曽田本その1の1神傳流秘書を読み解く1抜刀心持引歌

2016年10月30日 (日)

曽田本その1の1神傳流秘書を読み解く1抜刀心持引歌13居合心持引歌終

曽田本その1
1.神傳流秘書を読み解く
1、抜刀心持引歌
13)居合心持引歌終
敵色々と有りて我をたますと由油断する事勿れ例へハ鞠を蹴る二同し我が鞠と人の鞠との色をよく見る事也
 敵をたゞ鞠と思いて皆人の
         つめひらきせバいかににがさん
 本来の事より出て事二入り
         あわれ知らばや事の深さハ
 吹けば鳴る鳴かねバ鳴らぬ笛竹の
         声の良とハ何を言ふらん
 打解けてねるが中なる心こそ
         誠の我を顕はし二けり
 引よせて結へバ柴の庵尓て
         解れバ本の野原なりけり
 兎二角二言ふへき様ハなかりけり
         九重の塔の上のあし志ろ
 唱ふれハ仏も我も無かりけれ
         南無阿弥陀仏の声計りして
 極楽ははるか二遠くゆきしかど
         唱へて到る所なりけり
 居合心持引歌終 

読み解く
 抜刀心持引歌の最終です。「居合心持引歌終」と結んでいます。

 敵は色々の策を講じ,我を陥れようとするものです。油断してはなりません。例えば鞠を蹴るのにも似て、同じ鞠でも敵の蹴る鞠と我が蹴る鞠の状況をよく見て応じるものです。

 敵をたゞの鞠と思って詰め寄ったり開いたりすればどうして逃げおおせられるだろうか

 本来此の様であるはずの事でも、実際にやって見れば思った様にはならないものです、それを如何に応ずるかという事がこの道の事の深さでしょう。

 竹笛なども吹けば鳴るし吹かなければ音もしない、単なる音と聞くのでは無く、音の良し悪しを聞き分けるように、何をしようと知らせるのか見極めることです。

 打ち解けて、寝るほどの仲になって、初めて誠の心を知るものです。そのように敵に打ち解けていく事によって敵の心が読めるものです。

 柴で組み上げた庵ですら、解けて崩れてしまえば本の野原でしょう。無心になって策を見抜くものです。

 兎に角、何と言おうと、九重の塔の上に掛けた足場の様なものです。意味のない虚飾に騙されてはいけません。

 仏にすがって南無阿彌陀佛を唱えてみても、仏も我も無いもので念仏ばかり聞こえるだけです。

 極楽は遥か遠くにあると聞いていますが、無心になって極楽・極楽と唱えて到る処なのでしょう。

 居合の心持引歌を終わります。

 歌の解釈は、それぞれの修行に至る中でどの様に聞こえてくるのかが違うのではないかと思います。かと云って、相手の有る事です、独りよがりの思いでは、勝を得る事は出来そうにありません。
 居合は、観衆に拍手を求める大道芸でも無く、ルールに従った強さと速さのテクニックによるスポーツでも無く、命を懸けた武術なのです。 
 心持引歌はそう語っている様に思えてなりません。

 講習会があると、古参の者が、得々として講師の真似を演じています。昨日までの動作の違いに少しも悪びれずにいます。
 そうかと見れば、他の者は「先代とは違う、習う必要は無い」と云って少しも講習会の内容を噛みしめていません。

 当代は、「よく聞き・よく見て・よく読み・自分で考える事」と何度も仰います。柳生新陰流の始終不捨書の冒頭には、習い・稽古・工夫と円相に描かれています。
 よく聞き・よく見て・習い・そして繰り返し稽古して真似るだけ・・そこにとどまっているばかりでは只の棒振りです。

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2016年10月28日 (金)

曽田本その1の1神傳流秘書を読み解く1抜刀心持引歌12業歌後身

曽田本その1
1.神傳流秘書を読み解く
1、抜刀心持引歌
12)業歌後身二首
浪返
 あかし潟瀬戸越波の上にこそ
          岩尾も岸もたまるものかは
瀧落
 瀧津瀬の崩るゝ事の深けれバ
          前に立添ふ岩もなき哉
*
読み解く
浪返
 明石の海峡に打ち寄せる波に岩尾も岸もたまったものではない。という歌でしょう。
 浪返は、後ろに座す敵の害意を察し、振り向きざま抜き打ちに斬り真向に切下ろすという業です。
 歌のイメージを被せれば、怒涛の様に打ち寄せるが如く、後ろに振り向き、左足を後ろに引いて横一文字に抜きつけ即座に上段に振り冠って真向に打ち下ろし勝つ、敵には何もさせない様な鋭く威圧する気を持った振り向きの動作が必要でしょう。

