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2015年7月

2015年7月31日 (金)

居合兵法の和歌13.無用なる手詰の話

居合兵法の和歌

13.無用なる手詰の話

 無用なる手詰の話をすべ可ら春無理の人二ハ勝って利ハ奈之

*無用なる手詰の話をすべからず無理の人には勝って利はなし

訳も無いのに業技法の話をするべきではない、理屈の解からない人には話で勝っても少しも利するものは無い。

此の「手詰」の意味は、広辞苑では、激しく詰め寄る、猶予なく攻め懸ける。
或は、手段などと読めばいいのでしょう。

田宮流歌の伝では
「無用する手詰め論をはすべからず無理の人には勝ちてせんなし」

新庄藩の秘歌之大事にはこの歌はありません。

必要も無いのに勝負する様な話をするべきでは無い、理屈の解からない人と争って勝っても何も得るものも無い。

自分の思う様に従わせようとして、あれやこれや仕掛けられます。甘い誘惑も、脅しもあったりします。
それでも人と関わって行かなければ家族を守ることは出来ない、良い地位にも付けない。そんな損得勘定は誰でも持つものです。
思う様に、人をあやつり、優位に立ちたいとするのは人の常なのでしょう。
その心が勉強に励み、半歩でも先に上を目指そうとするのです。
この歌の心はどのような心持で詠まれたものか、どの程度の損得を意識していたのか、その時代の事ですからよく判りません。この様に読むのもありでしょう。

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2015年7月30日 (木)

居合兵法の和歌12.鍔は只拳の楯

居合兵法の和歌

12.鍔は只拳の楯

 鍔は只拳の楯と聞ものを大くも婦とく無きハひがこと

*鍔はただ拳の楯と聞くものを大くも太く無きはひがごと

妻木先生の田宮流居合歌の伝
「つばはただこぶしの楯とするものをふとくはふとくなきはひがごと」
「大くもふとく」が「ふとくはふとく」になっています。「大くも」をふとくもと読んだのでしょう。

新庄藩の林崎新夢想流の秘歌之大事
「鍔ハ多々拳能楯と聞ものを婦とくもふとく奈幾ハひ可こと」
(鍔はたゞ拳の楯と聞物をふとくもふとくなきはひがごと)

土佐の居合兵法の和歌の「大くもふとく」は「ふとくもふとく」でよいのでしょう。
「ひがごと」は道理に合わないとか間違っているとかの意味でしょう。とりあえず読んでみましょう。

刀の鍔は、単なる拳を守る楯の役割と聞いている。出来るだけ大きい方が良いので鍔無しは道理にあわない。

刀の鍔は、単なる拳を守る楯の役割と聞いている。太すぎるのも、太くないのも道理にあわない。

これは武器としてのあり方を歌っているとするならば「居合兵法の和歌」の32首の中で異色の歌です。
何か言いたい事がこの中に隠されているのでしょう。

鍔と云う刀装具の役割を極意の秘歌に持ち出すとも思えません。鍔の使い方は流派に依っても種々あることでここで、鍔の操作技法が秘歌となるとは思えません。

極意に至れば刀などの戦闘道具は用はないとも云われます。
「兵法の極意に心いたりなば 刀道具はおよばざるもの」

田宮流の歌の伝に
「ふっと出る刀をおもいさとるべし 夢想の刀鍔は構はし」

将に極意の一刀について「ふっと出る・・」「夢想の刀」と何となく修業の暁にはそんなものかと解るような気もするところですが、「鍔は構はし」でここに再び「鍔」が登場します。

前の歌とも関連しそうな気もして「前の歌が鍔を意識しろよ、と言いつつ後の歌では鍔を構うな」と二つの矛盾した歌を詠まされました。

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2015年7月29日 (水)

居合兵法の和歌11.強身にて行當る

居合兵法の和歌

11.強身にて行當る

強身二て行當るおば下手と志れ鞠に柳を上手とそいふ

*力任せに当たって行くのを下手と知るものだ、鞠が当たっても柳の枝は逆らわずに柔らかくいなす、是が上手と云うものだ。

この歌は新庄藩の林崎新夢想流の秘歌之大事にあります。
「徒よみ尓て行あ多留をハ下手と云鞠二柳を上手とそい婦」
(つよみにて行きあたるおば下手と云う鞠に柳を上手とぞいう)

田宮流歌の伝では
「つよみにて行きあたるこそ下手なれやまりに柳を上手とぞいふ」

其の時代の武士の常識で歌を詠めば直ぐに理解しえたのでしょう。
当時は大方口伝によるもので形のように眼に見えるものでも無いので師匠の教えはかなりまちまちでどれが歌の定番かは難しかったろうと思います。

此の歌は、修業を積み重ね奥義に達した者の歌とも取れます。修行中のヘボがそんなものかと真似てみても居合のような仮想敵相手のものでは、力ない棒振りをするのがせいぜいです。

「あら磯のもくずか浪に打たれても 猶打ちかへすまけじだましい」
「己が身を勇気の槌で打ちくだけ これぞ誠の教へなりけり」
「いろいろに姿勢態度もきまらずに 打たん心は禁物としれ」

武道の歌は面白い・・・

無外流の百足伝より
「兵法は強きを能きと思いなば終には負けと成ると知るべし」
「兵法の強き内には強みなし強からずして負けぬものなり」

柳生新陰流の剣士でしょう、藤原敬信の「免兵法の記」に以下の事があります。「和らみ、最初より専らと教え候事、宜しからず覚え候。強みを致し抜けざればまことの和らみは出来ぬものに候。強みを致し抜けざる和らみは、弱みの至極と知るべし。其の者の精一杯強みを致し尽くし候上にて、和らかなる仕形を教える由に候・・・」赤羽根龍夫著「江戸武士の身体操作柳生新陰流を学ぶ」

この様な歌を読んで、初心者は「そうか、ゆっくり大きく、メリハリのない、力の無い居合が上手なのか」と早速やってみても、気の抜けた棒振りにしかならないものです。
そこそこ腕力がある人はガンガン力んで稽古して、いつか自然に力が抜ける方が本物だろうと思うのです。
いや違う、ゆっくり大きく、力を抜いて稽古すれば、いずれ大きく力強い居合になるものだとも思うのです。
人はどちらかを選んで稽古するばかりの事で、修行途中で切り変えることの出来る器用な人はめったに居ないでしょう。
がんがん力むのも、力なく振るのも大方その人の人生観によるのかも知れません。

人にもよるでしょうが、力一杯に振り回していた人は、大抵いつまでも力んでいます。
力なくやっていた人は、大抵いつまでもゆっくり、力ないものです。

より少ない力で、より大きな効果が出る様なことが出来る様になれば良いのでしょう。

宮本武蔵の兵法35箇条「上段の位の兵法は強からず弱からず角らしからず早からず見事にも無く悪くも見えず大きに直ぐにして静かに見ゆる兵法是上段の位也能々吟味あるべし」

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2015年7月28日 (火)

居合兵法の和歌10.下手こそは

居合兵法の和歌

10.下手こそは

 下手こそは上手の上の限りなれ返春返すもそ志り者し春な

*下手こそは上手の上の限りなれかえすがえすもそしりはしすな

下手こそは、上手の者がさらに上を目指すには欠かせないものである、かえすがえすも下手をそしるものではない。

下手な居合ほど何故そうなってしまうのか、大変わかりやすい師匠でしょう。上手を見て感動しても、そう簡単に上手の技を知りえないものです。
上手な人ほど、下手な人の技をよく見ているものです。

「ある日のこと、大田先生が道場に見えられ、「人の稽古をよく見なさい」と言われた。上手な人を見るのは良いが、人の稽古を見るよりは、その分、稽古に励んだ方が効率がよいと思い、「はい」と変事だけで、棒振りに勤しんでいると、兄弟子の、「稽古止めい」の号令。「これから大田先生のお話がある」
曲がった腰をピンと直された先生は眼光炯々として、しっかりした口調で申された。「諸君等は、見取り稽古をしなさ過ぎる・・・人を見て己の足らざるを補え・・・下手を見ても・・・そこから学べ!」目から鱗が落ちる思いだった。」

この歌も新庄藩の林崎新夢想流の秘歌之大事にあります。
「下手こそは上手能上乃可多りものかえ春がえすもそしり者し春奈」
(下手こそは上手の上の語りもの返すかえすも誹りはしすな)
ここでは、「上手の上の限りなれ」が「上手の上の語りもの」になっています。下手こそは上手の人が参考にする、酒のつまみのような語り物である、とも聞こえます。

