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2011年12月 7日 (水)

極意の秘歌(残歌8首目極意とは)

田宮流歌伝口訣より

「極意とは表の内にあるものを 心尽しに奥な尋ねそ」

居合の究極は何所に有るかと尋ね見れば矢張り表の内の一本に有ることぞ。あれをなぜに極意と云うぞなれば、あの手数は唯三角に抜て納める迄なれども気体にヒズミなく三角の力子に抜放したる中に発して敵を両断となすの鋭機を含みて寂然不動たる所は生まれの儘の本体である。是天然の体を教ゆる所にて気体に豪髪も虚隙なき所より贏理(えいり・かちみ)は備わる。此所を始終修業の基として成就の場も是に外ならず他の手数もあれより発する。極意の萬事抜く所はどこで抜くも一理なるわけにて皆この一本より発するの意にて萬事抜と名付くともいう。

* 「表の内の一本」とは田宮流の表之巻一本を指しています。稲妻に極意はあると云うのでしょう。他の手数も是より発する、従って萬事抜と云うわけです。

無双直伝英信流に於いても正座の部の前、あるいは立膝の部の横雲でしょうか。もっとも単純でもっとも難しい業です。

奥義についての歌では無外流の百足伝より

「兵法の奥義は睫の如くにて 余り近くて迷いこそすれ」

極意の歌の幾つか

「習とて何を秘すべき物は無し 心の外に大事なければ}

「数々の業は多しといふとても もと一体のものと知るべし」

「兵法は懸・待・表裏三つなれど つづめて見ればただひとつなり」

「奥深く山を尋ねて入る程に 至り至りて里に出でけり」

「なかなかに人里近くなりにけり 余りに山の奥を尋ねて」

「目の前のまつげの秘事をしらずして とやかくせんとあんじこそすれ」

* 流派によっては奥居合は極意業のように言って、なかなか教えようとしない師もおられるようです。初伝と云われる業を充分稽古した上で習えと言われます。そんな事を言っている間に師匠は膝を痛めて座れなくなり、見せて教える事が出来なくなります。古参の者もろくろく指導を受けていませんし、いつの間にか雲の上の業の如く扱い幻になります。

極意の業は初伝の初めの数本が気剣体一致になれば十分なことで、他の業は応用問題に過ぎません。そのように極意の歌は詠じています。

習いたいと思った時に習うか、独習して師に「是でよいか」と問えばいい事です。形だけならば直ぐ出来るようになるはずです。その際の師の言葉の持つ意味を充分噛み締めて見る事でしょう。師である人は弟子に心からの言葉を掛けえたのか、其の弟子の師である事を忘れ、おざなりの言葉だったか心に手をあててみる事でしょう。

大会や昇段審査では、ルールにのっとり業の選択をすればよいことで、5段までは奥はダメならそれを演武しないだけの事でしょう。稽古は幾らやってもいい事です。ルールに制約が無ければ自信を持ってガンガンやればよい事です。ヘボなら注意に飛んできてくれるありがたい方も居られます。ありがたく受けられる剣士であれば良いことです。

武蔵の五輪書を読み直しています。

他流に奥表と云う事(五輪書風の巻)

兵法之ことに於いて、何れを表と言い、何れを奥といわん。芸により、ことにふれて、極意・秘伝などと云いて、奥口あれども、敵と打ち合う時の理に於いては、表にて戦い、奥を以って切るという事にあらず。我兵法の教えようは、初めて道を学ぶ人には、その業のなりよき所をさせ習わせ、合点の早くゆく理を先に教え、心の及び難き事をば、其の人の心をほどくる所を見分けて、次第次第に深き所の理を後に教えるなり。されども、大方は其の事に対したる事などを、覚えさするによって、奥口と云う所なき事也。・・何事の道に於いても、奥の出合う所もあり、口を出してよき事もあり。何をか隠し、何をか顕さん。・・」

武蔵はおおらかです。褒め上手だったかもしれません。

前日の書き込みにダブりますが指導者の心得は尾張柳生の始終不捨書にもあります。

初心者に初めより巧者の如く能く直す事悪し。先ず成り次第に十禁十好之習を癖にさせ手足を動かし、心のかたまる所を見付け直すべし。

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