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2014年8月 9日 (土)

曽田本その2を読むの4曽田メモの7河野文通の2流名2

曽田本その2を読むの4曽田メモの7河野文通の2流名2

「重信流」ですが東北地方の伝書を見てみます。

林崎新夢想流 津軽藩 元禄4年1691年~正徳元年1714年
林崎流 三春藩 元禄7年1694年1694年
林崎新夢想流 新庄藩 元禄14年1701年
林崎田宮流 庄内藩 宝永3年1706年
林崎夢想流 藩不明 宝暦8年1785年
林崎流居合 秋田藩 天明8年1788年
林崎夢想流 秋田・仙台藩 寛政2年1790年
林崎新夢想流 新庄藩 寛政3年1791年
林崎新夢想流 新庄藩 寛政12年1800年
林崎神流 二本松藩 文化10年1813年
林崎流 秋田藩角館 弘化3年1846年
林崎夢想流 秋田・仙台藩 安政2年1855年
林崎新夢想流 新庄藩 明治44年1911年

東北地方では林崎の姓を始めにしています。名の重信流は見当たりません。
何故土佐では林崎流とはならなかったのでしょう。

土佐の居合の流名は神傳流秘書の写された(書かれた)時期には、長谷川英信による無双神傳英信流居合兵法と呼びならわしていたといえるのでしょう。

北信濃の松代藩に於ける無双直伝流を、林六太夫が荒井勢哲や長谷川英信に江戸詰めの頃に習っていたとすれば無双直伝流、或は無双直伝英信流が妥当です。
現在の無双直伝英信流への変更も定かではありません。

根元之巻による霊夢に依って居合を知りえたとするならば、「無双」では無く「夢想」の方が、それらしいのですが、何故か古伝神傳流秘書でも「無双神傳英信流」なのです。
現在の夢想神傳流は無双直伝英信流が流名として存在するので夢想神傳流としたと何処かで読んだ気がします。(木村栄寿先生の夢想神傳重信流P126にあり)

大森流に就いては、
「此の居合と申 は大森六郎左衛門之流也英信流と格段意味無相違故に話して後に守政翁是を入候六郎左衛門は守政先生の剣術の師也真陰流也上泉伊勢守信綱の古流五本之仕形有と云々或は武蔵守卍石甲二刀至極伝来守政先生限りにして絶惜しむべし惜しむべし」

英信流居合については、
「是は重信翁より段々相伝の居合、然る者を最初にすべき筈なれども、先大森流は初心の者覚え易き故に是を先とすると言えり。」

詰合については「重信流也従是奥之事 極意たるに依りて格日に稽古するなり」

抜刀心持之事は「格を放れて早く抜く也 重信流」

林六太夫が習い、林崎流と言わず重信流と言っていた、林崎夢想流の或は林崎新夢想流の市井の剣術家が江戸にいたのかも知れません。
それが長谷川英信か荒井勢哲かそれ以前の人なのかもしれません。

きっとどこかに謎解きのヒントがあるでしょう。

 

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