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2014年8月

2014年8月31日 (日)

神傳流秘書を読む序の1

神傳流秘書を読む序の1

平成23年2011年の事、第17代大江正路先生から第22代までの無双直伝英信流居合の業技法の変遷を業毎に比較して居ました。

それは何が発端かと云いますと、宗家訓に思いを寄せたからなのです。

宗家訓
「当流の居合を学ばんとする者は、古来より伝承せられ以って今日に及ぶ当流の形に聊かも私見を加うることなく、先師の遺された形を毫末も改変することなく、正しく後人に伝うるの強き信念を以って錬磨せられん事を切望する。
剣は心なり。心正しければ剣又正し。心正しからざれば剣又正しからず。
剣を学ばんとする者は技の末を追わずその根元を糺し、技により己が心を治め以って心の円成を期すべきである。
居合道は終生不退、全霊傾注の心術たるを心せよ。」
(無双直伝英信流正統第21代宗家福井虎雄聖山先生著昭和58年1983年発行 無双直伝英信流居合道第2巻による宗家訓)

古来とは、何時の事なのか、何が元になっているのか、当流の形の掟とは何なのか、先師とは誰の事なのか、私見とは何なのか・・・。
その意味する処は「宗家の考え実施している形を掟とせよ」と仰っているのか・・・。

このように訓じられた先代の教えを受けられ、当代は次のように、述べられています。
「恩師正統第21代宗家福井虎雄聖山先生より戴きし口伝口授を基に当流の「掟・業前」を恩師のお教えの通りに具現致す為には斯くの如くに修練致さざれば全う出来ないであろうと言う信念の下に、私が全国各地に於ける当流の講習会等に申し上げた事を中心に出来るだけご理解戴き易き様に解説申しました。
・・・居合道究極の目的たる内面精神面の探求については、当流の掟に精通の上、各自が其の技に息吹を与えられて、品位、気位の高き格調高き技の創造に励まれ、自己の心の位を得る事に努め、以て居合道真髄に到達されん事を祈るのみであります。
居合道真髄探求は生涯かけての道であると説かれた正統20代、21代両ご宗家の御訓を深く銘する処であります。」
(正統第22代宗家池田隆聖昂先生著平成17年2005年発行 無双直伝英信流居合道解説第2巻 稿を終えるに当たり より)

それでは第20代宗家河野百錬先生は如何であったろうか、もっと前の第17代宗家大江正路先生は如何であったろうかと調べ始めました。

まず、河野先生の「居合修養の心得」を読んでみました。
「居合を学ぶには元より其の流儀の形を重んじ、苟も之を変改するが如き事無く錬磨すべきは勿論なるも、其の習熟するに於ては、何等形の末節に拘泥する事無く、各流を一貫する居合本来の精神を悟りて、日夜錬磨の巧を積み、心の円成に努め、不浄神武不殺の活人剣之位に至るを以て至極となす。
古人は「術に終期なし死を以て終りとす」と曰へり、詢に斯の道は、終生全霊傾注の心術なれば、同好の士は毫も怠慢する事無く生涯不退の意気に燃え精進すべきものなり。」
(河野百錬先生昭和13年1938年発行 無双直伝英信流居合道 居合修養の心得より)

更に河野先生は昭和17年1942年の大日本居合道図譜の初心者心得33則の33で次の様に仰っています。
「先哲の言に「業形より入り業形を脱す」又「守・破・離」の教えあり、彼の孫子も今を去る2400年の昔「兵を形すは其の極みは無形に至る」と喝破せり。之等はともに形に捉われる勿れ定石を破れとの意に他かならず。
我が居合に於ても此の心得肝要也即ち対敵を忘れしかも教えられし形のみに捉われたる気魄無き形にのみの居合は如何に外形の技、美なりと雖も所詮は単なる剣の舞に過ぎざる死物也。
されば宜しく業の理を解し敵に対する真剣の動作たるを要し制敵の気魄満々たる生気横溢する業で無ければならぬ。」

20代河野先生は其の著書で読む限り、昭和8年の無双直伝英信流居合術全・昭和13年の無双直伝英信流居合道(此の年大日本武徳会錬士)・昭和17年の大日本居合道図譜(昭和15年に大日本武徳会達士)の著書では形が変わっています。
大日本居合道図譜が河野先生の集大成かも知れません。
然し、そこでは当時の学校教育による竹刀剣道の統一志向の「かたち」を取り入れざるを得なかった様な気もします。

後世に残る物は書き付けられたテキストと、現代では映像でしょう。
映像とテキストの表現は異なる場合が多々あるものです。
私は有るべき姿の表現は書き付けられた解説の中に有ると思っています。
思う様に演じられる事の難しさは、どの稽古事でも同じ事でしょう。目指す形は現実の形よりもはるか先に有るものです。
「DVDは業運用の流れの中での態であり、解説編はそれを実現する為の心構え・気構えを表したものとしてご覧いただきたい、即ち解説書の場面とは形・捌きのタイミングなどで必ずしも一致しない面が出てくる・・。」と当代は仰います。

次回へつづく

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2014年8月30日 (土)

曽田本その2を読むの4終りに

曽田本その2を読むの4終りに

曽田本その2は曽田先生が覚書としてメモ書きされた自筆の和綴じ本です。
恐らく何かに書き付けたものを何時か出版しようかと清書され、更にそれにメモ書きを加えて有ります。
残念ながら、出典や覚書した日時などの事がありませんので、始めはご自分の為の覚書だったのでしょう。

和綴じされた表紙には「大森流長谷川流居合術解」と題され、「故行宗貞義先生門人旧姓土居事 無双直伝英信流下村派第十六代筆山曽田虎彦 記」と書かれています。

このブログでの曽田先生の覚書のご紹介は以下の通りです。

曽田本その2の原本を原文読み下したもの
平成24年2012年4月10日~平成24年2012年5月30日まで、50回。

曽田本その2付随の曽田先生が集められた新聞・雑誌のスクラップ
平成24年2012年5月31日~平成24年2012年7月7日まで、38回。

曽田本その2を読む
平成26年12014年3月3日~平成26年2014年8月29日まで、180回。

この曽田本その2を手にされ、公開された先生は知る限りでは以下の様です。

河野百錬先生 昭和29年1954年発行「無双直伝英信流居合兵法叢書」
是は曽田本その1を全て原文のまま書かれています。古伝神傳流秘書、居合兵法極意秘訣などです。
曽田本その2は居合兵法伝統系譜、谷村樵夫先生から曽田先生の実兄小藤亀江に授与した根元之巻、大江先生から鈴江吉重に授与された根元之巻、行宗先生から中村虎猪に授与された中伝の写しなどが掲載されています。
「無双直伝英信流居合兵法叢書」は曽田先生との交流によって送られた曽田本その1、その2を公開したもので、「此の目録は昭和23年6月?大阪河野稔氏へ伝授したり」と英信流目録の項に有ります。
戦前から交流され、伝書の写しは送られていたのでしょう。
河野先生は自分が書いたものでは無いので、書き写しただけと云ってそれ以上の事はされていません。

この「無双直伝英信流居合兵法叢書」は曽田先生の没後(昭和25年1月)の昭和29年に初版が発行され昭和38年に再版されていますが、非売品でもあり、原文の儘ですから埋もれてしまった様です。
河野先生の系統の無双直伝英信流正統会の先生方ですらこの冊子の存在をご存じないのは残念です。

河野先生以外でこの曽田本その2を取り上げられているのは岩田憲一先生でその著「土佐の英信流旦慕芥考」で平成元年1989年発行です。
此処には、曽田本その2の無双直伝英信流居合術系譜、霊夢、行宗貞義先生記録写、そして曽田先生の集められた新聞、雑誌、その他のスクラップが乗せられています。

曽田先生の息子さんから「私は居合をやらないから君が持っていてくれ」と預けられた曽田本その1、曽田本その2がコピーされ岩田先生に渡ったのです。
土佐の英信流旦慕芥考のあとがきに「下村派第十六代曽田虎彦先生の遺書を提供下さった関係各位にも、厚く感謝の意を表する次第である」と、書かれています。

そんな曽田先生の遺書が「何故お前に?」と云うのも何かの巡り会わせでしょう。
「大田次吉先生伝」を平成23年に出版された先生が、私のブログをお読みになられ、「曽田先生の直筆メモがあるが読むか」と手渡され、曽田先生の居合に籠めた情熱を公開させていただいたわけです。

ブログは、世界中の誰でもに公開されているものです。
居合を業ずる大家は勿論のこと、昨日始めた方にも公開されています。
この曽田本の公開で多くの無双直伝英信流や夢想神傳流を学ぶ方々が古伝を知ることが出来るだろうと思います。
そして個人的には多くの剣友に巡り合えました。曽田先生の御孫さんとも交信でき曽田先生の事をお聞きする事も叶いました。

何事も疑いの目で見、あら捜しをする人はいるものです。この曽田本についてもその様に思われる人もおられるかも知れません。
神傳流秘書も偽の伝書の様に云う人も居ます。

素直に読んでみますと、良く研究された内容になっています。宮本武蔵の五輪書や柳生但馬の兵法家伝書の様に洗練されたものではありませんが武術書としては充分です。
しかし、曽田先生も大変真面目な思いで原本を写されたと思います。まやかしではとても纏められない内容です。
読まず習わずでは寂しい居合人生でしょう。

曽田本その2を読むを終ります。

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2014年8月29日 (金)

曽田本その2を読むの4曽田メモの8神道無念流居合十二本目

曽田本その2を読むの4曽田メモの8神道無念流居合十二本目

意義
前進中敵先に抜打をなし敵の之に応ずるを切返し倒す也

動作

第1.右足より前進二歩目左足にて刀を抜き三歩目に敵の正面を切る

第2.切返しなす二本目第4.動に同じ
(二本目第4.両手で刀刃を上にし刀刃を以て敵の刀を払流し(此の時刀尖は其の位置にて左拳を刀尖よりやゝ上ぐ)同時に左手を中心に右肩より冠りつゝ左足を左前に踏み右足を左足の後に引き敵の右肩より八相に切り下ぐ。)

第3.納刀

以上

*曽田先生の神道無念流立居合十二本はこれで御終いです。
この手附は抜けだらけです。
前進中正面から歩み寄る敵が先に抜き打ってきます。
敵の抜き打ちは、神道無念流の切上げでしょうか、無双直伝英信流の横一線の抜き付けでしょうか、それとも上に抜上げて真向に切り下して来るのでしょうか。
「前進中敵先に抜き打つをなし」ですからとにかく抜き打ちです。

我れ前進中、敵正面から歩み寄り抜打ちに真向から打込んで来る。我之を右足を踏み出し鯉口を切り、左足を踏み出し刀を物打ちまで抜出し、刀刃を返して敵の抜き打って来る右肘を下から喉元迄斬り上げる。
敵、左足、右足と追い足で退く処、我れ、刀刃を上にしたまま、左手を切先より高く柄を持ち、敵の喉元を突かんと構える。
敵、右足を踏込み真向に打込んで来るを、左手を上げて払流し、同時に左足を左前に踏込み刀を右肩より上段に冠り右足を左足の後方に摺り込むや敵の右肩に八相に打ち下し勝。

左足を右足に引き付け同時に刀を左肩に担ぐように切先を上にして取り、左手拇指と食指で刀の鎺辺りを挟み他の指で鯉口を握り、右手を逆手に持ち替える。
左足を一歩退くと同時に右手を以て刀身を前下方に引き切先を鯉口に持ち来たり、右足を左足に引きつゝ刀身を静かに鞘に納める。

敵の抜き打ちに対しては、全て切上で応ずるのも良いでしょう。
敵の前肘の位置を予測して、後の先で応じてみました。
この討ち込まんとする敵の右肘を抜き打つのは相手に籠手を着けてもらい模擬刀で抜き打つ稽古で学んでいます。
切上げんとする処、敵後方に引いたので敵の喉元に切先を付けて、其の儘付け入ってみました。

是で神道無念流立居合は終わります。
切上げの連続でした、そして独特の受け払いこの二つを楽しみました。この立居合は神道無念流中山博道先生の有信館で行われていたものとは合致しませんでした。

お前の動作は神道無念流では無いと言われても、曽田先生の手附に応じた独創もありうるでしょう。未熟者が真似ればこの程度でした。
それよりも、曽田先生が覚書にされたこの手附がどこで行われていたのか知りたいものです。

無双直伝英信流でも、大江先生の居合が今日の居合に変化して居る事を考えれば、直の師伝すら其の儘真似しきれないものと知るべきなのでしょう。

敵は据え物ではありません、生きていて我を倒さんと攻撃してくるものです。
他流の手附で勉強して見るのもいいものです。

以上で曽田先生のメモに依る神道無念流の居合を終ります。

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2014年8月28日 (木)

