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2014年4月

2014年4月30日 (水)

曽田本その2を読む2の1英信流居合の形6請流

曽田本その2を読む2

 1、英信流居合の形(大江正路先生、堀田捨次郎先生著)

 6.請流(納刀 立姿 大江先生独創のものなり 之は秘書にはなし尚伝書口伝にもなし 曽田メモ)
刀を腰に差したる儘静に出て打は刀を抜きつゝ左右足と踏み出し上段より正面を斬り体を前に流す、仕は左足を右足の側面に出し、刀を右頭上に上げ受け流し、左足を踏み変え右足を左足に揃え体を左へ向け、打の首を斬る、仕は左足より左斜へ踏み、打は左足より後へ踏み退きて青眼となり次に移る也

*この受流しは大江先生の独創された形でしょう。古伝にはこの動作の請流しは有りません。
古伝神傳流秘書の大森流居合之事の「流刀」の立っての組太刀です。大江先生の奥居合立業の「受流」です。
太刀打之事には業名で「請流」があるのですが動作は異なります。

古伝神傳流秘書太刀打之事「請流」参考に原文のまま記します。
「遣方も高山相手も高山或は肩へかまえるかの中也待処へ遣方歩行右の足にて出合う打込を打太刀請扨打太刀の方より少し引て裏を八相に打を左足にて出合うて留相手又打たんと冠るを直に其儘面へ突込み相手八相に払うをしたがって上へ取り右の足にて真甲へ勝」

大江先生の奥居合立業の「受け流し」そのものを仕は演じている様です。
「(進行中左足を右足の前に踏出し身を変して請流す)左足を出すとき、其左足を右斜に踏み出し、中腰となり、刀の柄元を左膝頭の下として、刀を抜き直に其手を頭上に上げ、刀を斜とし、体を左斜前より後へ捻る心持にて受け流し、左足を踏みしめ、右足を左足に揃え、右拳を右肩上に頭上へ廻し下し、上体を稍や前に屈めると同時に真直に左斜を斬る、揃えたる足踏みより左足を後へ引き、血拭い刀を納む。」

*形の「請流」と奥立業の「受け流し」の違いは、左足の踏込みの状況に在る様に読めるのですが、形の「仕は左足を右足の側面に出し」では少々意味が解りません。奥でも似たようなものですが「左足を右足の前に踏み出し」ですから右足の少し前の方が除け流しにならず良いでしょう。
請け流しの方法は奥の受け流しの動作はこのようにする道場もあるようです。
形では受流された打の首を斬るのですが、奥の受け流しは八相に構えるや「真直に左斜を斬る」です。

どちらも古伝に無い、大江先生の大森流を元にした独創でしょうから同様な意味合いと思います。

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2014年4月29日 (火)

曽田本その2を読むの2の1英信流居合の形5鍔留

曽田本その2を読むの2

 1、英信流居合の形(大江正路先生、堀田捨次郎先生著)

 5.鍔留(打は中段仕は下段の構え 伝書による月影なり 之は月影のことを記せり 曽田メモ)
互に青眼の儘小さく五歩を左足より引き、打は中段となり、仕は其儘下段となる、互に右足より三歩出て打は右足を左足に引き上段に冠り真直に打下し、仕は右足を左足へ引き上段となり右足を出して打ち下し、互に刀を合す、仕、打鍔元を押し合い双方右足を後へ引き右半身となり刀は脇構となりて刀尖を低くす、打は直に上段より右足を踏込み仕の左向脛を切る、仕は左足を充分引き上段となり空を打たせ上段より頭を斬る、打は二歩出て仕は二歩退り青眼となり互に小さく五歩退り血拭納刀
(打は仕の左脛を打つ時は中腰となり上体を前に流すなり)

*これも曽田先生は伝書の太刀打の位の月影だとおっしゃいます。
大江先生は大森流(正座の部)の勢中刀の業にこの月影の業名を使ってしまっていますから是は鍔を押し合う業だから鍔留にされたようです。

打仕共に前回の独妙剣で中央に戻り青眼で刀の物打を合わせています。
互に左足(後ろ足=退き足)より小さく五歩下がり、打は其の儘青眼、仕は下段に取ります。
互にそこから右足より三歩出て、打は右足を左足に引付上段に冠り右足を踏み込んで真直ぐに打ち下す、仕も右足を左足に引付け上段となり上段に冠り右足を踏み込んで真直ぐに打ち下す。互に刀を合わせ、仕・打共に右足を踏み鍔元を押し合い双方右足を引いて右半身となり、刀を脇構えに切先を後ろに刃を下に、切先を下げて構える。
打はすぐさま脇構えから上段に取り右足を踏み込んで仕の前足の左足向脛に斬り込む。
仕は左足を充分引いて脇構えから上段となり、打に空を切らせ前に及ぶ処上段より頭を斬る。
打は二歩出て、仕は二歩退り青眼となり、互に小さく五歩退がり血拭納刀。

*この大江先生の鍔留は古伝の月影の様ですが、仕打共に真向打ちによる相打ちの仕方が中学生向けに直されています。
上段の振り冠りは竹刀剣道の方法を流用し真剣刀法から見ればおかしな運剣です。

古伝神傳流秘書太刀打之事月影を稽古して見ましょう。
先ず原文を味わってみます。
「打太刀冠り待所へ遣方右の脇に切先を下げて構え行て打太刀八相に打を切先を上げて真甲へ上て突付て留め互に押相て別れ両方共車に取り相手打をはづす上へ冠り打込み勝」

打太刀上段に構え待つ所へ、仕は切先を右下段に構え、スカスカと歩み行き打が八相に頭を打って来るのを、右下段から打の真向に突き上げる様に摺り上げて鍔にて受け留め、互に拳を合わせて押合い、機を見て双方分かれて右足を後ろに車に構える。
打は透かさず仕の向脛に車から打込むを仕は左足を退いて外すや、上段に振り冠って打ち下す。

古伝では、真向相打ちでは無く真向に打込ませる様に仕は右下段構えで歩み行のです。
何が月影なのか古伝のロマンは無風流で良くわかりませんが、この仕の身を土壇となし下段からの突き上げる鳥刺しの如き運剣を云うのかも知れません。
打の打ち下す刀を摺り上げて鍔にて受けるのです。あわよくば突き上げているはずです。
それが大江先生の言う鍔留の由来でしょう。
脇構は車構えです。竹刀剣道の様な刀を見せない様に構えるのとは違い、自然に切先は右斜め後方に有り刃は斜め外向き、刀が相手から充分見える構えでしょう。
打の仕への打込みは車からダイレクトであり、上段に構え直さない。従って尤も打に近い仕の左足脛であるべきでしょう。仕が誘いを掛ければ左肩もありうるものでしょう。
仕は打の斬り込みを左足を退いて右足に引き付けるや上段に振り冠って空を切った打の真向に右足を踏み替えて打ち下すのでしょう。

古伝の運剣には無駄が無さそうです。
大江先生の鍔留と古伝の月影は見た目似ている様ですが如何でしょう。まったく其の術理は異なるものと思います。

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2014年4月28日 (月)

曽田本その2をよむの2の1英信流居合の形4独妙剣

曽田本その2を読むの2

 1、英信流居合の形(大江正路先生、堀田捨次郎先生著)

 4.独妙剣(相八相 伝書による請流なり 之は請流しのことを記せり 曽田メモ)
打は其の儘にて八相となり、仕は青眼にて五歩下りて八相となる、仕は左足より三歩出て右足を踏み出し、打は左足を引きて三本目の如く打合せ左右と二度打合せ、三度目に左足より右足と追足にて一歩ずつ退き、刀を青眼とす、打は右足より追足にて仕の刀を摺り込みて突きを施し、上体を前に屈む、仕は突き来ると同時に左足を左斜へ代し上段に取り、右足を踏み変えて打の首を斬る、互に青眼となりて、打は三歩出て仕は三歩退り互いに構える也。

*この業は伝書による「請流」だと曽田先生はおっしゃいます。少々異なると思うのですがまず、大江先生の独妙剣を稽古して見ます。
独妙剣の業名は古伝の太刀打之事に独妙剣と云う業があって是は、打は上段、仕は下段にて歩み行き打の真向打ちを仕は下段から突き上げる様にして合わせ、鍔迫り合いの上、仕は柄を返して柄頭で打の面を打ち砕くものです。詰合之位の眼関落です。

相八相に構え、仕は左足から三歩出て右足を踏み込んで打の右面を打つ、打は左足を退いて之を受け、次に仕は左足を出し打の左面を打つ、打は右足を引いて之を受け、再び仕は右足を踏み出し打の右面を打つ、打は之を左足を引いて受ける。
互に左足・右足と追い足で一歩ずつ退がり青眼に構え物打を合わせる。
打は透かさず右足を踏込み仕の胸を突き、上体を屈める。仕は突き来ると同時に左足を左斜め前に踏み出し同時に左柄手を上に上げ敵刀を巻き落としに躱し右足を踏み変えて打の首を斬る。

この打の突きを仕が躱して打を打つ業を古伝の請流しのことと曽田先生は仰います。
古伝神傳流秘書太刀打之事請流(原文のままに記します)
「遣方も高山相手も高山或は肩へかまえるかの中也待処へ遣方歩行右の足にて出合う打込を打太刀請扨打太刀の方より少し引て裏を八相に打つを左足を出合うて留相手又打たんと冠るを直に其儘面へ突込み相手八相に払うをしたがって上へ取り右の足にて真甲へ勝」

双方、上段又は八相に構えて、仕はすかすか歩み行き右足を踏み込んで打の左面を打つ、打は之を左足を引いて受け、右足を少し退いて仕の右面を裏八相に打つ、仕は左足を踏み込んで之を受け、再び打が打とうと左足を引き八相に構える処、仕は透かさず打の面に右足を踏み込んで突きを入れる、打は仕の突きを八相に払う処、仕は払われるに従って左足を左斜めに踏み出し、体を代わり刀を右から振り冠って右足を踏込み打の真向に打ち下し勝

古伝は仕が打に突きを入れる処、打は堪え切れずに仕の刀を八相に払ってしまう、その機に乗じて左へ転じて真向に斬ると云うものです。
大江先生の場合は「相青眼から打が仕の刀に摺り込んで突いて来るのを仕は右斜め下に裏鎬にて巻き返しつつ摺り落す」
古伝は、「仕は八相から打の面に突き込み、打は上段から横に払ってくる処を従って体を開いて請け流して打込む」

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2014年4月27日 (日)

曽田本その2を読む2の1英信流居合の形3絶妙剣

曽田本その2を読む2

 1、英信流居合の形(大江正路先生、堀田捨次郎先生著)

 3.絶妙剣(相八相 伝書による請込なり 之は請込のことを記せり)
打は其儘にて左足を出し体を斜め向きに八相となり、仕は青眼より左足を出して八相となり、仕は其の儘右足より五歩進み右面を斬る、打は八相より左足を引きて仕の太刀と合す、仕は左足を出し打は右足を引きて前の如く打ち合わせ、打は左足を引きて上段構となり斬撃の意を示す、之と同時に仕は右足を出して右半身とし中腰となりて左甲手(? 曽田メモ)を斬る、静かに青眼になりつゝ打は三歩出て仕は三歩退く。

*曽田先生の言うこれは古伝太刀打之位の「四本目請入」(請込とも云う)でしょう。
大江先生の絶妙剣は、相八相ですから仕も左足前で八相に構えます。「八相となり、右足より五歩進み右面を斬る」は、仕は八相から右足・左足・右足・左足で上段に取り、右足を踏み込んで打の右面を斬るのでしょう。
右足より五歩と云うのは歩み足を意味します、右足を踏み込んで斬るならば左面が普通なのですが、ここは右面を打ち打と刀を合わせます。
仕は、再び上段になるや、左足を踏み込んで左面に打込み、打は之を右足を引いて合わせます。
打は左足を退いて上段になる処、仕は中腰になり右足を踏込み右半身となって八相から打の左甲手を斬り勝を制します。

現代では通常教えられる通りですと、八相の構えは左足前ですから左足から(出るは出足)出て四歩目に打は上段になり右足を踏み込んで仕の左面に斬り込みます。仕は機先を制して之を上段になり右足を踏み込んで左面に斬り込み双方刃を合わせます。
次に仕は左足を踏み込んで打の右面を打ち、打は之を右足を退いてこれを請けます。
打は左足を退いて上段に取り斬り下さんとする処、仕は透かさず右前方に右足を踏込み打の左斜めから左上腕部に切り付けて勝を制します。

