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2015年4月 2日 (木)

居合兵法極意秘訣 3.居合仮名2先師の咄

居合兵法極意秘訣

3.居合仮名

 2、先師之咄

 先師之咄の由良知は耳に五音無は耳の本躰也故に五音を聞て違ふこと無若し常に耳に一音も有れば五音違う故に五音無きを耳の至善とす

口も五味無きは口の本躰也口に五味無き故に能く五味を別ち違うこと無若し一味にても有れば違ふ五味無は口の至善とす

人に善悪無は心の本躰也善悪無故に善悪を弁て各あやまる事無し若し之有時は善悪供に違故善悪無を心の至善とすかるが故に至善は心の本躰也

語云好く為す無く悪く為す無く三之路に順じ其の善有は其の善を亡適う無く莫く無く義の興に従う又云可も無く不可も無し

右居合兵法事(業)形大よう覚候事此如く道理をも少し合点せざれば高位大名の師となる事能わず能々工夫有べし

*先師(第九代林六太夫守政)の話しであるが、人が生まれながらに持っている判断能力といわれる良知(陽明学による)について、耳はもともと五音など無いのが耳の本体である。
五音とは宮きゅう=唇音、商しょう=歯音、角かく=牙音、徴ち=舌、羽う=喉音を言うのだろうと思います。
それで、五音を聞いて聞き間違うことがない。もし常に耳に一音でもあれば五音は違うように聞こえるだろう。だから五音を持たない耳がこの上もなく善いといえる。

口にも五味の無い事が口の本体である。
五味とは仏教で云う処の乳味、酪味、生酥味、熟酥味、醍醐味だそうですが不勉強で解りませんが生の乳からできる発酵乳製品の最後が醍醐ですから酒でしょうか。専門家にお応えをいただければと思います。
分かりやすいのは甘味、酸味、塩味、苦味、うま味の基本味でしょう。
口に五味が無いので良く五味を味わえて間違える事がない。若し一味でもあれば違ったものになるであろう。口に五味のない事がこの上もなく善いと云える。

人に善悪のない事は人の本体である。
善悪をもたないので、善悪を弁えて過剰になる事も無い。もし善悪のどちらかでもあるとすれば善悪共に違うものになるであろう。善悪をもたない事が心のこの上もなく善いと云える。
そういうわけで、至善は心の本体である。

語に云う、良く為すでも無く、悪く為すでも無く、三の路に順じ其の善があれば其の善を亡くし、適う事も無く、莫が無く、義の興りに従うものである。
又云うべき事も無く、云うべからざるものも無い。

右の通り、居合兵法の事(業?)形、大方覚えたならば、このような道理も合点していなければ大名の高位、大名の師となる事は出来ない。よくよく工夫することである。
ここで、「高位大名の師となる事能わず」の解釈ですが、高い位の大名とも取れますが、大名に高位で抱えられると読みたい。
それは武術を極め取りたてられる者の地位が以外に低い、それは単なる武芸者である場合が多いからでしょう。棒振りが譬え上手であってもそれは芸人に過ぎず、それだけの事であって、漢籍や軍学に培われた人としての哲学もなく、それ以上の役には立たないと見抜かれてしまうからでしょう。
土佐の居合も術理ばかりを追うのではなく随所に散りばめられている教えに今一度心を置いて見る事だろうと思います。

第九代林六太夫守政の話しとして、第十代林安大夫政詡が書き留めたものですが。
思いこみに居付かず無の境地で、受け留めれば真実を認識できる、依って義の興りに従い可も不可も無い、此の道理を解らなければ大きな事を為す事は出来ない。と教えたのでしょう。

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