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2011年11月

2011年11月30日 (水)

極意の秘歌(27首目引もまよ)

新庄藩の林崎新夢想流 秘歌之大事 二十七首目(最終)

「引もまよかゝ留も満とハ知奈可ら ぬかぬ尓き留ハ非か多也希里」

*此の歌の読みを天童郷土研究会長伊藤文治郎先生

「引もまよいかかるもまどい知ながら ぬかぬにきるは非かた也けり」

と読まれています。注意書きに「註 引もまよい いの字ぬけにしやう」とされています。「満とハ」の所は伊藤先生は「満とい」、「ハをい」と見ました。「は」の片仮名は「ハ」で前後関係や書き手の癖により判断します。古文書解読の微妙な所です。

私は書かれた儘に読みを入れてみました。

引もまよかかるもまとは知ながら ぬかぬにきるは非がたなりけり」

「引も間よ掛かるも間とは知ながら 抜かぬに切るは非がたなりけり」

伊藤先生は元禄14年の伝書のみで判読されたのでしょう。ご苦労をお察しします。

寛政3年1791年の新庄藩 林崎新夢想流の伝書では

「引も間よかゝ流も間とハ知奈可ら 怒かぬ尓き類は非方也介利」

「引も間よかかるも間とは知ながら ぬかぬにきるはひがたなりけり」

* 以後の伝書も読みは同じと見えますから、私の読みが伝えられたとして良いのでしょう。

「引くのも間、掛かるのも間が大事とは知りながら 相手が抜かないのに切ると云う法は無いでしょう」と云う意味でしょう。

柳生宗矩の兵法家伝書にある活人剣のことを思い浮かべました。そして居合は間がもっとも大切な要素であり、敵の仕掛けが発せられる寸前で敵が後戻りできないポイントをとらえ対応すると云う鞘の内の極意を詠んだと思います。

是も奥義の歌として直訳のような歌心でしょうか。此の林崎新夢想流の伝書の最後を飾る秘歌の大事です。

間と間合いはどのような事に於いても正しいと信ずる事を貫こうとするには大切な事だろうと思います。しかし相手も同様に信じた事を貫いて行こうとしている筈です。とことん話し合い解決すべきであって力で打ち勝つ事は本意では有りません。私はそのように解釈してみたいのです。

武道好きの者はともすると威圧する事によって、自己顕示しようとする傾向が有るやも知れません。それは暴力に過ぎません。

あるいは、段位とか経験年数などの年功序列と云う借り物による威圧です。是も権力をバックにした空威張りでしょう。

どれも、振りかざすほどに哀れです。

林崎新夢想流の根元之巻秘歌之大事は免許皆伝の先にある根元を示唆していました。

今回を以って新庄藩の林崎新夢想流の秘歌之大事を終了します。

古文書の解読には書き手の文字の癖が読みを誤らせます、原本とはかけ離れた5mm角程度の文字で用紙は江戸時代の密画に用いられる最高級の鳥の子和紙との事、刷り込まれた絵柄も細字の邪魔をしますから厄介でした。白黒写真の印刷からの限界です。ぜひ現物を拝見したいものです。

読みは古文書解析の専門ではないにもかかわらず、知りたい一心で取り組んでみました。

読めても意味が解らない、極意の伝書なのに何を言っているのだろうと何度も声に出して読んでみました。

結局いつもの「思いつくままに」で納めてみました。「思いつくことも出来ないもの」はそれはそれで、有識者の教えを待つばかりです。「今在る自分の精一杯の事」と思っています。

折に触れて読み直しながら手を入れてこれぞ極意としたいものです。

極意を知りえても秘しておいて、この時代に何の意味があるのでしょう。己が消えれば消えてしまいます。

公開されたとしても、それにふさわしい力量の者意外は知りえても無用の長物です。事理一致の修養が無ければ極意を得たい思いだけで終わってしまうでしょう。

流派の業技法を秘すなど動作は初歩に過ぎないものを何のために隠すのでしょう。この時代に意味などは全く無いものと信じています。まして極意の文書は、持つべき者以外は、唯の骨董品、あるいはレプリカにすぎません。

同様に業技法についても、業の意義、剣理、理合とか云われるものは、正しく習い、稽古し、その意義を達成する技法は、より無駄の無いものとし、心の発する事を全うするため日々進化するのが当然の事と思っています。もしその心が無ければそれは所作鍛錬に培われたとしても武道とは異なる伝統芸能の伝承ではないでしょうか。

無外流の百足伝にこんな和歌が伝わっています。

「我が流を教へしまゝに直にせば 所作鍛錬の人に勝つべし」

参考に、此の「極意之秘歌」は、平成3年に発行された「林崎明神と林崎甚助重信」編著林崎甚助重信公資料研究委員会 財団法人居合振武会発行の初版本をテキストにしています。

発行までに13年の資料収集、続いて7年の出版準備あわせて20年の歳月をかけて発行された貴重な図書です。

現在は発行事業を山形県村山市が引き継ぎ、平成18年に復刻版が発行されています。

在庫僅かとのことでした。

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2011年11月29日 (火)

極意の秘歌(26首目執心の)

新庄藩の林崎新夢想流 秘歌之大事 二十六首目

「執心能あらん人尓ハ傳婦遍し くらゐ残春奈大事奈累□(事)」

「執心のあらん人には伝ふべし くらい残すな大事なること」

* 此の歌も新庄藩の林崎新夢想流に200年伝承していますが、田宮流や下村派の伝書にも見当たりません。

直訳してみます。

「林崎新夢想流に深く思いを込められずに居る人に伝えるべき事である 種々の位を食らい残すなそれが大事だと」

居ますね、種々の武道をつまみ食いしている人。幾つ習おうとそれは自由ですが、どれも中途半端な食いつきでは何もしなかったのと変わらないのではないでしょうか。目指す事が何かわからずに興味本位でやっているのかもしれません。形稽古を主とする古武道を他所で稽古しているにもかかわらず、居合になると全く一人芝居で敵のいない処をせっせと切っていたりして・・・。健康体操と思えばそれはそれでよいのでしょう。

一つの事を精魂込めて突き進んでいくと、壁にぶち当たって身動きが取れなくなります。そんな時何かを始めますとヒントが目の前に現れ忽ち壁が開ける様に思えることがあります。同じ居合でも、無双直伝英信流ならば夢想心伝流とか田宮流とか他流がとても良い参考になります。よほど偏屈者でない限り誠意をもってお尋ねすれば他流と知りながらお教えいただき得られる事もあります。

此の歌の解釈は此の程度のことで良いのでしょうか。根元之巻を伝授される人への師からの秘歌とは思えません。

確かに自ら起こした流儀は最高のものです、正しく伝承し活かされるべきと信じるものです。根元之巻を伝授の際「お前も弟子を持ち、正しく伝えよ、つまみ食いする弟子にも迷いはあるよ此の事心して伝えなさい」とでも言いたいのでしょう。

そんな思いもあるでしょうが、「心を込めて流儀の位を残さず身につける事が大事だ」と秘歌之大事は歌っているのでしょう。

無外流の百足伝に幾つか

「とにかくに本を勤めよ末々はついに治るものと知るべし」

「我流を使はゞ常に心また物云う迄も修業ともなせ」

「朝夕に心にかけて稽古せよ日々に新たに徳を得るかな」

「我流を教へしまゝに直にせば所作鍛錬の人には勝つべし」

「目には見えて手には取られぬ水の中の月とやいはん流儀なるべし」

直心影流にこんな事が伝えられています

「急ダラリ、ダラリ急。早ク上手ニナルベシト急ギテ修業シタリトテ、スグニ上手ニナルモノニ非ズ。サレバトテ、気ヲ長ク、ナマケテ、ブラブラト稽古シテ、上達スル事ナシ。

急ガズ、ダラリト、心ヲ長ク、ユルユル、ダラリト気ヲモマズニ、怠ラズ、油断ナク、急ニスル気持ニテ修業セネバ、上達スル事ナシ。

不急不弛不怠不油断シテ、修業可致也。如此心得テ、心ガケ申スベキ也

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2011年11月28日 (月)

極意の秘歌(25首目切りむすぶ)