曽田本その2を読むの4曽田メモの8神道無念流居合十一本目

曽田本その2を読むの4曽田メモの8神道無念流居合十一本目

意義
大体十本目に同じなるも、敵退却せず我却って敵に追い詰められ後退しつゝ敵を切り倒す也
但し最初停まって居るにあらず前進中敵に出会たるものとす。

動作

第1.右足より前進中右足の地につくや僅かに後退して抜刀
(一本目第1.動に同じ)
(一本目第1.右足より前進し2歩目左足にて柄を握り3歩目右足を出すと同時に抜刀(此の時左手で鞘を前方に出す気持を加え後方に振り上げ上体を左斜めにして十字形をなし左足は右足につれ前方に送り左足先を右踵に接する如くする)敵の右前肘を下より切り上ぐ。)

第2.一本目第2.第3.動におなじであるが右足より後退しつゝ行くのが異て居る
(一本目第2.次に右手を左肩より振り冠り左手を添え右足を一歩引き敵の正面を切る。)

第3.右同
(一本目第3.更に右足一歩進め真向より切る。)

第4.十本目第4.第5.動に同じ
(第十本目第4.次に上段にて残心を示し)

第5.右同
(第十本目第5.青眼に直り納刀)

*この十一本目は省略が多すぎます。
形を演ずるには、形を覚えてしまえば「同じ」で済むのですが、初めての稽古ではそうもいきません。

前進中正面から敵、抜刀せんと詰め寄る処機先を制して右足を踏込み抜き付けんとするが敵の詰める気勢に踏み出した右足を僅かに退いて斬り上げるも不充分。

敵抜刀して其の儘詰め寄って来るので右足を引きつつ右手を左肩より振り冠り、左足を引くや敵の真向に切り下す。

更に敵詰め寄って来るので、上段に振り冠り右足を引くや敵の真向に切り下し、十分と見てその足踏みの儘上段に構え残心を示す。
青眼に直り、左足を右足に引き付け、切先を上げて刀を左肩に担ぐように持ち来たり、右手を逆手に取り、左足を後方に引くや右手を前下に引いて切先鯉口に至れば右足を左足に引き付け静かに納刀す。

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2014年8月27日 (水)

曽田本その2を読むの4曽田メモの8神道無念流居合十本目

曽田本その2を読むの4曽田メモの8神道無念流居合十本目

意義
敵に接し居る時敵刀を抜かんとするに対し動作するも敵退きたるにより之を追詰めて切り倒すなり

第1.右足を踏みだすと同時に抜刀敵の左前を切る一本目第1.動同じ
(一本目第1.動:右足より前進し2歩目左足にて柄を握り3歩目右足を出すと同時に抜刀(此の時左手で鞘を前方に出す気持を加え後方に振り上げ上体を左斜めにして十字形をなし左足は右足につれ前方に送り左足先を右踵に接する如くする)敵の右前肘を下より切り上ぐ。)

第2.左足より二歩進み正面を切る

第3.次に青眼のまゝ突き付けながら二歩進む

第4.次に上段にて残心を示し

第5.青眼に直り納刀

納刀(刀の納め方
1.前の足を後足に引き付けると同時に刀を左肩に担ぐ如く持ち来たり左手は鯉口を持ち鞘を正しくす。
2.左手の拇指と食指とにて「はばき(鎺)」の近くを挟み右手の拇指は縁頭の近くを其の他の指は下より鍔及び柄を持つ。
3.左足を後方に一歩引くと同時に右手を以て刀身を前下に引き刀尖を鯉口の処に持ち来る。
4.右足を左足に引きつゝ刀身を鞘に納める。

*敵と間境に接し居る時、敵刀を抜かんと右手を柄に掛ける処、我は右足を踏込み刀刃を返し敵の抜かんとする右前肘に斬り上げるも、敵、右足を後方に引いて間を外しす。

我れ透かさず、外されて切り上げた切先を天に向けるや上段に構え左足、右足と附け入って敵の真向に切り下す。

敵、後方に倒れるを、我れ青眼に構え敵に突きつけ乍ら左足、右足と進み、

その足踏みのまま上段に振り冠り残心を示す

右足を左足に引き付けつつ刀を左肩に担ぐようにし、右手を逆手に持ち替え、左足を引くと同時に、右手を下前に引き切先を鯉口に取るや、右足を左足に引き付け静かに納刀する。

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2014年8月26日 (火)

曽田本その2を読むの4曽田メモの8神道無念流居合九本目

曽田本その2を読むの4曽田メモの8神道無念流居合九本目

意義
敵の抜かんとする前肘を切るも(一本目に同じ)敵之を弛し我胴を切り来るに対し体を変し切り倒す也

動作

第1.一本目第1.動に同じ
(一本目第1.右足より前進し2歩目左足にて柄を握り3歩目右足を出すと同時に抜刀(此の時左手で鞘を前方に出す気持を加え後方に振り上げ上体を左斜めにして十字形をなし左足は右足につれ前方に送り左足先を右踵に接する如くする)敵の右前肘を下より切り上ぐ。)

第2.上段のまま右足より2歩退き次に鎬を以て敵刀を下方に押へ敵我胴を切り来るを防ぐ如く刀を体の右前下方に持ち来る。此の時右足を左足に引きつく

第3.次に青眼に直りつゝ少し前進す此の時左足は右足につく如く送り敵を襲う気持ちなり

第4.次に切り返しをなす二本目第4.動に同じ
(二本目第4.両手で刀刃を上にし刀刃を以て敵の刀を払流し(此の時刀尖は其の位置にて左拳を刀尖よりやゝ上ぐ)同時に左手を中心に右肩より冠りつゝ左足を左前に踏み右足を左足の後に引き敵の右肩より八相に切り下ぐ。)

第5.納刀

*この立居合は之だけ十分に稽古すると相当、曽田先生の神道無念流の運剣動作を学べそうな気がします。

敵が刀を抜こうと正面より間境を越えんとする時、右足を踏み込んで左足を送り足に摺り込み、その抜かんとする敵の右前肘に切上に抜付けるも敵右足を引いて之を外す。

我れは空を切って切先を天に向け、右足、左足と引き上段に構える。
敵は間を積めながら右足を出しつつ刀を抜出す。
我は上段から下して敵刀を裏鎬を以て押さえる様にし、敵、我が胴を斬り払わんとするのを防ぐように、我が体の右前下に刀を下げつつ右足を後方の左足に引き付ける。

次に我は、刀を青眼に直しつゝ右足を少し前進させ左足も連れ足とし、隙あらば襲う気持ちを表す。

青眼構えから徐々に刀刃を上に向け、左手を切先より稍高くして敵喉元を突く如く構える。
敵、真向に打込んで来るところ、左手を上げて敵刀を刃を以て払い流し、同時に左足を左前に踏込み右足を左足の後方に摺り込むや右から刀を振り冠り、払い流されて前のめりになる敵の右肩に八相に切り下す。

この辺の動作は、居合と云うより抜刀後の剣術でしょう。

相手を意識しない一方的な空間刀法慣れした居合剣士には良い稽古業です。

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2014年8月25日 (月)

曽田本その2を読むの4曽田メモの8神道無念流居合八本目

曽田本その2を読むの4曽田メモの8神道無念流居合八本目

意義
勉めて敵に接して抜打するも敵後退するにより追詰めて切倒す也

動作

第1.其場にて抜刀右足一歩出し正面を切る。

第2.左足より二歩進んで切る。

第3.二本目第4動の如く切り返し
(二本目第4.動:両手で刀刃を上にし刀刃を以て敵の刀を払流し(此の時刀尖は其の位置にて左拳を刀尖よりやゝ上ぐ)同時に左手を中心に右肩より冠りつゝ左足を左前に踏み右足を左足の後に引き敵の右肩より八相に切り下ぐ。)

第4.納刀

*意義から見ると敵は前方に一人でしょう。
真向に振り冠って切り込み来るを、左足で間を越し右足を踏み込んで抜き打つ。此の抜き打ちは横一線の抜き付けか下からの切上げか指定されていません。英信流の剣士は横一線を瞬時に意識するでしょう。ここも下から敵右前肘を切り上げてみます。

敵、一瞬の間に右足を引いてこれを外し、後退するを、我れ左足を右足に引き付け上段となり、右足を踏み込んで切り下す。

敵、更に左足、右足と引いて後退するを、我左足、右足と二歩進んで上段より切下す。

敵、更に後退し振り冠る処、敵の喉元に切先を付け中段に構え刃を上向きに返し左手をやや切先より高くし、喉元を突かんと構える。

敵、真向に打ち下して来る処、我れ左手を上げて敵刀を右に払い流すや右肩より振り冠りつつ左足を左前に踏込み右足を左足の後方に摺り込んで敵の右肩より八相に切り下し勝。

左足を右足に引き付け同時に刀を左肩に担ぐように切先を上にして取り、左手で鯉口を握り、刀の鎺付近を左手拇指及び食指で挟み、右手を逆手に持ち替え右足を後方に引くと同時に柄を下前に引き切先鯉口に至るや左足を右足に踏み揃え同時に静かに納刀する。

*第1.動の抜き打ちも、切上げの連続にすると、さすが神道無念流ですが、横一線の英信流の抜き付けも有効です。
右足を踏込み抜き付けるや左足を追い足に詰める事を英信流の剣士は学んでおきませんとこの業は難しいでしょう。
第3.動の刀刃を上にして敵刀を払流す刀法は「突くぞと云う気構えで攻める事、相手に打込ませて払い流す後の先の勝ち口を身に着け、敵刀を流すや筋を替って反撃するところです。

英信流ならば一刀目の抜打ちが命ですが、神道無念流は立居合ではありますが、抜刀が全てでは無い処にポイントがありそうです。

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2014年8月24日 (日)

曽田本その2を読むの4曽田メモの8神道無念流居合七本目

曽田本その2を読むの4曽田メモの8神道無念流居合七本目

意義
前方右方の敵に対する動作(六本目に同じ)

動作
六本目と替ることなし左方と右方との異なるのみ

*簡単に七本目は六本目と同じで六本目が正面と左方の敵に応じるもの、七本目は正面と右方の敵に応じるものというものです。

実際に六本目を演じて七本目を演じるのは容易です。
然し動作を書きこむのは細部が異なるので一苦労です。

六本目の手附を基に七本目の手附を創作します。

意義
前方右方の敵に対するも右方の敵最初我に近寄り過ぎた為めに進出して切ること能わず従て其場に於いて切り次いで敵後ろに倒るゝを以て其の儘進んで残心を示す

動作

第1.一本目第1.動に同じ
(一本目第1.動 右足より前進し二歩目左足にて柄を握り三歩目右足を出すと同時に抜刀(此の時左手で鞘を前方に出す気持ちを加え後方に振り上げ上体を左斜めにして十字形をなし左足は右足につれ前方に送り左足先を右踵に接する如くする)敵の右前肘を下より切り上ぐ。)

第2.左足を軸として右向きとなり右正面を切る。

第3.次に左足を右足に揃え上段となり左足にて切る。

第4.次に中段の儘右足より二歩進む。

第5.上段の残心を示し

第6.青眼に直り納刀。

*第1.動は右足を出し鯉口を左手で切り、左足を出して右手を柄に掛け刀を物打ちまで抜出し鞘手を返して刃を下に向けるや、右足を踏込み、切り込み来たる前敵の右前肘を下から切り上げ左足を追い足で右踵に引き付ける。

第2.左足を軸とし右に振り向き上段となるやその足踏みのまま右敵の真向に切り付ける。

第3.右敵切り込まれるが不十分で後退するを追って左足を右足に揃え上段となるや左足を踏み込んで引き下がる右敵の真向に切り下す。

第4.右敵切り倒され後ろに倒れる処、刀を中段に構え右足、左足と二歩進み

第5.その足踏みの儘、上段に構え残心を示す。

第6.上段の構えを青眼(中段との違いは不明)に直し、左足を後ろ足の右足に引き付けると同時に刀を左肩に担ぎ、左手は鯉口を持ち刀の鎺近くを左手拇指と食指で挟み、右手は逆手に持ち替え拇指を柄頭に向け他の指は柄下より鍔を持ち、右足を後方に一歩引くと同時に右手を以て刀身を前下に引き刀尖を鯉口に持ち来たるや、左足を右足に引きつつ納刀する。

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2014年8月23日 (土)