 敵にすれば押し寄せる波のように迫ってくる我に、一瞬戸惑う瞬間です。
 我は左足を引いて抜きつけます。敵には引く波の中から切っ先が不意に顔面に伸びて来る様に思えるでしょう。

 英信流居合之事8本目浪返
「鱗返二同し後へ抜付打込ミ開き納る 後へ廻ると脇へ廻ると計相違也」

瀧落
 瀧の様に流れ落ちる瀬では岩も削り取られ、流れ落ちる瀬を阻む岩も無い様だ。

 瀧落は、座している処、後ろから鐺を取られたので、敵の手を振り捥いで、刀を抜くや振り向いて敵の胸部を刺突し真向に切り下ろす、という大技です。

 敵に後ろから鐺を取られ静かに立ち上がる処は、緩い渓谷の流れで、そこから早瀬の落ち口を一気に流れ落ちるように敵の手を振り捥ぎ、刀を抜き出し後ろに反転し刺突する処は瀧の落下の如く怒涛の様に突き込んで行く・・留目は滝壺。

英信流居合之事9本目瀧落
「刀の鞘と共二左の足を一拍子二出して抜て後を突きすぐ二右の足を踏込ミ打込ミ開納る此事ハ後よりこじりをおっ取りたる処也故二抜時こじりを以て當心持有り」

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2016年10月26日 (水)

曽田本その1の1神傳流秘書を読み解く1抜刀心持引歌11業歌左身

曽田本その1
1.神傳流秘書を読み解く
1、抜刀心持引歌
11)業歌左身二首
岩波
 行舟のかぢ取り直春間もなきは
          岩尾の浪の強く當れバ
(谷村先生の本には「波返」「鱗返」ト有従て此の歌は前後ならんかと自雄□トノ註アリ 曽田メモ)
鱗返
 瀧津浪瀬上る鯉の鱗は
          水せき上て落る事なし
*読み解く
 岩波
 岩波の業名が先に有ったのでしょう。お題頂戴による歌でしょうから、岩に当たる荒浪の状況と、業の岩波の動作をイメージして見ます。
 漕ぎ出した舟の舵を取り直す暇も無く、磯の端の岩に強く当った浪に舟は翻弄されている。
 歌の情景はこんな処でしょう。業歌としては、岩に打ち付ける強い波に舵を取る暇も無く翻弄されるように敵は我の反転に躱す間も無く刺突される動作を思い描いたのでしょう。

 岩波の場合、対敵の害意が動作に現れないうちに先んじて攻撃して居る様な教えをしている処も有る様です。
 刀を抜く処を敵に見せない様に抜出し、敵に向くや否や刺突する。或は、敵が柄を取りに来るので刀を抜出し、柄を取らせない様にして敵に振り向いて刺突する。
 英信流居合之事六本目岩浪
「左へ振り向き左の足を引き刀を抜左手切先へ添え右の膝の外より突膝の内に引き後山下風の業に同じ」

(正岡先生 無双直伝英信流居合兵法地之巻)
 右に向かって座す処へ、左側から敵がおそいかかるを察し、刀に両手をかけて腰をあげて後に抜き、左に向きなおり水落目がけて突き上げ、直ちに引きぬいてふりあげ真甲から切り下す動作

(京都山内派無双直伝英信流居合術)
 同一方向に列している左側の彼に対し知られざるよう刀を抜き突如その方に向き直り胸又は腹を突き更に引廻して上段より切下ろして仕止む

*古伝は、まず腰を上げ左脇に坐す敵に振り向き、左足を後方に引くや刀を抜き、柄頭を以て敵を牽制し、敵が怯む間に切っ先を敵に返すや刺突する、のでしょう。柄頭を敵に制せられるのであれば、右に抜き出すなど変化は自在です。
 いつの頃からか、左脇の敵に振り向かずに刀を前に抜いた人がいたのでしょう。それから限定的付帯条件を付けてしまったようです。

*
鱗返 
 瀧津瀬を遡上し鱗を光らせる鯉は、瀧の様な急流の瀬の水を関上げても落ちることはない。と言うのでしょう。

 第15代谷村亀之上自雄の本では英信流の七本目が浪返で八本目が鱗返なのでこの歌も前後が入れ替わっているのではないか、と注意書きがある、と曽田先生はメモをされています。

この伝書は山川久蔵幸雅によって書き写されたものですから誤写もあるかもしれませんが、この神伝流秘書以外に古いものはないのでこのままにして置きます。
 曽田先生の言われる谷村亀之丞自雄のものは英信流目録だろうと思いますが実態は判りません。

 歌と業がマッチしているような気がしませんが、鱗返の業名から読まれた歌で、鱗の文字があればよい、程度でしょう。

英信流居合之事7本目鱗返
「左脇へ廻り抜付打込み開き納る (秘書には岩波と同じ事を記しあり 口伝口授のとき写し違へたるならん 曽田メモ)」

 

