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2012年6月16日 (土)

土佐固有の武道居合術の復活2

土佐固有の武道

居合術の復活  竹村静夫の手記

昭和11年7月24日高知日々新聞にて  曽田メモ

森本先生は明治三十年五藤先生の允許を得て上京有信館の門を叩かれた。師範根岸信五郎先生は森本先生の居合を拝見して「海内無双也」と激賞せられた。
明治三十一年五藤先生没後は、同派の谷村樵夫先生が専ら指導の任に当たられた。谷村先生は早抜きの名人である。小藤亀江先生は谷村先生の秘蔵弟子であるが、惜哉早世せられた。次いで下村派の行宗貞義先生が第一線に立たれた。先生の居合には見事なる剣風があり。
明治四十年頃土佐第一の称がある門下は広田広作、曽田虎彦の両先生がある。

一方当時の政治家であって下村派の高弟でその奥義を極められた方に細川義昌先生がある。先生は明治より大正にかけての達人であった。
細川先生没後は武道家として大江正路先生がある。先生は始め下村派を学び後に谷村派を究められ独特の手の内を案出して、大いに斯道の隆昌に貢献せられた。為に多数の門下生が排出した。就中中西岩樹、穂岐山波雄の両先生はその白眉である。

然るに昭和十年頭初穂岐山先生急逝せられ、中西先生渡満せられてより斯道に一抹の淋しさを覚えるに至った。が幸い故穂岐山先生の後は福井春政先生が継いでいる。又これより先曽田虎彦先生帰県せられて往年の下村派の復活を見るに至り、余も坂本将軍の錦衣御帰省を契機として往年の谷村派の復活を志し遂に恩師森本先生より免許皆伝を賜り此処に多年の宿願に到達するを得て土佐居合道のため微力を尽くしている次第である。

3.型

当流は他流に見るが如く単なる抜刀術或は剣道に附属した居合鞘の内のみではなく立派に独立した土佐独特の居合道である。
則之に附属する大森流を加え換技共に四十七本の技の他に、太刀討の位、詰合の位、大小詰、大小立詰がある。

*このところも河野先生のいう「居合は剣道の一分派」に対し曽田先生の「分派にあらず」と云われた理由を言い表わす部分でしょう。

太刀討ちの位は所謂太刀討で抜刀術を加味した剣道の型である。
詰合の位は実に抜刀術の至極とも云い□(
*得)べき当流の極意とするところである。
又大小詰、大小立詰は抜かずして勝つ即刀、鞘の内にあって敵を制する技で当流の大精神を表徴せられたものである。

当流の骨幹をなす之等のかたは明治三十一年五藤先生の没後全く廃っていたものである。それを四十ヶ年後の今日復活しえたのは、余如きの到底独り研究し得らるべきものではなく、之は森本先生の御示教は申す迄も無く田口刺戟先生の心からなる御指導と御鞭撻の賜に他ならないのであった、又之を如実に発表することを得たのは真に曽田虎彦先生の御協力の賜である。

型の内容は左の通りである。

(イ)太刀討の位
 出合、付込、請流、請入、月影、水月刀、絶妙剣、独妙剣、心妙剣他に打込一本の口伝あり。

(ロ)詰合の位
 八相、拳取、岩浪、八重垣、鱗形、位弛、燕返、眼関落、水月刀、霞剣他に口伝打込一本あり。

(ハ)大小詰
 抱詰、骨防、柄留、小手留、胸捕、右伏、左伏、山影詰。

(二)大小立詰
 締捕、袖摺返、鍔打返、骨防返、蜻蛉返、乱曲
他に移り口伝一本あり
 

*この居合術の復活の新聞記事は土佐の居合の時代を感じます。

何故と云うことでは、下村派十六代は曽田虎彦先生です。
曽田虎彦先生による伝系は竹村静夫先生は曽田先生の次に下村派第十七代に書かれています。

竹村静夫先生の伝統の最後は谷村派森本兔久身先生から允許されて谷村派十八代を名乗ったと云うところです。竹村先生は谷村派十七代大江先生の後任に拘りを持っていたのでしょうね。
曽田先生の認める下村派第十七代を合わせて名乗る分けにはいかないのでしょう。
谷村派第十八代は一般には穂岐山波雄先生です。この手記にも十七代大江先生の後は穂岐山先生と認めています。

谷村派十六代五藤先生は大江先生にも允許され、森本先生にも允許する、又曽田先生の実兄小藤亀江先生にも允許されているはずです。
一国一人の掟を破ってでも伝統を継承させたかったのかも知れません。

どうもすっきりしませんが当時の土佐の混乱なのかこんなものなのかと思うばかりです。
それはその後の土佐の伝系にも土佐を発して全国に広がっていった無双直伝英信流の将来にも影響していくのでしょう。

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コメント

 御回答ありがとうございます。
 古伝の復活、面白い試みだと思います。それを行なっている方の演武等が見れると良いのですが、正統会系だと、その時の宗家の御意向が有るのかも知れないですね。
 代替わりされたので、その辺りも期待したい所です。
 居合形と古伝の太刀打ちの位、とは別物ですが、最近は混同している場合が多い様です。
 不思議と、詰合いの位は伝わっているのですが、あれは、福井宗家が、土佐に一時習いに行った時に覚えたのかしら、等と想像しています。

投稿: toaru | 2012年6月17日 (日) 20時21分

toaruさま
コメントありがとうございます。
幾つかのグループで古伝の研究をされ復活されています。
大江宗家は無双直伝英信流居合道形だけを残されたので正統会ではそこまでが大方のようです。
最近はそれすら置き去りなのが残念です。
この曽田本で研究される事をお勧めします。
合気道の出来る方と組んで研究すれば直ぐ理解できます。
古伝復活は先輩の中には好ましく思わない方も居られます。

投稿: ミツヒラ | 2012年6月17日 (日) 19時39分

 こんばんは。大小詰以降の業は、正統会系、と言うか谷村派系統では、あまり伝承されなかったのか、見る機会が無いので残念です。
 復元させて演武している人も居るのでしょうか。
 見てみたいものです。

投稿: toaru | 2012年6月16日 (土) 19時55分

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