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2011年11月 6日 (日)

極意の秘歌(3首目居合とは)

林崎新夢想流 秘歌之大事 三首目

「居合登ハ人尓幾ら連須人幾ら春 多ゝう希とめて堂ひら可尓かつ」

「居合とは人にきられず 人きらず たゝうけとめてたいらかにかつ」

* 「居合とは人に斬られず 人斬らず 只受けとめて平らかに勝」 

居合とは人に斬られることも無く、人を斬る事もない、只あるがままに受け止めて何も無かったようにして勝ものだ。

ただ受け止めて平らかに勝」の句を「己を責めて平らかの道」に替えて己の心の未熟を戒める歌もあります。

居合とは 人に斬られず 人切らず 己をせめて平らかの道

修業半ばの自己主張ばかり先に立って何もわからない頃には、己を責めるのもいいかも知れませんが、「只受け止めて平らかにかつ」そんな心境に至りたいものです。そんな大人になりたいものです。

しかし、極意に達してもいないのに、「理」が先になった似非者、そんな化け物は近くに居ればいやですね・・・・。

無外流の百足伝にも己の心を磨けとあります。

「心こそ敵と思いてすり磨け心の外に敵はあらじな」

居合の理念である「鞘の内」に通じていく心でしょう。

相手を圧する心意気を以て鞘離れの瞬時に相手を制する事、これ即ち居合の生命にして鞘の内と云う。(全居連)

刀を抜かずに勝つ、すなわち抜刀前に気力で敵を圧倒し、鞘放れの一刀で勝ちを制するのが居合の至極である。だから、居合は「鞘の内」に勝があるという(壇崎先生)

河野百錬宗家の無双直伝英信流居合道初心集の結語

居合の極意とするところは、常に鞘の中に勝を含み刀を抜かずして天地万物と和するところにあり

換言すれば武徳の修養であるが、形より心に入り業に依って心を養うとの古人の教えの如く、・・終生不退の錬磨に依り神武の位を得ることに務め、而して日夜それぞれ与えられた自己の天職に尽くす事は、即ち武徳を発揮する所以にして、実に居合の神髄と信ずるものである。

・・・・・・・・・・この新庄藩の林崎新夢想流の伝書は元禄14年(1701年)に相馬忠左衛門から田口彦八郎に伝授されたものによります。

林崎甚助源重信公資料研究会の「林崎明神と林崎甚助重信」の居合関係略年表によって祖師との履歴を確認しておきます。

天文11年1542年 林崎甚助重信誕生(伝・当社霊験記)

永禄3年1560年 桶狭間の戦い

永禄4年1561年 林崎甚助重信仇討(伝・霊験記)

永禄5年1562年 重信母死す、修業に出る(口碑・居合神社記)

永禄6年1563年 重信 米沢・会津滞在

永禄7年1566年 重信 天真正神道流の修業(東邦新聞史談)

此の頃、田宮平兵衛・長野業近に居合伝授?

天正元年1573年 一宮流祖生誕後門人となる

天正3年1575年 片山流祖生誕か?

文禄元年1592年 重信一宮(大宮)(武術太白伝)

慶長2年1597年 関口流祖門人となる(武芸流派大字典)

慶長3年1598年 重信一宮を去る(武術太白伝)

元和2年1616年 重信武州川越以後不明(武術太白伝)

元禄4年1691年~正徳元年1714年 津軽藩の林崎新夢想流 伝書

元禄7年1694年 三春藩の林崎流 伝書

元禄14年1701年 新庄藩の林崎新夢想流伝書 秘歌之大事

天明8年1788年 秋田藩の林崎流居合 秘歌巻

寛政3年1791年 新庄藩の林崎新夢想流 秘歌之大事

寛政12年1800年 新庄藩の林崎新夢想流 秘歌の大事

秘歌之大事が何時どのようにして成立したものか不明です。これより前の伝書が何処かに眠っているかもしれません。

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