« 曽田本その2を読むの4曽田メモの7河野文通の2流名2 | トップページ | 曽田本その2を読むの4曽田メモの7河野文通の3大森流 »

2014年8月10日 (日)

曽田本その2を読むの4曽田メモの7河野文通の2流名3

曽田本その2を読むの4曽田メモの7河野文通の2流名3

9代目林 六太夫守政について少し勉強しておきます。先祖は池田豊後と云って中村一条家の家来であったが、その子孫は一条家没落後長曾我部家に仕えその後浪人となる。大津に住み姓を林と改め山内家に仕えたもので、六太夫のとき御料理人頭と云う役目であった。
始めは知行80石であったが後160石の馬廻りに昇格している。
六太夫は城下八軒町に住んでいたが享保17年(1732年)70歳で没している。生まれは寛文2年1662年あたりでしょう。

曽田本の居合兵法極意秘訣を明和元年1764年に10代目の林安太夫誠詡が老父物語を書いていますのでこの老父は9代目の林六太夫守政でしょう。
林安太夫は林六太夫守政の子が幼かったので、養子となって林六太夫守政の家督と居合伝を受けて安永5年1776年に病死しています。

流名に就いては本来「重信流」が土佐の居合の流名であったかもしれませんが、長谷川英信の居合を主としていますから七代以降の道統によって無双神傳英信流・大森流が流名だったのでしょう。
そして無双直伝英信流への流名変換は土佐武道史話に依れば「大正の末期には「無双直伝英信流」、略して英信流とよぶことになったので、これは大江正路の主張によるものであった」としています。
此の事も、何処に其の事が言われていたのか確証できるものは有りません。

大正七年発行の大江先生、堀田先生の「剣道手ほどき」の付録にある表題は「無双直伝英信流居合術の由来」を見ますと、大正末期とは大した時期的違いは無いにしてもすでに「無双直伝英信流居合術」の流名を大正7年以前に使っていたことは事実でしょう。

更に曽田本で紹介した明治34年の谷村樵夫自庸より曽田先生の実兄小藤亀江に伝授された根元之巻における目録は「無双直伝英信流居合目録」と明記されています。
従って「土佐武道史話」の平尾道雄先生の説大正末期に無双直伝英信流と大江先生が主張してなったと云うのは疑問です。

土佐の居合は欠落部分があってその初めが見えない、長谷川流に変わる由来が判らない、無双神傳英信流になってから無双直伝英信流に変わった事情もわからない。
若し、北信濃の松代藩の無双直伝流と同じルーツであれば、是はかなり低い身分の人達が習った武芸としていますから、道統を明らかにして、格調高い流として山内家に取り込まれるための工作があったかもしれません。

谷村派、下村派についても明確な違いが示されないのも疑問の残るところでしょう。道統の争いの中で消されたり消えた事もあってしかるべき事とは思います。
土佐に眠る伝書の全公開が望まれる次第です。

|

« 曽田本その2を読むの4曽田メモの7河野文通の2流名2 | トップページ | 曽田本その2を読むの4曽田メモの7河野文通の3大森流 »

曽田本その2を読むの4」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 曽田本その2を読むの4曽田メモの7河野文通の2流名2 | トップページ | 曽田本その2を読むの4曽田メモの7河野文通の3大森流 »