2019年12月10日 (火)

道歌1秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩)1の11世の中に

道歌
1、秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩 元禄14年1701年)
1の11世の中に

世能中尓我より外能物奈しと
     おもふハ池農蛙奈りけり
読み
世の中に我より外の者(物)なしと
     思うは池の蛙なりけり
(よのなかにわれよりほかにものなしと
     おもうはいけのかわずなりけり)

 世の中には我より右に出る使い手は居ないと思うのは池の中の蛙の様なものだ。と云うのです。
 此の歌の元は荘子外篇秋水の様です。
 「秋になって水は多くの支流から黄河に集まり、黄河は溢れて両岸から牛馬を見分けられない程になる。黄河の神である河伯は喜んで天下の美は己にありとする。黄河の流れに従って北海に至り東を見ると海は広く水際が見える事も無い、北海の神若に「百ばかりの道理を聞きかじって己に及ぶものなしと言うが其れは己のことだと一人よがりをして居た」と云う。北海若曰く「井蛙は以て海を語るべからざるは、虚に拘はればなり」秋水の書き出しはこんな所です。
 「井の中の蛙大海をしらず」と云う諺もあります。
 古流剣術は形稽古に始まり形稽古に終わるほどで、竹刀での打ち合いはあっても仕合をする訳でもない。其の為か「形だから決められた足踏みで決められた業を形どおりやるもの」と決めつけて来る人が多いものです。
 言われた通り、形を真似てやってみるのですが出来たつもりでいると、形ばかりの真似事で何ら役に立たないのです。それでも自分より後に入って来た者には通じるのですが、先輩には刃が立たない、稽古を重ねどうやら出来たと更に上の先輩と打ち合うと相変わらず役に立ってくれません。「其の内出来るようになるさ」と嘯いて見てもそんなに体力も寿命もありそうにない。それでも何としても其の術を身に着けたくて稽古を重ねていると気が付く事がどんどん出て来るものです。
 すると、はたで見ていた者が「形なんだからかたち通りやれよ」とブーイングです。これなど「井の中の蛙」なんてものではなく「井の中の水桶」みたいに見えてきます。

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2019年12月 9日 (月)

道歌1秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩)1の10せばみにて

道歌
1、秘歌之大事(林崎新夢想 新庄藩 元禄14年1701年)
1の10せばみにて

勢者み尓て勝をとる遍幾長刀
      ミし加(?)記刀利はうすき也
読み
狭ばみにて勝をとるべき長刀
      短かき刀利はうすきなり
(せばみにてかちをとるべきながかたな
      みじかきかたなりはうすきなり)

 狭い所での勝負は長い刀がよい、短い刀では利は薄いよ。と云っています。狭い所では刀を左右に振り回す事は出来ないので短い方が良いのでしょうが、長い刀での狭い場所での刀法は、大江居合では奥居合の居業7本目「両詰」か立業の9本目「壁添」でしょう。
 両詰意義:我が両側に障害ありて、刀を普通の如く自由に抜き難き場合にして、刀を前に抜き取り前敵を刺突して勝つの意也(河野百錬著大日本居合道図譜より)
 壁添意義:我が前面に敵を受け、左又は右に壁ありて抜刀自由ならざる場合ひ、刀を上方に抜き取りて敵を仆すの意なり。(河野百錬著大日本居合道図譜より)
 どちらも大江正路先生により古伝を改変した業になっていてこの両詰は古伝では左右に敵に詰めかけられた時の業で「抜くや否や左脇の者を切先にて突き直に右を切る。または、右脇の者に抜手を留めらるべきと思う時は右脇の者を片手打ちに切り直に左を切るべし」。で大江居合の「両詰」は大江先生による壁添の教えに依る独創でしょう。
 古伝の壁添は「壁に限らず惣じて壁に添たる如くの不自由の所にて抜くには猶以て腰を開き捻りて躰の内にて抜突くべし、切らんする故毎度壁に切りあて鴨居に切りあてゝ仕損ずる也、突くに越る事なし。就中身の振廻し不自由の所にては突く事肝要」。で大江居合の壁添は古伝の「人中」でこれは「足を揃へ立って居る身にそえて上へ抜き手をのべて打込む納るも躰の中にて納る」となります。余談ですが、人中では体に沿わせて刀を抜くという事で、現代居合の奥居合立業の「袖摺返」ではひと中での刀法としては疑問です。

 狭い所では刀は横一線の抜き付けでは無なく、刀を前に抜き出し切先が鯉口を出るや刃を返して切先を前に向け諸手で前敵を刺突する、其の際刀の長短が優劣になると云うのでしょう。
 小太刀でも充分右身になって突けば同じだと云うへそ曲がりも居るでしょうが、長い方が有利である事には変わりません。

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2019年12月 8日 (日)

道歌1秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩)1の9後より

道歌
1、秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩 元禄14年1701年)
1の9後よりだます

後よりだま春尓手こそなかり介連
      聲能抜とや是をい婦らん
読み
後より騙すに手こそなかりけれ
      聲の抜きとや是を云うらん
(うしろよりだますにてこそなかりけれ
      こえのぬきとやこれをいうらん)

「後ろからだまし討ちにするのに手など無いものだ、掛声に依って抜き放ち切る事是を云うのである」と読んでみました。

寛政3年1791年の新庄藩の林崎新夢想流の伝書では「うし路よりた万春に手こそ奈可利介利聲の抜とや古れをいふらむ(うしろよりだますにてこそなかりけりこえのぬきとやこれをいうらん)」
明治44年1911年の新庄藩の林崎新夢想流の伝書でも「うしろよりたま寸に手こそなかり介り聲のぬきとや古れを云うらん(うしろよりだますにてこそなかりけりこえのぬきとやこれをいうらん)」
曾田本その1の居合兵法の和歌「後より伐るをはつるゝ事はなし聲の響を是と云也(うしろよりきるをはづるゝことはなしこえのひびきをこれというなり)」

 霜を聞く程に研ぎ澄まされていれば、後から打ち込んで来る者が掛ける聲があれば、その響き具合で殺気を感じて反応する事は出来そうです。それに対応する業も現代居合にもいくつかあるのでそのつもりになって仮想敵を抜き打つ稽古も出来るでしょう。無言でけはいを消して斬り込まれた時でも反応できるようになることはあり得ると思います。その感性を磨けと云うのでしょう。
 
 ミツヒラブログ2011年11月12日極意の秘歌9首目に此の歌の解説をしてあります。そこに笹森順造著「一刀流極意」にある伊藤一刀斎の夢想剣の霊験を参考に記載させていただいています。

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2019年12月 7日 (土)

道歌1秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩)1の8居合とは

道歌
1、秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩 元禄14年1701年)
1の8居合とは

居合とは押詰ひしと出春刀
     刀ぬく連はやがて徒可累ゝ
読み
居合とは押し詰めひしと出す刀
     刀抜くればやがてつかるゝ
(いあいとはおしつめひしとだすかたな
     かたなぬくればやがてつかるゝ)

 この歌の解釈は何ともわかりずらい、意味を考えずに読むだけなら簡単ですが、文字を拾ってみても何にも伝わってきません。
 何処かにテキストは無いものかと思いつつ私ならこう解釈したいという気持ちで読んでみました。
「居合と云うのは気を籠めてピタリと抜き出す刀法である、刀を抜いてしまえば居合心に浸されるであろう」

 読まれたままに、「居合と云うのは押し詰めて行って、ピタリと抜き出す刀である、刀を抜いてしまえばやがて疲れる。」
 或は「・・・逆に突かれてしまう。」ではお粗末でしょう。
 此の歌は寛政3年1791年の新庄藩の伝書にも「居合とハ押詰ひ多と出須刀刀ぬ九れハや可て徒可るゝ」
 同様に明治44年1912年の新庄藩の伝書にも「居合とは押詰ひしと出刀可奈抜連はやがてつ可るゝ」
 曾田本その1の居合兵法の和歌には同じ歌は見当たりません「居合とは心を静抜刀ぬ希ればやがて勝を取なり」が近い歌かなと思いますがさて下の句が気になります。
 妻木正麟著詳解田宮流居合の歌の伝は曾田本その2と同じ歌い出しで「居合とは心を志ずめたる刀かたなぬくればやがてつかるゝ」とあります、下の句が新庄藩の歌と同じです。歌心が伝わる様に変化していったのかも知れません。
「つかるゝ」を「突かるゝ」と解釈するのは、私には疑問ですからここは「浸かるゝ」いわゆる「浸(ひた)れる」と読みたいものです。
 2011年の秘歌之大事のこの歌の解釈はひどいものですがあれから8年経っても、似たようなもので泣けてしまいます。それとも少しは進歩したと云えるでしょうか。
 曾田本その1の居合心立合之大事に「先ず我身を敵の土壇ときわめ何心なく出べし敵打出す所にてチラリと気移りて勝事なり」とあります。この「我が身を土壇ときわめ」の心持が居合の大事であり「居合とは押詰ひしと抜く」と通ずると思うのです。 

 

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2019年12月 6日 (金)

道歌1秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩)1の7つよみにて

道歌
1、秘歌之大事(林崎新夢想流  新庄藩元禄14年1701年)
1の7つよみにて

徒よみ尓て行あ多るをは下手と云
      鞠と柳を上手とそ以婦
読み
強みにて行き当たるをば下手と云う
        鞠と柳を上手とぞ云う
(つよみにてゆきあたるおばへたという
        まりとやなぎをじょうずとぞいう)

 この歌の解釈は、剣術は、力いっぱいに強く打込んだり受けたりするのを下手と云う、蹴鞠が柳に当たっても何の抵抗も無く柔らかく受けいれて何事も無くあるのを上手というのである。と歌っています。
 蹴られた鞠も同様に何事も無く跳ね飛んで元の姿です。此の歌の「強みにて行き当たるおば下手と云う」がポイントです。
 秘歌之大事の2首目に「早くなく遅くはあらじ重くなく軽き事おば悪しきとぞ云う」がありました。今度は打つも受けるも柳に鞠を連想しろと言って居ます。
 妻木正麟著詳解田宮流居合には田宮流居合歌の伝に「つよみにて行きあたるこそ下手なれやまりに柳を上手とぞいふ」

 曾田本その1の古伝神傳流秘書のはじめは「抜刀心持引歌」から始まります。振り返ってみます。
 心水鳥
 帆を掛けて急ぐ小舟に乗らずとも行く水鳥の心知るべし
 水鳥の水に住めども羽は濡れず海の魚とて汐はゆくなし
 白鷺心
 思ふれど色に出にけり我が恋は物や思ふと人のとふまで
 数ならで心と身をば委せねど身に従ふは心なりけり
 居合太刀打共水月之大事
 水や空空や水とも見へわかず通ひて住める秋の夜の月
 おしなべて物を思はぬ人にさへ心をつくる秋のはつ風
 秋来ぬと目にはさやかに見へねども風の音にぞ驚かれぬる
 右の心にて悟るべし我は知らね共敵の勝を知らする也 其處水月白鷺共習いあるべし又工夫すべし。

 敵に従って勝つべき心持
 風吹けば柳の糸のかたよりになびくに付て廻る春かな
 強みにて行き当たるをば下手と知れまりに柳を上手とぞいふ 
 
 新庄藩の秘歌之大事の7首目の歌は「敵に従って勝つべき心持」が出来ているかが大切であると教えています。さらに続きます。

 敵と出合ふ時かならず討勝と思ふべからず、況や恐るゝことなし、間に豪末を加えず雷電石火の如くちらりと我が心にうつる時無二無三に打込事居合之極意也。然れ共只打込むではなし、是に柄口六寸の習いなり、此の習を以て敵の場へ踏込み打也。偏に大海を渡るに陸にて行けば命を失ふ故に舟に乗りて行也。居合柄口六寸之大事偏に彼の舟の心持としるべし、然れども舟にてかならず渡海すと思ふべからず。歌に
 乗り得ても心ゆるすな海士小舟浪間の風の吹かぬひぞなき
 右浪間の風能く合点しては舟ものらず 古歌に
 有となしと堺を渡る海士小舟釘も楔も抜け果てにけり
 此の心にてよく工夫有べし 口伝

 単刀直入に敵の思いに従って、ちらり心にうつる時、柄口六寸に無二無三に打込むのが居合の極意と云うのでしょう。柄口六寸の極意は敵の拳への抜き付けとされますが、すでに失伝し現代居合ではその心持ちすら失念しています。海士小舟の心持ちをどの様に解けるか、譬え解き得てもそれは己の心の中に持つ以外に無さそうです。免許皆伝を授与されたそののちに課せられた命題ですが「口伝」としてあっても消えてしまっています。
 
 

  

 

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2019年12月 5日 (木)

道歌1秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩)1の6鍔はたゞ

道歌
1、秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩 元禄14年1701年)
1の6鍔はたゞ

鍔ハ多々拳能楯と聲物を
      婦とくも不とく奈幾ハ非がこと 
読み
鍔は只拳の楯と聞くものを
      太くも太く無きはひがごと
(つばはただこぶしのたてときくものを
      ふとくもふとくなきはひがごと)
*
 此の歌の解釈は「鍔はただ単に、拳を守る楯と聞いているが、それならば大きいほど相応しいが、無いとなれば不都合だ」と歌っていると読めるのです。
 妻木正麟著詳解田宮流居合歌の伝には「つばはただ、こぶしの楯とするものを ふとくはふとくなきはひがごと」の次に「ふっと出る刀をおもいさとるべし、夢想の刀鍔は構はし」と並んでいます。鍔は無いと不都合でも意識の中にあるものではないと言って居るのでしょうか。

 新庄藩の林崎新夢想流には明治以降まで伝承していた歌で、曾田本その1にも居合兵法の和歌として田宮平兵衛業政之歌として伝わっています。
 現代居合でも古伝神傳流秘書の居合でも、居合として鍔の大小を云々する教えは見当たりません。秘歌之大事の新庄藩の林崎新夢想流は居合だけでは無かったとすれば鍔の有無は勿論その大きさも意味をなしていたかもしれませんが良く理解できません。
 この流の極意は「柄口六寸」です、現代居合では失伝している敵の拳に抜き付けるのであれば、敵の拳の楯となる鍔は邪魔なものです。しかし鍔の無い刀は短刀位ですから、鍔を気にして拳に斬り付けられない様では困ります「夢想の刀鍔は構わし」鍔などに捉われずに打込めというものです。
 無双直伝英信流居合道型の稽古で鍔付き木刀を使用する様指導されました。ところが別の古流剣術では鍔無しの木刀を使用します。真向打ち合ったりして木刀が滑り落ちてきて拳を痛めるから鍔で請けろと云うのですが、古流剣術では真向打ち合って間が少しでも近いとなると鍔が拳に当たってかえって拳を傷つけます。当然どちらも未熟だからのことです。
 居合抜きで、大刀に装着する鍔で右拳を鍔より指の太さ位離しても、抜き付けの際拳を傷つける事もあります、やや小ぶりの鍔で縁金に指が振れない様に握る必要もあります。
 また、刀を抜く際の鯉口を切る時に容易であるとか、鍔のお陰で刀身に柄手が滑り込まないとか、刀身と柄、或いは鞘との仕切りであったり、刀のバランスなどは鍔で調整できますからそれはそれなりの有効性は十分あると思いますが、絶対こうあるべきには至れません。

 この歌の本来の意味はこの程度のものでは無かったかもしれません。鍔を有効に使った業が土佐の居合の以前にあったかも知れません。思い付きではない文献等で実証できるものに出合えていません。
 

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2019年12月 4日 (水)

道歌1秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩)1の5寒事(夜)にて

道歌
1秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩 元禄14年1701年)
1の5寒事(夜)にて

寒夜にて霜を聞く辺幾心こそ
      敵のあふて能勝をとる遍き
読み
寒夜にて霜を聞くべき心こそ
      敵にあうての勝を取るらん
(かんやにてしもをきくべきこころこそ
      てきにあうてのかちをとるべし)

天童郷土研究会長伊藤文治氏の 解読は「寒事にて霜を聞くべき心こそ敵にあ婦手の勝はとるべき」ですが「寒事」は「寒夜」草書体でしょう。

 此の歌の意味は、寒い夜に水蒸気が氷滴となって結ぶ音を聞き分ける様な、そんな心持ちであれば敵に逢っても勝を取る事が出来るであろう。
 霜が結ぶ音のように聞こえない様な敵の心の動きを事前に察する事が出来ればどんな敵に逢っても勝てる、と云っています。
 
 妻木正麟著詳解田宮流居合には「寒き夜に、霜を聞くべき心こそ 敵に逢いても勝は取るべし」
 林崎新夢想流 新庄藩寛政3年1791年「寒き夜尓霜能聞く辺起心こそ敵尓逢て能勝をとる遍し」
 林崎新夢想流 新庄藩明治44年1912「寒夜尓て霜を聞べき心には敵に逢うての勝をとるらん」
 曾田本その1 居合兵法の和歌「寒夜尓て霜を聞べき心こそ敵に阿ふても勝を取るなり」
 どの時代も多少違っても同じ様なものでしょう。

 無双直伝英信流の河野百錬宗家の昭和8年1933年発行の「無雙直傳英信流居合術全」の正座の部一本目前の業手附を読んでみますと「正面に正座し十分気の充ちたる時、左手を鯉口に取り拇指にて鯉口を切り右手の全指を延ばしたる儘柄に掛けて握り、柄を少し中央に寄せる様にし腰を左にひねりて刀を抜きつゝ両足先を爪立て、膝を延び切るや右足を前に踏み出すと同時に刀を抜き払ひ、(胸の通り横一文字に)更に雙手上段に振り冠りて真向に割付け、・・」とどこの手附でも見られる、演武の為の技術一辺倒のものでした。
 それが昭和13年1938年の「無雙直伝英信流居合道」では「意義 吾が前面に對坐せる敵の害意を認むるや機先を制し直ちに其の首に(又は顔面或は敵の抜刀せんとする腕、以下は同じ)に斬り付け・・」と此の業を繰り出すに当たっての状況を「害意を認むるや」と「霜を聞くべき心」を意図する様な前書きが付加されています。

 昭和9年1934年に太田龍峰著中山博道校閲「居合読本」の大森流初発刀にも意義があります「互に4尺位離れて對坐せる時、急に敵の眼の附近を横薙に切り付け、相抜きの場合は敵の抜付けし拳に切り込む、倒るゝ所を直ちに上段より斬る業である」。此の意義は業手附のおおまかなもので、次に動作が展開します。

 心持については宮本武蔵が兵法三十五箇条に「心の持様は、めらず、からず、たくまず、おそれず、直に広くして、意のこゝろかろく、心のこゝろおもく、心を水にして、折りにふれ、事に応ずる心也。水にへきたんの色あり。一滴もあり、蒼海も在り、能々吟味在るべし」と述べています。五輪書の水之巻兵法心持之事に同様の心が述べられています。

  曾田本その1では土佐の居合の心持肝要之大事では「居合心立合之大事 敵と立合兎やせん角やせんとたくむ事甚嫌う、況や敵を見こなし彼が角打出すべし其所を如此して勝ん抔とたくむ事甚だ悪しゝ、先ず我身を敵の土壇ときわめ何心なく出べし、敵打出す所にてちらりと気移りして勝事也、常の稽古にも思いあんじたくむ事を嫌う能々此念を去り修行する事肝要中の肝要也」

 自分自身の心の持ち様から敵の心が自然に読み取れるもので、常の心であれ、それが「霜を聞く」ことと読んでみました。
 

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2019年12月 3日 (火)

道歌1秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩)1の4本の我

道歌
1秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩)元禄14年1701年
1の4本の我
本能我尓勝可居合之大事也
     人に逆婦ハ非か多奈り介里
読み
本の我に勝つが居合の大事なり
     人に逆うは非がたなりけり
(もとのわれにかつがいあいのだいじなり
     ひとにさかうはひがたなりけり)

 妻木正麟著「詳解「田宮流居合」では「居合とは心に勝つが居合なり人にさかふは非法なりけり」もう一つ「本の我に勝つがためぞといいならひ無事いふは身のあとなる」
 林崎新夢想流 新庄藩 寛政3年1791年「本乃我尓勝可居合能大事な里人尓逆不盤ひ可多成介利(もとのわれにかつがいあいのだいじなりひとにさかうはひかたなりけり)」
 林崎新夢想流 新庄藩 明治44年1911年「毛登能我尓勝可居合の大事成人尓逆ふ者ひ可多成介り(もとのわれにかつがいあいのだいじなりひとにさかうはひがたなりけり)」
 曾田本その1居合兵法の和歌「もとの我勝が居合の習奈りなき事云はゝ身の阿だと成る (もとのわれかつがいあいのならいなりなきごといはばみのあだとなる)」

 此の歌の意味は、読んだ通りと云いたい処です、「我が思いに打ち勝つ事が居合の大事と云える、人に逆らって争うなどはあってはならない」
 単純に他人の業技法に否やを言って嫌な思いをさせたり、させられたり、或いは俺が一番と思っている兄弟子などの指導に非を述べて不興を買ったりいろいろあるでしょう。ひどいのは俺の師匠が一番で他は全部だめという程の可笑しな者も居たりします。武術道場はあらゆるレベルの人の集団ですから、いろんな価値観の人がいて良い参考になります。
 中でも自己顕示欲が強く何でもしゃしゃり出て勝手な振る舞いをする輩は、大抵業技法に長けていても組織の中での人間性に欠ける者でしょう。
 然し此処では前回の神妙剣を思い出すべきでしょう。礼を盡して相手の意見を聞き、我が意見も述べてより良い道を導き出す「以和為貴」をなさなければ居合を修業したとは言えないでしょう。

 武術的観点からこの歌の心を読み込んで見れば、敵の斬り込んでくる太刀を撥ね返そうと請け太刀になり、双方力任せの押し合いに成ったりします。
 或は敵の打込みをはねのけんとして、却って外されてしまうなど慢心のなせる動作でしょう。敵に我から斬り込んで勝負を付けたいのは少し出来るようになると皆やる事です、それを敢えて敵の打込みを待って敵の打込みを外すと同時に斬り込んで勝つ。
 土佐の居合無双直伝英信流の居合にも幾つもこの様な業は残されています、例えば大森流の受流や附込などは顕著です。ぐっと力量が上がって来れば月影や稲妻などがこの歌にあう居合らしい居合です。更に上がれば一方的に抜付るのではない前や横雲を思い描きます。
 此の歌は、難題を投げかけて来ています、もっと奥深い人と人の関係における自我意識ばかり優先させず、人を立てて生かす事を教える歌心とも言えます。
  

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2019年12月 2日 (月)

道歌1秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩)1の3居合とは

道歌
1、秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩)元禄14年1701年
1の3居合とは

居合とは人尓幾ら連須人幾ら春
     多々う希とめて堂居羅可尓かつ

読み
 居合とは人に切られず人切らず
     ただ受けとめて平らかに勝
(いあいとはひとにきられずひときらず
     ただうけとめてたいらかにかつ)

 此の歌は林崎流居合として秋田藩に天明8年1788年鈴木五右衛重喬から曲木惣内に伝承されています。伝書には林崎甚助重信の次に長野無楽槿露となっており田宮平兵衛照常が抜けています。秘歌之巻7首、千金英傳33首の29番目に記載されています。
 「居合登ハ人尓切られ春人切ら春但うけとめて平勝尓せよ」(居合とは人に切られず人切らず但受け留めて平勝にせよ・・いあいとはひとにきられずひときらずただうけとめてへいしょうにせよ)

 新庄藩には明治以降まで秘歌之大事として伝承されています。田宮流居合歌之伝には見当たりません。
 曾田本その1では、田宮平兵衛業政之歌として居合兵法の和歌の3首目「居合とは人に切られず人切らず唯請とめて平にかつ」とされています。

 居合と云うのは、人に切られる事も無く、自ら人を切るものでも無い、唯相手の思いを受け止めてお互いに理解し合う事が居合の勝となるものだ。と歌っています。
 武術は人間のコミュニケーションの最終手段と決めつけた人も居ます。過去の戦争の発端がこの教えに則っているならば武力によって競い合う事も無く、多くの「人」を死に追いやる事も無かったでしょう。
 曾田本その1の最終章に「神妙剣」として残されています事は「深き習に至ては実は事(業)無し、常に住座臥に有之事にしてニ六時中忘れて不叶事なり、彼れ怒の色見ゆるときは直に是を知って怒を抑へしむるの▢(叡智?)知あり、唯々気を見て治むる事肝要中の肝要也。
 是戦に致らしめずして勝を得る也。
 去りながら我臆して誤(謝の誤字)りて居る事とは心得る時は大に相違する也。兎角して彼れに負けざるの道也。止める事を得ざる時は彼を殺さぬ内は我れも不死の道也、亦我が誤(謝の誤字)りも曲げて勝には非ず誤(謝の誤字)るべき筋なれば直に誤(謝の誤字)るも勝也。
 彼が気を先に知ってすぐに応ずるの道を神妙剣と名付けたる也。委しくは書面にあらわし尽くし難し、心おぼえの為に其の端を記し置く也」とあります。

 (厩戸皇子)聖徳太子の「以和為貴」を素直に捉えたいものです。

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2019年12月 1日 (日)

道歌1秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩)1の2早くなく

道歌
1秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩 元禄14年1701年)
1の2早くなく

早くなく於僧くハあらし重く奈く
     かる幾事をあし幾とそ云

読み
早くなく遅くはあらじ重くなく
     軽き事を悪しきとぞ云う
(はやくなくおそくはあらじおもくなく
     かるきことをあしきとぞいう)

 この歌も明治以降の新庄藩の林崎新夢想流に伝わっています、「早くなく遅くはあらじ重くなく軽きは悪しき拍子とぞ云う」。
 また妻木正麟著詳解田宮流居合にも「早くなくおそくはあらしかるくなしおそきことをぞあしきとぞいふ」。
 曽田本その1の居合兵法の和歌には「早くなく重くあらじな軽くなく遅き事おや悪しきとぞ云」、此れを田宮平兵衛業政之歌として文政4年1821年山川幸雅先生伝として坪内清助に坪内長順より伝えています。

 仮名で書かれた和歌は、もう特殊なものになってしまい原書のまま見せられても読めないものになってしまいました。読みを入れておいても意味が通じないと云う、情けない時代でもあるのです。更に読んでも単語の意味は解っても何を言って居るのか解らないのがこの歌かも知れまん。

 何せ、「早くてもダメ、遅くては役に立たないよ、じゃ重ければどうだそれもダメ、軽ければもう全然悪い」と此の歌に言われてしまいます。
 この歌の意味を、刀の振り方の「早い、遅い、重い、軽い」位のことで論じる程度の意味合いでの歌であれば、剣術が対敵に応じる武術である事を忘れた一人遣いの棒振り踊になってしまいます。腕力を鍛え重く長い刀を打ち振って得々とするようなものです。軽くて短い刀をひょいひょいと振って見ても相手に何も感じさせません。刀や体力などで議論しているうちは、この歌から「ダメ」って言われてしまいそうです。
 居合でよく耳にするのに「重い刀を軽く振れ、軽い刀を重く振れ」とか訳知り顔に聞いたものです。是も独り芝居の殺陣まがいの演舞に過ぎないと思います。
 居合は仮想敵相手の一人演武なので「気の抜けた居合」とか「居合は業に丸味が無ければ真の居合では無い」など、とやかく言われます。
 河野百錬著「無双直伝英信流嘆異録」では「居合に限らず如何なる業も其の極致はすべて丸みが無ければならぬ事は勿論だが、居合の成り立ちが敵に対する刀法である限り、敵の心魂に貫通する(その刀に触るるすべての者に)無限の迫力のある事が第一条件で、しかもその業に丸味があり、侵すべからざる気の位ひを備へた生き活きと躍動するもので無ければ真の居合とは申しがたい。見る人をして「気の抜けた居合」と感じさせる様な居合は、元来平素修錬の乏しい人の居合にしばしば見受ける処で、初心の間は角張った、堅いゴツゴツした居合が幾千万と練磨の功を積んだ後、所謂る丸味を会得する事が道である、初心から丸味などの言葉に迷はされて日々の修練を怠る者は、所詮は終生気の抜けた居合に終わらねばならぬ」と言われています。
 是も此の歌の本意とは言えそうもありません。
 対敵意識はあったとしても相手の拍子に応じる事が語られていない様で間抜けであったり拍子抜けであったりしても良しとされそうです。

 もう一つ河野百錬著「居合道真諦」に「居合の本義は抜討の一瞬にあり。而してその修養の眼目は正・速・強・威なり」として居合の本義と眼目が語られています。
 正 とは流儀の掟に於いて体の構へ。運剣の仕方。を始め其の流儀の形を正しく身につける事。
 速 とは形の正の上に業の理合いを弁へて練磨を重ね、運剣の速度を早くする事。
 強 とは正と運剣の速の上に斬撃の効果を十分ならしめるため、当りの強みを錬磨する事。
 威 とは正速強を身に得て百錬の暁き、流儀の体を自得し、遅速、緩急、強弱を悟り、残心を会得し、而して格調高き無限の品位と風格のある境地に到達する事。
 だいぶん歌心に近づいた様ですが、形に捉われすぎて居付いてしまいそうですし、不必要な刀の速度であったり、強みを見せようとして力任せの運剣であったり、それを良しとする傾向に陥りやすく、業の理合を弁えない唯の棒振りに陥り、残心ばかり決まっているジジイの居合でしょう。
 相手の意図する事に自然に応じていく拍子を身に着けることが望まれているとミツヒラはこの歌を解します。
 同時に相手を思う処に付け込ませる活人剣の教えが見え隠れしていると思います。
 宮本武蔵の五輪書地之巻には「まづあふ拍子をしって、ちがふ拍子をわきまへ、大小・遅速の拍子の中にも、あたる拍子をしり、間の拍子をしり、背く拍子をしる事、兵法の専也。兵法の戦いに、其敵其敵の拍子をしり、敵のおもひよらざる拍子をもって、空の拍子を知恵の拍子より発して勝つ所也」と拍子について述べています。
 仮想敵を描くにも人それぞれに相当の武的力量の差が有るもので、強い早いばかりの竹刀剣道では理解できず、年と共に衰えて若者に負ける始末を嘆くことになりそうです。何も攻撃を仕掛けて来ていない仮想敵に「敵の害意を察して」という察する事も無く抜き付ける居合や、形も「順番」や「足運び」など「かたち」ばかりを良しとしていても、武術の術には至れないものです。

 中川申一著「無外流居合兵道解説」の百足伝に
 「兵法の先は早きと心得て勝をあせって危うかりけり」
 「兵法は強きを能きと思いなば終には負けと成ると知るべし」
 「兵法の強き内には強みなし強からずして負けぬものなり」

 此の歌も、前回の「千ハ品木草薬とききしかどどの病にとしらで詮なし」も冒頭から修行練磨の厳しさを免許皆伝に託して歌われていると思い知らされるばかりです。
 
 

 

 
 
 
 

 

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庚子(かのえね・こうし)

庚子(かのえね・こうし)

2020年令和2年は庚子です。
2019年4月30日を以て平成の年号を終り5月1日から令和の年号に切り替わったわけです。
令和の意味は、万葉集巻五太宰師大伴卿の宅の「梅花の歌三十二首幷に序 天平二年正月十三日、師(そら)の老(おきな)の宅(いえ)に萃(あつまる)は、宴会を申(の)ぶるなり。時に初春の令(よ)き月、気淑(よ)く風和(なご)み、梅は鏡の前の粉を披き、蘭は珮(はい)の後の香を薫らす。」の序文から「令」「和」をとり「令和」としたと聞いています。
 「令月」は良い月、素晴らしい月、ですが「令」は良いとか、跪く事を表す文字から命令するとかお告げの意味を持ちます。
 「和」はやわらぐ、なごむ、丸く収まる、一緒に解けあった様などです。
 「令和」として素晴らしい和み、良い平和。として語られますが、一方ではぐずぐず謂わずに丸く収めろと言われそうですし、荒立てずに納めろと命令調のイメージも忖度の騒ぎから思い描くのもあり得ます。
 そうならない、させないのも人民の勤めでしょう。国の概念や国土や領土と言う思いは、故郷であって然るべきですが、地球上の多くの民は、国や国土、領土よりも、国同士の争いの無い安心して生きられる社会、何処にでも自由に移り住め、どんな民族とも、宗教でも受け入れられる天国を夢見ています。
 狭い国土と人民を支配したいのは、そこの為政者なのでしょう。子供達への洗脳教育、偏った情報の発信今も行われているといえるでしょう。為政者に依る「この枠の中」での和は、これからの時代続けて行かれるのか疑問です。
 すでに、企業活動はその枠から抜け出し始めて居るのでしょう。
 令和の元号の元で新しい時代を築き上げなければ、昭和・平成・令和を生きる者は後世の笑いものになりそうです。

1、令和二年は十二支は「子(ね)」、日本では鼠(ねずみ)。十干は「庚(かのえ・こう)」庚は金陽兄でかのえ。十干十二支は庚子(かのえね・こうし)
 子(ね):頭髪がどんどんふえて伸びる様子。植物がこれから子をふやし、成長しようとするタネの状態の象形文字から。外面的には柔和、内心は小さなことでも怒気を含み、時には人情に外れた行動を起こす事も有る、本性は正直。十二支の一番目。
 庚(かのえ・こう):中央にしっかりと強い芯が通る。植物の茎が成長して固くなり、また籾の固く実る時期を意味する象形文字から。十干の七番目、五行では辛と共に金に当て、金の兄でかのえ。

2、子の諺 
 ・頭の黒い鼠(主人の目をかすめて財産をかすめる雇い人。食物などが亡くなった時、犯人はネズミでは無く人の場合に使われる) 
 ・窮鼠猫を噛む(絶体絶命の窮地では弱者も強者を苦しめるたとえ)
 ・泰山鳴動して鼠一匹(騒ぎばかり大きくて結果の極めて小さい事のたとえ)
 ・ただのネズミでは無い(一癖ある者、油断ならない者)
 ・濡れ鼠(着物のまま、びっしょり濡れる事)
 ・袋の鼠(逃れる事が出来ない事)
 ・鼠に引かれそう(家の中に一人きりで寂しい事)
 ・鼠とる猫爪を隠す(才能の有る者は、むやみに力量を出して見せびらかさない)
 ・時にあえば鼠虎になる(時を得ればつまらない者でも勢力を奮うようになるたとえ)

3、鼠を祀ってある神社
  大国主をお祭りしてある神社に狛鼠などあったりして、大国主と鼠との関わりを暗示させます。古事記の大国主神には有名な話は稲羽の素兎の話でしょう。
 須佐之男命が野原に鏑矢を射て、大国主は其の矢を取りに行かされる、野原を焼かれて焼き殺されそうになった際、鼠が出て来て「内はほらほら、外はすぶすぶ」と呪文を唱える様に教えられる。唱えると穴が開いてそこに隠れていた。火が通り過ぎると鼠が矢を持って来る。そんな話がのっています。
 狛鼠がある神社は大国主を祀ってある神社の様で、京都左京区の大豊神社が有名の様です。

4、ネズミを詠んだ俳句 
  既に、ネズミは余程でないと人の生活圏に入り込んで来ない様なので、昔の俳句を拾い読みしても意味は解っても心に響くのが無くて残念です。

 蕪村 しぐるゝや鼠のわたる琴の上
    皿を踏む鼠の音の寒さかな

 子猫を譲ってもらって飼った事が有りました。一年ほどした或日、その子が鼠をくわえて帰って来てテーブルの上に置いて得意顔して妻を見上げます。
 妻も子供の頃は鼠はよく見ていたでしょうが、鼠嫌いな妻は「捨てて来なさい」と大声で叱った。其の子は何を叱られたのか解らず、妻の剣幕におびえ逃げ出そうとして走り出し、すぐに戻って鼠をくわえて走り去ったそうです。何食わぬ顔でその日も家に戻って来たとか。
 今でもその子の話になると、思い出されます。鼠の話にならないのは何故なんでしょう。

5、60年前の庚子は1960年昭和35年です、その年生まれの有名人、令和2年に還暦の方です。
 コロッケ、山田邦子、浅野ゆう子、美保純、黒木瞳、石田りえなどの方々。

6、庚子の年を振り返ってみます。 

・昭和35年1969年
 昭和天皇
 第二次岸信介内閣
 第一次池田勇人内閣
 貿易為替自由化基本方針決定
 日米新安保条約調印
 NHKカラーテレビ本放送開始

・明治33年1900年
 明治天皇
 第二次山県有朋内閣
 第四次伊藤博文内閣

・天保11年1840年
 12代将軍徳川家慶
 ロシア船エトロフ島に漂流民護送来航
 飢饉奥羽地方死者10万人

・安永9年1780年
 光格天皇
 11代将軍徳川家治

・享保5年1720年
 中御門天皇
 8代将軍吉宗
 江戸大火
 江戸火消いろは45組設置

・万治31660年
 後西天皇
 4代将軍家綱
 伊達騒動

・慶長5年1600年
 後陽成天皇
 関ケ原の戦い

・天文9年1540年
 後奈良天皇
 将軍足利義晴
 武田信虎信濃佐久攻め
 織田信秀、大内義隆、毛利元就など活躍

・文明12年1480年
 後土御門天皇
 将軍足利義尚

・応永27年1420年 
 称光天皇
 将軍足利義時

・延文元年1360年
 北後火厳天皇
 南後村上天皇
 将軍足利尊氏

・正安元年1300年
 後伏見天皇
 将軍久明親王
 執権北条貞時
 
・仁治元年1240年
 四条天皇
 将軍藤原頼経
 執権北条泰時

・治承4年1180年
 安徳天皇
 福原遷都 
 源頼朝伊豆に挙兵

・保安元年1120年
 鳥羽天皇
 
・康平3年1060年
 後冷泉天皇

・長保2年1000年
 一条天皇
 
・天慶3年940年
 朱雀天皇
 平将門敗れる

・元慶4年880年 
 陽成天皇

ー以下略ー

7、その他
 昭和20年1945年太平洋戦争の無条件降伏から75年。旧日本軍の軍属や徴兵に依る戦争体験者も75年が過ぎて、貴重な歴史の語り部であり犠牲者の生存者も残り少なになりました。内地で爆撃に合い肉親を失った当時生まれたゼロ歳児も75歳を過ぎようとしています。
 戦争に突入していった正しい歴史認識も曖昧にされている様で、本当は何の為に戦ったのか、勝と信じていたのか、勝ったらどうしたかったのか、何の為に戦地に逝き、何の為に民間人が原爆や焼夷弾に依って殺されていったのか、為政者と軍部は同じ思想であったのか、日本人の何が戦争を肯定させたのか、何故隣国の日本批判が絶えないのか、何の為に、何故の疑問が消えないまま過ぎて行きます。何故、何故がふつふつと湧いてきます。
 広島、長崎に落とされた原爆によって多くの同胞を失いながら、原爆反対を正式にうたわない為政者の真の目的は、持てる国を強く批判する事すら見られないのはなぜでしょう。
 地球上の人々は、貧しかろうと豊かであろうと、他国によって威圧されたり理不尽に殺されたり、何処へでも自由に行けない、暮らせない事を望んでいるでしょうか。
 令和を境に誰でもが本当はこうありたいと大声で叫び、実行する地球人になりたいものです。如何なる宗教も神様・仏様も暖かく受け入れて来たこの国はもっと大きな声で力強く叫ぶ資格があるのです、その時かも知れません。
 声に出して叫ぶ事は大切な事では無いでしょうか。
 日本人の弱さであり情けないながら生き永らえた事に「居場所が無いと不安」の国民性が権力をはびこらせる原因なのに、作られた居場所が大であろうと小であろうと大人しくしているのも情けないものです。
 私が懸念する、ぐずぐず言わずに大人しく和すべきという、時代遅れの権力がはびこる事が無いことを、声を大にして言わざるを得ません。

 2020年令和2年の座右の銘は、老子から「道法自然」とする事にしました。
 老子の象元第25「人法地 地法天 天法道 道法自然」読みは「人は地に法り、地は天に法り、天は道に法り、道は自然にの法る。」
 意味は「人は大地を模範とし、大地は天を模範とし、天は道を模範とし、道は自ずからあるべき姿に従う。」道は自然、すなわち「自然であれ」といいます。
 この事はあらゆる事に適応できるもので、間違っていても師の教えに従う事が良い事なのか、間違いは正す事が正しい事なのか、大変厳しい事も含まれるでしょう。企業における方針や命令も同じ事でしょう。
 しかし、鬱々として居場所を確保して居ても心は晴れる事は無いでしょう。「心に自然に生きよう」でしょう。
 
 


  

 

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2019年11月30日 (土)

道歌1秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩)1の1千ハ品

道歌
1、秘歌之大事(林崎新夢想流 新庄藩 元禄14年1701年)
 
千ハ品木草薬と聲しかと
     と乃病尓と志らで詮なし

読み
千ハ品木草薬と聞きしかど
     どの病にとしらで詮なし
(せんやしなもくそうやくとききしかど
     どのやまいにとしらでせんなし)

 此の歌は新庄藩の林崎新夢想流の伝書にある秘歌之大事の一番目に記載されている歌で、林崎甚助源重信公資料研究委員会による「林崎明神と林崎甚助重信」平成3年1991年発行によるものです。それによると元禄14年1701年に相馬忠左衛門政住が田口彦八郎に伝授したもので、昭和58年1983年秋に最上郡金山町中田の柿崎トミヨ氏宅で発見され、同年11月1日居合振武館に寄贈され陳列されていると有ります。
 秘歌之大事は変体仮名による草書体の毛筆のもので同書の写真ではすでに読むことは困難です。従って伝書の写真の下段に「読みや易くするために天童郷土研究会長伊藤文治郎氏の筆による解読歌を付した」とされています。
 本来居合振武館で原書を見ながら解読すべきでしょうが「林崎明神と林崎甚助重信」の貴重な資料を基に解読させていただきます。一部伊藤文治郎氏と読みの違いは文字の判読及び武術ではこう読むべきとしてミツヒラの浅学も恥じずに述べさせていただきます。

 新庄藩には明治以降にも秘歌は多少変わっていても伝承された様です。「千ハ品の木草能薬と耳しかととの病尓と志らてせん奈し(ちやしなのきくさのやくとみみしかどどのやまいにとしらでせんなし)

 妻木正麟著詳解田宮流居合には田宮流居合歌之伝の中に「千ハ品草木薬と聞きしかどそのあてがひを知らでせんなし」と此の歌が伝わっています。

 歌のもつ深い意味はどの様に解釈しようといいのですが、そのまま読めば、「千に余る木や草の薬があると聞いてみても、どの病に効くのか解らなければ聞いた甲斐もない」という事でしょう。
 さて、この歌を巻頭に掲げた新庄藩の林崎新夢想流の居合心をどの様に理解すればいいのでしょう。
 前回の秘歌之大事の一首目2011年11月4日のこの歌の解釈は「いくつもの業を習ったとて、実戦ではどのような場面に有効なものか解らなければなすすべはない」としています。

 あれから8年経って、今、さてと首を捻っています。直解としては間違いのない解釈でしょう。しかし、是では8年も何をして来たことか、同じ業の同じ形を繰り返し、指導者の指導に従って稽古して来ただけで満足な人はそれでいいかも知れません。
 例えば大森流の一本目前の形を無双直伝英信流の谷村派では正面の敵に正対した抜き付け、下村派では半身の抜き付け、夢想神伝流でも半身の抜き付けなどと、初心者の稽古形をいつまでも引き摺って、型にはまらなければ「違う!」と罵声が飛んでくる始末です。
 その動作の元になる仮想敵は何時も同じ相手で同じ動作なのです。そんなバカなことはあり得ないものです。此の動作で、やすやすと斬られる想定は良しとしても、想定はこの業一つでも幾つもあり得るものです。
 相手の身長や、攻撃の進捗状況によっても目標の抜き付け位置は変わって当たり前、それに瞬時に応じられる事が修行であって、決められたことだけを見事にやるのは武的踊りの練習に過ぎないでしょう。
 林崎甚助重信の居合の根元は「柄口6寸」にあります。敵の柄を握る小手に抜き付けるものです。現代では横一線の抜き付けは右肩、首、コメカミです、相手は我と同じ身長です。それでもこれだけ抜き付けの位置が大まかになっているのに、抜き付けた切先は右肩よりやや低くだそうです。そんな都合の良い相手など居るわけもない。
 身長も、相手の攻撃の状況も違う状況の中で「柄口6寸」に抜き打つ稽古は、それこそ寸刻みの高さで抜付ける稽古、相手との距離の違いに応ずる、体裁き、先を取られた時の請けるか外すかその同時に斬り付ける工夫、これはもう修行そのものです。
 現代居合の目録はせいぜい72本程度のことです、神傳流秘書の業名だけでもたった150程度のものです。千に余る業など目録からではありえませんが、一つの業から幾重にも応じられる稽古を重ねればそれを越えてしまうでしょう。それを瞬時に演じられなければ実用に役立たない唯の体操か武的舞踊に陥ってしまうものです。
 そのような「相手の状況に応じ、幾重にも変化する業技法を身に着けない限り目録の形だけでは稽古した甲斐は無い」と秘歌之大事の一番目に諭されている様に思うこの頃です。
 
        

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2019年11月29日 (金)

曾田本その2を読み解く50神道無念流居合幾つか50の12本目

曾田本その2を読み解く
50、神道無念流居合幾つか
50の12本目

太田龍峰著中山博道校閲「居合読本」神道無念流(立居合12本)12本目
意義
前進中敵に先だち抜打ちをなし、敵の之に応ずるを切り返して倒す動作である。
動作
第1、右足より前進し二歩目(左足の地につくや)に刀を抜き三歩目に敵の正面を切る。
第2、切り返しをなす(第2本、第4動に同じ)。
 「両手で刀刃を上方にし刀刃を以て敵の刀を払ひ流し(此際刀尖は其位置を変ずることなく左拳を刀尖より稍々上ぐ)、同時に左手を中心にして刀を右肩の方面に転回しつゝ左足を左前方に踏み開き右足を左足の後方にひき敵の右肩より左斜下方に切り下ぐ。
第3、刀を収む。

曾田本その2神道無念流(立居合12本)12本目
意義
前進中敵(に)先に抜打をなし敵の之に応ずるを切り返し倒す也。
動作
第1、右足より前進二歩目左足にて刀を抜き三歩目に敵の正面を切る。
第2、切り返しをなす2本目第4動に同じ
 「両手で刀刃を上にし刀刃を以て敵の刀を払流し(此時刀尖は其儘に左拳を刀尖より稍上ぐ)同時に左手を中心に右肩より冠りつゝ左足を左前方に踏み右足を左足の後に引き敵の右肩より八相に切下ぐ」。
第3、納刀

 第1動では右足、左足と歩む時刀を抜き、左手を柄に添え上段に振り冠って三歩目右足を踏み込み敵の正面を切る。右足前のまま、右霞に構え敵を攻め、敵が打ち込んで来る刀を払い流す。
 右霞とは刀柄を握った右手の甲を下に左手の甲を上にして刀刃を左にし、切先を敵に向ける、此処では刀刃を上にし刀刃を以て敵の刀を払い流す。同時に右肩から上段に振り冠り、左足を左前方に踏み右足を左足の後方に引き、敵の右肩より左斜下(逆八相)に切り下げる。残心納刀。

木村高士著「長州藩相伝神道無念流」より大村藩無念流立居合業手付12本目前敵
 三歩進んで敵の正面を抜打つ。切返し、血振い、納刀は前に同じ。

木村高士著「長州藩相伝神道無念流」より戸賀崎無念流立居合業手付12本
 歩行中左足が出たとき刀を上に抜き、右足を踏み出し諸手で「矢」と前敵の真甲に打込む。素早く右足を進め「当」と霞み、左斜前に変って「鋭」と切返す。正眼に攻めて納刀する。
 最後の一刀は総て真剣なれば真二つに斬る可き意なり。後ち己を守る事。
 究練磨、自然自知活発、刀勢鋭く姿勢正しく。と本参考書末尾に真剣勝負の厳しさと、修行練磨の心得が書き加えられている。

 12本目は夫々の業手付に大きな違いは無い様です。 但し一刀目の「抜打」は刀を上に抜き上げ手を返して上段に振り冠り真向に切り下すと「敵の正面を切る」から想定していますが、どの様な敵の状況なのか記載されていませんので居合らしい抜刀ならば、歩行中敵が刀を抜き上段に振り冠って我が真向に打込んで来るのを、我は刀刃を左に向け柄を正中線上の上に抜き上げ敵刀を摺り落すや、上段に振り冠って敵の真向に切り下す。敵一歩退いて之を外すや、右霞で敵を攻め敵打込んで来るのを切り返す、など可想敵を動かしながら無双直伝英信流の業技法で応じて見ました。大村藩の場合は、どの様に抜打つのか、抜けが有ってわかりません。

 以上を以って曾田本の神道無念流立居合12本を読み解いてみました。太田龍峰先生の居合読本、木村高士先生の長州藩相伝神道無念流をお借りして神道無念流体居合12本の曾田本に記載されている居合を紐解いて見たのですが、他流の事故之で良しとは言えないかも知れません。 貴重な資料をありがとうございました、更にご教示賜れば無上の喜びです。 
 ミツヒラこと松原昭夫

