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2015年7月29日 (水)

居合兵法の和歌11.強身にて行當る

居合兵法の和歌

11.強身にて行當る

強身二て行當るおば下手と志れ鞠に柳を上手とそいふ

*力任せに当たって行くのを下手と知るものだ、鞠が当たっても柳の枝は逆らわずに柔らかくいなす、是が上手と云うものだ。

この歌は新庄藩の林崎新夢想流の秘歌之大事にあります。
「徒よみ尓て行あ多留をハ下手と云鞠二柳を上手とそい婦」
(つよみにて行きあたるおば下手と云う鞠に柳を上手とぞいう)

田宮流歌の伝では
「つよみにて行きあたるこそ下手なれやまりに柳を上手とぞいふ」

其の時代の武士の常識で歌を詠めば直ぐに理解しえたのでしょう。
当時は大方口伝によるもので形のように眼に見えるものでも無いので師匠の教えはかなりまちまちでどれが歌の定番かは難しかったろうと思います。

此の歌は、修業を積み重ね奥義に達した者の歌とも取れます。修行中のヘボがそんなものかと真似てみても居合のような仮想敵相手のものでは、力ない棒振りをするのがせいぜいです。

「あら磯のもくずか浪に打たれても 猶打ちかへすまけじだましい」
「己が身を勇気の槌で打ちくだけ これぞ誠の教へなりけり」
「いろいろに姿勢態度もきまらずに 打たん心は禁物としれ」

武道の歌は面白い・・・

無外流の百足伝より
「兵法は強きを能きと思いなば終には負けと成ると知るべし」
「兵法の強き内には強みなし強からずして負けぬものなり」

柳生新陰流の剣士でしょう、藤原敬信の「免兵法の記」に以下の事があります。「和らみ、最初より専らと教え候事、宜しからず覚え候。強みを致し抜けざればまことの和らみは出来ぬものに候。強みを致し抜けざる和らみは、弱みの至極と知るべし。其の者の精一杯強みを致し尽くし候上にて、和らかなる仕形を教える由に候・・・」赤羽根龍夫著「江戸武士の身体操作柳生新陰流を学ぶ」

この様な歌を読んで、初心者は「そうか、ゆっくり大きく、メリハリのない、力の無い居合が上手なのか」と早速やってみても、気の抜けた棒振りにしかならないものです。
そこそこ腕力がある人はガンガン力んで稽古して、いつか自然に力が抜ける方が本物だろうと思うのです。
いや違う、ゆっくり大きく、力を抜いて稽古すれば、いずれ大きく力強い居合になるものだとも思うのです。
人はどちらかを選んで稽古するばかりの事で、修行途中で切り変えることの出来る器用な人はめったに居ないでしょう。
がんがん力むのも、力なく振るのも大方その人の人生観によるのかも知れません。

人にもよるでしょうが、力一杯に振り回していた人は、大抵いつまでも力んでいます。
力なくやっていた人は、大抵いつまでもゆっくり、力ないものです。

より少ない力で、より大きな効果が出る様なことが出来る様になれば良いのでしょう。

宮本武蔵の兵法35箇条「上段の位の兵法は強からず弱からず角らしからず早からず見事にも無く悪くも見えず大きに直ぐにして静かに見ゆる兵法是上段の位也能々吟味あるべし」

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