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2014年9月 6日 (土)

神傳流秘書を読む 1.抜刀心持引歌の2鉢の木

神殿流秘書を読む

1.抜刀心持引歌の2鉢の木

荒井清信公の言うには、居合とは、近間の敵との勝負をするもので、柄口六寸の敵拳への抜き打ちに大事がある。
その形は丸の中に正三角形を書いたようなもので、前後左右の状況を知って抜くことである。
いたずらに気色を露わにせず、顔は怒気を含まず、恐れて青ざめず、薄桜であるものだ。

居合の位、身の有り様は、鉢の木の口伝
「佐野に住む貧しい老武士佐野源左衛門常世の家に、ある雪の夜、旅の僧が一夜の宿を求めて来る。
常世は粟飯を出し、大事にしていた鉢植えの木を切って焚き、精一杯のもてなしをする。
常世は僧を相手に、今でこそ落ちぶれたとはいえ一旦事あらば痩せ馬に鞭打っていち早く鎌倉に駆け付け命懸けで戦う所存であると語る。
その後鎌倉から召集があり、常世も駆け付ける、あの僧は実は前執権北条時頼だったことを知る」
お能の出し物ですが、「おもてなしの心を」以て敵を迎えろと云うのです。

心は、水鳥の心をもって気を付けて工夫することで、帆を掛けて船足早く行くのではなく水鳥の様に静かに進むのである。
そして水鳥が水に住んでいても濡れない様に、海の魚が塩に浸されない様に己を失わず自然に応じる心である。

居合や太刀合では、白鷺の心も大切で口伝がある、古歌に、心の中に秘めていても、我が思いは人には知られてしまう。
心に身を任せていても、どちらかと云えば身に心が従ってしまう。白鷺の様に無心に水辺に立つことが白鷺の心である。

居合や太刀打では、水に写る月の様な心も大事である。
湖水に有るのか、空に在るのか、区別のつき難い澄んだ秋の月の様に、また、物を思うとも思えない様な人でさえ、秋の風にふと感じる様に、秋が来たとは眼には定かではないが風の音に秋を感じる様に、心の動きを見分ける心を持つことだ。

この様な心を悟る事、我は知らなくとも、敵がその心を知っていれば、敵に勝をもたらす事になる。
工夫すべし。

居合と云うのは相手に近く対して、何事も無い様に普段の顔つきで、居住まいを正し、もてなしの心を持って接するのである。
相手の心の動きを察知して、それに極意の柄口六寸を以て応ずるものである、と云うのでしょう。

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