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2016年10月24日 (月)

曽田本その1の1神傳流秘書を読み解く1抜刀心持引歌10業歌右身

曽田本その1
1.神傳流秘書を読み解く
1、抜刀心持引歌
10)業歌右身二首
浮雲
 麓より吹上られし浮雲ハ
         四方の高根を立つゝむなり
山下風
 高根より吹き下す風の強けれバ
         麓の木々ハ雪もたまらず
*読み解く
 この右身二本の業歌は浮雲と山下風で高峯に「吹き上げる浮雲」・麓に「吹き下す風」を歌って対になっています。
浮雲
 三河方面を訪れた時、この歌の様な景色によく出合いました。谷間から湧き出る様に雲が山頂を目指して吹き上げられて行きます。山頂付近は浮雲が集まって頂きが見えなくなってしまいます。

 この歌と英信流四本目浮雲をイメージするのですが、立膝から右側の敵が我が柄を取ろうとする手を避けて、ふわ~と立上り、敵が「しまった」と退がろうとするのに合わせて、足を踏みもじて抜き付けて行く。
 其の時、勢いよく動作を付ければ敵は慌てて間を離れてしまいそうです。
 ふわ~と仕留めるのが心理的にはよさそうです。などとごつごつ演じている人を見て思っています。
 無理やり歌に合わせて見ても意味の無い事かも知れません。お題頂戴して歌を詠んだと言うことも有りえます。
 俳句の師匠から、情景に感動して詠むと「それがどうした」とつれない評価です。

英信流居合之事四本目「浮雲」
「右へ振り向き足を踏みもぢ彳腰をひねり抜付左の手を添へて敵を突倒春心尓て右の足上拍子に刀を春ねへ引切先を後へはね扨上へ冠り膝の外へ打込ミ後同前又刀を引て切先を後へはね春して取りて打込事も有」


山下風 
 英信流(立膝の部)五本目は山下風、山下風は(やまおろし)と読むのでしょう。現在の無双直伝英信流では業名は颪(おろし)の文字を付けています。広辞苑では「山颪」の文字をもって(やまおろし)としています。たぶん「山下風」では無く「山颪」の文字を山・下・風と縦書きにすると下と風が離して書かれていて写し違えているのだろうと思います。大江先生は「颪」を当てていますが(又山おろしとも云ふ)と有ります。下村派の曽田先生は「颪(山下)」山下風と添え書きしています。

 浮雲と違って山颪は山の上の方から吹き降ろされる風で、其の風が強く、麓の木々には雪も降り積もらない、と詠んでいます。
 「たまらず」は溜らずでも堪らずでもいいでしょう。
 英信流(立膝の部)の颪にこの歌をイメージすると、敵が我が刀の柄を取らんと手を出すのを、敵の手をするりと外して、ドンと顔面を打ち据え、逃がさじと胸に抜き付ける場面にイメージするか、夢想神傳流の山下風ならば、敵が刀を抜こうと手を掛ける其の手と足を打ち据える、何れにしても敵の初動を素早く制してしまいます。

英信流居合之事五本目「山下風」
「右へ振り向き右の足と右の手を柄と一所尓て打倒し抜付後同前但足は右足也 浮雲と足は相違也」

 

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2016年10月22日 (土)

曽田本その1の1神傳流秘書を読み解く1抜刀心持引歌9業歌向身

曽田本その1
1.神傳流秘書を読み解く
1、抜刀心持引歌
9)業歌向身三首
横雲
 深山には嵐吹くらし三吉野の
           花か霞か横雲の空
虎一足
 猛き虎の千里の歩み遠からず
           行より早く帰る足引
稲妻
 諸共に光と知れと稲妻の
           跡なる雷の響き知られず

   抜刀心持引歌には、神傳流秘書の英信流之事の業名の歌が並びます。
英信流之事は「是は重信翁より段々相伝の居合を最初にすべき筈なれ共先大森流は初心の者覚え易き故に是を先にすると言えり」と序文が有ります。
 英信流は始祖林崎甚助重信から段々に受け継いで来た重信流だと言います。
 
 この英信流の和歌は、いつ頃誰が選歌したのか、神傳流秘書の書かれた以前からあったかは不明です。

  奥州地方に残る歌にはこれに類する歌は見られません。第九代林六大夫守政が江戸勤番の頃、第八代荒井勢哲清信から聞かされたものだろうと思います。
 業の名称だけに拘って業の技法上のポイントをついている心得とは思えないものも有る様な気もします。

