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2014年8月12日 (火)

曽田本その2を読むの4曽田メモの7河野文通の4年代

曽田本その2を読むの4曽田メモの7河野文通の4年代

太刀打之位、詰合之位、大小詰、大小立詰の四業に付て其の始祖及び年代御教示を乞う

*この河野先生の質問には、どうした事か何も書かれていません。

古伝神傳流秘書ではこれら四業は次の様に書かれています。

太刀打之事(鞘木刀也 立合之事也)

詰合(重信流也従是奥之事極意たるに依而格日に稽古する也)

大小詰(是は業にあらざる故に前後もなく変化極りなし始終詰合組居合膝に座す気のり如何様ともすべし先おおむね此順にする)

大小立詰(重信流立合也)

*これを見る限り林崎甚助重信公から伝わって来た重信流と思えます。

詰合の一本目発早の手附の書き出しは「楽々居合膝に座し・・」大小詰の一本目抱詰の手附の書き出しも「楽々居合膝に詰合たる・・」とあって居合膝の名称が有ります。此の居合膝に座す形は、現在の立膝の様な物だったのでしょうか。
次いでですが、古伝神傳流秘書には大剣取について「此太刀打は和之位に有也」と書かれていますが、大小立詰の次に書かれている、太刀、小太刀に依る攻防の業です。之を河野先生は特に曽田先生に聞いていないのです。
和之位と云えば古伝では夏原流和之事があるのですが、あえて夏原流と言わずに単に「和之位に有り」と云って居ます。この大剣取の一本目無剣の座し方も「相手居合膝に座し・・」で同様です。

現在は大森流は正座して始まり、英信流は居合膝(立膝)に座し始めています。
古伝神傳流秘書にはこれらの座し方の説明は有りません。口伝口授だったのでしょう。

古伝神傳流秘書の英信流居合之事に次の様な書き出しがあります。
「是は重信翁より段々相伝の居合然者を最初にすべき筈なれども先大森流は初心の者覚易き故に是を先にすると言へり」

*この文言ですと英信流居合(現在の立膝の部)は長谷川英信が作ったのではなく、林崎甚助重信公によって組み立てられ、代を重ねて来たと読み取れます。

立膝の居合を英信流と云いますから、長谷川英信の創作で林崎甚助重信公の居合を時代に合う様に改変して組み立てたものとの印象がありますが、そうでは無く始祖より段々相伝しつつ変化して、長谷川英信があまりにも名人上手なのでその名を始祖の上に被せたのだと受け取れます。

古伝神傳流秘書の「居合兵法伝来」に次の様な書き込みがあることを思い出します。
「目録には無双神傳英信流居合兵法とあり是は本重信流と言うべき筈なれども長谷川氏は後の達人なる故之も称して英信流と揚られたる由也」

土佐の居合を正式名称で流名を揚げるとすれば「夢想神傳重信流居合兵法」であるべきで「無双」は、霊夢に依れば「夢想」でしょう。東北地方と一にするならば「夢想神傳林崎流居合兵法」でしょう。
南山大学の楠本鐘司教授の研究論文から松代藩の「無双直伝流」を指導した長谷川蔵之助英信や荒井清鐡が土佐の林六太夫にも教えていたのであれば、「無双直伝流」が流名の元だったかもしれません。(北信濃における無双直傳流の伝承について-江戸時代村落の武術と「境界性」-より推測)

土佐の居合の不思議は根元の巻の文言から、根元之巻では林崎甚助重信を林崎神助重信としている事。表六寸を柄口六寸としている事。

流名における姓を取った林崎流が東北地方一般に使用されているのに、土佐では名の方をとって重信流としている事。
霊夢に依っているならば「夢想」の詞を関するはずを「無双」としている事。
傳系では、長野無楽斎の次から長谷川英信まで殆ど如何様な人であったか記述がみられないのも不思議な事です。

業名に冠する程の名人ならば其の人に就いて何もわからない不思議は何なのでしょう。

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