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2015年3月

2015年3月31日 (火)

居合兵法極意秘訣 3.居合仮名1居合仮名

居合兵法極意秘訣

3.居合仮名

 1、居合仮名

 1 向払・1 柄留・1 四方・1 向詰・1 二階下・1 人中・1 介錯・1 打払・1 弛抜・1 抜打・1 五方打

 1 肩敵の拳に當る

 1 右の手短・1 左のひじ長

 1 右の足にて太刀を下し左の足にて勝を取る

 1 左の肩を向る事一手字

 1 足一本の事・1 峯谷二星

 1 右におこり左におこり無刀の事

 右のケ条常に我が心中に能く覚えるべき事也

*居合仮名の11項目が示す事は、解説がないので不明です。
神傳流秘書の抜刀心持之事にある業名と一致する様でそうでもない。仮名なのでしょう。
抜刀心持之事にある業名
向払(向払)、柄留(柄留)、四方(四角?)、向詰(向詰)、二階下(棚下?)、人中(人中)、介錯(大森流之事にある順刀?)、弛抜(弛抜)、抜打(抜打)、五方打(五方切?)

*次にある六行八項目は何を意味するのかなぞなぞの回答を求められているようです。
土佐に林崎甚助重信の居合をもたらした第九代林六太夫守政は、無双神傳英信流居合兵法を第七代長谷川英信、第八代荒井勢哲に江戸勤番中に習ったと思われます。
剣術は大森六郎左衛門に真影流(上泉伊勢守信綱の新陰流)を習ったとされています。
又、宮本武蔵の二刀流も習ったようです。
其の事から推し量ると、このなぞなぞの内容は新陰流や二刀流にあると思います。

居合は刀を抜いてから切合う剣術ではなく、鞘の内の勝負とされ、現代では居合しか知らないとか竹刀スポ-ツを伝統剣術と思って居る様な人が多いので、このような事は無関係とされる様です。たとえ居合が鞘の内であっても剣術の心得が根底にあると考えればこの謎のような文章も読み解けそうです。
剣術の心得とは刀を持っての運剣動作ばかりではなく、相手と向き合い戦う場合の基本的な心得で、素手であろうとも剣を持つ事と同様だと解するものです。
当流にも存在した板橋流の棒・夏原流の和までに至らずとも、仕組(組太刀)の中に十分その心得を要求される筈です。

次回に掘り下げてみます。

 

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2015年3月30日 (月)

居合兵法極意秘訣 2.當流申傳之事10気滅法

居合兵法極意秘訣

2.當流申傳之事

 10、1気滅法・1胴の火・1火縄・1雨松明傳

*この気滅法以下の四つの事には解説がありません。題のみです。
口伝があったかもしれませんが、失念したか、でしょう。
面白そうな題ですからどこかに残っていれば、楽しいものです。

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2015年3月29日 (日)

居合兵法極意秘訣 2.當流申傳之事9亦一伝芋がら

居合兵法極意秘訣

2.當流申傳之事

 9、亦一傳芋がら

 亦一傳芋からを煎じて其汁に奉書の紙をひたして干し上て後ひだを付其ひだに眞こもの黒焼を入置也刀の血を拭にすきと除く也久しくして血こがり付たるにはほけを吹かけてぬぐふ也

*亦、一伝がある、芋がらを煎じて其の汁に奉書の紙を浸して、干し上げて乾いた処で襞を付けて折る、その襞に、真菰を黒焼きにして入れて置く。
刀に付いた血を拭くとすっきりと除かれるものである。血が付いてから暫くたってこびり付いたのは、息を吹きかけ拭うのが良いのである。

芋がら:芋茎、芋幹、八頭・里いも・赤芽芋などの葉柄で食用にする、干してアク抜きして煮付けたりして食べる。煎じるのでアクがでるからそれに奉書紙を浸せと云って居ます。主としてアクの成分はシユウ酸カルシュウムの様です。

奉書紙:楮を紙に漉いた厚く純白な紙で公用に使われた。

真菰の黒焼き:水辺に生えるイネ科の植物、黒焼して炭状にするのでしょう。若芽のマコモタケは食用。

*この材料の組み合わせで血糊がスッキリと拭えるのか、御存じの方は教えてください。
刀に血糊がこびり付いたのを拭った経験があるなど現代では「??」ですが。

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2015年3月28日 (土)

居合兵法極意秘訣 2.當流申傳之事8早拭之大事

居合兵法極意秘訣

2.當流申傳之事

8、早拭之大事

早拭之大事ひえたる馬糞え太刀を指込候得ばいか様ののりにても其儘のき申也詮議之時なんをのがる秘すべき也

*早拭とは、戦って相手を切り、刀に付いた血糊を急いで拭い取る方法を述べています。
冷えた馬糞に太刀を指し込めば、如何様に付いた血糊でも、「其儘のき申す」はどの様に解釈するのか、血糊がべったりでは刀は切りにくゝなります。
切るに支障ない程度に取れる程度なのか、跡形もなく拭き取れてしまうのかさて・・。
「詮議之時なんをのがる」ですから、人を切ったことを詮議された時に血糊が刀についていなければ、難を逃れられると言うのです。これを秘すべき事だと言っています。

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2015年3月27日 (金)

居合兵法極意秘訣 2.當流申傳之事7座中にて

居合兵法極意秘訣

2.當流申傳之事

7、座中にて

座中にて口論喧嘩何にても気遣の時は小刀を抜てたゝみえ指込我前に置事出来たる時右の小刀にてたゝみをはね上て我がたてにすべし直に敵へ打懸てよし其まゝふみたおす也深き大事秘べき也

*座中で口論や喧嘩、何事でも気遣うような時は、小刀を抜いて畳へ指し込み、我が前に置いて置く事。事が起これば小刀で畳を跳ね上げ我が楯にすべし。直ぐに打ちかけても良いし、そのまゝ畳を踏み倒してもよい、深い大事である秘すべし。

このような場面は、あるかどうかですが、激して何時爆発するかでしょうし、状況によってはかなりの張ったりでしょう。
「深き大事秘べきなり」戦国時代のほぼ150年後の神傳流秘書の事ですから気構えはまだ残っていたのでしょう。

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2015年3月26日 (木)

居合兵法極意秘訣 2.當流申傳之事6亦暗夜

居合兵法極意秘訣

2.當流申傳之事

6、亦暗夜

亦暗夜ころびたる者をそつじに切事なかれにぐる者をおわず夜は頭巾にても笠にても鉢巻にても必にすべし向よく見る也気遣しき所ならば鼻紙を一條水にひたし鉢巻の下に冠るべしくさり頭巾よりつよき物也中々太刀にて切れざる秘事也夜中旅行の時は高く唱不諷道の真中を行べし月夜には影を行べし敵を月の方に見べし大酒を呑んでわ足立ず心得有べし其外何事もゆだんあるべからず