大江先生よりもスムーズな動作ですが、いかがでしょう。

古伝神傳流秘書太刀打之位「請込(請入)」」を読んで見ましょう。
「前の如く打合(遣方も高山(上段)相手も高山或は肩へ構え(八相)るかの中也待処へ遣方歩行右の足にて出合う打込むを打太刀請)相手八相に打を前の如くに留又相手より真向を打を体を右へ開きひじを切先にて留勝」

曽田先生は左甲手への斬り付けは「肘へすける」はずだと云うのでしょう。
上段に構えて斬り込むならばそれも良いでしょう。八相の構えを上段に取り直して斬り込む必要はあるのでしょうか。
古伝は構えを高山(上段)・肩(八相)の二つをどちらでも良いと云っています。おのずから運剣が異なるものです。
竹刀剣道の方法で、八相から上段に構え直して斬り込む風をこの頃学校教育の中で定着させて来ています。教育方針には逆らえず、学校で指導する以上古伝の運剣は捨てざるを得なかったと思う次第です。

この大江先生の業名絶妙剣は古伝太刀打之位の絶妙剣からの引用です。古伝を反故にする意図が見られるものかも知れません。
古伝絶妙剣は、仕が上段から打の真向に打込み十文字に受けられ、打が仕の真向に打込んで来るのを切先に左手を添えて頭上で受け留め、打の刀を摺り落して切先打の胸に付ける、打は摺り落されて刀を左肩上に取る。
この業は詰合之位の鱗形に見られるものです。

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2014年4月26日 (土)

曽田本その2を読む2の1英信流居合の形2拳取

曽田本その2を読む2

 1、英信流居合の形(大江正路先生、堀田捨次郎先生著)

 2.拳取(立姿 納刀 伝書による附込なり 曽田メモ)
一本目同様虎走りにて出て膝にて抜き合せ、仕は左足を打の右足の側面に踏込み左手にて打の右手頚を逆に持ち下へ下げる、打は其儘にて上体をやや前に出し、仕はそれと同時に右拳を腰に当て刀尖を胸に着け、残心を示す、仕は一歩退く打は一歩出て青眼の構えとなる(仕は五歩青眼にて退り打は其の儘にて位置を占む)

*大江先生の二本目は「拳取」です。古伝の「太刀打之位二本目「附入」」でしょう。
「附入」;前の通り抜合せ相手後へ引かんとするを附入左の手にて拳を取る右の足なれ共拳を取る時は左の足也

大江先生はどうやら形だけ教えようとしたのでしょう。仕が打の拳を取り固める事を主として語っています。堀田先生の見た目ではその様に見えたのかも知れません。

古伝は、打が退いて均衡を破るその機に、仕は左足を踏み込んで附け入り、左手で打の右手を取って固めています。
附け入るには右足で踏み込むのだが柄を握る右拳を取りに行くのだから左足で踏込めと云います。
大江先生の形の名称は「拳取」でしょうが、ここは敵との間を開けないで附け入っていく事を学ぶものでしょう。
一本目は、敵の抜き付けんとするに先んじて抜き付ける気を養い、退かんとするに附け入って打込む事を学びます。
二本目は同じく、敵に後の先で抜き付け、敵を圧して、敵退かんとする機に深く附け入って敵を固める事を学ぶのでしょう。
ここは手だけで拳を取りに行くのではなく、体で附け入っていく事が大切でしょう。

形は申し合わせだからと云って、踊りを踊っているような演武をよく見ます。
或はこれが剣術とばかりに、木刀が折れるばかりに打込んでいるのを見ます。
又、手の内の妙を見せんと、寸止めばかりに気を入れているのを見ます。
居合の様に一人演武では無く、仮想敵の様に自分に都合のよい架空の敵との攻防では無いものですから、業の要求する理合と術理、或は敵の動作の変化に応じる事を学ぶべきでしょう。

古流剣術の師匠から「かたちではない」と戒められます。
「かたち」ばかりに拘り、足踏みや歩数などや打込む角度などに気をやっていると、「実戦で鍛えた無法者に簡単にやられますね」、と笑われています。

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2014年4月25日 (金)

曽田本その2を読む2の1英信流居合の形1出会

曽田本その2を読む2

 1、英信流居合の形(大江正路先生、堀田捨次郎著)

 1.出会(立姿)(納刀)

打太刀は柄に手をかける、仕太刀も打太刀の如く柄に手をかけ双方体を少し前方に屈し虎走にて五尺の距離に出て右足を出したる時膝の処にて打は請け、仕は抜打にて刀を合す

仕は直に右足左足と一歩摺り込み上段より真直に打ち込む、打は左足より右足と追足に退き刀を左斜にして受け

仕は二歩退く打は二歩出て中段の構となり残心を示す、之より互に五歩退き元の位置に帰り血拭い刀を納む。

*大江先生の形の一本目は「出会」です、是は古伝神傳流秘書の「太刀打之事 出合」と思われます。
古伝の出合:相懸りにかゝり相手より下へ抜付るを抜合せ留て打込相手請る右足也
古伝は打太刀を打とも相手とも敵とも云います。仕太刀を仕とも遣方とも我とも云います。

大江先生は古伝を解りやすくしているのか、堀田先生が習ったまま見たままを記述されたのか、これが大江先生の「英信流居合の形 出会」の原本でしょう。

この業の動作で、「膝の処にて打は請け、仕は抜打にて刀を合す」は打が先に仕掛け、仕が機先を制して打に打込み、打はその仕の斬り込みを膝の処で危うく受け止めたと解するのでしょう。
打は仕を導いて勝ちパターンを身に着けさせるものと、古来より言い習わされています。相打ちでは無いのでしょう。

「仕は直に右足左足と一歩摺り込み上段より真向に打込む」についてですが、双方虎走で右足を踏出して抜付けています。大きく踏み出し抜付けた右足を更に摺り込むには、左足を右足に引き付けて右足を踏出す、或は左足を踏み出し右足を踏出す歩み足でしょう。
竹刀剣道の様に左足を蹴って右足左足と摺り込む事もあり得ます。
打の後退が大きければ、左足、右足と歩み足が妥当ですが、打は「左足より右足と追足に退き・・」ですから、抜き付けの際の後ろ足である左足からの退きは大きい退きになりそうもないと思われます。右足・左足と退く歩み足ならば、仕も歩み足が必要です。

河野先生の昭和8年の無双直伝英信流居合術全の英信流居合形「出合」では「仕太刀は直ちに右足にて一歩摺り込み上段より・・」と直され「打太刀は左足より右足と追い足にて退き・・」と直されています。
更に昭和17年の居合道図譜の「出合」では、「打太刀は左足より一歩退き・・仕太刀は左足を継足して諸手上段となるや右足を一歩摺り込みて・・」となります。

もう一つ、打太刀が仕太刀の真向打ちを受ける動作ですが「刀を左斜にして受け・・」と云うあいまいな表現はいくつもの請太刀を作り出している様です。
刀を左斜めとは、左上に切先を向け柄を右斜め下にして、柄に諸手を掛けて受ける、右片手で受ける、左手を物打に添え右手を柄にして受ける。
何れも顔面頭上に左上がりに切先を取り刃を上にして受けるのでしょう。或は右左を逆にして柄を左に切先右上もあり得ます。
ここは、打が仕をどのように打ち負かそうとして、仕の攻めが早くやむなく頭上で受け留めたという処です。請け太刀の収集をしてみれば面白い処です。

河野先生は、大日本居合道図譜では、諸手を柄に掛け、切先を右に向け刃を上に刀を水平にして顔前頭上で受けています。
尚「真向より敵刀諸共斬下して勝つ」とすさまじいものです。
この文章のつもりで、木刀で力一杯打込めばどうなる事やら・・。
木刀による形稽古の限界が防具を着けた竹刀による試合稽古に劣る処でしょう。
但し真剣は当てっこでは無いのでその辺が気になります。

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2014年4月24日 (木)

曽田本その2を読む2の1英信流居合の形作法

曽田本その2を読む2

、英信流居合の形 (大江正路先生、堀田捨次郎先生著)

 作法

刀は左手にて鞘を持ち親指にて鍔を支え其の握りを腰部につけ四十五度の傾斜に下げ右手は横腹につけ不動の姿勢となり互に十尺程の距離を取り対向し一礼を行い更に五尺程の距離に進み神殿に向い黙礼をなす

更に向い合い静に正座す刀を右手に持ち替え前に五寸程離して置き互に両手をつき礼を行う(註 之は刀に対する礼ならん)
一応両手を膝の上に置き右手に刀を持ち腰に差し再び両手を膝の上に置き更に左手にて鞘を握り拇指を鍔に添え右手は其儘右足を前に出し其の足を左足に引き揃え直立す

次に左足より互に五歩退り止まる時は右足を前に左足は約五寸程引踏む此の構にて互に進み出でて第一本目を行う

*大江先生の「英信流居合の型」作法ですが、相互の礼は、刃を上にして左手で刀の鍔を支えて、鞘を握った左拳は腰部に付け45度の傾斜で柄を前、鐺を後ろにして持ち、右手は横腹に付けています。
右手の置かれる横腹とは左拳の高さの右腰部か、大腿部か解りません。
互いの礼は双方十尺離れて行います。
次に五尺の距離に互いに詰め、神殿に向い、左手鍔の姿勢のまま神殿の礼をするのです。
現代の方法では、刀を右手に持ち替え、刃を下にして柄を後ろ、鐺を前にして45度に傾けて神殿の礼をしています。
神殿の礼で右手に持ち替えるのは剣道形の方法に習ったやり方でしょう。
河野先生の昭和17年の「居合道図譜」では神殿の礼は「互に十尺を隔てゝ神前に向い右手に刀を取り替えて神座に最敬礼を行う」とされています。
他流派はともかく土佐の英信流は左手に刀を持って神殿の礼をしていたのでしょう。

双方五尺の距離で神殿の礼を行い、互いに向き合いその場所で正座し、刀を右手に持ち替え、座した前に五寸程離して柄を左にして刃を我が方に向け、互いに両手を突いて「刀礼」をする。
この刀の向きについては、現代風にしましたが、違いは無いと思います。
刀礼の後両手を、いったん膝に置き、右手で刀を持ち腰に差し、再び両手を膝に置き、左手で鞘を握り拇指で鍔を支え、右手を膝上の儘、右足を出して立上り、右足を引いて左足に揃えます。

この立ち上がり方は、終礼では、「右足より立ち左足を右足に揃え、互いに三歩退がり直立となり神殿に向い礼をおこない・・」右足を踏み出し立上り左足を右足に引き付け、左足から退がるのでしょう。
業を始める時に立つ足捌きと、業をすべて終わった時の立つ足捌きの違いは何を意味するのでしょう。武道は気の位を心得るとすれば納得かも知れません。

22代のテキストでは、正座の場合「左手を刀と共に己が左腰に付け、両膝を着いたまま腰を上げ、両足爪先立や右足を前に踏み立てる。次いで腰を上げると共に、右足を左足の処に引き寄せ起立する。」(無双直伝英信流居合道解説第一巻礼式平時座位より刀を持ちて起立する場合P38)

立膝の場合の立上り方は「左膝を己が体中心線に近く寄せ、柄に右手を納刀を終えた時のまま掛けて腰を上げ、右足を一歩前に踏み立て、更に腰を上げ中腰になりたる時、左足を右足の傍らに引き寄せ乍ら腰を上げて立上る」(同解説P101)

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2014年4月23日 (水)

曽田本その2を読む2の1英信流居合の形序

曽田本その2を読む2

 英信流居合の形(大江正路先生、堀田捨次郎先生著) 序
(自分昔中学時代二、三、四指導を大江先生より受けたる際単に長谷川流の形と云て居たり(明治37年頃))

無双相伝英信流伝書の業付とは全部不合也(大江先生の独創ならん)

「元来居合術は敵を斬る形なり故に居合には形と云うものあるべからず伝書に示さるゝ詰合之位、太刀打之位と云うべきなり」

*大江先生の形は大正7年の「剣道手ほどき」によって「英信流居合の型」が文字になっています。
曽田先生は大江先生の「英信流居合の形」について、中学時代に2、3、4回大江先生から指導を受けた事がある、その当時は長谷川流の形と云っていた。明治37年頃の事だと云います。
無双相伝英信流伝書の業付にはどの業も適合しないので大江先生の独創だろうとしています。

曽田先生は明治23年1890年に生まれています。中学時代ですと明治35年1902年12歳の頃です。明治36年1903年でしょうか高知二中に入学しています。この年行宗先生に入門しています。
明治33年1900年大江先生は高知二中の剣道教授となっています48歳でした。

