« 土佐の居合術に就而 | トップページ | 土佐固有の武道居合術の復活2 »

2012年6月15日 (金)

土佐固有の武道居合術の復活1

土佐固有の武道

居合術の復活  竹村静夫氏の手記

昭和11年7月24日 高知日々新聞にて 曽田メモ

*昭和11年7月24日の高知日々新聞に竹村静夫先生の手記が掲載されそれを曽田先生がスクラップしたものと思われます。
これも岩田憲一先生「土佐の英信流 旦慕芥考」に掲載されていますP121.

我が土佐の居合術長谷川流の海内無双なるは既に中央に於ても定評のある処であるが残念ながら今日迄只僅かに其一部のみ伝えらるゝに過ぎなかった、然るに頃日剣客竹村静夫氏の熱心研究は其功を奏し従来の断片的の抜型が全部明らかとなり固有の体系を復活し茲に我が居合術の完備するに至りたるは誠に欣快に堪えざる所である記者は竹村氏に乞うて其手記を転載するを光栄とするものである。

無双直伝英信流居合術

1、伝統
初代林崎甚助重信-二代田宮平兵衛重正-三代長野無楽斎槿露‐四代百々軍兵衛光重-五代蟻川正左衛門宗続-五(*六誤植)代萬野團右衛門尉信定-七代長谷川主税助英信-八代荒井勢哲清信-九代林六太夫守政-十代林安太夫政詡‐十一代大黒元右衛門清勝-十二代林益之丞政誠-十三代依田萬蔵敬勝-十四代林彌太夫政敬‐十五代谷村亀之丞自雄-十六代五藤孫兵衛正亮-17代森本兔久身-十八代竹村静夫

2、沿革
当流の始祖は抜刀中興の祖(奥州の人)林崎甚助重信先生である。
第七代長谷川主税英信先生は始祖以来の達人であって、重信流を無双直伝英信流と改められた。
爾来当流を長谷川英信流又は略して長谷川流と呼ぶ様になった。
九代林六太夫守政先生は土佐の人で高知城南八軒町に住し居合、礼節、和術、剣術、書技、謡曲、俗楽、鼓等人の師となるに足る技十六あり。斯道の逸材である。
第十一代大黒元右衛門清勝先生より当流は二派に分かれている。
そして何れ劣らず夫々勝れた手の内がある。
藩政時代最後を飾る両派の代表的人物に谷村亀之丞自雄先生、下村茂市定先生がある。
これより此の二派を谷村派、下村派と呼ぶ。
谷村先生は天保の頃潮江に住して藩の子弟を指導せられた。時の藩主容堂公は「谷村の居合は土佐第一なり」と讃えられた。
一日谷村先生をお召の上、御佩刀を出されて「之を抜け」と仰せられた。
先生はお側の者に豆を持たせて、之を抜き打ちになすに寸分を違えなかったと云う。

下村先生は築屋敷に住し嘉永、安政年間藩公より居合指導役を拝命し藩立致道館(*到道館 岩田先生)に於て子弟を教養せられた。
御維新後欧州文明の流入に伴い古来の日本武道は漸く地に墜ちんとするに至り、当流も同様衰微の一途を辿った。
時に明治二十六年板垣伯爵帰省せられて土佐居合の全国無比なること並にこれが復活を説かれてより、谷村派の蘊奥を極めたる五藤正亮先生を材木町新築道場に迎えて一般に指導を乞うこととなった、五藤先生はこれより追手筋共立学校に於て主として中学生を教授せられた。
当時の愛弟子に森本兔久身(海軍大佐)坂本政右衛門(陸軍中将)田口刺戟(海軍大佐)のかくれた諸先生がある。

以下次号とします。

|

« 土佐の居合術に就而 | トップページ | 土佐固有の武道居合術の復活2 »

曽田本スクラップ土佐の居合」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 土佐の居合術に就而 | トップページ | 土佐固有の武道居合術の復活2 »