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2012年10月

2012年10月20日 (土)

みづのとみ(癸巳)

2013年平成25年は干支は癸巳(みづのとみ)です

十干十二支に当てられた来年の干支は巳、蛇となります。
蛇年の年賀状は文字もさることながら蛇の絵が楽しそうです。
紐状に長く頭を大きく尻尾を細く手足が無ければほとんど蛇です。

十干と十二支の組み合わせで60年ごとに回ってくるわけで、江戸時代以前には生活に根ざしたものとして広く使われていたものです。
年号は頻繁に変わりますが干支による年の数え方は法則通りでわかり易く、月にも日にも時間にも方位にも使われ覚えてしまえば便利だったのでしょう。
その上迷信的暦によってその時の生活態度まで合せていたのです。
明治維新になって、新政府は欧米に追いつけ追い越せとばかりに、それまでの日本文化の多くを捨て去ってきました。

明治6年に太陽暦が採用されその後の公的な暦には干支を含む一切の迷信的暦の注釈が消えていったわけです。
それでも民間では「おばけ」と云われる民間暦がベストセラーとなって文化を継承して来たと云われます。
人は誰でも、未来を予測し過ぎ去った事への回顧や反省も含め「ホット」したいものです。それには迷信的暦もあって「日が悪かった」とか「来年こそは」と思うのもいいのかも知れません。
信じすぎて横道に逸れては社会にも自分にも大きな弊害になるでしょう。

十干十二支については専門書に譲るとしますが、その由来は殆ど闇の中のようです。

1.みづのとみ(癸巳)

癸(みずのと・き) 漢字の起源(加藤常賢)では「三鋒のホコの形象」とされています。きの音は不明、字義は三鋒の矛。
漢字文化の世界(藤堂明保)では先が四つあるホコの象形でそのホコを振り回す。一巡りする意味を含んでいる。数の序列がひと巡り終わったところである。

巳(み・じ・し) 漢字の起源では巳は蛇の象形なり、しの音は蛇の長い体のうねうねする所から来ている、字義は蛇。
漢字文化の世界では甲骨文字は子供の象形。

十干 甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・

十二支 子・丑・寅・卯・辰・・午・未・申・酉・戌・亥
         ね・うし・とら・う・たつ・・うま・ひつじ・さる・とり・いぬ・い

十二獣(肖獣) 鼠・牛・虎・兎・龍・・馬・羊・猿・鶏・犬・豕
    ね・うし・とら・う・たつ・・うま・ひつじ・さる・とり・いぬ・い

2.みづのとみ(癸巳)はどんな年だったか

1953年(昭和28年) 吉田首相「バカヤロー」発言、石川県内灘湾演習場米軍無期限使用決定、奄美群島返還日米協定調印。
NHKテレビ放送開始、中国からの引き揚げ第1船舞鶴入港、
*前年 GHQ廃止、対日平和・日米安保両条約発効、メーデー事件、皇太子明仁親王立太子礼、君の名は放送開始、
*翌年、米国ビキニ環礁水爆実験、日米相互防衛援助協定(MSA)、防衛庁・自衛隊発足、竹島領有権問題国際司法裁判所提訴提案韓国拒否、吉田内閣総辞職。

1893年(明治26年) 伊藤博文内閣、戦時大本営条例公布、「文学界」創刊、上野直江津間全通、明治座開場、文部省「君が代」など歌詞・楽譜を定める、
*前年1892年(明治25年)  
*翌年1894年明治29年 朝鮮出兵、日本軍朝鮮王宮を占領、清国へ宣戦布告

1833年(天保4年) 将軍家斉、米価高騰による打ちこわし続発、美濃大垣大地震、出羽・越後大地震、安藤広重「東海道五十三次」、
*前年1832年(天保3年) 琉球にイギリス船漂着、
*翌年1834年(天保5年) 諸国飢饉、江戸大火、大阪大火、

1773年(安永2年) 将軍家治、 諸国疫病、
1713年(正徳3年) 将軍家継、和漢三才図会、米価高騰、
1653年(承応2年) 将軍家綱、佐倉惣五郎直訴
1593年(文禄元年) 後陽成天皇、   小西行長兵糧の欠乏により和議、
1533年(天文2年) 後柏原天皇、将足利軍義晴、仏教徒と武将の戦い。
1473年(文明5年) 後土御門天皇、将軍足利義尚
1413年(応永20年) 称光天皇、将軍足利義将、
1353年(北朝文和2年・南朝正平8年) 北崇光天皇・南後村上天皇、将軍足利尊氏
1293年(永仁元年) 執権北條貞時、鎮西探題を置く、関東大地震死者2万3千余。
1233年(天福元年) 執権北條泰時
以下略します。