下手こそ、過ちを解りやすく演じてくれるすばらしい師匠です。
段位や経験年数ばかりで癖だらけになった自称上手もよい下手な手本です。

妻木先生の田宮流居合歌の伝では「下手見ては(下手こそは)上手の上のかざりなり返すがえすもそしりはしすな」と下手は、上手の上のかざりもの、になっています。
下手が居てくれるので上手に見えても意味はないし・・。

「上手とは外をそしらず自慢せず 身の及ばぬを恥づる人なり」

ここまでが、一般的なところでしょうか。是なら嫌われもせず、適当に仲良く和していられるでしょう。
しかしそれでは何の役にも立ちません。喧々諤々競い合い磨きあう位が丁度いいはずです。鬱積した抑圧の下での封建社会の事なかれ主義を持ち出していてもおかしいばかりです。
極意に至る秘歌之大事とも思えません。

阿部先生「剣道之極意」に幾つかその心を伝えると思う歌がありました。

「此の道は上手ばかりが師ではなし 下手ありて又上手ともなる」

強い者とばかりけいこしたからとて上手に成るものではない。下手な者と稽古して師より教えられた技など、自由の利く下手な者に施し、試みて、鍛え、初めて本当に自分のわざとして身につけることが出来る。先輩・上位の人に対しては感謝する事を知っているが、下位の人に対し、後輩に対しての感謝などという事は殆ど忘れられているのは遺憾なことである。

「それぞれに人の為す技ちがうなり よく見て習え人のなす技」

「よき技を教えられても皆癖の つたなきところを習う人かな」

* 競技会で優勝した古参の人が、自分の教えに従えと言っていました。
姿勢は良いのですが張子の虎が首を振っている様にしか見えません。足は撞木足で爪先が床に押し付けられた摺り足でした。
必要以上に長い刀で棒樋を深く掘り直し、ビュービュー鳴らしています。
据物切りの協会に属しているようで刃筋は良いのですが体捌きが単調です。
しかし人の目を引付ける、座の姿勢がありました。座れば泰然自若とした座姿は素晴らしいものです。
其の姿勢の元となる考えは、人を威圧する心持との事でした。やれやれ習わなくて良かった・・・。

其の上、藁切り仲間への勧誘でもあったりして・・。

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2015年7月27日 (月)

居合兵法の和歌9.寒夜にて霜を聞

居合兵法の和歌

9.寒夜に霜を聞

 寒夜尓て霜を聞べき心こそ敵二阿ふても勝を取なり

*寒夜にて霜を聞くべき心こそ敵に逢うても勝ちを取るなり

寒い夜に霜が結ぶ音を聞き分ける程の心があれば、敵の思うことも聞くことも出来るであろう、さすれば敵に出会っても勝ちを取るであろう。

現代社会では、ビジネス上の闘争もあって負ければ生死を分かつ程の事もあろうかと思うのですが、直接刃を向けての命のやり取りとは次元が違うでしょう。
音にあふれている都会に住む現代人が、失念してしまった小さな変化に感じる事かも知れません。

この歌は新庄藩の林崎新夢想流の中に次の様です。

寒事尓て霜を聞遍幾心こそ敵尓あふて能勝ち者とる遍き

寒事にて霜を聞くべきこころこそ敵にあふての勝はとるべき

妻木先生の田宮流居合歌の伝には
寒き夜に霜を聞くべき心こそ敵にあひても勝ちはとるべし

武術肝要集に「我れ已発を以って敵の未発を抑ふ。是れ業を言わず、気の位いを言うなり」とあります。

霜が降りて真っ白になってから霜を知ったのでは無く、寒さの度合いで霜が降りる事を察知する位の感性を持つことを云うのでしょう。
敵の未だ発せざるに、すでに発している事を已発というのでしょう。

宮本武蔵の兵法三十五箇条の二十三番目「枕の押へと云う事」
「枕のおさへとは、敵太刀打出さんとする気ざしをうけて、うたんとおもふ、うの字のかしらを、空よりおさゆる也。
おさへよう、こころにてもおさへ、身にてもおさへ、太刀にてもおさゆる物也。
此気ざしを知れば、敵を打に吉、はづすに吉、先を懸るによし。いづれも出会う心在り。鍛錬肝要也。」

古歌二首
「打ち寄する浪の受け太刀満潮に さし心得て飛ぶ千鳥かな」
 千鳥の波打ち際で、餌を啄ばみ潮の満ちるのを察して飛び立つ様は、懐かしい海辺で遊んだ風景です。

「未発より已発にうつる中宿 終ひのすみかとおもふべきかな」
「中宿」此の一瞬はよほどの修業によるのかもしれません。

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2015年7月26日 (日)

居合兵法の和歌8.如何に人腹を立つゝ

居合兵法の和歌

8.如何に人腹を立つゝ

如何に人腹を立つゝ怒るとも拳を見込心ゆる春な

*いかに人腹を立てつつ怒るとも拳を見込み心許すな

いかに人に腹をたてて怒るとも、拳をじっと見つめ、戦いの心を許してはならない。

この歌は田宮流居合歌の伝では
「人さまに腹をたてつついかるともこぶしを見つめ心志ずめる」
*相手に腹をたてて怒るとしても、己が拳を見つめ、心を静めよう。

新庄藩の林崎新夢想流の秘歌之大事では
「人い加尓腹を立徒々い可流累とも心尓刀拳者奈春那」
(ひといかに腹を立てつついかるゝとも心に刀拳はなすな)
*人はいかに腹をたてつつ怒るとしても、心に刀を持つとしても、拳は放してはならない。

多少の違いがあっても、元の歌の意味は伝わっているでしょう。
しかし、相手が怒り狂っても、あるいは我も怒り狂っても、我慢しなさいでは、都合のよい部下の操縦のための道徳教育の域を出られそうもありません。
極意ではなさそうです。もっと読み込んでみる必要がありそうです。

己の拳を見つめて、軽挙妄動を慎み真実を見極め、妄心に惑わされず、なすべきことを行うのであって刀を抜くことが唯一ではないと言うのでしょう。

誰の作った歌なのか次のような古い歌があります。
「心こそ心まよわす心なれ心に心心ゆるすな」

柳生新陰流の兵法家伝書はこの歌を解説しています。
「妄心こそが本心を迷わす妄心である、妄心に本心が心を許すな」と歌っています。
沢庵和尚の不動智神妙録にもこの歌は最終章の末尾に置かれています。
「人の知る所に於いて、私の不義を去り、小人を遠ざけ、賢を好む事を、急に成され候はば、いよいよ国の政正しく御忠臣第一たるべく候・・」と沢庵が柳生但馬に身を正せと諌めています。

武蔵も五輪書水之巻で兵法心持の事で「兵法の道において、心の持ちようは、常の心に替る事なかれ。
常にも兵法の時にも、少しもかわらずして心を広く直ぐにして、きつくひっぱらず、少しもたるまず、心のかたよらぬように、心をまん中におきて、心を静かにゆるがせて、そのゆるぎのせつなもゆるぎやまぬようによくよく吟味すべし・・心を直ぐにして、我が身のひいきをせざるように心を持つ事肝要也。
心の内にごらず、広くして、ひろき所へ知恵を置くべき也。
知恵も心もひたとみがく事専也。
知恵をとぎ、天下の理非をわきまへ、物事の善悪をしり、よろずの芸能、其道々をわたり、世間の人にすこしもだまされざるようにして後、兵法の知恵となる心也」

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2015年7月25日 (土)

居合兵法の和歌7.身の曲尺の位

居合兵法の和歌

7.身の曲尺の位

身の曲尺の位を深く習ふべし留ねど留る事ぞ不思議や

*身の曲尺(かね)のくらいを深くならうべし留めねど留まることぞふしぎや

我が身と敵との間合いを知り、間積りの有り様を深く身に付けること、さすれば敵の打ち込む太刀を受け太刀にならずとも、我が身に当たる事無く留まってしまう事の不思議な事よ。

「身の曲尺の位」曲尺とは直角に折れ曲がった物差しを言うのではなく、我と敵との間合い、打出す間についての事でしょう。

武蔵は兵法三十五箇条に「間を積る様には色々在れども・・大形は我が太刀人にあたる程の時は、人の太刀も我にあたらんと思うべし。人を打たんとすれば、我が身を忘るゝ物也よくよく工夫あるべし」

また「常に糸かねを心に持べし、相手の心に糸を付て見れば、強きところ、弱きところ、直きところ、ゆがむところ、たるむところ、我が心をかねにして、すぐにして、糸を引きあて見れば人の心よく知るゝものなり。そのかねにて円きにも、角なるにも、長きをも、短きをも、ゆがみたるをも、直なるをも、よくしるべきなり。工夫すべし」

