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2011年11月10日 (木)

極意の秘歌(7首目つよみにて)

新庄藩の林崎新夢想流の伝書における秘歌之大事の七首目

「徒よみ尓て行あ多るをハ下手と云 鞠と柳を上手とそ以婦」

「つよみにて行きあたるおば下手と云う 鞠に柳を上手とぞ云う」

田宮流の中にも15番目にあります

つよみにて行きあたるこそ下手なれや まりに柳を上手とぞいふ」

下村派の居合兵法極意巻秘訣 居合兵法之和歌にも田宮平兵衛業政之歌としてあります。

「強みにて行当たるをは下手としれ 鞠に柳を上手としれ」

新庄藩の林崎新夢想流には此の歌は明治まで引き継がれています。

下村派の伝書には田宮平兵衛業政の歌として伝わっています。

早い時期に「秘歌之大事」は成立して伝承されたのでしょう。

* 意訳してみましょう、場間も弁えずガンガン力任せに打ち込んで行くのは下手という、鞠のように水に浮かべれば水の流れに従い、あるいは風に吹かれてなびく柳のような心をとどめず場に応じるのを上手と云うのだ。

これは何も居合だけの事とは云えない心得でしょう。かといって己を失っては意味の無い事です。鞠も柳もどのような状況下でも鞠であり柳であって然りでしょう。

未だ未熟ゆえ、ガンガン行ってしまい跳ね返され何ら目的を達しえません。

ここまでで七首の「秘歌之大事」を詠んで来ました。江戸時代前期より歌い継がれてきたのでしょうがこれらの歌の解説が見当たりません。

又「何故」の疑問が湧いてきました。

其の時代の常識で歌を詠めば直ぐに理解しえたのでしょうか。失われた業の稽古の中に歌心を悟る関連があったのでしょうか。口伝によるもので形のように眼に見えるものでも無いので師匠の教えはかなりまちまちでどれが歌の真諦なのか定番は難しかったろうと思います。

現代では、テキストを読む事が出来る人はテキストの後の隅にひっそりと集められているこれらの和歌は、国語力の低下からますます詠まれなくなっています。私もブッツケ本番でお題頂戴のように取り組んでいるのですが歌は難解です。

此の歌は、修業を積み重ね奥義に達した者の歌とも取れます。修行中のヘボがそんなものかと真似てみても何の効果も無いものでしょう。まして居合のような仮想敵相手のものでは力ない演舞がせいぜいです。

「あら磯のもくずか浪に打たれても 猶打ちかへすまけじだましい」

「己が身を勇気の槌で打ちくだけ これぞ誠の教へなりけり」

「いろいろに姿勢態度もきまらずに 打たん心は禁物としれ」

武道の歌は面白い・・・

無外流の百足伝より

「兵法は強きを能きと思いなば終には負けと成ると知るべし」

「兵法の強き内には強みなし強からずして負けぬものなり」

柳生新陰流の剣士でしょう、藤原敬信の「免兵法の記」に以下の事があります。

「和らみ、最初より専らと教え候事、宜しからず覚え候。強みを致し抜けざればまことの和らみは出来ぬものに候。強みを致し抜けざる和らみは、弱みの至極と知るべし。其の者の精一杯強みを致し尽くし候上にて、和らかなる仕形を教える由に候・・・」赤羽根龍夫著「江戸武士の身体操作柳生新陰流を学ぶ」

* 此の和歌を初心の剣士に手ほどきされる先生は多かろうと思います。是は根元之巻を頂戴するほどの修業至りての方への「秘歌之大事」であるはずで初心者へのものでは決して無いと思います、

しかしご高齢で体力も衰えた初心の方には、「和らみ」から徐々に眠っていた筋力を呼び起こさせるには良かろうと思えます。50や60代以下の方はガンガン攻めて強みの中から「和らみ」が滲み出るくらいで丁度いいのではないでしょうか。

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