「英信流居合の形」は古伝の相伝されたものにも見当たらない、全部業付とも合致しないので大江先生の独創だろう。と云います。
業名は独創ですが、内容は出合(出合)・拳取(附入、附込)・絶妙剣(請入、請込)・鍔留(月影)・真法(打込)などは古伝太刀打之位を参考にされています。括弧内は古伝の業名です。
独妙剣・請流は大江先生の独創でしょう。
業名を変えてしまうと業の持つ意義も異なる様になるものですからその辺にも独創風の印象が強かったと思われます。

大江先生の「英信流居合の形」と云う言い方は、居合と云うのがもともと敵を斬る「形」なのに其の上「居合之形」と云う言い方は無いだろう。
古伝の言う様に「詰合之位」とか「太刀打之位」とか「位」と云うべきだろう。と云うのです。

大江先生、堀田先生の「剣道手ほどき」は大正7年1918年に発行されたものです。
曽田先生が大江先生から指導されたのが明治37年1904年頃ですからすでに14年ぐらい経っています。
明治19年1886年警視庁が「指導上の統制から「警視庁流撃剣形十本」を作っています。
明治39年1906年には「大日本武徳会剣術形天・地・人三本」が発表されています。
その後明治44年1911年には中学校の正科に剣道が加えられ、統一普遍の「形」が求められ大正元年1912年には「大日本帝国剣道形太刀形七本、小太刀形三本」が制定されています。

大江先生の「長谷川流の形」という明治37年1904年頃の言い回しの方が「居合と云う形」に「形」を重複させないので良いという程度のものでしょう。
形はどの流派にもあったもので、土佐の居合は、「位」「仕組」他流では「組太刀」「「形」「勢法」などいろいろです。
土佐の居合も太刀打之位・詰合之位・大小詰・大小立詰・大剣取・小太刀之位などよく整理されていました。位よりも形が一般的だったのでしょう。

現代ではこの大江先生の「英信流居合居合の型」を「無双直伝英信流居合道形」と呼び中には「太刀打の位」とも呼び習わしています。

大江先生の「英信流居合の形」と詰合之位はぜひ勉強して置くべきと思います。
出来れば、太刀打之位、大小詰、大小立詰、大剣取などを稽古されれば、剣術の有り方が理解できてくるはずです。
総合武術にまで至りたい方は夏原流和や板橋流棒などによって体捌きや運剣の至らない部分を補って余りあるものになるでしょう。
残念ながらこれらをすべて指導できる先生は現在の土佐の居合である無双直伝英信流の中に居られるかどうか知りません。

土佐の居合の古伝神傳流秘書を片手に研究会をやっています。道場や師伝を越えて持てる技能を惜しみなくご披露いただければ道は開けると思ってます。

有る先生曰く「古伝などいくら研究しても真実はつかめない」、又ある先生は「自流の掟を破壊する行為である」、又曰「大江正路先師の教え以外に無双直伝英信流は無い」。
更に「古伝など研究するから競技会で勝てない」だそうです。

現状認識しか無いそれも真実でしょう。
何か、近現代史を正しく学ばなかった戦後の日本教育によって、近隣諸国からの抗議に対し国民一人一人が正しく反論し、或は正しく謝罪する術を知らない様な鬱々としたものを感じます。

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2014年4月22日 (火)

曽田本その2を読む14長谷川流奥居合抜方11暇乞

曽田本その2を読む

 14、11長谷川流奥居合抜方(大江正路先生、堀田捨次郎先生著)

 △立業

 (之は座業にて抜くべきものならん? 曽田メモ)

 19.暇乞(黙礼)(行宗先生の分にはなし 曽田メモ)
正座し両手を膝の上に置き黙礼し、右手柄に掛るや刀を斜に抜き付け上段にて斬る。

20.暇乞(頭を下げ礼をする)
両手を板の間につき頭を板の間に近く下して礼をなし、両手を鞘と柄とに同時にかけ、直ちに抜き上段となり前面を斬る。

21.暇乞(中に頭を下げ右同様に斬る)
(極意の大事 曽田メモ)
(両手を床につき軽く会釈するならん 曽田メモ)
両手を膝の上に置き黙礼よりやや低く頭を下げて礼をして右手を柄に抜き上段にて斬る。

*下村派細川義昌先生系統と思われる白石元一先生の奥居合「抜打」
「(互に挨拶をして未だ終らざるに抜き打ちに斬る意)正面に対して正座し抜刀の用意をなしたる後、両手をつきて坐礼を行い頭を下げつゝ刀を抜き上体が起き終るまでにすでに敵を抜き打ちに斬りつく。後血振納刀、大森流「抜打」と同じ。
是は、大江先生の21番目の暇乞と同じようです。

曽田本による神傳流秘書抜刀心持之事には「抜打 上中下(暇乞三本)」があるのですが曽田先生が加筆されたものか伝書にあったものか解りません。
「格の低き者に対する黙礼の時、等輩に対する礼の時、目上の者に対する礼の時」と曽田先生の補足があります。

現代居合では「暇乞その1・暇乞その2・暇乞その3」として大江先生の暇乞が少々変化して継承されています。

河野先生の昭和8年の無双直伝英信流居合術全の「暇乞」

11、暇乞
正面に向いて正座し、両手を前につきてわずかに頭を下げて、礼をなす間もなくうつむきたるまま両爪先を立て刀を抜き取り、左肩側に刀を突込む如く双手上段に振り冠り真向に切り込み、(膝を乗り出し)刀を開きて血振り刀を納めつつ両踵の上に臀部を下し納める。
12、暇乞
正面に向いて正座し、両手を前につき頭をやや深く下げて刀を抜き取りて、動作する事前に同じ。
13、暇乞
正面に向いて正座し、両手を前につき頭が座に着かんとする所迄下げて、間も無く刀を抜き取りて動作する事前に同じ。

*河野先生の暇乞3本と大江先生のものとは、幾分違う様です。大江先生はこの暇乞をどこから導き出されたのか不明です。大森流の抜打が存在していたのでそれより考案されたのかも知れません。
曽田先生は「暇乞は座業の処で抜くべきだろう」と揶揄されています。檀崎先生の夢想神伝流では奥居合座業の部の後ろに河野先生の方法の様にして有ります。

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2014年4月21日 (月)

曽田本その2を読む14長谷川流奥居合抜方10受流し

曽田本その2を読む

 14、10長谷川流奥居合抜方(大江正路先生、堀田捨次郎先生著)

△立業

 18.受流し(進行中左足を右足の前に踏み出し身を変して請流す)
(此の受流しは大江先生の独創のものにて伝書にはなし 曽田メモ)
左足を出す時、其足を右斜に踏み出し中腰となり刀の柄元を左膝頭の下として刀を抜き、直に其手を頭上に上げ刀を斜とし、体を左斜前より後へ捻る心持にて受け流し、左足を踏みしめ右足を左足に揃え、右拳を右肩上に頭上へ廻し下し、上体をやや屈めると同時に真直に左斜を斬る、揃えたる足踏みより左足を引き血拭納刀。

*この大江先生の奥居合立業の「受流し」は古伝には存在しないもので、大江先生の独創だろうと曽田先生は云っています。

古伝神傳流秘書抜刀心持之事には「受流し」の業名はありません。「弛抜」と云う業があって是は「前の如く歩み行敵より先に打を体を少し開き弛して抜打ちに切なり」というのがあるのですが、之では、打込まれたので体を右なり左なりに躱して敵刀を外して抜き打ちに切るので大森流の「請流し」の運剣が見られません。

この業は、下村派の細川義昌先生系統と思われる白石元一先生の長谷川流奥居合にも見られませんから大江先生の独創でいいのでしょう。

古伝の太刀打之事には3本目に「請流」がありますが、是は、仕太刀が打太刀の面に突いて行く処を八相に払われるのを請け流しに振り冠って真向に斬るものです。

大江先生の「受流し」は進行中敵前面より打込んで来るのを、左足を右足の前に斜めに踏み出し、中腰となって、柄を左膝の下に下げて刀を抜き、敵打込むや右手を頭上に上げ、刀を斜めに頭と左肩を覆う様にして敵刀を受け、体を左斜め前より後へ捻る様にして受け流し、左足を踏み締め敵方に向わしめ、右足を左足に踏み揃え、受流した刀の柄を持つ右拳を右肩上に頭上を通して持ち来たり、上体を前屈みにするや敵の首又は肩に右肩上から左斜め下に斬り下す。左足を引き血振り納刀。
血振りの際右大腿に刀を乗せるかどうかは不明です。

京都山内派の「受流」に名残が見られる様です。
「歩みつゝ左足の足先を右にして右足の右に出すと同時に下方に抜刀。頭上にて差し表の鎬にて相手の刀を受流し、右足を足先斜め左に向け片手にて斬下すと同時に左足を大きく斜め左に踏み出し次に右足も左足に揃う如く踏出す。斬り下すと左手柄頭を握る。正面に向き左足を引き血振り納刀。」

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2014年4月20日 (日)

曽田本その2を読む14長谷川流奥居合抜方9壁添

曽田本その2を読む

 14、9長谷川流奥居合抜方(大江正路先生、堀田捨次郎先生著)

△立業

17.壁添(人中の事 曽田メモ)(進行中立止り両足を揃え上に抜き、直下に斬下し竪立に刀を納む)
中央に出て体を直立とし、両足を揃え刀を上に抜き、上段となりて趾先を立てゝ真直に刀尖を下とし斬り下し、其の体の儘刀尖を下としたる儘血拭い刀を竪立として納む。

*曽田先生は是は「古伝の人中だよ」と云っています。
然し下村派行宗師匠の「長谷川流奥居合抜方(行宗先生口伝)」では「壁添へ:(人中のこと)四囲狭き所にて切る」(2014年4月3日)でした。

古伝神傳流秘書抜刀心持之事には「壁添」と云う業名はありません。
「人中」がどうやら、大江先生のおっしゃる「壁添」のようです。

人中:足を揃え立って居る身にそえて上へ抜き手をのべて打込む納るも体の中にて納る

*大江先生の壁添も人中の様に両足を揃え刀を体の左側に添って上へ抜き、上段に取って手を伸ばして、直下に斬り下します。切先は下向きで、その切先の位置で血振りは右足の脇より僅かに出る程度で刀を横に振ります。納刀は血振りの切先を体の左に添って上げ、鍔元7~8寸を鯉口に寄せ柄頭を上に引き上げ一気に体の左側で納刀します。

あたかも、人の中で、敵と向かい合い、左右に大きく刀を振るう事の出来ない場面を想定させます。そのまま両脇が狭い壁などに囲まれた動作にイメージされます。

古伝英信流居合目録秘訣の上意之大事に「壁添」の教えが在ります。
上意打ちを命じられた場合の心得で決して仕損じる事は許されません。

壁添:壁に限らず惣じて壁に添たる如の不自由の所にて抜くには猶以て腰を開きひねりて体の内にて抜突くべし切らんとする故毎度壁に切あてかもいに切あてゝ仕損ずる也突くに越したる事なし就中身の振廻し不自由の所にては突事肝要也

古伝は壁などの左右が不自由な所では抜いて斬れでは無く、抜いて突けと云っています。
突く場合の抜刀は「向詰」の「抜て諸手を懸け向を突き打込む」の突きでしょう。
上に抜上げて真向に斬り下すのは人中の業で、この場合は左右の人も害せずに、敵との間に人が邪魔しない位接近する様な運剣でしょう。

この「壁添」の心得を「人中」の技に変えて作られたのが大江先生の「壁添」でしょう。

現代居合では、場の想定をいろいろ模索され、河野先生は「我が前面に敵を受け、左又は右に壁ありて抜刀自由ならざる場合い刀を上方に抜取り・・」でした。その後21代では「正面に敵を受け、左に壁ありて普通の如く抜刀し得ざる場合、左上方に刀を抜き取り・・」と変わっています。

場の想定が狭い十字路で、左右何方からか敵が現れるのを斬るとか、四方が狭いとかいろいろ聞きますが此の運剣は古伝の「人中」の方法がぴったりです。

場の想定に気を取られるよりも、身の内で両足を揃えた運剣操作の不安定さを如何に補う事が出来るかの方が重要でしょう。

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2014年4月19日 (土)

曽田本その2を読む14長谷川流奥居合抜方8門入

曽田本その2を読む

 14、8長谷川流奥居合抜付(大江正路先生、堀田捨次郎先生著)

 △立業

 16.門入(進行中片手にて前を突き、後を斬り前を斬る)
右足の出たる時、刀を抜き、左足を出して刀の柄の握りを腰にあて、刀峯を胸に当て右足を出して右手を上に返し刀刃(? 曽田メモ)を左外方に向て敵の胸部を突き、其足踏みの儘体を左へ振り向け後へ向き上段にて斬り、直に右へ廻り前面に向き上段にて斬る。