この歌も表は武術の間と間合い、兵器の特色、相手の技量などを充分習い覚えて稽古すべしと諭しているようです。

身の曲尺を広義に解釈して、人との交わりに於ける様々な場面に思い至るものです。そしてその立場立場での思いやりなど心を砕くものでしょう。解かれば心を許せるものです。
とことん話し合わないでいても何も解決する事は無いでしょう。きっと何処かでいやな思いをする事になるはずです。

あまりの理不尽に「一対一で話しをさせてほしい」といいますと「いつでも」と言いつつ逃げてばかりの腑抜けも、形ばかりの序列ではありうることです。
上司と部下、監督と選手、先輩と後輩、師匠と弟子、教師と生徒、父と子などの序列の上に乗っての対話では、解決できないものも沢山あります。
人と人の対話が心を得るものでしょう。

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2015年7月24日 (金)

居合兵法の和歌6.居合とは知った振りして

3合兵法の和歌

6.居合をば知った振りして

 居合をハ知多振り之て突るゝ奈居合の道を深問べし

*居合おば知った振りして突かるゝな居合の道を深く問うべし

居合と言うものはなどと知った振りをして、攻撃されていては意味はない、居合の道を深く問うべきである。
直訳するとこんな処でしょう。

この歌は田宮流歌の伝にはありません。
新庄藩の秘歌之大事にも見当たりません。
居合でも仕組みの太刀でも、物覚えの良い器用な者は2、3年で形は覚えてしまいます。出来るとばかりに場に臨んでも、喧嘩慣れした渡世人やごろつきに膾にされてしまうでしょう。
なまじ形に捉われれば、倒すには最も良い相手です。

「居合の道を深く問うべし」修行者に重くのしかかって来る下の句です。

河野先生は初心者心得三十三則の結語で「・・総じて形にとらわるゝ事無く(業形より入りて業形を脱す)臨機応変敵に依って転化する縦横無礙自在の心胆を鍛錬するを以て本旨とするものなり・・求道の士よ其の技葉を追う事無くすべからく其の根元を究明する事を忘るゝ勿れ」と説いて居ます。

沢庵の不動智神妙録には「事の修行仕らず候えば、道理ばかり胸に有て身も手も働かず候。理を知りても、事の自由に働かねばならず候。身に持つ太刀の取りまわしよく候ても、理の極り候所の闇く候ては、相成る間じく候。事理の二つは車の輪の如くなるべく候」

このことは、居合ばかりでなく多くのことに共通のことでしょう。
師の教える形のままに、手順を正しく華麗に演じてみてもたちまち限界になってしまいます。
かといって、居合の形などばかりをよしとしていますと、それも慣れてしまい申し合わせのものに陥ってしまいかえって空間刀法の方がよさそうに思えてしまいます。

竹刀剣道のスポーツのような模擬実戦形態ばかりをよしとしても、勝った負けたなどのレベルで楽しむのは良いのですが、地稽古や乱取りばかりですと、慣れに依る壁にぶちあたるし、力と速さだけでは年を取ってからそれでは若い者に対応できなくなるはずです。

華麗な演舞でもない、勘に頼った力や速さでも無い、はるかに高いレベルのものが存在するはずです。

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2015年7月23日 (木)

居合兵法の和歌5.居合とは刀一つに定まらず

居合兵法の和歌

5.居合とは刀一つに定まらず

 居合とハ刀一つ尓定らず敵の仕掛を留る用阿り

*居合とは刀一つに定まらず敵の仕掛けを留る用あり

田宮流居合歌の伝にこの歌は有ります。
「居合とは刀一つにさだまらず敵のしかけをとむるやうあり」
「居合とは刀一つにさだまらず敵のしかけに留まることあり」

新庄藩の秘歌之大事にはこの歌は有りません。

居合と云うのは、刀を持って戦うばかりでは無い、敵の仕掛けて来るのを留める事も大切である、その心掛けを身に付けよ、と云うのでしょう。
田宮流の歌の伝では「・・敵のしかけに留まることあり」と替え歌が示されています。
我では無く敵の仕掛で我が抜き打つ事を留める事も有って良いのだ、と云うのでしょう。

この歌も、武術の一つとして捉えてみます。

居合の「鞘の内」は、「相手を圧する心意気を以て鞘離れの瞬時に相手を制すること、これ即ち居合の生命にして鞘の内と言う」相手を圧して鞘離れの瞬時に制する。

或は、「前面に対座せる敵の害意を認むるや機先を制し直ちにその面部から胸部(首)に斬り付け・・」害意を認めるや機先を制して斬り付ける。

雷電では「我が身を土壇となして後自然に勝・・」

虎走では「同座し人々居並ぶ時は色に見せては仕損る也さわらぬ躰に向うへつかつかと腰をかがめあゆみ行内に抜口の外へ見えぬ様に・・」

是だけでは、相手の害意を察して居合術を以て抜き打ちに相手を倒すばかりの術に過ぎません。

英信流居合目録秘訣の極意之大事「獅子王剱」2015年5月13日
「是は事に非ず我が心に大丈夫を備ふる事此の習何よりも肝要なり・・」
心を鍛えよと云って居ます。幾つかの勝つための事前の心配りの知恵も語られています。

居合兵法極意巻秘訣(2015年5月31日)では兵術嗜之个条が述べられ、闘う前の場取りも細かに記されています。

神妙剣2015年7月17日では、深き習に至ては、忘れてならない事は、彼の怒りを見た時は、直ぐに気を見て治める事が肝要で戦に至らしめずに勝事を学べ、と述べられています。

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2015年7月22日 (水)

居合兵法の和歌4.居合とは心に勝

居合兵法の和歌

4.居合とは心に勝

居合とハ心二勝可居合也人尓逆ふハ非刀としれ

*居合とは心に勝が居合なり人に逆うは非刀と知れ

この歌は田宮流居合歌の伝では
「居合とは心に勝つが居合なり人にさかふは非法なりけり」

新庄藩の林崎新夢想流の秘歌之大事では
「居合とハ心尓勝可ゐあひ奈り人尓さ可ふハ非可多也希利」
(居合とは心に勝がいあいなりひとにさかうは非かたなりけり)

居合というのは、己の心に勝のが居合である、人と争って刀を抜き戦うなどの事はあってはならない。
「非刀としれ」は、刀に非ず、かたにあらず、居合に非ず、でしょう。

これでは、極意の歌にはなり切れません。
いきり立って喧嘩腰に抜刀するなどとんでもない、気持ちを抑えて喧嘩するなではなさそうです。
悪く言えば長いものに巻かれろでしょう。
日本人の多くは己の主義主張を曲げてでも、安住の場所を得ようとする習性があると、ルイス・ベネディクトによる「菊と刀」にレポ-トされています。
それでは、何も見えなくなって心を偽って流されるばかりです。

敵と対すれば、恐れ慄き、いかにして勝とうかと心は逸るばかりです。その心を静め、敵の打ち出す太刀に逆らわず身を土壇となして、敵の働きを見て、夢うつつの如くの処よりひらりと勝事。
雷電、霞八相の教え(2015年4月25日)と取れるものです。

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2015年7月21日 (火)

居合兵法の和歌3.居合とは人に切られず

居合兵法の和歌

3.居合とは人に切られず

 居合とハ人耳切られ春人きらず唯請とめて平二かつ

*居合とは人に切られず人切らず唯請けとめて平にかつ

この和歌は、田宮流居合の歌の伝にはありません。

新庄藩の秘歌之大事には三番目に出てきます。
「居合登は人尓幾ら連須人幾ら春多々う希とめて堂ひらか尓かつ」

居合と言うのは、人に切られる事も無く、人を斬る事も無く、相手の思いを唯請け留めて互に和すことが勝である。

「唯請止めて平に勝」の句を「己をせめて平らかの道」に替えて己の心の未熟を戒める歌もあります。

「居合とは人に斬られず人切らず己をせめて平らかの道」

無外流の百足伝にも己の心を磨けとあります。
「心こそ敵と思いてすり磨け心の外に敵はあらじな」

居合の理念である「鞘の内」に通じていく心でしょう。

相手を圧する心意気を以て鞘離れの瞬時に相手を制する事、これ即ち居合の生命にして鞘の内と云う。(全居連)

刀を抜かずに勝つ、すなわち抜刀前に気力で敵を圧倒し、鞘放れの一刀で勝ちを制するのが居合の至極である。だから、居合は「鞘の内」に勝があるという(壇崎先生)