*亦、暗夜に転んだ者を軽率に切ってはならない、逃げる者は追わない。
夜は頭巾でも笠でも鉢巻でも、必ず付けるべきである。向うが良く見えるものだ。
どうも危険と思う所ならば鼻紙を一條(一帖の当て字でしょう、海苔一帖は10枚、鼻紙は100枚の束ですが?)水に浸して鉢巻の下に入れて冠るべし、鎖頭巾より強きもの也、中々太刀では切れないもので秘事である。
夜中に旅行する時は高い声で歌ったりせずに、道の真中を行くべし。
月夜には自分の影を踏んで行くもので、敵を月の出ている方に置いて見るべし。
大酒を呑んでは、足が立たない、心得あるべし。其の外何事も油断してはならない。

當流の申し伝えの事々です。
場に至って、ふっと思い出せれば状況から判断する初めの基準にはなりそうです。
考えあぐねて居れば切られてしまいます。

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2015年3月25日 (水)

居合兵法極意秘訣 2.當流申傳之事5暗夜の気遣

居合兵法極意秘訣

2.當流申傳之事

5、暗夜の気遣

暗夜気遣しき所を通時手頃の石を三つ四つ袖に入るべし何にても向に見る物を當るまじくを考て打付くべし先の勝也驚所にて此方より切立追散すべし亦之四尺程の鉄のくさりの先に五十目程の玉を付けて持べし杖にても脇指のさやにても右のくさりを付て四方一面にふり廻すべし皆之敵を打払によし第一は旅行には半弓を持べし辻切強盗に出合時よし

*暗い夜道を行く時、どうも何かが起こりそうだと云う様な所を通る時、手頃な石を三つ四つ袖に入れて、何であるかを考慮せずに前方に見えるものに打ち当てる事を考えて打ち付けるのである先に仕掛けて勝のである。相手が驚いている処を此方より切り立て追い散らすのである。
また、このように気遣わしい所では四尺程の鉄の鎖の先に五十目(五十匁187.5g)程の玉を付けて持つのが良い、杖でも脇指の鞘にでもその鎖を付けて、四方一面に振り廻し手当たり次第に打ち払うのがよい。
第一に良い心がけは旅行には半弓を持つべきである、辻切、強盗に出合う時に有効だ。

此の居合兵法極意秘訣の書かれた頃は、明和元年1764年の事と奥書きに有ります。
第十代徳川家治の時代です。徳川政権の中期で国内の戦いはすでに一世紀以上昔に終焉したとはいえ、治安は中々だったようです。
このころ、各地区で農民一揆、うちこわしも横行し、平和を手に入れたが生活は楽では無く不満は多かったのでしょう。あぶれものも多く出て、物騒な時代だったのでしょう。
最近の関わりのない人をも殺傷する事件にも、そのような心のありようが見られて胸を痛めます。
ただ、徒党が組めない、政治にも無関心な若者達の個人主義はあの頃とは意味合いが違うようです。

以下にその一部

1750年寛延3年:幕府農民の強訴・徒党・逃散を厳禁する。讃岐丸亀藩、伊予大洲藩、肥前諫早藩、甲斐幕領などで一揆。

1751年宝暦元年:信濃松代藩田村騒動。

1753年宝暦3年:備後福山藩強訴・打ちこわし。大和芝村藩農民一揆。

1754年宝暦4年:美濃郡上藩郡上一揆。

1755年宝暦5年:土佐津野山郷紙専売制に反対一揆。米沢・山形・天童でうちこわし。

1756年宝暦6年:米価高騰。阿波徳島藩農民藍の重税に一揆。

1758年宝暦8年:美濃郡上藩再び江戸に越訴、藩主改易。

1761年宝暦11年:米価下落。信濃上田藩年貢、課役の減免を要求し強訴、うちこわし。

1762年宝暦12年:信濃飯田藩千人講騒動。江戸門訴の厳禁。

1763年宝暦13年:御家人子弟の風俗紊乱を取り締まる。

1764年明和元年:宇都宮藩籾摺騒動。日光東照宮150回忌法要に伴う増税に傳馬騒動。

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2015年3月24日 (火)

居合兵法極意秘訣 2.當流申傳之事4湯のわかし様

居合兵法極意秘訣

2.當流申傳之事

 4、湯のわかし様

山中抔にて俄に湯を呑時わかし様の事金物なくても湯をわかす事茶碗にてもひ杓にても水を一杯入其上を布もめん手拭にても紙ならば五枚ほどふたにしてつよき焚火の上にてあぶればたちまち湯と成る口伝水をひ杓に汲ていそぎ走る時も紙にても布にても包み行けば道にてこぼれず

*山中などで、急に湯を飲む時、金物が無くても湯を沸かす事は出来る。
茶碗でも柄杓でも、水を口一杯に入れて其の上を布木綿、手拭、でも紙ならば五枚程蓋にして強い火で炙ればたちまち湯が沸く、口伝あり。
柄杓に水を汲んで急いで走る時も紙でも布でも包んで行けば道でこぼれることも無い。

柄杓や茶碗にこだわらず、水の入れられるものがあれば湯は沸かせるし、こぼさずに行けると言う教えでしょう。
ポイントは入れ物の口切一杯に水を入れ、強火に掛ける事です。弱火や水が少なければかぶせたものが湯が沸く前に乾いて燃えてしまう。
要求するものを、代用品で賄う知恵を使えと言うのでしょう。

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2015年3月23日 (月)

居合兵法極意秘訣 2.當流申傳之大事3捕者之大事

居合兵法極意秘訣

2.當流申傳之大事

 3、捕者之大事

 捕者之大事二階住居ならば先傘を持上るべしはしご一足に踏上り口にて右の傘をさっとひろげ見るべしいなや其時の考見はからいにて打たおすべし何にても見合に器を持って上るよし敵の色を見事也口伝有

*捕り者の大事では、二階に住んで居る様な場合は、傘を持って上がって行くのが良い、梯子を一段踏み上がり、二階の降り口に、「右の傘を」は、その傘をなのか或は右手で笠をさっと広げて、様子を見るべし、その際の考えに依っては、見計らって打ち倒すべし。
どんな様子でも、相手と見合わすには器を持って上がるのが良い、敵の色を見る事が大事である、これには口伝が有る。

「何にても見合に器を持って上るよし敵の色を見事也」は、敵の様子を見る為に、何でも良いから手頃な器(うつわ)を持って上がるのが良い。
口伝は別にあると云って居ます。

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2015年3月22日 (日)

居合兵法極意秘訣 2.當流申傳之大事2閨之事

居合兵法極意秘訣

2.當流申傳之大事

 2、閨之事

 閨之事不案内なる所にては刀を抜鞘口三寸ほどのこし居ながらしづかに四方を振さぐるべし九尺四方其まゝ何事もしれ申候

*閨は臥所、寝室でしょうから、よく知らない所での寝室に案内されて入った時は、刀を抜、鯉口から切っ先三寸ほど鞘に残して、柄を片手で持ってその場に立ったままで振り廻して四方を探れば、九尺四方の何事も判るものである。

