2019年2月22日 (金)

曽田本その2を読み解く5長谷川流奥居合座業抜方5の1霞

曽田本その2を読み解く
5、長谷川流奥居合座業抜方
5の1霞
参考
古伝神伝流秘書
抜刀心持之事(格を放れて早く抜く也 重信流)
1本目向払:向へ抜付返す刀に手を返し又払ひて打込み勝
行宗先生
長谷川流奥居合抜方
座業(奥居合には順序なしと伝へらる)
霞:抜きつけかへしてかむり切る。
大江先生
長谷川流奥居合抜方(大江正路先生、堀田捨次郎先生共著)
座業
霞(俗に撫斬りと云う:正面に座し抜き付け手を上に返し左側面水平に刀を打ち返す直に上段となりて前面を斬る、(血拭いはよく、刀は早く納める事。其刀身を鞘へ6分程早く入れ、残りは静に体の直ると共に納むるものとす、以下納めは之と同じ。 括弧内剣道手ほどきによる ミツヒラ)
 曽田本その2に、大江正路先生の長谷川流居合の横雲から真向の業が欠落しています。奥居合は座業、立業ともにありますので其の侭掲載しますが、一本目霞の様に括弧内の文章が省かれていますので、「剣道手ほどき」で補足してあります。以後すべて同様に不足分は補足します。
 古伝、行宗、大江とも抜き付けから切り返し真向切については、特に文章上の違いは見出できません。この様な業の運用は個人の思い入れが大きくなりますから詳細な運剣動作が残されて居ればその理解度が推し測れて参考になったでしょう。
 ここで、大江先生の括弧内記述で「血拭ひはよく」の文言ですが、奥居合は「血拭いはしないで納刀する」と読めるのですが、現代居合の奥居合では、しっかり「横血振り」として真向に斬り下した後に「血拭ひ」の動作が継承されています。この「剣道てほどき」の文章はほかの事を示唆しているとも思えません。
 奥居合などの横に開く「血振り」について、木村栄寿先生の「林崎抜刀術兵法夢想神傳重信流伝書集及び業手付解説」の童蒙初心之心得に恐らく、横血振りを言っていると思われる一文が見られます。
 居合道の正しい認識を得る為、転記をご容赦願います。
「血揮開き収は敵に逢ての用たる事にてはなし業の締りを付けたる事ゆえ一己一己之事成とも異ならさる様にすべし」
「開は胸を照らし腹を入れ腰を張り拳も一時に尖く開く時は拍子揃て引合よし」と横血振りの心構えを述べ「當流(長谷川英信流と思われる)は開きて息を續跡大森流に替る事なし」とあって、長谷川英信流では横血振りをする事有りと思わせるもので、大江先生の様に「血拭ヒはよく」という事にはなりそうもありません。斬りっぱなしで納刀では「業の締り」は無さそうです。
 尚中山博道先生の奥居合に就いては「居合読本」では「各種の居合を全部写真解説しやうかと思ったのであったが、余り大冊になるので、現今、最も盛んに行われている大森流と長谷川英信流とだけに止めて置いた。」として奥居合はありません。
 その反面、第三章が神道無念流、第四章が警視庁流、第五章が伯耆流居合、第六章が荒木流、第七章が陸軍戸山学校に於ける居合。奥居合は中山博道先生の公の業は不明となってしまいました。居合読本ですから居合全般を追ったのは止むおえません。結果として現今の、夢想神傳流の奥居合は、何がベースなのか不明です。
 山蔦重吉先生の夢想神伝流居合道から
 奥伝奥居合坐業一本目霞:立膝から始動し、初伝、初発刀のごとく前にいる敵に抜付け、第一の敵を倒し、ただちに右手の甲を裏返して、倒した敵の後の第二の敵の首を右側水平に斬る。さらに上段より斬下す。
 第二の敵を斬り返しで斬る、誌上の空論では容易でしょうが、一人目がどのように倒れているのかによってこれはどうなるのでしょう。たまたま邪魔にならないとしても、間が遠いので其の距離を相手が刀を抜き出す前に出来るでしょうか。切り返しによる柄口六寸の極意業の出番かも知れません。 
 細川義昌先生系統の梅本三男先生の居合兵法無雙神伝抜刀術から
 英信流奥居合之部
一本目向払:(正面に座して居る者を斬る)右手を柄に掛け刀を抜きつつ両膝を立て、腰伸びきるなり右足踏込んで(対手の右側面へ)抜付けたるも剣先が届かぬため、みぎあしより迅速に体を進めつつ、抜付けた刀が止らぬ中に直ぐ振返し、返す刀で(対手の左側面へ)斬り付け、左膝を進めつつ諸手上段に引冠り、更に右足を踏込んで斬込み、刀を開き納め終る。
 「抜付けたるも剣先が届かぬため」については、第20代河野百錬先生の大日本居合道図譜でも「第一刀を斬込みたるも不充分のため」とあって、その様に教えられてきたものでしょう。批判して居ても稽古にはなりません。
 大森流から長谷川英信流立膝を経てたどり着いた奥居合でも「剣先が届かない・不充分」などの事では、初歩の指導法が間違っているのでしょう。
 「ここぞと抜き付けるも、相手、さすがに、刀を抜く間もない、然し修行充分で上体を僅かに後ろに引き我が剣尖を見切った、我は即座に追い進んで切り返し・・」位になりたいものです。
 剣道小説の読みすぎ・・。吉川英治の宮本武蔵以外ほとんど読んだ記憶はありません。
 切り返しの斬り付け部位は、最初に抜き付けた右手の高さを其の儘に、右手を返して体を進めつつ切り返す。
 古伝も先生方も敢えて文面には、切り返しの部位は記述されていません。
 現代居合のテキストではそれなりに切り返しは左側面に斬り込みますから、腰より下に抜き付けるのが良さそうですが、のんびりやっていたのでは片手抜打ちで真向を割られそうです。
 参考に何処へ切り返しているか諸先生のテキストから上げて見ましょう。
 河野百錬先生無雙直伝英信流居合術全
 :最初右首に抜き付け左首に斬り返す
 山内豊健・谷田左一先生居合詳説
 :首を斬り右手を返し首を斬る
 河野百錬先生大日本居合道図譜
 :膝
 政岡壱實先生無雙直伝英信流地之巻
 :最初抜き付けた高さに水平
 山蔦重吉先生夢想神伝流居合道
 :倒した敵の後の第二の敵の首
 檀崎友影先生居合道教本
 :倒した敵の後方の敵の首
 平井阿字斎先生居合道秘伝
 :脛
 三谷義里先生詳解居合無双直伝英信流
 :抜き付けたそのまま刀を返し逆一文字
 福井聖山先生無雙直伝英信流居合道
 :脛
 京都山内派無雙直伝英信流居合術
 :踝下
 池田昂淳先生無雙直伝英信流居合道理合動作解説
 :向こう脛又は腰車
 池田聖昂先生無双直伝英信流居合道解説
 :脛(高脛)
 余談ですが、切り返す際の手の内について語られているのは、池田聖昂先生だけのようです。直ちに右手甲を返して・・(右右柄手の掌中を緩め柄を返して刀刃を真向に向けるや之を握り締める)無雙直伝英信流居合道解説より。
 福留麒六先生:土佐英信流居合
 :写真だけの為不明であるが高脛を払っている様に見える。
*
抜き付けも、切り返しも相手の状況次第で何処へでも斬り付けられる位の稽古はして置くべきものでしょう。その上で最も有効な稽古業の部位を手に入れたいものです。

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2019年2月21日 (木)

曽田本その2を読み解く4長谷川流居合抜方4の11抜打

曽田本その2を読み解く
4、長谷川流居合抜方
4の11抜打
参考
古伝神傳流秘書
英信流居合之事
抜打:大森流の抜打と同じ事也
大森流居合之事抜打:坐して居る所を向より切て懸るを其のまゝ踏ん伸んで請け流し打込み開いて納る 尤も請流に非ず此所筆に及ばず
行宗先生
抜打(真向・止とも云う):大森流に同じ
大森流居合抜方抜打:(又は止めとも云う)正面向き両膝にて(膝頭を狭くす 曽田メモ)中腰にて抜き冠りて膝を進めながら(切り下す時膝頭を肩幅に開けば自ら進むものなり 曽田メモ)切り付け刀を開きて納刀
参考
大江先生(剣道手ほどきより)
真向:正面に向って座し、腰を伸し趾先を立て、刀を上に抜き上段となり、同体にて切る此時両膝を左右に少しく開く。
 血拭ひは其姿勢のまゝ刀を納め、伸したる腰は徐ろに正座に直り、刀の納まると同時に臀部を両足踵の上に乗せ、静に正座となる。
 刀を腰より抜取り、体前に置き礼をなし、左手に持ち適宜の所にて神殿に礼をなして退場す。
*
 古伝神傳流秘書の英信流居合の抜打は大森流居合の抜打と同じとされています。
 現代居合は「向より切て懸るを其のまゝ踏ん伸んで請け流し打込み」の想定とその対応動作が失伝して、太刀を腰に差した方向に床に水平に抜出してしまって頭上に引き上げ上段から真向に斬り付けるばかりです。
 これでは不意打ちに過ぎず、その上敵と相争う場合の心掛けも無い居合踊りとなってしまっています。
 現代居合の第22代も受け流す心持ちを説かれていますが、地区の指導者は抜いて斬るばかりです。心持ちは動作に現れなければ実現しないでしょう。
 しかし、英信流の真向を演じると、訳も解からずに、刀の刃を左に向け上に抜き上げて左肩を被う様にして上段に振り冠って相手の真向に斬り下しています。
 行宗先生や大江先生は、この抜打ちの業名を長谷川英信流は「真向」と云っています。真向だから刀を上に抜き、真っ直ぐ切り下ろす。
 抜打だから右斜めに抜き上段になる程度の認識しかなさそうです。何処かで指導不充分な時期があたのでしょう。
 真向と抜打の違いを相手を想定して考え直す必要があるでしょう。
 私は単純に、抜打は敵の害意を察して機先を制して抜き付けんとしたが、相手の抜き上げが早い為、即座に柄を上に振り上げ左肩を覆う様に抜き上げ摺り流して打込む。先後の先として現代居合の大森流抜打を演じています。従って、相手は目の前に接近していますから、敢えて飛び込み打ち下す必要はあるわけはありません。
 但し、真向打ち下しは、両膝を接近させ伸び上がる様にし両膝を開くや打ち下しています。
 真向は相手が先に抜き上げ真向に打ち込んで来るのを、踏ん伸んで刀を正中線を通して上に抜き上げ、相手が真向に打ち込んで来るや抜刀して請け流し、両膝を開きズンと斬り込んでいます。
 相手の斬り込んで来る刀を意識しなければ唯の棒抜きです。
*
 参考に中山博道先生の長谷川流抜打(居合読本より):大森流に全く同じ
大森流抜打:意義、彼我互に接近して対坐せる時不意に正面に向ひ斬り付ける動作である。
 動作、正面に向ひ正座す、彼我極めて接近しある場合を考慮せるものなるを以って抜刀に際しては成るべく右拳を前上方に向け動かしつゝ、概ね前額の前方に至らしめ、刀尖を左上膊の外側に近く移動せしめつゝ刀を頭上に振り被る(此際両膝を密接す)次で、直ちに両膝を開き刀尖が概ね地より二握り位の処に来る位に切り下ろす。
 中山先生は一方敵に抜き打つ心で実施されています、相手との間が近いので上に抜き上げであって、相手の斬り込みなどはさせない心でしょう。心得違いであっても形は古伝に相当します。
 真向を、お弟子さんの山蔦先生はどうされていたか興味が出てきました。夢想神伝流居合道から初伝の抜打と同意であるが中伝(長谷川英英信流立膝)では抜刀の動作が初伝より早く行われなくてはならない。
 意義、自分と敵は接近して向き合って、敵の害意を感知するや、すばやく抜刀して真向から斬下す。
 動作、・・両膝をそろえると同時に刀を左側で上方に抜き上げいっきに受流しにふりかむりながら左手を柄に添える、諸手で直ちに敵の真向を斬り下す。
「いっきに受流しにふりかむり」と書かれていますが、敵の機先を制して抜上げて居ますから、受け流しの形で抜上げるのでしょう。
 中山博道先生と同じ形になっています。
細川義昌系統の梅本三男先生の居合兵法無雙神伝抜刀術の長谷川流表之部抜打
 (対座している者を斬る)右手を柄に掛けるなり急に両膝を伸しつつ、刀を右斜前へ引抜き(膝が立つと同時に両足爪立て)刀尖を左後へ突込み、諸手上段に引き冠りて斬込み刀を開き納め終る。(抜打はすべて早業の事)
 大森流の抜打も英信流も同じ動作です。細川居合は行宗先生、大江先生と同門ですがブレが有るのは、教えられた時期の違いや教えられた者の力量、哲学にも左右されるものです。
 どの様に実施するかは、個々人のものですが、昇段審査や演武大会の競技では、良い成績を上げるためには、その団体の指導者の志す形に捉われざるを得ません。
 是に拘っても、其処から守破離の境地に達せなければ生涯棒振り踊に終わってしまうでしょう。
 形は真似られても、武的心持の居合にはなりません。
 守破離を求めるとすれば、一方的な抜打でも、打ち込まれて請け流すのでもなく、双方真向に相打ちとならざるを得ない場合に、居合による「合し打ち」というすさまじい刀法が存在する であろうことを忘れるわけにはいきません。

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2019年2月20日 (水)

曽田本その2を読み解く4長谷川流居合抜方4の9瀧落

曽田本その2を読み解く
4、長谷川流抜方
4の9瀧落
参考
古伝神傳流秘書
英信流居合之事
瀧落:刀の鞘と共に左の足を一拍子に出して抜て後を突き直ぐに右の足を踏込み打込ミ開納る此事は後よりこじりをおっ取りたる処也故に抜時こじりを以て当心持有り
行宗先生
後身
瀧落し:後向にて(敵鐺をとり上ぐる処を)右足を踏み出して立ち左足を進めて(柄に右手をかけて)柄を胸にとり右足を斜横に開き刀を胸にとり振り返りて(同時に抜刀を抜き出し□□間髪を入れざるよう)敵を突き其侭かむると同時に足を踏み込みて正面を斬り脛をつき納刀足を引く
参考
大江先生(剣道手ほどき)
後身の部
瀧落:後を向き、徐ろに立ちて左足を後へ、一歩引き鞘を握りたる左手を其儘膝下真直に下げ、鐺を上げ後方を顧み、右手を膝上に置き同体にて左足を出し、右手を柄に掛け胸に当て、右足を前に進むと同時に抜き、刀峯を胸部に当て、同体の儘左へ転旋して、体を後向け左足を前となし、其体の儘胸に当てたる刀を右手を伸ばし刀は刃を右横に平として突き左足をだしつゝ上段に取り、左膝を着き座しつゝ頭上を斬る、血拭ひ刀を納む。
 古伝は抜けだらけで、是では書かれていない処は想像することになりますが、現代居合の心得が無ければどんな業に成るか楽しみです。
 座して居る處、後の者が我が鐺を「押っ取りたる」ので、立ち上って、刀の鞘を左足に引き付けると共に左の足を一拍子に前方に踏み出し、鐺を上げて後ろの敵を打ち、右足を踏出し刀を抜き、左に振り向いて後ろの敵を刺突し、直に右足を踏み込み上段から真向に打ち込み開き納める。
行宗先生の瀧落は、敵が鐺を取り上に押し付けて来るので、立ち上り、右足を少し前に踏み出し直ぐに左足を右足前に踏み込んで柄を胸に引き上げ、右手を掛け、右足を右斜め前に踏み込んで同時に刀を押し下げ抜出し、間髪を入れず振り返って後ろの敵を刺突する。其の侭振り冠って右足を踏み込み正面を斬り下し同時に膝を着いて納刀。
大江先生の瀧落は、ほぼ現代居合無双直伝英信流正統会に近い物でしょう。
参考
中山博道先生(居合読本より)
瀧落:意義、敵が我が鐺を握ろうとするのを、之を避けて立ち上がったが、尚ほ追ひ迫るを以て再び之を避け、遂に抜刀して振り向きつゝ敵を突き刺し、尚ほ追撃する業である。
 動作:左手を以て刀柄を左方に開つゝ立ち上がり、左足を一歩前に踏み出すと同時に左拳が概右肩の附近に来る位まで刀を鞘の儘、抜き出し体を僅かに反らす、此際左踵は地に着かぬものとす。
 次に、右手を以て刀柄を握り右足を左足の稍々前側方に踏み着けると同時に左手にて、鞘を下方に押し下げつゝ体に近く抜刀し、刀尖が概左乳の上附近に来る如くす。此際後方から見た刀及び鞘の形は、概ね「直角」になるものとす。
 右足を軸として、後ろ向きをなしつゝ左足を少しく前方に出すと同時に刀刃を上にし、右片手にて敵を突き刺し、直ちに、刀を頭上に振り被り右足を左足の前方に踏み着けて敵を斬り側方に血振りをなしつゝ左膝を地につく以下横雲に同じ。
 鐺を握ろうとするのを二度も外す意味は鐺を取らせない事が大切で取られると振りもぐのは容易ではないからでしょう。
 外さずに取られた時はどうするのか、この手附では解りません。
 立ち上がり、左足を一歩踏み出すと同時に左拳が概右肩の附近に来る位まで刀を鞘の儘、抜き出し体を僅かに反らす、「此際左踵は地に着かぬものとす」の處は何故そうするのか、意味の有る動作ならば、読者の想像に任せるのはおかしいでしょう。
 刀の鍔から柄頭迄右肩から覗いています。その上体を反らし、踵まで上げて居ます。敵に鐺を取られていませんから此処までする必要は無さそうです。寧ろ後ろから肩越に柄を取られそうです。取らせて投げ飛ばすのでしょうか。
 後世の方が尾ひれをつけて解説されて居そうですが、敵に余計な事をさせない、シンプルさを欠いた動作はいかがなものでしょう。
 博道先生の「日本剣道と西洋剣技」の中に日本剣道型25項目目に「後方より武器を掴まれた場合」が述べられえています。
 「これを外づすには、左、右と順次に対手の逆を行くか、同時にこれを払ひ外すかの二種あるが、この外すといふことは非常に困難な業で、沢山ある抜刀各流にも、その例はまことに少ない」とやや否定的です。
細川義昌先生系統の梅本三男先生(居合兵法無雙神傳抜刀術)
瀧落:後に座して居る者を斬る)左手にて鯉口を握り立ち上り(後者が右膝を立て鐺を握り引き止る)、右足を踏出し柄を左へ突出し、左後へ振向き対手を見つつ急に左足を前へ踏越す、同時に柄を右肩の前へ引上げ右手を掛け、更に右足を前へ踏み出すなり、刀を引抜き鞘は後へ突込み、鐺で対手を突き、刀の棟を胸部へ引付け(左より)後へ向くなり左足右足と踏込み対手の胸部へ突込み、更に右足踏込みつつ諸手上段に冠り大きく斬込み刀を開き納めつつ蹲踞し左足踵上へ臀部を下すなり、右脛を引付け納め終る。
 対手の握る鐺を引き外す場面は「柄を右肩の前へ引上げ」の瞬間でしょうか。鐺が我が後方で右・更に右・右下・中で突く。
 複雑な想定程手附はシンプルで、作動中の変化に一々対応しないで完了できる業が技を生み出すと思います。
 業の進行途中でのアクシデントは予測しない事が大切で、相手を自分の動きに誘い込むことが出来ない業は業ではないでしょう。それが武術の奥義と信じています。
 

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2019年2月19日 (火)

曽田本その2を読み解く4長谷川流居合抜方4の8浪返

曽田本その2を読み解く
4、長谷川流居合抜方
4の8浪返
参考
古伝神傳流秘書
英信流居合之事
波返:鱗返に同じ後へ抜付打込み開き納める後へ廻ると脇へ廻ると計相違也
行宗先生
後身
浪返し:後向ゟ右足を軸として正面に廻り左足を引きて抜き付後同断
大江先生(剣道手ほどきより)
後身の部
浪返:後へ向き左より正面へ雨足先にて廻り、中腰となる、左足を引き、水平に抜付け上段にとり、坐しながら前面を斬るなり。血拭ひ刀納めは前と同じ。
 古伝神傳流秘書の波返では、何をどうしたらよいのか皆目わかりません。おおらかと云えばおおらか、この書き方の根本は、口伝口授を請け一人稽古できるようになった段階でポイントを覚書したと云った所でしょう。
 ですから、古伝を復元するには拠り所になる現代居合の己の修行次第によって理解の深度が決まると考えた方がいい様です。
 余計な事は言わず、シンプルに立膝で後向きに座って、振り向いて抜き付け、打ち込むと云う動作を、どうすれば出来るか自分でやって見るばかりです。
 そうすれば現代居合で習った事で良いかどうかチェックが可能になります。
 行宗先生の手附を現代居合としてやって見れば、右足を軸にすれば、左廻りで正面に向ける、其れも左足膝を床についても可能か、左膝は浮かして廻った方が良いか、両方上手くできれば最高です。
 大江先生の手附でやって見ようとすると、左廻りに「雨足先」にて廻り、と云う聞いたことも無い言葉が出てきます。爪先で廻れと云っているのでしょう。
 右足か左足か判りません、足先で廻って中腰となる、ですから両足爪先で廻るのでしょう。両足爪立てば中腰になってしまいます。廻ってから中腰では不自然です。両足爪先立ち低い体勢から左に廻りつつやや高い中腰となる、でしょう。
 抜き付けはこの流は稽古では水平の抜き付け、打ち込みは真向上段から斬り下します。
 真向打ち下しの打込みは、相手次第でしょうがこの流は立って抜き付け、斬り下しながら座すが稽古の標準の様です。
参考
中山博道先生(居合読本より)
浪返:「意義、敵が我が後方から斬り来るに対し後ろに振り向きつゝ初発刀の如く斬る業である。動作、正面に対し後ろむきに箕坐す、鱗返しの要領にて約180度左に旋廻するの外、全く鱗返しに同じである。」
 左回転ですから鱗返しの様に、右足中足骨(足裏土踏まず上の膨らみの骨)を軸に、左足膝を床から離し中足骨で廻る。左足膝を床に付けて左廻りに180度廻るのは稽古次第です。
細川義昌系統の梅本三男先生(居合兵法無雙神殿傳抜刀術より)
浪返:「(後に立って居る者を斬る)右手を柄に掛けぬきつつ腰を伸し左へくるりと廻り、正面へ向くなり立上り左足を一歩後へ退くと同時に(対手の右側側面へ)抜付け(対手倒れる)左足を右足横へ跪きつつ刀尖を左牛尾へ突込み、諸手上段に引冠り、右足踏込んで斬込み、刀を開き納め終る」
 鱗返は左側に座して居る者を斬る)でした。波返し、「後に立って居る者を斬る」是は限りなく我は不利な状況です。
 鱗返と同様の左廻りに廻り抜き付けるでは、難しそうです。相手に悟られない状況が創れるでしょうか。
 後ろに立つ役をどなたかにお願いして稽古して見たい業です。回転の動作に異論はないのですが、立膝で右足を軸にして中腰になりますと、前かがみになり、しかも相手に前屈みになった分近づき、それから立って左足を引いて横一線に抜き付けます。
 外されるか、請け留められる比率が高そうです。立膝から左爪先を立て左膝を床に着いたまま右廻りに正面に振り向き右足を踏んで後敵に抜き付ける。大森流の右に出来て立膝で出来ない理由も無いでしょう。形だけを良しとする人の前でやっても「違う!」って飛んで来るだけです。

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2019年2月18日 (月)

曽田本その2を読み解く4長谷川流居合抜方4の7鱗返

曽田本その2を読み解く
4、長谷川流居合抜方
4の7鱗返
参考
古伝神傳流秘書
長谷川流居合之事
鱗返:左脇へ廻り抜付打込み開き納る(秘書には岩波と同じ事を記しあり 口伝口授の時写し違へたるならん 曽田メモ)
行宗先生
左身
鱗返し:右向ゟ正面へ中身の構へにて抜付け冠り切る也
参考
大江先生(剣道手ほどきより)
左身の部
鱗返し:右に向き、左より廻りて正面に向ひ、中腰にて左足を引きて抜付け、此抜付けは水平とする事、上段に取り、坐しながら斬り落すなり。血拭ひ刀納は前と同じ。
 中腰は両膝を浮めて抜きつけるなり。(敵の甲手を斬る)
 古伝は「抜付打込み」とばかりで、何処に抜き付けるかも、右足を踏み込んで抜き付けるのか、左足を退いて抜き付けるのかの方法すらありません。
 行宗先生も「中身の構へにて抜付け冠り切る」ばかりで「中身」とは何かも判りません。
 恐らく中腰で低く構えて抜きつけるのでしょう。何故なら、我が左に座す敵に、座したる我は中腰に立ち上がって左に廻り抜きつける、何故中腰かは長谷川流居合の座し方は居合膝(立膝の座し方)で左廻りは、左膝が邪魔で廻りにくい、従って中腰に左膝を床から離し両足爪先で左に廻る方がスムースに運用できます。
 敵が腰を上げて仕かけようとする顔の位置を考慮すれば低い中腰(中身)がベターかも知れません。
 この際、敵との間合いは相対する間合いより近い筈です。左足を後方に退いて抜き付けるべきものでしょう。
 大江先生の動作の解説通りとなります。立膝の座し方で左廻りは、刀に手を掛けるや腰を上げ左膝を軸に左廻り正面に向くや右足を出して抜付けるのは当初違和感はあっても、左足爪先を軽くすれば容易に出来ます。但し右足を踏み込めば左脇の敵とは間が近すぎて抜付けに手心が必要です。
 そこで左足を退いて間を考慮すれば、中腰になってしまいます。そうであれば中腰で両脚先で廻るのは良いのかも知れません。
 更に、大江先生は括弧書きにこの業は「敵の甲手を斬る」と云っています。現代居合では、第22代池田先生の解説では首に抜き付けています。大江先生からですら、現代に引き継がれていない技になります。
参考
中山博道先生(居合読本より)
鱗返し:意義、大森流の左刀に同じ。動作、正面に対し右向に箕坐す。
 上体を少しく前に傾け右膝の外より右手を以て、刀柄を握り右足蹠骨部(しょこつ・せきこつ、中足骨の旧称)を軸として約90度左向きをすると同時に左足を後方に約二足長半乃至三足長踏み開き、初発刀の如く抜刀す、此際左膝は地に着かざるものとす、以下横雲に同じである。
 右足の足裏中足骨の有る所を軸として中腰になり、左足先も立て左回転する。正面位抜付ける際左足を大きく後方に退いて敵との高さを計る様です。
参考
細川義昌先生の系統梅本三男先生(居合兵法無雙神傳抜刀術より)
鱗返:(左側に座して居る者を斬る)腰を伸ばしつつ左へ廻り、正面を向くなり立上り、左足を大きく後へ退き腰を低く下げ(対手の右側面へ)抜付け、左足を右横に跪きつつ、刀尖を左後ろへ突込み右上段に引冠り更に右足を踏込んで斬込み、刀を開き納め終る。
 どの様な足捌きで正面に廻るのかは文章上見られません。文章上の「正面を向くなり立ち上がり」は、正面に向く時には腰をしっかり立てると読むべきなのでしょうか。口伝口授でしょうから其の妙は計り知れません。
 「腰を伸ばしつつ左へ廻り、正面に向くなりに立ち上り、左足を大きく後ろへ退き腰を低く下げ抜付け」の腰のアップダウンが気になります。一連の流れの中での動作として何処まで意識すべきなのでしょう。ご指導いただきたい処です。

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2019年2月17日 (日)

曾田本その2を読み解く4長谷川流居合抜方4の6岩波

曾田本その2を読み解く
4、長谷川流居合抜方
4の6岩波
参考(曽田本その1より)
古伝神傳流秘書
英信流居合之事
岩浪:左へ振り向き左の足を引刀を抜左の手切先へ添へ右の膝の外より突膝の内に引後山下風の業に同じ
行宗先生
長谷川流居合抜方
左身
岩波:右向より左足を右後ろの方に引きて正面に向くや刀を抜きて(右拳を 曽田メモ)腰にとり右足踏み出して稍切先上りに敵の胸乳の上を突き引き倒して冠り正面を切る也
参考(剣道手ほどきより)
大江先生
左身
岩波:右に向き、左足を後へ引き、刀を体前に抜き直に左手にて刀尖を押へ、右膝頭の處へ着け、左足を右足に寄せ、体を正面に直し、左手と右手とを水平として、其右足を其儘一度踏み全体を上に伸し、直に体を落とし、左膝を着き右手を差伸し、左手は刀尖を押へたる儘、伸ばして刀を斜形として敵の胸を突き、右足を右へ充分引き変へ体を右向きとし、両手にて刀を横に引き、敵を引き倒し、其姿勢にて刀を振り右肩上にかざし、上段に取ると、同時に左足を後へ引き、右足を前にて踏み変へ正面に向ひて上段より斬る。(左の敵の胸を突く)
 古伝は「左へ振り向き左の足を引刀を抜」です。
 行宗先生は「左足を右後ろに引き正面に向くや刀を抜き」
 文章に違いがあっても、ここは左向きに座して居て、左に振り向いて刀を抜く事は同じです。
 大江先生は「刀を体前に抜き・・体を正面に直し」で抜刀のタイミングがずれています。大江先生は、敵が我が柄を押さえんとするのを、右向きの儘刀を抜き出し、敵がハッと手を引っ込めるスキに刀を抜き体を左にかえして敵を刺突する様に教える、現代居合の動作になります。
曾田本その2に第20代河野百錬先生が若い頃に、曽田先生に手紙で疑問を聞き糺しています。
 「居合は本来目的よりして剣道の所謂先々の先にあらずして先又は後の先の一刀と信じますが、上意抜打は別とし(之とて上意と呼びなすと聞かる)一切敵を「ダマシ」打にする事は無之と信じますが、立膝の岩浪に於いて左に向き右足にてトンと踏みたる時敵ハッと右に振りりたる其の胸(又はのど)をさすと説くは丁度之にては「ダマシ」打の教えあり。本業の正しき解義を是非御教示の程お願申上げます。」
 これに対し曽田先生は
 「正面より我刀柄を取り押えんとするにより我先に廻り柄を右に捩じて刀を抜き敵を突くの技にして決して「ダマシ打」にあらず、当突時足を「トン」と踏むは突く力勢を添ふるもになるにより(又一説には敵我刀を押さえんする其柄を踏む心持ちありと)音をせずして突くもあること心懸くべし」
 若き日の河野百錬先生の純粋な心が伝わってきますが、軽くいなされた曽田先生も見事です。・・であらねばならない、と云う事と、「兵は詭道也」で当たり前です。決められたとおりに演ずるのを演舞と私は言っています。
 古伝神傳流秘書の岩浪は動作のみ優先して想定は自分で考えろと云う様です。現代居合が想定迄統一する事により、おおらかな発想を奪われている事に危惧を抱いています。
*
 中山博道先生の岩浪(居合読本より):意義、我が左側に接近して坐せる敵の季肋部を(上腹部で左右の肋骨下弓張部)刺突し直ちに敵を引き倒して、後、斬る業である。
 動作:正面に対し右向に箕坐す。上体を前に傾けると同時に左足を斜後方に引きつゝ抜刀し直ちには左手を刀尖に近き刀背に添へ、成るべく低く左向をなしつゝ右足を左膝附近に踏みつけ敵の季肋部を突き刺す。この時、刀は左手が刀身の中央に至る位突き出す。次に右手を以て刀を左手が刀尖附近に来る位迄引き、左膝をじくとして約90度右向をなし、右足を左膝附近に引きつゝ両手を以て、刀を引き、敵をひき倒す。この際右臂は充分伸ばすものとす。山下風に同じ。」
 博道先生は、座した方向のやや左向きに刀を抜いてから、左脇の敵に振り向いて刺突しています。大江先生と同じです。それは、抜刀時の左足を斜後方に退いている事によります。
 細川義昌先生の系統の梅本三男先生の岩浪(居合兵法無雙神傳抜刀術より)
 「・・腰を浮かしつつ前に俯き、左足を後へ退き、刀を前へ引抜き刀尖放れ際に、左膝頭をつかへ、刀尖の棟へ左手の拇指を示指で挟む様に添へ、右膝を左足に引寄せつつ、正面へ向く、同時に(刃部を下へ向け刀尖を前、柄は後、水平に)刀を右膝横へ引付け、右足を少し踏出すと共に、対手の左横腹へ突込み、刀の腰へ左手の四指を添へ、切先下へ柄頭を上へ引上げつつ右足を右後へ退き(体は再び正面より右向きとなりつつ)対手を押倒し、左膝を跪き右足を向ふへ踏出すと同時に刀尖を上より後へ振返へし、双手を向ふへ突出し、横一文字に構へ(視線は左正面の対手に注ぐ)左膝を右足に引寄せ正面へ向きつつ、右上段に振冠り、右足踏込んで斬込み、刀を開き、納め終る」
 この場合は刀を、抜いてから左に廻って敵に対する。対敵が我が柄を取りに来る、それを刀を抜いて取らせないようにする、その上で左に向いて刺突する、もう一方は、敵の害意をさっし、腰を上げ敵に振り向きつつ刀を抜く。と分かれます。何れも想定に在り得るものでしょう。但し、振り向いてから刀を抜き出すと、敵に柄頭を制されることもあり得ます。柄頭の方向は要注意です。
 ここでは、紹介してありませんが、座した斜め右に刀を抜いて左へ振り廻る抜方も行われています。
 
 



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2019年2月16日 (土)

曾田本その2を読み解く4長谷川流居合抜方4の5颪

曾田本その2を読み解く
4、長谷川流居合抜方
4の5颪
参考(曽田本その1より)
古伝神傳流秘書
英信流居合之事
山下風:右へ振り向き右の足と右の手を柄と一所にて打倒し抜付後同前但足は右足也 浮雲と足は相違也
行宗先生
右身
颪(山下、山下風):左向きゟ正面に柄頭を以て當て(柄頭にて水月、右拳にて人中に當てる 曽田メモ)右手をかけて体を左に捻りて敵の胸へ抜付け引き倒して正面(敵 曽田メモ)を切る也
参考(剣道手ほどきより)
大江先生
右身の部
颪(又山おろしとも云ふ):左向き腰を浮めて右斜に向き、柄止め、直に左へ足を摺り込み、其踵へ臀部を乗せ右斜向体となり、斜刀にて筋変へに打ち其形状にて左手は刀峯を押へ、左足を左横に変へ、刀を右へと両手を伸ばして引き、敵体を引き倒すと同時に右足を右斜へ寄せ、直に其刀を右肩上の處にかざし左足を後部に引き右足を出し、正面に向き上段となりて斬るなり。
 血拭ひ刀を納む。(敵の眼を柄にて打つ進んで胸を斬り更に頭上を斬る)
 古伝は、業名「山下風」ですが読みは「おろし」とも読んだでしょう。
 左向きに座す、我が右脇に敵が座し、我に仕掛けんとするのでしょう。右手を柄に掛け腰を上げ右に振り向くや右足で敵の刀を持つ右手を踏み付け、柄頭で敵の人中に打ち据えるのでしょう。
 打ち倒しと有りますが、次の抜き付けを考えると、打ち倒されそうになって踏ん張り逃げようとする相手の右肩に体を左に捻って抜き付け、浮雲の如く左手を刀峯へ執って右斜めへ引き倒す。
 直ちに刀を肩上にかざし、上段にて正面に直り斬り下す。血拭い納刀。
 吉宗先生も同様ですが、右足での攻撃動作が無く、柄頭で敵の水月を突き、右拳で人中を打つ、右手を柄に掛けて、刀を抜き出し、体を左に捻り敵の胸に抜き付け引き倒し同前。
* 
 大江先生は、「柄止め」の部位について不問です。堀田先生は手ほどきを受けたのでしょうか、看取り稽古だけだと、「柄止め」の位置と方法は、解らなかったと云えるかもしれません。
 大江先生の直弟子政岡壱實先生の颪によると「右脇に座した者が柄を取りに来たので、是を外しつゝ右脇迄来ている敵の眉間に柄頭を当て、退く処へ斜に抜きつけ・・。」とされています。
 中山博道先生の長谷川英信流居合(居合読本より)
 山下風:意義、右側面に坐せる敵が抜刀せんとするを取り敢えず刀柄を以てその手首を強打しヒルム所を抜刀して斬りつけ、其の殪るゝ(たおるゝ)を再び正面より胴部に向ひ斬り下す業である。
 動作、正面に対し左向きに箕坐す。左膝を軸として約90度右に向くと同時に刀に「反り」を打たせつゝ左手を以て刀を少しく前上方に出し、右足を約一歩前方に踏み着くると同時に鍔を以って敵の手を打つ・・*意義では柄を以て敵の柄手を打っています、ここでは鍔です、鍔は柄についていますね。
 ・・次に左手を以て刀を上方より敵の頭を越えて敵にふれない心持ちで右に旋回し、左拳を概ね右腰の附近より旧帯刀の位置に復しつゝ、右拳で刀柄を握り左膝右足尖を軸として左足を右に旋廻して、右足の後方に至らせ、腰を左に捻りつゝ抜刀して敵の胸に斬りつく。
 直ちに左膝及び右足尖を軸として左足を約90度左に旋廻して、左手を刀尖に近き刀背に当て右足を左膝附近に引き着け刀を右後ろに引きつゝ敵を切り倒す(刀を引く時身体に触れない様に注意するを要す)其の位置に於いて右拳を以て刀を反転し右足を約一歩前方に踏み出しつゝ左手を添へ、右足尖を軸として、左足を約90度右に旋廻し、概ね正面に向く間に全く刀を頭上に握り被り直に斬り下す。以下横雲に同じ。」
 現在の夢想神傳流の山下風との違いは「右足裏で敵の左股上と左手を踏み付けると共に刀を裏返したまま柄頭で敵の右手甲を打」動作ではない。大きな違いでしょう。
参考(居合兵法無雙神傳抜刀術より)
 細川義昌先生系統の梅本三男先生の山下風:「・・腰を伸しつゝ右膝を立て、体を右へ廻し正面へ向くなり、右足を引き付けると同時に柄を右胸上部へ引き上げ、右手を柄に逆手に掛け右足を踏出すと共に鍔にて対手の左横顔を打ち直ぐ右足を退き寄せる。
 同時に鯉口を腹部へ引付け、刀を右真横へ引抜き (切先き放れ際に)左膝を左へ捻り正面より左向きとなり、対手の胸元へ(切先き上りに手元下りに)斜に抜付け、更に体を右へ捻り戻しつゝ刀の腰に左手の四指を添へ刀尖を下へ柄頭を後上へ引き上げ体を右へ廻しつゝ対手の体を押し倒すなり、(正面より右向きとなり)左足を跪き刀尖を(上より)後へ振返し、右足踏出すと共に双手を向ふへ突出し横一文字に構へ(視線は左正面の対敵に注ぐ)、左膝を右足へ引寄せつつ諸手上段に振冠り、右足を正面へ踏出し(胴体へ)斬込み、刀を開き納め終る」
*
 「右手を柄に逆手に掛け右足を踏出すと共に鍔にて対手の左横顔を打ち」でまたまた、異なる手法が繰り出されました。
 この颪も、複雑な想定により幾つもの動作が生み出されたのでしょう。
 現在の無双直伝英信流正当会では、「我と同じ方向を向きて我の右側に、座し居たる敵が、腰を上げ一歩前に出て振り返りざま 、我が柄を取らんとし来るを、我れ腰を上げると共に左方に柄を逃がし、敵手を外し直ちに柄頭を以って敵の顔面人中(眉間)に打ち当て、敵退かんとする処を其の胸部に斬り込み右に引き倒して(押し倒して)、上段より敵胴を両断して勝つ意也(第22代池田聖昂先生著無雙直伝英信流居合道解説より)」
 敵が我が柄を取らんと手を伸ばして来る、それを逃がして、敵人中に柄当てする。と云う想定です。
 浮雲にしても颪にしても、想定を明確にして業を稽古し、いたずらに複雑にすべきものでは無いと思います。やるべき事を最も単純に修錬すれば、相手は我に逆らう余裕は無くなるものです。
 
 

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2019年2月15日 (金)

