2020年1月24日 (金)

道歌2古伝神傳流秘書より抜刀心持引歌2の27鞠を蹴る7唱うれば仏も

道歌
2、古伝神傳流秘書より抜刀心持引歌
2の27鞠を蹴る
7唱うれば仏も

敵色々と有りて我を騙すとも油断する事勿れ例えば鞠を蹴るに同じ我が鞠と人の鞠との色をよく見る事也

唱うれハ仏も我も無かりけれ
      南無阿弥陀佛の声計りして
読み
「唱うれば仏も我も無かりけれ南無阿弥陀佛の声ばかりして」お経を唱えてみても仏も我も何処にも無い、南無阿弥陀佛の声ばかりするよ。歌心は神仏を頼みに唱えて見ても、仏も我もどこにも見いだせない、お経の声しか聞こえないよ、無心になる以外に道は開けない。こんな歌心と読んでみましたが、へそ曲がりですから私などは仏に頼る事など考えた事はないのです。とことん稽古するとか勉強して場に臨んでは無心になる以外に己を導く方法など思いつかないのです。
 
 この歌は時宗の一遍上人が修行の際、「唱うれば仏も我も無かりけれ南無阿弥陀佛の声ばかりして」と歌えば、師の心地覚心禅師はまだまだと突っ返してきた。次に「唱うれば仏も我も無かりけれ南無阿弥陀佛なみあみだぶつ」と歌えば「出来た」と許されたという一遍語録にある歌です。
 仏と我が個々に独立した歌は、前の歌で我も仏も一体となって唱えるのが後の歌とされています。仏も我もでは無く我其のものが仏となり一心不乱に無心となる事を示唆しているものです。この歌心を古伝神傳流秘書は居合心のあるべき心としているのです。
 神も仏も日常の生活からいつの間にか、遠のいてしまった様な現代社会においても、様々な場面で学び修行した事が自然に行われるには、頭で考えてから行動するとか、習い覚えた事だけで、頭が一杯になって場に不都合なのに無理やり対処するのでは解決できるわけはありません、どの様な場面でも閃くなかで自然に応じられる修業が求められるのでしょう。
 

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2020年1月23日 (木)

道歌2古伝神傳流秘書より抜刀心持引歌2の26鞠を蹴る6兎に角に

道歌
2、古伝神傳流秘書より抜刀心持引歌
2の26鞠を蹴る
6兎に角に

敵色々と有りて我を騙すとも油断する事勿れ、例えば鞠を蹴るに同じ我が鞠と人の鞠との色をよく見る事也。

兎二角二言ふへき様ハなかりけり
       九重の堂の上のあし志ろ
読み
「兎に角に言うべき様はなかりけり九重の堂の上のあししろ」兎に角言うべきさま(よう)ではない、九重の堂(塔)の上の足代。
 あれやこれやと言うものでは無いでしょう、九重の塔の上に掛かっている工事用の足場ですよ。直訳しましたが、足場は建築が終われば最終的には取り払われるものです。九重の塔の良し悪しをあれこれ言うものではないのです。
 相手は足場を掛ける様にして攻め口を見せて来り、隙を見せてきたりするのですが、本当にやろうとすることは、その奥にある相手の本心でしょう、それを騙されずに読み取るものですよ。

 この歌心を、大江居合の正座之部一本目前で演じるにはどのように、一本目の前を想定するでしょう。
 古伝神傳流秘書の大森流居合之事の一本目初発刀:
「右足を踏み出し向へ抜付け打込み扨血震し立時足を前に踏み揃え右足を引て納る也」

 谷村亀之丞自雄による英信流目録の大森流居合之位一本目初発刀:
「平常の如く坐し居る也右の足を一足ふみ出し抜付打込亦左の足を出し右に揃え血ぶるいをして納むる也血ぶるいの時立也右足を引納る也」

 剣道手ほどきより大江居合の大森流居合一番目前:
「我体を正面に向け正座す、右足を出しつつ刀を抜付け前の敵首を切り更に上段になり同体にて前面の頭上を真直に切り、血拭い刀を納む」

 居合読本より中山博道居合の大森流居合1、初発刀:
「(意義)互に四尺位離れて対座せる時、急に敵の目の附近を横薙に切り付け、相抜きの場合は敵の抜つけし拳に切り込む、倒るる所を直ちに上段より斬る業である。(動作)徐かに両足尖を爪立てつつ左手拇指にて鯉口を切り僅かに外方に傾け右手を以て鍔より五分離して握る。次に右足踵が左膝頭附近に来る如く踏み著来ると同時に刀を抜く、・・・略す」

 河野居合は無雙直傳英信流居合術全より正座之部一本目前:
「正面に正座し十分気の充ちたる時、左手を鯉口に取り拇指にて鯉口おば切る、右手の全指を延したる儘柄に掛けて握り、柄を少し中央に寄せる様にし腰を左にひねりて刀を抜きつつ両足先を爪立て、膝を延び切るや右足を前に踏み出すと同時に刀を抜き払い、・・。略す」

 河野居合の10年後は大日本居合道図譜の正座の部一本目前:
「(意義)正面に対座する敵の害意を察知するや機先を制して其の抜刀せんとする腕より顔面にかけ斬付けんとす・・以下略」

 政岡居合は無雙直傳英信流居合兵法地之巻大森流一本目正面(初発刀):
「(目的)正座して対座せる敵の殺意を感じたので、先んじて「こめかみ」目がけて一文字に抜きつけ、真甲から切り下す動作・・略す」

 相手の心を読めと云うのですが、現代居合の教本は、河野先生の大日本居合道図譜以降は相手の殺意を察して一方的に横一線に相手の腕なり顔面に抜き付けています。然しこれでは害意也殺意であって、相手はまだ何も起していないかもしれません。相手の力量が上であれば、殺意がある如き素振りを、目や肩などに「ふっ」と見せれば我は「ここぞと」柄に手を掛けてしまいそうです。相手は我が動作をゆっくり見ながら、柄頭で相手の中心線を攻めるそぶりの瞬間、我に一瞬で抜き付けて来る筈です。むしろ読まれてしまうものです。ひどいのは、我が「十分気の充ちたる時、左手を鯉口に取り」などであれば、笑いながら斬られてしまうでしょう。

 形(かたち)の稽古ばかりに終始していたのでは、古伝の伝承者には程遠い者と云えるかもしれません。神傳流秘書の構成は、初めに抜刀心持引き歌で居合の何たるかをズバリと教えて来ます。次に業技法、所謂居合の形を見せ、それを十分一人で形通りに抜けるようになったところで、武術的素養を仕組みと称する組太刀で習わせ、無刀に至る体裁きを身に付けさせる構成になっています。補足は寧ろこれが奥義と云える極意を伝えて来ます。従って、抜刀心持引歌は初心の者は当然のことながら、には棒振りの順番を習っただけですから、歌の詠まれている意味は読み取っても、其の居合心に至れるかは稽古の仕方を考えて自得する以外に無さそうです。 
 

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2020年1月22日 (水)

道歌2古伝神傳流秘書より抜刀心持引歌2の25鞠を蹴る5引きよせて

道歌
2、古伝神傳流秘書より抜刀心持引歌
2の25鞠を蹴る
5引きよせて

敵色々と有りて我を騙すとも油断する事勿れ例えば鞠を蹴るに同じ我が鞠と人の鞠との色を良く見る事也

引よせて結へば柴の庵尓て
     解れハ本の野原なりけり

読み
「引き寄せて結べば柴の庵にて解ければ元の野原なりけり」引き寄せて束を結べば柴の庵になるのだが、解けてしまえば元の野原ですよ。人の縁も結ばれている時は家族であったり親子で会ったりしますが、縁が解けてしまえば元の野原同前になるものです、縁とはそのようなものです。と歌っています。
 夫婦であれ、どちらかが亡くなってしまえば己一人となってしまいます。頼るべきものもないものです、無心になって相手の心を読み取って我が身一つで応じるばかりです。歌心はこんな風に聞こえて来ます。親子夫婦であれば、その思いは亡くなっても強く思い出されますし、こんな時はあんな風に考えてこうするだろうと想像もされるでしょう。然し一時の集まりでの事ではそうもいかないもので、よほど心に残る事も無ければ、柴の庵かも知れません。
 とやかくして守りを固めて見たとしても、相手の仕掛けで守りが解けてしまえば無に帰すばかりですよ、無心になって相手の仕掛けに自然に応じたらいかが、と聞こえてきます。
 

 

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2020年1月21日 (火)

道歌2古伝神傳流秘書より抜刀心持引歌2の24鞠を蹴る4打解けて

道歌
2、古伝神傳流秘書より抜刀心持引歌
2の24鞠を蹴る
4打解けて

敵色々と有りて我を騙すとも油断する事勿れ例えば鞠を蹴るに同じ我が鞠と人の鞠との色をよく見る事也

打解けてねるが中なる心古そ
      誠の我を顕はしにけり

読み
「打ち解けて寝るが仲なる心こそ誠の我をあらわしにけり」打ち解けて心を許し合って寝る様な仲になって初めて本当の自分を見せる事が出来るものだ。

 この歌の上の句の意味を、男女の仲ととらえて寝る様な仲とするのでは、艶めかしい気がして「はてな?」ですが、それも誠の心をあらわす仲の事でもあるでしょう。比喩としては解りやすいが、違う方向に気が行ってしまいそうです。
 此処では、敵、味方の区別なく心を無心にして立合うことが出来れば、誠の我を晒す事も出来て相手の心も読めて来る。と歌うのでしょう、前書きの「我が鞠と人の鞠との色をよく見る事」とは相手の「誠の心の色を読め」という事でしょう。
 それには、この居合の心持ちとして「我が身を先ず土壇と為して後、自然に勝有り」とあります、その居合心持肝要之大事で「敵と立合い兎やせん角やせんと企む事甚だ嫌う。況や敵を見こなし、彼が角打出すべし其の所を此の如く勝たんなど巧む事甚だ悪しゝ、先ず我が身を敵の土壇と極め、何心なく出べし。敵打出す所にてチラリと気写りて(移りて 原本)勝事也。常の稽古にも思い案じ企む事を嫌う。能々此の念を去り修行する事肝要中の肝要也」
 此処でも、沢庵の云う「事理を極め無心になる」思想が垣間見られます。順番通りの形稽古に明け暮れていても上手な武的演舞は出来ても武術にはなりそうにも有りません。
 術理を極め、業技法に精通し、状況に応じて自然に技が繰り出されるには、無心にならざるを得ないでしょう。日常の生活の中にも大なり小なり自然に行われている事でもありますが、武術と構えてしまうと、情けないほど未熟です。

 

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2020年1月20日 (月)

道歌2古伝神傳流秘書より抜刀心持引歌2の23鞠を蹴る3吹けば鳴る

道歌
2、古伝神傳流秘書より抜刀心持引歌
2の23鞠を蹴る
3吹けば鳴る

敵色々と有りて我を騙すとも油断する事勿れ例へば鞠を蹴るに同じ我が鞠と人の鞠との色をよく見る事也

吹けば鳴る鳴かねば鳴らぬ笛竹の
     聲の主とハ何を言うふらん

読み
「吹けば鳴る鳴かねば鳴らぬ笛竹の声の主とは何をいうらん」
「吹けば鳴る鳴かねば鳴らぬ」では意味が通じません。此処は木村栄寿本に依る「吹けば鳴る吹かねば鳴らぬ」が正しそうです。吹けば鳴り吹かなければ鳴らない竹笛の当たり前の事ですが、その鳴った時の音聲の主は何を言うのであろうか。こちらが仕掛けなければ応じて来ない相手、或いは相手の仕掛けに応じる我のその主は何だと問われている様です。
 主は笛竹です、剣術試合では主は我其のものです。相手から見れば相手そのものです。仕掛けるのは相手の心が為せるもの、無心な相手を動かすには「誘い」でしょう。然し相手を知らなければ相手の誘いに乗せられて我は騙され斬られてしまう。
 この様に、解釈して見たのですが、今の力量では此処までが精一杯です。修行を積みこの歌を理解出来る時が来るのでしょうか。林六太夫守政が江戸からもたらした「無雙神傳英信流居合兵法」は、此処まで奥深く示唆されているとは、現代居合の指導者は何処まで理解出来ているのでしょう。
 他の武術でも、相手は初心者か我が門弟に過ぎず、勝って見てもそれは、架空の亊、全く知らなかった相手に我が術はかかるのでしょうか。得意げに指導者として形を演ずるだけでは、事理の両輪は遠いものです。

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2020年1月19日 (日)

道歌2古伝神傳流秘書より抜刀心持引歌2の22鞠を蹴る2本来の事

道歌
2、古伝神傳流秘書より抜刀心持引歌
2の22鞠を蹴る
2本来の事

敵色々と有りて我を騙すとも油断する事勿れ、例えば鞠を蹴るに同じ、我が鞠と人の鞠との色をよく見る事也

本来の事より出て亊二入り
      あわれ知らばや事のふかさハ

読み
「本来の事より出でて事に入り哀れ知らばや事の深さを」。本来の事はこの様にするものと覚えてはみたが、それだけでは本来の事を果たす事さえできないと知って事の深さに気が付いて、何も知らなかったと嘆いています。
「 本来の事」の「事」とは何かの解説がありません。「亊」は「わざ」とも読まれます。恐らく口伝が有ったとも思われるのですが、沢庵が柳生但馬守に与えた不動智神妙録に「理の修行 事の修行と申す事の候」の一節が有ります。「亊の修行を不仕候らえば 道理ばかり胸に有りて 身も手も不働候」とあって、「理を知りても事の自由に働かねばならず候 身に持つ太刀の取りまわし能く候ても 理の極り候所の暗く候ては 相成間敷く候 事理の二つは車の輪の如くなるべく候」と結ばれています。
 理とは「唯一心の捨てようにて候」ですから「とらわれない心」と言う事になります。
 「本来の亊」は「亊」は「わざ」、剣術の業と捉えれば良いのでしょう。沢庵や柳生但馬守の時代は寛永の頃(1624年~1643年)徳川三代将軍家光の頃です。従って事は業と読んで見れば、歌の意味が見えて来る様です。
 本来習い覚えた業の形より始まり、更にその形の変化を相手が打ち出せば元の業も変えざるを得ません、次々に相手の打出す業の変化に手も足も出ないものです。免許皆伝は教えた事が出来ただけで得られたもの、そこから始まる奥深さに唖然とさせられるものなのです。
 然し「本来の亊」は恐らく大森流居合之事や英信流居合之事の一本目初発刀、及び横雲の亊(業)を意味するでしょう。そこから始まり更に事(業)が複雑に深まっても「本来の事」で身に付けた事が基となると云うのでしょう。
 「形だから習った通り打て」とばかりに一つ覚え、挙句は脚の幅から歩数迄整えて見ても何も意味するものは得られそうも有りません。
 亊(業)と理は人それぞれの得て不得手や、癖、或いは哲学に及ぶでしょう。その奥深さもそれぞれです。何が打ち出されるかは己を無にして応じられる迄修行するものなのでしょう。
 
 

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2020年1月18日 (土)

道歌2古伝神傳流秘書より抜刀心持引歌2の21鞠を蹴る1鞠と思いて

道歌
2、古伝神傳流秘書より抜刀心持引歌
2の21鞠を蹴る
1鞠と思いて

敵色々と有りて我をたますとも油断する事勿れ例へハ鞠を蹴る二同之我が鞠と人の鞠との色を見る事也

敵をたゞ鞠と思いて皆人の
     つめひらきせバいかににがさん

読み
敵色々と有りて我を騙すとも、油断する事なかれ、例えば鞠を蹴るに同じ、我が鞠と人の鞠との色を見る事也

敵をたゞ鞠と思いて皆人の詰め開きせば如何に逃がさん

 抜刀心持引歌の最終章は、敵には色々の人が居て、我を騙す者も居るが油断する事が無いようにしなさい。例えば鞠を蹴るに同じと思い我が鞠と人の鞠との色合いを見る事なのだ。と前置きして歌が8首並んでいます。前段は色んな人が居るけれど騙されるなと言う事ですが、後半は人の鞠と我が鞠を見分けろと云うのですが、なぞなぞの様です。
 1首ずつ解きほぐしながら前書きを紐解いてみます。
 その1首目が、敵を単なる鞠と思って皆で、詰めたり開いたりしていれば、如何にしても逃げられてしまうよ。と歌っています。鞠には心が無いのですから、鞠の思いで動くわけは有りません。相手は人です如何にこの場を有利にしようかと考え行動するのですから、その思いを察して応じるものでしょう。
 其の色を察するのは、相手をよく理解する事で、相手が我ならば如何にするかだけでは読み切れません。そこには、我が騙される意図せざる行動もあるものでしょう。

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2020年1月17日 (金)

道歌2古伝神傳流秘書より抜刀心持引歌2の20瀧落

道歌
2、古伝神傳流秘書より抜刀心持引歌
2の20瀧落

瀧津瀬の崩るゝ事の深けれバ
     前に立添ふ者もなき哉

読み
「瀧津瀬の崩るゝ事の深ければ前に立ち添う者もなきかな」
 瀧のような急流が深い瀧坪なっていれば、その前に立ちはだかる者も居ないだろう。直訳すればこんなところかとも思えるのですが、ズキンと胸に響いてきません。

 瀧落の古伝神傳流秘書の手附
「刀の鞘と共に左の足を一拍子に出して抜て後を突きすぐに右の足を踏込み打込み開き納る、此事は後ろよりこじりを押っ取りたる処也故に抜時こじりを以て當心持有」


 座している処、後から鐺を取られたので、立ち上りながら左足を退き、鐺を上にあげ、左足を右足の前に踏込み出し柄を右胸に引き付け相手の鐺をつかむ手をふりもぐ。
 右足を一歩踏み出して柄を下げ後方の相手を鐺で打ち付けて刀を前方に抜き出し、その足踏みのまま左廻りに後ろに振り向くや相手を刺突する、右足を踏み込み上段から斬り下し、刀を右に開き納刀。
 古伝の手附から想像しながら演じるとこんなところでしょう。
「俺の教わったのと違う」って吠えてもそれ以上は書いてありません。

 大江居合の瀧落「後を向き、徐ろに立ちて左足を後へ一歩引き鞘を握りたる左手を其の儘膝下真直に下げ鐺を上げ後方を顧み、右手を膝上に置き同体にて左足を出し、右手を柄に掛け胸に当て右足を前に進むと同時に抜き、刀峯を胸部に当て、同体の儘ひだりへ転旋して、体を後向け左足を前となし、その体の侭胸に当てたる刀を右手を伸ばし刀は刃を右横に平として突き左足を出しつつ上段に取り、左膝を着き座しつつ頭上を斬る、血拭い刀を納む」

 中山博道居合の瀧落の意義「敵が我が鐺を握ろうとするのを、之を避けて立ち上がったが、尚ほ追い迫るを以て再び之を避け、遂に抜刀して振り向きつつ敵を突き刺し、尚ほ追撃する業である」
 鐺を取られたのではないそうですが、これでは長谷川英信流居合とは違ってしまうのですが、それは我慢しても、後方の相手が鐺を取ろうとする素振りを前を向いたままよくできるものです。修行が足りないと笑われそうです。

 瀧落の歌として、「瀧津瀬」は瀧のような急流で、水は川底を滑り落ちて来るのです。この業は手附の動作を演じると技が一つずつぶつぶつ切れそうで、一拍置いて次の動作に移ったのでは間抜けな隙だらけになってしまいます。滑らかな上に緩急を織り交ぜるもので、まさに瀧津瀬を滑り落ちる水の雰囲気が欲しいものです。
 瀧落をイメージし過ぎてなのか術理としてどうなのか、檀崎先生や山蔦先生の夢想神傳流の瀧落の後方刺突の動作が「・・引手をきかせて上から落すように敵の胸部に刺突し・・」の文言が気にかかります。

 歌の下の句「前に立ち添う者もなき哉」は上の句の「崩るゝ事の深ければ」を受けているのでしょうが、瀧のような急流から緩い川底に至れば瀧坪も出来ます。急流のように緩急織り交ぜてスルスルと敵手を外し、抜刀しながら相手を一打ちし後方に振り向けば、相手はそこに無防備に立って居るばかりです、右手を相手に差し込めば刺突は容易です。こんな瀧落しのイメージが浮かんできます。 

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2020年1月16日 (木)

道歌2古伝神傳流秘書より抜刀心持引歌2の19鱗返・浪返

道歌
2、古伝神傳流秘書より抜刀心持引歌
2の19鱗返・浪返

 鱗返:瀧津浪瀬上る鯉の鱗は
        水せき上て落る事なし
 浪返:あかし波瀬戸越波の上にこそ
        岩尾も岸もたまるものかわ
(参考 下村先生の本には「波返」、「鱗返」と有り従て(此歌は前後ならんかと自雄▢)との特に註あり。・曽田メモ)

 読み
「瀧津波、瀬上る恋の鱗は、水堰き止めて落ちることなし」滝や瀬を登る鯉は 水をせき止める様にしながら上って行くよ。
「明石波瀬戸越す波の上にこそ岩尾も岸も堪るものかわ」明石の海峡を行く波は岩も岸も乗り越えてしまう。

 古伝神傳流秘書英信流居合之事
 鱗返:左脇へ廻り抜付打込ミ開き納る(秘書には岩波と同じ事を記しあり口伝口授のとき写し違へたるならん 曽田メモ

 波返:鱗返二同し後へ抜付打込ミ開き納る後へ廻ると脇へ廻ると計相違也

 どちらの歌も、相手を圧して制する迫力ある強さを示しています。
 我が左側にこちらを向いて坐す相手の機先を制する抜刀は相手が見えているだけに、気の違い以外に相手を制する事は出来そうにも有りません。
 後に座す相手に対するものも同様ですが、相手の気を察するや、静かに左向きになり、そこから怒涛の如く攻め込んでいく気勢が必要でしょう。

 

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2020年1月15日 (水)

道歌2古伝神傳流秘書より抜刀心持引歌2の18岩波

道歌
2、古伝神傳流秘書より抜刀心持引歌
2の18岩波

行舟のかぢ取り直春間もなきは
       岩尾の浪の強く當れバ

 読みは「行く舟の舵取り直す間も無きは岩尾の浪の強く当たれば」
 手漕ぎの小舟は、海面近くに出ている岩に当たる波に翻弄されて舵を取り直す暇もない。と歌っています。
 海面に出た岩に波が当たれば、たちまち押し返され、次に来る波と挟み撃ちになって、高く跳ねあがるのもあって、見ている分には楽しいものです。
 静かな海面でもうねりが少しでもあれば、海底に岩や、断層などが有れば波だって来ます。サーファーが好んで行く海岸はそんな処なのです。
 この歌も英信流の岩浪の業名称の岩と波の文字がある歌として作られたのか、昔からあったのか解りませんが岩浪の業の雰囲気が頭の中に浮かんで来るから面白い。

 古伝神傳流秘書の英信流居合之事岩浪:左へ振り向き左の足を引刀を抜左の手切先へ添へ右の膝の外より突膝の内に引後山下風の業に同。

 河野居合の岩浪の意義:我が左側の敵が我が柄を制せんとするを、其機先を制して胸部を刺突して勝の意なり。

 中山博道の長谷川英信流居合岩浪の意義:我が左側に接近して坐せる敵の季動部を刺突し直ちに敵を引き倒して後、斬る業である。

 右に座せる相手への対応は「颪」、左敵への対応は「岩浪」で左右の違いばかりの事ですが、颪は相手を打突して抜き付ける、岩浪は相手の伸ばして来る手を摺り切る動作で退かせておいて、その隙に振り向き抜刀して刺突する。
 颪と同様の動作を以て左からくる相手を制する事も可能です。岩浪はややこしい運剣動作を要求して居るようですけれど、抜刀して右に向きを変える動作と、刺突が独特なのです。 
 歌心を読み取って見れば、我が左側に座す相手が、我が柄を制しようと、右に向き直り身を乗り出して我が柄を掴もうとする、その機先を制して刀を前に抜き出し、牽制し、相手が引かんとすると同時に、我は左向きに転じ刺突する、その相手が向きを変える間もなく、我は向きを変えて刺突する、とでも読めば良いのでしょう。

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2020年1月14日 (火)

道歌2古伝神傳流秘書より抜刀心持引歌2の17山下風

道歌
2、古伝神傳流秘書より抜刀心持之事
2の17山下風

 高根より吹下す風の強けれバ
      麓の木々ハ雪もたまら春


読み「高峰より吹き下ろす風の強ければ麓の木々は雪もたまらず」高峰から吹き降ろして来る風が強ければ、ふもとの木々には雪も積もる事はない。所謂、山颪、颪を歌った歌でしょう。

 古伝神傳流秘書英信流居合之事5本目「山下風」
 右へ振り向き右の足と右の手を一所尓て打倒し抜付後同前但足は右足也 浮雲と足は相違也

 歌心より古伝の「山下風」の手附の動作が読み取れません。
 「右へ振り向き」ですから、相手は我が右に座すのでしょう。相手が仕掛けて来たのか、我から仕掛けて行くのか、手附は語らずですから「右へ振り向き右の足と右の手を一所にて打ち倒し」ではどうする。河野居合では相手の害意を察して機先を制するのですが、相手が抜刀して斬ろうと柄に手を掛けるなら、相手の仕掛けです。話の合間に相手から殺意を感じて動作をするならば我からの仕掛けです。

 河野居合から「颪」の意義:我が柄を取らんとするを我れ柄頭を敵の顔面に当てる、敵退かんとするを直に其胸部に斬込み右に引き倒して上段より胴を斬下して勝つ」(大日本居合道図譜より)

 中山博道の長谷川英信流居合山下風の意義:右側面に坐せる敵が抜刀せんとするを取り敢えず刀柄を以て其の手瀬を強打しヒルム所を抜刀して斬りつけ、其の殪(たお)るゝを再び正面より胴部に向ひ切り下す業である。居合読本より。

 細川義昌居合と思われる広島の梅本三男「居合兵法無雙神伝抜刀術」の英信流表之部山下風:(右側に座して居る者を斬る)正面より左向き居合膝に座し、例に依り左手を鯉口に執り腰を伸ばしつつ右膝を立て、体を右へ廻し正面へ向くなり右足を引付けると同時に柄を右胸部へ引上げ右手を柄に逆手に掛け右足を踏出すと共に鍔にて対手の左横顔を打ち、直右足を引寄せる。同時に鯉口を腹部へ引付け刀を右真横へ引抜き(切先き放れ際に)左膝を左へ捻り正面より左向きとなり、対手の胸部へ(切先き上りに手元下りに)斜に抜付け、更に体を右へ捻り戻しつつ・・。」

 大江居合の颪:左向き腰を浮めて右斜めに向き、柄止め、直に左へ足を摺り込み、其踵へ臀部を乗せ右斜向体となり、斜刀にて筋変へに打ち其形状にて左手は刀峯を押へ・・。剣道手ほどきより。

 明治以降の動作は既に古伝から飛躍し始めて居ますから、その様な教えが伝承されていた、と信じて、それも有りとするのがおおらかでいいでしょう。相手が我が柄を取りに来る、相手が抜刀しようと柄に手を掛ける。何れもありでそれに応じる業としておきます。

 歌心は、相手が我が柄を取りに来るので、それを左に外し、即座に柄にて相手顔面を強打する、或いは相手抜刀せんとするを、即座に其の柄手を我が鍔で強打する、更に我は抜刀して相手に斬り付ける。この一連の動作は、静から動へ一気に吹き降ろす山風の如き激しさを求めたのでしょう。是では打たれ斬り込まれたものは堪らず成すがままに引き倒され胴を切られる。歌心を描きながらこの業を演じるとすれば、相手の手を外して打ち突く動作は一拍子で、打ち突や抜刀して斬り付け、引き倒すもので、一連の動作は素早いもので間を開けないとも思えるものです。

 
 

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2020年1月13日 (月)

道歌2古伝神傳流秘書より抜刀心持引歌2の16浮雲

道歌
2、古伝神傳流秘書より抜刀心持引歌
2の16浮雲

麓より吹上られし浮雲ハ
     四方の高根を立つゝむなり

 読み「麓より吹き上げられし浮雲は四方の高峰を立ち包むなり」山の麓から吹き上げられてくる浮雲に依って、四方の山々は包まれていく。

 古伝神傳流秘書英信流居合之事4本目浮雲
 「右へ振り向き足を踏みもぢ彳腰をひねり抜付左の手を添へて敵を突倒春心尓て右の足上拍子に刀を春ねへ引切先を後へはね扨上へ冠り膝の外へ打込ミ後同前、又刀を引て切先を後へはね春して取って打込事も有」

 大江居合では我の右側に二人が同列上に並び、その一人置いた二人目の敵が我が刀の柄を取りに来る想定とされています。古伝はその様な事は言って居ません。大江先生の師匠下村茂市の弟子でもあった細川義昌に指導された植田平太郎系統の広島の『居合兵法無雙神伝抜刀術」では「右側に座して居る者を斬る」であって、敵が横並びで二人とも、その二人目の敵とも言って居ませんが、「右側に座して居る者を斬る」ですから、敵二人とも一人とも取れるかもしれません。然し明らかに敵二人で一人置いた二人目にすべき運剣動作は細川居合も大江居合にも見られません。
 
 
 浮雲の歌心は、右側の相手が我が柄を取りに来るのを察して、我は「左向き静かに立ち、中腰となりて左足を後へ少し引き、刀を左手にて左横に開き、・・大江居合」この部分の立ち上がる姿に、麓より吹上られてくる浮雲を連想したのでしょう。浮雲の業を修得した者が謡ったというよりも、既に、誰かが詠んだ歌を持って来たような気もします。浮雲の運剣動作は敵手を外した後に怒涛の如く斬り込んで、引き倒すすさまじい業と認識していますので、違和感を覚えてしまいます。

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2020年1月12日 (日)

道歌2古伝神傳流秘書より抜刀心持引歌2の15稲妻

道歌
2、古伝神傳流秘書より抜刀心持引歌
2の15稲妻

諸共二光と知れと稲妻の
    跡なる雷の響知られす

 読みは、「諸共に光と知れと稲妻の後なる雷の響き知られず」。
 お互いに、稲妻の閃光を知り得ても、その後に来る雷鳴を知り得るだろうか。と直訳して見ました。

 この歌は英信流居合之事の3本目稲妻、大江居合では立膝の部3本目稲妻でしょう。
 古伝神傳流秘書の英信流居合之事3本目稲妻
 左足を引き敵の切て懸る拳を払ふて打込ミ後同前
 英信流は相手の斬り込みを、立膝に座した状態で腰を上げ、左足を引くと同時に抜刀して相手の小手に斬り込み、上段に振り冠って真向に打込み、刀を右に開き、右足を退きつつ納刀する。
 其の歌心は、諸共とは相手と我でしょう。相手は上段から真向に打ち下ろさんとする、その刀尖の光も相手の拳に抜き付ける我が刀の閃きをも互に知り得ても、雷鳴を聞くことは(相手は)出来ないだろう。雷鳴とは相手の崩折れる事を意味しているのでしょう。

 

 

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2020年1月11日 (土)

道歌2古伝神傳流秘書より抜刀心持引歌2の14虎一足

道歌
2、古伝神傳流秘書より抜刀心持引歌
2の14虎一足

虎一足

猛き虎の千里の歩み遠からず
     行より帰る足引

「猛き虎の千里の歩み遠からず行より帰る足引き」。猛き虎は千里の道のりもものともせずに行くのだが、引き足の速さには驚かされる。剣術の鉄則の一つにゆっくりとした歩み足で前に進み、間を外して下がる時は速やかに退く事を聞かされています。
 この歌は、大江居合の無雙直傳英信流の立膝の部二本目虎一足、古伝神傳流秘書の英信流居合之事の二本目虎一足の業歌の様ですから古伝の虎一足の業手附を紐解いて、「敵太刀打かたき我に切て懸るに早く抜き合せんとすれば必ず負ける事有 能く工夫有るべし」との関係を考えてみます。
 
 古伝神傳流秘書英神流居合之事虎一足「左足を引き刀を逆に抜て留め扨打込み後前に同じ

 現代の大江居合では「正面に座す、静かに立ちながら左足を引きて刀を抜付くと同時に膝を圍う、此の圍は体を左向き中腰となり、横構にて受止める事、此体形にて刀を上段に冠り正面に向き座しながら斬り下すなり」

 後の大江居合の穂岐山先生指導による河野居合では「正面に対座する敵が我が右足の方向より斬付け来るを之に応じ其の退かんとするに乗じて上段より斬下して勝つの意なり。
 中腰になり乍ら抜きかける。右足(左足の誤植)を一歩後方に退き腰を捻るや抜付けて刀棟を以て敵刀を反撃す。左足をつきつつ右手を頭上に把り剣先を下げたるまま運びて上段にならんとす。註 諸手上段となりつつ右足に左膝を進め真向に斬り下し血振り納刀する事一本目に同じ。

 細川居合では「正面に向い居合膝に座し、例により鯉口を切り、右手を柄に掛けるなり立ち上がり、左足を一歩後へ退く、同時に刀を引抜き(刀尖放れ際に)左腰を左後へ捻り、体が左向きとなるなり(対手が向脛へ薙付け来る)差表の鎬にて強く張受に受止め、左膝を右足横へ跪きつつ諸手上段に引き冠り、更に右足踏込んで斬込み、刀を開き納め終る」細川居合は香川の剣道家植田平太郎の教えに依るもので尾形郷一貫心による梅本三男先生に伝授されたものです。

 この、虎一足の業手附けと、「早く抜き合せんとすれば必ず負ける」の歌心は、河野居合の「中腰になり乍ら抜きかける」に表されています。更に虎一足の下の句の「行より早く帰る足引き」は斬り込んで来る相手の太刀を張り受けに受ける細川居合に「左足を一歩退く退き同時刀を引抜(尖放れ際に)・・以下の手附に引き足と張り受け」のポイントを示しています。
 相手太刀を受け留めれば相手は反撃しようと前に攻めるか、後に引くかですが、その動きを張り受けた刀を以て圧するように、ぐいと攻め込み左膝を右足踵に引き付け乍上段に振り冠り、相手が引く処を、更に右足を踏み込んで切り下す。気の位勝とも云えるところでしょう。ここの心持ちは、この歌の上の句に於ける虎を思わせる処なのかとも思えます。
 
  

 

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2020年1月10日 (金)

道歌2古伝神傳流秘書より抜刀心持引歌2の13横雲

道歌
2、古伝神傳流秘書より抜刀心持引歌
2の13横雲

横雲

深山には嵐吹くらし三吉野の
     花か霞か横雲の空

 この歌は抜刀心持引歌のそれぞれにあった前書きが有りません。
 前回の「敵太刀打かたき我に切て懸るにはやく抜合せむとすれば必ず負事有能く工夫有るべし。 歌に、 居合をば知ったふりしてつかるゝな居合の道を深く問うべし。 身の曲尺の位を深く習ふへし留めねど留る事ぞふしぎや」の次の行に突然書き込まれています。
 この、心得を歌に託したと云うのが横雲・虎一足・稲妻・浮雲・山下風・岩波・鱗返・浪返・瀧落の9首の歌が続きます。歌の題は英信流居合之事は10本ですから此処に無いのは現代の大江居合では「真向」所謂「抜打」の歌が無いだけです。歌の順番と業の順番では7首目と8首目の順番が入れ替わっています。
 前回の「敵太刀打かたき我に切て懸るにはやく抜合せむとすれば必ず負亊有能く工夫有るべし」の教えを念頭に置いて、それに英信流居合之事の業手附を合わせて解読してみます。
 その前に、古伝神傳流秘書の英信流居合之事の前書きに「是は重信翁より段々相伝の居合、然るものを最初にすべき筈なれども先ず大森流は初心の者、覚え易き故に是を先にすると言えり」とあります。
 現代居合では大江先生の改変で「立膝の部」となっていますので「英信流」と云うと長谷川英信の改変した居合と思ってしまうのですが、英信流は重信流が伝承されて来たものなのでしょう。
 古伝神傳流秘書の「居合兵法伝来」という道統が始祖林崎神助(甚助の誤認)より書かれている後付けに「目録には無雙神傳英信流居合兵法とあり、是は本重信流と言うべき筈なれども長谷川氏は後の達人なる故之も称して英信流とあげられたる由なり」とあります、従って英信流は重信流が元になって伝承されたと、第9代林六太夫守政は述べています。長谷川英信が改変したので英信流というのでは無さそうです。

 英信流居合之事一本目横雲「右足を向へ踏み出し抜付け打込み開き足を引きて先に座したる通りにして納る」
 これだけですから、英信流を知らない人には何が何だか分からない手附です。簡単に一本目を手付け通りに演じれば、右足を前に踏み出し正面に座す相手に、横一線に抜き付け、上段に振り冠り真向に斬り下し、刀を右横に開き、右足を左足に引き付けつつ納刀、本の座した姿勢となる。というものです。
 この歌が「深山には嵐吹くらし三吉野の花か霞か横雲の空」三吉野の奥山では春嵐が吹いているのだろうか、山の端にサクラが散ってなのか春霞なのか横雲が掛かった様に見える。桜の季節の心地よい長閑な風景を詠んでいます。横雲という横にたなびくように見える雲の語句を業名と合わせてみたというだけかもしれません。英信流の歌は総て業名に由来するので、歌心が居合の業と会うかは疑問ですが、違和感があっても合わせて見ます。
 武的歌心を、無理やり思い描くならば、相手の気を察し、圧して来るに乗じて、横一線に抜き付けろ。とでも解釈すればいいのでしょう。

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2020年1月 9日 (木)

道歌2古伝神傳流秘書より抜刀心持引歌2の12身の曲尺

道歌
2、古伝神傳流秘書より抜刀心持引歌
2の12身の曲尺

敵太刀打かたき我二切て懸る二はやく抜合せむと春れハ必す負事有能く工夫有へし 歌に

居合をば知ったふりしてつかるゝな
      居合の道を深く問ふへし

身の曲金の位を深く習ふへし
      留めねど留る事ぞふしぎや

「敵太刀うちかたぎ我に切って懸るに早く抜き合わせんとすれば必ず負ける事有り能く工夫有るべし」。敵は太刀をうち担ぎ我に切って懸るのに、早く抜き合わせ様とすれば、必ず負ける事有、能く工夫有るべし 歌に
 敵が太刀を上段に振りかぶって、我に切って懸る場合に、早く抜き合わせて請け太刀になろうとすれば必ず負ける事である、と云い切っています。
「抜合せむ」ですから、打ち込まれるのを抜き請けに請けようとすると解釈して見ました。竹刀剣道や木刀での太刀打などでは安易に打ち合わせて居ますが、真剣勝負では好ましいと云えません。間を外すとかの工夫は居合の稽古業にもあるもので心すべきものでしょう。

 「居合をば知ったふりして突かるゝな居合の道を深く問うべし」この句の難問は「つかるゝな」の処かも知れません。相手が青眼に構えて間境に達する時、来るなら来いとばかりに、居合抜きで倒そうなどと思う事は、相手に「突かれ」てしまうよ、居合の道を深く考えて見なさい。という解釈も有るでしょう。「つかるゝ」は「疲弊する」とも読めます。
 勝負の戒めでは無く、居合の事を、少し習った程度で知った振りして得意になっていると、ひどいめにあう、居合の道はそんな程度のものではないのだから、十分この道を会得できるようにするべきです。この様な解釈の方がすっきりします。
 竹刀剣道や格闘技などをやって来た者が、居合を習い数年で出来たつもりで得々として論じているのを見ていますと、先ず嫌われて相手にされなくなって演武会などにも呼んでもらえなくなったりしています。
  習い覚えた事は自分の中にしっかりしまって置く、其の上で新しい流派の業を磨く、それから自分の武術を作り上げること。論理性と実技に叶う事でも誹謗中傷するのを何とも思っていないようですから始末に負えません。
 此処では業じゃないよ磨くのはと、読めるでしょう。

 「身の曲尺の位を深く習うべし留めねど留る事ぞ不思議や」この歌は前の歌の解説とも取ることが出来そうです。上段から相手が打ち込んで来ようと接近して来る時、何時何処へ抜き付けるかは「身の曲尺」を間合いと取れば、稽古では相手の太刀が打ち込まれる間合いを如何なる状況でも応じられるように十分習い覚える事。「留めねど留る」は相手の太刀を受けた時は切っている、いや切った時には相手の太刀は筋を外されているとも云えると考えます。
 

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2020年1月 8日 (水)

道歌2古伝神傳流秘書より抜刀心持引歌2の8義公御歌

道歌
2、古伝神傳流秘書より抜刀心持引歌
2の8義公御歌

 居合も太刀打も敵と吾と立合といなや是道(危道・・木村栄寿本)なくては勝亊なし 然共上を打たんとして下を打つ様成る事にてなし まつ春く耳行間移行是道(危道)有り此処詞にのへ難し 数月数年の亊(業・・木村栄寿本)修行の功にて合点行へし 能く能く日夜修行有へき亊なり
 義公(義経公・・木村栄寿本)御歌 古歌に

きおひくる敵にさりなくであふな
      あひしらひしてしほをぬかせよ

 「居合も太刀打も敵と吾と立合うといなや是の道(危道)無くては勝事なし」居合も太刀打も立合うや否や危道(普通とは変わった方法)で無くては勝つことはない。然れども上を打たんとして下を打つ様なる事にては無い。真直ぐに行き間を移して行く危道がある。此の處は言葉に述べ難い。数月数年の亊修行の功にて合点行くべし、能々日夜修行有るべき事也 義公御歌 古歌に」
 居合も太刀合も敵と我とが立合う時は、当たり前の事をして居たのでは勝事は出来ない、けれども上を打とうとして下を打つような事ではない。真直ぐに行き間を移しながら行のは危道である。(あるいは、ここは「先ず直に行き、間を変えて行くのも危道である」)この処は言葉では述べ難い。数月数年の事修行の功を積んで自ら合点するものだ。能々日夜修行すべきものである。
義経公の歌 古歌に
 「気負い来る(勢い来る・・木村栄寿本)敵に然り無く(さりなく)出合うな、あいしらいして潮を抜かせよ」気負って来る敵に其のままに出合ってはならない、取りさばくようにして機会を見て抜きなさい。

 嵩にかかって行くのではなく、あしらいながら機を見て抜き付けろと云うのです。現代居合も竹刀剣道も、やたら元気よく相手の事など気にもせずに抜き付け打込むのが良いと思われて居る様で、是では年寄りは若者の強い早いの動作に打ち負けてしまっている様です。教えは理解出来ても実行できる人はまれでしょう。だからこそ修行の意味があるのでしょう。若者にコロコロ負ける様なら飛び道具でも持って居た方がましです。

