« 極意の秘歌(24首目至らぬに) | トップページ | 極意の秘歌(26首目執心の) »

2011年11月28日 (月)

極意の秘歌(25首目切りむすぶ)

新庄藩の林崎新夢想流 秘歌之大事 二十五首目

「切む春婦太刀尓姿能可ハら春ハ 加多連ぬ迠もたのもしき哉」

「切りむすぶ太刀に姿のかわらずは かたれぬまでもたのもしきかな

* 現代風に漢字を当てはめて見ます。

「切り結ぶ太刀に姿のかわらずは 勝たれぬまでも頼もしきかな」

上の句の意味する事が解りません。

下の句は「勝たれぬ」を「語れぬ」にしても変でしょう。

類似の歌を田宮流、下村派などで探すのですがありません。

江戸時代の伝書はどれも其の儘です。

明治44年1911年の新庄藩の林崎新夢想流の伝書でも変化はなしでしょう。

「切り結ふ太刀の姿かへ徒ハ か多れぬまても頼母敷哉」

* 何処かに引き当てられるような歌が存在するかもしれません。

「切り結ぶ身に添ふ撃ちは敵(かたき)なり 付け入りてこそ味方とぞ知れ」

「身に添う撃ち」ですからへっぴり腰で、伸びの無い打ち込みはかたきだ、相手に付け入ってこそ勝ちを得る味方ぞ」

私は、こんな歌心を思い描きました。

勝たれぬまでも、習い覚えた流儀の太刀の執り様を崩さずに切り結ぶこそ頼もしき哉、と伝えたとしたらいかがでしょう。

どなたか、此の秘歌の心をお教えください。

解らぬままに極意の歌が飛び込んできました。

「打ち結ぶ太刀の下こそ産屋なれ 只切りかかれ先は極楽」

「切り結ぶ太刀の下こそ地獄なれ 踏み込み見れば跡は極楽」

「切り結ぶ太刀の下こそ地獄なれ 身をすててこそ浮ぶ瀬もあり」

「打ちあわす剣の下に迷いなく 身を捨ててこそ生きる道あれ」

「切らば斬れ刃にかかる物もなし 本来心にかたち無ければ」

「よしあしと思う心を打ち捨てて 何事も無き身となりて見よ」

|

« 極意の秘歌(24首目至らぬに) | トップページ | 極意の秘歌(26首目執心の) »

秘歌之大事」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 極意の秘歌(24首目至らぬに) | トップページ | 極意の秘歌(26首目執心の) »