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2012年6月14日 (木)

土佐の居合術に就而

土佐の居合術に就而

日本刀荘  谷村秀喜

=居合刀種々あり=市電細工谷停留所前 日本刀荘

*この項も岩田憲一先生の土佐の英信流 旦慕芥考P130に掲載されています。是は出典が不明ですから岩田先生も曽田スクラップをそのままお使いになられたのだろうと思います。

無双直伝長谷川英信流の本場たる土佐国に於ては、現在土佐出身の自分等は当流を内訳して(中西流)と(穂岐山流)の二派としております。
同じ土佐の英信流であって前記二派の異る点を一言にして曰い現さしむれば、穂岐山流は形としては美練され観る目誠に華やかなる形其者である。
然るに中西流は即直で然も機敏であり、真剣味充実し理論徹底し自ら鬼気迫る実戦其者の技である。
一例を挙るに穂岐山流では抜刀からかたなが鞘に治まる迄総ての形が裕長(
*悠長)にして動静が大きく華やかなるを特徴とす。
中西流に於いては総ての形が敏捷にして動静は穂岐山流に比してやゝ小さく生気漲(*みなぎり)りて敵を斃すを目的とし、然も理論的に研究され、利剣其者である。

中西流の抜刀は刀身が今正に鞘を払わんとして切先三寸鞘に残りたる時切先に気力を充実さして体をヒネリて刀身を撥出して敵を弾力斬にするのである。
弾力斬とは例えば一本の竹の根本と先を両手にて握り、之を円形に引枉(*まげ)て一方を放ちたる際の弾力気分を言う。
即ち此の気分るを以て敵を斬り付けるのである。
形が技であり技が形である居合術の総ての動静が理論徹底して居なければならぬ。

一例するに大森流の五本目八重垣の形において抜付けに敵の首或は胴を斬りて次に面を割る。
而て血振りをなし刀が鞘に治まりかけて残心を入らんとする時、倒れたる敵は半ば起きあがりて自己の右足を払いに来たれるにより、更に刀を抜付けて敵刀を撥き返し、直に間髪を入れず敵の面を割る。
此の処迄は両派共大同少異であるが、此処において理論の異なる点である。
此の場合穂岐山流では其場に於いて左足を屈すると同時に敵の面を割る。
中西流に於いては其場より更に左足を一歩踏出すと同時に右足を屈して面を割る。

此の左足一歩踏出す点が中西流として理論の徹底したる点である、何故なれば自己の最前方に出たる右足を敵が払わんとする時には自己と敵との間隔は敵の刀身と延びたる敵の腕との長さの間隔があることは何人と雖も言を俟たざる(*またざる)ところである。
然らば敵と自己との間隔は少なくとも五尺位の間隔はあるのが当然である。
故に前述穂岐山流の如く其場において左脚を屈して斬付けたる処で、剣先は敵に届き憎い理論となる。
故に中西流では右足を一歩踏出して斬付けるのである。
斯くすれば完然(*完全)に自己の剣先は敵に達し、目的を果し得べきである。

斯くの如く中西流は無双直伝長谷川英信流表四十二本、番外三本共此の理論が徹底致して居ります。尚一言して置きたいのは当流には表形の他に裏形が更に四十二本ある事をご参考迄に申し添えて置きます。

* この文章では穂岐山先生の居合は華美だが理論に乏しいと言われるのでしょうか。

それにしても中西流の理論の伝承は何処に行ってしまったのでしょう。
更に無双直伝長谷川英信流は表四十二本、番外三本に裏四十二本があると仰います。
裏四十二本とは聞きなれないものです。どなたか継承されておられるのでしょうか。

表四十二本は現在の無双直伝英信流の業で言えば、正座の部11本、立膝の部10本、奥居合居業8本、奥居合立業13本の事でしょう。

何時の時代でも名人、達人、上手は生まれてくるものです、しかしいくら素晴らしくともそれは瞬時に消えて観る人の目に焼きついていても時により消え去るものです。

自らの理論と実践の業は何らかの形で残されるべきものでしょう。たとえ拙くとも文章を以ってしてほしいものです。写真や動画は悪癖ばかりが強調されて本道が見えなくなります。

ちなみに現在の八重垣は、敵刀を払うや左膝を右足踵に深く密着する様に床に着くと共に・・双手上段に冠り右足を一歩踏み込んで真向に斬り付けています。

河野先生の無双直伝英信流居合術全(昭和8年)では「右脛を刀にて囲い、左膝を跪くや刀を左側より双手上段に振冠り真向に割付け・・」ですから穂岐山流そのものでした。河野先生もその後中西流を取り上げて伝承されたと思われます。

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