけです。長谷川流奥居合居業は居合膝に坐すわけですから、相手が同様に相対して座し、腰を上げ抜き付けんとするを機に我も腰を上げ、相手が我が右膝に抜き付けて来るので、刀刃を下に向け左足を引くや抜き付けると同時に相手刀を受け止める。
 この時左腰を捻って右入身(右足前)になって受ける、左足を右足に引き付け上段に冠り、座しながら右足を踏み込んで斬り下ろす。
 現代居合と違う処は無さそうですが、古伝の「刀を逆に抜いて」の文言をどの様に捉えるかが、単なる受払なのか、柄口六寸之極意を示唆するのか、柄口六寸であれば、刀を返して刃を下に向け、相手刀を受け止めるのではなく、抜き付けんとする相手の小手に下から切りあげて留める事になります。 
 古伝は相手が左足を引くとも右足を踏み込んで来るとも云っていませんが、我は「左足を引き」と有ります。
 ここは相手が右足を踏み込んで抜き付けて来るので、我は左足を引いて応じる、凄まじいものになりそうです。古伝の業名は「柄留」で「脛囲」ではありません。
 双方左足を引いたのでは間が抜けそうです。
細川義昌先生系統の梅本三男先生の居合兵法無雙神伝抜刀術より
英信流奥居合之部
柄留(抜掛らんとする者を斬る):右手を柄に掛け立上るなり左足を一歩後へ退く、同時に刀を引抜き鯉口放れ際に左腰を左へ捻り、体は正面より左向きとなる。(視線は右正面の対手に注ぐ)対手が正に抜掛らんとする刹那、其の右手へ逆に強く薙付け、体を右に捻り戻す。同時に、左膝を跪きつつ諸手上段に引冠り右足踏込んで斬込み刀を開き納め終る。
 無雙神伝抜刀術に柄留」が残っていました。細川先生も人を見て教える内容が違ったのかも知れません。この教えは細川先生から香川の剣士植田平太郎先生に伝わったのでしょう。
山蔦先生の夢想神伝流居合道より
奥伝奥居合坐業
二本目脛囲(柄留):中伝の虎一足と同じ意義のわざであるが、自分の右足へ斬り込んで来る敵の刀に応ずる動作がもっと速くなる。この心構えに中伝と異るところがある。古伝にいう柄留とは、敵が抜刀せんとするその拳に抜付けて、その動作を封じてしまうという意味のものである。
 山蔦先生は古伝をお判りだったようですが、写真では「敵の刀を叩き落とした瞬間」をのせて、あえて「柄留」とせず「虎一足」と同じとされています。夢想神伝流の権威に屈した處かも知れません。
 虎一足と脛囲の業は同じとする現代居合も否定するものではありませんが、「柄留」は明らかに違うものとして研究すべきものでしょう。
 「脛囲」では脛を囲えばいい、「柄留」は相手が抜き付けんとする「柄口六寸」右小手に斬り付けるもので、刀の操作が異なる上、形ばかりの演舞派には難しいものです。
 なぜならば、敵刀を表鎬で受け払えと指導されても、刃で受けている様な「へぼ」では抜き付けんとする瞬間をとらえる「柄留」など夢の話です。
 
 

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2019年2月22日 (金)