*この手附も良くわからないのですが、やってみましょう。
右足の出た時、刀を抜き出し右半身となる、左足を踏み出し右半身から左入身となり刀の柄を持つ握り拳を腰に当て、切先を正面に刀の峯を胸に当て、切先やや上向きとして、右足を踏込み、右柄手を上に返して刀刃を左に向けるや敵の胸部を突く。
(この刀刃を左に向ける理由がわからないと曽田先生は?を付けています、切先上がりの突きで敵の胸を突くわけで、拳が下向きで刀刃は右外、右肘の脇に柄を密着して突いた方が安定するはずです)。
その足踏みの儘上段に振り冠りつつ左廻りに振り向き諸手上段から後敵を斬り下し、直に右より廻り上段にて前方の敵を斬る。

*前敵を右足を踏み込んで突いた其の足の儘回転する足の捌きです。足の踏み替えはありません。
この「門入」に相当する業は古伝神傳流秘書抜刀心持之事には見当たりません。無双直伝英信流居合目録には上意之大事に「門入」の業名が存在します。内容は不明です。英信流居合目録秘訣には上意之大事に「門入」があるのですが、門内に入る心得です。
「戸口を出入するの心得也戸口の内に刀をふり上て待つを計知ときは刀の下緒のはしを左の手に取り刀を背てうつむきとどこをり無く走り込むべし我が胴中に切りかくるや否や脇差を以抜つけ足をなぐべし」

奥居合立業の「門入」は大江先生の独創なのでしょう。

昭和8年の河野先生の無双直伝英信流居合術全では門入は「・・右手を柄に掛け右足を出し前に抜き、左足を踏出して右拳を後方に引き(刀身は水平にして刀尖は鯉口の近くに)右足を踏み出し、同時に右拳を前方に突込み左足を中心として左に廻りつつ諸手上段に冠りて右足を大きく後方に踏み込みて切り下し、更に左廻りに(左足を中心として)にて正面に右足を踏込みて切下し・・・」

*大江先生の独創の門入が変化しています。正面の敵に切先鯉口から突きに行っています。右足は左足を軸に踏み替えられています。
更に(頭上に鴨居又は門等ありて、刀尖が閊える場合に行う業)と場の状況も負荷されます。

足踏みについては、前敵を突く時右足を踏み出し、左廻りに後へ廻り、右足を踏み込んで後敵を斬り、その足踏みで振り返り前敵を斬る、のもあります。(野村凱風先生)

現代居合では河野先生の手附に従い右足の踏み替えと、鴨居に閊え無い様に刀の運びを鴨居下では水平に上段に取り柄が己が顔前頭上に出る位に取り腰を低めたまま振り冠り、鴨居を出てから斬り下す様にします。

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2014年4月18日 (金)

曽田本その2を読む14長谷川流奥居合抜方7袖摺返

曽田本その2を読む

14、7長谷川流奥居合抜方(大江正路先生、堀田捨次郎先生著)

立業

15.袖摺返し(伝書にはなし 曽田メモ)
(進行中抜き放ち刀を身(左の身)に添え群衆を押し開き進みつゝ斬る)右足の出たる時刀を静かに抜き、直ちに右手は上へ左手は下へ胸の処にて組み合わせ、足は左右と交叉的に数歩出しつゝ両手肘に力を入れて多数の人を押し分ける如くして左右に開き、直に上段に取りて中腰にて右足の出たる時前面を斬る(右手を開く時は両手を伸ばす、肘の処を開くこと)」

*この「袖摺返し」は古伝神傳流秘書抜刀心持之事には業として存在しません。大江先生の創作かも知れませんが、なぜか下村派の行宗先生の口伝には(2014年4月2日)には奥居合の立業として掲載されています、「袖摺返し:(伝書にはなし 曽田メモ)人をおしわけて切る(左足にてかむり、右足にて切る)」これでは大江先生の「袖摺返し」其の儘です。

「袖摺返し」と云う業名は、古伝神傳流秘書の「大小立詰」の一本目に「袖摺返」として存在します。(2013年2月9日)
「我が立て居る処へ相手右脇より来り我が刀の柄と鐺を取り抜かせじとする時其儘踏みしさり柄を相手の左の足のかゞみに懸け中へ入り又我右より来り組付をひじを張り体を下り中に入る」

大江先生の袖摺返しは、古伝神傳流秘書の抜刀心持之事「行違」の業の替え業だったかも知れませんし、その業から思いついたものかも知れません。

古伝「行違」「行違に左の脇に添えて払い捨て冠って打込也」(2013年3月8日)

*歩み行くうち、前方から来る敵の害意を察し、間境で右足を踏み出し前方に刀を抜き放ち、右足を左足に退き揃え同時に左肩下に刃を外にして左腕に付け腕を組み、敵とすれ違う瞬前に左足を敵に付けこむ様に踏み出し敵の胴を払う。右足を前方に大きく踏み込み払い捨てた敵に左足を軸に左廻りに振り向き上段から切り下ろして勝つ。
この払い捨ては、敵の胴を払うのでしょう。
双方歩みよるのですから、間の取り方がポイントでしょう、足捌きが重要です。敵とすれ違う寸前に我が刀は左腕に添わされ刃は外を向き敵に触れる寸前である事でしょう。

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2014年4月17日 (木)

曽田本その2を読む14長谷川流奥居合抜方6行違

曽田本その2を読む

14、6長谷川流奥居合抜方(大江正路先生、堀田捨次郎先生著)

△立業

14.行違(進行中正面を柄頭にて打ち后を斬り又前を斬る)
右足の出たる時(敵の顔面を柄頭にて)左手は鞘と鍔を拇指にて押へ、右手は柄を握りたるまゝ前方に伸ばし柄当てをなし、其足踏みの儘体を左へ廻して後方に向いつゝ抜き付、右手(? 曽田メモ)にて斬り、直に前方の右へ振り向き上段にて切る。

*この業は古伝神傳流秘書の抜刀心持之事では「連達」でしょう。
「歩み行内前を右之拳にて突き其儘に左廻りに振返り後を切り又前へ振向て打込也」

古伝の「行違」は「行違に左の脇に添えて払い捨て冠って打込也」というもので、前進中前方から歩み来る敵が左脇を通過する寸前に、刀を抜き左肘の上に乗せ左脇に添えて右足を踏み込んで敵の左胴を払い捨てに斬り付け左に反転して上段から斬り下す、と云うものです。袖摺返の様な運剣が含まれるものです。
大江先生によって改変の際捨て去られた大業です。

古伝の連達は前方から二人の敵が歩いて来て、先頭の敵を遣り過ごすや後方の敵に右拳で打込み怯む隙に後方へ振り向き、異変に気付いて振り向く敵に斬り下し前に振り返って真向から斬り下すものです。

曽田先生は大江先生の後の敵を斬る際「ここで右片手抜き打ちかい?」というのでしょう。

下村派の行宗先生の「行違」「柄頭にて前をつきふり返りて切る」だけです。

下村派細川義昌先生の系統と思われる白石元一先生の場合は、「摺違(歩行中擦違う際敵を斬る意):歩行中敵と擦違う一歩手前に於いて右足を踏み出し刀を抜き、左足を出すと同時に刀を左側に取る。此の時右手は左肘の外に位置し、左手は鯉口を持ちたる儘右脇腹に取り左右の腕は交叉す。
続いて右足を踏み出し擦れ違いざまに敵の胴を横に払い、直ちに振り返り右足を踏み出すと同時に、再び上段より斬り下す」古伝の「行違」です。

古伝では大江先生の技は「行連」なのでしょう。「行連」の業名は既に奥居合立業の部一本目に使ってしまいました。
大江先生は「行連」は同一方向に歩み行もの、「行違」は前方から歩み来て擦違うものとされたのでしょう。

このように、古伝の業名と業技法をいじらなければならなかった理由が伝わってこないのはどうしてでしょう。
土佐の居合に大森流を入れたりしてもその理由が述べられていたし、重信流を英信流と呼びならわす理由も古伝は伝えて来ています。
運剣の所作が刀の形状や帯刀の違い、そして人の力量と共に変化するのは当然ですが、大江先生の改変は釈然としません。
明治維新の大改革の中で何か大きな空白を感じています。

古伝神傳流秘書抜刀心持の業名と大江先生の無双直伝英信流の奥居合の業名とを対比しておきます。

古伝:大江先生
向拂:霞、柄留:脛囲、向詰:両詰、両詰:戸詰・戸脇、三角:なし、四角:四方切(変形)、棚下:棚下(変形)、

人中:壁添、行違:連達、連達:行違、行違:なし(袖摺返変形)、夜之太刀:信夫、追懸切:なし(正座の部追風変形)、五方切:惣捲(変形)、放打:惣留、虎走:虎走、抜打:暇乞(1・2・3)、なし:門入(創作)、

抜打:なし、弛抜:なし(受流変形)、賢之事(不明):なし、クゝリ捨(不明):なし、軍馬之大事(具足の心得):なし

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2014年4月16日 (水)

曽田本その2を読む14長谷川流奥居合抜方5信夫

曽田本その2を読む

14、5長谷川流奥居合抜方(大江正路先生、堀田捨次郎先生著)

△立業

13.信夫(暗打ち)(異名なり 夜の太刀なり 曽田メモ)
左足より右足と左斜方向に廻りつゝ静に刀を抜き、右足の出たる時、右足を右斜めに踏み両足を斜に開き、体をやや右横へ屈め中腰となり其刀尖を板の間につけ左足を左斜に踏み込みて上段より真直ぐに斬る。

*大江先生の名付けられた「信夫」の業名が曽田先生は嫌なようです。「夜の太刀」なりと、是は古伝の業名を云うべきだろうと云うのでしょう。
然し曽田先生の師匠の行宗先生口伝でも「信夫」と云っています(2014年4月1日)から、この頃業名はどうなっていたのでしょう。

この大江先生の信夫の業手附は方向が解りにくいのですが、やってみます。
進行中、左足を左斜めに踏み出し、右足をその左足の左斜めに踏み出し、静かに刀を抜き、左足を正面に踏み出し、右足を出す時右斜めに踏み、両足が右斜めになる様に開き、体を稍右横に屈め中腰となり刀尖を板の間に打ち、左足を右足の方向に踏込んで上段となり右足を踏み込んで真直ぐに斬る。左へ「く」の字を描く様に足を運ぶのでしょう。何をするための動作なのかこれだけでは解りません。

古伝神傳流秘書抜刀心持之事「夜之太刀」
「歩み行抜て体を下り刀を右脇へ出し地をパタと打って打込む闇夜の仕合也」

河野先生の昭和8年の無双直伝英信流居合術全の「信夫」
「正面に向いて進みつつ例に依りて鯉口を切り体を沈めて向うを透かし見て左に左足右足と二歩披き、正面を見つつ体を右に十分及ばして刀を右前に突き出し、及びたる体を引きお越し空を切らせ、直ちに刀を右より双手上段に振り冠り左足右足と踏込みて切り下し納め終る事前に同じ。詳細は口伝の事。」

*この「信夫」は、「体を右に十分及ばして刀を右前に突き出し」てはいますが、刀で地を打って敵を引き付ける様な事にはなっていない様です。詳細は口伝だそうです。

昭和13年の無双直伝英信流居合道の「信夫」
「・・・体を十分右に及ばして右腕を十分延ばし、刀を右前方に刃を前に向けて突き出し、刀先の裏を軽く床につけ(刀先は最初前進したる直線上にある事)敵その所に斬り込み来るを直ちに右斜め前方に向き直り乍ら刀を・・・」

*詳細は口伝の部分が見えてきました。
意義:暗夜、前方に幽かに敵を認め、吾れ左側に体をかわし、敵の進み来る真正面の地面に吾が剣先を着けて敵を引き寄せ、敵其の所に斬り込み来るを上段より斬り付けて勝つの意なり」

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2014年4月15日 (火)

曽田本その2を読む14長谷川流奥居合抜方4総留

曽田本その2を読む

 14、4長谷川流奥居合抜方(大江正路先生、堀田捨次郎先生著)

 △立業

 12.総留め(進行中三四遍斬て納む)(放し討 曽田メモ)
右足を出して刀を右斜に抜き付け左足を出して抜付けたる刀を納む、以上の如く四、五回進みつゝ行く也、最後の時は其の儘にて刀を納む。

*どうもこの大江先生の手附では、「総留め」がよく見えません。右足を踏み込んで刀を右斜めの敵に抜き付けるのか、現代居合の風では、右足の踏み出しは「出して」だけですから正面に踏み出すのでしょう。
そうであれば「刀を右斜めに抜き付け」は正面の敵に右袈裟懸けでしょか、それとも文面通り右斜め前の敵に抜き付けるのでしょうか、解りません。
何れにしても左足を右足の前に踏み出して納刀する。以上の動作を四、五回行い進み最後は抜き付けて血拭いして納刀でしょう。