 一首目の横雲の歌には三吉野という地名が有りますが他の歌には地名らしいものは有りませんから、業に合わせて雰囲気を詠まれたものでしょう。三吉野の花は桜です。

遠い三吉野の奥山には春の嵐が吹いているのだろう、さくら吹雪が横雲になって霞の空に吹きつけている

 横雲の横一線の抜き付けを当てたのでしょう。やたら気張って、力いっぱい振り回したり、恐ろしい般若の形相で演じる人などはこのような業歌を口ずさんで、業をイメージして見るのもいいかも知れません。

英信流居合之事一本目横雲
「右足を向へ踏出し抜付打込み開き足を引て先に坐したる通り二して納る」


二首目は虎一足
 虎は千里往って千里還る 。虎は1日に千里の遠くへ行ってまた戻ってくる。勢い盛んなことのたとえ。
 虎は大きいものは胴長250cm、体重280kg位で縄張りは10~20平方km、一日に徘徊する距離10~20kmだそうです。

 この歌は、立膝に座し前面の敵の抜き付けを、左足を引いて切先を下にして抜き打ちに受け払い真向に斬り下す、すさまじい業です。その抜き付ける際の左足は後方に引く其の足捌きの素早い動作を歌に詠み込んだものでしょう。

英信流居合之事二本目虎一足
「左足を引き刀を逆に抜て留め扨打込み後前に同じ」

三首目は稲妻
 雷はピカッと光った後にゴロゴロと響き渡るので、音の聞こえてくる時間を推し測って近くに落ちたとか遠くに落ちたとか判断し、避難するタイミングを子供の頃から自然に覚えたものです。
 随分古い話ですが、木曽駒ケ岳の山頂で、雷に見舞われました、それこそ光より音の方が速いと思った事がありました。恐ろしい、怖いと言うよりもう覚悟してしまったのを思い出します。

 この歌は稲妻の様子を歌ったもので、稲光の後に音がすると歌っています。
 英信流の三本目稲妻にこじつけると、敵が上段から打込んで来るのを立ち上がり様刀を抜いて小手に抜打ちに切り付ける、ここが稲光の閃光の様に鋭く素早い処でしょう、即座に振り冠って真向に打ち下す処は後から追ってくる雷鳴でしょう。
 敵は雷鳴を聞く猶予も無く両断されているのです。この業を演ずる時あの恐ろしい山の雷を思い出している事も有ります。

英信流居合之事稲妻
「左足を引き敵の切て懸る拳を払ふて打込み後同前」

 向身というのは我の正面前に敵が居る事を意味します。古伝は全て我に対する敵の位置を示しています。向身は正面に敵・右身は我の右脇に敵・左身は我の左に敵・後身は我の後ろに敵を受けます。
 江戸時代末期までこの敵の位置関係を基に組み立てられていたものを、明治になってからでしょうか、道場の正面を我が向いた場合を前、道場の右を向いて敵が左脇に居るとしたのが右、左向きで敵が右に居るのが左、道場正面に我は後向きで敵は我の後ろに居るのを後と改変されてしまいました。
 敵の存在よりも、演武の位置取りが優先されてしまったのです。現代居合が敵を見失ってしまい、踊りと化した動作を優先してしまう原因の一つになったと思われます。

 道場の正面を向いて、どの業でも演じられる稽古を進める師匠にお目にかかって見たいものです。

 

 

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2016年10月20日 (木)

曽田本その1の1神傳流秘書を読み解く1抜刀心持引歌8詭道

曽田本その1
1.神傳流秘書を読み解く
1、抜刀心待引歌
8)詭道
居合も太刀打も敵と吾と立合といなや□(「是」 曽田メモ)道なくては勝事なし 然共上を打たんとして下を打つ様成る事にてなし まつ春く耳行間移行□道有り此処詞にのへ難し 数月数年の事修錬の功にて合点行へし能くよく日夜修行あるへき事なり 義公御歌 古歌二
 