新庄藩の林崎新夢想流 秘歌之大事 二十五首目

「切む春婦太刀尓姿能可ハら春ハ 加多連ぬ迠もたのもしき哉」

「切りむすぶ太刀に姿のかわらずは かたれぬまでもたのもしきかな

* 現代風に漢字を当てはめて見ます。

「切り結ぶ太刀に姿のかわらずは 勝たれぬまでも頼もしきかな」

上の句の意味する事が解りません。

下の句は「勝たれぬ」を「語れぬ」にしても変でしょう。

類似の歌を田宮流、下村派などで探すのですがありません。

江戸時代の伝書はどれも其の儘です。

明治44年1911年の新庄藩の林崎新夢想流の伝書でも変化はなしでしょう。

「切り結ふ太刀の姿かへ徒ハ か多れぬまても頼母敷哉」

* 何処かに引き当てられるような歌が存在するかもしれません。

「切り結ぶ身に添ふ撃ちは敵(かたき)なり 付け入りてこそ味方とぞ知れ」

「身に添う撃ち」ですからへっぴり腰で、伸びの無い打ち込みはかたきだ、相手に付け入ってこそ勝ちを得る味方ぞ」

私は、こんな歌心を思い描きました。

勝たれぬまでも、習い覚えた流儀の太刀の執り様を崩さずに切り結ぶこそ頼もしき哉、と伝えたとしたらいかがでしょう。

どなたか、此の秘歌の心をお教えください。

解らぬままに極意の歌が飛び込んできました。

「打ち結ぶ太刀の下こそ産屋なれ 只切りかかれ先は極楽」

「切り結ぶ太刀の下こそ地獄なれ 踏み込み見れば跡は極楽」

「切り結ぶ太刀の下こそ地獄なれ 身をすててこそ浮ぶ瀬もあり」

「打ちあわす剣の下に迷いなく 身を捨ててこそ生きる道あれ」

「切らば斬れ刃にかかる物もなし 本来心にかたち無ければ」

「よしあしと思う心を打ち捨てて 何事も無き身となりて見よ」

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2011年11月27日 (日)

極意の秘歌(24首目至らぬに)

新庄藩の林崎新夢想流 秘歌之大事 二十四首目

「至らぬ仁ゆるしこのみを春る人ハ 為あひの恥遠我と加く也」

「至らぬにゆるしこのみをする人は 居合の恥を我とかく也」

田宮神剣は居合歌の秘伝

「至らぬゆるしこのみをするひとは その道ごとに恥をかくべし」

下村派の伝書には此の歌は見当たりません。

新庄藩の寛政12年1800年の伝書

「い堂らぬ尓免許このみを春る人ハ 居合の恥を我とかくらん」

* 至らぬに免許好みをする人は 居合の恥を我とかくらん」

同じく明治44年1911年の伝書

「初心尓てゆるしこのみを春る人は 居合の者知を我と可く也」

* 初心にてゆるし好みをする人は 居合の恥を我とかくなり」

新庄藩の林崎新夢想流 元禄14年1701年の此の歌はこんな時代にもあった事を匂わせています。元禄14年は松の廊下で浅野匠守が吉良上野之介に斬り付けて切腹させられた時代です。

まだ免許の力も無いのに、免許を欲しがる者がいたのでしょう、居合の恥は至らぬ自分に返ってくるぞと云う戒めの歌でしょう。

根元之巻を受ける者にも、此の歌は奥義の歌としてついて来たはずです。きっと金に任せて手に入れんとしたのでしょう。あるいは高禄の子弟などで役職に着くにあたって箔を望んだのでしょう。それでも師も弟子も職業柄意味はあったのでしょう。

現代では金で買うほどのものでもないのに、段位を望む者が大勢います。道場主は高段位の者を抱え、段位取得を勧めて道場としての面目を立てたいようです。

弟子は、実力以上の段位を得てそれが人として上位であるかの如く振舞っていたりします。

此の歌は、免許を欲しがる弟子を戒める歌ではなく、至らぬものに許しを与え恥をかかせてしまう師匠になる者への訓戒でしょう。

現代の段位も、段位相当以上の実力が有るとして受信させるべきで、昇段後に「段位に見合う実力たれ」と云うのは間違いでしょう。

師と仰がれる人は持てるものをすべて弟子に隔てなく授け励ます者です。

そして「待て」が言えなくては唯の技能者です。

「そんな事をしたら道場は空っぽになる」・・・所詮、現代では道場を開いても金になりうるかは疑問です。それだけに純真な澄んだ心を持ちたいものです。

人に教えられ人を教え、自らの生きる糧とできれば素晴らしい事です。

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2011年11月26日 (土)

極意の秘歌(23首目金鉢の)

新庄藩の林崎新夢想流 秘歌之大事 二十三首目

「金鉢乃両部能二川と見し尓希利 兵法あ連ハ居合者しまる」

「金鉢の両部の二つと見しにけり 兵法あれば居合はしまる」

* 此の歌もサッパリわかりません。

新庄藩の伝書寛政12年1800年

「金鉢の両部二つとみへ尓介り 兵法あ連ハ居合はじまる」

同じく明治44年1911年の伝書

「金鉢の両部の二つと見へ介利 兵法阿連は居合はしまる」

200年も少しの違いで其の儘の歌です。

此の歌は田宮真剣は居合歌の秘伝に類似の歌があります。

「金銀の両部正に見えにけり 兵法有れば居合はじまる」

「金胎の両部正に見えにけり 兵法有れば居合はじまる」

下村派の伝書にも見えます。

「金胎の両部と正に見へにけり 兵法あれは居合初まる」

* 金鉢ですから托鉢の鉢、仏教の両部とは金剛界と胎蔵界を言い表わしているのでしょう。あるいは神仏混淆の両部かもしれません。

新庄藩は出羽国にあったわけで、出羽三山に由来する山伏の修験場とも大きく関係していた地方です。当然密教の影響は有り得るでしょう。

ここでは「金剛界と胎蔵界の両部の二つと見しにけり」と解してみました。

堅固な者と慈悲の者が二人まみえるならば、兵法であれば居合が初まるであろう。

金胎両部も金剛界と胎蔵界の両部を表していますので同様と見てよいのでしょう。

極意の秘歌は其処から更に奥へ思いをめぐらせて此の秘歌をとらえなければ成らないでしょう。

どちらも引く事ない者同士が居合う時、まして自ら先んじて己の信念を貫かんとする時、如何にして居合の真諦は発揮され天地万物と和する事が適うのでしょう。

私の解釈が間違いなければ、根元之巻は流派の業を上手に演じるだけの武術者には不要のものです。

林崎新夢想流に残され、流派を超えて伝承された奥義の命題なのでしょう。

健康の為に、家内に背中を押されて始めた居合がここまで登って来いと手招いているように思えてきました。

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2011年11月25日 (金)

極意の秘歌(22首目面にむかふ)

新庄藩の林崎新夢想流 秘歌之大事 二十二首目

「□尓む加ふ七□たのみに帝 左右をハ何と婦せ加ん」

「面にむかふ長遠たのみにて 左右をば何とふせがん」

天童郷土士研究会長 伊藤文治郎先生の読みを拝借しました。先生は初めの「□を面」としました「七□」を「長遠」と読まれました。「長」は「ふ」から下りて来た連綿線が草書体の「長」と読んだのでしょう。次の□は遠とも追うの草書体でしょうが判読不能です。原本を観て判断出来るかわかりません。

* 原文もまして伊藤先生のものも、此の歌は全く意味が解りません。

伊藤先生の上の句の「面に向う長をたのみて」 での「面」、「長を」の部分は文字が不明としか言いようがありません。

「左右をば何とふせがん」の下の句はそのため解釈できません。

新庄藩の林崎新夢想流の伝書で寛政3年1791年、上記の伝書から90年後相馬中左衛門から数えて七人目の押切傳之進へ伝えられた秘歌之大事に此の歌があります。

「必尓む可ふ七川を堂の三丹て 左右をは何と婦せ可む」

* 「必にむかふ七川をたのみにて 左右をば何とふせがむ」

「必に向う七つを頼みにて 左右をば何と防がん」

上の句の初めが「必(かならず)」になっています、テキストとして使っている元禄14年1701年の伝書の書き出しも「必」を一筆書きした様に見えないこともありません。さすれば後二字の判読です。是も「七追」とも見えますから伊藤先生の「長遠」は「7つ」でしょう。

参考に変体かなでの「つ」は川・徒・都・津・追の変体の草書体です。

寛政3年の「七川」の部分は文字が正しければなんと解するのでしょう。

明治44年1911年新庄藩の林崎新夢想流の伝書に此の歌は伝承されています。既に210年の歳月を経た歌です。

「か奈ら徒にむ可ふ七つを頼支て ひ多り右をハ何とゆふらん」

* 「かならずにむかう七つを頼みきて 左右をば何とゆうらん」と読めます。

歌が繋がってきました。下の句が変わっていますが問題は「七つ」に絞られてきました。

「七つ」が判らなければ先へ進めません。

「必ずに向う七つを頼みにて 左右おば何と防がん」

無理やり解釈してみました。

「かならず、前に向って七つの業(幾つもの方法)で攻める事が肝心だ、しかし左右の防ぎ手にも気をくばれよ」

天明8年1788年の秋田藩の林崎流居合に向之次第として第一から第七の業名があります。この伝書の業次第は七つで括られています。是との関係かもしれませんが不明です。

今までの秘歌から私の解釈よりもっと奥に秘められた極意があるはずです。どなたかはきっと楽々と解釈できているのでしょう。しかし文字も読めず、意味も分からずでは、伝書を受けても何の意味もありません。秘してある意味すら感じることはできません。読めて解釈できても実行できるだけの自分であるかが極意なのでしょう。