曽田本その2を読むの4曽田メモの8神道無念流居合六本目

曽田本その2を読むの4曽田メモの8神道無念流六本目

意義
前方左方の敵に対するも左方の敵、最初我に近寄り過ぎた為めに進出して切ること能わず、従て其場に於いて切り、次で敵後ろに倒るゝを以て其儘進んで残心を示す。

動作

第1.一本目第1.動に同じ。
(一本目第1.動 右足より前進し二歩目左足にて柄を握り三歩目右足を出すと同時に抜刀(此の時左手で鞘を前方に出す気持ちを加え後方に振り上げ上体を左斜めにして十字形をなし左足は右足につれ前方に送り左足先を右踵に接する如くする)敵の右前肘を下より切り上ぐ。

第2.右足を軸として左向きとなり左正面を切る。

第3.次に右足を左足に揃え上段となり右足にて切る。

第4.次に中段の儘左足より二歩進む。

第5.上段の残心を示し

第6.青眼に直り納刀。

*敵を正面と左方に受けての攻防です。
正面の敵が切り込んで来るので、右足より前進し、左足出る時右手を柄に掛け、右足を踏み込んで前敵の右前肘を下から切上げ右足に左足を引き付ける。

右足を軸に左方の敵に左廻りに振り向くが、左方の敵が近寄り過ぎたために、踏み込んで切るには間が近すぎる、其の儘の足踏みで左敵の正面に斬り下す。

左方の敵切られて後退するのを、右足を左足に踏み揃え上段に構え、右足を踏み込んで後退する左方の敵を再び切り下す。

敵、倒れる処、斬り下した中段の儘、左足、右足と進み上段に構え残心を示し、その足踏みの儘、青眼に直り右足を後ろ足の左足に引き付けると同時に刀を左肩に担ぎ、左手は鯉口を持ち刀の鎺近くを左手拇指と食指で挟み、右手は逆手に持ち替え拇指を柄頭に向け他の指は柄下より鍔を持ち、左足を後方に一歩引くと同時に右手を以て刀身を前下に引き刀尖を鯉口に持ち来たるや、右足を左足に引きつつ納刀する。

第2.動、第3.動と左方の敵は二度切り下す様に手附は有りますが、意義は左方の敵は踏み込まずに真向に切り下して倒している様に思えます。
左方の敵への第一刀が浅く、第二刀で倒すと考えられるとも云えます。

神道無念流の切上がここでも用いられています。一本目・三本目・五本目・六本目とすでに四本もあります。あと七本目・九本目・十本目・十一本目とありますから十二本中八本が切上げから始まるのです。

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2014年8月22日 (金)

曽田本その2をよむの4曽田メモの8神道無念流居合五本目

曽田本その2を読むの4曽田メモの8神道無念流居合五本目

意義
前右左の敵に対する動作なり。

動作

第1.一本目1動に同じ。
(右足より前進し二歩目左足にて柄を握り三歩目右足を出すと同時に抜刀(此の時左手で鞘を前方に出す気持ちを加え後方に振り上げ上体を左斜めにして十字形をなし左足は右足につれ前方に送り左足先を右踵に接する如くする)敵の右前肘を下より切り上ぐ。

第2.左足を軸とし右の敵の正面を切る。

第3.左足を軸とし廻し左をなして右足を一歩出して左の敵の正面を切る納刀。

*前進中我が前、右、左に敵を受け、右足を出し鯉口を握り、左足を出す時右手を柄に掛け、鞘を前に送りつつ刃を上にして抜きかけ、右足を踏込むと同時に左手で鞘を後方に振り上げる様に引き上体を左斜めにして鞘を返すや敵の右前肘に抜付け切先を上方に斬り上げ左足を右足に引き付ける。

右敵に顔を向けるや、左足を軸に右に振り向き右肩上で刀を返し左手を柄にかけるや上段となり右足を踏み込んで右敵の真向に切り下す。第2.では右足を踏込むとは書かれていませんが、第1.で右足に左足が引き付けられていますから、此処は右足を右の敵に踏込む間が近ければ右足を踏み立てる位はやりたいところです。

次に、左足を軸に、左廻りに左敵に振り向きつつ右肩覆う様に刀を上段に振り冠って、右足を踏込み左敵の真向に切り下し、納刀。
この第3.では「左足を軸とし廻し左をなして・・」の文言の意味はわかりません。ご指導を願います。

*神道無念流お得意の切上が出ます。ここはやはり前敵の右前肘を切上げたならば、余勢を以て切先を上に振り上げ即座に右に返して上段となり右敵の真向に切り下すのが良いようです。

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2014年8月21日 (木)

曽田本その2を読むの4曽田メモの8神道無念流居合四本目

曽田本その2を読むの4曽田メモの8神道無念流居合四本目

意義
前進中敵後より来り鐺を取られ続いて前方よりも敵切り掛り来るのに対する動作なり。

第1.右足より前進中左足にて上体を前に懸け右手にて刀柄を下より握り(此の握り方は拇指は上方に其他の指は下方にす)腰を左方に廻し刀を抜く。

第2.上体を其の儘とし左上膊の左側に刀刃を左斜上方にして後方の敵を刺す・

第3.柄に左手を添え刀刃上方に刀尖を前方に向け踏み出して前方の敵を刺す、左足を送る也。

第4.右足を後方に引くと同時に刀を右脇に刀身を水平にして後方の敵を刺す。

第5.柄を持ち替え右足を一歩出して正面を切る。

第6.左足を軸とし左に廻り右足より一歩進み後方の敵の正面を切り納刀。

*我れ前進中後より歩み来る敵我が刀の鐺を取り来る、我左手で鯉口を握り右手で逆手に柄を握り左足を踏み出し、上体を前懸りにして刃を上向きに刀を抜き出し、顔を後方の敵に向け、左腰を左に捻って切先鯉口を出るや、左上膊部に刀刃を斜め外向けて接し上体を起しつつ後方の敵の胸を刺突する。後方の敵刺突されて後方に一歩後退する。

続いて前方の敵上段に振り冠って切り掛らんとするを、顔を正面に向き直り、左手を柄に掛け、右手を緩め刀刃を下に向け切先を下から突き上げる様に刀刃を上向け切先を正面に向けるや右足を踏み込み、左足を追い足に、正面の敵の胸から喉元を刺突する。

次に後方の敵、上段に振り冠って反撃する処、右足を後方に引くと同時に刀を右脇に刀身を水平に刃を外に向け右脇に接るや後方の敵の腹部を刺突する。

右脇から柄を順手に持ち替え上段に振り冠って右足を踏み込んで前敵の真向に切り下し、左足を軸に左廻りに後方に振り向き右から上段に振り冠って右足より一歩進み後方の敵の真向に切り下す。

*曽田先生の手附で演じてみました。問題は第3の動作の、「柄に左手を添え、刀刃を上方に」の手の内の操作は、少々稽古が必要です。
右手の逆手は第5の「柄を持ち替え」に拘ってみました。

逆手に抜刀するのは、中山博道剣道口述集の立居合にもあるのですが、この4本目とは異なります(初伝9本目にあり)。

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2014年8月20日 (水)

曽田本その2を読むの4曽田メモの8神道無念流居合三本目

曽田本その2を読むの4曽田メモの8神道無念流居合三本目

三本目

意義
前進中後方より敵我を呼ぶにつき二四追詰め切る也

動作
第1.前進中左へ振り返り右足を踏み出し敵の右肘を抜打に切り、次に左足を踏み込みて切り右足にて更に切りこむなり。
続いて二本目第4の如く体を転し切り返しをなす。
(二本目第4.両手で刀刃を上にし刀刃を以て敵の刀を払流し(此の時刀尖は其の位置にて左拳を刀尖よりやゝ上ぐ)同時に左手を中心に右肩より冠りつゝ左足を左前に踏込み右足を左足の後に引き敵の右肩より八相に切り下ぐ)
次に納刀。

*「二四追詰め」の二四が読めません。後方から敵が呼ぶ声に振り向いて抜き打ちに斬り更に追い進んで切り、敵が反撃するのを払い流して八相に切る、のでしょう。
やってみます。

前進中、右足出た時左手を鍔に掛け右手を柄にかけるや左廻りに振り向きつつ物打ちまで抜出し、後方に振り向くや刃を下に向け右足を踏み込んで抜き打ちに敵の右肘を切り上げる。
不充分で敵後退するを透かさず右肩から振り冠って左足を踏み込み真向に打ち下す。更に敵後退するを右足を踏込み真向に打ち下す。
敵之を外し更に後退するを、我青眼に構え敵の喉元に切先を付け右足を踏み出しつつ刀刃を上向け左手をやや高くして詰め寄る。
敵真向に打込んで来るところ、払い流すや左足を左前に踏込み右肩から振り冠って右足を左足の後方に摺り込むや敵右肩から八相に切り下し、納刀。
3歩退いて正面に振り返り構えを解く。

何とか演武になりそうですが、神道無念流立居合になったか解りません。
何処かに詳細な術理を示す手引もあるでしょう。
後方の敵を振り向いて切り上げましたが、横一線の抜き打ちも出来そうです。
どの様なものがあろうとも場の状況を一瞬に判断して動作が自然に起こることが普段の稽古なのだろうと思います。
実戦ではこの曽田先生の手附より判断材料は少ないものだろうと思います。

我が動作を優先して一方的に技を繰り出してしまいますが、敵の動作を優先して応ずる様に研究するべきかもしれません。

ご指導ください。

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2014年8月19日 (火)

曽田本その2を読むの4曽田メモの8神道無念流居合二本目

曽田本その2を読むの4曽田メモの8神道無念流居合二本目

二本目

意義:敵我正面を切り来るを以て払い流し体を左方に替し敵の右肩より切り下ぐ。

第1.一本目の第2.動に同じ。
「一本目の第2.次に右手を左肩より振り冠り左手を添え右足を一歩引き敵の正面を切る」

第2.上段より右、左と2歩退き敵の正面を切る。

第3.左足より二歩前進し敵の正面を切る。

第4.両手で刀刃を上にし刀刃を以て敵の刀を払流し(此の時刀尖は其の位置にて左拳を刀尖よりやゝ上ぐ)同時に左手を中心に右肩より冠りつゝ左足を左前に踏み右足を左足の後に引き敵の右肩より八相に切り下ぐ。

第5.次に納刀

*手附は第1.第2、第3共に動作は抜けだらけです。
居合ですから敵の打ち込みを、刀をすっと上に抜き鞘手を引くと同時に、右足を引いて外し、上段に振り冠って右足、左足と引いて追い込んで来る敵の真向に打ち下す。

敵一歩引いて外す処、左足、右足と二歩踏み出し真向に打ち下す。敵一歩引いて之を外す。
我は空を打って、刀を止めるや、青眼に構える。

刀刃を上に向け切先で敵を攻める様に左手を切先よりやや上げて攻める心持で構える処、敵真向に打込んで来るのを、刀刃を以て払い流し、左足を左前に踏込み右肩より振り冠って右足を左足の後方に引くや敵の右肩より袈裟に斬り下げる。

第1、第2、第3の動作が一人演武では気ぬけた様にならずに、仮想敵をよく見て打込み外される心持が難しそうです。
敵の斬り込みを外すとも、我が切り込みを外されるとも書かれていません。
この神道無念流居合を知りませんから無双直伝英信流居合を以て演じています。

第4.は第3で外された剣先を上げて青眼に構え敵の喉元を突く様に切先を付けて徐々に刀刃を上向け左手を上げて突きの体勢で構える処、敵上段から打込んで来るのを左手を上げて刀刃を以て払い流すや左足を左前に踏込み、刀を右から廻して振り冠り、左足の後方に右足を摺り込むや敵の右肩より袈裟に斬り下す、此処が次のポイントでしょう。

*それでは、神道無念流の立居合では無いと言われるかも知れませんが、曽田先生の手附で、無双直伝英信流の動作を以て演じればこんな処でしょう。
ご指導いただければ、と、思います。

抜けだらけの手附や、絵に依る一部動作などが流の古伝には残されています、師による口伝口授の世界だったものを復元するのは不可能と云われます。
とにかく刀を腰に差してやってみるばかりです。
それしか無いのです。

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2014年8月18日 (月)

曽田本その2を読むの4曽田メモの8神道無念流居合一本目

曽田本その2を読むの4曽田メモの8神道無念流居合一本目

神道無念流(立居合12本)

一本目意義
数歩前方にある敵が将に刀を抜かんとする機に先立ち敵の右前肘を下方より切るも、続いて敵前進し来るを以て後退して切り、更に敵の後退するを進んで切るのであって此の時敵は倒れたるものとす。

動作
第1.右足より前進し2歩目左足にて柄を握り3歩目右足を出すと同時に抜刀(此の時左手で鞘を前方に出す気持を加え後方に振り上げ上体を左斜めにして十字形をなし左足は右足につれ前方に送り左足先を右踵に接する如くする)敵の右前肘を下より切り上ぐ。

