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2011年12月 6日 (火)

極意の秘歌(残歌7首目居合とは)

田宮流歌伝口訣より

「居合とは我身の勝を元として 扨てその後に人に勝つなり」

我身の勝とは手前の気体のヒヅミを正しくすることなり。其我身に勝つ趣は、気の位が調ふ時は我身勝つなり。手前の気体調ひて虚隙無き時は、敵より撃つべき非はなき也。そこで敵に勝たるゝ也。これ孫子に「先勝而後求戦」と云へる語意也。

無外流の百足伝に同様の歌が見えます。

「前後左右心の技直ならば 敵のゆがみは天然と見ゆ」

* 「我が身の気体の歪を正しくする」戦う前に充分に腕を磨き心を練っておけば、敵の歪んだ気体は自ずから見えるという教えでしょう。己の歪みにも気付かずに歪んだまま稽古し続ければどんどん歪みは大きくなって、相手が「心の技直ぐ」なのに己の歪みで歪んで見えたりします。

2m先のカップを30cmも外す歪みは、アンジュレーションや芝めの読み誤りでは決してありません。

窪田清音の剣法規則後伝口伝に「天性筋骨順逆の形」と云うのがあります。

「剣法の第一は形なり。形体ただしく整はざれば動作自由なること能はず。人各天性筋骨の順あれば其の順に随ふべし。然るに衆人気よりして形に病を生じ天性の如く正直なる事能はずして偏斜の癖を生じ腰肩正座せず手足の動作意の如くならず四肢の均衡を失ひ各所に癖を生ずるが故に心を用ひて形態を正しくし横斜せしめざるべし、凡そ百事善にかえり難く悪になれ易ければ常に反省して天性の形を失うことなかるべし」

窪田清音は江戸末期の田宮流の使い手でした。

口伝に云う形は天性に随い其の心静ならざれば変に応じがたし

「心静ならざれば」は「己の足らざるは自ら知らるゝものなれば、其の足らざるを知る心より強敵を恐れず、弱敵を侮らず、唯一死を決すれば勝たざる事なし」という事から心を静ならしめるわけです。

まず、其の日の稽古の目的が何であるかを知りそのことを正すために稽古しなければ、音楽に合わせたラジオ体操に過ぎないのでしょう。

そのためには、真っ黒に塗りつぶして心が居ついてしまった己の心を見詰めなおす事でしょう。そうでなければすべて己が可ですから稽古の目的は見えるわけは無いでしょう。手持ち無沙汰が初心者相手の教え魔となり、似非師匠となる原因と思います。

徒にビュービュー刃鳴りをさせていても意味の無い事です。

尾張柳生の柳生兵庫助利厳によって尾張大納言義利に進上した公案に「始終不捨書」があります。その中の「十問十答之事の一番目」

初心者に初めより巧者の如く能く直す事悪し。先ず成り次第に十禁十好之習を癖にさせ手足を動かし、心のかたまる所を見付け直すべし。

初心者に、といっていますが、尾張大納言にもいつも自分をチェックするようにと言っているはずです。

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