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2014年7月15日 (火)

曽田本その2を読むの4曽田メモの1居合術

曽田本その2を読むの4曽田メモの1居合術

此処からの「曽田本その2」は曽田先生の論文とも取れるメモ書きです。

居合術
余は居合は一兵法即ち居合兵法と称せられ剣道に付随せるものにあらず一派独立せる武術なりと信ず。

この文章は、昭和8年に河野百錬先生(当時居合を始めて6年目居合術錬士の頃)無双直伝英信流居合術全を発表されたおり、冒頭に掲げた序文に反発されて書き起こされたものです。

*先ず、河野先生の「居合術」論を読んでみましょう。
居合は剣道の一分派なり、古来より居合の勝負は鞘の内にありと称せられし如く、彼の剣道が刀を抜きて後敵を制するに対し、居合は寧ろ抜刀の以前に於て、気を以て敵を制し然る後刀を下すものなり。
居合は攻撃精神の充実せる而も極めて静かなる気分を養い、更に技術的には真剣の用法を教うるものなり。
居合は静を以て本則とす、心は本来静かなるものなり、始め事無き時は寂然不動天地万物一体にして、事あるや其迅き事電撃も只ならず、是至静一貫と云う、孫子曰く、静かなる事林の如く迅き事風の如しと、故居合の術は心静に体胖(ゆたか)にして、天理自然に従い業を行うを以って正理となすものなり。
居合は勝負の理に拘りて勝負を離れ、己に克ちて己を正し業に依りて心気を治むるの心法なり。
故に形を正し武夫の武き心を心とし毫も怠慢する事なく誠を以て学習する時は神明に至らん事必然なり。

心気力一定一刀瞬息石火無妙術也
居合術之要諦於先看破敵気色
(大江正路先生の句)

*曽田先生はこの河野先生の「居合は剣道の一分派なり」に激しく反応して居ます。斬り抜に「分派にアラズ」と激して居ます。

次に曽田先生の論を読んでみましょう。
居合術は剣術今の剣道の一部門なり
剣術は立合、太刀打、撃剣等とも称し刀剣の使用法にして即ち抜出したる刀を如何に有用に使用すべきかを教えたるものに付抜刀なくして立合あるべからず。
其の用法は刀を腰より抜出しての上のことなり。
居合術は立合の術、剣術に対する語にして、詰合、坐合、抜刀、鞘の内等とも称し此の立合の根元にして刀を抜く法なり。
即ち如何なる場所にて如何なる刀を如何に有効に抜くべきかを教えたるものに付、刀の鞘の内にある時より太刀打に至りて了る故に互に抜刀して相対せば既に居合の範囲を脱して後は太刀合なり。
居合は刀の長短、場所、広狭、地勢の高低、姿勢の坐起、敵の仕懸変化等に応じ臨機変化其の他を悟らせず刀尖鞘口を脱する刹那確実有効の利を収むべきを救う。
其の最重要なる点は刀尖の鞘口を脱する瞬間の働きなり。」

*居合は「剣道の一分派」と居合は「剣道の一部門」との違いは文字の上では、分派とは流儀の違いによる枝分かれした流派に相当すると考えられます。
部門とは剣道を区分けした場合の一部分である。と、普通に読めるでしょう。
どちらも剣道だと云って居るに過ぎないでしょう。
鞘の内による勝負と、抜刀後の勝負との違いについての思いは、河野先生も曽田先生も同じ事です。

河野先生はその後「居合道真諦」に於いて、居合道の意義として書かれています。
「居合とは剣道の抜刀後の立合いに対するいわゆる居合(即ち抜刀前の心構えと、抜刀の瞬間に敵を制する刀)の意にして、元来敵の不意の襲撃に際し直ちに良くこれに応じ、先または後の先の鞘放れの一刀を以て、電光石火の勝ちを制する必要より、武士の間に創案されたる独自の剣法にして、座居の時、または歩行する時、その他あらゆる時とところにおける正しき刀法と身体の運用を錬磨し、己が心を治むる道である。」