200年もの歳月を歌い継いだのですから、絶対に解釈がなされていたはずです。キーワードは「向う七つ」と「左右の防ぎ」なのでしょう。

極意の歌は「秘歌」でした。

「七つ」について

キリスト教に七つの大罪があります。

傲慢・嫉妬・憤怒・怠惰・強欲・暴食・色欲

仏教には七つの布施があります。

眼施・和顔悦色施・言辞施・身施・心施・牀座施・房舎施

武士道には

義・勇・仁・礼・誠・名誉・忠義

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2011年11月24日 (木)

極意の秘歌(21首目世は広し)

新庄藩の林崎新夢想流 秘歌之大事 二十一首目

「世ハ広し折尓よ利てそ加王るらん □礼志流計よしと於もふ奈」

「世は広し折によりてぞ変わるらん われ知るばかりよしと思うな」

* 世の中は広いものだ折りに触れて変わるであろう 我の知っている事ばかりで良いと思うな。

田宮神剣は居合歌の秘伝では、前に出てきました「池の蛙」が類似の歌でしょう。

「世の中は我より外のことはなし 思わば池のかへるなりけり」

「世は広し我より事の外なしと 思ふは池の蛙(かわず)なりけり」

是は、下村派にも新庄藩の歌にも出てきました。

此の二十一首目は自惚れるなよと云うような戒めではなく、世の中は折りに触れ時により変わるのだから、今まで知り得ただけで善しとするものではないと云う「守・破・離」の「破・離」の「離」に至る奥義の教えを云えるのでしょう。

「折りによりてぞ変わるらん」と世の変遷、武器や戦闘方法も変わるものです。習い覚えた事で事足りるなどありえません。其処から始まるのは何時の世も、どのような事でも同じ事です。

新庄藩の林崎新夢想流はなかなか心の大きな者が林崎甚助重信の極意を身につけ伝承したのでしょう。

それにつけても、これら秘歌之大事を紐解きながら、現代居合の稽古が形に拘り、人としての積むべき事の幾つかを忘れている様な気がしてなりません。それは私だけの思いでしょうか。

業技法の発せられる時、たとえ仮想敵を認識したものであったとしても、人を理解できていなければ唯の棒振りに終ってしまいます。

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2011年11月23日 (水)

極意の秘歌(20首目見よや見よ)

新庄藩の林崎新夢想流 秘歌之大事 二十首目

「見よや見よ浮世を渡る浜千鳥 魚と水との加ヽ里火の可世」

「見よや見よ浮世を渡る浜千鳥 魚と水とのかがり火のかぜ」

明治44年の新庄藩の伝書

「見よや見ようき世を渡る浜千鳥 魚と水との可ヽ里火の心」

* 下の句の「心」の前後に汚れかもしれない点がありますが無視しました。

此の歌も極意を伝える歌でしょうが、判読は難しそうです。新庄藩の林崎新夢想流に伝わる歌で是も田宮流にも下村派にも見えません。

他流に伝わって幾つか文言が変わればなんとなく本の姿が見えるのですが、やむなしです。

上の句は、「浮世を渡る浜千鳥を見て御覧なさい」屈託も無く浜辺に遊ぶ浜千鳥。

下の句は「魚と水とのかがり火の風」あるいは「・・・かがり火の心」

泳ぐ魚や水に揺れ動くかがり火、其処に吹く風のような無心なものだ、と云うようなことでしょうか。

下の句の歌心が伝わって来ないようで今一です。

その昔は之に類する歌が流行歌のようにあって普通に理解できたのかと云いたい所ですが明治44年まで伝承されてはそうもいきません。

かがり火には光に釣られて集まる魚もいます。水に揺れる光が小魚を呼び寄せ千鳥もそれを目掛けて浜辺を渡りますそんな自らがかがり火となって敵を引付けて右往左往させる事を詠んだのでしょうか。

ご存知の方はお教えください。

解らぬままに幾つかの歌

「うつ人もうたるる人も諸共に 唯だかりそめの夢の戯れ」

「敵はただ心のままに動くとも 此の身真如の波静かなり」

「月影も晴るるも雲も行く水も 澄むも濁るも心なりけり」

「池水に月は夜な夜な通へども 心もとめず影も宿さず」

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2011年11月22日 (火)

極意の秘歌(19首目居合とはよわみ)

新庄藩の林崎新夢想流 秘歌之大事 十九首目

「居合とハよはみ計利て加つ物を 徒よみて勝ハ非加多也希利」

「居合とはよはみ計りてかつ物を つよみて勝は非がたなりけり」

* 「居合とは敵の弱みを推し量って勝ものだ 自分が強く出て勝ちを得ようとするのは道理に外れている」と直訳しました。

歌だけ詠んでいればそう間違いでもなさそうです。

居合と云うものは、自分の力だけを頼りにガンガン攻めるようでは奥義といえない、相手の不十分な所を瞬時に推し量って勝つもの。相手の技と心のありようを推し量って、勝ちを得るなどは、一人稽古の居合ではよほどの力量が無ければ稽古にもならないでしょう。

居合は人の為にするものではなく、たとえ見事に美しい動作であっても、それでは何の意味もないものでしょう。

場を想定し仮想敵の動きにより心までも想定する事です。そんなように私は此の歌を解釈してみました。

口伝などでお前の解釈は出鱈目と言われてもそれはそれです。もしどなたかの所に伝わっていればお教えください。

此の歌も、田宮流や下村派の古伝では見られませんが、新庄藩の林崎新夢想流には明治44年の伝書に見られます。

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2011年11月21日 (月)

極意の秘歌(18首目二人には)

新庄藩の林崎新夢想流 秘歌之大事十八首目

「二人尓ハ加多礼さ利介利忍刀尓て 剣尓恐礼て手ハ出さ利希里」

「二人にはかたれさりけり忍刀にて 剣に恐れて手は出さりけり」

「二人にはかたれきれけり忍刀にて 剣に恐れて手は出ざりけり」(伊藤先生読解)

* 是もサッパリ意味が解らない歌です。直訳すれば「二人には語ってあるが刀を忍ばせている 剣を恐れて手を出さない」でしょうか。

此の歌は秋田藩の林崎夢想流の伝書天明8年1788年にも「千金莫伝」の中に見られます。

明治44年の新庄藩の林崎新夢想流にも伝わっていますから、それなりに奥深い意味があるのでしょう。

「二人尓ハかた連さり介利忍刀 (リテ、にてか?) 剱尓恐れて手は出さ利介里」

田宮流にも下村派の古伝にも見えません。東北地方に残された秘歌なのでしょう。

上の句に深いわけがありそうです。

先ず何故「二人」に「かたれざりけり」なのでしょう。次の「忍刀」とは何でしょう。「忍」の文字ではないかもしれないなど空想がめぐります。やはり原本をみて文字の判読からやり直してみたり、伝書の全部を読み解いて、此の地方の林崎新夢想流を抜いて見なければわからないのでしょう。

歌とにらめっこして、こんな風に読み解いてみました。

「二人は充分話し合っても平行線で話しはつかない、ひたすら刀に手をかけず忍びこらえる その剣気に圧されてそれ以上手を出す事はない」

ご存知の方はお教えください。

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2011年11月20日 (日)

極意の秘歌(17首目ひしとつく)

新庄藩の林崎新夢想流 秘歌之大事 十七首目

「比しと徒くちやうと留は居合也 突可ぬ尓きるは我を害春る」

「ひしとつくちやうと留るは居合也 突かぬに切るは我を害する」

* なんだか訳の分からない歌です。直訳してみます。

厳しく突いて来るを丁と留めるのが居合である 突いても来ないのに切るのは己を害するばかりである。もう少し踏み込んでみます。

己を土壇にして、敵が打ち込んでくるのを瞬時に受け止め切り返すのが居合の本領である、切っても来ぬのに切り込んだのでは返って切られるぞ。

考えすぎかもしれませんが、奥義の歌はもっと奥深い事を指しているかもしれません。ふと根元之巻などに記されている業名や一部動作の絵などより、歌の方がよほどその道の奥義を照らしてくれているように思えてきました。

業の伝承だけでなく秘歌も正しく伝えてほしっかったと思います。

下村派の伝書には此の歌は見当たりません。

田宮神剣は居合歌の秘伝

「ひしとつくちょうと留まるを居合とす つかぬを切るは我を害する」」

「ひしとつく敵の切先はずすなよ 刀をたてに身をばよくべし」

* 妻木先生の田宮流居合歌の伝には此の二つの歌が6番目、7番めと並んでいます。違う事を云っているようにも、後の歌が前の歌の解説をしているようにも受け取れます。

「極意とは表の内にあるものを 心尽しに奥な尋ねそ」

意味合いは違いますが、歌の心も表をよく噛み締めて見るだけでよいのかも知れません。

此の、新庄藩の林崎新夢想流の秘歌は其の儘明治44年1911年の伝書にも引き継がれています。残念なのは此の伝書を授けた松坂次郎左衛門は時に74歳、受けた早坂理三は13歳であったといいます、早坂理三は大正15年に28歳でなくなっています。

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2011年11月19日 (土)

極意の秘歌(16首目人いかに)

