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2014年3月 4日 (火)

曽田本其の2を読む1表紙

曽田本其の2を読む

 1.表紙

大森流長谷川流居合術解

故 行宗貞義先生 門人 旧姓 土井

無双直伝英信流
下村派第十六代 筆山 曽田虎彦 記

*表紙は「大森流長谷川流居合術解」とあります。いずれ土佐の居合の手引を出版する意図があったのでしょう。

このブログでも紹介した事のある、曽田先生のお弟子さんであった山本俊夫先生のメモ「無双直伝長谷川英信流居合術極秘」の中に昭和18年1943年11月4日に藤並神社奉納居合の際での話で、曽田先生が「土佐居合兵法叢書」を近いうちに出版される由、話をされ昭和19年初めならんとあります。戦火厳しい折、出版は難しかったろうと思います。
昭和20年7月には高知市は米軍によって火の海だったようです。
戦後はそれどころではなかったでしょう。
余談ですが山本先生の祖先は甲斐の軍師山本勘助との事。

曽田先生が書写されたような神傳流秘書について一部分或は全部を公に出版されたものを上げておきます。

河野百錬著「無双直伝英信流居合兵法叢書」昭和30年1955年

政岡壹實著「無双直伝英信流居合兵法地之巻」昭和49年1974年

木村栄寿著「林崎抜刀術兵法夢想神傳重信流傳書集及び業手付解説」昭和57年1982年

曽田虎彦先生については土佐の居合の下村派の名人として知られていますが詳しい事は知られていない様です。

曽田虎彦先生は明治23年1890年1月9日生まれ、昭和25年1950年1月9日享年60歳没と、このブログをお読みになった曽田先生のお孫様からご連絡を頂きました。

曽田先生の家系図

土井楠吉正尚-長男 久寿次郎
         -三男 亀江
         -四男 虎彦

三男 亀江先生は土井家から小藤家へ養子に出て後再び土井姓を名乗られています。
四男 虎彦先生は土井家から曽田家へ養子に出て曽田姓を名乗られた様です。

三男土井亀江先生は谷村派の谷村樵夫自康に師事し、同じく谷村派の第十六代宗家五藤孫兵衛正亮にもついていますから、谷村派の居合です。同門は第十七代大江正路先生、森本兎久身先生。
曽田虎彦先生は下村派第十五代行宗貞義先生について下村派第十六代を自負されています。
行宗先生の師は下村派第十四代下村茂市先生で同門は細川義昌先生です。
曽田先生は高知二中の時に一年から五年まで行宗先生について居合を学び、二中を卒業して高知武徳殿の助教師に抜擢されたようです。

曽田虎彦先生の直門の方は竹村静夫・楠瀬庸方・山本俊夫先生方が居られたようです。
この明治から昭和にかけては、下村派・谷村派の混線もあったようですし、師弟関係も複雑です。
河野百錬先生も曽田先生との交流もあったようで伝書を写させてもらったり業技法の教えも受けられたようです。それが「無双直伝英信流居合兵法叢書」に反映していると思われます。

私の手元にある、曽田メモ(曽田本・曽田本2)原本は、曽田虎彦先生のご長男の土居龍彦様から「自分は居合はやらないので君が持っていてくれ」と手渡された当時ご長男と職場の同僚であった中田敏之先生の手を経て、その同門の方から原本を元に此の素読を託されました。
中田先生は山本宅治先生の流れを汲む「土佐英信流」の著者太田次吉先生の御門下の方です。
「土佐英信流」は組太刀のテキストで昭和55年発行で中田敏之先生が打太刀、仕太刀は山口克夫先生です。
縁と云うのは不思議なもので、この曽田本の写しは、中田先生から蘆洲会の岩田憲一先生に渡り、岩田先生の平成元年発行の「土佐の英信流 旦慕芥考」に名士の記録として掲載されています。岩田先生が居合を始められたころには曽田先生はお亡くなりになっています。

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