 

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2020年1月 7日 (火)

道歌2古伝神傳流秘書より抜刀心持引歌2の11組合の時

道歌
2、古伝神傳流秘書より抜刀心持引歌
2の11組合の時

組合の時太刀抜様は敵組付とはや我身二付て抜事と知れ 歌に

身に付けて抜習有人ハたゞ
     組付かぬ間二切とこそ聞け

居合とは刀一つに定まらす
     敵の仕懸を留る様有り

「組み合うの時の抜き様は敵組み付くと早や我が身に付けて抜く事と知れ 歌に」相手と古伝神傳流秘書では敵と云わない相手と云うと言っておきながら「敵」が出てきてしまいましたが、歌からの連想と思えば良いのでしょう。
 組み合う時の抜き方は相手が組み付いて来るや否や刀を身に添え刀刃を内側に向け敵の組み付く手を摺り切ればいい、と云います。この業は組太刀の大小詰8本目山影詰に有ります。
 「これは後より相手組を刀を抜き懸其手を切ると一拍子に我も共に後へ倒るゝ也」

「身に付けて抜く習いあり人はただ組み付かぬ間に切れとこそ聞け」身に付けて切る教えを習ったのだが、他所の人は、ただ単に組み付かれぬ前に切るものだと言って居る。理屈はそうで、組み付こうとする気配を感じて応ずるもの、などと、いかにも武的なかっこいい事ですが、まず組み付かれた時の抜刀の仕方をしっかり身に付けるべきでしょう。

 「居合とは刀一つに定まらず敵の仕懸けを留る様有り」居合と云うのは刀で相手を抜き打ちに切り倒すばかりの事ではない、敵の仕懸けて来る業を止める事も学ぶものです。現代居合は刀を抜くばかりの稽古をさせられ、この歌の教えなどとんと聞かされたり、やって見せられる事も無い。古伝神傳流秘書には大小詰、大小立詰の業手附が残されています。それらをマスターして居合、相手と居合う時の武術になるのです。
 その上で、更に決着を求めるのが双方立合っての稽古が組太刀となる場合もあるのです。

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2020年1月 6日 (月)

第25回・26回古伝研究会

土佐の居合 古伝神傳流秘書による古伝研究の集い
第25回・26回古伝研究の集い
 無双直伝英信流、夢想神傳流の古伝神傳流秘書を曽田虎彦先生の直筆本から読み解いて江戸時代中期の居合を研究しています。
 今年は、主として古伝抜刀心持之事(古伝の奥居合)を研究いたします。
 師伝が如何様であろうとも、古伝をご存知の方は少ないものです。ご参加いただいた方が、夫々「我が師」である事をご認識頂き、ご自由な意見を出され共に学ぶ研究会です。俺の指導に従えと云う武道にありがちな事とは異なります。

      記
1、期日
 25回・令和2年1月23日(木)
 15:00~17:00鎌倉体育館

 26回・令和2年2月13日(木)
 15:00~17:00見田記念体育館
    ・令和2年2月27日(木)
 15:00~17:00鎌倉体育館
2、住所
鎌倉体育館
248-0014鎌倉市由比ガ浜2-9-9
TEL0467-24-3553
見田記念体育館
248-0014鎌倉市由比ガ浜2-13-21
TEL0467-24-1415
3、アクセス
 JR横須賀線鎌倉駅東口下車徒歩10分
 (駐車場 鎌倉体育館に有り)
4、費用:会場費等割勘つど 500円
5、参加申込み 直接会場へお越しください
 Email:sekiun@nifty.com
6、研究会名:無雙神傳英信流居合兵法
  湘南居合道研修会 鎌倉道場
7、御案内責任者:ミツヒラこと松原昭夫

  令和2年1月6日 松原 記

 

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道歌2古伝神傳流秘書より抜刀心持引歌2の10行違の太刀

道歌
2、古伝神傳流秘書より抜刀心持引歌
2の10行違の太刀

行違の太刀抜亊古人大事と言へり 工夫有べし 歌に

夏日向冬日の影と歩むへし
     独り行二ハさわる人なし

行違ふ敵の足二目を付希与
     手ハ自ら留るもの也

行き違う時太刀を抜くには古人大事な事があると云えり 工夫有るべし 歌に

「夏は日に向かい冬は日の影と歩むべし 独り行には障る人はいない」。夏は太陽に向かって歩く事、冬は太陽を背にして自分の影と一緒に歩み行けば、障る人はいない。直訳すればこんな所でしょう。夏は太陽は高い所にあるから、お日様に向って歩けば行き違いの際横を通る者の動きが見える。冬はお日様を背中にして自分の影とともに歩けば、後より来る者の動作が影になって見えるので対処しやすい。

「行き違う敵の足に目を付けよ手は自ずから留まるもの也」行き違う時は敵の足に目を付けてすれ違えば、その足捌きに依っては手は自ずから鯉口に掛かるものだ。この様に歌心を読んでみたのですが、果たしてどうでしょう、すれ違う相手の動きが足を見ているだけで読めるのでしょうか。敵の仕掛ける動きは気で感じると云うのは簡単ですが、目で見る訓練もやって見なければ解かりません。
 古伝神傳流秘書抜刀心持之事10本目行違「行違いに左の脇に添えて払い捨て冠って打込也」の業を切られるのが我で稽古して見ます。

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2020年1月 5日 (日)

道歌2古伝神傳流秘書より抜刀心持引歌2の9抜かば切れ

道歌
2、古伝神傳流秘書より抜刀心持引歌
2の9抜かば切れ

居合と申は第一に太刀抜かぬ以前に勝亊大事也 歌に

抜は切れ抜すバ切な此刀
     たゝ切る事二大事こそあれ

あまた尓て勝れざりしと聞しかと
     心明剱の太刀を楽しめ


居合と申すのは第一に太刀を抜かぬ以前に勝亊が大事である 歌に

「抜かば切れ抜かずば切るなこの刀ただ切る事に大事こそあれ」この歌は我なのか相手なのか首を捻ってしまいます。この歌の上の句の別な歌い方に「抜かば切れ抜かずば切れよこの刀ただ切る事に大事こそあれ」とあると曽田先生は追記しています。
 
 神傳流秘書の巻末に居合兵法の和歌として田宮平兵衛業政の歌として次の歌が有ります。
「居合とは心を静ずめ抜く刀抜けばやがて勝を取るなり」
「居合とは人に切られず人切らず唯受け止めて平らかに勝」
「居合とは心に勝が居合也人に逆うは非刀としれ」
「居合とは刀一つに定まらず敵の仕掛けを留る用あり」

 これらを読んでいると、居合道歌は矛盾している様に思えるのですが、「抜かば切れ抜かずば切れよ・・」では相手が抜くならば切れ、抜かなくとも切れ・・。となって是は人殺しでしょう。もっとひどいのは、敵と決めつけて、一方的に抜いて切ってしまえ、抜かなくとも切るんだ・・。としたらどうなあるのでしょう。
 下の句の「・・ただ切る事に大事こそあれ」は、切り付けるならば遮二無二切る事、抜き始めて躊躇するなと云うのでしょう。そうでなければ、田宮平兵衛業政の歌が死んでしまいます。
 相手が抜いて来るならば切れ、抜く気配がないなら切るな、居合は抜けば躊躇なく切るものだ、と云うのだろうと私は思います。
 歌の読みはそれでいいかも知れませんが、「居合と申すは第一に刀を抜かぬ以前に勝亊也」の心持ちはもっと考えてみるべきものだろうし、第九代の江戸から持ち込んだこの居合の抜刀心持の解釈にはなり切れません。古伝神傳流秘書の「神妙剣」を思い出すものでしょう。
 
 次の歌は「数多にて勝たれざりしと聞くのであるが、(その時には)心明剱の太刀を楽しめ」です。敵が複数では勝事は難しい、多ければ勝てない、と言われている、その様な状況では「心明剱」の太刀を楽しみなさい。
 戦う事ばかりを思い描く者を戒めている歌で、文字は違いますが「神妙剣」の事だろうと思います、「彼れ怒の色見ゆるときは直に是を知って怒りを抑えしむるの叡智あり、唯気を見て治むる事肝要中の肝要也、是戦に至らしめずして勝を得る也。彼の気を先に知ってすぐに応ずるの道を神妙剱と名付けたるなり」私はこの教えを取りたい。
 業の術理や動作は、先天的な器用さや、武的身体操作の出来ている者は容易に目録位には達せるでしょう。戦わずして勝事は心の修行によるもので、古伝神傳流秘書の随所にその心を教えているのですが、「我と敵」ばかりを描いて演武してしまうのが現実です。「相手と我」という使い方は何を意味するのかでしょう。
 正座の部大森流居合之事も立膝の部英信流居合之事も、我が動作ばかりを稽古させ相手の動作は想定に任せているので初歩の段階での居合抜ばかりを知っている師匠に指導を受けると「相手」は「敵」とイコールになってしまい「相手と我」でもなく、「人と人」ではなくなってしまうかも知れません。
 相手と云い始めるのは「太刀打之事」からです。これは「遣方と相手又は打太刀」、「仕方と打方」、「仕太刀と打太刀」として組太刀の用語となっています。何故「敵と我」とは言わないのでしょう。
 稽古形なので打太刀は上位者で仕太刀は下位の者が指導を受けるからとばかりに思うのも一つですが、術理の稽古形は本来実戦に即応できるもので、演武会の出し物や、居合の間と間合いを覚える程度のレベルのものではない筈です。常に同じメンバーで仕打も決まっている稽古ばかりしている武的演舞好きはそれで良しとしても、仕打の入れ替わりは勿論、相手を変えて稽古しなければ稽古にはならないものです。
 古伝神傳流秘書は「相手」と呼んでいますが、江戸末期の谷村亀之丞自雄の伝書では「敵と我」と変わっています。
 曽田先生による五藤孫兵衛正亮伝来の業附口伝も「敵と我」となってしまっています。
 「敵」という呼び方がイメージさせるものは我を害するものであって、憎むべきものなのでしょう。
 「相手」は我と同じ「人」であって我との違いは人としての哲学の違いや、其の人の守るべき環境をイメージします。第9代林六太夫守政のもたらした居合の根底に流れる武術の思想がうかがえる気がします。

 第7回違師伝交流稽古会は大小詰、大小立詰でした、手附に依って夫々素晴らしい術をお見せいただいたのですが、小手返しなど腕を逆手に固めたり、其の侭投げれば骨折も有り得るもの、業が終了してから斬り倒したり、命を奪う動作を補完されているのを見たり、これ見よがしに複雑な技を演ずるのを見ていて是は違うと感じてしまいました。相手を傷めずに、するりと持ち込める業が出来なければ古伝神傳流秘書の奥義には程遠い者に過ぎないと強く感じたものです。
 
 「心明剱」の文字によるものでは「先ず我が身を敵にうまうまと振るまうて、敵と我と互に打ち下ろす頭にて只我は一途に敵の柄に(柄口六寸に)打込むなり」という極意をも指しています。まさに古流剣術の極意業です。

 また、多勢との戦いでは「敵大勢我一人の時は敵を向へ一面に受くる良し。大勢は向こう両脇より掛かる、我其の時右の敵に合うよしに見せて左の敵に合う、左の敵に掛かる由にて右の敵を打つべし、働く内に我が左の敵に付きて廻すべし。されども敵大勢故前後左右に取り廻さんとす。我其の時は知るべし。敵追って来る事大勢故、一同に来たらず先き立ち来る敵を、或は開きて打つ、或は伏して打つべし、又逃ぐる良き間を考えるべし」と大道之事に書かれています。

 どの様に戦ったらよいのかを教える歌とも取れるし、戦わずして勝つ心の修行を求める歌とも取れるものです。

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2020年1月 4日 (土)

道歌2古伝神傳流秘書より抜刀心持引歌2の7沈成体に勝

道歌
2、古伝神傳流秘書より抜刀心持引歌
2の7沈成躰に勝

敵太刀打かたき切て掛るに沈成躰に勝有亊の位にて教へし工夫有へし古語に 寸の虫かゞむも身をのひん可為 歌に

長からむさゝげの花は短くて
      短き栗の花の長さよ

(沈成躰→敵に対し我が体を低くすること也、気を落ちつけること也)

右の心尓て工夫有るへし みな陰合〆陽に出る位有へし 古人も心は之内二てき有りとのたもふ也 ものとしたる事二勝負の位知る事なし 深く工夫有へし この沈成躰心よりよく敵の心見ゆるもの也
兵法に曰 端末いまだ見ざる人能く知ること莫れ と有り 歌に

悟り得て心の花の開けなば
      たづねん先二花ぞ染むべき

霜うづむ葎の下のキリギリス
       有かなきかの声ぞ聞ゆる

 敵が太刀打の難しい切懸けをして来るのを、沈成体(身を低くして外して勝事がある)、その事にて教えるべき工夫が有る。
 古語に「寸の虫屈むも身を延びんがため」一寸ばかりの小さき虫でさえ、身を屈めるのは、おおきく伸びあがる為である。歌に
 
 「長からんささげの花は短くて短き栗の花の長さよ」長いささげの実なのに花は短い、反面短い栗の花は長いものだ、長いものは短く、短いものは長くの様に、気を沈めて応じるものだと歌います。
 この心掛けの工夫をすることは、どれも陰で合せ、陽にて出ることである。古人も心の内にこの様な敵ありというものである。漠然とした中には勝負の優劣を知る事は出来ない。深く工夫有るべきものである。
 この心を落ち着けることに依り敵の心もよく見えるものである。
 兵法に言われる、心の端末を未だ見えざる人には、良く敵を知る事はあり得ない、とある、歌に

 「悟りを得て心の花が開けるならば、訪ねる先に花が染まって見えるものだ」

 「霜が降って葎を埋める様であっても、その下にいるキリギリスの有るか無いかの声でも聞こえるものだ」

 心を落ち着かせ、体を沈める事で、難しい太刀打ちに応ずる業が出せるものだと云うのでしょう。

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2020年1月 3日 (金)

道歌2古伝神傳流秘書より抜刀心持引歌2の6止ると思はば其所に止れよ

道歌
2、古伝神傳流秘書より抜刀心持引歌
2の6止ると思はば其所に止れよ

居合抜覚へるとはやく抜せす故に詰合の位能く執行有へし只太刀を抜くと計り思ふへから春抜春して勝の利あり是亊の位にて教ゆへし 人の我をとらへて抜かさしと春る時必す抜まし我をとらゆる人を此方より取りたおすへし或ハ先に(とられてもかつこともあり)とられぬ位在るべし 敵の仕懸により春く二とゞまり勝亊も有り 或ハ其気をさけて勝事も有り みな敵の仕懸に依るなり
工夫有るへし 歌に

止ると思はゞ其所に止れ与
      行と思はゞとくとくと行け

あだとのみ人をつらしと何か思ふ
      心与我を憂きものと知れ

右の心にて工夫あるべし 然れ共剛力或ハ色々と理屈を云うふ人有らば皆我敵と知れ 然れ共夫々に心を取られ迷ふ亊勿れ 歌に

無用なる手詰の論を春へから春
      無理な人二ハ勝て利はなし

「居合抜覚えると早く抜かせず、故に詰合の位よく執り行う事有るべし」この文章は何を云いたいのかよくわかりません。原書の写し違いなのかですが、曽田先生は「・・早く抜かせず」ですが写し書きの際「・・早人抜かせず」として「く」を「人」と書かれているのを迷って「く」と決められています。
 木村栄寿先生は林崎抜刀術兵法夢想神傳重信流傳書集及び業手付解説」ではここを「・・早人抜かせす」と読まれています。行草連綿の江戸期の書体、それも当時は余程の能筆で役所の決まりごとに依る字体を持たない市井の人での書は厄介です。「く」は「久」の崩し字か、「く」でしょうから「人」の崩し字は使う文章を理解出来ていないと泣かされます。
 ついでに河野先生の「無双直伝英信流居合兵法叢書」ではこの部分で「・・・執行有へし」を「・・執行省へし」と曽田先生の「有」の草書を「省」に読んでいます。
 此処は、読んだ人がこの全体の文章の流れから、想像しなければならない処でしょう。何処で文章を区切るのかも句読点は無いので想像せざるを得ません。
 「居合抜覚えても直ぐに抜くばかりを考えてはならない、従ってお互いに詰め合って座す時の位取り(位置)をしっかり学ぶ事です」私はこの様に解釈します。「詰合の位」と有るのですぐに組太刀の「詰合」を思い描くのはいいのですが、その「詰め合う」意味を考えるべきでしょう。棒振りばかり思い描かない事です。ついでに、古伝は「詰合」であって「詰合之位」とは言って居ません。
 次の文章は「ただ太刀を抜くとばかり思うべからず、抜かずして勝の利あり、是は事(業)の処で教えるべきである」ここでの「位」は「位置付け」でしょう。
 「人の我を捕えて抜かさじとする時、必ず抜くまじ、我を捕らゆる人を、此方より取り倒すべし。或は先に捕られぬ位(方法、業技法)有るべし。(捕られても勝事も有り)」この教えは、敵が我を羽交い絞めするなり、の柄を押さえるなり、ぬかんとする手を取るなり、古伝の大小詰や大小立詰で基本的な業と業手付が古伝神傳流秘書には示されています。その敵の抜かせないようにする防禦を脱するには、無理に抜こうとしないで相手を、取り倒してしまえというのです。「取り倒すべし」ですから相手を逆に倒して押さえなさい、という事で切り捨てろなどと云ってはいない事を考えて置くべきです。武術は敵を殺す事が目的ではない、土佐の居合の教えを思い出すべきでしょう。
 「敵の仕懸けに依り、(直に抜刀して斬ろうとする心)を留める事で勝事も有る、或いは其の気を避けて勝事も有る、皆敵の仕懸けに依るのである、斬り倒すばかりに思いを寄せずに、工夫有べきでしょう。 歌に」この項の教えを読み解きますと、土佐の居合は、コミュニケーションの食い違いを、武力で解決するなよ、先に武力で仕懸けて留められても、振りほどいて更に相手の出方を見て和する心を持ちなさい、と神傳流秘書の巻頭の「抜刀心持引歌」で既に語っているのです。

 武力行使の戒めを語っているのですが、歌にはそうであっても、やらねばならない時はやりなさいと歌っています。
「止まると思うならば、止まりなさい、行くべきと思うならば速やかに行きなさい」
「憎むべき人に情けを何故か思う事もある、我が心の憂いは有るものです」
「右の心にて工夫あるべし、然れども、剛力、或いは色々と理屈を云う人もあるならば、皆我が敵と知るべきでしょう。然れども、いろいろの事を考えて心を取られて迷う事はダメです。歌に」
「無用な小手先の理屈を云い合うべきでは無い、無理やり(自分に有利にしようとする)人と口論で勝っても何の利するものも無い」

 土佐の居合の根底に流れている武術哲学が語られています。武術論を棒振りのみと考えていたのでは、竹刀剣道を50年やってきた人が「若い人に勝てない」などと云って嘆くのと何ら変わらないでしょう。武術を修業する事の意味を考えさせられるところです。

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2020年1月 2日 (木)

道歌2古伝神傳流秘書より抜刀心持引歌2の5乗り得ても心ゆるすな

道歌
2、古伝神傳流秘書より抜刀心持引歌
2の5乗り得ても心ゆるすな

偏二大海を渡る二陸尓て行けは命を失ふ、故二舟二乗りて行也、居合柄口六寸の大事偏二彼の舟の心持としるへし。然れ共舟尓てかなら春渡海春と思ふへからす 歌に

乗り得ても心ゆる春な海士小舟
     浪間の風の吹かぬ日ぞなき

右浪間の風能く合点しては舟ものら春 古歌に

有となしと堺を渡る海士小舟
     釘も楔も抜希果てにへり

此の心尓てよく工夫有へし 口伝


一途に思い込んで、大海を渡ろうとする時、陸にて行けば命を失う、故に舟に乗って行くのである。と、云うのですが海を渡るのに陸からばかリ行く事など出来るわけもないのですから、船に乗らざるを得ないのは道理です、其の上陸から遠回りすれば危険が一杯と云うのでしょう。
 だから舟に乗って真直ぐに行く、居合の「柄口六寸」の教えの大事は、敵の斬り込みに対し一途に敵の拳に切り込む、十文字勝の心得は舟に乗って行く心持ちと悟るべきものである。
 然し船にて必ず渡海出来ると思ってはいけない、歌に「乗り得ても心許すな海士小舟浪間の風の吹かぬ日ぞなき」と一途に拳へ打込んでも間と間合いが合わなければ目的は果たせない、浪間に風が吹いて、海が荒れてしまえば思い通りに目的が果たせない事もある。
 この浪間の風を十分に知らなければ舟に乗る事も出来ないのである。敵との間と間合いに対する心得を身に着けなければ「柄口六寸」の教えは果たせないのです。
 浪間の風の有る無しに拘わらず、渡海する海士小舟も、状況判断を誤れば、舟の釘も楔も抜けて沈没してしまうよ。この心得を知って良く工夫すべきでしょう。

 現代居合は仮想敵相手の一人演武が指導されます、それも自分に都合の良い想定です。或は想定などお構いなしの形だけがほとんどでしょう。此処での想定は、敵が黙って斬られるような都合の良い状況では無さそうです。敵の害意を察して、こうするなどの勝手な妄想に依るのではないでしょう。
 敵が我が肩、胴、足いずれにでも斬り込んで来る、その敵の心の動きと同時にほんのわずかな動作を知って、拳に遮二無二打込んで「柄口六寸」の勝を制する極意業への心構えを歌い上げていると解釈できます。

 十文字勝については敢えて解説しませんが、敵の刀を受けてから斬り込むのではなく、また、外して斬り込むのとも異なります。敵の「柄口六寸」に打ち込んだ時が切った時であり、敵の刀を外した時と云えるでしょう。
 土佐に持ち込まれた居合は、抜刀術がメインでは無く、総合武術としての教えを秘めています。

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2020年1月 1日 (水)

道歌2古伝神傳流秘書より抜刀心持引歌2の4敵に従う

道歌
2、古伝神傳流秘書より抜刀心持引歌
2の4敵に従う

敵に従って可勝心持ち 春風を切ると云ふ 古歌

風吹は柳の糸のかたよりに
     なびくに付て廻る春かな

強身尓て行當るをは下手と知れ
     まりに柳を上手とそいふ

敵と出合ふ時かならず討勝と思ふへからす況や恐るゝ古となし間に不加豪末雷電石火の如くちらりと我が心二移時無二無三に打込亊居合の極意也然れ共只打込でなし是に柄口六寸の習なり此習を以敵の場へふん込み討つ也


敵に従って勝つべき心持ち、春風を切ると云う 古歌
風吹けば柳の糸の偏りに
    靡くに付きてめぐる春かな
強みにて行き当たるをば下手と知れ
    まりに柳を上手とぞ云う

敵に従って勝つ為の心得は、春風を切ると云う事である。古歌にある。
 風が吹けば柳の糸の様な枝が風の吹いて行く方に靡いて偏る様に、春の訪れは其処から感じられる。
 この歌は金葉和歌集にある白河院の歌を当てている様です。風を受ける柳のように風を往なす心持ちで敵に対すれば、やがて勝口が見えて来ると教えているのでしょう。
 力一杯に斬り込むなどは下手と思いなさい、まりが当たった柳の枝が逆らわずに靡くのを上手と云う。
 次の歌は、斬り込むにしても力一杯に力んで斬り込むなど下手の証拠のようなものだ、まりが柳の枝に当たっても何の抵抗も無く元の姿に戻っているよと云うのでしょう。強みに頼るものではないとの教えです。
 敵と出合う時に必ず打ち勝つと思うものではない、況や恐れて居すくむものでも無い、身を土壇にして、無心に間に至れば雷電石火の如く「ちらり」と打つべき瞬間が見えて来る、其の時無二無三に打ち込むのがこの居合の極意である。
 然れども、ただ打込むのではなく「柄口六寸」相手の拳に打込むのである。この教えを以て敵の場に踏み込んで打つのである。敵が我が肩なり胴、足に打ち込んで来れば、何も考えずに、上段から真直ぐに打ち下ろして敵の拳に勝つ、新陰流の十文字勝の気分でしょう。
 

 

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道法自然

道法自然

 新年あけまして

    おめでとうございます

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令和二年庚子元旦

道法自然は老子の象元二十五にある言葉で「人法地 地法天 天法道 道法自然」によります。
道は天地に先だって生じていた、「人は地に法り、地は天に法り、天は道に法り、道は自然にのっとる。」従って根元たる「道」を基として自然であれと云う事です。
地球温暖化の影響で今年も自然の猛威には逆らえないかもしれません。
それだけに、平和で争いの無い自由な毎日であってほしいものです。

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2019年12月31日 (火)

道歌2古伝神傳流秘書より抜刀心持引歌2の3水月之大事

道歌
2、古伝神傳流秘書より抜刀心持引歌
2の3水月之大事

居合太刀打共 水月之大事 口伝 古歌に

水や空空や水とも見へわかず
      通ひて住める秋の夜の月

おしなへて物を思はぬ人にさへ
      心をつくる秋のはつ風

秋来ぬと目にはさやかに見へねども
      風の音にぞ驚かれぬる

右の心にて悟るへし我は知らね共敵の勝をしらする也、其ところ水月、白鷺、とも習有るべし、又工夫すべし

居合、太刀打ともに「水月之大事」で口伝、歌に託す

 水や空空や水とも見えわかず通いて住める秋の夜の月「水なのか空なのか、空なのか水なのか区別が出来ないような澄んだ日には、どちらにも通って住んでいる様に秋の月は見えるよ」と歌っているのでしょう。橘俊綱の歌会で「水上の月」」のお題に、それを聞いた田舎兵士が歌ったものとか、ミツヒラは和歌の道など歌を詠んでなるほどな~と関心はしても、その歌の詠み人や出典を知ろうなどと思う事すら暗すぎてトンと出典は判りません。
 居合太刀打の歌心は其の澄み切った無心で敵と対すれば、相手の心が我が心に見えて来るものだというのでしょう。

 おしなべて物を思わぬ人にさへ心をつくる秋の初風「一般的に物思いなどしない人でさえ、もののあわれを覚えさせる秋の初風」と読んでいますが、この歌は新古今集にある西行法師の歌とされます。
 物を思うは恋心とも解釈できるでしょう、「恋心を感じた事も無かったのに、頬に当たる秋の初風は、もののあわれを覚えさせる風であれば、台風でも無さそうだし、心地よい秋風でも無さそうで、冷たく木の葉を吹き散らす風をイメージしてしまいます。そんな風が吹くとしみじみとした気持ちになるというものです。
 さて、居合太刀打の「水月の大事」に残された歌として、どの様に結び付けたらいいのでしょう。相対して向かい合う時、無心な我が心に、相手の僅かな動きに、相手の変化を感じとれるものだ、と云うのでしょう。

 秋来ぬと目にはさやかに見えねとも風の音にぞ驚かれぬる「秋立つ日詠める」と題された古今和歌集にある藤原敏行の歌「秋立つ日とはいうものの、秋を目にハッキリ見えないのだけれど、吹く風にハッと気が付く」と歌っているのでしょう。対する敵も静かに構えているのだが突然ここぞと打込まんとする気勢によってハッと感じて応ずるものだ。

 この三首の歌心である水月の大事と白鷺心を習得する事によって相手の動きを知り応じられなければ敵を勝たせるばかりである、其の処を良く習いなさいと言って居ます。

 古伝神傳流秘書の居合心持肝要之大事の居合心立合之大事では「敵と立合い兎やせん角やせんと巧む事甚だ嫌う、況や敵を見こなし彼が角打出すべし其所を此の如くして勝たんなどと巧む事甚だ悪しし、先ず我身を敵の土壇と極め何心なく出べし。敵打出す所にてチラリと気移りて勝亊なり、常の稽古にも思い案じ巧む事を嫌う、能々此の念を去り修行する事肝要中の肝要也」と居合太刀合の心持が述べられています。
 常の稽古にも此の心持ちを忘れずに稽古するのだと諭してもいます。

     

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2019年12月30日 (月)

道歌2古伝神傳流秘書より抜刀心持引歌2の2白鷺心

道歌
2、古伝神傳流秘書より抜刀心持引歌
2の2白鷺心

居合太刀打共 白鷺心(と云うことあり) 口伝 古歌に

思ふれと色に出二希り我が恋は
      ものや思ふと人のとふまで

数ならて心二身をは倭ねど
      身二従ふは心なりけり

読み
思うれど色に出にけり我が恋は
      物や思うと人の問うまで
 恋しい思いを隠してきたつもりだったが、隠しきれずに表情に出てしまって、恋煩いをして居ませんかと人に言われてしまった。此の歌は百人一首にある拾遺集の平兼盛天徳4年960年の歌と云われています。
 元歌は「忍ぶれど色に出にけり我が恋は物や思ふと人の問ふまで」です。上の句の読み出しを変えたのか、その様に覚えて居たのか解りません。

 隠してきた恋心を人に悟られた心を、白鷺心とどう結びつけるのかですが、鳥の白鷺の心など考えて見た事も無いので、困りました。白鷺が川の中で獲物を狙う姿は、川の中の魚から見ればどのように見えるのか興味のある処ですが、まず白鷺が水辺に降り立つ時足の立たない程の深さの処には立った姿も、泳いでいる処も見た事がありません。
 足の踝の下あたりに流れが有る様に降り立ちます。恐らく魚が居そうな石や水藻があるのでしょう。静かに降り立つのではないので水面には衝撃が伝わって波紋が現れます。是では敏感な魚はきっとその場に居すくむか、逃げ出すでしょう。
 そこからが白鷺心と云えるところでしょう。暫らくは足も体も動かさず不動の姿で立って居ます。やがて魚も危険が去ったと思って戻って来るか、潜んでいたところから出て来るのでしょう。
 白鷺の眼明かに不動の姿勢から魚を追い始め、魚が射程距離に近づく頃から頭が魚を追うのか不自然な動きを見せ始めます。其の瞬間一気に頭を水中に突っ込みます。
 百発百中とは行かず、空振りは当たり前のようです、やがて魚をくわえた顔が嬉しそうに見えるのが楽しいものです。白鷺も同じ場所ではうまくいかずに魚がその場を去るのか、場替えをしたりしています。
 白鷺心とは、魚が居そうで、足場の良い場取りが大切でしょう。白鷺が降り立てばその衝撃は魚に伝わる筈ですから、一旦逃げ出す、再び元の位置に戻って来るのは魚にも都合が有る訳で、縄張り以外では専従者に追い立てられてしまいます。その戻るまでをじっと立って居る。威勢よく首を突っ込み、むやみやたらに魚を追い廻さない、捕える一瞬の嘴裁きである筈はありません。魚が自ら捕り易い場所にやって来るのを待亊なのでしょう。

居合立打共にこの歌心を持ってやりなさいと云うのでしょうが、心は隠しきれずに表情に出てしまうものだと歌われてしまいます。この様に斬り込んで勝たん、などと思えば目や腕や刀が、何処に打ち込まれるかそれを相手に知らせてしまい、切らんとする初動で見透かされてしまいます。

 次の歌は、源氏物語の作者と言われる紫式部の「紫式部集」の歌で「数ならぬ心に身をば任せねど身に随ふは心なりけり」で、意味は、「人の数にも入らない様な私の心なのに、心の儘に生きて居るなど出来るわけはない、だからその現実の生きざまに、馴れ随ってしまうのも心と言うものだ」。と歌っているものです。此の処も白鷺心であるのか、そうか、白鷺も思うように行かず、場を変えたり、其の辺を右足、左足とゆっくり踏んで、魚が岩陰から出て来る様にしたり、場を変えているが、思うように行かない。やがて諦めて飛び立って行く。

 この白鷺心は、自ら進んで、強みを見せて斬り込むのでは無く、相手の動きを我が打込みやすい所に導き出し勝を取る心を歌にのせているのでしょう。此の歌は、頭で理解出来ても、稽古を重ねなければ決して身に着ける事など出来ないものです。居合にしても太刀打ちにしても、「形だから」などと云っているうちは無理でしょう。 
 


 

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2019年12月29日 (日)

道歌2古伝神傳流秘書より抜刀心持引歌2の1心水鳥

道歌
2、古伝神傳流秘書より抜刀心持引歌
2の1心水鳥
右の心は水鳥と気を付工夫有べし 古歌に

帆を掛けて急ぐ小舟に乗らずとも
     行く水鳥の心知るへし

水鳥の水に春めども羽はぬれ須
     海の魚とて汐はゆくなし
(水鳥の水に住めども羽は濡れず
     海の魚とて汐はゆくなし)

古伝神傳流秘書の冒頭は「抜刀心持引歌」から始まります。
「荒井清信公言う 夫居合とは手近き勝負柄口六寸の大事あり其の形を亊となし前後左右之を知り先居合抜申形は「◯の中に▲」如斯
 1、身を正しくして抜申形肝要也 つりぬをたとえば(?) 面 薄桜
 1、居合之位 身の掛り 鉢の木口伝

   心水鳥
 右の心は水鳥と気を付け工夫有るべし  古歌に」

 江戸に於いて荒井兵作信定(名を改め荒井勢哲清信)から伝授され、土佐に居合をもたらした林六大夫守政の残された無雙神傳英信流居合兵法、古伝「神傳流秘書」は原本は不明ですが山川久蔵幸雅によって文政二年1819年に書き写され坪内清助にもたらされています。その神傳流秘書の冒頭の「抜刀心持引歌」なのです。
 土佐の居合も御多分に漏れず、明治維新によって絶え絶えであったものが板垣退助の肝いりで、後藤孫兵衛正亮先生・大江正路先生に依って復活し、江戸後期には流名を改めたのか無雙直傳英信流居合兵法とされて現在まで引き継がれています。所謂土佐の居合の始まりはこの「抜刀心持引歌」によって居合心を伝えてきます。

 林六大夫守政の師荒井清信公が言うには、居合と云うのは手近に云えばその勝負は柄口六寸による大事な奥義である。その形を体に浸みこませて前後左右の相手に応じる抜刀の形である。
 1、身も心も正しくして抜き付ける形が肝要である。其の抜く際の形は空中から吊り下げられているイメージで軽く膝を曲げ、足裏で床を踏み、丹田を稍々斜め前下に押し出す、お能の立姿を「つりぬ」と云ったのかも知れません。そして顔は、気張らず、こわばらず、威圧せず、ほんのり桜色とする。
 2、居合の位、身の掛りは、能の一曲「鉢の木」をイメージする様にとの口伝。前述の立姿や、能「鉢の木」の北条時頼と佐野源左衛門尉常世の相手の心を思いやる気持ちを示唆していると思います。

 「心水鳥」居合心は水鳥と同じと気を付けて工夫しなさい。その心は古歌に歌われている。
 帆を掛けて急いで水面を走り抜ける様な気分で相手に応じるのではなく、水鳥が水面を静かに滑るように進むあの姿を場に臨んでも失うなと、うたっている。
 そうであっても、水鳥は水に住んでいても羽は濡れないし、海の魚だとて汐に浸されてしまわない、その様に相手に飲み込まれず己を忘れず応じる事。
 
 遠い昔、百人一首や古文の時間に和歌を嘗めただけの世代なので、歌心などとんと音痴で読み切れないものです。然し古歌を読み解くばかりの国語学者では無いので、居合と云う武術を修業する身が、その奥義を求めて思いを致せば、其の力量のレベルで読み解くことは出来るかもしれません。
 断って置きますが、習っただけの形を見事に演ずるばかりの演舞修行者には歌心も不要でしょう。

 
 

 

 

 

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2019年12月28日 (土)

道歌1秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩)1の29秘歌の大事27首の読み

道歌
1、秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩 元禄14年1701年)
1の29秘歌之大事27首の読み

1、 千八品木草薬聞きしかど
      どの病にと知らで詮なし
2、 早くなく遅くはあらじ重くなく
      軽き事を悪しきとぞ云う
3、 居合とは人にきられず人切らず
      たゞ受け留めて平らかに勝
4、 本の我に勝が居合之大事なり
      人に逆うは非がたなりけり
5、 寒夜にて霜を聞くべき心こそ
      敵に逢うての勝をとるらん
6、 鍔は只拳の楯と聞くものを
      太くも太く無きはひがごと
7、 強みにて行き当るおば下手と云う
      鞠と柳を上手とぞ云う
8、 居合とは押し詰めひしと出す刀
      刀抜くればやがてつかるゝ
9、 後より騙すに手こそなかりけれ
      声の抜きとや是を云うらん
10、狭ばみにて勝をとるべき長刀
      短き刀利はうすきなり
11、世の中に我より外の者なしと
      思うは池の蛙なりけり
12、下手こそは上手の上のかたり者
      かへすがえすも誹りはしすな
13、抜けば切るぬかねば切れよ此の刀
      ただ切る事は大事こそあれ
14、萍を掻き分け見ればそこの月
      ここにありとはいかで知らせん
15、居合とは心に勝が居合也
      人に逆うは非がたなりけり
16、人いかに腹を立てつつ怒るとも
      心に刀拳放すな
17、ひしとつくちょうと留めるは居合也
      知りぬに切るは我を害する
18、二人には勝たれざりけり悪刀
      剣に恐れて手は出ざりけり
19、居合とは弱みはかりて勝ものを
      強みて勝は非がたなりけり
20、見よや見よ浮世を渡る浜千鳥
      魚と水との篝火の風
21、世は広し折りに依りてぞ変わるらん
      我れ知るばかり良しと思うな
22、必に向かう七つを頼みて
      左右を何と防がん
23、金胎の両部の二つと見へにけり
      兵法あれば居合始まる
24、到らぬに許しこのみをする人に
      居合の恥を我とかくなり
25、切結ぶ太刀の姿のかわらずは
      勝たれぬ迄もたのもしきかな
26、執心のあらん人には伝うべし
      位残すなだいじなる事
27、引くも間よ懸るも間とは知りながら
      抜かぬに切るは非がたなりけり

 新庄藩の元禄14年1701年林崎新夢想流秘歌之大事を改めて読み直してみました。太字の歌がミツヒラによる解読となります。    

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2019年12月27日 (金)

道歌1秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩)1の28終りに

道歌
1、秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩 元禄14年1701年)
1の28終りに

道歌1秘歌之大事は27首を以て終ります。
秘歌之大事は編著林崎甚助源重信公資料研究委員会による「林崎明神と林崎甚助重信」に収集されている新庄藩の相馬忠左衛門政住から田口彦八郎へ元禄14年1701年伝授されたものになります。
 本来ならば居合振武館に展示されている原本から読みとくべきものかも知れませんが、同資料研究委員会の原本写真を使用させていただきました。
 現在の処、この秘歌之大事に相当するもので、より古い林崎甚助重信を始祖とする居合の道歌は見聞きしていません。
 新庄藩には更に寛政3年1791年に常井大膳から押切傳之進へ伝授された林崎新夢想流の伝書の中にある「和歌之大事」、及び明治44年1911年松坂次郎左衛門臣盛から早坂理三に伝授された伝書にある居合秘歌巻が同書に原本写真が収録されていますのでそれを参考にさせていただきました。
 土佐の居合に於ける和歌は曾田本その1の巻末にある山川幸雅伝「居合兵法の和歌32首」で、田宮平兵衛業政之歌として文政4年1821年坪内長順から坪内清助に伝授された曽田先生の直筆書写を使用させていただいています。
 曽田先生が書き写された伝書については、一切不明です。曽田先生は恐らく土佐の居合の歴史的資料としてよりも、自らの居合修行に於ける参考として書き写されたものだろうと思っています。
 そのほかに、田宮流居合歌の伝26首を妻木正麟著詳解田宮流居合から使用させていただいています。
 これらの参考資料を置いて「秘歌之大事」を読まなければならなかった理由は、古文書の文字は紙や墨の経年変化に依る消失よりも、書かれた人の時代や地域に依るのでしょう、書体や当て字の癖、更に居合と云う独特の武術を理解していなければ文字の判読より歌の読み解きが厄介である事に依ります。
 従って、秘歌之大事の前書きに資料研究委員会では「新庄で発見された伝書では最古のものであるので、秘歌の大事を次に紹介することにしたが、下段には、読み易くするために天童郷土研究会長、伊藤文治郎氏の筆による解読歌を付した」と文字の判読から秘歌を読み解かれています。
 伊藤会長も大変ご苦労されて解読されたと思いますが、私も原本写真を基礎として解読して見ました。いくつか伊藤会長と異なる読みが点在しているのは、秘歌之大事が居合の極意を歌っている筈と心得、それを基礎として読み解いて見たわけです。
 一字ごとに、ルーペを片手に文字を解読する作業は手間取るもので、一句平均3時間は費やしてしまい、読めればその歌が示している極意のありようは何処にも参考とするものはなく、自らのつたない力量の範疇でしか読み取れないものでした。
 2011年に秘歌之大事をアップしておりますが、消去せずにそのままにしております、今回はその改訂版と最初は思ったのですが、殆んど参考にもしないで今回のものを書き込んでいますので、「前にああ言ったのに今回はこう言うのか」と言われる事もあろうかと思います。少しの進歩も無いのであれば悲しい事です。
 秘歌之大事をお読みいただいた方から、この歌はこの事を示唆しているとご教授頂ければ幸いです。
 次回は、秘歌之大事27種の読みを一括しておきます。

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2019年12月26日 (木)

道歌1秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩)1の27引くもまよ

道歌
1、秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩 元禄14年1701年)
1の27引くもまよ

引も未よかゝ留も満とハ知な可ら
      ぬ加ぬにきるハ非加多也希里
読み
引くも間よ懸るも間とは知りながら
     抜かぬに切るは非がたなりけり
(ひくもまよかかるもまとはしりながら
     ぬかぬにきるはひがたなりけり)