この業は「放し討」だと曽田先生はメモしています。古伝は「放打」です。
古伝神傳流秘書抜刀心持之事「「放打」
「行内片手打に切納ては又切数きわまりなし」

下村派細川義昌先生系統と思われる白石元一先生の「放打」
「正面に対し立姿二、三歩前進し、左足を踏出す時抜刀用意、右足を出すと同時に右斜前の敵に対し抜き打ちに右片手にて斬り付け(やや半身となる)直ちに納刀と同時に左足を右足に揃え一足となり、更に第二に現れたる敵に対し前と同様斬り付けたる後納刀。又前同様第三の敵に対して斬り付け納刀(同時に足も一足となる)」

*白石居合では右足を正面に踏込んで、右斜め前の敵をやや半身で右片手で抜付けています。右片手袈裟でいいのだろうと思います。

河野先生も昭和8年の無双直伝英信流居合術全の「惣留」では「・・右手を柄に掛けると同時に右足を踏み出して腰を十分左に「ひねり」て右斜前に抜付け、左足を右足先まで引寄せ乍ら刀を納め・・・」と右斜め前への抜付けです。

河野先生の昭和13年の無双直伝英信流居合道の「惣留」では「・・腰を十分左に「ひねり」て半身となりて抜打に右斜めに斬り付け、左足を右足先迄引き寄せ・・」となって、「右斜め前に抜付け」が「右斜めに斬り付け」と変わっています。更に意義として「吾れ狭き板橋又は堤、或は階段等の、両側にかわせぬ様な場所を通行の時、前面より敵仕掛来るを、その胸部に斬り付け、一人宛をたおして勝の意也」と想定を明らかにされています。

古伝は河野先生の通りであったかは不明です。敵が正面から来ようと右斜めであろうと、両側に躱せぬ場合は、片手袈裟に右袈裟に抜き打つとして稽古すればよいのでしょう。

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2014年4月14日 (月)

曽田本その2を読む14長谷川流奥居合抜方3惣捲り

曽田本その2を読む

 14、3長谷川流奥居合抜方(大江正路先生、堀田捨次郎先生著)

 △立業

 11.惣捲り(進行中面、肩、胸、腰を斬る)
右足を少し出して刀を抜き、其の足を左足に引き寄せ右手を頭上へ廻し右肩上に取り左手をかけ、やや中腰にて(右足より左足と追足にて)敵の左面を斬り、直に左肩上に刀を取り追足にて敵の右肩を斬り、再び右肩上段となり敵の左胴を斬り、再び左肩上段より右足を踏み開き敵の右腰を目懸け刀を大きく廻し体を中腰となして敵の右腰を斬り中腰の儘上段より正面を斬る。

*敵前方より斬り懸って来る、右足を少し出して刀を抜き、その足を左足に引き寄せ、右手を頭上に上げて刀を抜き取り、「右肩上に刀を取り」は、八相の構えでしょうか。
右足を踏み込み左足を追い足に敵の左面を斬る。
八相から上段に構え直し、上段から左面を斜めに斬るのは竹刀剣道の高野先生の「剣道」ですから、ここは八相から左面にダイレクトに斜めに斬り込んでいるのでしょう。
直ぐに刀を「左肩上」にですから逆八相に取り右足を踏み込み追い足で敵の右肩を斜めに斬り、再び「右肩上段」は八相から敵の左腰を斬り、再び「左肩上段」は「逆八相」より「右足を踏み開き」ですから、右に開いて中腰となり、車に取ってでしょう、刀を敵の右腰目掛けて左から右へ大きく廻し斬りして敵の右腰を斬り、中腰の儘上段に振り冠って右足を踏み込み上段より真向に斬り下す。

古伝の運剣法なのか、現代居合の動作とは、だいぶ異なるようです。

現代居合は河野先生の大日本居合道図譜の惣捲
「・・前進し乍ら右足の出たる時刀を水平に抜きかける。
敵刀を受流し乍ら右足を左足に退き付け上段となり、敵の退くに乗じてすかさず右足を踏込み敵の左面に斬り付ける。
次に左面に斬り込みたる刀の途より上段に冠りながら右足を踏込むや(左足も連れて)敵の右肩より袈裟に斜めに斬り込む。
次に同要領にて上段となり右足を踏込みて(左足も連れて)敵の左胴に斜に斬り込む。
次に同要領にて上段より刀先を左方に廻し刃を前に水平に構えるや右足を深く踏込み(左足は其位置に)乍ら体を沈めて腰部に斬り込む。
上段となるや直に右足より少し踏込む心持にて敵の真向に斬り下す。

*河野先生の運剣は竹刀剣道の運剣です。「左面を斬り込みたる刀の途より上段に冠り」は「まくり斬り」する古伝の教えを考えると、切り払って、後ろから頭上で剣尖を廻す、廻し斬りの方法もありうるものでしょう。

下村派の行宗先生は「総捲り 五方切」
「総まくり、五方切りとも云う」

古伝神傳流秘書抜刀心持之事「五方切」
「歩み行内抜て右の肩へ取り切又左より切又右より切段々切下げ其儘上へ冠り打込也」

英信流居合目録秘訣外之物の大事「惣捲形十」
「竪横無尽に打振りて敵をまくり切る也故に形十と有也常に稽古の格くは抜打に切り夫より首肩腰脛と段々切り下げ又冠り打込也」

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2014年4月13日 (日)

曽田本その2を読む14長谷川流奥居合抜方2連達

曽田本その2を読む

14、2長谷川流奥居合抜方(大江正路先生・堀田捨次郎先生著)

△立業

10.連達(進行中左を突き右を斬る)
右横へ右足を踏み体を右に避け、刀を斜に抜き左横を顧みながら刀を水平として左を突き、右へ体を変じて上段にて斬る。

*この連達は左右に敵を請け、並んで歩行中、我は右足を右横に踏み体を右に寄せています。
一歩歩行を盗んでいるはずです。右敵は即座に立ち止まっても、左敵は一歩前に出ているでしょう。或は敏感に左右の敵も立ち止まったかもしれません。或は右敵が一歩先に出て左敵が遅れるかもしれません。

*古伝神傳流秘書抜刀心持之事では「行連」は「立って歩み行内に抜て左を突き右を切る両詰に同じ」でした。これは大江先生の「連達」でしょう。
古伝の「連達」は「歩み行内前を右の拳にて突き其儘に左廻りに振返り後を切り又前へ振向て打込也」です。これは大江先生の柄にて前の敵を打つ違いはあっても「行違」でしょう。

下村派の行宗先生は行連は「右へぬきつけ左を切る」。連達は「左をつきて右を切る」で大江先生と似たような業です。

大江先生の改変は下村派行宗先生にも影響したのか何度も云いますが不思議です。

下村派の細川義昌先生の系統と思われる白石先生の「行違」は「(左右に並んで歩行中の敵に対して行う)右方の敵を抜打ちに右片手にて斬りつけ、直ちに刀を返して右方より振り冠り(左手を添え)右足を踏出して左方の敵を斬る」とあります。
「連達」は「(前後に重なりて歩行中の敵に対して行う)右足を踏出すと同時に前方の敵を抜打ちに右片手にて斬りつけ、返す刀にて後方の敵を斬る(両手にて)」となります。行連も連達も敵の位置関係の違いだけで突き技は無いものです。

現代居合では河野先生の大日本居合道図譜奥居合立業の部「連達」では「敵が我を中にして雁行の場合、又は前述の左敵一歩遅れたる場合、左敵を刺突して右敵の振向く所に斬下して勝つの意也」となって、場の状況を俯瞰して演じています。

文中の「前術の」は「行連」に在る様に「左右の敵と歩行する場合、敵の機先を制し一歩やり過ごし乍ら右の敵を抜打ち、左敵の振り向く所を斬り下して勝つ」の左敵が前に出ず、一歩遅れた場合を云っています。

古伝は「おおらか」です。
場の状況や敵との状況をどのように想定するかは、演じる者に任せているのでしょう。
マニュアルが無いと何も出来ない様では実戦には応じられそうもないのですが、かといって好き勝手では極める事はむずかしいでしょう。

「有形に依って無形を悟る」形を作るものの根元を探求する・・。どこかにこんなセリフが在った様な気がします。

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2014年4月12日 (土)

曽田本その2を読む14長谷川流奥居合抜方1行連

曽田本その2を読む

14、1長谷川流奥居合抜方(大江正路先生、堀田捨次郎先生著)

△立業

9.行連(進行中右に斬付け又左を斬る)
直立体にて正面を向き、左足より数歩出て道場の中央にて左足を左横に踏出し、上体をやや左横に寄せ、右足を右横に踏み出す時中腰にて抜き付け上段にて右を斬る(このへん考えるべし合点行かず 曽田メモ)其の足踏みの儘(? 曽田メモ)左横に体を返して上段にて中腰にて斬る。

*行連の大江先生の手附が合点行かないと曽田先生が文句を付けています。この文章による業の説明に納得できないのでしょう。

曽田先生の師匠行宗先生の「行連」
「右へぬきつけ左を切る」
行宗先生の手附ではどうにもしようがないですね。

大江先生の行連は直立姿勢で正面を向いて、左足から右足、左足と歩み足で数歩出て、道場の中央に至れば左足を左横に踏み出し前進するのを押さえて、上体をその左足に稍乗せて、右足を右横に踏み出しつつ抜きつけ上段より右の敵を斬る。
次の右足を右横に踏み出す時中腰になって抜付け、は、まず横一線に抜き付け、其の上で上段に振り冠って右を斬るのか、曽田先生の「この辺おかしい」に同調してしまいます。
その足踏みの儘左横に体を返して上段にて中腰に斬る、は右の敵を斬り下した右足右、左足其の後方の儘、左に振り向き、左足を左、右足を其の後ろにして左の敵を斬る。と云うのです。ここも曽田先生は「?」です。

大江先生の行連は敵と関係するドラマが読み取れないので困ります。
前進するのをやめて左右の敵を真右・真左に斬るには、左右の敵が立って居る間に踏み入った場合の事でしょう。
そうであれば、右敵を斬った足踏みで左敵を斬れるでしょう。その場合左敵は近すぎるかもしれません。

この大江先生の居合は、堀田先生が見たままを書かれたとは思いますが、場の状況を書いて置きませんと如何様にも思いを巡らせてしまいます。

行連の業名に拘れば、我を中にして、左右に敵を受け乍ら、或は前後に敵を受け乍ら歩行中と云う事になるでしょう。

河野先生の昭和8年の無双直伝英信流居合術全の行連でも敵との関係は「右斜め前の敵を抜打に切り付け、直ちに左斜め前に向き乍ら双手上段に引き冠り右足を踏み込みて左斜め前の敵に切り込み・・」です。右斜前、左斜前の敵を、右足の踏み替えで切っています。

その後の昭和13年の無双直伝英信流居合道では「吾れ不法に連行される如き場合、吾を中に左右に敵あり前進歩行中、敵の機先を制し一歩やりすごし乍ら右の敵を抜打ちにたおし、更に左の敵の振り向かんとする所を切り付けて勝つ・」と大江先生の不備な部分が補われます。

古伝神傳流秘書抜刀心持之事では「行連」
「立って歩行内に左を突き右を切る両詰に同じ」

ですから、座業の両詰を立って行う業としたのでしょう。
両詰:抜て片手にて左脇を突き直に振り向いて右脇を切る。右脇を抜打ちに切り付け左を斬る。

大江先生、堀田先生の「剣道手ほどき」の頃大正7年ではこれで良かったのでしょう。
文字による手附よりも口伝口授の看取り稽古が十分補ったのでしょう。然しポイントを抜いたおおらかな手附では、業ずる者が増えるとあらぬ方に行ってしまうものです。

行連で左足を盗む際、左の敵に体当たりして置いて右の敵を斬る、とか、右の敵を斬っているうちに左の敵が更に前に出ているとか、いくらでもドラマは生まれるものです。

全てのシナリオを完備した台本で演じると些細な部分のみが気になるもので、見事な演舞にはなっても、見事な武術にはなり切れないかもしれません。
然し俺のやり方が武術と称した出鱈目もいやなものです。

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2014年4月11日 (金)

曽田本その2を読む13長谷川流奥居合抜方7虎走り

曽田本その2を読む

 13、7長谷川流奥居合抜方(大江正路先生、堀田捨次郎先生著)