鞘が80cm、柄が24cm、刀身が鍔から75cm-9cm=66cm
手の長さが60cmで柄頭を握るので10cm引かれて50cm位でしょう。

合わせて80+66+24+50=220cm 約7尺3寸位でしょう。
後の2尺は上体を倒して探ると略九尺になるか、でしょう。

切っ先三寸では鞘が抜け落ちそうです。ここでは下緒を柄と一緒に持って振り探ればいいのでしょう。

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2015年3月21日 (土)

居合兵法極意秘訣 2.當流申傳之大事1門戸出入之事

居合兵法極意秘訣

2.當流申傳之大事

 1、門戸出入之事

 門戸出入之事夜中うたがわしき所にては先我足より先え出すべし刀鞘共にぬきかけて我首の上にかぶりて出入すべし三方の事(災)わい止るなり其上わ時に自分自分のはたらき有るべし

*居合兵法極意秘訣は、心得を述べています。
門戸を出入りするには、夜中の場合は、待ち伏せされていたり、仕掛けがあったりするかもしれないと疑えるような所では、先ず我が足先から敷居を跨ぎ出入りするようにしなさい。
刀を鞘ごと抜き掛けて我が首の上を覆う様に被り出入りするようにしなさい。
三方からの災いはこれで防ぐ事が出来るものです。
其の上に起こる事は、自分で如何にすべきか己の働き次第である。

三方の災いですが、前面からの仕掛けは、足をまず踏み出す事で何事もなければ、体を出入り口に入れる、その時門の上からの仕掛け、または脇からの打ち込みを、首の上に刀を抜き掛けにして覆う様に被り身を低くして中に入る、打ち込まれたら、首の上の刀で防ぎ、即座に刀を抜いて応じるのです。
正面から突きを入れられる、門の上から突かれる、脇から突かれる、足を薙いでくる、色々有りそうですが、門戸出入りの心得は研究課題です。

大江先生の奥居合立業に「門入」がありますが、古伝神傳流秘書にはそれらしき業は存在しません。大江先生の独創か、江戸末期に作られたのか判りません。
夢想神傳流の壇崎先生は「隠れ捨(門入)」とされています。古伝神傳流秘書抜刀心持之事では「隠れ捨」の業名は無く「クヽリ捨」とありますが手附が無いので同じものかどうか解りません。

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2015年3月20日 (金)

居合兵法極意秘訣 1.老父物語5雷電その3

居合兵法極意秘訣

1、老父物語

 5、雷電その3

惣躰足を踏み付けずに躰のいつかぬ様に浮きうきと立って右の事を行うべし敵と気分のくいあわぬ様に我はてきと別々と成心也

敵は〆合わせうとするを此方わ夫々移らすふわりと出合ふよし、ふわりとせねは右云夫々の変出事無し

考えるべし右のはたらきを敵がすれば此方の負となる事の上にて是より外の仕筋無深く工夫あるべし

修行のこうはくと勇気とおく病と此二つのちがいばかり也
此所は我と得道すべし外人より教がたし我が心に合点して無理に事をせず気分一ぱいにはたらき見るべし

此上にいかぬはふたんれんか心まとひえ合点せぬか吾おく病か真劔の時は天命天運外になし

當流の印可居合柄口六寸の勝軍用の劔是口伝免べきこと此外無し

*体全体で足を踏み付けずに、体の居附かぬ様に、浮き浮きと立って事を行うもので、敵と気分がマッチする様な事も無く、我は適と別々の心と成る様にするものである。

敵は、〆合わせしようとするけれど、此方は敵の仕掛けに夫々移り気に、ふわりと出合うのがよい。ふわりとしなければ右に云う夫々の変化の有る事は出来る事は無い。

考えて見なさい、右のふわりと出合う働きを敵がすれば、此方の負けとなる事は当然の事である。是より外の仕方は無い、深く工夫あるべし。

修業の厚い薄いと、勇気があるかおく病になったか、此の二つの相反する違いばかりがふわりと出来るか出来ないかの違いなのである。
此の処は自分で得道するもので他人が教える事は出来ない。自分の心で合点して、無理に此の事を行わず、気分一杯に働いてみるべし。

此の上で、出来ないのは、不鍛錬か、心構えが合点していないか、吾は臆病か、真剣であれば後は天命天運による外に無い。

当流の印可は居合の柄口六寸の勝ち、軍用の劔口伝、免れるべき事は外に無い。

*軍用の劔(軍用太刀)口伝は、口伝のためか理解できません。神傳流秘書に抜刀心持之事「軍馬之大事」が有りましたが之は具足の着用の際押し上げられて喉を突かえさせない様にしろ、と云うものでした。第九代林六太夫守政翁一代で失念した武蔵の「石甲卍軍用太刀」
によるのでしょう。
五輪書及び兵法三十五箇条は此の頃細川藩から他に出たとも思えません。尾張柳生に伝わる圓明流と兵道鏡などの傳書に残るのかも知れません。

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2015年3月19日 (木)

居合兵法極意秘訣 1.老父物語4雷電その2

居合兵法極意秘訣

.老父物語

、雷電その2

 雷電両方八相にて打合敵我が右を打うくれば亦左え打所を此方より打落し跡え引敵打をはずし亦打引上げ下曲尺合心に能々修行なくては成り難し

 太刀おっ取てするするとゆく故切ればきるべし切らずば切るまじ

 亦するすると行かずして身を沈み車にかまえ敵切ってかゝる其拍子をうけず其間合を勝事我心に浮み我より出づべしと知るべし

 亦太刀をあだ切をして二の太刀にて勝位も有是も我より気にのりて行くべし

 亦相懸にて敵来る時先に敵の太刀をころして勝位有古人和卜刀とも云えり

 亦敵先に切って懸る時左右えひらき勝位有、皆我気のはたらき也

 亦太刀を敵え差懸切らせて引すかして跡を切位有

 亦時によりて青眼にかまえて身を能くかこい敵より切一度にすり込鍔きわにて勝位有

 亦敵打時我が太刀をかぶり請亦はうけ流して勝位有

亦敵打時我身をしずみちんたいにて敵の手首を打払ひて勝位有

 亦中墨を打払ひて勝位も有

*ここは、雷電についての様々な展開を書いているようです。
雷電、双方が八相に構えて打ち合う、敵が右を打ち来れば、受け、左を打ち来れば此方より、打ち落とし、後ろに下がり、敵の打ちを外し、又引いたり太刀を上げたり下げたり、間合いを計って、身に合う様に打ち合う心持は能々修行していないと出来るようにならない。

太刀をとってするすると間境を越し切れば切れ、切らずば切らずの心である。

亦するすると行かずに、身を沈めて、車に構える時、敵我が肩を切って懸るのを其の拍子に請け太刀にならずに其の間をとらえて勝を得るには、我が心に此処と云う間が浮かび、自ずから太刀が出て行くとするのである。
*これは新陰流の三学円の太刀一刀両断でしょう。

亦、敵を切ると見せて空を切り、斬り損じて流れた隙に打ち込んで来るのをとらえて勝つ位もある。是も我より敵を引き出す気に乗って行くものである。
*これは新陰流の九箇の逆風のようです。