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2019年11月28日 (木)

曾田本その2を読み解く50神道無念流居合幾つか50の11本目

曾田本その2を読み解く
50、神道無念流居合幾つか
50の11本目

太田龍峰著中山博道校閲「居合読本」より神道無念流(立居合12本)11本目
意義
概ね第10本に同じであるが、敵、退却することなく、我、却って敵に追ひ詰められ後退しつゝ敵を切り倒す動作である。但し最初停止して居るのではなく、前進中敵に出合ったものとするのである。
動作
第1、右足より前進中右足の地につくや僅かに後退して刀を抜く(第1本第1動に同じ)。
 「右足より前進し二歩目(左足の地についた時)右手の拇指を下方より其他の指を上方より鍔元近く刀柄を握り右足(三歩目)を出すと同時に右手を以って刀を抜き(此時左手で鞘を前方に出す気持ちを加へ後方に振り上げ上体を左斜にして十字形を為し左足は右足につれ前方に送り概ね左足尖を右踵に接する如くあらしむ)敵の右肘を下方より切り上ぐ。
第2、第10本、第2、第3動に同じであるが、右足より後退しつゝ行くのが異ってゐる。
 「第2動:左足より二歩前進し敵の正面を切る(右足より二歩後退し敵の正面を切る)」。
第3、右同
 「第3動:刀を青眼の儘で、刀を敵に突きつける姿勢で二歩前進す(刀を青眼の儘で、刀を敵に突きつける姿勢で二歩後退す)」
第4、第10本、第4、第5動に同じ。
 「刀を上段にして残心を示す」。
第5、右同。
 「刀を青眼に復してこれを収む」。

曾田本その2神道無念流(立居合12本)11本目
意義
大体10本目と同じなるも、敵、退却せず我却て敵に追い詰められ後退しつゝ敵を切り倒す也、但し最初停て居るにあらず前進中敵に出会たるものとす。
動作
第1、右足より前進中右足の地につくや僅かに後退して抜刀(1本目第1動に同じ)。
 「右足より前進し二歩目左足にて柄を握り三歩目右足を出すと同時に抜刀(此時左手で鞘を前方に出す気持を加へ後方に振り上げ上体を左斜にして十文字形をなし左足は右足につれ前方に送り左足先を右踵に接する如くする)敵の右前肘を下より切り上ぐ」。
第2、1本目第2、第3動に同じであるが右足より後退しつゝ行くのが異なる。
 「1本目第2動:次に右手を左肩より振り冠り左手を添へ右足を一歩引き敵の正面を切る」
第3、右同
 「1本目第3動:更に右足一歩進め真向より正面を切る(更に左足一歩退き真向より正面を切る)」。
第4、10本目第4、第5動に同じ。
 「10本目第4動:次に上段にて残心を示し」。
 「10本目第5動:正眼に直り納刀」
第5、右同

 曾田本と居合読本とは切り上げて後の一刀目、二刀目の足裁きが違う様です。曾田本は切上げた時の右足を退きつつ上段になるや右足を地につくや敵の正面に切り下す、更に左足を一歩退きつつ上段になるや左足が地につくや敵の正面に切り下す。
居合読本は、右足踏み込んで切り上げた時、右足左足と退き真向に切り下し、更に右足左足と退いて真向に切り下しています。この違いから曾田本が引用した神道無念流立居合12本の出典が居合読本では無かったかもしれないとまた思ってしまいます。曽田先生も業を自分流にいじる癖があったかもしれません。

木村高士著「長州藩相伝神道無念流」より大村藩無念流立居合業手付11本目
 進行中、右足が床についたとき、素早く左足を右足に引き揃えて抜刀する。(-右足より後退し、左足後で切り上げる・・長州藩相伝)右左足と後退しながら刀を上段に冠り前敵の正面二打込む。中段、二歩後退して上段となり残心を示す。(-二歩前進して上段残心を示す‥長州藩相伝)晴眼に構える。血振い、納刀は前に同じ。

木村高士著「長州藩相伝神道無念流」より戸賀崎無念流立居合業手付11本目
 その場で右足を踏み出し、下方から逆袈裟に切上げ、切先は前敵の左首の高さとなる。更に二足一刀に攻め「当」と真甲に打込む。左、右足を進んで上段に冠り、右足から一歩攻めて中段となる。正眼に攻める。納刀。

 大村藩も戸賀﨑居合も、最初から攻め一方の姿勢です。

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2019年11月27日 (水)

曾田本その2を読み解く50神道無念流居合幾つか50の10本目

曾田本その2を読み解く
50、神道無念流居合幾つか
50の10本目

太田龍峰著中山博道校閲「居合読本」より神道無念流(立居合12本)10本目
意義
敵に接近しある際、敵、刀を抜かんとするのに対して動作するも、敵、退却せるにより之を追詰めて切り倒す動作である。
動作
第1、右足を一歩出すと同時に刀を抜き敵の前肘を切る(第1本、第1動に同じ)。
 「右足より前進し二歩目(左足の地についた時)右手の拇指を下方より其他の指を上方より鍔元近く刀柄を握り右足(三歩目)を出すと同時に右手を以て刀を抜き(此時左手で鞘を前方に出す気持ちを加へ後方に振り上げ上体を左斜にして十字形をなし左足は右足につれ前方に送り概ね左足尖を右踵に接する如くあらしむ)敵の右前肘を下方より切り上ぐ」。
第2、左足より二歩前進し敵の正面を切る。
第3、刀を青眼の儘で、刀を敵に突きつける姿勢で二歩前進す。
第4、刀を上段にして残心を示す。
第5、刀を青眼に復しこれを収む。

曾田本その2神道無念流(立居合12本)10本目
意義
敵に接し居る時敵刀を抜かんとするに対し動作する敵退きたるにより之れを追詰めて切り倒す也。
動作
第1、右足を踏み出すと同時に抜刀敵の左前肘を切る1本目第1動同
 「右足より前進し二歩目左足にて柄を握り三歩目右足を出すと同時に抜刀(此時左手で鞘を前方に出す気持ちを加へ後方に振り上げ上体を左斜にして十字形をなし左足は右足につれ前方に送り左足先を右踵に接する如くする)敵の右前肘を下より切り上ぐ。
第2、左足より二歩進み正面を切る。
第3、次に青眼のまゝ突き付けながら二歩進む。
第4、次に上段にて残心を示し。
第5、青眼に直り納刀。

 居合読本も曾田本も動作は同じで、敵の抜かんとする右前肘を切り上げ、追い込んで真向に斬る。追い込む際の構えは左足踏み込み刀を左から上段に取り、右足踏み込んで真向に斬りこむので良さそうです。青眼に構えて左右と前進しつつ上段に構えて残心、其の足の儘青眼に復し、納刀。

木村高士著「長州藩相伝神道無念流」より大村藩無念流立居合業手付10本目
 その場に抜刀して諸手で上段に冠る。右足を踏み出して敵の正面に打込む。(-敵の右肘を切上げる・・長州藩相伝)更に、二足一刀で霞に攻め入り上段より真向水月まで打込む。中段となり左、右足と二歩攻め入り上段に冠り残心を示す。正眼に構える。血振い、納刀は前に同じ。

 小村藩無念流立居合10本目は、立ったままその場で刀を上に抜き上げ、諸手上段となり、右足を踏み込んで真向に斬り下すのですから、居合読本とも長州藩相伝とも異なります。文章の通りゆっくり大きくやっていたのでは何拍子になるでしょう。此処は刀を、刃を左に向け敵が打ち込んで切手も摺り落せる運剣で抜き上げるや拳を返して刃を正面に向け切り下すや左手を柄に添えて水月迄切り下す、敵怯んで後退知るを左足を踏み込み上段に振り冠り右足を踏み出し真向に水月迄切り下す。左右足と追い進み上段残心、正眼に直り、横血振り、納刀。
 無双直伝英信流正統会の附込の抜刀を立業で応じて見ました。然し読み進むに従い神道無念流居合は鞘の内からの抜き付けで相手に致命傷を負わせるか攻撃できない状況に追い込む無双直伝英信流の居合とは雰囲気が違います。抜打が不十分でも二刀目、若しくは三刀目で切り倒す神道無念流の居合とはその精神が違うのでしょう。

木村高士著「長州藩相伝神道無念流」より戸賀崎無念流立居合業手付10本目
 前の如く刀を頭上に抜く。右、左足と後退しながら上段に冠り「当」と前敵真甲に打込む。左足を右足に引き揃えて、その場に両足で飛び上り天上段となる。刀を徐々に下におろしながら右足を出し、前項の如く正眼に攻める。納刀。

 戸賀崎居合の独特な処は、斬りこむ時に「当」「鋭」「矢」戸の掛声を出す事。此の業に見られる「その場に両足で飛び上る」事。此の業では刀を頭上に抜き上げ右、左と後退しながら上段に冠り真甲に打ち込んでいます。他の教えが抜刀し、攻め込んでいます真甲に打ち込んでいます。此の場合の飛び上がり「天上段」に構える意味が何処にあるのか、解説されていませんが、此処では十分に敵を切った後に飛び上がって右弾に振り被り残心の様です。何時何処で他と異なる動作が行われるようになったのか興味のある処です。 

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2019年11月26日 (火)

曾田本その2を読み解く50神道無念流居合幾つか50の9本目

曾田本その2を読み解く
50、神道無念流居合幾つか
50の9本目

太田龍峰著中山博道校閲「居合読本」より神道無念流(立居合12本)9本目
意義
敵の刀を抜かんとする前肘を切るも(第1本に同じ)敵之れを脱し我胴を切り来るに対し変化して切り倒す動作である。
動作
第1、第1本、第1動に同じ。
 「右足より前進し二歩目(左足の地についた時)右手の拇指を下方より其他の指を上方より鍔元近く刀柄を握り右足(三歩目)を出すと同時に右手を以って刀を抜き(此時左手で鞘を前方に出す気持ちを加へ後方に振り上げ上体を左斜にして十字形をなし左足は右足につれ前方に送り概ね左足尖を右踵に接する如くあらしむ)敵の右前肘を下方より切り上ぐ」。
第2、刀を頭上に被りつゝ右足より二歩後退し、刀の鎬ぎを以って敵、刀を下方に圧し、敵の我が胴を切り来るを防ぐ如く刀を体の右前下方に持ち来る(此時右足は左足に着く如く引き寄せる)。
第3、刀を其状態の儘少しく上げつゝ僅に前進す、此際左足は右足につく如く送り込む(敵を襲ふ気持なり)。
第4、切り返しをなす(第2本、第4動に同じ)
 「両手で刀刃を上方にし刀刃を以て敵の刀を払ひ流し(此際刀尖は其位置を変ずることなく左拳を刀尖より稍々上ぐ)同時に左手を中心にして刀を右肩の方面に転回しつゝ左足を左前に踏み開き右足を左足の後方にひき敵の右肩より左斜下方に切り下ぐ」。
第5、刀を収む。

曾田本その2神道無念流(立居合12本)9本目
意義
敵の抜かんとする前肘を切るも(1本目に同じ)敵之れを弛し我が胴を切り来るに対し体を変えし切り倒す。
動作
第1、1本目第1動に同じ
 「右足より前進し二歩目左足より柄を握り三歩目右足を出すと同時に抜刀(此時左手で鞘を前方に出す気持を加へ後方に振り上げ上体を左斜にして十字形をなし左足は右足につれ前方に送り左足先を右踵に接する如くする)敵の右前肘を下より切り上ぐ」。
第2、上段のまゝ右足より二歩退き次に鎬を以って敵刀を下方に押へ、敵我胴を切り来るを防ぐ如く刀を体の右前下方に持ち来る此の時右足を左足に引き付くる。
第3、次に青眼に直りつゝ少し前進す此の時左足は右足につく如く送り敵を襲う気持なり。
第4、次に切り返しをなす2本目第4動に同じ。
 「両手で刀刃を上にし刀刃を以て敵の刀を払流し(此の時刀尖は其儘位置にて左拳を刀尖より稍上ぐ)同時に左手を中心に右肩より冠りつゝ左足を左前に踏み右足を左足の後に引き敵之右肩より八相に切下ぐ」。
第5、次に納刀。

居合読本と曾田本では少々文言がことなる処が有りますが、ほぼ同じと見ていいでしょう。曽田先生も何故文言を変えたのか、或いは居合読本以外の資料によったのか疑問です。
 些細な文言の違いとは言え第3動で居合読本は「刀を其状態の儘少しく上げつゝ僅かに前進す」。曾田本は「青眼に直りつゝ少し前進す」。敵が我が胴に斬りこんで来るのを、裏鎬で右前下方に押さえ(圧し)た後の動作ですが、此処は敵が後退するならば曾田本の青眼は成り立つでしょうが、居合読本の方が良さそうです。神道無念流立居合は相手の状況は細部にわたって書かれて居ませんから此処は仮想敵の動きは自分で想像して第3動から第4動に繋いでいくのでしょう。

木村高士著長州藩相伝神道無念流より大村藩無念流立居合業手付9本目
 三歩進んで前方に抜刀。(ー1本目のように敵の右肘に切上げる・・長州藩相伝)敵が胴に打ち込んで来るので、僅かに左足を引き、続いて右、左と大きくこうたいして、右腰脇で刀の裏鎬をもって敵刀を払い落す。素早く晴眼で一歩攻める。再び打込んで来る敵刀を切返して右肩へ打込む・血振い、納刀は前に同じ。

 大村藩神道無念流立居合は敵と我との攻防が読めますが、「三歩進んで前方に抜刀」ではどうしていいか分からない。
 1本目は「敵の右肘を下方より刀に反りをうたせながら抜付け切上げる」。
 2本目は「三歩進んで、左足を僅かに引き上段に冠る。右、左足と二歩後退して真向に打込む」。
 3本目は「右足より三歩進み、右足が床についたとき左回り後方に向き、同時に抜刀し、右足を踏み出して上段から真向に打込む」。
 4本目は「三歩進んで後敵に目を注ぎ、右片手で刀を低く抜き、刃を上にして左上膊部に支え後敵を刺突す」。
 5本目は「三歩進んで左足を軸に右に向き、右足を一歩踏み出すと共に頭上に抜刀し、右敵の正面に打込む」。
 6本目は「三歩進んで右足の出たところで抜刀し、右足を軸に左に向き、左足を右足の後に引き、上段から左敵の正面に打込む」。
 7本目は「三歩進んで抜刀、右足を軸に左足を右足の後に引き右に向き、真向より右敵の正面に打込む」。
 8本目は「その場において右足を踏み出し、諸手で横一文字に抜付ける。
 9本目は「三歩進んで前方に抜刀。敵が胴に打込んで来るので、僅かに左足を引き、続いて右、左足と大きく後退して右腰脇で刀の裏鎬追をもって敵刀を払い落す」。
 居合と言えるか、抜いてから構えて切るのでは疑問を感じてしまいます、がこれも文章表現の仕方によると思えばそうかもしれません。然し9本目などは長州藩相伝は「前方の敵に下方から抜付ける、前敵は身を転じて我が胴を打って来るので、右足から二歩後退しながら左回りに刀を上段に冠り、敵の刀を刃をもって右前下に打ち払う」。と明快に居合抜から始まっています。

木村高士著「長州藩相伝神道無念流」より戸賀崎無念流立居合業手付
 前の如く刀を頭上に抜く。右、左足と後に引き、諸手で柄を握り、切先を左から小さく上に回して刃を前に向け敵刀を抑える。このとき、体重は後左足にかけ、切先は膝の高さとなる。右足を進め「当」と霞み、左斜前に変って「鋭」と切返す。正眼に攻める。納刀。

 戸賀崎居合も大村藩と同様です。鞘の内からの抜打を居合と思い込んでいる無双直伝英信流では之は居合ではないと思ってしまいます。恐らく元は居合としての抜打が稽古されて来たのでしょうが、抜打によって敵を一刀のもとに倒していない事からこの様な抜いてしまってからの動作にポイントがずれて行ったのかも知れません。其の辺のことは神道無念流にどっぷりつかって考えなければならないかもしれません。

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2019年11月25日 (月)

曾田本その2を読み解く50神道無念流居合幾つか50の8本目

曾田本その2を読み解く
50、神道無念流立居合幾つか
50の8本目

太田龍峰著中山博道校閲「居合読本」より神道無念流(立居合12本)8本目
意義
勉めて敵に接近してから抜き打ちをなすも敵後退せるにより追詰めて切倒す動作である。
動作
第1、其場で抜刀し右足を一歩出して正面を切る
第2、左足より二歩前進して切る。
第3、第2本、第4動に同じく切返しをなす。
 2本目第4動:「両手で刀刃を上にし刀刃を以て敵の刀を払ひ流し(此際刀尖は其位置を変ずることなく左拳を刀尖よる稍々上ぐ)同時に左手を中心にして刀を右肩の方面に転回しつゝ左足を左前方に踏み開き右足を左足の後方にひき敵の右肩より左斜下方に切り下ぐ」。
第4、刀を収む。

曾田本その2神道無念流(立居合12本)8本目
意義
勉めて敵に接して抜打するも敵後退するにより追詰めて切倒す也
動作
第1、其場にて抜刀右足を一歩出し正面を切る。
第2、左足より二歩前進して切る。
第3、2本目第4動の如く切り返し
 2本目第4動:両手で刀刃を上にし刀刃を以て敵の刀を払流し(此の時刀尖は其位置にて左拳を刀尖より稍上ぐ)同時に左手を中心に右肩より冠りつゝ左足を左前に踏み右足を左足の後に引き敵の右肩より八相に切下ぐ」。
第4、納刀

 この業の分らない動作は、第1動です。無双直伝英信流では大森流の附込の抜刀から切り下す抜打ちでしょう。柄を持つ右手を正中線上に刀を抜き上げ刀刃は左外に向けて抜刀するや手を返して上段に振り冠り右足を踏み込み正面の敵の真向に打込む。
 続いて、左足、右足と前進して後退する敵を追い詰め上段から切下す。右霞に攻め込むと敵我が真向に打込んで来る処、切先を敵に付け、刃を上に左手を稍々高くして、敵刀を払い流し右肩より冠りつつ、左足を左前に踏み込み、右足を左足の後に引き、敵の右肩より逆八相に切り下げる。納刀。

木村高士著長州藩相伝神道無念流より大村藩無念流8本目
 其の場に於いて右足を踏み出し、諸手で横一文字に抜付ける。(ー真向正面に抜付ける 長州藩相伝)更に、二足一刀で前敵の正面に打込む。前敵が打込んで来るので、切返して敵の右肩に打込む。以下、前の業に同じ。

 大村藩の8本目の抜打ちは「諸手で横一文字に抜きつける」、左右と二足一刀で前敵の正面に打込む。更に「前敵が正面に打ち込んで来るので切り返し敵の右肩へ打込む」曾田本の敵刀を切返し(払流し)は神道無念流の右霞ですから「刀柄を握った右手の甲を下に左手の甲を上にして刀刃を左にし、切先を前敵に向ける。」となり打ち込まれて、敵刀を切り返して敵の右肩に打込む。

木村高士著「長州藩相伝神道無念流」から戸賀崎無念流立居合業手付
 直立の姿勢から素早く右手で刀を上に抜き上げ、左手を添えて右足を踏み出し「矢」と前敵の真甲を打つ。更に、二足一刀をもって攻め込み上段から「当」と正面真甲に打込む。右足を進め「矢」と右霞となり、左斜前に変って敵刀を切返しながら右足を左足の後に引き「鋭」と右面を打つ。正眼に攻め、納刀。

 戸賀崎居合は、我は刀を抜き上げ左手を添えて右足を踏み出し「矢」と前敵の真甲を打つ。二足一刀に攻め上段から「当」と真甲に打込む。敵我が真甲に打ち込んで来るや右霞で切り返して「鋭」と敵の右面を打つ、正眼、納刀。

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2019年11月24日 (日)

曾田本その2を読み解く50神道無念流居合幾つか50の7本目

曾田本その2を読み解く
50神道無念流居合幾つか
50の7本目

太田龍峰著中山博道校閲「居合読本」より神道無念流(立居合12本)第7本:
意義
前方右方の敵に対する動作(第6本に同じ)。
 意義
 「前方右方の敵に対するも右方の敵、最初我に近寄りすぎた為めに進出して切る事能はず、従って其場に於いて切り、次いで敵後ろに倒るゝを以って其儘進んで残心を示す」。
動作
第6本と全く同じであるが、但し右方にするだけ異ふ。
 第1、右足より前進し二歩目(左足の地についた時)右手の拇指を下方より其他の指を上方より鍔元近く刀柄を握り右足(三歩目)を出すと同時に右手を以って刀を抜き(此時左手で鞘を前方に出す気持ちを加へ後方に振り上げ上体を左斜にして十字形をなし左足は右足につれ前方に送り概ね左足尖を右踵に接する如くあらしむ)敵の右前肘を下方より切り上ぐ」。
 第2、左足を軸として右足を左足の後方にひき右向きをなし右正面を切る
 第3、左足を右足の所にひき刀を頭上に振り上げ左足を出して切る。
 第4、右足より二歩前進する(此際刀は青眼とする)。
 第5、刀を上段にして残心を示し。
 第6、青眼に復し刀を収む。

曾田本その2神道無念流(立居合12本)7本目
意義
前方の右方の敵に対する動作(6本目に同じ)
 意義「前方右方の敵に対するも右方の敵、最初我に近寄り過ぎた為めに進出して切ること能はず、従て其場に於て切り、次で敵後ろに倒るゝを以って其儘進んで残心を示す。
動作
6本目と替ることなし、左方と右方との異なるのみ。
 第1、1本目第1動「右足より前進し二歩目左足にて柄を握り三歩目右足を出すと同時に抜刀(此時左手で鞘を前方に出す気持を加へ後方に振り上げ上体を左斜にして十字形をなし左足は右足につれ前方に送り左足先を右踵に接する如くする)敵の右前肘を下より切り上げぐ」。
 第2、「左足を軸とし右向となして右正面を切る」。
 第3、次に左足を右足に揃へ上段となり左足にて切る。
 第4、次に中段の侭右足より二歩進み。
 第5、上段残心を示し
 第6、青眼に直り納刀

 7本目の意義は前および右敵に対するものですが、6本目と同じであれば「右方の敵、最初我に近寄り過ぎた為めに進出して切ること能はず」であるはずです。
 まず第1動、居合読本の前敵の切り上げは柄握りを解説していますが曾田本その2には柄握りは解説なしです。切上げの柄握りは順手で良いので解説不要でしょう。
 第2動の右敵への斬り付けで居合読本は左足を軸に右足を後方に引いて右敵を切っていますが、曾田本その2では右向きと成ったらそのまま切っている様な文章です。これでは右敵が近寄り過ぎて居る事に応ずる刀法とは言えません。敢えて肩を持てば、右足を踏み込み前敵を下から切り上げ右足に左足を引き付けて左足を軸に右に向きますから、右敵の間が近ければその足の侭か、右足若しくは左足を引いて調整するのは当然としたのでしょう。であればその様に書いておくべきです。
 第3、で「左足を右足に揃へ上段となり左足にて切る」と曾田本にあります。第2動を左足前で切っているのか、右足前で切ったのかで、斬る際の足踏みが、左足前で切って居れば左足を右足に引き付けて左足を踏み込み切る。右足前で切って居れば左足を前足の右足に引き付け左足を更に踏み込み切る。間の取り方に違いが出るもので修行が進んで間と間合いが十分把握できるようになってから行うべきで初めは居合読本の様にすべきでしょう。
 以下は取り立てて見るものはありません。無双直伝英信流には無い攻めと残心そして納刀の神道無念流らしい仕草と言えるでしょう。

木村高士著「長州藩相伝神道無念流」より大村藩無念流立居合業手付7本目
 三歩進んで抜刀、右足を軸に左足を右足の後に引き右に向き、真向より右敵の正面に打込む。更に右足を左足に引きつけ正面に打込む。左、右と霞に二歩攻め入り上段残心を示す。晴眼となって血振い、納刀は前に同じ。

 大村藩の7本目で足の引き様が居合読本や曾田本と違う、それは前敵への切上げの際の足s履きに由来します。「右足より三歩進み、右足が床につくと同時に、敵の右前肘を下方より刀に反りをうたせながら抜き付け切上げる。右足を左足に引き揃えて・・」とありますから、踏み出した右足を後足の左足に引付て右足を軸に右に回り左足を引いて打込むのです。
 居合読本も曾田本も右足を踏み込んで前敵に下から切上げ、左足を右足に引き付ける動作と異なるわけです。大村藩では更に右足を左足に引付て切っていますから、これは、右足を再び踏み込んで切るかどうか手付は語らずです、更に退いたまま切るかで右敵が切られても攻めて来る想定になるのです。
 それから右左と前進して右霞で攻め上段残心、晴眼となって横血振り納刀。居合の敵は仮想敵です、相手の出方に依り如何様にも業が変化して当然です。師匠の癖や武術の力量、哲学によって元の業は限りなく動くものです。時々気の付いた者が元へ戻すことに心血を注がなければ武術が踊りになってしまうのです。

木村高士著「長州藩相伝神道無念流」より戸賀崎無念流立居合業手付 7本目
抜付は前に同じ。右足を軸にして左回りに左足を右足の後に引き、右から上段に冠り左手を柄にかけ諸手で「当」と左敵の正面真甲を打つ。更に、右、左と後退し「当」と腰撓(こしだめ)に打込む。以下。6本目に同じ。

抜付けは「三歩進んで間に入るや「矢」と、右手を水平にして前敵に抜付ける。抜付けたとき、刀は水平にして切先は眼の高さ、刀刃は斜め左に向く。左手は鞘を放して、後方水平になるまで腕と指も伸ばす」所謂横一線の抜き付けです。切先は眼の高さですから稍々斜め上に向いている。「後方水平になるまで・・」は説明がありませんが鞘が水平なのかなと思います。
 「右足を軸にして左回りに」ですからこれは他流の6本目に相当します。前敵を水平に抜き付け、左敵に振り向いて左足を右足の後方に引いて、左敵の正面真甲を打つ、敵怯まずに攻めて来るので、右足、左足と後退し「こしだめ」に打込む。とはどうしたら要求を充たせるか不明です。退きながらの攻防は腰が引けない様にぐっと丹田に気を充実させて打込むのでしょう。

 

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2019年11月23日 (土)

曾田本その2を読み解く50神道無念流居合幾つか50の6本目

曾田本その2を読み解く
50、神道無念流居合幾つか
50の6本目

太田龍峰著中山博道校閲「居合読本」より神道無念流(12本)立居合第6本目:
意義
前方左方の敵に対するも左方の敵、最初我に近寄りすぎた為めに進出して切ること能はず、従がって其場に於いて切り、次で敵後に倒るゝを以って其儘進んで残心を示す。
動作
第1、第1本、第1動に同じ。
 第1本第1動:「右足より前進し二歩目(左足の地についた時)右手の拇指を下方より其他の指を上方より鍔元近く刀柄を握り右足(三歩目)を出すと同時に右手を以って刀を抜き(此時左手で鞘を前方に出す気持ちを加へ後方に振り上げ上体を左斜にして十字形をなし左足は右足につれ前方に送り概ね左足尖を右踵に接する如くあらしむ)敵の右前肘を下方より切り上ぐ。」
第2、右足を軸として左足を右足の後方にひき左向をなし左正面を切る
第3、右足を左足の所にひき刀を頭上に振り上げ右足を出して切る
第4、左足より二歩前進する(此際刀は青眼とする)。
第5、刀を上段にして残心を示し。
第6、青眼に復して刀を収む。

曾田本その2神道無念流(立居合12本)6本目:
意義
前方左方の敵に対するも左方の敵最初我に近寄り過ぎた為めに進出して切ること能はず、従て其場に於て切り、次で敵後ろに倒るゝを以て其侭進んで残心を示す。
動作
第1、1本目第1動に同じ。
 1本目第1動:「右足より前進し二歩目左足にて柄を握り三歩目右足を出すと同時に抜刀(此時左手で鞘を前方に出す気持を加へ後方に振り上げ上体を左斜にして十字形をなし左足は右足につれ前方に送り左足先を右踵に接する如くする)敵の右前肘を下より切り上ぐ。
第2、右足を軸とし左向となり左正面を切る
第3、次に右足を左足に揃へ上段となり右足にて切る
第4、次に中段の侭左足より二歩進み。
第5、上段の残心を示し。
第6、青眼に直り納刀。

 6本目は右足を踏み込み下から切り上げ、左足を右足に引き付ける。左足を軸とし左に向き直り、左足を右足の後方に引いて近寄り過ぎた敵との間合を調節して右足前で左の敵の正面を切る。
 此の時曾田本は「左足を軸として左向きとなり左正面を切る」ですから切る際左足も右足も引いていません、近寄り過ぎた敵に何らする事も無く斬り付けています、此処は曾田本の写し忘れとしておきます。
 次は、右足を左足に引付つつ上段となり敵の様子を推し測り、間を外し、再び右足を踏み込んで切る。上段に振り冠って残心、敵倒れるや青眼に直り納刀。
 曽田本の文章は第2、第3とも居合読本と異なる処が有ります。また、長州藩相伝では前敵へ切り上げる際左足を右足に送らず。左へ振り向く初動に右足を左足に僅かに引いてから、右足を軸に左へ向きます。

木村高士著「長州藩相伝神道無念流」より大村藩無念流立居合業手付 6本目左敵:
 三歩進んで右足の出たところで抜刀し、右足を軸に左に向き、左足を右足の後に引き、上段から左敵の正面に打込む。更に、右足を左足に引きつけて正面に打込む。左、右足と霞に二歩攻め入り上段となり残心を示す。晴眼となって血振いをする。納刀は前に同じ。

 正面の敵は右前肘を切り上げられるので曾田本と同じ、(左足に引き付け)右足を軸に左に向き左足を後方に引いて左敵に討ち込む、更に右足を左足に引きつけ(右足を踏み込んで)正面に打込む。、左足右足と二歩右霞に構え攻め進み、上段に構え残心、刀を下し青眼となり(刀を小さく横に振って)血振り納刀。

木村高士著「長州藩相伝神道無念流」より戸賀崎無念流立居合業手付 6本目:
 抜付は前に同じ。
 「三歩進んで間に入るや「矢」と、右手を水平にして前敵に抜付る。抜付けた時、刀は水平にして切先は眼の高さ、刀刃は斜左に向く。左手は鞘を放して、後方水平になるまで腕と指も伸ばす。」
 右足を左足に寄せながら右敵に向かい、刀刃上段に冠って右足を出し「当」と真甲を打つ。右、左足と後退して腰を引き、左膝を曲げ、左足に体重を載せ上段に冠り、右敵の正面に、切先は膝の高さまで打込む。更に、左、右足と進みながら刀を上段にとり、右足から一歩進んで中段正眼の構えとなる。正眼に攻め、納刀。

 この戸賀崎居合6本目は敵は前・右となっていて他の手付けと異なります。前敵に右足を踏み込み水平に抜き付け、右足を左足に引きつけ、左足を軸に右敵に向かい上段から「当」と真甲を打つ。右、左足と後退して腰を引き、左膝を曲げ、左足に体重を載せ上段に冠り、右敵の正面に、足はそのまま、切先は膝の高さまで打込む。
 更に左、右足と進みながら上段に冠るり、右足から一歩進んで中段正眼の構えとなり青眼に攻め残心、納刀。


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2019年11月22日 (金)

曾田本その2を読み解く50神道無念流居合幾つか50の5本目

曾田本その2を読み解く
50、神道無念流居合幾つか
50の5本目

太田龍峰著中山博道校閲「居合読本」より神道無念流(立居合12本)第5本目:
意義
前右左の敵に対する動作である。
動作
第1、第1本目第1動に同じ。
 第1本目第1動:「右足より前進し二歩目(左足の地についた時)右手の拇指を下方より其他の指を上方より鍔元近く刀柄を握り右足(三歩目)を出すと同時に右手を以って刀を抜き(此時左手で鞘を前方に出す気持ちを加へ後方に振り上げ上体を左斜にして十字形をなし左足は右足につれ前方に送り概ね左足尖を右踵に接する如くあらしむ)敵の右前肘を下方より切り上ぐ。」
第2、左足を軸として右方に向ひ右方の敵の正面を切る。
第3、左足を軸として廻れ左をなし右足を一歩踏み進出して左の敵の正面を切る。
第4、刀を収む。

曾田本その2神道無念流(立居合12本)5本目
意義
前右左の敵に対する動作なり。
動作
第1、1本目1動に同じ。
 第1,1本目1動:「右足より前進し二歩目左足にて柄を握り三歩目右足を出すと同時に抜刀(此時左手で鞘を前方に出す気持を加へ後方に振り上げ上体を左斜にして十字形をなし右足につれ前方に送り左足先を右踵に接する如くする)敵の右前肘を下より切り上ぐ」
第2、左足を軸とし右の敵の正面を切る。
第3、左足を軸とし廻れ左をなして右足を一歩出して左の敵之正面を切る。納刀。

 曾田本は第一動の柄握りを解説していませんが、居合読本は「右手の拇指を下方より其他の指を上方より鍔元近く刀柄を握り」と解説しています。無双直伝英信流では当然の柄握りですから「柄を握り」とさらりと書いたのでしょう。
 抜刀して敵の前肘を切り上げる際、刀の刃を下に返して切り上げるはずですが、居合読本も曾田本も触れていません。むしろ「左手で鞘を前方に出す気持ちで後方に振り上げ」と意味不明の文章を掲げ、鞘を前に出す気で後方に振り上げたら、上体は前が掛かりになりそうだなとか思ってしまいます。切り上げるにはその方が手打ちにならず切先に力が乗っていきそうです。
 次に「上体を左斜にし」は右半身でとは読めますが、次の「十字形」の意味は理解できません。刀と体が十字形かななど思いますが、此処は神道無念流の教えを受けなければ理解できそうにありません。
 敵の前肘を切り上げる際左足を右足踵に追い足裁きを要求しています。第1動は右足と左足が接した状況で、その足で左足を軸に右回りに右に向き直りつつ刀を左から上段に振り冠り「右の敵の正面を切る」この際右足を踏み出す指示は無いのですが左右の足を接しての斬りこみは無双直伝英信流には見当たりませんので、右足は敵に向いて一歩踏み込んでしまうのは我が流の癖でしょうか。相手との間合い次第で調整するとします。
 第3動では左足を軸に左回りに左の敵に振り向き右足を踏み込んで左の敵の正面を切る。納刀。
 神道無念流立居合の抜付け後の動作は対敵を置いていますが、手附では仮想敵の動きは特定せず、状況は自分で幾つも想定して応じろと云うものでしょう。

 長州藩相伝神道無念流立居合5本目では「切上げ、右正面打込、左正面打込、納刀」で想定は同じ、前敵抜付は同じですが、左足は右足に追足ではなく、右足を踏み込んで切上げ、右敵に対しては、右足の半歩前に左足を踏み出し左足を軸に右に回り、右足を踏み込んで右敵に打込む。次に右足を軸にして左回り、右足を踏み出して左敵に打込む」この方が形を演ずるばかりの者には、容易そうです。形を「かたち」だからと言って教えられたままにしかしない、出来ない、変化に応じられないのが現代の状況です。

木村高士著「長州藩相伝神道無念流」より大村藩無念流立居合業手付 5本目右、左敵:
 三歩進んで左足を軸に右に向き、右足を一歩踏み出すと共に頭上に抜刀し、右敵の正面に打込む。
 右足を軸に左に回って後を向き、右足を一歩踏み出して左敵の正面に打込む。血振い、納刀は前に同じ。

 大村藩 の神道無念流立居合5本目では左右の敵に割り込む様にして、右左と切るのであって、前敵が想定されていません。是では立居合12本が時代経過と共に変化した例とも云えるでしょう。
 大村藩では安政元年(1854年)大村藩主大村純煕によって斎藤弥九郎の三子歓之助を剣道師範に迎えているのですが同じ斎藤派なのに長州藩とは異なる処が多い。と木村高士先生は「長州藩相伝神道無念流」に書かれています。

木村高士著「長州藩相伝神道無念流」より戸賀崎無念流立居合業手付 5本目:
抜付は1本目に同じ。
 1本目抜付:「三歩進んで間に入るや「矢」と、右手を水平にして前敵に抜付ける。抜付けたとき、刀は水平にして切先は眼の高さ、刀刃は斜左に向く。左手は鞘を放して、後方水平になるまで腕と指も伸ばす」
 左足を右足に引き寄せ乍ら右敵に向い、刀刃ひだりから上段に冠って右足を踏み出し「当」と真甲を打つ。足組はそのままで左回りに左敵に向い、上段から右足を踏み出して「鋭」と正面に打込む。正眼に攻め、納刀。

 戸賀崎居合は敵は前・右・左で長州藩相伝と同じですが、前敵には横一線の抜き付けで応じています。神道無念流の前敵に応じる抜き付けは、横一線の水平抜き付けと下からの切上げ、或いは抜き上げて切り下す「抜打」の方法が伝わっていたのでしょう。どの流派にもある抜刀法ですから我が無双直伝英信流の動作で対応でします。しかしそれは本来の神道無念流であるかどうかは別問題です。

 

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2019年11月21日 (木)

曾田本その2を読み解く50神道無念流居合幾つか50の4本目

曾田本その2を読み解く
50、神道無念流居合幾つか
50の4本目

太田龍峰著中山博道校閲「居合読本」より神道無念流(立居合12本)第4本目:
意義
前進中後方の敵に鐺を持たれ尚ほ続いて前方よりも敵に襲はれ即ち前後にある敵に対する動作である。
動作
第1、右足より前進中左足のつくと同時に若干上体を前に懸け右手で刀柄を下より握り(此の握り方は拇指は上方に其他の指は下方にする)腰を左方に廻し刀を抜く。
第2、上体を其儘とし左上膊の左側に刀刃を左斜上方にして後方の敵を刺す(此時著眼は後方の敵とす)。
第3、刀柄に左手を添へ刀刃上方に刀尖を前方に向く如くし、若干前方に進み前方の敵を刺す(此際左足は右足につくやうに送る)。
第4、右足を後ろにひくと同時に刀を右脇に刀身を概ね水平なる如く持ち来り、後方の敵を刺す(此時著眼は後方の敵とす)。
第5、刀柄を持ち替へ右足を一歩出して正面を切る。
第6、左足を軸として廻れ左をなし右足より一歩進み後方の敵の正面を切る。
第7、刀を収む。

曾田本その2神道無念流(立居合12本)4本目:
意義
前進中敵後方より来り鐺を取られ続いて前方よりも敵切り掛け来るのに対する動作なり。
動作
第1、右足より前進中左足にて上体を前に懸け右手にて刀柄を下より握り(此の握り方は拇指は上方に其他の指は下方にす)腰を左方に廻し刀を抜く。
第2、上体を其侭とし左上膊の左側に刀刃を左斜上方にして後方の敵を刺す。
第3、柄に左手を添え刀刃上方に刀尖を前方に向け踏み出して前方の敵を刺す左足を送る也。
第4、右足を引くと同時に刀を右脇に刀身を水平にして後方の敵を刺す。
第5、柄を持ち替へ(右足を一歩出して正面を切る)
第6、左足を軸とし左に廻り右足より一歩進み後方の敵の正面を切り納刀。

この4本目の業は「後方の敵に鐺を持たれ」と意義に在るのですが、鐺を取られたための動作が明記されていないと思えるのですが、第1動・第2動で充分その効果は発揮されると云うのでしょう。
 次に意義では、敵は前と後「前後にある敵に対する動作」と言って居ます。それではこの動作は何を意味するのでしょう。
 敵に対する動作は
1後方の敵に左側から刃を左上に向け刺突(第1・第2)、2前方の敵に刃を上にして刺突(第3)、3後方の敵を右脇から刀身を水平にして刺突(第4)、4前敵を正面より切る(第5)、5後方の敵を振り向いて正面より切る。
 前と後の敵ならば、後の敵は左からと右から2度刺突され正面より切られています。前の敵は刺突され正面より切られています。稽古業ですから良しとしても聊か違和感を感じます。

木村高士著「長州藩相伝神道無念流」より大村藩無念流立居合業手付 4本目 後、前敵:
 三歩進んで後敵に目を注ぎ、右片手で刀を低く抜き、刃を上にして左上膊部に支え後敵を突刺す。僅かに右、左足を前に進めながら左手を柄頭にかけ、刀先が下方より体の前に来るように操作し、右手を逆手に持ちかえ、刀身を右脇下に抱くようにして刀先を後敵に向け、右足を一歩後に引き後敵を突く。(ー後敵を突く前に、その場で前敵を突く(長州藩相伝))。左右の手を本手に持ち直し刀を上段に冠り、右足を踏み出して前敵の真向に打込む。更に、左回りに右足を出して後敵の正面に打込む。血振い、納刀は前の通り。

 前後に敵に遭遇して、後敵を順手(本手)で左から刺突し、逆手に持ち変えて右から更に刺突しています。逆手を本手に持ち変えて前敵を真向から斬って、左廻りに振り向いて後敵の正面に打ち込んでいるのです。前敵は刺突されずに真向を切られます。

戸賀崎無念流立居合業手付 4本目:
 歩行中、右足が前に出たとき、逆手で柄を握って鯉口を切り、立止まって左後の敵を見る。右膝を曲げて体重を右足にかけ、上体を前に傾け左半身となり抜刀する。刀の棟を胸に添え、切先は肩の高さに保ち、足はそのままで「矢」と下から後敵の咽を突く。
 刀先を下にして、左斜前下から右下にと刀身を回し、刃を下にして右脇下に抱え、右手の甲を上にして柄を握る。右後敵の脇腹を下から「矢」と突く。
 直ちに、前方に向いている足はそのままで、体を右斜前の敵へ向けつつ右手を持ち替えて上段に冠り、右足を踏み出し「当」と真甲を打つ。
 更に、左回りに刀を右斜上に冠って右足を踏み出し、後敵の左横面に「矢」と打込む。正眼に攻め、納刀。

 此の場合も、後敵は左脇から咽を刺突され、更に右脇から右後敵の脇腹を刺突される。「右後敵」と後敵を区別していますから後敵は左側と右側に二人いる想定の様です。前敵は「右斜前の敵」と位置指定しています。逆手を持ち変えて真甲に打ち込まれます。
 更に振り向いて、八相から後敵の左横面を切られます。仮想敵の存在をどの様に配置して運剣するか、という命題がやや状況次第の様でおおらかですから業手付に依って固定されず、おおらかと言えるでしょう。細かい敵の位置と動作の口伝口授が有るのかも知れません。

 

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2019年11月20日 (水)

曾田本その2を読み解く50神道無念流居合幾つか50の3本目

曾田本その2を読み解く
50、神道無念流居合幾つか
50の3本目

太田龍峰著中山博道校閲「居合読本」より神道無念流(立居合12本)第3本目:
意義
前進中後方より襲ひ来る敵が我を呼ぶに対する動作にして敵を二回追ひ詰めひ切り倒す動作である。
動作
第1、右足より前進中右足の地につくや直に廻れ左をなし右足を踏み出すと同時に刀を抜き敵の右前肘を切る(第一本、第1動に同じ)。
第2、左足より二歩前進し敵の正面を切ること二回(前進中刀を頭上に振り被り)。
第3、体を転じて切返しをなす(第2本、第4動に同じ)。
第4、刀を収む。

曾田本その2神道無念流(立居合12本)3本目:
意義
前進中後方より敵我を呼ぶにつき二回追詰め切る也
動作
前進中左へ振り返り右足を踏み出し敵の右肘を抜打に切り、次に左足より踏み込みて切り右足にて更に切り込む也、続いて2本目第4の如く体を転じ切返しをなす
次に納刀。

後方の敵が我を「お命頂戴」と言って斬り懸るのを察して左回りに振り向くや敵の前肘を下から抜打ちに切り上げる。敵退かんとするを左・右と追い込んで正面を切る、更に左右と追い込んで正面を切る。
 敵反撃の気配あるを察し、右霞に構え(両手で刀刃を上にし)刀刃を以て敵の刀を払流し同時に左手を中心に左肩より冠りつゝ左足を左前に踏み右足を左足の後に引き敵之右肩より八相に切下ぐ。
次に納刀。
曾田本では、敵の前肘を切り上げるや、左足を踏み込んで正面を切り、再び右足を踏み込んで正面を切って、敵反撃せんとするを霞に構えて払い流し、左足を左前に踏み込み、右足をその後方に踏み、左から逆八相に敵の右肩より切り下す。

木村高士著長州藩相伝神道無念流より大村藩無念流立居合業手付3本目後敵:
 右足より三歩進み、右足が床についたとき左回り後方に向き、同時に抜刀し、右足を踏み出して上段から真向に打込む。(ー後敵に向き、敵の右前肘へ抜き付ける。以下は同じ(長州藩相伝神道無念流立居合3本目))更に、二足一刀をもって上段から後敵の真向に打込む。切返し、納刀は同じ。

大村藩の3本目は、右・左・右と三歩前進し三歩目右足が床につくや左回りに後方に振り向き、刀を上に抜き上げ上段から右足を踏み込み後敵の真向に打込む。此処は長州藩相伝も、居合読本も、曽田本その2も振り向くや右足を踏み出し下から敵の前肘に切り上げる所で抜刀の仕方が異なります。
 怯む敵を更に左足右足と敵を追い詰め上段から後敵の真向に打込む。敵の反撃の意を察して右霞に構え、敵真向に打込んで来るや払流し左足を左前に踏込み右肩から振り被って右足を左足の後方に摺り込み逆八相に敵の右肩を切り下げる。納刀。

木村高士著長州藩相伝神道無念流より戸賀崎無念流立居合業手付3本目:
 歩行中、右足が前に出たとき、刀に手をかけ後敵を振り返って見る。このとき、右膝を僅かに曲げて体重を右足にかけ、そのままの足で左回りに後を向く。右足を踏み出して1本目の如く「矢」と抜付ける。更に、二足一刀で真甲に「当」と打つ。右足を進めて「矢」と霞に攻め、左に切返して「鋭」と敵の右横面に打込む。1本目の如く正眼に攻め入る。納刀。

 歩行中、右足を踏み出した時後ろに振り向き、敵の斬りこみを察し右足の重心を乗せ左回りに後ろを向くや、右足を踏み出し1本目の如く「矢」と掛け声を出し、右手を水平にして前敵に抜付ける。(抜付けたとき、刀は水平にして切先は眼の高さ、刀刃は斜左を向く。左手は鞘を放して、後方水平になるまで腕と指も伸ばす)。左足右足と敵を追い詰め真向に「当」と打つ。更に右足を進めて「矢」と右霞で攻め、敵打込んで来るを払流し、左足を左前に踏込み右足の後方に摺り込み切り返して「鋭」と敵の右横面に打込む。納刀。
 戸賀崎居合は振り向くや横一線の抜き付けです。是は「中山博道剣道口述集」にある中山善導・稲村栄一原著の神道無念流立居合の抜き付けです。そこでは下から右斜上に切り上げるのは神道無念流立居合では正式では無いと言って居ます。

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2019年11月19日 (火)

曾田本その2を読み解く50神道無念流居合幾つか50の2本目

曾田本その2を読み解く
50、神道無念流居合幾つか
50の2本目

太田龍峰著中山博道校閲「居合読本」神道無念流(立居合12本)第2本:
意義
概ね第1本に同じであるが敵我正面を切り来るを以って払ひ流し体を左前方に転じて敵の右肩より切り下ぐ。
動作
第1、第1本目の第2動に同じ。
第2、右足より二歩後退し敵の正面を切る(第1本、第2動より一歩多く後退するのみで動作全く同じ
第3、左足より二歩前進して敵の正面を切る(同右
第4、両手で刀刃を上方にし刀刃を以て敵の刀を払ひ流し(此際刀尖は其位置を変ずることなく左拳を刀尖より稍々上ぐ)同時に左手を中心にして刀を右肩の方面に轉回しつゝ左足を左前方に踏み開き右足を左足の後方にひき敵の右肩より左斜下方に切り下ぐ
第5、刀を収む。

曾田本その2神道無念流(立居合12本)2本目:
意義
敵我が正面を切リ来るを以て払ひ流し体を左前方に替し敵の右肩より切り下ぐ。
動作
第1、1本目の第2動に同じ。
第2、上段より右、左と二歩退き敵の正面を切る。
第3、左足より二歩前進し敵の正面を切る。
第4、両手で刀刃を上にし刀刃を以て敵の刀を払流し(此時刀尖は其位置にて左拳を刀尖より稍々上ぐ)同時に左手を中心に右肩より冠りつゝ左足を左前に踏み右足を左足の後に引き右肩より八相に切下ぐ
第5、次に納刀

