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2013年10月 3日 (木)

弟子たる者師匠の出来ぬ事でもやらねばならぬ

このところ何故だかお能の本が集まります。
能楽堂に連れて行かれてあの心地よい世界に引き込まれ舞台の正面で居眠りをさせてもらってから何年たったでしょう。

「眠らせないのも芸のうち、眠らせるのも芸のうち、せめて前の晩は充分睡眠をとっておいでください」と挨拶されて苦笑いをする私。傍で家内は恐縮しっぱなしでした。

武道館で私に懇切丁寧にお能の足運びを教授してくれた御婦人には暫く会っていないなーと懐かしく思い出されます。

足運びと言えば、私に無理やり竹刀スポーツの爪先に力を入れる摺り足を教えようとして肘鉄を食らわせた先輩はこの頃道場に顔を見せないなーと懐かしんでも居ます。

医者で執筆家其の上お能を嗜み、無双直伝英信流を心得ておられる村木泰仁先生の「ノーと言わない能」を読み終えたら忽ち「続ノーと言わない能」が送られてきました。

「続ノーと言わない能」平成8年発行著者村木泰仁 株サンライズ企画

とにかく乱読・速読手当り次第もようやく納まりつつあるこの頃なのに再び眼を覚まされたように、日に3、4冊を同時に読み漁っています。

其の中に居合の師匠大田次吉先生との事がありました。少々長くなりますが、引用させていただきます。

「この偉大な先生に薫陶を受けたのだが、不肖の弟子は、先生がご他界遊ばされたのを期に止めてしまったが、兄弟弟子や相弟子は、今も精進して立派になっている。習い初めは、早く数々の技を覚えたくて、満足に他人の技を見ようともせず、盲滅法に刀を振り廻していた。ある日のこと、大田先生が道場に見えられ、「人の稽古をよく見なさい」と言われた。
上手な人を見るのは良いが、人の稽古を見るよりは、その分、稽古に励んだ方が効率がよいと思い、「はい」と変事だけで、棒振りに勤しんでいると、兄弟子の、「稽古止めい」の号令。「これから大田先生のお話がある」
曲がった腰をピンと直された先生は眼光炯々として、しっかりした口調で申された。「諸君等は、見取り稽古をしなさ過ぎる・・・人を見て己の足らざるを補え・・・下手を見ても・・・そこから学べ!」目から鱗が落ちる思いだった。

「門前の小僧、習わぬ経を読む」の諺がある。何事も慣れてくるとばかにして甘く見て、初心を忘れてしまう。これが油断大敵で学問、武道、芸道なんでも同じである。
昔は筆者の本業の医者の世界でも、なかなか大きな手術をさせてくれない。満を侍しているのに先輩にお鉢が回るばかりで、いつも見取り稽古、頭の中では完璧に手術はできているが、それでもさせてくれない。さて、何年かたって初めて執刀したが、思いの外に手が動いた。今の合理的な教育といずれが良いのか判断が難しい。しかし、いずれも教わるより自分で工夫して、人の技を盗むしかない。教わるよりも慣れよ!である。

学問も芸も同じである。

苦労して覚えたものはなかなか忘れないから、甘やかされて教わる素人はいつまでたっても駄目な訳である。
稽古の時でも、自分の稽古が終ればさっさと帰ってしまう。俺より下手な流友の練習なんか見たって仕方がないと思いがちだが、その不心得を大田先生は叱責した。下手を見たらどこが駄目なのか研究して、自分のために役立てよ、と戒めた。

ある酒宴の席で先生が、「弟子たる者は、師匠のできないことでも、やらねばならぬ!」とおっしゃった。
はて、先生ともあろう者が、随分、理屈に合わないことを言うもんだ、と酒に酔った先生の赤ら顔を見つめていた。「良いか、師匠たる者、自分が出来なくても、これはやらねばならぬと思ったことは、弟子に教育するのが師たる者の務めである」と断言され、筆者は不明を恥じた。

師匠の背中を借りて、それを凌駕するのが師への恩返しである、と。これだけの見識と気宇壮大さを持つ師匠は滅多にいない。
学問の世界でも、弟子の芽を摘んだり、利用する先生はいても、本当に弟子の前途を考えてくれる人格者は少なくなった。

専門職は一流だが人格は二流、専門職は二流だけれど人格は一流、いずれをえらぶかと問われれば、筆者は躊躇せずに後者を推す。専門も人格も一流ならば文句は無いが、そんな人はなかなかいない。

道元禅師はおっしゃる。
「良き師に会えたなら、自己の修業の半ば、達成されたと思え」
まさに、至言である。ただ、例外もある。かく言う筆者のように、良師にめぐり会っても、この態たらくで努力しなければ、良い先生も「猫に小判」と、もったいない話しで終ってしまうから、暇があったら師匠や先輩の芸を見取り稽古して励みましょう。」

いかがでしょう。

この項を無断で拝借いたしました。居合を業ずる者がふとめぐり合った一文に引かれてうなずいていました。
教わる者も教える者も今一度初心に帰ってみるのも良いのではと思います。お許しください。

2012年12月8日に掲載したものですが、ある道場の張り紙に「師の教えに従順あるべし」と言う、情けない事を張り出しているのを見て、この昨年の記事を再び期日を変えて掲載いたしました。

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道場訓」カテゴリの記事

コメント

追伸、ミツヒラ様、私の亡き師匠が生前に繰り返して云っておりました中に、「居合は人と業の芸術である、一つの演武を見ることは、一枚の絵画を見て感動するのに似ている」と云っておられました。 クレヨンで子供が描いたような初心者のヘタクソに見える絵の中に、感動を見つける目を養え、初心を忘れるなとの思いからか、若段者の演武をしっかり見ては御指導いただきました。
今は風の便りですが、以前の道場では、相変わらず軍事教練のごとく、機械体操のように掛け声に合わせて居合を抜いており、指導者側が若段者の演武をつべこべ突っつき回しては勘違い指導を続けているそうです。
ミツヒラ様の「諸君等は、見取り稽古をしなさ過ぎる・・・人を見て己の足らざるを補え・・・下手を見ても・・・そこから学べ!」目から鱗が落ちる思いだった。

素晴らしい師匠の御言葉でございます。 このような先生や先輩方に巡り会えるのは、運だけなのでしょうか?