河野百錬宗家の無双直伝英信流居合道初心集の結語
居合の極意とするところは、常に鞘の中に勝を含み刀を抜かずして天地万物と和するところにあり。
換言すれば武徳の修養であるが、形より心に入り業に依って心を養うとの古人の教えの如く、・・終生不退の錬磨に依り神武の位を得ることに務め、而して日夜それぞれ与えられた自己の天職に尽くす事は、即ち武徳を発揮する所以にして、実に居合の神髄と信ずるものである。

少し、歌心とは離れた感があります、土佐の居合の神髄は神妙剣でしょう。
「深き習に至ては実は業無し常住座臥に之有事にして二六時中忘れて叶わざる事なり彼れ怒の色見ゆるときは直に是を知って怒を抑へしむるの□智あり唯々気を見て治むる事肝要中の肝要也是戦に至らしめずして勝を得る也去りながら我臆して誤て居る事と心得る時は大に相違する也兎角して彼れに負けざるの道也止事を得ざる時は彼を殺さぬ内は我れも不死の道也亦我が誤をも曲げて勝には非ず誤るべき筋なれば直に誤るも勝也
彼が気を先々に知てすぐに応ずるの道を神妙剱と名付けたる也委しくは書面にあらわし尽し難し心おぼえの為に其の端しを記置く也」(2015年7月17日神妙剣)

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2015年7月20日 (月)

居合兵法の和歌2.居合とは心を静抜刀

居合兵法の和歌

2.居合とは心を静抜刀

 居合とハ心を静抜刀ぬ希れバやがて勝を取るなり

*居合とは心を静め抜く刀抜ければやがて勝ちをとるなり

居合とは心を静かにして刀を抜く、抜けば直ちに勝ちを取るものである。
居合に於ける、鞘の内の理念は「相手を圧する心意気を以て鞘離れの瞬時に相手を制すること」と云われます。この歌は其の理念より更に奥深いものを教えようとするのでしょう。

田宮流居合歌の伝

「居合とは心を志ずめたる刀ぬくればやがてつかるる(ぬくればやがて勝ちをとるなり)」

東北地方の新庄藩に残された林崎新夢想流「秘歌之大事」にはこれかなという歌がありました。

「居合とは押詰ひしと出す刀刀ぬくればやがてつかるゝ」

「居合は心を静め」「居合とは押詰ひし」については、相手をなんとしても逃がさないという様な顔で居合を演じていた般若の如き女剣士を思い出しました。
思わず「ちがう!」と叫んでいます。

「心を志ずめ」とか「押詰」を、どの様にすべきか、「心を無にする」とも通ずるのでしょう。

「やがて」は、間も無く、とかそのうちに、と使われますが古語では「すぐに、ただちに」などにも使われています。

「刀ぬくればやがてつかるる」の「つかるる」は意味が解りません。
曽田本の居合兵法の和歌は読み解けますが、田宮流居合歌の伝及び秘歌大事は「つかるゝ」です。

業技法の修練の功なり、心静かに無心となって抜刀しても、其の抜刀で相手を倒さなければ、刀の攻防になってやがて疲れて、負けてしまう。或は刀を抜けばたちまち突き懸られる。
歌の意味としては良いかも知れませんが、これでは居合心を歌っているとは言えそうもありません。

難解な田宮流と秘歌之大事です。

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2015年7月19日 (日)

居合兵法の和歌1.居合とは糸瓜の皮の段袋

居合兵法の和歌

1.居合とは糸瓜の皮の段袋

居合とハへ知まの可ハ能たん婦くろすっ可りとしてミはどっちやら

*此の漢字と仮名と片仮名の混在した書き出しから始まります。
曽田先生は忠実に原本を書き写されたのでしょう。漢字は草書体と行書体が混在します。

読みは「居合とはへちまのかわのたんぶくろすっかりとしてみはどっちやら」

意味を捉えるには「居合とは糸瓜の皮の段袋(駄袋・駄荷袋)スッカリとして身(実)はどっちやら」

是では、糸瓜の皮で作った駄荷袋は、スッカリとして中身が何処にいったのだろう。と読めそうです。

*一首目から頭を抱えています。直訳してみます。

居合と云うのは、糸瓜の皮で作った荷物を入れる駄袋(だんぶくろ)の様なもので、何も気にかけることも無くすっからかんとして筋ばかりで糸瓜のみ(身・実)は何処へ行ったやら。

へちまの皮とは、へちまの皮や果肉や種を取ってしまった繊維の事で、風呂で垢すりに使ったものです。
「何とも思わない」「気にもかけない」などの意味があります。
繊維だけになっているので、すっからかんとしてしまって、実・身は何処に行ったのか。

居合というのは、身も心もすっきりとして、何も思わずに、唯、変に応じるものである。
とでも云うのでしょう。

何事でも構えて、自分の意志を押し通そうとしますと、何が正しい事かもやるべき事も解からなくなって己の立場に固執してボロばかり出してしまうものです。それも、人の弱さなのでしょう。
さっぱりと己の思慮を捨ててみればいろいろなものが見えてきます。
そこから、いかに応じるか、修行を積み重ねた技が自然にほとばしり出るのでしょう。

弱さをカバーしようとして、媚び諂う者だけを集めて見ても先が知れています。
本物は「へちまのかわのだんぶくろ」でありたいものです。かといって駄袋からは、是と云って何も出て来ないのでは如何にもなりません。

この歌は、東北地方に残された、新庄藩の元禄14年1701年の林崎新夢想流の「秘歌之大事」には収録されて居ません。

田宮流居合「歌の傳」にもありません。

 

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2015年7月18日 (土)

居合兵法の和歌 序

居合兵法の和歌

居合道歌については、2011年11月4日から12月9日にかけて新庄藩の林崎新夢想流の伝書で元禄14年(1701年)5月25日に相馬中左衛門政住から田口彦八郎へ伝えられた「秘歌之大事」を27首掲載してあります。
27首のうち14首は今回の「居合兵法の和歌」32首とほぼ同じ和歌になります。
居合兵法の和歌は田宮平兵衛業政之歌と記載されています。
それぞれの伝書に影響しているのでしょう。

田宮平兵衛業政之歌は田宮流居合の妻木正麟先生の「田宮流居合歌の伝」として26首、「田宮流歌伝口訣」に11首、居合兵法の和歌と19首ダブります。
歌を詠まれたのは、第二代宗家とされる田宮平兵衛業政の歌と後書きされています。

ちなみに、無外流の「百足伝」には40首の和歌が中川先生の無外流居合兵道解説にあります。
これは自鏡流祖多賀自鏡軒盛政のものとされているようです。
歌心は同じ様なものもありますが、まったく異なります。

歌は、5・7・5・7・7と短い語句によって詠まれたものですから、歌の素養が無いのでどのようになるか「おもいつくままに」読ませてもらいます。
すでに、秘歌之大事や抜刀心持引歌にあった歌も前の事はすっかり忘れて新たに「おもいつくままに」読んでみます。
歌は作った人のその時の心のほとばしりです。
詠み手の域に達していない限り、その心に至れないものかも知れません。
どの様に受け止めるかは、今この時の自分の鏡に写った想いで良いのだろうと思っています。

参考とさせていただいた書籍を上げておきます。

林崎明神と林崎甚助重信 
平成3年1991年発行 林崎甚助源重信公資料研究委員会

詳解田宮流居合 
平成3年1991年発行 妻木正麟

無外流居合兵道解説 
昭和34年1959年発行 中川申一

林崎抜刀術兵法夢想神傳重信流傳書集及び業手付解説
昭和63年1988年再販 木村栄寿

無双直伝英信流居合兵法叢書
昭和30年1955年発行 河野百錬

歌伝剣道の極意 
昭和40年1965年発行 阿部 鎮

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2015年7月17日 (金)

介錯口伝・他・神妙剣5.神妙剣

介錯口伝・他・神妙剣

5.神妙剣

深き習に至ては実は業無し常住座臥に之有事にして二六時中忘れて叶わざる事なり彼れ怒の色見ゆるときは直に是を知って怒を抑へしむるの頓智あり唯々気を見て治むる事肝要中の肝要也是戦に至らしめずして勝を得る也去りながら我臆して誤て居る事と心得る時は大に相違する也兎角して彼れに負けざるの道也止事を得ざる時は彼を殺さぬ内は我れも不死の道也亦我が誤をも曲げて勝には非ず誤るべき筋なれば直に誤るも勝也
彼が気を先々に知てすぐに応ずるの道を神妙剱と名付けたる也委しくは書面にあらわし尽し難し心おぼえの為に其の端しを記置く也