文言の部分的に異なる処はあっても同じことをしています。第一動で「1本目第2動に同じ」と、居合読本にあるのですが曾田本も同様です、1本目第2動は居合読本では「右手で刀を左肩の方向に大円を描き右拳を頭上にして振り上ぐると同時に左手で柄頭を握り右足を一歩後退して敵の正面を切る」、曾田本では「次に右手を左肩より振り冠り左手を添へ右足を一歩引き敵の正面を切る」と文言の違いはあっても同じ動作です。曾田本では「次に・・」ですから此処は「1本目の第1動に同じ」であるべきでしょう。誤植と判断されます。
 1本目第1「右足より前進し二歩目(左足の地についた時)右手の拇指を下方より其他の指を上方より鍔元近く刀柄を握り右足(三歩目)を出すと同時に右手を以て刀を抜き(此時左手で鞘を前方に出す気持ちを加へ後方に振り上げ上体を左斜にして十字形をなし左足は右足につれ前方に送り概ね左足尖を右踵に接する如くあらしむ)敵の右前肘を下方より切り上ぐ」というもので、神道無念流立居合の特色の一つです。
 敵に攻め込まれに下から切り上げ、更に敵が攻めて来るのを右左と二歩退き正面を切り、敵怯む処を左右と前進して正面を切る。其の侭の足踏みで第4動となる。第4動も神道無念流の右霞です。「右霞とは右相前に刀柄を握った右手の甲を下に左手の甲を上にして刀刃を左にし、切先を前敵に向ける」敵が打ち込んで来るのを払い流しながら上段に冠り、左足を左前に踏み込み右足をその後方に摺り込んで逆八相に切り下げる。

大村藩無念流立居合業手付2本目 前敵:
 直立の姿勢から三歩進んで、左足を僅かに引き上段に冠る。(ー一本目の様に抜き付ける)右、左と二歩後退して真向に打込む。更に、二足一刀をもって攻め込み、再び上段から真向に打込む。なお、霞に攻める気勢を示すが(ー霞に一歩攻める)敵が正面に打ち込んで来るので、左足を左斜前に出し、敵刀を右に請け流しながら切り返し、刀を大きく左上方に転回させ右足を左足後方に引き、敵の右肩へ袈裟掛に打込む。小さく刀を横に振って血振いをしていたが、今は省略されている。納刀は前に同じ。

 この書き出しでは、「直立の姿勢から三歩進んで、左足を僅かに引き上段に冠る」という事は居合抜などしないで、右足・左足・右足と踏込み、左足を僅かに引いて、刀を上に抜き上げ、上段に冠り、右足・左足と下がって敵の真向に打込むことになってしまいます。
 長州藩相伝の神道無念流立居合2本目も、下から敵の右前肘に切り上げて居ます。居合読本と曾田本の書き出しと似た雰囲気ですが、正解は判りません。長州藩相伝を先に稽古していますから、大村藩の上段に抜いてから切り下す事に違和感を持ちます。居合らしく抜き上げて打ち下す雰囲気が伝わってこないのも表現力に由来するかもしれません。
 左右と踏み込んで、真向に打込み、其の侭右霞に構え敵の真向打ち込みを請け流し、同時に左足を左前に踏み込み、右足を左足後方に摺り込み、左上方から敵の右肩に切り下す。昔は横血振り、納刀。今は其の儘残心して納刀。

戸賀崎無念流立居合業手付2本目:
 抜付は一本目と同じ。
 右足を引き、刀は左から冠り真甲に「当」と打つ。右足を踏み出して上段から正面に「鋭」と打つ。素早く右足を進め
て右霞に「矢」と攻め込む。
 直ちに、左足を左斜に踏み出し、右足を左足の後に引いて、刀刃左頭上に大きく転回させ敵の右横面、眼の高さに「当」と打込む。
 1本目の如く正眼に攻め、更に、小さく右足より攻め入る。納刀は前に同じ。

 文章に抜けが有る様ですが、「抜付けは1本目と同じ」ですから、歩行中下から敵の右前肘に「矢」と切り上げ、右足を引いて下がりながら、左肩から刀を冠り敵の真甲に「当」と打込む。右足を踏み出しながら上段に振り冠り正面に「鋭」と打つ。右霞に構え「矢」と攻め込む、敵真向に打込んで来るのを受け流し、直ちに左足を左斜に踏み出し、右足を左足の後に引いて、刀を左頭上取り敵の右顔面に「当」打込む。
 足捌きがコンパクトの様ですがこれも有りでしょう。

 宝暦年中(1751年~1764年)に福井兵右衛門嘉平が立居合12剣の太刀組を編み出し神道無念流を名乗ったとされています。その頃から明治維新1868年と言えば約100年間で立居合12剣は流派によってそれぞれの解釈で変化していったものでしょう。どの流派にもあり得るものでどれが正しいとは言えないものです。基準の形動作を1つ持ち幾つもの変化に応じられる修業が求められるものでしょう。「違う」と言って飛んで来るお人よしも居てもいい。

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2019年11月18日 (月)

第7回違師伝交流稽古会を終えて

第7回違師伝交流稽古会を終えて

 11月16日、17日は恒例になった、違師伝交流稽古会でした。
昨年11月第6回の違師伝交流稽古会の課題は土佐の居合に残されていながら、まともにこれを指導出来る人も居ない古伝神傳流秘書による大剣取を一年間夫々の参加者は個々に研究され演武されました。

 今年の課題は「大小詰」、「大小立詰」の形を同様に神傳流秘書を片手に、夫々江戸時代中期の文言に苦しみながら研究されて発表されました。
 古伝の復元は、何処かに其れを演じた動画や写真、先師の残された業技法の解釈が示された冊子は無いものかと、皆さん探し求められていた様です。
 自ら古伝を片手に読み解く前に、誰かが復元しているならそれを真似るか、参考にするという現代風な考え方が、まず頭の中に駆け巡るのでしょう。
 答えは自ら考えて出す物という根本原則を現代武術修行者は忘れてしまったのかも知れません。或は、他流、或いは他武術の力を借りて真似てしまうわけで、起こりと結果は出来ていても、古伝の含みは読み取れていないという紛い物に過ぎない物で満足してしまいがちになります。
 その上、稽古相手が常に同じでは、一見上手に見えても、他の人が突然変わった場合には殆ど役に立たないものになってしまいます。
 昨年の課題大剣取では刀による攻防が主なので戸惑いは少なかったと思われます。しかし是も要求する構えから結果を出すには、其の構えから打ち出せるあらゆる手立てを認識できなければ始末におえないものなのです。
 極端な言い方をすれば「カンニング」をして試験をパス出来ても、物の役に立たないと云えるのでしょう。
 「形」は出来ているが「術」にならない、古伝を「かたち」としか考えず、形が指導された様に出来て居れば、武術になったと錯覚するに過ぎません。
 大小詰、大小立詰の参考書は、ミツヒラブログの古伝神傳流秘書が現在のところ尤も充実しています。是は戦前に収録されていた行宗貞義先生の弟子曽田虎彦先生に依る覚書です。
 覚書の原本は文政2年1819年山川久蔵幸雅が原本を書写したものの写しです。その原本は、第10代林安太夫が義父第9代林六太夫のメモや口述から書き込まれたものだろうと思いますが、江戸時代後期には紛失していたかもしれません。曽田本の原本である山川幸雅の写本の存在は細川家に所蔵されているか、高知空襲で焼失してしまったか不明です。

 河野百錬先生は曽田先生から覚書を見せていただき昭和30年に1955年無双直伝英信流居合兵法叢書として発行されています。現在では古本として出る事は頬とんど無い様で、全国の図書館でも限られたところにしかありません。限定本であった事、河野先生自らが研究され復元を目指さなかったために、当時の指導者の誰も手を付けず闇に埋もれたと云えるでしょう。
 政岡壱実先生の無雙直傳英信流居合兵法地之巻昭和49年1974年、無双直伝英信流居合兵法之形の中に収録されています。この内容は神傳流秘書と略同じですから、曽田先生から借り受けたか、河野先生の無双直伝英信流居合兵法叢書に依ると思われます。或は土佐の何方かからのものかも知れませんが、政岡先生が土佐を後にされてからの執筆です。
 木村栄寿先生の林崎抜刀術兵法夢想神傳重信流伝書集及び業手付解説昭和57年1982年で細川家からの借用に依り伝書の読み下しをしたものとなります。夢想神傳流を意識し過ぎたため無双直伝英信流の人の目に付かなかった。内容を読めば夢想神傳流は無双直伝英信流其のものだったことを認識できるのに残念です。
 以上が江戸時代に第九代林六太夫が土佐にもたらした大小詰、大小立詰を古伝に従って書かれたものです。

 次に大小詰、大小立詰の解説が有る書籍は、第16代五藤孫兵衛正亮に依る口伝口授を受けた曽田先生の実兄小藤亀江の覚書から曽田先生が実演の上業附口伝を書かれたもので年代は、大正から昭和の初めごろのことと推察します。
 曽田先生が、口伝からこうであろうとされたもので、古伝神傳流秘書とは異なるところが多く、古伝のいじり過ぎの感じがして、古伝の研究としては参考程度にしかすべきでは無さそうです。
 その曽田先生の業附口伝を基に書かれたものは、河野百錬先生の無雙直伝英信流居合道昭和13年1938年で其の第五節第四、第五りに掲載されていて、これは前述の通り古伝神傳流秘書ではありません。
 江戸時代後期に演じられていたかもしれない、後藤正亮先生のものを曽田先生が纏めたものと云えます。この河野先生の無双直伝英信流居合道が昭和13年に発行されてしまいましたのでそれが古伝と錯覚されて研究された方も多かろうと思います。
 夢想神傳流の檀崎友影先生に依る居合道ーその理合と真髄 平成15年2003年の第六章組太刀の部に大小詰、大小立詰が記載されていますが、是も原本は河野先生の無双直伝英信流居合道によると思われ、曽田先生の業附口伝によると判断します。

 第7回違師伝交流稽古会の課題は大小詰、大小立詰で業名称は同じですが古伝神傳流秘書と異なるという事としておきますが、曽田先生に依る業附口伝もそれを基に演ずることは、古伝とは言い難いのですが参考資料が少なく手に入らない事を考えれば、やむおえないとも言えるでしょう。

 古伝神傳流秘書と政岡先生の地之巻、と曽田先生の業附口伝、河野先生昭和13年、檀崎先生と業を参考に並べてみます。
大小詰一本目抱詰
神傳流秘書:楽々居合膝に詰合たる時相手両の手にて我が刀の柄を留る時、我両の手を相手の両の肘に掛けて躰を浮上り引くに其の侭左の後の方へ投げ捨てる。
政岡先生:楽に居合膝に詰合たる時相手両の手にて我が刀の柄を留る時我が両の手を相手の両ひじに懸け少し体を浮上り引くに其侭左の後の方へ投げ捨てる。
業附口伝:互に対座、打は仕の柄を両手にて取らんとす、直に仕は両手にて打の二の腕を下より指し上ぐる様に掴み我左脇に引き倒す也
     五藤先生朱書き注意(向こうて居る敵我が柄を両手にて押付る時敵の両肘へ手を掛けウスミ上げ左へ振り倒す)
河野先生:互に対座、打は仕の柄を両手にて取らんとす、すぐに仕は両手にて打の二の腕を下より差し上る様に掴み我が左脇に引き倒す。
檀崎先生:互に対座し打太刀は仕太刀の柄を両手にて取ろうとする。すぐに仕太刀は両手にて打太刀の二の腕を下から差し上げるようにつかみ我が左脇に引き倒す。 

大小立詰一本目袖摺返
神傳流秘書:我が立ちて居る所へ相手右脇より来り、我が刀の柄と鐺を取り抜かせじとする時其の儘ふみしさり柄を相手の左の足のかがみに懸け中に入り、又、我右より来たり組付をひじを張り体を下り中に入る。
政岡先生:我が立っている処へ相手右脇より我刀の柄とこじりを取りぬかせじとする時其侭踏みしさり柄を相手の左の足のかがみに懸け中に入り又吾左より来り組付をひじを張り下げ中に入る
業附口伝:二本目打は横より組み付、仕肱を張りて一当すると同時にすぐに打の刀を足にすけて後に投る也左右共同前
          五藤先生朱書き注意(一当して中に入り刀を足にすけ後へ投ると記せり、横合より組付ひじを張り一当して中に入り刀を足にすけ跡へ投げる左右同前)
河野先生:打は横より組み付く、仕肱を張りて一当すると同時にすぐ打の刀を足にすけて後に投げる也。
檀崎先生:打太刀が横より組み付くを仕太刀は肘を張って一当すると同時にすぐ打太刀の足にかけて後に投げるなり。
     *写真は打は仕に組み付かず前より仕の柄を取っている。立業を居業にしている?。
 この様に神傳流秘書をもとに研究した場合と、業附口伝では順番も動作にも違いが見られます。

 今回の様な場合、参考にした資料が異なる事は業の形に多少の違いがあるとしても、大小詰、大小立詰は見られる如く非常に簡明に書かれているもので、特に当時の体術や柔術、現代の合気道などの術を必要とせずに相手を倒したり、柄を持たれても振り捥いだりできるものです。其の上、大道芸紛いの相手を投げ飛ばす様な事や、たたきつける事も示唆して居ないのです。まして逆手を取ったり締め込んでその痛さに参らせるようなこともどの業にも見当たりません。
 するりと抜け出し相手の動きに手助けをして倒すばかりです。武術を行使する心得として、元々林崎甚助重信の居合は柄口六寸を根元としたもので、相手の戦力を最小限の斬り込みで防ぎ圧するものとして生み出されています。一刀のもとに首をはねてしまうなど言語道断の教えなのです。
 武術行使はコミュニケーションの最終手段であっても殺傷する必要など無いと云えるでしょう。いたずらに他流や他武術の技を持ち込む必要がないことを再認識させてもらいました。
 余談ですが業の懸け様から人柄が想像できてしまうのも面白いところです。
 技を繰り出すに当たり、早い強い動作が気になります。無理やり相手を自分の思い道理の状況に持ち込まなくとも秘書に書かれている通りの動作で最大の効果を上げられるよう、研究しそれを熟練する迄稽古を繰り返す事なのでしょう。
 更に、自分と体格が違うとか動作が違う者と組むと技が掛らないのを見ると、無理無駄や力任せもありますが、夫れよりなれ合いに依る弊害で、打太刀の心構えが仕太刀の力量をより高める様に引き出す動作にならず、形が出来て居れば出来たとしてしまい投げられてあげるなどいつまで続けているのでしょう。
 全くの初心者に順番と方法を指導する間はそれでも止むおえないとしても、一考を要します。

 第7回違師伝交流稽古会の課題が大小詰、大小立詰であったために特に感じてしまいましたが、他の組太刀にしても形ばかりの順序を追うだけで、同じ相手となれ合い稽古の癖は考え直す時かも知れません。
 自流の手附に書かれている文言を外さずに、結果を他武術や他流に求めない心の修練をしませんと古伝が笑っている様で、淋しさがひとしおです。
 此処までは、此の道を求めて、遠回りでも本物に行き着きたい私の独り言です。

 今年は、この違師伝交流稽古会を聞き込んで参加希望の方も増え、にぎやかな中に夫々感じる物をお持ちになって帰られただろうとホッとしています。
 来年の課題は、本来ならば「坂橋流之棒」に挑戦して、古伝の文章から動作や棒の扱いを自得し、前後左右に自在に変転できる体作りと、今後如何なる資料が発掘されても応じられる研究者を望みたい処ですが、奥居合の違師伝を披露されたい方がおられる様でその方向での課題に落ち着きました。
 然し奥居合の有り方は、習い覚えた師伝を披露するだけなら、一年間の研究時間など不要でしょう。其の上現代の大江居合に依る奥居合ではそれぞれの師伝を並べられても大した違いがある訳も無いものです。それぞれの師匠の癖を強調した試験問題の形をなぞるばかりです。
 せっかく各地区からこの道を求める方の研究交流会です。大江居合に依る奥居合は演じる者の心の中にあるもので良しとし、来年度の課題は古伝抜刀心持之事の研究発表と致します。
 それぞれの師伝を基に古伝の奥居合抜刀心持之事を研究され参加される事をお願いしておきます。
 
 
  

 

 

 

 

 

 

 

 

   

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曾田本その2を読み解く50神道無念流居合幾つか50の1本目

曾田本その2を読み解く
50、神道無念流居合幾つか
50の1
1本目

太田龍峰著中山博道校閲「居合読本」神道無念流(立居合12本)1本目:
意義 
若干歩前方にある敵が将に刀を抜かんとする機に先ち敵の右前肘を下方より切るも続いて敵前進し来るを以って後退して切り更に敵の後退するを進んで切るのであって此際敵は倒れたとするのである。
動作
第1、右足より前進し二歩目(左足の地についた時)右手の拇指を下方よりその他の指を上方より鍔元近く刀柄を握り右足(三歩目)を出すと同時に右手を以って刀を抜き(此時左手で鞘を前方に出す気持ちを加へ後方に振り上げ上体を左斜にして十字形をなし左足は右足につれ前方に送り概ね左足尖を右踵に接する如くあらしむ)敵の右前肘を下方より切り上ぐ。
第2右手で刀を左肩の方向に大円を描き右拳を頭上にして振り上ぐると同時に左手で柄頭を握り右足を一歩後退して敵の正面を切る。
第3両手で刀を大きく頭上に振り上げ右足を一歩進出して再び敵の正面を切る(此際、左足は右足につれて前方み送る)。
第4刀を収む

曾田本その2神道無念流(立居合12本)1本目:
意義
数歩前方にある敵が将に刀を抜んとする機に先ち敵の右前肘を下方より切るも続いて敵前進し来るを以て後退して切り更に敵の後退するを進んで切るのであって此の時敵は倒れたものとす。
第1、右足より前進し二歩目左足にて柄を握り三歩目右足を出すと同時に抜刀。(此時左手で鞘を前方に出す気持を加へ後方に振り上げ上体を左斜にして十字形をなし左足は右足につれ前方に送り左足先を右踵に接する如くする)敵の右前肘を下より切り上ぐ。
第2、次に右手を左肩より振り冠り左手を添へ右足を一歩引き敵の正面を切る。
第3、更に右足一歩進め真向より正面を切る
第4納刀

 居合読本と曾田本の異なる表現の仕方を赤字で上げて見ました。これで見ると動作に大きな違をもたらす表現は見られません。曽田本は総じて省略気味でむしろ「抜け」が出てしまっている様です。居合を知らない人ではどちらも動作に至れなかもしれません。
第1の「十字形をなし」の形はどのような形に成ればいいのか見当がつきません。刀と我が体が十文字形になるのかな、など悩みっぱなしで答えは出て来ません。 
第2の曾田本の表現は土佐の居合の表現でしょう。是で通じますが居合読本の「右手で刀を左肩の方向に大円を描き右拳を頭上にして振り上ぐると同時に左手で柄頭を握り」が曾田本しの2では「右手を左肩より振り冠り左手を添え」です。
第3では、曽田本は再び上段に振り冠る動作を表現せずに「更に右足一歩進め真向より正面を切る」す。「真向より正面を切る」はどの様に考えて書いたのか頭を捻っています。
 曾田本その2の神道無念流立居合と居合読本の神道無念流立居合の礼式(敬礼)などの前回の処で曽田先生は居合読本を書き写したのだろうと思うと言っていながら、「あれ」、別の手附を書き写したのかと思える様な表現の仕方です。実はそうだったと云う資料がどこかから出て来ればそれはそれで誤りは正すべきでしょう。然し今の処表現は土佐の居合の表現に少し直されているだけで「居合読本」が参考資料だったであろうとしか言えない状況です。
 土佐藩の範士も参勤交代などで江戸へ出るなり、江戸詰の範士も居たでしょうから、其の際江戸で神道無念流の道場に通った人も居るでしょう。何処かに何かあってもおかしくありません。
続けて、大村藩無念流立居合業手付と戸賀崎無念流立居合業手付と曾田本その2神道無念流立居合を稽古して行きます。

木村高士著長州藩相伝神道無念流から大村藩無念流立居合業手付
1本目 前敵 右足より三歩進み、右足が床につくと同時に、敵の右前肘を下方より刀に反りをうたせながら抜付け切上げる。
右足を左足に引き揃えて刀を上段に冠り(ー右足を左足の後に引いて左上段に構える・・長州藩)諸手で真向に打込む。
右足を一歩踏み出して水月まで切り下す。
晴眼に構えて右足を左足に引き揃えながら刀を左肩にとる。・・につき省略。

 「刀に反りをうたせながら抜付け切り上げる」この表現は意味不明です。というより他流の者には理解できないだけかもしれません。恐らくは刀の刃を下に返して抜付ける切上げの刃の返しを指すのでしょう。敵の右前肘は、上段から振り下さんとする右前肘なのか、刀を抜かんとする右前肘なのかこの手附では判断不能です。どの様な状況であっても下から切上げればいいのでしょう。
 次に「右足を左足に揃えて上段に冠り諸手で真向に打込む」其の際両足は揃えたままというのはおかしいので、表現されて居なくとも左足か右足を引いて、敵の攻め込んで来る間合いを保ちながら切り下す事になる筈です。その際敵が真向から打ち込まれて、後方に下がるとすれば右足か左足を踏み込んで水月迄切り下すのでしょう。そうであれば右足を引いて真向へ打込み、左前足に右足を踏み揃えて上段に振り冠り右足を踏み込んで水月迄切り下す。此の足捌きは敵との間に依るでしょうから、追い足捌きか、歩み足か、などこの手附ではおおらかに稽古する事になります。

戸賀崎無念流立居合業手付
1本目 三歩進んで間に入るや「」と、右手を水平にして前敵に抜付ける抜付けたとき、刀は水平にして切先は眼の高さ、刀刃は斜左に向く。左手は鞘を放して、後方水平になるまで腕と指も伸ばす。
 右足から二歩退しながら、刀は左から上段に冠り、真甲に「」と打込む。
 左足を引き、右足を左足に引き揃えたとき、その場に飛上り両足を床に踏んで音をさせ、刀は諸手で握り、肱を頭上一杯にのばし、刀は垂直に、刃は前方に向け天(剣)上段に構える。右、左足を進めて逆足となり、真甲正面に「矢」と打込む。
 右足を左足に揃え、左足を右足の後に引いて正眼に構える。右足を進めて霞に一歩攻め入る。

 戸賀崎氏は、戸賀崎熊太郎暉芳延享元年1744年武州埼玉郡清久村生まれ、16歳で江戸に出て神道無念流福井嘉平の門を叩き21歳の時免許皆伝を伝授されている。
 「矢」「当」の掛声と飛び上がる動作が独特の様です。
 右足を踏み込んで「矢」と掛声を上げ、右手を水平に前敵の何処に抜き付けるのか手付には無いのですが、刀は水平切先は眼の高さ、刀刃は左斜めに向ける。恐らく敵の右コメカミ或いは上段に構えた右肘に抜き付けるのでしょう。刀刃は左斜めに向く訳は無いので切先は左斜めに向けると解釈しました。
 敵が怯まずに前に攻めて来るので、右足を引き付け上段に冠り右足を後方に引くや敵の真向に「当」と打込む。
 左足を右足の後方に引き、右足を踏み揃えるや、刀を振り上げてその場で飛上がりドンと音を立てて飛び降り、刀は垂直に切先を天に向け刃を前に向けて、右足左足と踏込み、左足前の逆足で真甲正面の敵に「矢」と打込む。
 右足を左足に踏み揃え、左足を後方に踏み替え正眼、右足を進めて霞に構えて攻め入る様に残心、納刀。
 この手付もややこしい足捌きですから、厄介です。
 飛び上がるのはどのような意味があるのか、然もドンと音を立てて飛び降りるわけです。水平抜付けして敵に攻め込まれて退きながら真向に打込んだ、敵はそれでも攻めてこようとする意識が感じられ、後方に退いてその場で飛び上がってドンと音高く飛び降りる事で、敵は思いもしない奇妙な行動に、圧せられて退く所を攻め込んで打ち込む、とやって見ました。 
 

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2019年11月17日 (日)

曾田本その2を読み解く50神道無念流立居合幾つか50の敬礼

曾田本その2を読み解く
50、神道無念流立居合幾つか
50の敬礼

太田龍峰著中山博道校閲「居合読本」神道無念流 敬礼
1、開始の場合と帯刀
第1、右手に刀を提げ正面に対し立礼し、堤刀は刀刃を上方にし栗形の下方を持ち(此際指は鍔に掛けざるものとす)体に並行に約45度の位置にする。
第2、右足より三歩前進し、両踵を揃へ蹲踞し(此際刀を右腰にし鍔を体の中央前とす)左手を地につく如くして敬礼す。
第3、右手を以って刀を体の中央前膝の線に刀背を前方にし垂直に立つ。
第4、左手を以って下緒を「スゴク」如くして、鐺の附近を持ち両手を以って帯刀する。(此際左手の拇指を鍔の右内側より前方に押し鯉口を切り食指を以て刀の抜けざる様、左外方より後方にひき鍔は概ね体の中央前にあらしむ)。
第5、起立して右足より三歩後退す(起立せる時右手は自然に垂れる)。
2、終止の場合及脱刀
第1、右手を以って刀を脱し右腰に持ち来りつゝ蹲踞して敬礼す(開始の場合と同じ)。
第2、起立して右足より三歩後退して立礼す。
刀の収め方
1、前の足を後足にひき著けると同時に刀を左肩に擔ぐ如く持ち来り左手は鯉口を持ち鞘を正位にあらしむ。
2、左手の拇指と食指とにて「ハバキ」附近を挟み右手の拇指は縁頭附近を其他の指は下方より鍔及柄を持つ
3、左足を後方に一歩ひくと同時に右手を以って刀身を前下方にひき刀尖を鯉口の所に持ち来る。
4、右足を左足にひきつけつゝ刀身を鞘に納む

曾田本その2神道無念流居合 敬礼:
1、開始の場合と帯刀
第1、右手に刀を提げ正面に対し立礼し、堤刀は刀刃を上方にし栗形の下方を持ち(此際指は鍔に掛けざるものとす)体に並行して約45度の位置にする。
第2、左足より三歩前進し、両踵を揃へ蹲踞し(此際刀を右腰にし鍔を体の中心前とす)左手を地につく如くして敬礼す。
第3、右手を以て刀を体の中央前膝の線に刀背を前方にし垂直に立つ。
第4、右手を以て下緒を「スゴク」如くして鐺の附近を持ち両手を以て帯刀する(此時左手の拇指を鍔の右内側より前方に押し鯉口を切り食指を以て刀の抜けざる様、左外側より後方にひき鍔は概ね体の中央前にある)。
第5、起立して右足より三歩後退す(起立せる時右手は自然体に垂れる)。
2、終止の場合及脱刀
第1、右手を以て刀を脱し右腰に持ち来りつゝ蹲踞して敬礼す(開始の場合と同じ)。
第2、起立して右足より三歩後退して立礼す。
刀の納め方
1、前の足を後足に引き付ると同時に刀を左肩に擔ぐ如く持ち来り左手は鯉口を持ち鞘を正しくす。
2、左手の拇指と食指とにて「ハバキ」の近くを挟み右手の拇指は縁頭の近くを其の他の指は下より鍔及び柄を持つ。
3、左足を後方に一歩引くと同時に右手を以て刀身を前下方に引き刀尖を鯉口の処に持ち来る。
4、右足を左足に引付つゝ刀身を鞘に納る

木村高士著「長州藩相伝神道無念流」神道無念流立居合 礼式:
立礼 まず刀を右手に持ち提げ(刃部を上に、下緒をたくって栗形の上部を握る)、上座に向かって立礼をする。
始礼 刀を右腰にとり、右足から演武の位置に進み、両足を揃えて其の場所に蹲踞する。刀を右腰に持ったまま左手の甲を前にして指先を下座ういて始礼をする。
帯刀 礼を終え、右腰の刀を右手を使って体の中央前に刃を手前に向けて立てる。つづいて鞘の下部(鐺の上部)に左手を添え、体の中程に鍔の内側が来るように両手をもって左腰に帯刀する。
 下緒は鞘と帯びとの間に上から掛けたらすか、または右腰の帯に結ぶ。
 蹲踞の姿勢から、左手の親指を帯刀の鍔にかけ、右手は自然にたれ、その場に立ち、左足から数歩後退して演武開始の位置に直立する。なお、終礼は始礼の逆順に行う、
 演武にあたっては発生はしない。
納刀 正眼に構えてから、切先を敵の胸元、喉元、眉間の高さにと徐々に前に大きく円を描くように出し、残心を示しながら右足を左足に引き揃えて刀身を左肩にとり、左手は鯉口を握り僅かに鞘を引き出す。刀身は肩にとったまま鎺を鯉口を握った左手の人差指に支える。と同時に、左足を右足の後方に引き、右手の柄を前下に伸ばし刀背(峯)を引いて切先を古生内に入れ、ゆっくりと刀身を鞘に納める。左足を右足に引き揃え、直立して右手を柄から放し、左手は親指を鍔にかけて当初の演武の位置に復する。なお、各業とも納刀の動作は同じであるが、逆足(左足前)で終了した場合(2、3、8、9、12本目)は左足を右足の後に引き納刀する。

木村高士著「長州藩相伝神道無念流」による「大村藩無念流体居合業手付」納刀
晴眼にかまえて右足を左足に引き揃えながら刀を左肩にとる。右手を柄から放し逆手に持ちかえる(長州藩相伝本手のまま)。左手は鞘の鯉口を握って、人差ゆびで刀の棟を受ける。右足を引いて同時に右手の柄を前に下げ刀の棟を鍔元から切先まで引いて鯉口に落とす。
 右手の柄を上にあげ、左手は鞘を押し下げながら、刀身三分の二を早く、後はゆっくりと納刀する左足を右足に揃えて直立する

木村高士著「長州藩相伝神道無念流}による戸賀崎無念流立居合業手付 納刀: 
(右、左足を進めて逆足となり、真向正面に「矢」と打込む。)右足を左足(前足)に揃え、左足を右足の後に引いて正眼に構える。足を進めて霞に一歩攻め入る。刀を左肩にとり、左手にて鞘を握り、左足を引き刀身を納める。右足より進んで、右回りに初めの位置に復する。

堂本明彦編著、中山善導・稲村栄一原著「中山博道剣道口述集」立居合初伝 納刀
術が完了した際、左足又は右足(後方に在った場合)を必ず前足につけると共に、諸手で刀を自分の前に垂直に刀尖を下にしてから左肩に刀峯を付けてかつぐ様にしてから、右手を逆手に持ち変えて左手を鯉口にして刀を前から納めるのである。

1、礼式と納刀について、資料を其の儘記載してあります。此処で認識を新たに、曽田本その2の「神道無念流居合」は太田龍峰著中山博道校閲「居合読本」」に記載されている神道無念流立居合12本の部分的に異なる言い回しはあっても手附けの書式など丸写しである事が分りました。
 「居合読本」は昭和9年1934年発行、私の手元にあるのは昭和15年1940年再版のものです。丁度曽田先生が資料集めに奔走し曾田本その1、その2を書かれたころとなるでしょう。
 土佐の居合を充分修行して、これでいいのかと思ったのでしょうか、他流の居合に興味を示された頃なのでしょう。

2、「居合読本」の居合と「中山博道剣道口述集」の神道無念流居合が異なる事が疑問として残ります。ご存知の方は御教示いただければ幸いです。
 礼式には大きな違いは見いだせませんが、納刀については、残心の有り様、左右足の動作の違い、右手を逆手に持ち変えて納刀する、順手の儘納刀するなど違いが見いだせます。
 どれがどうだと云う事も無い、同流の流派に依り師伝が異なる程度のもので、時間が経てば分派が他流を取り入れたりして変化の度合いが大きくなるものです。戸賀崎無念流立居合のみ掛声や飛び上がったり 納刀の際霞に構えたり異色です。
 次回以降から業手付に依り稽古して見て違いを見いだせればと思いますがどうなるでしょう。

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2019年11月16日 (土)

曾田本その2を読み解く50神道無念流立居合幾つか50の前書

曾田本その2を読み解く
50、大村藩神道無念流立居合幾つか
50の前書

 曾田本その2の巻末に神道無念流立居合12本が書き込まれて居る事は、すでに掲載しています。
 曽田先生が何処から神道無念流立居合の手附を手に入れて、どうしようとされたかがわかりませんでした。
 ふと思い出したのは昭和9年1934年に太田龍峰先生によって「居合読本」を中山博道先生の校閲という事で、中山博道居合いわゆる大森流、英信流居合の業手附を書かれています。
 そこには中山博道先生に依る第一章は大森流居合と第二章は長谷川英信流居合が納められていますが奥居合などは抜けています。代わりに第3章は神道無念流立居合12本。続いて第4章は警視庁流居合、第5章が伯耆流居合、第6章は荒木流居合、第7章は陸軍戸山学校に於ける居合、と構成されています。
 その「神道無念流立居合12本」はどうやら曾田本その2の「神道無念流立居合12本」の元になった手附の様です。

 堂本明彦編著中山善導、稲村栄一原著「中山博道剣道口述集」に立居合初伝10本、上伝20本が示されているのですが、曽田先生が記述した神道無念流立居合12本とは本数も業手附も異なります。
 「居合読本」が中山博道先生に依る大森流、長谷川英信流居合であるわけで、それは第16代後藤正亮先生の門弟も森本兎身先生によって伝えられた居合で下村茂市の門弟細川義昌の居合とも違う雰囲気です。それなのに、「居合読本」の神道無念流立居合は中山善導が記述している「中山博道剣道口述集」の神道無念流立居合とは異なるとはどういう事なのでしょう。此の事も中山博道居合と神道無念流立居合との異なる事の疑問にぶつかることになります。中山博道先生の居合も剣術も、博道先生の探求心が神道無念流を昇華していったかもしれませんし、別の要件が有ったかもしれません。
 中山善導解説になる「神道無念流伝承形 全解」の中に「ぶつぶつ」と不満を述べている行が見えるのですが、其の辺りかも知れません。

 そこで、更に資料を捜す中に木村高士著長州藩相伝神道無念流という冊子を見つけ手に入れました。その長州藩相伝の神道無念流立居合12本と曾田本に依る神道無念流12本とは略同じですが、手附の書き方や細部の業技法に幾つか違いがありました。どの流派でも所変われば何とやら師伝と称し異なる運剣はあり得るものとは理解し得ても、曽田先生の書かれた神道無念流立居合12本の出処を更に知りたくなって困ったものです。
 曾田本その2の神道無念流立居合12本は太田龍峰先生の「居合読本」を基に多少改ざんされたものの其の儘と推測されました。

 実は、手に入れた木村高士著長州藩相伝神道無念流の冊子の中に、他の藩などで行われていた神道無念流立居合12本が収録されていました。一つは大村藩に依るもの、もう一つは戸賀崎宗家無念流立居合業手付の2編となります。
 その2編と曽田先生の記述された居合とも異なる部分もありそうで、是非とも稽古して曽田先生の神道無念流立居合12本を理解出来るようにしたい願望がふつふつと湧き上がっています。
 此の道を求める求道者のわがままをお聞き届けいただき、木村高士先生の残された、文献に依りこの居合を稽古させていただき、曾田本の神道無念流立居合12本を無双直伝英信流の求道者にお許しいただきたく思います。
 同時に太田龍峰先生の「居合読本」にある神道無念流立居合12本もその文献から稽古させていただきます。
 不都合がございましたらミツヒラブログにコメントいただきたく、お願い申し上げます。出来得ればれば細部に亘る誤った部分などご教示いただければとお願いする次第です。

   ミツヒラこと松原昭夫

参考資料として下記の手附けに従って違いを明らかにして稽古を致します。
文言は、変更すると場合によっては其の流の基礎を変えてしまう可能性もあり得ますのでそのまま使用させていただきます。
 曾田本その2に依る神道無念流立居合12本
 太田龍峰先生の居合読本から神道無念流立居合12本
 木村高士先生の長州藩相伝神道無念流から立居合12本
 同じく    大村藩無念流立居合業手付12本
 同じく    戸賀﨑無念流立居合業手付12本
 
    

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2019年11月15日 (金)

曾田本その1付録抜刀術(曽田虎彦私剣 研究中)その5弛之刀

曾田本その1付録抜刀術
(曽田虎彦私剣 研究中)
その5、弛之刀

原文
是も歩ミ行内切り懸り来るを春つかりとはずして抜き次に右足を一歩踏ミ込ミて斬り下し右足を引きて高山二構へ左足を引きつゝソロリと下し納刀前同し

読み
是も歩行うち、斬り懸り来るをすっかりと外して(弛して)抜き、次に右足を一歩踏み込みて斬り下し、右足を引きて高山に構へ左足を退きつつそろりと下し納刀前に同じ。

 この手附も抜けだらけですが、古伝の気分で稽古して見れば、歩行内前方から敵が上段に振り冠って、斬り懸って来る、我は左足を踏み出し鯉口を切り右足を踏み出して柄に手を掛け左足を踏み込み刀を一尺程抜き出し、右足を少し摺り出し敵の斬りこみを誘う、敵上段から斬りこんで来るを、右足を引いて間を外しながら、刀を体に引き付け刃を左外に向け左肩を覆う様に右手は正中線上を抜上げ、敵の刀を外すや上段に振り冠って右足を踏み込むや敵の真向に切り下す。
 右足を引いて左上段に構え残心、左足を退きつつ刀を青眼に下し、血振り納刀前に同じ。
 現代居合の大森流(正座の部)附込の立居合の動作が良さそうです、但し敵は真向から切り下す刀が空を切る事も予測し我が水月迄の斬り下しならば、正面への踏み込みは危険です。右足を稍々右に踏み込み右に体を開きながら敵の左面に斜めに切り下ろすべきでしょう。或は左に体を開きながら、敵の右面に斬り下すのです。仮想敵相手の一人演武では自分に都合の良い想定で得々としていますが、敵も外されたとしても無疵なのです。
 切ってくれとばかりに切先を膝下まで切り下げ体を俯けるなど、居合の稽古でもやったことが無いことをすべきでは無いでしょう。
 
 この業は全剣連の制定居合12本目「抜打ち」が、歩行中か相対して居るかの違いはあっても要義は同じです:相対して直立している前方の敵が、突然、切りかかってくるのを、刀を抜き上げながら退いて敵の刀に空を切らせ、さらに真っ向から切り下して勝つ。
動作:直立したまますばやく刀に両手をかけ、左足を後方に引き、右足を左足近くに引きよせながら刀をすばやく頭上に抜き上げると同時に左手を柄にかけ、間をおくことなく右足を踏み込むと同時に真っ向から切り下す。
 
 古伝神傳流秘書の抜刀心持之事には「抜打」と「弛抜」が有ります。
抜打:歩み行中に抜打に切る敵を先に打心也。
弛抜:前の如く歩み行敵より先に打を体を少し開き弛して抜打に切る也。
 この「弛抜」は歩み行時前方の敵が上段から真向に斬り懸って来るのを、足を引いて外すのではなく、右か左へ少し踏み込んで体を躱しながら上段に抜き上げ片手真向でも両手真向でも良さそうです。より良いのは後足を前足の後に摺り込み、右に踏み込めば敵の左面、左ならば敵の右面でしょう。

 以上5本の立居合を曽田先生は曾田本その1の末尾に残されています。元々曾田本は曽田先生の土佐の居合の覚書ですから、古伝の業を復元研究しながら、考えていたのかも知れません。抜けだらけの手附でしたから読み込んで様々な技法が思い浮かんでも当然です。その業を稽古しながらより良い技を産み出せれば曽田先生もホッと肩の荷を下ろされる事も有ろうかと思います。

 以上で曾田本その1、その2の全てを終ります。

 

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2019年11月14日 (木)

曾田本その1付録抜刀術(曽田虎彦私剣 研究中)その4四方

曾田本その1付録抜刀術
(曽田虎彦私剣 研究中)
その4、四方

原文
是も歩ミ行内右足尓て抜き左足尓て刀を半身二胸耳添へ直二右足尓て前方を突次二左前を受希る心持尓て左後を切り右後を切り左前を切り納刀前に同し

読み
是も、歩み行くうち右足にて抜き、左足にて刀を半身に胸に添え、直に右足にて前方を突き、次に左前を受ける心持にて左後を切り、右後を切り左前を切り、納刀前に同じ。

 是も、抜けだらけですが、正面、左前、左後、右後に敵を受け、前敵が刀を抜いて上段から斬りこまんとするを、納刀したまま右足を踏み出し左手で鯉口を切り、左足を踏み出しつつ柄に右手を掛け刀を抜き出し、右足を踏み込んで敵の拳に抜き付ける。
 敵怯んで下らんとするに乗じ、左足を踏み出しつつ左半身になって刀の棟を我が胸に切先前にし刃を右外に向けて添え、右足を踏み込んで前敵を刺突する。
 次に左前の敵が斬りこんで来るのを受ける心持で、左肩を覆う様に受け流す体勢で、左足を右足に引き付け左足を軸に左回りで後に振り向き、上段に振り冠って右足を右前に踏み出し左後(振り向いた右の敵)の敵を切り、更に右肩を覆う様に上段に振り冠って、右足を左前に踏み替え右後(振り向いた左の敵)の敵を切る。
 更に、左足を軸に左回りに左前に振り向き軸に右肩を覆う様に上段に振り冠って左前の敵を其の儘の体勢で真向に斬る。血振り納刀、前に同じ。

 現代居合では、この様な相手の拳への抜き付けは失念していますが、此処は吉宗貞義の門弟として抜付けとは横一線の抜き付けで敵の抜刀せんとする拳、或いは抜刀して上段に振り冠って間を越さんとする上段の拳、又は神道無念流で学んだ下からの敵右肘への抜き付けをイメージして見ました。
 状況を想定して、演じるとこの様ですが、後方の敵に自分がなった場合、或いは前左の敵であった場合、この曽田先生の動作で生き残れるか自信はありません。
 

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2019年11月13日 (水)

曾田本その1付録抜刀術(曽田虎彦私剣 研究中)その3追加八相

曾田本その1
抜刀術付録(曽田虎彦私剣 研究中)
その3、追加八相

原文
是も歩ミ行内抜きつ希二払捨て左足を込ミて左八相より敵右首根二又右足を込ミて右八相より敵左胴二切次二左足より継足尓て真向へ切り納刀前同し。

読み
これも、歩み行くうち、抜き付けに払い捨て、左足を込みて左八相より敵(の)右首根に、又、右足を込みて右八相より敵(の)左胴に斬り、次に左足より継足にて、真向へ切り納刀前に同じ。

「追加ハ相」、「抜き付けに払捨て」、「左足を込み」などの聞きなれない言葉に惑わされますが、しごく単純な業です。前回の「追加斬撃」も不思議な言い回しでしたが、真向斬り下す事を二度行っていました。此の業も八相の切りが二度ある事を意味します。左足を込み・右足を込みは踏み込むことを言っていると解釈できます。

 これも歩み行くうち、敵が斬りこまんとする処、右足出る時鯉口を切り、左足出る時柄に手を掛け刀を抜き出し、右足を踏み込むや、切り下さんとする敵の右小手を抜き付けに横一線に払い捨て、敵退かんとするに乗じて切先を左に返して左八相にとるや左足を踏み込んで敵の右首根に逆八相に斬り付ける。更に敵退かんとするを右八相に振り冠り右足を踏み込むや敵の左胴に斬りこむ。その足踏みの儘残心、刀を右に開き血振り、納刀す。

竹刀剣道の影響から、上段に振り冠ってから八相に斬りこむ動作が現今一般的ですが切り付けた切先を返してそのまま八相に構える事としました。無駄な動作を不要とします。或は一歩譲って上段に構えるならば、其の動作は敵が退かんとする其の「ひ」に乗じて、左足を右足に引き付けつつ上段に振り冠り、真向打ち下ろしなり、八相、逆八相に斬りこむべきでしょう。 
又余談ですが、無双直伝英信流では上段の構えは、額の前上に左手で柄を握り右手を頭上後に低くして、刀尖を45度下に向けた構を所作としていますが、大きく刀を振る稽古としては良いでしょうが、この振り冠りは手打ちを養成してしまい、体を使って斬りこむ動作を妨げます。更に組太刀などで相手が切先上がりの上段で我は切先下がりの上段では簡単に打ち負かされてしまいます。一考を要します。

 

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2019年11月12日 (火)

曾田本その1付録抜刀術(曽田虎彦私剣 研究中)その2追加斬撃

曽田本その1付録抜刀術
(曽田虎彦私剣 研究中)
その2追加斬撃

原文
是も歩ミ行内冠りたる敵の拳へ抜き付左足を継き足にて一度ハ浅く二度目ハ深く斬下し次に右足を引と同時二左手を切先二刀を腰二とりて残心左足を引きて刀を開き納る也

読み
是も歩み行く内冠りたる敵の拳へ抜き付け左足を継足にて一度は浅く二度目は深く斬り下し、次に右足を引くと同時に左手を切先に、刀を腰に取りて残心
、左足を引きて刀を開き納める也。


文章に抜けが有って、それを補うには動作を付けざるを得ません。やってみます。
歩み行くうち、右足を踏み込んで鯉口を切り、左足踏み込み柄に右手を掛け刀を抜きつつ上段に振り冠って切り下ろさんとする敵の右拳に、右足を踏み込んで抜き付ける。左足を右足に引き付け上段に振り冠り、退かんとする敵の真向に右足を踏み込み顎のあたりまで斬り下し左足を継足し、再び上段に振り冠って、更に引く敵に右足を踏み込み真向より深く(水月の辺りまで)斬り下す。次に右足を後方に退くと同時に切先に左手を添え残心、十分と見るや左足を引いて刀を右に開き、その右足前の体勢の儘刀を納める。

 大森流居合の逆刀(大江居合の附込)を改変して敵の打込みを摺り落し斬り付けるのと違い、打ち下ろさんとする敵の右拳へ抜き付け、敵引く処を追い込んで斬るわけです。
「敵の拳への抜き付」がポイントですが、抜刀の方法を工夫しませんと、両断されてしまいます。序破急を目で見てわかる様な抜刀では間に合いませんし、鞘の返しなどに時間をかけている様でも両断されます。
 此処は横一線の抜き付けで一瞬に相手の拳に斬り付けるには、鯉口を切ると同時右手を柄に掛け、左手を後方に引き右手を刃を上にしたまま刀を抜き出し、切先まで抜き出すや鯉口から切先が出る瞬間に拳を返して相手の拳に抜き付けるべきでしょう。但しへぼは鯉口を切る時指を自損したり、鯉口を割ったり散々でしょう。無双直伝英信流の演武の時の抜き付けで、上段に冠った敵の打ち下ろしに応じられる人はどれだけいるでしょう。
 曽田先生のこの居合の意図する処が述べられていませんので、取り敢えず充分この業で此の動作で稽古してみて実用に堪え得る技を磨く一つでしょう。

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2019年11月11日 (月)

曾田本その1付録抜刀術(曽田虎彦私剣 研究中)その1真向斬撃

曽田本その1付録抜刀術
(曽田虎彦私剣 研究中)
その1 真向斬撃

原文
 歩み行内右足尓て抜きつ希次二左右何れ尓ても受流して体を斜前二展き直二真向へ斬り下し次二刀を開き血振納刀足踏ミハ其侭也
 受流しハ左肩なる時ハ左足を右足の前二踏ミ出して受流し次二左足を引きて冠り真向へ斬り下也又右肩なる時ハ右足を少し左二寄せて受流し右足を引きて真向へ討込む也

読み
 歩み行くうち右足にて抜きつけ、次に左右いずれにても受流して体を斜め前に開き直に真向へ斬り下し、次に刀を開き血振り、納刀、足踏みは其の侭也。
 受流しは左肩なる時は、左足を右足の前に踏み出して受流し、次に左足を引きて冠り真向へ斬り下す也。又、右肩なる時は右足を少し左に寄せて受流し右足を引きて真向へ討込む也。

 曽田先生が古伝神伝流秘書や居合兵法極意秘訣などと共に師伝を学ぶ中で研究中とは言え考案された抜刀術の業名一本目「真向斬撃」です。現代居合の奥居合立業を基礎として稽古して見ます。記載されている業数は5本あります、一本づつ毎日連載します、業名は以下の通りとなります。
1本目、真向斬撃
2本目、追加斬撃
3本目、追加八相
4本目、四方
5本目、弛シ刀