亦、相懸りに敵歩み来たる時、敵の打込んで来る太刀を打ち外し崩して勝つ位有、古人之を和卜と云う。
*これは新陰流の九箇の和卜(かぼく)。

亦、敵先に切って来るのを、左か右に開き敵太刀を外して勝つ位有り、皆、気の働きなり。
*これは新陰流の天狗抄の花車のようです。

亦太刀を敵の眼に差し懸けて、敵に払わせて、我はその間を外しすかして敵の打ち損じた拳に勝つ位有り。
*これは新陰流のくねり打ちを思わせます。

亦、時によっては、青眼に構え刀の中に体を隠す様に構え、敵より拳を斬って来るのを、同時に摺り込んで鍔際で勝つ位有り。
*これは新陰流の三学円の太刀の半開半向

亦、敵打込んで来るのを、我が太刀を持って頭上を覆う様に請けた拍子に廻し斬りし又は請け流して勝つ位有り。
*これも新陰流の八勢法の廻し打ちをさすようです。

又、敵が打ち込んで来る時身を沈め沈体にして敵の手を打ち払い勝位有。
*これは新陰流の九箇の十太刀のくねり打ちかも知れません。

亦、敵の中墨(新陰流の言う処で正中線の事)を打ち払い勝つ位も有。
*これは新陰流の合し打ちの様です。

これらの、雷電の技については、新陰流の技が思い浮かびます。それぞれ技名を指摘できそうです。
前回で紹介された様に、老父物語の老父は剣術を大森六郎左衛門に上泉伊勢守の真陰流を習ったとしていますから、ほぼ間違いはないでしょう。

思いつくままに、一刀両断、逆風、和卜(かぼく)、半開半向、右旋左転、斬釘截鉄、廻し打、合し打ち、等々。

平尾道雄先生の土佐武道史話によると、「柳生但馬守(宗矩)の高弟出淵道先の次男三郎兵衛が元禄10年(1667年)知行三百石で山内家に仕えた、時の藩主山内豊昌は柳生宗任を師として新陰流に没頭したので、同流名誉の出淵三郎兵衛を抱えたのであろう。後日、三郎兵衛は山内家の馬術指南役・国沢五郎左衛門と馬上の仕合を試みたが、縦横自在に乗りまわす五郎左衛門の馬術になやまされて得意の剣法がものをいわず、むなしく敗退した、それに恥じて知行を返上して江戸へ引き上げた。」との逸話が記されています。

元禄10年1667年ですと第九代林六大夫守政が5歳のころの話しです。

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2015年3月18日 (水)

居合兵法極意秘訣 1.老父物語3惣捲

居合兵法極意秘訣

1.老父物語

、惣捲

 惣捲片手に持打込左の手に而とらゆるつり合大事

*この文章は前後の脈絡も無く「惣捲」になっていますので意味不明です。
前回の雷電の二刀の裁きから、左手に小太刀、右手に太刀を持って敵の両目へ両太刀先を付ける、所謂二刀の構え円曲です。左手の小太刀で敵の打ち込みを請け込み、右手で敵の右足を打ち払う際の、左右の釣合が大事と云うのかも知れないと思ったりしています。
相手の打ち込みを左手の力だけで請けるのは確かに難しいものです。相手の打ち込みに附け入る様にして左手で敵太刀を請けるや充分腰を入れ、同時に右手の太刀を其の拍子に稍右上方に上げ即座に打ち込む、この釣合を大事というのでしょう。

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2015年3月17日 (火)

居合兵法極意秘訣 1.老父物語2雷電その1

居合兵法極意秘訣

1.老父物語

 2、雷電その1

 雷電片手に持ひっさげ敵の両目え突込否跡え引亦敵打かくる処を請込敵の右の足を打はずし打也是極一刀石甲万字軍用太刀口伝大事

*此の雷電は、どうやら宮本武蔵の二天一流を指している様に思います。

「雷電片手に持ひっさげ敵の両目え突込否」ですが、雷電は右手に太刀、左手に小太刀を引っ提げ無形の構えから、スルスルと歩み行き、間に至るや小太刀を敵の左眼に付け、其の上に切先を乗せる様にして太刀を敵の右眼に付けて十文字となし敵の両目に突き刺す様にして間を越すや否や。
この構えは、円明流では「円曲」の構えと云われます。
「跡え引き」は敵、その交点を打ち落さんと打ち込んで来るのを後ろに退き下りつつ、小太刀と太刀の交点を開いて敵の太刀に空を打たせる。

「亦敵打かくる処を請込」は、敵再び上段に振り冠って我が頭上へ打ち込んで来るのを、左手の小太刀で請け込む。

「敵の右の足を打ちはずし打也」は、右手の太刀で敵の右足を打ち払う様に打つ。

「是極一刀」是は極意の一刀である。

「石甲万字軍用太刀口伝大事」は、神傳流秘書の大森流之事の序文に「此居合と申は大森六郎左衛門の流也英信に格段意味相違無き故に話して守政翁是を入候六郎左衛門は守政先生剣術の師也真陰流也上泉伊勢守信綱の古流五本の形有と言或は武蔵守卍石甲二刀至極の伝来守政先生限にて絶へ」とある「或は武蔵」以下の文章に依ってそれと察するものです。
卍はよく解りませんが万事、四方八方でしょう。
石甲(折甲)は相手に付け入っていく体当たりのこと。
口伝大事ですからそれ以上の解説はここには見られません。

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2015年3月16日 (月)

居合兵法極意秘訣 1.老父物語1老父物語

居合兵法極意秘訣

1.老父物語

 1、老父物語

 老父物語を書付置久しき事故失念之事多しあらまし此の如覚候儘記申也

*この書き出しで始まる「居合兵法極意秘訣」ですが、之を書き残したのは、林政詡記「明和元申歳孟冬吉辰賜之」と末尾に有りますから、土佐の居合の第十代林安大夫政詡が之を書いて明和元年申歳(1764年甲申つちのえさる)孟冬吉辰(もうとうは10月辰の日)次の十一代大黒元右衛門清勝が之を賜わったのでしょう。
さすれば、老父とは第九代林六太夫守政の事で守政が語った事を十代が思い出しながら書き出し、十一代に伝授したと云う事になる筈です。   

老父の第九代林六太夫守政は寛文2年1662年生まれ享保17年1732年に没して居ます。
第十代が「居合兵法極意秘訣」を書き記したのが明和元年1764年ですから、第9代の死後32年が経っています。
「久しき事故失念之事多し」と云うのも事実でしょう。
「あらまし此の如覚候儘記申」おおよそこの様なものと覚えているまま記す、と云っています。

神傳流秘書は業の手附で技の手順を書き表したものですが、この「居合兵法極意秘訣」は、日常の武士としての心得や、業の有り方を述べています。
現代居合では学ぶ事が出来ないもの、戦国期の名残を持つ江戸中期の心得ですから迷信的な事も含まれていますが、江戸中期の業を学ぶに当たっては良い参考資料です。