 △座業

 8.虎走り
(中腰となり走り抜斬又後ざりして抜斬る)
座したる処より柄に手をかけ、やや腰を屈め小走りにて数歩進み出て右足の踏み出したる時抜付け同体にて座して斬る。(血拭納刀するや)刀を納めて二、三寸残りし時屈めたる姿勢にて数歩退り左足を退きたる時中腰にて抜付け上段となり座して斬る。

*昨日の居合の疑問11の9、10虎走(2014年4月9日10日)で詳しく書き過ぎてしまいました。

古伝の虎走りは、仕物など云い付けられ、失敗は許されない様な時の心得として、二間も三間も離れた敵を討ち果たす心得で、並び居る人に邪魔されず、敵には気付かせない様に「つかつか」と歩み行き、抜口が見えない様に逆刀で抜き付ける心得でした。ポイントは敵に気ずかせない歩に有るものです。目的を果たし、血振り納刀していると、敵の仲間が斬り込んで来るので、後退して敵間合いに至れば左足を退いて抜付け打込むのです。

現代居合では、この心得は継承されずに、ドタバタと音を立てて追掛けたりしています。
抜口の見えない様にしかも逆刀とは柄口六寸の極意業です。

下村派行宗先生はこの業は「追懸切」と云って「大森流十番と同じ、然れども霞てかかり右足にて突き真向を打つ。」と解説しています。

*これは、抜刀して霞の構え(土佐の居合の霞の構えは解りません。恐らく切先を我が左目に付けた高めの斜め正眼でしょう)で懸って行き間に至れば右足を踏み込んで突き、左足を踏み込んで上段に冠り右足を踏み込んで真向に打込むのでしょう。

大森流十番は「追懸」で「虎乱刀」です。行宗先生の大森流「追懸」
「走りながら抜き付け左足を踏み込み冠り右足を踏み込み切る、血振い立ちたる儘納刀」

古伝神傳流秘書大森流居合之事「虎乱刀」
「是は立事也幾足も走り行く内右足にて打込み血震し納る也但し膝を付けず」

下村派の細川義昌先生の系統と思われる白石元一先生の「虎走」
「(暗夜前方の敵に対して行う以下立業)鯉口を構えるや姿勢を低くして(前方をすかし見る心)数歩小足にて走り行き左膝をつき右足を踏み出すと同時に「横雲」と同様斬り付け、血振り、納刀し(此時尻は踵に付けない)終るや、再び敵前方より来るに依り起ちて一足となり中腰の儘後方に小走りにて数歩退き、右膝をたて左足を退きて膝をつくと同時に横一文字に斬り付く。」2014年2月14日

大江先生も細川先生も下村派第14代下村茂市に習っていますから似ている様です。
然し白石先生は横一線の抜附けだけで追掛けた敵も新たな敵も倒している様です。江戸末期には既に古伝の心得は失念していたのでしょう。

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2014年4月10日 (木)

曽田本その2を読む13長谷川流奥居合抜方6両詰

曽田本その2を読む

13、6長谷川流奥居合抜方(大江正路先生、堀田捨次郎先生著)

△座業

7.両詰(向詰の誤りならん 曽田メモ)
(抜き放し諸手にて真向を突き斬る)
座したる処より右足を少し出して刀を抜き、柄元を臍下にあて右足を踏み出して前方を諸手にて突き、其の姿勢の儘上段にて真向に斬る。

曽田先生の師匠下村派の行宗貞義先生の両詰は大江先生の戸詰・戸脇です。この大江先生の両詰は行宗先生は奥居合立業の向詰です。
どっちもどっちの可笑しな事になっています。大江先生は古伝の向詰を改変して両詰として時の中学生に指導して土佐の居合を存続させてきたのでしょう。

古伝神傳流秘書抜刀心持之事「向詰」
「抜て諸手を懸け向を突打込也」

古伝神傳流秘書抜刀心持之事「両詰」
「抜て片手にて左脇を突き直に振向いて右脇を切る右脇へ抜打に切りつけ左を斬る」

*大江先生は古伝の両詰を向詰に呼称を変え、両詰を戸詰と戸脇に分けてそれぞれに業名を付けたのです。
古伝の向詰は正面に座す敵を突く業技法です。
大江先生は呼称を変えただけの様ですが後の20代は是を、「吾が両側に障害ありて、刀を普通の如く抜得ざる場合にして、刀を前面に抜き取りて、前の敵を刺突して勝の意なり」と替えています。両詰の文言に拘った創作でしょう。

従ってこの業の術理は22代の両詰に凝縮されています。
「正面に向い立膝に座し、刀を前方に抜き取りつつ、腰を上げ左足爪立って刀を抜き取り(刀の抜懸けは我が左半身の裡にて実施する)正眼に構え、右足を踏み込み、敵の喉元を刺突し左膝を右足踵に引付双手上段に冠り右足を踏み込んで真向に斬り下す。
横血振りは少し狭めに行い、納刀は鞘を前方に立て納刀も我が上体前面正中線と平行に近く立てて納刀する。

*余談ですが、大江先生は刀を抜き出す際、右足を少し出すとしていますが、22代は座したその位置で右足を動かしません。

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2014年4月 9日 (水)

曽田本その2を読む13長谷川流奥居合抜方5棚下

曽田本その2を読む

 13、5長谷川流奥居合抜方(大江正路・堀田捨次郎著)

 △座業

 6.棚下(頭を下げて斬る)
座したる処より前方へ頭を下げやや腰を屈し右足を少し出しつゝ刀を抜き上体を上に起すと同時に上段となり右足を踏み出して真直ぐ斬り下す。

*この業は、河野先生の「大日本居合道図譜」の棚下では、「棚の下等の頭の閊える低い場所にある時之を這出でて正面の敵を斬るの意なり」と場の想定が述べられています。

「上体を屈め右足を深く前に踏込み(着眼は正面に)乍ら刀を抜く。左膝を右足踵迄引付けつゝ上体を起し乍ら諸手上段となり、右足を一歩踏込むや敵の真向に打下す。血振い納刀する事同じ」

下村派の細川義昌先生の系統と思われる白石元一先生の棚下
「低き棚の下又は天井床等の下にて前方に居る敵に対して行う意)鯉口を構えたる後左足を十分後方に伸したるまゝ退きて上体を前方へ傾け(此時右足太股に上体を接す)刀を左側にて抜、直ちに振り冠り上体を起す事無く前方の敵を斬る。
血振り、納刀。血振りを行いたる後左膝を床につけ、刀を納るにつれて上体を起し同時に右足を引き付ける。」

*大江先生の手附では「棚下で頭を下げて上体を起すや斬る」運剣法が、河野先生では棚から這い出て切るとなります。
白石先生の場合は、棚下での攻防でしょう。右足を出さず左足を退いて体を低くして上体を起さずに斬り付けています。

古伝神傳流秘書抜刀心持之事棚下
「大森流逆刀の如く立て上へ抜打込む時体をうつむき打込是は二階下様の上へ打込めぬ心持也」

*古伝は棚下での運剣です。上体に添って刀を抜き、上体は「打込む時うつむき打込む」

古伝英信流居合目録秘訣上意之大事「棚下」
「二階下天井の下抔に於て仕合うには上へ切りあてゝ毎度不覚を取物也故に打込む拍子に膝を突いて打込むべし此習いを心得るときはすねをつかずとも上へ不當心持有」

*この古伝は心得です。上体を俯けて打込むのであって、棚下から這い出ません。

河野先生の昭和8年の「無双直伝英信流居合術全」の棚下では「・・体を前に「うつむけ」体を低くして右膝を立て左足を右足踵に引付けると同時に刀を左肩より頭上に引き抜くと共に双手を掛け右足を進めて前に低く切り込み、(打ち下したる時は上体は真直に)刀を開き納刀する事前に同じ」

*棚下から這い出る状況は読めません。これが本来の棚下の運剣法だったのでしょう。
昭和13年の無双直伝英信流居合道及び昭和17年の大日本居合道図譜によって河野先生は幾つかの業技法を場の想定に合わせて変えています。

政岡先生の棚下「前に屈みながら両手をかけ腰を浮かせ、右足を出つゝ刀を前に抜く。
左膝を右足近くまで送り、体はうつむいたまま刀をあげて左手を柄にかけ、なるべく体に近く背に負う如くふりかぶる。
両手を前下に差し出しつつ、体をおこし、両手はそのまま握りしめながら右足を出して、手の内の冴えで切下して終る・・」

*政岡先生の棚下は棚下での運剣技法です。棚下から這い出ていません。

這い出て斬るもよし、這い出ずに斬るもよし、むしろ這い出ない稽古を十分研究すべきかもしれません。

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2014年4月 8日 (火)

曽田本その2を読む13長谷川流奥居合抜方4戸詰・戸脇

曽田本その2を読む

 13、4長谷川流奥居合抜方(大江正路先生・堀田捨次郎先生著)

 △座業

 4.戸詰(右を斬り左を斬る)
抜き付、右の敵を右手にて切ると同時に、右足を右斜に出す、其の右足を左斜め横に踏み変えて上段にて左真直に斬る。

*大江先生によって業名を改変された、古伝神傳流秘書抜刀心持之事の「両詰」でしょう。
両詰は左右に敵を受け其の攻防です。
右敵、左敵を斬る技と、左敵を突き・右敵を斬る二つの業が両詰には含まれています。

古伝神傳流秘書抜刀心持之事「両詰」
「抜て片手にて左脇を突き直に振向いて右脇を切る右脇へ抜打に切りつけ左を斬る」

この両詰について英信流目録秘訣では「是又仕物抔言付られ又は乱世の時分抔には使者抔に行左右より詰かけられたる事間々有之也ヶ様の時の心得也尤も其外とても入用也左右に詰かけられたる時一人宛て切らんとするときはおくれを取るなり故に抜や否左わきの者を切先に而突すぐに右を切るべし其わざ唯手早きに有亦右脇の者に抜手を留らるべきと思う時は右を片手打に切りすぐに左をきるべし」と、あります。

*大江先生は両詰には二つの業が含まれているので、別々の業として業名を改変して作られたのが「戸詰」と「戸脇」です。
古伝に見られるように敵との位置関係を主とする攻防に、場所の想定を付加したような業名とされました.。

後の河野先生は、この「戸詰」を
「我が直前の左右に戸(襖などの建具)あり、其の向う側に座する敵の機先を制し、敷居の向うへ一歩踏み込むや右の敵を抜打ちにし、直ちに左敵を斬り下して勝の意なり」
と昇華させています。

特定された場の想定と敵の位置関係と云う業が出来て来ました。
本来は両詰として両側から攻められた場合の技のバリエーションを稽古して置くものだったろうと思います。

5.戸脇(左を突き右を斬る)
右足を右斜へ踏み出し刀を抜き左横を顧みながら突き足踏みは其の儘にて上体を右横に振り向け上段にて切り下ろす

*この戸脇も前の戸詰めと同じです。
左右に詰め掛けられ、機先を制して左横を突き右横を斬っています。
此の大江先生の業手附では戸脇の場の想定は無いので左右の敵の様です。

後の河野先生は、これを「前述と同様の場合右向うと左後に敵あり、左後敵を刺突し右敵に斬り下して勝つの意なり」と意義を付け直しています。

古伝英信流居合目録秘訣上意之大事「戸詰」、「戸脇」の心得を勉強しておきます。

戸詰:障子或は戸を明けかけて内に入ると云て入る所を戸にて立詰んとするときは是を察して扇を敷居のみぞに入れ其扇のはしを膝にて敷然して内に入るときはたて詰らるゝ事なし

戸脇:戸の手前に立って居てあれえ通れと云て入る所を切らんと心懸るならばつかつかと戸口を入体を歩み行て柄にて胸を押しつけて然而引抜てつくべし亦火急にて既に切りかけられたる時は或は柄を以てはらいのけ早わざをきかすべし亦戸の内に人ありと思はば戸口を直ぐに入る事なく内に人の有る方に向て筋違て入るべし

この戸脇の業は新陰流居合(制剛流居合)に戸入りと云う業があります。
左手を鍔にかけ、右手で戸を開け、内の気配をさぐりつつ左足から屋内に入る。
頭上より斬り懸る屋内の敵に向き直り上体を縮めながら、左手で反りを返しながら刀を顔の前に鞘のまま抜き上げ、柄・鍔で敵の刀を受け止め、右手を柄に掛け反りを返しながら上から一拍子に、片手で切りつけ勝つ。(鹿嶋清孝伝新陰流居合鈴木安近著より)

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2014年4月 7日 (月)

曽田本その2を読む13長谷川流奥居合抜方3四方切り

曽田本その2を読む

13、3長谷川流奥居合抜方(大江正路先生、堀田捨次郎先生著)