 深く習練するに至っては、実は業ではなく常住坐臥(いつでも)に有る事で二六時中忘れてはならないことがある。彼れに怒りの色が見える時は、直に是と知って彼の怒りを抑える事の出来る頓智が有る。
 ただ気を見て治める事が肝要中の肝要である。是は戦に至らずに、彼を静めて勝を得るのである。そうではあるが、我は臆して謝る事と思うのとは大いに違うのである。兎角彼に負けない道である。止む事を得ない時は彼を殺さない内は我も死ねない道理である。
 我が誤りを曲げて勝つのでは無く、誤っている筋ならばすぐに謝るも勝つ事になる。彼の気持ちを、先に廻って知り、それに直ぐに応じる道を神妙剱と名付たのである。
 詳しい事は書面に書き表すのは困難である。心覚えの為に心掛ける事の端を書き置いて置く。


 神妙剣の云わんとするものは、業技法に頼って、威圧して戦い勝つのではなく、相手の心をとらえて正しく応じる事に依って、相手の気持ちを静め勝を得ると云うのです。
 武術の求める処は、この究極のコミュニケーション能力の開発にあると思います。そうでなければ武術を弄ぶ芸に過ぎず、そこまででしょう。


 「和」について、安易に語られ言葉と文字に幻を見ている場合が多いのではないでしょうか。

和について
 「和には小乗の和及び中乗の和 大乗の和あり。
 誰れでもかまわぬ、悪いとは知りつつ 何も意見せず、当たりさわりなくすることを小乗の和と云う

 又一歩進んで一応は注意を与える程度で 本人に如何すればよいかの指針も与えざるが如き、八方美人的な和を中乗の和と云う

大乗の和とは、本人の為にあらず又他人に迷惑を及ぼす等々徹底的に話し合ひ真に本人を改めさすべく凡ゆる努力をなす。改心せず、為に協同体が崩れると判断するに於て断乎とした処置をなす自己の決断を有する、此れを以って大乗の和と常に館長の信念に之有」


 是は元無双直伝英信流事務局長の「無双直伝英信流居合道理合動作解説」に書かれているものです。
 多くは小乗の和に甘んじているものです。居場所が無いと不安でならない日本人の特に武術の団体の特徴かもしれません。

 孫子は「吾れを知り彼を知れば百戦危うからず」と云っています。
 「武術をやる者は、距離を取って自分のやっていることを客観的に見直してみることがなかなか出来ない。
 武道を目指す者は他流の技や他武術などにも目を開く事も必要であろう。こと武道とか武術に関しては物事を理論的に厳密に考えることが少なく、物を感情的にとらえる傾向が強い。だから心情的な意見や好嫌の情を正当化する為の論理を使うことがある。

 一般的に、日本人には批判と悪口というものの区別がつかないため、自分の考えと違うことを言われたり反論されたりすると、直ぐに悪口を言われたような気になる。武術や武道の世界ではこの傾向は特に強く、時には病的な反応さえ出て来る」(時津賢児先生の「自ら成し、自ら成す 武的発想論 眠れるサムライたちへ贈る真武道理念より) 


 これらの説は、無双直伝英信流の極意の神妙剣にあたり、思い出したものです。其の上、権威(古参とか高段位)などの事をバックにしているようでは、神妙剣の極意はおろか哀れです。

これで居合兵法極意秘訣の全てを終わります。

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2015年7月16日 (木)

介錯口伝・他・神妙剣4.太刀堅

介錯口伝・他・神妙剣

4.太刀堅

 甲冑を帯したるとき人々色々と刀をからめ堅むる也甚抜き難しこゝに太刀堅めとてよき堅一つ有□の緒の如く中に布を入れて絹にて縫包み長(た)け六尺計にて具足櫃に入れ置くべし

 扨かの紐を腰に當右脇にて留め上帯をして其上帯一重にて彼の堅めの見えぬ様に覆ひ置也脇差は上帯皆へ常の如くに指すべし
扨刀をぬくに自由に〆抜易し或は切岸亦は塀抔を乗る時刀を背をゝにも宜し其儘刀を後に引廻し下緒を肩に掛て乗時はつかゆる事なし此の堅め至〆佳なり

*甲冑を着た時の太刀の帯び方、差し方のアドバイスでしょう。
通常の方法に問題があるのか、土佐の方法に何かあるのかご存知の方はご教授ください。
六尺ばかりの、布を芯にして外を絹で包んだ紐を作って具足櫃に入れておく。

其の紐を腰に当て、右脇で締めておき、其の上から上帯の一重目で紐堅の見えない様に巻き込み結ぶ。
「脇指は上帯皆へ常の如く指す」ですが、居合の場合は、脇差は三重に巻かれた帯下に指し、太刀は二重の所に指すと教えられて居ます。

居合心持肝要之大事 付大小指違之事2015年5月22日
・大小指違と云は世人脇指を帯二重に指刀を三重にさすなり居合の方にては二重に刀を指し三重に脇指を差す也敵に出合たる時大小を子(ね)じ違へて脇差をば下し指しにして刀を抜戦べし然るときは脇指の柄まぎる事無亦刀のさやの鐺は子(ね)る故に足を打つことなく働の自由宜し常に此の如く指すべし」

その様にすれば、刀を自由に抜き指しし易くなる。此の場合は抜刀する事では無く、刀を鞘ごと抜き指しする事を云うのでしょう。

抜き易ければ、切岸、塀などを乗り越えるのにも刀を背負うにも良い、其の儘刀を後に廻し下緒を肩にかけて乗り越える時はつかえる事も無い、この堅めは至って良いものである。

太刀の帯びるのではなく、打刀を指すと読んで見ましたが、此処には、絵があって、刀に堅紐を結んで腰に帯する様な感じの絵が書かれています。
此の堅紐を右脇で結んで其の上から上帯を廻すのかも知れません。

不明です。

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2015年7月15日 (水)

介錯口伝・他・神妙剣3.麻上下

介錯口伝・他・神妙剣

 3、麻上下

 介錯の時麻上下の上に羽織を着る血飛故也夫故常に上下の上に羽織はきろう也

*介錯の時麻上下(裃)の上に羽織を着るのは、血が飛ぶからである。それ故、通常の時は裃の上に羽織を着るのを嫌うのである。

当時の武士の風習だったのでしょう。土佐だけの事なのか江戸でも当然の様に麻上下の上に羽織は着なかったのでしょうか。

介錯の時の装束、羽織の由来など興味の有る方にお譲りします。

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2015年7月14日 (火)

介錯口伝・他・神妙剣2.紐皮を掛る

介錯口伝・他・神妙剣

2.紐皮を掛る

 他流にて紐皮を掛ると云う事
仰向に倒るゝを嫌てひも皮を残すと云う説を設けたる見えたり當流にては前に云所の傳有故に譬如何様に倒るゝとも失に非ず其上紐皮をのこす手心何として覚らるべきや當流にては若し紐皮かゝりたらば其の儘はね切るべしさっぱりと両断になし少しも疑の心残らざる様にする事是古伝也

*他流には紐皮を掛けると云う事がある。
介錯して仰向けに倒れるのを嫌い、首の紐皮を残すと云う説が設けられている様に見える。
当流では、介錯を依頼された際、無調法故首を斬り放すので良ければ望む所と云って事前に断り置き、譬えどの様に倒れても礼を失するに当たらない。
其の上紐皮を残す手心はどの様にすれば覚えられるのであろう。
当流では紐皮に刀の刃が掛ったならば其の儘はね切ってしまい、さっぱりと両断して少しも、疑念の心を持つ事も無く介錯する事が古伝にあるのである。

他流はどうでも、当流は事前に首を斬り放す、と断る事が作法であると云います。

河野先生はこの土佐の居合の作法を知らず、他流の様に紐皮を残すのが介錯であると拘って伝えて居ます。
当流の古伝を知らず、書物などで知りえた他流の仕来たりを、それと知らずに持ちこんだのでしょうか。
「・・介錯は打首にあらず、打首の如く首を斬り落す事無く咽喉部の皮一重を残すの意を以て行うべきなり・・」無双直伝英信流居合道より。
昭和13年の発行が無双直伝英信流居合道です、此の時河野先生はまだ曽田本に出合っておらず、ひたすら古書を集め読まれていた時期でしょう。

同じ様な時期に書かれた(昭和12年)細川義昌先生系統と思われる白石先生の「順刀(介錯の意)」
「右足を出し乍ら刀を抜き、右足を退きて左足に揃へると同時に刀を左方より廻して右肩後に取り、それより更に右足を踏み出すと同時に左手を柄に添えて握り、前方に坐せる人の首を斬り落す」