 引くも間、懸るも間とは知っているのに、相手が「ぬかぬに」切るなど間違っている。
 直訳すればこの様な歌でしょう。
 現代居合では「敵の害意を察して」抜くと河野居合では教えています。「敵の害意」とは何なのか、意見が食い違って今にも抜刀せんとする殺気を感じた時でしょうか。手が刀に向かって動き出した時でしょうか。左手で鯉口を切る素振りを感じた時でしょうか。鯉口を切った瞬間でしょうか。
 此処では、「抜かぬに切る」と言っているのですが。この歌が新庄藩の秘歌之大事の最終の歌なのです。意図的に居合の心持ちを歌い込んでその順番にも意味ありとは思うのですが、頭を捻ってしまいます。
 相手が「抜かぬに」切る、と読んだのですが、我が抜かずに切るのでは「非がたなりけり」ですし、上の句の「間」との関連も見いだせません。
 土佐の居合は、仮想敵を想定して、抜刀する稽古ばかりをしています。現代では抜き付けの部位は肩からこめかみと大雑把です。然し根元之巻では敵の柄口六寸への抜き付けを極意としています。
 柄口六寸の勝では、敵の拳への抜き付けは、敵が左手で鯉口を切り同時に右手を柄掛りして抜き出す、その瞬間に拳へ抜き付けるものです。相手が抜きもしない、刀に手が掛からないのでは間は、相対して座したまま、膝上にあるに過ぎません。
 此の歌の心は現代居合では解けないかもしれません。
 新庄藩の林崎新夢想流の寛政3年1791年の秘歌之大事は「引も間よかゝ流もまとハ知な可ら怒可ぬ尓き類ハ非方也介利(ひくもまよかゝるもまとはしりながらぬかぬにきるはひほう(かた)なりけり)」
 新庄藩の林崎新夢想流の明治44年1912年の居合秘歌巻では「引毛間よかゝる毛間とハ知な可らぬ可ぬ尓き類ハ非方成介り(ひくもまよかかるもまとはしりながらぬかぬにきるはひがたなりけり)」
 200年余りの歳月にも文字は変わっても読みは同じ様です。
 此の歌は、曾田本その1の居合兵法の和歌にも妻木正麟著詳解田宮流居合歌の伝にも見当たりません。居合の抜付けの部位が「柄口六寸」を忘れて、肩だ首だ顔面だと云う現代居合になると「抜かぬに切る」などその方が当たり前になってしまいます。当然道歌も不要になったと思うのはあながち間違いでも無いでしょう。

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2019年12月25日 (水)

道歌1秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩)1の26執心の

道歌
1、秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩 元禄14年1701年)
1の26執心の

執心能あらん人にハ傳婦遍し
       くらゐ残春な大事な累亊
読み
執心のあらん人には伝べし
       位残すな大事なる事

 物事を深く捉えて大切にする人には、流の位を残らず伝授する事が大事である。
 「執心のあらん」ですと現代文では執心の無い人、になるのですがここは古文を引っ張り出して「物事を深く捉えて大切にする人」と読み解くべきでしょう。それによって下の句とつながってきます。
 現代居合では、寧ろ師匠に執心が無く、見よう見まねで習っただけ、昇段審査や競技会で勝てるだけの演舞ばかりを手ほどきするのでは、武術には程遠いものです。
 「位残すな」をどこまで指導出来るのでしょう。古伝神傳流秘書を片手に研究会をやらなければ「昔は」などとは程遠いものです。

 新庄藩の林崎新夢想流寛政3年1791年の伝書では「執心乃あらん人尓は傳ふへしくらゐ残す那大事成亊(しゅうしんのあらんひとにはつたふべしくらいのこすなだいじなること)」
 
 新庄藩の林崎新夢想流明治44年1912年の伝書では「志う心乃あらんひと尓ハ傳うへし位能古しな大事なるへし(執心のあらん人には伝うべし位残しな大事なるべし)」

 曾田本その1の居合兵法の和歌にはこの歌はありませんが、こんな歌が歌われています「道を立て深く執心春る人尓大事のこさ春大切尓せ与(道を立て深く執心する人に大事残さず大切にせよ)」この歌も同じ歌心と思われますが、下の句の「位残すな大事なる事」は免許皆伝を受けた弟子に、「お前さんの弟子の中で「執心のあらん人」がおれば、位残さずお前さんが伝授する事が大事なんだよ」と歌っている様で免許を受ける方も、授与する方にも重くかかって来る様で、林崎新夢想流の師弟愛を感じています。

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2019年12月24日 (火)

道歌1秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩)1の25切むすぶ

道歌
1、秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩 元禄14年1701年)
1の25切むすぶ

切武春婦太刀尓姿能可ハら春ハ
      加多連ぬ迠もたのもしき哉
読み
 切結ぶ太刀に姿の変わらずは
     勝れぬ迄もたのもしき哉

(きりむすぶたちにすがたのかわらずは
       かたれぬまでもたのもしきかな)

 1、切り結んでいる太刀の扱いが流の掟に依る、勝つことは出来なくとも末頼もしいものだ。
 2、切り結んでいる姿に、臆した所も無く、勝つことは出来なくとも頼もしいことだ。
 もっと、奥の深い事を歌っているかもしれません。
 
 新庄藩寛文3年1791年林崎新夢想流秘歌之大事では「切む春婦太刀に姿能可わら春は可多れぬ満ても堂のもしき哉(切むすぶ太刀に姿の変わらずは勝たれぬまでも頼もしきかな)

 新庄藩明治44年1912年林崎新夢想流居合秘歌巻では順番が最終になっています「切結ふ太刀の姿かハ▢ハか多れぬ未ても頼母敷哉(きりむすぶたちのすがたかわ▢▢はかたれぬまでもたのもしきかな)」

曾田本その1の居合兵法の和歌にはこの歌は存在しません。

妻木正麟著詳細田宮流居合歌の伝にもありません。


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2019年12月23日 (月)

道歌1秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩)1の24至らぬに

道歌
1、秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩 元禄14年1701年)
1の24至らぬに

到らぬにゆるしこのみを春る人二
         為あひの恥を我とかく也

読み
到らぬに許しこのみをする人に
         居合の恥を我とかく也
(いたらぬにゆるしこのみをするひとに
         いあいのはじをわれとかくなり)

 まだまだ実力が至る事も無いのに、印可を好んで発行する人には、自分で居合の恥をかくようなものだ。
林崎甚助源重信公資料研究会の「林崎明神と林崎甚助重信」では「至らぬに」と此の歌の読みを書かれていますが「到らぬに」が正しい文字でしょう。
 意味は同じですから問題は無さそうです。
 問題は「ゆるしこのみをする人」は門弟が印可を欲しがるのか、師匠が乱発するのか悩みます。更に「居合の恥を我とかく也」の「我」は門弟なのか「師匠」なのかここでも悩みます。
 実力が無いのに免許を乱発すれば門弟も師匠も恥をかくはずですからどっちでもいいや、としました。然し大恥をかくのは師匠でしょう。弟子に与えた皆伝の効果も無くころりと弟子が殺されたんでは師匠も形無しです。

 新庄藩の寛政3年1791年の伝書では「い堂ら怒尓遊るしこ能ミを寸る人ハ居合の恥を我とかくなり(いたらぬにゆるしこのみをするひとはいあいのはじをわれとかくなり)」

 新庄藩の明治44年1912年の伝書では「初心にてゆるしこのみを春る人は居合能者知を我とかく也(しょしんにてゆるしこのみをするひとはいあいのはじをわれとかくなり)」

 此の歌は曾田本その1の居合兵法の和歌にはありません。

 妻木正麟著詳解田宮流居合歌の伝では「至らぬゆるしこのみをするひとはその道ごとに恥をかくべし」流の業技法を身に着けたとは言えないのに勝手にこの様で十分と自分勝手にしてしまうと、その道毎に恥をかくであろう。歌心はこの辺かも知れません。

 

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2019年12月22日 (日)

道歌1秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩)1の23金鉢の

道歌
1、秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩 元禄14年1701年)
1の3金鉢の

金鉢乃両部能二川と見へ尓希利
     兵法あ連ハ居合者しまる
読み
金鉢の両部の二つと見へにけり
     兵法あれば居合はじまる
(かなばちのりょうぶのふたつとみへにけり
     へいほうあればいあいはじまる)

金鉢は托鉢の鉢、或いは鉄兜。
両部は密教の大日如来の持つ智徳を表す「金剛界」、理徳を表す「胎蔵界」の両部のことでしょう。
金胎(こんたい)は漆器の金属製の素地。金剛界と胎蔵界を意味します。金鉢は金胎の誤認かも知れません。

 この解読は「金胎両部である金剛界の智徳と胎蔵界の理徳のぶつかり合いと見えた、意見の分かれがお互いに和することが出来なければ、居合兵法に依る決着が望まれる」。
 人間のコミュニケーションの最後の手段が武力による決着です。この神夢想林崎流が起こされた永禄2年1559年頃は戦国時代の真っ最中であったでしょう。戦わずして和する事が武術の奥義なのです。
智徳とは物事をよく理解する、賢い。
理徳とは物事の筋道、道理、尤もな事。

 新庄藩の寛政3年1791年林崎新夢想流伝書では「金鉢能両部二川登みへ尓介利兵法あれハ居合者し満類(金鉢の両部二つと見へにけり兵法あれば居合始まる)」

 新庄藩の明治44年1912年林崎新夢想流では「金鉢の両部の二つ止見へ介り兵法あ連ハ居合者し未留(きんばちのりょうぶのふたつとみえけりへいほうあればいあいはじまる)」

 曾田本その1の居合兵法の和歌では「金胎の両部と正に見へ尓介り兵法有れば居合者しまる(こんたいのりょうぶとまさにみえけりへいほうあればいあいはじまる)」

 妻木正麟著詳解田宮流居合歌の伝では「金銀(金胎)の両部正に見えにけり兵法有ればいあい始まる」金銀は金胎でしょう。括弧付きで「金胎」とされています。恐らく江戸時代の伝書は「金鉢」であったでしょう。

 金鉢は托鉢の時のお椀、或いは漆器の金属製の素地ですから、誤認或いは誤字による伝承でしょう。この和歌の文言としては金胎で無ければ伝わってこない、この居合の伝書は一国一人の真実の人に伝授すべきものですが、理解されずに伝承されたとしか思えません。

 

 

 

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2019年12月21日 (土)

道歌1秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩)1の22面にむかう

道歌
1、秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩 元禄14年1701年)
1の22面にむかう

必尓むかふ七をたのみに亭
      左右をハ何と婦せかん
読み
必ずに向かう七つを頼みにて
      左右をば何と防がん
(かならずにむかうななつをたのみにて
      ひだりみぎおばなにとふせがん)
 天童郷土研究会長の解読では「面に向かう長きを頼みにて左右をば何と防がん」とされていますが、書き出しの崩し字は「面」ではなく「必」でしょう。次の「むかふ長を」は「長」の草書体ではなく「七」でしょう。
*
新庄藩の寛政3年1791年の伝書では「必尓む可ふ七川を堂のミ丹て左右をは何と婦せ可む(必ずに向かう七川をたのみにて左右おば何と防がん)」

新庄藩の明治44年1912年の伝書では「かなら津にむかふ七つを頼尓てひ多り右をハ何とゆふらん(必ずにむかう七つを頼みにて左右おば何と云うらん)」

この歌は曾田本その1にも田宮流歌の伝にもありません。
「必ず七つのことを頼みにして向かっていくが、我が身の左右をどの様に防ぐのだ」と解読して見ましたが「七つのこと」が理解できません。
しんさまからのコメントで向身七本であろうとご教示いただきました。いずれにしても歌をよむのが精一杯で歌心迄に至れません。
従ってこの歌は字を読んだとしても歌心を読み解くことが出来ません。新庄藩に伝わった元禄14年の伝書が読めず、意味不明のまま寛政3年も明治44年も伝承してきたのでしょう。誰かが歌の心に致る事を念じて読まれて来たとしか書けない。免許皆伝とか目録の意味は業技法の運用が出来たから授与されたとは思いたくないものです。

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2019年12月20日 (金)

道歌1秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩)1の21世は広し

道歌
1、秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩 元禄14年1701年)
1の21世は広し

世ハ廣し折尓よりてそ可者るらん
      者禮之流計よしとお毛ふ奈
読み
世はひろし折に依りてぞ変わるらん
      我れ知るばかり良しと思うな
(よはひろしおりによりてぞかわるらん
      われしるばかりよしとおもうな)

「世の中は広いもので、折に触れて変わるものだ、我が知っているばかりのものが良いものではない」
 
新庄藩寛政3年1791年の秘歌之大事では「世者廣し折尓寄てそ可王るらん我し流者可りよしと於もふ那(世は広し折りに依りてぞ変わるらん我知るばかり良しと思うな)
新庄藩明治44年1912年居合秘歌巻「世ハひろし折尓よりてや変るらん我志留者かよし▢▢ふな(世は広し折りによりてや変わるらん我知るばかしよし(と思)ふな」。
曾田本その1にはありません。
妻木正麟著詳解田宮流居合歌の伝では「世の中は我より外のことはなし思わは池のかへるなりけり」。歌心は同じ様ですが、歌は違います。

 

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2019年12月19日 (木)

道歌1秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩)1の20見よや見よ

道歌
1、秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩 元禄14年1701年)
1の20見よや見よ

見よや見よ浮世を渡留濱千鳥
       魚尓水と能かゝ里火の可世
読み
見よや見よ浮世を渡る浜千鳥
       魚と水とのかゝり火のかぜ
(みよやみようきよをわたるはまちどり
       うおとみずとのかゝりびのかぜ) 

 そのまま読んでみると、「見て見なさい、浮世を渡る浜千鳥は、水中の魚のように、風に揺らめく篝火のようだ」。
 無理やり読んで見たのですが上の句は兎も角、下の句は是でいいのか、良しとすれば秘歌之大事とする居合にどの様に関係する歌なのか響いてきません。
 新庄藩の寛政3年1791年の林崎新夢想流伝書では「見よやミよ浮世越渡留濱千鳥魚登水戸尓かゝり火の可計(見よや見よ浮世を渡る浜千鳥魚と水とに篝火のかげ)」
 見て見なさい、浮世を渡る浜千鳥は、魚と水の様に、篝火の火影に揺らめいて居るよ。
 新庄藩の明治44年1912年の林崎新夢想流伝書では「見よや見ようき世お渡る濱千▢魚と水との可ゝ里火の可計(みよやみようきよをわたるはまち▢うおとみずとのかがりびのかげ)」一字読めない文字が有りますが寛政3年の伝書と同じ様だと思います。
 曾田本その1にも田宮流歌の伝にもこの歌は有りません。
 居合心を読み解いて見れば、「居合とは風に吹かれて飛ぶ浜千鳥や、水に見え隠れする魚、風に揺らめく篝火のように、相手の動きに瞬時に応ずるものだ」。こんな事を歌っている様に思えてきます。
 

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2019年12月18日 (水)

道歌1秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩)1の19居合とはよはみ

道歌
1、秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩 元禄14年1701年)
1の19居合とはよはみ

居合とハよ者み計てかつ物を
       徒よみて勝ハ非か多也希り
読み
居合とは弱みはかりて勝ものを
       強みて勝は非かたなりけり
(いあいとはよわみはかりてかつものを
       つよみてかつはひがたなりけり)

 居合と云うのは相手の弱みを計りて勝つものを、強い事で勝は不本意である。こんな解釈で良いのか疑問ですが。相手より力強い事で勝つなどはより強いものに出合えば負けてしまうと読む事も出来ます。
 居合は相手の害意に対し機先を制するものと前面に押し出したのは河野居合ですが、古伝を読んでみると後の先も、先も、先々もあってなかには不意打ち闇討ち紛いの教えもあるのです。いずれにしても相手の隙をついていく、或いは相手の斬り込みに乗じて抜き付けるもので、力任せに強く抜き付けても勝つわけでは無いでしょう。そんな居合心を歌っているのかも知れません。
 新庄藩の寛政3年1791年の伝書では「居合とハよハ三計かし勝毛の越徒よミて可川を非かみなり介り(いあいとはよわみ計かしかつものをつよみてかつはひがみないけり)。
 新庄藩の明治44年1911年の伝書居合秘歌巻では「居合とハよ者み計て勝物をつよみて勝ハひ可多成介り(いあいとはよわみはかりてかつものをつよみてかつはひがたなりけり)」
 妻木正麟著詳解田宮流居合歌の伝では「居合とはつよみよはみに定まらず兎にも角にも敵によるべし」と意味合いが強み弱みは敵に依ると言って異なります。歌心が変化していったものかも知れません。

 

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2019年12月17日 (火)

道歌1秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩)1の18二人には

道歌
1、秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩 元禄14年1701年)
1の18二人には

二人尓ハ加多禮さり介り悪刀曾
       剣に恐禮て手ハ出さり希里
読み
二人には勝れざりけり悪刀ぞ
       剣に恐れて手は出ざりけり
(ふたりにはかたれざりけりあくとうぞ
       けんにおそれててはでざりけり)

 新庄藩 寛政3年1791年 和歌之大事「二人尓は加多連さ里▢り悪刀そ剣尓恐亭手者出佐り介利(二人には勝れざり▢り悪刀ぞ剣に恐れて手は出ざりけり)」
 新庄藩 明治44年1912年 居合秘歌巻「二人尓ハかた連さり介り悪刀耳テ剣耳恐て手ハ出ざり介り(二人には勝れざりけり悪刀にて剣に恐れて手は出ざりけり)」
 曾田本その1の居合兵法の和歌にはこの歌はありません。妻木正麟著詳解田宮流居合歌の伝にもありません。

 此の歌の読みは細部に誤りがありそうですが、「林崎明神と林崎甚助重信」なかで最も古いのが新庄藩元禄14年1701年のこの歌ですから、そこから想像する以外にないでしょう。

 秋田藩の林崎流居合天明8年1788年の伝書に「二人尓盤可多連さり介り志能支つゝ▢▢尓お曾禮て手盤出尓介利(二人には勝たれ(語れ)ざりけりしのぎつつ「剣に?」恐れて手は出でにけり」文字の判読が十分できませんので参考迄。写真版ですから読み込めませんが原本を見れば少しは進むかもしれません。
 二本松藩の林崎神流文化10年1813年に「二人尓ハ勝連ぬ處と聞ぬ連と身▢能上尓勝ハ有り介り(二人には勝たれぬ處と聞きぬれど身▢の上に勝は有りけり)」此れもかんじんな処が読めません。
 これらの歌を総合すべきでは無いでしょうが新庄藩の歌を読み直してみます。「二人には勝たれざりけり悪刀剣に恐れて手は出ざりけり」居合には敵は一人だけではなく複数の業も、複数の場合の心得も残されています。そうであればこの歌心は「二人には勝たれざりけり未熟者、剣に恐れて手は出ざりけり」となってしまいます。術理に従った刀法を身に着けなさいと読むべきでしょう。
 文字や助詞などが変わる歌は恐らく伝承しても元歌の心が読めずにいじくりまわした結果となるかもしれません。ミツヒラブログに正しい読みをコメントいただければと思います。 思いつくままに

 

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2019年12月16日 (月)

道歌1秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩)1の17ひしとつく

道歌
1、秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩 元禄14年1701年)
1の17ひしとつく

非しと徒く知ゃうと留ハ居合也
       知ぬ尓きるハ我を害す春る
読み
ひしと突くちょうと留るは居合也
       知りぬに切るは我を害する
(ひしとつくちょうととめるはいあいなり
       しりぬにきるはわれをがいする)
*
 勢いよく突いて来るのを丁と受け止めるのが居合である、それを知っているのに斬ったのでは突かれてしまう。と直訳気味に読んでみました。
 然し現代居合の大森流も英信流も相手の突き業を発止(ハッシ)と受け止めるチャンバラは無い。敢えて言えば組太刀の中に見られますが、それとて業が上達して来れば請け太刀と為らずに、摺り落すとか、往なすとかの技に変化させ刀と刀を打ち合わせるなど初歩的な運剣にいつまでも拘る様では情けないものです。
 上達すれば請けと同時に斬るとか往なした瞬間に斬って居るとかにならなければ、後の先の意味も無いでしょう。そんな事を思いながらこの歌をなんども読んでいるうちに、「柄口六寸」のこの流之極意を思い描きました。敵が至近から抜き付けんとするその拳に、我は丁「ちょう」と抜き打ってしまう、これが本来の林崎甚助重信が神傳によって得られた居合の極意なのです。
 現代居合の「敵の害意を察して、肩や首、こめかみに抜き付ける」仮想敵相手の後の先と称する不意打ちとは異なるものです。
 下の句は居合の根元である「柄口六寸」のことを知りながら、居合抜とばかりに遮二無二相手の体に抜き付ければ、外されて突きを入れられてしまう。そんな景色が見えてきます。
 「林崎明神と林崎甚助重信」の新庄藩のこの秘歌之大事「ひしとつく」は下の句が「突(つか)ぬにきるは我を害する」と天童郷土研究会長は古文書を読まれていますが、伝書の文字は「知ぬ尓」と読めます。
 この読みから歌心を読み取れば、「ひしと突くちょうと留るは居合也突ぬにきるは我を害する」ですから、相手が突いて来るのを受け止めるのが居合だが、突いてこないのに知って居ながら斬るのでは悪人となってしまうよ、と諭している様に読んでもおかしくないでしょう。

 妻木正麟著詳解田宮流居合歌の伝では「ひしとつく」で始まる歌は二首あります。「ひしとつくちょうと留まるを居合つかぬを切るは我を害する」もう一首は「ひしとつく敵之切先はずすなよ刀をたてに身をばよくべし」。一種目は新庄藩の歌と同じとみていいでしょう。二首めは是は居合とは言えそうにありません。田宮流は居合から剣術に移行した傾向が見られる筈です。
 曾田本その1の居合兵法の和歌にはこの歌は見当たりません。
 新庄藩寛文3年1791年では「ひしと徒くちやうと留れハ居合也▢▢耳切盤我越害す類(ひしとつくちょうと留めれば居合也▢▢に切れば我を害する)」
  新庄藩明治44年1912年では「ひしと徒く丁と留るハ居合也つ可ぬに切ハ我を害春る(ひしとつくちょうととめるはいあいなりつかぬにきるはわれをがいする)」

 新庄藩の元禄14年1701年の下の句の伝書の「知りぬ尓きるハ」の文字は「突かぬ尓きるハ(突かぬにきるは)」が正しいと思われます。
 さて、本来の歌心は、相手が突いてこないのに斬ったのでは、不意打ちになってしまい、我が身を害するよ。とするのか、相手に突かれる前に相手の抜き手を止めてしまう、「柄口六寸」の教えを覚えなければ突き業には応じられない。と読み込むのか。田宮流居合の二首目「刀を楯に身をば避くべし」なのか、将に武術の力量次第の処でしょう。私は「柄口六寸」を以て励みたいと思います。抜かんとする相手の拳を抜き打ちに制する、現代居合が忘れているものを学ぶ事です。
 

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2019年12月15日 (日)

道歌1秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩)1の16人いかに腹を立て

道歌
1、秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩 元禄14年1701年)
1の16人いかに腹を立て

人い可尓腹を立徒ゝい可累とも
       心尓刀拳者奈春那
*読み
人いかに腹を立てつゝ怒るとも
       心に刀拳はなすな
(ひといかにはらをたてつついかるとも
       こころにかたなこぶしはなすな)

「人如何に腹を立てて怒っても、心に刀、拳(こぶし)放すな」此れでは意味が伝わってきません。上の句は「人は如何に腹が立つ事が有って怒るとしても」で良さそうです。下の句は「心は、刀も拳も放すなよ」「心は決して刀を抜くとか、拳で打ち据えるとかしてはならない」と読んでみたのですが、もっと深い意味が秘められているのでしょうか。
 前の歌が「居合とは心に勝が居合なり人に逆ふは非がたなりけり」でした。居合とは己の妄心に本心が負けてしまわない様にするのが居合なのだ、人の言に惑わされて逆らうなどは本意では無い」と歌った後ですから、更に、「武力で以って解決しようなどと考えるな」と追い打ちを掛けられたのは私だけでしょうか。
 
 妻木正麟著田宮流居合歌の伝「人さまに腹をたてつついかるともこぶしをみつめ心志ずめる」この歌は元歌ではなく、新庄藩の歌心を理解した上で歌の伝として伝承して来た様な気がします。
 新庄藩寛政3年1791年の伝書では「人い可に腹越立つゝい可るとも心耳か多れ拳者な須那(人いかに腹を立つつ怒るとも心に語れ拳葉放すな)」下の句の最後の句は「拳は為すな」とも読めますが意味は同じでしょう。
 新庄藩明治44年1912年居合秘歌巻「人いかに腹をた傳てい可るとも心尓刀拳ゆるしな(人いかに腹をたてていかるともこころに刀拳許しな)」。「拳許しな」の意味を拳で打つことぐらいはいいよと云うのか、刀も拳も許してはならないのか、答えは腹の立つ事に対して如何様に考えて行動するのか、居合を学ぶ者の人生哲学によるとしたのでは伝承すべき価値は無さそうです。
この歌は如何に腹立たしくとも、刀を抜くな、拳も振るうな、相手の意図する事をとことん聞いて、和する糸口を見つけ出せ、居合とは神妙剣であると云い切っていると信じます。個人対個人でも、国と国でも同様で何時迄武器を以て多くの人を、それも権威も権力も振るわずに平和に暮らす一般人を殺めて意味のない争いを人類は続けていくのでしょう。
 国境のない世界を実現するには、国を治めようとする人の存在が邪魔するのでしょう。
 曾田本その1にはこの歌に相当する居合兵法の和歌はありません。

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2019年12月14日 (土)

道歌1秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩)1の15居合とは心に勝

道歌
1、秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩 元禄14年1701年)
1の15居合とは心に勝

居合とハ心尓勝可ゐあひ奈り
      人尓さ可ふは非か堂也希利
読み
居合とは心に勝が居合なり
      人に逆うは非がたなりけり
(いあいとはこころにかつがいあいなり
      ひとにさかうはひがたなりけり)
*
 居合とは自分の心に勝のが居合である、人に逆らって争うなどは間違っていますよ。直訳すればこんな事を歌っているのでしょう。敢えて「居合とは」と書き出されています。
 真実を見極める事も無くその努力を怠って「武術は人のコミュニケーションの最後の手段」の武によって決着をさせようとするなど非である、であれば、「居合とは」と限定的に言い切るものでも無い。

 柳生但馬守宗矩の兵法家伝書に、さる歌に「心こそ心まよわす心なれ心に心心ゆるすな」とあります。
 その解説 渡辺一郎校注「兵法家伝書」より
心こそ:妄心とてあしき心也。わが本心をまよはする也。
心まよはす:本心也。此の心を妄心がまよはす也。
心なれ:妄心をさして心なれと云ふ也。心をまよはす心也とさしていふ也、妄心也。
心に:妄心也。此妄心にと云ふ也。
心:本心也。心殿とよびかけて、本心よ妄心に心ゆるすなと也。
心ゆるすな:本心也。妄心に本心をゆるすなといふなり。
 右の歌、真妄をいふ也。心に本心、妄心とて二つあり。本心を得て、本心の様になせば、一切の事すぐ也。・・妄心は非をまげて理となす血のわざと云います。妄心がおこれば、本心がかくれ妄心となる、皆あしき事のみ現れる。しかし道理の分る人は其の妄心をおさえられるので尊い。妄心が出たらば兵法も負ける、本心にかなはゞ、兵法は名人となる。
 居合も兵法の一つですから、妄心に勝で納得でしょう。

 宮本武蔵は五輪書空之巻に「心意二つの心をみがき」と云い、兵法三十五箇条の心持のことでは「心の持様は、めらず、たくまず、おそれず、直に広くして、意の心かろく、心のこゝろおもく、心を水にして、折にふれ、事に応ずる心也。水にへへきたんの色あり。一滴もあり、蒼海もあり。能々吟味あるべし。」と心を語っています。

 此の歌は、妻木正麟著詳解田宮流居合歌の伝では「居合とは心に勝つが居合なり人にさかふは非法なりけり」
 寛政3年1701年の新庄藩の伝書では「居合とハ心尓勝可居合な利人に逆ふハ非▢なり希利(いあいとはこころにかつがいあいなりひとにさかうはひ▢なりけり」
 明治44年1912年の新庄藩の伝書では「居合とは心尓勝可居合なり人尓さ可ふハひ可多なり介り(いあいとはこころにかつがいあいなりひとにさかふはひがたなりけり)」
 曾田本その1居合兵法の和歌では「居合とハ心に勝可居合也人尓逆ふハ非刀としれ(いあいとはこころにかつがいあいなりひとにさかうはひかたなとしれ」。「非がた」を「非刀」と漢字をあてがっています。こうなるとまた一考を要するのですが「刀」と何ぞやでしょう。刀そのものには心などあるはずはない。刀は武士の魂とは云いますが、武士の魂を全うするための道具の一つと解せばいいのでしょう。それ以上でも以下でもない筈です。

 

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2019年12月13日 (金)

道歌1秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩)1の14萍を

道歌
1、秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩 元禄14年1701年)
1の14萍を

萍を加幾者け見須わ底能月
       古ゝ尓あ里と者いかて志ら連ん

読み
萍をかき分け見ずは底の月
       こゝにありとはいかで知られん
(うきくさをかきわけみずはそこのつき
       こゝにありとはいかでしられん)

 直訳すれば、浮草をかき分けて見なければ底にある月がここにあるなどどのように知らせる事が出来ようか。
 
 寛政3年1791年の新庄藩の林崎新夢想流に依る秘歌之大事では「萍越可起王けミ須ハ底の月己ゝ(?)にあ里とハい可て志ら連ん(うきくさをかきわけみずばそこのつきここにありとハいかでしられん)」
 明治44年1911年の新庄藩の林崎新夢想流では「うき草おかき分ミ須ハ底の月底にありとはい可て志るへき(うきくさをかきわけみずはそこのつきそこにありとはいかでしるべき)」
 妻木正麟著詳細田宮流居合歌の伝「うき草はかきわけ見ればそこの月ここにありとはいかで知られん(うきくさはかきわけみればそこのつきここにありとはいかでしられん)」
 曾田本その1の居合兵法の和歌32首にはこの歌は見当たりません。

 敵の思いは何処にあるのか、水面一杯に浮かぶ萍をかき分け底に写る月が見えるように、無も有である、無心となって我が身を土壇と為して敵の打出すところにチラリと敵の思いが見える、その気に勝事、自らかき分けて見ようとするのではなく敵を動かす事によって敵の思いが見えて来る。
 無双直伝英信流の形ばかり真似て出来たと思う浅はかさではなく、仮想敵を幾重にも思い描きどのような想定でも「ここ」を知る事を修業すべきなのでしょう。

 
 

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2019年12月12日 (木)

道歌1秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩)1の13抜けば切る

道歌
1、秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩 元禄14年1701年)
1の13抜けば切る

奴希は支るぬ加年ハきれよ此刀
      多ゞきる事ハ(?)大事こそ阿連
読み
抜けば切る抜かねばきれよ此の刀
      ただ切る事は大事こそあれ
(ぬけばきるぬかねばきれよこのかたな
      ただきることはだいじこそあれ)

 此の歌は何を歌っているのか解らないのですが、何度も読み直してイメージが浮かんだままを歌心としてみると、そんなものかも知れないと思うようになってきました。
 居合は抜いたならば躊躇なく斬れ、相手が抜かなくても切れ、唯無心に斬る事が大事だ。と聞こえてきます。相手の害意を察するや機先を制して抜き付ける、と河野先生は正義感にあふれた手附を書かれています。害意とは、話し合いの途中でも感じる物、まして左手を刀に触れ鯉口に親指が触れる、柄に右手が向かう・・抜き始め、抜刀する。いずれであっても抜き付けるのが居合の根元でしょう。そして林崎甚助重信の居合は敵の柄口六寸に斬り込むのです。
 大森流も英信流も柄口六寸の教えを忘れた居合になってしまいましたが、柄口六寸を根元とすれば、この歌は至極当然のことを歌っていると思います。
 一瞬の躊躇が命を落とす事になるのが居合なのでは無いでしょうか。
 抜く手も見せず、とか抜刀する素振りも見せず抜き付けるのが居合の懸りなのです。当然顔にも表さないものです。

 妻木正麟著詳解田宮流居合歌の伝では「抜かば切れ抜かずは切るなこの刀たい切ることに大事こそあれ」この歌は新庄藩の秘歌之大事と雰囲気が違います。「抜くならば必ず切れ、抜かないならば切らずに済ませ、この刀は大義を以て切る事が大事である」と読んでみました。「たい切る」の捉え方をどの様にするか人それぞれの武道哲学によるものでしょう。

 新庄藩の寛政3年1791年の秘歌之大事「怒兼ハきる抜ねハきれよ此刀・・・?大事こそあ連」下の句が読み切れません。
 新庄藩の明治4年1912年では「抜ハ切抜可年ハき礼よ此刀たゞき類事尓大事こそ阿連(ぬけばきれぬかねばきれよこのかたなただきることにだいじこそあれ)」この歌は元禄時代に戻った様です。
 曾田本その1では「抜けバ切る不抜バ切与此刀只切る事二大事こそ阿礼(ぬけばきれぬかずばきれよこのかたなただきることにだいじこそあれ)」助詞の使いかってが違いますが元禄時代の歌心でしょう。

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2019年12月11日 (水)

道歌1極意之秘歌(林崎新夢想流 新庄藩)1の12下手こそは

道歌
1、極意之秘歌(林崎新夢想流 新庄藩 元禄14年1701年)
1の12下手こそは

下手こそハ上手能上乃可多利もの
      かへ春〵もそし里者し春奈
読み
下手こそは上手の上のかたりもの
      かへすがえすも誹りはしすな
(へたこそはじょうずなうえのかたりもの
      かへすかえすもそしりはしすな)

 此の歌は新庄藩の寛政3年1791年の伝書に「下手こそハ上手能うへの可さり毛の可へ須可へ須(?)もそ志り者しす那(下手こそは上手の上のかざりもの返す返すもそしりはしすな)」で「下手こそは上手の上のかざりもの・・」「であって「上手の上のかたりもの・・」ではありませんが意味は同じ様にとらえられそうです。
 明治44年1912年の新庄藩の伝書では「下手古そハ上手能上乃かさり物返春返春毛そ志り者し須奈(下手こそは上手の上のかざり物返す返すもそしりはしすな)」で変体仮名の文字は違いますが歌は伝承されています。
 妻木正麟著詳解田宮流居合歌の伝では「下手見ては(下手こそは)上手の上のかざりなり返すかえすもそしりはしすな」。
 曾田本その1の居合兵法の和歌では「下手こそハ上手の上の限りなれ返春返春毛そ志り者し春な(下手こそは上手の上の限りなれ返す返すもそしりはしすな)」となります。
 この歌のポイントは「かたりもの」・「かざりもの」・「かざりなり」・「限りなれ」の処と、「そしりはしすな」のところでしょう。

 限るは、他に例の無いまざりもののない最も良いかざりもの、そしるは謗る・誹る、悪く言う、避難する、けなすでしょう。そこでこの歌心は、「下手こそが上手の人の癖などのない真っ新な見本である繰返して言うが誹るものではない」というのでしょう。新人が入門して来ると手取り足取り教えているのか、かまっているのか暫らくは寄り添っている古参が、其の内「にぶくて、何時まで経っても出来ないへたくそ」など悪く言って居ます。自分の指導や形が癖だらけでポイントが見えないへぼ先生である事を棚に上げています。名人上手と云われても長い修錬で其の人独特の癖が良きにつけ悪しきにつけ表面に出て来るものです。そんな時下手と云われる人の形を見ながら、其の流の真髄に立ち戻る最も良い見本が下手な人の居合なのです。
 こんな今から300年も前の歌に、指導者の有るべき姿が語られています。当時も監督やコーチに類する人が権威を持った権力者と錯覚し、夢中で学ぼうとする人たちを痛めつけていたのでしょう。それを見てこの歌が歌われ、今日まで伝承されにもかかわらず、相変わらず繰り返している事に嫌な思いと無駄な時間を費やすことに、心を痛めるばかりです。
 師たる者は、貴人に手ほどきする程の心遣いをもって指導すべきものでしょう。

 

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2019年12月10日 (火)

道歌1秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩)1の11世の中に

道歌
1、秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩 元禄14年1701年)
1の11世の中に

世能中尓我より外能物奈しと
     おもふハ池農蛙奈りけり
読み
世の中に我より外の者(物)なしと
     思うは池の蛙なりけり
(よのなかにわれよりほかにものなしと
     おもうはいけのかわずなりけり)

 世の中には我より右に出る使い手は居ないと思うのは池の中の蛙の様なものだ。と云うのです。
 此の歌の元は荘子外篇秋水の様です。
 「秋になって水は多くの支流から黄河に集まり、黄河は溢れて両岸から牛馬を見分けられない程になる。黄河の神である河伯は喜んで天下の美は己にありとする。黄河の流れに従って北海に至り東を見ると海は広く水際が見える事も無い、北海の神若に「百ばかりの道理を聞きかじって己に及ぶものなしと言うが其れは己のことだと一人よがりをして居た」と云う。北海若曰く「井蛙は以て海を語るべからざるは、虚に拘はればなり」秋水の書き出しはこんな所です。
 「井の中の蛙大海をしらず」と云う諺もあります。
 古流剣術は形稽古に始まり形稽古に終わるほどで、竹刀での打ち合いはあっても仕合をする訳でもない。其の為か「形だから決められた足踏みで決められた業を形どおりやるもの」と決めつけて来る人が多いものです。
 言われた通り、形を真似てやってみるのですが出来たつもりでいると、形ばかりの真似事で何ら役に立たないのです。それでも自分より後に入って来た者には通じるのですが、先輩には刃が立たない、稽古を重ねどうやら出来たと更に上の先輩と打ち合うと相変わらず役に立ってくれません。「其の内出来るようになるさ」と嘯いて見てもそんなに体力も寿命もありそうにない。それでも何としても其の術を身に着けたくて稽古を重ねていると気が付く事がどんどん出て来るものです。
 すると、はたで見ていた者が「形なんだからかたち通りやれよ」とブーイングです。これなど「井の中の蛙」なんてものではなく「井の中の水桶」みたいに見えてきます。

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2019年12月 9日 (月)

道歌1秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩)1の10せばみにて

道歌
1、秘歌之大事(林崎新夢想 新庄藩 元禄14年1701年)
1の10せばみにて

勢者み尓て勝をとる遍幾長刀
      ミし加(?)記刀利はうすき也
読み
狭ばみにて勝をとるべき長刀
      短かき刀利はうすきなり
(せばみにてかちをとるべきながかたな
      みじかきかたなりはうすきなり)

 狭い所での勝負は長い刀がよい、短い刀では利は薄いよ。と云っています。狭い所では刀を左右に振り回す事は出来ないので短い方が良いのでしょうが、長い刀での狭い場所での刀法は、大江居合では奥居合の居業7本目「両詰」か立業の9本目「壁添」でしょう。
 両詰意義:我が両側に障害ありて、刀を普通の如く自由に抜き難き場合にして、刀を前に抜き取り前敵を刺突して勝つの意也(河野百錬著大日本居合道図譜より)
 壁添意義:我が前面に敵を受け、左又は右に壁ありて抜刀自由ならざる場合ひ、刀を上方に抜き取りて敵を仆すの意なり。(河野百錬著大日本居合道図譜より)
 どちらも大江正路先生により古伝を改変した業になっていてこの両詰は古伝では左右に敵に詰めかけられた時の業で「抜くや否や左脇の者を切先にて突き直に右を切る。または、右脇の者に抜手を留めらるべきと思う時は右脇の者を片手打ちに切り直に左を切るべし」。で大江居合の「両詰」は大江先生による壁添の教えに依る独創でしょう。
 古伝の壁添は「壁に限らず惣じて壁に添たる如くの不自由の所にて抜くには猶以て腰を開き捻りて躰の内にて抜突くべし、切らんする故毎度壁に切りあて鴨居に切りあてゝ仕損ずる也、突くに越る事なし。就中身の振廻し不自由の所にては突く事肝要」。で大江居合の壁添は古伝の「人中」でこれは「足を揃へ立って居る身にそえて上へ抜き手をのべて打込む納るも躰の中にて納る」となります。余談ですが、人中では体に沿わせて刀を抜くという事で、現代居合の奥居合立業の「袖摺返」ではひと中での刀法としては疑問です。

 狭い所では刀は横一線の抜き付けでは無なく、刀を前に抜き出し切先が鯉口を出るや刃を返して切先を前に向け諸手で前敵を刺突する、其の際刀の長短が優劣になると云うのでしょう。
 小太刀でも充分右身になって突けば同じだと云うへそ曲がりも居るでしょうが、長い方が有利である事には変わりません。

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2019年12月 8日 (日)

道歌1秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩)1の9後より

道歌
1、秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩 元禄14年1701年)
1の9後よりだます

後よりだま春尓手こそなかり介連
      聲能抜とや是をい婦らん
読み
後より騙すに手こそなかりけれ
      聲の抜きとや是を云うらん
(うしろよりだますにてこそなかりけれ
      こえのぬきとやこれをいうらん)

「後ろからだまし討ちにするのに手など無いものだ、掛声に依って抜き放ち切る事是を云うのである」と読んでみました。

寛政3年1791年の新庄藩の林崎新夢想流の伝書では「うし路よりた万春に手こそ奈可利介利聲の抜とや古れをいふらむ(うしろよりだますにてこそなかりけりこえのぬきとやこれをいうらん)」
明治44年1911年の新庄藩の林崎新夢想流の伝書でも「うしろよりたま寸に手こそなかり介り聲のぬきとや古れを云うらん(うしろよりだますにてこそなかりけりこえのぬきとやこれをいうらん)」
曾田本その1の居合兵法の和歌「後より伐るをはつるゝ事はなし聲の響を是と云也(うしろよりきるをはづるゝことはなしこえのひびきをこれというなり)」

 霜を聞く程に研ぎ澄まされていれば、後から打ち込んで来る者が掛ける聲があれば、その響き具合で殺気を感じて反応する事は出来そうです。それに対応する業も現代居合にもいくつかあるのでそのつもりになって仮想敵を抜き打つ稽古も出来るでしょう。無言でけはいを消して斬り込まれた時でも反応できるようになることはあり得ると思います。その感性を磨けと云うのでしょう。
 
 ミツヒラブログ2011年11月12日極意の秘歌9首目に此の歌の解説をしてあります。そこに笹森順造著「一刀流極意」にある伊藤一刀斎の夢想剣の霊験を参考に記載させていただいています。

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2019年12月 7日 (土)

道歌1秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩)1の8居合とは

道歌
1、秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩 元禄14年1701年)
1の8居合とは

居合とは押詰ひしと出春刀
     刀ぬく連はやがて徒可累ゝ
読み
居合とは押し詰めひしと出す刀
     刀抜くればやがてつかるゝ
(いあいとはおしつめひしとだすかたな
     かたなぬくればやがてつかるゝ)

 この歌の解釈は何ともわかりずらい、意味を考えずに読むだけなら簡単ですが、文字を拾ってみても何にも伝わってきません。
 何処かにテキストは無いものかと思いつつ私ならこう解釈したいという気持ちで読んでみました。
「居合と云うのは気を籠めてピタリと抜き出す刀法である、刀を抜いてしまえば居合心に浸されるであろう」