新庄藩の林崎新夢想流 秘歌之大事 十六首目

「人い加尓腹を立徒々い可類とも 心尓刀拳者奈春那」 

「人いかに腹をたてつついかるとも 心に刀拳はなすな」

* 昨日の秘歌と類似の歌のようです。昨日は「居合とは心に勝が居合なり 人にさかうは非がたなりけり」でした。

今日の此の歌は、人がいかに腹を立て怒っていても、心に刀を静めて拳を放すなよ、と云う堪忍の心を歌っています。

「人いかに」は相手が我に怒るとも我が相手に怒るともでしょう。どちらも堪忍の心を以って放すな、と解釈するのがいいですね。

しかしもう少し奥がありそうに思えて仕方がありません。じっと耐えて我慢しているばかりでは解決できない事は一杯あります。

田宮神剣は居合歌の秘伝

「人さまに腹を立てつついかるとも こぶしを見つめ心志ずめる」

* 人に腹を立てて怒りが込み上げてきても 拳を見つめて心をしずめよ、と其の儘です。「短気は起こすなよ」と諭されているように此の歌は聞こえてきます。

下村派の伝書では

「いかに人腹を立てつついかるとも こふしを見込心ゆるすな」

「いかに人腹をたてつついかるとも こぶしを見詰心ゆるすな」

* 相手が腹を立てているのが下村派の古伝、田宮流は相手に己が腹を立てています。心を静めるのか心を許すななのか随分違うとらえ方です。

腹を立て怒りまくっては平常心は失われます、相手の怒りが爆発して我を忘れて打ちかかってくれば既に勝ったも同然です。心を静め期をじっと待つ事により居合の本領は発揮されるでしょう。相手も我に返って平常心を取り戻せれば互いに理解し合えることにもなります。何時如何なる場合にも対応できる身のこなしは平常心あってのことでしょう。

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2011年11月18日 (金)

極意の秘歌(15首目居合とは心に勝)

新庄藩の林崎新夢想流 秘歌之大事 十五首目

「居合とハ心尓勝可為安比奈利 人尓さ可不ハ非加堂也希利」

「居合とは心に勝がいあいなり 人にさかうはひがたなりけり」

* 居合とは己の心に勝つのが居合である 人と敵対するのは筋違いである。とでも直訳してみました。このままでは居合の本来の意味が何処かへ行ってしまいそうです。心に勝つ事は自分を徒に抑える事ではないでしょう。

「居合(いあう)」人と居合わせることは己の心を自由に遊ばせていても、居合わせた人と和する事が出来ること、是が居合と云うものだ。人と争う事は本来の事ではない。私はこのように解釈します。極意の上は是で行きたい。

とても簡単な事ではないでしょう。じっと耐えて己を殺し我慢する方が何ぼ楽か解りません。是では極意の下でしょう。

技を繰り出す一瞬は己の心の迷いがなせるものだ、心の迷いに勝つ事が居合の根元である、人の心の動きや動作に依ると思うようではならない。少し手前勝手ですが極意にも上中下はあるでしょう。

田宮神剣は居合歌の秘伝

「居合とは心に勝つが居合なり 人にさかふは非法なりけり」

無外流百足伝

「心こそ敵と思いてすり磨け心の外に敵はあらじな」

下村派古伝

「居合とは心に勝る居合なり 人にかゝらは非がたなりけり」

「居合とは心に勝か居合也 人に逆ふは非刀としれ」

この歌を、敵と対した場合に戻してみるとどのような動作であるのでしょう。

勝ちたいと思うハヤル心、切られるかもしれない恐怖にも無心となり、敵の切り込みを土壇となって受け流し勝ちを得る。後の先の極意を歌っているのかも知れません。

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2011年11月17日 (木)

極意の秘歌(14首目萍(うきくさ)をかきわけ)

新庄藩の林崎新夢想流 秘歌之大事十四首目

「萍を加幾王計見津わ底能月 古々尓あ里と波い可て志る世ん」

伊藤先生の読み

「萍をかきわけ見ずば底の月 ここにありとはいかでしるせん(しられん)」

* 「萍」は浮き草。明治44年1911年では

うき草おかき分ミ礼ハ底の月 □尓ありとはい可て志るへき」

* 浮き草を掻き分け見れば底の月 ここに有とはいかで知るべき

月はあれや是やと迷うわが心、掻き分けてみれば己の心の中にあった。

田宮神剣は居合歌の秘伝

「うき草はかきわけ見ればそこの月 ここにありとはいかでしられん」

下村派の古伝には不思議と見当たりません。

無外流の百足伝

「目には見えて手には取られぬ水の中の 月とやいはん流儀なるべし」

* 極意の歌でしょう、同じような歌は沢山あります。

「浮き草をはらひて見れば底の月 ここにありとはたれか知るらん」

「雲晴れて後の光と思ふなよ 本より空にありあけの月」

「月影も晴るるも雲も行く水も 澄むも濁るも心なりけり」

「池水によなよなかよふ月見れば 光もぬれず水跡もなし」

「よそにあるものと思ふぞ迷いなる 仏も鬼も心なりけれ」

私など極意に達したわけでもなく、いつも是だと云うものが掴めずに迷うばかりです。目は遥か高いものが見えても、如何様にして届くかも解らず、只稽古に明け暮れるばかりです。

場に臨めば「今在る自分しか何処にもいない」そう思ってぶつかるばかりです。何時か思う理想の姿になるのでしょうか。

その理想の姿も、日々移ろい昨日のものでもなさそうです。

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2011年11月16日 (水)

極意の秘歌(13首目ぬけばきる)

新庄藩の林崎新夢想流秘歌之大事十三首目

「ぬ希ハ支るぬ加年ハ支れよ此刀 堂□き留事□大事こそ阿連」

* 模様のある鳥の子和紙に書かれていますので小さな写真では判読が出来ません。

天童郷土研究会長の伊藤先生の判読にお任せします。

「ぬけばきるぬかねばきれよ此の刀 ただきる事は大事こそあれ」

* 抜けば斬る、此の刀を以って抜かねば斬ってしまえ 只無心に斬る事が大事なのだ。と云う事でしょうか。奥義の秘歌です。もう少し突っ込んで見たいと思います。

敵が抜こうと抜かざるとに関わらず斬ってしまえ此の刀を以って 只斬る事が大事な事だ。

もう少し、抜けば躊躇無く斬る、抜かずとも威を以って圧してしまえ ただ躊躇なく斬る事が大事である。ここまで解釈すると居合らしくなってきました。

田宮神剣は居合歌の秘伝

「抜かば切れ抜かずば切るなこの刀 たい切ることに大事こそあれ」

* 上の句は解るのですが下の句の「たい切ること」がさっぱり解りません。

「たい切る」

「たい」は怠(おこたる、なまける)、帯(切るに冠する語として「切ること・ただ切る事」)、他意(他意無く切る、只切る)、耐え(耐え切る)。

上の句の「抜かば切れ」は対敵が抜いたら躊躇無く切るものだ、あるいは抜かずばいられずに抜いた以上切ることと思いますが、「抜かずば切るなこの刀」は対敵が抜かなければ切るな、では西部劇です。

抜いたなら躊躇無く切れ、抜かぬなら切らずに思いをとげよ、只切る事に大事な思いがあろう。

下村派の伝書

「抜は切れ抜すば切るなこの刀 只切事に大事こそあれ」

*新庄藩の歌は「・・抜かねば切れよ」ですし田宮流や下村派では「・・抜かずば切るな」と反対の事を云っています。

言葉の変化があったとしても、この句はしっかり現代まで300年伝承しています。 しかしどのような状況であろうとも切らねばならぬ時は無心に「只切る事」が此の句のポイントでしょう。

武蔵の「万理一空」の如あらゆる人智を尽くし終え、空となって戦わねばならない「只切る事」と思います。そうでありたいものです。切るとは刀を持って切る事では無い・・

新庄藩の秘歌の此の歌は全く其の儘に寛政3年1791年に伝わり寛政12年1800年にも伝わっています。

そして明治44年1911年の伝書にもそのままに伝わっています。

「抜ハ切抜可年ハきれよ此刀 たゝき類事尓大事こそ阿連」

「抜かば切る抜かねば切れよ此の刀 ただ切る事に大事こそあれ」

新庄藩の秘歌之大事はよく明治末期まで200年の歳月にもかかわらず其の儘の歌で残ったものです。

さすが変体仮名は大幅に改められています。

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2011年11月15日 (火)

極意の秘歌(12首目下手こそは)

新庄藩の林崎新夢想流の秘歌之大事 十二首目

「下手こそハ上手能上乃可多利もの 加へ春加へ春もそ志利者志春奈」

「下手こそは上手の上のかたりもの かへすがえすもそしりはしすな」

* かたりもの 語もの(話しの種)・騙りもの(作りごと)、かえすがえす(返す返す、再三再四、幾度も繰り返し)、そしり(謗り、誹り・悪し様に云う、悪く云う・非難する、けなす)。

