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2014年6月 8日 (日)

曽田本その2をよむの3の1系譜の1

曽田本その2を読むの3

 1、無双直伝英信流居合術系譜の1

1代.林崎神助重信
*一般的には林崎甚助重信でしょう。土佐の居合の根元の巻では林崎神助重信でした。曽田先生もそのままここでは神助です。大正十年に大江先生が鈴江吉重先生に発行された根元の巻も「神助」の儘とされています。
大正14年の大江先生から山内豊健先生へも「神助」です(原本写し)。大江先生は古伝のまま記載されたのでしょう

東北地方に残された根元の巻は、林崎甚助重信です。(林崎神明と林崎甚助重信より)
土佐に於いては、どの代でか書き違えたものがそのままだったと思われます。その甚助が神助となる謂れは不明です。

その後の根元の巻は河野先生が福井先生から昭和25年授与されたものは「甚助」(無双直伝英信流居合兵法叢書より)、その後大田先生が昭和38年に山本宅治先生から授与されたものは「神助」です(原本写し)。

2代.田宮平兵衛業正
*田宮流居合は妻木先生による歴史では、田宮流は今からおよそ4百年前に林崎甚助重信(流名は神夢想林崎流)の直門である田宮平兵衛業正(書物によっては成正、成政、茂正、重正などもある)によって興され、様々な経緯を経て今日につたえられた。業正は関東に生まれたと云われる。東下野守元治にまず夢想流を学び、のちに林崎甚助から神夢想林崎流を修め、自ら工夫を重ねた。そして奥義を窮めたと云われるが、人物像については詳しくない。
とあります。

東北地方に残る根元の巻では、元禄年間の津軽藩の林崎新夢想流は田宮平兵衛照常、新庄藩の林崎新夢想流も田宮平兵衛照常の様に照常の名が残されています。中には田宮平兵衛照常はなく三代目のはずの長野無楽斎槿露が二代目になっていたりします。
実態は不明でしょう。

3代.長野無楽斎槿露
*千城小伝に田宮重正に刀術を学び精妙を得、後井伊侍従に仕え、九十有余歳で死すとあります。
山田次郎吉の日本剣道史に依れば、武芸小伝(千城小伝)では田宮の門としてあるが今傳系によると林崎甚助の門である。上州箕輪の城主長野信濃守の一族で、武田に討亡されたる後、出羽に漂い来って林崎に居合術を学び、さらに工夫を加えて一家を為した。これを無楽流といって羽州殊に会津に盛んに行われた。常に牛に乗って女子に口縄をとらせて歩み行き。上下の差別なく交わり。寒来れども炉せず。一生不犯であったという。最上の人沼澤長政にその伝を授け。これより世々羽州に流儀が残った。上泉伊勢守の孫義胤も無楽に就いて学んだと云う。師系録によれば上泉伊勢守の孫義胤は柳生兵庫の推挙で尾州藩に仕えたと云う。

4代.百々軍兵衛尉光重
*四代目あたりから、目にするものがないと云う事は、東北地方の林崎流とは別の流れが土佐に伝わって行ったのだろうと推察します。

5代.蟻川正左衛門宗続

6代.萬野団右衛門信定

7代.長谷川主税助英信
(土佐の人と云う江戸屋敷にて居合術を修行したる由にて此の時より土佐に伝わる 曽田メモ)

曽田先生のメモに依れば、土佐に伝わった居合は長谷川英信からという事です。百々軍兵衛、有川正左衛門、萬野団右衛問はどこの人なのでしょう。

以下次回へ

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