 読まれたままに、「居合と云うのは押し詰めて行って、ピタリと抜き出す刀である、刀を抜いてしまえばやがて疲れる。」
 或は「・・・逆に突かれてしまう。」ではお粗末でしょう。
 此の歌は寛政3年1791年の新庄藩の伝書にも「居合とハ押詰ひ多と出須刀刀ぬ九れハや可て徒可るゝ」
 同様に明治44年1912年の新庄藩の伝書にも「居合とは押詰ひしと出刀可奈抜連はやがてつ可るゝ」
 曾田本その1の居合兵法の和歌には同じ歌は見当たりません「居合とは心を静抜刀ぬ希ればやがて勝を取なり」が近い歌かなと思いますがさて下の句が気になります。
 妻木正麟著詳解田宮流居合の歌の伝は曾田本その2と同じ歌い出しで「居合とは心を志ずめたる刀かたなぬくればやがてつかるゝ」とあります、下の句が新庄藩の歌と同じです。歌心が伝わる様に変化していったのかも知れません。
「つかるゝ」を「突かるゝ」と解釈するのは、私には疑問ですからここは「浸かるゝ」いわゆる「浸(ひた)れる」と読みたいものです。
 2011年の秘歌之大事のこの歌の解釈はひどいものですがあれから8年経っても、似たようなもので泣けてしまいます。それとも少しは進歩したと云えるでしょうか。
 曾田本その1の居合心立合之大事に「先ず我身を敵の土壇ときわめ何心なく出べし敵打出す所にてチラリと気移りて勝事なり」とあります。この「我が身を土壇ときわめ」の心持が居合の大事であり「居合とは押詰ひしと抜く」と通ずると思うのです。 

 

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2019年12月 6日 (金)

道歌1秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩)1の7つよみにて

道歌
1、秘歌之大事(林崎新夢想流  新庄藩元禄14年1701年)
1の7つよみにて

徒よみ尓て行あ多るをは下手と云
      鞠と柳を上手とそ以婦
読み
強みにて行き当たるをば下手と云う
        鞠と柳を上手とぞ云う
(つよみにてゆきあたるおばへたという
        まりとやなぎをじょうずとぞいう)

 この歌の解釈は、剣術は、力いっぱいに強く打込んだり受けたりするのを下手と云う、蹴鞠が柳に当たっても何の抵抗も無く柔らかく受けいれて何事も無くあるのを上手というのである。と歌っています。
 蹴られた鞠も同様に何事も無く跳ね飛んで元の姿です。此の歌の「強みにて行き当たるおば下手と云う」がポイントです。
 秘歌之大事の2首目に「早くなく遅くはあらじ重くなく軽き事おば悪しきとぞ云う」がありました。今度は打つも受けるも柳に鞠を連想しろと言って居ます。
 妻木正麟著詳解田宮流居合には田宮流居合歌の伝に「つよみにて行きあたるこそ下手なれやまりに柳を上手とぞいふ」

 曾田本その1の古伝神傳流秘書のはじめは「抜刀心持引歌」から始まります。振り返ってみます。
 心水鳥
 帆を掛けて急ぐ小舟に乗らずとも行く水鳥の心知るべし
 水鳥の水に住めども羽は濡れず海の魚とて汐はゆくなし
 白鷺心
 思ふれど色に出にけり我が恋は物や思ふと人のとふまで
 数ならで心と身をば委せねど身に従ふは心なりけり
 居合太刀打共水月之大事
 水や空空や水とも見へわかず通ひて住める秋の夜の月
 おしなべて物を思はぬ人にさへ心をつくる秋のはつ風
 秋来ぬと目にはさやかに見へねども風の音にぞ驚かれぬる
 右の心にて悟るべし我は知らね共敵の勝を知らする也 其處水月白鷺共習いあるべし又工夫すべし。

 敵に従って勝つべき心持
 風吹けば柳の糸のかたよりになびくに付て廻る春かな
 強みにて行き当たるをば下手と知れまりに柳を上手とぞいふ 
 
 新庄藩の秘歌之大事の7首目の歌は「敵に従って勝つべき心持」が出来ているかが大切であると教えています。さらに続きます。

 敵と出合ふ時かならず討勝と思ふべからず、況や恐るゝことなし、間に豪末を加えず雷電石火の如くちらりと我が心にうつる時無二無三に打込事居合之極意也。然れ共只打込むではなし、是に柄口六寸の習いなり、此の習を以て敵の場へ踏込み打也。偏に大海を渡るに陸にて行けば命を失ふ故に舟に乗りて行也。居合柄口六寸之大事偏に彼の舟の心持としるべし、然れども舟にてかならず渡海すと思ふべからず。歌に
 乗り得ても心ゆるすな海士小舟浪間の風の吹かぬひぞなき
 右浪間の風能く合点しては舟ものらず 古歌に
 有となしと堺を渡る海士小舟釘も楔も抜け果てにけり
 此の心にてよく工夫有べし 口伝

 単刀直入に敵の思いに従って、ちらり心にうつる時、柄口六寸に無二無三に打込むのが居合の極意と云うのでしょう。柄口六寸の極意は敵の拳への抜き付けとされますが、すでに失伝し現代居合ではその心持ちすら失念しています。海士小舟の心持ちをどの様に解けるか、譬え解き得てもそれは己の心の中に持つ以外に無さそうです。免許皆伝を授与されたそののちに課せられた命題ですが「口伝」としてあっても消えてしまっています。
 
 

  

 

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2019年12月 5日 (木)

道歌1秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩)1の6鍔はたゞ

道歌
1、秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩 元禄14年1701年)
1の6鍔はたゞ

鍔ハ多々拳能楯と聲物を
      婦とくも不とく奈幾ハ非がこと 
読み
鍔は只拳の楯と聞くものを
      太くも太く無きはひがごと
(つばはただこぶしのたてときくものを
      ふとくもふとくなきはひがごと)
*
 此の歌の解釈は「鍔はただ単に、拳を守る楯と聞いているが、それならば大きいほど相応しいが、無いとなれば不都合だ」と歌っていると読めるのです。
 妻木正麟著詳解田宮流居合歌の伝には「つばはただ、こぶしの楯とするものを ふとくはふとくなきはひがごと」の次に「ふっと出る刀をおもいさとるべし、夢想の刀鍔は構はし」と並んでいます。鍔は無いと不都合でも意識の中にあるものではないと言って居るのでしょうか。

 新庄藩の林崎新夢想流には明治以降まで伝承していた歌で、曾田本その1にも居合兵法の和歌として田宮平兵衛業政之歌として伝わっています。
 現代居合でも古伝神傳流秘書の居合でも、居合として鍔の大小を云々する教えは見当たりません。秘歌之大事の新庄藩の林崎新夢想流は居合だけでは無かったとすれば鍔の有無は勿論その大きさも意味をなしていたかもしれませんが良く理解できません。
 この流の極意は「柄口六寸」です、現代居合では失伝している敵の拳に抜き付けるのであれば、敵の拳の楯となる鍔は邪魔なものです。しかし鍔の無い刀は短刀位ですから、鍔を気にして拳に斬り付けられない様では困ります「夢想の刀鍔は構わし」鍔などに捉われずに打込めというものです。
 無双直伝英信流居合道型の稽古で鍔付き木刀を使用する様指導されました。ところが別の古流剣術では鍔無しの木刀を使用します。真向打ち合ったりして木刀が滑り落ちてきて拳を痛めるから鍔で請けろと云うのですが、古流剣術では真向打ち合って間が少しでも近いとなると鍔が拳に当たってかえって拳を傷つけます。当然どちらも未熟だからのことです。
 居合抜きで、大刀に装着する鍔で右拳を鍔より指の太さ位離しても、抜き付けの際拳を傷つける事もあります、やや小ぶりの鍔で縁金に指が振れない様に握る必要もあります。
 また、刀を抜く際の鯉口を切る時に容易であるとか、鍔のお陰で刀身に柄手が滑り込まないとか、刀身と柄、或いは鞘との仕切りであったり、刀のバランスなどは鍔で調整できますからそれはそれなりの有効性は十分あると思いますが、絶対こうあるべきには至れません。

 この歌の本来の意味はこの程度のものでは無かったかもしれません。鍔を有効に使った業が土佐の居合の以前にあったかも知れません。思い付きではない文献等で実証できるものに出合えていません。
 

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2019年12月 4日 (水)

道歌1秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩)1の5寒事(夜)にて

道歌
1秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩 元禄14年1701年)
1の5寒事(夜)にて

寒夜にて霜を聞く辺幾心こそ
      敵のあふて能勝をとる遍き
読み
寒夜にて霜を聞くべき心こそ
      敵にあうての勝を取るらん
(かんやにてしもをきくべきこころこそ
      てきにあうてのかちをとるべし)

天童郷土研究会長伊藤文治氏の 解読は「寒事にて霜を聞くべき心こそ敵にあ婦手の勝はとるべき」ですが「寒事」は「寒夜」草書体でしょう。

 此の歌の意味は、寒い夜に水蒸気が氷滴となって結ぶ音を聞き分ける様な、そんな心持ちであれば敵に逢っても勝を取る事が出来るであろう。
 霜が結ぶ音のように聞こえない様な敵の心の動きを事前に察する事が出来ればどんな敵に逢っても勝てる、と云っています。
 
 妻木正麟著詳解田宮流居合には「寒き夜に、霜を聞くべき心こそ 敵に逢いても勝は取るべし」
 林崎新夢想流 新庄藩寛政3年1791年「寒き夜尓霜能聞く辺起心こそ敵尓逢て能勝をとる遍し」
 林崎新夢想流 新庄藩明治44年1912「寒夜尓て霜を聞べき心には敵に逢うての勝をとるらん」
 曾田本その1 居合兵法の和歌「寒夜尓て霜を聞べき心こそ敵に阿ふても勝を取るなり」
 どの時代も多少違っても同じ様なものでしょう。

 無双直伝英信流の河野百錬宗家の昭和8年1933年発行の「無雙直傳英信流居合術全」の正座の部一本目前の業手附を読んでみますと「正面に正座し十分気の充ちたる時、左手を鯉口に取り拇指にて鯉口を切り右手の全指を延ばしたる儘柄に掛けて握り、柄を少し中央に寄せる様にし腰を左にひねりて刀を抜きつゝ両足先を爪立て、膝を延び切るや右足を前に踏み出すと同時に刀を抜き払ひ、(胸の通り横一文字に)更に雙手上段に振り冠りて真向に割付け、・・」とどこの手附でも見られる、演武の為の技術一辺倒のものでした。
 それが昭和13年1938年の「無雙直伝英信流居合道」では「意義 吾が前面に對坐せる敵の害意を認むるや機先を制し直ちに其の首に(又は顔面或は敵の抜刀せんとする腕、以下は同じ)に斬り付け・・」と此の業を繰り出すに当たっての状況を「害意を認むるや」と「霜を聞くべき心」を意図する様な前書きが付加されています。

 昭和9年1934年に太田龍峰著中山博道校閲「居合読本」の大森流初発刀にも意義があります「互に4尺位離れて對坐せる時、急に敵の眼の附近を横薙に切り付け、相抜きの場合は敵の抜付けし拳に切り込む、倒るゝ所を直ちに上段より斬る業である」。此の意義は業手附のおおまかなもので、次に動作が展開します。

 心持については宮本武蔵が兵法三十五箇条に「心の持様は、めらず、からず、たくまず、おそれず、直に広くして、意のこゝろかろく、心のこゝろおもく、心を水にして、折りにふれ、事に応ずる心也。水にへきたんの色あり。一滴もあり、蒼海も在り、能々吟味在るべし」と述べています。五輪書の水之巻兵法心持之事に同様の心が述べられています。

  曾田本その1では土佐の居合の心持肝要之大事では「居合心立合之大事 敵と立合兎やせん角やせんとたくむ事甚嫌う、況や敵を見こなし彼が角打出すべし其所を如此して勝ん抔とたくむ事甚だ悪しゝ、先ず我身を敵の土壇ときわめ何心なく出べし、敵打出す所にてちらりと気移りして勝事也、常の稽古にも思いあんじたくむ事を嫌う能々此念を去り修行する事肝要中の肝要也」

 自分自身の心の持ち様から敵の心が自然に読み取れるもので、常の心であれ、それが「霜を聞く」ことと読んでみました。
 

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2019年12月 3日 (火)

道歌1秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩)1の4本の我

道歌
1秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩)元禄14年1701年
1の4本の我
本能我尓勝可居合之大事也
     人に逆婦ハ非か多奈り介里
読み
本の我に勝つが居合の大事なり
     人に逆うは非がたなりけり
(もとのわれにかつがいあいのだいじなり
     ひとにさかうはひがたなりけり)

 妻木正麟著「詳解「田宮流居合」では「居合とは心に勝つが居合なり人にさかふは非法なりけり」もう一つ「本の我に勝つがためぞといいならひ無事いふは身のあとなる」
 林崎新夢想流 新庄藩 寛政3年1791年「本乃我尓勝可居合能大事な里人尓逆不盤ひ可多成介利(もとのわれにかつがいあいのだいじなりひとにさかうはひかたなりけり)」
 林崎新夢想流 新庄藩 明治44年1911年「毛登能我尓勝可居合の大事成人尓逆ふ者ひ可多成介り(もとのわれにかつがいあいのだいじなりひとにさかうはひがたなりけり)」
 曾田本その1居合兵法の和歌「もとの我勝が居合の習奈りなき事云はゝ身の阿だと成る (もとのわれかつがいあいのならいなりなきごといはばみのあだとなる)」

 此の歌の意味は、読んだ通りと云いたい処です、「我が思いに打ち勝つ事が居合の大事と云える、人に逆らって争うなどはあってはならない」
 単純に他人の業技法に否やを言って嫌な思いをさせたり、させられたり、或いは俺が一番と思っている兄弟子などの指導に非を述べて不興を買ったりいろいろあるでしょう。ひどいのは俺の師匠が一番で他は全部だめという程の可笑しな者も居たりします。武術道場はあらゆるレベルの人の集団ですから、いろんな価値観の人がいて良い参考になります。
 中でも自己顕示欲が強く何でもしゃしゃり出て勝手な振る舞いをする輩は、大抵業技法に長けていても組織の中での人間性に欠ける者でしょう。
 然し此処では前回の神妙剣を思い出すべきでしょう。礼を盡して相手の意見を聞き、我が意見も述べてより良い道を導き出す「以和為貴」をなさなければ居合を修業したとは言えないでしょう。

 武術的観点からこの歌の心を読み込んで見れば、敵の斬り込んでくる太刀を撥ね返そうと請け太刀になり、双方力任せの押し合いに成ったりします。
 或は敵の打込みをはねのけんとして、却って外されてしまうなど慢心のなせる動作でしょう。敵に我から斬り込んで勝負を付けたいのは少し出来るようになると皆やる事です、それを敢えて敵の打込みを待って敵の打込みを外すと同時に斬り込んで勝つ。
 土佐の居合無双直伝英信流の居合にも幾つもこの様な業は残されています、例えば大森流の受流や附込などは顕著です。ぐっと力量が上がって来れば月影や稲妻などがこの歌にあう居合らしい居合です。更に上がれば一方的に抜付るのではない前や横雲を思い描きます。
 此の歌は、難題を投げかけて来ています、もっと奥深い人と人の関係における自我意識ばかり優先させず、人を立てて生かす事を教える歌心とも言えます。
  

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2019年12月 2日 (月)

道歌1秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩)1の3居合とは

道歌
1、秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩)元禄14年1701年
1の3居合とは

居合とは人尓幾ら連須人幾ら春
     多々う希とめて堂居羅可尓かつ

読み
 居合とは人に切られず人切らず
     ただ受けとめて平らかに勝
(いあいとはひとにきられずひときらず
     ただうけとめてたいらかにかつ)

 此の歌は林崎流居合として秋田藩に天明8年1788年鈴木五右衛重喬から曲木惣内に伝承されています。伝書には林崎甚助重信の次に長野無楽槿露となっており田宮平兵衛照常が抜けています。秘歌之巻7首、千金英傳33首の29番目に記載されています。
 「居合登ハ人尓切られ春人切ら春但うけとめて平勝尓せよ」(居合とは人に切られず人切らず但受け留めて平勝にせよ・・いあいとはひとにきられずひときらずただうけとめてへいしょうにせよ)

 新庄藩には明治以降まで秘歌之大事として伝承されています。田宮流居合歌之伝には見当たりません。
 曾田本その1では、田宮平兵衛業政之歌として居合兵法の和歌の3首目「居合とは人に切られず人切らず唯請とめて平にかつ」とされています。

 居合と云うのは、人に切られる事も無く、自ら人を切るものでも無い、唯相手の思いを受け止めてお互いに理解し合う事が居合の勝となるものだ。と歌っています。
 武術は人間のコミュニケーションの最終手段と決めつけた人も居ます。過去の戦争の発端がこの教えに則っているならば武力によって競い合う事も無く、多くの「人」を死に追いやる事も無かったでしょう。
 曾田本その1の最終章に「神妙剣」として残されています事は「深き習に至ては実は事(業)無し、常に住座臥に有之事にしてニ六時中忘れて不叶事なり、彼れ怒の色見ゆるときは直に是を知って怒を抑へしむるの▢(叡智?)知あり、唯々気を見て治むる事肝要中の肝要也。
 是戦に致らしめずして勝を得る也。
 去りながら我臆して誤(謝の誤字)りて居る事とは心得る時は大に相違する也。兎角して彼れに負けざるの道也。止める事を得ざる時は彼を殺さぬ内は我れも不死の道也、亦我が誤(謝の誤字)りも曲げて勝には非ず誤(謝の誤字)るべき筋なれば直に誤(謝の誤字)るも勝也。
 彼が気を先に知ってすぐに応ずるの道を神妙剣と名付けたる也。委しくは書面にあらわし尽くし難し、心おぼえの為に其の端を記し置く也」とあります。

 (厩戸皇子)聖徳太子の「以和為貴」を素直に捉えたいものです。

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2019年12月 1日 (日)

道歌1秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩)1の2早くなく

道歌
1秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩 元禄14年1701年)
1の2早くなく

早くなく於僧くハあらし重く奈く
     かる幾事をあし幾とそ云

読み
早くなく遅くはあらじ重くなく
     軽き事を悪しきとぞ云う
(はやくなくおそくはあらじおもくなく
     かるきことをあしきとぞいう)

 この歌も明治以降の新庄藩の林崎新夢想流に伝わっています、「早くなく遅くはあらじ重くなく軽きは悪しき拍子とぞ云う」。
 また妻木正麟著詳解田宮流居合にも「早くなくおそくはあらしかるくなしおそきことをぞあしきとぞいふ」。
 曽田本その1の居合兵法の和歌には「早くなく重くあらじな軽くなく遅き事おや悪しきとぞ云」、此れを田宮平兵衛業政之歌として文政4年1821年山川幸雅先生伝として坪内清助に坪内長順より伝えています。

 仮名で書かれた和歌は、もう特殊なものになってしまい原書のまま見せられても読めないものになってしまいました。読みを入れておいても意味が通じないと云う、情けない時代でもあるのです。更に読んでも単語の意味は解っても何を言って居るのか解らないのがこの歌かも知れまん。

 何せ、「早くてもダメ、遅くては役に立たないよ、じゃ重ければどうだそれもダメ、軽ければもう全然悪い」と此の歌に言われてしまいます。
 この歌の意味を、刀の振り方の「早い、遅い、重い、軽い」位のことで論じる程度の意味合いでの歌であれば、剣術が対敵に応じる武術である事を忘れた一人遣いの棒振り踊になってしまいます。腕力を鍛え重く長い刀を打ち振って得々とするようなものです。軽くて短い刀をひょいひょいと振って見ても相手に何も感じさせません。刀や体力などで議論しているうちは、この歌から「ダメ」って言われてしまいそうです。
 居合でよく耳にするのに「重い刀を軽く振れ、軽い刀を重く振れ」とか訳知り顔に聞いたものです。是も独り芝居の殺陣まがいの演舞に過ぎないと思います。
 居合は仮想敵相手の一人演武なので「気の抜けた居合」とか「居合は業に丸味が無ければ真の居合では無い」など、とやかく言われます。
 河野百錬著「無双直伝英信流嘆異録」では「居合に限らず如何なる業も其の極致はすべて丸みが無ければならぬ事は勿論だが、居合の成り立ちが敵に対する刀法である限り、敵の心魂に貫通する(その刀に触るるすべての者に)無限の迫力のある事が第一条件で、しかもその業に丸味があり、侵すべからざる気の位ひを備へた生き活きと躍動するもので無ければ真の居合とは申しがたい。見る人をして「気の抜けた居合」と感じさせる様な居合は、元来平素修錬の乏しい人の居合にしばしば見受ける処で、初心の間は角張った、堅いゴツゴツした居合が幾千万と練磨の功を積んだ後、所謂る丸味を会得する事が道である、初心から丸味などの言葉に迷はされて日々の修練を怠る者は、所詮は終生気の抜けた居合に終わらねばならぬ」と言われています。
 是も此の歌の本意とは言えそうもありません。
 対敵意識はあったとしても相手の拍子に応じる事が語られていない様で間抜けであったり拍子抜けであったりしても良しとされそうです。

 もう一つ河野百錬著「居合道真諦」に「居合の本義は抜討の一瞬にあり。而してその修養の眼目は正・速・強・威なり」として居合の本義と眼目が語られています。
 正 とは流儀の掟に於いて体の構へ。運剣の仕方。を始め其の流儀の形を正しく身につける事。
 速 とは形の正の上に業の理合いを弁へて練磨を重ね、運剣の速度を早くする事。
 強 とは正と運剣の速の上に斬撃の効果を十分ならしめるため、当りの強みを錬磨する事。
 威 とは正速強を身に得て百錬の暁き、流儀の体を自得し、遅速、緩急、強弱を悟り、残心を会得し、而して格調高き無限の品位と風格のある境地に到達する事。
 だいぶん歌心に近づいた様ですが、形に捉われすぎて居付いてしまいそうですし、不必要な刀の速度であったり、強みを見せようとして力任せの運剣であったり、それを良しとする傾向に陥りやすく、業の理合を弁えない唯の棒振りに陥り、残心ばかり決まっているジジイの居合でしょう。
 相手の意図する事に自然に応じていく拍子を身に着けることが望まれているとミツヒラはこの歌を解します。
 同時に相手を思う処に付け込ませる活人剣の教えが見え隠れしていると思います。
 宮本武蔵の五輪書地之巻には「まづあふ拍子をしって、ちがふ拍子をわきまへ、大小・遅速の拍子の中にも、あたる拍子をしり、間の拍子をしり、背く拍子をしる事、兵法の専也。兵法の戦いに、其敵其敵の拍子をしり、敵のおもひよらざる拍子をもって、空の拍子を知恵の拍子より発して勝つ所也」と拍子について述べています。
 仮想敵を描くにも人それぞれに相当の武的力量の差が有るもので、強い早いばかりの竹刀剣道では理解できず、年と共に衰えて若者に負ける始末を嘆くことになりそうです。何も攻撃を仕掛けて来ていない仮想敵に「敵の害意を察して」という察する事も無く抜き付ける居合や、形も「順番」や「足運び」など「かたち」ばかりを良しとしていても、武術の術には至れないものです。

 中川申一著「無外流居合兵道解説」の百足伝に
 「兵法の先は早きと心得て勝をあせって危うかりけり」
 「兵法は強きを能きと思いなば終には負けと成ると知るべし」
 「兵法の強き内には強みなし強からずして負けぬものなり」

 此の歌も、前回の「千ハ品木草薬とききしかどどの病にとしらで詮なし」も冒頭から修行練磨の厳しさを免許皆伝に託して歌われていると思い知らされるばかりです。
 
 

 

 
 
 
 

 

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庚子(かのえね・こうし)

庚子(かのえね・こうし)

2020年令和2年は庚子です。
2019年4月30日を以て平成の年号を終り5月1日から令和の年号に切り替わったわけです。
令和の意味は、万葉集巻五太宰師大伴卿の宅の「梅花の歌三十二首幷に序 天平二年正月十三日、師(そら)の老(おきな)の宅(いえ)に萃(あつまる)は、宴会を申(の)ぶるなり。時に初春の令(よ)き月、気淑(よ)く風和(なご)み、梅は鏡の前の粉を披き、蘭は珮(はい)の後の香を薫らす。」の序文から「令」「和」をとり「令和」としたと聞いています。
 「令月」は良い月、素晴らしい月、ですが「令」は良いとか、跪く事を表す文字から命令するとかお告げの意味を持ちます。
 「和」はやわらぐ、なごむ、丸く収まる、一緒に解けあった様などです。
 「令和」として素晴らしい和み、良い平和。として語られますが、一方ではぐずぐず謂わずに丸く収めろと言われそうですし、荒立てずに納めろと命令調のイメージも忖度の騒ぎから思い描くのもあり得ます。
 そうならない、させないのも人民の勤めでしょう。国の概念や国土や領土と言う思いは、故郷であって然るべきですが、地球上の多くの民は、国や国土、領土よりも、国同士の争いの無い安心して生きられる社会、何処にでも自由に移り住め、どんな民族とも、宗教でも受け入れられる天国を夢見ています。
 狭い国土と人民を支配したいのは、そこの為政者なのでしょう。子供達への洗脳教育、偏った情報の発信今も行われているといえるでしょう。為政者に依る「この枠の中」での和は、これからの時代続けて行かれるのか疑問です。
 すでに、企業活動はその枠から抜け出し始めて居るのでしょう。
 令和の元号の元で新しい時代を築き上げなければ、昭和・平成・令和を生きる者は後世の笑いものになりそうです。

1、令和二年は十二支は「子(ね)」、日本では鼠(ねずみ)。十干は「庚(かのえ・こう)」庚は金陽兄でかのえ。十干十二支は庚子(かのえね・こうし)
 子(ね):頭髪がどんどんふえて伸びる様子。植物がこれから子をふやし、成長しようとするタネの状態の象形文字から。外面的には柔和、内心は小さなことでも怒気を含み、時には人情に外れた行動を起こす事も有る、本性は正直。十二支の一番目。
 庚(かのえ・こう):中央にしっかりと強い芯が通る。植物の茎が成長して固くなり、また籾の固く実る時期を意味する象形文字から。十干の七番目、五行では辛と共に金に当て、金の兄でかのえ。

2、子の諺 
 ・頭の黒い鼠(主人の目をかすめて財産をかすめる雇い人。食物などが亡くなった時、犯人はネズミでは無く人の場合に使われる) 
 ・窮鼠猫を噛む(絶体絶命の窮地では弱者も強者を苦しめるたとえ)
 ・泰山鳴動して鼠一匹(騒ぎばかり大きくて結果の極めて小さい事のたとえ)
 ・ただのネズミでは無い(一癖ある者、油断ならない者)
 ・濡れ鼠(着物のまま、びっしょり濡れる事)
 ・袋の鼠(逃れる事が出来ない事)
 ・鼠に引かれそう(家の中に一人きりで寂しい事)
 ・鼠とる猫爪を隠す(才能の有る者は、むやみに力量を出して見せびらかさない)
 ・時にあえば鼠虎になる(時を得ればつまらない者でも勢力を奮うようになるたとえ)

3、鼠を祀ってある神社
  大国主をお祭りしてある神社に狛鼠などあったりして、大国主と鼠との関わりを暗示させます。古事記の大国主神には有名な話は稲羽の素兎の話でしょう。
 須佐之男命が野原に鏑矢を射て、大国主は其の矢を取りに行かされる、野原を焼かれて焼き殺されそうになった際、鼠が出て来て「内はほらほら、外はすぶすぶ」と呪文を唱える様に教えられる。唱えると穴が開いてそこに隠れていた。火が通り過ぎると鼠が矢を持って来る。そんな話がのっています。
 狛鼠がある神社は大国主を祀ってある神社の様で、京都左京区の大豊神社が有名の様です。

4、ネズミを詠んだ俳句 
  既に、ネズミは余程でないと人の生活圏に入り込んで来ない様なので、昔の俳句を拾い読みしても意味は解っても心に響くのが無くて残念です。

 蕪村 しぐるゝや鼠のわたる琴の上
    皿を踏む鼠の音の寒さかな

 子猫を譲ってもらって飼った事が有りました。一年ほどした或日、その子が鼠をくわえて帰って来てテーブルの上に置いて得意顔して妻を見上げます。
 妻も子供の頃は鼠はよく見ていたでしょうが、鼠嫌いな妻は「捨てて来なさい」と大声で叱った。其の子は何を叱られたのか解らず、妻の剣幕におびえ逃げ出そうとして走り出し、すぐに戻って鼠をくわえて走り去ったそうです。何食わぬ顔でその日も家に戻って来たとか。
 今でもその子の話になると、思い出されます。鼠の話にならないのは何故なんでしょう。

5、60年前の庚子は1960年昭和35年です、その年生まれの有名人、令和2年に還暦の方です。
 コロッケ、山田邦子、浅野ゆう子、美保純、黒木瞳、石田りえなどの方々。

6、庚子の年を振り返ってみます。 

・昭和35年1969年
 昭和天皇
 第二次岸信介内閣
 第一次池田勇人内閣
 貿易為替自由化基本方針決定
 日米新安保条約調印
 NHKカラーテレビ本放送開始

・明治33年1900年
 明治天皇
 第二次山県有朋内閣
 第四次伊藤博文内閣

・天保11年1840年
 12代将軍徳川家慶
 ロシア船エトロフ島に漂流民護送来航
 飢饉奥羽地方死者10万人

・安永9年1780年
 光格天皇
 11代将軍徳川家治

・享保5年1720年
 中御門天皇
 8代将軍吉宗
 江戸大火
 江戸火消いろは45組設置

・万治31660年
 後西天皇
 4代将軍家綱
 伊達騒動

・慶長5年1600年
 後陽成天皇
 関ケ原の戦い

・天文9年1540年
 後奈良天皇
 将軍足利義晴
 武田信虎信濃佐久攻め
 織田信秀、大内義隆、毛利元就など活躍

・文明12年1480年
 後土御門天皇
 将軍足利義尚

・応永27年1420年 
 称光天皇
 将軍足利義時

・延文元年1360年
 北後火厳天皇
 南後村上天皇
 将軍足利尊氏

・正安元年1300年
 後伏見天皇
 将軍久明親王
 執権北条貞時
 
・仁治元年1240年
 四条天皇
 将軍藤原頼経
 執権北条泰時

・治承4年1180年
 安徳天皇
 福原遷都 
 源頼朝伊豆に挙兵

・保安元年1120年
 鳥羽天皇
 
・康平3年1060年
 後冷泉天皇

・長保2年1000年
 一条天皇
 
・天慶3年940年
 朱雀天皇
 平将門敗れる

・元慶4年880年 
 陽成天皇

ー以下略ー

7、その他
 昭和20年1945年太平洋戦争の無条件降伏から75年。旧日本軍の軍属や徴兵に依る戦争体験者も75年が過ぎて、貴重な歴史の語り部であり犠牲者の生存者も残り少なになりました。内地で爆撃に合い肉親を失った当時生まれたゼロ歳児も75歳を過ぎようとしています。
 戦争に突入していった正しい歴史認識も曖昧にされている様で、本当は何の為に戦ったのか、勝と信じていたのか、勝ったらどうしたかったのか、何の為に戦地に逝き、何の為に民間人が原爆や焼夷弾に依って殺されていったのか、為政者と軍部は同じ思想であったのか、日本人の何が戦争を肯定させたのか、何故隣国の日本批判が絶えないのか、何の為に、何故の疑問が消えないまま過ぎて行きます。何故、何故がふつふつと湧いてきます。
 広島、長崎に落とされた原爆によって多くの同胞を失いながら、原爆反対を正式にうたわない為政者の真の目的は、持てる国を強く批判する事すら見られないのはなぜでしょう。
 地球上の人々は、貧しかろうと豊かであろうと、他国によって威圧されたり理不尽に殺されたり、何処へでも自由に行けない、暮らせない事を望んでいるでしょうか。
 令和を境に誰でもが本当はこうありたいと大声で叫び、実行する地球人になりたいものです。如何なる宗教も神様・仏様も暖かく受け入れて来たこの国はもっと大きな声で力強く叫ぶ資格があるのです、その時かも知れません。
 声に出して叫ぶ事は大切な事では無いでしょうか。
 日本人の弱さであり情けないながら生き永らえた事に「居場所が無いと不安」の国民性が権力をはびこらせる原因なのに、作られた居場所が大であろうと小であろうと大人しくしているのも情けないものです。
 私が懸念する、ぐずぐず言わずに大人しく和すべきという、時代遅れの権力がはびこる事が無いことを、声を大にして言わざるを得ません。

 2020年令和2年の座右の銘は、老子から「道法自然」とする事にしました。
 老子の象元第25「人法地 地法天 天法道 道法自然」読みは「人は地に法り、地は天に法り、天は道に法り、道は自然に法る。」
 意味は「人は大地を模範とし、大地は天を模範とし、天は道を模範とし、道は自ずからあるべき姿に従う。」道は自然、すなわち「自然であれ」といいます。
 この事はあらゆる事に適応できるもので、間違っていても師の教えに従う事が良い事なのか、間違いは正す事が正しい事なのか、大変厳しい事も含まれるでしょう。企業における方針や命令も同じ事でしょう。
 しかし、鬱々として居場所を確保して居ても心は晴れる事は無いでしょう。「心に自然に生きよう」でしょう。

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2019年11月30日 (土)

道歌1秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩)1の1千ハ品

道歌
1、秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩 元禄14年1701年)
 
千ハ品木草薬と聲しかと
     と乃病尓と志らで詮なし

読み
千ハ品木草薬と聞きしかど
     どの病にとしらで詮なし
(せんやしなもくそうやくとききしかど
     どのやまいにとしらでせんなし)

 此の歌は新庄藩の林崎新夢想流の伝書にある秘歌之大事の一番目に記載されている歌で、林崎甚助源重信公資料研究委員会による「林崎明神と林崎甚助重信」平成3年1991年発行によるものです。それによると元禄14年1701年に相馬忠左衛門政住が田口彦八郎に伝授したもので、昭和58年1983年秋に最上郡金山町中田の柿崎トミヨ氏宅で発見され、同年11月1日居合振武館に寄贈され陳列されていると有ります。
 秘歌之大事は変体仮名による草書体の毛筆のもので同書の写真ではすでに読むことは困難です。従って伝書の写真の下段に「読みや易くするために天童郷土研究会長伊藤文治郎氏の筆による解読歌を付した」とされています。
 本来居合振武館で原書を見ながら解読すべきでしょうが「林崎明神と林崎甚助重信」の貴重な資料を基に解読させていただきます。一部伊藤文治郎氏と読みの違いは文字の判読及び武術ではこう読むべきとしてミツヒラの浅学も恥じずに述べさせていただきます。

 新庄藩には明治以降にも秘歌は多少変わっていても伝承された様です。「千ハ品の木草能薬と耳しかととの病尓と志らてせん奈し(ちやしなのきくさのやくとみみしかどどのやまいにとしらでせんなし)

 妻木正麟著詳解田宮流居合には田宮流居合歌之伝の中に「千ハ品草木薬と聞きしかどそのあてがひを知らでせんなし」と此の歌が伝わっています。

 歌のもつ深い意味はどの様に解釈しようといいのですが、そのまま読めば、「千に余る木や草の薬があると聞いてみても、どの病に効くのか解らなければ聞いた甲斐もない」という事でしょう。
 さて、この歌を巻頭に掲げた新庄藩の林崎新夢想流の居合心をどの様に理解すればいいのでしょう。
 前回の秘歌之大事の一首目2011年11月4日のこの歌の解釈は「いくつもの業を習ったとて、実戦ではどのような場面に有効なものか解らなければなすすべはない」としています。

 あれから8年経って、今、さてと首を捻っています。直解としては間違いのない解釈でしょう。しかし、是では8年も何をして来たことか、同じ業の同じ形を繰り返し、指導者の指導に従って稽古して来ただけで満足な人はそれでいいかも知れません。
 例えば大森流の一本目前の形を無双直伝英信流の谷村派では正面の敵に正対した抜き付け、下村派では半身の抜き付け、夢想神伝流でも半身の抜き付けなどと、初心者の稽古形をいつまでも引き摺って、型にはまらなければ「違う!」と罵声が飛んでくる始末です。
 その動作の元になる仮想敵は何時も同じ相手で同じ動作なのです。そんなバカなことはあり得ないものです。此の動作で、やすやすと斬られる想定は良しとしても、想定はこの業一つでも幾つもあり得るものです。
 相手の身長や、攻撃の進捗状況によっても目標の抜き付け位置は変わって当たり前、それに瞬時に応じられる事が修行であって、決められたことだけを見事にやるのは武的踊りの練習に過ぎないでしょう。
 林崎甚助重信の居合の根元は「柄口6寸」にあります。敵の柄を握る小手に抜き付けるものです。現代では横一線の抜き付けは右肩、首、コメカミです、相手は我と同じ身長です。それでもこれだけ抜き付けの位置が大まかになっているのに、抜き付けた切先は右肩よりやや低くだそうです。そんな都合の良い相手など居るわけもない。
 身長も、相手の攻撃の状況も違う状況の中で「柄口6寸」に抜き打つ稽古は、それこそ寸刻みの高さで抜付ける稽古、相手との距離の違いに応ずる、体裁き、先を取られた時の請けるか外すかその同時に斬り付ける工夫、これはもう修行そのものです。
 現代居合の目録はせいぜい72本程度のことです、神傳流秘書の業名だけでもたった150程度のものです。千に余る業など目録からではありえませんが、一つの業から幾重にも応じられる稽古を重ねればそれを越えてしまうでしょう。それを瞬時に演じられなければ実用に役立たない唯の体操か武的舞踊に陥ってしまうものです。
 そのような「相手の状況に応じ、幾重にも変化する業技法を身に着けない限り目録の形だけでは稽古した甲斐は無い」と秘歌之大事の一番目に諭されている様に思うこの頃です。
 
        

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2019年11月29日 (金)

曾田本その2を読み解く50神道無念流居合幾つか50の12本目

曾田本その2を読み解く
50、神道無念流居合幾つか
50の12本目

太田龍峰著中山博道校閲「居合読本」神道無念流(立居合12本)12本目
意義
前進中敵に先だち抜打ちをなし、敵の之に応ずるを切り返して倒す動作である。
動作
第1、右足より前進し二歩目(左足の地につくや)に刀を抜き三歩目に敵の正面を切る。
第2、切り返しをなす(第2本、第4動に同じ)。
 「両手で刀刃を上方にし刀刃を以て敵の刀を払ひ流し(此際刀尖は其位置を変ずることなく左拳を刀尖より稍々上ぐ)、同時に左手を中心にして刀を右肩の方面に転回しつゝ左足を左前方に踏み開き右足を左足の後方にひき敵の右肩より左斜下方に切り下ぐ。
第3、刀を収む。

曾田本その2神道無念流(立居合12本)12本目
意義
前進中敵(に)先に抜打をなし敵の之に応ずるを切り返し倒す也。
動作
第1、右足より前進二歩目左足にて刀を抜き三歩目に敵の正面を切る。
第2、切り返しをなす2本目第4動に同じ
 「両手で刀刃を上にし刀刃を以て敵の刀を払流し(此時刀尖は其儘に左拳を刀尖より稍上ぐ)同時に左手を中心に右肩より冠りつゝ左足を左前方に踏み右足を左足の後に引き敵の右肩より八相に切下ぐ」。
第3、納刀

 第1動では右足、左足と歩む時刀を抜き、左手を柄に添え上段に振り冠って三歩目右足を踏み込み敵の正面を切る。右足前のまま、右霞に構え敵を攻め、敵が打ち込んで来る刀を払い流す。
 右霞とは刀柄を握った右手の甲を下に左手の甲を上にして刀刃を左にし、切先を敵に向ける、此処では刀刃を上にし刀刃を以て敵の刀を払い流す。同時に右肩から上段に振り冠り、左足を左前方に踏み右足を左足の後方に引き、敵の右肩より左斜下(逆八相)に切り下げる。残心納刀。

木村高士著「長州藩相伝神道無念流」より大村藩無念流立居合業手付12本目前敵
 三歩進んで敵の正面を抜打つ。切返し、血振い、納刀は前に同じ。

木村高士著「長州藩相伝神道無念流」より戸賀崎無念流立居合業手付12本
 歩行中左足が出たとき刀を上に抜き、右足を踏み出し諸手で「矢」と前敵の真甲に打込む。素早く右足を進め「当」と霞み、左斜前に変って「鋭」と切返す。正眼に攻めて納刀する。
 最後の一刀は総て真剣なれば真二つに斬る可き意なり。後ち己を守る事。
 究練磨、自然自知活発、刀勢鋭く姿勢正しく。と本参考書末尾に真剣勝負の厳しさと、修行練磨の心得が書き加えられている。

 12本目は夫々の業手付に大きな違いは無い様です。 但し一刀目の「抜打」は刀を上に抜き上げ手を返して上段に振り冠り真向に切り下すと「敵の正面を切る」から想定していますが、どの様な敵の状況なのか記載されていませんので居合らしい抜刀ならば、歩行中敵が刀を抜き上段に振り冠って我が真向に打込んで来るのを、我は刀刃を左に向け柄を正中線上の上に抜き上げ敵刀を摺り落すや、上段に振り冠って敵の真向に切り下す。敵一歩退いて之を外すや、右霞で敵を攻め敵打込んで来るのを切り返す、など可想敵を動かしながら無双直伝英信流の業技法で応じて見ました。大村藩の場合は、どの様に抜打つのか、抜けが有ってわかりません。

 以上を以って曾田本の神道無念流立居合12本を読み解いてみました。太田龍峰先生の居合読本、木村高士先生の長州藩相伝神道無念流をお借りして神道無念流体居合12本の曾田本に記載されている居合を紐解いて見たのですが、他流の事故之で良しとは言えないかも知れません。 貴重な資料をありがとうございました、更にご教示賜れば無上の喜びです。 
 ミツヒラこと松原昭夫

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2019年11月28日 (木)

曾田本その2を読み解く50神道無念流居合幾つか50の11本目

曾田本その2を読み解く
50、神道無念流居合幾つか
50の11本目

太田龍峰著中山博道校閲「居合読本」より神道無念流(立居合12本)11本目
意義
概ね第10本に同じであるが、敵、退却することなく、我、却って敵に追ひ詰められ後退しつゝ敵を切り倒す動作である。但し最初停止して居るのではなく、前進中敵に出合ったものとするのである。
動作
第1、右足より前進中右足の地につくや僅かに後退して刀を抜く(第1本第1動に同じ)。
 「右足より前進し二歩目(左足の地についた時)右手の拇指を下方より其他の指を上方より鍔元近く刀柄を握り右足(三歩目)を出すと同時に右手を以って刀を抜き(此時左手で鞘を前方に出す気持ちを加へ後方に振り上げ上体を左斜にして十字形を為し左足は右足につれ前方に送り概ね左足尖を右踵に接する如くあらしむ)敵の右肘を下方より切り上ぐ。
第2、第10本、第2、第3動に同じであるが、右足より後退しつゝ行くのが異ってゐる。
 「第2動:左足より二歩前進し敵の正面を切る(右足より二歩後退し敵の正面を切る)」。
第3、右同
 「第3動:刀を青眼の儘で、刀を敵に突きつける姿勢で二歩前進す(刀を青眼の儘で、刀を敵に突きつける姿勢で二歩後退す)」
第4、第10本、第4、第5動に同じ。
 「刀を上段にして残心を示す」。
第5、右同。
 「刀を青眼に復してこれを収む」。

