古伝神傳流秘書
抜刀心持之事 従是立事也
17本目「抜打上中下」:「(暇乞三本)格ノ低キ者二對スル黙礼ノ時。等輩二對スル礼ノ時。目上ノ者二對スル礼ノ時。」以上19本
抜打上中下の手付は無く、相手が自分より格が下、同輩、目上による、頭の下げ具合の違いと其抜打の違いを暗示しています。現代居合で頭の下げ方が目礼なのか、手を前について頭を軽く下げるのか、手を前につき、深々と頭を下げるのか、その際の抜刀の心得ですが、古伝は何も語っていません。以上19本とは、暇乞三本の17本目抜打上・18本目抜打中・19本目抜打下でしょう。
大江先生の「剣道手ほどき」大正7年1918年奥居合より
19番「暇乞(黙禮)」:「正座し両手を膝上に置き黙礼し、右手柄に掛かるや刀を斜めに抜き付け上段にて斬る。
20番「暇乞(頭を下げ禮をする):「両手を板の間に付け、頭を板の間近く下して禮をなし、両手を鞘と柄に同一に掛け直ちに上に抜き上段となり、前面を斬る。
21番「暇乞 (中に頭を下、右同様に斬る)両手を膝上に置き黙礼より稍や低く頭を下げて禮をなし、右手を柄に掛け刀を斜めに抜き上段にて斬る。(止め)(立合終り)
大江先生の暇乞の順番は19番・21番・20番の順でしょう。
河野百錬先生の無雙直傳英信流居合術全昭和8年1933年奥居合立業之部
11番「暇乞」:「正面に向ひて正座し、両手を前につきてわずかに頭を下げて、禮をなす間も無くうつむきたるまま両爪先を立て刀を抜き取り、左肩側に刀を突込む如く雙手上段に振り冠り眞向に切り込み、(膝を乗り出し)刀を開きて血振り刀を納めつつ両踵の上に臀部を下し納め終る。」
12番「暇乞」:「正面に向ひて正座し、両手を前につき頭をやや深く下げて刀を抜き取りて、動作する事前に同じ。
13番「暇乞」:「正面に向ひて正座し、両手を前につき頭が座に着かんとする所迄下げて、間も無く刀を抜き取りて動作する事前に同じ。」
大江先生と河野先生の手付は15年程しか立って居ません。第18代穂岐山先生の指導によるものと思われます。
細川義昌先生相伝の居合兵法無雙神伝抜刀術より奥居合之部
18、「抜打」:「(出合頭に斬る)正面へ歩み往きつつ 鯉口を切り右手を柄へ掛けるなり 右足踏込み 出合頭に(正面へ)抜打に斬付け 左足を右前足に踏揃へると同時に 刀を納め終る。」
19、馳抜:「(馳違ひに右後の者を斬る)正面へ小走に馳往き(左側を通り)擦違ひに右後へ振返へりつつ 刀を引抜き 諸手上段に引冠り 右足より踏込んで斬込み刀を開き 納め終る。」
20、「抜打」:「(対座して居る者を斬る)正面に向ひ対座し 刀を鞘なり前腹へ抱へ込む様に横たへ両手を前につかへ 頭を下げ礼をして俯きたるまま 両手引込め鯉口と柄へ執り 急に腰を伸しつつ 刀を右前へ引抜き刀尖を左後へ突込み 諸手上段に引冠りて斬込み 刀を開き納めつつ 両足の踵上へ臀部を下すと共に 納め終り 爪先立てたる足先きを伸し正座して終る。
細川先生相伝の奥居合「抜打」は、古伝とも大江先生の谷村派の業手付とも異なる動作になっています。20、「抜打」のみが古伝の「同輩」もしくは「目上」に対する抜打の様です。
檀崎先生の夢想神伝流居合奥居合之部
其の11、「暇乞」(以下座業3本):「1、意義 暇乞は上意打ちとも称え、主命を帯びて使者に立ち、敬礼の体勢より抜打にする意にして、又彼我挨拶の際、彼れの害意ある気配を察知して、其の機先を制して行う方法である。2、動作 正面に向って正坐し、其坐したる体勢にて僅かに頭を下げ、礼をなす間もなく、俯向きたるまま両爪先を立て抜刀、抜打と同じ要領で雙手上段よりより斬下し、血振、納刀する。
其の12、「暇乞」:「1、動作 正面に向って正座し、両手をつき、頭をやや深く下げるや、其の体勢にて刀を抜き上段より斬下す事、前と同要領である。」
其の13、「暇乞」:「1、動作 両手をつき頭を深く下げた瞬間抜打する事、前に同じ。
檀崎先生の「暇乞」は大江先生の「暇乞」と同じとして良さそうです。
山蔦先生の夢想神伝流居合道奥伝奥居合立業
13本目「暇乞(三本あり)」:「奥居合中唯一の正坐のわざである。これも上意討のひとつであり、主君の命令を受け、使者として敵となるべき者を訪問して、お互い挨拶の際に、敵が刃向う心持のあるのを感知し、機先を制し、挨拶の途中に抜打ちに、敵を正面より斬倒すわざである。三つの動作がある。
1、正面に向って正坐シ、頭を少し下げ(黙礼程度の会釈)、礼をかわす間をおかず、ううむいたまま一気に抜刀、上段より敵の正面を斬下す。
2、両手をつき頭を低く下げ、その体勢にて抜刀、敵が頭を下げるところを斬る。
3、両手をつき深々と礼をして、体を起しながら抜刀、敵が頭を上げるところを斬る。
暇乞の動作を前述のとおり三通りに分けてあるが、要するに自分に最も有利、有効な動作を、敵の気配や動きに応じて採る点かsら、分けてある訳である。」
山蔦先生、よく研究された暇乞ですが、古伝はなにも語らずに、相手の格に応じた礼を以って抜打つの事を示唆しています。
何時の時代どの様な状況の時に、脇差ならともかく太刀を帯刀したまま挨拶をするのでしょう。
このような状況下での抜刀の腕を磨けと諭されているような気分です。
以上で古伝の抜刀心持之事を終るのですが、古伝と現代居合では業名・順番・業数・想定・動作がいくつも異なっています。谷村派は古伝の伝書を持たずに、江戸末期での稽古を余儀なくされ、口伝口授による誤まった解釈もあったでしょう。下村派は江戸末期まで伝書を持っていたとは云え、細川家に温存されて明治維新前後の50年近くは、谷村派同様の事だったでしょう。 現代では、古伝が公開されても、その業の本質は辿る糸口すら忘れられています。
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