1本目、真向斬撃
 歩み行くうち、右足出たる時左手で鯉口を切り、左足を踏み込みつつ、右手を柄に掛け刀を抜き出し、敵が斬り懸らんとするや右足を踏み込み横一線に敵の右拳に抜き付ける。敵右足を引いて我が抜き付けを外すや刀を上に抜き上げ、真向から斬り下ろす、我左足を右足の稍々前に踏み込み左肩を覆う様に敵刀を頭上で受けるや左足を引いて右身となって敵刀を摺り流し左手を柄に掛けるや敵の真向に斬り下す。
 状況から右肩を囲う様に受けるべきと判断した時は、右足を稍々左に摺り込み同時に右拳を上向きに返して右肩を覆う様に取って敵の打ち込む刀を受け右足を引いて左身となって摺り落し、左手を柄に掛けるや敵の真向に打込む。
 足踏みは左肩受け流しの場合は右足前、右肩受け流しの場合は左足前の侭、刀を右に開き、納刀。
 曽田先生は受流す際、左肩を覆って敵刀を受流し、同時に左足を引いて真向に斬り下して居ます。その際右身になっていますが正面を見ているはずです。現代居合では敵は受け流されて我が左に体を流して斬られる想定です。無双直伝英信流の真向斬り下す体勢は決して前のめりになったりすることはありません。
 受け流しの際踏み込んだ左足又は右足を引いて、真向に打込んでいますが、大きく引いてしまうと間が外れてしまいます、敵は受け流されて前のめりになる程のへぼはめったに居ないでしょう。この業は仮想敵相手に自分に都合の良い間と間合いで勝つばかりでは意味のない業です。設対者に応じてもらい充分研究するものでしょう。
 横一線に小手を切られた敵が怯まずに真向に打ち込んで来るので、左足を右足前に踏み込み左肩を覆う様に体を右身に開いて受け流し左足を引いて上段から真向に斬り下す。又は右足を稍々左に 摺り込み右肩を覆う様に体を左身に開き敵刀を右に受け流し右足を引いて上段から真向に切り下す、此の場合は右足を踏み込んでから引いているのではないので右足を引いてしまうと我が体は横一線の抜き付けの位置より一歩後退して真向に斬り下すことになります。相手との間が左肩を覆う様に受け流すよりも間が遠くなるのでここは受け流されても猶追い込んで来る敵を真向に斬る、となる筈です。或は大きく踏込んで来る敵の動きを察して右肩を覆う様に受け流し右足を退き真向に斬る。
 曽田先生もご自分で足捌き体裁きを研究されたでしょうが、一本目の真向斬撃は二本の業として稽古すべきでしょう。

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2019年11月10日 (日)

曾田本その2を読み解く50曾田本その2を読み終えて

曾田本その2を読み解く
50、曾田本その2を読み終えて

 「曾田本その2を読み解く」は平成31年2019年1月23日~令和元年2019年11月10日で読み終えました。毎日アップしていますから291日291回の読み切りとなります。
 曽田先生の恩師行宗貞義先生の居合から始まり、当時盛んであったであろう大江正路先生の居合との違いに戸惑った様です。例えば大江先生の大森流居合抜方(大江先生、堀田先生共著「剣道手ほどき」)の「前」で「我体を正面に向け正座す右足を出しつゝ刀を抜付前敵を切り更に上段にとり前面の頭上を真直に斬り血拭納刀」について曽田先生の注意書きが赤字でなされています。「註 惣じて座業にて抜付けは二星を勝つ故に首に非ず拳也 虎彦

 曽田先生は、新聞や雑誌等に記載された居合関係の記事をせっせと集められて曾田本その2のメモとして張り付けられてありました。戦前の戦争へ戦争へと駆り立てて行った様子が垣間見られ、再びこのような事のない世の中を望む気持ちが高まってきたものです。
 反面お国自慢の手前みそによる居合では近代戦には勝てるわけもないのに失笑してしまいます。80年を超える戦前の印刷物ですから経年変化で不明な文字に悩まされて、かえって曽田先生の直筆の方が読みやすかったと思ったほどです。

 曽田先生は昭和18年1943年9月14日付で大日本武徳会高知県支部長高知県知事正五位勲四等高橋三郎より大日本武徳会高知県支部居合術教師を委嘱されています。曽田先生は明治23年1890年生まれですから53歳の頃となるでしょう。亡くなられたのは昭和25年1950年60歳のことでした。
 河野百錬先生は明治31年1898年生まれで曽田先生の八つ年下です。曾田本の中でも手紙による質疑の応答や大阪八重垣会の趨勢なども意識されていた様です。
 曽田本その1、及びその2を河野先生に昭和23年頃でしょう貸し出されて河野先生はそれを書き写され昭和30年に無雙直傳英信流居合兵法叢書として原文の儘発行されています。曽田先生亡き後5年後でした。
 中山博道先生とも面識があった様で書簡が残されています。

 曾田本その1およびその2を本稿を以て終了いたします。

Img_0751 Img_0756-003
1、曾田本を河野先生に貸して置いたものを返してもらったので、河野先生からまた貸してほしいとの内容。
2、中山博道先生から年賀状の返信遅れのお詫びやらなにやら達筆で読み切れていません。
書簡は、曽田本その2の表紙裏にポケットを作りその中に入って居ました。

 

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2019年11月 9日 (土)

曾田本その2を読み解く49起請文前書

曾田本その2を読み解く
49、起請文前書

1、御流儀之居合兵法傳授之趣他人者不及申為親子兄弟共堅他言仕間敷事
1、表仕組心持含他見他言仕間敷工夫若相不終於断絶弥當流善悪之批判申間敷事
1、他流之善悪常々申間敷工夫況無免者他流之者與仕合勝負論仕間敷事
 右 条々於相背者
日本国中大小神祇別而氏尊神摩利支尊天冥罰神罰忽可罷蒙者也

年 月 日
原籍    姓名  ▢
何某 殿
(冠称 尊師 恩師 等々)

1、御流儀の居合兵法伝授の趣、他人申すに及ばず親子兄弟為れども他言しまじき事
1、表仕組心持ち、他見、他言、工夫しまじきを含む、もし終わらざるに於いては断絶するに当流の善悪の批判申すまじき事
1、他流の善悪常々の工夫申すまじく、況や無免の者他流の者と仕合勝負の論しまじき事
右の条々相背く者は 
日本国中大小の神祇、別して氏尊神、摩利支尊天に罰をくらい、神罰忽ち蒙るべきもの也
年 月 日
原籍    姓名  ▢
何某 殿
(冠称 尊師 恩師 等々)

 この起請文の出典は判りません。

 現今この様な起請文を書かせる流派や道場があって然るべきとは思いません。なぜならば如何なる人でもその力量を越えた批判や業技法を他見、他言出来るわけもなく本物であるか否かも他人が判断する事すらも出来ないでしょう。むしろ積極的に流の業技法を公開し、同じ思いの同士で本物を求めてつどい、資料を出し合い研究すべきでしょう。其の努力を怠って、まがい物を将来にわたって伝承すべきとは思えません。
「昔はこうだった」と言われるたびに「さて」が浮かんできて、昔の手附を見せてくれとせがんでもせいぜい目録ばかり。

 門人の数の多い道場では口伝口授で師の看取り稽古ならまだしも兄弟子の看取り稽古がやたら多すぎです。
 師なるもの自ら指導すべきでしょう。ある人の居合を拝見して、「之が師匠から手ほどきされた居合です」、と言われて「そうか」と思っていたのですが、その師と言われる人の動画が残って居てそれを拝見すると所作も雰囲気も違うのです。
 兄弟子と言われる人の動画を探し出してそれを拝見すると其の人の居合とそっくりなのです。その兄弟子は他派から師匠の所に移って来た人で、師匠の居合には重厚さが有るのですが兄弟子の居合は華麗ですが軽いのです。どちらが良いとか悪いとかではなく、教わるべき事を教わらなかっただけのことです。
 それでは残念ながら「師に習った」は疑問です。
 

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2019年11月 8日 (金)

曾田本その2を読み解く48刀剣各部の名称

曾田本その2を読み解く
48、刀剣各部の名称

Img_0744

Img_0749

 曾田本その2は曽田先生のメモ帖のようなもので、この刀剣の名称もその一つでしょう。写真では読みずらいですが各部の名称は大きく違う事も無いので特筆する事もありません。

 

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2019年11月 7日 (木)

曾田本その2を読み解く48スクラップ中山範士との一問一答

曾田本その2を読み解く
48、スクラップ
中山範士との一問一答
台湾 藤田傊治郎(ふじたいんじろう)

 昭和11年8月5日中山博道範士が明治大学の学生を引率して台湾に来られた際に剣道に関する平日の疑問をお尋ねした所明解に教へられたから同志の方々にお伝へしたいと思ふ。但本稿は範士の校閲を得たものでないから文責は全く筆者に在り。
1、右拳を鍔より甚しく離して可なりや。
 答、真刀ならば鍔より5分丈離して持たざれば拳の自由を得難し。故に竹刀もその位は離して可なり。それ以上甚だしく離して持つは不可なり。
2、胴を打つ時左拳を右拳に著くまで絞りて可なりや。
 答、真刀は柄の長さが適当なるにより絞る要なし。竹刀は少し長きに依り真刀の柄の長さ位まで絞るは可なり即ち凡そ一握の間隔まで絞るは差支へなし。場合に依りては少し絞らざれば刀が反らざることあり。真刀ならば常に適当に反る長さなり。
3、相手の竹刀を自分の肩にて支ふる者あり如何。
 答、大に不可なり。真刀ならば出来ぬことなり。
4、相手の竹刀を打つは如何。
 答、不可なり。真刀ならば濫に打たば自分の刀が折れることなり。
5、間合と間との別如何。
 答、間合は相手と自分との間の隔りなり。間とは自分の防禦攻撃力の及ぶ範囲のことなり。故に自分の間をば決して相手に侵さしむべからず。敵の間をば侵すを要す。
6、心の間合とは如何。
 離れたる時は近く思ひ、近く寄りたる時は遠く思ひて常に心にて間合を調節することなり近くなりたりと思へば気あせりて失敗す。又遠くなりたる時遠くなりたりと思へば打ち得ず。
7、我より近く敵より遠き間合とは如何。
 答、例へば敵が小手を打ち来たりし時敵の剣先を自分の右へ外し己は敵の小手を打つが如し即ち敵の剣先は自分より離れ居るに依り遠し。反対に自分の剣は敵に近し。
8、審判の稽古も為る要ありと思ふが如何。
 答、大に然り。審判の決定は明瞭に「何あり」と宣告し一面記録係に知らせ他面観衆にも知らすを要す。
9、審判者が決定の理由を述ぶるの要なしと思ふが如何。
 答、大に然り。「何あり」と一言すれば可なり。又「不十分」なりといふが如きことも不要なり。只黙して居れば可なり。

 面白い質問とその回答です。1、から4などは真剣ならばやらない動作を竹刀では、やってしまう事を戒めているのでしょう。剣道は真剣を以ての勝負という事を強く意識している様です。当然のことですが、竹刀や木刀では何の躊躇もなくやってしまうのでしょう。特に4、などは何処までなのか解答は疑問ですが、相手の刀が邪魔で払う、或いは打込まれて請け太刀となるなど、古流の形稽古でも見受けるものですが、奥義は「往なす」と同時に「斬る」でしょう。無雙直傳英信流の大江居合の7本の形は受太刀の連続を平気でやってます。真剣による居合の稽古の一環として間と間合いや気の稽古程度で考えていること自体疑問です。
 5,6,7、は形稽古の中でしっかり身に着けるべきもので、早い強いの棒振りの結果の勝では「当てっこ」と言われても仕方がないことです。
 8,9、は大いに然りでしょう。

 

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2019年11月 6日 (水)

曾田本その2を読み解く47スクラップ日本刀の反り

曾田本その2を読み解く
47、スクラップ日本刀の反り
佐藤藤佐

 日本刀の姿の美しさは、その反りに負うところが多い。刃部を外にして弓形に反ったその姿は秋さり烈日を想わせる。古の名匠がこの美しさを作り出すために苦心したことを想像するに難くはない。
 実は刀鍛冶が反りのある刀を鍛造するのではなくて、水中に焼入れた瞬間に刃の部が峯よりも膨張して、あの美しい反りが現れるのである。この辺の呼吸は刀匠が一子相伝とした秘法であった。
 今日では金属学の進歩が日本刀の科学をも鮮明にしてくれた。日本刀の刃部は切れ味を良くするために炭素量約0.7%の鋼であるが、これは焼入れで堅く脆くなるから、棟は炭素量0.1%程度の軟鋼で作り、焼入れても硬化しないから粘くておれるようなことはない。
 日本刀の優秀性は実にこの両性質を備えたところにある。
 鍛錬した日本刀の焼入のために800度ぐらいに熱すると、刃も峯も大洲田と称する組織になる。これを焼入れると棟には焼が入らず、元の地鉄の組織に戻るが、刃には焼が入って麻留田という堅い組織になり、約4%の膨張をする。そのために刃部を外に下反りが生ずるのである。(筆者は、工博・東北帝大教授)
*
 このスクラップも恐らく昭和20年以前のものではないかと推測します。日本刀の反り及び刃の切れ味の研究は当時より進んでいるだろうとおもいます。
 ウィキドペディアにものっていますので興味の有る方はそちらでご確認ください。
参考に大洲田はオーステナイト、麻留田はマルティンサイトの事、戦前の事でしょうから無理やり日本語風に漢字を当て字したものと思われます。

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2019年11月 5日 (火)

曾田本その2を読み解く46行宗先生より中村虎猪氏に授与したる中傳書写46の9曲尺及び奥書

曾田本その2を読み解く
46、行宗先生より中村虎猪氏に授与したる中傳書写
46の9曲尺及び奥書

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 凡そ居合術は曲尺を以て身体の所置手足の離合等を論ずるものなれば其宜しきに違(?)戻すべからず又た業を行ふ時も行なわさる時も常に身心を正しうすべし。

 居合術を学ぶ者の注意すべき点2、3を揚ぐれば左の如し。
1、人と対談する時。
1、多衆人の中に通路する時。
1、暗夜通路の時。
1、路の曲りを通行する時、

 古歌一首
劔とる道は数多に岐るれど
    敵の心を我が物とせよ

 右中傳今般貴殿に授与し広く斯道を伝授する事を許容するもの也
 明治39年秋8月27日
 大日本武徳会高知支部
 居合術講習係 行宗貞義
 中村虎猪殿

 中村虎猪への中傳の奥書になるのですが、、初めは抜き付けの絵が書き込まれ、抜き付けの正しい姿は右側の絵の様に、刀は正中線と平行に、切先は正面を向き、右手は正中線に45度となる形で、左側の様に切先が正中線上で止まるものではない。とするのです。一刀目の抜き付けで敵を制するもので、切り払えと云うことで右に流れたり、途中で止まる様では不可という事でしょう。
 この体勢に依るもので、身体の所置手足の形による離合の良し悪しを論じて、行うもので安易に流れるべきではない。またいかなる時も身心は正しくあるべきである。
 文章表現からこの様に読み解いてみましたが、異論もあって然るべきものでしょう。

 左の図は現代では全剣連居合の制定居合一本目前、或いは夢想神傳流の初発刀の形になるでしょう。是を否定しています。
 無双直伝英信流は左の図の上体が45度左へ開いて切先を正中線に並行させると右拳関節が延びた延手になるので好ましくありません。此処は上体を正面に正対させるべきでしょう。 
 その場合、刀は正中線に並行にしてしまうと切先は敵の正中線から人身幅程斬り抜くことになります。是では切先は敵の左肩の垂直線上から外れ過ぎです。一考を要する処でしょう。切手で抜付ければ、上体を正態させていれば切先は敵の方の垂直線上に納まる筈です。

 居合を学ぶ者の注意すべき点は2、3が4項目になっています。人と対談する時、大勢の人の中を通過する時、暗夜の通路、道の曲がり角を通る時、と並べています。この場所で何を注意すべきかは述べられていません。一般的に想像する、議論の食い違い、人を敬うべき態度、危険や危害を加えられやすい場所の用心。

 古歌は剣術を修業する道は多岐に渡るものであるが、敵の心を我が物として稽古せよと云うのでしょう。
 この中傳以降の免許は、中村虎猪しが授与されたものは見当たりません。中傳の目録授与という事ですが、目録に手附けが附随しているのは珍しいものでしょう。
 明治39年は西暦1906年ですから今から113年前のものです。奥書の行宗貞義先生の肩書きには無双直伝英信流とはされずに、大日本武徳会の肩書きです。何を意味するものなのか不明ですが、行宗先生は下村茂市の門人だったとされています。下村茂市より根元之巻もその他伝書の授与は受けていなかったろうと思われます。従って現職の大日本武徳会高知支部居合術講習係とされたのかも知れません。
 この、行宗先生に依る中村虎猪への中傳は、河野先生の「無雙直傳英信流居合兵法叢書」には掲載されています。

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2019年11月 4日 (月)

曾田本その2を読み解く46行宗先生より中村虎猪氏に授与したる中傳書写46の8長谷川流居合術瀧落

曾田本その2を読み解く
46、行宗先生より中村虎猪氏に授与したる中傳書写
46の8長谷川流居合術
1、瀧落 敵我鐺を取り上へおしあげる所を前へたち抜くひょうしに鐺にて突く

神傳流秘書:刀の鞘と共に左の足を一拍子に出して抜て後を突きすぐに右の足を踏込み打込み開き納る此事は後よりこじりをおっ取りたる処也故に抜時こじりを以て當心持有り。
大江居合:後を向き、徐ろに立ちて左足を後へ、一歩引き鞘を握りたる左手を其儘膝下真直に下げ、鐺を上げ後方を顧み、右手を膝上に置き同体にて左足を出し、右手を柄に掛け胸に當て右足を前に進むと同時に抜き、刀峯を胸部に當て、同体の儘左へ転旋して、体を後向け左足を前となし、其体の儘胸に當てたる刀を右手を伸ばし刀は刃を右横に平として突き左足を出しつゝ上段に取り、左膝を着き座しつゝ頭上を斬る、血拭い刀を納む。
細川居合:(後に座して居る者を斬る)正面より(左廻りに)後向き居合膝に座し、左手にて鯉口を握り立上がり(後者が右膝を立て鐺を握り引き止る)右足を踏出し柄を左へ突出し、左後へ振向き対手を見つつ急に左足を前へ踏越す、同時に柄を右肩の前へ引上げ右手を掛け、更に右足を前へ踏出すなり刀を引抜き鞘は後へ突込み鐺で対手を突き、刀の棟を胸部へ引付け(左より)後へ向くなり左足右足と踏み込み対手の胸部へ突込み、更に右足踏込みつつ諸手上段に冠り大きく斬込み、刀を開き納めつつ蹲踞し左足踵上へ臀部を下すなり右脛を引付け納め終る。

 後に座す敵が、我が鐺を握り上へ押し上げるなり、操作できない様に引くなりする、大江居合は我が動作のみを記述し、この業は何の為に行うのかが見えないのはどうも対敵意識が乏しい気がしてしまいます。右手で握られた、左手で握られた、強く握られた、軽く握られたなどの状況も有ろうかと思いますが、あらゆる状況での握りに応じて振り捥ぐにはどうすれば有効かを研究して置きませんと厄介な想定です。
 神傳流秘書は文章通り演じれば、敵に鐺を握られたならば、すっと立ち上がり、左足を前に踏み出すと同時に柄を胸に引き当て鞘を左足に添わせ(刀の鞘と共に左の足を一拍子に出して)敵手を振り払う、柄を水平に引き戻す際敵の小手なりに鐺を打ち当てて、刀を抜き放ち同時に右足を前に踏み込む。敵退かんとするに乗じて刀の峰を胸に当て、其の足の儘左廻りに振り向き、刃を右にして右片手で敵の胸部へ突き込む。
 敵退く所を更に追い込んで右足を踏み込み上段から真向に斬り下し血振り納刀。

 細川居合の足裁きがやや多く複雑です。座した足の儘左足後ろで立ち上がり、右足を踏み出し柄を左に向け相手を見て、急に左足を前に踏み出し柄を右肩上に引き上げ、敵の握る手を外し、右足を前に踏み出し刀を抜き出し棟を胸に付けるや振り向くや左足を踏み込み右足を踏み込んで相手の胸部を刺突する。更に右足を踏み込んで上段から斬りこむ。鐺を握られた状況や、相手との間合いに依って足捌きは変わるわけで、演武会の踊りは兎も角頭は柔らかくしていたいものです。

 刀を抜き出す際、鐺で相手を打つ或いは突く教えが神傳流秘書にある訳で、現代居合では無視した様な動作、或いは過度の協調した動作など見られます。敵との間を拡げない様に足捌きは研究しませんと、形は出来ていても術が有効でない場合があるものです。形だからなどと嘯く輩とは一緒に居ても意味は無しです。

以上で、長谷川流居合の各業の行宗居合からの解説を終ります。中傳の伝書に戻ります。
 

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2019年11月 3日 (日)

曾田本その2を読み解く46行宗先生より中村虎猪氏に授与したる中傳書写46の7長谷川流居合術波返

曾田本その2を読み解く
46、行宗先生より中村虎猪に授与したる中傳書写
46の7長谷川流居合術
1、波返 右同前
   鱗返:敵は真向いて抜かんとかまえる力声にてもかくれがたくさままはって抜付て勝つ

神傳流秘書:鱗返に同じ後へ抜付打込み開き納る後へ廻ると脇へ廻ると計相違也
大江居合:(浪返し)後へ向き左より正面へ両足先にて廻り、中腰となる、左足を引き、水平に抜付け上段に取り、座しながら前面を斬る也。血拭ひ刀納めは前と同じ。
細川居合:(後に立って居る者を斬る)正面より(左へ廻り)後むきい合い膝に座し、例により左手にて鯉口を切り、右手を柄に掛け抜きつつ腰を伸し左へくるりと廻り、正面へ向くなり立上り左足を一歩後へ退くと同時に(対手の右側面へ)抜付け(対手倒れる)、左足を右足横へ跪きつつ刀尖を左後ろへ突込み 諸手上段に引冠り右足踏込んで斬込み刀を開き納め終る。

波返(浪返し)は、敵は我が後ろに座し刀を抜いて切り付けんとする気配を感じ、機先を制して、刀に手を掛け左廻りに振り返って敵に向くや左足を後方に退いて、抜き付け振り冠って真向に斬り下す。
 敵の何処に抜き付けるのかは、吉宗居合も、神傳流秘書も指定していません。まして敵の動作を想定するのも「ご勝手に想像して下さい」とばかりに何も言って居ません。吉宗居合では後ろに廻って抜き付けて勝つ、なので真向からの斬り下しもあるやなしやです。
 大江居合も「座しながら前面を斬る也」と言い切っています」中腰となって左足を引けば低い水平の抜き付けでしょう。抜付けは土佐の居合は指定されなければ横一線の抜き付けです。相手の動きによってはこの抜付けでは何処に斬り付けることになるのか其処はおおらかなものです。
 細川居合では(後に立って居る者を斬る)ですから「正面向へ向くなり立上り左足を一歩退くと同時に相手の右側面へ抜き付ける」立って居る者の右側面は大雑把な目標ですが、相手の背丈や立ち方に依るゆうこうな右側面は瞬時に「自分で判断しろ」という事になります。
 此処まで稽古を続けて来た者にはこの動作だけならば大して難しくないと思いますが、実戦であれば上手に形を演じるばかりでは両断されてしまいます。

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2019年11月 2日 (土)

曾田本その2を読み解く46行宗先生より中村虎猪氏に授与したる中傳書写46の6長谷川流居合術鱗返

曾田本その2を読み解く
46、行宗先生より中村虎猪氏に授与したる中傳書写
46の6長谷川流居合術
1、鱗返 敵の真向にて抜かんとかまえる力声にてもかくれがたくさままはって抜付て勝つ

神傳流秘書:左脇へ廻り抜付打込み開き納る(秘書には岩波と同じ事を記しあり口伝口授のとき写し違へたるならん)
大江居合:右に向き、左より廻りて正面に向かひ、中腰にて左足を引きて抜付け、此抜付けは水平とする事、上段に取り、座しながら斬り落すなり。血拭ひ刀納めは前と同じ。中腰は両膝を浮めて抜付けるなり。(敵の甲手を斬る)。
細川居合:(左側に座して居る者を斬る)正面より右向き、・・鯉口を切り右手を柄に掛け腰を伸しつつ左へ廻り、正面を向くなり立ち上り、左足を大きく後方へ退き、腰を低く下げ(対手の右側面へ)抜付け、左足を右足横へ跪きつつ、刀尖を左後へ突込み右上段に引冠り、更に右足を踏込んで斬込み刀を開き納め終る。

 行宗居合の鱗返しは、書写間違いなのか読み解くことが出来ませんが、敵は、右向きに座す我の右脇に座し我が方を向いて(真向)抜かんとする、「力声にてもかくれがたくさままはって抜付」は、読み解くのは勝手な憶測するのも面白くないので、状況判断から左に廻って抜き打つ。のでしょう。
 鱗返しは、敵は我が左脇に同方向を向いて並んで坐している、大江居合では道場の正面に対し右向きに座している、其の正面に敵が座し仕掛けてこようとするので左回りに正面に向き左足を引いて敵の拳に抜き付け、左足を右足に引き付け上段に振り冠って右足を踏み込んで座しながら打込む。
 細川居合は大江先生の同門の細川義昌先生が香川の植田平太郎に伝授した下村茂市定の居合を引き継いだ尾形郷一貫心の居合を梅本三男先生が纏められ広島の貫正館発行の「居合兵法無雙神伝抜刀術」に依ります。
 大江居合が立膝から腰を浮かして左回りに敵に向かい中腰にて左足を引いて敵の拳に抜き付けていますが、細川居合は腰を伸ばして(浮かして)正面に向くなり立ち上がり左足を大きく後方に引いて、腰を上げて敵の右側面に抜き付けています。敵の右側面の何処という指定はありませんから水平に抜き付ける稽古をして敵の右肩からコメカミ辺りに抜き付けるとすれば良しでしょう。大江居合は敵の拳(甲手)ですから、敵の動きの中の移動する拳への水平抜き付けは熟練を要します。

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2019年11月 1日 (金)

曾田本その2を読み解く46行宗先生より中村虎猪氏に授与したる中傳書写46の5長谷川流居合術岩浪

曾田本その2を読み解く
46、行宗先生より中村虎猪氏に授与したる中傳書写
46の5長谷川流居合術
1、岩浪 敵にて左の方より我が胸を取んと両手を出す時我柄を左足の方へよぢて敵の胸乳の上へ切先上りに突込勝つ。

神傳流秘書:左へ振り向き左の足を引刀を抜左の手切先へ添へ右の膝の外より突く膝の内に引き後山下風に同じ。
大江居合:右に向き、左足を後へ引き、刀を体前に抜き直に左手にて刀尖を押へ、右膝頭の處へ着け、左足を右足に寄せ、体を正面に直し、左手と右手とを水平とし、右足を其儘一度踏み全体を上に伸し、直に体を落し、左膝を突き右手を差伸し、左手は刀尖を押へたる儘、伸ばして刀を斜め形として敵之胸を突き、右足を右へ充分引き変へ体を右向きとし、両手にて刀を横に引き、敵を引き倒し、その姿勢にて刀を振り右肩上にかざし、上段に取ると、同時に左足を後へ引き、右足を前にて踏み変へ正面に向いて上段より斬る。(左の敵の胸を突く)
細川居合:・・右手を柄に掛け腰を浮しつつ前へ俯き、左足を後へ退き刀を前へ引抜き、刀尖放れ際に左膝頭をつかへ刀尖の棟へ左手の拇指を示指で挟む様に添へ、右膝を左足に引き寄せつつ正面を向く、同時に(刃部を下へ向け刀尖を前柄は後水平に)刀を右膝横へ引付、右足を少し踏み出すと共に対敵の左横腹へ突込み、刀の腰へ左手の四指を添へ切先下へ柄頭を後上へ引上げつつ右足を右後へ退き(体は再び正面より右向きとなりつつ)対手を押倒し、左膝を跪き右足を向うへ踏出すと同時に刀尖を上より後へ振返し、双手を向うへ突き出し横一文字に構へ(視線は左正面の対手に注ぐ)左膝を右足に引き寄せ主面へ向きつつ右上段に振冠り、右足踏込んで斬り込み刀を開き納め終る。

 相手の仕掛けて来る様子が何処にも見い出せないまま相手を刺突している様です。いわゆる仮想敵は如何様でも良いのでしょう。そこへ行くと行宗居合は、敵が「我が胸を取らんと両手を出す時」に応じる前提です。河野先生の昭和13年1938年発行の無雙直傳英信流居合道の立膝の部岩浪の意義として「横列に座し居る場合、吾が左側に近接して座す敵の動向を察知し其の機先を制して、直ちに左に向きその右胸部を刺突して勝つの意なり」とされています。この文章から岩浪の敵の仕掛けは穂岐山先生からも指導されていなかった、業の動作だけが伝えられたとしか思えません。

 曾田本その2に「大阪八重垣会幹事?剣道錬士河野氏との文通質疑より質問を受けたる事項次の如し」という覚書があってその中に「居合は本来の目的よりして剣道の所謂先々の先にあらずして先又は後の先の一刀と信じますが、上意抜打ちは別とし(之とて上意と呼びてなすとする)一切敵を「ダマシ」打にする事は無之と信じますが、立膝の岩浪に於て左に向き右足トンと踏みたる時敵ハッと右に振りたる其の胸(又はのど)をさすと説くは丁度之にては「ダマシ」打ち之あり、本業の正しき解義を是▢御教示の程御願申上ます」と河野先生は曽田先生に手紙で質問されています。これに対して曽田先生は「解説、正面より我刀柄を取り押えんとするにより我先に廻り柄を右によじて刀を抜き敵を突く技にて決し「ダマシ打」にあらず、当突時足を「ドン」と踏むは突く刀勢を添ふるものなるにより(又一説には敵我刀を押えんとする其柄をふむ心持ありと)音をせずして突くもあること心懸くべし」と回答しています。(2019年9月29日ブログ掲載)

 曽田先生との文通で、河野先生は、敵が我が柄を取り押さえに来るのかと、目から鱗が落ちたでしょう。昭和17年1942年の大日本居合道図譜の立膝の部岩浪の意義は「我が左側の敵が我が柄を制せんとするを、其の機先を制して胸部を刺突して勝つの意なり」と明快にされています。しかしこれは河野先生の独創ではないかと言えるのですが、曽田先生の回答がそれを後押ししているのでしょう。曽田先生は行宗先生の弟子でした、行宗先生は敵が我が胸を取りに来るのでした。

 業の意義を追及していきますと、「敵が我が柄を取りに来るので、柄を取られない様に刀を抜き出し、敵がハッとして引き下がるに従って振り向いて胸部を刺突する」と尾ひれがついてきます。
 古伝神傳流秘書は「左へ振り向き左の足を引刀を抜左の手切先へ添へ右の膝の外より突」でした。敵の動向を察して、右足を軸に敵の方に振り向きながら刀を抜き出し左足を後方に引き抜刀するや左手を切先に添え右膝の外に付けて刺突体制をとって左膝を着くと同時に刺突しているのです。」

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2019年10月31日 (木)

曾田本その2を読み解く46行宗先生より中村虎猪氏に授与したる中傳書写46の4長谷川流居合術颪

曾田本その2を読み解く
46、行宗先生より中村虎猪氏に授与したる中傳書写
46の4長谷川流居合術
1、颪 敵抜かけ来る処にて我右足にてふみおとす心にて胸へ抜付け勝つ

 前回までに浮雲迄を解説して来ました。動作が複雑になって手附の文章が長く、複雑になりました。今回も似たようなところが有りそうです。

 神傳流秘書 山下風:右へ振り向き右の足と右の手を柄と一所にて打倒し抜付後同前
  大江居合 颪(又山おろしとも云う):左向き腰を浮めて右斜めに向き、柄止め、直に左へ足を摺り込み、其踵へ臀部を乗せ右斜向体となり、斜刀にて筋変へに打ち其形状にて左手は刀峯を押へ、左足を左横に変へ、刀を右へと両手を伸ばして引き、敵体を引き倒すと同時に右足を右斜へ寄せ、直に其刀を右肩上の處にかざし左足を後部に引き右足を出し、正面に向き上段となりて斬るなり。血拭い刀納む。(敵の眼を柄にて打つ進んで胸を斬り更に頭上を斬る)
 細川居合 山下風:(右側に座して居る者を斬る)正面より右向き・・体を右へ廻し正面へ向くなり右足を引付けると同時に柄を右胸上部へ引上げ右手を柄に逆手に掛け右足踏出すと共に鍔にて対手の左横顔を打ち直ぐ右足を引寄せる。同時に鯉口を腹部へ引付け、刀を右真横へ引抜き(切先き放れ際に)左膝を左へ捻り正面より左向きとなり対手の胸元へ(切先上りに手元下りに)斜に抜付け、更に体を右へ捻り戻しつつ刀の腰に左手の四指を添へ刀尖を下へ柄頭を後上へ引上げ体を右へ廻しつつ対手の体を押倒すなり(正面より右向きとなり)左足を跪き刀尖を(上より)後へ振返し右足踏だすと共に双手を向うへ突出し横一文字に構へ(視線は左正面の対手に注ぐ)左膝を右足へ引寄せつつ諸手上段に振り冠り右足を正面へ踏み出し(胴体へ)斬込み刀を開き納め終る。

 行宗先生の長谷川流の颪は「敵が抜きかけ来る処」を右足で「ふみおとす」そして胸に抜きかけて勝つ業だそうです。中山博道の夢想神傳流の山下嵐が行宗居合の様でした。
 神傳流秘書の山下風は敵の起こりは語られず一方的に「右の足と右の手を柄と一所にて打倒す」と意味不明な文章です。現代居合の夢想神傳流を思い浮かべて、浮雲が敵が柄を取り来るのだからこの業は、同方向に向いて坐している敵が、我が方を向き柄に手を掛け抜き付けんとする、その敵の柄手を我が鍔で打ち右膝を我が右足で打倒して、打ち倒した敵に抜き付けるのも変ですが、起き上がる処を抜き付け、引き倒して、上段から打ち込むのでもいいかなと思えるし、敵が柄を取りに来るのを避けて打ち据えるのもいいかなといった程度で妥協します。

 大江居合は敵の動作は「柄止め」とだけあるのですが、敵が抜かんとするのを「柄止め」するのか、敵が我が柄を取らんとするのを止める「柄止め」なのか疑問です。我が敵のぬかんとするのに行宗居合の様に柄止めして、或いは敵が我が柄を取らんとするのを柄止めして、斜めに抜き付け、敵体を引き倒し、上段となって切り下ろすのでしょう。

 細川居合も解かりずらい、敵の動作は不明ですが、柄を右胸に引き付け右手で逆手に持ち、(反りを返すのでしょう)斬り、敵の左横顔を鍔で打つ、刀を右真横へ抜いてから切先上がりに敵の胸へ斬り付ける、敵を押し倒し、上段から切り込む。

 第20代無雙直伝英信流の宗家河野百錬先生の昭和8年1923年発行の「無雙直傳英信流居合術全」から「颪」:意義 正面より左向に立膝に座し、・・左手を鯉口に掛け鯉口を握りたるまゝ拇指を鍔にかけ右手を柄に掛け、右足を踏み込みつゝ柄頭にて敵の顔面を一撃し、左足を引き付けつゝ右手にて刀を抜きつゝ腰を十分左にひねりて抜き放ち敵の胸元へ切り付け(体は左にみぎ膝は浮かし左膝は下に付く)顔は正面に向け左足を少し後に引き左手の四指をかたなの腰に当て、敵を横に引倒すや右足を正面より右(九十度)に踏み開き肩の高さに右拳を伸ばし(顔は正面に向く)刀を後にはねかえし、みぎあしにて廻り正面に向き乍ら雙手上段に冠り真向に斬込みて納め終ること同前。

此処でも何故「柄頭にて敵の顔面を一撃し」たのか説明はありません、顔面の何処とも言って居ません。昭和17年1942年の河野先生の「大日本居合道図譜」の颪では:浮雲と同様に我が柄を取らんとするを我れ柄頭を敵の顔面に当てる、敵退かんとするを直に其胸部に斬込み右に引倒して上段より胴を斬下して勝つ。 
 動作の解説の中では、柄を敵が取りに来るので、柄を左に逃すや右上方に半円を描く心持にて・・顔面に柄当てするそうです。河野先生の独創かこの辺りも気になる所です。
 そこで昭和13年1938年の山内豊健、谷田左一著「図解居合詳説」の「颪(又山おろしとも云ふ):目的 右側に坐って居る敵が、我に斬り掛かろうとするので、先ず柄頭を以て敵の眼に柄当てを行い、其のひるむ処を胸に斬り付け、更に之を引き倒して、頭上を両断するのである。

 古伝神傳流秘書の教えが抜けだらけなために、昭和になっても夫々の師伝か独創ばかりでした。恐らくどれも指導されてきた名残をとどめながら動作をして来た結果でしょう。どの様な状況に於いても応じられることが出来なければ武術ではないわけで、それぞれの状況下での最善を盡せれば良しでしょう。

以下次号 
 

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2019年10月30日 (水)

曾田本その2を読み解く46行宗先生より中村虎猪氏に授与したる中傳書写46の3長谷川流居合術浮雲

曾田本その2を読み解く
46、行宗先生より中村虎猪氏に授与したる中傳書写
46の3長谷川流居合術
1、浮雲 右脇より我柄を取来る時。

 前回に置いて横雲・虎一足・稲妻の3本について、古伝神傳流秘書・大江居合・細川居合から行宗居合の意義を考えて来ました。今回は浮雲・颪・稲妻の三本を同様に稽古して見ます。

1、浮雲:右脇より我柄を取来る時。
 神傳流秘書:右へ振り向き足を踏みもぢ彳腰をひねり抜付左の手を添へて敵を突倒す心にて右の足上拍子に刀をすねへ引切先を後へはね扨上へ冠り膝の外へ打込み後同前又刀を引て切先を後へはねずして取って打込事も有。
 大江居合:左向き静かに立ち、中腰となりて左足を後へ少し引き、刀を左手にて左横に開き、右手を頭上に乗せて力を入れる、其開きたる状態より左足を右足前方へ一文字となし刀は柄を右手に握り、胸に当て右の下へ抜きつつ体を右へ廻し、刀尖の三寸残りし時、中腰となり右横より左へひねり正面にむけ抜付け折り返して打ち左手の内にて刀峯を押へ伸ばし右手は弓張とし、右左を右斜めへ引き、其膝をつき、敵を引き倒し、直に刀を肩上にてかざし、上段にて正面に直り左斜めを斬る、此時膝頭外にて両手を止む、血拭い刀を納む(敵三人並び一人の敵を置き先の敵を斬る時)。
 細川居合:(右側に座して居る者を斬る)・・立上り、柄諸共左足を前に踏出し(視線は右正面の対手に注ぐ)、体を右へ廻し正面へ向きつつ柄を上げ対手の頭上を越さすようにして刀を前腹へ横たへると同時に左足の裏を上に向け右足の前を越させ足を交叉し、膝頭を左右へ割り腰を下げ刀を右真横へ引抜き切先放れ際に体を左へ捻り正面より左向きとなりつつ対手の胸元へ斜に(切先き上りに手元下りに)抜付け、体を右へ捻り戻しつつ刀の腰に左手の四指を添へ体は正面より右向きとなりながら刀尖を下げ柄頭を右後へ引上げ対手の体を押し倒すなり、右膝を跪き刀尖を上より後へ振返し双手を向へ突出し横一文字に構へ(視線は正面の対手に注ぐ)右膝を正面へ進ませつつ左上段に振り冠り左足を踏出し其脛を少し右へ倒し膝の外側へ(胴体に)斬込み刀を開き納め終る。

 右側の敵が刀の柄を取ろうと手を伸ばして来るのを、柄を左に開き立ち上って外すや、柄を上げて右手を柄に掛け同時に左足を右足前に踏み込み、体を相手に向けるや相手の胸に切先下がりに抜き付ける、左手で刀の棟を押さえ膝を着いて相手を右に押し倒す、刀尖を振り上げて上段に振り冠り左膝の外側に斬り下し刀を納める。ざっとこんな動作でしょう。大江先生の浮雲の動作は、まず敵は右に居並ぶ一人置いて二人目の敵が柄を取りに来るそうです。古伝にはその様な事は掛れていないのに何故そうするのか、古伝の手附と違うより先にその動作が読み取れません。右脇の敵が仕掛けても、其の右隣でも動作は大して変わらない書き方です。一人置いた二人目の敵ならば、一人目を押し退けるか、その前から越して来るかに依ります、越して来るならば我が座した右前から手を伸ばして来る筈です。
 刀を左に開いて敵手を外した時、右手を頭上に乗せる意味が不明です。特に「頭上に乗せて力を入れる」と何の効果があるのでしょう。体を左に捻ってから正面に向けて抜き付ける、軌道は横一線なのか、次の「折り返して打ち」の意味する所も疑問です。大江居合の筆者は大江先生の居合を見て其の動作を記述したであろうと思われ大江先生の監修を受けていたか疑問です。
 大江居合、細川居合とも夫々有効な動作であるならばそれを稽古すればよいのですが、此の業の動作は文章が複雑すぎて手附から稽古するのは厄介です。何故そうするの何故が抜け落ちた手附けといえると思います。当然その道統の方には口伝口授師匠の演武があって演じられるのでしょう。

以下次号とします。 
 

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2019年10月29日 (火)

曾田本その2を読み解く46行宗先生より中村虎猪氏に授与したる中傳書写46の2長谷川流居合術横雲虎一足稲妻

曾田本その2を読み解く
46、行宗先生より中村虎猪氏に授与したる中傳書写
46の2長谷川流居合術

1、横雲  敵の拳へ抜付
1、虎一足 敵先に抜付
1、稲妻  敵の打込拳へ抜付 

1、浮雲  右脇より我柄を取来る時
1、颪   敵抜かけ来る処にて我が右足にて敵の柄をふみおとす心にて胸へ抜付け勝つ
1、岩浪  敵真向にて左の方より我が柄を取んと両手を出す時我柄を左足の方へよぢて敵の胸乳の上へ切先りに突込勝つ

1、鱗返  敵は真向にて抜かんとかまえるか声にてもかくれがたくさままはって抜付て勝つ
1、波返  右同断
1、瀧落  敵我鐺を取り上へおしあげる所を前へたち抜くひょうしに鐺にて當て突く

以上

 前回は初伝として大森流居合、今回は中傳と位置付ける長谷川流居合がこの流の通り相場と言えるのですが、初伝・中傳・奥伝と振り分けた伝書は古伝ではあったのでしょうか。
 さて、それよりも中村虎猪への行宗貞義の中伝授与では大森流と違って業手附が書き込まれています。通常この手の伝書は目録として業名のみなのですがこの様に教えたと云うのでしょう。

 一本づつ、古伝神傳流秘書(曽田本その1)、大江居合(剣道手ほどき)、細川居合(梅本三男著居合兵法無雙神伝抜刀術)と手附を並べてみます。
1、横雲 敵の拳への抜付
 神傳流秘書:右足を向へ踏出し抜付打込み開き足を引て先に坐したる通りにして納める。
 大江居合:正面に座して刀を右へ静に抜きつゝ、三寸残りし時右足を出し、刀尖を抜付け、その姿勢にて上段にて真直に前方を斬る(敵の首を斬る)。
 細川居合:・・(対座して居る者を斬る)右足踏み込んで(対手の右側面へ)抜付け左膝を進ませつつ刀尖を左後ろへ突込み右諸手上段に引冠り、更に右足踏み込んで斬込み、刀を開く・・納刀
* 
 横雲の抜き付けは「拳」と行宗居合は明言しています。どの様な仮想敵の想定なのでしょう。柄に手を掛け抜き出さんとする拳、或いは抜刀して上段に振り冠って打ち込まんとする拳でしょうか。抜付けは現代居合では、敵の害意を察してというあいまいな動機より横一線に抜き放つ抜付けを指導されて細かな演武上の形をとやかく言われています。古伝神傳流秘書はおおらかです、拳とも首とも右側面とも言って居ません。
 状況次第で如何様にも抜付ける様になれと言って居るわけです。従って敵の右側面と大雑把に捉えれば、敵の動きに拘わらず立膝から腰を上げ「抜付けたる拳の高さは右肩の高さにて右前の所にて止る」と稽古の際に教わったものです。相手の身長に依ってこの抜付けでは首などという固定されたところへの抜き付けなど出来るわけはない、そこで相手は我と同体格で同じ様に動作するとありえない事を稽古してきたわけです。現代居合では河野先生は大日本居合道図譜では「敵の抜刀せんとする腕より其の顔面に(首とも胸とも想定可)横一文字に斬付ける」としています。
 行宗居合の「敵の拳への抜付」は動く標的に抜き付ける事を要求しているわけで中村虎猪さんは、出来たのかこれからの道標なのか判りませんが、根元之巻に基づいた「柄口六寸」の勝を見つめるもので、古伝の安易な稽古の大らかさを踏み越える奥義を要求していると思いたいものです。
 柳生新陰流の抜刀の稽古をしています、一人稽古では仮想敵相手に抜刀していますが、相手に小手を着けてもらい、その小手に向かって抜打ち稽古をします。もたもたして居れば頭上に木刀が打ち込まれてきます。

1、虎一足 敵先に抜付け
 神傳流秘書:左足を引き刀を逆に抜て留め扨打込み後前に同じ
 大江居合:静かに立ちながら左足を引きて刀を抜付くと同時に膝をう囲う、此の囲うは体を左向き中腰となり、横構にて受け止める事、此の体形にて刀を上段に冠り正面に向き座しながら斬り下すなり。・・(膝を受け頭上を斬る)。
 細川居合:(向脛へ薙付け来る者を斬る)・・右手を柄に掛けるなり立上り、左足を一歩後へ退く、同時に刀を引抜き(刀尖放れ際に)左腰を左後へ捻り体が左向きとなるなり(相手が向脛へ薙付け来る)差表の鎬にて強く張受けに受け止め、左膝を右足横へ跪きつつ右諸手上段に引冠り更に右足踏込んで斬込み、刀を開き納め終る。

 居合膝に座す処を相手が先に抜付けるのは同様ですが、さて我は坐している時相手は向こう脛に切り付けるなどあるでしょうか。双方居合膝ならば相手は横雲の抜き付けならば、我が拳、首、右側面でしょう。
 此処は双方抜刀せんと右手を柄に掛け立ち上がりながら刀を抜き出す、そこへ相手が先に抜刀して我が向こう脛へ薙付けるでしょう。そうであれば大江居合の「静かに立ちながら云々」は如何にも演舞向けの対敵意識の無い動作と言えるでしょう、それとも我は敵に先んじ敵の抜刀を誘う様に静かに立ちつつ刀を抜きつつするのでしょう。仮想敵を想定する事を怠って稽古したり演武して居る人が居るようです。習った形ばかり気にしていると何をしているのか傍から見ていると直に判ってしまいます。中には修行を積んで仮想敵が見えるようになったなどと意味不明の事を云う人も居たりして思わず吹き出す始末です。
 古伝神傳流秘書は「左足を引き刀を逆に抜て留め」です。「刀を逆に抜き」とは刃を下にして抜くと読めます。刃を上にして抜出し差表の鎬で相手の我が右足脛に斬り込む刀を受止めるのとは違う様に思えます。行宗居合の横雲の「敵の拳への抜付け」が頭を過ります。相手の斬り付けんとする拳へ「刀を逆に抜きて留め」であったならばこれも根元之巻の極意柄口六寸の勝になるでしょう。
 一本目横雲で出来たならば二本目虎一足でも容易でしょう。刀で相手の刀を受け止める受太刀を何時まで稽古しているのでしょう。
 留めた時は斬った時でありたいものです。基本の形から次々に変化をさせ根元之巻の要求事項を押さえたいものです。

1、稲妻 敵の打込拳へ抜付
 神傳流秘書:左足を引き敵の切て懸る拳を払ふて打込み後同前
 大江居合:右足を少し立てながら左足を後へ引き、両膝を浮めて稍左斜へ斬付け、姿勢の儘上段に取り其体より両膝を板の間に着けて斬り落すなり、血拭い刀を納るは1と(横雲)同じ。抜付けは刀尖を高くするを宣とす。(敵の甲手及頭上を斬る)
 細川居合:・・右手を柄に掛け抜きつつ立上がり、右足を出し(或は立上り左足を退きてもよし、対手の右側面へ)抜付け、左足を右足横へ跪きつつ刀尖を左後へ突き込み、右諸手上段に引冠り更に右足踏込んで斬込み刀を開き納め終る。

 現代の無双直伝英信流では大抵、相手は立ったまま抜刀して上段に振り冠って真向に打込んで来る、我は立ち上がり左足を引いてその拳に抜打つとしています。古伝は相手の状況は一言も述べていません。
 現代居合に口伝口授の面影を偲べば、相手は立って真向に打込んで来るだったと云いたい処ですが、古伝の大らかさから深読みすれば、相手が座したまま腰を上げて抜き打って来る、左足を引いてその拳に抜き付けるならばこの業は根元之巻の柄口六寸が見えて来そうです。
 行宗先生はどの様に「敵の打ち込む拳へ抜き付けたのでしょう。細川居合の『右足を出し」は相手はどの様にして掛って来たのでしょう。打太刀を設けて様々な変化を稽古して見ると一本目横雲、二本目虎一足、三本目稲妻は拳に抜き付ける事でそれらの集大成となりそうです。

下次号に・・

 

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2019年10月28日 (月)

曾田本その2を読み解く46行宗先生より中村虎猪氏に授与したる中傳書写46の1大森流居合術

曾田本その2を読み解く
46、行宗先生より中村虎猪氏に授与したる中傳書写46の1大森流居合術

大森流居合術
1、前後左右
1、進退
1、請流
1、介錯
1、順刀
1、勢中刀
1、追懸
1、抜打
以上
右大森流派業数11本にして何の口伝も無く業の起りも業附の書なし