曾田本その2神道無念流(立居合12本)11本目
意義
大体10本目と同じなるも、敵、退却せず我却て敵に追い詰められ後退しつゝ敵を切り倒す也、但し最初停て居るにあらず前進中敵に出会たるものとす。
動作
第1、右足より前進中右足の地につくや僅かに後退して抜刀(1本目第1動に同じ)。
 「右足より前進し二歩目左足にて柄を握り三歩目右足を出すと同時に抜刀(此時左手で鞘を前方に出す気持を加へ後方に振り上げ上体を左斜にして十文字形をなし左足は右足につれ前方に送り左足先を右踵に接する如くする)敵の右前肘を下より切り上ぐ」。
第2、1本目第2、第3動に同じであるが右足より後退しつゝ行くのが異なる。
 「1本目第2動:次に右手を左肩より振り冠り左手を添へ右足を一歩引き敵の正面を切る」
第3、右同
 「1本目第3動:更に右足一歩進め真向より正面を切る(更に左足一歩退き真向より正面を切る)」。
第4、10本目第4、第5動に同じ。
 「10本目第4動:次に上段にて残心を示し」。
 「10本目第5動:正眼に直り納刀」
第5、右同

 曾田本と居合読本とは切り上げて後の一刀目、二刀目の足裁きが違う様です。曾田本は切上げた時の右足を退きつつ上段になるや右足を地につくや敵の正面に切り下す、更に左足を一歩退きつつ上段になるや左足が地につくや敵の正面に切り下す。
居合読本は、右足踏み込んで切り上げた時、右足左足と退き真向に切り下し、更に右足左足と退いて真向に切り下しています。この違いから曾田本が引用した神道無念流立居合12本の出典が居合読本では無かったかもしれないとまた思ってしまいます。曽田先生も業を自分流にいじる癖があったかもしれません。

木村高士著「長州藩相伝神道無念流」より大村藩無念流立居合業手付11本目
 進行中、右足が床についたとき、素早く左足を右足に引き揃えて抜刀する。(-右足より後退し、左足後で切り上げる・・長州藩相伝)右左足と後退しながら刀を上段に冠り前敵の正面二打込む。中段、二歩後退して上段となり残心を示す。(-二歩前進して上段残心を示す‥長州藩相伝)晴眼に構える。血振い、納刀は前に同じ。

木村高士著「長州藩相伝神道無念流」より戸賀崎無念流立居合業手付11本目
 その場で右足を踏み出し、下方から逆袈裟に切上げ、切先は前敵の左首の高さとなる。更に二足一刀に攻め「当」と真甲に打込む。左、右足を進んで上段に冠り、右足から一歩攻めて中段となる。正眼に攻める。納刀。

 大村藩も戸賀﨑居合も、最初から攻め一方の姿勢です。

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2019年11月27日 (水)

曾田本その2を読み解く50神道無念流居合幾つか50の10本目

曾田本その2を読み解く
50、神道無念流居合幾つか
50の10本目

太田龍峰著中山博道校閲「居合読本」より神道無念流(立居合12本)10本目
意義
敵に接近しある際、敵、刀を抜かんとするのに対して動作するも、敵、退却せるにより之を追詰めて切り倒す動作である。
動作
第1、右足を一歩出すと同時に刀を抜き敵の前肘を切る(第1本、第1動に同じ)。
 「右足より前進し二歩目(左足の地についた時)右手の拇指を下方より其他の指を上方より鍔元近く刀柄を握り右足(三歩目)を出すと同時に右手を以て刀を抜き(此時左手で鞘を前方に出す気持ちを加へ後方に振り上げ上体を左斜にして十字形をなし左足は右足につれ前方に送り概ね左足尖を右踵に接する如くあらしむ)敵の右前肘を下方より切り上ぐ」。
第2、左足より二歩前進し敵の正面を切る。
第3、刀を青眼の儘で、刀を敵に突きつける姿勢で二歩前進す。
第4、刀を上段にして残心を示す。
第5、刀を青眼に復しこれを収む。

曾田本その2神道無念流(立居合12本)10本目
意義
敵に接し居る時敵刀を抜かんとするに対し動作する敵退きたるにより之れを追詰めて切り倒す也。
動作
第1、右足を踏み出すと同時に抜刀敵の左前肘を切る1本目第1動同
 「右足より前進し二歩目左足にて柄を握り三歩目右足を出すと同時に抜刀(此時左手で鞘を前方に出す気持ちを加へ後方に振り上げ上体を左斜にして十字形をなし左足は右足につれ前方に送り左足先を右踵に接する如くする)敵の右前肘を下より切り上ぐ。
第2、左足より二歩進み正面を切る。
第3、次に青眼のまゝ突き付けながら二歩進む。
第4、次に上段にて残心を示し。
第5、青眼に直り納刀。

 居合読本も曾田本も動作は同じで、敵の抜かんとする右前肘を切り上げ、追い込んで真向に斬る。追い込む際の構えは左足踏み込み刀を左から上段に取り、右足踏み込んで真向に斬りこむので良さそうです。青眼に構えて左右と前進しつつ上段に構えて残心、其の足の儘青眼に復し、納刀。

木村高士著「長州藩相伝神道無念流」より大村藩無念流立居合業手付10本目
 その場に抜刀して諸手で上段に冠る。右足を踏み出して敵の正面に打込む。(-敵の右肘を切上げる・・長州藩相伝)更に、二足一刀で霞に攻め入り上段より真向水月まで打込む。中段となり左、右足と二歩攻め入り上段に冠り残心を示す。正眼に構える。血振い、納刀は前に同じ。

 小村藩無念流立居合10本目は、立ったままその場で刀を上に抜き上げ、諸手上段となり、右足を踏み込んで真向に斬り下すのですから、居合読本とも長州藩相伝とも異なります。文章の通りゆっくり大きくやっていたのでは何拍子になるでしょう。此処は刀を、刃を左に向け敵が打ち込んで切手も摺り落せる運剣で抜き上げるや拳を返して刃を正面に向け切り下すや左手を柄に添えて水月迄切り下す、敵怯んで後退知るを左足を踏み込み上段に振り冠り右足を踏み出し真向に水月迄切り下す。左右足と追い進み上段残心、正眼に直り、横血振り、納刀。
 無双直伝英信流正統会の附込の抜刀を立業で応じて見ました。然し読み進むに従い神道無念流居合は鞘の内からの抜き付けで相手に致命傷を負わせるか攻撃できない状況に追い込む無双直伝英信流の居合とは雰囲気が違います。抜打が不十分でも二刀目、若しくは三刀目で切り倒す神道無念流の居合とはその精神が違うのでしょう。

木村高士著「長州藩相伝神道無念流」より戸賀崎無念流立居合業手付10本目
 前の如く刀を頭上に抜く。右、左足と後退しながら上段に冠り「当」と前敵真甲に打込む。左足を右足に引き揃えて、その場に両足で飛び上り天上段となる。刀を徐々に下におろしながら右足を出し、前項の如く正眼に攻める。納刀。

 戸賀崎居合の独特な処は、斬りこむ時に「当」「鋭」「矢」戸の掛声を出す事。此の業に見られる「その場に両足で飛び上る」事。此の業では刀を頭上に抜き上げ右、左と後退しながら上段に冠り真甲に打ち込んでいます。他の教えが抜刀し、攻め込んでいます真甲に打ち込んでいます。此の場合の飛び上がり「天上段」に構える意味が何処にあるのか、解説されていませんが、此処では十分に敵を切った後に飛び上がって右弾に振り被り残心の様です。何時何処で他と異なる動作が行われるようになったのか興味のある処です。 

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2019年11月26日 (火)

曾田本その2を読み解く50神道無念流居合幾つか50の9本目

曾田本その2を読み解く
50、神道無念流居合幾つか
50の9本目

太田龍峰著中山博道校閲「居合読本」より神道無念流(立居合12本)9本目
意義
敵の刀を抜かんとする前肘を切るも(第1本に同じ)敵之れを脱し我胴を切り来るに対し変化して切り倒す動作である。
動作
第1、第1本、第1動に同じ。
 「右足より前進し二歩目(左足の地についた時)右手の拇指を下方より其他の指を上方より鍔元近く刀柄を握り右足(三歩目)を出すと同時に右手を以って刀を抜き(此時左手で鞘を前方に出す気持ちを加へ後方に振り上げ上体を左斜にして十字形をなし左足は右足につれ前方に送り概ね左足尖を右踵に接する如くあらしむ)敵の右前肘を下方より切り上ぐ」。
第2、刀を頭上に被りつゝ右足より二歩後退し、刀の鎬ぎを以って敵、刀を下方に圧し、敵の我が胴を切り来るを防ぐ如く刀を体の右前下方に持ち来る(此時右足は左足に着く如く引き寄せる)。
第3、刀を其状態の儘少しく上げつゝ僅に前進す、此際左足は右足につく如く送り込む(敵を襲ふ気持なり)。
第4、切り返しをなす(第2本、第4動に同じ)
 「両手で刀刃を上方にし刀刃を以て敵の刀を払ひ流し(此際刀尖は其位置を変ずることなく左拳を刀尖より稍々上ぐ)同時に左手を中心にして刀を右肩の方面に転回しつゝ左足を左前に踏み開き右足を左足の後方にひき敵の右肩より左斜下方に切り下ぐ」。
第5、刀を収む。

曾田本その2神道無念流(立居合12本)9本目
意義
敵の抜かんとする前肘を切るも(1本目に同じ)敵之れを弛し我が胴を切り来るに対し体を変えし切り倒す。
動作
第1、1本目第1動に同じ
 「右足より前進し二歩目左足より柄を握り三歩目右足を出すと同時に抜刀(此時左手で鞘を前方に出す気持を加へ後方に振り上げ上体を左斜にして十字形をなし左足は右足につれ前方に送り左足先を右踵に接する如くする)敵の右前肘を下より切り上ぐ」。
第2、上段のまゝ右足より二歩退き次に鎬を以って敵刀を下方に押へ、敵我胴を切り来るを防ぐ如く刀を体の右前下方に持ち来る此の時右足を左足に引き付くる。
第3、次に青眼に直りつゝ少し前進す此の時左足は右足につく如く送り敵を襲う気持なり。
第4、次に切り返しをなす2本目第4動に同じ。
 「両手で刀刃を上にし刀刃を以て敵の刀を払流し(此の時刀尖は其儘位置にて左拳を刀尖より稍上ぐ)同時に左手を中心に右肩より冠りつゝ左足を左前に踏み右足を左足の後に引き敵之右肩より八相に切下ぐ」。
第5、次に納刀。

居合読本と曾田本では少々文言がことなる処が有りますが、ほぼ同じと見ていいでしょう。曽田先生も何故文言を変えたのか、或いは居合読本以外の資料によったのか疑問です。
 些細な文言の違いとは言え第3動で居合読本は「刀を其状態の儘少しく上げつゝ僅かに前進す」。曾田本は「青眼に直りつゝ少し前進す」。敵が我が胴に斬りこんで来るのを、裏鎬で右前下方に押さえ(圧し)た後の動作ですが、此処は敵が後退するならば曾田本の青眼は成り立つでしょうが、居合読本の方が良さそうです。神道無念流立居合は相手の状況は細部にわたって書かれて居ませんから此処は仮想敵の動きは自分で想像して第3動から第4動に繋いでいくのでしょう。

木村高士著長州藩相伝神道無念流より大村藩無念流立居合業手付9本目
 三歩進んで前方に抜刀。(ー1本目のように敵の右肘に切上げる・・長州藩相伝)敵が胴に打ち込んで来るので、僅かに左足を引き、続いて右、左と大きくこうたいして、右腰脇で刀の裏鎬をもって敵刀を払い落す。素早く晴眼で一歩攻める。再び打込んで来る敵刀を切返して右肩へ打込む・血振い、納刀は前に同じ。

 大村藩神道無念流立居合は敵と我との攻防が読めますが、「三歩進んで前方に抜刀」ではどうしていいか分からない。
 1本目は「敵の右肘を下方より刀に反りをうたせながら抜付け切上げる」。
 2本目は「三歩進んで、左足を僅かに引き上段に冠る。右、左足と二歩後退して真向に打込む」。
 3本目は「右足より三歩進み、右足が床についたとき左回り後方に向き、同時に抜刀し、右足を踏み出して上段から真向に打込む」。
 4本目は「三歩進んで後敵に目を注ぎ、右片手で刀を低く抜き、刃を上にして左上膊部に支え後敵を刺突す」。
 5本目は「三歩進んで左足を軸に右に向き、右足を一歩踏み出すと共に頭上に抜刀し、右敵の正面に打込む」。
 6本目は「三歩進んで右足の出たところで抜刀し、右足を軸に左に向き、左足を右足の後に引き、上段から左敵の正面に打込む」。
 7本目は「三歩進んで抜刀、右足を軸に左足を右足の後に引き右に向き、真向より右敵の正面に打込む」。
 8本目は「その場において右足を踏み出し、諸手で横一文字に抜付ける。
 9本目は「三歩進んで前方に抜刀。敵が胴に打込んで来るので、僅かに左足を引き、続いて右、左足と大きく後退して右腰脇で刀の裏鎬追をもって敵刀を払い落す」。
 居合と言えるか、抜いてから構えて切るのでは疑問を感じてしまいます、がこれも文章表現の仕方によると思えばそうかもしれません。然し9本目などは長州藩相伝は「前方の敵に下方から抜付ける、前敵は身を転じて我が胴を打って来るので、右足から二歩後退しながら左回りに刀を上段に冠り、敵の刀を刃をもって右前下に打ち払う」。と明快に居合抜から始まっています。

木村高士著「長州藩相伝神道無念流」より戸賀崎無念流立居合業手付
 前の如く刀を頭上に抜く。右、左足と後に引き、諸手で柄を握り、切先を左から小さく上に回して刃を前に向け敵刀を抑える。このとき、体重は後左足にかけ、切先は膝の高さとなる。右足を進め「当」と霞み、左斜前に変って「鋭」と切返す。正眼に攻める。納刀。

 戸賀崎居合も大村藩と同様です。鞘の内からの抜打を居合と思い込んでいる無双直伝英信流では之は居合ではないと思ってしまいます。恐らく元は居合としての抜打が稽古されて来たのでしょうが、抜打によって敵を一刀のもとに倒していない事からこの様な抜いてしまってからの動作にポイントがずれて行ったのかも知れません。其の辺のことは神道無念流にどっぷりつかって考えなければならないかもしれません。

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2019年11月25日 (月)

曾田本その2を読み解く50神道無念流居合幾つか50の8本目

曾田本その2を読み解く
50、神道無念流立居合幾つか
50の8本目

太田龍峰著中山博道校閲「居合読本」より神道無念流(立居合12本)8本目
意義
勉めて敵に接近してから抜き打ちをなすも敵後退せるにより追詰めて切倒す動作である。
動作
第1、其場で抜刀し右足を一歩出して正面を切る
第2、左足より二歩前進して切る。
第3、第2本、第4動に同じく切返しをなす。
 2本目第4動:「両手で刀刃を上にし刀刃を以て敵の刀を払ひ流し(此際刀尖は其位置を変ずることなく左拳を刀尖よる稍々上ぐ)同時に左手を中心にして刀を右肩の方面に転回しつゝ左足を左前方に踏み開き右足を左足の後方にひき敵の右肩より左斜下方に切り下ぐ」。
第4、刀を収む。

曾田本その2神道無念流(立居合12本)8本目
意義
勉めて敵に接して抜打するも敵後退するにより追詰めて切倒す也
動作
第1、其場にて抜刀右足を一歩出し正面を切る。
第2、左足より二歩前進して切る。
第3、2本目第4動の如く切り返し
 2本目第4動:両手で刀刃を上にし刀刃を以て敵の刀を払流し(此の時刀尖は其位置にて左拳を刀尖より稍上ぐ)同時に左手を中心に右肩より冠りつゝ左足を左前に踏み右足を左足の後に引き敵の右肩より八相に切下ぐ」。
第4、納刀

 この業の分らない動作は、第1動です。無双直伝英信流では大森流の附込の抜刀から切り下す抜打ちでしょう。柄を持つ右手を正中線上に刀を抜き上げ刀刃は左外に向けて抜刀するや手を返して上段に振り冠り右足を踏み込み正面の敵の真向に打込む。
 続いて、左足、右足と前進して後退する敵を追い詰め上段から切下す。右霞に攻め込むと敵我が真向に打込んで来る処、切先を敵に付け、刃を上に左手を稍々高くして、敵刀を払い流し右肩より冠りつつ、左足を左前に踏み込み、右足を左足の後に引き、敵の右肩より逆八相に切り下げる。納刀。

木村高士著長州藩相伝神道無念流より大村藩無念流8本目
 其の場に於いて右足を踏み出し、諸手で横一文字に抜付ける。(ー真向正面に抜付ける 長州藩相伝)更に、二足一刀で前敵の正面に打込む。前敵が打込んで来るので、切返して敵の右肩に打込む。以下、前の業に同じ。

 大村藩の8本目の抜打ちは「諸手で横一文字に抜きつける」、左右と二足一刀で前敵の正面に打込む。更に「前敵が正面に打ち込んで来るので切り返し敵の右肩へ打込む」曾田本の敵刀を切返し(払流し)は神道無念流の右霞ですから「刀柄を握った右手の甲を下に左手の甲を上にして刀刃を左にし、切先を前敵に向ける。」となり打ち込まれて、敵刀を切り返して敵の右肩に打込む。

木村高士著「長州藩相伝神道無念流」から戸賀崎無念流立居合業手付
 直立の姿勢から素早く右手で刀を上に抜き上げ、左手を添えて右足を踏み出し「矢」と前敵の真甲を打つ。更に、二足一刀をもって攻め込み上段から「当」と正面真甲に打込む。右足を進め「矢」と右霞となり、左斜前に変って敵刀を切返しながら右足を左足の後に引き「鋭」と右面を打つ。正眼に攻め、納刀。

 戸賀崎居合は、我は刀を抜き上げ左手を添えて右足を踏み出し「矢」と前敵の真甲を打つ。二足一刀に攻め上段から「当」と真甲に打込む。敵我が真甲に打ち込んで来るや右霞で切り返して「鋭」と敵の右面を打つ、正眼、納刀。

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2019年11月24日 (日)

曾田本その2を読み解く50神道無念流居合幾つか50の7本目

曾田本その2を読み解く
50神道無念流居合幾つか
50の7本目

太田龍峰著中山博道校閲「居合読本」より神道無念流(立居合12本)第7本:
意義
前方右方の敵に対する動作(第6本に同じ)。
 意義
 「前方右方の敵に対するも右方の敵、最初我に近寄りすぎた為めに進出して切る事能はず、従って其場に於いて切り、次いで敵後ろに倒るゝを以って其儘進んで残心を示す」。
動作
第6本と全く同じであるが、但し右方にするだけ異ふ。
 第1、右足より前進し二歩目(左足の地についた時)右手の拇指を下方より其他の指を上方より鍔元近く刀柄を握り右足(三歩目)を出すと同時に右手を以って刀を抜き(此時左手で鞘を前方に出す気持ちを加へ後方に振り上げ上体を左斜にして十字形をなし左足は右足につれ前方に送り概ね左足尖を右踵に接する如くあらしむ)敵の右前肘を下方より切り上ぐ」。
 第2、左足を軸として右足を左足の後方にひき右向きをなし右正面を切る
 第3、左足を右足の所にひき刀を頭上に振り上げ左足を出して切る。
 第4、右足より二歩前進する(此際刀は青眼とする)。
 第5、刀を上段にして残心を示し。
 第6、青眼に復し刀を収む。

曾田本その2神道無念流(立居合12本)7本目
意義
前方の右方の敵に対する動作(6本目に同じ)
 意義「前方右方の敵に対するも右方の敵、最初我に近寄り過ぎた為めに進出して切ること能はず、従て其場に於て切り、次で敵後ろに倒るゝを以って其儘進んで残心を示す。
動作
6本目と替ることなし、左方と右方との異なるのみ。
 第1、1本目第1動「右足より前進し二歩目左足にて柄を握り三歩目右足を出すと同時に抜刀(此時左手で鞘を前方に出す気持を加へ後方に振り上げ上体を左斜にして十字形をなし左足は右足につれ前方に送り左足先を右踵に接する如くする)敵の右前肘を下より切り上げぐ」。
 第2、「左足を軸とし右向となして右正面を切る」。
 第3、次に左足を右足に揃へ上段となり左足にて切る。
 第4、次に中段の侭右足より二歩進み。
 第5、上段残心を示し
 第6、青眼に直り納刀

 7本目の意義は前および右敵に対するものですが、6本目と同じであれば「右方の敵、最初我に近寄り過ぎた為めに進出して切ること能はず」であるはずです。
 まず第1動、居合読本の前敵の切り上げは柄握りを解説していますが曾田本その2には柄握りは解説なしです。切上げの柄握りは順手で良いので解説不要でしょう。
 第2動の右敵への斬り付けで居合読本は左足を軸に右足を後方に引いて右敵を切っていますが、曾田本その2では右向きと成ったらそのまま切っている様な文章です。これでは右敵が近寄り過ぎて居る事に応ずる刀法とは言えません。敢えて肩を持てば、右足を踏み込み前敵を下から切り上げ右足に左足を引き付けて左足を軸に右に向きますから、右敵の間が近ければその足の侭か、右足若しくは左足を引いて調整するのは当然としたのでしょう。であればその様に書いておくべきです。
 第3、で「左足を右足に揃へ上段となり左足にて切る」と曾田本にあります。第2動を左足前で切っているのか、右足前で切ったのかで、斬る際の足踏みが、左足前で切って居れば左足を右足に引き付けて左足を踏み込み切る。右足前で切って居れば左足を前足の右足に引き付け左足を更に踏み込み切る。間の取り方に違いが出るもので修行が進んで間と間合いが十分把握できるようになってから行うべきで初めは居合読本の様にすべきでしょう。
 以下は取り立てて見るものはありません。無双直伝英信流には無い攻めと残心そして納刀の神道無念流らしい仕草と言えるでしょう。

木村高士著「長州藩相伝神道無念流」より大村藩無念流立居合業手付7本目
 三歩進んで抜刀、右足を軸に左足を右足の後に引き右に向き、真向より右敵の正面に打込む。更に右足を左足に引きつけ正面に打込む。左、右と霞に二歩攻め入り上段残心を示す。晴眼となって血振い、納刀は前に同じ。

 大村藩の7本目で足の引き様が居合読本や曾田本と違う、それは前敵への切上げの際の足s履きに由来します。「右足より三歩進み、右足が床につくと同時に、敵の右前肘を下方より刀に反りをうたせながら抜き付け切上げる。右足を左足に引き揃えて・・」とありますから、踏み出した右足を後足の左足に引付て右足を軸に右に回り左足を引いて打込むのです。
 居合読本も曾田本も右足を踏み込んで前敵に下から切上げ、左足を右足に引き付ける動作と異なるわけです。大村藩では更に右足を左足に引付て切っていますから、これは、右足を再び踏み込んで切るかどうか手付は語らずです、更に退いたまま切るかで右敵が切られても攻めて来る想定になるのです。
 それから右左と前進して右霞で攻め上段残心、晴眼となって横血振り納刀。居合の敵は仮想敵です、相手の出方に依り如何様にも業が変化して当然です。師匠の癖や武術の力量、哲学によって元の業は限りなく動くものです。時々気の付いた者が元へ戻すことに心血を注がなければ武術が踊りになってしまうのです。

木村高士著「長州藩相伝神道無念流」より戸賀崎無念流立居合業手付 7本目
抜付は前に同じ。右足を軸にして左回りに左足を右足の後に引き、右から上段に冠り左手を柄にかけ諸手で「当」と左敵の正面真甲を打つ。更に、右、左と後退し「当」と腰撓(こしだめ)に打込む。以下。6本目に同じ。

抜付けは「三歩進んで間に入るや「矢」と、右手を水平にして前敵に抜付ける。抜付けたとき、刀は水平にして切先は眼の高さ、刀刃は斜め左に向く。左手は鞘を放して、後方水平になるまで腕と指も伸ばす」所謂横一線の抜き付けです。切先は眼の高さですから稍々斜め上に向いている。「後方水平になるまで・・」は説明がありませんが鞘が水平なのかなと思います。
 「右足を軸にして左回りに」ですからこれは他流の6本目に相当します。前敵を水平に抜き付け、左敵に振り向いて左足を右足の後方に引いて、左敵の正面真甲を打つ、敵怯まずに攻めて来るので、右足、左足と後退し「こしだめ」に打込む。とはどうしたら要求を充たせるか不明です。退きながらの攻防は腰が引けない様にぐっと丹田に気を充実させて打込むのでしょう。

 

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2019年11月23日 (土)

曾田本その2を読み解く50神道無念流居合幾つか50の6本目

曾田本その2を読み解く
50、神道無念流居合幾つか
50の6本目

太田龍峰著中山博道校閲「居合読本」より神道無念流(12本)立居合第6本目:
意義
前方左方の敵に対するも左方の敵、最初我に近寄りすぎた為めに進出して切ること能はず、従がって其場に於いて切り、次で敵後に倒るゝを以って其儘進んで残心を示す。
動作
第1、第1本、第1動に同じ。
 第1本第1動:「右足より前進し二歩目(左足の地についた時)右手の拇指を下方より其他の指を上方より鍔元近く刀柄を握り右足(三歩目)を出すと同時に右手を以って刀を抜き(此時左手で鞘を前方に出す気持ちを加へ後方に振り上げ上体を左斜にして十字形をなし左足は右足につれ前方に送り概ね左足尖を右踵に接する如くあらしむ)敵の右前肘を下方より切り上ぐ。」
第2、右足を軸として左足を右足の後方にひき左向をなし左正面を切る
第3、右足を左足の所にひき刀を頭上に振り上げ右足を出して切る
第4、左足より二歩前進する(此際刀は青眼とする)。
第5、刀を上段にして残心を示し。
第6、青眼に復して刀を収む。

曾田本その2神道無念流(立居合12本)6本目:
意義
前方左方の敵に対するも左方の敵最初我に近寄り過ぎた為めに進出して切ること能はず、従て其場に於て切り、次で敵後ろに倒るゝを以て其侭進んで残心を示す。
動作
第1、1本目第1動に同じ。
 1本目第1動:「右足より前進し二歩目左足にて柄を握り三歩目右足を出すと同時に抜刀(此時左手で鞘を前方に出す気持を加へ後方に振り上げ上体を左斜にして十字形をなし左足は右足につれ前方に送り左足先を右踵に接する如くする)敵の右前肘を下より切り上ぐ。
第2、右足を軸とし左向となり左正面を切る
第3、次に右足を左足に揃へ上段となり右足にて切る
第4、次に中段の侭左足より二歩進み。
第5、上段の残心を示し。
第6、青眼に直り納刀。

 6本目は右足を踏み込み下から切り上げ、左足を右足に引き付ける。左足を軸とし左に向き直り、左足を右足の後方に引いて近寄り過ぎた敵との間合を調節して右足前で左の敵の正面を切る。
 此の時曾田本は「左足を軸として左向きとなり左正面を切る」ですから切る際左足も右足も引いていません、近寄り過ぎた敵に何らする事も無く斬り付けています、此処は曾田本の写し忘れとしておきます。
 次は、右足を左足に引付つつ上段となり敵の様子を推し測り、間を外し、再び右足を踏み込んで切る。上段に振り冠って残心、敵倒れるや青眼に直り納刀。
 曽田本の文章は第2、第3とも居合読本と異なる処が有ります。また、長州藩相伝では前敵へ切り上げる際左足を右足に送らず。左へ振り向く初動に右足を左足に僅かに引いてから、右足を軸に左へ向きます。

木村高士著「長州藩相伝神道無念流」より大村藩無念流立居合業手付 6本目左敵:
 三歩進んで右足の出たところで抜刀し、右足を軸に左に向き、左足を右足の後に引き、上段から左敵の正面に打込む。更に、右足を左足に引きつけて正面に打込む。左、右足と霞に二歩攻め入り上段となり残心を示す。晴眼となって血振いをする。納刀は前に同じ。

 正面の敵は右前肘を切り上げられるので曾田本と同じ、(左足に引き付け)右足を軸に左に向き左足を後方に引いて左敵に討ち込む、更に右足を左足に引きつけ(右足を踏み込んで)正面に打込む。、左足右足と二歩右霞に構え攻め進み、上段に構え残心、刀を下し青眼となり(刀を小さく横に振って)血振り納刀。

木村高士著「長州藩相伝神道無念流」より戸賀崎無念流立居合業手付 6本目:
 抜付は前に同じ。
 「三歩進んで間に入るや「矢」と、右手を水平にして前敵に抜付る。抜付けた時、刀は水平にして切先は眼の高さ、刀刃は斜左に向く。左手は鞘を放して、後方水平になるまで腕と指も伸ばす。」
 右足を左足に寄せながら右敵に向かい、刀刃上段に冠って右足を出し「当」と真甲を打つ。右、左足と後退して腰を引き、左膝を曲げ、左足に体重を載せ上段に冠り、右敵の正面に、切先は膝の高さまで打込む。更に、左、右足と進みながら刀を上段にとり、右足から一歩進んで中段正眼の構えとなる。正眼に攻め、納刀。

 この戸賀崎居合6本目は敵は前・右となっていて他の手付けと異なります。前敵に右足を踏み込み水平に抜き付け、右足を左足に引きつけ、左足を軸に右敵に向かい上段から「当」と真甲を打つ。右、左足と後退して腰を引き、左膝を曲げ、左足に体重を載せ上段に冠り、右敵の正面に、足はそのまま、切先は膝の高さまで打込む。
 更に左、右足と進みながら上段に冠るり、右足から一歩進んで中段正眼の構えとなり青眼に攻め残心、納刀。


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2019年11月22日 (金)

曾田本その2を読み解く50神道無念流居合幾つか50の5本目

曾田本その2を読み解く
50、神道無念流居合幾つか
50の5本目

太田龍峰著中山博道校閲「居合読本」より神道無念流(立居合12本)第5本目:
意義
前右左の敵に対する動作である。
動作
第1、第1本目第1動に同じ。
 第1本目第1動:「右足より前進し二歩目(左足の地についた時)右手の拇指を下方より其他の指を上方より鍔元近く刀柄を握り右足(三歩目)を出すと同時に右手を以って刀を抜き(此時左手で鞘を前方に出す気持ちを加へ後方に振り上げ上体を左斜にして十字形をなし左足は右足につれ前方に送り概ね左足尖を右踵に接する如くあらしむ)敵の右前肘を下方より切り上ぐ。」
第2、左足を軸として右方に向ひ右方の敵の正面を切る。
第3、左足を軸として廻れ左をなし右足を一歩踏み進出して左の敵の正面を切る。
第4、刀を収む。

曾田本その2神道無念流(立居合12本)5本目
意義
前右左の敵に対する動作なり。
動作
第1、1本目1動に同じ。
 第1,1本目1動:「右足より前進し二歩目左足にて柄を握り三歩目右足を出すと同時に抜刀(此時左手で鞘を前方に出す気持を加へ後方に振り上げ上体を左斜にして十字形をなし右足につれ前方に送り左足先を右踵に接する如くする)敵の右前肘を下より切り上ぐ」
第2、左足を軸とし右の敵の正面を切る。
第3、左足を軸とし廻れ左をなして右足を一歩出して左の敵之正面を切る。納刀。

 曾田本は第一動の柄握りを解説していませんが、居合読本は「右手の拇指を下方より其他の指を上方より鍔元近く刀柄を握り」と解説しています。無双直伝英信流では当然の柄握りですから「柄を握り」とさらりと書いたのでしょう。
 抜刀して敵の前肘を切り上げる際、刀の刃を下に返して切り上げるはずですが、居合読本も曾田本も触れていません。むしろ「左手で鞘を前方に出す気持ちで後方に振り上げ」と意味不明の文章を掲げ、鞘を前に出す気で後方に振り上げたら、上体は前が掛かりになりそうだなとか思ってしまいます。切り上げるにはその方が手打ちにならず切先に力が乗っていきそうです。
 次に「上体を左斜にし」は右半身でとは読めますが、次の「十字形」の意味は理解できません。刀と体が十字形かななど思いますが、此処は神道無念流の教えを受けなければ理解できそうにありません。
 敵の前肘を切り上げる際左足を右足踵に追い足裁きを要求しています。第1動は右足と左足が接した状況で、その足で左足を軸に右回りに右に向き直りつつ刀を左から上段に振り冠り「右の敵の正面を切る」この際右足を踏み出す指示は無いのですが左右の足を接しての斬りこみは無双直伝英信流には見当たりませんので、右足は敵に向いて一歩踏み込んでしまうのは我が流の癖でしょうか。相手との間合い次第で調整するとします。
 第3動では左足を軸に左回りに左の敵に振り向き右足を踏み込んで左の敵の正面を切る。納刀。
 神道無念流立居合の抜付け後の動作は対敵を置いていますが、手附では仮想敵の動きは特定せず、状況は自分で幾つも想定して応じろと云うものでしょう。

 長州藩相伝神道無念流立居合5本目では「切上げ、右正面打込、左正面打込、納刀」で想定は同じ、前敵抜付は同じですが、左足は右足に追足ではなく、右足を踏み込んで切上げ、右敵に対しては、右足の半歩前に左足を踏み出し左足を軸に右に回り、右足を踏み込んで右敵に打込む。次に右足を軸にして左回り、右足を踏み出して左敵に打込む」この方が形を演ずるばかりの者には、容易そうです。形を「かたち」だからと言って教えられたままにしかしない、出来ない、変化に応じられないのが現代の状況です。

木村高士著「長州藩相伝神道無念流」より大村藩無念流立居合業手付 5本目右、左敵:
 三歩進んで左足を軸に右に向き、右足を一歩踏み出すと共に頭上に抜刀し、右敵の正面に打込む。
 右足を軸に左に回って後を向き、右足を一歩踏み出して左敵の正面に打込む。血振い、納刀は前に同じ。

 大村藩 の神道無念流立居合5本目では左右の敵に割り込む様にして、右左と切るのであって、前敵が想定されていません。是では立居合12本が時代経過と共に変化した例とも云えるでしょう。
 大村藩では安政元年(1854年)大村藩主大村純煕によって斎藤弥九郎の三子歓之助を剣道師範に迎えているのですが同じ斎藤派なのに長州藩とは異なる処が多い。と木村高士先生は「長州藩相伝神道無念流」に書かれています。

木村高士著「長州藩相伝神道無念流」より戸賀崎無念流立居合業手付 5本目:
抜付は1本目に同じ。
 1本目抜付:「三歩進んで間に入るや「矢」と、右手を水平にして前敵に抜付ける。抜付けたとき、刀は水平にして切先は眼の高さ、刀刃は斜左に向く。左手は鞘を放して、後方水平になるまで腕と指も伸ばす」
 左足を右足に引き寄せ乍ら右敵に向い、刀刃ひだりから上段に冠って右足を踏み出し「当」と真甲を打つ。足組はそのままで左回りに左敵に向い、上段から右足を踏み出して「鋭」と正面に打込む。正眼に攻め、納刀。

 戸賀崎居合は敵は前・右・左で長州藩相伝と同じですが、前敵には横一線の抜き付けで応じています。神道無念流の前敵に応じる抜き付けは、横一線の水平抜き付けと下からの切上げ、或いは抜き上げて切り下す「抜打」の方法が伝わっていたのでしょう。どの流派にもある抜刀法ですから我が無双直伝英信流の動作で対応でします。しかしそれは本来の神道無念流であるかどうかは別問題です。

 

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2019年11月21日 (木)

曾田本その2を読み解く50神道無念流居合幾つか50の4本目

曾田本その2を読み解く
50、神道無念流居合幾つか
50の4本目

太田龍峰著中山博道校閲「居合読本」より神道無念流(立居合12本)第4本目:
意義
前進中後方の敵に鐺を持たれ尚ほ続いて前方よりも敵に襲はれ即ち前後にある敵に対する動作である。
動作
第1、右足より前進中左足のつくと同時に若干上体を前に懸け右手で刀柄を下より握り(此の握り方は拇指は上方に其他の指は下方にする)腰を左方に廻し刀を抜く。
第2、上体を其儘とし左上膊の左側に刀刃を左斜上方にして後方の敵を刺す(此時著眼は後方の敵とす)。
第3、刀柄に左手を添へ刀刃上方に刀尖を前方に向く如くし、若干前方に進み前方の敵を刺す(此際左足は右足につくやうに送る)。
第4、右足を後ろにひくと同時に刀を右脇に刀身を概ね水平なる如く持ち来り、後方の敵を刺す(此時著眼は後方の敵とす)。
第5、刀柄を持ち替へ右足を一歩出して正面を切る。
第6、左足を軸として廻れ左をなし右足より一歩進み後方の敵の正面を切る。
第7、刀を収む。

曾田本その2神道無念流(立居合12本)4本目:
意義
前進中敵後方より来り鐺を取られ続いて前方よりも敵切り掛け来るのに対する動作なり。
動作
第1、右足より前進中左足にて上体を前に懸け右手にて刀柄を下より握り(此の握り方は拇指は上方に其他の指は下方にす)腰を左方に廻し刀を抜く。
第2、上体を其侭とし左上膊の左側に刀刃を左斜上方にして後方の敵を刺す。
第3、柄に左手を添え刀刃上方に刀尖を前方に向け踏み出して前方の敵を刺す左足を送る也。
第4、右足を引くと同時に刀を右脇に刀身を水平にして後方の敵を刺す。
第5、柄を持ち替へ(右足を一歩出して正面を切る)
第6、左足を軸とし左に廻り右足より一歩進み後方の敵の正面を切り納刀。

この4本目の業は「後方の敵に鐺を持たれ」と意義に在るのですが、鐺を取られたための動作が明記されていないと思えるのですが、第1動・第2動で充分その効果は発揮されると云うのでしょう。
 次に意義では、敵は前と後「前後にある敵に対する動作」と言って居ます。それではこの動作は何を意味するのでしょう。
 敵に対する動作は
1後方の敵に左側から刃を左上に向け刺突(第1・第2)、2前方の敵に刃を上にして刺突(第3)、3後方の敵を右脇から刀身を水平にして刺突(第4)、4前敵を正面より切る(第5)、5後方の敵を振り向いて正面より切る。
 前と後の敵ならば、後の敵は左からと右から2度刺突され正面より切られています。前の敵は刺突され正面より切られています。稽古業ですから良しとしても聊か違和感を感じます。

木村高士著「長州藩相伝神道無念流」より大村藩無念流立居合業手付 4本目 後、前敵:
 三歩進んで後敵に目を注ぎ、右片手で刀を低く抜き、刃を上にして左上膊部に支え後敵を突刺す。僅かに右、左足を前に進めながら左手を柄頭にかけ、刀先が下方より体の前に来るように操作し、右手を逆手に持ちかえ、刀身を右脇下に抱くようにして刀先を後敵に向け、右足を一歩後に引き後敵を突く。(ー後敵を突く前に、その場で前敵を突く(長州藩相伝))。左右の手を本手に持ち直し刀を上段に冠り、右足を踏み出して前敵の真向に打込む。更に、左回りに右足を出して後敵の正面に打込む。血振い、納刀は前の通り。

 前後に敵に遭遇して、後敵を順手(本手)で左から刺突し、逆手に持ち変えて右から更に刺突しています。逆手を本手に持ち変えて前敵を真向から斬って、左廻りに振り向いて後敵の正面に打ち込んでいるのです。前敵は刺突されずに真向を切られます。

戸賀崎無念流立居合業手付 4本目:
 歩行中、右足が前に出たとき、逆手で柄を握って鯉口を切り、立止まって左後の敵を見る。右膝を曲げて体重を右足にかけ、上体を前に傾け左半身となり抜刀する。刀の棟を胸に添え、切先は肩の高さに保ち、足はそのままで「矢」と下から後敵の咽を突く。
 刀先を下にして、左斜前下から右下にと刀身を回し、刃を下にして右脇下に抱え、右手の甲を上にして柄を握る。右後敵の脇腹を下から「矢」と突く。
 直ちに、前方に向いている足はそのままで、体を右斜前の敵へ向けつつ右手を持ち替えて上段に冠り、右足を踏み出し「当」と真甲を打つ。
 更に、左回りに刀を右斜上に冠って右足を踏み出し、後敵の左横面に「矢」と打込む。正眼に攻め、納刀。

 此の場合も、後敵は左脇から咽を刺突され、更に右脇から右後敵の脇腹を刺突される。「右後敵」と後敵を区別していますから後敵は左側と右側に二人いる想定の様です。前敵は「右斜前の敵」と位置指定しています。逆手を持ち変えて真甲に打ち込まれます。
 更に振り向いて、八相から後敵の左横面を切られます。仮想敵の存在をどの様に配置して運剣するか、という命題がやや状況次第の様でおおらかですから業手付に依って固定されず、おおらかと言えるでしょう。細かい敵の位置と動作の口伝口授が有るのかも知れません。

 

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2019年11月20日 (水)

曾田本その2を読み解く50神道無念流居合幾つか50の3本目

曾田本その2を読み解く
50、神道無念流居合幾つか
50の3本目

太田龍峰著中山博道校閲「居合読本」より神道無念流(立居合12本)第3本目:
意義
前進中後方より襲ひ来る敵が我を呼ぶに対する動作にして敵を二回追ひ詰めひ切り倒す動作である。
動作
第1、右足より前進中右足の地につくや直に廻れ左をなし右足を踏み出すと同時に刀を抜き敵の右前肘を切る(第一本、第1動に同じ)。
第2、左足より二歩前進し敵の正面を切ること二回(前進中刀を頭上に振り被り)。
第3、体を転じて切返しをなす(第2本、第4動に同じ)。
第4、刀を収む。

曾田本その2神道無念流(立居合12本)3本目:
意義
前進中後方より敵我を呼ぶにつき二回追詰め切る也
動作
前進中左へ振り返り右足を踏み出し敵の右肘を抜打に切り、次に左足より踏み込みて切り右足にて更に切り込む也、続いて2本目第4の如く体を転じ切返しをなす
次に納刀。