江戸から持ち帰った土佐の居合、林崎甚助重信から伝わり第七代長谷川英信、第八代荒井勢哲の居合が見えて来ます。
読み進みますと第九代林六太夫守政は、大森流(正座の部)の創始者大森六郎左衛門を剣術の師匠と云うだけあって、真陰流(新陰流)の影がチラつきます。
守政は宮本武蔵の二刀の心得もあったともあるのですが、文字の上では鮮明には読み取れません。

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2015年3月15日 (日)

居合兵法極意秘訣 目次

居合兵法極意秘訣

目次

1.老父物語

2.當流申伝之大事

3.居合仮名

4.道統 林崎甚助重信

5.組討心持

6.兵粮丸

7.英信流居合目録秘訣

7の1、外之物ノ大事

7の2、上意之大事

7の3.極意ノ大事

8.居合兵法極意巻秘訣 印可部

9.神心入相事

10.居合兵法の和歌

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2015年3月14日 (土)

居合兵法極意秘訣 序

居合兵法極意秘訣

曽田虎彦先生の書き写された土佐の居合、現在の無双直伝英信流及び夢想神傳流のルーツとも言える「神傳流秘書」に引続き、「居合兵法極意秘訣」を読み下し、解説をして行きたいと思います。

この「居合兵法極意秘訣」は下村派第十三代山川久蔵幸雅が原本を書き写したものが現存し、原本は恐らく江戸時代には失われていたかも知れません。
そしてこの山川久蔵幸雅が書き写し、曽田先生が書写されたものも、太平洋戦争の時焼失したかも知れません。
高知は昭和20年1945年七月に米軍の空襲により無差別爆撃を受けています。
「戦火の為め焼失せるならん 写本であるが恐らく之れが原本だろう」と曽田先生は自分の書き写したものしか残らなかっただろうと書かれています。

しかし、この「居合兵法極意秘訣」は、昭和57年1982年に夢想神傳流の木村栄寿先生によって、細川家より借り出されたものによって「林崎抜刀術兵法夢想神傳重信流傳書集及び業手付解説」として一般に公開されました。
内容は、曽田先生同じ様ですが構成が異なっていたりしますので原本通りか誰かが編集されたかでしょう。

曽田先生の原本が細川家のものであったか否かは、曽田先生が出所を明らかにしていませんので不明です。

木村先生の出版27年前に公開された、昭和30年1955年発行の河野先生の「無双直伝英信流居合兵法叢書」は曽田先生から写しを譲られて曽田先生の没後5年して発行されたものです。
従って、是から解説して行きます、「居合兵法極意秘訣」は河野先生のものと略同じです。
河野先生は曽田先生の書き写されたものを活字化したもので解説は有りません。

現在良く行われている第17代大江正路先生系統の谷村派無双直伝英信流から世に出た「居合兵法極意秘訣」は河野先生の「無双直伝英信流居合兵法叢書」だけです。

現代居合を修行され神傳流秘書を読み終えた方は、この居合兵法極意秘訣は第九代、十代の十八世紀江戸中期の居合をより理解できるものと思います。
原本を素読し、現代文に読み込み、解説して行きたいと思います。

最近は詳細に書かれたテキストとDVDなどで形を覚えるばかりの居合が横行しています。
文章のみで書かれて、文章のつながりが不充分な処は当時の一般的武士ならば理解して居る常識だったり、迷信だったり、あるいは流の極意として口伝口授によって補われた部分なのでしょう。

この居合兵法極意秘訣は以下の書き出しから始まります。

目録口授覚

 山川幸雅 印

 印可口授覚

 居合兵法極意秘訣

 (英信流居合口授秘訣)

 戦災の為め原本焼失せるならん 
写本であるが恐らく之れが原本だろう(曽田 メモ)

 

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2015年3月13日 (金)

神傳流秘書を読む 14.目録小太刀之位六本目上段ノ弛

神傳流秘書を読む

14.英信流目録

 小太刀之位

 六本目上段ノ弛

 是は敵は上段也我は小太刀をひっさげ相懸りにてスカスカと行場合にて敵片討に打所を我行でもなし行ぬでもなし気のつり合にてすっかりと弛し上より討込なり

*この「上段ノ弛」は相手は上段、我は無形の位に小太刀をひっさげて、相懸りにすかすかと歩み寄る。
間境で相手、我が真向を片手打ちに打って来る、我は相手が空を打って来るのに付け入って行くでもなく、間を外すでもなく、「気の釣合」にて、上体を少し引いて「すっかりと弛し」、同時に上段に振り冠って右足を踏み込み真向に打ち込む。

相手は、我れが小太刀であり太刀との差を意識して、「片討」とはどのようにするのか分かりかねますが、片手打ちに大きく打って来るのでしょう。
聊か間遠いと見てふっと前に乗り出すようにして、すっと上体を引いて間を外す。
相手の太刀が空を切るや透かさず小太刀を振り冠って、筋替わりに左足、右足と大きく踏み込んで真向に打ち込む。
そんな、間の見切りを稽古してみました。

これで英信流目録に残された小太刀之位六本を終わります。
この英信流目録は、谷村派の第十二代林益之丞政誠によって安永五年1776年に書かれたものです。
それを嘉永五年1852年に谷村派の第十五代谷村亀之丞自雄が書き写したものです。
それを更に、昭和に入って下村派の曽田虎彦先生が書き写したとされます。
昭和23年には曽田先生は河野先生にこの写しを送られています。

その後この原本は誰の所有であったか、返還されたのかも不明です。
神傳流秘書に無い小太刀之位なので、第九代林六太夫守政が江戸で第八代荒井勢哲あるいは第七代長谷川英信から伝授されたものでは無さそうです。
江戸時代末期に何処かの流派のものが紛れ込んだと思われます。

小太刀位は昭和30年に河野先生が曽田先生の写本を元に「無双直伝英信流居合術叢書」を出され公開されました。
現在では相当の大家と称する方でも、本の存在を含めて小太刀之位を知らず、ましてそれを演じたのを見た事もないと思われます。

大剣取と合わせて小太刀之位は残しておきたいものです。
これらの古伝には現代風のマニュアル化された動作はありません。
手附を紐解き動作を付ける事の難しさは、江戸時代の武士の心得のある者には容易に出来た事でも、現代では失念した身体操作を呼び覚まさない限り難しいものです。

このブログを目にする事の出来る居合人は、高段位の方ではごく少なくPC操作の出来ない世代の方には不可能なことです。
若い方々が自ら掘り起こす以外に神傳流秘書の居合は伝承されることは無いでしょう。
居合を総合武術であったとして、他流の方法を取り入れてしまった先生や道場は幾つもあるようです。
神傳流秘書の業に戻って見る事も良いのではと思う次第です。

然しマニュアルが無ければ読めない、読んでもどの様にしたらよいか解らない、動画がないから出来ない、誰かその道の大家の指導が無ければ出来ない、ないない尽くしの若者に古伝を継承出来るか不安です。
この道を志すならば、伝統ある古流剣術の本物を目指す先生の教えを乞い、それを学ぶと同時に、古い時代の文字や言葉も学ぶ覚悟がないと難しそうです。