*ここでは、首は斬り落とされています。

その後の大日本居合道図譜では、皮一重の文言は消えて居ます。

穂岐山先生の直弟子凱風先生の介錯
「・・自刃者の割腹するや右足をだしつゝ刀を左斜に打ち下して首を斬る・・」

しかし、21代の時に再び「斬り下しは首を斬り落すに非ず、皮一重を残す事」とされて現在に至ります。

世の介錯の有り様が、首の紐皮一枚を残すのが仕来りであれば、其の積りで刀を打ち振るべきで、その心積りの稽古はすべきものでよいのでしょう。
そして、依頼人には、一言断っておくのも武士の嗜みなのでしょう。

此処に伯耆流の「介錯太刀」を白石先生の手引にある、伯耆流範士石井将之先生によって学んで見ます。
「仕方第1:静かに立ち体を左に捻りつつ静かに左上に抜き、左足を出し膝を立てて斬ると同時に右左足かへ左手にて体の後に倒るるを前方に押し付け、次に左手にて白紙を取りて血を拭い其の紙を本人の体の下に押し込む。鞘に納め約八寸位納めたるとき柄を逆手に取り直して納め正面に復す。

仕方第2:静かに立ち右に向きつつ右上方に抜き右上段より右足を出して斬り下ろし、直ちに左足と換へ左手を以て体を支へ、且つ白紙にて血を拭ひ後ろを向きたる儘納め、中途にて逆手に持ち換へ納めつつ正面位に復す」

*伯耆流はさっぱりと斬り落とし体が後に倒れるのを左手で前方に押して支えて居ます。

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2015年7月13日 (月)

介錯口伝・他・神妙剣1.介錯口伝

介錯口伝・他・神妙剣

 1、介錯口伝

 古代には介錯をこのまず其故は介錯を武士の役と心得べからず死人を切るに異らず故に介錯申付らるゝ時に請に秘事有り介錯に於ては無調法に御座候但し放討ならば望所に御座候と申すべし何分介錯仕れと有らば此上は介錯すべし作法に掛るべからず譬切損じたりとも初めにことわり置たる故夫に非ず秘事也能覚悟すべし

*古代では介錯を好まなかった、その分けは介錯は武士のすべきものとは心得ていなかったからである、死人を切るのと異ならないからである。
それ故に、介錯を申付けられた時には秘事がある。
「介錯してほしいと云われても無調法なので仕来りを守れない、但し放し打ちで良ければ望む所でございます」と申すべきである。
何分にも介錯してほしいと云うのであれば、此の上は介錯すべきで、作法にかかわりなく切り損なっても、初めに断わっておいてあるので、作法に違いはない。これは秘事である、よく覚悟すべきことである。

古伝神傳流秘書大森流之事「順刀」が介錯と云われます。
「右足を立左足を引と一処に立抜打也又は八相に切跡は前に同じ(刀をすねへ取り逆手に取り直し納る膝をつく)」

谷村亀之丞自雄先生直筆による英信流目録大森流居合之位「順刀」
「是は座してる前のものを切る心持なり我其儘右より立すっと引抜かたより筋違に切也是も同じく跡はすねへ置き逆手にとり納と也」

大江先生はこの順刀を介錯と改名して現代に伝えています。
「正面に向きて正座、右足を少しく前へ出しつゝ、刀を静かに上に抜き、刀尖が鞘と離るゝや右足を後へ充分引き、中腰となり、刀を右手の一手に支へ、右肩上にて刀尖を下し、斜の形状とす、右足を再び前方に出し上体を稍前方に屈し刀を肩より斜方向に真直に打下して、前の首を斬る。血拭は足踏の儘6番と同じ(請け流し)と同じ様に刀を納む」

*特に、首の紐皮を残す事への拘りはなく、土佐の居合の風習は放れ打ちで良い、然し「無調法」であると断って介錯する事、と教えています。

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2015年7月12日 (日)

居合兵法極意巻秘訣29.神心八相事5軍中首取様の事

居合兵法極意巻秘訣

29.神心八相事

 5、軍中首取様の事 

軍中首取様の事敵の首を取るに咽の方へ刀をやりかき切るときは切れぬ物也切れても手間を取るなり先錣(しころ)を上へ押上げうなじより刀を突立首の大骨を突切って後刀を踏てふみ切て一方の肉をかき切るべし故に上手の掻きたる首は二刀に切目手際に切れて有るとぞ

*軍中で首を取り様の事は、敵の首を取るのに咽の方へ刀をやり、搔き切る時は切れないものである。
切れても手間取ってしまうものである。まず錣を上へ押し上げうなじより刀を突き立首の大骨を突き切って、その後、刀を踏んで踏み切って一方の肉を搔き切るのである。
故に上手の掻きたる首は二筋に切れていて切れ目が手際よく切れているという。

この首の取り様については「組討心持」として既に同様な事が書かれて居ます。2015年4月14日
「師伝に云軍中にて敵と組打の時下に成りても早指副を抜草摺をたゝみ上差通よし一刀指と必よわるもの也さて首を早く捕る傳は敵之首の骨に刀を突き立我が足にて刀の宗をつよく蹴て踏切るべし此の如くすれば早し咽の下より刀にて首をかき落すと思ふ人は頬當のすがに刀かゝり埒明申さず候深秘すべき也」

*神心八相事にはこの後に絵図が残され、柄口六寸、手裏剣、軍馬剱が示されています。
文字によるものの方が解り易いと思います。
現代では文字より写真、それも連続写真や動画を優先される傾向にありますが、武術はモデルの先生の癖が表面に出過ぎたりして参考にしてもそれ以上では無いと思います。
書いた先生の思いは文字に有るもので、思いを実現できないのがほとんどでしょう。
書いてある事とやって居る事が違うものです。山本宅治先生の直弟子で関東の大田次吉先生の名言があります。

「弟子たる者は、師匠のできないことでも、やらねばならぬ」

以上

居合印可口授之覚終

ここまでで、「居合兵法極意巻秘訣 印可部 従是兵法術嗜之ヶ条迄先生御註訳」を終わります。

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2015年7月11日 (土)

居合兵法極意巻秘訣29.神心八相事4虎乱剱

居合兵法極意巻秘訣

29.神心八相事

4、虎乱剱

虎乱剱事山野幽谷を通るとき虎狼抔或は手負獅子抔我を目懸てかゝり来るとき場を見合せ前一方明て三方ふさがりたる穴の如くの所に寄って膝を組刀を抜き切先を向ふにし右脇へ引付て構べし猛獣飛でかゝれば己れと貫かるゝ也柄を腹へ當てゝ真向ふに構る事なかれ猛獣のいきおいにて腹へ強く當り不覚と成る也

*虎乱剱の事、山野、幽谷を通る時、虎狼など或は手負いの獅子など我を目掛けて懸って来る時。
場を見て、前方一方が明いて三方が塞がっている穴のような所に寄って、膝を組み、刀を抜き切っ先を前にして右脇に引き付けて構えるのである。
猛獣が飛び掛かって来れば自ずと刀に貫かれるのである。柄を腹に当てて真向に構える事はしてはならない、猛獣の勢いによって腹に強く当たり不覚を取るであろう。

愉快な教えです。虎、獅子など我が国に居ませんが、秀吉の朝鮮の役が語られていたかも知れません。
刀を右脇に構えるのでは、脇をしっかり締めてもどうでしょう。
うまい具合に場取り出来るか、膝をどのように組めばいいのでしょう。
おとぎ話で、楽しい工夫をさせてくれる一時です。

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2015年7月10日 (金)

居合兵法極意巻秘訣29.神心八相事3手裏剱

居合兵法極意巻秘訣

29.神心八相事

 3、手裏剱

 手裏剱也他流にて敵に刀を投付たるを手裏剱と云當流にて云所は別也敵の透間を見てかた手をはなして敵の面に突込むなり亦互にゆき合に我は片手をはなしのりてすぐに突込む也躰は自然にひとえ身に成る也敵太刀を下すと云へども我太刀にてからりと避る心持あり鎗に突手なし剱術に切手なし云是也大い(?)事故に諸流共々突手は仕組にあらわさざるなり手裏剱と軍場の剱似たれ共心に甚違ふ