下手な者を謗って話しのタネにするなよ。といった意味に受け取れます。しかし此の訳が歌の心とは、まして、秘歌之大事とは思えません。

田宮神剣は居合歌の秘伝

「下手見ては上手の上のかざりなり 返すかえすもそしりはしすな」

下村派伝書

「下手こそわ上手の上の限りなれ 返すがえすもそしりばしすな

* すこし角度を変えて見ますとこんな程度になります。

上手とは外をそしらず自慢せず 身の及ばぬを恥づる人なり」

ここまでが、一般的なところでしょうか。是なら嫌われもせず、仲良く和していられるでしょう。

是でも、極意に至る秘歌之大事とも思えません。

阿部先生「剣道之極意」に幾つかその心を伝えると思う歌がありました。

此の道は上手ばかりが師ではなし 下手ありて又上手ともなる」

強い者とばかりけいこしたからとて上手に成るものではない。下手な者と稽古して師より教えられた技など、自由の利く下手な者に施し、試みて、鍛え、初めて本当に自分のわざとして身につけることが出来る。先輩・上位の人に対しては感謝する事を知っているが、下位の人に対し、後輩に対しての感謝などという事は殆ど忘れられているのは遺憾なことである。

いかがでしょう。ついでに。

それぞれに人の為す技ちがうなり よく見て習え人のなす技」

「よき技を教えられても皆癖の つたなきところを習う人かな」

* かって競技会で優勝するような人の技を習えと、自分の教えに従えと言っていた方がいました。姿勢は良いのですが棒振り剣法で張子の虎が首を振っている様にしか見えません。足は撞木足で爪先が床に押し付けられた摺り足でした。おまけに必要以上に長い刀で棒樋を深くしてビュービュー鳴らしています。据物切りのグループに属しているようで刃筋は良いのですが体捌きが単調です。

しかし人の目を引付ける、正座の姿勢がありました。座れば泰然自若とした座の姿は素晴らしいものです。

しかし其の姿勢の本となる考えが他を威圧する心持との事でした。

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2011年11月14日 (月)

極意の秘歌(11首目世の中は)

新庄藩の林崎新夢想流 秘歌之大事十一首目

「世能中尓我よ利外能物奈しと 於もふ池農蛙奈利介利」

「世の中に我より外のものなしと おもうも池の蛙なりけり」

* この歌は、諺に「井の中の蛙大海を知らず」でいろはカルタにも出てきます。

少し出来がよくなると、戒めの為に散々聞かされて来た方も多いと思います。出来が良くなかったから出来の良い子に向って揶揄していただけ、と云う方もおられるかもしれません。

天狗になるな世の中にはもっと凄いのがいるぞ、もっと励めとも、世の中に出て更に励めとも言われたものです。其の言葉の前に「お前はとても出来が良い、誉れであるだが・・」でありたいものです。

こんな事を言われて更に励むより、叩かれないように程ほどにやって、引っ込み思案で自己主張も出来ない臆病者を作る可能性も秘めていると言ったら僻事でしょうか。私はお山の大将が大好きです。そして一杯に陽を浴びて成長するのが一番です。

人は褒めて育てるものです、褒める事の苦手な人や、自惚れを嫌う人の言葉とも受け取れます。中には僻み根性の人も居て人を褒められない人もいます。

褒めて育てられ、世に出て完膚なきまで叩かれて、踏ん張った人にしか得られない栄誉もあるものです。

田宮流 田宮神剣は居合歌の秘伝24番目

「世の中は我より外のことはなし 思わは池のかへるなりけり」

「世はひろし我より事の外なしと 思ふは池の蛙なりけり」

無外流の百足伝

「麓なる一木の花を知り顔に 奥も未だ見ぬ三吉野の春」

* 少々雰囲気は違うようですが、此の歌はいいですね。もっと奥山に踏み入りたくなります。是は師匠に云われるより自ら悟り口ずさむ歌でしょう。

下村派の古伝

「世は広し我より外の事なしと 思わ池の蛙なりけり」

このような歌に刺激されてより上を目指す、あるいは天狗を戒められるのもよいでしょう。しかし世に出たならば「俺しか出来ない」と云うぐらいの気概は欲しいものです。大抵は上司や政治家に求めるばかりで批評家で終ってしまうのは残念です。

いつだったか、私の言動がよほど気に触ったのでしょう「お前は何様だ!」と大声でののしられた事があります。私は「俺さま」であって誰でもない・・「何様だ」と言った方は「何様」なのでしょう。・・・・

此の歌は奥義に達し根元之巻をいただき、それですべてと、浅はかにも思う事の無いように、更に励めと皆伝とともに渡されたものでしょう。

免許皆伝とは流派の掟をことごとく授かり守ったと云う事でしょう。守・破・離の破・離はこれからとも云うものでしょう。

そして、今の環境で一番といっても知れています。

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2011年11月13日 (日)

極意の秘歌(10首目せばみにて)

新庄藩の林崎新夢想流 秘歌之大事 九首目

「勢者み尓て勝尾登留遍幾長刀 みし□起刀利はう春き也」

「せばみにて勝をとるべき長刀 みじかき刀利はうすきなり」

*狭い所では長刀が勝ちを取り易い 短い刀は勝ち目は薄い。と云うのでしょうか。場による刀の長短何れに利があるかを論じているのでしょうか。素直に受け取るのもよいかもしれません。

現在の居合に此の心持は伝わっているようには思えません。

林崎甚助重信が林崎明神に於いて明神老翁により夢想の霊験をさづかった「三尺三寸の長剣において九寸五分に勝の妙ふしぎ」に由来する奥義の教えによるのでしょうか。

田宮流 田宮神剣は居合歌の秘伝には14番目に同種の歌があります。

「せはみにて勝ちをとるべき長刀 短き刀利はうすきかな」

下村派の伝書にも見えますからそのまま伝わっているのでしょう。

刀剣長短論によれば、「長短一味、又長短無別と称するものあれども正しく其の別を云い得る者なし」と・・。

宮本武蔵の五輪書地之巻「太刀はひろき所にてふり、脇差はせばき所にてふる事、先ず道の本意也、此の一流において、長きにても勝ち、短きにても勝つ故によって太刀の寸を定めず、何れにても勝つ事を得る心、一流の道也」と云っています。

歌の奥に何か隠されている奥義の心得があるかもしれません。

この辺の所は、とても面白いのでこんな秘歌があると云うことにとどめて置きます。いずれ追求してみましょう。

全く話しは違いますが

70過ぎの高段者がいます。170cm程度の体格ですが二尺六寸近い刀を真剣にも摸擬刀にも使用しているのです。抜きつけは鞘引きが不十分で抜き出してから引き斬り、抜打ちのような上に抜く場合は鞘引きが不十分になり抜き上げるために体が右に傾いてしまいます。長く重い刀を打ち下ろすと云うより刀の重さで振り下すようになって切先は冴えません。

本人は「手足が長いので長い刀が似合う」と云うのですが思い違いでしょう。

最近は体力の衰えも大きく「しているつもり」が「出来ていない」となっているようです。本人は自覚が乏しいようで見栄で1150gの重い長刀を持っているに過ぎません。

技術でカバーすると云う事も可能でしょうが、落ちる一方の体力にあわせた技の転換は難しそうです。年を取ると、縮こまった演武をされる方は多くなります。大きく鋭い居合を演じてもらいたいと思います。

一方160cm位の体で二尺二寸五分の長さで、750g程度の軽い摸擬刀を軽々と振り回すのですが、殆ど右手の作用だけで抜きつけ切り下ろしているようです。

こちらも楽をした分切先は冴えません。短く軽いので運剣が容易なため体作りもされず左手による右手への助けの必要はないのです。体力が無いと初心のうちに見切りをつけ短くて軽いものによって鋭く見せる、体に楽をさせることを優先にしたのでしょう。

何れも、武術ですから身に余るものも、身に足りないものも役立たずになるのではないでしょうか。

体に無理をさせるのも、楽をさせすぎるのも考え物です。稽古は徒に繰り返したり、何の疑問も持たず形のみに拘るものではないでしょう。理論的に行なうもので精神論や考え無しの繰り返しであってはならないでしょう。其の上古参の者の誤った教えや、悪癖をかっこいいと習っていたりして・・・。

「よき技を教へられても皆癖の つたなきところを習ふ人かな」

「案内する人をたよりにわけ入らば いかなる道かふみ迷ふべき」

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2011年11月12日 (土)

極意の秘歌(9首目後より)

新庄藩の林崎新夢想流「秘歌之大事」九首目

「後よ利たま春尓手こ曾奈可利介連 声能抜尓とや是をい婦らん」

「後よりだますに手こそなかりけれ 声の抜きとや是を云うらん」

* 此の歌も解るようで解らない歌です。

後から、だまし討ちに切ってくるのに向う手は無い 声に反応して抜きつけると云うのが是だ」と解したらどうなのでしょう。まさか我の方からだまし討ちの際は声を掛ける訳ではないでしょう。