後方の敵が我を「お命頂戴」と言って斬り懸るのを察して左回りに振り向くや敵の前肘を下から抜打ちに切り上げる。敵退かんとするを左・右と追い込んで正面を切る、更に左右と追い込んで正面を切る。
 敵反撃の気配あるを察し、右霞に構え(両手で刀刃を上にし)刀刃を以て敵の刀を払流し同時に左手を中心に左肩より冠りつゝ左足を左前に踏み右足を左足の後に引き敵之右肩より八相に切下ぐ。
次に納刀。
曾田本では、敵の前肘を切り上げるや、左足を踏み込んで正面を切り、再び右足を踏み込んで正面を切って、敵反撃せんとするを霞に構えて払い流し、左足を左前に踏み込み、右足をその後方に踏み、左から逆八相に敵の右肩より切り下す。

木村高士著長州藩相伝神道無念流より大村藩無念流立居合業手付3本目後敵:
 右足より三歩進み、右足が床についたとき左回り後方に向き、同時に抜刀し、右足を踏み出して上段から真向に打込む。(ー後敵に向き、敵の右前肘へ抜き付ける。以下は同じ(長州藩相伝神道無念流立居合3本目))更に、二足一刀をもって上段から後敵の真向に打込む。切返し、納刀は同じ。

大村藩の3本目は、右・左・右と三歩前進し三歩目右足が床につくや左回りに後方に振り向き、刀を上に抜き上げ上段から右足を踏み込み後敵の真向に打込む。此処は長州藩相伝も、居合読本も、曽田本その2も振り向くや右足を踏み出し下から敵の前肘に切り上げる所で抜刀の仕方が異なります。
 怯む敵を更に左足右足と敵を追い詰め上段から後敵の真向に打込む。敵の反撃の意を察して右霞に構え、敵真向に打込んで来るや払流し左足を左前に踏込み右肩から振り被って右足を左足の後方に摺り込み逆八相に敵の右肩を切り下げる。納刀。

木村高士著長州藩相伝神道無念流より戸賀崎無念流立居合業手付3本目:
 歩行中、右足が前に出たとき、刀に手をかけ後敵を振り返って見る。このとき、右膝を僅かに曲げて体重を右足にかけ、そのままの足で左回りに後を向く。右足を踏み出して1本目の如く「矢」と抜付ける。更に、二足一刀で真甲に「当」と打つ。右足を進めて「矢」と霞に攻め、左に切返して「鋭」と敵の右横面に打込む。1本目の如く正眼に攻め入る。納刀。

 歩行中、右足を踏み出した時後ろに振り向き、敵の斬りこみを察し右足の重心を乗せ左回りに後ろを向くや、右足を踏み出し1本目の如く「矢」と掛け声を出し、右手を水平にして前敵に抜付ける。(抜付けたとき、刀は水平にして切先は眼の高さ、刀刃は斜左を向く。左手は鞘を放して、後方水平になるまで腕と指も伸ばす)。左足右足と敵を追い詰め真向に「当」と打つ。更に右足を進めて「矢」と右霞で攻め、敵打込んで来るを払流し、左足を左前に踏込み右足の後方に摺り込み切り返して「鋭」と敵の右横面に打込む。納刀。
 戸賀崎居合は振り向くや横一線の抜き付けです。是は「中山博道剣道口述集」にある中山善導・稲村栄一原著の神道無念流立居合の抜き付けです。そこでは下から右斜上に切り上げるのは神道無念流立居合では正式では無いと言って居ます。

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2019年11月19日 (火)

曾田本その2を読み解く50神道無念流居合幾つか50の2本目

曾田本その2を読み解く
50、神道無念流居合幾つか
50の2本目

太田龍峰著中山博道校閲「居合読本」神道無念流(立居合12本)第2本:
意義
概ね第1本に同じであるが敵我正面を切り来るを以って払ひ流し体を左前方に転じて敵の右肩より切り下ぐ。
動作
第1、第1本目の第2動に同じ。
第2、右足より二歩後退し敵の正面を切る(第1本、第2動より一歩多く後退するのみで動作全く同じ
第3、左足より二歩前進して敵の正面を切る(同右
第4、両手で刀刃を上方にし刀刃を以て敵の刀を払ひ流し(此際刀尖は其位置を変ずることなく左拳を刀尖より稍々上ぐ)同時に左手を中心にして刀を右肩の方面に轉回しつゝ左足を左前方に踏み開き右足を左足の後方にひき敵の右肩より左斜下方に切り下ぐ
第5、刀を収む。

曾田本その2神道無念流(立居合12本)2本目:
意義
敵我が正面を切リ来るを以て払ひ流し体を左前方に替し敵の右肩より切り下ぐ。
動作
第1、1本目の第2動に同じ。
第2、上段より右、左と二歩退き敵の正面を切る。
第3、左足より二歩前進し敵の正面を切る。
第4、両手で刀刃を上にし刀刃を以て敵の刀を払流し(此時刀尖は其位置にて左拳を刀尖より稍々上ぐ)同時に左手を中心に右肩より冠りつゝ左足を左前に踏み右足を左足の後に引き右肩より八相に切下ぐ
第5、次に納刀

文言の部分的に異なる処はあっても同じことをしています。第一動で「1本目第2動に同じ」と、居合読本にあるのですが曾田本も同様です、1本目第2動は居合読本では「右手で刀を左肩の方向に大円を描き右拳を頭上にして振り上ぐると同時に左手で柄頭を握り右足を一歩後退して敵の正面を切る」、曾田本では「次に右手を左肩より振り冠り左手を添へ右足を一歩引き敵の正面を切る」と文言の違いはあっても同じ動作です。曾田本では「次に・・」ですから此処は「1本目の第1動に同じ」であるべきでしょう。誤植と判断されます。
 1本目第1「右足より前進し二歩目(左足の地についた時)右手の拇指を下方より其他の指を上方より鍔元近く刀柄を握り右足(三歩目)を出すと同時に右手を以て刀を抜き(此時左手で鞘を前方に出す気持ちを加へ後方に振り上げ上体を左斜にして十字形をなし左足は右足につれ前方に送り概ね左足尖を右踵に接する如くあらしむ)敵の右前肘を下方より切り上ぐ」というもので、神道無念流立居合の特色の一つです。
 敵に攻め込まれに下から切り上げ、更に敵が攻めて来るのを右左と二歩退き正面を切り、敵怯む処を左右と前進して正面を切る。其の侭の足踏みで第4動となる。第4動も神道無念流の右霞です。「右霞とは右相前に刀柄を握った右手の甲を下に左手の甲を上にして刀刃を左にし、切先を前敵に向ける」敵が打ち込んで来るのを払い流しながら上段に冠り、左足を左前に踏み込み右足をその後方に摺り込んで逆八相に切り下げる。

大村藩無念流立居合業手付2本目 前敵:
 直立の姿勢から三歩進んで、左足を僅かに引き上段に冠る。(ー一本目の様に抜き付ける)右、左と二歩後退して真向に打込む。更に、二足一刀をもって攻め込み、再び上段から真向に打込む。なお、霞に攻める気勢を示すが(ー霞に一歩攻める)敵が正面に打ち込んで来るので、左足を左斜前に出し、敵刀を右に請け流しながら切り返し、刀を大きく左上方に転回させ右足を左足後方に引き、敵の右肩へ袈裟掛に打込む。小さく刀を横に振って血振いをしていたが、今は省略されている。納刀は前に同じ。

 この書き出しでは、「直立の姿勢から三歩進んで、左足を僅かに引き上段に冠る」という事は居合抜などしないで、右足・左足・右足と踏込み、左足を僅かに引いて、刀を上に抜き上げ、上段に冠り、右足・左足と下がって敵の真向に打込むことになってしまいます。
 長州藩相伝の神道無念流立居合2本目も、下から敵の右前肘に切り上げて居ます。居合読本と曾田本の書き出しと似た雰囲気ですが、正解は判りません。長州藩相伝を先に稽古していますから、大村藩の上段に抜いてから切り下す事に違和感を持ちます。居合らしく抜き上げて打ち下す雰囲気が伝わってこないのも表現力に由来するかもしれません。
 左右と踏み込んで、真向に打込み、其の侭右霞に構え敵の真向打ち込みを請け流し、同時に左足を左前に踏み込み、右足を左足後方に摺り込み、左上方から敵の右肩に切り下す。昔は横血振り、納刀。今は其の儘残心して納刀。

戸賀崎無念流立居合業手付2本目:
 抜付は一本目と同じ。
 右足を引き、刀は左から冠り真甲に「当」と打つ。右足を踏み出して上段から正面に「鋭」と打つ。素早く右足を進め
て右霞に「矢」と攻め込む。
 直ちに、左足を左斜に踏み出し、右足を左足の後に引いて、刀刃左頭上に大きく転回させ敵の右横面、眼の高さに「当」と打込む。
 1本目の如く正眼に攻め、更に、小さく右足より攻め入る。納刀は前に同じ。

 文章に抜けが有る様ですが、「抜付けは1本目と同じ」ですから、歩行中下から敵の右前肘に「矢」と切り上げ、右足を引いて下がりながら、左肩から刀を冠り敵の真甲に「当」と打込む。右足を踏み出しながら上段に振り冠り正面に「鋭」と打つ。右霞に構え「矢」と攻め込む、敵真向に打込んで来るのを受け流し、直ちに左足を左斜に踏み出し、右足を左足の後に引いて、刀を左頭上取り敵の右顔面に「当」打込む。
 足捌きがコンパクトの様ですがこれも有りでしょう。

 宝暦年中(1751年~1764年)に福井兵右衛門嘉平が立居合12剣の太刀組を編み出し神道無念流を名乗ったとされています。その頃から明治維新1868年と言えば約100年間で立居合12剣は流派によってそれぞれの解釈で変化していったものでしょう。どの流派にもあり得るものでどれが正しいとは言えないものです。基準の形動作を1つ持ち幾つもの変化に応じられる修業が求められるものでしょう。「違う」と言って飛んで来るお人よしも居てもいい。

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2019年11月18日 (月)

第7回違師伝交流稽古会を終えて

第7回違師伝交流稽古会を終えて

 11月16日、17日は恒例になった、違師伝交流稽古会でした。
昨年11月第6回の違師伝交流稽古会の課題は土佐の居合に残されていながら、まともにこれを指導出来る人も居ない古伝神傳流秘書による大剣取を一年間夫々の参加者は個々に研究され演武されました。

 今年の課題は「大小詰」、「大小立詰」の形を同様に神傳流秘書を片手に、夫々江戸時代中期の文言に苦しみながら研究されて発表されました。
 古伝の復元は、何処かに其れを演じた動画や写真、先師の残された業技法の解釈が示された冊子は無いものかと、皆さん探し求められていた様です。
 自ら古伝を片手に読み解く前に、誰かが復元しているならそれを真似るか、参考にするという現代風な考え方が、まず頭の中に駆け巡るのでしょう。
 答えは自ら考えて出す物という根本原則を現代武術修行者は忘れてしまったのかも知れません。或は、他流、或いは他武術の力を借りて真似てしまうわけで、起こりと結果は出来ていても、古伝の含みは読み取れていないという紛い物に過ぎない物で満足してしまいがちになります。
 その上、稽古相手が常に同じでは、一見上手に見えても、他の人が突然変わった場合には殆ど役に立たないものになってしまいます。
 昨年の課題大剣取では刀による攻防が主なので戸惑いは少なかったと思われます。しかし是も要求する構えから結果を出すには、其の構えから打ち出せるあらゆる手立てを認識できなければ始末におえないものなのです。
 極端な言い方をすれば「カンニング」をして試験をパス出来ても、物の役に立たないと云えるのでしょう。
 「形」は出来ているが「術」にならない、古伝を「かたち」としか考えず、形が指導された様に出来て居れば、武術になったと錯覚するに過ぎません。
 大小詰、大小立詰の参考書は、ミツヒラブログの古伝神傳流秘書が現在のところ尤も充実しています。是は戦前に収録されていた行宗貞義先生の弟子曽田虎彦先生に依る覚書です。
 覚書の原本は文政2年1819年山川久蔵幸雅が原本を書写したものの写しです。その原本は、第10代林安太夫が義父第9代林六太夫のメモや口述から書き込まれたものだろうと思いますが、江戸時代後期には紛失していたかもしれません。曽田本の原本である山川幸雅の写本の存在は細川家に所蔵されているか、高知空襲で焼失してしまったか不明です。

 河野百錬先生は曽田先生から覚書を見せていただき昭和30年1955年無双直伝英信流居合兵法叢書として発行されています。現在では古本として出る事は頬とんど無い様で、全国の図書館でも限られたところにしかありません。限定本であった事、河野先生自らが研究され復元を目指さなかったために、当時の指導者の誰も手を付けず闇に埋もれたと云えるでしょう。
 政岡壱実先生の無雙直傳英信流居合兵法地之巻昭和49年1974年、無双直伝英信流居合兵法之形の中に収録されています。この内容は神傳流秘書と略同じですから、曽田先生から借り受けたか、河野先生の無双直伝英信流居合兵法叢書に依ると思われます。或は土佐の何方かからのものかも知れませんが、政岡先生が土佐を後にされてからの執筆です。
 木村栄寿先生の林崎抜刀術兵法夢想神傳重信流伝書集及び業手付解説昭和57年1982年で細川家からの借用に依り伝書の読み下しをしたものとなります。夢想神傳流を意識し過ぎたため無双直伝英信流の人の目に付かなかった。内容を読めば夢想神傳流は無双直伝英信流其のものだったことを認識できるのに残念です。
 以上が江戸時代に第九代林六太夫が土佐にもたらした大小詰、大小立詰を古伝に従って書かれたものです。

 次に大小詰、大小立詰の解説が有る書籍は、第16代五藤孫兵衛正亮に依る口伝口授を受けた曽田先生の実兄小藤亀江の覚書から曽田先生が実演の上業附口伝を書かれたもので年代は、大正から昭和の初めごろのことと推察します。
 曽田先生が、口伝からこうであろうとされたもので、古伝神傳流秘書とは異なるところが多く、古伝のいじり過ぎの感じがして、古伝の研究としては参考程度にしかすべきでは無さそうです。
 その曽田先生の業附口伝を基に書かれたものは、河野百錬先生の無雙直伝英信流居合道昭和13年1938年で其の第五節第四、第五に掲載されていて、これは前述の通り古伝神傳流秘書ではありません。
 江戸時代後期に演じられていたかもしれない、後藤正亮先生のものを曽田先生が纏めたものと云えます。この河野先生の無双直伝英信流居合道が昭和13年に発行されてしまいましたのでそれが古伝と錯覚されて研究された方も多かろうと思います。
 夢想神傳流の檀崎友影先生に依る居合道ーその理合と真髄 平成15年2003年の第六章組太刀の部に大小詰、大小立詰が記載されていますが、是も原本は河野先生の無双直伝英信流居合道によると思われ、曽田先生の業附口伝によると判断します。

 第7回違師伝交流稽古会の課題は大小詰、大小立詰で業名称は同じですが古伝神傳流秘書と異なるという事としておきますが、曽田先生に依る業附口伝もそれを基に演ずることは、古伝とは言い難いのですが参考資料が少なく手に入らない事を考えれば、やむおえないとも言えるでしょう。

 古伝神傳流秘書と政岡先生の地之巻、と曽田先生の業附口伝、河野先生昭和13年、檀崎先生と業を参考に並べてみます。
大小詰一本目抱詰
神傳流秘書:楽々居合膝に詰合たる時相手両の手にて我が刀の柄を留る時、我両の手を相手の両の肘に掛けて躰を浮上り引くに其の侭左の後の方へ投げ捨てる
政岡先生:楽に居合膝に詰合たる時相手両の手にて我が刀の柄を留る時我が両の手を相手の両ひじに懸け少し体を浮上り引くに其侭左の後の方へ投げ捨てる
業附口伝:互に対座、打は仕の柄を両手にて取らんとす、直に仕は両手にて打の二の腕を下より指し上ぐる様に掴み我左脇に引き倒す
     五藤先生朱書き注意(向こうて居る敵我が柄を両手にて押付る時敵の両肘へ手を掛けウスミ上げ左へ振り倒す
河野先生:互に対座、打は仕の柄を両手にて取らんとす、すぐに仕は両手にて打の二の腕を下より差し上る様に掴み我が左脇に引き倒す
檀崎先生:互に対座し打太刀は仕太刀の柄を両手にて取ろうとする。すぐに仕太刀は両手にて打太刀の二の腕を下から差し上げるようにつかみ我が左脇に引き倒す。 

大小立詰一本目袖摺返
神傳流秘書:我が立ちて居る所へ相手右脇より来り、我が刀の柄と鐺を取り抜かせじとする時其の儘ふみしさり柄を相手の左の足のかがみに懸け中に入り、又、我右より来たり組付をひじを張り体を下り中に入る。
政岡先生:我が立っている処へ相手右脇より我刀の柄とこじりを取りぬかせじとする時其侭踏みしさり柄を相手の左の足のかがみに懸け中に入り又吾左より来り組付をひじを張り下げ中に入る
業附口伝:二本目打は横より組み付、仕肱を張りて一当すると同時にすぐに打の刀を足にすけて後に投る也左右共同前
          五藤先生朱書き注意(一当して中に入り刀を足にすけ後へ投ると記せり、横合より組付ひじを張り一当して中に入り刀を足にすけ跡へ投げる左右同前)
河野先生:打は横より組み付く、仕肱を張りて一当すると同時にすぐ打の刀を足にすけて後に投げる也。
檀崎先生:打太刀が横より組み付くを仕太刀は肘を張って一当すると同時にすぐ打太刀の足にかけて後に投げるなり。
     *写真は打は仕に組み付かず前より仕の柄を取っている。立業を居業にしている?。
 この様に神傳流秘書をもとに研究した場合と、業附口伝では順番も動作にも違いが見られます。

 今回の様な場合、参考にした資料が異なる事は業の形に多少の違いがあるとしても、大小詰、大小立詰は見られる如く非常に簡明に書かれているもので、特に当時の体術や柔術、現代の合気道などの術を必要とせずに相手を倒したり、柄を持たれても振り捥いだりできるものです。其の上、大道芸紛いの相手を投げ飛ばす様な事や、たたきつける事も示唆して居ないのです。まして逆手を取ったり締め込んでその痛さに参らせるようなこともどの業にも見当たりません。
 するりと抜け出し相手の動きに手助けをして倒すばかりです。武術を行使する心得として、元々林崎甚助重信の居合は柄口六寸を根元としたもので、相手の戦力を最小限の斬り込みで防ぎ圧するものとして生み出されています。一刀のもとに首をはねてしまうなど言語道断の教えなのです。
 武術行使はコミュニケーションの最終手段であっても殺傷する必要など無いと云えるでしょう。いたずらに他流や他武術の技を持ち込む必要がないことを再認識させてもらいました。
 余談ですが業の懸け様から人柄が想像できてしまうのも面白いところです。
 技を繰り出すに当たり、早い強い動作が気になります。無理やり相手を自分の思い道理の状況に持ち込まなくとも秘書に書かれている通りの動作で最大の効果を上げられるよう、研究しそれを熟練する迄稽古を繰り返す事なのでしょう。
 更に、自分と体格が違うとか動作が違う者と組むと技が掛らないのを見ると、無理無駄や力任せもありますが、夫れよりなれ合いに依る弊害で、打太刀の心構えが仕太刀の力量をより高める様に引き出す動作にならず、形が出来て居れば出来たとしてしまい投げられてあげるなどいつまで続けているのでしょう。
 全くの初心者に順番と方法を指導する間はそれでも止むおえないとしても、一考を要します。

 第7回違師伝交流稽古会の課題が大小詰、大小立詰であったために特に感じてしまいましたが、他の組太刀にしても形ばかりの順序を追うだけで、同じ相手となれ合い稽古の癖は考え直す時かも知れません。
 自流の手附に書かれている文言を外さずに、結果を他武術や他流に求めない心の修練をしませんと古伝が笑っている様で、淋しさがひとしおです。
 此処までは、此の道を求めて、遠回りでも本物に行き着きたい私の独り言です。

 今年は、この違師伝交流稽古会を聞き込んで参加希望の方も増え、にぎやかな中に夫々感じる物をお持ちになって帰られただろうとホッとしています。
 来年の課題は、本来ならば「坂橋流之棒」に挑戦して、古伝の文章から動作や棒の扱いを自得し、前後左右に自在に変転できる体作りと、今後如何なる資料が発掘されても応じられる研究者を望みたい処ですが、奥居合の違師伝を披露されたい方がおられる様でその方向での課題に落ち着きました。
 然し奥居合の有り方は、習い覚えた師伝を披露するだけなら、一年間の研究時間など不要でしょう。其の上現代の大江居合に依る奥居合ではそれぞれの師伝を並べられても大した違いがある訳も無いものです。それぞれの師匠の癖を強調した試験問題の形をなぞるばかりです。
 せっかく各地区からこの道を求める方の研究交流会です。大江居合に依る奥居合は演じる者の心の中にあるもので良しとし、来年度の課題は古伝抜刀心持之事の研究発表と致します。
 それぞれの師伝を基に古伝の奥居合抜刀心持之事を研究され参加される事をお願いしておきます。
 
 
  

 

 

 

 

 

 

 

 

   

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曾田本その2を読み解く50神道無念流居合幾つか50の1本目

曾田本その2を読み解く
50、神道無念流居合幾つか
50の1
1本目

太田龍峰著中山博道校閲「居合読本」神道無念流(立居合12本)1本目:
意義 
若干歩前方にある敵が将に刀を抜かんとする機に先ち敵の右前肘を下方より切るも続いて敵前進し来るを以って後退して切り更に敵の後退するを進んで切るのであって此際敵は倒れたとするのである。
動作
第1、右足より前進し二歩目(左足の地についた時)右手の拇指を下方よりその他の指を上方より鍔元近く刀柄を握り右足(三歩目)を出すと同時に右手を以って刀を抜き(此時左手で鞘を前方に出す気持ちを加へ後方に振り上げ上体を左斜にして十字形をなし左足は右足につれ前方に送り概ね左足尖を右踵に接する如くあらしむ)敵の右前肘を下方より切り上ぐ。
第2右手で刀を左肩の方向に大円を描き右拳を頭上にして振り上ぐると同時に左手で柄頭を握り右足を一歩後退して敵の正面を切る。
第3両手で刀を大きく頭上に振り上げ右足を一歩進出して再び敵の正面を切る(此際、左足は右足につれて前方み送る)。
第4刀を収む

曾田本その2神道無念流(立居合12本)1本目:
意義
数歩前方にある敵が将に刀を抜んとする機に先ち敵の右前肘を下方より切るも続いて敵前進し来るを以て後退して切り更に敵の後退するを進んで切るのであって此の時敵は倒れたものとす。
第1、右足より前進し二歩目左足にて柄を握り三歩目右足を出すと同時に抜刀。(此時左手で鞘を前方に出す気持を加へ後方に振り上げ上体を左斜にして十字形をなし左足は右足につれ前方に送り左足先を右踵に接する如くする)敵の右前肘を下より切り上ぐ。
第2、次に右手を左肩より振り冠り左手を添へ右足を一歩引き敵の正面を切る。
第3、更に右足一歩進め真向より正面を切る
第4納刀

 居合読本と曾田本の異なる表現の仕方を赤字で上げて見ました。これで見ると動作に大きな違をもたらす表現は見られません。曽田本は総じて省略気味でむしろ「抜け」が出てしまっている様です。居合を知らない人ではどちらも動作に至れなかもしれません。
第1の「十字形をなし」の形はどのような形に成ればいいのか見当がつきません。刀と我が体が十文字形になるのかな、など悩みっぱなしで答えは出て来ません。 
第2の曾田本の表現は土佐の居合の表現でしょう。是で通じますが居合読本の「右手で刀を左肩の方向に大円を描き右拳を頭上にして振り上ぐると同時に左手で柄頭を握り」が曾田本しの2では「右手を左肩より振り冠り左手を添え」です。
第3では、曽田本は再び上段に振り冠る動作を表現せずに「更に右足一歩進め真向より正面を切る」す。「真向より正面を切る」はどの様に考えて書いたのか頭を捻っています。
 曾田本その2の神道無念流立居合と居合読本の神道無念流立居合の礼式(敬礼)などの前回の処で曽田先生は居合読本を書き写したのだろうと思うと言っていながら、「あれ」、別の手附を書き写したのかと思える様な表現の仕方です。実はそうだったと云う資料がどこかから出て来ればそれはそれで誤りは正すべきでしょう。然し今の処表現は土佐の居合の表現に少し直されているだけで「居合読本」が参考資料だったであろうとしか言えない状況です。
 土佐藩の範士も参勤交代などで江戸へ出るなり、江戸詰の範士も居たでしょうから、其の際江戸で神道無念流の道場に通った人も居るでしょう。何処かに何かあってもおかしくありません。
続けて、大村藩無念流立居合業手付と戸賀崎無念流立居合業手付と曾田本その2神道無念流立居合を稽古して行きます。

木村高士著長州藩相伝神道無念流から大村藩無念流立居合業手付
1本目 前敵 右足より三歩進み、右足が床につくと同時に、敵の右前肘を下方より刀に反りをうたせながら抜付け切上げる。
右足を左足に引き揃えて刀を上段に冠り(ー右足を左足の後に引いて左上段に構える・・長州藩)諸手で真向に打込む。
右足を一歩踏み出して水月まで切り下す。
晴眼に構えて右足を左足に引き揃えながら刀を左肩にとる。・・につき省略。

 「刀に反りをうたせながら抜付け切り上げる」この表現は意味不明です。というより他流の者には理解できないだけかもしれません。恐らくは刀の刃を下に返して抜付ける切上げの刃の返しを指すのでしょう。敵の右前肘は、上段から振り下さんとする右前肘なのか、刀を抜かんとする右前肘なのかこの手附では判断不能です。どの様な状況であっても下から切上げればいいのでしょう。
 次に「右足を左足に揃えて上段に冠り諸手で真向に打込む」其の際両足は揃えたままというのはおかしいので、表現されて居なくとも左足か右足を引いて、敵の攻め込んで来る間合いを保ちながら切り下す事になる筈です。その際敵が真向から打ち込まれて、後方に下がるとすれば右足か左足を踏み込んで水月迄切り下すのでしょう。そうであれば右足を引いて真向へ打込み、左前足に右足を踏み揃えて上段に振り冠り右足を踏み込んで水月迄切り下す。此の足捌きは敵との間に依るでしょうから、追い足捌きか、歩み足か、などこの手附ではおおらかに稽古する事になります。

戸賀崎無念流立居合業手付
1本目 三歩進んで間に入るや「」と、右手を水平にして前敵に抜付ける抜付けたとき、刀は水平にして切先は眼の高さ、刀刃は斜左に向く。左手は鞘を放して、後方水平になるまで腕と指も伸ばす。
 右足から二歩退しながら、刀は左から上段に冠り、真甲に「」と打込む。
 左足を引き、右足を左足に引き揃えたとき、その場に飛上り両足を床に踏んで音をさせ、刀は諸手で握り、肱を頭上一杯にのばし、刀は垂直に、刃は前方に向け天(剣)上段に構える。右、左足を進めて逆足となり、真甲正面に「矢」と打込む。
 右足を左足に揃え、左足を右足の後に引いて正眼に構える。右足を進めて霞に一歩攻め入る。

 戸賀崎氏は、戸賀崎熊太郎暉芳延享元年1744年武州埼玉郡清久村生まれ、16歳で江戸に出て神道無念流福井嘉平の門を叩き21歳の時免許皆伝を伝授されている。
 「矢」「当」の掛声と飛び上がる動作が独特の様です。
 右足を踏み込んで「矢」と掛声を上げ、右手を水平に前敵の何処に抜き付けるのか手付には無いのですが、刀は水平切先は眼の高さ、刀刃は左斜めに向ける。恐らく敵の右コメカミ或いは上段に構えた右肘に抜き付けるのでしょう。刀刃は左斜めに向く訳は無いので切先は左斜めに向けると解釈しました。
 敵が怯まずに前に攻めて来るので、右足を引き付け上段に冠り右足を後方に引くや敵の真向に「当」と打込む。
 左足を右足の後方に引き、右足を踏み揃えるや、刀を振り上げてその場で飛上がりドンと音を立てて飛び降り、刀は垂直に切先を天に向け刃を前に向けて、右足左足と踏込み、左足前の逆足で真甲正面の敵に「矢」と打込む。
 右足を左足に踏み揃え、左足を後方に踏み替え正眼、右足を進めて霞に構えて攻め入る様に残心、納刀。
 この手付もややこしい足捌きですから、厄介です。
 飛び上がるのはどのような意味があるのか、然もドンと音を立てて飛び降りるわけです。水平抜付けして敵に攻め込まれて退きながら真向に打込んだ、敵はそれでも攻めてこようとする意識が感じられ、後方に退いてその場で飛び上がってドンと音高く飛び降りる事で、敵は思いもしない奇妙な行動に、圧せられて退く所を攻め込んで打ち込む、とやって見ました。 
 

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2019年11月17日 (日)

曾田本その2を読み解く50神道無念流立居合幾つか50の敬礼

曾田本その2を読み解く
50、神道無念流立居合幾つか
50の敬礼

太田龍峰著中山博道校閲「居合読本」神道無念流 敬礼
1、開始の場合と帯刀
第1、右手に刀を提げ正面に対し立礼し、堤刀は刀刃を上方にし栗形の下方を持ち(此際指は鍔に掛けざるものとす)体に並行に約45度の位置にする。
第2、右足より三歩前進し、両踵を揃へ蹲踞し(此際刀を右腰にし鍔を体の中央前とす)左手を地につく如くして敬礼す。
第3、右手を以って刀を体の中央前膝の線に刀背を前方にし垂直に立つ。
第4、左手を以って下緒を「スゴク」如くして、鐺の附近を持ち両手を以って帯刀する。(此際左手の拇指を鍔の右内側より前方に押し鯉口を切り食指を以て刀の抜けざる様、左外方より後方にひき鍔は概ね体の中央前にあらしむ)。
第5、起立して右足より三歩後退す(起立せる時右手は自然に垂れる)。
2、終止の場合及脱刀
第1、右手を以って刀を脱し右腰に持ち来りつゝ蹲踞して敬礼す(開始の場合と同じ)。
第2、起立して右足より三歩後退して立礼す。
刀の収め方
1、前の足を後足にひき著けると同時に刀を左肩に擔ぐ如く持ち来り左手は鯉口を持ち鞘を正位にあらしむ。
2、左手の拇指と食指とにて「ハバキ」附近を挟み右手の拇指は縁頭附近を其他の指は下方より鍔及柄を持つ
3、左足を後方に一歩ひくと同時に右手を以って刀身を前下方にひき刀尖を鯉口の所に持ち来る。
4、右足を左足にひきつけつゝ刀身を鞘に納む

曾田本その2神道無念流居合 敬礼:
1、開始の場合と帯刀
第1、右手に刀を提げ正面に対し立礼し、堤刀は刀刃を上方にし栗形の下方を持ち(此際指は鍔に掛けざるものとす)体に並行して約45度の位置にする。
第2、左足より三歩前進し、両踵を揃へ蹲踞し(此際刀を右腰にし鍔を体の中心前とす)左手を地につく如くして敬礼す。
第3、右手を以て刀を体の中央前膝の線に刀背を前方にし垂直に立つ。
第4、右手を以て下緒を「スゴク」如くして鐺の附近を持ち両手を以て帯刀する(此時左手の拇指を鍔の右内側より前方に押し鯉口を切り食指を以て刀の抜けざる様、左外側より後方にひき鍔は概ね体の中央前にある)。
第5、起立して右足より三歩後退す(起立せる時右手は自然体に垂れる)。
2、終止の場合及脱刀
第1、右手を以て刀を脱し右腰に持ち来りつゝ蹲踞して敬礼す(開始の場合と同じ)。
第2、起立して右足より三歩後退して立礼す。
刀の納め方
1、前の足を後足に引き付ると同時に刀を左肩に擔ぐ如く持ち来り左手は鯉口を持ち鞘を正しくす。
2、左手の拇指と食指とにて「ハバキ」の近くを挟み右手の拇指は縁頭の近くを其の他の指は下より鍔及び柄を持つ。
3、左足を後方に一歩引くと同時に右手を以て刀身を前下方に引き刀尖を鯉口の処に持ち来る。
4、右足を左足に引付つゝ刀身を鞘に納る

木村高士著「長州藩相伝神道無念流」神道無念流立居合 礼式:
立礼 まず刀を右手に持ち提げ(刃部を上に、下緒をたくって栗形の上部を握る)、上座に向かって立礼をする。
始礼 刀を右腰にとり、右足から演武の位置に進み、両足を揃えて其の場所に蹲踞する。刀を右腰に持ったまま左手の甲を前にして指先を下座ういて始礼をする。
帯刀 礼を終え、右腰の刀を右手を使って体の中央前に刃を手前に向けて立てる。つづいて鞘の下部(鐺の上部)に左手を添え、体の中程に鍔の内側が来るように両手をもって左腰に帯刀する。
 下緒は鞘と帯びとの間に上から掛けたらすか、または右腰の帯に結ぶ。
 蹲踞の姿勢から、左手の親指を帯刀の鍔にかけ、右手は自然にたれ、その場に立ち、左足から数歩後退して演武開始の位置に直立する。なお、終礼は始礼の逆順に行う、
 演武にあたっては発生はしない。
納刀 正眼に構えてから、切先を敵の胸元、喉元、眉間の高さにと徐々に前に大きく円を描くように出し、残心を示しながら右足を左足に引き揃えて刀身を左肩にとり、左手は鯉口を握り僅かに鞘を引き出す。刀身は肩にとったまま鎺を鯉口を握った左手の人差指に支える。と同時に、左足を右足の後方に引き、右手の柄を前下に伸ばし刀背(峯)を引いて切先を古生内に入れ、ゆっくりと刀身を鞘に納める。左足を右足に引き揃え、直立して右手を柄から放し、左手は親指を鍔にかけて当初の演武の位置に復する。なお、各業とも納刀の動作は同じであるが、逆足(左足前)で終了した場合(2、3、8、9、12本目)は左足を右足の後に引き納刀する。

木村高士著「長州藩相伝神道無念流」による「大村藩無念流体居合業手付」納刀
晴眼にかまえて右足を左足に引き揃えながら刀を左肩にとる。右手を柄から放し逆手に持ちかえる(長州藩相伝本手のまま)。左手は鞘の鯉口を握って、人差ゆびで刀の棟を受ける。右足を引いて同時に右手の柄を前に下げ刀の棟を鍔元から切先まで引いて鯉口に落とす。
 右手の柄を上にあげ、左手は鞘を押し下げながら、刀身三分の二を早く、後はゆっくりと納刀する左足を右足に揃えて直立する

木村高士著「長州藩相伝神道無念流}による戸賀崎無念流立居合業手付 納刀: 
(右、左足を進めて逆足となり、真向正面に「矢」と打込む。)右足を左足(前足)に揃え、左足を右足の後に引いて正眼に構える。足を進めて霞に一歩攻め入る。刀を左肩にとり、左手にて鞘を握り、左足を引き刀身を納める。右足より進んで、右回りに初めの位置に復する。

堂本明彦編著、中山善導・稲村栄一原著「中山博道剣道口述集」立居合初伝 納刀
術が完了した際、左足又は右足(後方に在った場合)を必ず前足につけると共に、諸手で刀を自分の前に垂直に刀尖を下にしてから左肩に刀峯を付けてかつぐ様にしてから、右手を逆手に持ち変えて左手を鯉口にして刀を前から納めるのである。

1、礼式と納刀について、資料を其の儘記載してあります。此処で認識を新たに、曽田本その2の「神道無念流居合」は太田龍峰著中山博道校閲「居合読本」」に記載されている神道無念流立居合12本の部分的に異なる言い回しはあっても手附けの書式など丸写しである事が分りました。
 「居合読本」は昭和9年1934年発行、私の手元にあるのは昭和15年1940年再版のものです。丁度曽田先生が資料集めに奔走し曾田本その1、その2を書かれたころとなるでしょう。
 土佐の居合を充分修行して、これでいいのかと思ったのでしょうか、他流の居合に興味を示された頃なのでしょう。

2、「居合読本」の居合と「中山博道剣道口述集」の神道無念流居合が異なる事が疑問として残ります。ご存知の方は御教示いただければ幸いです。
 礼式には大きな違いは見いだせませんが、納刀については、残心の有り様、左右足の動作の違い、右手を逆手に持ち変えて納刀する、順手の儘納刀するなど違いが見いだせます。
 どれがどうだと云う事も無い、同流の流派に依り師伝が異なる程度のもので、時間が経てば分派が他流を取り入れたりして変化の度合いが大きくなるものです。戸賀崎無念流立居合のみ掛声や飛び上がったり 納刀の際霞に構えたり異色です。
 次回以降から業手付に依り稽古して見て違いを見いだせればと思いますがどうなるでしょう。

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2019年11月16日 (土)

曾田本その2を読み解く50神道無念流立居合幾つか50の前書

曾田本その2を読み解く
50、大村藩神道無念流立居合幾つか
50の前書

 曾田本その2の巻末に神道無念流立居合12本が書き込まれて居る事は、すでに掲載しています。
 曽田先生が何処から神道無念流立居合の手附を手に入れて、どうしようとされたかがわかりませんでした。
 ふと思い出したのは昭和9年1934年に太田龍峰先生によって「居合読本」を中山博道先生の校閲という事で、中山博道居合いわゆる大森流、英信流居合の業手附を書かれています。
 そこには中山博道先生に依る第一章は大森流居合と第二章は長谷川英信流居合が納められていますが奥居合などは抜けています。代わりに第3章は神道無念流立居合12本。続いて第4章は警視庁流居合、第5章が伯耆流居合、第6章は荒木流居合、第7章は陸軍戸山学校に於ける居合、と構成されています。
 その「神道無念流立居合12本」はどうやら曾田本その2の「神道無念流立居合12本」の元になった手附の様です。

 堂本明彦編著中山善導、稲村栄一原著「中山博道剣道口述集」に立居合初伝10本、上伝20本が示されているのですが、曽田先生が記述した神道無念流立居合12本とは本数も業手附も異なります。
 「居合読本」が中山博道先生に依る大森流、長谷川英信流居合であるわけで、それは第16代後藤正亮先生の門弟も森本兎身先生によって伝えられた居合で下村茂市の門弟細川義昌の居合とも違う雰囲気です。それなのに、「居合読本」の神道無念流立居合は中山善導が記述している「中山博道剣道口述集」の神道無念流立居合とは異なるとはどういう事なのでしょう。此の事も中山博道居合と神道無念流立居合との異なる事の疑問にぶつかることになります。中山博道先生の居合も剣術も、博道先生の探求心が神道無念流を昇華していったかもしれませんし、別の要件が有ったかもしれません。
 中山善導解説になる「神道無念流伝承形 全解」の中に「ぶつぶつ」と不満を述べている行が見えるのですが、其の辺りかも知れません。

 そこで、更に資料を捜す中に木村高士著長州藩相伝神道無念流という冊子を見つけ手に入れました。その長州藩相伝の神道無念流立居合12本と曾田本に依る神道無念流12本とは略同じですが、手附の書き方や細部の業技法に幾つか違いがありました。どの流派でも所変われば何とやら師伝と称し異なる運剣はあり得るものとは理解し得ても、曽田先生の書かれた神道無念流立居合12本の出処を更に知りたくなって困ったものです。
 曾田本その2の神道無念流立居合12本は太田龍峰先生の「居合読本」を基に多少改ざんされたものの其の儘と推測されました。

 実は、手に入れた木村高士著長州藩相伝神道無念流の冊子の中に、他の藩などで行われていた神道無念流立居合12本が収録されていました。一つは大村藩に依るもの、もう一つは戸賀崎宗家無念流立居合業手付の2編となります。
 その2編と曽田先生の記述された居合とも異なる部分もありそうで、是非とも稽古して曽田先生の神道無念流立居合12本を理解出来るようにしたい願望がふつふつと湧き上がっています。
 此の道を求める求道者のわがままをお聞き届けいただき、木村高士先生の残された、文献に依りこの居合を稽古させていただき、曾田本の神道無念流立居合12本を無双直伝英信流の求道者にお許しいただきたく思います。
 同時に太田龍峰先生の「居合読本」にある神道無念流立居合12本もその文献から稽古させていただきます。
 不都合がございましたらミツヒラブログにコメントいただきたく、お願い申し上げます。出来得ればれば細部に亘る誤った部分などご教示いただければとお願いする次第です。

   ミツヒラこと松原昭夫

参考資料として下記の手附けに従って違いを明らかにして稽古を致します。
文言は、変更すると場合によっては其の流の基礎を変えてしまう可能性もあり得ますのでそのまま使用させていただきます。
 曾田本その2に依る神道無念流立居合12本
 太田龍峰先生の居合読本から神道無念流立居合12本
 木村高士先生の長州藩相伝神道無念流から立居合12本
 同じく    大村藩無念流立居合業手付12本
 同じく    戸賀﨑無念流立居合業手付12本
 
    

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2019年11月15日 (金)

曾田本その1付録抜刀術(曽田虎彦私剣 研究中)その5弛之刀

曾田本その1付録抜刀術
(曽田虎彦私剣 研究中)
その5、弛之刀

原文
是も歩ミ行内切り懸り来るを春つかりとはずして抜き次に右足を一歩踏ミ込ミて斬り下し右足を引きて高山二構へ左足を引きつゝソロリと下し納刀前同し

読み
是も歩行うち、斬り懸り来るをすっかりと外して(弛して)抜き、次に右足を一歩踏み込みて斬り下し、右足を引きて高山に構へ左足を退きつつそろりと下し納刀前に同じ。

 この手附も抜けだらけですが、古伝の気分で稽古して見れば、歩行内前方から敵が上段に振り冠って、斬り懸って来る、我は左足を踏み出し鯉口を切り右足を踏み出して柄に手を掛け左足を踏み込み刀を一尺程抜き出し、右足を少し摺り出し敵の斬りこみを誘う、敵上段から斬りこんで来るを、右足を引いて間を外しながら、刀を体に引き付け刃を左外に向け左肩を覆う様に右手は正中線上を抜上げ、敵の刀を外すや上段に振り冠って右足を踏み込むや敵の真向に切り下す。
 右足を引いて左上段に構え残心、左足を退きつつ刀を青眼に下し、血振り納刀前に同じ。
 現代居合の大森流(正座の部)附込の立居合の動作が良さそうです、但し敵は真向から切り下す刀が空を切る事も予測し我が水月迄の斬り下しならば、正面への踏み込みは危険です。右足を稍々右に踏み込み右に体を開きながら敵の左面に斜めに切り下ろすべきでしょう。或は左に体を開きながら、敵の右面に斬り下すのです。仮想敵相手の一人演武では自分に都合の良い想定で得々としていますが、敵も外されたとしても無疵なのです。
 切ってくれとばかりに切先を膝下まで切り下げ体を俯けるなど、居合の稽古でもやったことが無いことをすべきでは無いでしょう。
 