第2.次に右手を左肩より振り冠り左手を添え右足を一歩引き敵の正面を切る。

第3.更に右足一歩進め真向より切る。

第4.納刀

*解りやすい手附ですからこのままにしておきます。
一刀目の切上げの刀は、切先天を衝けば全剣連の5本目「袈裟切り」、床に水平ならば全居連の3本目「切上げ」です。
「左手で鞘を前方に出す気持ちを加え後方に振り上げ」解りにくい表現ですが、其の儘書かれている順番にやればいいのでしょう。

二刀目は敵の攻めに応じて踏み込んだ右足を引いて「正面を切る」ですから諸手真向切り。

三刀目は敵が臆して退く処を右足を踏み込んで真向切りです。

足捌きは一刀目は右足を踏込み斬り上げると同時に連れ足捌きです。二刀目は左足を軸に右足を後方に引いて真向、三刀目も左足を軸に右足を踏み込んで真向。

*納刀は前回の方法です。

1.右の足を左足に引き付けると同時に刀を左肩に担ぐ如く持ち来たり左手は鯉口を持ち鞘を正しくす。

2.左手の拇指と食指とにて「はばき(鎺)」の近くを挟み右手の拇指は縁頭の近くを其の他の指は下より鍔及び柄を持つ。

3.左足を後方に一歩引くと同時に右手を以て刀身を前下に引き刀尖を鯉口の処に持ち来る。

4.右足を左足に引きつゝ刀身を鞘に納める。

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2014年8月17日 (日)

曽田本その2を読むの4曽田メモの8神道無念流居合終止

曽田本その2を読むの4曽田メモの8神道無念流居合終止の場合及び脱刀

第1.右手を以て刀を脱し右腰に持ち来りつつ蹲踞して敬礼す(開始の場合と同じ)

第2.起立して右足より3歩後退して立礼す。

*神道無念流居合の演武終了の礼式です。

順番から行くと、納刀が先に無ければならないのですが、曽田先生の手附は終止の礼式が前に有ります。是は開始の場合の礼式に対して終止の礼式を置いたのでしょう。

さっそく納刀法を稽古します。納刀は業毎に同じです。

刀の納め方
1.前の足を後足に引き付けると同時に刀を左肩に担ぐ如く持ち来たり左手は鯉口を持ち鞘を正しくす。

2.左手の拇指と食指とにて「はばき(鎺)」の近くを挟み右手の拇指は縁頭の近くを其の他の指は下より鍔及び柄を持つ。

3.左足を後方に一歩引くと同時に右手を以て刀身を前下に引き刀尖を鯉口の処に持ち来る。

4.右足を左足に引きつゝ刀身を鞘に納める。

*神道無念流居合には立居合しかありませんから、演武が終了しましたら其の位置で行います。

術の終了した時の後ろ足に前足を引付両足を揃え、同時に諸手で刀を左肩に担ぐように切先を上にして持ち来たるのです。血振りの様な動作は無さそうです。

*術の終了した時の足捌きは、此処では前足を後ろ脚に引き揃えていますが、中山博道遺稿集の立居合では、「術が完了した際、左足又は右足(後方に在った場合)を必ず前足に引き付ける・・」と足捌きが異なります。

切先を上に左肩に担ぐ形は無双直伝英信流正統会の22代宗家の推奨する正座の部「附込」の納刀の形と同じです。

左手は柄から離して鯉口を持ち、左手の拇指と食指で刀の鎺際を挟む様に持ちます。

右手は逆手に持ち替え拇指を縁頭の方に向け他の指は下から鍔及び柄を持つ。

ここの曽田先生の「右手の拇指は縁頭の近くを其の他の指は下より鍔及び柄を持つ」は拇指を縁頭に近くしますと不自然です。ここは鍔際で右手を逆手に持ち替えるでしょう。

納刀の構えが出来るや左足を後方に一歩引くと同時に右手を前下に引いて刀尖を鯉口に持ち来たり、切先が鯉口に入るや右足を左足に引き付けつつ刀身を鞘に納め、納め終ると同時に両足を揃えて起立する。以下脱刀終止の礼となる。

この納刀の足捌きは、例えば右足前で業が終われば、右足を一歩退いて左足に引き揃え刀を左肩に担ぎ、左足を一歩退いて切先を鯉口に持ち来たり、右足を一歩退いて左足に引き付け納刀を終る。
つごう3歩後方にさがり、起立して脱刀して刀を右腰に持ち来たりつつ蹲踞し左手を床に着いて礼。
立ち上がり右足より3歩退いて退場の礼をして終了です。

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2014年8月16日 (土)

曽田本その2を読むの4曽田メモの8神道無念流居合敬礼

曽田本その2を読むの4曽田メモの8神道無念流居合敬礼

*曽田本その2は曽田先生のメモで一杯です。その中に神道無念流の立居合12本が書きこまれています。
出典は勿論わかりません。
中山博道剣道口述集の後に中山善道先生が神道無念流伝承形全解があって「立居合」が初伝10本、上伝20本が紹介されています。その居合とはどうも違う様な気もしています。
他流の事なので詳しい事は解りませんが、手附を元に稽古して見るのも良いだろと思います。

全居連の抜刀法5本を制定するに当たり参考にした流の業を、3,4年前に稽古して見ました。
運剣は元より残心、納刀の所作総てを稽古してみたのです。
ある、他道場の当流の範士十段の先生から、「何をしとる、技が乱れる」と怒号が飛んできました。
自流が全てであると思うのは勝手です。そうでなければ上達の糸口すら見いだせないでしょう。
しかし「師匠の出来ない事をするな」と云うのでは師匠失格でしょう。
師匠は、出来ない事、知らない事が山ほどあるのです。其の上癖だらけです。
己の知らない事でも、弟子の向上心を認めさらに高い処に導く事が師たる者の義務でしょう。

全居連の刀法は一本目前切(英信流)・二本目前後切(無外流)・三本目切上げ(神道無念流)・四本目四方切(水鴎流)・五本目切先返し(伯耆流)です。
夫々の業技法を元に創作されたものです。
基を知ることでおざなりの形から脱する心を学びたかったのです。

敬礼
1、第1.右手に刀を提げ正面に対し立礼し、堤刀は刀刃を上方にし栗形の下方を持ち(此の際指は鍔に掛けざるものとす)体に並行して約45度の位置にする。

道場の正面に向って立ち、右手は栗形下の鞘を握り、刃を上に向けて右体側面に並行させて約45度に傾けて提刀する。その際鍔に指は掛けない。

*この文章では入場の際右手に刀を提げて入場するのか、左手なのか不明ですが、右手に刀を持って入場し両足を揃えて立礼するとして見ます。此の場合柄頭を前に向け鐺を後ろに下げた45度と見ます。

第2.左足より3歩前進し両踵を揃え蹲踞し(此の際刀を右腰にし鍔を体の中心前とす)左手を地につく如くして敬礼す。

*正面に礼を終われば刀を右手にもったまま3歩前進し蹲踞する、此の蹲踞は両足を爪立ち踵に尻を載せ、両膝は床に着けない相撲の八文字の蹲踞でしょう。
刀の鍔は体の中心前として左手を床に着いて礼をする。第1の礼が入場の礼とすれば、之は正面(神前、上席、刀)への礼でしょう。

第3.右手を以て刀を体の中央前膝の線に刀背を前方にし垂直に立つ。

*蹲踞の姿勢の儘右手で刀の刃を我が方に向け棟を正面に向けて両膝を結ぶ線上に刀を立てる。

第4.左手を以て下緒を「すごく」如くして鐺の付近を持ち両手を以て帯刀する(此の時左手の拇指を鍔の右内側より前方に押し鯉口を切り食指を以て刀の抜けざる様右外側より後方に引き鍔は概ね体の中央前にある)

*左手で鞘を下緒と共に「すごく」ように鞘中から鐺へ移動させ、鐺を持って帯刀する。帯刀した時左手の拇指で鍔右内側から前方に押し鯉口を切り、食指で刀の抜けない様に鍔を押さえ、鞘を右外側より後方に引き、鍔は概ね体の中央前に有る様に帯刀する。

第5.起立して右足より3歩後退す(起立して右足より3歩後退す(起立せる時右手は自然に垂れる)

*曽田先生の見た神道無念流居合では帯刀するや鯉口を切ってしまうのでしょう。
これは、帯刀したまま歩行中の突然の攻防とは思えませんが、敵の攻撃を察知するや鯉口を切る事は参考にすべき事でしょう。

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2014年8月15日 (金)

曽田本その2を読むの4曽田メモの7河野文通7先又は后之先

曽田本その2を読むの4曽田メモの7河野文通の7先又は后之先

居合は本来の目的よりして剣道の所謂、先々の先にあらずして先又は后の先の一刀と信じますが・・上意打ちは別とし(是とて上意と呼びなすと□る)一切敵を「だまし」打にする事は之無と信じますが、立膝の岩浪に於て左向き右足にてトンと踏みたる時、敵ハッと右に振りたる其の胸(又はのど)をさすと説くは丁度之にては「ダマシ」打の教あり、本業の正しき解義を是□御教示の程御願申し上げます。

解答
正面より我刀を押さえんとするにより我先に柄を右によじて刀を抜き敵を突く技にして決して「ダマシ打」にあらず。
当突く時足を「トン」と踏むは突く刀勢を添うるものなるにより(又一説には敵我が刀を押さえんとする其柄を踏む心持ちありと)音にせずして突くもある事心懸くべし」

*河野先生は居合は先又は后の先を以って敵に応じるものだと信じている。敵を騙し討ちにする様な一方的不意打ちは無い、あっても上意打ち位だろう。上意打ちも「上意」と声を懸けるや抜き打つだと信じている。
そうであろうが岩浪の時、相手に振り向いて足をトンと踏み鳴らして相手をハッとさせてこちらを向いた瞬間に相手の胸を突くというダマシ打ちの教えが在るがこの業の本当の処を教えてくれと云って居ます。

その答えは、相手が我が刀を押さえて抜かさない様にするので、其の手を外して突く、足をトンとさせるのは刀勢を強くするので騙し討ちではないと返しています。
或は一説に敵が我が刀を押えんとして柄で押し付けてくる其の柄をトンと踏み付ける事も心懸けて置くことだ。と答えています。

河野先生の昭和13年の無双直伝英信流居合道の立膝の部岩浪の注意事項
「刀を突きこむ時、敵稍々距離ある時はトンと踏み鳴らして右足を前に踏み込み、敵近接する時は右足は音を立てずその位置にてなす」

*何か解った様な解らない様な事を仰っていますが今ではどこかでこんな事を指導している先生が居るのでしょうか。

政岡先生は地之巻で「足をトンと踏み鳴らすことは、敵の気を奪う為に行うものである」と仰います。

大江先生の岩浪「右に向き、左足を後へ引き、刀を体前に抜き直に左手にて刀尖を押へ、右膝頭の処へ着け、左足を右足に寄せ、体を正面に直し、左手と右手とを水平とし、其右足を其儘一度踏み全体を上に伸し、直に体を落し、左膝をつき右手を差伸し、左手は刀尖を押へたる儘、伸ばして刀を斜形として敵の胸を突き・・」と、トンと足踏みはしないでその場で足踏みして弾みをつけて突くわけです。

古伝神傳流秘書英信流居合之事岩浪「左へ振り向き左の足を引刀を抜左の手切先へ添え右の膝の外より突膝の内に引後山下風の業に同じ」

*曽田本その2はここから先は直心影流兵法目録次第・鹿嶋神傳元祖・神道無念流居合・行宗先生より中村虎猪ぎに授与したる中傳書写・刀剣各部の名称・起請文前書等のメモ書きがありますが、神道無念流居合以外は写書きしただけですから、割愛させていただきます。
神道無念流居合の業に就いては稽古をして見ようと思います。
カテゴリー及び題は「曽田本その2を読むの4曽田メモの8神道無念流居合」とします。

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2014年8月14日 (木)

曽田本その2を読むの4曽田メモの7河野文通の6大森流

曽田本その2を読むの4曽田メモの7河野文通の6大森流

(大森流始祖は大森六郎左衛門との御説に依り確信を得まして心より感謝いたします)

*河野先生が感謝した内容は、大森流に就いて、「林六太夫(9代の)剣の師匠大森六郎左衛門が真陰流の古流5本の形から案出して英信流に附属せしめた・・・との説を根拠として大森流は始祖大森六郎左衛門とする一説」
によるのでしょう。

