2020年7月13日 (月)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の89兵法を下手ぞとあらば争はで

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の89兵法を下手ぞとあらば争はで

兵法百首
兵法を遍多楚とあらハあらそハて
       よ尓志ん可う能人尓をしへ与

兵法を下手ぞとあらばあらそはで
       よにしんかうの人尓おしへよ

兵法を下手ぞと有らば争はで
       余に親交の人に教えよ

 兵法を下手だと云うのであれば口論などしていないで、私と深い交わりのある人に話して見れば。

 「争う」とは、互に張り合って勝とうとする・競争する・また喧嘩する・口論する。
 「争はで」とは、否定することをしないで・いかにも尤もと思われるならば。
 「しんこう」とは、「信仰」、信じたっとぶこと・宗教活動の意識的側面。「親交」、深く交わること・深い交際。(広辞苑より)

 この歌も、石舟斎の歌心が見えなくて悩まされます。読んで見たのですがこれで精一杯です。それでも良い解釈になったように思います。下手だ間違っているなど、稽古では同輩同士では間々あるものです。
 へぼ同士でとやかく言って居ても始まらないので、直に師の処へ、「こう打込んだらこんな風に返された、何か変なので、本当はどうするのですか」と解っていても、口論しても意味無いので聞きに行く私・・。
 三学円の太刀の一刀両段で相手の左肩に打込んだら、相手は見事に我が袋竹刀を叩いて来る。相手の切先は思いっきり叩いて来るので我が右肩の右に抜けてしまっています。我袋竹刀は右に外されているのですが・・意味ない動作です。其処から再び打ち合いが始まってしまいます。ここは、相手は我が袋竹刀を打つのではなく左肩を躱して同時に我左拳に打込む業なのです。新陰流は、外した時が切った時と云う基本的な事が解っていないために起こる事なのです。「新陰流に受け太刀は無い」常日頃から言われているのですが、形ばかりにこだわるへぼ先輩の教えによる誤った動作なのでしょう。
 

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2020年7月12日 (日)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の88人を斬らん心はしばし兵法に

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の88人を斬らん心はしばし兵法に

兵法百首
人を幾らん心は志ハし兵法に
      王連可う多連ぬ奈らひして未天

人をきらん心はしばし兵法に
      われがうたれぬならいしてまで

人を斬らん心は暫し兵法に
       我が打たれぬ習いしてまで

 人を斬るのだという心持ちなのに、暫しの間兵法の稽古に我が打たれぬ習い迄している。

 これでは新陰流の兵法の根元にも程遠い様で、石舟斎も苦笑している様です。
 「われがうたれぬならいしてまで」の下の句の動作を思うと、相手の打込みを受太刀になって防護している姿を思い描きます。受太刀になったはいいのですが、しっかり受けてしまえば其処に居付いてしまいます。相手が更に打込んで来る又受太刀となる、下がり乍ら受けていたのでは其の内壁に追い込まれるか、拍子を外されて斬られてしまいます。
 刀の構造から受太刀は刃で受けるのが原則です。木刀や竹刀ならば気にもしないのですが、日本刀の刃はボロボロになってしまいます。受けるだけの余裕があるのならば、受太刀となる動作に随って往なして打込んでしまうなど課題はあるもので、剣道型や無双直伝英信流居合道形の演武で真剣で演じるならば其処まで見せてもらいたいものです。

 石舟斎が上泉伊勢守から伝授された三学円太刀の一刀両断を柳生流新秘抄から見てみます。
 「・・此構へ下段にして車の太刀なり。巡り打たん為に弓手の肩をさし向けて見せ、敵より肩を切るとき、車に打こめば、身の捻りにつれて肩はをのづからに外れ、二星を勝なり。二星と云ふは敵の両拳なり。・・」今村嘉雄著史料柳生新陰流より。

 我は左の肩を差し向け、此処を切れとばかりに誘い、敵が肩に斬り込んで来るのを、身の捻りで外して二星に打ち込んでいます。一般に手に入れられる柳生新陰流の教本は、岩浪文庫の柳生宗矩の兵法家伝書の付・三学円太刀の方が古い勢法ですから少し違いますが考え方は同じです。

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2020年7月11日 (土)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の87旅にして勝とばかりの兵法は

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の87旅にして勝とばかりの兵法は

兵法百首
多ひ尓して勝と計能兵法は
      い川連も地うちと多ん成介り

たびにして勝と計りの兵法は
      いづれも地うちとたん成けり

旅にして勝つとばかりの兵法は
      何れもちうちとたんなりけり

 旅に出て、何時でも何処でも勝てるとばかりに思う兵法は、その場では何れも間違った打込みで、その時の愚かなはずみに過ぎないよ。

 「ばかり」とは、「計る」数量を計る。物事を推し考える、考える・分別する・推しはかる・予測する。
 「ちうち」とは、「ち」は地の文字ですが「智・知」か「痴」でしょうが此処は「痴」として、おろかなこと・おろか・無知・正しい認識の欠如。
 「とたん」とは、ちょうどその時・はずみ・ひょうし。 

 この歌の歌心が何となくわかる様で、解らない。上の句は兎も角下の句の「何れもちうちとたん」をどの様に読むのか解りません。心の赴くままに石舟斎の思いはここかなと、精一杯読み解いてみました。旅に出なくとも、お前の腕ではそんな処か、と云われそうです。
 此処まで87首読んで来ているわけで、こんな事を云いたかったのだろうか、あんな事かも知れないと思う次第です。新陰流に少しは入りこめて来たような。突き放されそうな。

 あまり考えずに、これでもいい感じです。「旅に出て我が新陰流は何処でも勝てると思っていても、何れも地面を打ったり、覚束なくトタントタンと棒振りしているばかりだ。」
 是ではいくら「ミツヒラ 思いつくままに」でも酷いかな。
 作家の村山知義氏は「無刀の伝」の中で「宗厳も当時の兵法家の常として、文字のたしなみなく、この「兵法百首」は歌になっていないものが大半だが、いま私がいかに首をひねって考えて見ても、意味のつかめないものがたくさんあるのには困ってしまう。」と書かれています。ついでに「これを宗厳より35歳年長で、元亀2年1571年に死んだ塚原卜伝の「卜伝遺訓抄ー卜伝百首」とくらべて見ると、少なくとも卜伝のは意味のつかめないものはない。しかも卜伝のは遥かに実戦的、実用的であり・・」とされています。
 此処まで言われたら卜伝百首も読まないわけにいきません。この石舟斎兵法百首の後にこの7月27日から「卜伝百首」に取り組みます。

   

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2020年7月10日 (金)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の86兵法を習い其の身のふりかゝり

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の86兵法を習い其の身のふりかゝり

兵法百首
兵法を奈らひ其身の不りかゝ里
      こゝろ己と葉尓気遣をせよ

兵法をならひ其身のふりかゝり
     こころこと葉尓気遣をせよ

兵法を習い其身の振り懸り
     心言葉に気遣をせよ

 兵法を習い其の身に降りかかって来る人の気持ちや言葉に、あれこれと心を使いなさい。

 「こころ」とは、知識・感情・意志の総称。思慮・おもわく。気持・心持・思いやり・なさけ。情趣を解する感性。望み・こころざし。特別な考え・裏切り・あるいは晴れない心持ち・ふたごころ。おもむき。事情。趣向・くふう。意味。わけ・謎解きの根拠。
 「気遣」とは、あれこれと心をつかうこと・心づかい・気がかり・心配。(広辞苑より)

 兵法が出来るだけのことで、仕懸けられる事もある、其の際には相手の思いや、言葉のはしはしにも気を使って争いを起すな。当然自分の思いや言葉にも気を使えというのでしょう。
 相手の気持ちも考えないで一方的に決めつけるなど兵法の極意からも遠いことだと諭されている様です。なかなかそこまでになり切れなくて困ったものです。
 最高の極意は戦わないで和すことでしょう。

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2020年7月 9日 (木)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の85義理情深き弟子にと兵法の

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の85義理情深き弟子にと兵法の

兵法百首
きり情不可き弟子尓と兵法の
      極意をおしミひしや者多さん


ぎり情ふかき弟子にと兵法の
      極意をおしみひじやはたさん

義理情け深き弟子にと兵法の
      極意をおしみ秘事や果たさん

 人の踏み行う正しい道を歩き思いやりの深い弟子には、兵法の極意を伝授しない事を惜しんで秘事を伝授しよう。

 「義理」とは、正しい道筋・ひとのふみ行うべき道。人が他に対して交際上のいろいろな関係から務めねばならぬ道・対面・面目・情宜。血族でないものが血族と同じ関係を結ぶこと。わけ・意味。
 「情け」とは、もののあわれを知る心。ものをあわれむ心・慈愛・人情・思いやり。みやびごころ・風流心。風情・興趣。男女の情愛・恋情・恋ごころ。情事・色情。義理。情にすがること・お慈悲・おなさけ。
 「おしみ」とは、「おしむ」愛しむ・惜しむ(手放さねばならぬものを)捨て難く思う・愛情を持つ・名残惜しく思う。いとしく思う・深くめでる・いつくしむ。物惜しみする・出し惜しむ。大事にする・尊重する。(広辞苑より)

 義理の意味の複雑な事から、金品授受や過度なへつらい、忖度、など極意の秘事を伝授すべきでない者への伝授は無いと思いたい処ですが、現実の世界では、それも世渡りの一つの如くあるとすれば、その様な事で得た極意を実戦で使えるのかどうか疑問です。
 極意の秘伝は、習い覚えた事を正しく伝える事の出来る人であり、其の為には正しい人の道を歩き、人への慈愛に満ちた人であるべきでしょう。
 師たるもの目録授与された程度のものをもって権威を得たとばかりに弟子を抱え、権力を振り回す様なニセモノを見抜く目も必要なのでしょう。
 石舟斎も柳生の庄の土地を秀吉の天正13年1585年の検地の頃、かつての剣友であり、弟子でもあり、敵味方で戦った松田何某の密告によって柳生の領地を全部没収されたとか苦い経験も歌には秘められていそうです。


 

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2020年7月 8日 (水)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の84我が太刀に我と非を打つ工夫して

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の84我が太刀に我と非を打つ工夫して

兵法百首
我太刀耳我と非を打工夫して
       川もり位の古ゝろよくしれ

我太刀に我と非を打つ工夫して
       つもり位のこころよくしれ

我が太刀に我と非を打つ工夫して
       積もり位の心よく知れ

 自分の太刀に、自分で何処が悪いのかを指摘する位の工夫をして来る心づもりが欲しいものだ。

 石舟斎の太刀の何処が悪いのか指摘する位の考えをもって臨む位の心が欲しい。

 「非を打つ」とは、まず「非」とは、道理にあたらないこと・よこしまなこと・不正。うまくゆかないこと。あやまり・きず・欠点。非難。
 名詞に冠して、そうでない意を表わす語。「非を打つ」とは、わるいところを指摘する・非難する。
 「つもり」とは、つもること・かさなり・かさなった結果。前以っての計算・見積。心ぐみ・考え・予想。程度・限度。酒宴の最後の酌・おつもり。
 「位」とは、物の等級または優劣。人や芸術作品などの品位・品格。数値のけた。(副助詞的にグライとも)体言、活用語の連体形、各助詞などいついて、大体の程度や、それに限定する意を表わす・ほど・ばかり・だけ。(広辞苑より)

 この歌も、稽古に臨んでの門人の心構を諭している様に聞こえて来ます。自分のでき具合位自分で考えろ、師匠の何処に問題があるかを事前事後でも指摘できる位の心掛けも大事だ、との歌心とも聞こえて来ます。この歌心が後に柳生兵庫助による始終不捨書になったと云えるかもしれません。
 兵法百首を残した石舟斎の心は、百首の一首目から人生においても兵法に於いても、其処に居付いてしまわない心、新陰流截相口伝書亊の色付色随事・懸待有之事などに明確です。
 

 

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2020年7月 7日 (火)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の83兵法は利かたと聞かば少しにも

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の83兵法は利かたと聞かば少しにも

兵法百首
兵法者利可多と聞ハ春こし尓も
       幾ゝし流徳を何尓多とへん

兵法は利かたと聞はすこしにも
      きゝしる徳を何にたとへん

兵法は利方と聞かば少しにも
      聞き知る徳を何に譬えん

 兵法は利のある事と聞けば少しでも聞き知る恵を、何に譬えれば良いのだろう。

「利かた」とは、利益のある方法・便利な考え方。
「徳」とは、心に養い身に得たところ・人道をさとって行為にあらわすこと・道徳・善導・正義が行為にあらわれること。道徳的に善い行為をするような性格の習慣。生来有する性質・天性・品性。人を感化し、また敬服させる力・名望・徳化。恩恵を施すことまたそれを受けること・めぐみ・おかげ。幸福、財産を有すること・富・裕福。利益・得分・もうけ。

 石舟斎の「一流の紀綱・柳生家憲」には、他流と試合しても何の足しにもならずかえって恥をかき、師にも難を及ぼすとして法度としています。その反面「他流を育て相尋ねる事尤も也、世上修行するほどの仁は、一つ二つ是非共に然るべき極意を存ずる者也」とされています。
 善いと思う事は積極的に聞き知る事は何にも譬えられない徳である。と歌っているのでしょう。
 そう云えば尾張柳生には林崎甚助重信の弟子長野無楽齋槿露の弟子の系統による居合が組み込まれていたり、宮本武蔵の圓明流による二刀勢法、還流の槍、新当流薙刀、静御前の静流薙刀(自在剣)、十兵衛杖などが通常の稽古にも組み込まれています。

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2020年7月 6日 (月)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の82兵法は鍛錬軽業その外に

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の82兵法は鍛錬軽業その外に

兵法百首
兵法ハ多ん連ん可留王さ其外尓
      奇妙の古ゝろ弟子尓奈らハ也

兵法はたんれんかるわざ其外に
      奇妙のこゝろ弟子にならばや

兵法は鍛錬軽業其外に
      奇妙の心弟子にならばや

 兵法はまず習い極めること、身軽に業を演じられる事、其の外には、普通とは異なる優れた業技法を身に付ける、その様な心持ちの弟子になる事だ。

 「たんれん」とは、金属をきたえねること・きたえること。ならいきわめること・錬磨すること。修養・修行を積むこと。酷吏が、罪のないものを罪に陥れること。
 「かるわざ」とは、危険な曲芸を身軽に演じるもの。甚だしく冒険的な計画又は事業。
 「奇妙」とは、珍しいこと・不思議なこと。普通とはかわってすぐれていること。

 鍛錬・軽業・奇妙を心がける自分の心の弟子になる事だと云うのでしょう。誰かの弟子になってもそれらを身に付けられる様には成れない、自分の心掛けだ。と歌っているのでしょう。まさにその通りでしょうね。成りたい者には自分が成るつもりにならなければなれっこないでしょう。師とはそんな弟子の気の付かない事にそっと手を貸すだけでいいのです。俺の言う通りやれ、俺の真似をしろでは師匠を超えられっこない。

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2020年7月 5日 (日)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の81兵法に積位を習い問へ

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の81兵法に積位を習い問へ

兵法百首
兵法尓積くらゐを奈らひとへ
      未保う耳こゝろ可け奈行末

兵法に積くらいをならひとへ
      まほうにこゝろかけな行末

兵法に積る位を習い問へ
      真法に心かけな行く末

 兵法に沢山ある業の位を習い問いなさい、そして真実の法を見出す様に心がけるのだ行く末までも。

 この歌は、全く心に響いてきません。無理やり読んで見たのですがスッキリ来ない。読み下しが間違っているのか、文言にあやまちがあるのかそれすら浮んで来ません。そこで、単語を1つづつその意味を確認しつつ、私ならばこの句はこう読むとしてみました。
 「積る位」とは、兵法にうず高く積み上げられている様な業技法と読んで見ました。
 「ま法」とは、真法・真実の法・まことの法。魔法の語句はこの当時使われた例を知らない。魔法であれば、不思議な事柄位が丁度いい。
 「心かけな」とは、心懸けるなり、と断定的に云う場合の断定の助動詞として「な」をおいた。

 石舟斎の歌心がこの解釈であったか否かは、知る由もない、私なら、自流の業でも他流の業でも、知りたいと思ったらとことん考えてみて、やって見た上、疑問にぶつかれば人に聞くなり、伝書やその流の手附や考え方から、真実はどれか、自分の持ち業として納得できるか突き詰めてみるのです。今ある自分をフル活動させて。国文学としての解釈には全く興味はなく、武術の心得として石舟斎に迫れればうれしいのですが・・。ミツヒラ 思いつくままに。

 

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2020年7月 4日 (土)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の80新陰を余流となすと兵法に

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の80新陰を余流となすと兵法に

兵法百首
新陰を余流と奈須と兵法に
      きめうのあらハ習多川祢ん

新陰を余流となすと兵法に
      きめうのあらば習たずねん

新陰を余流と為すと兵法に
      奇妙のあらば習い尋ねん

 新陰流を、どこぞの流から分れたに過ぎないものと云う、其の兵法に優れたものが有るならば出かけて行って習いたいものだ。 
 
「余流」とは、本流から分れた流・支流
「奇妙」とは、珍しいこと・不思議なこと。普通とはかわってすぐれていること。

 新陰流は、上泉伊勢守が石舟斎に授与した印可状に記されている様に「某、幼少より、兵法兵術を志すに依って、諸流の奥源を極め、日夜工夫鍛錬致すに依って尊天の感応を蒙り、新陰の流を号し天下に出でて伝授せしめんと、上洛致す処、慮らず参会申す・・」。と述べています。
 新陰流目録では「・・上古の流有、中古念流・新当流亦また念流有り、其の外は計るに勝てず。予、諸流の奥源を究め、陰流に於いて別に奇妙を抽出し、新陰流を号す。予諸流を廃せずして諸流を認めず・・」。更に詳細に新陰流の由来を明確にしています。この文章から新陰流は陰流を基に其処から優れた兵法を抽出した「新陰流」だから陰流の余流と云う見方もあって然るべきとは思えますが、それ以前に念流や新当流を学んで奥源を究めているわけで、陰流だけの余流とは言い得ないものでしょう。更に云う「予、諸流を廃せずして諸流を認めず」ですから、新陰流はそれまでの兵法の借り物ではないと言い切ったのです。

 石舟斎も近隣の兵法を学び終わっていたとしても、上泉伊勢守と試合して歯が立たず、改めて学び直したもので、余流呼ばわりには腹を立てるよりも、そんなに優れた兵法を持つならば、学んで見たいと歌っています。
 この歌心を、素直に受け止め上泉伊勢守の新陰流の単なる伝承者では無く、私は、兵法の真髄に迫ろうとする前向きな石舟斎の心を感じます。
 新陰流の稽古ばかりではなく、どこぞの稽古でも単に自流の業技法を上手に真似て伝承者として事足れりでは、移り行く時代に応じられる訳は無いでしょう。

  

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2020年7月 3日 (金)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の79兵法の用をば内につつしみて

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の79兵法の用をば内につつしみて

兵法百首
兵法の与うをハ内尓津ゝ志ミ天
      礼義乃二川尓心ミ多須奈

兵法のようをば内につゝしみて
      礼義の二つに心みだすな

兵法の用をば内に慎みて
      礼義の二つに心乱すな

 兵法の働きを心の内に控えもって人を敬い利害を捨てて条理に随い、心を乱さないこと。

「よう」とは、用。役に立つこと・また役に立てる事・使用。用事。用むき。働かせること・活用・運用。費用・入費・また費用のかかる高価なこと。大小便をする事・用便。ある目的のためであること・ため。
「つつしみ」とは、慎むの古語。用心する・あやまちがないようにする。うやうやしく畏まる。物忌みする・謹慎する。重んずる・大切にする。ひかえめにする・大事をとる。
「礼」とは、社会の秩序を保つための生活規範の総称・礼義作法・制度・文物などを含み、儒教では最も重要な道徳的概念として「礼記」などに説く。礼儀。うやまって拝すること・おじぎ・礼拝。謝意を表すことば・また、謝礼として贈る金品。供物・礼奠。
「義」とは、道理・条理・物事の理にかなったこと・人間の行うべきすじみち。利害をすてて条理にしたがい、人道のためにつくすこと。意味・わけ・言葉の内容。他人との名義上親子・兄弟など肉親としての縁を結ぶこと。
「礼義」とは、礼と義と。人の行うべき礼の道。
「乱す」とは、統一をなくす・ばらばらにする。平静な状態をかきみまわす・混乱させる・煩わせる。(広辞苑より)

 この歌での礼義の意味は、礼と義に分けて二つの文字の意味をよく噛みしめて、心を乱すなと云うのか、礼義の熟語として捉えるのかですが、いずれにしても儒教の五常(仁・義・礼・智・信)から引用されたものと思えます。

 俺は兵法の達人だと見るからに切るぞとばかりに、いつどこからでも来るなら来いと全身に漲らせるのを内に秘めて、人の心を思いやり、利欲に捉われずに人としてやるべきことを行うそれが本来の兵法の用なのだ、誤り用いては成らんぞ、と石舟斎は戒めています。
 礼儀を、ともずれば、師匠に礼を尽くせとばかりに、昇段審査で金品を要求したり、弟子を己の奴隷のように扱う権威を嵩に権力を振りまわす為の真逆の行為を行う輩も、何故か武術をやる者に多いのは本来の意味を学ばなかった似非者なのでしょう。
 

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2020年7月 2日 (木)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の78兵法に不思議奇妙は多き世を

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の78兵法に不思議奇妙は多き世を

兵法百首
兵法尓不しき奇妙ハお越き世を
       者礼のミと思不知恵そは可奈き

兵法に不しき奇妙はおおき世を
      われのみと思ふ知恵そはかなき

兵法に不思議奇妙は多き世を
      我れのみと思う知恵ぞ儚き

 兵法には、誰も思いつく事も普通の事とは思えない様なことも多い世界なのだが、我のみのが知っていると思う分別は儚いものである。

 「不思議」とは、不可思議の略・思いはかられぬこと・いぶかしいこと・あやしいこと・奇妙。
 「奇妙」とは、珍しいこと・不思議なこと。普通とはかわってすぐれていること。
 「世」とは、時世・世間・世の中・・・(広辞苑より)

 上泉伊勢守が石舟斎に伝授した影目録に「中古流、中古念流、新当流、陰流、其の外は計るに勝ず。予諸流の奥源を究め、陰流において別に奇妙を抽出し新陰流を号す。」と記されている様に、当時の中枢ともいえる兵法を学び其の中から愛洲移香斎の陰流の「奇妙を抽出して」新陰流としたとしています。その後、手を加えているかもしれませんが決して「新陰流にしか無い」というものでも無いでしょう。他流も日々進歩している筈で、当然「我のみ」と思うものでは無いはずです。
 他流と試合をして優劣を競うのではなく、その流の奥義を学べと迄石舟斎の家憲も述べています。他流は愚か、自流の他道場への出稽古すら良い顔をしない似非師匠など何を考えて居る事やら、「他流を学べばお前の形が乱れる」と形ばかりにこだわった意味不明なもっともらしい嘘をつく人も居るものです。

 この歌心は無双直伝英信流にも「世は広し我より外の事なしと思うは池の蛙なりけり」と伝わっています。

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2020年7月 1日 (水)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の77兵法の師となるならば弟子にまづ

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の77兵法の師となるならば弟子にまづ

兵法百首
兵法の師と奈留奈らハ弟子尓末つ
       者川とをゝしへ心よくミ与

兵法の師となるならは弟子にまず
       はっとをおしえ心よくみよ

兵法の師となるなるならば弟子にまず
       法度を教え心よく見よ

 兵法の師となるというのならば、弟子にまず法度を教えて弟子の心をよく見なさい。
 
 此処での法度も石舟斎の一流の紀綱・柳生家憲で良いのだろうと思います。

 「この流には、第一仕相無用たる可き也。
 其の仔細は余流を廃せずして道をたしなみ、幾重にも他流を育て相尋ねる事尤也。世上修行するほどの仁は、一つ二つ是非共に然る可き極意を存ずる者也。執心の道を育て、兵法建立の心、後代の為を存ず可し。家流に執心の仁は、先ず浅きより深きに至る。一文は無文の師、他流勝べきに非ず。
 きのうの我に、今日は勝つ可しと分別し、上手奇妙は、稽古鍛錬工夫上成ると、古人師伝にも申つたへらるることなれば、刀にて腰をふさげたらん者、一世の間の意思、所存、其の身の覚悟を分別の仁、懇望執心においては、相伝有る可し。
 努々、表太刀以下を稽古無く、他流の是非を嘲弄し、仕相好き、慢心の人へは、家法相伝有るべからざる也。」(柳生厳長著正傳新陰流より)

 新陰流は他流と試合をする事を無用とする、第一にと云う訳ですから一番の法度なのです。その理由は勝ったの負けたのと争い他流に勝ったと云って他流を嘲弄し、世の中から消してしまうようなことはあってはならない。負けたと云って大恥をかく事にもなる。他流の極意を一つ二つ持つぐらいのことであるべき事だと云います。
 「執心の道を育て、兵法建立の心、後代の為を存ずべし」、と他には見られない広い心持ちを感じられます。
 恐らく師であった上泉伊勢守が北条や武田に敗れたとはいえ武将でもあり、兵法者としてもすぐれた人物だったのでしょう。幾つもの他流を尋ね磨いた思いを引き継ぎ、自らも柳生の庄を預かる者としても、兵法者としての誇りも高かったのでしょう。兵法者としてただの棒振り名人では無かったと云えるのでしょう。
 「弟子にまず法度を教え」の法度の内容が「なるほど」と思えるもので、どこぞの道場に掲げてある「師の教えに従順たれ」などのものとは違います。私の様に「何故」を連発する者でも意味がよくわかります。

 

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2020年6月30日 (火)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の76兵の法と書きたる兵法を

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の76兵の法と書きたる兵法を

兵法百首
徒者ものゝ法と書多留兵法を
      いらぬとい不毛無念奈ら春也

つわものゝ法と書たる兵法を
      いらぬといふも無念ならずや

兵の法と書きたる兵法を
      要らぬと云うも無念ならずや

 つわもの(兵)の法(兵法)と書く兵法を、不必要だと云う(人が居るのは)残念なことである。

「つわもの」とは、「兵」戦争に用いる器具・武器・兵器。武器を執り戦争に加わる人・兵士・剛健な人・また、手腕を振う人・猛者。強者。
「無念」とは、妄念のないこと・正念。口惜しく思うこと・残念。(広辞苑より)

 兵法とは「つわものの法」「兵法」と書くのに「兵法」など要らないと、時の権力者の誰かが言ったのでしょう。当時の兵法とは現在広義に捉えられている、戦の仕方・用兵と戦闘の方法・兵学・軍法よりも狭義の剣術などの武術を指すことの方が一般的であったようです。
 戦国時代末期は大きく戦争の方法が変化し、白兵戦よりも、鉄砲や大砲、堀を設けた城郭での攻防、政治的懐柔策などの方が大切であったと云えそうです。
 一対一の剣術主体の兵法は、現代のミサイルや核兵器による戦争に対し、小銃や機関銃程度の位置付けにしかならないと考える人も芽生えて来ていたでしょう。
 石舟斎はその様な時代に剣術の修業は人格形成は勿論、戦略戦術思考を育てる絶好のものと考えていたかもしれません。

 武士道と云う名の元にカビの生えたような精神性を云ってみても、「この人何を言いたいのだろう」と首を捻るばかりです。
 剣道が勝ち負け優先の当てっこスポーツであるならば、勝つために何をすべきかにひたすら励む人でありたいものです。ただ、気になるのは多くの勝負け優先のスポーツが現役引退を迫られる時があり、体を壊して退かざるを得ない人を見ます、その時「これは武術とは違う」と思わざるを得ません。
 激しい稽古によって体を壊して使い物にならないのでは稽古の方法の誤りでしょう。若者に打ち負けるような武術では習う意味も無さそうです。

 石舟斎の生きた時代は、刻々と変わる状況変化の中で「リアルタイムの創出知」は出来て当たり前のことだったのでしょう。それは形をたどる事だけでは生み出せそうにありません。

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2020年6月29日 (月)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の75身命の守りと使う兵法の

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の75身命の守りと使う兵法の

兵法百首
身命の満もりと徒可不兵法の
       者川とを人乃おこ奈ハぬそうき

身命のまもりとつかう兵法の
       はつとを人のおこなはぬぞうき

身命の守りと使う兵法の
      法度を人の行わぬぞ憂き

 体と命を守る為に使う兵法なのに、禁じて居る事を守らない人が居る事は不本意である。

 「身命」とは、からだといのちと。
 「守り」とは、まもること・守護・警護・守備、守護神、おまもり。
 「法度」とは、おきて・法律、禁令・禁訓。
 「憂き」とは、うい・うし。物事に対して希望的になれず、心が閉ざされて感じられること、またそのような感じをおこさせる状態を表す語。苦しい・つらい・気にくわない・不本意だ・憎い。ものうい・気がすすまぬ。つれない・無情だ・つめたい。気がかりだ・可愛い・殊勝だ。(広辞苑より)
 石舟斎の云う「法度」の範囲をどこに置いているのか、一つは門弟とはいえそれなりの身分の者も居たかもしれない。元和偃武の武家諸法度を指しているのか、柳生新陰流の法度か、家憲なのか。
 武家諸法度は元和元年1615年に徳川幕府によって発行されています。この兵法百首は慶長6年1601年には竹田七郎宛てに送られていますから、武家諸法度ではありえないでしょう。
 柳生新陰流の兵法の法度とは何かですが、稽古に於いてやってはならない事は有でしょう。「身命の守りと使う兵法」と云うべきものでもあるでしょうが、稽古の都度指摘されて門人は納得されているでしょう。
 そうなると天正17年1579年発行の一流の紀綱・柳生家憲がもっとも該当しそうです。
 
 柳生厳長著正傳新陰流から一流の紀綱・柳生家憲より抜粋させていただきます。
「・・歎いても嘆かわしきは、奥義に疎き仕相(試合)だで、其の身の恥辱かくのみならず、某甲(それがし)の道を沙汰し、兵法一流の師に難をきすること、まことにまことに不覚の次第也。兵法一儀にあらず、いづれの芸能か、稽古なくして上手のあるべきや。此の流には、第一仕相無用たる可き也。其の仔細は、余流を廃せずして道をたしなみ、幾重にも他流を育て相尋ねる事尤也。世上修行するほどの仁は、一つ二つ是非共に、然る可き極意を存ずる者也。・・」

 禁じて居る事の第一は仕相であると云い切っています。
 
 略年表をもう一度作成しておきます。
 永禄8年1565年  上泉伊勢守より新陰流印可・石舟斎無刀取りを上泉伊勢守に披露
 永禄9年1566年  上泉伊勢守より新陰流目録相伝
 天正17年1579年 柳生家憲
 慶長6年1601年  兵法百首
 慶長8年1603年  新陰流截相口伝書亊 柳生兵庫助利厳へ伝授
 慶長9年1604年  没茲味手段口伝書 柳生兵庫助利厳へ相伝
 慶長10年1605年 石舟斎没す
 元和1年1615年  武家諸法度
 

 

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2020年6月28日 (日)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の74兵法の極意に心至りなば

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の74兵法の極意に心至りなば


兵法百首
兵法能極意尓心い多りなは
      いちこ見佐本の命奈ら未し

兵法の極意に心いたいなば
      いちごみさほの命ならまし

兵法の極意に心至りなば
      一期操の命ならまし

 兵法の極意に心が至ったならば、生涯で最も大切な事であろう。

 「一期」とは、一生・一生涯。
 「操」とは、定めた意志を固く守ってかえぬこと。つねにかわらぬさま。つれないさま・平気なさま・我慢するさま。
 「命」とは、生物の生活する原動力。寿命・生命・生きている間・生涯。命の絶えること・死ぬこと。唯一のたのみ・よりどころ・もっとも大切なもの。(広辞苑より)

 この歌の解釈は、石舟斎の生きざま其のものなのだろうと思います。若き日の夢は一国一城の武将であったか、場合によっては天下取りも夢であったろう。
 然し、様々な条件が一気に崩れていく戦国末期の事、夢破れて兵法一筋に生きる決意は辛かっただろうとも思います。然し天下も徳川の時代に一気に変わり元和偃武によって世の中が治まって来ると、その中心に自分も立って居る事を認識したでしょう。
  兵法の極意を上泉伊勢守によって開眼し、新たな生き甲斐が芽生えて、この歌を読む境地になったのだろうと思います。
 兵法を突き詰めていくと無刀の境地に至り、兵法で磨き上げた心が、争いに至らない心を得て、更に大きく羽ばたいたと云えるかもしれません。

 

 

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2020年6月27日 (土)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の73無刀さへ切りかねたらんその人の

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の73無刀さへ切りかねたらんその人の

兵法百首
無刀佐へきり可年多らん其人乃
       可多奈尓あひてい可ゝして末し

無刀さへきりかねたらん其人の
       かたなにあひていかがしてまし

無刀さへ切りかねたらん其の人の
       刀に合いて如何してまし

 此方が無刀であっても切りかねるその人の、切り込んで来る刀にたいして如何したものか。

 石舟斎の無刀の術は、明らかに切られる状況での無刀での対処の心得なのに、相手の刀は我が身に届く様子も見られない、是ではどうしたらいいの。
 稽古でも、よくあるもので竹刀剣道を長くやっている人程、三学円之太刀の江戸使いの一刀両断は車に執った我が左肩に打太刀は切り付けて来るはずなのですが、遠間過ぎてどう見ても届いて来ない、我は左足前の其の儘の体勢で左に腰を捻って相手の左小手を打てばいいのですが、打ち込む打太刀の袋竹刀にしか当たらないのです。我はそんな状況では右足を踏み込んで打ち込めばいいのですが、取り敢えず知らん顔して空を切らせて置きます。切れない打込みですからほおっておくのも無刀取りの極意でしょう。
 入門したての人にある癖ですが、しっかり左肩を斬ることになっているのに、肱をすくめて剣先が延びて来ない、これなどもきちんと間境を越しているのですから打込めば我が肩に斬り込めるのに、当ててはいけないと思うのでしょう。
 打込んだら痛いだろう怪我をさせそうと思う優しい心掛けでしょうか、是は、左足を引いて間を切って外しておきます。これも無刀の極意でしょう。
 面白いもので、真面目な人ほど習い覚えた方法が全てで違う事が出来ないようです。
 柳生兵庫の始終不捨書の冒頭の円相「習稽古工夫」はもとより、所謂新陰流の「リアルタイムの創出知」には、とてもとても至れそうにありません。習ったこと以外はやってはいけないと思うのでしょう。そんな事では「習工夫稽古」などできる訳は無いでしょう。私の様な下手でどうやっても真似が上手くできない者ほど、上手に出来るのかも知れません。
 仕太刀の間が近すぎれば、其の位置で足の踏み替えをするとか下がり乍ら打つとか、遠ければ盗み足で大きく踏込んでしまうとかできるのに、咄嗟に変化出来ないのです。そんな事をすれば習ってないと思うのでしょう。