下村派の古伝に同様の歌があります。

「後より切を忘るゝ事なかれ 声の抜とは是を謂なり」

「後より 伐(うつ・きる)をはつるゝ事はなし 声の響きを是と云ふ也」

* 解釈は、間違いではなさそうです。

無双直伝英信流には真後ろの敵の害意を察して抜き打つ業が大江宗家以降でしょうか消えてしまいました。過去には幾つも見られたはずです。此の歌の教えは敵の害意を察する覚えの一つでしょう。

声は対面していても、電話でも感情が伝わります。パソコンメールでも手紙でも人の感情は伝わるものですが声のような直接響きによるものとは違います。眼も感情を伝えてきます。

遠慮なく、云わなくともの事を思いつくままに言ったり書いたりしていますので、もうずたずたに切られているかもしれません。鈍いので痛さも感じないのでは化け物です。

それにしても、だまし打ち、不意打ちのたぐいで後から斬りつけるに当たり、声を掛けてきたのでしょうか。武士としての倫理があったのでしょうか。常には無い足音、殺気による鼓動、敵も勇気を奮っての気合なども其のたぐいでしょう。動きの発する波動でもあるのでしょう。

殺気を感じ無ければならない様な事はビジネス社会にも往々にしてあるものです。ボーっとしている月給泥棒には無関係な事です。

一刀流の始祖伊藤一刀斎の夢想剣の霊験もこの極意の歌の極めでしょう。

一刀斎は武人として絶世の天稟に恵まれた上に、多年に亘り渾身の勇を揮い生死を賭けて勝負の剣技に精進しひたすらに辛苦艱難を甞めて工夫鍛錬をこらし、遂に名実とも天下一の英名をかち得たが彼は少しも驕らず、なおも進で斯道の秘奥を限りなく追求し、心を千々に砕いた。

しかし彼は未だ妙奥に徹したという神諦の確信を握ることが出来ず、思案の余り神明に祈願を思い立ち、相模国鶴岡八幡宮に七日七夜の参籠をなした。日夜一心不乱に祈願をこめ、遂に満願の夜が軈(やがて)過ぎようとしても、更に霊験が与えられないので空しく神前を立去ろうとする刹那に背後にもののけの怪しい陰が襲うのを感じ、何の思案もなく無言のまま抜打ちに払い捨て、その影二つになったのを覚えると、多年自家執着の妄想忽ち雲散霧消して、心魂闊達明朗清浄の蘊奥に入るのを覚えた。

後日一刀斎はその門弟子に物語って、この無心でよく応じ流露自在でよく勝利を得、払い捨ててまた趾のない空曠安泰の境涯に達し得て、初めて夢想剣の極意を大悟し得たものであると教えた。(笹森順造先生の一刀流極意より)

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2011年11月11日 (金)

極意の秘歌(8首目居合とは押し詰め)

新庄藩の林崎新夢想流の「秘歌之大事」八首目

「居合とハ押詰比しと□春刀 刀ぬく連ハ や可天徒可流ヽ」

「居合とは押し詰めひしと出す刀 刀ぬくればやがてつかるゝ」(伊藤先生)

新庄藩の林崎新夢想流の寛政12年(1800年)の伝書では

「居合と盤おし詰ひしと□刀  かたなぬくれ盤や可て津可流ヽ」

「居合とはおし詰ひしと□刀 かたなぬくればやがてつかるゝ」

* この歌は、下村派の伝書にも田宮流の「居合歌の秘伝」にも類似の和歌が一番目にあります。

居合とは心を志ずめたる刀 刀ぬくればやがてつかるる」

「居合とは心を志ずめだす刀 ぬくればやがて勝ちをとるなり」

下村派の伝書の居合兵法之和歌にこんな歌があります。

「居合とは心を静指す刀 抜れはやかて勝をとる也」

田宮流の場合、おなじ心持を歌に詠んだとも言えるように見えそうですが、しかし前の歌は下の句の感じが後の歌と全く違います。

後の歌は刀を抜いてしまえばやがて勝つ事になるような雰囲気です。

前の歌は「刀抜くればやがてつかるゝ(疲るゝ)」ともとれます。前の歌は上の句で「居合と云うものは心をしずめたる刀法である」下の句で「刀を抜いてしまえばやがて疲れてしまう」と所謂居合と剣道の違いを諭しているように思うのです。

新庄藩の歌心を前の歌は引き継いだように思いますが、後の歌はよく意味が呑み込めません。

後の歌は、「居合と云うものは心をしずめて抜きつける刀法で、抜けばやがて勝ちをとる」と云った感じがして、上の句と下の句の意図する事が良く解りません。

新庄藩の此の歌は文字の判読不明な部分をそれなりに解釈して、「居合とは心を押さえ詰めてやむなくここぞとばかりに抜き放つ刀法」の事を意味し居合の「鞘の内の理念」そのものと思います。下の句は「つかるゝ」にどのような意味を持たせたかによりますが、簡単に抜いてチャンバラとなれば「やがて疲れてしまう」とあっさりとさせてみました。其の方が居合の理に適った「秘歌」になるように思います。

この時代の文学を研究された方が読み解いていただくか、伝承された解釈にお任せしませんと手に負えません。

業技法や形の良し悪しばかりが稽古になっていて、居合の根元など心得るべき事が既にすっぽ抜けて、歌を読みこなす能力も無いと云う時代になってしまっています。古参の高段位の方に食い入っても答えはナシです。

新庄藩の伝書の□は文字の判読が出来ずにいます。原本に触れて見たくなりました。現在は居合振武館の陳列ケースに展示されているそうです(林崎明神と林崎甚助重信より)。

 

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2011年11月10日 (木)

極意の秘歌(7首目つよみにて)

新庄藩の林崎新夢想流の伝書における秘歌之大事の七首目

「徒よみ尓て行あ多るをハ下手と云 鞠と柳を上手とそ以婦」

「つよみにて行きあたるおば下手と云う 鞠に柳を上手とぞ云う」

田宮流の中にも15番目にあります

つよみにて行きあたるこそ下手なれや まりに柳を上手とぞいふ」

下村派の居合兵法極意巻秘訣 居合兵法之和歌にも田宮平兵衛業政之歌としてあります。

「強みにて行当たるをは下手としれ 鞠に柳を上手としれ」

新庄藩の林崎新夢想流には此の歌は明治まで引き継がれています。

下村派の伝書には田宮平兵衛業政の歌として伝わっています。

早い時期に「秘歌之大事」は成立して伝承されたのでしょう。

* 意訳してみましょう、場間も弁えずガンガン力任せに打ち込んで行くのは下手という、鞠のように水に浮かべれば水の流れに従い、あるいは風に吹かれてなびく柳のような心をとどめず場に応じるのを上手と云うのだ。

これは何も居合だけの事とは云えない心得でしょう。かといって己を失っては意味の無い事です。鞠も柳もどのような状況下でも鞠であり柳であって然りでしょう。

未だ未熟ゆえ、ガンガン行ってしまい跳ね返され何ら目的を達しえません。

ここまでで七首の「秘歌之大事」を詠んで来ました。江戸時代前期より歌い継がれてきたのでしょうがこれらの歌の解説が見当たりません。

又「何故」の疑問が湧いてきました。

其の時代の常識で歌を詠めば直ぐに理解しえたのでしょうか。失われた業の稽古の中に歌心を悟る関連があったのでしょうか。口伝によるもので形のように眼に見えるものでも無いので師匠の教えはかなりまちまちでどれが歌の真諦なのか定番は難しかったろうと思います。

現代では、テキストを読む事が出来る人はテキストの後の隅にひっそりと集められているこれらの和歌は、国語力の低下からますます詠まれなくなっています。私もブッツケ本番でお題頂戴のように取り組んでいるのですが歌は難解です。

此の歌は、修業を積み重ね奥義に達した者の歌とも取れます。修行中のヘボがそんなものかと真似てみても何の効果も無いものでしょう。まして居合のような仮想敵相手のものでは力ない演舞がせいぜいです。

「あら磯のもくずか浪に打たれても 猶打ちかへすまけじだましい」

「己が身を勇気の槌で打ちくだけ これぞ誠の教へなりけり」

「いろいろに姿勢態度もきまらずに 打たん心は禁物としれ」

武道の歌は面白い・・・

無外流の百足伝より

「兵法は強きを能きと思いなば終には負けと成ると知るべし」

「兵法の強き内には強みなし強からずして負けぬものなり」

柳生新陰流の剣士でしょう、藤原敬信の「免兵法の記」に以下の事があります。

「和らみ、最初より専らと教え候事、宜しからず覚え候。強みを致し抜けざればまことの和らみは出来ぬものに候。強みを致し抜けざる和らみは、弱みの至極と知るべし。其の者の精一杯強みを致し尽くし候上にて、和らかなる仕形を教える由に候・・・」赤羽根龍夫著「江戸武士の身体操作柳生新陰流を学ぶ」

* 此の和歌を初心の剣士に手ほどきされる先生は多かろうと思います。是は根元之巻を頂戴するほどの修業至りての方への「秘歌之大事」であるはずで初心者へのものでは決して無いと思います、