(A)然してその時代(9代林六太夫先生)迄は正座大森流はなく(B)長谷川流の立膝は英信のはじめたものとすれば英信以前には立膝及び正座は無き訳ですが無双神伝流として林崎より伝来せしものは(現今の業を以て称へば)今の奥居合の居業、立業のみであったのですか。

結局
1、奥居合も居業、立業は林崎先生以来伝承今日に至る
2、立膝は英信に始まる
3、正座は(始祖大森六左衛門)にて9代林先生の頃より始まる

と見て差支え無いでしょうか

◎然して現今大森流を(9代以来)附属せしめて之を無双直伝英信流と称すとして差支え無く之然るや

*この辺りはすでに流名、大森流などの事を2014年8月8日から12日の処でやり取りした締めくくりの様な物でしょう。

古伝神傳流秘書に依れば、大森流は9代林六太夫の剣術の師大森六郎左衛門によって創案され9代が土佐の居合に組み入れたとされています。

英信流と云う流名は7代長谷川主税助英信が達人だったので神傳流秘書の居合兵法伝来では「目録には無双神傳英信流居合兵法とあり是は本重信流というべき筈なれども長谷川氏は後達人なる故之も称して英信流と揚げられたる由也」とあります。
無双神傳重信流居合兵法を無双神傳英信流居合兵法としたと云う由来が述べられていました。
其の後どうした理由か無双直伝英信流居合兵法とされて神傳が直伝になったのです。
根元之巻や東北地方の流名を考えると「夢想神傳重信流居合兵法」がもっとも始祖との関係を思わせる流名でしょう。
一歩譲って「夢想神傳英信流居合兵法」でしょう。
「無双直伝」では無い様な気がします。

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2014年8月13日 (水)

曽田本その2を読むの4曽田メモの7河野文通の5重信出自

曽田本その2を読むの4曽田メモの7河野文通の5重信出自

林崎先生は(A)北条泰時第二子説。(B)宗時□(期?)間説。(C)足利末期説の三説之有る様に、私は□□(□見?)的研究の結果、A・B両説は単なる伝説の様に考えられ、小冊子には足利末期説をとり、足利13代義輝の頃(永禄・元亀)と致して居ますが当研究□□存ます。

・先生(虎彦を指す)の御説の秀吉御学被成云々より致しましても足利末期説を真とするに足る様考えられます。

・北条5代時頼より秀吉迄は此の間340年

・3代泰時~秀吉迄360年

・足利5代義量~秀吉迄160年

・足利末期13代義輝より秀吉迄は37年にて何れよりするも足利末期説確かの様ですが如何でしょうか。

*ここは林崎甚助重信公の生まれた頃を河野先生の研究結果が曽田先生の研究とあっているのか曽田先生に尋ねられたものです。
曽田先生の回答は不明です。
小冊子とは昭和8年の河野先生発行の「無双直伝英信流居合術全」の伝統の所に記載する予定だったものです。
結果は、林崎甚助重信公の履歴は外されています。

其の後の昭和13年発行の無双直伝英信流居合道に依れば第3節の「居合の沿革」に「群雄諸国に割拠せし、足利時代の末期(永禄・元亀・天正)の頃奥州の住人、林崎甚助重信が、山形県楯岡在の林崎明神に参籠し、明神の加護に依りて抜刀術の精妙を極め(千城小伝、武芸小伝に依る)称して林崎甚助流又は夢想流ととなえ、我が中興抜刀の祖となす。以来代々・・」とされています。
また、上記の北条泰時の第2子説などの事も俗説として追記されて居ます。

北条泰時は鎌倉幕府の執権で元久2年1205年~仁治3年1242年まで務めています。秀吉の天下取りは本能寺の変が天正10年1582年から始まります。

林崎甚助重信公資料研究委員会の林崎明神と林崎甚助重信によれば、

天文11年1542年 浅野数馬と菅野の間に幼名民治丸 生誕
天文16年1547年 浅野数馬、坂上主膳に暗殺さる
天文18年1548年 民治丸、東根刑部太夫について武術修行
天文23年1554年 民治丸林崎明神に祈願
弘治2年 1556年 民治丸林崎明神に百日参籠し抜刀の神伝をさずかる
永禄2年 1559年 民治丸元服、林崎甚助重信と改め林崎流を称し仇討の旅に出る
永禄4年 1561年 京で仇討、帰郷し「信国」奉納

*林崎流は大よそこのような事とされている様です。今から450年程前に始祖林崎甚助重信公によって始まった居合ということでしょう。
全居連の地区審査に於ける昇段審査学科試験問題では居合の中興の祖は林崎甚助重信、
時代は永禄年間(約四百数十年前)、神社名は林崎居合神社、所在地は山形県村山市楯岡
が出題されています。

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2014年8月12日 (火)

曽田本その2を読むの4曽田メモの7河野文通の4年代

曽田本その2を読むの4曽田メモの7河野文通の4年代

太刀打之位、詰合之位、大小詰、大小立詰の四業に付て其の始祖及び年代御教示を乞う

*この河野先生の質問には、どうした事か何も書かれていません。

古伝神傳流秘書ではこれら四業は次の様に書かれています。

太刀打之事(鞘木刀也 立合之事也)

詰合(重信流也従是奥之事極意たるに依而格日に稽古する也)

大小詰(是は業にあらざる故に前後もなく変化極りなし始終詰合組居合膝に座す気のり如何様ともすべし先おおむね此順にする)

大小立詰(重信流立合也)

*これを見る限り林崎甚助重信公から伝わって来た重信流と思えます。

詰合の一本目発早の手附の書き出しは「楽々居合膝に座し・・」大小詰の一本目抱詰の手附の書き出しも「楽々居合膝に詰合たる・・」とあって居合膝の名称が有ります。此の居合膝に座す形は、現在の立膝の様な物だったのでしょうか。
次いでですが、古伝神傳流秘書には大剣取について「此太刀打は和之位に有也」と書かれていますが、大小立詰の次に書かれている、太刀、小太刀に依る攻防の業です。之を河野先生は特に曽田先生に聞いていないのです。
和之位と云えば古伝では夏原流和之事があるのですが、あえて夏原流と言わずに単に「和之位に有り」と云って居ます。この大剣取の一本目無剣の座し方も「相手居合膝に座し・・」で同様です。

現在は大森流は正座して始まり、英信流は居合膝(立膝)に座し始めています。
古伝神傳流秘書にはこれらの座し方の説明は有りません。口伝口授だったのでしょう。

古伝神傳流秘書の英信流居合之事に次の様な書き出しがあります。
「是は重信翁より段々相伝の居合然者を最初にすべき筈なれども先大森流は初心の者覚易き故に是を先にすると言へり」

*この文言ですと英信流居合(現在の立膝の部)は長谷川英信が作ったのではなく、林崎甚助重信公によって組み立てられ、代を重ねて来たと読み取れます。

立膝の居合を英信流と云いますから、長谷川英信の創作で林崎甚助重信公の居合を時代に合う様に改変して組み立てたものとの印象がありますが、そうでは無く始祖より段々相伝しつつ変化して、長谷川英信があまりにも名人上手なのでその名を始祖の上に被せたのだと受け取れます。

古伝神傳流秘書の「居合兵法伝来」に次の様な書き込みがあることを思い出します。
「目録には無双神傳英信流居合兵法とあり是は本重信流と言うべき筈なれども長谷川氏は後の達人なる故之も称して英信流と揚られたる由也」

土佐の居合を正式名称で流名を揚げるとすれば「夢想神傳重信流居合兵法」であるべきで「無双」は、霊夢に依れば「夢想」でしょう。東北地方と一にするならば「夢想神傳林崎流居合兵法」でしょう。
南山大学の楠本鐘司教授の研究論文から松代藩の「無双直伝流」を指導した長谷川蔵之助英信や荒井清鐡が土佐の林六太夫にも教えていたのであれば、「無双直伝流」が流名の元だったかもしれません。(北信濃における無双直傳流の伝承について-江戸時代村落の武術と「境界性」-より推測)

土佐の居合の不思議は根元の巻の文言から、根元之巻では林崎甚助重信を林崎神助重信としている事。表六寸を柄口六寸としている事。

流名における姓を取った林崎流が東北地方一般に使用されているのに、土佐では名の方をとって重信流としている事。
霊夢に依っているならば「夢想」の詞を関するはずを「無双」としている事。
傳系では、長野無楽斎の次から長谷川英信まで殆ど如何様な人であったか記述がみられないのも不思議な事です。

業名に冠する程の名人ならば其の人に就いて何もわからない不思議は何なのでしょう。

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2014年8月11日 (月)

曽田本その2を読むの4曽田メモの7河野文通の3大森流

曽田本その2を読むの4曽田メモの7河野文通の3大森流

大森流と名に就いて

其時代、始祖どーも確信ある材料が無し

イ)林六太夫(9代の)剣の師匠大森六郎左衛門が真陰流の古流5本の形から案出して英信流に附属せしめた・・・との説を根拠として大森流は始祖大森六郎左衛門とする一説

ロ)大森流は之より以前英信より前にあったもので(年代始祖不明)大森六郎左衛門が始祖ではないとの一説

同氏(河野百錬先生を指す)の原稿には(福井先生の説を骨子とし)次の様に書いてある由

「当流の正座及奥の立業は大森流と呼び正流第7代英信の以前より当流の正伝として代々伝来せられたる業にして立膝及奥の居業は長谷川流と称し英信の創案と成り之れに形を加え総称して無双直伝英信流と唱う」

*イ)の説は古伝神傳流秘書に見られるもので、今日でも普通に語られています。
ロ)に就いてはその拠り所が不明です。
正座の普及及び業の有り様から英信以前に在ったと云うのも頷けるものです。

次の福井先生の説の奥の立業も大森流、で代々伝来していたと云う説は確証が得られません。
福井先生の根拠でもあればいいのですが何もありません。
当然立膝及び奥の居業は長谷川流の根拠もないのです。
但し立膝に依る運剣動作は、立膝も奥の居業も共通していますので立膝に座した業技法から両方共長谷川流であると推論するのもうなずけない事ではありません。
その確証を得る文献は古伝神傳流秘書に有ること以外は他に有りません。

神傳流秘書に於ける添え書きでは以下の様です。
大森流之事(正座の部) 大森六郎左衛門の流で第9代林六太夫により入れた。
太刀打之事(太刀打之位) 鞘木刀也 立合之事也、というだけで謂れが有りません。
英信流(立膝の部は)、重信翁より段々相伝の居合・・
詰合 重信流也、大小詰 重信流、大小立詰 重信流立合也、大剣取 和之位?、抜刀心持之事(奥居合) 重信流。

河野先生の昭和8年1933年発行の「無双直伝英信流居合術全」に於ける伝統には末尾に「長谷川英信以前は大森流と云い居りしが此人大いに研究して英信流を興し土佐の国に伝ゆ」と有ります。
少々大胆な説ですが長谷川英信以前を知りたかった気持ちはよくわかります。
福井先生の説を信じて載せようとしたのでしょう。

その後の昭和13年1938年発行の「無双直伝英信流居合道」の中の無双直伝英信流居合の伝統(正統宗家)の項からは前出の「長谷川英信以前は大森流と云い居りしが此人大いに研究して英信流を興し土佐の国に伝ゆ」は外されています。

河野百錬著昭和13年無双直伝英信流居合道より
殊に正流第7代、長谷川主税助英信は、其の技古今に冠絶し、精妙神技を以って始祖以来の達人として聞え、古伝の業に独創の技を加え、茲に流名を無双直伝英信流と改め、爾来、当流を略称して長谷川英信流又は長谷川流と呼ぶに至れり。

*河野先生の言われるように、重信流の技に独創を加えたかどうかは無いとも云えるし、有るとも云えるでしょう。
それは、現在でも些細な理合や術理の変化があらぬ方に代ってしまう事からも推察できます。
然し長谷川英信が起こしたものではなさそうに神傳流秘書は語っています。

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2014年8月10日 (日)

曽田本その2を読むの4曽田メモの7河野文通の2流名3

曽田本その2を読むの4曽田メモの7河野文通の2流名3

9代目林 六太夫守政について少し勉強しておきます。先祖は池田豊後と云って中村一条家の家来であったが、その子孫は一条家没落後長曾我部家に仕えその後浪人となる。大津に住み姓を林と改め山内家に仕えたもので、六太夫のとき御料理人頭と云う役目であった。
始めは知行80石であったが後160石の馬廻りに昇格している。
六太夫は城下八軒町に住んでいたが享保17年(1732年)70歳で没している。生まれは寛文2年1662年あたりでしょう。

