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2015年7月24日 (金)

居合兵法の和歌6.居合とは知った振りして

3合兵法の和歌

6.居合をば知った振りして

 居合をハ知多振り之て突るゝ奈居合の道を深問べし

*居合おば知った振りして突かるゝな居合の道を深く問うべし

居合と言うものはなどと知った振りをして、攻撃されていては意味はない、居合の道を深く問うべきである。
直訳するとこんな処でしょう。

この歌は田宮流歌の伝にはありません。
新庄藩の秘歌之大事にも見当たりません。
居合でも仕組みの太刀でも、物覚えの良い器用な者は2、3年で形は覚えてしまいます。出来るとばかりに場に臨んでも、喧嘩慣れした渡世人やごろつきに膾にされてしまうでしょう。
なまじ形に捉われれば、倒すには最も良い相手です。

「居合の道を深く問うべし」修行者に重くのしかかって来る下の句です。

河野先生は初心者心得三十三則の結語で「・・総じて形にとらわるゝ事無く(業形より入りて業形を脱す)臨機応変敵に依って転化する縦横無礙自在の心胆を鍛錬するを以て本旨とするものなり・・求道の士よ其の技葉を追う事無くすべからく其の根元を究明する事を忘るゝ勿れ」と説いて居ます。

沢庵の不動智神妙録には「事の修行仕らず候えば、道理ばかり胸に有て身も手も働かず候。理を知りても、事の自由に働かねばならず候。身に持つ太刀の取りまわしよく候ても、理の極り候所の闇く候ては、相成る間じく候。事理の二つは車の輪の如くなるべく候」

このことは、居合ばかりでなく多くのことに共通のことでしょう。
師の教える形のままに、手順を正しく華麗に演じてみてもたちまち限界になってしまいます。
かといって、居合の形などばかりをよしとしていますと、それも慣れてしまい申し合わせのものに陥ってしまいかえって空間刀法の方がよさそうに思えてしまいます。

竹刀剣道のスポーツのような模擬実戦形態ばかりをよしとしても、勝った負けたなどのレベルで楽しむのは良いのですが、地稽古や乱取りばかりですと、慣れに依る壁にぶちあたるし、力と速さだけでは年を取ってからそれでは若い者に対応できなくなるはずです。

華麗な演舞でもない、勘に頼った力や速さでも無い、はるかに高いレベルのものが存在するはずです。

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