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2014年7月23日 (水)

曽田本その2を読むの4曽田メモの5居合術の伝統の5英信

曽田本その2を読むの4曽田メモの5無双直伝英信流居合術の伝統の5

第四代 百々軍兵衛尉光重

*百々軍兵衛については何処にも其の人となりを示す文献がありません。
東北地方の伝書では、林崎甚助重信-田宮平兵衛照常―長野無楽斎槿露-一宮左大夫照信-谷小左衛門秀正-・・と伝承されている様です。中には重信公-長野無楽斎―沼澤甚左衛門-・・といった系譜も見られました。

*百々軍兵衛は相知らずとぞ一説に金五中納言に仕人と申すよし(居合兵法極意秘訣より)

土佐の居合は、林崎甚助重信-田宮平兵衛尉業正-長野無楽入道槿露齋―百々軍兵衛尉光重-・・と曽田先生は纏められています。
根元之巻には、林崎神助重信と書かれて現在まで引き継がれています。
土佐の居合の傳系は不透明です。

第五代 蟻川正左衛門宗続

*秀吉公に仕し人也(居合兵法極意秘訣より)

第六代 萬野團右衛門信定

*是同秀吉公に仕(居合兵法極意秘訣より)

五代・六代共に他に資料は有りません。

第七代 長谷川主税助英信
土佐の人、江戸に出て信定(代六代萬野團右衛門信定)に就いて居合術の研鑽をなす。英信流の一派を起す、故に又長谷川流とも云う。

*長谷川主税助は後に内蔵助と言う尾州公に仕千石領す第一弓馬の上手也諸国弓の伝馬の伝得たる人多し(居合兵法極意秘訣より)

*長谷川主税助英信の出自は不明の様です。
曽田先生は土佐の人と断定的に書かれていますが、証明できません。
「英信流の一派を起す」としていますが、大森流、英信流、重信流、板橋流、夏原流が土佐の居合ですが此の事でしょうか。
重信流の東北地方の林崎流などとの突合せが出来るといいのですが・・・。

長谷川英信は江戸時代の系譜にも載っていないのです。土佐に於いて御留め流としたための事かも知れませんが土佐内部資料すら出て来ません。
如何に術理が優れていても、身分の低いものは表には残らなかった時代です。

*曽田本から長谷川主税助英信の名の有る個所を捜してみます。

居合兵法伝来:目録には無双神伝英信流兵法とあり是は本重信流と言べき筈なれども長谷川氏は後の達人なる故之も称して英信流と揚られたる由也(神傳流秘書より)

大森流居合之事:此居合と申すは大森六郎左衛門の流也英信と格段意味相違無き故話して守政翁是を入れ候六郎左衛門は守政先生剣術の師也真陰流也上泉伊勢守信綱の古流五本の仕形有と言或は武蔵守卍石甲二刀至極の伝来守政先生限にて絶(神傳流秘書より)

英信流居合之事:是は重信翁より段々相伝の居合然者を最初にするべき筈なれ共先大森流は初心の者覚易き故に是を先にすると言えり(神傳流秘書より)

*昭和41年8月1日号の全日本居合道新聞に「長谷川主税助英信 身元考」を水鴎流宗家勝瀬光安先生が書かれています。

以下抜粋します。

長谷川主税助英信が、長谷川英信流居合の流祖である事は衆知の事であるが、その身元に関しての細詳はあまり知られていない。
筆者は最近元駿府勤番の士、布施権十郎正秀の後裔の家に伝わる寶蔵院槍術伝書を調査するうち、居合の長谷川主税助英信に該当するらしい人物を発見した。
布施家の寶蔵院流槍術伝書に「長谷川主税助英信は、太平記の越智越前守の末葉也。
讃劦(*讃岐か)に生まれ、後京大阪等を武者修行同様にして廻国なし、江戸芝において竹川無敵、天上天下唯我独尊と看板を出せる時、無敵と仕合をなして、神明前にて高名を現す。
老年の後実子なく甥官兵衛を養子として家を継がしむ」とあり。
槍術に付いては「先師長谷川主税助英信は元来大嶋流の達人也。成年南部に趣き寶蔵院鳳栄に随身し槍法の妙術を得たり。
後推して法蔵院流長谷川派と曰う。
当流にては宝と法と書替えたる事先師英信深き意味あり。
先師英信は紀州家に仕え後浪人となり江戸に居る。
正保年中(1644年~1648年)竹川無敵と真剣の仕合し之に勝ち名を天下に顕す」と誌し。

出生没年に付いては左の通り記載している。
「長谷川主税助英信は文禄七寅壬寅也(文禄は4年までしかありません)、(慶長3年)(1597年)竹川無敵と仕合は正保3年4月(1646年)と也。大阪御陣(慶長19年1614年冬の陣、慶長20年1616年夏の陣)は14歳の時也。
嶋原の陣は37歳の時(寛永14年1637年)也、享保4年巳12月(1719年)死す。歳百十八歳也」