 石舟斎の歌の解釈はもっと深いものかも知れません、私の相手をしてくれた届かない人たちは、私が無刀だったら何とするのでしょう。「この野郎生意気に無刀で来るか」って湯気を立てて打込んでくれるのでしょうか、「やめた」と云って相手にされないのでしょうか。どちらも無刀の極意ですよね。

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2020年6月26日 (金)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の72手刀をば所望とあらば取りてみよ

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の72手刀をば所望とあらば取りてみよ

兵法百首
手刀をハ所望と阿らば取てミ与
       きられても与しくるし可ら佐留

手刀をば所望とあらば取りてみよ
       切られてもよしくるしからざる

手刀をば所望と有らば取りて見よ
        切られても良し苦しからざる

 手刀を所望と云うのであるならば、取って見なさい、切られても良いつもりで臨むのですよ。
 
 石舟斎がそう云いながら、スルスルと近寄って来るのでしょうか。この兵法百首が残された頃は慶長6年1601年石舟斎73歳の頃のものです。歌そのものは何時頃歌われたのかは解りません。思いついた時に書き留められたのかもしれません。
 上泉伊勢守より二世継承の印可を受けたのが永禄8年、翌年に影目録を相伝していますから永禄9年1566年で石舟斎38歳の頃です。無刀の発明から35年程経って居ます。

 無刀の心得は既に、前回までの歌の数々で伝わっていますが、その実技はどのようなものであったのか、どの様に上泉伊勢守に示したのかは柳生厳長著「正傳新陰流」に書かれています。
 但馬守宗厳 無刀取りを発明の一節をお借りします。
「鈴木老に打太刀をたのみ、陰、陽、向高(順、逆、前向)の太刀筋をことごとくみごとに取り―手で捕え(手縛9、組うち(制圧)する術技を師の前に示したのである。その千変万化のわざの帰するところは、
 1、手ー掌と臂(うで・ひじ)を使って相手の太刀の一部を手縛して、両臂をはたらかして刀を奪い取りーそのとき刀は空を切って舞い飛ぶことがある。-組み摶(うつ)て制圧する「無刀勢」。
 1、手刀で相手の臂(うで・ひじ)と太刀を制すると一拍子に、手縛して刀を奪い取り、制圧する「手刀勢」。
 1、両臂を使わずして無手で組搏って、制圧わざを施す。「無手勢」。
であるとて、「真実の無刀三位」と、その「砕き」-変化の勢法(はたらき・かた)としてかずかず挙げ示し、さらに無刀の術と理の極意数ヵ条の、重々口伝とする旨を講じた上、「空手にして鋤頭を把り 歩行して水牛に騎る 人は橋上より過ぐれば 橋流れて水流れず」
 右、無刀にて、無理に取るという心ではこれ無く、この極意の頌で御分別願わしく・・。習を能くよく相伝して稽古鍛錬を究めば、十度に六、七、十人に六、七人は、必ず取るべきものであると思います。と述べたのであった。」

 我が家の近くに、かつては周辺に広い農地を持つ94歳になる老婆が居ります。今でも畑を耕し季節の野菜を育てています。農具の扱いを見ていますとまさに、「空手把鋤頭」空手にして鋤頭を把るにふさわしく、長年使い慣れたクワをサクサクと振っています。その姿は体からクワが生えている様に足・腰・肩・頭の上下動も左右のぶれも無く、特に弾みをつける様子も無く、何も持っていないかの様なのですが、見事に耕されて行きます。その日の目的を終れば、静かにか母屋に戻って行きます。
 石舟斎の頌そのものを見ている様です。無刀取りの幾つもの術技の修練は有ったとしても、恐らく石舟斎の動きもそうであったのでしょう。

 

 

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2020年6月25日 (木)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の71無刀とるつもり位を稽古して

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の71無刀とるつもり位を稽古して

兵法百首
無刀と流徒もり位を稽古して
       小太刀のこゝろ可ん三してしれ

無刀とるつもり位を稽古して
       小太刀のこゝろがんみしてしれ

無刀取るつもり位を稽古して
       小太刀の心玩味して知れ


 「無刀取るつもり位」と「小太刀の心」の語句がこの歌を読み解くカギとなるのでしょう。

 無刀取りの積りになって稽古をするのですよ、小太刀の稽古は無刀に至る稽古と心得て充分心をこめて稽古しなさい。

 歌の、読み取りは出来ても、さて無刀取りが解らなければお手上げです。前回5の70鍋島家伝書、及び前々々回の5の68柳生十兵衛の無刀の考え方を伝書から抜粋しておきました。
 
 小太刀の勢法については、赤羽根龍夫・赤羽根大介校訂「柳生の芸能」(神戸金七編)より「小太刀三本のこと」を紹介しておきます。
 「上段:使太刀、直立ちたるまま小太刀を下段に掲げて進む。打太刀、雷刀より進み来り、片手にて衣紋なりに順に払う。使太刀、真直ぐに人中路を打つ。
 中段:使太刀、中段にして進む。前の如し。
 下段:雷刀にして進む。前の如し。」

 この、小太刀三本で、ほぼ、石舟斎の歌心である小太刀の稽古を心掛けれ、それにより無刀も理解し得るとなるわけです。
 外伝勢法の小太刀勢法はまだいくつかありますがこの辺で。

 参考に、新陰流の小太刀に関しては前田英樹著「剣の法」に新陰流の「小太刀を使うこと」が形は異なりますが解説されています。小太刀の稽古より「我は小太刀を無形の位にだらりと下げたまま進んでいく時、相手が順勢の太刀筋で我が左肩を切ってくる。我は下段に下げ持つ小太刀を軽く頭上に上げ、其処から右偏身に転じて45度の順勢の太刀筋で、相手の左手首を打つ。」
 是は全部で5本あります、これ等を無刀で行えば無刀取りになるとしています。

 無双直伝英信流の古伝には小太刀之位、大剣取など小太刀の稽古形があります。大剣取から四本紹介しておきます。
 無剣:相手居合膝に坐し居處へ小太刀をさげかくる相手抜打つを放し入てさす。
 水石:如前く待處へ小太刀をさげかゝる時相手深く懸って抜付るを小太刀を持ちたるなりに止入りてさす。
 外石:是無剣の如く放したる時又右より打を留入りてさす。
 鉄石:是も前の如く坐し是は廻り寄りて切らんと心得て抜かざる時行なりに小太刀にて地をハタと叩いて気をうばうて入りてさす。

 

 

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2020年6月24日 (水)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の70縛り者切るに劣らぬ無刀さへ

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の70縛り者切るに劣らぬ無刀さへ

兵法百首
志者りものき留尓おとらぬ無刀さへ
       十尓五徒ハとら連ぬる可那

しばりものきるにおとらぬ無刀さへ
       十に五つはとられぬるかな

縛り者切るに劣らぬ無刀さへ
       十に五つは取られぬるかな

 縛り者を切る様な兵法に劣らない無刀の術でさえ、十に五つは取れるものだ。

 前回の「縛り者切る程易き兵法と云うはあだなる人の言の葉」に引き続き、縛り者を切る位に簡単と錯覚している人を、じろっとにらみつける様な雰囲気で、無刀も十に五つは上手く相手の刀を取れるよ。兵法は容易なのかなあ、と云っています。

 今回は今村嘉雄著史料柳生新陰流玉成集第三から元禄8年1695年小城鍋島家に伝わる無刀の習いの事から「無理に無刀にとるべきにあらす。兵法のならい、しなし、上手の所作、無刀より出るに依って、当流の高上極意也。諸道具自由に仕も無刀也。諸道具なくとも兵法の用にたて、心にはかり、なにゝても取りあわせ自由にいたし、上なき事を云わん為に無刀と云。
 きるへきと存者無刀にて取也。とられましきと覚悟の者はとるべきにあらす。きらねばとりたる同前也。きらるゝ様に仕掛る事第一心持也。兵法のならい仕掛、表裏の心はたらき、心より出るに依て、仕なし様子は心にあり。心はしらず、心しらざる所は無刀也。心の出る所を勝、おさゆる儀を当流の兵法と云。
 其目付ならい五つにてしるべし。神妙剣の心持同じ事也。水月のよくうつしてきらせんとおもい、五つの心持の仕掛候へば、とらずと云事なし。足・手・身・表裏の心持を含みて、心にて仕候へば、十人にして六七人、十度にして六度七度、かならすとるもの也。いにしへの、兵法にも、腿に頸をかへ、少しきられてもとるは第一の上手也」

 此処では十に六七度は取れると云っています。石舟斎の十に五つより高いですね。いずれにしても兵法は縛り者を切る様に簡単にはいかないので十分修行するものだと云うのでしょう。
 無刀の業技法に拘れば、いくつかの無刀取りの形が示されるでしょう。然し新陰流の新陰流截相口伝書などに法った事々、身の懸り五箇之大事・三箇之大事等々の教えを習い・稽古・工夫すれば無刀も同じ事だと云うのです。
 ともすれば新陰流も決められた「かたち」にはまっていなければ出来たと云えないという、現代剣道のヒズミに慣らされた人に依って、生きた「リアルタイムの創出知」を失ってしまいます。古伝の形骸を追うばかりになっているのは修行10年足らずの現代武道経験者によって「全日本剣道形」などを含め昇段審査などでの「かたち」による試験課題と勘違いしている人たちに依るのでしょう。

 石舟斎の兵法百首の内、此処までで70首を読んで見ました。残り30首迄あと一月懸ります。毎日一首ずつ今ある自分をフルに働かせて石舟斎の歌心に少しでも迫ろうとしてきたものです。新陰流の先生方には容易に読める歌も、形の真似事しかしていない者には読み切れません。
 伝書類も前に目を通して居たものもあるのですが、改めて読み直し兵法百首の歌心を追ってみました。参考に春風館関東支部の先生方にお知恵を拝借しようかと当初は思っていたのですが、読み進むに従って戦国の世を生きて来た先師の心がひしひしと伝わって来て、これは先師が、俺たちの残した伝書を読んで自分の頭で考えろとニコニコ笑っている様な気がしてきました。
 

 

 

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2020年6月23日 (火)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の69縛り者切る程易き

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の69縛り者切る程易き

兵法百首
志者り毛のき留程也春き兵法と
       いふハあ多な留人のことの者

しばりものきるほどやすき兵法と
       いうはあだなる人のことのは

縛り者切る程易き兵法と
       云うは徒なる人の言の葉


 縛っている人を切る様に兵法はた易いと云うのは、本当のことが何もわからない浮ついた人の言葉だ。

  「あだ」は仇・徒・空などの漢字があてられますが、ここは「徒」「空」でしょう。実のことないこと・むなしいこと・いたずら・むだ、はかないこと・かりそめ、浮薄なこと・ういたこと。(広辞苑より)

 自分の意志では自由に対応できない様な、縛られている人を切る位に、兵法は容易いと云うのを石舟斎は何処かで聞いたのだろうか、それとも入門したばかりの初心者が、打太刀を打つ稽古ばかりしていて、「こんなものが兵法の稽古?」と疑問に思う心を歌ったのでしょうか。
 戦場を駆け巡って生き残って来た雑兵上がりの人には、敵を切る事は造作も無かったかもしれません。
 それにもかかわらず、兵法は形の稽古です。それも初心者は仕太刀(遣方)で何もわからず、看取り稽古で目に焼き付けてもどこを焼き付けたのか何とも言えません。形を演じられる程度の兄弟子が打太刀の場合は、打太刀が業のポイントを認識できていればまだしも、運剣の順序位しかわかっていない場合はひどいもので、小学生時代にならったフォークダンスなら音楽のリズムが助けてくれるのですがそれすらない、棒振り訓練です。
 そんな稽古で打太刀は、防具を着けてここを打てと示すのですから、縛り者を切る程度の事に過ぎないのです。戦場で敵との交戦で人を切る事と、縛られている罪人を切るのとは、心のありようはわけが違いますが、其の辺の事は棚に上げて置いて、古流剣術の稽古風景です。

 柳生宗矩著兵法家伝書渡辺一郎校注に付・新陰流兵法目録事で慶長6年に石舟斎が竹田七郎に相伝した新陰流の三学円太刀が絵入りで業手附を掲載をしています。ここにお借りして三学円太刀の一本目一刀両断を読んで見ます。
 「打太刀中の清眼に構かゝり候時、太刀を右の車のやうにさげ、左の足を出し左の膝に少しかゝり、身をひとえになし、太刀をばいかにもゆるゆると前の方へよせ、目付を見て腰をゆする様にかゝる時、打太刀より左の肩先を切る時目付を切留、我がこぶしを膝口へさげ、いかにも左のひじをのばして切りつむる、其時振上きらんとするを、右の足をふみ込あとのえびらをふみひらき、打太刀の左の手首を切也。口伝」
 戦国時代末期の上泉伊勢守が石舟斎に伝授した古伝の一刀両断でしょう。その後古伝も変化し、江戸遣い、尾張遣いと進化しています。この一刀両断は「其時振上きらんとするを、右の足をふみ込あとのえびらをひらき、打太刀の左の手首を切る」の三点がポイントでしょう。打太刀が我が左の肩先に斬り込まされる誘いや、其処に斬り込んで来る敵に随って転変する、この手付に極意を秘したポイントをしっかり教えられ習い稽古し工夫してより有効で尚且つ手附に随うとすれば、石舟斎の歌に歌われる「兵法と云うは易いもの」などとはとてもいい得ません。
 
 

  

 

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2020年6月22日 (月)

無雙神傳英信流居合兵法1抜刀心持之事1の資料

無雙神傳英信流居合兵法
1、抜刀心持之事
1の資料
 抜刀心持之事の手附に随い現代居合との関連を述べて来ました。その上で古伝の業は現代居合とは違う事を要求している事を指摘し「昔は」と云う先輩諸先生の昔を忍んでみました。多くの先輩諸氏の昔は、自分の思い付きの昔に過ぎず「師の誰々より指導を受けたものは」と云う先輩はまだましです。
 解説に当たり参考とさせていただいた資料を掲げておきます。

1、曽田本神傳流秘書
  抜刀心持之事
  大森流居合之事
  英信流居合之事
  etc
2、曽田本英信流居合目録秘訣
  外之物ノ大事
  上意之大事
  極意ノ大事
3、無雙直傳英信流居合兵法叢書 河野百錬
4、林崎抜刀術兵法夢想神傳重信流 木村栄寿著

5、剣道の手ほどき 大江正路監・堀田捨次郎共編
6、無雙直傳英信流居合兵法地之巻 政岡壱實
7、居合兵法無雙神伝抜刀術 尾形郷一貫心
8、居合道ーその理合と神髄 檀崎友影著
9、夢想神伝流居合道 山蔦重吉著

10、無雙直伝英信流居合術全 河野百錬著
11、無雙直傳英信流居合道 河野百錬
12、大日本居合道図譜 河野百錬

13、居合読本 中山博道校閲・太田龍峰著
14、居合詳説 山内豊健・谷田左一共著

15全日本剣道連盟居合(解説) 全日本剣道連盟
16、無雙直伝英信流居合道解説第二巻 池田聖昂著

17居合の研究夢想神伝流奥伝 松峯達男著

18土佐英信流居合 福留麒六著・宮本知次
19道理を愉しむ居合道口座夢想神伝流 石堂倭文著

20詳解田宮流居合 妻木正麟著
21、柳生新陰流道眼 柳生延春
22、etc

 

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道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の68兵法の無刀とること石の舟

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の68兵法の無刀とること石の舟

兵法百首
兵法の無刀と流己と石乃不年
      う可未ぬわさと人やミ留らん

兵法の無刀とること石のふね
      うかまぬわさと人やみるらん

兵法の無刀取る事石の舟
      浮かまぬ業と人や見るらん

 今村嘉雄著史料柳生新陰流の宗厳兵法百首では「兵法の無刀となること石の舟浮かまぬわざと人や見るらん」とされていますが、流(る)の前に(と)しか文字は有りません。「無刀とること」とさせていただきます。(宝山寺蔵の石舟斎の原本写真による)

 兵法の無刀をとる事とは、石の舟が浮ぶ事はないような役に立たない業と人は見るであろう。

 石舟斎の無刀の発明に関する逸話は柳生厳長著正傳新陰流に(流史 家譜)として次のようにあります。「永禄7年1564年上泉伊勢守信綱が柳生の庄を去って、いよいよ上洛する時が来た。その別れるにあたって宗厳に対し、予は多年、太刀を執って切りかかる者に対し、無刀相手を制する「無刀取り」-奪刀、制圧の道を工夫鍛錬して、前の截相口伝の条々の中に伝授した「太刀間」の定理を本来とするところを発明している。この本来ー根本術・理は動かぬところであるが、それ以上の術・理の子細については、遺憾ながらまだ明すことができないでいる。貴殿はなお春秋に富んでいる。これを明らかにするものは、貴殿をおいて恐らく天下に人無かろう。かならずこれを工夫発明してその術と理とを開明し、この一流を大成して後世に遺されたい。これまでの習をもって満足することなく、折角精進されるよう。」

 上泉伊勢守信綱の嘱されて無刀の術理を石舟斎は開明しています。永禄8年1565年に上泉伊勢守より石舟斎は一国一人の印可を相伝し翌年永禄9年1566年に新陰流目録を伝授しています。

 無刀については柳生宗矩の兵法家伝書の活人剣無刀之巻及び下段の兵法截相心持の事・玉成集第三による補注に詳しく解説されています。
 此処では柳生十兵衛による無刀を今村嘉雄著史料柳生新陰流より「当流の兵法」から無刀について「無刀にきられぬ心持之事、無刀とるべきにあらず、きらねばとらぬ也。きらねば無刀にてとりたる也。皆人の無刀をきる事をにくむは、とられたるに同事也。水月うけて居れば、当たらざるもの也。水月の内に入ざる間は、はつし、水月の内に入りてはとりつく也。又刀なくしても、何にても持合せ候て勝を、無刀と定むる也。右心気の心わすれず、受用いたし、ぬかさず、かたまらず、待にして居る者、何とるべきや。是を切るべき事を思はば、棒心先々の習なくして、きり候事は成り難き物也。少し切られても、取りつき候へば、無刀の徳也。右に申ごとく、少きられてとるを、無刀と申也。無刀を知れば徳多きによりて、無刀を専習に致候事也。太刀道具何も手に持つものを、自由にせんため也。兵法は、心気の受用に極まる故に、心はしめの発せざる前に心を付る事肝要也。然るにより、無刀専一の習、当流の極意に致す也。」

 無刀とは、夫れ相当の業技法があるとばかりに期待しているのに、「無刀にきられぬ心持」という事で、石舟斎がとやかくのうわさに「にやり」としてチャンバラ好きの門人達を見ている姿が目に浮かびます。
 いずれにしても柳生新陰流の秘伝との事で、その実態は、これらの伝書では観念的には理解し得ても術理を目にする機会は有るのか、術としては、今の世の中に幾らでも丸腰で刃物を持つ相手に応じる術は、ゴロゴロしています。新陰流の奥義の無刀は将に現代の緊迫する世界情勢の中で無刀で応じる奥義のことです。

 

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2020年6月21日 (日)

無雙神傳英信流居合兵法1抜刀心持之事1の22賢之事他

無雙神傳英信流居合兵法
1、抜刀心持之事
1の22賢之事
1の23クゝリ捨
1の24軍場之大事

抜刀心持之事22本目賢之事、23本目クゝリ捨
手附は有りません。

大江正路の奥居合立業に賢之事に相当する業は古伝に手附が無いので似た動作を特定不能です。
大江居合の奥居合、居業・立業と古伝無雙神傳英信流居合兵法を動作若しくは想定によって対比してみます。
1、 霞:向払
2、 脛囲:柄留
3、 四方切:四角
4、 戸詰:両詰
5、 戸脇:両詰の替業
6、 棚下:棚下
7、 両詰:向詰
8、 虎走り:虎走
9、 行連:行連
10、連達:行連
11、惣捲り:五方切
12、總留:放打
13、信夫:夜之太刀
14、行違:連達
15、袖摺返:行違(想定ちがい)
16、門入:なし
17、壁添:人中(想定ちがい)
18、受流:弛抜
19、20、21、暇乞:抜打上中下(手附なし)
20、なし:抜打
21、なし:賢之事
22、なし:クゝリ捨
23、なし:軍場之大事
24、なし:追懸切

 大江居合と古伝抜刀心持之事との対比では大江居合の奥居合に有って古伝に無いのは「門入」が相当します。檀崎先生、山蔦先生ともに
門入りは古伝の「隠れ捨」(たぶん「クゝリ捨」の事でしょう)としています。「賢之事」は「袖摺返」を当てています。私は大江先生の「袖摺返」は古伝の「行違」の想定違と判断しています。
 古伝の抜刀心持之事で業名があって手附の無い「賢之事」及び「クゝリ捨」が袖摺返と門入である確証が得られません。もう一つ山蔦先生は奥居合立業の十二本目に「両士引連」の業名で古伝抜刀心持之事「行違」の動作を充当しています。是も私の資料では確証が得られません。

1の24軍場之大事:具足のゆるきを取り押上る心得肝要也、故に着料の具足は押上られてものどにつかへざる様に仕置べきなり、高き所などより飛ぶ時おのづとのどにつかゆる事有るもの也、心得に有儀也。


  具足がゆるくて押し上がらない様に着なさいと云う教えの様です。具足については興味有る方にお任せしておきます。

 以上を以て古伝神傳流秘書抜刀心持を終ります。

 誰でも、無双直伝英信流や夢想神伝流を習いに行けば、大江正路流の居合を指導されます。どんなに夢想神伝流は無双直伝英信流と違うと云って見た所で、それは抜き付けの所作やフィニッシュの角度の違い程度のもので、その理合いも動作も似たようなもので、どちらも出来て当たり前でいいのでしょう。それは現代居合の奥伝を稽古して、古伝神傳流秘書の抜刀心持之事を研究して見れば明らかな事です。
 一本目「霞」の古伝は「向払」ですが、古伝は「向へ抜付返須刀に手を返し又払ひて打込ミ勝」だけの事で、あらゆる想定を自分で考えて稽古する様に「格を放れて早く抜く也重信流」と始めに添え書きされています。格とは形ですから、指導された初歩の想定動作に捉われずに稽古しなさいと言って居るわけです。
 教えられた形は、あくまでもその業のとっかかりの稽古業であり、現代風に見れば昇段審査の格に過ぎません。古伝の一行足らずの手附からあらゆる状況に応じられる修業を積まなければ武術にはなり得ないと、改めてこの抜刀心持之事を読み直してみた次第です。


 

 

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道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の67兵法は深き淵瀬の薄氷

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の67兵法は深き淵瀬の薄氷

兵法百首
兵法は婦可き淵瀬のう須氷
      王多留古ゝろのならひ成介利

兵法はふかき淵瀬のうす氷
      わたる心のならひなりけり

兵法は深き淵瀬の薄氷
      渡る心の習いなりけり

 兵法は深い淵瀬に張った薄氷のようなもの、どの様に渡ったら良いのかの心得を学ぶものである。

 「淵瀬」とありますが淵は深い所で流れが停滞している場合もあります。瀬は浅い所ですが急流だったりします。此の場合は「深い淵瀬」と云っていますから瀬もそこそこの深さを持つ流れなのでしょう、どちらと云う訳には行きません。あえて違いを探れば、瀬の方は張った氷が薄いと云えますが、是も「薄氷」と特定しています。流れの薄氷を渡る心持ちで兵法を学ぶものと云う事で良さそうです。

 薄氷の張った深い淵瀬を渡る心持ちが兵法だ、と云うのですがその前に、その様な危険な場所をどの様にして渡るのでしょう。竹刀剣道などは、ドタンバタンと足踏みして踏み込んでますから、薄氷などあっという間に踏み破って冷たい淵瀬に落ちてしまいそうです。現代居合も正座からの右足の踏み込みは、どこぞの英信流ではドンと音を立てて踏み込んでいます。初心の内だけとか言ってますが何十年もやってる師匠もやってますからこれも水の中です。

 宮本武蔵は五輪書風之巻「他流に足のつかひ有る事」で委しく書いていますが長くなるので兵法35箇条の足踏みの事「足づかい時々により、大小遅速は有れ共常にあゆむごとし、足に嫌ふ亊、飛足、うき足、ふみゆする足、ぬく足、おくれ先立つ足、是皆嫌ふ足也。足場いか成る難所なりとも、嫌ひなき様にたしかにふむべし。」

 石舟斎の截相口伝書亊に「間拍子歩之事」があるのですが口伝ですから、以下の書物から抜書して見ます。

 柳生宗矩の兵法家伝書下巻歩みの事「歩ミは、早もあし遅きもあし。常のことくするすると何となき歩よし。」

 柳生十兵衛の月之抄歩之事「父云、水月の前にては、いかにもしづかに心懸、あゆみたるよし。水月の内へなりては、一左足早く心持よし。亡父の録にはあゆみの事、しゃうがありと書せるあり。亦云、あゆみは、はつみてかろき心持なり。一あしの心持専なり。千里の行も、一歩よりおこると云々。亦云、他流にカラス左足、ねり足などと云は、後足をよせ、さきの足を早く▢▢ためなり。惣別あゆみはこまかにして、とどまらぬ心持専也。ねり足と云は、構をして、ぢんぢりねりかかるを也」(水月とは間境の事)
 間之拍子歩之事「理りは何ともなし。・・歩は不断ある心持也、何心もなくロク二シズカなる事よしと宗厳公仰せられしと語もあり。云、何の心もなし。不断あるくあゆみは、拍子にあらずして拍子也。拍子の間だ也。間には拍子なき所也。なき所拍子也。拍子なきとて拍子がちがへば、けつまずくなり。なき所間の拍子、不断の歩也。ここぞといふ時は、不断の様にあゆまれぬ也。心がはたらかぬゆへと知るべし」

 柳生十兵衛の朏聞集(ひもんしゅう)あゆみの事「水月より前にてはしつか成が吉、場をこしてよりは一調子はやきがよし。あしどりうきやかに、ひきつらぬ様に遣う心もち吉。それにておのずからすすむ心出来るもの也」(月之抄・朏聞集ともに今村嘉雄著史料柳生新陰流より)

 新陰流の足捌きについては不断の歩みが良いと云っていますが、赤羽根龍夫著「江戸武士の身体操作柳生新陰流を学ぶ」に「柳生新陰流の身体操作の特徴の一つ「風帆の位」とは、風をはらんだ帆かけ舟が水の上を滑るように、身体の軸を垂直に立て、踵を地に着け、足を上げないでするすると歩む運歩の仕方」と解説されています。

 石舟斎の兵法百首の薄氷を渡る歩み方は風帆之位をもって不断の歩みと云う事で、スルスルと深い淵瀬の薄氷を踏み破らず越して行く心に兵法の習いがある事を指し示しているのでしょう。
 間を越すと云う事は、逸る心も、臆する心も無くスルスルと・・。

 

 
 

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2020年6月20日 (土)

無雙神傳英信流居合兵法1抜刀心持之事1の21弛抜

無雙神傳英信流居合兵法
1、抜刀心持之事
1の21弛抜(はずしぬき・ゆるみぬき?)

抜刀心持之事21本目弛抜
前の如く歩み行敵より先に打を体を少し開き弛して抜打に切なり

 大江正路の奥居合立業の部十八番受け流しが相当しそうです。:(進行中左足を右足の前に踏出し身を変して請流す)左足を出すとき、其の左足を右斜に踏み出し、中腰となり、刀の柄元を左膝頭の下として、刀を抜き直に其手を頭上に上げ、刀を斜とし、体を左斜前より後へ捻る心持ちにて受け流し、左足を踏みしめ、右足を左足へ揃へ、右拳を右肩上に頭上へ廻し下し、上体を稍々前に屈めると当時に真直に左斜を斬る、揃へたる足踏みより左足を後へ引き、血拭い刀を納む。
 是は、大森流の六本目流刀の立業です。「体を少し開き弛して抜打に切なり」とは言えません。受け流すための動作は、敵に外される危険性が高い上に、刀で刀を受ける受太刀は受けた瞬間に折れる可能性が高く、刃で受ければ刃こぼれや、食い込まれて流せないなどありえます。

 細川義昌系統の尾形郷一貫心の奥居合はこの業に相当する業は見当たりません。大江先生の「受け流し」に相当する奥居合之業も見当たりません。

 檀崎友影の奥居合立業その十受流:意義 敵、吾、正面より斬込み来るを頭上に抜き、敵刀を受流して敵の首に斬付けて勝つの意である。動作 正面に向かって前進中、左足を出すと同時に刀に両手をかけ左足を右前に出しながら、刀を頭上に抜いて受け、右足を右に一歩踏み出して流し、左手を添え左足を後方に引きながら敵の首に斬り下し納刀する。
 
 山蔦重吉の奥居合立業十本目受流(弛抜 ゆるみぬき):進行中、自分の敵が真正面から斬込んで来るので、刀を右斜め横に抜くや、左足先を右に向け、右足の前に踏出して、敵の刀を受ける。右足を右斜めに運んで、その刀を受流し、左足先を敵の方に向け、左手を柄に添え、右足を左足に揃えるように踏込むと同時に、敵の肩口に斬り付ける・・。

 敵の斬り込みを刀で受け、体を右向きから左向きに軸回転させながら受け流し、改めて斬る様です。古伝の手附は「歩み行敵より先に打を体を少し開き弛して抜打に切る也」です何処にも受け流しなどと書いて無いし、摺落す動作も無い、体を開いて外せと云っています。外した時が切った時、其の為には我が頭上に斬り込ませる「懸かり待つ」心得が必要です。此処まで稽古して来た幾つもの業技法を以て応じる稽古を要求しているのでしょう。
 古伝の無雙神傳英信流居合兵法は良く組み立てられています。古伝の手附を読んで、それまでの業技法の延長線上の動作でお茶を濁させてはくれそうにありません。

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道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の66よきのうと思う心の愚か故

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の66よきのうと思う心の愚か故

兵法百首
与記能不とおも不こころのおろ可ゆへ
        兵法くらゐ能あらそひそ須留

よきのうとおもう心のおろかゆえ
        兵法くらいのあらそいぞする

よきのうと思う心の愚か故
        兵法位の争いぞする

 この歌の書き出し「与記能不とおも不」の意味と「兵法くらい」がわかれば解けるのですが、語学不足で石舟斎の歌心に至る事は出来そうにありません。「よき」は「良き」であれば、「よいのう」、「上手だろう」と、同意を求める、うぬぼれる心を表しているかも知れません。
「兵法くらい」を兵法の位、上手下手の位と読んで、取り敢えず解釈して見ます。

 兵法の上手下手の順位争いをして居るなあ。良くできていると思う心が愚かなんだよ。

 これでは、へぼ達に能くある手前味噌による兵法の真髄も知らずに、ああだ、こうだと云いあらそいしている様に思えてしまいます。現代風で云えば、へぼでも年数が立つと昇段したりして段位は上がっても形が出来ただけで武術とは程遠い兄弟子が段位を笠にえばっている様なものです。
 石舟斎の歌心を、そんな処から辿る事は出来るのでしょうか。門人同士で、俺の方が上手、いや俺だなどと云い争ったり、知ったかぶりをして教え間に成ったりする人はいるものです。兵法の極意はもっと違う処に有る筈で、棒振りの「かたち」が師匠に似ていても、上手くも何ともない、術が決まってもいないのに、やれやれでしょう。そんな人に限って教えられても何を教えられたのかさっぱりわかりません。

 
 
 

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2020年6月19日 (金)

無雙神傳英信流居合兵法1抜刀心持之事1の20抜打

無雙神傳英信流居合兵法
1、抜刀心持之事
1の20抜打

抜刀心持之事20本目抜打
歩み行中に抜打に切敵を先に打心也

 大江正路の奥居合には立業の抜打は存在しません、置き捨ててしまったか、習わなかった、古伝を知らなかった。大江先生には下村茂市からも五藤正亮からも無双直伝英信流の相伝は無かったとされるのですが、大江先生は8人ほどに根元之巻を印可されていますから目録位はとも思いますが、五藤正亮からの目録ななどの資料の話は聞いたことが有りません。

 細川義昌系統の尾形郷一貫心による奥居合之部十八抜打(出合頭に斬る)正面へ歩み往きつつ、鯉口を切り右手を柄へ掛けるなり、右足踏込み、出合頭に(正面へ)抜打に斬付け、左足を右前足に踏揃へると同時に刀を納め終る。
 尾形先生の抜打の文章だけでは、抜打が横一線なのか、真向打下しなのか、片手袈裟なのか解りません。大森流の抜打は「刀を右前へ引抜き刀尖をひだり後ろへ突込み、諸手上段に引冠りて斬込み」です、英信流の抜打は「両膝を伸しつつ、刀を右前へ引抜き(膝が立つと同時に両足爪立て)刀尖を左後へ突込み、諸手上段に引冠りて斬込み」です。奥居合の二十本目抜打は「頭を下げ礼をして俯きたるまま、両手引込め鯉口と柄を執り、急に腰を伸しつつ、刀を右前へ引抜き刀尖を左後へ突込み、諸手上段に引冠りて斬り込み」ですから、上段からの真向斬下しでいいのでしょう。

 檀崎友影の奥居合には抜打に相当するものは見当たりません。
 
 山蔦重吉の奥居合には抜打に相当するものは見当たりません。

 古伝抜刀心持之事には立ったまま歩み行敵を抜打にする業が存在したのです。この業を大森流の十一本目抜打の業を立って演じる事は出来ます。「歩み行く時正面から敵が刀を抜いて真向から斬込まんとする、我は左足を踏み込み刀に両手を懸け刀を抜きかけ、敵が斬下すや左足を右足に引き付け同時に柄頭を正中線を通して左肩を覆う様に上に抜き上げ敵刀を摺り落し、左手を柄に添え振り冠るや右足を踏み込み敵の真向に斬り下す。血振り納刀す」

