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2014年7月27日 (日)

曽田本その2を読むの4曽田メモの5居合術の伝統の9行宗貞義

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恩師 行宗藤原貞義先生
明治10年西南戦争時代陸軍歩兵大尉の官職にありたるも後定見の衝突より退官一時看守長など奉職し居たり。
其後零落し明治34年頃第2中学校門衛となりたり。
居合術は尤も達人にして下村茂市先生の高弟なり。
五藤正亮、谷村樵夫等没後の大日本武徳会総裁の宮(伏見の宮貞愛親王)殿下の御前にて居合を仕り(明治40年頃ならん)天下一流の達人なりと御褒辞を賜りしと云う。
後京都武徳会本部の居合術教師たり(明治の末期より大正の初期の頃)故に門弟には京大生、三高生多数ありたり。

◎余虎彦恩師行宗先生に師事する事久し、即ち幼少14歳にして入門(第2中学校入学)爾来在学5ヵ年親しくご指導を賜り今日に至れるものなり。

◎昭和11年5月武徳会総裁宮殿下 以下消去により不明

*この曽田本その2の冒頭は「故行宗貞義先生}から始まりました。
前名 寿之助、彦太郎、左源太、精次郎、進之助、可納
藤原貞義と云う
嘉永3年1850年戌年7月2日
高知県土佐郡江ノ口村に生まる。
墓所 高知市奏泉寺東□
万延元年1860年10月14日に向う髪角入の願い聞き届け被り則祝儀相整たり。(歳11)
当時文武館に在りて森下氏の門に入て剣術を学び、亦、下村茂市氏の門に入て居合術を学びたり。
大正3年1914年10月4日没せらる 享年65歳
◎行宗先生門弟中に(明治40年頃入門) 中山博道先生、堀田捨次郎先生見ゆ。

*行宗先生は大正3年1914年に亡くなっています。曽田先生は明治23年1890年生まれですから此の時24歳です。
行宗先生との出会いは高知中学校に入学し(明治36年1903年)5年間居合を習っています。
行宗先生の紹介でしょうか中学卒業の時(明治41年1908年)に高知武徳殿助教師となっています。
行宗先生が明治末期から京都武徳会本部の居合術教師と云う事ですから曽田先生の居合は中学時代に行宗先生から教えられた5年間が最も熱の入った時期だったのでしょう。

行宗先生の居合は曽田本その2で紹介してありますが、これが下村派と云う内容は見当たりませんでした。
明治と云う時代がなせる事なのか、もともと下村派と谷村派に分かれている理由など組織における位取り以外に無かったのかも知れません。

人間関係の歪で分裂してもやることは一緒、しかし代が進むに従って、分裂の正統性を後進に伝えるにはしかとしたものが必要と思えるようになります。
それが、意味の無い所作の違いを生み出したりするのです。
或は元に戻って行くのだろうと思います。

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