 きおひくる敵二さりなく出あふな
           あひしらひしてしほをぬかせよ
 居合と申は第一に太刀抜かぬ以前二勝事大事也 歌二
 
 抜は切れ抜すバ切るな此刀
           たゝ切る事二大事こそあれ
 あまた尓て勝れざりしと聞しかど
           心明剱の太刀を楽しめ
 行違の右の抜事古人大事と言へり 工夫有へし 歌二
 夏日向冬日の影と歩むへし
           独り行二ハさわる人なし
 行違ふ敵の足二目を付希与
           手は自ら留るもの也
 組合の時太刀抜様の敵組付とはや我身二付て抜事と知れ 歌に
 身に付けて抜習有人ハたゞ
           組付かぬ間二切とこそ聞け
 居合とは刀一つに定まらす
           敵の仕懸を留る様有り
 敵太刀打かたき我二切て懸る二はやく抜合せむと春れハ必ず負事有
 能く工夫有へし  歌に
 居合をバ知ったふりしてつかるゝな
           居合の道を深く問ふへし
 身の曲尺の位を深く習ふへし
           留めねど留る事ぞふしぎや
読み解く
居合も太刀打も敵と我とが立合うや否や「是道このみち」でなければ勝つことはないであろう。
曽田先生は原本を判読出来ず「是道」としています。
木村栄寿先生は「危道」と此処を読まれています。恐らく細川家本は危道と読めたのでしょう。
「詭」ですと孫子の兵法に有る「計篇第一の兵者詭道也」による「兵は詭道なり故に能なるもこれに不能を示し、用なるもこれに不用を示し、近くともこれに遠きを示し、遠くともこれに近きを示し、利にしてこれを誘い、乱にしてこれを取り、実にしてこれに備え、強にしてこれを避け、怒にしてこれを撓し、卑にしてこれを驕らせ、佚にしてこれを労し、親にしてこれを離す、其の無備を攻め、其の不意に出ず、此れ兵家の勢、先には伝うべからず」と、とることが出来そうです。此処は「詭道」と解して読むべきでしょう。河野先生の無双直伝英信流居合兵法叢書では◯(是道か)道と曽田本にならっています。
 「危」は危ない、危ういと意味します。「奇」は珍しい、怪しい、です。
 「詭」はせめる、いつわる、たがうです。

 然れども、上を打つように見せて下を打つ様な事では無い。真直ぐに「行間移行」は間に入るや筋を替るのかもしれません。
 数か月、数年の修練によって合点出来るものである。よくよく日夜修行する事である。
 義公御歌 古歌に 
 義公とは誰の事か解りません。水戸光圀、黄門様かも知れません。義経なども想像できますが不勉強で判りません。

 気負い込んでかさに掛って来るような敵に、さりげなく相手にするのでは無く、あしらいながらここぞという時に抜かせてそこを打て、というのでしょう。  

居合と云うものは第一に太刀を抜かずに勝つ事が大事である 歌に

 抜かざるを得なければ、抜いて無心に切る事、抜かなくて良いならば切るな、然し切る事にのみ大事がある。

 次の歌では、多くの者からあれには勝つことが出来ないと聞こえている、然し心明釼の太刀があるではないか、それを楽しむ事である。心明釼は神妙剣でしょう。
 神妙剣は林安太夫政詡による居合兵法極意巻秘訣 印可部の最後にある教えで「我が身をうまうまと振るもうて奥義の柄口六寸をもって構えは如何にも有れ、敵と我と互に打ち下すかしらにて只我は一途に敵の柄に打込む也」の技法であり、「彼が気を先に知りてすぐに応ずるの道を神妙剣と名付けたる也」とあるように、気を見て兎角して相手に負けずに治める事なのです。


 行違う時の抜刀については古人は大事な事があるよ、工夫するべきものですと言って歌心を示されています。

 夏の太陽は真上から照らし影は短い、夏は陽に向って歩き、冬は影は長く伸びます影を踏む様に歩くのが良い、一人で歩く時には、障りないものである。

 行き違う時敵の足の動きに目をやると相手の次の動きが判るものです。手も留まります。其の機に我が手は自然と合わせるように応じる事、と読んでみましたがどうでしょう。

 組合とは、組打ちでしょう、組み合う時の太刀の抜き様は、敵は我が身に組付くや抜刀する心と知るべきである、歌に
 自分の身に引き付けておいて太刀を抜く癖のある者との組合は、組まずに切る事である。

 居合と云うのは、刀を抜いて切る事ばかりでは無く、敵の仕掛け様とする其の起こりを察して押さえてしまう方法もあるものだ。

 敵の太刀を打ち難い様な時、敵が我に切って懸るのを、負けじと速く抜き合せようとすれば必ず負けるものである。良く工夫すべきものである。歌に
 居合を知っている積りで「つかるゝな」が読みこなせません。「突かれる、付かれる、疲れる、漬かる、浸かる」、どれも該当しそうでそうでもないようです。
 居合を知ったふりしてそれに拘り過ぎるな、居合の道を深く修練せよ。
 師匠の真似事の形ばかりの居合では歌さえも読みこなせないのは情けないことです。

 先日ある先生の仰るには、「道場で合同体操の様にせっせと手拍子に合わせ抜くばかりで居合の真諦など掴める訳もない、相手の有り様もわからず、居合の座学も指導出来ない、そんな者を作り出してどうなる」。と嘆かれていました。反省しきりですが、そこまでです。

 攻防の間を知らずに抜き付けても意味は無いでしょう。まして動く敵の柄口六寸の極意などは、仮想敵も描けない空間刀法の稽古では、大方は独りよがりになってしまいます。
 下の句の「留めねど留る事ぞふしぎや」は身の曲尺が認識出来ていれば行くも止まるも自由自在だと言うのでしょう。