 全日本剣道連盟居合の12本目「抜打」:要義 相対して直立している前方の敵が、突然、切りかかってくるのを、刀を抜き上げながら退いて敵の刀に空を切らせ、更に真っ向から切り下ろして勝つ。
 是では、古伝の抜刀心持之事の抜打にはなりません。

 然し、この抜刀心持之事の抜打は「歩み行中に抜打に切り敵を先に打心也」が手附けです。無雙神傳英信流居合兵法は成立が江戸時代中期1700年代の農民と武士の中間の武芸者によって組み立てられたと思われます。武術に思想的要素を持つよりも、必ず勝つと云う思想で組み立てられていたとしたならば、敵の害意を察するや、抜打つ事が最優先であって、敵の動きに従って勝つ柳生新陰流の「活人剣」など無用だったかもしれません。
 再び、然し、それでは柳生新陰流の「色付色随」の教えを充分知る者には勝てないでしょう。次回は「色に付き色に随う」に沿った「弛抜」になります。

 

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道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の65名を惜しみ兵法歎く何某と

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の65名を惜しみ兵法歎く何某と

名をおしミ兵法奈けく奈尓可しと
       幾ゝし流人尓極意能こ須奈

名をおしみ兵法なけくなにがしと
       きゝしる人に極意のこすな

名を惜しみ兵法歎く何某と
       聞き知る人に極意残すな

 自分の名を大切に思い、兵法が上手く出来ないことを歎くのは、あの人と聞き知るならば、極意を残らず伝授すべきである。

 極意を伝授するのは、業技法に長けている人に伝授すると思うのは誰でもの事ですが、石舟斎は上手下手よりも自分の名を大切に思う人がより良いと考えるのでしょう。
 名を惜しむ様な人は、五常を知り、先祖を敬い、我が名を大切にする人であるはずです。強いばかリ、上手いばかりで世に仇為す様な人には極意は伝える事は出来ない。と云うのです。

 武術は、上手な人殺しを学ぶものでも、我が身の生き残りを望むものでも無い筈です。まして自分ばかりが優位に立って人を見下すような人の為にあるものでも無い。
 争いの無い、互に敬う心を以って穏やかな日々の暮らしを誰でも求めている筈です。その実現は己が頂点に立って人を屈服させる事では決して得られないでしょう。
 人の話を聞き、人の思いを理解し、最も良い方法を見出し、話し合って、和すること、そのことは、石舟斎の新陰流の伝書の中で極意に至る道として随所に語られています。

 自己実現は人を睥睨する事と勘違いしている武術愛好者はごろごろいます。それを助長させるのが段位制度や師範などの階位呼称でしょう。所属部署の所在年数や貢献度ばかりに気をとられ、歳を取って体力も落ち、若者にコロコロ打ち負かされる老人が、段位のみで威張っているのも哀れです、そんな事では武術修行者とは言えそうにありません。隠居なら隠居でいいのです。武術修行は死ぬまで続けるのが修行でしょう。 居合の様に対敵は仮想敵で負け知らずの稽古をしてきて、若い者に負けんぞとばかり身に余る長く重い日本刀をようやく抜いてフラフラしているのもみじめです。 
 石舟斎は上泉伊勢守の生き様から、きっと人生哲学を得られたのだろうと、ふと思います。
 

 

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2020年6月18日 (木)

無雙神傳英信流居合兵法1抜刀心持之事1の17抜打上中下

無雙神傳英信流居合兵法
1、抜刀心持之事
1の17抜打上中下

抜刀心持之事17本目抜打上中下(暇乞三本)
手附は有りません。
曽田虎彦メモ:暇乞三本 格の低き者に対する黙礼の時、等輩に対する礼の時、目上の者に対する礼の時

英信流居合目録秘訣極意の大事暇乞:仕物などを云付られたる時抔其者の所え行て四方山の咄抔をして其内に切るべし、隙無之ときは我が刀を取って「又近日」と立さまに鐺を以て突き倒し其侭引ぬいて突なり、又は亭主我を送って出るとき其透間を見て鐺にて突たおして其侭引きぬいて突くべし。
*
 大江正路の奥居合立業十九番暇乞:(黙礼)正座し両手を膝上に置き黙礼し、右手柄に掛かるや刀を斜に抜き付け上段にて斬る。
   二十番暇乞:(頭を下げ礼をする)両手を板の間に付け、頭を板の間近く下して、礼をなし、両手を鞘と柄に同一に掛け直ちに上に抜き上段となり、前面を斬る。
 二十一番暇乞:(中に頭を下、右同様に斬る)両手を膝上に置き黙礼より稍々低く頭を下げ礼をなし、右手を柄に掛け刀を斜に抜き上段にて斬る。(止め)(立合終り)
 大江先生の暇乞三本の順序がおかしいですね、現代風に直せば十九番・二十一番・二十番でしょう。この文章は堀田捨次郎が大江居合を見て記述したもので大江先生は監修したことになっていますが疑問です。手附にはその動作に至る思いが伝わるのですが伝わってきません。「黙礼し、右手柄に掛かるや刀を斜に抜き付け上段にて斬る」の文章ですが、現代居合の暇乞が摺り込まれていますから「刀を抜き上げ上段に振り冠って斬り下す」とイメージが先行します。この文章では、「黙礼し、右手を柄に掛け刀を斜め前に抜き出し、上段に振り冠り切り下す」のように読んでしまいそうです。
 大正7年1918年今から102年前土佐の居合無双直伝英信流の解りやすい解説書として、世に出された現代居合です、この解説内容で誤り伝えられたことも多かったろうと思います。
 抜打上中下を暇乞として、暇乞いの際の暗殺行為、闇討ちを嫌ってこの暇乞いを正式な演武会では禁じているのも、大森流の順刀(大江居合の介錯)を介錯の仕方を教える業だからと、是も忌み嫌って演じる事をご法度にされてしまっています。古伝は「抜打」であって「暇乞」では無い。座しての挨拶の際敵が仕掛けて来たので「抜き打つ」のであれば別に嫌う理由は無いでしょう。曽田メモについてはその謂れは古伝には見られません。曽田先生が聞きかじったか師匠の行宗貞義による口授に一部にあったのかも知れません。明治のお化けのように思います。然るべき方々で見直すべき時期でしょう。

 細川義昌系統の尾形郷一貫心の奥居合二十番目抜打:(対座して居る者を斬る)正面に向ひ対座し、刀を鞘なり前腹へ抱え込む様に横たえ両手を前につかへ、頭を下げ礼をして俯きたるまま、両手引込め鯉口と柄へ執り、急に腰を伸しつつ、刀を右前へ引抜き刀尖を左後へ突込み、諸手上段に引冠りて斬込み、刀を開き納めつつ、両足の踵上へ臀部を下すと共に、納め終り、爪先立てたる足先きを伸し正座して終る。
 暇乞の呼称は使用していませんが、「両手を前につかへ、頭を下げ礼をして俯きたるまま」の一節が暇乞いをイメージするのは大江居合に慣らされてしまったからでしょう。暇乞の時が最も危険の伴う時とも云える、武術は隙を見せて敵を誘いその誘いの際の隙に付け込むことは当然のことです。力任せに威圧しながら遮二無二斬り込むのは武術とは言えません。

 檀崎友影の奥居合居業その九暇乞:意義 暇乞は上意打とも称え、主命を帯びて使者に立ち、敬礼の体勢から抜打にする意にして、又彼我挨拶の際、彼の害意ある気配を察知して、其の機先を制して行う方法である。 動作 正面に向って正座し、その座した体制から僅かに頭を下げ礼をなす間もなく、俯いたまま両足爪先を立て抜刀、抜打と同じ要領で雙手上段より斬下し、血振り、納刀する。
 その十暇乞:動作 正面位向って正座し、両手をつき、頭をやや深く下げるや、その体勢にて刀を抜き上段より斬下すこと、前と同要領である。
 その十一暇乞:動作 両手をつき頭を深く下げた瞬間抜打すること、前に同じ。この技は、十本目、十一本目とも意義は九本目と同じであるが、動作のうち頭を浅く下げる、深く下げるの違いがある。十本めは九本めよりやや深く、十一本目はさらに深く下げた場合の動作である。

 山蔦重吉の奥居合立業十三本目暇乞(三本あり):奥居合中唯一の正座のわざである。これも上意討ちのひとつであり、主君の命令を受け、使者として敵となるべき者を訪問して、お互いの挨拶の際に、敵が刃向かう心持のあるのを感知し、機先を制し、挨拶の途中に抜打ちに、敵を正面より斬倒すわざである。三つの動作がある。1、正面に向かって正座し、頭を少し下げ(黙礼程度の会釈)礼をかわす間をおかず、うつむいたまま一気に抜刀、上段より敵の正面を斬下す。2、両手をつき頭を低く下げ、その体勢にて抜刀、敵が頭を下げるところを斬る。3、両手をつき深々と礼をして、体を起しながら抜刀、敵が頭を上げるところを斬る。暇乞の動作を前述のとおり三通りに分けてあるが、要するに自分にも最も有利、有効な動作を、敵の気配や動きに応じて採る点から、分けてある訳である。

 暇乞の業名につられ、上意打の名目でこの抜打三本を演じていますが、既に大森流居合之事十一本目抜打で充分稽古してきている筈です。機先を制して抜き打つのではなく、礼をする事で害意の有る敵が斬り込まんとする気に乗じて確実に斬る事は出来るでしょう。礼で頭を下げるのは我が先か、敵が先か、頭を下げる際何処を見ているのか、研究課題の多い業です。
 参考にし古伝の大森流居合之事十一本目抜打:座している所を向より切て懸るを、其のまま踏ん伸んで請流し打込み開いて納る。尤も請流に非ず此の処筆に及ばず。
 この手附を「座して、挨拶の際頭を下げる所を向より切て懸るを、其のまま踏ん伸んで請流し打込み開いて納る。尤も請流に非ず此の処筆に及ばず」と解釈すれば現代の暇乞いとも通じて来ます。大江先生の暇乞の「刀を斜めに抜」の効果が出る所でしょう。古伝の抜打上中下の手附が無いことが、抜打の心得で自分で考えろと云うのかも知れない、古伝の大らかな凄い所かも知れません。

 

 
 

 

 

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道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の64何某の知らでかなわぬ兵法を

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の64何某の知らでかなわぬ兵法を

兵法百首
奈尓可志能志らて可奈ハぬ兵法を
       こゝ路可けぬもおろ可成介り

なにがしのしらでかなはぬ兵法を
       心かけぬもおろかなりけり

何某の知らで敵わぬ兵法を
      心懸けぬも愚かなりけり

 何某の何故負けたのか解らない兵法を、学ぶ事を心懸けないのも愚かな事である。

 この場合の「なにがし」は「あの人」の位に読めばいいのでしょう。状況によっては石舟斎を自ら指しているかもしれません。「知らでかなわぬ」は知らずに敵わない兵法と読みました。
 此処だとばかりに打ち込んだが、我が剣は空を切ってあの人の剣で我が小手を打たれた。どうして切られたのか解らないあの兵法を学んで見ようと心がけないのも愚かな、と歌ったのでしょう。
 稽古では、試合でなくとも形稽古でもしばしばこのような状況になるものです。「今一度お手合わせを」と云うべきものを、みすみす取り逃がしてしまうものです。
 いつも同じ相手と、同じ形を打っている様な人は、お互いに「かただから、かたちが優先」とばかりにやっていても、木刀の当てっこは上手に成っても無駄な時間の浪費のようなものです。これはまだその人自身の心掛けによるものですが、他流を学べば自流の「かたち」が崩れるとか言って他流御法度の心得ない指導者の多い事。

 合し打ちなども、打太刀が仕太刀の打込みにふっと力を抜けば、仕太刀が見事に打太刀の頭上に打ち込み、打太刀の剣は外されてしまいます。上手な打太刀は見事にこの芸当を演じてくれるので、仕太刀は出来たと錯覚してしまいます。負けるには負ける訳があるのですから、何故と常に思い、真っ直ぐに打ち込む事を心がけるべきなのでしょう。
 

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2020年6月17日 (水)

無雙神傳英信流居合兵法1抜刀心持之事1の16虎走

無雙神傳英信流居合兵法
1、抜刀心持之事
1の16虎走り
抜刀心持之事16本目虎走
居合膝に座して居立って向へ腰をかゞめつかつかと行抜口の外へ見へぬ様に抜付打込納又右の通り腰をかゞめ後へ引抜付打込也

英信流居合目録秘訣上意之大事虎走:仕物抔云付られたる時は殊に此心得入用也、其外とても此心得肝要也。敵二間も三間も隔てゝ座し居る時は直に切る事不能、其上同座し人々居並ぶ時は色に見せては仕損る也、さわらぬ躰に向ふへつかつかと腰をかゞめ歩行内に、抜口の外へ見えぬ様に体の内にて刀を逆さまに抜きつくべし、虎の一足の事の如しと知るべし、大事とする所は歩みにあり、はこび滞り無く取合する事不能の位と知るべし。

 此処で云う「虎の一足」は英信流之事二本目「虎一足」だろうと思いますが、「虎一足」を受け太刀として習った現代居合の学者には理解できないかもしれません。
 英信流居合之事二本目虎一足:左足を引き刀を逆に抜て留め扨打込み後前に同じ
 大森流居合之事十本目虎乱刀:是は立事也幾足も走り行く内に右足にて打込み血震し納る也
 どちらも現代居合のドタバタ足を踏み慣らす様な動作や、膝への斬り込みを刀で受け留めること、更には横一線の抜き付けなど、この古伝からは思い描けません。

 大江正路の奥居合居業八番目虎走り:(中腰となり、走り抜斬又後ざりして抜斬る)座したる處より柄に手を掛け、稍々腰を屈め、小走りに数歩進み出で、右足の踏み出したる時抜き付け、同体にて座して斬る(血拭ひ刀を納むるや)刀を納めて二三寸残りし時屈めたる姿勢にて、数歩退り左足を退きたる時中腰にて抜付け上段となり座して斬る。
 
 細川義昌系統の尾形郷一貫心の奥居合之部九本目虎走:(次の間に居る者を斬り、退る処へ追掛け来る者を斬る)正面へ向ひ居合膝に座し、左手を鯉口に、右手を柄に執り抱へ込む様にして立上り、上体を俯け前方へ小走に馳せ往き腰を伸すなり右足踏込んで(対手の右側面へ)抜付け、左膝を右足横へ跪きつつ、諸手上段に引冠り、更に右足踏込んで斬込み、刀を開き納めたるまま立上り、又刀を抱へ込む様に前に俯き小走に退り腰を伸ばすと同時に、左足を一歩後へ退き、追掛け来る者へ(右側面へ)大きく抜付け、又左膝を右足横へ跪きつつ、諸手上段に引冠り右足踏込んで斬込み、刀を開き、納め終る。

 檀崎友影の奥居合居業其の八虎走:意義 敵、前方に逃げ去るを、吾、小走りに追いかけて是を倒したるに他の敵、出で来りて吾に仕掛けんとするを、吾後退し、間合を計って斬付け勝つの意である。動作 正面に向い立膝に座し、刀に両手をかけ、刀柄を右腰に付けると同時に体を低くして立上り、前方に小走りして、右足を踏込むや、抜付け左膝を跪くと同時に左肩側から振冠り真向に斬下し、血振り納刀しながら右足を左足に退きよせ、刀柄を右腰方に引付けながら、更に低く立上りて小走りに戻り、左足を退くと同時に抜付け、左膝を跪くと同時に振冠り斬下し、血振り、納刀する。

 山蔦重吉の奥居合居業八本目虎走り:中腰、前かがみの姿勢(丁度虎が獲物を追うように)で柄を右腰につけ、逃げる敵を小走りに追いかけ、斬り間合に入った時上体を起こし、同時に右足を踏み込んで敵の上膊に抜付け、左膝をついて上段からその敵を斬り下す。血振り、納刀しつつ右足を左足に引寄せ、柄を右腰に引寄せながら半蹲踞となる。半蹲踞の姿勢で、まだ刀は五、六センチ納めのこしているころ、他の敵が正面よりより攻撃して来るので、小走りに自分が後退しながら斬間合に入った時、前の動作と同じく抜付け、左膝をつき斬下す。

 此処に掲載させていただいた、これ等の流派の古伝の虎走なのですが、「柄口外へ見えぬ様に体の内にて刀を逆さまに抜きつくべし」の心持ちは手附の文章からは読みとれません。柄を抱え込む様に、柄を右腰に付けるが見えぬ様にと云えるかどうかです。逆さまに抜き付けるのではなく横一線の抜き付けばかりです。さかさまの抜き付けとは、下からの斬り付けでしょう。追い懸ける足捌きも小走りであってドタバタ音を立てずスルスルと走り接近することでしょう。古伝英信流居合目録秘訣は言っています。

 

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道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の63煩悩へ仇なる事の勝負けも

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の63煩悩へ仇なる事の勝負けも

兵法百首
者んのうへあ多奈留事能勝負も
       未けて兵法尓者ら能多ゝ須や

はんのうへあたなる事の勝負も
       まけて兵法にはらのたたすや

煩悩へ仇なる事の勝負も
       負けて兵法に腹の立たずや

 「者んのうへ」と書かれていますが今村嘉雄著史料柳生新陰流では「ぼんのう」で「煩能」と読みをされています。 
 煩は煩雑などの「はん」ですから、変体仮名は「者」があてられたのかも知れません。「はんのう」では「反応、飯能、半農、半能」などで意味が通じて来ません。「ぼんのう」煩悩を読みに使わせていただきます。
 煩悩の意味は、衆生の身心を悩乱し、迷界に繋留させる一切の妄念です。
 「あだ」は「仇、徒、空」ですから。仇(あだ、あた)を採用しておきます。自分に害するもの・かたき、うらみ・遺恨・またその恨みに報いようとすること・復讐・しかえし、攻め来る者・敵兵・寇。

 本来の心が、恐ろしい、負けたくない、かっこよく見せたい、勝たなければ、などの人を迷わせ悩ます煩悩をかたきとして捨て去るのが勝負であり、負けても兵法の修行の至らなさを悔いるばかりで、兵法に腹の立つなどの事はない。

 兵法は棒振りの上手下手だけのことではなく、如何に煩悩を押さえて本来の心になれるかも修行の裡にあるものでしょう。
 
 新陰流の上泉伊勢守の新陰流目録の「敵に随って転変し、一重の手段を施し、恰も風を見て帆を使い兎を見て鷲を放つが如し。懸を以って懸、待を以って待は常の事也、懸は懸非ず、待は待に非ず。懸は意待に在り、待は意懸に在り」

 土佐の居合無雙神傳英信流居合法の英信流居合目録秘訣にある「霞ごしに見るが如くの心の所に大事の勝ある事を教る也。夢うつゝの如く之の所よりひらりと勝事有。其の勝事、疵無に勝と思うべからず、我身を土壇となして後自然に勝有。其の勝所は敵の拳也」 

 沢庵和尚の「心こそ心まよわす心なれ心に心心ゆるすな」を思い出すような歌心として読み解いてみました。

 
 

 

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2020年6月16日 (火)

無雙神傳英信流居合兵法1抜刀心持之事1の15放打

無雙神傳英信流居合兵法
1、抜刀心持之事
1の15放打

抜刀心持之事15本目放打
行内片手打に切納ては又切数きはまりなし

 大江正路の奥居合立業の部十二番總留め:(進行中三四遍斬っては納む)右足を出して、刀を右斜へ抜き付け、左足を出して抜付けたる刀を納む、以上の如く四五回進みつゝ行ひ、最後の時は其まゝにて刀を納む。
 大江先生、業名を總留と改変されています。細川先生は放打です。この違いは何処にも謂れが残って居ません。

 河野百錬は昭和8年1933年の無雙直伝英信流居合術全では大江先生と同様場の状況を記載していませんでしたが、昭和13年1938年の無雙直傳英信流居合道では奥居合立業之部其四惣留の意義で「吾れ狭まき板橋又は堤、或は階段等の、両側にかわせぬ様な場所を通行の時、前面より敵仕掛け来るを、其の胸部に斬り付け、一人宛を仆して勝の意なり。」と何処からこの様な状況の業と特定されたのか解りませんが書き込まれ、現代居合でも無双直伝英信流や夢想神傳流などでもその様に指導され演じられています。

 細川義昌系統の尾形郷一貫心による奥居合放打:(右側へ来掛る者を一々斬る)正面へ歩み往きつつ、鯉口を切り左足踏出したる時、右手を柄に掛け右足踏出し、右前へ抜付け、左足を右前足に踏揃へる、同時に刀を納め、又右足踏出して抜付け、左足を右前足に踏揃へるなり刀を納め、すること、数度繰返し(三回位して)刀を納め直立の姿勢となり終る。
 この細川居合は高松から広島貫汪館に伝わり、細川居合が残された古伝の趣が感じられます。状況説明で「右側へ来掛る者を一々斬る」はこの動作では読み取れません。右だろうと左だろうと正面だろうと、後にしてもこの抜打を繰り返し稽古すれば十分応じられるもので、板橋だとか後から取ってつける様な事は古伝が笑っています。前回の五方切の教えも同様に、いたずらに特定せずにその業を演じ乍らあらゆる想定に応じる稽古業として完成させられれば素晴らしいものです。一考を要します。

 檀崎友影居合道ーその理合と神髄奥居合立業その7放打(総留):意義 吾、狭い板橋または土堤の細道等、体をかわせぬ場所を通行の時、前面の敵の胸部に抜打し、又其の影にひそみ居る敵に対して勝つの意である。動作 正面に向かって直立し、前方に歩みながら左足を踏出すと同時に両手を刀にかけ、右足爪先を左向きに踏込むと同時に腰を充分左にひねり、半身となって抜打に右斜に(敵の胸辺に)斬付け、納刀しながら左足爪先が右足右に爪先前方足裏を返しながら腰を下して運びながら納刀、又右足を一歩踏込んで、前述同様に斬付けること三度して、斬付けた所より腰をひねって正面に向い、血振り、納刀する。
 檀崎先生の放打の右足の踏み出し、左足の納刀時の足裏返し、独特の方法ですが、右足も稍々左ならば多少斬撃力に影響するかもしれませんが、状況変化に応じられない足捌きにならない事が良いのでは、左足の爪先足裏返しなどは何故と問いたい処です。

 檀崎先生の門人松峯達男先生は「右足爪先をやや左前方に向けて」とされ「右斜め前にいる第一の敵の胸部に抜打ちに切りつけ」ですから教えを充分理解されているのでしょう。しかも敵は、前方右手に坐位する三人の敵とされています。敵の場の想定に拘り過ぎるのも、現代居合の特色ですが、古伝はもっとおおらかです。左足の返しも一考を要します。但し允可とかの審査では審査側が好きなように想定して、特定の形を演じさせれば良いのでしょう。

 山蔦重吉の夢想神傳流奥居合立業四本目総留(放打):狭い板橋、土堤、細道、階段など、両側に体を自由にかわせないような、障害のある場所を進行中、前面に数人の敵がいる。腰を充分左にひねって、右片手抜打ちに敵の肩口、胸部を斬下し、第二、第三の敵も同様に片手抜打ちに斬る。最後に、腰を右にひねり、正面に向き直り、血振り、納刀するわざである。足の運びに二様ある。第一の敵に対し、右足を(足先を左向き)踏込み、腰を左にひねり半身になり(左足先も左向き)右片手抜打ちに斬下す。次に左足を鷺足の如く右足の右横に(左足は爪先を左向きにしたまま)腰を落して踏みつけながら、いったん納刀、右足を第一の敵に対するごとく右へ踏出すと同時に、片手抜打ちに第二の敵に斬付ける。これを数回くり返す。斬付けたときは、いつも半身で敵に対し自分は左向きになっている。伝書の放し打ちは、斬付けのとき左、右の足は前方、敵の方に向いているところが前述と異なる。
 山蔦居合は同門の足捌き体裁きをそれと無く疑問に思われている様な・・。

 抜刀心持之事は、古伝の手附に従ってまず、師匠に習った通りに体が勝手に動いてくれるまで稽古する事で、問題点が見えて来る。片手抜打ちに依る敵の胸部への抜き付け、膝への抜き付け、敵の攻め込む角度による初動の足捌き、その日の合同稽古の事前運動としてやってみるのも良さそうです。

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道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の62兵法はかなわぬ折の身のためと

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の62兵法はかなわぬ折の身のためと

兵法百首
兵法ハ可奈はぬ折の身能多めと
      こゝろ尓可けて稽古能世与

兵法はかなはぬ折の身のためと
      こゝろにかけて稽古能くせよ


兵法はかなわぬ折の身の為と
     心にかけて稽古能くせよ

 兵法はかなわない時の身の為と思って、熱心に稽古を沢山しておきなさい。

 「兵法はかなわぬ折」の読み取りをどの様にするかです。
 敵に仕掛けられて是は勝てそうもないと思う時があるその時の為に十分稽古して置きなさい。今一つは、兵法は今のあなたの状態では、どこぞに仕官するにも希望を叶へられそうにもない、その時の為と思って、兵法をしっかり身に付ける様に心がけなさい。

 敵と戦うのも、良い所に仕官するのも、場に臨んで充分応じられる心を養うのには、兵法を一生懸命稽古するのが良いと歌っているのでしょう。
 石舟斎は決して、民百姓の身分から武将になり、更に臨んだ武将の道を閉ざされたわけではない。元々地侍としては十分な地位を保持していたわけです。時代に翻弄され、一国一城の主とはいかなかった、兵法に打ち込むことによって新たな人生が晩年になって得られたわけです。その兵法が上泉伊勢守信綱の新陰流であったわけです。新陰流は袋竹刀を以って言われたままに打ち合いの稽古をするだけならば、他流の稽古と変わる所は無かったかもしれません。その勢法の一つ一つの持つ考え方や体の使い方、其の術を得るには今までやって来た棒振りを忘れて打込まざるを得ませんでした。
 どの様な芸事でも同じですが、本気で取り組むと、それは単なる身体操作のバリエーションによるものでは無く、心の置き所が自然で、尚且つ素直な気持ち、より高い目標を目指す進取の気性が無いと稽古にもならないものです。
 
 

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2020年6月15日 (月)

無雙神傳英信流居合兵法1抜刀心持之事1の14五方切

無雙神傳英信流居合兵法
1、抜刀心持之事
1の14五方切

抜刀心持之事14本目五方切
歩み行内抜て右の肩へ取り切り又左より切又右より切又左より切段々切下げ其侭上へ冠り打込也

英信流居合目録秘訣 外之物ノ大事 惣捲形十:竪横無尽に打振て敵をまくり切る也故に形十と有也常の稽古の格には抜打に切りそれより首肩腰膝と段々に切り下げ又冠り打ち込む也

 大江正路の奥居合立業の部惣捲り:(進行中面、肩、胴、腰を斬る)右足を少し出して、刀を抜き、其足を左足に引き寄せ、右手を頭上へ廻し、右肩上に取り、左手を掛け稍々中腰にて(右足より左足と追足にて)敵の左面を斬り、直に左肩上に刀を取り、追足にて敵の右肩を斬り、再び右肩上段となりて、敵の左胴を斬り、再び左肩上段となり右足を踏み開き敵の右腰を目懸け刀を大きく廻し体を中腰となして敵の右腰を斬り、中腰のまゝにて上段より正面を斬る、(左面斬り込みより終りの真面に斬ることは一連として早きを良とす。)
 抜刀心持之事14本目五方切は古伝の英信流居合目録秘訣「総捲形十」でしょう。大江先生の業名も「惣捲り」です。古伝の手附の「抜て右の肩へ取り切り」は出来ているのですが、英信流居合目録秘訣の「常の稽古の格には抜打に切り」の教えは出来ていません。抜いて構えて斬る是では居合にならないでしょう。

 細川義昌系統の尾形郷一貫心による奥居合之部五方斬:(前方に立って居る者を斬る)正面へ歩み往きつつ、鯉口を切り左足踏出し、右手を柄に掛け右足踏出す、同時に刀を引抜き刀尖を左後へ突込み、頭上より右肩へ執り対手の左大袈裟に斬込み、其刀を右上より振り返へし頭上より左肩に執り対手の右大袈裟に斬込み、又、其刀を左上より振返して右腕外へ執り、腰を低めて、対手の左腰より横一文字に斬込み、甲手を返して左腕外へ執り、更に腰を下げ対手の向脛を横に払ひ腰を伸しつつ、諸手上段に振り冠り(真向乾竹割に)斬下し、刀を開き、納め終る。
 尾形先生の文章では、抜いて八相に構えてから袈裟切している様です。惣捲形十の「常の稽古の格には抜打に切り」です。

 檀崎友影の奥居合立業その6五方斬(惣捲):意義 敵、正面より斬込み来るを、吾、刀を抜くと同時に一歩退きて敵刀を摺り落しながら右肩にとり、敵の退く所を追撃して勝つの意である。動作 正面に向かって直立し、前方に歩みながら、右足を一歩踏出すと同時に、刀に両手をかけ、刃を上にして十五センチ位抜き、右足を後方に一歩退きながら、刀を上方頭部、左肩を囲むようにして抜き取りながら、敵の斬込み来る刀を摺り落すや、右横水平に首後肩にとり、右足を踏込み、敵の左面に斬付け、更に刀を返して左足を踏込み、右肩に斬付け、尚も右足を踏込んで左胴に斬付け、更に左足を踏込んで敵右腰を一文字に斬払い、振り冠り、右足を踏込んで真向より斬下し、血振り、納刀する。
 檀崎先生の五方切は敵が切って懸るのを、一歩下って外すや斬り込む動作が付加されました。この動作は大江先生も、河野先生の昭和8年1933年の無雙直傳英信流居合術全にも無かった動作で、河野先生の昭和13年1938年の無雙直傳英信流居合道の奥居合立業之部「惣捲」に記載されている「敵正面より斬り込み来るを、吾れ刀を抜き一歩退きて敵刀を摺り落しつゝ上段に冠り・・」とそっくりです。

 山蔦重吉の奥居合立業三本目惣捲(五方切):一応五人の敵が前面にいるとして、第一の敵が正面から斬込んで来るのを、右足を一歩うしろに引きながら敵の刀を左に受流し、返す刀で右足を踏込み、その敵の左横面を斬り、刀を返して左足を踏出して前進第二の敵を右肩より袈裟に斬り、再び刀を返して右足を踏出し、第三の敵の左胴を斬り、さらに左足を一歩踏み出して刀を水平に返し、第四の敵の胴を右側より諸手で横一文字に斬り払って、刀を上段にとり前進、第五の敵を真向から斬下すわざである。敵は五人に限らない。要するに前面の多数の敵を追撃する刀法と考える。
 考えるのは自由ですが、こんなに五人も切ったのでは、と思いますが、稽古業の想定ならばそれも良いでしょう。山蔦先生も河野百錬の第一の敵の斬り込みを受流し左面を斬るから始まります。後の先が居合の心得で、我から抜き打つ古伝五方切の「歩み行内抜て右の肩へとり・・」は外されてしまった様です。英信流居合目録秘訣惣捲形十では「抜打に斬り」とまで言って居るのを無視してしまう分けです。
 恐らく、そのつもりだと云うのでしょう。敵の斬り込みがあったならば、出足を退いてしまえば敵の刀は空を斬るはずです。そこまで稽古で身に付けなければ唯の形演舞に過ぎません。ただ、外された敵は切先を我喉元に付けて踏み込めば突いて来ます。
 

 

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道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の61兵法を工夫の故か

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の61兵法を工夫の故か

兵法百首
兵法を工夫乃ゆへ可無刀尓て
      あらそい可く流積里をそし累

兵法を工夫のゆへか無刀にて
      あらそいかくる積りをそしる

兵法を工夫の故か無刀にて
      争い懸くる積りおぞし知る


 兵法を工夫を凝らしたのであろう、無刀にて争い懸って来る気配を感じる。

 無理やり読んで見ますが、何を言いたかったのか解りません。
 石舟斎の兵法者としての名が世間に聞こえてくると、流れ者の兵法者が試合を挑んで来るのでしょうか、聞き及んだ「無刀」を自ら工夫したのか木刀も持たずに稽古を挑んできた者が居たのでしょうか。あらぬ想像を巡らせて、何も見えない暗闇に引き込まれそうです。
 若い武蔵が石舟斎に試合を臨む話などが、小説にあったかな、なんて思ってもみます。

 門弟の中に無刀の話を聞きかじって、習ってもいないのに、工夫を凝らして稽古に臨んだのを見て読んだのかも知れません。そうであれば、どの様に思って歌ったのか。
 袋竹刀での稽古もままならない者の行動ならば笑って過ごせるでしょうが、長年せっせと稽古して来た古参の弟子が、そろそろ印可をとばかりに先走ったものであれば「愚者」として印可は又遠のいたでしょう。

 新陰流の伝書類を読んで見るとそこには伝えられている勢法の数々の運剣動作などは、現代剣道の如く足運び何歩、などの事は見られずむしろ、さらりと書かれた心の持ち様がズシリと蔽いかぶさって来るものです。
 勢法の順番や運剣操作法などは日々の稽古で、口伝、口授、看取り稽古によって「形」は真似できるでしょう。然し其の形が、遠い昔上泉伊勢守が石舟斎に相伝したものになっているかどうか、なれ合いの「かたち」を追う稽古ではほぼ無理でしょう。それでは師匠に手取り足取り習えばいいかと云っても、云われた事が理解出来て身体が動き術にならなければ出来たとは言えない。

 残された伝書の中にエキスともいえる部分があっても、調べて見ようと原文に深入りすれば文字が読めない。漢文調で読み下せない。それらが出来ても江戸初期の古文も新陰流独特の用語もままならない。
 しかし、現代はそれらを克服して行けばいいだけの資料が、手軽に手に入る時代でもあり、昔より門戸も開けているかもしれません。

