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2015年1月24日 (土)

良寛の般若心経

我が剣友がこんな詞を送ってきました。

古人の跡を求めず 
       古人の求しところを求めよ

 松尾芭蕉「許六離別の詞」

 抜け殻に固執せずに古人の求めたものを追い求めよというのです。

 空海の「性霊集」の「古意に擬するを以て善しと為し 古跡に似るを以て巧と為さず」がもとになるだろうとされています。

「擬する」は当てはめる、なぞらえる、まねる、などの意味になります。味わい深い詞です。

彼が送って来た処の意味は、一つは私の古伝神傳流秘書への憧憬を戒めて、形を追及せずに古伝の心を追えよと言っているのでしょう。
もう一つは、文字も言葉も、まして動作など本当の処が解らない古伝よりも、現代居合をもっと見つめて励みなさいと言っているのでしょう。
優しい心で、現代居合の根元は古伝にあるからこれで良いと励ましてくれているのでしょう。
本意は判りません。

書の臨書の心得に当てはまるものです。
先ずしっかりとお手本を見て、お手本通りに何回も何回も書き込んでみます。
そのうち何度書いても形は似ていても、少しもお手本に近づかないのです。
体が違う、哲学が違う幾らでも理由は見つかります。それでも懲りずに手習いします。
其の内1000年以上も多くの先達の手本となった意味が少し見えてくるものです。

書の教室で、9月から良寛の般若心経を宿題にして手習いをしてもらっています。
あの淡々として、鉛筆で描いたような楷書の般若心経です。
良寛は求められた時も、自ら求めて書いた時も、声に出しつつ書いたのだろうと思います。そこに良寛の生き様があるようです。

宗派が違うと云って手にしようとしない者。
般若心経は活字体のカチッとした楷書でなければと、お経に不敬と言って拒否する者。
この仮名釘流の文字が書の手本になるほどの価値があるのかと見る者。
市販の引き写しに頼ろうとする者。
とにかく真似てみる者。
文字だけ真似ても全体が整いすぎる者。
良寛関係の書物を読み始めた者。
般若心経のとりこになり始めた者。

一見弱々しく、粗雑な感じに見えるにもかかわらず、良寛の厳しい線と誰でも受け入れてくれる豊かな心持ちの現れた般若心経にいま皆さん魅せられ始めています。
般若心経には経典のすべてが凝縮されているはずです。

般若心経は色々な人が書き残されています。古いもので手本にされているものは王羲之の集字による集字聖教序の般若心経・空海のものといわれる般若心経・良寛の般若心経などでしょう。現代では数知れず写経というよりも般若心経を書いた造形でしょう。

12月の書道教室の稽古納に此の良寛の般若心経の臨書作品が出来上がって来ました。
どんなに臨書しても、10人10色はここにも表現されてきます。
書けば書くほど、そして般若心経を学べば学ぶほどその人の思い入れが表面に現れてくるようです。

このブログは2014年11月24日「場違い」の後半に付しておいたものですが、久しぶりに「書を楽しむ」のカテゴリーに加筆して移しておきます。

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書を楽しむ」カテゴリの記事

コメント

ミツヒラさま
お気遣いいただき有り難うごさいます。
たくさんのお言葉も感謝いたします。

わたくしは、今日まで東京にいて、今回の日本人人質により、難民支援に支障がでたため対応に追われていました。
人質になり、なお惨殺された方のことは、お気の毒ですが、このことが、どれほどの人達の活動を邪魔しているか。戦場において、まさか自分はなどということは有り得ないのです。
絶望しているのは家族の方々だけでないことを、人質になった方は、理解されていないでしょうが、わたし達も、また絶望に落とされています。
すべての努力と長い時間が無に期しました。
男性は、自己満足が好きな生き物なのでしょうか。
残される家族への責任を、真剣に考えていられたのでしょうか。
自己責任を取ればいいという問題ではなく、多くの方に迷惑をかけるとは考えなかったのでしょうか。
わたしは、苦悩の業火に焼かれていますが、このような経験は、わたしの居合に厳しさを与えてくれると思っています。
鞘の内は、人生経験だと思っています。
人質が解放されることを祈ります。
生きている限り、すべてに努力していきます。
長くなり、また関係のないことを書いてしまい、甘えすぎました。申し訳ありませんでした。

annさま
コメントありがとうございます。
ご苦労の多いお仕事でお察しいたします。
無事に人質が解放されればと祈らずにいられません。
主義主張の違いは有っても平和を求めるのは人の人たる所以と思いたいのですが悲しいですね。
         ミツヒラ

投稿: ann | 2015年1月26日 (月) 22時17分

ミツヒラさま
まさに今日ですが、
師に、いま学んでいる業を、あと一年、学ばせてくださいとお願いして、快諾をいただきました。
昇段審査は、来年といたしました。
段位に関係なく、その真意が五段と六段の間にあるものだと謂われましたが、わたしは、そのようではなく、ただ、居合を正しく錬磨する時間が、もっと欲しかったからです。
真の敵がいます。精神の錬磨こそが、真の敵を倒せると思いました。師に厳しくしてもらわないと、真剣にできないのは間違いだとも気付きました。誰のための居合なのかと。自分のためなら、自身に厳しくあるべきだと思いました。真の怒り持ちましたが、それを、自身の錬磨の原動力にすることを決めました。
『古人の跡を求めず
古人の求しところを求めよ』
わたしは、自分の居合が、そのようであることを、強く望みます。

annさま
コメントありがとうございます。
少々遠出をしていましたのでお返しが遅れてすみませんでした。
自分の励んで来た自分史の一つに段位と云うものもあるといえますが、それがどれだけの意味があるのかは疑問です。
最高段位を得て90歳を過ぎても講習会に参加され耳を傾け稽古をされている方も居ます。
古歌に
「至らぬにゆるしこのみをする人はその道ごとに恥をかくべし」
*免許皆伝を欲しがり手に入れても実力が無ければ恥をかくだけと歌っているのでしょう。
「物をよく習い納とおもふとも心懸けずばみな廃るべし」
*努力して皆伝を得ても稽古を怠ればみな廃るものだと云うのです。
さて・・・・。
        ミツヒラ


投稿: ann | 2015年1月24日 (土) 14時52分

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