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2015年4月11日 (土)

居合兵法極意秘訣 4.道統6長谷川主税助

居合兵法極意秘訣

4.道統

6、長谷川主税助

長谷川主税助は後に内蔵助と云尾州公に仕千石領す第一弓馬の上手也諸国弓の傳馬の伝得たる人多し

*長谷川主税助は長谷川主税助英信でしょう。然し今伝える処の第七代では無く、6番目に書かれています。
古伝神傳流秘書で7番目に記載され、目録は無雙神伝英信流居合兵法とあり「是は本重信流と言うべき筈なれとも長谷川氏は後の達人なる故之も称して英信流と揚られたる由也」とあります。

英信の出自は不明です、尾州(尾張)公は江戸時代では徳川家の御三家の一つです。
尾州公に仕えたというこの文章の出処は不明です。
土佐に持ち込まれた英信の名を冠した居合も、流名の由来を含めて良くわからないのが本当の処でしょう。
長谷川英信も主取りは出来ずに名人達人として、武士と農民との境を行き来して武術を教えた江戸時代前期から中期の市井の武術家であったと思う方が良いかも知れません。
林崎甚助重信の居合が時代と共に変化して、英信の頃今様に体系だったと考えてもおかしくはないでしょう。

以下に2012年6月26日のブログ記事を再掲しておきます。

昭和41年8月1日号の全日本居合道新聞に「長谷川主税助英信 身元考」を水鴎流宗家勝瀬光安先生が書かれています。
以下抜粋します。

長谷川主税助英信が、長谷川英信流居合の流祖である事は衆知の事であるが、その身元に関しての細詳はあまり知られていない。
筆者は最近元駿府勤番の士、布施権十郎正秀の後裔の家に伝わる寶蔵院槍術伝書を調査するうち、居合の長谷川主税助英信に該当するらしい人物を発見した。
布施家の寶蔵院流槍術伝書に「長谷川主税助英信は、太平記の越智越前守の末葉也。
讃劦(*讃岐か)に生まれ、後京大阪等を武者修行同様にして廻国なし、江戸芝において竹川無敵、天上天下唯我独尊と看板を出せる時、無敵と仕合をなして、神明前にて高名を現す。
老年の後実子なく甥官兵衛を養子として家を継がしむ」とあり。
槍術に付いては「先師長谷川主税助英信は元来大嶋流の達人也。成年南部に趣き寶蔵院鳳栄に随身し槍法の妙術を得たり。
後推して法蔵院流長谷川派と曰う。
当流にては宝と法と書替えたる事先師英信深き意味あり。
先師英信は紀州家に仕え後浪人となり江戸に居る。
正保年中(1644年~1648年)竹川無敵と真剣の仕合し之に勝ち名を天下に顕す」と誌し。

出生没年に付いては左の通り記載している。
「長谷川主税助英信は文禄七寅壬寅也(文禄は4年までしかありません)、(慶長3年)(1597年)竹川無敵と仕合は正保3年4月(1646年)と也。大阪御陣(慶長19年1614年冬の陣、慶長20年1616年夏の陣)は14歳の時也。
嶋原の陣は37歳の時(寛永14年1637年)也、享保4年巳12月(1719年)死す。歳百十八歳也」

*少々年が合いませんがそう書かれているそうです。

*土佐に居合を持ちこんだ林六大夫は寛文2年1662年生まれ享保17年1732年70歳で没して居ます。林六太夫が生まれた年には英信は62歳です。林六太夫が20歳前後で英信に出合ったとすれば英信82歳さて・・。

但し年代の違う別の目録細註には、紀州の生れとあるが、これは紀州家に仕えたことと、生国とを混同したらしい。

その槍術伝系は左の通りで甲府を経て駿府に伝った。

元祖、宝蔵院鳳栄‐長谷川主税助英信‐長谷川官兵衛英政‐大河原庄兵衛政久-野田市左衛門成方(甲府勤番)-嶋田八郎左衛門利屋(甲府勤番)‐嶋田元次郎利頼(甲府勤番)‐榊原彦太郎政明‐大橋平左衛門豊成‐吉田新五郎種賢‐吉田三十郎種徳‐吉田芳之助種治ー布施権十郎正秀(駿府勤番)
布施権十郎は駿府勤番二百俵高、文久2年5月(1862年)江戸城に於いて剣術槍術を上覧に供士し反物二反を下賜され、又その父権三郎正忠は文化8年2月(1811年)江戸城に於いて一寸二分の強弓を以て弓術を上覧に供し日本一の称を得ている。

この伝書は槍術の伝書だから居合については何も書いていない。従ってこの長谷川主税助英信が、長谷川英信流の英信と同一人物であるとの立証は出来ないが、生国、時代、名前等から考えると同一人物ではないかと考えられる。

この流の槍術には田宮流長谷川派の居合が併せ伝えられている、布施権三郎正忠の武術書上には、田宮流長谷川派の居合を父市郎次正輝につき、寛政二年(1790年)より17年間修業したと誌されている。

或るはこれが今日の長谷川英信流を当時此の地方に於いては田宮流長谷川派と呼んでいたのかも知れない。これだけ資料から一方的な結論は危険だが、若干の信憑性はあるようにも思われる。

註 河野百錬~本稿は6月上旬、勝瀬範士から私に頂いたものであるが、その直後土佐の英信流宗家福井春政先生に、本稿を送付して、ご意見を承った所~英信流の地元土佐には全然長谷川英信公に関する資料は無いとの事であるが、福井先生はかって英信が尾張藩に仕えたとの事を仄聞した事がある。~との御返書を頂いた。駿府布施家に伝わる此の伝書の、英信が英信流第七代の英信公と同一人物かどうかは、勝瀬範士の言う如く、今後の研究にまたねばならぬが、之は洵に当流を学ぶものにとって貴重な掲載を願ったが之を契機に広く当流同人の御研究を切望する次第である。

*その後いかほどの進展があったのでしょう。

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