*手裏剣のことである。他流では刀を投げるのを手裏剣と云う、当流で云うところはそれとは別である。
敵の透間を見て片手を離して敵の面に突き込むのである。
亦、相懸りに行き合う時、我は片手を離すや直ぐに突き込むのである、体は自然に一重身になるのである。
敵が太刀を振り下して来ても、我はからりと一重身になって筋を外して避ける様な心持である。槍に突き手なし、剣術に切手なしと云うのであって、是は大事である。
それ故に、諸流共々突き手の業は、仕組(組太刀の形稽古)に業としてのせて居ないのである。
手裏剣と軍場の剱は突く事は似て居るが、心構えが全く違う。

此の手裏剱の教えは良くわかりません、「思いつくままに」解釈して見ます。
土佐の居合の手裏剣は、上段から片手突きの技を云うので刀を投げつけるのではない。
軍場の剱は、身を守る良い甲冑を身に着け、少々切られて相打ちであっても面に突きを入れるものです。
この手裏剣は上段から、一重身になって片手突きするわけで、敵は思わぬ遠間からの突きを受ける事、一重身になり相手の槍も刀も筋変えに避けてしまうのです。その心持ちは甚だ違うでしょう。

なお新陰流に「手字手裏見」という教えがあります。敵と正対してその太刀と十文字に合して上太刀となって勝つ技です。その時敵の太刀を執る手の内を見る。それが「手裏見」。

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2015年7月 9日 (木)

居合兵法極意巻秘訣29.神心八相事2軍場太刀

居合兵法極意巻秘訣

29.神心八相事

 2、軍場太刀

*これは表題だけで何も書かれていません。口伝だったのでしょうか。

軍場之大事として神傳流秘書抜刀心持之事にあります。2014年12月31日
「具足のゆるきを取り押上る心得肝要也故に着料の具足は押上られてものどにつかへざる様に仕置べきなり高き所などより飛ぶ時おのづとのどにつかゆる事有るもの也心得に有儀なり」

*これは具足の着方を工夫しろ、さもないと戦の最中にも不都合が起こるぞと言っています。

居合兵法極意巻秘訣の中夭之事に軍場の剱があります。2015年7月7日
「軍場の剱麁相(そそう)なる革具足は格別惣じて甲冑は切っては中々切れ難し況や心懸の武士は甲冑の札(さね)堅きを撰て着する故に切っては却ってまけを取るべし我も能き鍛の甲冑にて身をふさぎたれば少しも恐無く少々切られてなれども我は敵の面に突込べし相下しに下す所にて切先は面に残しすぐに突込むべし返々我は切られて敵をば突合点肝要也」

*これは具足は良いものを着れば少しも恐れることは無いといいます。それ故に少々切られても、相懸りに打ち込んで切っ先を相手の面に残して甲冑の無い顔面に突き込めと心得を教えています。

「軍場太刀」の軍場につい捉われますが、軍場とは甲冑を着けての攻防を指しているのでしょう。

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2015年7月 8日 (水)

居合兵法極意巻秘訣29.神心入相事1柄口六寸事

居合兵法極意巻秘訣

29.神心入相事

 1、柄口六寸事    

 敵の柄口也

*神心入相事とはどのように読むのでしょう。
そしてその意味はどのようなものなのでしょう。

土佐の居合の極意は、柄口6寸の事で、それは敵の柄口六寸に斬り付け、戦意を喪失させて真向から斬り下し勝を取るものです。

柄口六寸についての解説は、居合兵法極意巻秘訣の中夭之大事に解説されています。

2015年4月25日雷電・霞八相
「雷電霞の二ヶ条當流極秘中の秘にして大事此外に無
請流に心明らかにして敵の働きを見と云教有れ共當流には雷電の時の心亦霞ごしに見るが如くの心の所に大事の勝ある事を教る也
夢うつゝの如くの所よりひらりと勝事有其勝事無疵に勝と思うべからず我身を先づ土壇となして後自然に勝有
其勝所は敵の拳也委しき事は印可に有
八相は四方八方竪横自由自在の事也故に常に事形の修練熟せされば時に臨て其習い出る事無し」

2015年4月27日詰合は二星
「詰合は二星につゞまる敵の拳也二星一文字と云時は敵のこぶしを抜払ふ事也惣じて拳を勝事極意也」

2015年5月11日十文字
「敵と打合すれば輪と成り十の形となる互に打合せたる所は是十の形ち也其十の形に成たる所にて手を取れは勝也手の内の輪内十文字は別の事ならず皆一つに唱る事なり外の事にはあらず拳を取れと言う事の教也」

2015年6月26日兵術嗜之事
「・・是は唯た一に帰せよと云う事なり千変万化もついには一に帰す修行鍛錬してよく其一を守るの外無し其一とさす物は雷電刀柄口六寸の勝也當流に主とする所は此外に無しと知るべし」

2015年7月4日雷電剱
「雷電剱諸流の剱術の教皆以我心を明かにして勝を取事を肝要とす當流の極意は表裏の違也敵に向かえば如何なる人も心はくら闇となるなり其まほうくらやみの所にて一つ行ふべき事有則柄口六寸の勝也是當流の極意也雷電刀は惣名にして変じては神妙剱となり軍場の太刀となるなり」

2015年7月5日柄口6寸の勝
「柄口六寸の勝行ふ心持常の修行に習覚には手近云へば仕組の打太刀の心になるべし打太刀より遣方に非を入れよく見ゆる者也故にかさにかゝるを嫌う也がっさりと明て敵は只一うちと打込まするやふにふるまう事大事也かさに掛るの気はつかい形の気となるなり工夫肝要なり心明鏡の事」

2015年7月6日神妙剱
「神妙剱他流にては心を明に〆敵の働を見よと云とは大に違へり生死のさかいなれば平気とは異り然れども忘るまじき事一つ有り則柄口六寸也柄口六寸実は抜口の事に非ず極意にて伝る所は敵の柄口六寸也かまえは如何にも有れ敵と我と互に打下ろすかしらにて只我は一図に敵の柄に打込也先我身を敵にうまうまと振ふて右の事を行ふ事秘事也是神明剱也」

*土佐の居合の極意は、敵の柄口六寸に打ち込んで勝事の様です。
それでは、敵の柄口六寸とは何処なのでしょう。
然も「我が身をうまうまとふるまふて、かまえは如何にも有れ敵と我と互に打ち下ろすかしらにて、只我は一図に敵の柄に打込」是は神明剱と云って居ます。
これでは、柄口六寸は柄なのか、拳なのかなぞなぞです。
神明剱は神妙剱なのかはたまた心明剱なのか雷電刀なのか、軍馬の太刀となると云うのは何なのでしょう。

土佐の居合の根元の巻きには「以腰刀三尺三寸勝九寸五分事柄口六寸勝之妙不思議之極意」と有ります。
東北地方の新庄藩の伝書では「腰刀以三尺三寸勝九寸五分表六寸而勝之妙不思議之極位」です。
庄内藩の伝書では「腰刀之三尺三寸以九寸五分勝事柄口六寸勝之妙不思議極意」で「表」は「柄口六寸」で土佐と同じ表現になります。

柄口六寸はどうやら、敵の柄を握る拳を斬る極意と判断できます。現代居合にどこまでその業技法が伝承されているか、伝承されずとも現代居合の抜刀法でそれを再現することは容易でしょう。要は仮想敵を制する想定の心がけでしょう。

尾張柳生の柳生兵庫の始終不捨書に「六寸之事」という項目があります。
これは、「吾が太刀先三寸を以て敵の拳の三寸を打つ事也、吾が太刀先三寸と、敵の拳三寸と合すれば六寸也、因って六寸と云ふ」

林崎甚助重信と塚原卜伝、上泉伊勢守信綱との糸は何処かにあったかも知れません。

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2015年7月 7日 (火)

居合兵法極意巻秘訣28.中夭之事11軍場之剱

居合兵法極意巻秘訣

28.中夭逝之事

 11、軍場之剱

 軍場の剱麁相成革具足は格別惣じて甲冑は切っては中々切れ難し況や心懸の武士は甲冑の札(さね)堅きを撰て着する故に切っては却ってまけを取るべし我も能き鍛の甲冑にて身をふさぎたれば少しも恐無く少々切られてなれども我は敵の面に突込べし相下しに下す所にて切先は面に残しすぐに突込むべし返々我は切られて敵をば突合点肝要也

*軍場の剱については「麁相成革具足は格別」、鹿で作られた革具足は別格であるが、総じて甲冑は切っても中々切れない、まして心有る武士は甲冑の札(さね)は堅いものを撰んで着用するので、切っても却って負けてしまうのである。
我も良く鍛えられた甲冑で身を守っていれば、少しも恐れる事は無く、少々切られても、我は敵の面に突き込むのが良い。
双方真向に打ち下しても、我は切先を相手の面に残して直ぐに突くのである。
かえすがえす、我は甲冑を切られても敵の面に突を入れる、此の事合点肝要の事である。