しかしご高齢で体力も衰えた初心の方には、「和らみ」から徐々に眠っていた筋力を呼び起こさせるには良かろうと思えます。50や60代以下の方はガンガン攻めて強みの中から「和らみ」が滲み出るくらいで丁度いいのではないでしょうか。

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2011年11月 9日 (水)

極意の秘歌(6首目鍔はたゞ)

新庄藩の林崎新夢想流の秘歌之大事の六首目

「鍔ハ多々拳能楯と聞物を 婦とくもふとくな幾ハひ可こと」

「鍔はただこぶしの楯と聞くものを ふとくもふとくなきはひがごと」

此の歌は田宮流の秘伝にも十番目に伝わっています

つばはただこぶしの楯とするものを ふとくはふとくなきはひがごと」

*直訳します。 鍔の役割はただ拳の楯とする物なので 太い方がいい鍔が無いのでは僻事(不都合なもの・心得ちがい)である。

さて突然、鍔と云う刀装具の役割を極意の秘歌に持ち出すとも思えません。鍔の使い方は流派に依っても種々あることでここで、鍔の操作技法が秘歌となるとは思えません。

鍔を何かに譬えて伝えているのしょうか。しかも太ければ太いほど役に立ち、鍔が無いのでは道理に合わないとしています。

極意に至れば刀などの戦闘道具は用はないとも云われます。

兵法の極意に心いたりなば 刀道具はおよばざるもの」

ここでは、鍔の如く楯となる心積りをして居なければならない、心積もりが大きければ大きいほどいいのであって、無ければ道理に合わないとでもこじつける事も出来るかもしれません。しかしそれも心の楯ではスッキリしません。幾つかの歌から感じる物と異なり「おや」と思う次第です。

田宮流の十一番目に

「ふっと出る刀をおもいさとるべし 夢想の刀鍔は構はし」

将に極意の一刀について「ふっと出る・・」「夢想の刀」と何となく修業の暁にはそんなものかと解るような気もするところですが、「鍔は構わし」でここに再び「鍔」が登場します。

前の歌とも関連しそうな気もして「前の歌が鍔を意識しろよ、と言いつつ後の歌では鍔を構うな」と二つの矛盾した歌を詠まされました。

鍔はやはり弛まぬ修練により心技体一致してこそ得られる夢想の鍔なのでしょう。

この「秘歌之大事」の冒頭の一首「八千品木草薬と聞きしかど どの病にとしらで詮なし」をふと思い出しました。

どなたか、此の歌の意味はこう伝えられたと云われる方はお教えください。

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2011年11月 8日 (火)

極意の秘歌(5首目寒事に)

新庄藩の林崎新夢想流の秘歌之大事は元禄14年(1701)年に相馬忠左衛門政住から門人の田口彦八郎に伝授したものです。

相馬忠左衛門は津軽藩に残された林崎新夢想流の伝書(元禄4年1691年以降1714年)に記載されている常井喜兵衛と同門の駒木根平次右衛門の門人と「林崎明神と林崎甚助重信」で研究会の方は述べられています。さすれば新庄藩と津軽藩とには林崎新夢想流は深い関係があったかもしれません。

新庄藩 林崎新夢想流 秘歌之大事 5首目

「寒事尓て霜を聞遍幾心こそ 敵尓於ふて能勝盤とる遍き」

「寒事にて霜を聞くべき心こそ 敵におふての勝はとるべき」

* 直訳すれば、寒い朝に霜が結ぶを聞くほどの澄んだ心があれば 敵に出会っても勝ちを得られるであろう。

武術肝要集に「我れ已発を以って敵の未発を抑ふ。是れ業を言わず、気の位いを言うなり」とあります。

霜が降りて真っ白になってから霜を知ったのではならないと云う事でしょう。寒さの度合いで霜が降りる事を察知する位の感性を持つことを云うのでしょう。

敵の未だ発せざるに、すでに発している事を已発というのでしょう。

宮本武蔵の兵法三十五箇条の二十三番目「枕の押へと云う事」

枕のおさへとは、敵太刀打出さんとする気ざしをうけて、うたんとおもふ、うの字のかしらを、空よりおさゆる也。おさへよう、こころにてもおさへ、身にてもおさへ、太刀にてもおさゆる物也。此気ざしを知れば、敵を打に吉、はづすに吉、先を懸るによし。いづれも出会う心在り。鍛錬肝要也。」

此の歌は田宮流の田宮神剣は居合歌の秘伝にも25番目にあります

「寒き夜に霜を聞くべき心こそ 敵にあひても勝ちはとるべし」

敵の起こりは動作の前に、心に現れる

古歌二首

「打ち寄する浪の受け太刀満潮に さし心得て飛ぶ千鳥かな」

* 千鳥の波打ち際で、餌を啄ばみ潮の満ちるのを察して飛び立つ様は、懐かしい海辺で遊んだ風景です。

「未発より已発にうつる中宿 終ひのすみかとおもふべきかな

* 「中宿」此の一瞬はよほどの修業によるのかもしれません。居合のような一人での「左手を鯉口に、右手を柄に・・・」順番を数えながら対敵を想定する事もない稽古ではどうにもなりません。

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2011年11月 7日 (月)

極意の秘歌(4首目本の我)

林崎新夢想流 秘歌之大事四首目

「本と能我尓勝可居合農大事也 人尓逆婦ハひ可多なり介里」

「本の我に勝つが居合の大事也 人に逆うはひがたなりけり」

* もとのわれに勝つが居合の大事な極意である 人に敵対するのは僻みからの本当の事ではない。「本のわれ」といっていますから「本心の我」でしょう。「われ」は複数「我の中に存在」するその「本のわれ」に勝・・・う~ん。

逆う(さかう、したがわない、さからう、そむく、はむかう、敵対する)、ひがた(僻む、道理にもとる)

田宮流居合歌の伝 田宮神剣は居合歌の秘伝 4番目

「居合とは 心に勝つが居合なり 人にさかふは 非法なりけり」

* 解り易いですね、居合とは、自分の心に勝が居合である、人にはむかうのは人の道に外れることだ。

類歌に「居合とは 己の心に勝つばかり 人の非を見て人にさかふな」

沢庵の不動智神妙録の最後に「歌に」として古歌を載せています。

「心こそ心迷はす心なれ 心に心心許すな」

* 居合の至極は常に鞘の中に勝ちを含み、刀を抜かずして天地万物と和する所にありとされます。極意は業技法のもっとずっと奥の深いものと思います。しかし人は目先の地位や序列にあるいは貧富によって地位を持ったと錯覚し、安心し、惑わされるものです。

先日、修業に寄った剣士の技に聊か剣理を忘れた動作が目立ちました。指導されていた方にもそのような癖があります。「あれでは斬られます、如何様に指導を受けていたのでしょう」と要らぬお節介を致しました。

いかに見事に演舞をしても居合は武道です、みすみす斬られる技を習い持ち帰らせるのもいかがなものでしょう。指導されていた方は私より古参の高段者でした。

「不愉快だ!」と大騒ぎです。プライドを疵つけられて怒りまくっています。

さて、見て見ぬ振りをして舌を出しているのが良かったのでしょうか。私の言葉に、配慮が欠けていたのでしょう。

無外流の百足伝に「性を張る人と見るなら前方に 物争いをせぬが剣術」

更なる修業の幕開けとなりました。

古伝 居合兵法之和歌に

「居合いとは心に勝が居合也 人に迷ふは非太刀とこそしれ」

「無用なる手詰の論をすべからず 無理の人には勝って利はなし」

「世は広し我より外の事なしと 思わ池の蛙なりけり」

無外流の百足伝

「吹けば行く吹かねば行かぬ浮雲の 風にまかする身こそやすけれ」・・いかに・・

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2011年11月 6日 (日)

極意の秘歌(3首目居合とは)

林崎新夢想流 秘歌之大事 三首目

「居合登ハ人尓幾ら連須人幾ら春 多ゝう希とめて堂ひら可尓かつ」

「居合とは人にきられず 人きらず たゝうけとめてたいらかにかつ」

* 「居合とは人に斬られず 人斬らず 只受けとめて平らかに勝」 

居合とは人に斬られることも無く、人を斬る事もない、只あるがままに受け止めて何も無かったようにして勝ものだ。

ただ受け止めて平らかに勝」の句を「己を責めて平らかの道」に替えて己の心の未熟を戒める歌もあります。

居合とは 人に斬られず 人切らず 己をせめて平らかの道

修業半ばの自己主張ばかり先に立って何もわからない頃には、己を責めるのもいいかも知れませんが、「只受け止めて平らかにかつ」そんな心境に至りたいものです。そんな大人になりたいものです。

しかし、極意に達してもいないのに、「理」が先になった似非者、そんな化け物は近くに居ればいやですね・・・・。

無外流の百足伝にも己の心を磨けとあります。

「心こそ敵と思いてすり磨け心の外に敵はあらじな」

居合の理念である「鞘の内」に通じていく心でしょう。

相手を圧する心意気を以て鞘離れの瞬時に相手を制する事、これ即ち居合の生命にして鞘の内と云う。(全居連)

