« 英信流居合目録秘訣 4.居合心持肝要之大事1居合心 | トップページ | 英信流居合目録秘訣 4.居合心持肝要之大事3太刀目附之事 »

2015年5月23日 (土)

英信流居合目録秘訣 4.居合心持肝要之大事2太刀組附位

英信流居合目録秘訣

4.居合心持肝要之大事

 2、太刀組附位

 互に太刀を打下し組付けたる所に勝あり敵の太刀より遅きと見えても上太刀と成位あり唯肝要は拳也
組付たる処にて其気先にてすぐに突べし

*互いに太刀を真向に打ち下ろし、太刀が触れ合う処に勝ちがある、敵の太刀より遅く打ち下したと見えても敵の太刀に上太刀になる位がある。唯肝要なのは拳に打ち込めたか否かである。
組み合って上太刀になるや太刀の切先にてすぐに突くべし。

これは、どうやら新陰流の合し打ちによる十文字勝ちで相手の太刀に遅れて打ち下ろし相手の太刀の上に乗り即座に相手の拳に摺り込んで突く事を言っているようです。
ここにも第九代林六太夫が大森六郎左衛門より学んだ真陰流の業が秘められているようです。

参考に、土佐には、衣斐丹石の丹石流が山内一豊、二代山内忠義に仕え野中兼山の失脚とともに衰えています。
上泉伊勢守の門人小笠原玄信斎が真心陰流を起こし、その弟子小林市郎左衛門の孫小林喜太夫が近江の長浜で山内一豊に抱えられ土佐に随従しています。
柳生新陰流は柳生但馬の高弟出淵道先の次男三郎兵衛が元禄10年1697年知行三百石で仕えたが、馬術指南役国沢五郎左衛門馬上での仕合を行い馬術に悩まされ得意の剣法が繰り出せず敗退して、それを恥じて知行を返上しています。
また、都治月丹による無外流が宝永4年1707年頃から5代藩主山内豊房に召されて出入りがあったようです。6代藩主山内豊隆の正徳5年1715年には出入り料20人扶持が給付されています。その後享和5年1720年には月丹の4代目辰五郎が15人扶持格式は御小姓格江戸詰めで正式に抱えられています。無外流は土佐に根を下し明治以後土佐の無外流剣客川崎善三郎を生んでいます。

|

« 英信流居合目録秘訣 4.居合心持肝要之大事1居合心 | トップページ | 英信流居合目録秘訣 4.居合心持肝要之大事3太刀目附之事 »

英信流居合目録秘訣15-4」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 英信流居合目録秘訣 4.居合心持肝要之大事1居合心 | トップページ | 英信流居合目録秘訣 4.居合心持肝要之大事3太刀目附之事 »