*少々年が合いませんがそう書かれているそうです。

右の伝書の記事を要約すると、長谷川主税助英信は文禄7年(慶長3年)讃岐国に生まれ、武芸修業の為廻国し大嶋流の槍術を極め、更に奈良の宝蔵院鳳栄に付いて宝蔵院流槍術を修業し悟る処あって宝の字を法に改め法蔵院流長谷川派と称した。紀州家に仕えたが後辞して江戸に出で、正保3年4月竹川無敵と仕合して之に勝ち武名をあげた。老年に及んで甥官兵衛英政を養子として家業をつがせ、享保4年12月百十八歳(?)で没した。

但し年代の違う別の目録細註には、紀州の生れとあるが、これは紀州家に仕えたことと、生国とを混同したらしい。

その槍術伝系は左の通りで甲府を経て駿府に伝った。

元祖、宝蔵院鳳栄‐長谷川主税助英信‐長谷川官兵衛英政‐大河原庄兵衛政久-野田市左衛門成方(甲府勤番)-嶋田八郎左衛門利屋(甲府勤番)‐嶋田元次郎利頼(甲府勤番)‐榊原彦太郎政明‐大橋平左衛門豊成‐吉田新五郎種賢‐吉田三十郎種徳‐吉田芳之助種治ー布施権十郎正秀(駿府勤番)
布施権十郎は駿府勤番二百俵高、文久2年5月(1862年)江戸城に於いて剣術槍術を上覧に供士し反物二反を下賜され、又その父権三郎正忠は文化8年2月(1811年)江戸城に於いて一寸二分の強弓を以て弓術を上覧に供し日本一の称を得ている。

この伝書は槍術の伝書だから居合については何も書いていない。従ってこの長谷川主税助英信が、長谷川英信流の英信と同一人物であるとの立証は出来ないが、生国、時代、名前等から考えると同一人物ではないかと考えられる。

この流の槍術には田宮流長谷川派の居合が併せ伝えられている、布施権三郎正忠の武術書上には、田宮流長谷川派の居合を父市郎次正輝につき、寛政二年(1790年)より17年間修業したと誌されている。

或るはこれが今日の長谷川英信流を当時此の地方に於いては田宮流長谷川派と呼んでいたのかも知れない。これだけ資料から一方的な結論は危険だが、若干の信憑性はあるようにも思われる。

註 河野百錬~本稿は6月上旬、勝瀬範士から私に頂いたものであるが、その直後土佐の英信流宗家福井春政先生に、本稿を送付して、ご意見を承った所~英信流の地元土佐には全然長谷川英信公に関する資料は無いとの事であるが、福井先生はかって英信が尾張藩に仕えたとの事を仄聞した事がある。~との御返書を頂いた。駿府布施家に伝わる此の伝書の、英信が英信流第七代の英信公と同一人物かどうかは、勝瀬範士の言う如く、今後の研究にまたねばならぬが、之は洵に当流を学ぶものにとって貴重な掲載を願ったが之を契機に広く当流同人の御研究を切望する次第である。

*その後いかほどの進展があったのでしょう。

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コメント

ミツヒラさま
興味深く読ませていただいています。
長きに渡る歴史の中で、変遷があるべきことは、一つの進化過程であり、人の生業において、避けては通れないもの。
ただ、現代まで、流れが絶たれず現存しえたのは、多くの方の努力と熱意があってのこと。
わたくしたちは、その歴史を軽んじているのではないでしょうか。
いまは、猫も杓子もという風潮で、簡単に業に流れ、業に溺れ、自身の居合いを貶めている者が多く、堕落の一途を辿るような昨今の居合道に、深い憂いを禁じ得ません。
贅沢に慣れ、与えられるものに甘んじ、傲慢になる現代人に、果たして、この道の本義が理解できるのでしょうか。
その歴史を、自ら知ろうとするものが、一体、何人いるものでしょうか。
誰も彼も、自身の業のことばかり。
しかしながら、その業の出自には、目も向けない。
絵に書いたような演武を見せられることに、嫌気がさしています。
目が釘付けになる居合いをされる先生も、極僅かでさえ怪しいほど。
いまは、不毛の時代なのでしょうか。
ann☆

annさま
コメントありがとうございます。
本物って何だ、といつも自問自答して居ます。答えなんて無いのでしょう。素晴らしいテキストや心得を残された大家の動画を見ていても仰っている事とやって居る事は違うと見えてしまいます。そのようで有ろうとする事をテキストに記述していると思い、それを頼りに稽古して居ます。
段位や所属年数ばかりが頼りのものは見るに堪えないものが有るかも知れません。
如何に味があっても武道としてはへぼはへぼ見分ける力が力なのかもしれません。
           ミツヒラ

投稿: ann | 2014年7月24日 (木) 01時38分

ミツヒラさま
お返事ありがとうございました。
わたし自身が、しっかり、学んでいくべきことでした。
愚痴のようになってしまい、申し訳けありませんでした。
未熟な自身を、戒め、お稽古のみならず、出稽古に対しても、真摯な気持ちで励んでいきます。
わたくし自身、まずは自分と向き合い、鍛えて参ります。
ann☆

annさま
コメントありがとうございます。
お読みいただいていると思いますが、ann様にからくり侍さまが、コメントで呼びかけられています。
真面目に居合に取り組む方々が、私の「思いつくままに」に応じていただき、身の引き締まる思いでいっぱいです。
           ミツヒラ


投稿: ann | 2014年7月24日 (木) 16時06分

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