曽田本の居合兵法極意秘訣を明和元年1764年に10代目の林安太夫誠詡が老父物語を書いていますのでこの老父は9代目の林六太夫守政でしょう。
林安太夫は林六太夫守政の子が幼かったので、養子となって林六太夫守政の家督と居合伝を受けて安永5年1776年に病死しています。

流名に就いては本来「重信流」が土佐の居合の流名であったかもしれませんが、長谷川英信の居合を主としていますから七代以降の道統によって無双神傳英信流・大森流が流名だったのでしょう。
そして無双直伝英信流への流名変換は土佐武道史話に依れば「大正の末期には「無双直伝英信流」、略して英信流とよぶことになったので、これは大江正路の主張によるものであった」としています。
此の事も、何処に其の事が言われていたのか確証できるものは有りません。

大正七年発行の大江先生、堀田先生の「剣道手ほどき」の付録にある表題は「無双直伝英信流居合術の由来」を見ますと、大正末期とは大した時期的違いは無いにしてもすでに「無双直伝英信流居合術」の流名を大正7年以前に使っていたことは事実でしょう。

更に曽田本で紹介した明治34年の谷村樵夫自庸より曽田先生の実兄小藤亀江に伝授された根元之巻における目録は「無双直伝英信流居合目録」と明記されています。
従って「土佐武道史話」の平尾道雄先生の説大正末期に無双直伝英信流と大江先生が主張してなったと云うのは疑問です。

土佐の居合は欠落部分があってその初めが見えない、長谷川流に変わる由来が判らない、無双神傳英信流になってから無双直伝英信流に変わった事情もわからない。
若し、北信濃の松代藩の無双直伝流と同じルーツであれば、是はかなり低い身分の人達が習った武芸としていますから、道統を明らかにして、格調高い流として山内家に取り込まれるための工作があったかもしれません。

谷村派、下村派についても明確な違いが示されないのも疑問の残るところでしょう。道統の争いの中で消されたり消えた事もあってしかるべき事とは思います。
土佐に眠る伝書の全公開が望まれる次第です。

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2014年8月 9日 (土)

曽田本その2を読むの4曽田メモの7河野文通の2流名2

曽田本その2を読むの4曽田メモの7河野文通の2流名2

「重信流」ですが東北地方の伝書を見てみます。

林崎新夢想流 津軽藩 元禄4年1691年~正徳元年1714年
林崎流 三春藩 元禄7年1694年1694年
林崎新夢想流 新庄藩 元禄14年1701年
林崎田宮流 庄内藩 宝永3年1706年
林崎夢想流 藩不明 宝暦8年1785年
林崎流居合 秋田藩 天明8年1788年
林崎夢想流 秋田・仙台藩 寛政2年1790年
林崎新夢想流 新庄藩 寛政3年1791年
林崎新夢想流 新庄藩 寛政12年1800年
林崎神流 二本松藩 文化10年1813年
林崎流 秋田藩角館 弘化3年1846年
林崎夢想流 秋田・仙台藩 安政2年1855年
林崎新夢想流 新庄藩 明治44年1911年

東北地方では林崎の姓を始めにしています。名の重信流は見当たりません。
何故土佐では林崎流とはならなかったのでしょう。

土佐の居合の流名は神傳流秘書の写された(書かれた)時期には、長谷川英信による無双神傳英信流居合兵法と呼びならわしていたといえるのでしょう。

北信濃の松代藩に於ける無双直伝流を、林六太夫が荒井勢哲や長谷川英信に江戸詰めの頃に習っていたとすれば無双直伝流、或は無双直伝英信流が妥当です。
現在の無双直伝英信流への変更も定かではありません。

根元之巻による霊夢に依って居合を知りえたとするならば、「無双」では無く「夢想」の方が、それらしいのですが、何故か古伝神傳流秘書でも「無双神傳英信流」なのです。
現在の夢想神傳流は無双直伝英信流が流名として存在するので夢想神傳流としたと何処かで読んだ気がします。(木村栄寿先生の夢想神傳重信流P126にあり)

大森流に就いては、
「此の居合と申 は大森六郎左衛門之流也英信流と格段意味無相違故に話して後に守政翁是を入候六郎左衛門は守政先生の剣術の師也真陰流也上泉伊勢守信綱の古流五本之仕形有と云々或は武蔵守卍石甲二刀至極伝来守政先生限りにして絶惜しむべし惜しむべし」

英信流居合については、
「是は重信翁より段々相伝の居合、然る者を最初にすべき筈なれども、先大森流は初心の者覚え易き故に是を先とすると言えり。」

詰合については「重信流也従是奥之事 極意たるに依りて格日に稽古するなり」

抜刀心持之事は「格を放れて早く抜く也 重信流」

林六太夫が習い、林崎流と言わず重信流と言っていた、林崎夢想流の或は林崎新夢想流の市井の剣術家が江戸にいたのかも知れません。
それが長谷川英信か荒井勢哲かそれ以前の人なのかもしれません。

きっとどこかに謎解きのヒントがあるでしょう。

 

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2014年8月 8日 (金)

曽田本その2を読むの4曽田メモの7河野文通の2流名1

曽田本その2を読むの4曽田メモの7河野文通の2流名1

無双直伝英信流と名発表の年代

英信は技古今に冠絶し精妙神技を以て始祖以来の達人として聞へ古来業に独創の業を加え茲に流名を無双直伝英信流と改め爾来当流を改称し長谷川英信流又は長谷川流或は英信流と呼ぶに至れり。
而して英信は享保の頃江戸に於て斯道を研究大成し、晩年土佐に□□して大に之を広め同地に其の逸材を輩出せしが、以下□右の如く
享保時代として、英信として相違なきや

是は同氏が当流に関する小冊子を発刊するに当たり尋ね越したる質疑なり以下何れも同断。

*河野先生が発刊する小冊子は昭和8年1933年発行の「無双直伝英信流居合術全」でしょう。
河野先生の質問は無双直伝英信流の流名の成立した時期は何時かという事です。
それに対して、時期は享保の頃【1716年~1736年)だと断定して居ます。
流名は重信流だったものを長谷川英信が達人で古来からの業に独創を加えて改変したので
長谷川英信流、又は長谷川流、英信流と呼ぶようになったと云います。

曽田先生は、知識は豊富だったでしょうが、事実を証明するバックデータを示してくれませんのでそれまでです。
曽田本から探ってみたいと思います。

曽田本の基になっている古伝神殿流秘書は下村派の山川久蔵幸雅が文政2年1819年に神伝流秘書を書写したものです。
従って神伝流秘書は文政2年1819年以前に成立している事になります。
山川幸雅が写した神殿流秘書は誰が書き、誰が秘蔵していたかは曽田本では判明できません。

長谷川英信から山川幸雅までの土佐の居合の下村派の道統は以下の通りと云われています。

7代長谷川主税之助英信-8代荒井兵作信作(荒井勢哲清信)-9代林六太夫守政-10代林安太夫政詡-11代大黒元右衛門清勝-12代松吉左衛門久盛-13代山川久蔵幸雅

谷村派の道統も参考に上げておきます。

7代長谷川主税之助英信-8代荒井兵作信作(荒井勢哲清信)-9代林六太夫守政-10代林安太夫政詡-11代大黒元右衛門清勝-12代林益之丞政誠-13代依田萬藏敬勝

長谷川英信に就いては、土佐の人と云うがその確証はどこにも無く出自も生没年も不明と云うのが現在の処その様です。
林六太夫守政は山内家に名が残り八十石の知行を食んだ武士で、長谷川流が土佐に根を下ろしたのは林六太夫以後と考えねばならない、と平尾道雄先生の「土佐武道史話」で述べています。

荒井勢哲が土佐藩士であったかどうかは、南山大学の榎本鐘司教授の研究論文を読むと聊か疑問ですが、林六太夫が江戸詰めの際に師事しその際何らかの土佐藩との係わりがあったかもしれません。

神傳流秘書の居合兵法伝来に依れば、その由来を述べています。
本来「重信流」だと云います。
「目録には無双神傳英信流居合兵法とあり是は本重信流と言うべき筈なれども長谷川氏は後の達人なる故之も称して英信流と揚げられたる由なり」

従って土佐の居合は文政2年1819年以前に「無双神傳英信流」と云っていた目録があった事になります。

然し突然土佐の居合には無双直伝が冠されています。
そのルーツは林六太夫が荒井勢哲の無双直伝流を習い、当時有名であった長谷川英信が荒井勢哲の師でもあった事から、もたらされたと推測できそうです。

林六太夫は享保17年1732年に70歳で亡くなっている(平尾道雄著土佐武道史話)そうです。生まれは1662年寛文2年の頃でしょう。
荒井勢哲は南山大学の榎本鐘司先生の調査では元和1625年~寛永1644年の頃の生まれで80歳(1705年)以上存命の様に捉えられる様ですから、どうやら土佐の林六太夫とダブる事が出来そうです。
残念乍ら長谷川英信は荒井勢哲とダブる頃だろうとしか想定できません。

曽田先生の断定される英信流は享保の頃と云うのは、間違いないのかも知れません。

江戸時代の年号
元和1615年-寛永1624年-正保1644年-慶安1648年-承応1652年-明暦1655年-万治1658年-寛文1661年-延宝1673年-天和1681年-元禄1688年-宝永1704年-正徳1711年-享保1716年-元文1736年-延亨1744年-寛延1748年-宝暦1751年-明和1764年-安永1772年・・・。

神傳流秘書は林六太夫の養子林安太夫が書いたものであれば林安太夫が安永五年1776年に病死と云う事ですから享保の頃と云うのもあながち間違いではなさそうです。

林六太夫は無双直伝流を無双神傳英信流と名付けたと推測できるのですが、それが又、無双直伝英信流になるには、何か謂れがありそうです。

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2014年8月 7日 (木)

曽田本その2を読むの4曽田メモの7河野文通の1礼式

曽田本その2を読むの4曽田メモの7河野文通の1礼式

河野先生は大阪八重垣会を結成され無双直伝英信流を広められていきました。
同時に稽古に役立つようにとテキストを出されています。
昭和8年発行の無双直伝英信流居合術全は、下村派の曽田先生も読まれて「居合術は剣道に付随するものにあらず」と息巻いていました。
河野先生も研究熱心で曽田先生に疑問点など手紙でやり取りして教えを乞いておられます。

大阪八重垣会幹事?
剣道錬士 河野稔氏との文通質疑より質問を受けたる事項次の如し。

1.英信流に於ける礼式の件

立礼は神前玉座に対する礼、座礼は刀に対する礼なりと信じ居れるが、一説に(相当の人にて)立、座共に玉座神前の礼にして座礼は近世に至りてはじまったものだと唱うるあり 如何

*質問を河野先生がされているのでしょう、英信流の礼式はどのようにするのかと聞かれたのでしょう。

大江先生堀田先生の剣道手解きに有る礼式を無双直伝英信流の基本礼式と考えるべきでしょう。(大正七年発行)
古伝には、神前玉座の礼式は指定されていません。

「神殿又は玉座に向刀を抜いてはならぬ。刀を抜くときは神殿玉座に向って右の方に体を向く即ち体の左鞘の処を向けて正座す。
此の正座で抜くと高貴の方の方に向って刃を抜き付ける事がないのであります。

刀の鍔元を左手にて持ち拇指にて鍔を抑え刃を上にし刀身を斜めとす。直立体にて神殿にむかって、黙礼をするのであります。黙礼が終れば直立体のまま道場の中央に出で神殿を左に見て体を右に向け体を前に屈め手を股に入れ袴を左右に払い左手の刀を股に乗せて正座す。正座したなれば右手は股の上に置きて上体を正確となす。

左手に持ちたる刀を右手に握りその拇指にて鍔を抑え体前に刀を立、左手は膝上に置く。
左手に持ち変え体前に出したる刀は左へ返し膝頭より五寸も離しその鐺を板の間に着け其の鐺に眼を着けて自然と右手を下し前に置く。鐺に着けたる眼は刀を置くと同時に柄頭まで眼を着け正しく置きたれば右手を鞘より離し膝上に置き黙礼をなす。此の礼は殊に心を浄め諸事を忘れ抜くことのみに一心を集めるのであります。」

*これが無双直伝英信流題十七代宗家が提唱する神前玉座への礼として書かれているのですが、是は抜き付けの心得として神前玉座に向って抜き付けてはならないと云う事を云って居るのです。大江先生系統の無双直伝英信流の礼式のポイントです。

この場合の刀は左手で持った状態で神前玉座への礼をしています。
刀への礼も膝上に両手を置いて座礼をしています。

其の後昭和8年の河野先生の無双直伝英信流居合術全での礼式は、「鍔元を左手に持ちて鍔を抑え、刃を上にして刀を下げ下座より玉座に向い直立体の儘刀を右手に持ち替え(此の時刃を後方に向け)右側に軽く接し立礼をなす」と神前玉座の礼式は変わっています。
座礼についても、「双手を八文字につきて礼を行う」ですから床に手を着いた礼となっています。