曾田本その2を読み解く4長谷川流居合抜方4の4浮雲

曾田本その2を読み解く
4、長谷川流居合抜方
4の4浮雲
参考(曽田本その1より)
古伝神傳流秘書
英信流居合
浮雲:右へ振り向き足を踏みもぢ彳腰をひねる抜付左の手を添へて敵を突倒す心にて右の足上拍子に刀をすねへ引切先を後へはね扨上へ冠り膝の外へ打込み後同前又刀を引て切先を後へはねずして取りて打込む事も有
行宗先生
右身
浮雲:左向に座し左足を少し引き立ち同時に柄を左手にて下横にとり更に(正面に向き直ると同時に柄をとり 曽田補足)左足を右足に搦みて抜きつけ(左に体をひねりて抜く 曽田補足)中腰となる此の時左手を刀峯に添へ引き倒して左膝外に正面を切るなり
参考(剣道手ほどきより)
大江先生
右身の部
浮雲:左向き静かに立ち、中腰となりて左足を後へ引き、刀を左手にて左横に開き、右手を頭上に乗せて力を入れる、其開きたる状態より左足を右足前方へ一文字となし刀は柄を右手に握り、胸に当て右の下へ抜きつゝ体を右へ廻し、刀尖の三寸残りし時、刀を一文字の儘体は中腰となり右横より左へひねり正面に向け抜付け、折り返して打ち、左手の内にて刀峯を押へ伸ばし右手は弓張とし、右左を右斜へ引き、其膝をつき、敵を引き倒し、直に刀を肩上にてかざし、上段にて正面に直り左斜を斬る、此時膝頭外にて両手を止む、血拭ひ刀を納む。(敵三人並び一人の敵を置き先の敵を斬る時)
 古伝の浮雲は抜けだらけで、現代居合を思い浮かべながら勝負しているようなものです。現代の浮雲の動作と当てはまっている様です。
 吉宗先生も、抜けだらけですが古伝が出来れば問題ない様です。「刀峯に添へ引き倒して左膝外に正面を切るなり」の「正面を切る」ですから引き倒すのであって右に引き廻さなければ充分正面に倒した敵を切れるでしょう。
 大江先生の長谷川流居合は奥居合で横雲から抜打(真向)が曽田本その2から抜けていて曽田先生の批判が見られないのは残念です。
 従って長谷川流の横雲から真向迄は、大江・堀田共著の「剣道手ほどき」に依り手附解説します。
 正直言って大江先生の手附は読みづらい。この浮雲は敵が我にどの様に仕掛けて来たのか古伝も行宗先生も大江先生も語って居ません。
 右身浮雲の業名によって、敵は我が右側に座して居る、其処で我は場の正面左向きに座すのだと判断します。
 敵は長谷川流(英信流)の場合一人が原則の様ですが、長谷川流でも奥居合である古伝抜刀心持之事では複数も存在します。
 それにも関わらず、大江先生は手附の終りに括弧書きして「(敵三人並び一人の敵を置き先の敵を斬る時)」と後書きしています。
 この文章も、このまま読めば敵三人と我でその場に4人いる様な文章にしか読めません。
 と云う事で大江先生の手附は、信頼性が無い様に思います。
 その上、浮雲の動作はどう見ても、右側の敵が仕掛けて来たのでそれに応じただけで他の敵に対する配慮などみあたりません。
 当然古伝も行宗先生の浮雲も敵は右脇に一人と思えます。
 大江先生の浮雲で、敵が仕掛けて来たので、敵を見ながら中腰に立ち上がって左足を後に引き、刀を左横に開く、右半身になっていますから柄頭は差した状況から稍々左に開くでしょう。
 敵が柄を制止に来たのを外した所に相当します。
 そこで「右手を頭上に乗せ、力を入れる」この動作の意味は、柄を取り逃がした敵が右手を取ろうとするから、とかいう人も居る様ですが、私なら右足に取り付き引き倒します。
 替え業は如何様にあるとも「剣道手ほどき」に正規の手附として乗せるべきものでは無いでしょう。
 次に左へ柄を逃がした後左足を右足の前に「一文字となす」は爪先左向きの右足の前に左足を敵に向けて踏み込むことになります。敵は右脇すぐそばですから踏み込みはここまでです。
 是により、我が身は右身から左身に反転し同時に柄を右胸に引き付け右手柄に掛け、敵に向かって刀を抜きつつ更に右に腰をひねる。
 「刀尖の三寸残りし時、刀を一文字の儘体は中腰となり」は、右胸に引き付けた柄を上に抜き上げ切先三寸迄抜て鞘と刀刃が一文字になった時、体を低く中腰に下げ、左へ腰を捻って正面に(敵に)抜きつける。
 更にもう一度、打ち返す二度切の意味も、説明の無いもので、一度目が浅いとか相手の手を切っただけとか勝手に推測すればいいでしょう。是も一度の斬り付けで充分な稽古をすべきで、二度打ちする様なへぼは意味がありません。古伝も行宗先生も「抜付」です。
 跡は左手を刀の峯に添えて右足の方に退き倒し、上段に冠って左足膝外に倒れた敵を斬って居ます。
 この堀田捨次郎先生の手附は大江先生の演武を見て書かれたのでしょう。恐らく替え業か何かの演武であったと思われます。
 大江先生が不明瞭な「敵三人」の攻防により、直弟子だった政岡先生の浮雲などでは、柄を取りに来る敵以外にも仕事をしてもらい、仲裁に立つとか、逃げるとか、知らんふりしているとかの動作を解説されています。
参考(居合読本より)
中山博道先生の浮雲:「意義、右側面に坐せる敵が我が刀柄を握ろうとするのを避けつゝ立ち上がり抜刀と同時に斬り着け敵の倒るゝに乗じ胴部を斬る業である。」
 敵は右側一人です。
参考(居合兵法無雙神傳抜刀術より)
 細川義昌系統の梅本三男先生の浮雲:)「(右側に座して居る者を斬る)正面より左向き居合膝に坐し、例により左手を鯉口に執り立ち上がり柄諸共左足を前に踏出し(視線は右正面の対手に注ぐ)。
 体を右へ廻し正面へ向きつつ柄を上げ対手の頭上を越さすようにして、刀を前腹へ横たへると同時に左足の裏を上に向け右足の前を超えさせ、足を交叉し柄頭を左右へ割り、腰を下げ刀を右真横へ引抜き切先き放れ際に体を左へ捻り、正面より左向きとなりつつ対手の胸元へ斜に(切先き上りに、手元下りに)抜付け。
 体を右へ捻り戻しつつ刀の腰に左手の四指を添へ、体は正面より右向きとなりながら、刀尖を下げ柄頭を右後へ引上げ対手の体を押倒すなり。
 右膝を跪き刀尖を上より後へ振り返し、双手を向ふへ突出し、横一文字に構へ(視線は正面の対手に注ぐ)右膝を正面へ進ませつつ、左上段に振冠り、左膝を踏出し其脛を少し右へ倒し左脛の外側へ(胴体に)斬り込み刀を開き納め終る。」
 この場合は、我が右に敵は一人でしょう。相手の状況は不明ですから一方的な攻撃でしょうか、相手が柄を取りに来たならば外す動作が欲しいのですが「立ち上がり柄諸共左足を前に踏出し」ています。
 相手が仕掛けんとするに先んじて立ち上がって前に出る、相手に向き直りつつ柄を上げ、相手の頭を越して、柄を左に横たえながら抜き出し同時に左足を右足の右に踏んで交叉させ、右真横へ引き抜きざま体を左に捻って「正面より左向きとな」って切先上がりに「相手の胸元へ」斬り付ける。
 「体を右へ捻り戻しつつ」左手を刀の腰に添へ、刀尖を下げて右後ろへ押し倒す。「右膝を跪き刀尖を上より後へ振り返し、双手を正面に突き出し、横一文字に構へ」左上段になって・・。
 体の向きがクルクル状況に応じて変わるので動作が其の都度止まり「えっ、えっ」て言いながらどうにか演じて見ました。
 文章にすると、大変判りずらいのが動作でしょう。かと言って動画では演じる人が文章通りにできなかったり、癖が強調されたりやっかいです。
 長谷川英信流の業のうち「浮雲」は複雑すぎる動作を要求していますが、これ等を元に古伝の簡略な手附に近付ける稽古をすべきかもしれません。
 相手次第に変化するのはどの業でも同じ事ですから仮想敵の動きに惑わされない技の習得が大切なのでしょう。
 
 
 
 

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2019年2月14日 (木)

曾田本その2を読み解く4長谷川流居合抜方4の3稲妻

曾田本その2を読み解く
4、長谷川流居合抜方
4の3稲妻
参考(曽田本その1より)
古伝神傳流秘書
英信流居合之事
稲妻:左足を引き敵の切て懸る拳を払ふて打込み後同断
行宗先生
向身
稲妻:左足を引き(横(□)上に)中身に抜き付冠りて切る
参考(剣道手ほどきより)
大江先生
稲妻:正面に座し、右足を少しく立てながら左足を後へ引き、両膝を浮めて稍左斜へ斬付け、姿勢の儘上段に取り其体より両膝を板の間に着けて斬り落すなり、血拭ひ刀を納むるは一と同じ。抜付けは刀尖を高くするを宜とす。(敵の甲手及頭上を斬る)
 古伝は、「敵の切って懸かる拳を払う」と明確です。
 行宗先生は何処を斬るのか、文章が読み取れる状況にありません。「中身」とは何でしょう。恐らく中腰で下から抜き付けるのでしょう。
 大江先生は、中腰で敵の「甲手及頭上を斬る」ですから、右甲手を斬り頭まで斬り抜けと云うのでしょう。
 抜き付けた姿勢、右足前左足後の抜き付けた姿勢の儘、上段に振り冠って、上段のまま「両膝を板の間に着け」、前後に開いた両足膝は板の間に着けられません。
 左膝を右足に引き付け右足を踏み込み敵に斬り込む、あるいは、抜き付けた姿勢のまま上段に振り冠って左膝を床に付けて座しながら斬り下すとなるでしょう。
中山博道先生(居合読本より)
稲妻:「意義、前方から斬って来る敵の起り頭を乗じ其前臂を斬る業である。
 動作、正面に向い箕坐す。右足を左足に引きつけ左足を一足ひきつゝ中腰の侭で抜刀して敵の前臂を切り(大森流の勢中刀を参照)左足を右足に引きつけつゝ刀を頭上に振り被り右足を前に踏みつけて正面を斬る。以下前に同じ。」
 「敵の前臂を斬る」の前臂は右手、左手どちらでしょう。相手上段では、我に向かって一番近いのは相手の左臂でしょう。
 上段に斬って来るならば両肘を斬る事になります。二刀目は左足を右足に引きつけつゝ、上段に振り冠って右足を踏み込んで立ったまま真向に斬り下す。
 立ったままか座しながら斬り下すかは、古伝にうたわれていないので状況次第で良いのでしょう。
細川義昌先生系統の梅本三男先生(居合兵法無雙神傳抜刀術より)
稲妻:「(正面に座して居る者を斬る)正面に向ひ居合膝に座し、例により鯉口を切り、右手を柄に掛け抜きつつ立上り、右足を踏(或は立上り左足を退きてもよし、対手の右側面へ)抜附け、左膝を右足横へ跪きつゝ、刀尖を左後へ突込み、諸手上段に引冠り、更に右足踏込んで
斬込み刀を開き納め終る」
 敵との間次第で右足を踏み込んでも、左足を退いても良い、という応じ方でしょう。座しつつ上段から右足踏み込んで斬り込んでいます。(正面に座して居る者を斬る)という稲妻の意義の文言は気になります。彼我の入れ替わりかな、それとも相手も我同様に座している、相手が腰を上げ立ち上がりつつ刀を上に抜き上げて斬り込んで来るのを、我も抜きつつ立ち上がり間が遠ければ右足を踏み込み、近ければ左足を引いて相手の右側面へ抜き付ける。
 相手の右側面とはどこか・・?。古伝は「拳を払う」

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2019年2月13日 (水)

曾田本その2を読み解く4長谷川流居合抜方4の2虎一足

曾田本その2を読み解く
4、長谷川流居合抜方
4の2虎一足
参考
古伝神傳流秘書
英信流居合之事
虎一足:左足を引き刀を逆に抜て留め扨打込み後前に同じ
行宗先生
向身
虎一足:左足を引き右脛を囲いて切る
参考(剣道手ほどき)
大江先生
虎一足:正面に坐す、静かに立ちながら左足を引きて刀を抜付くと同時に膝を圍ふ、此圍は体を左向き中腰となり、横構にて受止める事、此体形にて刀を上段に冠り正面に向き坐しながら斬り下すなり。血拭ひ納めは一番と同じ(膝を受け頭上を斬る)
 虎一足の古伝の抜けは行宗、大江両先生によって補われて動作が出来ました。然し古伝の抜けは、脛囲いでいいのでしょうか。
 「左足を引き刀を逆に抜て留め」が何を意味するのでしょう。
 「柄口6寸」の教えがあるとすれば、相対する敵が、同様に座して向い合い、居合膝に坐す我が右脛へ抜き付けるでしょうか。
 確かに右脛は我が体の中で前の方にある目標物の一つですが、敵は脛よりも右腕上膊部、首、の右側面に一刀のもとに抜き付ける事を横雲で身に着けています。
 その抜き付けに我は「刀(刃)を逆にして下から抜き上げて、敵の「柄口6寸」に、左足を引くや抜き付け、刀を返して上段に振り冠り左膝を右足踵に引き付け、逃げる敵に右足を踏み込んで座しながら真甲に打ち込む。或は左足を右足に引き付けるや逃げんとする敵に八相に斬り付ける。
 現代居合は脛囲いですから、敵の右脛への抜き付けを左足を引くや右足膝前右横で受け止め、踏み込んで斬り下すとなるでしょう。
 敵は、起こりを見せずに我が右足脛に抜き付けるわけで、相当の稽古が必要です。詰合之位が始まるまでに充分に稽古しておかなければなりません。
 谷村亀之丞自雄先生の英信流目録は紛失した部分が多く大森流以外の居合は見当たらず残念です。
 中山博道先生の虎一足:「意義、敵が前方から我が右臂(ひじ)を斬って来るのを抜刀して之を受け、敵の退くに乗じ正面に向ひ斬る業である。
 動作、正面に向ひ箕坐す、刀柄を上から握り、半ば刀を抜きつゝ左足を後方に踏み開き、刀を右足の側方に刀刃を前方にして敵の斬りつける刀を払ひ受け、刀を頭上に振り被りつゝ左足を右足に引きつけ、右足を僅かに前方に踏みつけて正面を斬り直ちに血振りをする。以下同じ。」
 博道先生のポイントの一つは「刀柄を上から握り」にあるようです。刀刃が右斜め前に向いて受けている先生はここの意味が理解出来ていない様です。
 博道先生「右足の側方に刀刃を前方にして・・払い受け」しています。刀を手の内で操作できませんと形ばかりで業の術が決まらないのです。
 細川義昌先生の系統梅本三男先生の虎一足:(向脛に薙付け来る者を斬る)、・・・右手を柄に掛けるなり立上り、左足を一歩後へ退く。同時に刀を引抜き(刀尖放れ際に)左腰を左後へ捻り、体が左向きとなるなり(対手が向脛へ薙付け来る)差表の鎬にて強く張受に受止め、左膝を右足横へ跪きつつ、右諸手上段に引冠り、更に右足踏込んで斬込み、刀を開き、納め終る。」
 この「張受」は博道居合とそっくりで「差表の鎬」で受けますと、刀刃は正面向き敵に向くはずです。
 虎一足は、敵の斬り込んで来る刀を請け止めるのか「柄口6寸」に飛躍出来て夢想神傳英信流居合兵法になれるのかも知れません。
 この業を相手を設けて稽古し、詰合を稽古すれば、詰合の「・・相手左の足を引下へ抜付るを我も左足を引て虎一足の如く抜て留め・・」ができるでしょう。双方の中央で刀を結び合う相打ちの詰合など何回稽古しても意味は無さそうです。
 
 

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2019年2月12日 (火)

曾田本その2を読み解く4長谷川流居合抜方4の1横雲

曾田本その2を読み解く
4、長谷川流居合抜方
4の1横雲
原文
行宗先生
向身
横雲:正面に座シ抜キ付ケ冠リテ切ル血拭(振)ハ刀を横二開キテ納刀踏ミ出シタル足ヲ引キテ蹲踞ノ姿勢トナルヘシ但シウキタル膝ハ其ノ侭也
読み
横雲:正面に座し抜き付け冠りて切る血拭いは刀を横に開きて納刀踏み出したる足を引きて蹲踞の姿勢と夏べし、但し浮きたる膝は其の侭也。
 正面に向いて坐すのですが座し方は現在の様に左膝を着き左足踵に臀部を乗せ、右足膝は立てた体構えの休息姿勢であったかは何処にも記述されたものはありません。口伝口授により長谷川英信流は、かくあるべしと伝承されたと思われます。
 無双直伝英信流の各派によって教えはまちまちで、左足は膝を着き、右足は膝を立てた座し方が似て居るばかりです。
 昔の護衛者の絵で見れば、左膝を着き爪先立ち腰を上げ、右足は足裏を地について膝を立てた姿です。
* 
 故行宗貞義先生記録写長谷川流横雲では「敵ノ拳へ抜付(二星ヲ勝ツ故二拳ナリ)」と抜きつけは拳へ抜き付けるのだとありましたが、さてそれらしき動作は特定されていません。
 長谷川英信の時代は江戸前期後半から中期辺りでしょう。既に武士の城中での作法は胡坐から正坐に変わり始めています。
 刀も腰に吊るのではなく、腰帯に差す打ち刀になり、刀の長さにも制限が設けられ太刀で刃渡り2尺3寸5分、脇差は1尺5寸となっています。
 林崎甚助重信の開眼した居合兵法に変化を要求されている時代です。土佐の居合の根元之巻にある「柄口6寸」の極意は改変されて消失した可能性は非常に高いものです。
 古伝神傳流秘書英信流居合之事には、書き出しに「是は、重信翁より段々相傳の居合然るものを最初にすべき筈なれども先ず大森流は初心の者覚え易き故に是を先にすると云えり」と有るだけです。このまま読めば「英信流は重信翁から段々に相伝されてきたものだからこれを最初から学ぶべきものだが、大森流は初心者に覚え易いから大森流から先ず稽古する」と云う風に捉えられます。
 そうであれば、英信流は重信翁の極意「柄口6寸」による敵の拳に抜き付ける極意の仕草が手附けに語られても良さそうですが、そうはなっていないのです。それとも文章の奥に隠れていると見るべきなのでしょうか。
古伝神傳流秘書
 曾田本その1から引用します。
 英信流居合之事「横雲」:右足を向へ踏出し抜付打込み開き足を引て先に坐したる通りにして納める」
 是だけです、先ず如何様に座すかが語られていない、抜付の部位は何処か、どの様に抜きつけるか解らない、打込みは敵の真向なのか判らない、「開き」は多分横に開く血振りと思われるがそれで良いのか、納刀後の姿勢は「先に坐したる通り」と云われても、先の座した姿が示されていない。こんな解らないずくしです。
 それでは前に進めないので、この居合も変化し続けているだろうが、初めに習う事は概ね正しく伝承しているだろうと思い、現代居合の教えを其の侭取り込んで稽古して見る以外に方法は無いのです。
参考(剣道手ほどき)
大江正路(おおえまさじ)
曾田本その2には大江先生の、長谷川流居合の横雲以下抜打(真向)は記述が無く、長谷川流奥居合となります。ここでは参考の為、大江・堀田共著の「剣道手ほどき」から引用します。
 長谷川流居合(抜方と順序)横雲:正面に座して刀を右へ静かに抜きつゝ、三寸残りし時右足を出し、刀尖を抜付け、其の姿勢にて上段にて真直に前方を斬る血拭ひ刀を納む(敵の首を斬る)。
中山博道先生(居合読本より)
 長谷川英信流居合横雲:大森流との違いは坐法と血振り、血振りは斬り下し次に左手を放ち腰に当てつゝ右拳を右に開き刀刃を斜右下に向かわしむ。
 坐法は箕座(きざ 跪坐)左足上に臀部を託し、右足は足全体を地に付けることなく、小趾(小指)の側だけで附け右膝を僅かに挙げて坐る。
 正面に向い箕坐す、右足を僅か前方に踏み出し大森流の初発刀と同様に抜刀して直ちに頭上に振りかぶり、敵を斬り下ろし、直ちに陰陽進退の最初の血振り(横血振り)をなし、刀を納めつゝ右足を左足に引き付けて蹲踞し、後、徐か(しずか)に立ち上がる。
 初発刀の抜き付けは、敵の眼の附近を横薙ぎに切り付け、相抜の場合は敵の抜付けし拳に切り込む。
 博道先生の教えに拳への抜き付けは相抜の場合とあります、このに「柄口6寸」の教えが伝承されたのか、神道無念流以来の教えか定かではありませんが見えています。
 相抜の場合の拳への抜き付けは、敵刀が鞘を離れる前に、先んじて拳への抜き付けが出来なければ難しいものです。
 この博道横雲は、初発刀と同じ右足を踏み込むと解しますが、その後の夢想神傳流では左足を爪立て後方に退いて抜き付けています。
 

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2019年2月11日 (月)

曾田本その2を読み解く3大森流居合抜方3の12血振仕方

曾田本その2を読み解く
3、大森流居合抜方
3の12血振仕方
古伝神傳流秘書
血震:記載なし
行宗先生
血振仕方:斬り込みたる後左手を腰にとると同時に、右手肘を45度に開きながら曲げ手首を巻き込む心持にて、拳を右耳上に止め横下共45度位に刀を振り下ぐる也(拳を耳にとって立ち振りたる時足を揃ふ)
大江先生
血拭い:打ち下しの形状より左手は鯉口を握り右手は右横に弓張形に開き第二関節を自然に折り頭の右横に拳を着けて刀をかざす、頭上にかざしたる刀は頭上より斜下へ旋回して下す。この時後の左足は尤も軽く右足に揃へ上体を稍前面に屈む
 血振りの形は文章では判りずらい様です。古伝神傳流秘書には血震の字があてられています。
 細川家から出た「童蒙初心之心得」という初心者への心得を書いたものが木村栄寿先生の「林崎抜刀術兵法夢想神傳重信流伝書集及び業手付解説」に解説されています。この居合文化伝承の為借用させていただきます。
 血揮(ちふるい):血揮開き収は敵に逢ての用たる事にてはなし業の締りを付たる事ゆへ一己一己の事成共異ならざる様にすへし
 血揮は握りをゆるめ大指と一差指と弐本にて肩へ取て人差指より高々指を次第次第に締め臂を張時は自然と太刀先圓くおりる也跡足前へ揃えたる時は体屈ます延きらす少し前へかゝるべし
 この血振の解説は第22代池田先生の無双直伝英信流居合道解説が最も詳しいと思われます。特に振り下した剣先の位置は見事です。
 「血振いしたる刀の剣先は右に披き過ぎず,亦、左方内に向かい過ぎざる事が大切であって、剣先は倒したる敵の中心に向かい、残心と敵発動に応じる気大切である。
 剣先は右足先の前60cm(二尺位)で、その点より右外約30cm(約一尺)位にあるを良しとする。(之では剣先は倒した敵に向かいません、そこで剣先は右足爪先前方線上でしょう)
正面より見て右腕と刀は「く」の字を描き、側面より観て右腕と刀棟とが一直線にある事。
 血振の意義は河野先生は「刀に付着せし血を振い落すの意。」
 中山博道先生は「血は直ぐ凝固し易いので、斬ったなら直ちに刀から振い落すか、流し下すか、拭き取る必要がある、血の付着したまゝで鞘に納めると鞘の中で血が凝固して錆びついて、抜けなくなるのみでなく、刀を汚損するのである。」と云っています。
 この事よりも、先の童蒙初心之心得にある「業の締りを付けた」という方が、残心の意に適切だろうと思います。

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2019年2月10日 (日)

曾田本その2を読み解く3大森流居合抜方3の11抜打

曾田本その2を読み解く
3、大森流居合抜方
3の11抜打
古伝神傳流秘書
抜打:座して居る所を向より切て懸るを其のまゝ踏ん伸んで請流し打込み開いて納る 尤も請流に非ず此の所筆に及ばず
行宗先生
抜打(又は止めとも云う):正面向き両膝にて(膝頭を狭くす 曽田メモ)中腰にて抜き冠りて(切り下す時膝頭を肩幅に開けば自ら進むものなり 曽田メモ)膝を進めながら切り付け刀を開きて納刀
大江先生
抜き打ち:正面に座す、対坐にて前の敵を斬る心組みにて其正座の儘刀を前より頭上に抜き、上段に冠り、身体を前に少しく出し、前面の頭上を斬る。血拭ひは中腰の同体にて刀を納む。
 古伝は「座して居る所を向より切て懸かるを其のまゝ踏ん伸んで請流し」と云って、攻防の状況を明確に云っています。行宗先生も大江先生も抜打の形ばかりの解説です。
 現代居合で河野百錬先生は「大日本居合道図譜」で抜打の解説では「腰を上げ乍ら刀刃を少し外向け右斜め前にスット物打辺りまで抜き出す。右拳を上に上げつつ抜きとり剣先は下げて左肩側より体を囲う様に把り(敵斬込むとも之を受流す心)て上段・・」と云っています。是では「敵斬込むとも」であって古伝は「「向うより切て懸るを」とは全く違います。
 斬り込まれる事を想定しておく稽古と、斬り込まれた時に応じる稽古の違いでしょう。無双直伝英信流正統会の抜打は安易な捉え方が多すぎる様です。
 大江先生直伝と云う山内豊健・谷田左一先生の図解居合詳説の抜き打ちはもっとひどい「目的 敵と接近して相対座して居る場合、不意に敵の正面に斬り付ける動作である」。
 山内豊健先生の居合を引き継ぐ京都山内派無双直伝英信流居合術の抜打「彼正面に切り来るを左に受け流して敵の真向に打ち下して仕止む」となって、古伝の思いがダイレクトに伝わってきます。
 あの共著は何だったのかと首を捻っています。共著とか監修する際自分の思いと違う場合は明確に述べるべきでしょうね。
 大江先生の居合も「剣道手ほどき」が堀田捨次郎先生の書かれたもので名ばかりの共著監修者だったと思います。大江居合は教え子によって違っていたとも聞くし、指導を受けた者の受け取れる力量にも違いがあったでしょう。何時も同じが全てでは無いし、生きてる間は進化していくのが武術の筈です。
 細川義昌先生系統の梅本三男先生の抜打「対座して居る者を斬る 正面に向ひ正座し、静かに左手にて鯉口を切り、右手を柄に掛けるなり、急に両膝を立て(両爪先立てる)同時に刀を右前へ引抜き刀尖を左後へ突込み諸手上段に引冠りて斬込み、刀を開き納め・・」居合心は伝わりにくいのでしょうか。
 細川義昌先生に指導を受けたという中山博道先生の抜打「敵と接近して相対して居る場合、不意に敵の正面に斬り付ける動作である ・・上体を稍々前方に屈し、刀を前から抜き上体を起こすと同時に、刀が鞘から全く離れて上段に冠る・・」
 中山博道先生は大正11年に無双直伝英信流谷村派第16代五藤孫兵衛の弟子森本兎身より免許皆伝を受けたという、細川居合は殆ど習っていないと思われます。森本兎身より細川義昌の方が格が上と夢想神傳流の方達が作り上げた話でなければいいのですが、ここでは業の根本を語りたいと思います。
 大江先生の直弟子だった政岡壱實先生の抜打(抜刀)「正座して対座せる者の殺意を感じて真向から切る動作・両手を同時に刀にかけつつ膝頭を合せ腰を浮かせ足先をたて(抜刀に必要な最小限に腰を浮かす)両踵の上に臀を軽くのせる。この間に刀を上に受流す気持ちで小さく抜き左手を添えつつふりかぶる。・・。」
 殺意を感じて先んじて斬る、と、しか読めないのですが、斬り込まれて請流して斬るとは違います。
 この抜打は大森流居合の最後にある業です。
 大森流が真陰流の大森六郎左衛門からの伝承であれば、新陰流の系統でしょう上泉伊勢守信綱の剣術心が組み込まれている筈です。
 活人剣の教えが組み込まれているとすれば、「懸は懸にあらず、待は待にあらず。懸は意待に在り、待は意懸に在り」と、敵の心の動きを我が内に持ち待つ、とでもいう処でしょう。
 曽田本その1の「居合心持肝要之大事 居合心立合之大事」に「敵と立合とやせんかくやせんと巧む事甚だ嫌う、況や敵を見こなし彼がかく打出すべし其の所を此の如くして勝たん抔とたのむ事甚だ悪し、先ず我が身を敵の土壇ときわめ何心なく出べし、敵打出す所にちらりと気移りて勝事なり、常の稽古にも思い案じ巧む事を嫌う、能々此の念を去り修行する事肝要中の肝要也」
 さて、抜打は、一方的に抜打ちすれば相手が優れていれば受流されて斬られてしまいます。懸待表裏の活人剣以外に勝は無さそうです。
 
 

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2019年2月 9日 (土)

曾田本その2を読み解く3大森流居合抜方3の10虎乱刀

曾田本その2を読み解く
3、大森流居合抜方
3の10虎乱刀
古伝神傳流秘書
虎乱刀:是は立事(業 ?)也幾足も走り行く内に右足にて打込み血震し納るなり但し膝をつけす
行宗先生
追懸(追風 大江派)(乱刀山川久蔵先生の伝書には虎乱刀とある:走りながら抜き付け左足を踏み込み冠り右足を踏み込み切る血振ひ立ちたるまゝ納刀
大江先生
追風:直立体にて正面に向ひ、上体を稍前に屈し、刀の柄を右手に持ち、敵を追い懸ける心持にて髄意前方に走り出で、右足の出でたる時、刀を首に抜付け、直に左足を摺り込み出して上段に冠り、右足を摺り込み左足は追足にて前面を頭上直立体にて斬り。刀尖を敵の頭上にて止める、血拭ひは右足を引き中腰のまゝ刀を納む。
 まず、これだけ業名が違うとは何か理由があるのでしょうか。大江先生の場合は第三者の圧力があったかもしれません。
 行宗先生、大江先生とも走り込んで抜付け・打込みしています。古伝の文言の抜けを補足すれば「右足にて抜付け、左足を踏込み上段となり右足を踏込み打込み血震し納る」となります。
* 
 細川昌義系統の梅本三男先生は「虎乱刀」:正面へ向ひ、立歩みつゝ右足踏出しながら鯉口を切り、左足踏出しつゝ右手を柄に掛け、更に右足踏込んで(対敵左側面へ)抜き付けたるも剣先が届かぬため、直ぐ左足を踏込みつつ諸手上段に引冠り、更に又、右足踏込んで斬り込み血振ひして(立身のまま)刀を納め終る。
 業の動作は梅本先生の抜きつけ失敗は何を意味するのでしょうか、古伝の「右足にて打込み血震し」という打込みとは抜付けとは違って上から斬り下ろす場合の古伝の表現です、古伝は打込みだけで抜きつけは省略しているかもしれません。梅本先生の場合もう一つ「走り行く」古伝の動作が歩足に変わっています。 
中山博道先生「虎乱刀」:敵が逃れ去らんとするを追ひ掛けて斬る動作であって終始立姿にて行ふ即ち立居合である。
 正面に向ひ直立す左足を約一足長前方に出す(抜刀を容易にする目的)と同時に右手を以て鍔に近く握り右足を約一歩前方に踏み出し初発刀の要領にて抜刀し、次に左足より二歩前進しつゝ刀を頭に振り被り右足が地に着くと同時に切り下ろす、以上の動作は成るべく神足に行ふを理想とす。次で、立ちたる儘で初発刀に於ける血振ひをなして刀を納める。
 中山博道先生も歩み足で走り込まない、抜付け・打込みとあって古伝とは異なります。
 この業は追懸とか追風の業名では無く「虎乱刀」ですから、虎走りの要領で敵を追う事がポイントでしょう。走るにしても歩むにしてもですが、それでは「虎走り」はいかようにすべきものなのでしょう。
 現代居合の無双直伝英信流正統会では「我れ小足、小走りに追込み」と有って「右足を半歩程前に出すや否や、左あしより進み出る、左足一歩踏出すや右足を連れ足捌きにて左足の土踏まずの処位まで引き寄せる。次で再び左足より出で右足を同じく連れ足捌きにて左足に引き寄せる。この際、決して右足を左足より先に繰り出さざる事。間合いに接する迄、此の足捌きにて小走りにてじっしする事肝要(第22代池田先生著無双直伝英信流居合道解説より)」
大江先生直伝と称する「図解居合詳説」の山内豊健・谷田左一先生の足運び「追い懸ける時の足は、小足で踵を以て踏みしめて音を立てるのである。動作は軽妙迅速に行ふ事。足を踏みしめて音を立てるのは、追い掛ける者の多勢を示して、敵をして畏擢せしめるのである」
とされています。現在でも音をドタドタたてている人が居る様です。
 英信流居合目録秘訣の外之物ノ大事では「虎走」:仕物抔を云いつけられたる時は殊に此の心得入用也、其の外にても此の心得肝要也。敵二間も三間も隔てゝ坐し居る時は直に切る事不能、其上同坐し人々居並ぶ時は色に見せては仕損る也、さわらぬ躰に向へつかつかと腰を屈め歩み行く内に抜口の外へ見えぬ様に躰の内にて刀を逆さまに抜き突くべし虎の一足の事の如しと知るべし、大事とする所は歩みにあり、運び滞りなく取合する事不能の位と知るべし」
 ドタバタ走って追い掛けるのではなく、スルスルと滞りなく追いすがって抜付け、打込むのがどうやらベターの様ですが、いかがでしょう。
 

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2019年2月 8日 (金)

曾田本その2を読み解く3大森流居合抜方3の9勢中刀

曾田本その2を読み解く
3、大森流居合抜方
3の9勢中刀
古伝神傳流秘書
勢中刀:右の向ゟ切て懸るを踏出し立って抜付打込血震し納める此事は膝を付けず又抜付に払捨て打込事も有
行宗先生
勢中刀(月影 大江派):左向ゟ正面へ中腰にて掬ひ上けて敵の二の腕に抜き付け(敵の冠りたる甲手とも云う、二の腕(上膊部)肘のことならん)左足ゟ送り足にて切り血振ひ中腰の侭納刀
大江先生
月影(左斜に向き右真向に抜き付ける):前左斜に向き正座し、同体の儘右足を出し中腰にて刀を高く抜き付け、右敵の甲手を斬る同体にて左足を出しつゝ上段に冠り、右足をだして稍直立体にて敵の頭上を真向に斬り刀尖を胸部にて止む。血拭ひは右足を引き一番と同じ要領にて、刀を納む。但し直立の儘。
 古伝の勢中刀の抜付で「払捨て打込事も有り」の動作が失伝してしまった様です。拂い捨てる部位は何処だったのでしょう。抜付けと払捨の違いも失われたと言っていいでしょう。
 最初の教えは、敵の打ち込んで来るその刀を持つ手(拳、肱)に抜き付け打込みを制止してしまう。払捨ては、打ち込んで来る敵の上膊部を切り捨てる、あるいは低く入って胴を払い捨てる。どれも出来そうです。
 斬り込んで来る敵の腕、若しくは拳に打ち込み斬り込みを制してしまう様な方法もあり得るでしょうが、古伝は斬るが優先していると思います。
 血振りを立ったまま行う理由は特に書かれていませんが、大森流の大血振りは立って行うわけですが、納刀は右足を引いて立ったままに行う事は伝承されました。
*
 大江先生の業名「月影」は夢想神傳流の山蔦先生は「大江先生がこのわざに「月影」と優雅な名付けをしたのは、敵の両肘に斬付けた刀の姿が、下弦の月の形に似ているところからであろう」と書かれていますが、さて無双直伝英信流の先生から聞いたことも無い話です。
 「月影」の業名は元々土佐に伝わる古伝に太刀打之事という組太刀の5本目に「月影」の呼称が存在します。大江先生は古伝の組太刀を改変して7本の組太刀を独創しています。その際業名をそこから転用されたと思います。
 大江先生の組太刀は英信流居合形で五本目鍔留が古伝の月影に相当します。
参考に大江先生の鍔留:互に青眼のまゝ小さく、五歩を左足より引き、打太刀中段となり、仕太刀は其のまゝ下段となる、互に右足より三歩出で、打太刀は右足を左足に引き上段に冠り真直に打下し、仕太刀は右足を左足へ引き上段となり、右足を出して打下して互に刀合す、仕打鍔元を押し合ひ双方右足を後方へ引き左半身となり、刀は脇構として刀尖を低くす、打太刀は直に上段より右足を踏み込み仕太刀の左向脛を切る、仕太刀は左足を充分引き上段となり空を打たせ上段より頭を斬る、打は二歩出で、仕は二歩退り青眼となり互に小さく五歩退り、血拭ひ刀を納む、(打太刀は仕太刀の左膝を打つときは、中腰となり上体を前に流す)。
ついでに、古伝太刀打之事「月影」
 打太刀冠り待つ所へ遣方右の脇に切先を下げて構へ行て打太刀八相に打を切先を上て真向へ突付て留め互に押相て別れ両方共車に取り相手打をはづす上へ冠り打込み勝
 古伝は相手八相に構えて待つ、仕太刀右下段に構え進む、相手八相に打ち込んで来るのを切先を上げて相手咽を突き上げる様にして*摺り上げて受け止め、鍔競り合いに押し合って別れ双方車に構へ、相手車の構えから右足を踏み込んで打ち込んで来るのを左足を引いて外し上段に引被り打ち込む。
 という業です。大江組太刀は双方上段に構え直して真向打ち合い双方の中間で刀をあわせています。
 何のために真向打ちの真似をさせるのか疑問ですが、中学生向きの稽古業として改変されたのでしょう。
 近年の年少者のスポーツ技術の進歩はすさまじい能力を発揮しています。年少者に本物を指導しなかった事は、肉体能力と心のギャップをうずめて人としてのバランスが取れるまで待つ時間を、大人がこころがけていたのかもしれません。
 剣術は人殺しの方法を学ぶ比重が高いものですから、剣技のみ高まる事を恐れたかもしれません。
 打太刀が車から上段に振り冠って「仕太刀の左向脛を切る」是も、車から直接斬り付ければいいものを、帝国剣道型に影響された動作でしょう。
 横道にそれましたが、大江先生は古伝の太刀打之事を捨て去るつもりで居合道型を作られ、その業名を盗用されたと云えます。
 流派の伝承を中学生向きとして安易に改変されたとしても、それはよしとしても、理由も無く抹殺するのは如何なものでしょう。
 現代居合の意味不明な事にいつまでも捉われている事に、警鐘を鳴らすと同時に古伝をしっかり学ばなければ、業技法も、武術の心も知り得ないものです。
 
 

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2019年2月 7日 (木)

曾田本その2を読み解く3大森流居合抜方3の8逆刀

曾田本その2を読み解く
3大森流居合抜方
3の8逆刀
参考
古伝神傳流秘書
逆刀:向より切て懸るを先々に廻り抜打に切右足を進んで亦打込み足踏揃へ亦右足を後へ引冠り逆手に取返し前を突逆手に納る也
行宗先生
順刀、逆刀(附込又は追切 大江派)(逆刀、追切):正面に座し右足を踏出して抜き(7本目と同じ)右足を引き揃へて冠り右足より継足に初めは浅く次ぎは深く切り下し右足を引き冠りて残心を示し徐に刀を下し逆手に血拭ひ納刀
大江先生
附込(俗に追切):正面に向いて正座す、右足を少しく前に踏み出しつゝ、刀を抜き、刀尖の鞘を離るゝ時頭上に冠り、右足を左足に引き揃へ、直立体となり、右足より左足と追足にて前方へ一度は軽く頭上を切り、二度目は頭上を同一の体勢にて追足にて斬る、此体勢より右足を後部へ引き、中腰となりて更に上段構を取り、敵の生死を確かめつゝ残心を示す(抜付けより之れ迄は早きを良とす)此残心を示したる体勢より自然前方へ刀を下して青眼構えとなる、此時は右足の膝を板の間につけ、左足の膝を立て全体を落す、更に同体にて右手を逆手となし、刀柄を握り、左手は左膝の上に刀峯を乗せ血拭ひをなし刀を逆手の儘同体にて納む。
 古伝は簡潔な文章ですから、其処から動作を描くには、多少の修練が無ければ不可能かもしれません。
 正面に向って坐す處、前から敵が切って来るので、右足を踏出し刀を抜きかけ、右足を引き揃えてそれを外して、右足を踏み込み抜打に切る、左足を右足に引き揃え、さらに右足を踏み込んで打込み左足を右足に引き付る、亦右足を後へ引き上段に引き冠り、刀を青眼に下しつつ右膝を着き、刀を逆手に取り返して切先下がりに構え斬り倒した前の敵のとどめを刺し、逆手の儘納刀する。
 それでも細部は、口伝口授看取り稽古によるしかわからないものです。行宗先生、大江先生と繋いでようやく現代居合の附込あるいは神傳流の逆刀が見えてきます。
中山博道先生の逆刀を読んでみます(居合読本より)
 正面より斬り込み来る敵の刀を脱しつゝ上段より敵の胸元迄切り下げ敵が後退するのを追ひ打ちに再び斬りつけ敵が倒れたるに対し尚ほ残心を示し、最後に止めを刺す動作なり。
 正面に向ひ正座す。右足を約一足長前方に踏み出すと同時に半ば刀を抜き、左足を僅か後方に引きつゝ立上り同時に右足を左足にひきつけて刀を頭上に振り被る。
 次いで右足を一歩前に踏み出し刀尖を胸の高さ位まで切り下げ、続いて左足より二歩前進して、刀を再び頭上に振り被り右足の地につくと同時に斬り下す。この時における着眼点は一間位前方の地とし、刀尖は腰の附近迄位切り下げ左足を右足に引つけ直ちに右足を約一歩後方にひくと同時に刀を頭上に振り被り、残心を示し、然る後、徐に右膝を智につけつゝ刀を下ろし右手を逆手に成る如く握り換へ左手を放ち刀を逆手に持ち左手を刀尖に近き部位の刀背に添へ、止めを刺す心持ちにて刀を僅かに上方にひき、以下、流刀に於ける納め刀の要領により刀を納むる。
 止めを刺すしぐさを説いているのは中山博道先生ばかりの様です。夢想神傳流に引き継がれました。無双直伝英信流は其の心持ちすら消えてしまった様です。
 その原因は、大江先生の教え子が今日の無双直伝英信流を広めて来たことによると考えます。
 但しこの止めを刺す動作は「これは元来血拭いの形なるが敵の発動に対し直ちに刺突するの意肝要也」と22代池田先生は記述しています。
 