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2016年10月18日 (火)

曽田本その1の1神傳流秘書を読み解く1抜刀心持引歌7沈成躰

曽田本その1
1.神傳流秘書を読み解く
1、抜刀心持引歌
7)沈成躰
敵太刀打かたき切て掛るに沈成躰に勝有事の位にて教へし 工夫有へし
 古語に 寸の虫かゞむも身をのびん可為 歌に
 長からむさゝげの花は短くて
            短き栗の花の長さよ
(沈成躰→沈成体ナリ 敵ニ対し我体ヲ沈メ低クスルコト也・気を落チツケルコト也)
 工夫 有へし 古人も心は之内二有りとのたもふ也 ものとしたる(物賭したる)に勝負の位知る事なし 深く工夫有へし
 この沈成躰心よりよく敵の心見ゆるもの也
 兵法二曰 端末未見人莫能ク知ルコト と有り 歌に
 悟り得て心の花の開けなば
           たつねん先二色ぞ染むべき
 霜うづむ葎の下のきりぎりす
           有りかなきかのこえぞ聞ゆる

*
読み解く
 敵の打込む太刀に応じ難い時に沈成躰によって勝つ事が出来る位がある、工夫すべきである。古い教えに寸の虫でも身を屈めるのも身を伸びようとする為であるとある。
 是は、菜根譚の前集116にある「以屈為伸」を言っているのだろうと思います。
「巧を拙に蔵し、晦をもってしてしかも明にして、清を濁に遇し、屈を以て伸となす。真に世を渉るの一壺にして、身を蔵するの三屈なり」身を沈めるのは我が身を安全に保つ蔵し方とでも言うのでしょう。

歌に
 ささげの実は長いどじょういんげんの様であるが花は短く、コロッとした栗の実の花は長いことよ
 この歌は尺取り虫の身を屈める姿と合わせて見れば、長は短の元、短は長の元とでも読めばよいのでしょう。
 曽田先生の沈成躰に対する解釈は、敵に対し嵩に掛っていくのではなく、身を沈め、気を落ち着ける事だと仰っています。

その様な心で以って工夫するべきものである。相手が大きく出れば小さく、小さく出れば大きく、或は小さく小さくして大きく返していくなど陰合〆陽に相対して応じる位を知ることである。
 出たとこ勝負の様な賭け事では勝負の位を知ることは出来ない。

 この沈成躰の様に心を沈めて見れば相手の心も読み取ることは出来るものである。
 兵法に曰く、端末を見る事が出来ない人は、状況を能く知る事は無い。
歌に
悟りを得て心が開けて無心と成れば、尋ねるまでも無く相手の動かんとする機を感じられるものだ。心に開いた花の色は求めず共、おのずと見えて来るものだとしゃれています。

 霜に埋もれた葎の下のコオロギのか細い声も聞こえてくるように、心を澄ませばわかるものだ。

 沈成躰は身の掛を低くする事のみでは無く、心を静め無心にする事の教えでしょう。土佐の居合の根底に流れる武術哲学が開き始めてきます。

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2016年10月16日 (日)

曽田本その1の1神傳流秘書を読み解く1抜刀心持引歌6抜かずして勝

曽田本その1
1.神傳流秘書を読み解く
1、抜刀心持引歌
6)抜かずして勝
居合抜覚へるとはやく抜せす故に詰合の位能く執行有へし 只太刀を抜く計り思ふへから春抜春して勝の利あり 是事の位に教ゆへし
 人の我をとらへて抜さしと春る時必ず抜まし 我をとらゆる人を此方より取りたおすへし或ハ先二とられぬ位有るべし 敵の仕懸により春くにとゞまり勝事も有り 或は其気をさけて勝事も有りみな敵の仕懸に依るなり
 工夫有へし  歌に
 止ると思はゞ其所に止れ与 
           行と思はゞとくとくと行け
 あだとのみ人をつらしと何か思ふ
           心与我を憂きものと知れ
 右の心尓て工夫あるへし 然れ共剛力或ハ色々と理屈を云ふ人有らば皆我が敵と知れ 然れ共夫々に心を取られ迷ふ事勿れ  歌に
 無用なる手詰の論を春へから春
           無理な人二ハ勝って利はなし
読み解く
*
 居合抜を覚えると素早く抜くことばかりを、良しと思いこんでいる人が多いものです。早く抜かさずに詰合の位をよく稽古してその心持を覚えさせなさい。
 この詰合とは詰合之位よりむしろ大小詰・大小立詰をさしている様です。
 居合とは唯太刀を抜き付ける事だとばかり思うのではなく、刀を抜かずに勝つ事(業)の利を、稽古する中で教える様にするべきである。
 相手が我を捕えて抜かさない様にする時、必ず抜かない様に心掛ける事、我を捕える相手を此方から捕えて倒すのが良い。或は相手が捕りに来るのを捕られない様にする位もあるものだ。
 敵の仕懸けてくる事に、乗せられずにとどまり勝つことも有る。或は相手の誘いの気を避けて勝事も有る。それらは皆敵の仕懸けに依る物である。
工夫すべきである。 歌に