3.巳年のことわざ

・巳の時 巳の刻(現在の御前10時頃)、物事がたけなわであるころ、勢いが盛んなさま。

・巳の時過ぎ 盛りを過ぎる。勢いが衰えはじめること。

・未だ巳の時 上り坂の勢いである事。

・鬼か蛇か 残忍な人のたとえ。

・鬼が住むか蛇が住むか。 人の心の底にどんな考えがあるか、はかりかねる事をいう。

・鬼が出るか蛇が出るか。 前途にどんな運命が待ち構えているのか予測し難い事。 

・鬼も十八蛇も二十 鬼も十八番茶も出花。 鬼でも年頃になれば美しく見え、番茶も出ばなはかおりがよい。どんな女でも年頃には女らしい魅力が出るの意。

・女の情けに蛇が住む。 女は情け深いものだが、一方で執念深くもあることをいう。

・蛇が出そうで蚊も出ぬ。 大きな事件がありそうで、結局は何事も無かった場合をたとえた言葉。

・蛇の道は蛇 蛇の通る道は仲間の蛇には良く解るの意。同類の者には仲間のことなら何でも良く分かること。

・蛇は一寸を出してその大小を知り、人は一言を出してその長短を知る。

・蛇は一寸にしてその貌を知り、人は一言にしてその志を知られる。 

・蛇は寸にして人を呑むの気あり。

・蛇に見込まれた蛙。 自分より強いものを目の前にした時に恐ろしさのあまり動けなくなってしまう事。

・蛇は竹の中に入れても真っ直ぐにならぬ。

・蛇を描きて足を添う ・蛇足。 しなくてもよいもの、しなくてもいいこと、余計なことのたとえ。

・蛇の足より人の足見よ。 蛇に足があるか無いかなど無益な詮索をするより、自らを反省したり身近な事を考える方が大事のたとえ。 

・蛇に噛まれて朽ち縄に怖ず。 一度の失敗に懲りて必要以上に用心深くなる事、朽ち縄が蛇に似ている事から云う。羹に懲りて膾を吹くと同意。

・蛇の生殺し。蛇の生殺しは人を噛む。

・蛇の目ほども食うたが得。

・蛇も一生ナメクジも一生。 蛇もなめくじも一生を過ごすことにかわりはない。人間の一生は境遇や性格に違いがあっても、だいたいは同じだと言うことのたとえ。」

・藪をつついて蛇を出す。 しなくても良いことをしたたために受けなくても良い害を受けてひどい目にあう事。略してやぶへび

4.蛇の熟語

蟒、蟒蛇(うわばみ)・蛇腹・蛇口・蛇目・蛇目笠・蛇足・薮蛇・蛇行・蛇計

5.俳句 ヘビは夏の季語 

蛇の尾のおどり消えたる葎かな  禅寺洞

・蛇入ってゆるがぬ草の深さかな  野風呂

・老母出てさとせば蛇の去りにけり 蛙子

・蛇逃げて我を見し眼の草に残る  虚子

・蛇の衣傍にあり憩いけり      虚子

6.孫子の兵法 卒然

故善用兵者 譬如卒然 卒然者常山之蛇也 撃其首則尾至 撃其尾則首至 撃其中則首尾倶至 敢問 兵可使如卒然乎 曰 可

故に善く兵を用うる者は 譬えば卒然の如し 卒然は常山の蛇(くちなわ)なり 其の首を撃たば則ち尾至り 其の尾を撃たば則ち首至る 其の中を撃たば首尾と倶(とも)に至る 敢えて問う 兵は卒然の如く使(なら)しむべきや 曰く 可

卒然とは常山の蛇のことで、この蛇を打つと首尾相応ずると云うものです。

戦闘上手な将は 譬えて言えば常山にいる蛇のようなものだ 其の頭を打てば尾が直ちに攻撃してくる 尾を打てば直ちに頭が応じてくる 其の中ほどを打てば頭と尾が同時に攻撃してくるわけです さて敢えて自問するが 兵は卒然の様に、速やかに自在な呼応態勢をさせられるだろうか 答えは 可