 行宗貞義から中村虎猪へ中傳を伝授したものを写したと思われます。明治39年(1906年)秋8月27日と記載されています。行宗貞義先生は嘉永3年1850年生まれ大正3年1914年64歳で亡くなられています。56歳の時のもので伝書に記載されている署名は「大日本武徳会高知支部居合術講習係行宗貞義」とされています。
 無雙直伝英信流とも無雙神傳英信流居合兵法とも云っていないわけで大日本武徳会高知支部居合術講習係と云っています。然し大森流居合術と明記しているのですからこの中傳の位置づけはどうなるのでしょう。中伝は長谷川流居合術と書かれていて業名は長谷川流の一本目は横雲から始まっています。現代居合も同様です。
 大森流居合術の業名は何処かおかしい。業附き口伝も書き付けたものもない、とあります。古伝神傳流秘書も見た事は無かったのでしょう。
行宗先生自信が目録も授与されていなかったと云えそうです。

大森流居合術
1、「前後左右」は、神傳流秘書では「初発刀・左刀・右刀・當刀」となります。
大江居合では「前・右・左・後」です。大江居合は対敵の配置に対しての業名から道場正面に対し我の座す方向に変えられています。
細川居合では「初発刀・左刀・右刀・當刀」です。
吉宗居合は変な配列ですが、同門の細川居合は神傳流秘書と同じです。
1、「進退」は、神傳流秘書では「陽進陰退」。大江居合では「八重垣」。細川居合は「陰陽進退」
1、「請流」は、神傳流秘書では「流刀」。大江居合では「請け流し」。細川居合は「流刀」
1、「介錯」は、神傳流秘書では「順刀」。大江居合では「介錯」。細川居合は「順刀」
1、「順刀」は、神傳流秘書では「逆刀」。大江居合では「附込」。細川居合は「逆刀」
1、「勢中刀」は、神傳流秘書では「勢中刀」。大江居合では「月影」。細川居合は「勢中刀」。
1、「追懸」は、神傳流秘書では「虎乱刀」。大江居合では「追風」。細川居合は「虎乱刀」。
1、「抜打」は、神傳流秘書では「抜打」。大江居合では「抜き打ち」。細川居合は「抜打。

此処で云う細川居合とは、細川義昌ー植田平太郎ー尾形郷一貫心ー梅本三男と道統される居合で下村茂市系統の居合となります。現代では最も古伝神傳流秘書に近い業名の居合と言えるでしょう。
 下村茂市の同門で細川義昌の弟弟子に当たる吉宗貞義、大江正路は修行半ばで明治維新1868年を迎え十分な指導は受けられなかったかも知れません。
 細川義昌も同様であったとしても、維新前に根元之巻を授与され、島村家の一員として細川家に残された伝書類から想像できる古伝の指導を受けられたと思われます。
 木村栄寿先生の「林崎抜刀術兵法夢想神傳重信流伝書集及び業手付解説」に記載されている伝書を追ってみます。
 文政4年1821年真傳流居合極意書を山川幸雅から坪内長順が受けています。
 文政10年1827年居合兵法咄を坪内長順から坪内清助が受けています。
 天保7年1836年居合兵法極意巻秘訣を山川幸雅から島村右馬丞が受けています。
 天保2年1831年根元之巻を坪内清助から嶋村右馬丞が受けています。
 万延元年1860年抜刀術童蒙初心之心持を下村茂市から嶋村義郷が受けています。
 慶応2年1866年根元之巻を下村茂市から嶋村善馬(細川義昌の旧氏名)17歳で受けています。
 
 

  

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2019年10月27日 (日)

曾田本その2を読み解く45長州藩相伝神道無念流立居合と曾田本神道無念流立居合12本目

曾田本その2を読み解く
45、長州藩相伝神道無念流立居合12剣の業と
曾田本神道無念流立居合12本
12本目

曾田本神道無念流立居合
12本目
(意義)
前進中敵先に抜打をなし敵の之れに応ずるを切り返し倒す也
(動作)
第1、右足より二つ進二歩目左足にて刀を抜き三歩目に敵の正面を切る。
第2、切り返をなす2本目第4動に同じ。
 2本目第4動:両手で刀刃を上にし刀刃を以て敵の刀を払流し(此時刀尖は其位置にて左拳を刀尖より稍上ぐ)同時に左手を中心に右肩より冠りつゝ左足を左前に踏み右足を左足の後に引き敵の右肩より八相に切下ぐ。
第3、納刀
刀の納め方
1、前の足を後足に引き付ると同時に刀を左肩に擔ぐ如く持ち来り左手は鯉口を持ち鞘を正しくす。
2、左手の拇指と食指とにて「ハバキ」の近くを挟み右手の拇指は縁頭の近くを其の他の指は下より鍔及び柄を持つ
3、左足を後方に一歩引くと同時に右手を以て刀身を前下方に引き刀尖を鯉口の処に持ち来る。
4、右足を左足に引付つゝ刀身を鞘に納める。

木村高士著「長州藩相伝神道無念流」立居合12剣の業
12本目
三歩前進正面打込、霞切返し、納刀
前敵抜付 歩行中、左足が前に出たとき刀に右手をかけ頭上に抜刀、右足を踏み出して諸手で前敵の正面に打込む。
霞切返し 前に同じ。
 前は2本目霞切返し:またしても敵が反撃して来る気配に一歩進めて霞に攻める。敵は我の正面を打って来るので、左足を左斜前に踏み出し、切返しのごとく敵刀を右にすり落し、刀を右から頭上に回転させ、右足を左足の後方に引くと同時に左斜上段から敵の右肩に強く袈裟に打込む。
 霞の構えが立居合では記載されていません。
 刀法の終りに霞の解説がありますのでそれを採用して見ます。右足前で水月迄切り下ろした後ですから、右霞で良いでしょう。
 右霞:刀柄を握った右手の甲を下に左手の甲を上にして刀刃を左にし、切先を前敵に向ける。 
 曾田本の構えと同じ様ですが、刀刃の向きが曾田本は上、長州藩相伝は左と異なります。
 此の構で、敵が我が頭上に打ち込んで来るのを払い受ける様にして摺り落すのでしょう。
納刀 前に同じ
 1本目納刀:正眼に構えてから、切先を敵の胸元、喉元、眉間の高さにと徐々に前に大きく円を描くように出し、残心を示しながら右足を左足に引き揃えて刀身を左肩にとり、左手は鯉口を握り僅かに鞘を引き出す。刀身は肩にとったまま鎺を鯉口を握った左手の人差指に支える。と同時に、左足を右足の後方に引き、右手の柄を前下に伸ばし刀背を引いて切先を鯉口に入れ、ゆっくりと刀身を鞘に納める。左足を右足に引き揃え、直立して右手を柄から放し、左手は親指を鍔にかけて当初の演武の位置に復する。なお、各業とも納刀の動作は同じであるが、逆足(左前足)で終了した場合(2、3、8、9、12本目)は左足を右足の後方に引き納刀する。

 神道無念流立居合12本の最終です。
 曾田本の12本目の意義の書き出しは「前進中敵先に抜刀をなし」とあります。敵は前進しながら我より先に抜刀して、(正眼に構え)前進して来るわけで、之に応じて右足、左足と進めて刀を上に抜き上げ上段に振り冠って敵の正面に右足を踏み込んで打込む。
 敵之を外し、上段に振り冠って打ち込まんとするを、我切先を敵の左目に付け(水月まで打込んだ切先を)、左霞の構えとなり、敵が真向に打込んで来るや左手を稍々高く刀刃を上に向け敵刀を受け払う様に右に受け流す。
 同時に左足を左斜め前に踏み込み刀を右肩から振り冠リ、右足を左足の後方に引くや左から敵の右肩に逆袈裟に打ち込む。


 神道無念流立居合12本の曾田本と長州藩相伝を並べて、曽田本の出典を求めたのですが、曾田本との違いもいくつかあっても曾田本の立居合12本は、西日本の何処かの手附、若しくは明治以降に曽田先生が神道無念流の誰かから指導されたメモ、又は神道無念流伝書を写されたものでしょう。

 木村高士先生の長州藩相伝神道無念流には、長州藩相伝に依る神道無念流立居合の大村藩無念流立居合業手付が掲載され長州藩無念流との違いを述べられています。其の外に戸賀崎宗家に依る神道無念流12本が記載されています。堂本明彦編著の「中山博道剣道口述集」には立居合初伝10本、上伝20本が納められています、いずれそれらを読み込んで曾田本の神道無念流を稽古して見たいと思います。

 曾田本その2にある「神道無念流立居合12本」の出処が判りません、曾田本にあります神道無念流立居合12本についてをご存知でしたら御教示いただきたいと思います。 

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2019年10月26日 (土)

曾田本その2を読み解く45長州藩相伝神道無念流居合と曾田本神道無念流居合11本目

曾田本その2を読み解く
45、長州藩相伝神道無念流立居合12剣の業と
曾田本神道無念流立居合12本
11本目

曾田本神道無念流立居合
11本目
(意義)
大体10本目に同じなるも、敵退却せず打却て敵に追い詰められ後退しつゝ敵を切り倒す也、
但し最初停て居るにあらず前進中敵に出会たるものとす。
(動作)
第1、右足より前進中右足の地につくや僅かに後退して抜刀(1本目第1動に同じ)
 1本目第1動:右足より前進し二歩目左足にて柄を握り三歩目右足を出すと同時に抜刀(此時左手で鞘を前方に出す気持を加え後方に振り上げ上体を左斜にして十字形をなし左足は右足につれ前方に送り左足先を右踵に接する如くする)敵の右前肘を下より切り上ぐ。
第2、1本目第2動、第3動に同じであるが、右足より後退しつゝ行くのが異て居る。
第3、右同じ
第4、10本目第4動、第5動に同じ。
第5、右同

木村高士著「長州藩相伝神道無念流」立居合
11本目
後退切上げ、後二足一刀正面打込、正眼二歩攻右上段、納刀
前敵抜付 進行中、右足が床につくと同時に、素早く左足を右足の後方に引き前敵の右肘を切上げる。(抜付の要領は1本目と同じ。)
後退打込 尚且、敵が追い込んで来るので、右、左と二歩後退しながら上段に冠り、右足を踏み出して正面に打込む。
攻入残心 正眼に構えて、左足から二歩攻め入り、右上段となって残心気迫を示し、ゆっくりと正眼の構えに復する。
納刀 前に同じ

意義から、曾田本も長州藩相伝も「後退して抜刀」「後退切上げ」ですから、進行中敵の害意を察し右足、左足と踏み出し刀を抜き出し、右足を左足の僅か前に踏み込み揃え右足が地に着くや左足を右足の後方に引いて、敵の右前肘に下から抜き付ける。所謂足の踏み替えで抜刀して見ました。此の方法が敵の攻めに対して容易に間を維持して尚且つ、剣先に威力を持たせる事が出来ます。
 敵怯まずに猶攻め込んで来るので、右足を左足に引付左足を一歩引いて上段に振り冠り、右足を踏み込んで敵の真向正面に打込む。
 尚も敵前進して来るので右足を左足に引付、左足を引いて上段に冠り、右足を踏み込んで敵の真向に打込む。此処は長州藩相伝では要求していませんが曾田本は下から切り上げ、退いて真向打込み、更に引いて真向打込みを要求しています。
 正眼に構え、次に右上段となって残心、納刀。
 敵の攻め込に後退して切り込む、足運びは、敵の詰めに依る間合いに依って対応すべきもので、一人演武の居合では特に無双直伝英信流などは克明に指定されますが、いかがなものでしょう。

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2019年10月25日 (金)

第23・24回土佐の居合 古伝神傳流秘書による古伝研究の集い

土佐の居合 古伝神傳流秘書による古伝研究の集い

第23回・24回古伝研究の集い
無双直伝英信流、夢想神傳流の古伝神傳流秘書を曽田虎彦先生の直筆本から読み解いて江戸時代中期の居合を研究しています。
今年は主として大小詰・大小立詰を研究して居ります。
師伝が如何様であろうとも、古伝をご存知の方は少ないものです。
たとえご存知であっても古伝神傳流秘書に書かれている通りに演じる方は少なく、他流を持ち込んで結果だけで良しとしたり、経年の中で曲げられたりしているものです。
ご参加いただいた方が、夫々「我が師」であることをご理解戴き、ご自由な意見を出され共に学ぶ研究会です。
武術はともすると「俺の考えに従へ」という傾向があります、ここでは出来る理由も出来ない理由も研究の対象となります。
 記
1、期日
◎23回
・令和元年11月14日(木)
 15:00~17:00 鎌倉体育館
・令和元年11月28日(木)
 15:00~17:00 見田記念体育館
◎24回
・令和元年12月12日(木)
 15:00~17:00 見田記念体育館
 12月は1回のみ
2、住所
見田記念体育館
248-0014鎌倉市由比ガ浜2-13-21
TEL0467-24-1415
鎌倉体育館
248-0014鎌倉市由比ガ浜2-9-9
TEL0467-24-3553
3、アクセス
 JR横須賀線鎌倉駅東口下車徒歩10分
(駐車場 鎌倉体育館に有り)
 4、費用:会場費等割勘つど 500円
5、参加申込み 直接会場へお越しください
 Email:sekiun@nifty.com(何かあれば)
6、研究会名:無雙神傳英信流居合兵法
 湘南居合道研修会 鎌倉道場
7、御案内責任者:ミツヒラこと松原昭夫
 令和元年8月25日 松原記す

 

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曾田本その2を読み解く45長州藩相伝神道無念流居合と曾田本神道無念流居合10本目

曾田本その2を読み解く
45長州藩相伝神道無念流立居合12剣の業と
曾田本神道無念流居合立居合12本
10本目

曾田本神道無念流立居合
10本目
(意義)
敵に接し居る時敵刀を抜かんとするに対し動作するも敵退きたるにより之を追詰めて切り倒す也
(動作)
第1、右足を踏み出すと同時に抜刀敵の右前肘を切る、1本目第1動同
 1本目第1動:右足より前進し二歩目左足にて柄を握り三歩目右足を出すと同時に抜刀(此時左手で鞘を前方に出す気持を加え後方に振り上げ上体を左斜にして十字形となし左足は右足につれ前方に送り左足先を右踵に接する如くする)敵の右前肘を下より切り上ぐ。
第2、左足より二歩進み正面を切る。
第3、次に青眼のまゝ突き付けながら二歩進む。
第4、次に上段にて残心を示し
第5、青眼に直り納刀。

木村高士著「長州藩相伝神道無念流」立居合
10本目
其場切上げ、前二足一刀正面打込み、中段二歩攻右上段(残心)、納刀
前敵抜付 前方の敵に充分接近して下方から肘に抜付ける。(歩行中でもよし、抜付は1本目に同じ。)
 1本目前敵抜付:右足より三歩進めて間に入る。前敵が我に抜刀しようとするので、左足が前にでたとき、(二歩目)刀の柄に右手をかけ、右足が出ると同時に前方の敵の右肘を下方より逆袈裟に切上げる。右手は切手で拳は相手の肩の高さとする。
前敵打込 敵が後退するので左、右足と二足一刀に追込んで正面に打込む。
攻入残心 正眼に構えて、左足から二歩攻め入って刀を上段に構え、気迫を込めて残心を示し、ゆっくりと正眼の構えに復する。
納刀 前に同じ。

 曾田本と長州藩相伝とはさして違いは無いでしょう。但し一刀目の敵前肘に切り上げる際、曾田本は右左右と歩み乍ら攻め込んでいます。長州藩相伝は「其場切上げ」と言って居ますから、敵が前進して来るのを、自然体で待ち受け、敵が抜かんと右手を柄に掛けた瞬間に、右足を踏み込んで下から敵の右前肘に抜き付けるのでしょう。然し手附では「前方の敵に充分接近して下方から肘に抜き付ける」と言って居ます。その後に括弧付きで(歩行中でもよし、抜付けは1本目と同じ)とありますから、ますます混乱します。状況に応じて想定しなさいと云うのでしょう、あるいは神道無念流にしか通用しない文言かも知れません。我が下よりの切り上げが浅いか、瞬時に敵に外され敵が左足右足と後退するのを、右足に左足を引き付け上段に振り冠右足を踏み込んで敵の真向に切り下す。此処の足捌きも拘らず敵との間を切らない様に詰めていく事が剣術の嗜みでしょう。足捌きに拘ればただの形になってしまいます。
 次に、水月まで切り下ろしたまま、敵が更に後方に引くのを左足右足と攻め入って、敵が戦意を失って倒れるのを上段に振り冠り、気迫を込めて残心を示し、ゆっくりと正眼に戻し、納刀する。
 
 

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2019年10月24日 (木)

曾田本その2を読み解く45長州藩相伝神道無念流居合と曾田本神道無念流居合9本目

曾田本その2を読み解く
45、長州藩相伝神道無念流立居合12剣の業と
曾田本神道無念流居合立居合12本
9本目

曾田本神道無念流居合
9本目
(意義)
敵の抜かんとする前肘を切るも(1本目に同じ)敵之れを弛し我胴を切り来るに対し体を変し切り倒す也
(動作)
第1、1本目第1動に同じ
 1本目第1動:右足より前進し二歩目右足にて柄を握り三歩目右足を出すと同時に抜刀(此時左手で鞘を前方に出す気持を加え後方に振り上げ上体を左斜んいして十字形をなし左足は右足につれ前方に送り左足先を右踵に接する如くする)敵の右前肘を下より切り上ぐ。
第2、上段のまま右足より二歩退き次に鎬を以て敵刀を下方に押へ、敵我胴を切り来るを防ぐ如く刀を体の右前下方に持ち来る此の時右足を左足先に引き付くる。
第3、次に青眼に直りつゝ少し前進す此の時左足は右足につく如く送り敵を襲う気持なり。
第4、次に切り返しをなす二本目第4動に同じ
 2本目第4動:両手で刀刃を上にし刀刃を以て敵の刀を払流し(此の時刀尖は其位置にて左拳を刀尖より稍上ぐ)同時に左手を中心に右肩より冠りつゝ左足を左前に踏み右足を左足の後に引き敵の右肩より八相に切下ぐ
第5、納刀 

木村高士著「長州藩相伝神道無念流」立居合
9本目
切上げ、二足後胴打下し、中段一歩攻、霞切返し、納刀
前敵抜打 前方の敵に下方から抜付ける。(1本目と同じ。)
 1本目前敵抜付:右足より三歩進めて間に入る。前敵が我に抜刀しようとするので、左足が前に出た時(二歩目)刀の柄に右手を掛け、右足が出ると同時に前方の敵の右肘を下方より逆袈裟に切上げる。右手は切手で拳は相手の肩の高さとする。
請抑 前敵は身を転じて我が胴を打って来るので、右足から二歩後退しながら左回りに刀を上段に冠り、敵の刀を刃をもって右前下に打払う。
青眼攻め 正眼に構えて一歩攻め入る。
霞切返し 前に同じ
 2本目霞切返し:またしても敵が反撃して来る気配に一歩進めて霞に攻める。敵は我の正面を打って来るので、左足を左斜前に踏み出し、切返しのごとく敵刀を右にすり落し、刀を右から頭上に回転させ、右足を左足の後方に引くと同時に左斜上段から敵の右肩に強く袈裟に打込む。
納刀 前に同じ

 曾田本神道無念流は、仕太刀の動作だけで、打太刀の動作が見えにくい。仕太刀の動作から打太刀の動きを判断して対応することを意図しているのでしょう。居合は仮想敵相手の攻防ですからそれもそうかです。ちなみに組太刀では神道無念流は打太刀は「元」、仕太刀は「掛」と呼んでいます。
 前敵が抜刀しようとするので、我は、右足左足と前進しその機先を制して敵の前肘に下から抜き付けに切り上げる。
敵は我が切上げを左足を引いて柄を上に刀を抜き上げ外し上段に冠り、我も外されて上段に振り冠る。
敵は右前に転じて我が左胴を打って来る、我は右足左足と後退しながら上段から右前下に敵刀を鎬を以て我が右前下に打ち払う。長州藩相伝では刃を以て右前下に打ち払う。
我は青眼に構え右足を一歩進め、左足を右足に送る。
敵攻め込まれて左足から一歩後退し上段に振り冠り、我が真向に打ち下ろさんとする、我は右霞に構る処、敵我が頭上に右足を踏み込んで打ち込んで来るのでそれを払流し同時に左足を左前に踏み込み右足を左足の後に踏み替え、右肩から刀を振り冠り、逆八相に敵の右肩から切り下す。
 曾田本と長州伝をミックスさせてこの業を演じて見ました。

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2019年10月23日 (水)

曾田本その2を読み解く45長州藩相伝神道無念流居合と曾田本神道無念流居合8本目

曾田本を読み解く
45、長州藩相伝神道無念流居合と
曾田本神道無念流居合立居合12剣の業
8本目

曾田本神道無念流居合立居合
8本目
(意義)
勉めて敵に接して抜打するも敵後退するにより追詰めて切倒す也
(動作)
第1、其場にて抜刀右足一歩出し正面を切る。
第2、左足より二歩前進して切る。
第3、2本目第4動の如く切り返し、
 2本目第4動:両手で刀刃を上にし刀刃を以て敵の刀を払流し(此の時刀尖は其位置にて左拳を刀尖より稍上ぐ)同時に左手を中心に右肩より冠りつゝ左足を左前に踏み右足を左足の後に引き敵の右肩より八相に切下ぐ
第4、納刀

木村高士著「長州藩相伝神道無念流」立居合
8本目
其場抜刀右足前正面打、二足一刀正面打込、霞切返し、納刀
前敵打込 前方の敵を充分に引つけて、その場で頭上に抜刀し、右足を踏み出して正面を打つ。更に敵が後退するので二足一刀に追込み正面に打込む。
霞切返し 前に同じ
 この場合の「前に同じ」では7本目になってしまうので、此処は2本目の霞切返しです。
 二本目霞切返し:またしても敵が反撃して来る気配に一歩進めて霞に攻める。敵は我の正面を打って来るので、左足を左斜前に踏み出し、切返しのごとく敵刀を右にすり落し、刀を右から頭上に回転させ、右足を左足後方に引くと同時に左斜上段から敵の右肩に強く袈裟に打込む。
納刀 前に同じ

 この8本目は曾田本の神道無念流居合と長州藩士相伝神道無念流居合共に同じ様に演ずると読めます。しかし文章上は双方とも抜けが有って取り敢えず無双直伝英信流居合の業技法を駆使して演じてみます。
 曾田本「其場にて抜刀右足一歩出して正面を切る」、長州藩相伝「其場抜刀右足前正面打」で雰囲気は同じです。曾田本の正面を切るはどの様にするのか指定されていませんから、立姿は左手鍔、右手を柄に掛け、右足を稍々前に左足爪先を右足土踏まず附近に左斜めに向けて立つ。
 此処で、ハタと困ったのは敵が刀を何時抜くのかが読めない、敵は抜刀して青眼に構えて間境を超す、我は立位置のそのまま、柄を上に向け刃を左に正中線上を抜き上げ右手を返して上段に振り冠り左手を柄に掛けるや左足を踏み込み敵の正面を喉元迄打つのが長州藩相伝、曾田本は床上一尺迄切り下ろす。
 敵我が真向打ち込み後方に出足を後足の後方に引いて外す。我は空を切って即座に左足を右足に引き付け上段に振り冠り、右足を踏み込んで敵の真向に切り下す。ここは長州藩相伝も床上一尺膝の高さまで空を切る。
 敵再び二足後方に引いて之を外すや上段に振り冠り、またしても敵反撃して来る気配に右足を一歩進めて、青眼に構え、其の刀尖を敵に向けたまま、両手で右手甲を下にし、左手甲をうえにして刀刃を上にし(又は左向き)左手を稍々高くして霞に構える。
 敵真向に打ち下ろして来るのを刀刃を以て右に払い流し、刀を右から頭上に回転させ、左足を左前に踏み込み右足を左足の後方に踏み替えるや左上段から敵の右肩に逆袈裟に切り下す。上段に構え、残心、納刀(前に同じ)。

 敵の抜刀は二度我に切り込まれてからでも、抜刀して青眼に構えて接近して来る、青眼が上段でもいいでしょう。仮想敵の動作を我が動作から逆に想像して演じてみると、敵の抜刀や打ち込みに依って間が開く可能性もあるので、その状態で拍子を工夫しませんと間抜けな一人演武になりそうです。

 

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2019年10月22日 (火)

曾田本その2を読み解く45長州藩相伝神道無念流居合と曾田本神道無念流居合7本目

曾田本その2を読み解く
45、長州藩相伝神道無念流立居合12剣の業と
曾田本神道無念流居合立居合12本
7本目

曾田本神道無念流立居合
7本目
(意義)
前方右方の敵に対する動作(6本目に同じ)
 7本目(意義):前方右(6本目は左)方の敵に対するも右(左)方の敵、最初我に近寄り過ぎた為めに進出して切ること能わず、従て其場に於て切り、次で敵後に倒るゝを以て其侭進んで残心を示す。
(動作)
6本目と替ることなし、左方と右方との違なるのみ。
 7本目動作:
第1、1本目第1動に同じ
 1本目第一動:右足より前進し二歩目左足にて柄を握り三歩目右足を出すと同時に抜刀(此時左手で鞘を前方に出す気持を加へ後方に振り上げ上体を左斜にして十字形をなし左足は右足につれ前方に左足先を右踵に接する如くする)敵の右前肘を下より切り上ぐ。
第2、左(6本目は右)足を軸とし右(左)向となり右(左)正面を切る。
第3、次に左(右)足を右(左)足に揃へ上段となり左(右)足にて切る。
第4、次に中段の侭右(左)より二歩進み、
第5、上段の残心を示し。、
第6、青眼に直り納刀。

木村高士著「長州藩相伝神道無念流」立居合
7本目
切上げ、右足前右正面打、右足前同正面打込、中段(正眼) 二歩攻右上段、納刀。
前敵抜付 前方の敵に抜付ける。(一本目に同じ)
 一本目前敵抜付:右足より三歩進めて間に入る。前敵が我に抜刀しようとするので、左足が前に出たとき(二歩目)刀の柄に右手をかけ、右足が出ると同時に前方の敵の右肘を下方より逆袈裟に切上げる。右手は切手で拳は相手の肩の高さとする。
右敵打込 接近している右敵に、右足を軸に右に向きながら左足を右足の後に引き、刀を上段に冠り、右敵の正面を打つ(打つとは相手の咽の高さまで斬る)。更に、右足を左足に引き揃えて刀を上段に冠り、右足を踏み出して右敵の正面に打込む(右打込むとは水月まで斬り下す)。
残心 正眼に構えて、左、右足と二歩攻め入り、右上段となり気迫をもって残心を示し、ゆっくりと正眼の構えに復する。
納刀 前に同じ
この業は6本目が左右前後したものである。

 長州藩相伝神道無念流立居合の6本目は敵は前・左でした、7本目は敵は前・左、敵の立ち位置は左・右と異なりますが同じだと云います。従って前敵の右前肘を下から切り上げて倒し、左足を軸に右に向き右敵を切るのです。
 右敵が近いので左足を引いて間合いを調節して右敵の真向を咽まで切り。更に右足を後ろに引いた左足に引き揃えて上段に振り冠り、右足を踏み込んで右敵の水月迄切り下ろす。
 右敵が倒れるや正眼に構え、左右と二歩攻め入り、右上段となって残心。此の場合左右と二歩攻め入ると、右敵への一刀目の切り込みが一歩引いて斬っています。二刀目も右足を引いて左に踏み揃えて間を切ったのですが、また右足を踏み込んでますから、一刀目の位置に敵が立っているのに切り込んだことになります、小さく前進しませんと右敵を踏み越えてしまいそうです。其れか右敵は後ろに倒れたのでしょう。

 曾田本は足裁きを指定していませんので、6本目の左敵を切った足捌きでもいいのですが、敢えて稽古として7本目は6本目の足捌きの逆で応じて見ました。
 前敵の右前肘を右足を踏み込み下から切り上げ、左足を追い足に右足に引き付け、左足を軸に右敵に振り向き上段となるや右足を引いて右敵の正面を切る。
 次に左足を右足に揃え上段となって、左足を踏み込んで右敵の正面を再び切る。
 次に中段となって右足左足と二歩進み上段残心、青眼に直り納刀。
 6本目と違って居る所は、6本目は右敵を切るのに、後に下がって二度斬りましたが、今回の7本目は一刀目は下がり、二刀目は下って上段に構え直し踏み込んで右敵を切る事にしてあります。長州藩相伝にあわせてあります。長州藩相伝は掛れている侭演じることになりますが、曽田本は抜けが有るので、其の抜けた部分は読んだ者の力量次第でいいのでしょう。
 流派の奥義を伝える場合は明確に書き記すべきで、謎解きにしてしまえば、後世の者は如何様にも解いてしまい本物が見えなくなるものです。

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2019年10月21日 (月)

曾田本その2を読み解く45長州藩相伝神道無念流居合と曾田本神道無念流居合6本目

曾田本その2を読み解く
45、長州藩相伝神道無念流立居合12剣の業と
曾田本神道無念流立居合12本
6本目

曾田本神道無念流居合立居合
6本目
(意義)
前方左方の敵に対するも左方の敵、最初我に近寄り過ぎた為めに進出して切ること能わず、従て其場に於て切り、次で敵後ろに倒るゝを以て其侭進んで残心を示す。
(動作)
第1、1本目第1動に同じ。
 1本目第1動:右足より前進し二歩目左足にて柄を握り三歩目右足を出すと同時に抜刀(此時左手で鞘を前方に出す気持を加へ後方に振り上げ上体を左斜にして十字形をなし左足は右足につれ前方に送り左足先を右踵に接する如くする)敵の右前肘を下より切り上ぐ。
第2、右足を軸とし左向となり左正面を切る。
第3、次に右足を左足に揃へ上段となり右足にて切る。
第4、次に中段の侭左足より二歩進み
第5、上段の残心を示し
第6、青眼に直り納刀。

木村高士著「長州藩相伝神道無念流」立居合
6本目
切上げ、左足後左正面打、右足前同正面打、中段(正眼)二歩攻右上段、納刀。
前敵抜付 前方の敵に抜付ける。(1本目に同じ)。
 1本目前敵抜付 右足より三歩進めて間に入る。前敵が我に抜刀しようとするので、左足が前に出たとき(二歩目)刀の柄に右手をかけ、右足が出ると同時に前方の敵の右肘を下方より逆袈裟に切上げる。右手は切手で拳は相手の肩の高さとする。
左敵打込 接近している左敵に、右足を僅かに引き右足を軸に左に向きながら左足を右足の後方に引き刀を上段に冠って左敵の正面を打つ。更に、右足を左足に引き揃えながら刀を上段に冠り、右足を踏み出して左敵正面に打込む
残心 正眼に構えて、前方に倒れる敵に左足から二歩攻め入り、右上段に構え気迫を込めて残心を示す。上段からゆっくりと正眼の構えに復する。
納刀 前に同じ
*
 曾田本の6本目は文章に抜けが有るのか、動作が解りずらいのですが、前に稽古していますからもう一度振り返ってみます。敵を前と左に受けての攻防です。
 右足左足と踏みこみ右足を踏み込むや前敵の抜き付けんとする右前肘に下から逆袈裟に切り上げ左足を右足踵に引き付け、右足を軸に左に向き上段に振り冠るも、左敵接近し過ぎているので、足を後方に引いて左敵の正面に切り下す、右足を左足に引き揃え上段に振りかぶるが、更に左敵攻めて来るので左足を後方に引いて、右足前で左敵の正面に切り下す、左敵後方に倒れるので、切り下ろした中段のまま左足右足と二歩進み、上段に冠り残心、青眼に直り納刀。

 この曾田本神道無念流立居合6本はのミツヒラによる無双直伝英信流の振り付け動作はこの様にします。

 木村高士先生の長州藩相伝神道無念流居立居合12剣の業6本目は、曾田本同様に右足を踏み込んで前敵の右肘に逆袈裟に切り上げます。其の時曾田本では左足を右足踵に添へ足捌きに引き付ける様な文章ですが、ミツヒラは切り上げてから一拍子遅れて左足を右足に引き付けます。
 長州藩相伝では、右足を踏み込み前敵の右肘に切り上げてから、右足を僅かに引くのであって、左足を送り足していません。

 右足を軸に左に曾田本も長州藩相伝も左敵に振り向き、左敵が接近し過ぎているので曾田本、長州藩相伝共に左足を引いて左敵之正面を切る。

 次に曾田本は右足を引いて左足に踏み揃え左足を引いて左敵の正面に斬り下す。長州藩相伝では同じく右足を左足に揃へ右足を踏み出して左敵の正面に斬り下す。立ち位置の軸が曾田本は更に下がり、長州藩相伝は前に出るわけで此の場合は左敵は正面を切られて後ろに下がる処を踏み込まれて斬られる。両方共右足前となります。

 中段のまま左右と二歩前進し上段残心、青眼に直り納刀。

 

 

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2019年10月20日 (日)

曾田本その2を読み解く45長州藩相伝神道無念流居合と曾田本神道無念流居合5本目

曾田本その2を読み解く
45、長州藩相伝神道無念流立居合12剣の業と
曾田本神道無念流立居合12本
5本目

曾田本その2神道無念流居合立居合
5本目
(意義)
前右左の敵に対する動作なり。
(動作)
第1、1本目1動に同じ
 1本目1動:右足より前進し二歩目左足にて柄を握り三歩目右足を出すと同時に抜刀(此時左手で鞘を前方に出す気持を加へ後方に振り上げ上体を左斜めにして十文字形をなし左足は右足につれ前方に送り左足先を右踵に接する)敵の右前肘を下より切り上ぐ。
第2、左足を軸とし右の敵の正面を切る
第3、左足を軸とし廻れ左をなして右足を一歩出して左の敵の正面を切る納刀

木村高士著「長州藩相伝神道無念流居合」立居合
5本目
切上げ、右正面打込、左正面打込、納刀。
前敵抜付 前方の敵に抜付ける。(1本目に同じ)
 1本目:前敵抜付 右足より三歩進めて間に入る。前敵が我に抜刀しようとするので、左足が前に出た時(二歩目)刀の柄に右手をかけ、右足が出ると同時に前方の敵の右肘を下方より逆袈裟に切り上げる。右手は切手で拳は相手の肩の高さとする。
右敵打込 左足を右足の半歩前に出し左足を軸にして体を右に回しつつ刀を上段に冠る。右敵に向かって右足を踏み出し右正面に打込む。
左敵打込 更に、右足を軸にして左に回り、左上段から右足を踏み出して左敵の正面に打込む。
納刀 前に同じ

 一刀目の前敵に対する下からの切上げは神道無念流以外にも見られる動作です。2刀目の右敵へ打込む際の足捌き「左足を右足の半歩前に出し左足を軸にして体を右に回しつつ刀を上段に冠る」右敵に向かって右足を踏み出し右敵の正面に打込む。その時の左足を右足の半歩前に出す」足捌きは右敵の立ち位置次第ですが、曾田本は前敵を下から抜打ちし、その踏み込んだ右足の後方にある左足を抜付けと同時に右足に送り足に右足踵に引き付けてその左足を軸に右へ振り向くのです。足裁きで右敵との間を調節するわけですが、右敵の位置も常に一定では無いのでどちらも稽古すればいいと思うし、左足を送らずに右に向くのも相手次第でしょう。
 左の敵を切る時は右足軸にしていますが、これは右敵に切り込んだ時の右足の位置で軸となっています。長州藩相伝が左足の捌きに拘った意味は特に解説されていませんが、無双直伝英信流に無い稽古ですから参考にさせていただきその意味を味わってみるとします。

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2019年10月19日 (土)

曾田本その2を読み解く45長州藩相伝神道無念流居合と曾田本神道無念流居合4本目

曾田本その2を読み解く
45、長州藩相伝神道無念流立居合12剣の業と
曾田本神道無念流立居合12本
4本目

曾田本神道無念流居合立居合
(意義)
前進中敵後より来り鐺を取られ続いて前方よりも敵切り掛り来るのに対する動作なり。
(動作)
第1、右足より前進中左足にて上体を前に懸け右手にて刀柄を下より握り(此の握り方は拇指は上方にその他の指は下方にす)腰を左方に廻し刀を抜く。
第2、上体を其侭とし左上膊の左側に刀刃を左斜上方にして後方の敵を刺す。
第3、柄に左手を添へ刀刃上方に刀尖を前方に向け踏み出して前方の敵を刺す左足を送るなり。
第4、右足を後に引くと同時に刀を右脇に刀身を水平にして後方の敵を刺す。
第5、柄を持ち替え右足を一歩出して正面を切る。
第6、左足を軸とし左に廻り右足より一歩進み後方の敵の正面を切り納刀。

木村高士著「長州藩相伝神道無念流」立居合12
右手後突、諸手前突、諸手後突、前正面打込、後正面打込、納刀
逆手抜刀 歩行中、後方の敵が鐺を捉えるので、右足が前に出たとき、前敵に気を強く配り、体の重心を少し前にかけ、右手をもって逆手に柄を握り、前敵を圧しつつ前方に刃を上にして低く抜刀する。
後敵刺突 後敵に眼を注ぎ、刃を上にして切先を後敵に向け、刀身は左上膊部に支え、左手は鯉口を握ったまま、その場に突刺す。
前敵刺突 直ちに、右手は逆手のまま手首を返し、切先は下回りに刃は上に向け、刀身を体の前に来るように操作する。右手は本手に持ちかえ、左手を柄に添えて右足を踏出し前敵を突刺す。
後敵刺突 突いた刀は刃を上にしたまま、右手は再度柄を逆手に握って切先を後敵に向ける。右足を後に引きながら左手は手掌を柄頭に宛て、刀身は左脇下に支え、すり足で一歩後退して後敵を突刺す。
前敵打込 顔を前敵に向ける。右手は逆手から本手に持ちかえながら諸手で左上段に冠り、右足を踏み出して前敵の正面に打込む。
後敵打込 左回りに後方に向き上段に構え、右足を踏出して後敵の正面に打込む。
霞切返し 前に同じ:またしても敵が反撃して来る気配に一歩進めて霞に攻める。敵は我の正面を打って来るので、左足を左斜前に踏み出し、切返しのごとく的刀を右にすり落し、刀を右から頭上に回転させ、右足を左足の後方に引くと同時に左斜上段から敵の右肩に強く袈裟に打込む。
納刀 前に同じ

  曾田本の神道無念流居合の4本目は、第6、「左足を軸とし左に廻り右足より一歩進み後方の敵の正面を切り納刀」で終わっています。長州藩相伝では、正面を切られた後敵は反撃して上段から切込んで来る。我は之を霞切返しに依って外すや右肩に斬り込むのです。動作が一式多いわけです。
 前敵刺突の際、曾田本では右手を本手(順手)に持ち替えませんが、長州藩相伝では持ち変えて左手を添えて刺突します。次の右側から後敵を刺突する際には、再び右手を逆手に持ち替え、左手は柄頭に手のひらを宛てて刺突します。更に前敵の正面二打込む際には再び本手に持ち替えます。稽古ではどちらも出来るように稽古して置けばいいのですが、曾田本の省略した右手の持ち替え、霞切返しは何処かで抜け落ちたのかなのでしょう。
 

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2019年10月18日 (金)

曾田本その2を読み解く45長州藩相伝神道無念流居合と曾田本神道無念流居合3本目

曾田本その2を読み解く
45、長州藩相伝神道無念流立居合12本12剣の業と
曾田本神道無念流立居合12本
3本目

曾田本神道無念流居合立居合
(意義)
前進中後方より敵来を呼ぶにつき二回追詰切る也
(動作)
前進中左へ振り返り右足を踏出し敵の右肘を抜打ちに切り次に左足を踏み込みて切り右足にて更に切り込む也、続いて二本目第4の如く体を転じ切り返しをなす、次に納刀。
二本目第4:両手で刀刃を上にし刀刃を以て敵の刀を払流し(此の時刀尖は其位置に置き左拳を刀尖より稍上ぐ)同時に左手を中心に右肩より冠りつゝ左足を左前に踏み右足を左足の後に引き敵の右肩より八相に切下ぐ。

木村高士著「長州藩相伝神道無念流居合」立居合
後方切上げ、二足一刀正面打込 霞切返し 納刀。
後敵抜打 歩行中、後方より敵が我に抜刀しようとするに先駆け、右足が前に出たとき、刀の柄に右手をかけ左足を軸に後に方向転換し、右足を踏出して後敵の右肘を下方より抜付ける。(抜付の要領は一本目と同じ。)
一本目抜付:右足より三歩進めて間に入る。前敵が我に抜刀しようとするので、左足が前に出たとき(二歩目)刀の柄に右手をかけ、右足がでると同時に前方の敵の右肘を下方より逆袈裟に切上げる。右手は切手で拳は相手の肩の高さとする。
後敵打込 後退する敵を二足一刀に追って、刀は左廻りに上段に冠り正面に打込む。
霞切返し 前に同じ
二本目霞切返し:またしても敵が反撃して来る気配に一歩進めて霞に攻める。敵は我の面を打って来るので、左足を左斜め前に踏み出し、切返しのごとく敵刀を右にすり落し、刀を右から頭上に回転させ、右足を左足の後方に引くと同時に左斜上段から敵の右肩に強く袈裟に打込む。
納刀 前に同じ

神道無念流立居合3本目は敵が後ろより来て切ろうとするのを察して、左足を軸に左回りに振り返って右足を踏出して敵の右肘に下から抜き付け、敵怯んで後退するのを追って左足を踏み込み上段から切り下し、更に右足を踏み込んで上段から切り下す。敵反撃せんと上段に振り冠るので霞の構えとなって、敵打込むや霞の構えから敵刀を払い流し、同時に左足を左前に踏み込み右足を左足の後方に引き付け右肩より上段に振り冠って敵の右肩より八相(逆八相)に切り下す。
一本目二本目との違いは後方に振り向く動作と云う事になる様です。振り返って敵の右肘を切り上げ、退く敵を追い込んで二度切り下ろす際敵は体を退いて外すのでしょう、受け太刀になる動作は手附に見られません。我は空振りして上体を前に屈したりたたらを踏むことなど、無双直伝英信流の大江居合の居合道型に見られる動作は見られません。
 通常の居合の稽古でも打込む態勢は崩さず、居付かず即座に変化できる心掛けが望まれます。

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2019年10月17日 (木)

曾田本その2を読み解く45長州藩相伝神道無念流居合と曾田本神道無念流居合2本目

曾田本その2を読み解く45長州藩相伝神道無念流居合と
曾田本神道無念流立居合12本
2本目

曾田本神道無念流立居合12本
(意義)
敵我正面を切り来るを以て払ひ流し体を左前方に替し敵の右肩より切り下ぐ
(動作)
第1、1本目の第2動に同じ
 一本目第2:次に右手を左肩より振り冠り左手を添へ右足を一歩引き敵の正面を切る。
第2、上段より右、左と二歩退き敵の正面を切る。
第3、左足より二歩前進し敵の正面を切る。
第4、両手で刀刃を上にし刀刃を以て敵の刀を払流し(此の時刀尖は其位置にて左拳を刀尖より稍上ぐ)同時に左手を中心に右肩より冠りつゝ左足を左前に踏み右足を左足の後に引き敵の右肩より八相に切下ぐ。
第5、次に納刀

木村高士著「長州藩相伝神道無念流」立居合2本目
 敵の右肩から八相に切上げ、二歩後正面打、二歩前正面打込、霞切返し、納刀
前敵抜付 前方の敵に抜付けるまでの動作は一本目に同じ
前敵打込 前進して来る敵に右、左足と二歩後退して左から上段に冠り正面を打つ。
更に、後退する敵を追って二足一刀に攻め入り正面に打込む。
霞切返し またしても敵が反撃して来る気配に一歩進めて霞に攻める。敵は我の正面を打って来るので、左足を左斜前に踏み出し、切返しのごとく敵刀を右にすり落し、刀を右から頭上に回転させ、右足を左足の後方に引くと同時に左斜め上段から敵の右肩に強く袈裟に打込む。

参考
堂本明彦編著中山善導・稲村栄一原著中山博道剣道口述集より
立居合初伝2本目
右左右で右片手で前面を左から右に水平に払い切り、左から刀を振り上げ右足を引いて諸手切り下げをなし、又右足を出して諸手切り下げをして、左霞をとって、左足を出して前面を切り払って終る。

 曽田本の神道無念流居合の2本目の意義では「敵我正面を切り来る」から始まっているのですが第1動では一本目の第2に同じだと云います。一本目の第2は、敵の右前肘を下から切り上げたのですが、敵不充分で攻め込んで来るので右足を引いて後退しながら攻め込んで来る敵の正面を切るのです。
 長州藩相伝は少しも違和感がないので、曽田先生の誤写若しくは原本の誤りでしょう。長州藩相伝に従ってここは稽古しないと業が成立しません。
 従って、第1は切上げ、第2は原本通り「上段より右、左と二歩退き敵の正面を切る」、
第3も原本通り「左足より二歩前進し敵の正面を切る」、
第4は「両手で刀刃を上にし刀刃を以て敵の刀を払流し」・・。
でしょう。そこで曾田本の不十分はこの「払流し」の技でしょう。
 長州藩相伝では「霞切返し」という神道無念流の技を要求しています。無双直伝英信流の「受流」では、真向に打込んで来る敵刀を受けるや摺り落すのですが、此処では「受」ではなく「払」の文字が使われています。
 長州藩相伝では「霞切返し」の技を学ばなければなりません。曾田本の「両手で刀刃を上にし刀刃を以て敵刀を払流し」、ですから、第3で切り下ろした右足前の正面で切先を敵の咽に附け、刀刃を上にし左手を稍々高くして構える。
 敵が真向に打込んで来るので両手を頭上に上げて受払うと同時に左足を左前に踏込み、右足を左足の後方に踏み左半身となって摺り落し、同時に右肩から上段に振り冠って、長州藩相伝の「敵の右肩に強く袈裟に打込む」
 長州藩の霞の構えですが、この場合は「右霞」でしょう。「右霞とは刀柄を握った右手の甲を下に左手の甲を上にして刀刃を左にして、切先を前敵に向ける」この刀刃を上に向けるのでしょう。

参考の中山博道剣道口述集の立居合初伝2本目は、下から切り上げないで右足を踏出し水平に切り払っています、次に右足を引き切り下げ、右足を出して切り下げ、左霞をとって打ち込んで来るのを左足を出して前面を切り払う。
 ここで云う左霞の構えが判りませんが、長州藩相伝に依れば「左霞とは右手の甲を上に、左手の甲を下にして刀刃を右に向ける」とあります。
 曽田先生はこの神道無念流の立居合をどの様に解釈され、稽古されたのか興味が湧いてきます。無双直伝英信流には無い構えであり、真向に打ち込まれた時、此の構えから「左足を出して前面を切り払って終る」神道無念流の手ほどきを受けなければ、無双直伝英信流の「受流」に依って右霞から十文字受けして受け流す、自流の範囲を越えられそうもありません。
 敵の切り込みを刀の刃で請け、受け流すのは初心の頃の稽古としては良いでしょうが、体を躱して同時に切り付ける極意を要求していると理解したいものです。
 

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2019年10月16日 (水)

曾田本その2を読み解く45長州藩相伝神道無念流居合と曾田本神道無念流居合1 本目

曾田本その2を読み解く
45、長州藩相伝神道無念流立居合12剣の業と
曽田本神道無念流立居合12本
1本目

曾田本神道無念流立居合1本目
(意義)
数歩前方にある敵が▢に刀を抜んとする機に先ち敵の右前肘を下方より切るも▢いて敵前進し来るを以て後退して切り更らに敵の後退するを進んで切るのであって此の時敵の倒れたるものとする。
(動作)
第1、右足より前進し二歩目左足にて柄を握り三歩目右足を出すと同時に抜刀(此の時左手で鞘を前方に出す気持ちを加へ後方に振り上げ上体を左斜にして十文字形をなし左足は右足にるれ前方に送り左足先を左踵に接する如くする)敵の右前肘を下より切り上ぐ。
第2、次に右手を左肩より振り冠り左手を添へ右足を一歩引き敵の正面を切る
第3、更に右足一歩進め真向より正面を切る

木村高士著「長州藩相伝神道無念流」立居合1本目
切上げ、右足後正面打、右足前正面打込、納刀
前敵抜付 右足より三歩進めて間に入る。前敵が我に抜刀しようとするので、左足が前に出た時(二歩目)刀の柄に右手をかけ、右足が出ると同時に前方の敵の右肘を下方より逆袈裟に切上げる。右手は切手で拳は相手の肩の高さとする。
前敵打込 なおも、敵は前進して来るので、切上げた右手の刀を左から大きく廻して上段に冠りながら右足を左足の後に引き敵の正面を打つ。(打つとは相手の咽の高さまで斬る。以下、参照のこと)怯んで後退する敵に右足を踏み出して正面に打込む。(打込むとは水月まで斬り下す。以下、参照のこと)