 
 

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2019年2月 6日 (水)

曾田本その2を読み解く3大森流居合抜方3の7介錯

曾田本その2を読み解く
3、大森流居合抜方
3の7介錯
古伝神傳流秘書
順刀:右足を立左足を引と一処に立抜打也又は八相に切跡は前に同じ
行宗先生
介錯(順刀):正面に座し右足を踏み出し抜き離れざる内に右足を左足に引き付け右肩より(左肩より 曽田メモ)右足を踏み出し踏み出して斜に切る
大江先生
介錯:正面に向きて正座、右足を少しく前へ出しつゝ、刀を静に上に抜き、刀尖が鞘と離るゝや右足を後へ充分引き、中腰となり、刀を右手の一手に支へ、右肩上にて刀尖を下し、斜の形状とす、右足を再び前方に出し上体を稍前方に屈し刀を肩上より斜方向に真直に打下して、前の首を斬る。血拭は足踏の儘6番と同じ様に刀を納む。
 古伝神傳流秘書の動作を、敵に応じる居合術としてやってみると至極自然に抜打ちが可能です。
 普段は介錯と教わっているのでそれらしく演じて当たり前でした。然し古伝には介錯らしい文言がありません。
 大森流11本の中心部に位置する7番目に介錯の仕方を持って来る理由も見当たりません。
 正面に向いて正座し、敵が斬り込んで来るので刀に手を掛け腰を上げ右足を踏み出し刀を物打ちまで抜き出し、敵が上段より真向に斬り付ける寸前に立ち上がりながら、柄を上方に引き上げ、左足を引いて敵刀を外すや同時に刀を抜き放って、その足踏みのままか、間が遠ければ右足を踏み込み上段から打ち込む。或は八相に斬り下す。
 順刀の意味は何なのでしょう、大森流居合の6本目流刀、7本目順刀、8本目逆刀と一連の刀法の流れを暗示する様な業名であり業技法が示されていたと思えるのです。いくつかの替え業が横行するうちに「介錯に使える」としてそうなった様に思えて仕方がありません。
 全剣連の制定居合12本目抜き打ちが立業ですがそっくりです。
抜き打ち:「要義、相対して直立している前方の敵が、突然、切りかかってくるのを、刀を抜き上げながら退いて敵の刀に空を切らせ、さらに真っ向から切り下ろして勝つ。
 動作、直立したまますばやく刀に両手をかけ、左足を後方に引き、右足を左足近くに引きよせながら刀をすばやく頭上に抜き上げると同時に左手を柄にかけ、間を置く事無く右足を踏み込むと同時に真向から切り下ろす。」
 この土佐の居合の古伝や解説が、下村派から出ていて谷村派からは何も出て来ないので、これ以上の詮索は不可能です。
 無双神傳英信流居合兵法を学ぶ方は順刀を抜き打ちの一つとして自らの業に加えていただきたいものです。習ったことも碌に出来ず、習って居ない事も発見できなければ学び修行する意味はないでしょう。
参考:曽田本その1に谷村派第15代谷村亀之丞自雄による英信流目録の大森流居合之位7本目順刀
 「是は座してる前の者を切る心持ちなり、我其の侭右より立、すっと引抜肩より筋違いに切る也、是も同じく跡は脛へ置き逆手にとり納るなり。」是は、習い覚えた首を切る業の様な雰囲気と捉えればそうかもしれませんが、「肩より筋違いに切る也」ですから首を斬るのではない様です。谷村派の伝書は是しかありません。
 曾田本その1の「居合兵法極意巻秘訣」で「介錯口伝」があったのを記憶されておられるでしょう。
介錯口伝:古代には介錯をこのまず其故は介錯を武士の役と心得べからず死人を切るに異ならず故に介錯申付らるゝ時に請に秘事有り介錯に於ては無調法に御座候但し放打ならば望所に御座候と申すべし、何分介錯仕れと有らば此上は介錯すべし作法に掛るべからず譬え切損じたりとも初めにことわり置たる故それに非ず秘事也能く覚悟すべし。
他流にて紐皮を掛ると云事:仰向に倒るゝを嫌てひも皮を残すと云説を設けたる見えたり、当流にては前に云所の伝有故に譬え如何様に倒るゝとも失に非ず、其上紐皮をのこすの手心何として覚らるべきや、当流にては若し紐皮かゝりたらば其の侭はね切るべしサッパリと両断になし少しも疑の心残らざる様にする事古伝也

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2019年2月 5日 (火)

曾田本その2を読み解く3大森流居合抜方3の6請流

曾田本その2を読み解く
3、大森流居合抜方
3の6請流
古伝神傳流秘書
流刀:左の肩より切て懸るを踏出し抜付左足を踏込抜請に請流し(此の處工夫すべき處なり曽田メモ)右足を左の方へ踏込み打込む也扨刀をすねへ取り逆手に取り直し納る 膝をつく
吉宗先生
請流(流刀、受刀):左向にて敵正面ゟ打ち込み来るを我左足を踏み出し左肩先に請け流し右足を右斜に踏み出し体を変はして右足を揃へ(左足に)右肩ゟ切り下す左足を引き逆手納刀
大江先生
請け流し:(足踏みは三角形とす)(右斜向にてもよし)右向となりて正座し敵が頭上に切り込み来るのであるから右斜め横に左足を踏み出し中腰となりて刀尖を少し残して左膝に右黒星を付け抜き、右足を体の後に出すと同時に残りが刀尖を離れて右手を頭の上に上げ、刀を顔面にて斜として刀尖を下げて請け流し、右足を右横へ摺り込みて左足に揃へ、左斜向に上体を変へ稍や前に屈し、刀は右手にて左斜めの方向に敵の首を斬り下し、下す時左手を掛ける。血拭ひは、斬り下してる体勢の足踏みより左足を後方へ引き、右足は稍前方に屈し膝頭を前に出す、其膝上に刀峯を乗せ右手は逆手に刀柄を握り構へ、其侭静に刀を納む、刀を納むるとき刀を鞘におさめつゝ体を漸次下へ下し、刀の全く鞘に納まるや之と同時に左足の膝を板の間に着けるなり。
 古伝を演じてみると座して居る左肩から敵が切って懸かる、「踏み出し抜付」は「腰を上げ左足をやや右に踏み出し刀を抜き始める」と云うのでしょう。
 敵が打ち込んで来るのを、左足を更に踏出して、打ち間を外し刀を抜くや、眼前頭上に刀を稍々切先下がりに抜き出し抜き請けに、請け流す。
 この場合は敵刀が我が刀に触れるや切先を下げて摺り落すのでしょう。擦り落すや左足先を敵に向け乍ら右足を左足に踏み揃へ、片手打ちに敵に打ち込み右手を柄に添える。左足を引いて、刀を右脛へ取り直し、逆手納刀しつつ左膝をつく。
 このポイントは、敵の打込みを切先附近まで抜き出した状況で待ち、充分引き付けた所で左足を更に踏出し打ち間を外しながら敵刀を請ける所にありそうです。結果として敵の刀は我が刀の物打ち付近で摺落される筈です。
 吉宗先生も同様かなと思えます。
 大江先生も概同様でしょう。しかし、受け流す際右足を後に引いていますから敵刀は鍔元近い請けになりそうです。
 右向きに座し、左から打ち込んで来る敵に、中腰となって左足を体の正面左斜め前(場の右斜め前)に少し踏み出し、攻撃態勢を作り、右黒星(右足の踝?意味不明)を、左足に引き付ける様に摺り込みながら切先まで抜き出し、打ち込まれる寸前に立ち上がりつつ右足を後に引くや刀を抜き出し顔前頭上に切先下がりに敵刀を請け流す(摺り落す)。右足を左足に踏み揃え、左斜めに振り向き敵の首に斬り下す。以下古伝と似たような逆手納刀です。
細川義昌先生伝授する梅本三男先生の「流刀」
 正面より右向きに正座し、左手を鯉口に執り、右手を柄に掛けるなり、急に左足を前方に踏出し、体は低く刀を左頭上へ引抜き(左側より斬込み来るを)受流しながら、右足を前へ踏越す、同時に、体をくるりと左後へ振向き(刀は頭上にて、受流したるまま左後ろより右肩後へ、血振ひする直前の様に振り下げ、空を斬って居る者の後ろ首へ)刃部を左斜下へ向け、右足を左前足に踏み揃っへる。同時に左手で柄頭を握り諸手となる。・・・。
*
中山博道先生の流刀:正面に対て右向に正座す、頭を左に向け左足を約一歩前に踏み著くる間に右手を以て柄を上方より握り抜刀し頭上を目がけて斬り来る敵の刀を左肩後方に向け流す心持ちにて動作す。・・右足を左足の右後ろ方約一歩半の所に開き刀は右肱を屈げて肩に担ぐようにする。・・。左に向けつゝ右足を左足に引き付け、左前方に斬り下す・・。(居合読本より)
 夫々の方法で受け流していますが、がっちり受け止めてから流すのではない事は判ります。敵刀を請けるや流すこの業を身に着けなければ、刀は叩きおられ、請けても力任せにたたき斬られてしまうでしょう。
 座して居る者に切り込み受流されて空を斬るはありますが、態勢が崩れて前のめりに成ったり、我が左後ろに流れる様な打ち込みを英信流の稽古業であり得るでしょうか。
 大江先生の居合道型の「請流」では打太刀が首を斬ってくれと前のめりになって仕太刀を導きますが、竹刀剣道の打込みではいざ知らずです。
ここで細川義昌、行宗貞義。大江正路の略歴を上げておきます。
1849年嘉永2年
細川義昌生まれる
1850年嘉永3年
行宗貞義生まれる
1852年嘉永5年
大江正路生まれる
この年下村派下村茂市土佐藩居合術指南となる
1856年安政3年
細川義昌下村茂市に入門7才
1868年明治維新
細川義昌19才
行宗貞義18才
大江正路16才
1869年明治2年
版籍奉還
1876年明治9年
廃刀令
1877年明治10年
西南戦争
下村茂市没す
細川義昌29才
行宗貞義28才
大江正路26才

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2019年2月 4日 (月)

曾田本その2を読み解く2大森流居合抜方3の5陽進陰退

曾田本その2を読み解く
2、大森流居合抜方
3の5陽進陰退
古伝神傳流秘書
陽進陰退
初め右足を踏出し抜付け左を踏込んで打込み開き納又左を引て抜付跡初本と同じ
行宗先生
進退(八重垣 大江派)(陰陽進退)(陽進陰退のことならん)
正座し抜き付けたる時膝を浮へ左足を踏み込むと同時に冠りて切り刀を横に開き納刀漸時左足を引き付くる也此時敵又切り込み来るを左足を引き右脛を囲い冠りて切る也(脛囲の時抜き放ちても不苦)同断
大江先生
八重垣
正面に向い正座す、右足を出し左膝を浮めて中腰となりて首に抜付け、左足を前方へ踏み出して両膝浮めて中腰の儘大間に上段に取り前方真直に頭上を斬り下し、此時右膝をつき左膝を立て、同体にて長谷川流の血拭ひをなし刀を納む、此時敵未だ死せずして足部を切り付け来るにより血拭ひの姿勢より右足を重心に乗せて立ち、直に左足を後へ開き体を左斜構ひとし刀を膝の前へ抜きて平とし、膝を囲みて敵刀を受け更に身体を正面に向け上段となり、坐しながら頭上を充分斬る、血拭は右足を後部へ引き刀を納む。(剣道手ほどきより)
 古伝の業名「陽進陰退」ですが、行宗先生は「進退」、大江先生は「八重垣」。業名に工夫をこらすことは武術流派に有るものですが、業の雰囲気を全く無視して「八重垣」とはどの様な状況によって変えたのでしょう。
 この頃大江先生も職が無く中学校の剣道の先生との話が出て其の校長辺りから、中学生向きに業名変更を突き付けられ応じたものかも知れません。
 八重垣の業名は、大江先生が置き捨てた組太刀の詰合の4本目に「八重垣」の業名が存在します。
 是は「双方下に抜き合わせたる時相手打込むを我切先に手を懸けて請け又敵より八相に打を切先を上にして留又上より打つを請け相手打たんと冠るを直に切先を敵の面へ突詰める」という大技です。立ったり座ったりの繰り返し動作が陰陽進退と雰囲気が似ているとして引用したかも知れません。
 大江居合は古伝の剣術を捨ててしまったとしか言いようのない行為です。
 戻りますが、古伝の陰陽進退は「・・開き納又引て抜付跡・・」です。第二の敵が来たとも、最初の敵が死力を奮って斬り込むとも、斬り込みを受け払って切るとも言っていません。この場面は自分で想定して稽古しろ、とでも言うのでしょう。
* 
 曾田本その1に谷村派第15代谷村亀之丞自雄による「英信流目録」があります。大江先生の先代16代五藤孫兵衛正亮の師なのですがその陽進陰退「陽進刀是は正座に坐する也右の足一足ふみ出し立也に抜付左を踏み込み討込む也すぐに右脇へ開き其侭納む也。陰退刀其侭左の足を跡へ引其時亦抜付打込み血ふるひの時立左の足を右に揃へ納る時右を一足引也」とあります。
 この手附は古伝を解説した文章とはとても思えません。陽進はともかく、陰退の「其侭左の足を跡へ引、其時亦抜付打込み・・・」で之では古伝の儘に過ぎず参考になりません。これは谷村派の陽進陰退ですから中山博道先生の陰陽進退と思えます。 
 中山博道先生はこの陰陽進退の意義をどの様にしたか。
「互に対座せる時急に初発刀の如く切りつけたるも、敵逃れしを以って直に追いかけ之を斬り倒し、刀を納めんとせし時、再び他の敵より斬りつけられたるを以って直に之れに応じて敵の腰を斬る」
 現在の夢想神傳流の業となります。
 細川義昌系統の梅本三男先生の陰陽進退も中山博道先生と同じと云えるでしょう。
「陰陽進退」前方を斬り又薙付け来る者を斬る。
「正面に向ひ正座し、例により鯉口をきり右手を柄に掛け、抜きつつ膝を押をのばし右足踏み込んで(対手の右側面へ)抜付けたるも剣先が届かぬ為、急に立上り左足を右足の前へ踏越しつつ刀を引冠りて正面へ斬込み刀を右へ開き、刀を納めつつ右膝を跪き納め終りたる所へ(別人が向脛へ薙付け来る)急に立上り左足を一歩退くと同時に刀を前へ引抜き切先放れ際に左腰を左へ捻り、体は正面より左向きとなり刃部を上に向け差表の鎬にて張受けに受け止め体を正面に戻しつつ左足を右足横へ跪きながら刀尖を左後へ突込み右諸手上段に引冠り更に右足踏込んで斬込み血振ひして刀を納め終る」
 古伝の陰陽進退から倒した敵が再び斬り付けて来り、新たな敵が来たり、恐らく替え業は幾つも横行したのでしょう。手附が不十分であれば、その順序に従って抜けた部分は如何様にも想像できるのが、仮想敵相手の居合なのです。
 行宗、細川、大江の各先生とも下村派の下村茂市の同門です。大森流は一対一の攻防を主としている様ですから、新たな敵が斬り込み来るは疑問ですが、現在にも生きて居る業となります。
 新たな敵が向こう脛に斬り付けるのも立って来る新たな敵が向こう脛ですか?それより一刀目で不充分な抜きつけが気にいりません。どうせなら柄か抜き懸けた刀で敵に受けてもらいたかった。
 脛に斬り付けられた際、刀の刃で受けるか、表鎬か、棟かいずれにしても柄握りの妙が無ければ刃、又は刃の平で受けてしまいます。
 この業は「柄口六寸」の極意を学べる業と云えそうです。敵刀を受けるのではなく小手に抜き付ける・・・。

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2019年2月 3日 (日)

曾田本その2を読み解く2大森流居合抜方3の4當刀

曾田本その2を読み解く
2、大森流居合抜方
3の4當刀
古伝神傳流秘書
當刀:左廻りに後へ振り向き左の足を踏み出し如前
行宗先生
後身(當刀・後刀):後向きゟ正面に抜き付け冠りて切る也
大江先生
後:後へ向き正座す、刀を静かに抜きつゝ両脚先にて左へ廻り正面に向ひ左足を出して首に抜付け同体にて上段より前体頭上を斬る血拭ひは左足を後方に引き刀を納む。
 當刀の意味が解らずにいます。後ろに座す敵に左廻りに振り向いて左足を踏み込んで抜き付け、上段に冠って打ち込むのだろうと、推測します。
 何故左廻りなのか、右廻りでは不可なのか、右廻りも左廻りも既に左刀・右刀で稽古済みです。どちらも難なく演武出来るはずです。特に右廻りですから古伝の右刀や行宗先生、大江先生の左刀(右)、右刀(左)で九十度の回転を習っています。古伝の二本目左刀が左足を正面の敵に踏み込んで抜き付けるのであれば、右刀と當刀は九十度右廻りと百八十度左廻りで納得できます。
 行宗先生、大江先生は左廻りを九十度と百八十度の二度稽古するわけです。回転角度の違いを認識する為と云うのも一理あるでしょう。それならば、右廻り百八十度も正規の業としてあっても良さそうなものです。
 古伝は、そんな事を考えるならば自分で稽古の時にやればいいでしょう、と笑われそうです。正座の右廻りは容易ですが、立膝の右廻りは厄介ですよ。是は相当稽古が必要です。
 大江先生の後の回転の仕方で「・・両脚先にて左へ廻り正面・・」の文章は「右膝を軸とし左廻り・・」でしょう。右の場合「右足の膝にて左へ廻る」、左の場合は「左足膝にて右へ廻り」と稽古させています。両足爪先立って回転するのは困難です。軸となる膝若しくは左足先で回転しなければ廻れません。その際左足を踏み込むのは更に難しいものです。
 大江先生の居合の手附を堀田捨次郎先生が書かれて大江先生の監修があるやに何かで読んだような気もしますが、大江先生は読まれていないとしか思えません。
 何故、くだくだ、くだらない事を書くかと云う事ですが、古伝神傳流秘書の當刀は「左廻りに振り向き左の足を踏み出し・・」と有るばかりで、どの様に廻るのかなどは口伝、口授であったと思えるのですが、其れよりもこの手附で、結果を出すには如何にあるべきかを考えさせようとしている様に思えて仕方がありません。
 しかし、現代居合が、形に拘り物差しで計るような指導に疑問を覚えてしまいます。初心の者に手ほどきする形ならば納得ですが、それを十段ともあろう人が真面目な顔をして演じているのも不思議です。

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2019年2月 2日 (土)

曾田本その2を読み解く2大森流居合抜方3の3右刀

曾田本その2を読み解く
2、大森流居合抜方
3の3右刀
古伝神傳流秘書
右刀:右足を踏出し右へ振り向抜付打込血震納る
行宗先生
右身:左向ゟ正面に抜き付け冠りて切る也
大江先生
左:左に向きて正座し、左足膝にて右へ廻り右足を出して首に抜付け上段に取り、直に頭上に斬り下す、血拭ひは右足を後方に引き刀を納む。
 古伝の右刀の文章は「右へ振り向き右足を向へ踏出し打込」でしょう。「右足を踏出し右へ振り向」でも可能ですが、左向きに座して、右足を踏出したのでは、右に廻るのに右足が邪魔になります。
 ここは大江先生の手ほどきが判りやすい。そんな事は十分承知している様でも初心者には何だか解らないものです。行宗先生の抜けだらけの文言では、現代居合の動作を引合いに出さなければ演じられません。
 大江先生は敢えて右、左を古伝や吉村先生と逆に捕え、演武する者が道場の正面に対し右向きを右、左向きを左とされて対敵意識を無くしてしまいました。現代居合の無双直伝英信流が是を引き継いでいます。
 夢想神傳流は、我に対する敵の位置を優先しています。武術ですから、大江先生の業呼称は演武会向けのものと思われ違和感を覚えます。稽古するにも対敵意識の乏しい考え方は疑問です。大江先生が明治から大正にかけて平和への願いを込めて居合を、武術から武的踊りに昇華しようと意図したとの話は聞いたことがありません。古来からの業名を改変した意図が判りません。
 細川義昌系統の梅本三男先生の右刀では「右側に座して居る者を斬る」とされ、下村茂市定の教えは細川義昌にも行宗貞義にも大江正路にも同様であったと思われます。
 参考に中山博道先生の右刀の手附を読んでみましょう。
「三本目右刀:右側面に対座せる敵に対し、初発刀と同意義に於いて行ふ業なり。」と意義を述べています。動作は「左膝を軸として90度右に旋回すると同時に・・。」
当然の事、二本目左刀は「左側面に対座せる敵に対し、初発刀と同意義に於いて行ふ業なり」です。
 業名についてはとやかく言わず「おおらかに」何でもいいよと、云うのもありかも知れませんが、武術流派にはそれなりの伝書があって、目録も明示されるのですから守るべきものは守る姿勢も武術文化伝承の一つとして大切にしたいものです。それでなければ伝統文化などと云う事がおこがましいと考えます。

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2019年2月 1日 (金)

曾田本その2を読み解く2大森流居合抜方3の2左

曾田本その2を読み解く
2、大森流居合抜方
3の2.左刀
古伝神傳流秘書
左刀:左の足を踏み出し向へ抜付け打込み扨血震して時足を前の左の足へ踏み揃へ左足を引て納る以下血震する事は足を立替へ先踏出したる足を引て納る也
行宗先生
左身(左刀):右向きゟ正面に抜き付け冠りて切る也
大江先生
右:我体を右に向け正座す左足を出しつゝ右(左の誤植でしょう)敵首を切る心組にて抜付け、同体にて上段となりて前面真直に敵の頭を斬る。
 此左足を出したる時は右足の膝にて左へ廻る意を以て右足に体の重心を乗せ、左足を軽く出す事に注意すべし、血拭ひは一番と同じ要領にて行ひ、左足を後部へ引き刀を納むる事。
 大森流居合の二本目は「左刀」です。この場合古伝は「左足を踏み出し向こう(正面)へ抜き付け」ています。左刀の「左」は左足を踏み込むと、読む事も出来ます。
神傳流秘書から
一本目の初発刀が「右足を踏出し向へ抜付け」です。
二本目の左刀は、「左の足を踏み出し向へ抜き付け」で足を正面に踏み出す左右の足捌きの違いを言っている様に読み取れます。
 従って、初発刀も左刀も敵は我が前に対座して我の方を向いている想定で良さそうです。敵が我が右側とも左側にとも云っていない、右廻りとも左廻りとも動作を指定もしていません。
 山川久蔵幸雅が書き写す際誤って抜け落ちたとも思えそうにありません。ただ、正面向きに座し左足を向へ踏込んで抜き付ける動作はこの左身以外に見当たりません。
 正面の敵に抜付けるに当たり、右足または左足の状況による可不可の判断は敵の何処にどの様に抜付けるかによるもので、横一線の抜付けだけの現代居合では、寧ろ右足を踏出した方が左腰の捻りが有効で、抜き付けた右手が右に抜けない、切先に力のこもる体勢でもありそうです。
 亦、斬り下しも現代居合は真向上段からの打込みばかりですが、右からの八相の斬り下しを思うと、左足を踏み出し下からの斜め右への抜き付け、右から左への八相の打込みは可といえるでしょう。
 文言の過ちと捉えるか、発想を豊かにしてとことん稽古して見る価値はありそうです。
 吉宗先生と大江先生の違いは、動作に於いては無さそうです。業名の左身と右の違いは、行宗先生は、敵が我の左脇に我が方を向いて坐す、対敵意識を優先している様で、演武として場の正面右向きに座すと解されます。
 大江先生は、演武の場取りが先行して座す心組と思われます。ここでも「左足を出しつゝ左敵首を切る」と理解不能な文言になっています。
 ここは「左に振り向き左足を出しつゝ抜付け」るでしょう。しかしこれでは「左に向き直ってから、左足を出しつゝ抜付け」となっておかしい。此処は「左に振り向きつゝ刀を抜き出し、左足を踏み出すや抜付け」でしょう。言葉も、動作も理に叶わなければ武術が見えなくなります。

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2019年1月31日 (木)

曾田本その2を読み解く2大森流居合抜方3の1初発刀

曾田本その2を読み解く
2、大森流居合抜方
3の1古伝神傳流秘書・行宗貞義・大江正路
  の抜方対比
1、初発刀
・ 
古伝神傳流秘書
初発刀:足を踏み出し向へ抜付け打込み扨血震し立時足を前に右足へ踏み揃へ右足を引て納る也
行宗貞義
前身(初刀又は初発刀):正面に座し抜き付け冠りて切る血振いを為し右足(踏み出したる足の事)を引き納刀勝をつく
大江正路(剣道手ほどきより)
前:我体を正面に向け正座す、右足を出しつゝ刀を抜付け、前の敵首を切り更に上段になり同体にて前面の頭上を真直に切り、血拭い刀を納む
 曽田先生は、大江批判から始まり、「名称古伝と違うなり」と云いますが、行宗居合も「前身・初刀・初発刀」で似たようなものです。手前味噌が過ぎると思えますが大江居合の業名称は概ね改変されて古伝の趣は失われています。
 行宗、大江共に座し方は正面に座す、場の正面を差す様な表現であって、対敵に対し「我が正面に座す敵」イメージが乏しい。古伝は「向へ抜付け」の表現で正面に座す対敵を意識したものとなっています。
 大江居合の註記に、曽田先生は「総じて座業にて抜付けは二星を勝つ故に首に非ず」と大江居合の「前の敵首を切り」に異論を述べています。
 古伝及び行宗居合の抜付け部位は「抜付け」の文言だけで指定がありません。林崎甚助重信の根元之巻には「柄口六寸勝」を極意としています。
 大森流居合及び長谷川流居合は既に根元之巻の成立時から遠く「柄口六寸勝」は失われている様です。
 相対する敵の何処に斬りつけるかは古伝神傳流秘書ですら指定していません。大森流居合の発生が真陰流の大森六郎左衛門であると云うので「柄口六寸」所謂「二星」であり、林崎甚助重信の居合が「腰刀三尺三寸により柄口六寸に勝つ」根元之巻から持ち出されたものでしょう、しかし土佐に持ち込まれた居合には「柄口六寸」の教えは術理では幻となっています。
 「英信流居合目録秘訣の外之物ノ大事雷電霞八相」に曽田先生が述べている極意が記載されています。
 「雷電霞の二ヶ条當流極秘中の秘にして大事、此外に無、請流に心明らかにして敵の働を見と云教有れ共當流には雷電の時の心亦霞ごしに見るが如くの心の所に大事の勝ある事を教るなり。
 夢うつつの如くの所よりひらりと勝事有、其勝事無疵に勝と思うべからず、我身を先ず土壇となして後自然に勝有、其勝所は敵の拳也、委しき事は印可に有、八相は四方八方竪横自由自在の事也、故に常に事(業か)形の修練熟せざれば時に臨て其習い出る事無し。
 本文には教を広く云、亦曰八相に打下ろす所にて大事の勝有則二星也。大小詰之極意は霞蹴込につづまる夫とは敵の眼を我が手を以払う、敵憶くるゝ所にて勝、手ウゴカシ難きときは我頭を敵の顔に突付べし、又は足にて敵の陰嚢を蹴る也。
 詰合は二星につづまる、敵の拳也、二星一文字と云時は敵のこぶしを抜払う事也、総じて拳を勝事極意也」
 林崎甚助重信当時の業では拳に抜きつける術があった様ですが、大森流、及び長谷川英信流では、失伝した極意の様です。
 あえて、拳への抜き付けを強調した場合、行宗居合、大江居合は成り立たない様に思われます。
 それは、手首を折り曲げたり捏ねる様にして対敵の抜き付けんとする拳に斬り付ける事となり、あるいは右足を踏出しての抜き付けで、上体の高さを自由に調整できなければ不自然となる場合が予測されます。位置が定まらない動く拳への抜き付けの難しさを克服するには、まず、対敵の抜き付け位置が上下に動く首なりこめかみなりに抜きつけられる稽古を嵩ね、その上で拳への抜き付けを稽古する事になります。
 その場合、現代居合の標準である、形を逸脱し、横一線の抜き付けも縦横無尽の抜き付けを身に着ける事となるでしょう。
 連盟の教えや段位に拘る人には不向きな事になりそうですが、日ごろ同じ形の抜付けばかりに甘んずる事の無い心構えが大切でしょう。
 曽田先生はそこまで意識されて大江居合を批判したとも思えません。神傳流秘書の「大らかな抜付け打込み」を如何にものにできるかは、まず現代居合の要求事項を100点取れる様に、2~3年でクリヤーできる人だけに許されるものかも知れません。
 大江先生の抜き付けで気になる文言に「右足を出しつゝ刀を抜付け」と有ります。「足を踏み出し」との違いは何処まで認識できるでしょうか。文章は堀田捨次郎先生によると思われます。
大江先生:右足を踏出しつゝ刀を抜付け
河野先生:右足を踏出すや敵の抜刀せんとする腕より其の顔面に真一文字に斬り付ける。
政岡先生:抜付と同時に右足を直前(すぐまえ)に大きくふみ出し・・・。
池田先生:剣先を一気に抜き出すと同時に、右足を踏み込み、踏み立てて横一文字に斬り付ける。
中山博道先生:右足踵が左膝頭附近に来るごとく踏み著くると同時に刀を抜く。
抜き付けは、「右足を踏み立てるや同時に抜きつける」の文言の方が強い斬撃力が得られると考えられます。
*
 行宗先生の血振は、抜き付けた右足に左足を退き付けずに血振している様です。其の右足を引いて納刀する様ですが、これでは倒した敵との距離が離れすぎます。左足を右足に引き付け踏み変えてから右足を引くべきでしょう。
 大江先生の文章からは、血振後の状況が読み取れません。「剣道手ほどき」から「・ ・頭上にかざしたる刀は頭上より右斜め下へ旋円して下す。此の時後ろの左足は尤も軽く右足に揃へ上体を稍や前面に屈む、左足を後へ引き右拳を上に返し刀の峯8寸を鯉口を握りたる左手の拇指の股へ摺・・刀を納む」
 現代居合では、踏み出した右足を引いて納刀します。この「剣道手ほどき」には写真も載っています。右足前での納刀写真となるので、血振の際み踏み出した右足に左足を引き付けず其の侭血振納刀ですんでしまいます。
武術の手附は言葉をよく吟味し、動作の順番や、寸法・形・方法は間違いなくすべきものでしょう。
 大江・堀田共著「剣道手ほどき」は大正7年1918年ですからほぼ100年前のものになります。
 
 

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2019年1月30日 (水)

曾田本その2を読み解く2大森流居合抜方2大江先生堀田先生共著

曾田本その2を読み解く
2、大森流居合抜方(名称古伝ト違フナリ)
2.大江先生・堀田先生共著
原文
1、前(記 総ジテ座業ニテ抜付ケハ二星ヲ勝ツ故二首二非す(虎彦))
我体ヲ正面二向ケ正座ス右足ヲ出シツゝ刀ヲ抜付ケ前敵首ヲ切リ更二上段二トリ(同體にて(剣道手ほどき原文))前面ノ頭上ヲ真直二切リ血拭納刀
2、右(左身)
我体ヲ右向二正座ス左足ヲ出シツゝ左へ廻リ敵首ヲ切リ更二上段二トリ真直二前面敵ノ
頭ヲ切ル
剣道手ほどき原文:此左足を出したる時は右足の膝にて左へ廻る意を以て右足に体の重心を乗せ、左足を軽く出す事に注意すべし、血拭ひは一番と同じ要領にて行ひ、左足を後部へ引き刀を納むる事。
3、左(右身)
左二向キテ正座シ右へ廻リ右足ヲ出シテ首二抜付ケ上段二トリテ直二頭上へ斬リ下ス
剣道手ほどき原文:左に向きて正座し、左膝にて右へ廻り右足を出して首に抜付け上段に
取り、直に頭上へ斬り下す、血拭ひは右足を後方へ引き刀を納む。
4、後
後へ向キて正座ス刀ヲ静二抜キツゝ両脚先ニテ左へ廻リ正面へ左足ヲ出シテ首二抜キ付ケ同体ニテ上段ゟ前体頭上ヲ斬ル
剣道手ほどき原文:後へ向き正座す、刀を静かに抜きつゝ両脚先にて左へ廻り正面に向ひ
左足を出して首に抜付け同体にて上段より前体頭上を斬る血拭ひは左足を後方に引き刀を納む。
5、八重垣
正面二正座ス右足ヲ出シ左膝ヲ浮メテ中腰ニテ首二抜付ケ左足ヲ前方二踏ミ出シ両膝ヲ浮メテ中腰ノ侭大間二上段二取リ前方真直二頭上ヲ斬リ下シ此時右膝ヲツキ左膝ヲ立テ同体ニテ長谷川流ノ血拭ヲナシ刀ヲ納ム此ノ時敵未タ死セスシテ足部二切リ付ケ来ル二ゟ右足ヲ重心二立チ直二左足ヲ後へ引キ体ヲ左斜横構トシ刀ヲ左膝ノ前ヘ抜キテ囲テ敵刀ヲ受ケ更二体ヲ正面二向ケ上段トナリ座シナガラ頭上ヲ充分斬ル
剣道手ほどき原文:ほぼ同前略す
6、請ケ流シ(足踏ミハ三角形トス)
右向トナリテ正座シ敵ガ頭上へ切リ込ミ来ルヲ右斜横二左足ヲ踏出シ中腰トナリテ刀尖ヲ少シ残シ左膝二右黒星を付ケ抜キ右足ヲ体ノ後二出スト同時二残リカ刀尖ヲ離シテ右手ヲ頭上二上ケ刀ヲ敵面ニテ斜トシ刀尖下ケテ請ケ流シ右足ヲ右横へ摺リ踏ミテ左足二揃ヘ左斜ノ方向二敵ノ首ヲ斬リ下シ下ル時左手ヲカケル血拭ハ同体ゟ左足ヲ後方へ引キ右足ハ稍々前方へ屈シ膝頭ヲ前二出ス其膝上二刀峯ヲ乗セ右手ハ逆手二柄ヲ握リ其侭静二納刀此時漸次体ヲ下シ左足ノ膝ヲツケルナリ
剣道手ほどき原文:ほぼ同前略す
7、介錯
正面二正座シ右足ヲ少シク前ヘ出シツゝ刀ヲ静二上二抜キ刀尖カ鞘ト離ルゝヤ否ヤ右足ヲ後へ充分引キ中腰トナリ刀ヲ右手ノ一手二支エ右肩上ニテ刀尖ヲ下シ斜ノ形状トス右足ヲ再前方二踏ミ出シ上体ヲ稍前方二屈シ刀ヲ肩上ゟ斜方向二真直二打下シ前ノ首ヲ斬ル納刀同前
剣道手ほどき原文:ほぼ同前略す
8、附込(伝二追切ト云)
正面二正座シ右足ヲ少シ前二踏ミ出シツゝ刀ヲ抜キ刀尖ノ鞘ヲ離ルゝ時頭上二冠リ右足ヲ左足二引キ揃ヘ直立体トナリ右足ゟ左足ト追足ニテ前方へ一度ハ軽ク二度目ハ深ク追足ニテ頭上ヲ斬ル此体勢ゟ右足ヲ後方へ引キ中腰トナリ更二上段構ヲ取リ敵ノ生死ヲ確メツゝ残心ヲ示ス(抜付ゟ之レ迄ハ早キヲ良トス)此残心ヲ示シタル体勢ゟ自然前方へ刀ヲ下シ青眼構トナル此時右膝ヲツキ左膝ヲ立テ全体ヲ落ス更二同体ニテ右手ヲ逆手二刀柄ヲ握リ左手ハ左膝ノ上二刀峯ヲ乗セ血拭ヲナシ刀ヲ逆手ノ侭同体ニテ納ム
剣道手ほどき原文:ほぼ同前略す
9、月影(左斜二向右真向二抜付ケル)
前左斜二向正座同体ノ侭右足ヲ出シ中腰ニテ刀ヲ高ク抜キ付ケ右敵ノ甲手ヲ斬ル同体ニテ左足ヲ出シツゝ上段二冠リ右足ヲ出シテ稍直立体ニテ敵ノ頭上ヲ真向二斬リ刀尖ヲ胸部二止ム血拭納刀(左足ヲ引キ直立ノ侭)
剣道手ほどき原文:ほぼ同前略す
10、追風
直立体ニテ正面二向ヒ上体ヲ稍前二屈シ刀ノ柄ヲ右手二持チ敵ヲ追ヒ懸ケル心持ニテ随意前方二走リ出テ右足ノ出タル時刀ヲ首二抜キ付ケ直二左足ヲ摺リ込ミ出シテ上段二冠リ足ヲ摺リ込ミ左足ハ追足ニテ前面ヲ頭上直立体ニテ斬リ刀尖ヲ敵ノ頭上ニテ止メ血振右足ヲ引中腰ノ侭納刀
剣道手ほどき原文:ほぼ同前略す
11、抜キ打チ
正面二座ス対座ニテ前ノ敵ヲ斬ル心組ニテ其正座ノ侭刀ヲ前ゟ頭上二抜キ上段二冠リ体ヲ少シ前二出シ前面ノ頭上ヲ斬ル血振ハ中腰ノ同体ニテ納刀
剣道手ほどき原文:ほぼ同前略す
 

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2019年1月29日 (火)

曾田本その2を読み解く2大森流居合抜方(自叙)1行宗先生派

曾田本その2を読み解く
2、大森流居合抜方自叙
1行宗先生派
原文
1、前身(初刀又初発刀)
正面二坐シ抜キ付ケ冠リテ切ル也、血振ヒヲ為シ右足ヲ引キ(踏ミ出シタル足ノコト) 納刀膝ヲツク
2、左身(左刀)
右向キゟ正面二抜キ付ケ冠リテ切ル也 同断
3、右身(右刀) 
左向キゟ正面二抜キ付ケ冠リテ切ル也 同断
4、後身(當刀、後刀)
後向キゟ正面二抜キ付ケ冠リテ切ル也 同断
5、進退(八重垣大江派)(陰陽進退)(陽進陰退)ノコト
正面二抜キ付ケタル時左膝ヲ浮へ左足ヲ踏ミ込ムト同時二冠リテ切リ刀ヲ横二開キ納刀漸時左足ヲ引キ付クル也此時敵又切リ込ミ来ルヲ左足ヲ引キ右脛ヲ囲イ冠リテ切ル也(脛
囲ノ時抜キ放チテモ不苦) 同断
6、請流(流刀、受刀)
右向ニテ敵正面ゟ打チ込ミ来ルヲ我左足ヲ踏ミ出シ左肩先二請ケ流シ右足ヲ右斜二踏ミ
出シ体ヲ変ハシテ右足ヲ揃へ(左足二)右肩ゟ切リ下ス左足ヲ引キ逆手納刀
7、介錯(順刀)
正面二坐し右足ヲ踏ミ出シ抜キ□レザル内二右足ヲ左足二引キ付ケ刀ヲ右肩二トリ右肩
ゟ右足ヲ踏ミ出シテ斜二切ル

7本目8本目ノ名称二就テ 山川久蔵先生ノ伝書ニハ7本目ヲ順刀8本目ヲ逆刀トアル参考ノタメ記ス
8、順刀(逆刀)(附込又ハ進切大江派)(追ガ逆刀、追斬)
正面二坐シ右足ヲ踏ミ出シテ抜キ(7本目ト仝)右足ヲ引キ揃ヘテ冠リ右足ゟ継足二初メ
ハ浅ク次ギハ深ク切リ下シ右足ヲ引キ冠リテ残心ヲ示シ徐々二刀ヲ下シ逆手二血拭ヒ納刀
9、勢中刀(月影大江派)
左向ゟ正面へ中腰ニテ掬ヒ上ケ二敵ノ二ノ腕(上膊部肘ノコトナラン?)二抜キ付ケ左足ゟ
送リ足ニテ切リ血振ヒ中腰ノ侭納刀
10、追懸(追風大江派)(乱刀山川久蔵先生伝書ニハ虎乱刀トアル)
走リナガラ抜キ付ケ左足ヲ踏ミ込ミ切ル血振ヒ立チタルマゝ納刀
11、抜打(又ハ止メトモ云フ)
正面向キ両膝ニテ中腰ニテ抜キ冠リテ膝ヲ進メ(切リ下ス時膝頭ヲ肩中二開ケバ自ラ進
ムモノナリ)ナガラ切リ付ケ刀ヲ開キ納刀
血振仕方
斬リ込ミタル後左手ヲ腰二トルト同時二右手肘ヲ45度二開キナガラ曲ゲ手首ヲ捲キ込ム
心持ニテ拳ヲ右耳上二止メ横、下供5度位ヒ二刀ヲ振り下グル也(拳ヲ耳二トッテ立チ振リ
タル時足ヲ揃フ)
読み解くは、大森流居合抜方(大江先生、堀田先生共著)の原文の後に、神傳流秘書と合わせて読み解いてみたいと思います。
次回は大江先生の大森流居合抜方原文とします。
 