△座業

3.四方切り
右足を右斜に出し刀を右斜に抜き刀峯を胸の処にあて刀を平とし斜に左後を突き、右側面の横に右足を踏み変へ上段にて切り、右足を左斜横に踏み変えて(受け返して打つ)上段となりて切り、右足を正面に踏み変えて上段より切る。

*この四方切りは×でも+でも無い変則の敵の配置です。我が右側面の右・正面・左前・左後と云う配置です。
運剣は現代居合と同じ様ですが「右側面の横に右足を踏み変え」の動作がよくわかりません。「右側面の右」は「右斜め後」とも取れます、しかしその後の大江先生系統の先生方のテキストは「右前・正面・左前・左後」の方向なのです。

大江先生は下村派の第14代下村茂市にも指導を受けていますから、相弟子の細川義昌先生ともこの業を習っているはずです。細川先生の系統と思われる白石元一先生の四方切りは古伝の四角です。

白石先生の四角
「鯉口を構え右前角の敵に斬りつくる如く気勢を見せ乍ら右足を出して刀を抜き終るや左後方の敵を刺し、(前後詰と同じ要領にて)返す刀を以て(左方より冠り)右後方の敵を斬り(左膝にてまわる)尚刀を返さんとするや(右方より冠る)、右角の敵我に対し斬りかゝるを受流し、左前角の敵を斬り続いて左方より冠り右前角の敵を斬る。」(2014年2月11日、12日)

古伝英信流居合目録秘訣では上意之大事に三角・四角の業があってその心得を述べています。

三角
「三人並び居る所を切る心得也ヶ様のときふかぶかと勝たんとする故におくれを取る也居合の大事は浅く勝つ事肝要也三人並び居る所を抜打に紋所のあたりを切先はずれにはろうときはびくとするなり其ところを仕留る也三人を一人づつ切らんと思う心得なれば必ず仕損ずる也一度に払うて其のおくれに付込で勝べし」

古伝神傳流秘書抜刀心持之事「三角」
「抜て身を添え右廻りに後へ振り廻りて打込む也」

*三角は、▽でしょう、左前・右前・後に敵を受け、刀を抜くや左前・右前・後と右廻りに一挙に抜付け、敵が遅れを取る隙に上段に振り冠って後ろの敵を真向に斬り、左廻りに右敵の打込むのを受け流し左前の敵を上段から斬り下し、右廻りに上段に振り冠って右前の敵を斬る。

心得の通りであれば、左前の敵に抜き付け、その儘右前の敵に余勢で切り付け、右廻りで後へ振り向き後敵を薙ぎ払って諸手上段から後ろの敵を真向に斬り下す。

△の場合では、左後の敵を突き、右廻りに正面の敵を薙ぎ払い、左から上段に振り冠って右後ろの敵を真向に斬り下し、上段に振り冠りつつ正面に振り返り真向に斬り下す。

四角
「三角に変わる事無し是は前後左右に詰合う之心得也故に後へ迄まわって抜付る也」

古伝神傳流秘書抜刀心持之事「四角」
「抜左の後の角を突き右の後の角を切右の向を請流し左の向を切又右の向を切る也」

*左後の敵を突き、左廻りに左前・右前・右後の敵を薙ぎ払い、右から振り冠って右後の敵を斬り下し、左廻りに左から振り冠りつつ右前の敵を請流し、左前の敵を斬り、右廻りに反転して右前の敵を斬る。

現代居合の運剣法では必ず仕損じると決めつけられています。江戸後期にはすでにこの心得は失念していたのでしょう。

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2014年4月 6日 (日)

曽田本その2を読む13長谷川流奥居合抜方2脛囲

曽田本その2を読む

 13、2長谷川流奥居合抜方(大江正路先生、堀田捨次郎先生著)

 △座業

 2.脛囲
長谷川流2番目に同じ

*脛囲いは長谷川流2番目ですが、「曽田本その2」に大江先生・堀田先生著の長谷川流がありません。

「剣道手ほどき」を曽田先生が写したのがそれです。

脛囲:(長谷川流二番目と同一)膝と竪立斜として、刃を上に平に向けて、膝を囲い(体は中腰半身とす)体を正面に向けて、上段より斬り下す」

長谷川流居合「二番目虎一足」
「正面に座す、静かに立ちながら左足を引きて刀を抜付くと同時に膝を囲う、此の囲は体を左向き中腰となり、横構にて受止める事、此体形にて刀を上段に冠り正面に向き座しながら斬り下すなり。
血拭い刀を納めは一番と同じ(膝を受け頭上を斬る)」

*行宗先生の脛囲も虎一足と同じでしたから、「左足を引き右脛を囲いて切る」と大江先生・堀田先生の脛囲と変わらないものでしょう。

「刃を上に平に向けて、膝を囲い」の動作は無双直伝英信流山内派に見られる動作に近そうです。
「立ち上がり左足を右斜め後に引き体左向き両足を開いて腰を落として刀を抜いて右脛を囲う。柄の握り方は横より握り抜く時は剣尖をきかして堅固に刃をうえにして平を敵に向けて鎬により受ける。即、四股の形なり。左右均等の力で受ける。脛と刀とは×の形。」

山内派の脛囲と虎一足の違いは、脛囲は「異なる点は間髪を入れずに行う血振、納刀。及びより低い腰位置の四股となる事。低ければ低い程速い動作とする」

河野先生の虎一足と脛囲の違いは昭和13年の無双直伝英信流居合道では「虎一足と同様なり」とあります。
昭和17年の大日本居合道図譜でも脛囲を「虎一足と同意につき省略す」で省略されてしまいました。

脛囲の古伝は神傳流秘書によると抜刀心持之事「柄留」でしょう。
「虎一足の如く下を留て打込む」
古伝の虎一足は「左足を引き刀を逆に抜て留め扨打込み後前に同じ」です。
虎一足も柄留も脛囲も同じでいいのでしょう。奥居合の場合は「格を放れて早く抜く也」です。
素早い動作でしかも「柄留」の業名を思い描いて演じるのかもしれません。

現代居合では虎一足と脛囲の違いを「脛囲して左足を跪くとき、左足を進めず、そのまま跪き斬り下すとき右足より前進する。」と21代のテキストは区別しています。22代もそれを踏襲されています。

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2014年4月 5日 (土)

曽田本その2を読む13長谷川流奥居合抜方1霞

曽田本その2を読む

 13、1長谷川流奥居合抜方(大江正路先生・堀田捨次郎先生著)

 △座業

*前回は下村派の行宗先生の業を曽田先生が綴ったものでした。それに対応する様に谷村派の大江先生の奥居合を述べています。
大江・堀田共著の事は、「剣道てほどき」の付録にあるもので大江先生が監修し堀田先生が書かれたものでしょう。
大正7年に発行されたもので現代居合としては最も古いテキストです。

1.霞(俗に撫斬りと云う)
正面に座し、抜き付け手を返し、左側面水平に刀を打ち返す。直に上段となりて前面を斬る。

*大江先生によって古伝を改変されたもので、古伝は「向払」です。向うは正面の敵と云う事です。
この手附では、何処をどのように抜き付け、手を返して水平に打ち返すのか解りません。
口伝口授を当たり前として、流の者以外には業を知られないようにした古き時代の名残でしょう。

大江先生の大森流の1番前は「前の敵の首」です。長谷川流の一本目横雲の抜き付けは(敵の首を斬る)ですから、ここも抜き付けの一刀は左から右へ敵の首でしょう、間合い遠く敵が之を外したので即座に手を返し追い込んで右から左へ水平に首に打ち返すのでしょう。直ちに上段となって真向に斬り下すのでしょう。

この「剣道の手引」の後、昭和8年に河野百錬先生が発行した「無双直伝英信流居合術全」
「霞:正面に向い立膝に座し、気分充つれば左手にて鯉口を握り拇指にて鯉口を切り、右手を柄にかけ刀をぬきかけ腰を延び切ると同時に右足を踏出して抜き払い「払いたる手の止まらぬ間に」総体を進ませ乍ら甲手を返して左を払い、(最初敵の右首にぬきつける寸の足らざる故に更に体を進ませて左首に切り返すの意)左膝を進ませると同時に双手上段に振り冠りて切り込み、刀を右に開きて血振い同時に左手を腰に取りて後鯉口を握り、刀を納めつつ右足を引きよせ左踵の上に臀部を下して納め終りて立上り、直立の姿勢となりて次の業に移る。」
行きも返るも大江先生と同じく「敵の首」でした。

その後昭和17年の河野先生の「大日本居合道図譜」では「横雲の要領で敵の顔面に横一文字に斬り付け不十分のため、刀の止まらぬうちに甲手を返し上体を敵に付け入る心持にて少し屈め体を進め乍ら敵の脛に斬り返す」と云う事に変化しています。

向拂の斬る位置
古伝    ?-?
大江先生 首-首
行宗先生 ?-?
政岡先生 こめかみ-こめかみ?
白石先生 右眼-小鬢
河野先生 首-首
河野先生 顔面-脛
22代    首-脛
山内派  両目又は喉-脚又腹、踝下関節
川久保先生 首-脛
大田先生 首-腰
檀崎先生 首-後方(二人目)の敵の首
岩田先生 首-首(足)

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2014年4月 4日 (金)

曽田本その2を読む12長谷川流奥居合抜方7追懸切・総留

曽田本その2を読む

 12、7長谷川流奥居合抜方(行宗先生口伝)

 △立業(奥居合には順序なしと伝えらる)

 9.追懸切
大森流十番と同じ然れども霞みてかゝり右足にて突き真向を打つなり。

大森流十番の虎乱刀と同じだが、刀を抜いて霞に構え追掛けて右足出た時突き、真向に斬り下す。

抜刀心持之事に「追懸切」と云うのがあります。
「抜て向へ突付け走り行其儘打込也」

是は「英信流居合目録秘訣外之物の大事遂懸切」に解説付きです。
「刀を抜我が左の眼に付け走り行て打込但敵の右の方に付くは悪しゝ急にふり廻りぬきはろうが故也左の方に付て追いかくる心得宜し」2013年9月9日

*大森流十番とは「故行宗貞義先生記録写2(2014年3月8日)大森流の「追懸」でしょう。
行宗先生は「大森流は只業而巳格別の書無しと云う」と云って何も手附がありません。
曽田先生が自叙として「大森流居合抜方」を書かれています。その「追懸」
「追懸(追風 大江派)「乱刀 山川久蔵先生の伝書には虎乱刀とある)走りながら抜き付け左足を踏み込み冠り右足を踏み込み切る血振い立ちたるまま納刀」

是は現代居合の「追風」です。

古伝神傳流秘書大森流之事「虎乱刀」
「是は立事也幾足も走り行く内に右足にて打込み血震し納る也但し膝を付けず」

*虎乱刀は抜打ちに切り付ける、追懸切は抜刀して追懸けて切るそんな違いでしょう。

白石居合の「追掛」では刀を抜いて中段に構えて追掛けて間に至れば左足を踏出して上段に冠り、右足を踏み込んで真向に斬り下しています。2014年2月20日

「霞の構え」は土佐の居合ではどのような構えなのか不明です。
「切先を我が左の眼に付け」とありますから、鍔を口の高さ切先は敵の右眼に付けでもいいかも知れません。

10.総留
放し討ちのこと 総どめ

*総留の業名も大江先生により古伝の「放打」を改変された業名です。
古伝神傳流秘書抜刀心持之事「放打」
「行内片手打に切納ては又切数きわまりなし」

現代居合の惣留でしょう。

下村派第15代細川義昌先生系統と思われる白石居合の「放打」
「放打(暗夜前方より来る敵を抜き打ちに数名連続斬る意)正面に対し立姿二三歩前進し、左足を踏出す時抜刀用意、右足を出すと同時に右斜め前の敵に対し抜き打ちに右片手にて斬りつけ(稍半身となる)直ちに納刀と同時に左足を右足に揃え一足となり、更に第二に現れたる敵に対し前と同様斬りつけたる後納刀。又前同様第三の敵に対して斬りつけ納刀(同時に足も一足となる)」

*この総留で行宗先生口伝の長谷川流奥居合抜方は終わっています。
次回からは大江先生・堀田先生共著による長谷川流奥居合抜方となります。

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2014年4月 3日 (木)

曽田本その2を読む12長谷川流奥居合抜方6袖摺返し・壁添へ

曽田本その2を読む

 12、6長谷川流奥居合抜方(行宗先生口伝)

 △立業(奥居合には順序なしと伝えらる)

 7.袖摺返し(伝書にはなし)
人をおしわけて切る(左足にてかむり右足にて切る)

