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2013年10月

2013年10月20日 (日)

きのえうま(甲午)

平成26年2014年の干支はきのえうま(甲午)です。
馬年です。

昭和29年1954年生まれの方は平成26年に60歳還暦を迎えます。

1.干支

十干は昨年平成25年がみづのと(癸)でしたから元に戻ってきのえ(甲)です。
干支は、十干と十二支の組み合わせによって生じる60組が一巡する、いわば60年周期の古代暦法です。

甲きのえ・乙きのと・丙ひのえ・丁ひのと・戊つちのえ・己つちのと・庚かのえ・辛かのと・壬みずのえ・癸みずのと

十二支は巳(蛇)でしたから次の午(馬)、あわせてきのえうま(甲午)となります。

子ね鼠・丑うし牛・寅とら虎・卯う兎・辰たつ龍・巳み蛇・午うま馬・未ひつじ羊・申さる猿・酉とり鳥・戌いぬ犬・亥い豕

十干十二支の謂れは定かではないので、専門家にお任せしておきましょう。

2、甲午きのえうまの文字の意味

:きのえ、木の兄、もとはうろこを描いた象形文字、金文から後は種を取り巻いた固い殻を描いた象形文字。かぶせる・蓋をすると同系の言葉。
植物、動物が固いからにおおわれている状態。成長過程で一番最初の段階。植物なら種、動物なら卵、蛹の状態で固いからで身を守っている。

午:ご・うま、杵(きね)の原字。上下に交叉してもちをつく杵を描いた象形文字。互いと同系で交叉する意を含む。馬とはなんら関係はない文字。

馬:メ・バ・マ・うま、馬を描いた象形文字。馬の漢字はよく見ていますとたてがみのある四足の馬そのものです。向うみずに突き進む事の意を含み武(危険をおかし、何かを求めて突き進む)・驀(バク、あたりかまわず進む)、罵(バ、相手かまわずののしる)と同系の言葉。

馬を用いた文字:馭・馮・馴・馳・駅・駆・駄・駕・駈・駒・駝・駕・駑・駿・騎・験・騒・騙・騰・驀・驕・驚・驅・驗
駁・馼・馿・駉・駛・駟・駔・馰・馹・馺・馽・馼・駘・駐・駜・駙・駭・駰・駫・駬・駪・駧駮駢駱駴騃駻駽駸騂駾騁駹駵騫騸騰騳騮驂驄驇驃騾驑驎驌驖驟驝驥驢驩驤驪驫・・

3.きのえうま(甲午)の年はどんな年だったでしょう。

60年前のきのえうま(甲午)の年は昭和29年1954年でした。順次60年サイクルで、きのえうま(甲午)年の過去の状況を歴史年表から辿ってみます。

昭和29年1954年
アイゼンハワー大統領一般教書で沖縄基地の無期限保持を宣言
米のビキニ水爆実験で第5福竜丸被爆
日米相互防衛援助協定(MSA)調印
防衛庁設置法・自衛隊法・MSA協定にともなう秘密保護法各布告
政府、竹島領有権問題の国際司法裁判所への提訴を韓国に提案拒否される
吉田内閣総辞職
政府、憲法9条について統一解釈を発表(自衛権保有・自衛隊合憲)
地下鉄丸の内線一部開通
第一回自動車ショー
台風15号青函連絡船洞爺丸遭難死者行方不明1698人

明治27年1894年
閣議、混成一個旅団の朝鮮派遣を決定
大本営を参謀本部内に設置
日本軍朝鮮王宮を占領
清国に宣戦布告。(日清戦争)

