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2014年9月 2日 (火)

神傳流秘書を読む はじめに

神傳流秘書を読む はじめに

現代居合の無双直伝英信流は、明治維新以降、多くの武道流派と同じように消えて行く運命にあったかも知れません。
その辺の所は、曽田先生がスクラップとして保存されていた居合術教士、剣道錬士中西岩樹先生の英信流居合と板垣伯に詳しく語られています。
「明治25、6年と言えば大日本武徳会創設前で地方の一般武道は未だ萎微沈滞の域に立った時分である。
殊に帯刀禁止令発布後十数年を経過している事ではあり、真剣を打振う居合の如きが文明改化を追うに急なる国民に顧られそうな筈は無く、五藤正亮、谷村樵夫、細川義昌等の達人が伝統を受継いで現存して居り乍ら、殆ど之を執心修行せんとする者無く、又之等の先生も単なる余技として死蔵せるに止まり或は神職として或は政界の人として時勢に従っていたのである。
其の内に段々居合を知る人も物故し、之等の先生と雖も何時までも在るものではなく、今にして後継者を造らざれば高知藩門外不出の此の武伎もついには世に之を伝える者が無くなるであろうと非常に痛惜慨嘆されて極力其の復活振興の労を執られたのが板垣伯である。

明治26年板垣伯のご尽力に依って高知市新堀竹村与左衛門氏邸内に道場武学館が建てられ、五藤正亮先生が居合の師として聘せられ一般教授の任に当たられたのである。
それが因となり五藤先生は当時の第一中学校(現在の城東中学校)の校長にして居合を好む渋谷寛という人に委嘱されて後同校の居合教師となり、尚中学校にも招聘せらるゝことゝなった。

明治31年其の没せらるゝや谷村樵夫先生が之に代り同36年谷村先生の没後大江先生が之に代ることゝなったのである。

斯くして高知県に於いては五藤、谷村、大江の三先生に依り居合の命脈を継いで来られ殆ど伝授者も中学卒業者に限られていた如く換言すれば中学生によって居合が保持されて来たかの観がある」

土佐に於いて山内家の料理人として仕えた第9代林六太夫(~享保17年1732年歿)が、江戸勤番の頃に第8代荒井勢哲に師事して土佐にもたらした無双直伝傳流のち無双神傳英信流は明治維新によって第16代の五藤正亮先生の頃には絶えようとしていたのです。

第17代大江先生は中学生に習いやすい様に業を整理し業名も新たに付け直したりしていると言われています。明治36年1903年と言えば当時の大江先生は50歳の頃でしょう。カナダに渡った娘さんをもうけた頃です。
現在の無双直伝英信流の業名と手附はこの頃整理されたのでしょう。

土佐から門外不出の此の居合も東京の中山博道先生に伝わり、大阪の河野百錬先生によって八重垣会2千名余りの会員によって全国に広まったのでしょう。
そして太平洋戦争で無条件降伏した日本から再び消え去ろうとする運命にされされたのです。
其の時、第19代福井春政先生より、第20代宗家が大阪の河野先生に託され道統が土佐の門外へ出たのです。

河野先生は、無双直伝英信流を習い始めた頃(昭和2年1927年29歳)土佐の居合の掟を守った居合をされておられたようですが、その後(昭和17年1942年44歳頃)の大日本居合道図譜を読む限り掟の動作を竹刀剣道風にアレンジされていったように思えてなりません。

この神傳流秘書は、第9代林六太夫守政が江戸で身に着けた長谷川英信-荒井勢哲の無双直伝流に大森六郎左衛門の大森流を加え伝承したものを、林六太夫守政の養子で第10代林安太夫政詡が明和元年1764年頃に整理し書き残したものが原本でしょう。
原本はすでに現存せず、文政2年1819年に土佐の山川久蔵幸雅(下村派第13代)によって書写されたものが今では原本でしょう。
曽田本と云うのはこの山川久蔵幸雅によって書写された神傳流秘書でそれを曽田先生が昭和10年以降に書き写されたものです。

江戸時代中期に林六太夫守政によって土佐にもたらされた居合、現代の無双直伝英信流居合及び夢想神傳流の唯一のルーツを示すものだろうと思っています。
現代居合の業技法の末節の取沙汰を議論するのも良いのですが、古伝に戻って見直す事も必要でしょう。

稽古とは、昔の物事を考える事、古書を読んで昔の物事を参考にして理義を明らかにすること、でもあったのです。
温故知新とは、古い物事を究めて、新しい知識や見解を得る事です。

今では、稽古とは、師匠に手取り足取り学んだ事を繰り返し練習する事位に思っておられる方が殆どでしょう。

古伝には、詳細なマニュアルや動画は有りません。
古伝は、明瞭ですが大らかです、柔軟な思考でお読みいただきミツヒラ論を否定していただければ、最高の喜びです。

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コメント

居合の恩師の前では黙っておりましたが、そもそも神伝流と直伝流を区別できるのでしょうか?神伝流の中には兎角、直伝流と区別したがる先生が多い。神伝流秘書から明らかなように、中山先生の奥伝は大江先生の技名(たぶん技法も?)を使用してます。神伝流と直伝流は渾然一体なもの。直伝はこうする、神伝はこうする、という議論がそもそも成り立たないのではないでしょうか?所作と想定の僅かな違い?ミツヒラ様のブログを読むにつれ、確信に近いものになりました。一刀流と新陰流、示現流と二天一流、伯耆流と神伝流、田宮流と直伝流は見た目ですら全くの別物。この対比が直伝、神伝に当てはまるとは思えません.....県剣連の場で、これを話すと間違いなくヤジ、石が飛んできますけど。

兵法流浪さま
コメントありがとうございます。
それにしても、すごい馬力でこのブログをお読みになられますね。
拘りを持った前提の上で書き込んでいるわけでは無く、飽くまで「思いつくままに」の精神です。
現代居合も大江先生からすでに100年以上、中山先生から出た神傳流でも半世紀を越えるでしょう。
多くの方が、汗水たらし叱咤激励されて励むにはそれだけのものを秘めているはずです。
私など単純に明治以降の土佐の居合、江戸期の土佐の居合、戦国期のまだ見ぬ奥州の居合位の分類です。
剣連の土佐の居合位にもうなったのかも知れません。
大抵は、昇段審査や競技会の成績を気にする、試験問題の取沙汰です。
武術はそれだけでは無さそうです。
        ミツヒラ

投稿: 兵法流浪 | 2015年1月19日 (月) 22時20分

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