移籍をする以前に直接休会を願い出たのですが了解後にメールが届き、休会のことに難癖をつけ、挙げ句の果てには退会したら復帰させないとの文面。
結局20年以上居合を続けて来たと云っている
この二代目代表は、師匠の何を見て学んで来たのでしょう。
師匠より私に、この二代目を支えてくれと頼まれて3年付き合ってきましたが、呆れてしまいました。
タガが外れてしまった道場と連盟を後に、一年たちましたが、今は良い師匠や仲間たちと稽古に汗する毎日です。
それが今は大切にしたい、私の武術への道になっております。 しかし、御世話になった古巣が、日だまりの樹にはなって欲しく無いなぁと思ってもおります。

からくり侍さま
コメントありがとうございます。
「しかしお世話になった古巣が、日だまりの樹になって欲しく無いなあ」
その思いはからくり侍さまの亡き師匠のお声でもあるのでしょうね。
古巣へのノスタルジアはあっても、帰らぬ世界でしょう。
きっとからくり侍さまの今の修行に亡き師匠の思いは詰まって居られるだろうと思います。
私の書の師匠も、書くことの楽しさを教えて逝ってしまわれました。
私もお弟子さん方に、書くこと、自分の思いを書ける楽しさを一生懸命伝えています。
                  ミツヒラ

投稿: からくり侍 | 2013年10月 4日 (金) 13時07分

ミツヒラ様、2013年1月14日の私のコメントですね。
恥ずかしながら、本当に悩みに悩んでおりました。
私の最初の師に、私より長い間ついて学んだ先生クラスの先輩方なのに…。
最初の師は、曲がった事が大嫌いで、文に武に深い師匠でありました。
御高齢でありました為、演武する際は、座っての業がつらそうでしたが「こうやって抜き付けるように」と自ら丁寧に教えていただきました。
煙草が好きな師匠で、稽古の休みはイップク。兄弟子たちと一緒に師匠を囲んで楽しく笑ったものです。
今になって思えば、現在の代表や、その取り巻きは、その輪には入って来なかったので当時は不思議に思っておりました。
師匠は「お前は上手くなるよ」と時々声をかけて下さって、居合人としてどうあるべきなのかを、度々質問しては教えてくれました。
ミツヒラ様が驚いたと云われます文言とは無縁の道場でした。
師匠が体調不良を理由に稽古から顔を見る機会が減って来ると、年明け早々に行われておりました恒例の初抜きの開催日も、年明け1ヶ月近く開けて開催されるようになり、初抜き大会と云う意味が不明瞭になってしまいました。
コレも御時世と思って、先に道場で新年の挨拶と稽古を済ませた後に、初抜き大会と云う具合に変わってしまいました為か、参加者も年々減ってまいりました。

その内に、地区の講習会も参加者が減りますので、大会や講習会等の行事に参加しない者にはペナルティを、差別化をと思ったのか、地区で個人カードのような物を発行し、参加の度にスタンプをもらうようになります。

管理と云う名を借りた、上から目線の暴走が始まってしまいました。
事の首謀者は、我が道場の二代目代表とその取り巻きですから、道場の中もモラルハザードでガタガタです。
そんなこんなしている間に居合の素晴らしさを伝えて、愛した師匠が亡くなってしまいました。 最後に師匠から「何のために居合をするのか」と云う御言葉を残されて旅立ってゆかれ、私たちには師匠からの宿題を、居合を続ける大きな目標を問われたと思っております。
多分、上記の道場の 地区の有り様を嘆いての御言葉とも感じております。
私は師匠追悼を最後に、移籍し楽しんでます。

からくり侍さま
コメントありがとうございます。
すばらしい師匠に出会えて厳しくとも楽しい修行の日々が見えるようです。
NO2を自負する人は、大方便利な事務方です。
権力を得た様に錯覚しているものです。
求めるものは同じでしょうから、居場所を変えられたのは良かったですね。
先方は追い出したと思っているのでしょうが、情けないことですね。
                     ミツヒラ

投稿: からくり侍 | 2013年10月 4日 (金) 09時10分

ミツヒラ様、寒い日が続いておりますが、お元気そうで何よりでございます。道元に「正師を得ざれば学ばざるにしかず」という言葉があります。
仏道に限らず、勉強、武道など、全ての物事に当てはまる言葉であります。
「三年学ばずして、正師を求めよ」という位、正しい師を探すのは重要なことなのでありますね。
しかし、せっかくの正師の教えも、引き継ぎで愚者の手に落ちることも…。
光陰空しく度ること莫れ。

去る勇気も必要ですね。

からくり侍さま
コメントありがとうございます
今年もよろしくお願いいたします。
よい師に会えるなどは極めて稀な事だろうと思っています。
私は人にとやかく面倒を見られたり、いじられたりするのが嫌いな天邪鬼です。自分をどんどん進化させて行きますと、適時にすばらしい人に出会うものですね。
それを信じて歩いています。
          ミツヒラ

投稿: からくり侍 | 2013年1月14日 (月) 14時40分

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