« 曽田本その2を読むの4曽田メモの4居合と剣道 | トップページ | 曽田本その2を読むの4曽田メモの5居合術の伝統の2重信公 »

2014年7月19日 (土)

曽田本その2を読むの4曽田メモの5居合術の伝統の1始祖

曽田本その2を読むの4曽田メモの5無双直伝英信流居合術の伝統の1
(夢想神傳(抜刀)流(術)。神傳流。重信流。林崎流等と云う)

第1代(流祖) 林崎甚助重信(伝書には神助とあり)
正親町天皇の永禄年間の人(約380年前(昭和11年))

羽前の国北村山郡に生まる幼より剣術を好み郷里の林崎明神に祈願を込め百日の満願の折居合術を授り其の技神に入ると云う。

重信が林崎明神への奉納額に
「千早振る神のいさおし我うけて萬代までも伝え残さむ」

永禄4年辛酉(四月)願主當処 浅野改 林崎重信謹百拝
(昭和13年迄 378年前)不明なるも4月ならんか 曽田メモ)

*流祖林崎甚助重信についてですが、土佐の居合の根元之巻では甚助が神助となっています。誤記なのか神として崇めたのか解りません。

重信公の奉納額によれば永禄4年辛酉の年は西暦1561年上杉謙信と武田信玄が川中島で戦った頃です。
この奉納額は140年後の元禄14年1701年8月水戸藩夢想流四世 長谷川卓助によって、重信公のぎ御詠として奉納されたものです。

林崎甚助重信公資料研究委員会による「林崎明神と林崎甚助重信」平成3年発行の居合関係年表によると重信公の様子がうかがえます。
伝承されたものを資料とし、研究委員の考察とされています。

天文7年1538年  父浅野数馬重治 楯岡因幡守満英に士官す。
天文9年1540年  父浅野数馬、母菅野と結婚す。
天文11年1542年 林崎甚助重信生誕 幼名民治丸(伝当社霊験気)
天文16年1547年 父浅野数馬、坂上主膳(一雲斎)に殺さる(武祖伝)
天文18年1549年 民治丸8歳の時東根刑部太夫について武術修行(社伝)
浩治2年1556年  民治丸、林崎明神に百日参籠し、抜刀の神伝を授かる(伝書)
永禄2年1559年  民治丸抜刀の妙を悟り、元服して、林崎流と称し村名を姓とし林崎甚助重信と改め仇討の旅に出る(当社霊験記、居合神社記)
永禄4年1561年  重信、京で仇を討ち帰郷、林崎明神に「信国」の太刀を奉納(当社霊験記)
永禄5年1562年  母菅野死す。重信剣の旅に出る(口碑、居合神社記)
永禄8年1565年  重信鹿島に行き天真正神道流の修行に励む(林崎重信伝)
文禄4年1595年  重信一宮(大宮)の社地に住す(武術太白成伝)
元和2年1616年  重信廻国修行より武州川越の門人高松勘兵衛の許を訪れる(武芸太白成伝)
元和3年1617年  重信高松勘兵衛の許より、奥州へ旅立ち再び不帰(武芸太白伝)

年表が正しければ重信公75歳以降は不明と云う事です。

|

« 曽田本その2を読むの4曽田メモの4居合と剣道 | トップページ | 曽田本その2を読むの4曽田メモの5居合術の伝統の2重信公 »

曽田本その2を読むの4」カテゴリの記事

コメント

ミツヒラさま
詳しく書かれている内容も、『林崎甚助重信公資料研究委員会』のことも、興味が湧きました。
『林崎甚助重信公資料研究委員会』のこと調べて、師にお話しします。
いよいよ、業ノートも大小詰に入りますが、師には、すべて教えていただける約束をいただきましたので、それまでに、すべての業を、知りたいと思います。
こちらの記事を、参考にさせていただきます。
ほんとうに、有り難く感謝するばかりですm(_ _)m
ann☆

annさま
コメントありがとうございます。
「林崎明神と林崎甚助重信」は林崎甚助重信公資料研究会が20年程の歳月をかけて平成3年に発刊された冊子です。
当初居合振興会が発行しましたが今では山形県村山市が受け継ぎ村山市教育委員会生涯学習スポーツ振興係が扱っておられると思います。
真面目な資料集ですから資料を基に研究されるには良いのですが其の儘では読みこなせない場合もあると思います。
たしか3000円送料別だったかと思います。
在庫が少なかった記憶がありますが再々出版されているかどうか知りません。
お読みいただきご感想などお聞かせください。
              ミツヒラ

投稿: ann | 2014年7月19日 (土) 10時06分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 曽田本その2を読むの4曽田メモの4居合と剣道 | トップページ | 曽田本その2を読むの4曽田メモの5居合術の伝統の2重信公 »