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2012年5月

2012年5月31日 (木)

無双直伝英信流居合術1

無双直伝英信流居合術

大阪居合八重垣会 剣道錬士 河野 稔

*このスクラップは曽田本その2に貼り付けられたもので、出典は判りません。河野先生の昭和8年発行の「無双直伝英信流居合術全」に該当するようですが多少異なります。この冊子の元になったもので大阪八重垣会の稽古の資料だったかもしれないと想像してます。
ご存知の方はお教えください。

八重垣会は昭和2年8月、大阪武徳会剣道主席教師志賀 矩先生の提唱によって無双直伝英信流居合の正統第十八代穂岐山波雄先生を大阪武徳会支部に招聘し教えを仰ぐ事となった。
意想外に入門者が増え昭和6年8月に同好の居合人の会団創立の機運に至り、志賀先生を始め河野先生等数名で発起人会を開催した。
会長を志賀先生、世話役を河野先生、中村貞次郎先生の名付けによって「居合術八重垣会」と決定した。爾来昭和19年まで毎年夏一週間の講習会を施行し、居合の段位制度を設け、会の何より允可したものだった。・・・以後大日本居合道八重垣会に改称・・・八重垣会の思い出 河野百錬 居合新聞昭和41年抜粋

恐らく此のスクラップは昭和6年頃のものでしょう。居合は剣道の一分派になりという河野先生の言葉に曽田先生は烈しく反論されています。

居合は剣道の一分派なり。
(分派にあらず 曽田メモ)古来より居合の勝負は鞘の内にありと称せられし如く、彼の剣道が刀を拭(抜 曽田メモ)きて後敵を制するに対し、居合は寧ろ抜刀の以前に於て、気を以て敵を制し、然る後刀を下すものなり。
居合は攻撃精神の充実せる而も極めて静かなる気分を養い、更に技術的には真剣の用法を教ふるものなり。
居合は静を以て本則とす。
心は本来静かなるものなり。
始め事無き時は寂然不動天万物一体にして、事あるや其迅き事電撃も只ならず、是至静極まるが故なり。
静中動あり、動中静ありと云い、更に心の体を以て是を動静一貫と云う。孫子曰く、静かなる事林の如く、迅き事風の如しと。
故に居合の術は心静に体胖(*ゆたか)にして天理自然に従い業を行うを以て正理となすものなり。
居合は勝負の理に拘りて勝負を離れ、己に克ちて己を正し業に依りて心気を治むるの心法なり。
故に形を正し武夫の武き心を心とし、毫も怠慢する事なく誠を以て学習する時は神明に至らん事必然なり。

大江正路先生の句

心気力一定一刀瞬息石火無妙術也

居合術之要諦於先看破敵気色

意向即座瞬間振自刀粉砕敵

*無双直伝英信流居合術全 と全く同じものです。抜きて・・の所、拭きて・・ですが冊子は直っていますので、此の切抜きの方が先にあったとするべきでしょうか。

伝統

流祖 出羽国林崎大明神

初代 林崎甚助重信

二代 田宮平兵衛業正

三代 長野無楽入道権(槿 曽田メモ)露斎

四代 百々軍兵衛光重

五代 蟻川正左衛門宗續

六代 万野團右衛門尉信定

七代 長谷川主税助英信

八代 荒井勢哲清信

九代 林六太夫守正(政 曽田メモ)

十代 林安太夫政詡

十一代 大黒元衛門清勝

(十一代より二派に岐れたれば何れも英信流の系統に属し居るも大江正路先生に直り独創を加え正流に崩れを生じたり 曽田メモ)

十二代 林益之丞政誠

十三代 依田万蔵敬勝

十四代 林彌太夫政敬

十五代 谷林(村 曽田メモ)亀之丞自雄

十六代 五藤正亮

17代 大江正治(路 曽田メモ)

十八代 穂岐山波雄

長谷川英信以前は大森流と(??曽田メモ)云い居りしが、此人大いに研究して英信流を興し土佐の国に伝ゆ。

*この名前のミスは印刷屋の誤植でしょうか、4人に及びます。更に「長谷川英信以前は大森流・・」の部分は??ですが、河野先生昭和8年の無双直伝英信流居合術全でもこのままです。

資料の乏しい秘伝をよくここまでまとめられたとも言えるし、不確かなものをよく穂岐山先生や山本宅治先生方も発行を許したものです。業手付け以外は目を通していないか、わからなかったのかも・・・・。

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2012年5月13日 (日)

梅花にルリタテハ

久しぶりに蝶の話しとなります。

紫がかった青黒地に瑠璃色の縦縞の入ったルリタテハです。日本全国に分布しています。敏感で敏捷なので、一般的では無いかもしれません。

インド・ヒマラヤ・シッキム・アッサム・セイロン・ビルマ・中国大陸西南部・インドシナ・マレー半島・スマトラ・ジャワ・ボルネオ・フィリピン北部・台湾・朝鮮半島などの広く分布し日本産は分布の北・東限になるそうです。

今年2012年は春が遅く地方によっては一月は遅れた様に思えます。

山籠もりした信州佐久地方も4月の半ば過ぎから月末に掛けて百花咲き乱れるといったあんばいでした。

少したまってしまったので、4月5月のSDカードを整理している中に、このルリタテハが梅の花に飛来し吸蜜しているスナップがありました。

4月28日長野県佐久市立科の山林です。こんな4月の末の時期に咲く梅の花に見とれていますと、素早い動きで飛来した小型の蝶があります。タテハ蝶の仲間か、シジミ蝶の仲間か、何かわからず、側へ寄れば飛び立ってしまい、じっと待っていますと再び飛来して来たのを写したものです。

口吻を伸ばして吸蜜の姿勢です。羽を半開してそれがルリタテハである事が確認できました。この時期ですから越冬から覚めての吸蜜行動でしょう。大きさは夏型の半分ぐらいですから見た目で直ぐにはわかりませんでした。

このルリタテハの吸蜜行動は樹液や腐敗物、普通花には飛来しないとされ、あせび、モミジイチゴ、オオイヌノフグリ、シモツケ、リョウブ、キブシ、ダイコンなどが報告されていると白水隆先生の日本産蝶類標準図鑑は述べています。どの図鑑も同じような書き振りですから近年の調査であるはずも無く、何処まで信頼出来るか疑問です。

それはともかく、梅花にルリタテは梅の開花が極端に遅かった佐久地方の偶然の事なのか何か得をしたような気分でした。

越冬から覚めたルリタテハが最初に嗅いだ匂いが、遅咲きの梅の花の芳しい匂いであったのでしょう。

白い花に瑠璃色の蝶は良く似合っていました。

我が家の庭の台湾ホトトギスを坊主にして、幾つもの蛹が笹薮の下枝にぶら下がって春を待っていました。妻が枯れたホトトギスを切り払って笹薮を晒し者にしてしまいましたら、忽ち害虫に襲われ全滅した事がありました。ルリタテハは成虫での越冬が主のように図鑑では書かれていますが、蛹での越冬もあって逞しく生きています。

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