参考
「中山博道剣道口述集」堂本明彦編著 神道無念流立居合初伝1本目
自然体で左手を鯉口にかけ右手を柄につけて、左足右足で刀尖三寸まで抜き、一足大きく出て抜き付け即ち左から右に水平に切り払う(人に依って左斜め下から右斜上に切り上げる細田謙蔵先輩の如き人も居るが、これは正式ではないので注意されたい)。左足を右足につけて左から振り上げ、右足を出し左手を柄につけて諸手真向を切りおろす、刀尖は地上一尺位のところで止める。次に体を左に向け霞の構えとなって左足を出し、できるだけ水平に左から右に切り払う(これに就いても一本目は水平であるが、切り上げる事もあるので注意されたい)。納刀

参考
「中山博道剣道口述集」堂本明彦編著 神道無念流立居合上伝1本目
左足右足と出しながら三歩目に右横に左足を踏出す。勿論右足はその左足の前に踏出すので、この点練習を要する。其の間右手で徐々に抜刀し、最後、右横に体を向けた時に右片手で上から下に切りおろし、一足に踏み出しながら刃を左に返し右片手で切り上げ、左から刀を振り上げて左手を柄につけて諸手で切りおろし、納刀は初伝同様にして終る。是は最初の足取りが難しい事を考えに置いて努むる事。

参考とした初伝、上伝とも曾田本とは業としては異なるので一本目のみで業稽古を省きます、いずれ資料などが集まり稽古されておられる方がおればご指導仰ぎたいと思います。

 曽田本と長州藩相伝とは略同じでしょう、長州藩相伝の「打つはのどの高さまで斬る、打込むは水月まで斬り下す」という違いは、曽田本では「正面を切る」で何処まで振り下すのか指定されない。
 参考の初伝では「諸手真向を切りおろす、刀尖は地上一尺位のところで止める」とありますから、これは無双直伝英信流の現代居合の真向打ち下しと同じでしょう。
 上伝にも見られるのですが、「右片手で上から下へ切りおろし」です、片手真向で無双直伝英信流には無い動作です。「諸手で切りおろし」も「おろす」を解釈すれば「刀尖一尺位のところで止める」が妥当でしょう。解説は文章上では見当たりません。
 無双直伝英信流では一刀目で充分効果を出し、二刀目で止めの両断を目指して稽古するのですが、神道無念流の場合は抜打ちでは斬られても敵は怯まず、攻撃してくるのを下がりながら牽制の正面打ち、敵怯んで体勢を整え下る処に踏み込んで止めの打込み残心、納刀する。
 他流の動作を促す手附だけでは、仮想敵の状況を如何様に描くのか思いめぐらせるところです。
 自流の考え方のみで他流を思い描くことは出来ても、本質に至るには入門するなり、公開の講習会などが有れば参加して学ぶ事が必要でしょう。連盟と称して幾つもの流派を一まとめに審査したり優劣の判定をしたりしている様ですが、自流しか知らない者の審査ではどこまで正しくできることでしょう。其の為審査は連盟の制定した居合のかたちのみを対象にするのでは連盟である意味は無く連盟流になってしまいそうです。
 審査員対象は各地区にも必要なのですから、連盟に所属する各流派のポイントだけでも講習会を開くべきかと思ってしまいます。
 
 
 

 

 

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2019年10月15日 (火)

曾田本その2を読み解く45長州藩相伝神道無念流居合と曾田本神道無念流居合納刀

曾田本その2を読み解く
45、長州藩相伝神道無念流立居合12剣の業と
曾田本神道無念流立居合12本
納刀

曽田本神道無念流立居合
刀の納め方
1、前の足を後足に引き付けると同時に刀を左肩に擔ぐ如く持ち来り左手は鯉口を持ち鞘を正しくす。
2、左手の拇指と食指とにて「ハバキ」の近くを挟み右手の拇指は縁金の近くを其の他の指は下より鍔及び柄を持つ
3、右足を後方に一歩引くと同時に右手を以て刀身を前下方に引き刀尖を鯉口の処に持ち来る。
4、右足を左足に引付つゝ刀身を鞘に納る。

木村高士著「長州藩相伝神道無念流」立居合
納刀
 正眼に構えてから、切先を敵の胸元、喉元、眉間の高さにと徐々に前に大きく円を描く様に出し、残心を示しながら右足を左足に引き揃えて刀身を左肩にとり、左手は鯉口を握り僅かに鞘を引き出す。刀身は肩にとったまま鎺を鯉口を握った左手の人差指に支える。と同時に、左足を右足の後方に引き、右手の柄を前下に伸ばし刀背(みね)を引いて切先を鯉口に入れ、ゆっくりと刀身を鞘に納める。
 左足を右足に引き揃え、直立して右手を柄から放し、左手は親指を鍔にかけて当初の演武の位置に復する。なお 各業とも納刀の動作は同じであるが、逆足(左前足)で終了した場合(2,3,8,9,12本目)は左足を右足の後方に引き納刀する。

参考
堂本明彦先生編著原著は中山善道・稲村英一先生に依る「中山博道剣道口述集」から立居合初伝一本目にある納刀の仕方を稽古して見ます。
「・・最後の本数まで納刀の仕方は同じであるから、それを一括して述べて置く、術が完了した際、左足又は右足(後方にあった場合)を必ず前足につけると共に諸手で刀を自分の前に垂直に刀尖を下にしてから左肩に刀峯を付けてかつぐ様にしてから、右手を逆手に持ち変えて左手を鯉口にして刀を前から納めるのである」・・結び立ちしてから納刀迄の足捌きについて触れられていません。

 納刀なども流派に因ってと云うより道場によってなんか俺のと違うと云う事があるものです。稽古は大方師匠の口伝口授と看取り稽古に依るので師匠の癖も引き継いでしまうものです。
 曽田本神道無念流は出典が定かでは無いのですが、これも長州藩相伝とも似ている様でも足捌きが違う、タイミングも違うのです。有信館(中山博道先生の神道無念流)のとも異なるのです。
 右手を逆手に持ち変えて納刀するのは曾田本と有信館、長州藩相伝は特に触れていませんから順手の儘でしょう。
 
右足前で業を終了した場合の足捌きだけ対比してみます。
曾田本:1、右足前左足後 2、右足を左足に引揃え 3、右足を後方に引く 4、右足を左足に引付る
長州藩:1、右足前左足後 2、右足を左足に引揃え 3、左足を後方に引く 4、左足を右足に引付る
有信館:1、右足前左足後 2、左足を右足に揃え  3、記載なし     4、記載なし

 最後に切り下してからの残心も、上段に振り冠って残心、剣先を下げて左肩にかつぐ様にする、有信館の様に垂直に刀尖を下げてから左肩にかつぐなどあるので、12本一本ずつやりながら学んでみます。

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2019年10月14日 (月)

曾田本その2を読み解く45長州藩相伝神道無念流居合と曾田本神道無念流居合刀礼帯刀

曾田本その2を読み解く
45、長州藩相伝神道無念流立居合12剣の業と
曾田本神道無念流立居合12本
刀礼帯刀

 曽田本その2の神道無念流立居合 帯刀
第3、右手を以て刀を体の中央前膝の線に刀背を前方にし垂直に立つ
第4、右手を以て下緒を「スゴク」如くして鐺の附近を持ち両手を以て帯刀する(此時左手の拇指を鍔の内側より前方に押し鯉口を切り食指を以て刀の抜けざる様、左外側より後方にひき鍔は概ね体の中央前にある)
第5、起立して右足より三歩後退す(起立せる時右手は自然に垂れる)
終礼の場合及脱刀
第1、右手を以て刀を脱し右腰に持ち来りつゝ蹲踞して敬礼す(開始の場合と同じ)
第2、起立して右足より三歩後退して立礼す。

 木村高士著長州藩相伝神道無念流立居合 帯刀
帯刀:礼を終え、右腰の刀を右手を使って体の中央前に刃を手前に向けて立てる
 つづいて鞘の下部(鐺の上部)に左手を添え、体の中程に鍔の内側がくるよう両手をもって左腰に帯刀する。
 下緒は鞘と帯との間に上から掛けたらすか、または右腰の帯に結ぶ。
 蹲踞の姿勢から、左手の親指を帯刀の鍔にかけ、右手は自然にたれ、その場に立ち、左足から数歩後退して演武開始の位置に直立する。
 なお、終礼は始礼の逆順に行う。
 演武にあたって発声はしない。

 神道無念流の帯刀は、上座の礼の時の状況で蹲踞し上座の礼を行ったならば、無双直伝英信流の様に刀の礼をする事無く、その姿勢のまま帯刀します。
 曾田本その2は「右手を以て刀を体の中央前膝の線に刀背を前方にし垂直に立つ」、長州藩相伝でも「体の中央前に刃を手前に向けて立てる」ですから、刀の体の中央で位置は蹲踞姿勢の膝の線上ではチョット窮屈です、長州藩相伝では体の中央前ですから右手を伸ばして体の中央前に立てれば懐にゆとりもでき安定もします。
 鞘の下部は鐺の附近を以て帯刀し、帯刀した時の鍔は曽田本その2は体の中央前、長州藩相伝では「体の中程に鍔の内側賀くるよう」ですから納まった姿は同じでしょう。現在の全剣連の帯刀、夢想神傳流、英信流の幾つかの師伝にあるものです。
 大江居合を継承する無双直伝英信流居合兵法正統会では河野先生指導に依り、「柄頭が体の中央」となって小刀を差した場合を配慮しています。
 曾田本その2の帯刀の際「左手の拇指を鍔の右内側より前方に押し鯉口を切り食指を以て刀の抜けざる様、右外側より後方に引き・・」の文言のうち、「鯉口を切り」の理由、更に「食指を以て抜けざる様」の意味はあるのか、その必要性は何か疑問です。
 
 全居連にしろ全剣連にしろ帯刀の前に刀礼が付加されています。この神道無念流の場合は刀礼は手附に無い様です。

 

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2019年10月13日 (日)

曾田本その2を読み解く45長州藩相伝神道無念流居合と曾田本神道無念流居合礼式

曾田本その2を読み解く
45、長州藩相伝神道無念流立居合12剣の業と
曾田本神道無念流立居合12本
礼式

 曽田本神道無念流立居合
敬礼
1、開始の場合と帯刀
第1、右手に刀を提げ正面に対し立礼し、堤刀は刀刃を上方にし栗形の下方を持ち(此際指は鍔に掛けざるものとす)体に並行して約45度の位置にする。
第2、右足より三歩前進し、両踵を揃え蹲踞し(此際刀を右腰にし鍔を体の中心前とす左手を地につく如くして敬礼す

木村高士著「長州藩相伝神道無念流」立居合
礼式
立礼 まず刀を右手に持ち提げ(刃部を上に、下緒をたぐって栗形の上部を握る)、上座に向かって立礼する。
始礼 刀を右腰にとり、右足から演武の位置に進み、両足を揃えてその場所に蹲踞する。刀を右腰に持ったまま左手の甲を前にして指先を下座について始礼をする

 曽田本その2に曽田先生の手書きで記載されている神道無念流居合立業12本を前回までに読み解いて稽古をしてみました。
 神道無念流居合を、師匠について稽古をつけていただいたことは無いので、習い覚えた無双直伝英信流を基にして居りました、神道無念流ではその様にはしないものだと仰られる事はあるだろうことは充分承知しています。
 手元には中山善道・稲村栄一先生原著で堂本明彦先生編著の「中山博道剣道口述集」、香山会の「幽芳録」、堂本明彦先生の「中山博道有信館」を参考にしようとしたのですが、居合は「中山博道「中山博道剣道口述集」に立居合初伝伝10本と上伝
20本の手附は或るのですが、曽田本その2にある立居合12本は見当たらず、其の上運剣動作にも「一足大きく出て抜き付け即ち左から右に水辺に切り払う(人に依って左斜下から右斜上に切り上げる細田謙蔵先輩の如き人も居るが、これは正式ではないので注意されたい)」とあってどの流派でも経年による変化を認めないような書き出しがあったりして曽田先生の原本はどうやら東ではなく西にあろうかと思ってしまいました。
 神道無念流の業技法に関するものは無いかとネットで調べると、木村高士先生の長州藩相伝神道無念流居合が見つかりました、早速高額にプレミアがついたものを買い求め読んでみたのですが、神道無念流立居合12本は順番及び手附は同じ様なのですが、意義や動作の記述方法が異なります。礼式ですら部分的には異なるわけで、曽田先生の元となった資料は霞のかなたに隠れてしまいました。
 然し、大筋は変わらないと考え、此処に対比しながら稽古を仕直して見たいと思います。木村高士先生の長州藩相伝神道無念流立居合12本の手附を拝借させていただきたくお許しください。
 太平洋戦争直前の曽田先生が書き写された神道無念流立居合12本の曾田本その2の手附はこの対比によって生き返る事を信じています。無双直伝英信流を学ぶ者として他流の居合を知ることによってより深く自流を考える糸口を見つけられるかも知れないと思う次第です。
 また神道無念流を学ぶ方々の参考になれば、曽田先生の思いも伝わるのではないかと念じています。

 早速曾田本その2と長州藩相伝の比較に入ります。
 礼式の部分で赤字の部分に違いが見られます。
 右手に堤刀の際、栗形の下方を持つのが曽田本、下方を持てば指先は鍔に掛らないでしょう。栗形上部を持つのが長州藩ですがこの場合は指は鍔に届きます。鍔に手を掛ける事は戦闘意識を表すとするならば上座に向かう場合は掛けるべきではないでしょう。但し右手に堤刀ですから意識すべきかはその流の仕きたりに従うでよいのでしょう。
 ちなみに無双直伝英信流の大江居合では「場に入る時は鍔元を左手に持ち拇指にて鍔を抑へ、刃を上にして刀を下げ下座より玉座に向ひ直立体の侭刀を右手に持替へ(此時刃を後方に向け)右側に軽く接し立礼をなす。刀を左手に復して適当の位置に至りて正座す。」となります。正座してからは刀礼、帯刀となります。

 上座に一礼して演武の位置に歩み行くのですが曾田本は右足より三歩前進ですから、演武場への入場は下座から演武位置の三歩手前まで出場して立礼するのでしょう。
 長州藩は下座で入場の立礼をしてから演武位置まで進むのでしょう。
 演武位置で蹲踞し上座に礼をする場合の左手の所作で長州藩は左手の甲を前にして指先を下座(床・地)について、と指定しています。蹲踞した両膝の間で左手を地に着ければ自然に手の甲は前向きになります。

 神道無念流居合の読み解くでは、順序通りに記述していますが、同じ流の手附でも比較しながら進めていきますと、中々面白いものです。まして他流との対比をすると猶さらと思います。

 
 

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2019年10月12日 (土)

曾田本その2を読み解く44神道無念流居合44の2神道無念流(立居合12本)12本目

曾田本その2を読み解く
44、神道無念流居合
44の2神道無念流(立居合12本)
12本目

(意義)
前進中敵先に抜打をなし敵の之れに応ずるを切り返し倒す也。

(動作)
第1、右足より前進二歩目左足にて刀を抜き三歩目に敵の正面を切る。
第2、切り返をなす二本目第4動に同じ。
 参考2本目第4動:両手で刀刃を上にし刀刃を以て敵の刀を払流し(此の時刀尖は其位置にて左拳を刀尖より稍上ぐ)同時に右手を中心に右肩より冠りつゝ左足を左前に踏み右足を左足の後に引き敵の右肩より八相に切下ぐ。
第3、納刀

 意義を読んだだけでは敵が真向に打込んで来るので、我は刀を抜き払流して八相に切ると読めるのですが動作はちょっと回りくどい。
 双方歩み寄る時、敵先に、右足出し左手で鯉口を握り、左足出す時右手で柄を握り、刀を抜き上げ上段に振り冠るや左手を柄に添え、右足を踏み込んで我が真向正面に切り下す。我も「右足より前進二歩目左足にて刀を抜き」上段に振り冠って、右足を踏み込んで「敵の正面を切る」第1動

 一刀目は間合い不十分で、敵左足を右足に引き付け上段に振り冠る、我は右足前の侭青眼に直る、敵真向より右足を踏み込んで我が正面に斬り込み来る、我は「両手で刀刃を上にし、刀刃を以て敵の刀を払流す(此の時刀尖は其の位置にて左拳を刀尖より稍上ぐ)や、同時に「右手を中心に右肩より冠りつゝ左足を左前に踏み右足を左足の後に引き敵の右肩より八相に切下ぐ」。第2動

 我上段に振り冠り残心を示し、剣先を下げ青眼に構え、左足を右足に「引き付ると同時に刀を左肩に擔ぐ如く持ち来り、左手は鯉口を持ち鞘を正しくす、左手の拇指と食指とにて「鎺」の近くを挟み右手の拇指は縁頭の近くを其の他の指は下より鍔及び柄を持つ。右足を後方に一歩引くと同時に右手を以て刀身を前下方に引き刀尖を鯉口の処に持ち来る、左足を右足に引付つゝ刀身を鞘に納る」第3動

 神道無念流居合12本を稽古してみました、他流の事で細部まで理解出来ているか、足裁きが逆だなどありそうです。意義に述べられて居ても動作では抜けていたり逆の場合もあったと思います。
 無双直伝英信流では、一刀目の抜き付けで勝負がつき止めの打ち下し、血振り納刀ですが、神道無念流では抜き付けでは浅い、不十分、外された、即死状況ではないのでしょう、そこから体捌き、剣捌きが続きます。
 この曽田本に掲げられた神道無念流居合12本は堂本明彦編著中山善導・稲村栄一原著の「中山博道剣道口述集」にある「立居合」初伝10本、上伝20本とは構成の仕方が違う様です。
 いずれ対比しながら神道無念流の居合を稽古して見たいものです。

 曽田先生はこの居合の手附をどの様に手に入れて曾田本その2に書き付けたのでしょう。土佐で神道無念流を遣う人が居たのでしょうか。

 Netで検索して木村高士著平成2年1990年発行の「長州藩相伝神道無念流」を手に入れました。そこには長州藩相伝神道無念流の道統は、細川家資料より起された「林崎抜刀術兵法夢想神傳重信流」の著者故木村栄寿範士の指導で継承されたとしています。そこには「立居合12剣の業」として曽田先生のものに相当する立居合12本が掲載されています。
 曾田本その2による神道無念流居合12本は運剣を見ながらメモをされたものを、写した様なきらいもありますが、木村高士先生の立居合12剣の業と曾田本とを対比しながらもう一度稽古を仕直して見たいと思います。剣術の運剣動作なので、木村先生の記述を私なりに変えることは憚られますので、立居合12本については、原本の侭記述させていただきます。
  

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2019年10月11日 (金)

曾田本その2を読み解く44神道無念流居合44の2神道無念流(立居合12本)11本目

曾田本その2を読み解く
44、神道無念流居合
44の2神道無念流(立居合12本)
11本目

(意義)
大体10本目と同じなるも、敵退却せず打掛て敵に追ひ詰められ後退しつゝ敵を切り倒す也
但し最初停て居るにあらず前進中敵に出合たるものとす。

(動作)
第1、右足より前進中右足の地につくや僅かに後退して抜刀(一本目第1動に同じ)
 参考1本目第1動:右足より前進し二歩目左足にて柄を握り三歩目右足を出すと同時に抜刀(此時左手で鞘を前方に出す気持を加へ後方に振り上げ上体を左斜にして十字形をなし左足は右足につれ前方に送り左足先を左踵に接する如くする)敵の右前肘を下より切り上ぐ。
第2、1本目第2第3動に同じであるが右足より後退しつゝ行くのが異て居る。
 参考1本目第2動:次に右手を左肩より振り冠り左手を添へ右足を一歩引き敵の正面を切る。
 参考1本目第3動:更に右足一歩進め真向より正面を切る。
第3、右同
第4、10本目第4動第5動に同じ
 参考10本目第4動:次に上段にて残心を示し
 参考10本目第5動:青眼に直り納刀
第5、右同

 11本目は、「前進中敵に出合いたるもの」の意識で稽古しろと云うのでしょう。この手附は右足の裁き様が独特なのか誤記なのか無双直伝英信流の足捌きでは出来ない、繰返し稽古して納得できるまでやって見る以外にない。
 敵に出合いさりげなく右足を踏出し左手で鯉口を切り、左足を踏み出しつゝ柄を握り刀を抜き出し右足を踏み込んだが敵の攻めが強く右足を僅かに引いて前肘を下から切り上げる。第1動
 敵前肘に抜き付けられるが怯まずに打込もうとするが、我は右手を左肩より振り冠り左手を添え上段に振り冠って敵の正面を右足を一歩引いて正面を切る。第2動
 敵更に詰め寄って来るので上段に振り冠り右足を一歩引くや真向より敵の正面を切る。第3動 
 左足を一歩引いて上段に構え残心。第4動
 正眼に直り、右足を左足に引き付けつゝ刀棟を左肩に付け、左手で鯉口を握りその拇指と食指で刀の鎺元を挟み、右手を逆手に持ち替え左足を退くや柄を前に引いて、切先鯉口に至れば静かに納刀、左足を右足に引き付け終了。第5動

 ◯◯に同じとして手附を省略していますが、その省く意義は何処にあるのでしょう。たいした労力とも思えませんし、正しい伝承をしたいならば動作を書き込んでおくのが良さそうです。細切れの転写による動作ではその必要動作が抜け落ちる可能性もあります。伝承は師匠に依る口伝口授による手取り足取りが出来ないこともあり得るものです。
 
 

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曾田本その2を読み解く44神道無念流居合44の2神道無念流(立居合12本)10本目

曾田本その2を読み解く
44、神道無念流居合
44の2神道無念流(立居合12本)
10本目

(意義)
敵に接し居る時敵刀を抜かんとするに対し動作するも敵退きたるより之れを追進めて切り倒す也

(動作)
第1、右足を踏出すと同時に抜刀敵の右前肘を切る、一本目第1動同じ
 一本目第1動:右足より前進し二歩目左足にて柄を握り三歩目右足を出すと同時に抜刀(此時左手で鞘を前方に出す気持を加へ後方に振り上げ上体を左斜にして十字形をなし左足は右足につれ前方に送り左足先を右踵に接する如くする)敵の右前肘を下より切り上ぐ。
第2、左足より二歩進み正面を切る。
第3、次に青眼のまゝ突き付けながら二歩進む。
第4、次に上段にて残心を示し、
第5、青眼に直り納刀。

 敵と接している時、敵刀を抜かんとするのに対し、右足より前進し、二歩目に柄を握り、三歩目右足を踏出すや刀を抜き出し、下から敵の右前肘を切り上げ左足を右足に引き付ける。第1
 敵これを右足を引いて外し、左足を後方に引き抜刀せんとするを、我左足を踏み込み上段となるや右足を踏み込んで追い進み敵の正面に打ち下ろす。第2
 敵切られて右足を引いて間を切らんとするを、我青眼に構え敵の喉に切先を突きつけながら左足、右足と二歩前進する第3
 敵左足を引きながらくず落ちるを我、上段に振り冠り残心を示し、第4
 正眼に直り、右足を左足に引きつけ、刀棟を左肩に担ぐ様に持ち来り、左手拇指と食指を以て刀の鎺元を挟み、鞘を直し、右手を逆手に持ち替えるや左足を一歩引いて切先を鯉口に入れるや、右足を左足に引付つつ納刀す。

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2019年10月10日 (木)

曾田本その2を読み解く44神道無念流居合44の2神道無念流(立居合12本)9本目

曾田本その2を読み解く
44、神道無念流居合
44の2神道無念流(立居合12本)
9本目

(意義)
敵の抜かんとする前肘を切るも(一本目に同じ)敵之れを弛し我胴を切り来るに対し体を躱し切り倒す也

(動作)
第1、一本目第一動に同じ
 一本目第1動:右足より前進し二本目左足にて柄を握り三歩目右足を出すと同時に抜刀(この時左手で鞘を前方に出す気持を加へ後方に振り上げ上体を左斜にして十文字形をなし左足は右足につれ前方に送り左足先を右踵に接する如くする)敵の右前肘を下より切り上ぐ。
第2、上段のまゝ右足より二歩退き次に鎬を以て敵刀を下方に押へ敵我胴を切り来るを防ぐ如く刀を体の右前下方に持ち来る此の時右足を左足に引き付くる。
第3、次に青眼に直りつゝ少し前進す、此の時左足は右足につく如く送り敵を襲ふ気持なり。
第4、次に切り返しをなす2本目第4動に同じ
 2本目第4動:両手で刀刃を上にし刀刃を以て敵の刀を払流し(此の時刀尖は其位置にて左拳を刀尖より稍上ぐ)同時に左手を中心に右肩より冠りつゝ左足を左前に踏み右足を左足の後に引き敵の右肩より八相に切下ぐ。
第5、次に納刀

 「敵の抜かんとする」ですから、鯉口に左手がかかる瞬間から切先が鞘離れする瞬前迄を「抜かんとする」動作となるのですが、此処ではその際、我は「敵の右前肘を下より切り上ぐ」のです。従って更に進んで、右手を柄掛りした瞬間から、柄頭にて我を圧し抜き放つ瞬前迄となります。
 敵が左手を鯉口に触れるや、我も右足を踏み込みつゝ鯉口を握り鍔に拇指をあてがい、右手を柄に掛けるや左足を踏み出しつゝ柄頭を敵の右前肘に附けながら刀を抜き出し、間境を超すや右足を踏み込み刀の刃を下に返すや敵の前肘に下より切り上げる。第1動
 我が下より敵の右前肘に抜き付けるを、敵左足を引いて右足を引き付け之を外すや、我上段に振り冠り右足より左足と二歩退く、敵刀を抜き出し右足を踏み込み青眼に構えるところ、上段より刀を下げ鎬を以て敵刀を下方に押さえ、「敵我が胴を切り来るを防ぐ如く刀を体の右前下方に持ち来る」同時に我右足を左足に引き付ける。第2動
 次に、青眼に直りつつ、敵を襲う気を以て右足を稍々踏み込み左足を追い足に右足に送る。第3動
 敵、上段に振り冠り、打ち下ろすを、我青眼の構えから「刀刃を上にし刀刃を以て敵の刀を払い流し同時に左手を中心に右肩より冠りつゝ左足を左前に踏み込み右足を左足の後に引き敵の右肩より(逆)八相に切下ぐ」第4動
 その足の位置で青眼となって残心、左足を右足に引き付けつつ刀の棟を右肩に運び、左手を鯉口に添え拇指と食指で刀の鎺元を挟み、右手を逆手に返し左足を後方に一歩引くと同時に右手を以て刀身を前下方に引き刀尖を鯉口の処に持ち来る、左足を右足に引き付けつゝ刀身を鞘に納める。第5動

 敵の動作が記載されていませんので、状況に合わせ組み立てて見ました。納刀は左足前の状況で、納めましたが、左足を右足に引き付け、右足を引いて刀を左肩に担ぎ、左足を引いて刀尖を鯉口に持ち来り、左足を右足に引き付けつつ納刀の納める。

 

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2019年10月 9日 (水)

曾田本その2を読み解く44神道無念流居合44の2神道無念流(立居合12本)8本目

曾田本その2を読み解く
44、神道無念流居合
44の2神道無念流(立居合12本)
8本目

(意義)
勉めて敵に接して抜打するも敵後退するにより追詰めて切倒すなり。

(動作)
第1、其場にて抜刀右足一歩出し正面を切る
第2、左足より二歩前進して切る
第3、二本目第4動の如く切り返し
 二本目第4動:両手で刀刃を上にし刀刃を以て敵の刀を払流し(此の時刀尖は其位置にて左拳を刀尖より稍上ぐ)同時に左手を中心に右肩より冠りつゝ左足を左前に踏み右足を左足の後に引き敵の右肩より八相に切り下ぐ
第4、納刀
*
 この8本目も抜けが有って解りずらいのですが、対敵は正面から歩み来て我はその場で「勉めて敵に接し」て、抜き打つのか、双方歩み行く時「勉めて敵に接し」間に至るのでしょう。
 稽古では左足前右足爪先を左足土踏まず附近に置き、その場で右足を踏み込み横一線に「抜打」する、あるいは上に抜き上げ上段に振り冠って敵の正面に「抜打」する。
 次に、敵引く処左足を踏み込み上段に振り冠右足を踏み込んで真向に切り下す。
 切下すや敵の反撃を受けて、切り下ろした切先を残し「その位置にて」刀刃を上に向け左拳(左柄手)を切先より稍々高くして下から払い上げる様に受け流し、「左手を中心に」右肩より振り冠つゝ「左足を左前に踏み右足を左足の後に引き」逆八相となって「敵の右肩より八相(逆八相)に切り下げる。
 剣尖を青眼に戻し残心、左足を引いて右足に踏み揃え刀の棟を左肩に添え、左手を鯉口に執り刀の鍔元を拇指と人差し指で挟み、右手を逆手に持ち替えると同時に右足を引いて、刀を斜め右前に引き切先が鯉口に入るや刀を鞘に納めつつ右足を左足に踏み揃えて納刀す。
 ちょっと違うかな、英信流っぽくなったかもしれません。

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2019年10月 8日 (火)

曾田本その2を読み解く44神道無念流居合44の2神道無念流(立居合12本)7本目

曾田本その2を読み解く
44、神道無念流居合
44の2神道無念流(立居合12本)
7本目

(意義)
前方右方の敵に対する動作(六本目に同じ)

(動作)
6本目と替ることなし、左方と右方との異なるのみ。

 右方の敵と左方の敵との違いだと云うのですから、6本目の動作を基に7本目を作成しなければなりません。武術の手附には往々にしてこの様な省略が当たり前の様に書かれるのですが、後世の者はそれを基に文章を作成せざるを得ないのです。古伝の真似を現代でもするべきとも思えません。
 きちんと書いておくぐらいの気ずかいはすべきでしょう。誤って伝えられることも考えておくべきです。
 6本目の左敵を右の敵に替えて曾田本その2の手順で手附を作ります。
(意義)
前方右方の敵に対するも右方の敵、最初我に近寄り過ぎた為めに進出して切ること能わず、従て其場に於て切り、次で敵後に倒るゝを以て其侭進んで残心を示す。
(動作)
第1、一本目第1動に同じ:右足より前進し二歩目左足にて柄を握り三歩目右足を出すと同時に抜刀(此時左手で鞘を前方に出す気持を加へ後方に振り上げ上体を左斜にして十文字形をなし左足は右足につれ前方に送り左足先を右踵に接する如くする)敵の右前肘を下より切り上ぐ。
第2、左足を軸とし右向となり右正面を切る。
第3、次に左足を右足に揃へ上段となり左足にて切る。
第4、次に中段の侭右足より二歩進み。
第5、上段の残心を示し。
第6、青眼に直り納刀

 第2動では右足前で右敵を切る、第3動で右足に左足を送り左足を踏み込んで右敵を再度切る、第4動では右足左足と二歩進み第5動で左足前の侭上段となり残心、第6動でその足のまま切先を下げ青眼となり、左足を退くと同時に切先を上げて左肩に刀の棟を当て、右足を引いて納刀、右足を左足に踏み揃える。

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2019年10月 7日 (月)

曾田本その2を読み解く44神道無念流居合44の2神道無念流(立居合12本)6本目

曾田本その2を読み解く
44、神道無念流居合
44の2神道無念流(立居合12本)
6本目

(意義)
前方左方の敵に対するも左方の敵、、最初我に近寄り過ぎた為めに進出して切ること能わず、従て其場に於て切り、次で敵後に倒るゝを以て其侭進んで残心を示す。
(動作)
第1、一本目第一動に同じ
 一本目第一動:右足より前進し二歩目左足にて柄を握り三歩目右足を出すと同時に抜刀、(此時左手で鞘を前方に出す気持を加へ後方に振り上げ上体を左斜にして十字形をなし左足は右足につれ前方に送り左足先を右踵に接する如くする)敵の右前肘を下より切り上ぐ。
第2、右足を軸とし左向きとなり左正面を切る。
第3、次に右足を左足に揃へ上段となり右足にて切る。
第4、次に中段の侭左足より二歩進み
第5、上段の残心を示し
第6、青眼に直り納刀

 文章に抜けが有って意味が通じない、というより表現力の低さなのか、他流に容易に判読されない様にしたのか解りませんが難問です。前方及び左方の敵に対する攻防で、先ず、前方の敵に右足より進み鯉口を握り、左足を踏み出し柄に手を掛け刀を抜き出し右足を踏み込んで前方の敵の右前肘を下から抜き付ける。(第1動)
 左方の敵は我に近寄り過ぎたために、踏み込んで切る事が出来ない、従って我は踏み出した右足に左足を引き付け右足を軸に左向きとなって左足を引いて上段から左敵の正面を切り下ろす。(第2動)
 次に右足を引いて左足に踏み揃え左足を引いて再び左敵の真向に上段より斬り下す。(第3動)

 ◉此の時正面の敵は右前肘を切られているが命に別条がない筈なので、正面の敵に切り下すことも想像したのですが、此処では、正面を再び斬る動作を要求されていない為、左敵に再度真向から斬り下しています。
 次に左向きの侭、切り下ろした中段のまま左足より二歩進み(第4動)、上段に構え残心を示し(第5動)、青眼に直り納刀(第6動)。

 曽田先生の写された神道無念流の6本目には、何故接近し過ぎた相手を斬るのに後ろに退きながら斬る動作が示されていないのでしょう。第2、第3ともに文章不十分です。曽田先生の看取り稽古に依るメモなのか、神道無念流を演じる誰かのメモなのか疑問です。

 

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2019年10月 6日 (日)

曾田本その2を読み解く44神道無念流居合44の2神道無念流(立居合12本)5本目

曾田本その2を読み解く
44、神道無念流居合
44の2神道無念流(立居合12本)
5本目

(意義)
前右左の敵に対する動作なり

(動作)
第1、一本目一動に同じ
  一本目一動:右足より前進し二歩目左足にて柄を握り三歩目右足を出すと同時に抜刀(此時左手で鞘を前方に出す気持を加へ後方へ振り上げ上体を左斜にして十時形をなし左足は右足につれ前方に送り左足先を右足に接する如くする)敵の右前肘を下より切り上ぐ。
第2、左足を軸とし右の敵の正面を切る。
第3、左足を軸とし廻れ左をなして右足を一歩出して左の敵の正面を切る、納刀。

 前右左に敵に囲まれた場合の動作で、此処では敵が抜刀して斬り込んで来る場合とも、帯刀して今にも抜かんとしているとも言って居ません。
 敵に向かって右足から前進し左手で鯉口を切り、左足を出す時右手で柄を握り、左手で鞘を前方に出す気持ちで送り鞘を後方に振り上げ、右足を踏出すと同時に敵の右前肘を下より切り上げ左足を右足踵に継ぎ刀は肩の高さで止める。
 左右の敵も並行して間を取って来るので、先ず右敵に向かって刀を左肩から上段に振り冠り、左足を軸に右に廻って右敵の正面に斬り下す。次に左敵に振り返り、左足を軸に左敵に振り向きつつ右肩から上段に振り冠り、右足を踏み込み左敵の真向正面に斬り下し、納刀。

 この業は、まず前の敵を倒してから右の敵左の敵を順次倒していくわけで、英信流の心得には無いでしょうが、その運剣動作を以て稽古出来そうです。
 左右の敵を倒してから前の敵に斬り付けるにしても、まず前敵を牽制して実施すべきで参考になります。

 

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2019年10月 5日 (土)

曾田本その2を読み解く44神道無念流居合44の2神道無念流(立居合12本)4本目

曾田本その2を読み解く
44、神道無念流居合
44の2神道無念流(立居合12本)
4本目

(意義)
前進中敵後より来り鐺を取られ続いて前方よりも敵切り掛り来るのに対する動作なり

(動作)
第1、右足より前進中左足にて上体を前に懸け右手にて刀柄を下より握り(此の握り方は拇指は上方にその他の指は下方にす)、腰を左方に廻し刀を抜く。
第2、上体を其侭とし左上膊の左側に刀刃を左斜上方にして後方の敵を刺す。
第3、柄に左手を添へ刀刃上方に刀尖を前方に向け踏み出して前方の敵を刺す左足を送る也。
第4、右足を後に引くと同時に刀を右脇に刀身を水平にして後方の敵を刺す。
第5、柄を持ち替え右足を一歩出して正面を切る。
第6、左足を軸とし左に廻り右足より一歩進み後方の敵の正面を切り納刀。

 前進中、敵が後ろより来て鐺を取られたので、鯉口を左手で握り鍔に手を掛けるや、左足を前に踏み出し上体をやや前懸りにしながら右手の拇指を上にその他の指を下にして逆手に柄を握り、腰を左に廻し刀を抜くや、上体は前を向いたまま、左上膊部の外側(左側)に刀刃を左斜め上に向け後方の敵を刺突する。
 続いて右手は其のままに、左手を柄に添え、刀尖を下から前方に向け刀刃を上向け右手は逆手のまま、右足を踏み込み同時に前方の敵を刺突するや左足を右足に引き付ける。
 更に右手は逆手のまま、右足を後方に引くと同時に右脇に刃を右向に水平にし、刀棟を右脇に引き付け後方の敵を再度刺突する。
 右手を順手に持ち替え、上段に振り冠り右足を一歩踏み込んで前面の敵の正面に斬り付ける。
 左足を軸として左廻りに後方に振り返り上段に振り冠って右足を一歩踏み込み後方の敵の正面に斬り下す。
 納刀。

 鐺をつかんだ後ろの敵は左からと右からと二度刺突され、最後は正面から切り下される。前面の敵は一度刺突され、真向から斬られるわけです。
 此の業も居合抜した後は所謂刀を抜いての攻防ですが、居合らしく、刀同士の打ち合いの無い手際のよい斬撃を要求しているのでしょう。
 英信流に無い逆手抜刀による左後方の刺突、逆手に依る前方の刺突、逆手に依る右後方の刺突、稽古して置きたい業の一つです。 

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2019年10月 4日 (金)

曾田本その2を読み解く44神道無念流居合44の2神道無念流(立居合12本)3本目

曾田本その2を読み解く
44、神道無念流居合
44の2神道無念流(立居合12本)
3本目

(意義)前進中後方より敵来を呼ぶにつき二四追詰め切るなり
(動作)前進中左へ振り返り右足を踏出し敵の右肘を抜打に切り 次に左足を踏み込みて切り 右足にて更に切り込む也 続いて二本目第四の如く体を転じ切り返しをなす 次に納刀

二本目第四の動作:両手で刀刃を上にし刀刃を以て敵の刀を払流し(此の時刀尖は其位置にて左拳を刀尖より稍上ぐ)同時に左手を中心に右肩より冠りつつ左足を左前に踏み右足を左足の後に引き敵の右肩より八相に切下ぐ。

 前進中敵が後ろから来て呼ぶので左から振り返って右足を踏出し、斬り込んで来る敵の右肘を下から抜き打ちに斬り上げる、左足を踏み込んで真甲から斬り下し、更に右足を踏み込んで真向に切り込む、其の体勢の儘敵が真向から斬り込んで来るのを刀刃を返して上に向け、敵の刀を払い流すと同時に左足を左前に踏み込み右足を左足の後方に引き刀を右肩より冠って逆八相から敵の右肩に斬り下す。
 
神道無念流の居合は「抜打に切り 次に左足を踏み込みて切り 右足にて更に切り込む」と同じ切り込みを繰返します。その理合は其の流によるものでしょう。英信流ならば「敵の右肘を抜き打ちに切り、左足を踏み込んで真向より斬り下し勝つ」で終わってしまう、神道無念流では抜き付けた後に運剣を稽古させて居合と剣術(剣道)を混在させている様です。

抜打ちの際下から切り上げず、敵の右小手に英信流の稲妻の様な抜き付けるもありでしょう。
赤字二四と読めましたが意味不明です、読み違いかも知れません。

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2019年10月 3日 (木)

曾田本その2を読み解く44神道無念流居合44の2神道無念流(立居合12本)2本目

曾田本その2を読み解く
44、神道無念流居合
44の2神道無念流居合(立居合12本)
2本目

(意義)
敵我正面を切り来るを以て払ひ流し体を左前方に替し敵の右肩を切り下ぐ。

(動作)
第1、1本目の第2動に同じ(1本目の第2動:次に右手を左肩より振り冠り左手を添へ右足を一歩引き敵の正面を切る)
第2、上段より右、左と二歩退き敵の正面を切る。
第3、左足より二歩前進し敵の正面を切る
第4、両手で刀刃を上にし刀刃を以て敵の刀を払流し(此の時刀尖は其位置にて左拳を刀尖より稍上ぐ)同時に左手を中心に右肩より冠りつゝ左足を左前に踏み右足を左足の後に引き敵の右肩より八相に切り下ぐ。
第5、納刀。

 この手附は、解りにくい書き方をしています。(意義)だけ読めば「敵が正面より切って来るので、右足を左前に踏み込んで抜き請けに払い流し、逆ハ相に振り被って左足を踏み込み右足を引いて敵の右肩を逆八相に切り下げる」と動作をつければ出来るはずです。敵の動作も書き込みは「敵我正面より切り来る」だけですから、敵が我が正面に上段から切り込んで来るわけです。
 然し、(動作)の第1を読むと1本目の第2動に同じと云うので混乱します。そこで、今ある手附は1本目と2本目だけですからこの2本の業を使って2本目を稽古して見ます。それが神道無念流の立居合2本目と異なっても仕方が無いことでしょう。
A、第1動、第2動は1本目を初動として稽古する。
1、右足より前進し二歩目左足にて柄を握り三歩目右足を出すと同時に抜刀、敵の打ち込まんと上段より斬り下ろさんとする右前肘を下より切り上げる。
2、次に右手を左肩より振り冠左手を添へ右足を一歩引き敵の正面を切る。
3、右足を引いて上段に振り冠り左足を引くと同時に敵の正面を切る。
4、左足を踏み込みつつ上段に振り冠って、右足を踏み込み敵の正面を切る。
5、同体の儘両手で刀刃を上にし刀刃を以て敵の刀を払い流し、同時に左手を中心に左肩より逆八相に振り冠つつ、左足を左前に踏み込み右足を左足の後に引き敵の右肩より逆八相に切り下ぐ。
6、納刀は左足を右足に引き付けると同時に刀を左肩に擔ぐ如く持ち来り、左手は鯉口を持ち鞘の刃側を上に向ける。左手の拇指と食指とにて「鎺」の近くを挟み、右手を返して拇指は縁頭の近くをその他の指は下より鍔及び柄を持つ。
 左足を後方に一歩引くと同時に右手を以て刀身を前下に引き刀尖を鯉口の処に持ち来る。右足を左足に引付つゝ刀身を鞘に納める。
B、1本目の第2動の動作で敵の切り込みを外し抜き打つ。
1、右足より前進し、左右と出た時敵が真向に切り込んで来るので、刀を上に抜き上げ右足を一歩引き敵刀に空を切らせ、同時に右手を右肩より振り冠り、左手を柄に添へ敵の正面を切る。
2.上段に冠りつつ右足を引き、左足を引くと同時に敵の正面を切る。
3、左足より上段に振り冠りつつ前進し、右足を踏み込んで敵の正面を切る。
4、同体に儘(切り下ろした切先を下段に遺したまま)両手で刀刃を上に向け正面に向け打ち込んで来る敵刀を払い流し、同時に左手を中心に左肩より逆八相に振り冠りつつ、左足を左前に踏み込み右足を左足の後方に引き敵の右肩より逆八相に切り下ぐ。
5、納刀(同じ)

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2019年10月 2日 (水)

曾田本その2を読み解く44神道無念流居合44の2神道無念流(立居合12本)1本目

曾田本その2を読み解く
44、神道無念流居合
44の2神道無念流(立居合12本)
1本目

(意義)数歩前方にある敵が将に刀を抜かんとする機に先じ敵の右前肘を下方より切るも続いて敵前進し来るを以て後退して切り更らに敵の後退するを進んで切るのであって此の時敵の倒れたるものとす。

(動作)
第1、右足より前進し二歩目左足にて柄を握り三歩目右足を出すと同時に抜刀(此時左手で鞘を前方に出す気持を加へ後方に振り上げ上体を左斜めにして十字形をなし左足は右足につれ前方に送り左足先を右踵に接する如くする)敵の右前肘を下より切りあぐ。
第2、次に右手を左肩より振り冠り左手を添へ右足を一歩引き敵の正面を切る。
第3、更に右足一歩進め真向より正面を切る。
第4、納刀

 前進しつつ下より切り上げ、退きながら真向に切り下し、再び前進して真向に切り下す業です、中山博道先生の有信館でも稽古されていたのかどうか、そこでは立居合の初伝1本目は、堂本明彦編著による原著者は中山善道、稲村栄一による「中山博道剣道口述集」に依れば以下の様です。
 「自然体で左手を鯉口にかけ右手を柄につけて、左足右足で刀尖三寸まで抜き、一足大きく出て抜き付け即ち左から右に水平に切り払う(人に依って左斜下から右斜上に切り上げる細田謙蔵先輩の如き人も居るが、これは正式ではないので注意されたい)。
 左足を右足につけて左から振り上げ、右足を出し左手を柄につけて諸手真向を切りおろす。刀尖は地上一尺位のところで止める。次に体を左に向け霞の構えとなって左足を出し、出来るだけ水平に左から右に切り払う(これに就いても一本目は水平であるが、切り上げる事もあるので注意されたい)。」
 これでは、まず足運びが左右左で左から右へ水平の抜きつけ、踏み出した左足を右足に引き付けつつ左から上段に振り冠って、右足を出して諸手で真向に切り下ろす。更に体を左に向けて逆横霞に構えて左足を踏み込んで左から右に水平に切り払う。となりそうです。これでは曾田本とかけ離れてしまいそうです。
 
 口述集の初伝1本目は、「右左右で右片手で前面を左から右に水平に払い切り、左から刀を振り上げ右足を引いて諸手切り下げをなし、又右足を出して諸手切り下げをして、左霞をとって、左足を出して前面を斬り払って終る」
 此の方が一刀目は水平切りですが、二刀目、三刀目は曾田本に同じ動作になりそうです。四刀目はオマケです。神道無念流の切り上げが見たい、更に口述集の頁を繰ってみます。

 上伝の2本目、「左足を静かに出しながら右手で静かに三分の二位抜刀し、右足を大きく前に出すと共に右片手で左から右に切り上げる(この切り上げは斜切りと称する。後から又出てくるので覚えて置く事)左足を右足に揃え、刀を左から振り上げて、右回りしながら右足左足と送り込んで諸手切り下げをなし、其のままの体位で右霞をとって右足を踏み込み、右斜下から左斜上に切り上げて終る。」
 一刀目に切り上げが出て来たのですが、それ以降は別物です。曽田本の神道無念流の居合は有信館に伝わった居合では無さそうです。

 其の流派の業は、其の流派の中で当たり前とする、約束事例えば構や、動作の方法を知らない者にはその流の手附からだけでは演じられないものです。従ってその流の心持ちなど口伝に依ることなど他流では読み取ることは難しでしょう。従って連盟の制定した形をもって優劣をつけようとするのが現今の考え方と思います。是では500年も伝承されてきた流派の奥義の業と心を失念してしまい居合踊りになってしまいそうです。流派の免許皆伝より連盟の段位を優位に思っておられる居合人の何と多いことでしょう。
 堂本明彦氏の「中山博道有信館」平成5年1993年発行をめくりながら、博道先生の神道無念流を振り返って居る時こんな一文に出合ってしまいました。
 有信館の進級試験の後の懇親会の一席での事「当時の道場の気分はつまりはかくのごとくで、いまどきのように剣道の理念は人間形成であるなどとうたいあげ、それはたしかに結構な事だが、おかげで段位が人よりも上ならば人格もまた人より優れていると、いつのまにか思いこんでしまうようなおかしな風潮はまだはびこっておらず、その意味ではニセモノがいなかった。つけ焼き刃の浅薄な精神訓話を垂れてしたり顔する剣道家が巷に増え始めたのがいつ頃なのか、もっと調べてみないとわからない。」思いつくままに、余談です。

 全居連の刀法三本目切上げの元になった業は神道無念流にあるとされています。
切上げ:「剣理:敵が真向上段に抜き上げて仕懸けんとするを、我れ其の右腋つぼ(腋窩)に下から斬り上げ、直ちに双手上段から敵の左袈裟に斬りおろして勝つ意也」池田聖昂著全日本居合道刀法解説より。全日本居合道連盟全日本居合道刀法昭和31年1956年10月7日制定、昭和52年1979年5月1日配布の「切上げ」と同文。

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2019年10月 1日 (火)

曾田本その2を読み解く44神道無念流居合44の1敬礼

曾田本その2を読み解く
44、神道無念流居合
44の1敬礼

敬礼
1、開始の場合と帯刀
第1、右手に刀を堤げ正面に対し立礼し、堤刀は刀刃を上方にし栗形の下方を持ち(此際指は鍔にかけざるものとす)体に並行して約45度の位置にする。
第2、右足より三歩前進し、両踵を揃へ蹲踞し(此際刀を右腰にし鍔を体の中心前とす)左手を地につく如くして敬礼す。
第3、右手を以て刀を体の中央前膝の線に刀背を前方にし垂直に立つ。
第4、左手を以て下緒を「スゴク」如くして鐺の附近を持ち両手を以て帯刀する(この時左手の拇指を鍔の右内側より前方に押し鯉口を切り食指を以て刀の抜けざる様、左外側より後方にひき鍔は概ね体の中央前にある)
第5、起立して右足より三歩後退す(起立せる時右手は自然に垂れる)

