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2014年4月 1日 (火)

下村派行宗貞義記録写「誓約」

故行宗貞義先生記録写

夫れ居合術は独技独行なるが故に其之を演ずるに当たってはまず己が胸中に敵を作り敵の己に加えんとする機に先んじて以って勝を制することを学ぶべし

Δ 誓約

 第一 師の指導すに従順なるべし

 第二 礼儀を重んじ長序の別を正し諸事軽薄の行為なきを要す

 第三 猥りに他人の技芸を批評すべからず常に己が技芸の不足を反省すべし

*曽田本その2の書き出しは、曽田先生の師故行宗貞義先生の言われた事を記録したものと言います。

居合と云うものは、一人で技を演じ、一人で行うものである故に、是を演ずるに当たってはまず己の胸中に仮想敵を作って敵が己に加えようとする害意を察しその機に先んじてその動作を制して勝を制することを学ぶべきである。

*胸中に敵を作るのであって、修行が充ればおのずから仮想敵が現れるなどと思うのはおかしなことです。そんなことが起これば妄想の病に侵されているかも知れません医者に診てもらう必要があるでしょう。

敵の動作を想定してそれに応ずる様に稽古をするもので、攻防のドラマを組み立てる様にしなければただの棒振り運動にすぎません。
そのためには、形の稽古をするとか、格闘技を研究するとか人の動きを押しはかる知識や経験値を豊富に学ばなければならないでしょう。

*次の誓約の文言は行宗先生が曽田先生に伝えたものか、何処かにあったものをここに書いたのかわかりません。
同じような文言が、どこぞの道場の壁に貼られていましたが、剣道の雑誌から抜粋したと言っていました。
恐らくこの曽田本その2にあった誓約を誰かが雑誌に転載したのでしょう。
出典が明らかではないのは困りますが、曽田本は戦後の昭和23年に河野先生に曽田先生自ら送られています。
岩田先生には太田先生の御弟子さんの中田先生から写しが送られていますのでその辺から雑誌に出たのかも知れません。

行宗先生の様な下村派の十五代宗家の言葉ならば「師の指導すに従順なるべし」も幾分か理解できますが、戦前の軍人勅諭を思わせるもので時代を感じます。
宗家でもない道場主が「俺の作った道場だから」と生半可な事で之を掲げたのでは重すぎます。
行宗先生の下村派には、業についての手附はなく、師弟一対一の稽古で口伝口授が全てであった様です。
従って、正しく流派の業を習得するには「師の指導に従順なるべし」以外に方法は無いものです。
しかし、その後の流派の技の趨勢を追っていますと、師の教えそのままに従っていたとは思えないのです。更に、ある時期から師を変えて自らの業の極致を求める事も頻繁です。

同じ下村派の第14代下村茂市に師事した行宗居合と細川居合を追ってみても異なる所作を感じます。指導法に違いがあったのか、力量の差なのか、事理の違いか不思議です。

習い覚えたものを正しく伝承するには、正しく伝える技術も、文章力も必要ですし、出来るだけ癖のない動画なども有効でしょう。

正しく習ったとしても、そこから守破離によって己の武術をみがきあげるものでしょう。

文武両道の扱いもままならない人は武道は口伝口授の世界と云って嘯いています。

この道場訓は曽田本その2にあるもので2014年3月5日に掲載したものです。
カテゴリーを「道場訓」として転載しておきます。

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道場訓」カテゴリの記事

コメント

こんばんは。不正発覚により中止されていた八段審査が11月に実施される旨、剣窓・剣道日本・剣道時代に掲載されてました。審査制度の改革としては、今のところ、恐ろしいくらい完璧と思います。①居合道委員は審査員から除外(→情報を漏らすから)②居合道委員は期限付き任期制③審査員名は当日まで受験者に開示しない、などなど。特に③は情報漏洩の監視が重要。まあ、ここまでやらなきゃならないほど、受験する居合道家のモラルが下がってるってことですよ。昨年のスキャンダルの発端となった元委員は段位と称号の返上、金銭授受の八段(全八段数の約30%)は一定期間の資格停止。ここまでは世間の想定内。数年前の容疑者は証拠不十分で逃亡(笑)。綱紀委員会と全剣連が健全な神経なら、八段の容疑者を来月の広島開催の全国大会では演武させないはず。不正への改革の話題は、このくらいにしておいて.....。問題は、ここからですよ。八段審査は、2次審査(古流7本)は撤廃し、1次審査(制定)のみ!六・七段審査も現在は制定3本+古流2本から、次回は古流廃止の旨が伝えられてます。全剣連として、贈賄につながる流派の悪しき伝統(権力者の影響)を排除して、新制度の元で運営したいとのこと。全剣連として居合道部は残す(全「竹」連にさせない)が、昇段が目的なら古流は無用との見解が正式に示されたワケです。私、現役の会社員として、不正撲滅に対する全剣連の方針は間違っていないと思います。が.....一剣士として、何とも複雑な気分です。牛を殺して、角を生かすことになりはしないか?全剣連の枠内では神伝流、直伝英信流、伯耆流、関口流など流派の技法は衰退するでしょう。制定八段、制定範士が量産される時代になります。「全剣連流」の時代到来です。今後、全剣連居合道部での昇段に価値を見出せない者は増えるでしょう。居合「術」と全剣連の竹刀道とでは、やはり相容れなかったってことでしょうかね。円満離婚(笑)?ミツヒラ先生や赤羽根教授のような人材が全剣連から飛び出してくるのではと心配半分、期待半分。私も身の振り方を色々考える今宵この頃です。