刀を抜かずに勝つ、すなわち抜刀前に気力で敵を圧倒し、鞘放れの一刀で勝ちを制するのが居合の至極である。だから、居合は「鞘の内」に勝があるという(壇崎先生)

河野百錬宗家の無双直伝英信流居合道初心集の結語

居合の極意とするところは、常に鞘の中に勝を含み刀を抜かずして天地万物と和するところにあり

換言すれば武徳の修養であるが、形より心に入り業に依って心を養うとの古人の教えの如く、・・終生不退の錬磨に依り神武の位を得ることに務め、而して日夜それぞれ与えられた自己の天職に尽くす事は、即ち武徳を発揮する所以にして、実に居合の神髄と信ずるものである。

・・・・・・・・・・この新庄藩の林崎新夢想流の伝書は元禄14年(1701年)に相馬忠左衛門から田口彦八郎に伝授されたものによります。

林崎甚助源重信公資料研究会の「林崎明神と林崎甚助重信」の居合関係略年表によって祖師との履歴を確認しておきます。

天文11年1542年 林崎甚助重信誕生(伝・当社霊験記)

永禄3年1560年 桶狭間の戦い

永禄4年1561年 林崎甚助重信仇討(伝・霊験記)

永禄5年1562年 重信母死す、修業に出る(口碑・居合神社記)

永禄6年1563年 重信 米沢・会津滞在

永禄7年1566年 重信 天真正神道流の修業(東邦新聞史談)

此の頃、田宮平兵衛・長野業近に居合伝授?

天正元年1573年 一宮流祖生誕後門人となる

天正3年1575年 片山流祖生誕か?

文禄元年1592年 重信一宮(大宮)(武術太白伝)

慶長2年1597年 関口流祖門人となる(武芸流派大字典)

慶長3年1598年 重信一宮を去る(武術太白伝)

元和2年1616年 重信武州川越以後不明(武術太白伝)

元禄4年1691年~正徳元年1714年 津軽藩の林崎新夢想流 伝書

元禄7年1694年 三春藩の林崎流 伝書

元禄14年1701年 新庄藩の林崎新夢想流伝書 秘歌之大事

天明8年1788年 秋田藩の林崎流居合 秘歌巻

寛政3年1791年 新庄藩の林崎新夢想流 秘歌之大事

寛政12年1800年 新庄藩の林崎新夢想流 秘歌の大事

秘歌之大事が何時どのようにして成立したものか不明です。これより前の伝書が何処かに眠っているかもしれません。

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2011年11月 5日 (土)

極意の秘歌(2首目早くなく)

新庄藩に残る林崎新夢想流の秘歌之大事2首目

早く奈く於そ具ハあら志 重く奈く可る幾事をハあし幾とそ云」

「早くなくおそくはあらじ 重くなくかるき事をばあしきとぞいう」

* 「早くなく遅くはあらじ 重くなく軽き事をば悪しきとぞ云う」

訳してみます「早すぎず、そうかと云って遅くはなく、重くなく 軽い事は悪いと云う」

難しい事を要求されています。

此の歌ですが、田宮流の妻木先生の「田宮流居合 歌の伝」では八首目にあります

早くなく おそくはあらし かるくなし をそきことをぞ あしきとぞいふ

* 訳してみます「早すぎず、そうかと云って遅くはなく、軽くも無い 遅い事は悪いと云う」

下村派の古伝田宮平兵衛業政之歌として「居合兵法極意巻秘訣 居合兵法之和歌」

「早くなく 重くあらしな 軽く無く 遅き事をや 悪しきとそ云」

* 訳してみます「早すぎず、重くは無い、軽くも無く 遅い事は悪いと云う」

どうやら夫々同じ事を伝えています。

宮本武蔵も五輪書風之巻でも次のように述べています

「他流において、つよみの太刀という事、太刀につよき太刀、よわき太刀という事はあるべからず。つよき心にてふる太刀は、あらき物也・・

他の兵法に、はやきを用いる事 兵法のはやきという所 実に道にあらず。はやきという事は、物毎に拍子の間にあわざるによって、はやきおそきという心也。その道上手になりては、はやく見えざる物なり。・・はやきはこけるといいて、間にあわず、勿論遅きも悪しし。是も上手のする事は緩々と見えて、間のぬけざる所也」

河野百錬宗家は無双直伝英信流嘆異録の中で「生気の無い居合の事」を述べています

「居合に限らず如何なる業も其の極致はすべて丸味が無ければならぬ事は勿論だが、居合の成り立ちが敵に対する刀法である限り、敵の心魂に貫通する無限の迫力のある事が第一条件で、しかも其の業に丸味があり、侵すべからざる気の位を備えた生き活きと躍動するもので無ければ真の居合とは申しがたい。見る人をして「気のぬけた居合」と感じさせる様な居合は、元来平素修練の乏しい人の居合にしばしば見受ける処で・・・」

「居合の本義は抜討の一瞬にあり。而してその修養の眼目は正・速・強・威なり。・・・威とは正・速・強を身に得て百錬の暁き、流儀の体を自得し、迅速、緩急、強弱を悟り、残心を会得し、而して格調高き無限の品位と風格のある境地に到達する事。」

無外流の百足伝の中にも幾つか同様の歌が見えます。

兵法の先は早きと心得て勝をあせって危うかりけり」

「兵法はつよきを能きと思いなば終に負けと成ると知るべし」

「兵法の強き内には強味なし強からずして負けぬものなり」

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2011年11月 4日 (金)

極意の秘歌(1首目千八品)

武道には古来、印可と共に極意の歌が伝えられています。

それは門弟に時に応じて師から歌の心と共に指導されたのでしょう。業の掛かりの心持など歌に託して伝えるなど古の指導者は強いばかりでなく人としてもよき師であったのでしょう。

枝葉の動作や、フィニッシュばかりを指導する事で、門人を心無い演舞者にして満足していては武道指導者の資格は無い者と言えるでしょう。

長谷川英信流にも業歌があり、前回の英信流業歌のカテゴリーで勉強してみました。居合は対敵を仮想敵とし空間刀法によるものですから独り善がりになり易いものです。業歌が詠まれ伝承された意図も認識されて然るべきと思います。

下村派の古伝「神伝流極秘 居合兵法之和歌」として天保10年(1839年)島村易秀が坪内長順先生から伝えられたとして「三十二首右田宮平兵衛業政之歌」があります。

同じく下村派の「居合兵法極意巻秘訣」に「居合兵法之和歌 以上三十二首 右田宮平兵衛業政之歌」

居合歌之屑(文字の検索?)」には三十四箇條之歌屑(?)として元祖長谷川英信内蔵之助所伝伝授之也此段依調望與之者也として貞享元年(1684年)、此偏者兵法之深義祥盡吾門之外可秘耳

貞享元年に元祖の長谷川英信内蔵之助が伝える所の伝授は之で、之は調べるように望まれてものだとしています。この偏者は兵法の深い意義を詳らかにつくした者で、門外には聞かせてはならない。

寛政四年(1792年)に書写され天保七年(1836年)に夷則綺節書(夷則は7月、綺節は?」に島村秀易が書き写したとされます。

ここでは、新庄藩に残された「林崎新夢想流」の元禄十四年(1701年)の伝書である「秘歌之大事 二十七首」を中心に詠んでみたいと思います。

この伝書は「林崎明神と林崎甚助重信」林崎甚助源重信公資料研究委員会の編になるもので、昭和58年に発見された相馬忠左衛門政住から田口彦八郎に伝授されたものによります。

細字で変体仮名ですから判読は厄介です、天童郷土研究会長伊藤文治郎氏の解読を合わせて詠み解いてみます。

先に出した下村派の古伝田宮流の妻木正麟先生の「詳解田宮流居合」や阿部先生の歌伝剣道の極意」、中川申一先生の「無外流居合兵道解説」etc、 思いつくままに参考とさせていただきます。

林崎新夢想流 秘歌之大事

千八品木草薬と起支し可と と乃病尓と志らて詮奈し

千八品木草薬と聞きしかど どの病にと知らで詮なし」

(せんやしなぼくそうやくとききしかど どのやまいにとしらでせんなし)

* 千もの(八品)沢山の木や草の薬と聞いてはいるが どの病に効くのか知らないのでは詮方なしである

此の歌は妻木先生の田宮流の「田宮流居合 歌之伝」にも18番目に有ります。

「千八品草木薬を聞きしかど そのあてがひを 知らでせんなし」

林崎新夢想流のトップを飾るにふさわしい歌でしょう。

幾つもの業を習ったとて、実戦ではどのような場面に有効なものか解らなければ為すすべは無い。

何か、現代の受験勉強を思い出しました。先の震災による原発事故の対応を如何にすべきか対応不能の机上の学者を思い出してしまいました。

稽古もろくにせずに、滞留時期が過ぎたので昇段してきた高段者が居合を論ずるようなものです。

これから道場に駆けつけます。

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