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2010年1月29日 (金)

調和体(読める書)

つい100年ぐらい前まで、少し素養があれば、片仮名、平仮名はもとより、楷書、行書、草書で連綿の漢文交じりのお手紙を読める人がそこそこ居たのではないかと思います。

よほどの教養がないと読めっこないと思うのは、われわれ戦後の連中でしょう。其の証拠に草書で書かれた封書の宛名書きでも間違いなく配達されていた、と言ったら「連中はプロフェッショナルだ」と云う人もいました。

それにしても、当用漢字の楷書か楷書に近い行書と片仮名、平仮名だけで教育されてはどうしようもありません。

草書や変体仮名は古代史を飾る文字になってしまいます。千年も書き、読みしてきたものをここ60年足らずで捨てていくのは情けない事です。

書道会では、漢字は漢字の専門家、仮名は仮名の専門家といった意識があって双方の伝統の中で武道で嫌う居ついている間に、一般の教養の価値基準が、どんどん位置かわりしてしまい、置いて行かれてしまったわけです。其の上書道家は、お習字の先生であって字を書くことに全力を傾けてしまって自分の文章も、詩も生み出せない者がほとんどですから主体性に欠けてしまいます。

読める作品を発表していこうとする動きが芽生えて久しいのですが、どうも今一で書道への憧憬は読めなくても古典に注目されてしまいます。

日本を代表する書道展では毎日書道展は昭和29年に「近代詩文書」部門を設けています。昭和30年には日展が「調和体」部門を設置しています。大分遅れて平成7年に読売書道展が「調和体」部門を設置しました。これが漢字仮名交じりで読める書の分野です。

読める書、漢字仮名交じりの書、新書芸、近代詩文書、調和体などと呼び名もまちまちで今もって何がなにやらわかりません。

漢字や仮名を専門に習ってきたのでしたら其の風で現代に通じ読めて感動できるものならばいいのでは思うのですが。

平成8年に書の雑誌「墨」で調和体大研究を特集しています。村上三島先生のご存命中に読売書道展の調和体部門の内規に「漢字は楷書と行書しか用いてはいけない。連綿は二字以内でなくてはいけない。散らし書きはいけない。文字の大小を極端につけてはいけない。文字と文字の間を大きく離してはいけない。短い詩文が望ましい。・・・・

なぜか現代竹刀剣道が、組太刀の形や居合の形を連盟が制定してしまい流派の伝統が失念していく事が被ってきます。

朗々たる詩には、大きな書き出しや、散らしや、限りなき連綿もありかもしれません。

流派の掟が違っては、昇段試験や演武の判定が難しいという統一の理論は、武道や芸術に求める事は何なんでしょう。

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