2、終止の場合の脱刀
第1、右手を以て刀を脱し大腰に持ち来たって蹲踞して敬礼す(開始の場合と同じ)。
第2、起立して右足より三歩後退して立礼す。

刀の納め方
1、前の足を後足に引き付ると同時に刀を左肩に擔ぐ如く持ち来り左手は鯉口を持ち鞘を正しくす。
2、左手の拇指と食指とにて「はばき」の近くを挟み右手の拇指は縁頭の近くを其の他の指は下より鍔及柄を持つ
3、左足を後方に一歩引くと同時に右手を以て刀身を前下方に引き刀尖を鯉口の処に持ち来る。
4、右足を左足に引付つゝ刀身を鞘に納る。


 神道無念流の居合の手附を何処から手に入れたのでしょう、土佐の居合とどの様に関連付けてこの手附を曽田本その2に書き加えられたのか分かりません。
 単純に貴重な資料を手に入れたので覚書として書き留めて置いたのかも知れません。土佐の居合との違いを研究してより磨きをかけようとされたかもしれません。
  土佐の居合も谷村派だ下村派だとかその違いがよくわからないまま語られ、最近は大江先生以後の宗家筋に異論を持つのか分派が林立し、更に連れ立って何とか連盟などと云う意味不明の集合体を作ったりしています。大江居合に過ぎないくせに、業技法の形程度のことで分派するなど愚かなもので、そこそこ稽古を重ねれば一人一人の考え方や癖は強く出て来るものです。分派に至るのは業技法の考え方よりも宗家だ代表だと云う権威を手に入れた者が、箸の上げ下げ迄俺に従えと云う権力者になった様に錯覚し、共に歩んできた仲間を排除しようとしたり、無理やり自分の形に押し込めようとする事が原因かもしれません。小さな井戸の中で居場所を争って自己満足に浸っているようなものでしょう。
 分り合う事もせず一方的では嫌気もさすでしょう。異論を唱えられると権力者は暴力的になるものです。
 本物を求める意識も知恵もなく、まして年を取って自己主張ばかり強くなると、どうでもいいと投げやりになるかが目立ちます。話し合い理解し合う事を怠る、怠け者の集団の分裂に過ぎない様に思えて仕方が有りません。
 曽田先生は自流の本道を知ってしまったのですから、当然他流の研究も芽生えて来たのかも知れません。

 神道無念流も地域道場によっては、業技法が違う事もあり得るでしょう。神道無念流は夢想神傳流の育ての親中山博道先生の剣術であったと記憶しています。そこで中山博道先生の神道無念流居合に関する書籍から訪ねたのですが、曾田本その2の居合とは聊か抜方が違っています。
 神道無念流は信州飯綱権現で活眼して始祖となった福井平右衛門より始まると聞いています。享保20年1735年の事だそうです。
 敬礼および納刀法は大江居合とは異なりますが、文章を忠実に実行すれば簡単に出来てしまいますので解説は省略します。

 但し、納刀の方法については「前の足を後足に引き付ると同時に刀を左肩に擔ぐ如く持ち来る」は中山博道口述集の立居合初伝では「左足又は右足(後方に在った場合)を必ず前足につけると共に、諸手で刀を自分の前に垂直に刀尖を下にしてから左肩に刀峯を付けてかつぐ様にして、右手を逆手に持ち変えて左手を鯉口にして刀を前から納めるのである」と解説されています。
 「右手の拇指は縁頭の近くをその他の指は下より鍔及び柄を持つ」の文章とは少々違和感があります。が逆手には違いありません。抜けている部分を自分の力量の範囲で補うのも古伝を研究するのに役に立ちますが、やり過ぎは別のものになってしまいます。
 居合に就いては一本ずつ稽古して見たいと思います。

 

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2019年9月30日 (月)

曾田本その2を読み解く43直心影流兵法目録次第

曾田本その2を読み解く
43、直心影流兵法目録次第

八相 發 破
一刀両断
右轉左轉
長短一味
龍尾 左右
面影 左右
銕破(てっぱ、くろがねやぶり)進退
松風 左右
早船 左右
曲尺
圓連 刀連 體連

  右口傳

1 陰之搆之事
1 陽之搆之事
1 相搆之事
1 相心之事
1 目付之事
1 仕懸之事
1 手之内之事
1 横一文字之事
1 竪一文字之事
1 留三段之事
1 體當之事
1 太刀當之事
1 切落之事
1 吟味之事
1 相尺之事
  
  右口傳

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 功妙剱 口傳
 心妙剱 口傳
 気當  口傳
 権體勇 不行 不帰 不正 口傳
 西江水 口傳
 惣體之〆 口傳
 口上極意之事 口傳
 不立之勝 口傳
 十悪非時 口傳

 カマン カシン トンヨク イカリ ヲソレ アヤフミ ウタガイ アナスリ マンシン
 (我慢 過信 貪欲 怒り 懼れ 危み 疑い 侮り 慢心 ならん曽田メモ)

◎勝と云うは先々先に後能勝は また先々に先後先後と
◎右左後も前も一致して天地万物同根一空
◎書渡し口に伝ふることの葉の常の心に持てばたん連舞(鍛錬)
 右の首 口傳

 以上

右條々極意者有口傳以理為実以実為理也 愈工夫鍛錬二六時中無急慢御勉可為肝要者也 先師杉本(松本)氏目録之旨趣雖為奥義 今足下数年有信仰而二六時中依被勵懇精 不残一塵授之 彌抽丹誠此道有 切磋琢磨工夫可被鍛錬 而猶心妙不測之所免状之時可顕之者也

鹿嶋神傳元祖
杉本備前守藤原正元 (武術叢書には「松本正元」とあり写違ひなりや)
上泉伊勢守藤原秀綱
奥山休賀齊平公▢
小笠原源信斎源長治 (同 玄信齊とあり)
神谷僧心斎平真光
富樫直翁齊源重治
山田一同齊藤原光徳
長沼四郎世然尉藤原▢郷
長沼活然齊藤原▢郷
藤川弥四郎右衛門尉原近義
藤川源郎四郎藤原近徳
藤川弥八郎藤原近▢
藤川弥四郎右衛門藤原 貞
酒井良佑源成大
橘慎吾右衛門橘
天保13壬寅年10月吉日
渋谷小四郎殿 参
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 直心影流兵法目録次第ですが、曽田本その2に何故他流の目録を挿入させたのでしょう。この目録のメモの筆記者は曽田先生ではない様に思われる書体のものです。文字が判らずに▢の部分が幾つも出てしまいました。

 右の條々極意は口伝に有り、利を以て実と為し実を以て理と為す也 いよいよ工夫鍛錬二六時中怠慢無くお勉め肝要なるべきもの也 先師杉本氏(松本氏)目録の旨趣奥義なると雖も 今足下数年信実深く仰ぎてあるとも二六時中懇精に勵まれるに依り一塵残らず之を授く いよいよ丹誠を抽し 此の道切磋琢磨工夫鍛錬あって猶心妙不足の所 免状の時顕わるべきものなり。

 恥ずかしながら読み切れませんが、各條々は口伝に依る極意なので工夫鍛錬怠らず行って実理を得ることが肝要だ。切磋琢磨工夫して鍛錬して居れば心の足らざる所も免状に価するようになる。と言っているのかも知れません。

 直心影流の目録には柳生新陰流と同じような文言が幾つか見られました。一刀両断、右転左転、長短一味などですが他流の事なので深追いは出来ません。
 曽田先生は大正4年発行の早川順三郎による「武術叢書」を片手に手に入れた資料をチェックしている様で、この直心影流兵法目録も見ている様です。
 参考とさせていただいた資料は山田次郎吉先生の昭和12年1937年発行「剣道極意義解」に依ります。曽田本その2の直心影流兵法目録次第は別の資料によるかも知れません。
 

 

 

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2019年9月29日 (日)

曾田本その2を読み解く42大阪八重垣会幹事?剣道錬士河野稔氏との文通質疑42の5だまし打ち

曾田本その2を読み解く
42、大阪八重垣会幹事?剣道錬士河野稔氏との文通質疑
質問を受けたる事項次の如し
42の5だまし打ち

2、居合は本来の目的よりして剣道の所謂先々の先にあらずして先又は后の先の一刀と信じますが、上意抜打は別とし(之とて上意と呼びてなすと▢る)一切敵を「だまし」打にする事は無之と信じますが、立膝の岩浪に於て左に向き右足にてトンと踏みたる時敵ハッと右に振りたる其の胸(又はのど)をさすと説くは丁度之にては「ダマシ」打の教あり。本業の正しき祥義を是非御教示の程御願申上益。
 解説「正面より我刀柄を取り押えんとするにより、我先に廻り柄を右によじて刀を抜き敵を突くの技にて決して「だまし打」にてあらず、尚突く時足を「とん」と踏むは突く刀勢を添ふるものなるにより(又一説には敵我刀を押えんとする其柄を踏む心持ありと)音をせずして突くもあること心懸くべし」。


 この河野先生の質問には、人を武器によって殺傷する事の根本的な問題提起が為されています。武術の行使をすると云う事は、人のコミュニケーションの最終手段である事と、単なる真剣勝負との区別もつかないようでは[だまし打ち」程度の言葉遊びが出てしまうのでしょう。

 土佐の居合の古伝には神妙剣の教えが語られていました、すでに曽田本その1で紹介済みですが、ここで再び神妙剣を登場してもらいます。
 「神妙剣:深き習いに至りては実は事(業)無し常に住座臥に之有る事にして二六時中忘れて叶わざる事なり、彼れ怒の色見ゆるときは直に是を知って怒を抑えへしむるの叡智(頓智?)あり、唯々気を見て治むる事肝要中の肝要也、是戦に致らしめずして勝を得る也。去りながら我臆して誤り(謝り)て居る事と心得る時は大に相違する也、兎角して彼に負けざるの道也。止事を得ざる時は彼を殺さぬ内は我も死なずの道なり。
 亦我が誤りも曲げて勝には非ず、誤るべき筋なれば直に誤る(謝る)も勝也。
 彼が気を先に知ってすぐに応ずるの道を神妙剣と名付けたる也。委しくは書面にあらわし尽くし難し、心覚えの為に其の端を記置く也。」
 古伝の最終章はこの一文に尽きています。剣道や柔道、相撲などの勝負事で、力と速さの身に頼るのは若い時の事、いずれ体力の衰えによって若者にコロコロ負かされて、悔やんでみても意味のない事です。いかに年をとっても負けないのが武術でなければ生涯修錬する意味など無いに等しいものです。
 古流剣術に秘められている奥義は現代居合による「だまし打ち」は無いと信ずる程度の「安易なうそ」では得られる訳は無いでしょう。

 

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2019年9月28日 (土)

曾田本その2を読み解く42大阪八重垣会幹事?剣道錬士河野稔氏との文通質疑42の4林崎先生

曾田本その2を読み解く
42、大阪八重垣会幹事?剣道錬士河野稔氏との文通質疑より
42の4質問を受けたる事項

1、林崎先生

1、A 林崎先生は北条泰時第二子説。B 宗時▢▢説。C 足利末期説の三説有之様にて私は▢見的研究の結果、A、B、両説は単なる伝説の様考へられ、小冊子には、足利末期説をとり、足利13代義輝の頃(永禄、元亀)と致して居りますが当研究▢▢▢ます

◎先生(虎彦を指す)の御説の秀吉御学被成云々より致しましても足利末期説を其とするに足る様考へられます
◎北条五代時頼より秀吉迠340年
◎三代泰時ー秀吉迠360年
◎足利五代義量ー秀吉迠160年
◎足利末期十三代義輝より秀吉迠は37年にて何れよりするも足利末期説確かの様ですが如何でせうか。

1、(大森流始祖は大森六郎左衛門との御説に依り確信を得まして心より感謝致します)
 A 就きましては其時代(九代林六太夫先生)迠は正坐大森流はなく、
 B 長谷川流の立膝は英信の初めたものとすれば英信以前には立膝及び正座は無き訳ですが無双神傳流として林崎より伝来せしものは(現今の業を以て称へば)今の奥居合の居業立業のみであったのですか。
結論
1、奥居合の居業、立業は林崎先生以来伝来今日に至る。
2、立膝は英信に始る。
3、正座は(始祖大森六郎左衛門)にて九代林先生の頃より始まる。と見て差支無いでせうか。

◎然して現今大森流を(九代以来)附属せしめて之を無双直伝英信流と称すとして差支へ無之▢(候)也。

 河野先生の曽田先生への質疑は、疑問に思った事の抜粋の様な書き方なので、その謂れが見えません、突然林崎甚助重信の存命した時代を北条泰時の第二子説から始まっています。
 北条泰時は鎌倉幕府の執権ですから元久2年1205年源実朝時代の執権で元久2年から仁治2年1240年まで勤めています。北条時宗は文永5年1268年から弘安6年1283年の期間の執権となります。
  足利時代は延元3年1338年足利尊氏が将軍となり天正元年1573年足利義昭が織田信長に追放されて足利幕府が消滅する迄続いています。
 秀吉の時代は天正10年1582年織田信長が明智光秀に本能寺で攻められ滅ぼされ、豊臣秀吉として関白となったのは3年後の天正13年1586年です。慶長3年1598年に死没し、5年後の慶長8年1603年には徳川家康が征夷大将軍となり江戸に幕府を開いて居ます。
 どの様な、資料から鎌倉時代まで林崎甚助重信の生まれを辿ったのか、昭和の初めには様々な、嘘が飛び交ったのかも知れません。結局何を根拠としたか不明ですが、足利末期の人とされたのでしょう。
 林崎甚助源重信公資料研究委員会の「林崎明神と林崎甚助重信」平成3年1991年発行では重信の生年については「重信の生年については諸説があり確説は無い。参考に文献に記されたものを書いてみよう。」とされています。
 天文11年1542年 林崎明神霊験記
 天文11年1542年 東邦新聞史談
 天文11年1542年 居合神社記
 天文17年1584年か天文13年1544年 武術太白成伝
 天文2年1533年か享禄4年1531年 増補大改訂武芸流派大事典
 明治20年の林崎明神霊験記の著者林多少氏は、代々の別当家であるので、天文11年生まれは口碑として伝承されていたものであろう。とされ、武術太白伝および武芸流派大事典は生歿に不合理で疑問とされています。
 同書の略年表では天文11年林崎甚助重信生誕、幼名民治丸とされています。
 足利末期説で良いのですが足利義輝ではなく足利義晴の時代となります。恐らく、河野先生は、武術太白伝辺りを資料とされたのでしょう。
 
 就ましては、以降の業項目の整理については大江先生も、河野先生も、現今の無双直伝英信流居合兵法では明確な成り立ちの教授はされていない様です。
 大森流は大森六郎左衛門の居合を第9代林六太夫守政によって附属せしめた事も、大江居合の正座之部として稽古されているばかりでその経緯さえ明確に示されていません。
 立膝之部も同様ですが、この立膝之部が長谷川英信によって創作されたと云う明確な資料は見当たらず、英信がどのように優れた人で本来無雙神傳林崎流と云うべきを無雙神傳英信流と云うと古伝神傳流秘書にも記されている程度のものです。
 現今の無双直伝英信流の流名呼称の名付けの由来も大江先生に依る程度の事で不明瞭です。まして正座之部、立膝之部、奥居合之部の業の関連性やそれぞれの部との武術的違いなどの明確性も不十分です。
 次いでですが、正座の部一本目前と立膝之部一本目横雲の違いを武術的根拠をもって説明できないにも関わらず、正座之部は入門業、立膝之部は中級者向け、奥居合之部は上級者向けなどと云うのはナンセンスでしょう。正座の八重垣の受払、立膝の虎一足、奥居合の脛囲は同じ動作に過ぎません、何處が初中上なのでしょう。無理やりこじつけても意味のないことです。
 古伝は、大森流は陽進陰退で「・・開き納又左を引て抜付打込み・・」、英信流は虎一足で「左足を引き刀を逆に抜て留め・・」、抜刀心持之事では柄留で「虎一足の如く下を留めて打込」でした。業名、手附の微妙な違いに反応できる想定によって稽古の質を高めれば理解出来ていくはずです。
 第9代林六太夫守政が土佐にこの居合を持ち込んだ時に、其の侭並行的に附属せしめたにすぎず、大江先生も改変する際にその関連性や武的向上を求める手立てには手を付けられずに終わったのでしょう。居合抜の名人であってもこの辺の資料の研究がなされていないわけですからその流派の権威者と思しき人の発言に依って決めつけてしまうのは、疑問を説いたことにはならいでしょう。  思いつくままに

 

 

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2019年9月27日 (金)

曾田本その2を読み解く42大阪八重垣会幹事?剣道錬士河野稔氏との文通質疑42の3大森流流名に就て

曾田本その2を読み解く
42、大阪八重垣会幹事?剣道錬士河野稔氏との文通質疑
質問を受けたる事項次の如し
42の3大森流流名に就て

 其時代、始祖、どーも確信ある材料が無し
イ、林六太夫(9代の)剣の師匠大森六郎左衛門が真陰流の古流五本の形から案出して英信流に附属せしめた・・との説を根拠として(大森流は始祖大森六郎左衛門也)とする一説。

ロ、大森流は之れより以前英信より前にあったもので(然し年代始祖不明)大森六郎左衛門が始祖ではないとの一説。
 同氏の原稿には(福井先生の説を骨子とし)次の様に書いてある也
「当流の正座及び奥の立業は大森流と呼び正流第7代英信の以前より当流の正伝として代々伝来せられたる業にして立膝及び奥の居業は長谷川流と称し英信の創案に成く之れに形を加へ総称して無双直伝英信流と唱ふ」
 尚、太刀打之位、詰合之位、大小詰、大小立詰の四業に付て其の始祖及び年代ご教示を乞ふ。

 イの説が一般的ですが、別の説ロについては、聞いたこともそれらしき資料も知りません。河野先生の質問状には、福井先生の説と有りますので、この福井先生は第19代福井春政先生の事だろうと思います。福井先生は何処からその説を持って来たのかあれば楽しいでしょう。
 恐らくこの質疑は昭和10年以降のもので、第18代穂岐山先生が亡くなられた(昭和10年1935年)後に河野先生と曽田先生との交流が有ってからのものでしょう。現在までそれらしき資料の公開はされた事はありません。土佐の何方かが福井先生の残された資料をお持ちの方がおられれば良いのですが、この時代になっても土佐から門外不出でもないでしょう。
 私の使用する資料は古伝神傳流秘書は曽田先生の直筆写本と木村栄寿先生による細川家伝書に依ります。共に大江先生系統のものでは無く、一般に云う所の下村派系統の伝書です。第16代五藤正亮先生系統の谷村派の伝書が不明でせいぜい免許皆伝相当の根元之巻と目録程度のものばかりです。
 これらについて正しい答えは得られそうにはありませんが、古伝神傳流秘書によるところが良さそうです。南山大学の榎本鐘司先生の「北信濃における無雙直傳流の伝承について」の論文から「無双流和棒縄居合目録」により土佐の居合と業名が一致するものを拾うと以下の様です。
括弧内は土佐の古伝神傳流秘書による
 和:使者取(使者捕)・砂乱(五月雨)・弓返し(弓返し)・附入(附入)・左詰(右請)・抜捨(抜捨)・急天(胸点)・向面(向面)・猿猴(遠行)・鐺返し(鐺返) 
 立合の和:行連(行連)・夢相(夢想)・爪捕(裾取)・志けん(支剣)・車附(車附)・玉簾(玉簾)・打込(打込)・燕返し(燕返)・追捕(追捕)
 小具足:11本省略(11本)
 後立合:11本省略(11本)
 小具足割:11本省略(10本)
 大小詰:7本省略(8本)
 立合(詰):9本省略(大小立詰7本)
 大剣:13本省略(大剣取10本)
 棒目録:棒合(棒合)・腰車(腰車)・小手揚(小手上)・小手落(小手落)・見帰り(見返)
 居合向身:横雲(横雲)・稲妻(稲妻)
 居合右身:浮雲(浮雲)・山颪(山下風)
 居合左身:岩浪(岩浪)・鱗返(鱗返)
 居合後身:波返(波返)・瀧落(瀧落)

 この対比から土佐の居合は北信濃の無双直伝流と同じ流れを辿っていると思われます。それでは東北地方ではどうかと言えばニ三行き当たりそうに思えるのですが殆ど別物の様な業名です。北信濃の居合は土佐の居合で云えば大江流の立膝之部に相当しています。奥居合は「三角・四方切・▢乞・棚の下積」の目録にその雰囲気を感じますが不明です。居合は英信流そのものであって、大森流は土佐独特の居合で第9代林六太夫が大森六郎左衛門の居合を取り入れたとするのが自然かも知れません。

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2019年9月26日 (木)

曾田本その2を読み解く42大阪八重垣会幹事?剣道錬士河野稔氏との文通質疑42の2無雙直伝英信流々名着表の年代

曾田本その2を読み解く
42、大阪八重垣会幹事?剣道錬士河野稔氏との文通質疑より質問を受けたる事項次の如し
42の2無雙直伝英信流々名着表の年代

 「英信は其の技古今に冠絶し精妙神技を以て始祖以来の達人として聞へ古伝の業に独創の技を加え茲に流名を無双直伝英信流と改め爾来当流を異称し長谷川英信流又は長谷川流或は英信流と呼ぶに至れり、而して英信は享保頃江戸に於て斯道を研究大成し晩年土佐に▢無して大に之れを広め同地に其の逸材を輩出せしが」以下表右の如く、享保時代として、英信として相違無きや。是は同氏が当流に関する小冊子を発刊するに当り▢ね起したる質疑なり以下何れも同断。

 此処での質疑は無双直伝英信流は長谷川英信が独創したもので、時代は享保の頃でいいのかという質問です。居合の始祖は林崎甚助重信であり流名は、奥州地方では林崎新夢想流、林崎流、林崎田宮流、林崎夢想流、林崎流居合、林崎神流などと云われていた様です。北信濃では無雙直伝流として伝わり、長谷川英信や荒井勢哲などが江戸へ出て道場を起したとされています。その道場へ土佐の林六太夫守政が江戸勤務の際、指導を請け土佐に戻って広めたという説が正しそうです。
 その流名は古伝神傳流秘書に依れば「無雙神傳英信流居合兵法」とされています。
 土佐に持ち込まれた年代は林六太夫の年齢から推し測れば寛文2年1662年林六太夫守政生まれる~享保17年1732年林六太夫守政死す。ですから寛文は1661年~1673年、延宝は1673年~1681年、貞享は1684年~1687年、元禄は1688年~1703年、宝永は1704年~1710年、正徳は1711年~1715年、享保は1716年~1735年でこの享保17年1732年に死亡したわけです。
 林六太夫の時代は寛文・延宝・貞享・元禄・宝永・正徳・享保と7つの年号にそって生きたと云えます。年号と年齢を勘案しますと以下の様です。
 寛文0~11歳
 延宝12~20歳
 貞享21~24歳
 元禄25~40歳
 宝永41~47歳
 正徳48~52歳
 享保53~70歳
 20歳から40歳までに修行することが出来ていれば、土佐に戻って普及に尽力したのが41歳から71歳までとすればその時の最長年号は享保となるでしょう。
 従って土佐における無雙神傳英信流居合兵法は享保の頃土佐に普及されたと云えるでしょう。然し長谷川英信の居合はそれより早い元禄時代とも考えられます。
 城中での座し方が正座と定められてから普及した大森流居合が土佐の居合として今日まで居合の基礎として稽古されている事を考えますと、長谷川英信が林崎甚助の居合の何を改善したのかも知られていない現状では英信流というよりも、大森流の価値の方が高そうです。そうであれば無雙神傳大森流居合兵法の流名もあって然るべきでしょう。
 ちなみに真陰流五本の業からの転用とされていますが、真陰流の業はどういうものであったか不明です、上泉伊勢守の業であれば新陰流の「三学円の太刀」が五本の業から成り立っていますが、どの様に工夫されたのか疑問です。私はこれらの不十分な経歴にメスを入れて掘り下げるよりも一本一本の業や組太刀、棒、和術などを武術として人体の動きを明確に捕え古伝を掘り起こし解り合い語られるべきものと信じています。

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2019年9月25日 (水)

曾田本その2を読み解く42大阪八重垣会幹事?剣道錬士河野稔氏との文通質疑42の1英信流に於ける礼式

曾田本その2を読み解く
42、大阪八重垣会幹事?剣道錬士河野稔氏との文通質疑より
質問を受けたる事項次の如し
42の1英信流に於ける礼式の件

 主礼は神前玉座に対する礼
 坐礼は刀に対する礼なりと信じ居れるが一説に相当の人にて立、坐共に玉座神前の礼にて坐礼は近世に至りて始まったものだと唱ふるあり 如何

*
 この項は、曽田先生に河野先生が手紙で疑問点を問いただしているものの幾つかです。曽田先生の考えが述べられているものも無いものもあります。礼式については何も述べられていません。この質問が何時何に使うためにされたのかも不明です。
 河野先生は昭和8年1933年に「無雙直伝英信流居合術全」を出されています。その後昭和13年1938年に「無雙直傳英信流居合道」を出し、昭和17年1942年に「大日本居合道図譜」で河野居合を確立しています。この質問事項がどの冊子に反映したのか解りませんが、八重垣会を設立したのが昭和6年1931年だそうですから(大日本居合道図譜より八重垣会の思ひ出)このころから疑問を一つずつ説いて行かれたのでしょう。

 曽田先生との接触の初めは判りませんが、「無雙直傳英信流居合術全」を書かれるには基礎知識が必要だったと思われます。師と仰がれた18代穂岐山先生は昭和10年1931年に亡くなっていますから、師匠亡き後の事か以前からの事か、土佐の居合を紐解く一部にはなりそうです。
 河野先生の質問は、神殿、玉座の礼は立ってするのか坐ってしてもいいのか、坐礼は刀にするものと信じているが如何かという事のようです。

 大江先生の「剣道手ほどき」大正7年1918年より神殿の礼:「刀の鍔元左手に持ち拇指にて鍔を抑へ刃を上にし刀身を斜めとす、直立体にて神殿に向て黙礼をする。」

 河野先生の「無雙直傳英信流居合術全」昭和8年1933年の作法:「神殿又はぎょくざに向ひて刀を抜かざる事(でき得れば玉座を左にして行ふ事)。場に入る時は、鍔元を左手に持ちて拇指にて鍔を抑へ、刃を上にして刀を下げ下座より玉座に向ひ直立体の儘刀を右手に持替へ(この時刃を後方に向け)右側に軽く接し立礼をなす。刀を左手に復して適当の位置に至りて正座す。正座したる時は、刀は恰も左腰に差したる状態にあるを以て、右食指を鍔の下拇指を上にかけて刀を腰より抜き取る気持ちにて右前方に抜き取り、膝の前方中央約一尺の處に鐺を右柄を左方に刃を後方に向けて置き双手を八文字につきて礼を行ふ。」
 ここでは神殿玉座の礼と刀の礼とは別にされています。大日本居合道図譜でも同様ですが、赤字の部分は「刃を自分の方に向け」と変えています。
 

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2019年9月24日 (火)

曽田本その2を読み解く41霊夢

曽田本その2を読み解く
41霊夢

 昭和13年3月14日午前2時頃虎彦霊夢により故行宗先生曰稽古着にて夢枕に立たれ御生前の如く親しく問答を交わしたり而して余は刀の納め方につき御示教を乞ひたる処詳に御伝授ありたり即ち
 「居合技に於て最も秘蔵にして重きをなすものは抜刀。納刀の妙諦を得るにあり、納刀技は鯉口に刀棟を上より降すことなく、開きたる刀を其の侭左斜めに持ち来り棟にて恰も瓜の皮を剥く如く摺り上げ鯉口の処にて巧みに刃を上に返して鯉口を後ろに繰り右手は体の前方に伸ばし指三本にて支へ右手の伸びたる時は鞘と刀身とは一直線になる様心懸くべしと」
 此時先生は見事なる居合刀を持たれて居たが土居君(余を指す)此の刀で抜いてみたまへと云はれたが、何は兎もあれ先生に一本拝見さして頂き度しと請へば先生早速、然らば伯耆流居合を抜いて見せんと立ち上がられたが此の時はかなくも夢醒めて、そぞろの感に打たれたが所謂神秘夢伝とも云ふべきであろう。

 この曽田虎彦先生の霊夢は岩田憲一先生の「土佐の英信流 旦慕芥考」平成元年1989年に第3篇の名士の記録に曽田先生の他のスクラップ等資料と一緒に掲載されています。
 この霊夢から、土佐の居合の納刀について、「鯉口に刀棟を上より降ろすことなく」と下村派の行宗先生は云われています。そう言えば中西岩樹系統も山本宅治系もくるりと上から刀棟を鯉口に下し納刀しています。という事は大江居合もクルリストンだったのでしょうか、行宗先生と師匠は同じ下村茂市定ですから、行宗納刀を教わっていた筈です。
 河野先生の納刀も行宗納刀の形ですから、穂岐山納刀を大日本居合道図譜のころまでに変えたのでしょうか。クルリストンとやって指を斬ったり、納刀しそこなったりしているのを見ていますから有効な方法とは言えないでしょう。残心で自傷するとか見栄えを優先する方法は如何なものでしょう。大道芸を志す場合はクルリストンは投げ銭が多いかな~。

 実はすでにこのブログでも解説しているのですが、河野先生が第18代穂岐山先生に書簡を送り回答いただいた中にも行宗先生同様の納刀がなされるよう解答されています。
 改めてここに記載しておきます。(曾田本その2を読み解く22スクラップ居合の疑義に尽きての解答22の5納刀2019年7月16日)
「答、此場合初心の者に説明するには、血振の時の拳のまゝ手首(少しく)と腕を曲げ刀身を鯉口にあて納むる如くすれ共、実際に於いては練習を積むに従い是にては何となく業の堅くしてやわらか味無き感を来し候、此意味に於いて血振いの位より起動の為め、心持拳を右にかやし直ちに復旧して刀刃を上方に向けつゝ鯉口の位置に運ぶものに候、然れ共是は極く瞬間のものにして他より見て、拳を右に返す動作の明に認め得る如く大きくゆっくりと動作するには無之、只起動の為めつまり動作を速にするために候、然し原則としては拳は返す事無く、血振いの位置より其儘運ぶものなる事を忘れざる事肝要に候。」
 

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2019年9月23日 (月)

曽田本その2を読み解く40居合術根元之巻40の4

曽田本その2を読み解く
40、居合術根元之巻40の4
福井春政先生より河野百錬先生に伝授したる伝書の写し
無雙直伝英信流居合兵法叢書より抜粋す

根元之巻 大江先生の根元之巻と略同じにつき省略す。

流名 林崎無想流 
   林崎夢想流 

   重信流

名称 
横雲 深山には嵐吹くらし三吉野の
       花か霞か横雲の空
虎一足 猛き虎の千里の歩み遠からず
       行より早く帰るあし引き
稲妻 諸共に光と知れど稲妻の
                     跡なる雷の響き知られず
浮雲 麓より吹上がられし浮雲は
       四方の高根を立つゝむなり
山颪 高根より吹下す風の強ければ
       麓の木々は雪もたまらず
岩浪 行く舟のかぢ取り直す間も無きは
       岩尾の浪の強くあたれば
鱗返 滝津波瀬上る鯉の鱗は
       水せき上げて落つる事なし        
浪返 明石潟瀬戸越す波の上にこそ
       岩尾も岸もたまるものかわ
瀧落 滝津瀬の崩るゝ事の深ければ
       前に立添ふ岩もなきかな 

詰合 極意奥之事
1、発早 1、拳取 1、岩浪 1、八重垣 1、鱗返 1、位弛 1、燕返 1、柄砕 1、水月 1、霞剣

大小詰 大小立詰
1、抱詰 1、骨防扱 1、柄留 1、小手留 1、胸留 1、右伏 1、左伏 山影詰 1、〆捕 1、袖摺返 1、骨防返 1、鍔打返
1、蜻蛉返 1、乱曲 1、電光石火

大剣取
1、無剣 1、水石 1、外石 1、鉄石 1、栄眼 1、栄月 1、山風 1、橇橋 1、雷電 1、水月 

抜刀心持之事
1、向払 1、柄留 1、向詰 1、両詰 1、三角 1、四角 1、棚下 1、人中 1、行違 1、連達 1、行連 1、夜之太刀
1、追懸切 1、五方切 1、放打 1、虎走 抜打(上中下)

英信流
1、横雲 1、虎一足 1、稲妻 1、浮雲 1、山颪 1、岩浪 1、鱗返 1、波返 1、滝落 1、抜打(真向)

大森流(正座)
1、前身(初発刀)1、右身(左刀)1、左身(右刀)1、後身(当刀)1、八重垣(陽進陰退)1、請流(流刀)1、介錯(順刀)1、附込(逆刀)1、月影(勢中刀)1、追風(虎乱刀)1、抜打

以上

第17代範士大江正路 第18第穂岐山波雄 (第19代)福井春政研究協議之上改定する所あり口伝す

奥之部(改訂)
1、霞 1、脛囲 1、戸詰 1、戸脇 1、四方切 1、棚下 1、両詰 1、虎走 1、行連 1、連達 1、總捲 1、總留 1、信夫
1、行違 1、袖摺返 1、門入 1、壁添 1、請流 1、暇乞 1、暇乞 1、暇乞

形(改訂)
1、出合 1、拳取 1、絶妙剣 1、独妙剣 1、鍔留 1、請流 1、真方

以上

外之物之大事
1、行連 1、連達 1、追懸切 1、總捲 1、霞 1、雷電

上意之大事
1、虎走 1、両詰 1、三角 1、四角 1、門入 1、戸詰 1、戸脇 1、壁添 1、棚下 1、鐺返 1、行違 1、手之内 
1、輪之内 1、十文字

極意之大事
1、暇乞 1、獅子洞入 1、地獄捜 1、野中之幕 1、逢意時雨 1、火村風 1、鉄石 1、遠方近所 1、外之剣 1、釣瓶返 
1、智羅離風車

以上

右之条々神秘之極意也非真実之人者努々不可有相伝者也 貴殿多年斯道に熱心練磨之結果其蘊奥に達せらるるを認め爰に我英信流併而始祖重信流居合術を全相伝候宜敷将来本流之品位を堕す事無く之が普及を計り漫に他流に媚びず以て伝授の責を全ふせられん事を期せらる可し

天真正
林崎明神
初代 林崎甚助重信
(以下18代穂岐山先生迄連記)

林崎夢想流
林崎神伝重信流
林崎神伝流
林崎無雙神伝重信流
右同一名称也

昭和25年1月3日
無雙直伝英信流
 第19代正統宗家
 居合術範士・柔道教士7段 
 福井春政 花押
大日本武徳会 居合術範士
 河野稔百錬 殿

 大江先生の根元之巻を前回までに解説しましたが、河野先生の昭和30年1955年発行の無雙直伝英信流居合兵法叢書には第19代福井春政先生から授与された根元之巻および業目録が掲載されています、今回の河野先生の根元之巻の業目録と大江先生のものと対比し大江居合を古伝と絡めて
正当化されています。福井春政先生のころまでに多くの不明であった或は大江先生が中学生向きに改変され切り捨てたものが浮き彫りにされて来ています。
 昭和25年1950年の目録印可の公開ですから、その後の河野先生に依る古伝神傳流秘書の公開「無雙直傳英信流居合兵法叢書」と合わせ、無雙直伝英信流の宗家は充分それを錬磨され次代に引き継ぐ責務が有ろうかと思います。
 さりながら、現今最高段位十段を許された方達の目録には、正座の部、立膝の部、奥居合、番外、抜刀法、居合道型の目録のみです。現代居合は居合抜が本来で他は捨てたと言われるのでは、居合本来の武術としての有り様は全く理解される事無く指導される事となり、連盟居合は兎も角として、無雙直伝英信流居合兵法正統正流としては、せめて太刀打之事・詰合・大小詰・大小立詰・大剣取・抜刀心持之事・居合心をつたえる英信流居合目録秘訣や居合兵法の和歌位は充分指導されるべきでしょう。それらを知らないと云う無雙直伝英信流居合兵法の準範士以上の高段者は段位不相応であり指導者としては失格でしょう。 思いつくままに

 

 

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2019年9月22日 (日)

曽田本その2を読み解く40居合術根元之巻40の3

曽田本その2を読み解く
40、居合術根元之巻
大江正路先生より鈴江吉重先生に伝授したる伝書の写なり
40の3

天真正
林明神
林崎神助重信
田宮兵兵衛業正
長野無楽入道槿露斎
百々軍兵衛光重
蟻川正左衛門宗績
万野團右衛門尉信定
長谷川主税助英信
荒井勢哲清信
林六太夫守政
林安太夫政詡
大黒元右衛門清勝
林益之丞政誠
依田萬蔵敬勝
林弥太夫政敬
谷村亀之丞自雄
五藤正亮
無双直傳英信流居合術17代目
大江正路蘆洲
大正10年7月吉日
鈴江吉重 殿

*
 天真正の冠を被った剣術の流派には天真正伝香取神道流が有ります。大江先生は五藤正亮先生の根元之巻を参考にこの免許皆伝を作成されたと思いますが、この流の道統の頭に「天真正・林神明」と書き込んでいます。天真正は香取神道流の頭に書かれているもので林崎神助(甚助)重信が林明神から伝授された神傳であることと、香取神道流の門を叩いたかも知れない事を匂わせます。証明できるものはありません。
 林崎甚助重信の居合は、土佐には伝わったかどうか是も疑問です。長谷川英信や荒井勢哲から江戸での修業が古伝神傳流秘書にある無雙神傳英信流居合兵法の全てでしょう。

 林崎神助重信の神助の文字は弘化2年1843年谷村亀之丞自由から山内豊惇公へ奉授された伝書に記載されています。北条五代記の巻第四に「さて又長柄刀のはじまる仔細は、明神老翁に現じ。長柄の益有を林崎かん介勝吉と云人に伝へ給ふゆへに、かつよし長柄刀をさしはじめ田宮平兵衛成政といふ者に、是を伝ふる。・・」とあります。作者は三浦浄心で永禄、元亀、天正、文禄、慶長、元和、寛永と戦国末期から江戸時代初めを生きた元後北条氏の遺臣だったそうです。北条五代記は元和年間に三浦浄心の遺構を整理して成立したものと言われています。北条五代記の史実性はともかく、「かんすけ」は「かん介=勘助=神助」で音は同じです。津軽藩に遺された林崎新夢想流の元禄四年1691年から正徳元年1714年の伝書には「林崎甚助重信」とあって現在の伝書と同じです。何処かで「神助」に変じて明治維新以降まで引き摺って来たのでしょう。

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2019年9月21日 (土)

曽田本その2を読み解く40居合術根元之巻40の2

曽田本その2を読み解く
40、居合根元之巻
40の2目録

 大森流之部
1、前身 2、右身 3、左身 4、後身
5、八重垣 6、請流 7、介錯 8、附込
9、月影 10、追風 11、真向(抜き打ち

 長谷川流之部
1、横雲 2、虎一足 3、稲妻 4、浮雲
5、山下シ(颪) 6、岩浪 7、鱗返 8、浪返 
9、瀧落 10、真向

 奥居合之部
1、霞 2、脛囲 3、四方切 4、戸詰
5、戸脇 6、棚下 7、両詰 8、虎走
9、行連 10、連達 11、總捲 12、總留
13、信夫 14、行違 15、袖摺返 16、門入
17、壁添 18、請流 19、暇乞 20、暇乞
21、暇乞

 型並発声 イーエーイ
1、出合 2、拳取 3、絶妙剣 4、独妙剣
5、鍔留 6、請流 7、真向

右之条々深秘之極是也非真実之人者努々不可有相伝者也 貴殿多年斯道熱心練磨の結果其蘊奥に達せらるゝを認め爰に我英信流居合術令相伝候宜しく将来本流の品位を堕す事なく之が拡張を計り妄りに漫りに他流に媚びず以て伝授の責めを全ふせられん事を期せらるべし

 此処では根元之巻に続き業目録が伝授されています。この業の部および業名で大江先生の大正7年1918年堀田捨次郎共著の「剣道手ほどき」の業名との相違するものは赤字としておきます。この根元之巻は大正10年1921年に発行されたものです。政岡壱實先生へ大江先生は根元之巻及び業目録を伝授された事になっています。
 その伝書との違いは大森流之部:正座之部、前身:向身、真向:抜打、山下シ:颪、真向:真甲、イーエーイ:ヤーエイ・ヤートウなどいくつか見受けられます。
 大江居合はいずれにしても土佐の居合の一部に過ぎず、特に大森流の相手の座す位置を抜きにして我の座す演武場での、前後左右であり、奥居合、居合道型は業名と手附は古伝とは異なります。習うべきであろう太刀打、詰合、大小詰、大小立詰、大剣取は無く、棒術、和術も抜けています。居合抜だけに特化したものと言えるでしょう。

 

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2019年9月20日 (金)

曽田本その2を読み解く40居合術根元之巻40の1

曽田本その2を読み解く
40、居合術根元之巻
大江正路先生より鈴江吉重先生に伝授したる伝書の写也
40の1

抑此居合と申者日本奥州林之従大明神夢相〆奉伝
夫兵術者上古中古雖有数多之違佗流大人小人無力剛力不嫌合兵用云々末代為相応之太刀云々
手近勝一命有無の極此居合恐者栗散邊土堺不審之儀不可有之唯依霊夢処也
此始尋奥州林崎神助重信云者因有兵術望之林之明神一百有日令参籠其満暁夢中老翁重信云曰
汝以此太刀常胸中憶持者勝怨敵云々
則如霊夢有得大利以腰刀三尺三寸勝九寸五分事柄口六寸勝之妙不思議之極意一国一人之相伝也
腰刀三尺三寸三毎(毒 か)則三部尓但脇差九寸五分九曜五鈷之内証也
敵味方成事是亦前生之業感也生死一体戦場浄土也
如此観則現世蒙大聖摩利支尊天加護来世成仏成縁之事豈有疑哉
此居合雖積千金不真実人者不可授之
可恐天罰唯授一人伝之云々

古語曰
其進疾者 其退速云々
此意貴賤尊卑無隔不謂前後輩其所者許目録印可等無相違

又古語曰
夫百錬之構在則茅茨荘鄙興兵利心懸者夜自思之
神明仏陀祈者則忽得利方
是依心済身事燦然


大江正路先生から大正10年1921年に鈴江吉重宛に授与した無雙直傳英信流居合術の根元之巻及び業目録となります。
原文は漢文調ですから読み下し文にします。
 
居合術根元之巻
抑も此の居合と申すは日本奥州林之従、大明神の夢想に之を奉伝せしめる、
夫れ兵術は上古中古数多の違い有ると雖も、他流大人小人無力剛力嫌わず兵の用に合う云々、末代相応の太刀と為る云々、
手近く勝は一命の有無の極み、此の居合恐れるは粟散邊土の堺、不審の儀之有るべからず、唯霊夢に依る処也、
此の始めを尋ねれば、奥州林崎神助重信と云う者、兵術を望み有りて之を林の明神に一百有日参籠せしめ其満暁の夢中、老翁重信に伝えて曰く、
汝此の太刀を以て、常に胸中憶持は怨敵に勝を得る云々、
則霊夢の如く、腰刀三尺三寸を以て大利の有得す、九寸五分に勝つ事、柄口六寸の勝の妙不思議の極意、一国一人の相伝也、
腰刀三尺三寸、三毒三部に但脇差九寸五分、九曜五鈷の内証也、
敵味方に成る事、是のところ前生の業感也、生死一体戦場浄土也
此の如く観るは、則現世大聖摩利支尊天の加護を蒙り、来世の成仏成縁の事、豈疑い有らんや、
この居合千金を積むと雖も不真実の人には堅く之を授くべからず、
天罰を恐るべし、唯一人に授く云々

古語に曰く 其の迅く進は 其の退くこと速し云々
此の意を以て、貴賤尊卑、前後の輩と謂わず隔てなく、其の所を達せし者には目録印可等相違なく許す。
又古語に曰く 夫れ百錬の構え、則茅や茨の装鄙の構え在り、と、兵利を心懸けるは、夜自ずから之を思い、神明仏陀に祈る者は則忽ち利方を得る、是に依り心済み身事燦然。

 根元之巻の要点は林の神明の霊夢に依って奥州の人林崎神助(甚助の誤りか)重信が居合の神傳を得た、その極意は柄口六寸に勝つことで、一国一人の真実の人への相伝である、金を積まれても不真実の者には天罰を恐れ堅く授べからず。貴賤尊卑や立場の違いに拘わらず、兵利を心懸け、寝る間も是を思い、神明仏陀に祈る心掛けのある者は忽ち利方を得る、是に依って心は済み、燦然と輝くであろう。

 

 

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2019年9月19日 (木)

曽田本その2を読み解く39大詰

曽田本その2を読み解く
39、大詰

1、大詰は大きになじると云ふこと也、相手清眼に構る時上段の太刀拳を楯にして敵の顔へ突かけて懸る時、拳へ打込むを、身形を直ぐに跡へ外して上より二星を勝なり、とたんの拍子をぬいて直くに打つ也、此の拍子ちがへば相打になる也、是を栴檀の打ちと云て嫌ふなり、栴檀と云ふは二葉と訓して互に太刀のならぶこと也、習ひに大調子の小調子の大調子と云ってあり、大調子とは無拍子の事なり、小調子とは太刀に拍子をもたせて打つことなり。敵小調子にきらば大調子に勝ち、大調子にきらば小調子にて勝つべし、皆以て相気を闕くこと也、敵の小調子を大調子を以て勝つことを大詰と云ふ也。

 この大詰も武術叢書にある柳生流新秘抄の九箇の大詰です。相手青眼に構える時、我は上段に構へ太刀拳を楯にして上段から相手の顔に突きかける、相手我が拳に打ち込んで来るのを体を後ろに退き同時に上段に冠って打ち外した相手の二星(拳)に打ち込み勝。
 赤羽根龍夫先生の「江戸武士の身体操作柳生新陰流を学ぶ」の大詰:「双方右手を肩の高さに構えた相上段、相手拳を打って来る、我は体を左斜め後ろに開いて太刀を大きく振りかぶって相手の打ちを抜き、右足を踏み込んで面を打つ。」柳生新秘抄の場合は相手青眼、我上段の教えでした、
相手の打ち込みを抜くや打ち込むとたんの無拍子で打ち込み勝、相手が小調子ならば大調子に勝つ、相手大調子ならば小調子に勝つ。相気を欠くことが大事としています。曽田先生による英信流居合目録秘訣の獅子洞入り、獅子洞出は何処かで戸口などの出入の運剣法とされています。小詰、大詰もどこかの流派の業名若しくは心得の聞き覚えを無雙神伝英信流居合兵法を土佐にもたらした第9代林六太夫守政は纏めて見たのかも知れません。
 古流剣術を知って神殿流秘書を読み解こうと、自流では何処にもその糸口が見いだせなく、柳生新陰流を学んでいますが、この大詰は柳生新陰流の九箇之太刀の小詰がそれらしい業です。
 戦国末期の1600年代から1700年代に武術は既に国内は徳川幕府によって統制されて戦闘は無くなって来ています。反面武術は入り乱れる様にしながら発展したのでしょう。他流の業を取り込んだりしながら武術で生きて行った人たちの努力が垣間見れる処です。

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2019年9月18日 (水)

曽田本その2を読み解く38小詰(獅子洞出、獅子洞入ノ事)

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38、小詰(獅子洞出、獅子入ノ事)

 1、小詰は尖(するど)になじると云うことなり、相手の右手の膝に太刀を押當るが如くに鋒先をさゝえて構ふるなり、此の形を獅子の洞出と云ひ、洞穴より猛獣のたけって出るに喩ゆ、此太刀さき三寸へつけて弓手の肘を捧げ相手の太刀さきを押ゆる、相手拳を払ふ時、太刀を摺り込んで両腕を押へ詰めて勝つなり、此の有様を獅子の洞入とも云ひ、峰をもって敵の胸板をつらぬくことを小詰と云ふ。

