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2012年6月 8日 (金)

英信流居合と板垣伯2

英信流居合と板垣伯 

居合術教士・剣道錬士 中西岩樹

明治25、6年頃と言えば大日本武徳会創設前で地方の一般武道は未だ萎微沈滞の域に立った時分である。殊に帯刀禁止令発布後数十年を経過している事ではあり、真剣を打振う居合の如きが文明改化を追うに急なる国民に顧られそうな筈は無く、五藤生亮、谷村樵夫、細川義昌等の達人が伝統を受継いで現存して居り乍ら、殆ど之を執心修業せんとする者は無く、又之等の先生も唯単なる余技として死蔵せるに止り或は神職として或は政界の人として時勢に従っていたのである。

其の内に段々居合を知る人も物故し、之等の先生と雖も何時迄も在るものではなく、今にして後継者を造らざれば高知藩門外不出の此の武技も遂には世に之を伝える者が無くなるであろうと非常に痛惜慨嘆されて極力其の復活振興の労をとられたのが板垣伯である。

即ち明治二十六年板垣伯のご尽力に依って高知市新堀竹村與衛門氏邸内に道場武学館が建てられ、五藤正亮先生が居合の師として聘せられ一般教授の任に当られたのである。
夫れが因となり五藤先生は当時の第一中学校(現在の城東中学校)の校長
して居合を好む渋谷寛という人に委嘱されて後同校の居合教師となり、尚他中学校にも招聘せらるゝ事となった。

明治31年其の没せらるゝや谷村樵夫先生が之に代り同三十六年谷村先生の没後大江先生が之に代ることゝなったのである。しばらくして高知県に於いて五藤・谷村・大江の三先生に依り居合の命脈を継いで来られ殆ど伝授者も中学卒業者に限られていた如く換言すれば中学生によって居合が保持されて来たかの観がある。

又一方県外方面では第一人者たる中山先生も此の五藤先生の御門下たる森本兔久身先生に手解を受けられ、更に細川先生に就て修得されて居られるが細川先生は高知県内では殆ど教授せられた事は無い模様で、当時衆議院議員として滞京中板垣伯の御斡旋で仲山先生に伝授せらるゝに至ったと承知している。

爾来中央に在っては中山先生、高知県に在っては大江先生の非常なる御努力に依って此の居合が漸次全国的に普及進展し、今日の隆昌を見るに至ったが危機を救うて此の基礎を固めて呉れた恩人は板垣伯である。

実に板垣退助伯は舌端火を吐いて自由民権を提唱され高知県をして自由発祥の地たらしめられたが、更に不言黙々裡に此の居合を広く世に紹介し、高知県をして又此の居合は自由の神としての板垣伯を知る人に尚此の土佐居合の恩人である板垣伯を知って貰いたいのである。

*この「英信流居合と板垣伯」は曽田本スクラップがある方から岩田憲一先生に送られ「土佐の英信流 旦慕芥考」のP128に掲載されています。

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