 石舟斎の兵法百首の歌心は、そうした中で解説されたものをミツヒラは手に入れていません。
 見当たらなくていいとも思っています。普段習っている春風館関東支部の稽古の中から閃いて来るものもある、伝書類からも仄かに香っても来る。
 何よりも石舟斎の心の奥はもうこれ等の歌心と伝書にしか残って居ないのですから、自分で感じたままに読む以外にはないのでしょう。
 誰か大家の解説を聞かされてもそれは其の方のもので、私のものでは無いのでしょう。今の自分が感じるものでいいのです。そして、修行する中で新たに発見できれば素晴らしい事です。
 

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2020年6月14日 (日)

無雙神傳英信流居合兵法1抜刀心持之事1の13追懸切

無雙神傳英信流居合兵法
1、抜刀心持之事
1の13追懸切

抜刀心持之事13本目追懸切
抜て向へ突付走り行其侭打込也
 
英信流居合目録秘訣の外之物ノ大事追懸切:刀を抜我が左の眼に付け走り行て打込、但敵の右の方に付くは悪しゝ急にふり廻り抜きハロヲが故也。

 
大江正路による奥居合立業にはこの「追懸切」に相当する、業名も動作も見当たりません。

 この「追懸切」は刀を抜いて、左青眼に構えて走り行き、間境で上段に振り冠って踏み込んで前方の敵に斬り下す、但し斬り込む際敵の右の方に付くのは良くない、振り向いて抜き払われるためだ。
 抜刀して追い懸けるのでは居合では無いと云う事で抹殺してしまったのでしょうか。居合を抜く敵に対して攻めていく稽古は是非やっておきたいものです。敵の動作は河野百錬の創案した抜刀法の「後敵抜打」が右廻りの抜き付けで相当します。合わせて同刀法には「後敵逆刀」による左廻りで振り向き、下から切り上げる業も有ります。

 細川義昌系統の尾形郷一貫心の奥居合之部十五本目追掛斬:(前方へ歩み行く者を斬る)正面へ歩み往きつつ、鯉口を切り左足踏出したるとき、右手柄に掛け右足踏出すと共に、刀を引抜き刀尖を前に柄頭を腹部へ引付諸手となり、小走に前方へ走り往きつつ上段に振冠り右足踏み込んで斬込み、刀を開き納める。

 檀崎友影の奥居合立業には、古伝抜刀心持之事「追懸切」に相当する業名および動作は有りません。中山博道は居合の手附は残して居ません。同時に奥居合の指導はされていなかった様な気もします。河野百錬の現代居合と森本兎久身による五藤正亮の居合あたりから組み立てられた檀崎先生の独習による奥居合であれば、この業は無視されても仕方が無いでしょう。

 山蔦重吉の奥居合立業11本目追かけ斬り:大江先生が古伝を整理された時に捨てられたわざの一つと想像される。一般には行われていないが、実戦には多く起こりうるものと考えられるので略述する。逃げて行く敵を小刻みに追いかけながら徐々に刀を抜き、敵に追いついた時、一気に抜刀、敵の背後から、敵の首、腕あるいは胴へ抜付け、さらに追いこんで上段より敵の頭上を斬下す。通常、武士の心意気として士分の者をうしろから斬ることはしない慣しであるが、上意討(主君の命令で斬る場合)などの場合、何としても敵を討たねばならないとき、こうした攻撃方法もある得るわけである。
 内容には古伝との違いがあるのですが、大江先生が捨てた業とか何を元に、「夢想神傳流居合道」に書かれたのか聞いて見たいものです。業についても古伝の手附は抜刀して構えて追かけた上で斬って居ます、この山蔦居合の元は何か興味がありますが、夢想神傳流の方にお任せしておきます。

 抜刀心持之事は古伝神傳流秘書では、大森流・英信流・太刀打之事・坂橋流棒・詰合・大小詰・大小立詰・大剣取の各稽古を積んだ上で学ぶ「格を放れて早く抜く也」と前書きされた形や順番などに捉われずに自由に考えて業を稽古しろ、然も早業を目指せとも言って居ます。

 

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道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の60兵法は弟子の心を探りみて

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の60兵法は弟子の心を探りみて

兵法百首
兵法は弟子の心をさくりミて
      極意おろか尓徒多へ者し寸奈

兵法は弟子の心をさぐりみて
      極意おろかにつたへはしすな

兵法は弟子の心を探り見て
      極意おろかに伝はしすな

 兵法は弟子の心がどのようなものか探り見て、極意には相応しくない者には伝えてはいけない。

 兵法を伝えるべき人かどうか、弟子の考えている事をよくみてからでなければ、いい加減に極意を伝えるなよと、云っています。印可の査定なのか、極意の業技法の指導なのか何れも弟子の心が何処にあるかによると云うのです。
 上泉伊勢守の兵法修行の状況は基より、石舟斎の上泉伊勢守に出合う以前がどうであったかが興味のある処です。上泉伊勢守は、「上古の流有り、中古の念流・新当流、亦後陰流有り 其の外は計るにたえず、予は諸流の奥源を極め、陰流において別に奇妙を抽出して新陰流を号す」と自称しています。永禄9年1566年上泉伊勢守が柳生石舟斎(柳生新左衛門尉)に伝えた目録より読み下しています。

 石舟斎は新当流を使うと、柳生厳長著正傳新陰流では石舟斎と上泉伊勢守の仕相の場面に記載されています。

 石舟斎の柳生家憲では「昨日の我に、今日は勝つべしと分別し、上手奇妙は、稽古鍛錬工夫成ると、古人師伝にも申つたへらるる事なれば、刀にて腰ふさげたらん者、一世の間の意志、所存、其の身の覚悟を分別の仁、懇望執心においては、相伝有るべし。努々、表太刀以下を稽古無く、他流の是非を嘲弄し、仕相好き、慢心の人へは、家法相伝有るべからざる也。」(正傳新陰流より)

 参考に、「奇妙」とは、珍しいこと・不思議なこと、普通とはかわってすぐれていること。

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2020年6月13日 (土)

無雙神傳英信流居合兵法1抜刀心持之事1の12夜ノ太刀

無雙神傳英信流居合兵法
1、抜刀心持之事
1の12夜ノ太刀

抜刀心持之事12本目夜ノ太刀
歩み行抜て躰を下り刀を右脇へ出し地をハタと打って打込む闇夜の仕合也

英信流居合目録秘訣夜之太刀:夜中に仕合には我れは白き物を着るべし、敵の太刀筋能見ゆるなり場合も能知るゝものなり放れ口もなりやすし。白き肌着抔を着たらば上着の肩をぬぐべし、構は夜中には下段宜し、敵の足を薙ぐ心得肝要なり。或は不意に下段になして敵に倒れたると見せて足を薙ぐ心得も有るべし。

居合兵法極意巻秘訣闇夜之事:闇の夜は我が身を沈めて敵の形を能見透かすべし、兵器の色をはかるべし、若難所有らば我が前に当て戦う可べし。敵の裾をなぐる心持よし。

 大江居合の信夫を思わせる夜ノ太刀の動作の秘訣です。夜の仕合には白いものを着ろ、闇夜では体を沈めて敵の様子を能く見ろと云っています。抜刀心持之事では敵を音で誘って其処に打ち込んで来るのを打てと云うのです。
 其の為我は敵を認識出来ていて敵は我を認識していないので誘い出して打つのが良いと云う風に捕えた先生方の多い事。
 深夜の真っ暗闇でも慣れて来ると灯りが無くても大凡周囲を認識できるものです。若い頃は登山を志して何度も夜の訓練をしたものです。この夜ノ太刀の動作は敵に音で誘いを懸けそこに打ち込んで来るのを待って打ち込む兵法の極意の一つでしょう。

 大江正路の奥居合立業十三番目信夫:(暗打ち)左足より右足と左斜方面に廻りつゝ、静に刀を抜き、右足の出でたるとき、右足を右斜に開き、体を稍々右横へ屈め、中腰となり、その刀尖を板の間に着け、左足を左斜に踏み込みて上段より真直に斬る、其まゝの中腰の体勢にて、血拭い刀を納む。

 大江正路に指導を受けた岩田佐一が山内豊竹と共著で「図解居合詳説」を出されています。その奥居合立業十三番目信夫(暗打ち):目的 暗夜に斬り掛らうとする敵に対して是を避け、我から刀尖を板の間に著けて音を立て、敵をして其の處を斬らしめ、其の敵がのめる處を斬り付けるのである。直立体で正面に向って立つ。数歩進み出て刀に両手を掛け、左足右足と左斜の方向に廻りながら静かに刀を抜き、其の右足の出た時、右足を右斜に踏み、両足を斜に開き、体を稍々右横に屈めて中腰となり、其の刀尖を板の間に着けて、敵を誘ってその處を斬らせ、敵がのめる處を、我は左足を右斜に踏込んで、左手を添へて上段に冠って真直に斬り下すのである・・。
 大江居合の信夫の解説をしてくれています。

 細川義昌系統の尾形郷一貫心による奥居合之部十四本目夜太刀:(暗夜に斬込み来る者を斬る)正面へ歩み往き止まりて、左足を大きく披き、体を右へ倒し低く沈め、正面より来掛かる者を透かし見つつ刀を引抜き向ふへ突だし、刀尖で地面を叩き、其音に斬込み来るを、急に右足諸共体を引起しつつ諸手上段に冠り(空を斬って居る者へ)右足踏込んで斬込み、刀を開き納め終る。

 檀崎友影の奥居合立業その五夜の敵(信夫):意義 暗夜、前方に幽かに敵を認め、吾、左側に体をかわし、敵の進み来る真正面の地面に、吾、剣先を着けて、敵を誘い寄せ、敵、其の所に斬込み来るを上段より斬下して勝つの意である。動作 ・・前に歩みながら静かに刀に両手をかけると同時に体を沈めて、前方敵を透し見る心持にて、左足を左にふみ出すと同時に、刀柄を右腰に引き付、右足の踵を左足の外側に、爪先を敵側に向け、左足爪先にややそろう様に運ぶと同時に刀を抜き放ちながら、左足を大きく左後方に引いて、刀刃を左横に五指上向く様に拳を返し、腕を延し、刃先は最初前進したる直線上の床を軽く二度位打付けるによって、敵、其の所に斬込み来るを、右側より振り冠って真向より斬下し、血振り、納刀する。

 山蔦重吉の奥居合立業五本目信夫(夜の太刀):・・暗夜のわざで、前方に敵がいて自分の方に向って進んで来る。敵をかすかに認め、自分の体を左に転じて、進んで来る敵の正面をさける、体を沈めて、刀先で軽く地をトントンと二、三回叩いて音をたてると、誘われてそこに敵が斬込んでくるのを空を斬らせ、左斜め前に左足を踏み出して、上段より敵を斬下すわざである。

 わかりやすいか否かは別として、似たようなもので、敵を前方に認め、進行方向の筋を左に避け、刀を抜いて元の進行方向の筋上を切先で叩き、敵を誘い込んで左足を踏み込んで斬り付ける。暗闇で敵も我を認めている筈です。
 筋を外すこと、元の筋上に敵を誘い込んで切る、懸かり待つ心得を教える事かも知れません。それにしても、自分は敵を認識できているのに敵は自分を未だ認知できないなどは、有るかもしれませんが、実戦ではどうでしょう、自分に有利に解釈するのもいかさない。まかり間違って音を立てた所に敵が斬り込み空を切ってのめるなど、そんなへぼを相手に仕合などしても始まらない。古伝の手附から、この動作は刀を抜いてからの動作で居合とは言えない攻防でしょう。筋を替って抜刀し、元の筋上の地を刀でハタと打つそこへ斬り込んで来る様に出来るとは思えませんが、誘いの方法としては有り得るものとして、工夫する事と考える方が良さそうです。
 何より気になるのは、英信流居合目録秘訣でも居合兵法極意巻秘訣でも敵の足を薙ぐと極意を示しているのに、諸先輩方の教えは皆上段からの斬り下しです。古伝抜刀心持之事は「地をハタと打って打込む」ので何処と指定していないのです。大江居合は堀田捨次郎によって「剣道手ほどき」に無双直伝英信流居合術として大正7年1918年に発行されていますから、それ以降の先生方は大江居合を参考にされ、古伝は置き去りだったのだろうと思ってしまいます。

 

 
 

 

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道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の59兵法に好かざる人は

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の59兵法に好かざる人は

兵法百首
兵法耳春可佐留人ハ王計志らて
       く為奈ハ古ゝろおろ可な留由へ

兵法にすかざる人はわけしらで
        くいなばこゝろおろかなるゆへ

兵法に好かざる人は分け知らで
        悔いなば心愚(疎)かなる故

 兵法について良く思わない人は、兵法の意味が分からずにいるのですよ、兵法を理解して悔いたとしても、心が通り一遍にしか働かないからです。
 
 兵法に嫌われて上手くならない人は、何故その様にするのかが分からないからで、悔やんでみても心が「おろそか」だからですよ。

 「おろか」は「疎か」かでは、実が十分にはこもっていないこと・なおざり・いい加減・通り一遍・おろそか。「愚か」では、知能、理解力が乏しいこと・ばか・あほう、程度が劣ること、ばかげていること。(広辞苑)

 石舟斎がここで「兵法に好かざる人」と云う対象は武士以外の人もいうのか、武士であっても家来を持つほどの人なのかですが、恐らく身分の高い武将と考えるのがいいと思います。
 出世を兵法者となって望むような人は、この時代まだ居たでしょうし、主を持つ武士は兵法を身に付けざるを得なかったでしょう。武将の中には、兵法は剣術程度に思って、軍略、戦術、は別物と考えて程々で納めていたかもしれません。

 下段の解釈は「兵法に好かざる人」を兵法に好かれない人、上手くならない人、と解釈して見た場合のものです。このほうが、門人を持つ兵法者石舟斎の歌心かもしれません。しかし、石舟斎の大きな世界で活躍したかった思いを考えれば、兵法の心も解らずに人の上に立てる訳はない、と云いたかったかもしれません。

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2020年6月12日 (金)

無雙神傳英信流居合兵法1抜刀心持之事1の11行違

無雙神傳英信流居合兵法
1、抜刀心持之事
1の11行違

抜刀心持之事11本目行違
行違に左の脇に添へて払ひ捨て冠って打込也

英信流居合目録秘訣上意之大事行違:我左脇を通す宜し切る事悪しと知るべし、行違さまに抜て突く事宜し、又敵先に抜んとせば先じて手早く柄にて胸を突くべし。行違の詞の掛様の事大事有、夜中に往来をするにうさんなるものの有る時は、自分の姓名を急に呼かくべし、我に敵するものなればハイと答るもの也、其所を切るなり。旅抔にては白昼にも此心得有るべし、又何んぞ言を云かけて見るに我に敵する気有者は必ず返答にあぐむものなり。

 抜刀心持之事11本目行違は、敵と行き合う際、抜刀して左脇に刀を添えて、すれ違いざまに払い捨て、振り向きざまに振り冠って敵を斬る。ところが是を、稽古せずに想定を変えてしまったり、業名を奪ってしまったりしたのが、無双直伝英信流の大江正路先生の居合です。

大江正路の奥居合立業の部15番目袖摺返:(進行中抜放ち、刀を左の身に添へ群集を押開き進みつゝ斬る)右足の出でたる時、刀を静かに抜き、直ちに右手は上へ左手は下へ胸の處にて組見合せ、足は左右と交叉的に数歩出しつゝ、両手肘に力を入れて、多数の人を押し分ける如くして、左右に開き、直に上段に取りて、中腰にて右足の出でたるとき、前面を斬る、(両手を開く時は、両手を伸ばす、肘の處を開くこと)。
 古伝抜刀心持之事には人中の業が人混みでの抜刀法を伝えていたのですが、大江居合は行違を人混みでの抜刀法に代えてしまい、人中は壁添にしてしまっています。この事は「何故」の答えが得られないままに有ります。

 
細川義昌系統の尾形郷一貫心の奥居合の部十三番目行違:(摺違ひ左側の者を斬る)正面へ歩み往きつつ(右側を通り)鯉口を切り、左足踏出しながら右手を柄に掛け、右足を踏出すなり刀を向ふへ引抜き、左足踏出しつつ(刃部を外へ向け)左腕外へ突込み、更に右足を踏出すと共に摺違ひに刀を向ふへ摺抜き(対手の左側を軽く斬り)、直ぐ左斜に振返へりつつ諸手上段に振冠り、右足踏込んで斬込み、刀を開き納め終る。
 大江先生の初動と同じ動作で腕を組んで、すれ違い様に敵の胴辺りを摺り抜いています。「左の脇に添へて払ひ捨て」に相当します。古伝の行違は尾形先生にしか伝わっていなかったようです。
 
 この動作を大江先生は袖摺返として古伝の業のようにして、中学生達に指導したのでしょう。大江先生と細川先生では下村茂市先生は別の事を指導したのだとは思えません。明治中期の土佐の居合の指導者は五藤正亮先生でした谷村派ですからその業に切り替えたとして、それが袖摺返であったらどうなんでしょう。それは五藤先生の弟子の森本兎久身先生が中山博道以下有信館の門弟方に指導されていますから夢想神傳流の業技法から垣間見れそうです。但し中山博道先生以下奥居合は充分指導されていなかった様な印象を持ちますが、あくまでも主観です。

 檀崎友影の居合道ーその理合と神髄による奥居合の部立業其の八賢の事(袖摺返):意義 群集の中にありて、その先方にいる敵を、人垣を割き分けながら前方に追いかけて斬下して勝つの意である。・・動作省略・・。
 賢の事(袖摺返)だそうですが、確証がとれません。何処かに古伝の賢之事の手附が残されているのかとも思いますが、昭和20年7月の米軍による高知空襲によって焼失した可能性もあります。細川家の伝書集には賢之事の解説部分は見当たりません。

 山蔦重吉の夢想神伝流居合道奥居合立業七本目袖摺返し(賢の事):前方に群集がいて、その先に目指す敵が居る。歩みながら左足を進め、静かに抜刀し、右足を一歩進めると同時に、右拳を左肘の上に(刀は刃を上にして、うしろを突き刺すように)、ひだり拳は右脇の下に来るように左右の手を胸の前で苦に合わせる。上体をややうしろに反らし、反動をつけるように、上体を前へ突込み、右足を前に進めながら両手を八の字になるよう大きく開く、この時、左右の肘で人垣をかきわける。・・以下省略・・。
 この動作も、大江居合の袖摺返です。古伝の行違は全居連、全剣連ともにその連盟に加入している流派から消えてしまっています。その他の流派も同様ですから、現在この業を打たれているのは広島の貫汪館の森本先生の所だけだろうと思います。
 
 古伝行違の抜刀の仕方は、袖摺返しの方法で刀を前に抜き出し、左脇に切先を後、刃を左に向け突っ込み、摺れ違いざまに敵の胴を摺り切り、行き違った敵に振り向き上段から斬り下す、のが尾形先生の方法です。恐らくこの技法が袖摺返しを生み出したのかも知れません。
 この方法は敵とすれ違う手前で刀を抜き出し乍ら接近するので、柄頭を制せられる可能性が高い事、上手く抜き出せても、動作が大きければ、外されてしまう、すれ違いざまに敵の左脇を摺り抜けるので腰に指した大小の刀に刃が当たって目論見が外れる事がありうる。
 摺れ違う直前に抜刀して抜刀と同時に摺り切って行き違いたい。抜刀の妙を研究すべきものと思います。然し、抜刀心持之事行違は「行違に左の脇に添へて払い捨て」と指示しています。一人稽古では難なく出来ても、相手を設ければ忽ち抑えられてしまいます。

  

 

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道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の58兵法を知りたる人を敬うは

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の58兵法を知りたる人を敬うは

兵法百首
兵法を志り多留人をう也未不ハ
       たしなミ不可き古ゝろ成介利

兵法をしりたる人をうやまふは
       たしなみふかき心なりけり

兵法を知りたる人を敬うは
       嗜み深き心なりけり

 兵法を知っている人を尊敬するのは、つつしみ深い心掛けからである。

 「たしなみ深き心」の解釈がこの歌のポイントでしょう。」「たしなむ」は、「窘」たしなむ。たしなむこと・すき・このみ・特に芸事などに関する心得、心がけ・用意・覚悟・狂。くるしめる・なやます。
 いま一つは「嗜」たしなむ。好んである事に心をうちこむ・精出しておこなう、常に心がける・常に用意する、心をつけて見苦しくないようにする・とり乱さない、つつしむ・遠慮する・がまんする。(広辞苑)
 
 「たしなみ」の意味は最も適切なのは何か、ですが兵法を知るとは、それにより兵法者としてどこへ出しても不足は無い程の人を指すと考えるべきでしょう。新陰流第2世の石舟斎なのですから、「兵法を知っている人」とはメガネに叶う程の人であるはずです。
 稽古に精を出すばかりの人や、新陰流の勢法を順番通り打てるばかりではない筈です。新陰流奥義の「色に付色に随ふ事」を別の言葉で言えば「つつしみ」ともなると思うのです。
 武術は、強さや速さで、嵩にかかって勝ち負けを競うものと思う人や、定番の形だけで流の奥義と思う人にはこの、如何なる状況でも応じられる清水博先生の云う「リアルタイムの創出知」(生命知としての場の論理柳生新陰流に見る共創の理より)とも言うべきものを理解できないかもしれません。

 
 

 

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2020年6月11日 (木)

無雙神傳英信流居合兵法1抜刀心持之事1の10連達

無雙神傳英信流居合兵法
1、抜刀心持之事
1の10連達

抜刀心持之事10本目連達
歩み行内前を右の拳にて突其儘に左廻りに振返り後を切り又前へ振向て打込也

 抜刀心持之事10本目は業名「連達」です。連れ達ですから、同じ方向に連れ立って行く而も、前後に敵に挟まれて行くと想像できます。この業の雰囲気は大江先生の「行違」に相当するでしょう。

 大江正路の奥居合立業の部十四番行違:(進行中正面を柄頭にて打ち、後を斬り又前を斬る)右足の出でたる時、(敵顔面を柄頭にて)左手は鞘と鍔を拇指にて押へ、右手は柄を握りたるまゝ前方に伸し、柄当りをなし、其足踏みのまゝ体を左へ廻して、後方に向ひつゝ、抜き付右手にて斬り、直に前方の右へ振り向き上段に斬る。
 大江先生、業名を変えたばかりでなく、古伝は敵と連れ立って行くのに、大江先生は敵と行き違う事に代えてしまいました、其の上古伝が拳で前を歩く敵に突きを入れているのを、一人目をやり過ごして二人目を柄頭で顔面を打っています。行き違うために互に筋を変えるのに其儘の筋で顔面打ちは手附の記載漏れでしょう。いずれにしても大江先生は土佐の居合の古伝の相伝は受けていない事、見たことはありやなしや。土佐の居合が明治維新後消え去ろうとしたものを、復活させた功績は何ものにも代えがたい事ではあっても、この様な改変を時の中学生たちに指導したことは素晴らしいとは云い難いものです。居合の「かたち」は残せても「居合心」は残せないものです。「かたち」では武術ではないでしょう。

 細川義昌系統の尾形郷一貫心による居合兵法無雙神伝抜刀術奥居合之部12本目連達:(前後の者を斬る)正面へ歩み往きつつ、鯉口を切り右手を柄に掛けるなり抜打に(前の者へ)斬付け、直ぐ(左廻りに)後へ振返へりへつつ諸手上段に振冠り、右足踏込んで(後の者へ)斬込み刀を開き納め終る。
 細川先生の連達は敵は、前から来るのか、我を中にして連れ立って行くのか手付からは読めませんが、業名が「連達」ですから「行違」ではないでしょう。この手付では、我の動作は不意打ち、騙し討ち、卑怯者の烙印を押されてしまいます。古伝抜刀心持之事が何も引き継がれていない様です。

 檀崎友影の居合道ーその理合と神髄の奥居合立業その3連達:意義 吾、前後し、敵、両名前後して進み来る時、敵両者の間にありて、敵に接近し、前面敵の顔面人中に柄頭を当て、後方の敵を突き倒し(突き刺しの誤植か?)、更に向き直りて、前面の敵を斬下して勝つの意である。
 誤植も有りそうですが、此の意義は意味不明です。動作の方がすっきりします。動作 正面に向って直立し、前方に歩みながら刀に両手をかけるや、右足を一歩踏込み、鞘諸共、両肘を延ばし、柄頭を持って、敵、顔面人中に一撃し、右手はそのままに、左手は鯉口を握ったまま刃を横上にして、左腰に引きながら、後方敵に注目、抜刀、敵胸部を刀刃を上横に突刺し、次に刺した刀を抜くように振冠り正面向きとなって斬下し、血振り、納刀する。
 檀崎流連達です。後方の敵を刺突する動作は、「右手は其の儘に左手で鞘を後方に引きながら左廻りに後方に振り向くや抜刀して後方の敵を刺突する」とすれば良いのでしょう。いずれにしても古伝の業名、大江流の敵との出会いの想定、檀崎流の後方の敵の刺突。愉快です。

 山蔦重吉の夢想神伝流居合道奥居合立業六本目行違:前方から二人前後して進んで来る敵がある。その二人の間に入り、すれ違いざま、やや遅れて歩いて来る敵の顔面人中(鼻の下みぞ)に柄当てをする。(柄当てとは、両手を伸ばし、刀を鞘ごと抜いてバシッと柄頭を敵の人中に打突する動作)ただちに左手で鞘をうしろに引きながら抜刀し、左まわりに態を180度旋廻させ、先に進んでいたもう一人の敵が、振り向いたところを、刃を真上にしたまま突く。再び右まわりに180度体を旋廻(足踏みはそのまま)して、柄当した敵を上段より斬下すわざである。

 古伝は、我を中にして前後に敵が同一方向に歩み行く想定です。大江先生の行違によってなのか別に伝書があったのか古伝を無視した動作になり、夢想神伝流は何故か、檀崎、山蔦ともに後ろの敵は刺突しています。古伝の前の敵を右拳で突く動作は何故ここで拳なのか、その回答が無い為柄当てがより有効と判断されたと思います。
 後敵の刺突は古伝に無いもので、古伝は「切る」です。

 

 

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道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の57兵法を知りたる顔の

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の57兵法を知りたる顔の

兵法百首
兵法を志り多留顔の▢尓いて
      尓くきふり乃ミす留人そうき

兵法をしりたる顔の▢にいて
      にくきふりのみする人そうき

兵法の知りたる顔の▢に出で
       憎き振りのみする人ぞ憂き

 「知りたる顔の▢に出で」の▢は、今村嘉雄著史料柳生新陰流では「知りたる顔の色に出で」とされています。色の草書とも言えない筆遣いですが前後の関係から色と読まれています。此処ではその「色」に随います。

 兵法を知っているぞと云わんばかりの思い上がった気持ちが顔に出て、嵩にかかっていく振りをするような人は不本意である。

 「憂き」は憂しで、物事に対して希望的になれず、心を閉ざされて感じられること。また、そのような感じを起させる状態をあらわす語。苦しい・つらい、せつない・なやましい、気にくわない・不本意だ・憎い、ものうい・気がすすまぬ、つれない・無情だ・つめたい、気がかりだ・可愛い、(広辞苑)。

 新陰流は元和9年1623年に柳生宗矩による「兵法截相心持の事」による。(今村嘉雄著史料柳生新陰流より)「兵法の習いろいろこれありといえども、別にもちいず。打い出すところを打つか、打い出さぬものには、しかけて打つところを勝つか。それを知るものには、わが打ちを見せて、それを打つところを勝つか、これ三つなり。これよりほかは、これなく候。勝ところこれなりと知る。知るゆえに、当流には太刀構えをもちいず候。構のなく、わが打たんとおもうところを見せず。敵に見しられず。待もなきようにいたす事当流の構なり。太刀構えを習い、そればかりを良きと存じ、はや勝とばかり心におもい、敵に随わず、わが心ばかりにて打つ事を当流は、僻事と相極め候事。」

 宮本武蔵は五輪書「水之巻」「火之巻」に、詳細を書き込んでいますが、火之巻の終わりにある、「兵法の智力を得て我敵たるものをば、皆我が卒なりとおもひとって、なしたきやうになすべしと心得、敵を自由にまわさんと思ふ所、我は将なり。工夫有るべし。・・岩尾の身といふ事、兵法を得道して、忽ち岩尾のごとくに成りて、万事あたらざる所、うごかざる所、口伝」が、詳細な身のかかり、目付、心持、運剣操作の教えを全うする心積りとうかがい知れます。

 清水 博著「生命知としての場の理論 柳生新陰流に見る共創の理」清水先生の武蔵と柳生兵庫助の違いを書かれています。「五輪書からうかがい知れる武蔵の剣は「巌の身」の剣である。おそらく剣の技術では最高のレベルに達していたと思われる武蔵が剣をもって近づく姿には、巨大な巌が迫るように相手を威圧する迫力があったものと思われる。それは自分が相手を追いつめて打ち振るう剣であり、常に相手に向かい、一方的に相手を斬る技、すなわち殺人刀である。
 これに対して兵庫助の剣の本質は威圧する剣ではない。むしろ斬ろうとすれば相手を斬ることができるように見えたり、身近に打ちこまれて思わず斬らされてしまう。相手は兵庫助を十分斬ったと思いながら、その瞬間に逆に斬られているのである。柳生新陰流の剣の理は活人剣である。相手を自由に働かせて、その働きにしたがって勝つ剣である。・・」

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2020年6月10日 (水)

第31回・32回古伝研究会

第31回・32回古伝研究会

 コロナウイルス緊急事態宣言解除を受け、無雙神傳英信流居合兵法(無双直伝英信流・夢想神傳流の古伝)の研究会を7月より再開いたします。
 今年の課題である抜刀心持之事(現代の奥居合の古伝)を中心に古伝神傳流秘書に沿って研究いたします。
「古きを尋ねて新しきを知る」ご参加いただいた方々が夫々「逢人皆我師」である事をご認識頂き、ご自由な意見を出され共に学ぶ研究会です。「俺の指導に従え」と云う「習い稽古する」稽古会とは異なります。古伝を読み参加者が自ら「工夫する」研究会です。
 尚、「無雙神傳英信流居合兵法抜刀心持之事」は6月1日~6月22日までのミツヒラブログにその手附及び解説を投稿しています。
 
1、第31回 
  7月9日(木) 見田記念体育館
  15:00~17:00
  7月23日(木)見田記念体育館
  13:00~17:00
2、第32回
  8月27日(木)見田記念体育館
  13:00~17:00
3、住所
  見田記念体育館
  248-0014鎌倉市由比ガ浜2-13-21
  Tel0467-24-1415
  駐車場鎌倉体育館駐車場
  248-0014鎌倉市由比ガ浜2-9-9
  鎌倉警察署向い側
4、アクセスJR横須賀線鎌倉駅東口下車徒歩10分
5、費用:会場費等割勘つど500円
6、参加申込直接見田記念体育館にお越しください
      *コロナ対策として事前に参加連絡をお願いいたします。
   sekiun@nifty.com
7、研究会名:無雙神傳英信流居合兵法
     
湘南居合道研修会 鎌倉道場
8、御案内責任者:ミツヒラこと松原昭夫
    
sekiun@nifty.com

9、注意事項:
  ◉コロナ対策として以下の事項に一つも該当しない事
  ・平熱を越える発熱
  ・咳、のどの痛みなど風の症状
  ・倦怠感、息苦しさ
  ・嗅覚や味覚の異常
  ・体が重く感じる、疲れやすいなどの症状
  ・新型コロナウイルス感染症「陽性」とされた者との濃厚接触があった
  ・同居家族や身近な知人に感染が疑われる方が居る
  ・過去14日以内に、政府から入国制限、入国後の観察期間を必要とされている國・地域等への渡航又は当該在住者との濃厚接触がある
  ◉マスク着用、3密を避けるetc

     2020年6月10日ミツヒラこと松原昭夫 記
   


   
  

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無雙神傳英信流居合兵法1抜刀心持之事1の9行連

無雙神傳英信流居合兵法
1、抜刀心持之事
1の9行連

抜刀心持之事九本目行連
立って歩み行内に抜て左を突き右を切る両詰に同じ

 「両詰」抜て片手にて左脇を突き直に振向いて右脇を切る
 両詰は坐して左右に居並ぶ敵を制する業です、行連は立業になります。大江先生が業名や想定をいじってしまったので、無双直伝英信流の人に両詰と云えば、左右が狭い所で、正面に座す敵を刺突する業とばかり思うのですが、古伝の両詰は現代の戸詰になります。
 古伝抜刀心持之事九本目行連は奥居合立業の連達になります。

 大江正路の奥居合十番目連立:(進行中左を突き右を斬る)右横へ右足を踏み、体を右に避け。刀を斜に抜き、左横を顧みながら刀を水平として左を突き、右へ体を変じて上段にて斬る。
 是では我と敵との位置取りが見えません。左右の敵ならば我の初動で左右の敵は半歩以上前に出てしまう。「左を突く」は「左前を突く」になってしまいます。
 昭和17年1942年の河野百錬著大日本居合道図譜では「敵が我を中間にして雁行の場合、又は左敵一歩後れたる場合、左敵を刺突して右敵の振り向く所に斬り下して勝つの意也。」と状況を付加しています。是でも敵の動きは、右の敵は一歩以上右前を行く、左敵は我の真左でしょう。居業と違って立業は少しの足幅で状況が変わってしまうのです。従って古伝の手附の「左を突き右を切る」で充分であり、状況次第に変化できる稽古が奥居合立業には大切なのです。

 細川義昌系統の尾形郷一貫心奥居合之部十一行連:左右の者を斬る)。十二番連達(前後の者を斬る)。で古伝の行連に相当する業は見当たりません。

 檀崎友影の奥居合立業二本目行連:意義 吾、不法に連行されるような場合、吾、右足を一歩右後方に開くと同時に、刀を右真横に抜き、左の敵を突刺し、更に右方の敵を斬下して勝つの意である。
 動作は割愛しますが、どの様に連行されているのか、吾を中に左右に敵に囲まれて立って居るのでしょう。そうでなければ其の隊列で前進中に吾が右足を一歩右後方に引いてしまえば、左右の敵は左前、右前に移動してしまい左の敵への刺突は左側の敵の右後ろになる筈です。
 檀崎先生の教えを受けられた松峯達男先生は忠実に檀崎行連れを著書「居合の研究夢想神伝流」で書かれています。「左の敵の右後方から敵の脇腹(脾腹)より胸部に達するように刀をやや上向きにして突き刺す(左の敵が向き直れば左肩下を刺す)。」この文章通りに演じて其の通りに見て取れる演武が出来るか疑問です。