それには、幾人かで知恵を出し合いグループでものにする「輪」の組織も必要です。
段位や所属年数などによるカビの生えた「和」の組織では無理と考えます。

武術は、人と人が互に己の信じた事を貫くために行使する最終手段であるはずです。

明治以降に武術が分割されて独立した技術ばかりが目につきます。
得意とする武術を持つ人が集えば古伝は幾つも理解されていくはずです。

新しい時代は、道場間の壁を越え当然師匠の懐からも顔を出し、部門の壁を越えた繋がりが古に導いて呉れる筈と信じて居ます。

それを後ろから見守り、急げと応援する心が無ければ、現代の若者を揶揄する資格すら、年寄りにはないものと信じます。

河野先生も「私の足らざる所を補足して呉れる様な熱意ある研究家を待つ次第である」と結ばれています。

是は無双直伝英信流居合兵法叢書の自序にある思いで、資料をもっと集めてほしいと云って居るばかりでなく、古伝と現代居合に根本的違いは認めがたいとも云われています。

古伝の大剣取、小具足、小具足割、小太刀之位は小太刀を持つ我れも十分研究するのであるが、太刀を振う打太刀の研究も居合人ならばより学ぶべきものでしょう。

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2015年3月12日 (木)

神傳流秘書を読む 14.目録小太刀之位五本目下段ノ弛

神傳流秘書を読む

14.英信流目録

 小太刀之位

 五本目下段ノ弛

 是は敵はさして待也我は小太刀をひっさげスカスカと行也敵其所を抜付の如く抜付亦たすぐに両手にて一足ふみ込み左の下をなぐる也我其所を足を引すっかりと弛し敵亦上より討所を請流し勝也

*是は、敵は太刀を腰に差して待つ、我は小太刀を右手に持ち、切先を下にして無形之位でスカスカと歩み行、相手は我れが間境を越えると見るや「抜付の如く」に抜付て来る。
この「抜付の如く」の業は何を指すのか解りません。
抜付そのものを解説したものも見当たりませんので、此処は横一線にがま口に抜き付ける土佐の居合の抜き付けを想像しておきましょう。
この抜付は空振りして我を牽制するのでしょう、我がふっと立ち止まる処直ぐに左手を柄に添え両手で、一歩踏み込んで我が左から足を薙いでくる。
神傳流秘書の抜刀心持之事の「向払」の要領でしょう。現代居合の奥居合居業の「霞」の返す刀を両手で行うのでしょう。
我は後足を引き、前足を連れ足に引いて相手の薙いで来る太刀を「すっかりと弛し」、外されて相手は、すぐさま上段に振り冠って我が真向に打ち込んで来る処、小太刀を顔前頭上に左肩を覆う様に上げ、相手太刀を請けるや左に流し右足を右前に踏み込んで相手の首を打つ。

此の業は相手の横一線の抜き付け、切返して下に斬り付け、上段よりの真向打ちを躱す業です。
正確な間積りを身に付けるには良い業です。遠くなく近すぎずでしょう。

神傳流秘書の11.大剣取にこのような返す刀の応じ様が有りました。
「是無剣の如く放したる時又右より打を留入りてさす」
大剣取三本目外石2014年12月5日

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2015年3月11日 (水)

神傳流秘書を読む 14.目録小太刀之位四本目當中劔

神傳流秘書を読む

14.英信流目録

 小太刀之位

四本目當中劔

 是も敵は上段にかまえる也我は小太刀をひっさげ中とに待也敵すかすかと来りて我が首のあたりを左り右と討ち亦下たを討也其所にて我足をそろえすっかりと弛す敵亦面より打所を十文字に請流し勝也

*此の業も、相手は上段に構える。我は右足前にして小太刀を引っ提げ無形の構えにて、双方歩み寄る途中で止まる、相手はスカスカと間を詰めて来て、上段から我が首の辺りを左面、右面と切り返して討ち込んで来る。我は、右足を引いて筋を替え、左足を引いて筋を変え其の打ち込みを外す。
相手は、そこで、今度は低く我が右足を打って来るので、右足を引いて足を揃え、すっかりと外す。
相手外されて上段に振り冠って我が面に打込んで来るのを、左足を引いて小太刀を顔前頭上に左肩を覆う様にして相手の太刀を十文字に請け流し、右足を踏み込み相手の首を打つ。

「敵すかすかと来たりて我が首のあたりを左り右と討ち」に応じる我の状況が読めません。
相手は、相懸りに歩み寄る処、我がすっと立ち止まったので、我の本意を引き出すように右左と、間が遠いにも関わらず打ち込、我の動きを見て我が意図が今一つ判らずに、今度は、踏み込んで我が足を切ってくる。
我は其処を得たりと足を踏み揃えて外すと、相手は即座に振り冠って真向に打ち込んで来る、其処を十文字に受けるや受け流して、相手の首に打ち込んで勝。

「小太刀をひっさげ」というのは、小太刀を右手に持ち、切先を下げ、右足爪先の線上あたりに付け、左手もぶらりと自然に下げて、自然体に立ち、構えのない無形を指すのでしょう。

「當中劔」の読みも意味することも分かりませんが、なんとなく業を感じさせる業名のように思えます。

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2015年3月10日 (火)

神傳流秘書を読む 14.目録小太刀之位三本目中請眼

神傳流秘書を読む

14.英信流目録

 小太刀之位

 三本目中請眼

 中請眼と申は是も敵は上段にかまえる也我は小太刀をさし出し切先を敵のまみ合へさし付け行也場合にて敵拝み討ちに打也我其所を上へすっかりと弛しかむりて敵引所をみけんえ打込む也

*左請眼は相手の左眼に切先を付ける、右請眼は相手の右眼に切先を付ける、次は中請眼です。
中請眼は相手の眉間に切先を付け、相手は上段に構えて相進みに間に至る、相手我が真向に拝み打ちに打ち込んで来る処、我は出足を引くや「上へすっかりと弛し」小太刀を上段に冠って、外されて引く相手に附け入って眉間へ打込。

一本目、二本目とも我が小太刀を相手は払って来たのですが三本目中請眼では、「拝み討ちに打」込んで来ます。
相手は太刀ですから小太刀との寸法の差を活かした間取りから、我が右小手、右肩、真向の何れかへの拝み打ちです。

我は拝み打ちされた「其所を上へすっかりと弛し」は相手の拝み打ちの切先の間を見切るわけで、最も深く打込んで来るのは我が頭上でしょう。
其の場合は、小太刀を「上へすっかりと弛し」をどの様にするのか、工夫のいる処でしょう。
此処では、「すっかりと弛し」です。
小太刀で受流す、突き上げて摺り落すなどでは無く、ただ外す事です。
左足右足と引いて大きく後ろに退く、右拳に打ち込まれるならば出足を引く、或は左か右に筋を替って外す。
此の業は、充分稽古して、間と間合いを知り、相手の起こりを知る良い業です。

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2015年3月 9日 (月)

