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2011年11月13日 (日)

極意の秘歌(10首目せばみにて)

新庄藩の林崎新夢想流 秘歌之大事 九首目

「勢者み尓て勝尾登留遍幾長刀 みし□起刀利はう春き也」

「せばみにて勝をとるべき長刀 みじかき刀利はうすきなり」

*狭い所では長刀が勝ちを取り易い 短い刀は勝ち目は薄い。と云うのでしょうか。場による刀の長短何れに利があるかを論じているのでしょうか。素直に受け取るのもよいかもしれません。

現在の居合に此の心持は伝わっているようには思えません。

林崎甚助重信が林崎明神に於いて明神老翁により夢想の霊験をさづかった「三尺三寸の長剣において九寸五分に勝の妙ふしぎ」に由来する奥義の教えによるのでしょうか。

田宮流 田宮神剣は居合歌の秘伝には14番目に同種の歌があります。

「せはみにて勝ちをとるべき長刀 短き刀利はうすきかな」

下村派の伝書にも見えますからそのまま伝わっているのでしょう。

刀剣長短論によれば、「長短一味、又長短無別と称するものあれども正しく其の別を云い得る者なし」と・・。

宮本武蔵の五輪書地之巻「太刀はひろき所にてふり、脇差はせばき所にてふる事、先ず道の本意也、此の一流において、長きにても勝ち、短きにても勝つ故によって太刀の寸を定めず、何れにても勝つ事を得る心、一流の道也」と云っています。

歌の奥に何か隠されている奥義の心得があるかもしれません。

この辺の所は、とても面白いのでこんな秘歌があると云うことにとどめて置きます。いずれ追求してみましょう。

全く話しは違いますが

70過ぎの高段者がいます。170cm程度の体格ですが二尺六寸近い刀を真剣にも摸擬刀にも使用しているのです。抜きつけは鞘引きが不十分で抜き出してから引き斬り、抜打ちのような上に抜く場合は鞘引きが不十分になり抜き上げるために体が右に傾いてしまいます。長く重い刀を打ち下ろすと云うより刀の重さで振り下すようになって切先は冴えません。

本人は「手足が長いので長い刀が似合う」と云うのですが思い違いでしょう。

最近は体力の衰えも大きく「しているつもり」が「出来ていない」となっているようです。本人は自覚が乏しいようで見栄で1150gの重い長刀を持っているに過ぎません。

技術でカバーすると云う事も可能でしょうが、落ちる一方の体力にあわせた技の転換は難しそうです。年を取ると、縮こまった演武をされる方は多くなります。大きく鋭い居合を演じてもらいたいと思います。

一方160cm位の体で二尺二寸五分の長さで、750g程度の軽い摸擬刀を軽々と振り回すのですが、殆ど右手の作用だけで抜きつけ切り下ろしているようです。

こちらも楽をした分切先は冴えません。短く軽いので運剣が容易なため体作りもされず左手による右手への助けの必要はないのです。体力が無いと初心のうちに見切りをつけ短くて軽いものによって鋭く見せる、体に楽をさせることを優先にしたのでしょう。

何れも、武術ですから身に余るものも、身に足りないものも役立たずになるのではないでしょうか。

体に無理をさせるのも、楽をさせすぎるのも考え物です。稽古は徒に繰り返したり、何の疑問も持たず形のみに拘るものではないでしょう。理論的に行なうもので精神論や考え無しの繰り返しであってはならないでしょう。其の上古参の者の誤った教えや、悪癖をかっこいいと習っていたりして・・・。

「よき技を教へられても皆癖の つたなきところを習ふ人かな」

「案内する人をたよりにわけ入らば いかなる道かふみ迷ふべき」

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