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2019年1月28日 (月)

曾田本その2を読み解く1故行宗貞義先生記録写5抜付

曾田本その2を読み解く
1、故行宗貞義先生記録写
5.抜付
抜付
Img_0421
抜付の手書きの挿絵です。
右から「此ノ形ヲ以テ三角ノ曲尺トスルハ大ヒ二不可也」
左から「此ノ形ヲ以て三角ノ曲尺トスルハ□(独?)可也
凡ソ居合術ハ曲尺ヲ以テ身体ノ所置手足ノ離合等ヲ論スルモ
ノナレハ其宜シキ二□(違?)戻スへカラス
又タ常二オコナフ時モ行ワザル時モ恒二身心ヲ正シウスヘシ 
 居合術ヲ学ブ者ノ注意スヘキ点二三ッ揚クレバ左ノ如シ
 
 1、人ト対談スル時
 
 1、多衆人ノ中二通路スル時
 
 1、路ノ曲リヲ通行スル時
 
 古歌一首
 
 劔とる道は数多に岐るれど
 
        敵の心を我可物とせよ
読み解く
 抜き付けの図を手書きされて、右の抜き付けは半身で切先が我が中心線上、要するに斬り抜かないまま、敵の中心線まで斬り付けていることになります。是では不可だと云うのです。
 左側の抜き付けは、同様に半身ですが切先は我が中心線上に並行して斬り抜いています。この抜付けは(独?)可であると云うのでしょう。
 全剣連の制定居合一本目前の抜き付けは上図の右になりやすそうです。全居連では体が正面に正対しますので切先が流れやすい。と云えそうです。
 木村栄寿先生の「林崎抜刀術兵法夢想神傳重信流伝書集及び業手付解説」の「抜刀術童蒙初心之心持」では「・・左の肩腰共後ろへ開き右の肩抜けさる様にして頤を詰て顔うつむけす延やかにして右の手六分左之手四分の心持ちにて無疑念引分け抜付る也。体は胸を照らし腹を張らし片身ならす向身ならす所謂三角の曲尺(まがりかね)にて半開半向と成る也・・」とこの絵の左側を示唆している様に思われます。
 大江先生の抜き付けは「・・抜き付けたる時は胸部を充分左右に開張し丹田に力を入れる・・」であって、正対した抜き付けになります。切先は左の絵の様に斬り抜いた状態で正中線に並行します。
 之を称して、半開半向の抜き付けを下村派、正対した抜き付けを谷村派と決めつけたのは岩田先生だったかもしれません。
 私は、下村派、谷村派は居合の術理では無く、その派閥は寧ろ土佐藩内での指導的立場のやり取りに縦系列が二つあった事に由来する方が大きかったと思います。
 術理などは、対敵の想定次第で如何様にもあり得るもので、そんな事に拘っても武術にならない、状況次第で半身も正対も可であるべきものでしょう。どちらも出来て当たり前とおおらかに考えるものです。
 そんな事を云ったら「昇段できない」。試験問題は解答に従えばいいだけで、武術の一部分の切り取った「かたち」に過ぎないでしょう。
*
 
 居合術を学ぶ物が注意すべき点を三つ上げれば次の様だと云っています。
 
 1、人と対談する時
 
 1、多人数の人の中を通ル時
 
 1、路の曲がっている処を通時
 
古歌一首
 
 劔とる道は数多に岐るれど
 
        敵の心を我がものとせよ
 
 

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2019年1月27日 (日)

曾田本その2を読み解く1故行宗貞義先生記録写4長谷川流

曾田本その2を読む
1、故行宗貞義先生記録写
4.長谷川流
△長谷川流
1、横雲   敵ノ拳へ抜付 二星ヲ勝ツ故二拳ナリ
1、虎一足  敵先二抜付
1、稲妻  
 敵打込拳へ抜付
1、浮雲   
右脇ヨリ我柄ヲ取来ル時
1、颪      
敵抜カケ来ル処ニテ我右足ニテ敵ノ柄ヲ踏ミ落ス心ニテ胸抜付
1、岩波   
敵真向ニテ左ノ方ヨリ我柄ヲ取ント両手ヲ出ス時我柄ヲ左足ノ方へヨヂテ敵ノ胸乳ノ上へ切先上リ二突込
1、鱗返シ 
敵ノ真向ニテ抜カントカマヱル力ケ声ニテカクレガタクサマ廻ッテ抜付(註意味不明曽田メモ)敵ハ真向ニテ抜斬リ懸クルトスル力声ニテ逃グル遑(いとま)ナキヲ以テスグサマ廻テ抜キ付クルナラン註記 三ッノ声ト云フ事(武術叢書)戦ヨリ初二カクル声ハイカホドモカサヲ懸ケテ声ヲカケ、又戦フ間ノ声ハ調子ヲヒキ底ヨリ出ツル声ニテカカリ、勝テ後アト二大キニツヨクカクル声、是三ッノ声也
1、波返シ 
右同断
1、瀧落シ 
敵我鐺ヲ取リ上へ押シ上ケル処ヲ前へ立抜ク拍子二鐺ヲ當テ突ク
1、抜打
読み解く
 大森流では、口伝口授で書き付けたものは無いと云っていましたが、長谷川流(英信流)では、ポイントが示されています。
1、横雲 敵の拳へ抜き付ける、二星に勝つ故に拳だといいます。柄口六寸の勝、の極意業
を長谷川流の一本目に示しています。古伝神傳流秘書では、「右足を向へ踏出し抜付、打込み開き足を引て先に坐したる通りにして納る」であって、特に斬り込む部位についての指定はありませんでした。行宗先生は下村茂市に柄口六寸の教えを受けていたかもしれません。    
1、虎一足 
敵が先に抜き付けて来る、のに応じるので我から先では無いぞと云っています。古伝神傳流秘書では「左足を引き刀を逆に抜て留め扨打込み後前に同」ですから古伝も敵が先に抜き付けて来るのを、刀を逆にとは刃で受け留める事と思います。是は相手の斬り込む刀を受けると解釈しますが、敵の拳に斬り付け留める事も学べるところです。
1、稲妻 
敵が打ち込んで来る拳へ抜き付けています。神傳流秘書では「左足を引き敵の切って懸かる拳を拂ふて打込み後同前」で古伝が生かされています。
1、浮雲 
 敵は右脇より我が柄を取りに来る、大江先生は「敵三人並び一人の敵を置き先の敵を斬る時」と手附に括弧書きしています。古伝は「左へ振り向き足を踏みもぢ彳腰をひねる抜付左の手を添へて敵を突倒す心にて右の足上拍子に刀をすねへ引切先を後へはね扨上へ冠り膝の外へ打込み後同前、又刀を引て切先を後へはねずして取りて打込事も有」敢えて三人居並ぶ事は何故かどこにもありません。
 細川先生の教えも「右側に座して居る者を斬る」何故大江先生はわざわざ「三人並び・・」を指導されたのでしょう。江戸末期には替え業が頻繁だったかもしれません。或は、明治維新の際15,6歳でしたから指導も受けらずうろ覚えによるものだったかの知れません。今でも私の居た道場では6段になっても碌に英信流(立膝の部)を演じられない者がいました。指導者が充分指導せず全居連の刀法と正座の部、それに抜刀法ばかりで昇段審査及び演武競技会に対応させているばかりでした。
1、颪 
 敵が先に抜きかけて来るので、我は右足で其の柄を踏み落とし、敵の胸に抜き付ける。古伝は業名「山下風」と書いて颪と読ませていたと思われます。神傳流秘書「右へ振り向き右の足を右の手を柄と一所にて打倒し抜付後同前・・」大江先生も、「柄止め、直に左へ足を摺り込み、其踵へ臀部を乗せ右斜向体となり、斜め刀にて筋変へに打ち・・」で先ず柄を止めています。同時に「敵の眼を柄にて打つ・・」となります。
 ここは、敵が抜こうとするのに先んじて柄を止めるのですが、第20代河野百錬先生は「浮雲と同様に我が柄を取らんとするを我れ柄頭を敵の顔面に当てる・・」と替えてしまった手附を、無双直伝英信流居合道及び大日本居合道図譜で示しています。夢想神傳流が正しく伝承し、無双直伝英信流正統会は敵が我が柄を取らんとする仕方に変えてしまったものを演じています。
 河野先生独特の居合は「敵の我に害する機に応じる」の狭義の解釈と思われます。敵が先に仕掛けようと柄に手を掛けた颪を演ずるのが古伝でしょう。
1、岩波 
 敵は我が左がわ正面より、我が柄を取ろうと両手を出す、我は柄を左足の方へ敵の手をよけて、抜き出すや敵の胸乳の上へ切先上がりに突き込む。文章は不明瞭ですから抜けは自分で想像する以外に有りません。古伝は「左へ振り向き左の足を引刀を抜左の手切先へ添へ右の膝の外より突、膝の内に引後山下風の業に同」是も抜けがありますが、行宗写しより遥かに判りやすい。さすが土佐に居合を持ち込み伝書をまとめ上げただけあって素晴らしい頭脳を持つ第9代林六大夫守政です。大江先生も古伝並みの動作を示されています。
1、鱗返シ・波返シ 
 敵は真向にて抜かんと構える、その時掛け声をかけるので振り向いて抜き付けると云う事でしょう。声を掛ける鱗返しの古伝「左脇へ廻り抜付打込み開き納る」波返しも同様に後ろへまで廻るわけでこの業技法は伝わってきます。行宗居合は横道にそれてしまった様です。
1、瀧落 
 敵が我が鐺を取り上へ押し上げるので前に立ち上がり抜く拍子に鐺で敵に当て突く之も不明瞭な文章です。稽古が十分できている者には即座に状況が浮かびますが、これでは手が止まってしまいます。
 古伝も似たようなものです「刀の鞘と共に左の足を一拍子に出し抜て後を突きすぐに左の足を踏み込み打込み開き納る、此の事は後ろより鐺をおっ取りたる処也故に抜時鐺を以て当てる心持有」是では我が鐺を握った敵の手を如何にして外すのか不明です。此処は細川先生の教えの方が判りやすい「・・左手にて鯉口を握り立上り(後ろの者が右膝を立て鐺を握り引き止める)右足を踏出し柄を左へ突出し、左後へ振向き対手を見つつ、急に左足を前へ踏み越す、同時に柄を右肩の前へ引上げ右手を掛け、更に右足を前へ踏み出すなり、刀を引抜き鞘は後へ突込み、鐺で対手を突き・・」大江先生の瀧落の敵手の外し「徐に立ちて左足を後へ、一歩引き鞘を握りたる左手を其の侭膝下真直に下げ、鐺を上げ後方を顧み、右手を膝上に置き同体にて左足を出し、右手を柄に掛け胸に当て右足を前に進むと同時に抜き・・」で鐺で敵を突く動作は見られません。
 どの先生の教えであろうと、古伝の教えがいつの間にか形骸化するか消えてしまうか、あるいはまったく違うものになってしまうか面白いところです。
 どれも間違いでは無いと思われますが、本来の目的から逸脱してしまえば、この流の命は無くなってしまいます。
 
 

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2019年1月26日 (土)

曾田本その2を読み解く1故行宗貞義先生記録写し3大森流

曾田本その2を読み解く
1、故行宗貞義先生記録写し
3.大森流
原文
△大森流
1、前後左右 1本目より4本目 1、初発刀
                    2、左刀
                    3、右刀
                    4、當刀
1、進退    5本目       5、陽進陰退
1、請流    6本目       6、流刀
1、介錯    7本目       7、順刀 
1、順刀    8本目       8、逆刀
1、勢中刀   9本目       9、勢中刀
1、追懸   10本目      10、虎乱刀
1、抜打   11本目      11、抜打
                                山川久蔵先生の傳書二ヨル
口伝
 大森流ハ只業已ニテ格別ノ書無シ
 業ノ起リモ口伝ニテ何ノ業附ノ書無シト云フ
 
読み解く
△大森流
 山川久蔵幸雅先生の伝書とは曽田本その1の神傳流秘書をさすと思います。
 
 行宗先生の口伝では、大森流は只、業のみで格別に書いたものは無い、業の起こりも口伝だけで何の書き付けたものも無い
と、云われている。
 この行宗先生口伝は大森流は業名だけで手附は無い、口伝だけと云っていますが神傳流秘書には簡明な手附が付されています。
 行宗先生は神傳流秘書の存在は知らなかったか、知っていても見た事が無かったと云えるでしょう。
 現代居合の無双直伝英信流正統会は大江正路先生を明治以降の中興の祖として伝承していますので、何故業名を変えてしまったかの追及の無いまま大江先生の大森流(正座の部)の業名を其のまま引き継いでいます。
 大江居合は明治以降に成立した大江居合であり、土佐の居合「無雙神傳英信流居合兵法」の変形と考えられそうです。
 流派の伝書を門外不出などと気取っていても、いずれ同様の事が起る可能性はあるものです。
 土佐の居合には伝書がかろうじて残っていたことを喜ぶばかりです。それも多くの無双直伝英信流の指導者が内容を知らないのが現実です。
 第20代河野百錬先生が、曽田先生から借り受けた伝書の写しを元に昭和30年1955年発行の「無双直伝英信流居合兵法叢書」すら、それらの指導者は知らないのが現実です。
 古伝を当時のままに復元する事は現代人の日常の動作から困難であっても、文字による伝承は諦めるべきものでは無いでしょう。
 特に居合以外には全く抜けてしまった、大江居合の修行者に往時の居合心は知るすべは無さそうです。
 なぜなら、居合を単なる武的棒振り踊にしてしまった事で、それでは半分も本物を修業した事にならないと思うからです。
 それにもかかわらず「昔はこうだった」など、いつの昔か知りませんが見て来たような嘘をつくべきではないでしょう。
 明治以降における大江先生伝承の現代居合は「こうする」しか言いようはありません。それ以上のものを求めたければ、初心に戻る心掛けが必要でしょう。
 大森流居合の業名対比をしておきます。
曾田本その1神傳流秘書
第17代大江正路先生の大森流
細川義昌先生伝尾形郷一先生伝
中山博道先生伝(太田龍峰居合読本)
この先生方の大森流業名を対比しておきます。
大江正路先生の大森流は古伝とは異なる業名を付していますが
その謂れは謎に包まれています。何故変えなければならなかったか
大江先生の意志であったか、他に圧力がかかったか、この事を解き明かす
ものは見当たりません。
 
  (神傳流秘書)-(大江)-(細川)-(中山)
 1、初発刀ー前ー初発刀ー初発刀
 2、左刀ー右ー左刀ー左刀
 3、右刀ー左ー右刀ー右刀
 4、當刀ー後ー當刀ー當刀
 5、陽進陰退ー八重垣ー陽進陰退ー陰陽進退
 6、流刀ー受流ー流刀-流刀
 7、順刀ー介錯ー順刀ー順刀
 8、逆刀ー附込ー逆刀ー逆刀
 9、勢中刀ー月影ー勢中刀ー勢中刀
10、虎乱刀ー追風ー虎乱刀ー虎乱刀
11、抜打ー抜打ー抜打ー抜打

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2019年1月25日 (金)

曾田本その2を読み解く1故行宗貞義先生記録写2故行宗貞義先生

曾田本その2を読み解く
1、故行宗貞義先生記録写
2.故行宗貞義先生
原文
名前 寿之助 彦太郎
    左源太 精次郎
    進之助 可納
   藤原貞義ト云フ
嘉永3年(1850年)戌年7月2日
高知縣土佐郡江ノ口村二生ル
墓所 高知市秦泉寺東(口)
萬延元年(1860年)10月14日向髪角入ノ願被聞届
則祝式相整タリ(年11歳)
當時文武館二在テ森下氏ノ門二入テ
剣術ヲ学ヒ亦下村茂市氏ノ門二入テ
居合術ヲ学ヒタリ
大正参年(1914年)拾月4日没セラル
     享年65歳
行宗先生門弟中二(明治40年頃入門)
中山博道先生、堀田捨次郎先生モ見ユ
*
読み解く
 曾田本その2にポケットがあり、曽田先生による昭和11年11月の海南新聞のスクラップが残されています。
 其処に昭和11年10月25日日本古武道振興会主催の明治神宮奉納会での土佐居合術代表として、曽田虎彦と竹村静夫による太刀打之位の演武での喝采を伝える記事で見出しは「土佐居合術の為に万丈の気を吐く豪勇曽田虎彦氏傑物行宗貞義の一の弟子」とされています。
 

「曽田氏の師匠は有名な行宗貞義氏である、行宗氏は西南戦争の時に大尉として各地に転戦した剛の者だが後感ずるところあって断然軍服を脱ぎ捨て、一時看守長を勤めたこともあり、其の後更に零落して第二中学校の門監にまで成り下がっていた。
当時二中の武術教士は桑山真澄氏であったが或時に行宗、桑山の居合が取り組まれ中島町に居合の古武士で名高かった真田翁がその居合を見物し、行宗氏の妙技を嘆賞して、二中に行宗がおる以上、桑山は教士たる資格がないさっそく罷めろと言って、行宗氏が門監から昇格して二中の居合の先生となった、大江政治氏(大江正路まさじの誤字でしょう)の如き剣客も行宗の足許にも寄りつかぬと云う評判で其の実力は大したものだった。
この居合術の神たる行宗氏には沢山の門弟があったが夫等数多き俊傑の中で行宗門下の五傑と称せられたのが曽田虎彦、鈴江吉重、弘田弘作、そして海軍大佐の伴次郎、中村虎猪などの人々であった。
此等五傑の筆頭たる曽田氏は元と二中の生徒で、行宗氏が一年から五年まで我子の如く教えたという事をもって、如何に師の行宗氏が年少曽田氏の将来に望みを属していたかが判り同時にその曽田氏が如何に居合術の神によって鍛錬せられたかを想像することが出来る。
果然曽田氏は嚢中の錐として鋭脱し二中を卒業するや、高知武徳殿の助教師に抜擢せられ茲に師の衣鉢を継いだのである。
すなわち世間から見れば曽田氏は第二の行宗となったわけで堂々たる英信流の指南役に押し上げられた形となった。
そこで今一度行宗氏の実力を振り返って見直す必要が出来た、何でも明治四十年頃であったが範士の中山博道氏がわざわざ来県して行宗氏の弟子となり又三重県人堀田捨次郎という柔道の範士もまた来県して行宗氏の門に入った。」

 生年月日と略歴は原文のままと致します。
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行宗貞義

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2019年1月24日 (木)

曾田本その2を読み解く1故吉宗貞義先生記録写1誓約

曾田本その2を読み解く
1、故吉宗貞義先生記録写
1.誓約
原文
夫レ居合術ハ独技独行ナルガ故二其之ヲ演ズル二當テハマツ己レカ胸中二敵ヲ作リ敵ノ己レ二加ヘントスル機二先ンシテ以テ勝ヲ制スルコトヲ學フへシ
  △誓約
第1、師ノ指導二従順ナルヘシ
第2、禮儀ヲ重ンシ長序ノ別ヲ正之諸事軽薄ノ行為ナキヲ要ス
第3、猥リ二他人ノ技藝ヲ批評ス可カラス常二己レカ技藝ノ不足ヲ反省スヘシ
読み解く
 居合術と云うのは、一人での行う技であるので、そこで之を演ずる当たっては、己の胸中に敵を作り、敵が己に加えようとする機に先んじて、以って、勝を制する事を学ぶものである。
  △誓約
第1、師の指導に従順であること。
第2、礼儀を重んじ、年長者や古参の者との順序を乱さず、
   諸事軽薄な行為の無い事を要する。
第3、すじ道のたたない、あるいは身分をこえて、むやみに
   他人の技芸の良し悪しを評してはならない。
   常に己の技芸の不足を反省すべし。
 居合と云うのは、刀を抜き空間を切る演武なので、形ばかり出来ても敵の攻撃に応ずる事は出来ないわけで、己に危害を加えようとする敵を思い描き、敵が危害を加えようとする機に先んじて、抜き付け勝を制する事を学ぶのである。
 昔所属していた道場の十段の先生は、「修行が満ちて来れば仮想敵が現れるだろうがまだ見た事が無い」などと馬鹿言ってます。妄想が勝手に浮かぶ様なら頭がおかしい。
 亦ある連盟の会長は「昔は仮想敵を思い描いて居合を抜いていた、今はやってない」だそうです。是も何やってんでしょう。
 是もあれも棒振りの踊なんでしょうね。永年同じ事をやっていれば、業名を云っただけで体が勝手に動いて、如何にも敵を切っている動作をしていると、思っている様です。
 居合を学ぶ意義は、「敵が己に加えんとする機に先んじる」事で、「我から先んじて抜きつける」事では無いと解しているのが現代居合の考え方であって、これは第20代河野百錬先生の居合の考え方になる様です。
 「敵が己に加えんとする機」とは何かが明瞭に語られていない、上意による打ち果たし(放し討ち)、意見の食い違いによる殺意の発生などなど事前の意志は言葉にも顔にも表れるものです。機先を制する場の取り様は、相手が切って懸かる時に応じるのでは機に先んじてとは言い難いでしょう。
 曽田本その1の「英信流居合目録秘訣」にその極意が述べられています。
 「夢うつつの如くの所よりひらりと勝事あり、その勝事無疵に勝と思うべからず、我が身を先ず土壇となして後自然に勝ちあり、その勝所は敵の拳也」この教えは、敵の打ち込んで来るのを待って応じる極意です。現代居合では敵の拳に勝つ教えは失念して、顔面や首、肩下に抜き付け真向に打ち込んだりしています。何処を切っているのか傍目には判りません。
 吉宗先生の考えでは「機に先んじて、以って、勝を制する」を、傍から見るとすれば、敵が「斬る」と声をかけた時、鯉口をきった時、抜刀して斬り込んで来た時などの状況に応じて勝つ技法を学ぶのだと解しておきましょう。
 誓約については、へぼ道場の壁に之を張り付け、得々として武術を学ぶ心得だと云っていました。
 何処かの剣道雑誌にあった誓約を借りて来たものでしょう。吉宗先生の江戸末期から明治の初期における稽古の有り様では、師の教える理合い、師の演ずる形以外に習う手段は無さそうです。流の業技法は師以外に習い様は無かったと思われます。
 まず、教えられれた通りに稽古する。それには何の異論も無いのですが、いつの間にか師と称する者が弟子の全てを制している錯覚に陥り従順の領域を私用にまで広げ、あげくは思想まで同じにしようと縦社会のパワハラを持ち出してしまいます。
 第2の場合も、古参や上段位の者への秩序を乱すなというのですが、ただ長くいただけで段位が上などでは意味のない事で、一度手に入れた段位は永久的で稽古をさぼって、ヘロヘロの醜いものでも上段位だそうで師がそうなら真似をしてパワハラでは意味がない。
 第3は、みだりに他人の技芸を批評するな、と云ってます。
 是も狭い縦社会を乱さないようにする手立てだったのでしょうが、業技法で納得できずに「何故その様にするのですか」の問いに「そのように習った」と答えられたのですが「誰に習った」かよくわからない。
 いい加減な教えと、、いい加減な解釈が横行していたのでは意味の無い誓約でしょう。寧ろ積極的に師は「今日の稽古は、正座の前の抜き付けとする、こめかみに抜き付ける場合相手の状況はどうあるべきで、その状況にどの様に応じるか研究し合おう」とか「打ち込んで来る敵の刀の受け流しは、摺落すべきか請けて流すべきか研究しよう」とか見せかけの「かたち」を超えるだけの稽古法を工夫すべきでしょう。
 この様な、戦前の軍隊調の誓約で縛られては無駄な時間を過ごすだけです。師の自己満足に協力しても意味はなしです。
 師は弟子の進歩を己の取得した時間よりも早くに達せられ、尚且つより高度のものであるように指導出来なければ、師として失格でしょう。
 其の癖「守破離」の言葉だけ述べ立てて「其処まで修行しろ」と云っています。出て行かれたら道場は成り立たなくなります。
 むしろ「習い・稽古・工夫」のスパイラルによる本物の育成に、道場を持った者は尽くすべきで、師そのものがそれだけの力量を持ち学ぶ事が必要でしょう。
 師が「昨日より今日、今日より明日」と学んでいく姿に、弟子は食らいついていくものです。
 
 
 

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2019年1月23日 (水)

曾田本その2を読み解くはじめに

曾田本その2を読み解く
はじめに
 曾田本その1は、第17代大江正路先生によって明治以降に改変された無双直伝英信流の各流派、あるいは中山博道先生系統の夢想神傳流の各師伝の業技法のルーツを古伝を克明に曽田虎彦先生が書き写されたものでした。
 曾田本その2は、大森流居合、長谷川流(英信流)居合を曽田虎彦先生の師行宗貞義先生の教えを記述し、同時代に下村派第14代下村茂市定に師事した吉宗貞義先生の弟弟子大江正路先生の居合との違いなどを述べています。
 大正から昭和の先の大戦までに集められた資料や稽古から得られたもの、あるいは独断でまとめた幾つかが収録されています。
 曽田本その1でも曽田先生の直筆による写本でしたがこの曽田本その2も同様に曽田先生の直筆に依ります。
 古伝の写本は、江戸期の言葉と曽田先生の癖字に悩まされましたが、曽田本その2は写し書きでは無いので曽田先生の思い込みの癖字が一層強烈に表れ読み取るのが大変難しいものになりました。
 資料として、曽田先生が集められた新聞の切り抜きなどには、何新聞の何時のものなどの事が不明だったりして足踏みも多々ありますが、明治以降の居合に就いての情熱が伝わって来て楽しいものです。
 
 曽田本その2の表紙は直筆で題名を書き、添え書きされています。
 「大森流長谷川流居合術解」
 故行宗貞義先生 
 門人舊姓 土居事
 無雙直伝英信流 下村派第16代
 筆山曽田虎彦 記
 表紙にある様に主として居合術について書かれたもので、大森流・長谷川流(英信流)の居合となります。
 ページを追って順次読み解いていきます。なおすでに曽田本その2も公開されていますが、改めて読み直す事として、前の記事に拘らずに進めて行きます。
 曽田本その1、その2を公開してから既に7年になろうとしています。1日も休まず投稿し続けての7年ですが多くの事を学ぶ事が出来ました。
 コメントを寄せていただいた方々や、一緒に業技法を手取り足取り学んだ友とも7年のお付き合いとなりました。
 曽田本には現代居合の団体からでは得られないものがあって、背中を押し続けるのでしょう。
 ミツヒラブログのアクセスも1日200~300、多い時は1000を超える事もあります。アクセス地域は北海道から沖縄まで読まれています。
 無双直伝英信流や夢想神傳流以外の他流の方からのコメントもあります。この時代刀を以って互に斬り合う事は考えられず、流派の秘事として消し去るべきものでは無く、かと言って統一理論で呑み込んでしまうものでもないでしょう。
 秘められていたものは公開して公にする事によって其の流の現在まで伝承されてきた意義が多くの学ぶ者に力を与える礎となると信じています。
 現存する流派には棒振り踊では無い、武術の心が熱く語られ伝承されているはずです。流派と云う狭い縦社会にぬくぬくして居ても、其の気づきは無いかも知れません、それでは充実した人生も無く、世の中に役に立つ人も生み出せないでしょう。
 武術は棒振りの方法を学び稽古するだけでは、ただの健康体操です、年をとれば老人体操でしょう。
 修行する事、稽古する事は、自ら疑問を持って解き明かす事であって、教えられただけを繰返しても「真似が上手くなったね」で終わりそうです。
 
参考
 曽田本その2原文
 2012年4月10日から2012年6月30日
 曽田本その2を読む
 2014年3月3日から2014年8月30日
 

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2019年1月22日 (火)

第18回古伝研究の集い

土佐の居合 古伝神傳流秘書による古伝研究の集い
第18回古伝研究の集い
 無双直伝英信流、夢想神傳流の古伝神傳流秘書を曽田虎彦先生の直筆本から読み解いて古の居合を研究しています。
 今年は、主として大小詰・大小立詰を研究いたします。
 ご参加いただいた方の師伝が如何様であろうとも、他流や居合以外の武術であろうとも、それを参考に古伝の手附から学んでいきます。ご参加いただいた方が、夫々「我が師」であることをご認識いただければ幸いです。
              ー記ー
1、期日
 ・平成31年2月14日(木)
  15:00~17:00
  見田記念体育館
 ・平成31年2月28日(木) 
  15:00~17:00
  見田記念体育館
 ・平成31年3月14日(木)
  15:00~17:00
  見田記念体育館
 ・平成31年3月28日(木)
  15:00~17:00
  見田記念体育館
2、住所
  見田記念体育館
  248-0014
  神奈川県鎌倉市由比ガ浜2-13-21
  tel 0467-24-1415
3、アクセス
  JR横須賀線鎌倉駅東口下車
  海岸方向へ徒歩10分鎌倉警察署うら
  (駐車場 鎌倉体育館に有)
4、費用:会場費等の割勘つど 500円
5、参加申込み 直接会場へお越しください
  または、ブログへコメント下さい
6、研究会名:湘南居合道研修会 鎌倉道場
7、御案内責任者:ミツヒラこと松原昭夫
  E-meil sekiun@nifty.com
  平成31年1月22日 記
尚:平成31年1月24日(木)
  15:00~17:00
見田記念体育館にて第17回を実施しています。
 
 

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曾田本その1を読み終えて

曾田本その1を読み終えて

 曽田本その1は、江戸時代中期後半に土佐に残された居合の業技法がまとめられたもので、現在行われている無双直伝英信流の各流派、及び夢想神傳流、その他土佐から伝わっている幾つかの元となっている伝書です。

 曽田虎彦先生によって、伝書を持たれていた方々から借り受けられてそれらを一字一句誤りなく写され、まとめられたものです。
 第九代林六太夫守政によって土佐にもたらされた居合は「無雙神傳英信流居合兵法」とあったものです。
 この流名は、南山大学の榎本鐘司先生のご研究による北信濃に残された「無雙直傳流」と近似のもので「神傳」か「直傳」かの違いがあっても、この曽田本その1にある山川幸雅先生相伝による「神傳流秘書」の写し「居合兵法伝来」に明示されています。
 明治維新前後の時期に正しい流名も朧になって「無雙直伝英信流居合兵法」がそれであるように今日まで引き継がれています。

 広島の貫汪館には土佐の細川義昌先生伝来の「無雙神傳英信流抜刀兵法」が森本邦生館長により伝承されています。
 その業技法の手附の幾つかは神傳流秘書と異なりますが時の流れが変化させたと見て、第九代林六太夫守政をルーツとした土佐の居合でしょう。
 細川義昌先生と同門であった大江正路先生の「無雙直伝英信流居合兵法」が、「無雙神傳英信流抜刀兵法」と異なる部分が多々あって「はて」と頭を傾ける事もしばしばでした。

 第17代大江正路先生の独創による第九代林六太夫守政のもたらした土佐の居合の手附神傳流秘書から逸脱した業名および業手附の改変は、更に第20代河野百錬先生によって手を加えられ現代居合として21代、22代、23代と引き継がれています。

 居合だけを見ても、神傳流秘書と異なり特に奥居合の違いは甚だしく、何故と疑問を持つのですが、第17代大江正路先生は居合だけに拘って土佐の居合が総合武術であったことを置き捨ててしまいました。
 大江先生は居合術の伝承しか引き継がなかったか、既に指導出来る師が土佐には居なかったかでしょう。大江先生の剣術は小栗流であったとか何処かにあった様に記憶します。
 あるいはすべて知っていたが、疑いを持たずに中学生への指導による伝承では居合だけで手いっぱいで、尚且つ古伝は難しかったかとも思われます。

 曽田本その1は、土佐の居合が総合武術であった証しに、神傳流秘書には居合、組太刀、棒術、和(やわら)の業手附が簡明な記述によって残されています。
 さらにその心構えや詳細な術理も「居合兵法極意秘訣」や「英信流居合目録秘訣」に克明に残されています。
 「居合兵法の和歌」も神傳流秘書を書き写された山川幸雅先生によって伝えられています。

 曽田本その1は土佐の居合「無雙神傳英信流居合兵法」の業技法を「神傳流秘書」で学び、その心を居合兵法極意秘訣や英信流居合目録秘訣から学ぶ組立てとなっています。

 神傳流秘書の手附による復元は、かなりの武術に対する洞察力や経験が無いと、これを片手に一人稽古する事は難しかろうと思います。
 しかし、神傳流秘書は現代居合が忘れている「江戸時代の武術と其の心」を網羅しているものと思います。
 そこで、この神傳流秘書を現代の無双直伝英信流のルーツとして忘れ去られないために、現代居合が忘れているものを学ぶ事を主眼として「無雙神傳英信流居合兵法」の流名を自らに課し伝承して行く事とします。

 習い覚えた大江正路系統による第20代河野百錬系統の「無雙直伝英信流居合兵法」の業技法は居合の技法の一部として大切に抱えざるを得ないことは当然の事でしょう。多くの諸先輩方から手取り足取りご指導賜り、体で覚えたものは決して忘れる事はないでしょう。

 残念ながら現代居合も竹刀剣道も、ただ早くて強い、あるいは形ばかりが優先して最も有効な武術としての運剣動作やその意図する処を引き継ぐ事は出来ていないようです。
 体力が衰えた老人が若者に勝つことが出来ない様な武術は武術では無い、それを乗り越える術理がなければ武術を学ぶ意味は半減してしまいます。
 従って、「神傳流秘書」を片手にしながら、自ら工夫研鑽すると同時に、時間を有効に使うためにも江戸期における古流剣術を継承されている他流の力は借りざるを得ません。

 私に残された時間がどの位あるかは天のみぞ知る事として、「無雙神傳英信流居合兵法」の名のもとに古伝「神傳流秘書」を、次代に残すために修行して行こうと決めました。
 同じ思いの方には、その門流を問わず、所属も其のままに、経歴も段位もなく共に、今ある力量を持って学んでいただければ、「咄々々」を得てより一層の悟りがあるものと信じています。

 「無雙神傳英信流居合兵法」は古伝研究会として毎月第2木曜、第4木曜に研究会を鎌倉市の鎌倉体育館若しくは見田記念体育館で実施いたしていますので、お気軽にお立ち寄りください。

 平成31年1月22日 ミツヒラこと松原昭夫

 明日から「曽田本その2」の投稿を始めます。「曽田本その2」はまた新たな発見があるかもしれません。

 

 

 

 

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2019年1月21日 (月)

曾田本その1の9居合兵法の和歌読み解く32首の32一筋のみち

曾田本その1
9.居合兵法の和歌読み解く
32首の32一筋のみち
目の前の満春毛の秘事を志りぬ連バ
      唯速かの一筋のみ知
読み及び読み解く
 目の前の睫毛の秘事を知りぬれば、唯すみやかの一筋の道
 目の前にある睫毛の秘事を知ったのであれば、ただ速やかにその道一筋に進んで行こう。と読む事ができます。
 31首目で目の前の睫毛の秘事が「神妙剣」である「互に理解しあってより良い方法を見出し和すること」
 土佐の居合は業技法では、相手の斬り込を身を土壇となして「柄口六寸」に勝つ事を以て根元とするものです。
 そして、その極意は戦わずして勝つ「神妙剣」であって、「睫毛の秘事」である「人と和する事」なのです。
 それには、己が正しいと信ずるものをしっかりと持つ事であり、いかなる難問にも応じられるものでなければならないでしょう。
 その上で、互に最も良い納め処を見出して「和する」ことなのでしょう。
 この歌は新庄藩の林崎新夢想流秘歌之大事にも妻木先生の田宮流居合歌の伝にもありません。
 この神妙剣の極意は、現代居合が居合抜ばかりに照準を当てている事に問題があるのでしょう。
 それは、武的演舞の優劣を競わせたり、技術の達成度判定基準の不明瞭かつ不可解な段位制度による人のランク付けによるおぞましい縦社会を形成させ権威・権力主義を助長させるばかりです。
 公には何の権威も社会的地位も無い居合と云う趣味の集団の縦社会の中での事で終始しているようです。
 或いは、連盟のような竹刀剣道の付録の様な扱いで終始し、各流派についてはおざなりの統一理論による居合風演舞を武術呼ばわりしています。
 
 稽古法にもそれが顕著で師と称する者の演舞を見て弟子達が手拍子に合わせ一斉に真似をして動作を演じそれを稽古と思っていたり、演武会では足並み揃えて木刀を打ち合わせる見せるための演舞をしています。
 武術は型拘り演じる者ほど容易に打ち負かされるものです。
 人は物ではないのです、号令によって一斉に突撃する弾除けの兵士を生み出してはならないのです。
 精神面では上段者に礼を尽くすことが武道であり武士道精神に則るものだなど「馬鹿言ってんじゃないよ」でしょう。
 武術における礼は、相対する人を認める事が礼であってそれにより殺し合いを避ける最も人間らしい尊厳のあるものなのです。
 たとえ業技法から習い始め、伝統武術の運剣動作を納めたとしても、人として如何にあるべきかをないがしろにして、幻の権威の名を借りて権力をもってパワハラ同前の上意下達を良しとするようなものはすたれて当然の事です。
 その原因は、型にはまった業の運用のみに終始している、武術とは言えない現代居合の評価法に大きな落とし穴があると思います。
 居合に於ける仮想敵はあらゆる変化をもって我に打ち向かってきます。そのあらゆる変化に反応できる修行と云う事は、相手の心情を理解する心を磨く以外に無しえないものです、それは武術を通じてコミュニケーション能力を磨き上げる事でもあるのです。
 コミュニケーションとは上司に対して従順と云う事では無いのです。
 現代居合もレベルの高い指導者を養成をすべき時期にあると思えて仕方がありません。
 伝統武術として、無双神伝英信流居合兵法第九代林六大夫守政が土佐にもたらした武術は、総合武術であり武術を学び得て達する道は「神妙剣」一筋であったのです。
 流派は、己の流派の業目録初伝から始まり、目録皆伝の授与に戻る時期に来たのでしょう。それは、本物の伝承者でありそれをもって社会に還元できる個性ある人を育てる事だろうと思います。
 林崎甚助重信系統と称する流派は、古の根元之巻によって皆伝とすべきなのでしょう。
 宗家になるには先代宗家から紹統印可された者だけがなるべきもので、根元之巻は流派の業技法及び心得を伝授されたものであって宗家を認める事とは言えないものです。
以上32首
右 田宮平兵衛業政之歌
干時 文政四年(1821年)辛巳歳秋七月吉日書之
坪内長順
山川幸雅自先生傳ル
* 
 以上32首
 右 田宮平兵衛業政の歌
 干時 文政四年(1821年)辛巳歳秋七月吉日之を書く
 坪内長順
 山川幸雅先生より伝わる
 以上を以て曽田本その1を終ります。曾田本その1の巻末には曽田先生によって研究中の「抜刀術」五本が記載されています。
 ここでは、古伝に拘って割愛いたしておきます。
 
 
 
 

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2019年1月20日 (日)