昭和10年の谷田左一先生の礼式も大江先生の様に左手に刀をもったまま、神殿の礼をしますが、是は普通の作法であって更に鄭重に行うには「柄を後ろに切先を前下がりにして刃部を後ろに向け、右手の甲を前に、親指を左側に、食指を正面に、のこり三指を右側にして、栗形の処を握り提げて出で、玉座又は神殿に向って最も厳粛なる敬礼を行う」とされています。

河野先生は、曽田先生に神前玉座への礼はどのようにするのが無双直伝英信流の流儀なのかと聞かれたのでしょう。
そこで、立礼は神前玉座、座礼は刀への礼と信じているが、昔は座礼も立礼も神前玉座の礼であって、座してする礼は近世になって始まったと云う相当な人が言っていたよ、と返したのです。

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2014年8月 6日 (水)

曽田本その2を読むの4曽田メモの6メモの7霊夢

曽田本その2を読むの4曽田メモの6メモの7霊夢

昭和13年3月14日午前2時頃、虎彦霊夢により故行宗先生日頃の稽古着にて夢枕に立たれ、ご生前の如く親しく問答を交わしたり。
而して余は刀の納め方につき御示教を乞いたる処、詳にご伝授ありたり。

即ち、居合技に於て最も秘蔵にして重きをなすものは抜刀、納刀の妙諦を得るにあり。
納刀技は鯉口に刀棟を上より降ろすことなく、開きたる刀を其の儘左斜めに持ち来たり、棟にて恰も爪の皮を剥ぐ如く摺り上げ、鯉口の処にて巧みに刃を上に返して鯉口を後に繰り、右手は体の前方に伸ばし指3本にて支え、右手の伸びたる時は鞘と刀身とは一直線になる様に懸くべしと。

此の時先生は見事なる居合刀を持たれて居たが、「土居君(余をさす)此の刀で抜いてみたまえ」と云われたが、何は兎もあれ先生に「一本拝見さして頂き度し」と請えば、先生早速「然らば伯耆流居合を抜いて見せん」と立ち上がられたが此の時はかなくも夢醒めてそぞろの感に打たれたが之が所謂神秘夢伝とも云うべきであろう。

*この話は、岩田先生の平成元年発行の「土佐の英信流旦慕芥考」の名士の記録の中に霊夢として掲載されています。
岩田先生には大田次吉先生の御弟子さんから、曽田本の写しが送られたものです。

行宗先生が納刀の指導を夢の中でされた方法は、立膝の部の右に開く横血振りから、鯉口に「左斜め水平に持ち来たり、刀の棟で恰も爪の皮を剥ぐ様に摺り上げ」運び、この文章の意味はよくわかりません。鯉口の処で刃を上に向け、鯉口を後ろに引き、右手は前方に伸ばし、小指、薬指、中指の3本で支え、右手を伸ばして鞘と刀身を一直線にして納刀する、と教示されたのでしょう。
上からクルット落し込む様な納刀では無いようです。

夢が覚めてしまい行宗先生の伯耆流は見られなかったのでしょう。残念です。
この昭和13年1938年は曽田先生48歳、行宗先生は亡くなられて24年経っています。存命ならば88歳でしょう。
曽田先生の多感な中学時代に、当時50代半ばの円熟した行宗居合に導かれた恩師への懐かしい思いなのでしょう。
この頃昭和10年に穂岐山先生が亡くなり、共に形を打った竹村静夫先生が昭和13年1938年に亡くなっています。

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2014年8月 5日 (火)

曽田本その2を読むの4曽田メモの6メモの6の2河野宗家根元之巻

曽田本その2を読むの4曽田メモの6メモの6の2河野宗家根元之巻

此処に掲載する根元之巻は河野百錬先生が第19代福井春政宗家より印可された根元之巻です。河野先生は根元之巻と紹統印可を同年に受けられています。
(昭和29年発行無双直伝英信流居合術叢書より読み下し文とします)

正統第19代福井春政先生相伝書
昭和25年 第20代河野百錬に印可之巻

居合術根元之巻

抑(そもそも)此の居合と申は日本奥州林之従 大明神夢相に之を伝え奉る、夫兵術は上古中古と雖も数多の違他、佗流(他流)大人小人無力剛力嫌わずに合う兵の用云々、 末代相応の太刀と為る、尓(なんじ)云う手近の勝負一命の有無の極、此の居合恐れる者粟散辺土の堺、不審の儀之れ有るべからず、唯多夢による処也。
此の始を尋ぬ奥州林崎甚助重信と云う者、兵術によって之有るを望み、林の明神に一百有日参籠令(せしめ)其の満暁の夢中に老翁重信に告げて曰く、汝此の太刀を以て常に胸中憶持たる怨敵に勝を得ん云々。
則ち多夢に有る如く、大利を得ん、以って腰刀三尺三寸の勝ち九寸五分の事柄口六寸の勝ちの妙不思議の極意一国一人の相伝也。
腰刀三尺三寸三毒則ち三部に但し脇指九寸五分九曜五古の内証なり。
敵味方成る事、是れ亦前生の業感也、生死は一体、戦場浄土なり、此の如く観、則ち現世にこうむる大聖摩利支尊天の加護、来世に仏となり縁となる事、豈疑いあらんや。
此の居合千金を積むと雖も真実にあらざる人に堅く之を授くべからず、天罰を恐れ唯一人に之を伝え授くべし云々。

古語曰く
其の疾く進む者 其の速く退く云々 此の意を以て貴賤尊卑隔てなく前後の輩に謂れ無く、其の所作に達せし者に目録印可等相違なく許せ。

又古語曰く
夫れ百錬の構え在りて則ち茅茨荘鄙によって兵の利を心懸ける者は夜より白むに之を思い神明仏陀に祈り則ちことごとく利方を得るによって心済身耳燦然とす。

流名
林崎無想流重信流
林崎夢想流重信流

名称
横 雲 深山には嵐吹くらし三吉野の
             花か霞か横雲の空
虎一足 猛き虎の千里の歩み遠からず
              行くより速くかへるあし引
稲 妻 諸共に光と知れど稲妻の
              跡なる雷の響知られず
浮 雲 麓より吹上られし浮雲は
              四方の高根を立つゝむなり
山 颪 高根より吹下す風の強ければ
              麓の木々は雪もたまらず
岩 浪 行く舟のかじ取り直す間も無きは
              岩尾の浪の強くあたれば
鱗 返 滝津波瀬上る鯉の鱗は
              水せき上げて落つる事なし
浪 返 明石潟瀬戸越す波の上にこそ
              岩尾も岸もたまるものかわ
滝 落 滝津瀬の崩るゝ事の深ければ
              前に立添う岩もなきかな

詰合 極意奥之事
1.発早 1.拳取 1.岩浪 1.八重垣 1.鱗返 1.位弛 
1.燕返 1.柄砕 1.水月 1.霞釼

大小詰 大小立詰
1.抱詰 1.骨防扱 1.柄留 1.小手留 1.胸留 1.右伏 
1.左伏 1.山形詰 1.〆捕 1.袖摺返 1、骨防返 1.鍔打返
1.蜻蛉返 1.乱曲 1.電光石火

大剣取
1.無剣 1.水石 1.外石 1.鉄石 1.栄眼 1.栄月 1.山風
1.橇橋 1.雷電 1.水月

抜刀心持之事
1.向払 1.柄留 1.向詰 1.両詰 1.三角 1.四角 1.棚下 
1.人中 1.行連 1.連達 1.行違 1.夜之太刀 1.追懸切
1.五方切 1.放打 1.虎走 1.抜打(上中下)

英信流
1.横雲 1.虎一足 1.稲妻 1.浮雲 1.山颪 1.岩浪 
1.鱗返 1.波返 1.滝落 1.抜打(真向)

大森之部(正座)
1.前身(初発刀) 1.右身(左刀) 1.左身(右刀) 1.後身(当刀)
1.八重垣(陽進陰退) 1.請流(流刀) 1.介錯(順刀) 1.附込(逆刀)
1.月影(勢中刀) 1.追風(虎乱刀) 1.抜打

第17代範士大江正路 第18代穂岐山波雄 福井春政研究協議の上改定する所あり口伝す

奥之部(改定)
1.霞 1.脛囲 1.戸詰 1.戸脇 1.四方切 1、棚下 1.両詰
1.虎走 1.行連 1.連達 1.惣捲 1.総留 1.信夫 1.行違
1.袖摺返 1.門入 1.壁添 1.請流 1.暇乞 1.暇乞 1.暇乞

形(改定)
発声(イーエーイ)
1.出会 1.拳取 1.絶妙剣 1.独妙剣 1.鍔留 1.請流 
1.真方  以上

外之物之大事
1.行連 1.連達 1.追懸切 1.惣捲 1.霞 1.雷電

上意之大事
1.虎走 1.両詰 1.三角 1.四角 1.門入 1.戸詰 
1.戸脇 1.壁添 1.棚下 1.鐺返 1.行違 1.手之内 
1.輪之内 1.十文字

極意之大事
1.暇乞 1.獅子洞入 1.地獄捜 1.野中之幕 1.逢意時雨
1.火村風 1.鉄石 1.遠方近所 1.外之釼 1.釣瓶返
1.智羅離風車

右の条々深く之を秘す極意也、真実の人にあらざれば努々相伝あるべからざるもの也。
貴殿多年斯道に熱心鍛錬の結果其の蘊奥に達せらるるを認めここに我が英信流併し始祖重信流居合術を全て相伝候、宜しく将来本流の品位を堕す事無く之が普及を計り漫に他流に媚びず以って伝授の責を全うせられん事を期せらるべし

天真正
林崎明神
     初代 林崎甚助重信 
          (以下18代穂岐山先生迄連記)

林崎夢想流
林崎神伝重信流
林崎神伝流
林崎無雙神伝重信流

右一之名称也

昭和25年1月3日
      無雙直伝英信流

    第19代正統宗家
      居合道範士・柔道教士7段
      従7位 福井春政

大日本武徳会居合術範士
     河野百錬殿

*多夢とあるのですが之は灵夢で霊夢でしょう。霊の異体字です。多夢では意味が不明です。意味を求めますと他に誤字もありそうです。
流名について幾つか書かれていますが、無双直伝英信流以外は、何処にあったのか調べられません、
業名についても、現代は例えば、正座の部前であって大森之部(正座)1.前身(初発刀)は違和感です。
目録のうち古伝も伝授されたのでしょうか。現在では如何様に引き継がれているのか疑問です。
立膝の歌などあってユニークな根元之巻でしょう。

 

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曽田本その2を読むの4曽田メモの6メモの6河野宗家紹統印可

曽田本その2を読むの6曽田メモの6メモの6河野宗家紹統印可

大江先生が鈴江吉重先生へ相伝された根元之巻は前回の通りでした。
此処に河野百錬先生が第19代紹統宗家福井春政先生より印可された紹統印可之巻を参考に乗せておきます。
是は、河野先生が曽田先生から譲り受けた古伝の写し(曽田本)を編集されて昭和29年1954年に発行された「無双直伝英信流居合兵法叢書」の巻末に掲載されているものです。

無双直伝英信流紹統印可之巻
(昭和25年5月14日、摂州住吉大社御神前に於いて、紹統式典を厳粛に挙行された)

貴殿道縁に依り昭和2年8月日大日本武徳会大阪府支部に於て当流に入門し第18代宗家穂岐山波雄先生の門に学び精励斯道の研鑽普及に努め昭和6年大日本居合道八重垣会を組織し門生を育成その数二千六百余名に及び入門以来甞(かって)剣を執らざる日無く錬磨精進以て当流の奥秘を得昭和21年5月20日大日本武徳会総裁梨本宮守正王殿下より剣家最高の栄誉たる居合道範士の称号を授与され道の為め盡す所大なり依って流祖並歴代宗家の神霊に諮(はかり)て茲に無双直伝英信流居合兵法正統第20代宗家を紹統印可する者也
依って奥書件の如し

林崎明神
林崎甚助源重信
田宮平兵衛業正
長野無楽入道槿露齋
百々軍兵衛光重
蟻川正左衛門宗続
万野団衛門尉信定
長谷川主税助英信
荒井勢哲清信
林 六大夫守政
林 安大夫政詡
大黒元右衛門清勝
林 益之丞政誠
依田万蔵敬勝
林 弥太夫正敬
谷村亀之丞自雄
五藤正亮
大江正路
穂岐山波雄
福井春政