曽田本その2を読み解く5長谷川流奥居合座業抜方5の1霞

曽田本その2を読み解く
5、長谷川流奥居合座業抜方
5の1霞
参考
古伝神伝流秘書
抜刀心持之事(格を放れて早く抜く也 重信流)
1本目向払:向へ抜付返す刀に手を返し又払ひて打込み勝
行宗先生
長谷川流奥居合抜方
座業(奥居合には順序なしと伝へらる)
霞:抜きつけかへしてかむり切る。
大江先生
長谷川流奥居合抜方(大江正路先生、堀田捨次郎先生共著)
座業
霞(俗に撫斬りと云う:正面に座し抜き付け手を上に返し左側面水平に刀を打ち返す直に上段となりて前面を斬る、(血拭いはよく、刀は早く納める事。其刀身を鞘へ6分程早く入れ、残りは静に体の直ると共に納むるものとす、以下納めは之と同じ。 括弧内剣道手ほどきによる ミツヒラ)
 曽田本その2に、大江正路先生の長谷川流居合の横雲から真向の業が欠落しています。奥居合は座業、立業ともにありますので其の侭掲載しますが、一本目霞の様に括弧内の文章が省かれていますので、「剣道手ほどき」で補足してあります。以後すべて同様に不足分は補足します。
 古伝、行宗、大江とも抜き付けから切り返し真向切については、特に文章上の違いは見出できません。この様な業の運用は個人の思い入れが大きくなりますから詳細な運剣動作が残されて居ればその理解度が推し測れて参考になったでしょう。
 ここで、大江先生の括弧内記述で「血拭ひはよく」の文言ですが、奥居合は「血拭いはしないで納刀する」と読めるのですが、現代居合の奥居合では、しっかり「横血振り」として真向に斬り下した後に「血拭ひ」の動作が継承されています。この「剣道てほどき」の文章はほかの事を示唆しているとも思えません。
 奥居合などの横に開く「血振り」について、木村栄寿先生の「林崎抜刀術兵法夢想神傳重信流伝書集及び業手付解説」の童蒙初心之心得に恐らく、横血振りを言っていると思われる一文が見られます。
 居合道の正しい認識を得る為、転記をご容赦願います。
「血揮開き収は敵に逢ての用たる事にてはなし業の締りを付けたる事ゆえ一己一己之事成とも異ならさる様にすべし」
「開は胸を照らし腹を入れ腰を張り拳も一時に尖く開く時は拍子揃て引合よし」と横血振りの心構えを述べ「當流(長谷川英信流と思われる)は開きて息を續跡大森流に替る事なし」とあって、長谷川英信流では横血振りをする事有りと思わせるもので、大江先生の様に「血拭ヒはよく」という事にはなりそうもありません。斬りっぱなしで納刀では「業の締り」は無さそうです。
 尚中山博道先生の奥居合に就いては「居合読本」では「各種の居合を全部写真解説しやうかと思ったのであったが、余り大冊になるので、現今、最も盛んに行われている大森流と長谷川英信流とだけに止めて置いた。」として奥居合はありません。
 その反面、第三章が神道無念流、第四章が警視庁流、第五章が伯耆流居合、第六章が荒木流、第七章が陸軍戸山学校に於ける居合。奥居合は中山博道先生の公の業は不明となってしまいました。居合読本ですから居合全般を追ったのは止むおえません。結果として現今の、夢想神傳流の奥居合は、何がベースなのか不明です。
 山蔦重吉先生の夢想神伝流居合道から
 奥伝奥居合坐業一本目霞:立膝から始動し、初伝、初発刀のごとく前にいる敵に抜付け、第一の敵を倒し、ただちに右手の甲を裏返して、倒した敵の後の第二の敵の首を右側水平に斬る。さらに上段より斬下す。