曾田本その1の9居合兵法の和歌読み解く32首の31睫毛の秘事

曾田本その1
9.居合兵法の和歌読み解く
32首の31睫毛の秘事
目の前の満春毛の秘事を知ら春して
      兎角せんと一期気遣ふ
読み及び読み解く
 目の前の睫毛の秘事を知らずして兎角(とやかく)せんと一期気遣う
 目の前に睫毛があっても気にもしません、睫毛の役割を改めて知って驚くほどです。その様に武術の極意は目の前にあるのに、それを知らずとやかくしようと一生気ずかいしている。と読むのでしょう。
 この歌は新庄藩の林崎新夢想流秘歌之大事には存在しません。
 田宮流居合歌の伝にもありません。
 無外流の百足伝に見られます。
 「兵法の奥義は睫の如くにて余り近くて迷いこそすれ」
 睫毛について少し勉強してみます。
 長さは5㎜から10㎜位で上下で100本ほど
 目のセンサーの役割をもって、眼の保護として、強い光や風に反応して目を閉じたり、粉塵や細菌などからも眼を守っています。
 日本人は欧米人より睫毛はやや短いそうです。黒い瞳でニッコリされてウインクなど長い睫毛でされるとズキンとしたり・・このところないない。
 睫毛の秘事とは、そんな肉体的な役割も医学的には知らなかった時代かもしれませんが、普段気にもかけない事に奥義はあるにもかかわらず、奥義を知ろうと一生涯気を使って色々的外れな事をやっているよ、と歌っています。
 さてその、「睫毛の秘事」となる「奥義」は何か、目の前にあると云っています。それが解れば免許皆伝でしょうか。
 睫毛の秘事は無心にして身を守るや瞬時に応じる極意を歌っている筈です。簡単に言えば相手の斬り込みを受けた時が斬った時、あるいは相手の斬り込みを外した時に切っている。
 新陰流の「合し打ち」や「くねり打ち」などが当てはまるでしょう。居合道型などでガツンガツン打ち合う様な棒当て踊りでは何も得られそうにありません。
 しかし、この極意では勝ち負けの勝負の極意に過ぎません。
 武術は人のコミュニケーションの最終的手段に用いられるもので、武術が使われた時は彼我何れかが死に至るものです。
 そのために「人と和すること」が必要でしょう。この流では「神妙剣」の名で呼ばれています。
 「和する」とは己を曲げて権力に随う様な事は和では無く「服従する」事だと云って間違っている言っています。
 それも一時の風を避ける為の「方便」として使う人も居ますが、居場所がなくなる不安を思って顔だけ向けて心そこに非ずだったり、日本の意味の無い縦社会に服従したりする、それでも和したと云えるでしょうか。
 それが「権力者を甘やかすのは何か」の一つでもあります。
 このところ頻発するアメフトや体操、レスリング、ボクシング、居合などの不祥事は「和する事」とは何かも考えずに、パワハラや賄賂でトヤカクしたり、幻の権威を嵩に権力を振るう居合の段位制度などにも弱く醜い意図が見え見えで哀れです。
 「たがいに理解し合ってより良い方法を見出す」それが「和する事」でしょう。
 土佐に居合を持ち込んだ第9代林六大夫守政の無雙神傳英信流居合兵法極意巻秘訣「神妙剣」に残されています。
 
 
 
 
 

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2019年1月19日 (土)

曾田本その1の9居合兵法の和歌読み解く32首の30声のひびき

曾田本その1
9.居合兵法の和歌読み解く
32首の30声のひびき
後より伐るをはつるゝ事ハ奈し
    聲の闇(響の誤字か)を是と云也
読み及び読み解く
 後ろより伐る(斬って来る)のを外す事は出来ない、声の響きを察するを是と云うのである。
 曽田先生は聲の闇を聲の響きと闇にヒビキとルビを打っています。
 後ろから斬って来られれば、「はつるゝ事はなし」を外す事は出来ない、と読んでみました、自分が斬り込むのであれば「後ろより斬るのを外す事は無い」でしょう。そこで敵の声の響きを察し外すことが出来る。自分が斬り込むのであれば声を抑えて「声の闇」を以て斬り込む。
 彼我を入れ替えて読んでみました。
 いま一つ読み方を考えて見ます。
 後ろより斬るを恥ずる事は無い、声の響き(掛け声)をかけて斬る事が是である。
 新庄藩の林崎新夢想流秘歌之大事に次のような歌があります。
 「後よりだますに手こそなかりけれ聲の抜とや是をいふらん」
 後ろより騙し討ちにしてくるのに手などない、声に応じて抜くとは是れを云うのであろう。
 山内豊健・谷田左一共著の「居合詳説」に同様の歌があります。
 「後ろより伐るを恥づる事はなし声のひびきと是をいふなり」
 後ろから斬るのは恥ではない、掛け声を発すること「声の響き」が是である。
 後ろから斬るのは恥ではないが、掛け声をかけて切れ、と云う歌であれば、掛け声は何の為に掛けるのでしょう。闇討ちでは無い、相手に応じる気を伝えてあったと云うのでしょうか。
  相手に技量が無く斬られたのだから、後から斬っても恥ではない。
 其処までの解釈ならば、奥義の歌にはなり得ないでしょう。
 後ろから来ようと、掛け声が「声の闇」であろうと、見事に外して斬る。是を学べという歌であってほしいものです。
 歌の解釈は、読む人の力量によってどのようにも読めるものです。
 居合兵法の和歌の9種目に「寒夜にて霜を聞べき心こそ敵に逢うても勝を取るなり」とありました。
 この歌は、後から斬るのは恥だと云う事を諭す様な礼法の歌などでは無いでしょう。研ぎ澄まされた心には眼に視、耳に聴くそれ以前にある、敵の起こりを察する事を学ぶ歌と詠む事であろうと思います。
 この居合が作られた時代は、現代人が想像もできない程の感覚を持っていた筈です。

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2019年1月18日 (金)

曾田本その1の9居合兵法の和歌読み解く32首の29皆すたる

曾田本その1
9.居合兵法の和歌読み解く
32首の29皆すたる
技をよく習納むと思ふとも
     心掛春ハ皆春多留べ之
読み及び読み解く
 技をよく習い納めたと思っても、常に稽古を心掛けなければ皆すたる(廃る)であろう。
 まさに歌の通りだろうと思うのですが、もう少し捻って考えて見ませんと「かたち」ばかり師匠の技を真似た者と、其処から業本来が行き着く至極の境地を得た者とでは大きな隔たりがある筈です。
 この歌も、今日まで受け継がれているならば、「かたち」いわゆる業の動作の順番を習ったままに演じて出来たと思っている程度の者を対象に歌っているとすれば、「すたれる」のレベルは業の動作の順番を忘れてしまう様なものでしょう。
 現代居合は、昇段審査や競技会によって業の順番、かたちや拍子が特定に絞り込まれて指導されその「かたち」が少しでも外れると「違う」と云って型にはまった居合踊りを上手に演じるのですから、「技をよく習い納むと思う」レベルは相当低いものでしょう。
 道場での稽古の仕方なども、師匠が前に出て、弟子は師匠の方を向き師匠の模範演舞を拝見し、師匠がたとえば「前」と云って両手を「パン」と打って弟子達が一斉に真似をする。
 それで師匠は制定居合位で模範演武を終わり、古参の高段者に模範演舞を譲って正座の部、抜刀法程度を合同体操の様にやって約一時間を過ごします。休憩の後自由稽古に入るのが人数の多い所の一般の様です。
 そんな稽古法を毎週やって10年も20年も過ごして何の疑問も持たなければ、師匠の「かたち」が嫌でも身についてしまうものです。
 その上昇段審査の形や拍子を、個人指導を受けたのでは、心の無い死に物の居合人が続々と生み出されてもおかしくないものです。
 この稽古法は、講習会などで講師が模範を示し講習生達が講師の合図で、動作をやって見る合同訓練形式と云えるでしょう。
 講習会で講師が述べた事を理解するには、その業を一人で出来るのはもちろんの事、業の術理を理解していなければ、右から入って左へ抜けるか、勘違いの覚えになってしまいます。
 多くは講師ほどに修練を積んでいない者が多い為、そのレベルにならないと理解できない事もあるものです。
 しかし最も手っ取り早く一定のレベルに到達させるには、模範演武を看取りいさせ一斉に真似をさせる合同稽古は合理的な練習の仕方です。
 余程の修練を積んだ者が模範演武をしない限り、癖だらけのものになって武術などととても言えるものでは無いのです。その上「武術は・・」などの蘊蓄を述べられると辟易します。
 明治の頃徴兵制度で武士でない者を駆り立てて戦場に向かわせなければならなかった、手っ取り早く兵士としての初歩的動作を身に着けさせる必要がありました。
 上官の号令と共に自由に動かせる兵士を量産するには最も適した方法が、この模範を示し一斉にまねをする合同練習方法だったと云えるでしょう。
 名人上手などは不要なのです。寧ろ秩序を乱すものに過ぎないのです。相も変わらずその方法で稽古をしている道場長の多い事。
 現代居合を良くする者には、この歌は理解不能の歌でしょう。なぜならば「かたち」ばかりの技の習い納めですから、廃っても知れています。
 武術は武的「かたち」は出来ても、術が決まらなければ武術にはなりません。
 常に術が決まる為に修錬していませんと、術は決まりません。その上年齢と共に衰える筋力や俊敏性などと共に、頭の回転も鈍くなることもあるでしょう。其の為には「かたちや拍子」にそれ相当の工夫と無駄の無い動作の練度が磨かれない限り術が決まらなくなります。
 居合は一人でする仮想敵相手の運剣刀法です。
 あらゆる想定を自ら描いた仮想敵に演じさせ、根元之巻が指定する「柄口六寸」に至らなければ唯の踊りでしょう。
 大江正路先生の残された現代居合の全ての業を、綺麗に演じられても、それは決められた事を順番通りに演じているだけでしょう。
 正座の前の抜き付けだけを、習い納める事を考えた時、大森流11本、長谷川流10本、奥居合21本、合わせて42本の業数などは初期の内に覚えさせてしまう事も考慮の内です。
 そして正座の前一本をもって何時如何なる条件においてでも応じられる様に習い納めるを考え、学び納める位の事であれば、足腰が立たなくとも修錬を怠る事などありえないでしょう。
 免許皆伝を得たから(最高段位を授与された場合も)十分できると錯覚し、権威を授与されたのだから権力を振り回し自己満足するなどの事では、武術を志ざす者にはありえない事です。
 
 
 
 
 

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2019年1月17日 (木)

曾田本その1の9居合兵法の和歌読み解く32首の28師に問う

曾田本その1
9.居合兵法の和歌読み解く
32首の28師に問う
師二問ハ春如何尓大事をおしゆへ之
       心を春ま之懇耳問へ
読み及び読み解く
 師に問わずに如何に大事を教える事が出来ようか、心を澄まして懇ろに問へ。
 この歌は新庄藩の林崎新夢想流秘歌之大事にはありません。妻木先生の田宮流居合歌の伝にもありませんが、田宮流歌伝口訣に見られます。
 「師に問いていかで大事を悟るべきこゝろを尽くしねんごろに問へ」
 居合兵法の和歌とは多少ニュアンスが異なります。居合兵法の和歌は、師に聞いてこなければ本人の知りたい大事な事は教えてあげられない、邪年なく心を澄まして懇ろ(ねんいり、まごころをこめて)に問いなさい、と歌っていると思います。大抵の事は通常の指導の中で見たり聞いたりしてわかっている様でも、「かたち」が出来て来ると「何故そうする」と云う疑問が湧いてきます。いくら考えても不合理だと思って、師に聴いてみました。
 指導した業技法を批判されたと誤解して「お前に何が解る」と険悪な雰囲気です。そんな人は弟子を取る資格などあるわけはないでしょう。
 これ以上教わる事は出来そうもない、「今までありがとうございました」と出て行かざるを得ません。疑問にぶつかる処まで導いていただけただけでも感謝すべきでしょう。
 出れば出るで、「あいつは恩知らず」と、和を乱す不埒者扱いです。
 何か聞かれても考えてもみなかった、先師の教えに忠実であった師には答えられない事もあるでしょう。
 一緒に考えてやってみるとか、他の弟子を集めて研究会を稽古会に組み込む事も出来るでしょう。
 「俺が作った道場だ、否やを言わず黙って従え」そんな事では、稽古にもなりません。守破離の教えなど嘘ばっかりです。
 習うのも聞くのも、それなりの人にするべきものでしょう。一度入門したらその縦社会に甘んじて埋もれるのも実力のうちです。
 田宮流歌伝口訣は、師とは絶対なのだから、解らない処を聞いてポイントを納得しなさい、師に心を尽くして真心を籠めて聞きなさい。上から目線の歌の様に聞こえてきます。江戸時代の背景から見ればこの方が無難でしょう。
 私は居合兵法の和歌に軍配です。
 上から目線など宗家でも無ければ、唯の段位保持者では知れています。権威を嵩に権力を振り回しても相手にされません。地位を侵されるのを恐れているばかりでは情けないでしょう。そんな人の口癖は「組織を乱す」だそうです。
 もっと大切な事は他流と対した時はこの時代夢物語かも知れませんが、居合も武術です、うかうか負けるのであれば習う意味はないでしょう。
 そんなものは美しく格調高く武的演舞を踊っていればいいばかりです。
 しかし居合以外の人生に於ける事ごとでも困難にぶつかった時、聞いて、見て、手取り足取りされて習ったとしても、それだけでは生き残れません。
 聞くべき師に出合えれば良いでしょうが、他道場へ出稽古も嫌われ、他流を習うのも嫌がられ、パワハラを受けるのが普通です。
 本物を求める者には、そう簡単に居場所があるわけは無いと思えばいいだけのことでしょう。
 弟子がどんどん上達し更に上を目指す事が明らかならば、「どこそこの誰々にこの上は師事するように」と進める度量も無ければならないでしょう。
 
 
 
 

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2019年1月16日 (水)

曾田本その1の9居合兵法の和歌読み解く32首の27得道はなし

曾田本その1
9.居合兵法の和歌読み解く
32首の27得道はなし
大事おハ皆請取れと思ふとも磨可ざる尓ハ得道ハなし
読み及び読み解く
 この歌は前回26首目の「道を立深く執心する人尓大事残さ春大節尓せ与(道を立て深く執心する人に大事残さず大切にせよ)」の和歌の続きの歌の様です。
 この歌は、その大切な事を皆受け取らんと思うとも、修錬して磨き上げなければ道は得られない。と歌っています。
 居合の道を志し執心する人にはこの流の教えも自ら得たものも出し惜しみしないで、残さず伝える事を心がけよ、と師匠が次代を担う者に皆伝を授与する時の心得として諭した歌と解せます。
 門弟を持った者の役割は、先師から教えられたことは当然乍ら、それを身に着けるために己の得たもの、更にそれを越える事を全て伝授する事が大切な勤めと解かっていながら、ぐずぐずしている場合が多い様です。
 門弟を比べ見て、彼でもない、誰にしようなど思い煩い結局何も伝えずに死んでしまう。或は門弟自ら悟るまでは教えない、などとおかしなことを考え無駄な時間を過ごさせている。
 師たるものは、自ら習い覚え、自ら生み出したものは全て隠さず伝え其のポイントも示す事、其の上で弟子は其の領域に達する努力をするものでしょう。
 今時、居合などで命を懸けた勝負などする事は無い、との思い込みから形ばかりの業技法をのんびり指導する似非指導者がほとんどです。
 武術は本来師匠の習い覚えた業技法は出来るだけ懇切丁寧にそれも無駄な時間をかけずに指導すべきものでしょう。
 さもないと弟子はコロコロやられてしまいます。弟子は出来るだけ早く師匠を越えて新たな道を目指さなければ役立たずの流派として消えてしまうのです。この事はあらゆる分野に共通の事で師たるものの心掛ける事でしょう。
 「弟子たる者師匠の出来ない事でもやれ」と弟子を叱責された初代関東支部長大田次吉先生の言葉が思い出されます。
 先師の指導によって師匠が習い得た半分の時間で師匠の思いが弟子に伝えられれば、より深く究明していかれるでしょうし、師が置き忘れた大事を見出したり、新たな道に踏み込めることもできるでしょう。それが武道です。そうで無ければただの棒振り踊りです。
 
 居合の業の意義、術理、その運剣動作を口伝口授され、何度も看取り稽古させてもらって手取り足取り指導されても「かたち」が出来たに過ぎない、其処から本物を見出し目指していかなければ修業とかいうことではないでしょう。
 本物の師匠は、出来るだけ早く弟子を育て、弟子と共に更に飛躍することの出来る人でありたいものです。
 真似事の「かたち」でさえ、日頃稽古していませんと、どんどん廃れて行くものです。
 何故か、この歌は田宮流居合歌の伝にも、秘歌之大事にも存在しません。
 この流の根元は「柄口六寸」なのですが、この教えを示された事は無いのですがどうしたものでしょう。
 
 

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2019年1月15日 (火)

曾田本その1の9居合兵法の和歌読み解く32首の26深く執心する人

曾田本その1
9.居合兵法の和歌読み解く
32首の26深く執心する人
道を立て深く執心する人尓
      大事残さ春大節尓せ与
読み及び読み解く
 
 道を立て深く執心する人に、大事残さず大切にせよ
 この歌の心は、この読み下し文で解ったと云えそうにありません。何故なら「道を立て」とは何か、「深く執心する人」とはどんな人か、「大事」とは何なのか、「大切にせよ」とは誰がするのか。
 この歌は、田宮流居合歌の伝には無いものです。
 新庄藩の林崎新夢想流秘歌之大事では
 「執心能あらん人尓ハ傳婦遍之くらゐ残春奈大事奈累事」
 (執心のあらん人には伝うべし位残すな大事なる事)
 「執心のあらん人」ですから打ち消しと取れば「執心の無い人」と読んでしまいます。執心の無い人には伝うべきである、位残すな大事なる事と読めます。
 執心の無い人にきちんと伝えなさい、当流の教えを残さず学びなさい大事なことですよ。と読んでしまいますが之では奥義の歌と云えそうにも無い、もともと執心の無い人がこの道を全うできる筈はないでしょう。せいぜい真似を上手にできるようになってもそこまでです。
 現代居合は居合抜だけですから仮想敵相手に抜いているだけで踊りの「上手下手」を言っていてもそれなりですが、師匠ともなったら教える時は当流の大事な事は伝えておきなさいと師匠を教育しているかも知れませんね。
 この田宮平兵衛業政の居合兵法の和歌を思う時、根元之巻を伝授される際、この流を以て身を立て深く執心する者は、大事な教えをどれも残さず大切にしなさい、と詠っている様な気がします。
 同時に、その様な人には大事な事は残さず伝えるのだ、と詠っても居るのでしょう。
 先師の磨き上げた業技法であっても、戦闘方法や武器の進化からそのままでは、その流派は消滅せざるを得ないでしょう。
 武術の根元が見事に集約されている流ならばその上に新たな武術が付加されて時代の先端を歩いて行けるのでしょう。
 指導者の業技法を真似るだけに終始し、指導者が変われば新たな考えが付加され、怠け者には付いて行くことが出来ません。
 そんな人は新たな指導者を批判して「あんな技法は無い」などと己の不勉強を棚に上げている人を見かけます。
 「心を籠めて流儀の位を残さずに納める事が大事だぞ」と始めたばかりの者にも、巣立ちゆく者にも歌っているならば、其の上に幾らでも業技法など積み重ねられる筈です。
 現代居合は何処かで足踏みしている様です。
 大切なものが伝えられていないかも知れません。
 それは、昇段審査でも競技会でも一定の形や拍子を固定されている様に錯覚してしまい、指導者の真似に終始しているためでしょう。
 六段ぐらいまでは、そうあるべきでしょう。しかし其処から本物を目指して磨き上げる、流の大事を知り、大切にしなければ流の伝承は形骸ばかりと成るでしょう。
 根元之巻が伝える「柄口六寸」も「神妙剣」も伝わってきません。
 中川申一先生の無外流居合兵道解説にある百足伝より
 「とにかくに本を勤めよ末々はついに治るものと知るべし」
 「我が流を教へしままに直にせば所作鍛錬の人には勝べし」
 所作鍛錬の人には勝てるよ、といっていますが根元に至った者には決して勝てないぞとも言っている様です。
 「馴るゝより習ノ大事願くば数も使へよ理を攻めて問へ」
 大事な事を理詰で師匠に聴き習えよ、師匠は正しく伝えよと云っている様です。
 直新影流に「急ダラリ、ダラリ急。早ク上手二ナルベシト急ギテ修行シタリトテ、スグ二上手二ナルモノ二非ズ。サレバトテ、気ヲ長ク、ナマケテ、ブラブラト稽古シテ、上達スル事ナシ。急ガズ、ダラリト、心ヲ長ク、ユルユル、ダラリト気ヲモマズ二、怠ラズ、油断ナク、急二スル気持ニテ修行セネバ、上達スル事ナシ。不急不弛不怠不油断シテ、修行可致也如此心得テ、心ガケ申スベキ也」
 この道を極めんと執心すれば、気もせいて来るものです。そんな時思い出す良い教えです。此処まで弟子に踏み込んで来る師匠も少ないでしょう。それは本物を目指すより段位を得ようとする安易な気持ちが良い師匠を生み出せない事にも依る様です。本物は与えられるものでは無いと気が付く事が本物たる所以かも知れません。
 執心の人はともすると、百足伝の「馴るゝより習の大事願わくば数も使えよ理を攻めて問え」になります。
 習い覚えて馴れただけの師匠では面倒くさいでしょう。何でもハイハイと聞いてくれる腰巾着の方が扱いやすいものです。
 本物を目指す者を育てられない者は弟子を取るべきではない、とも此の歌は行っている様です。
 「道を立て深く執心する人」の前には、新たに普請をすべき道が続いている様です。一生稽古とか修行とか言っていますが、習ったままを振り回していてもそれでは何も得られません。
 いやでも衰える体力を、転換できない様な稽古は練習に過ぎません。習い稽古工夫のスパイラルを如何様にするかは志以外に生み出せそうも無いようです。
 
 
 
 
 
 
 
 

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2019年1月14日 (月)

曾田本その1の9居合兵法の和歌読み解く32首の25金胎の両部

曾田本その1
9.居合兵法の和歌読み解く
32首の25金胎の両部
金胎の両部を正尓見へ尓介り
     兵法有れハ居合者しまる
読み及び読み解く
 「金胎の両部をまさに見へにけり兵法あれば居合始まる」では何のことやらさっぱりわかりません。
 その前に新庄藩林崎新夢想流秘歌之大事にも此の歌はあります。
 「金鉢乃両部能二川と見し尓希利兵法あ連は居合者しまる」
 (金鉢の両部の二つと見しにけり兵法あれば居合はじまる)
 金胎が金鉢となっています。
田宮流居合歌の伝では
 金銀(金胎)の両部正に見えにけり兵法有れば居合はじまる」
 金銀ですか?
 金胎の両部、金鉢の両部・金銀(金胎)の両部が解れば何とかなるかも知れません。
 金胎両部(こんたいりょうぶ):金剛界と胎蔵界。
 界は大日如来を智慧(ちえ)の面から表わした部門、如来の智徳はなによりもかたく全ての煩悩を打ち砕くことからその名があると云う。
 胎蔵界は大日如来を本来的な悟りである理性(りしょう)の面から見て言う語で、理性が胎児のように慈悲に包まれてはぐくまれていることからこう名付ける。
 金鉢の両部の金鉢は托鉢の鉢でしょうか、仏教での両部は金剛界と胎蔵界を言い表しているのでしょう。金胎両部の思い違いかもしれません。
 金銀の両部は誤字かも知れず金胎と括弧書きが残されています。
 「煩悩を打ち砕く堅固な智徳と慈悲に包まれた理性によって、戦うべき時には居合が求められるものである」
 己の心の中にある智徳により煩悩を打ち砕き理性を慈悲によってつつむ心が居合を兵法と為すことが出来るという事を奥義として歌い継がれたものではないかと思うのです。
 現代居合は居合抜きの業技法だけが稽古されていて、居合心など聞かされたことも、歌など耳にする事も、稽古の中で知る機会はありません。
 高段者講習会などで、国語の解かる居合の先生もおられるでしょう。もう遠い昔の歌なのですからその歌われた当時の心を読み取れなくとも「私は此の歌はこの様に歌ったのだとおもう」と講義され、それを元に「私はこう思う」と自論を述べる機会などあれば現代居合も格調高いものになり、幻の権威に息吹が入りいたずらに権力をふりまわす幼稚なことは無くなると思うのです。武的演舞と揶揄し、幻の権威と振り向く事も無いものでは、下手な武的踊りとして老人体操の域を超えられるわけはありそうもない。
 

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2019年1月13日 (日)

曾田本その1の9居合兵法の和歌読み解く32首の24寝て居ても

曾田本その1
9.居合兵法の和歌読み解く
32首の24寝て居ても
 寝て居ても起て抜見よ放れ口
        突かれぬ事は師匠なり介り
読み及び読み解く
 寝て居ても起きて抜いて放れ口を見てごらんなさい 突くことが出来ないのは師匠だからでしょう。是では書いてある通りに読み下しただけで意味が通じません。
 或いは、寝て居ても起きて抜いて見なさい、抜き付けの切先が鯉口を放れても、突く事が出来ないのは師匠だからでしょう。師匠だから突けないなどの事は別の事で、技法としては突きも充分稽古しなければなりません。鯉口から突など理屈が解ればすぐできます。
 もう一つ、寝ても覚めても抜き付けを稽古するのだが、師匠にだけはどうしても放れ際に突くことが出来ない。師匠の方が上手ならばしょうがない。
 抜き口への当流の極意は「柄口六寸」です。抜かんとする柄口六寸を師匠に抑えられてしまう。
 
 読み下せばこんな所でしょう。「突かれぬ事は師匠なり介り」が何を言っているのか、何が奥義なのかサッパリです。
 師匠の教えを教えられた形の通りに守り通して十数年、何か違うと思い至りて形を破って見たら思う様に運剣できる様になってきた。
 道場で師匠の前に立つと「違う」と叱責されて跳ね飛ばされても懲りずに更に磨き上げて、師から学ぶ事も無く新たな境地に佇む日々。
 私の様に、現状に満足できず、何故、何故と求め続けていますと師匠に疎んじられ、処を変えて又振出から一歩一歩、歩いてみます、又行きあたって何故の繰り返しです。
 もう是で充分な事などあろうはずもなく、お世話になった方達へ感謝はすれど、立ち止まって居られないものです。
 是を攻撃的だとか、自分本位とか言われても、求めるものが違うのですからとことんやる以外に生きている気がしないものです。
 武術の終わりは自らが死ぬ時なのでしょう。元の師匠を突き飛ばしてみても何の意味も無く、上意下達などと云って狭い世界に生きる人を置き去りにせざるを得ないでしょう。
 
 この歌の心は、師を置き去りには出来ないよ、と戒めて来る歌であれば、人情としてはそうであっても、武術の至極を求める者には無用の歌であって師を越えられない者は、不詳の弟子であるはずです。
 「弟子たるもの師匠の出来ない事でもやれ」と仰った初代関東地区会長太田次吉先生の言葉を思い出します。
 
 参考にしたいのに、秘歌之大事も田宮流歌の伝にもこの歌は存在しません。
 いずれまた、此の歌に取っ組んでみたい意味不明の歌です。

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2019年1月12日 (土)

曾田本その1の9居合兵法の和歌読み解く32首の23狭みにて勝

曾田本その1
9.居合兵法の和歌読み解く
32首の23狭み尓て勝
 狭み尓て勝を取べき長刀
       短き刀利は薄きなり
読み及び読み解く
 狭い所で勝つのは長い刀であって、短い刀には有利な状況は少ないものである。
 新庄藩の林崎新夢想流秘歌之大事
 「勢王み尓て勝を取留偏幾長刀み之加記刀利はう春き也」
 (せばみにて勝をとるべき長刀みぢかき刀利はうすき也)
 妻木先生の田宮流居合歌の伝
 「せばみにて勝をとるべき長刀短き刀利はうすきかな」
 新庄藩の林崎新夢想流秘歌之大事には刀の長さの歌に
 「面にむかふ長をたのみにて左右をば何とふせがん」
 という歌も歌われています。
 「正面の敵に向かっていくには長い刀が有利だろうが左右の敵はどの様に防ぐのか」という課題です。この歌は曽田本その1にはありません。
 狭い所での心得は曽田本その1「英信流居合目録秘訣の2上意之大事の8壁添
 「壁に限らず惣て壁に添うたる如くの不自由の所にて抜くには猶以って腰を開ひしりて体の内にて抜突くべし切らんとする故毎度壁に切あてかもいに切あてゝ仕損ずる也突くに越る事なし就中身の振廻し不自由の所にては突事肝要」
 狭い所では「体の内にて抜き突くべし」がポイントです。大江先生の現代居合では奥居合之部居業の「両詰」でしょう。
 大江先生の奥居合立業の「壁添」は体の内で上に抜き上げ拝み打ちに打ち込んでいます。これは古伝の抜刀心持之事「人中」での抜刀法です。古伝「壁添」は狭い場所で体の内で抜き突くのです。
 狭い場所で座していて正面の敵に対する業は古伝では「向詰」で「抜て諸手を懸け向を突打込也」で大江先生は業名を「両詰」に変えてしまいました。
 狭い場所では、横一線の抜き付けも、相手の打込みを筋を替って外すのも不便です。機先を制して抜き突く、其の際長い刀が有利だと云えるのでしょう。
 古伝の歌で短い刀には利が無いと思い込んでみても、小太刀しか帯びていない場合はどうするのか、寧ろ不利の武器を有利に扱う事を思いやるべきかもしれません。
 定寸以上の長い刀を誇らしげに抜いている人を見かけます。寧ろ小太刀を自由自在に扱える稽古を充分して置くべきかもしれません。
 たとえば、「詰合」を打太刀は太刀、仕太刀は小太刀で稽古するなど「権威を嵩に権力を振りかざす者」の最も嫌う事を黙々と稽古する事が忘れられて居る様に思えて仕方がありません。
 
 
 

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2019年1月11日 (金)

曾田本その1の9居合兵法の和歌読み解く32首の22早くなく

曾田本その1
9.居合兵法の和歌読み解く
32首の22早くなく
 早く奈く重くあらしな軽く奈く
      遅き事於や悪しきとそ云う
 読み及び読み解く
 早くもなく重くあってはならない其の上軽くなく、遅い事は悪い事だと云う。
 新庄藩の林崎新夢想流秘歌之大事では。
 「早く奈く於そくハあらし重く奈く加る幾事をハあし幾とそ云」
 (早くなく遅くはあらじ重くなく軽き事をば悪しきとぞ云う)
 早くもなく遅くもなく、重くなく軽き事をば悪いと云う。
 居合兵法の和歌は「早くなく重くあらじな」ですが秘歌之大事は「早くなく遅くはあらじ」で自然です。
 そのあとの句も「居合兵法の和歌が「軽くなく遅きことおや」と軽いと遅いで構成されています。秘歌之大事では「重くなく軽き事」とこちらも逆を自然に語っています。
 居合兵法の和歌は「遅き事をば悪しきとぞ云う」で、秘歌之大事は「軽き事をば悪しきとぞ云う」で「遅い」と「軽い」とでは意味が違うでしょう。
 妻木先生の田宮流歌の伝では。
 「早くなくおそくはあらしかるくなしおそきことをぞあしきとぞいふ」
 この歌には、前の二つの歌に有る「重くあらしな、又は重くなく」の重いの言葉が消えてしまっています。
 居合いは、居合兵法の和歌と田宮流歌の伝による「遅い事は悪いのか」、秘歌之大事の「軽いのが悪いのか」結局のところ、早くても、遅くても、重くても、軽くても良くないと歌っている事に違いは無さそうです。奥義の歌であれば、一つの調子に拘らず状況に応じたものであれと云われそうです。
 稽古の方法として田宮流歌伝口訣に「初学には調子を習へ兎に角に早きにまさる兵法はなし、居合は抜き付け一本にて勝つの教えゆえに、初学より先ず調子を習うが専一である。初めより、三調子に習わす事肝要なり。それより二調子に、次に一調子に抜かすこと。この一調子は「ハナレの至極」という。初学より一調子にゆかぬ故、三調子、二調子の場より習わすことが肝要なり。」
 河野百錬先生は初心者心得に「初心の間は十分に落付きて業を大きく伸び伸びとユックリ行い、業と業との間に区切りを作りてなし決して素早く一連に行わぬ事。総ての業は其の一動毎に十分なる気魄を必要とす。即ち「一動の終毎にグット確かなる気力の締り」ある事を最も肝要とし、而して次の動作は更に新たなる力と気合を以て行う事。然して錬磨の功を積み錬熟するにつれ内に凛々たる気魄を養ひ業の間をつめる様心懸くる事」
 この田宮流歌伝口訣も河野先生の心得も、初心者への指導法として述べられているのですが、ともすると仮想敵など何処へやら、いつまで経っても三調子か二調子しか出来ない者の方が、一調子の者より自然に見えてしまうものです。それは敵のあらゆる動きを想定する業を身に着けて来なかった古参の者が初心の頃の動作をいつまでも忘れられず「大きく伸び伸びとユックリ」ばかりしか体に覚えさせていない証拠と見受けられます。
 修行を積み重ねる上で、今日はゆっくり大きくメリハリを付けず業を正しく行う、明日は伸び伸びとしてメリハリをつけ、翌日は大きく伸び伸びとユックリだがメリハリをつけなど工夫しながら稽古をする。次の日は気を抜いた動作、次の日は堅いごつごつした動作などやって見る。
 それには、当初は仮想敵を相手にせず自らの正しい動作の修得にしても出来るだけ早く仮想敵を思い描くべきでしょう。師匠は設対者となり切られ役になる工夫も大切な事です。
 武的演舞ではなく、武術の演武であるべきでしょう。
 
 

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2019年1月10日 (木)

曾田本その1の9居合兵法の和歌読み解く32首の21贔屓偏頗

曾田本その1
9.居合兵法の和歌読み解く
32首の21贔屓偏頗
 世の中に贔屓偏んバの有時ハ上手も下手も人の云う奈し
*読み及び読み解く
 世の中にすこぶるえこひいきがある時には、上手も下手も人の口には上る事は無い。
 偏頗はすこぶる偏る、不公平です。最近言われる「忖度」もその一つでしょう。上役の関係者、金銭的なもの、身内などいつの時代でも付きまとう怪しげなものです、明らかにそうであれば誰も口をとざしていたのも封建時代の名残です。権力者を甘やかすのは何かでしょう。
 世の中にえこひいきがあるのであれば上手も下手も有り様がない、それは此の歌の直訳ですが、奥義の歌ならば、その程度のレベルの事を歌うわけはないと思いたいものです。
 この歌は新庄藩の新夢想林崎流秘歌之大事にも妻木先生の田宮流居合歌の伝にもありません。
 上手だ下手だなどと師匠や兄弟子、同僚などに言われて良い気になっていても、何か下心があっての事ととるのはよそに置いて、人におだてられてその気になって相対して剣術をやってみたが技が決まらない、試合に臨んだらコロコロ負けてしまう。
 特に現代居合は仮想敵相手の一人による空間刀法です。武術の形をとった演舞に過ぎません。
 如何に凛々しい立ち居振る舞いで入場し、礼式も見事に理にかなって美しく、形は宗家の瓜二つの演舞をしても、あるいはそれを越える力強いものであっても物の役に立つ者はわずかでしょう。
 流派のかたち通りであればあるほど役立たずになってしまいます。本物は他人に褒められるようなかたちでは役立たずにすぎません。
 現代居合の仕組みが、段位制度による昇段審査の評価、演武競技会による評価による優劣。どれも本物を見分けられる審査員や判定員が居るようには思えません。
 筆者もついこの間までは楽しんで競技会に参加したりしましたが評価基準も不明瞭なのに、判定員の履歴が段位だけが目安で、その判定能力の有無など全く示されておらず不明瞭です。
 選ばれた者も自分の地区や道場の者、あるいは縁故の者、息のかかった者などよく聞く話です。
 酷いのは21代の形を優先、22代の形を落とす、あるいは逆などめちゃくちゃな判定です。
 空手の時津賢児先生は「評価基準は演ずる人の技法の理解度や実際に技を用いる能力の高低には求められず、第三者が判定できる一般的な外的指標が基準になる。
 つまり、型の動的な形の品定めを行うわけだから武的美学のコンクールと見なすべきである。
 型競技は体操と同じように近代体育競技のジャンルとして新鮮な目でとらえていけば、それなりの意義がある」と武道の方法叙説で述べておられます。
 武術とは言えないけれど武的体操競技としてみるならそれなりでしょう、と云っているのです。
 武術はあくまでも闘争の技術であって、戦って勝事が前提なのです。
 わけ知り顔の者が神妙剣を持ち出しても、その根底には相手に戦っても勝つだけの力量があっての上での神妙剣なのです。
 この程度の処でうろちょろして居ても意味のない事です。

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2019年1月 9日 (水)

曾田本その1の9居合兵法の和歌読み解く32首の20懸待表裏

曾田本その1
9.居合兵法の和歌読み解く
32首の20懸待表裏
 待も春る待っても留る事ぞ有
      懸待表裏二世の根元
読み及び読み解く
 待ちもする待っても留まることぞある懸待表裏二世(二星?)の根元
 我から懸かっていくのではなく敵の懸かりを待つ、敵の動きを見ても直ぐに応ぜずに待つことが大切である、懸待表裏(けんたいひょうり)は生死の分かれ目の根元である。
 この歌は、古武術の知識が乏しい者には、何を歌っているのかさっぱりわからない歌でしょう、多少知識があっても土佐の居合ばかりが頼りでは術にまで発展できそうにありません。
特に「懸待表裏」、「二世」、「根元」などの用語は当流の用語には見出せません。
 上泉伊勢守の新陰流による考え方が江戸初期には広まっていた影響が土佐の居合にも浸透している一旦かも知れません。
 この歌は田宮平兵衛業政の歌とされています。新陰流の影響はどの程度であったかは判りません。
 新庄藩の林崎新夢想流秘歌之大事には此の歌は見られません。
 田宮流居合歌の伝には二首
 「待ちもするまたでも留まるやうもありかける表裏にせの根元」
 「待ちもするまたでも留まることぞある懸待表裏二世の根元」
 相手の出方を身を土壇にして待って応じようとする、相手もさるもの仕掛けんとする素振りに我が応じようとすればそれを待って懸って来る事もある、懸かる、待つ、表と裏を見極め相手の柄口六寸に勝つのが根元である。
 このように深読みして見れば歌心かな~と思う次第です。

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2019年1月 8日 (火)

曾田本その1の9居合兵法の和歌読み解く32首の19知らぬ兵法

曾田本その1
9.居合兵法の和歌読み解く
32首の19知らぬ兵法
 我道の居合一筋雑談二
     志らぬ兵法事を語る那
読み及び読み解く
 我が道は居合一筋である、雑談にしても知らない兵法の事を語ってはならない。
 直訳すればこんな所でしょう。。その心はどこにあるのか考えて見たいものです。
 参考になる新庄藩の林崎新夢想流秘歌之大事にこの歌は有りません。
 妻木先生の田宮流歌の伝では少し文言が違いますが歌心は同じ様です。
 「我が道の居合一筋誰云うに知らぬ理かたの事を語るな」
 我が歩み行く居合の道は田宮流一筋である、誰に云うとしても、知りもしない術理の事を語ってはならない。
 「何故」兵法の事を語ってはいけないのでしょう。他流に返し業を研究されてしまう、他流を批判し険悪と成る、出鱈目を言って過大評価あるいは過小評価され共に禍を招くことになる。
 余計な事を言ったため、試合を申し込まれて裏を取られてしまうなどの事は、すでに遠い昔の幻かも知れません。この時代は積極的に他流との交流をして自流価値を身をもって知る良い機会です。
 隠すべき理由は、昔から門外不出であったと云う現代では意味不明な事に拘っていても意味は無さそうです。
 むしろ、古伝の研究者や、本物を極めたい求道の士には門戸は大きく開き、口伝口授の流派の伝承法を書きあらわしてもらい末永く残せる方がどれだけ世の中の為になるか判りません。
 明治以降の竹刀剣道や居合の統一理論が、多くの古伝を抹殺してしまいました。残された流派もじわじわ蝕まれて消える寸前か、土佐の居合の様に古伝を忘れてしまって現代居合として新たに生まれ、そして権力者の無責任からあらぬ方に進んでしまい、あの世から笑われてしまうのも悲しい事です。
 あの世からならば仕方が無いのですが、古伝を研究した者から「何故」と問われて答えられず、「昔はこうだった、先師にこうな習った」と苦しい答弁です。
 

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2019年1月 7日 (月)

曾田本その1の9居合兵法の和歌読み解く32首の18池の蛙

曾田本その1
9.居合兵法の和歌読み解く
32首の18池の蛙
世ハ廣し我ゟ外の事奈しと思ふハ池の蛙なりけり
読み及び読み解く
 世の中は広いもので、自分より他にこの事を越える者など居ないと思うのは池の中の蛙である。
 荘子の秋水第17に、河伯が黄河のほとりに立ってその雄大さに驚き、北海若に世俗に云う「聞道百以為莫己若者」(道を聞く事百にして以って己に若はなし)
 百程度の僅かばかりの道理を聞き齧って、自分に及ぶ者はないと云うのは自分の事である、と一人よがりを恥じていいます。
 北海若は「井蛙不可以語於海者 拘於虚也」(井の蛙以て海を語るべからずは虚なり)井戸の中の蛙に海のことを話してもわからないのは、自分の居る狭い場所に拘っているからである、と云っています。
 諺に「井の中の蛙大海を知らず されど空の深さを知る」が生まれているようです。
* 
 極意の歌は、その程度の力量でのぼせるな、お前より強いものは幾らでも居る程度の事を歌っているのでしょうか。
 そんな程度ならば、其の辺のへぼ十段でも口にして得々としています。歌の奥に有る思いを読み取りたいものです。
新庄藩の林崎新夢想流秘歌之大事に「世・・で始まる歌二首」
 世能中尓我与利外能物奈しと於もふ池農蛙奈利介利
 (世の中に我より他の者なしと思う池の蛙なりけり)
 世ハ廣し折尓与利てそ加者るらん者禮之満計与しと於もふな
 (世は広し折りによりてぞ変わるらん 我知るばかり良しと思うな)
 一種目は居合兵法の和歌と同様ですが、二首目はまさに極意の歌でしょう。恐らく二首目の歌は土佐の居合を習った第九代林六大夫守政に伝わらなかったか、伝わっても一種目の「のぼせるな」という戒めしか心に残らなかったものでしょう。
 世の中の移ろいは、人も、政治も、武器も武術も変化していくのは歴史が示しています。戦国時代はその大きな変化に如何に同化し抜きん出られるかも、生き残るすべであったでしょう。
 当然居合もそうあるべきものです。
 田宮流之妻木先生の田宮流居合歌の伝にも二首あります。
 世の中は我より外のことはなし思わば池のかへるなりけり
 世はひろし我より事の外なしと思ふは池の蛙なりけり
 だから謙虚にして慎ましく控えて居るべきだなど、誰も思いはしませんよね。若しそんな事を思う人は居合道歌を学ぶ資格も、居合を学ぶ資格も無いでしょう。
まして、それが武士道であるならば、武士道など権力者にとって都合の良い道標にしかなり得ないでしょう。