 この業は全剣連の制定居合12本目「抜打ち」が、歩行中か相対して居るかの違いはあっても要義は同じです:相対して直立している前方の敵が、突然、切りかかってくるのを、刀を抜き上げながら退いて敵の刀に空を切らせ、さらに真っ向から切り下して勝つ。
動作:直立したまますばやく刀に両手をかけ、左足を後方に引き、右足を左足近くに引きよせながら刀をすばやく頭上に抜き上げると同時に左手を柄にかけ、間をおくことなく右足を踏み込むと同時に真っ向から切り下す。
 
 古伝神傳流秘書の抜刀心持之事には「抜打」と「弛抜」が有ります。
抜打:歩み行中に抜打に切る敵を先に打心也。
弛抜:前の如く歩み行敵より先に打を体を少し開き弛して抜打に切る也。
 この「弛抜」は歩み行時前方の敵が上段から真向に斬り懸って来るのを、足を引いて外すのではなく、右か左へ少し踏み込んで体を躱しながら上段に抜き上げ片手真向でも両手真向でも良さそうです。より良いのは後足を前足の後に摺り込み、右に踏み込めば敵の左面、左ならば敵の右面でしょう。

 以上5本の立居合を曽田先生は曾田本その1の末尾に残されています。元々曾田本は曽田先生の土佐の居合の覚書ですから、古伝の業を復元研究しながら、考えていたのかも知れません。抜けだらけの手附でしたから読み込んで様々な技法が思い浮かんでも当然です。その業を稽古しながらより良い技を産み出せれば曽田先生もホッと肩の荷を下ろされる事も有ろうかと思います。

 以上で曾田本その1、その2の全てを終ります。

 

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2019年11月14日 (木)

曾田本その1付録抜刀術(曽田虎彦私剣 研究中)その4四方

曾田本その1付録抜刀術
(曽田虎彦私剣 研究中)
その4、四方

原文
是も歩ミ行内右足尓て抜き左足尓て刀を半身二胸耳添へ直二右足尓て前方を突次二左前を受希る心持尓て左後を切り右後を切り左前を切り納刀前に同し

読み
是も、歩み行くうち右足にて抜き、左足にて刀を半身に胸に添え、直に右足にて前方を突き、次に左前を受ける心持にて左後を切り、右後を切り左前を切り、納刀前に同じ。

 是も、抜けだらけですが、正面、左前、左後、右後に敵を受け、前敵が刀を抜いて上段から斬りこまんとするを、納刀したまま右足を踏み出し左手で鯉口を切り、左足を踏み出しつつ柄に右手を掛け刀を抜き出し、右足を踏み込んで敵の拳に抜き付ける。
 敵怯んで下らんとするに乗じ、左足を踏み出しつつ左半身になって刀の棟を我が胸に切先前にし刃を右外に向けて添え、右足を踏み込んで前敵を刺突する。
 次に左前の敵が斬りこんで来るのを受ける心持で、左肩を覆う様に受け流す体勢で、左足を右足に引き付け左足を軸に左回りで後に振り向き、上段に振り冠って右足を右前に踏み出し左後(振り向いた右の敵)の敵を切り、更に右肩を覆う様に上段に振り冠って、右足を左前に踏み替え右後(振り向いた左の敵)の敵を切る。
 更に、左足を軸に左回りに左前に振り向き軸に右肩を覆う様に上段に振り冠って左前の敵を其の儘の体勢で真向に斬る。血振り納刀、前に同じ。

 現代居合では、この様な相手の拳への抜き付けは失念していますが、此処は吉宗貞義の門弟として抜付けとは横一線の抜き付けで敵の抜刀せんとする拳、或いは抜刀して上段に振り冠って間を越さんとする上段の拳、又は神道無念流で学んだ下からの敵右肘への抜き付けをイメージして見ました。
 状況を想定して、演じるとこの様ですが、後方の敵に自分がなった場合、或いは前左の敵であった場合、この曽田先生の動作で生き残れるか自信はありません。
 

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2019年11月13日 (水)

曾田本その1付録抜刀術(曽田虎彦私剣 研究中)その3追加八相

曾田本その1
抜刀術付録(曽田虎彦私剣 研究中)
その3、追加八相

原文
是も歩ミ行内抜きつ希二払捨て左足を込ミて左八相より敵右首根二又右足を込ミて右八相より敵左胴二切次二左足より継足尓て真向へ切り納刀前同し。

読み
これも、歩み行くうち、抜き付けに払い捨て、左足を込みて左八相より敵(の)右首根に、又、右足を込みて右八相より敵(の)左胴に斬り、次に左足より継足にて、真向へ切り納刀前に同じ。

「追加ハ相」、「抜き付けに払捨て」、「左足を込み」などの聞きなれない言葉に惑わされますが、しごく単純な業です。前回の「追加斬撃」も不思議な言い回しでしたが、真向斬り下す事を二度行っていました。此の業も八相の切りが二度ある事を意味します。左足を込み・右足を込みは踏み込むことを言っていると解釈できます。

 これも歩み行くうち、敵が斬りこまんとする処、右足出る時鯉口を切り、左足出る時柄に手を掛け刀を抜き出し、右足を踏み込むや、切り下さんとする敵の右小手を抜き付けに横一線に払い捨て、敵退かんとするに乗じて切先を左に返して左八相にとるや左足を踏み込んで敵の右首根に逆八相に斬り付ける。更に敵退かんとするを右八相に振り冠り右足を踏み込むや敵の左胴に斬りこむ。その足踏みの儘残心、刀を右に開き血振り、納刀す。

竹刀剣道の影響から、上段に振り冠ってから八相に斬りこむ動作が現今一般的ですが切り付けた切先を返してそのまま八相に構える事としました。無駄な動作を不要とします。或は一歩譲って上段に構えるならば、其の動作は敵が退かんとする其の「ひ」に乗じて、左足を右足に引き付けつつ上段に振り冠り、真向打ち下ろしなり、八相、逆八相に斬りこむべきでしょう。 
又余談ですが、無双直伝英信流では上段の構えは、額の前上に左手で柄を握り右手を頭上後に低くして、刀尖を45度下に向けた構を所作としていますが、大きく刀を振る稽古としては良いでしょうが、この振り冠りは手打ちを養成してしまい、体を使って斬りこむ動作を妨げます。更に組太刀などで相手が切先上がりの上段で我は切先下がりの上段では簡単に打ち負かされてしまいます。一考を要します。

 

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2019年11月12日 (火)

曾田本その1付録抜刀術(曽田虎彦私剣 研究中)その2追加斬撃

曽田本その1付録抜刀術
(曽田虎彦私剣 研究中)
その2追加斬撃

原文
是も歩ミ行内冠りたる敵の拳へ抜き付左足を継き足にて一度ハ浅く二度目ハ深く斬下し次に右足を引と同時二左手を切先二刀を腰二とりて残心左足を引きて刀を開き納る也

読み
是も歩み行く内冠りたる敵の拳へ抜き付け左足を継足にて一度は浅く二度目は深く斬り下し、次に右足を引くと同時に左手を切先に、刀を腰に取りて残心
、左足を引きて刀を開き納める也。


文章に抜けが有って、それを補うには動作を付けざるを得ません。やってみます。
歩み行くうち、右足を踏み込んで鯉口を切り、左足踏み込み柄に右手を掛け刀を抜きつつ上段に振り冠って切り下ろさんとする敵の右拳に、右足を踏み込んで抜き付ける。左足を右足に引き付け上段に振り冠り、退かんとする敵の真向に右足を踏み込み顎のあたりまで斬り下し左足を継足し、再び上段に振り冠って、更に引く敵に右足を踏み込み真向より深く(水月の辺りまで)斬り下す。次に右足を後方に退くと同時に切先に左手を添え残心、十分と見るや左足を引いて刀を右に開き、その右足前の体勢の儘刀を納める。

 大森流居合の逆刀(大江居合の附込)を改変して敵の打込みを摺り落し斬り付けるのと違い、打ち下ろさんとする敵の右拳へ抜き付け、敵引く処を追い込んで斬るわけです。
「敵の拳への抜き付」がポイントですが、抜刀の方法を工夫しませんと、両断されてしまいます。序破急を目で見てわかる様な抜刀では間に合いませんし、鞘の返しなどに時間をかけている様でも両断されます。
 此処は横一線の抜き付けで一瞬に相手の拳に斬り付けるには、鯉口を切ると同時右手を柄に掛け、左手を後方に引き右手を刃を上にしたまま刀を抜き出し、切先まで抜き出すや鯉口から切先が出る瞬間に拳を返して相手の拳に抜き付けるべきでしょう。但しへぼは鯉口を切る時指を自損したり、鯉口を割ったり散々でしょう。無双直伝英信流の演武の時の抜き付けで、上段に冠った敵の打ち下ろしに応じられる人はどれだけいるでしょう。
 曽田先生のこの居合の意図する処が述べられていませんので、取り敢えず充分この業で此の動作で稽古してみて実用に堪え得る技を磨く一つでしょう。

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2019年11月11日 (月)

曾田本その1付録抜刀術(曽田虎彦私剣 研究中)その1真向斬撃

曽田本その1付録抜刀術
(曽田虎彦私剣 研究中)
その1 真向斬撃

原文
 歩み行内右足尓て抜きつ希次二左右何れ尓ても受流して体を斜前二展き直二真向へ斬り下し次二刀を開き血振納刀足踏ミハ其侭也
 受流しハ左肩なる時ハ左足を右足の前二踏ミ出して受流し次二左足を引きて冠り真向へ斬り下也又右肩なる時ハ右足を少し左二寄せて受流し右足を引きて真向へ討込む也

読み
 歩み行くうち右足にて抜きつけ、次に左右いずれにても受流して体を斜め前に開き直に真向へ斬り下し、次に刀を開き血振り、納刀、足踏みは其の侭也。
 受流しは左肩なる時は、左足を右足の前に踏み出して受流し、次に左足を引きて冠り真向へ斬り下す也。又、右肩なる時は右足を少し左に寄せて受流し右足を引きて真向へ討込む也。

 曽田先生が古伝神伝流秘書や居合兵法極意秘訣などと共に師伝を学ぶ中で研究中とは言え考案された抜刀術の業名一本目「真向斬撃」です。現代居合の奥居合立業を基礎として稽古して見ます。記載されている業数は5本あります、一本づつ毎日連載します、業名は以下の通りとなります。
1本目、真向斬撃
2本目、追加斬撃
3本目、追加八相
4本目、四方
5本目、弛シ刀

1本目、真向斬撃
 歩み行くうち、右足出たる時左手で鯉口を切り、左足を踏み込みつつ、右手を柄に掛け刀を抜き出し、敵が斬り懸らんとするや右足を踏み込み横一線に敵の右拳に抜き付ける。敵右足を引いて我が抜き付けを外すや刀を上に抜き上げ、真向から斬り下ろす、我左足を右足の稍々前に踏み込み左肩を覆う様に敵刀を頭上で受けるや左足を引いて右身となって敵刀を摺り流し左手を柄に掛けるや敵の真向に斬り下す。
 状況から右肩を囲う様に受けるべきと判断した時は、右足を稍々左に摺り込み同時に右拳を上向きに返して右肩を覆う様に取って敵の打ち込む刀を受け右足を引いて左身となって摺り落し、左手を柄に掛けるや敵の真向に打込む。
 足踏みは左肩受け流しの場合は右足前、右肩受け流しの場合は左足前の侭、刀を右に開き、納刀。
 曽田先生は受流す際、左肩を覆って敵刀を受流し、同時に左足を引いて真向に斬り下して居ます。その際右身になっていますが正面を見ているはずです。現代居合では敵は受け流されて我が左に体を流して斬られる想定です。無双直伝英信流の真向斬り下す体勢は決して前のめりになったりすることはありません。
 受け流しの際踏み込んだ左足又は右足を引いて、真向に打込んでいますが、大きく引いてしまうと間が外れてしまいます、敵は受け流されて前のめりになる程のへぼはめったに居ないでしょう。この業は仮想敵相手に自分に都合の良い間と間合いで勝つばかりでは意味のない業です。設対者に応じてもらい充分研究するものでしょう。
 横一線に小手を切られた敵が怯まずに真向に打ち込んで来るので、左足を右足前に踏み込み左肩を覆う様に体を右身に開いて受け流し左足を引いて上段から真向に斬り下す。又は右足を稍々左に 摺り込み右肩を覆う様に体を左身に開き敵刀を右に受け流し右足を引いて上段から真向に切り下す、此の場合は右足を踏み込んでから引いているのではないので右足を引いてしまうと我が体は横一線の抜き付けの位置より一歩後退して真向に斬り下すことになります。相手との間が左肩を覆う様に受け流すよりも間が遠くなるのでここは受け流されても猶追い込んで来る敵を真向に斬る、となる筈です。或は大きく踏込んで来る敵の動きを察して右肩を覆う様に受け流し右足を退き真向に斬る。
 曽田先生もご自分で足捌き体裁きを研究されたでしょうが、一本目の真向斬撃は二本の業として稽古すべきでしょう。

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2019年11月10日 (日)

曾田本その2を読み解く50曾田本その2を読み終えて

曾田本その2を読み解く
50、曾田本その2を読み終えて

 「曾田本その2を読み解く」は平成31年2019年1月23日~令和元年2019年11月10日で読み終えました。毎日アップしていますから291日291回の読み切りとなります。
 曽田先生の恩師行宗貞義先生の居合から始まり、当時盛んであったであろう大江正路先生の居合との違いに戸惑った様です。例えば大江先生の大森流居合抜方(大江先生、堀田先生共著「剣道手ほどき」)の「前」で「我体を正面に向け正座す右足を出しつゝ刀を抜付前敵を切り更に上段にとり前面の頭上を真直に斬り血拭納刀」について曽田先生の注意書きが赤字でなされています。「註 惣じて座業にて抜付けは二星を勝つ故に首に非ず拳也 虎彦

 曽田先生は、新聞や雑誌等に記載された居合関係の記事をせっせと集められて曾田本その2のメモとして張り付けられてありました。戦前の戦争へ戦争へと駆り立てて行った様子が垣間見られ、再びこのような事のない世の中を望む気持ちが高まってきたものです。
 反面お国自慢の手前みそによる居合では近代戦には勝てるわけもないのに失笑してしまいます。80年を超える戦前の印刷物ですから経年変化で不明な文字に悩まされて、かえって曽田先生の直筆の方が読みやすかったと思ったほどです。

 曽田先生は昭和18年1943年9月14日付で大日本武徳会高知県支部長高知県知事正五位勲四等高橋三郎より大日本武徳会高知県支部居合術教師を委嘱されています。曽田先生は明治23年1890年生まれですから53歳の頃となるでしょう。亡くなられたのは昭和25年1950年60歳のことでした。
 河野百錬先生は明治31年1898年生まれで曽田先生の八つ年下です。曾田本の中でも手紙による質疑の応答や大阪八重垣会の趨勢なども意識されていた様です。
 曽田本その1、及びその2を河野先生に昭和23年頃でしょう貸し出されて河野先生はそれを書き写され昭和30年に無雙直傳英信流居合兵法叢書として原文の儘発行されています。曽田先生亡き後5年後でした。
 中山博道先生とも面識があった様で書簡が残されています。

 曾田本その1およびその2を本稿を以て終了いたします。

Img_0751 Img_0756-003
1、曾田本を河野先生に貸して置いたものを返してもらったので、河野先生からまた貸してほしいとの内容。
2、中山博道先生から年賀状の返信遅れのお詫びやらなにやら達筆で読み切れていません。
書簡は、曽田本その2の表紙裏にポケットを作りその中に入って居ました。

 

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2019年11月 9日 (土)

曾田本その2を読み解く49起請文前書

曾田本その2を読み解く
49、起請文前書

1、御流儀之居合兵法傳授之趣他人者不及申為親子兄弟共堅他言仕間敷事
1、表仕組心持含他見他言仕間敷工夫若相不終於断絶弥當流善悪之批判申間敷事
1、他流之善悪常々申間敷工夫況無免者他流之者與仕合勝負論仕間敷事
 右 条々於相背者
日本国中大小神祇別而氏尊神摩利支尊天冥罰神罰忽可罷蒙者也

年 月 日
原籍    姓名  ▢
何某 殿
(冠称 尊師 恩師 等々)

1、御流儀の居合兵法伝授の趣、他人申すに及ばず親子兄弟為れども他言しまじき事
1、表仕組心持ち、他見、他言、工夫しまじきを含む、もし終わらざるに於いては断絶するに当流の善悪の批判申すまじき事
1、他流の善悪常々の工夫申すまじく、況や無免の者他流の者と仕合勝負の論しまじき事
右の条々相背く者は 
日本国中大小の神祇、別して氏尊神、摩利支尊天に罰をくらい、神罰忽ち蒙るべきもの也
年 月 日
原籍    姓名  ▢
何某 殿
(冠称 尊師 恩師 等々)

 この起請文の出典は判りません。

 現今この様な起請文を書かせる流派や道場があって然るべきとは思いません。なぜならば如何なる人でもその力量を越えた批判や業技法を他見、他言出来るわけもなく本物であるか否かも他人が判断する事すらも出来ないでしょう。むしろ積極的に流の業技法を公開し、同じ思いの同士で本物を求めてつどい、資料を出し合い研究すべきでしょう。其の努力を怠って、まがい物を将来にわたって伝承すべきとは思えません。
「昔はこうだった」と言われるたびに「さて」が浮かんできて、昔の手附を見せてくれとせがんでもせいぜい目録ばかり。

 門人の数の多い道場では口伝口授で師の看取り稽古ならまだしも兄弟子の看取り稽古がやたら多すぎです。
 師なるもの自ら指導すべきでしょう。ある人の居合を拝見して、「之が師匠から手ほどきされた居合です」、と言われて「そうか」と思っていたのですが、その師と言われる人の動画が残って居てそれを拝見すると所作も雰囲気も違うのです。
 兄弟子と言われる人の動画を探し出してそれを拝見すると其の人の居合とそっくりなのです。その兄弟子は他派から師匠の所に移って来た人で、師匠の居合には重厚さが有るのですが兄弟子の居合は華麗ですが軽いのです。どちらが良いとか悪いとかではなく、教わるべき事を教わらなかっただけのことです。
 それでは残念ながら「師に習った」は疑問です。
 

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2019年11月 8日 (金)

曾田本その2を読み解く48刀剣各部の名称

曾田本その2を読み解く
48、刀剣各部の名称

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 曾田本その2は曽田先生のメモ帖のようなもので、この刀剣の名称もその一つでしょう。写真では読みずらいですが各部の名称は大きく違う事も無いので特筆する事もありません。

 

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2019年11月 7日 (木)

曾田本その2を読み解く48スクラップ中山範士との一問一答

曾田本その2を読み解く
48、スクラップ
中山範士との一問一答
台湾 藤田傊治郎(ふじたいんじろう)

 昭和11年8月5日中山博道範士が明治大学の学生を引率して台湾に来られた際に剣道に関する平日の疑問をお尋ねした所明解に教へられたから同志の方々にお伝へしたいと思ふ。但本稿は範士の校閲を得たものでないから文責は全く筆者に在り。
1、右拳を鍔より甚しく離して可なりや。
 答、真刀ならば鍔より5分丈離して持たざれば拳の自由を得難し。故に竹刀もその位は離して可なり。それ以上甚だしく離して持つは不可なり。
2、胴を打つ時左拳を右拳に著くまで絞りて可なりや。
 答、真刀は柄の長さが適当なるにより絞る要なし。竹刀は少し長きに依り真刀の柄の長さ位まで絞るは可なり即ち凡そ一握の間隔まで絞るは差支へなし。場合に依りては少し絞らざれば刀が反らざることあり。真刀ならば常に適当に反る長さなり。
3、相手の竹刀を自分の肩にて支ふる者あり如何。
 答、大に不可なり。真刀ならば出来ぬことなり。
4、相手の竹刀を打つは如何。
 答、不可なり。真刀ならば濫に打たば自分の刀が折れることなり。
5、間合と間との別如何。
 答、間合は相手と自分との間の隔りなり。間とは自分の防禦攻撃力の及ぶ範囲のことなり。故に自分の間をば決して相手に侵さしむべからず。敵の間をば侵すを要す。
6、心の間合とは如何。
 離れたる時は近く思ひ、近く寄りたる時は遠く思ひて常に心にて間合を調節することなり近くなりたりと思へば気あせりて失敗す。又遠くなりたる時遠くなりたりと思へば打ち得ず。
7、我より近く敵より遠き間合とは如何。
 答、例へば敵が小手を打ち来たりし時敵の剣先を自分の右へ外し己は敵の小手を打つが如し即ち敵の剣先は自分より離れ居るに依り遠し。反対に自分の剣は敵に近し。
8、審判の稽古も為る要ありと思ふが如何。
 答、大に然り。審判の決定は明瞭に「何あり」と宣告し一面記録係に知らせ他面観衆にも知らすを要す。
9、審判者が決定の理由を述ぶるの要なしと思ふが如何。
 答、大に然り。「何あり」と一言すれば可なり。又「不十分」なりといふが如きことも不要なり。只黙して居れば可なり。

 面白い質問とその回答です。1、から4などは真剣ならばやらない動作を竹刀では、やってしまう事を戒めているのでしょう。剣道は真剣を以ての勝負という事を強く意識している様です。当然のことですが、竹刀や木刀では何の躊躇もなくやってしまうのでしょう。特に4、などは何処までなのか解答は疑問ですが、相手の刀が邪魔で払う、或いは打込まれて請け太刀となるなど、古流の形稽古でも見受けるものですが、奥義は「往なす」と同時に「斬る」でしょう。無雙直傳英信流の大江居合の7本の形は受太刀の連続を平気でやってます。真剣による居合の稽古の一環として間と間合いや気の稽古程度で考えていること自体疑問です。
 5,6,7、は形稽古の中でしっかり身に着けるべきもので、早い強いの棒振りの結果の勝では「当てっこ」と言われても仕方がないことです。
 8,9、は大いに然りでしょう。

 

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2019年11月 6日 (水)

曾田本その2を読み解く47スクラップ日本刀の反り

曾田本その2を読み解く
47、スクラップ日本刀の反り
佐藤藤佐

 日本刀の姿の美しさは、その反りに負うところが多い。刃部を外にして弓形に反ったその姿は秋さり烈日を想わせる。古の名匠がこの美しさを作り出すために苦心したことを想像するに難くはない。
 実は刀鍛冶が反りのある刀を鍛造するのではなくて、水中に焼入れた瞬間に刃の部が峯よりも膨張して、あの美しい反りが現れるのである。この辺の呼吸は刀匠が一子相伝とした秘法であった。
 今日では金属学の進歩が日本刀の科学をも鮮明にしてくれた。日本刀の刃部は切れ味を良くするために炭素量約0.7%の鋼であるが、これは焼入れで堅く脆くなるから、棟は炭素量0.1%程度の軟鋼で作り、焼入れても硬化しないから粘くておれるようなことはない。
 日本刀の優秀性は実にこの両性質を備えたところにある。
 鍛錬した日本刀の焼入のために800度ぐらいに熱すると、刃も峯も大洲田と称する組織になる。これを焼入れると棟には焼が入らず、元の地鉄の組織に戻るが、刃には焼が入って麻留田という堅い組織になり、約4%の膨張をする。そのために刃部を外に下反りが生ずるのである。(筆者は、工博・東北帝大教授)
*
 このスクラップも恐らく昭和20年以前のものではないかと推測します。日本刀の反り及び刃の切れ味の研究は当時より進んでいるだろうとおもいます。
 ウィキドペディアにものっていますので興味の有る方はそちらでご確認ください。
参考に大洲田はオーステナイト、麻留田はマルティンサイトの事、戦前の事でしょうから無理やり日本語風に漢字を当て字したものと思われます。

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2019年11月 5日 (火)

曾田本その2を読み解く46行宗先生より中村虎猪氏に授与したる中傳書写46の9曲尺及び奥書

曾田本その2を読み解く
46、行宗先生より中村虎猪氏に授与したる中傳書写
46の9曲尺及び奥書

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 凡そ居合術は曲尺を以て身体の所置手足の離合等を論ずるものなれば其宜しきに違(?)戻すべからず又た業を行ふ時も行なわさる時も常に身心を正しうすべし。

 居合術を学ぶ者の注意すべき点2、3を揚ぐれば左の如し。
1、人と対談する時。
1、多衆人の中に通路する時。
1、暗夜通路の時。
1、路の曲りを通行する時、

 古歌一首
劔とる道は数多に岐るれど
    敵の心を我が物とせよ

 右中傳今般貴殿に授与し広く斯道を伝授する事を許容するもの也
 明治39年秋8月27日
 大日本武徳会高知支部
 居合術講習係 行宗貞義
 中村虎猪殿

 中村虎猪への中傳の奥書になるのですが、、初めは抜き付けの絵が書き込まれ、抜き付けの正しい姿は右側の絵の様に、刀は正中線と平行に、切先は正面を向き、右手は正中線に45度となる形で、左側の様に切先が正中線上で止まるものではない。とするのです。一刀目の抜き付けで敵を制するもので、切り払えと云うことで右に流れたり、途中で止まる様では不可という事でしょう。
 この体勢に依るもので、身体の所置手足の形による離合の良し悪しを論じて、行うもので安易に流れるべきではない。またいかなる時も身心は正しくあるべきである。
 文章表現からこの様に読み解いてみましたが、異論もあって然るべきものでしょう。

 左の図は現代では全剣連居合の制定居合一本目前、或いは夢想神傳流の初発刀の形になるでしょう。是を否定しています。
 無双直伝英信流は左の図の上体が45度左へ開いて切先を正中線に並行させると右拳関節が延びた延手になるので好ましくありません。此処は上体を正面に正対させるべきでしょう。 
 その場合、刀は正中線に並行にしてしまうと切先は敵の正中線から人身幅程斬り抜くことになります。是では切先は敵の左肩の垂直線上から外れ過ぎです。一考を要する処でしょう。切手で抜付ければ、上体を正態させていれば切先は敵の方の垂直線上に納まる筈です。

 居合を学ぶ者の注意すべき点は2、3が4項目になっています。人と対談する時、大勢の人の中を通過する時、暗夜の通路、道の曲がり角を通る時、と並べています。この場所で何を注意すべきかは述べられていません。一般的に想像する、議論の食い違い、人を敬うべき態度、危険や危害を加えられやすい場所の用心。

 古歌は剣術を修業する道は多岐に渡るものであるが、敵の心を我が物として稽古せよと云うのでしょう。
 この中傳以降の免許は、中村虎猪しが授与されたものは見当たりません。中傳の目録授与という事ですが、目録に手附けが附随しているのは珍しいものでしょう。
 明治39年は西暦1906年ですから今から113年前のものです。奥書の行宗貞義先生の肩書きには無双直伝英信流とはされずに、大日本武徳会の肩書きです。何を意味するものなのか不明ですが、行宗先生は下村茂市の門人だったとされています。下村茂市より根元之巻もその他伝書の授与は受けていなかったろうと思われます。従って現職の大日本武徳会高知支部居合術講習係とされたのかも知れません。
 この、行宗先生に依る中村虎猪への中傳は、河野先生の「無雙直傳英信流居合兵法叢書」には掲載されています。

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2019年11月 4日 (月)

曾田本その2を読み解く46行宗先生より中村虎猪氏に授与したる中傳書写46の8長谷川流居合術瀧落

曾田本その2を読み解く
46、行宗先生より中村虎猪氏に授与したる中傳書写
46の8長谷川流居合術
1、瀧落 敵我鐺を取り上へおしあげる所を前へたち抜くひょうしに鐺にて突く

神傳流秘書:刀の鞘と共に左の足を一拍子に出して抜て後を突きすぐに右の足を踏込み打込み開き納る此事は後よりこじりをおっ取りたる処也故に抜時こじりを以て當心持有り。
大江居合:後を向き、徐ろに立ちて左足を後へ、一歩引き鞘を握りたる左手を其儘膝下真直に下げ、鐺を上げ後方を顧み、右手を膝上に置き同体にて左足を出し、右手を柄に掛け胸に當て右足を前に進むと同時に抜き、刀峯を胸部に當て、同体の儘左へ転旋して、体を後向け左足を前となし、其体の儘胸に當てたる刀を右手を伸ばし刀は刃を右横に平として突き左足を出しつゝ上段に取り、左膝を着き座しつゝ頭上を斬る、血拭い刀を納む。
細川居合:(後に座して居る者を斬る)正面より(左廻りに)後向き居合膝に座し、左手にて鯉口を握り立上がり(後者が右膝を立て鐺を握り引き止る)右足を踏出し柄を左へ突出し、左後へ振向き対手を見つつ急に左足を前へ踏越す、同時に柄を右肩の前へ引上げ右手を掛け、更に右足を前へ踏出すなり刀を引抜き鞘は後へ突込み鐺で対手を突き、刀の棟を胸部へ引付け(左より)後へ向くなり左足右足と踏み込み対手の胸部へ突込み、更に右足踏込みつつ諸手上段に冠り大きく斬込み、刀を開き納めつつ蹲踞し左足踵上へ臀部を下すなり右脛を引付け納め終る。

 後に座す敵が、我が鐺を握り上へ押し上げるなり、操作できない様に引くなりする、大江居合は我が動作のみを記述し、この業は何の為に行うのかが見えないのはどうも対敵意識が乏しい気がしてしまいます。右手で握られた、左手で握られた、強く握られた、軽く握られたなどの状況も有ろうかと思いますが、あらゆる状況での握りに応じて振り捥ぐにはどうすれば有効かを研究して置きませんと厄介な想定です。
 神傳流秘書は文章通り演じれば、敵に鐺を握られたならば、すっと立ち上がり、左足を前に踏み出すと同時に柄を胸に引き当て鞘を左足に添わせ(刀の鞘と共に左の足を一拍子に出して)敵手を振り払う、柄を水平に引き戻す際敵の小手なりに鐺を打ち当てて、刀を抜き放ち同時に右足を前に踏み込む。敵退かんとするに乗じて刀の峰を胸に当て、其の足の儘左廻りに振り向き、刃を右にして右片手で敵の胸部へ突き込む。
 敵退く所を更に追い込んで右足を踏み込み上段から真向に斬り下し血振り納刀。

 細川居合の足裁きがやや多く複雑です。座した足の儘左足後ろで立ち上がり、右足を踏み出し柄を左に向け相手を見て、急に左足を前に踏み出し柄を右肩上に引き上げ、敵の握る手を外し、右足を前に踏み出し刀を抜き出し棟を胸に付けるや振り向くや左足を踏み込み右足を踏み込んで相手の胸部を刺突する。更に右足を踏み込んで上段から斬りこむ。鐺を握られた状況や、相手との間合いに依って足捌きは変わるわけで、演武会の踊りは兎も角頭は柔らかくしていたいものです。

 刀を抜き出す際、鐺で相手を打つ或いは突く教えが神傳流秘書にある訳で、現代居合では無視した様な動作、或いは過度の協調した動作など見られます。敵との間を拡げない様に足捌きは研究しませんと、形は出来ていても術が有効でない場合があるものです。形だからなどと嘯く輩とは一緒に居ても意味は無しです。

以上で、長谷川流居合の各業の行宗居合からの解説を終ります。中傳の伝書に戻ります。
 

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2019年11月 3日 (日)

曾田本その2を読み解く46行宗先生より中村虎猪氏に授与したる中傳書写46の7長谷川流居合術波返

曾田本その2を読み解く
46、行宗先生より中村虎猪に授与したる中傳書写
46の7長谷川流居合術
1、波返 右同前
   鱗返:敵は真向いて抜かんとかまえる力声にてもかくれがたくさままはって抜付て勝つ

神傳流秘書:鱗返に同じ後へ抜付打込み開き納る後へ廻ると脇へ廻ると計相違也
大江居合:(浪返し)後へ向き左より正面へ両足先にて廻り、中腰となる、左足を引き、水平に抜付け上段に取り、座しながら前面を斬る也。血拭ひ刀納めは前と同じ。
細川居合:(後に立って居る者を斬る)正面より(左へ廻り)後むきい合い膝に座し、例により左手にて鯉口を切り、右手を柄に掛け抜きつつ腰を伸し左へくるりと廻り、正面へ向くなり立上り左足を一歩後へ退くと同時に(対手の右側面へ)抜付け(対手倒れる)、左足を右足横へ跪きつつ刀尖を左後ろへ突込み 諸手上段に引冠り右足踏込んで斬込み刀を開き納め終る。

波返(浪返し)は、敵は我が後ろに座し刀を抜いて切り付けんとする気配を感じ、機先を制して、刀に手を掛け左廻りに振り返って敵に向くや左足を後方に退いて、抜き付け振り冠って真向に斬り下す。
 敵の何処に抜き付けるのかは、吉宗居合も、神傳流秘書も指定していません。まして敵の動作を想定するのも「ご勝手に想像して下さい」とばかりに何も言って居ません。吉宗居合では後ろに廻って抜き付けて勝つ、なので真向からの斬り下しもあるやなしやです。
 大江居合も「座しながら前面を斬る也」と言い切っています」中腰となって左足を引けば低い水平の抜き付けでしょう。抜付けは土佐の居合は指定されなければ横一線の抜き付けです。相手の動きによってはこの抜付けでは何処に斬り付けることになるのか其処はおおらかなものです。
 細川居合では(後に立って居る者を斬る)ですから「正面向へ向くなり立上り左足を一歩退くと同時に相手の右側面へ抜き付ける」立って居る者の右側面は大雑把な目標ですが、相手の背丈や立ち方に依るゆうこうな右側面は瞬時に「自分で判断しろ」という事になります。
 此処まで稽古を続けて来た者にはこの動作だけならば大して難しくないと思いますが、実戦であれば上手に形を演じるばかりでは両断されてしまいます。

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2019年11月 2日 (土)

曾田本その2を読み解く46行宗先生より中村虎猪氏に授与したる中傳書写46の6長谷川流居合術鱗返

曾田本その2を読み解く
46、行宗先生より中村虎猪氏に授与したる中傳書写
46の6長谷川流居合術
1、鱗返 敵の真向にて抜かんとかまえる力声にてもかくれがたくさままはって抜付て勝つ

神傳流秘書:左脇へ廻り抜付打込み開き納る(秘書には岩波と同じ事を記しあり口伝口授のとき写し違へたるならん)
大江居合:右に向き、左より廻りて正面に向かひ、中腰にて左足を引きて抜付け、此抜付けは水平とする事、上段に取り、座しながら斬り落すなり。血拭ひ刀納めは前と同じ。中腰は両膝を浮めて抜付けるなり。(敵の甲手を斬る)。
細川居合:(左側に座して居る者を斬る)正面より右向き、・・鯉口を切り右手を柄に掛け腰を伸しつつ左へ廻り、正面を向くなり立ち上り、左足を大きく後方へ退き、腰を低く下げ(対手の右側面へ)抜付け、左足を右足横へ跪きつつ、刀尖を左後へ突込み右上段に引冠り、更に右足を踏込んで斬込み刀を開き納め終る。

 行宗居合の鱗返しは、書写間違いなのか読み解くことが出来ませんが、敵は、右向きに座す我の右脇に座し我が方を向いて(真向)抜かんとする、「力声にてもかくれがたくさままはって抜付」は、読み解くのは勝手な憶測するのも面白くないので、状況判断から左に廻って抜き打つ。のでしょう。
 鱗返しは、敵は我が左脇に同方向を向いて並んで坐している、大江居合では道場の正面に対し右向きに座している、其の正面に敵が座し仕掛けてこようとするので左回りに正面に向き左足を引いて敵の拳に抜き付け、左足を右足に引き付け上段に振り冠って右足を踏み込んで座しながら打込む。
 細川居合は大江先生の同門の細川義昌先生が香川の植田平太郎に伝授した下村茂市定の居合を引き継いだ尾形郷一貫心の居合を梅本三男先生が纏められ広島の貫正館発行の「居合兵法無雙神伝抜刀術」に依ります。
 大江居合が立膝から腰を浮かして左回りに敵に向かい中腰にて左足を引いて敵の拳に抜き付けていますが、細川居合は腰を伸ばして(浮かして)正面に向くなり立ち上がり左足を大きく後方に引いて、腰を上げて敵の右側面に抜き付けています。敵の右側面の何処という指定はありませんから水平に抜き付ける稽古をして敵の右肩からコメカミ辺りに抜き付けるとすれば良しでしょう。大江居合は敵の拳(甲手)ですから、敵の動きの中の移動する拳への水平抜き付けは熟練を要します。

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2019年11月 1日 (金)

曾田本その2を読み解く46行宗先生より中村虎猪氏に授与したる中傳書写46の5長谷川流居合術岩浪

曾田本その2を読み解く
46、行宗先生より中村虎猪氏に授与したる中傳書写
46の5長谷川流居合術
1、岩浪 敵にて左の方より我が胸を取んと両手を出す時我柄を左足の方へよぢて敵の胸乳の上へ切先上りに突込勝つ。

神傳流秘書:左へ振り向き左の足を引刀を抜左の手切先へ添へ右の膝の外より突く膝の内に引き後山下風に同じ。
大江居合:右に向き、左足を後へ引き、刀を体前に抜き直に左手にて刀尖を押へ、右膝頭の處へ着け、左足を右足に寄せ、体を正面に直し、左手と右手とを水平とし、右足を其儘一度踏み全体を上に伸し、直に体を落し、左膝を突き右手を差伸し、左手は刀尖を押へたる儘、伸ばして刀を斜め形として敵之胸を突き、右足を右へ充分引き変へ体を右向きとし、両手にて刀を横に引き、敵を引き倒し、その姿勢にて刀を振り右肩上にかざし、上段に取ると、同時に左足を後へ引き、右足を前にて踏み変へ正面に向いて上段より斬る。(左の敵の胸を突く)
細川居合:・・右手を柄に掛け腰を浮しつつ前へ俯き、左足を後へ退き刀を前へ引抜き、刀尖放れ際に左膝頭をつかへ刀尖の棟へ左手の拇指を示指で挟む様に添へ、右膝を左足に引き寄せつつ正面を向く、同時に(刃部を下へ向け刀尖を前柄は後水平に)刀を右膝横へ引付、右足を少し踏み出すと共に対敵の左横腹へ突込み、刀の腰へ左手の四指を添へ切先下へ柄頭を後上へ引上げつつ右足を右後へ退き(体は再び正面より右向きとなりつつ)対手を押倒し、左膝を跪き右足を向うへ踏出すと同時に刀尖を上より後へ振返し、双手を向うへ突き出し横一文字に構へ(視線は左正面の対手に注ぐ)左膝を右足に引き寄せ主面へ向きつつ右上段に振冠り、右足踏込んで斬り込み刀を開き納め終る。

 相手の仕掛けて来る様子が何処にも見い出せないまま相手を刺突している様です。いわゆる仮想敵は如何様でも良いのでしょう。そこへ行くと行宗居合は、敵が「我が胸を取らんと両手を出す時」に応じる前提です。河野先生の昭和13年1938年発行の無雙直傳英信流居合道の立膝の部岩浪の意義として「横列に座し居る場合、吾が左側に近接して座す敵の動向を察知し其の機先を制して、直ちに左に向きその右胸部を刺突して勝つの意なり」とされています。この文章から岩浪の敵の仕掛けは穂岐山先生からも指導されていなかった、業の動作だけが伝えられたとしか思えません。

 曾田本その2に「大阪八重垣会幹事?剣道錬士河野氏との文通質疑より質問を受けたる事項次の如し」という覚書があってその中に「居合は本来の目的よりして剣道の所謂先々の先にあらずして先又は後の先の一刀と信じますが、上意抜打ちは別とし(之とて上意と呼びてなすとする)一切敵を「ダマシ」打にする事は無之と信じますが、立膝の岩浪に於て左に向き右足トンと踏みたる時敵ハッと右に振りたる其の胸(又はのど)をさすと説くは丁度之にては「ダマシ」打ち之あり、本業の正しき解義を是▢御教示の程御願申上ます」と河野先生は曽田先生に手紙で質問されています。これに対して曽田先生は「解説、正面より我刀柄を取り押えんとするにより我先に廻り柄を右によじて刀を抜き敵を突く技にて決し「ダマシ打」にあらず、当突時足を「ドン」と踏むは突く刀勢を添ふるものなるにより(又一説には敵我刀を押えんとする其柄をふむ心持ありと)音をせずして突くもあること心懸くべし」と回答しています。(2019年9月29日ブログ掲載)

 曽田先生との文通で、河野先生は、敵が我が柄を取り押さえに来るのかと、目から鱗が落ちたでしょう。昭和17年1942年の大日本居合道図譜の立膝の部岩浪の意義は「我が左側の敵が我が柄を制せんとするを、其の機先を制して胸部を刺突して勝つの意なり」と明快にされています。しかしこれは河野先生の独創ではないかと言えるのですが、曽田先生の回答がそれを後押ししているのでしょう。曽田先生は行宗先生の弟子でした、行宗先生は敵が我が胸を取りに来るのでした。

 業の意義を追及していきますと、「敵が我が柄を取りに来るので、柄を取られない様に刀を抜き出し、敵がハッとして引き下がるに従って振り向いて胸部を刺突する」と尾ひれがついてきます。
 古伝神傳流秘書は「左へ振り向き左の足を引刀を抜左の手切先へ添へ右の膝の外より突」でした。敵の動向を察して、右足を軸に敵の方に振り向きながら刀を抜き出し左足を後方に引き抜刀するや左手を切先に添え右膝の外に付けて刺突体制をとって左膝を着くと同時に刺突しているのです。」

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2019年10月31日 (木)

曾田本その2を読み解く46行宗先生より中村虎猪氏に授与したる中傳書写46の4長谷川流居合術颪

曾田本その2を読み解く
46、行宗先生より中村虎猪氏に授与したる中傳書写
46の4長谷川流居合術
1、颪 敵抜かけ来る処にて我右足にてふみおとす心にて胸へ抜付け勝つ

