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2012年6月24日 (日)

居合英信流の恩人林六太夫守政先生3

居合英信流の恩人林六太夫守政先生

居合術教士 剣道錬士 中西岩樹

此の五左衛門政良こそ仍(*かさねて・なお)林氏の初めである。
而して姓を林氏に改めた政良は万治3年
(1660年)山内二代の藩主忠義公の命に依り礼節を其宗家伊勢家に学び寛文十年(1670年)四代豊昌公の時宋邑八十石を給うて御扈従格に進められ御料理頭を命ぜられたが延宝三年四月晦日(1675年)病死したので翌五月六太夫先生が跡をつぎ城南八軒町に居住した。(以下次号)

先生は天資英才にして器量非凡故実礼節を伊勢兵庫に学び到底し、剣道居合は荒井二代目の勢埋直伝にて意を極め、書は佐々木文山に就て之を能くする等和術庖術伎謡俗楽をはじめ凡そ人の師と為るに足る伎芸十六を得ていたというから大したものである。

而して先生は宝永三年十二月二十二日(1706年)御料理頭より大扈従役に進められ礼節方を兼ねられ、正徳三年八月(1713年)病の為め拝辞し、同月二十四日大扈従役を免ぜられ礼節指南は旧の儘、御馬廻りとなり山内第八代豊敷公の時享保十七年七月十七日(1732年)七〇歳で八軒町の邸に病没せられた、が其間第四代藩主豊昌公、第五代豊房公、第六代豊隆公と三代の藩主に仕え貞享三年六月(1686年)君主より故実の御下問あった。
詳細記述して之を奉り殊の外御褒辞と共に白銀若干を賜うた外、元禄二十年十二月十二日
(*元禄は17年2月までのはずです12年の間違いでしょうか。雑録では元禄10年です)禄二十万石を加増され、更に同十六年九月四日(1703年)故実礼節究極の功労旁々又も五十石を加増されて旧禄に合し百五十石となりたる等名誉を重ね御羽織其他下賜品を受けた事も多い。
斯くの如く三代の君主に仕えて寵衰えず然も太平の代数度の加増を以て厚遇されたということは容易の事ではない、之を以て観ても先生が常人でなかった事が窺われるのである。

先生の居合は其表芸ではなかった従って特別に子弟を養うような事はせられなかったがそれでも藩中弟子の礼を執る者が有って当時水野流、田宮流等の居合が有ったにも拘らず断然此の英信流が重用されるに至り数代後の徳川氏末期には土州武士にして居合を知らざるものは真の土州武士に非ずとせられた程八釜間敷いものになり彼の有名なる山内容堂公は谷村亀之丞先生に就て一入熱心に錬磨され藩主文武館に居合科を設けて藩の子弟に之を伝習せしめられたのである。

以下次号

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