*この業は伝書には無い業で、人ごみの中で敵を斬るのは古伝では「人中」です。
「袖摺返」と云うのは古伝神傳流秘書の「大小立詰」にある業名で、是を大江先生は、「人中」に引き当てたのでしょう。

古伝神傳流秘書大小立詰「袖摺返」
「我が立て居る処へ相手右脇より来り我が刀の柄と鐺を取り抜かせじとする時其儘踏みしさり柄を相手の左足のかがみに懸け中に入り又我右より来り組付くを肘を張体を下り中に入る」

敵が右脇から寄って来て、柄と鐺を取って刀を抜かせないようにするので、後ずさりして柄を敵の左足の膝裏に当てて後ろに倒す。
又は或はでしょう、敵は右側より組付いてくる、我は肘を張って組付かれるのをこらえて体を落として敵に密着して後ろに突き倒す。

大江先生の「袖摺返」(進行中抜放ち、刀を左の身に添え群衆を押開き進みつつ斬る)
「右足の出でたる時、刀を静かに抜き、直ちに右手は上へ左手は下へ胸の処にて組み合わせ、足は左右と交叉的に数歩出しつつ、両手肘に力を入れて、多数の人を押し分ける如くして、左右に開き、直に上段に取りて、中腰にて右足の出でたるとき、前面を斬る、(両手を開く時は、両手を伸ばす、肘の処を開くこと)

*この大江先生の「袖摺返」は古伝の抜刀心持之事「行違」を変形させたものと思うのですが
やってみましょう。
古伝神傳流秘書抜刀心持之事「行違」
「行違に左の脇に添えて払い捨て冠って打込也」

*動作を「行違」から拝借し、次の「人中(ひとなか)」の場の想定を拝借したと想像しています。

8.壁添へ(人中のこと)
四囲狭き所にて切る

*「壁添へ」の業は古伝神傳流秘書抜刀心持之事「人中」の動作を其の儘に、人中を壁に見立てた場違いのものです。

行宗先生の「壁添へ(人中のこと)」は四囲狭き所にて切る、です。
古伝の「人中」を稽古します。
「足を揃え立って居る身にそえて上へ抜き手をのべて打込む納るも体の中にて納る」

大江先生の「壁添へ(進行中立留り両足を踏み揃え上へ抜き直下に斬下し堅立に刀を納む」
「中央に出で体を直立とし両足を揃え刀を上に抜き上段となりて趾先を立てて真直に刀尖を下として斬り下し、其体のまま刀尖を下としたるまま血拭い刀を堅立として納む」

下村派第15代細川義昌先生系統と思われる白石元一先生の「人中」を稽古して見ます。
「人中(多人数の中にて前方の敵を斬る意):鯉口を左脇腹に取り刀を左側に於て上方に抜くや、(此時鞘も同時に下げる如くす)右手を頭上に取りて刀を背後に廻し、左手を柄に添えて前の敵を斬る。
斬り下したる刀を立ちたるまま体に接して刀刃を右に向けつつ右側に取る。(此際刀は略垂直)。
血振りしたる刀を体に接して左前上に取り(左手は鯉口を持ちて最初抜く時と同様脇腹の所に引きつけあるを)左手首外側に添いてやや刀を上に持ち上げ、納刀し終るやもとの如く柄を前方に差し出し一足となる」2014年2月15日

*白石「人中」は、大江先生の爪立つ様子が見えませんが克明です。

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2014年4月 2日 (水)

曽田本その2を読む12長谷川流奥居合抜方5総捲り

曽田本その2を読む

 12、5長谷川流奥居合抜方(行宗先生口伝)

 △立業(奥居合には順序なしと伝えらる)

 6.総捲り 五方切
総まくり 五方切りとも云う

*「総捲り」の業名も大江先生の改変された業です。次の「袖摺返し」などは大江先生の発案になる「行違」の替え業でしょう。「壁添へ」も同様でどうも行宗居合がすっきりしません。

古伝神傳流秘書抜刀心持之事「五方切」
「歩み行うち抜て右の肩へ取り切又左より切又右より切又左より切段々切下げ其儘上へ冠り打込也」

下村派細川義昌系と思われる白石先生の「五方切」2014年2月21日
「右足を出すと同時に左側にて刀を大きく抜くや直ちに上段に取り、先ず右袈裟がけに斬り振り冠り続いて左袈裟掛けに切り、返す刀にて右より胴を払い腰を落として左より足を払い、再び立姿となり右方より上段に取り真向に斬り下す。

大江先生の「惣捲り」(進行中面、肩、胴、腰を斬る)
「右足を少し出して、刀を抜き、その足を左足に引き寄せ、右手を頭上へ廻し、右肩上に取り、左手を掛けやや中腰にて(右足より左足と追足にて)敵の左面を斬り、直に左肩上に刀を取り、追足にて敵の右肩を斬り、再び右肩上段となりて、敵の左胴を斬り、再び左肩上段となり右足を踏み開き敵の右腰を目懸け刀を大きく廻し体を中腰となして敵の右腰を斬り、中腰のままにて上段より正面を斬る、(左面斬り込みより終りの真面に斬ることは一連として早きを良しとす)

*大江先生の刀の抜方は夢想神伝流にも伝わっている様です。奥居合は「格を放れて早く抜くこと 重信流」ですから、さまざまなのか、十分伝授されなかったのかどうでしょう。

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2014年4月 1日 (火)

下村派行宗貞義記録写「誓約」

故行宗貞義先生記録写

夫れ居合術は独技独行なるが故に其之を演ずるに当たってはまず己が胸中に敵を作り敵の己に加えんとする機に先んじて以って勝を制することを学ぶべし

Δ 誓約

 第一 師の指導すに従順なるべし

 第二 礼儀を重んじ長序の別を正し諸事軽薄の行為なきを要す

 第三 猥りに他人の技芸を批評すべからず常に己が技芸の不足を反省すべし

*曽田本その2の書き出しは、曽田先生の師故行宗貞義先生の言われた事を記録したものと言います。

居合と云うものは、一人で技を演じ、一人で行うものである故に、是を演ずるに当たってはまず己の胸中に仮想敵を作って敵が己に加えようとする害意を察しその機に先んじてその動作を制して勝を制することを学ぶべきである。

*胸中に敵を作るのであって、修行が充ればおのずから仮想敵が現れるなどと思うのはおかしなことです。そんなことが起これば妄想の病に侵されているかも知れません医者に診てもらう必要があるでしょう。

敵の動作を想定してそれに応ずる様に稽古をするもので、攻防のドラマを組み立てる様にしなければただの棒振り運動にすぎません。
そのためには、形の稽古をするとか、格闘技を研究するとか人の動きを押しはかる知識や経験値を豊富に学ばなければならないでしょう。

*次の誓約の文言は行宗先生が曽田先生に伝えたものか、何処かにあったものをここに書いたのかわかりません。
同じような文言が、どこぞの道場の壁に貼られていましたが、剣道の雑誌から抜粋したと言っていました。
恐らくこの曽田本その2にあった誓約を誰かが雑誌に転載したのでしょう。
出典が明らかではないのは困りますが、曽田本は戦後の昭和23年に河野先生に曽田先生自ら送られています。
岩田先生には太田先生の御弟子さんの中田先生から写しが送られていますのでその辺から雑誌に出たのかも知れません。

行宗先生の様な下村派の十五代宗家の言葉ならば「師の指導すに従順なるべし」も幾分か理解できますが、戦前の軍人勅諭を思わせるもので時代を感じます。
宗家でもない道場主が「俺の作った道場だから」と生半可な事で之を掲げたのでは重すぎます。
行宗先生の下村派には、業についての手附はなく、師弟一対一の稽古で口伝口授が全てであった様です。
従って、正しく流派の業を習得するには「師の指導に従順なるべし」以外に方法は無いものです。
しかし、その後の流派の技の趨勢を追っていますと、師の教えそのままに従っていたとは思えないのです。更に、ある時期から師を変えて自らの業の極致を求める事も頻繁です。

同じ下村派の第14代下村茂市に師事した行宗居合と細川居合を追ってみても異なる所作を感じます。指導法に違いがあったのか、力量の差なのか、事理の違いか不思議です。

習い覚えたものを正しく伝承するには、正しく伝える技術も、文章力も必要ですし、出来るだけ癖のない動画なども有効でしょう。

正しく習ったとしても、そこから守破離によって己の武術をみがきあげるものでしょう。

文武両道の扱いもままならない人は武道は口伝口授の世界と云って嘯いています。

この道場訓は曽田本その2にあるもので2014年3月5日に掲載したものです。
カテゴリーを「道場訓」として転載しておきます。

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曽田本その2を読む12長谷川流奥居合抜方4行違・信夫

曽田本その2を読む

 12、4長谷川流奥居合抜方(行宗先生口伝)

 △立業(奥居合には順序なしと伝えられる)

 5.行違
柄頭にて前をつきふり返りて切る

*この業名も大江先生の改変されたものでしょう。

行宗先生の「行違」は前の敵を柄頭で突いて、振り返って後ろの敵を斬る、で終わっています。
再び前に振り向き柄当てした敵を斬るような事は無さそうです。柄頭で敵の頚骨を打ち砕いているかも知れません。

元の業名は古伝神傳流秘書抜刀心持之事「連達」のはずです。
「歩み行内前を右の拳にて突其儘左廻りに振返り後を切り又前へ振向て打込也」

我を中にして前後に敵を受け歩み行く時、機を見て前の敵の後頭部を右の拳で突き、即座に振り向いて後ろの敵を片手切りして、前に振り返って諸手上段から真向に打ち下す。

この場の想定は、3人並んで同じ方に歩いて行くのか、前方から敵が来るのか解りません。
「歩み行内前を右の拳にて突き」の状況から不意打ちの様です。前の敵は後向きが妥当でしょう。
前方から敵が来るならば、一人をやり過ごし、後から来るものを拳で突くのも有でしょうが、敵は我の右側を通るか左側を通るかで踏み込みが違います。

下村派の第14代細川義昌先生の系統と思われる白石先生の「連立」2014年2月17日
「(前後に重なりて歩行中の敵に対して行う)歩行中右足を踏出すと同時に前方の敵を抜き打ちに右片手にて斬りつけ、返す刀にて後方の敵を斬る(両手にて)

(前後に重なりて歩行中)ですから同一方向に歩行中と考えていいでしょう。古伝と違って前の敵を後ろから抜打ちに右片手斬りして振り向いて後ろの敵を諸手上段から打ち下すのでしょう。

古伝英信流居合目録秘訣外之物の大事「連達」
「是亦歩行く内に刀の柄に而突き左廻りに後ろえふり廻る拍子に抜打に後ろを切又初柄にて突きたる方を切是は我が前後に敵を連達たる時の事也旅行抔のときは盗賊抔跡先つれ達時此の心得肝要也」

是は前後に敵を受けて同一方向に歩行中です。前の敵を柄で突いています。機を見て突然柄打ちするのでしょう。

6.信夫(暗打)
夜太刀 切先を床につけ敵をおびきて切る

*「信夫」の業名はこれも大江先生が古伝の「夜之太刀」を改名されたものでしょう。

古伝神傳流秘書抜刀心持之事「夜之太刀」
「歩み行抜て体を下り刀を右脇へ出し地をパタと打って打込む闇夜の仕合也」

古伝と想定は同じでしょう、行宗居合はどのように演じるか口伝口授では不明です。

之も白石先生の「夜の太刀」で稽古してみます。
「(暗夜に敵我の誘に斬り込み来るを斬る意)左足を出したる時に抜刀の用意をなし、一旦右足を揃えて一足となりたる後、左足を大きく左方に引くと同時に、刀を右方に抜き刃部を正面に向け(剣尖にて音をたてゝ敵をさそう、此の時顔は正面に向けあるを要す)敵音を聞き斬り込み来ると見るや、切先を右より廻し右足を左足まで退くと同時に振り冠り右方に向きを変え、更に右足を踏み出して真向より斬り下す。」

前進中、左足を出した時敵を察知して、左手を鍔右手を柄に掛け、一旦、左足に右足を引き揃えて立ち止まり、正面を向いたまま左足を大きく元の線上から左に出し、刀を右方に抜き出し刃部を正面に向けて右横の地面を剣先で叩いて音を出し敵を誘う。
敵が音を聞いて斬り込んで来ると見るや、切先を右より廻して振り冠ると同時に右足を左足に引き付け右方に向き直り右足を踏み込んで真向より斬り下す・

敵は我が切先で地面を叩いた位置に斬り込んで来るので斬り込み来り空振りの刃鳴りを聞くや右足を踏み込んで斬るのでなければ斬られてしまいそうです。
敵がどの方角から斬り込んで来るのか、初めに敵を認識した位置が元なのでしょう。

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