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2011年11月17日 (木)

極意の秘歌(14首目萍(うきくさ)をかきわけ)

新庄藩の林崎新夢想流 秘歌之大事十四首目

「萍を加幾王計見津わ底能月 古々尓あ里と波い可て志る世ん」

伊藤先生の読み

「萍をかきわけ見ずば底の月 ここにありとはいかでしるせん(しられん)」

* 「萍」は浮き草。明治44年1911年では

うき草おかき分ミ礼ハ底の月 □尓ありとはい可て志るへき」

* 浮き草を掻き分け見れば底の月 ここに有とはいかで知るべき

月はあれや是やと迷うわが心、掻き分けてみれば己の心の中にあった。

田宮神剣は居合歌の秘伝

「うき草はかきわけ見ればそこの月 ここにありとはいかでしられん」

下村派の古伝には不思議と見当たりません。

無外流の百足伝

「目には見えて手には取られぬ水の中の 月とやいはん流儀なるべし」

* 極意の歌でしょう、同じような歌は沢山あります。

「浮き草をはらひて見れば底の月 ここにありとはたれか知るらん」

「雲晴れて後の光と思ふなよ 本より空にありあけの月」

「月影も晴るるも雲も行く水も 澄むも濁るも心なりけり」

「池水によなよなかよふ月見れば 光もぬれず水跡もなし」

「よそにあるものと思ふぞ迷いなる 仏も鬼も心なりけれ」

私など極意に達したわけでもなく、いつも是だと云うものが掴めずに迷うばかりです。目は遥か高いものが見えても、如何様にして届くかも解らず、只稽古に明け暮れるばかりです。

場に臨めば「今在る自分しか何処にもいない」そう思ってぶつかるばかりです。何時か思う理想の姿になるのでしょうか。

その理想の姿も、日々移ろい昨日のものでもなさそうです。

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