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2014年7月22日 (火)

曽田本その2を読むの4曽田メモの5居合術の伝統の4長野無楽

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第3代長野(無楽入道)槿露齋
「無楽入道と称す業正の弟子近江井伊家に仕へ二百石を領す九十余歳迄長寿」

*これは千城小伝から取ってきたものだろうと思います。

千城小伝
「長野無楽斎槿露は刀術を田宮重正に学び精妙を得たり後に井伊侍従に仕え九十有余にて死す」

*千城小伝は日夏繁高の著述

武芸流祖録
「長野無楽斎槿露は井伊家に仕う九十有余歳にして死す其門に一宮太夫照信、上泉孫次郎義胤其宗を得る。
抜刀一宮流 武田家の土屋惣蔵麾下にして武功最も多し長野無楽斎に従い今に至りて其の妙を得一宮流と称す、末流多し。」

山田次郎吉先生の日本剣道史の抜刀術に無楽流(長野槿露)
「長野無楽斎槿露に起る抜刀術で、武芸小伝には長野を田宮門としてあるが、今傳系に由ると、林崎甚助の門である。
槿露は上州箕輪の城主長野信濃守の一族で、武田に討亡されたる後、出羽に漂い来って林崎に居合術を学び、更に工夫を加えて一家を為した。
これを無楽流といって、羽州殊に会津に昌んに行われた。
槿露は常に牛に乗って女子に口縄を執らせて歩行き。上下の差別なく交り。寒来れども炉せず、一生不犯であったということだ。最上の人沼澤長政に其伝を授け、之よりして世々羽州に流儀が残った。
上泉伊勢守の孫義胤も無楽に就いて学んだと云う。
此の人90余歳まで居たというから、元和以後まで存命であったろう。」

*東北地方の伝書にある傳系をチェックして見ます。
「林崎明神と林崎甚助重信」平成3年発行林崎甚助重信公資料研究会に依ります。

1、林崎新夢想流 津軽藩 (元禄4年1691年~正徳元年1714年)
林崎甚助重信―田宮平兵衛照常―長野無楽斎槿露―一宮左太夫照信―谷小左衛門秀正

2、林崎流 三春藩 元禄7年1694年
林崎甚助―田宮平兵衛重正―無楽斎槿露―

3、林崎新夢想流 新庄藩 元禄14年1701年
林崎甚助重信―田宮平兵衛照常―長野無楽斎槿露―一宮左太輔照信―谷小左衛門秀正

4、林流居合 秋田藩 天明8年1788年
林崎甚助重信―長野無楽槿露―市宮左大夫忠重―

5、林崎神流 二本松藩 文化10年1813年
林崎甚助重信―永野無楽入屋槿露―沼澤甚左衛門長政―

6、林崎流 秋田藩角館 弘化3年1846年
林崎甚助重信―永野無楽斎正次―沼澤甚左衛門長政―

7、林崎夢想流 秋田・仙台藩 安政2年1855年
林崎甚助重信―永野無楽斎―沼澤甚左衛門―

*始祖から2代目についても東北地方では田宮平兵衛-長野無楽斎と田宮平兵衛抜きの永野無楽斎が2代目と別れています。
この辺の事や土佐への伝承系譜など面白い題材です。
土佐に在って門外不出の伝書が見つかれば良いのですが、地元の有志に委ねるほかに有りません。

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