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2019年1月 6日 (日)

曾田本その1の9居合兵法の和歌読み解く32首の17只切る

曾田本その1
9.居合兵法の和歌読み解く
32首の17只切る
・抜けバ切る不抜バ切与此刀
        只切る事二大事こそ阿れ
読み及び読み解く
 抜けば切る抜かずば切れよ此の刀 只切る事に大事こそあれ
 抜いても抜かなくてもこの刀で切るのだ ただ切ることが大事なのである、と詠んでも意味が解りません。
 私は切るべき時には、無心になってただ切るのである、と解釈して見ました。是は刀を抜いて相手を斬り伏せる居合の業技法の心得に小さくまとめるべきでは無く、相手の考えや行動に許すべからざる時、究極のコミュニケーションとして斬り伏せろと読み取って見ました。
 現代居合は河野百錬先生の居合哲学に引っ張られて敵の害意を察して抜き打つと教わっています。
 害意を察するとは、会うや否や怒りの色がありありとする、相手との対話から食い違いがおこり険悪になり顔に憎しみの色が出る、のっけから威圧しつぶしに懸かって来る風情、などなど良く知りませんがあるでしょう。察するなどはあう以前からの事であるかもしれません。
 ここは、河野節は置いて置いて、居合心持肝要之大事の居合立合之大事を読み直してみます。
 「敵と立合いとやせんかくやせんと巧む事甚だ嫌う、況や敵をみこなし彼がかく打ち出すべし、其の所を此の如くして勝たんなどと頼む事甚だ悪しゝ。
 先ず我が身を敵の土壇と極め何心なく出べし、敵打出すところにてチラリと気移りして勝事なり。常の稽古にも思いあんじたくむ事を嫌う能々此の念を去り修行する事肝要中の肝要也。」
 「チラリと気移りして勝」とは「構えは如何にもあれ敵と我と互に打ち下す頭にて只我は一途に敵の柄に打ち込む也、敵にうまうまと振るうて右の事を行う秘事也是神明剣也」
 この心得でしょう。
 では居合で此の心得をどの様に身に着けられるのか。
 第17代大江正路先生は剣道手ほどきで「一番前:正面に向け正座す、右足を出しつつ刀を抜付け前の敵首を切り更に上段になり同体にて前面の頭上を真直に切り・・」と古伝の極意など何処にも見られません。初心者への教えの域を超えていない様です。
 現代居合は第20代河野百錬先生の大日本居合道図譜では正座の部一本目前「意義:正面に対座する敵の害意を察知するや機先を制して其の抜刀せんとする腕より顔面にかけ斬付けんとす」であってほぼこの心得を踏まえているやに見えます。
 更に時代が過ぎて第22代池田聖昂先生では「前面に対座せる対敵の害意を察知するや、機先を制して其の(対敵の)抜刀せんとする腕より顔面(首とも胸とも可)にかけて、我が右足を踏み込みて斬り付け、返す刀を双手上段に冠りて真向に打下し(斬り下ろし)勝を制する意なり」となって、抜き付けを「腕より顔面(首とも胸とも可)」と極意を忘れています。
 古伝神傳流秘書大森流居合之事初発刀では「右足を踏出し向へ抜付け打込み・・・」であって何処へどの様に抜付けろなどの指示はされていません。
 その抜き付けの極意は、あくまでも根元之巻に示されている、敵の柄口六寸なのです。いわゆる柄を握る左右の小手なのです。
 動かない仮想敵の腕、首、顔面などに抜き付けるのでは無く、敵が我に向かって抜き付けんとする、あるいは斬り付けんとする、その動いている敵の柄口六寸を只切る事が大事と詠っている筈です。
 師匠に教わった事だけを稽古している形演舞の居合ならば此の歌の心は読む必要はないでしょう。
 居合も形では無いのです。
 新庄藩の林崎新夢想流の秘歌之大事
 「ぬ希は支るぬ加年ハ支れ与此刀多ゞきる事は大事こそ阿連」
 (抜けば切る抜かねば切れよ此の刀ただ切る事は大事こそあれ)
 田宮流居合歌の伝
 「抜かば切れ抜かずば切るなこの刀たい切ることに大事こそあれ」
 「たい切る」は意味不明です。「ただ」の誤植か他に意味があったのか解りません。
 
 

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2019年1月 5日 (土)

曾田本その1の9居合兵法の和歌読み解く32首の16無想の刀

曾田本その1
9.居合兵法の和歌読み解く
32首の16無想の刀
与風出る太刀を思い覚るべし
      無想の刀鍔ハ可満王じ
* 
読み及び読み解く
 ふうと出る太刀を思い覚るものだ 無想の刀であれば鍔で請け太刀するなど思うものでは無い。
 「与風出る」の歌い出しから翻弄されて、漢文を思い出して「是か」と悟った次第です。下の句の「鍔は可満王じ(鍔は構わじ)」では、何を言っているのか、これも難解です。鍔にお構いなしに、何も考えずに刀を打ち込めというわけです。
 相手が上段からふっと我が真向に打ち下して来る一刀を、何も考えずに我も相手の真向に打ち下し相手の刀を打ち外して切り下げる太刀を悟れ、と読んでいるのでしょう。
 それとも、相手が打ち込んで来るその柄口六寸に、鍔など構う事無く抜き付ける、居合の極意を悟れと読んでいるのでしょう。
 無雙神傳英信流居合兵法の根元之巻に示唆する「柄口六寸」、新陰流の「合し打ち」や、一刀流の「切り落し」が思い描かれてきます。
 いずれの古流剣術の流派であろうと、相手の打込みを請太刀するなどは初心の事であっても極意業は、請け太刀など無いものです。
 無心の打込みが請け太刀であり切る太刀となり勝負が付いている、それを信じて学ばない限り身に付く事も無ければ、見ても理解できず、聞いても解からずでしょう。
 
 この歌は妻木先生の詳解田宮流居合の歌の伝に
 「ふっと出る刀をおもいさとるべし夢想の刀鍔は構はし」
 新庄藩の林崎新夢想流秘歌之大事には詠まれていません。
 
 

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2019年1月 4日 (金)

曾田本その1の9居合兵法の和歌読み解く32首の15心明剱

曾田本その1
9.居合兵法の和歌読み解く
32首の15心明剱
 餘多尓て勝れさりしと聞しかど心明剱の太刀を楽し免
読み及び読み解く
 「あまたにて勝たれざりしと聞きしかど心明剣の太刀を楽しめ」読み下しはこのようなものでしょう。
 この歌は田宮流歌の伝にも新庄藩の林崎新夢想流の秘歌之大事にもありません。対比しながら読み解いていく事は出来ません。
 居合では大抵勝つ事は出来ないと聞いているが、心明剣の太刀を楽しんで見なさい。とでもいうのでしょう。
 古伝神傳流秘書の書き出しは「抜刀心持引き歌」から始まります。
 其の中に
 「居合と申は第一に太刀抜かぬ以前に勝事大事也 歌に
 抜ば切れ抜ずば切るな此刀たゞ切る事に大事こそあれ 
 あまたにて勝れざりしと聞しかど心明剱の太刀を楽しめ」
と、あります。
 「神明剣」はこの流の末尾を締める教えは「神妙剣」です。
「雷電刀は惣名也即ち柄口六寸也、変じて神妙剣となる、軍場の剣となる・・当流の極意は表裏の違い也、敵に向かえば如何なる人も心は暗闇となる也、その真方暗闇の所にて一つ行うべき事有り、すなわち柄口六寸の勝也。是当流の極意也・・。
 神妙剣他流にては心を明かにして敵の動きを見よと云うとは大いに違えり生死の境なれば平気とは異なり然れども忘るまじき事一つ有りすなわち柄口六寸也、柄口六寸実は抜き口の事に非ず、極意にて伝わる所は敵の柄口六寸也。
 構えは如何にも有れ敵と我と互に打ち下す頭にて只我は一途に敵の柄に打ち込む也。先ず我が身を敵にうまうまと振りて右の事を行う事秘事也、是神妙剣也。
 神妙剣 深き習いに至りては実は業に無し常に住坐臥に有の事にしてニ六時中忘れて叶わざる事也。
 彼怒りの色見ゆるときは直に是を知って怒りを抑えしむるの□知あり、唯々気を見て治むる事肝要中の肝要也。是戦に至らしめずして勝を得る也。
 さりながら我臆して謝りて居る事と心得る時は大いに相違する也。兎角して彼に負けざるの道也。
 止める事を得ざる時は彼を殺さぬうちは我も不死の道也。又我が誤りをも曲げて勝には非ず、謝るべき筋なれば直に謝るも勝也。
 彼が気を先に知りて直ぐに応ずるの道を神妙剣と名ずけたる也。詳しくは書面に表し尽くし難し、心おぼえの為に其端を記し置く也。」
 刀を抜き放って戦い己の我を通すのではなく、彼の思いを良く理解し我が思いも分かち合う、和していく心を楽しめとでも云うのでしょう。
 争いごとは、和する事が出来た時には殊の外うれしいものです。それには長いものに巻かれる様な腰抜けでは得られない、強い信念の裏打ちも必要です。
 

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2019年1月 3日 (木)

曾田本その1の9居合兵法の和歌読み解く32首の14無き事

曾田本その1
9.居合兵法の和歌読み解く
32首の14なき事
 もとの我勝が居合の習奈り
       なき事云ハゞ身の阿だと成る
読み及び読み解く
 元の我勝つが居合の習い也 無き事云はば身の仇となる
 この歌はこのまま読んでも何を言いたいのか浮んで来ません。
 「もとの我」とは、昔の自分、本当の自分、自分自身かな、と読み込んでいきますと、自分自身に勝つのが居合の習いであると読めてきます。
 「なき事云ハゞ」は泣き言いえばかな、無き事言えばかな、などと思いめぐらして見ます。泣き言も、目の前に無い物ねだりも一纏めにして「なき事云ハゞ」「身の仇と成る」、無いものねだりして見ても身の為にはならない、と歌っているのでしょう。
 居合と云うのは自分自身の心に勝つもので、臆したり、味方を求めたりもっと修行して居たらばなどと泣き言いっていないで、無心になって抜き付けろ、というのでしょう。
 妻木先生の田宮流歌の伝
 「本の我に勝つがためぞといいならひ無事いふは身のあ□となる」
 新庄藩の林崎新夢想流秘歌之大事
 「本能我尓勝可居合之大事也人尓逆婦ハ非可多奈利介理」
 (本の我に勝つが居合の大事なり 人に逆うはひがたなりけり)
 秘歌之大事が奥義を伝えているかも知れません。
 自分自身に勝つのが居合之大事な心得であって、人と言い争い刃を向けて争うなどは間違えているのである。
 この解釈が土佐の居合の極意、神妙剣でしょう。
 いざ、抜かざるを得ない場合は無心になって身を土壇となして打ち懸ける極意も秘めていそうです。
 

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2019年1月 2日 (水)

曾田本その1の9居合兵法の和歌読み解く32首の13無用なる

曽田本その1
9.居合兵法の和歌読み解く
32首の13無用なる
 無用なる手詰の話をすべ可ら春
       無理の人尓ハ勝って利ハ奈之
読み及び読み解く
 取り立てて分けも無いのに業技法の話をするべきではない、術理に疎い人に話して勝ってみても何の利も無い
 「手詰」とは、広辞苑では「激しく詰め寄る・猶予無く攻め懸ける」ですが、ここでは業技法の話位で良いかも知れません。もっと厳しく、業技法の術理をもって詰め寄るでもいいのでしょう。
 この歌は新庄藩の林崎新夢想流秘歌之大事には存在しません。妻木先生の田宮流の歌の伝では
 「無用する手詰の論をはすべからず無理の人には勝ちてせんなし」
 この歌の心はどの様に読み解けばいいのでしょう。
 師匠の真似事の棒振りしか出来ない師匠や兄弟子に「何故そうする」と問いかけても「生意気な奴」ぐらいにしか思われないのでは、そんな輩に術理を聞いても、思う事を言っても意味無いよと云う事もありそうです。
 他流は勿論、自流でも師伝が違う人と業技法の話なども、相手を良く知った上で話さないとややこしいことになってしまいます。へぼでも「俺が一番」という天狗がごろごろいます。
 形はできても術は決まらないのが古流剣術です、考え方、日常の体の使い方、その流派の基本となる足腰などの捌きは本気で学ばなければ出来ないものです。
 武術は体で動いて結果を出すのですが、頭脳的な体捌き剣捌きが要求されます。チャンバラならば腕力が強く早くて無鉄砲ならばそこそこ勝てるでしょう。そんな人とは論理的な話は無用です。
 

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2019年1月 1日 (火)

曾田本その1の9居合兵法の和歌読み解く32首の12拳の楯

曾田本その1
9.居合兵法の和歌読み解く
32首の12拳の楯
 鍔ハ只拳の楯と聞ものを
     大くも婦とく無きハひがこと
読み及び読み解く
 鍔の役目は、ただ拳の楯と聞いているのだが、大きく太いのは良いが無いというのは心得違いである。
 歌を詠んで見れば「鍔は拳の楯だから、大きく太いのはいいが鍔無しはだめだよ」でしょう。 
 極意の歌の中に、刀の鍔の良し悪しを言う、戦闘用具の歌と云うのも疑問です。何か秘められた事があるのでしょうか。読み解く事が出来ずにいます。
 妻木先生の田宮流居合歌の伝
 「つばはただこぶしの楯とするものをふとくはふとくなきはひがごと」
 新庄藩の林崎新夢想流の秘歌之大事
 「鍔ハ多々拳能楯と聞ものを婦とくもふとく奈幾ハひがごと」
 (鍔はただ拳の楯と聞くものを太くは太く無きはひがごと)
 土佐に伝わったこの歌は、鍔は大きくて太くても良いが無いのは理にかなわないと云っていますが、田宮流歌の伝も秘歌之大事も「鍔は太くも太く」と重ねています。
 鍔の大きさを思うと、厚みがあって、直径が大きく、丈夫で軽いものが基本でしょう。その程度のことを極意の歌にする訳はないと思います。
 根元之巻に歌われている「柄口六寸の勝」を敵に取らせないためには鍔で防げというのでしょうか。是ではただの請け太刀であって、勝つ事にはなりません。
 田宮流の歌の伝に
 「ふっと出る刀をおもいさとるべし夢想の刀鍔は構はし」
 前の歌で鍔を意識せよと云いつつ、後の歌では極意に至れば鍔は構うなと云っています。
 極意に至れば刀などの戦闘道具について「兵法の極意に心いたりなば刀道具はおよばざるもの」とも云われます。無刀の世界が開けて来るものでしょう。
 土佐の居合の仕組の中に「大剣取」10本があります。その一本目の無剣
 「相手居合膝に坐し居る処へ小太刀をさげかくる相手抜打つを放して刺す」
 我は小太刀を下げ無形の構えです。無刀ではありませんが、間に至り相手の抜打ちを出足を退いて外すや付け入って小太刀で刺すわけです。小太刀など無くとも相手の懐に入って突き倒すのも、顔面を打つも、太刀を奪うのも可能です。
 この一本目が出来れば後はオマケの業に見えてしまいます。
 
 

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咄々々(とつとつとつ)Ⅱ

 咄々々 
  明けましておめでとうございます。
 
 平成31年の書初めのお題は、雲門宗の開祖雲門文偃の雲門広録から「咄々々(とつとつとつ)」
 意味は、舌打ちしたり、怒ったり、驚いたりする咄から「あらまあ」「これはこれは」などと云った、想いも寄らない事に感動する事、それを表した禅語を選んでみました。
 雲門の言葉としてよく知られているのは「日々是好日(にちにちこれこうじつ)」でしょう。
 「 にちにち」と読むのが正し様ですが、「ひび」でもさして違いは無いと云えば、識者が怒るかもしれません。
 どの様な日でも、悪い出会いや良い出会いがあったりします。
 日々は水の流れの如きもので、とどまる事は無いものです。それを踏み越えていくのが人生でしょう。
 出会いとは人との関わりばかりでなく、見たり、聞いたり、感じたこと全てと思えばいい、ふと感じた今までの人生と是からの人生への気付きなどで有ってもいいのでしょう。
 
 そんな日々の出合いの中で、想いも寄らない「あらまあ」と思わず口に出して、喜んだり、悲しんだり、怒ったり、ほめたりするのが「咄々々」の語といわれます。
 家内は保育園に勤めています。その日の子供たちの言動に「あらまあ」と驚く事ばかりだそうで、楽しそうに話してくれます。
 お座りもちゃんと出来ない幼児が、いつの間にか這い出して、ある日突然立ち上がり一歩踏み出し満面に嬉しそうな「笑み」を浮かべる姿、それを「あらまあ」と驚喜する様子は眼に浮かびます。
 その子のパパやママより先に、歩けた嬉しさを自慢げに見せてくれる幼児に、感動すると共に複雑な気持ちとも話してくれます。
 意図的に人を感動させる事が出来たら、行事の主催者は是までの苦労が報われた気持ちになるでしょうし、参加された方も思いもよらぬ感動に嬉しくなってますますのめりこむでしょう。
 
 善い事、悪い事「あらまあ」と、つい口から出てしまう、素直に云える日々でありたいものです。
 「咄々々」の書初めは、文字の書体も配置も用紙の大きさも、特定せず皆さんの思うままに書き込んで、正月明けの教室に持って来てもらいます。
 「あらまあ」と云って、新年早々にその作品を皆さんと一緒に鑑賞します。
 喜んだり悲しんだり、抱負に一杯の新しい年を迎え、五月には新しい年号に臨んで行きたいものです。
 2019年平成31年、たとへ5月1日から年号が変わっても亥年です、新年のご挨拶は「咄々々」とだけ書いてお送りします。
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2018年12月31日 (月)

曾田本その1の9居合兵法の和歌読み解く32首の11鞠に柳

曾田本その1
9.居合兵法の和歌読み解く
32首の11鞠に柳
 強身二て行當るおば下手と志れ
       鞠二柳を上手とそいふ
読み及び読み解く
 力任せに打ち懸かって来るのを、此方も力任せに受けるのでは下手な証拠と知りなさい、鞠を投げつけても柳の枝は、鞠に逆らわずにそのままふわりと往なしてしまう、これを上手と云うのだ。
 
 この歌は新庄藩の林崎新夢想流の秘歌之大事にあります。
 「徒よみ尓て行あ多留をハ下手と云鞠二柳を上手とそい婦」
 つよみにて行き当たるおば下手と云う鞠に柳を上手とぞいう
 田宮流歌の伝では
 「つよみにて行きあたるこそ下手なれやまりに柳を上手とぞいふ」
 この歌を聞きかじって、仮想敵相手の居合を柔らかく稽古して見ても、ゆっくり大きくは出来ても、切先に力の入らない弱々しいものになってしまいます。
 設対者の有る稽古をしますと、勝とうとばかり、力任せに早く振るので、業が決まりません。
 
 「あら磯のもくずか浪に打たれても猶打ちかへすまけじたましい」
 「己が身を勇気の槌で打ちくだけこれぞ誠の教へなりけり」
 「いろいろに姿勢態度もきまらずに打たん心は禁物としれ」
 無外流の百足伝より
 「兵法は強きを能きと思いなば終には負けと成ると知るべし」
 「兵法の強き内には強みなし強からずして負けぬものなり」
 柳生新陰流の剣士でしょう、藤原敬信の「免兵法の記」に以下の事があります。「和らみ、最初より専らと教え候事、宜しからず覚え候。強みを致し抜けざればまことの和らみは出来ぬものに候。強みを致し抜けざる和らみは、弱みの至極と知るべし。其の者の精一杯強みを致し尽くし候上にて、和らかなる仕形を教える由に候・・」赤羽根龍夫著「江戸武士の身体操作柳生新陰流を学ぶ」より。
 この歌を詠んで「そうか、ゆっくり大きく、メリハリのない、力の無い居合が上手なのか」と早速やってみても、気の抜けた棒振りにしかならないものです。
 腕力の有る人はガンガンりきんで稽古し、いつか自然に力が抜ける方が本物かも知れません。しかし大概、力む人はいつまでも力んでいます。
 ゆっくり大きく正確にをモットーとする人は、大概ゆっくりとメリハリの無いばかりです。
 どちらから入っても行きつくところは、相手の動きを察して応じられるものが本物でしょう。
 宮本武蔵は兵法35箇条で「上段の位の兵法は強からず弱からず角らしからず早からず見事にも無く悪くも見えず大きに直ぐにして静かに見ゆる兵法是上段の位也能々吟味あるべし」と括っています。
 
 

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2018年12月30日 (日)

曾田本その1の9居合兵法の和歌読み解く32首の10下手こそは

曾田本その1
9.居合兵法の和歌読み解く
32首の10下手こそは
 下手こそハ上手の上の限りなれ
        返春返春もそ志リ者之春奈
 読み及び読み解く
 下手こそは上手の上を行く為の最高の師匠であるも どうあっても悪く言ってはならない
 下手な人の所作を見ていますと、何が問題なのかが一目瞭然です。
 あそこを直せば、あそこを稽古すれば、と良く見えます、己に照らして反省しきりです。
 上手な人にいくら教えを得ても、其の域に達しない限り理解できないものです、にもかかわらず、上手な者の指導に疑問を持ち批判している。よくあるパターンです。
 関東地区の初代会長、太田次吉先生の話「ある日のこと、大田先生が道場に見えられ「人の稽古をよく見なさい」と言われた。
 上手な人を見るのは良いが、人の稽古を見るよりは、その分、稽古に励んだ方が効率が良いと思い、「はい」と返事だけで、棒振りに勤しんでいると、兄弟子の、「稽古止めい」の号令。
 「これから太田先生のお話がある」
 曲がった腰をピンと直された先生は眼光炯々として、しっかりした口調で申された。
 「諸君等は、見取り稽古をしなさ過ぎる・・人を見て己の足らざるを補え・・下手を見ても・・そこから学べ!」目から鱗が落ちる思いだった」村木泰仁「ノー」と言わない能より。
 この歌の解釈をこんな風にとらえてみました。
 新庄藩の林崎新夢想流の極意之秘歌にこの歌に近いものがあります。
 「下手こそは上手能上乃可多りものかえ春がえすもそしり者し春奈」
 下手こそは、上手の上の語りもの、かえすがえすも謗りはしすな、と読むのですが、「限りなれ」が「語りもの」になっています。
 下手こそは上手な人が参考にする、語りものである、というのでしょう。下手こそは間違いを解かりやすく演じてくれる最高の師匠です。
 段位や所属年数ばかり高く癖だらけの自称上手も良い「下手」な手本となるでしょう。
 妻木正麟先生の田宮流居合歌の伝
 「下手見ては(下手こそは)上手の上のかざりなり返すがえすもそしりはしすな」
 下手は上手の上の飾り物になっています。下手が居てくれるので上手に見えるのでは、何の意味も無いもので歌に詠む必要すらない。下手を手本に磨き上げろと歌っているのだと思います。
 上手の歌にはこんなのもあります。
 「上手とは外をそしらず自慢せず身の及ばぬを恥づる人なり」
 上手な人が驕り高ぶらない為の歌かも知れませんが、驕り高ぶる人も良いお手本です。
 私は、上手下手に拘わらず業の研鑽には、「何故そうする」、「どうすればできるようになる」、「かたちは出来たがそれで切れるか」、「想定外にその業で応じるには」など道場内で意見を出し合い、それぞれの力量の範囲で納得できれば良いのにと何時も思っています。
 「このように習った」だけでは武術にはなりません。
 阿部先生の「剣道之極意」に幾つかその心を伝えると思う歌があります。
 「此の道は上手ばかりが師ではなし下手ありて又上手ともなる」
 強いものとばかりっけいこしたからとて上手に成るものではない。下手な者と稽古して師より教えられた技など、自由の利く下手な者に試みて、鍛え、初めて本当に自分のわざとして身につける事が出来る。
 先輩・上位の人に対しては感謝する事を知っているが、下位の人に対し、後輩に対しての感謝などという事は殆ど忘れられているのは遺憾な事である。
 「それぞれに人の為す技ちがうなりよく見て習え人のなす技」
 「よき技を教えられても皆癖のつたなきところを習うひとかな」
 居合の競技会で優勝した古参の人が、「俺の教えに従え」と云っていました。和尚ですからお経を読む姿勢が良いばかりです、其の上藁霧の団体に入っていますから、棒立ちのまま張り子の虎が首を上下に振っている様にしか見えません。
 足は竹刀剣道の教えなのか爪先を押し付けて摺足をするのです。
 据物切には刃筋が通り良いでしょうが、どう見ても単調で武術とは言い難い。
 その上、棒樋を深く掘り直させてビュービュー言わせています。こんな業で優勝させた方がおかしいものです。敢えて良い所を言えば座した姿が、坊主らしく泰然自若として人を威圧するようです。
 さて、人を威圧する姿勢が剣を持つ者の姿勢でしょうか。お断りして良かったと思っています。
 
 

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2018年12月29日 (土)

曾田本その1の9居合兵法の和歌読み解く32首の9霜を聞

曾田本その1
9.居合兵法の和歌読み解く
32首の9霜を聞
 寒夜尓て霜を聞べき心こそ
       敵二阿ふても勝を取なり
 読み及び読み解く
 寒い夜に霜が結び下りて来る音を聞き分ける心があれば、敵に出合っても、敵の思いも起こりも読み取り、勝を取るのである。直訳すればこんな所でしょう。
 この歌は田宮流居合歌の伝には
 寒き夜に霜を聞くべき心こそ
       敵にあひても勝はとるべし
 新庄藩の林崎新夢想流秘歌之大事では
 寒事尓て霜を聞遍幾心こそ
       敵尓あふて能勝ち者とる遍き
 寒事にて霜を聞くべき心こそ 敵に遭うての勝ちは取るべき
 武術肝要集に「我れ已発を以って敵の未発を抑ふ。是れ業を言わず、気の位いを言うなり」とあります。
 意味は、我は已発(すでにはっ)して以って、敵の未だ発せざるを抑える。是は業の事を言うのでは無く、敵の打たんとする気の位、いわゆる起こりを抑えることを言うのである。
 従って、此の歌は霜が降り積む前に霜が結ぶ音を感じる程の感性をもって敵と対すれば勝つ。というのでしょう。
 敵の起こりを抑えるには武蔵の兵法三十五箇条の二十三番目「枕の押へと云う事」
 「枕のおさへとは、敵太刀打出さんとする気ざしをうけて、うたんとおもふ、うの字のかしらを、空よりおさゆる也。おさへよう、こころにてもおさへ、身にてもおさへ、太刀にてもおさゆる物也。此の気ざしを知れば、敵を打に吉、先を懸るによし。いづれも出会う心在り。鍛錬肝要也。」
 古歌二首
 打ち寄する浪の受け太刀満潮に
        さし心得て飛ぶ千鳥かな
 未発より已発にうつる中宿
       終ひのすみかとおもふべきかな
 何れも、身に及ぶ前の敵の打たんとする起こりを察して抑えてしまう事を詠んでいます。

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2018年12月28日 (金)

曾田本その1の9居合兵法の和歌読み解く32首の8拳を見込

曾田本その1
9.居合兵法の和歌読み解く
32首の8拳を見込
 如何に人腹を立つゝ怒るとも
       拳を見込心ゆる春奈
読み及び読み解く
 如何に人は腹を立てて怒ったとしても、拳を見つめて心を許すな
 居合兵法の和歌ですから、切った張ったの業技法を促す和歌が主と思ったら大間違いで、刀を抜いてしまってはどうにもならないと、己の拳を見つめて怒りに心を奪われてはならない、という極意の一句でしょう。
 
 田宮流居合歌の伝では
 「人さまに腹をたてつついかるともこぶしを見つめ心志ずめる」
 相手に腹を立て、怒ったとしても、拳を見つめて心を静めるものだ、と歌っています。
 新庄藩の林崎新夢想流の秘歌之大事では
 「人い加尓腹を立徒々い可流累とも心尓刀拳者奈春那」
 人は如何に腹を立てて怒ったとしても、心に刀を持ったとしても、拳は放してはならない。
 どれが、元歌なのかは分かりませんが、如何に怒ったとしても刀を抜き放ってはならない、と戒めています。
 この歌の心は、怒り狂っても「我慢せよ」と都合の良い部下の操縦の歌とは思えません。そんな事では、極意の歌である筈がありません。
 「抜くなよ、抜けばすべてが無に帰すぞ」拳を見つめて、相手の心情も理解し、和する事を求めなさい、為すべき事は刀を抜く事では無い、というのです。
 古歌に
 「心こそ心まよわすこころなれ心に心心ゆるすな」
 柳生新陰流の兵法家伝書では「妄心こそが本心を迷わす妄心である妄心に本心が心を許すな」」と解説しています。
 武蔵も五輪書水之巻で兵法心持の事で「兵法の道において、心の持ちようは、常の心に替る事なかれ。常にも兵法の時にも、少しもかわらずして心を広く直ぐにして、きつくひっぱらず、少しもたるまず、心のかたよらぬように、心をまん中におきて、心を静かにゆるがせて、そのひいきをせざるように心を持つ事肝要也。心の内にごらず、広くして、ひろき所へ知恵を置くべき也。知恵も心もひたとみがく事専也。知恵をとぎ、天下の理非をわきまへ、物事の善悪をしり、よろずの芸能、その道々をわたり、世間の人にすこしもだまされざるようにして後、兵法の知恵となる心也」
 人としての権威の無い者に、十段などの段位を安易に与えることで、権力を得たと錯覚し、刀に置き換えて権力を抜き放って来るのが昨今の連盟会長や、監督、果ては居合の高段者です。逆らえば昇段もままならぬと、下位の者は黙って俯く。
 こんな事はダメだよと、居合兵法の和歌はうたっています。居合の稽古で、手拍子に合わせ合同稽古でせっせと形を抜いて、また翌週も同じ事しか出来ない貧弱な指導者が乱造されています。
 せめて、居合兵法の和歌を味わい、其の心を皆で話し合ってみたいものです。
 
 

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2018年12月27日 (木)

曾田本その1の9居合兵法の和歌読み解く32首の7身の曲尺

曾田本その1
9.居合兵法の和歌読み解く
32首の7身の曲尺
 身の曲尺の位を深く習ふべし
        留ねど留る事そふ思議や
読み及び*読み解く
 身の曲尺(かね)の位を深く習うべし、留めねど留まる事ぞ不思議や。そのまま読み下せばこんな所でしょう。
 この歌の解釈は人それぞれかも知れません。武術の歌なのだから其処から抜け出せないのもあるでしょう。人の心と心の触れ合いと思えば、そこにも至るでしょう。
 そのまま読めば、敵と我との間合いを十分に知るべきものである、敵が打ち込んで来ても敢えて請け太刀に成らずとも、間が遠くであれば我が身に届くわけは無い、また敵の懐に入ってしまえば打ち込んでは来られない、そこをふわりと勝事の不思議な事である。
 曲尺とは直角に折れ曲がった物差しですが、ここでは我と敵との間合い、打ち込み届く距離でしょう。
 
 武蔵は兵法三十五箇条に「間を積る様には色々在れども・・大形は我が太刀人に当たる程の時は、人の太刀も我に当たらんと思うべし。人を打たんとすれば、我が身を忘るゝ物也よくよく工夫あるべし」
 また「常に糸かねを心に持べし、相手の心に糸を付て見れば、強きところ、弱きところ、直きところ、ゆがむところ、たるむところ、我が心をかねにして、すぐにして、糸を引きあて見れば人の心よく知るゝものなり。そのかねにて円きにも、角なるにも、長きをも、短きをも、ゆがみたるをも、直なるをも、よくしるべきなり。工夫すべし」
 武蔵の兵法三十五箇条を田宮平兵衛業政が知っていたかと云えば、知らなかった方に軍配でしょう。
 同じ様に考えたと云えるかもしれません。
 人との交わりに於ける様々な場面に思い至り、その立場立場を理解出来れば解決の糸口は見えて来るでしょう。
 とことん話す事も無く、上位者が上意下達などと威嚇しても、襤褸はボロでしょう。この歌は難解というより、意味不明な歌としか言えそうにありませんが、武術は人の究極のコミュニケーションの道具でもあるのです。
 
 
 

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2018年12月26日 (水)

曾田本その1の9居合兵法の和歌読み解く32首の6知った振り

曾田本その1
9.居合兵法の和歌読み解く
32首の6知った振り
 居合をハ知っ多振り之て突るゝ奈
       居合の道を深く問べ之
読み及び読み解く
 居合を充分知ってるよと云いもし、形も見せてくれる、其れなのにひょいと突き倒されてしまう。居合の道はそんなに軽いものでは無いぞ、深く問うべきものだ。
 直訳すればこんな所でしょう。この歌は田宮流歌の伝にも新庄藩の秘歌之大事にもありません。
 居合でも、仕組みの形でも物覚えの良い器用な者は2,3年でかたちを身に着けてしまうでしょう。勇んでヤクザの喧嘩に臨んでもたちまち膾にされてしまうでしょう。
 なまじ、かたちを覚えている為、其れに捉われて無茶振りの相手には勝てないものです。
 「居合の道を深く問うべし」がズシリと肩にかかってきます。
 
 河野百錬先生は初心者心得三十三則の結語に「・・総じて形にとらわるゝ事無く(業形より入りて業形を脱す)臨機応変敵に依って転化する縦横無碍自在の心胆を鍛錬するを以って本旨とするものなり・・求道の士よ其の枝葉を追事無くすべからく其の根元を究明する事を忘るゝ勿れ」と説いています。
 沢庵の不動智神妙録には「事の修行仕らず候えば、道理ばかり胸に有ても身も手も働かず候。理を知りても、事の自由に働かねばならず候。身に持つ太刀の取りまわしよく候ても、理の極り候所の闇く候ては、相成る間じく候。事理の二つは車の輪の如くなるべく候」
 この事は、居合ばかりの事では無く多くのことに共通のことでしょう。教わった形ばかりではいかに華麗に演じて見てもたちまち限界になってしまいます。
 太刀打之位などでも、申し合わせの打ち合いになれてしまうと、却って仮想敵相手の空間刀法の方が良さそうに思えてしまいます。
 竹刀剣道などでも、勝ち負けが、力と速さだけでは年を取ってから勝てなくなって、何をしていたのか頭を抱えてしまいます。
 それが当然ならば、剣術などやっても大した意味があるとは思えません。
 
 

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2018年12月25日 (火)

曾田本その1の9居合兵法の和歌読み解く32首の5仕掛を留る

曾田本その1
9.居合兵法の和歌読み解く
32首の5仕掛を留る
 居合とハ刀一つ尓定らず
       敵の仕掛を留る用阿り
読み及び読み解く
 居合とは刀一つに定まらず
       敵の仕掛けを留める用あり
 居合というものは刀だけで敵に応じるものでは無い、敵の仕掛けて来る前に留めてしまう事も居合なのだ。
 抜く前に、敵の思う事を察知してよく話し合う事も一つ、敵の仕掛ける方法を察知して防御態勢を先に作ってしまう。
 身を土壇となして、敵に打ち込ませるところに誘い込み裏を取ってしまう。どれでも考えられることでしょう。
 実力が圧倒して居れば敵を威圧してしまうのも有りでしょうが、河野流鞘の内「相手を圧する心意気を以て鞘離れの瞬時に相手を制すること、これ即ち居合の生命にして鞘の内と言う」ではこの歌の心が全て役立たない場合の、抜打ちの刀一つの術にしかならないでしょう。
 古伝は刀を抜かない極意を歌にしているのです。
 田宮流居合歌の伝では
 居合とは刀一つにさだまらず
       敵のしかけをとむるやうあり
 居合とは刀一つにさだまらず
       敵のしかけに留まることあり
 下の句の「敵のしかけに留まることあり」を単純に解釈すれば、敵の仕掛けに気付いて切り込むのを留めてしまう。となってしまいそうです。これでは極意の歌にはなりません。
 新庄藩の秘歌之大事には此の歌は有りません。
 
 土佐の居合の心は神妙剣にあります。
 「深き習に至ては、忘れてならない事は、彼の怒りを見た時は、直ぐに気を見て治める事が肝要で戦に至らしめずに勝事」を学べと述べられています。歌心はその歌だけを詠んで理解するのでは、その流の奥義には至れないようです。
 文学者や他流の識者でも至れない、この流の伝書を何度も読み習い、理解した上でしか読み取れないのかも知れません。
 

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2018年12月24日 (月)

曾田本その1の9居合兵法の和歌読み解く32首の4心に勝

曾田本その1
9.居合兵法の和歌読み解く
32首の4心に勝
 居合とハ心二勝可居合也
       人尓逆ふハ非刀としれ
*
読み及び読み解く
 居合というのは、己の心に勝つ事が居合である、人と争うなどの事は刀術に非ずと知るものだ。
 この歌は田宮流居合歌の伝では
 居合とは心に勝つが居合なり人にさかふは非法なりけり
 新庄藩の林崎新夢想流の秘歌之大事では
 居合とハ心尓勝可ゐあひ奈り人尓さ可ふは非可多也希利(居合とは心に勝つが居合なり人に逆うはひかたなりけり)
 
 田宮流では「人に逆らうのは人としての法(のり)では無い」です。
 秘歌之大事では「人に逆らうはひかたである」と書かれていて、刀のことなのか、形のことなのか、其の外の意味が秘められているのか解りません。
 居合と云うのは人に逆らい、争う事では無く意見の居り合わない者とも和する心を以て頭ごなしに威圧する事とは違う、それでは人としての法にも逆らう事にもなり、刀の扱いにも外れてしまう、というのでしょう。
 かと言って、直ぐに許しを請う様な事では全くない事です。
 それでは己の心に遺恨を残す事にもなります。
 長いものには、捲かれろでは、古い日本の封建制時代の一生下位の者の生き残るための哀れな事になってしまいます。
 己の主義主張を曲げて安住の地を求めるずる賢くも哀れな習性が今でも頻繁に見られるものです。これでは何のために修行しているのか解らなくなります。
 「心に勝つ」と「人に逆う」の言葉についつい争いの現場を思い描いてしまいますが、ここは相手の斬り込んで来る太刀に逆らわずに身を土壇となして、敵の動きに合わせ夢現の如くの所よりひらりと勝つ、極意の手の内、輪の内、十文字を思い描きます。
 その待つ心、相手の話に耳を傾ける心、其処から和すことが出来る糸口を見出し応じる心が居合なのでしょう。
 権力をかさに掛け、力任せで打ち込んでみても、ひらりと躱され、、お飾りにされて地団駄踏んでも意味の無い事です。
 応じる法も、しっかり受け止めていながら躱して制する事がこの歌の奥に思えなければ居合を学ぶ意味は無いのでしょう。
 

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2018年12月23日 (日)