 山蔦重吉の奥居合立業二本目連達:行連と同じように左右の敵にはさまれて歩いて行く途中、右足を少し右前に踏出し、刀を右方へ横一文字(刃は平に外を向く)に抜出し、刀先が鯉口をはなれるや、自分よりやや前方に出ている左の敵の右脇腹あたりを突き刺し、そのままの足踏みで旋廻、約160度右に向きを変え、一歩くらい自分より前に出ている右の敵が驚いて振向くところを上段より真向から斬下すわざである。伝書では、左の敵が攻撃せんとするので、体を右よりにさける想定をしている。(この想定は、どの伝書なのかミツヒラ不明)
 檀崎先生と山蔦先生の業名の入れ替わりも気になりますが、動作はお二人とも同じ様ですが、初動の右足を一歩右後に引くのと、右前に踏み出すのとそれぞれです。山蔦先生、右の敵が振り向こうとどうしようと左を刺突してしまったのですから、右の敵を斬る以外に無いでしょう。

 歩行中の業は、足運びによって動作は同じ文章でも状況は違ってきます、古伝の「立って歩み行内に抜て左を突き右を切る」これで奥居合は充分です。それでは演じられない人は、マニュアル人間でしょう。武術は「かたちではない」武的発想には程遠いのでしょうね。

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道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の56兵法は知りても知らぬよし

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の56兵法は知りても知らぬよし

兵法百首
兵法は志りても志らぬ与しにし天
       い留折ゝの用尓志多かへ

兵法はしりてもしらぬよしにして
       いる折々の用にしたがへ

兵法は知りても知らぬよしにして
       要る折々の用に随へ

 兵法を知っていても知らない振りをするのが良い、必要な時に役立つようにするものだ。

 この歌のは、兵法を知っている様な顔をするな、必要な時にだけ役に立てばいいのだと、云うのです。特にその理由を述べていないのですがそんなものかなあ、と思ってしまいます。野生の動物などを見ていても、用心深そうに此方を見てはいるのですが攻撃を仕掛けて来る雰囲気は有りません。近づけば安全距離を保ったままじりじりと、危険から遠ざかろうとします。間を越すと一気に逃げ出すか、逃げるのに不利と見た時は、形相すさまじく威嚇して来ます。
 自然界の生き物のDNAに組み込まれている生き残るための手段なのでしょう。人も同じなのですが、人が人と争う場合は兵法を知るか知らないかでは態度が違ってしまうのでしょう。
 野生の生き物と同様な事で、争わずに逃げてしまえば良いのですが、なまじ知ると戦おうとしてしまうのです。新陰流は戦う事を一番として考えられた兵法では無さそうです。

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2020年6月 9日 (火)

無雙神傳英信流居合兵法1抜刀心持之事1の8人中

無雙神傳英信流居合兵法
1、抜刀心持之事
1の8人中

抜刀心持之事八本目人中 是より立事也
足を揃へ立って居る身にそへて上へ抜き手をのべて打込む納るも躰の中にて納る

 英信流居合目録秘訣には「人中」の業名は無いのですが動作から見れば「壁添」が適切でしょう。:壁に限らず惣じて壁に添たる如の不自由の所にて抜くには、猶以て腰を開ひねりて体の内にて抜突くべし、切らんとする故毎度壁に切あて鴨居に切りあてゝ仕損ずる也。突くに超る事なし、就中身の振廻し不自由の所にては突く事肝要。
 業名が「人中」なので人混みでの抜刀法を稽古するものともとれますが、壁添の手附として読めばそれなりに納得です。特に目録秘訣の身に添えて刀を抜き、突くのは有効でしょう。人中の手附は拝み打ちに斬るのですが、突くも斬るも両方充分稽古する事が良さそうです。

 大江正路の奥居合立業十七番目「壁添」:(進行中立留り両足を踏み揃へ上に抜き直下に斬下し竪立に刀を納む)中央に出で體を直立とし両足を揃へ刀を上に抜き上段となりて趾先を立てゝ真直に刀尖を下として斬り下し、其の體のまゝ刀尖を下としたるまゝ血拭ひ刀を竪立として納む。

 細川義昌系統の尾形郷一貫心の奥居合之部十本目人中:(群衆中にて前の者を斬る)正面に向ひ直立の儘(刀は落差に)鯉口を切り、右手を柄に掛けるなり刀を真上へ引抜き(左より背部へ廻し)素早く諸手となり、前者へ斬込み(両足の間へ斬下す)其儘刀を少し開き、柄を上へ引上げ(刀尖を真下に釣下げる様にして)納め終る(体は直立の儘動かさぬ事)
 細川先生は古伝のまま「人中」とされ「壁添」の名称の業は有りません。

 檀崎友影の奥居合立業一本目人中:意義 吾前面に敵を受け、左右に人垣もしくは壁等の障害で、普通の抜刀ができない場合、上方に刀を抜いて、斬り下すの意である。動作 前方に向かって歩みながら、左足を踏出すと同時に刀に両手をかけ、右足を左足に揃えて、両足爪立てると同時に刀を上方に抜き、左手を添え両足爪立てたまま、正面の敵を真向より斬下す。この時、両肘は両前脇に付け、左拳は臍の下、刀柄頭は下腹部に接し、刀先は両足爪先に近い所まで斬下げ、そのままの状態で右に刀を開いて、血振り、ついで右拳を前から右頭上にとり、抜いた時の体勢で、上より下に納刀と同時に踵を下ろす。

 山蔦重吉の奥居合立業九本目壁添(人中):左または右側に壁がある。あるいは両側に壁の如き障害物があって、刀を自由に使えないような場所で前面に敵がいる。歩みながら(立止まってからでもよい)、右足に左足を揃えて爪先立ち、刀を左上方に抜き振りかむる。この場合に限り刀先が、背中に着くよう深々とかむる。上段から大きく円を描くように斬下す。刀先は地上に近くなるように低く。この時、両足は爪先立ったままである。体に近く刀先を低く下げたまま血振りを行い、刀を上より下へと納める。納め終るとき両踵を下す。

 古伝の人中は壁添となって残って居ます。運剣はほぼ同じで、檀崎先生、山蔦先生は河野先生の動作そっくりです。古伝研究では「人中」として人中での抜刀及び斬り付けの業として稽古して行きたい、其の際、前敵を刺突する英信流居合烏六秘訣の古伝の教えをも研究して行きたいものです。

 

 

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道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の55兵法は隠すを奥義極意ぞと

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の55兵法は隠すを奥義極意ぞと

兵法百首
兵法ハ可く春を奥義極意そと
        志らぬ可おもて尓い多寸こゝろ王

兵法はかくすを奥義極意ぞと
       しらぬがおもてにいだすこころは

兵法は隠すを奥義極意ぞと
       知らぬがおもてにい出すこころは


 兵法は自流の業技法を隠すのも奥義極意であると云っていても、知らないうちに面(顔・業)に出してしまう其の心は。

 柳生新陰流の截相口伝書亊の文言の幾つもが、無雙神傳英信流居合兵法にも使われています。使われ方が正しいかどうかは別として曽田本その1の神傳流秘書にも居合兵法極意秘訣にもあります。他流にもあるという事は早くから使われていた普遍的武術用語であったり、新陰流が徳川政権に取り上げられてから、各大名もこぞって柳生新陰流の兵法者を受け入れて行ったことにも由来するでしょう。1600年代には柳生新陰流の考え方は日本各地に浸透していったと思われるのです。

 奥義だ極意だと云って隠して見ても、業の順番や形は何とかなっても、他流の極意の兵法を簡単に真似る事も出来ません。真似られないという事はその返し業など出来るわけはないものです。
 自流の極意で以って他流に勝てなければならないのです。従って十分な術理を持たず、強い早いだけのもの、或いは勝つためだけの運剣法などでは、素人相手は別としても勝つ事すら出来ないものです。

 石舟斎のこの歌は、上泉伊勢守に出合い、新陰流の手ほどきを受けた際、上泉伊勢守が何も隠し事無くすべてを見せ、其の心まで示された、奥義とは極意とはを思う時、過去に習った幾つかの剣術に疑問すら抱いたろうと思います。
 上泉伊勢守が柳生の郷を去る時、無刀の公案を置いて立って行った、再び柳生の郷に戻った時の石舟斎の無刀を見て総てを相伝する意思を固めたろうと思います。
 現代では多くの流派が明治維新以降消滅しています。いくつかがやっとこさ残された伝書からその流の組太刀や居合を公にされています。そんな中で柳生新陰流は多くの伝書類が公にされて、捜し求めればまだまだ出てくるかもしれません。その伝書の解釈も充分なされ、勢法も入門仕立ての人にも隠さず、指導されています。

 恐らく450年も前からそうだったのだろうと思います。習い・稽古・工夫をしてみてもせいぜい演武会に通用する程度の「かたち」の演舞が精一杯です。
 まして「形」だからと云って竹刀剣道が本当の剣術なんだと決めつけていたのでは、新陰流の真髄は見えてこないものと思います。
 

 

 

 

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2020年6月 8日 (月)

無雙神傳英信流居合兵法1抜刀心持之事1の7棚下

無雙神傳英信流居合兵法
1、抜刀心持之事
1の7棚下

抜刀心持之事七本目棚下
大森流逆刀の如く立て上へ抜打込む時躰をうつむき打込是は二階下様の上へ打込ぬ心持也

 英信流居合目録秘訣の上意之大事九本目棚下:二階下天井の下抔に於て仕合うには上へ切りあてゝ毎度不覚を取る物也、故に打込む拍子に膝をついて打込むべし、此の習を心得るときは脛をつかずとも上へ当てざる心持有り。
 古伝は、上が低い場所での抜刀斬り込みを手附けとしその注意を述べています。何時から棚下や縁の下から這い出て斬り付ける可笑しな業になったのでしょう。現代居合の演舞形としては面白そうですが、実戦では這い出した瞬間に首を落されています。

 大江正路の奥居合居業六番目棚下:(頭を下げて斬る)座した処より、頭を前方へ下げ、稍々腰を屈め右足を出しつつ。刀を抜き、上体を起すと同時に上段となり、右足を踏み込みて真直に切り下す。
 大江先生、何処にも棚下から這い出るなどと云っていません。
 河野百錬の昭和8年1933年の無雙直傳英信流居合術全奥居合居業六本目棚下:・・体を前に「うつむけ」、体を低くして右膝を立て左足を右足踵に引付けると同時に刀を左肩より頭上に引抜くと共に雙手を掛け右足を進めて前に低く切り込み(打下したる時は上体は真直に)刀を開き納刀する・・。
 河野先生の手附も棚下から這い出るなどと云っていません。河野先生は第18代穂岐山波雄の弟子でこの居合術全は当時の土佐の先生方の監修を受けておられます。ところが、昭和13年1938年発行の「無雙直傳英信流居合道」の奥居合居業の六本目棚下の意義には「吾れ棚のしたなどの、頭の閊へる低い場所に居る場合、其の所を這い出でて敵を斬るの意なり」とされ動作は無雙直傳英信流居合術全とほぼ同じなのに意義で想定を変えてしまっています。このことは何処にも「何故」の由来が見当たりません。恐らく土佐のうるさ方がいちゃもんを付けた可能性はあります。古伝は特定の人にしか見る事が出来ない為の出鱈目は流の業をレベルダウンさせてしまいます。

 細川義昌系統の尾形郷一貫心の居合兵法無雙神伝抜刀術奥居合八本目棚下:(上の閊へる所にて前の者を斬る)・・体を前へ俯け腰を少し浮かせ、左足を後へ退き伸し、其膝頭をつかへ、刀を背負ふ様に左後頭上へ引抜き、諸手を掛け前者へ斬込み其まま刀を右へ開き納めつつ体を引起し・・」
 ここでも、棚下からは出てから斬るようなおかしな事は何処にも読み取れません。無双直伝英信流の業名や想定動作をいじったのは大江先生、その次は河野先生の様です。
 その誤った手附を読まれた夢想神伝流の檀崎先生の棚下の意義:吾、棚下などの頭の閊へる低き場所にある場合、そこを這い出て、正面敵を斬るの意である。
 但し檀崎先生は棚下の意義に疑問を持たれたのでしょう、その注意に:この動作は、常に低い場所での所作と考えて行うを要する。斬下す場合は、棚から這い出てとあるも、あくまでも低い場所にての刀の操法と思考する。

 同じく山蔦先生の棚下:棚の下、縁の下など頭のつかえるような天井の低い場所に自分がいて、その低い所を出た前方に敵がいる。低い所から這い出た瞬間、前の敵を斬下す動作で、眼は前方につけ、頭と上体をできるだけ低くして、右足を大きく前へ出しながら抜刀する。左膝を右踵に引寄せながら、左肩より刀を背負うようにかむり、体を起しながら、右足を一歩出す(低い所より一歩外へ出た想定)や正面の敵を斬下す。・・。山蔦先生は河野棚下のまま夢想神傳流に持ち込まれた様です。
 この参考書は山蔦重吉著夢想神伝流居合道昭和47年1972年の初版本から引用させていただいています。
 河野先生の曽田先生から貸し与えられた曽田本神傳流秘書による「無双直伝英信流居合兵法叢書」は昭和30年に発行されています。非売品で山蔦先生は全剣連に所属してこの冊子を読む機会が無かったかもしれません。

 古伝の業は細かい制約を付けていませんから、幾つも想定を考えられます、現代居合は些事にこだわって本来磨き上げるべき事を置き去りにしてしまいます。指導者として立った人の考えに左右されてしまいます。「古きを尋ねて新しきを知る」稽古とはそんなものでは無いでしょうか。
 

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道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の54兵法を嘆くは健気

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の54兵法を嘆くは健気

兵法百首
兵法を奈けくハけ奈け中道尓
      きりのこゝろ乃不可き由へ奈り

兵法をなげくはけなげ中道に
      ぎりのこゝろ乃ふかきゆへなり

兵法を嘆くは健気中道に
      義理の心の深き故なり


 兵法を嘆いているのは健気である、諸般の事情から義理があって道半ばなのに修行を諦めなければならないとは。

 この様に、読んで見たのですが、もっと奥深いものが横たわっているのだろうかなどと思います。
 石舟斎の周辺にも、戦で刀が持てなくなったり、死亡したりした身内の者や弟子も居たろうと思います。
 石舟斎自身も、家康に出合うのが遅すぎて、家康より仕官を求められながら但馬守宗矩を家康に委ねて来ています。その悔しさも有るでしょうし、上泉伊勢守との出会いから受けた相伝印可は道半ばとして、義理にも投げ出す事は出来なかったでしょう。弟子の健気さを読んだ歌であってもその奥には自らをふと重ねる事もあってもいいのだろうと思います。新陰流の兵法の「色に付き色に随う事」は人生そのものでしょう。
 この歌の真意は別にあるとされる方が居ても、私は石舟斎の兵法百首の一首目に上げられた「世を渡る業のなき故兵法を隠れ家とのみ頼む身の憂き」から、」石舟斎がこの歌を歌う姿を思いえがいてしまいます。

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2020年6月 7日 (日)

無雙神傳英信流居合兵法1抜刀心持之事1の6四角

無雙神傳英信流居合兵法
1、抜刀心持之事
1の6四角

抜刀心持之事六本目四角
抜左の後の角を突き右の後の角を切右の向を請流し左の向を切又右の向を切る也

 四角の想定はこの手附に示されています。左後・右後・右前・左前の四角の頂点に敵は座している想定です。此の場合は敵は皆我が方に向いて今にも懸らんとしている状況でしょう。
 英信流居合目録秘訣上意之大事四角:三角にかわる事無し、是は前後左右に詰合ふ之心得也、故に後へ迠まわって抜付る也。

 手附に従ってやってみましょう。
 右前の敵に向かうと見せて右足を右前に踏み込み刀を抜くや、其の体勢のまま刀刃を外に向け左胸に添え左後の敵の胸部を刺突する。刀を抜き取るや左手を柄に添え、左膝を軸として右廻りに左前、右前の敵の顔面に浅く斬付け、刀を左肩から受け流す様に振り冠って右後の敵に切り下す、即座に右前に振り向きつつ刀を右肩から受流す様に振り冠り、左廻りに右敵を素通りして左敵の真向に斬り付け、刀を左肩から受け流す様に振り冠って右前の敵の真向に斬り付け、血振り納刀す。斬り付けるさい脚の踏み替えをしないまま体軸の回転をしていますが、足の踏み替えをすれば方向転換は楽に出来ます。

 大江正路の無双直伝英信流居合兵法奥居合三番目四方切:右足を右斜へ出し、刀を右斜に抜き、刀峯を胸の處に当て、刀を平として斜に左後を突き右側面の横に右足を踏み変へ、上段にて切り、右足を左斜横に踏み変へて(受け返して打つ)上段となりて切り、右足を正面に踏み変へて、上段より切る。
 敵の配置は、左前・正面・右・左後の様です。右の敵であって右前の敵では無い様な足踏み表現が気になります。この動作は三角の教えに有った「一人づつ切らんと思う心得なれば必ず仕損ずる也、一度に払うて其おくれに付込んで勝べし」を理解出来ていない事になります。

 細川義昌系統の尾形郷一貫心の奥居合七本目四角:(四隅に居る者を斬る)・・(右前へ掛かると見せ)刀を其方向へ引抜き、咄嗟に左膝頭で(左廻りに)後斜へ廻り向き、左後隅の者を(右片手にて)突き直ぐ右へくるりと廻りつつ、諸手上段に引冠り右後隅の者へ斬込み、直ぐ左へ廻りつつ刀を頭上へ振冠り(右前隅の者より斬込み来る太刀を受け流しながら)左前隅の者へ斬込み、直ぐ再び右へ振向きつつ諸手上段に引冠り右前隅の者へ斬込み、刀を開き納め終る。
 敵の配置は古伝の手附と変わりませんが、一人ずつ斬る動作でしょう。右前隅の者の斬り込みを受け流し心ではなく受け流して左前隅の者を斬って居ます。

 檀崎友影の奥居合居業六本目四角(四方斬):意義 四方に敵を受けたので、後敵を突き、三人の敵に斬付けながら負傷させ真向上段より三人を斬って勝の意である。動作 ・・右足を前方に出しながら抜いて後方敵を突き刺し、そのまま左、前、右の三敵に廻りながら斬付けて負傷させ、右より受け流しに振り冠り右敵に斬下し、次に後方左側敵を右より振り冠って斬下し、更に左より振り冠って正面敵を斬下し、血振り納刀する。
 敵の配置は左後方・左前・正面・右前ですから、大江先生の配置と同じです。前面に並ぶ三人の敵を負傷させておいて一人ずつ斬って居ます。大江想定の古伝の心得を取り入れた業と云えるでしょう。

 山蔦重吉の奥居合座業三本目四方切(四角):前後左右に四人(四面多数の敵に囲まれた場合の刀法である)の敵がいる。まず、刀をやや斜め右前に抜きうしろの敵の左胸部を刺し、受流しに左側より刀を振りかむり、約九十度右に回って右の敵を斬り、ただちに百八十度左まわり(刀を右より受流した振りかむりながら)して左の敵を斬る。さらに九十度右にまわって、正面の敵を真向から斬下すと云うわざである。
 この敵の想定は、前後左右ですから十文字の交点に我は坐す。後・右・左・前と順番に一人ずつ斬って居ます。古伝の教えも、大江先生の敵の想定も無い独特の手附です。

 檀崎先生以外は、敵に先んじて切る事ばかりが優先しているようです。早い動作が出来れば勝てるとしたのでしょうが、速い動作は上には上がいるものです。敵に掛かると見せてビクとさせ、其の機に乗じて斬り込んでいく古伝の教えは失念してしまったようです。

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道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の53兵法の極意は五常の義に有り

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の53兵法は五常の義に有り

兵法百首
兵法の極意ハ五常能義尓有と
       こゝろ乃おく尓絶春多し奈め

兵法の極意は五常の義に有と
      こころのおくに絶えずたしなめ

兵法の極意は五常の義に有と
      心の奥に絶えず嗜め

 兵法の極意と云うのは五常の人の守るべき道徳(仁・義・礼・智・信)にあるものだと心の奥に絶えず心掛ける事である。
 
 五常とは、儒教で、人の常に守るべき五つの道徳で、自虎通では仁・義・礼・智・信。孟子では父子の親・君臣の義・夫婦の別・長幼の序・朋友の信。書経瞬典では父は義・母は慈・兄は友・弟は恭・子は孝。(広辞苑)
 石舟斎の五常の認識はこれらのミックスされた現代の感覚で捕える五常で仁・義・礼・智・信であろうと勝手に思いたい処ですが、時代背景から見れば重きを置く処は個々に合ったかもしれません。

 一般的な仁・義・礼・智・信の解説に留めておきますが、兵法とは人が守らねばならない事を侵された時、五常を以って道を見出して互に和する為のもので、それでもならない場合は、己が正しいと信ずることを貫くための最終手段が兵法の行使なのだ、その様な人が兵法の極意を得るものなのだと歌っていると思います。
 その判断は、上泉伊勢守の武将としての敗戦による苦痛や信玄の仕官要請を蹴って兵法の道に志した人を師としたこと、石舟斎も武将を志しながら得られなかった思いから兵法者を志し、家康に接することによって戦の無い世の中を目指す道を悟り得たことから、是が兵法の極意の道だと思うのです。

 参考に五常(Wikipedeaより)
  仁・思いやりの心で万人を愛し、利己的な欲望を抑えとりおこなう事。
  義・利欲にとらわれず成すべき事をする事。
  礼・仁を行動で表したもの。上下関係などで守るべきこと。
  智・道理を能く知り得ている人。知識豊富な人。
  信・友情厚く、信実を告げ、約束を守り、誠実である。

 

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2020年6月 6日 (土)

無雙神傳英信流居合兵法1抜刀心持之事1の5三角

無雙直傳英信流居合兵法
1、抜刀心持之事
1の5三角

抜刀心持之事五本目三角
抜て身を添へ右廻りに後へ振り廻りて打込也


 大江正路の無双直伝英信流居合兵法奥居合居業三角:存在せず

 細川昌義系統の尾形郷一貫心の奥居合6本目三角:(前右後の三人を斬る)正面より(左廻りに)後向き、居合膝に座し、例により鯉口を切り右手を柄に掛け、前に掛かると見せて、右足を摺り出し腰を伸し、刀を引抜くなり、右足を左足に引き寄せるなり刃部を外へ向け、左腕外へ深く突込み、立上りつつ右へくるりと廻りながら前、右、後の三人を軽く斬り、正面へ向く、同時に左膝を跪きつつ諸手上段に引冠り、右足踏込んで斬込み刀を開き納め終る。
 文章表現がおかしいようですが、正面後向きに座し、立ち上りつつ吾が前・右・後の敵を軽く斬り、正面に戻り正面の敵(座した時の後ろの敵)を諸手上段から斬り下すのでしょう。

 英信流居合目録秘訣上意之大事「三角」:三人並居る所を切る心得也、ケ様の時は深々と勝んとする故に後れを取る也。居合の大事は浅く勝事肝要也。三人並居る所を抜打に紋所のあたりを切先はづれにはろをときはビクとするなり、其所を仕留る也。三人を一人づつ切らんと思ふ心得なれば必ず仕損ずる也。一度に払ふて其おくれに付込んで勝べし。
 三人がどのように並んで詰め寄って来ても抜打ちに三人を切り払ってビクとしている間に一人づつ切る事を教えとしています。

 檀崎友影の奥居合居業その5三角:意義 三人の敵に対し、先ず前、右、左と敵に負傷させながら、左、右、前と斬り下して勝つの意。正面に向って立膝に座し、刀に両手をかけ前敵に軽く斬付けながら右に廻り、右側敵を斬り、直ちに返し刀で同じ軌道をかえるように一挙に三人を負傷させ、左より受け流しに冠って左側敵を斬下し、次に後右側敵を斬下げ、更に左正面敵を斬下して血振り納刀する。
 古伝の教えが生かされている運剣だろうと思います。檀崎先生だけが古伝英信流目録秘訣をご存知だったと云えるでしょう。昭和30年に河野百錬先生は「無双直伝英信流居合兵法叢書」を発行され、其処に英信流目録秘訣上意之大事「三角」を、発表されています。檀崎先生は是を読まれたと思われます。檀崎先生の「夢想神伝流居合」は昭和和44年1969年に発行されていますから充分です。むしろ河野百錬系統の無双直伝英信流の先生方の方が「無双直伝英信流居合兵法叢書」を蔑ろにしたとしか思えません。
 
 夢想神傳流の山蔦重吉先生は奥居合座業四本目の「戸詰」を「三角」として意味不明の呼称を掲げています。内容は前回で示してあります。

 古伝の「三角」は土佐の居合の中で、形に捉われない形と云えるもので、新陰流で云えば「懸懸」とでも云うのでしょう。一歩誤れば三人になますにされる処です。三人の敵の配置によって運剣が異なる事もあり得る事を認識し稽古を重ねるべき業でしょう。
 古伝の手附は「抜て身に添へ右廻りに後へ振り廻りて打込む也」ですから、前にずらりと三人では後への配慮が無くなる。敵は我が左右と真後の三人、或いは左前・右前・真後。是の逆で前一人に左後・右後、前一人に我が左・右。吾を含め全員が正面を向いている場合、我に全員が掛からんとして向いている状態。古伝はおおらかです。

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道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の52兵法に余流をそしる其の人は

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の52兵法に余流をそしる其の人は

兵法百首
兵法尓余流をそ志留其人者
      古くいい多らぬゆへとこそしれ

兵法に余流をそしる其人は
      ごくいいたらぬゆへとこそしれ

兵法に余流を誹る其人は
      極意至らぬ故とこそ知れ


 兵法でよその流を誹るようなその人は、極意に至らない為にその様に云うのである。

  ただ読み下して見ても意味は解りません、業も碌に出来ないくせに他流を誹る様なものは極意になどとんでもない、と云うのでも無さそうです。その程度の事は当たり前の事で石舟斎が歌に残すものでも無いでしょう。
 極意を得て自流の業技法をマスターしただけでは、此の道を歩む事など出来るわけはないのです。他流との違い、それに応じる自流の方法、その程度の事でよしとするものでもなさそうです。

 他流や自流を超えた自分自身の立ち位置が「何時如何なる状況でも応じられるもの」なのか。他流や自流をごちゃごちゃ言って居る場合では無かろう。と厳しく叱責されている気がします。

 清水 博著「生命知としての場の論理柳生新影流に見る共創の理」の序文に「上泉伊勢守の新陰流の発見から約450年も経た現在、彼が発見した「普遍の理」・・未知の新しい出来事に遭遇しても、その場その場でリアルタイムに適切な判断をし、決断しなければならない。このリアルタイムの判断をおこなう知、すなわち「リアルタイムの創出知」なくして無限定な環境状態の中で生命を維持していくことは困難である。この「リアルタイムの創出知」とは、結局、判断の基礎となる「常識」に相当するものである。常識の本質は「普遍の知」であり・・」

 石舟斎の柳生家憲と云うのが柳生厳長著正傳新陰流の末尾に記載されています。
 そこに「余流を廃せずして道をたしなみ、幾重にも他流を育て相尋ねる事尤也。世上修行するほどの仁は、一つ二つ是非共に、然るべき極意を存ずる者也。執心の道を育て、兵法建立の心、後代の為を存ずべし。家流に執心の仁は、まづ浅きより深きに至る。一文は無文の師、他流勝つべきに非ず。きのうの我に、今日は勝つべしと分別し、上手奇妙は、稽古鍛錬工夫上成ると、古人師伝にも申つたへらるる亊なれば、刀にて腰をふさげたらん者、一世の間の意志、所存、其の身の覚悟を分別の仁、懇望執心においては、相伝有るべし。努々、表太刀以下を稽古無く、他流の是非を嘲弄し、仕相(試合)好き、慢心の人へは、家法相伝有るべからざる也。」と厳しく伝えています。
 
 この家憲は上泉伊勢守信綱から石舟斎への永禄8年1565年の印可状及び永禄9年1566年の新陰流目録からもうかがい知れるものです。「某幼少より兵法兵術の志あるにより、諸流の奥源を極め日夜工夫鍛錬致すに依って尊天の感応を蒙り新陰之流と号す。・・」
 新陰流目録では「予諸流奥源を究め、陰流において別に奇妙を抽出し新陰流と号す。予は諸流を廃せずして諸流を認めず。・・」

 この様に、自流の極意に至るには他流を知る事は大切な事であって、試合をしたり誹謗中傷する事ではない、一つ二つは他流の極意を知るべきものだと云い切っています。
 現代居合などの誓約の中に、他流・他道場にはかかわってはならない、さらに他連盟にも加入してはならない等を定めて、訳知り顔にしています。
 道を求めるには自流だけでは叶えられないものは幾らでもあります。師匠の不勉強の為にみすみす諦めるのでは何をしてるのか解らなくなります。
 無双直伝英信流居合兵法の初代関東地区会長であった大田次吉先生は、「弟子たるもの師匠の出来ない事でもやれ」と明言を吐かれておられます。
 師匠の取り巻き連中による心無いいじめも往々にしてあるようです。何を勘違いしているやら。

 

 

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2020年6月 5日 (金)

無雙神傳英信流居合兵法1抜刀心持之事1の4両詰

無雙神傳英信流居合兵法
1、抜刀心持之事
1の4両詰

抜刀心持之事四本目両詰
抜て片手にて左脇を突き直に振向いて右脇を切る
右脇へ抜打に切り付け左を切る

 大江居合はこの古伝の抜刀心持之事四本目両詰を、五番目を戸脇、四番目を戸詰と分けて業名を施しています。古伝の両詰は左右から敵に攻められた時の業を表すのです。それを4番目は戸詰、五番目を戸脇という、敵の位置ではなく、場の状況を表す様な業名にしてしまったのです。
 其の為敵の位置が左右ではなく、敷居を挟んで我右斜め前と我左後ろに敵を配したのが五番目戸脇、敷居を挟んで我右前と左前に敵を配したのが四番目戸詰として改変されてしまいました。
 当初は敷居や戸襖などは無かったのですが大江先生の改変した業名に引きずられ、現代はおかしな想定の業になっています。基本的な想定があって、其処から変化するのは古伝を学ぶものの道ですが、特定の想定を業の意義として如何にもとするのは、指導者の自己顕示のし過ぎです。

 大江正路の奥居合居業四番目戸詰:(右を斬り左を斬る)抜付け、右の敵を右手にて切ると同時に右足を右斜に出す、其の右足を左斜横に踏み変へて上段にて左斜を真直に斬る。
 右の敵左の敵と云っていながら右足を右斜めに出す。左の敵と云っていながら右足を左横斜めに踏み変えている。この手付は大江先生監修による堀田捨次郎の著述です。この辺の書きぶりが、古伝から離れてしまう原因なのでしょう。
 
 大江正路の奥居合居業五本目戸脇:(左を突き右を切る)右足を右斜へ踏み出し刀を抜き、左横を顧みながら突き、足踏みは其まゝにて上体を右横に振り向け、上段にて切り下す。
 この手付も敵は右横左横のつもりでしょう。左横を刺突するに当たり、右足を右斜へ踏み出し抜刀して左横を刺突しています。右足を右斜めに踏み込めば柄頭は右敵を牽制していませんから、右敵は容易に我が柄手を制する事は可能です。
 独り演武では、右足を右斜めに踏み込んで刀を抜いて左横の敵を刺突するのは可能です。但し左横の敵に背を向けて抜刀しますから背中を突き飛ばされそうです。
 右斜めに右足を踏み出して刀を抜き左敵を刺突するのは問題ないとすれば、右敵を斬る時、抜刀の際に踏み出した右斜めに踏んだ右足を其の儘に上体を右横に振り向けたのでは上体は右向き腰から下は右斜め向きでは体がねじれています。上段にて切り下す際右足は右に踏み変え切り下すべきでしょう。
 古伝の手附の大らかさを、中途半端にいじると意味不明な制約を付けてしまいます。

 細川義昌系統の「居合兵法無雙神伝抜刀術」を尾形郷一貫心が記述して梅本三男先生に伝授しています。是に依ると古伝の抜刀心持之事四本目両詰が奥居合四本目前後詰と五本目両詰に分けられ、どちらも一人目を刺突した上二人目を真向斬りして居ます。大江先生も細川先生も下村派第14代下村茂市定から指導を受けているのに想定違いなのです。
 大江正路は明治中期に谷村派第16代の後藤正亮の後を引き継いで土佐の指導者になっていますので、五藤先生の想定を取り入れたかもしれません。そうであれば細川先生による下村派の想定は古伝とは敵の配置が異なります。
 武術は人に依り変化するとはしても、古人が残した基本の想定は大事にしたいものです。柳生新陰流には三摩之位と云って「習い・稽古・工夫」を大切にしています。習いの形は上泉伊勢守がもたらしたもので、時代によって変化する事は認めています。例えば甲冑を着た剣法から素肌剣法への移行などもそれですが、構え方や立ち方は変わっても、形の根本は変わらず、変化は明確に示されています。

 細川義昌系統の尾形郷一貫心による奥居合四本目前後詰:(前後に座している者を斬る)・・腰を伸ばしつつ右足を前へ踏み出し(前へ掛かると見せ)刀を其方向へ引抜き咄嗟に(左廻りに)後を向くなり後者の胸部へ(右片手にて)突込み直ぐ(右廻りに)正面へ廻りつつ諸手上段に引き冠り、前者へ斬込み、刀を開き納め終る。

 細川義昌系統の尾形郷一貫心による奥居合五本目両詰:(左右に座している者を斬る)・・腰を伸ばし(右へ掛かると見せて)右足を少し右へ踏出し其方向へ引抜き、咄嗟に左へ振り向き(右片手にて)左側の者の胸部を突き、直ぐ右へ振返へりつつ、諸手上段に引冠り右側の者に斬込み刀を開き納め終る。
 右足を少し右斜め前に踏み込んで刀を抜き、その足踏みの侭左の敵に振り向き胸部を刺突し、直に左手を柄に掛け諸手と成り右へ振り向きつつ左から上段に振り冠って右足を右敵方に踏み込んで斬り下す。