昭和25年庚寅年 正月吉辰
第19代正統宗家 福井春政

河野百錬殿

*河野先生が無双直伝英信流の正統宗家として印可されたものです。是は序文に有りますように、昭和29年に無双直伝英信流居合兵法叢書の巻末に載せられています。

なお此の正統印可と同時に居合根元之巻を相伝されています。
是に就いては、別途と致します(2014年8月5日13:00公開)。

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2014年8月 4日 (月)

曽田本その2を読むの4曽田メモの6メモの6林崎新夢想流根元之巻

曽田本その2を読むの4曽田メモの6メモの6林崎新夢想流根元之巻

この根元之巻は林崎新夢想流の津軽藩に伝わるものです。
平成3年発行の林崎甚助源重信公資料研究会による「林崎明神と林崎甚助重信」の江戸時代の伝書より写させていただきます。
原文は発行年が有りませんが、元禄4年1691年~正徳元年1714年頃に発行された浅利伊兵衛尉均禄によって棟方五右衛門に授与された根元之巻と研究会で査定されています。
漢文ですから読み下し文にしておきます。

抑(そもそも)居合は奥州林之神明の夢想により之を伝う、夫れ兵法は上古中古数多有りと雖も此の居合は末世相応の太刀なり、手近の勝負一命の有る無,此の居合の極みなり、粟散(ぞくさん)辺土の堺に於いて恐れ不審の儀之有るべからず。唯霊夢に依る処也。
此の始めを尋ぬれば或時奥州林崎甚助と謂者、兵法の望みに依って林明神に百日参籠し満暁の夢中汝に告げて云う。
此の太刀を以て常に胸中に憶持せる怨敵に勝ち得ん云々。
則ち霊夢の如く大利を得んと成れり。
腰刀三尺三寸、九寸五分に勝ち、表六寸にして之に勝の妙不思議の極位、一国一人の相伝也。
腰刀三尺三寸は、過現未の三心三身則ち三宝の王法にして是三釼と為る、禅門に十八種の剣、六種の剣、十二種の釼有り。又是濟家室中代を重ね、衲僧(のうそう)截断の(修)行也。
殺人刀、活人剣都(すべて)掌を握ぎる中に在り。
脇指九寸五分は九品(くぼん)蓮葉剣、離憂苦海の中を出で、生死魔軍を追倒し釈道九曜五古の内證也。是れ則ち曹洞五位の秘訣と為れり。
敵味方に成る事是れ亦前生の業感也、生死一体にして百戦場中の使い大寂光土、現世を観る事此の如く也。魔利支尊天の護身符也。
此の居合千金を賜るを以てしても貴からず、但し実當の人に之を傳附すべし。
兵の利を心懸ける者、昼夜之を思い、神明の息に祈り、利を得、正見に依って心済にして身を耳とす。
畢竟黙然良(やや)久しく云う 珊瑚枝々撑(たなごころ)に月着く

天真正
林明神
林崎甚助重信
田宮平兵衛照常
長野無楽斎槿露
一宮左大夫照信
谷 小左衛門□正
常井喜兵衛直則
浅利伊兵衛尉均禄

棟方五右衛門尉殿

*土佐の根元之巻と比較しますと土佐では林崎甚助重信を林崎神助重信としているのが不思議です。
極意である、土佐の柄口六寸がここでは表六寸となっています。
此の津軽藩の林崎新夢想流の根元之巻は仏教用語が多いのですが土佐ではこれらがあまり見られません。
津軽の根元之巻は漢文調の読み下しがスムーズです。

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2014年8月 3日 (日)

曽田本その2を読むの4曽田メモの6メモの6根元之巻2

曽田本その2を読むの4曽田メモの6メモの6根元之巻2

根元之巻は、漢字で書かれています。読み下しては置きましたが、それで根元之巻を理解せよと言われても困ったものです。
日本人の国語力も著しく低下していて、此の漢字は見た事も無い、読めるわけもない、読めても意味が解らない、免許皆伝書であれば謎だらけで見せられても、「へー」と云って終りです。
曽田本をお付き合いいただいた方は、其の積りならば根元之巻を理解できるはずです。
先ず、意味はどうでも、何度も何度も声を出して読んでみてください、始祖の声が聞こえてくるかも知れません。

今回は、根元之巻にある皆伝目録です。
目録ですから業名だけで、解説は付きません。
大江先生が鈴江吉重先生に伝授した皆伝目録です。

大森流之部
1、真身 2、右身 3、左身 4、後身 5、八重垣 6、請流 7、介錯 8、附込 9、月影
10、追風 11、真向

長谷川流之部
1、横雲 2、虎一足 3、稲妻 4、浮雲 5、山下シ 6、岩浪 7、鱗返 8、浪返 9、滝落
10、真向

奥居合之部
1、霞 2、脛囲 3、四方切 4、戸詰 5、戸脇 6、棚下 7、両詰 8、虎走 9、行連 10、連達 11、惣捲 12、惣留 13、信夫 14、行違 15、袖摺返 16、門入 17、壁添 18、請流 19、暇乞 20、暇乞 21、暇乞

形並発声
イーエーイ
1、出合 2、拳取 3、絶妙剣 4、独妙剣 5、鍔留 6、請流 7、真方

右の条々深く之を秘す極意也。真実の人にあらざれば、努々(ゆめゆめ)相伝有るべからざる者也。
貴殿、多年斯道に熱心錬磨の結果其の蘊奥(うんのう)に達せらるゝを認め、爰(ここ)に我が英信流居合術を相伝せしめ候、宜しく将来本流の品位を堕(おとす)す事なく之が拡張を計り漫(みだり)に他流に媚びず以て伝授の責を全うせられん事を期せらるべし。

天真正
林明神

林崎神助重信
田宮平兵衛業正
長野無楽入道槿露齋
百々軍兵衛光重
蟻川正左衛門宗続
万野団衛門尉信定
長谷川主税助英信
荒井勢哲清信
林 六大夫守政
林 安大夫政詡
大黒元衛門清勝
林 益之丞政誠
依田萬藏敬勝
林 弥太夫政敬
谷村亀之丞自雄
五藤正亮

無双直伝英信流居合術十七代目
大江正路蘆洲
大正十年七月吉日

鈴江吉重殿

*第17代宗家大江正路先生が発行された根元之巻ですが、わかる範囲でのせてみました。

鈴江吉重 大正10年1921年

政岡一實 年号不記

山内豊健 大正14年1925年

森 繁樹  大正15年1926年

穂岐山波雄 不明(岩田憲一先生の古流居合の本道より)

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2014年8月 2日 (土)

曽田本その2を読むの4曽田メモの6メモの6根元之巻1

曽田本その2を読むの4曽田メモの6メモの6根元之巻1

曽田先生は如何した訳なのか、大正10年に大江先生が鈴江吉重先生に授与した根元之巻を書写しています。
下村派行宗貞義先生から根元之巻を授与されていないのかも知れません。
行宗先生は大正3年1915年65歳で亡くなっています。曽田先生は明治23年1890年生まれですから行宗先生の亡くなられた時は25歳でした。
高知2中へ入学した時、行宗先生について居合を習い始めたわけで、行宗先生の亡くなった時には13年程度の修行です。
曽田先生は高知2中卒業後高知武徳殿の助教授に抜擢されて行宗先生の後を継いでいる様です。
行宗先生は明治の末から大正始めにかけて京都武徳会本部の居合術教師を勤めていたようですから、亡くなる前は曽田先生との接触は少なかったと推察できます。

そしてなぜ此処に大江先生から鈴江先生に授与された根元之巻であるのか疑問です。
何らかの交流があったか、知りたい事を素直に話せば、心掛けてくださる方もあるのでしょう。

根元之巻はそれに依れば一国一人への相伝と云っていますが、いつの頃からか根元之巻を持つ者が複数となり、そして複数に授与されています。
是は土佐の居合の業技法をことごとく納め終った者への免許皆伝目録であってそれが土佐の居合の宗家を認める紹統允可とは異なるものと理解しています。

以下、根元之巻を読み下します。

居合術根元之巻
(大江正路先生より鈴江吉重先生に伝授したる伝書の写し 曽田メモ)
抑(そもそも)此の居合と申すは、日本奥州林之従、大明神夢相に占め之を伝へ奉る、夫れ兵術は上古中古数多之有りと雖もこの違い、佗(他)流大人小人無力剛力を嫌わずに合う兵の用云々、末代にても相応になる太刀云々。
手近に勝ち一命の有る無しの極み、此の居合は恐らくは粟散辺土の堺、不審の義は之有るべからず、唯霊夢に依る処也。
此の始めを尋ぬ、奥州林崎神助と云う者、兵術の望み之有るに因って、林の神明に一百有日参籠せしめ、其の満暁の夢中に老翁、重信に告げて曰く、汝此の太刀を以て常に胸中億持するは怨敵に勝ちを得ん云々。
則ち霊夢に有る如く大利を得ん、腰刀三尺三寸を以て九寸五分に勝事、柄口六寸の勝ちの妙不思議の極意、一国一人の相伝也。
腰刀三尺三寸、三毎(毒)、則ち三部に、但し脇差九寸五分九曜五銘(鈷の誤字)の内証也。
敵味方に成る事は是れ亦前生の業感也。
生死は一体、戦場浄土也。
此の如く観るは、則ち現世に蒙(こうむる)大聖摩利支尊天の加護なり。来世に成仏成るは縁なる事、豈疑い有らん哉。
此の居合、千金を積むと雖も不真実の人には堅く是を授けざるべし。天罰を恐るべきして唯一人に授くと之を伝う云々。

古語に曰く
其の進むことの疾き者 其の退くことの速き云々
此の意を以て、貴賤、尊卑隔てなく前後の輩といわず、其の所に達せし者には目録印可等相違無く許せ。

又古語に曰く
夫れ百錬の構え、則ち茅茨、荘鄙とも兵利に心懸ける者、夜自ずから之を思い神明仏陀に祈る者、則ち忽ち利方を得、是の心に依り身を済す事燦然(さんぜん)。

以下次回と致します。

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2014年8月 1日 (金)

曽田本その2を読むの4曽田メモの6メモの5大詰

曽田本その2を読むの4曽田メモの6メモの5大詰

大詰
大詰は大きになじると云うこと也、相手清眼に構る時上段の太刀拳を楯にして敵の顔へ突き懸る時、拳へ打込むを、身形を直に跡へ外して上より二星を勝なり、とたんの拍子をぬいて直ぐに打つ也。
此の拍子ちがえば相打になる也、是を栴檀の打と云うて嫌うなり、栴檀と云うは二葉と訓して互に太刀のならぶことなり。
習いに大調子の小調子の大調子と云うてあり。大調子とは無拍子の事なり、小調子とは太刀に拍子をもたせて打つことなり。
敵小調子にきらば大調子に勝ち、大調子にきらば小調子にて勝つべし、皆以て相気を欠くこと也。
敵の小調子を大調子を以て勝つことを大詰と云う也。

*これも柳生新秘抄の九箇之太刀の手附をメモしたものです。
大詰は大きく攻めると云う事である。「なじる」と云うのは責める、詰めるなどに使われたと思われます。
相手清眼(正眼)に構える時、我は上段に構え太刀、拳を楯にして敵の顔へ突きかけて行く、相手拳に打ち懸けて来るのを、体を直ぐにして後へ左足、右足と追い足で外すや、上段より敵の二星(拳)に勝なり。
とたんの拍子とは途端の拍子で「打込まれたその瞬間の拍子」に敵刀をぬいて直に打込む事である。
この拍子が違ってしまうと相打ちになってしまう。是を栴檀の打と云って嫌うものである。栴檀と云うのは二葉が並ぶように刀が並ぶことである。
習いに大調子に打込むを小調子に応じ大調子に打ち込み勝と云う事がある。
大調子とは無拍子之事である、小調子とは太刀に拍子をもたせて打つ事である。
敵が小調子に斬るならば大調子に勝ち、敵無拍子に斬って来るならば我は太刀に拍子を持たせて勝つものである。
敵の拍子に即応して無拍子に勝つ事を大詰と云う。

是も尾張柳生の九箇之太刀を稽古して見ます。
仕打共に右手を肩の高さに構えた相上段で相進む。
打は仕の拳を打って行く。
仕は体を左斜め後ろに開いて太刀を大きく振りかぶって打の打ちを抜き、打の面を打つ。

*この大詰は曽田先生がメモされた理由が見当たりません。
大調子・小調子、或は大調子・小調子・大調子、小調子・大調子の気の運剣を整理した説明に納得して八重垣・受流・附込・月影・浮雲・颪・岩浪・瀧落・惣捲などに引き当てていたのかも知れません。

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