天保5年1834年
十一代将軍徳川家斉
諸国飢饉、一揆および強訴おこる。
佐久間町より江戸大火
大阪大火

安永2年1774年
十代将軍徳川家治
幕府米価引き上げのため資金7万両を江戸米問屋に貸し付ける
幕府禁中の不正役人40人を処罰
杉田玄白の解体新書

宝永4年1714年
七代将軍徳川家継
幕府抜荷を厳禁
大奥老女絵島事件

明暦3年1654年
四代将軍徳川家綱

文禄3年1594年
後陽成天皇
秀吉吉野の花見

天文3年1534年
将軍足利義晴

文明6年1474年
将軍足利義尚
山名・大内・畠山京都北野の戦い
加賀の一向一揆
一休宗純大徳寺住持となる
大田道灌武蔵江戸城で句会

応永21年1414年
将軍足利義将
足利持氏鎌倉中の酒壷銭1年分を造営料として円覚寺に寄進

観応3年1354年
将軍足利尊氏

永仁2年1294年
伏見天皇
執権北条貞時
鎮西探題北九州に烽火を設置

文暦元年1234年
西条・後堀河天皇
執権北条泰時

承安4年1174年
高倉天皇
後白河法皇
法皇・建春門院攝津福原の平清盛の別業に赴く、厳島参詣

永久2年1114年
鳥羽天皇
白川法皇
延暦寺僧徒の武器所持を禁止

天喜2年1054年
後冷泉天皇
高陽院内裏裏焼失、京極院内裏裏焼失
安部貞任、陸奥の源頼義の営所を襲う

正暦5年994年
一条天皇
疫病京中に流行

承平4年934年
朱雀天皇
紀貫之「土佐日記」

貞観16年874
清和天皇

弘仁5年814年
嵯峨天皇

天平6年754年
孝謙天皇

持統8年694年
持統天皇

以下略す

4.午年(馬)のことわざ

1、愛する所には駑馬を相するを救う。
愛する者にはのろい馬、駄馬の鑑定法を教えた故事による。名馬はまれにしかいないので駑馬の鑑定法の方が役に立つ。

2、天高く馬肥ゆる(秋高く馬肥ゆる
秋は馬も肥えるので、北方騎馬民族が来襲する季節が到来する、意であったろうが、一方さわやかな季節の到来も言う。

3、荒馬の轡は前から
暴れ馬の轡は前からとるのがよい事から、難事には小細工せず正面から当たるが良い。

4、鞍上人無く鞍下馬なし
人馬一体のさま。

5、生き馬の目を抜く
人を出し抜いてすばやく利を得る、また、ずるがしこく抜け目の無く油断がならないこと。

6、一匹の馬が狂えば千匹の馬が狂う
群集心理で付和雷同しやすいたとえ。

7、意馬心猿
煩悩や欲情など心の乱れを抑えがたいたとえ。

8、烏頭白くして馬角を生ず
ありえないことのたとえ。

9、馬が合う
気性があう。意気投合すること。

10、馬に乗るまでは牛に乗れ
高い地位につくには、其の前に低い地位で力をつけるというたとえ。

11、馬には乗ってみよ、人には添うてみよ
何事も自分で経験して確かめよという意味。

12、馬の骨
どこのだれだか素性のわからない者をあざけること。

13、馬の耳に念仏(馬耳東風
人の忠告を聞き流す。無知なため理解できないことなどのたとえ。

14、馬は飼い殺せ、子供は教え殺せ
いくらしても良いことのたとえ。

15、馬は馬方
本職が一番有能であるたとえ。

16、馬を得て鞭を失う
目的の物は得たがそれを活用する手段がなくなってしまうこと。

17、馬を鹿(馬を牛)
権勢をかさに無理を押し通すこと。

18、塞翁が馬(人間万事塞翁が馬
人間の吉凶・禍福は予測しがたいこと。

19、将を射んと欲せばまず馬を射よ
大きな目的を達するには、周辺のものをまず落としていけと言うたとえ。

20、千里の馬はあれども一人の伯楽は無し
有能な人間はいつの世にもいるがこれを用いて腕を発揮させる為政者は少ない。

その他の馬

馬脚をあらわす・やじ馬・下馬評・じゃじゃ馬・馬子にも衣装・つけ馬・竹馬の友・・

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2013年10月 3日 (木)