曾田本その1の9居合兵法の和歌読み解く32首の3平らかに勝

曾田本その1
9.居合兵法の和歌読み解く
32首の3平らかに勝
 居合とハ人耳切られ春人切らす
       唯請とめて平二かつ
読み及び読み解く
 居合とは人に切られず人切らず
       ただ請けとめて平らかに勝
 居合と云うのは人に切られる事も無く、人を切る事でもない。相手の思いをただ受け止めて互いに和する事が、平らかに勝つ居合の極意なのである。
 この歌は新庄藩の秘歌之大事の三番目に有ります。
 居合登は人尓幾ら連須人幾ら春
       多々う希とめて堂ひらか尓かつ
 読み
 居合とは人に切られず人切らず
       ただ請けとめて平らかに勝
 居合兵法の和歌と全く同じままです。
 田宮流居合の歌の伝には見当たりません。
 この歌の意味する所は「相手を圧する心意気を以って鞘離れの瞬時に相手を制すること、これ即ち居合の生命にして鞘の内と云う」ようなコミュニケーションの終局の斬り合いの心得とは次元が違います。この教えは第20代河野百錬先生が山田次郎吉先生の日本剣道史にある抜刀術からの引用であって、第7代林六大夫守政の伝書には見当たりません。
 河野百錬先生は、居合の業技法を求めた所までで終わってしまいましたが、この歌心迄手を伸ばしつつあったと思われます。然しそれは表わす事も無く逝ってしまわれました。
 無双直伝英信流居合の終局の目的は神妙剣に有ります。
 「深き習に至りては実は業(事)無し、常住座臥にこれ有事にして、二六時中忘れて叶わざる事なり。
 彼れ怒りの色見ゆる時は、直ぐに是を知って怒りを抑えしむるの□知あり、唯々気を見て治むる事肝要中の肝要也、是れ戦に至らしめずして勝を得る也。
 去りながら我れ臆して誤(謝)て居る事と心得る時は大いに相違する也、兎角して彼れに負けざるの道也、やむ事を得ざる時は、彼を殺さぬ内は我も死なずの道也。亦我が誤りをも曲げて勝には非ず。誤(謝)るべき筋なれば直ぐに誤(謝)るも勝也。彼が気を先に知って直ぐに応ずるの道を神妙剣と名付けたる也、委しくは書面に表わし尽くし難し、心覚えの為に其の端を記し置く也」
 決められた業の動作を追うばかりで、土佐の居合が求めた事は居合兵法の歌に、隠されてもいたのです。
 稽古日に棒振りばかりせずに、この歌を皆で読み解いていく勉強も居合を知る事でもあるでしょう。そんな師に出合えておられる人は、逆に下手な棒振りをそれとばかりに強いる人を師と思い込んでいたりします。
 偶には斜に構える男の見栄を捨てて居合の歌に取り組む師と共に、友も持ちたいものです。
 
 
 
 

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2018年12月22日 (土)

曾田本その1の9居合兵法の和歌読み解く32首の2心を静め抜く

曾田本その1
9.居合兵法の和歌読み解く
32首の2心を静め抜く
 居合とハ心を静抜刀
       ぬ希れバや可て勝を取奈り
*読み及び読み解く
 居合とは心を静かにして刀を抜く、抜いてしまえば直ちに勝を取るのである。
 現代の用語では「やがて」はそのうちに位の雰囲気ですがここは、抜くや否や勝つのでなければ意味を捕えた事にならないでしょう。
 現代居合の、正座の部八重垣や奥居合の居業霞はそれにもかかわらず、一刀目の抜き付けで相手に外されています。
 是を間を誤ったへぼと取るか、敵の攻撃が早いと見て、機先を制してやや間が遠いにもかかわらず抜き付け、敵をビクとさせて気を奪って追い込んで制するととらえるか、仮想敵相手の自分に都合の良い一人演武ではこの業を演じられそうもありません。
 居合における鞘の内の理念は「相手を圧する心意気を以って鞘離れの瞬時に相手を制する事」と云われます。(全居連)
 無双直伝英信流の古伝では「鞘の内」の教えは何処にもありません。このことは山田次郎吉の大正14年日本剣道史の抜刀術からの引用の様な気がします。
 「抜刀の術はもと長刀を抜く事より起って、戦場の用途であったが、次第に研究を重ねて、鞘放れの一瞬に勝負を決するものとなり、陰陽の変化は鯉口をきるところに生じて、敢えて長刀に限るものとは云えなくなった」河野百錬昭和13年1938年無双直伝英信流居合道の参考記録抜粋より。
 この辺りからの借り物でしょう。「居合は鞘の中に勝利を含み抜きて後は不利といふ理を基とし・・抜打の勝負にて出口を肝要とす、左様なれば全く鞘の内にある所に勝はあるなり。」
山田次郎吉は甲陽軍鑑や玉話集から引用しています。
 敵を圧する心意気については、他の引用だろうと思いますが
 
 この歌は、「相手を圧する心意気では無く」、「心を静めて抜く」のです。理念よりさらに奥深いものを悟らせようとしているのでしょう。
 田宮流居合歌の伝
 「居合とは心を志ずめたる刀ぬくればやかてつかるる(ぬくればやがて勝を取るなり」
 
 東北地方の新庄藩に残された林崎新夢想流「秘歌之大事」にはこれかなという歌がありました。
 「居合とは押詰ひしと出す刀刀ぬくればやがてつかるゝ」
 
 ここで「刀ぬくればやがてつかるる」という言葉が下の句に有りますが「つかるる」の意味が解りません。
 
 

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2018年12月21日 (金)

曾田本その1の9居合兵法の和歌読み解く32首の1糸瓜の皮

曾田本その1
9.居合兵法の和歌読み解く
32首の1糸瓜の皮
 居合とハへ知まの可ハ能たん婦くろ
       すつ可りとしてミハどっちやら
読み
 居合とはへちま(糸瓜)の皮の段袋
       すっかりとして実はどっちやら
読み解く
 居合と云うのは糸瓜の皮で作った段袋のようなものだ、スッキリしていて中の実は何処に行った。
 糸瓜の皮は、糸瓜の実の中を繰り抜いた皮の繊維部分で垢すりなどに使われたものです。
役に立たないもの、つまらないものなどの譬えにも使われていました。
 段袋とは駄荷袋、荷物袋、あるいはゆるい股引を意味すると思われます。
 居合と云うのは糸瓜の皮で作った荷物袋のようなもので、すっきりとしていてもとの中身は何所かに行ってしまったようなものだ。と言うのでしょう。
 読み込んでみます。
 居合と云うのは 如何にもこれから「切るぞ」、とか「さあ来い」と云ったものでは無く、スッキリとした自然体で無心に応じるものなのだ。と、私は読んでみました。
 居合に限らず、あらゆる事でこの心は大切であり、自信を以って事に当たれるものでしょう、しかし常日頃から何時如何なる状況にも応じられる修行は怠る事は出来ないものです。それは武術だけに限らず日常生活での心構えにあるべきものです。
 居合を何十年と続けて来て十段を連盟会長から允可されている人に出合いました。何事にも己がトップであり、連盟はあくまで会長をトップとした上意下達が当然の事と構えてしまいます。何事も会長の意志を賛成として、陰では批判しても面と向かえば「ご無理ご尤」で過ごしてきたのでしょう。
 それがその団体で、いやその人の人生での生き残る手段としてあたりまえだったのでしょう。
 ですから、自分の道場に戻れば、同様に自分の意志を押し通してしまい、自分の立場では何をしなければならないかが解らなでいるようです。
 これなど、「居合と云うのは、己の意に叶わぬ者は即座に切り捨てる」と云うもので、永い年月何を学んで来たのか全く分かっていないのでしょう。
 その程度ですから、人としての重みも、まして居合の腕前など形ばかりの真似事で踊以下です。師事するに値しない人なのでしょう、連盟会長も「己の意に反しないかわいい奴」として允可したのならばそれだけの事で、やれやれです。
 この方の允可に付随して送られたものが「目録」でしたので業の数を何とか一人で演じれるようになったから十段の目録允可を与えられたようなものです、免許皆伝とは程遠い、まして根元之巻には値しません。そんなものでしょう。
 「居合とはへちまの皮の段袋」を味わってみました。
 現在では、糸瓜の皮の段袋も、垢すりも使用される事が無くなってしまいました。
 
 
 

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2018年12月20日 (木)

曾田本その1の9居合兵法の和歌原文32首27~32

曾田本その1
9.居合兵法の和歌原文
32首27~32
27)
 大事をハ皆請取れと思ふとも
        琢可さる尓ハ得道は奈之
読み
 大事おば皆請け取れと思うとも
       みがかざるには得道はなし
28)
 師二問ハ春如何尓大事をお之ゆへ之
       心を春ま之懇耳問へ
読み
 師に問わば如何に大事をおしゆべし
       心を澄まし懇ろに問え
29)
 物をよく習納むと思ふとも
       心掛春ハ皆春多るべ之
読み
 物をよく習い納むと思うとも
       心掛けずば皆廃るべし
30)
 後より伐るをはつるゝ事ハ奈之
       聲の響を是と云也
読み
 後より伐(かる)るをはづるゝ事はなし
       声の響きを是と云う也
31)
 目の前の待春毛の秘事を志ら春して
       兎角せんと一期気遣ふ
読み
 目の前の睫毛の秘事を知らずして
       とやかくせんと一期気遣う
32)
 目の前の待春毛の秘事を志り奴れバ
       唯速かの一筋のみ知
読み
 目の前の睫毛の秘事を知りぬれば
       ただ速やかの一筋の道
以上32首
右 田宮平兵衛業政之歌
干時文政四年辛巳歳秋七月吉日書之
坪内長順
山川幸雅自先生傳
山川久蔵 橘幸雅印
右之通り相改候上口傳覚不残
相傳申し仍而奥書如件
坪内清助殿
読み
以上32首
右 田宮平兵衛業政の歌
干時(ときに、かんじ)文政四年1821年辛巳(かのとみ、しんし)歳秋七月吉日之を書く
坪内長順
山川幸雅自(みずから)の先生伝
山川久蔵 橘幸雅印
右の通り相い改め、口伝の覚え残らず上げ候
相い伝え申し よって奥書件(くだん)の如し
坪内清助殿

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2018年12月19日 (水)

曾田本その1の9居合兵法の和歌原文32首21~26

曾田本その1
9.居合兵法の和歌原文
32首21~26
21)
 世の中二贔屓編んばの有時ハ
         上手も下手も人の云奈し
読み
 世の中に贔屓へんばの有る時は
         上手も下手も人の云う無し
22)
 早く奈く重くあら之奈軽く奈く
         遅き事於や悪之きとそ云
読み 
 早くなく重くあらじな軽くなく
        遅きことおや悪しきとぞ云う
23)
 狭ミ尓て勝を取へき長刀
        短き刀利ハ薄き奈り
読み
 狭みにて勝を取るべき長刀
        短き刀利は薄きなり
24)
 寝て居ても起て抜見与放れ口
        突れぬるハ師匠奈り介り
読み
 寝て居ても起きて抜き見よ放れ口
        突(つ)かれぬるは師匠なりけり
25)
 金胎の両部と正尓見へ尓介り
        兵法有れバ居合者之まる
読み
 金胎の両部とまさに見へにけり
        兵法あれば居合始まる
26)
 道を立深く執心春る人尓
        大事残さ春大節にせ与
読み
 道を立て深く執心する人に
        大事残さず大切にせよ

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2018年12月18日 (火)

曾田本その1の9居合兵法の和歌原文32首16~20

曾田本その1
9.居合兵法の和歌原文
32首16~20
16)
 与風出る太刀を思い覚るへ之
         無想の刀鍔ハ可満王之
読み
 与風でる太刀を思いさとるべし
         無想の刀鍔は構わじ
17)
 抜けバ切る不抜バ切与此刀
         只切る事二大事こそ阿れ
読み
 抜けば切る抜かずば切るよこの刀
         ただ切る事に大事こそあれ
18)
 世ハ廣之我ゟ外の事奈之と
         思ふハ池の蛙奈りけり
読み
 世は広し我より外の事なしと
         思うは池の蛙なりけり
19)
 我道の居合一筋雑談二
         志らぬ兵法事を語る那
読み
 我が道の居合一筋雑談に
         知らぬ兵法事を語るな
20)
 待も春る待っても留る事そ有
         懸待表裏二世の根元
読み
 待ちもする待っても留まる事ぞあり
        懸待表裏二世の根元
 
 

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2018年12月17日 (月)

曾田本その1の9居合兵法の和歌原文32首11~15

曽田本その1
9.居合兵法の和歌原文
32首11~15
11)
 強身二て行當るおば下手と志れ
          鞠二柳を上手とそいふ
読み
 強みにて行き当たるおば下手としれ
          マリに柳を上手とぞ云う
12)
 鍔ハ只拳の楯と聞ものを
          大くも婦とく無きハひがこと
読み
 鍔はただ拳の楯と聞くものを
          大(太?)くも太く無きは僻事(ひがごと)
13)
 無用奈る手詰の論(話?)をすべ可ら春
          無理の人二ハ勝って利ハ奈之
読み
 無用なる手詰の論をすべからず
          無理の人には勝って利はなし
14)
 元の我勝が居合の習奈り
          奈き事云ハゝ身の阿だと成る
読み 
 もとの我勝つが居合の習いなり
          泣き言はば身の仇となる
15)
 餘多尓て勝れさりしと聞之かと
          神明剱の太刀を楽し免
読み 
 余多にて勝たれざりしと聞きしかど
          神明剱の太刀をたのしめ
 
 

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2018年12月16日 (日)

曾田本その1の9居合兵法の和歌原文32首6~10

曾田本その1
9.居合兵法の和歌原文
32首6~10
6)
 居合をハ知っ多振りして突るゝ奈
        居合の道を深く問べし
読み 
 居合おば知った振りして突かるゝな
        居合の道を深く問うべし
7)
 身の曲尺の位を深く習ふべし
        留ねど留る事そ不思議や
読み
 身の曲尺(かね)の位を深く習ふべし
        留ねど留る事そ不思議や
8)
 如何二人腹を立つゝ怒るとも
        拳を見込心ゆる春奈
読み 
 いかに人腹を立てつゝ怒るとも
       拳を見込み心許すな
9)
 寒夜尓て霜を聞へき心こそ
       敵二阿ふても勝を取なり
読み
 寒夜(さむや)にて霜をきくべき心こそ
       敵に遭うても勝を取るなり
10)
 下手こそハ上手の限りなれ
       返春返春もそ志り者之春奈
読み
 下手こそは上手の限りなれ
       かえすがえすも謗りはしすな

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2018年12月15日 (土)

曾田本その1の9居合兵法の和歌原文32首1~5

曾田本その1
9.居合兵法の和歌原文
32首 1~5
1)
 居合とハヘ知まの可ハ能たん婦くろ
      すっきりとしてミハどっちやら
読み
 居合とは糸瓜(へちま)の皮の段袋
      すっきりとして身はどっちやら
2)
 居合とハ心を静抜く刀
      奴希れバや可て勝を取奈り
読み
 居合とは心を静め抜く刀
      抜ければやがて勝を取るなり
3)
 居合とハ人耳切られ春
      人切らす唯請とめて平にかつ
読み
 居合とは人にきられず
      人切らず唯請けとめて平らかにかつ
4)
 居合とハ心に勝可居合也
      人尓逆ふハ非刀としれ
読み
 居合とは心に勝つが居合なり
      人に逆うは非刀としれ
5)
 居合とハ刀一つ尓定らす
      我可仕掛を留る用阿り
読み
 居合とは刀一つに定まらず
      我が仕掛けを留める用あり
 

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2018年12月14日 (金)

曾田本その1の8その他読み解く4神妙剣

曾田本その1
8.その他読み解く
4、神妙剣
 深キ習二至テハ実ハ事(業)無シ常二住座臥二有之事二シテニ六時中忘レテ不叶事ナリ彼レ怒ノ色見ユルトキハ直二是ヲ知ッテ怒ヲ抑ヘシムルの□知アリ唯々気ヲ見テ治ムル事肝要中ノ肝要也是戦二至ラシメズシテ勝ヲ得ル也去ナカラ我臆而誤(謝)テ居ル事ト心得ル時ハ大二相違スル也兎角シテ彼レ二負ケサルノ道也止事ヲ得サル時ハ彼ヲ殺サヌ内ハ我レモ不死ノ道也亦我カ誤(謝)ヲモ曲ゲテ勝ニワ非ス誤(謝)ル可キ筋ナレバ直二誤(謝)ルモ勝也
 彼カ気ヲ先々二知テスグ二應スル道ヲ神妙剣ト名付ケタル也委シクハ書面二アラワシ尽シ難シ心ヲボヱノ為二其ノ端ンヲ記置ク也
読み及び読み解く
 土佐の居合の最終章は「神妙剣」です。
 曽田本その1の順番をもう一度振り返ってみます。そこには見事に神妙剣に至る順序たてがされている様に思えます。
 それはランダムに見せられた伝書を曽田虎彦先生が組み立てたのか、伝書そのものに土佐の居合の根元に至る順序立てがなされていたのか解りません。
 曽田先生に曽田本を本にしてその古伝の心を公開していただきたかったけれど、叶わぬ夢となりました。
 河野先生も曽田先生の手書きメモを「読み下す」ので宗家という立場上精一杯だったと思われます。
 夢想神傳流の木村栄寿先生も土佐の古伝を河野先生同様に「読み下す」だけで終わってしまいました。その後神傳流の方からそれを研究し古伝を学ぼうとされる方を知りません。
 曽田本はこの順序で校正されていました。
1、神傳流秘書
2、英信流目録
3、業附口伝
4、免許皆伝目録
5、居合兵法極意秘訣
 1)老父物語
 2)当流申伝之大事
 3)英信流居合目録秘訣
  ①外之物ノ大事
  ②上意之大事
  ③極意ノ大事
 4)居合兵法極意巻秘訣
6、居合兵法の和歌
7、曽田虎彦私創研究中抜刀術
 1~3は土佐の居合之業技法の順番を行う手附に過ぎません。それでも棒も仕組(組太刀)も和(体術、柔術)も網羅され、順然たる居合はその三分の一以下の仮想敵相手の一人稽古に過ぎません、其れも大江先生の教えによる現代居合は奥居合が絞られ変形しています。
 4は根元之巻で林崎甚助重信の免許皆伝の江戸期に伝わったものですが、読み下せても読み解く事は厄介です。
 現代でも発行されておられる処もある様ですが、文言の写し書きでその心を伝えられているか疑問です。
 5項目目以下が、土佐の居合の心持ちを伝える極意に成ります。此処が現代居合に正しく伝承できれば、稽古の質も大きく変化するでしょう、然し或門流の宗家からのものは、業名だけの目録ばかりに過ぎません。
 現代居合の業名と運剣の標準を教えたよ、というものです。
 準範士以上の允可は人に、現宗家から宗家のやり方で業の形を指導していいよというもので、譬え十段であっても其の域を出るものでは無いのです。
 其の域を出たい者は、自ら学ばなければならないものです。その道筋が5項目以下なのですが、時代背景もあって、読み捨てたり、語学力不足で十分読みこなす能力がないのが実態でしょう。
 もっと大切なのは、本物の自己実現を目指す真摯な心で文字の外にあるものを求め学ぶ心、そして其の域の近くまで達していなければ一歩も進めないでしょう。
 真似事に終始して師匠に「出来ている」など言われて見てもむなしいばかりです。
 先日ある所で、居合を止めて違う剣術の道場の門をたたいた若者の話を聞いていました。
 何故やめたのか「かたちばかり要求して、其の形は何故そうするのか、と聞いても答えをくれず、そうするのがこの流の形とだけしか言わない」「段位による序列ばかり優先して威張っている」 
 さて、神妙剣を読み解いてみましょう。然しその奥にあるものは、己を正しいと信じ貫き通すだけの物を持たなければ唯のバカにすぎません。
 業技法も、居合の極意も充分修練を積み重ね、何時如何なる変が起ころうとも応じられるに至って、其処で実はその様な業事では無く、常住坐臥(いかなる時でも)この心を持ち、ニ六時中忘れてはならない事が神妙剣である。
 彼れ怒りの色が見える時は、直ぐに是を知って怒りを抑えしむる叡智を身に着け、即座に気を見て納める事が肝要中の肝要である。
 是、戦に至らしめずして勝ちを得るものである。さりながら、我は彼の怒りに臆して謝り(原文は誤)て居る事と心得る時は大いに相違するのである。
 兎に角、彼に負けざる道で、彼の怒りを納める事が出来ない時は、彼を殺さないうちは我も死なないと云う程の道である。
 亦、我が誤っていることを何が何でも正しいと云い張り曲げて勝つのではない、謝るべき筋があるならば直ぐに誤りを正し謝るも勝なのである。
 彼の気を先に知って直ぐに応ずるの道を神妙剣と名付けたのである。委しい事は書面に書きあらわし難い、心覚えの為にその一部を記し置いた。
 如何に武術が優れ、どの様な相手と対しても負ける恐れはないとしても、行き着く所は戦に至らしめずに勝ちを得る事であると云い切っています。
 コミュニケーションの最終手段として武術が用いられるとするのも、いつの時代にも、国と国、個人と個人で行われしかと扱われていたかもしれません。然し突き詰めると一部の権力者が保身の為に用いて来た手段とも取れるものばかりでしょう。
*
 この曽田本に記された最終章は、勝つとは何かを考えさせる一文でもあるでしょう。
 現代居合は長い年月を棒振りしていただけで手に入れた、意味不明の段位の力だけで、人を服従させられると錯覚して、権威を後ろ盾にした権力をもって「段位が欲しければ俺の言う事に従え」と脅し、己の教えや指示が全てである、反論も聞か無いと云う者が見受けられます。
 年月が来て金で買った様な段位が全ての様にして、出来ても居ないのに形ばかり追い懸けて、本物を目指す事も無い者を相手にしていては、未熟者の私など馬鹿らしくなって、こちらから身を引く事となってしまいます。
 
 寄り添うものは前に向かって進む己の心ばかりかも知れません、信じた道を歩く以外に道は無いのでしょう。
 論語に「君子は上達す、小人は下達(かたつ)す」。並以下にもかかわらず、時期が来たのでもらえた段位に、其れも目録程度の印可です。それにもかかわらず俺は最高段位で地位もあり凄い権力がある者だと周囲に睨みを聞かせて、保身に必死な小人を下達と云うのでしょう。業技法は愚か、人間としても小人にいたずらに段位を与える事は何を意味しているのでしょう。
 居合以外に目ぼしい事も無い者が、高段位を手に入れて威張っている、そんなものをほしがる輩がお世辞たらたら走り寄る、哀れです。
 その上高段位の者の演武を見れば、よろよろしていて看取り稽古にもならない。
 指導を受けたら随分前の宗家の動作しか出来なくて、ご宗家の業を「やれ」と云いながら、云う事とやる事がめちゃくちゃです。
 自分が間違っていても、沽券にかかわると謝る事はしない、やれやれ。
 
 曽田本その1の最終章は、神妙剣で終わりますが、続いて「居合兵法の和歌」がどっしりと控えています。
 
 
 
 
 
 

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2018年12月13日 (木)

曾田本その1の8その他原文4神妙剣

曾田本その1
8.その他原文
4、神妙剣
 深キ習二至テハ実ハ事(業 曽田メモ)無シ常二住座臥二有之事二シテニ六時中忘レテ不叶事ナリ彼レ怒ノ色見ユルトキハ直二是ヲ知ッテ怒ヲ抑へシムルノ□知アリ唯々気ヲ見テ治ムル事肝要中ノ肝要也是戦二至ラシメズシテ勝ヲ得ル也去ナカラ我臆而誤テ戻ル事ト心得ル時ハ大二相違スル也い兎角シテ彼レ二負ケサルノ道也止事ヲ得サル時ハ彼ヲ殺サヌ内ハ我レモ不死ノ道也亦我カ誤ヲモ曲ゲテ勝ニワ非す誤ル可キ筋ナレバ直二誤ルモ勝也
 彼カ気ヲ先々二知テスグ二應スル道ヲ神妙剱ト名付ケタル也委シクハ書面二アラワシ尽シ難シ心ヲホヱノ為二其ノ端ンヲ知置ク也
読み
 深き習いに至りては、実は事(業)では無し、常住座臥に之ある事にして二六時中忘れて叶わざる事なり。彼の怒りの色が見ゆる時は直ぐに是を知って怒りを抑えしむる□知あり。唯々気を見て治むる事肝要中の肝要也。是戦に至らしめずして勝ちを得る也。
 去りながら我臆して誤(謝)りて居る事と心得る時は大いに相違する也、兎角して彼に負けざるの道也、止むことを得ざる時は彼を殺さぬ内は我も死なずの道也。
 亦、我が誤りをも曲げて勝には非ず、誤(謝)るべき筋なれば直ぐに誤(謝)るも勝也。
 彼が気を先に知って直ぐに応ずるの道を神妙剣と名付けたる也。委しくは書面に現し尽くし難し、心覚えの為に其の端を記し置く也。

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2018年12月12日 (水)

曾田本その1の8その他読み解く4太刀堅

曾田本その1
8.その他読み解く
4、太刀堅
 甲冑帯シタルトキ人々色々ト刀ヲカラメ堅ムル也甚抜キ難シコゝ二太刀堅メトテヨキ堅一ツ有□ノ緒ノ如ク中二布ヲ入レ上ヲ絹ニテ縫包ミ長ケ六尺計ニテ具足櫃二入レ置クベシ
*
Img_1592_2
*
扨刀ノ紐ヲ腰二當右脇ニテ留メ上帯ヲシテ其上帯一重ニテ彼ノ堅メノ見ヱヌ様二覆ヒ置也脇差ハ上帯皆へ常ノ如ク二指スベシ扨刀ヲヌクニ自由二〆抜易シ或ハ切岸亦ハ塀抔ヲ乗ル時刀ヲ背ヲゝニモ宜し其侭刀ヲ後二引廻し下緒ヲ肩二掛テ乗時ハツカユル事ナシ此ノ堅メ至〆佳ナリ
読み及び読み解く
 甲冑を帯したる時、人々色々刀を絡め堅めるものである、甚だ抜き難い、ここに太刀堅めと云って良い堅め方が一つある。
 □の緒の如く中に布を入れて上を絹にて縫い包み、長け六尺ばかりにして具足櫃に入れて置くのである。
 扨、刀の紐を左の腰に當てて右脇にて留める、其の上に上帯をしめて、その上帯一重の所で彼の堅めの見えない様に覆って置く。
 脇指は上帯を皆締めて、常の如く帯一枚上の処に指すのである。扨、刀を抜くのに自由にして抜き易いものである。
 或いは、切岸亦は塀などを乗り越える時、刀を背負うによく、其の侭刀を後に引き廻し下緒を肩に掛けて乗る時は閊える事は無い。この堅め至って佳いものである。
 この太刀堅の図から連想するのは、戦国時代後期には刀は差す様になり、江戸期では刀を腰帯に吊るす方法は見られなくなったようです。これは刀を帯びると云う方法で太刀を吊るす方法を思い描きます。
 太刀堅を鞘に付けた図が「クワノコ?」の文字でありますが其れを右腰で結んだのでしょう。太刀は図とは逆に刃部が下向きになる筈です。
参考
 居合心持肝要之大事付大小指違之事より
 大小指違と云うは、世人脇差を帯二重に指し刀を三重に指すなり、居合の方にては二重に刀を指し三重に脇を差す也、敵に出合いたる時大小を筋違へて脇差をば下ろし指しにして刀を抜き戦うべし、然る時は脇差の柄まぎる事無し、亦刀の鞘の鐺跳ねる故に足を打つ事無く働きの自由宜し常に此の如く指すべし。

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2018年12月11日 (火)

曾田本その1の8その他原文4太刀堅

曾田本その1
8.その他原文
4、太刀堅
 甲冑帯シタルトキ人々色々ト刀ヲカラメ堅ムル也甚抜キ難シコゝ二太刀堅メトテヨキ堅一ツ有□ノ緒ノ如ク中二布ヲ入レ上ヲ絹ニテ縫包ミ長(タケ)ケ六尺計ニテ具足櫃二入レ置クベシ
○扨刀ノ紐ヲ腰二當右脇ニテ留メ上帯ヲシテ其上帯一重ニテ彼ノ堅メノ見ヱヌ様二覆ヒ置也脇差ハ上帯皆ヘ常ノ如ク二指スベシ扨刀ヲ抜クニ自由二〆抜易シ或ハ切岸亦ハ塀抔ヲ乗ル時刀ヲ背ヲゝ二モ宜シ其侭刀ヲ後二引廻シ下緒ヲ肩二掛テ乗時ハツカユル事ナシ此ノ堅メ至〆佳ナリ
* 
Img_1592 
*
読み
 甲冑を帯したる時、人々色々刀を絡め堅むる也、甚だ抜き難し。ここに太刀堅めと云って良い堅めが一つある。
 □(判読不能)の緒の様に中に布を入れ、上を絹にて縫い包んで長さは六尺ばかりにして具足櫃に入れて置くべし。
 さて刀の紐を腰にあて右脇にて留め、其の上から上帯を締める、その上帯一重にして彼の堅めの見えない様に覆って置く也、脇差は上帯の皆へ常の如く指すべし。 さて、刀を抜くのに自由にして抜きやすし。或いは切岸又は塀などを乗り越える時、刀を背負うにも宜しい、そのまま刀を後に引き廻し、下緒を肩に掛けて乗る時は閊える事は無い、此の堅め至って佳き也。

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2018年12月10日 (月)

曾田本その1の8その他読み解く3羽織

曾田本その1
8.その他読み解く
4、羽織
 介錯ノ時麻上下ノ上二羽織ヲ着ル血飛故也夫故常二上下ノ上二羽織ハキロウ也
読み及び読み解く
 介錯の時、麻上下(裃)の上に羽織を着る、血が飛び裃を汚すからである。それ故に何時もの登城の時などでは、忌み嫌って裃の上に羽織を着るのを嫌うのである。
 介錯の一連の教えは、江戸時代の武家社会に於けるお話しとして、通り過ごすのも良いかも知れません。
 しかし、無調法なので仕来たりの作法は出来ませんと、断る根底に介錯は武士のやるべき事ではないという思いがあって断る事が本来でしょう。現代社会でも何でも請け負うばかりが良いとは言えません。
 自分の意に反する事は、やるべきでは無いでしょう。真正面からやりたくないからごめんなさいでは角が立ってつながらなくなります。
 そこで無調法ですから仰せの通りは出来ませんので、御断りをと下手に出る。それでもと云う事であれば自分の思う存分の働きをすればいい。と言えるかもしれません。
 意に反することをそんな事でやらなければならない状況は無さそうでもあり、尻尾を振るのが好きな人には有りそうにも思います。
 まだまだ、頭越しに命じて来る事もありそうです。嫌ならやめればいい、というのも一つですが、それによってやりたいこともやれなくなるのも、有りそうです。NOと云えな情けない自分を捨てていくには覚悟もいるものです。
 裃の上に羽織を着ないは、介錯の際裃の上に羽織を着るので、普段は裃の上には羽織を着ないと云う心持ちも理解できます。
 それ程の事なのに、古伝の大森流居合之事の7本目順刀は介錯であるとの証しは何処にも見いだせないのです。江戸末期辺りに、替え業が業毎に幾つも行われていたかもしれません。
 その一つが、順刀を介錯に変えて行ったかもしれません。介錯の運剣を何の疑問も無く教えられたとおりに、稽古することに、此の業を稽古日毎にせっせとやっていたことの不思議を今更ながら思い描いています。
 敢えて言えば、自分の犯した非は、自分で腹を斬り、とどめは理解してくれる人に頼んで果てる潔さを持てよと教えているのか、その苦しみを少しでも和らげてやる思いやりを心に持てよと教えているのか。
 平家物語などを読んでいますと、平安末期の武士は戦いに敗れて自ら腹を斬り、頸動脈を切って果てています。
 首取は勝ったものの誉として大将に献上されたものでしょう。
 大森流居合の7本目順刀は「右足を立て左足を引といっしょに立ち抜き打つ也、又は八相に切り跡は前(流刀)に同じ」で介錯の運剣の裁きと一緒ですが、抜刀術としては素晴らしい業となるものです。
 しかし7本目順刀の次は8本目逆刀の初動は、向こうより切って懸るを先々に廻り「抜き打ちに切る」です、其の動作は7本目順刀と同様でしょう。
 順刀には敵の切って懸かる動作に応じる事が何も書かれていないので、これは一方的に抜き打つ動作と捉えられます。だから介錯なんだと云う事も成り立ちそうです。
 だがしかし、一本目初発刀も左刀、右刀、當刀もそして陽進陰退も敵の仕懸けて来る動作は記述されていませんから、一方的な仕かけも古伝には大いにありでいいのでしょう。
 証明できるものは何処にも無い事ですから、大江先生、細川先生系統は現代居合として介錯は順刀として何の疑問も無く稽古すればいい事です。
 但し、古伝を学ぶ者は、上に抜き上げて斬り下ろす抜刀術も心掛けてもおかしな事では無いでしょう。
 古伝神傳流秘書抜刀心持之事には抜刀があります。
 「歩ミ行中に抜打二切敵を先二打心也」
 大森流居合之事には順刀
 「右足を立左足を引と一処に立抜打也又ハ八相二切跡は前二同之」
 全剣連居合の12本目抜き打ち
 「相対して直立している前方の敵が、突然、切りかかって来るのを、刀を抜き上げながら退いて敵の刀に空を切らせ、さらに真っ向から切り下ろして勝つ」
 全居連の刀法二本目前後切
 「敵我が真向に斬込み来るを受流すや顔面に双手上段から斬附け、直ちに後敵の真向に斬下し、更に前敵の真向に斬下して勝つ」
 この前後切の参考にした業は無外流の連です。
 「理合 前後に敵を受けた場合で、先ず前敵の眉間に諸手で抜きつけ、後ろを振り向くや、後敵を真向に斬り下ろして仕留める」
 動作はさして違いの無いものと思います。どの様な状況下でこの業を繰り出すのかがポイントでしょう。
 敵の害意とは、我が果たすべき事は、何時も我に斬られるへぼばかりが居合の仮想敵でしょうか。
 
 

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2018年12月 9日 (日)

曾田本その1の8その他原文3羽織

曾田本その1
8.その他原文
3、羽織
 介錯ノ時麻上下ノ上二羽織ヲ着ル血飛故也夫故常二上下ノ上二羽織ハキロウ也
読み
 介錯の時麻上下の上に羽織を着る、血が飛ぶ故也、夫れ故に常には上下の上に羽織は嫌う也。

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2018年12月 8日 (土)

曾田本その1の8その他読み解く2紐皮を掛る

曾田本その1
8.その他読み解く
2、紐皮を掛る
 他流ニテ紐皮ヲ掛ルト云事
 仰向ニ倒ルゝヲ嫌テヒモ皮ヲ残スト云説ヲ設ケタル見ヱタリ當流二テハ前二云所ノ傳有故二譬如何様二倒ルゝ共失二非ス其上紐皮ヲノコス手心何トシテ覚ラルベキヤ當流二テハ若シ紐皮カゝリタラバ其ノ侭ハ子切ルベシサッパリト両断二ナシ少シモ疑ノ心残ラサル様二スル事是古伝也
読み及び読み解く
 他流では切腹者の首を斬った時、首の皮を残す「紐皮を残す」という説を設けて居るやに見える。首を斬ると、仰向けに倒れるのを嫌い、紐皮を残し頭の重さで後ろに倒れないようにする作法を云うのです。
 そんな作法を設けて居る様な流派も有ろうが當流では、前項に有る様に「無調法に御座候但し放討ならば望所に御座候」と介錯をお断りするのが前提で、何としても介錯せよとの事ならば、作法に拘わらず、紐皮を残せなくとも作法を失する事にはならないと当流の仕方を述べています。
 従って事前に断っておくことで、譬え如何様に倒れても作法を失する事にはならない。その上紐皮を残す手心など、どの様な事をして悟り得られるだろうか。
 当流では若し紐皮に刃先が掛かったならば其の侭、はね切って、サッパリと両断して少しも疑いの心を残さない様にする事、これが古伝である。
 古武士の風格を残す教えですが、この前提には介錯などは武士の役割ではない、何故ならば死人を切るのと変わらない事で武士の誉にはならない、という思いがあると思われます。
 従って介錯の作法は「無調法」なので望まれる様には出来ないと断りをする事、それでもと云う事であれば、請ければ良い。先に断っているので作法を失する事は無いと云うわけです。
 作法の一つに首を斬った時、仰向けに倒れないように首の皮一枚残すべきと云う事があるが、当流では斬った際に紐皮に至ってもサッパリと斬り落しそれが当流の仕方であるともいいます。
 紐皮を残す手心はどうやって覚のか知らん、と開き直っている様です。
 

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2018年12月 7日 (金)

曾田本その1の8その他原文2紐皮を掛る

曾田本その1
8.その他原文
2、紐皮を掛ける
 他流ニテ紐皮ヲ掛ルト云ウ事
 仰向ニ倒ルゝヲ嫌テヒモ皮ヲ残スト云説ヲ設ケタル見ヱタリ當流ニテハ前二云所ノ傳有故二譬如何様二倒ルゝ共失二非ス其上紐皮ヲノコス手心何トシテ覚ラルベキヤ當流二テハ若シ紐皮カゝリタラバ其ノ侭ハ子切ルベシサッパリト両断二ナシ少シモ疑ノ心残ラサル様二スル事是古伝ナリ
読み
 他流にて紐皮を掛けると云う事
 仰向けに倒るゝを嫌いて紐皮を残すと云う説を設けたるを見えたり、當流にては前に云う所の伝有り、故に如何様に倒るゝとも失にあらず。
 その上紐皮を残す手心何として覚らるべきや、當流にては若し紐皮かゝりたらば其の侭はね切るべし、サッパリと両断になし少しも疑いの心残らざる様にする事是古伝なり。

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2018年12月 6日 (木)

曾田本その1の8その他読み解く1介錯口伝

曾田本その1
8.その他読み解く
1、介錯口伝
 古代ニハ介錯ヲコノマズ其故ハ介錯ヲ武士ノ役ト心得ベカラス死人ヲ切ル二異ナラス故二介錯申付ラルゝ時二請二秘事有リ介錯二於テハ無調法二御座候但シ放討ナラバ望所二御座候ト可申何分介錯仕レト有ラバ此上ハ介錯スベシ作法二掛ルベカラズ譬切損シタリトモ初メニコトワリ置タル故失二非ス秘事也能覚悟スベシ
読み及び読み解く
 介錯に就いての口伝、古代には介錯を好まなかった、其れは介錯を武士の役目であると心得ていない、死人を切るのと異なる事は無く名誉とは思わなかったからである。
 介錯を申し付けられた時は、請けるには秘事がある、「介錯に於いては無調法に御座候、但し放打ちならば望む所に御座候」と申すのである。
 「何分介錯仕れと有らば此の上は介錯すべし」、譬え切り損じても、初めに断っているので作法に拘わらず礼を失するには当たらない。秘事である、能く覚悟(悟り覚える)ものである。
* 
 介錯の歴史に付いては、興味のある方にお任せします。事実か否かに拘わらず、武士は死人同様の据者を切るのは意に非ずと言う事でしょう。
 戦場での首取とは違い、切腹を仰せつかった者への介錯人の命令、あるいはその者からの所望などあるのでしょう。
 とにかく「無調法」と云って断る事、それでもと云うのであれば、無調法を断ってあるので堂々と役目を果たせと云うのです。
 介錯の業を第17代大江正路先生は大森流居合(正座之部)の七本目に組み入れています。
 古伝神伝流秘書の大森流居合之事には七本目に「順刀」と有って以下の様です。
 「右足を立左足を引と一処に立抜打也又は八相に切跡は前に同じ」
 何処にも、介錯の方法である事が文面からは見出せません。
 大森六郎左衛門の大森流に介錯の仕方を敢えて入れる必要は無いと思われますので、これは、左足を引き立ち上がって抜刀するや、その足踏みのまま、片手で真向に打ち込む、あるいは、左手を添えて八相に切り下ろす、凄まじい業を想像させます。
 神傳流秘書より後のものと思われますが安永五年1776年第12代林益之丞政誠が書き、嘉永五年1852年に第15代谷村亀之丞自雄による英信流目録の大森流居合之位7本目順刀は以下の様です。
 「是は座したる前のものを切る心持なり我は其の侭右より立すっと引抜かたより筋違に切る也是も同じく跡は脛へ置き逆手にとり納る也」
 是も介錯の仕方を示唆する文言は見当たりません。すっと立つや刀を抜き取り、筋違いに切るは、八相に切るでしょう。
 「・・座したる前のものを切る心持ち・・」の文言が解釈を思わせるかも知れません。
 しかし、現代居合の介錯を思わせるのは、大森流7本目は介錯として何の疑いも無く学んで来たためでしょう。古伝は抜けがあって、抜けた所は口伝により学ぶのが一般的です。口伝に介錯が隠されていたかもしれません。
 私は抜刀法として居合の業と思います。なぜなら土佐の居合は介錯は無調法だから断れと云っています。紐皮一枚残す技なんか持ち合わせていないと云うのです。
 既に証明のしようは有りません。
 細川義昌先生系統の無双神傳抜刀術兵法尾形郷一貫心先生の大森流之部7本目順刀
 「(介錯すること)正面に向ひ切腹する者の左側へT字形に三尺位離れて正座し(知人之善人の介錯を頼まれたる場合は慣れぬ事故若し切損じがありましても御免を蒙るとの挨拶をするを礼とす) 
 機を見て鯉口を切り右手を柄に掛け、右足を少し右前へ踏出し其方向へ刀を静かに引抜き(抜き払はぬ事)立上りつつ右足を退き左足に踏揃へ体を引起し、直立の姿勢となりつつ刀尖を左後へ突込む様に右手を上げて頭上を越させ、血振ひする直前の様に(右肩後へ釣下げて待つ)
 切腹者が(介錯頼むと)両手を前につかえると同時に右足を踏出しつつ(悪人の首を切る場合は右足を前へどんと音のする様に踏出し其の音は斬られる者の心気を一転させ)(怨霊を去る口伝)刃部を左斜下へ向け、体を前掛に(右片手にて)大きく斬込み(首を落とす)、斬込むと同時に左手で柄頭を握り諸手となる。
 左足を一歩退き、左拳を左斜上へ突出し(刃部を向フへ向け)刀尖を右膝頭上へ引付け(懐紙を出して血のりを拭ふは略す)右手を逆手に執りかへ、刀を振り返して納めつつ左膝を跪くと同時に納め終る(血振ひせぬ事)」
 大江先生と細川義昌は同門で下村茂市定(下村派)より指導を受けています。時代背景から大江先生は大森流だけは下村茂市から充分手ほどきを受けているでしょう。此処では介錯の運剣を述べられています。
 第17代大江正路先生の正座之部7本目介錯
 「正面に向きて正座、右足を少しく前へ出しつゝ、刀を静に上に抜き、刀尖が鞘と離るゝや右足を後へ充分引き、中腰となり、刀を右手の一手に支へ、右肩上にて刀尖を下し、斜の形状とす、右足を再び前方に出し上體を稍前方に屈し刀を肩上より斜方向に真直に打下して、前の首を斬る。血拭は足踏のまま六番(受流)と同じ様に刀を納む。」
 細かい所を除けば、細川義昌先生と大江正路先生の動作は、同じと云えるでしょう。
 右足を前に踏み出しつつ刀を抜いて立上り、左足に踏揃え直立体になるのが尾形先生、右足を後へ充分引き中腰と成るのが大江先生。
 現代居合では、中腰になっていない人の方が多そうです。
 いずれにしても、大森流居合之事の順当は江戸末期より明治になって介錯の運剣動作と特定されてしまったと思われます。
 私は、大森六郎左衛門が真陰流から独創するに当たり、大森流居合に介錯の仕方を入れたのかどうか疑問に思っています。
 鞘の内による抜刀の妙は介錯には必要ないものでしょう。居合に介錯の心持ちを持つ事も意味があるのでしょうか。
 現代居合では「介錯」は正式な演武会では演じてはならない留め業です。
 介錯口伝と大森流7本目順刀を重ねる気にはならない、順刀は居合の心持ちで稽古して極めるのも間違いではない、寧ろ介錯の刀法とする方がおかしいばかりです。現代居合は江戸末期から明治にかけて多くを失って大江正路先生の仕方に随っています。言われたまま稽古する安逸な不心得を見直すことも大切でもあるでしょう。

