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2012年6月13日 (水)

土佐居合に就いて

土佐居合に就いて

昭和11年2月1日本武道(*新聞?)にて 曽田メモ

長谷川流第十八代
居合術教士     竹村静夫

*竹村静夫
明治32年(1899年)生まれ
大正3年(1914年)城東中学入学
居合を大江正路先生について学ぶ、中学卒業後四国銀行勤務
下村派の曽田虎彦にも教えを請う
昭和2年(1927年)第十八代を名乗る。森本兔久身の許可を得てと何かで読みました。曽田本その2では曽田先生は下村派十六代ですから竹村先生は下村派十七代です。

これは無双直伝英信流第十七代大江宗家の後を十八代穂岐山宗家に対して自分は穂岐山先生を凌ぐとの意図によることのようですがさていかがでしょう。いつの時代でもどこにでもあることです。根元之巻の複数授与の結果でしょう。

下村派十六代曽田先生はこの頃土佐を離れていたようです
昭和11年(1936年)10月25日曽田先生と明治神宮奉納武道で「土佐英信流太刀打之位」を打つ
昭和13年2月(1938年)39歳で死亡。

土佐居合を語る者は藩政時代に於る谷村派並に下村派の両派を究め、而て徳川幕府中期迄逆り「一国一人の相伝也しと云う当流の根元を究むるに非ざれば未だ其の器に非ず」いやしくも土佐居合を説く者は、只先師の教えを遵奉するに止まらず、克く両派の教えを含味して其の理論と実技とが一致する、即其の呼吸、気位並気合、間合い、刀法等総てが今日の剣法に合致し得るものでなければならない。
斯道を志す人々は決して机上の空論に依って当流の手の内を兎角云々することなく、当流各本の教えに付き夫々吟味して先師の教えの那辺にあるかを悟り、真の教えは単なる架空的なものではなく実際と理論と合致したものであることを究めなくてはならない。
斯道に志す人々が「居合いは人を切るものではない、腹の教えである」と説かれるのを拝聴するが誠に然りである。
然し乍ら夫を説かれる迄には深甚の研究と努力を積むにあらざれば未だ其の資格は認められない。
其の腹即斯道の極意に到達する迄にはよりよく錬磨して、真に心剣一致の妙諦を悟られたいものである。
国家に於ける必勝の軍隊練成の主眼が那辺に存するか、邦家が三十六年の危局に際し殻然として外患を圧倒するのは何故か、形の上に於て国家と個人の差こそあれ斯道究極の目的は「居合とは人に切られず人切らず只つゝしみて平に勝て」であって、刀鞘の内にあって敵を制する迄に至らなければならない、これが為めには常住坐臥不断の精進によって、全国無比なる当流の奥旨を悟るべきである。

尚当流は他流に見るが如く単なる抜刀術にあらずして、独立した土佐独特の居合道である。
即47本の居合の他に太刀討の位、詰合の位、大小詰、大小立詰の秘伝の存することを忘れてはならない。
*この下線の部分が曽田先生の云う土佐の居合は「剣道の一分派にあらず」の意味であろうと思います)
余は土佐居合道の復活に志すこと多年、今や邦家非常の秋に際し各方面の御示教と御協力のもとに当流の隆昌を期し度いと念う。

*この一文には竹村静夫先生の抜き付けの写真が添付されています。
是は岩田憲一先生の土佐の英信流 旦慕芥考 P130に「土佐の居合について 昭和11年2月1日日本武道新聞掲載 竹村静夫」として掲載されています。これも曽田スクラップに依ったのか否かはもう確認する手立てはありませんが、一連のものから曽田メモからと断定します。

写真の抜き付けには、曽田先生のコメントが朱書きで添えられています

此の抜付けは勢余りてか上体が前に懸り過ぎて感心出来ざるものとす、抜付の時眼の付け処注意、刀尖を見るにあらず、敵から眼付を離すべからず 曽田メモ

師匠は何時にても厳しいものです。曽田メモにコメントされブログで日の目を見て竹村先生も頭を掻いておられるでしょうか。

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