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2012年6月21日 (木)

雑録長谷川流居合と土佐に於けるその普及に就いて5

雑録長谷川流居合と土佐に於けるその普及に就いて5

‐特に此一篇を屡々垂教を重ねられた同流発祥の地山形県楯岡町の伊藤芳夫氏に捧ぐ-

平尾道雄

*この項の最終です。曽田先生のスクラップは原本は何か、スクラップした時期はなどの記載がありません。これも其の一つです。平尾道雄氏についての事もわかりません。山形楯岡町の伊藤芳夫氏についても、平尾氏との交流についても判りません。
岩田憲一先生にもこのコピーはある方から渡っていたはずですが先生は「土佐の英信流 旦慕芥考」に取り上げられていません。史実として捉えるには不十分でしょうが伝系の様子は伺えます。

9.明治になって有名なのは細川義昌氏であろう、鶏卵や米粒の如きものを見事に両断した程、人神の技だったそうである。
大正十二年二月二十三日((1923年)七十五歳で物故したから、其技を実見した人々も少くあるまい。
維新の勤皇家松島隆氏も長谷川流の達人であった。
畳一枚の席上で、蝋燭に点火し、柄頭三寸の距離で気合と共に之を薙ぐ。
即ち灯心を半ば切払って、火は依然として燃えて居たと云う。宮内省に出仕して居たので、明治大帝の御召により、御前に於て此神技を試みたが、後ち帝国大学から学生のために演技を望まれた時は、「余の武道は見世物ではない」と言って跳ねつけた。
是は私が直接遺族の方から承はった話しである。
松島氏は明治三十三年(1900年)五十九歳で他界した。

大江正路氏も有名だったが、先年長逝し(昭和2年1927年先年長逝し、と言っているので此の文章は昭和2年から昭和10年頃のものでしょうか)、現今ではその門下生穂岐山波雄・中西岩樹・竹村静夫の諸氏が居合術教士として活躍して居る。
流技は就れも長谷川流とその分派大森流。

伊藤芳夫氏の報に拠れば、抜刀の始祖林崎甚助重信の後七代長谷川流英信に至り、所謂長谷川流起こり、八代荒井勢哲、九代林六太夫、十代林安太夫、十一代大黒某(是より谷村派出づ谷村亀之丞か)、十二代坪内某、十三代島村某、十四代松吉某、十五代山川某(久蔵か)、十六代下村某(茂市か)、17代細川義昌を経て十八代が現警視庁師範中山博道氏とある。

以上を以て観ても長谷川流居合と土佐との関係は浅くないが、更に調査を進むる事を得れば一層その密接なるを確める事が出来よう。
以上は寧ろその一端を明らかにしたのに過ぎないのである。

註1、系統に関しては、伊藤氏の御教示を主に武術流祖録、本朝武芸小伝、日本中興武術系譜略を参観した。

註2、個人の伝は土佐国人物志、土佐偉人伝、御侍中先祖書系図牒、手抄を主に、高知武徳会井上衛氏の報告、及び私の見聞を加えた。本文中要所にはその出自を挙げたので、煩を避けて尽く之を示さない。

*伊藤氏の報告は土佐の系譜を示したもので、奥州山形の事は少しも触れていません。どのような方だったのでしょうね。雑録でいいのでしょう。

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