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2018年12月 5日 (水)

曾田本その1の8その他原文1介錯口伝

曾田本その1
8.その他
1、介錯口伝
 古代ニハ介錯ヲコノマズ其故ハ介錯ヲ武士ノ役ト心得ベカラス死人ヲ切ル二異ナラス故二介錯申付ラルゝ時二請二秘事有リ介錯二於テハ無調法二御座候但シ放討ナラバ望所二御座候ト可申何分介錯仕レト有ラバ此上ハ介錯スベシ作法二掛ルベカラズ譬切損シタリトモ始メ二コトワリ置タル故失二非ス秘事也能覚悟スベシ
読み
 古代には介錯を好まず其の故は、介錯を武士の役と心得うべからず、死人を切るに異ならず、故に介錯を申し付けらるゝ時に秘事有り。
 介錯に於いては、「無調法に御座候但し放し討ちならば望む所に御座候」と申し「何分介錯仕れ(つかまつれ)と有らば介錯すべし、作法に掛かるべからず、譬え切り損じたリともはじめに断り置きたる故失に非ず」秘事也能く覚悟すべし。

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2018年12月 4日 (火)

曾田本その1の7居合兵法極意巻秘訣読み解く29神心八相事3軍中首取様ノ事

曾田本その1
7.居合兵法極意巻秘訣読み解く
29、神心八相事
3軍中首取様ノ事
 軍中首取様ノ事 敵ノ首ヲ取ル二咽ノ方ヘ刀ヲヤリカキ切ルトキハ切レヌ物也切レテモ間ヲ取ルナリ先錣ヲ上へ押シ上ゲウナシヨリ刀ヲ突立首ノ大骨ヲ突切ッテ後刀ヲ踏テフミ切テ一方ノ肉ヲカキ切ルベシ故二上手ノ搔キタル首ハ二刀二切目手際二切レテ有ルトゾ
 以上 居合印可口受之覚終
読み及び読み解く
 軍中に於いての首の取り様の事が語られています。
 敵の首を取るのに、咽の方へ刀を当てて搔き切る時は切れないものである。切れても手間を取るので、まず錣(しころ)を上へ押し上げ項(うなじ)より刀を突き立て首の大骨を突き切って、後、刀を踏んで切って一方の肉を搔き切るのである。
 それ故に上手の人の搔き切った首は、二筋の刀の切れ目があり手際よく切れている、とのことである。
 以上 居合印可口受の覚え書き終わり
 「軍中首取様ノ事・・・・・・・切レテ有ルトゾ」で締められています。この覚えを語ったのは第九代林六大夫守政で覚書したのは第十代林安大夫政詡でしょう。戦場での経験が無い二人でしょうから、経験を語ったとは言えないので、この様に締めたのでしょう。
 この項を書きながら、首を取る事の意味を改めて思いに耽るのでした。ほんの400年前の事なのです。
 日本人同士の殺し合いは、150年前の事であり、若者を戦場に駆り立ててお国の為と云って銃砲に晒したのは、たった73年前の事です。
 そして同様に、戦闘員では無い多くの民間人が無差別殺戮にあったのも73年前の事です。
 それを、戦争を仕掛けなかったらば国が亡びるのだから仕方が無かったと考える人は、73年前までに戦闘員育成教育を受けた方達の頭の中にこびりついている筈です。
 既に国という仕切り線は多くの所で切れています。人としてこの地球に如何に共存して生きていくかが問われている時代でしょう。
 この時代、居合を学ぶ事、更に武術として修錬する事は何なのか、得るものは何かこの道に踏み込んだ人が、一人一人の思いで考え、やるべき事を強い意志をもって貫き通す時代でしょう。付和雷同して安住の地を求めている様な、あるいは思い通りにならないのは社会や誰かさんによって虐げられているなどと暴力を振るうなどは、人頼りもいいとこです。
 此処までの曽田本その1は術理を語ってくれていました。武術の術理は日常生活を全うするにも良い導きを示してくれている事に思い至った方も多かったと思います。
 更にその先にあるものは、「武術は人間のコミュニケーションの最終手段である」事を思いながら、人殺しの武術を昇華出来ればと思いながら、残された曽田本その1を読み進んで行きます。
 

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2018年12月 3日 (月)

曾田本その1の7居合兵法極意巻秘訣原文29神心八相事3軍中首取様ノ事

曾田本その1
7.居合兵法極意巻秘訣原文
29、神心八相事
3軍中首取様ノ事
 軍中首取様ノ事 敵ノ首ヲ取ル二咽ノ方へ刀ヲヤリカキ切ルトキハ切レヌ物也切レテモ手間ヲ取ルナリ先錣ヲ上へ押上ゲウナシヨリ刀ヲ突立首ノ大骨ヲ突切ッテ後刀ヲ踏テフミ切テ一方ノ肉ヲカキ切ルベシ故二上手ノ搔(カ)キタル首ハ二刀二切目手際二切レテ有ルトゾ
 以上 居合印可口受之覚終
読み
 軍中において首取り様の事 敵の首を取るに咽の方へ刀をやり搔き切る時は切れぬもの也 切れても手間を取るなり 先ず錣(しころ)を上へ押上げ項より刀を突き立て首の大骨を突き切って 後刀を踏みて踏み切って一方の肉を搔き切るべし 故に上手の搔きたる首は二刀に切目ありて手際に切れて有るとぞ
 以上 居合印可口受之覚終

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2018年12月 2日 (日)

曽田本その1の7居合兵法極意巻秘訣読み解く29神心八相事2虎乱剱事

曽田本その1
7.居合兵法極意巻秘訣読み解く
29、神心八相事
2虎乱剱事
 虎乱剱事山野幽谷ヲ通ルトキ虎狼抔或ハ手負獅子抔我ヲ目懸テカゝリ来ルトキ場ヲ見合セ前一方明テ三方フサガリタル穴ノ如クノ所二寄ッテ膝ヲ組刀ヲ抜キ切先ヲ向フ二シ右脇ヱ引付テ構ベシ猛獣飛デカゝレバ己ト貫カルゝ也柄を腹へ當テゝ真向フニ構ル事ナカレ猛獣ノイキヲイニテ腹へ強ク當リ不覚ト成ル也
読み及び読み解く
 虎乱剱の事(こらんけんのこと)、山野幽谷を通る時、虎狼などあるいは手負の獅子など我を目掛けて懸かり来る時、其の場の状況を見合せ、前一方が開いていて三方(右左後)が塞がっている穴の様な所に身を寄せて、膝を組んで刀を抜き、切先を前に向けて右脇に柄を引き寄せて構えるのである。
 猛獣が飛び懸って来れば自ずと貫かれるのである。柄を腹に当てゝ真前に切先を付けて構えてはならない。猛獣の勢いによって腹へ強く当たり不覚と成るものである。
 前方から飛び懸って来る相手への応じ方の一つとも広義に解釈できるかなとも取れます。
 日本には江戸時代でも虎、獅子の類は生存していないけれど、この例として凶暴な猛獣の攻撃に応じる方法を述べているのでしょう。
 狼も明治には耐えてしまったようですが、野犬はいたでしょう。
 譬えを猛獣としていますが、一人対大勢などの場合や、集団戦争の様な場合にも、この心得は持つべきものかも知れません。
 前を開けて一方からしか攻めてこれない場取りの重要さを上げて居ます。
 次に刀を前に向けて攻め込んで来ても、相手は多くの死傷者を出す状況と、我はいたずらに逃げ回るのでは逆に隙だらけとなって勝つ事は出来ないと教えているのでしょう。
 更に、敵の攻撃によって自損しない防御と攻撃が一体となった体勢を、低く座して切先を前に向け右脇に絞めて構える事を促しています。
 この場合の坐仕方は、右膝を立て左膝を地に着き踵を挙げた八文字、所謂体構えの立膝でしょう。
 集団での攻防でも背水の陣で逃げ道は無く、前方からしか攻撃を仕掛けて来られない場の取り方まで示しています。

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2018年12月 1日 (土)

曽田本その1の7居合兵法極意巻秘訣原文29神心八相事2虎乱剱事

曽田本その1
7.い合い兵法極意巻秘訣原文
29、神心八相事
2虎乱剱事
 虎乱剱事山野幽谷ヲ通ルトキ虎狼抔或ハ手負獅子抔我ヲ目懸テカゝリ来ルトキ場ヲ見合セ前一方明テ三方フサガリタル穴ノ如クノ所二寄ッテ膝ヲ組刀ヲ抜キ切先ヲ向フニシ右脇ヱ引付テ構ベシ猛獣飛デカゝレバ己レト貫カルゝ也柄ヲ横ヘ當テゝ真向フニ構ル事ナカレ猛獣ノイキヲイニテ腹へ強ク當リ不覚ト成ル也
読み
 虎乱剱事(こらんけんのこと) 山野幽谷を通る時 虎狼抔あるいは手負の獅子抔我を目懸けて掛かり来る時 場を見合せ前一方を開けて三方塞がりたる穴の如くの所に寄って 膝を組み刀を抜き 切先を向こうにし(前に向け)右脇へ引き付けて構えるべし 猛獣が飛んで懸れば己と貫かるゝ也 柄を横へ当てゝ真向に構える事勿れ 猛獣の勢いにて腹へ強く当たり不覚と成る也

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2018年11月30日 (金)

曽田本その1の7居合兵法極意巻秘訣読み解く29神心八相事1手裏剱

曽田本その1
7.居合兵法極意巻秘訣読み解く
29、神心八相事
1手裏剣
○柄口六寸  敵ノ柄口也
○軍場太刀
○手裏剱
 手裏剱他流ニテ敵二刀ヲ投付タルヲ手裏剱ト云當流ニテ云所ハ別也敵ノ透間ヲ見テカタ手ヲハナシテ敵ノ面二突込ムナリ亦互二ユキ合二我ハ片手ヲハナシノリニテスグ二突込ム也躰ハ自然二ヒトヱ身二成ル也敵太刀ヲ下スト云へ共我太刀ニテカラリト避ル心持アリ鎗二突手ナシ剱術二切手ナシ云是也大イ事故二諸流共二突手ハ仕組二アラワサゞルナリ手裏剱ト軍場ノ剱似タレ共心二甚違フ
読み及び読み解く
 先ず「神心八相」を「神心入相」と読んでみました、意味は「神の心を相いれる事」でしょう。
 河野百錬先生の無双直伝英信流居合兵法叢書では「神心八相事」と書かれています。「かみごころはっそうのこと」と読んだのでしょう。曽田先生の癖字は、雰囲気が「八」と「入」が似ています。
 「入」は左の払いの上に右払いがすき間なく付いて乗っていますが、「八」は左払いの上に離れて右払いが書かれています。この写本では「入」にしか見えません。
 木村栄寿先生の昭和63年再版「林崎抜刀術兵法夢想神傳重信流伝書集及び業手付解説」では、居合兵法極意巻秘訣印可部に「神心八相事」とP82に読み取られて、河野先生同様にされています。
 細川家の原本から借用された伝書であれば、「八相」が正しい書写であるかも知れません。
 極意の秘訣ですから「神心及び釈迦の教えの事」を我が心に極意とすると意味を捉えるものだろうと思います。
 「八相」は、仏教用語にある「釈迦八相」を意味しています、それは釈迦の生涯を意味するもので以下の八相です。
①降兜卒(ごうとそつからこの世に下りて来る)
②託胎(受胎する)
③出胎(生れ出る) 
④出家(家を出る)
⑤降魔(悪魔を降伏)
⑥成道(正覚をひらく)
⑦転法輪
⑧入滅
 その外に八相は「威・厚・清・古・孤・薄・悪・俗」の八つの人相を表わすもので、剣術の八相の構えを想像するものでは無いでしょう。
 しかし「神心と八相の事」のままでは意味が通じません。答えも恐らく古伝を最後まで読み進み、何度も足踏みしながら、其の時の自分のレベルでしか理解し得ないかもしれません。
 土佐の居合には時々思いもよらぬ業名や呼称が付けられています。意味不明な符号程度に読み覚えても良いかも知れません。しかしそこに留まり、自分なりに読み解かなければ先師の教えには届かず、業の決まらない棒振りに明け暮れてしまうでしょう。
手裏剣を読み解く
 手裏剣は他流においては、敵に刀を投げつけたるを以って手裏剣と云う。当流にて云うところは別である。
 敵の構えの透間を見出だすや、両手で柄を握り 構えているその片手を放して敵の顔面に突き込むのである。
 亦、互に行き合う時に我は片手を放し、敵の打ち込む刀に乗って直ぐに突き込むのである。
体は自然と一重身になるものである。
 敵は太刀を振り下ろすと云えども我が太刀にてからりと避ける心持である。槍に突き手なし、剣術に切り手なしと云うのは是である。
 おおいこと故に諸流共に突き手は仕組(組太刀)の業技法に顕わしてはいないものである。手裏剣と軍場の剣とは似ているが其の心には甚だ違う。
 この文章から、動作を付けて業としての術が十分果たせるには、敵の打込みや槍などの突きなども、からりと避けて突き込むと書かれています。「からりと避ける」は「ひらりと避ける」では無さそうです。
 更に、突くには一重身になるのですから敵の打込みも突きも筋を入れ替えて突くのでしょう。
 その上 敵の、槍での突きも切らんとする 打込みも受け乍ら外してしまう極意とも取れます。それを「我は片手を放し「のり」にて直ぐに突き込む」の事が表している様です。
 神の御心や仏の心が無ければ出来るものでは無い、かも知れません。
 
 

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2018年11月29日 (木)

曽田本その1の7居合兵法極意巻秘訣原文29神心入相事1手裏剱

曽田本その1
7.居合兵法極意巻秘訣原文
29、神心入相事
1手裏剱
○柄口六寸  敵ノ柄口也
○軍場太刀
○手裏剱
 手裏剱他流ニテ敵二刀ヲ投付タルヲ手裏剱ト云當流ニテ云所ハ別也敵ノ透間ヲ見テカタ手ヲハナシテ敵ノ面二突込ムナリ亦互二ユキ合二我ハ片手ヲハナシノリニテスグ二突込ム也躰ハ自然二ヒトヱ身二成ル也敵太刀ヲ下スト云へ共我太刀ニテカラリト避ル心持アリ鎗二突手ナシ剱術二切手ナシ云是也大イ事故二諸流共二突手ハ仕組二アラワサザルナリ手裏剱ト軍場ノ剱似タレ共心二甚違フ

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2018年11月28日 (水)

曽田本その1の7居合兵法極意巻秘訣読み解く28中夭之大事11軍場ノ剱

曽田本その1
7.居合兵法極意巻秘訣読み解く
28、中夭之大事
11、軍場ノ剱
 軍場ノ剱鹿相成革具足ハ格別惣而甲冑ハ切ッテハ中々切レ難シ況ヤ心懸ノ武士ハ甲冑の札堅キヲ撰テ着スル故二切ッテハ却而マケヲ取ルベシ我モ能キ鍛ノ甲冑ニテ身ヲフサギタレバ少シモ恐無ク少々切ラレテ成共我ハ敵ノ面二突込ベシ相下シ二下ス所二而切先ハ面二残シスグ二突込ムベシ返々我ハ切ラレテ敵ヲバ突合点肝要也
読み及び読み解く
 軍場の剱(ぐんばのけん・いくさじょうのけん)とは、鹿にて相成る革具足は格別である。
 総じて甲冑は切っては中々切れ難し、況や心掛けの良い武士は、甲冑の札(さね)堅きを選びて着する故に、切っては却って負けを取るであろう。
 我も良き鍛えの甲冑にて身を塞いでいれば少しも恐れなく少々切られても、我は敵の面に突き込のである。
 双方とも刀を相下ろしに下す処、切先は打ち下ろした顔面に残し、すぐに敵の面に突き込むのが良い。
 返すがえす、我は切られて敵をば突くのである。合点する事肝要である。
 軍場の剱についての解説がやっとはっきり理解できました。甲冑は簡単には切れないものであるから、切ったんでは致命傷にならないから負けるよ、と云っています。
  鹿革で堅い札(さね)を使った甲冑を選んで着すこと、そうすれば、少々切られても恐れる事は無い。
 我は切らずに突くのが良いので、双方打ち下ろした時、我は下まで打ち下ろさずに顔面で留めて即座に突き込む事が肝要だ、合点しておくようにと教えています。
 是で命半ばで不慮の死を遂げない様に、如何に心がけるかの極意の数々の教えを終ります。
 一読して、「何だ迷信に過ぎないじゃないか」と、打ち捨てる程度のものとしておくには勿体ない気がして、如何に昔の人であっても、全ての人が証明のない事を信じたかは疑問でした。
 「おおらか」な気持ちで考えて見れば、昨日と違う今日の現象を運勢にこじつけて、為すべきことを全うするために、出がけに今一度心を落ち着かせて、これで良いのかと見直してみる心構えの大切さ、譬え迷信であろうといつもと違う現象に心を落ち着かせる事も極意と云うのかも知れません。
 
 
 

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2018年11月27日 (火)

曽田本その1の7居合兵法極意巻秘訣原文28中夭之大事11軍場ノ剱

曽田本その1
7.居合兵法極意巻秘訣原文
28、中夭之大事
11軍場ノ剱
 軍場ノ剱鹿相成革具足ハ格別惣而甲冑ハ切ッテハ中々切レ難シ況ヤ心懸ノ武士ハ甲冑ノ札堅キヲ撰テ着スル故二キッテハ却而マケヲ取ルベシ我モ能キ鍛ノ甲冑ニテ身ヲフサギタレバ少シモ恐無ク少々切ラレテ成共我ハ敵ノ面二突込ベシ相下シ二下ス所二而切先ハ面二残シスグ二突込ムベシ返々我ハ切ラレテ敵ヲバ突合点肝要也
読み
 軍場ノ剱は、鹿にて相成る具足は格別である、総じて甲冑は切っては中々切れ難し。況や心がけあるの武士は甲冑の札(さね)樫きを選びて着する故に、切っては却って負けを取るべし。
 我も良き鍛えの甲冑にて身を塞ぎたれば少しも恐れ無く、少々切られてなるとも我は敵の面に突き込むべし。
 相下ろしに下す所にて切先は面に残し直ぐに突き込むべし、かえすがえす我は切られて敵をば突く、合点肝要也。

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2018年11月26日 (月)

曽田本その1の7居合兵法極意巻秘訣読み解く28中夭之大事10神明剱

曽田本その1
7.居合兵法極意巻秘訣読み解く
28、中夭之大事
10神明剱
 神妙剱他流二テハ心ヲ明二〆敵ノ働ヲ見ヨト云トハ大二違ヘリ生死ノサカイナレバ平気トハ異リ然共忘ルマジキ事一ツ有リ則柄口六寸也柄口六寸実ハ抜口ノ事に非ス極意ニテ伝ル所ハ敵ノ柄口六寸也カマヱハ如何ニモ有レ敵ト我ト互二打下ロスカシラニテ只我ハ一図二敵ノ柄二打込也先身ヲ敵二ウマウマト振フテ右ノ事ヲ行フ事秘事也是神明剱也
読み及び読み解く
 神明剱について、神妙剱と云ったり神明鏡と云ったりその区別が明確になされているのか同じ事を云っているのかよくわからない処ですが、読み込んでみます。
 神妙剱は他流にては心を明らかにして(しめ)敵の働きを見よと云う、其れとは大いに異なり当流では、生死の境なれば平気とは異なり、然れども忘れる事があってはならない事が一つ有る。
 則ち柄口六寸である。柄口六寸実は刀の抜き口の事では無い。極意によって伝えるところは敵の柄口六寸である。
 構えは如何に有っても、敵と我と互に打ち下す頭にて只我は一図に敵の柄に打ち込むのである。
 先ず、身を敵にうまうまと振る舞い右の柄口六寸の事を行う事は秘事である。是は神明剱である。
 神妙剱は他流では心を明らかにして敵の働きを見て応じるのだと云います。一方当流は、そんな心を明らかになどと云っても生死の境なので平気である筈はない、心は暗闇だと云います。そんな状況でも忘れてならないのは、双方打ち下ろす頭に、我は一図に敵の柄に打ち込むのだと云います。それには、我が身を「只一打ちと打込ます様に振る舞い」我は敵の柄に一図に打ち込むのだとしています。それは秘事であり、神明剱だと云うのです。此処では神明剱と神妙剣は異なる様に思えます。
 あまり拘らずに先に進んでみましょう。少しずつ見えて来るかも知れません。それにしても不明瞭な言い回しです。
 
 

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2018年11月25日 (日)

曽田本その1の7居合兵法極意巻秘訣原文28中夭之大事10神明剱

曽田本その1
7.居合兵法極意巻秘訣原文
28、中夭之大事
10神明剱
 神妙剣他流二テハ心ヲ明二〆敵ノ働ヲ見ヨト云トハ大二違ヘリ生死ノサカイナレバ平気トハ異リ然共忘ルマジキ事一ツ有リ則柄口六寸也柄口六寸実ハ抜口ノ事二非ス極意ニテ伝ル所ハ敵ノ柄口六寸也カマヱハ如何ニモ有レ敵ト我ト互二打下ロスカシラニテ只我ハ一図二敵ノ柄二打込也先我身ヲ敵二ウマウマト振フテ右ノ事ヲ行フ事秘事也是神明剱也
読み
 神妙剱は他流にては、心を明らかにしめ敵の働きを見よと云うとは大いに違えり、生死の境なれば平気とは異なり、然れども忘るまじき事一つ有り、則ち柄口六寸実は抜口の事に非ず、極意にて伝わる所は敵の柄口也。
 構えは如何にも有れ、敵と我と互に打ち下す頭にて只我は一図に敵の柄に打ち込む也。
 先ず我が身を敵にうまうまと振るうて右の事を行う事秘事也、是神明剱也。

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2018年11月24日 (土)

曽田本その1の7居合兵法極意巻秘訣読み解く28中夭之大事9打太刀の心

曽田本その1
7.居合兵法極意巻秘訣読み解く
28、中夭之大事
9打太刀の心
 柄口六寸ノ勝行フ心持常ノ修行二習覚ニハ手近云へバ仕組ノ打太刀ノ心二ナルベシ打太刀ヨリ遣方二非ヲ入レヨク見ユル者也故二カサ二フルマウ事大事也カサ二掛ルノ気ハツカイ形ノ気トナルナリ工夫肝要ナリ心明鏡ノ事
読み及び読み解く
 柄口六寸の勝を行う心持ちは、常の修行で習い覚えるには、手近の事で云えば、仕組み(組太刀)の打太刀の心になるべし。打太刀より遣方に非(隙を?)を入れよく見えるものである。それ故に嵩に振る舞う事大事である、嵩に掛かるの気は遣い方(遣り方)の気となるので工夫肝要である。心明鏡の事である。
 さてこの読み下しでは、厄介です。以下の様に読み解いてみました。
 柄口六寸の勝を取るには、それをふだんの修行で習い覚えるには組太刀の打太刀の心になって遣方に打ち込みやすい非の打ちどころが有ると思わせることである。それ故に嵩に懸かっていく様に振る舞えば、遣方はここぞとばかりに嵩に懸かって来る。そこを逆に柄口六寸に取り勝事で心明鏡のことである。
 雷電刀の極意、「勝事無疵に勝と思うべからず我が身を先ず土壇となして後自然に勝ありその勝つ所は拳也」であれば、非の打ちどころを見せて打込んで来る処に自然に勝つ事を示唆して居ると考えます。
 まさに柳生新陰流の活人剣、剣術の極意でしょう。

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2018年11月23日 (金)

曽田本その1の7居合兵法極意巻秘訣原文28中夭之大事9打太刀ノ心

曽田本その1
7.居合兵法極意巻秘訣原文
28、中夭之外事
9打太刀ノ心
 柄口六寸ノ勝行フ心持常ノ修行二習覚ニハ手近云へバ仕組ノ打太刀ノ心二ナルベシ打太刀ヨリ遣方二非ヲ入レヨク見ユル者也故二カサ二カゝルヲ嫌フ也ガッサリト明テ敵ハ只一ウチト打込マスルヤフ二フルマウ事大事也カサ二掛ルノ気ハツカイ形ノ気トナリ工夫肝要ナリ心明鏡ノ事
読み
 柄口六寸の勝を行う心持ちを、常の修行に習い覚えるには、手近に云えば、仕組みの打太刀の心になるべし。
 打太刀より遣方に非を入れよく見えるものである、ゆえに嵩に懸かるを嫌うなり、がっさりと開けて敵は只一打ちと打込まする様に振る舞う事大事也、嵩に懸かる気は遣方の気となり工夫肝要也。心明鏡の事。

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2018年11月22日 (木)

曽田本その1の7居合兵法極意巻秘訣読み解く28中夭之大事8柄口六寸

曽田本その1
7.居合兵法極意巻秘訣読み解く
28、中夭之大事
8柄口六寸
 雷電剱諸流ノ剱術ノ教皆以我心ヲ明カ二シテ勝ヲ取事ヲ肝要トス當流ノ極意ハ表裏ノ違也敵二向カヱバ如何成人モ心ハクラ闇ト成ルナリ其マホウクラヤミ(真方暗闇 曽田メモ)ノ所ニテ一ツ行フベキ事有則柄口六寸ノ勝也是當流ノ極意也雷電刀ハ惣名二而変而ハ神妙剱トナリ軍場ノ太刀ト成ルナリ
読み及び読み解く
 この項は、前項と同じようなものですが、異なるのは、諸流の剣術は皆、心を明らかにして勝を取るのを肝要としているが、当流は、敵に向かえば、誰でも心は暗闇になるのである、その明暗の表裏の違いである。
 其の真っ暗闇の所で、一つ行うべき事は、則ち柄口六寸の勝、敵の拳に勝つものである。 
 是は当流の極意である、雷電刀は居合の業の総名であって、変じて神妙剱となり軍場ノ太刀となるのである。
 柄口六寸は敵の二星である、柄を握る拳に勝つ事である、と前回解説しました。同様の極意の記述ですが、此処で新たに述べられているのは、他流では敵と相対しても、心を明るく斬られるなど後向きに思わず勝つことが肝要と教えている。それに引き換え当流は敵と対すれば命を無くす事も有ろうと真っ暗になってしまう。と真逆の心理から勝を取るものだと云うのです。
 そのポイントは敵の打ち込んで来る拳に勝つ事なのだと云う事です。恐らくこの教えは大森六郎左衛門の真陰流の教えであろうと思います。
 真陰流は上泉伊勢守信綱によるものでしょう。大森六郎左衛門の真陰流が如何様の物であったかは不明ですが、上泉伊勢守信綱の新陰流でしょう。
 神傳流秘書の大森流居合之事では、前え書に「此の居合と申すは大森六郎左衛門の流也 英信に格段意味相違無き故に話して守政翁(第9代林六郎左衛門守政)之を入れ候。六郎左衛門は守政先生剣術の師也。真陰流也、上泉伊勢守信綱の古流五本の仕形(組太刀)有りと言う」とされています。大森流あるいは無双直伝英信流正座の部は新陰流から大森六郎左衛門が創作したものでしょう。現代の新陰流にはそれらしき形跡は見られませんが、初期の大森流には新陰流と交わるものがあったかもしれません。
 上泉伊勢守信綱が新陰流を創始したのは天文十年代(1541~1550年)と言われます。
 柳生新陰流の柳生宗厳による新陰流截相口伝書事は慶長8年1603年の事と言われます。
 この土佐の居合の古伝神傳流秘書は文政二年1819年に山川幸雅によって書き写されたもので元の原本は無いものと思います。第9代の伝えたものを第10代が書き記したと思われ、1750年以降のものと推察しています。新陰流創設からの200年、柳生新陰流の伝書から150年以上後のものですから、元になったものが何なのかすらわからないと云えます。
 大森六郎左衛門の真陰流が何かはわからないでしょう。しかし土佐の居合の古伝の至る所に現代でも読む事や学ぶ事が出来る新陰流が見え隠れするのに驚いています。

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2018年11月21日 (水)

曽田本その1の7居合兵法極意巻秘訣原文28中夭之大事8柄口六寸

曽田本その1
7.居合兵法極意巻秘訣原文
28、中夭之大事
8柄口六寸
 雷電剱諸流ノ剱術ノ教皆以我心ヲ明カ二シテ勝ヲ取事ヲ肝要トス當流ノ極意ハ表裏ノ違也敵二向カヱバ如何成人モ心ハクラ闇ト成ルナリ其マホウクラヤミ(真方暗闇 曽田メモ)ノ所ニテ一ツ行フベキ事有則柄口六寸ノ勝也是當流ノ極意也雷電刀ハ惣名二而変而ハ神妙剱トナリ軍場ノ太刀ト成ルナリ
読み
 雷電剱は諸流の剣術の教えが皆以て心を明らかにして勝を取る事肝要とす。当流の極意は表裏の違い也。
 敵に向かえば如何なる人も心は暗闇となるなり、其の真方暗闇の所にて一つ行うべき事有り、則ち柄口六寸の勝ちなり。
 是れ当流の極意也、雷電刀は総名にして、変じては神妙剱となり戦場の太刀となるなり。

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2018年11月20日 (火)

第17回古伝研究の集い

土佐の居合 古伝神傳流秘書による古伝研究の集い

第17回古伝研究の集い

 無双直伝英信流居合の古伝神傳流秘書を曽田虎彦先生の直筆本から読み解いて古の居合を研究しています。

 今年は主として大剣取・小太刀之位を古文書を紐解きながら動作に転換してまいりました。17回からは主として大小詰・大小立詰を研究いたします。

 参加していただいた方の師伝が如何様であろうとも、他流や居合以外の武術であろうともそれを参考に古伝の手附から学んでいきます。

 ご参加いただいた方が、夫々「我が師」であることをご認識いただければ幸いです。

ー記ー

1、期日

  第17回:

    平成30年12月13日(木)

    15:00~17:00

    見田記念体育館 多目的室

    ・

    平成31年1月24日(木)

    15:00~17:00

    見田記念体育館 多目的室

2、住所

   見田記念体育館

   248-0014

   神奈川県鎌倉市由比ガ浜2-13-21

   TEL0467-24-1415

 3、アクセス

  ・鎌倉体育館・見田記念体育館

 JR横須賀線・総武線快速(大船乗り換え)

   鎌倉駅東口下車海岸方向へ徒歩10

   鎌倉警察署裏

   (駐車場 鎌倉体育館にあり)

4、費用:会場費等割勘のみ500

5、参加申込: このブログにコメントいただくか直接ご来場ください。

6.研究会名:湘南居合道研修会 鎌倉道場

7、御案内責任者:ミツヒラこと松原昭夫

         平成31年11月20日 訂正記

 

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曽田本その1の7居合兵法極意巻秘訣読み解く28中夭之大事7雷電刀

曽田本その1
7.居合兵法極意巻秘訣読み解く
28、中夭之大事
7雷電刀
 雷電刀ハ惣名也則柄口六寸也変而神妙剱ト成戦場之剱ト成智仁勇備ラザレハ其事(業)行フ事不能智仁勇ノ三徳有ト云へ共眼心足能ク利サレバ勝ヲ取ル事ナラス故二如図配當セル也
 読み及び読み解く
 雷電刀は惣(総)名である、則ち柄口六寸である。変じて神妙剱となる。戦場の剱となる。智仁勇備わざればその事(業)行う事能わず。
 智仁勇の三徳有りと云え共眼心足能く利(キメ 曽田メモ)ざれば勝を取る事ならず、故に図の如く配当せる也。
 この一文は全くこのままでは意味不明の教えであって、失念したまま消えてしまうと思われます。
 雷電刀は総じて居合兵法を指すもので、それは柄口六寸之事である。この事は英信流居合目録秘訣の外之物ノ大事述べられている事から、当流の秘中の秘で「夢うっつの如くの所よりひらりと勝事有、其の勝つ事無疵に勝と思うべからず。我が身を先ず土壇となして後、自然に勝ち有り、其の勝つ所は敵の拳也」と示されています。
 現代居合では拳に勝つ「柄口六寸」の極意は、まず聞かされたことも、業として見せられたことも、当然指導された事も無いものです。
 組太刀の「詰合」は一本目出合は「楽々居合膝に座したる時相手左足を引き下へ抜き付けるを我も左の足を引きて虎の一足の如く抜いて留め・・」と相手の足への斬り込みを我は受けていますが、この可笑しな抜き合わせは一本目から「四本目鱗形」まで続きます。
 「詰合は二星につづまる敵の拳也二星一文字と云う時は敵の拳を抜払う事也惣じて拳を勝事極意也」とされ、詰合の稽古は手附に拘らず奥へ奥へと踏み込むことを示唆しています。
*
Img_1593
添付写真の図は曽田本に付されたものです。
左から(上から)
観音・弁財天・勢至 是れ三つは尊き具足也
智・仁・勇
雷電剱・神妙剣・軍馬剱
眼・心・足
 

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2018年11月19日 (月)

第六回違師伝交流稽古会を終えて

第六回違師伝交流稽古会を終えて
 ミツヒラブログを発端として、同じ無双直伝英信流でもその師伝の異なる方々との交流稽古会をいつの間にか第六回を迎えました。
 11月17日は雨かも知れない、と天気予報に敏感になっていたのですが、良い天気に恵まれ新幹線からの富士山も雪を被って光っています。
 
 新神戸駅で12時に全員集合できました。
 
 違師伝交流稽古会は第一回は大森流・第二回は英信流・第三回は太刀打・第四回は小太刀之位・第五回は詰合と続けて来ました。
 恐らく、無双直伝英信流を業ずる方は、最初に師と仰いだ師匠の業技法に捉われその範囲を超える事も、消化する事も昇華することも出来ず、初代関東地区連盟会長の太田次吉先生の言われる「弟子たる者師匠の出来ない事でもやれ」すら聞かされる事も無く「師匠の言う通りやっていればいい」と言われたままその形のみを励んでおられる事でしょう。
 そして、勝手な解釈をして「昔はこうだった」といじくりまわして出鱈目な居合を良しとしているのでしょう。
 第六回は大剣取、古伝を片手に師伝により身に着けた業技法を元としながら、古伝の文言を解釈して業技法を復元し、志のある方達と己の解釈とそれによる技法の実技演武を二日間に亘り行いました。
 
 大剣取は信頼できる業手付の解説書は、政岡壱實先生の無双直伝英信流居合兵法地之巻位でしょう。之には仕打の攻防の方法及び写真も付されています。
 解説の無い古伝の文言は、曽田虎彦先生から神傳流秘書を送られた河野百錬先生の無双直伝英信流居合兵法叢書、細川義昌先生の伝授された伝書による木村栄寿先生の林崎抜刀術兵法夢想神傳重信流伝書集及び業手付解説の目録口伝和口伝居合兵法極意書「和大剱捕軍場組附」に見られます。何れも絶版で国会図書館辺りでしか手にする事は難しいと思います。
 他に見るべきものは見当たりません。
 何処かで打たれてビデオ撮りされyoutubeに投稿されているかと探すのですが見当たりません。あったとしても古伝の解釈であるか疑問です。
 無双直伝英信流の組太刀は太刀打之事・詰合・大小詰・大小立詰・大剣取が順番になっています。
 現代居合では古伝の太刀打之事すら打てず大江先生が中学生向きに改変した無双直伝英信流居合之型を太刀打之位と称して可笑しなものを七本打っているのがせいぜいです。
 横道にそれましたが、古伝を解釈して今に伝えているのは政岡壱實先生の地之巻をバイブルとされる方のみが政岡先生解釈の大剣取を打たれておられると思います。
 せっかく残された木村栄寿本も河野百錬本も本立ての隅に埋もれていたり、遺族の方が捨ててしまったりしているのでしょう。それらの貴重な資料すら知らないお偉いさんがごろごろおられて権威を嵩に権力を振りかざしているのも哀れです。
 私達古伝研究会のメンバーは政岡先生の大剣取りを充分研究した上、古伝の文言に従って一字一句も見逃さず、自分達の力量の精一杯を出し合ってこの違師伝交流稽古会に臨みました。
 古伝研究会そのものも、違師伝の方達の集まりであり、合気道も、古流剣術も学び、同じ無双直伝英信流も師匠も流派も連盟も異なる方達による研究会なのです。
 従って解釈も業技法も異なります。それでも「こうであろう」という一致は見出して行かれるものです。
 そして、一つの方向を見出し、違師伝交流稽古会に臨んで行きました。
 大剣取は無双直伝英信流の居合から剣術に至り、極意の柄口六寸を身に着け更に無刀に至る門口に立つ業技法の修得を目的とするすさまじい業です。
 交流稽古会は、居合の所属年数や段位に少しも拘らず、まして男女や年齢も拘る事はありません。
 同じ古伝のたった二行ほどの文言から、業を繰り出してゆきます。
 参加者は大きく三団体に別れますので三ケ所の解釈による模範演武を拝見し、何故その様に解釈したかの説明をいただきます。
 批判はしてもその理由に納得し否定はしない、これは交流稽古の鉄則でしょう。とことん稽古された中から生み出されたものは、稽古もしていない者に否定できるわけはないものです。
 説明を受ければ納得です。模範演武を拝見して早速夫々組を作って研究会です。経験や力量に応じてそれぞれの業技法を学んでみます。
 形だけでも簡単に出来ませんし、まして術が決まるには十分な修練が必要です。
 自分達の研究したものとの違いから気付く事も多く改正の糸口も広がります。
 初心の方はきっと、一本目の極意技「相手居合膝に坐し居る處へ小太刀をさげかくる相手抜き打つを放し入りてさす」の抜き付けられて避ける事からつまづくことになります。
 しかし、あきらめずに繰り返すうちに何とかなり始めるものです。
 一本の業を一時間程かけて学ぶ、しかもベテランも初心者も同じ事を体感し稽古することは素晴らしい事です。
 身に着けた方から手ほどきを受けて即座に開眼する事も、頭で解っても体が理解できないもどかしさも、すべて良い経験として古伝を学ぶ切っ掛けが得られた事でしょう。
 二日間、ひたすら学ぶ姿は素敵です。
 教わる事は教える事、教える事は学ぶ事。
 自らそれを再認識した素晴らしい二日間でした。
 来年の違師伝交流稽古会の課題は、大小詰・大小立詰の研究会となります。明治以来特定の先生の系統として演じて固執して来た無双直伝英信流の業技法を、同流他派の方達と素直な気持ちで学び直すなど私達だけの至福の一時です。
 師伝をより完成させ昇華できれば「弟子たる者師匠の出来ない事でもやれ」の大きな心に近づいて行けるのかも知れません。
 参加された皆様ありがとうございました。
 帰路につく新神戸駅近くの布引ハーブ園のロープウエーから眺める神戸の街、海の向こうに見える陸地と、茜に染まる空に、何時までも同じままでは無い自然の有り様を思う時、この道を歩く勇気が湧いて来るのもうれしい事です。
 
 

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