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2015年7月 6日 (月)

居合兵法極意巻秘訣28.中夭之事10神妙剱

居合兵法極意巻秘訣

28.中夭之事

 10、神妙剱

 神妙剱他流にては心を明に〆敵の働を見よと云とは大に違へり生死のさかいなれば平気とは異り然れども忘るまじき事一つ有り則柄口六寸也柄口六寸実は抜口の事に非ず極意にて伝る所は敵の柄口六寸也かまえは如何にも有れ敵と我と互に打下ろすかしらにて只我は一図に敵の柄に打込也先我身を敵にうまうまと振ふて右の事を行ふ事秘事也是神明剱也

*神妙剱について他流に云う、心を明かにしめて敵の働きを見よと、云うのとは大いに違うものである。
生死の堺であれば、平気などと云う事とは異なる。しかれども、忘れてはならない事が一つ有る。則ち柄口六寸である。柄口六寸とは実は、己の刀を抜き出した鯉口と柄(鍔)の間の六寸の事ではない。
極意として伝わる所は、敵の柄口六寸である。
構えは如何様であろうとも、敵と我れと互に打ち下す頭で、只我は一途に敵の柄に打ち込むのである。
先ず、我が身を敵に、隙を見せてここぞと打ち込ませ、右の事を行う事であり、秘事である。
是神明剱である。

この極意の神妙剱も新陰流の太刀筋のようです。
現代居合が、「敵の害意を認めるや機先を制して、鞘離れの瞬間に其の面部から胸部に斬り付ける・・」と云うものですが、ここでは敵の抜刀せんとする敵の柄口六寸に抜き付けると云うものです。
しかし、「構えは如何にもあれ敵と我と互に打ち下ろすかしらにて只一図に敵の柄口六寸に打込」と、敵が打ち込んで来るその柄口六寸に打ち込むと云うのです。
更にその極意業の秘事は「敵にうまうまと振ふて」ですから、敵に思う処に打ち込ませる様に振る舞うのです。将に柳生但馬の兵法家伝書の活人剣です。
新陰流の七太刀の明月之風などは居合にも通じます。その他一刀両断、和卜や、くねり打ちなどもそのものでしょう。

新陰流の「六寸之事」
「是は吾が太刀先三寸を以て敵の拳の三寸を打つ事也吾が太刀先三寸と敵の拳三寸と合すれば六寸也因って六寸と云ふ」・・・

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2015年7月 5日 (日)

居合兵法極意巻秘訣28.中夭之大事9柄口六寸の勝

居合兵法極意巻秘訣

28.中夭之大事

 9、柄口六寸の勝

 柄口六寸の勝行ふ心持常の修行に習覚には手近云へば仕組の打太刀の心になるべし打太刀より遣方に非を入れよく見ゆる者也故にかさにかゝるを嫌う也がっさりと明て敵は只一うちと打込まするやふにふるまう事大事也かさに掛るの気はつかい形の気となるなり工夫肝要なり心明鏡の事

*柄口六寸の勝ちを行う心持は、常の修行で習い覚えるには、手近く云えば仕組(組太刀)の心得である。
打太刀から遣方(仕太刀)に打太刀の隙(打ち込み易い処)をよく見せるもので、それ故に打太刀は、嵩に懸かる様にして対するのを嫌い、がっさりと此処へ打ち込めと明けて、敵(遣方)は只一打ちと打ち込ます様に振る舞う事が大事である。嵩に懸かるの気は、遣方の気となるもので工夫肝要である。
心明鏡の事は、曽田本のどこにもそれらしきものはありません。
打ち太刀の心は、明鏡の如くなすべきを解くのでしょう。

神妙剱の事と解すれば、「彼が気を先に知てすぐに応ずる道を神妙剱と名付けたる也」でしょう。

土佐に居合をもたらした第9代林六太夫守政が真陰流を大森六郎左衛門に習っていたのであれば、新陰流に由来する神妙剣とも取れます。柳生但馬守宗矩の兵法家伝書活人剣の神妙剣之事でもあるでしょう。

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2015年7月 4日 (土)

居合兵法極意巻秘訣28.中夭之大事8雷電剱

居合兵法極意巻秘訣

28.中夭之大事

 8、雷電剱

 雷電剱諸流の剱術の教皆以我心を明かにして勝を取事を肝要とす當流の極意は表裏の違也敵に向かえば如何なる人も心はくら闇となるなり其まほうくらやみの所にて一つ行ふべき事有則柄口六寸の勝也是當流の極意也雷電刀は惣名にして変じては神妙剱となり軍場の太刀となるなり

*雷電剱は諸流の剣術に教えがあるが、皆我が心を明かにして勝を取る事が肝要だと云う。
当流の極意は是とは表裏の違いである。
敵に向えば誰でも心は暗闇になった様になりってしまう、その真方暗闇の中で一つだけ行うべき事がある。
それは即ち当流の極意柄口六寸の勝ちである。是が当流の極意である。
雷電刀は当流の全ての業の事であって変じて神妙剱となり軍場の太刀となるのである。

敵と相対し、真っ暗闇の様な心に陥った時にあるのは、当流の極意柄口六寸の極意業である。と云い切って居ます。
柄口六寸については次回に解説されています。

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2015年7月 3日 (金)

居合兵法極意巻秘訣28.中夭之大事7雷電刀

居合兵法極意巻秘訣

28.中夭之大事

 7、雷電刀

 雷電刀は惣名也則柄口六寸也変而神妙剱と成軍場之劔と成智仁勇備らざれば其事(業)ざ行ふ事能わず智仁勇の三徳有と云へども眼心足能く利(きか)ざれば勝を取る事ならず故に図の如く配當せる也

*雷電刀は総じての名である、則ち柄口六寸である。
変じて神妙剱となり軍場之劔となり、智仁勇が備わらなければ其の業を行う事は出来ない。
智仁勇の三徳有ると云っても眼心足が十分に利かなければ勝負に勝つことは出来ない。
故に図の如くこれらを配置して示す。

図は省略します。

雷電剱・柄口六寸・神妙剱・軍場之剱は追って詳細が述べられています。

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2015年7月 2日 (木)

居合兵法極意巻秘訣28.中夭之大事6難に逢事

居合兵法極意巻秘訣

28.中夭之大事

 6、難に逢事

 亦曰難に逢事を知る事は前に云う也知ても行かずして叶わざる事有其時は道をかえ気を転じて行くべし気転ずる時は自然に難をも避る事有るべし道をかゆると云うは本道を行所を行かず〆脇の小道を行くの類なり

*亦曰く、難に逢う事を知る方法は前に云ってある。眼頭を押しても火が散らない、おしっこが泡立たない、湯茶に我が影が写らない、手のいじいじとある形が見えないなどの事でしょう。2015年6月27日~6月30日の記事
難に逢うと判っていても、行かないと云う訳にいかないときは、道を変えて気も転じて行けばよい。気を転ずれば自然に難を避ける事もあるだろう。
道を変えると云う事は本道を行かず〆て、脇の小道を行くという様な類の事である。

難に逢うかも知れない、その時がわかれば避けようもあるのでしょう。しかし余程の洞察力があっても難しいものです。
わかっていれば避ける方法も思いつけるかもしれません。
そんな事を思って脇の小道ばかりを選んで歩いていても、いじけてしまいます。
本道を歩いている積りが脇の小道だったりして・・・。

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2015年7月 1日 (水)

居合兵法極意巻秘訣28.中夭之大事5心の落かせ様

居合兵法極意巻秘訣

28.中夭之大事

 5、心の落かせ様

 亦曰心の落かせ様に習有先口をふさぎ噛むを呑み込みて心を静むべし亦は小用を達すべし能く心をちつくもの也

*心の落ち着かせ方に習うものがある。先ず口を閉じて歯を噛んで呑み込み心を静かにする。亦は小便をするとよく心を落ち着かせる事が出来る。

思いもしない事に出会ったりすると心が落ち着かなくなるものです。
やらねばならない事や、行かねばならない場所に来た時にも心は落ち着かなくなるものです。
その様な時の心を落ち着かせる方法は、そこそこ誰でも持っているかも知れませんが、生死にかかわる様な場面でも使える方法とはどんなものなのでしょう。
おのれを信じ、人を信じ、自然体でやるべき事をやれば、おのずと心静まると思うのですが、ふと遠くを見つめていたりします。

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