 檀崎友影の奥居合居業その4両詰(一)戸脇:意義 吾、直前に敷居あり。敷居の向う側右と左に敵を受け、左前の敵を刺撃し、更に右方の敵を斬って勝の意である。動作 ・・刀に両手をかけるや左敵に目を注ぎ、右足を右後方に引きながら刀を水平に抜き、刃を上外側にして左方敵の左肩下に突込み抜きながら、右側敵に振り向き上段より斬下し、血振り納刀する。
 檀崎先生も敷居の向こう側に敵を迎えています。この敷居の向こう側に敵が居る想定を文章に表して発行されたのは、無双直伝英信流の河野百錬が昭和13年に発行した無雙直傳英信流居合道が始めの様です。河野先生は昭和8年に無雙直伝英信流居合術全、を発行されていますが、そこには「我が直前の左右に戸あり」の場の想定は有りません。昭和17年の大日本居合道図譜で更に「我が直前の左右に戸(襖などの建具)あり其の向ふ側に座する敵」と付け加えられています。
 誰かに、「戸が有るのだ、だから戸脇だろう」と云われたか、大江居合の読み過ぎは我慢しますが、古伝を見た事も無い人が誤って業を解釈する典型的なお節介かも知れません。お陰様で夢想神傳流もそれにのってしまった様です。

 檀崎友影の奥居合居業その5戸詰:意義 二人の敵に対しての技。吾、直前に敷居があり、その敷居越しの左右に座する敵の機先を制し、敷居越しに一歩踏込みて右側の敵を抜打し、更に左側敵を斬り下して勝の意である。

 山蔦重吉の奥居合四本目戸詰(三角):自分の前の左・右に戸(または襖)があり、その陰に敵が潜んでいる。敷居ごしにまず、右足を一歩斜め前に踏み出し、抜打ちに右の敵へ抜付け、ただちに右側より受流しに刀を振りかむりながら右膝をつき、左膝を立て(右、左踏替え)、左側の敵を斬る。
 山蔦重吉の奥居合五本目戸脇(向詰):自分の前に戸(または襖)がありその戸陰に敵が潜んでおり敷居のこちら側で、自分の左側(あるいは左斜め後方)にもう一人の敵がいる。右足を一歩右斜め前に踏出すや(敷居の上か敷居ごしの想定)右手にて刀を刃を外水平に抜き左の敵の左肩を刺し、そのまま足と体を右に旋廻し、右戸陰の敵を上段より斬下すわざである。

 どの先生の業も奥居合を改変した大江先生の手附に引きずられ、河野百錬の思い込みを受けて更に装飾を施して古伝抜刀心持之事四本目両詰をあらぬ方にいじり回したようです。
 土佐の居合の古伝を研究するならば、最初に示された手附に随い、敵は左右に有り、三人並んで正面に向かって座す。そこから業を研究すべきでしょう。古伝の手附を安易に替えてしまったのでは、習い・稽古・工夫にならない事と思います。この業の復元の際の注意点は、至近距離での二人の敵ですから、左敵を刺突するために刀を如何に抜き出すか、右敵を牽制すれば、左敵に隙を作る、左敵を刺突する時、左敵に注目し過ぎれば、右敵に隙を作ることになります。

 裏返して言えば、右敵を牽制した時は、左敵に切先が向いている事。左敵を刺突した瞬間に右敵を斬る体制の初動が出来ている事。でしょう。

 古伝英信流居合目録秘訣上意之大事「両詰」:是又仕物など言付られ又は乱世の時分などには使者などに行、左右より詰かけられたる事まま之有也。ケ様の時の心得也。尤も其の外とても入用也。左右に詰かけられたる時、一人宛切らんとする時はおくれを取るなり、故に抜や否や左脇の者を切先にて突き、すぐに右を切るべし。其の技ただ手早きに有り。
 亦、右脇の者に抜手を留らるべきと思う時は右を片手打に切りすぐに左を切るべし。

 この心得を理解して稽古するべきものと思います。

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道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の51兵法にさそく奇妙の軽業は

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の51兵法にさそく奇妙の軽業は

兵法百首
兵法耳さそく奇妙能可留王さハ
      弟子乃お与者奴奈らい成介り

兵法にさそく奇妙のかるわさは
      弟子のおよばぬならい成けり

兵法にさそく奇妙の軽業は
      弟子の及ばぬ習い成けり

 兵法に於いて機に臨んでの速やかに応じる優れた身のこなしは、弟子の及ばない修練の賜である。

 「さそく」はかんじでかけば「早速」で現代の慣用語では「さっそく」です。意味は、機に臨んで速やかに処置すること・機転・さっそく。
 もう一つは「早足」意味は、軽快な足捌き・すばやく足を動かす。
   「奇妙」は、珍しいこと・ふしぎなこと・普通とはかわってすぐれていること。
 「軽業」は危険な曲芸を身軽に演じるもの・甚だしく冒険的な計画または事業。(広辞苑より)

 新陰流の柳生兵庫助利厳が元和6年1620年に尾張大納言義利(義直)に印可相伝の際自らの公案「始終不捨書」を進上しています。その始めに「三摩之位右重々口伝有之」として、円相の上に等分に三点を描き之を「三磨」とした「習い・稽古・工夫」の教えを顕わしています。
 解釈の仕方はいろいろ在るでしょうが、私は「習い」とは師匠に手取り足取り形を習い、その理合も習った、それを師匠と同じ形に成る様に動作の順番を記憶し、足は手は刀はと繰り返すのは飽くまで習いの範囲と理解しています。
 稽古とは、機に臨んで同様な状況であれば事理一致で、頭で動作を思い出し手足に伝達する様な事では無く、自然に体が其の機に応じる迄稽古する事としています。
 さらに「工夫」とは、同じ条件でもより早く確実に応じられる身体操作の工夫を凝らします。ですから工夫からが本当の修練と考えています。其の上工夫では、相手の打ち込む角度や速さによっては足捌き体裁き運剣など仮想敵相手に繰り返します。
 ですから「習い・稽古・工夫」の三磨(摩)之位は夫々の間がぶつぶつ切れて、習った見本通りに出来るようになったから次に稽古に入る、稽古充分となって初めて工夫するなどの事では無く、時には習い工夫稽古も辞さないのです。場合によっては業を工夫したら他の形の業となっていたなど当たり前と思っています。
 


 

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2020年6月 4日 (木)

無雙神傳英信流居合兵法1抜刀心持之事1の3向詰

無雙神傳英信流居合兵法
1、抜刀心持之事
1の3向詰

抜刀心持之事三本目向詰
抜て諸手を懸け向を突打込也
*
 古伝の抜刀心持之事「向詰」は無双直伝英信流居合兵法の奥居合居業の「両詰」がそれでしょう。明治中期に土佐で居合の復興が始まった際、古伝の業の名称や運剣法などが何故か改変されています。明治維新後の日本では居合を始める人は、元武士も其の他の人も新しい時代を生きるのに必死であったでしょう。居合を残すには中学生向けに指導する事が望まれたのでしょう。其の為には、対敵意識を伏せて理解されやすい場の状況を業名に付す様学校側の要求もあったかもしれません。

 大江正路による奥居合居業七番目「両詰」:(抜放け諸手にて真向を突き斬る)座したる処より右足を少し出して、刀を抜き、柄元を臍下に当て、右足を踏み出して、前方を諸手にて突き、その姿勢のまゝ、上段にて前面を真向に斬る。

 細川義昌系統の尾形郷一貫心の奥居合三本目「向詰」:(対座して居る者を斬る)・・右手を・・柄に掛け、両膝を立つなり右足を少し右前へ踏み出し、其の方向へ刀を引抜き、右足を引戻すと共に、刀尖を向ふへ、柄頭を腹部へ引付諸手となり(刀を水平に構へ)体を少し前へ進め、対手の胸部を突き、更に左足を進ませつつ諸手上段に引冠り右足を踏込んで斬込み、刀を開き、納める。

 檀崎友影による奥居合居業三本目「向詰」:吾、両側に障害ありて、刀を普通のように抜き得ない場合、刀を前面に抜き取りて、前敵を突刺して勝つの意である。刀に両手をかけるや、腰を僅かに浮かし、刀を右前に抜くと同時に右足を前に踏み込みて敵を突込み、其の突込んだ刀を引き抜く気持ちで、上段に振り冠り、真向から斬下し、血振り、納刀する。

 山蔦重吉による奥居合座業七本目「両詰」:両側に障害物があり(両側が詰っている)、刀を普通のように自由に抜けない場合。刀を右前方に抜き、右拳を一転、刀の柄をたてに返し刀先を前方に、柄頭をへそ下に持って来て(晴眼のように構える)右足を踏み出すと同時に、前方の敵を諸手にて充分に突く。刀を引抜くと同時に振りかむり敵を真向から斬り下す。

 夢想神傳流のこの業の名称は明治以降「向詰」から「両詰」に変わり、正面に対座する敵を刺突する抜刀と刺突をする技に対し、両側に障害のある場合の抜刀、納刀に注目が移ったような錯覚を覚えてしまいます。特に演武の際の納刀などでは体側から離れない血振り、肩巾を越えない納刀に熟練の技を見せつけられます。

 この業は、正面に対座する敵を確実に仕留めるには、大森流の「初発刀」でもなく英信流の「横雲」でもなく、体の内で抜刀し、突く業を稽古するものなのです。
 当然、横一線の抜き付けをするには、左右に少なくとも体の左右肩から一尺5寸は開いて居なければ切先が障害物に触れてしまいます。廊下などであれば体幅40cm、左右の空間45cm×2で130cm以上の幅が必要なのです。この狭い場における、抜き付けは、下からの切上げか、刺突が有効なのです。居合抜と云う事にこだわれば下からの切上げでしょう。刺突は抜いて構えて突くのですから、相手に我が攻撃のありようを見せて突き込むのですから、外される可能性は高い筈です。
 例えば、田宮流表之巻七本目「突留(つきとめ)」は:対座している敵が、突然、太刀を抜いて突かんとするので、我はすばやく柄にて敵の太刀を押さえたあと、敵の足(腹)に抜き付け、さらに真っ向から切り下ろして勝つ。(動作省略)と云う業が存在します。
 
 古流は「抜いて諸手を懸け向を突打込也」これだけです。
 両手を刀に掛けつつ腰を上げ、柄頭で敵を牽制しつつ鞘送りしながら刀を抜き出しつつ、敵が柄頭を制せんとする瞬間、鞘を引き切先鯉口を出るや切先を返して諸手となり、右足を踏み込み敵の胸部を刺突する。左足を右足に引き付けると同時に刀を引抜き上段に振り冠って真向に斬り下す。後同前。 
 古伝の手附に沿った動作ですが、抜刀の瞬間をしっかり認識しなければ、何も抵抗しない敵を一方的に刺突する都合の良い仮想敵相手の演舞になってしまいます。

 もう一本、鞘送りしつつ刀を水平に抜き出し、刀刃を下に向け右足を踏み出すや敵の右脇に向かって浅く斬り上げる。左足を右足に引き付け同時に左手を柄に掛け、右足を踏み込んで退かんとする敵の胸部を刺突する。・・以下略。

 古伝の復元研究は、師伝にこだわらずに対敵を設けてあらゆる状況を考え動作する心構えが無ければ、奥居合だとて役立たずの棒振りに終わります。
 
 
 

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道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の50身にかえて名の為思う

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の50身にかえて名の為思う

兵法百首
身耳かへ天名能多め思ふ奈尓可しの
        兵法す可ぬ人し也者あ流

身にかへて名のため思うなにかしの
        兵法すかぬ人しやわある

身に代えて名の為思う何某の
       兵法好かぬ人しやわある

 我が身よりも名の為を思う何某は、兵法を好まぬ人であろう。

 この場合の兵法は小さい兵法と見ていいのかも知れません。自分の命を守る事よりも、どの様に死んだかによって死後に名誉の名を残すことを良しとするその様な人は、一対一の剣術を好まない人だというのでしょう。新陰流兵法には戦に至らしめない思考法も充分組み込まれているものです。
 しかし、その様な考えに至るには、入門と同時に袋竹刀か木刀を持たされ、剣術の実技を指導されるのです。闘争的で肉体も健全で強健な人には、木刀での打ち合いや、基本動作を繰り返し修錬されても楽しくてたまらないでしょう。形が出来る様になればますます実技面にのめり込んで行くものです。
 中には「かたち」が師匠に似て来れば出来たと錯覚してしまう、中には自分流をひけらかして出来たとしてしまう。三摩之位は習い・稽古・工夫なのだがそれも習った形通りの太刀打の事とばかりに思ってしまう。
 形稽古の打太刀、仕太刀の役割もいつも同じ事で、仕太刀の見せる誘いなど誘いに成らず、打太刀の打込みは形に納まるばかりの角度の打込みで其処には気も機も何も無い、其の上打込むべき処に届いていない棒振り、若しそんな稽古だったならば、何十年やっても演武会での武的踊りの稽古に過ぎない。

 多くの剣術の流派の稽古法はそんなもので、其の流の印可は形が出来たから与えられるばかりで、形の持つ本来の「何ものか」が出来て初めて与えるべき物の筈の考え方がどこかに置き忘れられているようです。

 新陰流にはいくつもの形がある、その形を打てるにはその形の持つ意味を充分理解した上で、稽古をしなければ術が決まらないものです。それはまさに兵法と云えるもので、敢えて太刀を持たずとも人と相対する事を教えてくれるものです。
 それは沢庵の云う事理の一致であって、人生における様々な場面に適応できる事理なのです。太刀を振る事はその一部分の身体操作に過ぎないもので、相手の斬り込む一刀を躱すと同時に斬り込んだり、受けたと同時に斬り込んだりなども、普段の人との交わりの中で常に起こっている事であるはずです。
 敵に随って動く、などもそれ以前に自分の心の下作りが出来ていなければ、はやる心を抑えられるなど出来るわけも無いでしょう。

 この歌の心は、「生き様よりも死に様ばかりに気を使い、無駄死にによって名を残して意味があるのか」と云われている様です。何某は「私は棒振り剣術など必要ない、己の心は己で修錬しているのだから」と返してきそうです。武術は人のコミュニケーションの最終手段であれば、みすみす事半ばで切られて死んだのでは、名は残るでしょうか。かと言って、無刀を突き詰めたら、空手や合気、柔術に一直線では体を武器に進化させたに過ぎないもので、戦わずして勝のとは違います。

 
 

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2020年6月 3日 (水)

無雙神傳英信流居合兵法1抜刀心持之事1の2柄留

無雙神傳英信流居合兵法
1抜刀心持之事
1の2柄留

抜刀心持之事2本目柄留
虎の一足の如く下を留て打込む

英信流居合之事2本目虎一足
左足を引き刀を逆に抜て留め扨打込み後前に同じ

 大江正路奥居合二番目脛圍(長谷川流二番目と同一):膝と刀を竪立斜として、刃を上に平に向けて、膝を圍ひ(体は中腰半身とす)体を正面に向けて、上段より斬り下す。 
 この手付ではどうしたらいいのかさっぱり解かりません。虎一足:正面に座す、静かに立ちながら左足を引きて刀を抜付くと同時に膝を圍ふ、此圍は体を左向き中腰となり、横構にて受止める事、此体形にて上段に冠り正面に向き座しながら斬り下すなり。


細川義昌系統の尾形郷一貫心の奥居合之部二本目柄留:(抜掛らんとする者を斬る)・・鯉口を切り右手を柄に掛け立上るなり左足を一歩後へ退く、同時に刀を引抜き鯉口放れ際に左腰を左へ捻り、体は正面より左向きとなる(視線は右正面の対手に注ぐ)、対手が正に抜掛らんとする刹那、其右手へ逆に強く薙ぎ付け、体を右へ捻り戻す、同時に左膝を跪きつつ諸手上段に引冠り右足を踏込んで斬込み刀を開き納め終る。

 檀崎友影の柄留(脛囲):吾が正面に対座する敵が、吾が右脚を薙ぎ付け来るを受払い、敵の退こうとするに乗じて上段より斬下し勝つの意。

 山蔦重吉の脛囲(柄留):中伝の虎一足と同じ意義のわざであるが、自分の右足へ斬込んで来る敵の刀に応ずる動作がもっと速くなる。この心構えに中伝と異なるところがある。古伝に云う柄留とは、敵が抜刀せんとするその拳に抜き付けて、、其の動作を封じてしまうという意味のものである。
 中伝虎一足:正面に向いて立膝に坐る。敵との距離は80センチ。敵が自分の右足に斬込んでくるのを、右手を直角にして柄を握り、急速に抜刀し、右脛を囲うように敵刀を鎬で受止める。・・。

 この業名は「柄留」であって古伝は「脛囲」とは言って居ません。虎一足にしても「「刀を逆に抜て留め」です。この業の動作で、居合膝に座して相対する時、座した相手が我が座している右脛に切り付けて来るだろうか。居合膝に座した右膝は抜付けで狙いにくい部位でしょう。抜き付ける体制も低くなってしまいます。どの手附も敵が先に仕掛けて来たように書かれています。
 此処は我が抜き付けんと懸ると見せて、刀に手をかけ立ち上がるその小手に斬り込もうと敵は誘われて、柄に手をかけて立ち上がりつつ刀を抜き出す。
 新陰流の「懸待有之事」「敵色付色随」であって抜刀心持が奥居合と云われるものになれるでしょう。敵の斬り込んで来る刀を刀で受け留めるなど奥居合とは言えそうにない。受け留めた所で無疵な敵を真向から斬り倒せるでしょうか。
 敵が我が小手に抜付けて来るのを、左足を退きつつ外し、刀を逆にして下から抜き上げ敵の柄手を切り上げ攻撃を制してしまい、怯む所を真向に斬り下ろして勝つ。

 

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道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の49卜清十首10命とておもき宝を

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の49卜清十首
10命とておもき宝を

兵法百首のうち卜清十首
命とておも記多可らを持人の
      兵法越し天蔵尓せよ可し

命とておもきたからを持人の
      兵法をして蔵にせよかし

命とて重き宝を持人の
      兵法をして蔵にせよかし

 命という重い宝を持つ人が兵法を修業して、心の蔵にしたら良いものを

 命という大切な物を守るために兵法の修行を積むのであろうから、兵法に依って命の蔵が建つものを

 そんな歌心なのでしょう。この歌で卜清十首は終る筈ですが、特に線引きされていませんので解りません。次の50首目から歌心に変化が出て来るか楽しみです。

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2020年6月 2日 (火)

無雙神傳英信流居合兵法1抜刀心持之事1の1向払

無雙神傳英信流居合兵法
1、抜刀心持之事
1の1向払

古伝神傳流秘書抜刀心持之事1向払
向へ抜付返す刀に手を返し又払いて打込み勝


 大江正路の「霞」がこの業でしょう。古伝は単刀直入の業名でした。

 霞(俗に撫斬と云う):正面に座して抜き付け、手を返して、左側面水平に刀を打ち返す、直に上段となりて前面を斬る・・・。
 古伝と云い大江先生も抜き付けを「放す」などの事は何処にもみあたりません。想定を特定するなど、子供向けにいつまでも拘っている様で奥居合を学ぶ資格は無さそうです。この抜刀心持之事の前書きに「格を放れて早く抜く也」と稽古の心得を最初に述べているのです。

 細川義昌系統の尾形郷一貫先生の向払:・・(対手の右側面へ)抜付けたるも剣先が届かぬため、右足より迅速に体を進めつつ、抜付けた刀が止まらぬ中に直ぐ振返し、返す刀で(対手の左側面へ)斬付け、左膝を進めつつ諸手上段に引冠り更に右足を踏込んで斬込み・・。
 この、想定は抜き付けたが目測を誤ったのならば、奥居合の前の業技法にもう一度戻って居合兵法とはを考えるべきものでしょう。細川義昌の教えと云われますが、細川義昌、大江正路ともに下村茂市の門弟ですからこれでは困ってしまいます。江戸末期の古流剣術の想定の甘さかも知れません。

 檀崎友影の向払(霞):正面に対座せる敵二人を制し其の首に斬付け、更に総体を進ませながら刀を返し、二人目の敵に斬付け、更に上段より斬下して勝つの意である。・・中山博道の直弟子だったと云う。博道の指導によって敵二人と想定したのか、一人は左から右に抜き付け、二人目は刀を返して右から左へ水平切返しです。想定は勝手ですが、稽古の形にこだわったら武術とは言い難いものです。

 夢想神傳流の向払は、敵が前に一人その後ろにもう一人座す、その一人ずつを斬る想定です。一人目は抜打ちに斬り倒さなければ二人目は邪魔で切れない。しかし手附では大森流に同じであれば相手の顔面鼻部又は拳に抜きつけるですからこれでは一人目が邪魔です。返す刀で檀崎先生は相手の首を切らせています。首を切ったのでは、真向に斬りつける必要は無いでしょうが・・。
 太田龍峰著中山博道校閲の居合読本では「敵をフッツリ切る気分を持つべきである」とはされていますが、ここは首に抜き付け即死させなければ、二人目の敵には切り返しは難しそうです。我は一刀目で抜刀済みですから、一刀目で一人目の敵は倒れていてほしいものです。二人目は一人目の状況を見ているのですから、うかうか切られる訳は無い。切り返すならば即座に切り返しの体勢に入り、切り返すべきでしょう。この二人の敵を斬るのは檀崎先生から教えを受けた山形の松峯先生も引き継いでいます。
 夢想神傳流でも敵は一人として「乳通しに斬りつけたが敵にかわされたので直ちに刀を返して再度敵の乳通しに斬りつける」想定で指導されているところもあります。
 英信流系統は概ねこの敵一人で、一刀目で外され、刀を返して制しています。然し返す刀で足を切りに行くのです。一刀目を躱すことが出来る相手ならば、切り返される前に我に体当たり出来てしまいます。まして、我は目測を誤って空を斬って切り返す様なものではお粗末です。
 
 この向払は、古伝神傳流秘書大剣取の3本目外石で「(相手居合膝に座し居る処へ小太刀を下げかくる、相手抜打つを放し)たる時、又右より打つを留め入りてさす」切り返しを小太刀で留めて制する事を抜刀心持の稽古に入る前に教えています。

 敵が二人、前に縦に並んで居るのか、横並びなのか、いずれにしても抜き付けの一刀で一人を倒し、切り返しで他の敵の戦力を奪って真向に斬り下ろす。
 敵が一人の場合抜付けで外された場合は、切先外れにならない位置で切先を留め、相手の攻撃を封じて、其の位置で刀を返し踏み込んで斬り返し真向に振り被って制するのが良さそうです。
 抜付けで切先が流れた場合でも、手を返して切り返す際の切先は我が体軸より決して後方に振らない事、切先の位置を上方に振らない事も大切です。前方45度を超えない、高さも抜き付けた高さに切先はあるべきです。斬撃力を、剣先を後方にして遠心力を利用するのではなく、体の使い方によって剣先の鋭さを生み出す稽古をすべきでしょう。手でひょいひょい斬る習いを見直すべきでしょう。

 敵が一人で、思う処に抜き付けられたとしても、斬り込みが浅ければ踏み込まれてしまいます。
 切られる相手も、一刀目を外せる力を持っているならば、切り返しには応じられる筈で、刀を抜かないならば柄で受けて踏み込むとか、踏み込んで我が手を制して小太刀を抜いて制するなり出来るはずです。
 この業を制するには、相手は切り返される前に我に接近してしまう事でしょう。我は一刀目をしくじらない稽古をすること及び、斬り損なう事を知ることなのでしょう。
 分かった様な想定を付加せず、古伝の教えのままに演ずれば、「敵の柄手を切り、返し刀で肩を切り、真向から斬り下して勝」。素直に稽古すべきでしょう。その上で様々な想定による動作が自然に出る迄繰り返すだけです。
 古伝は何も語らずに、語っています。古伝の声を聞く事であって、師匠の真似ばかりでは如何なものでしょう。
 

 



 

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道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の48卜清十首9兵法の心の奥を伝えずは

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の48卜清十首
9兵法の心の奥を伝えずは

兵法百首のうち卜清十首
兵法乃こゝろのおくを伝春は
       いん可をとりて何可者せん

兵法のこゝろのおくを伝ずは
       いん可をとりて何かはせん

兵法の心の奥を伝えずは
       印可を取りて何かはせん

 兵法の心の奥を伝えないのであれば、印可をとっても何をすべきか

 印可を取ったが業技法の目録ばかりで心に伝わるものが無ければ、形を演じられるばかりです。
 印可を受けて奥の心も印可に含まれているにも関わらず、その心を伝えられても受け留められないのであれば印可をとっても意味はないというのでしょう。
 
 印可にもいくつか段階があるかも知れません。初心者が初期に習う業技法の目録を印可されたもの、無双直伝英信流の十段允可は此の目録です。初伝・中伝・奥伝などが流派によってまちまちです。
 指導者として流儀の形を指導することを師範として許すもの。
 その流の、形を習い稽古しても、形を真似ただけならば奥である筈がないでしょう。
 道統相伝允可などが一般に見られます。
 上泉伊勢守から柳生石舟斎に38歳の頃永禄8年1565年印可状を与えています。
 永禄9年1566年の新陰流目録では「・・新陰流と号す、予は諸流を廃せずして諸流を認めず。・・且つ又懸待表裏は一隅を守らず、敵に随って転変す。一重手段を施し、恰も風を見て帆を使い、兎を見て鷲を放す、懸を以って懸と為し、待を以って待と為すは常の事也。懸は懸に非ず、待は待に非ず、懸は意待に在り、待は意懸に在り。牡丹の花の下猫児眠る、学ぶ者、この句を透得し知るべし・・」
 此の目録には新陰流のエキスともいえる事が伝えられています。更に目録の業名に「燕飛は懸待表裏の行、五箇の趣旨を以って、肝要と為す、・・所謂五ヶは眼・意・身・手・足也。猿廻は敵に随って動揺す、・・」と書き込まれています。

 単なる、業名の記述のみで口伝としたのでは、代を重ねるうちにあらぬ方に移行してしまう。ましてその心は伝わらないものです。多くは刀の操作法のみによる口伝ばかりとなってしまいます。それも体格や武術哲学の違いから先師の教えを否定して全く違うものに変化してしまうものまであるのです。
 前回の道歌は無外流の百足伝40首でした、この歌を解釈するに当たり無外真伝剣法秘訣の十則を片手に読み込んだものでした。是は無外流祖辻月丹が形よりもその精神を残さんとしたものでした。ではその当時の形はどのようなものであったのか手附が無いのでわかりません。営々と伝承した形の片鱗が、現代の形の中に有るのかも知れません。然しそれよりも無外流真伝剣法秘訣の十則の方が心に残ります。この卜清十首の「兵法の心の奥」も形では無いでしょうと歌っているのでしょう。
 

 

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2020年6月 1日 (月)

無雙神傳英信流居合兵法1抜刀心持之事1の序

無雙神傳英信流居合兵法
1抜刀心持之事
1の序
 無双直伝英信流居合兵法及び夢想神傳流の古伝は神傳流秘書として伝わっています。
 居合の始祖といわれる林崎甚助重信の居合は更に古い伝書が出て来ない限り、永遠に霧の彼方の兵法に過ぎません。何処かで演じられている大太刀による居合は室町時代中期の太刀による居合の仕方としてそれもあったであろうと呑み込んでいればいいのでしょう。
 今回改めて、無雙神傳英信流居合兵法の業技法をおさらいして行きます。
 この無雙神傳英信流居合兵法は江戸時代中期から末期に演じられていたものと推察します。明治維新でいったん途絶えそうになったこの流は、大江正路先生によって改変され、更に宗家の有りかたから分裂を繰り返しいつの間にか武的演舞型に変身して、如何にも武術としている様ですが、実践上では疑問を感じる仕方も多々見られます。
 現在の各無双直伝英信流なり夢想神傳なりの演舞型は、稽古の初歩として学ぶとしても、状況変化に応じる試みがなされない限り武術とは言えないでしょう。
 林崎甚助重信の業技法を江戸時代に長谷川主税助英信が改変し、さらに大森六郎左衛門の真陰流(新陰流?)の考え方から創設された正座による居合大森流を加えています、既に始祖の居合ではありません。

 その土佐に定着していたはずの江戸期の居合を精査して見たいと思います。
 精査の方法は、自流の業を以て斬り込んだにもかかわらず、自流の体術で交された場合、とか他流の業で自流を制せられたとか、自流の業でも何とか派では違う動作基準がいつの間にか定着してしまって、実戦上の可否などお構いなしに演じられている事を探ってもみたいと思います。
 その前に、大江正路先生に依ってなのか、古伝の抜刀心持之事(奥居合居業・立業)が古伝の手附とは業名も動作までも改変され中には抹殺されたものすらあるようなので其処から入って見たいと思います。

 今年の違師伝交流稽古会の課題はこの「抜刀心持之事」の復元研究発表を目的にしています。コロナ騒ぎで充分な実技研究時間がとれず、今後再び大きくコロナが再流行をするのか、その行方次第でどうなるか解りません。
 まずは古伝の要求に現代の形が答えているか、自流の他の業で攻められたり他流の業で先を取られた場合など詰めて見たいと思います。 さて ミツヒラ・・思いつくままに・・ 

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道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の47卜清十首8萬法を切り払うべき一心の

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の47卜清十首
8萬法を切り払うべき一心の

兵法百首のうち卜清十首
萬法をきり者ら不へき一心の
      徒留きもむ年の兵法そ可し

萬法をきりはらうべき一心の
      つるぎもむねの兵法ぞかし

萬法を切り払うべき一心の
      剣も胸の兵法ぞかし

 万法を心から切り捨ててしまおうと思う剣も、胸の内の兵法であるよ。

 此処での万法とは、太刀を以って戦う業技法の事であれば、切り払う事、忘れ去ることも出来るかもしれません。しかし生きている以上は何らかのことで、自然現象や社会や意見の異なる人とも立合わなければなら無いでしょう。それさえも心の剣は切り払う事は出来るのでしょうか。
 習い覚えた太刀打ちによる兵法を、獲物なしで戦う無刀であれば、これまでと違った心の下作りはいるかもしれません。そんな道具に左右される心では、万法に応じられる訳も無い、いっそ「無心」になることも胸の内の兵法と云うのかも知れません。
 解る様なわからないような、悟り得たとは、この様な心持ちかも知れません。

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2020年5月31日 (日)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の46卜清十首7兵法の心なくして差す刀

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の46卜清十首
7兵法の心なくして差す刀

兵法百首のうち卜清十首
兵法の古ゝろ奈くしてさ須か多奈
      ものき礼奈利とたのミ春く奈し

兵法のこゝろなくしてさすかたな
      ものきれなりとたのみすくなし

兵法の心なくして差す刀
      物切れなりと頼み少なし

 兵法の心得も無いのに刀を差しても、あれを切ってくれなどとの頼みごともありそうもない

 下の句は「物切れなりと」の物(もの)の意味を「敵」と見るのか、人以外の「物」なのかですが「刃物」は切れるものですが、刀では、物によって過ぎたるは及ばざるものです。兵法を知らない者には、切ってもらう上意の役目もないでしょう。庖丁や鉈、鎌の方が役立ちそうです。
 兵法百首に石舟斎がわざわざ取り込んだこの歌の心は、どのように解すれば良いのか、歌のままをもう一度読み直してみます。

 兵法の心得の無い者が差している刀では、物(敵)を切ろうとしても思った様に切れないものだ、切れる刀も頼みにはならない。

 この方が、如何にも兵法者の歌う歌になりそうです。

 

 

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2020年5月30日 (土)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の45の6あづさ弓本末しらぬ

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の45の6あづさ弓本末しらぬ

兵法百首のうち卜清十首
あつさ弓毛と春衛志らぬ兵法者
      そらうて古ひ天遣可を満く留奈

あづさ弓もとすえしらぬ兵法は
      そらうてこひてけがをまくるな

梓弓本末知らぬ兵法は
       揃うてこいて怪我をまくるな

 始まりも終わりも解らない兵法なのだから、揃ってやって来て怪我をするな。
 
 この歌の読みすら満足に出来そうもないのは、この頃の歌の約束事をよく知らない為なのか、何か極意が隠されているのか、不勉強の祟りなのか、それとも原文がおかしいのか、それでも今ある自分を精一杯出して読んで見る以外にありません。
 違うよと云われれば、それはそれでありがたいことです。石舟斎が自分の歌の中の卜清の歌として取り込んだ歌ですから心に響くものが有ったのでしょう。

「あづさ弓」は、梓の木で造った丸木の弓、すえにかかる枕詞
「もとすえ」は、初めと終わり
「そろうてこひて」は、揃ってやって来て
「怪我をまくるな」は、負傷するな、怪我をするな。

 揃って入門したのか、揃って他流試合にやって来たのか、全く別の事なのか・・まだ分別が付かずにいます。今日よりは明日に期待したいと思います。 

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2020年5月29日 (金)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の44卜清十首5弓矢馬兵法たのむ

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の44卜清十首
5弓矢馬兵法たのむ

兵法百首のうち卜清十首
弓矢むま兵法たのむ奈尓可し能
      こゝろのうちそゆ可し可りけ留

弓矢むま兵法たのむなにがしの
      こゝろのうちぞゆかしかりける

弓矢馬兵法たのむ何某の
      心の内ぞゆかしかりける

 弓矢(や)、馬術、兵法を力としている何某の、心にひかれるものである。

 何某が、武将であるとか無いとかは別としても、弓矢や馬術など兵法の奥義を求めて励んでいる姿には、心が引きつけられる。その姿は現代でも同じかもしれません。芸事に是で良しと云う終着点は無いものかも知れません。此の処まではと辿り着いて見ればさらに上が見えて来て、今いる場所にいたたまれなくなるものです。
 健康状態や金銭的にも家庭や社会環境からも、これ以上は無理として諦める事はあるかも知れない、しかし挫折は慢性化して何をやっても中途半端に終わってしまったのでは、自分にゆかしさを持てなくなってしまいます。
 次々に芸事を変えるのではなく、今やって居る事を突き詰めると、スランプも起こります、然し手助けしてくれる他の芸事が目の前に表われもう一歩進める事もあるものです。
 どんな環境に置かれても、何かを追及する心は持ち続けたいものです。

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2020年5月28日 (木)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の43卜清十首4兵法は心の奥の太刀