 小詰の出典が書かれていません、これは柳生新陰流の「柳生流新秘抄」の九箇の太刀六本目小詰そのものです。此の出典も早川順三郎の武術叢書に間違いありません。
 曾田先生は、この小詰を英信流居合目録秘訣にある「獅子洞入、獅子洞出」の事だろうとされています。
 獅子洞入、獅子洞出:「是以戸口抔を入る習也、其の外とても心得有るべし、或は取籠者抔戸口の内に刀を振上て居るときは容易に入る事能わず、其時刀を抜て背に負たる如くに右の手にて振り上げ左の手にて脇指を提げうつむきて戸口を入るべし、上より打込めば刀にてふせぎ下をなぐれば脇差にて留る、向ふの足をなぐ可し、獅子洞出是以て洞出入の心得を知らする也。」
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 第9代林六太夫が江戸から土佐に持ち帰った無雙神傳英信流居合兵法の教えの中にある獅子洞入、獅子洞出の図と解説ですがこれでは、柳生新陰流の小詰には程遠いものです。
 あえて言えば、柳生新陰流の小詰は天上の低い場所での勝負に向く太刀でもあると「江戸武士の身体操作柳生新陰流を学ぶ」の著者赤羽根龍夫先生はその著書の小詰に書かれていますので、上の低い洞からの出入りの業として第9代は江戸で長谷川英信か荒井勢哲かに指導を受けたのでしょう。
当時柳生新陰流は将軍家及び大名家に師事されていましたから、英信や勢哲の様な市井の浪人若しくは武士と農民の境目の所属不明の剣士には柳生新陰流は遠い存在だったでしょう。
 小詰の柳生新陰流は、赤羽根瀧夫先生の解説により、打太刀は右膝上に刀を斜め上に向けて立てて構え、仕太刀は打太刀の左胸を切先で突く様に刃を上に向け右手を上向けて刀を捧げ持つようにして間に致る、打太刀は仕太刀の刀を刺突せんと捧げ持つ左柄手を小さく打って行く、仕太刀は拳を打たれる寸前に、打太刀の太刀を刃を上にしたまま左斜め下に打ち落す、仕太刀は刃を下にして打太刀の中心に詰め残心。
 

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2019年9月17日 (火)

曽田本その2を読み解く37三つの声と云事

曽田本その2を読み解く
37、三つの声と云事

 三つの声と云は、初、中、後の声と云て三つにかけわくる声也、所により声を掛くると云う事専也、声は勢なるによって、火事抔にも掛け、風波にも掛け、声は勢力を見せるものなり、大分の兵法にても、戦より初に懸る声は、いかほどもかさを懸けて声をかけ、又戦ふ間の声は調子をひきひき底より出づる声にてかゝり、勝て後あとに大きに張り懸る声、是三つの声也。
 又一分の兵法にしても、敵をうごかさんため打つと見せてかしらより「エイ」と声をかけ、声の後より太刀を打出す物也。(行宗先生の「敵は真向にて抜かんとかまえるか、声にて、かくれがたく、さま廻て抜き付」とは此の意ならん)。又敵を打ちて後に声を懸来る事、勝を知らする声也、是を前後の声と言ふ。
 太刀と一度に大きに声を懸くる事なし、若し戦の内に懸くるは拍子にのる声、ひきく懸くる也、よくよく吟味有べし。(武術叢書)

 この写しも武術叢書からの引用です。武術叢書が引用したものは宮本武蔵の五輪書「火之巻」に依ります。宮本武蔵が五輪書の冒頭で「諸流の兵法者と行合ひ、六十余度まで勝負すといへども、一度も其の利をうしなはず。其の程、年十三より二十八、九迄の事也。」とある様に試合に依って身に着けた知恵をまとめたもので、武術の参考はもとより人生の参考ともなる事も多く、海外でも読まれているものです。
 大江先生の組太刀英信流居合之型では、掛け声を掛ける様に指定されています。それは「発声は相互の打合せ、或は受け又は打ち込みたる時、其業毎に「イーエー」と長く引きて声を掛け合ふなり」とされています。是は三つの声でも否定している「太刀と一度に大きに声を懸くる事なし」と違います。「若し戦の内に懸くるは拍子にのる声、ひきく懸くる也」です。
 河野先生の大日本居合道図譜の居合道形の掛声は「発声はイーエーと互に斬込みたる時掛けふ。(イーはヤアにてもよし)(斬込む瞬前にイーとかけ、斬込みたる瞬間にエイとかける)」演武会などや、youtubeを見ていますと大声で勇ましい掛声を出して木刀を振り廻しています。古伝神傳流秘書には掛声の有無は記載されていません。太刀の打込みに合わせた掛声はともすると、力みを呼び「この一刀で真っ二つにせん」と打込み容易に裏を取られるものとなります。戦前の赤紙一枚で徴用された兵士を死地に向かわせ白兵戦に怖気させない為の洗脳とは現代は違って、少しでも武術の奥義をと名人上手を志し日々修錬する人は武蔵の云う「よくよく吟味有べし」に目をやるべきでしょう。

 

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2019年9月16日 (月)

曽田本その2を読み解く36電光影裏斬春風

曽田本その2を読み解く
36、電光影裏斬春風

 鎌倉の無学祖元禅師の大唐の乱に捕へられて斬られるの時無学辞世に右の頌を作られたれば太刀を捨て拝んだと也。
 無学の心は太刀をひらりと振り上げたるは、電(いなびかり)の如くよ、電光のピカリとする間、何の心の念もないぞ、打つ太刀も心はなし、我身にも我はなし、斬らるゝ我にも心はなし、斬る人も空、打るゝ我も空なれば、打つ人も人にあらず、打太刀にもあらず、打たるゝ我も我にあらず、唯イナビカリのピカリとする内に、春の空吹く風を斬ったらば、太刀に覚へもあるまい、斯様に心を忘れきりて萬の事をするが上手の位なり(武術叢書)
*
 「貴殿の兵法に当て申し候はば、太刀を打つ手に心を止めず、一切打つ手を忘れて打って人を切れ、人に心を置くな、人も空、我も空、打つ手も打つ太刀も空と心得よ、空に心を取られまいぞ・(上記部分)・舞をまへば手に扇とり足をふむ、其手足をよくせん、扇を能くまはさんと思うて忘れきらねば上手とは不申候、いまだ手足も心が留まらば、わざは面白かるまじき也、悉皆心を捨きらずしてする所作は皆悪く候」と武術叢書の不動智の功に書かれています。
 不動智とは、沢庵和尚の書いた「不動智神妙録」で、武術叢書はその引用となります。武術叢書は大正4年1916年に早川順三郎によってまとめられたもので武道を志す当時の人によく読まれていた様です。
 不動智神妙録は沢庵が柳生但馬守に向かって、剣禅一如を説いていますが、人として生きるにはどうあるべきかを説いています。曽田先生は武術叢書を読まれた事はこれで認識できます。此の心がどのように土佐の居合に反映されて来たのか、そこのところはどうなのでしょう。

 土佐の居合の指導者の多くは、引き継ぐべき弟子が戦死してしまったり、弟子も指導者も戦地に徴用され根元の伝承を受けられずに形ばかりを思い描いていたのかも知れません。
 無事に帰還した時には師匠は既に亡き人か、時代の大きな転換に萎えてしまっていたかもしれません。弟子も同じでしょう。
 大江先生の門下生は中学生です、武術の根元を伝授される事はできなかったろうし、大江先生もその手附から判断すれば、私は疑問を抱いてしまいます。
 話はずれますが、この大江居合について土佐の古伝との乖離や細川居合との違いを知るにつけ、大江先生は下村定からも五藤正亮からも明治維新の大きなうねりのなかで充分な指導を受けられなかったかも知れない、そのため正しく伝承できずに独創して子弟に伝えてしまったと思うのです。大江先生は武術家だったようですから独創した業はそれはそれで大江居合として十分でしょう、
 此の事を私が語る事が気に入らないと言って、大江信奉者やその流れをくむ今では稽古も出来ない様な人が言ってきました。理論よりも感情が先行するのでしょう、どこの馬の骨か判らないミツヒラに言われたくないのでしょう。
 大江居合は土佐の古伝無雙神傳英信流居合兵法のほんの一部の形に過ぎないのですから、譬え年老いて刀が振れなくとも古伝神傳流秘書を熟読し自らその業技法及び心得を研鑽した上で立合ってもらいたいものです。
 その方は、竹刀剣道を「当てっこスポーツ」と云うのも気に入らないと言って憤慨しています。「当てっこスポーツの何が悪い」と云うのならいいのですが竹刀剣道を誹謗しているとでも思ったのでしょう。私は歳を取って若者の力と速さに打ち負ける様な当てっこでは武術では無いと言って居るだけです。
 竹刀スポーツも武術として昇華された方の中には若者にも十分対応できる方がおられるかも知れません。それには当てっこではない剣術の奥義を学ぶ事が必要だろうと思います。「当てっこスポーツ」と言われて気に入らないならば、60代でも70代でも全日本で総合優勝してもらいたいものです。

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2019年9月15日 (日)

曽田本その2を読み解く35神道無念流

曽田本その2を読み解く
35神道無念流 福井兵右衛門嘉平

 野州の産にして天明年中の人也、姉川上姜太夫と号し田中権田一圓流刀術を学びて其妙を得後諸州を修業し信州に至り飯綱権現に祈り遂に奥旨を悟り自ら神道無念流と号す。
*
 曽田本その2は曽田先生のメモ若しくはスクラップブックです。神道無念流が突然書かれています。神道無念流についてのこの文章はどうやら武術流祖録から書き写したのだろうと思われます。武術流祖録の写しを何処からか借りて来たのか、大正4年発行の早川順三郎による「武術叢書」から書き写したと思われます、原本は漢文で書かれていますから読み下し文にされたのでしょう。

 天明年中の人ですから1781年~1789年に生まれたか死んだかの人、10代将軍徳川家治か11代家斉の頃でしょう。綿谷雪著「日本武芸小傳」の武芸流祖録では、「下野国都賀郡藤葉村の人、今の壬生町藤井だろう、元禄15年生まれ。天明2年83歳で死す」とあります。
 神道無念流の何が曽田先生にその謂れをメモしたくなる理由だったのか、曽田本その2の後の方に神道無念流居合の手附が7ページにわたって書き込まれていますので、思う所があったかもしれません。

 此のブログにも掲載してありますが(2019年8月3日掲載)昭和11年11月の高知新聞に「土佐の居合術の為に 万丈の気を吐く豪勇曽田虎彦氏 傑物、行宗貞義の一の弟子、と長い見出しで曽田先生の履歴を書き込み、此の年10月25日に日本古武道振興会の主催で明治神宮奉納会があり、土佐居合術の代表者として曽田氏と竹村静夫氏が出席し帝都の檜舞台において英信流のために万丈の気を吐いた。そして曽田氏と範士中山博道氏と会見の節、中山範士は曽田氏を尊敬して先輩に対する礼を執り、刀の新しい下緒を贈呈したのであった・・・。」
 この中山博道先生は神道無念流です、新聞のスクラップをすると共に、神道無念流居合についても興味を持たれ資料を捜さられたりしたのでしょう。

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2019年9月14日 (土)

曽田本その2を読み解く34居合術(再掲載2019年5月10日)

曽田本その2を読み解く
34、居合術
余は居合は一兵法即ち居合兵法と称せられ剣道に附随せるものにあらず一派独立せる武術なりと信ず

 居合術は剣術今の剣道の一部門なり
 剣術は立合、太刀打、撃剣等とも称し刀剣の使用法にして即ち抜出したる刀を如何に有用に使用すべきかを教へたるものに付抜刀なくして立合あるべからず、其の用法は刀を腰より抜出しての上のことなり。
 居合術は立合の術、剣術にたいする語にして詰合、坐合、抜刀、鞘の内等とも称し此の立合の根元にして刀を抜く法なり、即ち如何なる場所にて如何なる刀を如何に有効に抜くべきかを教へたるものに付刀の鞘の内にある時より太刀打に至りて了る、故に互に抜刀して相対峙せば既に居合の範囲を脱して後は太刀合なり。
 居合は刀の長短、場所の広狭、地勢の高低、姿勢の坐起、敵の仕懸変化等に応じ臨機変通其の色を悟らせず刀尖を鞘口を脱する刹那確実有効の利を収むべきを教う。
 其の最重要なる点は刀尖の鞘口を脱する瞬間の働なり。

 前回のスクラップで日本刀談義の居合で勝負するという満州刀剣会監事永淵清次氏の考えでは、「居合は即ち剣道でありまして両者の間に稽古の形式で使用する道具が異なっている為これを区別する便宜上片方は剣道、片方は居合と言って居る次第であります。剣道は剣道具を用ひ相手に向かって竹刀で撃突を行ひますが、居合は道具を附けず相手も無く自分で攻防の法を研究するものであります。」
 「居合は即ち剣道である」とはじめに言い切って、道具(防具)をつけて相対してやるのが剣道、居合は道具を附けず相手も無いのが居合だそうでした。それは稽古法でのことで武術的には相対する敵を倒す事には変わりませんね。

 「居合とは現在の姿即ち人が坐って居る、立って居る、歩いて居る、寝て居る等を指したもので合とは合はす、応ずる、即ち電光石火臨機応変直にことを処する意味であります」と居と合を分けてそれらしく居合を解説していました。そんなことは刀を抜いて居ても同じ事で何時如何なる変にも即座に応じるのは居合ばかりの事とは言えません。道場での稽古や、勝ち負けの試合程度の事が頭に浮かんで解説しているに過ぎないと思います。

 「試合上より居合と剣道の異なる点を見れば、居合は剣道勝負の始まる前の試合法であり、剣道は居合で勝負のつかない後の試合法との言えます。真剣の場合は居合と今の剣道とも合わせて完全な試合法と言えます」結果は真剣での勝負では同じ事だと云うのでしょう。あえて分けて居合の素晴らしさを述べても意味は無いと云う事でしょう。居合馬鹿には往々にしてあるもので手前味噌に陥るきらいがあるのですが、それは力量以上の段位などを手にして居合であろうと竹刀剣道であろうと武術とは何か、何を修業するのか、その結果は何なのか、生きることに其れがどのような意味を持つのかと思いめぐらさずに棒振りして来ただけに過ぎないのでしょう。

 「要するに人間居るその儘で如何なる場合にも変に応じ勝を一瞬の裡に制するやう千磨必死の意気込みを以て身心技術の修養鍛錬を行ふ道であります」要するに何時如何なる変に応じる身心技術の修養をするのが居合だと言ってます。剣道だってそれは同じ、他の武術も同じ事でしょう。
 現代では居合ばかりの稽古をして、この無雙神傳英信流居合兵法の事を知らなかった為に起こった居合術の議論に過ぎません。人間の最後のコミュニケーションは武術に依り相手を制するという愚かさをそれでもヨシとするならば、居合の言う鞘の内に相手を制することもあり得るでしょう。その最後の手段で手落ちなく制することが出来れば良いのですが、土佐に持ち込まれた無雙神傳英信流居合兵法には、太刀打、詰合、大小詰、大小立詰、大剣取、和術、棒術、小太刀の稽古業が組み込まれています、それらには、斬り込まれた時も「鞘の内」もそれを制する業が組み込まれているのです。居合は総合武術の一稽古単位に過ぎないと思います。同時にそれら総合武術のいずれにも裏を取られない居合の修練は現代居合の真似っこだけでは不可能です。

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2019年9月13日 (金)

曽田本その2を読み解く33スクラップ日本刀談義居合で勝負する

曽田本その2を読み解く
33、スクラップ日本刀談義 居合で勝負する
大連日々新聞昭和18年1月22日掲載
満州刀剣会監事 永淵清次

 世或は居合を以て徒に長い刀を一瞬に抜くものと考へるが如きは思はざるも亦甚だしいものであります。居合は即ち剣道でありまして両者の間に稽古の形式で使用する道具が異っている為これを区別する便宜上片方は剣道、片方は居合と言って居る次第であります。
 剣道は剣道具を用ひ相手に向って竹刀で激突を行ひますが、居合は道具を附けず相手も無く自分で攻防の法を研究するものであります、居合とは現在の姿即ち人が坐って居る、立って居る、歩いて居る、寝て居る等を指したもので合とは合はす、応ずる、即ち電光石火臨機応変直に事を処する意味であります。
 要するに人間居るその儘で如何なる場合にも変に応じ勝を一瞬の裡に制するやう千磨必死の意気込み以て心身技術の修養鍛錬を行ふ道であります。又試合より居合と剣道の異なる点を見れば居合は剣道勝負の始まる前の試合法であり、剣道は居合で勝負のつかない後の試合法とも言へます。真剣の場合は居合と今の剣道とを合せて完全な試合法と言えます。で勝負を争ふ際鞘から刀を敵より一寸でも早く抜き得れば一寸の勝を生じます。居合を鞘の内と呼びますのはこの意味であります。又刀が鞘を放れると同時に勝負がついて了ふ事も指して居ります。居合の応用に就ては支那事変で面白い例があります。准尉居合錬士の方の話であります。
 最初の戦闘で白兵戦になって日本刀を抜いて向ふと支那兵は非常に日本刀を恐れて逃げ廻り中々うまく斬る事ができませぬので居合の応用を考へました。次の戦からは刀は鞘に納めて突撃します敵は逃げぬのみか却って攻撃に出て来たので近附きながら抜打に敵の右の腕又は股に切りつけ、怯む所を体当たりで倒して致命傷を負はしたのであります。この方法で六十六人切って而も刃こぼれ一つ出来なかったといふことであります。
 然し刀を抜いて人を斬るのみが居合の全部だと思ふのは非常な誤りでありまして抜かない事が大切であります。人に交わるに愛敬虔温和を第一として何事も先づ人を立てゝ自分を後に苟くも大儀名分の明かなる時のほかは刀の柄に手をかけぬ、抜かざるに敵を制する精神が居合の本旨とされている事は申す迄もありません。
 日本刀は日本人と離るゝ事の出来ないものでありまして日本人にして三尺の秋水を見ますと厳粛な感に打たれると共に非常になつかしい感じが湧いて参ります。決してこれを以て人を害しようと言ふ感じは怒らないのが普通であります。却ってその刀剣から祖先の武勲を偲び又日本歴史を思ひうかべ軈ては(やがては)建国の精神迄会得する事が出来るのであります。居合はその尊厳なる刀の正確有効なる用法を講ずるものでありますから之に依って始めて人と刀の一致を見る事が出来るのであります。人剣一致の妙境に達しまして居合は剣に依り剣は居合に依り益々その徳が現れて参るのであります。
 居合修行に大切なる刀の條仲を簡単に申述べますと身長五尺三四寸の人なれば刃渡り二尺三四寸迄が適当であり重さは軽くなく重くない手頃のものを選びます。刃は最初から研ぎ出した刀を用ひなるべく刃引は避け度いものです。但し年の者初歩の稽古、一斉指導の場合書物に依る独習は手加減を要します。次に柄は居合巻といふ平巻きに作りますが普通の太刀巻きで結構であります。初心の時は鯉口を損ぜぬ様金具を嵌めるのも一つの方法であります。鍔は稍々小さい方が無難です。修行上の詳細なる点は与へられた紙数では之を露す事が出来ないので割愛致します。
 近代戦は新兵器の戦ひであり科学の戦でありまして居合の如きは迂遠千萬のものゝやうに思はれる方もありませうが、平素居合におうて鍛錬した精神体力こそは実に近代戦においても沈着果敢冷静水の如く勇猛烈火の如き活躍をなす根幹なすものであります。勝敗の決は依然として日本刀銃剣を以てする白兵戦が握っている事を考へれば思い半に過ぎるものがありませう。

 このスクラップは満州刀剣会監事の永淵清次という人が大連日々新聞に書いたものを、曽田先生は斬り抜いて曽田本その2に張り付けたのでしょう。
 昭和18年には既にニューギニアのブナで日本軍全滅、連合艦隊司令長官山本五十六ソロモン上空で戦死、アッツ島全滅、前年の末にはガダルカナル島撤退が始まっています。決してこの様な日本刀による白兵戦などの世界とは思えません。意味不明の日本刀による精神の昂揚を説いて見ても、何の感動も起こらない、寧ろ嫌悪感の方が先に立ちます。近代兵器の前に多くの同胞を失い、守るべき妻や子まで巻き込まれて死んでいった、私にとっては父母の時代です。その一つにこの様な精神論があって他国から見れば無差別殺戮止む無しであったかもしれません。

 相変わらず真剣を以て居合の稽古をするのと模擬刀に依るのとは違うなどとおかしなことを言って居る人も居ます。材質が違えば感じが違うのは当たり前ですが、そんな事に拘っていては木刀や棒や竹刀など意味のないものになってしまい高い日本刀での居合以外に稽古する事もおかしなことになってしまいます。
 そんな人に限って、高段位になっても指から血を流している、初心の頃に形ばかり指導され、嘘の精神論を信じているへぼ居合人です。本物の修行の行きつく先は無刀であり、進んで神妙剣であるものです。

 スクラップはここまでで終わります、次回から再び曽田先生の直筆のメモになります。
 

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2019年9月12日 (木)

曽田本その2を読み解く32スクラップ土佐が生んだ天下の剣豪川崎範士32の8

曽田本その2を読み解く
32、スクラップ土佐が生んだ天下の剣豪川崎範士
32の8昭和19年5月18日高知新聞掲
光栄に輝く剣の生涯 ひたむきな精進に心魂注ぐ

 山梨武徳会支部の道場開きのとき大分剣客が方々から甲府に集まった、このとき川崎善三郎氏は門奈正というふ人と立合ふことになった、この門奈正は川崎氏よりも少し先輩で水戸藩の人、弘道館で修行し明治になってから小澤寅吉の東武館に入門し一刀流と田宮流居合の免許皆伝を受けそれから警視庁に入り下江秀太郎について磨をかけた剛の者だ、
 一本一本と取り合うて勝負になると川崎氏は相手の竹刀を敲き落とした、それからまだ対ってくるのを得意の足搦みで続けざまに五度倒した、何しろ相手の門奈は五尺八寸に近い偉丈夫、それに引きかへ我が川崎氏はちっぽけだ、それにコロコロやられたから余程残念さうだったといふ、
 その後数年経過した或日、この門奈と久し振りに立合ふことになった、ところがこのとき渡辺昇男爵が見えていた、渡辺男爵は元肥前大村人で斎藤新太郎門下の神道無念流の達人であった、その渡辺男爵が以前の川崎氏と門奈との試合の模様を知っているものだから、川﨑氏を呼んで「門奈をもう一度あんな目にあはしてみろ」といふ、その一方門奈には「今度は仇を討ってみろ」といってつまり双方をけしかけたわけだ、試合となると川崎氏は門奈が小手を得意だといふことを知っていたので十分に用心をして心中あはよくば例の足搦みを喰はしてやらうと意気込んでいた、すると相手はヂリヂリと退る、川崎氏も隙を窺いながらヂリヂリとつめより、柵のところまで追ひつめた、ここだッと「お面」と板の間を蹴って飛び込むと、見事に「お胴ッ」とやられた、しまったと思ったがもう遅い、次にもやはり其の手で、結局三本ともしてやられた、試合が終わると門奈が「川崎、川崎」と大きな声で呼び「仇をうったぞ」といった、それで川崎氏は「参った、いかにも恐れ入った」といったので一同が大笑ひになった、
 その後父専輔氏が七十七歳で病没したので土佐へ帰り各中等学校の剣道師範および大日本武徳会高知支部の名誉教師として晩年を全うしたが、その八十五年の生涯を顧るに幾度か天覧、台覧の試合にも出場の光栄に浴し、殊にはじめての天覧試合のときに畏くも天皇陛下より竹刀料五百匹、皇后陛下より紅帛一匹を賜はった、最近では昭和4年の天覧試合のとき高野氏と共に審判をして御紋章入りの金賞牌を拝受する栄に浴した、このやうな数々の光栄を蒙ったことは一介の剣士として面目この上もないことであり、同時にそれはどんな場合にも“剣”といふことを念頭から離さず勵んだ賜ものであらう(完)

 以上で川崎善三郎の剣に生きた生涯の記事は終わります。この記事は高知新聞という地方紙に掲載されたものですから、川崎善三郎の関係者は川崎氏、高橋氏。高野氏という様に氏をつけていますが、土佐以外の人で立ち合った人は呼び捨てとする程偏ったお国自慢でほほえましいのですが幼稚な感じは拭えません。
 昭和19年1941年の記事で、切り抜きは78年前のものですから当時の新聞紙やインクの良し悪しは判りませんが印刷が薄れていたり、印字が欠けたり、ぼやけて判読不能の文字が多く、メモ帳の寸法に折られて張り付けられていますから折り目の部分はますます判読不能になってしまいます。幸いなことに、読まれた人も少なそうですのでここまで読み取ることが出来ました。
 川崎善三郎先生の略歴をこの新聞記事から並べてみます。
 安政3年1856年  生まれる
                             父 川崎専輔
文久3年1863年  7歳 剣道稽古始める
「武道家の子は幼少から十分な素地をつくらねばならない」との父親の方針
           切返 5年間 
           型  2年間

 慶応2年1866年  10歳   寺小屋に入る
 明治4年1871年  15歳 道具をつける
   明治10年1877年 21歳 西南戦争 四等巡査になる
   明治16年1883年 27歳 大阪に撃剣試合遠征(大江正路も同行) 
                           高橋赳太郎と立合う
 明治19年1886年 30歳 警視庁入庁 高野と出合う 
               この頃山岡鉄舟の春風館に入門
 明治20年1887年 31歳   芝山での天覧試合野試合参加
 明治22年1888年 32歳 警視庁へ道場破り 川崎・高橋・高野で撃退「三傑三郎」となる 

 明治33年1900年 44歳 山梨県巡査教習所剣道教師となり甲府在住 
   昭和4年1929年  73歳 天覧試合審判で御紋入り金賞牌を受ける  

 昭和00年      父専輔死去(77歳)土佐に帰り中学校剣道師範
            大日本武徳会高知支部名誉教師              

 昭和19年1941年   85歳 没す
 

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2019年9月11日 (水)

曽田本その2を読み解く32スクラップ土佐が生んだ天下の剣豪川崎範士32の7

曽田本その2を読み解く
32、スクラップ土佐が生んだ天下の剣豪川崎範士
32の7昭和19年5月17日高知新聞掲
関脇を足搦めで屠る 東京大相撲甲府巡業中の珍話

 日清戦争の最中に広島の仮議事堂で天覧試合をしたことがあった、その後川崎氏は土佐へ帰っていた当時の土佐の剣客には馬淵桃太郎、小松孫四郎、馬詰栄馬などがいた、かくて川崎氏は明治33年の春山梨県巡査教習所の剣道教士を仰付かって甲府に行った、時の山梨県知事は後に高知県知事にもなりまた文部次官になった石原謙三、書記官が例の西久保弘道、それから警察部長が後に北海道長官になった岡田文次の諸氏で何れも剣道は今の三段位の腕前であったので、当の川崎氏は非常に優遇されたものだ、
 その頃東京大相撲の常陸山一行が巡業に来て雨でニ三日休みになった、或日道場へ力士が多勢見物に来た、ところが関脇の稲川が“俺も一本やってみる”といひ出した、何しろ素人と言へ二十七、八貫もある図体でそれに力稼業の男だ、うっかり相手になって痛い目にあふのは厭だからみんな尻込して結局川崎氏に廻ってきた、「さうかよろしい、やらう」と云っている処へ噂を聞いて西久保書記官が常陸山と一緒にやってきた、常陸山は非常に意気込んでいる稲川に「よせ、よせ、相撲取りが撃剣をするといふのは道にないことだ、道にないことはよせ」斯ういって制めたけれども稲川は元気を煽られているのでどうしても承知しない、すると西久保書記官が「面白い、では俺の道具を貸すからやってみろ」といふことになり川崎氏も道具をつけて道場に出た、川崎氏は東京に修行しているとき逸見宗助先生から「筋肉をきたえているものを相手にするときは尋常では駄目だ、脉を打たんといけない」とかねがね教はっていたので面倒になれば腕の内側に一本見舞って痺れあげさせてやる覚悟であった、
 さて立合になると稲川はいくら打たれてもいい、相手の身体に竹刀をあてさへすれば勝だといふのでまるで牛が突きかかるやうに飛び込んで打ちかかってきた、それをニ三回受け流すと川崎氏は例の足搦みで稲川を道場の真中にドスンと倒した、慌てて起き上がるや否やまた足搦みでさすがの稲川兜を脱いだ。
 明治36年の5月には八王子甲府間の鉄道が開通することになった、さて開通式の当日は甲府はじまって以来の賑ひで近郊近在から見物人が集まって町がはちきれさうな人出であった、開通式も滞りなく終ると祝賀の大宴会があり、宴会が済んで町へ出た時はもう夜になっていた町の混雑は絶頂に達している、川崎氏は渡辺千春と連れだって家へ帰らうとしたが途中の交通整理を消防の人々がやっている、腕には刺青をチラチラさせていた、そして今日はお上の手伝いをしているといふので特に意気が高かった、ところが喧嘩好きな千春は人混みを歩くうちにあっちこっちでぶつかっては喧嘩をはじめた、消防が制めるのだが、その制め方が生意気だといふので腹を立て、それから消防の姿を見るとポカンと殴りつける。
 川崎氏は何分人に揉まれながら歩いているのでそんなことはちっとも気がつかずに平気で悠々と歩いて春日町まで来ると千春に別れて家に帰った、そして寝ようかと思っていると門口をドンドン叩くものがある、出て見ると近所のお内儀さんが血相変へて「いま露地の口で消防が集まって、ここだ、ここだ、川崎の家はここだ、と騒いでいる」といふ、また近所の男が駆けつけて来て「五十人ばかりの消防が手に手に鳶口を持って相手は剣術使ひだから油断すな」とのことだといふ、当の川崎は一向に訳がわからないので「何も消防から喧嘩を売られる覚えはない」と平気でいたけれども近所の男は心配して荒井警察部長のところへ注進に行った、川崎氏は話がわからぬうちに殴り込まれるといけないと思って戸をしっかりとしめて様子を窺っているとドヤドヤと押しかけてくる足音がする、「叩きのめせ、殴り殺せ」いきまいており今にも戸を打破って雪崩れこまうとする気配だ、川崎氏はそんな理不尽なことをすれば覚悟があると決心して身構へをしていた、
 そのとき、急を聞いて駆けつけた荒井警察長の話によって事の顛末がのみこめた、それは千春が乱暴したことを川崎氏がけしかけたと誤解したのである、兎に角かうして無事に済んだけれども一時は血の雨が今にも降るかといふ大騒ぎだった。
 

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2019年9月10日 (火)

曽田本その2を読み解く32スクラップ土佐が生んだ天下の剣豪川崎範士32の6

曽田本その2を読み解く
32、スクラップ土佐が生んだ天下の剣豪川崎範士
32の6昭和19年5月16日高知新聞掲
三傑三郎は斯くして出来た 夜通し猛稽古をつけた精神力

 明治20年6月、芝山の彌生社で天覧試合があり、そのとき野試合があった、わが川崎氏等三人は三本勝負を天覧に供する光栄に浴し野試合には関係がなかった川崎氏は白軍から助太刀を頼まれたので加はった。
 敵軍を見渡すと奥宮警察署の永井利胤氏が紫の襷をかけて指揮している、この永井氏には川崎氏が最近の方面会で敗けたことが有るので、今度はやってやろうと乱軍の中を縫ふて近寄った、▢て永井氏と向ひ合ふと同氏はパッと打込んで来る、そこを例の足搦みで見事に倒したが何れ入乱れての乱闘だ、倒れたが百年目で大せいの白軍の者にポカポカとやられて永井氏はたうとう気絶してしまった、
 次に明治22年頃警視庁に道場破りがやって来た、それは旧榊原藩の指南役で戊辰に越後に出陣した時の鬼の指物をつけて武勇を轟かし豪剣の名も高かった柴田克己、薙刀の名人の長尾俊久、それから鎖鎌の大家大久保某の三人で揃ひも揃って手強い人物ばかりである、すると上田馬之助先生は川崎氏等に「この相手はお前ら三人で始末しろ」といった、そこで三人はジャンケンをして順序を決めたところが、高野、高橋、川崎といふ順になった、まづ薙刀の長尾が樫の木の薙刀を持って出て来た、この薙刀を腰のあいだにいれてひっかけつりあげて投げつけるのが長尾の得意だといふ、高野氏は薙刀の峰を踏んで落すところを胴をとり、最後に小手を取って見事に破った、次に高橋氏が出て勝ち、最後に川崎氏が飛込んで面をとり、それから足搦みでさんざんやっつけた、次が鎖鎌の大久保だ、ところが鎖鎌といふものは、六尺ばかりの鎖の先に分銅がついていてブンブン振り廻す、こちらの竹刀に搦みつけて引きよせ脇に挟んでいる小太刀で打つといふ厄介な代物である、川崎氏が長尾に勝って下ってくると、高野氏と高橋氏が何か相談していたが高橋氏が「川崎、貴公は鎖鎌をやった経験があったはずだな」といった、それで、川崎氏が「いかにもある」と答へると「それなら大久保は貴公一人でやってくれ、柴田は俺たちが引受ける」といふ、さうなるとわが川崎氏は厭とは言へぬ性分だ「承知した」と引受けてしまった、
 かくていよいよ大久保と立合ふことになった、型の如く互に礼を交はして立ち上がらうとすると、目の前一尺ばかりのところに相手の分銅が来ていた、しめたと思って左足でひょいとその分銅を踏まへて立上った、大久保は肝腎な得物が使へぬので狼狽している、そのところを一撃で鎖鎌を叩き落し、飛び込んで行って大久保のさしている小太刀を奪って胴をついたのでさすがの大久保も完全に参った、
 一方柴田も高野、高橋両氏が見事に勝ち道場破りの大敵を無事に撃退したので、上田先生から一同は大へん褒められた、それでこの当時この三人ー川崎善三郎、高野佐三郎、高橋赳太郎は「三傑三郎」と畏敬されて剣客の中に知れ渡った、
×   ×
 その頃吾妻橋所の道場開きがあり川崎氏等十人が稽古をつけに行ったことがあった、ところがこの十人を叩き潰してやらうといふので各署から選り抜きのものが二十人づつ詰かけ手具脛ひいて待っていた、稽古は晩の六時から始まったがそれからぶっつづけに一息つく暇もなく交る交る出てくる先方は叩き潰すつもりだから新手をひきかへひきかへ無二無三に打ってくるとうとう夜中になると他のものは皆叩き潰されて残ったのはわが川崎氏等三人だけだ、もうそのときはクタクタになって羽目板に身をもたせてやっと竹刀を持っているのだが、相手はそれを無理やりに道場の中ほどへ引張り出して足を払っては転がし、背中などをさんざん殴るのだ、もう駄目だ、と声を上げようと思って横を見ると高野氏も高橋氏もフラフラしながら兎に角闘っている、それを見ると何くそと勇気をしぼり出してまた立ちあがる、
 十二時を過ぎた頃には三人とももう無我夢中で羽目板にへばりついて相手に殴られるままになっている、もう目の先がまっ暗で何も見えないところがそのうちにだんだん白みかけるとその道場の隣に鶏屋があって、そこに飼ってある鶏が鳴きはじめた、すると俄かに三人とも元気が出てさあそれからは片っぱしから出て来る奴を殴り倒し朝の六時まで頑張り通して引上げた、家へ帰るとそのまま寝床へ転がりこんだが、それから二週間といふものは夜も昼もない、ただウツラウツラ眠っていた、ときどき起きて小便に行くだけだが、その小便も二週間位は血の小便であった、これを見ても如何に猛烈な闘ひであったかが察せられるとともに、こんなにも頑張れたのは春風館で修行したおかげであらう。

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2019年9月 9日 (月)

曽田本その2を読み解く32スクラップ土佐が生んだ天下の剣豪川崎範士32の5

曽田本その2を読み解く
32、スクラップ土佐が生んだ天下の剣豪川崎範士
32の5昭和19年5月14日高知新聞掲
剣道に年齢はない心眼明かなれば幾歳でも使へる

 あっちこっちの道場へ行っても手に立つものがいないので聊か天狗になった我が川崎氏に高橋氏を誘ひ二人で春風館(山岡鉄舟先生の道場)に乗込み玄関番の書生に名を名乗って試合を申し込んだ、すると書生は奥へ引込んだがそのまゝでなかなか出て来ない、玄関で二時間あまりもまたされた挙句やっと道場に通された、そしてまたその道場でも待たされた、
 二人はまだかまだかとぢりぢりして待つことまた二時間、すっかり痺れをきらした頃内弟子の佐野といふ男が物も言はずに現れた、二人は妙な奴ぢやと思ったが我慢していよいよ立合をするのだからと二人が道具をつけようとすると佐野が口を開いて「いや、それにはおよびません」といふ、そして木剣二振り道場の真中に組んだまま末席に坐った、
 さてはきっと型を見せてくれるのだろうと高橋氏と話しあひながらまたニ三十分経つと奥の方から足音が聞えて来た、二人は固唾をのんでいると鉄舟先生が四五人の高弟をつれて出て来た、純白の刺子の稽古衣に小倉の縦縞千筋の袴を穿いて真黒い頬髭を靡かせ這入ってきた、二人は思はず感に打たれて今迄張切っていた肩肱をすぼませてハッと頭を下げた鉄舟先生は黙って正面にピタリと着座する、そこで佐野が「先生がお立合いひ下さる」と言った、二人が頭を下げると、それに押かぶせて「ついては当道場の掟として試合とあれば素面、素小手で木剣で立合ふことになっているから左様御承知ありたい」といふ、それまでいい加減鉄舟先生の感に打たれている二人はそれを聞くと縮み上がって返事が出来ず、顔を見合せていた、すると佐野が一段と声を張り上げて「言葉を改めろッ」といふ、二人は何のことだかわからないのでどう改めるのだと訊くと、「御指南願ふといへ」といふのだ、それで二人は「御指南願ひたい」といふと佐野がそれを高弟に通じる、高弟はまたそれを鉄舟先生に申し上げる、すると鉄舟先生は黙ってうなづいたまますうつと奥へ這入って行った、
 それから道具をつけて、高弟衆に稽古を願ふと、二人はいやはやもう散々に叩き据えられてヘトヘトになり頭を巻いて春風館を出た、すっかり天狗の鼻を折られてしまったわけである、その後佐野の紹介で二人は春風館に入門することになり、高野氏も改めて入門した、一応春風館は評判の稽古の厳しいところだが、特に入門した三日は胆だめしだといって、立ちも這ひも出来なくなるほど荒稽古させられる、それが済むと普通になるのだが、普通と言っても他所の道場の二倍も三倍も荒い稽古であった、この稽古がどれだけ為になったものか、すなはち後に「三傑三郎」と称して畏敬される三剣豪の素地をこの時つくったのである、
 さて入門すると鉄舟先生はこの三人を特に目をかけて指導した、また勝海舟先生など見えられた時は隣室で話しを聴くことも許された、鉄舟先生の稽古といふのは三尺三寸の竹刀を持ち非常に柔らかな稽古振りであったが、いくらこちらが打ったところで、ピリッとも態度が崩れないので一向に打ったやうな気がしない、得意は突きで「一本行けッ」と一喝すると、二、三寸竹刀が離れているのにゴクリと突かれたやうな気がしたといふ、鉄舟先生はそんな豪傑であったが人を呼ぶのに決して呼び捨てにはせず、年少の川崎氏等に対しても必ず「川崎君」といふ風に呼んだ、
 そして鉄舟先生は川崎氏等の門下生に対し「剣道には年齢がない、心眼さへ明かなれば幾歳になっても使へる」といふことと「逆足は踏むな」それから「欲を捨てろ」とよくいはれたものだ、それは剣の上だけでなく事実鉄舟せんせいは欲をすてられた方であった、思ふに我が川崎範士が恬淡で清貧にあまんじ85年の大生涯を全うしたのは蓋し鉄舟先生の薫陶によるところ大であろう。

 「剣道には年齢がない、心眼さへ明かなれば幾歳になっても使える」
 大抵の人は40過ぎぐらいから若い者には勝てないと云って益々、段位と所属年数、役職の上下に拘って使えない剣道を続けている様です。歳を取れば使えないものならば稽古しても意味は無さそうです、何か間違った稽古をして来たのでしょう。幾つになっても役立つものが武術なのでしょう。
 足腰を痛めている五、六十代の人が大勢います、練習法も間違っているのでしょう。早い強いばかりに拘って見てもどんどん筋力は衰え関節は摩耗して行きます、一ケ所に負荷のかからない運剣を身に着け、鍛えるべきものも変えて行かなければならない筈です。それが鉄舟先生の」「非常に柔らかな稽古振り」に現れていたのでしょう。「心眼さへ明か」とはどの様にすべきなのでしょう。一言で言い表すことが出来る人も居るでしょうが、心眼が明らかでも体が思うようにならなければそれは明らかとは言えそうもない。幾つなっても使える心眼は課題です。

 「逆足は踏むな」は歩み足の動作が身に付けば其れによって可能かもしれません。右足前だけの運剣動作や、剣先と逆の足捌きで居付いてしまったのでは是もそこまでなのでしょう、それとも更に奥が籠められているかもしれません、課題でしょう。

 「欲を捨てろ」は、素直な気持ちでより良いものを学ぶ気持ちがなければ捨てられない、勝気ばかりの人は何も身に付く事は無いし、身も心も不十分なのに無い物ねだりしても結果は得られそうにもありません。初心者や素人相手に多少習って出来る業を仕掛けて悦に入っている人も結果は其処までの様です。是も課題です。
 

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2019年9月 8日 (日)

曽田本その2を読み解く32スクラップ土佐が生んだ天下の剣豪川崎範士32の4

曽田本その2を読み解く
32、スクラップ土佐が生んだ天下の剣豪川崎範士
32の4昭和19年5月13日高知新聞掲
高野氏との初顔合わせ剣客雲集す明治20年の東京

 明治19年春青運の志を抱いて上京した青年の川崎善三郎氏は未だ東京の水に慣れないでウロウロしている頃の或る日料亭へひっぱりあげられたことがある。二階に上ると廊下のつきあたりに大きな姿見があった、それまでそんな大きな鏡を見たことのない川崎氏だったので向ふから自分によく似た奴が来ると思って吃驚したといふ、そんな挿話を撒いているうちにだんだん東京に慣れて来た。
 明治20年の警視庁管下は六方面に別れていて第一は品川、高輪麻布など第二は久松町、京橋日本橋などといふ風に一方面に四つか五つの署が属していた、そして毎月各方面で方面会といふ剣道の試合を催した、従って月に六回は方面会がありこの会には各署から優秀なものを選手として出し部長なども必ず出席して見物した、既記のとほり三島総監の奨励によって諸国から剣客が集まって来ていたので警視庁にはなかなか使手が多かった、わけても難物と名をとったのが伊藤良彌、野津元三郎、小石川署の斎藤竹次郎、下谷署の門宗正そのほかは元佐倉藩の兼松直庸、これは鏡新明智流で桃井の四天王の一人だった、そのうちに大会があってその時川崎氏が顔を合わせたのが両国署の高野佐三郎氏(三傑三郎中の唯一の現存者)であった。
 高野氏は秩父大宮の松平下総守陣屋の指南版番で小野派一刀流の高野苗正といふ人の孫である、その前に上京したとき猿屋町署の堀口といふ剣道四段、柔道四段で警視庁切っての力持と組打をして捻ぢつけ洟汁を垂さしたといふ剛の者なので、これこの手でひっくり返されていたかは油断がならぬわいと思った、ところが先方も先方で両国署長の宮内警視はわざわざ高野氏を呼び「高輪の川崎は足癖が悪いから気をつけろ」と注意した、わが川﨑氏は足掴みが得てで大概の敵手ほらである、結局の勝負は引分けとなったがやはり川崎氏は足掴みでやったことはやった、それ以来川崎氏はこの好敵手の高野氏とも親交を結び高橋氏と三人で稽古もしまた大いに遊びもしたものだ。
 当時川崎氏は一等巡査の資格で月俸十円弁当代一日六銭にして一円八十銭服代月割一円六十銭、別手当三円その他半年に短靴料二円、一ヶ年に長靴料五円であった、其頃下宿代が大体六畳二円といふのが相場でそれには三食とランチ、火鉢が含まれていた、天保銭一つで風呂に入って蕎麦が二杯喰へた、高輪から神田まで俥をとばして五、六銭、牛肉屋の“いろは”では五十銭で二人で存分に飲み食ひ出来た、そんな時代だから本俸ともに十四円内外の月収があれば豪勢な暮らしが出来たものだそのうちに川崎氏も高野氏も高橋氏もどこの方面へ行っても滅多に敗けない、あっちこっちの道場へ行っても手に立つものがいないので聊か天狗になった、それである日高橋氏に「どうだ、春風館へ行ってみようではないか」というと高橋氏は立ちどころに賛成した。春風館は山岡鉄舟の道場だ、高野氏は十七歳のとき金鎖神社の神前試合の恨みから春風館に入門して修行したことがあるので誘はなかった。

 

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2019年9月 7日 (土)

曽田本その2を読み解く32スクラップ土佐が生んだ天下の剣豪川崎範士32の3

曽田本その2を読み解く
32、スクラップ土佐が生んだ天下の剣豪川崎範士
32の3昭和19年5月12日高知新聞掲
両剣士を結ぶ申試合 負け嫌ひで而も人善しの反面

 明治16年のこと、この時分は撃剣試合の興行といふことが流行して高知でも堀詰座でやったりしたが、その後十人ばかりの剣士が大阪に遠征したことがある、大将は馬詰栄馬といふ両刀使ひの達人で元の致道館の師範、副将が馬淵桃太郎ーこれは桃井の高弟で箕浦猪之吉が妙国寺で切腹したとき望まれて介錯した使ひ手だーその他は深瀬幸太郎、志和幹作、郷千代次、前野新作、大江正路および当の川崎氏などで一行は大阪につくと土佐堀の土佐人経営の岡村旅館に泊まった、試合の場所は高島座で大入満員であった、勝負がつくと羽織や帽子を舞台に投げつけるそれを行司が披露すると剣士がそれを持って投げた客のところへ挨拶に行く、もちろん木戸銭をとったのでまるで芸人か相撲のやうな待遇を受けた。
 高島座の試合がすむと今度は長堀の警察署へ招かれて試合することになった、川崎氏はこのとき当時長堀署の剣道師範をしていた故高橋赳太郎範士と立合ふことになった、川崎氏は長堀署で立合ふ以前に相手の試合振を見ていたので此奴は手強いぞと思った、そこで試合の時ちょっと竹刀を合わすと直ぐ組打を挑んだ、組打となると「参った」といふまでやるのである、坂本龍馬が日根野塾にいるとき同門の岡林譲蔵とやって組みふせられて「労れた 労れた」といって「参った」と言はなかったといふ有名な話がある。
 それで川崎氏と相手の高橋氏は竹刀を捨てて組打をはじめたが30分ばかり上になりしたになりやっているともうどちらもヘトヘトになった、それで馬詰が「もうよからう」といったが秋山は「死ぬるまでやらせ」といふ、二人はそこでまた半時間ばかりやったが遂に両方とも息をつけないやうになて倒れてしまった、これが将来両剣豪を結ぶ縁となり川崎氏は高橋氏に勧められて一年ばかり神戸の監獄の師範をしたことがある、さうしているうちに東京では警視庁の三島総監が大いに武道を奨励しているので諸国から剣客が雲の如く集まっているといふ噂を聞いた。
 川崎氏は元修立社の社長であった水野寅次郎が当時三等警視で勧め小石川の署長をしており、その方からも勧められていよいよ上京を決心し明治19年の春に国を出た、かくて高輪署の剣道世話係、奉職し雨宮潤三郎の下に勤めることになった、一方相手の高野氏は一足お先に上京して警視庁本部剣道世話係になっていた、その頃同本部には上田馬之介、樋口政之、逸見宗助、下江秀太郎、得能関四郎などというせんせいなどが大取締役で師範をしていた。
 上京した川崎氏は実弟の伊賀彦氏当時慶応義塾に通学していたのでその下宿に同居した、実弟の伊賀彦氏慶応義塾に学ぶやうになったのは次の理由による、父専輔氏が伊賀彦氏に「時勢は変わった、兄は剣で身を立てたが、お前は学問をやれ」と言ったので明治16年に高知一中を卒業すると直ぐに上京したのである、これは余談だが明治16年度高知一中卒業生といふのは伊賀彦氏一人だ、それといふのはその時に自由党の職員がみんな罷めさせられたので同級生が悉くストライキをしたのに伊賀彦氏一人加はらなかったからである、
 さてその下宿屋は田町六丁目の大通に沿った田井といふ家で故上村大将夫人の実家で屋号は井ノ口屋といった、そこには川崎氏の親友の高田逸馬といふ高知県警部が三年前から上京して警官講習所に通っていて止宿していた、東京の水にすっかり慣れていた伊賀彦氏も高田氏も初めて出て来てウロウロしている川崎氏にいろいろ知恵をつけたがある日のこと三人で雑談していると伊賀氏が「兄さん、あんたはちと金を持って来たか」と訊ねるので、国を出るとき持って来た三十円に手をつけていなかった川崎氏は「少々持っちょる」と答へた、すると高田氏が「その金はどういふ風にして持っているのか」と訊くので「大切に懐中しちょる」と答へると「そりゃいかん、東京は生馬の目を抜くとこじゃ、大金を提げ廻っては危険ぢや、是非とも畳の下へでも匿して置くがよい」と忠告してくれた、それでその夜川崎氏はその三十円を紙にくるんで畳の下へ入れて置いた、翌日チョット外出して帰って見ると、二人は居ない、どこへ行ったのかと思って下宿のお内儀に尋ねると「何だか知らぬが、貴方のお部屋でゴソゴソしていて、やがて二人とも大笑ひに笑ひながら雀躍りして出て行かれましたよ」かといふ、さてはと思った川崎氏は急いで部屋へ行って畳を捲ってみたら三十円は影も形もなくなっていた、なるほど東京は生馬の目を抜くところぢやと感心したといふ、二人はその夜へべれけになって帰ってきた。
 

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