7.易経 龍蛇の蟄

尺護之屈 以求信也 竜蛇之蟄 以存身也 

せきかくの屈するは以てのびんことを求むるなり竜蛇の蟄(かく)るるは以て身を存するなり

尺取虫が身を曲げるのは、次の段階で大きく伸びようとするからである。竜蛇が冬ごもりするのは、自分の身を長く保とうとするからである。人も世に出ずに学問に打込むのは、他日それを大きく世に役立てるのを期してのことである。

8.へびの漢字
・蛇  ダ、ジャ、へび
恙虫 ツツガムシ (マムシの事) 
長虫 ナガムシ 
蟒 おろち 
  マムシ、フク、お腹ガふくれているヘビ 
  ミズチ、大蛇(オロチ)、山の精霊 
  ミズチ、キュウ、水の精 
蛟  ミズチ、キュウ、コウ
  
*蛇に関する迷信や、蛇年の運勢など幾つもありそうです。
最近は都会では蛇を見なくなりました。子供の頃は2mもある青大将が草原をよこぎったり、家に住みつくなどあったのですが、蛇が珍しくなってしまいました。

財布の中にヤマカガシの抜け殻を入れているのですが、いつも財布は予定のあるお金ばかりで少しも余裕がありません。先日9月半ばのこと、家の近くで50cm程のシマヘビを見ました。アスファルトの道路が蛇にとって歩きにくいと見えて草むらに逃げていくのに厄介そうです。廻りが開発され残された小動物の住める場所は狭まっています。

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2012年10月17日 (水)

クロコノマチョウ

きんもくせいの強い香りが広がっています。幹から直接へばり付く様にして金色の小さな花が咲き当たり一面に香るのです。
それも前触れも気が付かないまま突然に金色の花が付いて香るのです。
此の香りを嗅ぐと猛暑にうんざりしていた夏も過ぎ、そして冬に向って一直線に走っていくような気分に襲われます。

足元ではホトトギスが咲き出しました。何本かはルリタテハに丸坊主にされ花だけというのも在りますが「蝶よ・花よ」ですからそれでもいいのです。

今年は不作の年と見え花が少なかった為か実も少ないのですが柿が色付いてきました。このところ毎日メジロやらヒヨドリやらがやってきて甘そうな実をついばんでいます。数が少ないので今年は小鳥と競争です。

ホトトギスからこげ茶の蝶が飛び立ちました。
クロコノマチョウ♀です。
このチョウも箱根を越えて近年やってきたチョウです。
平成11年1999年12月14日の朝日新聞の記事に「温暖化の使者?南方のチョウ来る」として相模原の高校生が9月と11月に捕獲した事が記事になっています。

古い図鑑(昭和51年1976年発行保育社原色日本蝶類図鑑白水隆監修)では静岡県下が現在土着の北限となっています。
平成18年2006年の日本産蝶類標準図鑑白水隆著では本州に於ける東北限は神奈川、千葉付近と伸びて来ています。
この20~30年は温暖化が著しい事になるのでしょう。南方系の昆虫類がどんどん箱根を越えてきています。

此の蝶も自宅での定点による目視或いは採集ですから各地を渡り歩いての記録ではないので面白い結果が出ています。

採集記録(すべて自宅です)

1998年11月14日
2000年10月1日
2006年10月9、10月25日
2007年10月9日、10月10日、11月5日、12月1日
2008年10月23日
2009年10月18日、10月19日
2010年10月18日
2012年10月16日

最初の採集は新聞少年より古いのですが相模原は湘南地区より少し内陸ですから私の採集日より遅れていてもおかしい事はないでしょう。
採集年の無い年は記録無しですから自宅付近では見かけなかったと言えます。採集の月日が10月に集中しています。春から夏にかけては採集されていないのです。
そのため完全に土着したと言い切る事が出来ないような気もします。
採集した個体は新鮮な痛みの無いものが殆どです。気分的には未確認ですが夏に近所で食草に産卵され羽化したものだろうと判断しています。
食草はススキ、ジュズダマ・アシ・ヒメシバ・アワ・トウモロコシ・メダケなどのイネ科や竹のようですが近所に普通です。
この子の親がこの付近で生まれたのか他所から飛来した漂蝶かはわかりません。

此の蝶の飛び方は「ヒラッ、ヒラッ」と言った感じで翅を閉じては開くようで水平に飛ぶと云うよりは上がったり落ちたりする飛び方で、飛び立っても3、4mほど先ですぐに止まってしまいます。あんまり飛びたくないのでしょうね。
木の間を縫って飛び翅をしっかり立てて止まっている姿は高貴な魔女のような気高さを感じます。

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