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の43卜清十首
4兵法は心の奥の太刀

兵法百首のうち卜清十首
兵法者古ゝろのおく能太刀奈れハ
       と記耳志多可不寸尺そ可し

兵法はこゝろのおく能太刀なれは
       ときにしたかう寸尺そかし

兵法は心の奥の太刀なれば
       時に随う寸尺ぞかし

 兵法と云うのは心の奥にある太刀なのであるから、切り合う時には敵に随って、柄口三寸の拳に打こみ、其の太刀間は三尺の間積りである。
 或いは、あばら一寸を切らせて肉を切る寸尺の教えかも知れません。この歌の解釈は上の句は良しとしても、下の句は明快に読みこなせません。

 兵法は心の奥による太刀なのだから、状況を読み取ってちょっとした動作によるものだ。

 歌の解釈は、手前勝手な憶測をせずに、出来るだけその歌が歌われる状況を石舟斎の新陰流截相口伝書亊、没茲味口伝書をベースに辿ってゆくのが、石舟斎の兵法百首の筋と思うのですが、卜清十首では石舟斎の思いはありながら今一読みこなせないのです。伝書の内容も、歌も、新陰流に係る人たちの歌もその域に達しなければ読み取れないのはやむおえません。
 修行が進み、ふと理解出来る事もあるかもしれません。 

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2020年5月27日 (水)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の42卜清十首3弁慶がうしわか殿をよきしゅうと

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の42卜清十首
3弁慶がうしわか殿をよきしゅうと

兵法百首のうち卜清十首
弁慶可うしわ可殿を与記志うと
      多のミし事毛兵法のとく

弁慶がうしわか殿をよきしゅうと
      たのみし事も兵法のとく

弁慶が牛若殿を良き主と
      頼みし事も兵法の徳

 弁慶が牛若殿を良い主人と頼んだ事も、兵法の徳による。

 牛若丸の本当の姿はよく解らないものでしょうが、戦国末期には歴史物語としても語られていたのでしょう。牛若丸に弁慶が主従の契りを結ぶには、伝説として伝わる鬼一法眼から六韜三略を学び虎之巻を盗んでその教えを以って平家追討したなどの話は当時の人達も拳を握って聞き入ったものでしょう。
 その牛若丸、長じて義経の戦略によって平家は滅んだとされてもいます。義経に関する伝説も、吾妻鏡などの記録書なども都合よく書き換えられて事実を知る事は出来ません。
 吾妻鏡・平治物語・源平盛衰記・義経記・平家物語などを読みこなし、当時の公家と武家との関係などの時代背景を学んだ上、頼朝の存在意味を思い浮かべて義経像を自分なりに思い描く以外にありません。

 この歌も、そんな中で、弁慶が牛若丸の兵法に感服して家来になった物語から、良き家来を持つ事のきっかけに兵法の徳があるぞと歌っているのでしょう。
 兵法百首に乗せる程の歌か否かは読まれた人の夢にあるのでしょう。

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2020年5月26日 (火)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の41卜清十首2なぎなたのひらめく影

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の41卜清十首
2なぎなたのひらめく影

兵法百首のうち卜清十首の2
奈き奈多乃ひらめく影と可満鑓の
      可ゝ流しあひハ見るも目さまし

なぎなたのひらめく影とかま鑓の
      かゝるしあいは見るも目さまし

薙刀の閃く影と鎌鑓の
      懸る試合は見るも目覚まし

 薙刀の閃く影と鎌鑓の懸り試合は見ていても目が覚める様に釘付けになるよ。

 「目覚まし」は、目をさますこと、目をさますたよりになること。目の覚めるようにすばらしい、驚くほどだ、他がすばらしくてうらやましい、羨望の心がおどるようである、心外である、気にいらない、憎い。などです。(広辞苑より)
 この歌は、薙刀と槍の試合の様子を歌ったものでしょう。薙刀と刀、槍と刀の試合としても同じような雰囲気を感じられるかは双方の力量次第でしょう。
 新陰流の太刀捌きを思うと薙刀と槍の試合のような眼を見張る事も無く、勝負がついてしまいそうです。長物が繰り出されるのを往なして相手の小手に斬りつけている、そんなイメージが浮かんできます。

 この歌は石舟斎が敢えて卜清の歌を選別して兵法百首に組み込んだ歌でしょうか。石舟斎の歌を39首読んできた後の2首ですから、何か雰囲気が違う、それも兵法を修業して辿り着いた人の歌とは違うのです。二首読んだだけで兎や角云うべきではないという方もおられるでしょうが、違うものは違う、自ら辿り着いた人の極意を感じられないのです。


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2020年5月25日 (月)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の40是より卜清十首の1兵法の奥より奥の

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の40是より卜清十首1兵法の奥より奥の

兵法百首のうち卜清十首
兵法乃奥与利おく能奈らひ古そ
      多ゝ可うをくの不多つ成介り

兵法の奥よりおくのならひこそ
      たゝこうおくのふたつ成けり

兵法の奥より奥の習いこそ
      ただ剛臆の二つなりけり

 兵法の奥より奥に至るその習いは、ただ心に宿る剛臆の二つを制することである。

 「ごうおく」の漢字の引き当ては、今村嘉雄著史料柳生新陰流では「剛」の文字を当てています。
 「剛」は、つよいこと・たけきこと。強く勇ましい、とかあばれるなどの意味になります。
 「憶」は、おぼえる・おもう、心の中に保つ、過去をおもいやる。
 「臆」は、おしはかる・おくする・おじける。

 「臆」か「憶」は同じ使い方をされている場合もあるし、当用漢字に「臆」が入れられたのがつい最近の事の用ですから戦後の文章には「憶」を使って居るとも思います。此処は時代が現代では無く戦国時代末期である事と、歌の意味を考えれば「臆」が正しいと思います。

 兵法を修業して業技法の修行を積んで、武器の操作の奥義に達したとしても、その奥には猛る心と、臆する心のいずれも制して静かに、敵の心に随う新陰流の極意を歌っている様です。
 しかし、新陰流は目附を正しく、「色付色随事」・「懸待有之事」など兵法を学ぶには無くてはならない事が幾つかあるもので、それなくして稽古の形すら決まらないものです。
 習いの中で剛臆を克服して奥義に至るのだろうと思います。この「習い」は誰かに教えられるものでは無く自ら悟るものと思います。
 
 袋竹刀や木刀での、形の幾つもを順番通り演じられると、出来たと錯覚するものです、相手をしてみると技が決まっていない場合が多々あるものです。相手が何を仕掛けて来たのか充分理解しないまま形を真似ても、己のやるべき事が決まらないものです。稽古の仕方を、新陰流の術理を能く勉強してそれに法って習い・稽古・工夫すべきなのでしょう。
 ほとんどが、実技の見本やDVDの形ばかり優先して、正しく習わずに「かたち」を真似て稽古してしまう様です。ですから「習い」は無く、「稽古」は自分流、当然流の持つ本来の「形」では無いので極意に至る「工夫」などありえないのは当たり前です。

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2020年5月24日 (日)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の39調伏の二字の心を

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の39調伏の二字の心を

兵法百首
てう婦く乃二字乃こゝろと兵法の
       古くいとつ年尓く婦うして与し

じょうぶくの二字の心と兵法の
       ごくいとつねにくふうしてよし

調伏の二字の心と兵法の
       極意と常に工夫してよし

 調伏の二字を心掛けて敵と対する心と兵法の極意とを常に工夫するのが好ましい 

 「調伏」の意味を仏教でいう様な呪詛であるのか、説得に依るのか、いずれにしても戦によって打ち負かせ降伏させる事ではないことを心がける事。
 兵法の極意を以って無刀によって降伏させるか工夫するのがいいよ、というわけです。この場合の兵法は大なるものも、一対一の小なるものも同じと見ていいのでしょう。

  「調伏」とは「じょうぶく」とよみます。「じょうぶくの二字」と書いて歌っていますが調伏と書くことを知っていて「てう婦くの二字」と変体仮名で書いてあります。
 調伏の意味は、仏教語で衆生の心と身を調和して諸悪行を制伏すること。密教で、不動・降三世・軍荼利・大威徳・金剛夜叉などの明王を本尊として法を修し、怨敵・魔障を降伏する事。人を呪い殺すこと、呪詛。(広辞苑)

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2020年5月23日 (土)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の38兵法は器用によらず

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の38兵法は器用によらず

兵法百首
遍い者うハき与う耳与ら須其人の
       春計留心乃多し奈むに阿利

へいはうはきようによらす其人の
      すける心のたしなむにあり

兵法は器用によらず其の人の
      すける心の嗜むにあり

 兵法は才能があるから学ぶのでは無く、其の人の兵法を好んで精を出す心によるものだ。

 「きよう」は、物事の役に立つ才能のあること・手先が良く効くこと・抜け目なく要領よくたちまわること
 「すける」は、好く・助く・空く・透く等が当てられます。「すけるこころ」ですからどれも当てられそうです。
 「たしなむ」は、嗜む(すき、このみ)・窘む(苦しむ、悩む)
 日本語は漢字から使われて来たものと、本来の日本語であったものが入り混じって、更に漢字表記と仮名表記とがあって、漢字には一字で意味を持ちますが、仮名表記されると多様に意味をとらえる事が出来てしまいます。
 この歌の読み下しをどの様にするかは、作者の心情を理解した上で読むべきものでしょう。
 
 前回の兵法に三段階ある事を理解された方は、少し切られて多く切る棒振りがうまいのであれば極意、無刀にて少し切られても相手の太刀を取るのは第一の上手、分別の心持ちに少しも油断無く戦に至らせない心である事を専一の位ですから、棒振りの器用さだけではこの流を身に付けたとは言えないのです。
 無刀による闘争で終わるならば、空手・柔術・体術・合気など幾らでもありますが、兵法における分別の心持ちの世界は更に奥深いものを嗜む窘(たしな)みがあるものです。
 日本には聖徳太子の「以和為貴」、家康の「元和偃武」、そしてその修行の一つとして上泉伊勢守信綱譲りの「無刀」という、おだやかで平和を好みこの地にたどり着いた日本人の祖先の思いがあるはずです。

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2020年5月22日 (金)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の37無刀にてけいこたんれん

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の37無刀にてけいこたんれん

兵法百首
無刀尓天けいこ多ん連ん取えてハ
       王可兵法乃くら為於そし類

無刀にてけいこたんれんとりえては
       わが兵法のくらいおそしる

無刀にて稽古鍛錬取り得ては
       我が兵法の位おぞ知る


 無刀による稽古鍛錬をして取り込むことが出来れば、我が兵法のあるべき姿を知り得るであろう。

「兵法の位」は他の兵法との位置づけ、違いと読んでも間違いでは無いでしょう。しかし石舟斎の生きた時代を考えれば、武器を以って殺し合い天下を我が物としようとする悲惨な時代であったことを思えば、無刀による兵法は平和を求め戦いの無い世の中を人びとは望んでいたことでもあったでしょう。
 家康の元和偃武は元和元年1615年大阪夏の陣によって豊臣政権を名実ともに滅ぼし去って、平和を目指す布告であったと思います。石舟斎は慶長11年1606年に没し、この兵法百歌は慶長6年1601年のものです。
 石舟斎が歌に無刀を歌ってから14年後、没してから9年後に世の中から戦の無くなる方向が示されたと云えます。石舟斎が家康に会った文禄3年1594年から何と21年後なのです。
 家康との出会いの際に無刀を演じて見せた無刀は兵法の究極の極意と云えるもので、それは流血による争いを避ける事に通ずるものと云えます。
 元和偃武は家康による無刀の極意の政治的実行とも云えるのですが、中傷的批判の好きな人は、あれは自分達一族だけが生き残る手段を行使したとも揶揄するでしょう。然し結果はどちらにしても250年の平和をもたらしているのです。

 宗矩の元和9年1624年の兵法截相心持事に「すこしきられておゝくきるを兵法心持の極意とす。無刀にて少しきられてもとるは第一の上手也。はかりごとを帷幕の中にめぐらして勝を千里の外に決しふんべつしなし気前のはたらき肝要なり。敵にたちあひて、分別の心もちにすこしもゆたんなき事を専一候。」とあります。
 この兵法の心持ちが「我が兵法の位おぞ知る」なのでしょう。

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2020年5月21日 (木)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の36手刀をばきりてかひなし

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の36手刀をばきりてかひなし

兵法百首
手刀を者きりて可ひ奈しとら連てハ
      いちこ手奈し乃不留や入なん

手刀をばきりてかひなしとられては
      いちご手なしのふるや入りなん

手刀をば切りて甲斐なし取られては
      一期手なしのふるや入りなん

 今村義雄著史料柳生新陰流にはこの歌の石舟斎の手記による写真は有りません。奈良女子大学学術情報センターの資料から原文の引用をさせていただきます。

 無刀の者に切り込んだが、其の甲斐もなく刀を取られてしまい、生涯手なしで古屋に住んでいるよ。

 この歌の文字のまま読んで見ましたが、笑い話みたいです。へぼが刀を持って、無刀で向かって行けばあり得るものと思えそうです。

 石舟斎に上泉伊勢守信綱が与えた無刀取の公案を開悟し、永禄8年1565年上泉伊勢守信綱より道統第二世を継承しています。「無刀」は兵法截相心持の事では「当流の向上極意是也」と云ってこれ以上のものはないと云う事から無刀と云う。とあります。

 「一期」は一生・一生涯・生まれてから死ぬまで。(広辞苑より)。
 「ふるや入りなん」は入りなんの言葉から、古屋に入ると読むのでしょう。あるいは、「一生涯手なしで歳を取ってしまった」と読むことも出来ます。何れにしてもこの歌を石舟斎の様に無刀の悟りを得た兵法者が自らを歌ったとは思えずにいます。
 

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2020年5月20日 (水)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の35無刀にて極まるならば

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の35無刀にて極まるならば

兵法百首
無刀尓天幾ハ未留奈らは兵法者
        こし乃可多那ハむ与う成介利

無刀にてきはまるならは兵法は
        こしのかたなはむようなりけり

無刀にて極まるならば兵法は
        腰の刀は無用なりけり


 無刀でもどのような相手との攻防でも負ける事が無い程に極める事が出来る兵法ならば腰の刀は無用である。

 兵法を極める事はどのような事なのかを考えさせられる歌と云えるでしょう。人と争い自分の主張を押し通す為のコミュニケーションの最後の手段として兵法を駆使するのだとして、兵法修行を闘争の手段とするならば「兵法は」ではなくとも「兵法者」でいいのかも知れません。原文の「者」の読みによる違いです。
 天下人に成らんとする家康に、宗矩を預けた石舟斎が兵法の心を以って戦国の世を静めようと思うならば、「兵法は」であろうと思います。
 北條に敗れ、武田に生かされて戦による悲惨さを嘗め、信玄の仕官を断って兵法に生きて来た上泉伊勢守信綱との交流を思うと、さらに「兵法は」に私は傾いてしまいます。
 石舟斎の柳生新陰流が、勝ち負けのみを誇る棒振りの術ならば、学ぶ意味などさらさらない、スポーツ剣道で充分な事です。

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2020年5月19日 (火)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の34兵法のけいこに手刀

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の34兵法のけいこに手刀

兵法百首
兵法乃けいこ尓手刀と留事ハ
      もし可那ハさ留お利乃ような利

兵法のけいこに手刀とる事は
      もしかなわさるおりのようなり

兵法の稽古に手刀とる事は
      もしかなわざる折のようなり

 兵法の稽古の際に無刀で応じる事は、若し刀による応酬が出来ない折りの用なのである。

 下の句の意味は「もしかなわさるお▢(り)のようなり」の、▢の文字の判読にあります。今村嘉雄先生は「もしかなわさるお(重)の用なり」と判読されています。「も」は楷書では毛・无・裳・母・茂などの草書体が変体仮名となります。此処での文字は「利」の草書体でしょう。
 太刀が手元にない、折れてしまった、丸腰だったなどの際の応じる事を歌ったのでしょう。

 石舟斎による無刀の口伝は見られませんが、宗矩の無刀の教えは兵法家伝書活人剣に無刀之巻で見られます。
 此処では宗矩による玉成集より「無刀の習ひの事、無理に無刀にとるへきにあらす。兵法のならひ、しなし、上手の所作、無刀より出るに依りて、当流の高上極意是也。諸道具自由に仕も無刀也。諸道具なくとも兵法の用にたて、心にはかり、なにゝても取あわせ自由にいたし、上なき事をいはんがために無刀と云。 きるへきと存者無刀にて取也。とられましきと覚悟の者はとるへきにあらす。きられねはとりたる同前也。きらるゝ様に仕掛る事第一心持也。兵法のならひ仕掛、表裏の心はたらき心より出るに依りて、仕なし様子は心にあり、心はしらす、心しらさる所は無刀也。心の出る所を勝、おさゆる儀を当流の兵法と云。其目付ならひ五つにてしるへし。神妙剣の心持同事也。水月のよくうつしてきらせんとおもひ、五つの心持の仕掛候へは、とらすと云事なし。足・手・身・表裏の心持を含みて、心にて仕候へば、十人にして六人七人、十度にして六度七度、かならすとるもの也。いにしへの、兵法にも腿に頸をかへ、少しきられて多きるを兵法心持の極意とす。無刀にて少きられてもとるは第一の上手也。」今村嘉雄著史料柳生新陰流より。
 

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2020年5月18日 (月)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の33兵法はまづ何某の

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の33兵法はまづ何某の

兵法百首
へい者うハ未つ奈尓可し乃やく尓して
       心耳可計天奈らひつゝしめ

へいはうはまつなにかしのやくにして
       心にかけてならひつゝしめ

兵法は先ず何某の役にして
       心に掛けて習いつつしめ

 兵法は先ず誰かしらの役に立つものとして、其の心掛けをもって謹んで習うものだ。

 戦国時代末期の1600年ごろの石舟斎の兵法百首ですから、兵法は誰かしらに仕官の上役立てる為に習うと、一番先に頭にひらめいたのですが、良い学校を出て良い就職にありつこうとする根性が見え見えで面白くも無い歌になってしまいます。
 門弟を石舟斎が上から目線で見ている様なもので、石舟斎の武将について出世したかった若き日の思いは時代に翻弄されて達せられず、晩年になって家康によって仕官を求められ、代わりに宗矩を仕官させ、自らは兵法の道一筋になって上泉伊勢守の新陰流を昇華していく思いを読み取った方が楽しいものです。
 「何某」の意味は、「人または物事・場所などの名及び数量がはっきりしないか、またはわざとぼんやりという時に用いる語。おのれ、それがし。(広辞苑より)。」という語であるとなると、ここはそのまま「何某」の役に立つと信じて心掛ける、何某はぼんやりして居た方が好ましそうです。
 歌は作られた人の歌心を、ピタリと読み取る必要など無くていい。読んだ人が自分が納得し感動できればいいのだと思います。

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2020年5月17日 (日)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の32兵法はこころゆるさで

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の32兵法はこころゆるさで

兵法百首
兵法ハ古ゝろゆ留さて気をつ可ひ
      みゝ耳多つ奈留ことハすこす奈

兵法はこころゆるさてきをつかひ
      みみにたつなることはすこすな

兵法は心許さで気を使い
      耳に立つなる言葉すごすな

 兵法は心のままに振る舞わず気を使うもので、耳に留まる言葉は留めるな。

 さて、この歌も難解ですが、上の句は兵法は妄心に振り回されて、相手の出方を読みもしないで一方的に攻め込んだり、勝つ事ばかり意識して、相手の打たんとする機をとらえる心の使いを身に付ける事もせず、相手をののしったり、ののしられたり暴言が発せられることもあり得ます。心を思いのままにさせないで気を使い、いたずらに闘争心をかきたてたのでは思うツボにはまってしまいます。耳障りな言葉や、感情を逆なでするような言葉に心を留めるな。そんな歌心を思い描いてしまいます。
 闘争心をかきたてる気合などもその一つで、「声を出せ!」、「気で威圧しろ!」、「休まず打込め!」・・生死をかけた勝負と違って当てっこ勝負のスポーツは・・です。
 

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2020年5月16日 (土)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の31兵法のかまえさそくは

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の31兵法のかまえさそくは

兵法百首
兵法乃可未へさそくハと尓も阿連
      可川ハ古ゝろ乃つもり成介利

兵法のかまへさそくはとにもあれ
      かつはこころのつもりなりけれ

兵法の構さそくはとにもあれ
      勝は心のつもりなりけれ


 兵法の構や軽快さなどは有ったとしても、勝負に勝には心の持ち様が大切である。

「さそく」とは「早足」軽快な足さばき、「早速」機に臨んで速やかに処置すること・機転・さっそく。(広辞苑より)
「心のつもり」つもり、は、「積り」・・つもること・かさなり・かさなった結果、前もっての計算・みつもり、心くみ・考え・予想、程度・限度。
「積る」・・ものごとを大ぐくりに量的にとらえようとする意、あらかじめ見計らって見当をつける・おおよその見通しをつける・みつもる、他の心を推測する。

 歌から字義を当てて読んでみれば、「兵法の構かたや機に臨んで速やかに行うなどは有ったとしても、勝つのは相手の心を推し測ってどのように勝つかだ。」
 
 これで石舟斎の歌心を読み解いたものであるか解りませんが、新陰流の極意には構えは無い無形の構であり勝を急いで相手の出方を思わずに打ち込むのであれば、勝を得るのは相手の心を推し測ったとしても、「色付色随事」を忘れて懸ばかりではありえません。

 

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2020年5月15日 (金)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の30兵法の極意に心いたりなば

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の30兵法の極意に心いたりなば

兵法百首
兵法乃極意耳心いたり奈者
      可多那多うくもお与者さ留もの

兵法の極意に心至りなば
      刀たうくもおよばさるもの

兵法の極意に心至りなば
     刀道具も及ばざるもの

 兵法の極意に心が至るのであれば刀の扱いや道具の使用法などでは及ばないものである。

 この歌のポイントは「兵法の極意」とは何か、その極意を得た場合の「心」とは何かが理解出来れば、刀も道具も要らないとなるのでしょう。
 石舟斎が上泉伊勢守信綱より永禄8年1565年に授与された允可状に新陰流極意が示されています。
 今村嘉雄著史料柳生新陰流下巻「上泉秀綱允可状」より抜粋読み下し「予は諸流を廃せずして諸流を認めず・・懸待表裏は一隅を守らず、敵に随って一重の手段を施すこと恰も風を見て帆を使い兎をみて鷹を放つが如し、懸を以って懸と為し、懸を以って待と為すは常の事なり、懸懸に非ず、待待に非ず、懸は意待に在り、待は意懸に在り、・・」太刀目録として燕飛・三学・九箇が相伝されています。

 石舟斎による慶長8年柳生兵庫に授与した新陰流截相口伝書亊、及び慶長9年に柳生兵庫に授与した没茲味口伝書により極意を相伝しています。
 没茲味口伝書には一真実無刀極意として無刀を上げています。無刀については柳生宗矩の兵法家伝書活人剣の無刀之巻に「無刀とて、必ずしも人の刀をとらずしてかなはぬと云ふ儀にあらず、又刀を取りて見せて、是を名誉にせんにてもなし。わが刀なき時、人にきられじとの無刀也。いで取りて見せうなどと云ふ事を本意とするにあらず。・・とられじとするをば、とらぬも無刀也。とられじとられじとする人はきらふ事をばわすれて、とられまひとばかりする程に、人をきる事はなるまじき也。われはきられぬを勝とする也・・無刀と云ふは、人の刀をとる芸にあらず。諸道具を自由につかはむが為也・・無刀は、当流に、是を専一の秘事とする也。身構、太刀構、場の位、遠近、うごき、はたらき、つけ、かけ、表裏、悉皆無刀のつもりより出る故に、是簡要の眼也」と解説されています。

 その新陰流截相口伝書亊・没茲味口伝書の各條々の極意を身に付けたならば、刀、道具も不要であろうと歌っているのでしょう。
 
 現代の剣術修行となればともすれば木刀や竹刀、居合では模擬刀や本身を揮うばかりで「かたち」ができたら「出来た顔」をしている、試合で勝てれば「出来る顔」をしているのが殆どです。
 もっとお粗末なのは、勝ち負けの功績も無く長い間連盟に携わって来たご褒美の段位に、権威を得たとばかりに権力を揮う浅はかさ。はては棒振りの順番を覚えただけで指導者ぶる浅はかさ。
 ここ半年、残されている流派の歌を読みながら日本の武術を改めて思うこの頃です。

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2020年5月14日 (木)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の29兵法の習ひそのおり

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の29兵法の習ひそのおり

兵法百首
遍い者う乃奈らひそ乃於里いてさ留と
          可多流ハをの可はちと志らすや

へいはうのならひそのおりいでさると
         かたるはおのがはじとしらずや

兵法の習いその折出でざると
        語るは己が恥と知らずや

 兵法を習っているその時に出てきてしまった、と語るのは己が恥とは解らないのか。

 この歌の解釈はこの様に聞こえてくるのです、石舟斎が歌う歌とも思えないのですが如何なものでしょう。どの様な理由があるとしても、稽古の折にさっさと出てきてしまうのは礼儀知らずで恥ずかしい事ではあるでしょう。
 もう一歩踏み込んで、兵法の修行中にであるにもかかわらず、辞めてしまった者が、辞めた理由をくどくど言い訳しているのを伝え聞いて恥知らずと歌ったのかも知れません。
 此処までは柳生新陰流の門弟が、修行半ばで出て行ってしまった不甲斐なさを歌った歌として読んで見ました。
 柳生新陰流の家憲として石舟斎は他の芸事や他流への修行を厭わずに鍛錬する事を良しとしています。「兵法一儀にあらず、いづれの芸能か、稽古なくして上手のあるべきや。此の流には、第一仕相無用たるべき也。其の仔細は、余流を廃せずして道をたしなみ、幾重にも他流を育て相尋ねる事尤も也。世上修行するほどの仁には、一つ二つ是非ともに然るべき極意を存する者也。執心の道を育て、兵法建立の心、後代の為を存ずべし。」
 どこぞのへぼ道場長は、他流は愚か自流の他道場や連盟にすら顔出しを嫌う程の狭量です。自分の教え子が一流の兵法者になって自分を越えていくことを望まない様な、団体や道場ではそこに居付いて居ても意味は無いでしょう。

 石舟斎はそんな折り、他流に修行に出たものが修行半ばで辞めて来たことに対し「恥を知れ」と歌ったのかも知れません。「弟子たるもの師匠の出来ない事でもやれ」と訓示された居合の元関東支部長の太田次吉先生の言葉を思い出します。

 柳生延春著「柳生新陰流道眼」の始終不捨書の序文に「兵法は時代によって、恒に新たなるべし。然らざれば、戦場戦士の当用に役立たず。また忠孝節義の道を践み行うことはできない。」上泉伊勢守信綱が石舟斎に訓示した兵法革新の口伝に随えば、もう一つ踏み込んだ歌心が正しいものかも知れません。
 戦国時代末期の著しい武器の進歩による戦闘方法の変化を目の辺りにして、当然のこととして語られていたろうと思います。
 居合における古伝無雙神傳英信流居合兵法も江戸前期の新陰流もそれを学ぶ事は、現代の形ばかりを求める其の兵法では戦場戦士の当用には役に立ちそうにないからです。現今の形骸化した「かたち」から、生き生きとした古の形を学ぶ事で、マニュアル化したものでは無い、其の中に秘められた兵法を通して、いかなる困難に出合っても今を生きる哲学を見いだせると信じています。
 

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2020年5月13日 (水)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の28上手には兵法のみか

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の28上手には兵法のみか

兵法百首
上手耳ハ兵法乃ミ可六藝農
      けいこ奈くしてきとくやは阿留

上手には兵法のみか六芸の
      けいこなくしてきとくやはある

上手には兵法のみか六芸の
      稽古なくして奇特やはある

 兵法の上手であると云うのには兵法修行だけでなく六芸(六経)の稽古無くしては優れた人と云えるであろうか。

 六芸(六経)とは中国における六種の経書。即ち易経・書経・詩経・春秋・礼・楽経(佚書)の総称。(広辞苑より)、を指します。
 経とは本田済著「易」によれば「「経」の字はもと織物の縦糸の意味、それからすじみち、道の意味となる。人の生きる道、天下国家を治める道、ひいては宇宙の奥にひそみ、宇宙を動かしている道、それを解き明かしたのが「経」である。」とされています。

 周代のでは士大夫の教養として六芸は礼・楽・射(弓)・御(馬術)・書・数が求められた。
 石舟斎の指す六芸は何であったか解りませんが、いずれにしても武芸の業技法に習熟しても学問の無い者は優れた人とは言えない。文武両道に達した人をさすのでしょう。

 余り知られていない様ですが、上泉伊勢守信綱は小笠原家の末裔小笠原氏隆から軍学である訓閲集(きんえつしゅう)を相伝しています。訓閲集は「本朝武芸小伝では、古伝に曰く、醍醐帝の時、大江維時入唐して六韜・三略・軍勝図四十二条を得て帰国す。はなはだ秘して人に伝えず。和字の書を作りて訓閲集と号して世に伝う」
 赤羽根龍夫解説、赤羽根大介校訂による「上泉信綱伝新陰流軍学訓閲集」によれば日本の最初の軍学者は、奈良時代の初めの養老元年(717年)に遣唐留学生として入唐して中国の軍学書をもたらした吉備真備と云われている。彼は陰陽道の先駆者としても知られている。「訓閲集」は、平安時代の初めの醍醐帝の時、大江維時が唐から六韜・三略・軍勝図四十二条等の中国の兵書を持ち帰り、それを陰陽五行説と結び付けて作成したと伝えられている。」
 上泉伊勢守信綱は武将としても兵法者としても軍学者としてもすぐれた才能を持っていたものと思われます。強いばかりで消えて行った多くの武芸者の中で信綱と石舟斎との出会いは、わが国の剣術に多くの教えを残したと云えます。

 
 

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2020年5月12日 (火)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の27へい法の文字をおもへば

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の27兵法の文字を思へば

兵法百首
遍い法乃文字をおもへ者奈尓可しの
         こゝろ可けぬもおろ可奈り介り

へい法の文字をおもへばなにがしの
         こころかけぬもおろかなりけり

兵法の文字を思へば何某の
       心掛けぬも愚かなりけり

 この歌の歌心は何なのでしょう。1600年という17世紀にはいったばかりで、ようやく天下統一の兆しが見えて来た遠い時代の兵法と、それを修業し門人を抱え、時の為政者家康に我が子宗矩を託した石舟斎ならではの一句かもしれません。

 (武士として)兵法の文字を思うならば見たり聞いたりして何だろうと思うならば、兵法について何某かの心得を持とうと心に掛けて学ばないのは愚かとしか言いようは無い。

 (武士として)と付け加えなければ、武将の夢破れて兵法者として生きる道を選んだ石舟斎の独りよがりにしか聞こえてこないのは、兵法とは何のために心掛けるものなのかが見えてこないからなのでしょう。
 人は生きているその時が全てであって、過去は歴史であり、未来は夢なのでしょう。此の時尤も有用なものは自分にとって何なのか、その一端を担っていると思えることは素晴らしい事でしょう。武芸者としてその時代の役割は今の私達が武術を学ぶ事とは全く違ったものだった、兵法を知り、使える者の役割は大きかったかもしれません。学校で学ぶ日本史は信長が、秀吉が、家康がという事ばかりを語り、その時代を生きた人々の生活も夢も、望んでいる理想の暮らしも語ってはくれていません。理想の暮らしを求めるために兵法がどのように必要だったのか、そんな事を思わせる、石舟斎の一句でした。
 相伝された人しか読めず、語られなかったかも知れない新陰流截相口伝書亊、没茲味口伝書、始終不捨書、兵法家伝書、月之抄、朏聞集それらの解説書は幾つも現代は見る事も読む事も、印可を受けられた先生方から指導も受けられる時代です。然しそれらをいくら読んでも、解説され、手取り足取り指導されても、「かたち」は出来ても奥義に至る道は簡単には開けて来ません。
 「心掛けぬも愚かなりけり」の歌心に、稽古の仕方に改めて思いを巡らせるばかりです。居合で学んだように、仮想敵を相手に、形骸化した「形」を生き生きとよみがえらせて、一人稽古の比重を高めるイメージトレーニングを考えてみるのも一つでしょう。
 

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2020年5月11日 (月)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の26兵法のあらそい事も

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の26兵法のあらそひ事も

兵法百首
兵法乃あらそひ事もよく由へ登
      心にこころの師となりてしれ

兵法のあらそい事もよくゆへと
      心にこころの師となりてしれ

兵法の争い事もよくゆへと
      心に心の師となりて知れ

 兵法の争い事も能く言いなさい、心に心の師となってあるべき事を理解しなさい。

 直訳して見ましたが「よくゆへと」の解釈がこれでいいのか心もとないのですが、下の句を読みながらこの様に読んでも石舟斎はうなずくでしょう。
 「心に心の師となりて」は沢庵和尚による不動智神妙録にある「心こそ心まよはす心なれ心に心ゆるすな」の歌は「妄心とてあしき心がわが本心をまよわす妄心なれ、この妄心に本心よ心ゆるすな」と歌っています。
 その妄心に本心が師となって、兵法の争い事もしばしば言い合いをした上であるべき事を理解しようよ。とりあえず、ここまではお稽古ごとの同輩とのやり取り位で、可愛いものです。
 この歌を、敵との攻防の際に「今打込むべきか否か」の判断における葛藤のありようを「心に心の師となりて知れ」と読むならば、我は勝たんと気ばかり焦って、敵の誘いにうかうかと乗って打たれに行くその心を、石舟斎の新陰流截相口伝書亊における教えに法り打ち勝つことを歌っていると解釈すべきなのでしょう。

 勝った負けたの勝負を竹刀剣道で稽古する者は、新陰流の稽古業を「形だから」と業の動作の順番を習ったままに復元しようとしてそればかりで歳月を過ぎて行きます。そしてそれすら術に成らないものです。
 居合のように仮想敵相手の稽古業ばかりを演じる者は仮想敵は何も考えずに切られてくれて、熟達した見事な動作も喝采を得られても、簡単に破られてしまいます。
 この様な歌も簡単に其の歌心を読み取れないのは、稽古のありように問題があるのでしょう。それは師匠の指導にあるのではなく、新陰流は業の術理以前に身に付けなければならない思考回路にあるようです。それは截相口伝書事の箇条書きされている事々を理解し日頃の稽古に生かしていかなければならないのでしょう。
 

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2020年5月10日 (日)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の25兵法に調子のありと

