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2010年1月29日 (金)

近代詩文書(読める書)

毎日書道展では「近代詩文書」といわれる書の分野があります。現代の詩や文を、それにふさわしい漢字や仮名の書体によって書かれた書を指します。

日展と読売書道展では調和体と呼んでいる書作品の分野です。

呼び名は変わっていても、現代の詩や文を、現代の文字で、書そのものと同時に読むことでも感動を味わう事が出来るものといったらよいのでしょうか。

文章のある部分にえらく感動を覚え、書作家はそれを書作品にしたい衝動にかき立てられそれにふさわしい書体で書く事が出来れば、素晴らしいことでしょう。

詩人や小説家、或いは自分自身などによる「感動的な言葉」ですから、それだけで十分感動を得られるものでしょう。それを書にして作家の意図を書家の書法を持ってトレースするわけです。

自分の言葉ならば、意図したものを自分の書法で文字にすることで、より高い、文言だけでは気がつかなかった感動を引き出す事もありうるでしょう。

他人の文言を書き表す事は難しいですね。何処にでも共通の活字で淡々とかかれた方が作家の意図は伝わりやすいはずです。

書家が書くことによって、文字が軽薄でありすぎたり重過ぎたりすれば、作家の意図とかけ離れてしまいます。よほどの書法の能力と、文言に対する洞察力がいるかもしれません。

展示会に出品される多くの書は、文字を書くことに専念して、詩文との調和にまで気心が回っていないのが現実です。ですから作家の詩や文章に調和させる事は、漢字と仮名の調和より遥かに難しいでしょう。

誰も読んでくれない漢詩、漢文。変体仮名が邪魔して読めない和歌や俳句の仮名書を、読めて喜ばれる書となるように目指さざるをえません。

古典のままでいい、と云う書家もいるでしょうが、古典の臨書まがいの書でいいのでしょうか。

やはり自分の言葉でない文の書には限界があるのかも知れません。ならば「前衛」「大字書」などなのでしょうか。

近年よく言われる、鉛筆を握り締めて書いた少女文字、丸文字などは字形の上では漢字仮名の調和はとてもよく出来ています。

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