止まると思うならばそこに止まって、行かんと思うならば速やかに行け。
相手の仕掛に左右されるのは我が心に相手に乗せられる隙があるのだ。

その様な心にならない様に工夫するものではあるが、力ずくでいろいろ理屈を云う相手であれば、皆我が敵と思い知って、それぞれに心を取られて迷う事の無い様にするのである。

歌に

必要もないのに、激しく攻め立てて論ずべきでは無い、理に疎い人には譬え勝っても利するものは無いものだ。


土佐の居合は居合抜ばかりではなく、相対しての組太刀も太刀打之事・詰合・大小詰・大剣取・和など総合武術が習い易いように順番通りに整理されています。既に江戸末期から明治にかけて失伝してしまい、伝書も良く判らなかったのでしょう。同時に、総合武術は分解されてしまい、夫々専門の分野を作り上げて来ています。

 第17代大江正路先生はそれらを纏めて無双直伝英信流居合形を独創されたと言われますが、いかに習いやすくともそこまでに過ぎません。

 戦前に曽田虎彦先生はそれらを書き付けた伝書類を書写していました。
 知り得た人によって密かに稽古されていた様です。居合だけでは飽き足らない人によって復元されればよかったのですが、身近に他の武術があればそれを導入してしまい可笑しな理屈を以て事為れりとしてしまった所もある様です。従って今回の「抜かずして勝」の項目は読み解かれても「ちんぷんかんぷん」の居合剣士が殆どでしょう。

 刀を帯して仮想敵に向って抜き付けるばかりです。竹刀剣道などやって来られた人はせっかく刀を持つにも拘わらず、相対せば「当てっこ」の跳び込み面ばかりです。
 
 この神傳流秘書には、歌心から始まります。日本の誇る和歌さえ稽古の際、語れる師匠に出会ったことが有りません。
 仕組と云われた組太刀もいつの間にか演武会の皮切りの演舞となり、笛を合図の合同演習に化しています。居合をより対敵相手の武術とし、抜き付けでしくじっても応じられる形稽古も軽んじられています。まして刀を抜かない詰合いなど何処へやら行ってしまっています。「和」の位など居合では無いと・・・
 棒振りに甘んじて「坊!何時まで棒振りしとる」と90歳を過ぎた老母に諭されて頭を抱えて恥じ入るばかりです。
 武術は、「無刀」に至り、人の究極のコミュニケーションの手段を越え人と「和」す神妙剣に至るものとして生涯修行する価値があるものだろうと思います。
 
 

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2016年10月14日 (金)

曽田本その1の1神傳流秘書を読み解く1抜刀心持引歌5居合之極意

曽田本その1
1.神傳流秘書を読み解く
1、抜刀心持引歌
5)居合之極意
敵と出会ふ時かならす討勝と思ふへからず況や恐るゝ古となし間二不加豪末を雷電石火の如くちらりと我が心に勝時無二無三に打込事居合之極意也 
 然れ共只切込ていなし是二柄口六寸の習なり此習を以敵の場へふん込み討也
 偏二大海を渡る二陸(かけ)にて行けは命を失ふ故に舟に乗りて行也
 居合柄口六寸之の大事偏二彼の舟の心持としるへし 然れ共舟にてかなら春渡海春と思ふへからず 歌に
 
 乗り得ても心ゆる春な海士小舟
 
            浪間の風の吹かぬ日ぞなき
 
 右波間の風強く合点しては舟ものら春 古歌に
 
 有となしと堺を渡る海士小舟
 
            釘も楔も抜希果てにけり
 
此の心にてよく工夫有るへし 口伝
 
読み解く

 敵と出合っても、必ず勝つなどと思うべきでは無い。況や恐ろしいなどと思うことなく、少しの隙も作らず雷や火打石の飛ぶ火の様に、ちらりと我が心に勝を得る物があれば無二無三に打込むのが居合の極意である。
 然し只打ち込み往なせばいいという事では無く、是に柄口六寸の習いを以て敵の場へ踏込み討つのである。
 ひとえに大海を渡るに、陸から行けば命を失うので、舟に乗って行くようなものである。
 居合の柄口六寸の大事は、ひとえに彼の舟の心持ちを知らねばならない。そうではあるが、舟で必ず海を渡れると思うものでは無い。歌に 