 第二の敵を斬り返しで斬る、誌上の空論では容易でしょうが、一人目がどのように倒れているのかによってこれはどうなるのでしょう。たまたま邪魔にならないとしても、間が遠いので其の距離を相手が刀を抜き出す前に出来るでしょうか。切り返しによる柄口六寸の極意業の出番かも知れません。 
 細川義昌先生系統の梅本三男先生の居合兵法無雙神伝抜刀術から
 英信流奥居合之部
一本目向払:(正面に座して居る者を斬る)右手を柄に掛け刀を抜きつつ両膝を立て、腰伸びきるなり右足踏込んで(対手の右側面へ)抜付けたるも剣先が届かぬため、みぎあしより迅速に体を進めつつ、抜付けた刀が止らぬ中に直ぐ振返し、返す刀で(対手の左側面へ)斬り付け、左膝を進めつつ諸手上段に引冠り、更に右足を踏込んで斬込み、刀を開き納め終る。
 「抜付けたるも剣先が届かぬため」については、第20代河野百錬先生の大日本居合道図譜でも「第一刀を斬込みたるも不充分のため」とあって、その様に教えられてきたものでしょう。批判して居ても稽古にはなりません。
 大森流から長谷川英信流立膝を経てたどり着いた奥居合でも「剣先が届かない・不充分」などの事では、初歩の指導法が間違っているのでしょう。
 「ここぞと抜き付けるも、相手、さすがに、刀を抜く間もない、然し修行充分で上体を僅かに後ろに引き我が剣尖を見切った、我は即座に追い進んで切り返し・・」位になりたいものです。
 剣道小説の読みすぎ・・。吉川英治の宮本武蔵以外ほとんど読んだ記憶はありません。
 切り返しの斬り付け部位は、最初に抜き付けた右手の高さを其の儘に、右手を返して体を進めつつ切り返す。
 古伝も先生方も敢えて文面には、切り返しの部位は記述されていません。
 現代居合のテキストではそれなりに切り返しは左側面に斬り込みますから、腰より下に抜き付けるのが良さそうですが、のんびりやっていたのでは片手抜打ちで真向を割られそうです。
 参考に何処へ切り返しているか諸先生のテキストから上げて見ましょう。
 河野百錬先生無雙直伝英信流居合術全
 :最初右首に抜き付け左首に斬り返す
 山内豊健・谷田左一先生居合詳説
 :首を斬り右手を返し首を斬る
 河野百錬先生大日本居合道図譜
 :膝
 政岡壱實先生無雙直伝英信流地之巻
 :最初抜き付けた高さに水平
 山蔦重吉先生夢想神伝流居合道
 :倒した敵の後の第二の敵の首
 檀崎友影先生居合道教本
 :倒した敵の後方の敵の首
 平井阿字斎先生居合道秘伝
 :脛
 三谷義里先生詳解居合無双直伝英信流
 :抜き付けたそのまま刀を返し逆一文字
 福井聖山先生無雙直伝英信流居合道
 :脛
 京都山内派無雙直伝英信流居合術
 :踝下
 池田昂淳先生無雙直伝英信流居合道理合動作解説
 :向こう脛又は腰車
 池田聖昂先生無双直伝英信流居合道解説
 :脛(高脛)
 余談ですが、切り返す際の手の内について語られているのは、池田聖昂先生だけのようです。直ちに右手甲を返して・・(右柄手の掌中を緩め柄を返して刀刃を真向に向けるや之を握り締める)無雙直伝英信流居合道解説より。
*
抜き付けも、切り返しも相手の状況次第で何処へでも斬り付けられる位の稽古はして置くべきものでしょう。その上で最も有効な稽古業の部位を手に入れたいものです。