兵法流浪さま
コメントありがとうございます。
 竹刀剣道に真剣刀法の術理を持つべきと言うのは、日本の古武道への憧憬にすぎないと思うのです。
 スポーツに勝ち負けだけでない精神性を求めるのは連盟幹部の組織運営上の都合でしょう。勝ち負けに拘れば,必ず致ものが見えてくるはずです。
 竹刀スポーツにもかかわらず江戸時代の封建制度の下で成り立った、現代には意味不明な武士道精神の名残を、剣道と言う「道」の幻に拘っての思いでしょうね。
 居合も形だけを演じているばかりで武術とは言えず何時如何なる変時にも応じられそうもない形だけの武的演舞を好み、古伝など興味なしと言う似非剣士を見ていると、棒振り体操にしか見えません。
 武的演舞、武的体操と思いそれで良ければ制定居合一筋でも、怪しげな古流居合でも同じようなものです。
 古流流派を呼称する者はその奥義を学ぶものでしょう。
 大会で無双直伝英信流と流派呼称をしながら流派の允可も持たない「お化け」がごろごろいます。
 連盟段位が流派の允可より高いと教えられ、流派を軽んじ形だけ真似た似非ものかもしれません。
 制定居合一本で連盟は筋を通すのは連盟の都合であって、それで良いのでしょう。
 其れに拘るものは自らの流派の教えがいずれ消える事を知るだけです。
 古伝から学ぶ者には連盟の都合は無関係な事です。それだけに、流派の古伝をしっかり伝承し連盟などに拘らない本物を目指す者は臆せず手を上げるべきなのでしょう。
 流派の教えすら知らない、興味なしと言う偽物が横行しています。
 業の順番は追えても術が決まらない似非剣士がごろごろいて、連盟段位を取ったから、次は古伝流派の允可だなど何を基準にしているのでしょう。
 どのスポーツでも、真のアスリートは、敬うべき者を知り、真の師を知り、信じた道を歩む、武士道精神を身に付けている筈です。
           ミツヒラ

投稿: 兵法流浪 | 2017年9月29日 (金) 00時21分

ミツヒラ先生のご指摘、耳が痛いです。全剣連の枠内で各古流が共存するには、古流の権力者同士の談合が必要悪でした。この談合に権勢欲が加わり、不正の源になってました。過去に不正を行った八段を罰するには限界があります。九段廃止後も不正の噂は後を絶ちませんでした。居合道部から不正の根を断つには、不正の「拠り所」つまり「古流の権威」を抹殺する以外に方法が無かったということでしょう。全剣連が居合道部員に出した答えは「段位称号が欲しければ恵んでやる、流派の価値が無い段位だがね」ってことです。来年以降は流派の価値の無い昇段制です。権勢欲に凝り固まった者の昇段目標に鉄槌(=ダメ出し)が下されました。居合高段者が流派を名乗れず、格下げされたってことです。全剣連の措置は、ある意味、「本物」を目指す居合道家にとっての「踏み絵」になると思います。全剣連が公式に「昇段には古流は必要無し」と宣言したワケですから。今後の制定高段者は流派を名乗れないってことですから。さて来年以降、「本物」を目指す者が昇段審査を本気で受けるでしょうか??楽しみです。赤羽根教授の「徳川幕府と柳生新陰流」冒頭の一文、「一つの時代を崩壊させる原理は、その時代を成立させた思想の中に含まれている」とあります。20年くらい前の著作ですが、まるで制定居合が「不透明な談合の産物」だったことを暗示してるみたいな一文ですよね(笑)

兵法流浪さま
コメントありがとうございます。
 流派の允可も連盟の段位も所詮意味の有るものでは無く、「俺は偉いんだぞ、強いんだぞ」と見せびらかすだけのものでしょう。其の中で流派の段位など特定の宗家が允可したものでその宗家がそれに相応しいかどうかは疑問でしょう。それに権威づけしたのが連盟段位でしょう。
 ですからもともと連盟は流派などどうでもよかったことになるのでしょう。
 書道界の各団体が個別に段位付けしています。そこで得られた段位や師範など何処に持って行っても書の価値など誰も認めてくれません。読売や毎日の書道会と其の上と言われる日展などでも、入選しても役についても一般人には無関係で、芸術性など団体から得られた資格をかざしても認めてもらえないものです。下手をすれば「金で買った入選や資格でしょう」と思われる程度です。
 見る者の心に語りかけて来るものは資格ではないでしょう。
 武術だって同じでしょう、低段者に打たれる高段者や、見るのも情けなくなる高段者の居合「味があって結構です」とは云うものの資格に敬意を払ってのお世辞でしょう。
 連盟幹部も団体に所属する者ももう一度本気で考えてみる時期に来ていると思います。
 連盟による資格がなければ独りよがりのいい加減な流派が允可状の安売りをして頭を持ち上げて目立ち出すことでしょう。
            ミツヒラ

 
 

投稿: 兵法流浪 | 2017年10月 2日 (月) 22時45分

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