 せっかく舟に乗ったとしても心を許してはならない、海士の乗る舟は、波間の風に翻弄されない日などは無い。

 この様に、浪間をふく風に合点して、舟に乗らずに行く 古歌に

 生死の境を渡る海士小舟は、浪間の風に吹かれて釘も、楔も抜け落ちる事も在る。

此のような心で工夫するものである。口伝


柄口六寸の極意で勝てると心に持てた時無二無三に打ち込めと云いながら、それでも簡単では無いぞ、障害が待ち受けている事も有るぞと諫めています。

 自分で考えて工夫せよと言いつつ、これには何か口伝があったかも知れません。土佐の居合の奥をこれから辿って行きます。其の中にこれぞという教えが有るかも知れません。今は只無二無三に柄口六寸に打込む稽古を続けてみます。

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2016年10月12日 (水)

曽田本その1の1神傳流秘書を読み解く1抜刀心持引歌4敵に従う

曽田本その1
1.神傳流秘書を読み解く
1、抜刀心持引歌
4)敵に従う
敵にしたがって可勝心持 春風を切ると云ふ 古歌
風吹は柳の糸のかたよりに
         なびくに付て廻る春かな
強身にて行當るおは下手と知れ
         まりに柳を上手とそいふ
*読み解く
敵の攻撃に従って勝べき心持を、春風を切ると云うのである。 古歌に
 
 敵に従って勝べき心持とは、少々異論もありますが、「春風を切る」と云う事では無学祖元の電光影裏斬春風(電光影裏春風を斬る)になぞらえたのでしょう、参考に。
 「鎌倉の無学祖元禅師が大康の乱に捕へられて斬らるゝ時、無学辞世に右の頌を作られたれば太刀を捨て拝したと也。
 無学の心は太刀をひらりと振り上げたるは電(いなびかり)の如くに電光のピカリとする間、何の心も何の念もないぞ、打つ太刀にも心はなし、我身にも我はなし、斬らるゝ我にも心はなし、斬る人も空、打たるゝ我も空なれば、打つ人も人にあらず、打太刀にもあらず、打たるゝ我も我にあらず、唯いなびかりのピカリとする内に、春の空吹く風を斬ったらば、太刀に覚えもあるまい、斯様に心を忘れきりて萬(*よろず)の事をするが上手の位なり。」(武術叢書)

 この無学祖元の電光影裏斬春風の句は次のとおりです。
乾坤無地卓狐節 乾坤狐節を卓するの地無く
喜得人空法亦空 喜得す人空法亦空
珍重大元三尺剣 珍重す大元三尺の剣
電光影裏斬春風 電光影裏春風を斬る

 風が吹くと、柳の細く柔かい枝が風下に吹き寄せられていく、その糸の様に靡く様子に春の巡り来るのを感じている。
 この歌は武道の歌で有名ですが、歌としても風になびく柳に春の巡り来った喜びを歌っていて思わず、肩の力が抜けて行く様です。相手の動きに従って応じているうちに、打つべき時が巡り来ると云うのでしょう。
 ・
 体中に力強さを漲らせて遮に無に当たって行くようでは下手と知るべきものです。柳の細い枝に鞠が当たっても、何心なく受け流して知らず気にある様な無心なものを上手と云うのである。
 この歌は、奥州の新庄藩に残された林崎新夢想流之の伝書(元禄14年1701年)「秘歌之大事」にも記載されています。
 田宮流居合歌之伝には「居合とはつよみよわみは定まらず 兎にも角にも敵によるべし」とも歌っています。
 
 剣術には、一方的に相手を斬る殺人刀、と、相手を働かせて、その働きにしたがって勝つ剣の活人剣がある。宮本武蔵と柳生兵庫の違いではないかと場の生命論の清水博先生は仰っています。
 
 力一杯、刃鳴りを響かせて、肩や腕の筋肉を強張らせ、如何にもとする居合を見て居ます。「元気で良い」とばかりに褒め、褒められています。外されれば忽ち敗れてしまいそうです。師匠も弟子もいつ「まりに柳」を悟のでしょう。
 かと言って、ゆるゆるしているばかりで、「ゆっくり・大きく・正確に」では初心者の演(武?)ではともかく、ものの役には立ちそうにありません。これもいつ悟るのでしょう。
風を歌った歌を幾つか
吹けば行く吹かねば行かぬ浮雲の
       風にまかする身こそやすけれ
(中川申一著 無外流居合道解説より)
吹く風も雪も霰も咲く花も
       勤むる業の工夫とはなる
柔らかく握れる人の太刀先は
       風に吹かるる青柳の糸
強きより弱気を己が力にて
       風にはおれぬ青柳の糸
乗得ては波にゆらるるあま小舟
       ただ浦々の風にまかせて
(阿部 鎮著 剣道の極意より)
 

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