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の25兵法に調子のありと

兵法百首
兵法尓調子乃あり登奈ら非帝も
       安不天者川留ゝ心与久登皿

兵法に調子のありとならひても
       あふてはつるゝ心よくとへ

兵法に調子のありと習ひても
        合うて外るゝ心能く問え

 兵法には打ち合いの調子が合うと習っても、調子が合っては却って外れてしまう、其の心持ちを良く自問しなさい。

 様々な場面でコミュニケーションの一つに、調子を合わすとか、調子が合わないとか、調子者とか言われます。
 調子の意味は、音律の高低・しらべ・音調、楽曲の調べ、調技法、雅楽の一種の前奏曲、いいまわし・語調・口調、ほどあい・ぐあい、はずみ・勢い、などが広辞苑による調子です。
 ついでに「拍子」は、音楽用語でリズムの基礎をなすもの、しお・おり・機、はずみ・とたん、ぐあい・調子です。「調子が合わない」「拍子が合わない」・「調子が合う」「拍子が合う」と使われている様です。
 調子と拍子の使い分けが充分かどうかは疑わしいところですが、武術では使い分けされていないように思います。

 柳生新陰流道眼の著者柳生延春先生は清水博著「生命知としての場の論理」の対談で「「拍子」とは太刀の働きのことなのです。これはいわば生きたリズムというべきもので、自分の本心からでてくるものです。柳生新陰流では、太刀のリズムを「拍子」、心のリズムを「調子」と区別しています。つまり、自分の本心に内在する生きたリズムである「調子」から、生きた太刀のリズムである「拍子」が生み出される、というのが正しい表現になる分けです。このような区別ははじめは明確だったのですが、そのうち両方を「拍子」と呼ぶようになりました。もし相手に「位」で負けていれば、自分の自由な「拍子」が出せないようになりますから、截相でもやはり負けてしまう、ということになります。」と説明されています。

 ここでは「調子のあり」ですから「調子を合わせた」のでは外ずされるのですから斬られてしまうのです。「調子はずれ」は、調子の合わぬこと・調子のととのわぬこと・ぐあいの普通とは異なること。に注目してみます。

 曽田本の居合兵法極意秘訣(英信流居合口受秘訣)に、いくつか例がありますが新陰流の雰囲気の処は「亦、相懸にて敵来る時、先に敵の太刀を殺して勝位有り、古人、和卜刀とも云えり。亦敵先に切って懸る時左右へ展き勝つ位有り、皆我が気の働き也。亦太刀を敵へ差懸け切らせて引き透かして跡を切る位有り。亦時によりて青眼に構えて身を能く囲い、敵より切一度に摺り込み鍔際にて勝つ位有り。亦敵打つ時我が太刀を冠り請亦は請け流して勝位有り、亦敵打つ時我が身を沈み沈体にて敵の手首を討ち払いて勝位有り。亦中墨を打払いて勝つ位も有り。
 惣体足を踏み付けずに体の居付かぬ様に浮き浮きと立って右の事を行うべし。敵と気分の喰い合わぬ様に我は敵と別々と成る心也。敵は〆合わせうとするを此方は夫々移らすふわりと出合うよし、ふわりとせねば右云う夫々の変出る事無し。考えるべし右之働きを敵がすれば此方の負けと成る事の上にて是より外の仕筋無。深く 工夫有るべし。」
 無雙神傳英信流居合兵法を江戸より土佐に持ち込んだ林六大夫守政の教えですが、江戸で大森六郎左衛門に真陰流を習っています。新陰流かどうかですが、新陰流の雰囲気は充分あります。

 石舟斎の調子については新陰流截相口伝書亊に整理された口伝の目録があります。ここでは柳生宗矩の兵法家伝書殺人刀に「三拍子の事、相打一、上ぐればつけて打つ一、下ぐればこして打つ一也。あふ拍子はあしゝ、あはぬ拍子をよしとす。拍子あへば、敵のつかひよく成る也。拍子がちがへば、敵の太刀つかはれぬ也。敵の太刀のつかひにくき様に打つべし。つくるもこすも、無拍子にうつべし。惣別のる拍子は悪しき也。
 大拍子小拍子、小拍子大拍子の事、敵が大拍子にかまへて太刀をつかはば、我は小拍子につかふべし。敵小拍子ならば、我は大拍子につかふべし。是も敵と拍子をあはせぬ様につかふ心得也。拍子がのれば、敵の太刀がつかひよく成る也。」

 
 

 

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2020年5月 9日 (土)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の24兵法のならひのうへのこころ

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の24兵法のならひのうへのこころ

兵法百首
兵法の奈らひのうへ乃古ゝろ尓毛
        可く春越ひち乃多い一とする

へいほうのならひのうへのこころにも
      かくすをひちのたい一とする

兵法の習いの上の心にも
      隠すを秘事の第一とする

 兵法を習う上の心掛にも、隠すことが秘事の第一である。兵法を習い覚えて出来るようになったとしても、軽々しく口に出したり、人にやって見せたりしない、立合いともなれば打ち出す業を悟られないように隠すことが第一の秘事である。

 曽田本古伝神傳流秘書の居合兵法の和歌に
 居合とは知った振りして突るゝな
         居合の道を深く問うべし
 無用なる手詰の論をすべからず
         無理の人には勝って利はなし
 世は広し我より外の事なしと
         思うは池の蛙なりけり
 我が道の居合一筋雑談に
         知らぬ兵法事を語るな

 この歌を読みながら、古参の者が初心者に手取り足取り指導しているのを見ていました。彼の指導を受けた者が何時まで経っても業を打てないのです。打込んで外されたら次に何をしたらいいのかウロウロしています。例えば柳生新陰流の八勢法の場合一本目、二本目と一本目が終わって元の位置に戻り、二本目に入る、この順番は歳取ってから習い始めるとボケて来るとドンドン失念しますから其の都度二本目はこれこれと軽くやっておけばいいのです。
 難しいのは燕飛のようにいくつもの業が続け遣いに連続するのは、運剣ごとの技の良し悪しを責めるよりも連続の動きを体に覚えさせてから、個々の動きを見て行けばいいのです。
 へぼな古参の駄目な処は、三学円の太刀の一本目一刀両断を満足に指導出来ていないのはなぜでしょう。
 教えるならばこの業は何を目的にしているのかその意義を知るべきでしょう。其の為に、どの様に仕太刀は振る舞い、打太刀はどうするのか、打太刀の懸りに待の仕太刀はどのようにすれば目的が達成できるのか、訳も解らず棒を振り回して、良いとか悪いとか言っても何を言われているのかさっぱりです。

 この三学円の太刀一本目の一刀両断は、車に構え敵に左肩を差し向け、敵が肩を斬って来る時、車に打込めば左肩は自ずから敵の打込みを外し。敵の二星(両拳)に勝つ身と太刀の働きを学ぶものです。敵の我が肩への斬り込みに敵の太刀を叩いて受け太刀になっても、敵の拳への一刀両断はならなでしょう。敵太刀を外した時が敵に斬り込み敵を制した時の筈です。それを指導出来なければ指導とは言えないでしょう。
 居合を修業する人は仮想敵を思い描き仮想敵の攻撃に応じる事はお手の物でしょう。家に帰ってから幾らでも一人稽古できる筈です。それでも業が決まらない、二星に打ち込んだのに外れてしまう、或いは敵に上太刀になられてしまう、など足捌き体裁きが刀に伝わる働きが、敵の動きに対応できていなければ目的は達成できないものです。
 今日、10年以上稽古している人が、この一刀両断でどうしたわけか見事に我が柄中を打って来ます。二度三度とも柄中を打って来るのです。「なぜ」の我が問いに「??」何を言われているのか分からない顔をしています。せっかく高い小手を注文して作ってもらったのにです。
 そうかと思うと、ある人は、我が袋竹刀の中程を夢中で打ち払って切先は我が右肩45度も右にあります。そこからどうするつもりでしょう。これも一刀両断の意義を失念している様です。 

 居合でもよくあることですが、居合とは早抜きだと勘違いして、座したまま腰が上がる前に物打ちまで抜き出してしまっています。抜き付けてから腰が上がり爪先立ち右足を踏み込んでいます。体が伴わない内に刀が物打ちまで抜けてしまっていますから、タイミングがずれてしまい少しも早くはならず、抜かんとして柄を前に引き出している時の方が早いなんておかしいですよ。足いたる体いたる刀いたるって習ったのに・・。どれも秘事を隠しているのでしょうか。

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2020年5月 8日 (金)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の23たばかりと

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の23たばかり

兵法百首
多者可利登矢とめかうおく長具足
        堂世ひ耳ふ世ひ兵法乃保可

たばかりとやとめこうおくながぐそく
        たぜいにぶぜいへいほうのほか

謀りと矢止め高屋長具足
       多勢に無勢兵法の外


 この歌は上の句が読めなければ何を歌っているのか解りません。写真による石舟斎の文字を拾い読みして見ても、今村嘉雄先生の読み下し文と比較しても読み下しは良さそうです。問題は「矢とめこう(かう)おく長具足」が 正しく読めて意味が分からなければ解釈不能です。

たばかり(謀り)・・思いめぐらすこと・思案・計画・工夫・はかりあざむくこと
矢とめ・・矢を射ることを中止すること・休戦
こうおく(高屋)・・高くそびえた家
長具足・・槍、薙刀の長物
兵法・・いくさのしかた・用兵と戦闘の方法・兵学・軍法、剣道などの武術・ひょうほう

 敵をあざむく休戦、見せかけの家屋(砦)、長物の武器、多勢に無勢などの行為は兵法の外である。

 戦国時代の兵法の語意は剣術などの小さな戦いを称していたり、大きな戦争の方法も語られていた様です。此処では剣術の外の事と云うのでしょう。
 武蔵は五輪書で「太刀よりして兵法といふ事道理也。太刀の徳よりして世を納め、身を納る亊なれば太刀は兵法のおこる所也。太刀の徳を得ては一人して十人に勝つ事也。一人して十人に勝つなれば、百人して千人にかち、千人にして万人に勝つ。然るによって、わが一流の兵法に、一人も万人もおなじ事にして、武士の法を残らず兵法といふ所也」と云っています。石舟斎の「兵法の外」とは少々違う捉え方です。

 柳生宗矩は兵法家伝書進履橋で「・・さてよく敵の機を見て、太刀にて勝つを、勝つこと千里の外に決すと心得べし。大軍を引きて合戦して勝つと、立相の兵法とはかはるべからず。太刀二つにて太刀相ひ、切合ひて勝つ心を以て大軍の合戦にかち、大軍の合戦の心をもって、立相の兵法に勝つべし」武蔵と言い回しは異なりますが同じ思いの様です。

 石舟斎の云う「兵法の外」は「立相の兵法の外」の意味でしょう。だまし打ちや、見かけや地位で圧倒したり、大勢で攻めたり、槍なぎなたによる突く、打つばかりの得物の扱いは、敵と対して「わが心のうちに油断もなく、敵のうごき、はたらきを見て、様々に表裏をしかけ、敵の機を見るはかりごとを心のうちにめぐらす兵法とは違う」という歌心でしょうか。
 何だかスッキリしません。一対一の戦いの考え方は大軍を持ってする戦いと同じ心持ちならば稽古に励む意味もあろうと思いますが、チャンバラの優劣を楽しむなら大道芸と変わらない。

 

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2020年5月 7日 (木)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の21兵法のいたれるうへの

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の21兵法のいたれるうへの

兵法百首
兵法乃い多れるうへの古ころ耳毛
       や里をくそく乃第一とあ利

兵法のいたれるうへのこころにも
       やりをぐそくのだい一とあり

兵法の至れる上の心にも
       槍を具足の第一とあり


 兵法を修業して奥義に至るとしてもその上に心に掛かるのは、槍は伴うものの第一である。

「第一とあり」ですから石舟斎自らの教えでは無く、その様な考えもある位に読みこなすべきかもしれません。
「具足」の意味は、十分に備わっていること・揃っていること・伴うこと・同行すること・携行品・道具、と広辞苑は解説しています。

 柳生新陰流には、尾張柳生に残された尾張還流や柳生新陰流槍術、薙刀は新当流薙刀、静流薙刀(自在剣)、武蔵の圓明流などが稽古されています。
 この兵法百歌の解説のベースとしては、柳生石舟斎宗厳が上泉伊勢守信綱から相伝したもの、それを基にして書かれた新陰流兵法目録事・新陰流截相口伝書亊・没茲味手段口伝書を紐解きながら進めています。
 ミツヒラは、現代居合は無双直伝英信流正統会の居合、その古伝は曽田虎彦先生が纏められた第9代林六太夫による無雙神傳英信流の神傳流秘書を基に研究しています。その研究に当たり、手近い所で稽古されて居られる名古屋春風館関東支部赤羽根龍夫先生の元で江戸武士の身体操作を学んでいます。
 神傳流秘書の成立が1750年以降ですから石舟斎が存命の頃から既に150年以上経っています。
 神傳流秘書には居合、居合に依る形、棒、和が附随し居合の表業および裏業として成立させています。薙刀および槍は伝書にはありません。この神傳流秘書を追及していきますと、抜刀による居合を稽古する一連の形・棒・和によって最後は無刀に至る事を示唆した稽古の順が記載されている様です。
 武術も時代によって新しい武器が生み出され戦闘方法が変化していくものである事は当然のことでしょう。この歌心をどの様に受け取るべきか思案する所でしょう。
 先の大戦に、剣術をしたことのない将校に真剣刀法を訓練するために河野百錬先生は抜刀法を創始させられています。竹槍で上陸した米兵を刺突する訓練迄、しかとした顔で行うような精神論が先行し意味のない武器の操法に注目してしまう、そんな日本人の気質はどこで養われたものか・・。高度な武器など幾らでも開発は可能でしょう。戦いを避けて和する事の知恵は人を人として思えない輩に出来るわけはないでしょう。おっと、本道を歩き始めそうになりました、横道に戻りましょう。「槍を具足の第一とあり」の「あり」の二文字に石舟斎の思いも込められているかも知れません。

 

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2020年5月 6日 (水)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の22兵法のならひは一に

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の22兵法のならひは一に

兵法百首
兵法乃奈らひハいち二多い可ひそ
       阿末り春き多流事ハ奈ら奴そ

兵法のならいはいちにたいがいぞ
       あまりすきたる事はならぬそ

兵法の習いは一に大概ぞ
      余り過ぎたる事はならぬぞ

今村嘉雄著「史料柳生新陰流」宗厳(石舟斎)兵法百歌では
兵法のならひはいち(一)二たいがひぞ
       あまりすき(好)たる事はならぬぞ


 兵法の習いは一にあらましである、あまり業の形を特定するのは良くない。

「たいがひ」を大概と読めば、おおよそ・おおかた・あらまし、です。今村先生の読み下しでは「兵法の習いは、おおよそ一つか二つで、あまり深入りするのは良くない」と読むのでしょう。

 柳生兵庫助の始終不捨書の冒頭にある円相の「習い・稽古・工夫」の教えは兵庫助の発案であっても石舟斎の教えによって導かれているのは道理です。形を習うのですがその運剣法や体捌きは幾通りにも変化可能で無ければ「かたち」に過ぎない。伝授した「かたち」は、代表的な操作法に過ぎない、従ってそれに拘り過ぎては兵法に成らない。私ならその様に歌心を読み取ります。
 無双直伝英信流の古伝神傳流秘書の抜刀心持之事の前書きは「格を放れて早く抜く也」とあります。格とは矩・決まり・法則・規則・流儀・方式などです。
 「かた」だから習った様に寸分たがわず「かたち」を演じろ、と訳知り顔がごろごろ。其の業の目指す術が決まってもいないのに形ばかりを何万回繰り返しても何も得られないでしょう。
 武術でなく集団での大道芸をやるつもりかと問いたくなります。
 その一方剣術の形を、大きくゆっくり正確に動作する。
 力んで無理に激しい動作をせずに尤も体が安定する軸をブラさない動きを以て稽古しますと、素晴らしい体操になり、肩こりもせず、バランスの良い体を作り維持出来ます。
 単なる体操と違って極意を目指して運剣すれば目標も出来て老人向けにも最高のものです。強く早い動作で演じますと体に無理な負担がかかり逆効果となります。極意を目指すとは、人から授けられる免許皆伝を貰う事では無く、其の術の意義を正しく行えることであって形が出来ても術が決まらなければ意味のないものです。
 
 

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2020年5月 5日 (火)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の20兵法をしらざる人の

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の20兵法をしらざる人の

兵法百首
兵法を志らさ留人の古(さ)しかたな
      ながきをたのむよしやことハり

兵法をしらざるひとのこ(さ)しかたな
      ながきをたのむよしやことはり


兵法を知らざる人の腰(指し)刀
      長きを頼むよしやことわり

柳生厳長著「正傳新陰流」による兵法百歌
兵法をしらざる人はさし刀
      ながきをこのむよしやことわり



 今村先生はここを「兵法を知らざる人の腰刀長きを頼むよしやこと・・」とされておられます。腰を「古し」としたようです。

 柳生厳長著による正傳新陰流ではこの歌は「左し」で差し刀でしょう。
「兵法を知らざる人のさし刀、長きを好むよしやことわり」兵法を知らない人の差す刀は、長いものを好むのが道理である。

 と云っています。「兵法を知らざる人」と前置きしている事に意味があるのでしょう。 

 柳生宗冬の兵法物語に「太刀にて成らざる物五つの事」に「長きに短き事」の教えがあり「短きには習も多し、昔より一寸劣りて勝を上手と申すならわし候。長き物にてかならず勝習い知らざる物なり。長き物にてはそばへよせず。長き程ひかへて、浅く勝心持、これ長き物にてかならず勝習也」。兵法を知らない人同士の戦いでは長い方が有利かも知れません。剣術の考えが確立したのは江戸時代になってからの様ですが、確たるものは無さそうです。この歌の不明な部分が心残りです。厳長による歌では「長きを好むよしや理(ことわり)」ですから、理に叶っている、と解せます。兵法を知らない人は長い刀を有利と見ているのが当たり前と云う事でしょう。

 北條五代記巻第四に「見しは昔。関東北條氏直時代まで長柄刀とて人毎に刀の柄を長くこしらへ、うでぬきをうて、つかにて人をきるべく体たらくをなせり。・・長柄刀のはじまる仔細は。明神老翁に現じ、長柄の益あるを林崎かん介勝吉と云う人に伝へゆへに、かつよし長柄刀をさしはじめ田宮平兵衛成政というふ者に是を伝ふる。成政長柄刀をさし諸国兵法修行し、柄に八寸の徳、みこしにさんぢゅうの利、其外神妙秘術を伝へしより以後、長柄刀を皆さし給へり。然に成政が兵法第一の神秘奥義というは、手に叶いなばいか程も長きを用ひべし。勝事一寸にして伝たり。・・若し又かたき長きを用るときんば、大敵をばあざむき、小敵をばおそれよと云をきし。・・長柄の益というは、太刀はみじかし、なぎなたは長過ぎたりとて、是中を取たる益なり、又刀太刀なぎなたを略して一腰につゝめ常にさしたるに徳あるべしそれ関東の長柄刀」
 事実はどうであったかは知りませんが、こんな話が書かれています。刀の長い短いは何時の時代にも語られてきたものでしょう。

 山田次郎吉著身心修養続剣道集義の刀剣長短論では「正しく其の別を云い得る者なし」と前置して長短の利を解説しています。「・・而して刀の長短は業を学び心に得たるの後、己の程度に応ぜる物を選みて之を帯し、理気心法の正道を主とし業を無為無物に比し、和を以って彼に応じ、念なきに至り感に随ひて動く故に、我れに形なく道器一貫なれば向ふ所敵なし、然るなれば長短等の説を次にし手足の動作意の如くならんことを旨とし且暮に学習を怠らざるべし。業未だ成らずして口に理のみを論ずるも、何の益あらん。・・」

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2020年5月 4日 (月)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の19へいほうをかつて心に

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の19へいほうをかつて心に

兵法百首
へいはうを可川て心尓可計春して
      いちこ可多奈の人足や世ん

へいほうをかつて心にかけずして
      いちごかたなの人足やせん


兵法をかつて(且て)心に掛けずして
      一期刀の人足やせん

 兵法を更々心に掛ける事も無く、一生涯刀の人足をしていたらよかった。

 「かつて」の読みを「勝って」として歌の心を解こうとしたのですが、それも有りでしょうが、何故か平凡すぎてそんな程度の剣術使いはごろごろいたでしょう。
 石舟斎の年を経てからの人生を振り返って見た時、武将となって一国一城の主の夢も破れ、上泉伊勢守信綱との出会いから、兵法者として新たな人生を歩み続けて来た。柳生家としては宗矩によって徳川家に仕官の道も開けて出世したことには違いはありません。
 しかし「俺の望んだ人生なのだろうか」と思ったかもしれません。人は幼き日に夢を見た将来は、なかなかの事です。中には思いもよらない人生が待っていた人も居るのでしょう。
 石舟斎は77歳で没しています、この兵法百首は石舟斎73歳の頃のものです。家康から仕官を求められたのが67歳でした。既に世に出る歳を過ぎていたとしたのでしょう。柳生新陰流を世に残し、兵法家として一万石を超える大名は他に見る事は出来ません。
 第三者の立場から見れば、柳生家が大名となり、新陰流の根元の幾つもが他流の兵法に現在でも根ついています。そんな礎を築いたのに何が不満なのかと思いたい処です。
 この歌を読みながら、上泉伊勢守信綱が国破れ、信玄に臨まれながら兵法の道に自分の心の安住の場所を求めた繊細な心が、戦国末期を生きる石舟斎の心と触れ合って結実していったのだろうと思わずにはいられません。

 新陰流を学びながら、この歌に出合い、石舟斎の伝書を読み解くこの頃、心の痛みを持つ人が築き上げた繊細さが業の随所に表われ、形ばかりを重視した強い、速いだけでは得られないものに「ひかれ」ていくばかりです。

 

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2020年5月 3日 (日)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の18へいほうはけいこたんれん

道歌
5、石舟斎宗厳兵法百首
5の18へいほうはけいこたんれん

兵法百首
遍い者うハ幾いこ多ん連んつ年尓して

        いろ尓い多さてかくしつゝしめ

へいほうはけいこたんれんつねにして
        いろにいださでかくしつつしめ

兵法は稽古鍛錬常にして
        色にい出さで隠しつつしめ


 兵法は稽古鍛錬を怠らず常にして、兵法が出来るなど思わせることもなく、人前では隠し過ちのなうようにしなさい。

「生兵法は大けがの元」のことわざのようであっては恥ずかしい事です。

 更に奥へ踏込めば、兵法は極意の業を稽古し磨き上げ、何時如何なる状況に置かれても相手の状況に応じて踏み込めたとしても、決して面に出さずに秘めて置くものである。

 石舟斎の截相口伝書亊では敵の動きを見る「色付色随事」でした。この教えを歌にこめているならば、敵の働きに随って勝つのですが、朏聞集によれば「我が色に敵を付て、其の敵の色にしたがふて勝と申す事にて候」」とも読めます。その「我が色」はその奥に本来の色を秘めている事になる訳で、棒心を本心がしっかり押さえていなければ、相手の本心に引きずられて打込んで却って、返り討ちになるものです。

曽田本居合兵法の和歌では田宮平兵衛業政の歌として次の歌があります。
 居合とは知った振りして突るゝな居合の道を深く問うべし
 無用なる手詰の論をすべからず無理な人には勝って利は無し
 世は広し我より外の事なしと思うは池の蛙なりけり
 我が道の居合一筋雑談に知らぬ兵法事を語るな

無害流の百足伝は自鏡流祖多賀自鏡軒盛政の歌
 稽古には清水の末の細々と絶えず流るゝ心こそよき
 吹けば行く吹かねば行かぬ浮雲の風にまかする身こそやすけれ
 体と太刀と一致になりてまん丸に心も丸きこれぞ一円
 稽古にも立たざる前の勝にして身は浮島の松の色かな
 我流を使はば常にこころまて物云ふ迄も修行ともなせ
 麓なる一木の花を知り顔に奥も未だ見ぬ三芳野の春
 心こそ敵と思いてすり磨け心の外に敵はあらじな
 
 石舟斎のこの歌は、戦いの場においても、普段の稽古の時でも思い出すべき歌かも知れません。どのレベルに対応するかは自分の力量次第かもしれません。
 世の中には自分より優れている人は幾らでも居る。また自分より出来ない人も居るものです。そのどのような人でも、皆我が師であるはずです。門流を問わずにオープンに行っている古伝研究会でも、自分の習い覚えたやり方を殊更表面に出して、如何にもとしている人も居るものです。しかしそれでは本物は見つけられない、自分の習い覚えた、枠から出る事は出来ないものです。
 今村嘉雄著史料柳生新陰流の中に庄田喜左衛門兵法百首ありその中に
 兵法をわれ知り顔にいひなすも身の程見えて恥ずかしき物
 極めても極られぬを兵法の至極の道といふべかりけり
 色々の知恵の病を去りて知る我兵法の実いつはり
 いく度も習の道を改て我兵法に心とどむな
 どこでも、少し出来るようになると、教えたがる者もいます。そんな人は入門間もない人との稽古でも、「かたち」を教られても、業の術理は教えられないものです。しかしその初心者の動作を見て「何故そうするのか」を、よく見て反面教士として学ぶことが出来るはずです。そこからはるかに多くのものを見つけられるものです。少々違いますが「色付色随事」でもあり、本当の術理を開眼できるかもしれません。

 

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2020年5月 2日 (土)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の17兵法や腰の刀も

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の17兵法や腰の刀も

兵法百首
兵法や古し乃可多奈もあひ於奈し
       朝夕いらでいることもあり

兵法やこしのかたなもあひおなし

       朝夕いらでいることもあり

兵法や腰の刀も相同じ
       朝夕要らで要ることもあり


 兵法だが、腰の刀も同じ事なのだが、朝夕には要らない事も要る事もある。

 直訳すれば兵法も刀も朝夕には要らない事も要る事も有るよ、とサッパリと歌っています。「兵法や腰の刀も相同じ」と兵法という身に付けた武術と刀と云う道具、それも無刀取を身に付けている石舟斎ですから刀を必要としないかもしれないのに、それに「朝夕」と限った意味はどのような意味を持つのでしょう。
 当時の社会状況や石舟斎の置かれた状況を考えれば、そこに何かあるかもしれない。或は朝夕の短い一時にホッとして武士である事を忘れる時間があるのかも知れない。
 飯を食う時ぐらい、兵法の事を考えずに食べろと笑われているかもしれない。この歌はもっともっと深い心の業を秘めているかもしれない。
 「朝夕いらでいることもあり」を思い描いて飯を食う私の未熟さを思い笑ってしまいます。

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2020年5月 1日 (金)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の16兵法の極意はよろづ

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の16兵法の極意はよろづ

兵法百首
兵法乃極意ハ与ろ川奈に古とも
        し安ん遠慮乃与け者つし也

兵法の極意はよろづなにことも
        しあん遠慮のよけはつし也

兵法の極意はよろず(万)何事も
        思案遠慮の避け外し也

 兵法の極意は幾つあっても何事も、思案の上に、その先を慮っての避け外しにある。

 この歌の解釈では「よろず何事も」と「しあん遠慮」の文言でしょう。よろず何事もは「数多の事は」・「何事も」でしょう。しあん遠慮は「試案遠慮」・「思案遠慮」の当て字は何れでも良さそうです。「遠慮」は現代語では遠慮する・控える、さしひかえる、ばかりが頭を過りますが、この漢字の組み合わせは「遠くを慮る」です。江戸時代の蟄居を命ぜられた武士や僧侶の刑罰が「遠慮せい」でしたのでそればかりが伝わった様です。広辞苑でも「遠い先々のおもんばかり」・「深い考え」の語意を当てるのが妥当でしょう。
 
 前回の5の14「太刀刀それのみならず避け外し心にかけて気遣いをせよ」に引き続いた「避け外し」新陰流の「往なし」を極意とする歌心でしょう。
 兵法の極意はよろず何事も、懸待表裏を心に懸けて往なすと同時に斬り込む事だ。
 
 この様に解釈して見ました、ところが石舟斎の截相口伝書亊では「懸待有之事」を述べていますが、兵庫助利厳はこれを始終不捨書では「懸の内に待、待の内に懸。懸々に非ず。待々に非ず。如此用る者世に多し。懸々、待々、有々と位に備る処を知る者少し」と批判しています。

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2020年4月30日 (木)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の15太刀かたなそれのみならず

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の15太刀かたなそれのみならず

兵法百首
太刀可多那楚礼のミ奈ら須よけ者つし
        心耳可計天きつ可いを世よ

太刀かたなそれのみならづよけはづし
        心にかけてきつかいをせよ

太刀刀それのみならずよけ外し
        心にかけて気遣いをせよ

 太刀や刀の扱いばかりでは無く、避けたり外したりするのには、心がけてどうしたらよいか気遣いをしなさい。

 太刀や刀の運剣操作の扱いは剣術を稽古し始めるとそればかり気遣っています、相手の打込みを避けたり外したりも太刀や刀で受けてしまう。どうしたら受太刀に為らずに相手の打込みを外せるか、もっと考えて、受けた時には斬って居る、はづした時にも斬って居るそういう気遣いをして見なさい。そんなことを歌っている様に思います。

 形の要求している通りやるもんだと仰る人は、この歌を読んで、太刀刀の運剣法をしっかり学び、がっちりと受太刀になり、相手太刀をさばいてから斬り込むのだと、それが出来るようになってから往なす稽古もしっかり心に懸けて稽古しなさい。と歌っている筈と頭から湯気を立てそうです。
 そんな人に限って、袋竹刀の竹を年に何度も折って入れ替えています。形は決まりきった順番どうりに、決まりきった角度で相手の部位に斬りつけると決め込み、「武的演舞」の「練習」に時間ばかりかけているのを見ていると、「稽古」って違うのにと思わずにはいられません。
 その業が求めている意義は何か、最も有効な方法はどのように運剣操作すればいいのか、其の為には体の使いようはどうするのか、習い・稽古・工夫をする事であって、決まりもしない「かたち」を何万回も「練習」しても体育にはなっても「知育」は何処へやらで、武術の術は決まりません。

 

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2020年4月29日 (水)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の14世にふしぎ奇妙おほきぞ

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の14世にふしぎ奇妙おほき

兵法百首
世耳婦し記奇めふお保きそ能那らへ
        奈らふて者知尓奈らぬへい本う

世にふしぎ奇めふおおきそのならへ
        ならふてはちにならぬへいほう

世に不思議奇妙多きその習へ
        習うて恥にならぬ兵法

 兵法百歌の14首目は、写真の文字が判読できない箇所が幾つかあります。今村嘉雄著「史料柳生新陰流」の読み下し文を参考にさせていただきました。

 世の中には不思議な事や奇妙な習い事が多いものだ、習っても「恥」にならないのが兵法だ。

 上の句は納得ですが、不思議奇妙が多いから、。下の句では更に習って「恥」にならないのが兵法。これなど「恥」とは何だかサッパリです。

 この歌を「世に不思議奇妙多きぞ能習へ習ふて「はち」にならぬ兵法」と読んで見ます。
 能の「はち」は「鉢の木」を直観的に思い出したのですが、さて。能の鉢の木の話から「鉢の木」にならないのが兵法と歌う関連が読めない。

 曽田本の神傳流秘書の冒頭は抜刀心持引で居合心を歌に託しています。林崎甚助重信を始祖とした居合は土佐にもたらされた時には真陰流から生み出された大森流の居合を取り込み、長谷川主税之助英信による古伝を改変した無雙神傳英信流居合兵法です。
 土佐に持ち込んだ第9代林六大夫守政は第7代長谷川英信、第8代荒井兵作信定(荒井清信)に居合を学んだと同時期でしょう。江戸で大森六郎左衛門から「真陰流」を習っています。
 大森流居合はその大森六郎左衛門が創始したもので、林六大夫守政は「上泉伊勢守信綱の古流五本の仕形を学んでいる」と居合兵法伝来に記載されています。古流五本とは「三学円之太刀」かも知れません。
 その林六大夫守政による抜刀心持引歌の書き出しは「荒井清信公、言う夫居合とは手近き勝負柄口6寸之大事あり・・1身を正しくして、抜き申す形肝要也。面。薄桜。1居合之位 身の掛かり 鉢木 口伝・・」とあるのですが、内容は口伝の為記載されていません。
 立合う際の形は三角を円相で囲う形で、顔は薄い桜色。身の掛かりは「鉢木」とされています。
 新陰流と無雙神傳英信流居合兵法とは兵法の根底で繋がるものを持ち合わせているかも知れない処でしょう。能の「鉢木」の話を捉えるのではなく、能の立ち姿、足の運び、方向変換などの基本動作を「鉢木」による能から学べと示唆している様です。

 抜刀心持引歌続きは「心水鳥 右の心は水鳥に気を付け、工夫有るべし 古歌に ・帆を掛けて急ぐ小舟に乗らずとも行水鳥の心知るべし ・水鳥の水に住めとも羽はぬれず海の魚とて汐は行く無し・」
 更に「居合太刀打共 白鷺心 口伝 古歌に ・忍ぶれど色に出にけり我が恋はものや思うと人の問うまで・数ならで心に身おば任せねど身に随うは心なりけり」。

 無関係な方向に行ってしまいそうな気もするのですが、他に思いつく事も無く、世の中にある兵法には不思議なものや奇妙なものがある、新陰流を学ぶなら、能の鉢の木を見て姿形を学びなさい、それでも兵法稽古の際には能の姿態にはならない者も居るよ。と笑われている様です。

 能の立ち姿を安田登著「能に学ぶ深層筋トレーニング」から学んでみます。「下半身はしっかりと地面に根差し、そして上半身は天から吊られているようにイメージする、まさに上虚下実の見本で下への力と上への力が拮抗する中で立ちながら、地面の上に足が乗り、足の上に膝が乗り、膝の上に腰が乗り、と不可視の水平線の上に体の各ブロックが積み重なりつつ休んでいるような姿。どの様な時でも「動き」をその中に潜める。足首のところからやや前傾することによって、立っているときでも、その中に「動」を潜め、いつでも動き出せるような姿になる。」
 この能の立ち姿、足運びは、赤羽根龍夫著「古武術仙骨操法のススメ」とほぼ同じと思われます。


 

 

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