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2014年8月 2日 (土)

曽田本その2を読むの4曽田メモの6メモの6根元之巻1

曽田本その2を読むの4曽田メモの6メモの6根元之巻1

曽田先生は如何した訳なのか、大正10年に大江先生が鈴江吉重先生に授与した根元之巻を書写しています。
下村派行宗貞義先生から根元之巻を授与されていないのかも知れません。
行宗先生は大正3年1915年65歳で亡くなっています。曽田先生は明治23年1890年生まれですから行宗先生の亡くなられた時は25歳でした。
高知2中へ入学した時、行宗先生について居合を習い始めたわけで、行宗先生の亡くなった時には13年程度の修行です。
曽田先生は高知2中卒業後高知武徳殿の助教授に抜擢されて行宗先生の後を継いでいる様です。
行宗先生は明治の末から大正始めにかけて京都武徳会本部の居合術教師を勤めていたようですから、亡くなる前は曽田先生との接触は少なかったと推察できます。

そしてなぜ此処に大江先生から鈴江先生に授与された根元之巻であるのか疑問です。
何らかの交流があったか、知りたい事を素直に話せば、心掛けてくださる方もあるのでしょう。

根元之巻はそれに依れば一国一人への相伝と云っていますが、いつの頃からか根元之巻を持つ者が複数となり、そして複数に授与されています。
是は土佐の居合の業技法をことごとく納め終った者への免許皆伝目録であってそれが土佐の居合の宗家を認める紹統允可とは異なるものと理解しています。

以下、根元之巻を読み下します。

居合術根元之巻
(大江正路先生より鈴江吉重先生に伝授したる伝書の写し 曽田メモ)
抑(そもそも)此の居合と申すは、日本奥州林之従、大明神夢相に占め之を伝へ奉る、夫れ兵術は上古中古数多之有りと雖もこの違い、佗(他)流大人小人無力剛力を嫌わずに合う兵の用云々、末代にても相応になる太刀云々。
手近に勝ち一命の有る無しの極み、此の居合は恐らくは粟散辺土の堺、不審の義は之有るべからず、唯霊夢に依る処也。
此の始めを尋ぬ、奥州林崎神助と云う者、兵術の望み之有るに因って、林の神明に一百有日参籠せしめ、其の満暁の夢中に老翁、重信に告げて曰く、汝此の太刀を以て常に胸中億持するは怨敵に勝ちを得ん云々。
則ち霊夢に有る如く大利を得ん、腰刀三尺三寸を以て九寸五分に勝事、柄口六寸の勝ちの妙不思議の極意、一国一人の相伝也。
腰刀三尺三寸、三毎(毒)、則ち三部に、但し脇差九寸五分九曜五銘(鈷の誤字)の内証也。
敵味方に成る事は是れ亦前生の業感也。
生死は一体、戦場浄土也。
此の如く観るは、則ち現世に蒙(こうむる)大聖摩利支尊天の加護なり。来世に成仏成るは縁なる事、豈疑い有らん哉。
此の居合、千金を積むと雖も不真実の人には堅く是を授けざるべし。天罰を恐るべきして唯一人に授くと之を伝う云々。

古語に曰く
其の進むことの疾き者 其の退くことの速き云々
此の意を以て、貴賤、尊卑隔てなく前後の輩といわず、其の所に達せし者には目録印可等相違無く許せ。

又古語に曰く
夫れ百錬の構え、則ち茅茨、荘鄙とも兵利に心懸ける者、夜自ずから之を思い神明仏陀に祈る者、則ち忽ち利方を得、是の心に依り身を済す事燦然(さんぜん)。

以下次回と致します。

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