弟子たる者師匠の出来ぬ事でもやらねばならぬ

このところ何故だかお能の本が集まります。
能楽堂に連れて行かれてあの心地よい世界に引き込まれ舞台の正面で居眠りをさせてもらってから何年たったでしょう。

「眠らせないのも芸のうち、眠らせるのも芸のうち、せめて前の晩は充分睡眠をとっておいでください」と挨拶されて苦笑いをする私。傍で家内は恐縮しっぱなしでした。

武道館で私に懇切丁寧にお能の足運びを教授してくれた御婦人には暫く会っていないなーと懐かしく思い出されます。

足運びと言えば、私に無理やり竹刀スポーツの爪先に力を入れる摺り足を教えようとして肘鉄を食らわせた先輩はこの頃道場に顔を見せないなーと懐かしんでも居ます。

医者で執筆家其の上お能を嗜み、無双直伝英信流を心得ておられる村木泰仁先生の「ノーと言わない能」を読み終えたら忽ち「続ノーと言わない能」が送られてきました。

「続ノーと言わない能」平成8年発行著者村木泰仁 株サンライズ企画

とにかく乱読・速読手当り次第もようやく納まりつつあるこの頃なのに再び眼を覚まされたように、日に3、4冊を同時に読み漁っています。

其の中に居合の師匠大田次吉先生との事がありました。少々長くなりますが、引用させていただきます。

「この偉大な先生に薫陶を受けたのだが、不肖の弟子は、先生がご他界遊ばされたのを期に止めてしまったが、兄弟弟子や相弟子は、今も精進して立派になっている。習い初めは、早く数々の技を覚えたくて、満足に他人の技を見ようともせず、盲滅法に刀を振り廻していた。ある日のこと、大田先生が道場に見えられ、「人の稽古をよく見なさい」と言われた。
上手な人を見るのは良いが、人の稽古を見るよりは、その分、稽古に励んだ方が効率がよいと思い、「はい」と変事だけで、棒振りに勤しんでいると、兄弟子の、「稽古止めい」の号令。「これから大田先生のお話がある」
曲がった腰をピンと直された先生は眼光炯々として、しっかりした口調で申された。「諸君等は、見取り稽古をしなさ過ぎる・・・人を見て己の足らざるを補え・・・下手を見ても・・・そこから学べ!」目から鱗が落ちる思いだった。

「門前の小僧、習わぬ経を読む」の諺がある。何事も慣れてくるとばかにして甘く見て、初心を忘れてしまう。これが油断大敵で学問、武道、芸道なんでも同じである。
昔は筆者の本業の医者の世界でも、なかなか大きな手術をさせてくれない。満を侍しているのに先輩にお鉢が回るばかりで、いつも見取り稽古、頭の中では完璧に手術はできているが、それでもさせてくれない。さて、何年かたって初めて執刀したが、思いの外に手が動いた。今の合理的な教育といずれが良いのか判断が難しい。しかし、いずれも教わるより自分で工夫して、人の技を盗むしかない。教わるよりも慣れよ!である。

学問も芸も同じである。

苦労して覚えたものはなかなか忘れないから、甘やかされて教わる素人はいつまでたっても駄目な訳である。
稽古の時でも、自分の稽古が終ればさっさと帰ってしまう。俺より下手な流友の練習なんか見たって仕方がないと思いがちだが、その不心得を大田先生は叱責した。下手を見たらどこが駄目なのか研究して、自分のために役立てよ、と戒めた。

ある酒宴の席で先生が、「弟子たる者は、師匠のできないことでも、やらねばならぬ!」とおっしゃった。
はて、先生ともあろう者が、随分、理屈に合わないことを言うもんだ、と酒に酔った先生の赤ら顔を見つめていた。「良いか、師匠たる者、自分が出来なくても、これはやらねばならぬと思ったことは、弟子に教育するのが師たる者の務めである」と断言され、筆者は不明を恥じた。

師匠の背中を借りて、それを凌駕するのが師への恩返しである、と。これだけの見識と気宇壮大さを持つ師匠は滅多にいない。
学問の世界でも、弟子の芽を摘んだり、利用する先生はいても、本当に弟子の前途を考えてくれる人格者は少なくなった。

専門職は一流だが人格は二流、専門職は二流だけれど人格は一流、いずれをえらぶかと問われれば、筆者は躊躇せずに後者を推す。専門も人格も一流ならば文句は無いが、そんな人はなかなかいない。

道元禅師はおっしゃる。
「良き師に会えたなら、自己の修業の半ば、達成されたと思え」
まさに、至言である。ただ、例外もある。かく言う筆者のように、良師にめぐり会っても、この態たらくで努力しなければ、良い先生も「猫に小判」と、もったいない話しで終ってしまうから、暇があったら師匠や先輩の芸を見取り稽古して励みましょう。」

いかがでしょう。

この項を無断で拝借いたしました。居合を業ずる者がふとめぐり合った一文に引かれてうなずいていました。
教わる者も教える者も今一度初心に帰ってみるのも良いのではと思います。お許しください。

2012年12月8日に掲載したものですが、ある道場の張り紙に「師の教えに従順あるべし」と言う、情けない事を張り出しているのを見て、この昨年の記事を再び期日を変えて掲載いたしました。

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