神傳流秘書を読む 14.目録小太刀之位二本目右請眼

神傳流秘書を読む

14.英信流目録

 小太刀之位

 二本目右請眼

 是は敵は上段也我も小太刀を向へさし出し敵の右の眼へ切先をさし付行也是も相掛にて小太刀を左の方へ筋違に払ふ也其処を我亦左請眼の如くかむり左の手にて敵の左の手を取り勝也

*二本目は、敵は一本目と同様に上段に構える。この上段は左拳が額前頭上に四五度に切先を上げた上段が英信流の上段か、左拳が頭上に有って切先四五度の上段か判りませんが、現代竹刀スポーツの上段ならば前者、古流剣術ならば流派に依る上段でしょう。
英信流に新陰流が混入していれば後者でしょう。
此の時相手は、右足前の右上段か左足前の左上段かもあるのですが、我は小太刀の切先を相手の右眼に付けていますから左足前の構えに為る筈です。さすれば此処は相手も左足前に構えるとするのが常道かも知れません。

是も相懸りにスカスカと歩み寄り、相手は我が小太刀の攻めに思わずそれを「左の方へ筋違に払ふ」。
この「筋違に」は、上段から真直ぐに打ち落す様に払うのではなく、右袈裟掛けに我が左の方へ払う、我はそれを小太刀を上段に冠って外すや踏み込んで相手左肘を左手で制して、真向に打ち込む、或は刺突の構えを取る。

右請眼も相手は上段から我が小太刀を払うのですが、相手は我が小太刀を持つ拳を切って来るのを外して、附け入って相手の左肘を取るとする位の事で良いだろうと思います。

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2015年3月 8日 (日)

神傳流秘書を読む 14.目録小太刀之位一本目左請眼

神傳流秘書を読む

14.英信流目録

 小太刀之位

 一本目左請眼

 左請眼と申は敵は上段にかまえ我は片手にて小太刀を向えさし付敵の左の眼へ切先を付て相懸りにて行也敵場合にて我小太刀を筋違に右へ横に払ふ也其時我すぐに小太刀をつむりへかむり左の手にて敵の右のひじを取勝也

*左請眼と云うのは、敵は太刀を上段に構え、我は右片手に小太刀を取り、右足を前に踏み、相手の左眼へ切先を付ける。
相懸りに双方歩み寄る処、敵は、切間に至れば、左眼に付けられた我が小太刀を八相に右へ払ってくる。
其の時我はすぐに小太刀を頭上に冠り、踏み込んで左手で相手の右ひじを取って、相手の真向に小太刀を打ち込み勝。

双方スカスカ歩み寄る時、我が小太刀を相手の左眼に突き付けて歩み寄るので、相手は小太刀が気になって払ってくるのを外して、流れた右手を押さえて、小太刀を打ち込む。
さて、相手は小太刀を払って、返す刀で切り上げようとするのでしょうか。
稽古では、相手は我が小太刀を持つ左拳を打ちに来るのを外して打ち込むも、太刀の長さを利して我が左肩口に切り込むのを外して打ち込むのもありでしょう。

いずれにしても、相手の打ち込みを外すや踏み込んで相手の右ひじを制して、打ち込む。

小太刀を抜いて構える際、左手を栗形に添えて構えるのが剣道形にありますが、ここではどのように左手を裁くのか指定されていません。
形にとらわれず研究してみるのも良いかもしれません。英信流小太刀の左手の構えは・・・。

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2015年3月 7日 (土)

神傳流秘書を読む 14.目録小太刀之位序

神傳流秘書を読む

14.目録

 小太刀之位序

この小太刀之位は神傳流秘書にはありません。

ここに紹介する小太刀之位は安永五年1776年に第10代林安大夫政誠が書き残した「英信流目録二巻」に書かれているものです。
安永五年は林安大夫政誠が亡くなった年でもあります。

それを谷村派第15代谷村亀之丞自雄が嘉永5年1852年に書写されたものを原本に曽田先生が書写されたものです。
この二巻は「筆山所蔵す」と序に書かれていますから、曽田先生が所蔵しているのでしょう。
「此の目録は昭和23年6月?大阪河野稔氏へ伝授したり」と曽田先生は朱書きされていますから、書写したものを第20代河野百錬先生に送られたのでしょう。

谷村亀之丞自雄の書き写した英信流目録二巻はすでに、歯抜けになっていて、長谷川流居合以下は伝書になく、残念な事と曽田先生は書いておられます。

曽田先生の手元にあった内容

居合心持引歌(是は神傳流秘書と同様なので省略され書写されていません)

居合棒太刀合巻 並 大森流居合 小太刀之位

此処では、神傳流秘書に無い「小太刀之位」を取り上げておきます。

神傳流秘書で見られる小太刀に依る攻防は次の通りです。

相手が小太刀の場合 大小詰・大小立詰
自分が小太刀の場合 大剣取
自分も相手も小太刀  夏原流和之事特に小具足・小具足割

小太刀は間と間合いを理解できる良い稽古です。
なぜ、神傳流秘書に無く英信流目録に有るのか解りません。
第九代林六太夫守政が江戸から土佐へ持ち帰った無双神傳英信流には存在せず、その後創作されたのか他流からの移入なのかでしょう。

この小太刀之位は河野先生の昭和30年発行の「無双直伝英信流居合兵法叢書」のP107に掲載されている以外は活字本は何処にも見当たりません。是は曽田先生の書写されたものを活字化されたものです。
河野先生系統の無双直伝英信流正統会の先生方で之を演ずるは勿論、知る人をお見かけする事すらありませんでした。
河野先生は、大江先生の居合をどんどん変えて行かれた一方で、古伝への憧憬は強くお持ちだったのだろうと思います。

業数六本ですっきりしていて相手は太刀、我は小太刀の攻防です。

左請眼・右請眼・中請眼・当中剣・下段之弛・上段之弛の合計六本となります。

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2015年3月 6日 (金)

神傳流秘書を読む 13.夏原流和之事6本手之移十一本目支點當

神傳流秘書を読む

13.夏原流和之事

6、本手之移

十一本目支點當

鐺返しの業にてかやされ上る処を我が左の足にて相手の陰嚢を蹴る

以上十一本

*この業も鐺返の業がもとになっています。夏原流和之事捕手和之事十一本目鐺返
「相手左脇を行通り我が左の手にて相手の左の手を取る右の手にて小尻を取りうつむけにおしたおし堅める」2015年1月11日

八文字に坐すところ、相手スカスカと我が左脇を通行く時、我が左手を左手で取り、右手で鐺を取ってうつむけに押し倒そうとするので、左足で相手の陰嚢を蹴る。

「・・かやされ上る処を」の状況がよく見えません。
相手に左手と鐺を取られ、鐺を上に上げられうつ伏せに押しかけられるのでしょう。

「左の足にて相手の陰嚢を蹴る」相手の股間に我が左足を蹴りこむ、は押し倒されるに従って、右手で体を支え反転しながら左足で蹴りこむ、としてみました。

業名の「支點當」読みは、してんとう、でしょうか、點はてん・つける・ともすです。

以上十一本

*以上で夏原流和之事を終了します。同時に神傳流秘書も完了となります。

此の神傳流秘書は「文政二年己卯之歳十一月吉祥日 山川幸雅述」で始まりました。
曽田先生が丁寧に書写され此処に掲載したものです。
奥書きは以下の様になっています。

山川久蔵

右の通り相改諸業手付覚亦歌之巻柔術不残相傳譲申所相違無望々仍而奥書如件

坪内清助殿

文政2年は1819年です。
山川久蔵幸雅の記述した最も古い傳書だろうと思います。
残念ながら、この伝書を書写された曽田先生は、この神傳流秘書を誰から見せられて書写されたのかが不明です。
「本書は他に見えざる秘本にて原本は多分戦災にて焼失せるか大事大事」と書き残されています。