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コメント

ミツヒラ様、暑中お見舞い申し上げます。
セミの声も聞こえ始め、小暑と呼ばれる以上に暑さを感じます。 それでも道場の稽古で流す汗は心地よいものです。
ここの道場仲間は皆さん、爽やかで愉快な方々ですが、稽古に入るとキリッと武人の目付、顔にかわります。学ぶスタイルはそれぞれに選択可能なのも道場代表が健全な運営を行っている証しでしょう。
そこに制定居合を共通技の形として12本学びますが、古流居合を学ぶ入口としてまずは制定居合を稽古し、段階的に古流と進めて行くと説明があったと思います。 この制定居合12本の形は、主に英信流や神傳流、伯耆流などなどの古流居合形を切り貼りして近代に創作されたものです。そのワザ各々もテキスト化されてしっかりしていると思います。 学識のある先生方が知恵を絞って出来上がった12本ですから、先ずは居合の抜き付けや鞘引きをしっかり身に付けたいものです。
抜き付けは『序破急』ですからせっかく序~破と抜き出したのに鯉口で切っ先を一度止めて、鞘引きと共に『急』と抜き出す演武を最近見かけます。
全日居ではあまり見かけない『抜・き・出・し』です。
前 右 左 後 とありますが、特に右と後は刀を回りながら姿勢を前屈みにせずに振り向くと同時に抜き付けるようにと膝が痛くなるくらい稽古したこと思い出します(笑)

が、ちょくちょく見かけると云うことは、それが制定12本の流派は危険信号です。
その『抜き出し』を競技大会で審判員が正しい判定が出来なければ、その『抜き出し=抜き付け』を真似る方々が増加傾向になることも考えられますし、審判員の判定や能力に疑問を持ち出すと、大会参加も講習会も減るかもなぁと、不自然な反った様な姿勢やワザの歴史的価値も云々です。

特に競技性 競技色が強い上にたった12本しか無いワザ前をミスジャッジではヤバそうな。
河野百練先生の『居合は剣道の一分派』も、曽田先生の『居合術は剣術、今の剣道の一部門なり』も、私的には『居合と剣道は近くにあって、独立したもの』と考えたいですね。
つづく

投稿: からくり侍 | 2014年7月15日 (火) 14時19分

追伸

何故、居合と剣道は近くにあって独立した方が良いかですが、河野百練先生の『居合は剣道の一分派』も、曽田先生の『居合術は剣術、今の剣道の一部門なり』剣道の良いところは、立ち合いては対敵を意識した体捌き、足捌き、目付、間合い、何より相手の動きを見て打ち合う為の動体視力が身に付くこと、居合を学ぶ上では有利でしょう。剣道じゃ無く、杖道や太刀打ちなど対敵が付いたものであれば良いかも知れません。
今の剣道は競技性がとても強くルール、ルールで雁字搦めです。 居合はむしろ競技性よりも禅の様に、自分自身と向き合ったところにあると思いますので、段別競技大会の演武にあっては紅白で競うものの相手は目前の仮想敵(等身大の我)ですから。天と地の違いくらいありそうに思っております。 私の最初の師匠は居合の競技大会で『勝ち負け』を口にしたのを聞いたことありませんが、二代目を引き継いだ方は『私が許したワザでなければ勝てないし、大会参加も認めない』と騒いでおりました。今の道場では『落ち着いて、緊張感を楽しんで勉強してこい』ですね。
ですから居合の刀を抜き差しだけの形や体操の居合で終わるか、そこから一歩二歩、三歩と自分で新しい道を模索して、更に武術を身に付けるのも良いかも知れないです。
人間いつかは一人で三途の川を渡るのですが結局、財産とは身に付けた居合 武術ワザしか持って行けないでしょうから。

からくり侍さま
コメントありがとうございます。
暑い日がやってきましたね。
道場の受付の女性から、倒れない様にお水を飲んで、お気をつけて・・。と言われています。倒れたら後はよろしく・・。
何の会話なんでしょうね。
久しぶりに「葉隠」を走り読みしています。
或る剣術者の老後に申し候は「一生の間修行に次第がこれあるなり。下位は修行すれども物にならず、我も下手と思い、人も下手と思うなり。この分にては用に立たざるなり。中の位は未だ用には立たざれども、我が不足目にかかり、人の不足も見ゆるものなり。上の位は我が物に仕成して自慢出来、人の褒むるを悦び、人の至らざるをなげくなり、これ用に立つなり。人も上手と見るなり。此の上に、一段立ち越え、道の絶えたる位あるなり。その道に深く入れば、終に果ても無き事を見つくる故、是までと思う事ならず。我に不足ある事を実に知りて、一生成就の念これなく、自慢の念も無く、卑下の心もこれなくして果たす道を知りたり」と申され候由。
昨日よりは上手になり、今日よりは上手になりして、一生日々仕上ぐる事なり。是も果てはなきという事なりと。
           ミツヒラ

投稿: からくり侍 | 2014年7月15日 (火) 14時54分

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