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2019年2月21日 (木)

曽田本その2を読み解く4長谷川流居合抜方4の11抜打

曽田本その2を読み解く
4、長谷川流居合抜方
4の11抜打
参考
古伝神傳流秘書
英信流居合之事
抜打:大森流の抜打と同じ事也
大森流居合之事抜打:坐して居る所を向より切て懸るを其のまゝ踏ん伸んで請け流し打込み開いて納る 尤も請流に非ず此所筆に及ばず
行宗先生
抜打(真向・止とも云う):大森流に同じ
大森流居合抜方抜打:(又は止めとも云う)正面向き両膝にて(膝頭を狭くす 曽田メモ)中腰にて抜き冠りて膝を進めながら(切り下す時膝頭を肩幅に開けば自ら進むものなり 曽田メモ)切り付け刀を開きて納刀
参考
大江先生(剣道手ほどきより)
真向:正面に向って座し、腰を伸し趾先を立て、刀を上に抜き上段となり、同体にて切る此時両膝を左右に少しく開く。
 血拭ひは其姿勢のまゝ刀を納め、伸したる腰は徐ろに正座に直り、刀の納まると同時に臀部を両足踵の上に乗せ、静に正座となる。
 刀を腰より抜取り、体前に置き礼をなし、左手に持ち適宜の所にて神殿に礼をなして退場す。
*
 古伝神傳流秘書の英信流居合の抜打は大森流居合の抜打と同じとされています。
 現代居合は「向より切て懸るを其のまゝ踏ん伸んで請け流し打込み」の想定とその対応動作が失伝して、太刀を腰に差した方向に床に水平に抜出してしまって頭上に引き上げ上段から真向に斬り付けるばかりです。
 これでは不意打ちに過ぎず、その上敵と相争う場合の心掛けも無い居合踊りとなってしまっています。
 現代居合の第22代も受け流す心持ちを説かれていますが、地区の指導者は抜いて斬るばかりです。心持ちは動作に現れなければ実現しないでしょう。
 しかし、英信流の真向を演じると、訳も解からずに、刀の刃を左に向け上に抜き上げて左肩を被う様にして上段に振り冠って相手の真向に斬り下しています。
 行宗先生や大江先生は、この抜打ちの業名を長谷川英信流は「真向」と云っています。真向だから刀を上に抜き、真っ直ぐ切り下ろす。
 抜打だから右斜めに抜き上段になる程度の認識しかなさそうです。何処かで指導不充分な時期があたのでしょう。
 真向と抜打の違いを相手を想定して考え直す必要があるでしょう。
 私は単純に、抜打は敵の害意を察して機先を制して抜き付けんとしたが、相手の抜き上げが早い為、即座に柄を上に振り上げ左肩を覆う様に抜き上げ摺り流して打込む。先後の先として現代居合の大森流抜打を演じています。従って、相手は目の前に接近していますから、敢えて飛び込み打ち下す必要はあるわけはありません。
 但し、真向打ち下しは、両膝を接近させ伸び上がる様にし両膝を開くや打ち下しています。
 真向は相手が先に抜き上げ真向に打ち込んで来るのを、踏ん伸んで刀を正中線を通して上に抜き上げ、相手が真向に打ち込んで来るや抜刀して請け流し、両膝を開きズンと斬り込んでいます。
 相手の斬り込んで来る刀を意識しなければ唯の棒抜きです。
*
 参考に中山博道先生の長谷川流抜打(居合読本より):大森流に全く同じ
大森流抜打:意義、彼我互に接近して対坐せる時不意に正面に向ひ斬り付ける動作である。
 動作、正面に向ひ正座す、彼我極めて接近しある場合を考慮せるものなるを以って抜刀に際しては成るべく右拳を前上方に向け動かしつゝ、概ね前額の前方に至らしめ、刀尖を左上膊の外側に近く移動せしめつゝ刀を頭上に振り被る(此際両膝を密接す)次で、直ちに両膝を開き刀尖が概ね地より二握り位の処に来る位に切り下ろす。
 中山先生は一方敵に抜き打つ心で実施されています、相手との間が近いので上に抜き上げであって、相手の斬り込みなどはさせない心でしょう。心得違いであっても形は古伝に相当します。
 真向を、お弟子さんの山蔦先生はどうされていたか興味が出てきました。夢想神伝流居合道から初伝の抜打と同意であるが中伝(長谷川英英信流立膝)では抜刀の動作が初伝より早く行われなくてはならない。
 意義、自分と敵は接近して向き合って、敵の害意を感知するや、すばやく抜刀して真向から斬下す。
 動作、・・両膝をそろえると同時に刀を左側で上方に抜き上げいっきに受流しにふりかむりながら左手を柄に添える、諸手で直ちに敵の真向を斬り下す。
「いっきに受流しにふりかむり」と書かれていますが、敵の機先を制して抜上げて居ますから、受け流しの形で抜上げるのでしょう。
 中山博道先生と同じ形になっています。
細川義昌系統の梅本三男先生の居合兵法無雙神伝抜刀術の長谷川流表之部抜打
 (対座している者を斬る)右手を柄に掛けるなり急に両膝を伸しつつ、刀を右斜前へ引抜き(膝が立つと同時に両足爪立て)刀尖を左後へ突込み、諸手上段に引き冠りて斬込み刀を開き納め終る。(抜打はすべて早業の事)
 大森流の抜打も英信流も同じ動作です。細川居合は行宗先生、大江先生と同門ですがブレが有るのは、教えられた時期の違いや教えられた者の力量、哲学にも左右されるものです。
 どの様に実施するかは、個々人のものですが、昇段審査や演武大会の競技では、良い成績を上げるためには、その団体の指導者の志す形に捉われざるを得ません。
 是に拘っても、其処から守破離の境地に達せなければ生涯棒振り踊に終わってしまうでしょう。
 形は真似られても、武的心持の居合にはなりません。
 守破離を求めるとすれば、一方的な抜打でも、打ち込まれて請け流すのでもなく、双方真向に相打ちとならざるを得ない場合に、居合による「合し打ち」というすさまじい刀法が存在する であろうことを忘れるわけにはいきません。

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