 前回までに浮雲迄を解説して来ました。動作が複雑になって手附の文章が長く、複雑になりました。今回も似たようなところが有りそうです。

 神傳流秘書 山下風:右へ振り向き右の足と右の手を柄と一所にて打倒し抜付後同前
  大江居合 颪(又山おろしとも云う):左向き腰を浮めて右斜めに向き、柄止め、直に左へ足を摺り込み、其踵へ臀部を乗せ右斜向体となり、斜刀にて筋変へに打ち其形状にて左手は刀峯を押へ、左足を左横に変へ、刀を右へと両手を伸ばして引き、敵体を引き倒すと同時に右足を右斜へ寄せ、直に其刀を右肩上の處にかざし左足を後部に引き右足を出し、正面に向き上段となりて斬るなり。血拭い刀納む。(敵の眼を柄にて打つ進んで胸を斬り更に頭上を斬る)
 細川居合 山下風:(右側に座して居る者を斬る)正面より右向き・・体を右へ廻し正面へ向くなり右足を引付けると同時に柄を右胸上部へ引上げ右手を柄に逆手に掛け右足踏出すと共に鍔にて対手の左横顔を打ち直ぐ右足を引寄せる。同時に鯉口を腹部へ引付け、刀を右真横へ引抜き(切先き放れ際に)左膝を左へ捻り正面より左向きとなり対手の胸元へ(切先上りに手元下りに)斜に抜付け、更に体を右へ捻り戻しつつ刀の腰に左手の四指を添へ刀尖を下へ柄頭を後上へ引上げ体を右へ廻しつつ対手の体を押倒すなり(正面より右向きとなり)左足を跪き刀尖を(上より)後へ振返し右足踏だすと共に双手を向うへ突出し横一文字に構へ(視線は左正面の対手に注ぐ)左膝を右足へ引寄せつつ諸手上段に振り冠り右足を正面へ踏み出し(胴体へ)斬込み刀を開き納め終る。

 行宗先生の長谷川流の颪は「敵が抜きかけ来る処」を右足で「ふみおとす」そして胸に抜きかけて勝つ業だそうです。中山博道の夢想神傳流の山下嵐が行宗居合の様でした。
 神傳流秘書の山下風は敵の起こりは語られず一方的に「右の足と右の手を柄と一所にて打倒す」と意味不明な文章です。現代居合の夢想神傳流を思い浮かべて、浮雲が敵が柄を取り来るのだからこの業は、同方向に向いて坐している敵が、我が方を向き柄に手を掛け抜き付けんとする、その敵の柄手を我が鍔で打ち右膝を我が右足で打倒して、打ち倒した敵に抜き付けるのも変ですが、起き上がる処を抜き付け、引き倒して、上段から打ち込むのでもいいかなと思えるし、敵が柄を取りに来るのを避けて打ち据えるのもいいかなといった程度で妥協します。

 大江居合は敵の動作は「柄止め」とだけあるのですが、敵が抜かんとするのを「柄止め」するのか、敵が我が柄を取らんとするのを止める「柄止め」なのか疑問です。我が敵のぬかんとするのに行宗居合の様に柄止めして、或いは敵が我が柄を取らんとするのを柄止めして、斜めに抜き付け、敵体を引き倒し、上段となって切り下ろすのでしょう。

 細川居合も解かりずらい、敵の動作は不明ですが、柄を右胸に引き付け右手で逆手に持ち、(反りを返すのでしょう)斬り、敵の左横顔を鍔で打つ、刀を右真横へ抜いてから切先上がりに敵の胸へ斬り付ける、敵を押し倒し、上段から切り込む。

 第20代無雙直伝英信流の宗家河野百錬先生の昭和8年1923年発行の「無雙直傳英信流居合術全」から「颪」:意義 正面より左向に立膝に座し、・・左手を鯉口に掛け鯉口を握りたるまゝ拇指を鍔にかけ右手を柄に掛け、右足を踏み込みつゝ柄頭にて敵の顔面を一撃し、左足を引き付けつゝ右手にて刀を抜きつゝ腰を十分左にひねりて抜き放ち敵の胸元へ切り付け(体は左にみぎ膝は浮かし左膝は下に付く)顔は正面に向け左足を少し後に引き左手の四指をかたなの腰に当て、敵を横に引倒すや右足を正面より右(九十度)に踏み開き肩の高さに右拳を伸ばし(顔は正面に向く)刀を後にはねかえし、みぎあしにて廻り正面に向き乍ら雙手上段に冠り真向に斬込みて納め終ること同前。

此処でも何故「柄頭にて敵の顔面を一撃し」たのか説明はありません、顔面の何処とも言って居ません。昭和17年1942年の河野先生の「大日本居合道図譜」の颪では:浮雲と同様に我が柄を取らんとするを我れ柄頭を敵の顔面に当てる、敵退かんとするを直に其胸部に斬込み右に引倒して上段より胴を斬下して勝つ。 
 動作の解説の中では、柄を敵が取りに来るので、柄を左に逃すや右上方に半円を描く心持にて・・顔面に柄当てするそうです。河野先生の独創かこの辺りも気になる所です。
 そこで昭和13年1938年の山内豊健、谷田左一著「図解居合詳説」の「颪(又山おろしとも云ふ):目的 右側に坐って居る敵が、我に斬り掛かろうとするので、先ず柄頭を以て敵の眼に柄当てを行い、其のひるむ処を胸に斬り付け、更に之を引き倒して、頭上を両断するのである。

 古伝神傳流秘書の教えが抜けだらけなために、昭和になっても夫々の師伝か独創ばかりでした。恐らくどれも指導されてきた名残をとどめながら動作をして来た結果でしょう。どの様な状況に於いても応じられることが出来なければ武術ではないわけで、それぞれの状況下での最善を盡せれば良しでしょう。

以下次号 
 

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2019年10月30日 (水)

曾田本その2を読み解く46行宗先生より中村虎猪氏に授与したる中傳書写46の3長谷川流居合術浮雲

曾田本その2を読み解く
46、行宗先生より中村虎猪氏に授与したる中傳書写
46の3長谷川流居合術
1、浮雲 右脇より我柄を取来る時。

 前回に置いて横雲・虎一足・稲妻の3本について、古伝神傳流秘書・大江居合・細川居合から行宗居合の意義を考えて来ました。今回は浮雲・颪・稲妻の三本を同様に稽古して見ます。

1、浮雲:右脇より我柄を取来る時。
 神傳流秘書:右へ振り向き足を踏みもぢ彳腰をひねり抜付左の手を添へて敵を突倒す心にて右の足上拍子に刀をすねへ引切先を後へはね扨上へ冠り膝の外へ打込み後同前又刀を引て切先を後へはねずして取って打込事も有。
 大江居合:左向き静かに立ち、中腰となりて左足を後へ少し引き、刀を左手にて左横に開き、右手を頭上に乗せて力を入れる、其開きたる状態より左足を右足前方へ一文字となし刀は柄を右手に握り、胸に当て右の下へ抜きつつ体を右へ廻し、刀尖の三寸残りし時、中腰となり右横より左へひねり正面にむけ抜付け折り返して打ち左手の内にて刀峯を押へ伸ばし右手は弓張とし、右左を右斜めへ引き、其膝をつき、敵を引き倒し、直に刀を肩上にてかざし、上段にて正面に直り左斜めを斬る、此時膝頭外にて両手を止む、血拭い刀を納む(敵三人並び一人の敵を置き先の敵を斬る時)。
 細川居合:(右側に座して居る者を斬る)・・立上り、柄諸共左足を前に踏出し(視線は右正面の対手に注ぐ)、体を右へ廻し正面へ向きつつ柄を上げ対手の頭上を越さすようにして刀を前腹へ横たへると同時に左足の裏を上に向け右足の前を越させ足を交叉し、膝頭を左右へ割り腰を下げ刀を右真横へ引抜き切先放れ際に体を左へ捻り正面より左向きとなりつつ対手の胸元へ斜に(切先き上りに手元下りに)抜付け、体を右へ捻り戻しつつ刀の腰に左手の四指を添へ体は正面より右向きとなりながら刀尖を下げ柄頭を右後へ引上げ対手の体を押し倒すなり、右膝を跪き刀尖を上より後へ振返し双手を向へ突出し横一文字に構へ(視線は正面の対手に注ぐ)右膝を正面へ進ませつつ左上段に振り冠り左足を踏出し其脛を少し右へ倒し膝の外側へ(胴体に)斬込み刀を開き納め終る。

 右側の敵が刀の柄を取ろうと手を伸ばして来るのを、柄を左に開き立ち上って外すや、柄を上げて右手を柄に掛け同時に左足を右足前に踏み込み、体を相手に向けるや相手の胸に切先下がりに抜き付ける、左手で刀の棟を押さえ膝を着いて相手を右に押し倒す、刀尖を振り上げて上段に振り冠り左膝の外側に斬り下し刀を納める。ざっとこんな動作でしょう。大江先生の浮雲の動作は、まず敵は右に居並ぶ一人置いて二人目の敵が柄を取りに来るそうです。古伝にはその様な事は掛れていないのに何故そうするのか、古伝の手附と違うより先にその動作が読み取れません。右脇の敵が仕掛けても、其の右隣でも動作は大して変わらない書き方です。一人置いた二人目の敵ならば、一人目を押し退けるか、その前から越して来るかに依ります、越して来るならば我が座した右前から手を伸ばして来る筈です。
 刀を左に開いて敵手を外した時、右手を頭上に乗せる意味が不明です。特に「頭上に乗せて力を入れる」と何の効果があるのでしょう。体を左に捻ってから正面に向けて抜き付ける、軌道は横一線なのか、次の「折り返して打ち」の意味する所も疑問です。大江居合の筆者は大江先生の居合を見て其の動作を記述したであろうと思われ大江先生の監修を受けていたか疑問です。
 大江居合、細川居合とも夫々有効な動作であるならばそれを稽古すればよいのですが、此の業の動作は文章が複雑すぎて手附から稽古するのは厄介です。何故そうするの何故が抜け落ちた手附けといえると思います。当然その道統の方には口伝口授師匠の演武があって演じられるのでしょう。

以下次号とします。 
 

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2019年10月29日 (火)

曾田本その2を読み解く46行宗先生より中村虎猪氏に授与したる中傳書写46の2長谷川流居合術横雲虎一足稲妻

曾田本その2を読み解く
46、行宗先生より中村虎猪氏に授与したる中傳書写
46の2長谷川流居合術

1、横雲  敵の拳へ抜付
1、虎一足 敵先に抜付
1、稲妻  敵の打込拳へ抜付 

1、浮雲  右脇より我柄を取来る時
1、颪   敵抜かけ来る処にて我が右足にて敵の柄をふみおとす心にて胸へ抜付け勝つ
1、岩浪  敵真向にて左の方より我が柄を取んと両手を出す時我柄を左足の方へよぢて敵の胸乳の上へ切先りに突込勝つ

1、鱗返  敵は真向にて抜かんとかまえるか声にてもかくれがたくさままはって抜付て勝つ
1、波返  右同断
1、瀧落  敵我鐺を取り上へおしあげる所を前へたち抜くひょうしに鐺にて當て突く

以上

 前回は初伝として大森流居合、今回は中傳と位置付ける長谷川流居合がこの流の通り相場と言えるのですが、初伝・中傳・奥伝と振り分けた伝書は古伝ではあったのでしょうか。
 さて、それよりも中村虎猪への行宗貞義の中伝授与では大森流と違って業手附が書き込まれています。通常この手の伝書は目録として業名のみなのですがこの様に教えたと云うのでしょう。

 一本づつ、古伝神傳流秘書(曽田本その1)、大江居合(剣道手ほどき)、細川居合(梅本三男著居合兵法無雙神伝抜刀術)と手附を並べてみます。
1、横雲 敵の拳への抜付
 神傳流秘書:右足を向へ踏出し抜付打込み開き足を引て先に坐したる通りにして納める。
 大江居合:正面に座して刀を右へ静に抜きつゝ、三寸残りし時右足を出し、刀尖を抜付け、その姿勢にて上段にて真直に前方を斬る(敵の首を斬る)。
 細川居合:・・(対座して居る者を斬る)右足踏み込んで(対手の右側面へ)抜付け左膝を進ませつつ刀尖を左後ろへ突込み右諸手上段に引冠り、更に右足踏み込んで斬込み、刀を開く・・納刀
* 
 横雲の抜き付けは「拳」と行宗居合は明言しています。どの様な仮想敵の想定なのでしょう。柄に手を掛け抜き出さんとする拳、或いは抜刀して上段に振り冠って打ち込まんとする拳でしょうか。抜付けは現代居合では、敵の害意を察してというあいまいな動機より横一線に抜き放つ抜付けを指導されて細かな演武上の形をとやかく言われています。古伝神傳流秘書はおおらかです、拳とも首とも右側面とも言って居ません。
 状況次第で如何様にも抜付ける様になれと言って居るわけです。従って敵の右側面と大雑把に捉えれば、敵の動きに拘わらず立膝から腰を上げ「抜付けたる拳の高さは右肩の高さにて右前の所にて止る」と稽古の際に教わったものです。相手の身長に依ってこの抜付けでは首などという固定されたところへの抜き付けなど出来るわけはない、そこで相手は我と同体格で同じ様に動作するとありえない事を稽古してきたわけです。現代居合では河野先生は大日本居合道図譜では「敵の抜刀せんとする腕より其の顔面に(首とも胸とも想定可)横一文字に斬付ける」としています。
 行宗居合の「敵の拳への抜付」は動く標的に抜き付ける事を要求しているわけで中村虎猪さんは、出来たのかこれからの道標なのか判りませんが、根元之巻に基づいた「柄口六寸」の勝を見つめるもので、古伝の安易な稽古の大らかさを踏み越える奥義を要求していると思いたいものです。
 柳生新陰流の抜刀の稽古をしています、一人稽古では仮想敵相手に抜刀していますが、相手に小手を着けてもらい、その小手に向かって抜打ち稽古をします。もたもたして居れば頭上に木刀が打ち込まれてきます。

1、虎一足 敵先に抜付け
 神傳流秘書:左足を引き刀を逆に抜て留め扨打込み後前に同じ
 大江居合:静かに立ちながら左足を引きて刀を抜付くと同時に膝をう囲う、此の囲うは体を左向き中腰となり、横構にて受け止める事、此の体形にて刀を上段に冠り正面に向き座しながら斬り下すなり。・・(膝を受け頭上を斬る)。
 細川居合:(向脛へ薙付け来る者を斬る)・・右手を柄に掛けるなり立上り、左足を一歩後へ退く、同時に刀を引抜き(刀尖放れ際に)左腰を左後へ捻り体が左向きとなるなり(相手が向脛へ薙付け来る)差表の鎬にて強く張受けに受け止め、左膝を右足横へ跪きつつ右諸手上段に引冠り更に右足踏込んで斬込み、刀を開き納め終る。

 居合膝に座す処を相手が先に抜付けるのは同様ですが、さて我は坐している時相手は向こう脛に切り付けるなどあるでしょうか。双方居合膝ならば相手は横雲の抜き付けならば、我が拳、首、右側面でしょう。
 此処は双方抜刀せんと右手を柄に掛け立ち上がりながら刀を抜き出す、そこへ相手が先に抜刀して我が向こう脛へ薙付けるでしょう。そうであれば大江居合の「静かに立ちながら云々」は如何にも演舞向けの対敵意識の無い動作と言えるでしょう、それとも我は敵に先んじ敵の抜刀を誘う様に静かに立ちつつ刀を抜きつつするのでしょう。仮想敵を想定する事を怠って稽古したり演武して居る人が居るようです。習った形ばかり気にしていると何をしているのか傍から見ていると直に判ってしまいます。中には修行を積んで仮想敵が見えるようになったなどと意味不明の事を云う人も居たりして思わず吹き出す始末です。
 古伝神傳流秘書は「左足を引き刀を逆に抜て留め」です。「刀を逆に抜き」とは刃を下にして抜くと読めます。刃を上にして抜出し差表の鎬で相手の我が右足脛に斬り込む刀を受止めるのとは違う様に思えます。行宗居合の横雲の「敵の拳への抜付け」が頭を過ります。相手の斬り付けんとする拳へ「刀を逆に抜きて留め」であったならばこれも根元之巻の極意柄口六寸の勝になるでしょう。
 一本目横雲で出来たならば二本目虎一足でも容易でしょう。刀で相手の刀を受け止める受太刀を何時まで稽古しているのでしょう。
 留めた時は斬った時でありたいものです。基本の形から次々に変化をさせ根元之巻の要求事項を押さえたいものです。

1、稲妻 敵の打込拳へ抜付
 神傳流秘書:左足を引き敵の切て懸る拳を払ふて打込み後同前
 大江居合:右足を少し立てながら左足を後へ引き、両膝を浮めて稍左斜へ斬付け、姿勢の儘上段に取り其体より両膝を板の間に着けて斬り落すなり、血拭い刀を納るは1と(横雲)同じ。抜付けは刀尖を高くするを宣とす。(敵の甲手及頭上を斬る)
 細川居合:・・右手を柄に掛け抜きつつ立上がり、右足を出し(或は立上り左足を退きてもよし、対手の右側面へ)抜付け、左足を右足横へ跪きつつ刀尖を左後へ突き込み、右諸手上段に引冠り更に右足踏込んで斬込み刀を開き納め終る。

 現代の無双直伝英信流では大抵、相手は立ったまま抜刀して上段に振り冠って真向に打込んで来る、我は立ち上がり左足を引いてその拳に抜打つとしています。古伝は相手の状況は一言も述べていません。
 現代居合に口伝口授の面影を偲べば、相手は立って真向に打込んで来るだったと云いたい処ですが、古伝の大らかさから深読みすれば、相手が座したまま腰を上げて抜き打って来る、左足を引いてその拳に抜き付けるならばこの業は根元之巻の柄口六寸が見えて来そうです。
 行宗先生はどの様に「敵の打ち込む拳へ抜き付けたのでしょう。細川居合の『右足を出し」は相手はどの様にして掛って来たのでしょう。打太刀を設けて様々な変化を稽古して見ると一本目横雲、二本目虎一足、三本目稲妻は拳に抜き付ける事でそれらの集大成となりそうです。

下次号に・・

 

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2019年10月28日 (月)

曾田本その2を読み解く46行宗先生より中村虎猪氏に授与したる中傳書写46の1大森流居合術

曾田本その2を読み解く
46、行宗先生より中村虎猪氏に授与したる中傳書写46の1大森流居合術

大森流居合術
1、前後左右
1、進退
1、請流
1、介錯
1、順刀
1、勢中刀
1、追懸
1、抜打
以上
右大森流派業数11本にして何の口伝も無く業の起りも業附の書なし

 行宗貞義から中村虎猪へ中傳を伝授したものを写したと思われます。明治39年(1906年)秋8月27日と記載されています。行宗貞義先生は嘉永3年1850年生まれ大正3年1914年64歳で亡くなられています。56歳の時のもので伝書に記載されている署名は「大日本武徳会高知支部居合術講習係行宗貞義」とされています。
 無雙直伝英信流とも無雙神傳英信流居合兵法とも云っていないわけで大日本武徳会高知支部居合術講習係と云っています。然し大森流居合術と明記しているのですからこの中傳の位置づけはどうなるのでしょう。中伝は長谷川流居合術と書かれていて業名は長谷川流の一本目は横雲から始まっています。現代居合も同様です。
 大森流居合術の業名は何処かおかしい。業附き口伝も書き付けたものもない、とあります。古伝神傳流秘書も見た事は無かったのでしょう。
行宗先生自信が目録も授与されていなかったと云えそうです。

大森流居合術
1、「前後左右」は、神傳流秘書では「初発刀・左刀・右刀・當刀」となります。
大江居合では「前・右・左・後」です。大江居合は対敵の配置に対しての業名から道場正面に対し我の座す方向に変えられています。
細川居合では「初発刀・左刀・右刀・當刀」です。
吉宗居合は変な配列ですが、同門の細川居合は神傳流秘書と同じです。
1、「進退」は、神傳流秘書では「陽進陰退」。大江居合では「八重垣」。細川居合は「陰陽進退」
1、「請流」は、神傳流秘書では「流刀」。大江居合では「請け流し」。細川居合は「流刀」
1、「介錯」は、神傳流秘書では「順刀」。大江居合では「介錯」。細川居合は「順刀」
1、「順刀」は、神傳流秘書では「逆刀」。大江居合では「附込」。細川居合は「逆刀」
1、「勢中刀」は、神傳流秘書では「勢中刀」。大江居合では「月影」。細川居合は「勢中刀」。
1、「追懸」は、神傳流秘書では「虎乱刀」。大江居合では「追風」。細川居合は「虎乱刀」。
1、「抜打」は、神傳流秘書では「抜打」。大江居合では「抜き打ち」。細川居合は「抜打。

此処で云う細川居合とは、細川義昌ー植田平太郎ー尾形郷一貫心ー梅本三男と道統される居合で下村茂市系統の居合となります。現代では最も古伝神傳流秘書に近い業名の居合と言えるでしょう。
 下村茂市の同門で細川義昌の弟弟子に当たる吉宗貞義、大江正路は修行半ばで明治維新1868年を迎え十分な指導は受けられなかったかも知れません。
 細川義昌も同様であったとしても、維新前に根元之巻を授与され、島村家の一員として細川家に残された伝書類から想像できる古伝の指導を受けられたと思われます。
 木村栄寿先生の「林崎抜刀術兵法夢想神傳重信流伝書集及び業手付解説」に記載されている伝書を追ってみます。
 文政4年1821年真傳流居合極意書を山川幸雅から坪内長順が受けています。
 文政10年1827年居合兵法咄を坪内長順から坪内清助が受けています。
 天保7年1836年居合兵法極意巻秘訣を山川幸雅から島村右馬丞が受けています。
 天保2年1831年根元之巻を坪内清助から嶋村右馬丞が受けています。
 万延元年1860年抜刀術童蒙初心之心持を下村茂市から嶋村義郷が受けています。
 慶応2年1866年根元之巻を下村茂市から嶋村善馬(細川義昌の旧氏名)17歳で受けています。
 
 

  

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2019年10月27日 (日)

曾田本その2を読み解く45長州藩相伝神道無念流立居合と曾田本神道無念流立居合12本目

曾田本その2を読み解く
45、長州藩相伝神道無念流立居合12剣の業と
曾田本神道無念流立居合12本
12本目

曾田本神道無念流立居合
12本目
(意義)
前進中敵先に抜打をなし敵の之れに応ずるを切り返し倒す也
(動作)
第1、右足より二つ進二歩目左足にて刀を抜き三歩目に敵の正面を切る。
第2、切り返をなす2本目第4動に同じ。
 2本目第4動:両手で刀刃を上にし刀刃を以て敵の刀を払流し(此時刀尖は其位置にて左拳を刀尖より稍上ぐ)同時に左手を中心に右肩より冠りつゝ左足を左前に踏み右足を左足の後に引き敵の右肩より八相に切下ぐ。
第3、納刀
刀の納め方
1、前の足を後足に引き付ると同時に刀を左肩に擔ぐ如く持ち来り左手は鯉口を持ち鞘を正しくす。
2、左手の拇指と食指とにて「ハバキ」の近くを挟み右手の拇指は縁頭の近くを其の他の指は下より鍔及び柄を持つ
3、左足を後方に一歩引くと同時に右手を以て刀身を前下方に引き刀尖を鯉口の処に持ち来る。
4、右足を左足に引付つゝ刀身を鞘に納める。

木村高士著「長州藩相伝神道無念流」立居合12剣の業
12本目
三歩前進正面打込、霞切返し、納刀
前敵抜付 歩行中、左足が前に出たとき刀に右手をかけ頭上に抜刀、右足を踏み出して諸手で前敵の正面に打込む。
霞切返し 前に同じ。
 前は2本目霞切返し:またしても敵が反撃して来る気配に一歩進めて霞に攻める。敵は我の正面を打って来るので、左足を左斜前に踏み出し、切返しのごとく敵刀を右にすり落し、刀を右から頭上に回転させ、右足を左足の後方に引くと同時に左斜上段から敵の右肩に強く袈裟に打込む。
 霞の構えが立居合では記載されていません。
 刀法の終りに霞の解説がありますのでそれを採用して見ます。右足前で水月迄切り下ろした後ですから、右霞で良いでしょう。
 右霞:刀柄を握った右手の甲を下に左手の甲を上にして刀刃を左にし、切先を前敵に向ける。 
 曾田本の構えと同じ様ですが、刀刃の向きが曾田本は上、長州藩相伝は左と異なります。
 此の構で、敵が我が頭上に打ち込んで来るのを払い受ける様にして摺り落すのでしょう。
納刀 前に同じ
 1本目納刀:正眼に構えてから、切先を敵の胸元、喉元、眉間の高さにと徐々に前に大きく円を描くように出し、残心を示しながら右足を左足に引き揃えて刀身を左肩にとり、左手は鯉口を握り僅かに鞘を引き出す。刀身は肩にとったまま鎺を鯉口を握った左手の人差指に支える。と同時に、左足を右足の後方に引き、右手の柄を前下に伸ばし刀背を引いて切先を鯉口に入れ、ゆっくりと刀身を鞘に納める。左足を右足に引き揃え、直立して右手を柄から放し、左手は親指を鍔にかけて当初の演武の位置に復する。なお、各業とも納刀の動作は同じであるが、逆足(左前足)で終了した場合(2、3、8、9、12本目)は左足を右足の後方に引き納刀する。

 神道無念流立居合12本の最終です。
 曾田本の12本目の意義の書き出しは「前進中敵先に抜刀をなし」とあります。敵は前進しながら我より先に抜刀して、(正眼に構え)前進して来るわけで、之に応じて右足、左足と進めて刀を上に抜き上げ上段に振り冠って敵の正面に右足を踏み込んで打込む。
 敵之を外し、上段に振り冠って打ち込まんとするを、我切先を敵の左目に付け(水月まで打込んだ切先を)、左霞の構えとなり、敵が真向に打込んで来るや左手を稍々高く刀刃を上に向け敵刀を受け払う様に右に受け流す。
 同時に左足を左斜め前に踏み込み刀を右肩から振り冠リ、右足を左足の後方に引くや左から敵の右肩に逆袈裟に打ち込む。


 神道無念流立居合12本の曾田本と長州藩相伝を並べて、曽田本の出典を求めたのですが、曾田本との違いもいくつかあっても曾田本の立居合12本は、西日本の何処かの手附、若しくは明治以降に曽田先生が神道無念流の誰かから指導されたメモ、又は神道無念流伝書を写されたものでしょう。

 木村高士先生の長州藩相伝神道無念流には、長州藩相伝に依る神道無念流立居合の大村藩無念流立居合業手付が掲載され長州藩無念流との違いを述べられています。其の外に戸賀崎宗家に依る神道無念流12本が記載されています。堂本明彦編著の「中山博道剣道口述集」には立居合初伝10本、上伝20本が納められています、いずれそれらを読み込んで曾田本の神道無念流を稽古して見たいと思います。

 曾田本その2にある「神道無念流立居合12本」の出処が判りません、曾田本にあります神道無念流立居合12本についてをご存知でしたら御教示いただきたいと思います。 

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2019年10月26日 (土)

曾田本その2を読み解く45長州藩相伝神道無念流居合と曾田本神道無念流居合11本目

曾田本その2を読み解く
45、長州藩相伝神道無念流立居合12剣の業と
曾田本神道無念流立居合12本
11本目

曾田本神道無念流立居合
11本目
(意義)
大体10本目に同じなるも、敵退却せず打却て敵に追い詰められ後退しつゝ敵を切り倒す也、
但し最初停て居るにあらず前進中敵に出会たるものとす。
(動作)
第1、右足より前進中右足の地につくや僅かに後退して抜刀(1本目第1動に同じ)
 1本目第1動:右足より前進し二歩目左足にて柄を握り三歩目右足を出すと同時に抜刀(此時左手で鞘を前方に出す気持を加え後方に振り上げ上体を左斜にして十字形をなし左足は右足につれ前方に送り左足先を右踵に接する如くする)敵の右前肘を下より切り上ぐ。
第2、1本目第2動、第3動に同じであるが、右足より後退しつゝ行くのが異て居る。
第3、右同じ
第4、10本目第4動、第5動に同じ。
第5、右同

木村高士著「長州藩相伝神道無念流」立居合
11本目
後退切上げ、後二足一刀正面打込、正眼二歩攻右上段、納刀
前敵抜付 進行中、右足が床につくと同時に、素早く左足を右足の後方に引き前敵の右肘を切上げる。(抜付の要領は1本目と同じ。)
後退打込 尚且、敵が追い込んで来るので、右、左と二歩後退しながら上段に冠り、右足を踏み出して正面に打込む。
攻入残心 正眼に構えて、左足から二歩攻め入り、右上段となって残心気迫を示し、ゆっくりと正眼の構えに復する。
納刀 前に同じ

意義から、曾田本も長州藩相伝も「後退して抜刀」「後退切上げ」ですから、進行中敵の害意を察し右足、左足と踏み出し刀を抜き出し、右足を左足の僅か前に踏み込み揃え右足が地に着くや左足を右足の後方に引いて、敵の右前肘に下から抜き付ける。所謂足の踏み替えで抜刀して見ました。此の方法が敵の攻めに対して容易に間を維持して尚且つ、剣先に威力を持たせる事が出来ます。
 敵怯まずに猶攻め込んで来るので、右足を左足に引付左足を一歩引いて上段に振り冠り、右足を踏み込んで敵の真向正面に打込む。
 尚も敵前進して来るので右足を左足に引付、左足を引いて上段に冠り、右足を踏み込んで敵の真向に打込む。此処は長州藩相伝では要求していませんが曾田本は下から切り上げ、退いて真向打込み、更に引いて真向打込みを要求しています。
 正眼に構え、次に右上段となって残心、納刀。
 敵の攻め込に後退して切り込む、足運びは、敵の詰めに依る間合いに依って対応すべきもので、一人演武の居合では特に無双直伝英信流などは克明に指定されますが、いかがなものでしょう。

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2019年10月25日 (金)

第23・24回土佐の居合 古伝神傳流秘書による古伝研究の集い

土佐の居合 古伝神傳流秘書による古伝研究の集い

第23回・24回古伝研究の集い
無双直伝英信流、夢想神傳流の古伝神傳流秘書を曽田虎彦先生の直筆本から読み解いて江戸時代中期の居合を研究しています。
今年は主として大小詰・大小立詰を研究して居ります。
師伝が如何様であろうとも、古伝をご存知の方は少ないものです。
たとえご存知であっても古伝神傳流秘書に書かれている通りに演じる方は少なく、他流を持ち込んで結果だけで良しとしたり、経年の中で曲げられたりしているものです。
ご参加いただいた方が、夫々「我が師」であることをご理解戴き、ご自由な意見を出され共に学ぶ研究会です。
武術はともすると「俺の考えに従へ」という傾向があります、ここでは出来る理由も出来ない理由も研究の対象となります。
 記
1、期日
◎23回
・令和元年11月14日(木)
 15:00~17:00 鎌倉体育館
・令和元年11月28日(木)
 15:00~17:00 見田記念体育館
◎24回
・令和元年12月12日(木)
 15:00~17:00 見田記念体育館
 12月は1回のみ
2、住所
見田記念体育館
248-0014鎌倉市由比ガ浜2-13-21
TEL0467-24-1415
鎌倉体育館
248-0014鎌倉市由比ガ浜2-9-9
TEL0467-24-3553
3、アクセス
 JR横須賀線鎌倉駅東口下車徒歩10分
(駐車場 鎌倉体育館に有り)
 4、費用:会場費等割勘つど 500円
5、参加申込み 直接会場へお越しください
 Email:sekiun@nifty.com(何かあれば)
6、研究会名:無雙神傳英信流居合兵法
 湘南居合道研修会 鎌倉道場
7、御案内責任者:ミツヒラこと松原昭夫
 令和元年8月25日 松原記す

 

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曾田本その2を読み解く45長州藩相伝神道無念流居合と曾田本神道無念流居合10本目

曾田本その2を読み解く
45長州藩相伝神道無念流立居合12剣の業と
曾田本神道無念流居合立居合12本
10本目

曾田本神道無念流立居合
10本目
(意義)
敵に接し居る時敵刀を抜かんとするに対し動作するも敵退きたるにより之を追詰めて切り倒す也
(動作)
第1、右足を踏み出すと同時に抜刀敵の右前肘を切る、1本目第1動同
 1本目第1動:右足より前進し二歩目左足にて柄を握り三歩目右足を出すと同時に抜刀(此時左手で鞘を前方に出す気持を加え後方に振り上げ上体を左斜にして十字形となし左足は右足につれ前方に送り左足先を右踵に接する如くする)敵の右前肘を下より切り上ぐ。
第2、左足より二歩進み正面を切る。
第3、次に青眼のまゝ突き付けながら二歩進む。
第4、次に上段にて残心を示し
第5、青眼に直り納刀。

木村高士著「長州藩相伝神道無念流」立居合
10本目
其場切上げ、前二足一刀正面打込み、中段二歩攻右上段(残心)、納刀
前敵抜付 前方の敵に充分接近して下方から肘に抜付ける。(歩行中でもよし、抜付は1本目に同じ。)
 1本目前敵抜付:右足より三歩進めて間に入る。前敵が我に抜刀しようとするので、左足が前にでたとき、(二歩目)刀の柄に右手をかけ、右足が出ると同時に前方の敵の右肘を下方より逆袈裟に切上げる。右手は切手で拳は相手の肩の高さとする。
前敵打込 敵が後退するので左、右足と二足一刀に追込んで正面に打込む。
攻入残心 正眼に構えて、左足から二歩攻め入って刀を上段に構え、気迫を込めて残心を示し、ゆっくりと正眼の構えに復する。
納刀 前に同じ。

 曾田本と長州藩相伝とはさして違いは無いでしょう。但し一刀目の敵前肘に切り上げる際、曾田本は右左右と歩み乍ら攻め込んでいます。長州藩相伝は「其場切上げ」と言って居ますから、敵が前進して来るのを、自然体で待ち受け、敵が抜かんと右手を柄に掛けた瞬間に、右足を踏み込んで下から敵の右前肘に抜き付けるのでしょう。然し手附では「前方の敵に充分接近して下方から肘に抜き付ける」と言って居ます。その後に括弧付きで(歩行中でもよし、抜付けは1本目と同じ)とありますから、ますます混乱します。状況に応じて想定しなさいと云うのでしょう、あるいは神道無念流にしか通用しない文言かも知れません。我が下よりの切り上げが浅いか、瞬時に敵に外され敵が左足右足と後退するのを、右足に左足を引き付け上段に振り冠右足を踏み込んで敵の真向に切り下す。此処の足捌きも拘らず敵との間を切らない様に詰めていく事が剣術の嗜みでしょう。足捌きに拘ればただの形になってしまいます。
 次に、水月まで切り下ろしたまま、敵が更に後方に引くのを左足右足と攻め入って、敵が戦意を失って倒れるのを上段に振り冠り、気迫を込めて残心を示し、ゆっくりと正眼に戻し、納刀する。
 
 

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2019年10月24日 (木)

曾田本その2を読み解く45長州藩相伝神道無念流居合と曾田本神道無念流居合9本目

曾田本その2を読み解く
45、長州藩相伝神道無念流立居合12剣の業と
曾田本神道無念流居合立居合12本
9本目

曾田本神道無念流居合
9本目
(意義)
敵の抜かんとする前肘を切るも(1本目に同じ)敵之れを弛し我胴を切り来るに対し体を変し切り倒す也
(動作)
第1、1本目第1動に同じ
 1本目第1動:右足より前進し二歩目右足にて柄を握り三歩目右足を出すと同時に抜刀(此時左手で鞘を前方に出す気持を加え後方に振り上げ上体を左斜んいして十字形をなし左足は右足につれ前方に送り左足先を右踵に接する如くする)敵の右前肘を下より切り上ぐ。
第2、上段のまま右足より二歩退き次に鎬を以て敵刀を下方に押へ、敵我胴を切り来るを防ぐ如く刀を体の右前下方に持ち来る此の時右足を左足先に引き付くる。
第3、次に青眼に直りつゝ少し前進す此の時左足は右足につく如く送り敵を襲う気持なり。
第4、次に切り返しをなす二本目第4動に同じ
 2本目第4動:両手で刀刃を上にし刀刃を以て敵の刀を払流し(此の時刀尖は其位置にて左拳を刀尖より稍上ぐ)同時に左手を中心に右肩より冠りつゝ左足を左前に踏み右足を左足の後に引き敵の右肩より八相に切下ぐ
第5、納刀 

木村高士著「長州藩相伝神道無念流」立居合
9本目
切上げ、二足後胴打下し、中段一歩攻、霞切返し、納刀
前敵抜打 前方の敵に下方から抜付ける。(1本目と同じ。)
 1本目前敵抜付:右足より三歩進めて間に入る。前敵が我に抜刀しようとするので、左足が前に出た時(二歩目)刀の柄に右手を掛け、右足が出ると同時に前方の敵の右肘を下方より逆袈裟に切上げる。右手は切手で拳は相手の肩の高さとする。
請抑 前敵は身を転じて我が胴を打って来るので、右足から二歩後退しながら左回りに刀を上段に冠り、敵の刀を刃をもって右前下に打払う。
青眼攻め 正眼に構えて一歩攻め入る。
霞切返し 前に同じ
 2本目霞切返し:またしても敵が反撃して来る気配に一歩進めて霞に攻める。敵は我の正面を打って来るので、左足を左斜前に踏み出し、切返しのごとく敵刀を右にすり落し、刀を右から頭上に回転させ、右足を左足の後方に引くと同時に左斜上段から敵の右肩に強く袈裟に打込む。
納刀 前に同じ

 曾田本神道無念流は、仕太刀の動作だけで、打太刀の動作が見えにくい。仕太刀の動作から打太刀の動きを判断して対応することを意図しているのでしょう。居合は仮想敵相手の攻防ですからそれもそうかです。ちなみに組太刀では神道無念流は打太刀は「元」、仕太刀は「掛」と呼んでいます。
 前敵が抜刀しようとするので、我は、右足左足と前進しその機先を制して敵の前肘に下から抜き付けに切り上げる。
敵は我が切上げを左足を引いて柄を上に刀を抜き上げ外し上段に冠り、我も外されて上段に振り冠る。
敵は右前に転じて我が左胴を打って来る、我は右足左足と後退しながら上段から右前下に敵刀を鎬を以て我が右前下に打ち払う。長州藩相伝では刃を以て右前下に打ち払う。
我は青眼に構え右足を一歩進め、左足を右足に送る。
敵攻め込まれて左足から一歩後退し上段に振り冠り、我が真向に打ち下ろさんとする、我は右霞に構る処、敵我が頭上に右足を踏み込んで打ち込んで来るのでそれを払流し同時に左足を左前に踏み込み右足を左足の後に踏み替え、右肩から刀を振り冠り、逆八相に敵の右肩から切り下す。
 曾田本と長州伝をミックスさせてこの業を演じて見ました。

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2019年10月23日 (水)

曾田本その2を読み解く45長州藩相伝神道無念流居合と曾田本神道無念流居合8本目

曾田本を読み解く
45、長州藩相伝神道無念流居合と
曾田本神道無念流居合立居合12剣の業
8本目

曾田本神道無念流居合立居合
8本目
(意義)
勉めて敵に接して抜打するも敵後退するにより追詰めて切倒す也
(動作)
第1、其場にて抜刀右足一歩出し正面を切る。
第2、左足より二歩前進して切る。
第3、2本目第4動の如く切り返し、
 2本目第4動:両手で刀刃を上にし刀刃を以て敵の刀を払流し(此の時刀尖は其位置にて左拳を刀尖より稍上ぐ)同時に左手を中心に右肩より冠りつゝ左足を左前に踏み右足を左足の後に引き敵の右肩より八相に切下ぐ
第4、納刀

木村高士著「長州藩相伝神道無念流」立居合
8本目
其場抜刀右足前正面打、二足一刀正面打込、霞切返し、納刀
前敵打込 前方の敵を充分に引つけて、その場で頭上に抜刀し、右足を踏み出して正面を打つ。更に敵が後退するので二足一刀に追込み正面に打込む。
霞切返し 前に同じ
 この場合の「前に同じ」では7本目になってしまうので、此処は2本目の霞切返しです。
 二本目霞切返し:またしても敵が反撃して来る気配に一歩進めて霞に攻める。敵は我の正面を打って来るので、左足を左斜前に踏み出し、切返しのごとく敵刀を右にすり落し、刀を右から頭上に回転させ、右足を左足後方に引くと同時に左斜上段から敵の右肩に強く袈裟に打込む。
納刀 前に同じ

 この8本目は曾田本の神道無念流居合と長州藩士相伝神道無念流居合共に同じ様に演ずると読めます。しかし文章上は双方とも抜けが有って取り敢えず無双直伝英信流居合の業技法を駆使して演じてみます。
 曾田本「其場にて抜刀右足一歩出して正面を切る」、長州藩相伝「其場抜刀右足前正面打」で雰囲気は同じです。曾田本の正面を切るはどの様にするのか指定されていませんから、立姿は左手鍔、右手を柄に掛け、右足を稍々前に左足爪先を右足土踏まず附近に左斜めに向けて立つ。
 此処で、ハタと困ったのは敵が刀を何時抜くのかが読めない、敵は抜刀して青眼に構えて間境を超す、我は立位置のそのまま、柄を上に向け刃を左に正中線上を抜き上げ右手を返して上段に振り冠り左手を柄に掛けるや左足を踏み込み敵の正面を喉元迄打つのが長州藩相伝、曾田本は床上一尺迄切り下ろす。
 敵我が真向打ち込み後方に出足を後足の後方に引いて外す。我は空を切って即座に左足を右足に引き付け上段に振り冠り、右足を踏み込んで敵の真向に切り下す。ここは長州藩相伝も床上一尺膝の高さまで空を切る。
 敵再び二足後方に引いて之を外すや上段に振り冠り、またしても敵反撃して来る気配に右足を一歩進めて、青眼に構え、其の刀尖を敵に向けたまま、両手で右手甲を下にし、左手甲をうえにして刀刃を上にし(又は左向き)左手を稍々高くして霞に構える。
 敵真向に打ち下ろして来るのを刀刃を以て右に払い流し、刀を右から頭上に回転させ、左足を左前に踏み込み右足を左足の後方に踏み替えるや左上段から敵の右肩に逆袈裟に切り下す。上段に構え、残心、納刀(前に同じ)。

 敵の抜刀は二度我に切り込まれてからでも、抜刀して青眼に構えて接近して来る、青眼が上段でもいいでしょう。仮想敵の動作を我が動作から逆に想像して演じてみると、敵の抜刀や打ち込みに依って間が開く可能性もあるので、その状態で拍子を工夫しませんと間抜けな一人演武になりそうです。

 

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