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2014年8月11日 (月)

曽田本その2を読むの4曽田メモの7河野文通の3大森流

曽田本その2を読むの4曽田メモの7河野文通の3大森流

大森流と名に就いて

其時代、始祖どーも確信ある材料が無し

イ)林六太夫(9代の)剣の師匠大森六郎左衛門が真陰流の古流5本の形から案出して英信流に附属せしめた・・・との説を根拠として大森流は始祖大森六郎左衛門とする一説

ロ)大森流は之より以前英信より前にあったもので(年代始祖不明)大森六郎左衛門が始祖ではないとの一説

同氏(河野百錬先生を指す)の原稿には(福井先生の説を骨子とし)次の様に書いてある由

「当流の正座及奥の立業は大森流と呼び正流第7代英信の以前より当流の正伝として代々伝来せられたる業にして立膝及奥の居業は長谷川流と称し英信の創案と成り之れに形を加え総称して無双直伝英信流と唱う」

*イ)の説は古伝神傳流秘書に見られるもので、今日でも普通に語られています。
ロ)に就いてはその拠り所が不明です。
正座の普及及び業の有り様から英信以前に在ったと云うのも頷けるものです。

次の福井先生の説の奥の立業も大森流、で代々伝来していたと云う説は確証が得られません。
福井先生の根拠でもあればいいのですが何もありません。
当然立膝及び奥の居業は長谷川流の根拠もないのです。
但し立膝に依る運剣動作は、立膝も奥の居業も共通していますので立膝に座した業技法から両方共長谷川流であると推論するのもうなずけない事ではありません。
その確証を得る文献は古伝神傳流秘書に有ること以外は他に有りません。

神傳流秘書に於ける添え書きでは以下の様です。
大森流之事(正座の部) 大森六郎左衛門の流で第9代林六太夫により入れた。
太刀打之事(太刀打之位) 鞘木刀也 立合之事也、というだけで謂れが有りません。
英信流(立膝の部は)、重信翁より段々相伝の居合・・
詰合 重信流也、大小詰 重信流、大小立詰 重信流立合也、大剣取 和之位?、抜刀心持之事(奥居合) 重信流。

河野先生の昭和8年1933年発行の「無双直伝英信流居合術全」に於ける伝統には末尾に「長谷川英信以前は大森流と云い居りしが此人大いに研究して英信流を興し土佐の国に伝ゆ」と有ります。
少々大胆な説ですが長谷川英信以前を知りたかった気持ちはよくわかります。
福井先生の説を信じて載せようとしたのでしょう。

その後の昭和13年1938年発行の「無双直伝英信流居合道」の中の無双直伝英信流居合の伝統(正統宗家)の項からは前出の「長谷川英信以前は大森流と云い居りしが此人大いに研究して英信流を興し土佐の国に伝ゆ」は外されています。

河野百錬著昭和13年無双直伝英信流居合道より
殊に正流第7代、長谷川主税助英信は、其の技古今に冠絶し、精妙神技を以って始祖以来の達人として聞え、古伝の業に独創の技を加え、茲に流名を無双直伝英信流と改め、爾来、当流を略称して長谷川英信流又は長谷川流と呼ぶに至れり。

*河野先生の言われるように、重信流の技に独創を加えたかどうかは無いとも云えるし、有るとも云えるでしょう。
それは、現在でも些細な理合や術理の変化があらぬ方に代ってしまう事からも推察できます。
然し長谷川英信が起こしたものではなさそうに神傳流秘書は語っています。

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