夏原流和之事については、このような手附が残されたのですが、誰が何時これらの業を作り出したのかわかりません。

本朝武芸小傳巻九の末尾に小具足について世に鳴るのは竹内流だといっています。荒木流、森流などの後に夏原八太夫の名があります。
夏原八太夫は夢相流小具足の達人也、今川久太夫その傳を継ぐ、武井徳左衛門今川の傳を得、松田彦進武井の芸を傳、鈴木彦左衛門有りて、松田に従い、その宗を得て精妙と為す。
とあります、これが夏原流和であるかはわかりません。

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2015年3月 5日 (木)

神傳流秘書を読む 13.夏原流和之事6本手之移十本目五輪添

神傳流秘書を読む

13.夏原流和之事

 6、本手之移

 十本目五輪添

 遠行の業にて肩を叩時向面の通り手を取り前へなげる

*此の業は夏原流和之事捕手和之事十本目遠行の業にてですから遠行。
「前の如く相手の右脇を通り後へ廻り両手にて合手の肩を一寸叩く相手小太刀を抜かんとする処を両のひじのかがみに手を懸け背中を膝にて押引かる」2015年1月10日

「向面の通り手を取り前へなげる」とありますから夏原流和之事捕手和之事九本目「向面」
「右脇を通りしなに此方よりせり懸る相手よりもせり懸る処おしたおし右の如くうつむけに押倒し堅める」2015年1月9日

五輪添は手附にならない程省略されてしまいました。五輪添を稽古するまでに事前に今までの業は充分稽古を積んでおけとでも言うのでしょう。
本手之移とは本手(元)の業の彼我入れ替わり、変え業、返し業ですから当然の事でしょう。

楽々八文字に相対して坐す、相手立上りスカスカと歩み来り、我が右脇を通り後へ廻り両手にて我が肩を一寸叩く、我は小太刀を抜かんとする処、後よりせり懸られるので相手の手を取って前へ投げる。

業名の「五輪添」ですが「五輪」は仏教で云うところの万物の構成要素「地・水・火・風・空」の五大のことで、ここではそれを現した五輪塔をイメージしたのでしょう。
人の体を五輪に見立てゝ相手を密着させて投げる、そんな業のように思えます。

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2015年3月 4日 (水)

神傳流秘書を読む 13.夏原流和之事6本手之移九本目捫返

神傳流秘書を読む

13.夏原流和之事

 6、本手之移

 九本目捫返

 向面の事に取って後へ倒さんとするを其手を取って前へなげる

*「向面」は夏原流和之事捕手和之事九本目向面です。
「右脇を通りしなに此方よりせり懸る相手よりもせり懸る処おしたおし右の如くうつむけに押たおし堅める」2015年1月9日

「右の如く」が良くわかりません。恐らく捕手和之事の五本目右転か六本目右詰を指しているだろうと思います。

六本目右詰「前の如く歩み行て右脇を行違いしなに相手の右の手を我が右の手にて取り左の手をひじに上て引伏せ堅める」2015年1月6日

五本目右転「前の如く歩み行て相手手を上る処を両の手にて指を取りわけ左の方へ引廻し又たおし砂乱れの如くうつむけに引廻して堅める」2015年1月5日

此処は、「向面」だけを参考にすれば良さそうです。
双方相対し八文字に坐す時、相手立上ってスカスカと歩み寄り、右脇を通りしなに我が右手を取ってせり懸って後ろに倒さんとするを、我もせり懸り相手の右手をひねり返して左手を添え前へなげる。

この本手之移9本目捫返はもんかえし、ひねりかえし、なでかえし、の何れかの読みでしょう。

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2015年3月 3日 (火)

神傳流秘書を読む 13.夏原流和之事6本手之移八本目坐配謀

神傳流秘書を読む

13.夏原流和之事

 6、本手之移

 八本目坐配謀

 胸天の移り也常の修行此事なしむねを蹴る足を此方より取り向へ突倒す也

*坐配謀は、ざはいぼうでしょうか。読みは不明です。
「胸天」という業名は見当たらないのですが、夏原流和之事捕手和之事八本目「歩み行相手胸を足にて蹴る平常の稽古には此業なし子細は胸を蹴る故也」とする「胸點」の業があります。2015年1月8日
點は「てん」ですから「天」と同音ですので当て字としたのでしょう。

我が坐している所へ相手スカスカと歩み来たり、我が胸を足蹴にして来るので、その足を取って相手をあお向けに倒す。

「突倒す」の文言が気になります。蹴ってくる相手の足を取るや、相手の体に浴びせていくなどを言うのでしょう。

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2015年3月 2日 (月)

神傳流秘書を読む 13.夏原流和之事6本手之移七本目九寸返

神傳流秘書を読む

13.夏原流和之事

 6、本手之移

 七本目九寸返

 抜捨の通り抜付を留処を振り向て中に入りたおす也

*抜捨は夏原流和之事捕手和之事七本目抜捨です。
「相手の左の脇を行通りしなに合手の左の手を我が左の手にて取り後へ廻る相手右の手にて後へふり向小太刀を抜付るを右の手にて留左の手を放しひじに添えてひきたおし堅める」2015年1月7日

業名の九寸返は、小太刀の寸法でしょうか。
相手、我が左脇を通りしなに、左手で我が左手を取って後ろへ廻りこむ、我は後ろへ振り向きざまに小太刀を抜いて抜き付けるのを、相手は右手で我が右手首を留めて左手を放すを機に中に入り押し倒す。

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2015年3月 1日 (日)

神傳流秘書を読む 13.夏原流和之事6本手之移六本目勝骰

神傳流秘書を読む

13.夏原流和之事

6、本手之移

六本目勝骰

右詰の通りに我が手を取り伏せんとするを直にきに中に入る

*右詰は夏原流和之事捕手和之事六本目右詰です。
「前の如く歩み行て右脇を行違いしなに相手の右の手を我が右の手にて取り左の手をひじに上て引伏せ堅める」2015年1月6日

楽々対座する時相手立ち上がって歩みより、我が右脇を通りしなに、右手で我が右手を取り左手をひじに掛けて引き伏せようとする、その機をとらえて相手の中に入り・・ここまでがこの業の手附です。
後は、状況次第にどうぞと言っているようです。逃れるだけならば、でんぐり返しもいいかもしれません。

この業名の勝骰は、かつさい、しょうさい、しょうず、しょうとうなどの読みでしょう。
骰はさいころです。

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