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2014年7月24日 (木)

曽田本その2を読むの4曽田メモの5居合術の伝統の6林六太夫

曽田本その2を読むの4曽田メモの5居合術の伝統の6

第8代 荒井勢哲清信

*荒井兵作は関東の人浪人也後勢哲と号す

第9代 林六太夫守政
高知城下南軒町に住す馬廻り格也父を政良と云う寛文3年生生
礼節、居合、和術、剣術、書技、謡曲、俗楽□等人の師たるに足る技16ありしと云う
享保17年7月17日歿行年70歳

*寛文3年1663年生まれ、享保17年1732年歿と生歿年齢が出て来ました。

「居合兵法極意秘訣」(英信流居合口授秘訣)を読んでみますと、明和元年1764年に「老父物語を書き付け置」と書き始まる伝書があります。
書いた人は第9代林六太夫守政の子で第10代林安太夫政詡です。

林六太夫守政の死後32年後に書かれたもので、守正の口伝を記憶を頼りに政詡が書いたわけです。

林六太夫守政に就いては「曽田本スクラップ土佐の居合」で中西岩樹先生の論文があります。
平尾道雄先生(土佐武道史話)の雑録もあり、面白い逸話もあって、すでに公開してありますが改めて後日紹介します。いずれも曽田先生のスクラップからのものです。

第10代 林安太夫政詡
六太夫の養子なり。

第11代 大黒元右衛門清勝
高知市帯屋町の人
大森流は此の人の拵えしものと云う人あるも誤りならん
実は大森六左衛門に始まりたり、林守政の剣道師なり

此の清勝より二派に別れたり故に代記を省略して諸先生の略歴に止む。

*大森流を11代がこしらえたと云う話が有った様です。
神傳流秘書の大森流之事
「此の居合と申すは大森六郎左衛門之流也英信と格段意味無相違故に話而守政翁是を入候六郎左衛門は守政先生の剣術の師也真陰流也上泉伊勢守信綱の古流五本の仕形有と言う或るは武蔵守卍石甲二刀至極の伝来守政先生限にて絶」

大森流は、守正先生の剣術の師大森六郎左衛門の流儀であるが、英信の業と意味合いが同じだから、守政先生が話して(誰に話したのか解りませんが、当時の居合の幹部などでしょう)土佐の居合に組み入れた。
六郎左衛門は守政の剣術の師で真陰流である。
上泉伊勢守信綱の古流五本の仕形が有ると云うのは、大森流の居合にその古流が組み込まれていると云うのでしょうか。真陰流の説明に過ぎないのか解りません。
武蔵の「卍石甲二刀至極の伝来」もあったのでしょう、それも守政先生で絶えている。と云って居ますが「或は・・」の意味は守政先生は剣術は真陰流や武蔵の二刀流をやったと云う意味合いでしょうか、大森流への組み込みか、どちらにも抜刀術は有って稽古もされていたはずです。

武術流祖録に依れば「真陰流」は、天野傳七郎忠久による。水戸家の人也、真野文左衛門と云う者に愛洲陰流の刀術の妙旨を得、又兵学軍礼に達し法名を改て真陰流と号す、其の門多し。

この真陰流の始まりは時代が良くわかりませんが恐らく1700年中期でしょう。

真陰流が新陰流であれば、是も武術流祖録に依れは、上泉伊勢守秀綱で愛洲陰流に刀槍術を学び精妙を得て「神陰流」と号し後「新陰流」と改めています。

この頃の傳系は面白いのですが、どれもどこまで事実かは疑問です。
何時か真陰流は新陰流なのか、と土佐の居合の関連を読み解いてみたく思っています。

*第11代大黒元右衛門清勝より土佐の居合は二派に別れ、谷村派と下村派に別れたそうです。
したがって12代、13代、14代を省略すると云って次回は15代になります。二派に別れた理由、業の内容土佐における地位の有り様、よくわかりません。
現代の大家の言われる事も疑問を持っています。
たとえば下村派は「半身の抜き付け」などは全然確証がとれません。
稽古向けの形だけで判断するのではなく、敵との間が遠ければ半身にならざるを得ないし、程よいならば正対し、間が近ければ再び半身になり、抜き付けも様々に知らなければ役に立たないものです。
津軽に残った林崎新夢想流の抜き付けが何か暗示している様です。

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曽田本その2を読むの4」カテゴリの記事

コメント

ミツヒラ様、居合の歴史はとは調べる程に面白い逸話などが発掘されるのでしょうから楽しみにしております。
ann様、初めまして、からくり侍と申します。 素晴らしい師匠の下で学ばれているとか。 それはとても運の良いことだと思っておりますし、そう云う師匠に学んでいるので、求めるものも深く大きいと感じます。
私も師匠の交代劇に一時期は絶望感一杯で、つまらない稽古の日々の古巣を捨てて、現在の道場の門を叩き、若いですが優れた指導と武道.武術に対する心身面の厳しさと大きな優しさを学べてワザ前も充実感を取り戻しました。
『現代居合は不毛の時代…』は違うとよと、ann様の御師匠様は云いきってくれると思います。
居合の歴史などを語って聞かせられる様な勉強家も、ワザ前をひたすら自己努力で磨こうと云う強者も、後継者を育て上げる、伝えきる責任を『見て覚えろ!見て盗め!』で進めた事も今の人にはあっていなかった事も原因ではないかとも思います。
すなわち、現代人は便利に慣れすぎて五感は退化していると感じます。

からくり侍さま
コメントありがとうございます。
五感の退化とはいいお話をいただきました。
感じる心が薄らいでいては何をやっても始まりませんね。
外は猛暑で小鳥さえも静かに巣の中でじっと耐えている様です。
26度にセットしたエアコンすら寒すぎると感じながらコメントを読ませていただきました。
喜怒哀楽も生半可な訳知り顔の大人に「そんなことを書きなさんな」とたしなめられる幼い心を持ち続けて居たいものです。
           ミツヒラ

投稿: からくり侍 | 2014年7月24日 (木) 09時53分

ミツヒラ様、昨夜は珍客が二階の窓に『ゴツン』と体当たりでやってまいりました。
そう、立派な角を付けたオスのカブトムシです。
昔は毎年、当たり前の来客でしたが、里山の減少が進んでいる為なのか何なのか?最近はトンと御無沙汰でしたから、この夏を知らせる遣いの訪れは、とても感動的です。しばらく手に取り眺めております。
最近の子供たちは、この里山の遣いをデパ地下で捕らわれて、カゴの中にいじけております虫として認識しております様子ですから、私の感動など知るよしも無しですし、カブトムシよりも、ゲーム機が気になるくらい時代は変わってしまった感があります。
おかげでカブトムシは、いじり廻されずにすんだのですが…。
私が子供の頃は、公園の街灯の下にスイカの皮を置いて、ワクワクしながら戻り、翌日早朝目覚ましが鳴ると普段の寝坊助はどこへやら、走って見に行くと5~6匹はスイカにしがみついておりましたね。
クワガタのオマケ付きの日は、上機嫌で友だちに自慢気に話していた頃が思い出されます(笑)
これも現代の子供たちは、学校教育も受け身ですし、生活がより便利で、過剰な清潔好き、などの自然から隔離された季節感や五感など、大切な何かを奪われている様に思えます。伝える側の責任ってあるんでしょうけども。

からくり侍さま
コメントありがとうございます。
カブトムシの訪問ですか。
良い所にお住まいですね。
そろそろ涼しい所に逃げ出して行きたくなりました。
            ミツヒラ

投稿: からくり侍 | 2014年7月24日 (木) 20時51分

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